ベルサイユに咲くまっつ・その4。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月27日 タカラヅカ 最初にタカラヅカのジェローデルを見たとき、ナニこのイイ人?!と、びっくりした。
原作にあるキャラクタとしての歪みを排除し、ただオスカルに求婚して身を引くという、「いいところ」しか描かれていなかったからだ。
すごく簡単に、おとぎ話の人格のない王子様になっている。
あるのは「王子様」という記号だけ。
ジェローデルがどんな人物で、何故オスカルを愛したのかはまったく伝わらない。
そのくせ、革命に身を投じようとするオスカルを問答無用で殴りつける。
あ、この男、ジェローデルじゃない。
オスカルを愛してなんかいない。愛してないから身を引くのも簡単だったし、一方的に殴りつけたりするんだ。
ドン引きしました。ヅカの……植爺のジェローデル。
最近の『ベルばら』では、ジェローデルがオスカルに暴力をふるうことはなくなってきた。
口で言ってわかる場面で、問答無用で一方的に暴力。てのは、時代的にまずいってことかな。
なんにせよ、ひどい扱いなんだけどな、ジェローデル。
ただきれいな衣装を着てオスカルに絡む、というだけで重宝がられている役。
そして、このジェローデルを主役にした『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』。
原作に近いキャラクタにしてくれるのか……と思いきや、さらにかけ離れ、ぶっ壊れていた。
原作ジェロの素晴らしさは、「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれたことにある。
なのに植爺は、ジェローデルが「アンチ身分制度」「アンチ貴族」的な考え方を持つ人間とした。
何故そうしたのかは、わかる。
現代のわたしたちの感覚では、「人間は平等」で「差別をすることは悪」だからだ。
安い方へ、簡単な方へ、おもねったわけだ。
現代人の感覚で正しい主張を持つキャラクタ、ということに、捏造したんだ。
でもそれじゃ、別人だから!
貴族社会を否定したら、それはもうジェローデルではないから!
貴族としての、わたしたちの目から見れば歪みを持ちつつも、それでも潔く魅力的な人物だったのに。
身分違いの恋を描いた「ヌーベル・エロイーズ」を鼻で笑う傲慢さが、ジェローデルの魅力だったにも関わらず、ソレを読んで大感動したとか言わせる冒涜ぶりに、嫌悪で鳥肌立ったもんな。
貴族としてのうのうと生きながら、おいしいところは享受したまま、口でだけ美しいことを言う偽善者になった。
まあたぶん、植爺は原作を読んだことがないんだと思う。
読んでないから、インタビューでわざわざ「文庫の何ページのところが」といちいちページ数を上げて説明するんだろう。内容ではなくページ数で管理しているから。
とまあ、比重が高くなるにつれ、ますますひどいことになるのが植爺に触られたキャラクタの宿命。
明らかに出番が少ないだろう、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつは、どんなことになるのか?
戦々恐々でした。
出番が少ないことは、想定内。
まあ、通行人でしかない扱いだとは、さすがに思ってなかったけれど、比重としてはあんなもんかと。
ブイエ将軍のあとをついて歩くだけの背景とかで、もう何カ所か出るかと思っていた程度なんで。
人の話を聞かないのが芸風であるアンドレ@壮くん相手に、怒濤の長台詞。
立ち位置やら流れやらを全解説し、さらに「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」と言ってのける。
原作通りにするならば、この台詞は「悪意+貴族としての傲慢さを基盤とする厚意+自己満足」という複雑な感情を持つ。
それをまっつジェロは。
腹の底から善良に言ってのけた。
こう来ましたか。
完璧な、「いい人ジェローデル」。
誠実で思いやりあふれた大人物。
嫌味に聞こえる台詞を嫌味にしないのは、まっつの得意分野だよな(笑)。さすがは、やってることだけなら悪役な相沢くん@『舞姫』を誠実に演じきった男。
まっつジェロは含みなどなく、心の底から親切心で言っている。
いい人だー。
その、いい人だってことが、あの短い出番でわかるってすげえや。
育ちの良さ、それゆえの心根の真っ直ぐさ、気品と落ち着き。そこにある、素直で誠実な心。
……たしかに、恋敵としてこんな男が出てきたら危機感を持つだろうな、と観客を納得させるだけのモノはある(笑)。
ただし。
言っていることは、ひどいんだけどな。
お金がなくて病気の家族を医者に診てもらうことがてきずに泣いている人間に向かって、「びんぼーは大変だね、家族が死んでひとりぼっちになったらウチで使用人として雇ってあげるよ、ボクは心が広いから」と言い放つよーなもんじゃん?
勝手に殺すな、まだ生きてるんだっ、このままじゃ死んでしまう、と泣いているのに、死んだあとに雇ってやるからボクいい人? ふざけるな。
善意の使い方を完璧に間違えてます(笑)。
もちろん、悪いのは植爺。
しかしこの空気読めなさぶりが、ステキです。これぞヅカのジェローデル!
対するアンドレも、人の話なんか聞いてないし。自分の世界入っちゃって、それどころぢゃないし。
いい勝負だ(笑)。
完全な善人として、誠実な人間として、あの間違いきった提案をしているところに、萌えを感じます。
歪んだ人間、好物ですから。
自分が正しいと思って、善意だと思って、どんな非道な行いも堂々としそうだ、あのジェローデル。天使の微笑みで平民惨殺、とかふつーにやりそーだねー。
言っていることの酷さと、誠実なまっつの演技の乖離っぷりがツボ。
そうだよな、植爺作品ってのは、こーやってたのしむもんなんだよな。いちいち嫌悪に鳥肌立てたり、激怒に眩暈がしたり、してたら負けだよな。
よーし、勝ちに行くぞ(笑)。
続く。
原作にあるキャラクタとしての歪みを排除し、ただオスカルに求婚して身を引くという、「いいところ」しか描かれていなかったからだ。
すごく簡単に、おとぎ話の人格のない王子様になっている。
あるのは「王子様」という記号だけ。
ジェローデルがどんな人物で、何故オスカルを愛したのかはまったく伝わらない。
そのくせ、革命に身を投じようとするオスカルを問答無用で殴りつける。
あ、この男、ジェローデルじゃない。
オスカルを愛してなんかいない。愛してないから身を引くのも簡単だったし、一方的に殴りつけたりするんだ。
ドン引きしました。ヅカの……植爺のジェローデル。
最近の『ベルばら』では、ジェローデルがオスカルに暴力をふるうことはなくなってきた。
口で言ってわかる場面で、問答無用で一方的に暴力。てのは、時代的にまずいってことかな。
なんにせよ、ひどい扱いなんだけどな、ジェローデル。
ただきれいな衣装を着てオスカルに絡む、というだけで重宝がられている役。
そして、このジェローデルを主役にした『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』。
原作に近いキャラクタにしてくれるのか……と思いきや、さらにかけ離れ、ぶっ壊れていた。
原作ジェロの素晴らしさは、「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれたことにある。
なのに植爺は、ジェローデルが「アンチ身分制度」「アンチ貴族」的な考え方を持つ人間とした。
何故そうしたのかは、わかる。
現代のわたしたちの感覚では、「人間は平等」で「差別をすることは悪」だからだ。
安い方へ、簡単な方へ、おもねったわけだ。
現代人の感覚で正しい主張を持つキャラクタ、ということに、捏造したんだ。
でもそれじゃ、別人だから!
貴族社会を否定したら、それはもうジェローデルではないから!
貴族としての、わたしたちの目から見れば歪みを持ちつつも、それでも潔く魅力的な人物だったのに。
身分違いの恋を描いた「ヌーベル・エロイーズ」を鼻で笑う傲慢さが、ジェローデルの魅力だったにも関わらず、ソレを読んで大感動したとか言わせる冒涜ぶりに、嫌悪で鳥肌立ったもんな。
貴族としてのうのうと生きながら、おいしいところは享受したまま、口でだけ美しいことを言う偽善者になった。
まあたぶん、植爺は原作を読んだことがないんだと思う。
読んでないから、インタビューでわざわざ「文庫の何ページのところが」といちいちページ数を上げて説明するんだろう。内容ではなくページ数で管理しているから。
とまあ、比重が高くなるにつれ、ますますひどいことになるのが植爺に触られたキャラクタの宿命。
明らかに出番が少ないだろう、『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』のジェローデル@まっつは、どんなことになるのか?
戦々恐々でした。
出番が少ないことは、想定内。
まあ、通行人でしかない扱いだとは、さすがに思ってなかったけれど、比重としてはあんなもんかと。
ブイエ将軍のあとをついて歩くだけの背景とかで、もう何カ所か出るかと思っていた程度なんで。
人の話を聞かないのが芸風であるアンドレ@壮くん相手に、怒濤の長台詞。
立ち位置やら流れやらを全解説し、さらに「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」と言ってのける。
原作通りにするならば、この台詞は「悪意+貴族としての傲慢さを基盤とする厚意+自己満足」という複雑な感情を持つ。
それをまっつジェロは。
腹の底から善良に言ってのけた。
こう来ましたか。
完璧な、「いい人ジェローデル」。
誠実で思いやりあふれた大人物。
嫌味に聞こえる台詞を嫌味にしないのは、まっつの得意分野だよな(笑)。さすがは、やってることだけなら悪役な相沢くん@『舞姫』を誠実に演じきった男。
まっつジェロは含みなどなく、心の底から親切心で言っている。
いい人だー。
その、いい人だってことが、あの短い出番でわかるってすげえや。
育ちの良さ、それゆえの心根の真っ直ぐさ、気品と落ち着き。そこにある、素直で誠実な心。
……たしかに、恋敵としてこんな男が出てきたら危機感を持つだろうな、と観客を納得させるだけのモノはある(笑)。
ただし。
言っていることは、ひどいんだけどな。
お金がなくて病気の家族を医者に診てもらうことがてきずに泣いている人間に向かって、「びんぼーは大変だね、家族が死んでひとりぼっちになったらウチで使用人として雇ってあげるよ、ボクは心が広いから」と言い放つよーなもんじゃん?
勝手に殺すな、まだ生きてるんだっ、このままじゃ死んでしまう、と泣いているのに、死んだあとに雇ってやるからボクいい人? ふざけるな。
善意の使い方を完璧に間違えてます(笑)。
もちろん、悪いのは植爺。
しかしこの空気読めなさぶりが、ステキです。これぞヅカのジェローデル!
対するアンドレも、人の話なんか聞いてないし。自分の世界入っちゃって、それどころぢゃないし。
いい勝負だ(笑)。
完全な善人として、誠実な人間として、あの間違いきった提案をしているところに、萌えを感じます。
歪んだ人間、好物ですから。
自分が正しいと思って、善意だと思って、どんな非道な行いも堂々としそうだ、あのジェローデル。天使の微笑みで平民惨殺、とかふつーにやりそーだねー。
言っていることの酷さと、誠実なまっつの演技の乖離っぷりがツボ。
そうだよな、植爺作品ってのは、こーやってたのしむもんなんだよな。いちいち嫌悪に鳥肌立てたり、激怒に眩暈がしたり、してたら負けだよな。
よーし、勝ちに行くぞ(笑)。
続く。