「タカラヅカ」ってなんだろう。
 てのは、わたしにとって、わりによくあるテーマだが。
 そしてその都度、同じような、いろんなことを考えるわけだが。

 『麗しのサブリナ』を観ていて思うんだな。

 「タカラヅカ」とはなにか。
 それは、ひろがるペチコートである。

 
 大昔、わたしが小さな少女だったころ。
 外国を舞台にした少女マンガを読んで、なんとなくあこがれるわけですよ。そのかわいらしい世界に。
 大きなリボンやフリル、広がったスカートに編み上げのブーツ。
 『ベルサイユのばら』みたいな時代劇ではなくて、現代の異国。自分でも着られそうな服、食べられそうなお菓子。
 あわあわのお風呂、広がったスカートの下からのぞく、ペチコート。

 『キャンディ・キャンディ』のコミックスを手に、わたしは大真面目に一緒に暮らしていた祖母に相談した。
 こんな服が着てみたいと。こんな髪型がしてみたいと。

 髪型については、速攻NO!だ。
 わたしの髪は超ストレートで、まっすぐ以外のどんなスタイルにもなりゃーしねえ。大人になってパーマを掛けたときも「ここまでパーマが掛かりにくい髪質もめずらしい」と言われたもんだ。
 ついでにいうと、ショートカット以外の髪型も、認められていなかった。
 「子どもは清潔感第一!」「手入れ簡単第一!」という大正生まれの祖母の方針から、わたしに髪型の自由はなかった。長い髪に憧れていたが、少しでも伸びるとばっさり切られた。

 たしかに髪は持って生まれたものだから無理がある。第一金髪じゃないしな。
 だが、服ならば。ワンピースやスカートなら、後天的になんとかできるだろう。
 マンガのヒロインの着ている服はたしかにかわいいが、異世界なかわいさではない。実際に着ることが出来る、似たようなテイストの服を探すことが不可能ではないと思えるようなかわいさだった。

 この膝下スカートなんか、ふつーにアリそうじゃね? それで編み上げのロングブーツを履けばいいのよ。
 でも、そこで問題。

 ヒロインのスカートからいつもちらちら見えている、このフリルだかレースだかは、なんだろう。
 正直、すごくかわいい。
 ふつーのスカートでも、このちらちらがあるからすごく「トクベツ」な感じに見える。
 ヒロインは活発な女の子だから、いつもスカートの端はめくれ上がり、下から白いレースがのぞいていた。

 このちらちらレースがあれば、わたしもキャンディになれる!
 そう意気込んで、大正生まれの祖母に聞いた。「ねえねえ、これってなんやろ。こあらもこれ着たい」
 すると祖母は、興味なさそうに言い切った。

「これは、シュミーズや。こあらかて持ってるやん」

 え。
 しゅみーず?
 しゅみーずって、アレ? おばーちゃんが着ている、よれよれの下着? わたしも持ってるけど、必要を感じないのでほとんど着たことナイ、アレ?

 えええっ?! アレが、このヒラヒラちらちらなの?!

 カルチャーショック。
 たしかに、貫頭衣っつーかワンピース状になった下着の裾には、レースが付いている。ついてるけど、すごく地味でババ臭くて、こんなの着るくらいなら小学校の体育で使う汗取りタオル着てた方がマシだっつー感じの、少女心を萎えさせるシロモノだった。

 ぜんぜんチガウもん、よく見て、このスカートの下でちらちらしているやつのことよ!
「だから、シュミーズやろ。スカートの下に着るんや。それはマンガやから、嘘が描いてあるんや」

 がーーーーん。
 マンガは、嘘。
 キャンディの着ている服は、嘘。
 現実は、おばーちゃんのシュミーズ。

 そう、やはり小学生のころ、はじめて洋式のバスタブを使ったとき、マンガの中のようなあわあわにならなくて、ショックを受けた。

 それと同じことなんだ。
 キャンディのふくらんだスカートも、その下からちらちらのぞくかわいいレースも、みんなみんな嘘。
 現実には、ありえない。

 
 えー。
 こあらったは、おばあちゃん子で、大正生まれの祖母に育てられました。祖母はがんばって「ばばが育てている子だから、時代遅れ」にならないよう、気を遣ってくれていたけれど。祖母が知らないモノは、わたしも知らないままでした。「ピザ」という食べ物を知ったのが中学生になってからだったりな。餃子を食べたことなかったりな。
 時代劇の主題歌は歌えたし、杉良太郎のキメ台詞のまねっこはできたけど、ピンクレディは踊れなかったし、聖子ちゃんの新曲も知らない子どもでした。

 ペチコート、という概念はなかった。
 また、当時手に入るペチコートでも、マンガの中のようなふくらみ方やちらちら見えることはない、幾重にもフリルを重ねるのはまた別であることとか、知ることもなく。
 バカなガキだったので、『キャンディ・キャンディ』の舞台が現代ではないことも、あまりよく理解していなかった。レトロな部分は全部、外国だからチガウんだ、で片づけていた。
 仲の良かった友だちと一緒に、「どうやったらキャンディの服を着られるか」で真面目に悩んでいた。
 今ならキャンディの衣装の再現は容易いと思うし、コスプレではなく現実の範囲内でかわいく着ることも可能な時代だと思う。
 だが、小学生のわたしには、知るよしもない。

 そう、「マンガの中の嘘」だと切り捨てられた、「少女のあこがれ」のひとつの集束した形が「ひろがるペチコート」だった。

 
 『麗しのサブリナ』を観て、思う。
 ああこれは、わたしが「タカラヅカ」に求めるモノだと。

 サブリナ@蘭ちゃんの、広がるスカート。その下からのぞく、幾重にも重なった白いフリルのペチコート。

 チケットレートが格安のため、わたしみたいなびんぼー人でも少々の金額を積むだけで、最前列チケットが手に入ってしまったため、銀橋かぶりつきの観劇も複数回したさ、できたさ。
 そーやって目の前で、ペチコートがふわふわするのを見たさ。

 サブリナだけじゃない、他の女の子たちのスカートにも、もれなくフリルのペチコート。
 広がったスカートが揺れて、その下から白いペチコートが見える。
 そのたびに、心震える。ときめく。
 あああ、これがわたしの少女心、少女のころの憧れ。

 おばさんになってしまった今では絶対着ることのできない、ガーリーなドレス。
 オンナノコな髪型、アクセ、背伸びした恋。

 もう手に入らないけれど、鮮明に心に残っている「少女」の部分が焦がれて溜息になる。
 「タカラヅカ」って、そうだよなあ。
 子どもの頃から観ているけれど。いつだってここは、わたしの「あこがれ」の詰まった舞台だった。

 娘役のドレスを見ているだけで、たのしかった。うれしかった。
 子どもだったから、男役には興味なくて。夢中なのは娘役とその衣装だったっけ。
 一生懸命おぼえて帰って、家でそのドレスを絵に描いて、自分で紙の着せ替え人形を作ったりした。

 あの感覚を思い出し、なつかしさと切なさで胸が熱い。
 『麗しのサブリナ』って、すごくかわいい。物語もだけど、衣装も。女の子たちも。

 なんかすごくすごく「タカラヅカ」で、泣けてくる。

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