中村暁作『さすらいの果てに』や『あの日見た夢に』と同じ香りのする、バウ公演『Je Chante』について、感想の続き。

 わがまま大女優ミスタンゲット@圭子ねーさまの代役でステージ立ち、まさかの大人気、成功を収めたらしい、主人公シャルル@カチャとその親友ジョニー@いちくん。

 彼らがどのように成功したのかが、よくわからない。
 初舞台成功!の、そのままの流れで続くので、時間の経過や世の中の反応がわからず、彼らのイメージ映像とか思いこみとか、狭い範囲でウケているだけなのか不明。「またファンレターか」という台詞によってファンレターの来る立場になっているんだ、と思うのみ。

 そもそもシャルルはミスタンゲットのせいで職を失い、好意を持った女の子ジジ@アリスちゃんとも遠ざけられた。歌手を目指すのは二重の意味でミスタンゲットが原因となっている。
 そのミスタンゲットの代役を成功させたのなら、次に描くべきは「代役に成功され、面目を失ったミスタンゲット」であり、「歌手としてデビューしたことによる、ジジの反応」だろう。
 なのにそれが一切ないまま、徴兵されて数年経過。

 待ってくれ。ナニが起こっているんだ。

 まず、代役を成功させて大人気スターになるほどの時間が流れているなら、ミスタンゲットやジジはその間どうしているの?
 そこが描かれていないから、まだ時間はたっていないんだ、代役ステージからせいぜい数日? だとしたら、たかが1ステージ経験しただけ、大スターとか歌手として生活とかしてるわけないよね、だからこれは彼らのイメージ映像? 脳内で「こんなふーにスター生活送るぞ」という未来?
 と思っていたら、どうやら本当に成功していたらしいし。
 じゃあミスタンゲットは? ジジは? 成功しさえすれば、どーでもいい相手だったんだ?

 まあたしかに、2回会って立ち話しただけの相手だ。シャルルは一目惚れしたのかもしれないけど、ほんとにただソレだけだもん、成功すれば忘れても仕方ないか。
 ……って、成功したら忘れる、程度の相手だったの、主人公にとってのヒロインって?? ファンレター来る立場の方が重要なの??

 だってそーゆーことじゃん、シャルルたちの成功場面は描いて、ジジへの気持ちは描かないんだもの、この演出。
 で、戦争でも楽しく歌い踊るだけで、ジジのことは言及しないし。成功したら人間は変わってしまう、ってこと??

 シャルルも相当アレだが、ジジはさらに謎だ。

 ジジのしたことといえば、シャルルと雨宿りしたあと、見殺しにしただけ。

 シャルルにとっての映画はその程度のモノだったから良かったけど、もしも映画界で生きることに命を懸けている子だったら、どーするんだ? ジジは自分を守るために、他人を見捨てる子なんだ?

 ジジの立ち位置がわからない。
 シャルルをどう思っているのか、まずコレが謎。
 彼に対して好意があるなら、彼を見殺しにはしないだろう。なのに、した。んじゃ、ただの通行人、世間話しただけの人扱い?
 いやいやいや、ポスターでラヴラヴしているヒロインなんだから、ソレはないだろ。
 じゃあ、好きなのにそれでも見殺しにするしかなかった?
 ミスタンゲットに弱みを握られていて、言いなりになるしかない?
 だとしたら、せめてフォローに来ようよ、謝ろうよ。24時間監視されていて、こっそり会うことも手紙を書くことも人に伝言を頼むこともできないの?
 結局ガン無視して終了、って、そういう人格? いいのかヒロイン?!

 シャルルが戦争へ行っているの間にジジはリーズという名前でレビュースターとしてデビュー。ミスタンゲットとジジの関係がまだ描かれていないし、ジジがなにをしたくて付き人をしているのかもわからないので首を傾げるが、これはまあそのうちわかるんだろうと静観。

 数年が経過したらしく、パリへ戻ったシャルルはすっかり別人となったジジと再会する。ナチスの庇護を受け、ゲオルグ少佐@みーちゃんの愛人やりながらスターとして君臨するリーズ。なんてこった、シャルルがーん!で、1幕終了。

 …………ごめん、ついて行けなかった(笑)。

 しかも2幕はもっとすごい。
 いつの間にかシャルルとジジは昔愛し合っていた恋人同士が再会したことになっていて、別にミスタンゲットに脅迫されていたわけでもなくて、運命で非劇でピストルばぁーん、かばって撃たれて死んで終了。

 たった2回立ち話しただけだよね?
 しかもジジは、そのせいでシャルルが撮影所をクビになってもフォローなし、保身ゆえに縁切りしたよーな女の子だよね?
 シャルルだって成功したら、ジジのことなんて忘れてたよね?

 いったいぜんたい、どっからそんなことになってるんだ??

 これってどこの中村A? 『さすらいの果てに』や『あの日見た夢に』?!(笑)

 演出家名すらチェックせずに観ていたら、中村A作品だと思っていただろう。

 や、わかるよ? 脳内補完可能な投げっぱなしぶりだとは思うよ? ヅカファンなら「こうくればこうなる」ってパターンがアタマにあるから、断片を見せられるだけであとは全部セオリーに従って勝手に納得するけれど。
 しかし。
 1箇所2箇所ならともかく、最初から最後まで万事において、「断片だけ、あとはルール通り脳内補完してね」ってのは、どうなの?(笑)
 
 観ながら、すごいデジャヴ。

 目の前のことしか考えられない、おぼえていられない主人公。ヒロインが目の前にいたら「愛してる」、目の前からいなくなると忘れてしまう。
 数回会って立ち話しただけで「運命の恋」で、脳内でラヴラヴなデュエットダンス。や、ひとり勝手に盛り上がってないで、まず彼女と会話しにいくなりすれば?(そこからかよ?!)
 幼なじみと再会→運命の恋人、書斎から出てきた男→父を殺した犯人、偶然たまたまその男と再会した→せっかく追いつめたのに! ……あのノリです、それらしきパーツひとつで、勝手に物語ががんがん展開し、客席でぽかーんとなる、アレ。

 『お笑いの果てに』くらい突き抜けてくれていたら、爆笑できたんだけど、『あの日見た夢に』程度の間違い方なので、笑えない。ただぽかーんとするのみ。

 えらいことになってるなあ、新人演出家。
 よりによって中村Aかよ……(笑)。

 続く。
 さて、わたしは相変わらず予備知識ナシで観劇している。
 作品解説なんてもんはラインアップ発表時に流し読みするだけで、基本アタマにまったく残ってない。なにしろ記憶力なくてなー。

 宙組バウホール公演『Je Chante(ジュ シャント)』
 この物語が「歌手」の物語だということすら、わかっていなかったという。

 全公演観るのが前提だから、予備知識は不要なのよ、マジで。解説とか読んで「おもしろそうだから観ることにしよう」とかやらないもの。「観る」のが前提だから、先入観になるあらすじなんてもんはかえって害悪。まっしろな状態で観て、どう思うか。その方が、わたしには重要。

 ……なんだけど、それはわたしだけの事情で、世の中的には公式HPやチラシの解説は予備知識としてわかった上で観なければならないのかな。開演前にはプログラムを買ってストーリー解説を熟読しなければならないのかな。

 設定や展開を知っていて当然、なのかもしれないが。

 なにも知らずに観劇したわたしは、物語に置き去りにされた(笑)。

 こんな単純な物語なのに?(笑)

 そうまるで、中村A作品を観たときのように!(笑)

 てかコレ、中村暁演出だっけ? 既視感バリバリ。
 知ってる、わたしコレ知ってるわ、『さすらいの果てに』とか『あの日見た夢に』とかよね? アレと同じ感覚で作られた話よね?

 いやはや。
 すごかったっす。
 

 おしゃれでかわいいポスター、舞台はフランスなのねー、なんてかわいいミュージカルなオープニング。
 若さがきらきら、いいわねえ。
 そうか、主人公シャルル@カチャは映画の小道具係をしている、映画が好きな男の子なのね。

 わがまま女優ミスタンゲット@圭子ねーさまに振り回されてみんな大変。そんなわがまま女優が頼りにしている付き人の女の子ジジ@アリス、かわいくて性格もいい子なのね。
 こんな子と偶然出会ったら、そりゃときめくわねえ。

 シャルルには友だちジョニー@いちくんがいて、一緒にお店で歌って騒いで楽しそう。みんなみんなかわいいなあ。

 その翌朝、シャルルはジジに偶然再会。ふたりでいつか海を見に行こうと打ち解け、いい雰囲気。
 シャルルは自作の歌も披露。つっても別にどーってことないふつーの歌、ミュージカル映画製作現場で働いている男の子だもん、音楽が好きなのは想定内、鼻歌ぐらい作るよね。
 青春!って感じでいいわねー。

 ここまでは良かったんだが。
 そのあとから、すごい勢いで置いていかれた。

 突然、シャルル撮影所クビ。ミスタンゲットの差し金らしい。
 たしかに仕事中に男の子とたのしそうにしていたジジも悪いけど、それだけでシャルルを遠ざけるって、どこまでわがままっつーか、ジジを所有物扱い? まあ、そういうキャラクタなのかな。
 しかし、それに対してジジはなにも言わない。ジジにとってシャルルってその程度なんだ……まあなあ、2回会ってちょっと喋っただけの相手だもん、仕事の方が大事だよね。

 ジジがヒロインだってことはポスターからわかっているから、きっとこのあとなにかあって愛し合うことになるんだな。
 最初に淡い好意、次に裏切り、それから本格的な恋愛へ、ってことだな。
 シャルルがクビにされるのを見て見ぬフリ、目線そらしてシカトするヒロインだもん、ひでー裏切り行為。
 別に好意を持っている相手でなくても、ただの知り合い相手であっても、酷いよこれ。他人の人生を保身のために踏みにじったわけだから。
 こんな酷いことをしなければならないほど、ミスタンゲットに弱みを握られているとか、事情があるんだわ、きっと。

 失業中のシャルルと友人ジョニーのもとへスカウトマン@すっしー登場。彼らの歌が大人気なんだって。

 はあ?
 ここで本気で驚いた。
 いつそんなことに?

 たしかにちょっと前に酒場で歌ってたけど、それってそんなに特別だった? みんなで歌い踊るミュージカル場面、オープニングと同じ扱いで観ていたよ。
 とてもじゃないが、ムーヴメントな大事件だとは思わなかった。

 これがストレートプレイならば、「歌」が重要なのはわかる。ふつーの人は日常で歌い踊らない。なのに自作の歌を披露する主人公は、たしかに特別だろう。
 しかしミュージカルである以上、モブの通行人すらふつーに歌い踊る世界観で、いくらでもあたりまえに歌があふれているなかで、主人公の歌う1曲が「スカウトされるほど特別」と描くなら、それなりの描き方が必要だろう。

 代役で酒場でどんちゃんしたときも、周囲の反応を描く。シャルルとジョニーの歌がどれだけ楽しかったかを、みんなが楽しんでいるかを、表現する。シャルルたちが楽しそうにしていることは描いていたけれど、それは客観的な評価じゃないよね。
 彼らのことを人々が噂をしたり、あのときの歌を口ずさんでいたり。
 クビになる前の撮影所で、「この前の歌、すごく良かった、歌手になればいいのに」とか、モブに言わせるとか。シャルルは笑って取り合わないとしても。
 なにかがじわじわ起こって、それがついにスカウトというカタチになる。

 「失意の底で、突然スカウト」というのを描きたかったから、あえてシャルルたちの歌がすごかったことも、人気を博していたことも描かなかったんだろうか、演出家? 歌手の物語なのに、その歌の良さや人気は表現しないポリシー?

 展開がいきなりすぎてぴよ?っとなった。
 シャルルたちだけが特別だった? みんなで歌って騒いでたんだから、あの酒場にいた全員をスカウトするべきじゃ??

 シャルルって実は歌手になりたかったんだ? 映画をやりたい人なのかと思っていたよ。ごめんね、「歌手」の物語だって設定知らなくて。
 でも、ジジに自作の歌を聴かせたときも、夢だとは特に言ってなかったような?

 歌手が夢なら、スカウトは願ってもないよなあ。でもジョニーと違って、シャルルはスカウトにも消極的。されどジジを振り向かせたくて承諾する。
 彼らのデビューはミスタンゲットの代役。
 失敗を危惧する関係者をよそに、まさかの大成功……はお約束なので、別にいい。お約束は大切だ。

 問題はそのあと。

 続く。
 ひとがキューピーを抱いて挨拶する項羽様を見ているうちに、なんつー発表をするんだ。

2010/03/25

2010年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】


花組
■主演…(花組)真飛 聖、蘭乃 はな

◆宝塚大劇場:2010年7月30日(金)~8月30日(月)
<一般前売:2010年6月26日(土)>
◆東京宝塚劇場:2010年9月17日(金)~10月17日(日)
<一般前売:2010年8月15日(日)>

ミュージカル
『麗しのサブリナ』

脚本・演出/中村 暁

サミュエル・テイラーの戯曲「サブリナ・フェア」が1954年にビリー・ワイルダー監督により映画化された「麗しのサブリナ」は、オードリー・ヘップバーン主演のロマンティック・コメディ。「ローマの休日」に続くオードリー・ヘップバーンのヒット作で、ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデンが共演。映画の中でオードリーが身に着けていた細身のパンツは、「サブリナパンツ」と呼ばれ、1950年代当時、爆発的な流行を見せ、ファッション文化を生む出したことでも有名です。大富豪ララビー家に仕える運転手の娘サブリナを巡り、ララビー家の長男ライナスとその弟ディヴィットとが繰り広げるロマンチックでコミカルな三角関係が、ミュージカル・ナンバーに乗って、おしゃれに繰り広げられます。

スパークリング・ショー
『EXCITER!!』

作・演出/藤井大介

2009年に同組で上演し好評を博した作品の再演。刺激、熱狂、興奮をもたらす者“EXCITER”。ありふれた人生も、ちょっとした刺激、スパイスでバラ色に輝く。“音の革命”“美の革命”“男の革命”…。愛と夢を現代社会に送り届ける宝塚こそ“EXCITER”であるという軸の上に、究極に格好良い場面で構成された現代的でエネルギッシュなショー作品。真飛聖と新トップ娘役・蘭乃はなを中心に作り出す『EXCITER!!』にご期待下さい。

 えーと、つまりコレはだ、

「植爺作品を観たくないから、花組公演は観ないことにするわ。ショーは素敵みたいだから残念だけど、ショーだけにお金出せないし」

 と言っていた人たちに、観に来てもらうための企画?

 たしかに『EXCITER!!』は良いショーだったよ。わたしは大好きだ。
 しかし。

 ショーの再演をされる、ということが、これほどショックな出来事だとは思わなかった。

 思わなかったのも、当然だ。
 ヅカファンやってたかが20年だけど、その20年間でこんな事態には一度も遭遇していなかったんだもの。
 想定外だ。

 で、思いもしなかったことが現実として差し出され、「そうか、こんなに凹むもんなんだ」と身を持って知った。

 「次の花組公演どんな作品かしら、わくわくっ。今回1本モノだから、次こそはショー作品よね、わくわくっ」という楽しみを、1年先送りされてしまうのね。

 2009年11月に上演した作品を2010年7月に、たった半年ちょい後に、同じ組でほぼ同じメンバーで、同じ衣装で同じセットで同じ曲を同じ振付で、東西合わせて2ヶ月やるんだー。スゴイナーミナサンハクシュハクシュ。

 
 『EXCITER!!』は好きだったけれど、前回の千秋楽からたった7ヶ月後に本公演で再演しなければならない、20年に1度の超絶名作だとは、まーーったく思わない。
 よくある「ふつー」の佳作だ。フジイくんらしいぐたぐたな作りになっているし、仕事が立て込んでいたためか焼き直しと使い回し感の目立つ、粗い作りのショーだった。
 それでもフジイくんの長所はよく生かされていたので、勢いでわーっと楽しめるパワーがあった。
 ……勢いで、だ。じっくり味わったら、粗がさらに目立つってばよ。

 名作には至らないふつーの「評判が良かった」レベルのショーをそのまま間を置かずに再演する、ってのは、ネガティブな想像をしてしまう。

 つまり……劇団に、新作を上演する経済的余裕がなくなってきている、とか。

 経営がかなり苦しくなっている、とか。

 不安になるわ。

 少なくともこの20年はなかったことだし。
 20年やらなくて済んだことを、今ここでやる意味は?

 ……なくならないでね、歌劇団。

 
 せめてタイトルに『2』と入っていれば、救いもあったのになあ。

 フジイせんせが全面リニューアルしてくれればいいんだけど……それならタイトルに『2』って入るよなあ。ついこの間の『Apasionado!!』だって『2』と入っていたって、ろくに変更もされずいびつなカタチで再演されていたし、完全な安心材料にはならないけど、それでも『2』なら素直にわくわくできた。

 名作ではなくても「評判の良かった」ショーを踏襲して、新しいモノを差し出す姿勢として、前向きに受け止められた。

 オープニングと中詰めとフィナーレのパレード以外、全取っ替えしてくれてもいいんだけどなあ。
 つまり『EXCITER!!』という主題歌部分のみ残して、あとは新作に……ダメかなあ。

 少なくともミスターYUは勘弁して欲しいっす……。
 

 『EXCITER!!』を好きなことと、7ヶ月後に再演されることの是非とはまったく別、なだけです。
 しょぼん。

 
 でもまあ、好きなショーだったことは事実なので、最悪な事態ではないと、自分に言い聞かせる。
 アレとかアレとかアレとかを、贔屓組で再演されるよりマシだ、と思うんだ、前向きに、前向きに。
 
 
 あとは芝居が楽しいことを祈ります。
 原作がどうというより、中村Aである、ということが重要。
 スゴイデスネーキタイデキマスネー。

 奇跡が起こらないとは誰にも断言できないのだから、わたしは奇跡を信じる。中村Aだって、突然紙芝居以外の演出に目覚めるかもしれないじゃないか!
 たとえ地球が明日滅びようとも、君は今日林檎の木を植える……そう、わたしはあきらめない。
 脚本がどうあれ、演出がどうあれ、きっと花組ならばすばらしい公演を見せてくれるさ!!

 
 宙組全ツ演目も、どうかと思います……名作かもしれんが、ヅカでやらんでもええタイトルを、さらに地方に持っていくのはどうかと……ヅカらしいショー付きで大きな羽根背負って夢の世界でええやん……。

 せめて月組は平和に、よい作品になりますように。中村Bショーは安全牌っすよ。谷芝居は『CAN-CAN』になりますように、『愛と死のアラビア』にはなりませんように。なむなむ。
 昔、『ONE-PIECE』というマンガが週刊少年ジャンプではじまった、その連載第1回をおぼえている。
 巻頭カラー、最初の1ページ。「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ」「探してみろ、この世のすべてをそこに置いてきた」英雄の最期、そして“世は大海賊時代を迎える--”
 人々の歓声を眺めながら1枚めくるとそこに、喜びを全身で表現しているひとたちの姿。

 その作品を好きかどうかをアタマ悪く「涙」で判断するわたしは、ここですでに「このマンガ好きだ」と思った。
 最初の1ページと、見開きの表紙。これだけで、ぶわーっと泣けたからだ。
 大海賊時代がはじまる。夢に向かって一途に突っ走る時代がはじまる。みんなみんな、待っていたんだ、欲しいモノを欲しいと言って、走り出せる時代を。

 わたしには、そーゆーツボがあるらしい。
 少年マンガの持つ、「いちばんになりたいツボ」。
 少年たちは「オンリーワン」より「ナンバーワン」を求める。いちばん強い、いちばんくわしい、いちばんえらい。とにかく「いちばん」が好き。
 みんな等しく素晴らしいから、競うなんて馬鹿らしいのよ、と一列に手をつないでゴールインなんてナンセンス、「優勝したい」と熱望する主人公があくなき努力を重ね、友情やら挫折やらを積み重ね、望みを勝ち取る物語が好きだ。
 
 いちばんになりたい。夢を叶えたい。のぞむ自分自身になりたい。
 そのために、自由競争に身を投じる、投じていい、時代の到来。祝砲が鳴る、さあ走れ、欲望のままに、本能のままに。
 夢を見ること、希望を持つこと、それはすべの人に与えられるべきものだから。
 『ONE-PIECE』の連載第1回のオープニングと表紙に泣くほどわくわくした。

 つーことで、わたしはキムシンの描くところの「男はみんな王になりたい」を全面支持。
 いちばんになりたい、と瞳をきらきらさせる男たちが好きだ。萌えツボなんだ。

 始皇帝の死、戦国時代の到来。
 「誰もが天子になれる」……男たちは夢を見る。

 『虞美人』は項羽@まとぶんが主役だから、項羽が銀橋に出て「私には羽根がある」と歌うけれど、ほんとのところどの男たちだってそう思っている。
 自分こそが天下を取れると、夢を見る。……夢と現実は違い、多くの者たちは見るだけで実行しない、そこであきらめてしまうけれど、見るだけは見る。
 そして居酒屋で騒ぐわけだ、誰に付けば得か、生き残れるか。自分が兵を起こし軍を率いて世の中を変えるのではなく、そーゆー特別な人の尻馬に乗ろうとする。
 
 「誰もが天子になれる」と男たちは夢を見るが、実際に歴史に台頭してくるのは限られた男たちだ。
 クチばかりの烏合の衆の中、「漢はいないのか」と檄を飛ばすよーに、実際に飛ぶ勇気のあった者と、飛ぼうとしなかった者たちが描かれているんだ。

 「私には羽根がある」と内心思っていても、本当にその羽根を使う覚悟のあった者だけが、なにかしらカタチを残した。

 項羽の傲慢さが、心地よい。
 彼は有言実行、欲望と自負を素直に表し、それゆえの泥も被る。
 キレイゴトだけ言って自分ではナニもせず、ナニかした人に文句ばかり言う匿名の民衆たちとは違うんだ。

 いちばんになりたい。
 最上級のものしか欲しくない、次善のものはそれだけで心を傷つける。

 いちばんになったからといって、それでナニがしたいわけでもなさそーなとこが、項羽のあやうさ。
 武人だから戦うことに幸福を感じると本人が言うように、いちばんになることだけが欲求で、夢のために努力し続けることこそが幸福で、夢を叶えたそのあとには、特にナニもないんだね。
 戦う人であって、治める人ではない。古い時代を破壊して、更地にするために、天が必要とした男。更地の上に新しい時代を築くのは、また別の人の仕事。

 そんな項羽だから、虞美人がいる。

 いちばんになりたい。なったからといって、どうすることもない、ただなりたいと闘い続ける……そんな男を、受け止め、許容し、肯定し続ける。

 項羽はほんっとーに、しあわせだった思う。
 裏切られ無惨な最期を迎えるにしろ、最後の言葉は負け惜しみでもなんでもない、ほんとうに心からの言葉だろうと思う。

 「私には羽根がある」と信じ、心のままに戦うことが出来た。戦っていい時代に青年期を過ごせた。
 大海賊時代の幕開けに歓声を上げた人々のように。夢に生きていい時代に生き、夢に向かって生きた。
 周囲の雑音なんか関係なかった、彼のそばにはいつも彼だけを全肯定する愛する女がいた。
 
 そりゃしあわせだろうよ。
 ちょっとナイくらい、完璧な幸福の図だわ。

 物語は「項羽と劉邦」であり、ふたりの対比を元に進んでいく。
 それでも主人公は項羽であり、タイトルは『虞美人』である。

 自由に牙をむいていい時代に、信念を貫く自由を行使した男、項羽。
 自由だからって、自由に発言したら攻撃されるんだよ、出る杭は打たれるんだから。その矛盾は、普遍的なもの。人間ってそーゆーもの。
 その軋みや痛みを、虞美人が癒す。全肯定することで。

 泣けるほど主人公は項羽で、テーマは虞美人なんだなと思う。

 
 わたしはもともとキムシンととても波長が合うので、彼の掲げるテーマが好きだ。
 彼が描こうとするモノが好きだ。

 だから結局のところ『虞美人』も、好きだとは思う。

 でもな。
 今回のこの『虞美人』に関しては、不満アリまくりだ(笑)。

 盛り上がりに欠けるとか人の出し入れがワンパタだとか、前に書いたそーゆーことではなくて。

 キムシンらしくないところ。が、いちばん不満(笑)。

 もっともっとウザいくらい主義主張を叫ぼうよ。愚かで無責任な民衆の醜さを描こうよ。愛について説教カマそうよ(笑)。
 ついでに、トンデモSONGとトンデモ台詞で、タカラヅカ史にまた名前を残そうよ。

 もっとカマしてくれると思ってたのになあ。
 ふつーになっていて、そこがいちばんつまんない。

 根っこの部分は相変わらず大好きなんだが、それを表現する部分がすげー平板だ。
 もっとキムシン全開にしてくれりゃいいのに、ナニあのふつーっぷり。ふつーになったらただのつまんない話じゃん。
 キムシンのいいところは、「蛇蝎の如く忌み嫌われるモノは書いても、印象に残らないつまらないモノは書かない」ことでしょうに(笑)。

 てなわけで、「キムシン節が足りない!」についてはまた別欄にて。
 だからわたしは、攻キャラが好きなんですよ。そして、片想いが好きなんですよ。
 過度に感情移入するのは攻キャラ、萌えるのも攻キャラ。

 つーことで、『虞美人』の衛布@みつるは萌えハート直撃されてます。

 野心は語るけれど、桃娘@だいもんのことをどう思っているのかは一切クチにしない……のが、イイ。
 そして語らぬまま絶命するのがイイ。

 桃娘は衛布を嫌い抜いている。
 嫌われるよーなことをしているのはたしかだが、それにしても最後までカケラの情も湧いてこないというのは、かえって不自然。どんな状況も悲しいかな毎日続けばそれが日常になる。ストックホルム症候群じゃないけど、自分を守るために征服者に疑似愛情を持つぐらいは、ありそーなもんだ。
 そんな心理を持たせないほど、彼女がずっと嫌い続けるくらい永続的にひどいことをしていた、傷つけ続けたってことですか。マメだな衛布。
 誇り高いお嬢さんだから、父の部下だった男に……というシチュエーションだけで「絶対無理!」と衛布個人に対して目を向けようとしていないのかもしれないが。

 桃娘の心はまったく動いていない、終始一貫して衛布を嫌っている。衛布の心は見えないのに、桃娘の心は観客にわかりやすく示されている。
 これが良いですな。
 好きに妄想できて。

 この描写されているだけの設定で、衛布が桃娘を愛していたら、すげーせつない物語ですよ。
 衛布的には桃娘はただの駒なので、いずれ使い捨てる予定。つまり、愛することはできない。なのにうっかり彼女をかわいく思ってしまったら? 心が動いてしまったら?
 野心と愛の葛藤。
 桃娘を駒として利用する以上、彼女を愛してしまったらその関係は成り立たない。王になりたければ愛を捨てるしかない。いやそもそも、愛自体認めることをせず。
 冷たく、ビジネスライクに接しているつもりなのに、その態度を貫くつもりなのに、ふとしたことで愛情やら優しさやらがもれてしまい、あわてて冷たくしてみたり。
 ことさら傷つけられた桃娘が、さらに心を閉ざしてしまったり。

 なんてことないところで衛布の優しさに触れ、「それほど悪い人でもないのかもしれない……?」とか「孤独な人なんだわ」とか思った次の瞬間、わざわざこれ以上なくひどいことをされたり言われたりしたら、「いい人かもとか思った私が馬鹿だった、やっぱり最低な男よ!!」と過剰に反応することになる。
 いちいちそーやって心新たに憎めるくらい、なにかしらやってたんですかね、衛布さん(笑)。

 衛布が桃娘を愛していたとして、それをまったく彼女に理解されることすらなく殺されて終了、という最期がイイ。救いがなくて、せつなくて。
 不器用な愛の終着点として。

 殺し続けた己れの愛に殺される、その皮肉。
 最期の瞬間、彼がなにを想うのか。

 ひとことも発さず息絶える衛布がイイ。
 桃娘を愛していた、ならばその愛する娘に殺される現実をどう受け止めたのか。愛していたけれど頑強に認めなかった、ならば己れのキモチにここにきてようやく気づいたかとか。
 いくらでも展開できる。

 でも、ひとつだけたしかなこと。

 衛布が、この世で最後に瞳に映した相手は、桃娘。
 あの大きな目で見つめた相手は、桃娘。

 
 ……そんなこんなを想像するのがたのしい。

 
 もちろん、愛などまったくない、野心のみの衛布にも萌えられますしね。
 少年にしか見えない……しかもほらあの、だいもんくん童化粧はかなりあのそのせめてそのカツラはあのその……な、あの状態の桃娘相手にアレしてしまえるくらい、悪食な男ですよ、衛布さんは!(笑) 愛がなければそれってさらにすげーキワモノですよ衛布さん!
 あの童相手にがっつきまくるエロオヤジ。それだけでも十分オイシイって(笑)。
 
  
 とりあえずキムシンに、台詞をひとつだけ増やして欲しいの。
 少年の振りをして現れた桃娘の正体を、衛布が暴く場面。
 「よく化けたものだ」てなことを言う衛布にもうひとこと、「あの美しい髪を切ってまで」と言わせて下さい!!
 そこで髪を撫でるか触るかしてくれれば完璧。

 いやその、童だいもんくんのビジュアルが微妙だとか、でかくてごつくて大変だとか、言ってませんよ?(笑) 言葉で美しいって説明が必要なんて、言ってませんってば(笑)。
 年頃の娘さんが女の命でもある髪をばっさり切ってまで、覚悟を決めてやって来たんだってことを、説明して欲しいの。童を装ってったって、顔見ればわかるに決まってるじゃん!というツッコミをかわすためにも。女が髪を切るなんて常識では考えられないことだから、たとえ顔が同じでも密告がなければわからなかった、ってことを。
 そーすりゃ桃娘の健気さも上がるし、密偵の役割も意味があるし、衛布のスケベっぷりも上がるし(笑)、イイコト尽くめだと思うなっ。

 髪を切ったことに言及してくれたら、衛布が桃娘に対してなにかしら興味を持っていたという妄想に拍車を掛けてくれるからねええ。

 てゆーかたんに、エロみつるが見たい。
 桃娘の髪に触って、言及してくれたら萌え死ねる(笑)。
 と、前日欄で真面目に衛布さんについて語りましたが。

 はい、次は衛布さん萌えの話です。ええ、衛布@みつる×桃娘@だいもんですよ!!(笑)

 『虞美人』にて語られる衛布は、第2ヒロイン桃娘に対しては「悪漢」でしかない。
 衛布は桃娘の父の部下で、裏切り者。父の仇を討とうと男装して現れた桃娘を手籠めにする。桃娘の秘密をネタに、どーやら継続的に関係を強要していたらしい。で、ついには桃娘に殺される。

 桃娘の方は韓信@みわっちを慕っていたし、衛布を嫌っていることがわかるのだが、衛布が桃娘をどう思っていたのかは、まったく語られていない。
 表面的なものから読みとれば、悪役らしく桃娘を利用していただけで、彼女に対してなんの思い入れもないのだろう。

 が、なにしろなにも描かれていないので、観客が勝手に想像できる。

 悪漢の手を逃れたお姫様が、恋しいダーリンとハッピーエンド、というだけでも十分だろうし、原作が書かれたという今より1世紀も前ならばそれで良かったのかもしれないが、ここはタカラヅカで今は21世紀だ。
 三角関係、とするのも、ぜんぜんアリだろう。

 衛布が桃娘を愛していた、愛と呼べないまでもなにかしら執着していた、とするならば。
 韓信と桃娘、そして衛布の位置関係は、恋愛モノの定番である。

 力尽くで女を捕らえる男、利害関係から仕方なく従っている女、されど愛しているのは別の人……力尽くでどうこうしていた男だって、本当は女のこと愛してるんだよ、それしか方法を知らないだけなんだよ……しかし女は真実の恋人の元へ戻ってハッピーエンド。女がふたりの男に猛烈に愛されるという、女子の大好きな物語。
 今隣のバウホールでも、まさにソレをやってますね、の黄金パターン。

 好きな女を権力でしかつなぎ止められない、最後は振られる色男、ってのは、実に萌えですな。

 男ふたりに女ひとり、という設定でも実に美味しいのですが、さらにここに、「BLの定番ネタ」とゆーのがある。
 ここでは三角関係である必要はナイ。男(攻)と女(受)だけで成り立つ。
 金(権力)で攻に買われる受、ソコに愛はなく、利害関係のみのふたり。攻はなにかにつれ「**(カラダとか、地位とか、対外的なモノ)だけが目当てだ」と受を貶め、受はそんな攻を嫌い抜きながらも言いなりになるしかない。
 が、ほんとーのところ、攻は受を愛していて、強引に受を手に入れたのはそのため、でも嫌われていることを知っているので愛は決して告げない。
 また、受もほんとーは攻のことを愛していて、そもそもこんな関係になる前に好意を持っていたのに、「こんな人だったんだ、見損なった」とか思って心を閉ざしているの。

 BLにこのネタが顕著なのは、行為までファンタジーとして描けるからでしょうな。読者が女性である以上、女性が酷い目に遭うのはNGだし。
 Hナシでなら少女マンガでもいくらでもある。名目だけの夫婦(婚約者)で指一本触れないけど、対外的には妻としての振る舞いを要求される系のヤツ。
 男(攻)が権力で強引に関係を強要し、女(受)は男の目的が別のところにあり自分は利用されているだけだと思い込んでいる。
 ……この話が女子の好む定番としてもてはやされているのは、男が美貌・権力・富の三拍子を持ち、さらに女を愛しているため。権力は振りかざすけれど、愛に対しては少年のように臆病かつ不器用で、素直に表現することができない。また、女は自分を力で支配する男を実は、愛しているのが鉄板。しかし愛されていない、利用されているだけだから胸の内は死んでも明かさないと決意。愛し合っているのに、心はすれ違ったまま表面のみ夫婦だったり濃ゆい肉欲関係だったりする。
 ヅカの名作『はばたけ黄金の翼よ』もまさにコレですな。

 衛布と桃娘に萌える、とよく耳にするのはまさに、「女性が好む恋愛フィクションのシチュエーション」だから。
 あくまでもフィクション。現実だと受け止めて怒る人とは立っている次元がチガウ。誰だって現実なら嫌でしょう、戦争も、男の邪魔にならないよう自殺する女も。フィクションをフィクションだと割り切って、ドラマティックな戦争モノやアクション、愛のために死ぬ物語を楽しんでいるわけで。
 衛布と桃娘も同じ意味でのファンタジー。

 最初衛布にとって桃娘は上司の娘、お嬢様、お姫様。高嶺の存在。
 それが下克上して、命すら自分の手の中。
 この逆転現象が萌えを発動させる。

 たんに今ソコで桃娘の秘密を知って脅しました、じゃないのよ。
 桃娘の美しい姫時代を知っているからこそ、手を出すわけよ。

 衛布は、桃娘を愛しているんじゃ? と、思わせるから、萌えが発動するのよ。

 身分違いの姫をひそかに愛していた、ならば女子向けロマンスとして鉄板設定ですから。
 愛までいかなくても、少年にしか見えない桃娘を速攻襲うくらいに興味を持っていた、なにかしら執着があった、と思わせることが。

 舞台上にあるシチュだけならば、ロマンス物の定番。その上衛布が自分の心を語る部分がまったくないために、観客は、萌え放題。

 演出家がどう思ってとか役者がどう思ってとか関係なく、舞台上にあるモノだけで、ロマンスGOGO!

 衛布は、桃娘を愛していた。
 当人が愛とは思っていなくても、執着はあった。手の中に転がり込んできた小鳥を弄ぶくらいには。
 なにしろ、毎晩ですから。
 お優しい虞美人様@彩音ちゃんが「この子ったら毎晩出歩いているのよ、おませさん♪」と証言。
 毎晩って、衛布、どんだけ桃娘に夢中なん。
 でも自分では「利用しているだけだ、こんな小娘に興味はない」って思ってるのよね。端から見ると「めろめろですやん」状態でも、本人だけは「オレって悪だな、フフフ」と思っている、と。
 
 たーのーしーいー(笑)。
 勝手に張良さんについて語ってますが、もちろん彼がナニ考えてるかはわかってません。彼の考え方や人生に関して、脚本で解答を語っているわけじゃないしな。
 また、役者がどう考えて演じているかも、関係ないっす。
 見たいモノを勝手に見て、勝手に語ってこそヅカヲタ(笑)。

 てことで今回語るのは、『虞美人』の、衛布さん@みつる。

 とにかくぱったばったと人が死んでそれきり出てこなくなる、この作品。
 衛布さんも2幕前半であっさりお亡くなりになる。

 ここで死んでたらいかんやろう!と思うんだけどねえ。

 というのも彼には、二重の意味で役割があるのよ。
 張良のくだりでも書いたけれど、この『虞美人』にはテーマのリプライズがいろんなカタチでちりばめられている。
 項羽@まとぶんと劉邦@壮くんという、ふたりの武将を対比させることで展開する物語だ、あらゆるところに主人公の影が存在する。

 衛布というキャラクタの役割の一つは、「もうひとりの項羽」である。

 項羽のテーマソングである「私には羽根がある」だけど、この歌は彼ひとりのものではないのね。
 この時代の野心を持つ男たちすべての、テーマソングなの。

 そもそも衛布は、「誰もが天子になれる」を歌う男のひとり。

 項羽が自分の可能性を信じ未来に希望を掲げて歌うこの歌を、衛布もまた歌っているの。
 衛布も項羽と同じように、天下を狙う武将のひとりなんだ。

 衛布は、もうひとりの項羽……己れの才覚ひとつで天にその存在を問う漢、なのよ。

 それゆえに桃娘パパ@めぐむを裏切り、項羽に付いた。居酒屋に密偵@みとさんを放ち、情報収集していた。
 項羽の忠臣のふりをしながら、自分こそが覇者になるべきだと爪を研いでいる。

 項羽が「誰も裏切らなかった、裏を掻かなかった」とその人生を昇華させるのと対照的に、衛布は裏切りと卑劣を極めて頂点を狙う。劉邦が人から愛されて力を得るのとも対照的に、人を利用し憎まれて前へ進む。

 役割がきちんとあるので、衛布は最初、やたらイイ扱いで登場する。
 野望に燃える項羽の才覚を見抜き、瞬時にその側へ付く。さらに、思わせぶりな密偵の存在、「ご主人様に知らせなくては」と大仰な引きまで使う。
 項羽を仇と狙う第2ヒロイン桃娘@だいもんを手の内に置く。

 項羽のミラーのひとりなんだから、これだけの描かれ方をしていても不思議はない。

 
 そして、衛布の二重の役割のもうひとつは、その第2ヒロイン桃娘の関係者、ということだ。 
 項羽と劉邦の物語の中に付け加えられた、ドラマティックなサブストーリー、英雄・韓信@みわっちと男装の少女・桃娘のロマンス。

 それに、「悪役」として絡むということ。

 桃娘の弱みにつけ込んで弄ぶ悪漢。
 項羽とも劉邦とも違い、裏切りと卑劣を極めて頂点を狙う衛布に相応しい役割。

 
 この衛布が、桃娘にあっさり殺されること自体は正しいと思う。

 悪漢には悪漢に相応しい死を。
 戦場で華々しく散るのではなく、宮廷で痴話喧嘩のように女に殺されるのは、彼に似合いの最期だろう。

 利用していた娘に殺されて終わるのは、因果応報。
 彼の抱いていた壮大な野心が、名だたる武将との立ち会いの末や陰謀劇の勝敗によって断ち切られるのではなく、ちょっとした油断によって簡単にバッドエンドになる。
 項羽のミラーとして、正しい最期。

 正しいのに、ここで死んでたらいかんやろう!と思う。

 だって。
 二重の役割を受け持ちながら、あるのは設定だけで、中身がまったく描かれていないんだもの。

 ここまで思わせぶりに描いておきながら、彼が実際にナニをしていたのか、ナニをしたかったのかは、まったく描かれていない。

 伏線張るだけ張っておいて、回収ナシでエンドって、そんなバカな。

 番手制度の縛りもあるし、みつるにそれだけの役割を振ることが許されなかったのかもしれないけれど。
 それならなんで、衛布に二重の役割を課したのよ。

 桃娘を弄ぶだけの悪者、とするならば、項羽に取って代わる系の野心をクチにしないようにすればよかったのよ。
 少年に変装してきた桃娘を見破るのは、別に密偵の注進がなくてもできる。もともと衛布は桃娘の父の部下だったんだから、見破っても変じゃない。
 権力になびくただのスケベオヤジっつーことで、権力者項羽の元でぬくぬくしつつ、元上司の姫君をアレするだけのゲス男としても、ストーリーラインはナニも変わらない。
 項羽に桃娘の正体をばらさないのも、彼女を支配したいというスケベ心ゆえ、で説明が付くし。

 3番手役である韓信と第2ヒロインの当て馬、悪者、という役割だけで十分、衛布というキャラは活きる。ヘタに物語の本筋ともテーマとも関わらず、整合性のあるキャラクタになる。

 なのにハンパに、天下を狙う発言を繰り返させてるんだよなあ。

 衛布が本筋に関わる必要のない脇キャラだというなら、少なくとも密偵のくだりはなくすべきだ。わざわざ密偵を使ってまでなにかしら壮大な画策をしているよーに描いておきながら、ナニもしていない・描かれないのは変。

 密偵の設定を活かすならば、衛布はちゃんとなにかしら本筋に絡まなくては。

 項羽のミラーであると同時に、身内にまで狙われている主人公項羽! どうなるのかしら、どきどき! ……という仕掛けもあるわけでしょ、衛布の野心っつーのは。
 2幕最初で桃娘にあっさり殺されてエンドなのはそのままでいいから、それまでになにかしら、一箇所でもイイから「衛布がナニを考え、ナニをしようとしていたか」を描く必要があるんだ。
 その上で、野心の途中であっけなく殺されてしまうから、「物語」として盛り上がるのよ。

 どうせなら、桃娘絡みで。
 二重の役割を持つのだから、天下への野心と桃娘との関係、両方に関連するエピソードをひとつ挿入する。

 虞姫の信頼を得、項羽とのいちゃいちゃ場面にもBGM係として配置されるほどの桃娘だ、項羽が油断しきっているときに暗殺しろ、他の兵は自分が遠ざけてある、と衛布が桃娘に指図する場面を作る。
 1幕最後の盛り上がりのどさくさ、一瞬だけ衛布と桃娘にスポットが当たる、だけでいいから。台詞が数個あるだけ、時間にして1分なくていいから。

 桃娘のアゴを持ち上げて、とか、一瞬なのにエロく、ふたりの力関係と目的が観客に焼き付くように。

 そーすれば、2幕最初の項羽と虞姫の膝枕でいちゃいちゃ場面も、愛し合うハッピーなふたりと、隙を狙う桃娘でさらに盛り上がるし、そこへやってきた張良@まっつの「項羽は暗殺されるべきではない」の台詞も活きる。
 英雄には英雄に相応しい最期がある。
 そして、悪漢には悪漢に相応しい最期が。

 張良が桃娘に太刀を渡す必要はないから、「何故項羽を殺さなかった」と詰め寄る衛布を、1幕ラストで衛布からもらった小太刀で桃娘が刺し殺す、でいいと思うんだが。

 たったそれだけで、衛布の物語と役割は完成すると思うのにな。
 でもってみつるなら、見事に奥行きを持って演じてくれると思うのにな。
 『虞美人』張良@まっつは、好敵手・范増先生@はっちさんを死へ追いやる。

 同じ次元で対峙することのできた唯一の相手を、張良自身がゲームから降ろさせてしまった。

 それを機に、張良は変わる。

 傲慢かつ野心家である張良は、それでも主君・劉邦@壮くんの前ではその牙を隠している。敵に対しては容赦なく慇懃無礼というか腹黒さ全開だが、劉邦に対しては礼節を保ってきた。

 それが、范増先生を失ったあとは、チガウんだな。
 劉邦相手にも容赦ない。

 ナニあのわっかりやすい冷淡さ。

 劉邦に対して愛情がないこと、利用していること、隠してませんがなっ?!

 項羽の背後を突けと、裏切れとそそのかす。ヘタレる劉邦への侮蔑っぷりがすげえっす。それが計算であれ本心であれ、嫌味ったらしさMAX。
 劉邦に戦う決意をさせるというだけの意図ならば、同じ台詞でも愛情たっぷりに言うことは可能なはずだ。愛を持って理を説く、それゆえに人の心が動くことはある。……つーか今までそうやって劉邦を手のひらの上で転がしてきたんじゃないの? 同じことを言っている韓信@みわっちは誠実さ、正しい進言である意識が全面に出ているのだから、それに乗ることもできたはず。

 劉邦を守ることは、できたと思うんだ。
 戦争に勝つことだけでなく、劉邦の心を傷つけずに裏切りへ誘導すること。

 キレイゴト並べ立てればいいんだもの。
 これ以上犠牲を増やさないためとか、騙し討ちではなく油断している項羽側が悪いとか。
 あるいは理詰めでたたみかけ「張良が言うから仕方ない(オレのせいじゃない、オレの決断じゃない)」と思い込ませる。
 劉邦を傷つけず、望みの結果を選ばせることくらい、張良には簡単だろう。行動に対する、逃げ道を作ってやればいいんだから。

 なのに。

 わざわざ、突き放す。追いつめる。

 決めるのは、劉邦自身だと。

 これまでさんざん自分が手綱握ってきたくせに。
 もっとも最悪なカタチで、劉邦を突き落とした。

 こわいんですけど、この人。
 冷たいだけでなく、必要以上に残酷なんですけど。劉邦に対して。

 自分が選んだ、駒に対して。
 最後の最後に。

 プレイヤーのいなくなったこのゲームを、一気に終わらせるつもりなんだ。さっさと駒を進める気なんだ。

 失ってはじめて、気づくのだろう。
 欲しかったのは優秀な駒でも己れの栄光でもなく、戦い甲斐のある強敵(とも、とふりがな)なんだと。

 范増先生を失って、その手にかけて、はじめて張良は変わるんだ。

 明かしたのは、本性だろうか。
 劉邦への残酷さは、張良本来の性質か、あるいは強敵を失った自棄ゆえか。

 罪と、孤独を抱いて。
 さらに、冷酷に。

 范増先生が息絶えたあの荒れ地に、張良もまたいるんだ。今も。
 きっと。

  
 張良ってその後、政治から身を引いて隠居生活するんだよね? 大好きだった、生き甲斐だった、陰謀策略ゲームを降りて。
 范増先生の予言通り劉邦も変わってしまったんだろうけど、それにしても良ちゃんってほんっとーに劉邦に一定以上の愛情なかったんやなと(笑)。一貫してるわー。

 史実がどうかは関係なく、この舞台で描かれている「范増と張良」は人生というアクション面だけでなく心の変化・流れまできっちり起承転結されててすげえ。
 ……だから、がんばれまっつ。

 
 わたしとしては、はっちさん相手より壮くん相手に心の絡みを見たいです(笑)。脚本がどうあれ、演出意図がどうあれ。
 で、好きなように見ていいのがフィクションの醍醐味なので、勝手に劉邦相手に萌えておくことにします(笑)。

 1幕の劉邦のために必死になっているところと、2幕最後の劉邦に裏切りを強要するところの、張良の態度の差がすげえので、それこそをオイシクいただきます。

 劉邦は「愛されるけど、愛したことがない」と途中ヘタレて泣いていたけれど、アレってある意味仕方ないと思えるのよ。
 劉邦の妻・呂妃@じゅりあにしろ、軍師の張良にしろ、劉邦を利用しているだけじゃん。表面的には「劉邦LOVE」な振りをして、ほんとのところは利己心優先。
 無意識に感じ取っていたんじゃないの? 「愛なんて信じられない」って。
 あんな連中に囲まれ、「愛愛愛」って洗脳されてたんじゃねえ。

 だからこそ、ドS期待。

 張良×劉邦だよね? いぢめてナンボだよね? 項羽を裏切ってしまったことでびーびー泣いてる劉邦を、良ちゃんが手のひらで転がすんだよね、イロイロと(笑)。
 

 まあ、腐った話はともかく、張良っつーのがマジ大役過ぎてびびる。いやその、まっつ的に。上から4番目扱いになると、こーゆー役が回ってくるターンもあるのか。(同じく上から4番目でも、前回の植爺は……・笑)

 プログラムに主要キャストのインタビュー載ってるじゃないですか。
 まっつは前回はじめての掲載で、わたしはそれだけで大喜びしていたんですが。

 ただ……苦いキモチもあったのね。たった4人しか載っていないインタビュー記事なのに、これを見た一般人のほとんどが「この4人目の人、芝居のどこに出てた?」と首を傾げただろうな、ってことに。
 ショーではきっと見分けつかないだろうし。ただ形式的に誌面を割いてもらってる、というのが丸わかりなのが、苦いなと。

 それが今回は、ちゃんと見つけてもらえる。舞台を見た一般客が「あの軍師役の人」と思ってプログラムをめくると、ちゃんとインタビューが載っている……そんなことが、うれしくてならない。

 ……今回そのまっつ記事の隣に並んでいるのがめおみつではなく、まぁくんだということにも、震撼しましたが。いつかまっつも、こーゆーところの扱いすら、抜かされる日が来るんだろうなあ……遠い目。

 未来がどうあれ、今回、パレードの階段降りがひとりでうれしい。
 あのとびきりイイ声が響いた瞬間、ぞくぞくした。あああ、やっぱこの人の歌声が好き。

 でもって、最後の銀橋!
 まっつが、彩音ちゃんと挨拶してる~~っ!!
 びびびびっくりしたーっ。
 最後にトップスターさんと会釈するのは、スターさんだけの特権だと、まっつに回ってくることはナイと考えるまでもなく信じ込んでいた。

 ありがとうキムシン!
 や、幕が開く前はどんな扱いされているか、戦々恐々だったから。
 まっつにとっての前回のキムシン作品……『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』にて、下級生のみつるくんより下の扱いされてたからなー。キムシン的には使う気になれない役者なのかと不安だった。評価されていないわけでも、嫌われているわけでもなさそーなので、ほっとした。
 つか、今回たまたまにしろ、破格の扱いだよ、ありがとう。

 あー、まっつかっこいーなー。ファンの欲目です、盲目状態です。とにかく張良さんがかっこいいので、それでいいんですよ(笑)。
 『虞美人』の張良@まっつは、「項羽と劉邦」に対しての「范増先生と張良」であり、「英雄は英雄にしか見いだせない」の言葉通り、もうひと組の項羽と劉邦である。

 ……ほんっとに、なんつー破格の扱いだ、前回のキムシン作品で役ナシ+台詞4つしかなかった役者とは思えない。(しつこいって)

 
 最初の登場場面で、そのキャラクタとライバル・范増先生@はっちさんとの愛憎関係を明示。

 張良は己れの才に自信を持つ野心家。傲慢さと若さ、そしてクールさ。

 ライバルとはその能力を認め合い、尊敬しあっている。だからこそ、「今は味方だけど、ナンバー1はひとりだから、いずれは戦う」と宣戦布告。
 どちらがこの世を手に入れるかを、天に問うと。

 途中経過は、ふたりの戦いでもある。張良と范増先生の策のめぐらし合い。

 劉邦@壮くんが項羽@まとぶんに勝てないのは何故か、それは項羽に范増先生がいるから。
 ……言い切ってますよこの人、項羽なんてどーでもいい、真の敵は范増先生、天下分け目の戦いの相手は范増先生だと。言っちゃったも同然ですよ、項羽なんてその程度だと。
 主人公様を「その程度」扱いするキャラ(笑)。ひでーヤツだわー。

 されど、そう思っているのは張良だけではなくて、当の范増先生もなんだよね。
 項羽が先生を切るしかないように仕向けたところ、先生も自分がいない項羽はただの裸の王様だから簡単に滅ぼせると太鼓判。主人公様に対してそんなこんな。

 この師弟、ひでえな(笑)。

 最初の登場場面から、なにも変わってないんだよ。優れているのは自分たちだけだって、ほんとにそう信じ切ってるんだから。項羽も劉邦も、自分たちより下位の存在だから。
 いや、下位とも言い切れない、別の次元にいる優れた人物だが、自分の操り方次第で生かすも殺すも自在、と本気で思い続けたままだから。

 こんだけ他人と別次元にいるんだから、この世界で通じ合える相手は、互いしかいなかったんだろうなあ。
 よくも悪くも。

 
 されど、同じ次元に生きていながら、張良と范増先生はやっぱチガウんだよね。共に歴史に名を成す英雄でありながら、項羽と劉邦がチガウように。

 范増先生は愛情を持って項羽や虞姫のそばにいるが、張良は自分の知略を試すために劉邦に仕えている。
 高潔かつ苛烈であるがゆえに滅びた項羽、小ずるく立ち回って天下を得た劉邦、大地のような慈愛で無私に愛し尽くした虞姫@彩音ちゃん、己れの野心と欲望を夫に背負わせた呂妃@じゅりあ。
 「項羽と劉邦」という主題をリプライズするキャラクタたち。

 范増先生にあるあたたかさや優しさが、張良には感じられない。范増だって劉邦を暗殺しよーとしたり、韓信@みわっちを殺せと言ったり冷酷に仕事しているんだけど、張良の方がなお冷酷に、利己的に見える。
 それはやはり、冷酷な言動の主意がどこにあるか、だな。

 そもそも項羽という人物を好ましく思って選んだ范増先生と、劉邦なら操りやすいと思って選んだ張良は、出発点から違っている。
 項羽のために冷酷に進言する范増先生と、自分の野心のために劉邦に手を汚させる張良では、結果が同じだとしても受ける印象は違い過ぎますがな。
 項羽の魂の安寧を祈り支え続けた虞姫と、己れの虚栄心を満たすことを第一にしか考えられなかった呂妃の印象が、違いすぎるように。
 

 さて。
 最初から一貫している、張良という男。
 クールで計算高く抜け目ない軍師。
 彼が本心を出してその黒さや野心を剥き出しにしていたのは、最初の居酒屋場面のみ。あとはとりあえず劉邦の忠実な参謀。

 そんな張良が、再度、本心を見せる。

 范増先生の、最期。

 中国の広さを突っ込むのは野暮かもしれないが(笑)、楚を追われた范増先生を迎えに、漢にいたはずの張良がわざわざ馬車を用意して出向いている。地理的に時間的に可能なのか? どんだけ無茶して迎えに行ったんだ、張良?(笑)
 凍死必至の荒れ地で、范増と対峙する。
 いちばん最初の、居酒屋の場面がそうであったように、広い舞台にふたりきりで話す。

 現実的にありえないことであっても、この場面が必要だった。
 「項羽と劉邦」のミラー的役割を持つ、范増と張良だから。劉邦が項羽の名を呼んで息絶えるプロローグと同じように。

 
 張良は、この場面を機に、変わる。
 慇懃さに隠して本心を見せないクールな男が、なりふり構わず范増先生のもとへ走り、頭を下げる。哀願する。
 
 范増を殺したくなかった。死なせたくなかった。自分が追いつめておきながら、殺すつもりはなかったという矛盾。

 ゲームは、相手がいないとできない。
 張良と范増先生は。ふたりしてこの世界を盤上とした、将棋に興じていた。
 禁じ手を使ったのは張良。盤上の王将を狙うのではなく、プレイヤーを廃してしまった。

 相手プレイヤーを死なせ、残ったのは盤と自分。

 たしかに勝っただろう、残された駒を使って王将を詰めるのは時間の問題。
 でもそれって、たのしいか?
 それって、ゲームになっているのか?

 悔恨が、張良を走らせる。
 中国大陸の広さもものとせず(笑)。
 荒野でただひとり、同じ言葉で話すことができる相手の元へ。

 殺したくなかったんだろう、失いたくなかったんだろう。矛盾でもなんでも。
 唯一、自分と対等に戦える好敵手を。

 
 そして。
 張良は、変わる。
 罪と、孤独を抱いて。

 さらに、冷酷に。
「英雄は英雄にしか見いだせない」

 『虞美人』張良@まっつのキャラクタは、まさにこの言葉に集約されているのだと思う。

 いちばん最初、居酒屋に登場し、范増先生@はっちさんと話しているところ。

 やなヤツだな。
 優れた人物を優れていると理解できるのは、優れた人間だけ。韓信@みわっちは優れた人物であるが、愚かな民衆たちにはそれがわからない。韓信の素晴らしさがわかるのは、素晴らしい自分たちだけ。
 張良と范増先生は、ふたりしてそう言っている。

「世の中バカばっかり。まあ、オレたちみたいな天才のことは、衆愚どもには理解できないよな(笑)」

 他のすべてを見下し、上から目線でしたり顔で語る。
 似たもの同士のふたり。史実がどうかは知らないが、『虞美人』の中では師弟関係か、それに近いモノがあるようだ。張良は范増を「先生」と呼び、范増も親しげに物知り顔に振る舞っている。
 通じ合っている安心感ゆえか、平気で己れの「黒さ」を全開にしている。
 この世のほとんどの人間をバカにしていること、自分を英才だと思っていること。この世の価値は自分が認めた相手にしかないと、本気で思っていること。

 「英雄は英雄にしか見いだせない」という言葉自体は、若くして滅びた項羽@まとぶんが優れた人物であったことを、歴史の勝者である劉邦@壮くんが認めていた、というテーマ部分を表してもいるんだが、そっちの話は置いておいて、今は張良のこと。
 劉邦とは違い、張良と范増先生はここで自慢たらしく「……を見いだせるオレってすげえ、オレ最高」と語っているわけだから。

 軍師ふたりの対峙がすごい。
 互いの力量を認め、尊敬し合っているわけなんだが、それすらつまりは「英雄は英雄にしか見いだせない」わけで、「張良(范増先生)を天才と認め、腹のさぐり合いをしているオレってやっぱ天才」という意味だから。

 わたしのよーな劣等感だらけの小物からすると、ぽかーんと眺めてしまうのですよ、彼らの自尊心の高さと選民意識に。
 そこまで自分マンセーできちゃうってすごいなヲイ。
 実際、それだけの才能ある人たちなわけで。ライオンが爪自慢、牙自慢をしている様を、しがない野良猫は震え上がって眺めるしかないというか。

 ライオンである彼らは、自分たちが優れていること、他の動物たちを殺して食えることを当たり前、前提の上で語っている。彼ら的にはそれは当たり前のことなのでわざわざ確認するまでもなく、傲慢なわけでもない、だってライオンに生まれついてしまったから。
 ……という立ち位置からしてすでに傲慢すぎて眩暈がしますが、実際「そう」だから仕方ない、というややこしさ。

 でもって、このやなヤツらなんですが、范増先生は年配であるだけに多少えらそーでも違和感は少ないんですよ。それだけの経験や実績があるのだろう、と思えるから。
 しかし張良は、若い。史実がどうとかではなく、舞台の上の張良さんは青年である。人生経験も范増先生ほどはなさそーなのに、傲慢さは同じくらい。しかも、若さゆえに、さらに傲慢である。
 自分に時間があること、人生がこれからであることに、めっちゃ野心を持っている。若く、まだなにごとも為していないことを、「これから為す」という成功の前提で自信としている。
 范増先生が白髪の老人になってたどり着いた知識レベルに、若い自分が到達していること、今肩を並べて語っていることに、「広い目で見れば、オレって先生よりすごいよな」という自負が透けて見える。

 やなヤツだなー、友だちにはなりたくないなー(笑)。

 で、このライオン2匹の獲物品定め。
 范増先生は、項羽に付くという。項羽のことを優れた人物だと認めているため。
 しかし張良は劉邦を選ぶ。劉邦が項羽より優れているからではなく、操りやすそうだから、という理由で。
 どこまでも、自分中心。

 やなヤツだなー(笑)。

 この最初の登場場面に、張良という男のすべてが集約されている。
 劉邦の軍師だが、ボスLOVEな忠臣というわけではなく、自分の優秀さを問う為の駒として劉邦を利用しているわけだ。
 ゲームプレイヤーのように。

 劉邦を駒として操り、結果彼に天下を取らせたのだから、この物語のラスボス、黒幕であると言える。

 劉邦に対して過剰な思い入れがないため、いつもクール。
 そばにいたいとか思ってないようだし(笑)。

 
 このクールさ、愛情の見えなさは、とてもまっつに合っている。彼の持つ温度と知的な持ち味にハマっている。無理しなくても、クールなインテリに見えるのがまつださん。
 ありがとうキムシン。まっつがとってもまっつだ。
 前回のキムシン作品で役ナシ+台詞4つしかなかった役者とは思えない破格の扱い(笑)。

 
 クールな美形軍師、という記号を持った役、というのもうれしい。なにしろヒョンゴ@『太王四神記』で、同じよーな立場の役なのに「愉快なおじさん」まっしぐらの役作りをされてしまい、「美形まっつが見たい!」とないものねだりしてましたから(笑)。や、もちろんヒョンゴも良い役で大好きでしたけども。

 たくさん出てきてたくさん喋ってくれる、というだけでもうれしい。なにしろ前回の植爺公演では出番が2回(そのうち1回は数分)、台詞は「引け!」の2文字だけだったくらいですから(笑)。

 そーゆー外側の意味でもとてもありかだい役なのだけど、それ以上にありがたく注目している事象は。

 この張良さんはラスボスとか黒幕だとかを超えて、「項羽と劉邦」に対しての「范増先生と張良」だっつーこと。「英雄は英雄にしか見いだせない」の言葉通り、もうひと組の項羽と劉邦だということ。

 虞姫@彩音ちゃんと呂妃@じゅりあもそうだし、多重構造になってるんだよね、「項羽と劉邦」は。
 生き方、立ち位置の対比。ひとつの主題を微妙にアレンジ変えて繰り返すように、「項羽と劉邦」は范増と張良であり、虞姫と呂妃である。

 そーゆー意味で張良さんは、すごく面白い。……やなヤツだけどな(笑)。
 オープニングの格好良さは半端ナイです、『シャングリラ-水之城-』。クチぱかーんとしたまま見とれてしまうほどの、とんでもねー美しさ、格好良さ。
 こーゆー異世界が成り立ってしまうタカラヅカすげえ、パネェヨマジデ!! と拳握って声を張り上げたくなる。他ジャンルの人たちに自慢しまくりたくなる(笑)。

 そのめちゃくちゃかっこいーオープニングで。

 どうしよう、らんとむから目が離れないっ!(笑)

 ゆーひさんを見たいのです。彼の格好良さ、美しさは半端ナイ。もともとゆーひくんは好みでたまらない超色男ですが、それにしたって今回のソラ@ゆーひくんのビジュアルは美しすぎる。
 彼にうっとり見とれていたい。

 また、いちおーわたしはともちスキーである。ともちがなんか、ロンゲで嘘くさい二枚目やってますよ、なんか愉快っぽいですよ(笑)。←誉めてます。
 ともちが楽しい、ともちを見たい。

 ああ、なのに。

 ゆーひさんのナナメ後ろにいるラン@らんとむさんの、顔芸が、激しすぎる……っ!!

 ナニあの「うッ!」て顔! あ、今「アウっ!」って顔したっ。今度は「くぅ~~ッ」て顔だっ。
 なんかひとりですごくないかこの人? なんか見えないモノと闘ってる??

 ……ああもおっ、らんとむはらんとむだってだけでカッコイイのに、さらにナニやってくれてんのよおおおっ。

 はああ。
 らんとむさんのスタイルは、ほんっとーに素敵です。あの肩から腕に掛けてのスーツのラインなんか、リアルに格好良すぎてドキドキする。男装の麗人とか男役とかゆーより、モロ男子として(笑)。
 男として理想過ぎる、らんとむ氏のガタイ。……てのを、『NEVER SLEEP』のときもアッタマ悪く熱弁したよーな記憶があるが、何回でも言おう、蘭寿とむが格好いいことは永遠に語り尽くせはしないのだから!(笑)

 ひとりだけスーツ、つーのがまたポイント高いんだな。
 『シャングリラ-水之城-』はなにしろ近未来(笑)なので、みんなとんでもない格好をしている。まとな奴ぁひとりもいねえ。まんま『FF』みたいな統一感のない派手派手衣装尽くし。
 そんな中でただひとり、まっとーなスーツ姿のランくんは、そのスーツの着こなしっぷりがカッコイイのだ。

 地味な男が地味の衣装を着ると地味になるが、なにしろらんとむさんはナニを着ても決して地味にはならないから。
 派手派手衣装の人々相手に、なんて華と存在感。

 しかも、またしても、レジスタンスのリーダー。

 しかも、またしても、拷問される役。

 らんとむは拷問され専科なのか。いたぶりたい男No.1なのか。
 拷問されたわりにスーツがまったくヨゴレてないのは、拷問時は脱がされていたんですか、とか、余計なことを考えるぞっと(笑)。

 女科学者フォグ@せーこちゃんとのなれそめは、島くんとテレサみたいだ、と思ったんだが、通じる人はいるんだろうか?(笑)
(いやその、大昔に『宇宙戦艦ヤマト2』というテレビアニメがあってだね、テレサっちゅー謎の女性の通信に導かれてヤマトが銀河を旅するんだが、ヤマトの航海長の島くんとえんえん通信のみで愛を育んでだね……昔から脇の地味な人が好きだったわたしは、古代くんより島くんでした)

 発信源もわからない、信憑性もない、謎の通信を信じて心を通わせて、ってもお、島くんとテレサだわ!ってことで、ひとりで痛切に納得、ランとフォグの恋愛に対し、なんの疑問もありませんでした。だって島くんとテレサが恋に落ちたんだもん! ランとフォグだって恋するわ!! ←アタマ悪い思考回路。

 『逆転裁判2』があんまりな出来だったので、そのリベンジとしても、らんとむとせーこちゃんがしあわせにラヴってるのが微笑ましくも、うれしかった。
 せーこちゃん白衣似合うなー。

 
 恋愛を描けないのは、いつもの小柳タン。
 主人公のソラとヒロインのミウ@すみ花ちゃんはいつの間にか恋愛していたらしいし、ランとフォグだって一般的に見るとぜんぜん描けていないわけだし。
 大体、ミウとランはなんだったのよ。
 せっかく苦労して(……も、いないが)、探して再会したミウなのに、彼女のことめっちゃおざなりでフォグ助けに行くランってナニ。いや、ランはいいんだけど、それじゃミウってなんなのよ、ただのカンチガイ女? ってことになる。ヒロインに対してあんまりだ。

 恋愛が描けないし、ぶっちゃけ興味もないんだろうが、もう少し真面目に恋愛と向き合ってくれてもいいんじゃないかなあ、ヅカの座付き作家である以上。

 恋愛が苦手なゆーひさんは、いつ恋したのか最後までわかりにくく、されど相手がなにしろすみ花なので彼女の芝居で底上げされて、恋愛任せろ!なホットならんとむさんは脚本の粗をぶっとばす勢いで目尻を下げて、まあなんとか、どっちのカップルも収まったようですが。

 役者の力だけに頼らない脚本も、たまには書いてみて下さいよ。

 でもって、プログラムに場面変更のお知らせ紙が1枚挟んである。……プログラム印刷に間に合わないくらい、脚本がぐちゃぐちゃだったというわけっすか。定まっていなくて変えまくった結果なんだねええ。
 さすがに、こんなのはじめて見た。

 いいものを作るための試行錯誤は尊いけれど、〆切は守ろうよ、社会人なんだし(笑)。
 いやともかく、無事に出来上がって良かったね。
 
 
 目に美しい公演だから、それだけでイイっちゃいいんですが。

 ヒョウ@ちーちゃんのビジュアルが好みすぎてたまらんし、相方のミゾレ@えりちゃんのアイス・ドールっぷりもたまりません。アニメ系のコスプレやるとえりちゃん美し過ぎるんですが。萌えキャラ度ハンパねぇ。

 おっさんぶりが板に付いてきたいりすくんも愛しくて仕方がない。あのトンデモ衣装を着こなすってナニゴト……! 鈴奈姐さんの尻に敷かれているにしろ、お似合いに見えるのがすごい。つか、姐さんいい女だなあ。
 一座の若者たちもみんなイケメンっす。つかやっぱ、りくくんの顔好きだ。

 レジスタンスの大ちゃんがかっこよくてなあ。相方のちさきちゃんの衣装はかなみちゃんが着てたヤツかな、ずいぶん印象チガウけど……さりげなくラヴってるのがいいな、このふたり。

 
 ゲームやアニメの雑誌とかに、宣伝すればいいのになあ……みんな格好良すぎて美しすぎて、このまま終わるのがもったいない(笑)。
 『シャングリラ-水之城-』にて、とりあえず、アイス@ともちんに食いついておきます(笑)。

 や、ともちんスキーとして! 基本事項なので!(笑)
 とりあえず、と言ってしまうのは、アイスさんがとってもステキにトホホさを持っているため。いやその、アイスさんだけじゃなく、この作品の人々はみんななにかしらトホホなんですけどね(笑)。

 えーと、シャングリラの影の支配者。コドモばっかの王国でラスボス気取ってる恥ずかしいオトナ(笑)。
 もともと孤児を拾って託児所経営していたようだが、彼の子育ては間違いまくっていたらしい。自分が育てた子どもだけで夢の王国作って、自分が君臨って、どこの黒トカゲ様@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』だ。黒トカゲ様はものすごい人数の孤児を変な格好で踊らせていたけど、アイスさんたらたった4人だよ、子ども。そのスケールのミクロさにかえって感心する。

 子どもだから唯一のオトナのことを信じ従ってきたけど、年齢がアイスさんに一番近かったらしいソラ@ゆーひさんは、他の子たちより先にオトナになったので、分別がつくなり即脱走。そりゃそーやろ。
 あの警備も皆無、誰でも自由に入れます暴れられます、な謎の秘密基地(笑)で、巨大な大人が王様ごっこやってるんじゃあなあ。

 かっこいいんですよ、ともち。
 あの体格、あの厚み、わざとらしい(笑)ロン毛。アニメのお約束全部踏襲した感じが、ミツルギ@『逆転裁判2』に続いて演じるのに良いキャラクタかと。や、あそこでついたファンを逃がさない意味で(笑)。

 そして、ともちの美点だと思っている、あの温度。

 クールビューティにはなれないですね、彼。
 ソラ@ゆーひがクール過ぎて愉快なことになっているのに、アイス@ともちはホット過ぎて愉快なことに。……こいつら、面白すぎる。

 すべてはアイスの陰謀だった! 自分に逆らったソラを、アイスは抹殺しようとしたんだ! ……てな話の運びの中で、ソラが「てことになってるけど、実はアイス、オレのこと逃がそうとしたよね?」と突っ込んだときの、アイスの、バツの悪そうな顔!(笑)

 脚本上では、ホットな主人公とクールな悪役の会話なのに! クールな悪の意外な一面、それを理解しているイカス主人公の場面なのに!

 主人公のツッコミがクールで、悪がハートフルで、ナニ、この漂うトホホ感!!

 そして、ソラの容赦ない冷たいコトバのヤイバで、アイスが寂しがり屋の構ってちゃんだと暴露される。

 自分の言葉しか信じないよう育てた自分の子どもたち、自分だけの王国。
 誰も彼を傷つけない、彼だけに都合の良い子どもの城。そこで君臨する裸の王様アイスは、利己的な暴君ではなく、まさしく「子どもの心」でしか生きられなかった男。
 「199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった」……という、日本一有名な(笑)フレーズの作品に登場するサウザー様と同じ設定ですな。子どもばかりの王国でふんぞり返っていた王様は、実は誰よりも愛情深いがゆえに、そーゆー歪んだ王国を作っていた、という。

 大好きなおもちゃだけで囲んだ、「ボクのお城」。ボクを絶対に傷つけないモノだけだったはずなのに、人形のひとつが逆らった。だから城の外へ放り投げる。……でも、大好きな人形だから、壊れてしまわないよう、気を付けて。
 結局彼は、自分も自分のお人形もお城も、なにひとつ傷つけるだけの気概も覚悟もなかったんだ。
 ママにおねだりして買ってもらえず「ママのバカ、しんでやる~~!」と泣く子どもが、ただ泣くだけで自分のカラダに傷ひとつつけるはずがないように。

 そーゆー恥ずかしいハートを持った、誰より巨大な大人のアイス。
 アイス自身、「恥ずかしいよなオレ」と内心思ってはいたんだろう。自覚があるからこそ余計頑強に殻に閉じこもって、攻撃的になって。コンプレックスを隠すために、無意識は幾重にも発動する。

 いや、作者は「ピュアな心」と思って書いているのかもしれない。お約束だから(笑)。サウザー様だって、「誰よりも愛深きゆえに!」なわけだし。「本当はいい人」だけど、時代とか対外的なモノが理由で道を誤ってしまった可哀想な人、というお約束のラスボス。
 だからアイスはツンツンツン、心の鎧でツンツンツン。

 それを、我らがクールビューティ主人公は、めっちゃバッサリ突いてくる。

 ちょっとソラ、少しは気を遣ってやってよ、ソレ言っちゃオシマイだから! 「べ、別にアンタのためにやったんぢゃないんだからね!(赤面)」てのがアイスの信条なんだってば、ツンデレに余計なツッコミはしないのがお約束っつーか、優しさってもんでしょう? なんでそークールなのよアンタは(笑)。

 「本当はいい人」というか、「寂しがりさん(はぁと)」だと暴露されてしまったアイスは、自暴自棄になってホットなハートのいい人さを全開に、みんなのためにお亡くなりになりました。
 ……ソラが追いつめなければ、あんなことにならなかったのに(笑)。

 主人公と悪役の魂温度がまちがっているために、せっかくのクライマックスで笑いツボ直撃されて困りました。
 いやはや、大好きです、クールなゆーひさん、そしてホットなともち。

 素直にわたしは、ソラ×アイス派です。逆ぢゃないですよ、右側はアイスです(笑)。ただし彼の片想い。ソラさんはいいS具合だと思いますよ。無意識というか、他人に興味ないまま、ピュアハートのアイスさんをびしばし傷つけて下さい。言葉責めがスタンダード、標準装備ですね。

 楽しいですね、『シャングリラ-水之城-』。
 公演スチールには、興味がない。
 プログラムを全公演買っていた頃は、プログラムがあれば出演者の顔写真はすべて見られるので不要だった。昔のプログラムは大劇場のものでも2~300円と、学生のおこづかいでも十分買えたんだ。

 そして、プログラムに載っているスチールが、あまり興味を持てなかった。
 だってカツラも衣装も舞台とチガウんだもの。
 「※写真はあくまでもイメージです」って感じで、ナマ舞台の美しさに比べ、スチールの写りは大抵みんな微妙。
 プログラムを開いて、写りの善し悪し……というか、マシか悪いかできゃーきゃー言うだけのもの。
 そんなものより、公演半ばで発売される舞台写真の方が重要。昔から舞台写真は買う場合があったけど、スチール写真は興味なし、売場で足を止めることすらない。

 そんなわたしが、スチール写真を買った。

 舞台写真未発売ジェンヌの退団記念購入以外に、自発的にスチール写真を買ったのって、平成元年『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』アラン@轟悠以来っ?!

 ……古いなんてもんぢゃねえな、カリンチョさん時代だよ。てゆーか、わたしがヅカファンになった公演。トドロキの美貌にくらくらきて、ヅカにハマっちゃったんだな。スチール(ちなみにモノクロ)も舞台写真も衝動買いしてた(笑)。

 トド様以来の快挙。
 ええ。

 『虞美人』の、張良@まっつ。

 いやその、買う気なんかなかったっす。ファンやってたって、今まで買ったことなかったし。(舞台写真は全買いしてるけどな)

 インタビューが載っているからプログラムも買ったし、プログラムに載っていた張良さん写真は「ふーん」程度だったし。

 なのに。ああ、あのに。

 劇場ロビーに飾ってあるキャスト写真。キャトルレーヴ入口上にずらりとある、楕円形のアレ。
 あの張良さんが。あのまっつが。

 小首傾げて微笑んでますがなっ。

 どどどどーしちゃったの? ナニあのかわいこぶりっこ青年。張良ってそんなキャラ?!

 わたし、プログラム写真とスチール写真って同じもんだと思ってたの。微妙にチガウ場合もあることは知っているが、基本同じだと思ってた。
 だからほんと興味なかったんだ。

 プログラムの張良@まっつを見直してみる。
 チガウ。あの小首傾げスウィ~ト・ビューティぢゃないっ。

 ナニ、あのかわいこちゃんまっつが欲しかったら、わざわざスチール写真買わなきゃなんないのっ?! セコイわ、劇団、なんでかわいい方を別売りにするのよ?! うきゃ~~。

 スチール売場とプログラム売場を何往復もして見比べました(笑)。や、プログラム買ったはいいけど、家に置いたままで観劇のたびに持ち歩いたりしないし。

 で、トドロキ様以来、22年ぶりにスチール写真購入。

 まっつってば、どこまでわたしを泥沼にオトシたら気が済むの?!

 なんて悪い男。まっつのせいでわたし、どんどん深みにハマってますよ……まっつにハマるまでは、写真やグッズ買ったりしない人だったのに、ディナーショー行ったりしない人だったのに。びんぼー小市民ヅカファンとして、本拠地公演をまったり観劇するだけで満足してたのに。
 まっつファンになってから、観劇回数は増えるわ、購入・自作合わせて部屋にグッズが積み上がっていくわ、どんどんダメな大人に……。
 

 劇場では恥ずかしくてゆっくり眺められなかったので(笑)、帰宅してからまじまじとスチール写真を見てみた。

 変だな、破壊力が少ない。
 それほど「小首を傾げている」よーに見えない。

 ……劇場に飾ってあるアレは、楕円形のカットが絶妙っつーか、小首傾げ角度が、強調されてないか??

 写真切り抜いた人が「これくらい小首傾げてるよーにした方が、萌えぢゃね?」って、画策したんじゃない?
 劇場(だか写真屋さんだか)スタッフをも萌えさせてしまう、まっつおそるべし!!(落ち着け)

 
 あー、美形だなー、まっつ。かっこいーなー、まっつ。

 ……スチール写真、楕円形に切り抜こうかな……小首傾げ角度大きくして(笑)。

 記事タイトル日本語変だけどキニシナイ!(笑)

 とにかく、名前がおぼえられない。
 アタマ悪いんやオレ、勘弁してくれよー。

 わたしがこの物語について行けたのは、なんつっても出演者の個別認識ができている、そのことに尽きる。役名はわかんないが、めぐむだめぐむ、とか、ふみかだふみか、とか、しゅん様、らいらい、アーサー……ジェンヌで区別しているのみ(笑)。

 タカラヅカ自体初見の人に、どこまで理解できるんでしょうか、『虞美人』

 
 オープニングの赤いポピーちゃんたち。
 着物をミニスカドレス的にアレンジして着ているのね、赤いタイツで脚線美披露なのね、と他意はなくオペラで衣装をちゃんと眺め……アゴが落ちた。

 ぱ、ぱんつ丸出し……。

 なななんであのデザイン? ミニドレス風着こなしなら、何故股間にスカートがないんだ~~。ぱんつつっーかレオタードなんだろうけど、やっぱヒラヒラで隠して欲しいなと思ったっす。ぱんつは丸出しより、チラリズムがいいっす。

 で、アセって顔の確認をした。まままままさかまっつ、ここにまざってないよなっ?! まっつがぱんつ丸出しミニドレス姿だったら椅子から落ちますよあたしゃ?!

 で、あわてたオペラの中心にどーんとキたのが、くまちゃんの満面の笑顔……こ、こわい……。はっ、失礼しました、天下の美女くみ様に対しそんな……!(最敬礼)
 くまちゃんだけでなく、基本みんなこわかったっす。楽園の乙女たち@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』系キワモノさにあふれてるわ、アレ……(笑)。

 い、いやその、かわいいんですよ、遠目には……!!(フォローになっていない)
 キムシンのセンスって、ぶっとんでるなー。しみじみ。あ、上級生男役はまざってませんでした、コレも楽園の乙女たちと同じ。
 
 
 この作品、「**出てきた」と思ったら次の場面で「**は死にました(事後報告)」の連続っすよ。
 きちんと殺される場面がある人は幸運、つーくらい。

 めぐむ出てきた、かっこいー。つか、いきなり大劇場本舞台でひとりで、ってすげー扱いだな、と思ったら、即死亡。
 ふみかかっこいいかっこいい、ナニそのヒーローっぷり! きゃー!! と思ってたら、次の場面で「死にました」。

 王陵@ネコちゃん、役ついてる喋ってる、トップ娘役の虞美人@彩音様を口説いてる、すげーすげー。
 つかネコちゃんその悪役メイクはナニ? 眉とかがんばりすぎてる?(笑)

 と思ってたら、次の瞬間「誰かわからないけど斬ってみたら王陵だった」by項羽@まとぶん。
 もう死んだんかいっ?!

 されどこの「もう死んだ?!」な人たちは、実は半端な通し役の人よりおいしかったりするんだよねええ。
 なんせあちこちに出ている。しかも、歌も台詞もある(笑)。

 めぐむ、ふみか、アーサーあたりのおいしさってば、めおくん以上じゃないだろうか。
 トップとその周辺の人たちの扱いは劇団的に決められてるいるから仕方ないとして、それ以外のところでは演出家の趣味や好みが反映されるかなあ、と。

 キムシン、『オグリ!』チーム好きだよね(笑)。めぐむは出てないけど、彼が唯一新公で2番手だったのはキムシンの『黒蜥蜴』だものね。

 てことで、『オグリ!』で勇名を轟かせた(笑)、呂@じゅりあ、今回もすげえなと(笑)。
 『太王四神記』と役がかぶりまくってるんだが、たしかにキャラには合っている。いい女役さんだと思う。可愛く演じようとか半端な気持ちがなく、潔くどーんと演じてくれるのが気持ちいい。
 役が大きいだけに、路線系の娘役さんで見たかった気もするが……(たとえば、オサふー時代のあすかなら、この役をふつーにやってると思うなー)。

 めおくんの扱いはどうかと思う。出番が少なくても「これが俺の顔? ……美しい♪」ぐらいのインパクトのある役ならともかく。ただ項羽にくっついて舞台にいるだけが主な仕事っつーのは。最後まで一貫して忠臣なのはイイんだけど。

 めおくんと同列な感じの役、鍾離昧@輝良まさとは反対にオイシイ。今までの輝良まさとの役付きからするとびっくりだ。彼もナニ気に『オグリ!』出てたよね。

 途中で殺されてしまうから出番は少なめだけど、衛布@みつるはオイシイんだよなー。
 あの徹底した悪役ぶりはイイわー。
 そして殺されるときが、また。
 下手に台詞がナイのがいいの。彼が最後にナニを思ったか、観客に委ねられてる。そしてみつるの迫真の演技が……!! 萌えまくりっす。

 この学年で子役はどうよ……?!な、稚児@一花。
 たしかに今さら子役は気の毒なんだが、わかっちゃいるが、かわいすぎる。
 ほんっとーにいちかすげえ。子役やらせたら天下一品。野々すみ花か桜一花か、てなもんだわ。

 このお稚児さんにハァハァいってるのが宋義@まりんなんですが、似合いすぎててどうしようかと(笑)。

 でもっていちか、小林少年も明智先生のお稚児さんポジションだったっつーか、キムシン作品での彼女の役って……えっと。

 すごいスキルだな、まりんもいちかも。ふつーに女優やってたらありえないハイクオリティ・キャリア!

 ……ナニ気に、新公でこのお稚児さんハァハァなおっさん役を、みちるタソがやる、つーことに、悶絶してまつ……(笑)。

 樊噲……読めんわ……もとい、ハンカイ@らいらいが、なんかすごくオイシイんですが。
 らいが大劇場で喋ってるー。すげー。
 しかもかわいこちゃんキャラかよ(笑)。最近らいはこっち方面で花開いてるなー。
 鳳くんと瀬戸くんとトリオなんだけど、らいがもっともよく喋る。

 項荘@しゅん様は期待したほどオイシクはないよーな。剣舞もあるけど、がっつりダンス!というより、ばたばたしてる場面だし、桃娘@だいもんにセンター取られるし(笑)。
 アルバイトも含めて勇ましい姿を眺めるのが良いかと。ビジュアルいいよなー、やっぱ。
 てゆーかわたしは、どれがアルバイトでどれが本役なのか、いまいちわかってません……。町人やってるときならともかく、あとはどっちにしろ兵隊さんだし。

 王媼@ミトさん、お帰りなさい!!
 ミトさんの声がすぱーんと響くと、気持ちいいなあ。

 女の子たちはみんなわーーっと出てきゃーきゃーやってて、とにかくかわいい。
 花娘ってほんと美形揃いだわ、かわいいわ。
 劉邦@壮くんがいつも女の子担当なのがイイ。壮くんには女の子たちの黄色い声が似合う。

 そんな中、戚@れみちゃんの可憐さ、清廉さが光りますなー。
 出番はすごく少ないんだけど、役割は大きい。劉邦にとっての虞美人なんだよね……。
 1幕は役の縛りがナイからか、プロローグ、村の女の子、後宮の美女といろんなところで他の女の子たちにまざって美貌を披露。ほんま美人さんや。

 戦争物だから基本女の子たちに出番はないんだけど、兵隊さんにかなりの数、女子もまざってるよね。
 目が慣れてきたら、そーゆー子たちをチェックするのも楽しそうだ。

 役名のないみんなでわいわいのミュージカル場面で、いろんな子たちが台詞もらったりワンフレーズのソロをもらったりしている。
 リピート観劇時の憩い場面になるぞきっと(笑)。

 で。
 その最初のみんなでわいわい場面で、田舎者@みちるタソの衣装がヒョンゴ先生@越後の縮緬問屋で、ひそかに凹む……(笑)。
 で結局『虞美人』という「作品」がどうなのか。

 贔屓組っつーのは、こまったもんだな。
 純粋に作品として好きかどうかでは、観劇できなくなっている。
 他の組なら、好きか嫌いか、もう一度観たいかどうかなど、素直に味わえるのに、贔屓組ときたら「コレ、20回観られるか?」が判断基準だったりするので、余分なモノがこちら側にありすぎる。
 ふつーに観客として1回観る分には楽しかったり美点だったりする部分が、「20回観る」前提だと苦痛だったりするわけだから。

 や、1ヶ月公演になり値上げもされた今、ひとつの公演を20回観ることはありませんが、気持ちとしては以前と同じ「贔屓組っつったら結果的に20回は観るよな?」という前提があってねえ。

 こちらが特殊な状態で構えて観ているため、純粋な反応は難しいのですよ。

 どんなに「作品」を好きで好きでしょーがなくても、感性ドンピシャすぎてリピートはつらかったり、反対に作品自体はどーでもいいつまらないものでも、贔屓がかっこいいからそれだけで20回が苦にならないとか。
 相思相愛で観劇できることなんて、ほんっとーに稀だもんな。

 近年の芝居作品で、大好きでリピートしたのは月組の『夢の浮橋』だけど、果たしてアレが贔屓組だったら素直に評価できていたんだろうか。ご贔屓の出番とか役割とかで残念な気持ちを抱いてなかったろうか。
 てゆーかわたし、ご贔屓の出演している作品で、その作品、「芝居」を好きでたまらないなんてこと、何回あっただろうか。
 いつもわたしが好きになるのは、ご贔屓の出ていない作品な気がする……(笑)。
 
 ご贔屓が出演していて、なおかつ作品自体も素直に大好きでリピートしまくることができた「芝居」って、『凱旋門』『血と砂』『王家に捧ぐ歌』のみか? 20年からヅカヲタやっていながら、たった3作? ……『舞姫』もカウントしていいかなあ。でもアレ、ご贔屓が出てなかったらそこまで好きかなあ。
 ショー作品なら、相思相愛だったものがいくつかあるんだが、芝居はさらに敷居が高い。ヅカ全体を見回して、おもしろい芝居っつーのが少な……ゲフンゲフン。

 
 最初から1回観るだけ、今愉しめればソレで万歳、な見方をしているわけではないので。
 キムシン作『虞美人』。
 いちばん思ったことはやはり、1本モノってしんどい。でした(笑)。

 や、1回観る分にはいいんだよ、1本モノだって。ただ、20回観るんだ、とか、午前午後でダブル観劇とかしちゃうんだ、とかゆー観点で見ると、作品の出来云々以前にもお、ただひたすら、2時間半ストーリーを追うのはしんどいと思っちゃうんですよ。
 トシ食ったってことかなあ。若いころはそうでもなかったと思うんだがなあ。

 そして、痛感する演出力の違い。
 誰と?って、小池せんせとです(笑)。
 記憶に新しいアジア舞台の1本物ミュージカル、どうしても『太王四神記』がある。比べちゃうんですよね、無意識にでも。

 はああ、やっぱイケコの演出力ってすげえなあ。音楽が残念なのは同じくらいなのに、やっぱ演出は『太王四神記』の方が断然いいや。
 (さらにイケコ作品でいうなら、『スカーレット・ピンパーネル』の方がさらにいいんだけどねー。て、アレは音楽の力もあるか)

 『太王四神記』はスポンサー付き公演だったせいもあるのか、やっぱ舞台装置とか衣装とかトータルして良かったよなあ。

 通常公演予算しかないにしろ、キムシンの舞台使いはやっぱとってもキムシンで、半2次元的というか、イケコのような立体感はないんだよな。もちろん、植爺や谷のような時代遅れな紙芝居ではないのだけど、キムシンの「動かなさ」も特徴的だよなと(笑)。
 いっそいつものように「舞台全体を使った大きなセット」があり、その周囲にキャストが出たり入ったりする形式の方が、違和感がなかったのかもしれない。あのセットじゃあ、キャストはこう動くしかないよな的納得があって。
 今回はそのテの「ひとつだけ」の大きなセットはなく、他作家と変わらないセットが場面に合わせてチョイスされているもんで、キャストの出たり入ったりぶりが単調に思えた。

 また、戦闘場面少なすぎねえ?
 さあこれから戦闘だー、群舞だわくわくっ、と思うと、肩透かし。
 予算のない民放の2時間スペシャル歴史物ドラマみたいだ。戦闘シーンはお金がかかるからナイんだね……部屋の中で喋ってるばっかで、ロケしてエキストラや衣装や馬にお金のかかる合戦シーンはナシで、ナレーションと土煙と音とイメージ映像でお茶濁すんだー……みたいな。
 戦争続きの武将モノなのに、戦闘シーンが最後の1回しかナイって、どうなのよ。や、人殺しとか残酷な場面が観たいわけではまったくなく、かっこいい派手な群舞が観たかったんだが、さわりだけのちょっとしたモノはあっても腰を落ち着けた場面がぜんぜんナイまま2時間経過っつーのはストレスだ。『太王四神記』は要所要所に戦闘シーンがあったなあ。遠い目。
 ……そういや『王家』も戦闘シーンは1回だけで、あとは全部カットされてたっけ(「エチオピアを滅ぼしに行きましょう!」→次の瞬間、エチオピア滅んでます)。今回もまさにそんな感じ。キムシン、戦争場面描くの好きやないんや? てゆーか、ダンス中心場面が描くの苦手なのかな。

 場面ごとがセットも含めてキレイで、キャストも衣装を含めてキレイで、そのへんはさすがにキムシン、外さないなと思うのだけど。

 演出的な意味でいうと、『太王四神記』よりリピートしんどいなあ、と。
 理屈抜きの五感に訴えかける、立体的な演出ではないよなと。

 やたら『太王四神記』と比べて申し訳ないが、初日観劇後いつもの店でいつものよーにnanaタンとごはんしてだらだらしていたわけだが、そこで聞かれたせいでもある。
「で、『太王四神記』とどっちが面白い?」

 うーんうーん、どっちが面白い……面白い、ねええ? 困ったな、わたし別に、『太王四神記』を面白いと思っていたわけではナイし。
 『太王四神記』初日の感想は、「すごい! けど、これって面白いの??」だったしなー。あんときはいっそサイトーくんのトンデモ演出で観てみたかった、とか思ってたっけ(笑)。

 ただ、演出力では絶対イケコだよー。

「じゃあ、どっちが好き?」

 あ、ソレは簡単。

 『虞美人』が好き。

 『太王四神記』は泣けないけど、『虞美人』は泣ける(笑)。
 悲劇だから、人が死ぬから泣く、のは生理現象であって涙カウントはしない。『虞美人』に泣くのは、彼らが死んで終わるからじゃない。

 死は結果でしかない。死に方が泣けるのではなく、そこにたどり着くまでにどう生きたかが重要。
 彼らの生き方が、わたしの泣きツボを刺激する。
 だから絶対『虞美人』が好き。

 しかし、「20回観る」という偏った観点だと、いい作品なのかどうかわかんねえ(笑)。先述の3作は20回観てもぜんぜんOKだったけどなー。それらと同列ではナイもんよ、コレ。
 ぜんぜん日記が追いついてないけど、花担である以上、初日ははずせない! なんやかんやで終電で、帰宅したのが日付変わってからでいろいろくたくたなんだけど、とりあえず走り書きだけでも。

 『虞美人』観劇。

 項羽と劉邦、そのあたりの知識皆無、中国モノは特に苦手分野分類(名前おぼえられん)、予備知識特になし。
 でも、ストーリー的には大丈夫、ちゃんとわかりまつ。今回もまっつ先生いっぱい説明解説台詞淡々と語ってくれてるし!(笑)

 彩音ちゃんの、退団公演。タイトルロール。

 クリスティーヌ@『ファントム』で大劇場でトップ娘役披露した彩音ちゃんが、「お兄ちゃん……」とか、神懸かり巫女とか飲んだくれとかいろいろいろいろ演じてきて、最後に演じるのがこの虞姫であるということ。

 原点に、たどり着いたんだね。

 彩音ちゃんはなんでもできるスターさんではなく、足りないと思うところも多々あった。正直、歯がゆいこともあった。
 それでも、彼女はそんな足りない部分を補って余りある魅力を持った、押しも押されもせぬトップスターだ。

 「桜乃彩音」のなにが好きか。
 正統派娘役スターとしての清潔感や気品、美貌、声……それらも魅力ではあるが、わたしの中で彩音ちゃんの最大の魅力は、包容力だ。

 か弱い少女であり、男の背中で守られているだけの、なにもできない存在でありながら。
 美しいだけのお人形さんのように見える、自我のないつまらない女のようでありながら。

 ほんとうは、彼女こそが、その男を守っている。救っている。

 聖・少女。
 抱いているのは彼女であり、抱かれているのが男の方なんだ。
 彼女の清らかな光で、無私の愛で、男を救っているんだ。

 虞美人の出番自体は大してナイと思うし、歴史物である以上女性キャラがどーんと物語を動かすこともない。
 出てくるたび、項羽@まとぶんといちゃいちゃしているだけの存在(笑)。

 でも。
 その「いちゃいちゃ」以外に仕事がなさそうな虞が、それゆえにこそ、光を放ちはじめる。

 マリー@『うたかたの恋』が、破滅していくルドルフ@オサ様を守っていたように。その心を救っていたように。

 虞美人の揺るがない魂が、救いになる。

 項羽の……ううん、観ている、わたしの。観客の。

 荒れた世界。裏切りと、奸計と、欲と、暴力と。
 そんななかに、光が射す。
 虞美人という、光。

 癒しの光に守られて、すさんだ心に涙が染み渡る。
 
 彼女が、救いだ。
 この痛みに満ちた世界。苦しい人生。
 この光があるから、顔を上げてまた、歩き出せる。
 ……そーゆー光。

 わたしは彼女に愛された項羽ではないけれど、項羽が救われたように、わたしも救われた……気がする。

 
 いやまあ、プロローグの呂@じゅりあ、劉邦@壮くんのやりとりは、蛇足っちゅーかやりすぎだとは思うけど。虞と項羽に対比させてるのはわかるが。

 あざとさはあるものの、癒しの光を照らす「虞美人」は、たしかにタイトルロールであり、この物語の根幹、テーマなんだろうな。

 
 とりあえず、まっつがかっこよくて、良かった(笑)。

 美青年です、ヒゲなしです!!←重要

 最初、えんえんえんえん出てこなくて、「今で何分経ったんだろう……1幕出番ナイのか??」とアセりましたが(1幕が全部で14場、まっつ登場は7場)、登場してからは万遍なく出たり入ったりしていたかと。

 張良@まっつ、相手役は劉邦@えりたん……だと思っていたんですが、ある意味范増先生@はっちさんで、びびりました(笑)。
 クールでドSな張良さんがもっとも感情的になる場面が、范増先生との別れって……!

 ドS全開に劉邦を追いつめ、望みの答えを引き出す張良と、決断させられてしまうヘタレ劉邦が、たまりません。ジオラモ×モーリス@『アデュー・マルセイユ』再び……!!(笑)

 
 項羽@まとぶんは、マジかっこいいっす。最後の総髪とか反則やわ、あの美しさ。両刀なのがまたかっこいい。え、剣の話です、もちろん。両手使いなのー。
 まとぶんの持つ誠実さが、なにがどうあれずーーっと出ているんだ、項羽の人生が過酷でも冷酷でも。

 劉邦@壮くんはなつかしいですよ、挫折専科と呼ばれた彼が、復活しています(笑)。そーだよなー、膝を折って慟哭してこそ壮一帆だよなっ。
 つか、キムシンってほんと壮くん好きだよな。キャラが素敵過ぎてたまらん。
 個人的に、最初の方で奥さん@じゅりあに「宴会に行かれるのですか」と言われ、ギクッとするところが、ツボっす。ほんとに今、「ギクッ」て擬音が見えた(笑)。

 韓信@みわっち、すげー包容力。なんか久々に、本気で「いい男モード」のみわさんを見た気がする……!

 だいもんが、女の子だ。
 桃娘@だいもん、マジ女の子だ。違和感なく女の子だ。ふつーに娘役でなんの違和感も遜色もなく、なんなのあの化けっぷり!!

 桃娘はいい役なんだが、それでも男役がやるべき役だとは思わなかった……男装するったって、アレ、男装やなくて、ただの子役やん……。ふつーに娘役がやるべきっしょ……。
 だいもんがものごっつーかわいくて萌えだったこととは、まったく別に。

 で。
 桃娘を男役がやる意味が、とか言いながらも。

 桃娘がだいもんだから、ものごっつードキドキしたっ。……という部分がある。

 衛布@みつる!!
 悪役! 悪いヤツ! 黒いヤツ!
 こいつがもー、もー!! かっこいーー!!

 この悪い男がだよ、か弱いだいもんを無理矢理……!

 桃娘が男役だから、だいもんだから、一気に体温上がりましたね(笑)。や、びっくりした。
 みつる×だいもんっすよ! 濃すぎるっしょ!!

 いかん、衛布×桃娘でSS書けるわ……めっさ好みだ、このふたり。

 めぐむとふみかのおいしさときたら(笑)。
 めぐむなんかもお、死んだと思ったらすぐさま飲んで騒いでるし。どこを見てもいるし。客席登場、わたしのすぐ横の方で「どこだ!」って騒いでいて、うわー、だったし。
 ふみかは、どさくさまぎれの銀橋センター(笑)。なにあのスポットライト(笑)。めっちゃ楽しそうなんですが、あの人!

 
 ひとりずつ語り出すと文字数ぜんぜん足りない。
 翌日欄へ続く。

 こっそりと、記録。

 雪組『ソルフェリーノの夜明け』『Carnevale睡夢』千秋楽。

 当日券は、当日B席42枚、立見100枚。先着順。
 並んだ人は250人ほど。ただし、抽選ではないため、朝8時半くらいから係員が並ばせないようにしていたようだ。

 並びのピークは午前3時~4時。
 そこで一気に50人ほどになる。始発が動く前に、車で乗り付けるわけだな。車内で暖をとりつつ、交代で並ぶグループたちで当日B枠は埋まる。
 電車組に残されているのは立見券のみだ。

 始発は大体午前5時台なので、家の近さにもよるが、6時~7時台に第二次並びピークを迎えるわけだ。
 今回は7時過ぎで締め切りが来た模様。始発か、その次くらいで動いた本気の人しか間に合わなかったようだ。
 
 
 何故今回先着順で、抽選にはならなかったか。
 係の人に質問したり、過去の自分の経験を元に考えてみる。

 まず、現在の当日券発売方法になったのは、2009年1月1日からである。
 まだ1年ちょっとしか経っていない。
 そのため、劇団的にもデータが少なすぎるのだと思う。

 この1年あまりの間にあった「サヨナラショーのある、男役トップスター以外の千秋楽」のデータは、となみちゃんの『ZORRO 仮面のメサイア』しか「ない」んだ。

 2009年より前なら、単独退団する娘役トップスターや、新専科さんたちが何人もいた。が、当時は現在のような発売方法ではない。

 現在の発売方法……つまり、「立見券は、前売り発売ナシ」。

 2008年までは、立見券も前売りされていた。一度でも座席券が完売すると、立見券が発売された。その後戻りがあって座席がガラガラになっていたとしても、一度立見券を売ったわけだから、引き続き立見券も売り続け、高くて観にくい2階S席は売れないまま、1階で観られる安価な立見券が売れ続ける、という事態になっていた。

 立見も含め完売している千秋楽の場合、当日券として販売されるのは、当日B券42席のみ。ちょっとした公演の千秋楽には、いつもの徹夜組がいるので、当日券は大体売り切れて早々に終了。ファンもわかっているので、それっぽっちの当日券を求めて前日から並ばない。

 また、立見券100~150枚ほどが前売りされているため、「押さえ」として買っている人が多く、会での取次が判明したあと掲示板やサバキに複数飛び交うことになる。
 当日券に無理して並ばなくても、選択肢はあった。

 それが、去年から立見券の前売りがなくなった。
 東宝と同じように、立見券は当日券が完売したあとにはじめて売り出されることになった。

 その結果、新人公演や通常の千秋楽は立見が激減した。あの広大な大劇場がクズ席まで完売しないことには立見が買えず、また、システムが変わっても感覚的には以前と同じ気分が抜けず、「完売」と書かれるともうチケットは存在しないようなキモチになる。
 いや、「完売」というのは、当日券が立見を含めて142枚以上発売されるって意味なんだけど、今までのムラで完売ってのは、立見まで売り切ってほんとーにふつーの人は買えない状況を指していたから。

 「完売」に対する認識にズレがあるまま。
 となみちゃんのサヨナラショー付き千秋楽は、売り切れなかった。

 座席券は売り切れたが、立見券は残った。
 入場前点呼では70番くらいまでしか呼ばれなかった。

 発売開始時刻である午前10時までに並んでいた人たちは、100人くらい。当日券は座席50枚ほど+立見券100枚で、150枚は用意されていたのに。

 それまでと同じ、前売りで立見まで発売していれば、ふつーに立見券まで完売していたと思うんだ。
 とりあえずチケットを持っていたい人や、反対にチケットを前もって用意してないとあんな僻地までわざわざ行かない人が、押さえにかかるから。

 過去のデータが、ソレしかないわけだ。
 150枚用意して、100人しか並んでおらず、結果完売しなかった、という。

 
 それゆえに、今回も同じように先着順で150枚ほど用意していたら……並んだ人数がまったくちがった、と。

 劇団的にも、予想外のことだったんだろう。
 そして、予想外というあたりが、読みが甘いっちゅーか、今回の事態をナメてかかっていたんだなと。

 当日券抽選を行うのはトップスター退団時のみ、という確固たる信念があり、それ以外の場合はたとえ何千人並んで大混乱を起こしても先着順である、という勢いでやっているのではないと思う。
 単に、「通常の千秋楽は混乱するほど人は来ないから、やる必要なし」と思っていたことが、透けて見える。

 2番手退団である、ということ。

 20年ほどなかった異常事態が起こったのだ、起こしたのだということ。

 
 正直なとこ、この過剰反応はゆみこちゃん単体の人気かどうかわからない。
 わたしの周りはゆみこファンだらけだし、とても人気のあったスターさんだと思っているが、この祭りっぷりは「2番手退団」というショック、判官贔屓感情も大きく関わっていると思う。
 最初からここまで大人気スターだったら、劇団的にも認識と扱いが違っていただろう。
 
 準トップスターを切る、という事態がどういうことなのか、どれほどの人心を動揺させるか、劇団は想像していなかったんだろうなと思う。
 千秋楽のこの対応を見ても。

 過去の例と照らし合わせて、通常通りの販売体制を取った。
 …………2番手退団は、「通常」の事態ではない、つーことを、劇団は気づいてないんだ、うわあ。

 この異常事態が通常にならないことを、心から祈る。
 『シャングリラ-水之城-』は、記号だけで成り立っている。

 主人公ソラにあるのは、「主役」というだけの記号。
 誰が演じてもハマるだろう、美しい、かっこいい主役。

 だがしかし。

 ゆーひさんが演じると、なんであんなに残念なキャラになるんだろう?(笑)

 や、ビジュアルは完璧ですとも。
 おーぞらゆーひのこの世のモノとも思えない、三次元世界に存在することが驚異なほどの、徹底した美貌ゆえに成り立っている役であり、作品である。

 キャラとビジュアルを楽しむことが主眼であるこの作品で、ソラ@ゆーひくんの美しさは素晴らしい。

 が。
 ゆーひくんの持つ無機質さ、クールさは、小柳タンの書く「男子ヲタク的世界観の主人公」からは、微妙にずれているんだ。

 主人公なんて、ぶっちゃけナニもしなくても、そのアツさでストーリー的には誤魔化しが利くもんなんだ。
 よく考えるとこの人ナニもしてない……とか、なんでこの人の言う通りにコトが運ぶんだろう……と思っても、彼の平素のパッションで全部なし崩しになる。熱に巻き込んで、うやむやのウチに出来事を転がしていく。

 ソラも、アツい芸風の人が演じれば、説得力になったと思う。
 水源独り占めイクナイ!とか、記憶喪失で苦悩してまつ!とか、とくにどーってことないけどいつの間にかミウ@すみかとラヴラヴ!とか、考えなしの行き当たりばったり行動も、全部全部問題ナシ。
 ああ、この男ならそうだろう、と思わせることが可能。
 設定上がクールガイだとしても、魂のパッションは別だからね。

 ゆーひくんはそのあたりの説得力につながらないいつものゆーひくんっぷりで、突き進むから(笑)。

 なんとも不思議なキャラになってますなあ。

 ナニがウケたかって、最後の託児所オチ。

 断言します、ゆーひさんのソラは、あんなことしません(笑)。

 や、脚本上の主人公記号さんならするだろうけど、ゆーひさんは違います(笑)。
 ゆーひくんにアテ書きしてたら、ああはならん。

 子どもなんか好き嫌い以前に興味もないクールかつ乾燥しまくりなソラさんが、すげー嘘くさいボランティア託児所経営。

 それだけでもありえなさ、画面のシュールさにウケまくったのに、さらに、トドメ。

 子どもに、好きな女の名前を付けて育ててる、とかゆーし。

 だから、脚本上の主人公記号さんならするだろう、男子向けラノベならこのラストだろう。
 しかし、相手はおーぞらゆーひだからっ。

 女の子に「ミウ」と名付けて育てている、という段階で、ダメっぷりMAX!!(笑)

 なんつーんだ、かわいこちゃん派遣OLに声もかけられないクール美形眼鏡エリート正社員男子が、家でこっそり子猫にその派遣さんの名前付けて育てている的な、ダメっぷりを感じて、爆笑した。
 ツボった。

 まとぶんとからんとむとかがソレやってたら微笑ましいけど、ゆーひさんがやってるとで、かえって面白いから。

 もー、ソラがいちいち残念キャラ過ぎて、ウケる(笑)。

 少年マンガぢゃないんだ、ゆーひさんは。少女マンガか耽美系なのよー。体育会系ではなく、バリバリの文系なのよ。
 男子脳で構成された世界観は、微妙に不協和音。
 
 その本質的な似合わなさと、表面的なビジュアルのハマりっぷりのギャップが、すげー面白い効果になっている。

 
 小柳タンは女性だけど、男子ヲタクハートを持った作家さん。男性だけど女子ヲタクハートを持った大野くんで、一度おーぞらさん主演作を見てみたいなあ。
 初日からドラマシティに駆けつけ、なんやかんやでジュンタンと並んで観劇。『シャングリラ-水之城-』、ええ、ふたりそろってまさこ登場に吹き出しました。

 つーのも開演前にみんなでプログラムを開いていて、いりす氏のスチール写真に食いつきまくっていたの。
 何故はっぴに蝶ネクタイ?! 実は旅館の婿養子で、鈴奈姐さん女将に尻に引かれていて、風呂掃除に三助もするし、宴会場で余興もやる……みたいな妄想が止まらなく展開されておりましてね。マジックを披露するも、タネを忘れて……みたいな。誰か止めろ(笑)。

 わたしの想像もアレだけど、実際のいりす氏ときたら、想像の斜め上を行く素敵衣装で。

 ときめきのあまり、大ウケしました。

 いやはや……まさこ素敵すぎる……(笑)。

 
 開演前のプログラム閲覧時、もっとも衝撃だったのは、もちろん言うまでもなく、ゆーひさんの美貌ですが。

 ナニあのビジュアル王っぷり! ありえねーわ。この世のモノではないわ。アニメ・ゲーヲタに見せびらかしたい自慢の美形サマだわ。

 予備知識はナイまま観劇。演目発表になったときにあらすじを読んで、あまりのラノベ臭さに眩暈がしたことしかおぼえてない。ええ、内容まではおぼえてません、登場人物の名前からして危険フラグ立ちまくっていたことぐらいしか(笑)。

 えー、ストーリーは、まさかの、記憶喪失モノ。
 はい、今までも何度となく語っている、ヲタク界でいうところのアホアホ設定(笑)。同人誌(素人の創作)の内容を判別する上で、このキーワードがあったら地雷、みたいな設定のこと。プライスカードに「記憶喪失ネタです☆」とか明記するレベルですよ。真面目な話だと誤解されないように、ネタ本だとわかるように。

 いや、描き手も読み手も、わかった上で「お約束」として記憶喪失ネタを遊び、楽しむ分には、都合の良い設定なんで、大昔から愛されている設定ですわ。
 ただ、ソレを大真面目に大上段に構えてやられちゃうと、相当恥ずかしいキモチになっちゃいますが……いやまあ、ヅカってもともと恥ずかしさをおもしろがる文化だし。
 アリだと思ってます。面白ければ。

 199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった。……という、日本一有名な(笑)フレーズからはじめたくなる、ナンチャッテ近未来。
 水が貴重品になっているため、水を管理している「シャングリラ」の王様がいちばんエライっつーことになっている、らしい。
 旅一座のミウ@すみかがうっかり拾った超絶美青年ソラ@ゆーひは記憶喪失で、彼は何故か旅一座の行方不明息子ラン@らんとむのネックレスを持っていた。
 ネックレスには「シャングリラで待つ」というメッセージ付きだったため、記憶を探すソラと、ランを探す一座のみんなは、一緒にシャングリラを目指すことになった。
 すべての謎はシャングリラに! ……てことなんだが、その謎っていうかええっと。

 ストーリー自体ははっきりいって、どうでもいいんだと思う。
 作者も別に、そこは気にしてナイんじゃね?
 目的は別にあって、その言い訳として、後付けにストーリーらしいものをでっちあげているだけで、ストーリーを見せる気はぜんぜんないんだと思う。
 アーティストのプロモーション映像みたいなもんで、物語があるっぽい雰囲気だけでOKっていうか。

 目的っていうのが。

 キャラと、ビジュアルを、楽しむこと。

 ポスター写真、プログラムのキャスト写真、そして舞台のオープニング。あーゆーのをやりたいがためだけに、あとは全部てきとーにでっちあげた。

 だからキャラ設定のお約束のみの記号っぷりとか、名前表記の日本語英語中国語めちゃくちゃ具合とか、ストーリーのトホホ具合とか、文化のありえなさとか、そんなこんなは「宙組ビジュアル軍団のプロモーション・ステージ」だと思えば納得じゃん?

 つっこむのは、野暮ってもんですよ。

 キャラとビジュアルを楽しむモノなんだから。ストーリーの粗とか、世界観の粗とか、作中で掲げているテーマの粗とか、考えちゃダメ(笑)。

 ゆーひさんをはじめとする、とんでもねー美形っぷりを堪能する。
 これも、タカラヅカだ。

 だがしかし。

 ひとつだけ、どーしても納得いかないことがある。
 ストーリーも世界観も作中で掲げているテーマも、どんだけアレでも気にしていない。この圧倒的ビジュアルの前には、そんなのどーでもいいと思う。

 こんだけビジュアル「だけ」で勝負している公演なのに、何故、みっちゃんがあの役なの?

 シャングリラの傀儡王・カイ。
 記号から察するに、絶世の美少年。盲目の天使。ちょっと白痴寄りっていうか、純粋過ぎて精神年齢10歳で止まってます系。

 すべてにおいて美しい『シャングリラ-水之城-』において、設定上のいちばんの美少年役が……ビジュアル、まちがいまくってます……。

 小柳タンはヲタクだと思うけど、腐女子ではないから。むしろ男子ヲタク的な感性をしている。アイスとカイの設定なんて、いかにも「腐女子ってこんなのが萌えなんだろ(笑)」とヲタク男子が書きそうだ(笑)。
 腐女子なら絶対みっちゃんにあの役はさせてないっ。なんでこの人はこう、いろんなところでハズすんだろう。
 自身の脳内記号に、かけはなれた生徒をあてがう。
 不細工設定のグラン・パとか、絶世の美少女吸血鬼アナベルとか、盲目の天使美少年カイとか。
 その生徒の魅力を発揮できる役は別にあるのに、似合わない役とカツラと衣装で「記号」に押し込める。

 みっちゃんはついこの間までメタボなおっさん演じてたんだよ……次が子役ってのはあんまりだろ……。
 カイは下級生の美形男役か、いっそ娘役に演じさせるべきだと思う。研12、今年研13にもなる大人の男が演じる役ぢゃない。演じていいのはコム姫くらいだ。

 ふつーにアイス@ともちんの役がみっちゃんでいいじゃん……大人の悪役やったら、絶対かっこいいのにー。
 や、ともちん演じるアイスは、ともちんスキーとして大好物だけど、みっちゃんの扱いがあんまり続きなので。
 みっちゃんがアイス役なら、ともちんは新キャラで、アイスLOVEな側近とか、ランLOVEなレジスタンスとかでいいじゃん。(ラヴってなきゃあかんのか。あかんのだ・笑)

 ボクちゃん喋りをしているみっちゃんが、歌い出すといきなりイイ声で、なよなよボクちゃんのみっちゃんが、踊り出すといきなりオトコマエなのが、惜しくて。もったいなくて。
 最初から、男役としてのみっちゃんの美しさ・オトコマエさを全開にする役じゃ、なんであかんかったんや、と。

 まあそれと、あのカイくんのビジュアルでは、対アイスでも対ソラでも萌えられない、という、個人的な都合もあります(笑)。

 とことん美しい舞台なのになー。
 『立樹遥トーク&ステージ「夢を追い続けること~障がいを乗り越えて~」』の、レポではなく、感想だらだら。

 歌のあとは「ふつーのOGトーク」になったわけだが、ここらの説明のなさもすごい。ヅカを知らない人は作品名・役名で語られてもなんのことかわからないと思います~~(笑)。

 トークの相方はしいちゃんの友人、ということで、人権関連の仕事をしているという素人さんだったのね。しいちゃんの舞台は見ていても、タカラヅカ自体にはあまり知識がなさそうだし、しいちゃんの舞台も近年のモノしか観ていなさそう。知り合ったのがそれほど前ではない印象を受けた。断言するが、絶対ヅカヲタぢゃない、あの人(笑)。
 お茶会の司会さんレベルか、それ以下の仕事っぷり。お茶会のように対象者が決まっていない催し、かつ、お茶会の司会さんより司会としてのキャリアがないことは一目瞭然、ものすごく緊張しているのがよくわかった。
 わたしたちファンはそれでもいいんだけど(ついていけるし!)、一般客に対してハラハラした、この仕切り悪さ。
 でもしいちゃんにまったくの敬愛や興味のないプロの司会さんではなく、気遣いのあるあたたかい素人さん、というのも、ファン目線ではぜんぜんOKなあたり、どーしよーもないなと(笑)。
 

 このトーク・イベントで、個人的にいちばん大きかったのは。

 しいちゃん自身の口から、退団を決めた時期と理由を聞けたこと。

 『ア ビヤント』のムラ茶会がわたしの最後のお茶会だったのだけど、そこでは退団についてはナニも触れない、なごやかなものだった。

 『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』でアンドレとアランを演じ、はじめて故郷で公演をした。
 故郷に錦を飾る、とはよく聞く言葉だが、ほんとーに地元で興行するってのは他とはまったくチガウのだと。
 それまでにない、最高級の充足・幸福感を得、退団を決意した、と。

 言葉にしなくても、真のファンには伝わっているのだと思う。いつ、退団を決めたのか。何故、退団するのか。
 だからきっと、特別言葉にはしないんだろう。
 全国ツアー追いかけていた人とかは、地元凱旋公演のしいちゃんを見て、思うところはあっただろうし。

 でもわたしみたいなぬるいファンには、今はじめて聞くことで。
 ああ、そうなのかと。

 どれほどの幸福感だったのか、それほどの幸福感だったのか、ただもお、しいちゃんがしあわせだと言うなら、それに勝ることはない。

 
 しいちゃんと言えば「笑顔」で「太陽」キャラ。
 本人もそれを望み、セルフ・コントロールしていた部分もあるのだろう。

 就学年齢以前という人恋しい時期に親から離れての闘病生活は、その後の人生を変化させるくらいの苦みがあったと思う。

 されど、幼い頃の闘病云々の話を知らなくても、たくさんの人がしいちゃんの笑顔に救われてきた。
 しいちゃんの笑顔は、とても「強い」からだ。

 ただのーてんきににこにこ明るいのではなく、そーゆー面もあるんだろうがそれだけではなく、なにかしら「越えてきた」ものがあるからだ。
 それがわかる、感じられる笑顔だから、わたしを含め、たくさんの人がしいちゃんに惹かれた。

 今、子どもの頃の話を聞いて「ええっ?!」と驚くよりも、「ああ、そうなんだ」とすとんと納得するのは、しいちゃんの笑顔の強さを知っているから。
 経験したつらさは、わたしみたいなぬるい人間がわかった気になっていいようなものではないだろう。わたしが知っているのは、今のしいちゃんの笑顔だ。その、強さだ。
 つらいことを乗り越えてさらにあの花園で輝き続けたのだと、言葉で語るまでもなくその笑顔が教えてくれる。

 太陽キャラのしいちゃんは、地上のわたしたちをまるっと照らし、にこにこ笑ってくれている。
 そして、ぐだぐだなトークをしてくれる(笑)。

 トークの合間、次に歌ってくれたのは「ひまわり」という曲らしい。「みなさんご存じないと思いますが」と言うなら、もっと曲について教えてくれてもいいのに、そのへんはなにしろデフォルトの仕切りの悪さで(笑)。

 そして、「ひとかけらの勇気」。
 えっ、伴奏の人、この曲弾いてくれるの、汎用性のないヅカ曲ですが?! と思ったら、コレのみ録音テープ伴奏でした。お稽古場の練習用テープみたいな(笑)。

 しかし、「ひとかけらの勇気」!!
 しいちゃんの、「ひとかけらの勇気」!!

 かっけーーっ!!

 男役度MAX! 素顔で歌うパーシー!
 ちょいロン毛なのがまた、似合ってるんですよ、イメージ合ってるんですよ!!

 や、パーシーである必要はない。
 デュハースト様が歌う「ひとかけらの勇気」でもいいんだ。彼が歌ったってなんの問題もないし、むしろ歌って欲しい。
 思い出がよみがえる。どんだけときめいたか、デュハースト様。

 
 今後の仕事とかちょろりと口にしているけれど、これまた前後左右のない、自分たちだけがわかっている系の話し方で。前回の横浜のトークショーの話とかしいちゃんのブログ読み込んでる人しか、なに言ってんのかわかんないって、とまたハラハラする(笑)。
 ヅカ司会でお馴染みの竹下さんとかだったら、しいちゃんが述語のないつぶやき系のことを言ったらすかさず、「**は、今度**で、**する、ということですよね」って万人にわかるよう解説してくれるんだろうな、と思った。
 まあ、ファンにはたぶん通じているから、解説なくていいのか。

 
 サプライズ?で、しいちゃんのサイン色紙プレゼントがあった。
 が。
 抽選するんだけど、抽選箱がないの。
 ちゃんと入口で整理券をもぎってもらっているのに、半券の入った抽選箱が出てくるわけじゃなくて。

 しいちゃんが、思いついた数字を言う。……これが、抽選。
 最初からそう決めていたというよりは、とても成り行きっぽい流れで。

 あ、新しい。新しいわっ!!(笑)

 ナニこのぐだぐだ感!!(笑)

 おかげでゾロ目とかキリ番ばっかなのよ、当選番号。
 わざとやっているわけじゃなくて、素で。思いつかないらしくて。

 わたしとサトリちゃんはいちいち客席で悶えてました。ぐだぐだな展開になるたびに、大ウケして。かわいいかわいいかわいいっ。
 いやあ、素敵すぎるの、立樹さん!

 
 最後はみんなで「世界に一つだけの花」を歌って終了。

 みんなみんな、世界にひとつだけの特別なオンリーワンだけど。
 だけど、どんな花も、太陽に向かって咲くんだよ。

 ねえ、しいちゃん。

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