レマルクの『凱旋門』を手に入れた。

 長らく絶版だったこの本が、最近復刊されたのは知っていた。わたしも「復刊ドットコム」に登録していたけど、機会を逸したまま、買いそびれてたんだ。
 
 この日記には、小説をはじめとする活字文化作品の感想を書かないようにしているのだけど、ヅカ関係は除く(笑)。
 レマルクの『凱旋門』は、大好きだー。

 原作の『凱旋門』を読んでわたしはさらに、ラヴィックという男を好きになった。
 美しく繊細な物語。

 復刊はとてもうれしいのだけど、叶うことなら現代語訳してほしかった。
 さすがに今の日本語と差異が生じていて、それがわたしみたいなぬるいのーみそしか持っていないものにはつらい。おくりがなの違いや言葉の使い方、誤字なんかが気になるんだよ……。無意識で文章の添削をしてしまって、その都度物語から現実に引き戻されてしまう。
 ふるめかしい喋り方なんかはまだ「味」だと思えるけど。にしてもやっぱ、興をそがれる部分があるなあ、文章の時代錯誤さに。
 美しい現代語訳で出してくれたら、うれしかったなー。

 とまあ、文章自体はそのまんまな復刊なわけだ。
 

 三原順の『ハッシャバイ』の復刊ヴァージョンをブックオフで見かけたことがあったので、漠然と復刊っちゅーのはあんな感じなんだと思っていた。
 かつての姿を忠実に再現してあるが、お値段だけは少部数発行を物語る元定価の数倍、てな。
 だから『凱旋門』もきっと、昔通りの素っ気なくもいかめしい装丁で、値段は当時の数十倍とかするんだろうな、と覚悟していた。なんせ発刊当時はハードカバー本が数百円っちゅー物価だったわけだから。今の文庫本以下の元定価で復刊できるはずがない。
 どんな姿になるかと思いきや。

 値段的には、予想の範疇だった。税抜きで2600円。まー、こんなもんじゃろ。
 だが、装丁がずいぶん予想とちがった。

 ハードカバーじゃないんだ……。
 しかも、大きい。
 そして、活字がでかい……。

 昔の、小さく硬い姿に郷愁を持っていたので、ちと拍子抜け。
 硬い硬い、今よりずーっと融通利かないハードカバーに、小さな活字がぎっしり2段組。ものすげー読みにくい画面だけど、とりあえずコンパクトで「特別感」のある姿。
 『ハッシャバイ』が元の姿まんまだったから、『凱旋門』にも元の姿を期待していたんだよ。

 なーんだ、ものすごーく「今」な感じの装丁。
 今現在、ふつーに新刊として翻訳本コーナーに並んでそうな。
 表紙は映画のヒロイン写真だし。
 ……なまじっか「今の活字」「今の誌面」「今のデザイン」だから、文章の時代錯誤感が目に付いたんだよなー。

 そしてさらに異彩を放つのが、帯。

 トドロキ御大がいらっしゃいます……。

 え、えーと。
 この本って、完全ヅカファン向けなの?
 いちおー文豪作品で映画原作なんだよねえ?
 帯で堂々と「宝塚歌劇原作」と謳われるとびっくりだ。純粋にこの作品のファンで復刊を心待ちにしていた人は、引くんじゃ……?

 たしかに復刊を願っていたひとたちは圧倒的にヅカファンが多かったけどさ。復刊ドットコムの復刊希望コメントはそれ一色に近かったけど。
 
 わたしがこの本を読んだきっかけはたしかにトド様の『凱旋門』だったけど、実際に読んでみれば、「たとえヅカの舞台を観ていなくても、この小説を好きになっただろう」と心から思った。世の中には「あの作品の原作だから好き。そーでなかったらどーでもいー」レベルの作品があふれているというのに。
 アタマのぬるいわたしが読んで理解できて、感動できるくらいまっとーにすばらしい作品なんだから、ふつーにファンがたくさんいそうなもんだが。
 そしてそういうふつーの人たちは、ヅカメイクの顔写真が帯についてたら引くんぢゃねーかー? と、いらぬ心配をしてしまいました。

 いやあ、帯だけでもわたしゃ、そんなことを危惧していたのにねー。

 本の中に、そりゃーもー堂々と、ピンナップがついてましたよ。
 宝塚歌劇の。

 ははははは。
 笑っちゃった。
 帯ごときで心配しちゃってごめんねー。

 これって、一般人のことなんか考えてない本だったんだ。完全ヅカファン向け。ファン以外の購読者を想定していません、てな。
 なーんだ。

 それなら、いっそ表紙写真もトドロキにしちゃえばいいのにー。毒をくらわばだよー。

 ファンアイテムとして開き直った商品だと理解した途端、こちらも開き直りました。
 ああ、トド様ラヴィックが美しいわー。きゃー、すてきー。
 ああ、やっぱりボリスはタータンだよねええ。
 あら、コウちゃんヴェーベルも載ってるのね。
 あー、グンちゃんジョアンはもっときれいに写ってるヤツにしてあげればいいのに……。
 なんにせよ、大切にするわ。

    
 某スクープが紙面を飾り、景気のいい売り上げを記録した日の夜。そのゴシップ新聞社の女編集長と新米新聞記者は、ふたりっきりで祝杯をあげていた。

「……そのときちょうど、デイジーさんが現れたわけです」
「なるほど。愛するニコラのそばに張り付いていてもいいだろうに、ビリーのことも心配で、思わず刑事たちのあとを追ってきたわけね」
「そういうことです。ビリーさんとデイジーさんには、深いなにかがあったんですよ」

 もともと酒に弱いのだろう新米記者は、スクープの一部始終を語るうちにずいぶん回っているようだった。語りがいつになく熱い。

「ほんとうに、デイジーさんが来てくれて、よかったですよ」
「そうね」

 一方、女編集長は酒に滅法強い。いくら飲んでも普段と大して変わらない。

「もしあのままデイジーさんが現れなかったら、僕、途方に暮れてました。だってビリーさんとふたりきりなんですよ。ビリーさんは、長年わだかまりを抱いていたお父さんと親子の名乗りをして、しかもビリーさんがお父さんの罪を告発するカタチになっていて……」
「複雑よねええ。しかもマイク・バインダー……ビリーの実の父親は、自殺しようとしてたんでしょう。父親が目の前で死のうとして、それをかろうじて止めて……そして、逮捕されて。さすがのビリー・ザ・フェイマスもこたえるわよねえ」
「僕が刑事さんたちと駆けつけたときには、ビリーさんは床に坐り込んでました。誰とも視線を合わさずに。マイク・バインダーが逮捕され、連行されたあともそのまま……。そんなビリーさんとふたりきりですよ? どうすればいいんですか」
「たしかに、途方に暮れるわね」
「なんて言えばいいか、わからないじゃないですか」
「そうよね。どんな言葉をかければいいのか、わからないわね」
「そうですよ。もしあのときデイジーさんが来てくれなかったら……とにかく僕はビリーさんを抱きしめていただろうし」
「…………抱きしめて?」
「だって、なに言っていいかわからないんですから。言葉がないなら、抱きしめるでしょう?」
「そ、そうかしら」
「抱きしめますよ! あのときのビリーさんは、そうでもしなきゃいけない感じだったんですってば。坐り込んだままのビリーさんを、こう、背中から包むように抱きしめて」
「…………」
「それでもし、ビリーさんが僕のこと抱きしめ返してきたら、どうします? いや、抱きしめ返さなくても、こう、身体をあずけてきたら」
「えーっと……」
「それでもって、涙なんか見せられちゃったら、どーしたらいいんですか、僕!」
「泣かないと思うけど……」
「泣かないにちがいない人が泣くから、問題なんですってば! あのときのビリーさんは、触れただけで壊れてしまいそうな、幼い少年のような、つかれきった大人のような、いたいけな瞳をしていたんですよ! 泣きますよ、抱きしめられたら!!」
「そ、そうなの……」
「そうですよ。で、泣かれちゃったら僕は、どうしたらいいんてすか。小さな子にするように髪を撫でて……頬を撫でて……それから、キスするしかないじゃないですか」
「する、しか、ないの? 選択肢は」
「ありませんよ! 傷ついたビリーさんは、それを求めているんです」
「断定なのね……」
「断定ですよ。あのときのビリーさんの瞳を見ればわかります。抱きしめて、キスをして。……それでも彼が泣きやまなかったら、さらに僕にすがりついてきたら、僕はどうすればいいんですか。やっぱりもっと深く抱いて、あの人の孤独や傷ついた心を癒してあげるしかないでしょう? でも、もっと深くって、どうすればいいんですか。僕はゲイじゃないし、したことないし、うまくできる自信ないし、でもかわいくおねだりされちゃったらやっぱ後には引けないし、コンクリートの上じゃ固いし痛いし、でも場所考えてる場合じゃないし、とにかくあのときの、傷ついたビリーさんはやたらめったら色っぽいし、僕の方が先にいっちゃったりしたら意味ないし、持久力に自信ないし、そもそも技巧にもぜんぜん自信ないんだけど、とにかく情熱だけはあるから挑戦するとして……それでビリーさんを満足させてあげられなかった場合は、どうなるんですか? 彼が満足するまでつづけるんですか? どう考えても、僕よりビリーさんの方がタフですよね。そこは僕が一念発起してがんばりまくって、なんとか彼を満足させちゃった場合は、どうなるんでしょう。やっぱ責任、取るしかないですよね。婚約指輪は給料3ヶ月分ですか?」

 ほとんどつぶれるようにテーブルに突っ伏して語る新米記者に、女編集長はようやく言った。

「よかったわね、デイジーが来てくれて」
「………………よかったんですよね。デイジーさんが来てくれて」


        
 花組『NAKED CITY』青年館千秋楽の話、つづき。

 妄想を垂れ流しすぎて、本題を忘れてたね……そうなのよ、千秋楽なのよ。
 わたし結局この作品、バウ初日を観て中日を観て千秋楽を観て、そのうえ青年館千秋楽まで観てるのよね。すごいわー。
 初日と楽はお客のテンションがちがうから、コアでたのしいよね。客席にいるのがファンばかりだから、最初から熱気がチガウ。やる気満々の観客は、微笑ましい。

  
 わたしがこの物語を好きだったのは、萌えがあったこともキャストが好きだったこともストーリーが破綻なく正しく収束していることももちろん要因なんだけど、いちばん大きな理由は、「快楽中枢に訴える作品」だったからだと思う。
 千秋楽、「これでこの作品を観るのは最後なんだ」と泣きながら思った。
 この作品を好きな要因はいくらでもあった。だがそれを凌駕して、作品自体の「作り」が「快感」だったんだ、わたしにとって。

 齋藤吉正の最高傑作『花吹雪恋吹雪』を観たときに感じたものに、近い感覚だ(アレが最高傑作なのか、齋藤吉正。あんなに壊れきったバカ作品が最高? ……悲しいが現時点ではそうとしか言えない。泣)。
 わたしは理屈をこねるのが好きだが、理屈を放棄して本能の欲求に従うことがある。
 このシーンのここでこうなると気持ちいい。ここでこうライトが当たったら気持ちいい。ここで主題歌一発かましてくれたら気持ちいい。ここで盛り上げて決めポーズで終わってくれたら気持ちいい。
 そんなふうに、ストーリーとか萌えとか関係なく、本能で感じる「気持ちよさ」があるんだ。
 わたしのバイオリズムに、そーゆー欲求があるんだろう。他人がどうかは知らない。あくまでも、わたし限定だ。
 そのわたしが「気持ちいい」と感じる五感効果をしてくれる作品。わたしの快感中枢を刺激してくれる演出。
 それは理屈ではなく、ほんとーに「本能」の部分だと思うのよ。どんなに完成されたすばらしい作品であっても、そこを刺激されないことなんかあたりまえにあるからな。

 『NAKED CITY』は、わたしのバイオリズムに合った。理屈を越えた部分で快感だった。
 それをベースにしたうえで、ストーリーだとかキャラだとか萌えだとかがあったの。
 もちろんそれは、『花恋吹雪』ほど強烈なものじゃなかった。アレは壊れきっている分、なりふり構わず萌えだけで押していたからな。
 『花恋吹雪』や『血と砂』が快感だったのは、わたしの本能に訴え掛けるものがあったんだと思うよ。理屈では説明できない快感。アタマを空っぽにして、五感のみで酔う。極端な話、日本語以外で上演されていても、ストーリーラインさえ理解できていれば、酔えたと思う。それくらい、ふだんのわたしとは「別なところ」で気持ちいい作品だったわけだ。
 ……今のところ、純粋な「快感」という点に置いて、『花恋吹雪』を越える作品に出会ってない……。
(言うまでもないが、『花恋吹雪』はいちばん好きな作品ではない)

 千秋楽、この作品と別れることにわたしは、ほんとうにかなしんでいた。
 また、酔っていた。
 最後の最後まで、「気持ちいい」と思っていた。

 そして。
 こころから、「必要だ」と思ったんだ。
 わたしには、こーゆーものが必要なんだって。
 食事や睡眠と同じように、わたしにはこの快感が、そして涙が必要なんだ。
 こころがふるえないと、生きていけないよ。わーん。

 ほんとーに気持ちよかったから、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 小柳先生、ゆみこちゃん、あすかちゃん、みわっち、まっつ、兄貴……キャストのみんなひとりひとり、この作品全部にありがとうって感じだった。
 他人の評価は知らない。ただ、わたしにとってはものすげー気持ちいい作品だった。それだけでいいよ。わたしは幸福だ。
 気の多いわたしは好きな生徒さんがいっぱいいるが、いわゆる「ご贔屓」のいない舞台だったにもかかわらず、酔わせてくれた。(これで「ご贔屓」が出ていたらえらいことになったろーな・笑)
 
 この舞台で宝塚を卒業される幸美ねーさんにも、たくさんたくさん拍手があったよ。
 わたしと幸美ねーさんの出会いは、舞台ではなく「トレカ」だったんだけどな(笑)。その昔、一度だけバンダイから発売された「宝塚歌劇トレーディングカード」、じつはわたし、けっこー真面目に蒐集してたんだが、そのときのダブリNo,1が幸美さんだったのよ……。当時は幸美さんを個別認識してなかったからさ、「誰よコレ。なんで毎回毎回この人のカードが出るの(怒)」と思っていたのよねー。
 おかげで、忘れられない人よ。トレカ以来、舞台でも探すよーになったもんよー(笑)。
 いい味出してるすてきな女役さん。いい舞台をありがとう。

 カーテンコールのたびに、幕が下りる瞬間までマイペースに踊り続けるちはる兄貴に目頭を熱くしつつ。
 わたしの「観たかった舞台」だった、と再確認したんだ。

        
 すみません、花組『NAKED CITY』千秋楽、観に行っちゃいました。……青年館まで。
 へんだなあ、今日はほんとーならムラで、とのさんと並んで『ファントム』観てたはずなんだけどなあ。どーして青年館にいるのかなあ(笑)。

 さて、なにはともあれ千秋楽。
 アドリブ合戦になって大騒ぎ、なんてことはない作品なので、楽日だからといって特別なにかあるわけじゃないんだが。
 少しばかりあったサービス・アドリブのなかで、わたしのツボにジャストミートしてくれたのは。

 スパニッシュハーレムのシーンで。
 ビリー@ゆみこちゃんとバーナード@まっつが、ビッグママはじめ浮浪者たちに囲まれいじられ遊ばれるあの愉快なシーンにおいて。

 スキンシップ度大幅UP。

 バーナード、ビリーにすがりつきまくり。
 なにをいちゃいちゃしてんだお前らー(笑)って感じ。

 もともとかわいくて大好きなシーンだったんだけど、楽日はさらにかわいさUPしてんだもんよー。猫にまたたびだよー。うわーん、お前らかわいすぎです。

 さんざんいちゃくらしたそのあとで。
 命からがら某マネキン倉庫まで逃げてきたときに。

 ビリーがバーナードに言うのさ。

「いつまで握ってるんだ」

 そう。
 バーナードはずーーーーっと、ビリーの手を握ったままだったわけです。
 いいトシした男ふたりが。
 ずーーーーっとお手々つないでたわけねっ。

 か、かわいいっ。
 お前ら、かわいすぎです。

 はああ。
 まっつファンでゆみこちゃんも好きなわたしにとっては、夢のようなシーンがいっぱいなのよー。今までゆみこちゃんといえば、オサ様×ゆみこ だとか、らんとむ×ゆみこ しか考えてなかったからねえ。ゆみこ総受はデフォルトとしても(笑)、まっつを絡めて考えたことはなかっただけに、今回目からウロコのハッピーライフ!!
 ビリーの肩越しに前をのぞき込もうとつま先立ちになるバーナードなんか、地団駄踏みたくなるくらい、かわいいっっ!
 バーナードはとりたててチビには見えないので(そりゃ高くないことは一目瞭然だが、目に見えて小柄でもないよな。まあ「ふつー」って感じ?)、ビリーが何気に背が高いんだなってことで、双方いい味になってるし。

 つま先立ちバーナードがあまりにかわいいので、1回くらいビリー、まちがえてキスしちゃってくれないかな。
 背中から肩越しにのぞきこんでくるバーナード。ビリーにしてみりゃうざい。だからビリーはいつも、そんなバーナードを邪険に振り払うんだが。
 振り払うときにさー、まちがえてぶつかってくれよー。ちゅーしちゃってくれよー。見たいよ見たいよー。てか、見たかったよー。
 リカちゃんとマミさんだって、千秋楽はうっかりちゅーしちゃって、リカちゃんのほっぺたにマミさんの口紅がべったりついたまま演技してたぢゃん。
 アレ、たのしかったなー。
 見たかったなー、まっつ×ゆみこで。いや、バーナード×ビリーで。

 そこからはじまるのよ……バーナードの高嶺の恋が(笑)。いや、事故ちゅーがなくても、はじまってるけど、物語として書くなら、事故ちゅーネタからスタートさせると愉快だもの。ガキんちょバーナードに、わかりやすくスイッチが入るから。
 元気にかわいくいっぱいいっぱい、下っ端体質全開で、高嶺の花を振り向かせるのだ!
 そしていつか、バーナードのあまりの全開ぶりと空回りぶりにビリーがほだされて、「1回だけなら」とか言ってくれちゃうわけよ。
 でも、1回だけなんてとんでもない、1回やったら最後、バーナードは指輪用意してプロポーズに来るね。
 大真面目にビリーの家族に挨拶しに行って、あの男前なかーさんに「息子さんを僕にください」とか言って叩き出され、あのかわいい妹に「僕のこと、お兄さんって呼んでいいんだよ」とか言ってうさんくさがられるの。うっとり。
 そんな勇み足バーナードを、ビリーが血相変えて引き戻しにやってくるの。うっとり。
 バーナードが真剣に差し出した指輪を、ビリーが怒って投げ捨てたりしてな。バーナード、ショーック。しかも、「母の形見の指輪が」てなことをつぶやいちゃったりして。ええっ、形見ってなに? 「母が父から贈られた指輪で、亡くなる前に僕にくれたものなんです。『お前の愛する人に渡しなさい』って」フカシてません、マジです。
 根が真面目なビリー、それを聞いてこれまたショーック。「なんでそんな大切な指輪を、俺に渡すんだ」「だから、母の遺言通り、愛する人にはめてほしくて」フカシてません、大マジです。ビリーの負け、それ以上悪ぶれず、必死になって指輪を探してみたりな。
 指輪を探すうちに、他の事件に巻き込まれたりなんだり、オールスター・キャストの大騒動ののちに、ビリーはぼろぼろになって指輪を見つけだす。バーナードに渡すと、たしかに母の形見が無事だったことはよろこぶんだけど……ビリーが受け取ってくれない限り、バーナードのかなしみは止まらない。
 背中を丸め、しっぽを丸めてしょぼくれている血統書付きワンちゃんに、由緒正しき雑種の野良犬は、ついにほだされてしまう。
「はめればいいんだろ」
 ったく、てな感じに指輪を奪い、指にはめようとするけれど。
 とーぜん、入りません。バーナードのママの指輪が、大の男の指にぴったり入るかっての。詰めの甘い男、バーナード。結局指輪は突き返される。「サイズ直してきますから!」「いらん。もう絶対、受け取らない」「そんなぁ〜〜」てなバカップル押し問答を、天下の往来で展開だ。
 例としてあげている話が超絶陳腐ですまん。が、陳腐な方が萌えるんだ(笑)。「お約束」で驀進するのだ。
 ものすごーく愉快でかわいいカップルになるわ。かわいいラヴストーリーになるわ。
 引っかき回され、腹を立て、怒りながらも……結局ほだされ、ゆるしてしまうビリーに、バーナードはつま先立ちでキスをするのー。ビリーは絶対かがんでなんかやらないから、バーナードが伸びあがらなきゃなんないの(笑)。
 ま、それほどものすごい身長差があるわけでもないので、バーナードがちょっと踵を浮かせるだけだけどね。
 ヘタレ攻の男前受。ああ、うっとり。

 ビリーとバーナードのデュエットも好き。
 まっつはいつも、何気に低音響かせるよね。はー、ゆみこちゃんが主旋律で、まっつはさらに下の音でハモるんだ……ガキくさい顔して、何故にそう男前に歌うかな(笑)。
 歌手ふたりのデュエットは、聴いてて気持ちいい……。
 てか今回、歌うまい人ばっかだもんね、出演者。実力派で固められた舞台。……かわりにちょっと地味(笑)。
 まあ、「地味」ってのが雪組育ちのゆみこちゃんの持ち味だけどさー。
 堅実に、いい舞台を観せてもらったよ。

 
 はああ……萌え〜〜。

    
 ああ、映画の感想が溜まっていく……。あと何本あるんだ、まだ書いてないやつ??

   
 バカであることの愛しさを堪能できる映画。

 『下妻物語』、監督・中島哲也、出演・深田恭子、土屋アンナ。

 我が道を行く竜ケ崎桃子@深田恭子の人生とは、ひらひらフリフリのロリータなお洋服を着ることだ。茨城県のド田舎・下妻でTPO皆無にロリータ人生を快走。
 桃子がロリータ服を買うための資金繰りで、売りさばこうとしたバッタもんの某ブランド品。それを買いに現れたのが、これまたTPOどころか時代も無視した80年代テイスト全開のヤンキー娘・イチゴ@土屋アンナだった……。

   
 わかりやすいバカはイチゴの方。
 こーゆーバカは昔からいた。ツッパリ漫画(笑)とかのなかに、今もまだあたりまえにいる。
 日本人が大好きな、じつに日本的なバカ。
 義理人情に厚く、一途で信じやすい。信念のために死ねる。
 昔はこーゆータイプがかっこよくて、笑いの入り込む隙もなくヒーローだった。
 今はこーゆータイプはなまぬるく笑いながら眺められている。かっこわるいから。
 ただ、この「かっこわるい」、「バカ」には、ウエットな意識があり、実はそれなりに愛されている。

 これは現代感覚で描かれている映画だからもちろん、イチゴのよーな日本的バカは「バカ」として笑いの対象として描かれている。うっわー、バカだこいつ。恥ずかしー、のーみそ足りてなさそー。
 だがそのバカっぷりを愛をもって描き、観客の心も絡め取っていく。うっわー、バカだこいつ。恥ずかしー、のーみそ足りてなさそー。でも、この子好きー。てなもんで。

 古い時代のヒーローを、現代に立って笑いながら、それでも泣かせてしまう力技。

 結局、みんなが好きなものは変わってないね。
 義理人情は大好きだし、恩だとか友情だとかのために命懸けちゃうのはかっこいいよね。
 ひとを信じる心意気は、すかっとするよね。

 ひとり時代をまちがえているような、全力疾走ヤンキー娘イチゴに、喝采するよね。

 一般にロリータとヤンキーという異文化コンタクト物語だと言われているけれど。
 これはファッションの話ではなく、「時代」の話だと思うの。
 昭和と21世紀の異文化コンタクト物語。

 イチゴが代表する古き良き昭和。個人より義を尊ぶ。
 桃子が代表する現代。他人なんかどーでもいー。大切なのは自分の生き方。

 ふたつのイデオロギーがぶつかり軋み、そして新たな展開を見せる。

 昭和の感覚ならば桃子は改心して、他人のために生きる子にならなければいけないが、この映画は21世紀作品。桃子は改心しない。他人のためには生きない。
 ただ、他人の生き方を認めるようになる。どーでもいーと思うのではなく、他を知ったうえでなお、自分の生き方をするんだ。

 根っこはシンプルで古さを新しさでブレンドし、テンポのいい展開と愉快な画面で快走する。
 気持ちいい映画だー。

 男前な女の子たちの友情ものはいいなあ。

 イチゴの受っぷりのよさも注目でしょう。
 この子に愛されたいと、心から思ったなあ。この子に愛されたら……友だちだと認められたら、きっとこの子、あたしのために死んでくれるよねえ。それをあたりまえだと思ってるよねえ。ありえないねえ。
 クールな桃子がイチゴにどんどん墜ちていくさまがもー、気持ちいいやらかわいいやら。
 そりゃ惚れるって! いいよ、がんばれ、応援するよー(笑)。

       
 うおー。日記書くのひさしぶり。
 てゆーか、ネットできる環境がひさしぶり。
 日記自体はハンドヘルドPCに書いていたんだけど、ケーブル紛失しちゃってて、サイトにはUPできないままでした(だめじゃん)。

 そしてこの使えない日記サイトときたら、1週間前に見た映画の感想は認めるけど、10日前に見た映画は認めてくれないのよ(笑)。
 だから、「映画」カテゴリが使えない。ほんっとに使えねー(笑)。

           ☆

 『キューティーハニー』を見た足で、次は『キル・ビル2』だ。我ながら節操のないチョイス。
 1を見たからという強迫観念ゆえに見た感じ。続き物だからねー。
 もう上映しているスクリーンが少ないから、すごい混みようだったわ。

 さて。復讐に燃えるザ・ブライド@ユマ・サーマンの戦いやいかに。
 監督・脚本クエンティン・タランティーノ、出演ユマ・サーマン、デヴィッド・キャラダイン、ダリル・ハンナ。


 続き物だから仕方ないな、という、鑑賞理由と同じ感想だった。
 というのも、ほんとーにただの「続き」であって、「パート2」ではなかったんだ。

 つまり、1と同じテンションで作られた2は、見ている者には失速して感じられるということ。

 1の方がおもしろかったな……。
 2は同じことをやっているだけで、目新しくないし、なんか飽きちゃった。

 もともと1本の作品だったのを、2本に分けて公開したんだよねえ。これは諸刃の剣だよなあ。まったくもって。せっかく作ったんだから、カットしてしまうのはもったいないし、全部見て欲しいけど、かといって飽きられちゃったら元も子もないよなあ。
 いくら期間を置かずに上映したとしても、ふたつに分かれていることで、水が差されているよーなもんだもんなー。
 いやはや、難しい。

 舞台が日本でなかったことも、トンデモ度を下げることになって、つまらなくなったんだろうな。あのみょーちくりんな日本語も出なくなったし。
 ふつーにアメリカな殺し合い。

 愉快にいろいろ戦っていて、画面は華やかだし、いちいちつっこみどころにあふれていて、とてもたのしかったんだけどねー。
 愛だとか復讐だとか、情緒的なものが動機になっているわりに、登場人物の情緒のなさがいっそすがすがしいし。
 どういう決着をつけるのかと思ったら、ほんとーにただ「ビルを殺せ」で終わったし。

 こーゆー情緒無視の仕方って、日本ではありえないと思うから、興味深い。
 日本人の感覚なら、あのラストはありえない(笑)。
 よーやく復讐相手の男もとへたどりついたヒロイン。死んだものと思っていた我が娘が、父親である男の愛につつまれて育っていた。幼い娘は無邪気に男をパパと呼び、ヒロインをママと呼ぶ。
 ところがパパとママは殺し合い、パパを殺したママは幼い娘を抱いて幸福に笑う。
 ……娘の立場は?
 ずっと待っていたママが現れたと思ったら、パパが殺されて、今日からママと暮らすの、って。しあわせしあわせ、めでたしめでたし。
 ……めでたくない(笑)。

 悪とふつーの感覚があたりまえに同居している。それは1の最初からそうだったけど。
 ひとを愛し、社会生活をし、ふつーに過ごす感覚と、暴力と殺人がなんの疑問もなく融合しているの。
 そういう世界観はアリだと思うが、やっぱ「こいつら情緒ねえ」と思ってしまうわ(笑)。

 まあシンプルにたのしめました。1ほどおもしろくなかったにしろ。

 もしもこの作品がふつーに一本ものだったら、すっごくおもしろかったんだろうなと思う。

     
それにしても、なつかしタイトルがどんどんリメイクされちゃうね。
 というのも、今最前線で活躍するクリエイターたちが、わたしと同世代だってことなんだよねえ。
 だから同時代意識を共有できちゃうんだねえ。

 たぶん今がいちばんいい時代なんだと思う。
 人生の充実期ってやつ。

 あと10年もすれば、ひとつ下の世代のクリエイターたちが活躍する時代になって、わたしがぜんぜん知らない文化を「なつかしいでしょう?」と発表されたりするんだわ。
 時代はそうやって流れていくんだわ。

 今が人生の夏。
 青春ではなく、激しく熱い夏なの。
 ガキではなく、大人として、社会の中にいる者として。

 ……わたし自身はちっとも充実してないが、世の中的に30代はもっとも充実した年代でしょう。
 年々精神年齢は低くなってきてることだし、寿命は延びていることだし。

 人生の夏を、たのしむべし。

 
 とまあ、能書き垂れつつ、『キューティーハニー』。監督・庵野秀明、出演・佐藤江梨子、市川実日子。

 こーゆー映画は、絶対映画館で見なきゃ魅力半減。わかっているからいそいそと映画館へ。
 
 
 さて、この21世紀によみがえった実写版『キューティーハニー』。実写とアニメの融合、「ハニメーション」とやらで元気な画面。
 いちいちアニメのお約束や名シーンを再現してくれるたのしみに満ち、実写ゆえのはったりとバカバカしさもすばらしく。

 それでもアニメと完璧にちがっていることがひとつあった。
 いくらチガウったって、これがちがったらまったく別物でしょうってくらいの、相違点。

 ハニーに、のーみそがなかった。

 如月ハニー@佐藤江梨子は美人でおっぱいばいんばいんだが、のーみそは3歳児並。今日もまた、からっぽののーみそを入れたナイスなバディでOL業。あまりの低脳さゆえに周囲にひんしゅくをかっても、ぜんぜん平気。てゆーか、それすら理解できていない、のーみそないから。
 何故ハニーはそこまでバカですか。
 理由はひとつ、本物のハニーはすでに死んでいて、今ここにいるハニーは天才如月博士によって作られた“愛の戦士・キューティーハニー”だったからだ!!
 如月博士の研究を狙って、謎の秘密結社パンサークローの魔の手が……さあ大変!!

 
 いやあ、ここまで別人だとはおどろきました。
 昔見たアニメのハニーは、聡明でやさしく理性的で、常識をわきまえた女の子だったんだがなー。
 かっこいい女の子だったんだがなー。

 まさか、3歳児並とはな……おそれいった。

 3歳児だから、人前で裸になっても平気なの。恥じらったりしないのー。

 
 いや、それが悪いと言ってるワケじゃない。
 びっくりしただけ。
 
 ハニーを白痴にすることでストーリーを成立させているので、それはそれでヨシ。
 ハニーに年相応の知性があると、物語が暗くなってしまうんだと思う。年頃の女の子が人間以外の姿になって悪と戦うわけだから。人(怪人)を殺すわけだから。リアルにやると、ヒロインのダークサイドも描かなくてはならなくなる。
 それじゃ、『CASSHERN』みたいになっちゃうから、ハニーにのーみそがないのも計算として正しいと思う。

  
 たのしく見ました。
 潔いバカっパワーを堪能。

 ハニーよりも、パンサークローの四天王たちにウケました。
 しょっぱなから片桐はいりだもんよ!
 いいなあ、片桐はいり。
 怪人のごついコスチュームが似合い過ぎ。

 そして、もっともすばらしかったのが、なんつってもミッチー王子!!

 四天王のひとり、ただひとりの男性キャラ。
 美形悪役とはかくあるべき。
 突然歌い踊る姿にクラクラ。

 ミッチー王子を見るためだけでも、この映画の価値があったわ……!!

 なにしろハニーが白痴なので、恋愛とか色っぽい話にはなりようがない。
 かわりになっちゃん警部@市川実日子と、謎の男・青児@村上淳がいい感じでかわいい。
 恋愛も好きだけど、女同士の友情も大好きなので、なっちゃんとハニーのラヴラヴっぷりは見ていてたのしかった。

 白痴ハニーは白痴ゆえにかわいい。白痴ゆえに物語が成立している。
 それをちゃーんとたのしんだ。

 続編があったら見に行くぞー(笑)。

 
 この物語はこの物語で成功だと思う。
 思うけど。

 やっぱり、ちょっと残念だ。
 ハニーが白痴であることが。

 ……白痴って使っちゃいけない言葉だっけ? 無神経な使い方をしてしまっているのだろうか。
 えーと、物語の計算としてあえて、成人女性を3歳児並の精神年齢に描いていることを客観的事実のみの意味で、白痴と書きました。侮蔑の意味はないです。障害を持つ人を指しているつもりもないです。

 ハニーが外見年齢に相応しい精神的発達を遂げていないために、原作が持つ「淫靡さ」がなくなっているのね。
 それがわたし的には残念だった。

 『キューティーハニー』といえば「おねえさま」なんだもん。
 女同士で、「おねえさま」と呼び合う世界なんだよー。コメディ部分は多分にあっても、「エッチ」だけではない「淫靡さ」にどきどきしたもんだよ……。

 この映画の世界観はアリだと思うし、評価もしている。
 原作とはべつもん上等、そうでなくては作る意味ナシと思っている。

 だからほんと、ただのつぶやきさ。

 のーみそのあるハニーが見たかった……。

         
 あああ、次郎さん!!
 なんて素敵なの次郎さん、なんてぷりちーなの次郎さん!!

 と、わたしのハートを直撃、興奮しまくりでした、映画『死に花』

 監督・犬童一心、出演・山崎努、青島幸男、谷啓、宇津井健。

 老人老人老人ばかりの映画。
 高級老人ホームで余生を過ごす仲良しじーさん5人組だったが、そのうちのひとりが先に死んでしまった。彼の遺品に「死に花」というタイトルのノートがあり、そこにはなんと銀行の地下金庫襲撃計画が詳細に記されていた!
 死んだ友の意志を継いで、老人たちが挑む金庫破り!!
 愛と友情と人生と、夢とロマンの物語。

 
 じじい好きにはたまらない映画です。『世界の中心で…』を見なくても、『死に花』はなにがなんでも見ますわよ!(笑)
 山崎努ファンのわたしは、わくわくと見に行きましたとも。……映画館、ヒト少ねぇ。つか、若者いねぇ(笑)。
 出てくるのはたしかにじじいばかりだけど、映画自体はふつーに「ファンタジー」なのになあ。

 物語はそりゃーもー、あっけらかんと「ファンタジー」です。「あ、ありえねえ(笑)」が満載。
 金庫破りの最後のオチの派手さは、痛快です。

 
 人間はいつになっても、「夢」を忘れられない生き物なんだと思う。
 いくつになっても「居場所」を探している生き物なんだと思う。

 わたしはなんで生まれてきたの?
 わたしはなんのために生きているの?
 わたしらしいってなに? わたしは誰? わたしはなに?
 わたしはここにいていいの? 
 誰かわたしを肯定して。わたしを好きだと言って、わたしに価値があると言って、ここにいていいんだと言って。

 思春期になれば誰もがぶつかる壁。抱く悩み。

 これはもうエンドレス。
 いくつになってもなにを得ても、一生ぐるぐる抱えたままなんだな。

 誰がなにを言おうとも、結局ひとは自分で答えを出すしかない。

 自分で、自分を好きにならなきゃいけない。自分を赦さなきゃいけない。

 ああどーして人間は、こんなに面倒くさい生き物なんだろうね。お金があっても自由があっても、それだけじゃしあわせにはなれないなんて。

 中学生の男の子も、そして70歳を過ぎた老人も、同じコトでぐるぐる傷つき、悩んでいる。

 ボクはほんとうに、ここにいていいの?
 今のボクでいいの?
 ボクに意味はあるの?

 永遠の、自分探し。

 
 さて。
 この普遍のテーマを胸に、老人たちが立ち上がる。
 夢に向かって進む姿に、「意味」を見つける。

 老人だからこそのせつなさと、かっこよさを見せつけて。

 荒唐無稽なクライム・ストーリー(笑)であり、男たちの友情物語であり、夢を追う冒険物語でもある。
 明るいユーモアに満ち、元気にテンポ良く笑わせながら、画面の端々にあるやさしいウエットさがときおり胸を突く。
 がんばれ男たち。永遠の少年たち。
 青臭い悩みと傷みを抱え、前に向かって走り続けてくれ。そんな男たちに、女は恋をするんだ。

 人生が愛しくなる物語。愉快で少しせつない物語。

 
 主演俳優たちはそれぞれいい味を出して、いい仕事をしておりました。
 そして、脇にちらりと出てくるボケ老人@森繁久彌が、これまたすばらしい。ラストシーンは号泣しました。

 
 ああそして、次郎さん……!!

 わたしのもっとも愛するじじい俳優、高橋昌也様が出演されておったのですよ!!
 しかもしーかーもー、超絶プリチーなお姿で!!

 高橋昌也扮するじじいには、台詞のひとつもありません。老人ホームのシーン限定、画面の端にちょろちょろ映るのみ。
 しかしそのかわいらしさときたら!

 サッカー好きのベッカム好き、という設定なんでしょう。
 いついかなるときにも、ベッカムのユニフォーム着用、サッカーボールと友だちというじじいなのです。
 葬式のときは、黒いユニフォームですよ。なにがあってもベッカムなんですよ。ボール持ってんですよ。

 かーわーいーいー。

 抱腹絶倒ツッコミ嵐ドラマ『年下の男』において、年下の恋人・高橋克典に対し、「ワシとあの女とどっちが大切なんじゃ?!」「ワシを捨てるのか?!」などなど、どこまでも爆走怒濤愛を繰り広げてくれた次郎さん役でfall in LOVE したわたしは、以来彼のことを「次郎さん」と呼び続け、愛でつづけています……。

 次郎さんファン必見!!
 かわいすぎですよ。ハァハァですよ。

 他のすべてが吹っ飛ぶくらい、次郎さんが素敵でした(笑)。

       
 彼女になにが起こったのか。

 友人のミヤビンスキーとミジンコ(どちらも女性)とランチをすることになった。
 ミナミにある、ちょいとオシャレでおいしい和風バイキングのお店。

 それはいいんだが、指定された待ち合わせ場所は、「ミナミの三角公園」だった。

 三角公園?
 あまりになつかしい響きにとまどう。
 三角公園なー、もう10年は軽く行ってないわ。
 ミナミのアメリカ村、そして三角公園は若者たちの街。わたしの半分くらいの年齢の子どもたちが闊歩しているだろう場所。
 そこで待ち合わせだなんて、勇気ある行動だな。

 伝達事項の了承と待ち合わせ場所への感想を書いたメールに、ミヤビンスキーから返事が来た。

 タイトルは、「あの雲よりも高く浮け」。

> ほほほ!
>
> 私だって、三角公園なんて数年ぶりだわよっ!
> しかも、三角公園に行くには
> アメ村の中を通り抜けていかねばならんので
> 年寄りにとっては、場違い感さらにアップ。
>
> どうせ浮くのなら、徹底的に浮いてやろうと思うので
> 当日はピンクハウスのフリフリ服で参上するわ!
> おののけ若者!
> ひざまずけ、ゴスロリ!
> 年寄りには怖いものなどないのだ、ふはははは!!

 ……ミ、ミヤビンさん??

 まあ冗談だろうと思って深くは考えず、待ち合わせ場所へ行く。

 あー、ほんとにひさしぶりだ、アメ村……。若いころから興味のない場所だったが、トシを取るとさらに知らない街感増大だなー。
 わたしがアメ村によく足を踏み入れていたのは、友人のペーちゃんがビッグステップの某店で店長やってたころが最後だよ。あれって何年前だ……?

 アメ村の雰囲気は記憶にあるものと変わっていなかったが、三角公園は記憶とずいぶん変わっていた。
 なんかみょーに小綺麗になってる……。まあいいけど。

 ほぼ定刻に到着したわたしは、先に来ていたミジンコと合流。
 ミジンコは見事に、周囲と同化していた。 年齢不詳の女だな、こいつも(笑)。

 ミジンコとふたりでお喋りしながら、ミヤビンスキーを待つ。
 変だなー、時間に正確なミヤビンスキーなのに、約束の時間になっても現れないなんて?
 それでも気にせず、お喋りに夢中になっていたわたしたちに、真向かいから女の人がまっすぐ近づいてくる。

「もーっ、ずっと真向かいで待ってたのに、どうして気づいてくれないのよっ」

 女の人は、鼻息荒くそう言っている。はいー? 誰ですか、あなた。

 
 誰って……ミヤビンスキーでした。

 
 白い日傘。
 上から下まで、ついでにバッグなどの小物もピンクハウスのフリフリ・フリルで統一されたおねーさん。

 はあっ?!
 ミヤビンちゃんあーた、マジでPH着てきたのっ?!

 ミヤビンスキーのピンクハウス好きは有名でした、昔から。
 そして、「ピンクハウスは大好きでかわいいと思うけど、アタシには似合わないことがわかってるから、買わないし、着ないわ」と言っていることもまた、有名でした。

「いるならいるって言ってよ、アタシひとりで浮きまくってたじゃない! なんでアンタたち、周囲と同化してるのよっ」

 白い日傘のフリフリおねーさんは言います。
 わたしやミジンコが周囲と同化していたせいで見つけられなかった、というのは「そりゃすまんかった」ですが、ミヤビンちゃんは周囲から浮きすぎていて誰だかわかんなかったよ……マジで。

 てかミヤビンちゃん、あなたほんとに、ミヤビンちゃん?

 「ピンクハウスは着ない」と豪語していた、すっぴん眼鏡っこのミヤビンちゃん。服装はいつもシンプル&カジュアル。言動は男前。大阪人は笑いが命、ツッコミするどく口より先に手が出る足が出る。
 誰よりも「おとうさん」もしくは「大阪のおっちゃん」という雰囲気に満ちていたミヤビンちゃん。

 眼鏡はどうしたの? なんで化粧してるの?
 それじゃまるで女の人に見えるよ??

「失礼なっ、アタシはもともと女よ! つか、アタシたちが出会ったのは女子校だったじゃない!」(ビシリとつっこみ張り手付き)

 ああそーいや女子校だったね。
 でもわたしら、女子校で「おっさん」として出会ったじゃない。

「そうねえ、アタシもアンタもおっさんだったわね、あのころ……って、嫌すぎるわ、女子校でおっさんとして出会うなんてっ」(張り手付き)

 どんなにフリフリ着てても、きれーになっていても、言動は変わらず。大阪のおっさんや、アンタ……。

 ミヤビンスキーとは長いつきあいですが(「あんまり言うと、アンタの若いころの話を蒸し返すわよ? アタシはアンタの16歳のときを知ってるんだからね?」と脅しやがる)、正直、彼女がこんな顔をしていることを知りませんでした。
 だってミヤビンちゃんのトレードマークは「眼鏡」だったんだもん。
 それも分厚いフチのついた、大きな眼鏡。
 数年前、最高潮に太っていたときなんかは、服装にもぜんぜんかまわなくなり、おばさんトレーナー愛用、年齢よりずーっと老けて見えていた。
 「どーせアタシはデブでブスなおばさんだから、なにしたって無駄なのよ。好きな服は遠くであこがれているだけで、着られないのよ」と言っていたヒトが。

 この変身ぶりはどうですか、ミヤビンちゃん。
 すっかりやせて、きれいになって。
 「コンタクトレンズはキライ」と言ってどんなに薦めても挑戦さえしなかったのに。「化粧したって無駄」と言ってかたくなに拒絶していたのに。

 堂々と好きな服を着て、「きれい」であることから逃げずにいる。
 ミヤビンスキーって、こんな顔してたんだ。知らなかった。

「なんか、一路真輝さんに似てるー」
 ミジンコが無邪気に言う。
「ああ、よく言われる」
 ミヤビンスキーも鷹揚に応える。

 
 彼女になにが起こったのか。
 女である自分に後ろ向きだった彼女は今、女であることを謳歌している。

「昔は、恥ずかしかったのよ。いろんなことが。でも、30過ぎた今はこわいものないわ」

 堂々と言うミヤビンスキーは、とてもかっこよかった。
 フリフリを着ていても、やっぱり男前。

 正確にはピンクハウスではなくカネコイサオだとという(わたしには区別つかん)大人のファンタジー服を着こなし、悠々としているミヤビンちゃん。
 君の人生に乾杯。

「でも相変わらず、男も職もないままよ。フッ」

 ニヒルに笑う君に乾杯。
 
         
 さて、ヅカの感想ばかりにかまけて(萌えて・笑)、映画の感想が溜まっています。今で6本かな〜。ゲームの話も最近書いてないしなー。テレビドラマの感想も、いろいろ書きたいことあったのになー。やっぱ『澪つくし』はおもしろいよなー。かをるの結婚式でマジ泣きしちゃったよ。照れ。『新選組!』は抱腹絶倒のすばらしいドラマですよねえ。とりあえず佐藤浩市受派のヒトには、これほど美味な作品もないでしょう。
 と、改行ナシにだらだらしたあとで。

 
 アホ映画の『ヒューマン・キャッチャー』を見ました。

 なんでこんな映画、見るかなわたし(笑)。
 自分でつっこみつつも、誘われたらけっこーなんでも見ちゃうもんで。
 試写会じゃないよー、ちゃんとお金払って見たんだよー。350円だったけど。
 なんせ350円、ビデオのレンタル代と変わらない金額だったんで、たぶん点数かなり甘いと思う。定価払って見たら怒り心頭でも、この値段なら「脱力系とはいえ、笑えたからまあいいか」と思っちゃうからなー。

 ジャンルは、ホラーです。……笑えるけど。脱力するけど。

 監督・脚本ヴィクター・サルヴァ、出演レイ・ワイズ、エリック・ネニンジャー。
 2001年に公開された『ジーパーズ・クリーパーズ』の続編。原題は『ジーパーズ・クリーパーズ2』なのに、何故かまったく無関係な邦題がつけられた。

 邦題の意味がまたすごいんだ。
 人間を食料にする、謎のクリーパー。そいつは自在に空を飛び、地上を逃げまどう人間を襲う。
 そう、獲物である人間のアタマをひょいっと掴み、空に連れ去るんだ。
 まるでUFOキャッチャーのように。

 UFOキャッチャーって……固有の商標だったよーな気がするんだが。一般にはクレーンゲームっていうのかな。SONYのウォークマンと同じで、商標が一人歩きしちゃってるんだろうけど。

 それにしても、UFOキャッチャーみたいに人間を連れ去るから、ヒューマン・キャッチャーって……。
 タイトルからしてすでに、相当アホっぽいんですけど。

 まあきっと、すべてわかったうえで宣伝しているんだろうなあ。

 わたしもさすがに、マジなホラーだとは思わずに見に行ったので、気持ちよくとほほな笑いを堪能しました。

 1作目を見ていないんで、クリーパーの正体とかさっぱりわかりません。
 とにかくヤツは存在していて、とにかく人間を襲う。理屈はないし、理由も知らない。
 化物といっても、翼があるだけで基本は「人間の男」に近い姿をしているし。

  
 それにしても。
 素直に笑えるところと素直に疑問なところはまったく同じ。

 ねえねえ、ホラーっていうとやっぱ、主人公は女性であるべきだよねえ?
 美女が恐怖に顔を歪め、逃げまどってこそ華というか。
 かよわきものが襲われるからこそ、感情移入もしやすいっていうか。

 しかしこの作品。

 狙われるのは、ムキムキのマッチョ・ボーイズなんだわ……。

 笑えるところと、疑問なところはまったく同じ。

 なんで女じゃないの?! なんで筋肉男たちなのっ?!

 こんなに漢くさいホラーって、どうよ……。

 狙われたのは、高校のバケットボール部員たち。
 なんせアメリカ人だから、日本の高校生とはワケがチガウ。でかいわごついわ筋肉だわ。腹筋きれーに割れてます、てゆーかこいつら露出度高すぎ、みんな一度は脱いで肉体美を披露、いちいち脱ぐなよ、誰が誰だか余計わかんなくなるよ。

 なんか、臭ってきそうな男臭い画面……。

 そこへ襲いかかるクリーパー!!
 カラダはムキムキでも、まだ高校生だ、みんなパニックを起こして逃げまどう!

 次から次へと殺されるんだが、クリーパーには好みも趣味もあって、わざわざ選り好みしてるんだよねー。いやあ、クリーパーくんの趣味ってわかんないわぁ。
 わかったのは男が好きなんだなってことぐらいだ。

 バスケ部員には、マネージャーの女の子も数名まじってたんだけど、彼女たちには見向きもしない。
 監督とかバスの運転手とかの「中年」というくくりの生き物は好みではないらしく、かなりおざなりに捕獲。若者たちを孤立させるためだけに中年たちを先に殺したのねー。本命はぴちぴちの筋肉野郎どもなのよねー。

 ものすっげーたのしそーに襲いかかるクリーパーと、逃げまどう筋肉野郎ども。
 どすこい悲鳴が轟き渡る。

 なんか、チガウ意図の映画を見ている気分に……。


 
 へんなところでツボに入って、笑えて仕方なかった。
 
 ホモでおちゃめなクリーパーくんは、手作りの武器なんか使っちゃうしなっ。
 お気に入りの獲物の「カラダ」で作った武器。
 骨と皮でできてるのー。
 とくにお気に入りだったのが、カラダのあちこちにタトゥを入れた少年。
 わざわざ少年の「タトゥ入りのへそ」の皮を使って、手裏剣作って愛用してんだよ……。
 愛した少年のカラダを使って、身の回りのモノを作るんだね……すごいね……マメだね……。

 なんか思わず、『スサノオ』を思い出しちゃったよ……。
 スサノオの死体から、月読様は笛を作ったんだよねええ。
 ホモスキー仲間のかねすき嬢は、そのシチュエーションにやばいくらいハァハァしてたなあ。
 月読様が、弟の死体から服を脱がせ、裸のカラダを撫で回し舐め回し、いろいろなさったあとに笛を作ったのだと。
 彼女のあまりの煩悩の深さに、さすがのわたしも両手を挙げて降参したっけ。

 それを思い出した……。

 クリーパーくんも、お気に入りの筋肉少年を裸に剥いて、撫で回し舐め回ししてたのしんでるのかしらー。
 殺して食べて、残った骨やら皮やらで工作しちゃうんだー。ほえー。

 
 それにしても、クライマックスが納得いかない。
 息子の仇としてクリーパー退治に燃えた戦うお父さん@レイ・ワイズが、あんな始末の仕方をするなんて、あまりにご都合主義。あわよくば続編を、てなハートですか?
 それまではアホ・ホラー映画だと割り切ってたのしんで見ていたのに、展開の「ずるさ」に見ていていらいらした。

 仇を討つなら、なんでそこでガソリンぶっかけて火を付けないんだよー? あそこでやっていれば、時間内に殺せたのに。
 時間切れしたって、どこぞの処理場の硫酸のプールにでも自らの手で沈めてしまえよ。それでこそ復讐だろーに。

 嘘を嘘だとわかったうえで笑えていただけに、ラストで制作側のせこさが見えたことに水を差され、一気に現実に戻ってしまった。
 おかげで、後味悪いぞ。

 まあ、最後までしょぼかったし、そのしょぼさを笑うには、いい温度なんだけど。

  
 臭いそうなぴちぴちの筋肉男たちが逃げまどう、サバイバル・ホラー。
 いちお、クリーパーくんが若い筋肉男を狙う理由を、ひとから聞きました。獲物の皮をかぶって新しい肉体になりかわったりするんで、元気な筋肉男を好むそうです。
 でもソレ、ただの言い訳にしか思えないなあ(笑)。

       
 その昔、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメがあった。
 そのアニメを見て、わたしがつくづく・しみじみ思ったことは。

 そもそも第1話で、ゲンドウがシンジに「私はお前を愛している。私のために戦ってくれ」と言えば、すべて済んだんぢゃねーか?
 と、いうことだった。

 それが本心であろうとなかろうと、騙すつもり利用するつもり、いや本心は愛があったのなかったの、そーゆーことは全部置いておいて。

 ゲンドウが息子に、「愛している」と言うだけで、物事はとーっても円滑になったはずだ。
 「親からすら、愛されない」→ 「自分には価値がない」→ 「居場所がない」→ ……など、無限ループにはまっている多感な少年シンジは、とりあえず最強呪文「アイシテイル」を唱えれば嬉々として戦ったと思うけど。どれだけ辛かろうと、傷つこうと、「愛」ゆえに「許し」ゆえに、盲目的にゲンドウに従ったでしょう。

 なのになー。
 なんだかなー。
 あの親子ときたら、ほんとに似たもの親子で。
 無意味に感情表現が下手で、言葉が足りなくて、頑固で、盛大にすれ違ってんだもんなー。

 シンジを操るのなんか、簡単じゃん。
 「愛してる」って言ってやればいいんだよ。あんなにあんなに、愛されたがっていて、それが得られないとわかっているから強がっているだけの子どもなんだから。

 
 …………と、思ったことを、思い出した。
 宙組公演『ファントム』初日を観たときに。

 
 エリックに仮面をかぶせてもいい。地下に幽閉してもいい。
 なにをしてもいいから、とりあえずキャリエールが言えばよかったんだよ。

「私はお前を愛している」 と。

 最初にソレだけ言っておけば、悲劇にはならなかったのに。
 傷のない顔も、両親も家も、未来もふつうの生活も、なにも持たないとしても、それでもエリックはあそこまで不幸にはならなかったはずだ。

 こんなに醜いボクを愛してくれる人がいる。……そのことを救いに、地下の小さな王国で平穏な暮らしができただろう。
 もちろんソレは、ふつうの意味での幸福ではないけれど……ふつーの人間がふつーに得られるふつーの愛や幸福より下位のものであるとは、誰にも言えないだろう。

 キャリエールのいちばんの過ちは、不倫でもベラを見捨てたことでもエリックに父だと名乗らなかったことでも地下に幽閉したことでも殺人を見過ごしてきたことでもなんでもない。
 エリックを抱きしめてやらなかったことだ。

 親だと名乗る必要なんかない。不義の子だと説明してやる必要もない。

 ただ、愛を語れ。
 背景の事情も理屈も関係なく、キャリエール個人が、エリック自身を愛していると、告げろ。

 親としてだとか、真実だとか、それを語るためには弊害がとか、理屈並べてなにもしないくらいなら、なんのしがらみもない赤の他人として「愛している」と告げろ。
 エリックが求めているのソレなんだから。
 エリックが孤独なのは哀れなのは、ソレを得られないためなんだから。

 
 とゆーことで、キャリエール×エリック。

 エリックを救う、いちばん早くて確実な方法。
 ぶっちゃけ、誰でもいいんだから。エリックを素顔ごと愛してやれる人なら。
 ママじゃなくても、クリスじゃなくても。

 
 そんでもって、パターン1。
 例の銀橋ラヴシーンのあとに、ふたりの初***があったっちゅー案。
 告白→ ラヴシーン→ 初***、という、ある意味正しく、性急なあたりが今どきのBLやTLみたいでニーズに合っているかと(笑)。

 エリックはガキなので、恋愛も親子愛も区別ついてないし、性への知識も薄い。ので、自分では親子愛のつもりでいるのに、抱きしめられたら感じちゃった、どうしよう、うろたえ。なにしろ他人との抱擁ははぢめてだ、しかも愛の告白のあとでだ。そりゃ若いんだから反応しても仕方ない。
 まかせて安心、余裕のキャリパパ、やさしく初***突入。
 てのはどうですか、世の腐女子のみなさん。
 「終焉」の予感に急き立てられ、美しくも哀しくがっつんしてもらえたらいいかと。
 
 
 パターン2。
 クリス登場で、エリックの気持ちが不安定。せっかく誰にも摘み取られないよう地下で育ててきた華が、あんな小娘に手折られてどーする?!
 クリスを誘拐したエリックに詰め寄り、冷たく追い払われてしまったキャリパパ。エリックにクリスをあきらめるように、再度説得に向かうが……口で説得するつもりが、あ、あれ? なんか行き過ぎちゃって手が出たっちゅーか、カラダが出たっちゅーか……半分無理矢理?
 エリックの痣だけど、顔だけでなく、カラダにもあるとなおヨシ。いやがるエリックを裸に剥いて、「こんなに醜い姿で、彼女に愛されると思うのか?」とか、鬼畜バージョンで詰め寄って欲しいですなー。
 鞭とアメの使い方絶妙に、キャリパパのテクが冴える! みたいな。

 そーゆー出来事があったと脳内仮定したうえで、本編に戻って。

 それでもなおクリスの愛を信じ、結果悲鳴上げて逃げられ、ぼろぼろに傷つくエリック。
 キャリエールの腕の中で、「この間は追い返してすまなかった」てな台詞を力無く言う本編のエリックは、むちゃくちゃ萌えです。
 どうですか、世の腐女子のみなさん。

 
 パターン3……とか、なんかいくらでも考えられそーなんですが(笑)。
 誰か書いてくんねーかなー。

 
 1列目の下手端はいろいろおいしい席で、出演者が近いのは言うまでもないが、クリスに促され仮面を取るエリックの顔が、ほぼ真正面で見られる位置なんだよね。
 3列目サブセンのときはオペラグラスを持っていかなかったのに、1列目端のときは握りしめていた。
 仮面を取るエリックを見るの!! 鼻息!!
 このときのエリック、最高に、受くさい表情するのよ。
 迷いながら仮面を取り、はにかんだよーな笑顔のような微妙な表情をし、クリスの反応に一瞬空白になり、次に慟哭へ変わる。
 この一連の表情がね……絶品。ハァハァ。

 銀橋ラヴシーンもなかなかドラマチックなアングルだし(キャリパパ正面、エリックは後ろ姿。抱かれる瞬間がすばらしい)、無理して手に入れた甲斐があったというものだ!!

 ただ。
 腐女子として唯一のかなしみは、銃傷を負ったエリックをキャリエールが抱きかかえて隠れるあの萌えシーンが、ものすごーく遠いことです。
 ここだけは「上手に坐りたかったっ」と思ったね(笑)。

 
 ああ、とにかく『ファントム』はすばらしい萌え作品よー。
 多少ストーリー破綻してても、画面が悪趣味でも問題ナシ。

 ああ、君に出会えて良かった。

       
 キャリエールはなにゆえに、あそこまで言動めちゃくちゃですか?

 が、大きなポイントだと思う。
 宙組公演『ファントム』感想。6月9日の日記のつづき。

 物語の舞台となっている19世紀末だっけのパリと、現代日本では感覚がまったくチガウ。だから、舞台背景を理解しなければ、キャリエールを理解できない。

 というのが、キャリエールの謎の答えだとは思っている。
 時代もチガウし、宗教もチガウ。離婚が許されないとか堕胎が罪だとかいう意識は、現代日本にはないからな。不義の子・障害者などへの差別っぷりも、そりゃー昔の方がすごいでしょう。
 禁忌がチガウ、常識がチガウ。
 あの世界では、キャリエールはああするしかなかった。

 ……というのは、べつにいい。わざわざそーゆー時代を舞台にした芝居やってんだから。

 問題は、そーゆー「世界観のちがい」を何故、きちんと解説・昇華していないのかということだ。

 「そうするしかなかった」ことを、ひとつずつ説明してくれよ。
 そーでないとキャリエール、ただの異常者だよ……。

 
 物語の根幹部分を形作る「キャリエール」が壊れているために、必然的に他の部分もガタがきている。
 「そうするしかなかった」結果がファントム伝説であり、エリックのかなしみと狂気につながるはずが、えらく乖離した物語に。
 
 
 キャリエールをきちんと描くことは、舞台となる「世界」を正しく描くことだと思う。
 いっそ彼を狂言回しにしてもよかったんじゃないか。そしたら2幕の過去話の唐突さが緩和されるんじゃ? もともと彼が語り部なら、多少長く語っても変じゃないし。

 キャリエールと時代背景を描き、そのうえでエリックの立ち位置や哀しい宿命を大きく打ち出す。
 キャリエールが異常者に見えてしまってはイカンのと同じで、エリックがただのバカに見えてしまってはイカンのだ。
 本人の責任ではなく、追いつめられて必然的にそこにたどりついてしまった……という設定が不可欠。

 
 感じるのは、ストーリーを進めることだけに終始して、人の心の動きを描き忘れているんじゃないかってこと。

 細かいところは描き忘れているにもかかわらず、クライマックスではどーんと情緒的。なんてバランス悪い(笑)。

  
 新公を観てしまったあとでは、「なんだ、あの話1時間半でもできるんじゃん」とわかってしまったので(笑)、新公の演出をベースにキャリエールの物語その他いろいろを付け加えて、改めて2時間半の作品にするってのはどうだ?(笑)
 もちろん、ラストシーンは全面カットか、あるいは新公バージョンにして。

 
 さて。
 物語としてみた場合、思い切りよく破綻しているこの『ファントム』。
 もしも大上段な原作がなく、オリジナルとしてこの脚本と演出だったら、駄作っ!!と、叩かれまくってただろーなー。
 それこそ、齋藤作品が叩かれるように。

 だが、齋藤作品がどれだけぶっ壊れていても魅力があるよーに、『ファントム』は魅力のある作品だ。
 こまったことに。

 わたしなんか、萌え萌えで観てるぞっと。

 美しい音楽に助けられているし、知名度の高いドラマチックな原作に助けられてもいる。そしてなにより、キャラ勝ちしている。
 ファントム=エリックというキャラクタは、女のツボだ。冷たい美貌に重い過去、いたいけな少年のような純粋な魂……こーゆー男に、女はめろめろになるわな(笑)。ヅカのターゲットは大人の女性なんだから、この母性本能を突かれるキャラクタは大変正しい。
 キャリエールの慈愛あふれる父親像、クリスティーヌの聖母性と、辻褄なんか問うな、キャラとシチュエーションで萌えろ!!と言わんばかりの力技。

 萌え作品上等! エンタメだからソレでヨシ!!

 …………でもな、演出担当の中村B先生。齋藤くんと同列に語られてしまう中堅作家ってのは、問題アリ過ぎだと思うよ。齋藤くんは若気の至りって芸風だからもう仕方ないけど、Bせんせはそーゆー芸風じゃないでしょー?

 
 さて。
 そろそろ疲れてきたので、わたしらしい話に移りたいと思います。

 このつっこみどころ満載っちゅーか、そもそも壊れてるから見ているモノが補完しないと落ち着かない作品。

 補完しましょう、Myビジョンで!!

 
 キャリエールは、エリックを独占したくて、地下に閉じこめたんだよね?

 同人BLの定番。どのジャンルでも絶対ある、「狂うほど受を愛した攻が、受を監禁してヤりたおす」アレですな。

 愛する受が、他人の目に映るのさえゆるせない。自分以外の人を見ることさえ許せない。ゆがんだ独占欲。狂った愛情。

 キャリエールが、エリックを人知れず閉じこめたのは、「私以外の誰も見ることはゆるさん」であり、「私以外を愛することはゆるさん」だよね?

 そうすれば、「誠実な頼りがいある支配人」としての彼のキャラを壊さず「顔が醜いっちゅーだけで息子を認知もせず幽閉した偽善者」にならず、「すべて愛ゆえ」という、美しい話になるよね?(笑)

 ただわたしは、幼児嗜好がないので、キャリパパが幼いエリックをどうこうしていたとは考えたくないです。ついでに、無理矢理も好きじゃないです。
 片想いややせ我慢が大好きなので(笑)、わたし的には、キャリパパとエリックは、クリス登場時点でまだ、肉体関係ナシです。

 エリックを愛するキャリエールは、幼い彼を監禁したのち、成長するのをじっくり待っているの〜。
 また、エリックが「じゅて〜む、ジェラルド」と言ってくれるのを、待っているのです!! 

 エリックを手なずけることなんて簡単。
 愛されたがっている孤独な彼は、やさしくしてやりさえすれば、「愛しているよ」と言ってさえやれば、問答無用に墜ちるでしょう。
 性的にも未熟な彼を、自在に 調教 あわわその、愛し合い方を教えることもできるでしょう。

 でもキャリパパはあえてソレをせず、「エリックが自分から」キャリパパを愛し、求めてくれる未来を待っていたのです……!!(笑)

 キャリパパからすれば、エリックの顔の痣なんか、「ちょうどいい言い訳」にすぎない。
 幼いころと比べ、成長したエリックの顔の痣はかなり治ってきてるけど、本人はそれを知らない。
 キャリパパはとにかくエリックを外に出したくないから、「お前は醜い」と洗脳してるのね。エリックが年のわりに精神年齢が低いのも、キャリパパの教育ゆえ。
 自分は外に居場所がない……エリックにそう思い込ませることで、キャリパパはいつまでもエリックを独占できるわけだ。

 「天使の声」を持つクリスの出現に、キャリパパが警鐘を鳴らすのも、エリック愛しのため。
 キャリパパ、クリスとエリックを引き裂くために、奔走してますわー。

 もちろんソレは、「エリックを真に愛し、しあわせにできるのは自分だけ」と信じ切っているがため。

 ああ、歪んだ愛……。うっとり。

 そして、キャリパパとエリックが、境界線を越えて禁じられた愛の世界に踏み込むのは……あ、もう文字数がない。

       
 ほんとはあと1回観に行く予定だったムラの『ファントム』
 いろいろあってチケット手放しちゃったので、もう観られないんだわ……。東宝のチケットなんて、絶対手に入らないだろうし。東宝余ってたら声かけてください〜(ありえねえ)。

 さて、初日を観たときに、作品以外でおどろいたこと。

 自走する船。

 まさか、自分で動くとは思わなかったから、目が点になった(笑)。
 ヅカ舞台の船っていえば、舞台固定で盆が回ることによって動いているよーに見える、とか、ほらあの『雪之丞変化』のときの素敵たかちゃん(笑)の乗った船みたいに、舞台袖でスタッフの男性が必死こいてロープを引くことで動くものだったり。
 それしかありえないと思ってたから、船が自分で動いたことに、心底おどろいた。ええっ? カーブしてるよ、盆の動きと関係ないよ、ロープもどこにもないよ??
 そしてその船は、不自然に不格好。飾り立ててはあるが、微妙な姿。
 リモコンなのか、あるいは前もってプログラムされた動きをしているのか……あの変にふくれたところにエンジンとかが入ってるのね。
 最近の機械はすごいなあ、ああいった動作をさせることができるんだー。

 そののち、前述の『ファントム』の舞台裏が載った新聞記事で、自走する船のことを読んだ。

 自走する船、におどろいた。リモコン、あるいは事前プログラムだろうと勝手に考えて、それについてもおどろいていた。

 しかし。

「中に人が入って運転している」ことには、それ以上におどろいたぞっ。

 あの変にふくれた部分。機械が入ってるんじゃなく、人が入ってるのね……。

 3列目サブセンで観劇したときの「前方席だからこそのチェックポイント」のひとつは、自走する船の運転席チェック!でした(笑)。
 たしかに、人が乗っているんだろう……あのふくれた部分は布製らしく、中から外を見ることができそうだった。
 3列目観劇のときはわたし、席がよいことに浮かれて、オペラグラス持っていってなかったのよねー。オペラでのぞいたら、運転手も布越しに見えたかも??(そんなわたしの隣で、WHITEちゃんはキャリエールが出たときだけしきりにオペラを上げていた。「やっぱり付けモミアゲがないわ。ちっ」……目的はソレかい)

 人が乗って、実際に運転しているんだとわかったときから、あの船がみょーに愛しいです……(笑)。
 だって、役目が終わったら、こっそりターンして退場していくのよ。後ろ姿が哀愁あっていいのよ(笑)。

 あ、ちなみにもうひとつの「前方席だからこそのチェックポイント」は、ジョセフ・ブケー(死体)の首の傷痕です。右京ファンは要チェック。

 
 さて、さんざん後回しにしていた『ファントム』の感想を、ぼちぼちと何度かに分けて書いていきます、その2。6月6日の日記のつづきです。

 視覚的なびんぼくささと悪趣味さにげんなりしたことは、もうこれ以上触れないとして。

 「物語」としての感想。
 不親切な話だなあ、こりゃ。と、思った。

 わたしは「物語」を味わううえでの「予備知識」を好まない。下準備やら勉強の必要なものは、「エンタメ」だと思っていないからだ。
 なにも知らずに観てたのしめること。これが大前提。
 もっとも、役者の顔の区別が最初からついているわたしの場合、まったくの「予備知識ナシ」とはいえないだろーけどさー。

 原作が有名すぎるからいろいろ先入観になっちゃってるんだけど、この『ファントム』だけで「物語」を見た場合……コレ、どうなのよ?

 あまりに説明不足じゃないか?
 
 説明不足が過ぎて、「破綻」してないか??

 原作だとか、他舞台の話はしてないんで、誤解なきよう。原作がどうあれ、これは宝塚歌劇で、宝塚大劇場で上演しているんだ。
 ムラに宝塚を観にやってくるお客さんのための舞台だろう?

 「説明不足」ゆえに「破綻」しているすべては、キャリエールという人物だ。

 この物語はすべて、キャリエールにはじまり、キャリエールに終わる。
 キャリエールがしでかしたこと、そしてそれへのフォローの仕方、現状が変わったときの対応、自らが招いた結果への決着のつけ方、とにかく、物語を動かしているのは全部キャリエールなんだ。
 だがこのキャリエールへの説明がまったくない。
 2幕の前半、無意味に長い過去話があるにはあるが、これは「出来事」を羅列しているだけであって、キャリエールの行動の意味を説明してはいない。
 
 キャリエールが謎なのは、彼の行動と心情が、かけはなれて見えることだ。

 彼のやっていることだけを考えれば、最悪に最低だ。
 結婚していることを隠し、純粋な娘を騙して妊娠させ、捨てた。
 子どもが生まれたあとも、認知せず、名乗らず。
 子どもが醜いからといって、オペラ座の地下に幽閉。
 ファントムと呼ばれるよーになった子どもが殺人をしようがなにをしようが、黙認。父だと名乗っていない、ただの善意の味方のふりをしているので、被害者面。
 
 行動だけ羅列すると、ほんとひでーよなー。
 しかし、彼のキャラクタは、「多くの人から信頼される、誠実な人」であり、クライマックスではファントムに突然「愛しい我が子よ」とか言い出す。

 お前が言うか。お前がソレを言うのか。
 すべての不幸も悲劇も、全部お前が蒔いた種だろう!!


 と、いうことになる。
 ひでえ。

 冷静に見れば、キャリエールは精神異常者か、あるいは邪悪な偽善者ということになってしまう。

 しかし、知っての通りこの作品のいちばんのクライマックスは、キャリエールとファントム=エリックの心が通じ合う銀橋のシーンだし、母の愛を求める男の物語でもある。
 このテーマで、このシーンを盛り上げるつもりならば、キャリエールを精神異常者や偽善者にしてはイカンだろう。

 キャリエールの行動だけを書かずに、何故彼がそんな行動を取ったのか、の説明が必要だろうに。

 そんな大切な部分をまったく書いていないって、なんなのコレ?

 この物語、破綻してるよね?

 
 実際、物語が破綻していたって、おもしろいものはいくらでもある。魅力的な作品はいくらでもある。
 齋藤吉正の一部の作品がいい例。

 そしてこの『ファントム』もそうだ。
 たしかに破綻しているが、とりあえず魅力的だ。

 そう、これだけ物語が破綻しているにもかかわらず、この物語は魅力的なんだ……。
 

 ということで、文字数がないので、この話はさらにつづく。

        
 Be-Puちゃんおすすめの店が、いつのまにか宝塚にできていた。
 その名も『もち吉』
 楽屋口そばの交差点を、踏切の方へ行ったところ。あのみょーちくりんな鼻水噴水のある角の向かい。

 おせんべいの店だ。

 この店を見つけるなりBe-Puちゃんは奇声を発し、駆け寄っていきました。
「九州ではものすごく有名な店なのよっ」
 九州人のBe-Puちゃんは、福岡にいたころ高頻度でここのせんべいを食べていたそうです。

 Be-Puちゃんの鼻息はすごいし、WHITEちゃんは無類のおかき好き。ふたりがお買い物する横で、わたしひとりぼーっとしてるのもなんだし。
 とりあえず、買ってみた。

 「激辛せんべい」とやらを。

 いろんなところで「激辛」と名の付いたせんべいを買ってきたが、どれもどーってことのないものだったので、期待はなし。
 ふつーに考えて、「食べられない辛さ」のものを、企業が販売するはずがないのだから、仕方ない。

 まったく期待なく、自宅でかじり……。

 驚愕。
 か、辛い……っ。


 『暴君ハバネロ』なんか、足元にもおよばない。
 なんじゃこの辛さは。

 ……やーん、辛いー、すごいー、汗かいちゃうー。顔、にやけるー。

 わたしはもともと消化器系が弱く、辛すぎるものを食べるとおなかが痛くなるんだなー。
 『ハバネロ』は2袋一気に食べたら、なんとなく腹の調子が悪くなった。

 しかし、もち吉の激辛せんべいは、2枚食べただけで、腹が痛くなった。

 すげえ。
 こんなにダイレクトにカラダに変調きたすなんて。

 あまりに愉快な辛さだったので、家族にすすめてみた。

「おなかが痛くなるようなモノ、食べたくないわ」
「不愉快な味をわざわざ食べて、なんでカラダをこわさなきゃならないんだ?」
「唐辛子でも舐めてろ」
「それはすでに、せんべいである必要性があるのか?

 けんもほろろ。
 誰も、ひとかけらさえ食べてくれない。

 なんでー?
 激辛、って言われたら、とりあえず食べてみたくなるだろう? わたしならそうだぞ?
 なんで味見すらしてくんないのよー。

 ホラーゲームをひとにすすめたときの反応と似ているわ。
 どんなにこわいかを切々と訴えると、みんな口をそろえて
「そんなにこわいなら、絶対やらない」
 って言うのよ。

 ものすごくこわいなら、プレイしてみたくなるだろ?
 ものすごく辛いなら、食べてみたくなるだろ?

 ……どうしてみんな、わたしがすすめるものは、逆の反応とるのよー。
 セールスポイント(こわいとか辛いとか)を、拒絶ポイントにするのよー。

 
 とにかく、感動の辛さです、もち吉の激辛せんべい。
 辛いモノ好きな人はチャレンジよろしく。

 わたしは腹痛をなだめながら、それでもよろこんで食ってます。ああ、癖になる辛さだわ……。うっとり。

       
 6月6日、Be-Puちゃんのお誕生日。その日、わたしは宙『ファントム』観劇で、WHITEちゃんとBe-Puちゃんは花『NAKED CITY』観劇。それぞれ見終わったあとは落ち合って遅めのランチの予定。
 『NAKED CITY』初観劇のBe-Puちゃんは言う。

「あのキャシーって役をやった子、男役?」

 Be-Puちゃん……。きほちゃんは新公ヒロインやっちゃう新進気鋭の娘役ですが。

「花組観るの、すっごいひさしぶりなんだもん。知らない顔ばっかでとまどったよ」

 花組ファンだったくせに……。
 愛するチャー様が卒業し、大嫌いなオサがトップになってからは、見事に花組を見捨てている模様。まあそれも正しいヅカファンの姿でしょう。
 みわっちの学年以上しか生徒さんの見分けがつかないと言うBe-Puちゃん。作品的にはすっごく気に入ったし、大好きなゆみこちゃんが素敵だったので満足だが、上級生の使い方にはいろいろ不満があるそうだ。うまい人たちの出番があれっぽっちだなんて、もったいない、と。

「でも、五峰亜季さんのエロ尻を見られたから、それでいいわ」

 エロ尻。

「やっぱエロいねええ、あの人の尻」

 どこを見てるんですか。

「あの尻を見て、『ああ、五峰さんだわ』って、すっごくなつかしかったよ」

 五峰亜季の、エロ尻。
 そう、あれは何年か前の雪組公演だった。
 タイトルは忘れたが(調べるのめんどくせー)、あるショーで、スター娘役が尻たぶを半分見せて踊るという、すばらしいシーンがあった。
 尻を披露するスターのひとりは、星奈優里ちゃん。くるりと後ろを向いた途端見える、キュートなお尻にどきどき。きゅっと引き締まった小振りなヒップ。女の目から見て「美しい」と思える、まさしく美尻。
 そしてもうひとりが、五峰おねーさまだった。くるりと後ろを向いた途端見える、セクシーな尻にはらはら。肉感的というか、熟れてますっていうか。ダンサー五峰姐さんだからもちろん、その尻は鍛えられた実用的な尻なんだが……なんであんなにエロいの?!
 星奈ちゃんの尻はうっとり眺めていたい美尻だが、五峰姐さんの尻は目のやり場に困る、まさしくエロ尻だった。
 いいのか、あんないやらしー姿でがんがん踊ってて!

 もっとも、このふたりの美女の尻の印象は、さらなる尻の持ち主の登場によって、ぶっ飛んだ。記憶から消えてしまった。
 さて、尻見せ美女の3人目、トリを飾るのは真打ち登場、ディスコ・クイーン、タータンだった。
 くるりと後ろを向いた途端見える尻に、客席は阿鼻叫喚。

 タータンの持ち味は、なんといっても「渋いおやぢ」だ。包容力と男らしさ、青二才には真似できない大人の男の色気ってやつだ。
 その中年男の、まさかの女装。
 ショーの一場面だから、当然顔は男のまま、衣装だけ女物。
 その女装オヤジの、まさかの尻見せ。

 きゃあああぁぁぁああっ!!
 なななななんてこと、させんですかぁぁああっ。

 のりのりで腰を振るタータンに、涙。
 おぢさん……ごついです……こわいです……。

 タータンのすさまじい尻のインパクトで、他の尻の印象がぶっ飛んでしまった。
 
 あー……忘れてたよ、五峰姐さんの尻……エロエロだっつーんで当時、盛り上がったねええ。あのシーンはわたし、古代みず希さんばっか見てたよーな気もするが……。Be-Puちゃんは五峰姐さんの尻に釘付けだったのよね。

 そしてBe-Puちゃんにはもちろん、「バーナード×ビリー」も、「みわっち、マワされてたよね?」も、すっぱり否定されました。
「そんなふうに見える緑野が、腐ってる」と。

 
 腐っていようがいまいが。
 作品が気に入ったわたしは、いそいそとその翌日、つまり今日もムラにでかけました。
 花組バウ『NAKED CITY』千秋楽。
 適度にチケットが流通している公演は、ほんとありがたいっす。念願の段上がりセンターで、じっくり作品全体をたのしみました。
 

 演技をしているときだけが生きているときだという、女。
 ファインダーをのぞいているときだけが生きているときだという、男。

 こいつら、同じこと言ってんだよなあ。

 女は、撮られることで。
 男は、撮ることで。
 レンズを通してだけ、「世界」と関わることができる。

 何故ならば、「自分をキライ」だから。

 
 とりあえずわたし、ビリー好きだなー。

 わざと悪ぶって「恋人の居場所を教えて欲しかったら、一晩つきあえ」と言い、そのくせあっさり教えちゃって、「一晩」はなかったことに。
 んじゃ口だけのヘタレ野郎かと思えば、嫌がる女を強引に抱き寄せることはする。

 ビリーとデイジー、鏡に映った自分自身みたいな男と女。
 このふたりが向き合うことになったきっかけは、やっぱり「1枚の写真」なんだなとしみじみ思った。
 デイジーの「あたし、あなたの写真好きよ」→「あなたに会いたかったのかもしれない」→ビリー、デイジーが去っていこうとするのを止める、までの流れにめーっちゃときめくんですが(笑)。

 なんか、すいこまれるように、ビリーはデイジーの腕を取るんだよね。
 アレ、無意識だよね?
 今までビリーは、無意識に女を追ったことなんかなかったよね?
 だから自分でもおどろいてるんだよね。

 他の男のもとへ行こうとする女の腕を、無意識に掴む。
 ビリーの目は、ずっとデイジーの顔に注がれたままだもん。視線は一切動かさず、手だけ動くの。
 思わず、引き留めちゃったんだよね。行くな、って。
 台詞はないけど。

「せめて一曲だけ」
 って、強引に抱き寄せて、踊って。
 ……これがまた、泣けてくるくらい、拒絶されまくりだし(笑)。
 嫌がる女を何度も引き戻し、「時よ止まれ」てなせつない情熱で踊る。

 「あなたの写真、好きよ」→「あなたに会いたかったのかもしれない」は、殺し文句だわ……。

 写真でしか「現実」と関われない「自分自身をキライ」な男が、これを言われたらそりゃ墜ちるって。
 魂の共鳴を感じてしまうって……。

 アムロとララァみたいなもんだねえ。
 アムロには「突然」、ララァには「遅すぎた」。
 ララァはもう、シャアを愛している……。

 
 なんにせよ、大好きだったわ、『NAKED CITY』。
 恋愛至上主義以外の物語も大好きなわたしは、とってもたのしめました。

 段上がり席のおかげで、念願の兄貴の死体も見られたし。
 顔が隠れていたなんて、マジ知らなかったって……前方席は舞台と目線が高さ一緒なんだもん。

 
 ところで、前述のBe-Puちゃん。
 夏恒例の伊藤園チケットプレゼントにわたしが応募するつもりでバーコードを集めていると言ったら。
「なんならワタシの住所使ってくれてもいいよ」
 とのこと。
 ありがとう、んじゃ、当たったら一緒に行きましょうね、と言ったのに。

「いらない。チケット全部あげる」
 だそうだ。

 …………ほんっとーに、オサがキライなんだな(笑)。
 
    
 青い仮面を付けた彼が目の前を通るときに、わたしの膝に小さな光が踊っているのに気づいた。
 花びらのような光。
 ちらちらと揺れて、消える。
 なんだろう、と考え、すぐに思い至った。

 照明が彼の仮面に反射しているんだ。

 宙組公演『ファントム』3回目。今日はひとり、いつもの下手端。潔く1列目1番だ。
 いやー、もー、たのしい。たのしいぞ、下手端。なんせ今回、下手せり大活躍だからなー。ファントム様がせり上がったりせり下がったり、オペラ座のみなさんがうようよコーラスしてたり、従者の美青年たちがわらわら立っていたり。ついでに、カルロッタも美声をとどろかせてくれるしな。
 ファントムの青い仮面はじつは超でこぼこ。モザイクのよーに細かい破片を貼り合わせて作ってある。その仮面が、光をはじく。ミラーボールと同じ原理。乱反射する。
 光は客席へ。最前列の客の膝の上へ。
 はかない光の花びらとなって舞い落ちる。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しい。
 これは大前提さ。
 他の理屈は全部置いておいて、とにかく美しいから、彼はゆるされてしまうんだ。見ていて泣けるんだ。

 醜い顔を隠す仮面が、光の花びらを揺らすように。

 ビバ・タカラヅカ。
 とこしえに、美しく。
 
 つー話はともかくとして。

 
 今さらって感じだけど、『ファントム』という作品の感想を何回かに分けてたらたら書く。
 
 
 相変わらずわたしは、予備知識ナシで観に行った。
 大昔に四季の『オペラ座の怪人』は観たし、映画も見た。しかしそれらは大して琴線に触れず、印象は薄かった。予備知識に含めるのもなんだかな、ってくらいだ。
 まあ、有名な物語を、一般常識として知っている程度だ。

 それにしたって。

 この宝塚歌劇『ファントム』にはおどろいた。

 オペラ座の怪人・ファントムが美しいにーちゃんで、美貌をさらして歌い踊っていることじゃないよ。それはヅカの範疇だから、おどろくに値しない。

 いちばんおどろいたことは、舞台の安っぽさだ。

 うっわー、びんぼくさー。

 というのが、感想第一声なのだわ、わたし。

 お金ないんだなあ、歌劇団。VISA冠でこれだけ名高い海外ミュージカルを持ってきて、この安っぽさか……よっぽど金に困ってるんだな。
 と、夢から覚める思いだった。

 ベニヤ板に色を塗っただけのセット。着古しつくしたセンスの悪い衣装。
 それらが、みょーに明るい照明のもと、すべてさらされている。

 金がないのは仕方ない。版権もバカ高かったんだろう。
 だが。
 金がないならないで、演出でごまかせたんじゃないか??

 さて、びんぼくさっ、の次に思った感想は、趣味わるっ。……だった。

 舞台における、色彩や造形、あくまでも視覚の範囲の世界観が、とてつもなく悪趣味に思えた。

 制作費のないアニメみたいなセンスだなと思った。
 キャラひとりひとりにてきとーに派手な色のコスチュームを着せて差別化したはいいが、そいつら全員が並ぶと調和も統一感もありゃしない。野放しになった色やデザインが暴力的で、雑然と汚らしく見える。
 あるいは合作のマンガとか。持ち味がちがいすぎてうるさいだけの画面、せっかくのうまい絵も下手に見える、そんなおちつきないマンガみたいな。

 欲しかったのは、統一された世界観。
 視覚だけの話よ。脚本や演出にはまだなにも、触れていない。

 見た目に美しくないことに、ショックを受けたわけだ。

 これがふつーの大劇作品ならとくになにも思わない。よくあるごちゃごちゃした画面だと思ったろう。
 しかしこれは、『ファントム』だ。『オペラ座の怪人』だ。わたしは、統一感のある美しい画面を期待していた。

 そう、『ファントム』のポスターのような。

 宣伝ポスターと同じ美しさを本編に期待するのは、まちがっていないだろう? 別作品のポスターじゃないんだぞ? この作品のポスターなんだぞ?

 言うならば、「耽美」だ。「ゴシックホラー」だ。
 闇と光、グレーとブルーの世界だ。

 ミュージカルだから、元気なシーンやたのしいシーンがあるのは当然だが、それでも統一されたイメージは闇の中で燃える蝋燭の炎だ。
 
 タカラヅカだから原色を使わなければならない?
 黒っぽい画面は重くて嫌われる?

 そんなの言い訳だ。統一したテーマで「美」を創ることはできる。
 たとえば、基調になる色を「黒」と「ゴールド」にするだけで、いくらでもイマジネーションは広がるだろう。耽美で美しい画面を創れるはずだ。
 36色の絵の具を全部使わなければ「手を抜いたと思われる」と信じ切ってる小学生の描いた絵じゃないんだからさー、色があふれていれば「豪華」「タカラヅカらしい」わけじゃないだろう。

 てゆーか。
 ポスターのイメージで舞台を創ったら、あの致命的なびんぼくささを誤魔化せたと思うのよ。
 統一感で、セットの安っぽさを緩和するのよー。原色ぎとぎとより、ダークカラーの方が誤魔化せるからさ。
 同じくらいベニヤ板っぽいのに、オペラ座内より地下墓地の方が美しく見えるようにね。

 そして、わたしが演出家なら、あるいはなにか口を挟める立場なら、シャンデリア落ちは速攻やめさせる。
 いくらなんでもアレはないでしょう(笑)。わかった、お金がないのはもうわかったから、お願い、勘弁して。これ以上台所事情をさらさないで。泣いて頼みたい気持ちになった。

 シャンデリア落ちとどっちが恥ずかしいか、究極の選択だなと思えるのが、母子像のイラスト。

 えー、アレ、素人の絵だよね? プロじゃないよね?
 同人誌とかWEBで趣味の絵を発表している、しろーとさんの描いた絵だよね?
 だってアレ、ホラーだよね? 
 赤ん坊、手と胴体、つながってないよね?


 問題は、なんでそんな素人の絵を、あんなふーに大々的に使うのかってことだ。
 VISAの会長の描いた絵で、多額の融資と引き替えに劇中で使う約束をしたとか、なにか大人の事情があったとしか思えん壊滅的な絵。
 あの赤ん坊は手も足もなくて、見えている手は母親の髪の毛から生えている、がFA?

 とまあ、視覚だけでもこんなにかなしい『ファントム』。
 初日に感想書いたはいいが、あの萌え日記と同時にUPできなかったわけだ……(笑)。

 さて、ある新聞に『ファントム』の裏方事情が載っていた。
 それによると「衣装代の見積もりは1億から1億5000万円」という。これだけ読むと「すげえ」だが、そのあとに「古い衣装をリニューアルして、予算の半分以下に抑える」というオチがつく。
 半分って……。100万が50万になる、のとはわけがチガウ……。
 1億かかってしかるべきものを、5000万で作るのか……。
 しょぼいわけだ。

 なまじ大作だから、よりびんぼくさく見えちゃうんだねえ。
 夢が壊れるから、なんとか踏ん張って、美しくしてほしい。舞台裏ははりぼてだらけでいいんだからさ。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しくなくてはならない。彼の顔の傷にリアリティがなくても、それが「タカラヅカ」なんだからいいんだ。
 だから宝塚歌劇よ、美を護り続けてくれ。

     
 バウホールの椅子は、薄い。

 バウホールにしろ大劇場にしろ、さすが宝塚の劇場、夢を損なうことなく居住性のいいきれいな椅子だ。
 でも。
 大劇場に比べて、バウは微妙に薄いんだ。

 それを身をもって知った最初のきっかけは、バウホールで『血と砂』が上演されていたときだ。
 わたしは「我が人生でここまでハマることが他にあるだろうか。いやない。(反語)」ってくらい、ハマりきって劇場に通っていた。何回観に行ったんだっけな。おぼえてないけど、たぶん、自己最高回数。

 その、何回目かの観劇において。

 顰蹙な客がひとりいた。

 その人は、どでかいカメラを持ち込み、周囲を完全無視で撮影しまくっていたんだ。
 舞台の盗撮ではない。
 そのとき客席に「客として」やってきていた某スターを撮っていたんだ。

 彼女はおそらく、舞台になんの興味もなかったんだろう。某スターがバウの客席に現れると前もって知り、写真を撮るためだけにチケットを手に入れた。
 幕が下りる少し前から舞台なんか観もせず、巨大なカメラバッグを開け、音をたてながらカメラの用意をする。そして客電が点くなり撮影。幕間は、ひたすらカメラのチェック。
 2幕の終わりなんか、出演者の挨拶に尻を向けて通路に立ち、立ち去る瞬間の客席の某スターを連射し続ける。

 上演している舞台を撮影しているわけじゃないから、これらの行動はすべて野放しだ。

 しかし。
 わたしは舞台の盗撮以上に、不快だった。

 舞台を観る気がないなら、来るな。
 某スターを撮るためだけに、舞台の邪魔をするな。
 真剣に演じ、それをまた真剣に観劇している他の客全員を愚弄するな。

 違法行為はしていない。だから誰も彼女をとがめない。
 わたしもなにも言う気はない。某スターの名前も出さない。
 彼女にとっての人生の優先順位は、某スターの写真を撮ることで、某スターの出ていない舞台なんざどーでもいいんだろう。上演中も舞台ではなく客席だけを見、時計を何度も確認し、終わりに近づくとカメラを持って通路でスタンバイするのも、常識なんだろうさ。

 某スターは、通路にしゃがんで待ちかまえ、真正面から自分の写真を撮るその女性に一瞥をくれ、さっさと退場していった。

 某スターがいなくなったんだから、それで終わってくれればよかったんだけど。
 その女性は席から動かない。カメラのチェックに忙しいようだ。
 あの、舞台はもう終わったんですが。観客はそれぞれ席を立っているんですが。
 通路際のあなたが動いてくれないと、不便なんですが。

 なにしろ彼女は巨大なカメラバッグを足下に置いているので、前を通ることもできないのさ。
 もちろん、「某スター様」以外の世界が存在しない彼女は、荷物をどけて通路をつくるなんてことはしない。自分の作業に夢中。

 おかげで起こる、交通渋滞。
 わたしたちの列だけ、片方が彼女によってせき止められ、もう片方から通路を目指すしかなくなった。

 彼女の隣の席だったわたしは、当然列の最後尾になる。
 いらいらいら。
 渋滞自体いやなものなのに、そのうえ、この不快な女の隣で列が進むのを待つのはさらに精神衛生上よくない。

 つーことで仕方なくわたしは、座席をまたぎました。

 椅子をまたいで、後ろの列に降り、そのままさっさとホールを出た。渋滞しているのはわたしたちの列だけで、後ろの列はもう人がいなかったもの。

 
 とまあ、書いてるうちにいろいろ思い出してむかついたので(笑)長くなっちゃったけど、結論はバウホールの椅子は、簡単にまたぐことができるということ。

 
 さて。
 このことにわたしは、味を占めた。
 劇場を出る際の交通渋滞、好きじゃないんだわー。ちゃきちゃき歩きたいのよ、大阪人としては。
 だからつい、大劇でもやっちゃったのだわ。

 自分の列の進みが遅く渋滞こいてるのに、後ろの列がすいていた場合。
 座席、またいじゃえ!

 
 宝塚トリビア。
 大劇場の椅子は、バウホールの椅子より、分厚い。

 …………またげなかったの!!
 背もたれを「よいしょ」っとまたいだ状態で、足が反対側に届かなかったのよ!!

 ああ、あの身も凍る一瞬!!

 ふつーに考えて、座席をまたぐなんてことは、はしたない行為です。
 だからやるときは躊躇なく、一瞬で行わなければなりません。周囲の人を蹴飛ばしたりしないよーに、また、椅子に靴を当てて汚したりしないよーに、ひょいっとスマートにまたがなければなりません。
 周囲の人が気づかないくらいの瞬間技でなくては、ならないんですってば。

 なのに。
 足が、届かない。

 わたしは、座席にまたがった姿のまま、固まりました。
 両足は床から浮き、背もたれを股ではさんだ姿のまま。固定。
 わたしの股はゆーてます。

 
「思ってたより、分厚い!!」

 
 ああ。
 バカですかわたしは。バカですがな!!

 まあ、凍りついていたのは一瞬で、あとは必死こいて後ろの通路側へ体重移動してなんとか片脚を床につけ、残った脚を引きずり下ろしたけどな。それほど時間はかかってなかったと思うけどな。

 こうしてわたしは、身をもって知ったのだ。
 バウホールの椅子はまたげる分厚さ。
 しかし、大劇はまたげない。

 
 みなさんも、大劇場の椅子をまたぐときは、気をつけてください。
 バウホールの椅子より、分厚いっすよ! 知らずにまたぐと凍りますよ!!

 
 そして。
 話はバウホールに戻る。

 
 バウの椅子は、薄い。
 わたしはいつも、背もたれに盛大にもたれかかって観劇する。沈み込むよーに坐る。
 この間の花バウ初日もまた、そうやって坐っていた。

 そのわたしの耳に。

 真後ろから、低い呼吸音がずーっと、聞こえていた。

 コーホー、コーホー。
 シュゴーッ、シューッ。
 スー、ハー、スー、ハー。

 真後ろ、しかも耳のすぐ後ろだ!!

 感じるのは、並々ならぬプレッシャー。
 わたしのアタマのすぐ後ろの空間に、誰かの顔がある!! つか、呼吸してる!!
 いや、生きてるんだから呼吸するだろうけど……し、しかしアタマのすぐ後ろは、なにもない空間のはずでしょ? 宝塚の座席は空間に余裕があるんだから。座席にふつうに坐ってたら、前の席の背もたれにくっつくよーな位置に顔は来ないよ!
 よっぽど前のめりになってるってこと? しかし、こんなに椅子と椅子が離れてるのに? ものすげー座高の高い人がカラダをくの字に追ってるってこと??

 疑問が回る。
 それでも振り返れない。だって、気配はわたしの顔のすぐ真後ろなんだよ? 振り返ってそこに目があったら、こわいじゃないかぁぁあ。

 
 結局、休憩時間にこっそり振り返って確認しました。

 わたしの後ろに坐っていたのは、ものすげー体格のいい男性でした。まるい……。

 な、なるほど……。
 あの分厚さならば、椅子にふつーに坐っても、顔が前に押し出されちゃうんだ……。でもって、音のしない呼吸ができないんだ……。

 そして、バウホールの椅子は薄い。
 彼のやたら大きな呼吸音は、リアルに前の席のわたしの耳に届くんだ。

 スーコーッ、スーコーッ。シューッ、シューッ。

 舞台では萌え萌えな世界。耳の後ろにはダースベイダー。
 ちょっとスリリング。

         
 写真の中で、微笑む貴女。貴女の視線は、写真を見ている俺へ注がれて。
 そう、貴女はカメラに向かって微笑んだ。
 カメラに……いいや、カメラを構えている、愛する男へ向かって、微笑んだ。

 写真は、真実を切り取る。

 微笑む女、その微笑みを受け止める男。
 過ぎ去った時間。消えた時間。
 それでも、それはたしかにあった。
 貴女は愛する男に微笑みかけ、男もまた愛する貴女に微笑みかけた。その瞬間が切り取られ、1枚のポートレートになった。

 古い写真の中で、母さん、貴女はたしかに微笑んでいる。
 たしかにあった愛を刻んで、微笑んでいる。

「もう会えないかもしれないだろ」
 そう言ってカメラを向けた俺に、君は泣きながら笑ってみせた。
 君は俺に向かって微笑み、俺はシャッターを切る。
 写真は、真実を切り取る。
 泣きながら笑う君を、たしかに今あるこの瞬間を、閉じこめる。
 言い訳もなく、解説もなく。

 NAKED CITY−−−−ただ、真実だけが、そこにある。

             ☆

「写真集が出たら、送ってね」
 というデイジーの台詞。初日に観たときから、わたしは速攻つっこんでいた。買えよ。

 
 つーことで、観劇2回目の花組バウ『NAKED CITY』
 今年のバウはチケット取りやすくていいよなあ。気に入ったらいくらでもリピートかけられるよろこび。昨年のバウは異常だったよ……遠い目。
 初日を見たあとでチケット探して、前補助が定価以下で手に入るなんて、ありがとうインターネット。
 首が痛くなるから嫌う人も多いんだろうが、わたしは好きだぞ、前補助。理屈はさておき、美しい人たちを間近で見たいから。
 しかし……最後のちはる兄貴はまったく見えないんだな……初日も前方席だったんであまり見えなかったけど、今回はほんっとーに見えなかった……段上がり席でないとラブリー兄貴は見られないのねっ。
 初日を観たあとWHITEちゃんが、「ビリーの撮ったちはる兄貴の写真が欲しい……」とつぶやいてましたが。
 うん。わたしも欲しい。兄貴の死体写真……。床の上に転がるわけだから、段上がり席をGETしないと見えない、ラブリー(まだ見てないから、あくまでも予想)な姿。
 

 ああ……まっつ、かわいいなあ……。
 ガキんちょバーナードだけどさ、いちばん大人っぽい顔をしているのが、ビリーを見つめているときってのは、どういうことですか(笑)。
 例の店でダンス指南を受けたあと、無言でビリーを見つめている顔が、全編通していちばん男らしい顔してるんだよねー。
 そして、すべて片が付いたあと、いろんなことで傷心なビリーのそばに立つバーナード。ここからモーションかけるのか?!と思いきや、デイジー登場で、ヘタレな思いやり深い彼はそのまま引いちゃうし。
 あああそこ、チャンスだったのに! 傷ついているビリーをそのまま持っていっちゃうこともできただろーに! なんでそこで引くかなっ?! きらきらしくソロ歌ってんじゃねーよ、と、見ていてじれったくなりましたが(笑)、あのヘタレ具合がバーナードっちゅー男でしょう。
 ビリーとデイジーが結ばれないのはわかっているし、あの編集長のもとで働いていればビリーとも接点あるし、未来に期待……とゆーか、あのうれしそーなソロを聴いていると、とっても単純に「はじめての恋、恋するって素敵」とかズレたところで舞い上がっている気もしないでもないが……。
 バカ男攻が好きなので、バーナードはわたしの好みど真ん中です。

 
 いや、ホモ以外にも、ちゃんと作品を味わっておりますよ。
 ビリーとデイジーの関係、好きだし。
 いちばんのクライマックスは、ビリーとパパのシーンだと思ってるし。(ほんと、恋愛モノだとは思ってねーなー・笑)
 パパが、昔捨てた息子のために、死をあきらめたのがすごいと思うし。「やりなおせるかな」とか言ってるけど、パパはもう社会的には再起不能だよね。同じ立場になんか二度と戻らない。つーか、生きることは苦痛でしかないと思う。死ぬ方がはるかに楽。
 それでも、息子への愛で、死ぬよりつらい「生きること」を選んだ。それが贖罪でもあったのだと思う。
 パパ役のヒロさん、やっぱうまいよねえ……しみじみ。

 デイジーの弱さやずるさも好きだし。
 てめえの保身のために、一度は愛する男を売った女。それでも未練たらしく男を求め、保身と愛の間で揺れ動いている。
 彼女がウィリアムへ啖呵を切るに至るまでに、ビリーとの出会いが必要だったんだと思うよ。

 ただなー。
 ビリーとデイジーの間に、「一夜」があってくれた方が、わたし的には好みだったんだが……。
 ビリーってば女たらし設定のわりに生真面目なもんだから、せっかく「ヤらせろよ」「いいわ」という会話があったあとでも、ヤらないんだもんっっ。
 いーじゃん、ヤってもー。
 その方がさらにねっとりせつなくなったのになー。
 でもって、ビリーとデイジーの微妙な親密さを嗅ぎ取って、ニコラがちょっくらビリーを嫉妬の目で見てくれたりしたら、さらに萌えるのになー。
 てか、嫉妬するニコラ、見たくないか? すっげーエロいと思うぞっ。
 今のままだとニコラ、ビリーのことただの物好き認定で、恋敵として数えてもくれてないじゃん。
 男たるもの、恋敵に「いいヤツだなお前」と言われるより、嫉妬の炎を燃やされてこそ華でしょう!! ビリーに足りないのはソレだ! このふつーにいい人めっ。ゆみこちゃんだからそう見えてしまうのか??

 あと、ポスターによる先入観は大きいなあと思った。
 ビリー@ゆみことデイジー@あすかちゃんの、ふたりっきりのポスター。このポスターは美しくて大好きだけど、男女ふたりのポスターで恋愛モノ以外をやられると混乱するのだわ。大人っぽい雰囲気だと、さらに。
 このポスターの構図のままで、デイジーの後ろ、右側に半分見える感じでニコラが立っていたり、さらにその後ろに小さくキャシーがいたりすると、わかりやすかったかなあと思う。

 まあ、わたしの脳内では『NAKED CITY2』がすでにできあがりつつあるので、そのポスターでは、ビリーとバーナードのふたりしか写っておりません(笑)。
 ビリーがスクープした写真と、バーナードが追っていた事件がリンクして、ニューヨークを揺るがす大陰謀の存在が明らかに?! ふたりは協力して真実を追うが、なーんとビリーが敵に誘拐されてしまった。ヘタレ男バーナードは仲間たちの助けを借りて、ビリー救出に向かうが……。
 ビリーにはもちろん美女を絡めて、デイジー&ニコラ以外のキャラ総動員で。主役はもちろんビリー。ただし彼の役割は、「ヒロイン」(笑)。かっこいーヒロインが活躍する物語なのよー。ヒーローはあくまでも「ヒロインの相手役」なのよー。
 さんざんすれ違って、脈がなさそうで、でもあちこちにかわいい台詞やシーンがあって、クライマックスではもどかしいラブシーンがあって……あっ、もう文字数がないから、この話は終了(笑)。

       
「緑野さん、ホモに飢えすぎ」

 とのさんに、言われました。

 とのさんは腐女子仲間です。ヅカホモ語りOKな人です。だからわたしも安心して、萌えを語りまくってます。
 なのに。

「花バウ、べつにバーナード×ビリーじゃなかったじゃない」

 えええっ?!

「雪の『スサノオ』だって、どっからアシナヅチ? ありえない」

 えええっ?!

「緑野さんって、これまではわかるところを突いて、それを大きく広げていたけど、最近なにもないところから無理矢理ホモを作ってない?

 えええっ?!

「ホモに飢えすぎだよー。なんでもホモにしすぎー。つか、別のモノ見過ぎ」

 えええっ?!

 そーなんですか?
 あたしだけなの? あたしだけが、別のモノを見ているの?!

「バーナードとかアシナヅチとか言うんだったら、あたしが『ファントム』観て、エリック×フィリップ萌えとか言うのと同じくらい、無理ありまくりだよ」

 とのさんはエリック攻の人です。キャリパパ受。わたしとは意見が対立し、さんざん議論しました(笑)。
 それにしても、エリック×フィリップって……。

「だってクリスティーヌより、フィリップの方が歌うまいじゃん。『ママに似ている』つってフィリップさらってきた方がいいよ。フィリップはオペラ座のパトロンなんだしさ、カラダ漬けにして言うことなんでもきかせるよーにしたら、支配人はキャリエールに戻せるし、エリックの将来も安泰だし、万々歳じゃん

 とのさん……アンタ、悪や。
 カラダ漬けって……(注・ほんとーにこう言いました。目が点)、ちょ、調教しろと……。

「まったく緑野さんたら、自分がハマコファンだからって、ハマコをカップリングに絡めないでよ」

 ちょーっと待ったぁぁああっ。
 聞き捨てならないわ。わたしが、なんですって?

「緑野さん、ハマコとまちかめぐるの大ファンだもんね。そのうち、このふたりでカップリング作るんじゃないの?」

 やーめーてーよー。
 ありえない。ありえないわ〜〜。
 てゆーか、役者が好きだから妄想してんじゃないのよ。役に妄想してんの。アシナヅチ×スサノオなんであって、アシナヅチがハマコであることは無関係なのよ〜〜。もちろん、ハマコのアシナヅチがよかったせいだけどさ〜〜。
 役者でいうなら、水くんに萌え萌えだったけど、アオセトナさまに激ラブしてたけど、彼で腐女子妄想はべつにしなかったもん。ヲトメ心全開で「喜び組に入って、『欲しいモノを言ってごらん♪』に『キャ〜〜っ!!』って言って倒れたいっ!!」つー夢しかなかったもん。

 そんなこと言ったら、『王家に捧ぐ歌』ではわたし、ファラオ×ラダメス(+ケペル×ラダメス)だったんだから。本命様が出ている舞台でも、別カップリングだったわよ。
 役者より、役なんだってば。

「やおいっていうのは、美しいことが前提なのよ。だから緑野さんのは、そもそもやおいじゃないの」

 えええっ?!

「ハマコが絡んでいる段階で、すでにやおいじゃない」

 ひーどーいー(笑)。
 てか、どーしてわたしがハマコファンだって断定するのよ。そりゃハマコ好きだけど! わたしの周囲はハマコ嫌いな人ばっかで肩身狭いけど! それでも好きだって公言してるけど!

「巴里祭、行くんでしょ? ハマコ主役よ?」

 行かないわよ。誰があんな高い金出せるのよ。

「もし、バウや青年館だったら行く?」

 行くっっ!! ハマコ観に行く! ちとせちゃんも出るし!

「やっぱり……」

 そのなまあたたかい目はなに?

「緑野さん、どんどん遠い人になっちゃうね……」

 その笑いと憐れみを浮かべた目はなに?

 
 とのさんとは、ずーっと意見がすれちがったままでした。がっくり。
 でも。
 

 ねーねー、花バウだけどさ、みわっち、マワされてたよね?

「うん。アレはマワされてた」


 −−−−よーやく、意見の一致をみました。
 
         
 さて、宙組新人公演『ファントム』の話。その2。

 昨日書いた感想は「見てはいけなかった話」だったので、今日はふつうに新公全体の感想を書こうかなと。

 2時間半の大作を、1時間半に短縮して上演された、新人公演。
 なにが感心したって、そのまとめ方によ。

 ちゃーんと辻褄合ってるし、ふつうに1本の物語になってる。

 半分近くカットされているはずなのに。

 これがもー、すっきりしててねえ。
 観ていて気持ちよかったのだわ。

 そっか……本公演、無駄なシーンがありまくりだったんだなあ。

 もちろん、あった方がいいのになくなっていたシーンや演出もあったよ。でもそれは、時間が足りないからそうなっているだけで、あと30分あればカットされなかったと思う。
 
 個人的に、真実を知って泣き叫ぶちびエリックに、大人エリックが重なるシーンは必要だと思ったな。
 エリックという青年が、あのかなしい子どものまま、魂が凍りついてしまったんだってことがわかり、彼のあわれさが増すから。
 とにかくエリックはこれでもかってくらい、可哀想さを見せつけてくれなきゃねえ。彼に同情できてなんぼやからな、この話。

 にしても、本公演の演出に不満たらたらな身としては、すっきりした新公演出がとても気持ちよく、こころからたのしめましたのよ。

 おかげで。

 出演者の印象薄っ。

 わたしの神経は演出面にばかり行き、出演者に対してはろくにセンサーが動きませんでした。
 もちろん、みなさん熱演だったし、破綻なく真摯に演じられていて「ああ、新公だねえ」という熱さに満ちていた。
 
 でもソレ、いつもだし。
 新公はいつだって、若者たちの熱意と努力がすばらしく、おばさんの胸を熱くするものなのさ。
 わたしにとってはいつもの新公で、こういっちゃなんだが、それほどものすごいハイレベルなものだとは感じなかった。や、もちろんみんなちゃんとうまかったけど。破綻してなかったけど。

 それより、演出にどきどきしてたしな(笑)。

 だから、カーテンコールが起こったことには、正直おどろいた。ええっ? 新公って毎回カーテンコールすることに決まったの??

 作品の力かなあ……と、思ってしまった。
 駄作だったら、どんなにすばらしい演技をしても、観客は熱狂しないもんなあ。
 あのラストシーンの演出に、わたしはいくらでも拍手を惜しまない。カーテンコールだってするさ。その演出をうわすべりにしない演技をして、応えてくれた出演者のみなさんに。

 ……つーことで、いちばん泣かせてくれたのは、エリック・ママ@和音ちゃんとちびエリック@咲花杏ちゃん。
 彼らが清らかで美しいほどに、涙腺は刺激されるのです。……とくに、和音ちゃんの「天使の歌声」は重要。説得力。

 エリック@七帆くんは、たかちゃんだとなに言ってんのかわからなかった歌詞がはっきりわかって、うれしかった。特別歌がうまい人だとは思ってなかったので、しっかり聴かせてもらえてうれしいおどろき。まあ、ときどきカマしてたけど、ソレはソレ(笑)。
 しかし……ロン毛、似合わないね……。従者のときの地髪の方が二枚目に見える……。
 
 クリスティーヌ@アリスちゃんは、おどろきの歌声。うまいんだー。知らなかった。クリスティーヌ役に関してのかったるい演出がすべてカットされていたので、テンポよくさくさくと歌い、演技してくれるのが、快感。
 可憐で初々しくて、かわいー。
 あと、もう少し太ってくれたら言うことないのになー。ものすげえ痩せてて、頬とか首筋とか、痛々しいくらいだ……。
 
 フィリップ@いりすくん。…………でかっ。
 群衆に埋もれていたトウコちゃんと、ここまでチガウ人をもってこなくても……劇団のいぢわる。
 でかくて明るくて、アメリカンな伯爵らしかったです。ええ。伯爵、というより、伯爵家のぼっちゃん(社会経験ナシ)に見えたのは、ソレはソレで「役」としてアリかと。

 キャリエール@和くん。噂に高い美貌の彼が、よーやくばーんと役ついたなー、と要注目。出てきた瞬間、ヒゲだ!と、ヒゲ・フェチ(ヅカ限定)のわたしの胸は高鳴りました。
 なんつーか……すっげー受々しいキャリエールでした。
 はっ、すみません、腐女子用語で感想を言ってしまって。
 じゅりちゃんのキャリパパは攻だと思いましたが、和くんのキャリパパは受に見えました。いや、どっちにしろデ〜リシャス!(よだれ付き)って感じですが。
 キャリエールのくせに、そんなに美しくていいの??と、ちとうろたえ(笑)。

 カルロッタ@芽映はるかちゃんがいい味出してた。
 てゆーかわたし、しみじみ思ったの。
 どんなに出番が多くても、役の重要度が高くても、若手の娘役さんが体当たりで演じているなら、こんなに見ていてたのしいんだわ……!
 本公演では、カルロッタという役が出てくるだけでげんなりしちゃったんだけどね。どんなにうまくても、適役でも、とにかくげんなりしちゃったの。あくまでもわたしの個人的な感じ方にすぎないんだけど。
 見るのがつらかった役だっただけに、新公ではもー、心が洗われる思いで、彼女を見つめました。ああ、うまいわー、悪役だけどかわいげがあっていいわー、と。

 文字数あまり残ってないから、あとひとりだけ。

 警部@暁郷は……いいんか、アレ?
 なんかものすっげーやりすぎてた気がするんだけど……。
 ああ、なんか知ってるわ、このやりすぎ感……そうよ、ハマコよ!!
 ハマコを見ていて感じる「やりすぎだよー、もっと周囲を見ようよ」を、GOに感じてしまったのだわ。
 若くしての抜擢だから、意気込んじゃう気持ちはわかるけど、もともと持ち味が濃いんだから、突っ走りすぎるとハマコになるよ……?
 といいつつ、GOをやたらオペラグラスで追っていたわたし……あの手の男に弱いの??

 
 それにしても、やっぱ宙組はなにげにでかいんだよねえ……。
 帰り際に友人のとのさんが、
「キャリエールはやっぱでかい人の方がいいよ」
 と言っていた。
 えーと……キャリエール役の和くん、べつに小さくないです。つか、よその組なら長身と言ってもらえる部類なのでは? てか、じゅりちゃんよりでかいはずだし。
 つまり、他の男たちがでかすぎんだよな〜〜。
 宙組の男たちを語るときは、横に煙草の箱でも三角定規でもいいから置いて、大きさが比較できるよーにしておいた方がいいな。

         

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