「レオン神父。以前、僕がマルキーズとサーカス団を救うためにセリメーヌと結婚しようとしたとき、おっしゃいましたよね。『馬鹿者、お前まで偽りの人生を生きるつもりか』と。お前まで……と。僕と、誰のことを言われていたのですか?
 あのときは、心を偽ってアルガンと結婚しようとしているマルキーズのことだと思ったんですが。
 でも、神父が叱られたのは僕だけですよね。マルキーズのことはあんな風に叱らなかった。
 何故、僕のときだけあんなに声を荒らげて叱ったのか。何故、あんなにも取り乱したのか。
 お前まで、というのは、どういう意味なのか。
 ずっと、引っかかっていたんです。でも、このたび父の若い頃の日記を見つけて……」

 語るジョルジュを、レオン神父は静かに制した。

「ジョルジュ。君はアンリに……君の父上によく似ている。姿はまさに、生き写しだ。君と話していると、アンリと話している気分になる。
 私も、アンリも若かった。彼もまた不器用で、やさしい男だったよ。君と同じように。ひどくロマンチストで……永遠の愛を信じていた」

「父は、『私は神を裏切った。いや、私の犯したもっとも深い罪は、愛する人に神を裏切らせてしまったことだ』と書いていました」

「アンリは、悔いていたのかね?」

「……いいえ。苦しんではいましたが、後悔はしていませんでした。父の日記には、愛する人への気遣いと、ただ、愛する気持ちだけが綴られていました。
 父の恋人は、とても奔放な人だったようです。幼い頃から神に仕えるよう義務づけられていたそうですが、枠に収まりきらない生命力を持ち、陽気で型破りでいつも父を驚かせていました。
 修道院を抜け出し、臆する父の腕を取り駆け出すような人だったと。大きな声で笑い、歌う人だと。
 父の日記には、ただ、その人のことだけが書かれていました。『Lが笑った。Lが歌った。Lがこう言った』と。前後のつながりもなく、ただ、恋人の行動だけが書かれていました。まるで、彼の世界のすべてがそのLという人物であるかのように。
 それだけで、どれほど愛しているかが伝わってきました。恋人の行動の羅列だけなのに、その表現のひとつひとつが、とてもやさしいんです。愛しみに満ちているんです。
 恋人の全存在を肯定し、ただ、愛していました」

「アンリらしい文章だね。出来事の羅列……なのに、愛が見える、か」

「疑問に思っていました。何故父は、あんな遺言を残したのか。半年以内に貴族の女性と結婚しなければ、家督は継がせない。結婚相手はドビルバン氏が認めた者だけ……ではドビルバン氏だけが判断、許可を委ねられたのかと思えば、『教会へ行け』と……つまり、レオン神父に相談しろとある。
 結局父がすべての判断を委ねたのはレオン神父、あなただ。ドビルバン氏に否を言わせない権力を持つあなたが、僕の人生を統べる権利を持っていた。
 父はあなたが、僕にとってもっとも善い、正しい道を選んでくれる、尽力してくれるとわかっていたんです。だから僕にあなたのところへ行くようし向けた。
 実際あなたは、そうしてくれました。迷う僕を叱り、励まし、なにもかも受け止めてくれた。
 僕とマルキーズが結婚できるように、権力まで駆使して立ち回って下さった。
 マルキーズのためじゃない。僕のためだ。マルキーズがアルガンと結婚することは、怒鳴ってまで止めなかった。本人が決めたことだからと、ふたりが内緒で結婚式を挙げることに同意していた。なのに、僕のときだけ、あなたは我を忘れた。
 僕は父に連れられて子どもの頃からこの教会に出入りしていたし、あなたのことも慕っていました。はじめからあなたが遺言の執行人であれば、なんの問題もなかったのに。いやそもそも、父の性格からして、貴族の娘と結婚しなければ、とか、半年、とか、おかしいことだらけだ」

「もし、半年以内に君が真の愛を見つけられず、偽りの結婚をしようとしていたら、やはり私は叱りつけていただろうね」

「そして結婚しなくても家督を継げるよう、その権力を使ってくれていた……あなたにはそれだけの力がある。父はそれを見越して、あなたを頼るよう遺言したんだ」

「君がドビルバンの娘と愛し合い、結婚を決めていたなら、私の出る幕はなかったよ。アンリも本当のところは、そう願っていたのだろう」

「あなたの存在は隠したかった。だけど、あなたに委ねたかった」

「なつかしいな……貴族の娘と結婚。そして、半年というキーワード。アンリも昔、父親にそんな条件を突きつけられていた。恋人と別れ、立場に相応しい女性と結婚をしろと」

「父には愛する人がいた。だけど、結ばれることが許されない相手だった。祖父は父とその人のつきあいを認めず、引き裂くために強引な条件を出した。『半年以内に貴族の娘と結婚しろ。さもなくば後継者と認めない』……」

「アンリは君と似ている。君と、同じことを言ったよ。愛を選び、他のすべてを捨てると」

「だが、父の恋人はうんとは言わなかったんです。身を引いたんだ。
 父のどのような説得にも頷かなかった。短剣を自らの首筋に当て、父が身分に相応しい人生に戻らないとこの手を引くとまで言った。神を裏切って父を愛し、そのうえ自ら命を絶ち、地獄に堕ちると宣言した。
 その人の奔放さと力強さを愛していた父は、それがただの脅しや演技ではないことを知っていた。
 父は、その人と別れ、祖父の選んだ女性と結婚しました。祖父が出した条件通り、半年以内に」

「そして、君や弟のクレアントが生まれた」

「……母のことを、父はたしかに愛していました。それは、僕たち兄弟がいちばんよく知っています。でも。
 日記に綴られていた、Lという人物への思いとは、まったく違ったものでした。
 父はLを愛していました。ずっと。日記はもう綴られなくなっていたけれど、それでも、言葉にしない、文字にしない、心の奥底でずっと愛し続けていたんです。共に生きることは出来なくても、この世から先に去ることになったとしても。
 だから」

 再び、語るジョルジュを、レオン神父が静かに制した。

「ジョルジュ。君の幸福を、心から祈っている。見守り続けたいと思っている。
 君と、アンリは似ている。彼も、一途に信じていた。

 永遠の愛を」

「僕への遺言だと思うから、おかしなことばかりだったんです。あれは、父からの恋文でした。生涯懸けて愛した、ただひとりの人への」

 愛のために、心を偽って生きるしかなかった、不器用な恋人への。
 

「レオン神父。あなたも、信じているのでしょう?

 永遠の愛を」

 レオン神父は答えず、ただ静かに微笑んだ。

             ☆

 アンリ・ドシャレット氏は、水先輩の2役でお願いします(笑)。


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