大阪から、名古屋まで。

 新幹線のぞみ利用なら、6180円。
 所要時間は1時間4分。

 や、「安いがエライ」の大阪人。どーしても1時間4分で到着しなくてはならないならともかく。
 もっと安く行きますか。

 近鉄特急アーバンライナー利用、4150円。
 所要時間は2時間5分。

 さらに金券ショップで買えば、アーバンライナーは3150円になる。

 名古屋まで、往復6300円。

 そーやって去年までは行っていた。

 だが今年。
 新しい方法にチャレンジだ。

 大阪−博多を青春18きっぷ+ムーンライト九州利用で、博多座のチケット1枚より安く往復したり、各社夜行バス乗り比べてみたり、安い交通手段を模索する人生。

 「こんな方法がある」とか知ると、俄然意欲がわく。フロンティア・スピリッツ! やってやるぜ! と。

 ゲーム感覚かしら。
 わくわくするの。

 で、今回の「大阪−名古屋」は。

 「近鉄株主優待券」利用で、在来線ONLYで名古屋往復!

 株主優待券は、「1回限り、どれだけ乗ってもOK」切符。
 それを1枚1400円、往復2枚必要だから2800円で、金券ショップにて購入。
 もっと早くから動いていれば、さらに安くなったはずだが、いつもギリギリだから(笑)、こんな値段。それでも。

 「大阪−名古屋」往復2800円!!

 新幹線正規料金なら12360円かかるところが、2800円。

 すげーや、新幹線との値段差。そして、アーバンライナーと比べたとしても、格段の安さ。

 それもそのはず。
 特急を利用せずに名古屋へ行くには、片道3時間16分かかるのだっ!!

 新幹線の3倍!! 時は金なり精神ではありえない時間!!
 アーバンライナーの1.5倍強!! ……ん? 1.5倍? なーんだ、たいしたことないじゃん! と思わせる数字のトリック(笑)。

 新幹線と比べても、時間が3倍だとしても、値段は4分の1だから、結局はお得な計算に。これもまた数字のトリック?(笑)

 まあなんにせよ、わたしは、燃えました。

 やってやるわー、初体験よー、挑戦よー。

 どうせ電車の中ではゲームやってるかパソコンでなにかしら文章書いてるか、寝てるかだし。
 家にいるのと変わらない。それなら、時間とお金を、有効に使いましょう。

 つーことで、片道3時間以上かけて名古屋への旅。

 向かうは中日劇場、水夏希トップお披露目公演初日。

 待ってて水しぇん!!
 あなたのこあらが駆けつけるわ! 鈍行列車を乗り継いで!!(笑)


 水くん、トップスターお披露目おめでとう。

 はるばる在来線を乗り継いで、行って来ました名古屋、中日劇場。
 途中あたりまえに雪景色で、「タカラヅカ1の雨男」の「雪組トップスター就任」を地球からして祝っているのだなと微笑ましく思う。……いや、ものごっつー寒かったが。
 それでも名古屋に着いたら晴天。雪がぱらついても青空。……なんかめでたいやね。

 
 水夏希は、真ん中に相応しい人。
 最初に彼を認識したときから、そう信じて疑わなかった。や、わたしがどうこう以前に、人気と劇団の扱いがそうだったんだってば。わたしが最初に水夏希を認識した、花組に組替えしたばかりのころってさ、ほんとにすげー勢いだった。
 
 いずれ真ん中になる。いずれ必ずトップになる。……そーゆー人はわたしの好みではないので(笑)、スルーしている時期も長かったが。結局彼に夢中になって早数年。
 トップになるまで意外なほど時間がかかったが、たぶんそのおかげでわたしみたいな脇役・別格スキーのハートもGETしたんだろう。花組のころのままの勢いで、2001年くらいにトップになっていたら、わたしは彼を特別好きになることもなかったろう。

 真ん中に立つことがあたりまえ。
 そうでなかったことなど、一度もない人だと思っているのに。

 今、まさに真ん中にいる水夏希が……いっぱいいっぱいだ……。

 ど、どーしたんだ水くん。
 真ん中ぐらい、今までいくらでも経験してきたろ。新人公演からバウホール、青年館、果ては全国ツアーまでやってきたじゃないか。

 何故今さら、そこまでテンパっている?

 芝居からして、すでに変。
 汗はだらだらだし、リキみすぎて表情が硬い。もちろんちゃんと演技しているんだけど、なんか無理があるの。笑っていようとなにをしていようと、いついかなる表情のときでも、表面の顔の奧に必ずこめかみに怒りマークがついている感じ。
 無邪気な少年の笑顔……の奧の、こめかみに怒りマーク。
 恋にときめく少年の顔……の奧の、こめかみに怒りマーク。
 怒っているのではなくて、ぴくぴく血管浮くくらい、ぎりぎり本気で追いつめられている。

 水くん……ほんまに、真面目な人やな……融通きかないというかまともというか。

 テンション上がりすぎて、あちこち涙目だし。
 役として泣くならいいが、ソレとは無関係にテンパってるの。感情が高ぶりすぎて目が潤んでいるの。

 どこのヲトメだよ、この男。

 あまりにオンナノコであまりにヲトメで、こっちがびっくりする(笑)。
 顔はオトコマエなのに……男にしか見えないのに……なんてヲトメなチカちゃん。

 もちろん芝居の最後はマジ泣きして、アイライン溶けてました。

 ショーは水くん踊りまくり! となみちゃんともゆみこともしっかり絡んで、「お披露目おめでとう」ムード満載な作品。

 たしかにダンスはハードそうだ。やたらめったら踊りまくっている。てか、リフトもすげえ。
 そのうえ、歌も多い。

 水夏希、へろへろ。

 汗が滝のようだ。ドーラン剥げて、縦縞入ってる……?

 たしかにハードな作りかもしれんが、この緊張感だとか追いつめられた感は、いったい……。

 全開の笑顔でも、なんか漂う悲壮感。
 怒りマークは解け、かわりに縦線入ってる感じ。ちびまる子ちゃんがよく、カオの端に縦線入ってるでしょ、アレ。

 た、たのむ。
 このまま無事に進んでくれ、終わってくれ。
 水しぇんのアタマの中、いろいろいろいろ回ってるんじゃないの? 手順も役割も、そして思い出も。

 なんかあまりにいっぱいいっぱいで。

 手に汗握ってしまった。

 ……トップお披露目初日って、ここまで緊張するモノなのか。
 トップスターってのは、こうまでチガウものなのか。

 若くして抜擢され、ずーっとエリート街道突き進んできた、真ん中に立ち続けて来た人すら、ここまで追いつめられるモノなのか。
 や、水くんがまともな感覚の持ち主である、ってことに尽きる話かもしれんが。

 挨拶は感動を示しつつも、短く端的にまとめようとしてエンド。てか、挨拶文前もって暗記してたよね?(笑)
 まともに締めくくったんだけど。

 カテコが繰り返されるうちに、どんどんぐちゃぐちゃになっていく(笑)。

 「まともな挨拶」を心がけていたんだろーに、だんだんフニャフニャになっていってるよこの人!!
 場が持たなくて、突然「イエ〜〜ッ!!」と叫んでみたり、天気の話をしてみたり。

 そして、鳴りやまない拍手に、降りたままの緞帳前を大羽根背負ったままカニ歩きで出てきて、さらにフニャフニャな話をはじめたり。

 今朝、お祝いのメールがたくさん届いたらしい。突然そんなこと言い出すし。言い出して、収束させないまま「今日の日を一生忘れません!」とかなんとか叫んで終わらせるし。

 記憶だけで書いているので、どこでなにを、どのカテコでなにを言ったかおぼえてないし、まざっちゃってると思うけど。わたしの海馬、出来が悪いから。
 ただ、最初は考えて喋っているのがわかったのに、あとになるとのーみその動きがスローになっていってるのがわかるの。顔に出てるよヲイ! それでも「がんばる!」と気を張っていることも、わかるのだけど。

 ……かわいいなあ、水夏希……。
 カオも芸風もオトコマエなのになあ。
 なんでこう、生真面目でまともでヲトメなんだろう。

 届いたお祝いメールの中には、コムちゃんからのメールもあったのかなぁ。『タランテラ!』ムラ楽のコムちゃん出迎えイベントを仕切りながら、ジーンズの尻ポケットからあったりまえに携帯取り出し、コム姫と喋っていた水先輩を思い出す。あのときも、カオに「使命感!」って書いてあったな。
 しいちゃんからのメールも、きっとあったよね。あいようこお姉様からも、あったよね。きっと。
 きっとたくさんのひとが、「おめでとう」を言っている。

 おめでとう水くん。

 早くその「緊張っ!!」マークを消して、「真ん中」で自在に呼吸してね。

 そこが、あなたの場所なのだから。


 新生雪組お披露目公演。芝居はかなりアレなんで、くわしく語るのはあとにして。
 公演全体を通した、キャストの話。

 主演の水くんはとにかくいっぱいいっぱいで、心もカラダも握り拳がぷるぷる震えているよーな印象。
 それでも仕事はしているし、たとえアタマが真っ白になってもカラダが動くところまで技術を叩き込んでありそーな体育会系マンだから、彼が真ん中だということはわかる。
 まだ本来のパワーは解放されていない。内側に向かっている。
 彼が客席に向かって働きかけだしたとき、ほんとうの幕が上がるのだと思う。

 
 ヒロインとなみ。
 ……となみがもお、すばらしい「娘役トップスター」っぷり。
 あの華やかさ。あでやかさ。
 そして、貫禄。
 伊達にトップ経験してないね。キョドりもせずに、いっぱいいっぱいな水くんを受け止め、支えている。そりゃ、ダンスの技術はアレだけど。
 芝居もそうだけど、ショーでの美しさと存在感には脱帽。

 うれしい。
 となみがいてくれて、うれしくてうれしくて泣きそーだ。

 もともととなみちゃん単体でダイスキだけど、雪組時代から、新公ステージトークであの「やーん、となみも見たい〜〜」と甘え声でイヤイヤをするぶっ壊れた姿を見て以来のファンだけど。

 星組娘役トップスターとしても、その存在を心から賞賛していたけれど。

 今、わたしの大好きな水くんの相手役になってくれたことが、うれしい。

 大好きな女の子が、大好きな人とコンビを組み、美しく華やかななステージを繰り広げてくれる。

 なんてしあわせなんだろう。

 水くんを好きで良かった。となみを好きで良かった。
 美しいふたりを見ることが、うれしくてうれしくてならない。

 
 2番手ゆみこ。
 まず、雪組に違和感がない。
 ずーっと雪組にいたと言っても、変じゃない。
 
 いきなり和モノだったのが味方したよね。着こなし・所作、それらがちゃんと出来ていて、かっこいい。声の良さもオトコマエ度を上げている。

 しかし。
 ショーでの地味さには、びっくりした。

 え、えーと。
 あんなに地味でいいのか?
 と言ったら、「花組でも地味でしたよ」「ゆみこは地味ですから」とあちこちから声が返り、そうか、あれがニュートラルなんだ、と納得する。

 わたし、思うんだけどさあ。
 今ゆみこちゃん、すっごいチャンスのときだよねえ?
 高校デビューとか転校デビューとか、わたしが若いころにあった言葉なんだが、「新しい環境でなら、イメージチェンジしやすい」ので、高校入学や転校を機に、それまでやりたかったキャラクタに自分をプロデュースするってヤツ。
 組替えデビューしてみたらどうだ?
 花組でも地味だったから、雪組でも地味でイイ、つーんぢゃなくてだ、思い切ったイメチェンをして、別キャラを目指してみる、とゆーのは?
 わかりやすい例でいうと、タニちゃん。彼は完璧な組替えデビュー組。月組時代は「かわいいボクちゃんキャラ」で、宙組に移動になってわざと「キザな大人の男」にキャラを変更した。
 タニちゃんみたいにやってみたらどーだ? や、タニちゃんのキャラ変更は失敗だったと思うけど。
 失敗例を見て怖じ気づかずに、チャレンジしてみようよ。
 雪組ファンの中には、ゆみこちゃん見るのも聞くのもはじめてって人、けっこういると思うのよ。そんな人たちに、今までとはチガウ「彩吹真央」を刻みつけようよ。

 とりあえず、髪型をなんとかしようよ。

 切実。
 少しも早く、改善を。

 ショーでのゆみこちゃんは、なにかっちゅーと一糸乱れぬオールバックorリーゼントをしている。

 ……似合わないから、ソレ。

 てゆーかゆみこは、サイドの髪をなでつけてしまうと、上に広い台形をしたアタマのカタチが強調されちゃうのよ〜〜。

 素のゆみこはあんなにかわいい少年なのに。
 どーして舞台ではあんなにファニー……個性が勝ちすぎた容姿になるんだ。

 素のかわいらしさを舞台に活かそうよ。
 タカラヅカは、まずビジュアルなんだから。

 男役の正装はリーゼントやオールバックだとわかっているよ、だからこそゆみこも、スーツや燕尾など「かっこいい」「アダルト」な場面になると気合い入れて髪をなでつけているのだと思う。
 でもソレが似合わないでここまで来ちゃったんだから、「まずビジュアル」のタカラヅカをまっとうするために信念を曲げようよ。

 リーゼントをやめて、素に近いふわふわヘアをなびかせる。
 襟足とか長めの方がいいな。
 黒タキだろうと燕尾だろうと、バリエーションつけるだけで基本は素の髪。
 髪を揺らして踊るの。
 要所要所で、髪をかき上げて。

 小僧っこがリーゼントも作らずに男役やってたら叩かれるけど、男役としての型を作ったあとなんだから大丈夫でしょ。
 リーゼントは必要最低限、しかも揺れる程度の前髪アリで作ること。

 なんで10年以上男役やってきて、自分に似合う髪型がわからないんだろう……。
 セルフプロデュースしよーよー。

 せっかくの組替えだから。
 「彩吹真央って人は、髪揺らして踊る人なのね」「いつも髪かき上げてて、ちょっとナルシーっぽい? 花出身だもんね」って思ってもらえばいいじゃん。

 歌えるし踊れるし芝居できるし、スタイル抜群だし、あとは華と美貌だけなんだから。

 もったいなくてじれったくて、むずむずする。

 
 と、ゆーのも。

 芝居ではちゃんとゆみこが2番手に見えたのに。

 ショーでは、ハマコが2番手に見えてしまったのですよ。

 ゆみこのウリである歌も、ハマコの方がうまい。
 なによりハマコの方が華(……っていうのか?)があり、押し出しがイイ。

 ダンスにしろ存在感にしろ、ハマコはとにかく実力の裏打ちの上で、うるさい芸風だから。
 目立つのよあの人! なにやっても!!

 ハマコに打ち勝つには、華と美貌を磨くしかないの。雪組でスターとして生きるには、まずハマコを倒さなければならないの!
 トップは真ん中として扱われるからともかくとして、2番手は下手をするとハマコに食われるのよー!!

 コム姫お披露目の『春麗がどーたら』を思い出して。
 トップスター朝海ひかる、2番手スター未来優希だったでしょう?
 みんなハマコの銀橋の「憎む憎むソング」はおぼえていても、かしげがなにしてたかはおぼえてないでしょう?
 何人の人に、「かしげの役はね……」と説明したか。みんなマジでおぼえてないんだもん。

 ハマコ、大活躍。

 よそから来た新米2番手なんか、吹っ飛ばす勢い。
 芝居ももちろんめーっちゃ安定して巧くて、学芸会になりそーな下級生芝居を引き締める。
 芝居は役目があるから自重しているけれど、ショーになると全開。
 あの歌声!!
 ゴスペルのラスト、コーラスが終わったあとハマコの短い短いソロで暗転するんだけど。

 鳥肌立ったわ。

 なんなのあのソウルフルな歌声。
 劇場に響く声。
 「声」という楽器の力。劇場の空気を変える、シンプルかつ最大の武器。

 てゆーかその前に、ハマコ先生中心の場面があるんですけど。
 ハマコ先生、娘役はべらして歌い踊るんですけど。

 そのうえ、エトワールまでやっちゃいますけど。

 ハマコ先生、ナチュラルにスターです。

 新生雪組って、W2番手なの?!(白目)

 トップと同期で別格寄りのW2番手扱い……ってそんな、どっかの組と同じ布陣?
 や、どっかの組の場合とはちがい、ハマコは実力有り余ってるからなー。かわりにスタイルはアレだけど。

 ああもお、ハマコ、ダイスキだ。

 ダイスキだけど、ハマコ2番手はいろいろまずいと思うので、ゆみこにはぜひ、がんばってほしい。
 1作目で敗北していたかしちゃんだって、美貌でハマコを打ち倒し、晴れて2番手になったんだからさ。

 がんばれ。


 雪組中日公演。

 お祭りだから、お祝いだから、わくわく駆けつけるけれど、名古屋に通う予定はないので1回限りと覚悟して観劇。万が一作品がよかったら通うかもしれないけど、演目発表された段階でその可能性は限りなくゼロに近かった。
 柴田先生の再演物でしょ? それだけであ、こりゃダメだと思った。

 たしかに植爺作品のように下品でも無神経でもないけれど、「古い」という点では柴田作品も同じだ。

 現代に上演して、良い作品ぢゃない……。

 「30年前なら、これでよかったんだろうな」「大昔なら、これがおもしろかったんだろうな」と遠く想像するのみ。
 『あかねさす紫の花』『うたかたの恋』と最近続けて観て、しみじみ思っていたところさ。
 危惧していた通り、『星影の人』も、そうだった。

 たしかに柴田作品は美しくて上品なんだけど。
 それだけを愛でるには、作品に粗がありすぎる。

 植爺作品よりゃ、そりゃ「逆鱗ポイント」「生理的嫌悪感を持つ人間性のゆがみ」などがない。
 でもさーわたし、「古い」というのも十分「辟易ポイント」だと思うのよ。

 『星影の人』は古いだけでなく、もしも「若手の新作」として現代に発表されいたら失敗作の烙印押されてると思うよ。「構成壊れてるじゃん! 斎藤はこれだから!」とか「こだまっちってどうして辻褄の合う話つくれないの? 伏線回収しなよ」「稲葉作品ってどうしてこう浅いの? 恋愛経験ないんじゃない?」とか言われてるよ。
 柴田ブランドだから、なにも言われないけれど。

 
 さて、『星影の人』とやら。初演は知りません、31年前じゃさすがに無理。

 えーと、舞台は「新撰組」という名前になって間もないころの新撰組(それまでは壬生浪士組)、ちなみに芹沢鴨粛正後。
 沖田総司@水は、刺客数人さくっと殺したあと、芸妓・玉勇@となみに出会う。親切な玉勇が濡れて歩く沖田に傘を貸してくれたわけだ。
 その日のウチに2度目の偶然、再会したふたりはデートの約束をする。
 はじめてのデートで「アナタは素敵な人」「いいえアナタの方がすばらしい人」と謙遜し合い、誉め合うふたり。このバカップルなんとかしろ。
 ここで唐突に、新撰組副長土方歳三@ゆみこの恋バナが入る。土方がつきあっている芸妓・照葉@雪組きっての大根女優ルーシーは、許嫁の仇っつーことで土方の命を狙っていた。
 でも、土方を愛しちゃったんだって。土方も、ソレをわかってなお彼女を愛してるんだって。
 仇に抱かれて志を翻した照葉こと加代を、許嫁の妹@ちとせが激しく責めるが……。
 はい、ここでこの話は終わり。これだけ唐突に盛り上げておいて、このあと一切出てきません。ちょっと待て、なんだソレは。

 話変わって、池田屋騒動。新撰組といえば池田屋。新撰組でもっとも盛り上がる、ドラマティック・シーン。
 池田屋に集まり、火事場泥棒のノリで力づくで権力を得ようとするテロリストたちを一網打尽にする、「正義」の新撰組のもっとも華々しいエピソード。そして、沖田的にも、はじめて喀血するとゆー、わかりやすく盛り上がる場面。
 さあ、いちばんの名場面をどう描くのか、高まる期待感。

 降りてくる巨大スクリーン。

「元治元年6月5日 池田屋事件」てなテロップが、突然出る。
 
 や、今までもテロップ付きなら変じゃないけど。最初から文久3年とか、テロップが要所要所に出ていれば変じゃない。
 でも途中からいきなり出るのはおかしい。脈絡なさすぎ。第1章も第2章も表記されていなかったのに、90ページまで読んだらいきなり「第3章」と書かれてるよこの小説、誤植? 落丁? てなもん。
 なんでこんな変なことをするんだろう、と思っていたら。

 いつまでたっても、テロップが消えない。

 それどころか、録音された声だけで、芝居が進んでいる。

 なんじゃこりゃあ。

 口ぽかーん……。

 今まで見てきたテレビドラマ、いきなり音声だけになりましたよ。で、なにもない画面に「クリスマスイヴの夜」とかテロップが出てるの。
 えええっ? クリスマスイヴに告白する、恋敵になってしまった親友と決着付けるって言ってたよね? いちばんのクライマックスになる場面だよね?
 なんで音声だけ?!
 ラジオドラマ?!!

 また、長いんだ、音声だけシーン。

 音だけだから、なにもかも台詞で説明しなきゃならないの、さあ大変! 説明台詞GO!GO! 不自然にGO!GO! 戦闘シーンだから、悲鳴や叫び声いっぱい、棒読みいっぱい、寒々しさ満載♪

 …………結局、池田屋事件は音声だけでした。
 突然出てきたテロップは、その言い訳でした。

 同じことをキムシンがやったりしたら、「今すぐ演出家辞めろ」コールで2ちゃんのスレッドが一気に1000まで行きそうだな……(笑)。

 沖田主人公で、有名な沖田の最初の喀血シーンが、録音音声だけ……。
 なに考えてこんな阿呆なことを?

 暴力シーンはいけません? 他にさんざん人殺しシーンを描いておいて?
 それとも、技術的に池田屋を描くのは無理だと判断した? セットも大がかりになるし、殺陣も大変。人数も必要だから中日では無理?
 それとも、物語にこだわりをもって、池田屋をスルーした? 他に訴えたいテーマがあるから、ここに派手な場面を置くわけにいかなかった?
 それとも、音声だけ、という斬新な演出をしてみたかった?

 もちろん、池田屋をクライマックスにしなければならない、という決まりはない。
 また、絶対にじっくり描かなければならない、という決まりもない。

 ただ客観的に見て、「放っておいても盛り上がる」「アクション的にも/時代的にも/新撰組的にも/沖田的にも、盛り上がる」オイシイ話を、わざわざ使わないことが、不自然で疑問。

 しかもそうまでしてわざわざ池田屋をスルーして、あのサムいサムい音声劇って……。

 で、「労咳であとわずかな命!」とわかる沖田の苦悩の話になる。
 話というか、突然イメージ映像。
 踊って歌って表現。エピソードとかぢゃないっす。まあ、なんてミュージカル的。てゆーか、お茶濁し? 逃げ?

 心理風景を踊る沖田のために、突然土方がせり上がってきて1曲歌う。あら土方さん、ひさしぶり。存在を忘れていたよ、あんまりな描かれ方だから。
 ここで沖田とのエピソードがあるのね……と思いきや。
 セリ上で直立不動で1曲歌ったら、そのままセリ下がっていく。
 ナニしに出てきたんだよ?! あ、1曲美声を披露するためですか。そーですか。……ひでー。

 そしてさらに、とっても唐突に、沖田を愛している女たち@しなぽんとかおりが出てきて歌ったりな。や、それまでも登場していたけれど、沖田を好きなことぐらいは想像がつくけれど、わざわざ1曲歌うほどの描き方はされていない。
 なんつー比重の間違った、その場限りの演出……。

 苦悩の末、沖田は余命を、新撰組隊士として生きることを誓う。玉勇はそんな彼を支えることを誓う。純愛です。

 ……あれ?
 心を決めちゃったらもう終わりだよね? ヒロインともハッピーエンド。
 完結しちゃったのに、話まだ続けるの? イメージ映像だけでなんのストーリーもない作品だけれど、いちおーエンドマークでしょう? まだ続くの?
 てゆーか、ストーリーないのに、どうやってまだ続けるの?

 翌日欄へ続く。


 謎に満ちた作品、その名は『星影の人』

 昨日欄からの、話の続き。

 あまりに杜撰な作りに、作者、プロットまともに作ったのか? とか、コンテ切ったのか? とか、基本的な疑問がわだかまるが、とりあえず静観。

 唐突に、山南脱走エピソード。
 ちょっと待て、何故突然山南@ひろみの話?! 土方の話すらやりっぱなしで未回収のくせに、山南切腹は描くの?!
 唐突すぎてついていけない。沖田を愛する女たちが、突然スポットライトあびて歌い出したのと同じ臭い。
 つまり、行き当たりばったり。
 盛り上がる話を、てきとーに切り貼りしてみました、的。新撰組内部のことも人間関係も社会情勢もなにも描かず、山南の離反をどうして無理に入れなきゃなんないのよ……なんで山南が死ななければならなかったか、まったく描かずに「遊女明里との涙の別離、タカラヅカ的悲劇で素敵エピソード、いただき!」かよ……。
 土方との口論シーンのひとつでもいいから、前もって描いておけよ……ひどすぎるよー。

 沖田と玉勇のラヴラヴしか描くつもりがないから、新撰組のことも池田屋もさくっと無視して、ストーリーないままえんえん踊らせたりいちゃいちゃさせたりしていたんだと思っていたのに。
 山南切腹で、それすら壊れる。
 なにがやりたいんだ……。

 話がさらに散漫になった上、まだ続く。えーと、この芝居何時間あったっけ。どうやって終わるつもりだ?

 いつも危険と隣り合わせ、戦闘集団だから戦うのが仕事です、の新撰組。
 なのになにを考えたか玉勇、「新撰組が仕事で来てるよ」と聞くなり「大変! 沖田さんが心配だわ!!」と、彼らの仕事場……戦場に飛び込んでいく。

 ふつーのOLのわたしの彼は、なんと刑事なの。危険な仕事で心配。
 あっ、近所で事件が! 彼が犯人を捕まえようとやってきたわ!! 大変! 彼が心配!! わたしも現場に行かなくちゃ!! KEEPOUTのテープ貼られて、その奥で銃撃戦してるけど、かまわず行かなくちゃ! だって心配だもん!!

 行くな、迷惑だ。

 なんでこんなバカな話に?
 新撰組にとっては日常なのに。『パリの空よりも高く』の嵐のエピソードくらい、ものすげーとってつけた感。
 まず、「玉勇が沖田をかばって死ぬ」という前提ありきで、無理矢理でっちあげたっぽい。

 女が身を挺して愛する男を守るのはありがちで美しいエピソードだけれど、それは「必然性」がなくてはダメだよ。
 刑事が仕事しているところへ一般人の恋人がやってきて「心配だから来ちゃった」と言って撃たれたのでは、「公私混同」で男の価値も下がるよ……。

 なんで、沖田と玉勇がデートしているところを襲われたことにしないんだ。
 それなら玉勇が沖田をかばって死んでも必然性がある。沖田にも玉勇にも責任がなく、純粋な「悲劇」になる。

 赤信号で飛び出して車にはねられてもなー……。

 せっかくのヒロインの死なのに、純粋な「悲劇」になっていないのがイタイ……。

 で。

 ヒロイン玉勇が死ぬと、唐突に物語が終わる。

 えええ?! ここで終わるの?
 沖田的には池田屋のあとでエンドマーク出ていたのに、無理矢理水増しして話引っ張って、玉勇を無理矢理殺して終わり?
 とりあえず人が死ねば客は泣くし、ヒロイン殺せば名作?

 池田屋→死期を悟る、から、ここまで話を引っ張ってきたなら、沖田の死まで描けよ。
 猫を斬ろうとして絶命、までやれよ。
 それでこそ主人公・沖田総司だろう。
 玉勇が死んで終わりじゃあ、主人公玉勇だよ……沖田の話にならないよー。彼的にはとっくに終わった話だったから、最後で玉勇へ物語の比重が移っちゃうよー。

 どこまで壊れてるんだ、コレ。

 あまりにめちゃくちゃで、呆然としているうちに終わった。

 あるのは雰囲気だけ……ストーリー破壊されまくり。

 それでも、「美しくて上品」だからいいのかしら。
 30年前なら、コレでも良かったのかもしれんが、今21世紀だよ?

 行き当たりばったりのその場しのぎのエピソード満載!「沖田総司ビデオクリップ」見せられても、途方に暮れる。

 30年前はきっと、「ビデオクリップ状態」でよかったんだろうな。
 素敵なスターがコスプレして、それらしい場面を演じたり歌ったりするだけでOK。
 物語の起承転結も辻褄も関係なし。

「**ちゃんでこんなシーン見たいな(はぁと)」
 を満足させてくれる、雑誌の扮装写真動画版、で良い時代だったんだろう。

 でもわたし現代人だから、ついて行けないっす……。

 まともな「物語」が見たいっす……。

 多少壊れていても失敗していても、「物語」が見たいっす。「ビデオクリップ」は見たくないっす。
 「新撰組」をテーマにした、和物ショーなら名場面集で辻褄もストーリーもナシ、前後のつながりも盛り上がりもナシ、でもかまわないけどさ。
 「芝居」でコレはきつすぎる。

 柴田作品の再演、と聞いただけで「やべえ」と思ったけれど、その通りだよ……。あああ。

 とにかく、なにもかも唐突。
 ビデオクリップだから仕方ないんだけど。ひとつの、流れのある物語ぢゃないのよ……「オイシイ」と思われるところだけてきとーにチョイスしててきとーに並べてあるだけなの。

 時代設定的に、『維新回天・竜馬伝!』と丸かぶりしているんだが。

 クオリティはどっちが上かなあ……遠い目。

 下品でもおちゃらけていても、笑えるからイイ→『維新回天・竜馬伝!』
 つまらなくても盛り上がらなくても、上品で美しい方がイイ→『星影の人』

 ま、好み次第だな。内容的には、似たよーなもんだ。

 
 携帯電話、落としました〜〜っ!!

 
 や、すぐに見つかったんだけど。
 明日、取りに行くことになってるんだけど。

 でもやっぱり、なんかいろいろいろいろ、うろたえます。
 携帯はプライベートの固まりだし、個人情報の固まりだし。

 それと、まあ、その。

 待ち受け画像、まっつ(素顔)だし。

 データまでは見られないとしても、待ち受けぐらいは見られたんだろうなあ、拾ってくれた人、預かってくれている人に。

 その昔、「オサアサのキスシーン」を待ち受け画像にしていたときのことを思えば、まっつの横顔写真くらい見られてもダメージ少ないか……(わたしがな)。

 とりあえず、半日携帯ナシで生きるのは不便です。


 携帯、戻りました。無事に。……やれやれ。

  
 忘れそうだから、先に書いておく。

 月組公演『パリの空よりも高く』『ファンシー・ダンス』千秋楽行って来ました。
 フジコちゃん見送りに。

 彼女の退団メッセージで「思い出に残る大好きな公演」として、リカコン『Lica−Rika/L.R.』をあげているのを聞き、なんか納得しました。
 ジェンヌ人生でいちばん大切、てなほどの公演だったならそりゃ、スタンディングしない客を睨み付けるぐらい、するよなあ。
 わたしがフジコちゃんを注目した最初が、その『Lica−Rika/L.R.』で、貧血起こして客席でへたばっていたときにキャストの客席降りがあり、通路を駆けてきたフジコちゃんに睨まれた、こわかったよーっ!!という出来事だったもの。
 あんまりこわかったので(笑)顔と名前をおぼえ、以来どこにいても注目するよーになった。
 そしてそのオトコマエな芸風と立派なアゴに惚れ込んだ。

 可憐な娘役タイプではないので(すまん)、彼女の魅力が正しく開花し、役割を担うことになるのはこれからだと思っていただけに、退団が惜しまれる。てゆーかフジコ、よりによって植爺作品なんかで辞めなくても……。

 
 さて、ひさしぶりに観る『パリの空よりも高く』。
 この作品を「魅力的に見せられるキャスト」って、誰だろうなあ、なんてことをぼーっと考える。
 冒頭の説明台詞上級生シーンは「なかったこと」としてアルマンド@あさこ登場からを「物語」とする。
 このどーしよーもない駄作を、それでもなんとか「笑える」話にできる人って……?

 あさこちゃんをはじめ、キャストはみんながんばってました。
 だが見事にただの一度も、笑えなかった。
 やりとりや動作は派手になっているし、子犬のよーにじゃれ合うあさゆひは微笑ましいんだけど。

 なんつーか、ホームビデオ見ている気分。
 自分の子どもが映っているからおもしろいけど、そうでなかったら爆睡必至。自分の子どもは「ただ歩いているだけ」「ただ振り向いただけ」でも、かわいくてうれしくて大喜びしちゃうけど、他人が見たら「なにがそんなにおもしろいの?」と冷たい目が返りそうな。

 キャストを好きだから、彼らが「なにかやってる」だけを愛でる。
 ほっぺた引っ張ったり、されまいとブロックしたり、突き飛ばしたり、声を裏返らせたり。
 べつにおもしろいわけではぜんぜんないけれど、その仕草や「がんばっている」風情を愛でる。

 愉快だったのは、ラストの『ベルばら』ごっこのみ。
 今までのキャラの人格もなにもかも破壊して、突然意味なく脈絡なくキレて銃を振り回すアルマンド、という最悪な場面にて、撃たれたジョルジュ@ゆーひが片目を押さえてふらふらし、それを見たアルマンドが「見えていないのか!」と叫ぶ。
 あの有名な、『ベルばら』の1場面。アンドレの最期。
 当たり前のよーにやってるけどこのふたり、去年の『ベルばら』祭りでは逆配役だったのよね。アンドレ@あさこ、オスカル@ゆーひなのに、ここで説明もなくアンドレ@ゆーひ、オスカル@あさこ。
 逆なのがおもしろいよね。
 その後も「行くぞ、アンドレ」と、アルマンドがジョルジュに命令していて、「アンドレを尻に引くオスカル」というある意味正しい姿が素敵。

 愉快だったのは、お遊びのパロディのみ(元ネタ知らなきゃ笑えない)、って、コメディの意味あるのか。

 
 あさこ、かなみ、きりやん、ゆーひって、布陣だけ見るとものすごーく豪華なのに、プラスアルファを作り出せていないなぁ、と思う。
 もちろん、いちばん悪いのは脚本と演出だがな。
 誰が演じるにしたって、この作品じゃあどーしよーもないとは思う。てゆーか、もう誰ででも見たくない。少しも早く封印してくれ。や、再演なんてないと思うけど。……思いたい。でも植爺だから、なにをしでかすかわかんないもん……。来年の全ツとかどこか別のハコで再演しないとは言えないからこわい。

 それにしても、なんつーかこー、キャストが違えばもう少し「ナニか」あるんじゃないかと思ってしまう。
 ひとりずつが悪いわけではないから、バランスかなぁ。
 あさこが主役に見えないのがつらいっす。『暁のローマ』で主役に見えないのは役者の力不足だと思ったけれど、今回は作品と周囲とのバランスのせいだと思うよ。

 
 なので、ショーになるとほっとする。
 あさちゃんが、主役に見える(笑)。
 トップスターはやっぱ、主役じゃなきゃ!!

 あさこちゃんとかなみちゃんが、カップルとして正しく絡んでくれるとうれしい。
 あー、タカラヅカだわー。

 後半場面のかなみちゃんが、すごく好き。
 彼女の持つ神聖さと邪悪さが感じられて。
 ナイーヴな王子様風のあさこが次々と美女を殺していき、最後に黒幕のように美女@かなみんが登場する。
 かなみんは慈愛に満ちた笑顔で、閉じこもっている中学生のよーなあさこ王子を癒す。

 いやあ、最初に観たときは「かなみちゃんがあさこを殺しに来た」と思ったね!!(笑)
 彼女は「運命」であり、「因果」であると思った。
 王子の枯渇した心を真に癒すための、神の応え。

 ははは、演出家三木章雄だっつーの。そんなことにはしやしないって。

 とっても簡単にハッピーエンドだったんで、初見では「ヲイヲイ」と突っ込んでしまった。

 かなみちゃんが「神々しい美しさ・やさしさ」に満ちていたから、かえってブラックに見えたんだよな。
 かなみちゃんはきっと、オギー的なものも表現可能な女優だよな。でも今の月組でオギーショーは合わないよなあ……タカラヅカはトップスターありきだと思うから、あさこちゃんに合ったショーが正しいショーだもの。

 
 ゆーひとそのかの並びにも、免疫が付いた。

 てゆーかわたし、いったい何人「ケロに似ている」人を探していることやら。
 好みのカオだから、目に付くのですよ。きっときっと、いつになっても探し続けるんだと思う。

 Be-Puちゃんは、そのかがケロに似ているなんて言わない。彼女は「オトコちゃんに似ている」と言って譲らない。
 たしかに、ケロよりはオトコに似ているかな。だけど、オトコに大して思い入れのなかったわたしは、オトコを思い出すことがまずない。
 オトコファンだったBe-Puちゃんは、「オトコにしか見えない」と言い、わたしは「ときどきケロに見えて心臓に悪い」と言う。

 そーゆーもんなんだ。
 みんなみんな、「好き」を探し続ける。

 フジコちゃんも、ケロに似てたんだよなあ、わたし的に。
 卒業は寂しいけれど、しあわせを祈るよ。


 まず、断言しておく。

 水夏希の沖田総司は、イイ。

 彼単体でいうなら、容姿も演技も問題ない。
 さわやかな好青年だ。
 生真面目さ、繊細さ、なによりも、魂の健全さ。
 それらが「沖田総司」として相応しい。

 沖田の持つ「陰」の部分はほとんどないが、それは脚本意図だろうから、これでかまわない。

 水夏希が美しい。
 これを前提として、最初に掲げておく。

 そのうえで。

 どーしよーもなく大きな問題がある。

 中日公演『星影の人』
 作品がアレなのは置くとして。もうひとつ、問題。

 沖田総司主人公の話を、トップスター主演でやるのは、無理がある。

 他ジャンルならかまわないが、タカラヅカという特殊な世界では、無理だ。

 考えてもみてよ。
 その作品世界でいちばん年少の、小僧っこ役がトップスターなのよ?

 正確には沖田が最年少ではないが、主要人物として存在しうるなかで、いちばん少年。そしてその少年性をアピールする作り。
 他の重要な役はみんな沖田より大人の設定。

 トップスターが最年少の少年役だと、彼より大人の役ばかりの芝居をやるためには、本専科さん総動員しなければならない。
 そーしないと、年齢バランスが、変。

 今回、「若者」沖田@水、「大人」土方@ゆみこあたりならまだなんとかなっていたが、「若者」@水と「大人」@ひろみとか、「若者」@水と「大人」@かなめとか、ありえない絵面ですよ。

 本人たちの演技がどうこうではなくてね。
 やらせること自体まちがっているだろ、という話。

 なにも無理してまでやらなきゃいけないことじゃないだろう。
 大人が大人の役をして、若者が若者の役をする。それでいいじゃないか。何故わざわざ逆にして、無理を通さなければならない?
 少年のような山南@ひろみの前で、懸命に少年の演技をする沖田@水の痛々しさときたら。水夏希への、羞恥プレイですか?!
 痛々しくも若ぶる水しぇんを見て、ハァハァしろってこと?

 そーゆー狙いなら、「魔性の美少年ジルベール@『風と木の詩』を演じる湖月わたる」とか「角兵衛獅子の子ども清太@『おーい春風さん』を演じる轟悠」とかもやるべきだったわね。彼らはプロだから、きちんと演じることでしょう。だけどその姿は、微妙にいたたまれない気恥ずかしさに満ちる。

 トップがやらなくていいから、この芝居。
 外見や技術も含めて、年齢差があまりない、若手や中堅のバウで十分。てか、駄作だから封印してくれていい。
 持ち味を考えて公演してくれよー。
 あ、タニちゃん宙組ならOKだな。主役が少年で、あとは全員大人。タニ以外はどの組でもすでにキツイだろ。トップスターはふつー、大人だから。

 水くんは、がんばって演じている。
 沖田総司を、正しく演じている。
 彼単体で見れば、なんの問題もないのだろう。たぶん。

 しかしどーしても、いたたまれない気恥ずかしさがある。

 少年・水夏希……。

 ゆみこに「女の扱い方」で演説ぶたれ、からかわれる役……。
 ひろみより年少で、かなめに子ども扱いされる役……。

 なんの罰ゲームですか?

 役者とか演技とか以前の話なので、気にならない人は気にならないだろう。
 スルーしてくれ。

 目の下にシワを刻みながらトップスターが少年役をし、お肌つるつるの若者たちが大人や年輩を演じるキャスティングに、疑問を持つだけのことだ。

 ほんとにもう、なんで今さら再演したんだ、この作品。


 オギーと他の作家のちがいは、どこにあるんだろう。
 花組公演『TUXEDO JAZZ』初日を観て、しみじみ考える。

 センスの差、才能の差は言うまでもないが、もうひとつ「タカラヅカの座付き作家」として決定的にチガウことがある。

 生徒たちの、役のつけ方。

 時間は同じ、出演者も同じ。
 なのに他作家ショーの場合は「少人数しか見せ場ナシ」が基本。だからといって、多くの場合、その「少人数」のスターたちの見せ場が「ありがとう**先生! この場面のために通うわ!」というようなものではナイ。

 オギーの場合は。
 なんかもー、すごい人数に見せ場があるんですけど?!

 上級生から下級生まで。
 「えっ? こんな場面させてもらえちゃうの?!」「えっ? この人がこの扱い?!」
 と、びっくりするところが、びっくりする人が、何十人単位でいる。

 この子、ココすごいオイシイ、この人、ココすごいオイシイ……の繰り返し。まんべんなくみんななにかしら見せ場がある。

 時間も出演者数も同じだよねえ?
 なんでオギーはこんなに、みんなに見せ場を作れるの?
 今のワンフレーズ歌ったのって、あの子だよね、今まで舞台でソロで声出したことあった? 今のトリオ、ひとりはあの子だよね、今までこんな少人数で踊ったことあった?
 うおお、ここで上級生来ますか、と思ったら下級生ズ来たーーっ。

 みんな、おいしすぎ。
 目がいくつあっても足りない。
 どこを見ればいいのか、舞台のすべてでドラマが進行している。

 上級生ファンも下級生ファンも、みんなオイシイ、たのしい。
 そんなショーって作れるんだ。

 ここまで作れるものなら、他の演出家って、ナニやってんだ? と、すごーく基本的な疑問が湧く。
 80人もの出演者を使わなければならないから難しいんだ、って駄作の言い訳に使われるけど、オギーはいつも、ソレ言い訳にしてないじゃん。ふつーにその人数使い切るじゃん。

 オギーにできることが、他の演出家にはできないんだな。
 ただ、それだけのことなんだ。

 や、今さらだけどさ。
 しみじみ、考えちゃって。

 
 なにしろ、『タランテラ!』のあとだから。
 すごく、オーソドックスなショーだ。
 ……と、思うけどたぶん、本当の意味での「タカラヅカのオーソドックスなショー」ではない。場面ずーっと続いてるし、シーンがぶつ切りじゃないし、パレード変則的だし、シャンシャン持ってないし。
 クラシックな場面のあとに脈絡なく原色ギラギラな場面とか、てきとーなことして「バラエティに富んだ構成」とかにしないし! 統一感あるし。ずーっとセンスいいし。番手関係なく、歌える人が歌って、踊れる人が踊っているし。
 ぜんぜんオーソドックスぢゃないかも(笑)。

 『タランテラ!』のような重さはない。
 にぎやかで明るい作品。

 なんていうか。

 オサin大人のワンダーランド。

 あ、石田作の最悪ショーのことじゃないよ、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』ね。

 不思議の国の春野寿美礼。
 オサ様が、色彩と光にあふれた不思議の国に迷い込み、次々といろんな出来事に出会っているかのよう。
 明るい、たのしい。そして、少しの毒と狂気。

 やー、もー、たーのーしーいー。

 どうしよう!ってくらい、たのしい。
 

 ショーのいちばん最初。

 花組お帰りなさい、の壮くんがさ、コートについたを払って歩いてきて、みわっちに赤い薔薇で迎えられてさ。まりんと抱き合ってさ。愛されてるね、壮くん。
 まだまだわたしのアタマの中は『タランテラ!』のままだったのに、『タランテラ!』が終わったのがついこの間のことのようなのに(途中ふたつばかし公演があったよーな気もするが、記憶にはあっても心には残っていないもんでな)、『タランテラ!』を引きずったままのオギーファンとしては、ふたつの舞台で共通している出演者、壮一帆に注目してしまうわけだから。
 雪というモチーフから花というモチーフへつなげるプロローグは、雪組から花組へ、『タランテラ!』から『TUXEDO JAZZ』へ、スムーズに観客を導く効果があった。と、思う。
 や、男が男に、赤い薔薇を1輪贈るのは変なんだけどね。ぶっちゃけ、「こいつらゲイ?!」って感じなんだけどね(笑)。
 みわっちと言えば「赤い薔薇」。博多ギュンターのトレードマーク。愛されてるね、みわっち。

 最初から人間いっぱい、大都会そのままに交差するプロローグのあと。
 なんつーか、最初にオサ様がビルの窓から正装して出てくるところからめっさ、ときめいたんですが。

 ああもお、オサ様ステキ。バイオリンみたいな笑顔。いやその、細長くて目が曲線で。
 ダイスキ。

 着飾った紳士が、窓から登場。
 だからナニ、てなもんだが、理屈ではなくときめいたの。あたしをさらってえぇぇっ!!みたいな。(ジュンタンっぽく言ってみる)

 これだけでもクラクラしていたのに。

 そのあと、オサ様見るのに忙しくて、だけど下級生点呼もしたい人なので気もそぞろになっている目の端に、オサが出てきた窓からもうひとり、スーツの男が出て来たっぽいことが映る。
 ああ、オサ様と同じ登場の仕方であとから出てくるってことは、まとぶだな、ととくに気にもとめずにいた……ら、ちょっと待て。

 まままままつださん? あーた今、どっから出て来ました?!

 何テンポか遅れて、窓から出てきたのがまっつだと気づき、大いにうろたえる。
 しかも、同じ衣装のラインダンサーズ(ロケットぢゃないぞ、もちろん)のセンターにまざりやがるし。
 まつださん? そ、そんなとこにいていいのあーた?

 そっから先は、まっつROCK ON。オペラグラスでまっつを追いかけていた。
 その場にいた全員が、銀橋に移動したのでわたしのオペラもとーぜん銀橋へ。

 あー、まっつだー。
 久しぶり、まっつ〜〜。

 まっつを眺めて、それだけで幸福感に浸る。

 で。

 ふと、オペラグラスを下ろした。や、他も観たいしさ。ちょっとは全体も観なきゃ。

 そしたら。

 銀橋にいるのが、まっつとあやねちゃんだけだった……ので、腰を抜かした。

 まままままつださんっ?!!

 銀橋にふたり?
 しかも、トップ娘役と?!

 えええ? だってさっきまでみんないたじゃない、勢揃いして歌い踊っていたじゃない!!
 わたしの視界がまっつだけだったうちに、いつの間にみんないなくなったのおっ?!!

 …………すみません。
 ここで、緑野のヒューズが飛びました。

 あともー、なにがなんやら。

 まっつが歌ってる。
 大劇場で、まっつが歌ってるよ。娘役ちゃんとデュエットしてるよ。
 ねえねえ、まっつって2つ前の公演までモブだったよねえ? 見せ場といえば「山寺の和尚さん」だけで、あとは基本背景だったよねえ?
 モミ手まっつ。へこへこまっつ。ベスト姿萌え。華奢な肩と細い腰に萌え。
 寿美礼サマの後ろに、意味もなく立ってるまっつ、てかなんでまだ舞台にいるの、かっこつけて立ってるの店員Aとやら!
 きらきら付きスーツでひとりあとから銀橋登場、なんなのソレ、ありえない!!

 ……大階段パレードでは、いつまでたっても降りてこないので、「いつの間にか脇を通って降りちゃった?!」とアセりましたが(笑)。歌ナシの分、えらく大人数で、えらくあとから降りてきたなー。
 
 ああああ。
 まっつのせいで、オギーのおかげで、混乱しまくりっす。
 もー、オギー神。ありがとう。

 や、まっつの扱いが特別いいわけではなく、全体的にみんなみんないいから。
 主立った人や期待の下級生たち、みんな見せ場アリだよ!
 だいもんやアーサーまで歌ってるよヲイ、てゆーかめぐむすげぇ。

 体温、上がりまくり。

 1回でなんて、とても見切れない。
 もー、どうしよう!!


 ねえねえちょっとみなさん!!

 『TUXEDO JAZZ』のオープニングの演出、変更になってたんですって?

 昨日わたしが観た初日には、最初に壮くんがコートの雪を払って旅行鞄を持って銀橋を渡り、センターで赤い薔薇を持ったみわっちに「おかえり」と迎えてもらってたんですよ。

 それが、2日目である今日は、午前も午後もなかった、と。
 ドリーさんから報告が入りました。

 ……マジで泣きそうなんですけど。

 すごい。
 オギーってマジ、すごい人だ。

 初日だけ、壮くんが花組に帰ってきたその最初の1回だけに、「おかえりなさい」と特別の演出をするなんて。

 世の中には、「2月12日に卒業する人」に対し、「11月3日から毎日毎日『送り出す、跡を継ぐ言葉』を言わせる」、無神経な演出家もいるっつーに!!

 オギーすごいよ。
 今、オギーが目の前にいたらプロポーズしているかもしれない。壮くんになって、「プロポーズ」の歌@『明智小五郎の事件簿』を歌うわ!!(やめなさい、相手が迷惑だ)

 ひとの心の痛みのわかる人が、あんなに痛い物語を創るんだなあ。
 だからこそ、創らずにはいられないんだろうなあ。

 そう、勝手に思って、泣きそうです。

 初日を観ることができてよかった。
 おかえり、壮くん。


 どうやら、夢ではなかったらしい。

 今日はまっつメイトのモロさんとデート。
 ふたりでガクガクブルブルしながら、記憶の確認をした。

「まっつ、銀橋で歌ってたよね?」
「一瞬とはいえ、銀橋でゼロ番に立ったよね?」
「トップ娘役とふたりになってたよね?」
「ライト浴びてデュエットダンスしてたよね?」
「ソロ(部分含む)が3曲あったよね?」
「なんかやたら出番あったよね?」
「一瞬とはいえ、オサ様とふたりっきりで本舞台に残ったよね?」
「みつる、りせ、あやねの場面、ひとりだけ遅れてスターみたく出てきたよね?」
「パレード位置、みわっちの隣だったよね?」

 もー、涙ぐましいくらい、ちまちまと記憶の確認。

 あれは幻でないのか?

 初日、わたしはマメが出ていないシーンで「あれはマメだっ」と思い込んで知らない子を見ていた。「こーゆー色物シーンにはマメが出ているはず!」という思い込みゆえだ。
 ドリーさんに「幻を見るほど、マメを見たかったのか」と突っ込まれるほどに。

 そんな例があるもんだから、自信がなかった。

 まっつがなんか、すごーくいい扱いされていたよーな気がする。おいしかったよーな気がする。
 でもアレ、わたしの思い込みかしら? 錯覚かしら?

 ここにまっつがいて欲しい、ここでまっつに歌って欲しい。……そんな欲望が、ありもしない幻を見せたのではないかしら。

「まっつ……かっこよかったよね?」(超おそるおそる)

 ああ、同志よ。
 まっつメイトよ。

「かっこよかったよ! まっつなんか、すごくかっこよかったっ」
「なんか、ふつーにかっこよかったですよねっ?」
「微妙とか笑えるとかじゃなくて、ふつーにかっこよかったよね?」
「なんていうか、スターっぽいかっこよさですよね?」
「知らない人が見たら、ふつーにかっこいいと思いそうなかっこよさだよね?」

 …………まっつが「かっこいい」かどうかすら、確認しないとわからない、小心まっつファンがふたり…………。
 しかも、ふつーに、とか、知らない人が見たら、とか、あんたらまっつをなんだと思って……。

 衣装や立ち位置の確認したり、どこでどうしていたかの確認したり。

 主語のいらない会話って、すばらしい。

 まっつファンの友だちは、モロさんだけだから。ただえんえん、まっつの話をする、それだけのことに酔う。

 よかった……。
 幻ぢゃなかったんだ。
 まっつ、ほんとにいろいろ出番もらえてるんだ。

 じーん……。

 はあ。
 まっつが、かっこよくてこまります。

 こまるわー。こまるわー。
 微妙でハズしててスベってて、笑えるまっつでいてくれなくちゃー。
 やーん、まっつったらー。(のろけてます)

 
 とゆーことで、『TUXEDO JAZZ』2回目観劇。

 今年の目標、「観劇はひとつき8回まで」を、2月にして破りました……。
 1年は12ヶ月あるのに……2月にして撤回かよ……。
 今月用意してあるチケット、8枚ぎりぎりだったのに、今日観劇してしまったので、8回超えちゃいました。
 まだまだ観たいので、もっと超えるかもしれません……ああああ。

 「まっつの扱いがオイシイ」とさんざん書きましたが、べつにまっつだけが特別にオイシイわけではありません。

 オギーのすごいところは、特定の人間だけを持ち上げるのではなく、どの人にも納得感を与える使い方をすること。
 まっつの扱いが良くなっているからって、たとえばまっつの上のみわっちの扱いが悪くなっているわけではないもの。みわさんもすごいよー。登場からドラマ背負って銀橋だし、せり上がりして謎の美女だしさー。キラキラスパンでまと・壮・みわでタップダンスだしさー。
 みんな、学年や役割に応じて、「オイシイ」と思う作りにしてある。
 そしてオサ様はじめスター様たちの出番も見せ場も損なわれていない。

 きっとあちこちで、「**ちゃん、すごいかっこよかった!」「あの場面オイシイよねっ」と、それぞれのファンが語っていることだろう。

 わたしとモロさんはまっつファンなので、まっつを中心に盛り上がっているだけのこと。彼がそこまで「特別よっ!!」とは、残念ながら思っていません……おろおろ。
 むしろ、「このまままっつが**ちゃったらどうしよう」とか、そっちの心配でヘコんだわ。縁起が悪いので伏せ字にするが。
 お願いまっつ。路線でなくてもなんでもいいから、**ないで。この花園にいて。まっつのままでいて。それだけが望みです。
 いかん、書いてたら泣けてきた。

 話を変えよう。

 
 『TUXEDO JAZZ』オープニング、ほんとーに演出が変わってました。

 上手花道で、壮くんはコートの雪を払わない。
 初日はほんとに雪が舞っていたの。彼の周りに。肩についていたのかな? そこまではわからなかったけれど、わたしが見たとき彼はコートを手でぱんぱんってやっていて、周りに白い雪が舞っていた。ライトでキラキラしていた。
 どこか、寒いところから帰ってきた人だとわかるようになっていた。
 重そうなトランク抱えて銀橋へ。
 すると下手から、紅い薔薇を1輪持ったみわっちと、そのツレらしいまりんがやってきて、銀橋の中央で壮くんに薔薇を渡した。
 そこが、変更になっている。
 みわっちとまりんは変わらず登場するけれど、なにも持っていない。
 壮くんがどこから帰ってきたのか、どこへ帰ってきたのか、観客にわかるような描き方はしなくなっていた。

 べつに、雪も薔薇も、あってもかまわないものなのに。
 毎日毎回やったって、違和感はないのに。

 それでも、あえて初日だけにしたんだね。

 その心配りがうれしい。ニクい。
 オギーってすごい。

 
「今日2回観たけど、ぜんぜん全体を観れてないです」
 と、モロさんは言う。

 そりゃそーだよ、観られるはずがない。
 まっつ眺めているだけで、終わっちゃうもの。
 場面の切れ目がない、ずーっと続いているから気の抜きようがないし。
 咀嚼することができない。

 不思議の国に迷い込んだみたいだ。

 何回観たってオギーショーを観きることなんかできないことはわかっているけれど、それにしてもまだわからないことだらけ。
 もっともっともっと、世界に浸りたい。

 贔屓がかっこいいとか、オイシイとかゆーだけでなく、なにかキラキラした、甘く苦い毒が、見え隠れしている。
 それを味わわなくては、もったいない。

 ……えーと。
 月8回で、年間100回以内が今年の目標、なんですけど。
 どうしよう。

「とりあえず、前方席で観たいよね」
「銀橋のまっつ! かぶりつきで見たいですよねっ」
 ……まっつメイトの夢はふくらむ。

 モロさん、今日はありがとー。
 次の逢瀬を楽しみにしているよ。またムラに来るよね、まっつ見に!! 東宝よりムラですよ、チケット探すなら!!
 あたしもがんばってチケット探すぞおーっ!!(月8回で年間100回以内はどーしたっ?!)


 ほんとのところは、迷っていた。

 ライブ中継『貴城けい ザ・ラストディ』を、どうするか。

 どの会場で見るか、で迷っていたわけじゃない。
 コム姫のときとちがって、かっしーの中継ならどこの会場でも見られる。東京以外は絶対売り切れないと踏んでいたし、東京だってふつーに手にはいると思っていた。事実、そうだった。
 先週会ったkineさんには、「かしちゃん見送りに東京行くかも」と言っていた。どこでだって見られるんだから、行くこと自体はたやすい。

 だから、わたしが迷っていたのはコム姫のときのように「東京行こうか、どうしようか」ではない。

 見るか、見ないかだ。

 つらかった。

 つらくてつらくて、考えたくなかった。
 ジュンタンからかしちゃんがどれだけ素敵かを聞くたびに、夜行バスに飛び乗って東宝へ行きたかったけれど、普段のわたしならふつーにそうしていただろうけれど、できなかった。
 他の公演とは違い、行けばチケットがいくらでもある。掲示板にも定価以下でいくらでも「譲る」投稿があるし、オークションだって手頃な価格だ。わたしみたいなびんぼー人でも、観たければいくらでも観ることができる公演だった。それでも、観たいと思えなかった。

 かしちゃんが素敵なのも、舞台が深化してすばらしいものになっていることも、今観なければ後悔することも、全部わかっていて、それでも、あと一歩を踏み出すことが出来なかった。

 こわかった。

 かしちゃんに会えばしあわせになれる。
 でも、それと同じくらい、つらい思いをする。

 それがわかっていたから、こわくて近寄れなかった。
 宙組のこともかしるいのことも、考えたくなかった。

 一歩を踏み出し、ヘヴィな命題にたどり着くのが嫌だった。
 それは、「宝塚歌劇団」への不信であり、嫌悪だった。

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 タカラヅカの持つゆがみを凝縮したような『ザ・クラシック』とかしるい人事に直面することで、タカラヅカを憎みたくなかった。

 のんきにまっつまっつ言っている方がよかった。
 だから逃げた。

 宙組は、観に行かない。

 たかちゃんのときもワタさんのときもコムちゃんのときも、必ず東宝まで1回は観に行ったけれど、かしちゃんは行かない。もう観ない。

 そーやって逃げ続けて、今日。

 持っていた東京会場のチケットは数日前に手放した。ぎりぎりになって、大阪会場のチケットを買った。
 や、ムラに行ったらさばいている人がいたから。その人と会ってなかったら、観に行かなかったかもしれない。
 どうしようか迷っているところに、手頃なチケットが目の前で売っていた。
 見に行けってことだよな?

 あきらめて、腹をくくって、見に行ったんだよ。

 
 …………行って良かったんだと思う。
 たぶん。

 宙組組子たちは、さらにさらに「かしさんダイスキ」「るいさんダイスキ」を全身で表現し、かっしーもるいちゃんも、とっても美しく、またしあわせそうだった。

 『維新回天・竜馬伝!』のアドリブは基本的にはムラと同じ、小道具もムラで使ったヤツの使い回し。それをさらに派手にしていた感じ。
 グラバーさんの「いーこそ」タスキや、陽之助の「坂本先生命」も、あのまま。

 ただ、竜馬さー……妻・お竜とのキスシーンもない芝居なのに、陽之助にしていいんかい?

 ムラでは陽之助のほっぺにぶちゅっとキスした竜馬、東宝楽では、口にしてましたよ……。えーと。

 貴城けい、男役人生、芝居での最後のキスの相手は、七帆ひかる。

 よかったねー、七帆くん。記録に残るよ。あの美しい人の、最後のキスの相手はキミだっ。

 『ザ・クラシック』では、替え歌率高し。オープニングのジーンズ穿いたバトラー5人組からして、「あいらぶかしさん」と歌う。
 ショーがはじまる、最初の曲から替え歌。
 ありえねえ。
 このはじまり方がゆるされるんだ、内容も推して知るべし、コミカルにしていい場面は「かしるいラヴ」を全面に出していじりまくり。
 本公演で、ここまでやっていいのか……。バウとかコンサートとかぢゃないんだぞ?

 ここまでやっていい、やってしまう事実に、泣けて仕方がない。

 そうしたいと思う組子たちの気持ちもそうだし、ソレをOKした演出家にもな。
 わたしは『ザ・クラシック』は嫌いだし、ショーが『ザ・クラシック』だから二度と観たくないと思った人間だし、もともと草野ショーは苦手だし、いろいろいろいろ含むところはあるんだけれど、それでも、草野せんせがこのめちゃくちゃな東宝楽を許してくれたのだということに、感謝するよ。
 ワンシーンちょっと遊ぶくらいならともかく、場面まるまる替え歌とか、演出家の許可がないとできないだろ。

 かっしーは最後まで「仕事」を勤め上げた。
 やるべきことをやった。
 プロとして。

 舞台をこなすことは当然として、そのうえでなお、精神面での仕事も果たした。

 わたしみたいな半端なヤツが「つらくて直視できない」よーな現実を、おくびにも出さず「夢の花園の住人」として務めを果たした。
 まぶしい笑顔で。

 最後に「大和と陽月の宙組をよろしくお願いします」と彼が言ったときに、ほんとうに、強い人なんだと思った。

 超えていくんだ。
 なにもかも。

 逃げていたわたしに、「強さ」とはなにかを見せてくれた、「夢の花園の住人」。
 夢だから、はかなくていいわけじゃない。
 夢だからこそ、心の闇やよどみゆがみ、この世のあらゆる醜いモノに負けてはならないんだ。
 額に汗して努力して勝つのではなく、さわやかに笑いながら、負の部分なんかまったく見せずに超えてみせるんだ。

 「わたしたち、しあわせになります」と、どこの新婚バカップルの結婚報告会見だよ?! のノリのかしるいのカーテンコールの挨拶に、泣き笑いしつつ。

 なんて、「タカラヅカ」なふたり。

 美しく、正しい。美しく、強い。

 つきつめて考えると宝塚歌劇団に絶望してしまうから、考えたくない、こわいから観たくない……そうやって逃げていたわたしとは、まったく別の次元で輝くふたり。

 
 それは、まるで。
 

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 タカラヅカの持つゆがみを凝縮したような『ザ・クラシック』とかしるい人事に直面することで、タカラヅカを憎みたくなかった。

 目をふさいでイヤイヤをしている子どものよーだったわたしの前に、白馬に乗った王子様が現れたの。
 マントを翻して白馬から降り立ったおデコの広い王子様は、素敵な笑顔で、泣いているわたしにおにぎりを差し出すのよ。

 愛してもいいですか。
 「貴城けい」を生み出した「宝塚歌劇団」を。
 絶望も不信もあるし、きれいなだけの夢なんかないと知っている、ヨゴレタオトナのわたしでも、あなたの笑顔の奥の「オトナノジジョウ」を疑ってしまうわたしでも。
 こんなに強く美しいあなたが「幸福だ」と「愛している」と言った夢の花園を、わたしも愛し続けていいですか。

 かしちゃんの退団発表のあった9月5日からずっと、納得できないまま今まで来た。
 納得なんか出来ない。今でもわからない。

 それでも。

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 「貴城けい」を愛するように。
 他の、ダイスキなジェンヌたちを愛するように。

 
 行って良かったんだよな、『ラストディ』?
 なんか、つらいことにはかわりはないんですけど。

 それでも。
 王子様は、現れた。
 わたしは、彼の差し出したおにぎりを食べたの。泣きながら。

 食べ終わったらまた、萌え〜萌え〜ってアタマ悪く繰り返す、いつものわたしになるんだ。
 きっと。

 王子様の笑顔を信じて。


 えー、確認事項。
 わたしは、キムシンファンです。

 彼の作風は好きだ。
 主義主張を叫ぶために、作品を利用するのはぜんぜんアリだと思っている。
 座付き作家である前に、「クリエイター」であるべきだと思うので。

 もしも「座付き」であることのみを求めるのなら、「演出家」はいらない。データを入力したコンピュータがはじき出した通りの流れで、ジェンヌが歌い踊ればいいだけのことになる。
 クリエイターが、自分の「訴えたい」と思うテーマを描くために、1時間半の物語を作る姿勢を、「正しい」と思っている。

 で、わたしのスタンスからいけば今回の『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』も、なんの問題もナイ。
 テーマを叫びたいがためにいろいろ原作とチガウことをやってるが、それはクリエイターの裁量のうち。クリエイターに任されたフリースペースでしょー。
 原作があればなにもかも写し取ったかのよーに原作まんまにしなければならない、というなら、演出家なんかいらないし、そもそもメディアミックスする必要もない。文学が文字情報のみで「読者の想像にゆだねられる」芸術である以上、すべての人間の「想像」を納得させる「三次元化」など不可能。なにしろ人間の数だけ「想像」があるんだから。
 コピーなど不可能である、それゆえ文学作品をタカラヅカでミュージカル化する上で、変更があるのは当然のこと。
 原作と別物になっていても、まったく無問題。構成だとかの骨組みが壊れてさえいなければ、創作ってのはそれくらい、幅があっていいはずだ。

 ぜんぜんOK、クリエイターとしてキムシンは正しい。

 ただ。

 個人的に、つまんないや、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』。

 わたしの好みじゃない。

 わたしが観たかったのは、怪盗黒薔薇@『熱帯夜話』なのよっ!!

 美を愛し、人間の作った法律だとか倫理だとか無関係に、己れの美学に忠実に生きるアーティスト。
 気に入った美女や美青年を剥製にして陳列、自身も女装して優雅に振る舞う。無垢な美少女を誘惑し、純粋な青年をも弄ぶ。性や重力すら超えたよーな、妖美の化身。

 「黒薔薇」が、乱歩の『黒蜥蜴』をオマージュした存在であることは、説明するまでもないだろう。実際、んな説明はされてなかったと思う。
 男性でありながら、女性としての美しさをも持ち、女性の姿で少女を誘惑し、男性の姿で青年を誘惑する。徹底した倒錯。常識を嘲笑うかのよーな、圧倒的な美の力。

 これは、「タカラヅカ」という特殊な世界でなくては描けない作品だと思う。
 現実の男性では、「黒薔薇」は演じられない。タカラヅカの男役のみが具象化できる。

 ……まあコレは、「黒蜥蜴」役がオサではなく彩音ちゃんだった段階で「無理だ」とあきらめたけれど。てゆーか、演出家チガウしな。キムシンが大介くんと同じことをするはずもない。

 それでも、乱歩の『黒蜥蜴』をベースにタカラヅカ化する、という期待感が損なわれるモノじゃなかったさ。

 あー、わたしはヲタクなので、もちろん江戸川乱歩ファンですわ。
 学生時代、周囲のヲタクたちの中で、乱歩を読んでない奴なんか皆無っすよ。乱歩全集(小説のみではなく、評論や書簡まで網羅)を読破する、のが常識だったさ。
 そんななかで、小説しか読んでないわたしは「無知」な部類。小説はほぼ全部読んだと思うけどなー。

 わたしが相当ぬるいファンだからかはわからないが、「黒蜥蜴」を「少女」とするキムシン版『黒蜥蜴』は、ぜんぜんアリだと思った。

 小説をまんまコピーする必要はないと思っている。トップスターのオサが黒蜥蜴を演じられない、「タカラヅカのルール」の上で創作するしかないのなら、黒蜥蜴を妖艶な大人の女とはせず、少女に置き換えるのはいいアイディアだと思う。

 「少女」という存在の持つ残酷性や神秘性を『黒蜥蜴』をベースに描くのは、そりゃーたのしいだろう。
 子どもが無垢だとか純粋だとか天使だとかゆーのは、大人の都合のいい幻想だ。
 子どもほど残酷で正直なものはない。
 とくに、「少女」という、「女」の片鱗を持つイキモノならば、どれほどの魔性を描くことができるだろう。

 いやあ、わくわくしたねえ。
 ……はじまる前は。

 ははははは。

 なーんだ、こう来たか。

 わたしが『黒蜥蜴』という原作から勝手に期待していたデコラティヴな耽美さも残酷さも妖美もなく、安い冒険活劇メロドラマが展開されていた。

 「安い」というのが、いちばん問題だな。
 冒険活劇でもメロドラマでもいいんだけど。

 せっかく「いびつな大人の女」として登場した黒蜥蜴@彩音は、そのままではいられず、後半はただの「駄々をこねている子ども」になる。
 「いびつさ=少女であるがゆえ」だったのになー。なんで最後までそのままでいてくれなかったんだろう。

 前半と後半が別物になっているのが気になる。
 舞台構成も演出も、そしてキャラクタも。

 
 でもって。

 オリジナル要素をいろいろ含んでいるし、原作から乖離している部分はたしかにある。

 でも、コレはコレでアリだと思う。
 原作タイトルまんまで上演しているならともかく(『ベルサイユのばら』とかな)、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』という、原作とは別タイトルなんだから、「原作まんまじゃない!」ことは、マイナスに数えない。『鳳凰伝』だって『王家に捧ぐ歌』だってそうさ。
 別モノなのは、最初からわかっている。

 ふつーに、そこそこよく出来た作品だろーさ。
 出来事が展開して話が進み、主役ふたりが恋愛をする。
 キムシンらしい人海戦術(笑)で、地味になりがちな画面を盛り上げて、キュートな車だのキッチュなソファだのでスパイスをきかせて。
 明智@オサ様はクネクネカッコイイし、雨宮@まとぶはワイルドマゾカッコイイ。公務員(刑事つーより公務員)@壮くんのフツーカッコイイぶりも見所だ。

 処女性強調するのは見ていて恥ずかしいからよせ! と心底思うが、テーマが「少女」ぢゃ仕方ないのか。にしても語彙をなんとかしろ、とツッコミつつ。

 『黒蜥蜴』という原作に引っかかりさえなけりゃー、ふつーにたのしめるんじゃないのか。
 いっそオリジナルっつーことにしちゃえばよかったのに。藤井くんの「黒薔薇」がアリなよーに、どっから見ても元ネタ『黒蜥蜴』じゃん!(笑)で。
 むしろ、原作の名前が大きすぎるから、先入観持たれて損している気がするぞ、『明智小五郎の事件簿』。
 キムシンにしては、ストーリーがまともに展開しているのになあ。地道というか。や、ツッコミどころの多さはまた別カテゴリとしても。このストーリーラインを、よくこれだけ「タカラヅカ」で引っ張ってきたなと、感心するよ。
 

 そうやって、この作品もキムシンも創作姿勢も、ぜんぜんOKだと言い放ちながらも。

 ただたんにコレ、つまんないや。

 わたしの好みじゃないのよー。
 ちょーっとズレてるのよー。


書生たちの人間関係が知りたい。@明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴
←恒例、アズくんの公演コスプレ。
 特技はピアノだそーですよ、ヨロシク!
 学ランは電車の中、乗り換えまでの3分で制作(笑)。簡単で助かるわ。

 
 
 とりあえず、まっつが、学ランです。

 
 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』初日、書生たちがわらわら登場した瞬間の、客席に満ちた、あの微妙な笑い。

 キャスティング発表があった2006-12-26から、期待してはいたさ。

> でもって、書生ってどんな服装かなー。
> やっぱ着物に袴? わくわく。
> クラシカルなスーツ? わくわく。
> それともいっそ学ラン?! わくわくわくっ。
> まっつなら、どれもOKだ! 儚げだといいなあ。うっとり。

 ……にしたって、ほんとに全員、学ランで出てくるとはっ!

 学ラン軍団が出てくるなり、客席から笑いが起こった。
 爆笑ではない。
 どちらかというと、失笑に近かったかもしれない。
 でも、微妙に違うんだな。

 笑えばいいのかあきれればいいのか同情すればいいのか。
 困惑が吐息となり、波のように広がっていく。

 笑い声に似た溜息が、広がっていく。

 いやあ、いいですなー。
 あの空気感は、初日の醍醐味です。

 すばらしいですね。
 若者はともかく、いいトシした男たちまで学ランですから!

 まぁくんの似合いっぷりだとか、めぐむの援団風だとか、らいらいの美形っぷりとか。マメがナニかやってくれるのは、言うまでもなく。
 ごめん、大伴さんはスルーしたからわかんないけど、みわさんがやっぱ年齢的に(キャラ的に?)学ランは似合わなくて居心地が悪かったり(ソレで慟哭芝居してくれるんだから素敵だ!)、もーいろいろなんだが。

「まっつはなんで、サイズの合わない学ラン着てるんですかね?」

 と、まっつメイトのモロさん。

 ええ。
 またしてもまつださんたら、サイズの合わない服を着てますよ。肩幅とか、絶対合ってない。服の中でカラダが泳いでるだろ。

 スーツや燕尾はきちんと着こなしている。
 でも、白衣だとか手術着だとか学ランだとか、制服プレイ(笑)には弱い模様。

 答えはなんとなくわかるけど。

[スーツや燕尾はいろんなサイズがあったり汎用性を持たせて作ってあるけど、学ランはチガウんじゃない?」

 仮にもタカラヅカ。
 学ランの出番がそんなにあるはずもない。
 白衣や手術着も、アリモノを使っているからまっつにはブカブカなんぢゃあ?

 衣装にカラダを合わすのも、ジェンヌの務め。「合ってない」と思わせてはいけないものですが。

 制服モノに限っては、ブカブカは萌えだから無問題っす。ハァハァ。

 書生さんズ、出番少ないけどなっ。
 人数多すぎて、誰を見てハァハァすればいいか悩むけどなっ。
 てか、まっつは何故にきよみと絡む? 体格差に萌えろってことですか?

 
 まっつは今回3役してますが、全部テンション高い役で、笑えます愉快です。

 テンションの高いまっつ。
 声を張り上げ、軽薄ぶるまっつ。
 必死に女の子のご機嫌取りをするまっつ。
 高笑いをするまっつ。

 出番は超絶少ないっすが、なんか、微妙にこう、痛々しくて萌えです。

 学ランも素敵ですが、後半ちらりとだけ出てくる悪の下っ端まっつが、すげーツボです。
 首にオサレなネッカチーフ巻いてるのよ。あのネッカチーフがたまらん。ヨミの手下@『バビル二世』とか、パンサークローの下っ端@『キューティーハニー』的というか。
 昭和時代のアニメの悪役(超下っ端)っぽくて。

 学ラン書生さんから、次の出番まで時間があるせいか、髪型もがらりと変えて、ボリュームのあるオールバックだし。アズみたい。
 ……はっ。まっつ的に「いつもの髪型=好青年」「センターパーツ=かわいこちゃん」「オールバック=悪役」と分類されてたりな。まっつ、舞台人とは思えないくらい髪型のバリエーション少な……ゲフンゲフン。

 オープニングのスーツ以外は、気の毒で素敵よ、まつださん(はぁと)。

 
 兄妹オチが出てくると、お笑い度が跳ね上がるのは、何故だろう。

 それまで多少アラのある物語でも、とりあえずシリアスに恋愛してきたとして。
 クライマックスに「愛し合うふたりは、生き別れの兄妹?!」てなネタが出てくると、途端爆笑作認定となる。

 やっぱアレですか。
 昭和中期のトンデモナイドラマだの映画だの少女マンガだのの定番ネタだったからですか。
 記憶喪失と兄妹オチ。
 どっちかひとつでもお笑いなのに、両方使って大暴れしていた某韓国ドラマとか、腹を抱えて笑ったよなあ。「記憶喪失キターーッ!!」「兄妹疑惑キターーッ!!」つって。
 いちばん簡単プーに「ドラマチック!!」(縦ロールの睫毛びしばし下唇に縦線の古い少女漫画絵で白目ヨロシク)にできるからですか。
 その簡単プーさが、かっこわるい。時代遅れ感が際立つからかな。「この現代にこのネタ?!」みたいな。
 かっこわるくて、すでにお笑い世界。

 作品のアホアホ度が高くなるアイテム、ソレが「兄妹オチ」。

 それまでいちおーまともに見てきたのに、「記憶喪失」とか「兄妹オチ」とかが突然出てきたら、「なんだ、アホドラマだったのか。真面目に見て損した」って気分になる。
 そーゆー場合は、作品紹介に入れておかなきゃダメっすよ。「アホドラマ・キーワード」を。そしたら、最初からアホアホ設定を笑って楽しむつもりで見るのに。または、そーゆードラマを好きな人だけが見て、ふつーの恋愛物を見たい人はスルーするだろうに。

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の兄妹オチは、脱力でした。
 ベタベタの伏線を繰り返していたので予想がついていた分、腹は立たないが、相当トホホな気分になった。
 かっこわるいなぁ。ただでさえかっこわるい話なのに、さらにアホアホネタを使って作品知能指数を下げるか、キムシンよ。
 笑わせることが目的なら、ソレもいいけどさー。

 
 まあ、ソレはともかく。

 兄妹だから、ひとつの事象の裏と表として描いているのはわかるし、ソレを面白いとも思う。

 アホアホ系としての「兄妹オチ」に萎えるのと同時にね(笑)。後出しされると駄作感が大幅アップするので、最初から「兄妹モノ」と宣伝してくれてりゃー良かったのになー。あ、それぢゃ『黒蜥蜴』にならないのか。つまりそもそも、『黒蜥蜴』を原作に使わなければ良かったんぢゃ……ゲフンゲフン。

 や、アホアホ話は置いておいて。

 明智@オサと黒蜥蜴@彩音は、互いを「自分に似ている」つーことで恍惚となる。

 ここで「恍惚」となるあたり、「似ている」だろう。ふつーの人はあんなにうっとりせん。ヤヴァイ感性を持つナルシーちゃんならではの感激ぶり。

 実際、ふたりがやっていることは同じだ。

 妹は犯罪を犯して金を稼ぎ、兄は犯罪を暴いて金を稼ぐ。
 妹は戦災孤児の少女たち(同性)を拾って養育する。
 兄は戦災孤児の少年たち(同性)を拾って養育する。
 妹は少女たちを甘やかし、遊ばせることで尊敬を集め、「女王」として君臨する。
 兄は少年たちに仕事を与え、自立心を促すことで尊敬を集め、「先生」として君臨する。
 ふたりとも、自分の王国で年若い取り巻きを集めて愉快に生活。同性に限るのは、性的な欲望を満たすための王国ではないから。
 精神的な充足(ちやほやされる、敬愛される)を求めた結果。

 同じ感性と方法論で生きるふたりの方向がちがっているのは、性別の差が大きいだろう。
 女は「そばにいて与え続ける」愛のカタチを取りがちだし、男は「外に出て戦う」愛のカタチを取りがちだ。
 生物としての役割分担からくる傾向なので、男女差別とか偏見ではなく、大雑把に「男と女」ゆえの方向性の違いから、すべてはじまったんだろーな、と思える。
 妹の方は精神が幼いままなので、ソレがさらに極端になった、とゆー感じ。

 ここまで「同じ魂の裏と表」であるふたりだから、「同じ血を引く」とすること、「兄妹」とゆーことが設定として絶対であることも理解できる。

 だからなあ。
 突然のプロポーズが、さらにアホアホ感を煽るんだよなあ。

 「魂の半身」と出会った! =「結婚」!!
 「兄妹だから結婚できない!」=「自殺」!!

 そんなアホな。

 せっかくの「兄妹」=「同じ魂の裏と表」をそれまで積み重ねて描いてきたのに、全部ぶちこわしですよ。

「プロポーズのあと自殺させるためだけに、兄妹ってことにしたのね」

 とゆー、ものすげー安い結論に堕ちてしまう。

 冒頭で語った「アホアホ設定」ですよ。
 魂の類似、とかそーゆーナイーヴなところからかけ離れた、いちばんアバウトで失笑される展開に着地してしまいますよ。

 なにやってんだかなあ。
 「兄妹オチ」なんて、指さされて笑われるよーな危険なネタを使うときこそ、細心の注意が必要なのに。

 明智の安いプロポーズと、黒蜥蜴の安い改心、コレがなければどんなによかったろう。
 大劇場だから、とおもねったんだろうか。
 背徳と悪のままでよかったんだよ。
 なんにせよ、黒蜥蜴は死ぬべきだけどね。

 タイトルが『明智小五郎の事件簿』なので、最後明智が立ち直るところで終わるのは正しい。
 彼が「黒蜥蜴事件」を乗り越えることで、「事件簿」のなかのひとつの出来事だとわかる。

 どーせ明智が立ち直って終わりなんだから、プロポーズや改心は不要だった。どんなにそこが暗くても、倒錯的でも、最後は前向きになるんだから。

 や、贅沢は言わない。
 明日からでも、「コマがなんだーっ!!」の台詞を無くしてくれればイイ。
 いやその。
 作品が、とか、流れとかテーマがとか、理屈以前におかしいから。台詞として、行動として。
 明智くん真剣だけど、爆笑ポイントだから。

 半年経ってから押し花の裏のメッセージに気づかなくていいから。「押し花がなんだーっ!!」も無くしてくれていいから。

  
 いろいろ言ってますが。

 あちこちイッちゃってる明智くん@オサ様は、大変好物です。

 たのしそーだなー、オサ様。
 らぶ。


 初日に『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』を観たときに、ものすげー素で思いました。

 刑事1@さお太さんと刑事2@みつるは、千秋楽には膝枕をしてくれるだろう。と。

 『明智小五郎の事件簿』の見所のひとつ、男3人でソファーとゆーのがあります。
 波越警部@壮くんと、彼の部下である刑事ふたりの合計3人の男たちが、ふたり掛けソファーにみっちり密着して無理矢理坐るという、プレイがあります。(プレイゆーな)

 男たちは、そのまま眠ってしまうの。
 真ん中が波越で、刑事ふたりが彼をサンドするかのよーにもたれかかって眠っている。
 その姿が、めっさラヴリー。

 明智@オサ様と波越はけっこーナチュラルに愛があって、互いを見つめる目がみょーにやさしいんですが。
 眠ってしまった男3人に明智がひとりごとのよーに声をかけると、波越くんはお目々ぱっちり、「眠ってないぞ」、いそいそとソファーから立ち上がります。で、お仲間ふたりを顧みることもせず明智に尻尾を振ってついていきます。

 男3人ソファー、だったのに、真ん中の波越が抜けたモノだから、両端のふたりは支えを失い、体勢を変えて眠り続けます。
 向かって右側にいるみつる刑事は坐ったまま熟睡、左側のさお太刑事は波越のいた場所にアタマをつけて、肘掛けに足を載せて横になります。
 その熟睡っぷりが、めっさラヴリー。

 ナニ男ふたりでひとつのソファーで寝てるのよー。やーん。

 不思議なのは、よりによって何故、みつるとさお太なのだろう?

 カップリング推奨するにしても、微妙な顔ぶれだ。はたして、このふたりのカップリングに、世間のニーズはあるのか?
 同じことをワタルくんとトウコちゃんがやっていたり、水くんとコム姫がやっていたりしたら、腐女子も女子も大歓びだろうけど……オサ様とまとぶんとか、みわっちとかでも大歓びだろーけど……さお太さんとみつるで?
 どっちが受?(素朴な疑問。どっちもアリだろうし、どっちもかわいいだろう)

 この、ふたりの寝姿がまた、微妙なの。
 ひとつのソファーで、触れそうで触れない、ぎりぎりのところで寝ているの。

 波越にもたれかかって寝ていたくらいだから、スキンシップOKな男たちだろう。
 なのに、互いに触れないのは、かえって不自然だ。真ん中の支えが無くなったんだから、ふたりで互いに寄っかかって眠ってもいいのに。

 とゆーよーなことから、なんの疑問もなく、素直に思った。

 何故、刑事ふたりが微妙な位置関係を守ってひとつのソファーで眠るのか。

 千秋楽のお遊びで、みつるの膝枕でさお太さんが眠るんだなっ。

 初日からすでに、そう信じて疑わなかったし、寝姿なんて、そのときどきで変えてもいいだろうに、いつ観ても同じなので、さらに確信した。
 楽でやるために、普段の公演ではわざと触れないようにしてるんだわ。

 これくらいのことは、誰でも考えつくだろうと思って、ドリーさんに言ってみたら。

「そんなこと、緑野さん以外の人は考えません」

 一瞬ぼーぜんとしたあと、しみじみとした口調で断言されてしまいました。

 えええっ?!

「これだから腐女子は……」

 え、いや、だって、腐女子とかそーゆー区別無く、誰だって考えるだろう?
 みつるは坐っていて、その太股の横にさお太さんがアタマを置いて寝てるんだよ?
 いちばん簡単なアドリブが、アタマの位置を10cmほどみつる側に移動させる、つーことじゃん!
 考えるだろ、誰だって?!

 ウケを狙って言ったとか、「……てなことを考えるのは、わたしだけではないはずだ」とかゆー意味ですらなく、本気で、「世界の共通認識」だから、今さら口に出して言う必要もないと思いつつ、言ったんですけど?

 速攻否定? 完全否定? えええっ?!

 みんな、考えたよねえ?
 あそこまで微妙な体位で寝るなら、膝枕くらいしろって。(体位言うな)

 だからこそ、千秋楽に持ち越しなんだなと思ったよねえ?
 変な意味ぢゃなく、かわいいじゃん、みつるの膝枕で眠るさおたん。

 ドリーさんがたまたま考えなかっただけで、みんな考えてたよねえ?

 
 つーことで、千秋楽のさお太&みつるに期待。

 膝枕頼みますよ、膝枕!!
 ファンの人、両名にリクエストよろしくです。


 トウコちゃん大劇場お披露目公演前売り抽選でカスな番号を引き、「SS席でかぶりつきでまっつを見るの!!」と夢見て参加した花組ANA貸切公演(席は当日抽選)でも「まっつが遠い……遠いわ……」な席になり、ついでに「寿美礼サマのサイン色紙欲しいっす」と指をくわえつつ幕間抽選会でもなーんにも当たらず、くじ運に見放された1日。

 それでもまっつまっつでしあわせな気持ちで大劇場をあとにした。や、席がどうであれまっつ眺められたからしあわせなの。うふふ・あはは。

 ロビーでは、音楽学校生が、呼び込みをしている。

 今日と明日は、宝塚音楽学校文化祭の日。
 予科生たちが髪をびしっと固め、直立したまま文化祭プログラムを販売している。

 バウホール下にテーブルを出して販売しているのは、毎年のことだけど。

 今年は売店前、ロビーなどにも進出し、「文化祭プログラム発売中です。1部1000円です。いかがですか」と必死に繰り返している。

 去年もここまでやってたかなあ? やっていたよーな気もするが。
 にしても、異様な光景だ。

 プログラム、つーのは演目表であり、その公演を観る人以外必要のないモノだ。
 パンフレットではない。
 つまり、文化祭を観る人以外には不要なモノだ。
 文化祭が行われるバウホールで販売するのはわかるが、大劇場ロビーで、大劇場を観に来た客に声を張り上げてまで販売するのは、おかしくないか?

 ノルマでもあるのかな。

 バウホール500席×4公演 = 2000冊で済むところを、印刷費の関係で3000冊刷った、過剰な1000冊は音校生で処分するよーに、言い渡されている、とか?
 たかが1000円のプログラムを完売できないよーな集客力のない生徒は、歌劇団に入団しても能力に欠ける、とレッテルを貼られてしまうとか?

 なんか、悲壮感漂わせてプログラムを売り続ける音校生たちに、せつないものを感じました。

 ……と、まだここまではいい。

 わたしがムラに着いたのは、午後になってからだ。
 文化祭の1回目公演は幕を開けていたが、まだ夕方から2回目公演がある。夕方公演の客に向けてプログラムを販売するのは、至極真っ当なことだ。
 また、大劇場ではこれから午前公演が終わり、午後公演がもうじきはじまろうとしている。帰る人、到着した人でごった返し、活気にあふれている。
 そんななか、ロビーで声を張り上げて客引きするのは、あまり感心しないがまあ理解の範囲内だったんだが。

 問題は、彼らが、大劇場午後公演終了後もまだ、販売し続けていたことだ。

 びっくりした。

 劇場を出たら、ロビーにまだ音校生たちがいるの。
「プログラム、1部1000円です!!」
 悲壮に売り込み続けている。

 君らは、マッチ売りの少女か。
 売り切らないと親方にぶたれるのか?

 大劇場観劇を終え、帰路につく人の流れで「文化祭プログラム」が売れるわけないやん……。
 しかも、ANA貸切だよ? 抽選による無料ご招待だから、一般客率めちゃ高いのよ? 男性率、子ども率もすげー高いし。そんななかでやっても、異様なモノを見る目で見られてるだけだってばよ、同じ制服姿で同じ化粧と髪型の一団なんて。

 みんな彼らをじろじろ見て通り過ぎていくので、「今あの子たちからプログラムを買ったら、周囲からいたたまれない注視をあびてかえって愉快かも?」とゆーネタでドリーさんと話したくらいさ。

 雨だから紙モノは買いたくなかったけど、なんかもー、買うしかないかなこりゃ、という気になったので、ざーっと見てかわいい方の子たちのところへ近寄ってみた。
「プログラム、1部1000円です!!」
 とゆー叫び声の他に、まだ彼らは別のことも叫んでいた。

「文化祭チケット、あと2枚あります!!」

 はいー?
 チケット、売ってるの? えええ?

 プログラムを掲げながら、チケットも一緒に掲げて売ってるのよ、これが。

 そんなの、はじめて見た。
 文化祭チケットって、身内と友会抽選販売のみで、一般売りナシ、完売状態がデフォルトだよねえ?

 のぞいてみると。

「本日16時開演のチケットです」

 ……えーと?
 今、大劇場15時開演の公演が終わって、貸切公演恒例の寿美礼サマの挨拶まで終えて出てきたところで。
 18時を、回っています。

「18時から、第3部がはじまっています」

 はじまって2時間以上経過した、3部構成のうち2部まで終わって、最後の3部がすでにはじまったよーなチケット売ってるの?!!

「お代は結構です」

 えー? そりゃたしかに、ソレはもう売り物にはならないだろうけど。
 売り物にならないにしろ、それでもチケットを「あります、ご観劇下さい」と呼び込みをしているって……。

 毎年こーゆーもんですか? 余ったチケットは音校生自ら声を張り上げてロビーでさばいているの?

 なんか、よくわかんなくて、混乱しまくったまま、「観ます。チケット下さい」と言って、タダでチケットだけもらうわけにもいかんから、「プログラム買います」と1000円渡し、ひとりバウホールへ向かったさ。

 第3部ってたしか、ダンスショーだよな。何分あるんだっけ?

 もう終演を待つばかり、のバウホール周辺は「お疲れ様」ムード。劇場係員も受付をやっている音校生も、手持ち無沙汰。
 そんななか、ひとりで駆けつけるとなんかプレッシャー。わーん、みんな見るよー、「なんだこいつ?」って。

 実際、座席に着くときも周囲の人の目が「なにしに来たの、この人」的だった。「もう終わりなのに、わざわざ来なくても」……誰だってそう思うよな……ごめんよぅ。

 席がまた、すげー良席で。
 段上がりセンター。舞台が近い。出演者と目線の高さが同じ。

 コートを脱ぐこともできず、とにかく坐って舞台を観ると、同じ衣装の子たちの大人数の群舞。……わけわかんねえ。
 突然すぎて、なにがなんやら。
 買ったプログラムだって、開いてもいないし。

 舞台に目と気持ちが慣れるまで1場面くらいかかり、よーやく落ち着いてオペラグラスでも使おうかしら、という気になったとき。

 好みの「鼻」の男の子が、わたしに微笑みかけていた。

 はい。鼻です。花でも華でもありません。

 あの鼻、まっつに似てる……。

 鼻にこだわりのあるわたしの目を奪う、好みの鼻。
 大きくて、長くて、存在感があって。

 鼻筋が通る、というよりは、「鼻が大きい」と言われるだろう男の子。
 その子が、わたしに微笑みかけている。

 や、たんに出演者と目が合っているように感じる席だっつーだけで、ほんとうに彼がわたしに微笑んでいたのかなんてわかりません。
 でも、センターで踊る彼は、わたしに微笑みかけているの、好みの鼻で!!

 あらやだ、どうしましょう!!
 その鼻に注目してしまったわたしは、以来どこにいても彼を見付けてしまう。
 群舞でも絶対わかるって。あの鼻。

 美形かどうかはわからない。まっつの顔を、目の脇を持って横に引っ張って伸ばしたよーな感じ。まっつみたく細長い顔ではなく、両目も離れ気味。でもとにかく、鼻が似ている。

 ……他に美形な子とか、カオはアレでも濃い子だとか、いろいろ目にはついたんだけど。
 「鼻の君」見ているだけで、終わってしまった……。

 てゆーか、わたしが着席して30分? うおー、これだけしか残ってないチケット配ってたのか、音校生たち。

 鼻の君をガン見して、帰ったら名前チェックしなきゃ、舞台化粧顔から素顔写真を見付けなきゃ! とがんばっていたのに。

 舞台の最後、その鼻の君がまたつつつとセンターへ立ち、わたしに向かって(カンチガイ。席がそーゆー席だってだけだってば)「本日は文化祭をご観劇ありがとうございました」と挨拶をはじめた。

 今回の挨拶役生徒かよっ。それならカオがんばっておぼえなくても名前プログラムに記載されてるじゃん!!

 
 たった30分でバウホールをあとにし、ジュンタンとの待ち合わせの店に行った。

「いい子はいた?」
 と聞くジュンタンに、

「鼻が好みの子がいた」

 と答え、「あらまあ」と笑われ、さらに、はじめてプログラムを開き、名前を確認し、素顔写真を確認した。

「あ、わかる。緑野さんの好きそーなカオ」

 なんかすごーくふつーに、そう言われましたが。
 そ、そうか。わたしの好きそーなカオか。なるほど。

 なにしろ最後の30分しか観てないからなー。
 わけわかんない。
 ぜえぜえ。


 

 
 文化祭への観劇意欲が薄れている。
 昨年までは、なにがなんでも観たい!と思っていたが、今回はなんか義務感でチケットを探していた。
 なんでかっつーと、『ハロー!ダンシング』を観たせいだ。星組ではあまり感じなかったんだけど、雪組がえらいことになっていてね。「文化祭とどこがチガウの……? 文化祭レベルの公演、毎月のよーに長い期間ワークショップとかゆー名前でやるんじゃん、無理して文化祭にこだわる必要ないじゃん」って。
 それでなんか、自分的にテンション落ちてたんだけど。

 それでもやっばり文化祭に行って。

 目からウロコ。
 『ハロダン』と文化祭は、ぜんぜんチガウ!!

 同じ「1回だけ観る」なら、文化祭の方がたのしい。
 内容的にも、技術的にも。

 文化祭は「日舞」「ヴォーカル・コンサート」「芝居」「ダンス」と盛りだくさんだし、公演時間もそこそこ長い。出演者数も多い。少人数で75分間ダンスのみの『ハロダン』とはまったくチガウ。

 ダンスのみに焦点をあてて考えても、文化祭の方が「場が持つ」んだ。
 何故ならば、文化祭のダンスは「タカラヅカのダンスではない」から。

 タカラヅカにはタカラヅカならではのダンスがある。
 ダンサーとして技術が高くても、「タカラヅカ力」が低い人はかっこよく見えない。娘役でももちろんそうだが、男役は顕著。

 『ハロダン』がキツイのは、「タカラヅカ力」が低い人たちばかりで、「タカラヅカのダンスショー」をやっていることだ。

 衣装の着こなしや立ち姿、所作のひとつひとつができていない「オンナノコ」たちが、見よう見まねで「タカラヅカ」をやっている……ソレが、キツイんだわ。
 もちろん、彼らが勉強中の身であり、これから「タカラヅカ力」を上げていくのだということはわかっている。どんなにダメダメだろーと、場数を踏むことで経験値を重ね、レベルアップしていくのだとわかっている。
 そのために、『ハロダン』が必要であることも、納得しているさ。(値段には疑問ありまくりだが)
 わかっていたって、キツイもんはキツイ。

 文化祭は、「タカラヅカ力」は問われない。
 男役も娘役も関係なく、みな同じレオタード姿で同じ振りで踊る。もしくはみな同じドレスで踊る。
 性別に分かれて「タカラヅカ」的に踊るのは、ほんのわずかな時間だ。
 あるのは純粋なダンス。
 人数も多いので空間を持て余すことなく、活き活きと踊っていられる。

 「タカラヅカ」ってのは、ほんとうに特殊なところだなあ。
 文化祭でそれなりに見せてくれた人も、改めて『ハロダン』で観ると「うっわー」てなことになっていたりする。ただ学んできた技術を披露するのと、「男役」「娘役」に分かれて「タカラジェンヌ」として舞台に立つのとでは、これほどまでにチガウものなのか。

 てな現実を認識した上での、『第93期宝塚音楽学校文化祭』。わたしが観たのは午前の方。いちいち観た回を言わなきゃいけないのは、午前と午後では芝居の出演者がチガウためな。
 文化祭では芸名を発表していないので、名前は書かない。どれが誰のことか、書いているわたし本人だけしかわからない書き方になるが、仕方ないわ。劇団が少しも早く、文化祭で芸名も教えてくれるよーになりますように。

 
 うっかり前日にラスト30分だけ観ちゃったんで、改めて最初から観るのは違和感(笑)。
 前日にプログラムを買っていたわりに予習はしていないから(昨日は帰宅してブログ書くだけで終わっちまったい)、いざ観劇してから、おどろいた。

 なんか短くなってない?

 日舞、全員で1曲だけ?
 あれえ? 今までは、何曲かあったよね? ソロで踊る子とかいて。
 でもって、お琴の演奏は? 去年は三味線もあったよね?
 ピアノ演奏もなし?

 あっちゅー間にヴォーカル・コンサートになってびっくりした。
 少人数でゆっくり踊ってくれる日舞パートやお琴、ピアノ演奏で、何人か顔と名前を一致させておくのがわたしの観劇パターンだったので、ソレがなくなっていて混乱。えええ、まだ誰が誰だかさっぱりわかってないんですけど?!

 ヴォーカルも、たったひとりで歌ってくれる子は覚えられるけれど、何人かで出てこられるとわかんねえ。

 芝居は半分の人数しか出てくれないし、ダンスは基本群舞だし常に動いていて次々入れ替わって、顔なんかよっぽどでないとわかんないから、ほんとにわけわかんないまま終わった……。

 結局、昨日ラスト30分観ておぼえた子しか、おぼえていないよーな。
 今日記憶の確認ができたわけだから。

 昨日「鼻の君」と命名した彼は、歌はアレなのか出番はほとんどナシ。いちおートリオでわずかばかりにソロはもらっていたが、歌ってゆーほど歌ってねえ。雰囲気だけで終わり。
 芝居は出ていない。
 が、ショーになるとガンガンにセンター。大活躍だ。

 初見のときに「変な顔」と思ったんだけど、見慣れると「……かっこいい?」(語尾上がる)つー感じには見える。
 目元は谷みずせ、輪郭というか顔のタイプが成瀬こうき系。貴羽右京にも似ている? 鼻のカタチがもう少しちがったら、正統派に美形になれるのではないだろーか。よーするにわたしの好きな顔だ。
 鼻がでかくてスナフキンっぽい。

 彼を見ていて気になることは、男役は、レオタードのときも胸をつぶすのだろうかということだ。
 性別関係なく踊る文化祭、男役も娘役も平等にガシガシ踊っているんだが。

 鼻の君には、胸がなかった。

 不思議なほど、なかった。

 他の男役は、レオタードでもちゃんと胸がある。どんなに華奢でカラダが薄くても、小さな丘がふたつ見えるもんなんだが。

 鼻の君には、ナニもない。

 ダンスで胸を大きく逸らしても、レオタードに浮かぶのはあばら骨と胸筋のみ。

 少年……? あれは、少年か?
 お尻もぺたんこなんだが。丸みがまったくないんだが。

 不思議な生き物を見る心地がした。
 性別がなさそうなんだもんよ……。

 
 と、とりあえずは「鼻の君」の話だけで終わる。

 翌日欄に続く。


 『第93期宝塚音楽学校文化祭』の話、3回目。でも、内容的には2回目?

 前日30分間の観劇で、カオをおぼえたのは男の子4人だけ。何度も言うが、わたしの海馬は不良品。記憶力ないし、事実を曲げておぼえがちだし。
 まったくアテにはならないが、まあとりあえず、鼻の君、カオはアレだけどなんか濃い男、鼻の君と一緒に踊っていた男の子、美形、の4人だけ認識して帰った。
 

 顔はアレだけど存在が濃くていいなーと思った彼は、やっぱり濃くていい感じだった。
 顔も、演技をしている分には悪くない。踊っているときの方がキツイなー(笑)。笑顔がこわいせいか。もりえ+えりおっとってイメージなんだが……わたし的に。(ソレってまずい?!)
 なんかひとりだけ「男役」でびびる。他の子たちは性別分化前なのに、彼だけもう「男」なの。
 芝居もそうだし、踊っている姿も男役。

 芝居の主役であり、ダンスで鼻の君と「唯一のタカラヅカ的場面」を踊っていた少年は、挨拶順を見る限りこの期の首席らしい。
 芝居はいまいちだと思ったんだけど……踊っている姿を見て、「あー、めちゃ甘い」と思った。
 技術的なことはよくわからない。わからないが、彼の存在は「甘い」んだ。「ロマンティック」というか。パステルブルーのフリフリレェスブラウスとパンツでデュエットダンスしていい男役だ。
 なるほど、あの「甘さ」(ロマンティックさ)は、タカラヅカとしてど真ん中の資質なんだろうな。

 美形くんは、カオ以外ではとくに目立つことがなかった……その、わたし的に。
 ダンスの善し悪しはわからないが、歌も芝居もそれほど琴線に触れず。

 
 つーことであとは、プログラム順に思ったこと、おぼえていたことをてきとーに書いてみる。

 日舞は恒例「清く正しく美しく」、このソロを歌う娘さんはいつもとても美しく見えるのだが、気のせいだろうか?
 毎年そう思うのよ、ほんとに。
 歌の効果か、歌声の効果か、はたまた羽織袴の正装効果か。おごそかで、大変ありがたいキモチになる。

 日舞は団体芸で、なんか構成がイマイチ。
 スターがいないから、こーゆーことになったのかなあ?
 センターでソロを踊れる子がいないのか。それとも今年の方針?

 コーラスは娘役ばかりで……というか、この期は不自然なほど娘役が多いから、そのせいかもしれんが、女ばかりのコーラスの中にちょこっとまざった男の子が新鮮に見えた。
 中でもひとり、気になる子がいたんで、その子のえくぼをぼーっと眺めていた。

 ……ら、次のクラシック・ヴォーカルでそのえくぼの少年がこれでもかというフリフリブラウスで登場した。
 なるほど、男役で歌1番の子なんだね。
 カオはけっこー好みだ。歌が巧い子が好きなので、歌の成績がいい、つーのは好感度アップ。フリフリブラウスだって、まだ着こなせていないにしろ、似合っていないわけでもないよね?

 次に現れたクラシック・ヴォーカルの娘役ちゃんは、「そ、そのウエストはいったい?!」な体型を披露して、度肝を抜いてくれた。
 いやそのたぶん、あのかわいこちゃんなドレスがいかんかったんやと思う……それ以外ではあそこまでおデヴさんには見えなかったから。
 しかし、メルヘンなまでにかわいいドレスで歌う彼女は、姿にあまりにも迫力があって……歌はどうだったんだろう。
 声としては、「清く正しく美しく」の彼女の方が好きかな。

 ポピュラー・ヴォーカルでは、ソロ歌手よりも男デュオ、しかも低音パートの子が気になる。まっつの低音にハマッてから、男役に求めるキーが変わったみたいだわ、わたし。
 ソロならある程度のキーでいいし、娘役とのデュオでもやはりある程度のキーでいいが、男同士で低音パートとなると、本気で低いからなー。
 ちょっといい感じの声の子がいたんだが、体型があまりに太いのでびびる。男の子たちはみんな、下半身のラインがまんま出るぴちぴちの黒パンツ着用なんだが……彼のお尻と股の肉はすごかった(笑)。顔も丸かったしなー。クラシック・ヴォーカルの娘役ちゃんといい、やっぱ歌うには肉が必要なのかしら。

 みんな進化しているのか、それぞれ客席へ向けて懸命にアピールしておりました。ガチガチに緊張して発表会ムード、という子は目に付かなかった。
 かといって、目立つほどアピールの濃い子も、派手な子もいない。
 平均値が上がったけれど、突出した個性もナシという印象。

 ところで、このヴォーカルパートのみ生演奏だったんですが。毎年そうだっけ?

 んじゃ、翌日欄に続く。


 ちんたらと『第93期宝塚音楽学校文化祭』の話、いちおー4回目。

 芝居は谷正純作『La Boheme+RENT=』。
 文化祭の芝居って、「劇団の劇中劇」にしなければならないルールでもあるの?
 89期から文化祭を観ているけれど、89、92、93と「劇中劇」で違和感。通常の公演で劇中劇なんてほとんどないのに、文化祭では比率高すぎ。
 谷作品としては、『1914愛』と『UNDERSTUDY』に似ている。
 舞台は現代の、あるカンパニー。1857年パリが舞台の『La Boheme』が舞台下手で、1989年NYが舞台の『RENT』が上手で同時に上演されている。どちらの物語にもミミという病弱な少女が登場し、それぞれの物語の主人公と愛し合い、貧しさの中で死んでいく。
 『La Boheme』の主人公・貧しい詩人ロドルフォ、『RENT』の主人公・貧しい音楽家のロジャーがそれぞれの「ミミ」と愛をはぐくむのが同時進行。片方の主人公とミミが会話しているときは、もう片方の主人公とミミは無声になっている。時代と場所を超えて、同じ会話をしているらしい。
 ストーリーらしいストーリーはなく、彼らと仲間たちのちょっとしたエピソードをつなぐだけで、ミミが死んで完。同時進行とはいっても、『La Boheme』の方が主。要になるシーンはロドルフォとミミばかりで、ロジャーとミミはあまり出番がない。
 習作、という感じで、作品として完成していない。短い上演時間で、登場人物全員に見せ場を作らなくてはならない文化祭では仕方ないのかもしれないけど。ちゃんと「作品」にしたら、おもしろそうなのになあ。

 芝居がうまいと思ったのは、現代場面のみに出てくるガタイよすぎの眼鏡の彼女。ええ、クラシック・ヴォーカルの彼女ですわ。堂々たる女役ぶり。

 お金をばらまくテンション高い女の子役の子と、浮気なお色気女役の彼女も素敵。

 ヒロイン・ミミは、たぶんうまかったのだと思う。ただ「清く正しく美しく」の具現で人格以前にとにかくかわいらしく儚げでなければならない、つーのは大変だなと。
 『La Boheme』の方のミミを、幕開きの日舞で美声を披露した娘役さんが演じており、うまかったとは思うが、違和感は消えない。……お花様やまーちゃんでもなきゃ、この役はできないだろ……難しすぎるよ。
 ライトの当たった死に顔があまりにリアルに死に顔で、びびった。死んでるよ、この子死んでるよー。なのに現実を受け止められないロドルフォが、死体の彼女に必死に話しかけ、気遣うのがものがなしくもちょっとホラー。
 ロドルフォが学芸会テイスト満載なので(笑)、いろいろ落ち着きが悪かった。

 もうひとりのミミは、うーん? とにかく出番もしどころもなくてなぁ。

 ロドルフォ、ロジャーにはそれぞれ男友だちがいるわけなんだが、男の子たちはみんな演技がアレで大変だ(笑)。やっぱり「男役」になることからはじめなきゃならないので、演技以前の問題なんだろうな。衣装の着こなしもえらいこっちゃになってるし、声は女の子のままだし。
 男友だちは、ビジュアル重視なのかなあ? みんなそれぞれ、容姿はいいと思う。

 なかでもロジャーの友人の大学の先生、着こなしその他いろいろあちゃーなんだけど、スタイルよかったなー。どこにいても目に付くわ。

 見せ場のあるロドルフォの親友ポジの子、せめてもう少しうまければなあ……見せ場と実力が合っていないし、相手役のお色気彼女がかっこいいだけにちぐはぐ感が増大された感じ。

 クラシック・ヴォーカルのえくぼの少年は、声と発声がいいから大分底上げされていたけれど、お芝居はそれほどうまくはないなー。ダンスでは目に付かないし。
 や、でも、声がいいのは武器だよな。他の男の子たちよりまだ男役っぽく見えたのはソレもあるかも。

 お色気女の愛人の政治家役の彼は、うまく育てばみきちぐやゆーほさとる系になってくれるのかしら。いい感じに脇っぽい三枚目だったわ。(バリ路線志向だったらごめんよぅ)

 昨日あまりに美形で目がいった彼、芝居に出ていたけれどちょい役で、台詞も出番もほとんどナシ。うまいも下手もわからない程度。……やっぱ下手だからそんな扱いなのかな?

 知人の応援している娘さん(幼少時から知っている子だそーで)が出ているというので、その子のことはがんばって探したんだけど……群舞ではわかんないし、歌は場面与えてもらってないし、ちょい役の芝居では、はっきりいって下手だった……うわー……がんばれー。
 顔はかわいいのになぁ。

 芝居がいちばん好きだったのは、前日欄で書いた濃い男。ロジャー役。素の表情より、演技しているときの方がかっこいいぞ。
 ひとりだけ「男役」になっていたことも大きいんだろうな。他の子たちとちがい、演技をする余地があるというか。
 芝居の主役は所詮ロドルフォなので、ロジャーである彼は舞台で演技をしていても、口パクだったり(ロドルフォが喋っているときは、ロジャーは口パク)ライトが当たっていなかったりするんだけど、それでも濃く芝居を続けていた。
 ラスト、死んだミミを抱きしめる姿が素敵。なんつーか、彼の心の痛みが伝わってくるのね。いい男だなあ。

 にしても、おもしろい芝居ではまったくなかった。
 演出家のせいだけど。
 制約付きで盛り上げるのは難しいんだろうな。
 去年の正塚芝居のよーな萌えがあればよかったんだが……そんなもん、まあふつーないだろうし(笑)。
 でも、ラヴシーンありの姫抱っこありの、サービスは心がけた作品だよね? 太田芝居よりマシマシ。
 

 さて、ミミの亡骸をロドルフォとロジャーがそれぞれ抱きしめて幕、なんだけど。

 最後の最後に、「愛してる」ってささやくの、どっちの男?

 幕はほとんど下りかけてるし、客席は拍手しているしで、「終わった」感が漂う中、マイクなしのナマ声で「愛してる」って声が聞こえたんだけど。

 ぶっちゃけ、ときめいたんですが。

 もう「終わった」と油断していたから。
 マイク落とされてたし、幕閉まりかけだったし、アレはアドリブなの?

 ロドルフォなのかな? ロジャーは最後のシーンも口パクだったから声を出してはいけない人だったんだろうし。
 ロドルフォくん、演技はかなりアレだったけれど、マイクがなかろーが幕が下りていよーが関係なくハマりきって演技を続けていたなら、その心意気やヨシ!
 
 だらだらと、翌日欄に続く。


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