許さない、愛してる。@虞美人
2010年4月24日 タカラヅカ 演出その他、作品に言いたいことはいろいろあるんだが、でもやっぱりわたしは『虞美人』を好きだと思う。
キムシンと波長合うんだってば(笑)。
キャラを好きになれる、感情移入できる、これが大事。
つーことで、呂妃@じゅりあの話。
わたしはプロローグの劉邦@壮くん臨終場面はいらない派なんだが、それでも呂妃を好きなために、すでにここから泣けるという(笑)。
えー、わたしのツボに「許さない」ツボというのがありまして。
我ながらいろいろ変なツボがあるもんだなと思うんだけど、キャラクタが「許さない」と言うのがツボだったりするの。
以前、『マリポーサの花』でいちばんわたし的ポイントになっている台詞が、ネロ@水くんがサルディバル@ハマコに言った「裏切ったのはお前だ」という台詞だと書いた。
これもある意味「許さない」ツボなの。
最初からナニもなければ、許すも許さないもないよね。
愛情とか信頼があり、ソレが損なわれたことで「許さない」という感情が発生する。
取るに足りない相手なら、裏切りも失望も、痛みは少ない。
そうじゃないから、そこに深い重い想いがあるから、「許さない」に発展する。
プロローグで呂妃は、死せる劉邦へ「許さない」と言う。劉邦の愛した側室、そしてその息子も殺してやると。そしてその行動を「あなたのせい」と言う。
自分が歪み、手を汚す、それも全部全部劉邦のせいだと。
そこまでさせるほどの、痛み。
ひとりの女をここまで追いつめた、なにか。
それを思うと、すでに泣きスイッチが入る。
で、そこまで憎しみを顕わにしておきながら、いざ劉邦が息絶えたとき、呂妃は彼にすがりつくように、身を寄せるの。セリ下がりのどさくさに。ろくに見えないところで。
許さない。
彼女にそう言わせるモノが、痛い。
許さない。
そう言いながらも、すがりついて泣くんだ。自分を裏切った夫の亡骸に。
『虞美人』は呂妃の一代記でもある。
本編で呂妃は、とてもかわいい若妻(笑)として登場する。演じているのがじゅりあなので、なんかコワイ印象がぬぐえないが、最初は寛大でかわいい奥さんなんだってば。
夫の可能性を無邪気に信じ、夢を見る若い女。
それがまあ、いろいろいろいろあるうちに、どんどんコワイ女になっていくんだが。
じゅりあが気の毒なのは、セーム@『太王四神記』と役柄がかぶることだよなあ。
セームは野心を息子に負わせ、呂妃は夫に負わせる。「私が男なら、王になっていた」という台詞にある通り、真の野心家だった、という設定。
役柄はかぶっているけれど、もちろんセームと呂妃は別人で、呂妃の方がすげー深い役なんだが。一見一緒くたにされちゃって気の毒だなあ。
呂妃としての演技は、どんどん変わっていったと思う。
冒頭、そして虞姫@彩音ちゃんとの対決場面。
「許さない」ツボが再度発動するんだ、虞姫VS呂妃場面にて。
初日付近はわたしが気づいてなかっただけかもしれないが、呂妃は台詞通りの表情をしていたと思う。
「私は決して囚われない、捧げ尽くして消えます」……そう歌う虞を笑い飛ばし、「まるでお庭を舞う蝶々と話すよう」と言う呂。
それがもお、あとになればなるほど呂が哀れで。
泣く代わりに、哄笑するしかなかったんだね。
「決して囚われない」と、囚われている呂の前で言い放つ虞姫の、「正しさ」「清らかさ」ゆえの、残酷さときたら。
ずたずたに傷つけられて、それでも誇り高い彼女は敵の前で弱みは見せられない。泣いて同情を買うくらいなら、笑ってひんしゅくを買う方を選ぶ。そういう女。
虞姫の菩薩のような清らかな光をあび、卑しい人間が己れの醜さに顔を歪める。痛みのあまり、哀しさのあまり、泣き出しそうになり……泣く代わり、悲鳴を上げる代わりに、哄笑した。嘲笑った。侮蔑の言葉を投げた。
精一杯の虚勢。
その、気の強さ。誇り高さ。
最後まで背筋を伸ばし、凛と立ち尽くし、だけど暗転の間際、泣き崩れるかのように。
虞美人の歌を聴いているときの呂妃が、あまりにつらそうでねえ。虞の歌があと1小節長かったら、そのまま泣き出してんじゃないの、みたいな。
泣かないで、誇り高いひと。
囚われて、敵に情けを掛けられて、しかも、女としての愛し方、人間としての生き方まで否定されて、貶められて。それでも泣くことよりも、闘うことをえらんだひと。
虞姫の愛し方に、呂妃が感銘を受けたとか敗北感を持ったとか、そーゆー次元の話ではなくて。
どう愛するか、どう生きるかに正解なんぞないように、どちらの女が正しいということはない。
夫の苦境に足手まといになるまいと自殺する女がいじらしいとか、夫を信じて逆境に耐える女がけなげだとか、それは観ている人が感じればいいことで。
呂妃は自分が間違っているとか、思っちゃいないだろう。自分で自分の半生を否定するようなことはしないだろう。
だけどここまで真逆の価値観を示され、しかも人間を超えたかのよーな「正しい」光のもとに宣言されちゃったら、泣くしかないよなあ。
その瞬間、自分を卑小に感じて。
それでも虞姫の足元にひれ伏したりせず、ぐっと顎を上げていた彼女の強さが、愛しい。
たとえば桃娘@だいもんなんか、すっかりアタマ下げちゃってるもんね。虞姫のあの光に照らされたら、そうなっちゃうんだよ。
強い自我を持つ、誇り高い呂だからこそ、正反対の生き方をする虞にここまで反発した。
いや、自我を守るためにも、攻撃に転ずるしかない。
項羽@まとぶんを滅ぼし、虞姫を殺さなければ。負けるとは死ぬこと、勝ち続け、闘い続け、証明しなければ。
わたしの愛し方が、間違っていないと。
……呂妃も、劉邦を愛していたと思うよ。野望の道具みたいに扱っていたけれど。
男たちの時代、女の運命はどの男に添うかで決まる。呂妃がその才能を認めた劉邦は、すなわち呂妃自身の才能。夫を否定されることは、自分を否定されること。基本から歪んでいたかもしれないけれど、それでもそこに愛はあっただろう。
冒頭、死せる劉邦を「許さない」「あなたのせい」となじりながらも、寄り添うように。
てゆーか、「あなたのせいなのです」って、愛の言葉だよなあ。
愛の正しさを、人生の正しさを、呂妃自身の正しさを、彼女のすべてを否定したあの女に見せつけなければならない。
……呂妃が人生懸けて証明しようとした、「絶対に許さない」と思ったその相手、虞姫はそんなことぜーんぜん歯牙にも掛けてない、つか呂妃のことなんか忘れてんぢゃね? という現実が、残酷すぎて、ツボです。
菩薩の域まで達した虞美人の美しさと、俗世の泥と闇をまとった呂妃の悪妻っぷりが素晴らしいです。
彩音ちゃんもすごいし、じゅりあもすごい。
この「もうひとつの、項羽と劉邦」である、女ふたりも大好きだ。
キムシンと波長合うんだってば(笑)。
キャラを好きになれる、感情移入できる、これが大事。
つーことで、呂妃@じゅりあの話。
わたしはプロローグの劉邦@壮くん臨終場面はいらない派なんだが、それでも呂妃を好きなために、すでにここから泣けるという(笑)。
えー、わたしのツボに「許さない」ツボというのがありまして。
我ながらいろいろ変なツボがあるもんだなと思うんだけど、キャラクタが「許さない」と言うのがツボだったりするの。
以前、『マリポーサの花』でいちばんわたし的ポイントになっている台詞が、ネロ@水くんがサルディバル@ハマコに言った「裏切ったのはお前だ」という台詞だと書いた。
これもある意味「許さない」ツボなの。
最初からナニもなければ、許すも許さないもないよね。
愛情とか信頼があり、ソレが損なわれたことで「許さない」という感情が発生する。
取るに足りない相手なら、裏切りも失望も、痛みは少ない。
そうじゃないから、そこに深い重い想いがあるから、「許さない」に発展する。
プロローグで呂妃は、死せる劉邦へ「許さない」と言う。劉邦の愛した側室、そしてその息子も殺してやると。そしてその行動を「あなたのせい」と言う。
自分が歪み、手を汚す、それも全部全部劉邦のせいだと。
そこまでさせるほどの、痛み。
ひとりの女をここまで追いつめた、なにか。
それを思うと、すでに泣きスイッチが入る。
で、そこまで憎しみを顕わにしておきながら、いざ劉邦が息絶えたとき、呂妃は彼にすがりつくように、身を寄せるの。セリ下がりのどさくさに。ろくに見えないところで。
許さない。
彼女にそう言わせるモノが、痛い。
許さない。
そう言いながらも、すがりついて泣くんだ。自分を裏切った夫の亡骸に。
『虞美人』は呂妃の一代記でもある。
本編で呂妃は、とてもかわいい若妻(笑)として登場する。演じているのがじゅりあなので、なんかコワイ印象がぬぐえないが、最初は寛大でかわいい奥さんなんだってば。
夫の可能性を無邪気に信じ、夢を見る若い女。
それがまあ、いろいろいろいろあるうちに、どんどんコワイ女になっていくんだが。
じゅりあが気の毒なのは、セーム@『太王四神記』と役柄がかぶることだよなあ。
セームは野心を息子に負わせ、呂妃は夫に負わせる。「私が男なら、王になっていた」という台詞にある通り、真の野心家だった、という設定。
役柄はかぶっているけれど、もちろんセームと呂妃は別人で、呂妃の方がすげー深い役なんだが。一見一緒くたにされちゃって気の毒だなあ。
呂妃としての演技は、どんどん変わっていったと思う。
冒頭、そして虞姫@彩音ちゃんとの対決場面。
「許さない」ツボが再度発動するんだ、虞姫VS呂妃場面にて。
初日付近はわたしが気づいてなかっただけかもしれないが、呂妃は台詞通りの表情をしていたと思う。
「私は決して囚われない、捧げ尽くして消えます」……そう歌う虞を笑い飛ばし、「まるでお庭を舞う蝶々と話すよう」と言う呂。
それがもお、あとになればなるほど呂が哀れで。
泣く代わりに、哄笑するしかなかったんだね。
「決して囚われない」と、囚われている呂の前で言い放つ虞姫の、「正しさ」「清らかさ」ゆえの、残酷さときたら。
ずたずたに傷つけられて、それでも誇り高い彼女は敵の前で弱みは見せられない。泣いて同情を買うくらいなら、笑ってひんしゅくを買う方を選ぶ。そういう女。
虞姫の菩薩のような清らかな光をあび、卑しい人間が己れの醜さに顔を歪める。痛みのあまり、哀しさのあまり、泣き出しそうになり……泣く代わり、悲鳴を上げる代わりに、哄笑した。嘲笑った。侮蔑の言葉を投げた。
精一杯の虚勢。
その、気の強さ。誇り高さ。
最後まで背筋を伸ばし、凛と立ち尽くし、だけど暗転の間際、泣き崩れるかのように。
虞美人の歌を聴いているときの呂妃が、あまりにつらそうでねえ。虞の歌があと1小節長かったら、そのまま泣き出してんじゃないの、みたいな。
泣かないで、誇り高いひと。
囚われて、敵に情けを掛けられて、しかも、女としての愛し方、人間としての生き方まで否定されて、貶められて。それでも泣くことよりも、闘うことをえらんだひと。
虞姫の愛し方に、呂妃が感銘を受けたとか敗北感を持ったとか、そーゆー次元の話ではなくて。
どう愛するか、どう生きるかに正解なんぞないように、どちらの女が正しいということはない。
夫の苦境に足手まといになるまいと自殺する女がいじらしいとか、夫を信じて逆境に耐える女がけなげだとか、それは観ている人が感じればいいことで。
呂妃は自分が間違っているとか、思っちゃいないだろう。自分で自分の半生を否定するようなことはしないだろう。
だけどここまで真逆の価値観を示され、しかも人間を超えたかのよーな「正しい」光のもとに宣言されちゃったら、泣くしかないよなあ。
その瞬間、自分を卑小に感じて。
それでも虞姫の足元にひれ伏したりせず、ぐっと顎を上げていた彼女の強さが、愛しい。
たとえば桃娘@だいもんなんか、すっかりアタマ下げちゃってるもんね。虞姫のあの光に照らされたら、そうなっちゃうんだよ。
強い自我を持つ、誇り高い呂だからこそ、正反対の生き方をする虞にここまで反発した。
いや、自我を守るためにも、攻撃に転ずるしかない。
項羽@まとぶんを滅ぼし、虞姫を殺さなければ。負けるとは死ぬこと、勝ち続け、闘い続け、証明しなければ。
わたしの愛し方が、間違っていないと。
……呂妃も、劉邦を愛していたと思うよ。野望の道具みたいに扱っていたけれど。
男たちの時代、女の運命はどの男に添うかで決まる。呂妃がその才能を認めた劉邦は、すなわち呂妃自身の才能。夫を否定されることは、自分を否定されること。基本から歪んでいたかもしれないけれど、それでもそこに愛はあっただろう。
冒頭、死せる劉邦を「許さない」「あなたのせい」となじりながらも、寄り添うように。
てゆーか、「あなたのせいなのです」って、愛の言葉だよなあ。
愛の正しさを、人生の正しさを、呂妃自身の正しさを、彼女のすべてを否定したあの女に見せつけなければならない。
……呂妃が人生懸けて証明しようとした、「絶対に許さない」と思ったその相手、虞姫はそんなことぜーんぜん歯牙にも掛けてない、つか呂妃のことなんか忘れてんぢゃね? という現実が、残酷すぎて、ツボです。
菩薩の域まで達した虞美人の美しさと、俗世の泥と闇をまとった呂妃の悪妻っぷりが素晴らしいです。
彩音ちゃんもすごいし、じゅりあもすごい。
この「もうひとつの、項羽と劉邦」である、女ふたりも大好きだ。