「AQUA5のみんなは、どんな衣装で現れるか?」

 ふつーに考えて、CDのジャケット衣装ぢゃね?
 いちいちこのイベントのためにあつらえないでしょう。すでにあるものでまかなうと思う。

 とゆー、会話の流れで。

「ゆみこちゃんの、ナマ膝見られるんじゃない?」

 ジャケットの衣装なら、そーゆーことだわな。
 と、わたしはわりとさらっと言ったんだが、なんか、周囲のゆみこファンのテンションががーーっと上がっていくのが、おかしいやらこわいやら(笑)。

 ゆみこファン3人に囲まれて参加した「わくわく宝島2008『AQUA5スペシャルLive』」、わたしたちグループだけでなく、ゆみこファンは総じて元気だったよーな?

 目当てはAQUA5だが、特設ステージ「わいわいアリーナ」で開催されるのはAQUA5ライヴだけではない。
 午後2時半のAQUA5登場まで、まだまだ他のプログラムがある。

 お笑いライヴが終ったかと思うと、次はダンスバトル大会に。
 わたしはストリート・ダンスにまったく興味がないので、ただほけーっと眺めてました。だって彼ら、アタマでくるくる回ってばっかで(規定演技なのかな、全員がやる)、ダンスというより曲芸を見ているハートになる。すごい、とは思うけど、ダンスを見てすごい、と思うのとはチガウ……。まあ、人間向き不向きがあるので、わたしにはこのジャンルを楽しむ才能が欠けているようだ。

 で。
 お笑いライヴの段階で、10分は押していた。さらにストリート・ダンスで20分押しになった。次の「SUGARスペシャルLive」とやらになると、30分押しになった。さらに「RSPスペシャルLive」で40分押し。
 ……ちょっと待て。AQUA5はいつやるんだ? 開演時間過ぎてますがな。
 「RSP」の人たちがまだステージで歌い踊っているというのに、水しぇんたちAQUA5のメンバーがバックステージに入っていくのが見えた。
 たしかに2時半開演なら10分前にスタンバイするのもあたりまえだろうけど、なにしろすでに40分遅れてるんだよ、どうなるの?

 とはいえ、そのバックステージに入っていく姿を見た段階で、「ゆみこが膝出しぢゃない!!」と、なんかツレたちが騒いでますが……。
 おまいら……(笑)。

 「RSP」の人たちが退場したあと、

「このあとは2時30分から『AQUA5スペシャルLive』でお楽しみいただきます」

 と、司会者が出てきて喋ったことが、とーーっても印象に残っている。

 だってこの時点ですでに、2時40分を過ぎていたので。

 台本通りにしか喋らないんだ!!
 ナマのイベントなのに。
 台本ではこの台詞を言うのは「2時ジャスト」のはずだよ。
 時間が押しまくって伸びまくっているなら、それゆえに変更したスケジュールを発表してくれないと、予定の立てようがないんですが、読売テレビさん?

 配布されたプログラムによると、「RSPスペシャルLive」のあとは30分休憩、午後2時半から3時半まで、1時間「AQUA5スペシャルLive」になっている。
 AQUA5は生放送のテレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』にも出演することになっているので、予定はがんじがらめのハズだ。

 こんなに予定崩れまくって、大丈夫なの?

 ……大丈夫では、なかったらしい。
 「RSP」までは「遅れたなら、遅れたでいいや」って感じで進んでいたのに、ここから省略進行。
 本来あった30分休憩カット、客席のセットだけして(「RSPスペシャルLive」はオールスタンディングだった)、いきなりAQUA5登場だ!!

 や、今までのちんたらしたステージ運びから、こんなにすぐにAQUA5登場までやっちゃうとは、思わなかった。
 女性アナウンサーが紙を見ながらユニット名とメンバー名を読み上げる。それだけで、もう登場だ、いきなり歌だ。

 えええ。
 インターバル無し?!

 とりあえず、歓声でお出迎え。

 わー、世界陸上以来のAQUA5だ、「TIME TO LOVE」だ〜〜。

 衣装はジーンズに白シャツ、白ジャケ。
 なにかしら首元に巻物してるんだが、ゆみこだけネクタイってのが、ツボった。いやいや、いいですよ、売りがわかってますな!(笑)

 1時間のイベント、でも持ち歌は新曲合わせて4曲しかない。
 残り時間どーすんだ、って、そりゃきっとトークと公演の宣伝でしょう。
 そう思って長々と待っていたわけなんだが。

 ……トークが、ないっ?!

 自己紹介すら、なかった。
 司会者が立て板に水で公演の紹介やユニット紹介をし、わずかに水くんに話を振ったぐらいで、『マリポーサの花』の舞台映像がステージとアトリウムの巨大スクリーンに一瞬流れたのみ。

 あとはひたすら、歌う!
 歌うったって、持ち歌は4曲!
 フルコーラス歌ったってせいぜい20分!!

 はい。

 …………20分強で終わりました。

 2時半から3時半、と書かれていたイベントが。
 2時50分くらいから、3時20分前くらいで終了。確実に、30分はなかった。20数分。

 ええええ?!!

 
 とゆーところで、続く!!


 40分押しではじまった「わくわく宝島2008『AQUA5スペシャルLive』」

 すでに2時40分過ぎの段階で、ステージ上の司会者が「このあと2時30分から『AQUA5スペシャルLive』」と解説したあたりで「このイベントやべえ」とぐだぐだぶりに戦慄していたんだが。

 我らがAQUA5のライヴは、たった20数分しかありませんでした!

 他のユニットの場合、たとえスタートが遅れても、終了時刻も遅らせて、予定通りの内容をやったのに、AQUA5は短縮されたのが見え見え。
 1時間の予定が、20数分て!

 なんなの、このどさくさ感。

 出て来ました〜〜、歌いました〜〜、サヨナラ〜〜!!(笑)

 あっちゅー間。
 終始つきまとう、どたばた感、落ち着きの無さ。

 いやぁ。

 いっそアリでしょう、こーゆーの!!
 
 と、ゆーのも、だ。

 ここはテレビ局の大イベントの場、無料で開放された空間、誰でも歩けるし、足を止めることもできるし、実際ビルの人たちは現在も働いている、ふつーの場所だし。
 閉鎖された場所ではないの。
 ヅカファンだけの場所ではないの。

 ステージだって、お笑い芸人からイマドキなダンスユニットとなんでもござれの構成で、観客を特定していない。
 AQUA5が終わったあとは、タイトルからしてちびっこ向け着ぐるみショーっぽいし。

 こんなところでやるライヴなんだから、どさくさでいいんだよ。

 つーかさ、プログラムには

13:00 SUGARスペシャルLive
13:30 RSPスペシャルLive
14:30 AQUA5スペシャルLive

 って書いてあるだけで、「宝塚歌劇団」とは書いてないのね。
 「よくわかんないけど、テレビに出るよーなアーティストたちのミニライヴが観られるんだ、ラッキ☆」程度で足を止める一般人たち相手なんだよ。
 「よくわかんないけど、芸能人」カテゴリに、まぎれこんじゃえ!!(笑)

 トークでヅカヅカ言わず、公演の宣伝もそこそこに、ただただ美しくもかっこいーねーちゃん(にーちゃん?)たちが、歌い踊る。 
 これで、十分だっ。

 「なんかあのグループかっこいー」と思ってくれた人が、いるかも。
 ヅカという先入観ナシに、ふつーにアイドル・ユニットとして。

 とにかく散漫な空間なんで、音なんかひでーもんだし、トークになると音割れてもっとよくわかんないし。
 ナマの彼らを眺めに行った、というだけだよ、意義は(笑)。

 
 AQUA5のみんなは、ほんとにかっこよくて。きれいで。
 彼らのファンであることが、誇らしかった。

 水しぇんやっぱ男前だ。絶対男前、かっこよすぎるこの人。
 タカラヅカの鉄壁のルール、他にもっと歌ウマさんがいたとしても、メインヴォーカルはトップスターである水さんなのだ。
 水くんひとり、歌う歌う歌う!!
 5人ユニットだが、水くんの比重がもちろんダントツだ。

 やっぱりいちばん年長者であることは、一目でわかる。
 良くも悪くも、年輪を、キャリアを感じさせる顔、姿。
 そのことを、誇りに思う。
 作り上げられた美しさ、洗練されたしなやかさ。

 ゆみこちゃんはナマの方が少年ぽくてイイ。くしゃっとした笑顔がかわいい。
 2階にもガンガン目線くれた。いい人だー。

 キムの白い二の腕から目が離れなかった。のびやか、という言葉が似合う、生命自体のまっすぐな力。
 つか、こんなに腕が長いんだ? キムの腕なんか今まで意識したことなかった。
 意識すると、なんか生々しくて、照れるなあ。男役の二の腕なんて、ふつー見ないもんな、舞台では。
 表現力の強さ。彼から光が弾けているのがわかる。

 ひろみちゃんがキュートで、女子力の高さを思い知る(笑)。少年っぽいんだけど、ちゃんときれーな女の子。
 正統派にきれい女子がいてくれると、なんか鼻が高い。

 テルは動くフィギュア、ナニあのスタイル、ありえない。金髪似合いすぎ。
 こんな超美形が隅っこにいることが、ポイントよ。マニア心をくすぐるってば、絶対。

 振付は、けっこう微妙?
 フルコーラス歌う用には構成されていない印象。だから繰り返しばかりになるという……(笑)。
 でも、公演やりながら、こんだけ練習して、踊ってるんだ、と思うとそれだけで感動だ。

 トーク無しでひたすら「プログラム」を「時間と競争」でこなしている風な彼らが、かえって萌え(笑)。
 何分までに終わらせてスタジオ入りしなきゃとか、きっと予定が詰まっているんだわ。
 そう思わせる、切羽詰まったストイックさ。
 
 
 ところで、なんかすごーくデジャヴが。
 わたし、同じこの場所で、まさにこの手すりから、水しぇんのステージを眺めていた気がするんだが。どこかと間違えてるのかなあ。
 あのときはトークショーだった気がするんだが……ここぢゃなかった?

 あまりに巻き進行だったので、「まさか詰め詰めで4曲歌って、それで終了とかゆー気ぢゃないよね?」と予感できるくらい、わかりやすく駆け足終了。
 あっとゆー間に「さよーならー」と手を振って退場する彼らに、アリーナの人々は納得できたんだろうか? ……徹夜して20数分イベント……。

 
 なにはともあれ、「4人中3人ゆみこファン」な人々は、しあわせそうでした。
 ゆみこちゃん、絶対こっち見てくれたよね?!と、カンチガイ目線でもなんでも、噛みしめてシアワセに浸るのだ。
 わたしだって、水しぇんこっち見てくれたよねっ、と、カンチガイでもなんでも、思い込んでますから、ええ!!

 
 立ちっぱなしで場所取りしていたわけだから、くたくたなはずのカラダを引きずり……まだ帰らないよ、だってせっかくのお祭りだから。
 とりあえずわたしは、映画『20世紀少年』の太陽の塔を見るのよーっ。

 んで、誕生日が同じなnanaタンとふたりで、「誕生日をあなたの写真で埋め尽くせ!」に参加しておきました。
 9月29日の招き猫の日は、こあらったとnanakoさんのBIRTHDAY。ふたりそろって猫スキーです、はい。

 翌日筋肉痛になることも知らず、精力的にあそびました、はい。
 堪能しきった1日ですとも。

 
 AQUA5ばんざい〜〜。


 子どもの頃わたしは、クリスマスのショーウィンドウにディスプレイされている、プレゼントの箱が大好きだった。
 カラフルな包装紙と、きらきらのリボンに包まれた、いろんな大きさの箱たち。
 ただのディスプレイで、中身は空だと教えられても、それでも好きだった。
 欲しいモノを聞かれて、「空でもイイから、アレが欲しい」と、ウィンドウの中のリボン箱を指さすくらい、好きだった。
 ツリーのオーナメントでも、いちばんのお気に入りは、リボンのついたプレゼント箱だった。
 サンタさんはすでに信じていなかったけれど、サンタクロースの絵が好きだったのは、彼がリボンのついたプレゼント箱をいっぱい持っていたからだ。

 わたしがあんまり欲しがるので、父はわたしへのクリスマス・プレゼントを、派手なプレゼント包装をしてもらうよう、毎年有料でどこかへ頼んでいたらしい。髪に飾ることが出来そうな手触りのいい厚めのリボンを、素人ではできないような複雑なカタチにして、あざやかな包装紙を包んで。

 中身よりナニより、わたしはソレをよろこんだ。
 リボンをこわさないようにはずし、丁寧に包装紙の一部だけを開き、中身を取り出したらまた包装をすべて開封前に戻す。
 中は空っぽの「ブレゼント」を、そのまま部屋に飾っていた。

 リボンのついたプレゼント箱は、それだけで夢だった。
 わたしにとって。

 ナニかステキなモノが入っている。
 誰かが誰かのために、心を込めた……中身だけ剥き出しで贈ったって価値が変わるわけではないのに、わざわざ手間暇かけて包んだ、飾った……そこにある、想いを感じて。

 中身はほら、開けてがっかり、てこともあるわけで。(父が選ぶ「幼い娘へのプレゼント」は、ピントがずれていることも多かった。今さら人形ハウスはないだろ、とか。くまちゃんのデカぬいぐるみはないだろ抱いて寝ろってのか?とか。や、それでもよろこんでたけど)

 愛情を受け取り、感謝と期待に満ちる。
 
 
 春野寿美礼というひとに会いたくて、ひとりで行ってきました、春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』初日。

 コンサート会場で販売しているプログラムは、水色の包装紙に白いリボンがかけられている、プレゼント箱を模していた。
 表紙のリボンが十字の真ん中で蝶々結び、裏表紙は十字のみ。
 シンプルだけど美しい、プレゼント箱。

 そして。
 この箱は、コンサートで登場する。

 舞台にぽつんと置いてある、プログラムと同じプレゼント箱。
 現れるのは、ひとりのアルルカンと、ひとりの少女。
 少女はそのリボンのついた箱を受け取る。

 箱の中には……。

 ひとりの少女の物語になぞって、春野寿美礼が登場する。歌う。

 
 去年のクリスマスイヴから、8ヶ月と少しぶりの、再会。
 ただ、このひとに会いたかった。
 この歌声に会いたかった。

 当然だが、ヅカ化粧じゃない。
 当然だが、男役じゃない。

 それでも、話す声も歌う声も、なにも変わりはなく。

 性別不詳のデコラティヴな衣装から、セクシーな「女性」としての燕尾姿、シックなドレス、キュートなドレス姿を披露しながらも、中盤のヅカメドレーではスーツ姿で男役っぽくも見せて。
 鎖骨は見せても脚は見せないらしく、足首の見える黄色いドレスの下に、同色のレギンス穿いているのには、かえってびびった。や、ソレは脚をチラ見せするためのデザインでしょ?と(笑)。
 最後はトート閣下かオスカル様か、あるいはゼウス様(笑)なロン毛+男役スター風衣装。(でも素化粧)

 薄い顔立ちと圧倒的な歌声、かっこいいおねーさん系で決めてみせ、さらに、満面の笑みで歌い出すときのかわいらしさとのコントラスト。

 歌いたい歌を選んだ、という選曲は英語の歌が多く、世界の狭いわたしには耳馴染みのないものが多かった。
 また、自ら作詞作曲した曲と、作詞した曲があり、それらはファンへ向けての感謝の想いがこもっている、そうだ。

 ダンサーが男4人、女4人、コーラスが女性3人。オーケストラの指揮はオサコンの塩田せんせ。演出は酒井せんせ。
 MCはほとんどなく、ほぼ全編、歌とダンス。

 最初に登場したアルルカンと少女は、コンサートが進むなか、幾たびか登場する。
 少女が手にしたリボンの箱から、出てきたものは。

 アルルカンが、箱の中身をひとつずつ少女に手渡す。

 あざやかな色の燕尾ジャケット、シルクハットにステッキ。

 少女は燕尾姿でうれしそうに踊る。

 だがやがて、少女は受け取ったひとつずつを、アルルカンに、箱の中へ返していく。
 箱のフタが、閉まる。少女はもう、燕尾服で踊ることはないのだろう。
 夢の花園を、自らあとにしたのだから、
 

 そして、次に箱が開くとき。

 リボンのついたプレゼント箱が開くとき。

 「音楽」そのものである春野寿美礼が、光の中に立つ。

 少女とアルルカンは姿を消し、春野寿美礼だけが存在する。歌う。

 リボンのついたプレゼント箱。子どもの頃を、思い出した。
 そうだわたし、あの箱が好きで、欲しくて、たまらなかったんだ。
 中身を取り出したあとも、色が変わるまでしつこく部屋に飾っていた。
 大人になって、今また、リボン箱をもらった。

 歌手・春野寿美礼という、新しい贈り物。
 愛情を受け取り、感謝と期待に満ちる。

 ヅカメドレーの最初が『アデュー・マルセイユ』だったんだけどね。
 「アデュー」の方じゃないの。「ボンソワール」なの。

 帰って、来たんだよ。
 帰ってきたの、あのひと。

 これからも、何度もこうやってリボンのついたプレゼント箱を、受け取ることが出来るんだ。
 開ける楽しみを、味わうことが出来るんだ。

 今はただ、それだけがうれしい。
 また、この歌声に会うことが出来た。
 それだけを消化しきれなくて、コンサート中最初から最後まで泣き通した。
 あー、泣きすぎてアタマ痛い……。

 カーテンコールでくにゃくにゃになっているオサ様も、相変わらずのぐだぐだ振りで(笑)、客席と声出し合ってて、デジャヴにとらわれる。

「これからも、歌を奏でていきたい」

 という言葉を何度も何度も反芻して。
 青山ではオペラグラスなくてもいいかな、て席だったからいいけど、すみっこ席の梅芸でははたして素顔メイクでオサ様の目鼻口判別つくだろうかとか、不遜な不安もおぼえつつ(笑)、このひとが持つ「うつくしさ」に酔う。
 や、顔立ち云々じゃなく、歌声を含めた存在自体が持つ美しさに。

 
 会いたかったの。


「ショー観てて思ったんだけどさー、ちゃーって絶対眼鏡キャラじゃね?」

 と、意気揚々と言ったのは、ムラの『Red Hot Sea』のときだっけ?
 言われた相手のドリーさんは、

「はあっ??!」

 と言うだけで、賛同してくれなかった……。

 なんで?
 ちゃーって絶対眼鏡だよ。眼鏡似合うの。つか、眼鏡かけて舞台に立ってないのが不思議!
 知的で線が細くて、なんつーの、繊細っつーか、たよりなさげってゆーか。クールだけどよわよわっていうか。皮肉も似合うし、押し倒されるのも似合うっていうか!(え?)

 ちゃーって萌えキャラ認定だってば。

 と、「全世界の常識」と信じて主張したんですが、うなずいてもらえず。
 えええ。ダメ? チガウの? 世間的にちゃーってどういうイメージなんだろ?

 世間のことはわからないが、わたしは「萌えキャラ」として、「いつ眼鏡っこ姿を披露してくれるのかしら」とわくわく眺めておりました。

 その萌えキャラが、退団?
 えええ?!
 なんで?
 まだ眼鏡っこ姿見せてくれてないじゃん!(勝手なことを)

 ……「血と砂」組も、どんどん減っていくね、チェリさん。

 
 『銀ちゃんの恋』集合日、3人の退団者が発表された。
 
 ちゃーと、よしやくんと、ちなちゃん。
 大階段降りないのか……。青年館楽が、さいごになってしまうのか……。
 
 
 よしやくんも、初舞台から勝手に縁を感じて見守っていた子なので、びっくりだ。2003/04/06の日記に書いている「うっかり身内席の真ん中にまぎれてしまった」てのが、よしやくんのお身内さんたちだったのな。
 そのとき限りだけれど、周囲の席の人とおしゃべりして、「これからが楽しみですよね」と言っていたことが、つい昨日のことのようだ。
 てゆーか89期がまた去っていくのか……。わたし的に89期は思い入れがあるんだよな……。

 
 もうひとりのちなちゃんは、『MIND TRAVELLER』のサラちゃんだよな。こっそり告白すると、わたしが書いた『マイトラ』のSS、地の文はサラちゃんの語りなんだ……。

 
 さみしい限りだ。
 てゆーか、ちゃー……。
 いろんな意味で好みの男の子なのに。なんで辞めちゃうんだよぅ。


 約束をカタチにする。

 人間は弱い。心は儚い。
 永遠なんてない。
 大切なモノは目に見えなくて、見えないからこそ簡単に変容する。

 永遠なんてない。
 永遠なんてない。

 だから。

 約束を今、カタチにする。
 誓いを今、カタチにする。

 たとえばそれは、薬指の指輪。
 たとえばそれは、白いマリポーサの花。

 心は見えないから、見えないモノにカタチを与えよう。

 カタチで縛ろう。
 カタチに閉じ込めよう。

 永遠なんかない。
 永遠なんかいらない。

 カタチがあれば、捨てることも容易いから。

 いつか捨てるために、いつか壊すために。
 キミへの約束を、誓いを、愛を、カタチにしよう。


 ブックマークの季節です。

 もう1年経つのか……。
 年の流れの高速ぶりに、唖然としますな。

 本日発売のブックマーク。わたしのご贔屓は売り切れることはないので(笑)、購入のためだけにムラまで駆けつけることなく、どーせ週1でハリー&オギー堪能しにムラ通いしているんだからと次回観劇日まで待つとして。(ディナーショー貯金の話はどこへ行ったんだ)

 まずはキャトルレーヴのサイトで画像チェックをした。
 全46種、って、どこまで増え続けるんだ?(笑)

 PC画面の大きさの関係か、ブクマ・アイコンをクリックして開いた画面はちょうどトド様からみわっちまでの6人だった。

 うわ、ゆーひくんグラサン白スーツかよ最強かっこよすぎ! みわさん妖精さんなんだ、ファン的にはコレでいいのか? とか考えつつ。
 まっつは、なんになるんだろう。
 わたしの希望は幽霊船だ。あのまっつがいちばんオトコマエ、いちばんセクスィ〜〜。

 ……と、ドキドキ画面をスクロールさせた。

 うわ、中詰めのラテン衣装だっ!!

 まっつ黄色似合わな……ゲフンゲフン。
 ちっちゃいカラダに手ビレ尾ビレ似合わな……ゲフンゲフン。

 その横のみつるが引き潮なのを見て、あー、いいなー、みつる……と、うらやましがる(笑)。
 とはいえ、引き潮のまっつはラテンフリフリ以上にびみょーと思っているので、引き潮でなくてよかった、と改めてほっとしてみたり。
 や、場面としての「引き潮」は好きだし、場面として、役としてのまっつも好きなんだが、あの衣装で静止画としてのまっつはやっぱそのぉ、あの若々しぶりっことサワヤカぶりっこは、ええっと……。
 つか、お魚ぢゃなくてよかったと思うことにしよう……。
 あー、いっそデニムでもよかったのになー。

 
 ところで、毎年発売種類が増え続けるブクマですが、その人選が謎ですな。
 なんでヲヅキがいないの?! と、ヲヅキファンのチェリさんが恨み節で唸ってますが、これはほんとに謎だ。
 出せば絶対売れるのに。
 テルと対になるよう、同じ作品の写真をチョイスすれば、双方売り上げがのびるだろうに。
 劇団のやることはわかんねー。

 
 とゆーかそもそも、ブックマークって、使い道ないよね? という、根幹に迫る発言をしてみる(笑)。

 でかすぎて、固すぎて、栞としては使えない。

 ただのブロマイドだよね。

 とゆーことで。

 はい、「勝手にグッズ企画、ブクマ編」行きます!!

 毎年発売されるブックマーク。
 ブックマークとは名ばかりで、使い道ナシ。

 それならば、別の用途を考えようではありませんか!!

 まず、舞台写真をお手軽に使うのではなく、撮り下ろしにする。
 素顔で、服装テーマを全員統一すること。
 男たちはかちっとスーツ。「男」を作ったキメ顔でよろしく。
 娘たちはシンプルなドレス。「姫」であることを自覚した華やかさでよろしく。
 組ごとに服の色を変えてもイイ。組カラーでもいいし、黒や白、グレーなどで渋くしてもイイ。組ごとに並べてもきれいなように。
 そして、重要なポイント。写真の比率を統一する。AくんはアップでBくんは全身、とかではなく、全身写真ならば全員が全身、バストアップなら全員バストアップ。おとめ写真くらい、全員同じ比率で撮る。できれば全身に近い位がいいなー。
 背景の色を揃える。今年のスカステ新春メッセージの背景が赤で統一されていたように、全員同じ背景でも変にはならないはず。
 縁取りはいらない、飾り枠もいらない、写真切りっぱなしな感じでヨロシク。

 さて。
 こーすることで、ナニができる?
 全員素顔。全員同一コンセプトの服装。全員同じ背景で同じ比率のブロマイド。

 お好みの組み合わせが、できる。

 誰だって一度くらい、考えるでしょう?

「好きな人だけ集めて、夢組を作りたい」

 トップスターはあの人で、相手役はあの子。2番手は彼で、3番手はあの子。
 あの子とあの子を組ませたい。あの子とあの子を並ばせたい。

 その、夢の組み合わせができる!(笑)

 バーチャル組カード!

 そんなことまで考えなくても、単に「Aさんが好き」で、「Bくんのこともわりと好き」で、「ふたりが並んでるとうれしいかも」って場合でも、並べてきれい。
 コンセプトの合った写真だから。
 比率も背景も同じだから、並べると境界線が消えて「ツーショット写真」みたいに見える。

 組み合わせ自由!
 誰と誰を並べても絵になる!!

 そしてキャトルレーヴでは、「1枚500円」「2枚セットだと800円(組み合わせ自由、同じ絵柄不可)」にして販売。

 贔屓1枚だけでもいいや、ぐらいの人も、「2枚だと安いんだー。んじゃ、2番目に好きな彼の分もついで買おうかな」心理が働く。

 アイドルでもユニット売りはブレイクの基本、誰と誰を組み合わせると人気が出るのか、市場調査は必要ですよ。
 ユーザーがナニを求めているか、ついでに調査できちゃいますよ。

 ひとりのスターのグッズは何百枚とまとめ買いする人も多くいるでしょうが、「好きなスターふたり」をまとめ買いは、ふつーしないでしょう。贔屓の応援になんないじゃん、ライバルのまで買ったら(笑)。

 どのスターのグッズがよく売れるか、は、劇団も注意しているだろうけど、「コンビ萌え」の調査は具体的にしていないはず。
 ヤンミキしかり、オサアサしかり、コンビ萌えはあなどれない。
 「2枚セット」がどんな組み合わせで売れていくか、POSレジなら集計は容易いはず。
 

 購入方法や、嗜好調査はともかくとして。
 

 集めれば集めるほど、たのしいコレクション要素。

 「水さんとゆみこちゃんで、ネロとエスコバルごっこ(はぁと)」で並べてもいいし、「あさこさんとゆーひさんで同期萌え」していてもいいわけだし、「しい涼ウメで『フェット…』ポスター再び!」とかでもいいし、「水トウコでいつぞやのチャイナドールなカップル♪」とかでもいいし。
 トップ娘役4人並び(何故5人ぢゃないんだ……)の華やかさを楽しむもヨシ、若手美少年たちだけずらりと勢揃いさせるもよし。
 好きに集めて、好きに並べる楽しさ。

 さらに、ブクマの隅に「◆K」とかトランプマーク付けて、トランプとして使えるようにしてもヨシ。その場合、裏面もちゃんと付けて透けて見えないよーにして、1組13人まで発売すること。ジョーカーはトド様で(笑)。
 さらに極めるなら、「攻撃14 守備6 必殺技・ローリング一本釣り」とか記載して、対戦カードゲームとしてもヨシ。
 ナニ気にハマコが最強カードだったりしてな(笑)。

 
 あー、出してくんねーかなー、劇団。
 夢組コレクションカード。

 とりあえずわたしは、園松で購入します。

 
 まっつまっつまっつ。


それでも、生きていく。@マリポーサの花
 正塚作品を好きなのは、そこに人間讃歌と人生肯定があるからだ。

 彼の作品を語るときに、意識するまでもなく、必ず書いてしまう言葉がある。

 それでも、生きていく。
 
 人として生まれ、愛だのやさしさだの思いやりだのという美しいものだけでなく、挫折や絶望や嫉妬や憎悪などの醜いものを抱え、あたりまえ抱え、至らなさに喘ぎながらも、それらすべてをあるがまま肯定し、生きる。
 美しく素晴らしくなければ生きる意味がないのではなく、どんなに弱く愚かでも、醜くても、それでも生きることに、価値を見出す。

 傷つかないようにするのではなく、傷ついたまま、その欠けたところをも認めて。
 それでも、生きていく。

 生きることに意味なんか問うな。生きている、そのことに意味があるんだ。……そう、見つめ直すように。

 いつだって、「死」は美しいものとされる。
 純文学では必ず主要人物が自殺するし、英雄譚では自決や殉死が尊ばれる。
 男子が大好きなヒーローもの……少年マンガでもヤクザ映画でも……友情のため仲間のため仁義のため、楯になって死ぬことこそがもてはやされる。

 たしかに簡単にドラマティックで、盛り上がる出来事だけど。

 現実のなかでも、死はどんどん簡単になっている。
 叱られて自殺、挫折して自殺、死刑になりたいから他人を殺してみる。

 それより先がないから、到達すれば、それで済むわけだけど。

 そうじゃなくて。
 美しくなくても、面倒なだけでも、つらいだけでも、それでも生きる。
 生き続けることに、意味がある。

 今はなにもできなくて、なんの役にも誰のためにもならなくても、それでもいつかなにか、できるかもしれない。
 なにかを、誰かを、救うことができるかもしれない。力になれるかもしれない。
 今はなにもなくて、つらいだけだとしても、それでもいつかなにか、あるかもしれない。
 なにかと、誰かと出会い、うれしくなるかもしれない。たのしくなるかもしれない。

 生きるという、それだけの、力で。生命が持つ、人間というものが持つ、可能性で。

 結局のところ、正塚せんせはいつも同じ主人公で、同じ物語を描き続けているのだと思う。
 迷ったり傷ついたり、投げ出したりあきらめたり、やさぐれたり悪ぶったりしながら、それでも、生きていく男の物語を。

 サイトーくんがいつも同じ萌えの物語を描き続けているように。キムシンがいつも同じ主張の物語を描き続けているように。
 作家なんだから、それでいいと思う。
 作家としての根幹を、描きたいという衝動を貫けばいい。商業作家としての枠組を認識した上で。

 『マリポーサの花』は、ちと商売の方を忘れている気はするが、作家として描きたいものを描いたのだということがわかる。
 主人公のネロは、正塚作品主人公の集大成のようだからだ。

 挫折して、やさぐれていなければならない(笑)。だけど、命の意味を知り、等身大の闇や汚れや過去を抱え、それでも生きる男でなければならない。
 命を懸けてしかるべき親友がいて、愛する女がいる。命は賭けるけれど、死に美学は求めない。這いつくばっても生きることにこそ、光を見出す。
 それは、「自分探し」と言えるのかもしれない。「それでも生きていく」姿は、自分自身の居場所を探す行為でもあるから。

 ネロは言う。信じたもののために人も殺した、死にかけたこともある。償いではなく、ただ自分の命は「そういう命」だと。
 良いとか悪いとかを超えて、自分のしてきたことすべてを自覚し、そのうえで、生きている。
 人間は、自分のしたことの意味を知っている。それが、動物とちがうところだ。自分の行動を知り、過去を背負い、それでも生きる。どう生きる。
 それが、人生。苦味に満ちた、されど愛すべき人生。

 
 正塚晴彦の紡ぐ、肯定に満ちた物語が好きだ。
 物語を、テーマを集約した生き方をする、ネロが好きだ。
 物語を、ネロを誠実に表現する、水夏希が好きだ。


 わたしに力があれば。

 力……お金でも、権力でも、人脈でも、なんでもイイ。
 魔法でも超能力でもイイ。

 とにかく、なにかしら力があれば。

 荻田浩一作、安蘭けい主演で、興行するのに!!

 今でなければダメなの。
 タカラヅカという、特殊な舞台でなければダメなの。
 男役という、ファンタジーでなければダメなの。

 荻田浩一は優れたクリエイターであり、カンパニーを問わず素晴らしい作品を生み出し続けるだろうけど。
 安蘭けいは優れた役者であり、表現者であり、カンパニーを問わず素晴らしい演技をし続けるだろうけど。

 タカラヅカという特殊な世界で、男役という特殊な形態でないと作れないモノが、ある。
 他では代え難い、他では届かないモノが、ある。

 だからこそ、宝塚歌劇団は90年以上続いてきたんだ。
 個人レベルで代えがきくよーなものなら、時代の変化と共にとっくに消滅してるって。

 タカラヅカでなくてはダメ。
 タカラヅカのオギー、タカラヅカのトウコでないと、作れない舞台がある。彼らの実力、才能、未来とは別に、今、ここでないとできないことがある。

 だから。

 わたしに力があれば。
 今すぐ、オギー作トウコ主演で公演させるのに。企画するのに。

 集客できること、カネになることだってわかっているのに。
 なのに何故か劇団は、やろうとしない。

 わたしが億万長者なら、お金の力で劇団の横面はたいて、公演させるのに。
 わたしが権力者なら、圧力かけて公演させるのに。
 魔法や超能力でエライヒト操ってでも、公演させるのに。

 なんでわたし、なんの力もないんだろう。

 
 来年のカレンダー掲載順が発表になり、静かに答えが近づいてくる。
 今でなきゃダメなんだよ。
 役者としての安蘭けいを愛し続けるのとは別の意味で、今のトウコで見たいモノがあるんだよ。

 ああもお、わたしに力があれば。

 
 ……力があれば、こっそりまっつにも助力していると思うけど……なにしろこの通り、はした金すらないただの凡人に過ぎないので。

 切ないなあ。


 機嫌良く週1で雪組通いしています。何回観る気だ、自分。
 でもでも、ハリー&オギーなんだよ? この公演観ないで、他のナニ観るってんだよ、ヅカファンとして!!

 『ソロモンの指輪』中毒です。コレだけ1日何回でも観たい。
 はるばるムラまで(遠いんですってば)出かけていこうと思うその原動力は、「『ソロモンの指輪』が観たい」です。

 『ソロモンの指輪』だけなら当日複数回観劇したいけど、『マリポーサの花』は観たくないので、1日1公演観劇が限度。
 『マリポサ』が嫌いなわけではぜんぜんなく、大好きだが、やっぱ2回続けて観るのは荷が重すぎるんだ、あの話。

 あー、『ソロモンの指輪』やって、『マリポーサの花』やって、最後にもう一度『ソロモンの指輪』やってくんないかなー。

 どっちの作品も大好き。どっちの水しぇんも大好き。や、『ソロモンの指輪』の水くんの使い方には、いろいろいろいろ言いたいことはあるんだが(笑)。

 今回、ショーも芝居もかなめくんが、ごっつー好きです。
 ショーのお化粧がどんどん行き過ぎていってるのも、愛しいです(笑)。
 そーだよなあ、あたしほんとに攻キャラ好きだよなあ。ロジャー@かなめの攻っぷりが好き過ぎる。

 あ、今日観たら、あずりんの芝居の髪型が変わってました。
 あのメッシュ、どーかと思ってたから、変えてくれてウレシイ。黒髪オールバック、かっこいいっす。
 ショーでも芝居でも、あずりんの位置はわかるわよ(笑)。

 
 とまあ、雪組の話からはじめましたが。

 
 結局のとこ、まっつまっつな話です。

 トド様ディナーショーに出演が決まっている、まっつさん。
 たしかトド様の相手役って、その後トップ娘役になったりしているよねえ?

 まっつ、トド様の相手役して、その後トップ娘役になったりしたら、どうしよう??

 ……て、アホなことを考えてひとりウケているくらいには、まっつに飢えてます。

 『マリポサ』が花組だったら、まっつはやっぱフェルッティで、最後の台詞は「性格のいいFBIを紹介してくれ」ではなく、「弁護士を呼べ☆」なんだろーな。

 ……て、アホなことを考えてひとりウケているくらいには、まっつに飢えてます。

 ジェロ様@まっつ、どんなもんなんでしょうね? また兄鳥やるんでしょーか??


 やらなくていいのに、DiaryNoteが勝手にモデルチェンジしたっす。
 改悪ばかりで、6年越えのユーザーとしては見捨てるべきなのかと、思案どころ。

 表に見えるところで言うなら、改行位置が不満。
 人間の目には、「読みやすい幅」というのがあって、ひろがりすぎると次の行に戻るときに混乱するの。
 横書きで許される文字数を超えてるよ、DiaryNote。
 わたしは以前の改行位置(1行の文字数)に合わせたバランスで文章を書いてきたから、勝手に位置を大幅に変えられると、意図していたイメージでなくなってしまう。(他者の閲覧環境は知らん、あくまでもわたし個人の環境で、バランス命)

 どうも、画像をアップしてはじめて、「読みやすい幅」になるみたいだ。画像がないと、本来なら画像があるべき位置(つまり、テキストを入れるべきではない、と制作側もわかっている位置)まで、テキストがなだれ込んでしまう模様。
 ……なんてヘボい作りなんだ。

 また、過去ログ検索がさらに不便になった。
 以前はページの最後にずらずらと全ページへのリンクが張ってあった。数百はあったから、とても見苦しかった(笑)が、とりあえずページ間移動が出来た。

 それがスマートに(笑)1行だけにされてしまった。数ページしか飛ぶことが出来ない。
 2004年の1月の記事が読みたい、と思っても、50回くらいページを地道に繰っていかないと読めない。

 
 そーやって目に見えるとこだけでも改悪されてるんだけどさー。
 管理画面はもっとひどいのよー(笑)。

 今まではそれでも、過去記事の管理はできるよーになってたんだけど、改悪されて「できない」よーになったの。
 びっくりしたわー。
 自分の書いた記事を管理画面から操作できなくなってるの。
 ありえねー。

 過去記事の管理・修正をしたい場合は、ブログ本文から「編集する」をクリックするしかなさそう。
 で、先述の通り、それが2004年の1月の記事だったら、ブログトップから50回以上ページを繰って該当記事を自力で探し、末尾の「編集する」から入るしかないの。

 また、記事をアップできる日付も限定され、自由に書くことが出来なくなった。
 わたしは365日1記事ずつ書くのが基本だから、ぽっかり抜けたままになっている過去の日付にこっそり新しい日記をアップしていたりしてきたけれど、それができなくなった。
 30日以上の過去日記は書けない。


 なにもできないことが、DiaryNoteのいいところだったんだけど、できないにも程がある。
 どーしたもんか。



 とゆー内容でアップした直後、いちおー過去記事を管理画面から操作できるようになりました。
 そして、そのあと2回くらい、ブログのレイアウトが勝手に変わった。
 画像の位置とは無関係に、改行位置が決定した模様。

 せいぜい10分くらいの間に、なんなのこの変更しまくりぶり。

 大丈夫なのか、DiaryNote。
 ほんとうにもうダメなのか、DiaryNote。



 ネロがセリアのどこを愛したのかはわからない。
 顔か? 顔なのか?
 それしかとくに思いつかない。まあ、そうであってもおかしくないくらい、セリアは美女なわけだし。

 正直、ソレはどーでもイイ。

 厳密にはちっともよくないが、とりあえず、他に重要なことがあるから、今はどーでもイイということにしておく。

 ネロが何故セリアを愛したのかはわからないが、セリアが何故ネロを愛したのかは、わかる。そしてわたしは女であり、女の視点で物語を見る。
 ヒロイン・セリアの恋に感情移入できるのだから、この物語の「恋愛」については、ソレだけでクリアできちゃうんだ。

 説明台詞の少ない正塚芝居だ、短い会話の断片から必要な情報をより分け、状況を想像で補っていく。
 いわゆる「行間を読む」作業が楽しい。
 答えはあえて提示されていないのだから、観ている者の数だけ、感じ方がある。

 つーことで。
 セリアの、ネロとの出会いを想像する。つか、わたしのなかではすでに決定稿として存在しているんだが(笑)。

 
 友だちと連れ立って行った、ナイトクラブ。
 セレブとか芸能人とかが利用する、特別な店。現代でもあるよね、そーゆーの。若い女の子ならあこがれがあるはず。

 セリアはお金持ちのお嬢様だけど、いわゆる社交界でホホホと笑っているタイプじゃない。なにしろ父親がアレだ。そーゆー世界と疎遠であっても不思議はない。
 お嬢様だけど、セレブな人々の集う場にはあまり行くことがない。親米政権の大統領と懇意な金満主義的ナイトクラブなんて、興味を示したらパパが激怒するぞっと。

 でも、若い女の子だからやっぱり、興味はあるわけで。
 こっそり、行ってみたわけだ。

 そしたらそこは、キラキラの夢の世界で。
 ゴージャスで洗練されていて。されど適度な猥雑さがあって。
 親に内緒でこっそり冒険しに来た20代半ばの女の子にとって、どれほど刺激的で魅力ある場所だったか。

 で。
 ただでさえ舞い上がっているところに、ステキなショータイム。
 ステージにいる、あのイケメンは誰?!

 歌って踊るトップスター。
 彼の名が「ネロ」だと知る。
 どうしよう、かっこよすぎる、ステキ過ぎる。ファンクラブに入会するには、どうすればいいの?!

 聞けば彼は、この店のオーナーでもあるらしい。
 青年実業家であの美貌で歌って踊れる大スターなの?! なにソレすごすぎる!!

 ……一目惚れですよね。
 仕方ないですよね。
「ねー、タカラヅカって一度観てみたいなー(笑)」「行ってみる?」「うん、ヒマだし一度観てみよー、話の種に」程度で大劇場行って、「水さんステキ!!」と、目をハートマークにして、その後の人生誤ってしまう人々と、同じパターンですよね。

 こーしてセリアが「トップスター・ネロ」に一目惚れしたあとに。
 彼女の父・イスマヨールがアメリカ企業の接待でネロのナイトクラブに足を踏み入れ、ネロと運命の出会い(笑)をしてしまうわけだ。
 大統領の私的な誕生パーティ会場、になるほど、ネロの店が「政府御用達」であることは有名なんだと思う。通常のイスマヨールならそんな店、足を踏み入れないだろう。だから彼がそこにいたのは、政府の後ろ盾をカサに着て一方的な取引を持ちかけるアメリカ企業側が、店を指定したためだろうさ。
 政府にすり寄ることで甘い汁を吸っている、と思い込んでいたナイトクラブの経営者ネロが、真に国のことを考え、損得抜きに努力したいと願っている青年だとわかり、そのギャップにイスマヨールは惚れ込むんだと思う。

 さすが親子。
 どちらもネロに一目惚れ。
 問題は、ヒロインの一目惚れ場面を描かず、その父親のフォーリンラヴ場面は丁寧に描いていることだな、正塚よ(笑)。

 ネロに熱烈に恋したイスマヨール@バツイチ長年やもめ男は、迷わず家族に紹介する。
 新しい仕事のパートナーだからって、いきなり娘を呼びつけて紹介する必要はない。なのに、すげー強引に紹介する。
「セリア、こっちへ来なさい。呼ばれたらすぐ来る! 彼が新しいお母さんだ」
 と、言わんばかりの勢いで。
 でもま、そこまでは気が早すぎるので、とりあえず「仕事のパートナーだ」と紹介したら、なんと娘のセリアはすでにネロを知っていた。

「ネロさんね。本名ですか?」
 なにしろ彼はトップスター。ステージで歌い踊る芸能人。芸名でもおかしくない。
「私も雇って下さい」

 だって憧れのトップスターが、突然自分ちにいるんだよ? とにかくアピっておくしかないでしょ?!
 お金持ちのお嬢様が、ナイトクラブで太股丸出しで踊るなんてこと、ふつーありえないって。客筋はいいとしても、所詮は酔客だよ? そんな連中相手に芸を見せるわけだよ? それでもやっちゃうくらい、この恋、手に入れてみせる!! と、拳握っちゃったわけでしょ、セリア!

 しかも、ライバルは実の父親だし!!

 とーぜん反対する父を、「仕事のパートナーなんでしょ? 彼の店で働くことを反対するなんて、彼を信用できないって言ってるのと同じことよ? 彼にそう言っちゃおうかな」と脅迫し説得し、「弟のリナレスをお目付役にするなら」という条件付きで、憧れのネロと同じステージへ。
 踊る相手もリナレス、帰りもリナレスと一緒。悪い虫が付かないように。……弟と抱き合って踊るって、実際に弟のいるわたしからは信じられない行為だが、人種がチガウからアリなんだろうな、きっと。

 父VS娘の恋の争いは、そこかしこで。
「もう当分は会えなくなるのかね?」「寂しいかぎりだ」……パパ、ネロくんにモーションかけまくり。
 そんなムードにしてたまるか、セリア来襲。
「話が済んだなら、ネロを借りていい?」「10分なら」「じゃあ、待ちます」……とびかう火花。

 パパだけじゃなく、弟のリナレスもどさくさにまぎれてネロと絡んでたりするので。
「あなたは敵じゃない。そう思うから話すんだ」……秘密を打ち明け、懐に入り込みますよ!!
「あなたは嫌いな人間じゃなかった」……背中を向けて、声を震わせての告白。ネロ、揺れまくり(笑)。

 セリア、ピンチ!!
 父も弟も、キミよりはるかにわかりやすくアピールしてるって!!

 てゆーか、おそるべしDNA。親子3人ネロLOVE。

 ネロを手に入れるのは誰だ?!
 ま、負けないもん、いちばん最初に彼に恋したのは私なんだからっ。

 がんばれセリア、父親や弟に、恋する男を取られたら、女としての立場がないぞっ。

 ……と、まあ。
 どーしてネロがセリアに恋したのかはわかんないけど、セリアがネロに恋して、彼に愛されたくて彼の側をうろうろしていたことは、すごーくよくわかるのですよ。
 や、女ですから!!(笑)


 あ、あれ?

 トド様ディナーショー発売日、カンチガイしてた。
 出演者が発表になったとき、公式をチェックして、

><前売日>
>2008年9月28日(日)9:00~

 って、ちゃんと手帳に書き込んだんだよ。

 上からスクロールして、最初に出てきた前売り日だ。

 でもって今日。
 ナニ気にもう一度公式へ行き、トド様ディナーショー記事を眺めた。

 すると。

 その下にまだ、テキストが続いていた。

><前売日>
>2008年9月12日(金)10:00~

 ……はにゃ?
 なんで前売り日が、ふたつあるの?

 はい。
 会場によって、発売日がちがったのです。
 しかも、日程的に先である東京の発売が遅く、あとの大阪が、早かったわけです。

 今日じゃん!!

 わー。
 発売日、終わっちゃったよ~~。

 チケ取りする気、満々だったのに(笑)。
 縁がなかったってことかしら。


 DiaryNoteのヘッダ(『彼女は陽気な破壊的…』とタイトルの付いている部分)に貼る画像を作りながら、「ペンタブ欲しい……」としみじみしていたところだった。
 そして、「ディナーショーあきらめたら、ペンタブ買えるなー……」とも、考えていたところだったさ。

 DSはあきらめろってことかな。
 ヲタクはヲタクらしく、お絵かき道具でも揃えて、まっつイラストでも描いてろってことかな。


 あー。
 どーしたもんだか。


 演出家・荻田浩一退団が、ついに公表された。

 知っていた答えを、改めて手に取る感触。
 タカラジェンヌがいつか退団するように、このときがくることがわかっているからこそ、少しでも遠くあれと願ってやまなかった。

 あれは『パッサージュ』観劇後だったと思う。ムラのホテルでごはんを食べながら、かねすきさんと話した。
「オギーがタカラヅカにいることは、奇跡だと思う」

 『パッサージュ』はあまりに痛く救いのない作品で、こんなものを吐き出さずにいられないひとは、現実社会でどうやって生きていくのだろう、と、いらん心配をした。
 また、その画面の美しさやセンスの良さと反対に(あるいは、その陰に隠れた)、あまりに反社会的な、ダークな特性に、彼の商業作家としての限界を感じた。
 商業作家として、大衆に受けいられるモノを生み出すのならば、彼の持つ毒を、闇を、なんとか誤魔化さなければならない。大衆はそんなもん、のぞまないからだ。
 真の姿だけで勝負し、ソレを受け入れてくれる一部の人たちにだけ認められればいい……そう思っていたのでは、商業作家は務まらない。結果的にそーゆー位置に落ち着くとしても、最初から「30%の人に売れればいいや」と思って出す企画なんか、商業ベースに挙げてはくれないんだ。「100%売れます!」という企画でないと。
 オギーの特性の独特さは、かなり生息の場を限られる……と、思った。

 だからこそ、タカラヅカはオギーにとって最適な場所だと思えた。
 タカラヅカの「美しさ」は「毒」を隠すことが出来るからだ。

 外部で、本能のままに毒全開闇全開にどろどろしたものをやったとしても、一部のマニアに支持されて終わりだ。信者は出来ても、収入にはつながらない。
 他のなにより漠然とした、広い意味での「大衆」を相手にする大きな場で、大きいからこそ多少の毒をも飲み込んで、覆い隠すことの出来るところにいるべきだ。
 だからオギーが、タカラヅカにいるのは正しいことで、また、こんな才能がよりによってタカラヅカにいることは、奇跡だと思った。

 オギーにとっても。タカラヅカにとっても。

 それから、時は流れ。

 オギーの作風は、どんどん「大人」になっていった。

 現実社会でどうやって生きていくんだろう? と思った繊細さ……言葉を換えるなら、「弱さ」は、それを補うだけの技術を得ることで別の姿へ変わっていった。
 本質は変わっていないのだとろうと思う。わたしが勝手に思っているだけだが。
 「こんな内面世界を持つひとが、狂わずに、自殺せずに生きていけるのだろうか?」と思わせるような作風自体は、変わっていないのだろうと思う。
 だけど、時と共に、「どうやってこの世界で生きていくか」というHOW TOを手に入れていった。
 毒の濃度や表現を変え、大衆性と折り合いを付け、最初から「100%売れます!」という企画を出せるだけのスキルを得た。それを繰り返すことで安定した実力を、知名度を得た。

 これだけ世慣れてくれば、世間的な力を手に入れれば、安全な囲いの中でなくても、生きていける。
 実際、外部での評価も高い。

 タカラヅカでなくても、生きていけるだけの強さを、彼は手に入れていた。

 それでもわたしは、「タカラヅカの荻田浩一」であることに、安心していた。
 タカラヅカは、特殊な世界だ。
 外部がどれほど魅力的な世界であったとしても、タカラヅカにはタカラヅカにしかない魅力がある。
 タカラヅカでしかできないことがある。

 1クリエイターとして、その魅力は捨てがたいモノだと思っていたからだ。

 そこでしか生きていけないからそこにいるのではなく、魅力があるから、あえてそこにもいる。そう思っていた。

 安心していた。「タカラヅカ」というものが持つ、力に。

 
 そして。
 ……きしみは、感じていた。
 オギーと「タカラヅカ」……あるいは、「宝塚歌劇団」とのきしみ。
 美しい音楽の中、不吉なノイズはたしかに聞こえていた。

 それでもわたしは、ただのノイズだと思った。
 「タカラヅカ」には、力がある。オギーのような才能をつなぎ止めておけるだけの魅力がある。
 そう思うこと、信じることで、耳をふさいだ。

 
 そうやってさらに時が過ぎ、ついに答えが打ち出された。

 オギーが退団することは、ずっと予感があった。実際、話も聞こえてきていた。
 現実問題として「もうオギー作品が観られないの?!」という個人的な絶望感はある。
 だが、それとは別に。

 荻田浩一をつなぎとめておけない「タカラヅカ」という創作ジャンルに、危機感を持つ。
 
 ジャンルとして。創作する表現の場として。
 世界に例を見ない、他にはない特殊な形態だ。ここで「表現したい」と思ったら、他で代用は利かないんだ。

 宝塚歌劇団は、芸術家のパトロンではなく、利潤追求を旨とする会社だ。そこに所属する者として、待遇をめぐって納得に至らず決裂するのは、社会人としてあり得ることだと思う。
 だが、どれほど物質面・精神面で摩擦があろうと、創作者として「代用の利かない魅力」を感じているならば、踏み止まることができるはずだ。

 なにかと秤に掛けて、オギーはタカラヅカを捨てた。
 タカラヅカを捨ててでも、なにか別のモノを選んだ。
 選ぶ、という行為は、選ばなかったモノすべてを捨てるということ。ノアは選び、そして地上のすべては水に沈んだ。

 「タカラヅカ」は、唯一無二の創作形態であるにも関わらず、クリエイターに「捨ててもかまわない」と思わせる程度のモノなんだ。

 ……という、ショック、ですな。

 荻田浩一が「どこへ行くのか」であり、宝塚歌劇団が「どこへ行くのか」である……喪失感。

  
 タカラヅカ自体が斜陽であることは、ずっと感じている。
 単純にファンの数が減っているのだろうなと思う。
 全組平日にムラ通いしてりゃー、嫌でもわかる。どの組が、というより、タカラヅカ全体が。
 どうやったら盛り返せるのか、正直わからない。
 世界に求められていない娯楽なのだ、と言われればそれまでだが。

 それでもわたしは「タカラヅカ」を愛しているし、ここでしかできない創作ジャンルとして、表現形態としての「タカラヅカ」に価値と誇りを見出している。

 「タカラヅカ」というジャンルで、荻田浩一作品を観続けたかった。
 彼がすぐれたクリエイターであり、これからも素晴らしい作品を生み出していくことはわかっているが、それとは別に、「タカラヅカ」で観たかったんだ。

 
 この特殊な場所でしかできない作品を、退団後も彼が作り続けてくれることを、祈る。クリエイターとして「タカラヅカ」という表現を欲してくれることを、祈る。


 ヅカファンのほとんどはゆみこファンかもしれない。
 わたし個人のごくごく狭い範囲だけで世界を計るならば、世の中はゆみこファンだらけだ。

 ……と、ゆーことで、彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』行ってきました。
 えええ、なんでわたしが? って、そりゃあもお、某ゆみこファンに半分拉致られたってゆーか、えーと(笑)。先日のライヴイベントのメンバー勢揃い。
「毎週観劇して、イベントも行って、お茶会にも参加するんだから、もうすっかりゆみこファンだね」と、ゆみこファン認定されていますが、「ほんとのこと言っていいんだよ、彩吹さんがいちばん好きでしょ?」と自白を迫られたりもしてますが、ええっとええっと、まっつ~~!!(叫んでみる)

 
 彩吹さんがヨン様で、水さんがチェ・ジウでした。
 
 彩吹&水で、『冬ソナ』!!

 いやその。
 クライマックスの港場面にて、ネロ@水しぇんに「行け」と言ったあとのエスコバル@ゆみこ。テーマソングを歌いながらセリ下がっていくが、絶命シーンは描かれていない。
 つーことで。

 エスコバルは、生きていた!

 とゆー、極秘物語が存在していたのだった。ごく一部のジェンヌの世間話のなかで(笑)。

 一命を取りとめたエスコはなんと記憶を失っていた。
 海外へ渡った彼は、政変により亡命したサルディバル@ハマコと再会、サルちゃんに言いくるめられて、彼のボディーガードなんかやっちゃう。

 ここんとこ、イイですねえ。
 サルディバルの前に、記憶のないエスコバル。
 なんかエロいですねえ。
 記憶がないのをいいことに、自分のモノにしちゃうわけですか、サルちゃん。そんなにエスコが欲しかったのか?
 ……とゆー話に持っていってもイイし、サルちゃんの本命はネロくんでもイイ。ネロへの復讐心から、エスコを手に入れる、つーもぜんぜんアリだ。ネロをいたぶるなら、まずエスコだろ(笑)。

 ええ、もちろんネロ登場ですよ。
 外国で運命の再会。

 ネロくん、大ショック。
 「たったひとりのトモダチ」が、サルちゃんのお手つきになっている?!!
 しかも、ネロのことがわからない?!!
「俺だ、ネロだっ、俺がわからないのかああぁぁ!!」
 エスコの肩を掴んでがしがし揺さぶるネロくん。

 このへんまではあたしゃ、「ソレってどこの『Appartement Cinema』?!」と思いながら聞いていたわけだが。

 語る彩吹氏は言い切った。

「『冬ソナ』みたいですよねっ(笑)」

 『冬のソナタ』ですか。
 てゆーか、その場合ヨン様がエスコで、チェ・ジウがネロかよ?!

 テーマソングとコスプレ姿が脳裏を走りました。……意外に似合いそうだな。とくに水しぇん。(えっ?)

 
 ……まっとーなレポは、わたしをお茶会に連れてった某ゆみこファン(笑)のブログを読むなりしてくれ。
 レポ機能の付いていないわたしは、とにかく感想をば記す。
 
 ゆみこちゃんのことは『嵐が丘』のゲイル役から眺めて来てますが(当時のゆみこはトウコちゃんにクリソツで、「トウコが2役やってる?!」と誤解する観客続出だった)、ナマで喋っているのを見るのは、はじめてです。

 つーことで、お茶会ってゆーか、彩吹真央、初体験記って感じかしら。

 しみじみと、顔、変わったなあ。と思った。
 やっぱ人間、最初に見たモノがインプットされるじゃん?
 わたしにとってのゆみこちゃんはそのゲイルとか、新公でトウコの役をやったりしていた頃の印象が根強く残っていて。
 あのころとは、さすがに顔自体がずいぶん変わっていて、別人に近い勢いだった。
 今思うと、素顔のガオリくんは、若い頃(失礼)のゆみこに似ていると思う。わたしの記憶にあるゆみこちゃん@雪組新進スターは、あーゆー顔だった。あ、さらに目が大きかったかな。

 えー、そんでもって、シンプルなおどろきは。

 大阪弁丸出しなんだ。

 標準語で話す気、まったくナシっす。徹頭徹尾、大阪弁。
 テレビでは標準語で話してるよねえ……?
 大阪出身なのは知ってるが、きりやんとかすずみんとか、公の場でも大阪人キャラを通している人たちと違い、なんつーかこー、もっと優等生的で、ぶっちゃけ地味なイメージがあった。

 大阪弁で、ひたすら話す。とことん話す。えんえん話す。
 てゆーか、お茶会、優に2時間あった……。

 わたしはあまりお茶会って参加しないんでよく知らないけど、「平均1時間半」の催しって印象。ある下級生は1時間強で終わったしなー。ツーショットとかしてたら、話を聞いている時間もあんましナシ、終始バタバタってこともあったさ。
 2時間あると、こんだけ話を聞くことが出来るんだ。ほえー。

 写真撮影がないことも大きい。握手があるのみで、写真は無し。
 「ジェンヌと一緒に記念撮影」が苦手なわたしには、すげーありがたい。
 待たされる時間をできるだけ少なく、ジェンヌのトークを優先してくれているのか?

 実際、すげー盛況なお茶会で。
 人数多っ。
 参加人数100人前後のお茶会ばかり参加し続けている身としては、落ち着かないほどの規模でした。
 たしかにこの人数なら、記念撮影はできないか。

 そうやって、正味喋ってくれるので、とても興味深い。
 お茶会に参加する理由はいろいろあるだろうけど、わたしとしては写真も握手もいらんから、ジェンヌのナマのトークを聞きたいので、ゆみこ茶の構成はうれしかった。
 や、東宝茶会限定とかゆー噂の、「撮影会」は是非見てみたいけどな(笑)。わざわざステージ作ってあって、そこでゆみこ氏がポーズを取ってくれるという……いいなー、そんなんが贔屓茶であったらしっぽ振って飛んでくわー。
 歌も2曲歌ってくれるし。
 それまで素の顔で喋っていたジェンヌが、「男役の顔」になって歌い出す瞬間が、すごく好きなの。声だって変わるし。
 
 
 お茶会場で、予期しない人に会ったりなんだり。
  
 あー……ほんとに、わたしの周囲のヅカファンはゆみこファンばっかだぁ。まっつファンは、どこにいるんだろー?


 大変盛況な、すげー人数の多いお茶会だったというのに。
 まぎれこんでいたわたしは、ゲームで最後の10人ほどに勝ち残りました。

 彩吹真央お茶会『ソロモンの指輪/マリポーサの花』にて、「ゆみこちゃんがどう答えるかを当てる三択クイズ」で、「行きたい国」だとか「見たい映画」だとか、一般的なモノからマニアックなモノまで、ゆみこちゃんの回答を予想するゲームだ。
 6問連続正解しましたね。友人たちはあっちゅー間に敗退したというのに。

 で、最後の7問目でハズレ。当てられたのは、3人のみだっけか。

 まあね、決勝戦で負けるのがわたしのパターンなんで、正直「またか」と思いました。
 100円玉1枚握りしめて隣の人とじゃんけんして、勝ったら相手の持っている100円玉1枚をもらう。負けた人はゲームから脱落。勝った人はさらに同じように勝った人と勝負。次にもし負けたらこの段階で手に入れていた100円玉2枚を相手に渡す。勝ち続けると、手持ちの100円玉が倍倍になっていく。
 そうやって、勝った人が負けた人の100円玉を手に入れるゲームで、どんどん勝ち残って、手に入れた100円玉が何十枚にまでなって、生き残っている人がたったふたりにまで絞られ……決勝戦、これで勝ったら参加者全員の100円玉を独り占め……てとこで、負けるんだよなー。
 いつだってそうだ。それがわたしの人生。

 わたしが当てられなかった質問は、「ゆみこさんの休日の過ごし方」でした。

1.ランチのあと、マッサージ。
2.買い物のあと、マッサージ。
3.ドライブのあと、マッサージ。

 「マッサージは前提」らしいです、ゆみこちゃんもこの三択ぶりに突っ込んでた(笑)。

 わたしは「ランチ」を選びました。
 だって、買い物もドライブもしない日だってあるだろーけど、ごはんだけは毎日必ず食べるだろーから。……現実的過ぎましたか?

 ゆみこさんの答えは「買い物」でした。

 
 『ソロモンの指輪』を語るとき、ゆみこちゃんは「断定」をしません。
 「わたしは、こう思ってやっている」という言い方をする。オギー・ワールドは数学じゃない。答えはひとつじゃない。オギーも自分の考えを押し付けるよーな演出はしていない。
 だから出演者も、「こう思って、こう見えるといいなと思って、こうやっている」と言う。ひとりでどうこう、だけでなく、共演者と話して、意見交換して、それぞれの場を作り上げていく。……それですら、「答え」ではなくて。

 可能性のひとつ、寄せては返す波のひとつのような、感覚。
 「そう思って観てください」ではなく、「そう思って演じていると、思って観てください」であるということ。
 公正な、寛い感性のある人だなと思う。

 一方、『マリポーサの花』については、よく語る(笑)。こちらはけっこー、「こう観てほしいの!」という欲求がある模様。役者としてのこだわりが見える。

 エスコバルさんの職業は? という質問に、すげー憮然と「は? クラブの経営」と答えているのが、個人的にツボだった。
 や、たんにわたしの友人の爆裂ゆみこファンが、「エスコバルさんの職業って謎よね? ひょっとして用心棒?」とか、たのしそーに言ってて、わたしが「ネロとふたりでクラブを共同経営してるんでしょ?」と言っても、聞く耳持たなかったの。なんかいろいろ夢見て、いろいろ設定空想しては、たのしんでいるようだったが……ふつーにあの店のオーナーの片割れなわけですよ。
 政権樹立の大役者のひとりで、地位を放棄した代わりに相当の金額はもらっているだろうし。それを元手にして、ネロとふたりでナイトクラブをはじめた、と。

 公式設定は30歳だそうですが、やっぱ30歳には見えませんて。
 長瀬智也とか小泉孝太郎とかと同じ年……。や、日本人タレントと比べてもアレだけど、やっぱ身近な30歳っつーとまだまだ若造っていうか、未熟感が強いってゆーか。
 「過去のある男」としては、+5歳くらいは欲しいなあ。「キリコ・キュービィ18歳」に盛大に突っ込んだ(「いくらアニメはキャラ設定を若くしなければならないからって、ソレはないだろう!」……ヲタクかつ古すぎる例えですまん)ようなモノで、無理して若造にしなくても……と、つい思ってしまうのは、わたしがイイ年だからか。

 作中、アリシア@いづるんの台詞でしか語られない「野獣のようなエスコバルさん」ですが、セットのパネルの向こうで本当にエスコバルさんがミゲル@まなはるを締め上げている……というのは、ファンの間では周知の事実。
 公演がはじまって間もない頃、ゆみこファンが「知っていて当然」となんの説明もないままアリシアのよーに、「上手端からなら野獣な姿が見えるかしら!」と鼻息荒く語り出すのを、わたしはセリア@とにゃみのよーに「なにが?」と聞いていました。アリシアとセリアの会話、すごくリアルだわ……。

 で、その周知の事実を、実際に目の前でやってくれました。
 ミゲル役は立候補したファンのお嬢さんで、銃を構えたふりをしているところを、ゆみこちゃんが「まずこうして」「こう跳ね上げて」「こう」と、腕を取って銃口をはずし、その勢いで殴り倒すところまで実演。
 もちろん殴るふり、なんだが、お嬢さんはちゃんと殴られたふりをしてくれた。GJ!
 わたしとnanaタンは、自分たちの席で、自分たちふたりで、それを復習。こーやってこーやって、こう、ね。ふむふむ。

 ただ問題は、このかっこいーゆみこ氏が、狙われた人を、ナチュラルに間違えていたことです。

「ここにフェルッティが……緒月のやっている役ですけどね、フェルッティがいて、それを狙うミゲルがここに立って……」

 あのー。
 ミゲルがなんで、「マイアミの大富豪」を暗殺せにゃならんのですか?
 彼は大統領を暗殺しようとしたわけで、マイアミの大富豪はなんの関係もありません(笑)。

 司会者は質問や進行を明瞭でない発音で読み上げるのみで、ツッコミを入れたりはしないので、間違いは正されることはなくスルー。
 
 「ビリーズブートキャンプ」を「ビリー・ザ・フェイマス」とゆみこが言い続けたときもスルーされ、客席がざわつくので本人が間違いに気づいて訂正するまで放置されてたしな。
 司会者はいつもあんな感じなのかな?

 
 正味2時間喋り通す、濃ぃ~~いお茶会で、感じたことは、ゆみこちゃんのやわらかさ、だ。
 それは本人固有のものというだけではなく、その場にいるわたしにたちに向かって発せられるやわらかさだった。

 ゆみこちゃんは、この場にいる人を……ファンを、信頼している。
 心を開き、あずけている。
 それが感じられるやわらかさだった。

 だからきっと、ここは心地いい空気が流れているんだろうな。

 べたべたな大阪弁でつづられる、心をあずけた言葉たち。
 優れた歌唱力を、豊かな声質を持つ人だけど、それ以上のものを放っているんだね。


 しあわせな時間だった。

 春野寿美礼の歌声に、満たされる。
 春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』千秋楽。

 わたしはひたすら、リラックスしていた。
 そしてそのことに、どれほど2週間前の初日に自分自身が緊張していたかを、思い知る。

 ヅカを卒業した寿美礼サマがどんな姿のどんな人になっているのか、また、その姿を見てわたしがどんな風に思うのか、想像もつかない、想像しても仕方がない、百聞は一見にしかず、とにかく自分で体験するしかなくて。

 人生なにごとも経験だから、とにかく飛び込んでみる。体験してみる。

 新しい、春野寿美礼を。

 初日は、受け止めるだけで精一杯だった。
 あらゆることにいっぱいいっぱいで、歌を聴くどころぢゃなかった。……今にして思えば。

 実際のところ、寿美礼サマは良くも悪くも変わっていなかった。
 ヅカメイクではないので、ビジュアル的にはかなり評価の分かれるところだと思うが……あの顔立ちも含めて寿美礼サマ。造作だけでなく、そこに浮かぶ表情の魅力重視でヨロシク。

 ただリラックスして、歌を聴く。
 それが許される、しあわせ。

 いつかこの歌声を失ってしまうのだ、と背中を焦がされるよーな思いで聴いていたんだ……いつも、いつも。
 タカラヅカは終わりのある楽園。誰であっても、それは変わらない。退団発表がなくても、無意識に、どこかにその焦りはあった。

 そこから、ほんとうに、解き放たれたんだ。

 これから、はじまる。
 はじまって、くれたんだ。
 これからがある、未来があるんだ。時間があるんだ。
 そのことの、よろこび。幸福。

 ああわたし、ほんとに幸せなんだ、と思う。
 至福というほどの強さではなく、もっとゆるい感覚。だからこそなお、ナチュラルに幸せなのかもしれない。

 初日はわたしもたしかに歌を堪能するどころの精神状態ではなかったが。
 それにしてもこのコンサート期間中で、オサ様の歌声、さらに響きを増してるよね?
 回を重ねることで、さらに美しくなってるよね?

 歌声の艶だけではなく。
 ぐだぐだなトークもまた、のびる一方で(笑)。
 あー、オサコンを思い出すな。オサ様ひとりで喋らせると、収拾がつかなくてなって与太りまくって、わけわかんなくなるの。
 初日はまだ言葉足らずに「や、言いたいことはわかったから」と観客が察するのに任せたおぼつかない喋りだったのが、千秋楽ではこれまで毎回喋っていたネタに追記していくうちに、さらにぐたぐたに渦巻状になった喋りっぷりで、手に汗握った。
 後ろで指揮者の塩田せんせが、すげー温かく見守ってくれているのが、わかる。や、オサ様のトーク終了の合図で演奏はじめなきゃいけないから、背中で空気を計っているわけだが……そーゆー事務的なことだけじゃなく、トークが迷子になると苦笑したりエールを送っているのが感じられるのね。
 指揮が塩田せんせで良かった。踊りまくったりあおったりして、「参加」してくれているのがうれしい。

 ぐだぐだなトーク、論旨も結論もどっかへ行ってしまって帰ってこない、愉快なことを言っているわけでも洒落ているわけでもない、しかも1文節ずつ区切って溜めて喋る(そのため本人も最初ナニを言うつもりだったか、途中でわからなくなる)どーしよーもなさ(笑)。
 そのダメダメっぷりから、歌い出すと一気に変わる。

 彼……彼女は、予言者のようだと、思った。

 紫色のドレスの場面で、痛切にその思いがわきあがった。
 このひとの指し示すところへ、わたしは行くんだ。

 春野寿美礼がどんな人か知らないし、知りたいとも思ってないが、ただわたしはこのひとの舞台から発するモノを受け止め、このひとの示す方向へ行くんだ。
 現役時代からそうだったように、勝手に盛り上がって崇め奉って、勝手に幻滅したり嫌ったりしながら、「それでも好き」と半ベソかいてついて行くんだろう。

 このひとが向かう先を、視たいと思う。
 このひとの奏でる歌を、聴きたいと思う。

 どこに行くのか、わかんないけど。
 
 「今」の寿美礼サマは、なんかすごーく「過渡期」だ。
 良くも悪くも変わっていなくて、なのにもう「男役」ではない。
 男役だった過去を否定するのでなく、大切に受け止めながらも、さらにどこかへ向かおうとしている。
 初日にあった気負いというか、張りつめきったナニかは消え、別のモノがにじみ出てきている。

 借りてきた猫が、ベッドの下で毛を逆立てていたんだけど、おそるおそる出てきましたっていうか。
 置いてあったエサを食べたら、またベッドの下に逃げ込むんだけど、そっから先は出てくる頻度が上がって、ついにはベッドの上でおなかを上にして寝てしまったというか。

 カーテンコールは、けっこー早めにオサ様がステージに戻ってきたのに、そっから先がなかなかはじまらず。
「なんかみんな準備してるみたいで……」
 て、なんの準備かと思ったら、出演者みんなオサ様写真入りうちわで顔を隠して登場。
 それだけに留まらず、舞台上のオケの人たちまでみんなみんな、同じうちわ。
 ただし塩田せんせだけ自分の顔写真うちわ(笑)。

 そーやってひとしきり盛り上がったあと、アンコール曲の「My Heart」へ。
 スタンディングの客が一斉に坐り出す、お行儀の良さ(笑)。
 歌い終わったオサ様の背後にカラーテープが滝のようにばさーっと落ちて、金色の紙吹雪が舞って……しかし、自らの余韻に浸りきっているオサ様はなにも気づかず。
 何拍も遅れて後ろを振り返り、マジでびびっている姿がステキ。

 追い出しアナウンスが流れても、拍手はやまなくて。
 目を線にしたオサ様が袖から登場して、「*階のお客さんイェ~~ッ!!」をやり、「先に進むよ~~ッ!!」をやり。

 ついには、「オレについてこいよ~~!」と叫ぶ始末。

 デジャヴ。
 この劇場で、同じように拳を振り上げていた、あのころ。

 今はもうあのころではないはずなのに。

 オサ様自身が、繰り返されるカーテンコールのなか、もーわけわかんなくなってるっぽいのが、すごくイイ。

 今「オレ」って言ったよあのひと。
 今でも「オレ」なんだ。ついぽろっと出ちゃうくらいには、あのひとの過ごした花園での時間は、あのひとの血肉になっているんだ。

 すげー堂々と「オレ」なまま袖に入り。
 次に出てきたときはすげーテレテレに、「もう男役じゃなかった」と我に返ったそうで、「私についていらして(はぁと)」とやってくれた。

 その揺らぎをそのままに。
 どんな姿を見せてくれるのか、たのしみにしていたい。

 このひとが指し示す、その先を。


Myルール。

2008年9月17日 その他
 サブドメインが取得できるようになったので、早々に登録、無事にkoalaをGETしたので、このブログのURLは「http://koala.diarynote.jp/」になった。
 つっても今までのURLでも見られるけど。

 DiaryNoteが新しくなっていろいろ変更点があった。
 そのなかのひとつに、左の「最新の日記」欄に「最新の日記が表示されない」というものがある。
 今までは「いちばん最近に書いた・更新した日記がいちばん上に表示された」が、今はもう「わたしが最近に書いた」ことより、「最新の日付」を優先しているのだな。
 だから1週間前の日付位置に新しい記事をUPしても、それは「最新の日記」ではない。「日付が現在に近い日記」だけを「最新」として表示する。
 過去日付に新しい記事を書いても、書いたことに気づく人はまあいないってことだなー。や、RSS登録している人はともかく、ふつーにブクマからここへ来ている場合、更新されたかどうか不明ってことだな。
 ……それを隠れ蓑にしてマニアックな話とか、こっそり書くことが出来るか(笑)。

 DiaryNoteを使い出して7年になるが、以前酷い目に遭ったので、それ以来「1日1記事、3000文字」をMyルールにしている。
 同じ日付に複数記事をUPできるし、1記事に2万文字書けるそうだが、わたしは信じない(笑)。
 以前DiaryNoteのうたい文句を信じて「同じ日付に複数記事、1記事3000文字以上」書いていたら、全部壊れて消失したんだわ。
 1日に2つ以上記事があった場合、最初のひとつのテキストだけが残り、それ以外の記事は最初のひとつと同じになった。
 「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・2」「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・3」という記事を同じ日付、1日にUPしていた場合、「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が3つになったわけ。「2」と「3」は消失。
 また、ひとつの記事が3000文字以上会った場合、3000弱を区切りにそれ以上のテキストは消失。
 「『愛と死のアラビア』ってこんな話?・1」が4000文字だったとしたら、3000文字くらいからあとは突然文章が切れているの。

 当時は「メールでバックアップ」という機能もなくて、数年分のテキストが一気に消失したのよ。

 DiaryNoteに問い合わせても、もちろん回答はなかった。7年間で2~3回問い合わせたことがあるんだが、一度も回答してもらったことがないので、そーゆーもんだと思って使っている。返事がないとわかっているから、ほんとーに困ったときしかメールしないんだが、それでも放置プレイだしな。

 運営サイドはなにもしてくれない。
 だから、自衛するしかない。

 「1日1記事、3000文字」がMyルール。

 どんなに一気に書ききりたい話題でも、長くなったら2日、3日と時間が経つのを待って、3000文字で区切ってからUPする。
 複数の話題を1日に書きたいときでも、日にちが変わるのを待つ。
 同じ日に、複数記事は書かない。3000文字以上書かない。そーしないと、サイトが壊れて消失するかもしれない。

 DiaryNoteなんて、信じてない。
 そもそも、無料で使えるサイトなんだから、保証がないことは理解している。
 いつ全削除されて全データ消失するか、わかったもんじゃない……と、自覚した上で、利用している。
 そうなったとしても、わたしからはなにも働きかける術がない。問い合わせたって、きっと返事もらえないし(笑)。

 て、この日記も「最新の日記」に出ることはないので、気軽に書いてみた(笑)。



恋って。

2008年9月18日 タカラヅカ
 最初に好きになった男の子は、わたしより背が低かった。

 新規更新がトップ画面に反映されないのをいいことに、ちょっくら自分語り(笑)。

 わたしにとって、「背が高い」ことはずーーっと重荷だった。
 一般的に身長は高い方がヨシとされているようだが、それは身体的特徴を巧く人生に活かせている場合のみだと思う。
 身長が高くても低くてもふつうぐらいでも、同じことだ。長身を活かしてスポーツで活躍したり美しい服を着こなしたり、小柄ゆえにできる職業や服装を充実させたりと、結局はその人の生き方次第。体重は後天的にコントロールしやすいが、身長は持って生まれたモノが大きい。

 こんなふうに、生まれてしまった。自分で選ぶことの出来なかった種類のことだから、ひとより背が高いことを受け入れるまでに、あきらめられるまでに、時間が掛かった。
 そりゃわたしより大きな女性もいくらでもいるし、今の時代はさらに長身の女性があたりまえに闊歩しているが、わたしの少女時代、そしてわたしの抱え込んだ狭いちっぽけな社会では、わたしの大きさはけっこうなハンデだった。

 背が高かったせいで嫌な目にはいろいろあったが、恋愛面だけを見ても「このデカ女」と、好きな男子に言われるときの、ダメージのデカさときたら。

 「デカ女」「女オトコ」はずーーっと言われてきたし、大して気にならないくらいに言われ慣れていたんだが、やっぱり好きな子に言われると、つらかった。

 とくに、わたしが好きだったのは、クラスでいちばん小柄な男の子だった。
 仲が良くて、いつも一緒に遊んでいた。反面、いちばんのケンカ友だちでもあった。毎日毎日どつき漫才していた。
 仲がいいので周囲から冷やかされることもあったが、そのとき決まって「こんなデカ女なんか」とその子は言った。まあわたしも「こんなチビ、冗談じゃない」てなことは返していたから、お互い様だが。

 女の方が背が高い、ことは、恥ずかしいことなんだ。
 ソレをネタに冷やかされたり、からかわれたり、笑われたりするんだ。
 わたしも恥ずかしいし、彼も恥ずかしいと思うことなんだ。

 そんな固定観念、どーかしていると思うが、小学生のわたしは本気でそう思った。

 女の子は、自分より背の高い男の子しか、好きになっちゃいけない。
 でなければ、世間に笑われるのだ。後ろ指をさされるのだ。

 冷静に考えればおかしいとは思うが、それでも、けっこうふつーの感覚じゃね?
 自分より背の高いダーリンを想像するのは。

 少女マンガではいつだってヒロインより相手の男の子の方が長身だもの。女の子の方が大きい場合は、わざわざそのことをテーマにしていたりする、くらい、ありえないことなんだもの。
 女子同士で「好きな男の子の話」「どんな子が理想か話」をするとき、ふつーに「あたしより背が高くてぇ」って、言うよな?

 わたしもふつーに「あたしより背の高い男の子」を恋愛対象としていた。
 クラスを見回して、わたしより大きな子がひとりかふたりしかいなくても、「あたしより背の高い男の子」しか好きになっちゃいけないと思っていた。

 恥ずかしい思いをするから。わたしも、その子も。

 思春期ゆえの思い込みの激しさ、自意識過剰さで、そう頑なに思い込んでいた。

 やはり人より大きかった母もまた、

「男の人と出会ったときはまず身長をチェックしたわ。自分より背が高い人でないと、好きにはならない。おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」

 と、豪語していた。

 うん、やっぱどーしてもそうなるよね。

 デートのときにぺたんこ靴しか履けないこと、並んで写真を撮るときに猫背になること、数えるとキリがない、劣等感。
 恥ずかしい思いをしたくないから、出会う男の子たちをまず、身長で判断していた。この子は好きになってもいい、この子はダメ。

 つーことで。

 はい、ここでよーやく、ヅカの話になる。

 好きになるからには、わたしより背の高い人でなきゃダメ。

 ええ。
 ヅカにハマった当初、本気でそう思っていました。

 現実世界ですら、男たちの低身長さに悩まされているのよ? 疑似恋愛を割り切ってたのしむバーチャル世界でまで、なんでチビを好きにならなきゃいけないの?

 舞台の男役たちはみんなかっこよくて大きくて、夢の世界だった。
 ええ、みんな大きく見えたんだってば。
 背の高い人しか、タカラヅカには入れないんだと思っていたし。テレビで見るジャニーズは、共演する女優やアイドルと同じくらいの身長のおチビさんばっかだけど、ヅカの男役は娘役よりみんな大きい、長身さんばっかだわ! 背の高い美形がよりどりみどり、みんな長身、ステキ!

 ……ハマったあとで、「宝塚おとめ」を見て男役の身長に愕然とする。

 ほとんどの男役が「168cm」だった。
 168? それっぽっちなの?? 舞台ではもっと大きく見えたよ?

 轟悠の美貌に一目惚れしたわたしは、ページを繰って彼の身長を確認した。
 彼もまた「168cm」だった。

 168か。168。うん、ぎりぎりセーフ。わたしの公称身長と同じだもん、わたしより小さいわけじゃないから、好きになってもいいよね。
 そう、自分に言い聞かせた(笑)。
 自分よりチビは好きにならない……そう、自分に戒めがあったんだってば。

 で、あるときナマのトドロキを目撃し、小ささに、おどろいた。
 
「トドロキって168だよね? アレで公称168? 嘘でしょ?」
「うん、緑野の公称168と反対の意味で、同じくらいには嘘だね」

 一緒にいたツレ(わたしよりアタマひとつ小さい)に、すぱっと切り捨てられたなあ。

 トドが思っていたよりずーーっと小さかったことは「見なかったこと」として、わたしの「自分より小さい人は好きにならない」というMyルールは守り通した(笑)。

 気になるジェンヌは、身長もチェックする。
 ケロちゃんの身長だって、最初に調べたさ。
 公称「169cm」。やった、わたしの公称より大きい。わたしより背が高いから、「好きになってもいい人」だわ!!

 そう安心していたのに。
 『血と砂』初日に、公称身長170cm(もちろんチェック済)のゆーひくんとの身長差が1cmにはとても見えないケロの小柄ぶりに、疑問を持った。
 変だな、ケロは169だから、ゆーひくんと並んでも同じくらいの身長のはずなのに……。
 「おとめ」には、身長167cmと記載されていた。

 ソレって、あたしより小さいってことじゃん?!!

 信じられなくて、過去の「おとめ」を引っ張り出していちいち調べていったさ。だってケロちゃん、昔は169って書いてたもん! わたしがケロちゃんを知った頃は、公式出版物に169って書いてた!!

 答えは、「組替え」だ。
 雪組にいたときは169cm、月組に組替えになって翌年には167cmに変更されていた……。

 そーだよなー……トウコちゃんの公式身長が167cmだもんなぁ。トウコより大きなケロは169cmと表記するしかないよなあ。
 雪組のサバ読みっぷりって……たしかいっちゃんも退団後にどーんと公式身長縮んでたなぁ。

 その後ケロは再度の組替えによって、再びトウコと同じ組になり、でも今さら公式身長を変えることが出来ず月組時代の「167cm」で通し、「ケロとトウコって同じ身長? ……嘘丸出し」と、ファンに溜息をつかせることになったわけだが(笑)。

 自分より小さな人は好きにならない……そのルールが、ケロの「身長サバ読み」によって、崩れ去ったのだ!!
 わーん、ひどいよケロちゃん! 169cmだって言ってたぢゃないか~~!!

 そりゃトドの「168cm」も明らかな大嘘だが、彼は未だに168だと平気な顔で生きている。騙すのも商売のうちなんだから、騙してくれている分には、素直に騙されるさ。
 ケロの場合は、途中で嘘を訂正しちゃったんだもん。罪が重いさ。どーして騙しておいてくれなかったの。

 
 あれほど、「身長」にこだわったわたし。
 ケロの裏切り(笑)のおかげで、そのこだわりも葬り去られた。

 小さいからなんだ、ステキな人はステキなんだっ。好きになってナニが悪い!

 トウコちゃんもきりやんも、好きになった。まさかの小男ブーム。つか、彼らは背が低いからこそ、さらに魅力的なんだと思うようになった。

 いやその。
 わたしがもう思春期の少女ではなく、高身長に特別なこだわりを持たない年齢になってしまったこともある。
 レンアイに多大な夢は持たなくなった。

 そして、人よりデカい自分のことも、あきらめられるよーになった。
 あんなにがんとして拒絶していたヒールのある靴も、履くようになった。

 わたしは、わたしでしかない。
 あの子よりわたしの方が背が高いから……ソレが恥ずかしくてキモチを封印するしかなかった、幼い日のわたしに言ってやりたい。
 背の低い男の子を好きになってもよかったんだよと。いや、いくらそう言われても、自分の中の劣等感はぬぐえなかったにしろ。

 好きになってしまえば、どうしようもないんだ。

 やはり人より大きかった母もまた、

「おとーちゃんとはじめて出会ったときも、『この人、アタシより数センチ背が高い!』って思ったから、つきあったんだもの!」

 と、豪語していたが、大人になった子どもたちから「どー見ても、誰が見ても、父より母の方が背が高いっつーの」と、客観的に突っ込まれていたさ。
 恋は盲目、父に一目惚れした母の目には、「自分より小さな人は好きにならない」というルールを守るために、現実の方が歪められて映ったわけだから。

 
 いろんなものに縛られていた若い頃にまっつに出会っていても、こんなに好きにはなっていなかったんだろうな、という話。
 この年になってから出会えて、よかったんだと思う。

 ……たぶん(笑)。
「この人を見て思い出すのは、フレッド・アステアですね。水夏希さんは本当に手足が長くて顔が小さくて背が高くって、カラダのさばき、手と足の動かし方が圧倒的に図抜けて感じるんです」
「水夏希さんのダンス・パフォーマンスは一見の価値有り、見ないと損する。図抜けた踊りの上手さ……この人の立ち姿が、なにもしないでもアラン・ドロンの哀愁、孤独を感じます」
「水夏希のしびれるかっこよさ、ダンスの上手さを堪能していただきたいと思っています。宝塚は5組あるわけですが、水夏希さんの男の色気は別格のように思います」
「全編を貫くダンディズム、男のかっこよさ、銀幕スターのような男らしい孤独なヒーローを『マリポーサの花』で堪能して欲しいと思います」

 ここまで手放しで、喋りっぱなしの無音ナシで誉めちぎられることに、ツボりました。

 ええ、たまたまテレビつけたらショッピング・チャンネルで宝塚チケットの叩き売りやってて。
 商品を売るためには手段は選ばないってことなんだろうけど、誉める誉める、誉め続ける。
 資料が水しぇんと作品についてしかないらしく、となみちゃんやゆみこなど、他の人のことは一切触れず、エンドレスで水しぇんだけを絶賛する。
 語るべきことが大してあるよーでもなさそーなのに、とにかく20分くらい?喋り続けなければならない、つーんでもー、同じことを繰り返しつつけるの。

 とにかく絶賛。ひたすら絶賛。

 あまりにツボに入ったので、思わず録画しちゃった(笑)。わたしの水夏希映像コレションDVDに加えておくわ。コレクションしてますとも、水オチしたその日から(笑)。

 そっかあ、水しぇんって手足が長くて顔が小さくて背が高かったのかー。いかんいかん、人から言われるまで考えたこともなかったよ。

 
 このあと番組では、宙組タニちゃんの絶賛に移るんだが、こちらもすげー愉快だった。
 水夏希と大和悠河を比べて語るのよ、叩き売りのおにーさんたら。水夏希がダークな魅力、大人の男の色気、大和悠河はきらきら太陽、若々しいアイドル、と。
 これも何度も何度も繰り返す(笑)。

 おもしろいなあ、ショップ・チャンネル。
 私の名前はディアンヌ。
 驚かないでね、ユ・ウ・レ・イ、なのっ♪

 うふふ、あはは。
 10年も前に死んじゃったんだけど、大好きなお兄さんに取り憑いて、ずーーっとこの世にいるの。
 時が止まったままだから、いつまでも少女のまんまよ。
 お兄さんはいい人だから、私が取り憑いていても、嫌がったりしないの。私が姿を現して、話しかけてもちゃんと相手をしてくれるの。
 うふふ、あはは。
 今日は想い出の場所にやってきたわ。お兄さんがフランス衛兵隊隊士だったころに毎日来ていた、練兵場跡。ベルサイユ宮殿の廃墟が見えるわ。
 お兄さんはココで、昔話をはじめるの。昔愛したひとの話を。
 うふふ、あはは。
 私はそれをじっくり聞いてあげるの。
 時間を掛けて、聞いてあげるの。
 この場所にいなくちゃならないの。
 だって。

 もうすぐここに、ナポレオンの刺客がやってくるの。お兄さんを殺しに来るのよ。
 だからここにいなくちゃね。

 私がどうして死んだか、教えてあげるね。
 自殺したの。
 自分で死んだの。
 裏切られて死んだの。

 世の中全部、恨んで死んだの。
 世界全部、呪って死んだの。

 特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。

 お兄さんは、私のモノだったのに。私だけのモノだったのに。
 なのにお兄さんは、別の女性を愛した。
 お兄さんの心が離れていくことに耐えられなくて、私は結婚を決めた。お兄さんの出世の手伝いができるように、貴族の男と。
 私の力添えで出世できれば、きっとお兄さんは私に感謝する。なにも与えてくれないあのひとよりも、私を愛するようになる。そう思うと、結婚できることがうれしくてうれしくて、たまらなかった。

 全部、お兄さんのためだった。
 なのに希望を託した結婚が、ダメになった。相手の貴族は私を捨て、お金持ちの娘と結婚してしまった。
 お兄さんの未来のために、あのひとからその心を取り返すために、最後の手段だったのに。身を捨てて、懸けていたのに。
 お兄さんのために。お兄さんのせいで。

 裏切られた私は、首を吊った。

 世の中全部、恨んで死んだの。
 世界全部、呪って死んだの。

 特に、お兄さんを憎んで死んだの。恨んで死んだの。呪って死んだの。

 苦しかったわ。悲しかったわ。惨めだったわ。

 だから……ねっ。
 お兄さんも、苦しまなきゃダメよ。悲しまなきゃダメよ。惨めにならなきゃダメよ。
 うふふ、あはは。

 お兄さんの愛したあのひとは革命で無惨に死に、お兄さんも片腕を失った。結婚もせず、私だけを話し相手に孤独に時を過ごした。
 苦しい苦しい10年だったわね。

 なのにお兄さん、偉くなり過ぎちゃったの。
 隻腕将軍とかおだてられちゃって、このままいけば、きっと幸せになっちゃうわ。
 そんなのダメ。許さない。

 ほら、死の足音が近づいてくるわ。
 うふふ、あはは。

 私の名前はディアンヌ。
 驚かないでね、ア・ク・リョ・ウ、なのっ♪

 あんな死に方したんだもん、天国には行けないわ。

 
 みんなみんな、不幸になるがいい。

                ☆


 はいはいはい、大爆笑作『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』初日観劇して来ました。

 すごかったっすよ、幽霊と話すヒーローの話。

 整合性なんかどこにもない、正気の人間が作るのは不可能だろーめちゃくちゃさ。
 きっとひどい作品だ、と心構えていたにもかかわらず、その斜め上を行く電波っぷり。

 なんかねえ、途中から感動したというか、悟りの域に入っちゃって。
 ここまですごいものを作ることが、ふつーの人間に出来るだろうか。いや、出来まい。やっぱ植爺はふつーぢゃないわ、と。

 や、とりあえずおもしろいから、話のタネに1回は観てくれ! 損はない!(笑)

 
 コムまー『ベルばら』でまさかのガチレズ話を展開した植爺、今回は近親相姦です。
 ディアンヌが愛していたのは、実は兄のアランだった。告白されたアランは、「いじらしい妹よ」と話を絶妙に変換して華麗にスルー。おお、いいぞアラン、GJ!
 でも、ふたりでラヴソングは歌っちゃう。

 オスカルはステキに変人。ちょっと教祖様入ってるらしく、隙あれば「人間は自由なのだ教」の街頭演説はじめる。あのソレ、さっきも聞きました……がてんこ盛り。しょうがないか、教祖様だしな。
 教義を語るだけではなく、向上心も持ち合わせている彼女は、ペロッと舌を出して自分のアタマをコツンとやり、(イメージです)「私もまだ修行が足りないな、反省、反省(はぁと)」と言ったりする(現実です)。
 モテモテですが、誰を好きなのかは、謎です。……魔性の女?!(白目)

 アンドレは、絶好調です。
 もー、もー、この狂った作品を支えているのは彼だっ!! 最高だ、アンドレ!!
 人の話は聞かない、空気読まない、自分の世界しか見えない。すげーことになっているが、彼こそが物語に正しく迎合し、自在に空気を吸って生きている。
 独白の長いことってば。
 どこの場所だか知らないが、1曲歌って「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。
 あんまり長々とやっているから、ジェローデルが通りかかった。まあもちろん、人の話を聞かないアンドレだから、ジェロ様の長台詞なんか聞いちゃいねえ。ジェロ様がいなくなっても関係ねぇ。
 そのままやっぱり「オスカル、オスカル、愛しのオスカル~~」と自分の気持ちやら立ち位置やらをえんえんえんえん独り言。あのソレ、さっきも聞きました……てゆーか、「忘れもしない、お前とはじめて出会った日のこと」……リセットどころかマイナス地点から語り直すつもりかお前?!!
 あんまり長々とやっているから、今度はアランが通りかかった。そしてふたりで「小学生のケンカ」をおっぱじめる。「お前のかーちゃんデーベーソ」「お前のとーちゃんデーベーソ」的やりとりの挙げ句、「なんだとーっ」「こいつぅ!」ととっくみあい……。てゆーかここ、どこ? ジェロがふつーに歩いてて、アランがふつーに歩いてる、いったいどこでアンタ、長々と独り言言ってたの?

 このぶっとばしているアンドレに、これまたぶっとばしているオスカルが、絶妙の空気感で存在しているの。
 あうんの呼吸、アンドレが回転レシーブ、それをそのままダイレクトにオスカルが弾丸スパイク、アラン取れない! コートに沈んだ!! ……あー、そんな感じっす。

 いやあ、いいなあ、壮ドレにみわカル……。このふたり、いいよー。

 大変なのは、アランだ……。
 主役のハズが、やっていることと言えば、幽霊のディアンヌと「物語のあらすじ」を解説しているだけだし。
 アンドレとオスカルがぶっとばしている分、リズム合わなくて空回ってるし。てゆーか、アランってばすげーまともな人だ……。
 他の人たちがまともぢゃないから、ただひとりまともな彼が、ひとりで割喰ってる。
 なのに、その唯一まともな彼のコント相手は、ゆーれいだし。

 ナニ、この凄まじい話(笑)。

 あー。
 まとぶさんも、えりたんも、みわっちも、大好きだー。
 花組ダイスキ。たのしー。

 や、とにかくおもしろいですってば、『アラン編』。それは嘘ぢゃない(笑)。


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