演出その他、作品に言いたいことはいろいろあるんだが、でもやっぱりわたしは『虞美人』を好きだと思う。
 キムシンと波長合うんだってば(笑)。

 キャラを好きになれる、感情移入できる、これが大事。

 つーことで、呂妃@じゅりあの話。

 わたしはプロローグの劉邦@壮くん臨終場面はいらない派なんだが、それでも呂妃を好きなために、すでにここから泣けるという(笑)。

 えー、わたしのツボに「許さない」ツボというのがありまして。
 我ながらいろいろ変なツボがあるもんだなと思うんだけど、キャラクタが「許さない」と言うのがツボだったりするの。

 以前、『マリポーサの花』でいちばんわたし的ポイントになっている台詞が、ネロ@水くんがサルディバル@ハマコに言った「裏切ったのはお前だ」という台詞だと書いた。
 これもある意味「許さない」ツボなの。

 最初からナニもなければ、許すも許さないもないよね。
 愛情とか信頼があり、ソレが損なわれたことで「許さない」という感情が発生する。
 取るに足りない相手なら、裏切りも失望も、痛みは少ない。
 そうじゃないから、そこに深い重い想いがあるから、「許さない」に発展する。

 プロローグで呂妃は、死せる劉邦へ「許さない」と言う。劉邦の愛した側室、そしてその息子も殺してやると。そしてその行動を「あなたのせい」と言う。
 自分が歪み、手を汚す、それも全部全部劉邦のせいだと。

 そこまでさせるほどの、痛み。
 ひとりの女をここまで追いつめた、なにか。

 それを思うと、すでに泣きスイッチが入る。

 で、そこまで憎しみを顕わにしておきながら、いざ劉邦が息絶えたとき、呂妃は彼にすがりつくように、身を寄せるの。セリ下がりのどさくさに。ろくに見えないところで。

 許さない。
 彼女にそう言わせるモノが、痛い。
 許さない。
 そう言いながらも、すがりついて泣くんだ。自分を裏切った夫の亡骸に。

 
 『虞美人』は呂妃の一代記でもある。
 本編で呂妃は、とてもかわいい若妻(笑)として登場する。演じているのがじゅりあなので、なんかコワイ印象がぬぐえないが、最初は寛大でかわいい奥さんなんだってば。
 夫の可能性を無邪気に信じ、夢を見る若い女。

 それがまあ、いろいろいろいろあるうちに、どんどんコワイ女になっていくんだが。

 じゅりあが気の毒なのは、セーム@『太王四神記』と役柄がかぶることだよなあ。
 セームは野心を息子に負わせ、呂妃は夫に負わせる。「私が男なら、王になっていた」という台詞にある通り、真の野心家だった、という設定。

 役柄はかぶっているけれど、もちろんセームと呂妃は別人で、呂妃の方がすげー深い役なんだが。一見一緒くたにされちゃって気の毒だなあ。

 呂妃としての演技は、どんどん変わっていったと思う。
 冒頭、そして虞姫@彩音ちゃんとの対決場面。

 「許さない」ツボが再度発動するんだ、虞姫VS呂妃場面にて。

 初日付近はわたしが気づいてなかっただけかもしれないが、呂妃は台詞通りの表情をしていたと思う。
 「私は決して囚われない、捧げ尽くして消えます」……そう歌う虞を笑い飛ばし、「まるでお庭を舞う蝶々と話すよう」と言う呂。

 それがもお、あとになればなるほど呂が哀れで。

 泣く代わりに、哄笑するしかなかったんだね。

 「決して囚われない」と、囚われている呂の前で言い放つ虞姫の、「正しさ」「清らかさ」ゆえの、残酷さときたら。

 ずたずたに傷つけられて、それでも誇り高い彼女は敵の前で弱みは見せられない。泣いて同情を買うくらいなら、笑ってひんしゅくを買う方を選ぶ。そういう女。
 虞姫の菩薩のような清らかな光をあび、卑しい人間が己れの醜さに顔を歪める。痛みのあまり、哀しさのあまり、泣き出しそうになり……泣く代わり、悲鳴を上げる代わりに、哄笑した。嘲笑った。侮蔑の言葉を投げた。

 精一杯の虚勢。
 その、気の強さ。誇り高さ。

 最後まで背筋を伸ばし、凛と立ち尽くし、だけど暗転の間際、泣き崩れるかのように。

 虞美人の歌を聴いているときの呂妃が、あまりにつらそうでねえ。虞の歌があと1小節長かったら、そのまま泣き出してんじゃないの、みたいな。
 泣かないで、誇り高いひと。
 囚われて、敵に情けを掛けられて、しかも、女としての愛し方、人間としての生き方まで否定されて、貶められて。それでも泣くことよりも、闘うことをえらんだひと。
 
 虞姫の愛し方に、呂妃が感銘を受けたとか敗北感を持ったとか、そーゆー次元の話ではなくて。
 どう愛するか、どう生きるかに正解なんぞないように、どちらの女が正しいということはない。
 夫の苦境に足手まといになるまいと自殺する女がいじらしいとか、夫を信じて逆境に耐える女がけなげだとか、それは観ている人が感じればいいことで。
 呂妃は自分が間違っているとか、思っちゃいないだろう。自分で自分の半生を否定するようなことはしないだろう。

 だけどここまで真逆の価値観を示され、しかも人間を超えたかのよーな「正しい」光のもとに宣言されちゃったら、泣くしかないよなあ。
 その瞬間、自分を卑小に感じて。

 それでも虞姫の足元にひれ伏したりせず、ぐっと顎を上げていた彼女の強さが、愛しい。
 たとえば桃娘@だいもんなんか、すっかりアタマ下げちゃってるもんね。虞姫のあの光に照らされたら、そうなっちゃうんだよ。

 強い自我を持つ、誇り高い呂だからこそ、正反対の生き方をする虞にここまで反発した。
 いや、自我を守るためにも、攻撃に転ずるしかない。
 項羽@まとぶんを滅ぼし、虞姫を殺さなければ。負けるとは死ぬこと、勝ち続け、闘い続け、証明しなければ。

 わたしの愛し方が、間違っていないと。

 ……呂妃も、劉邦を愛していたと思うよ。野望の道具みたいに扱っていたけれど。
 男たちの時代、女の運命はどの男に添うかで決まる。呂妃がその才能を認めた劉邦は、すなわち呂妃自身の才能。夫を否定されることは、自分を否定されること。基本から歪んでいたかもしれないけれど、それでもそこに愛はあっただろう。

 冒頭、死せる劉邦を「許さない」「あなたのせい」となじりながらも、寄り添うように。
 てゆーか、「あなたのせいなのです」って、愛の言葉だよなあ。

 愛の正しさを、人生の正しさを、呂妃自身の正しさを、彼女のすべてを否定したあの女に見せつけなければならない。
 ……呂妃が人生懸けて証明しようとした、「絶対に許さない」と思ったその相手、虞姫はそんなことぜーんぜん歯牙にも掛けてない、つか呂妃のことなんか忘れてんぢゃね? という現実が、残酷すぎて、ツボです。

 菩薩の域まで達した虞美人の美しさと、俗世の泥と闇をまとった呂妃の悪妻っぷりが素晴らしいです。
 彩音ちゃんもすごいし、じゅりあもすごい。
 
 この「もうひとつの、項羽と劉邦」である、女ふたりも大好きだ。

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