ムラ版『仮面の男』演出に関する感想、続き。

 一大ページェント場面。

 人間ミラーボール@かおりの歌声のなか、不思議な生き物たちが現れる。
 馬やタマネギ、にんじん、海の人。
 とりあえず、かわいい。

 みんなかわいいよ。トンデモなんだけど、それでもかわいい(笑)。
 てゆーか、あのタマネギ衣装を着てかわいくしてしまう、タカラジェンヌのフェアリーっぷりがすごい。
 同時期に某女性山盛りアイドルグループも、野菜着ぐるみみたいなコスチュームでCMに出てたけど、みんな微妙だったもの。
 あっちのアイドルさんたちの方が、言い訳のきく年齢なのにねええ。ハタチを大幅にすぎたジェンヌたちの方がフェアリーってすごいわほんと。

 闇の騎士たちもかっこいいし、この出し物を見守るルイ@キムたちという演出もいいと思う。闇の騎士たち登場のセリ上がりは、オープニングと呼応しているわけで、そのへんはうまいよね。
 もちろん、全体的に説明不足過ぎるので、誰がどこまで仮面の男に関わっていて裏にナニがあったのか、わからないままなのはよくないんだけど。

 三銃士たちが幼なじみのモリエール@咲ちゃんに頼んで、ルイ/フィリップ入れ替えのために仕組んだ大芝居、という設定。

 芝居のどさくさで作戦決行、というのはいい。
 よくある手法だけど、そーやって定番となっているのは、舞台が華やかになって良いことだから。困ったときは劇中劇ってくらい、頼りになるお約束の手法。
 そこで人間ミラーボールやタマネギなのは、こだまっちのセンスが非凡ってことで(笑)。
 ここの音楽も好きだなー。

 気に入らない演出だからと芸人たち相手に剣を抜いて舞台へ上がる王様ってどうなん、とか、たかが芸人相手に走り回るだけでまったく役に立たない銃士隊とか、疑問はいろいろあるけどな。

 前にも別項で書いたけど、ここでいちばん気に入らない演出が、「フランス語使う私ってかっこいい」と作者が悦に入っているだけ、としか思えない、フィリップ@キムの「はじめて会う母親への言葉がフランス語」ってやつ。
 とても盛り上がる場面、観客も固唾をのんで見守るものすごーく重要な場面で、何故フランス語なの? ここ日本なんですけど。
 以前『キル・ビル』っちゅー映画を見て爆笑した、アレと同じよね。英語を話すアメリカ人たちが、チャンバラをして「ここぞ!」というキメ台詞だけ日本語なの。とても無意味に。脈絡なくキメ台詞だけ日本語なのは、「突然わからない言葉を使うと、かっこいいから」ってだけだよね?
 物語の流れを壊さないキメ台詞だけなら「わからない言葉」でもいいかもしれないけど、「母と息子の涙の対面」を「かっこいい」優先する気持ちがわからない。
 ほんとうにこの作品を作った人は、人の心を理解しないんだなと思うのみ。

 というか、アンヌ王太后@ミトさんが、ほんとに謎で。
 ルイ/フィリップが入れ替わっていることにすぐにわかった、だって母親ですもの、というのはいい。
 わからないのは、やはり作品の根幹の「仮面の男」関連について。

 三銃士とダルタニアン@ちぎの年齢を誤魔化したために、全部壊れたのか?
 ここがタカラヅカである以上、メインキャラをおっさんや老人で埋め尽くすわけにはいかない。だから、本来はかなりの年齢であるはずの彼らを青年に設定した。それはタカラヅカ的に正しい判断だと思う。
 だがそのために、年代経過がわかりにくくなっている。
 最初に「早わかり世界史」をやったわりに、年表が書けない。
 何年にルイが生まれ、何年にフィリップはコンスタンス@あゆっちと出会ったのか、何年にフィリップが投獄されたのか、そして今が何年なのか。

 フィリップに仮面を付けてバスティーユへ幽閉した黒幕はルイ、実行犯はルーヴォア@ひろみということになっている。
 だから一大ページェントで闇の騎士たちが、一部のモノしか知らない「仮面」を付けていることで、ルイとルーヴォアだけが反応する。悪役チーム内でも、ダルタニアン、ロシュフォール@せしる、ミレディ@ヒメは反応しない。

 アンヌ王太后はなにも知らないらしい。
 これが、不思議なんだ。
 コンスタンスは王太后の命令で、フィリップ養育に当たっている。そして、殺された。
 アンヌさんは言う、フィリップの命を守るにはこうするしかなかった、監視の目が厳しくて手紙も書けなかった、って……。
 この言い分が通るのって、いったい何年くらいだろう。
 常識的に考えて、牢獄に監禁されて24時間監視されている人間でもない限り、ふつーに生活している人間が「監視の目が厳しくて手紙1通書けない」状況は、どれくらい継続できるだろうか?
 たとえば5年経てば、手紙くらいは書けるんじゃないの? ほんとうに、捨てた息子のことを忘れていなくて、ずーっと彼を愛し心配しているなら、最初の数年は「もうひとりの息子ってナニ? もう忘れたわ、ほほほ」と振る舞って、そのあとに手紙を書くことは出来たでしょうに。
 さらに不思議なのは、彼女の口調だと、フィリップが「鉄仮面を付けてバスティーユに監禁されていた」とは思っていなさそうだということ。
 闇の騎士たちの仮面にも反応していなかったし、ナニも知らなかったらしい。
 えー、コンスタンスは殺されています。彼女だけではなく、フィリップ養育に当たった人々は皆殺しです。そのことを、何年知らずにいられるものでしょうか?
 わずかな間なら、コンスタンスと連絡が取れなくても不思議はないかもしれないけれど。何年もって……。

 結論として言えるのは、アンヌ王太后は、フィリップのことなんか忘れていた、ってことだよね……。

 守りたかったのはフィリップの命ではなく、自分の立場。
 双子なんか生んでしまって、そのせいでフランス王家が揺れては困る。だから片方は抹殺したかった。王子を殺せないから、秘密裏に育てることにした。腹心の侍女コンスタンスに任せて、あとのことは知らない、興味ない。

 手紙? 書きませんよそんなもの。コンスタンスと連絡? 取ってませんよ不必要。

 たしかに、一大ページェントでの双子入れ替えはすぐにわかったんだろう。
 捨てた息子が無事に成人していたことが、うれしくはあったんだろう。しかし、そっから先は全部嘘、そう言わないとまずいと思って泣きの演技スタート。辻褄合ってないけど、そこまで考えない。
 第一、変じゃん。なんで芝居の最中に双子が入れ替わるの? それってかなり不穏なことだよね? ルイはどうなったの? フィリップ相手に泣いてる場合じゃない、ルイへの愛情もないってこと?

 キムの演技が素晴らしいのでついもらい泣きしちゃう母子の再会場面だけど、脚本に書かれているのは、「人でなしの母」でしかないという。
 結局ルイもフィリップもどーでもいい、自分保身しかアタマにない人。

 もちろん、きちんとアンヌ王太后のことを描く時間がないということはわかる。
 ならば、最初から彼女を出さなければいい。
 ルイ/フィリップを入れ替えた、みんな気がついていない、だけでいい。アンヌ王太后は気付いたかもしれないけれど、台詞では特にナニも言わなかった、「あなた……?」とひとこと不審そうな声を掛けた、でもすぐに人目を気にしてなにごともない態度に戻ったとかで、それ以上描かれていないから、彼女がどう思ったかは観客にはわからない、でいいじゃん。
 安易に「お涙頂戴」をやろうとして「ちょっといい話」をやろうとして、失敗している。

 続く。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想、続き。

 ラウル@翔の手紙からフィリップ@キム救出作戦まではいい。

 問題は次の場面。
 三銃士のなかでもっともしどころのないアラミス@きんぐの唯一の見せ場……ええっとその、アラミスの笑顔で恫喝、フィリップは道具ですがナニか?という場面。
 『シークレット・ハンター』のときもあったけど、登場人物ふたりがなにかしっとりと「いい話」をしているっぽい。しかし、会話は、電波。話がかみ合っていない。
 アラミスはなにかいいことを言っているっぽい。そんな雰囲気を出して話している。
 でも彼が言っていることは、酷い。

「我々三銃士の手によって、君が助けられたのも運命。君は君の運命を受け入れるべきだ。失敗しても運命だよ」
 と、要約するとこんなことを言っているんだ。

 ここですでに、三銃士とフィリップに信頼や友情が芽生えていれば、これは愛のある言葉になる。
 おびえて後ろ向きに……運命を否定して逃げ出すことしか考えていないフィリップを勇気づける言葉になる。

 が。
 実際は、そうじゃない。
 三銃士とフィリップの間には、ナニもない。
 ついさっき監獄から助け出しただけだ。
 なんの信頼も友情もない状態で、この台詞を言うってことは。

 泣いておびえるフィリップに「君を助けたのは我々だ。だから我々は君の命を自由に使っていい。ルイに復讐するために、君を使い捨てることにする。ルイとすり替えて王になってもらうけど、大丈夫、バレたとしても君が殺されるだけだから、私たちは痛くもカユくもない、大丈夫(いい笑顔)」と語った……ってことだ。
 ひでえ、アラミスひでえ!!

 これが、あきらかに「時間が足りなくて、言葉足らず、場面足らずになっているのね」ならあきらめもつく。
 サイトーくんの『エル・アルコン』を観た多くの人が「1本物にした方がよかったんじゃない?」と言ったように、あきらかに作品のスケールの方が大きくて、時間切れ感満々だったならば。

 しかし、『仮面の男』はそうじゃない。
 この直前に、「不愉快、いらない」監獄場面をえんえんえんえん見せられていたんだ。
 物語を描く時間も場面もいくらでもあった、なのに肝心の物語部分が描かれておらず、ストーリーとキャラクタが破綻している。
 ストーリーとキャラクタが破綻していたら、もう作品自体破綻してるじゃん、終わってるじゃん。
 それでもせめて、ストーリーでもキャラクタでもない部分、まったく無関係のパフォーマンス部分が秀でて素晴らしく、美しく感動でその場面だけでチケット代の価値があったと思えるものならば、「これは芝居じゃナイ、ショーなのよ」と思って楽しむことも、最後の手段としてアリだろう。
 しかしその無関係場面が、水戸黄門やダチョウ倶楽部、そして「死刑って楽しい! ラインダンス」……。

 アラミスの人格破綻台詞も、逃げ場なしのひどさ。
 そしてやっぱり、「国王を転覆」が気になる。


 それでも、そのあとのフィリップの銀橋ソロはいい。
 歌詞も、意味はわからないけど、一見ナニかよさそうなことを歌っている。
 キムの演技力、歌唱力を堪能できるので、トップスターの見せ場という点において、よい演出だと思う。

 フィリップのテーマソング、とーーってもいい曲なんだけど、歌詞はよくわからない。オープニングからして。
 オープニングはそれでも、複数の人たちで歌い継ぐし、辻褄があってなくても「これからはじまる本編で、そのわかんない部分が解き明かされるんだわ」的な期待がもてるからイイ。

 しかし、フィリップの銀橋ソロは、ほんとにフィリップひとりが心情を歌っているので、わけのわからなさがつらい。

 「この濁った世の中で大切な心を保てたらそれはこの仮面で守られて」ってナニ? これ日本語? 文章としても意味が通じてないし文法変。

 「この濁った世の中では、大切な心を保てない。もしも保てるとしたら、それはこの仮面で守られたからだ」が、正しい文章ですか?

 あのー、「仮面を被せられ幽閉されること」が、大切な心を保つことになるの?? むしろ心を壊す行為では? てゆーか「大切な心」ってナニ?
 世の中のほとんどの人は鉄仮面なしで生きているわけで、じゃあ他の人たちは「大切な心」とやらは持っていないの、「濁った世の中」に侵されて? 世の中の人がふつーに生きているならば、鉄仮面がないと「大切な心」を保てないフィリップって、どんだけ弱いの? これからは仮面なしで生きるわけだから、もう無理じゃん大切な心保てないじゃん、細菌だらけの世の中で生きられないから牢獄に戻れば?
 ……とまあ、ほんとにわけわかんない、わたしには。他の人にはわかっているのかもしれないが。

 ちなみに、このフィリップの銀橋ソロあたりで、幕が開いてから55分ほど経過(笑)。
 主役なのに。95分しかない芝居なのに。
 残り40分だ。さあどうする(笑)。


 フィリップのソロに客席がうっとり聴き入ったところで、すっかり存在を忘れていた、空気壊して登場する宿命、モリエール@咲ちゃん。
 アンヌ王太后のお誕生日祝いの出し物「朕は国家なり」を開演すると言う。
 またしても、「ちん」。
 その台詞、さっきもう聞きました……また同じことを言うの?
 どんだけちんちん好きなんだ、こだまっち。


 本舞台中央に、ふくらんだスカート、豪華ドレス姿の大女優@かおりちゃんがスタンバイ。髪の毛には風船。
 かおりちゃんはどんどん吊り上げられる。一応、風船の力で浮かんでいる、という設定らしい。
 舞台のかなり高い位置まで上げられた大女優は、おもむろにスカートを開く。
 中から、巨大なミラーボールが!!
 そして大女優は、大真面目な顔のまま、正面を見つめたまま、おもむろにミラーボールを回す!!

 噂に高い、「人間ミラーボール」場面。

 いやあ……。
 吊り上げられたかおりちゃんが、スカートをめくるあたりまでは、みんな「なにごと?」って黙って見守ってるんだけどね。
 手でミラーボールを回し出した瞬間に、失笑が起こる。

 わたしもつっこんだ、手動かよ?!(笑)と。

 でも、みんなが言うほど、わたしはこの演出嫌いじゃない。
 かおりちゃんが退団でさえなければ、最後の役がコレということを除けば、いっそ突き抜けていて楽しい演出だと思う。
 水戸黄門と違って、物語にまったく無関係ではないし、豪華で派手な役だし。ソロをこれでもかと披露できるわけだし。
 手動ミラーボールには失笑が起こるけど、ここは笑われてナンボだと思う。むしろ、回さなかった新人公演は不満だった。半端だ!と。ここまでやるからには、回せ、極めろ!と。

 ただ、ライトの当たり方が不満。
 美人のかおりちゃんが、なんとも不気味な顔になる。もっとふつーに顔が見えるようにしてくれよ。


 続く。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想。

 なんかこうしているうちに、近々カウンターが6並びになりそうな感じ。
 小市民だから、同じ数字が並ぶと意味もなくうれしいんだよなあ(笑)。


 監獄での、大囚人ナンバー場面の感想、続き。

 とてもわかりやすく「だめ」だと言える演出。
 拷問や殺人を「楽しい!」「みんなでやろうよ、ミャハ☆」と遊ぶ場面。

 この程度のブラックな演出に拒絶反応を出すなんて、ヅカファンは狭量だ、と思う人もいるかもしれない。
 でも、言わせてもらう。
 こーゆーブラックさを必要としないのが、「タカラヅカ」だ。
 こんなことがやりたいなら、どこか他でやればいい。

 テレビでも書籍でも、それを楽しんでもらう対象者がいる。
 作り手は対象者が誰かを考えて商品を提供している。
 子どもが見てはいけないものは年齢制限表示をしているし、幼年向け雑誌にエログロを載せたりしない。
 エログロナンセンスがいけないわけじゃない。やりたいならば、それ相応の場所で、媒体でやればいい。

 家族みんなで見ていた『サザエさん』に、いきなり「人殺しって楽しい! さあみんなで楽しく残酷プレイ!」な場面があったら、非難轟々だろう。

 こだまっちは勘違いしている。
 ここが「タカラヅカ」であるということ。
 こだまっちがどれだけ才能ある演出家であっても、まず「タカラヅカ」である作品を発表しなければならない。
 ここが「タカラヅカ」で、観客は「タカラヅカ」を観に安くはないお金を払って時間を使って劇場へ足を運んでいる。
 客が求めるものを差し出した上で、自分の才能あふれる演出とやらをするべきだ。

 こだまっちの作品全部とか、演出すべてが嫌いなわけじゃない。
 おもしろいモノを作れる人だとも思っている。

 ただ、こだまっちの場合、創作の才能よりも、問題点は人間性にある気がする。
 彼女の失敗している部分はクリエイターとしての能力というより、人間としてアレな部分が作品に反映されている気がするんだ。
 誰か人格的にまともな人が監督した上で、ただ「演出」するだけなら、こだまっちは独創的で美しいモノを作れるんじゃないだろうか。

 ……ともかく。
 大囚人ナンバーは、こだまっちの人間性がよく表れている場面だった。


 ちなみに、この囚人場面でわたしがいちばん苦手っちゅーか正視に耐えないのは、実はホタテでもコマでもなく、ゆめみさんだ。
 囚人たちのセンターにいる女性。
 彼女の演技が苦手すぎる。

 初日から、嫌で嫌でしょーがなかった。
 いつか変化するだろうかと期待したけど、彼女は変わらなかった。

 とゆーのもだ、彼女ひとりがリアルなんだ、拷問される演技が。
 呻き声の痛さも半端ナイ。
 他の人の呻き声は、呻き声というよりはモロ「音階」。聞いてもそれほど嫌じゃない。
 ゆめみちゃんだけが「悲鳴」なの。

 この場面は、もういっそ現実離れしたお笑い場面にしてしまった方がいい。その方が救われる。
 そいう意図があったんだろう、新公では鞭打たれた人々がわざとらしい滑稽さでぴょーんと跳ねていたし、本公演でもにわにわがどんどん愉快な人になっていっていた。
 にわさんくらい「これはギャグですよ」な表情と仕草、声をしてくれていたら、救われるんだけど。
 後ろでどんだけにわにわが滑稽な芝居をしていても、センターのゆめみさんがドシリアスに苦しみ呻いてるんだもの……救いがない。

 演出家指示だったのかな。
 ひとりぐらい本気で苦悶している人がいないと、拷問に見えないから、ゆめみさんだけは絶対にドシリアスに苦しみ続けろと。

 鞭打たれるさらさちゃんもりんきらも、すごくニュートラルに「音階」としてしか声を出さないのでよかったんだがなあ。にわにわはもう、コメディ一直線だったし。
 ゆめみさんにも、演出家指示がどうあれ、手加減して欲しかったよ……あんなに本気に演技しなくてもいいじゃんよ……。

 まあともかく、この場面を演じきったコマとみんなには心からの拍手を。
 コマはよくやったよ、ほんと……。


 本筋を忘れてしまうくらい長いこの場面の次、花火のスクリーンが上がると、まだ場面は監獄。
 鉄格子の中に仮面の男がいる。
 それを背景に、マントをまとって逃げるラウル@翔。収監するときに逃げ出したってことなのか、捕らえられたときと同じ服装。
 時間経過がよくわからない……。ミレディ@ヒメに催眠術で捕らえられた、その数時間後なのか? でもすでに何日も経っているかのように、ルイーズ@みみがルイ@キムに嘆願してたのに?
 ラウルが仮面の男の真実を目撃しなければならないので仕方ないんだが、とっても無理のある展開(笑)。

 部下たちを怒鳴りつけるサンマール@コマ、ついさっきまでピンク衣装で歌い踊ってたんですがね。マントを着てます。
 病気っぽい仮面の男を介抱し、仮面を取ってやるわけですが、シリアスな場面なのに下のピンク衣装がちらちら見えます(笑)。こだまっち……。

 ルイ/フィリップ@キムの年齢についてはアンタッチャブル、決して触れてはいけないこと。彼がすごーく若くないと、彼と親子ほど年の違うはずのダルタニアン@ちぎや三銃士たちが困ったことになるので……ここはタカラヅカだから、老人ばかりが活躍する話にするわけにもいかないので、そのへん嘘満載に誤魔化しているのは正しい。
 フィリップはまだ少年なんだよ、若いんだよ、と思って見ていると、仮面の男のヒゲっぷりに、びびる(笑)。

 仮面の男の素顔を見てしまったラウルは捕らえられ、そこで場面終了、檻のセットが盆で回転、アトス@まっつの家になる。


 「ラウルの手紙」場面はいい。
 こだまっちはシリアスな部分の演出はうまいと思う。
 音楽がいいからなあ。
 ラウルの歌声がアヤしいのはともかく(笑)、死にゆく彼と、その手紙を読むアトスのコントラストはいい。
 そっから先の「脱獄大作戦」も、「え、こんなに簡単に脱獄成功しちゃうの?」ってことはあるにしても、音楽はいいし、たくさんの人々が走り回って派手な場面になっている。
 アトスのソロと、最後の決め台詞「次に鉄の仮面を被るのは、ルイお前自身だ!」でじゃんっと暗転するのもいい。


続く。
 しつこくだらだら、ムラ版『仮面の男』の演出についての感想。

 問題の監獄場面、大囚人ナンバー。
 いちばんわかりやすく「だめ」と人に言いやすい、攻撃しやすいだめっぷり。
 先に話を聞いてから観た人たちがみんな口を揃えて言う言葉がある。

「あんなに長いとは思わなかった」

 そう。
 長いんだよ。

 場面変わって監獄。
 囚人たちが椅子に坐り、看守フェルゼン@がおりたちが鞭を持ってすごんでいる。
 そこへ現れる看守長サンマール@コマ。「鬼のサンマール!」とおびえる囚人たち。
 重々しく「今日の私は大変……」、ころっとコメディちっくに「機嫌がイイ!」、ほっとする囚人たち、「拷問は私自ら行う!」囚人たちすくみがる。そして鞭打ちへ。
 鞭打たれる囚人の呻き声が音階になっており、そのことに気づいたサンマールは部下たちを指揮して音楽になるよう鞭打たせる。
 拍手する部下たち、「オーケストラの指揮者のようです」と持ち上げるフェルゼン。
 それを聞いたサンマールが調子に乗る。「そう、私は指揮者!」と。
 それまでの重々しい喋り、重々しい音楽から、ころっと変わり、愉快で明るいショー音楽になる。
 サンマールも暗い色のロングコートを脱ぎ捨て、きらきらピンク衣装になり、「ディレクトール!」と歌い踊る。
 曲の中には囚人たちの運命を嘆くパートもあり、ダンスもあり、見応えはある。

 ただ何故かこの流れの中で、携帯電話が鳴る。

 わたしにはついに最後までわからなかった。
 この携帯の意味。
 ぽかーん、だった。

 囚人たちを脅すサンマールと看守たち、なのに突然鳴り響く携帯に興をそがれて犯人を探し回る。
 携帯はオケピから棒にくっつけられて差し出される。
 サンマールがそれを手に取って、切る。

 さらに場面は続き、白状しないなら全員死刑だと言い、部下たちが囚人たちへ一斉に銃を向ける。
 震え上がる囚人たち。
「撃てー!」のタイミングで、何故か、ゴーストバスター。
 音楽を聴きながら、徐々にノリ出し、踊り出すサンマール。「ゴーストバスター?!」と歌い出すタイミングで、サンマールのピンクジャケットのポケットからきらきらピンクデコの携帯を取り出した囚人@りんきらが、携帯を切る。
 ゴーストバスターの着メロは、サンマールのものだったらしい。
 りんきらから憮然と携帯を奪い返すサンマール。びびって囚人の列に戻るりんきら。
 携帯をポケットに戻したサンマールは、「仕方がない」と銃殺をやめて絞首刑のロープを囚人たちに配る。
 はい、ここから例のダチョウ倶楽部ネタな。
 誰かひとり犠牲になって殺されれば、他の者は助けてやる、と。
 並んだ囚人たちのセンターにいるホタテは「そんなことできるかよ」と反発。されど他の者たちが次々と「みんなのために死にます」と手を挙げる。
 それを見たホタテが「じゃあ俺も犠牲になります」と進み出ると、他の囚人たちが手のひらを返し「どうぞどうぞ」。
 ホタテは看守に引きずられ「なんでやねーん!」他、アドリブでいろいろ言いながら舞台奥へ。
 そこでホタテは、看守から天使の背負い羽を渡されて装着、首吊りロープはなんと天使の輪に早変わり!
 看守フェルゼンとホタテのいるセリがどんどん上がり、舞台前面ではサンマール賛歌で囚人・看守たちが一列に並んでラインダンス。ホタテも天使の羽をつけてコミカルにかわいらしく、楽しそうに踊りながら天に消えていく。

 カーテンが閉まり、首からロープをぶら下げた囚人たちの楽しげなラインダンスは続き、背景には打ち上げ花火が上がる。
 「看守長っていいよ♪」というサンマールの決め台詞で場面終了……かと思いきや、このあともまだ続く。
 音楽が盛り上がったりスローになったり、そのたびにダンスのテンポを変えながら、サンマールが退場していく。

 とにかく、長い。

 前もって「ひどい場面だよ」と聞いていた人たちが、みんな言うんだ。
「囚人の呻き声が音楽になる、それで看守か拍手するところで終わりかと思った」
 うん、そこまででも十分悪趣味だもんね。
 でも、その看守たちの拍手、みんなが「終わり」だと思ったところがプロローグだったなんて。
 みんな、「今度こそ終わりのはず」と思うんだ、曲の切れ間とかで。だって悪趣味で気分が悪くなり、しかも本筋とは無関係、いらない場面だってわかっている、こんないらないものはここで終わりだろう、いくらなんでもこれで終わりだろう……途中何度も「終わり」と思う、そしてそのたび裏切られる、「まだ続くの?」「いつまで続くの?」「まだ不愉快の上があるの?」と。

 ほんとに、最初のとこでやめときゃよかったのにねえ。
 鞭打ちと呻き声の和音……それを喜ぶサンマールと看守たち、で場面とキャラ説明には十分だ。
 そっから先のいくつにも分かれたパートは全部不要。


 過去のタカラヅカにも、拷問シーンや死刑シーンはいくらでもあった。
 だから、問題なのは拷問でも死刑でもない。
 罪のない人たちが無為に残酷に殺される、夢のタカラヅカでそんなものを見たくない、という意味で不評なのではまったくない。
 その「殺される人々」をふつうなら「可哀想」と観客は思う。そんなことを行う悪役に対し「ひどい」と観客は思う。そういう演出をする。
 悪役の悪を描き、虐げられる人々の悲しみを描き、そんな悪役に対峙する主人公サイドの正しさ、感情移入を煽る。
 拷問や死刑をタカラヅカで描くのは、そういうことだ。
 その表現がリアルだったりダークだったりする、度合いによって観客からさらりと流されたり拒絶反応が出たり、過去作品にもいろいろあった。
 しかし、どの作品だって拷問や死刑を「楽しい」「笑う」場面としては、描いてない。
 拷問も死刑も、楽しいことでも笑うことでもないためだ。
 「こんなに楽しい拷問! さあみんなで楽しもう!」「こんなに楽しい人殺し! さあみんなで殺して遊ぼう!」……とは、やらない。
 仲間だったはずのひとりをみんなで殺して「楽しい!」と歌い踊り、ラインダンスで花火。

 正気か。

 ブラック云々じゃなく、演出家の人格を疑う(笑)。

「さすが、子どもを亡くしたばかりの母親へ、その夫(主人公)に『なーに、子どもはまた作ればいいさ(いい笑顔)』と言わせた演出家だわ……」
 と、友人談。
 ああ、あったねええ、そんなトンデモ脚本が。

 こだまっちは宇宙人だから、人間の心は持ってない。仕方ないよね(笑)。


 続く。
2011/10/31

月組トップ娘役・蒼乃夕妃 退団会見のお知らせ

月組トップ娘役・蒼乃夕妃が、2012年4月22日の月組東京宝塚劇場公演『エドワード8世』-王冠を賭けた恋-、『Misty Station』-霧の終着駅-の千秋楽をもって退団することとなり、2011年11月1日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。

 まりもちゃん、90期娘役、研8。
 抜擢されたのが初舞台の年度末だから、研1ですでにバウ(WS)ヒロインを務めていたわけだ。トップスターになるために入団してきた的な立場の子だったんだろう。その後も抜擢続きで若手スターとして華やかな芸歴を持つ。
 ……けど、わたしがまりもちゃんの舞台姿に強い印象を持っていなかったためか、早い、短いと思う。

 トップになったのも「え? もう?」だったし、卒業も「え? もう?」という印象。

 ヒロインというより、脇の実力派としてのイメージがあるためだろうなあ。
 もっと長くじっくり見ていられる人、という刷り込みがあったみたいだ、わたしの脳内に。
 や、わたしの思い描く「タカラヅカの娘役トップスター」ってのは、キラキラなお姫様で可憐で寄り添い系で、てな、とてもオールドファッションなスタイルだからなのですよ。
 まりもちゃんはうまい人だけど、キラキラとかかわいい♪とか、華奢で頼りなげで、とかいう感想はあまり持ったことがなく、かといって、すべての人を平伏させるような、圧倒的美貌を売りにしているわけでもなかった、と思うので。

 かといって、わたしの脳内イメージのトップ娘役以外はNO!というわけではなく、いろんなスターさんがいていいと思う。また、娘役はなんつってもまず男役トップスターありき、ふたりの相性優先なわけだし。

 まりもちゃんはきりやさんとの接点無し、トップコンビになるためだけの月組組替えだった。
 体格的には、きりやんに合っていたとは思えない。なにしろ縦にも横にもきりやんより大きいとゆーか強そうと言うか……ゲフンゲフン。

 だけど。
 その質実剛健な持ち味は、きりやんに合っていたのだと思う。

 きりやんの相手役になるためにやってきた人だから、きりやんと一緒に去っていくんだろうなとは思った。
 でも、こうして発表されると、「え、もう?」と思う。「早い」と思う。
 きりやんや、次期月組トップスターとの兼ね合いはともかく、タカラジェンヌとしてのまりもちゃんは、まだすべてを出し切っていない、まだまだ可能性がありそうな気がする。

 かといって、今のタカラヅカで、トップ娘役を務めた人の「別の可能性」を発揮する場は作られていない。
 有限であるゆえの美しさを誇る楽園だから、短いと惜しまれての卒業が正しいこともわかる。

 でもなんかほんとに、まりもちゃんに関しては、わたしはずっと置き去りにされてる感じだ。
 トップが決まったときも「ぽかーん」だったしなあ。

 彼女のダイナミックなダンスと骨太な舞台人姿に、安心を見いだしていた。
 きりやんと共に、期待を裏切らないクオリティの舞台を見せてくれる人だと。

 最後の公演が素晴らしいモノになること、タカラジェンヌとしての集大成を願っている。

 ……頼むよ大野くん!!
 ムラ版『仮面の男』の演出についての感想、続き。

 『H2$』パロをやりたいがためだけの酒場のシーンは演出家があまりにアホだと思っているけれど。

 ただ、たくさんの出演者が舞台にいて、みんなががちゃがちゃ楽しそうにしていること自体は好き。
 モブの人たちまで一緒になってのミュージカルナンバーはいい。
 パロディの是非や、キャラクタの人格破壊はともかく、酒場でわいわいはいいよなー。


 さて、ひとりシリアスなダルタニアン@ちぎ。

 変わってしまった彼については、その前の場面で三銃士たちが語っている。
 三銃士の説明台詞の不自然さは相当なもんなんだが、言葉の量のわりに内容が伝わっていないんだよなー。つか、意味がわかんないんだよなー。

 三銃士が語る「変わってしまったダルタニアン」とは。
 「恋人のコンスタンスが殺されたため」「銃士隊の隊長になった=自由よりも欲に目がくらんだ」「三銃士は、そんなダルタニアンのそばにいたくなくて銃士隊を辞めた」「いつかダルタニアンは三銃士の元に戻り、フランスのために共に闘う日が来ると信じる」。

 えーと、ここの台詞で欠けていることが、すごく気になる。

 だって三銃士も、そもそもは銃士隊にいたんだ。銃士隊の隊長になることが何故「自由より欲に目がくらんだ」ことになるんだ?
 義勇軍にいたのに、国王の軍隊に入った、とかなら「自由より欲に目がくらんだ」もアリかもしんないけど。
 もともと4人とも銃士隊なのに。

 問題なのは「銃士隊」でも「隊長」でもない。
 「今の国王」だ。
 三銃士たちが誇りを持って銃士隊にいたころと、現在では国王が変わっている。
 この物語のラスボスはルイ@キムだ。
 だからいかなる場合も、「悪いのはルイ」と示していかなければならない。

 三銃士が「自由より欲に目がくらんだ」と語るのは「ルイの手下になった」ことだ。「銃士隊の隊長」云々ではない。
 ルイは悪い王であり、彼はフランスのためになっていない。だからルイの銃士隊を辞め、三銃士の元へやって来ないと「フランスのために闘う」ことにならない。そういう意味だ。

 なのに、その肝心のことを語っていないんだ。

 だから、「三銃士だって銃士隊だったのに、その隊長になることが何故、『自由より欲に目がくらんだ』ことになるの?」と観客が混乱する。
 銃士隊ってのがよっぽどひどいところで、そこに籍を置くってのは「自由より欲に目がくらんだ」ことなの? だから三銃士が職を辞したの? ……と思ったら、「ダルタニアンを見るのが辛いから辞めた」……えええ、そんな個人的理由??

 説明台詞の無駄な長さ、そのくせ必要なことは語られていない。
 脚本を書いた人のバカさに苛々する(笑)。

「ルイが国王になってから、銃士隊はすっかり変わってしまった。そんな銃士隊の隊長になるなんて、自由より欲に目がくらんだ」

 と語るのが正しい。

 三銃士たちが銃士隊を辞めたのも、ダルタニアン云々以前に、ルイの施政のもと、悪を行う銃士隊に耐えられなくなっていたため。その悪の象徴たる隊長に収まったダルタニアンを見ていられなかった、ということだろうに。

 しかし、「俺たちの元へ戻り、もう一度フランスのために」と語る三銃士が、無銭飲食と居直り強盗の恥ずべき犯罪者と成り果てているために、どの口が言うか!!と観客は総ツッコミ、その直後のダルタニアンの苦悩もナニも活きない、という欠陥付き(笑)。

 三銃士の解説で、ますますよくわからないダルタニアンという男。
 ひとりシリアスに登場し、銀橋で1曲歌う。

 ダルタニアンの銀橋ソングはいい曲なんだほんと。
 ……どうも難しいらしく、ちぎくんはわたしが知る限りただの一度もきれいに歌いきったことがなかったのだけど(笑)。

 歌詞が聞き取れないという問題はあるにしろ、友情と、ソレを裏切らねばならない苦悩を歌っているらしい。

 コンスタンス@あゆっちとの思い出場面はあれでいいんじゃないかと。
 額縁に入った思い出……って、ダルタニアン、ヲトメ的な美化入ってんぢゃね? って感じがしてイイ。
 ダルタニアンはほんと変な人なんで、変を貫いてくれるくらいでいいよ、もう。

 ちぎあゆの芝居、彼らの空気感を楽しめる、それだけでいいよね。


 次の場面、ビートの響く「王はすべてお見通し」は、好きだ。
 眼球の影絵、アーチの上の人間睫毛。
 貴族な人々なので、衣装も豪華で目にもたのしい。
 音楽もパンチが効いていていい。

 パリ市民の声を途中からルーヴォア@ひろみが代弁するのも楽しい。
 ワンフレーズずつでも、いろんな子にソロがあるし。

 ただ、パリ市民にライトが当たらなくなるのだけが気になる。
 ルーヴォアと同じ振り付けで歌っているのに、舞台に沈んでしまってわかりにくい。
 ライトの輝度は落としていいから、市民たちもよく見えるようにして、ルーヴォアとのシンクロ率を上げて欲しい。
 途中からルーさんが引き継いで歌っているのだと、もっとわかりやすく。
 バウじゃない、大劇場なんだから。

 ミレディ@ヒメの使い方はどうかと思うパート1(笑)。
 催眠術はともかく、「閣下の胸のペンダント」がなー。ここの伏線、必要か? ルーさんが日常的に身につけているペンダントに何年も気づかないダルタニアンってどうよ?と、トホホ感を増すだけだと思うんだが。
 ふつーに兵に取り押さえさせればいいと思うんだがなー。


 ルイとルイーズ@みみの銀橋はよいし、後半のルイとフィリップ@キムの銀橋との差を楽しめる。
 てゆーかほんとにキムくんの芝居はいいよな。
 高笑いが素敵(笑)。
 まあ、「陛下を転覆」という日本語がかなり気にはなるのだけど。


 さて、次が問題の監獄場面、大囚人ナンバー。
 続く。
 東宝版の幕が開き、今さら感満載だが、『仮面の男』ムラ版の演出についての感想、続き。
 映像にも残らず、「なかったこと」にされるムラ版だからこそ、なにがあってどう思ったかをちゃんと残しておきたい。
 ムラ版のみの幻の場面の感想ではなく、ムラ版全部まるっと。だから東宝と変化ナシのところも含まれている。
 てゆーか、本文書いたのは東宝版見る前だしなっ。えーっと、10月20日欄からの続きね。

 『H2$』パロの酒場場面あたりの感想から。

 ラウル@翔くんの描き方が、気に入らない(笑)。

 ラウルの手紙によってすべてが動き出すのに、ラウルとアトス@まっつの関係がちっとも描かれていない。
 ここ一場面しかないのは別にかまわない。
 問題は、描き方だ。

 ラウルがやったことは、「ボクのカノジョ」を三銃士に紹介する、ただそれだけ。

 たしかに、アトスとの兄弟愛を描く、物理的な時間はないんだろう。「本筋とは無関係なパフォーマンス」ばかりにかまけて、ストーリー部分を描いてない結果だが、こだまっちにとって「アイディア発表>芝居」という重要度なんだから、アトスとラウルの関係を描くのに「兄のアトスだ」という台詞ひとつしかなかったのは仕方がない。
 台詞はひとつ、たったひとことだけだが、とりあえず、アトスとラウルは同じ場面にいる。
 そして一緒にいる時間は、結構長い。

 つまり、時間を割く気がなくても、この「ただ同じ場面に出ている」状態を利用して、こだまっち的余った時間に「アトスとラウルの関係」を表現することは出来るんだ。

 アトスにはやることがたくさんある。
 ロシュフォール@せしるに悪事を暴かれたり、ダルタニアン@ちぎとのやりとり、三銃士たちとダルタニアンをどう思っているかを語ったりとかダルタニアンがどういう人かの説明台詞とか、短い間にいろいろ詰め込まれているので、ラウルどころじゃなくなっているのは、仕方がない。

 でもラウルはそうじゃない。
 三銃士に恋人のルイーズ@みみを紹介したあとは、やることがない。

 ただそこにいるだけ、モブの酒場の人たちと同じ扱い。
 主要人物、物語のキーパーソンの短い貴重な出番だっちゅーに、なんだこのどーでもいい演出。

 わざわざラウルに彼中心の場を与えなくても、彼がアトスをどう思っているか、どんな立ち位置でいるのかは、表現できる。

 だってアトス、無銭飲食しているんだもの。

 ふつーに考えてください。
 家族が目の前で犯罪を犯したと責められ、実際に悪事の証拠を突きつけられたら、あなたはどうしますか?

 無反応ではいられないよね? 赤の他人、どーでもいい行きずりの人ならともかく、家族だよ?

 三銃士が無銭飲食をしたと目の前でロシュフォールに暴かれているんだ、ふつーショック受けないか、ラウル?
 「父であり母である」敬愛する兄が、犯罪者……。しかも意気揚々とつれてきたカノジョの前だ、「あの有名な元三銃士」と紹介した手前もある。面子丸つぶれだよね、ラウル。
 銃士隊の面々が去ったあとに、「無銭飲食ってナニゴト?!」と兄を責めるくらいしそうなもの。

 それをしない、笑ってスルーしているってことは、アトスとラウルの間には信頼関係もナニも存在していないってことだ。
 その程度の間柄ってことだ。

 いくら「ラウルの手紙」でお涙頂戴したところで、この程度の関係なわけですよ。
 まあ、なんてうすっぺら。

 もっとも、無銭飲食という情けない罪を、ラウルに責めさせるわけにはいかなかったんだろうと思う。
 ふつうなら大事件。ファミリーもののドラマなら、それだけで1時間使っちゃうようなネタ。だから真面目にそれを追求させるとどうしても話が長くなるし、ここまでマイナスな事態から信頼関係を取り戻すのは難しいし。
 95分の公演時間、パフォーマンスが大事で本筋はそのうち40分あるかないかのショートストーリーで、「ショック! 一家の大黒柱が無銭飲食!!」というホームドラマを1時間描けるはずがない。物理的に不可能だから、スルーするしかなかった。

 つまり最初から無銭飲食なんかさせるなってことだ。

 こだまっちのウケ狙いのただの思いつきが、作品の根幹まで揺るがしている、悪い例の見本。

 「三銃士はどんなに落ちぶれても無銭飲食なんかしない!」という原作への冒涜という意味を離れ、「これはデュマ原作なんか関係ない、児玉明子作の『仮面の男』なんだから、こだまっちの中の三銃士は無銭飲食も居直り強盗もなんでもやる人間性の人たちなのよ!」ということだとしても、その「こだまっちの『仮面の男』」的にも、破綻しているんだ。
 アトスとラウルの兄弟愛が引き金になって、「仮面の男」の謎が暴かれ、すべての物語が動き出す……という、この作品を、こだまっち自身がめちゃくちゃにしている。
 バカ?

 三銃士は無銭飲食をするのではなく、ベタに人助けをしたためにロシュフォールに脅される、でいいじゃん。
 酒場でロシュフォールの部下に絡まれている娘とかを助けたところ、銃士隊を連れたロシュフォールに難癖を付けられ、成り行きで剣を抜いた、昔ならいざ知らず今はただの一市民なのに、お上の軍隊に剣を抜いたんだ、覚悟はあるんだろうなと、とても悪役らしい言動のロシュフォールに、ダルタニアンが登場して一喝、場を収める。
 助けてくれたのは友だちだからだよな、と喜ぶ三銃士にダルタニアンは冷たく「目こぼしは今回だけだ」でいいじゃん。
 三銃士は正義だけど権力がない、ロシュフォールは権力を笠に着る悪者、ダルタニアンはそんな三銃士を助けてくれたけどツンツンしている、と。
 話の流れは変わらず、間違いだけ正せる。

 『H2$』パロをやりたいがためだけの、無銭飲食……。
 そんなどーでもいいネタのためだけに、人格も人間関係もめちゃくちゃにされた三銃士とラウル、そして『仮面の男』という物語……。


 ラウルの描き方についてもうひとつ、ひっかかっている。

 ラウルは兄たちが「元三銃士」だと知っているんだから、ダルタニアンのことも知っているだろう。
 三銃士とダルタニアンの今の殺伐とした関係についても、コメント無し。

 せっかく同じ場面にいても、「三銃士」と「ラウルとルイーズ」にぱかっと分かれていて、互いへの干渉はほぼナッシング、別次元の存在。
 なのに、同じ場面にいる。なんて無意味。

 兄とその仲間たちが友を心配しているんだ、兄を愛しているなら、そんな兄の姿に心を動かさないか?
 ラウルだってダルタニアンとは顔見知りだろうし、個人的なつきあいがなくても、普段から話は聞いているだろうに。
 ツンツンしているダルタニアンへの不信を口にする三銃士たち、身内だけで話すことになる場面がせっかくあるんだ、ルイーズの腰を抱きながらでいい、ラウルに一言「兄さん……」と声を掛けさせ、アトスが目線で「大丈夫だ」と頷き、「俺はそうは思わない」という通常の台詞につなげるだけでいいのに。

 三銃士の話は三銃士に任せておいて、ラウルはひたすらルイーズとだけ関わる、カノジョと2コイチでこちょこちょ話しているだけ。
 兄の心の傷なんか興味ありません! 自分がラブラブだから幸せです! って演出しておいて、次の場面では「アナタは父で母でした」とか言われてもなー……。

 ほんとうに、なんのために同じ場面に出させているんだか。
 バカじゃないの、演出家。


 続く。
No.1の女。@宝塚歌劇100周年プレ企画「カウントダウンチケット」
 ということで、雪東宝初日に駆けつけたわけですが。

 宝塚歌劇100周年まであと893日!……という微妙なメッセージの書かれたカードをもらいました。893日……や・く・ざ……。

 はい、宝塚歌劇100周年プレ企画「カウントダウンチケット」とやらです。2012年11月17日にプレゼント抽選があるそうですよ。2011年じゃないよ、来年の2012年だよ。

 実はコレ、宙組初日でももらいました。各組やるそうです。で、宙組のとき、開演間際に駆け込んだもんで、かなり半端などーでもいい番号のチケットだった記憶がある。ええ、記憶。すでにチケット紛失してますから。←

 で、行く予定なんかなかったはずの雪組東宝初日に急遽行くなら、せっかくだからイイ番号狙ってみようじゃないかと。
 2000枚は最低でも配布するだろうから、100番以内とかだとなんとなーく気分いいかなと。
 別にナニがどうじゃないけどさ。ささやかな努力でできることだし。

 てことで、東京宝塚劇場の開場会場時刻ちょうどに行きました。
 すでに入口前にはちょっとした列ができている。

 開場時刻に行くのはじめて。
 劇場周辺にいたって、お茶していたり友だちと喋っていたりで、開場と同時に中へ入るなんてしたことないから。
 時刻ちょうどには開かないんだね、さすがゆるいわ、タカラヅカ。開場時刻ジャストにスタッフのおねーさんたちがぱらぱらと現れて、ミーティングですか? なんか集まって指示を受けている様子。えーとそれ、開場時刻前に済ませておくことじゃないの、他の企業なら……。まあ、タカラヅカだもんな……そんなもんか。

 入口が複数あるため、どの列が何番からのチケットを配布しているかは謎。並んだ列によっては、いきなり501番から配布、とかもありだろうしなあ。
 まあ、それはしゃーないか、そんなめぐり合わせだったっつーことで。

 そんな温度感で、端っこの列の前から3番目に並んでいたら、まさかの1番チケットGET。
 なんか1番目の人がもらったチケットにクレーム付けて突き返していて、その間に2番目の人は次のチケットもらって中へ入り、3番目のわたしに、係のおねーさんはおそるおそる、1番目の人が突き返したチケットを差し出してきた。
 1番目の人が突き返したチケットは、1番のチケットだった。
 チケットのはしっこが微妙に曲がっている。それでクレームつけたらしい。
 なるほどねー、コレクターからすりゃ許せないわなー。
 でもわたしは「1番」という数字が愉快だったので、それを受け取りました。

 「1番」!!
 わたしのぬるい人生では、まず得られない数字(笑)。

 雪組東宝公演『仮面の男』『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』で、入場1番目。
 ……どんだけ必死なの、こあら!! って感じで、自分で自分を笑えるのがイイ。

 ただし、抽選はナニも当たらないだろうなあ。
 こーゆー数字モノの抽選で、1番って何故か当たり番号にはならないよね(笑)。

 ナニが当たるのか知らないけど、「ヅカヲタ以外に一銭の価値無し!」な潔いモノが当たるといいのに。
 よろしくお願いしますよ、歌劇団様。
 (2012年11月17日までに、紛失している可能性大)

 2012年11月までこのブログがあると仮定して、ネタ用に記録しておくナリ。
 キムが好きだ。
 今さら言うべきことでもないし、このブログはじめた当初からキムくんスキーで、キムくんきゃーきゃー書き続けてきた。

 だがしかし。

 フィリップのヒゲは、キツイ。

 キムくんへの愛があっても、キツイ。

 ムラ版では、客席から遠い舞台奥、格子の向こうに一瞬ちらりと見えるだけだった、ヒゲモジャフィリップ。

 それが、演出変更された東宝版『仮面の男』では、まるまる1場面、ヒゲモジャフィリップ。

 えー、フィリップくんっていうのは、いじめられまくっておどおどした美少年で、膝を抱いて丸まっていたり、大きなお目目で涙をうるうるさせていたり、もしくは隠しもせずにぽろぽろ泣いたりする、そーゆー男の子です。

 天使のような美少年。

 話していると誰もが「……ええ子や……!」と感涙しちゃうような、愛さずにはいられない男の子です。
 ムラ版でも大好きだったけど、東宝版でさらに萌えキャラ度アップ、どこまでいくんだトップスター?!なステキな主人公です。
 や、ほんと、どんどんフィリップが好きになる、キムが好きになる。もっともっとフィリップを見たい、いろんなフィリップを見たい。
 が。

 そのフィリップくんが、ヒゲ。
 それも、ただのヒゲぢゃないよ、サンタクロースヒゲだよ。顔中ヒゲモジャだよ。

 似合わない。

 なんつーかこう、見ていて落ち着かない、「見てはならないモノを見てしまった」系の、いたたまれなさがある。

 ムラ版くらいの露出なら、まあ仕方ないかで済んだんだけど。
 仮面付けっぱなしだったらそりゃヒゲモジャになるよね。仕方ないよね。と、思えるんだけど。

 ヒゲモジャのまま、1場面、しかもフィリップは被虐キャラ全開に、いたいけにぶるぶる震えたり涙ぐんだり、「美少年キャラ」としてそこに在る。
 少年なのに、ヒゲ。しかもサンタクロースヒゲ。

 えーとコレ、誰得?

 ファンだって、美しいキムくんを見たかっただろうし、腐ったご婦人方だって、おびえる美少年を見たかったはずだよ?

 て話を、初日の夜にまっつメイトとしていたんだが。

 サンマール@コマの前に引き出されるときに、ヒゲ剃るべきだったんだよ。仮面の男がルイと同じ顔をしたフィリップである、と観客に見せる必要があるから、仮面を取る瞬間は必要だけど、そのあとサンマールがフェルゼン@がおりとかに「きれいにしてから連れてこい」って命令して、ヒゲ無しでこざっぱりした姿で出てくれば良かったのに。

 んで、美少年としてフィリップ登場、サンマールが「ほお、きれいになったじゃないか」って、アゴに手を……あれ?

 な、なんかやばい方向に展開してしまう?

「コマはやばくないすか。きれいにしてから連れてこい、って、他の人が言うならともかく、コマつんだとなんか……」

 た、たしかに。
 たとえば、同じ台詞をちぎくんが言ってもなんとも思わないけど、コマだとやばいわ。

「ちぎだったら、それは単にキタナイ奴と話したくないからとか、ふつーの感覚で言ってそうだけど、コマだと、触るからにはキタナイままだと困るっていうか……」

 サンマールとフィリップの場面。
 あそこでもしも、フィリップがヒゲ無しだったら。
 サンマールの部屋に連れてくるために、風呂に入れられ、髪を梳かれ、ヒゲも剃られていたら。
 それってつまり……。

 えーと、飲酒と打ち明け話の次は隣室のベッドがお待ちかねだよね? フィリップ、喰われちゃうよね? いただかれちゃうよね?

 サンマールってナチュラルにエロ男、自然に変態だよね?

 いやしかし、彼の場合、ヒゲで垢まみれでも平気かもしれない?
 ラウル@翔が突撃してこなかったら、やっぱりあのままフィリップを……。

 と、想像できしまうコマってすごい(笑)。

 他の誰でもダメよ、コマくんだからこその想像の翼。
 コマのあのエロさ、歪んだ色気は半端ナイ。さすがギャッチさん@『H2$』を悠々演じることのできた男だわ。

 男の子を部屋に呼び出す……だけで、「危ない、フィリップ逃げてー!」と思わせてくれる、そんなキャラクタ、そんな役者。

 フィリップがヒゲモジャなんて、誰得よ!!
 と、思ったけれど。

 そうか、彼の貞操のために、そしてわたしとあなたのスミレコードのために、あのヒゲは必要なんだわ。
 あのヒゲ姿なら、サンマールさんに危機感を持つ観客は、何割か減っていそうだもの!! ヒゲ無しだったらきっと、一定数の女子は「あれってやばくね? フィリップ逃げてー!」と思ったはずよ!

 キムにモジャヒゲは似合わない。とっちゃん坊や的で、いたたまれない。あんな姿でえんえん芝居させて、もっとトップスターにやさしい演出にしてよ。
 そう思っていたけれど。

 あのヒゲは、必要なんだわ。

 そう納得させてくれるコマくんに完敗。

 そして。
 「コマだとやばい!」と思うからこそ、わたしは、コマが好きなんだ。

 キムが好きでコマが好き。
 なんて俺得な新場面(笑)。
 新人公演『クラシコ・イタリアーノ』感想続き。

 この新人公演でいちばん大変だった……というか、難易度が高かったのって、冒頭のスーツ祭じゃないかな。
 本公演でも、中央以外には微妙な人たちもいるっつーに、それを下級生だけでやるとなると……。
 スーツの着こなし、男役しての居方、見せ方、存在感……は、一朝一夕で身に付くモノじゃないから。
 本公演の「うわー! きゃー!」とテンション上がるはずの祭場面で、「うわー……大変やなこれは……」と思うところからスタート、てのは、ハードル高くて大変だったねええ。
 いやもちろん、個々はきれいな子たちなんだけどねえ。

 てな、「タカラヅカ」以外ではありえない、夢いっぱいの舞台(笑)。


 愛りくはいい感じに成長しているなあ。

 レニー@愛ちゃんは、かなめくんと持ち味かぶっているというか、違和感なくレニー(笑)。
 へらへらした役のときのかなめくんの持つ愛嬌とやわらかさ、そんなものと共通する愛らしさがある。
 いろんな役をやってどんどん成長していってほしい。

 マリオ@りくくんは、本役さんとは違うマリオ。というか、世界観に合ったマリオかな。男気と友情と。ちゃんと現在のタカラヅカで、今の宙組的な男っぽさというか。
 ……こうして別の人が演じているのを見ると、みっちゃんの芝居の異質さが改めてわかるなあ。

 わたしはなにしろりくくんの顔が好きで。
 オープニングのスーツ祭で、彼がちょうかっこつけてセンターに並んだとき、いちばんキターーッ!なキモチになりました(笑)。

 口紅最後まで塗ってない下クチビルとか、フナっぽい横顔とか、いいよなあ。好きだわー。


 本公演ではヒロイン(笑)のファビーノ親方@かけるくん。ヒロインとまでは思わなかったけれど(当然です)、よくやってくれた。
 彼は顔と体型が個性的っちゅーか、本公演その他でも目につく子なんだが、お芝居好きなんだろうなあ。全身の体当たり感が気持ちいい。
 しかしちょっと大袈裟すぎるきらいもアリ。もっと男役としていろいろスキルが上がればいいんだが、今の実力でキモチだけ先走るとわざとらしくなってしまう諸刃の剣。
 なんにせよまだ研4で、この大役をよくやり遂げてくれた。今後も楽しみだー。

 本公演でやたら目につくとゆーと、桜木くん。
 やっぱ彼、痩せたよね、きれいになったよね。『カサブランカ』のときとか、アゴがすごいことになっていたけど……と新公でじっくり眺めたら、やっぱりアゴは残念だった。
 難しいよなあ、アゴのラインって。あんなにきれいになっているのに、アゴだけ二重になっちゃうのか……。
 と、そんなところが気になるのはわたしが横顔スキーであるせいでしょう。正面から見る分にはわかんないくらい、きれいになったもんね、彼。
 んで、やっぱり新公でも彼のビジュアルを楽しむ。
 でっかいポスターになって張り出されて遜色ない美貌の研3ですよ?! いいなー。
 まだ小物感のあるライバル姿だったが、それは仕方ないよねっと。ナニ気に抜擢続きの彼、うまく育ってくれるといいな。

 ペッピーノ@モンチを見て、顔のパーツが収まってきたなあ、と思った。
 すまん、わたしずっと、彼の顔のパーツの配置の不自然さが気になっていて。マンガ的というか、似顔絵的デフォルメ顔というか。一度見たら忘れない、どこにいても目立つ、のは舞台人としての強みなんだけど、顔立ちに加えて顔芸の激しさゆえの情報量が多すぎて、あんまり高評価になってなかったんだ。
 それが今回、あれ、あんまりうるさくないぞ、と。ペッピーノってすごくうるさい役だから、これをモンチがやるとなるとさらにうるさいのかなあ、と覚悟している部分もあったので、拍子抜けするくらい、ふつーだった。
 押しつけがましくない、やりすぎ力みすぎじゃない芝居を、このうるさい役でやってくれるのか。それはうれしい。
 どんなに少ない出番、比重の低い役でも、あんなに全開でうるさかったモンチが……。
 ちょっと引いてくれた方が、いい男だよなあ。もともとうまい子なんだもの。

 ヘンリー@美月くん、ジョルジオ@春瀬くん、いい顔だなー。

 相変わらず樹茉くんの顔が好きで眺めているんだが、彼ってみーちゃんの役だったの? なんかずいぶん印象が違った。みーちゃんは輪郭がはっきりした人なんだとしみじみ。
 樹茉くんだともっと淡色になるんだなー。

 五峰ねーさんの役をやるえりちゃんの違和感のなさ……ほんとに落ち着いた大人の女になっちゃって……最後の挨拶も好きだわ。
 アニメ的萌えキャラのハマる彼女なのに、このギャップ。……また萌えキャラなえりちゃん見たいなー。てゆーか比重の高い役を演じるえりちゃんが見たいなー。

 あー、CM撮影のディレクターが大変なことになってましたねー(笑)。楽しそうでなにより。
 新人公演『クラシコ・イタリアーノ』観劇。

 あっきー、うららちゃん、初主演おめでとー。

 なんかもー、よく泣いた。

 もちろん作品の力が大きいのだけど、それでもどんどん引き込まれましてね……サルヴァトーレ@あっきーに。

 この作品はほんとに主役ただひとりだけの物語なんだわ。
 景子タンがゆーひくんのために渾身の書き下ろしをしただけあって、サルヴァトーレだけが主役、他は彼を盛り立てるための仕掛けでしかない。
 だからこそ、サルヴァトーレがコケると全部コケる。

 本公演観ているときは、そこまで感じなかったの。
 だってトップスターが舞台を牽引することも、ひとりで全部持っていくことも支えることも、比重半端ナイことも、当たり前だもの。
 ゆーひくんがそれをしていても、なんの違和感も疑問もなかった。他のいろんな生徒がその分割食って出番やドラマがなかったりしていることは、わかるけど。今回はそういう作品なんだなと思うのみ。

 だけど新人公演。
 なにしろ、新人公演。

 幕が開いた当初、他の新公に漏れず「あー、大変やなー」と思った。
 なにが悪いとかじゃなく、新公だから、いろいろ足りていない。それがまず目につくから、わりと引いた感じで眺めていた。あー、大変やなー、がんばれー。
 そして。
 どんどん、気づきはじめる。
 この芝居、なかなかどーして極端じゃないか? 主役の比重めちゃ高くね? 主役が全部担うの? ここもあそこも? ここまで主役?
 と、思ったのは、あっきーが、ばーんと前へ出て走り出したからだ。

 ゆーひさんだったら、それが当たり前だし、また、他のキャストも安定しているのでひとりだけ前にいることがそこまで目立たない。
 しかし、あっきー。あっきーなのに。

 終演後、宙担の友人ジュンタンにもちらりと本音を語ってしまったのだが、わたしにとってのあっきーのイメージっていうのが、「小物」だったのだわ。
 顔立ち自体は好きなので、最近なんとなーく目に入る子ではあるけど、だからどうということもなく、ぶっちゃけ新公主演するとは思ってなかった。下級生の愛りくが先に主演して当然と思える、新公2~3番手あたりが定位置で違和感なしっていうか。下級生スター固定の新公は百害あって一利なしだから、めぐり合わせで1回くらい主演できるといいね、と言われるあたりに過ぎないっていうか。

 そーゆーイメージの子だったので、期待薄目というか、ヘタ過ぎて目立つこともないだろうし、まあそこそこふつうに務めて幕、涙の挨拶で新公らしくほっこりして、それで終わると思っていた。幾多の新公と同じように。

 ……ごめん。
 あっきー、ナメてた。

 なんかどんどん彼が「前へ」出てくる。
 歌がイイとか演技がいいとか、特になにか秀でているわけでもないと思うんだが。
 芝居は本役のコピー、台詞回しその他、よく勉強しましたね系。
 なんだけど、新公という輪郭のゆるい舞台を、彼が背中に全部背負って、ひとり走り出したんだ。

 ああ、主役だ。
 サルヴァトーレって、ほんっとーに主役だわ。
 そう思った。

 んで、本公演と同じように泣けた。
 いろいろ足りていないはずの新人公演で。
 主役が主役として、ほんとうに走りきったんだ。この比重半端ナイ作品で。

 ゆーひさんのための、男役集大成みたいな役を。

 底力のある子だったんだ。
 重いモノを担がせたら、その分馬力を出す。

 ……普段の舞台、普段の比重の扱いだと、そこまで輝いていない気がするんだけど……これから彼は、どう成長していくだろう。
 楽しみだ。


 んて、この芝居って主役の比重半端ナイ、と思ったその原因のひとつに。

 ヒロインがどこにいるのか、わからなかった、ということがある。

 ののすみって、ほんっとーにうまいんだなああ。
 ミーナという役がののすみアテ書きである強みはあると思う。しかし、それにしたってこの比重、この扱い、ミーナはやっぱヒロインじゃないよー。別にちゃんとしたヒロインがいて、2番手娘役あたりがかわいくがちゃがちゃやる役だよ。
 それでもミーナがあれだけちゃんと目立っていたのは、ののすみだからだったんだな。
 新公だと、ミーナ役自体が視界に入らない……。

 期待の美貌の新進娘役うららちゃん。
 芝居も歌も良かったんだと思う。声もきれい。

 しかし。柄違い過ぎる。

 ぽっぽさんや柚長が、若い女の子の役をやっているように見えた。

 本気で美人系のキツイ大人っぽいおねーさんが、若さだけが取り柄の小娘役をやっているような違和感。柚長美人だけど、美人はナニしたって正義!とはいえ、小動物系女子高生役はさすがにキツイっすよ、というか。
 芋っぽい格好がまた、致命的に似合わない。ダサかわいいとかじゃなく、気の毒な感じになる。

 何故この作品、この役で彼女をヒロインにしたんだろう……。
 いや、持ち味とチガウ役は勉強になるだろうけど、若い彼女にはまず、柄にあった役で「ヒロイン」として立つ場を与えることが必要なんじゃ?

 ミーナはなにも出来ずに泣き出してしまう子には見えなかったし、なにもないところで転ぶようなドジっ娘にも見えなかった。文盲の田舎娘にも見えなかった。
 知性と落ち着きがあり、美貌と品があった。
 ……ので、最初から最後まで違和感ありまくり。仮面を付けてプルチネルラをやっていたところぐらいしか、違和感は緩和されなかった。

 小動物ではなく、大人の女性に見えてしまうので、ラストシーンも納得できないなあ。
 うららちゃんのミーナだと、ちゃんと女優として生きるだろうと思うんだ。まず自分がきちんと自分の足で立たないと、サルヴァトーレのそばに寄ってはいけない、と思っていそう。
「女優としてがんばる。でも、ときどきこうして会いに来てもいい? 迷惑?」
「……迷惑じゃないよ」
 という流れで、あとは同じようにラストまで。

 知性のあるまともな女性に「自分の夢も人生も家族のことも、全部捨てて好きな男のそばにいたいの、ミャハ」とやられちゃうと、なかなかキツイわ……。恋人でもない女にソレをやられたら、ふつー男は引くと思うんだが。
 ののすみミーナは子犬だったからそれが許されるわけで、ふつうはナイわ……。

 てことで、うららちゃんに関しては、別の役を見てみないことには、あまりにアウェイ過ぎてよくわかんなかったっす。
 ミーナ役が極端なのだとはいえ、意外に出来る役の幅か狭いのかなあ。正統派美人も大変だな。
 や、ほんとに美貌の活かせる役で見てみたい、せっかくの美人さんなのに!
 ついに来てしまったの。シューマッハがまたひとり、花園を去っていく。
2011/10/24

月組トップスター・霧矢大夢 退団会見のお知らせ


月組トップスター・霧矢大夢が、2012年4月22日の月組東京宝塚劇場公演『エドワード8世』-王冠を賭けた恋-、『Misty Station』-霧の終着駅-の千秋楽をもって退団することとなり、2011年10月25日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。


 きりやさんに関しては、何度も何度も語ってきたので、もう今さら言うまい、だけど、ほんとに紆余曲折だったよなあ。
 長い間ずーっと眺めてきたスターさん。しんしんと寂しいな。

 このブログをはじめたのが2002年の5月。まだヅカブログではなく、日常日記だった頃。
 2002年の6月に書いた観劇感想、「君と初恋したかった。@SLAPSTICK」。
 きりやん演じるセネットくん、彼のような男の子と初恋したかった、そう書いてるんだよな。
 素直に、応援したくなる男の子。
 あの、まっすぐな瞳。


 はじめてのバウ主演が大野先生、プレお披露目が大野先生、そして最後の公演も大野先生だ。
 そして、大野先生の作品で、わたしのなかで1、2を争う大好き作品『夢の浮橋』は、まさにきりやんのために書かれた作品だった。(主役は視点、作家が描きたいと熱望していたのはきりやんの役……だとわたしは受け取った)
 大野せんせはきりやん好き過ぎるもんな(笑)。きりやんもまた、大野せんせを信頼しているんだろうな。
 きりやんの男役として、タカラジェンヌとしての集大成作品を、期待したい。

 思い切り、泣かせてくれ。

 『夢の浮橋』で、オープニングから泣き通しだったように。
 物語の明るい暗いではなく、ハッピーアンハッピーではなく。
 心がひりひりする、切ない幸福な涙を流されてくれ。

 出会えて良かった。今、この涙を流すために、今までのすべてが積み重ねられてきたのだと、思えるような。

 大野×きりやんなら、ものすごいモノを見せてくれる気がする。


 ただ。
 大野せんせ、きりやんドリームは、ほどほどにお願いします。

 大野せんせはきりやんを「絶世の美少年」だと思ってるからなああ。
 ホモも耽美もいいけど、もう少し現実も見てね、せんせ(笑)。
 東宝版『仮面の男』
 演出が変わることはわかっていたけれど、問題シーンを削除するだけで、肝心の物語部分はそのままなんじゃないかと危惧していた。ほんと、新人公演程度の変更かと思っていたから。
 思っていたよりは物語部分も手を加えられている。……前述の「3つの問題点」は改善されていないばかりか、更にひどいことになっているので、いろいろ愉快な作品になっているんだが(笑)。

 それはともかく、「物語部分の変更」で、ひとつ意外だったことがある。

 「早わかり世界史」のラストに、ムラ版の中詰めのネタばらしをしてしまったことだ。

 観客のほとんどは、仮面の男ってのがルイの双子の兄弟だと最初から知って観劇していると思う。それこそ、越後のちりめん問屋のご隠居が水戸黄門だとわかって見ているように。

 だけど、この『仮面の男』という物語において、ルイに双子の兄弟がいる、という事実はあえて伏せられていた。
 つまり、なんの予備知識もなく客席に坐った人は、トップスターがひとり2役をやっていることも知らず、ただあるがままに舞台上で展開されるモノだけを、与えられる情報だけを受け止めている。
 ゆえに、舞台中盤、ラウルが牢獄で偶然仮面の男を目撃し、しかも仮面を取るとルイと瓜二つである……! という場面に来るまで、タイトルの仮面の男が誰とかナニとか、まったくわからずにいるんだ。
 ラウルの驚きは観客の驚き。
 そしてさらに、ラウルの手紙にてはじめて、仮面の男の正体を知る。すなわち、ルイの双子の兄弟であるということ、トップスターがひとり2役をやっている、ということ。
 物語の中詰め、話がよーーーっやく動き出す、そのときまであえて、伏せられているんだ。
 こだまっちは、「双子である」ということをわざと観客へ秘密にしていたわけだ。物語の伏線として。
 そこまでずっと秘密で、中詰めでばーんと「実は双子なのだ!」とぶちあげる。そーゆー計算。そーゆー作劇。

 それがムラ版だ。

 なのに東宝版では、オープニングから早々に、「ルイには双子の兄弟がいる」とばらしてしまった。
 アンヌ王妃が侍女コンスタンスに、双子の片割れを託す場面が加わっているんだ。

 これは「物語」として、相当な変更だ。
 物語の半分まで引っ張っていた大きなネタを、いきなり冒頭でばらしちゃったんだもの。
 『キャンディ・キャンディ』の1巻で、「丘の上の王子様は、実はアルバートさんなんだよ」とばらしちゃうよーなもんだ。
 王子様が誰かわからずに9巻まで読んでいたときと、最初からわかって読むのでは、物語の印象がまったくチガウ。プロットのアプローチも違ってくる。

 そういう意味で、まったく別物だなと思う。

 といっても、この『仮面の男』に関しては、だからといって別に、どっちでもいいんだけどな(笑)。もともと物語部分が少なすぎて、大きなネタを隠すか先に明かすか、ふつーならすげー変化なんだけど、もし小説なら地の文からなにから全部変更して視点を変えて描写しなきゃいけないくらいの、ものすげー変更なんだが、1観客としてもすでに投げやりになっているので正直どうでもいい(笑)。
 ただ、プロットの組み立て部分で大きく作用する変更をしたんだ、へー、ということだけ、記しておく。


 でもって、この冒頭のネタばらし。
 アンヌ王妃から託されたフィリップ王子を抱くコンスタンス。

 この場面の追加により、ある意味、「どーすんだよヲイ」なことになっている(笑)。

 ムラ版『仮面の男』にて、最大のタブーがなんだったか、わかるだろうか。
 どう考えてもおかしいんだけど、それは突っ込んじゃいけない、出演者も観客も、全員が共犯になって「見て見ぬふり」を決め込んでいたことがある。
 それが、この場面追加により、言い訳できない白日の下にさらされてしまった。

 すなわち。

 ダルタニアンと三銃士の、年齢設定(笑)。

 ムラ版では、あえて彼らの年齢には触れられていなかった。

 えーっと、コンスタンスはフィリップの世話をするために、ダルタニアンと別れたんだよね? で、フィリップを守ろうとして殺された。それが、「今から数年前」のこと。
 クライマックスの影絵で、コンスタンスの最期が描かれているけれど、フィリップはコンスタンスより小柄な、少年だった。つーと、フィリップが仮面をつけられたのは少年のころ。
 その少年が今は青年になっている……あの影絵を12歳として、今が18歳だとしたら6年前か。
 でもってそもそもコンスタンスはいつからフィリップの世話係になったんだ? 影絵で犬さんだの鳥さんだのを教えられるくらいの年になってからかなあ。10歳のフィリップのところに「新しい侍女です、よろしく」って行ったのかな。
 というと、回想シーンのダルタニアンが20歳としても今は28歳、三銃士はそれより10歳上でも38歳、うん、それくらいなら見た目的にも納得。

 原作がどうの史実がどうのとかは関係なく、あくまでも宝塚歌劇『仮面の男』においての、年齢や年代設定。
 登場人物は若く美しいに越したことはない。三銃士はルイ14世の父親に仕えていたんだから、今はもうじじいじゃん、とか考えちゃいけない。歴史の勉強がしたいわけではなく、「タカラヅカ」を観たいのだから、そのへんはてきとーにいじくって、とにかく主要人物が若いハンサムという設定にしてくれる方がいい。

 と、すべての人が同じ思いでスルーしていたはず。ダルタニアンと三銃士の年齢。
 なんとか辻褄を合わせ、思い込みでも妄想でも、とにかく「三銃士はまだぴっちぴちの30代よ!」「ダルタニアンだって若くて美貌の青年なのよ!」ってことにしていたはずだ、ヅカファンのみなさんは。

 それが。

 コンスタンスが、赤ん坊のフィリップを抱いてますがな。

 フィリップとルイが生まれたとき、彼女はもう大人。そして、ダルタニアンからペンダントを渡されている。
 ……ええっと、あのときのダルタニアン、少年じゃなかったよ、ね……大人の喋り方だった、よ、ね……ぎりぎり20歳だったとして、あのとき生まれた赤ん坊が……ええっと。

 そう、ダルタニアンが言い訳もできないくらいふつーに「大人」だったときに生まれた赤ん坊が、妻と山ほどの愛人を持ち、取っ替え引っ替えしている! 人間ボウリングとかで誤魔化してない、正味妻と愛人の紹介されちゃったよ! あんだけの愛人はべらすのは18歳じゃ無理だ。
 ちょっと待て、あれから何年経ってるの、ルイ/フィリップはもうかなり大人なの? それじゃあダルタニアンはいくつなの? そしてさらに、ダルタニアンより年上の三銃士は……?!!

 「歌劇」の座談会で、アトス氏は「30代後半」だと答えています。
 わたしたち観客も、それくらいの年齢だろうと、見た目や芝居から思っていたはずです。

 それが、無理!なことになってますよ、東宝公演(笑)。
 あの赤ん坊がこの大きさになってるってことは、アトスいくつよ? ルイ/フィリップが25歳としたら、どう考えても三銃士は50代、へたすりゃ60代……あの時代の50、60ってすでにおじーさん……。

 キャラの年齢や年代、時の流れについて、ムラ版では総力を挙げて誤魔化してたのにねええ。
 言い訳できない展開になっちゃったね。

 ナニも知らずに見ている人は、混乱するだろうなあ。
「あの赤ちゃんがこの王様で、赤ちゃんの双子の兄弟を抱いていた女性の恋人がこの青年……ってことは、えええ、この青年、50歳くらいなの?!」

 ……大変だニャ。
 でもそれが「タカラヅカ」。
 いや、面白かったです、東宝版『仮面の男』

 三銃士の非道さに思わず爆笑。
 そしてもうひとつ、爆笑した部分があります。

 行く予定はなかったのに、東宝初日へ行ったのは、演出変更されるというので。
 つっても過大な期待はなく、「これ以上ひどくなりませんように」という後ろ向きなキモチを抱えての観劇でした。
 ムラの新人公演みたいな「臭いものに蓋」「お為ごかし」で「ふう、やれやれ。うるさいから変更してやったぜ、感謝しろよな」な出来かもしれないじゃないですか。なにしろ宝塚歌劇団のすることですから(笑)。

 たしかにいろいろ変更されていました。

 変更のほとんどは「マジに人道的・倫理的クレームが多かったんだろう」と思わせる部分の削除と、フィリップについての解説追記、でした。

 主人公はフィリップだから、まず彼について追記されたのは正しい。
 その追記がことごとく台詞による解説で、冗長かつ地味、どこの植爺芝居だ状態だとしても。

 まあ細かいことはいずれ語るとして。
 この作品の「物語」部分での問題点は3つ、と以前書いた。

・主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係
・ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻
・三銃士のフィリップに対する利己的さ

 これが改善されない限り、結局は同じことだと。

 フィリップについて加筆されたので、「フィリップとルイーズの関係」は少しマシになってるのかな?
 ふたりの心情についての説明台詞が増えていたけど。
 言葉にしなくても、あの程度のことはキムみみがきちんと演技で表現していたので、それをわざわざ台詞で言うことへの無粋さを感じたんだけど、「わかりやすさ」という点ではあった方がいいのか。

 しかし、フィリップとルイーズが共に逃げて影絵なんかしているあの場面ってさ、ふたりが出会ってから、数時間後のことなんだよ、知ってた?
 ルイーズがルイを殺そうとして寝室へ行き、秘密を打ち明けられた、その夜のことだから。
 ラウルのためにルイを殺そうとしていたルイーズが、たった数時間後に、フィリップへ「あなたのそばにいたい」と言うわけですよ。
 ここの改善はされてないんですが、いいんですか。

 いやあ、加筆されたのがフィリップについて少々、なだけだからさー。
 観ながらあちこち笑いツボ直撃して、困った……。
 そのひとつであった、三銃士については前日欄で語った。

 もうひとつの爆笑ポイントは、ダルタニアン。

 前述の通り、ダルタニアンはひどいことになっている。

1.恋人のコンスタンスの復讐のため、あえて非道な国王ルイに仕えている。

 コンスはアンヌ王妃の命令で秘密任務に就いていた。それで殺されたのだから、王室関係のナニかがあったためだろう。だから近衛銃士隊隊長として、王家のそばにあることが必要だった、らしい。
 でもそのために、国王ルイがどんな悪政を行っていても、見て見ぬふり。「血のつながりよりも、主従のつながりを尊ぶのが剣に生きる者の義務だ」とキレイゴトをぬかしている。

2.コンスタンスが殺されてから何年経ったか不明だが、その間ナニも捜査できずに、ぼーっとしていたらしい。

 王室関係のごたごたで殺された、とわかっているだろうに……実行犯が目の前で証拠のペンダントを日常的にぶら下げて生きているのに、まったく気付かず何年も何年も。
 どんだけぼんくら。

3.ルイとフィリップは性格がまったく違う。なのにふたりが入れ替わったことに気付いていなかった。ちなみに、ふたりの入れ替えは、ダルタニアンの目の前で行われている。

 よーやく入れ替わりに気付いたのは、自分の力ではなく、フィリップとルイーズの会話を盗み聞きして。
 三銃士が一大ページェントに混ざって大騒ぎしていたことにも気付かず、すっかり騙されていたくせに、「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」と大見得。

4.三銃士とフィリップを追いつめるためにサン・マルグリット島へ行ったのに、コンスタンス殺しの真犯人がルイだとわかり、コロリと心変わり。

 えーと、もしもここでルーヴォアのペンダントに気付かなかったら、昔の仲間の三銃士とルイーズを殺し、フィリップに鉄の仮面を付けて牢獄へ送ってたんですかね、ダルタニアン。ひどいよねダルタニアン。
 同じ職場で働いているルーヴォアのペンダントに、今ごろ気付くとか、しかも、「行きがけの駄賃で殺した侍女からペンダントを奪った、えっへん」とかゆー男の言葉をまるっと信じるダルタニアン。それも、見るからに「口から出まかせ、命乞いのために言いました」的な、「オレは殺したくなかったのに、陛下に命令されて仕方なくやったんだ」を信じるダルタニアン。
 今までルイの悪政をスルーし続け、彼が誰を殺そうと平気だったくせに、ルイがコンスタンス殺しの犯人だとわかるなり「あなたは人民を助けず、反対に命を奪っている。我々が命を懸けてお仕えする、真の国王ではない」と豹変。オマエガイウナ、オマエがっ。人殺しを見てみぬ振りしてきたんだから、オマエも同罪だっつーの。

5.フィリップがどんな人物かまったくわかっていないのに、国を彼に任せると言う。本当に自分の都合しかアタマになく、国も他の人々のことも、どーでもいいらしい。

 ダルタニアンはフィリップを個人的にまったく知らない。なにしろルイとフィリップがすり替えられて数時間後に、このサン・マルグリット島でルイを捕縛しているわけだからなー。アンヌ王太后のお誕生会からラストシーンまで、一晩のことだからなー。


 という、ムラ版の歪みが、ダルタニアンに関しては一切フォローなしでした。
 フィリップとルイーズは説明台詞がやたら増えていたし、サンマールだってまともな人になっていた。三銃士もさらにヒドイ人たちになっていたが、それでも加筆されていた。
 2番手のはずのダルタニアンは、絶賛放置プレイ。

 ダルタニアンは変な人で、ムラ版でもほんとにおかしくて、やってることはまぬけ一直線なのにいつもひとりだけドシリアスで、ちぎくん大変だなあ、と、コマくんとは違う意味で声援していたんだ。
 三銃士も変な人たちだけど、彼らはコメディパートもあるからまだ変でも仕方ないかと思えるけど、ダルタニアンは徹頭徹尾シリアスなだけに、逃げ場もなく変なんだよなあ……。

 サン・マルグリット島でフィリップと剣を交えるところ、ムラでも2種類くらい台詞なかった? 途中で変わったのかな? 「こんなに瓜二つだとは」とか「このダルタニアンは誤魔化せないぞ(大切なことだから2回言いました?)」とか言っていたのが、海馬に残ってるんだが。
 フィリップをフィリップとして、まともに顔を合わせました、と言いたいがゆえの台詞かなー、って場面。

 そーやって、ムラでも「あれ、ここ台詞変わった?(首傾げ)」な部分。変わったところで、ダルタニアンが変なことは救いようもない事実だから、無意味な変更だなあ、ぐらいのキモチでスルーしていたので、よくおぼえていない、あの部分。

 東宝で更に、変更されていたんだ。
 その台詞ってのが。

「もう二度と騙されないぞ!」

 爆笑。
 まさかこう来るとは思ってなくて、油断していただけに、肩が震えた。懸命にこらえたんだが、小さく声が出てしまったかもしれない。

 騙されてたって、認めたんだ!!(笑)
 今までさんざんアホやりまくって空回りして恥ずかしいことになってるのに、「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」とかあさってなこと言って強がってたくせに!!
 やっぱ、騙されてた自覚はあったんだ。
 ついでにゆーとダルタニアン、今も君、騙されてると思うよ? 真犯人がルイだっていうの、ルーヴォアの苦し紛れの言葉だけなんだよ? 裏付けなんにもナイんだよ? まだ騙されてるかもよ?(笑)

 どこまで騙されやすいんだダルタニアン。
 きっとこれからも、いろんな人に騙されるんだろう、ダルタニアン。

 ダルタんかわいいよダルタん!!
 ムラ版よりさらに、まぬけさアップ!!

 もうアホすぎて愛しい。
 『仮面の男』東宝初日に行ってきました。

 語りたいことは多々あれど、とりあえず、爆笑したことを書きます。

 三銃士、ひでえ!!

 あまりのことに、声を殺すのに必死でした。
 さすが宝塚歌劇団、変更してなおものすごいことにするのか! ナイス!(笑)

 えーと、まず、ムラ版三銃士の酷さについて、おさらいしておきます。

 三銃士はフィリップを「道具」として扱っている。
 彼らの目的はルイの暗殺であり、フランスのこともフィリップのこともどーでもいーと思っている。
 だからフィリップを牢獄から救出し、その恩を売って無理矢理命令。
 泣いて嫌がるフィリップを、ルイの替え玉として王宮へ送り込む。
 ばれたらフィリップが殺されることは必至、なのに「ばれたらそのときだ(いい笑顔)」という冷酷さ。

 これは、三銃士がフィリップをどう思っているか、まったく描かれていないために起こったこと。
 アトスの弟がルイに殺された、アトスは復讐を誓う、復讐のためにフィリップを救出、ルイとフィリップを入れ替える……これだけの出来事しか描かれていない。
 描かれたことだけを見れば、フィリップは三銃士の「道具」でしかない。使い捨て上等!!

 さすがに、あの「道具」っぷりはひどい、三銃士悪役過ぎ。
 それに、監獄暮らしで宮廷マナーはおろか一般常識だってアヤシイ男の子を王様とすげ替えるなんて、絶対無理。

 そのことに制作側がよーやく気付いたのか、三銃士によるフィリップへの紳士教育場面があると、スカステニュースで稽古場映像が流れた。
 じゃあ、東宝版では三銃士とフィリップの間に信頼とか友情とかが芽生えるのかと思ったんだ。


 で、東宝初日。

 三銃士絡みの変更は、仮面の男=フィリップを脱獄させたあとに、彼をルイの替え玉として様々な教育を施すこと、1ヶ月後のアンヌ王太后のお誕生会で入れ替えを決行すると宣言していること。
 それと、クラゲのシーンがなくなったこと。
 この2点。無銭飲食も『H2$』パロもそのまま。

 いちばん大きな変更は、なんといってもフィリップの教育。スカステで流れた、あの場面ですな。

 ……すごいよ?
 この段階でわたしは、かなりクチの端がむずむずしていた。おかしくて。

 いい意味での笑いではなく、笑顔でペガサスに乗るオスカル@コム姫を見たときの笑いだ。も、笑うしかないよね、このあさってぶりは、という。

 わざわざ新しく、三銃士とフィリップの場面をひとつ作っているの。
 音楽はフィリップのサーベルダンスのときの曲を使い回し、演出も似せてある。「三銃士とフィリップ」の場面ってことで、呼応させているんだと思う。そーゆー演出はうまいと思う。
 しかし。

 三銃士とフィリップの「関係」は、なんら変化がなかったんだ。

 フィリップを牢獄から救出し、鉄の仮面を取ってやった三銃士。
 泣いて怯えるフィリップに、一方的に「1ヶ月後に作戦決行するから、あれをやれ、これをやれ」と上から命令。「ルイと入れ替わって国王になれ」……だからフィリップはそんなこと望んでないのに、助けてやった恩を着せて強制。

 うっわー……。

 描かねばならない、いちばん大切なことはマナーや剣を教えることではなく、「三銃士とフィリップの信頼関係」だ。
 おびえるフィリップに、上から命令して押さえつけるのでは意味がない。
 「無理だ」と言わせるだけでなく、フィリップ自身が「ルイを、フランスをなんとかしたい。でもボクには無理だ」と言わせ、「そんなことはない、我々が協力しよう」と三銃士がいろいろ教えるならいい。
 フィリップの意志は一切ナシ。そこにあるのは、三銃士の思惑だけ。
 で、その直後に例のアラミスの「笑顔で恫喝」場面が続く。

 ムラのときと、一切変わってない……三銃士ひでえ。アラミスひでえ(笑)。

 いやむしろ、おびえるフィリップに、大の男が3人がかりで恫喝する部分が加わり、さらにヒドイことになってる。

 ナニこれ、笑える。
 アトスなんか厳しい顔と声で剣なんか向けちゃって、ナニ、仇の兄だから容赦なし? 「お前なんか殺してもいいんだぞ、生かしてやるだけでも感謝しろ」的な?


 それから、ルイーズがルイ暗殺にやって来たときも、地味にツボりました。
 三銃士、ひでえ!! と。

 ルイーズにもなにも教えてなかったんだ、三銃士。
 フィリップ救出までなら、危険だからルイーズを巻き込みたくない、ってナイショにしているのはアリかもしれんが、その後丸ひと月、のどかにフィリップの教育していた時間も、ルイーズは蚊帳の外。
 おかげでルイーズがフィリップ殺して死んでたかもしんないという。ひでええ。


 そして、わたしが爆笑を抑えるのに苦労したのが、正体がばれてルイーズとふたりでフィリップが逃げる場面。

「不思議だわ。フィリップ、あなたなんだか楽しそう。命を狙われているというのに……」
「はじめてなんだ。こんなに外を自由に走り回ることが。自由に息をして、風を光をこの頬に感じる。
 ボクは今、生まれはじめて『生きてる』って感じるんだ」

 ……ええ、ムラのときとまったく同じ台詞、やりとりです。
 でもさ、これをこのまま東宝でやられちゃうと。

 ちょ……っ、三銃士、あんたたち丸1ヶ月間、フィリップをどんな扱いしてたのよ?!!(笑)

 鉄の仮面と監獄と、同じだとフィリップが思うほどの扱いだったのか!!
 三銃士ひでえええ!!

 ムラ版では、王太后のお誕生会がいつかの明言がなかったため、脱獄即国王入れ替えのようだった。
 だから、フィリップが「はじめて自由を感じた」と言っても「昨日まで鉄仮面で牢獄だったもんね」と思えるんだけど。
 自由になってから1ヶ月経っているのに、「命を狙われている」のに、それでも「自由でうれしい」と言わしめるほど、三銃士との生活は、辛かったんだ……!!

 どんだけフィリップのこといたぶり続けたの、三銃士。
 仇と同じ顔した男ってことで、ヒドイことさんざんしたのね、アトス。
 おかげでフィリップ、ちょっとコワレてるよ? なにかっちゃーぽろぽろ泣いてますがな。
 いや、フィリップは健気度が上がり、可哀想度が上がり、じつに萌えなキャラになってるんですが(笑)。

 「君や三銃士まで巻き込んでいる……ボクはこの世に生まれてこなければよかったのかもしれない」って、三銃士に言われ続けたのね、「お前は存在自体迷惑なんだから、命がけで償え」とか。
 うっわー、鬼畜ー。


 と、思えるくらい、三銃士とフィリップの「心の交流」については描かれていませんでした。
 ムラ版よりひどくなるとは思わなかったぞ、マジで(笑)。
 三銃士が酷すぎて、いっそ笑える。

 わたしにアトス×フィリップでなにか腐った話を書けと言ってくれているのかと思ったわ、このすげー展開。

 アトスはきっと、最後の場面まで、フィリップのことは「ただの道具。仇の兄だから、使い捨ててかまわない」と思っていたのね。
 そーやってさんざんヒドイ扱いをしてきたのに、天使なフィリップは「ルイーズと三銃士の命だけは助けて欲しい」と、自分を犠牲にして言う。そこではじめてアトスは心が動いたんだわ、彼の「フィリップ……」という台詞は、それを表しているんだわ。

 と、ストーリーが脳内を駆けめぐりました。


 おもしろいなあ、『仮面の男』。
 ムラ版『仮面の男』、演出に関する感想の続き……こまった、東宝初日までに書き終わらない。
 いやあ、すげえだらだら書いてるからなあ。二度と読み返せないくらい、いつもにも増してまとまりのない文章だ。自覚はあるが、このまま行く(笑)。

 こだまっちの紹介がヘタなせいで、ルイーズ@みみは未亡人で、若い男の子ラウル@翔とつきあっていて、その上ルイ@キムにも見初められる男好きのする女と誤解される可能性がある。
 わたしは、トップ娘役の演じるヒロインだし、かわいいみみちゃんのキャラクタもわかっているから、「ルイーズは清純な少女」てな思い込みで見ているから、それ以外の見方は想像してなかったけど、とにかく「未亡人」という単語はずーっと引っかかっていて。
 ヅカ初見の団体さんとか、ミレディ@ヒメの歌を全部聞き取って正しく理解したんだろうか。


 次は三銃士登場場面。
 悪名高き『H2$』パロディ。

 著作権的にセーフなのかどうかは知らない。ただ、「著作権の関係でDVDが発売されず、本公演でもなく、本拠地でもない外の劇場で3週間だけ上演した作品を観た人しかわからない」演出に、今回したのは演出家の浅慮さの表れだと思う。
 パロディというのは、元ネタを知っていることが前提だ。知らない人が多いネタを嬉々として使うのはどうよ。

 パロディ自体は、わたしは別に悪いと思っていない。
 質のいいパロディが劇中に使われているのは、観客を「にやり」とさせる効果がある。知識を共有するものだけが持つ悦というか。ああこれは**という作品の**をパロってるんだな、憎いことするじゃないか、的な。

 しかしこの『H2$』パロはあまりに安易なお笑いとして、『H2$』の表層だけを借りてきたに過ぎない。替え歌レベルっていうか。
 ぶっちゃけ、「本の声」=アトス@まっつが登場したらウケるんじゃないの~? ってだけの、思いつきで作ったんじゃないの?
 なんかすごーく安く「うわ、いいソレ、ウケる~~!」って、ひとりで手を叩いて喜んで、ただの一発ネタにしか過ぎないモノを、マジに描いてしまった気がする……。
 実際、「本の声」=アトスが登場する瞬間、あそこが「パロディ」としての効果がいちばん大きく、その一瞬だけは笑えたと思う。意外な展開だったので。……もちろん、元ネタを知る人だけが。

 そのあとえんえん続く『H2$』は冗長。メモの話とか、『H2$』本編でもスベっていたというか日本人面白くないよソレ、だったのに、伝票に焼き直して使っていて、さらに日本人ぽかーん、だし。
 最初の一瞬、ネタひとつだけで終わっていればまだよかったのに、場面ひとつまるまる『H2$』だから、しつこいのなんのって。
 パロディだけで長めの一場面を使い切った本公演作品ってナニかあった? 過去に例がないのは「斬新」とか「誰も思いつかなかった素晴らしいアイディア」なのではなく、「誰だってそれくらい思いつくけど、不要だから・間違っているから、過去に誰もしなかった」というだけのことだ。

 元ネタを知るものだけが「にやり」とする、次元じゃない。だってえんえん一場面だもの。そんな下品な使い方に「知識の悦」なんか湧き上がるもんか。むしろ逆効果。辟易するってば。

 ましてや、三銃士が無銭飲食をし、最後は居直り強盗のように剣を抜いて暴力で決着をつけようとするなんて、ありえない。
 どこの無法者だよ。

 てゆーかさ、この3人、誰?

 パロディをやること、が目的になってしまっていて、作品にとって必要なことが無視されている。
 三銃士というものへの説明がない。
 「早わかり世界史」で、この舞台の背景説明をしていればともかく、水戸黄門とかやってなんの解説もないまま、観客がまったく知らない3人組が出てきてえんえん知らない作品のパロディをやり、客席の置き去り感半端ナイ。
 『三銃士』という物語を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? 『H2$』を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? ……そのレベルの不親切さ。
 ひとつでも大概なのに、同時にふたつの作品を「知っていて当たり前」という前提で持ち出してくる大衆向け作品ってどうよ? どんだけ観客を選ぶのよ?

 三銃士がナニモノで、そこへ現れたロシュフォール@せしるという男が何者で三銃士とどういう関係で、さらに鳴り物入りで表れたダルタニアン@ちぎという男が何者で三銃士とどういう関係なのか。
 基本的なところを一切描いていない。

 やはり「早わかり世界史」を全カットして、「在りし日の三銃士」をやるべきだったよなあ。
 画面的にも派手になったと思うんだ。
 別にモリエール@咲ちゃんが出てきていいよ。
 重厚なオープニングのあと、モリエールが「マダ~ム&ムッシュ♪」と出てきて「『仮面の男』をより楽しんでいただくために、登場人物の紹介をしましょう」と、空気無視したお気楽さを展開してくれていいよ。
 本編と関係あることをやるならば。突然のお笑いテイストでも空気ぶち壊しでも、最低限、セーフだ。

 カーテンが再度開くとそこに、アンヌ王妃@ミトさんを壇上に、ルーヴォア@ひろみ、ミレディ、ロシュフォールたちがぞろりと並び、貴族の男女とか侍従とか侍女とかも並んで華やかに、その中にはもちろんコンスタンス@あゆっちもいて。
 その前、本舞台いっぱい使って銃士隊が勢揃いし、中央に三銃士とダルタニアンがセリ上がってくる。
 で、4人で剣を合わせ、キメ台詞を日本語で言う。フランス語で言ってもいい、ただその前かあとにか、必ず日本語で言う。まず「伝える」こと、それがいちばん大切なの。
 かっこいーダンスを踊る人々で観客に楽しませておいて、花道あたりにいるモリエールが三銃士とダルタニアンの説明をする。
 今より少し前の時代なんですよ、と。
 その解説の流れからルイ@キムが登場し、よーやく現代、ルイの悪趣味場面へつなぐ。

 そうすれば、観客は『H2$』パロにとまどうだけで済み、「三銃士って誰? ダルタニアンって誰??」とならないで済む。
 ラストのサン・マルグリット島での大階段を使った立ち回りにも呼応するのにな、「あの人たちと戦うのか!」的に。
 ラストシーンの「久しぶりにやるか」で剣を合わせる三銃士とダルタニアン、「久しぶりに」って、あんたたち今までそんなのやってないやん! 今がはじめてなのに、久しぶりもナニもないやん! と観客がツッコミ入れることもなくなるのに。

 三銃士の説明のなさも問題だが、ここでもうひとつ問題なのが、キーパーソンであるラウルの描き方。


 てことで、またいつかの日にち欄へ続く。
 明日は東宝初日だっ。
 再演『カナリア』、初日行ってきました。

 つーことで、感想メモ。

 全体的に、主役が、ヴィム@えりたんだった。

 初演はアジャーニが主役だったからさー。
 オープニングからラストシーンまで、みろりんの比重が半端なく高かった。
 でも、今回は壮くんを中心にわずかだが書き直してある……感じ。
 反対に、初演はなんであんなことになっていたんだろう?
 や、もちろん演じている役者のキャリアや格も大きく関係しているが。マサツカは基本比重は大きくいじらない、大幅な書き直しはしたりしない人だし。
 今回は、主役はヴィムだ。えりたんが自在に暴れている。

 悪魔学校校長パシャ@まりん、カナリアを飼うホームレス・ティアロッサミ@いちか。
 初演ではパシャがシビさん、ティアロッサミがマヤさんだった。
 今回は男役のまりんがパシャで、娘役のいちかがティアロッサミ……ってことは、役の性別が変わっているんだな、と思ったら。

 まりんが、女役だった。

 ……ちなみにまりん氏、公演の長なので、挨拶もします。こわいです(笑)。

 んじゃティアロッサミはどうなってるんだ??
 ティアロッサミは女性になっていた……と、思う。が、あまりわからない……というか、変化がない。
 一人称「儂」で、男言葉。服装もホームレスなのでボロなだけ。顔もあまりよく見えない。初演まんまな印象。
 「じいさん……(あ、チガウか)、ばあさん」と呼びかけがある程度にしか、性別には触れられない。

 ラストシーンで、天界の者として登場するときにはじめて、女性だったことがわかる程度の、わざとだろう、中性的な描き方。
 というか、ラルゥ@『スカウト』がそうだったように、マサツカはいちかを「娘役」だとは思っていないのかもしれない。「役者」だと思っている。だから、性別を気にしていないというか。ラルゥも性別不明な悪魔だったよなあ。そのくせ、「女」として現れるときはめちゃくちゃ「女」だったよなあ。

 ティアロッサミは性別はどっちでもいいよな、男でも女でも。
 しかしパシャは、女でないとまずいな(笑)。まりんが男のまま演じたら、ホモ親爺になってしまう……だから熟女なのは正しい。

 役の比重をいじることがほとんどナイ、マサツカ。
 比重ではなく、役者の個性と力量まかせなところはあるよな。マヤさんの役をほぼそのまま再演で演じたみわっちが、「所詮、専科さんの役」を「男役3番手の役」に演じきってしまった『メランコリック・ジゴロ』のように。

 まぁくんがヴァンサン役。
 初演では4番手のゆみこが演じていた。しどころのない役で、5番手のらんとむの役の方がおいしんじゃ……?なんて感じの役だった。
 何故こんな配役? 『ファントム』で役替わりフィリップ役をやらせたくらい、まぁくんを今売り出したいのなら、初演であさこの演じたウカをやらせるべきだろう。ウカはなにかとオイシイ役だ。この役をやればまぁくんの株も上がりそうなもの。なのに、何故ヴァンサン。
 他の演出家ならともかく、あのマサツカが自作をまぁくんのために書き直すとは思えない……。

 思った通り、役の比重は変わっていなかった。
 3番手はウカ、ヴァンサンは4番手か5番手かぐらいの役。しかも、ヴァンサンの相棒ディディエ@めぐむの比重が微妙に上がっているため、ヴァンサンとディディエは2個イチくらいの扱いだった。
 めぐむと2個イチって、今さらそんな扱い……。
 めぐむはマサツカのお気に入りだっつーことがあるにしても、コレはナイんじゃないか。

 たしかにみわっちはマヤさんの役を「スター!」な役に演じ変えてしまったけど。
 まぁくんに、当時のゆみこの役で、自力で3番手になれというのは酷な話だ。

 そして、ウカ@マイティー。
 実力者だということは知っているし、顔は好みだし、新公では期待して眺めている子なんだが……いきなり3番手は、荷が重かった印象。
 まだ外見が出来上がってないんだ。すらりとしたあさこのイメージがあるから余計に、スタイルの残念さが際立つ……。
 歌も芝居も、新公ではうまいと思うけど、この場で「いかにも新人公演」だと、なかなかつらい……。
 いっそ、きらりがやればよかったのに、と思ってしまった……。別にウカが女でも問題ないだろーしさー。
 悪魔学校には女はいないそうだから、小悪魔の女の子たちも、実はきっと男の子なんだろうし。←

 マイティー比では、よくやっていたし、きっとこれからもっと良くなっていくんだと思う。

 ヴィムにくっついてる小悪魔たち。
 これを本当に新公学年のお子ちゃまたちにやらせることで、「悪魔学校入学前の子ども」感を出したかったんだと思う、マサツカ的には。
 たしかにほんとに子どもたちで、がちゃがちゃ可愛かった。
 しかし、その他小悪魔きらりの達者さと、リーダー・ウカの経験値の足りなさの格差は、せっかくの「お子ちゃまがやることで出す、お子ちゃまさ」効果に混乱を招いていると思う。

 ウカがまぁくんだったら、ふつーにかっこよかったろうなあ。
 まぁくんは等身大の前髪のある(重要)青年を演じて、原点に戻ってみるべきだと思うのに。
 背伸びしているフィリップだとか、変な人のジャスティン@『コード・ヒーロー』とかじゃなく。

 あと、個人的にすごく驚いたのは、よっちが、マサツカ役者だったこと。

 小悪党のディジョン@よっち。初演らんとむ。ほらあの、犬になる人。

 らんとむが演じているときよりも、すごくど真ん中に「マサツカ喋り」。
 あの独特のイントネーション。
 うわ、ここまで「マサツカ!」って芝居している人、久々に見た(笑)。
 まっつがバロット@再演『メランコリック・ジゴロ』でやっていたなあ。再々演のみつるは違った。
 マサツカがよっちを気に入るわけだ、こりゃいいもん見たー。

 よっちは、すごくイイよっちだった。
 このよっちを見るだけでも、『カナリア』に行く価値がある!!

 あと、アイリス@さあやが、やっぱうまい。群を抜いてうまい。少ない出番、短い台詞でも「おっ」と思う。
 相棒のポリーヌ@乙羽映見ちゃんがうまくないだけに、違和感あるほどうまい。乙羽ちゃんは研2の抜擢だから、学年のわりにはよくやっているのだと思う。

 ラブロー@みわっちは、堅実にいい仕事をしている。……けど、この役だと予定調和っていうか、みわっちの引き出しの中にある感じで、役不足な気がする。
 みわっちはもっと、不安定な……いったいどうするんだこんな役?!の方がいいなあ。
 そんな「??」な役を、ひょいと自分のモノにしてしまうみわさんが見たい。

 ヴィノッシュ@仙名さんは、うまいしかわいいんだけど……あとは、華、かなあ。
 さあや的職人風味を感じる……。わたしは彼女をもっと真ん中で見てみたいクチなので、もっともっと華やかさが欲しい。
 初演のあすかは、ほんとに華やかだったんだなあ。愛嬌のカタマリだったんだなあ。

 ところで、このふたりのもうひとつの役、ジュールとサリーの悪態シーンがカットで寂しかったっす。
 黒いみわっちが見たかったのに!!(笑)

 文字数ナイや、みりおんとか、またいずれ。

 最後にひとつだけ叫ぶ。

 タソ×めぐむ、って誰得?!

 タソの腕の中でめろめろになるめぐむ……。砂を吐くかと思いました……いや、あの人数の中で、タソとめぐむをロックオンしていたわたしが言うのもなんですが(笑)。
 わたしは、『カナリア』を名作だと思ってない。
 当時はどっちかっちゅーと「正塚にしてはつまんない、どーでもいい作品」認識だった。
 「まあ仕方ないよね、ほんとはテロリストの話だったのに、時節柄まずいと全ボツくらい、タイトルだけそのままで、全編あわてて書き直したんだもの。付け焼き刃の突貫工事でとりあえず書いた作品だから、このレベルでも仕方ないよね。ボツくらったっていう、ポスターイメージのカナリアを飼うテロリストの話が観たかったなあ」……って、友人たちと話してたなあ。
 あれがもう、10年前かあ。時が経つのは早いなあ。

 わたしの中では評価低いし、当時一緒に観劇していた友人たちの間でも似たよーな温度だったんだか、いつの間に『カナリア』は名作ってことになっていたんだろう?
 ヒロイン・アジャーニはたしかに演じ甲斐のある役だとは思うけど、主人公のはずのヴィムはチャーリーに合っていたとも思えないし、作品全体を見れば焦点の甘い散漫な話なんだけどなあ。

 友人がチャー様ファンだったんだが、役も作品も、喜んでなかったしな。主演だからうれしいってだけで、それ以外はノーコメント、ヘタに話すと愚痴になる、みたいな。
 そりゃあな、ヒロインこそが主役と言われちゃう作品、喜べるわけないか。チャー様は前回の主演バウも痛々しいコメディで、ファンは「今度こそ、アテ書きシリアスの二枚目のチャー様が見られる!」と期待していただろうに。正塚、空気読もうよ、2作連続コメディはファンが可哀想だよ。

 てな思い出語りからはじめてみる、なにしろ年寄りですから。いつも過去ばかり語りたがるものじゃよ、よぼよぼ。

 そう、わたしが「壮一帆」を最初に知ったのが、そのチャー様ファンの友人の言葉からだった。
 チャー様ファンが苦渋の思いを抱いていた『あさきゆめみし』。2番手とは名前ばかり、扱い的に刻の霊@オサが2番手じゃないの、劇団は下克上したいんじゃないの、と勘ぐっているときに、新人公演でらんとむがその刻の霊役だった。
 新公の役付きでわかることってあるよね。劇団が「将来のトップスター」と大事に育てている子が今さら4番手の役なんかやるわけないじゃん。ああ、やっぱり刻の霊が2番手役なんだ……頭の中将はそれ以下の役なんだ……。
 それを思い知らされた新公。わたしは観ていないのだが、その新公を観に行ったチャー様ファンが、語った。
「チャーちゃんの役をやった子、ぜんっぜん知らない子なんだけど、チャーちゃんそっくりだったの! 目が大きくて、キラキラしてて、きれいなんだけどものすごくヘタ。そんなとこまでチャーちゃんそっくり!」
 チャー様ファンのBE-PUちゃん……ファンだけど容赦ない評価だったよなあ(笑)。

 わたしが壮くんの名前を聞いた最初が、この「チャーちゃんそっくりの、きれいなだけでへたくそな子」(笑)。

 実際に舞台で壮くんを認識したのは『マノン』でしたよ。あのあさこちゃん総受芝居の、空回りホモのミゲル役な(笑)。終演後に「(MVPは)ミゲルだなっ」「ミゲル!!(爆笑)」てな会話をまた別の友人とかわしながら花の道を歩いたもんだった……。鮮烈なデビューだったよ、ソウカズホ。

 でもって、そのBE-PUちゃんの車でよくムラから家まで送ってもらっていたんだが、BGMで流れる花組『エンカレッジコンサート』のCDで、みんな気持ちいい歌ウマさん揃いなのに、ひとりだけものすげー音痴な歌声が混ざっていて、「だ、誰これ?!」と驚いて聞くと、「ああ、それがソウカズホ(笑)」って言われたなー。「そんなとこも、チャーちゃんそっくりでしょ」「そうだね……」って、ああなつかしいなあ。

 あれから10年。
 まさか『カナリア』を、壮くんで観る日が来ようとは。

 えりたんのファーストインプレッションは、「チャーちゃんそっくり」だったんだよなあ。

 だけど、えりたんとチャー様は、芸風がまったくチガウ。
 いや、えりたんの今の芸風が確立したのは、花組に戻ってきてからだけども。

 再演初日にいそいそ観に行ったわけだが、『カナリア』という作品に関しては、初演も再演の今回も、評価は変わらない。
 別に、名作ではないよなあ。もう少しなんとかならんかったんかい、という気がしてならない。いや、悪くないよ? その後いろいろ劣化していくマサツカ芝居を思えば、このころはまだ良かったんだなあ、とか今にして思うよ(笑)。
 でも別に、鳴り物入りで再演するほど名作じゃない。

 そしてキャストも、初演の濃さというかスター勢揃いな豪華さに比べ、今回の再演はいろいろ大変というか残念なところもあるなあ、と思う。

 しかし、だ。

 ヴィムという役に、ソウカズホは合っている。

 チャー様のときに感じた違和感、「なんでチャー様にこの役なんだろう。もっと他に、彼の魅力を出す役があるだろうに」ともどかしく、もったいなく感じた、あの違和感が、ナイ。

 壮くんにアテ書きするとデイヴィッド@『麗しのサブリナ』や劉邦@『虞美人』になっちゃうんだろうけど、壮くんの持つもうひとつの魅力、すなわちドS系美形を満たす役なんだ、ヴィムって。

 や、コメディなんだけどね。まぬけな役なんだけどね。
 だけど、ヒロインを不幸にするのが目的の悪魔で、基本は無表情にクールに決めているわけだから。
 そのSっぽい雰囲気と、どこかまぬけなチャーミングさが、えりたんの二面的な魅力を表しているなと。

 このみょーな魅力はなんだろう、ヴィム。
 このみょーな魅力はなんだろう、ソウカズホ。

 壮くんのハマリ役と言われた猛獣使い@『エンター・ザ・レビュー』。(ただし、ダンスはかなり踊れてなかったんだけど。でも、ハマリ役・笑)
 あのSでクールで悪な美形っぷりを見られるんだ、今回。
 シリアスパートは真面目にかっこいいんだ。

 うっかり教会に連れ込まれ、祈りの言葉を聞いて苦悶するヴィム。なにしろ悪魔だから、教会は天敵。
 ベンチの上で「ぱたん」と力尽きている姿のおかしさ。
 お尻治療のデイヴィッドのおかしさに通じるものがある。お尻を腫れ上がらせて、なお二枚目でいられるのは、宝塚歌劇団広しとはいえ、ソウカズホの他にはない。
 そーゆー彼の魅力満載だ。

 てゆーか、この教会ベンチのヴィム、ズボンの裾がまくれあがっちゃって、ナマ脛ちら見せ、ごちそうさまです(笑)。

 えりたんが、えりたんのまま、自由に暴れている。

 うわ、どうしよう、楽しい。

 作品がどうとか、初演と比べてどうとか、そーゆーことではなく。

 壮くんを見るのが、楽しい。
 だから、『カナリア』自体が楽しい。

 役が多くて、いろんなところまで楽しめることも、確か。
 だから、壮くん以外も楽しい。

 いやあ、おもしろいよ、『カナリア』。
 ムラ版『仮面の男』の演出中心の感想、続き。

 ルイ@キムの悪趣味場面、続いて登場するのは、下品なクチビルソファー。
 初日に張り切って前方席にいたわたしは、舞台を見上げるよーな目線になっていただけに、下唇のタラコぶりに、びびった。

 2階席からならここまで思わないが、下からだと角度的にもすごいよ、下唇の突き出し方。
 大昔にあった『飛べ!孫悟空』という人形劇の三蔵法師のクチビルを思い出した……ニンニキニキニキ。

 そして。
 そして、ごめんよ。
 やはり、キムを思った。
 分厚いクチビルと受け口はキムくんのチャームポイントだと思っているが、それを揶揄するかのよーなクチビルソファー登場に、「演出家はどういう意図でコレを出したのだろう」と混乱した。
 ただのエロアイテム? 他のスターさんならここまで思わなくても、なにしろキムだから、首を傾げる。

 ソファーの上でのエロダンスは、わたしは別にかまわない。
 モロにアレなダンスだけど、タカラヅカ的に今までもあったレベルだと思うし。
 だからあとは、クチビルソファーとの兼ね合いだなあ。下品さが一気に上がるからなあ。

 ルイがソファーで勝者@あゆみとエロエロしていると、周囲にキャスター付きドレスの夜の淑女たちが現れる。こだまっち、キャスター好きだなああ。

 キャスターで制限された動きが非人間的で、効果としては面白いと思う。
 女性の人権なんてなかった時代、偏った美への固執とその道具っぷりを表現するにはアリかもしれん。

 ここの淑女たちが、キャスターでケガをしないか心配しちゃうのは、ただの老婆心か。
 ドレスは衣装ではなく、セットだよな。キャスターのついた衝立みたいなもん。その衝立の後ろに立ち、キャスターを滑らせて衝立と同時に動き、音楽に乗って踊る。
 キャスターでうっかり、自分の足を轢いたりしないかな。スピードもブレーキも、足で床を踏むことで調節しているのだろうし。

 不自由なキャスタードレスを脱ぎ捨てた淑女たちは下着姿になり、クチビルソファーでルイと戯れる。
 赤いソファーと白い下着のコントラストはきれい。


 さて。
 そうしているうちに、背景のただのベニヤ板に、電飾が輝く。
 黄色いランプが点き、矢印が浮かび上がる。

 その矢印の下に、ルイーズ@みみが登場。「可憐な乙女」ポーズを付けたまま静止。

 何故矢印(笑)。
 ヒロインが悪役に見初められる場面なわけだが、とても斬新です。

 こーゆーノリの舞台だから、わたしは別に矢印自体はどーでもいー。新公で削られていたから、世の中的には不評なんでしょうけれど。

 ルイーズをルイが見初めることに、なんのドラマもエピソードも用意する気はなかったってこと、それはそれで潔い。
 ルイは所詮脇役だから、そんなところに時間を使う気はない、てのなら。
 問題は、脇役だからエピソードを端折ったのではなく、主役だろうと万事エピソードは端折られ、ストーリー自体がほとんどなかったってこと(笑)。
 矢印とヒロインの登場方法自体は別に、これでもいいよ。問題はそこじゃないから。溜息。

「美しい。あの娘は誰だ」と、ルイは下着女たちを放り出して言う。

 すると背景のただの板から、真っ赤なクチビルが山ほど登場する。
 背景は「早わかり世界史」で使ったびんぼくさい板。窓がいくつかある。その窓から、つやつやした塩化ビニル製って感じのクチビル・パペットが顔を出す。
 このクチビル・パペットがお喋りをする様子で「説明ソング」を歌い出すんだが……謎のアニメ声。

 いやあ、初日はナニ言ってんだか、まったく聞き取れなくて閉口した。
 ひとりが作ったアニメ声で歌うならまだしも、コーラスでしょ? ナニ言ってんだかさーーっぱりわかんない。

 すごいのは、公演が進むにつれコーラスの精度が上がり、無理をしたアニメ声のコーラスなのに歌詞がはっきり聞こえるよーになったこと。……ジェンヌってつくづくすごい。

 説明ソングが「聞き取れない」ってのがもお、演出家の不誠実さを表しているよね。
 キャストのせいじゃないもん、回転数を変えたレコードみたいな、無理なアニメ声でわざわざ歌わせてるんだもの。

 で、ミレディ@ヒメが登場するんだが、彼女の説明も「ヘタだなあ」と思う。
 「陸軍大臣ルーヴォアの一味」とクチビル・パペットに紹介されるんだけど、この段階で「陸軍大臣ルーヴォア」が登場していない。順番的におかしいんだよね、知らない人の名前を出されても……。
 こんなささやかなところにも、物語の組み立てがヘタなんだってことが表れている。

 背景のただの板に映される、ヒメのドアップ映像はいいと思う。
 ただし、意味がわからないけどな。

 「ル・サンク」を読んではじめて、映像の彼女の動きが他の淑女たちとリンクしていることがわかった。
 息を吸う仕草で淑女たちが吸い込まれるよーに現れ、息を吹くとその淑女たちは吹き飛ばされるそーだ。

 こだまっち、やっぱし大劇場の大きさを理解してないんじゃないか?
 バウサイズでなら本舞台の映像と花道を同時に観られるかもしれないが、大劇場だとこのふたつはものすごーく離れた場所なので、同時には見られないし、関連づけにくいよ?

 映像とは無関係に、噂話をする淑女たちがばたばた現れたり引っ込んだりしている、と思って観ていた。

 んでわたし、ここの「ルイーズの説明ソング」の歌詞が嫌い。

 名前を言うのはいい。
 だが、父と母の話はいらんやろ。

 ふつうに台詞で言うならいい。
 でも歌だ、コーラスだ。そして、こだまっちの悪い癖、「はじめて出てくる耳慣れない単語を、わざわざ歌にする」。
 台詞で言ったあとに歌にするなら耳に入りやすいけど、いきなり歌だから、聞き取りにくい、理解しにくい。先ほどのルーヴォアもそうだけどな。
 ルイーズのフルネームも歌だから、純粋に聞き取りにくいし、名前と姓がわかりにくい。
 士官、とか、パリ高等法院もこうして文字で見れば瞭然だし、台詞として聞くなら意味もわかるが、歌の中で突然脈絡もなく出てくると聞き取れない。

 この歌の中でいちばんはっきり聞こえるのは、ルイーズの名前よりもなによりも、未亡人、というフレーズ。

「あの娘は誰だ」
「彼女の名はルイーズ……(聞き取れない)……未亡人」

 ルイーズが、未亡人だと思える。

 なんでこんなわけのわからないことを?
 大体、「父は士官で、母はパリ高等法院監督官の未亡人」ってナニ? 日本語でお願いします。
 父は士官じゃないの? なのに母の夫は監督官なの? まったく解説になってない。
 その上、「未亡人」と間違った知識を観客に与える。

 観客に「伝える」キモチが感じられない。
 舞台は観客あってのもの、お金を出して観に来てくれる人がいるからこそ、舞台を作れるのだということが、わかっていない。
 いろんなところから、誠意のなさと、自己満足ばかりが伝わってくる。

 こだまっちは「悪趣味パフォーマンス」を責められているけど、そういう大きなところだけじゃなく、いろんなところにも根っこを同じにする、自己愛ゆえの他者への誠意と想像力のなさがある。
 それらが全部合わさって、ここまで不評を呼んだのだろうと思うよ。

 続く。
 ムラ版『仮面の男』の演出中心の感想、続き。

 「人間ボウリング」って言うけど、これボウリングちゃうやん!!
 という基本事項から引っかかっている、「人間ボウリング」場面。

 ボウリングと銘打つなら、ちゃんとボウリングやれ、とわたしは思う。

 で、さらにわからないんだ。
 ボールを投げる前から、どのピンが倒れ、どのピンが残るのかわかっている。
 なのに、何故、ピンが倒れまいと抵抗するの?
 答えは巨大メガホン@朝風くんが発表した瞬間にわかっている。それなら即座にボールがピンを倒してしまえばいい。
 なのに、発表からあとが、長いのなんのって。
 ボール係@あすレオがゆっくりコースを決め、ピンの淑女たちは倒されまいと腕まくりし、ボールとピンでやるのやられるのと力比べ、根比べがはじまる。

 わたし、「人間ボウリング」でいちばん嫌いなの、ここだ。

 こだまっちは笑わせたいんだと思う。ボウリングピンの被り物をした淑女たちが滑稽な動作で「倒されまい」とあがくところを。

 おもしろくない。

 悪趣味以前に、まーったく面白くない。笑えない。
 だって答えは出ている。淑女に、相撲取りのようにボールをいなそうと「どすこーい!」とかやられても、「……で?」としか思えない。や、もちろん、ドレス姿の娘役に「どすこーい!」とさせるセンスにも辟易だけどな。

 常識で考えてもさ、おかしいじゃん?
 倒される淑女はもう決まっている。ルイ@キムのお眼鏡にはかなわなかった。なのに抵抗して、力尽くでボールを避けようとするのは、王様への反逆じゃないの? 力尽くで倒されまいと逆らうことに、なんの意味があるの? 「あの淑女は力持ちだ、すばらしい」とルイにアピール? ルイは怪力女が好きなの?

 ピンとボールが長々と立ち回りをするから、余計になにをやっているのかわからないんだ、ここ。
 ピン並びました、ルイの答えが出ました、その次の瞬間ボールが動き、周りのピンは全部倒れ、勝者だけが残りました、ならわかる。実際のボウリングは投げたあとすぐにピンは倒れるから、見た目的にもボウリングに近くなる。

 ボールを投げたあとが長すぎて、ピンがピンに見えず、ふつうに人間女性がひどい扱いを受けている、そしてそれを笑わせようとしている感が強くなり、嫌悪感が上がる。
 ショーでよくあるスロットマシンマシン場面、コインの代わりにキラキラ衣装の女の子たちがきゃーっと現れる定番演出、あんな感じで個はなく楽しく演出するならいい。誰も「女の子をコイン代わり、賞金代わりに扱うなんて、非人道的演出だわ!」とは言わない。
 コイン役の女の子が、コインとして扱われることを嫌がり、抵抗し、逃げたり抗ったりする様を長々と描き、ついには無理矢理機械の中へ突き落とす、そしてそれを「笑いなさい」と強要する演出だったら、スロットマシンも非難されたと思うけどね。

 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 「人間ボウリング」の空気読めない感のすごさは、これが、2セットある、というこだ。
 1回だけでも、わたしがこんだけ長々「変じゃね?」と書けるくらい間違っていて、冗長でつまらなくて場が冷えて客が引いているのに、同じことをさらに時間を掛けてもう1回繰り返すのだわ。
 そして、2回目に入る前に盆が回り、淑女たちが用意している様をえんえん見せる。
 ボール係や侍従@りんきらたちの嘆きの歌はいいんだけどね。

 ところで巨大メガホンがいちいちフランス語で叫ぶのがわからない。
 ただでさえ「叫ぶ」ために言葉が聞き取りにくい。そして、これから起こる場面の説明、最初のひと声だからこそわかりやすくする必要があると思うのに。
 観客のことを考えず、演出家の自己満足に過ぎないだけの場面だと、そんなことにも現れていて、あきれる。

 この場面についても、繰り返すが、美しければ無問題なんだ。
 豪華で美しく、目に楽しいのなら。
 でも実際は、がらーんとしたなにもない舞台に、ぽつんぽつんと人がいるだけのびんぼーくさい画面。
 盆がまるまる全部見えるくらい、舞台上になにもない場面なんだよ。いやあ、心冷えるってば。これが太陽王の宮廷かと思うと。
 びんぼーだったんだねえ、ルイ14世。お城も玉座もなにも持ってなかったんだあ、ははは。


 長すぎるボウリング場面の次は、勝者@あゆみとルイのエロダンスだ。
 トップスターのエロ場面はタカラヅカ的に正しい。ファンサービスだと思う。
 だからそれはいい。

 だが問題は、その周囲で踊る紳士淑女たちだ。

 ここが……。
 初見から、相当やばいと思った。

 紳士は普通の貴族男たち。美しく着飾った人たちで、優雅に踊る。
 問題は、そのパートナーの淑女たち。
 キャスター付きの台だか椅子だかに坐った上でドレスを着ているため、とてもいびつな姿になっている。

 椅子に坐ったままダンスをしている、のではない。
 演じているジェンヌ的にはそうだけど、見えているモノは違う。
 「ふつうの人間が坐っている状態」が、「立っている状態」の女性、に見える。
 こだまっちはもちろん、そう見せたかったんだろう。ドレスを工夫して、坐った淑女たちが立って踊っているかのように見えるよう演出している。

 わざわざ工夫して、苦労して、いびつな姿を作っている。

 こだまっちの悪趣味演出に関して、いろんな人がいろんな場面で非難の声をあげていると思うが、わたしが耳にした中でも特に、このキャスター椅子の淑女に関しての「悲鳴」は深刻だった。非難じゃない。悲鳴だ。耳と目をふさぎ「やめてー!」と叫ぶレベルだ。
 生理的な拒絶反応から、身障者関連まで、本気でこの場面だけは許せないと声を聞く。
 これだけ「人間」を傷つける演出を、平気でしてしまうのもすごい。

 キャスターを使ってのダンスが悪いワケじゃない。要は使い方だ。
 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 この場面が禁忌に触れない人でも、単に「ドレスの娘役がガニ股で椅子を滑らせて踊るのは興醒め」とは思うだろうし。

 何故こんな、誰も喜ばないことをするんだろう。


 続く。

< 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 >

 

日記内を検索