新人公演『太王四神記』の感想続き。

 プルキルの眉毛がふつーだった。

 ……って、ソコからですか。
 や、気になるじゃん、「プルキル=二股眉毛」なのか、それともアレはえりたんオリジナルなのか。

 どーやら壮くんのオリジナルだったようです。新公のプルキル@まぁくんはふつーの眉毛でした。

 新公主演経験有りのベテランが、最後の新公で脇に回るの、わたしは大賛成です。
 初新公でいっぱいいっぱいの後輩を支え、かつ自分は余裕を持って最後の新公を終えることが出来、二枚目以外の役で芸幅を広げることが出来る。

 まぁくんがやたら余裕有りに見えました。
 まあもともと、あまりいっぱいいっぱいに見えない子だけど、それにしても余力を残して空気を読んでいる感じが、余計オトコマエに見えた。
 やりすぎるんじゃなく、ここで立ち止まって楽しんでいる風っていうか。

 ヒゲも似合っていて、スタイルいいもんだから目立つわ。
 役柄的には壮くんを真面目に踏襲、そして壮くんより「まとも」に見えた。や、壮くんのプルキルはすごい愉快だからねー(笑)、あそこまで愉快にしちゃうとまたバランス悪いしねー。

 じじい演出は無し、たぶん新公のために特殊マスクの製作はしていないんだろう。神話時代もないんでプルキルは最初から最後までヒゲのおじさん。
 だからラストシーンで彼がどーなったのか、本公演以上にわかりにくいのは残念。

 
 ホゲ@鳳くんは……ヘタではないんだろうけれど、反対になにができるのかよくわからなかった。

 カシウス様@『暁のローマ』新公でも思ったけど、コスチューム物でゆーひの役をやる子は大変だよなあ。まず外見でゆーひくんと比べられるわけだから、分が悪すぎ。
 ゆーひが美しすぎることはわかってるけど、比べちゃ酷だと自戒しているんだけど、それにしたって、いろいろと残念だった。
 ビジュアルの難を吹き飛ばす芸があればよかったんだが……。

 1幕の銀橋の歌が伴奏と無関係になっていたのでびびったんだが、アレは演出? それともわたしのカンチガイ? 音楽と関係なく歌詞を載せているから「ラップ? ここはラップに演出が変わったの?」とびびりまくったんだが。
 その昔マミさんが『ノバ・ボサ・ノバ』で、おそらく彼の歌唱力では歌えないと判断した部分をラップ調にアレンジしていた記憶があるので、鳳くんもそーゆーことなのかと思ったんだが、2幕最初のホゲ銀橋からタムドク、キハとの三重奏はふつーに歌っていたので、別に歌えないってわけでもなさそうだ。

 ビジュアルは置いておいて、このホゲくんに漂うのは「小物」感。
 キャリアが不足しているためだと思うが、表現できるモノがまだ少ない。台詞のないときにどーゆー表情でなにを表現できているかいないか、わかっていない感じ。
 追いつめられていく様もすねた子どものようで、窮鼠猫を噛むってゆーか、小人窮すれば斯に濫すってゆーか。

 だからこそ、ことさら「哀れ」だった。
 見てはならない夢を見た子。プルキルひどいよ、騙すにしてもこんなふつーの子を騙さなくてもいいじゃん。なんつーんだ、「アイドルになれるよ」って騙して中学生からお金巻き上げるえせプロデューサーみたいな感じ? 可哀想に真面目な学級委員くんはその言葉を真に受けて、クラスで集めた給食費に手をつけてしまい、それがみんなの知るところとなり、「オレはもう後戻りできないんだああっ」ってナイフ振り回しちゃう感じ? プロデューサー・プルキルひどい!(えっ)

 いやその、すぐれた人物の破滅とはまた違った意味で、ホゲくんの破滅は可哀想で、胸が痛みました。子どもがこうやって道を踏み外すとき、親の存在が大きいよねー、ホゲパパ@しゅん様、間でおろおろするだけの人だったしなー、と、そっちについて考えちゃいましたわ(笑)。

 なんか鳳くんって、雪のりんきらと不思議とイメージかぶるんだが、いきなりの大役で大変だったと思う。まだまだ下級生、これから経験を積んで技術を磨いて、ついでにほっぺの肉も落として(笑)、どんどんいい男になっていってくれ。

 
 スジニ@れみちゃんがかわいかった……っ!
 娘役が「少年のような女の子」を演じると、一足飛びに「子役」になってしまうのね。幼すぎるのは気になったけれど、それゆえの切なさ、いじらしさがあった。

 ぶかぶかの花嫁衣装を羽織り、本心を隠して強がる姿に涙が出た。

 やっぱスジニは娘役で見たかったよ……みわさんが悪いわけではなくて、みわさんのスジニも大好きだけど、バランスとしてコレは娘役の役だと思う。

 
 ヒョンゴ@真瀬くん、まっつまんまで驚いた。

 まっつを丸コピしてるよ……!(震撼)
 イントネーション、喋り方、ちょっとしたことまで丁寧にコピーしている。歌声や、声まで似てるんですけど?!
 器用な子だなあ。
 よく初主演の子とかが、本役さんまんまコピーしてくることがある。模写は勉強の基本だから、役割が大きすぎるととにかくコピーで消化するんだよね。
 脇役でそこまでまんまなコピーをあまり見かけないのは、丸コピするより自分なりのアプローチをする余地のある比重とか出番だったりするから、かな? または、若手抜擢で丸コピしたくても技術的にできない、という現実だったり?
 真瀬くんは実力者だからなあ。真似るとなると、ここまで出来ちゃうんだな。
 
 本公でまっつばっかガン見しているしている者からすれば、彼の丁寧な「まっつぶり」がすげー興味深かった。やーん、たのしー。
 がんばれ92期男役トップ入団者(首席は娘役だった)。歌の成績も男役で1番だったんだよね? クラシック・ヴォーカルで唯一のソロもらってたから。(ちなみに、だいもんも89期文化祭で唯一のソロ歌手)

 
 にしても、主要な役にキャリアのある子、下級生抜擢、と、バランス良くちりばめてあるな。せっかくの新公「いつもの顔ぶれ」でもつまらないし、かといって抜擢ばかりのなんにもできない学芸会を見せられても途方に暮れるし。
 脇役は芸達者な88期で手堅く固めてあるし。
 
 
 とゆーことで、その手堅い88期・ヤン王@めぐむは、なんか登場の仕方にいろいろおどろいた(笑)。
 幕開き、神話その他カットのため、いきなり登場したからなあ。そして2幕では、まさかの下手セリ上がり(と、そのままセリ下がり)。や、こちらも1幕ラストのテジャ城セットが本舞台にあるため、本公演のように本舞台ののれん裏(のれん、て……)から登場できなかったためなんだけどね。キハ@ののすみだって、三重唱まで武道会の巫女衣装のままだし。

 めぐむを見てはじめて、ヤン王っていうのが「強い」だけの役ではないんだなと気が付いた。
 てゆーか、けっこう弱い、ダメダメなおっさんだなー、と(笑)。
 というのも、めぐむって前回のムハンマド・アリのような押し出しのいいおっさんだと堂に入って格好いいけど、弱い部分を出すとかっこよさが落ちるなと思ったからだ。すまん、めぐむ。
 星原先輩はよわよわな部分を演じてもその威厳が弱まることはないんだけど、めぐむは情けなくなっていたような……。
 本公演のコ将軍がとことんカッコイイことからしても、こーゆー強いおっさんは得意だけど、そこに人間的な部分が加わるとまだ思うようには演じられないのかな。

 めぐむには期待が高い分、点数が辛いかも。
 新公2番手まで行った実力とキャリアの持ち主だもの、これからも楽しみにしてるよお。
 

 つーことで、続く。
 長年ヅカに浸って、ぬるく浅くファンしてきた年寄りの「タカラヅカ」というものに対してのこだわりは。

1.トップスターがいる。
2.組がある。
3.組が、トップを頂点としたピラミッドになっている。
4.トップスターはいずれその栄光の座を退き、次世代へ移り変わる。
5.トップ誕生からその卒業までが一区切り、また次のトップ誕生から新たな時代がはじまり、卒業までが一区切りと、終わることなく続いていく。

 未婚の女性ばかりの劇団で、男役があって娘役があって、ということは前提なので言うまでもないとして。
 その上での決まりごとっていうか。

 別に明文化されたルールじゃないから、歌劇団がなにをどうしようと勝手だろうが、わたしが「タカラヅカ」を知ったときにはそーゆーもんだったし、ファンになってからも概ねそーゆーもんだった。
 95年の歴史からすりゃー、わたしのファン期間なんてたかが5分の1でしかないんだから、なんの判断基準にもならんだろうが、わたしはわたしの希望で一方的にこだわる。

 タカラヅカには、「トップスター」がいて欲しい。
 わたしはあえて一度も「主演男役」とかゆー妙な言葉は使わない。マスコミは依然「トップスター」と表記し、劇団もソレを許している。商売的に「トップスター」の方が正しいとわかっていて、なんらかの内部事情で「主演」という言葉を使っている不透明さを否定する意味で、わたしはトップスターと言い続ける。

 トップスターあってのタカラヅカ。
 そしてこの「トップスター」ってのには、「トップ・コンビ」という意味が含まれる。

 男役単体じゃない。娘役とふたり揃ってこそ、組の顔。組のトップスター。
 ヅカを担うのは男役スターであることは確かだが、それは娘役あってのことだ。

 公演ごとにオーディションで寄せ集められた、個人的に口をきいたこともない人たちではなく、同じ釜の飯を食う一蓮托生の家族のような仲間たち。
 良く知り合うモノ同士だからこその呼吸で作り上げられる、舞台。

 団員を生徒と呼び、上級生、下級生と呼ぶ。
 学校のように先輩は後輩を導き、面倒を見、後輩は先輩を敬い、従う。

 組の頂点に立つトップスターを中心に、2番手、3番手などポジションがあり、いずれトップが卒業すると2番手がそのあとを引き継ぐ。
 共有する、世界。
 去る者も、あとを担うものも、共に同じ組で、同じ舞台を作り続けてきた。

 ファンは組全体の成長を、時の流れを見守り、トップ交代を時代の一区切りとし、また新たな世代を見守り続ける。
 共有する、世界。
 自分自身の人生と同じように、タカラヅカという虚構の中にも、出会いと別れを繰り返す。

 
 それを当たり前と眺めてきて、最近不安ばかりが先に立つようになった。

 トップ娘役は、なくなるのではないか。
 組はなくなるのではないか。

 トップスターがなくなり、組がなくなったらソレはもう「タカラヅカ」じゃない。
 この変貌流転激しい世の中で、ヅカが生き残ってこられたのは「この世でただひとつ」のものがあったからだろう。
 他にはない、代えがない、だから生き残ってこられた。……まあ、ひとつあれば十分、大してニーズはないんだから、とも言えるが(笑)。

 次々とトップスター退団の報が発表される中、先行きに不安を感じていたのだが。
 
2009/01/22

次期星組主演男役・娘役について

この度、次期星組主演男役に柚希 礼音(星組)、次期星組主演娘役に夢咲 ねね(星組)が決定致しましたので、お知らせ致します。
 
 この発表で、心からほっとした。

 トップ娘役は、なくならない。
 つまり、「トップスター」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。

 そして、2番手からの昇格。
 現トップスターと何年も一緒に舞台を作り上げてきた人が、次の時代を継ぐ。
 つまり、「組」がなくならないということだ。制度がなくならないということだ。

 よかった。
 本当に、よかった。

 最近の劇団には、不安と危機感しかなかったもの。
 

 おめでとう、れおんくん、ねねちゃん。ビッグ・カップル誕生っすね。
 長身で華やかなトップ・コンビで、あの濃くてにぎやかでお祭り好きの星組を盛り立てていってください。

 次期体制がわかると、なんかほっとする。
 ラスト・スパートに集中できるっていうか。

 サヨナラ公演の前にわかってよかった。

 
 同時に、組替え発表もあった。

2009/01/22

組替えについて

この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。

【雪組】
凰稀 かなめ・・・4月14日付で星組へ
※宝塚大劇場公演『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』千秋楽後に異動(東京宝塚劇場公演には出演致しません)。

【宙組】
早霧 せいな・・・2月24日付で雪組へ
天咲 千華・・・2月24日付で花組へ
※上記二名は中日劇場公演『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』『ダンシング・フォー・ユー』千秋楽後に異動。
※早霧せいなは雪組東京宝塚劇場公演『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』より出演致します。
  
 退団とはまた別の意味で、組替えはショックだ。
 なんていうか、足元が崩れる感じ。この子はこうで、こう応援する、と決まったスタンスが根底から覆される感じで。

 テルキタ解散が、かなしいっす。

 あのふたりの並びが、ほんと好きなんだよ。劇団は同期萌えを許さないよなあ、いつだって解散させるもんよ。

 かなめくん、ちぎくん、あまちゃき、みんな新天地での活躍を期待しているよ。

 どんな人事異動も、よい方向へ行くために、しあわせになるためにあるのだと、願っているから。

 
 ……タカラヅカは、新陳代謝を繰り返す。
 今のトップが辞めなければ次の人はトップになれない。
 シビアだけど、これが現実。
 あの人のトップスター姿をずっとずっと眺めていたいけれど、それでは2番手の彼のジェンヌ人生が終わってしまう。旬が過ぎてしまう。
 トップの彼に辞めて欲しくない。でも、2番手の彼にもトップになって欲しい。
 どーしよーもないジレンマを抱え、「今がずっと続けばいいのに」と思う、そんなことはありえない、偽善でも虚構でもいいから、みんなみんなしあわせになればいいのにと願う、光を恋いながら闇を抱える。

 美しい夢の世界は、たしかに現実の痛みを伴っている。
 だからこそ、こんなにも魅力的なのだと思う。

 昇格する人も、組替えする人も、そして、組替えしない現状維持?なポジションの人も、どうかどうかみんな、その人にとっていちばんいい結果にたどり着きますように。
 わたしが納得するしないとか好みが理想がとかとは関係なく、ジェンヌさんたちがいちばんしあわせになる結果になりますように。
 新人公演『太王四神記』感想の続き。

 ホゲパパ@しゅん様は、どーにも弱っちく見えた。
 優柔不断で他人の意見に踊らされ、確固たる意志がなく流されている感じ。

 ああ、この小物な父の息子じゃあ、ホゲ@鳳くんがあんなにダメっ子なのも当然だよなあ。と、思ってしまった。

 考えてみればわたし、「武人ではないしゅん様」ってはじめて見るのかもしれない。
 しゅん様の演じる役は大抵、知より武。坐ったまま策略を練るより自分で行動する役。アジズ、フィリップ、天城刑事……、今回の本役であるチョク・ファンは言うまでもなく。

 知略の人を演じると、あんなに弱くなってしまうの……?

 
 しゅん様自身のこともあったと思うけれど。

 チョ・ジュド@ネコ、やりすぎだから!(笑)

 ホゲパパの側近、チョ・ジュド。ホゲパパ悪だくみのときは必ず側にいる、ヒゲ男。本役はふみか。

 チョ・ジュドはすげーいい役で、実質的な悪だくみは彼が率先してやっている。だからネコちゃんが張り切るのはわかる。
 わかる、けど。

 張り切りすぎだから! やりすぎだから!
 側近じゃなくて、君が悪の帝王になってるよ!!(笑)

 すげー鼻息で、ぶるんぶるん唸りながら演じてるんだわ。
 スタンドプレイ上等で、いつも前へ出ようという意欲に満ちあふれたネコちゃん。彼のそーゆー心意気やヨシと思っているが、コレはどうだろうな~~。
 ホゲパパとホゲがただの操り人形で、黒幕がチョ・ジュドだというなら、プルキルとの関係を整理して欲しいわ。
 プルキル@まぁくんは本役の役作りを踏襲しているので、チョ・ジュドに操られているバカな人、という設定では演じていないのよー。
 しゅん様も別に、チョ・ジュドに操られているとは思ってないだろうなあ。たんに力負けしちゃってるだけで。

 ホゲパパ、ホゲ、プルキル、チョ・ジュドと4人で登場する場面がやたら多いんだけど、ここがもう、バラバラで落ち着きが悪いったら。
 ホゲパパは力負けして右往左往してるし、ホゲは存在感ないし、プルキルはマイペースだし、チョ・ジュドは暴走しているし。

 おもしろいことになってるなあ、悪役カルテット(笑)。
 

 ホゲママ@きらりがいるときは、きらり圧勝。

 きらりすごい。
 ほんとすごい。
 見事に場をかっさらっていった。

 本役のじゅりあちゃんもうまいけど、彼女とはまたチガウ迫力。より静かに、暗いオーラが出ている。それが沸点に達したときに、なにか切れてはいけないモノが切れて、叫び出す感じ。

 ……なんできらりちゃん、新公主演できなかったのかなあ。
 こんなにうまくて、きれいなのに。そりゃまあ、歌はアレだが(笑)。

 きらりのヒロインも見てみたかったよ。

 
 でもって、色男の話に移る。

 カグン将軍@らいらい。無駄に色男(笑)。
 なんでああも色っぽいかな、じじいのくせに。

 本役のさおたさんがこう、ストイックな美老人であるのに、らいが演じると「まだ現役@いろんなコト(はぁと)」って感じで、ちょっとアセりますな(笑)。
 キャリエールが涸れてなくて、現役であれこれしちゃう人だと、エリックとの関係がやらしくなっちゃって困りますがな! と、わけわかんないことを言ってみる。や、宙組のじゅりキャリとたかこエリックはやらしくて困りましたよな、花組のゆみこキャリとオサエリックは健全でそれはそれはで拍子抜けしたけど……って、何の話?!

 らいがあのガタイで、チョロを後ろから押さえつけると、なんかドキドキしました……って、これはもう、わたしの目が腐っているせい?!

 
 カグン将軍にいいようにされてしまう(語弊有り)美青年チョロ@瀬戸くん。
 いやあ、やっぱ彼、いい男ですなっ。
 輪郭がきれいでいかにも「男役」って感じ。
 ガタイの良さもいいです。

 しかし。

 チョロって、ナルシスト設定ぢゃなかったのか。

 本役のめおちゃんが、剣に映った自分の顔を見て「コレが俺の顔か……美しい」と、うっとりするので、それはデフォかと思ってた。規定演技かと思っていたよ。
 アレはめおちゃんオリジナルなんだ。や、そんな気はしてたけど(笑)。

 瀬戸くんはべつにうっとりと自分の美貌に酔いしれることはなく、ふつーに醜い皮膚のなくなった顔に感動していました。

 らいと瀬戸くんって、いいなあ。
 並びが好みだわー。
 今度、らいがじじいでなくて、ふつーに美青年同士でがっつりなんかやって欲しいわ。

 
 で、色男といえばこの人、コ将軍@アーサー。
 ねーねー、アーサーって、キラキラしてるよね?
 なんか知らんがキラキラと目立つよね? わたしの欲目?

 前回の新公に引き続き、今回もまたヒゲのおっさん役なんだけど。
 それでもキラキラしてるの。なんか彼は少女マンガなの。

 あ、あそこにキレイな人がいる! って感じのキャラなの。……ヒゲおやじなんだけど(笑)。

 今回アーサーは本役の審判役があまりにも格好良すぎて、そのイメージがあるからか、新公はちょっと「少ない」気がした。

 声の出方、通り方が、少ない。
 審判役の声は、半端なく「イイ声」だからなー。
 目の効き方が、少ない。
 審判役の目の効き方、半端なく「きらん☆」としてるからなー。

 1ヶ月以上お稽古して、初日から毎日やり続けている審判役と、本番1回こっきりでしかも出番が(審判役より)多いコ将軍役だ、そりゃ出来上がりが違って当然だけど。

 もっともっと出来るはずだ。
 ああ、東宝の新公も見たい~~。『エンカレッジコンサート』の5回公演で、悪戦苦闘しながら変化していったアーサーだもの、きっと東宝ではもっといいモノを見せてくれるはず。

 にしてもアーサー、きれーだなー、キラキラしてるなー。イイ声だなー。
 ……同意してくれる人、いっぱいいるよね? ね?(いつも少数派なので、自信がないらしい)

 
 続く~~。
 新人公演『太王四神記』の感想、これでラスト。

 『Red Hot Sea』の走っていく女の子役を見て、のびやかな肢体という言葉が浮かんだハルちゃん。
 南国ドレスに身を包み、長い手足と凹凸のあるリアルな肉付きがみょーになまめかしくて、あのカラダを「男役だから」と今まで隠していたのか、そりゃもったいない、見せつけて娘役にもなりたかろうなあ、と思ったもんだった。

 そのハルちゃんが、女隊長カクダン役。

 なんつーか……えっちな女隊長さんだなあ。
 いやそのべつに、具体的に彼女がナニかしたっつーわけじゃないんだが、あのボンキュッボンなカラダを見せつけて男装している美女っつーのは、やらしいよなあ、と。
 ドレス着たり肌見せたりしているより、鎧でかためて露出無しで武装している方がさらに禁忌を煽ってるってゆーか。
 よりアニメ的っていうか。アニメの女軍人でいるよな、こーゆー真面目に軍人してるだけなのに、やたら女っぽくてやらしーおねーさん。

 客の目には薬なので、ありがたくいただきます。

 ただし、タムドクの目には毒だと思うよ、このおねーさんは。

 やたら肉感的で、ストイックな言動とは無関係にえっちくさい年上の美女、なんて、子どもの教育によくないってば(笑)。
 こんなしたたる肢体のおねーさんを前にして「ちっとも女らしくない連中だ」と言い切ってしまうタムドク@だいもんのこどもっぽさが栄える。
 子ども過ぎてタムちゃんにはまだ、大人の女の魅力がわかってないんだ。女の子っていうのは、ドレスを着てしとやかにしているだけだと思ってるんだ。

 本公のカクダン@りせは、まさに「女らしくない」女性で(笑)。カラダもぺったんこで、少年のよう。たしかにこの女隊長になら、若いタムドク@まとぶんも特に女を感じることはなかろう、と思ったさ。
 本公のタムドクの年齢設定だと、ハルちゃんのよーな色っぽいカクダンはまずいと思うが、新公の「子ども」であるタムドクにはちょうどいい。

 元アニヲタとしては、このハルちゃん女隊長のビジュアルが、すげー好みだ。『ガンダム』とかでモビルスーツ操縦してそう(笑)。
 あ、アフロディアっぽいのか。……て、わかる人いるのか?(余談だが、故シオザワカネト氏の声ではテレビ版のマリン役がいちばん色っぽいと思ってるっす。喘ぎ声とか絶品だから!)

 
 とまあ、今回は女の子の話から。

 肉感的で色っぽいカクダンが、女近衛兵たちに守られて混戦の場内を横切っていくところに、ドキドキしたわ(笑)。本公でもあの場面好きなの。
 ……女近衛兵の仙名さんが、いつ見ても同じ顔だったのは、たまたまかなぁ。いやその、彼女はどこにいても目に付くんだが、新公ではいつもにも増してこわかった気がする、顔。

 
 パソン@ゆまちゃんが、かわいすぎる。
 あの美貌で剣振り回して、素敵すぎる。
 歌もダンスもイケてる彼女、何故に路線扱いされないんだろう? 博多座『マラケシュ』ではその棒読みっぷりに全世界が震撼したが、そっからどんどんうまくなったじゃん! ナニが不満なんだ、歌劇団!

 
 本公演に引き続き子役の、姫花ちゃんとイブちゃん。
 タムドク@姫花、ヨン・ホゲ@イブ。

 姫花ちゃんのあの舌っ足らずな風情の棒読みは、すごくリアルに「子ども」だ。
 子どもに感情がないと言っているのではなく、どれだけいろんなことを感じていようと、表に出てくる声や台詞は一本調子なことが多い、幼い子は。まだ表現することの経験値が低いために。
 姫花ちゃんの棒読みは、すごく子どもらしさが出ている。
 プロの女優さんが舞台で演じる子役や、プロの声優さんが演じるアニメや洋画吹き替えの子ども役は、すごく過剰に「演技」してるんだよね。棒読みではなく、そこに大人であるゆえの技術を織り込んでいる。
 どれだけ技術のあるプロが演じる子どもより、ほんとうの子どもを使った方が、子どもらしさが出る、ということがある。子どもはただ台詞を棒読みしているだけなんだけど、とにかく「あ、子どもだ」とわかる強さ。
 キハだろうとタムドクだろうと、姫花ちゃんに感じるのはソレ。

 子役だからソレだけでいいし、なにしろ姿はたまらなく美しいので十分なんだが……えーと、大人役はできるんだろうか?

 イブちゃんは「演技」している。
 懸命に「少年」であろうとがんばっている。本役のヒョンゴのイメージがあるからかなあ、こうやって「男の子」を演じていると、まっつに似ている気がする(笑)。もちろん、まっつよりずっと華やかなんだけど。(ヲイ)

 少年タムドクと少年ヨン・ホゲは、本公演でもののすみ演じる「自然な子ども」とれみちゃん演じる「一生懸命男の子の演技をしている女の子」というバランスなので、新公でも同じことになっているのは、ちょっとびっくりした。

 姫花ちゃんは演技しているのかしていないのかよくわかんない風情なんだが、とりあえずリアルに子どもで、イブちゃんはすごーくがんばってるけど、女の子、なんだよなあ。
 

 遊女たちはみなあでやかでかわいーが、誰が誰だかわかんない……しょぼん。
 本公演ではココ、まっつしか見てないから、真ん中でナニが起こっているのか、記憶にないので、新公ではここぞとばかりに見ていたんだが。

 トラジ@萌子が鼻息荒かったことぐらいしか……(笑)。

 しかし、女の子役がほんと少ないんだなあ。

 
 で、他の男の子たちをちろっと書いて終わる。

 ヒョンミョン@大河くん、かわいくてうまかった。本役もヒョンミョンは少年ぽく演じているから、若い子が演じやすいタイプの役とはいえ、溌剌とよくやっていた。
 てゆーか大河くん、研2で中卒? まだ10代ですか……つか、確実に平成生まれ? 若っ。

 イルス役って、わたし的にすげーいい役だと思ってたんだ。初日から、マメに釘付けだったし!
 だから新公イルス@輝良まさとだと知ってわくわくしていたんだが……あれえ? それほどおいしく見えない……。
 この役をおいしく見せていたのは、マメの力技だったのか。


 ポンファ通りの人々がえらいことになってましたな。
 てゆーかヒゲ率高すぎ!(笑)
 ナニかやらないと気が済まないのか、花っこたち!(笑)

 そして、みちるタンのやる気っぷりに涙。二の線は完全に捨てるんだな? マメのあとを継ぐんだな? 心意気やヨシ! がんばれ。

 
 挨拶込みで2時間と、ちょい長めの新公でした。
 がんばって短くしてあったよ。生田せんせー、短縮するのうまくなったね。

 そして、本公演まんまだとしても、舞台人口密度がやたら高く、装置使いがものすごいことになっているわけだから、短縮して変更された分さらにえーらいこっちゃだろうに、みんなよく演じた、仕事した。
 ひとりまちがっても大混乱必至な大所帯で、武道会やら騎馬と楯の群舞やら、大人数の立ち回りやら、よくやったよ。すごいチームワークだ、一致団結だ。
 そのことにも、感動した。

 新公プログラムの活字の詰まり方、ものすごいよ。開けた途端、「黒っ!」と思うくらい、隙間なく活字ぎっしり。紙面に配役が書ききれない勢い(笑)。
 みんながんばったね。
 いつになったら本公演『太王四神記』の感想を書けるんだろう、とか、「それで『カラマーゾフの兄弟』はいつ書くのよ?! イワン様ステキなんだから!」と某ゆみこファンにせっつかれたりしてますが、とりあえず先に、バウ・ピュア・ストーリー『忘れ雪』の感想を終わらせます。

(2008年12月半ばにぼこっとブランクがあるのは、『カラマーゾフの兄弟』その他雑談用、年末のブランクは『タカスペ』用ですってば。ちゃんと書くつもりで空けてあるのよ。と、言い訳する)

 
 眼鏡ヲヅキ萌え。

 コレを書かずに、『忘れ雪』の感想を終えることは出来ません。

 ヲヅキがクールだ。ヲヅキが悪役だ。
 ヲヅキがかっこいい。
 スーツ姿最高!!

「昌明さん」
 呼びが、無意味に色っぽくて萌える!!

 
 ……てゆーか。

 ヲヅキの無駄遣い、どーしてくれんだっ。

 そりゃキムもかなめもそうなんだけどさ、あんな作品、あんな役で大変なんだけどさ、それにしたってヲヅキの出番が10分弱ってなんなのソレ。

 こだまっちのバカー、バカー、バカー!

 貴重なテルキタ作品の1本なのに。
 かなめ×キムなんか描いてるヒマがあったら、ヲヅキ×かなめでも描けっ。それが空気読めるヲタクってもんだろうに。あ、かなめ×ヲヅキでも可。『マリポーサの花』ではヲヅキ受推奨だったしわたし!

 
 とまあ、アタマ悪く感情だけで叫んでおく。
 まともに考えるのも嫌だ、この作品。

 
 キムの舞台人としての力量のすごさを見せつけるということにおいてのみは、意味があったのかもしれん。
 あんなにヘタレで途方に暮れさせてくれたかなめくんも、「こんなに立派になって」と親心でじんとくるほど、ちゃんと男役として立ってくれているし。

 ところでかなめくん、ほんとにサックス吹いてたの?
 すごーくかっこよかったらしいが……バーテン見てたんで、わかんない。

 かっこいいテル、はいつでも見られるけど、かっこいいあずりんはそうそう見られないかもしれない、という危機感により、バーテンの小道具ダンス見てた。

 そーいや前に「ケロとみっさまを足して2で割らず、足しっぱなし」のよーな顔の男がバーテンにいたと、書いたところ、ケロメイトから反応ありました。

「それって、髪の毛後ろで束ねてる子だよね?」

 ケロファンの間で、噂になっているらしい(笑)。
 みんな食いついてんだ、ケロに似たあの子に。
 その正直さというか、本能にウケる。

 
 さて、キャストの感想をさらっと記しておきます。

 ヒロイン深雪@みみちゃん、かわいかった。
 ランドセルが似合うってすごいなヲイ。
 電波でコワレたコワイ女の子の役で大変だったと思うが、それでもかわいく演じていた。脚本のひどさを覆し、ときどき健気な女の子に見えたから健闘かと。

 静香@みなこ、うますぎ。
 彼女の心の動きが真に迫っていて、本気でコワイ。ナニかする、この女!(白目)と、台詞で説明しなくてもすごい「引き」を作ってくれる。
 もっとまともな作品で、キムと役者として一騎打ちしてほしい。

 鳴海父@ナガさん。
 こだまっちよ、ナガさんに、悪役をさせるな。
 ナガさんはすばらしい組長さんだが、出来る役はとても限られた人だ。このどーしよーもない作品の、どーしよーもない部分が、ナガさんがこの役を演じることでさらに強調されてしまったってば。
 ナガさんは大好きだが、頼む、悪役はやらせないでくれ。ナガさんが悪いのではなく(ナガさんはそのままのナガさんでいて・はぁと)、こだまっちが悪い。断言。

 深雪の婚約者@そらちん。……えええ、出番アレだけ?!
 いやその、かっこよかったっす。怜悧な美貌が栄え、野心家風に見えました。
 たしさん出番があったら、彼の場合ボロが出たんだろうか……ゲフンゲフン。

 深雪の母@かおりちゃん、すごいうまいんだが……あの衣装はいったい……。
 現代日本が舞台とは思えないセンスの公演なんだが、それにしても深雪母は昭和の母だった……。
 もうひとつの役もリアルでわかりやすくて、こわかったよー。

 ……こわい、としかないのか、役の感想……だってそんな話だし……。あうう。

 清涼飲料水、どろどろ濁流の中のひとすじのサワヤカのどごし、中里@キング。
 あああ、この子がいてくれて良かった……。
 『銀薔薇』以降のいつものキングなんだが、もういいよ、この芸風を貫いてくれ。

 主人公一希@キムの家族、パパ@マヤさん、ありがとう、マヤさんとキムの場面だけ見事に別世界。ほっとしたわ。

 そして素敵なミツル@せしる。
 出てくるだけで爆笑させてくれるのは、この作品のキャラクタとして正しい在り方。
 中でも、

「兄貴のそんなとこ、キライぢゃないゼ☆」

 の、キメ台詞には、客席に前後2列(最前列と2列目……)で坐っていたわたしと友人たちを悶絶死させる破壊力だった。
 いやあ、4人揃って「ぷはあっ!!」と吹き出してたからなあ。声殺して笑うのに必死で、しばらく顔上げられなかったもんなあ。

 せしるは客席のハートを鷲掴みにした。
 断言。

 
 終始そんなノリの舞台だったんだから、仕方ない。

 ええ、通行人のあずりんが、待ち合わせに遅れてきたカノジョ相手にぷんすかして、カノジョが「ゴ・メ・ン♪」とあずりんのほっぺにちゅー、照れたあずりんが、「こ・い・つ、め☆」とカノジョの脳天にチョップとか、見ていてこそばゆさに転げ回りたくなりましたから。
 てゆーかライト暗すぎるんだよ、通行人がろくに見えないだろーがっ。

 あずりんの顔を眺めるのだって、わたしには観劇意欲のひとつだったんだぞー。

 
「ところでさ、なんでミツルはライターの持ち主調べるのに、いきなりスーツだったの? ワルな世界を嗅ぎ回るなら、いつもの格好の方がいいだろうに」
「きっと潜入先がホストクラブだったんだよ」
「チガウチガウ、ホストじゃなくて、ハスラーって言って」
「そうか、ハスラーの店を経営しているのがヲヅキね!」
「いつもはああやって眼鏡掛けてスーツ着てクールぶってるけど、店に出るときはラテンなロレンツォになるの」
「なるほどー、出番少ないのは、裏で別の仕事してたからなのねー!!」

 てな話で落ち着きましたよ、ヲヅキさん。
 陽月華という名前。

 最初はなんにも思わなかったけれど、あるときふと気づいた。

 太陽と月と花。
 タカラヅカが象徴するものに加え、わたしが個人的趣味で「必要だ」と思っている要素を、全部端的に揃えた名前なんだと。

 太陽っていうのは、光。
 タカラヅカスターに必要な、キラキラ。
 そして花は、美しさ。
 タカラヅカスターには、ナニより先に美貌が必須。

 ここまでは、一般論。
 わたしはその上に、「陰」が欲しい。

 ただ明るいだけ、痛みもヨゴレもなにもない、きれいなだけのキラキラ美形には、ほんとうの意味で惹かれない。
 わたしを虜にするのは、ヅカらしい美しさやスターらしさを持った上で、さらに「陰」の部分を持った人だ。

 太陽に対する、月。
 陰を表す言葉だ。

 太陽と月と花。
 見事に、わたしの好みを揃えている。
 しかも余分な説明無しで、ひたすら美しい並び、語感、字面。

 完璧だわ、この名前!

 と、震撼した。

2009/1/26
宙組主演娘役 陽月華 退団のお知らせ

宙組主演娘役 陽月華が、2009年7月5日の東京宝塚劇場宙組公演『薔薇に降る雨』『Amour それは・・・』の千秋楽をもって退団することとなり、2009年1月27日に記者会見を行います。

 予感はあったので、驚きよりも、寂しさと哀しさが強い。
 やはり、そうなのか、と。

 ひたすらあっけらかんとキラキラも出来るし、オギー作品で毒を滲ませることも出来る、陽と月とを併せ持つ美貌のスター。

 めずらしく買った「歌劇1月号」のウメちゃんの絵と文に大ウケしていたさ。
 ヅカヲタでありながら娘役トップスターであるという矛盾を、かろやかに両立してしまう姿に。

 類型に収まりがちなタカラヅカにおいて、前人未踏のキャラクタを造形してくれた、娘役トップスター。
 『バビロン』の女豹ちゃんで一目惚れして以来、ずっと特別な女の子だった。

 
 さみしいなあ。
 さみしいよ。

 どんどんみんな、いなくなる……。
 わたしはすでに、若くない。
 ぶっちゃけおばさんである。
 しかし、『ノバ・ボサ・ノバ』の初演は知らない。……さすがに。

 知らないけれど、わかる。

 「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、きっとナニも変わっていないんだと、思う。

 『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』に行ってきました。

 イゾラベッラはこれで3回目。
 最初のシビさんでこれ以上なく堪能、大感激し、「素晴らしいコンサート・シリーズだわ! みんなどんどん出演すべきよ!」と思い、次のたっちんでがっくり肩を落とし、「誰でも出来るわけじゃないんだ……やめておいた方がいい人もいるよなー」と思った。
 歌さえうまければソレでイイ、というものではないんだ、このコンサート。司会進行をすべて出演者ひとりでやらなければならないので、まず「喋って客を楽しませる」ことができる人でないと、空気が凍る。
 たとえばお茶会なら司会者がいて、質問に答えていれば話が進むけど、このコンサートではそれすらない。
 なにもかも、ひとりきり。誰も助けてくれない。
 それでたっちんは、自爆してえらいことになっていた。……気の毒に。
 あーゆー姿はもう見たくないので、歌で選ぶより、キャラクタで選ぶ必要がある。行くか、行かないか。
 そーいやシビさんのときも、歌はもちろんのこと、あの闊達な喋りにも期待して行ったもんなあ。それくらいできゃ務まらないんだよなあ。
 星組の英真組長がこのコンサートに出演するってときも、「歌はどっちでもいいけど、とにかく楽しそうだよなあ」って思った、多分ソレが正解なんだ。
 まず、キャラクタと喋りに期待。歌はまあ、うまい方がいいな。……そーゆー優先順位でしょう、このコンサート・シリーズ。でないと自爆必至。

 つーことで。
 ……ハマコなら大丈夫だよね? ね?

 大丈夫でした。

プログラム
オープニング
 ブロードウェイ・ボーイズ
 グランドホテル
宝塚メドレー[I]
 パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち
宝塚メドレー[II]
 ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン
マイ・フェイバリット
 ムーンライト・セレナーデ
 甘いささやき
 ゾフィーの死
 もののふ詩
フィナーレ
 この世にただひとつ
 One Night Only


 プログラムを見た段階で、「ああ、そういうことなのか」と思う。
 とくに意識していなかったけれど、わたしはずーーっと雪担で、雪組だけを観てきた時代が長かったんだ。
 曲名を見て「これってなんだっけ?」と思ったのは「もののふの詩」のみで、コレもはっきりとはおぼえてないけど、「えーと、『メナム』?」ぐらいの知識はあったし、「ゾフィーの死」は今回も一緒に行ったnanaタンが興奮気味に「これって本家『エリザベート』の歌だよね、ヅカではカットになってるヤツ!」と言ってるからわかったし。(本家『エリザベート』も、nanaタンと一緒に梅芸へ行ったなー)
 あとのヅカ曲はふつーにどの作品で何故ハマコがコレを選んでいるのかが、見当つくんだわ。

 「ブロードウェイ・ボーイズ」と「グランドホテル」は、ハマコの初舞台公演だよね、月組の。
 「パッサージュ」は曲名じゃなくて公演名? ナニ歌うんだろう? 「硝子の屋根に~♪」の主題歌? ハマコがソロを歌ってたのは「玻璃の街角・黄昏」場面だけど、アレはすがた香くん他と掛け合いだったし、ハマコで『パッサージュ』と言えば「ホリデー」だけど、アレはスキャットだけだし、たしか録音だったわけだし、ナニ歌うかわかんないなー。
 「この世に残らぬ愛」は『バッカスと呼ばれた男』だ、ハマコが新公主演した!
 「いのち」は『凱旋門』だね、中盤で全員一列になって歌い上げるヤツ。ハマコはベルリン公演出演のために、大劇は出てないんだ。東宝でコムちゃんの役をやってた。博多座ではトウコの役、と、どんどん役付きが上がってたっけ(笑)。ええ、『凱旋門』は大ハマリしてましたから、もちろん1000days楽まで駆けつけ、博多座にも行ったわ。
 『ノバボサ』は語るまでもない、ハマコはみやたんと一緒にピエロやってて、すごい顔して笑ってたっけ。新公ではルーア神父だったよね。
 「この世にただひとつ」は『心中・恋の大和路』だ。コウちゃん主演、2番手ケロって、「渋いなんてもんぢゃないだろ、チケ売る気あるのか劇団」てな配役で(笑)。おかげでサバキであっさり観られたけど。最後のハマコの絶唱でダダ泣きしたっけ。

 ハマコの歴史、「未来優希」の歩んできた道は、全部眺めてきている。
 ああ、そーゆーことなのか。
 そういやシビさんも、自分のヅカでの歴史を振り返る選曲していたっけ。さすがに古すぎてわかんないものだらけだった。
 たっちんは「歌いたい歌」「好きな歌」中心で、ヅカの曲自体は少なめだった。……はじめてのコンサートでヅカ曲を中心にしない、それがたっちんの生きる道を表していたんだ。
 3回目、3人目のコンサートにしてはじめて、わたしはプログラム全体を馴染みのあるモノとして受け止めることが出来た。

 ハマコがなにを歌いたいのか、歌うことでなにを伝えようとしているか。

 こんな小規模コンサートだから、客席はほぼ100%ファンばかりだ。
 そこで「タカラヅカの未来優希」として行う、歌うことの意味。

 
 難しく考えることではなくて。

 「アマール・アマール」を熱唱するハマコを見て、変わらないモノはあると、思った。

 わたしは『ノバ・ボサ・ノバ』の初演を知らないし、たぶん今映像とかで見ても「古っ、ダサっ」と引くんだろうけど、それとは別に、今目の前で歌うハマコを見て「きっと初演の『ノバボサ』の人もこんな感じだったんだろうな」と思った。
 
 この、恥ずかしさ。
 この、古くささ。

 ヅカファン以外が見たら爆笑するかドン引きするか確定の、ものすごく独特で濃ゆい世界。
 ノリノリで歌うハマコはものすげー濃くて、ものすげー恥ずかしくて、……その恥ずかしさが、最高なの。

 たしかにコレは現代じゃない、21世紀じゃないし、平成でもない。
 だけどコレが好きなの。必要なの。
 時代と共に変わることは必要だけど、伝統をすべて捨ててしまえばいいってもんでもないの。

 ヅカなんてね、一般人から見たら「変」の一言だよ。異様な文化だよ。
 でもね、ふつーでない「カラー」があったから、今まで生き残ってきたんでしょう。
 他で代えのきかないモノだから。

 今、タカラヅカはどんどん変わっていっている。
 わたしが年寄りだからかもしれないけれど、変革の予感は、不安でしかない。暗い未来に胸がふさがれる。

 そんなときに。

 95年の歴史の流れの中でわたしごとき若輩者が知りようもないタカラヅカの伝統を、濃さを、異様さを、恥ずかしさを、体現して見せてくれる未来優希に、明るい未来を見た。

 変わらないモノがある。
 大切なモノがある。

 コレを守っていける、伝えていけるタカラジェンヌがいる限り、未来はある。
 ハマコは首席入団。
 76期首席の純名が雪組で、77期首席のトウコが雪で、78期首席の王子が雪で、79期首席のハマコも雪に来たから、まだヅカ歴の浅かったわたしは「雪組って首席の人が配属される組なの?」と思った記憶がある。
 地味に堅実、優等生な芸風……そうよね、芝居と日本物の雪組だもんね、なにはさておき実力最優先よね、とか納得してたっけあのころ。だから首席者が多い、てな。

 ともかく、ハマコは首席入団。
 だもんで初舞台のときも、組長に呼び出されるのは研一を代表してハマコ。

 1993年当時、月組の組長は汝鳥伶サマ。汝鳥さんはハマコを呼び出して、研一生になにかしらの事柄を「伝えるように」と言った。
 ぴっちぴちの初舞台生ハマコさんは、「はい、わかりました!」とよい子のお返事。

 が。
 ハマコさんは、何故かしらそのことを、すっかり忘れていた。なんでかわからんが、伝えなかったらしい。
 言いつけが伝わっていないことに疑問を持った汝鳥さんが、再びハマコを呼び出した。

「この間言ったこと、ちゃんと伝えてくれた?」
 それに対してハマコさんは。

 瞳をキラキラさせて、満面の笑みで答えた。
「はい、伝えていません!!」


 ……それから実に15年以上の月日が流れた。

 汝鳥さんは未だに、ハマコを見るとなにかにつれそのときの話をするらしい。
 ハマコはすでに忘却の彼方。伝言の内容も、そもそも「そんなことあったっけ?」状態らしいし、なにより、言いつけを忘れていたくせに満面の笑みで「伝えていません」ってなんだそりゃ、どんな研一だよヲイってもんらしいが。
 した方は忘れても、された方は忘れないもんなんだ。
 汝鳥さんは語る。
「あの、ハマコが、副組長だもんねえ。しっかりしてきて良かったねえ(笑)」
 てなことを。

 『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』は、ハマコのヅカ人生を振り返るものであり、彼の豊富を語るモノでもあった。

 オープニングは初舞台公演『グランドホテル』『BROADWAYBOYS』から主題歌。

 「ブロードウェイ・ボーイズ」はともかく、ハマコの声で「グランドホテル」を歌われるとテンション上がるわ。てゆーか『グランドホテル』観たい……ふつーに男爵主役で、雪組で。水しぇん主演で。……はっ。となみ姫にバレリーナは無理だわ(ヲイ)。

 その初舞台時の想い出、つーことで、失敗談を話してくれました。

 それから「思い出深い曲をメドレーで」と、曲の解説は後回しに歌い出した。
 前もってプログラムをもらっているから、次の「宝塚メドレー[I]」が「パッサージュ~この世に残らぬ愛~いのち」であることは知っている。
 プログラムには公演名や出典名ではなく、あくまでも曲名が記されている。
 「パッサージュ」とあればソレは公演名『パッサージュ』ではなく、同公演で使用された同名の主題歌のことだろう。

 しかし。

 ハマコが歌い出したのは。

 天使の夢を見たわ
 真夜中にひとりきり
 白い翼広げて
 空に浮かんでいた


 オープニングかよっ?!

 『パッサージュ』という作品の導入、テーマの一部を表す歌。
 びびびびっくりした。

 少女の透明なソプラノで歌われる幻想世界が、ハマコの的確なアルトで綴られる。
 歌詞があるのはここだけなので、そのまま歌声はスキャットになり……「ホリデー」になる。

 そう。
 『パッサージュ』の核。サブタイトルにもなっている、「硝子の空の記憶」と名付けられた場面。
 崩れかけた硝子の町で、一人の男が、死にゆく女に出会う。そのダンス。

 クリエイターのデビュー作には、その本質が詰まっているという。
 オギーのショー作家としての、デビュー作『パッサージュ』。
 その、コアを成す場面。

 陰コーラスは、圭子女史とハマコ。
 切なさと空虚さある静かな歌声が、古いレコードのような、わずかにノイズの入った音で再生される。

 無表情な男女、男の手のひらに操られるように、独特の動きをする女。
 舞台いっぱいの男女カップルたちは、やがてみな終焉を迎えていく。

 美しく、どこまでも美しく、そして哀しい……わたしにとっては、美しすぎて哀しすぎて、おそろしい、場面だった。

 当時『パッサージュ』で号泣し過ぎて、帰り道で貧血起こして倒れたり(迷惑な)してたもんで、もうカラダが条件反射的に反応するのな。
 「ホリデー」を聴くと、泣く。という。

 ハマコの、生「ホリデー」!!

 8年だかの時を経て、夢の空間。
 スイッチ・オン。
 泣きスイッチ入りましたよ、ええ。

 が。

 ……が、なんだよな。

 この「ホリデー」はとーーっても短くて。
 わたしのスイッチ入った途端。

 曲調はがらりと変わる!!

 許されざぁる愛とぉぉお 心にぃ決ぃめぇてえええ

 いきなり仰々しいザ・宝塚的歌謡曲、コブシ回して歌い上げだ、『バッカスと呼ばれた男』だ!!

 わたしの叙情スイッチは一気に地面に人型にのめりこみ、顔に縦線山ほど引いて終了しました。
 こぉの世にぃ残~らぬ愛もあぁぁるうう……って、ああ、歌える自分が嫌。『バッカス』はダイスキだったのよ、通ったわよ、最後は広島まで行ったさ!!(笑) アタシに『バッカス』語らせると長いわよ? ムラ、東宝、全ツと改編されて、3つとも微妙にチガウ話だからねアレ。加えて新公まであるからね。
 新公の悪役しいちゃんがどれほどかっこよかったか、吟遊詩人のレアちゃんがどんだけ美しかったか、ハマコがナチュラルにおっさんだったことも含め、語ると長いわよ~~!(笑)

 ド演歌まっしぐらな「この世に残らぬ愛」に続き、『凱旋門』の「いのち」。鳩の羽ばたきが聞こえてきそうなほど、一音一音を大切に、愛しそうに発音して歌う。

 ハマコが歌う「ハマコの歴史」。
 それは、雪組を見てきたわたしの歴史でもあった。
 どの歌にも、想い出がありすぎる。

 歌い終わったあとで、どの公演の曲だったのかを解説。
 最初の「パッサージュ」は、冒頭の曲だけど、エトワール・バージョンらしい。たしかに、最後に歌い上げがあるから、そっちバージョンだなとそこでわかった。『アルバトロス、南へ』でも、ゆめみちゃん(博多座『パッサージュ』エトワール)が歌ってたよな。
 「ホリデー」は当時録音スタジオで「試合に負けたボクサーのような感じで」歌えと先生に指導されて、「???」状態で試行錯誤して歌ったらしい(笑)。
 すごい表現だな、ソレ……。
 しかもハマコ、当日はきれーに寝過ごしていて、相棒の圭子タンの電話で起きたそうで。起床から40分だかなんだかでマイクの前に立っていて、声がまったく思うように出なかったとか。それでえんえんえんえん歌い続け、声が出る、を通り越してオーバーワークになってから本番だったとか。
 今明かされる。製作秘話(笑)。

 なんにせよ、生「ホリデー」が聴けただけで、あの場に行った甲斐があった。……ほんとにワンフレーズだけだったけどな(笑)。
 ショー『ノバ・ボサ・ノバ』が名作かどうかは知らない。
 1999年の再演は雪月共に観たけれど、大騒ぎするほどの名作だとは思えなかった。初見ではやはり古さに引いたし。リピートしてようやく愉しみ方がわかったかな。

 だがとりあえず、「アマール・アマール」と「シナーマン」が名曲であることは、わかる。

 「シナーマン」には歌唱力が必要だが、「アマール・アマール」はそれ以上にタカラヅカ力が必要とされる。

 わたしがこれらの曲を「名曲だ」と思い、特別に思っているのは、そのためだ。

 特に、「アマール・アマール」。
 この曲は、「タカラヅカ」という文化を表現したモノのひとつであると思う。

 この曲を、さらりとオシャレに歌っては、イカンのだ。

 声を大にして言おう。

 「アマール・アマール」は、恥ずかしくてナンボだ。

 「タカラヅカ」という文化の持つ、異端さ。現実世界との乖離っぷり。それを表した、極端な例のひとつが、「アマール・アマール」だ。
 「ライライライ」とか「アマールアマール」とか他愛ない音の繰り返しの合間に小学生の作文みたいな簡単な文章があるだけのどーでもいーよーな歌詞を、とにかくねっとりとラテン調に、腰振って流し目して舌回して溜めまくって歌うのよーーっ!!
 ラテンっつっても、ほんとのラテンじゃないわよ。日本人が勝手にお茶の間で空想する「ラテン男」よ。アメリカ人が夢見てる「NINJA」みたいなもんよ。
 たぶん本物のラテンな人が見たらプゲラなモノでいいのよ、フィクションなんだから。想像力で楽しむモノなんだから。
 タカラヅカって、そーゆーもんなんだから。

 架空を楽しむ。
 ナンチャッテを愉しむ。
 嘘を嘘とわかった上で、お約束を愛する。

 夢の世界、この世に存在しない世界ってのは、そーゆーある意味オトナのルールの上で、唯一存在できるもんなんだ。

 だから。

 とびきり「タカラヅカ」な存在である未来優希が、「アマール・アマール」を歌ってくれる、という事実に、舞い上がった。

 『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』、宝塚メドレー[II]は、「ソル・エ・マル~アマール・アマール~シナーマン」という、『ノバ・ボサ・ノバ』名曲メドレーだった。

 ハマコはキラキラ付きてらてらな光沢の濃紺スーツ(もっとマシな表現はないのか)を着ていたんだが、このメドレーの前にわざわざ、上着を脱いだ。

 ナッマ着替え! ナマ着替え!!
 すごいわハマコさん、サービス満点! 生着替え付きですよ奥さん!

 いやその、べつにハマコに脱いでもらっても、あんましときめきはしないんだが……。(ヲイ)

 「これから激しい歌を歌うので」脱ぐそうですよ(笑)。
 中はフリフリビロビロ白ブラウス(だからもっとマシな表現は……)に、紺ベスト。お袖のドレープとかとってもファンタジーに王子様なんだが、なにしろ着ているのがハマコだし。(ヲイ)

 まあともかく、わざわざ身軽になっての歌唱ですよ、本気ですよ。

 歌の合間のトークのときは、ふつーに……なんつーかこう、妙齢(微妙な表現)の女性って感じなんだけど。

 いざ歌になると、声も顔も変わる。
 ハマコは小柄だし、体型も顔立ちも女性的で、「男に見える」というわけじゃない。
 だから男になる、のではなく、なにか「別の存在」に変わるの。

 男でもなく、女そのままでもない。
 その半端さが、「タカラヅカの男役」なんだと思う。

 衣装でも化粧でもなく、意志の力で、変わる。
 その変化が、ゾクゾクする。

 
 「ソル・エ・マル」はまあ、腕ならしって感じ。すげー手軽に歌えてしまえるあたりがハマコ。
 そして、次の「アマール・アマール」。

 もお……もお、ハマコ好き。ダイスキ。もお、どうしよう!!

 やらしいの。
 恥ずかしいの。
 濃ゆいの。
 クドいの。
 たまらないの。

 わたしが、「アマール・アマール」に求めるモノすべてを、ハマコが簡単にあったりまえに、表現してくれちゃってるよおおお。

 またわたしたちの席が、すげー良席で。
 今まで参加したイゾラベッラ・コンサートではジェンヌとか理事長とかが坐っていた席で。そーいやここ、シビさんのときトウコちゃん坐ってなかったか? てな席で。(まさにトウコちゃんの席が、あたしの席だよね? nanaタン! と、今書いてて気づいたよ、私信私信)

 ハマコから目線来まくり、客席降りでは目の前で立ち止まりまくり。

 そんな席で、nanaタン……あ、チガウ、今はくりすてぃーぬだった、イカンイカン、ご贔屓の公演ごとに呼び名の変わる友人持つと大変だわ……くりすてぃーぬちゃんとふたり、大喜び。
 つか、ふたりとも喜びすぎてはしゃぎすぎて、大変ですよ……ちょっと落ち着け。

 余裕なのよ、ハマコは。
 キザるのも、客席のファンをきゃーきゃー言わせる(わたしらのことだ)のも、ぜんぜん朝飯前なの。
 「オレのセクスィさにメロメロだな、フッ」て、すごくふつーに思って歌ってるの。むしろ、そんな「大スターと、彼にメロメロなファン」プレイを楽しんでいるよーにすら、見える。

 「歌うこと」自体が、彼にとっては「容易いこと」なんだと思う。
 もちろん緊張して、集中して臨んでいるのだろうけれど、それとは別に、「得意分野での戦い」だから、相手をナメてかかる余裕があるの。相手ってのは客ではなく、試合自体に飲まれないって意味。

 いっぱいいっぱい、ぎりぎりになって「このまま倒れちゃうんじゃあ?」なんて歌い方はしない。
 余力ありまくり、腹八分目ですっていうか。

 ソレが、ニクい。

 「予定のウチですがナニか?」てなキザり具合で、それでも若造ごときが逆立ちしても真似できない濃さで「アマール・アマール」を歌いきって。……ああもー、素敵すぎるー!!

 そして、真打ち「シナーマン」。
 驚異の歌い上げがあるこの難曲を。

 ハマコは、これまた余裕で、歌いきった。

 コレもまた、腹八分目っていうか。このあと50mダッシュ5本ぐらい簡単に出来そうな体力気力っていうか。
 いっぱいいっぱいではない、メーターがレッドゾーンになることないところで、悠々歌ってしまう、その不敵さ!!

 うん、全力疾走だけが美徳じゃないのよ。
 プロなんだから。
 自分が「イイ声」を聴かせられるゲージ内で、余力を持って仕事をするって、あたりまえなんだよ。
 日本人はいつだって全力疾走、このまま倒れて死んじゃいますまでやらないといけないみたいな風潮だけど。
 や、出来ない人がやらなきゃなんないときは、ほんとにそこまでやっても当然みたいなものはあるかもしんないけど。
 ハマコ、できるんだもん。
 倒れて死んじゃいます、までやんなくても、本人が機嫌良く歌える範囲で、ものすげー歌を聴かせてくれちゃうんだもの。

 余力ありまくりなのが、それですげーたのしそうに自分の声に、歌に酔っている風なのが、音を愉しんでいる姿が、震えるほどカッコイイ。

 うわあああ。
 ハマコ好きだ~~~っ。
 かっこいーーー!!
 『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』怒濤の宝塚メドレー終了後は、ハマコの好きな歌、歌いたい歌。

 このバランスがいいよな。
 結局、ヅカと、男役とまったく無関係なのは「甘いささやき」くらいで、「ムーンライト・セレナーデ」は有名すぎるからわたしがおぼえてないだけでどこかの公演で使われていそうだし、「One Night Only」も元ネタはともかく、わたしはヅカでしか聴いてない(笑)くらい、馴染みのある曲だし。

 歴史を振り返ればヅカの曲だし、歌いたい歌も、ヅカ絡みなの。ハマコの歌唱力なら、それを見せつける意味でのカッコイイ曲とか技巧自慢な曲とか、いくらでもあるだろうに。
 ほんとうにタカラヅカを愛しているんだな。

 そして、唯一「宝塚男役」では歌うことが出来ない「甘いささやき」。
 女性が、男性の甘いささやきにヨロメキつつ歌うわけだから、男役のままでは歌えない。『巴里祭』出演時に歌いたいと言い、演出家に却下された過去があるらしい(笑)。

 ……却下した演出家は正しい。

 えーと、その、やはり。
 いろいろと。

 すごかった(笑)。

 ヅカメイクして男役の格好で……女として歌う。

 なまじ表現力のある人なんで、化粧だの衣装だの関係なく、ちゃんと「女」の表情をする。
 正直その、キモ……ゲフンゲフン。

 でもって、歌の合間に入る、「男性の甘いささやき」。
 コレをハマコさんは自分で、めいっぱいの男役声で録音。

 ハマコ(男)の甘いささやきに、ヨロメキつつハァハァ歌うハマコ(女・でも姿は男)。

 ……どうしろと。
 コレを、どーしろと言うの~~~~っ?!!(笑)

 うまいよ。
 ハマコだから、歌はすげーうまいし、その、い、いろっぽいし。
 だがしかし。

 いろいろと困るってゆーか混乱するってゆーか。
 ぶっちゃけ、おもしろい。

 「甘いささやき」でおもしろがらせてどーするよハマコ?!(笑)

 途中から、「そうだ、このささやき声はハマコではないと思おう。……そう、たとえば水しぇん」と考えてみた。麗しき同期愛。
 もったいつけた男声は、がんばって聞けば水くんの声に聞こえなくもない。

 が。

 さらに、ドツボにハマる。

 み、みずしぇんが「君が欲しい……(吐息)」とかゆって、ハマコ(女・でも姿は男)が「ダメよそんな……あン☆」とかゆってる姿に、どーしよーもなくむず痒くなり、ひとり座席で悶える。
 ご、ごめんハマコ。ごめん水しぇん。

 いやあ、すごかったなあ、「甘いささやき」。これからあの♪パローレパローレを聞くと、そのつどツボりそーだわ……。

 たぶんふつーにお着替えタイムがあり、ドレス姿で歌ってくれれば、これほどえらいこっちゃにはならなかったと思う。ハマコ美人さんだしー。ふつーに女性歌手としてなら、なんの遜色なく歌えるのだろーに……スーツ姿で歌うもんだから、もお。
 いいもの観ました、はい。こんな経験、きっと二度とナイ。

 
 女性として「甘いささやき」を歌ったあとで。
 もう1曲、女声の歌。

 本家&東宝版『エリザベート』より、「ゾフィーの死」。
 ヅカ『エリザベート』ではカットされていて存在しない、「皇太后ゾフィー」という人物を表す歌。

 梅芸に本場ミュージカル『エリザベート』を観には行ったけれど、なにしろドイツ語だし、「言葉」がストレートに胸に響くことはなかった。
 東宝エリザは初演時にわざわざ東京まで行ってキャストを替えて2回観た……あと再演を大阪で1回か2回つきあいで観たかな。ソレで納得して、以来一度も観ていない。好みじゃなかったんだなー、いろいろと。……て、初演っていつだよソレ何年前だ、もうおぼえちゃいねえ。
 だからそっちはもうどーでもいいとして、ヅカエリザ限定で話す。

 ハマコが今ここで「ゾフィー」の真実を歌った……そのことで。

 全部、つながった。
 雪組再演『エリザベート』の、皇帝一家の物語が。

 何故、フランツ@ゆみこはあんな人物だったのか。
 何故あのような性格で、あのような生き方しかできなかったのか。愛し方しかできなかったのか。

 何故、ゾフィー@ハマコはあんな人物で、あのような言動で、シシィ@となみへあのように接していたのか。

 全部全部、わかった。
 つながった。
 まっすぐな道が、できた。見えた。

 ゾフィーがどんな人物で、なにを考え、なにを愛しなにを憎みなにを得てなにを犠牲にしてきたか。
 それがわかることで、彼女の息子フランツがわかる。

 たしかにふたりは、親子だ。
 ゾフィーとフランツは、泣けるほどに親子だ。

 真面目で、不器用で、誠実で。
 義務のために、守るべきモノのために犠牲を払い、耐えて歩き続ける。
 自分を殺し、誰かのために生きる。そんな生き方しかできない人。

 強い意志、強すぎるからこそ、凡人に理解されることなく哀しい、損な生き方。

 ハマコが演じたリアルな「人間」としてのゾフィー像に、明らかな「答え」を、「言葉(歌詞)」でもって教えられた。

 ……や、泣くでしょう、コレは。
 短い歌なんだけどね。

 ヅカの『エリザベート』では、ゾフィーはわかりやすい「姑」であり、「敵役」だ。だからこの歌をカットしたイケコは正しい。ゾフィーまで掘り下げるより、ヅカらしいときめきを優先させた方がいいもの。

 でも今こうして、ハマコ自身にこの歌を歌ってもらえて、よかった。
 このカタルシス。
 あっという間に、ここまで持っていくのか。

 歌い終わったハマコは、「歌いながら、フランツの背中が見えるようだった」と話していた。

 ……ええ。
 反応してましたよ、わたしの隣の席の人が。
 その「フランツの背中」と言ったあたりがまた、ちょうどわたしたちの坐っているあたりに向かってハマコ氏が視線を泳がせていたもんでね。え、ここ? ここにフランツ@ゆみこいるの? みたいな。
 ディナーショー以来「アタシのことはくりすてぃーぬとお呼び!」と言ってはばからなかった人が、「やっぱり、(呼び名は)えりざべーとでもいいかも……」と、早々に前言撤回してましたわ。
 ダーリンの恋人の名前を名乗るのがnanaタンのデフォですから。

 隣の席の人がくりすてぃーぬになったりえりざべーとになったり忙しかったが(笑)、それはさておきやっぱ、すごいコンサートなんだよ、ハマコンは。
 いーかげん長くなりすぎた、『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』これでラスト。

 日本物が好き、とハマコは「もののふの詩」と「この世にただひとつ」をチョイス。どちらもハマコ自身が公演で歌っている。初演『エンカレッジコンサート』と再演『心中・恋の大和路』。
 プログラムには「フィナーレ」として「この世にただひとつ」が記載されているけれど、実際はこの曲までが「フェイバリット」だったみたい。ひとくくりだった。

 『メナムに赤い花が散る』を観たことはない。いつぞやのTCAで、マリコとタモさんでクライマックスを観たくらい。その記憶だけで言うなら、是非トドロキ主演で観てみたいです。歌はハマコで、王様は……以前はコムちゃんが良かったんだけど……今なら誰だろ。あ、全編やらなくていいから、あのホモくさいラストシーンだけヨロシク(笑)。
 でもって、初演の『エンカレ』は観てないっす。まっつの出ていた花組リプライズしか。チケット取れなかったよなあ、たしか。月組なんか、2回もサバキ待ちしたのに空振ったんだ(きりやさん目当てだった)。

 「もののふ」と「この世に」、どちらもドラマティックな悲劇ソング。
 ハマコの声質にもキャラにも合っていて、素直に酔える。

 『恋の大和路』お稽古にて、ハマコは演出の谷先生に「このヘタクソ」って死ぬほど言われたらしい。当時すでにハマコは歌ウマ認定されていた下級生だったんだが……それでも身も蓋もなく罵られていたそうだから、すげえな。

 『恋の大和路』はダイスキ作品で、ラストはダダ泣きして顔面崩壊、大変なことになった作品だが、やはり「古い」ことも確か。いつか再演があるのなら、改稿の上でしてほしい……良さは残して、現代でも失笑せずに済むセンスにして欲しい。
 一言一句、一挙手一投足昔のまま完全模写しないとクレーム付ける層が少なからずいるだろうから、無理だろうけどさあ。
 再演されたとして、もうハマコの歌声では観られないか……。ラストの絶唱役は若者の役だから、ハマコの学年には回ってこないわ。

 だかこそ、こういうコンサートの場でしか、ハマコの熱唱を聴くことは叶わないんだ。
 当時の想い出を振り返るからこそ、時の流れを知り、現実を知る。

 
 ドラマティック悲劇で盛り上げたあとに、ノリノリの「One Night Only」で終幕。
 タカラヅカらしい、クドかっこいい男役姿を、伸びやかな声に載せて。

 うん、プログラム上では最後。

 でも知ってますとも、記載されていないだけで最後にもう1曲あることは。
 ナニが来るかはお楽しみ。

 一旦退場したハマコは、みんなの手拍子に引かれて戻ってくる。
 曲は、「Joyful」だ~~!!

 わたしにとって『Joyful!!』というと、まずコムちゃんが浮かぶ。同時上演の植爺芝居で、ハマコがまさかの2番手(笑)で、銀橋をソロ一曲ぶちかましながら渡っていったことを。
 みんなかしちゃんの役がなんだったか、そもそも出ていたかどうかおぼえてないのに、ハマコの「憎む~~憎む~~♪」はおぼえてるんだもんなあ(笑)。

 遅れて、水しぇんお披露目の中日を思い出す。ここでもハマコがショーでは2番手だったような(笑)。
 中日劇場程度では、ハマコには小さすぎる、と中日のたびに思ったもんだ。

 自在に声を替え、音を転がし、ハマコが歌う。
 Joyful Joyful、喜びの歌、歓喜の歌。

 音は、こんなに気持ちいい。
 歌は、こんなにたのしい。

 カラダ全部を楽器にして、ハマコが響く。

 それは決して、命ギリギリの熱唱ではなく。
 余力を十分に残しながら、本人も客もリラックスできる位置で、自在に音を繰り広げる。

 たのしい。
 たのしい。
 たのしい。

 音楽に愛された人って、こんなに豊かなんだ。
 おだやかに手の内で、ひとを遊ばせることが出来るんだ。

 おもしろい。
 興味深い。
 癒される。
 テンション上がる。

 いろんなプラスの感情がわき上がって、ころころ身体の中で音を立てている。

 踊っていいなら、踊りたかったな。
 立ち上がって、ふつーのコンサートみたいに。

 ハマコの赦す音に委ねて、一緒に溶けて揺れたかった。

 
 ハマコは決してコンサート自体には慣れていなくて、あわあわしている面も見えたし、本人が何度も口にしていたように、十分緊張していたんだろうけれど。
 それでも、確固たる技術と経験は、彼を縛り付けはしなかった。むしろ、遊ばせていた。ゆるく、自由に。

 気持ちよかったよ。
 本当に。

 しばらくなかったくらい、「タカラヅカ」を浴びた気分。

 ハマコの歌は、かっこうの「タカラヅカ浴」だ。日光浴とか森林浴とか、そーゆー感じで。

 
 コンサート終了後、舞い上がったままのわたしとくりすてぃーぬ(もしくはえりざべーと)ちゃんは、出口近くを注目していた。

 や、シビさんのときは、シビさん自身でお見送り+握手サービスがあってね、すげーうれしかったんだわ。たっちんは一切無し。歌が終わったらいなくなってしまった。
「ハマコなら握手あるかな?」「ハマコと握手したーい!」と、行く前からわきゃわきゃ言ってたんだが。

 出口近くに、ハマコの姿発見!!

「やたっ、握手アリだっ」
 つーことで、そそくさと荷物まとめてGO! だって、あとになると列が詰まっちゃうからね~~!

 ところが。
 近づくとわかった、ハマコはお見送りのためにそこにいてくれるだけで、握手は無し。お客はみんなただ、そそくさと前を通り過ぎるのみ。

「なんだー、お触りナシ?!」「ハマコ、お高いわ!!」……だからテンション上がり過ぎですよ、この人たち。

 とりあえず、前を通るときに、このコンサートがどんだけたのしかったかを、ハマコ本人に伝えてみる。列を止めたり乱したりは出来ないから、すげー短く焦って……それでも、言う(笑)。
 声を掛けられるとは思わなかったのか、ハマコさんはちょっと目を見開いて、それでもすぐににっこり笑って受け止めてくれた。

 わーい、笑ってもらえたー。
 と、ほよよんしていたわたしは、前の人の背中にぶつかった。……だから舞い上がりすぎだっての。すみません、前を歩いていた人。

 
 あー、たのしかったー、と満足して店を出ながら。

「ハマコ、小さいー!」
 と、くりすタンが今さらなことを言っている。
 目の前で挨拶したら、身長がリアルにわかるからな。

 ハマコが小柄なことは最初からわかっていたので、わたしはなんにも思ってなかった。想定内?

「緑野さんより小さいのはわかりきっていたから驚かないけど、アタシより小さいなんて」

 ……そこかよ?!

 人はみな、自分を中心に考えるからなあ(笑)。
 

 そう、自分中心。

 ハマコンは、思いがけずわたし自身の時間旅行でもあった。
 夢の世界の住人でいることは、想像以上に大変なことだと思う。
 だけどこうやって長い間そこにいてくれることで……彼らの人生は、わたしみたいな一般人の人生にも刻まれていく。

 ずっとずっと、ハマコのままで、プロの未来優希でいてね。

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