見てはいけないモノを、見てしまった……!!

 宙組新人公演『ファントム』

 見てはいけないモノを見てしまった。
 うろたえ。

 あの肖像画はどうなのよ??

 本役さんと新公役さんで同じ顔だと、肖像画の使い回しができていいわね。だから本公演の肖像画はエリック・ママではなく、もろクリスティーヌの顔に描いてあったんだわ。
 ……そう納得していたのに。

 何故、写真切り貼り?!
 肖像画の顔の部分だけ、わざわざ写真を貼り付けてあるって、なんだそりゃ。

 そんな小細工をする必要があるのか??
 笑わせたいのか? 脱力させたいのか?
 意図がわからん。

 ファントム@七帆くんに「顔を見せて」と愛を歌うクリスティーヌ@アリスちゃん。ああ、美しい歌声、ひろがる慈愛。
 しかし。
 クリスティーヌの後ろには、お笑い肖像画が。

 上手席にいたもんで、クリスティーヌを見ようとすると、どーしても彼女の後ろに肖像画が見えてしまう。

 ……笑わせたいのか? 笑わせたいのか、演出家!! しかもドリフのコント系の笑いだぞ?! 涙。

 
 見てはいけないモノを見てしまった。
 うろたえ。

 路線男役の、鼻水。

 名前は出しません。彼の今後の人生に響くといやだから(笑)。
 しかし、舞台であそこまで本格的な鼻水を見たのははじめてだ……。
 鼻の下に垂れてる程度のなら、何度も見たけど。そんなレベルじゃなかった……。

 そーだよなー、鼻水ってのは、垂れるもんなんだよなー。
 たらーっと、線になって空を切り、床に落ちました。涙ではありません。粘度の高い液体でした。だから長ーくのびて、ゆっくりと落ちた。
 いや、舞台でなくても見るのはじめてだ……地面に落ちるほどの大量の鼻水……。

 そこまで大量に鼻水を床に垂らしながらも、彼は洟をぬぐおうとはしませんでした。そのまま、演技を続けていました。

 鼻血を吹いた顔を観客にさらした、姫川亜弓を見る思いでした……!

 ビバ役者魂!!

 彼を応援しようと、心に誓いました(笑)。

   
 肖像画については演出家を問いつめたいところですが、それ以外の演出はすげーよかったです。
 てゆーか。

 ラストはアレでいいのか??

 おどろいた。
 心底おどろいた。
 やっていいのか、あんなこと。

 ラストシーンが、本公とは別物になってました。

 本公演、というか、『ファントム』という作品について、わたしは言いたいことが山ほどあります(笑)。もー、不満だらけ(笑)。キャリパパ×エリック萌え!!ってことで帳消しにしてたのしんではいますが、作品的には「どうよ?」がありすぎ。
 萌えばかり語って、作品についての感想をまだちゃんと書いてないっすが。(だって花バウに萌えちゃったんだもん……)
 その数多い不満点の最大級の箇所が、ラストシーンでした。

 『エリザベート』じゃないんだからさ……。ファントムとクリスティーヌが寄り添って昇天してくみたいなラストは、どうなのよ。
 死んだ男と、生きている女が、どーして「そしてふたりは天国で結ばれました。めでたしめでたし」みたいな、ヅカでよくあるワンパターン・ラストで終わるの??

 こんなわけわかんねーラストシーン、いらない。

 あの死の瞬間、ファントム・エリックは最高に幸福だった。これ以上のしあわせはないっちゅーぐらい、すばらしい最期だった。
 ……それで終わってくれよ。なんで、せっかくの感動をぶちこわすのよ。

 と、怒りすら感じていたラストシーン。

 それが、新公では別物になっていた。

 ファントム・エリックと、クリスティーヌが抱き合って昇天(?)するのは同じ。
 しかしそのふたりの下に、エリック・ママ@和音ちゃんとちびエリックが!!

 ええっ?!

 あ、あの、そこで母子を出すと、ラストシーンの意味が変わってしまいます。

 エリックとクリスティーヌは男女の恋愛、という本公演の趣旨を、エリックが求めたのは、母の愛という答えに変換してしまいますが??!

 もちろんわたしは、それでいいと思っている。エリックが真に求めていたものは母の愛だと。クリスティーヌを愛し、求めたのも、彼女がママに似ていたから。似てなかったら、どんなに歌がうまくても、興味持ってなかっただろーな、と。
 本公演も、途中まではちゃんとそう描いていたと思う。だから、いちばん盛り上がるシーンが、エリックとキャリエールの銀橋なんだと。男女のラヴシーンより、父と息子の告白シーンなんだと。
 死にゆくエリックを抱きしめたクリスティーヌが、唇ではなく彼の醜い顔にキスをするのだと。
 テーマが恋愛ではないからでしょう? 恋愛以上、といっては語弊があるが、慈愛とかそーゆー部分にまで昇華した愛の姿を見せてくれていたでしょう?

 だからこそ、ラストシーンの脈絡ない「男女の恋愛」めいた演出が、不快だった。
 作品のテーマから思い切り逸れてるやん。今までやって来たこと、積み上げてきたもの、全部自分たちでぶちこわしてるやん。
 観客をバカにしている? 「王子様はお姫様と結ばれました、めでたしめでたし」以外の内容を理解できないと思っている? だから、どんなにまちがっていても脈絡なくても、「とりあえず主役とヒロインくっつけとけや。客はソレで満足するからな(鼻ほじり)」ってか?

 これだけ意味なくても、無理矢理「王子様はお姫様と結ばれました、めでたしめでたし」で終わっていたこの作品が。

 正しいラストシーンになっていた。

 微笑む美しい母。彼女に抱きしめられて、微笑む少年。その頬に醜い痣はなく、母がその愛ゆえに信じていた通りの、美しい顔。

 愛が、そこにあった。

 愛する父の手で望みを叶えられ、母に似た愛する少女の腕の中で息絶える、最高のしあわせのなかにいるエリック。
 そのシーンをも超えた幸福を、みせてくれた。

 新公って、ここまでやっていいもんなの? テーマまで変えていいのー?
 うれしかった。
 見たかった物語を、見ることができた。
 気持ちよく、盛大に泣いた。

 
 ああ、それにしても。
 こんなすばらしいラストシーンを観てしまったら、本公の嘘っぱちラストシーンを観られないよ……。ただでさえ嫌なシーンだったのに。

 
 見てはいけないモノを、見てしまった……!!

         
 まだつづいているぞ、花バウ『NAKED CITY』感想その3。
 
 わたしはこの作品が好き。

 
 どこぞのショー? って感じの素敵なオープニングが終わるなり、

 五峰亜季おねーさまが独唱かますのに、椅子から落ちそーなくらい、おどろいたけどな。

 歌わせるか……天下のまゆみねーさんに。ああおどろいた。
 長くヅカを観ていますが、まゆみねーさんのちゃんとしたソロを聴くのは『風と共に去りぬ』のベル・ワトリング以来だよ……。
 ああ、なつかしいタータン・スカーレット。そしてなつかしいまゆみベル。
 美しくも迫力のベル・ワトリングが、おなじみのソロを歌い出した瞬間、10年にもわたる謎が解けたっけ。

 何故、五峰亜季が歌わないのか。

 歌わせちゃいかんからだ。

 いや、キュートにコケティッシュに踊りながらの歌だから、ベルのよーに両足を上げて椅子から転げ落ちるよーなショックはなかったですが。
 にしてもびっくりだ。
 歌うまゆみねーさんか……長生きはするもんだ……あまりにめずらしいモノを見たので、拝んでしまいそうになったよ。

 
 いろんなところで、いろーんなことにツボを押されてひとり客席で悶えているわたしの横で、相棒のWHITEちゃんは冷静に、ちはる兄貴にだけオペラグラスを使っていた。
 あの、WHITEちゃん。わたしらのこの席で、オペラグラスは必要ないと思いますが。わたしは現に、持ってきてないんですが。
「なにを言ってるのよ。ちはる兄貴を見るんだから!!」
 と、それでもWHITEちゃんは兄貴仕様の視界を譲りませんでした(笑)。

 
 それにしても、ゆみこちゃんはかっこいい……。
 まっつ、かわいー。
 みわっち美しー。そいからエロい〜(笑)。
 ちはる兄貴、エロい〜(笑)。
 さおたさん、黒尽くめで踊っているときのかっこよさと、眼鏡っこのときのかわいさは、ほとんど犯罪〜〜、ふにゃふにゃ〜〜。
 あすかちゃん、うまいー、きれー。
 きほちゃん、かわいー。でも夜の店で働いてる女に見えない〜。

 キャラ萌えだけでもたのしいよー。

 
 帰宅するなり、チケット掲示板に行きました……(笑)。
 よーし、もう1回観に行っちゃうぞーっ。
 そんでもって、バーナード×ビリーに萌えるんだーい。

 
 じつはこの日、午前中は『ファントム』観てたんですが……感動の3列目サブセン、銀橋で泣き笑いするエリック@たかこが目の前で、萌え萌えだったんですが。

 ……まさか、バウでここまで骨抜きになってしまうとわっ。
 わたしまだ、『ファントム』の感想書いてないのに。萌え語りしかしてないのに。

 ああ、心は花バウ……(笑)。

 しかし、午前午後と芝居観て、どっちも身悶えるくらい萌え作品ての、どうよソレ。
 こんなオイシイことがあっていいの??

 カラダが保ちません……。

         
 あまりにアタマの悪い萌え語りだけで終わらせてもなんなので。
 きちんと感想いきます。
 花組バウホール公演『NAKED CITY』
 演出・小柳奈穂子、主演・彩吹真央。

 50年代のニューヨーク。人生斜めに見てる凄腕カメラマン・ビリー@ゆみこちゃんは、いつものよーにゴシップ写真を撮った。大物マフィア・ウィリアム@ちはる兄貴とスター女優デイジー@あすかちゃんのツーショット。デイジーは謎のスターで、その経歴はミステリアス。ウィリアムがパトロンだという黒い噂はあったけれど……。
 そのデイジーが、なんとビリーを名指しで人捜しを依頼してきた。なんでスター女優がパパラッチに人捜しを頼む?? 腑に落ちないものの、スクープと報酬を見逃す手はない。ビリーは新米記者のバーナード@まっつとともに、ニコラ@みわっちを探すことにした……。

 小柳先生の前作『アメリカン・パイ』があまりに潔く駄作だったので、正直期待はしてませんでした。たんにゆみこちゃん主演で、大好きなまっつが出ている作品、という、ニュートラルな気持ちで初日を観に行った。
 初日にこだわったのは、相棒のWHITEちゃん。ちはる兄貴にくらくらめろめろの彼女は「ちはる兄貴を観るの! 初日に観るの!」と言って譲らなかった。「ちはる兄貴に会えるまであと何日」と指折り数えて待っていた。
 相棒に敬意を示して、ともに初日観劇。

 おもしろかった。

 腐女子萌え、ミーハー萌えをべつにしても。

 ビリーとデイジーの恋愛モノだと思って観ていたから、多少「あ、あれ?」な肩すかしはあったものの、それすら納得させてしまうくらい、きちんと作られた物語だった。

 物語自体は、「お約束」でかためられたベタなものだ。だがこの「お約束」ってのは、エンタメの基本だから、それを正しく構築すればとても気持ちいい作品になる。
 作りが正しいから、パズルのピースはおのずと所定の位置に納まるんだよね。

 主人公ビリーは、ニューヨークのハイエナ、パパラッチである。……ここからスタート。
 ワルで有能、だから、ちょいとすさんだ、かっこいー男の外見を素直に造形できるよね。
 んじゃ、なんでビリーはそんなふーに人生投げてるの?
 自分や母を捨てた父への反発から、人生すねちゃってるの。本当はやさしい青年なんだけどね。

 この主人公設定のうえで、ドラマの幕が上がる。

 ポイントは、主人公設定とストーリーをどう絡めるか。
 ここでわかっているのは、「すさんだカメラマン」であることと「父への反発」。
 だから物語には、このふたつを絡める。

 謎めいた美人女優デイジーの依頼。きっかけはビリーが撮った1枚の写真。
 デイジーの恋人・ニコラを探すウチに、ビリーは自分の父親がある「犯罪」に絡んでいる事実を知る。
 「父親」はビリーのウイークポイント。なんせソレが原因でぐれてる人ですから。
 うわ、ウイークポイント来ちゃったよ、てなときに、ビリーはデイジーという女に惹かれはじめる。
 何年か前、ヒネくれ青年ビリーがヒネくれているゆえに「街の暗部」「人間の暗部」を撮りだしたとき……偶然ファインダーに収めていた女。
 わざと人生斜めに見ている生意気青年と、生きるためになりふりかまわず身を汚す女。どちらもほんとーはピュアなのに、「人生なんかどーせこんなもん」「人間なんか、自分なんかこんなもん」とヒネくれていた、そんな幼さを残した男と女。
 鏡の中の自分を見るように、ビリーとデイジーは1枚の写真を通して新しい一歩を踏み出す決意をする。

 マフィアだ銃撃戦だ、と、大騒ぎな事件を通して。
 やっていることは、「自分探し」。
 言い訳の中で勝手に拗ねていた自分を乗り越え、困難な現実と向かい合う。

 はい、ですからポイントは「すさんだカメラマン」であることと「父への反発」。
 父と対峙することによってビリーは「自分自身」の壁を乗り越えるわけだ。
 父のことを乗り越えれば、そこにあるのは「純粋なカメラマン」だ。
 写真への愛と情熱。自負と責任。

 ゆがんだ目で眺めていた世界を、ビリーは新たなる想いで見つめ直す。
 NAKED CITY−−あるがままに。

  
 と。
 なんかとても正しい計算式で作られています、『NAKED CITY』。
 主人公のキャラ立てを正しくしたら、あとは勝手にピースが正しい位置にはまりましたって感じ。

 50年代のファッションもオシャレだし、オープニングからずっと、画面がとても美しい。

 そして、キャラの徹底した俗物さ。
 あんたサイトーくんですか? てくらい、わかりやすい「お約束キャラ」満載(笑)。
 全員、どっかで見たよーな「わかりやすさ」。うわー、よくもこれだけベッタベタなキャラにしたよねー。恥ずかしくてふつーここまでしないよねー(笑)みたいな。
 「貧しいながらバレリーナを目指す、心清き少女」って、なんすかソレ。しかも「ワルぶった主人公」の「妹」だよ??!(笑)
 「発明オタクの眼鏡っこ」ってなんすかソレ。しかも「ワルぶった主人公」の「義理の兄」で「理解者」ってなんすかソレ。
 「ドジでまぬけなでこぼこ刑事コンビ」ってなんすかソレ。
 他にも「やり手の女編集長」だとか「うさんくさくてハートフルなビッグ・ママ」だとか、「小説家志望の世間知らず青年」だとか、「主人公を見守る女。最後に帰る港はこのワタシ」だとか、とにかく出てくる連中すべてベッタベタ。
 齋藤吉正以外に、ここまで恥ずかしいキャラ立てをするヤツがいるとわ……!! 宝塚歌劇団、あなどりがたし!!(笑)

 残念なのは、いちばん盛り上がってしかるべき「VSマフィア大作戦」が、なにをやっているのか、よくわからなかったこと。
 もー少し時間さいて、きちんと説明して欲しかったぞ。登場人物全員絡めての大作戦だったのにー。

 そして、これはもう小柳せんせーに求めてはイカンことなのかもしれんが。
 暗転多すぎ。
 暗転以外の場面転換を知らないのだろうか、ひょっとして……。『アメ・パイ』では暗転が多すぎで、「芝居の最中に暗転がある」というより、「暗転しているついでに芝居がある」って感じだったもんな……。
 いや、『アメ・パイ』に比べれば、ぜんぜんマシだったんだけども。

 
 物語の作りは、ぜんぜんOKだよ。
 個人的に、プロローグとエピローグがリンクした作品が好きなので、この『NAKED CITY』はさらにツボ。
 ただのショーのよーに見えたあのオシャレで派手なオープニングが、まさかエンディングとリンクして終わってくれるとは。
 こーゆー細工は好き。

 それにしても、ムラのある作家だな、小柳せんせー。『アメ・パイ』の失敗ぶりはなんだったんだ? ほとんど別人の域なんですけど。

 とにかく、わたしはこの作品が好き。
 「物語」として正しくて、キャラが萌え。ついでに腐女子萌えアリ。 ……とくれば、そりゃ好みでしょう(笑)。

        
「主役はたかちゃん。相手役は樹里ちゃん」
「はなちゃんは?」
「お衣装がすごかった」

 バウホールのトイレで手を洗いながら、見知らぬお嬢さんたちが話していました。
 ハラショー。
 ツボに入ったわ。わたしはひとり、笑いをかみ殺すのに必死。

 見知らぬお嬢さんたち……あなたたち、めいっぱい素で、なんてすてき会話をしているの(笑)。

 宙組『ファントム』の話もしたいが、ここはやはり、花組バウホール公演『NAKED CITY』の話が先でしょう!! せっかく初日だしなっ。

 作品よりなにより、萌えと腐女子語り行きます!! 鼻息!

 
 まっつまっつまっつ!!
 まっつファンのわたしは、客席で悶え狂ってました。
 まっつ、めちゃかわええ。

 言わせてください。

 バーナード@まっつ × ビリー@ゆみこ!!

 なんなのよー、かわいすぎるよー、うっきゃ〜っ。
 スーツ姿の男がふたり、手をつないで走り回って……た、たのしい。ハァハァ。
 

 単独初主演のゆみこちゃん、ちょいとスレてるカメラマン・ビリー役が、とてつもなく似合ってます。か、かっこいい……っ!
 実力派のゆみこちゃんだから、なんとも安定した姿。小さな劇場に響きわたる美声。はあ、うっとり。

 しかし。
 言わせてください。
 ゆみこちゃんは、バウホール主演は2回目です。わたしはもちろん、前回も観ています。そして前回も、思いました。

 主人公に女が絡まないって、ソレなにごとっ?!

 前回の主演作では、ゆみこちゃんは愛する男のために生きて死ぬクールな男を演じていました。もろ『バナナフィッシュ』のアッシュでした。ストーリーもキャラも。
 せっかくいい女が周囲にいるのに、彼が愛しているのはらんとむだけでした。

 そして今回。
 いちおー愛している女がいることにはなってますが、……あ、あの? えーと、いちばん大きなテーマっちゅーか盛り上がりは、女、関係ナシでは??

 2回連続、彼の主演作は、メインテーマが女との恋愛以外ですか。

 言わせてください。
 それはつまり。

 「男役・彩吹真央は、女と恋愛させるより男と絡めたい」というのが、全世界の共通認識と思っていいってことですか?


 すげー(笑)。
 女より男かー。いいなー、そーゆー持ち味。
 女との恋愛モノをほとんどやったことがない、という男役スターで有名なのが、かのトドロキ様だけど、彼は男が惚れる攻男として演出家に愛されてきた人なんで、ゆみこちゃんとは反対だよね。

 ゆみこちゃんはなんつっても、受男を演じるとハマるよねええ。はあぁ、うっとり。

 
 2番手みわっちは、えらいことになってます。
 マフィアの下っ端ニコラ役。色気がしたたり落ちてる色男です。
 その美貌にも舌を巻きましたが。

 今回、目が飛び出、顎が落ちたのは。

 みわっち、マフィアのボスたちに、マワされてます!!……くるくると(笑)。

 えー……。
 あれは、どうなんでしょうねえ。
 ある意味、すみれコードぶっちぎりだと思ったんですが……たんにわたしの目が腐っているだけですか?(笑)

 ニコラは組織を裏切ったので、追われております。
 その状況を説明するときに、イメージ映像が使われておりました。
 つまり、4人のマフィアのボスたちが、逃げようとするニコラを抱き留め、腕の中で転がし、タンゴのポーズめいたキメを使い(もちろん女役はニコラ)、ニコラを翻弄します。
 男たちの腕の中で、みわっち……失礼、ニコラは、うめき、泣き、あえぎ、悶えています。

 …………とてつもなく、いやらしいものを見せられているよーな?

「あれ、マワされてたよね?」
 と、終演後にわたしが言うと、
「うん。どー見てもヤられてた」
 と、同行のWHITEちゃんも溜息をついてました。

 すすすすすげえ。
 すげえもん見たよ、ありがとう!!

 いや、冷静に考えて、たんに暴力をふるわれていただけにしても、あのシーンはめちゃくちゃエロいです。
 あえぐみわっち……悶えるみわっち……。ハァハァ。

 
 しかし。
 主人公と準主役が、ふたりそろってってのは、どういうことですか、演出家(笑)。

 そりゃまあ、総攻の色男ちはる兄貴が出演してますから、大丈夫っちゃー大丈夫ですけどねえ。

 ニコラ@みわっちは、ウィリアム@ちはる兄貴の愛人のひとりだよね?
 ヒロインのデイジー@あすかちゃんがそうであるように。
 ウィリアムはオトコマエなボスなので、男も女もカモォン、問題ナシに愛せちゃうし囲えちゃうおぢさまなのー。
 そして、デイジーを平気で切り捨てられるように、ニコラのことも切り捨てたのね。
 ウィリアム×ニコラ……愛ナシ、金と欲だけの関係。も、萌え……。
 
 
 さて、われらがまっつは、真面目ぼっちゃん甘ちゃんバーナード。彼はなしくずしに「悪(ワル)」のビリー@ゆみこと行動を共にする。
 はじめは引き気味だったのに。
 一緒にいるうちに、どんどんビリーに惹かれていく。
 特筆すべきは、「踊るぜ今夜は!」とかゆー店でのバーナード。台詞はほとんどないまま、彼が恋に落ちていく様を見ることができます。

 だってバーナード、ビリーしか見てないし。

 自分の女上司が以前ビリーとつきあっていた? という疑問に最後までこだわっていたのも、恋のなせるわざ。だって、惚れた男の元カノが上司じゃ、やりにくいもんなあ。バーナードは裏表のない子で、心にわだかまりなんか持って仕事できないよー。
 よかったね、否定してもらえて。これで憂いなく上司のもとで仕事できるねっ。

 
 てっきり主人公とヒロインの恋愛モノだと思って見ていたら、そーではなくて、主人公の自分探し+成長モノだった。恋愛は彼がステップアップするためのスパイスのひとつ。
 物語の最後に、ひとつ成長したビリーがカメラを持って立つ姿は、等身大の青年としてのすがすがしい美しさにあふれている。
 脳内ナレーションが響くよ。
「こうして彼は、ひとつ大人になった……」

 そして、この物語をバーナード視点で見た場合の、ラストシーンの脳内ナレーションは。
「こうして彼は、恋に落ちた……」

 今現在、ビリーはバーナードのことなんか子犬程度にしか思っていない。
 がんばれバーナード。高嶺の花を落とすのだ。年上で世慣れた美人さんを落とすのだ。
 ヘタレ攻バーナード。行け行けバーナード、負けるなバーナード。

 このコンビで、続編希望。

 ……実際、いくらでも続けられそうな話だしな。あの刑事コンビにしろ。ビリーの家族にしろ。ネタはどんどん作れそう。
 
 
 とりあえず、佳作でした。
 ゆみこファン、みわっちファン、まっつファンは劇場へ行け! 握り拳っ。


          
 今日もまた、ママに負けた。
 隙をつかれ、自分語りされてしまった。

 わたしは親の家の茶の間で、ある番組のDVDを見ていた。
「あら、おもしろそうな番組ね」
 と言って、母も横に坐った。

 番組の中で、太鼓が鳴り響いた。
 腹にずんずん響く、景気のいい和太鼓だ。

「まあ、いい音ね」
「そうね」
「この太鼓の音、聞いたことあるわ」
「……(テレビを見ている)……」
「そうだわ、これは**(固有名詞。聞いたが忘れた)の太鼓だわ」
「……(テレビを見ている)……」
「アタシ、行ったことあるのよ、**。アタシが**に行ったときは、そうね、もう何年になるかしらね。あのときはねー……」

 そしてはじまる、自分語り。

 あたしはテレビ見てるんだよ。聞いてねえんだよ、そんな話(怒)。

 たかが30分の番組も、黙って見ていられないのね、母。
 自分語りしないと死んでしまう生き物なのね、母。

 …………。

    

仲良し母娘。

2004年5月27日 家族
 母が杏仁豆腐を持ってきてくれた。
 ありがとう、ママ。
 笑顔で受け取ったのに、母は帰ろうとしない。

「早く食べてよ。どれくらいで食べ終わる?」

 え? 今、食べなきゃなんないの? べつに今おなかすいてないんだけど……。

「ここで待ってるから、今すぐ食べて」

 ここでって……パソコンの前に坐っている、わたしの後ろ?

「その杏仁豆腐が入っている器が、どーしてもいるのよ。アタシもがんばって食べたんだけど、もう限界だから、アンタ残り食べて、器を空けて」

 ママ……。

 あなたは、かわいい娘に杏仁豆腐を持ってきてくれたのではなく、器を空けるために利用しようとして、来たのですね……!!

「だから、その器がいるのよ。いくらさがしても、その器ほどちょうどいいカタチと大きさはないんだもの。アタシは……」

 うわ。
 母の必殺技「自分語り」がはじまった。
 世界でいちばん忙しく(なんせシングルのトイレットペーパーを使う時間もないほど!)、運命論者の母は、5秒以上会話に空白が空くと、自動的に「自分語り」をはじめる癖がある。もしくは、隙を見せるとすぐに「自分語り」をはじめる。

 そしてわたしは、母の「自分語り」が大嫌いだ。てゆーか、聞き飽きた。
 はいはい、ママは非凡、ママは特別、ママは宇宙一よ。だからお願い、語らないで。ママがどんなにすばらしい人かは、もう聞き飽きたから。

 背後で監視されながら、たまたまそばにあったお茶用のスプーン(粉末茶をカップに入れるために置いてあった)で杏仁豆腐をかきこむ。
 味? そんなもん、感じている場合ではない。
 後ろで、仁王立ちしてるのよ、ママ!
 食べるまで見張ってるのよ!

 わあ〜〜ん。

 
 はい、どうぞ、ご所望の器です。
 シロップまではとても飲めません。具だけ食べたから、もう許して。

 わたしが差し出した器を持って、母はまだなにかしら語りながら去っていった。

 台風一過。
 満腹時の甘いモノ+早食いはきつい……。

     
いやあ、なにがショックだったかって、この映画を見てなにを連想したか、だよ。

 歴史大作『トロイ』
 古代ギリシアで起こったトロイ戦争を描いた作品。
 監督ウォルフガング・ペーターゼン、出演ブラッド・ピット、オーランド・ブルーム、ブライアン・コックス、エリック・バナ。

 映画を実際に見るまで、そんなことになるとは思ってもみなかった。
 なにも考えず、予備知識もなく、いつもの映画館の座席に坐って、そして、おどろいた。

 パリスだとかヘレンだとかいうと、わたしは『イブの息子たち』を連想してしまうんだ。

 『イブの息子たち』?!
 ちょっと待ってよ、なんでそんなもんを??
 今の今まで、忘れてたよ、そんなタイトル。
 なのに何故、よりによって『イブの息子たち』なの。
 そして、いったん思い出すと次々記憶はよみがえってきて、アタマの中を3人の人騒がせ男たちが走り回り、ニジンスキーが眉間に縦じわよせてチュチュで踊ってるよ……「ヒース、わたしを見て……」。

 ああああ。
 こんなはずではなかった……何故、『イブの息子たち』……。がっくり。

 
 とまあ、映画本編とは関係ないところで萎えておりましたが。
 それでも3時間、たのしみました。

 歴史巨編なんてものに、多大な期待はしておりません。退屈なんじゃないかとか、そっちの心配をするくらいだ。

 予告編ではアキレス@ブラピとパリス@オーランド・ブルームばかりが取り上げられていたけれど、コレ、オーリー目当てで見に行ってはならんのでは……?
 主役は、アキレス@ブラピとヘクトル@エリック・バナでした。

 てか。
 萌えるんですけど、アキレスとヘクトル(笑)。どっちが受かは悩みどころですが(笑)。

 大昔の出来事。
 ギリシャのスパルタの王妃ヘレン@ダイアン・クルーガーと、トロイのパリス王子は禁断の恋に落ち、なーんとかけおちしてしまった。不倫はそりゃまずいだろう。かけおちはもっとまずいだろう。
 ふたりの無謀な愛が原因で、ギリシャVSトロイの戦争がはじまった。ギリシャ軍の問題児、超絶強いけど傲岸不遜の戦士アキレスは、いつもの命令無視で突っ走り、トロイのアポロン神殿で運命の出会いをする。アキレスの運命の出会いは、トロイのヘクトル王子相手だった……とわたしは思うが、いちおー建前として、神殿に仕える王族の娘(名前忘れた)と出会い、彼もまた恋に落ちるわけですなー。
 個人の事情からはじまって、個人の事情なんか置き去りに怒濤の流れが人間たちを翻弄する、壮大な戦いの物語。

 なにしろ歴史物なんで、エンタメ性なんぞあまり期待せずにいたんだが。
 見ていて感心したのは、ヒーロー・アキレスの描き方。
 あ、ちゃんとエンタメなんだ、と思った。
 アキレスは天才型の男なんで、観客の感情移入はむずかしい。むしろ凡人たる観客は、実直なヘクトルの方に感情移入するだろう。それでもアキレスをヒーローとして主役として描くならば、彼のキャラを立てなければならない。
 最初は「ふーん」程度の気持ちでいたのに、見ているうちにどんどんアキレスが魅力的に思えてきた。ブラピだとか彼の脱ぎっぷりのよさだとか、カラダのラインの美しさだとか(笑)、そーゆーこととは関係なく、アキレス個人がいい男に見えてくる。
 この荒ぶる魂をもてあましたよーな男が、いとしい戦士に思えてくる。
 アキレスを好きになれるかどうかで、この作品への感情は変わってくるだろう。
 わたしは彼を好きだと思えたので、たのしめたんだな。

 ヘクトルは、いい男過ぎ(笑)。
 アキレスが険のあるキャラな分、観客のハートを掴む意味ではヘクトルがひとり勝ちしている気がする。
 アキレスが天才型なら、ヘクトルは努力型の秀才って感じなんだよなー。常識の範囲内で誠実に生きる有能な男。「神を敬い、妻を愛し、国を守る」だっけか。彼のとてもシンプルな信条。素直に「いい」と思うよ。こーゆー男は好き。
 こういう努力型の男がこつこつ築いてきたモノを、天才型の男に一刀両断されるのが物語のお約束ってやつだけど……わかっていてもせつないなあ(笑)。
 まあ、いつの時代も長男は大変、ってことで。

 パリスはあんなもんかと。あの役は、ある意味むずかしいよねえ。あれだけ最低ヘタレ野郎であっても、「憎まれない」キャラが必要。……ヅカでいうと、タニちゃんあたりがやるといいのでは(笑)。
 狭い世界で大切に育てられた青年なんだってことが、よくわかるよ。理想と現実がイコールでない、ある意味リアルな存在。
 それでも愛されている、ある意味とてもファンタジーな存在。

 原作が先にあるからか、たくさんいるキャラクタたちの描き方はとても薄くて、もったいないことしきり。
 てゆーか、パリスとヘレンはあれでいいのか。戦争起こっちゃってるんだけど、それに対する彼らの立ち位置っていうか、トロイでの反応はどうなのよとか、いろいろつっこみはある。
 ギリシャ側にしても、なんかいろいろキャラはいるわりに、ちゃんと描かれていないというか。
 神を信じて行動したことがすべて裏目に出る展開は、なにか含むところがあるのかとか。
 主題が絞り切れていない散漫さとか、パリスとヘレンの愛なんぞに時間かけるヒマがあったら他に描くことがあるだろう(笑)とか、クライマックスが消化不良っていうかもっと他に描き方あったんじゃないのとか、ほんとにもー、言いたいことは尽きない。

 それでも、終わってみれば、駆け抜ける獅子アキレスの黄金のたてがみや、愛しそうに子どもを抱くヘクトルの姿に満足しているんだな、これが。

 アキレスという男を理解した上で2回目を見れば、きっともっとたのしいだろうなと思う。……つか、わかりにくすぎるんだ、この男。

 ついでに、アキレス×ヘクトルだと思って見れば、さらにたのしいだろう。(日記を書いているうちに、ヘクトルが受だと答えが出たらしい・笑)
 肉体的とゆーか、出来事的(つまり、ヤるとすればだ)にはアキレス×ヘクトルで、精神的には逆でよろしく。

  
 しかし、エリック・バナがあんなにいい男だとは……お笑い『ハルク』からは想像もつかなかったよ……。

   
 試写会は好きです。
 誘われれば大抵なんでも見ます。
 交通費その他もろもろを考えれば、ふつーに映画館で見た方が快適で安い場合も多いけど、それでも試写会に誘われるとよろこんで行きます。

 出会いだと思っているから。

 自分で選んでお金を出すならば、絶対に選ばない、そもそも選択肢にのぼらないよーなものに出会える可能性があるから。

 自分で選ばないような映画だから、まあおおむねハズレなんだけど、たまに愉快なモノに出会えたりもする。
 福袋が好きなわたしとしては、そーゆーサプライズをたのしみたいんだ。

 
 つーことで、誘われるままに出かけていった試写会、『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』
 試写会場は家の近く。でもたしか、雪組千秋楽の日だったんだよねー。ムラで『スサノオ』観たあとに、あわてて大阪の自宅まで帰り、自転車にまたがったっけ。ぎりぎりだったわ。

 監督ピーター・バーグ、出演ザ・ロック、ショーン・ウィリアム・スコット、クリストファー・ウォーケン。

 賞金稼ぎのベック@ザ・ロックは、依頼を受けてトラビス@ショーン・ウィリアム・スコットを探しにジャングルへやってきた。
 トラビスはジャングルに眠る秘宝を探しているトレジャーハンター。秘宝を狙うのはトラビスだけじゃなく、ジャングルの現地人たちを不当に支配している悪人ハッチャー@クリストファー・ウォーケンや、それに対するレジスタンスたちもだった。トラビスを探すベックは、その三つ巴の争いに巻き込まれるが……。

 
 あー……ここまでなにもかも中途半端だと、いっそ愉快かも。
 わたしは終始、首をひねっていたよ。
 最初はLAで、暗黒街の肉弾戦。なにしろ主役ベックを演じるのはプロレスラーあがりのタフガイだ。やりたいのは男たちをちぎっては投げする巨漢ヒーローのアクションなんだろーなー。なんか意味もなくセンスもなくどったんばったん。
 この調子でずっといくのかと思いきや、いきなり舞台はジャングルへ。
 あ、あれ?
 ジャングルの街では、「えーと、今って21世紀だよね?」と首を傾げるよーなアナクロな世界が展開中。進んだ文化を持った白人たちが現地人たちを奴隷のよーに働かせ、暴力と恐怖で君臨する独裁国家を建設中。
 しかもそこで、もうひとりの主要キャラ・トラビスは秘宝探しときたもんだ。
 秘宝ってなに? どーゆー文化で、どーゆーことがあってそんなモノが存在して、どーゆー経緯で君はそんなことをしているんだ?
 まったくわからないまま、ベックとトラビスはふたりでジャングルの奥地へ。
 ベックは依頼されているわけだけだから、トラビスをLAへ連れて帰るのが仕事。トラビスは帰りたくない。いわば敵同士のよーな、殺伐とした関係だが、とりあえず今は手を取り合って進むわけだ。
 わたしは「手錠でつながれた刑事と犯人の逃避行」萌えとゆーものを持っている。敵同士なんだけど事情があって仕方なくひとつの目的のために協力し合う、という関係萌えだ。
 だからこのベックとトラビスの関係は、萌えの範疇なんだが。

 萌えなかった……。

 ベックにしろトラビスにしろ、あまりにも魅力に欠ける人物だった。

 キャラ立てに失敗した見本のよーなふたりだった。
 それぞれ類型的だとはいえ、「売り」を持ったキャラであるというのに、「押し」に欠け、ただのご都合主義キャラで終わってしまっている。
 個人的に、彼らのキャラのいちばんの失敗は、愛のなさだと思う。
 ベックもトラビスも、言動にあまりにも愛がなかった。誠実さに欠ける、と言ってもいい。
 自己中心的である、というより、たんにストーリーの都合上その場しのぎの言動を繰り返す、そーゆー「愛のなさ」であり「不誠実さ」だった。彼らの自己中な言動に意味があればよかったんだけど、どー見ても「だってここはそーした方がなんとなくおもしろいしぃ」「ここでそう言わせないと、話が進まないしぃ」という、制作上の都合が透けて見える。
 結果、ふたりの主人公は自己中心的で誠実さに欠け、かといってそれが魅力には繋がらず、場面ごとに別人格のよーな言動を繰り返すキャラとなった。
 ……ひでえ。

 さて、この魅力に欠けるふたりの男は、ジャングルの中でレジスタンスと出会う。リーダーはセクシーでワイルドな美女だ。
 なにしろ現地人たちを支配しているハッチャーは、水戸黄門に出てきてもいいくらいのわかりやすい悪党だ。虐げられた現地人を解放するため、レジスタンスの勇気ある若者たちは、今日も正義の戦いを挑む。
 そのレジスタンスの若者たちと、ベックは拳で語り合って友情を掴んでしまったりする。……まあ、肉弾戦をやってなんぼの映画だとわかってはいるが、ものすごい強引な展開。
 LA暗黒街ではじまった物語はいまや、20世紀の香りのする「我らに独立を!」もの風に変貌。
 するかと思いきや、今度は秘宝探検もの風に変貌。ベックとトラビス、そしてレジスタンスの女リーダーは、秘宝探しでGO!
 まあジャングルだし秘宝だし、遺跡が出てきて、遺跡ならではの罠なんかが待ち受けていて……インディ・ジョーンズを期待してちょっとわくわくしたら。
 あれ? も、もう終わり?
 早っ。てゆーかお手軽っ。
 見つけた秘宝も脱力風味。ものすげー宝に見えねえ……バックボーンの説明も設定も薄いから……。
 んで次はなにがくるかと思えば、街の支配者、悪のハッチャー一味にベックが単身殴り込みときたもんだ。たったひとりで、悪の帝国の本拠地に突撃なのよ。正義のために。
 えーと、そんな話だっけ、コレ……。
 たぶん物語中、いちばんの見せ場になる1対100くらいの大決闘なんだけど、これがまた、盛り上がらない……。
 ベックのいいところは、その巨体でもって素手で戦うことだったんだか、さすがに素手では無理なんで、ついに銃を使うのねー。
 無理なのはわかるけど、ここで銃を使っちゃったら、ベックというキャラの意味が崩壊するんだけどなー。あーもー、なにがやりたかったんだか。

 アクションものであり、ジャングルという治外法権で絶対悪の帝国との対決であり、秘宝探検ものであり……と、ものすっげー盛りだくさんなんだけど、見事にすべて空回り。
 ここまで中途半端だと、かえって愉快かもしれない。

 
 まあ、とりあえずわたしは。
 トラビスを連れて帰れとベックに命令したLA暗黒街のボス。トラビスとは親子だと言ってたけど、わたしは最後まで信じてなかった。
 息子? 恋人なんじゃないの?
 息子を連れ戻すために、という設定はなんかものすげー嘘くさかったからさ。

 ま、それくらい妄想して見なきゃ、やってられないよーな作品でした(笑)。

 
 でも、これもまた、出会いのひとつ。
 試写会あったら、誘って下さい。なんでも見ます(はぁと)。

         
 最近忙しくて、映画の感想書くのすっかり忘れ続けてます。溜まっていく一方だわ……。

 とりあえず、映画館で見なきゃだめでしょう! とわかりきっている映画は、率先して見ておかねば。
 ってことで、『CASSHERN』を見てきました(いつ見たのか、日付はすでに忘却の彼方)。

 ええ、あの『キャシャーン』です。
 最初に実写映画になるって聞いたときは、正気か?!って思いましたけどねー。
 ほんとに作っちゃうんだもんねー。21世紀ってのはすごいよねー。

 監督・脚本・撮影・編集・紀里谷和明、出演・伊勢谷友介、麻生久美子、唐沢寿明。

 いつもの通り、なんの予備知識もなく見たもんで、顎は落ちたまんまというか、目が点のままというか。

 コレ、「キャシャーン」チガウし。

 
 わたしはもういいトシですが、実はアニメの『キャシャーン』のことは、よくおぼえていません。リアルタイム世代なんだがな。
 子ども心に、あのアニメはなんか暗くておもしろくなかったのだわ。
 ただ、「キャシャーンがやらねば、誰がやる。」というあおりと、スワニーという白鳥ロボットの目から光線が出て、月夜だけママに会えるとか、犬型ロボットのフレンダーがものすっげー変形をすることだとか(子どもの目にさえ「ありえねえ」と思えた。大きさとかなー)、ヒロインのルナのピンクのミニワンピのスカートが超絶短かったことや、キャシャーンの声が素敵に棒読みでイケてなかったことぐらいは、おぼえている。
 敵に関しては、同じカタチのロボットが行進しているあたり、『ヤッターマン』のミニメカたちと混同しているらしく、口々に単語をつぶやいていたとか、おだてブタがどーしたとか、どうも不明瞭だ。
 てゆーか、なんで世界があんなことになって、キャシャーンが戦っているのか理解できてなかった。
 外国にしか見えないのに、キャシャーンは日本人らしいし。
 人間の味方なのに、差別されてるし。

 アタマの悪いガキだったもんで、理解できなかったのよ。

 そして、いくつのときだったかな。
 たしか、再放送をちらりと見たことがある。もうすでにわたしは大人で、アニメを見る年齢ではなかった。
 なにかの拍子に、画面に映ったんだ。

 びびびびっくり。

 目が飛び出ました。
 いいの? コレ、いいの? と、ひとりでうろたえました。

 だってあまりに、いやらしくて。

 キャシャーンってさー、なんであんなコスチュームなの?
 全身白タイツだよ?
 なんかやたら丁寧に、カラダのラインが描いてあるんですが。

 裸(同然のカラダのラインばっちりのコスチューム)の男の子が、盛大に身をよじり、「あッ」だの「うッ」だの呻きながら戦ってました……。

 やややややんらすぃ。
 なんなの、あのお尻のラインはっ。胸のラインはっ。
 なにもあそこまで、忠実に描かなくていいんじゃないの?
 しかも、適度にアニメらしく丸みがあるあたり……さらにいやらしいというか……。
 少年AVでも見ている気になって、うろたえてチャンネルを変えました。

 びっくりしたなもー。
 キャシャーンってあんなにえっちくさいキャラで、あんなにえっちくさい戦い方してたんだ……子どものころはわかんなかったよ……。

 
 え?
 わたしだけですか? そんなふーに思ったすけべ野郎(女ですが)は?

 
 とまあ、わたしにとってのアニメ『キャシャーン』は、そんなもんです。
 だからアニメに比べてどうこうとか言う気はまったくありません。

 ただ、純粋に映画を見て、「キャシャーン」ちゃうやん(笑)。と思いました。

 
 「キャシャーン」というタイトルである必要性が、あまりなかったなと。
 だってまったく別物だし。
 ラストは『イデオン』だし(笑)。

 
 ストーリーはわけわかんないので、もういいです。早々に手放しました。
 いや、わかるけど、つっこみどころが多すぎて、もういいやって感じ。

 だからそんなことは全部置いておいて、ひたすら画面をたのしみました。

 「大亜細亜連邦共和国」という、スチームパンクな暗い(文字通り、画面が暗いの)未来社会を受け入れられたら、それでこの映画はもうOKでしょう。
 街並みとか服装とか小物とか、そーいった美術を眺めているだけで、わたしはとてもたのしかった。
 なんたって、街のあちこちに大滝秀治の顔(しかも立体)よ!! 愉快じゃないすか!

 この映画をたのしめるか否かは、映像の好みが合うか合わないかにつきる、気がする。
 この映像をたのしむことができたら、それだけで値打ちはあると思うよ。

 あくまでも、映像。
 映画としてのストーリーとか、演出は、問うな(笑)。

 そこに描かれている世界観も、軍事帝国の姿も、5万回は見たよーな垢まみれの独創性に欠けるモノなんだが、まあビジュアルが愉快だからヨシ!! 齋藤吉正作品が意味もなくナチスでハイル・ヒトラー!!なのと同じだよねー。
 叫んでいるテーマもかなりアレで、お尻がかゆくなる部分が大いにあるっていうか、結局こーゆーふうにするしかないのかとか、監督の情緒の限界なんだろうなとか、嘆息するよーなモノなんだけど。

 これはフィクションでエンタメなんだから、陳腐だろーと辻褄あってなかろーと、愉快ならばそれでいいのよ。
 画面がこだわりまくりの美しさにあふれていたので、すべて許します。

 わたし的にいちばんよかったのは、ミッチー王子。『白い巨塔』の弁護士といい、この人はうさんくさい役をやるとハマるんですよなぁ。うっとり。
 あと、要潤がかっこよかった……。この人はだんだんいい男になってるよなー。『新・愛の嵐』のときはどうしようかと(笑)。あえて『仮面ライダー』時代は語らない。

 残念ながらわたしは唐沢寿明が超絶苦手なので、彼が演じているというだけで、ブライ役はきつかったっす。

 
 エンドロールでつい笑ってしまったのは、監督の名前があちこちにしっかり出ていること。
 監督たるもの、最後に1回出るだけでいいじゃん。
 なのに、「撮影」の欄でも「編集」の欄でも、いちいち出まくり。
 わかったわかった、ほんとに創りたかった映画なのね。力入りまくってるのね。自分がやったって、いちいち声を大にして言わないと気が済まないのね。
 これだけ、何度も何度も何度も自分の名前を書かないと気が済まない監督の鼻息の荒さに、ひとりでウケてました。クリエイターとして愉快だけど、友だちにはなりたくない(笑)。

 
 ほんとに、映画館で見てよかった。
 わたしはたのしかった。

 でもさ。
 テレビで見たら、ただのつまんない映画だと思うよ。

         
 画像職人@デイジーちゃんから、メールが届きました。

「芸術的美貌は皆で分け合わないと。いやぁ、ファントムのたか夫さんは宝塚ファン全ての共有財産ですよね(爆)」

 とゆー語りと共に送られてきたのは、ファントム@たか夫さんの美しすぎる待ち受け画像!!
 ブラボー!!
 さすがです、画像職人様。大きな写真をPCに取り込み、小さな携帯画面で最高の美しさを保てるように加工してくれる、その技術と根性!
 GOOD JOB!! あんた神や。

 …………彼女はケロファンではないので、ケロちゃんの画像を作って送ってくれることはないんですけどね……他の美男たちはいろいろプレゼントしてくれるのー。わたしと彼女は男の趣味が同じなので、いつも同じ男にきゃーきゃー言ってます(笑)。

          ☆

 ところで本日、1週間ぶりに家の鍵を発見しました。

 先週、これから東京へ旅立つぜ、てなときに、鍵がなくなってわたわたしたのよ。
 なんでないの?
 家の中で紛失したことはわかっていた。わたし、どこかへ置いて、そのまま忘れちゃったのかしら?
 時間がなかったので、そのときは仕方なく予備の鍵を握って旅立ったんだけど。

 どこから出てきたって?

 
 猫の、しとねから。

 
 猫が普段寝ている布製バッグ(バッグだったのに……もうきゃつめのベッドにしか使えない……とほほ)から、出てきました。

 犯人はお前か!!

 
 FROG STYLEのキーチェーンをつけたわたしの鍵は、すっかり濡れてべたべたし、猫の臭いに満ちておりました……。

 おしっこまみれかよ……。がっくり。
 前もわたしの愛用のハンカチが、猫のトイレの中に連れ込まれていたっけな。カプセル状になったトイレの中に、わざわざくわえて入るなよ……いやがらせか……。
 
 
「まああ、猫ってば利口ねえ」
 嘆きながら鍵を洗うわたしに、親たちはのんきに言います。

「どこが利口なのよっ?!」
「コレを隠せば、おねーちゃんはどこへも行かない、って思ったわけでしょ? 利口じゃない」

 ……たしかに、外出するときは鍵を持って出るけどさ……猫もそれはおぼえているみたいだけどさ……。
 それで、隠すか?!
 浅知恵め。鍵を隠したって、出かけるわよー!

 
 ああ……鍵がくさい……FROGもくさい……。涙。

    
 どなたか、本日の『澪つくし』録画した方、いらっしゃいませんか……。第48回の分です。
 ニュースのおかげで無断で15分も遅れやがって、録画失敗しました……めそめそ。
 誰か貸して下さい……。

 これまで脇役に徹していた梅木@柴田恭兵が、ついに表舞台へ躍り出た! ついに恋敵@川野太郎との一騎打ち?! かをる@沢口靖子への秘めた恋はどーなる?

 とゆー、大変愉快な盛り上がり。
 ええ、本放送時もわたしは梅木ファンでした。お嬢様と使用人の恋萌え。「所詮いい人」「所詮小者」止まりの、アンドレタイプを演じる恭兵ちゃん萌え〜。
 恭兵ファンとしては見逃せない回だったのに!! NHKめ!! 簡単に時間ずらすんだから!

 
 『澪つくし』を見ずになにをしていたかというと、梅田にいました。
 月組のチケット発売日ですから! ターミナルプラザに並んでいましたとも。

 並びには仲間たち勢揃い。……なのに、並んでいる人数はすごーく少ない……。
 飛ぶ鳥を落とす勢いのアサコ様と、いろんな意味で薄いカシゲちゃんの特出、ちらしやポスターも印刷・配布済みだっつーのにまさかの役替わり発表、公式印刷物に役替わり日程が載っていない「んなバカな」状態、さらにここまでやるか、トップ娘役退団発表、ちらしやポスターももちろん印刷・配布済み、今となっては「新トップコンビ」のあおり文もかなしい、なんとも捨て身な月組公演。
 それでも、並んでる人、これっぽっちですか……。前回の宙組の半分か……。なんかしょぼんな気持ち。
 なにしろちらしの印刷が間に合っていないようで、ターミナルプラザで配布されたちらしには、役替わり日程が載っておりません。いろんなところで「日程がわからない、どうしよう」とうろたえた声があがる。
 わたしたちには、なにかとマメなWHITEちゃん自作の「オリジナル役替わり早見表」があったので助かりました。見知らぬ周囲の方にも見せてさしあげました。こまったときはお互い様。

 役替わりってさあ、やっぱり急遽決まったことなんじゃないのかなあ。
 ちらしやポスターを印刷・掲示・配布する前に発表しなかった意味が、どーしてもわからないんだもの。
 全ちらし・ポスター刷り直し・配布し直しでしょ? 各関係者も営業し直しでしょ? そんな経費をかける必要がどこにあるのよ?? 宣伝は早ければ早いほどいいわけでしょ?
 いらん経費かけてまで、秘密にする必要はどこにもないよねえ。

 ちなみに、役替わり日程の載ったちらしも、ムラをはじめ一部には配布が間に合っていました。
 これが、しょぼいのなんのって。
 今まで役替わり公演っつったら、日程表の色を変えるなり(『風共』とか)わざわざ別枠に写真をつけたり(今回の花組とか)してわかりやすくしてたのにねえ。役替わり日程を載せることを前提とした上でデザインされたものだったのにねえ。
 今回のちらしは、空いた部分に小さく「役替わり日程」と別囲みで無理矢理挿入してあった。
 ……びんぼくさ……。
 きりやんバウの「主演交代のお詫びとお知らせ」と同じ扱いか……イレギュラー人事だって宣伝してるよーなもんぢゃん……。

 それでも、ゆーひファンでカシゲファンのわたしは、ありがたく役替わりを観に行きますとも!! てか、役替わりにゆーひくんが絡んでいる事実に心底おどろきながらな(笑)。

 無事千秋楽のチケットもGETし、CANちゃんに進呈。CANちゃんはくらりんファン。さよならショー付き千秋楽は、やっぱファンが観るべきだもの。
 ……さえちゃんを大嫌いなCANちゃんに、さえちゃん主演作のスカステ録画をいっぱい頼んでごめんよ……わたしはさえちゃん好きだったりするのよ……。オギーファンじゃからのう……。

 
 並びがたのしいのは、友だちと会えるから。
 喋り倒して痛む喉をなだめながら、ムラへ移動。

 ええ、名前を出してしまいましょう、はなはなマロンさんと初デートでした(笑)。
 この日記サイトでリンクしてくださってる方とデートは初体験〜〜(笑)。
 会うなり、挨拶もそこそこに、『ファントム』萌え語りGO!!
 なまじ友人たちに「緑野の視点はひん曲がってるから、話にならん」といじめられたあとだっただけに、同じ視点で萌えを語れることがうれしい。
 樹里たか萌えるよね?! キャリエール×ファントム萌えるよね?! 銀橋での抱擁は、抱擁だよね?!

 萌え語りはいとたのし。

 そいから、ジュリアン様はオサちゃんだよねー。ねー。
 花組ファンのみなさま、ケイト・ロスのジュリアン・ケストレル・シリーズ(講談社文庫)を読んでみてください。名探偵ジュリアンは、オサちゃんのイメージで!! 19世紀はじめのロンドン、社交界一の伊達男なのよー。きゃー。
 あのねあのね、『フォークランド館の殺人』のわたしキャスティングは、クレア青年がみわっちなの。これははずせないの!(笑) マルコム・フォークランド卿は汝鳥伶サマなの。これも絶対はずせないの!(笑)
 わたしが演出するなら、物語はパーティの夜からはじめるわ。容疑者全員勢揃い。華麗に歌い、踊るの。
 影の主役アレクサンダーは、オサ様2役。顔はあえてさらさずに。必要に応じて、仮面なんかつけて、踊って欲しいわん。もちろんジュリアンとアレクサンダーは別人だけど、この2役がテーマ的な鍵となるのよ。
 あさこちゃんはジュリアンのライバル(友人?)、軽薄男フェリックスの出番を増やして、ジュリアンの相棒みたいな役割にするのー。オサアサ堪能〜〜。
 しぶい男アダムスはちはる兄貴で、エキセントリックかつナイーヴな少年ユージンはゆみこちゃんで。前作からつづいて、ジュリアンの飼い犬ディッパーはらんとむで。

 ああ……ヅカで上演してくんねーかなー、ジュリアン・シリーズ……。

 ジュリアン萌え語りまでできてしまって、ごきげんナリ。

 
 そのあとは、某路線外中堅男役氏の御茶会。「お茶会」ではなく、「御茶会」。「お」は漢字なの。なんで名前伏せるかっちゅーと、御茶会参加者が少ないゆえ、身元判明を防ぐため(笑)。
 本命様のお茶会に参加したことないくせに、それ以外にはちょろちょろ顔を出すわたし。……本命様のことは愛しすぎているので、近づきたくないのです……はつこひにふるえる少女のやうに。

 某路線外中堅男役氏は、サービス精神あふれる愉快な方で、ひたすら参加者を笑わせ、たのしませてくれます。
 ああ、いいなあ。うっとり。
 顔が好きなの、顔がっ。
 黙っていればクールビューティなのよ。口を開けばコメディアンだけど。
 美しい人を間近で見られて、しあわせしあわせ。

 それにしても、「台詞による役名当てクイズ」でわたしたち、欲望あらわでしたわね。
 「奥様」という、これだけの台詞で、役名わかっちゃうってどうよ……。あああの役、ほんとに好きだった……ホモだったよね……ワタル兄貴の役と愛のない関係だったよね……他の誰もうなずいてくれないだろーけど、はなはなマロンさんだけは同意してくれるよね……。
 萌えた役はよーくおぼえてるけど、萌えなかった役の記憶はいまいち。……なんて正直なわたしたち。

 
 徹夜明けだったってのに、早朝から夜まで、テンションあがりっぱなしのにぎやかな1日でした。

          
 ねえちょっと奥さん、聞いてくださる?!

 現在絶賛上演中の宙組公演『ファントム』、アレ、いちばんの見どころは2幕の終わりの方の、ファントムとキャリエールの抱擁でしょう?

 男ふたりのせつないラヴシーンですわよねっ?!

 まあ、世間体がございますから、親子愛とか、てきとーに耳障りのいい単語に置き換えてもいいですけど。

 なのに、みなさんおっしゃいますのよ。

「抱擁? 抱擁なんて、なかったわよ?」

 ががーーーん。
 銀橋での抱擁よ? ファントムとキャリエールの。
 初日では拍手が鳴りやまず、いつまでも次の台詞が言えず、えらく長い間抱き合っていた、あのシーンよ?

 それが、ない?

 カットされたってこと?
 翌日からは見つめ合うだけとかに、演出が変更になったってこと?

 ファントム@たかちゃんがこう、キャリエール@樹里ぴょんにもたれかかるよーにして、それをキャリエールが受け止めるよーに手を回して……。
 それが、なくなったってこと?

 実際にそのシーンを再現してみせたわたしに、周囲のみなさんは言うのです。

「ああ、それならありましたよ」
「あったけどソレべつに、抱擁じゃないし」

 ええっ?!

「緑野さんが抱擁抱擁って言うから、なにかと思ったけど。べつに、抱擁なんかしてなかったじゃないですか」

 抱擁じゃん?!
 どっから見ても!
 なによアンタたち、お互いに腕回してがっつり抱き合わないと、抱擁じゃないっていうの?
 ファントムは自分から抱きしめずに、ただキャリエールに身をあずけるのよ? キャリエールはそれを受け入れるのよ?
 抱擁じゃん。
 てゆーか、なまじ自発的にふつーに腕を回して抱き合うより、せつなくてやんらしい抱擁じゃん!!

「緑野の言うこと真に受けたら、バカみるからねー」
「緑野さんは、わたしたちの見ている『ファントム』とは、なにか別の『ファントム』を見たんですよ」

 なんですとぉーーっ?!
 わたし、嘘つき認定なの?
 そうなの、みなさん?

 なまあたたかい、病んだ人を見る目で一歩下がってわたしを見ないでよーっ。泣。

 
 聞いてくださいよ、奥さん。
 みんながわたしのこと、いじめるんですよ……。

 
 ファントムは特異な育ち方をしたお子様なので、男女の恋愛というものが、わかってないのです。
 彼にとっての「愛の最高峰」は、「父母の愛」なんです。区別ついてないんです。
 だから「母の面影」を追ってクリスティーヌ@お花様に惹かれるわけです。
 母に似ている、は、彼にとって最大の愛の表現なわけです。

 母に似ているから、クリスティーヌを好き。

 それなら、「勝手に父だと信じていた」キャリエールはなんですか?

 ファントムにとって、「母」や「父」は究極の愛を分かち合う相手。
 顔が似ているわけでもない男、キャリエールを「父だと思っていた」ってのはつまり、「愛していた」ってことですがな!!
 彼にとっての「あいらびゅーん」、は、「母(父)に似ている」なんだから!!

 世の常識を知らないまま大人になってしまった彼は、そんなふうにしか愛を表現できないのよ……ああ、せつない……。

 キャリエールもまた、そんな不憫なファントムを愛し、彼と共に滅びることを願っているの。
 一生片想いだと覚悟して。
 ああ、せつない……。

 
 萌えですわよね、奥様。
 『ファントム』はとてつもない萌え作品なんですのよ!

 なのにみなさん、信じてくれないんです!
 わたしを変だと言うんです。
 あまつさえ、ファントムとキャリエールは「抱擁なんてしてない」って言うんです。

 めそめそめそ。

     
 ところで。
 キャリエール@樹里ぴょん、つけモミアゲなくなってるんだって??
 やっぱり変だってわかったんだー。

「えー、モミアゲ見れないのー? 残念ナリ〜〜」
 WHITEちゃんひとり、しきりに繰り返しておりました。

   
 雨が降り続く。

「わたしの肌の色は、何色に見える?」

 と、『暴力と夜、雨の中で』ごっこをしながら、わたしはオレンジの家でごーろごろしてました。

 わたしとオレンジがふたりそろえば、かわす会話は萌えについてですよ。
 『マルゴ』のときはWHITEちゃんもいたんだけど、相変わらず彼女はひとりで先に寝てしまい、萌え語りには参加せず。

 オレンジはもう長いこと「萌えの彷徨い人」をやってます。「コレだ!」という激しい萌えに出会えないままいるのです。
 わたしなんか毎回毎回、必ずなんかしら萌え狂ってるのにねー。
 今なんか『ファントム』にくらくらなのにねー。あああ、キャリエール×ファントムでなんか書きたいわー(笑)。大男受萌えー。

 そしてわたしたちはなんとなーく、『いでじゅう!』の話をしておりました。

 わたしは『いでじゅう』が好きっす。
 もしも絵が描けたなら、きっといでじゅうキャラの絵をらくがきしてたのしんでいたと思う。かわいいんだもん。
 とくにミウラさんの造形が好き。もー、かわいくてかわいくて。ミウラさん一家も好きだし。あの牧歌的なママに、美形のパパが惚れきってるとこも、震えるほど好き(笑)。
 もしもわたしにマンガを描くスキルがあれば、ミウラさんママと、パパの恋愛話を大真面目に描いていると思う。
 残念ながら小説では、あのかわいらしさは表現できない。ミウミウはとくにな(笑)。

 わたしには文字しか書けないから、煩悩するならどーしても、文字で表現できる萌えに偏ってしまう。

 つーことで、東×ぶちょーです。

 ……思いっきり腐女子!! 王道カップリング!!(笑)

 つーか、東がすっげー好き。
 彼のふたつ名は「変態貴公子」だけど、べつに彼、変態じゃないよねえ? ホモなだけで、ふつーに恋する青少年じゃん。
 ホモでぶちょーに恋してるってだけで、あとは天然入ったふつーの男の子。善良でまとも。
 男なら誰でもいいわけじゃなく、ほんとにぶちょーのことだけが好き。
 そして彼、絶対両想いだと思ってるよね?
 まさか片想い……つーか、そもそも彼の想いやらふたりの間にある関係や出来事までもが、ぶちょーになかったことにされているなんてこと、まったく気づいてないよね?
 それが萌えなのー。
 攻は自分たちを両想いの恋人同士だと思っているし、実際肉体関係もアリまくりで、ところかまわずがっつんしている(注・少年マンガです。原作中でほんとーにヤりまくってます)というのに、受の方は「なにひとつ記憶がない」なんて……(笑)。
 片想い好きには、堪えられない設定です。
 ラヴラヴあまあまなのに、せつない!!(笑)

 なまじ東が、ふつーにいい子だからなー。
 彼の恋を応援したいわ。

 もちろん、桃ちゃん(ヒロイン)に恋してるぶちょーのことも、あたたかく見守ってるんですが。

「東×ぶちょーはいいよねえ」
「ロマンだよねえ」

 雨の音を聴きながら、だらだらしまくりつつわたしとオレンジはのたりくたりと話します。

「でもさー、あたしじつは、藤原×ぶちょーが見てみたいんだよなー」

 同意を得られるかも、と思って、言ってみたのだけど。

 返ってきたのは、ものすげー拒絶。

「いやよ! 冗談じゃないわ!!」

 なんでなんで?
 いいじゃん、藤原×ぶちょー。
 藤原ってあまりにアタマがよすぎるっていうかさ、万能で強くて、あらゆる意味で最強キャラじゃん?

「描かないわよ!」

 えー。
 描いてよー。
 藤原ってさ、絶対鬼畜だよね? いつだってすべて見通した上で、生きてるよね。バカをやるのも、遊ぶのも、全部俯瞰したうえで、納得ずくでたのしんでいる。こんなものすごい男、いないって。

 まあ、デブでチョンマゲでおねえ喋りだけど。

「藤原は鬼畜だからさー、ぶちょーに手を出してももちろん遊びなのー。手の上で転がす感じぃ? とーぜんそれで仲間たちの関係が悪くなったりするよーなことはしないのよ。うまく場を操るの。いついかなる場合も狡猾で、鬼畜なのよー。うっとり〜〜」
「描かないわよ」
「ぶちょーには不幸が似合うよねー。また髪が薄くなるわね〜〜。うっとり〜〜」
「描かないわよ」
「美形ヴァージョンになったり、デブヴァージョンになったり、いろいろ絵的にたのしいしさぁ」
「描かないっつってんのに」

 オレンジさんてば、かたくなだわ。
 彼女の絵柄なら、いでじゅうキャラはとってもかわいくマッチするだろーに。

「藤原攻なんて、そんなのどう考えてもヘヴォン系でしょうが。アタシは描かないけど、某ヘヴォンスレに出てくるよーなヤツなら、チョメジをいれたりするだろーし」

 …………はい?
 オレンジさん今、すごいこと言いませんでした?

 チョメジをいれる?

 あの、「いれる」って、「挿れる」だよね?

 チョメジをいれる!!
 ぶちょーにですかっ!!!

 大爆笑。
 呼吸困難になるくらい、笑いました。

 さ、災難だな、チョメジ……。

「鬢付け脂で、ぬるぬる……いれやすいだろーしな」
「しかも、自分で動くし?」
「自在に大きさやカタチを変えられるし」

 でもソレ、絵にはしにくいんじゃ……? てか、モロ描いたら発禁もんなんじゃ……?
 つーか、どうやってもギャグだし。
 チョメジ発動中なら、藤原はデブヴァージョンだし。

「小説でしか書けないよねえ……」
「そう、そしてギャグなんかじゃなく、シリアスなのよ、真のヘヴォンならば!!」

 シリアスで、ぶちょーにチョメジ……。

 ………………。
 ………………。
 ………………。

 
 ブラボー。

       
 スパークヒップス公演『暴力と夜、雨の中で』初日観劇。

 あらすじを説明する気はないので、興味のある方は公式HPを見てください。よろしくです。

 
 なんつーかわたしは、ちと悩みをかかえておりまして。
 それはもう、わたしという人間の根元に関することなので、出口なんてもんははなからないので、悩むために悩んでいるよーなもんですな。
 わたしが特別ナイ〜〜ヴなわけではなく、きっとすべての人たちが、なにかしら自己の根元的なことで日々悩んでいるんだろうから、わたしだけ深刻ぶっても仕方ないよな、というよーな、ある意味達観した部分もあって。
 まあとにかくわたしは、けっこうドロドロな状態で、劇場に行きました。

 舞台は大変身。数日前に、『マルゴ』を上演していたとは思えないデコラティヴっちゅーか、愉快な造形。
 わたしはあらゆるものに不勉強で、予備知識ナシでたのしむことをモットーとしているので、舞台美術についての知識ももちろんありません。
 そんなわたしにとっても、愉快な舞台装置でした。
 劇場に入るなり、高まる異世界感。
 ここにいるわたしは、たしかにわたしでありながら、現実のわたしではないような。
 テーマパークのアトラクションに入ったときみたい。実際、そんなセットだし。
 非現実で美しい、森の中。

 そこではじまる、ソウルフルな演奏。
 『左眼の恋』や『人魚姫』と同じ、贅沢な生演奏。しかもヴォーカル増えてるし。
 BGMというくくりに収まりきらない、たしかな出演者のひとりである演奏者のみなさんが、上演に先立ってびしばし聴かせてくれる。
 劇場の椅子に坐っている、こちら側にいるわたしを、あの鬱蒼とした森の中へ連れて行くんだ。

 ひとさらいめ。

 わたしはさらわれて、森の中。
 わたしは悩んでいて、わけもなくかなしくて、くるしくて、生きているのがつらい。
 わたしはオタクでたのしいことをいっぱい知っていて、好きなモノや人がいっぱいで、毎日たのしくしあわせに生きているけれど、それとは別に、くるしくてつらい。
 ま、そんな平凡なわたしは、森の中で美しい絶望に出会う。

 うつくしかったんだ。

 『暴力と夜、雨の中で』っちゅー芝居は。

 わたしはアタマがよくないので(てゆーか、かなり悪い方だろ)、わかんないことてんこ盛りっちゅーか、あーこれは考えるより感じた方がいい芝居だとわかった時点でのーみそ手放してぼーっと眺めていたんだが。

 うつくしかった。

 こんなに美しい舞台を観るのは、ひさしぶりだ。
 役者個人の美醜ではなく、個々の美術や衣装じゃなく。

 わたしは「ことば」というものに関心があるし、こだわりもある。
 物語をたのしむときは、「ことば」にまず注目し、それによって読み解く。

 だからこそ、「ことば」の届かない部分にある作品には、憧憬と嫉妬を感じるんだ。

 わたしには、どーすることもできない次元にあるからだ。

 いっそ「ことば」とは関係ないジャンルにあるなら、接点のなさゆえに無関心でいられるんだけどね。
 この芝居はまがりなりにも「ことば」も手段のひとつとして使っているので、いろいろ引っかかるなあ。
 くそー、引っかかるぞー。

 
 好きかキライかでいうなら、この芝居はキライです(笑)。
 てゆーか、わたしのジャンルじゃない。
 わたしは必要としない。
 オギー作品でなかったら、出会わなくてもかまわなかったよ。

 わたしは、徹底的にエンタメ志向なんだ。
 エンタメ性を廃したものは、はじめから畑ちがい、興味なし。
 だから『ゼルダ』『マルゴ』までならぎりぎりOKだけど、『暴力』まで行くと範囲外。

 範囲外だから、わたしはこの芝居を理解するに至らない。すまん、アタマ悪いんだ。

 理解することなく、わたしは勝手にこの芝居の中で迷う。
 だって、さらわれて来ちゃったんだもん。

 わたしは森の中。
 現実でありながら、現実ではない空間で、ひとり放り出されている感じ。

 わたしは、悩んでいた。
 答えははじめからわかっていて、出口なんかはじめからなくて、それでも悩むために悩んでいた。
 答えははじめからわかっていて、道はひとつしかなくて、それでも悩むために悩んでいた。

 降り続ける雨のなかで。

 
 わたしは、背中を押される。

 わかった、行くよ。
 アタマ悪いから、理解なんかしてないけどな。
 でも、森の中で背中を押されてしまったの。
 行くよ。
 
 
 芝居を観ながら、だーだー泣きながら、わたしは勝手にひとりで思う。
 わかった、行くよ。

 いま、わたしがここにいること、それが、意味なんだと思ったから。

 
 …………えー、大変抽象的っちゅーか、ひとりよがりの文章なので、きっとわけわかんないと思いますが、自分のために書いておく。

 あの暗く美しい森で、雨の音を聴きながら、わたしは決めたんだ。
 とりあえず、すすむことを。

 忘れるな、わたし。
 わたしは、自分で決めたんだ。

  
 ところで。
 あいっかわらずスパークヒップス公演、寝転がりまくり!!

 寝転がってもかまわないから、それならそれが見える劇場で上演してよ。
 出演者が寝転がるたび、視界から消失。1列目の人以外、見えない芝居。

 幸いわたしとツレのオレンジは2列目で、前列は何故か空席だったので、ほとんどの場合も見ることができたんだが、わたしたちより後ろの人はなにも見えなかったろうなと思う。

 
 でもって。
 ある意味、わたしにとって芝居よりも心を乱してくれた出来事がありやした。

 客席に、Myダーリンがっっ。

 わわわわわ、ななめ後ろにケロちゃん坐ってますよーーっっ。わーん。
 ななめ後ろっすよ、首を動かせば、顔が見えるんすよ。

 心臓ばくばく(笑)。

 一緒にいるのがヅカに興味のないオレンジだったので、盛り上がることはできなかったのですが。
「いちばん好きな人が、後ろにっ!」
 とだけささやいて、わたしは気もそぞろ。
 水曜日だからジェンヌさんと会えるかも♪とは思ってたんだけどな。それにしても、本命様単体で遭遇だなんて、祝福のベルが鳴り響いているわ。

 わたしの背中を押したのは、ケロちゃんでもあるよ。もー。今、ここで会えるなんて。

 今までも他の劇場でジェンヌさんとはよく遭遇するけれど、大抵彼らは複数で行動していて、芝居が終われば速攻消えていく。
 なのに何故なのケロちゃん。
 なんでひとりなの?
 つれもおつきの人もなしなの?
 しかも。
 なんで、舞台終わったあと、ふつーにロビーにいるの?
 速攻消えないの?
 帽子もサングラスもなし、素顔まんまで携帯電話出して、メール打ってるの?
 む、無防備すぎ。
 
 ヅカファンの常識も美徳かなぐり捨てて、突撃かましたいくらい、あったりまえに生ケロちゃんが横にいました……くらくら。

 ああ、小さい……ああ、細い……ああ、そのみょーちくりんな服はなんなの……(笑)。

 もちろん、好きな人の迷惑になどなりたくないので、自制心総動員して早々にその場を去りましたとも。

 ああ、思いがけないMyダーリン遭遇。
 しかも単体、しかも至近距離、しかも長時間。

 なんて幸福なんでしょう、わたし。
 …………舞い上がっていたわたしは、折りたたみ傘のカバーをブディストホール周辺で紛失した模様。がっくり。
<…
 わたしがここんとこ忙しかったのは、短期間に2回も上京していたせいです。

 しかも、その日程ってのがさ。

14日 夜行バス泊
15日 東京着。昼間、星組観劇。夕方、某芝居観劇 宿泊
16日 夜行バス泊
17日 大阪着 自宅泊
18日 夜行バス泊
19日 東京着。某芝居観劇 宿泊
20日 夜行バス泊
21日 大阪着。

 ってゆーのよ。
 1週間で、自分のベッドで寝たのが1回だけ。さらに4回、夜行バスで寝てる。たった1日おいただけで、東京往復だし。

 バカですか?

 あらゆる人から、「バカだ」と言われました。


 
「なんでそんな無駄なことするんだ? ずっと東京にいればいいじゃないか」
 と言われましたが、答えはひとつ。

 金がないから。

 ホテルを取って、東京で5日間暮らすより、夜行バスで2往復した方が、安くすむの。

「時間がもったいないじゃないか」

 とも言われましたが、わたしにとっては、時間と金なら、金の方が不足しているので、金を節約するために時間を使うことは苦ではないのだ。

「てゆーか、金がないなら、遊ぶために上京するのあきらめたら?」

 強欲なので、あきらめられません。
 金はないが、遊びたい。
 オギーの芝居が観たかったの。金はないけど、オギー芝居が2本とも観たかったのよー。
 『マルゴ』と『暴力』、2本とも観るためには、そしてできるだけ旅費を少なくするためには、こんなバカな日程を組むしかなかったの。

  
 もちろん、いいトシした女の行動でないことは、自覚してます。
 ああ、恥ずかしい。
 欲望にのみ忠実で、怠惰で自己中。
 あるのは言い訳ばかり。わたしはわたしに甘く、自己正当化に必死。

 
 それでもわたしは、元気に遊び回ってます。
 …………すまん……。

   
 最近認識を新たにしたのは、ある人の言葉によって。

 友人のクリスティーナ嬢が、にっこり微笑みながら言いましたのさ、

「緑野さんって、会うたびいつも、チガウ人の名前を言ってるよね」

 と。

 このチガウ人の名前、つーのは、タカラジェンヌのことだ。
 クリスティーナ嬢と会うのは年に数回ぐらいだが、彼女に言わせるとわたしは、毎回チガウ人に「きゃー、きゃー(はぁと)」言っている、らしい。

 ええええっ?!

 そ、そうか? そうかもしれんが……そうだと思うが……たしかにそうだけどっ。

 えー、つい先日まで、リアル界の緑野と会う機会があったならば、まちがいなく
「水くん素敵〜〜、アオ様〜〜、うっきゃあ〜」
 と、叫んでいる様を堪能できたと思われます。

 そして現在ならば、
「樹里たか萌え〜〜、ファントム万歳〜〜」
 とゆー状況です。

 
 つまり。

 気が多いんだ、わたしゃ。

 好きなモノがいっぱい、好きな人がいっぱい。
 いつもしあわせ。

 でもねでもね、浮気者ではないと思うの。
 本人は思っているの。

 何故ならば、好きな人はいっぱいいるけど、てゆーかどんどん増えていくけど、「いちばん好きな人」は変わらないから。

 「いちばん好きな人」がどーんと胸の奥にいるうえで、それは一切増減することないうえで、それ以外の部分で現在の萌えにきゃーきゃー言っている。……という。

 そしてわたしは、一度好きになった人は、一生好き。

 そのときだけ好きで、あとはどーでもいいとか、キライになるということが、まずない。
 一度でも心を捧げたからには、あとは一生です。一生、ずっと特別な位置にいます。

 だからわたしの好きなモノは、好きな人は、毎日増えていく。
 毎日なにかしら好きなモノが増え、毎日わたしはしあわせになる。

 生きる、ということは、しあわせになること。
 わたしはただ日々を生きるだけで、どんどんしあわせになる。

 
 気が多い、とは思う。
 でもそれは、しあわせなことだと思っている。

 ……わたしはね。
 ただ、わたしの気の多さを不快に思う人もいるんだろーなー、とは思う。
 好きな人はただひとりで、その人以外にはまったく心を動かさず、他の人を誉めたり好きだと言ったりするのは裏切り、誠実さがないと思う場合だって、あるんだろーなー、と。
 そういう人には申し訳ないが、わたしは気が多く、日々なにかしら好きなモノや人が増えているのだ。そして好きなことを好きだと萌えだと吠えずにはいられないのだ。

 
 にしても。
 そっか、クリスティーナさん、わたしそんなに、あなたに会うたび、別の名前を連呼してましたか……。ちと赤面。

 わたしの本命様は、いちおートドロキ様です。ファン歴平成の年の数と同じです。この人への気持ちはすでに恋ではなく、愛だとか情に近く、わたしを構成する一部にまでなっているので、あまり意識することすらありません。
 別格、と呼んでいます。

 トド様への気持ちがあまりに日常と化してしまったので、それとは別に、ふつーにヅカファンとしていちばん好きな人が、ケロちゃんです。
 だから通常、「誰のファンですか」と聞かれた場合、「ケロちゃんです」と答えます。
 彼への思いはふつーにファンモード全開で、波の高低はあるにしろ「恋(笑)」に近いモノだと認めています。ええ、認めていますとも! ケロちゃんラ〜ヴ。
 いつのころからか、彼がわたしのなかのいちばんに……ああ……恋は突然訪れる……(笑)。

 他の人にどれだけめろめろ(笑)になっていようと、この「別格様」と「いちばん好きな人」の位置は変わりません。
 これを前提とした上で、いつもわたしはいろーんなことやいろーんな人に、夢中になっています。

 ただわたしは、ジェンヌさん個人にはあまり興味がないので、あくまでも舞台の上の姿にめろめろです。
 だから三人称も「彼」さ。男役を女性だと認識する気ナシ。女性の声優さんが演じているアニメの少年キャラを「男性」と認識するのと同じ。
 ヴァーチャルをヴァーチャルだと理解した上で、たのしみまくるのです。ああ、毎日しあわせ。

 
 つーことで、この日記上でも、毎日のよーに別の名前を連呼して「萌え〜〜」と大騒ぎしていくと思います。

 名前を連呼しなくなっても、話題にのぼらなくなっても、一度好きだと思った人はずっと好きなんで、萌えの即時性がなくなったあともずっと好きだよ。
 「好き」と思うしつこさと、「好き」に対する許容量の多さには自信アリ(笑)。

 気が多くてすまん。しかしわたしはたのしい。

   
 母は言う。
「アンタとアタシはそっくりだ。アンタの考えていることはアタシの考えていることで、アンタが言っていることはアタシが言っていることで、あまりに同じすぎてときどき気持ち悪くなる」

 わたしと母は似ている。
 顔だけでなく、性格も。

 それは認める。

 しかしわたしは、母と同じでは決してない。

 わたしは母を尊敬しているし愛しているが、その反面、ひどく反感を持っているし、否定している。
 わたしたちは似ているけれど、似ていない。似ていないけれど、似ている。

 彼女はわたしの禁忌だ。

   
 てなことをつらつら考えつつも眺めておりました、スパークヒップス公演『マルゴ〜王妃にして王女〜』
 作・演出・荻田浩一、出演・沢樹くるみ、岩田翼、香坂千晶。
 ややこしい時代、ややこしい人々。ヒロイン・マルゴ@くるみちゃんを中心に、その母@香坂千晶、3人のアンリ@岩田翼の人生が交錯する。
 激動の時代が縦軸にあり、それにマルゴと母、マルゴを愛した3人の男たちが絡むわけだ。

 時代と出来事、そして母と男たちを語りながら絡まりながら、浮き上がってくるのは結局ひとりの女。ヒロイン・マルゴ。……そしてある意味マルゴですらない、なにか。

 3人の役者がずーっと舞台にいる音楽もなにもないストレートプレイなんだが、だんだんわたしは一人芝居を見ている気になっていた。
 たしかにそこには3人いるし、そのうち男はひとりで何人もの役を演じているし、で、舞台上だけでいえば、結構な数の登場人物がいたわけなんだが。

 それでも、一人芝居を観ている気がした。

 浮かび上がってくるのが、ひとりの姿だからだ。

 そのひとつの魂を描くためだけに他の役者がおり、他のキャラクタがいる。
 マルゴことマルグリッド・ド・ヴァロワ、カトリーヌ・ド・メディシス、アンリ・ド・ブルボン、アンリ3世、ギーズ公アンリ。彼らを通して見えてくるのは……。

 人はなにゆえに人と関わるのか。
 とりあえず、母と娘の葛藤というカタチで指し示された作品だったからわたしはぼーっとうちのマミーのことなんぞを思い出しながら観ていたが。
 母と娘というのはわかりやすい例題であるにすぎない。
 基本は、人と人。
 人は人と関わることで、自分自身を見る。

 どんな人でも、その人はあなたの鏡だ。わたしの鏡だ。
 人は、相手を通してしか自分を見ることができない。

 投げかける言葉、感情の起伏、立場、立ち位置、距離と感覚。
 相手によって、浮かびあがる自分という魂のかたち。

 鏡としての意味を他のなにより痛烈に持つ母という存在は、たしかにわたしの禁忌である。
 だが、母以外のすべてのものもまた、本当はわたしの禁忌であるのだ。

 とまあ、そーゆー痛さですわな。『マルゴ〜王妃にして王女〜』は。わたしにしてみりゃ。

 
 しかし、もっと別の劇場でやってくれよ、スパークヒップス。
 ヅカ以外のオギー作品ってば、どいつもこいつも寝転がり率高すぎ。舞台の床を転がって演技するなら、床が見える劇場でやってよ。1列目の人以外見えないよーな箱でやらないでよー。
 いつものことだが、舞台がよく見えずにストレスを感じた。役者が寝転がるたび、あるいはしゃがむたびに見えなくなるもんだから、前の席の人から順番に首を動かすのよ。人の頭越しにちょっとでも見えないかと。で、波のように観客全部が首を振るわけだ。疲れる。
 舞台稽古とかでは気づかないんだろうな、前に人がいないから。それとも、1列目以外の人は見えなくてもいいや、と開き直ってやってるのかなあ。

       
 とりあえずファンですからってことで、星組東宝公演『1914/愛』『タカラヅカ絢爛』を観てきました。
 ああMyダーリン、生ケロちゃんひさしぶりー。やっぱり出番少なー。チムチム変ー。
 若作りかわいこちゃんの水くんはかわいいと思えるのに、ケロの若作りは見たくないのです。キャラの差かなあ。水くんもケロちゃんもフェロモン男だけど、水しぇんは青年で、ケロはオヤジだから? 同じショートパンツでも、やっぱりケロがはくのはいやだ……。

 さて、『1914/愛』を観て。

 ははは、ひさしぶりだったので、しみじみしました。
 ワタル兄貴、歌下手っ!
 壊滅的。
 あー、喉元過ぎてたんで、忘れてたよ。ほんとに下手なんだ……(笑)。
 とくにこの作品では、ワタルくんの音痴さが遺憾なく発揮できるできるよう気を配られているからなあ。冒頭から歌いっぱなしときたもんだ。
 下手で下手で、たまらないというのに。
 最初のうちは、耳障りでしかないのに。苦痛でしかないのに。

 なのにねー。
 後半になったころにはそんなもん、ぜんっぜん気にならなくなってるのよー!(笑)

 ああ、やっぱ好きだわ、この話。
 やっぱ好きだわ、アリスティド@ワタル。

 こんな男に愛されてみたいと、心から思うのよ。
「信じるとも、俺様の愛した女だ。まちがいはない」って、言われてみたいよ。
 男らしくてワイルドで強引で。音痴なのが玉にキズ(笑)。
 俺様はひとりでも問題なく強く、人生をたのしめる。だけどその隣にお前がいてくれたら完璧だ。……そんな強い強い求婚には、ときめくわ。

 やさしいだけの優柔不断ヘタレ男が蔓延する世の中で、タカラヅカならではの夢世界。

 そうやって強い男と彼の愛した女は、激動の時代の灯火になる。戦火に飲み込まれながらも、仲間たちの変わらぬ故郷を守り続けるんだ。
 そこに行けば、変わらぬ顔に会える。若かったころ、青春だったころ、失ってしまった自分に会える。時はとまらず、変化し続けるからこそ、「変わらないもの」が必要。ずっと……ずっとね。

 アリスティドの力強さは、希望だ。

 だからこそ、ラストシーンは美しい。愉快でしあわせで、ありえないくらいたのしい。

 うん、きっと、ありえない。
 画家たちの多くは早世する。ケロが演じていた画商にしろ、まだ若いうちに亡くなっているよね、史実では。
 もう二度と、あんな日々はありえない。仲間たちが夢を語っていた日々は戻らない。

 ありえないからこそ、たまらなく愛しく、美しい。たのしい。
 それは夢だから。
 ひとりひとりがきっと、最後の瞬間、まぶたの奥に思い描き、ふっと微笑むそんな光景だから。

 とびきりしあわせで、いとしいラストシーン。

          ☆

 ところで、翌日ライスさんに会ったんですが。
 彼にひたすら言われました。
「この貧乏人」
 と。
 何回言われたかしら、「貧乏人」って。ことあるごとに言われたぞ。いや、事実なんだが。……事実だがふつー、言わないだろう。他にも「ダメ人生」とか「クズ」とか、容赦なく言われたぞ。
 あんた、アリスティドですか?(笑)
 言われるたびに、ツボに入りまくりました。

    
 初日好きなもんで、行って来ました、宙組公演『ファントム』。ちょっとリッチにB席です。……いや、安売りチケット買っただけだから、べつに懐が豊かってわけじゃないんだが、立ち見が基本の初日に椅子に坐っていると、なんかリッチな錯覚(笑)。

 演目は『ファントム』、あの有名な『オペラ座の怪人』だ。劇団四季の『オペラ座…』とは別物、それでも原作は同じ。
 四の五の言う前に、本能のみに従い、叫びます。

 樹里×たか、萌え〜〜〜〜っっ!!!

 この公演中、もっとも盛り上がったシーンは、ヒロイン・クリスティーヌ@お花様がどうこうとか、ヒロインと主役ファントム@たかちゃんの甘いラヴシーンとかでは、ございませんでした。

 いちばんの感動シーンは、銀橋での、ファントム@たかことキャリエール@樹里の抱擁でした。
 ……拍手、鳴りやまねえ。

 てゆーかコレ、ファントムとキャリエールのラヴストーリーだよね? ね?

 とにかく最初から、キャリエールはファントムを愛しまくってます。彼がファントムに対し負い目があるからとか、じつは親子だとか、そんな事情をただの言い訳にしてしまうくらい、彼の言動には愛があふれています。
 ファントムのキャリエールへの態度もまた、「愛されていることを知った上で冷たくする傲慢な美少年受」めいています。
 いやあ、抱腹絶倒。
 キャリエールはファントムを愛しているけれど、それを告げることができない。彼に嫌われるのがこわくて、言い出せない。傍観者の立場で見守るだけ。
 そしてファントムは、愛に飢えている。誰からも愛されることなどないと、カラダ中トゲだらけになって、他人を傷つけて生きている。そうすることで自分を守るのが精一杯。

 そーやって、何年すれちがってきたの、アンタたち。
 年齢設定は知らないが、ファントムはまだかなり若いよねえ? 体格がいいから(笑)けっこうまっとーにトシを重ねている大人の男かと思って見てたんだけど、……若いよね? まだ少年の殻を残したままの青年に見えた。20代前半? ほんとに、ハタチをわずかに過ぎたばかり?て感じに思えたよ。彼の純粋さや無理して突っ張っている感じが。
 そーすっと、20年ほど、すれちがってきたのね、ファントムとキャリエール。
 愛していることを、素直に告げていれば、よかったのに。
 別の人生があったはずなのに。

 なにが萌えかってあーた、ふたりの互いへの「呼び方」よ。
 ファントムはキャリエールのことを「お前」と呼ぶ。父親といってもいいほどトシの離れた壮年の男を、「お前」呼ばわりで、命令形で話すのよ。
 キャリエールはファントムのことを「君」と呼ぶ。息子といってもいいほどトシの離れた青年を、「君」と呼んで、仕えている。
 ところが。
 愛を告げ、両想いになるなり呼び方が変わるのよ!
 ファントムは、キャリエールのことを「あなた」と呼ぶ。
 キャリエールは、ファントムのことを「お前」と呼ぶ。
 そして、抱擁だよ。
 ファントムが甘えるようにすがるように、倒れるように、キャリエールの胸に身をあずけ、キャリエールがそれを抱きしめる。

 抱きしめるのは、キャリエール。
 ファントムは自分から彼の胸に身を寄せても、抱きつきはしないのな。それが、愛され方を知らない少年のようで、せつないのよ……大男なんだけど……キャリエールよりでかいんだけど(笑)、はかなげなのよ、けなげのよ。

 で、両想いになったうえで、言うのよ。
 ファントムの願いは、キャリエールの手で葬られることだと。

 そそそそれ、究極の愛の言葉だよね?
 うろたえ。
 彼は罪人で、醜くて、歪んでいて、ついでに母の面影を求めた女(ヒロインね)には拒絶され、もうこの世では居場所がない。滅びることが運命ならば、愛する者の手で、てか。

 愛の成就は一瞬。
 そののちファントムは、悲劇的な結末を迎える。……彼の願い通り。

 いやあ……おもしろかったわー。
 他の言いたいことが全部ふっとぶくらい、キャリエール×ファントムに萌えた(笑)。お前ら愉快すぎー。

 ファントム@たかちゃんは、抜群の美しさ。タカラヅカ1のヴィジュアル系トップスター(笑)の名に恥じない耽美ぶり。彼の場合、顔立ち云々でなく、姿が美しいんだよねえ。演出が多少(?)強引でも力技でもとんでもなくても、ついでに歌が褒め称えられるほどうまくなくても、滑舌が多少アレでも、とりあえず彼が美しいので不問。美貌は七難隠す。
 そしてキャリエール@樹里ちゃんときたら。……そのモミアゲはなんですか。出てきた瞬間から髪型のイケてなさに目眩がしたが、仕方ないのか、中年役だから。ああでもたのむよ樹里ちゃん、そのモミアゲやめようよ。つけモミアゲ……フィナーレではふつうだったから、まちがいなくつけモミアゲ、ウイッグ(っていうのか?)だよね、ソレやめよーよー。男ぶりを下げてるよー。

 わたしはもともと樹里ちゃんとたかこのカップリングが好きなんですが(『Crossroad』は聖域!)、親子役でラヴシーンカマシてくれるとは、さすがに思ってなかったよ。
 しばらくこの萌えだけで生きていけそうです。
 銀橋でのラヴシーンを見るためだけに、劇場へ行きます。

 
 樹里×たかがあまりにすごすぎたので、ヒロインかすみまくり。
 わたしのなかでは、あのわけわかんねー、とってつけたよーなラストシーンは削除完了。

 ヒロイン・ファントムと、そのダーリン・キャリエールの物語ってことで、自己完結させておきます。

 
 その他の感想については、またいずれ。

          
 PSP関連の記事を読みながら、ゲーム好き姉弟は語る。

「携帯ゲーム機こそ、『どこいつ』を出すべきだよなあ」
「『グランツーリスモ』なんか出してる場合じゃないよねー。やっぱ『どこいつ』だよねー」

 どこいつ……時代のあだ花、鮮烈なブームを起こし、一瞬で消えていったポケットステーション対応のゲームソフト『どこでもいっしょ』のことだ。
 緑野姉弟は当時『どこいつ』にめちゃハマりし、ブームが沈静化したあともひたすら遊びつづけていた。消費したボタン電池の数もバカにならない(笑)。
 毎日毎日しりとり対戦し、ソフトを持っていたのがわたしだったため、弟は夜寝る前に必ず一度わたしの部屋にやってきてペットを部屋に帰し、ふたりで日記を読んでいた。いい思い出だ。

「この画面のクオリティなら、お部屋をそのまま持ち運べるよな」
「いつでもどこでもあの“きゅっ、きゅっ”が聞けるわけだなっ」
「パソコンと連動できるなら、『どこいつ』でメールソフト出してくれよー。トロたちがメールを運ぶの」
「そして、メールで使った言葉を勝手に使って、話しかけてくる」
「メールで『SIREN』の話ばっかしてたら、トロが『屍人っておいしい?』とか話しかけてくる、と」
『竹内の墓ってドキドキするニャ?』とか」

 ……いい加減『SIREN』ネタから離れろ、お前ら(笑)。

     

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