バイオリズムは大事でしょう・その1。@虞美人
2010年4月9日 タカラヅカ 21世紀の『虞美人』。初演は知らない、そんな大昔。あくまでも、今回の『虞美人』についての話。
わたしはキムシンと感性が合うので、彼の作品は大抵楽しめる。
今回も、なんやかんや言ったところでとーーっても楽しんでいる。彼のスピリッツは大好きなんだ。
ただ。
純粋に「作劇」という部分で、今回はわたしの好みとかけ離れていてつらい。
「楽しんでいる」「好き」ということと、「これってどうよ」と首を傾げていることは別。
今回はなんか、わたしのバイオリズムに合ってないんだ。
それで、どーにも盛り上がらない。わくわくしない。楽しめない。あくまでも、「わたし」が。
メリハリっていうかさー、バイオリズムの波線あるじゃん、上がって下がってってやつ。
ココを上げたら次は下げる、しばらく下がっていたら、次は上げる。いくら盛り上がる方がいいからって、ずーーっと上げっぱなしじゃ結局は単調だし、下げないために中庸で固定じゃ寝てしまうし。
上がったり下がったり、きれいな波を描かないといけないんだと思う。
観ていて、「ここで上げてくれ!」なときに、がくんと下げられたり、「盛り上がってきた、次で爆発だーっ」てなときに、がくんと下げられたり。の、連続。
気持ち悪い。
バイオリズムと違いすぎて、キモチわるいよーっ!(泣)
キムシンの癖というかこだわりなのか、オープニングは地味だよね。幕が上がる前にどーんと音楽が流れて盛り上がる予兆があるのに、幕が開くと、超地味な静かな場面。まずここで肩透かし。あ、あれ? 幕が上がったら華やかな「タカラヅカ!!」なモノが広がっていると思ったのに、がらーんとした舞台に人が寝ている。しかも臨終とか言うし。
『君を愛してる』も幕開きからいきなり葬式だったっけ。でもあれは台詞でソレを揶揄ってるからアリかなと思ってたんだけど……『虞美人』というビッグタイトルでこのオープニングは、わざとだよね?
幕開きから総板付きで華やかバァーン!を期待する観客のキモチを、あえて裏切ってるんだよね?
と思うのは、うがちすぎだろーか。初演がそうだから、堅実に倣っているだけです、だったら申し訳ないけど。
わたしはキムシンがあえて狙ったんだと思った。客の期待を、わざと裏切る。そのことによってテーマを描きたいんだと。
わたしはこのプロローグは盛り下がるだけで効果は薄いと思ってるんだけど、計算によってあえてやる、こだわりゆえだというなら、それもいい。アリだろう。
なら、他をもっと派手にしようよ。盛り下がるプロローグをあえて付けるんだから、その直後のオープニングはもっと派手にするべきだ。
が、なにしろ音楽が60年前のアレなので、ばーんと盛り上がるというよりは、まったり広がる系のオープニングにしかならない。まったりきれい、にしかならないならあの盛り下がりプロローグはいらんやろと思う……。(ループ)
今回の『虞美人』でナニが悲しいかって、劇団、お金ナイんだな。ってこと。経費削減しつつの大作がどんだけ寂しいかを身を持って知らされた(笑)。画面、ショボい……。
装置と音楽にかける予算がなかったのが見え見えなのがなあ。それでも、タカラヅカは「人」ありき、生徒の労働力はタダっつーことで、衣装だけはがんばって、生徒を出たり入ったり駆けずり回らせて、カタチを保とうとしている……のは、正しいのかなあ。たしかにツカは人ありきだからなあ。
装置や音楽の力を借りられないんだから、あとは演出で盛り上げて欲しいのに、「60年前」という古い縛りがある。現代とは相容れない文化と、価値観。油断するとまったりスローテンポになるという。
派手なオーバチュア~幕が開くなり地味な臨終場面~まったりオープニング、という流れがすでにわたしのバイオリズムからズレている。
わたしの生理的欲求、快感指数とちがいすぎてイラっとくる(笑)。
別記述で語っている(語る予定、も含めて)通り、臨終場面ですでに泣けるし、オープニングのふたりの再会で泣きツボ直撃だし項羽大好きだし、ものごっつー堪能しているんだけど、ソレとコレとは別。
泣けるし、好きならそれでいいじゃん、てなもんかもしれないが、やはりわたし的にはチガウの。なんでこんな作劇するのか、と疑問は消えないの。
素直に派手派手オープニングでいいじゃん。
初演を知る人も知らない人も、「タカラヅカの名作らしいよ?」「タカラヅカっていったら大きな階段と羽根だよねえ」な人たちも納得の、いかにも「タカラヅカ」な派手派手オープニング。
ドラマティックなオーバチュアで幕が上がるとそこには赤い芥子の花の乙女たちと、白い衣装の項羽@まとぶんと虞美人@彩音ちゃん。うわー、タカラヅカだああ、タカラヅカってきれいー。
まったり60年前主題歌を披露したあとは、がらりと趣を変えて、ノリのいい現代音楽+金糸銀糸の中国戦闘衣装の男たちによる、派手派手進軍ダンスでいいじゃん。うわー、タカラヅカって豪華絢爛ー。
セリ使って舞台全体使って、「これからはじまる物語」の導入をすれば。戦記物なんだからさー。
もともとそれぞれの国で衣装の色分けしてあるんだし、ただでさえややこしい話なんだから、前もって「顔見せ」するのは有効でしょ? 個人的に韓信@みわっちがセンターでライトあびて踊る場面が欲しい……韓信が重要人物だってわかるように。
加えて、張良@まっつもダンスさせてあげてください……今回マジで劇中一度も踊ってない……(笑)。ショー形式のオープニングでなら、張良も踊れるじゃんよー。
そこから、会稽へつなげればいいじゃん。
衛布@みつるも秦兵たちも、オープニングの衣装のままでいいんだから、そのままつなげられるじゃん。項羽様のお着替え時間さえ確保できれば。
会稽はそのままでいいし、桃娘@だいもんの銀橋登場もいいんだけど。殷通@めぐむの野望と最期、項羽のかっこよさと苛烈さもうまいと思うんだけど。
せっかくの「私には羽根がある」がいまいち弱い気がするんだよなあ。
地味プロローグ~まったりオープニングときて、最初の盛り上がり部分でしょう、ココ。
曲線が上向きになったところで、もっと上がってくれえ、と思って見ているのに、上がりきらないままエンド。所詮カーテン前だからか?
7000の兵の閲兵をしているよーには思えないんだ、登場している人数も少ないし。
「誰もが王になれる」という、項羽の時代が来た、高らかなファンファーレ場面であるはずなのに。
つか、ここをオープニングにしてもいいくらいの、すごーくわくわくした場面のはずなのに。項羽がいちばんイイ顔をしている場面なのに。オトコノコとしての夢を語っている場面なのに。
なんか、しょぼい。
まったりオープニング以降の最初のドラマティックな盛り上がり場面、発散する場面なのに、気持ちいいところまで達してない。
盛り上がりそうなのに最高点に到達する前でハンパに終わり、次はコメディ系の音楽。
うわーん、生理的につまんない~~、かっくん、てなる~~。
ここで盛り上がるわよお、と、わたしの無意識はアップをはじめていた。なのに、盛り上がらず終了、肩透かし。
万事がコレなのよ、キムシン『虞美人』。
わたしのバイオリズムとちがっていて。あくまでも「わたしの」なんだけど。
わたしはキムシンと感性が合うので、彼の作品は大抵楽しめる。
今回も、なんやかんや言ったところでとーーっても楽しんでいる。彼のスピリッツは大好きなんだ。
ただ。
純粋に「作劇」という部分で、今回はわたしの好みとかけ離れていてつらい。
「楽しんでいる」「好き」ということと、「これってどうよ」と首を傾げていることは別。
今回はなんか、わたしのバイオリズムに合ってないんだ。
それで、どーにも盛り上がらない。わくわくしない。楽しめない。あくまでも、「わたし」が。
メリハリっていうかさー、バイオリズムの波線あるじゃん、上がって下がってってやつ。
ココを上げたら次は下げる、しばらく下がっていたら、次は上げる。いくら盛り上がる方がいいからって、ずーーっと上げっぱなしじゃ結局は単調だし、下げないために中庸で固定じゃ寝てしまうし。
上がったり下がったり、きれいな波を描かないといけないんだと思う。
観ていて、「ここで上げてくれ!」なときに、がくんと下げられたり、「盛り上がってきた、次で爆発だーっ」てなときに、がくんと下げられたり。の、連続。
気持ち悪い。
バイオリズムと違いすぎて、キモチわるいよーっ!(泣)
キムシンの癖というかこだわりなのか、オープニングは地味だよね。幕が上がる前にどーんと音楽が流れて盛り上がる予兆があるのに、幕が開くと、超地味な静かな場面。まずここで肩透かし。あ、あれ? 幕が上がったら華やかな「タカラヅカ!!」なモノが広がっていると思ったのに、がらーんとした舞台に人が寝ている。しかも臨終とか言うし。
『君を愛してる』も幕開きからいきなり葬式だったっけ。でもあれは台詞でソレを揶揄ってるからアリかなと思ってたんだけど……『虞美人』というビッグタイトルでこのオープニングは、わざとだよね?
幕開きから総板付きで華やかバァーン!を期待する観客のキモチを、あえて裏切ってるんだよね?
と思うのは、うがちすぎだろーか。初演がそうだから、堅実に倣っているだけです、だったら申し訳ないけど。
わたしはキムシンがあえて狙ったんだと思った。客の期待を、わざと裏切る。そのことによってテーマを描きたいんだと。
わたしはこのプロローグは盛り下がるだけで効果は薄いと思ってるんだけど、計算によってあえてやる、こだわりゆえだというなら、それもいい。アリだろう。
なら、他をもっと派手にしようよ。盛り下がるプロローグをあえて付けるんだから、その直後のオープニングはもっと派手にするべきだ。
が、なにしろ音楽が60年前のアレなので、ばーんと盛り上がるというよりは、まったり広がる系のオープニングにしかならない。まったりきれい、にしかならないならあの盛り下がりプロローグはいらんやろと思う……。(ループ)
今回の『虞美人』でナニが悲しいかって、劇団、お金ナイんだな。ってこと。経費削減しつつの大作がどんだけ寂しいかを身を持って知らされた(笑)。画面、ショボい……。
装置と音楽にかける予算がなかったのが見え見えなのがなあ。それでも、タカラヅカは「人」ありき、生徒の労働力はタダっつーことで、衣装だけはがんばって、生徒を出たり入ったり駆けずり回らせて、カタチを保とうとしている……のは、正しいのかなあ。たしかにツカは人ありきだからなあ。
装置や音楽の力を借りられないんだから、あとは演出で盛り上げて欲しいのに、「60年前」という古い縛りがある。現代とは相容れない文化と、価値観。油断するとまったりスローテンポになるという。
派手なオーバチュア~幕が開くなり地味な臨終場面~まったりオープニング、という流れがすでにわたしのバイオリズムからズレている。
わたしの生理的欲求、快感指数とちがいすぎてイラっとくる(笑)。
別記述で語っている(語る予定、も含めて)通り、臨終場面ですでに泣けるし、オープニングのふたりの再会で泣きツボ直撃だし項羽大好きだし、ものごっつー堪能しているんだけど、ソレとコレとは別。
泣けるし、好きならそれでいいじゃん、てなもんかもしれないが、やはりわたし的にはチガウの。なんでこんな作劇するのか、と疑問は消えないの。
素直に派手派手オープニングでいいじゃん。
初演を知る人も知らない人も、「タカラヅカの名作らしいよ?」「タカラヅカっていったら大きな階段と羽根だよねえ」な人たちも納得の、いかにも「タカラヅカ」な派手派手オープニング。
ドラマティックなオーバチュアで幕が上がるとそこには赤い芥子の花の乙女たちと、白い衣装の項羽@まとぶんと虞美人@彩音ちゃん。うわー、タカラヅカだああ、タカラヅカってきれいー。
まったり60年前主題歌を披露したあとは、がらりと趣を変えて、ノリのいい現代音楽+金糸銀糸の中国戦闘衣装の男たちによる、派手派手進軍ダンスでいいじゃん。うわー、タカラヅカって豪華絢爛ー。
セリ使って舞台全体使って、「これからはじまる物語」の導入をすれば。戦記物なんだからさー。
もともとそれぞれの国で衣装の色分けしてあるんだし、ただでさえややこしい話なんだから、前もって「顔見せ」するのは有効でしょ? 個人的に韓信@みわっちがセンターでライトあびて踊る場面が欲しい……韓信が重要人物だってわかるように。
加えて、張良@まっつもダンスさせてあげてください……今回マジで劇中一度も踊ってない……(笑)。ショー形式のオープニングでなら、張良も踊れるじゃんよー。
そこから、会稽へつなげればいいじゃん。
衛布@みつるも秦兵たちも、オープニングの衣装のままでいいんだから、そのままつなげられるじゃん。項羽様のお着替え時間さえ確保できれば。
会稽はそのままでいいし、桃娘@だいもんの銀橋登場もいいんだけど。殷通@めぐむの野望と最期、項羽のかっこよさと苛烈さもうまいと思うんだけど。
せっかくの「私には羽根がある」がいまいち弱い気がするんだよなあ。
地味プロローグ~まったりオープニングときて、最初の盛り上がり部分でしょう、ココ。
曲線が上向きになったところで、もっと上がってくれえ、と思って見ているのに、上がりきらないままエンド。所詮カーテン前だからか?
7000の兵の閲兵をしているよーには思えないんだ、登場している人数も少ないし。
「誰もが王になれる」という、項羽の時代が来た、高らかなファンファーレ場面であるはずなのに。
つか、ここをオープニングにしてもいいくらいの、すごーくわくわくした場面のはずなのに。項羽がいちばんイイ顔をしている場面なのに。オトコノコとしての夢を語っている場面なのに。
なんか、しょぼい。
まったりオープニング以降の最初のドラマティックな盛り上がり場面、発散する場面なのに、気持ちいいところまで達してない。
盛り上がりそうなのに最高点に到達する前でハンパに終わり、次はコメディ系の音楽。
うわーん、生理的につまんない~~、かっくん、てなる~~。
ここで盛り上がるわよお、と、わたしの無意識はアップをはじめていた。なのに、盛り上がらず終了、肩透かし。
万事がコレなのよ、キムシン『虞美人』。
わたしのバイオリズムとちがっていて。あくまでも「わたしの」なんだけど。