「この人、どうしてトップスターじゃないんだろう?」

 と、思ったのは、2002年のことだった。
 舞台の水夏希を見て、今この瞬間トップスターでもおかしくない、と思った。

 ちなみに、当時のわたしはまだ水ファンとは言えず、「水くんがかっこよく見えるなんて、どうして??」と友だちと言い合ったりしていた(笑)。
 ファンじゃなくても、ジェンヌの「熟れ方」はわかる。
 舞台上の水夏希はすでに「タカラヅカ・スター」として、大きく花開いていた。

 「どうしてトップじゃないの?」と思えるような人が、2番手であるゼイタク。
 当時の宙組はたか花全盛期であり、絶大な人気を誇っていたが、そこで負けず劣らず、水かなも輝いていた。力のあるスターがメインをがっちり固め、……まあその、他は「動く背景」と呼ばれた極端なシフトが有名な組だったんだけどさ……安心して「タカラヅカ」というファンタジーに酔える組だった。
 翌2003年のバウ公演『里見八犬伝』の超チケ難ぶりが表すように、トウコ、あさこと並んでヅカを牽引する人気スターだったんだよな。

 2002年のときすでに「どうして」と思うほどだった人なのに、トップになったのは2007年。
 トウコにしろきりやんにしろ、熟した学年から何年も経ってからしかトップになれない、現在の歌劇団について危惧はあるし、だからといって代替案があるわけでもないから黙するとして。

 2002年にトップになっていたなら、2010年の今、水夏希という男役は存在していない、ということだ。

 今、目に映っている、完成された男役には会えなかったんだ。

 雪組公演『ロジェ』『ロック・オン!』、前楽。
 チケットなんてもちろんありません、当日券の抽選に早朝から並びましたとも。
 なんとか立見チケットをゲットして劇場へ。
 翌日の千秋楽チケットなんてあるはずもなく、当日抽選には参加するつもりだけど、当たるとも思えず、東宝チケットも皆無である以上、「これが最後」「これが見納め」と心して、「水夏希」を見る。

 通り過ぎてきた時間に、いいも悪いもナイ。
 今、美しい水夏希がいる。
 それがすべて。

 
 一昨日の新生雪組関連の人事発表で動揺しているため、実のところわたしはすでに許容量オーバーを起こしていて、「ラスト3日は水しぇん三昧だー」と(チケットもないのに)予定を空けていたにもかかわらず、発表の翌日は一歩も家から出ずにダラダラしていた。
 このままだと、しばらくは劇場へ行く気力がわかない気がした。

 でも、時間は待ってくれない。
 水くんは卒業してしまう。
 気力・体力がなくても、とにかく行こう。
 自宅にこもってスカステだのネットだのを眺めていても意味がない。

 「タカラヅカ」は、ナマモノだ。
 実際に同じ空間へ行き、彼らの姿を見、同じ空気を吸って共感してはじめて、本当の出会いがあるんだ。

 その時間、その場所へ行く、というのは、簡単なことではないけれど。
 自分の都合の良いときにスイッチを入れれば眺められる録画映像じゃない。販売ソフトじゃない。
 みんななにかしら犠牲にして、その時間、その場所へ行く。
 人間同士で、作り上げるモノだから。

 行けば、会えば、吹っ切れる。
 わたしはそれを知っている。
 水くんはそれだけ魅力的で、タカラジェンヌたちもみな魅力的だからだ。あの舞台は、光り輝いているからだ。
 あの汗と、あの笑顔。それがなにより確かな真実。まぎれもない現実。

 そうして。
 幸運にもわたしは当たりを引き当て、劇場に入れた。
 まばゆい人たち、まばゆい世界を見ることが出来た。

 水しぇんの満面の笑顔。幾筋ものライトが、ひとりの人のもとに集束していく。それが、この世で最も正しいこと、当たり前のことであるように。
 水夏希だけを、照らす。

 いつも流暢に話すナガさんの、涙。詰まる声と、それを包む拍手と。
 緞帳に「思い出の舞台映像」を流すのはもう定番になったんだね。彩音ちゃんのときと違い、映像とナガさんの語りは別々のモノだったので、「語りと映像がずれる」ことに気を取られないで済む(笑)。

 ナマで見られるとは思ってなかった、水夏希サヨナラショー。
 ゆみこもハマコもいない、水くんのラスト・プログラム。

 こちらとしては、かなり構えて観劇したわけなんですよ。
 さあ、サヨナラショーだっ、サヨナラショーなんだぞっ、と。
 
 えーと。

 わたしだけかもしんないけど。

 なんか、「サヨナラショー」っぽくなかった。

 ふつーに、水夏希ショーだったような?
 さあ泣けっ!! というよりは、ポンポン振って歓声上げてうきゃ~~っ!!とやって、どーんっと終わったっていうか。

 なんか、ふつーに「水夏希コンサート」とか、こんな感じじゃない、今なにかやったとしたら。1幕はストーリー仕立ての新作ショー、2幕は水夏希の歴史を振り返るヒットメドレー的ショー、てな構成で、梅芸と人見(笑)あたりでやっていてもおかしくない。
 や、サヨナラショーってそもそも、「歴史を振り返る」構成が当たり前なんだけど、なんだろ、それにしてもあっさりさっぱり風味というか?(記憶に強烈なトウコちゃんが泣かせ入り過ぎの演出だったせいか?・笑)

 いや、泣きましたよ。泣きながら観てましたが(笑)、でもなんか、こちらが勝手に構えていた感じと違うというか。

 あ、終わっちゃった。
 と、思って。
 なんか、サヨナラショーっぽくない……落としどころがビミョーっていうか、ええっと。

 そして、どんどん、にまにましてくる。

 そうか、これが水くんのサヨナラショーか。
 この、らしくない、のが、水くんのサヨナラショーなんだ。

 カーテンコールで水くん自身が言う、「みんなも泣きすぎて観てない、なんてことがないように」と。「私も含めちゃんと千秋楽を終える」のだと。

 なんか生真面目で、悲劇になりすぎない……さよならは寂しいけれど絶望ではない、どこか愛嬌のある、清涼感のある舞台。
 トート様ではじまり、これ以上ない男役としての美しさを見せてくれてなお、まだ緩さがあるというか。これ以上ない、はずなのに、まだ上のナニか、を信じさせてくれるというか。

 まだ、明日……これからも続いていく、未来があるんだと、思わせてくれる。
 たしかに、これは別れなんだけど。悲しいんだけど。でも、人生は続いていくものね。真面目にさわやかに、堅実に、前向きに。できることを力一杯やる。信じたい人を、信じる。見つめる。

 泣きながら、にまにました。
 うん、明日もちゃんと見届けるよ、泣きすぎないように……って、チケット持ってないけどなっ(笑)。

 2002年に、早々にトップになっちゃわなくて、よかった。あのころはわたし、こんなに好きじゃなかったもの。
 こんなに長くいてくれて、こんなにいろんな姿を見せてくれて、こんなに好きにさせてくれて、ありがとう。
 ちょっと感慨深いこと。
2010/07/23

組替えについて

この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。

【花組】
未涼 亜希・・・2010年10月18日付で雪組へ

(今後の出演予定)
・~2010年10月17日 花組東京宝塚劇場公演『麗しのサブリナ』『EXCITER!!』
・2011年1月1日~  雪組宝塚大劇場公演『ロミオとジュリエット』

 昨日も転記した公式の「お知らせ」。

 まっつ単体のことが載っている新着情報なんて!!

 たとえばディナーショー(イゾラベッラ・コンサート含む)に主演が決まれば、新着情報に単体で載ります。
 たとえばケガや病気で休演すれば、新着情報に単体で載ります。

 でも。

 モバタカから、メールは来ない。

 モバタカのメールっていわば新聞でいう「号外」、特別なお知らせ。だから送信されるのは人事か演目についてが基本。

 集合日ごとの退団者メールでもなく、まっつひとりの去就でモバタカ・メールになる、ってのがすごいなと。

 や、組替えは人事だからメール対象で、組替えするなら誰だって載るんだけど、大抵組替えって複数での発表で、ひとりってのはめずらしい。
 そのめずらしい状況になっている、という事実。

 昨日欄のタイトルに「@未涼亜希組替え発表」って書きながら、こんなことを書く日が来るとは思ってなかった、としみじみした。
 まっつの組替えもだが、この組替えはまっつひとりのモノで、わたしの思い入れ以前にタイトルにするならこうなる、ということについて。

 まっつひとりでわざわざメールだよー。
 まっつひとりの「今後の予定」が記されてるよー。
 すげー。
 なんか、スターさんみたい。

 ……ファンとは滑稽かつ哀れなモノで、こんなことにすら反応するのですよ(笑)。
 モバタカ・メール、大事にしようっと。
 確実に、「未涼亜希」というジェンヌがいた証なのだ。(前からいますってば)

 
 今後のことに不安は尽きないけれど、うじうじしててもはじまらない。
 せっかくの同期のいる組への異動。
 学年からいって、そうそう無碍な扱いは受けないだろう。

 せっかくだから、キム×まっつ(並びに深い意味ナシ、左右逆転可)で萌えようじゃないか!

 まっつは2番手ではなく3番目か別格だろーから、トップスター様とどうこうなんて役が回って来るかどうかは棚上げして、今は勝手にキムとまっつで観たいモノを考える! なんて前向き!

★タクティクスオウガ
 デニム@キム、ヴァイス@まっつ。
 リメイク決定で世間がにぎわっている今だからこそ(笑)。
 今回の『ロック・オン!』のブルースVer.とラテンVer.みたいに、抜き打ちの日替わりでロウルートとカオスルートをやればいいよ。
 「今日はカオスルート、まっつの暗黒ぶりがハンパないわ~~!」とか、「今日はロウルート、キムくんの病みっぶりに胸きゅん!」とか楽しそうじゃないですか。

★踊る大捜査線
 青島@キム、室井@まっつ。
 最新映画上映で世間がにぎわっている今だからこそ(笑)。
 テレビ版がいいです、「アンタは上にいろ!」とまっつに叫ぶキム……シュールな(笑)。まっつのツンデレっぷりが見物ですな。最後のシンデレラ階段での別れもヨロシク。

★我間乱
 我間@キム、直善さん@まっつ。
 キムはハマる。すっげー見たい。キムは『ONE-PIECE』のルフィもハマると思うの。ほんとに「主役」体質だから。
 本能でつっぱしるキムと、後ろでおろおろしているまっつ。このふたりで和モノ見たいよなー。

★境界のRINNE
 りんね@キム、翼@まっつ。
 キムくんは少年マンガのほとんどの主役は似合うと思うが、あえてりんねで(笑)。まっつはほら、ドロドロの恋愛モノをやりたいって言ってたし、これってドロドロだよね?(笑)←いい加減この上ない意見。

 
 ヅカ作品の再演では、番手という枷があって思考がストップするので、あえて別畑のモノを。
 深い意味はなく、思いつきで羅列。実は『A-BOUT!』も考えたんだけど、自重した(笑)。ハナノアナ@まっつだなんて、口が裂けても言えない……!


 と、あえてお気楽なことを書いてますが。 
 とりあえずは、今の水くんのサヨナラ公演、そして次の花組公演に全力だ。
 明日、当たりますように。
 まっつって、どこまでハマコを踏襲するんだろう……と、遠い目をしました。
2010/07/23

組替えについて

この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。

【花組】
未涼 亜希・・・2010年10月18日付で雪組へ

(今後の出演予定)
・~2010年10月17日 花組東京宝塚劇場公演『麗しのサブリナ』『EXCITER!!』
・2011年1月1日~  雪組宝塚大劇場公演『ロミオとジュリエット』

 1年ちょい前に、わたしは「○組の未○○希さん。←○を適当な漢字で埋めよ。」という記事を書きました。http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1790.html
 どんだけ、まっつとハマコに共通点があるかを。

 まさか、これ以上ハマコと同じ道を歩むなんて、これ以上があるなんて、夢にも思ってなかったです。

 同期トップを支える別格スターとして、雪組ですか。

 ハマコ退団の痛手をぐじぐじ引きずっているわたしは、後ろアタマをすこーんと殴り飛ばされました。
 えー、あのー、わたしがどんだけハマコ好きだったと思ってんですか? んで、雪組を特別に思っているか、わかってんですか?

 そして今、どんだけまっつを好きだと……!!

 まっつがハマコで雪でって、なんじゃそりゃーーっ?!!

 ……とまあ、盛大に取り乱し、現実逃避にえんえんモンスター狩ってました。『アイルー村』ももうじき発売だしね。ナンバリングタイトルは年内発売予定だしね、『2G』極めておかないとね。つーことで、えんえんテオと闘う。古龍の大宝玉が出ないのよ~~。弟に「クシャルを先に倒した方が、テオ対策防具を手に入れられるぞ」って言われて、クシャルに闘いを挑み、瞬殺されてPSPを放り出す。G級クシャル強すぎるんじゃ~~っ、ひとりで倒せるかこんなもん~~!!
 協力プレイで倒すしかないなー、ぶつぶつ。

 協力プレイで盛り上がる気力がなかったんで、あえてひとりでゲームしてましたのよ。自分のウチにこもるために。

 
 わたしがゲームに逃げ込んでいる間に、まっつメイトからメールが入り、「沖縄に行く必要がなくなった」ことを知る。

 下級生バウに出演するのでない限り、まっつは全ツだったわけで、まっつメイト的には「千秋楽の沖縄に行っちゃう?」と予定をうっすら考えている段階なわけで。
 そーだなー、沖縄行っちゃうかなー、とか漠然と考えていた「今後の予定」が白紙になったことに、はじめて思い至った。

 で、ゲーム機を置いて、わたわたと来年の公演スケジュールをプリントアウトした用紙を引っ張り出す。ええ、わたしの部屋にもついにプリンタ様が登場、印刷できるよーになったので、そんなもんもわざわざ印刷してありますのよ。

 来年のスケジュールが発表になったときは、とーぜん花組欄が、自分にもっとも関わりのある部分だった。何月にどこで公演があり、そのとき自分がどうしているか。
 そうやって眺めた過去の自分が、すべて無意味になった。

 組替えって、こういうことなんだ。

 未来の自分まで、変わってしまう。
 「花組」の欄はもう関係ない、「雪組」の欄を見なきゃいけないんだ。来年は青年館付きバウと全国ツアー、そして梅芸がある。んで年末にはDCもあるんだ。
 まっつはどこに、ナニで出るの? 全ツだとしたら、今までのパターンからして、『ロック・オン!』(キムラさんバージョン)に出演しちゃったりするの?!

 ……クラクラしました。
 あまりにも、途方がなさ過ぎて。

 また『EXCITER!!』? 『ラブ・シンフォニー』飽きたー。……とか言ってたのに。
 まーーーーったく未知の作品に出ることになるんだ。

 梅芸とDCはその期間にぽんっと単独であるので、その裏にナニか公演が後出しされる余地もあるし、「花組」しか考えていなかったときと、「予定」に対する目線がまったくチガウ……。

 そしてさらに、ネットで組ごとの学年順一覧表サイトを眺める。
 花組ではまだ上級生が何人もいて、ポジション的にも中堅としての落ち着きだの美味しさがあったけど、雪組だと……何番目になるの、ナガさんの下は84期ですがな! 超上級生?!

 地盤が揺らぐ、どころじゃなく、崩れるんだ、組替えって。
 呆然。

 また、現実逃避してPSPを握る。よっしゃー、クシャルとの闘い方、わかってきたわ! このままがんばれば、そのうち倒せるかも。
 ちくちくちくちく、地道な努力で腕を磨く。10回倒れても、11回目にクリアすればそれでよし、100回倒れても101回目にクリアすればそれでいいのよ。わたしは超絶へたっぴだけど、そうやって乗り越えてきたのよ。

 そう。

 組替えするってことは、しばらくは辞めないってことで、来年の公演予定表はかなり現実味のあるモノで。
 少なくとも組替え最初の公演『ロミオとジュリエット』では退団はありえなくて、集合日をこわがらずにすむわけで。

 なにより、『ロミオとジュリエット』は素晴らしい作品で。
 それに出られるってことは、まっつにとってもやり甲斐のあることだろうし、まっつファンにとってもありがたいことで。
 まっつが別格スターなら、すずみさんポジションよね? つーとベンヴォーリオよね? わわわ、そんなのうれしすぎる、あの役好き~~!(いや、チガウかもだが、ここはあえて自分を盛り上げる)

 前向きに、希望をつなぐ。

 この記事を書くために、以前書いた「「○組の未○○希さん。」記事を引っ張り出すのに「花組 未涼亜希」というカテゴリ分けを見て、「花組 宝塚巴里祭2009」というカテゴリ分けを見て、どうしよう……と思う。
 もう「花組」じゃなくなっちゃう。
 「花組」じゃなくなるまっつなんか、夢にも思ってなかったのに。安心以前、世界の常識太陽が東から昇るのと同じ気持ちで「花組」だったのに。

 さみしくて混乱して、またゲームに逃げそうになるがとりあえず、へこたれずに、今は「未来」を考える。

 『麗しのサブリナ』『EXCITER!!』は、がんばって観る。や、もともとフタ桁観劇前提だけど、それでもさらに気合い入れて観る。東宝楽は絶対行く。友会当たってますように!
 「花組」のまっつを観るの。

 んでもって、来年は元旦からタカラヅカだ、ムラ入りだー! キムくんのお披露目に、そしてまっつの雪組デビューに、精一杯拍手するぞ。

 しかし、結局は雪組なのか、雪組に戻ってくる運命なのか。わたしのヅカヲタ人生は雪担からスタートしたのですよ。だから雪組はずっと特別な組。

 ……雪組トップ娘役不在発表、研1さんのWヒロインに物申したいこと、てゆーか絶望感は、山ほどありますが、そのためにまっつやキムくんを好きなキモチ、応援するキモチは揺るぎません。つか、揺らいでなるものか、負けるもんか。
 現実逃避したりめそめそしたりしつつも、前を見て走ります。
 『ロミオとジュリエット』にハマり過ぎて、雪組の感想を書く余地がなくなってしまっている、という。
 なんで日程丸かぶりなんだ。

 とゆーわけで、実は『ロック・オン!』の感想を、まだ一度も書いていないという事実。
 初日にはどわーーっと書きたいキモチもあったんだが、時を逸すると、気合いも失うね……。

 今さら感漂うが、とりあえず自分的メモ。簡単に。

 オープニングが好き。

 タカラヅカでロック、ってのは、いろいろいろいろ間違っている気がしないでもないが、それでもこの独特のノリを「ロック」と呼ぶ、それをまるっと肯定する。
 ズンドコズンドコ、エアマラソンでもしているよーな振りもツボだ。

 そして、きゃーきゃーヒューヒュー叫びまくる客席。

 雪組は長い間、「いちばん拍手の少ない組」だった。質実剛健、ファンも客席でかしこまって観劇、というか。
 水しぇんトップお披露目の『エリザベート』で、楽の日のトート様渾身のアドリブに客席が無反応だったのは、記憶に新しい。水くん自身がカテコ時に「反応がなくて寂しかった」系のコメントを残している。

 そこからスタートして、「客席参加型」のスタイルを作り上げたんだね。

 でもってわたしは、圭子ねーさまの太股が好きだ(笑)。
 圭子ねーさまが、若い娘たちと同じよーなハードな衣装で、網タイツの太股をちらちらさせて、ギンギンにロックされているのが、ものすごく好きだ。
 オープニングも彼女に釘付け。
 その後のカーテン前で歌う「次の言葉を英訳してみようソング」みたいなふわふわしたものより、ドスの効いた歌声が好き。

 ピアノの場面は、ストーリーがよくわからない(笑)。何回観ても。んで、そのたび「ま、いっか、わかんなくても」と思う。ピアノの角度が変わるのは、なんとなく「おおっ」と思う(笑)。
 みみちゃんの脚線美、かおりちゃんのめずらしい迫力系の歌、次々現れるダンサーたち。

 オペラ座の黒男たちがかっけー。そらくんがすげーかっけー。
 こーゆー「お高い」感じのみなこちゃんはイイ。水みな堪能。

 んで、実はある意味いちばんテンションが上がった場面かもしれない、リサリサと杏奈ちゃんのマリリン・モンロー。
 うわわわ、好き、ここ好き! つか、リサちゃんと杏奈ちゃんの正しい使い方!!
 ここはもお、リサちゃんロックオンですよ、彼女のウインク目当てにガン見ですよ。
 男がふたり出ているらしいけれど、結局一度も彼らを見られなかった……リサちゃんが可愛すぎる。

 銀橋センターのちぎくんより、本舞台にせり上がって朗々と歌うコマにびっくり。
 スーツ男たちみんなかっけー。

 んで、圭子女史の歌う「ゴールドフィンガー」がかっこよすぎる。うっかりすると、目を閉じて聴き入ってしまい、あせる。水みな見るの、水みな!!
 
 みなこちゃんのドレスのスリット。太股のベルト!! うきゃー、セクシー。いやあ、素晴らしい美脚ですたい! 眼福眼福。

 うってかわって明るくジャズ、スーツの色にけっこうくらくら。
 あずりんをぼーっと眺めていることが多い。退団者だけのパートがあるのはここだっけ?
 水先輩の「ワンモアタイム」は、彼の滑舌の問題かわたしの耳の問題か、その前になにを言ってるのか聞き取れないことも何度かあった(笑)。

 初日からしばらくは、ブルースVerばかりだった、わたしの観劇日。
 ふつーにかっこいいし、違和感なく眺める。

 大分あとになって、ラテンVer捕獲。そうか、メンバーが違うんだ。
 でも、ラテンの方が好きかもしれない。銀橋を渡るキムとみなこがイイの。キムがすっごい野獣なカオしてる(笑)。

 でもってその次、まさかの耽美場面。
 水しぇんでロン毛耽美、しかも受受しい美青年ですか!と、初日はびびった(笑)。演出家、フジイくんぢゃないよね? 水しぇんとらんとむで、ナルシスホモ耽美やったフジイくんぢゃないよね?!
 あーそーいや三木せんせも耽美OKな人だったねー。その昔、わたしと友人は「三木せんせ? ああ、ゆりちゃんとマミちゃんを男同士でキスさせた人」という認識だったもんなあ。

 しかしこの場面での驚きは、パツキンロン毛水先輩ではない。
 まず、黒ドレスの娘役たちのくねくねした踊りとコーラスにわくわくし、ダーク全開の圭子ねーさまの歌声に酔う。
 そーしてせり上がってくる白いドレスの可憐な美少女……って、きゃびぃ?!
 みなこだと思った。そーあるべきだと思った。なのに何故、きゃび子。え、え、きゃびぃ退団だっけ??とアセる。
 そして、受受しい水しぇんが美女たちに弄ばれている最中、わたしはその後ろの圭子ねーさまときゃびぃに釘付けだ。
 ドS女王様な圭子おねーさまが、可憐なきゃび子をなぶる。いたぶる。
 はかなくもエロい表情のきゃび子を、黒いルージュの圭子ねーさまが後ろから抱きしめる……!! えええ、ナニその倒錯物語!! エロすぎるんですけどちょっと?!!

 そーいやきゃびぃってその昔、鬼畜絶対君主@ヒロさんに後ろから抱きしめられて、あんなことやそんなことをされていたわね……百戦錬磨の専科さんにいたぶらせたいキャラなのか、きゃび子……。

 で、圭子ねーさまときゃびぃを見ていたら、水しぇんがいつターバン取ったのかわからないという……(笑)。
 気が付いたら水しぇん、金髪むき出しになってた。たしか愉快なターバン巻いてたよねえ?

 何回も観て、水しぇんがターバン取られるとこまで捕獲しましたよ。いやあ、圭子ねーさまおそるべし!(アンタが圭子タマを好き過ぎるのよ!)

 あさこちゃんの退団公演の印象が強いもので、いろいろ比べちゃうわけなんだが、あさこちゃんが身にまとうモノを捨てて裸足で踊り狂っていた場面に相当するのが、水しぇんはこのデコラティヴに金髪ロン毛で踊る場面なのか……あさこは地毛で、水しぇんはファンシー……三木せんせ……?

 キムの渾身の歌声を聴きつつ、男たちを、水くんを眺める。

 んで、極楽鳥の迫力は謎。『ネオ・ヴォヤージュ』だっけかの、「ハッ!」「フゥ!」な鳥さんたちを思い出す……アレよりはまだ目を泳がせずに済むか。
 ここでもあずりんロックオン、他はよくわからん。

 あざやかなドレス娘たちの場面、登場する圭子ねーさまが、まるでトップ娘役のよう。って、ここだけでなく、それまでもさんざんそんな感じだったが。
 カラードレスの女の子たちの間に、波が引くように白いドレスのみなこちゃんが現れるのはイイ。
 しかし。

 しかし、コレがデュエットダンスの代わりだなんて、納得できない。

 初見では、幕が下りたあとに「トップコンビ退団なのに、デュエダンがなかった?!」と愕然とした。
 やっぱ大階段の前で、エトワール登場の前に、がっつり踊るのがデュエットダンスでしょう。

 大階段黒燕尾ダンスはうれしい。
 が、初日は、曲にびびった。
 何故この音?!(白目)
 音楽、というより、音。びーんびーんゆってます、こんな音で何故黒燕尾……!

 新しい……のか、な。
 初日観劇後、いつもの店で合流したnanaたんに、「ふつーでいいのに、何故にあそこであの曲……」と嘆くわたしに、「大丈夫、三味線で黒燕尾ダンスした人たちだから」とよくわかんない説得力のあるお言葉を頂きました(笑)。

 うん、そうだね。
 なにをどうやったって、かっこいいもんね。無問題だよね。

 『ロジェ』は正直ちょっとリピートキツいんだが(笑)、『ロック・オン!』は素直に楽しい。大好き!と言える。

 ありがとう、三木せんせ。
 あれは、大劇場のキャトルレーヴでだったか。
 いかにもイマドキの娘さんという、キラキラしたきれいな女のコふたり組が、雑誌コーナーで立ち読みをしていた。
 ふたりで1冊の本をのぞき込んでいる。

 そして。

「うわ、ちょーやばい」「これやばいって!」と、ふたりで身もだえている。

 ナニがそんなにやばいんだ、とおばちゃんは不思議に思い、横からチラ見した。
 彼女たちが読んでいるのは「タカラヅカレビュー2010」だった。そして、開いているのは、星組のページ。

「ちえねね、可愛すぎるっ!!」

 れおんくんとねねちゃんのオフ姿のツーショ写真を見て、すげー勢いで身もだえているんだ。

 そこにあるのは、理想のカップル。美男美女。
 タカラヅカという昭和時代でストップした特殊な世界というよりも、現代社会でふつーに存在していそうな、されどここまでのビジュアルはありえない、と思えるような、まさに現代の王子様とお姫様。

「この写真のために、マジ買うしかない?」「高すぎるよ~~でも欲しい~~」と、女のコふたりは雑誌の値段を見てお悩み中。
 若い彼女たちには、1500円も高額らしい。きれいに巻いた明るい色の髪とキラキラメイク、凝ったネイルのイマドキのおじょーちゃんたち、キミらも十分かわいいやん!な、こんな若い女のコたちから見ても、ちえねねって夢のカップルなんだ。

 わたしのようにすでにまったく若くない元女のコ(笑)の目にも、ちえねねの美しさが「やばい」と思えるのは、とーぜんのことだな(笑)。

 だって、まぎれもない事実だもの!
 
 かわいいは正しい、かわいいは正義。

 てことで、『ロミオとジュリエット』、ヒロインの話。

 ジュリエット@ねねちゃんのかわいさにハァハァする。
 このリアル・フィギャアのような美少女が、れおんくんと並んでいるだけで眼福。

 そして、ねねちゃんのフィギュアっぷりは、ウメちゃんとはチガウんだなあ。
 フィギュアといえばウメちゃんが代表格だけど、彼女はもっと二次元っぽかった。アニメとかCGとかの感覚。
 ねねちゃんは、リアルなんだな。
 生身の女のコを感じる。 

 そこが彼女の魅力であり、あやうさでもある。……と、思う。

 ねねちゃんを苦手だと思う人がいる、れおんくんの横にいて欲しくないと思う人がいる……人の好みは千差万別なので、そーゆー人がいるのは当然のことだが、それにしたって、そーゆー人たちが一定数いるんだろうなってことを、今回のジュリエット役で納得した。

 生々しすぎるわ、あの子。

 タカラヅカという夢の世界とは少しチガウ存在感を持つ。
 少女マンガの世界のお姫様ではなく、現実の美少女っぽいところが、女性観客からある意味拒絶反応が出るのかもしれない、と思った。

 リアルに嫉妬できる存在というか。

 れおんくんがどんどん現実離れした美しさを、タカラヅカらしい透明感を身につけていくだけに、ねねちゃんの現実の濁りのある存在は、諸刃の剣。
 今まで明確に感じたことはなかったんだけど、今回の「ジュリエット」という役で痛感した。

 このジュリエット、浮いてる、と。

 美しいお伽噺の世界から、ひとり浮いている。生々しい、現代ドラマのヒロインみたいな女のコ。9時スタートのドラマみたいよ。
 あああ、このジュリエットを受け入れられないって声をあちこちから聞くけど、それもまた納得だなあ。彼女ひとりチガウもの、あきらかに。歌唱力がどうとかは、後付っぽい、そんなことより彼女自身の持ち味の問題。

 そのねねちゃんの持つ、主に女性に嫌われるタイプの性質……が、一気に際立つ役なんだ、ジュリエットって。

 あー、そーゆーことか、と納得しつつも、とどのつまり、わたしはねねちゃんジュリエットは好きだ(笑)。

 彼女の芝居が素晴らしいというより、わたしはただもう、彼女のビジュアルが好みなんだと思う。
 それこそ、「タカラヅカレビュー2010」の写真見て歓声上げるよーなノリで。
 みっちゃんと一緒に写っていた、「宝塚GRAPH」の写真だって大好きだ。かわいすぎる。

 そのリアル・フィギュアなビジュアルと、そこから醸し出される生々しい存在感が、好き。ツボ。

 トシくったとはいえわたしもオンナなので、オンナノコが持つ「あ、見たくないな」と思う部分はわかる。
 ねねちゃんはそこを突いてくる。だからイタい。
 その「あ」と思わせるぎりぎりのところを、わくわく楽しんでいる。

 だってかわいいは正義だもの!!(笑)

 生身ゆえの濁り、痛々しさ、見たくなさ、そんなものを見せつけて、ジュリエットが疾走する。
 「少女」という無垢さと残酷さをキラキラキラキラ見せつけて。

 それが、たまらない。
 そこが、好きだ。

 天使の羽を持つロミオ@れおんの横に、天使の顔をした生々しい人間のオンナが寄り添っている、そのことにもお、萌えまくる。

 ロミオは汚れない。
 彼は誰からも汚されたりしないのよ。

 ジュリエットも汚れない。
 彼女は清らかな乙女。

 だけど、ふたりが寄り添うと、奇妙な濁りが生じる。
 それは彼らの背後で妖しく踊る「死」@真風のように。
 ふたりは、「ふたり」であることだけで、すでになんらかのざわめきを心に起こさせる。

 いいなあ、ちえねね。

 オフ写真の「王子様とお姫様」みたいなビジュアルも大好き。
 そして、舞台上での不思議な融和感も。
 んで、組をふたつに割った上演ってのは、意味のあることだなあと思った。
 梅芸&博多座『ロミオとジュリエット』
 大劇場ではなく、バウと梅芸とで組をふたつに割っているからこそのデキであり、キャスティングであるのだなと。

 タカラヅカには、番手制度がある。
 トップスターが頂点にいて、ピラミッド状に組子たちがいる。
 これはタカラヅカのシステムなので、これについてどうこう言う気はない。番手制度の縛りで適材適所に配役できず、残念なことになるのがタカラヅカだとしても、番手制度は必要なんだ。

 たとえ歌えなくても踊れなくても、トップスターは主役を演じる。娘役トップはヒロインを演じる。これは鉄板。

 ロミオ@れおん、ジュリエット@ねねちゃん、ティボルト@かなめくんはガチ、なにがあってもこのキャスティングで正しい。
 だって彼らが「タカラヅカ」だから。

 ねねちゃんのおウタがアレだとか、かなめくんのおウタもまたアレだとか、そんなこたぁーどーだっていいんだ。
 彼らは娘トップ・2番手だから、それらの役を演じる使命がある。それだけのこと。

 トップ周囲はそれでいい。
 しかし……それ以外のところでは、番手・学年順に縛られすぎると不自由なんだよなあ。
 上から順番に、得意分野や持ち味も無視して機械的に役を割り振るのは、勘弁して欲しいと思う。

 ので、今回の組をふたつに割っての公演は、そのあたりがうまく機能していたなと。

 つまり、歌える人が、歌のある役をやることが、できた。

 もしコレ、全員出席の大劇場公演だったら、キャピュレット夫人@柚長とか、パリス@ともみんだったかもしんないわけで。
 柚長は納得の美しさだろうけど、歌はなにしろええっともう大変!なことになるし、ともみんは正直見てみたいが(笑)、空回りっぷりに歌唱力の裏打ちがない分笑うに笑えない悲しいことに……。
 夫人@柚長だと乳母@れみちゃんとの見た目……つか、年齢の差もえらいことになるし。

 上級生はもちろん一芸のある人たちなので、ヴェローナ大公@みきちぐ、モンタギュー夫人@毬乃サンとかになっても、歌は聴かせてくれるだろうけど、水輝りょおや花愛さんという、中堅の歌ウマさんに出番がなくなってしまうし。

 この『ロミオとジュリエット』を観た今となっては、それはもったいないと思うんだ。
 だから、組をふたつに割っての公演でよかったなあ、と。
 出演者たち、バウ組のメンバーになにか含みがあるわけではまったくなく、ただ『ロミオとジュリエット』という作品の力と規模に対して、最良のカタチで当たることが出来たんだなと。

 ヅカの番手制度と、作品のクオリティと、なんとか折り合いをつけられるのが、別ハコ公演の強みだよな。
 もちろん、玉石混合物量勝負の大劇場本公演も大好きさ。実力だけで計れない魅力を持つのが、タカラヅカであり、タカラジェンヌ。
 スター勢揃いと縛りのきつさのある大劇場、セレクトしたキャストで興行できる別ハコ公演と、両方あるのがヅカの強み。
 1組80人で5組もあって、専用劇場を東西に持つ、100年近い歴史を持つ大カンパニーの強み。

 この多彩さが、ヅカの楽しみだよなー。

 つーことで、今回の『ロミジュリ』に出演している選抜メンバー、モンタギュー、キャピュレットの若者たちも、みんなかっこいーしさー。
 興行自体、ほどよいコンパクト具合だと思った。

 それでも「役」はほんと少ないんだけどね。
 大劇場でなく、梅芸や博多座ならぎりぎりアリだよなと。

 
( ……てなことを、観た直後ミニパソにとりとめなく書いていたんですよ、ええ。

 まさかそのあと、雪組で大劇場本公演をやることになるとは思わずにね。
 しかも、自分が関係することになるとは……。
 あ、自分がってのは、自分のご贔屓が、って意味ね。贔屓が出てるかどうかで、他人事度がチガウという、悲しきヅカヲタの性……。

 つか、感想を溜め込むと話題が古くなってややこしいな)
 『ロミオとジュリエット』で名をあげたのは、死@真風くんと愛@礼くんだと思う。

 他キャストももちろん素晴らしかったが、彼らはすでに評価を得ている人たちだ。
 「新人」枠で注目を集めたのは、彼らだろう。

 礼くんは研2、新公他で抜擢はされているが、常識の範囲内の上げ方なので対外的に認識されるほどのものじゃなかった。
 それがこの愛役で、一気に知名度アップ。
 長い手足としなやかなダンス、光が差すような美貌と表現力。

 まだ男役として出来上がっていないからこその、人間ではない女性役のハマりっぷり。
 正しく「フェアリー」がそこにいる。

 男役としての彼は未知数だけど、ひとりの舞台人としての資質を見せつけてくれた。
 今後に期待。

 そしてその相方、死役の真風。
 もう研5になる彼は、ずーーっと抜擢続きで、「下級生だから仕方ない」「急な抜擢だから仕方ない」で済む段階を超え、そろそろ「結果出してくれてもいいんぢゃね?」「そろそろうまくなってくれてもいいんぢゃね、つか、なってくれなきゃ困るんぢゃね?」なところまで来ていた。
 ほんと、いつまで経ってもうまくならないなと(笑)。
 抜擢されても、機会を与えられても、投資に見合う結果は返してくれない子だなと。
 そんな印象だった。

 いやそのわたし、彼のビジュアルが好物ですから!
 初舞台の前から、音校文化祭以前、小林公平様の偉業を讃える『花の道 夢の道 永遠の道』の大階段合唱時から、目について仕方なかった水しぇん似のお顔。

 顔が好みであるだけに、もどかしいというか、じれったいというか。
 うまくなってくんねーかなあ。長身の水しぇんなんて、おいしすぎる資質だろうに。
 と、常々彼のへたっぴさと、それでも顔の好みっぷりとで、わたしの小鳩のような小さな胸は揺れ動いていたわけなんですよ(笑)。
 ええ、あれは『太王四神記 Ver.II』のフィナーレ、玄武ファイターのとき。
 黙って踊る真風は、大層かっこよかったのでございます。
 彼のダンスがうまいなんて、とくにというかまったく思わないのですが、黒尽くめで踊る真風が好み過ぎて……。当時の日記にも書いてますな。

 黙って踊る真風は好み。
 そうたしかに書いていた、そう思っていた。

 そしたらなんと、ここでほんっとーに、黙って踊るだけの真風がっ!!

 しかも、まさかのトートメイク、トートっぷり!

 わざとだよね?
 演出家が同じなんだから、わざとやらせてるよね?
 しかも役名も同じ「死」なんだから、わざとだよね?

 雪組再演『エリザベート』。
 タカラヅカでの『エリザベート』上演は5組一巡し、最初に戻ってきた。
 同じことを繰り返すだけでは意味がない、小池せんせはなにかしら、新しい『エリザベート』を模索していた……と、初日近辺は思った。

 ぶっちゃけ、トート@水は、キモかった(笑)。

 爬虫類を通り越して、ヘビまんまの外観、動き。
 表情から反応から、異質すぎて気色悪かった。

 水しぇんキモい! と叫びながら、わたしは拍手喝采していた。
 「水夏希」にしかできないトートだと思った。この気持ち悪いほど「死(=異質)」であるトートを造形できるのは、またできると演出家にGOサインを得られたのは、水しぇんだからだと思った。
 だからその気持ち悪さを堪能していたのに。

 評判が悪かったのかなあ、あまりにトバしすぎていて。
 せっかくの気持ち悪い化け物トート様は、回を追うごとにふつーの「二枚目」「人間の男」に近い、「いつものタカラヅカのトート」に近づいていった。

 えええ。
 いつものトートなら、なにも2巡目の雪組でやらなくていいじゃん。なんのための2巡目なの、同じコトを永遠に繰り返すため?
 「新しい『エリザベート』」を意欲的に作り上げていたはずなのに……こんな風に、小さくまとまらないと、保守的なヅカファンには認められないの? しょぼん。

 なーんて、勝手にいろいろ考えていました、当時。
 水トート初日のあの衝撃。そして、そこから「ふつー」になっていった変化と落胆。や、それでも水しぇんのトートは好きだったけれど。

 初日のぶっ飛ばしっぷりと、その後の変化を知っているだけに、考えちゃうんだ。
 イケコ、ほんとは初日のテイストでやりたかったんじゃないのかなって。
 ヅカファンが「キモ過ぎるトートはNG、美しいヒーローなトートを見せて!」と言うから路線変更したし、その後の月組再演『エリザベート』では人間くさい「ふつーの美形トート」に戻していた。
 だけど、クリエイターとしての小池せんせは、よりビジュアルの突き抜けた、禍々しいトートを創りたかったんじゃないのか? 
 ヒーローではない、観客が感情移入する必要のない、「異質」な存在。
 禍々しく美しく、エロくて不吉で、マイナスでしかない、救いのない存在。
 とことん、耽美なトート。

 女性だけで演じるタカラヅカでは、究極の美青年を形作ることが出来る。生身の男性には創れない美だ。
 だけどタカラヅカでは、タカラヅカであるゆえに、トートを完璧な「死」として描くことはできないんだ。だってトートはトップスター様の役だから。観客が恋をする相手役だから。
 二律背反、ジレンマ、なんてもどかしい。

 だからこその、主役ではないトート、獲物がエリザベートではない場合の、トート。
 『ロミオとジュリエット』で、よーやく自由に「死」を描くことができたんじゃないのか?

 これって、『エリザベート』のリベンジぢゃね?

 イケコ、水トート大好きだったんだな! だからもう一度、やりたかったんだな、横やりの入らないところで! トートが主役でなければ、縛りはなくなるもの!
 キミとシェイクハンド、わたしも大好きだったよ、水トート!! あの容赦なく「死」で、容赦なくキモチワルイところが!!(笑)

 てことで、クリエイターの試みとしての、真風トートの造形に注目しました。
 まったくチガウ別の作品で、役者もチガウし役もチガウのに、「死」という同じ役を創る、そのトリッキーな姿勢。
 『ダンバイン』と『エルガイム』にチャム・ファウが出ていたよーな感じだなっ。(こらこら)

 そして、演じる真風が美しかった。
 黙って踊っていると、こんなに素敵なんだ。
 好みの顔の男が、好みのダークな存在で、妖しい表情して、エロエロしてるんですよ。
 見ていて楽しい。

 『エリザベート』にて、トートはうっかりエリザベートを愛してしまったからあんなことになってしまったけれど、ターゲットを愛したりしなければ、トートはこれくらい事務的に確実に仕事をしているんだなと。
 死はロミオを気に入り、確かに愛しているけれど、それはエリザベートに対する愛ではなくて。だから確実に仕事をし、ロミオをその手におさめる。

 『ロミオとジュリエット』、これはエリザベートを愛さなかったトートの物語でもある、と思いました。
 ロミオ@れおん、ベンヴォーリオ@すずみん、マーキューシオ@ベニー。

 『ロミオとジュリエット』のキャピュレット側の幼なじみのこの3人が、美しい絆で結ばれた親友同士だとは、思っていない。
 友情を語るには、彼らはあまりに幼いためだ。

 子どもの頃の友だちなんて、自分で選んだというよりは、偶然そこにいたという方が正しい。
 家が近所だとか、同じクラスだとか、席が隣だとか。
 現実距離の近さで友だちになり、距離が離れれば別れる。

 価値観とか興味とか笑いのツボとか、大人なら重視する点を一切無視で、「そこにいたから」友だちになる。

 そうやって、自分も他人もよくわかっていないまま一緒に過ごして、成長するに従って「違い」を理解していく。
 自分とチガウ考え方をする他人を受け入れることや、自分にとっての好悪がどこにあるのかを学んでいく。
 ぶつかりながら車間距離を学び、あま噛みしあいながらケンカの仕方を学ぶ。

 距離が友情とイコールだから、いつも一緒にいるし、同じコトをする。
 カラダが近くにあればそれだけで納得、心の場所には鈍感。

 だから、ベンヴォーリオとマーキューシオは、ロミオひとりがちがっていることに、気づいていない。
 モンタギューとキャピュレット、ふたつの家の争いが続くなか、それを当たり前として楽しく騒いでいるベンヴォーリオたちと違い、ロミオは争いを憂いている。
 ベンヴォーリオたちはロミオを理解していないし、ロミオもだからといって深刻に嘆いてもいない。

 まだ、わかってないんだ。
 自分たちにあるのが「距離」という名のつながりだけで、「真の友情」ではないことを。

 ロミオがジュリエット@ねねちゃんを愛したのも、彼が最初からベンヴォーリオたちとは別の感覚を持った少年だったから。
 仮面舞踏会でジュリエットと出会ったのがベンヴォーリオやマーキューシオなら、ジュリエットがどんなに美しくても「敵の女」としか思わないだろう。

 だから、ロミオがジュリエットを選んだとわかると、「親友」のはずの彼らは激高する。ロミオならそれもありえる、とは思わない。
 彼らは「近くにいる=自分と同じ立場にいる=自分と同じ」という考えで、自分を愛している延長で友人を愛しているだけ。
 自分の理解の範囲外のことをされると、拒絶反応が起こる。

 ロミオの理解者がロレンス神父@くみちょしかいない、のが、彼に親友がいなかった証拠。
 ひとはひとりずつチガウのだ、ということを理解できる大人は、ロレンス神父だけだったんだな。
 ベンヴォーリオもマーキューシオも、悪い子たちではなかったけれど、子どもすぎて話にならなかった。

 だから、切ない。

 ロレンス神父しか味方のいないロミオは、親友たちには理解されないと悟っていた。バレれば責められると覚悟していた。それくらい彼は、年齢相応の成長をしていた。
 だけどベンヴォーリオたちにとっては青天の霹靂、まさかの裏切り。
 
 ロミオが、自分たちと違わずなにもかも同じだと信じていた親友が、別のことを考えるなんて。自分たちが夢にも思わないことを考え、するなんて。

 当たり前のことに、傷つき、憤る。

 当たり前だと理解できないほど、幼い少年たちの姿に、泣けてくる。

 ゴールデンエイジの終わり?
 少年が少年でいられる時代の終焉。
 子どもはいつか大人になる。でもそれは個人差があり、ゆっくりと発育していく。
 なのにベンヴォーリオたちは、ロミオの裏切りという形で強引に成長を余儀なくされた。もっとゆるやかであっていいはずの時間の流れを、一気に早送りされたんだ。

 その痛み、きしみ。

 おつむのデキがより単純であったマーキューシオは、その早送りされる情報量を処理しきれずに、パンクする。
 もっと時間を掛けて、ロミオが自分とは別の人間であり、別の考えを持っていて、別の人生を送るのだと理解し、彼の考え方を自分はどう思うかどうしたいかを咀嚼し、解きほぐし、それでも彼とこれからどうつきあいたいかを突き詰めて、答えを出すモノだったのに。
 早回しされる映像のようにきりきりくるくる回って、マーキューシオは死ぬ。
 彼の命が早回しされたように、彼の心もさっさと答えにたどり着く。

 それでも、ロミオは友だちだ、と。

 両家の争い、それを是とする世界観、価値観はゆるがない、そこを突き詰めて考えている余裕はない、それでもなお出てきた答えは、ロミオを好きだということ。
 だから彼は、死の間際にロミオを肯定する。ロミオが選んだ生き方を、愛を貫けと言い残す。
 途中のことを全部全部吹っ飛ばして、いちばん大切なことだけ伝える。

 演じているのがベニーなので(笑)、この早回し人生と最期の独白が行き過ぎていて、なんか笑える感じになっていたりするんだが、マーキューシオ単体としては、ブレてないんだ。
 
 マーキューシオは勝手に人生早回しして終了したけれど、ベンヴォーリオはチガウ。
 いちばん哀れなのは、彼かとも思う。

 ロミオという親友を精神的に失い、マーキューシオという親友を物理的に失った。
 彼ひとり、残された。
 それでもベンヴォーリオは、生きなければならない。

 ロミオの裏切り、マーキューシオの死で、ベンヴォーリオも成長する。
 無垢で無神経だった少年時代を過ぎ去り、大人へと近づく。
 だから彼は、ジュリエットの死をロミオへ知らせようとする。……自分の行動が、親友を破滅させることになるとは知らず。

 
 ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。
 彼らがあまりに「少年」で、すっかり年老いたわたしなんかは、まぶしくてならない。
 切なくて、ならない。

 正しくなんかない。
 だけど懸命に生きる彼らの姿に、泣けて仕方がない。

 黄金のままでいられない、消え去ることがわかっている少年期の傲慢さと無神経さと無邪気さと、掛け値なしの情熱や愛情や誠実さが、キラキラ波のように輝いて、胸に刺さる。

 地味キャラスキーなので、とくにベンヴォーリオの立ち位置はツボすぎて。
 最後、テレビカメラには映らないんじゃないかな、って目立たなさでロミオの亡骸にすがって泣き崩れる姿に、こっちも号泣したってばよ。

 少年はいつか、大人になる。
 それが、こんなカタチでだなんて。
 仲良し3人組、ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。

 「少年」である彼らが、愛しくてならない。
 嘘さ! 嘘さ!!
 善悪が両岸にまっぷたつに分けられてるなんて
 嘘さ! 嘘なんだ!!
 嘘さ! 嘘さ! 嘘さ!

 ここは善だけの岸だと 信じ切れるなら楽さ!
 善い岸に住んで適当な時には 善なんか眠らせときゃね

 嘘さ!
 ボクがここにいるってだけさ!

 
 ……いつも同じ出典でアレですが、なにしろわたしの根っこにあるものは変わらないので。
 『ロミオとジュリエット』を観て、これまた痛烈に『はみだしっ子』を思い出していました。
 いがみ合う子どもたち。理由もないまま、対岸の子どもたちを憎んで。何故ならそれは、大人たちがはじめたことだから。大人の争いが子どもたちに広がり、今では原因もわからないまま、ただ相手を憎み、暴力に訴える。
 攻撃されて、思わず防戦したはみだしっ子たち……どちらの岸にも行き着くことは出来なくて、そんなもんくそくらえで。

 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の方が古くからあるもので、それを観てずっとあとに創られた作品を思い出すのはチガウと言う人もあるかもしれないが、古い作品に対してどうこうではなく、あくまでも、2010年初演の宝塚歌劇『ロミオとジュリエット』を観て、子どもの頃に読んだ『はみだしっ子』を思い出したということ。

 有名すぎる『ロミジュリ』については、意識するまでもなく知識として知っている。
 でも教養のないわたしは、それをきちんと咀嚼することないままこのトシになった。
 改めて出会う『ロミジュリ』で、登場人物があまりに「子ども」であることにおどろいた。知識としてロミオとジュリエットの年齢を知っていても、それがどういうことなのか理解してはいなかった。

 子どもの感性、子どもの考え方。子どもの理屈。
 そこにあるのは中2病全開の、とても痛く恥ずかしいモノ。
 うっわー、天下の『ロミジュリ』って、こーゆー話なのか。映画でもチラ見するバレエだのミュージカルでもイイ年した大人が演じているから、気づいてなかった。

 そして、あまりに「子ども」であるがゆえに、すでに大人であるわたしからすれば、痛々しくて、切ないものだった。
 生まれたときから「敵」のいる世界……そんな世界に生まれてしまった彼らを不憫に思う。
 それを当たり前とし、憎しみと暴力を空気として呼吸し、それでもそのなかで愛し希望し、笑って生きる。
 「男はみんな王になりたい」……いちばんになりたいと、無邪気に夢見る男の子たち。自分の可能性を信じ、未来になんの疑いもない、まっすぐな瞳。
 そんなものが、愛しくて切なくて、泣けて仕方がない。

 ロミオは所詮モンタギュー家の一員であり、よそ者だったはみだしっ子たちとはチガウ。グレアムたちも対岸の連中に石を投げたし、対岸に住んでいる女の子との交流もあったけれど、結局そこまで人々の争いに関与しない、しなくても済む。
 ロミオとグレアムたちが会っていたら、それはそれで悲しい会話が展開されただろうなあ。

 結束のための掟、結束のための敵。
 モンタギューとキャピュレット、互いを憎むのは個々にナニかあるからではない。すでにそんな次元は過ぎた。
 共通の敵がある限り、安心して同胞としてまとまっていられる。個は消失し、あるのは実態のない集団のみ。
 「沢山のお豆がありましたが、つぶされて粉になり、練られて一つのかたまりになっちゃったって話」……アンジーの要約の仕方が的確すぎて泣ける(笑)。

 そんなひとつのかたまりの中にいた、練られていたけれどまだなんとか原形を保っていた、ひとつのお豆の物語。
 もともと両家の争いを快く思っていなかったロミオ@れおん。そんな彼だから、とても素直にジュリエット@ねねちゃんと恋をした。

 ロミオは片方の岸の住人だったから、死まで描かれたんだなと、当たり前のことに思い至る。

 『はみだしっ子』では、いつも答えまでは描かれない。
 ふたつの岸の争い、理由もわからないままそれでも憎み合う子どもたちが、そのあとどうなるのかは描かれない。
 歪みや哀しみは提示されるけれど、それによってはみだしっ子たちは傷つくけれど、答えはない。
 それは彼らがはみだしっ子であり、どこの組織にも属さない、属せない者だからだ。

 根を下ろす大地を持たないまま彷徨い続け、それゆえに「よそ者」として「外から」人間や集団を見る。
 それが『はみだしっ子』であり、そんな彼らが「家」と「親」……大地に根を下ろしたときに、『はみだしっ子』は終わったんだなと思う。クリスマスローズが花を咲かせるように。彼らはもう、はみだしっ子ではないから。

 てな、舞台と関係あるよでナイことを考えつつ。

 考えさせてくれるから、『ロミオとジュリエット』ってのはすごい作品だと思った。
 リオン@がおりくんがうまかったのは、言うまでもない。
 新人公演『ロジェ』において、見事な安定っぷり。

 キムの役をやるのは何回目?
 わたしの記憶にあるだけで3回目なんだが、中でいちばんイイ感じで……そしてちょっと、残念だったと思う。

 がおりくんは、キムくんと持ち味がチガウ。
 『君を愛してる』のときはアウェイ感ばりばりに苦戦していた。『ソルフェリーノの夜明け』は、キムくん自身がアウェイ感、がおりくんの方がニュートラルに勝負している気がした。

 そして今回のリオンは、そのキャラや立ち位置ががおりくんにも合っているし、なんというか、彼の中で自然に咀嚼し、形作っているように見えた。
 だからとても安心して見られるし、キャラクタ造形も安定していた。

 が。
 ……リオンってあんなに、安定して堅実に、一歩後ろの型にはまってしまっていいものなの?
 一歩前へ出て、あえて型からはみ出してみせるぐらいの気がないと、埋もれてしまう役ではないかな。

 がおりくんのリオンはとてもうまくて、リアルなキャラクタだったんだけど、それゆえに危惧した。そんな風にまとまってしまうことに。

 しどころのない、地味な役だからこそ、意識して前へ出ないと、脇役になってしまうっす……。

 がおりくん、本役のタンゴの男の方がずっとキラキラしてた。押し出しよかった。
 リオンが「キラキラしてなくていい、押し出し良くなくていい」役だとしても、そこにまとまっちゃったらダメだと思うんだ。完全な脇の役ならともかく、2番手役で次期トップスターの役だ。キラキラして押し出しよくやって問題ないはず。復讐に生きるロジェ@咲奈くんとの対比を出すためにも。

 がおりくんの実力と堅実な芸風を愛でるからこその、老婆心。
 
 
 シュミット@りんきらは、やっぱりうまい。そして、期待した通り、ヒゲのおっさんは似合っている。カラダの厚みも合わせて、かっこいい。

 そうか、やっぱりかっこいいんだ……と思ってその直後の、全員集合で旅立ちソング熱唱時、ヒゲ無しの姿を見て肩を落とす。ぷくぷくちゃん……ヒゲがないと、ビジュアルがつらい……。

 りんきらはもう、痩せる意志はないのかなあ。顔立ちはきれいなんだから、痩せれば役の幅も広がるだろうに。
 もちろん太っていても役者はできるけれど、ここはタカラヅカで、太ったおじさんの役だけでなく、ショーも演じなければならないところなんだがなあ。

 
 バシュレ@ホタテくんもまた、回数を重ねるごとにうまくなっていくなあ。
 最初に彼を認識したのは『忘れ雪』で、あのときは一緒に観劇した友人があーたん(なつかしい……)と混同するくらい横に大きな子だったわけだが。
 今はけっこういい感じで落ち着いてきた気がする。
 ロジェとバシュレの体型の差、頭身の差が本役さんっぽくて、年配の男性だとわかるのもイイ。
 顔立ちのクラシカルさも、いい男ぶりだと思うの。

 歌は大変だったような……幕開きのソロ、あれって歌というより台詞になっていた? そーゆー演出?

 若くておっさんができる、ってのは将来有望だと思うので、男ぶりを磨いていってほしーなー。

 
 クラウス@彩凪くんは、期待通りでかくてきれいで眼福ですな。
 存在が派手なので、派手な役をやってくれるとハマリが良くて、見ていて楽しい。
 狂気というよりは、ただの暴力的な人、だったけれど、それはソレでアリかと。

 せっかくの美貌の人なので、いちどきちんとお芝居を見てみたいっす。こんなどたばたした出番の役ではなく、通しでキャラクタのある役を。
 あまり繊細ではない芸風に見えるんだけど、派手な人なので大味でもイケルと思うんだよなあ。

 
 マキシム@透真くん、キャラクタのある役が付いてるの、はじめて見た。
 てゆーか透真くんの場合、見るたびにカオが違っている気がする。喋って演技している透真くんを見て、しみじみと「こんなカオだっけ……?」と思いました。

 本役さんのよーな、間で笑わせるのではなく、もっとわかりやすくコメディっぽくすることで笑わせていた。それは正しい。正塚こだわりの笑い場面は、別に新公でがんばるところじゃない(笑)。

 わかりやすくコメディにすることで、目立つキャラになっていたような。リオンが地味な分、オイシク前へ出ていたよーな。また、笑わせキャラな分、技術のなさが目立たない……いや別に、ヘタではなかったけども。
 かなり役に助けられていた印象。
 しかし今までろくに役がついてないわけだし、はじめてのキャラある役でこれだけ出来たら及第点かな。

 
 ポポリーノ@まなはるくんは、いきなりおっさん役でしたな……ゲルハルト。
 普通にうまくて、ヒゲも似合っていておっさんで。
 おっさんができるのはたしかに有望なんだが、まなはるには今おっさんに逸れてしまわず、もっと真ん中寄りで見てみたいんだが……彼はどこへ行くのかなあ。

 大澄くんは、なんかどこにいても目に入る……のは今回に限ったことではないが、今回さらに瞠目したのは、彼の場合、シルエットでもわかるということだ。
 暗いライトを浴びて浮かび上がったときに、シルエットで判別付くよ彼……あの耳はいいよね……(笑)。

 
 娘役に語るべき役がない、のは前回に続いてどうなのよ、と演出家に物申したいところです。

 クリスティーヌ@さらさちゃんが、きれいで落ち着いていて、いい女でした。
 抑えた物言いが、言葉にしない部分の感情を、ドラマを想像させて、イイ感じ。

 その娘モニーク@花瑛ちほちゃんも、かわいかったし、うまかった。まだ研2なのかー、違和感なくお芝居してたぞ。
 わたしはちほちゃんのカオはおぼえていなかったのだけど、横顔が独特なので「あ、ロジェ(子役)の子だ」とわかった(笑)。正面顔と横顔のギャップは、その昔、若き日のヒメ(キティお嬢様、と呼んでいた頃)を思い出す……。

 カミーラ@みみちゃん、大人の女もかっこいー。美人はいいね。
 でも、ヒステリー起こす演技はけっこう難しいのかなあ。なめらかではなく、ところどころ軋んだ気がする。

 マリア@あゆちゃんはかわいいけど……本役のマイペースなメイドさんの方がよりかわいいな。
 地味というかシリアスで堅実な役より、アイドル系の役が似合うんだなー。みみちゃんと反対に。

 
 雪組って芝居うまいなと思うのは、間と会話テンポが難しい正塚芝居をこなしている子たちが多いこと。
 
 シュミットの診療所前の通行人の女たち、千風カレン、此花いの莉、雛月乙葉、みんなすげーうまいんですが。雛月サンはタンゴダンサーもかっこよかったし。てゆーかカレンちゃんってまだ新公学年だったんだねえ。
 そして、アタマ悪く「好みの顔」の話をする(笑)。
 舞台人としてどうこう、技術がどうこう、を語る資格ナッシングな、実に偏った話。

 新人公演『ロジェ』において、とにかく、あずりんのカオを眺めていました。

 好きなカオですから。
 もう見られなくなってしまうのだから、これが見納めとばかりに、じっくりと。

 わたしの好きなカオのポイントは、なんつっても「鼻」です。高い、大きな鼻が好き。
 それゆえに、真正面より横顔フェチ。
 大きな鼻を堪能できる横顔が好き。

 男役ならカオは長めで、鼻も長めがいいです。でもってクチは大きく、唇がタラコ気味がいいです。受け口も好物です。

 つーことで、あずりんを失うのが痛手です。

 ヤコブ@あずりんは、もともとよくわかんない役。本役さんからして、キャラクタが見えにくいってゆーか、立ち位置がよくわかんないってゆーか。
 深く考えず、レアの同僚、ただの解説役、合いの手を入れる役、と開き直っていればいいのかなあ、正塚せんせ?

 あずりんはとても真面目に、思慮深い感じでヤコブを演じている、よーに見えました。
 個性が見えにくい分、なかなか難しい役だと思うんだけど。彼は台詞も自然で、このまま経験を積めばいい男になったろうと思うんだけど。なんで辞めちゃうのかなあ。しょんぼり。

 つーことで、あずりんが出ているところは彼をオペラグラスでピン撮り。

 
 そして、それと平行して好みの横顔探しをしていたところ……ヴィンセント@レオくんがとっても好みだということに、気づきました。

 潔いデコ出しヘアが良かったのかな? それともお化粧? 役?

 てゆーか彼、あんなカオだった?

 いちお、ずっと顔の見分けのつく下級生だったわけですよ、レオくん。だからなんか今さらな驚き。もともとあんなカオだった?
 なんか急に好みになっていて、びびった。

 そして。

 …………芝居、ヘタだね…………(笑)。
 いや、声か? 芝居がどうというより、声の問題? 地声のままで喋るのは演出家指示なの? 本役の咲奈くんもだし、レオくんもオンナノコのまま喋ってますが……。

 レオくんは以前の新公で、芝居好きな子なんだなと思った。すごい濃度で顔芸していたし。
 でもあんときは、台詞はほとんどなかったな……。喋るとこんなに大変なことになるのか。

 彼が喋るたびに「うわっ」と思ったんだが、顔が好みなのでがんばって欲しい……。

 
 れのくんを愛でるのはいつものことなんだが、今回はあまり琴線に触れず。
 とゆーのも、本公演で「なんかれのくん、かっこいい」と思ってしまったので、新公ではそれ以上にときめかなかったという(笑)。

 
 カウフマン@朝風くんは、なんか恥ずかしかった……。
 なんだろう、この気恥ずかしさは。朝風くんがあんな役やってるー、黒いー、きゃー自殺したー。

 ……たぶん、どんどん彼を好きになっているんだと思う。そのせいで、なんか「知ってる人」感覚で勝手に恥ずかしくなるんだ(笑)。

  
 で、なんか今回、央雅くんがめっさかっこよかったんですが。
 彼、フケてるよね?(誉め言葉)

 前回の新公でフケ役やってたけど、すごく大人なのはすでに芸風?
 タンゴがかっこいーよー。
 悪者もかっこいーよー。

 好みのカオ、の範疇ではナイんだが、その色男っぷりが予期していなかったところにずどんとキた。
 好みの顔ゆえにわくわくどきどきするのもいいけど、実力で振り向かせてくれるのはイイよなあ。

 
 んで、実はこの新公でいちばん衝撃だったのは。

 アイザック@月城くん!

 ねえちょっとナニ彼、めちゃくちゃうまくね?! まだ研2だよね?!
 前回もすごくナチュラルにおっさん役をやっていたけれど、今回もまたふつーに大人ですよ。

 で、本役とはチガウ手触りのキャラクタ。
 軽くない、土着の臭いのある男。

 なんかいろんな意味で驚いて、彼をオペラでピン撮りしていたら、なんか、オペラ越しに目があった気がして、息が詰まった……(笑)。
 カンチガイでもなんでも、あのでかい目で見つめられるとびびるわー。

 これから彼は、どう育つんだろう。
 なんかすげーたのしみっす。

 
 と、とにかく好み語り。好みの顔と、芸風と。
 年寄りなので、昔話をする。

 あれは『虹のナターシャ』新人公演。タカネくんがトップになり、新生雪組がスタート、『エリザベート』初演の成功・盛り上がりも記憶に新しいそのときに、まさかの大駄作。
 植爺の駄作は数あれど、終わってないなんて、物語とか作品とか以前の問題。創作者としての品性を疑う事態なんだが、理事長様はナニやっても許される。
 そんな怒濤の公演にて、新公ヒロインが研1の紺野まひるだった。……って、誰。

 まひるちゃんの82期は、タカラヅカのテレビ進出を狙った期で、tapが結成されてCDデビューしたり、シャンプーのCMにずらりと出たりとにぎやかだった。
 タカラヅカに一般客を引き入れようという試み、テレビのアイドルタレント的な扱いをしてみよう、という時期だった。

 その祭りの一環での、研1の新公ヒロイン抜擢。

 かなりの異例で話題になってしかるべき事態なのかもしれないが、まだネット普及率も低く、世の中的にヅカファン的に、どこまで大事件だったのかはわからない。
 わたしとしては、研1ヒロイン抜擢より、なんで江上さんが専科さんの役なのよおおっ、というショックの方が大きかった(笑)。いやその、江上さん、つーのはケロちゃんのことでね、前回の『エリザベート』新公でフランツを演じ、歌はともかく芝居は素晴らしく、惚れ惚れしていたところだっただけに、なんでこんなに急に扱いオトされるのか納得できないっちゅーか、ああうだうだ。
 それでも江上ファン……仲間うちでだけ、「江上さん」と勝手に呼んでいた……『大上海』の江上役のせい……見逃してなるものかと駆けつけた。『虹ナタ』新公。

 江上さんは専科さんの役でもすっごくうまくて、出番少なくて横顔しか客席に見せないよーな、そんな役でもじーんとさせてくれたんだけど! 仲間たちと「江上さんすげえ」って言い合っていたんだけど!
 それは置いておいて、新公ヒロインのまひるちゃん。

 ナターシャというのは、絶世の美少女だが、男の子みたいながさつな役。演技しているのかどうかもわかんない、等身大のオンナノコのままで演じられる役。
 まひるちゃんがうまいのかどうかは、さっぱりわからない。や、ヘタではないけれど、たまたまナタ公がハマっていただけで、他の役ができるのかはそれだけじゃまったくわからない。そーゆー出来映え。

 いちおー、成績は3番、娘役ではトップだった……かな。それなりに実力はあったんだと思う。
 でも、音楽学校で良い成績を取ることと、実際の舞台で成果を出すのはまた別問題。

 それでも、ひとつだけわかったこと。

 まひるちゃんは、かわいい。

 ビジュアル重視の期の中で、わざわざ抜擢されるのが納得の美少女だった。

 かわいいは正しい、かわいいは正義。
 動いて、喋っているだけでかわいくて、一気に注目された。

 いつもは現れないトドロキが、わざわざ新公観に来てたっけ。直後のバウ公演で、そのまひるちゃんがヒロインを演じることになると決まっていたので、新公に興味のないトド様も、さすがに足を運んでいた……そしてそのことがわざわざ「トドがまひる見に来てた!」と噂になるあたりもまた、いっそ愉快。

 まあそんな昔話を、年寄りの偏った記憶で語るのは、まひるちゃん以来14年ぶりに、「研1の新公ヒロイン」が誕生したためだ。
 偏った記憶……あくまでも、わたし個人の記憶に過ぎないので、どこまで正しいかは謎。

 しかし、新人公演『ロジェ』を観ながら、痛切に、思い出していた。

 まひるちゃんは、かわいかった。

 舞台人としての経験は皆無の研1生だったけれど、タカラヅカという狭い世界の美人ではなく、テレビに出ててもおかしくない美少女だった。
 経験がない分、もとからの可愛さで「絶世の美少女役」をやっていた。

 「かわいい」っていうのは、「きれい」っていうのは、たしかに、わかりやすい説得力だよなあ。
 これで実力皆無で動いて声を出したら目も当てられない、てな出来ならともかく、周囲に支えられながらでもふつーに新公レベルの仕事をこなしてみせたら、「かわいいは正義」で通るよなあ。

 
 とゆーことで、『ロジェ』ヒロインのレア@夢華さん。
 改めて舞台姿を認識し、首を傾げた。

 文化祭を観たときは、かわいかった気がする、んだが。
 好みのタイプではなかったのでスルーしていたが、それでもふつーにかわいい、ヒロインらしい人だった、と思ったんだ。カオ自体はおぼえてなかったにしろ。

 歌がうまいことも、芝居が出来ることも、文化祭でわかっていた。
 だから新公でも実力的なことは、危惧していない。きっとそこそこ役目を果たすだろうと。

 でもなあ。実力のある研1生なら、今までもいくらでもいたと思うの。男役は出来上がるまでに時間がかかるから研1抜擢主演は難しいとしても、娘役なら文化祭ですでに出来上がっている子だっている。
 首席入団してくる娘役なら、ある程度のことはできると思うんだ。
 せんどーさんでも、くまくまちゃんでも、アグレッシヴにヒロインやったろうなあ、入団早々、機会さえあれば。

 実力だけで言うならいろいろどーんと来い!な、せんどーさんやくまちゃんが出来なかった研1新公ヒロインだ、彼女たちとまひるちゃんの差は、研1にしてすでに出来上がっているビジュアルかなと。
 せんどーさんもくまちゃんも美人さんだけど、彼女たちが舞台上であか抜けて輝きだしたのはやっぱり、何年かしてからだし。(くまちゃんは最初からヒロイン路線じゃなかったかもしんないけどさー)

 テレビタレントみたいなビジュアルを最初から持っている、舞台人として美しく見せる技術がなくても、きれいな子だとわかる……舞台スキルがナイまま舞台に「ヒロイン」として載せるには、やはりソコにこだわりがあるのかなと。

 思っていただけに、夢華さんにまひるちゃんほど圧倒的なかわいさがなかったことが、残念だ。
 や、うまいんだけどね……ふつーに「新公学年」レベルの芝居とビジュアルを見せてくれたんだけど、ふつーに「新公学年」レベルなんだったら、なにもまひるちゃんと同じ「研1で新公ヒロイン」である意味がナイんじゃあ、と。
 ふつーに「そこそこいい役」で「え、あの子研1? うまいじゃん」と思わせた方が良くないか? せんどーさんやくまちゃんがそうやって少しずつ昇ってきたよーに。

 難しい正塚芝居で、浮かずによく演じていたと思う。
 本役よりもやわらかいというか、意志の在処がわかりにくいけれど、そーゆーキャラクタもアリでしょう。みなこちゃんほど強く演じる必要はないのだから。
 そしてなにより、歌は素晴らしい。固いままであれだけ歌えるんだから、キャリアを重ねればもっと聴かせてくれるよーになるだろう。

 ビジュアルもまた経験で補えるので、このまま経験を積めばどんどんあか抜けてきれいになると思う。
 でもせっかくの、まひるちゃん以来14年ぶりの大抜擢なんだから、ビジュアルにおいて、まひるちゃん並の感動を与えて欲しかったっす。残念。

 あ、でもビジュアルは好みによるところが大きいからなー。わたしの好みの顔立ちでなかった、つーだけのことかも。
 咲奈くん、新公主演おめでとー。

 と、再度言いたくなった(笑)。
 と、ゆーのもだ。

 雪組新人公演『ロジェ』、プロローグの回想シーンが終わり、スクリーンが上がって、ロジェ@咲奈くんが登場する、その瞬間。

 カッコイイ。と、素直に思いました。

 あれえ? なんかマジ格好いいぞ?

 中卒研4の咲奈くんはまだハタチそこそこ。彼を「かわいい」と思うことはあっても、「カッコイイ」はなかった。
 それは仕方ない、男役は一朝一夕では出来ないんだ、人生未熟なコドモに、簡単にどーこーできるようなヤワな世界なら、こんなに夢中になってない。
 若すぎて足りていない、のは許容範囲、将来に期待を掛けるのでかまわない。
 が、やっぱり「男役」としての魅力を見せてくれるのに、越したことはない。
 前回までの新公や、今の本公演でのぷくぷくした「オンナノコ」な姿を残念には思っていた。

 それがどーしたことだ、新公は格好良かった。
 ぷくぷくしたオンナノコじゃない。男役だ。

 てゆーか、声がチガウ。

 本公演ではオンナノコな地声で喋ってるじゃん? 少年ぽさを出そうとして、あーゆーことになってるの?
 新公ロジェ役では、作った男役声でした。
 つか、水しぇんに似ている。

 『ソルフェリーノの夜明け』のときは、まったく感じなかったのに。
 『ロジェ』では、姿も声も喋り方も、水くんに似ている。

 すごく丁寧に、コピーしている。
 「水夏希」を。

 オープニングのダンスで。
 帽子アリのスーツのダンスで。
 ものすごく丁寧に動いている彼を、肩のラインひとつに気合い入れて「型」をなぞる彼を見て、泣きたくなったのですよ。

 「水夏希」が、受け継がれていく。
 水しぇんが完成させた男役芸を、こーやって全霊を挙げて受け継ぐ子がいる。血肉にしたいと貪欲にあがいている子がいる。

 水しぇんは卒業してしまうけれど、彼がこのタカラヅカに、この舞台の上にいたことは決してなくならない。
 そのことが、理屈ではなくビジュアルで、今目の前にあるモノで、ずどんと胸に迫ってきて。

 すごく、ありがとうなキモチだ。
 咲奈くんに。
 水しぇんに。
 そして、タカラヅカに。

 ああもお、タカラヅカっていいよな。こうして受け継がれていくんだ。終わりはないんだ。
 咲奈くんがすごく水しぇんに似ているとか、よく言うDNAとやらを受け継いでいるとか、そこまでは思わないんだけど。
 そうじゃなくても、そこまでじゃなくても、継がれていくモノはあるんだ。
 ひとである限り。
 ひととひとが、創っていくモノである限り。

 デュナン役のときは、咲奈くんは彼自身の力で突っ走った気がしている。コピーするとかなぞるとか以前、今の自分で脚本にあることをやれるだけやる、みたいな。
 課題をこなすことだけを考えましたっていうか。

 それが今回は、水しぇんをコピーする……本役さんの素晴らしさを再現する、ということにも焦点を合わせてきた気がした。
 等身大ではなく、ひとつ上の大人のビジュアルを目指したというか。

 そして、やっぱりうまいというか、技術のある子なんだと思う。
 コピーするとなると、ほんとにきっちりコピーしてるんだもの。
 いろんなところで、水しぇんの幻影を見る(笑)。うわ、よくぞこれだけコピーしたな、と。
 仕草や声色、表情の作り方。

 もちろん、コピーだけで終わらず、どんどん咲奈くん自身の色が出てくるんだけど、基本は水しぇんのロジェなの、いろんなところで型を崩さずがんばってるの。

 正塚芝居って大仰な台詞回しだとかゴテゴテした衣装とかで誤魔化しが利かない分、若手たちには敷居が高い。新人公演は軒並み大変なことになる。
 が、どうしてどうして、よくやっている。
 咲奈くんをはじめ、みんなうまい。

 ちゃんと基本な正塚芝居をやって……ちゃんと基本な水しぇんのロジェをやって……だけど、咲奈くんらしいロジェになる。
 
 脚本自体が「ロジェってただのコドモ?」な話なので、リアルに30過ぎの大人に見える水しぇんが演じるより、ぴちぴちに若い咲奈くんが演じた方が脚本の粗が目立たない……てのは、ある。
 ヅカ作品にありがちな、「作品が壊れていて、なんでそうなるのか本公演では納得できなかったが、新公では行動が変でも『若いから仕方ないね』で納得できる」を地でいくわけですが。

 それを踏まえても、一途で、ハートフルなロジェでした。

 誠実さとアツさが見えるんだが、それと同時にまろやかさもある。復讐をあきらめるくだりが、なめらか。
 自然に人を惹きつける力。ああ、このロジェって男、好きだな、と思える。

 
 タカラヅカにおける「サヨナラ公演仕様」な演出は、物語的には不要なことが多く、おかげで新公では白々しくなったりするもんなんだが。(例『ソルフェリーノの夜明け』新人公演で、退団しないホタテくんが脈絡なく「退団者の歌」を歌って旅立たなければならなかった)

 『ロジェ』もラストシーンがその物語的に不要な「サヨナラ公演仕様」で、旅立つロジェをキャスト全員で見送る、ロジェが銀橋からキャスト全員を見つめる演出があった。
 仕方ないけど、退団しない、人生これからの咲奈くんにソレをやられても萎えるなー、と思っていたんだが。

 なんと、演出が違った。

 たしかに旅立ちの歌でキャスト全員登場するんだが、ロジェひとりが旅立つのではなく、そのまま花道までいっぱいにずらりと並び、新公メンバー全員の、「未来へ」の歌となった。
 途切れることなく、そのまま終演挨拶になる。
 そのことによって、最後の歌が、新公キャスト全員のこの新公に懸ける意気込み、これからの舞台人人生に懸ける意志、みたいなものに昇華された。

 すごい。
 これってすごい、キモチイイ演出だ。
 一礼するキャストに、心から拍手を送った。

 
 新公の長を務めるがおりくんの挨拶は端正で過不足なく、そして咲奈くんの挨拶はエネルギッシュだった。テンパって泣き出すこともなく、きちんと仕事を果たした。

 成長してるんだなあ。若者ってすごいなあ。

 本公演のヴィンセント役は足りなさが目立つんだけど、新公でここまでやれる子なんだもんなあ、実力はあるんだよな。
 てゆーか、ふつーにこんだけうまいんだから、あとはこれから男ぶりを上げていくことだよな。
 かなり背伸び感のあるヴィンセント役をやり続けることで、咲奈くんはいろいろ吸収中なのかもしれない。
 ひとりっ子政策は反対、才能ある子だと思うからこそ、大切に育てて欲しいっす。
 ビジュアルと中身の落差の激しさといったら、この人の右に出るモノはいないんじゃないでしょーか。

 はい、現タカラヅカにてビジュアルNo.1の呼び声も高い、凰稀かなめくんですよ。

 静止画の美しさはハンパねぇし、コスプレの似合いっぷりもとんでもない。
 舞台に登場した瞬間のインパクトは、そりゃーもー素晴らしいのひとことです。

 が。

 彼の舞台得点グラフときたら登場時がMAXで、あとは下がりまくるという、困った資質を持った人。

 動いて喋って歌うと、一気にヘタレるんだもの。

 技術の足りなさはどーしよーもないんだが、それに加えて性格というか持ち味がヘタレ系なんだねええ。優しいんだねええ。

 『ロミオとジュリエット』においての彼もまた、いつもと変わらぬかなめくんっぷりでした(笑)。

 ティボルト@かなめくんは、登場した瞬間その格好良さ、美しさで刮目させる。
 うおおかっけーっ、アレがティボルト、アレがこの舞台の2番手か!

 ……でも、物語が進むにつれ、このティボルトって、かなりアレじゃね?(笑)とわかりはじめる。

 いやぶっちゃけ、アテ書きでしょう!(笑)

 イケコのアテ書き能力半端ナイなあ。
 海外ミュージカルをタカラヅカ用に潤色する、その中に「キャラクタのアテ書き」も入っているんだ。初演『エリザベート』が当時の雪組にアテ書きされたように。(おかげで、ルキーニは3番手の役)

 一見ハードにカッコイイ、悪役属性のティボルトくん。ふつーに女はべらしてます、とか、実の叔母@コロちゃんと親密です、とかの、大人っぽいワルな美形。

 だがしかし。

 ティボルトくんは、大人じゃないし、ワルでもなかった。

「オレが不良になったのは、大人たちのせいだっ。オレは悪くないっ」

 てなことを本気でわめく、中2全開の恥ずかしい人でした。
 さらに、

「オレは15のときから、女を取っかえ引っかえしてきたんだぜ」

 とか言っちゃうよーな、カンチガイした恥ずかしい人でした。

 なんつーか……すげー恥ずかしいコドモだ……。
 女性経験の数を自慢だと思っているし、悪いのは全部大人だし、なにかあったときの反応がことごとくただの脊髄反射でのーみそ使ってないし。

 見た目だけかっこいい、ただのヘタレ男。
 ……このどーしよーもないティボルトくんを、かなめくんが、どんだけ魅力的に演じていることか。

 コレ、まさにかなめくんアテ書きでしょう。
 てゆーか、まさかのヨン・ホゲ再び。
 ゆーひくんのホゲ様と違って、キハに指一本振れられなかった、あのかわいそーなヘタレ男!

 ティボルトがどんどんヘタレていって、おかしくて可愛くて。

 いちばんカッコイイのはオープニングだよ……つーか、そこしかナイよ……あとはもお、キャラがわかるたびに「この人、アホ?」な感じが素敵過ぎる……(笑)。

 跡取りだから!とにんじんをぶら下げられて、ジュリエット父@ヒロさんに頭が上がらなかったり、ジュリエット@ねねちゃんをダイスキで彼女の婚約者パリス@ミッキーに必死にちまちま嫌がらせをしたり。
 やることがセコくて、めっちゃ可愛い。

 で、渾身のソロは「悪いのは大人だっ、オレは悪くなんかないんだっ。てかオレって可哀想じゃん、オレ万歳(うっとり)」だし。
 しかも、歌唱力はアレだし(笑)。

 従兄で幼なじみで親しいのに、家にも当たり前に出入りしているのに、愛していることを、当のジュリエットに、まったく気づいてもらってないし。

 三角関係にもなってないんだよねえ。
 ヒロインからまったくアウトオブ眼中(死語・笑)って、それだけでティボルトの男ぶりが相当下がっているとゆーか、独り相撲が悲しすぎる事態だと思います。
 彼が死んだときも、ジュリエットはろくに悲しんでくれないし。ロミオの心配しかしないし。……ほんっとに、どーでもいい扱いなんだねええ。ほろり。

 また、その死に方も悲しい。
 マーキューシオ@ベニーは刺されたあと盛大に喋って歌って親友に抱きしめられて時間掛けてドラマティックに死んでいくのに、ティボルトときたら、一瞬でご臨終。刺された、死んだ。え、もう死んだの?!
 彼にすがって泣く友だちはいない。とりまきの女の子たちが囲む程度。人望ナイんだねええ。ほろり。

 最初から最後まで、彼は悲しいピエロ。
 ひとりできーきー踊るのみ。
 誰からも愛されず、誰からも顧みられず。

 唯一叔母にだけは愛されていたようだけど、なにしろ不倫な関係、おおっぴらにはできないから、叔母さんも口をつぐむし。

 可哀想。
 ティボルト、可哀想~~。

 おバカでヘタレでカッコつけのどーしよーもないカオだけ男。
 ひとりでテンパってるけど、ロミオ@れおんにもジュリエットにも、てんで相手にされず。

 って、萌え過ぎる(笑)。

 かなめくんの魅力全開。
 ビジュアルとのギャップゆえ、胸キュン作用(笑)。

 あんだけ完璧に美しい男が、あんだけヘタレなのよ? で、自分がヘタレだとも気づかず、「ワイルドでワルなオレ」とか悦に入ってるのよ?
 素敵すぎるっ。

 キャラ勝ちだわ。

 えーと、かなめくんの歌はもお、大変です。声ひっくり返ったりゆらゆらしたり。
 また無駄に難しい歌だったりするし。
 でも、彼に歌唱力は求めていないので、無問題。キャラクタと相俟って、それもまた味になっている。

 そんな些細なこと(笑)よりも、かなめくんがアグレッシヴに役に向かい、舞台に立っていることに魅力を感じます。
 不思議な魅力だなあ、凰稀かなめ。

 れおんくん、かなめくん、ねねちゃん、この3人の並びがすごく好き。黄金のパワーバランス、魅惑のトライアングル。
 3人の並びが好きなこともあって、さらにさらに、かなめくんが素敵だ。

 楽しいよお、『ロミオとジュリエット』。
 君は、柚希礼音を見たか?

 てな書き出しで、話したくなるよーな、そんな公演でした、『ロミオとジュリエット』

 プログラムの表紙写真からして、すごい。
 カラコンまで入れて、二次元的に整えられたビジュアル。

 美しい。

 『ロミオとジュリエット』って、まず、ナニがなんでも美しくないといけない物語だと、思ってるんですよ。
 ストーリー展開もそうだけど、ナニより台詞がこっ恥ずかし過ぎるじゃないですか。日本人の感覚にはナイだろうって思考回路。わたしだけかもしれんが、ついていけないのだわ、シェイクスピアならではの美しく曲がりくねった台詞の群れ。

 その昔、『ロミオとジュリエット’99』を観たときに、しみじみ思ったんだ。
 主演の水くんは美しいが、彼くらい若くて美しくても、かなりギリギリだなと。
 外部の、5頭身がデフォルトの日本人男性俳優とかでは、とても見られないなと。
 タカラヅカで、若手の美形男役が演じてギリギリの、とんでもなく高度なファンタジー構築を必要とされる物語だなと。

 ビジュアルで、「異世界」を作りきった上でないと、こっ恥ずかしくて見ていられない。ゲームやアニメという二次元世界なら平気だけど、三次元では無理。「おおロミオ、アナタはどうしてロミオなの?」とか、こんなレベルの台詞のオンパレード、ギャグにしかならんわ。
 外国人が演じて、台詞が字幕なら平気。洋画はファンタジーだから。ディカプリオの『ロミオ+ジュリエット』がOKなように。

 なのでわたしが『ロミオとジュリエット』という作品に期待するモノは、ナニを差し置いても「美しさ」だ。
 そしてその「美しさ」ってのは、わたしが見て美しいと思うかどうか、なんだ、所詮。
 現代日本でのほほーんと生きる無教養なおばさんが見て、美しいとかかっこいいとか素敵とか思えるかどうか。

 つまり、どんだけ美形の外国人様が演じていたとしても、男たちがタイツ姿では、夢は見られないんだ。
 ヅカであっても、タイツにブルマだのエリマキだので、時代考証だの古典だのに則って上演されたら、ついていけない自信がある。
 どんだけ「正しい」姿であっても、無教養なわたしが見て「美しい」と思えないんじゃ、それだけで魅力を感じられない。
 
 現代の感覚で、美しいこと。
 そのとんでもない美しさで異世界を構築し、そこでならどんな荒唐無稽なことが起こっても大丈夫!とまで、してくれないと。

 今回、元のミュージカルは知らないが、男たちがタイツ姿で歌い踊る古典的な『ロミオとジュリエット』ではなく、衣装もふつーなロック・ミュージカルだと聞いていた。
 実際、目にするポスターのれおんとねねちゃんも、もこもこ衣装+タイツ姿のいわゆる『ロミジュリ』ではないし。

 どうやら、現代感覚で「美しい」らしい。
 それなら期待できる。
 たとえ鳴り物入りの海外ミュージカル様でも、衣装がタイツだったらわたしはなんの期待もしていなかった(笑)。

 それが、開演前に友人に見せてもらったプログラムの表紙写真ですでに、感嘆するほど美しい。
 わたしはれおんくんの顔立ちは、実は好みではないのだが(ハルノスミレとかミズナツキが好みですから)、それにしたって最近の彼は美しい。

 ビジュアルが洗練されていることもそうだが、トップスターになってから放出される、彼の「王者感」が好きなんだ。
 真ん中で君臨することを宿命づけられた者だけが持つ、輝き。傲慢で大味で屈託なくて、そのまぶしい光で弱者なんぞ駆逐してしまう、一種の傍迷惑さ。正しい者が持つ、危険さ。
 それらが、若く美しい王者から発せられるとたまりません。
 トップになってからのれおんくんは、素敵過ぎて好み過ぎて、困ります。

 ハードなテイストで美しい写真を見せられ、そして幕が上がるとこれまたハードなテイストでめっちゃかっこいいオープニング。
 観ているこちらのテンションも上がりまくり、うおおかっけーっ、この舞台かっけー!!

 で。

 一山超えたあとに登場する、主人公ロミオ@れおん。

 あ……あれ?

 水トートが妖しく不吉に踊り、暴力と抗争で激しい歌とダンスなオープニングな、ロック・ミュージカル、だよね。
 ダークでバイオレンスなはじまりで、実際目に映るモノすべてハードに格好良くてクールにアツいのに。

 登場したロミオくんは、真っ白なピュア天使でした。

 そう、『ロミオとジュリエット』ってのは、10代の子どもたちの物語だった。中学生くらいのメンタリティ。
 舞台でも映画でも大人が演じているから、忘れてた。ハードなオープニングゆえに、忘れてた。『ロミジュリ』ってそーゆー話。

 トップスターになってからのれおんは、強い、濃い男を演じてきていた。王者としての資質を最大限に発揮して。
 基本大人の男だからこそ、時折見せる少年性が魅力だった。
 トップになってからのれおんくんを大好きなわたしはことさら、そう思い込んで彼を見ていた。

 それが、どーしたこったい。
 ロミオ役は、「王者」ではない。
 わたしの大好きなれおんくんじゃない。

 若くして抜擢されてきた彼は、長い間「弟キャラ」「かわいこちゃんキャラ」をやって来た。それはれおんだからではなく、早期抜擢スターの宿命だ。大人の男を演じるのは技術が必要だから、それが足りないコドモには、技術不要、等身大の持ち味だけでできる役を与える。
 あー、そーいやれおんって、ついこの間まで弟キャラやってたっけ……かわいいだけの若者とかやってたっけ……。

 長い「下級生抜擢ゆえのコドモ役」時代を抜けて、せっかく大人の男になったのに、ここでまたコドモの役か……。

 と、鼻白んだのも事実。
 ロミオくんはほんとにかわいらしい、夢見るユメコちゃんなので。

 だがしかし。

 この「天使」役ってのは、すごいもんだね。
 純粋な少年役だからって、ほんとうにただ若いだけの「実年齢ゆえにそのままやってます」てな子がやっても、魅力にはつながらないんだ。
 少年期を過ぎ、大人になったあとで、あえて「少年」を演じる……それゆえの「力」があるんだ。

 柚希礼音の演じる、「少年」。

 ついこの間まで、少年役ばっかやっていたかもしれない。弟キャラだったかもしれない。
 だけどチガウ。
 若いから子役だったれおんくんとはチガウ。

 これは、「大人」の痛みを知った、それゆえに表現できる「少年」だ。

 柚希礼音は、「大人」になった。
 たしかに、一度大人になった。
 そして、大人になったら最後、もう子どもには戻れないんだ。
 
 戻れないモノが、技術でもって作り上げる、それが演技、それが芝居。
 子役タレントが子どもゆえのかわいらしさでお茶の間を席巻する、ソレとは違うんだ。

 ピュアなロミオは、母性本能をくすぐる。
 この「母性本能をくすぐる」ってのは、演技あってこそなんだ。子どもが子どもな仕草をしていても、そのまま可愛らしいだけで恋愛感情にはつながらない。
 大人の目線で一旦作り上げ、分解して再構築したからこそ、舞台上の「少年」は魅力を放つんだ。

 「少年」を演じているからこそ、れおんくんが今、「大人」なんだと痛感した。

 いい男になった、と。
 心から思う。

 あまりに長く少年時代ばかり見ていたから、大人になることがあるのかと危惧したこともあった。や、子どもたちに混ざってWSやってたとき(2006年あたり)なんか、マジで彼の将来を心配したぞ(笑)。
 そして確実に大人になり、男になり、その上で今、「少年」を演じる。

 君は、柚希礼音を見たか? 彼が演じるロミオは、一見の価値有りですよ。
 泣きっぱなしで、消耗した。

 星組梅田芸術劇場公演『ロミオとジュリエット』初日観劇。

 シェイクスピアの有名すぎる物語。
 反目し合う、モンタギュー家とキャピュレット家、敵同士の家に生まれながら、愛し合うロミオとジュリエット、その悲劇。

 物語は知っている。
 ちなみに、水くん主演の『ロミオとジュリエット’99』も観劇している。

 だが、その有名すぎる原作を元にした今回のミュージカル自体は、知らない。動画サイトでいくらでも鑑賞可能だそうだが、見ていない。芝居にしろ映画にしろ、小さな画面の映像で見るのは苦手だ。芝居は舞台で、映画は映画館で、実際に観るのでないと、わたしの少ないのーみそにはうまく入らないようなので。

 なんの予備知識もないまま、観る。
 だが、潤色・演出が小池先生なので、全幅の信頼を置いている。
 きっと美しく、スベクタルで、タカラヅカらしいモノになっているだろうと。

 実際、美しかった。
 モンタギュー家とキャピュレット家の争いを、歌とダンスで表現したオープニングから、その美しさ、格好良さに引き込まれた。
 まあその、いちばん最初に水トートが登場したことに、心底驚いたが(笑)。
 あれ、トート@『エリザベート』ぢゃなく、水トート(限定)だよね? わかっててやってるよね?! ……てのは、置いておいて。

 音楽、セット、衣装、ダンス、なにもかもカッコイイ。
 大公@水輝りょおの正しい使い方!

 危険な美青年たち、ティボルト@かなめ、ベンヴォーリオ@すずみん、マーキューシオ@ベニー。

 あまりにカッコイイから、忘れてた。

 彼らが10代の少年であり、これが子どもたちの物語であることを。

 ……そーだった。
 『ロミオとジュリエット』ってそもそも、そーゆー話だった。
 知っていたのに、わかっていなかった。
 若さゆえにあんなことになっちゃう話だった。

 タカラヅカって基本、大人が主人公だから。主要人物が30代とか、戦争とか不倫とか人妻とかがあったりまえに出てくる世界観。 
 もうすっかりソレで慣れきっていたから、中高生の子どもたちが主役の物語だってこと、わかっていたのにぴんと来ていなかった。

 ので、そのカッコイイ人々があまりにコドモであることに、驚く(笑)。
 彼らが言ってること、マジに中学生レベルなのよー。

 そ、そうか。そーゆー話だった。
 すずみさんまでもが、10代の少年なのでびびる。わかっていても、びびる(笑)。

 ロミオ@れおんくんはもお、きらっきらの美少年。
 純粋で天使のような男の子。
 「奥手のロミオ」「恋に恋してるのか」……聞いていて眩暈のするよーな単語が飛び交う。や、男子同士でナニそのじょしちゅうがくせえみたいな会話。

 ジュリエット@ねねちゃんがぴかぴかの美少女なのは違和感ないんだけど、男たちの「10代」ぶりはいろいろと……(笑)。

 でも、そーゆー世界観なんだとアタマに叩き込んで。アタマを切り換えて。
 実際目に映る彼らはみんな、美しい少年たちなのだから。

 美しいビジュアルと音楽に酔っていた、ただ、あるがまま。

 パリス@ミッキー最高だ(笑)、ジュリエット母@コロちゃん色っぺー、仮面舞踏会キターーッ! 女の子たちの衣装可愛すぎる!!(ハァハァ)
 どいちゃんのバトントワラー、うますぎる! すごすぎる! 物語の進行止める勢い、つか、みんな本筋観ないでどいちゃんに釘付けですよあの場面!(拍手でわかる、みんなどいちゃん見てた・笑)

 ところが、だ。
 恋に落ちたロミオとジュリエット、あの有名なバルコニーの場面。
 ああ何故アナタはロミオなの……形を変える不実な月に誓うなどおやめなさい、てなあの場面ですよ、教養のないわたしでもてきとーに台詞を並べられるような。

 あそこから、ダダ泣き。

 別に悲しいことなぞ、一切ありませんが。

 ジュリエットの乳母@れみちゃん、めちゃうまい。微妙に着ぶくれて、かつ巨乳を作ってコミカル演技。
 セット前でまるまるソロ1曲あるんだね。
 彼女のソロでも泣きっぱなし。

 1幕の最後、愛し合うふたりの結婚式、ここでも幕が下りるまで泣き通し。

 
 青春のきらめきが、愛しくて。
 ロミオとジュリエット、ふたりの恋が愛しくて。

 純粋さ、愛情、無償の想い、それってこんなに愛しいモノなのか。切ないモノなのか。
 ロミオとジュリエットもだし、彼らの恋を成就させようと力を振り絞る、乳母やロレンス神父@くみちょーにも、泣けて仕方なかった。

 うつくしいものを見た、それだけで、こんなに泣けるモノなのか。

 
 2幕はリセットして観ていたんだけど、やっぱり途中から泣きっぱなし(笑)。
 
 案の定やり過ぎちゃってるベニーの死にっぷりには別に泣けないんだが(笑)、ひとり残されるすずみさんの嘆きのソロには泣かされた。
 幼さに驚いた、中学生男子たち。仲良し幼なじみ3人組。なのに、ベンヴォーリオひとり、残されたんだね。失うのはつらいね、残されるのはつらすぎるね。

 誰もが愛ゆえに傷つく。
 娘を殴って、ついでに妻に愛されていなかったことまで暴露されて、ヘコんでるジュリエット父@ヒロさん、ロミオとジュリエットのために画策する神父、おそろしい計画のはずなのに、なんの躊躇もなくきらきらと実行するジュリエット。
 神父の手紙より先に、ジュリエットの死をわざわざロミオに伝えるベンヴォーリオ。
 ただ、愛ゆえに。

 たしかに、憎しみはあふれている。
 「生まれたときから敵がいた」と歌う少年たち、そんな状況がまかり通る狂気。
 それでも。

 憎しみは群衆芝居や歌とダンスのみで、物語部分にあるのは、結局は、「愛」。
 主要人物がなにかするのは全部全部、「愛」が動機なの。

 立場や考え方がチガウから、行き違ったり理解されなかったり、間違っていたりしても。
 でも間違いなく全員が「愛」ゆえに行動している。

 「憎しみ」を歌うところからはじまった物語、「憎しみ」を舞台にした物語、なのに、そこには、「愛」しかないの。

 間違っていようがどうしようが、誰もがただ「愛」しかないの。

 象徴的な存在、死@真風と愛@礼くんが踊るように。

 眠るジュリエットを、そうとは知らず後を追うために毒をあおるロミオ、死んだロミオを眠っているだけだと信じ、幸福の絶頂の歌を笑顔で歌うジュリエット。

 ほんとうに死んでしまったロミオとジュリエット、ロミオのアタマを抱くように愛しそうに触って、泣き崩れるベンヴォーリオ。
 ふたりを失ってはじめて、憎しみを捨て、手を取り合うモンタギュー家とキャピュレット家の人々。

 「愛」しかない人々は、ただもお美しくて、愛しくて、泣き続けた。
 愚かだけど純粋で、そのなかでもロミオとジュリエットは、とびきりの純粋さで、青春のきらめきに満ちていて。痛さに満ちていて。

 なんて美しく、愛しい物語だろう。

 わたしも泣きすぎかなー、と思ったが、隣の席の人(知らない人・笑)も同じ濃度で1幕からダダ泣きしていたので、そーゆー作品なんだなと思った(笑)。

 この作品、好き。
 愛しいから、好き。
 それだけ。

 それだけで、十分。
 舞台本編がはじまる前に、あらかじめ緞帳が上がる。
 何分前、と決まっているのかどうかは知らない。考えたことがないので。
 でも、開演時間より前に、緞帳が上がり、その作品の世界観を見せるセットやカーテン、吊りモノがお目見えするよね。大劇場では、たくさんの人が写真を撮ったりしている。

 『ロック・オン!』も、そうやってまず、緞帳が上がった。

 きらきらの背景に、「Rock on!」の吊りモノ。RにはLが重ねてあり、二重の意味がそこにあることを示した、公演ロゴ。

 まずそこで、感動した。

 ああ、タカラヅカだわ!
 タカラヅカっていいわ! きらきらだわ、わくわくだわ。

 と、いうのもだ。
 その前の芝居『ロジェ』ときたら。
 前もって緞帳が上がるのは同じなんだが、上がったあとに見せられるのがネズミ色の壁だったんだわ……(笑)。

 ナニもない、ただの壁。タイトルロゴもないし、飾りもない。
 きれいでもないし、わくわくもしない。
 ちっともタカラヅカじゃない。

 こんなキタナイ色の壁を見せるくらいなら、緞帳上げなくていいのに、と思った(笑)。
 物語の中で背景として使われる壁はネズミ色でいいけれど、それだけをわざわざ見せてくれなくていいから!
 こんなもんを見せてテンション下げるくらいなら、緞帳のままの方がよっぽどタカラヅカっぽいから!

 実際、なんでわざわざ緞帳上げるのかわからない。
 開幕と同時に、でいいじゃん。
 タイトルロゴを見せる意味で、『ベルサイユのばら』とか『太王四神記』とか、あらかじめ緞帳が上がっているのはなんの疑問もないんだが。
 ただのハリボテの壁がどーんと置いてある……きれいでもなんでもないセットを見せるのは、何故なんだろう。

 タイトルロゴでも、つり下げときゃいいのに。
 そしたらネズミ色(土色というべき?)の壁だけでも変じゃないのに。

 緞帳が大仰に上がって、キタナイ色の無地の壁だけがどーんと大きな舞台にフタをしている状態を何分も見せられて、なんかしみじみしましたのよ。

 正塚……。と。

 そして、ショー『ロック・オン!』のきらきらロゴ入り承前を見たときに、必要以上に驚き、感動したの。
 ああ、これぞタカラヅカ!と。

 
 もっとも。
 天下の正塚晴彦ともあろう者が、「ロジェ」なんて身もフタもなく書かれた吊りモノを許すよーな人だったら、驚きますけどね。(どっちやねん!)←所詮、ハリー好き。
 で、とどのつまりさ。

 『ロジェ』におけるいちばんの悪役、第一級戦犯は、バシュレ@まやさんだよね?

 主人公のロジェ@水くんは、成長していない。
 24年前の痛ましい事件をきっかけに、心を閉ざし、いびつなまま時間だけを過ごした。
 カラダは大人になったけれど、心は幼児のまま。「自分」と「家族」しか存在しない精神世界で生きている。
 世界には「他人」がいて、いろんな価値観があり、譲り合ったり許し合ったりして生きているということが、わかっていない。

 家族を殺された年齢のまま、精神の成長が止まってしまい、そのときの復讐心だけで生きている。

 ……ってコレ、どう考えても悪いのは本人じゃなく、そばにいた大人だよね?

 バシュレは幼いロジェに復讐心を植え付け、それ以外の感情や興味を持たせないように育てたんだ。

 他人とわかりあうことも、愛し合うことも、なにも教えず。
 ただ、憎めと。
 殺せと。

 …………震撼するんですが。
 哀しみのどん底にいる子どもに、憎しみと殺意だけを植え付ける大人って。

 しかも、家族を一度に失い、ひとりぼっちになってしまった子に、「心配するな、俺が育ててやる」って、それって「俺の言うことを聞かないと、誰もオマエを育ててやらないぞ」っていう、脅迫じゃん?

 食べ物欲しさに殺人を犯したシュミット@ヲヅキの罪はたしかに罪だけど、ロジェに対して犯した最大の罪は、この『ロジェ』という物語のいちばんの悪人は、バシュレでしょ?

 ロジェが壊れてしまったのは、ひとえに、バシュレの責任だ。

 ひとりぼっちになったそのときに、少年の深層心理に刷り込んだんだ、「俺の言うことを聞け、俺に従え、それ以外にオマエの生きる道はない」と。
 目の前で家族を殺された少年は、抱きしめてくれた大人の腕にすがり、すっかり洗脳された。
 自分を守り、導くのはこの人だけだと。

 そしてロジェは、バシュレの思惑通り、誰にも心を開かず生きた。
 復讐のためだけに、友だちも作らず恋もせず。バシュレだけを家族として、愛し。

 えーと。
 バシュレって、ロジェの家の使用人だったんだよね?
 なのに、ロジェの親代わりになった。……そして、彼が外で働いている、あるいは働いていた、というイメージがない。
 24年後なのでもうトシだから、ってのはあるけど、ナニしてたんだ?というと、「ロジェを親代わりに育てた」「犯人のシュミットを追っていた」ということぐらいしか、物語中から想像できない。

 バシュレの目的って、ロジェの家の財産だったんじゃないの?

 ロジェの家族が殺され、財産を管理できる者が誰もいなくなった。
 それをいいことに、「親代わり」と名乗りを上げ、働かずにお大尽生活。豪勢な屋敷で、メイドとかに家事をやらせて、自分は悠々自適。
 殺人犯を捜してはいたかもしれないけど、それがナニ? 24年間も掛かるようなことだったんですか? ロジェはまだ子どもだから仕方ないとして、大の男が軍資金は山ほどあったのに、探せなかったの?

 バシュレが本気で探していたら、シュミットはもっと早く見つかったんじゃないかと思う。
 戦犯組織が彼を匿っていたとしても、それはあとになってからでしょう? 収容所から逃げ出したシュミットは、たかが食べ物を盗むためにロジェの屋敷に押し入った……つまり、最初のウチは組織なんて無関係なただの逃亡者だった。
 犯人の顔だってわかってるんだし、ロジェの財産を使って人を雇い、すぐに捕まえれば良かったんだ。ロジェは自分の財産をそういう使い方したって、嫌とは言わなかったろうし。相手はお金のない、みじめな逃亡者だよ? 遠くまでは行けないだろうから、しばらくはそのへんにいただろうし。
 だけどバシュレは、そうはしなかった。

 バシュレは、カネが欲しかった。
 豪華な屋敷で、遊んで暮らしたかった。
 だから犯人を捜すことはしなかった。そして、幼いロジェに復讐心を植え付け、煽り続け、他の誰にも心を開かないようにし向けた。
 犯人を捕まえて、心の決着がついてしまったら、困る。ロジェが大人になり、友だちや恋人や、広い世界を得てしまったら、困る。
 赤の他の人の自分が、ロジェの財産を食いつぶせなくなる。

 そしてバシュレは、ロジェに「憎め、殺せ」と唱え続けた。
 「儂以外は信じるな、愛するな」と。

 …………こわい。
 こわいよー。

 演じているのがまやさんだから、コミカルに笑い事で済んでるけど、ロジェの子どもっぷりを見ると、おかしいんだよ。
 家族を殺され、無一文で施設に送られたとか、親戚をたらい回しにされ悲惨な仕打ちを受けたとか、継続的に心を閉ざすようなことがあったならともかく、金銭的に不自由のないおぼっちゃま育ちで、愛情を注いで育ててくれた人がいるっぽいのに、その環境で復讐しか考えない男に何故なるのか。
 育てた大人が、復讐しろと言ったからでしょう? 実際、作品中でバシュレはそう言っている。ロジェの父は恩人だから、それを殺したシュミットに復讐するのだと。
 や、バシュレが復讐するのはかまわない。大人だから、自分の意志と責任で好きにやってくれ。
 だが、何故幼いロジェまで復讐鬼にする必要がある? 分別のある大人なら、自分が復讐鬼でも、子どもにだけはそんな面を見せないようにすると思うんだが。
 ロジェ自身が復讐すると言い張っても、「そんなことを言うな。オマエが幸せに生きることこそが、亡くなった家族の望みだ」と言ってやるのが愛情だろう。

 つまりバシュレは、ロジェに愛情は持っていなかった、ということだ。
 持っていたとしても、ロジェ自身の幸福よりも他の目的……財産でも復讐心でもいい……の方が大事だった。ロジェの人格や人生を破壊しても構わないと思っていた。

 …………こわい。
 こわいよー。

 バシュレは、ヴィンセント@咲奈くんにも「オマエを拾ってやったのは儂だ。だから嫌なキモチぐらい我慢しろ」と言う。
 そーゆー考え方の人なんだ。
 ロジェのことは育ててやる。育ててやるんだから、見返りはもらって当然。

 繰り返すけど、罪なくお笑いになってるのは、まやさんだから。
 でも、ふつーに考えるとバシュレって相当やばい。こわい。

 彼に洗脳され、彼以外愛せないロジェ……って、うおお、まやさんがまやさんでさえなければ、ヒロさんとかソルさんとか、あああいっそハマコなら(もういません)、どんだけ萌えか!! バシュレ=ヒロイン説でオールオッケーなのに!!

 バシュレの設定の気持ち悪さは、どうなの?
 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。
 レア@みなこが正しく復讐している人ならば、リオン@キムは正しく正義の味方をやっている人。

 『ロジェ』にて、復讐に生きる主人公ロジェ@水が関わる、いちおー、愛情関係にある人たち、レアとリオン。

 私怨を義憤に昇華し、感情におぼれることなく人生と向き合っているのがレア。
 私怨のまま泥沼なロジェと対照的な存在。

 そして。

 私怨に発展せず、真っ当に育ったのがリオン。

 リオンもまた、幼少時に事件に巻き込まれている。幼い頃妹が誘拐されたそうな。たぶん戦後のどさくさで、そんなことがあったんだろうな。
 だけど妹は無事に救出されている。それゆえにリオンは、自分も刑事を目指した。
 誘拐のターゲットになる・家ではなく屋敷と言っていた、こともあり、リオンくんも富豪の出らしい。ロジェと同じく。

 リオンもまた、ロジェになるかもしれない、要因はあった。
 もしも妹が殺されていたら。リオンも、復讐に生きる男になっていたかもしれない。

 シュミット@ヲヅキに襲われたにしろ、家族が無事で、警察がとっとと犯人を捕まえていたら。
 ロジェだってふつーに正義の味方に憧れて、今頃熱血刑事やっていたかもしれない。

 ロジェが善良で生真面目な雰囲気を漂わせているのと、リオンがとてもふつーに善良で健全そうなのは、対になっているからなんだろうなと思う。
 似た者同士じゃね、キミら?
 何事もなく出会っていたら、ふつーに親友やってたんじゃ? ……どっちも熱血で、コンビ組んだらウザそうだが(笑)。

 リオンはふつーの青年だから、ふつーにロジェに興味を持ち、好意を持っている。
 目に映る生真面目な部分と、不自然な情熱で戦犯組織を追う姿に、疑問を持っている。勝手にロジェの経歴調べたりして、そしてそれを本人に告げたりして、リオンはほんとロジェ好きなんだなと。勝手に調べたことを本人に告げるのは、好意の証だよなー、やましいことがあれば黙ってるよなー。

 で。
 リオンのいいところは、他人に嫌われることを想定していないことだよな。

 このおぼっちゃま刑事ってば、人から好かれて当たり前なんですよ(笑)。
 ロジェに対しても、実に屈託ナイ。
 好意を持たれて当たり前、心を開かれて当たり前、そうでないから首を傾げている状態……なんだな、ロジェの過去を調べてそれを本人にしれっと言ったりしてるあたり。

 リオンのそーゆーところは、たしかにキムくんアテ書きというか、彼のイメージに合ってるなと(笑)。
 手を振り払われても気にせず、何度でも手を差し伸べる。

 そして、ただ真っ直ぐに、信じている。
 ひとは、わかりあえると。

 同じ体験をしなくても、同じ傷を共有しなくても、人は理解し合える。
 ロジェの心の傷が全部わかるわけじゃないけれど、想像することができる。
 そんなことをごく当たり前に、説明とか解説とか以前に、魂で、知っている。

 なんて健全でまっすぐで、そして、強いのだろう。

 まだ「子ども」であるロジェには、リオンの強さがウザいのだと思う。健全さがまぶしいのだと思う。
 本当なら、ロジェもまたそうだったかもしれないだけに。自分のあるべき本来の姿を、横できらきら見せつけられるのはつらいだろう。

 ロジェはまだ、リオンの手を取れるほど成熟していない。
 いつか彼が「大人」になって、自分とはチガウ他人の心を想像できるようになったときに、はじめて手を取り合うことが出来るだろう。
 

 ロジェとリオンはひとつの事象の裏と表。だから対で描かれるのはわかる。
 でも、傷のないまま成長したリオンは、ドラマがない分どーしても、薄くなる。
 ロジェの相棒が彼だと、どちらにもいい作用がナイような……。

 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。

 ブエノスアイレスに旅立つリオンが、なんかとーとつに明るい歌を歌って銀橋を渡っていく姿に、いろんな意味で「大変だな……」と思う。
 こんだけドラマのない役を与えられ、魂の健全さだけで芝居して、2番手だから次期トップスターだからと唐突にストーリーと無関係に、さわやかに銀橋1曲て、大変だな、キム……。


 ともあれ。
 ロジェがリオンを愛する(笑)ようになるのは、これからだ。
 リオン、君は間違ってない。その健全さも、強さも。ロジェが後ろめたさや弱さゆえ、君から目をそらしても、力尽くで振り向かせてやってくれぃ。
「もうヒロインはシュミットってことでいいよ」

 と、わたしが言うと、kineさんは冷静に言った。

「え、バシュレじゃないんですか」

 いやーっ、バシュレはいやーっ。

「でも、ロジェはバシュレの命のために復讐をあきらめるんだよね」

 まやさんヒロインはナシっ。どんだけロジェが愛しているのがバシュレただひとりであったとしても! 
 ヒロインはヲヅキでっ!!

 
 『ロジェ』の主人公ロジェが24年間追い求めていた、「あの顔は忘れない」相手ですよ。シュミットさんは今あんだけ枯れたハンサムなわけだし、若い頃もきっと二枚目だったんですよ。
 べつにシュミットがハンサムだからどうってわけじゃないが、見た目はいいに越したことないし。
 で、24年間ずーーっと思い続けてきて。
 いざ再会してみれば、悪魔のような男、ではなくて、ものすげーまともにいい人で。
 しかも、ずーっとずーっと苦しんできていて。……ロジェの家族のこと以前にナチスの戦犯なんじゃん、収容所勤務の軍医ってふつーにエリート軍人だったんじゃん、そっちのことはいいのかよ、てなことはまあ、置いておいて。

 彼は忘れていなかった。
 ロジェに対して犯した罪を。

 これでシュミットが忘れていたら、ロジェの片思い。
 だけど、シュミットもまた苦しんでいた。24年間、ずっと。

 ロジェの苦しみを共有できるのは、世界でただひとり、シュミットだけじゃね?

 もちろん、意味合いはチガウんだけど。
 でもあの不幸な事件で傷つき、24年間苦しみ続けてきた、その闇の深さだけは同じ。

 気づいちゃったんじゃないの、ロジェ。「二度と顔を見せるな」と背を向けて。
 シュミットこそが、世界でただひとりのファム・ファタルだと。

 ここで殺せば、ロジェはひとりになる。同じ闇を持った者はいなくなる。リオン@キムは「全部はわからないけど、想像できる」と言う。もちろんそれでいいんだけど、同じ体験をしなければわかりあえないわけじゃない、同じじゃないからこそ人は愛し合い求め合うのだけれど、それでも。

 シュミットは、ロジェの鏡だ。

 贖罪から、弱い人たちを助け続けたシュミット、断罪から、悪い人たちを捕らえ続けたロジェ。
 ひとつの事象の、裏と表だ。

 レア@みなこちゃんもそうだけど、ここでもロジェと対になるキャラクタがいるんだな。
 同じ事件の傷、苦しみを起点に、向かい合うのがロジェとシュミット。
 

 ……それでもシュミットを殺すことが出来れば、完結はしたんだと思う。ロジェの長い長い復讐の旅は。
 だけど彼は撃てなかった。殺さなかった。

 両想いのまま、ふたりとも生き残っちゃったよ?(笑)

 ふたりの苦しみはイコールのまま、天秤が釣り合ったまま、生き残ってしまった。
 しかも、だ。
 シュミット先生はあのままもぐりの医者を続けられるはずもなく、しかるべき機関の管理下に置かれるだろう。彼自身戦犯であるわけだが、最後に囚人の命を救ったわけだし、これから戦犯逃亡組織の情報源としての価値もあるだろうし、刑務所送りとゆーよりは、働かされそうじゃないですか、それなりのところで。
 それが贖罪になるというなら、彼はきっと誠意を込めて働くと思いますよ、みんなのために。

 で。
 ロジェはきっと、インターポールはやめてないと思う。
 続けるかどうかわからない、と言っていたけれど、もともと彼は善良で健康な真面目人間。そして、子ども。
 リオン相手に「血が騒ぐだろ」と言っていたように、もともと好きなんだよね、「正義の味方」。

 これからはくびきをはなれ、真っ向から悪人退治が出来る。
 そーなると、だ。
 戦犯組織を追っていた実績からして、これからもスキルを活かせる仕事をするわけだろ。

 シュミットと、顔合わせますよ、絶対。

 それこそ、組織から口封じに狙われるシュミットの護衛をすることになったりとか(笑)。
 ロジェの公私混同の暴走は報告されず(されてたら、罪に問われるだろう、あんなにさばさば旅立てないだろう)、「なかったこと」になっているなら余計に、シュミット係に任命されそうだ。ブエノスアイレスまで行って、彼を捕らえた功労者だもん。

 同じ苦しみをわかりあえる、24年間想い続けた相手と、一蓮托生、命預けます関係。
 いやあ、愉快ですな。
 
 つーことで、色気のなさ過ぎるレアとの関係や、愛の少ないリオンとの関係より、ヒロインはシュミットでええやん。ねえ?(笑)

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