彼の戦いは。@忘れ雪
2009年1月13日 タカラヅカ キムを偉大だと思う。
舞台人として、タカラジェンヌとして、そして、将来トップスターになるべき人として、その実力に敬服する。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の主演として、見事に演じきった音月桂のものすごさを、改めて思い知った。
ひどい脚本、アレな演出を、キムが力尽くで支えている。
正攻法というか、正当派というか。
キムはすごい。ほんとに、すごい。
年相応のキャラが無邪気にたのしそーにしているだけの場面でも、「素」の顔をのぞかせることはない。一分の隙もなく「演技」しつづけている。
手加減無し。
まさに獅子搏兎!
百獣の王は、ウサギごときを追うのにも全力を尽くすのだ。
ぼろぼろで壊れる寸前の建物を、キムが必死になって支えている。や、ぼろぼろなんじゃなくて、はじめから「この設計図で建てるのは不可能ですよ」「でも建てるしかないんだ、仕事だから」と、図面通りに作り、やはり崩れ落ちそうだから、キムが支えている、つーか。
でも、設計図自体はそれほどまちがっているわけではないの。
『忘れ雪』の物語自体は、ツッコミどころは満載でも、ご都合主義の嵐でも、失笑台詞や無意味な演出だらけでも、全体の流れはべつに、まちがってない。コレはコレでありだと思う。
まちがったのは、コレをタカラヅカで上演したこと。
ぺらぺらの資材で豪雪地域に南の国のコテージを作ってみました、寒くてとても暮らせません、てゆーか一晩で雪に押しつぶされました、みたいな。コテージの設計図自体は、たとえ三流レベルの図面であろーと、まちがっているというほどのこともなかったのに、建てる場所を激しく間違えた。
こんなもんをやらされた、キムと雪組っこたちは、大変だ。
でもみんな、けなげなまでに真摯に作品と向き合っている。……ほろり。
キムがすごいこと、彼が力業で作品を支えていることは、よーっくわかっている。
しかし。
今回ばかりは、キムの「正当派」な演技が、このトンデモ作品に合っていない。
すげー不協和音……。
高校の文化祭レベルのストーリーで、プロが演技しちゃってるから、脚本と乖離しまくり。
『忘れ雪』のトンデモさに必要なのは、演技力じゃない。
トンデモ力だ。
リアルさではなく、異次元さ。
CGだと丸わかりの宇宙空間を背景にポーズ決めて、絵になっちゃう系の能力。
計算より感覚。技術より本能。
コレ、主役がキムじゃなかったら、もっと気持ちよく大爆笑できただろうに。
壮くん主演の『お笑いの果てに』で腹がよじれるほど笑えたように。
や、『忘れ雪』も笑ったよ? 大いに笑えたけれど、チガウんだよなー。どっかーんってロケット発射みたいな笑いじゃないの、バナナの皮で滑った系のスケールの小さな笑いなの。
まともに受け入れるにはつらいだけの作品なんだから、あとはたのしむしかないじゃん?
でもその「お笑い度」が中途半端なのよ。
せっかくのトンデモ作品なのに、キムがその演技力で、現実につなぎ止めているの。
つなぎ止めちゃダメよ! そんなことしたら、作品のアラしか見えなくなる。ヒロインのサイコさんなところからはじまって、主人公のダメさにも目がいってしまうから!
「そもそもいちばん悪いのって、一希じゃん?」
で終わってしまうから。
設定から起承転結全部に「ふざけんな」とか、キャラみんなアレすぎるとか、ショーガールてんこ盛りのありえない店とか、無意味な鼓笛隊でどこまで時間稼ぐんだとか、ぬいぐるみは勘弁とか、役なさすぎ、ヲヅキの無駄遣い極まれり、バウなのにコロスしかまともに仕事のない人がほとんどって座付きとして最低キましたーとか、なにより暴力シーンの描き方最悪とか、キリがないから!!
そんなことを考える余地がないくらい、別世界に連れて行ってくれなきゃ。
わたし、キムはなんでもできる子だと思っていたけど、……そうか、トンデモ作品をトンデモに突き抜けることはできなかったのか……。
『さすらいの果てに』をお笑いにせず、その実力で「脚本はアレだけど、ふつーに感動できる作品」にまで昇華させた実績を持ってしても、今回は無理だったんだな。
というのも、中村A作の『お笑いの果てに』はほんっとーに完璧なまでにぶっ壊れていた最低作だけど、舞台が外国で、時代が現在ではなかった。
そこでまずファンタジーが成立していたので、キムの実力で立て直すことが可能だったんだと思う。
しかし『忘れ雪』は、現代日本が舞台ということになっている。
タカラヅカがもっとも不得意とするジャンルだ。
現代日本人で、センスはともかく現代っぽい服装をした人たちが、身も蓋もない日本名で呼び合っている……のに、メルヘンな雪の精が舞っている、この状態でどうしろというんだ。
いくらキムでも無理だって。
『お笑いの果てに』とはスタート地点がちがうんだって。
正攻法で支えるより、突き抜けた方がイイよ……。
演技せずに勢いだけでやっちゃった方が、半端感が消えたかもしれない、と思う。たとえばあれしかできないキングなんかは、この作品世界にうまく調和しているのだから。
キムはなまじうますぎるし、さらにパッションがありすぎるんだなー(笑)。
このトンデモ作品を支えているのは、キムだ。
ヅカのトップの資質は「駄作を佳作に替える力」を持つこと。キムの実力を、まざまざと見せつけられた。
この子はトップスターになるに相応しい力を、持っている。
それを痛感した上で。
その実力ゆえに作品と調和せず、異種格闘技戦っぽくなっている、その姿。
ある意味貴重。
興味深い。
いいもん観た(笑)。
舞台人として、タカラジェンヌとして、そして、将来トップスターになるべき人として、その実力に敬服する。
バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の主演として、見事に演じきった音月桂のものすごさを、改めて思い知った。
ひどい脚本、アレな演出を、キムが力尽くで支えている。
正攻法というか、正当派というか。
キムはすごい。ほんとに、すごい。
年相応のキャラが無邪気にたのしそーにしているだけの場面でも、「素」の顔をのぞかせることはない。一分の隙もなく「演技」しつづけている。
手加減無し。
まさに獅子搏兎!
百獣の王は、ウサギごときを追うのにも全力を尽くすのだ。
ぼろぼろで壊れる寸前の建物を、キムが必死になって支えている。や、ぼろぼろなんじゃなくて、はじめから「この設計図で建てるのは不可能ですよ」「でも建てるしかないんだ、仕事だから」と、図面通りに作り、やはり崩れ落ちそうだから、キムが支えている、つーか。
でも、設計図自体はそれほどまちがっているわけではないの。
『忘れ雪』の物語自体は、ツッコミどころは満載でも、ご都合主義の嵐でも、失笑台詞や無意味な演出だらけでも、全体の流れはべつに、まちがってない。コレはコレでありだと思う。
まちがったのは、コレをタカラヅカで上演したこと。
ぺらぺらの資材で豪雪地域に南の国のコテージを作ってみました、寒くてとても暮らせません、てゆーか一晩で雪に押しつぶされました、みたいな。コテージの設計図自体は、たとえ三流レベルの図面であろーと、まちがっているというほどのこともなかったのに、建てる場所を激しく間違えた。
こんなもんをやらされた、キムと雪組っこたちは、大変だ。
でもみんな、けなげなまでに真摯に作品と向き合っている。……ほろり。
キムがすごいこと、彼が力業で作品を支えていることは、よーっくわかっている。
しかし。
今回ばかりは、キムの「正当派」な演技が、このトンデモ作品に合っていない。
すげー不協和音……。
高校の文化祭レベルのストーリーで、プロが演技しちゃってるから、脚本と乖離しまくり。
『忘れ雪』のトンデモさに必要なのは、演技力じゃない。
トンデモ力だ。
リアルさではなく、異次元さ。
CGだと丸わかりの宇宙空間を背景にポーズ決めて、絵になっちゃう系の能力。
計算より感覚。技術より本能。
コレ、主役がキムじゃなかったら、もっと気持ちよく大爆笑できただろうに。
壮くん主演の『お笑いの果てに』で腹がよじれるほど笑えたように。
や、『忘れ雪』も笑ったよ? 大いに笑えたけれど、チガウんだよなー。どっかーんってロケット発射みたいな笑いじゃないの、バナナの皮で滑った系のスケールの小さな笑いなの。
まともに受け入れるにはつらいだけの作品なんだから、あとはたのしむしかないじゃん?
でもその「お笑い度」が中途半端なのよ。
せっかくのトンデモ作品なのに、キムがその演技力で、現実につなぎ止めているの。
つなぎ止めちゃダメよ! そんなことしたら、作品のアラしか見えなくなる。ヒロインのサイコさんなところからはじまって、主人公のダメさにも目がいってしまうから!
「そもそもいちばん悪いのって、一希じゃん?」
で終わってしまうから。
設定から起承転結全部に「ふざけんな」とか、キャラみんなアレすぎるとか、ショーガールてんこ盛りのありえない店とか、無意味な鼓笛隊でどこまで時間稼ぐんだとか、ぬいぐるみは勘弁とか、役なさすぎ、ヲヅキの無駄遣い極まれり、バウなのにコロスしかまともに仕事のない人がほとんどって座付きとして最低キましたーとか、なにより暴力シーンの描き方最悪とか、キリがないから!!
そんなことを考える余地がないくらい、別世界に連れて行ってくれなきゃ。
わたし、キムはなんでもできる子だと思っていたけど、……そうか、トンデモ作品をトンデモに突き抜けることはできなかったのか……。
『さすらいの果てに』をお笑いにせず、その実力で「脚本はアレだけど、ふつーに感動できる作品」にまで昇華させた実績を持ってしても、今回は無理だったんだな。
というのも、中村A作の『お笑いの果てに』はほんっとーに完璧なまでにぶっ壊れていた最低作だけど、舞台が外国で、時代が現在ではなかった。
そこでまずファンタジーが成立していたので、キムの実力で立て直すことが可能だったんだと思う。
しかし『忘れ雪』は、現代日本が舞台ということになっている。
タカラヅカがもっとも不得意とするジャンルだ。
現代日本人で、センスはともかく現代っぽい服装をした人たちが、身も蓋もない日本名で呼び合っている……のに、メルヘンな雪の精が舞っている、この状態でどうしろというんだ。
いくらキムでも無理だって。
『お笑いの果てに』とはスタート地点がちがうんだって。
正攻法で支えるより、突き抜けた方がイイよ……。
演技せずに勢いだけでやっちゃった方が、半端感が消えたかもしれない、と思う。たとえばあれしかできないキングなんかは、この作品世界にうまく調和しているのだから。
キムはなまじうますぎるし、さらにパッションがありすぎるんだなー(笑)。
このトンデモ作品を支えているのは、キムだ。
ヅカのトップの資質は「駄作を佳作に替える力」を持つこと。キムの実力を、まざまざと見せつけられた。
この子はトップスターになるに相応しい力を、持っている。
それを痛感した上で。
その実力ゆえに作品と調和せず、異種格闘技戦っぽくなっている、その姿。
ある意味貴重。
興味深い。
いいもん観た(笑)。