だからこそ、とびきりの華を。@銀ちゃんの恋
2010年9月4日 タカラヅカ 宙組全国ツアー『銀ちゃんの恋』、梅芸初日の2回目を観劇。
いつも初日初回を観るのだけど、今回もまたチケット持ってなくて。サバキ待ちしよーと思っているところに「夜の回ならチケットあるよ」と声を掛けてもらったので、初回はあきらめてそっちを取った。
わたしはイシダせんせとツボが違いまくるため、彼の作品は苦手。年を重ねるごとに苦手になってきている。イシダはダメ、わたし的に無理! という意識はあるものの、そこはそれとしてもうあきらめていて、それでも『銀ちゃんの恋』はイシダ作品にしてはマシな方、耐えられないほどの嫌悪感はナイので、そのへんは安心して観劇した。
前回の花組版を観ているので、作品のどこが嫌でどこが楽しいかわかっている。嫌なところは考えないように、楽しいところだけを楽しみにして。
なにしろ出演者は豪華。トップコンビと3番手と4番手が勢揃いし、きれいどころの中堅・若手も投入されている。出演者数だってはるかに多いし、フィナーレも付くらしい。
グレードアップした『銀ちゃんの恋』が観られるのだと。
そして、実際に観劇して。
首を、かしげた。
あんまし、お得感が、ナイ……。
全国ツアーだからセットや演出に制限があるにしろ、このパワーダウンな印象はいったい?
もちろんそれは、人間の生理として、「最初に観たモノが名作」てのが関係しているだろう。わたしがナマで『銀ちゃんの恋』体験をしたのが花組DC公演なので、わたしにとっての「2度目の邂逅」でしかない宙組版は目新しさがない分、物足りなく映る可能性はある。
また、わたしが花組ファンでそれゆえの思い入れがあるため、つーのはさらに大いにある。
それらの事情を自覚してなお。
どーしたこったい、と思う。
えーと。
いちばんの原因は、ヤス@みっちゃんだと思う。
キャスティングが発表になったとき、実はがっかりしたんだ。
みっちゃんに不足があるわけじゃない。逆、みっちゃんなら、うまく出来ることがわかりきっているから。観る前から想像できる、すばらしいヤスになる。
でもわたしは、そんな「わかっている」ヤスを見たいわけじゃなかった。
また、みっちゃんにこれ以上変な役をして欲しくなかった。ヤスはもちろんいい役なんだけど、役者冥利に尽きる役だけど、もう何作も美形みっちゃんを見ていないので、ここでまたヒゲの不細工男を見たくなかったの。
ウィリアム@『TRAFALGAR』は美形で色男だったと思ってる。でも、いわゆる「タカラヅカ」の路線スターの役じゃない。別格スターでも専科のおじさまでもいい役だ。ふつーの若いハンサム役を、みっちゃんはもう何作もまともにやっていない。(カイ@『シャングリラ』もわたし的にはルノーやヤスと同等の非ビジュアル役です・笑)
普段から「若いハンサム」ばかりやっているキラキラ美形様が、不細工おっさんであるヤスを演じるのはいいんだ。意外性もあるし、本人の成長にもつながるし。
でもみっちゃんはもうさんざん「芸達者な人しかできない不細工おっさん」をやってきたじゃん! 意外性も芸幅を広げることもない、今までの延長でしかない、そんなキャスティングはつまんないー!
わたしに美形のみっちゃんを見せろ~~!!
みっちゃんがヤスなのは、ハマリ過ぎ、うますぎて嫌だな、つまんないなと思っていた。見もしないで(笑)。
そう、見もしないで。
実際に、見てみたら。
たしかに、うまい。
もちろん、うまい。
問題なく、うまい。
だけど。
だけど舞台って、芝居って、それだけぢゃないんだ。
ヤスから光が感じられない。
うまいけれど、小さく手堅くまとまっている。
ヤスが薄い、小さい、地味……脇役風味。
えええ。ほくしょーさんが、地味? 今よりはるかにビジュアルがアレだった新公学年時代だって、地味ではなかったよ、ハマコが地味とは程遠いように、どこにいても目立つ人だった。
きれいじゃなくても(ごめん)、目立つ人だったよ。存在感のある人だったよ。
『銀ちゃんの恋』自体がタカラヅカらしくない作品なんだが、そのなかでもヤスはとびきりタカラヅカらしくない。この役を、役のまんま、役割のまんま演じてしまっては、ダメなんだ。タカラヅカから遠ざかってしまう。
とことんタカラヅカらしくない役だからこそ、とびきりタカラヅカな輝きで演じないと、沈んでしまう。役の持つ重さや濁った色に負けてしまう。
みっちゃんは、うまい人だ。職人的技術のある人だ。
だからこそ、うまくヤスを演じてしまい、「タカラヅカ・スター」として沈み込んでしまった。
そしてここが「タカラヅカ」である以上、2番手役が沈んでいると作品がくすむ。力を失う。
みっちゃんがヤスをうまく演じることなんか想定内、わかりきっていてしょぼん、だったのに、うまいゆえに期待に満たないモノになってしまうとは、夢にも思ってなかった。
期待が大きすぎた、とはまたチガウと思うの。うまさと輝きの問題? つかこれって、演出家が考慮すべき部分じゃね?
みっちゃんのヤスに首をかしげ。
それと、橘@みーちゃんにも、なんつーか、こまったなあ、という感想で。
キャスティング発表時、みっちゃんヤスにはしょぼんだったけど、純粋にみーちゃん橘にはテンション上がったですよ。
みーちゃんが橘!! あの愉快な色男! 美少年に迫るシーンはあるし、泣かせる見せ場はあるし、オイシイ役。
出演者の立ち位置的にともちんが橘かなと勝手に思っていたので意外だったけど、こーゆー意外さは歓迎だ。常々「みーちゃんにもっと出番を! 見せ場を!」と思っているクチなので、素直にわくわくしてました。
んで実際、橘@みーちゃんは色男です。竜馬コスも素敵、単体で眺める分にはそりゃー眼福なイケメンっす。
ただ。
「銀ちゃん」という強烈なキャラクタに対峙するには……ふつー過ぎだ……。
色男であることはもちろん必要、つか最低条件だけど、それだけじゃダメなんだ、橘って。
技術とは別の部分でぺかーっと輝くナニか、人騒がせってゆーか迷惑だけど目を離せない、ある意味銀ちゃんに似通った部分が必要なんだ。
そっかあ、そーいやみーちゃんはそっち系が苦手分野だったね……。ナニやってもうまい人だから、安心しきってた。
とまあ、みっちゃんとみーちゃん、ふたりとも「うまい」けど、「うまい」ゆえに、『銀ちゃんの恋』という特殊な作品では魅力と才能を正しく発揮できていない印象。
2番手役と3番手役が沈んでいると、そりゃ作品も沈むわ……。
せっかくこんなに豪華なキャストが揃っているのに、正しく魅力発揮してないんぢゃ、お得感ナイわ……。
と、わたしは勝手に肩を落としました。あああもったいないー。(いやそもそもこの題材を「タカラヅカ」で上演すること自体が……と、花組版時代からのループになるので略)
でもまあそれはソレとして!
楽しむ!ことは出来るし、実際楽しい部分も十分あるのだから、次はその話。
いつも初日初回を観るのだけど、今回もまたチケット持ってなくて。サバキ待ちしよーと思っているところに「夜の回ならチケットあるよ」と声を掛けてもらったので、初回はあきらめてそっちを取った。
わたしはイシダせんせとツボが違いまくるため、彼の作品は苦手。年を重ねるごとに苦手になってきている。イシダはダメ、わたし的に無理! という意識はあるものの、そこはそれとしてもうあきらめていて、それでも『銀ちゃんの恋』はイシダ作品にしてはマシな方、耐えられないほどの嫌悪感はナイので、そのへんは安心して観劇した。
前回の花組版を観ているので、作品のどこが嫌でどこが楽しいかわかっている。嫌なところは考えないように、楽しいところだけを楽しみにして。
なにしろ出演者は豪華。トップコンビと3番手と4番手が勢揃いし、きれいどころの中堅・若手も投入されている。出演者数だってはるかに多いし、フィナーレも付くらしい。
グレードアップした『銀ちゃんの恋』が観られるのだと。
そして、実際に観劇して。
首を、かしげた。
あんまし、お得感が、ナイ……。
全国ツアーだからセットや演出に制限があるにしろ、このパワーダウンな印象はいったい?
もちろんそれは、人間の生理として、「最初に観たモノが名作」てのが関係しているだろう。わたしがナマで『銀ちゃんの恋』体験をしたのが花組DC公演なので、わたしにとっての「2度目の邂逅」でしかない宙組版は目新しさがない分、物足りなく映る可能性はある。
また、わたしが花組ファンでそれゆえの思い入れがあるため、つーのはさらに大いにある。
それらの事情を自覚してなお。
どーしたこったい、と思う。
えーと。
いちばんの原因は、ヤス@みっちゃんだと思う。
キャスティングが発表になったとき、実はがっかりしたんだ。
みっちゃんに不足があるわけじゃない。逆、みっちゃんなら、うまく出来ることがわかりきっているから。観る前から想像できる、すばらしいヤスになる。
でもわたしは、そんな「わかっている」ヤスを見たいわけじゃなかった。
また、みっちゃんにこれ以上変な役をして欲しくなかった。ヤスはもちろんいい役なんだけど、役者冥利に尽きる役だけど、もう何作も美形みっちゃんを見ていないので、ここでまたヒゲの不細工男を見たくなかったの。
ウィリアム@『TRAFALGAR』は美形で色男だったと思ってる。でも、いわゆる「タカラヅカ」の路線スターの役じゃない。別格スターでも専科のおじさまでもいい役だ。ふつーの若いハンサム役を、みっちゃんはもう何作もまともにやっていない。(カイ@『シャングリラ』もわたし的にはルノーやヤスと同等の非ビジュアル役です・笑)
普段から「若いハンサム」ばかりやっているキラキラ美形様が、不細工おっさんであるヤスを演じるのはいいんだ。意外性もあるし、本人の成長にもつながるし。
でもみっちゃんはもうさんざん「芸達者な人しかできない不細工おっさん」をやってきたじゃん! 意外性も芸幅を広げることもない、今までの延長でしかない、そんなキャスティングはつまんないー!
わたしに美形のみっちゃんを見せろ~~!!
みっちゃんがヤスなのは、ハマリ過ぎ、うますぎて嫌だな、つまんないなと思っていた。見もしないで(笑)。
そう、見もしないで。
実際に、見てみたら。
たしかに、うまい。
もちろん、うまい。
問題なく、うまい。
だけど。
だけど舞台って、芝居って、それだけぢゃないんだ。
ヤスから光が感じられない。
うまいけれど、小さく手堅くまとまっている。
ヤスが薄い、小さい、地味……脇役風味。
えええ。ほくしょーさんが、地味? 今よりはるかにビジュアルがアレだった新公学年時代だって、地味ではなかったよ、ハマコが地味とは程遠いように、どこにいても目立つ人だった。
きれいじゃなくても(ごめん)、目立つ人だったよ。存在感のある人だったよ。
『銀ちゃんの恋』自体がタカラヅカらしくない作品なんだが、そのなかでもヤスはとびきりタカラヅカらしくない。この役を、役のまんま、役割のまんま演じてしまっては、ダメなんだ。タカラヅカから遠ざかってしまう。
とことんタカラヅカらしくない役だからこそ、とびきりタカラヅカな輝きで演じないと、沈んでしまう。役の持つ重さや濁った色に負けてしまう。
みっちゃんは、うまい人だ。職人的技術のある人だ。
だからこそ、うまくヤスを演じてしまい、「タカラヅカ・スター」として沈み込んでしまった。
そしてここが「タカラヅカ」である以上、2番手役が沈んでいると作品がくすむ。力を失う。
みっちゃんがヤスをうまく演じることなんか想定内、わかりきっていてしょぼん、だったのに、うまいゆえに期待に満たないモノになってしまうとは、夢にも思ってなかった。
期待が大きすぎた、とはまたチガウと思うの。うまさと輝きの問題? つかこれって、演出家が考慮すべき部分じゃね?
みっちゃんのヤスに首をかしげ。
それと、橘@みーちゃんにも、なんつーか、こまったなあ、という感想で。
キャスティング発表時、みっちゃんヤスにはしょぼんだったけど、純粋にみーちゃん橘にはテンション上がったですよ。
みーちゃんが橘!! あの愉快な色男! 美少年に迫るシーンはあるし、泣かせる見せ場はあるし、オイシイ役。
出演者の立ち位置的にともちんが橘かなと勝手に思っていたので意外だったけど、こーゆー意外さは歓迎だ。常々「みーちゃんにもっと出番を! 見せ場を!」と思っているクチなので、素直にわくわくしてました。
んで実際、橘@みーちゃんは色男です。竜馬コスも素敵、単体で眺める分にはそりゃー眼福なイケメンっす。
ただ。
「銀ちゃん」という強烈なキャラクタに対峙するには……ふつー過ぎだ……。
色男であることはもちろん必要、つか最低条件だけど、それだけじゃダメなんだ、橘って。
技術とは別の部分でぺかーっと輝くナニか、人騒がせってゆーか迷惑だけど目を離せない、ある意味銀ちゃんに似通った部分が必要なんだ。
そっかあ、そーいやみーちゃんはそっち系が苦手分野だったね……。ナニやってもうまい人だから、安心しきってた。
とまあ、みっちゃんとみーちゃん、ふたりとも「うまい」けど、「うまい」ゆえに、『銀ちゃんの恋』という特殊な作品では魅力と才能を正しく発揮できていない印象。
2番手役と3番手役が沈んでいると、そりゃ作品も沈むわ……。
せっかくこんなに豪華なキャストが揃っているのに、正しく魅力発揮してないんぢゃ、お得感ナイわ……。
と、わたしは勝手に肩を落としました。あああもったいないー。(いやそもそもこの題材を「タカラヅカ」で上演すること自体が……と、花組版時代からのループになるので略)
でもまあそれはソレとして!
楽しむ!ことは出来るし、実際楽しい部分も十分あるのだから、次はその話。