わたしはすでに、若くない。
 ぶっちゃけおばさんである。
 しかし、『ノバ・ボサ・ノバ』の初演は知らない。……さすがに。

 知らないけれど、わかる。

 「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、きっとナニも変わっていないんだと、思う。

 『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』に行ってきました。

 イゾラベッラはこれで3回目。
 最初のシビさんでこれ以上なく堪能、大感激し、「素晴らしいコンサート・シリーズだわ! みんなどんどん出演すべきよ!」と思い、次のたっちんでがっくり肩を落とし、「誰でも出来るわけじゃないんだ……やめておいた方がいい人もいるよなー」と思った。
 歌さえうまければソレでイイ、というものではないんだ、このコンサート。司会進行をすべて出演者ひとりでやらなければならないので、まず「喋って客を楽しませる」ことができる人でないと、空気が凍る。
 たとえばお茶会なら司会者がいて、質問に答えていれば話が進むけど、このコンサートではそれすらない。
 なにもかも、ひとりきり。誰も助けてくれない。
 それでたっちんは、自爆してえらいことになっていた。……気の毒に。
 あーゆー姿はもう見たくないので、歌で選ぶより、キャラクタで選ぶ必要がある。行くか、行かないか。
 そーいやシビさんのときも、歌はもちろんのこと、あの闊達な喋りにも期待して行ったもんなあ。それくらいできゃ務まらないんだよなあ。
 星組の英真組長がこのコンサートに出演するってときも、「歌はどっちでもいいけど、とにかく楽しそうだよなあ」って思った、多分ソレが正解なんだ。
 まず、キャラクタと喋りに期待。歌はまあ、うまい方がいいな。……そーゆー優先順位でしょう、このコンサート・シリーズ。でないと自爆必至。

 つーことで。
 ……ハマコなら大丈夫だよね? ね?

 大丈夫でした。

プログラム
オープニング
 ブロードウェイ・ボーイズ
 グランドホテル
宝塚メドレー[I]
 パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち
宝塚メドレー[II]
 ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン
マイ・フェイバリット
 ムーンライト・セレナーデ
 甘いささやき
 ゾフィーの死
 もののふ詩
フィナーレ
 この世にただひとつ
 One Night Only


 プログラムを見た段階で、「ああ、そういうことなのか」と思う。
 とくに意識していなかったけれど、わたしはずーーっと雪担で、雪組だけを観てきた時代が長かったんだ。
 曲名を見て「これってなんだっけ?」と思ったのは「もののふの詩」のみで、コレもはっきりとはおぼえてないけど、「えーと、『メナム』?」ぐらいの知識はあったし、「ゾフィーの死」は今回も一緒に行ったnanaタンが興奮気味に「これって本家『エリザベート』の歌だよね、ヅカではカットになってるヤツ!」と言ってるからわかったし。(本家『エリザベート』も、nanaタンと一緒に梅芸へ行ったなー)
 あとのヅカ曲はふつーにどの作品で何故ハマコがコレを選んでいるのかが、見当つくんだわ。

 「ブロードウェイ・ボーイズ」と「グランドホテル」は、ハマコの初舞台公演だよね、月組の。
 「パッサージュ」は曲名じゃなくて公演名? ナニ歌うんだろう? 「硝子の屋根に~♪」の主題歌? ハマコがソロを歌ってたのは「玻璃の街角・黄昏」場面だけど、アレはすがた香くん他と掛け合いだったし、ハマコで『パッサージュ』と言えば「ホリデー」だけど、アレはスキャットだけだし、たしか録音だったわけだし、ナニ歌うかわかんないなー。
 「この世に残らぬ愛」は『バッカスと呼ばれた男』だ、ハマコが新公主演した!
 「いのち」は『凱旋門』だね、中盤で全員一列になって歌い上げるヤツ。ハマコはベルリン公演出演のために、大劇は出てないんだ。東宝でコムちゃんの役をやってた。博多座ではトウコの役、と、どんどん役付きが上がってたっけ(笑)。ええ、『凱旋門』は大ハマリしてましたから、もちろん1000days楽まで駆けつけ、博多座にも行ったわ。
 『ノバボサ』は語るまでもない、ハマコはみやたんと一緒にピエロやってて、すごい顔して笑ってたっけ。新公ではルーア神父だったよね。
 「この世にただひとつ」は『心中・恋の大和路』だ。コウちゃん主演、2番手ケロって、「渋いなんてもんぢゃないだろ、チケ売る気あるのか劇団」てな配役で(笑)。おかげでサバキであっさり観られたけど。最後のハマコの絶唱でダダ泣きしたっけ。

 ハマコの歴史、「未来優希」の歩んできた道は、全部眺めてきている。
 ああ、そーゆーことなのか。
 そういやシビさんも、自分のヅカでの歴史を振り返る選曲していたっけ。さすがに古すぎてわかんないものだらけだった。
 たっちんは「歌いたい歌」「好きな歌」中心で、ヅカの曲自体は少なめだった。……はじめてのコンサートでヅカ曲を中心にしない、それがたっちんの生きる道を表していたんだ。
 3回目、3人目のコンサートにしてはじめて、わたしはプログラム全体を馴染みのあるモノとして受け止めることが出来た。

 ハマコがなにを歌いたいのか、歌うことでなにを伝えようとしているか。

 こんな小規模コンサートだから、客席はほぼ100%ファンばかりだ。
 そこで「タカラヅカの未来優希」として行う、歌うことの意味。

 
 難しく考えることではなくて。

 「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、変わらないモノはあると、思った。

 わたしは『ノバ・ボサ・ノバ』の初演を知らないし、たぶん今映像とかで見ても「古っ、ダサっ」と引くんだろうけど、それとは別に、今目の前で歌うハマコを見て「きっと初演の『ノバボサ』の人もこんな感じだったんだろうな」と思った。
 
 この、恥ずかしさ。
 この、古くささ。

 ヅカファン以外が見たら爆笑するかドン引きするか確定の、ものすごく独特で濃ゆい世界。
 ノリノリで歌うハマコはものすげー濃くて、ものすげー恥ずかしくて、……その恥ずかしさが、最高なの。

 たしかにコレは現代じゃない、21世紀じゃないし、平成でもない。
 だけどコレが好きなの。必要なの。
 時代と共に変わることは必要だけど、伝統をすべて捨ててしまえばいいってもんでもないの。

 ヅカなんてね、一般人から見たら「変」の一言だよ。異様な文化だよ。
 でもね、ふつーでない「カラー」があったから、今まで生き残ってきたんでしょう。
 他で代えのきかないモノだから。

 今、タカラヅカはどんどん変わっていっている。
 わたしが年寄りだからかもしれないけれど、変革の予感は、不安でしかない。暗い未来に胸がふさがれる。

 そんなときに。

 95年の歴史の流れの中でわたしごとき若輩者が知りようもないタカラヅカの伝統を、濃さを、異様さを、恥ずかしさを、体現して見せてくれる未来優希に、明るい未来を見た。

 変わらないモノがある。
 大切なモノがある。

 コレを守っていける、伝えていけるタカラジェンヌがいる限り、未来はある。

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