桜乃彩音ミュージック・サロン『Ever green』にて、久しぶりの男役のだいもんは、とってもだいもんだった。

 表情豊かに歌い踊り、客席を釣りまくる(笑)。

 だいもんってずっと下級生のころから、客席をかまいまくる子だった。下手タケノコに坐っているときとか、うっかりだいもんに捕まると他を見られなくなるくらい、ずーーっとかまってくれるという。
 あの大きな大劇場でソレなんだから、小さなMS会場では是非、さらに地引き網投げてくれよと期待していた(笑)。

 でもほんとのとこ、たのしいのはそーゆー面ではなく、彼の活躍を見られることなんだな。

 どんなに隅っこでも、本公演のショーに出ている以上、客席アピールは出来る。
 されど、「女の子とドラマティックな恋をする」ことは、スターでないと出来ない。
 タカラヅカはスターシステムのカンパニー、恋愛できるのはトップスターとその周辺だけ。脇はあくまでも脇で、恋愛まで描いてもらえない。

 トウは立っているものの(笑)ヲトメである以上、わたしは恋愛モノが好きだ。
 恋愛モノを見せてくれる、表現してくれる役者が好きだ。

 そしてだいもんは、いろんなモノを豊かに、過剰なまでに表現してくれる役者さんだ。
 彼の演じる「恋愛モノ」は、実にキモチイイ。

 彩音ちゃんの出演作品メドレーで、だいもんが相手役を務める、そのたのしさってば。
 「ルイーズ」@『エンター・ザ・レビュー』は相手役ではなく、コーラス部分を演じているだけだからかわいらしい止まりなんだけど、その次ですよ、「愛の力」@『落陽のパレルモ』!!
 かわいらしいキャラクタから、一気に恋愛モードの男に変わるんですよ!! この変貌ぶりが、もおっ、もおっ! じたばた。

 だいもんには完全なソロ場面はなく、いつも誰かと一緒に登場し、歌っている。
 純粋に実力者であるから、彼の助力を得ることで相方はより美しく声を出すことが出来る。
 がっちりとサポートしつつも、彼の歌声は非常に雄弁だ。このまま成長したら、コーラス要員では収まらない派手な個性になりそうだなと期待。……そう、期待。

 だいもんを見ていると「舞台人だな」と思う。舞台に立つために生まれてきた子だなと。
 持って生まれたきれいな顔立ち、押し出しと華。堅実な実力もそうだが、それ以上に、「表現したい」とあえいでいるよーな、本能。
 この子は、舞台の上で生きるべきだ。

 まっつとのハーモニーをはじめて聴いたけれど、その性質の合いっぷり、相性の良さにおどろいた。
 なるほど、こんなところでも好みってのは一致するんだ。好きになるには理由がある、つか、個々に好みだと思っているモノを、並べてみたら似ていました、って至極とーぜんのことじゃないですか。わたし、このテの声、響きが好みなんだな、無意識に選別し、求めていたんだな。
 その昔、まっつ×だいもんトークショーに行ったとき、わたしはまーーったく意識してなかったのに、一緒に行った友人たちがだいもんの横顔を見て「緑野がだいもんも好きな理由がわかった。まっつと鼻のカタチが同じ」と言っていたように。
 わたしというひとりの人間が好ましく思っているのだから、ふたりには似た部分があるんだろう。

 しかし。
 まっつとだいもん、ふたりが並んで歌うのを見て、痛感する。
 正反対の舞台人だと。

 まっつはひたすらクールで硬質だ。もっとはじけてもいいのに、とじれったくなるくらい、訴えかけるものが小さい。自分の中での納得が最優先な、職人タイプというか。変化もわかりにくく、テンションも一定。
 だいもんはとことんホットで柔軟だ。ぱっと発光して、他者へ訴えかける。双方向性というか、相手(観客)あってこその演技であり歌であるというか、いつも客席に向かって気を発散している。にぎやかな芸風で、じっとしていない。

 ……しみじみと、だいもんを好きだと思う。
 そもそもわたし、だいもんみたいなタイプが好きなんだ。見ていて絶対面白いもん。
 表現が派手なだけでなく、濃くてクドくて情念型の芝居をする子だし。感情移入して、引き込まれて、一緒に泣いたり笑ったりできるトランス系の役者。

 まっつがお約束というか技術で演じている横で、なんてあでやかにキラキラとたのしそうに表現していることか。
 目を離せないたのしさ。わくわく感。めまぐるしく変わる表情を見ているだけで、気が付いたら時間が過ぎていくというか。

 技術というだけなら、実力というだけなら、現時点でまっつが上なのかもしれないけれど、この輝きの差というか目を引く表現欲の差は、切ないほどはっきりしているなと。

 だいもんに活躍の場あるとうれしい。それに比例して彼は魅力を開花し、それに比例してわたしは彼に惹かれる。
 与えられた場に応じて、どんどん大きくなるんだなあ。もっともっと彼に大きな場を与えてみてほしい。どこまで伸びるのか、輝くのか、たのしみでならない。

 そして、歌い、演じているときはあんなにオトコマエなのに、トークになると一転してダメダメな子猫ちゃん、つーのがまた……なんなのよ、ギャップ萌えを狙ってるの?!

 『虞美人』の子猫ちゃんもさすがのうまさと可愛さ(童姿はいろいろとアレだが・笑)で、実力派は伊達でないことを見せつけてくれているけれど。
 やっぱりだいもんは男役だ。
 男子としてキザっているときが、ものごっつー魅力的だ。あの糸引きそーなとこがいいのよーっ。じたばた。

 彼の恋愛モードの曲は『パレルモ』1曲きりだったんだけど、なにしろ無駄にドラマティックな曲なので(笑)、スイッチ入った姿が素敵ですよ、お客さん!
 ああ、オサ様の役をやってほしかった、新公で。

 羽を持って生まれたからには、飛んで欲しい、力の限り。だいもんを見ていると、心からそう思うよ。
 

 ところで、「ルイーズ」がアタマの中をぐるぐる回って仕方なかったんだが。
 この歌、一人称と三人称を間違って脳内再生するとものすげーブラックな曲になるねー。
「♪愛しのルイーズ、みんなアナタを愛している」
「♪うれしいわ、みんなもワタシが好き。みんなの笑顔はワタシのモノ」
 
 繰り返し脳内再生するうちに、「ワタシ」と「みんな」が入れ替わっちゃって……。
 ブラック・メルヘンな感じが曲調に合っていて、それはソレでありかと思うんだが(笑)。

 ピエロ@だいもんで、ぜひぜひアレキン@まっつ!を見たかったんだがなあ……(笑)。
 あのまっつが色男モード全開に、泣きべそだいもんから、彩音ちゃんをかっさらっていくとこを見たかった……!
 びんぼー人は、ディナーショーに行かない。つか、行けない。
 だからわたしは、DSをよく知りません。……みんなびんぼーが悪いんや。

 まっつのおかげで毎年DSに行くはめになってますが、本来のわたしはそんなところに相応しくない貧乏人です。まっつ絡みでない限り、もう行くことはないでしょう、つか、行く金はないでしょう。

 そんな、「DSって、よくわかんない」「DSはほとんど行ったことない」人間だからこそ、少ない経験を記録しておきます。
 

 桜乃彩音ミュージック・サロン『Ever green』は、西は宝塚ホテル琥珀の間。
 MSとDSの公式定義は知らない。規模の差かなと勝手に思っている。MSは琥珀の間でコンパクトに開催、DSは宝寿の間以上(HHIとか)で盛大に、ってことかなと。
 『虞美人』千秋楽挨拶ではっち組長は「桜乃彩音のディナーショー」と何度も繰り返していたことだし、劇団が勝手に名称を付けているだけで、中の人にとっちゃどーでもいいことなんだろう。(劇団が「主演男役」という謎の呼称以外認めない時代すら、はっちさんは挨拶で「トップスター」と連呼していたしな・笑)

 宝塚ホテルでは、当日会場に行くまで、座席不明。
 代金を支払うと整理券を渡されるだけで、それに座席は書いてない。受付番号が載っているのみ。

 わたしはホテルの一般発売でチケットを購入。だからホテル受付というテーブルに、座席券を引き換えに行った。
 ホテルで発売したチケットは、後方のみだった。受付に容赦なくテーブルナンバーが書いておいてあるので、自分以外のホテル発売チケットの座席位置が一目瞭然。

 大劇場のSS席のほとんどが一般発売されていないように、タカラヅカのチケット流通は不透明であり、一般人にはやさしくない仕組み。
 それはわかっているというかあきらめているが、DSでも同じことが起こっていた。

 わたしはその一般発売の開始時刻から数分でつながった。
 自分に掛かった通話時間と、漏れ聞こえるホテル側の電話オペレータの人数からして、発売1~2分で何百席×2日分が売れたとは到底思えない。現にMS開催数日前まで「好評発売中」だったわけだし。
 しかし、発売開始数分で電話がつながって購入した人も、開催日直前に滑り込みでチケットを買った人も、配席はほとんど差はなかった模様。
 どっちにしろ、後ろしかないのよ。

 チケット購入時に座席位置を聞いたんだが、宝塚ホテルの人は教えてくれなかった。……教えられないわなあ、発売開始早々「前方席の一般発売ありません、売っている席はいちばん後ろだけです。でも、価格は全席同じ25000円です」って言ったら、よほどのチケ難前提イベント以外、誰も買わない(笑)。

 ちなみに、ホテル阪急インターナショナルは席を教えてくれた、一般発売の電話掛け時に。つながった時間からして納得の座席位置だった。最前列から発売しているようだ。

 また、宝ホも数年前の某DSのときは、座席位置はこちらも聞かなかったけれど、一般発売で最前列センターから順に発売していた。今回のMSと同じ時刻につながったら、最前列センターだったもの。

 数年前は最前列から発売していたが、今は後列しか発売していないのか、DSごとに発売座席位置は違うのか、それはわからない。
 なにしろ不透明なのがタカラヅカ。

 ナマモノなので芸能界なので、お客様やらFCやらで座席配分があるのは仕方ない。
 仕方ないが、一般人にはやさしくない世界だ……。

 DSによく行く人やふつーのヅカファンなら、一般発売なんかでチケット取らないもんなあ。しみじみ。

 ただ、琥珀の間はせまいので、後方席でもステージは遠くなかったです。
 これが宝寿だったらキツかったなー。最前列と最後列では印象にかなりの差があるわ……。

 今回は東の第一ホテルにも参加したんだけど、こっちは譲ってもらったチケットだったので、一般発売の配席はわからず。
 「ラ・ローズ」という宴会場は琥珀の間より広いので、後方席からステージは遠かったっす。(もちろんわたしは後ろの隅っこにいた。いやもお、どこでもいいから参加したかったので感謝)

  
 で、ディナーショーの料理が「フルコース」でないことは数年前から変わらず。

 宝ホはコースの中にスープ無し。ショー中のドリンクも無し。
 HHIもパレスホテルも、第一ホテルも、食事のサービスがすべて終わったあとに、ショーを観ている間に飲むドリンクのリクエストを聞いて回ってくれる。が、宝ホは無し。でも、こちらからオーダーすれば持ってきてはくれるので、コーヒーが出たあたりで積極的にオーダーするべし。

 ただ今回は、何故かデザートが2種類あった。
 フルーツ系の重いスイーツのあと、何故かチョコレートケーキ。2日間とも、スイーツ+チョコケーキ。……彩音ちゃんがチョコ好きだから、とか、そーゆーことなのかな?
 わたしは普段チョコを食べないのでよくわかっていないが、アレは「チョコレート」であって「ケーキ」ではないのかな。わたしはケーキだと思ったんだけど、メニューには「小さなショコラ」とある。……小さくなかったよ、デカかったよ(笑)。

 また、デザートにはひとつずつ「AYANE」とネームがチョコで手書きされていて、彩音ちゃんMSのために特別にがんばってくれていることがわかって、微笑ましかった。(が、このネームプレートはマジパン製? まずかった・笑)

 よく聞かれることは「DSって毎日同じメニューなの?」だけど、メニュー自体は毎回チガウ。DSフルコンプ経験が何度かある(……)けど、いちおーホテル側が変えてくれてる。1日2回参加もした(……)が、ちゃんと変えてくれている。

 
 今回おどろいたのは、第一ホテル。

 「フルコース」じゃないことは覚悟の上だったけれど、肉料理がなかった……。

 そういうものなの? 今のディナーショーの常識? 普段参加しないから、わかんない。去年の巴里祭はふつーに魚も肉もあったけど。

 オードブルのあとスープが出て「あれ、スープあるんだ、めずらしい」と思っていたら、次が魚料理で、デザートとコーヒーで終了。……終わっちゃったよヲイ。
 イゾラベッラのサロンコンサートと同じ扱いですか、そうですか。

 大抵食事終了とショーの開始時間には間があまりなく、みんな化粧室に行ったりなんだりでばたばたするんだけど、第一ホテルでは時間余りまくり。
 食事が終わって時計を見ると、ショーまで30分以上あった……。つか、食事開始時刻から40分くらいしか経ってねえ……ホテル側のサーブは一定だから、わたしが早食いとかじゃなく、参加者全員がこんな時間で食べ終わっていた。

 メイン料理が1品ないだけで、20分以上違ってくるんだね、食事時間って。

 
 食事の味は、わたしには違いがよくわかってない。なにしろ育ちが悪いもんでなあ。
 ホテルには格とゆーものがあるわけだから、同じ値段でもメニューが違ってくるのは仕方ない、第一ホテルの肉無しディナーが宝ホの肉有りディナーと等価であることは想像つくけど。
 同じ値段で肉料理とデザート2皿付いてるなら、宝ホの方がお得と思っちゃったよ。宝ホはおなかいっぱいになって困ったので、第一ホテルには一生懸命おなか空かせて行ったんだけど、食べ物が少なかったという……(笑)。

 ただ、サービスの面では宝ホがいちばん良くない(笑)。サービスっつーか、スタッフのレベルっつーか。
 今まで参加したすべてのDS合わせて、「宝塚歌劇オフィシャル」を名乗る宝ホがいちばん悪い。が、これももう慣れというか、宝ホにサービスは求めていないというか、そもそもタカラヅカってそういうところじゃん、という、ヅカファンならではの感覚が……(笑)。

   
 とまあ、こんな感じです。
 普段まず参加することのないディナーショーというイベントなので、今後のために覚え書き。
 『虞美人』の、戦う者たちについての私感。

 この『虞美人』での善悪は、わたしたちの時代とは異なっている。陰謀だの嘘だの殺人だのが「悪」ではないんだよね。
 野望のために生命を懸ける。それが正義。

 冒頭で主人公の項羽@まとぶん自身が語っている。桃娘パパ@めぐむを一刀のもとに斬り捨てた、現在の感覚ならそれは罪だけど、この世界ではフィフティ・フィフティの結果。
 最初の項羽の行動で、まず世界観を確立。
 「誰もが天子になれる、そういう時代が来た」と。

 暗殺を命じる范増先生@はっちさんが人格者であるという描かれ方をしているように、「戦国時代」である以上、現代とは違うんだ。
 ここでの「悪」は、己れの欲望を遂げるために命を懸けない者。自分は安全なところにいて、命懸けで戦う者を嗤う者。だから宋義@まりんは悪として成敗された。

 なにかを欲しいと望むならば、なにかを成し得たいと願うならば、等しく命を懸けなければならない。それがこの世界のルール。
 命が惜しいなら最初から望まなければいい。舞台に上がらなければいい。苛烈な項羽も、自分と同じ舞台に上がる気のない者をわざわざ追いかけていって殺しはしない。
 スポーツと同じだ。野球でもサッカーでも、みんなルールを遵守するという前提でグラウンドに出ている。ルールに則って戦い、勝敗が決まる。ユニフォームを着てグラウンドに出てきたんだから、ルールを守って戦うという意思表示だろう。そんな者を試合で打ち負かしたからといって、勝者が悪のはずがない。
 「欲しい」と舞台に上がりながらも命を懸けない、ずるい者が悪。ルールを守って戦わない者が悪。

 ……という、このへんほんと男子脳というか、少年マンガ的な感覚だよなあ(笑)。

 ただ勝ち残った者が正義とするなら、こんなルールは不要のはず。現実社会はいつの時代も等しく「最後に笑った者が勝ち」だろうけど、『虞美人』は宝塚歌劇は物語だからエンタメだから、それはナイ。
 表に一切出ず、利権だけ貪る勝者、なんてモノを描く気はないんだ。

 おかげで、物語に登場する「欲しい」と望む者たちはすべて、なんらかのカタチで命を懸けている。
 平等に。
 ルールを守らずにズルをしようなんて者はいないんだ。リスクを負わず、望む結果だけ得ようなんて者はいないんだ。

 項羽たち武人は、実際に命を懸けて戦場に出ている。

 調子よく勝ち進んでいるような描き方をされている劉邦@壮くんだって、ちゃんと戦場に出ている。
 また、項羽との初対面のときは、荒ぶる項羽の前で声を上げて笑ってみせるなど、命懸けの行動を取っている。項羽はわざと、感情的で危険な男ぶって暴れてみせていた。彼は「漢」を探していたんだ、「流れに逆らっても自分を貫く漢」を。
 
 劉邦以上の野心家であったその妻・呂@じゅりあもまた、人質になってなお毅然とし、命を懸けて舞台にいる強者(ツワモノ)だと、ちゃんと見せている。

 蝶よ花よとふわふわちやほやされているだけに見える虞@彩音ちゃんが、最初から覚悟を持って項羽のもとにいることは、言うまでもなく。

 宮廷で策を弄しているだけに見える軍師たちも、例外ではない。
 范増先生は項羽に自分の首を懸けて意見しているし、張良@まっつもまた鴻門の会でその身をさらして太刀を持った項荘@しゅん様と対峙している。

 覚悟の上で、舞台に上がっている。
 そこが、そういう場であると。
 誰もが公平に、たったひとつの命を、人生を懸けて、「夢」に向かっている。

 だからこそ、野心のために命を落とすことは、無駄死にではない。
 あっけなく落命し、物語から消えていく桃娘パパや衛布@みつるも、なにも間違っていない。
 夢に向かって生きた。自分に出来る限りのことをした。その事実は消えない、歪まない。無駄なことなんかなにひとつない。大望ついえるのも、死も、その結果のひとつでしかない。

 等価交換の法則っちゅーかね(笑)。
 責任を負う覚悟のある者たちの戦いだから、美しくもあり、また切なくもある。

 だって、民衆たちは無責任だからね。
 自分たちはなんのリスクも負う気はなく、オイシイ思いをしたくて群れている。
 勝ち馬には乗りたいが、沈む船からは我先にと逃げ出していく。個ではなく、匿名で、「みんな」という安全圏で、「名」のある者を叩く。言動に責任を負う気はないから、簡単に身を翻す。
 いちばんおそろしいのは、自分の責任で兵を挙げて戦う将たちではなく、名も無き民衆たち。「民の心ほど移ろうものはありません」……賢い韓信@みわっちが言うように。

 今回キムシン節が薄すぎて残念だ(笑)。
 キャラクタたちはちゃんと、いつもキムシン・キャラなのにね。「民衆」たちとは一線を画した主人公たちなのにね。

 物語中、いちばんの危機というか、「大変、もうダメだ」になる劉邦は、まさにその民衆に裏切られるんだよね。
 それまでさんざんちやほやされていたのに。

 そしてさらに、劉邦の嘆きが深いのは、「責任」をすべて投げ出すから。
 一軍の将として名乗りを上げたからには、責任を負わなければならない。なのに彼は自分の命惜しさに責任を放棄した。
 あの無責任な民衆たちと同じことをした。だからこそ、キムシン作品の中では最大の裏切りを犯したことになり、カーテン前でたったひとり這いつくばって泣いてもおかしくないんだ。
 彼をそこまで追いつめる理由が「私は誰も愛していない」なわけで、そのあたりをちゃんと描いてないから、いきなりな展開に「はぁ??!」になるけど(笑)。戚@れみちゃん登場でさらに「はぁ??!」になるけど(笑)。
 キムシンの中では筋は通ってるんだろうなあ。

 わたし的には好みの展開なので、劉邦の絶望過程の描き方がゆるいことが、心から残念です。

 
 まあそれはともかく、野望のために生命を懸ける、この世界観と、そこに生きる人々が好き。
 現代とはチガウ、フィクションならではのファンタジー。
 元歴史物ヲタ(学生時代、歴研所属・笑)のハートをうずかせる、萌えのつまったキャラクタたちと、物語ですよ、『虞美人』。
 演出その他、作品に言いたいことはいろいろあるんだが、でもやっぱりわたしは『虞美人』を好きだと思う。
 キムシンと波長合うんだってば(笑)。

 キャラを好きになれる、感情移入できる、これが大事。

 つーことで、呂妃@じゅりあの話。

 わたしはプロローグの劉邦@壮くん臨終場面はいらない派なんだが、それでも呂妃を好きなために、すでにここから泣けるという(笑)。

 えー、わたしのツボに「許さない」ツボというのがありまして。
 我ながらいろいろ変なツボがあるもんだなと思うんだけど、キャラクタが「許さない」と言うのがツボだったりするの。

 以前、『マリポーサの花』でいちばんわたし的ポイントになっている台詞が、ネロ@水くんがサルディバル@ハマコに言った「裏切ったのはお前だ」という台詞だと書いた。
 これもある意味「許さない」ツボなの。

 最初からナニもなければ、許すも許さないもないよね。
 愛情とか信頼があり、ソレが損なわれたことで「許さない」という感情が発生する。
 取るに足りない相手なら、裏切りも失望も、痛みは少ない。
 そうじゃないから、そこに深い重い想いがあるから、「許さない」に発展する。

 プロローグで呂妃は、死せる劉邦へ「許さない」と言う。劉邦の愛した側室、そしてその息子も殺してやると。そしてその行動を「あなたのせい」と言う。
 自分が歪み、手を汚す、それも全部全部劉邦のせいだと。

 そこまでさせるほどの、痛み。
 ひとりの女をここまで追いつめた、なにか。

 それを思うと、すでに泣きスイッチが入る。

 で、そこまで憎しみを顕わにしておきながら、いざ劉邦が息絶えたとき、呂妃は彼にすがりつくように、身を寄せるの。セリ下がりのどさくさに。ろくに見えないところで。

 許さない。
 彼女にそう言わせるモノが、痛い。
 許さない。
 そう言いながらも、すがりついて泣くんだ。自分を裏切った夫の亡骸に。

 
 『虞美人』は呂妃の一代記でもある。
 本編で呂妃は、とてもかわいい若妻(笑)として登場する。演じているのがじゅりあなので、なんかコワイ印象がぬぐえないが、最初は寛大でかわいい奥さんなんだってば。
 夫の可能性を無邪気に信じ、夢を見る若い女。

 それがまあ、いろいろいろいろあるうちに、どんどんコワイ女になっていくんだが。

 じゅりあが気の毒なのは、セーム@『太王四神記』と役柄がかぶることだよなあ。
 セームは野心を息子に負わせ、呂妃は夫に負わせる。「私が男なら、王になっていた」という台詞にある通り、真の野心家だった、という設定。

 役柄はかぶっているけれど、もちろんセームと呂妃は別人で、呂妃の方がすげー深い役なんだが。一見一緒くたにされちゃって気の毒だなあ。

 呂妃としての演技は、どんどん変わっていったと思う。
 冒頭、そして虞姫@彩音ちゃんとの対決場面。

 「許さない」ツボが再度発動するんだ、虞姫VS呂妃場面にて。

 初日付近はわたしが気づいてなかっただけかもしれないが、呂妃は台詞通りの表情をしていたと思う。
 「私は決して囚われない、捧げ尽くして消えます」……そう歌う虞を笑い飛ばし、「まるでお庭を舞う蝶々と話すよう」と言う呂。

 それがもお、あとになればなるほど呂が哀れで。

 泣く代わりに、哄笑するしかなかったんだね。

 「決して囚われない」と、囚われている呂の前で言い放つ虞姫の、「正しさ」「清らかさ」ゆえの、残酷さときたら。

 ずたずたに傷つけられて、それでも誇り高い彼女は敵の前で弱みは見せられない。泣いて同情を買うくらいなら、笑ってひんしゅくを買う方を選ぶ。そういう女。
 虞姫の菩薩のような清らかな光をあび、卑しい人間が己れの醜さに顔を歪める。痛みのあまり、哀しさのあまり、泣き出しそうになり……泣く代わり、悲鳴を上げる代わりに、哄笑した。嘲笑った。侮蔑の言葉を投げた。

 精一杯の虚勢。
 その、気の強さ。誇り高さ。

 最後まで背筋を伸ばし、凛と立ち尽くし、だけど暗転の間際、泣き崩れるかのように。

 虞美人の歌を聴いているときの呂妃が、あまりにつらそうでねえ。虞の歌があと1小節長かったら、そのまま泣き出してんじゃないの、みたいな。
 泣かないで、誇り高いひと。
 囚われて、敵に情けを掛けられて、しかも、女としての愛し方、人間としての生き方まで否定されて、貶められて。それでも泣くことよりも、闘うことをえらんだひと。
 
 虞姫の愛し方に、呂妃が感銘を受けたとか敗北感を持ったとか、そーゆー次元の話ではなくて。
 どう愛するか、どう生きるかに正解なんぞないように、どちらの女が正しいということはない。
 夫の苦境に足手まといになるまいと自殺する女がいじらしいとか、夫を信じて逆境に耐える女がけなげだとか、それは観ている人が感じればいいことで。
 呂妃は自分が間違っているとか、思っちゃいないだろう。自分で自分の半生を否定するようなことはしないだろう。

 だけどここまで真逆の価値観を示され、しかも人間を超えたかのよーな「正しい」光のもとに宣言されちゃったら、泣くしかないよなあ。
 その瞬間、自分を卑小に感じて。

 それでも虞姫の足元にひれ伏したりせず、ぐっと顎を上げていた彼女の強さが、愛しい。
 たとえば桃娘@だいもんなんか、すっかりアタマ下げちゃってるもんね。虞姫のあの光に照らされたら、そうなっちゃうんだよ。

 強い自我を持つ、誇り高い呂だからこそ、正反対の生き方をする虞にここまで反発した。
 いや、自我を守るためにも、攻撃に転ずるしかない。
 項羽@まとぶんを滅ぼし、虞姫を殺さなければ。負けるとは死ぬこと、勝ち続け、闘い続け、証明しなければ。

 わたしの愛し方が、間違っていないと。

 ……呂妃も、劉邦を愛していたと思うよ。野望の道具みたいに扱っていたけれど。
 男たちの時代、女の運命はどの男に添うかで決まる。呂妃がその才能を認めた劉邦は、すなわち呂妃自身の才能。夫を否定されることは、自分を否定されること。基本から歪んでいたかもしれないけれど、それでもそこに愛はあっただろう。

 冒頭、死せる劉邦を「許さない」「あなたのせい」となじりながらも、寄り添うように。
 てゆーか、「あなたのせいなのです」って、愛の言葉だよなあ。

 愛の正しさを、人生の正しさを、呂妃自身の正しさを、彼女のすべてを否定したあの女に見せつけなければならない。
 ……呂妃が人生懸けて証明しようとした、「絶対に許さない」と思ったその相手、虞姫はそんなことぜーんぜん歯牙にも掛けてない、つか呂妃のことなんか忘れてんぢゃね? という現実が、残酷すぎて、ツボです。

 菩薩の域まで達した虞美人の美しさと、俗世の泥と闇をまとった呂妃の悪妻っぷりが素晴らしいです。
 彩音ちゃんもすごいし、じゅりあもすごい。
 
 この「もうひとつの、項羽と劉邦」である、女ふたりも大好きだ。
 ちまちまと古いビデオテープの整理をしている。
 まだスカイステージがなかったころ。地上波のふつーのテレビでヅカ関連番組があると、なんでもかんでも片っ端から録画していた。なにがなんやら、めちゃくちゃに録り溜めてある。
 中身も確かめずに、とりあえずレコーダーにまるっとダビングしたデータを、番組ごとに分割、番組名がわかるものはタイトル入力。
 てなことをやっていたら、画面に音楽学校時代のきりやんとゆみこが映って、びびった。

 本科生のときだな。首席と次席だからインタビュー受けてる。ひとりずつ画面から切れるくらいのドアップ。モロ本名のテロップ付き。
 えーと、93年の『水曜特バン!「これを見ると10倍面白くなる!芸能界の裏側」』。いろんなネタの中、ヅカ話は15分ほど。華やかな舞台で輝くためには、ものすごーく努力してなきゃなんないんですよ、みたいな流れ。それが「タカラヅカの裏側」らしい。

 ふたりとも、きれいになったなあ……。
 いやその、まだハタチ?であろういとーちゃんとゆみこちゃん、お肌はぴちぴちなんだけど、いやそのえっと。なにしろ音校生だし、お化粧も髪型も縛りがあるし。
 タカラジェンヌは劇団に入団し、舞台その他で磨かれて、美しく、あか抜けていく。
 ただ若い、というだけの時期よりも、年輪を重ねた方が美しいんだ。

 ふたりとも、きれいになった。
 その人生が、美しさを作っているんだ。

 編集画面から通常のテレビ画面に切り替えると、現在のゆみこちゃんが話しているところだった。雪組の「NOW ON STAGE」の最後の放送がオンエアされている。きれいだなあ、ゆみこ……。

 
 雪組東宝楽。
 遠く大阪の地で、想いを馳せておりました。
 快晴で良かった。あたたかいのに、でもなんか肌寒くて、「春」だなと思う。4月ももう終わりで、春というより初夏に近いのかもしれないけれど、それでも「春」を思う。出会いと、別れの季節。

 mixiやTwitter他で報告してくれたみんな、ありがとう。ハマコの袴写真に、なんかガツンと衝撃を受けた。……ゆみこちゃんの袴姿に対してすごーく構えていた分、その前のハマコで思いがけず動揺する。いやそのわたしハマコ大好きだからそれはわかっていたけどああやっぱりこんな。

 千秋楽おめでとう、卒業おめでとう。
 友人たちがそう書いているのを見て、ああそうだおめでたいんだと、改めて思う。
 自分の寂しさとか悲しさとかが先に立っちゃって。いかんね。旅立ちだものね。祝福しなくちゃね。

 自分も現地でなにかしら参加していると、否応なしに現実にもまれて納得していく部分があるんだけど。
 なんかしみじみと、寂しいな。

 出会いと別れがあって、タカラヅカは続いていく。人生と同じように。
 古い映像整理しながら、現在が過去になるのを実感する。「宝塚音楽学校本科生」とテロップ付けられて喋っていたゆみこちゃんは、今日を限りに「宝塚歌劇団卒業生」になる。

 古ぼけたテープの映像の中で、やはりジェンヌたちがあの舞台の上にいて。電飾が輝きスパンコールが輝き。
 出会えたことは奇跡だよなあ、なにもかも。なんかぼーっと、そんなことを思う。

 ……それにしても、昔も今も変わらずヅカヲタやって、テレビ番組を録画している自分の行動にも、ちょっとアタマを抱えつつ。

 わたしも書こう。
 千秋楽おめでとうございます。卒業おめでとうございます。
 退団者のみなさんに、素晴らしい未来が広がっていますように。(と書いて、「未来」といえば「優希」じゃん、と思うわたしの脳みそときたら……あああ、ハマコ~~)
 未だに、心は『虞美人』です。

 項羽@まとぶんが好き。彼の不器用で苛烈な生き方が好き。

 でもって。
 思うんだ。

 劉邦って、どうよ?

 融通の利かない項羽に対し、人を活かすことを知っていた劉邦@壮くんは結果として天下を手に入れる、わけだが。
 前にも書いたように、現実に項羽と劉邦がいたら、わたしは項羽にはこわくて近寄れない。無能だから絶対切り捨てられる。でも劉邦なら、こんなわたしにも居場所をくれそうな気がする。
 劉邦に人気があって、項羽が滅んだのもわかる。

 が。
 そーゆー話ではなくて。
 
 わたしは、劉邦の無邪気さが、こわい。

 「私は誰も愛していない」と泣き崩れる劉邦だが、わたしとしてはそれ以前のところで「オマエ、こわいよ」と思う。

 衛布@みつるという男がいる。彼は野心家で、自分こそが天下を取る器だと思っている。
 会稽の太守・殷通@めぐむの部下だが、上役に対してなんの思い入れもない。いずれオレが取って代わる、程度にしか思っていない。……ので、殷通が殺されても平気。太守の仇を討つどころか、早々に敵に寝返る。

 この衛布と、劉邦にどれほどのちがいがあるのか。
 野心と敵愾心を顕わにしている分、衛布の方が健康だ。

 劉邦はただの一度も項羽を愛していない。
 なのに、なーんも考えずに、義兄弟の契りを結ぶ。

 男にとっては一夜限りの遊びだった。だが、女は運命だと思った。……てなぐらいの、温度差。

 義兄弟だからと項羽は劉邦を許し続けるけれど、劉邦はそんなことは頓着なく、項羽を殺すことしか考えていない。

 「私も龍」と歌って楚の軍に加わるときも「項羽は当分は味方」と、言下に「いずれ殺すけどね」と匂わす。
 先に咸陽に入れば、項羽のことなんか関係なく門を閉ざす。
 僻地とはいえ領地を与えられて漢王となったあとも、とってもナチュラルに「楚を攻める日は近い」と兵隊の訓練にいそしみ、懐王を弔うという大義名分を得て兵を挙げる。
 項羽が都を不在にすると、ここぞとばかりに進軍。

 終始一貫彼は、項羽を敵とし、殺してその地位を奪うことしか考えていない。

 なのに彼は、とても善良そうに見える。項羽との間に友情があるようにさえ見える。
 陰でいじめグループを指揮しながら、当人の前では「オレたち親友だろ!」とにっこり微笑んでいるくらい、やっていることに裏表がありすぎる。

 でもって、この親友ぶって陰でいじめ、てのは衛布がやっていること止まりで、劉邦はさらにものすごいことに、悪意がないんだわ。
 自分でこっそり友だちの上靴を焼却炉に放り込んでおきながら、「上靴がない? ひどいな、オレも一緒に探すよ」と、心から親切で言って、一緒に探してやるのよ。自分がそのひどいことをしているんだという、自覚がないの。

 こーわーいー。

 義兄弟だ、と無邪気に言いながら、その同じクチで楚を攻める話をする。戦争を吹っ掛けるってことは、項羽を殺すことなんだけど、そのへんは気にしてない。

 項羽は義兄弟である劉邦を、自分から攻めたりしない。いつもいつも、劉邦が攻め、項羽が怒る。で、項羽の方が強いから、劉邦が「ごめんなさい」して許してもらう。

 項羽は「私には羽がある」と英雄ソングを歌う。劉邦は「東へ」と英雄ソングを歌う。
 だが、項羽は野心を歌うことで誰も裏切らないが、劉邦は「項羽を殺すぜ! ヤツを殺してオレが上に立つぜ!」と歌っている。西の地へ追いやられた劉邦は、東へ攻め入る予定だからだ。

 「義兄弟」でなければ、べつにそれでいいんだけど。衛布がどんだけ野心を持っても健康であったように。
 項羽個人を慕っているようなのに、それと同じハートで項羽を殺すことをにこやかに歌う劉邦の、病みっぷりがこわい。

 項羽への好意と、項羽を殺して天下を取ることは、劉邦の中で別物になっている模様。
 ……ふつうは、葛藤とかわだかまりとか、ありそーなもんだがね。劉邦にはそういう「闇」の部分がない。いつもからっと明るい。

 という、闇。

 鴻門の会で范増先生@はっちさんに命を狙われてなお、「まだ義兄弟に別れを告げていない」と言い募るあたり、ほんとに項羽のこと、素で好意を持ってるんだよね。
 そんな相手を殺すことしか考えていない、それを変だと思わないって、どんだけコワレてるんだ、劉邦。

 そんな人だからこそ、「私は誰も愛していない」になるわけだな。
 愛せるわけないじゃん。アンタ、人としておかしいよ。

 ……されど、人としておかしい人こそが、天下を取ることが出来るんだろう。
 ふつーの神経持ってたら、裏切り続け利用し続け、血で血を洗って屍の山の上に国を作ろうなんて思わないって。

 
 とはいえ、このこわさは、ひとえに演じているのが壮くんだからだと思う。

 壮くんの得難い才能なんだ。
 彼の光には、影がない。
 どんな光にも、影はできる。物理的にいって。
 しかし、壮一帆の輝きには、そんなもんが存在しないのだ。

 そんな壮くんがあっけらかんと突き抜けた明るさで演じるから、劉邦はあんなに可愛らしく、魅力的な人物になっている。
 それと同時に、いびつで、キモチワルイ人間になっている。

 や、1回観る分には、劉邦の闇は見えないというか、気にならないんだけど。だって劉邦、可愛いんだもん。
 繰り返し観ていると、誠実そうにきらきら笑いながら、めちゃくちゃダークな言動しかしていないことに、背筋が寒くなっていって。

 もっと深刻な持ち味の人が演じたら、屈折や裏が感じられるキャラになるんだろうけど、なにしろ壮くんだから。
 ぴかーっ、とか、てかーっ、という明るさゆえに、やってることのひどさが伝わりにくい。ふたつが乖離しまくり、とても病み&闇が広がっている。

 大好きだ、劉邦。

 こんな無邪気さがコワイ人、愛さずにはいられません。
 歪んだ人は大好物だ。

 いずれ楚軍と戦う、と英雄みたいに語っている漢王サマのキラキラぶりに心奮える。「義兄弟を殺すよ~♪(笑顔)」って言ってるんだよねー。項羽は劉邦を傷つけることなんか、一度も考えてないのに。劉邦ってば項羽を殺すことしか考えてない、なのに項羽のことはふつーに好きで義兄弟だと思ってるんだよー。すげーすげー。

 悪意なんかないから、項羽に「義兄弟を裏切るなんて、酷い奴だ」と責められたら、「ごめん、オレが悪かった」って心から謝るんだぜえ。
 劉邦はナチュラル・ボーン、いつだって誠実なの。二心なんてないの。

 劉邦がきらきらと無邪気に美しければ美しいほど、心奮えます、彼への愛しさがつのります(笑)。 

 ……項羽ってばほんとに不幸。なんでこんな病んだ男を愛したんだか(笑)。
 『虞美人』の劉邦@壮くんが歪んでいてコワイと書いた。
 無邪気に笑いながら、慕いながらも、項羽@まとぶを殺すことしか考えていない。
 彼が陽気でかわいい男であればあるほど、不気味さが増す。心の病みっぷりに戦慄する。
 項羽を「義兄弟」と愛することと、項羽を殺して自分が天下を取ること。相反する行為なのに、劉邦はそれをあったりまえにひとつの心の中で同時に存在させている。
 よくある、「愛するからこそ、この手で殺したい」とか、「偉大なライバルだからこそ倒したい(勝つこと、殺すことが敬意)」とかですらない。
 そういう意味でのこだわりや意欲を語る場面はない。
 あるのは、義兄弟と慕う場面と、楚を討つためにきらきら野心を語る場面。

 とても少年マンガ的なんだと思う。
 これがスポーツマンガなら、なんの違和感もない。弱小チームのキャプテン・劉邦が「前回の優勝校・楚に勝つぞぉ、項羽に勝つぞぉ。オレたちが優勝するんだー!」とキラキラしているならば。
 試合で勝つことは、ただ勝つことでしかない。項羽を好きなことと、試合に勝つことは同時に存在していても不思議はない。

 しかしコレ、戦争だから。

 敗北者は一族郎党まで皆殺し必須の国の戦争ですから。
 少年マンガと同じノリのライバル観ってどうなのキムシン?!

 劉邦がコワレてるのは、作者のせいだと思います(笑)。

 しかし、そのおかげで劉邦がひどく愉快なキャラクタになっていることは事実。病んだ人、大好物ですから!(笑)

 劉邦は子どもなのかなと思う。
 お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んで「動かなくなっちゃった」と泣く幼児。や、アンタそれ自分で殺したんだから! それをすることで相手を傷つけるとか殺してしまうとか、理解していない。
 だから項羽に勝つ、楚を攻めるということが、項羽を殺すことだと理解していない。ただ、項羽と遊ぶことがたのしくて仕方ない。

 命、を、理解していない。

 劉邦は、お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んでいるところ。それによって小鳥が死んでしまうなんて、死というものがナニかなんて、根本から理解していない。そんなものがあるということすら理解していない。
 ただ、自分が楽しいからやっている。欲しいからやっている。呂ママも「欲しいなら奪いなさい、アナタはそうしていいのよ。だってアナタは天からソレを許された龍なんだから」と言っている。そんな育てられ方をした、不幸な子ども。

 劉邦に、項羽と同じように、天分の才、羽があったとしたら、それはこの心の歪みっぷりだろう。命を理解せず、無邪気に天使のように命を弄ぶことが出来る。
 悪い、という意識がないので、迷いなくこだわりなく、天真爛漫に戦える。どんな残酷なことでも平気で出来る。
 子どもだから、素直に人の言うことを良く聞く。呂@じゅりあとか、張良@まっつとか。

 天使であるがゆえ、命だとか痛みだとかを理解しないがゆえにのびのびと恐れ知らずに生きてきた劉邦。

 彼が翼を失ったのは、命、を知ったとき。

 義兄弟の項羽を裏切り、調子こいて攻めまくった挙げ句、怒りの項羽にばっさりやられ、命からがら逃げ出したとき。
 自分の命が危なくなってはじめて、劉邦は命がなんたるかを知った。

 羽をもいで遊んだら、鳥は死んじゃうんだよ。死んじゃった鳥は、もう二度と動かないんだよ。生き返らないんだよ。

 今まで誰も劉邦を叱らなかった。羽をもいだら鳥が痛いなんて死んじゃうなんて、誰も教えてくれなかった。「アナタはなにをしてもいいのよ」と言われ、「劉邦サマ(はぁと)」「兄貴(はぁと)」とちやほやされるばかりで、誰も彼の言動を修正しなかった。

 それを項羽がやってのけた。
「この馬鹿野郎、卑怯なことしてんじゃねえ」と横面張り倒されて、劉邦ははじめて自分が間違っていたことを知る。(ちなみに、ヲトメ坐り)
 「私は誰も愛していない」と泣く劉邦ってさ、よーするに、「私は誰からも、愛されていない」ってことだよね。
 劉邦は愛していないのに、平気で愛してくる人々は、劉邦の心なんかどーでもいいと思っている人たちだ。
 本当の心がどこにあるかに興味のない人々しかいないんだ。劉邦の周りには。
 劉邦が意味もわからず小鳥の羽をもいで笑っていても、叱ってもくれない、劉邦の才能を利用することしかしない人たちだ。

 項羽に叱られて、はじめて知る。
 自分が、はだかの王様だと。
 自分を利用する人々に担ぎ上げられ、無知なまま笑っていた。無知なまま、その手を血で染めていた。
 命の意味も知らず。

 劉邦は、生まれ直した。
 傷つけられたら痛いとか、死んだらもう生き返らないとか、そんな当たり前のことを知った。

 その上で。

 彼は、項羽の死を願う。

 今まではゲーム感覚で項羽に勝つことを考えていた。スポーツマンガのように、勝ったり負けたりしながら友情するアレ。
 でも、現実はそうじゃない。彼らがやっているのは戦争だ。かかっているのは命だ。

 劉邦に真実を教えたのは項羽。現実を見せたのは項羽。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならない。
 雛が殻を割って生まれるように、劉邦は項羽を殺さなければ、生まれられない。

 命の意味を知らなかった劉邦は、ある意味天使で、羽のある存在だった。
 だが、その羽はもぎ取られた。項羽によって。
 劉邦はただの人間だった。

 項羽が都を留守にした間に兵を挙げた劉邦は、韓信@みわっちに「項羽には騙し討ちと思われているだろう」と言われ、「えっ、そんな?!」と驚いているくらい、自分のやっていることを理解していなかった。
 彼がやっているのは戦争で、楚に対して兵を挙げるというのがどういうことか、ほんっとーに、わかっていなかったんだ。項羽が怒ることすら、わかってなかったんじゃね?
 挙兵予定を語るとき、とっても無邪気にキラキラしていたもの。

 そんな劉邦だもの、講和のあと張良に「背後から追撃しろ」と言われ、あそこまで苦悩し、慟哭するのはおかしい。
 もともと項羽を裏切って、背後から騙し討ちで挙兵した男が、今さらなんで悩む必要がある? 恭順の証に橋を焼いて見せて、それでもこうやって挙兵したくせに。今まで散々裏切りまくり、ひでーことばっかやりまくりだったくせに、何故今回だけ苦しむ?

 劉邦が、変わったから。
 翼のあった、天使の劉邦じゃない。痛みも死も知らない子どもの劉邦じゃない。
 ただの人間になった劉邦だから。
 人間として、項羽を愛している劉邦だから。誰も愛してくれない中で、ただひとり、劉邦を叱りとばし、何度劉邦が裏切ろうと、許し、信じようとしてくれる項羽だからこそ、愛し……殺したいと、願った。
 今回だけは明確な殺意を持って挙兵し、その上で、講和に応じた。
 それを裏切れと言われたから、苦悩したんだ。

 それまでの劉邦だったら、悩むことなく「ソレ名案♪」と後ろから項羽に襲いかかったろう。小鳥の羽をもいで遊んでいた劉邦なら。

 劉邦は項羽によって、翼を失った。項羽に、ただの人間にされた。……もともと、その程度の器であったにしろ、思い知らされた。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならなかった。

 劉邦として、ひとりの人間として、生きるために。
 愛する者を手に掛けることで、知らなければならない。彼がずっと知らずにいた、「命」というものを。
 劉邦@壮くんにとっての戚@れみちゃんってナニか。

 ……まだ続いています、『虞美人』、劉邦の病みっぷり語り(笑)。

 「誰からも愛されていない」……そう気づいて泣く劉邦は、絶望の中で項羽@まとぶんを思う。わざわざ項羽の名前を出しているから、ほんとに「愛」ときて項羽なんだなこれが。

 項羽には、虞美人@彩音ちゃんがいる。
 項羽は虞を愛し、虞もまた項羽を愛している。

 命も意味も知らず、小鳥の羽をもいで遊んでいた劉邦は、項羽によって命を知った。
 ちやほやするばかりで劉邦の心なんて顧みもしない人々の中、本気で劉邦に対して怒り、叱りとばしてくれた項羽。
 劉邦にとって、項羽だけがこの現実でリアルなものとして、存在した。

 その項羽が愛している、虞美人。
 項羽にあって、自分にないモノ、それが虞美人。

 生まれたばかりで空っぽの劉邦が項羽になるためには、項羽が持っているモノが、劉邦にも必要だ。
 それが、虞美人。
 心から愛する、女性。

 その事実に気づいた劉邦の前に、戚が現れた。
 心優しい、美しい娘。

 Boy Meets Girl.これぞ運命。

 空っぽの劉邦は、全霊で戚を求めた。愛した。
 彼が、人間になるために。「項羽」になるために。

 
 さて、ここにもうひとり、愉快な人がいる。
 軍師・張良@まっつ。
 劉邦を利用する人々のひとり。

 劉邦が変わると同時に、張良も変わっているんだ。

 劉邦が子どもの無邪気さで楽しそうに裏切りと戦争にあけくれているときはそれなりにやわらかい態度で接していたが、いざ生身の人間として生まれ直した途端、態度が豹変している。

「覇王に勝ちたいか」
 と豪華で渋い金色のお衣装に着替え、髪に金冠まで付けて再登場する張良先生は、とても傲慢かつ威圧的。

 手段を選ばずに勝つ、カラダの傷よりも痛い、心の傷も増える……そうわざわざ忠告する。

 あのー、今までもさんざん酷いことばっかやって来てますよね、あなたたち。
 「戦わず、脅して勝つ!」とか、端で聞いていて「ヲイ、それってどうよ?!」なことを、とっても陽気に気軽にやってきましたよね、張良先生と劉邦さん。
 今までも十分酷いのに、今さら「これから酷いことするよ、心が痛むよ」と言われても……。

 張良先生はやっぱ、わかってるんだろうなあ。
 劉邦という人間を。

 無知な子どもだったために、どんな残酷なことも笑って行うことができた。それが、ついに大人になってしまった、自分の行いの意味も責任も理解している、理解できるようになってしまった……という、劉邦の変化を。

 だからこそ、「大人」の劉邦に対しての言葉なんだ。「手を、心を汚す覚悟はあるのか」という。

 劉邦が子どものままの方が、張良には都合が良かったんだろうな。利用する分にも、かわいがる分にも。

 張良先生も、彼なりに劉邦のことは好きだったと思うので。
 ちょっと目を離した隙に調子こいて大敗して、しかもいらん知恵ついて大人になってるんだもん、先生もショックだったろう(笑)。

 劉邦の最大の才能は、他人の痛みを理解しない、子どもゆえの無知と無邪気さ。天使であるがゆえの、恐いモノ知らずの大らかさ。
 なのに、知恵がついて常識とか限界とか知っちゃったら、困る。大人は、やる前にそれが自分に出来るかどうか考えちゃうからね。子どもみたいに考える前に飛び出したりしない。

 それで作戦変更、今までみたいにライバルの范増先生@はっちさんと頭脳戦やってる場合じゃない、ってことで、范増先生を排除する作戦に出る。(そのことで張良自身が傷つき、その後心を閉ざすことになるわけだな)

 
 心が病んでいる、コワレている劉邦は、項羽のおかげで「人間」になった。まともな心を取り戻した。
 だからこそ、項羽と戦い、滅ぼすしかなかった。

 優れているのは項羽だけど、どんな手を使っても、劉邦が勝たなければならなかった。そうでなければ、劉邦は生きていけない。
 生まれてしまった以上、殻を破って世界へ出なければならない。

 劉邦の誰も愛していない病みっぷりが愉快だった。それが、誰からも愛されていない、自分は無知な子どもだったと気づいたあとの、コンプレックスまみれの「人間」っぷりがすごい。
 「私も龍」と「東へ」と、きらきら野望ソングを歌っていた人とは思えない、引っかかり。
 挫折専科の壮くんらしく(笑)、翼を持たない、天使ではない、ただの「人間」としての苦悩。

 天下を治め、天子となったあとも。
 死の間際まで。

 劉邦は己れの現実と戦うことになる。

 あんなに無邪気に、きらきらしていたのにね。

 
 劉邦が生まれ直す……羽を失い、ただの人間となった直接の原因が、項羽。
 劉邦がただひとり愛した相手。

 劉邦は誰も愛していなかったと思う。ついでに、誰も憎んでなかったと思う。愛と憎の人・項羽とは対照的に。
 項羽は虞姫を愛し、また劉邦に一目惚れし(笑)、愛情深い分憎しみも深く激しい人だった。
 項羽の劉邦への爆裂片想いはとても愉快で、切ないものだった。劉邦が人間の気持ちなんかまったく理解しない、そーゆー次元に生きていない分、さらに。

 そんな劉邦が、項羽に現実を突きつけられてから、ふつーに人間として生まれ直して。わたしたちと同じ次元に羽を失って堕ちてきて。
 そのあとはいろいろ愛も憎もあったと思うよ。彼はただの人間になったのだから。
 その上での、物語冒頭の臨終場面なんだと思う。

 だからこそ、死の間際まで思い続けた、死の瞬間思い起こす相手だったんだ。
 劉邦にとっての、項羽。

 項羽がどれほど虞美人を愛していたか、彼女を必要としていたか知っていたから、項羽と虞姫が再会する場面を夢に見る。
 それこそが、劉邦の……罪にまみれた劉邦の、贖罪……魂が救われる場面なんだ。

 
 項羽と劉邦。加えて、張良。
 この3人の愛憎関係、ハンパねぇと思います(笑)。じっくりねっとり、長編愛憎小説書きたいくらいっす(笑)。
 我らが張良様@まっつの偉業は数しれない。
 しかし、彼の最大の功績は。

 項羽の最期の言葉を意訳したことぢゃね?(笑)


「それで、覇王の最期の言葉は?」(無表情)
「いや、それがその……『漢王に伝えて欲しい。♪誰もナニも信じられないこの世界だからこそ…』」(朗々と歌い出すふみか武将)
「…………」(無表情)
「そこで遠い目をして、『虞よ、待たせたな。アナタと共に』で、また歌って『シアワセに生ーきーたーとぉお♪』」(朗々と歌う)
「…………」(無表情)
「えーと。どうしましょうか。虞って、虞美人のことですよね? 漢王に伝えるんですか? 『私は虞と共にシアワセに生きました』って」
「…………」(無表情、あ、でもなんか、こめかみに筋が)
「てゆーかなんで最期にわざわざのろけを? 死の淵で伝えなければならないよーなことだったんですか? ……はっ。まさかコレは、痴話喧嘩?! 女が自分を捨てた男に対し、『アタシはアンタ以外の恋人とシアワセに生きたんだからねっ。別にアンタのせいで自殺するんじゃないんだからねっ。あーアタシはシアワセだったわ!!』」(声色を使うふみか)
「…………」(無表情、でも、こめかみに筋が……)
「痴話喧嘩じゃないとしたら、意識錯乱? 漢王に伝えよって言いながら、もう自分がナニ言ってるのかわかってない? たしかにお花畑な感じにイッちゃってて……うわ、こりゃダメだ、みたいな」
「…………」(無表情。でも、たしかにこめかみに筋がっ)
「どうします、他ならぬ覇王じきじきの、最期の言葉ですから、そのまま伝えないといけないんでしょうか……」
「…………今後、覇王の最期に関しては、一切他言せぬように」(無表情。力強く、無表情っ)

「覇王の最期の言葉が届いております。いわく、

『武人として、シアワセに生きた』

 と!!(意訳!!)」

 劉邦、感激! ザッツ美談!!  超訳っつか、ほとんど捏造の域っ!! さすが空気を読める男、張良グッジョブ!!(笑)
 
 最後に張良の美声が響くのがたまりません。そうだよな、ここは是非にまっつの声だよな。「あなたこそ、チュシンの王!」だよな(笑)。

 いやあ、項羽の最期の言葉をそのまま伝えたら、みなさんぽかーんになるよなあ。それをいいよーに意訳して場を盛り上げた張良先生はほんとに優秀な軍師だと思いまっつ。
 張良はそうやって脚本を書いてるんだよね。「覇王は暗殺されるべきではない」とか言って、自分のイメージする通りに歴史を動かしていく。

 実は、ロマンチストなんじゃね?

 歴史に……人間の生き方に、ロマンを求めている。美しさや、清冽さを求めている。
 それを叶えるために、人の情を捨てたり、自分の感情すら踏みにじったりする。……本末転倒している気がしないでもないが、そーゆーままならないところを持つのが、この天才軍師の魅力なんだろう。

 誰よりも夢見がちだからこそ、リアリストである、みたいな。
 誰よりも情深いからこそ、冷酷である、みたいな。

 キムシン作品は基本アテ書き、キャラ物だから。ストーリーがどうとかよりも、キャラを愉しむモノだから。(例・「『王家に捧ぐ歌』ってそんなに名作だっけか?」「だって主要3人のキャラがハマり過ぎてたしさー」「ああ、それでなんか名作っぽくなってる?」)
 

 張良さんのキャラ立ちっぷりは、たのしくてなりません。
 こんな性格です、と説明されるのではなく、その言動でわかる「張良先生ってどんな人?」。

 その張良先生がもっともアクティヴで、なにかとたのしい鴻門の会。
 劉邦様@壮くんを逃がすために、助けるために、守るために、張良さん大活躍!

 ここでのひそかな楽しみは、まっつVSしゅん様!!

 ハンゾー先生@はっちさんから、劉邦暗殺を命じられる項荘@しゅん様。剣舞にかこつけて、劉邦様に襲いかかる!
 これをさせまいとする張良。
 良ちゃんは剣を握ることもないし、「剣舞なら私だって♪」と腕まくりしてまざることもない。彼の戦いは頭脳戦。プラス、舌戦。後宮の美女たちを舞い踊らせたりして場を混乱させ、劉邦にバリアー(笑)を張る。

 このどさくさまぎれの大混乱の中、睨み合う張良と項荘。この場での直接の敵はお互いであることを理解し、威嚇し合っている。
 ああ、なんてうひゃっほうな画面(笑)。

 項荘は武官だ。張良を斬り捨てることなんか造作ない。許可が下りないから威嚇だけになっているわけで、ほんっと彼のキモチひとつで今、張良を殺せるんだよね。
 丸腰でありながら太刀を手にした男と睨み合う張良の、きつい視線。
 一刀のもとに絶命させられそうな間合いで、一歩も引くことなく睨み合うんですよ?

 かっこいい。
 ここの張良さん、すげーかっこいい。
 漢ですよ彼は。

 誰よりも(剣舞披露中の「子猫ちゃん」よりも)ちっこくて華奢なくせにね(笑)。

 劉邦を無事逃がしたあとの嘘臭い「項羽様@まとぶん万歳姿勢」もステキ。あのわざとらしい喋り、畏まりぶり。

 ちゃっかり上座をせしめ、ちゃっかりハンゾー先生の留守をせしめてしまうのも、素晴らしい。ハンゾー先生絶句。

 鴻門の会は隅から隅までおもしろいなあほんと。


 2幕最初は、そのハンゾー先生の留守を預かり、項羽のもとにいる。
 張良さんの項羽様への態度はイイよね、慇懃無礼を絵に描いたようで。
 こいつ絶対、心から思ってねえ。ということがわかる、冷風が吹くよーな敬いっぷり。
「お前は私を覇王と呼ぶのか」
「世に並ぶもののない方ゆえ」
 このやりとりの嘘臭さが、たまらない(笑)。

 張良は項羽の才能を認めている。だから、張良が「覇王」と呼ぶことに偽りはない。でも彼はきっと付け加えている、心の中で。「今だけの、覇王」と。

 対項羽の、張良の立ち位置、感情はとても興味深い。
 一貫して慇懃無礼、上っ面だけの服従、敬服。衛布@みつるよりも、赤裸々。……ここまで露骨で、なんで項羽は気づかないんだ、みたいな。や、これは物語をわかりやすくするために、大袈裟にやっている結果だろうけれど。

 項羽の項羽らしいところを見るにつれ、いちいち劉邦を思い出していたのかな。比べていたのかな。
 心の中で「今だけの、覇王」と付け加え、さらに「いずれ私の劉邦が、真の王になる」と続けているのか。

 張良にとって、劉邦は最初から所有格だったと思う。
 なんせ自分で選んだのだから。
 ハンゾー先生に「項羽側につかないか」と誘われたのに、きっぱり断って劉邦を選んでいる。
 だから最初から、「私の選んだ王」「私の劉邦」。

 項羽への冷たい態度は全部、項羽の才能を認めるがゆえ、加えて劉邦へのキモチの裏返し。

 けっこー一途じゃないですか。健気ぢゃないですか(笑)。たとえアクセントが「私の、選んだ王」「私、の劉邦」と「私」にあったとしても。
 「英雄は英雄にしか見出せない」、劉邦を高めることがすなわち自分を高めることであったにしろ。

 まったく、いいキャラだ。
 東宝公演スタートですね、『虞美人』。観に行きたいなー。
 

 桃娘@だいもんはとてもいいキャラクタなのに、きちんと書き込みがされていないため、とてももったいない。衛布@みつるとの関係、衛布の野心についてもだし、なにより韓信@みわっちがえらい割を食っている。
 もう少しなんとかならんかったんかなあ、と思うけれど、まあそれゆえに、観ている側が脳内補完にいそしむことはできる。
 エピソードとエピソードの間を埋められるくらい、それぞれのキャラが立ってるからさ。

 つーことで、桃娘関連の我らが張良さん@まっつの話。

 張良先生は、衛布と桃娘の関係を知っていた、と思う。

 桃娘と衛布の関係。……つったらもちろん、アレ。毎夜毎夜、衛布元気だな、の、アレ。
 ……毎晩だと台詞で名言はされていないようだが(友人と「毎晩って言ってたよね?!」と盛り上がったのは妄想? 笑)、虞美人様@彩音ちゃんの「夜中に出歩いている」という言い方は、1回限りではなく継続的かつ日常的な出来事を連想させるので、間違ってはないんでしょう。

 そのことを、張良せんせは知っていたと思う。……桃娘が、隠しているつもりでも。
 

 桃娘を楚陣営へ送り込んだのが呂@じゅりあである以上、早い段階から張良の耳には入っているだろう、虞美人お気に入りの童が、桃娘だと。張良は桃娘の働いていた居酒屋にも出入りしていたわけだから、顔は知っているだろーし。
 で、ちゃっかり項羽@まとぶんの配下に収まった張良は、桃娘にコンタクトを取っているはず。
 鴻門の会で、桃娘が劉邦を守るために剣舞へまざっていたことも、わかっているのだし。
 項羽のお膝元で自由に暗躍(笑)するために、味方には働きかけているだろうから。

 2幕冒頭にて、張良は当たり前に桃娘に話しかけている。すべてを知り尽くした顔で。
 桃娘も張良の言動にはなんの疑問も持っていない。「この人嘘をついている?」とか「言葉に裏があるのでは?」なんて、みじんも考えない。まるっと鵜呑み。

 張良は、見事に桃娘を手なずけている。

 桃娘と張良が直接言葉を交わすようになるのは、鴻門の会以後だと思う。
 1幕ラストと2幕冒頭がどれくらい時間経過しているのかわからないが、その間ですっかり懐柔(笑)。桃娘は張良の手のひらの上。

 やっぱ隙を見て張良から、「今は項羽に従っているふりをしているが、心は劉邦様のモノ(笑)だ」と話して、安心させたんだろうなと。オマエのことは呂妃から聞いていると。項羽は共通の敵であると。

 単身敵地に乗り込んでいる桃娘にとって、事情を知っている味方の存在は心強いだろうし、また、張良ならば「心強い味方」であると世間知らずのおじょーさまに思い込ませることなんかたやすいだろう。

 てことで桃ちゃんは衛布のことを、張良に告げていると思う。
 「父の部下であった衛布には顔が知れているため、私の正体も知られてしまっている。でも、自分が項羽に成り代わろうと狙う衛布は、あえて黙っているようだ」……てな、「表面的な事実」を。
 項羽を討つために必要な情報を、劉邦の軍師に伝える。呂に恩を感じている桃娘はそれくらいするだろう。

 衛布に「なぐさみものにされている」ことは、死んでも言わないだろうけど。

 でも張良は、気づくと思う。
 衛布の野心にも、そして彼に対する桃娘の恐怖にも。

 ナニが行われているか、正しく察して。
 その上で、ナニも言わないだろう。

 助けません。ええ。
 藪をつついて蛇を出すわけにはいかないので。罪のない娘をひとり救うことで、事を荒立てるわけにはいかない。娘には引き続き犠牲になってもらって、まずは自分の任務優先。

 そーゆー人だよね、張良先生。

 時間経過はよくわからないが、范増先生@はっちさんが懐王@王子のところへ行っている間、桃娘が「先日の剣舞をお褒めいただきました」と言っているから、ほんとーに大した期間ではないのかもしれないが。
 
 衛布と桃娘の歪んだ関係。そして、黙って見ている張良。
 ……というのは、萌えなんですが(笑)。

 短い期間だとしたら、そんな間に桃娘の信頼を得、項羽陣営でも幅を利かすよーになっている張良先生ってどんだけ優秀なん(笑)、という。

 ハンゾー先生からの報告書を、わざわざ張良が持ってくるってどういうこと? ボスへの機密文書を取り扱っていいんだ、ついこの間の鴻門の会までよそ者だった張良が。

 項羽が待ち望んでいたハンゾー先生からの手紙。使者ではなく、張良が運んだ。……これってつまり、そーゆーことなのかねえ。
 解答は提示されなかったけれど、張良が手紙をすり替えて懐王暗殺へと誘導したってことかねえ。懐王が武将たちに国を分けることに反対したまでは事実だと思うんだけど(そのあとの場面で、ハンゾー先生がそのことについてスルーしているから)、事実が歪められている可能性があるよな。使者ではなく張良さんがメッセンジャーボーイをやっているなんて、怪しすぎる。
 この物語では項羽が曲がったことはしないことになっているので、悪!な所行は別キャラの策略になる傾向がある。だからこそ、あの善良な王様を暗殺するのは項羽のせいではない、と。悪いのは張良ですよと。

 ついでに言うと、「韓信を殺せ」もほんとーにハンゾー先生の言葉だったのかどうか。
 韓信を劉邦側に寝返らせるための策略じゃなかろうか。
 それをわざわざ、桃娘に聞かせているあたり、アヤシイ。

 ええ、とーぜん張良さんは知っていたのでしょうとも、桃娘が韓信を慕っていることを。ある意味桃娘と同時期に韓信を見初めたんだもの、例の股くぐりで。

 張良なりのやさしさかもしれない。
 桃娘の今の身の上……父の仇を討つために、好きでもない男の愛人やりながら耐えている日々。無事に仇を討てたとしても、殺されることがわかっている。
 その現実に、別の道を指し示す。父への思いを忘れろ、捨てろというのではなく、恩人を助けるのだ、と。桃娘のまっすぐな心の軌道を、変えさせる。歪めるのでも曲げるのでもなく、向きを変えさせたんだ。

 だって、漢への抜け道を教えるなら、韓信に直接言ってもいいんだもの。このままここにいたら殺される、この地図の通りに漢へ逃げろと。なにも桃娘に託す必要はない。
 桃娘を救うために、わざとやったんだよね、張良。

 だからこそ余計に、「張良は、衛布と桃娘の関係を知っていた」と思う。
 黙って見て見ぬフリして、そして、さっと助ける。……すごいな。

 で、なにがすごいって、優しい行いのはずなのに、やっぱり悪だくみしているよーにしか見えないことでしょう、良ちゃんってば(笑)。
 
  
 桃娘が衛布を殺してしまったのは、突発事項。さすがの張良先生も、これは計算していないと思う。

 桃娘が韓信と駆け落ち(笑)したとなると、残された衛布はどう思っただろう。
 そして張良は、そんな衛布をどうさばくつもりだったんだろう。なにかしら算段はあったんだろうし。

 衛布VS張良。
 見てみたかったな。

1 2

 

日記内を検索