真実は蘇らない・その2。@逆転裁判2
2009年8月31日 タカラヅカ 謎が謎を呼ぶ『逆転裁判2』の話、続きです。
『逆裁2』が、ゲームとのコラボ以前に、ふつーの物語として、作品として、主人公の心の問題と現実の問題が乖離していること、それによって物語全体が壊れていることはすでに語った。
んで、次。
ゲームソフトを原作とした、異種ジャンルのコラボ作品として見た場合。
もちろん、元凶は、「レオナ」。
原作とは無関係に、作劇の上でもレオナが悪因だったが、コラボ目線で見ても、レオナは失敗原因。
レオナ@まちゃみはオリキャラである。
そもそも『逆裁』世界には存在しない。
『1』においてレオナは、ゲームとタカラヅカをつなぐ役目を果たした。
そして、まちゃみの退団により、もうレオナというキャラクタをタカラヅカの『逆裁』では使えなくなった。
ならば『2』に必要なのは、新たな「つなぐ」ためのキャラクタだ。
ナルホドくん@らんとむたち、原作でお馴染みのキャラクタはそのままに、再度オリジナルの「ふたつの世界をつなぐキャラ」を出す必要があった。
同じことの繰り返しだ。
ゲーム世界を忠実に再現し、そこにオリキャラを登場させ、ヅカと融合させる。
『1』でやったことを、『2』でもまた最初からやることになる。
『逆裁』のような続き物のゲームソフトでも、プレイ方法や世界観説明は毎回必ずやっている。
導入が同じになってしまうが、それでいいんだ。「つなぐ」ことで、シリーズ物として、新規客にも既存客にも立ち位置を明確にさせるんだから。
なのにスズキくんの『逆裁2』は、そーゆーシリーズ物のルールを無視している。
主人公設定を理解しないまま『THE SECOND LIFE』を書いたよーに、物語制作の基本設定を理解しないまま『逆裁2』を書いてしまった。
『逆裁』には存在しないレオナ……つまり、スズキくんのオリジナルキャラでしかないレオナを、原作キャラ以上の位置に置いた。
レオナが登場しても許されたのは、原作とタカラヅカをつなぐ役目としてだ。
原作キャラよりも高次の存在としてではない。
ゲームファンとしては、まず「ゲームキャラが現実に舞台上にいる」ということを受け止め、咀嚼しなければならない。
その上で、タカラヅカ的世界を理解しなければならない。
素直に物語に入る前に、ハードルがあるんだ。
『1』では段階を追ってそれを成し遂げた。
ナルホドくんやマヨイちゃん@れーれ、ヤハリ@大ちゃん、そしてなによりミツルギ@七帆をどーんと出して、原作を忠実に再現していることを最初に打ち出した。
その上で、原作キャラがゲームではなくタカラヅカの舞台上で「物語」を展開する「つなぐ役目」として、レオナというオリキャラを受け入れた。
なのに『2』では、いきなりオリキャラ至上主義。
オリキャラと恋愛して後ろ向きになっているナルホドくんってナニ? 原作目線、『1』ではなく『2』ではじめて観客としてタカラヅカの座席に坐った目線だと、ものすげー置き去り感。
それでも、さんざん名前を連呼されるレオナというシラナイヒトが出てくるならともかく、出てこないのかよ?!
あああありえねー。
コラボであるならば、たとえ『2』で「続編」であったとしても、初心を忘れず1から作劇するべきだった。
ゲームはこうなんですよ、タカラヅカはこうなんですよ、と、どちらの立場も尊重して敷居を低くわかりやすく設定するべきだった。
なのになんでてきなり、「『1』は見たよな? 『1』を見てキャラも世界観も全部理解して、キャラに感情移入しまくったあとで『2』を見るのが当然だろ? そーでないヤツは来んなよな」なことになってるの?
いきなりスクリーンに映像が映って、「前回のあらすじ」をナレーションされるなんて、ナニサマ??(笑)
なんかね、同人作家が陥りがちな、すごく恥ずかしいパターンを目にしてしまった気分なのですよ。
とあるマンガにハマりまくって、そのマンガのキャラだけ借りたパロディマンガを描いたとしよう。
そのマンガのなかのコジロウ(仮名・笑)とワカシマヅ(仮名・笑)を好きで好きで、彼らの新しい物語を勝手に妄想して描きまくって、現実社会だけでなく、剣と魔法のファンタジー世界が舞台だったりして、そこでコジロウとワカシマヅが友情だか愛情だかでもつれながらいろんな冒険をしていたとする。
で、彼らに絡むオリジナル・キャラクタを、物語の中に出す。だって、原作のキャラだけだといい加減頭打ちだし。ストーリーを都合良く展開させるためには、原作の縛りのない、自分が好き勝手に動かしていいオリキャラが必要だし。
つーことで、コアラッタというオリキャラを出す。コアラッタはコジロウの幼なじみで、完璧な美少女で、コジロウと恋をするの。きゃ☆
主人公はあくまでもコジロウとワカシマヅだから、コアラッタは死んでしまうんだけどねー。悲劇的に、コジロウの腕の中で息絶えるのよー。きゃ☆
そこで美しくエンドマーク出たんだけど、やっぱり続きも描いちゃった。
コジロウはコアラッタのことが忘れられないの。そのあともずっとずっと、コアラッタを愛し続けるのよー。きゃ☆
……そーやってオリキャラの登場する都合のいい話を描いているウチに、原作キャラよりも世界観よりも、オリキャラの方が大切になっていくの。だってオリキャラは全部自分のモノだし。自分がいちばんかわいいし?
という、同人作家にありがちな罠。
ヘボパロ作品数え歌の中に、「オリキャラ偏愛」ってのがあったはず。
パロディ本を買ってくれる人は、パロ作家のオリキャラが読みたいんじゃなく、原作マンガのキャラクタの、原作にはない新しい物語が読みたいだけなのに、パロ作家がカンチガイしてオリキャラばかり力を入れて描く。そーすると、作品はヘボ一直線、魔の直滑降。
観客は『逆転裁判』を観に来るのであって、「スズキケイ、オリジナル作品」を観に来るわけじゃない。
スズキケイのオリジナル・キャラクタ、レオナを観に来るわけじゃない。
なのに、物語に登場もしないオリキャラ連呼で、そこで物語がストップして、物語の流れと無関係で、最後に今回のヒロインの人格壊してハッピーエンド。
……なんでこんなことに……。
物語を作り慣れない、商業ベースで仕事をしたことのない、アマチュアの同人作家みたいな失敗。
たしかにスズキくんはアレンジ作家で、オリジナルの作劇は経験不足だけど、それにしてもびっくりだ。
で、レオナ以外の部分、殺人事件のトリックや犯人、動機がえーらいこっちゃに壊れていることは、もおいいや(笑)。
わたしとしては、作劇の基本が壊れていることがいちばんの問題で、ストーリーがおかしいことはヅカにはよくあることなんで、1回しか観ない分には笑ってスルーできる。
レオナの件は、1回観ただけでもアゴが落ちて、スルーできなかったよ(笑)。
『逆裁2』が、ゲームとのコラボ以前に、ふつーの物語として、作品として、主人公の心の問題と現実の問題が乖離していること、それによって物語全体が壊れていることはすでに語った。
んで、次。
ゲームソフトを原作とした、異種ジャンルのコラボ作品として見た場合。
もちろん、元凶は、「レオナ」。
原作とは無関係に、作劇の上でもレオナが悪因だったが、コラボ目線で見ても、レオナは失敗原因。
レオナ@まちゃみはオリキャラである。
そもそも『逆裁』世界には存在しない。
『1』においてレオナは、ゲームとタカラヅカをつなぐ役目を果たした。
そして、まちゃみの退団により、もうレオナというキャラクタをタカラヅカの『逆裁』では使えなくなった。
ならば『2』に必要なのは、新たな「つなぐ」ためのキャラクタだ。
ナルホドくん@らんとむたち、原作でお馴染みのキャラクタはそのままに、再度オリジナルの「ふたつの世界をつなぐキャラ」を出す必要があった。
同じことの繰り返しだ。
ゲーム世界を忠実に再現し、そこにオリキャラを登場させ、ヅカと融合させる。
『1』でやったことを、『2』でもまた最初からやることになる。
『逆裁』のような続き物のゲームソフトでも、プレイ方法や世界観説明は毎回必ずやっている。
導入が同じになってしまうが、それでいいんだ。「つなぐ」ことで、シリーズ物として、新規客にも既存客にも立ち位置を明確にさせるんだから。
なのにスズキくんの『逆裁2』は、そーゆーシリーズ物のルールを無視している。
主人公設定を理解しないまま『THE SECOND LIFE』を書いたよーに、物語制作の基本設定を理解しないまま『逆裁2』を書いてしまった。
『逆裁』には存在しないレオナ……つまり、スズキくんのオリジナルキャラでしかないレオナを、原作キャラ以上の位置に置いた。
レオナが登場しても許されたのは、原作とタカラヅカをつなぐ役目としてだ。
原作キャラよりも高次の存在としてではない。
ゲームファンとしては、まず「ゲームキャラが現実に舞台上にいる」ということを受け止め、咀嚼しなければならない。
その上で、タカラヅカ的世界を理解しなければならない。
素直に物語に入る前に、ハードルがあるんだ。
『1』では段階を追ってそれを成し遂げた。
ナルホドくんやマヨイちゃん@れーれ、ヤハリ@大ちゃん、そしてなによりミツルギ@七帆をどーんと出して、原作を忠実に再現していることを最初に打ち出した。
その上で、原作キャラがゲームではなくタカラヅカの舞台上で「物語」を展開する「つなぐ役目」として、レオナというオリキャラを受け入れた。
なのに『2』では、いきなりオリキャラ至上主義。
オリキャラと恋愛して後ろ向きになっているナルホドくんってナニ? 原作目線、『1』ではなく『2』ではじめて観客としてタカラヅカの座席に坐った目線だと、ものすげー置き去り感。
それでも、さんざん名前を連呼されるレオナというシラナイヒトが出てくるならともかく、出てこないのかよ?!
あああありえねー。
コラボであるならば、たとえ『2』で「続編」であったとしても、初心を忘れず1から作劇するべきだった。
ゲームはこうなんですよ、タカラヅカはこうなんですよ、と、どちらの立場も尊重して敷居を低くわかりやすく設定するべきだった。
なのになんでてきなり、「『1』は見たよな? 『1』を見てキャラも世界観も全部理解して、キャラに感情移入しまくったあとで『2』を見るのが当然だろ? そーでないヤツは来んなよな」なことになってるの?
いきなりスクリーンに映像が映って、「前回のあらすじ」をナレーションされるなんて、ナニサマ??(笑)
なんかね、同人作家が陥りがちな、すごく恥ずかしいパターンを目にしてしまった気分なのですよ。
とあるマンガにハマりまくって、そのマンガのキャラだけ借りたパロディマンガを描いたとしよう。
そのマンガのなかのコジロウ(仮名・笑)とワカシマヅ(仮名・笑)を好きで好きで、彼らの新しい物語を勝手に妄想して描きまくって、現実社会だけでなく、剣と魔法のファンタジー世界が舞台だったりして、そこでコジロウとワカシマヅが友情だか愛情だかでもつれながらいろんな冒険をしていたとする。
で、彼らに絡むオリジナル・キャラクタを、物語の中に出す。だって、原作のキャラだけだといい加減頭打ちだし。ストーリーを都合良く展開させるためには、原作の縛りのない、自分が好き勝手に動かしていいオリキャラが必要だし。
つーことで、コアラッタというオリキャラを出す。コアラッタはコジロウの幼なじみで、完璧な美少女で、コジロウと恋をするの。きゃ☆
主人公はあくまでもコジロウとワカシマヅだから、コアラッタは死んでしまうんだけどねー。悲劇的に、コジロウの腕の中で息絶えるのよー。きゃ☆
そこで美しくエンドマーク出たんだけど、やっぱり続きも描いちゃった。
コジロウはコアラッタのことが忘れられないの。そのあともずっとずっと、コアラッタを愛し続けるのよー。きゃ☆
……そーやってオリキャラの登場する都合のいい話を描いているウチに、原作キャラよりも世界観よりも、オリキャラの方が大切になっていくの。だってオリキャラは全部自分のモノだし。自分がいちばんかわいいし?
という、同人作家にありがちな罠。
ヘボパロ作品数え歌の中に、「オリキャラ偏愛」ってのがあったはず。
パロディ本を買ってくれる人は、パロ作家のオリキャラが読みたいんじゃなく、原作マンガのキャラクタの、原作にはない新しい物語が読みたいだけなのに、パロ作家がカンチガイしてオリキャラばかり力を入れて描く。そーすると、作品はヘボ一直線、魔の直滑降。
観客は『逆転裁判』を観に来るのであって、「スズキケイ、オリジナル作品」を観に来るわけじゃない。
スズキケイのオリジナル・キャラクタ、レオナを観に来るわけじゃない。
なのに、物語に登場もしないオリキャラ連呼で、そこで物語がストップして、物語の流れと無関係で、最後に今回のヒロインの人格壊してハッピーエンド。
……なんでこんなことに……。
物語を作り慣れない、商業ベースで仕事をしたことのない、アマチュアの同人作家みたいな失敗。
たしかにスズキくんはアレンジ作家で、オリジナルの作劇は経験不足だけど、それにしてもびっくりだ。
で、レオナ以外の部分、殺人事件のトリックや犯人、動機がえーらいこっちゃに壊れていることは、もおいいや(笑)。
わたしとしては、作劇の基本が壊れていることがいちばんの問題で、ストーリーがおかしいことはヅカにはよくあることなんで、1回しか観ない分には笑ってスルーできる。
レオナの件は、1回観ただけでもアゴが落ちて、スルーできなかったよ(笑)。