夜を飛ぶ。@春野寿美礼 meets imageオーケストラ
2010年9月23日 タカラヅカ もちろん、わたしに教養がナイのがいちばんの原因だと思いますが。
今回のオサ様のアルバムは、ちょっとしょぼんだったのです。
5曲しか入ってないわ、しかもクラシック曲だわで。
わたしがクラシックに愛も興味もないためか、どーにもノれないのだわ。入り込めないのだわ。
コンサートも大阪1日だけだし、そのチラシも1色刷りでCDジャケット転載しただけの簡易版。ちゃんとしたチラシもあったのかな? わりと公演間際になっても、ソレしか見あたらなかったんだが。
去年のコンサートほど力入ってない感じというか、お金掛かってないというか……ゲフンゲフン。
や、東京はサントリーホールだしオーケストラだし、「生の音楽」という面にのみお金を使い、その他は節約した、歌手として正しい姿かもしれないけれど。
にしても、やたらゴージャスに突き進んでいるトウコ姫と、2足のわらじで追いかけている身としては、オサ様の堅実ぶりがちと寂しい……。
トウコちゃんは働き過ぎで、ファンとしてはうれしいけど金かかって困るんだけどなー(笑)。
去年のCDの方が好きだったなあ。去年のコンサートはすごい良かったなああ。と、過去ばかりを懐かしむ老人のように、いまいち盛り上がらないまま、今年のコンサートに行きました。
『春野寿美礼 meete image オーケストラ』梅芸。
パンフレットを買う気満々で売店へ行ったら、ナニもないし。
グッズもなく、出演者のCDをちんまり売っているだけ。パンフレットはもちろん、毎回いろんなグッズを売っているものだと経験上思いこんでいたので、びっくりした。
トウコちゃんとか、パンフレットさえ複数販売してるやん……通常版と写真集付きとか、表紙と中のポスターだけチガウ、あと同じだけどファンならもちろん両方買うよね?な、強気商売。
まあトウコちゃんはビジュアル売りの人でもあるからなあ。美女は強い、美しい写真だけで購買意欲に火がつきますもの。
寿美礼サマは美人なのかそうでないのかよくわからん……つーかぶっちゃけ微妙なときが多々あるので、ヴィジュアル・グッズに傾倒する必要はないと思うけど。
プログラムどうして売ってないんだろう、まさか売り切れでもあるまいし、と思っていたら。
他フライヤーたちと一緒に、座席配布のビニール袋の中に入っていた。
モノクロ印刷、二つ折りのチラシみたいな紙が。
文字情報のみ、無料イベントのプラグラム表みたいなヤツ。
思わず、家に帰って去年の『男と女』のパンフ引っ張り出しちゃったよ(笑)。写真満載フルカラー印刷の、豪華なモノだったよなあ。
舞台もオケ席があるだけの簡素なモノで。
や、オケの人たちで場所取ってるから派手なセットは組めないにしろ……でも『I got music』のときだってオケがステージ上にいたけれど、もう少し派手に……ゲフンゲフン。
寿美礼サマは下手袖から出たり入ったりするだけで、エンタメっぽい演出はなにもなく、ダンサーやコーラスすらいなくて。
や、ほんとに、「音楽」だけで勝負の、潔い公演ってことなんでしょう。
しかし……梅芸メインホールという、だだっぴろい会場を使ってやるには、あまりにシンプルな作り方。いろんな意味で。サントリーホールならそれでもいいんだろうけど、なにしろあの梅芸。
そのシンプルさが、アグレッシヴな意味ではなく感じて、はじまるまではけっこう戦々恐々だった。
だってオサ様の次の仕事、わかってないし。『宝塚伝説』に出るとかゆーんじゃなくて、コンサートとかミュージカルとか、そーゆーの。
ピラ紙1枚のプログラムには、最後の曲が「FINALE」になってるし。
や、CD聴いたときから、この曲がラストなのはわかっていたけれど、しかし終わりに「終わり」ってタイトルの曲(感謝がつづられている)が来ると、どきどきしちゃいますよ小心者。
そんなこんなで、実はあんまし盛り上がらないまま迎えたのです、今年のオサコン。
しかーしっ。
そんなもん全部、ぶっ飛んだ。
春野寿美礼、健在。
わたしのミューズは健在です。
とっかかりのクラシックあたりは、ふつーにうまいきれいで、すーっとわたしの中を流れていったのだけど、バンドネオン入りましたー!あたりから、どんどん加速。
やっぱわたしが、いかにもクラシックなものが苦手なだけみたい。
春野寿美礼という、ファンタジー。
「異次元」を創る力。
オサ様はその歌声で、異次元を創る。
情報量の多すぎる声。
テクニック部分ももちろんあるけれど、細かく音を刻む以外の部分で、情報が氾濫する。
歌の中の情景、それと二重写しになる別のモノ。わたし自身のナニか。原風景、望み、いつか見た夢、ちりちり焦がす毒。
潤す、湧き出る、溢れる、滾る、迸る。
さまざまなものが、その歌声に渦巻く。
混濁して、汚れて、ぐちゃぐちゃになったパレット、水、それらがいつの間にか光を通し、どんどん透き通っていく。
ナニかに再構成されていく切なさと快感。
ああ、切ないんだ。
こんなに気持ちいいのにな。
「前山にて」は不思議な曲で。
前にも書いたけれど、CDで聴くとどーってことない曲。NHKで見たときも。
なんつーか、ぱっとしない曲だと思った。
ところが、オサ様の歌う「前山にて」をナマで聴くと、まったくチガウんだよ。
目の前に、情景がひろがるの。
浮遊感と疾走感。
トトロの背中に乗って夜を飛ぶメイとサツキは、こんな感覚だったのかもしれないと思う。
異世界へ行く。
よく知った……なつかしい、異世界。
なつかしくて愛しくて、こんなにこんなに胸が痛い、涙が出るほど欲しているのに、決してたどり着けないところが、目の前に広がる。
オサ様といえばぐだぐだのMC、だけど今回はそれも控えめ。千秋楽って時間が無秩序にのびたりするのに、それも大してなし。
次のお仕事の発表とかしてくれないかな、と期待していたんだけど、具体的なことはなにも語られなかった。
それでも、やわらかに笑うオサ様は、これからもコンサートをやっていきたいと言った。
うん。
のんびりでもいいよ、でもずっとずっと、歌い続けてね。
うたうことを、かみさまからしゅくめいづけられたひとだとおもうの。
ああ、ほんとにもお。
寿美礼サマの歌声にハマっちゃった日にゃあ、他の歌声がまるっと物足りなくなって困る。
あのひとほど、おもしろい人はいないもの。
歌声の情報量。その表現の無限大さ。
あーもー、オサ様大好きだ。
今回のオサ様のアルバムは、ちょっとしょぼんだったのです。
5曲しか入ってないわ、しかもクラシック曲だわで。
わたしがクラシックに愛も興味もないためか、どーにもノれないのだわ。入り込めないのだわ。
コンサートも大阪1日だけだし、そのチラシも1色刷りでCDジャケット転載しただけの簡易版。ちゃんとしたチラシもあったのかな? わりと公演間際になっても、ソレしか見あたらなかったんだが。
去年のコンサートほど力入ってない感じというか、お金掛かってないというか……ゲフンゲフン。
や、東京はサントリーホールだしオーケストラだし、「生の音楽」という面にのみお金を使い、その他は節約した、歌手として正しい姿かもしれないけれど。
にしても、やたらゴージャスに突き進んでいるトウコ姫と、2足のわらじで追いかけている身としては、オサ様の堅実ぶりがちと寂しい……。
トウコちゃんは働き過ぎで、ファンとしてはうれしいけど金かかって困るんだけどなー(笑)。
去年のCDの方が好きだったなあ。去年のコンサートはすごい良かったなああ。と、過去ばかりを懐かしむ老人のように、いまいち盛り上がらないまま、今年のコンサートに行きました。
『春野寿美礼 meete image オーケストラ』梅芸。
パンフレットを買う気満々で売店へ行ったら、ナニもないし。
グッズもなく、出演者のCDをちんまり売っているだけ。パンフレットはもちろん、毎回いろんなグッズを売っているものだと経験上思いこんでいたので、びっくりした。
トウコちゃんとか、パンフレットさえ複数販売してるやん……通常版と写真集付きとか、表紙と中のポスターだけチガウ、あと同じだけどファンならもちろん両方買うよね?な、強気商売。
まあトウコちゃんはビジュアル売りの人でもあるからなあ。美女は強い、美しい写真だけで購買意欲に火がつきますもの。
寿美礼サマは美人なのかそうでないのかよくわからん……つーかぶっちゃけ微妙なときが多々あるので、ヴィジュアル・グッズに傾倒する必要はないと思うけど。
プログラムどうして売ってないんだろう、まさか売り切れでもあるまいし、と思っていたら。
他フライヤーたちと一緒に、座席配布のビニール袋の中に入っていた。
モノクロ印刷、二つ折りのチラシみたいな紙が。
文字情報のみ、無料イベントのプラグラム表みたいなヤツ。
思わず、家に帰って去年の『男と女』のパンフ引っ張り出しちゃったよ(笑)。写真満載フルカラー印刷の、豪華なモノだったよなあ。
舞台もオケ席があるだけの簡素なモノで。
や、オケの人たちで場所取ってるから派手なセットは組めないにしろ……でも『I got music』のときだってオケがステージ上にいたけれど、もう少し派手に……ゲフンゲフン。
寿美礼サマは下手袖から出たり入ったりするだけで、エンタメっぽい演出はなにもなく、ダンサーやコーラスすらいなくて。
や、ほんとに、「音楽」だけで勝負の、潔い公演ってことなんでしょう。
しかし……梅芸メインホールという、だだっぴろい会場を使ってやるには、あまりにシンプルな作り方。いろんな意味で。サントリーホールならそれでもいいんだろうけど、なにしろあの梅芸。
そのシンプルさが、アグレッシヴな意味ではなく感じて、はじまるまではけっこう戦々恐々だった。
だってオサ様の次の仕事、わかってないし。『宝塚伝説』に出るとかゆーんじゃなくて、コンサートとかミュージカルとか、そーゆーの。
ピラ紙1枚のプログラムには、最後の曲が「FINALE」になってるし。
や、CD聴いたときから、この曲がラストなのはわかっていたけれど、しかし終わりに「終わり」ってタイトルの曲(感謝がつづられている)が来ると、どきどきしちゃいますよ小心者。
そんなこんなで、実はあんまし盛り上がらないまま迎えたのです、今年のオサコン。
しかーしっ。
そんなもん全部、ぶっ飛んだ。
春野寿美礼、健在。
わたしのミューズは健在です。
とっかかりのクラシックあたりは、ふつーにうまいきれいで、すーっとわたしの中を流れていったのだけど、バンドネオン入りましたー!あたりから、どんどん加速。
やっぱわたしが、いかにもクラシックなものが苦手なだけみたい。
春野寿美礼という、ファンタジー。
「異次元」を創る力。
オサ様はその歌声で、異次元を創る。
情報量の多すぎる声。
テクニック部分ももちろんあるけれど、細かく音を刻む以外の部分で、情報が氾濫する。
歌の中の情景、それと二重写しになる別のモノ。わたし自身のナニか。原風景、望み、いつか見た夢、ちりちり焦がす毒。
潤す、湧き出る、溢れる、滾る、迸る。
さまざまなものが、その歌声に渦巻く。
混濁して、汚れて、ぐちゃぐちゃになったパレット、水、それらがいつの間にか光を通し、どんどん透き通っていく。
ナニかに再構成されていく切なさと快感。
ああ、切ないんだ。
こんなに気持ちいいのにな。
「前山にて」は不思議な曲で。
前にも書いたけれど、CDで聴くとどーってことない曲。NHKで見たときも。
なんつーか、ぱっとしない曲だと思った。
ところが、オサ様の歌う「前山にて」をナマで聴くと、まったくチガウんだよ。
目の前に、情景がひろがるの。
浮遊感と疾走感。
トトロの背中に乗って夜を飛ぶメイとサツキは、こんな感覚だったのかもしれないと思う。
異世界へ行く。
よく知った……なつかしい、異世界。
なつかしくて愛しくて、こんなにこんなに胸が痛い、涙が出るほど欲しているのに、決してたどり着けないところが、目の前に広がる。
オサ様といえばぐだぐだのMC、だけど今回はそれも控えめ。千秋楽って時間が無秩序にのびたりするのに、それも大してなし。
次のお仕事の発表とかしてくれないかな、と期待していたんだけど、具体的なことはなにも語られなかった。
それでも、やわらかに笑うオサ様は、これからもコンサートをやっていきたいと言った。
うん。
のんびりでもいいよ、でもずっとずっと、歌い続けてね。
うたうことを、かみさまからしゅくめいづけられたひとだとおもうの。
ああ、ほんとにもお。
寿美礼サマの歌声にハマっちゃった日にゃあ、他の歌声がまるっと物足りなくなって困る。
あのひとほど、おもしろい人はいないもの。
歌声の情報量。その表現の無限大さ。
あーもー、オサ様大好きだ。