『ロジェ』にて、ロジェ@水に絡むのが何故レア@みなこであるかの、勝手な考察。
 絡む、としか表記できないような、恋愛以前の微妙な関係なのは、なんなのか。
 

 ロジェは24年前から、成長していない。
 30過ぎてなお、幼い少年のメンタリティしか持たない。

 家族を殺された、それゆえに犯人シュミット@ヲヅキへの復讐以外は考えられない。

 ……ので。
 自分の狭い視野でしか、幼い思考でしか、モノを見られない、人を見られない。

 戦犯組織を追う調査員のレアに、勝手にシンパシーを感じて自分の事情を話す。
 レアがユダヤ人だから、迫害を受けた両親の復讐のために差別を受ける自分自身のために、元ナチスの連中を追っているのだと、決めつけている。

 たしかにレアも「感情は否定しない」と言った。
 彼女が危険なエージェントをやっているのは、ユダヤ人だからだろう。そうでなければ、若い女の子がナチスに興味を持ち、命懸けで闘ったりしないだろう。

 でもレアは、復讐者ではないんだ。

 組織に身を投じたきっかけが、自分がユダヤ人であり、迫害を受けた両親の心の傷を見て育ったことであったとしても、それは復讐心からではない。
 傷ついた人を目の当たりにして、傷つけた人間が逃げのびて「なにもなかったこと」にしている、この現状を「変だ」と言って、なにもなかったことにしないために逃げた者たちを追っているだけで。
 そこに感情はあるだろうけれど、それだけじゃない。
 彼女は私怨を義憤へ昇華している。

 「復讐」という言葉を使わないレアに、ロジェは簡単に「復讐か」と言い切る。決めつける。
 
 この、決めつけるロジェがなあ。
 すごくなさけないというか狭量というか、子どもなんだよなあ。

 オマエと一緒にするな。思わずツッコミ入れたくなる(笑)。

 現にロジェは自分の復讐しか興味がなく、ネタさえ仕入れたらあとは戦犯組織なんかどーでもよくなっている。戦犯組織を追うことを使命としているレアからすりゃ、「私の仕事を愚弄しないで」てなもんだと思うが。
 レアが人生と命を懸けて追っている戦犯組織を「どーでもいい」としておいて、レアに「復讐者同士のシンパシー」を感じるってのは、ひどい無神経さだ。相手が大切にしているモノを尊重できず、自分の大切なモノだけを押し付けるってのは。

 それでもレアには、ロジェを完全に否定はできないんだろう。「復讐か」と言われて否定しないように、義憤に昇華しているとはいえ、そこに私怨がないとは言い切れないから、潔白でない以上否定もできない。
 だからこそ、ロジェに惹かれるのかもな。と、思ったり。

 ロジェのいびつさは、レアにとって「ダークサイドに落ちた自分自身」じゃないか?
 こうはなりたくない、と思っている、間違った姿。自分も一歩間違ったら、ああなっていたかもしれない姿。
 自分の中にもあるだろう、ゆがんだ心。
 ダークサイド、こうはなりたくない……てのは、ある意味魅力があるもので。しかもそれが、めっちゃ男前で自分好みの男性だったりしたら、そりゃ惹かれるわなあ(笑)。
 
 レアがロジェに惹かれたのは、なにはともあれ絶対ビジュアルゆえだと思う(笑)。
 だってロジェ、すっげーハンサムだもん、いい男だもん。どんな鉄の女だってまずアンテナ立つって。
 んで、好みのいい男の前ではちょっとオシャレしてみたり、好感度アップな仕草や声色をしてみたり、なんつーんだ、女子の本能がまず動く。
 そしたら向こうは、似たような境遇を抱えていて。なんかシンパシー感じてくれてるようで。
 これって運命?! ……とよろこんでみたものの、実はそのいい男、とんでもないガキんちょだった、と。
 思っていたような大人のいい男ではなかったけれど、一旦好意を持ったあとでは引くに引けないし。思っていたのとちがっても、キライにはなれないし。

 子どもなだけで、根は善人。
 興味のない相手には優しくなれるように、ニュートラルな状態では善良。デフォルトいい人。
 ただそこに自分の利害が絡むと、自分優先になってしまうのは、子どもだから。社会ルールは後天的におぼえる知識、誰も彼に大人になるための教育をしなかった。自分と家族しかいない世界で生きるロジェは、対人関係を築けない。
 それでまあ、あんなことに。

 復讐に走るロジェは、レアにとって無視できない、放っておけない男だったろう。彼が美男子でなく恋愛対象でなくても、とりあえず、自身のダークサイドであれば、気になったろう。
 一歩間違えれば、嫌悪の対象かもな。「見たくない」「否定したい」モノを見せつける相手だから。
 でも幸か不幸かロジェは美男子で、どっちに振れてもおかしくない針は恋愛へ傾いた。

 ロジェとレアはひとつの事象の裏と表。だから対で描かれるのはわかる。
 そして、それゆえに恋(レア側のみ)がはじまるのも。

 ただ、問題は。

 この対での描かれ方だと、ロジェがかっこよくないです。

 狭い視野で復讐の虜になっている者と、広い視野で世界貢献している者。
 同じ傷を持ちながら、この対比では前者に分が悪い。

 あのー、正塚せんせ。
 ロジェとレア、逆にしても良かったんじゃ?
 狭量に復讐に囚われているレアに出会い、彼女の心を開かせようとするロジェ。同じ傷を持つからこそ、彼女の病みっぶりがわかるし、また痛々しくて、手を差し伸べずにいられない……そして、ロジェの昇華したはずの復讐心、心の奥の闇も動きだし、それとも葛藤する……てな。

 それならもちろん、レアが仇を殺せないのは、ロジェと出会い、彼を愛したから、ってことになる。復讐という檻から、ロジェによって解き放たれたから。
 って、ふーに、物語を展開させることが出来る。

 今のままの、24年前から成長していない子どものロジェ、を主人公にするなら、彼と対比するレアという存在は、出さない方が良かったんじゃあ……。
 きちんと傷を受け止めて、「大人」になったレアがいるんじゃ、「子ども」のままのロジェがなさけない……。

 レアがロジェに惹かれる気持ちはわかるけれど、今のロジェではレアを本当に理解することはできないね。
 だから、恋愛に発展しなかった。

 ほんとに、なんでヒロインがレアなんだろう? 分析しても、レアがヒロイン……主人公の恋愛相手となり得ないぞっと(笑)。
 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。
 『ロジェ』にて、地味におどろいたのが、杏奈ちゃんだ。

 美貌だけれど芝居は壊滅、わたしはその卓越した個性と破壊力に敬意を持って、ルーシーちゃんと呼んでいる、彼女。なんでルーシーかは何度も語ったので割愛。
 そのルーシーちゃんが、たくさん喋ってる。
 この役の少ない、主要人物以外台詞のない極端な芝居で、よりによってルーシーちゃんがたくさん喋っている。脇役の台詞量を円グラフにしたら、ルーシーちゃんがすごい割合を占めているんじゃないかってくらい、喋っている。
 ……何故……っ?!

 いやその、最初は「すごい、ルーシーちゃんなんか芝居がうまくなってる! 変じゃないわ」と思ったんだけど、なにしろ台詞が多いもんで、どんどんいつもの棒読みになっていって、最後はいつものルーシーちゃんに(笑)。
 あああ、変わってなかった……最初の方はかなりお稽古つけてもらってたんだわ……でも台詞が長いから保たなかったんだ……。

 そこはもう、期待を裏切らないルーシーちゃんに拍手!ってなもんなんだけど、よりによって何故彼女がこんな長台詞の役を? 大人の女が必要なら、ゆめみ姉さんでいいじゃんよー。
 で、ブエノスアイレスの通行人が杏奈ちゃんで良くね?

 見た目は完璧なんだけどなあ、杏奈ちゃん。真面目でヒステリックなエリート官僚、美貌が映えてかっこいい。……喋るといつものルーシーちゃん(笑)。

 
 女性キャラの出番が少ない……以前に、女いなくても良くね?な芝居。
 そんななか、ナニ気にモニーク@きゃびぃが美味しいなと。
 ……ええ、思い出すのはやはり『銀の狼』。あんときもきゃびぃ、いい役だったなと。正塚好みの娘役なのかな。

 きゃぴぃなあ、いい女になったよなあ。喪服の揃えた膝、落ち着いた喋り方、が、みょーにツボった。哀しみを堪え平静に話す姿に、知性を感じる。

 クリスティーヌ@圭子女史もまた、品のあるマダムで。正塚だから歌はなく、役としてわずか2場面に出るだけなんだけど、彼女の落ち着きと覚悟のキメ方が格好良く、娘のモニークとふたりして、「親子」だってことがよくわかる。

 いい家庭だったんだな。
 この奥さんと、この娘だよ。思慮深く謙虚で、そして潔い。
 このふたりを、守りたかったんだよな、ゲルハルト@にわさん……。

 
 レア@みなこちゃんの次に比重の高い女性キャラは、マリア@みみちゃんになるのかな。
 ……あの程度の出番で、次、になる、正塚せんせ女性キャラに興味なさ過ぎ。

 かわいくて深刻系の、リアルな芝居。
 メイド役のあゆちゃんがぽーんと浮かんでいるのと対照的。

 『マリポーサの花』のとき、素敵に棒読みテイストだったけど、あれはそーゆー演技だったのか、それともそこからうまくなったのか。
 や、『マリポサ』以降のバウヒロとか、ふつーにうまいと思って見ていたけれど。同じ演出家の作品で、鮮明さがぜんぜんチガウから。
 
 年若いきれいな女の子が、一途に慕っているからこそ、シュミット@ヲヅキの格も上がるよなと。
 キャラクタの価値を決めるのは地位でも財産でもなく、何行にも渡る台詞や華美な衣装(植爺価値)でもなく、「愛の在処」だよなあ。
 多くを語らなくても、真摯に生きている人から愛情と尊敬を抱かれている、その事実だけでキャラクタの格は上がる。

 「先生を撃たないで」もいいけれど、実はその後の「急患だから」と設備の整った病院の手配に爆走していくところが好き(笑)。

 
 さて、主人公ロジェひとりの物語である、この公演。
 出会う女性たちもみんな、彼の復讐の近辺にいる人たちなんだよね。
 復讐以外考えられないロジェは、それ以外のところでは誰にも出会っていないようだ。

 元ナチスSSのゲルハルト。顔を変え、ナチス時代のカネで実業家として成功、悠々自適の生活を送り、武器の密輸なんかもやっている悪人。
 戦犯組織を追うインターポールの刑事ロジェの憎むべき敵のひとり。

 ……なんだけど、ゲルハルトの死後、妻子に対しみょーに優しい。

 家族の仇を追うロジェは、それに関係している戦犯組織をすげー情熱で調べている。彼が家族を失ったのも戦争の混乱ゆえ、ナチス大嫌い!ってことか。
 端から見るとその情熱がいびつで、友人の刑事リオン@キムは「ユダヤ人でもないのに、そこまでナチス狩りに燃えるなんて?」と首を傾げる。

 だからゲルハルトの死後、喪服姿で事情を語るクリスティーヌとモニークの話をじっと聞いているロジェがこわかった。
 クリスとモニークに罪はない、でも戦犯組織を悪と情熱を持って憎んでいるロジェだから、死んだからといって元ナチス将校のゲルハルトを悼むキモチなんかないだろう、その妻子に対しても優しい気持ちは持てないだろう。
 尋問をリオンに任せて沈黙しているロジェのキモチを想像しては、暗い気持ちになっていたんだが。

 ロジェはゲルハルトに、なんの興味もなかった。
 拍子抜けするくらい。
 舞台の最初から、すげー勢いでゲルハルトを追いつめる話をしていたのに。
 ゲルハルトが憎むべき戦犯だとか、その罪で得た私財ゆえに妻子はのうのうと暮らしていたんだとか、そんなことはまるっと忘れている。

 仇であるシュミットの情報だけが大切で、あとはどーでもいー。だからクリスとモニークにも、「突然夫・父を亡くした気の毒な女性たち」として接する。「君たちが幸せに生きることが、亡くなったお父さんの望みだよ」なんて言っちゃう。ヲイヲイ、憎んでいた戦犯の望みだの幸せだのを叶えてどうするよ?

 ロジェは戦犯組織を追っているけれど、ほんとのところどーでもいいんだよね。
 シュミットがナチス関連の男だからナチスを憎んでいるだけで、もしシュミットが麻薬密売マフィア関連の男だったりしたら、麻薬だのマフィアだのを憎んでたんじゃね? で、ほんとのとこ、麻薬もマフィアもどーでもいい。シュミットにしか興味はない。

 それまでさんざん戦犯組織を悪として情熱を持って追っておきながら、シュミットの情報を得られた途端、態度ががらりと変わる。「戦犯? ナチス? なにソレ?」
 正直、キモチワルイです(笑)。
 クリスとモニークに、優しい態度で接するロジェが。今までの彼の言動からすれば、彼女たちに罪はないことがわかっていても、個人的な憎しみやこだわりが捨てきれずに垣間見えることになるだろーに。
 どーでもいいと思っているから、いきなり優しくなるなんて、すげー嫌な優しさだ。

 まあそれこそが、ロジェが24年前から成長してないゆえのゆがみなんだろうけど。
 
 唯一女の子に優しくしている場面がキモチワルイなんて、ひどいわ、演出家(笑)。
 で、まさかのヲヅキの美貌に驚き、それとは別に、ちぎくんの、正統派の美しさに感心する。

 『ロジェ』でのちぎくんの役は、殺し屋クラウス。
 えー、イッちゃってる系の人です。

 ちぎくん、痩せた?!

 と、まずそこから。
 もともと彼はふつーに細く美しい男役だったので、そこからさらに痩せるとは思ってなくて、頬の削げっぷりに驚いた。

 その鋭角さを増した美貌で、危険な男を演じる。……のは、記号として大変麗しいです。目の栄養です。
 そしてこのクラウスさん、冷酷な殺し屋なんだけど、クール……というよりは、うるさいキャラなので、型として演じやすい分大変なんだろうなと思った。

 ちぎくんには「本質的な狂気」は感じない。
 だからこそ、この物語とこのキャラクタには、ちぎくんの「演技としての狂気」が似合うのだろう。
 復讐モノという触れ込みだが、主演者のキャラクタゆえか、とても健全な物語、若者の成長譚になっている。この物語に、不健康な本物の狂気は必要ない。
 健康的な、安心できる、「イッちゃった殺し屋」がイイ。

 笑うところなのかちょっと悩むくらいの、わかりやすい狂気キャラで良かった。
 素直に、ちぎくんの美貌を堪能っす。
 

 この公演で退団するあずりんがどこに出ているのか、彼の顔のファンであるわたしは真面目にチェックしていたんだが、なにしろ正塚芝居なのできっと完璧モブ扱い、ライトももらえず闇に溶けているかもしれないと覚悟はしていた。

 ので、思ったよりはいい扱いだったんだと思う。
 タンゴも踊っていたし、群衆での立ち位置が真ん中寄りで、うまいこと主役のライトの外側にもぐり込んでたりしたし。

 文句を言うと罰が当たる、こんだけ役のない公演で、いちおー見せ場らしきものを与えてもらっているのだから。

 が。

 台詞、ナシですか……。

 総モブ扱いで、台詞はなかった、と思う。わたしが見逃していただけかもしれんが……って、台詞のある人自体、ほんと少ない芝居でな。

 ダンスだけならショーでもいいわけで、「男役」として声を出す、台詞を言うのは、タカラヅカの芝居の方でしかできないことで、最後の公演でその機会を与えられないと、もう彼の男役人生で男として台詞を言う、声を出す芝居をする機会は……っ。
 新公があるのが救いだが。それはわかってるんだが、新公は東西合わせて2回だけで。あああ。

 あずりんはなんだか、やわらかく、なっていたような気がした。
 ラインとか、表情とか。
 はじけるよーなエネルギッシュな青年ではなく、余白分までナニかしらキメようとしていたあの感じではなく、今あるものをゆったり愉しんでいるように見えた。
 台詞がナイので、モブとして出てきたり、踊ったりしているところを見ての印象なんだが。

 ああ、ほんとに辞めちゃうんだな、と思った。

 
 一方、そらくんはとてもそらくんなままだった。
 彼に関しては、モブに紛れて見つけられないかも、なんて心配は一切ナイ。そらくんはどこにいてもわかる。

 えー、刑事役と、モブと、両方やってるんだよね?
 彼のように目立つ人は、最初から最後まで万遍なく、役としてと、あちこちのモブと、両方出ていると混乱する。
 刑事さん、いつからタンゴダンサーに?!(笑)

 刑事はふつーにアクティブで賢そうに見えるし、タンゴダンサーはエロカッコイイ。芝居ができる人ではなかったが、佇まいの美しさは貴重。
 この美貌を、美しいダンスを、雪組は、タカラヅカは、失ってしまうのか……しょぼん。

 求められる美しさを、格好良さを、ダンスで見せつけてくれることに拍手。
 うん、もっともっと見せて。ブエノスアイレスでは名も無きモブのはずのキミが素敵すぎてびびるよ。

 
 役や台詞の有無はともかく、がおりくんは印象的だしかっこいいし、どーしたこったいれのくんが「かわいい」ではなくかっこよかった。なんかすごく大人の顔してた……やっぱあの顔好みだ……。

 そして、芝居が終わったあとに、あれ、わたしキング見てないわ、と気づく。
 ……どこにいました、あの人?

 たしかにキングも成長著しいとは言えない子だけれど、ヴィンセント役はせめて、キングとかせしるでやるべきだったのではないかと。
 これだけ役が少ない芝居で、メインどころに一目でわかるうまくない子がまざっていると、すごく目立つ……。実力かビジュアルか、どちらかがとても秀でているなら下級生抜擢もアリだけど、それ以前に悪目立ちさせるのは誰のためにもならないような。
 咲奈くんも新公でなら浮かないんだ。十分「うまいね」と言える子なんだ。でも、水しぇんと同等の芝居ができるわけないやん……彼の年輪をなんだと思っているの。ヴィンセントが悪目立ちしているのは、役者がというより、劇団の采配のせい。

 新人を鍛えるだけが目的なら、もっと役の多い芝居を書くべきですよ。メインどころはキャリアと実力のある人で固めて、それ以外の美味しいところで世界観を壊さずに活躍させてやろうよ。
 ……鍛えることが目的ではないことが、ショーの階段降りを見てわかったけどさー。そっか、もうすでにスター確定だから、実力学年関係なく、メインに絡む役やってんだー。昔のタニちゃんみたいに。

 咲奈くんのことは、劇団がこうする、ともう決めている……のなら、それが決まりならばそれでもいいから、彼が立場に相応しい実力とビジュアルを急激に備えてくれることを心から祈る。
 しかし実力を備えるために「新公主演独占」とか「バウ(WS)主演独占」とかゆーのは逆効果、むしろ専科さんとかの柄違いの役や、脇の辛抱役、かわいいだけで済まない役を適度に振るべきだと思うんだが、劇団は逆効果なことしかしないからなあ。
 と、未来まで勝手に考えて不安になるのは行き過ぎか。
 咲奈くんは歌唱力があり、ハートのあるお芝居をする子なので、彼の未来に期待するキモチはあるのですが、ただもう、劇団が育て方を間違えないでくれよという老婆心。
 正塚芝居だと、静止画が綺麗だからいいよね。
 『ラスト プレイ』のプログラムが、表紙デザインからして格好良かったので、今回の『ロジェ』にも期待していた。(演出家のセンスがアレだと、被写体ジェンヌがどんだけ美人でも、愉快なことになったりしますよ>『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』)

 いつもの立ち姿切り抜き写真ではなく、ドラマの一場面のような表紙だった。

 廃墟ビルのよーなところに立つロジェ@水しぇんと、それを少し離れて見つめるレア@みなこ。
 表紙と裏表紙が1枚の絵になっているところが、ニクい。カッコイイ。

 普段プログラムは買わないんだが、何故か雪組は買うことが多い。……ひとえに、水くんのビジュアル目当てだ。彼の顔が好きなの。
 特に今回は、最後の大劇場公演、中日でのお披露目公演時にそうしたように、記念の意味でも購入した。
 どーせ中身は読まないんだが、持っていたいから。

 
 サヨナラ公演である、ということは、わかっているようで、わかっていなかった。
 アタマが鈍化して、ちゃんと考えられない感じ。
 この舞台に、ゆみこやハマコはいないんだな、とぼんやり思う。

 あずりんの出番をチェックしなければ、と座席でプログラムをめくり、めんどーなので活字はその場で読まないにしろ、写真だけは全部順番に眺めて。

 がつんとキたのは、1枚の写真だ。

 HPの公演案内になっている写真。
 ロジェとレアが並んで歩いている姿。ぱっと見、「手つないでる?」って感じだけど、よく見るとつないでない、アレ。

 写真自体はHPとかで見たことあったけれど、それは小さく不鮮明だった。
 A4版でどーんっと掲載されているのを見て、知っている写真なのに、衝撃を受けた。

 まっすぐ前を見て歩くふたり。
 その、強い強い眼差し。
 小さな画像ではわからなかった、伝わらなかった、研ぎ澄まされた緊張感。削ぎ落とされた歩む道。

 これは芝居の中の扮装写真だけど、水くんとみなこちゃんにまんま重なって見えた。
 その美しさ。潔さ。

 ああ、行ってしまうんだ。
 ふたりとも。

 水しぇんはその務めを果たし、みなこちゃんはまだ若いのに、それでも水しぇんについて、揺るがない眼差しで、ふたりとも行ってしまうんだ。

 一気に、泣けた。

 まだ幕上がってません、人もまばらな客席で、プログラム開いてボロボロ泣いた。

 水しぇんとみなこちゃんが、あの強い眼差しのまま歩いてきて、わたしの前を通り過ぎていく、気がした。
 わたしには、彼らを止めることは出来ない。
 彼らには、彼らの道がある。だから目の前を通り過ぎる彼らに気づき、足を止めて「あ」と手を伸ばすだけで、それ以上はナニも出来ない。
 わたしが手を伸ばしたことも気づかず、気づく必要もなく、ふたりは去っていく。

 そんな感じ。そんな思いが、一気に押し寄せてきた。
 退団公演だって、知ってるのにね。わかってて来たのにね。
 今さら、「行ってしまうんだ」とか、ナニ言ってんだわたし。

 
 『ロジェ』は、隅から隅まで正塚らしい作品で。
 ライトが物理的に暗くて、見るからに低予算制作で、でも『虞美人』や『TRAFALGAR』のように、「お金無かったんだね……」としょんぼりしたりせずに済む、チープシック(笑)な画面で。
 またしてもブエノスアイレスで、タンゴで。

 とりあえず、水くんがとてもかっこいい。
 男役として、美しい。

 作品的には文句もツッコミもかなりあるんだが、それでもこれは「水夏希」のために書き下ろされた作品だとわかる。
 復讐のためだけに生きる男が主人公でありながら、漂う生真面目さ、魂の健康さ。
 そうか、水夏希にアテ書きすると、復讐モノもこうなるんだ。
 それが愉快であり、ちょっと残念でもあり。

 根っこはベニートやアレンなんだな。
 レイでもネロでもなくて。

 でも、そのベニートやアレンな持ち味の人が、レイやネロを演じることが出来た……出来る、その役者としての寛さを、正塚せんせは買ってくれていたのかな、と、勝手に思った。

 役はないけれど、タンゴなどを象徴的に使い、『マリポーサの花』よりは観やすい作品になっていると思う。『マリポサ』は少人数でただ会話するだけの場面、多すぎたよ。大劇場で上演したのは失敗だったと、今でも思っている。……が、わたしは『マリポーサの花』が好きだ(笑)。
 『ロジェ』より『マリポサ』を好きだと思うけれど、『ロジェ』もこれから好きになるから無問題。正塚せんせとは基本気が合うので、いろんなものを勝手に読みとって楽しめるのですよ。

 泣いても笑っても、コレが最後なら。
 まっすぐ、見つめよう。プログラムのロジェとレアみたいに。

 愛しい人たちの、進む道を。 
 シュミット役が誰なのかは、チェックしていなかった。

 開演前にプログラムを開いてやったことは、『ロジェ』の「あずりんの出番を探す」ことだ。……正塚ですから! あずりん、どこにいるかわかんないって絶対! という危機感から、ソレだけをした。
 退団者に優しくない正塚晴彦。あずりんごとき無名の下級生に、出番もライトも台詞も、与えてくれるわけがない。ライトの当たらない暗がりとか、帽子を目深にかぶって顔見えませんなモブから、自力で探さなきゃ!

 役のついていないあずりんなので、探すのは名前の束。ひとりずつ行間を空けてある配役にはまったく目をやらなかった。この役の少ない芝居で、わざわざ役がついている人ってのは、配役だの出番だのチェックしなくても、舞台で顔見ればわかる。

 だから芝居の最初の場にすでに出てくる、シュミットさんが誰なのかは未確認のままだった。

 スクリーン越しのシルエットで惨劇を表現、主人公ロジェ@水くんの家族の仇・シュミットは、名前ばかりがやたら連呼される。

 誰がどの役をやっているか知らないから、消去法だ。
 あ、ナガさん出てきた。じゃ、チガウや。
 にわにわ出てきた。じゃ、チガウや。

 まさか、ちぎ? と思ったけれど、ちぎくんも出てきた。だから、チガウ。

 名前だけは繰り返されるけれど、本人が登場しないシュミットさん。
 役回りからなんとなくヲヅキだろうなと察しは付けているけれど、消去法で確信となる。もう他にできる人いないや。

 ロジェがどう考えても30代。シュミットはそれより20は確実に上。つか、ナチスでそれなりの立場のある人だったわけだから、へたすりゃ30くらい上かも。

 ヲヅキ、じじい役?
 出来んことはないだろうが、そんなヲヅキを見たいかというと……うーん。

 それにしても、出てこない。
 いい加減、出てこないとヤバくね?ってくらい経っても、出てこない。
 アルバイトもしてなかったと思うんだが……見かけなかった。

 『ロシアン・ブルー』のときも、ヲヅキがなかなか出てこなくて不安になったが、アレをはるかに超えている。芝居最初のシルエットは、最初過ぎてそこにシュミット本人がいるかどうかまで判別していないし。
 せめてオープニングに出してやるとかすりゃ、いいのに。いやその、今回のオープニングは見事にみんな帽子姿でモブな人たちは顔見えなかったんだけど。

 いらん心配をいろいろしながら、舞台ではさあついに、ご都合主義満載(しっ!)に、ロジェは宿敵シュミットにたどり着いた!!

 診療所から出てくるジャケットなしのスーツ男。個人経営のもぐりの医者ならネクタイ締めてる必要はないだろうに、きっちり背広ネクタイ。しかもベスト付き。
 よかった、よーやくヲツキ登場だ、とその顔を見た途端。

 ヲヅキが、美形だ。

 どーんっ、と、後ろアタマをはたかれました。
 ななななんなのあの美しいヒゲ男はっ?!
 年齢の高い役であることもあり、ヲヅキはヒゲ付きでした。や、これも予想していた、水しぇんの父親くらいの年齢の役なら、ヒゲないとまずいっしょー。
 ヒゲは想定内。だから別に、そこに驚いたワケじゃない。

 ヒゲは口髭だけじゃなく、潔くぐるりとアゴ一周。大人だし、また、なかなかにワイルドかつ、ダンディ。

 悪役、宿敵、のはずなのに。

 なんかとっても、たおやかで、儚げ。
 ぶっちゃけ、すげー受くさかった……(笑)。

 あ、あれ?
 ヲヅキだよね? あれってどっから見ても完璧にヲヅキだよね?
 ヲヅキでおっさん(あるいは初老)役なのに、美しいってナニ?! ぜんぜん現役じゃんあの人、現に美少女ナース@みみちゃんが惚れ込んでるっぽいし。

 てゆーか。

 その美しく、儚げなヲヅキさんを見るなり、わたしはすーーっと納得しました。腑に落ちました。

 シュミットって、ヒロインだったんだ。

 どーりでなー。
 ロジェ、名前呼び過ぎ。夢中過ぎ。
 もう一度会いたくて、探してたんだ。いろんな意味で。

 でもって悪辣非道の冷血漢であるはずのシュミットさん、めっちゃいい人だし。
 ますます上がる、ヒロイン度。

 撃とうとして撃てないロジェ、抵抗しないシュミット。
 なんかもお、恋に落ちるしかないよーなシチュエーション。

 しかもシュミットさん、ロジェの大事な家族@まやさんをてきぱき手当てして、命救っちゃったりするし。
 なんかすげー胸キュンなエピソード目白押しですよ?! これで憎が愛に変わっても、誰も文句言わないんじゃ?!みたいな。

 
 まあ、冗談はさておき。

 シュミット@ヲヅキが、ものごっつー美形でびびりました。
 ヲヅキは雰囲気でいい男になれることは太鼓判だけど、ほんとに顔だけで美形かというと、ええっと、ちょっといろいろ丸すぎるかなと個人的には思っていたんだ。
 それが今回、ヒゲが引き締め効果を発動しているのか、なんの遜色なく美形で。
 あの枯れた儚げな風情といい、漂ういい人オーラといい、好みど真ん中だ。

 うろたえるほど出番はないが、それでもとても大きな、重要な役だ。
 いい男だわ。

 
 芝居の最後、解脱したロジェは何故か街のみなさんに見送られて旅立っていく。
 その中にヲヅキもいるわけなんだが。

 ……ヒゲがないっ。うきゃー。
 なんでヒゲなし? あそこ別人? いいじゃん、シュミット先生が見送ったって。

 「ファンの人たちに、ヒゲのないヲヅキを見せてあげよう」という、演出家の配慮? ……いらんっ、そんな気配りはいらんのだっ、それなら前半、ヒゲ無しでタンゴのひとつも踊らせろ~~。

 
 ともかく。芝居のヲヅキがめちゃ美形でしたよ、ということで。

 初日のわたしの某所でのつぶやきに対し、「オヅキどーでした?」とだけコメントしてきた、ヲヅキファンのチェリさんへ(笑)。
 正塚せんせって、コマのこと気に入ってるよね?

 と思った、『ロジェ』初日。

 マキシム@コマはバシュレ@まやさんと共にコメディ担当。ギャグを言うのではなく、会話のテンポで笑わせる系。空気が読めないゆえに、自分が笑われていることにも気づいていない真面目で鈍くさい男子。

 『マリポーサの花』でもこのコンビだったよね、コマとまやさん。台詞は一定、アドリブなしで、それでもテンポと空気感だけで笑わせるという。
 気に入られているからこそ、こーゆー役が引き続き回ってくるんだと思う。が。
「それって、みわっちが正塚に気に入られていてファンがうれしいかどうか、ってのと同じ感じの気に入られ方じゃない?」
 と、『マリポーサの花』を数十回観劇した友人が真顔で言っていた、のに、心から同意(笑)。
 みわさんも正塚のお気に入りだと思うけど、ファンがうれしいよーな気に入り方かどうか……。たしかにオイシイ扱いなんだけど、まともな二枚目役をちっともやらせてもらえない、変な役ばかり、てのは、なかなか。

 でも、かわいい。

 ロジェを救えるのは、いっそこーゆー男かもしれない、と思う。

 ロジェに対して湿度と温度のある人々の中、ひとりだけまっったくあっけらかんと接している、空気読めない男。ロジェがどんだけ深刻ぶってもまっったく気づきもしない察しもしない男。
 これくらいどーでもいい距離感の存在の方が、ロジェも気を使わないしマキシムも気を使わない(そもそも使えない)し、双方負担なく一緒にいられるんじゃね?

 人間、ほんっとーに「ひとりになってはいけない」ときがあるじゃん。
 本人はひとりになりたい、と思っても、客観的に見て、今ひとりにしたらまずい、みたいなとき。

 ふつーの人は本人の意思を尊重してひとりにしちゃったり、純粋に雰囲気コワイから遠ざかったりするもんだけど、マキシムなら大丈夫!
 あの男は気づきもせずに、「おなかすきましたねー。晩ごはん、どうします?」とか横でどーでもいい話をしてくれるよ。腹を立ててよそへ行こうとしても、「あれ、どこ行くんですか。ごはん食べに? ボクもつれてってくださいよー」てなふーに、ふつーについて来るよ(笑)。

 まあこの『ロジェ』では、「ひとりにしてくれ」と言うロジェに、レア@みなこちゃんが強引にまとわりついてますが。彼女もがんばっていたけど、あれがいいやり方だったのかよくわかんない。
 だってレア、女の子だから。ムカついても殴れないじゃん? そんなことしたらロジェ、余計苦悩するし。
 精神状態ぴりぴりでぎりぎりのロジェに必要だったのは、癒すことが出来る存在か、あるいは悪い方向へ走り出さないためのブレーキになれる存在。
 虞美人みたいな聖女は現実にはいないから、ここで癒しの女神は登場しない。じゃあせめてブレーキを……てなもんだが、レアはブレーキを掛けるだけでなく、さらに負担までかけている、気がする。や、そうすることしかできなくて、すっごく一生懸命なレアちゃんはけなげだし、正しいことだけするのが人間じゃないし。

 マキシムだったらとりあえず、殴ってもOKじゃん?(ひどい)

「ねえねえ、ナニ食べるんですかー。僕、ガイドブック持ってるんですよ、ほら、そこの店、ここに載って……」
 とかなんとか、空気読まないまま勝手について来て勝手に喋っているマキシムを、堪忍袋の緒が切れたロジェが一発ぶん殴る。
 吹っ飛んだマキシムはそれでもわけわかんなくて「ナニすんですかー」とか言いながら、それでもついて来る。
「いい加減にしないと殴るぞ!」「もう殴ってるじゃないですか」「ついて来るな!」「おなかすいてるから、怒りっぽいんですよ、あの店入りましょう」……噛み合わない会話が平気で続き、結局ロジェが折れる。だって彼、根が善良だから。
 加えて、怒鳴ったり殴ったりしているうちに、発散できたのね。
 
 いいなあ。マキシム×ロジェ。(かけ算はやめなさい。つかロジェさん右?!)

 勝手な妄想会話はさておき、水とコマと正塚とゆーと、『銀の狼』を思い出します。
 バチスタ@コマのために手を汚すレイ@水の関係を、これまた勝手に妄想したなあ、当時。
 や、カップリングではなく(笑)、親子なんじゃないかと。レイがバチスタのためにそこまでするのは、ただの仲間なんじゃなく、息子なんじゃないかと……当のバチスタはなにも知らない、レイも父だと名乗るつもりはない、だけどバチスタのためならなんでもする……みたいな決意は胸にある。という関係を、勝手に夢見た。

 というのも、バチスタを演じるコマくんがあまりうまくなくて……学年相応だったんだけど、大人で囲まれた舞台なので、役に対するコマの足りなさが目に付いた。
 芝居が足りていないゆえに、卑小なキャラクタに見え、「こんな子のために、すべての悲劇が起こったのか」と思うとやりきれなかった。この程度の若者を仲間として重用する、レイの格が下がるっちゅーかね。もっとマシな相手と組めなかったの?と。
 だからそこに、理由が欲しかった。こんな小物を仲間にしているのは、この子が生き別れの息子だからだ。名乗れないけれど、見守りたくて手元に置いているんだ。

 あの当時からすれば、コマくんほんと、芝居うまくなったなああ。
 『銀の狼』では、『ロジェ』でいうところのヴィンセント@咲奈くん的な感じで浮いていたもの。「あ、メインキャラになんかひとり若手が混ざってる」とわかる系で。……さすがに、今の咲奈くんほど外見も芝居も悪目立ちしてなかったとは思うが、まあ、ニュアンス的にあんな感じ。(咲奈くんは学年ほんと下だから仕方ない)

 あの「若手だ」とわかるレベルの芝居をしていた子が、今ではまやさんとふたりしてテンポだけで笑いを取ってるよ……親子に見えた水しぇんと同僚やってるよ……。じーん……。

 
 ロジェは自分で勝手に苦悩して、自分で勝手に悟り開いちゃってるよーにも見えるんだが(笑)、クライマックスの深刻いちばん場面に、あの天然マキシムを放り込んでみたいと思いますよ。
 どんな化学反応があるのか。

 テンポ命の、研ぎ澄まされた会話劇になるかも? マキシムの天然さは、ナニ気に高度な呼吸を必要としているし、もちろんソレは相方にも求められるし。
 水しぇんのナチュラル&リアルな芝居でこそ、ソレを見てみたかったかも。(やってることは、「超真剣な場面で、マッキーがコケて捻挫しちゃいました☆」系のことであったとしてもだ・笑)
 いわゆる「恋愛」にする気がなかったんだろう、レア@みなことの関係。

 『ロジェ』の、ロジェ@水くんの物語において。
 心を閉ざしている……というか、成長の止まっているロジェくん的には、レアのよーなわかりにくい女の子のモーションは、受け入れられなかったんだろう。

 レアは使命に燃えたキャリア・ウーマン。命の危険すらある仕事に就く女性。
 多分、恋愛とか、チャラいことは苦手。自分から男に言い寄るなんて、したことがないし、したいとも思ったことがなかったんだろう。

 だからものすげー不器用さで、がんばっている。
 服を変えてみたり、自分からダンスに誘ってみたり。一緒に帰ると言ってみたり。

 ……わかってやれよ、ロジェ!(笑)

 わかりやすい恋愛にしたくなかった、作者のこだわりなのかもしれないが、それにしてもラヴが薄すぎて……ぶっちゃけロジェが他人を愛していなさすぎて、ヒロインのはずのレアが気の毒だ。
 『Practical Joke』の檀ちゃんを思い出した。主人公が重い過去を抱えていて、恋愛する気はない、オマエに興味はない、ぶっちゃけ迷惑だ、と言い続けているのに、勝手にまとわりついてきて、ひとりになりたいっつっても部屋まで押しかけたり、立ち聞きしたり密告したりストーカーしたり、きーきーヒステリー起こしていた、すごい扱いのヒロイン。
 あの話も、「退団する真琴つばさを格好良く描くコトだけを考えた」とか、ゆってましたっけ、ハリー……。

 まともに恋愛を描く気がないときのヒロインって、そーゆー扱いになるの?
 女の方が勝手に主人公を愛している。愛しているのは向こうだから、勝手に主人公に関わろうとする。すべてが「勝手に」であるため、本筋に関係はない。いなくても支障はない。口説かなくても媚びなくても、女に一方的に愛されるわけだから、主人公はモテるってことで、男としての格が上がる?

 物語においてのキャラの重要度は、「本筋への絡み方」と「主人公の意識」によって決まる。
 このキャラクタがいなければ本筋が立ちゆかない、という重要キャラと、それとは別次元で、主人公が深く意識している(愛でも憎でも)ゆえの重要キャラがある。
 ヒロインという役割ならば、せめてどちらかの意味で重要な位置に配置しないと、意味がない。

 レアは本筋的にはいなくてもいいし、ロジェにも愛されていないため、ヒロインとしての役目を持ってないんだよねえ。

 ロジェがいちばん強く想っているのはシュミット@ヲヅキで、次がバシュレ@まやさんで、あとはその他大勢、だもんなあ。

 ……なんだけど、はたして作者は気づいているんだろうか。
 レアとの関係を、あれで「恋愛」だと思って書いているんだろうか。ベッタベタな恋愛以外の、わかる人にはわかる恋愛だと?

 わかりにくい、とわたしが思うのは、同じような境遇ゆえに心惹かれる、というネタが苦手なせいもあるかな。
 わたしは「同じ立場だから愛する」っての、好きじゃないんですよ。
 某植爺は「同じ立場でないと愛せない」と思い込んでいるよーで、原作を改悪してでも「アナタの姿に、ひとりぼっちの自分を重ねていたのです」だの「平民だけど、実は親が貴族という境遇が同じだから」だの「同じ貴族同士」だの、無理から「同じ」にして、「だから愛した」と結論をつける。
 「自分と同じだから愛した」と繰り返す植爺は、裏を返せば、自分と同じ世界、同じ価値観以外は認めない。違っていたら、愛せない、理解できない。と言っているよーなもので。
 人間はひとりずつ違って当たり前、同じでなければ愛せないなんて、悲しいじゃないですか。
 で、ほんとうに似た魂を持っている者同士が惹かれ合った、とわかるならいいけど、見てもわからないのに勝手に「私たちは似ている」と言われると「えええっ、そうなんですか?」と置いて行かれてしまう。(某『TRAFALGAR』とか・笑)

 同じ境遇だからって、それだけを理由にされてもなあ。もちろん、それゆえに惹かれる場合があるのは理解しているが、「同じであること」を、「これさえあれば、すべての不条理・理不尽・説明不足・描写不足・ご都合主義に理由を付けられる」と免罪符にされてもこまる。

 正塚作品なので、台詞の行間を読むべくこちらの集中力も上がっており、ロジェとレアのやりとりや心の動きにいちいち注目しているし、また彼らが細かい芝居をしていることもわかるんだが、それは大劇向きの表現じゃない。
 あの大きな空間で、キャストと客にナニを求めているんだ、ハリー。

 もう少しなんとかならんかったんかい、と正塚せんせに物申したいキモチはあるにせよ、レアがきーきーヒスる女でなくてよかったっす。
 あの落ち着いた声、佇まいで、不器用にモーション掛けている感じが、いじらしいっす。
 いつか、ラヴラヴにタンゴを踊れる日が来るといいね……って、そんな途方もない未来を夢見るより、もっと別の男探した方が効率的ですよ、と言いたくなるけど(笑)。
 ロジェがあまりにも、「これから」過ぎる男なので。初恋もきっとこれからなんだよ、あの男。30過ぎてるくせに(笑)。

 しかし、レア。
 服の趣味だけは、なんとかした方がイイ。鉄の女のときはふつうなのに、ロジェに惹かれてオンナゴコロゆえに服のテイストを女子っぽい方向へ変えてきた、その勝負服のセンスが悪すぎる(笑)。
 気合いが入ってオシャレをすると、下品なおばさん風の服を着てしまう、てのは、たしかに恋愛慣れしていない女の子っぽくて、微笑ましいけど。
 ロジェって、あーゆー服の女の子は好みじゃない気がする。清楚系の方が良くないか?
 それとロジェって多分、制服着てると見分けがつかなくなるタイプだと思う(笑)。メイドもナースも、コス系全部同じに見えて可愛いもナニもない、職業で把握するのみで個別認識できない、興味もない。それは救いかな、かわいいあゆちゃんもみみちゃんも目に入ってないみたいだし。
 ……がんばれ。レア(笑)。
 不思議な光景だ。

 電車の釣り広告に、贔屓の名前がある。
 「MISS 2010年 8月号」に、「未涼亜希」の名前があるんですよ。

 「今、宝塚がアツイ!」という特集、第3回目は花組、つーことで、まとぶん、えりたん、みわっち、まっつ、まぁくんという顔ぶれが載っている。

 なんか、しみじみと、不思議だ。

 電車の中に、まっつの名前があるなんて。

 
 なにしろまっつなので、一般の電車に広告されるような一般雑誌に載ることは、ほとんどナイのですよ。
 ヅカとか演劇とか、もともと関心のある人しか見ない・手にも取らない雑誌ではない、まったく畑違いの情報媒体に、載ること。
 過去にはあったのかもしれないが、わたしがファンになってからは、一度もない。……多分。

 わたしが2004年から買い続けている某雑誌はタカラヅカのページがあるんだが、2010年の6月現在まで78回の掲載枠があったにもかかわらず、まっつは一度も載っていない。まとぶん、壮くん、みわっちは3回以上載ってるし、めおちゃんも載ってるけどな。組は違うけど似たような立場かも?な人たち(番手ではなく番目で呼ばれる人たち)も、複数回載っていたりするけどな。
 でも、まっつは載っていない。
 ヅカ雑誌以外に掲載されるジェンヌは、雑誌側からの指名ではなく、劇団から選ばれていることが多い。そりゃそーだ、雑誌側は「宝塚歌劇団」というブランドを求めて取材依頼をするのであって、個々の商品に興味はない。
 だからブランド側が、「売りたい」と思っている商品……生徒をピックアップするのは当然。
 貴重な宣伝機会を劇団が無駄にするよーな人選はしないだろう……ってことで、売る必要のないまっつが選ばれないのは、わかっていた。
 毎年制作発表(とか、囲み取材)が行われていた『宝塚巴里祭』に主演してなお、まっつのときだけ会見ナシにされたくらい、「売る必要はない」と劇団に烙印を押されている人ですから(笑)。

 それがもお「当たり前」になっていたので、ここで外部の雑誌掲載にもぐり込んでいることが、とても不思議、新鮮な驚きなんですよ。

 「花組」という枠でなにかしら掲載されるときは、5年前からずーっとみわっちまでだったはず。メンバーがこの5年間どう替わって、退団だの組替えだの、出たり入ったりしていても、みわっちまで。
 他組がどう変わろうと、花組では、なにかあれば、それはみわっちまで。劇団発売のポストカードが物語るよーに(笑)。←花組だけ、何年も男役のポスカは新規メンバー投入なしっす。

 みわっちが最終ラインだというより、まっつがストッパーになっているんだとは、思ってますがね……遠い目。

 ストッパーだったはずなのに、前回からプログラムにインタビュー載せてもらったりして、わずかに変化があったわけなんだが、外部雑誌にも混ぜてもらえるとは、思ってなかった。
 
 素直に、ただ、うれしい。

 みわっち以上の人たちは、外部雑誌の取材も今までにいくらでも受けているし、何度も掲載されている。
 また、まぁくんはこれからいくらでもこういう機会に恵まれるだろう。

 でもまっつは、ぶっちゃけ最初で最後かもしんないしっ。や、わたしが知らないだけで最初ではないのかもしれないが、最後かもしんないのは変わらないしっ。

 車内広告に感動して、思わず写真撮ろうかと思ったよ……。
 携帯のカメラなんぞで撮っても、肝心の名前が読める精度で写らないだろうと思い、考え直したけれど。

 
 ほとんどの人がなんの興味もなく、目にも留めないとしても。
 一般の広告にまっつの名前がある、その事実に感動して、電車に乗るたびに感慨深く眺めているのですよ。

 
 え。
 肝心の、雑誌記事についてですか?

 まっつはまっつでした。
 相変わらず、表情の少ない人だ……。「歌劇」や「GRAPH」と同じ、どのポートレートでも同じ顔してるっすよ……(笑)。
 実はいちばん引っかかったのが、リオン@キムの台詞だ。

「どうして俺に話したんだ?!」

 『ロジェ』初日観劇、「復讐」連呼で、ドシリアスでダークな物語っぽく作ってあるわりに、大人になれない少年の心の旅路モノで、ウケた。

 先日欄で語ったが、主人公のロジェ@水しぇんは誰も愛していない……誰ともまともに関わり合えない、未成熟な精神の男だった。

 正塚作品お約束の友情場面……銀橋でロジェとリオンのじゃれているよーな歌が1曲あったりするんだが、ほんとのとこロジェはリオンのことを大して好きじゃない。興味もない。
 復讐に必要だから、便利だから、つきあっているだけ。
 表面上のつきあいであり、こんなのは友人とも友情とも呼ばない。
 銀橋でじゃれ合って1曲歌えば「友情シーン」だなんて、とんでもないっす。

 むしろ、心を開いても預けてもいない相手と、「定番の友情表現」をされると、心寒いっす。

 ロジェは会ったばかりのレア@みなこには、自分の過去をべらべら喋る。同じよーな境遇だからってことらしい。
 が、長年のつきあいらしいリオンには、なにも言わない。リオンはロジェが何故、戦犯探しに必死なのか知らずにいる。

 暴走するロジェに振り回されて、リオンが声を上げても、ロジェはお構いなし。ほんっとーに、心から、リオンのことはどーでもいいんだろう。

 ロジェのリオンへの仕打ちや、仲間であるヴィンセント@咲奈くんへの物言いとかを見ていると、どんどんいやなキモチになる。

 ロジェが大切なのは、自分とその家族だけ。
 あとは全部表面上のつきあい、利用しているだけ。

 いや、それはいいんだ。
 復讐のため、心を病んだ男なら、他人全部利用していても不思議じゃない。

 ただ、こんだけ愛のない男なのに、「友情」「仲間」が存在しているような描き方をされていることが、引っかかった。
 作者自身が、気づいてないんじゃないのか、自分の描いたロジェという男の造形が壊れていることに?

 やたらと「復讐」で「汚れたオレ」を強調する、苦悩ソングを歌ったりするロジェ。
 本当に、言葉だけで書かれている「復讐だけに生きる男」なら、仲間を使い捨ててもいいんだが、言葉でどんだけ悪ぶって深刻ぶっても、実際に目の前にいるロジェは生真面目な人情家で、正義の人だ。
 このまっすぐな男が、リオンやヴィンセントを利用しているだけってのは、おかしい。違和感。

 脚本で強調されているモノと、実際に見えるモノの乖離っぷり。
 それが気持ち悪かった。

 もっとふつーに、ロジェがリオンを好きだとわかるように、なんで描かないんだ? ヴィンセントが仲間だとわかる描き方をしないんだ?
 利用して、振り回しているところしかないなんて。なのに、友情ぶって、仲間ぶって、キモチワルイ。

 その腑に落ちなさが、ブエノスアイレスのホテルでの、ロジェとリオンの会話で解消されるんだ。

 それまでリオンにはなにも知らせていなかったロジェ。
 仇と追ってきたシュミット@ヲヅキの居場所を突き止め、殺しに行こうとするまさにそのときに、リオンに事情を話す。

 話したら、止められるに決まってるのに。

「どうして俺に話したんだ?!」
「どうしてだろうな」

 リオンは刑事だ。私怨による復讐、殺人を認めるはずがない。
 案の定リオンは猛反対し、そんなリオンをロジェは手錠で椅子につないで出て行く。

 ロジェにとって復讐がすべてで、シュミットを殺すことが出来ればあとはどうなってもいいと、多分もう死んでもイイと思って、出て行っている。
 リオンに会うのは、これが最後。

 だから、おそらく。

 知っておいて、欲しかったんだ。
 リオンに。
 自分が何故、ひとりの医師を殺したのかを。それによって死んだのかを。
 自分のクチではもう、語ることが出来ないだろう、その真実を。
 ……別に自殺するつもりはなかったろうから、死ぬと限ったわけじゃなかろーが、それくらいの覚悟だった。

 または、止めて欲しかった、のかもしれない。
 復讐なんて間違ってる、やめろ、と。

 それでも、ロジェは行くんだけど。

 ここではじめて。

 あ、なんだ、ロジェ、リオンのことちゃんと好きだったんだ。と、思った。

 でもそれまでの場面はあまりにも、愛がなかった。興味もなかった。お笑い担当のマキシム@コマと変わらない温度感でしかなかった。

 好意があっても、アレだったのか。
 まともに友人関係築けない人だったのか。
 つか、自分の気持ちに気づいてなくね?

 とわかると、キモチワルイと思っていた部分にひとつずつ、説明が付くようになった。

 真面目すぎて、復讐以外考えられない、対人関係構築以前の子どもなんじゃん。
 好きとか興味とか、自分では理解できないんだ。

 24年前から、心の成長が止まってしまってるんだ。

 だからレア相手も、あんなだし。
 彼女がしきりにモーション掛けてるのに、ぜんっぜんわかってないし。

 なにもかもが、これからだ。
 ロジェはようやく、「他人」を見ることができるようになったんだ。
 今までのような「自分」と「家族」というせまい世界ではなく、世の中に一歩を踏み出したんだ。

 
 そう思って見れば、それまでの「興味ない」「表面だけの友人面」も、かわいらしく、また切なく思える。
 本当は好きなのに、あるいは好きになるはずなのに、こんなふうにしか接することが出来ない、「自分」と「家族」以外の社会単位を知らない幼児なんだ、と。

 新たに一歩、大人の階段を上ったロジェ。彼の人生はこれからだ。
 てゆーか、これからこそを見せてくれ。

 そう思うからこそ、「成長しました」でみんなに見送られて旅立つロジェに、「ちょっと待った!」と思いました(笑)。

 成長して、どう踏み出すのか、せめてもうちょい見せてくれよ。
 ダメ男のMr.YUがチェンジボックスでエキサイターに変身した、そこでエンドマークはあんまりだ、変身してみんなをあっと言わせるまで描いてくれ! と、思ったように。

 どうしたもんかな、と幕間は溜息ついたよ、ハリー(笑)。

 正塚せんせが描いたつもりのものと、わたしが見たモノはチガウってだけかもしれないけれど。
 Happy Birthday まっつ!

 昨日も今日も雨、さすがは水しぇんの公演中だわ(笑)。
 雪組公演の感想が途中ですが、まっつの誕生日なので、今日は花組の話。

 わたしがブログをリアルタイム更新できずにいるうちに、集合日になり退団者と配役が発表になり、新公の主な配役が発表になり、人物相関図が発表になり、いろいろと反応したいことだらけだったわけですが。
 

 ちあきさん退団とモバタカメールを見たとき、「ミセスファットがいちばんの餞別、さらにパワーアップとかはやめてくれよ、フジイくん」と痛切に思いました。
 『EXCITER!!』のMr.YU場面に登場する、おでぶなおばさん。アレを餞別にするのは、マメに痴漢役をやらせるのと同じくらい、アレな感覚ですよ……もっとチガウ、良い場面と役を頼みます、マジで。
 

 『麗しのサブリナ』配役は、ストーリーテラー@みわっち以外、名前羅列を見てもなにがなんやらわからず。
 とくに反応もできずにいたが、人物相関図が発表されたおかげで、よーやくポジショニングがわかった。

 ウィリス@まっつって、秘書なのか!

 しかも、マカードル@いちかとペアで。

 ……すみません、男女ペアの秘書で速攻脳裏に浮かんだモノは、アンソニー様@『Paradise Prince』の秘書シャルル@ともちとヴィクトリア@まちゃみ!
 アンソニー様@らんとむの寵愛をめぐって対立する、美しき秘書たち……性別的には男女ペアだが、嗜好的には女子ふたりだったという。

 いやその、それはナイと思いますが、あれくらいキャラ付けしてくれたらいいのになあ。
 まっつにヲカマをやってほしいとは思ってませんが(笑)。

 
 新公の主な配役は、久々にPCに向かって叫んだ(笑)。

 あきらだと?!! なんじゃそりゃーー?!!

 いやその、あきら好きなのでうれしいんですが、正直彼が新公主演できる立場だと(立場?)思ってなかったのでノーマークでした、はい。
 つか、前回の2番手でも?マークだったのに、どーしたこったい。

 どーせまた誰のためにもならないひとりっ子政策を何年もする気なんだろう、と最近の人事にあきらめ気味だったので、光明を見た思いです。

 ただ瀬戸くんは野郎度の高いハッタリ系な人なので、オシャレな恋愛コメディがどこまでハマるかは未知数だよなあ。まゆくんと主演逆だったらよかったのに、と思ってみたり。
 新公は勉強の場だから、持ち味関係なくなんでもやるのが当然だけど、スカステだのネットだので情報が瞬時に行き渡りそれが事実として刷り込まれてしまう昨今、主演の子はたまたま持ち味とチガウ役をやってうまくいかなかった場合、負のレッテルを簡単に貼られちゃうからなー。
 実際に観劇した人だけが実力を知り、成長をじっくり見守る、という時代ではないんだもんなあ。

 なんにせよ、全組通して不遇な90期男役に主演が回ってくることがうれしいっす。
 そして単純に、いっぱい出番のある瀬戸くんを見るのがたのしみだ。主役っていいよねえ、いっぱい出番がある、いっぱい見られる。
 彼の体型が好みなんですよ。新公学年にしてちゃんと「男役」のスタイルになっているのがイイ。どの組であっても、まるまるぷくぷくのオンナノコが男装して甲高い声で喋る新公は、苦手なんすよ、あくまでも、わたしは。原石なんだとしても、もう少しカタチになってから主演して欲しいと思ってしまうナリ。
   
 あきら主演に浮かれるのと同時に。
 なんでアーサーぢゃないのおおおっ?! という、残念なキモチもある。
 アーサーって新公主演にあらゆる意味で向いてると、わたしは勝手に思っている。や、わたしが勝手に。
 なんでアーサーに新公させないんだろ、と、その昔、なんで南海まりに新公ヒロさせないんだろ、と思っていたように、思っていますよ。
 あきらとアーサーで1回ずつ主演してほしかったんだよ……しょぼん。

 ストーリーテラー@アーサーは、なんか濃そうでわくわくしますが(笑)。

 みりおんヒロインもうれしい。
 実力と美貌を兼ね備えた新人ちゃんの、華々しい抜擢ですな。わくわくっ。

 
 まあ、なんやかんや言って、贔屓組公演は全部まるっと楽しみです。
 そして。

 今、いちばんの興味は。

 まっつの黒髪記録がどうなるのか? だったりします。

 2007年はじめの『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』から、すでに丸3年半黒髪という、ジェンヌにあるまじき記録を持つまつださんが、このままどこまで行くのか、あっさり記録はここで途絶えてしまうのか。
 とても興味深いです。

 もうまっつ=黒とイメージできるっぽいから、そのまま行くとイイよ、と思ってしまいますが。
 本人的にはどうなんでしょう?
 予備知識は入れていない。
 が、復讐モノだと聞いた。実際、幼い頃に家族を殺され、その復讐のためだけに生きる男の物語だった。

 水夏希退団公演『ロジェ』初日観劇。

 正塚晴彦が、水夏希のために書き下ろした新作。ハードボイルド、男役の集大成、水夏希をかっこよく見せることに焦点を合わせた作品……。

 スーツ姿の水しぇんが、めちゃくちゃかっこいいっす。それはたしか。太鼓判。

 でも、キャラとストーリーは(笑)。

 いやはや。

 ほんっとに、水しぇんアテ書き作品だった。

 復讐モノですよ。ドシリアスですよ。「あの男をこの手で殺すために今日まで生きてきた。復讐のためならどんなことでもする」系の話ですよ。
 なのに。

 主人公ロジェ@水くんは、めちゃくちゃ真面目な常識人だった。

 ふつー復讐モノっつったらだ、暗黒街に身を沈めたり、さんざん手を汚し、目的のためには手段を選ばず、暗く歪んでたりするもんだと思うんだ。

 なのにロジェくんが選んだ道は。

「悪いヤツに復讐するために、ボクはおまわりさんになるっ!!」

 ナニその健全な思考回路?!(笑)

 ……正確には、インターポールの刑事なんですけどね。外人部隊→情報部→ICPOだそうです。
 非合法組織で手段選ばず、ではなく、あくまでも正攻法にお上のもとで犯人探し。
 理不尽に大切な人を殺された過去により、なんかとっても「悪を憎む、正義の人」として開花。お役所仕事しかしないエライさんと熱血にぶつかってみたり。

 ドシリアスな復讐モノって聞いて、殺し屋とかダークサイドの水しぇんを想像していたわたしが浅はかだった、そーだよ、水先輩にアテ書きしてあるんだ、同じ復讐モノでも殺し屋だのマフィアだののわけないじゃん。ズバリ、公務員モノですよ(笑)。

 
 第二次世界大戦終息間際、とある家族が殺された。ひとり生き残ったロジェは、育ての親のバシュレ@まやさんと共に、犯人の男シュミット@ヲヅキを追っている。
 家族殺害から24年経っているそうな。ロジェさんいくつだろう……30代? そのわりに思考回路はかなり若い。
 もともと富豪なのかな、かわいいメイドさん@あゆちゃんのいるお屋敷に住んでいる。マメ知識・ロジェさんの朝食は大変豪華。きっと昼食も夕食も、豪華だと思われる。
 そんなにお金持ちなら、お金の力で闇社会に働きかけて、犯人探しすればいいのに……と思わないでもないが、アツいはぁとを持つロジェはそっち方面には行かない。彼は正義の刑事なのだ。
 復讐相手は戦犯絡みだってことで、ロジェはナチス関係者を追っている。その過程で、戦犯逃亡組織を追う特殊機関の調査員レア@みなこと出会うが……まあ、ぶっちゃけどーでもいい感じ? ついでに、その過程でパリ市警の刑事リオン@キムと協力したりするんだけど、ぶっちゃけどーでもいい感じ?

 真面目なロジェさんは、ひとつのことしか考えられないんだ。

 「犯人のシュミットを見つける!」と決めて24年。どうも、他のことは考えられないらしい。
 女にも興味ないし、友だちもいらないらしい。
 レアはロジェに会ってからなんか服装のテイストが変わったり、どうも彼を意識しているようなんだけど、ロジェ、気にしてないし。
 リオンはロジェのこと好きみたいだけど、ロジェは仕事上のつきあい以上の興味を、リオンにはまったく持っていないようだし。

 ロジェが愛してるのって、家族代わりのまやさんだけ?!(役名で言いましょう)

 真面目で熱血一直線。目的のためにがむしゃら。基本的にいい人。人情家。……でも、誰のことも好きじゃない。

 ……熱烈に恋愛している水しぇんとか、友情めらめらな水先輩が見たかった、り、したんだが。それは『マリポーサの花』でもうやったから、今回はあえてスルーしたのかな。
 しかし、最後まで恋愛ナシ、友情ナシですか。

 舞台はいきなりブエノスアイレス(笑)。や、予備知識ナシなので、いきなりブエノスアイレスと言われ、吹き出した。またしてもブエノスアイレスか! ハリー!!(笑)

 ロジェの人捜しはとんとん拍子で進んで、無事に宿敵シュミット発見!
 どんだけ悪人だ!と思っていたシュミット医師は実はめっちゃいい人で、ついでにヒゲが素敵なナイスミドルで、かわいい看護師@みみちゃんが「先生を撃たないで!(涙)」とかゆってるし。
 復讐することだけを目的に生きてきたロジェさんですが……えーと、ネタバレにもならんよな、みんな最初からわかって観てるよな、悪人に復讐するためにおまわりさんになる思考回路の健全少年ですよ、もちろん、撃てませんとも。

 家族を殺した犯人に復讐する、というのは、ロジェ少年の24年来の「夢」だったんです。
 健全でまっすぐなロジェさんですから、それは鎖とか檻とかですらなく、「夢」というプラス方向のモノだったんです。身を汚したりせず、正義の刑事やってるわけですから。
 30代になってよーやく彼は、子どもの頃の夢に決着をつけ、新しい人生を送る決意をしたのでした。

 ……てことで、最後はなんかやたら前向きっつーか、キラキラさわやかなキャスト全員のお見送りソング。
 旅立つロジェを祝福するがごとく。

 
 とまあ、ほんっとーにひとりの男の物語で、ロジェの復讐の起承転結しか、描かれていない。
 恋愛は? 友情は?

 真面目で融通きかないもんで「オレは復讐に生きるっ」と思い込んだら最後、他にナニも考えられなくなっちゃって、そのままうっかり24年過ごしちゃったピュアボーイ(30過ぎてるけど)。
 「他のこと考えていいんだよ」となったラストシーンからはじめて、周囲をちゃんと見回したっぽい。

 彼が恋愛するのも、親友を得るのも、すべてはこれから。

 ……って、芝居終わっちゃいましたけどっ? 正塚先生、続編はどこで書く気ですか??

 レアのことも、ちゃんと考えたら好意を持てた、のかもしれない。いや、わたしにはよくわかんなかったが、実は好きだったのかも、しれない。正塚的にはあれで恋愛を描いたつもりなのかもしれない。(せんせ、ちょっとそこ坐ってください、恋愛とヒロインの描き方について語り明かしましょう)
 リオンのことは、実はけっこー好きなのかもしれない。でも現時点でロジェは気づいてない。

 ふたりとの関係は、あくまでも「これから」だ。
 今のままじゃ、なにも「無い」。
 ロジェはあまりに自分のことしか考えてない。幼い子どもが自分の都合しか考えられないように。

 彼はまだ、社会生活をまともに送れていない。「他人」と関わることが出来ていない。彼の精神世界には、「自分」と「家族(死んだ家族と、育ての親のまやさん)」しかない。
 小学校で学ぶ人間関係を得られていないまま、30過ぎてしまったらしい。
 家族が殺されたときの年齢で、止まってしまっているのかもしれない。
 「夢」だけに一途に、まっすぐに。生真面目に、堅物に。

 そんな状態の男……就学以前の幼児が、ランドセル背負って「家族以外の、はじめての社会」に足を踏み出す、それがラストシーン。

 タカラヅカという時の止まった花園を卒業する人には、ある意味相応しいネタなのかもしれないが。

 水しぇんにアテ書きして、こんな「自分探し」「男の子の成長物語」を描く正塚すげえな。

 少年のまま30男やってるロジェがかわいいっつーか、そのくせ表面的には「復讐を胸に、ヨゴレタオトナになったこのオレ」的格好付けに満ち満ちていて(笑)、いろいろツボですとも。
ただ一度の主演。@新人公演『バッカスと呼ばれた男』
 新人公演『バッカスと呼ばれた男』は、いろんな意味で興味深かった。
 脚本本来のキャラクタ配置の妙を見せてくれたことと。

 そしてもうひとつ。

 未来優希、新公主演。ということと。

 ハマコはその実力ゆえに目立つポジションで活躍してきた子だけれど、「路線」として扱われたことはなかった。脇の実力者、別格スターとして花開くのだと、誰も疑っていなかった。
 また、「新人公演主演」というのは今よりさらに特別なことで、将来トップスターになる可能性が強い人しかできなかった。
 組内の番手は明確で、中堅~下級生まで、ナンバリングできた。
 新公主演は複数回が当たり前で、新公学年を卒業すれば順当にバウ主演が回ってきて、番手のある若手スターとなっていく、ピラミッドがとてもわかりやすくなっていた。

 そんな風潮の中、路線扱いをされたことのない「実力者」が主演する。
 周囲のヅカ友たちが一斉に色めき立ったのをおぼえている。「ありえない」ことだと。「相当めずらしい事件」だと。
 普段は新公見ない子まで、みんな新公に駆けつけたもんなー。これは、見ておかなければならない、と。

 今なら「とりあえず1回主演させておこう」とか「新公主演したって、別に路線じゃないよね」てな感じだけど。
 当時はソレ、なかったし。
 
 ハマコは「微妙路線だけど、他に適任者もいないからとりあえず今回だけ主演させとこう」というカテゴリの人じゃなかった。
 「トップ路線」ではない。あきらかに。はじめから。

 だけど。
 あまりもの実力ゆえに、一度主役をさせよう、と、判断された……んじゃないかな、と思う新公主演だった。

 また聞きだけど、初舞台の『ブロードウェイ・ボーイズ』において、演出・振付のトミー・チューン氏が「センターはこの子以外ありえない」と主張し、譲らなかったせいで、初舞台生ロケットがハマコ中心の謎の並びになったとか。
 飛び抜けた「才能」は、既存のルールを覆すのだという見本のような人、それがハマコ。

 それゆえの、まさかの新人公演主役。

 ハマコにとっての一度きりの新公主演、という意味だけじゃない。
 以来12年、干支がひとまわりしたけれど、ハマコと同じカテゴリでの新公主演はまだ見たことがないんだ。

 新公主演するのは、「将来のスター候補」「“劇団”が、スターにしたい思っている子」「とりあえず回ってきたかな、ま、やらせておくのも良いんじゃね?」あたりの子たちだ。(マギーの新公主演は、Wトップ作品だったゆえ、だと思っている。単独と言い切れる作品ならさせてないだろう)

 ただ一度。例外中の例外。

 ハマコは、枠外過ぎる。

 『バッカスと呼ばれた男』ジュリアン役のハマコは、マジでうまかった。ふつーに「真ん中」にはまっていた。

 わたしは当時の感想を、こう書き記している。

 …この人がセンターに立つ人じゃないというのが、不思議なカンジ。だってここまでうまいんだよ? 今すぐ主役でもいいくらい。
 でも、それと同じくらいに、思った。
 ああこの人は、センターに立つべきではない。
 うまいけど、安定しているけど…チガウ。タカラヅカのトップスターは、こうじゃない。
 何十年か前なら、よかったかもしれないけれど。


 字を大きくしてあるのも、当時の記述のまま。
 ハマコはすごい、ハマコはうまい、ハマコは大好きだ……でも、「真ん中」はチガウ。
 真ん中もぜんぜんOKな実力と存在感だけど……でも、チガウ。

 チガウ、ことが切なくもあり、そして、愛しくもある。

 それが「タカラヅカ」という、特別な世界。「タカラヅカ」の素晴らしさ。
 そして、その「タカラヅカ」に、納得して残ってくれているハマコのありがたさ。

 ある意味、ハマコはわたしにとっての「タカラヅカ」そのものなんだな。

 
 と、今ごろになって何故こんな大昔の作品についていろいろ語っているか。
 ブログにUPしたのは時間経ってからだけど、もとのテキストはだいぶ前からちょこちょこミニパソに書き溜めてあった。ゆみこちゃんで「思い出す」場面の記事と同じように。

 水しぇんのサヨナラ公演『ロジェ』『ロック・オン!』が、はじまる前に。

 ゆみこもハマコもいない雪組を観るのだ、という、心の準備のために。

 
 ちなみに。
 上記の、『バッカスと呼ばれた男』新公の当時の感想文は、こう続いている。

…でも、主演オメデト、見たかったし、見れてよかった、センターに立つハマコちゃん。
 君のことはずっと好きでいるよ。
 この、正しいジュリアンを、おぼえておくよ。

 『バッカスと呼ばれた男』には、大劇版と1000days版と全ツ版と3種類あった。それぞれ改稿され、脚本からして別物だった。
 が、それともうひとつ。

 新人公演『バッカスと呼ばれた男』があった。

 こちらは改稿はされていないんだが、なにしろ新人公演なのでキャストがチガウ……のはとーぜんだが、キャラクタ配置が別物だったんだ。

 役者のことを考えず、脚本だけで見れば。

・元銃士隊隊長ジュリアン……清廉潔白な武人、つってもおフランスなので華やかな美形。自分の存在が王妃や国のためにならないと判断、身分を捨てて出奔。
・吟遊詩人ミッシェル……ロン毛の美青年。耽美コスプレまかせろ。主人公が武人なので、それと正反対の調子のいい優男。
・宰相マザラン……美形悪役。政治的にも、恋愛的にも、ジュリアンを敵視している。
・盗賊マンドラン……濃いめの色男。トリックスター。ジュリアンに惚れ込み、協力する。
・使者ラズロ……純真無垢な青年。愛する祖国のため、姫君のため、命を懸ける。

 てなキャラクタなわけですよ。

 しかし本公演では、この通りのキャラクタには見えなかった。
 ジュリアン@トドロキはたしかに無骨さもある美形なんだけど、どこか、胡散臭い。
 ミッシェル@タータンのロン毛の耽美コスプレはなんの罰ゲーム?!状態だし、マザラン@コウちゃんに美しさを求めるわけにも……。
 マンドランとラズロはいいとしても、上から3人がキャラ違いすぎて、落ち着きが悪いったら。

 それが、新公では。
 脚本通りのキャラクタになっていたんですよ!!

 ジュリアン@ハマコの包容力。
 おフランス的に美しい……かどうかはともかく(笑)、彼がデキる男であり、人望篤い隊長だったとわかる。人間的な魅力で周囲をまとめて来たんだ。
 子どもたちから「おじさん」呼ばわりが違和感のない、だけど少年の心を持った大人の男。

 そしてそして、なんつっても。

 ミッシェル@レアちゃんの、美貌!!

 ロン毛OK! 耽美OK! つか、「吟遊詩人」っつったらこうでしょ、コレでしょ!!
 金髪がまぶしい、ケーハクな吟遊詩人、プレイボーイの美青年。
 ジュリアンが骨太なおっさんである分、ミッシェルが若い美青年なのがまた眼福なコントラスト。

 花組育ちの、キラッキラのダンサー、蘭香レア。その美貌と華と存在感は、たしかに雪組にはナイもので。
 そのキャラクタが一気に花開いた感。

 一方的にジュリアンになつき、最後は愛の告白をするのに相応しい、キラキラした美形でした。

 でもって。

 マザラン@しいちゃんの、美形悪役ぶり!

 枢機卿の赤が似合う、眦の上がった美貌の悪役。長身に衣装が映え、大きな眼が台詞以上の心情を語る。
 前回の新公主演者が、脇の抑え役にまわるのは賛成。一度真ん中を務めた人の華と実力は、いぶし銀的配置にもっとも映える。

 これだけの色男なら、そりゃアンヌ王妃@まひるちゃんも恋に落ちるわ、と納得。

 太陽のしいちゃん、唯一の悪役。いや、正確には、唯一、成功した悪役。
 当時はまだ悪役が出来たんだねえ……。学年と共にキャラクタが確立していくと、いい人過ぎて悪役が出来なくなっていった……(笑)。

 この3人のバランスが、神。

 「ヒーロー物」として見たかったキャラ配置。
 包容力と男らしさの主人公、キラキラ美形優男の相棒、ダークな色男の悪役。

 痛快活劇『バッカスと呼ばれた男』なら、これが正しいキャラクタなんじゃないの?!

 いやその、雪組の当時のトップから3番手までの相性が良くなかった、ってことなんだけどね。個々の魅力を相殺する並びだったんだ。
 新専科制度で、2・3番手の顔ぶれが変わった途端、雪組のキラキラ度っつーか美貌度が一気に上がったしなー。(トド、ブン、ワタル、コム、ナルセ、かしげ……ってナニその美形尽くし←『パッサージュ』の顔ぶれ)

 『バッカスと呼ばれた男』新人公演は、いろんな意味で興味深かった。
 番手制度であんなことになっていたけれど、脚本本来のキャラクタはこうだよな、という感慨と。

 そしてもうひとつ。

 未来優希、新公主演。ということと。

 
 翌日欄へ続く。 
 『バッカスと呼ばれた男』ってつまり、こーゆー話だよね? という話、その2。

 リクヴィール侯国の危機を救わんと、ジュリアンは立ち上がる……! わけだが、その理由って。

 ラズロだよね?

 ラズロに一目惚れしたから、縁もゆかりもない国を助けるために命を懸けるんだよね。
 王妃に想いを掛けられ、逃げ出した男、ジュリアン。つまり彼は、もともと女に興味がないんだ。それより美青年が好きなんだ。

 自由人なジュリアンは、恋を楽しむことを知る男。両想いになることには、あまり興味がない。ラズロには相思相愛の恋人シャルロッテ@みりちゃんがいるけれど、キニシナイ。
 ラズロは従僕、シャルロッテは姫君。ふたりの国、リクヴィール侯国を「バッカスの聖戦」で救い、そのどさくさで、身分違いのふたりの恋を実らせるキューピット役までやっちゃうのさ。
 そして彼は歌う、「シアワセになるのは、私でなくともいい」(主題歌だ!)。

 ホモにはホモがわかるのだろう。

 ジュリアンの周囲には、彼をひそかに(?)愛する男たちがいた。

 ひとりは盗賊マンドラン@トウコ。
 本公演バージョンではジュリアンがラズロを救出するついでに助けてしまったひとり。どうもジュリアンに一目惚れ(笑)したらしいんだけど、なにしろ彼はツンデレ。

 「一緒に行かないか」と誘われたのに、「やなこった」と断る。一緒に行きたいのは見え見えなのに。
 「オレの帰りを待ってくれている女を泣かしたくないんでね」なんて心にもないことを言ってみるのは、さらに誘いの言葉を待っているため。
 もう一声誘ってくれたら、「仕方ないわね、そんなに言うなら一緒に行ってあげるわよ。でもカンチガイしないでよね、アンタが頼むから、仕方なく、一緒に行くんだからねっ」と、つなげるはずだったのに。
 ああら大変、「アンタ、あたしのことが好きだったの?!」とカンチガイした女が現れる始末。マンドランが「しまった!」と思ってもあとの祭り、今さら「ほんとはジュリアン、アンタと一緒に行きたいんだ」とは言えず、「オレが必要なときはいつでも言ってくれ!」と精一杯の譲歩。なんて不器用なツンデレ様。

 強く誘ってもらえなかったのに、地獄耳の情報網で、ジュリアンの動向にはアンテナを立てていた模様。「バッカスの聖戦」でお声が掛かったときの、うれしそうなカオ。「待ってました!」とヒーローソングまで歌って大活躍。

 全ツ版では、ジュリアンのことを最初から大好きな、「仲間」として登場。
 ツンデレではなく、わっかりやすいジュリアン・ラヴのストーカー(笑)。何故それを知っている? 何故そこに現れる?的に、ジュリアンのためだけにうっれしそーに活躍する男となる(笑)。

 どっちのバージョンにしろ、ジュリアンの役に立ちたかったんだね……一緒に行きたかったんだね……なのに、ジュリアンは。
 ラズロの恋を実らせ、リクヴィール侯国を救ったあとは、お祭り騒ぎの中をこっそり去っていくのさ。あわれマンドラン、置き去りさ(笑)。

 そして、もうひとりのホモ男。
 吟遊詩人ミッシェル@タータン。
 ツンデレ・マンドランのライバルキャラ(笑)だからもちろん、正反対の男。自分の気持ちに正直に、ジュリアンへ熱烈アピール!!
 出会った瞬間から、とにかくジュリアン大好き、惚れたぜベイベな言動全開。ロン毛でひらひら衣装のタータンにラヴられるって、すごいなヲイ。
 でもジュリアン様、面食いだから、ミッシェルの過度なモーションを全スルー。
 いやその、タータンが似合う役っつーの別にあるんですよ、オールバックにダブルのスーツとか、烏帽子の公達とか。中世おフランスの耽美キャラのタータン、ってなんの罰ゲームなの、谷せんせ。

 どんだけジュリアンがスルーしても、はしこいミッシェルはめげない・見逃さない。
 「バッカスの聖戦」が成功し、お祭り騒ぎの中ひとり立ち去るジュリアンを見つけ、あとを追ってくる。
 で、調子のイイこの男はちゃっかりジュリアンに告白。
「オマエのそんな生き方が好きだ」
 ……谷せんせ、マジか。男同士の告白シーンを、大劇場でやりましたよまったく。

 まあ、ジュリアンはそれをあーーっさりかわしちゃうんだけどね。世慣れてるもん。
 それでもめげないミッシェル。今まで一度も話題にしたことのない恋愛話をすっげー唐突に振る。
「人の仲立ちばかりして、自分はどうなんだ、恋してるのか?」

「してるさ、壮絶な恋をね」

 ジュリアンは、振り向きもせずに言う。……ついさっき、恋が実って幸せそうな、ラズロの笑顔を見たばかりさ。

 そーやって旅立ったジュリアンが向かう先は、すべての元凶たる王妃のもと。
 や、あの女に釘刺しておかないと、いろいろまずいでしょう。ニュアンスだの空気だのは読んでくれないので、ちゃんと「別れ」ておかないと、あとあとコワイって。
 大丈夫、彼女にはマザラン宰相@コウちゃんがいるから、これからもやっていけるよ。

 こーして、放浪の神バッカスのように、自由なシャンソニエ・ジュリアンは旅を続けるのでした。
 めでたしめでたし。

 
 可哀想なのは、なんといっても独り相撲の盗賊マンドランでしょう。
 ジュリアンのためにあんなにあんなにがんばったのに、置き去りにされて……。

 本公演版でも、「そのうち地獄耳を活かしてジュリアンの消息を突き止めるだろうな」と思ったんだけど。
 ナチュラルに愛のストーカーと化していた全ツ版では、「この世に残らぬ愛もある~~♪」と王妃と別れたジュリアンがふと顔を上げたら、そこの角にマンドランがいて、「よっ、偶然だなっ」と、手を振ってそうだ(でも、全力疾走してきたのか、息が切れている)。と、思った……。

 がんばれ、マンドラン。

 ……って、トド×コムでトウコ×トドな話でしたわ……(笑)。←トウコが攻なのか(笑)。
 年寄りの昔話、数日前の続き。

 じゃあ『バッカスと呼ばれた男』って、どんな話だったか。

 当時の谷先生作品にありがちだった、女不要、男たちだけの愛憎劇でした。

 「英雄」がダイスキで「皆殺し」が大好きな谷せんせ。
 英雄主人公のために、彼を愛した男たちがばったばった死んでいくのがお約束。女はお飾り、出てくるだけで人格ナシ。作者が描きたいのは「男が惚れる男」なので、女は「主人公を愛している」という記号だけ。主人公は台詞でだけ愛を語るが、他の言動見てりゃわかる、彼はとりたてて女は愛さない。

 このステキな作風の谷せんせの、充実爆走していたころの作品です(笑)。
 
 ただ『バッカスと呼ばれた男』は痛快活劇なので、人は死なない。皆殺しの谷だけど、『アナジ』とその焼き直しの『春櫻賦』で無意味な皆殺しネタはやりまくっちゃったんで、『バッカス』はあえて「誰も死なない戦争」を描く。(その直後のかしげバウで好きなだけ「皆殺し」やってるので、気分は晴れているだろうし・笑)

 だからえーと、腐女子視点語りをはじめますが、そもそも谷作品って女不要の世界観だから。ついそーゆーことになっちゃうのよ、とゆーことでご理解ヨロシク(笑)。

 大貴族ジュリアン@トドはフランス銃士隊隊長で、身分からも地位からも当時のフランス政府の要人だった。幼い国王ルイ14世にもなつかれ、国王に代わって国政を執る王妃(正確には大后、ルイ14世の母)アンヌ@グンちゃんにも頼りにされていた。
 だが彼は突然すべてを捨てて王宮を出てしまう。

 これは、アンヌと愛し合ってしまったせい、だと脚本上は語られている。
 国を治めるべき王妃と許されない愛をかわしている場合ではない、フランスのため王妃自身のために、身を引くしかない。
 そう考えたのだと。

 まあ、そういうことにして、楽しむことも出来る。
 でも大后アンヌ・ドートリッシュって、宰相マザランとデキちゃって公私混同上等だった人でしょう? ジュリアンが身を引かなくても、そもそもそーゆー女性なわけで。
 
 だから。
 ジュリアンは、王妃の恋から逃げるために王宮を出たのだと思いました。

 女社長にパワハラ&セクハラされたら、会社辞めて逃げ出すしかないじゃん? 立場的に、どーしよーもない。
 女社長(バツイチ子持ち)にことあるごとに迫られてる、なんて他の人には相談できないし、公になれば会社的にも醜聞だし。
 女社長には仕方なくイイ顔はしているけれど、別に彼女のことなんとも思ってないし。ただコドモ好きなんで、彼女の息子のことは本気でかわいいと思ってるけど、だからって「新しいお父さんよ、ほほほ」なんて勝手に言われても困るし! オレがいつアンタと結婚するって言ったよ?!
 誰にも真実は告げず、身をくらますしかない。

 てことだと、思いましたよ、わたしは(笑)。

 でも愛国心と幼いルイ14世には愛情を持っているジュリアンは、王妃が好戦的な血も涙もない「戦争上等! 勝ったモノが正義!」政治を続けているのを見かねて戻ってくる。「それ、やりすぎじゃね?」と。
 でも王妃、昔と同様色目は使ってくるけど、政治方針に関しては聞きゃーしねーし。ダメだこりゃ、帰ってくるんじゃなかった……と、思っているときに。

 ジュリアンの前に、いたいけな美青年ラズロ@コム姫が現れた。

 えー、トド×コムだと思ってます、わたし、この物語。
 『風と共に去りぬ』でも『ドリーム・キングダム』でも、美しかったですね、このカップリング。男の夢をそそるビジュアルなのかもしれません(笑)。

 大国フランスとドイツに挟まれた小国アルザスの悲劇。大国の都合・戦争に巻き込まれ、いつもキリキリ舞い。
 リクヴィール侯国の危機を救わんと、ジュリアンは立ち上がる……! わけだが、その理由って。

 ラズロだよね?

 ラズロに一目惚れしたから、縁もゆかりもない国を助けるために命を懸けるんだよね。


 文字数の関係で、突然ぶった切り、翌日欄へ続く~~。
 そんでまあ、問題の「古畑任三郎モノマネの『ウィ』」なんですが。

 『JURIのやっぱりGOGO5!?』でも、すごかったっすよね。ぶっちゃけその、顔が(笑)。
 飾ったり取り繕ったりせず、本気で芸に徹する、舞台人根性を見た!! ……てな。

 あれをまた、こんどはナマで見られるなんて!!

 や、やる前もあとも、さんざん言い訳というか往生際が悪いというか、自己解説していたんだけど。
 でも、やる。
 結局、やる。

 だって、やる気満々で「誰か兄上になってくれないと」とか言い出すんだもの。サプライズだったらありえない、兄上の台詞カードまで用意済みなんだもの(笑)。
 で、客のひとり(勇者!・笑)が「兄上」となり、ナポレオン様の台詞を読み上げ、リュシアン任三郎が「ウィ」と答える。

 その、「ウィ」ぶりがね……。
 もお、楽しそうでね。
 表情なんか、「若い女の子が、こんなカオしてまで……!」と震撼するような、容赦のない「イッちゃった古畑カオ」でね(笑)。

 そうまでして楽しんで、楽しませてくれる姿に、拍手喝采。やんややんや。

 という、春風弥里『TRAFALGAR/ファンキー・サンシャイン』お茶会感想の続きっす。ルポじゃなく、感想です、ええ。

 公演の話、役作り、いろいろ話してくれたけれど、ルポ機能のないわたしには再現できず。

 だもんで印象に残った、同期話。

 みーちゃんのお茶会には、いろんな人たちの名前が出る。
 同じ場面に出ている人、上級生、下級生……たくさんの人の話を楽しそうにするみーちゃんは、みんな、ダイスキなんだなと聞いていてうれしくなる。
 自分のことだけじゃなくて、他の人がどーしたとかこーしたとかも、ふつーに話題に出るんだもの。
 みんなを好きで、みんなに好かれているんだなあ、とそのうれしそうな顔からわかる。
 好き、とか、たのしい、とか、うれしい、とか、プラスの感情は、聞いているわたしたちをもプラスのオーラに包んでくれる。

 そんなみーちゃんの話題に、必ずたっくさん登場するのが、同期たち。

 今回はさらに、「アリス・ちー・大からのタレコミ」があった。

 いやあコレ、最高。どのジェンヌさんもやって下さい!
 お茶会のオフの質問で「楽屋で流行っていることを教えて下さい」とか「最近大笑いしたことは?」とかよくあるけれど、本人だけではろくに答えられないのね、みんな。
 だけど、第三者の目からだと、爆笑ネタが容赦なく披露される!

 台詞を力みすぎて言ってしまった日があり、「変じゃなかった?」と聞いて回ったというタレコミ。(from大ちゃん)

 司会者の読むタレコミを聞きながら、顔を手でさわりまくってあうあうしているみーちゃん(笑)。
 そして盛大に言い訳……もとい、解説をはじめるみーちゃん。いやその、大ちゃんも大概でおかしい(笑)。

 楽屋にて、次の場面の髪型を作るのに忙しいちーちゃんに向かって、毎回毎回「惚れてまうやろ?」と聞くみーちゃん。最初はちゃんと見て同意してくれていたちーちゃんだが、あまりに毎日毎回聞き続けられるために、面倒になって、一度わざとガン無視したらしい。
 するとみーちゃんがすげーすねたとか。(fromちーちゃん)

 このタレコミには、みーちゃん反論。
 鏡の前で髪型を作るちーちゃんのモノマネ付きで、最初はちゃんと見て同意してくれていたのが、回を重ねるごとに同意の台詞が棒読みになっていき、ついにはみーちゃんを一瞥もせず、鏡の中の自分だけを見て「あー、惚れる惚れる(棒読み)」とゆーよーになっていた、と。

 この、鏡の中の自分だけを見ているちーちゃん、の図がっ。
 髪をいじり、角度をいろいろ変えてキメて見せながら、「あー、惚れる惚れる(棒読み)」と、演じるみーちゃんに、ちーちゃんの顔を重ね合わせつつ、すげーウケましたっ。

 そしてさらに、「惚れてまうやろ?」をガン無視するちーちゃん、までモノマネしてくれる。
 「ひどいんですよっ!(笑)」と言いながら。

 この男たち……(笑)。
 楽しすぎる。

 そして。

 ショーのある場面で、反対側の袖にいるみーちゃんが、こっちを見ながらすごく変な動きをしている。迷惑だからやめて下さい。(fromアリス)

 このタレコミを聞いているときのみーちゃんがかわいかった。
 変な動きをしている……までは「来た来た、やっぱアリスってゆーとこのタレコミかぁ」というにまにま顔。
 それが、「迷惑だからやめて」と来たときに、「えっ、迷惑なの?!」とがくんとなったのが、可愛すぎる(笑)。

 みーちゃん、意気揚々なのよ。わくわくと誉められるのを待っているいたずらっこ顔。アリスに喜ばれている、楽しまれている、という自信にあふれてるんですよ。「こんなに愉快なオレ」にひとりでにまにましている。

 それが、「やめて」と来たので、拍子抜け。「えーーー?!」と。
 おまっ、誉められると信じて疑ってなかったなっ?!(笑)

 その「がっくん」ぶりが、もおっ、もおっ。
 あのアホ可愛さときたらっ!(机叩き)

 や、アリスちゃんだって本気で迷惑だとは思ってないんでしょう。それは日常の態度からわかっている。でもこのタレコミで、こう落とされるとは、みーちゃんも意外だったようで。
 苦笑いしながら、どの場面でどんなことをしているか説明し、やめてと言われたことへの心外さを語っていた。

 この公演で退団するアリスちゃんは、同期というだけじゃなく、みーちゃんとは新公やバウで相手役だった特別な女の子。
 アリスちゃんからの手紙まで用意されていて、みーちゃんを「泣かせよう」という目論見もあり。

 みーちゃんはお茶会の「主役」であり、積極的に企画・進行に関わっていた印象だけど、別に全企画を彼が立てたわけじゃないだろうからね。ジェンヌさんはそこまで時間ナイだろうし。
 ちゃんと彼の知らないプログラムも盛り込まれている。
 それがこの、同期絡みの一連。

 みーちゃんはお茶会でいつも、同期の話をする。
 楽しそうに、うれしそうに。
 ひとがひととつながっている話は、聞いていて楽しい。うれしい。

 アリスちゃんは同期の分全員の、イヤリングだっけかアクセサリーを作ってプレゼントしてくれたらしい。ひとりずつのイメージで。
 みーちゃんはそれがうれしくて、舞台で身につけたソレを毎回アリスに「ありがとー」と見せつけたらしい。
 毎回、毎回。

 アリスが、うざがって、キレるまで。

 ……身につけて「ありがとう」まではいい話なのに。何度も何度も、までも、いい話なのに。
 うざがって、キレるまで、って……(笑)。

 そのエピソードが、ほんっとに仲いいんだなっていう、温度感があって、爆笑したのに、泣ける。

 わたしだって、卒業していく親友がいたら、うざがられるまで「ありがとう」を言いたいよ。
 シリアスにとか感動的に、しんみり終わらずに、いつもの日常、今日と変わらない明日、いつまでも続く日常のタワイナイコトとして、うざがられたいよ。

 みーちゃんが語るアリスちゃんは、ほんとにかわいい。
 そこに愛があるから、どんな言葉でもエピソードでも、すごくかわいい。

 みーちゃんが語る、「仲間たち」はみんなかわいくて魅力的で。
 聞いていて、シアワセなキモチになる。

 
 こんな人が、カオくずしまくって任三郎やってくれたり、ゲーム仕切ったり、のりのりで歌ってくれたりするんだよ。
 すごいよな。
 お茶会の主役は誰?

 それはまぎれもなく、みーちゃんです。

 春風弥里『TRAFALGAR/ファンキー・サンシャイン』お茶会へ行って来ました。
 ムラです、宝塚です、日付見てください、6月19日です。今さら過ぎてなんですが、それでも感想を記します。
 毎度のことですが、わたしにはルポ機能はないので、記録的な価値はなく、すべてわたしの脳内加工済みの偏った「感想」です。

 今回のみーちゃんのお茶会で強く感じたのは、「みーちゃんがお茶会の主役である」ということ。
 お茶会のゲストではないんです。
 彼が主役、彼がホスト。

 わたしたちは、彼の「お客様」なんです。

 想像して下さい、春風さんが正装して「ボクの家へようこそ」って笑顔で迎えてくれる様を。

 …………コワレるでしょ? きゃーきゃーでしょ?

 お茶会の中には、ジェンヌさんは「ゲスト」であり、お茶会に対して前知識や準備がない場合だってある。全部会が取り仕切り、ジェンヌさんは当日やってきて、質問に答えるだけ。司会の人が「次はこうして下さい」とか仕切って、ジェンヌさんは「へえー」ってな感じにそれに従う。
 会の企画力と実行力頼み。ジェンヌさん自身も次になにをするのか、させられるのかわかっていない。
 それが悪いわけじゃないっすよ。単に、そういうお茶会もある、というだけで。ゲームや企画について、「ええー?」と驚く、新鮮な表情も見られるわけだし。
 また、どのジェンヌさんも、会の用意したプログラムに対しもちろん真剣に誠実に応えてくれるので、「ゲスト」であってもなんの問題もなく、わたしたちはわくわく楽しめる。

 ただ、みーちゃんのお茶会は違った。
 みーちゃん自身、企画・進行に関わっている(笑)。

 これからみんなでやるゲームについて、司会者さんの説明がかなりわかりにくくて。客席は「??」状態。でも、原稿を読む以上の説明はしてくれず、そのままゲーム開始って感じの流れに。

 そこでみーちゃんが、自ら解説をはじめた。

 えええ、ゲームを自分で仕切るジェンヌさん、はじめて見た(笑)。
「いいですか、わかりましたか? んじゃ一度練習してみましょう」……って。

 ふつー説明して仕切るのは司会者で、ジェンヌと参加者は「へええ、そんなことするんだー」って従う場合がほとんどなのに。ルールを1回聞いただけでは理解できなかったりして、「え? え?」となっていたりするジェンヌさんを、何人も見た(笑)。
 しかしみーちゃんは、ゲームについて前もってルールと進行を理解している? どんなゲームやりますから、って、打ち合わせしてあるんだ?

 実際のゲーム中でも、みーちゃんがナニ気に仕切っていた。解説入れながら、テンポを調節したりして。(ゲームは「後出しジャンケン」だった。みーちゃんの指示を聞いてから、その通りの手を出さなきゃならない)

 そしてさらに。
 「リュシアン様のお悩み相談室」があり、参加者からの悩みごとにステキ解答をくれるのも、『カサブランカ』お茶会で経験済みとはいえ、「わかった」上でのなめらかな進行。
 いちいち司会者やスタッフに「なにをするの?」「これを私が言うの?」とかをやらないので、みーちゃんの意識は一定してわたしたちへ向けられているの。

 今回のお悩みは2件。
「ミスをした後輩に対しての、効果的な注意の仕方は?」と「『ファンキー・サンシャイン』でステキなみーちゃんを見ているとつい、手拍子がずれてしまうので困っている」。
 これに対してのみーちゃんの解答は。

「ズバリと注意する! 回りくどくしない!」
「ずれて下さい! 周りなんか気にしなくてイイ!」

 という、大変男らしいものでした(笑)。ビバ! みーちゃん!
 わたしもショーで手拍子が遅れがちな人なので、これからは胸を張って遅れたいと思います。
 だって春風氏のお墨付きだもの!!(笑)

 ……てゆーか、「ステキなオレを見て、手拍子が遅れるのはとーぜん、仕方ないことだから、恥じる必要も悩む必要もないっ」という意味かしら……。だとしたら、なおステキ(笑)。

 そしてなんつっても。

 サプライズの振りをした、古畑モノマネ!
 『JURIのやっぱりGOGO5!?』で罰ゲームとして披露した、「古畑任三郎の『ウィ』」をオフの質問コーナーだっけかの流れでここでも披露することになり……。
 一応、台本的には「自然な話の流れ」で、「みんなが見たいって言うから」「予期しないことだったけど」やる、ということになっていたらしい。
 会の方ではやらせるつもりで小道具を用意しているけれど、ジェンヌはナニも知らない、というのはよくあるパターンで、ここでも最初はそのつもりの台本だったっぽいけど。
 みーちゃんが自分でバラしてる、仕込みだってこと。いやあ、やる気満々過ぎ(笑)。

 「お茶会」というものに、真正面から取り組み、楽しもうとしているんだ。
 会にまかせっきりじゃなく、自分でなにかしら、参加者を楽しませようとしているんだ。

 『春風弥里お茶会』ってことは、参加者は春風弥里を見に来るのであって、会いに来るのであって、他の誰でもない。
 だから、春風弥里が、がんばる。もてなす。みーちゃんはゲストではなく、ホストである。お客様をもてなしてくれるんだ。

 ……って。
 なんかすごく、感動したんですが。

 いつだってやる気満々。
 ネタもゲームもお笑いも、前もって用意して、自分が中心になって行う。
 自分が主役であることを知り、楽しそうに、みんなを楽しませる。

 や、みーちゃんが唯一無二ってわけじゃなく、他にもそういうお茶会をやっているジェンヌさんはいる。サービス精神の固まりだったり、積極的に参加者に働きかけてくれたり。
 お茶会に正解はなく、ジェンヌさんの数だけいろんなタイプがあっていいのだし。
 唯一無二でなくても、とにかく今、みーちゃんは「主役」として参加者をもてなすべく、がんばってくれていて。

 お悩み相談にしろ、古畑モノマネにしろ、めーーっちゃ楽しそう!!

 これだけ楽しそうにしてくれると、意気揚々と仕切ってくれると、「来て良かった!」と思うよ。

 想像して下さい、春風さんが正装して「ボクの家へようこそ」って笑顔で迎えてくれる様を。
 「来てくれてうれしい。楽しんでいってね」って、心からもてなしてくれるの。
 「これやったら喜んでくれるかなと思って、実は用意してたんだ。内緒のつもりだったのに、言っちゃった(笑)」とか言われたら、どうよ?

 トキメキませんかっ?!
 うみのそこ、に見えた。

 沈んだ船。
 ひとの記憶、愛だの欲望だの哀しみだの希望だのが、そのまま沈んだ船。

 あの人恋しい悪魔が、人魚となって棲み付いた。
 ひと、の残骸がある形骸。ひと、の残影がある船影。

 人魚のひとり遊び。
 誰もいない、うみのそこ。そこはどこ。底はどこ。ここはどこ。

 
 てゆーか、今はどこ。昨日はいつ。明日はだれ。
 あれから6年経つわけか。たしかに時は流れているのにね。目に映るものも、同じではないんだが。

 それでも今、いつか視た青い夢を、差し出されるとは思わなかった。

 ちなみに、オギーと並んでの観劇(笑)。←当日券で「K」バージョン飛び込み観劇、1階最後列センターのスタッフ席の端にまざっていたらしいよ(笑)。
 オギー、1幕でいなくなっちゃった。2幕は観なくていいのか。……いいのかもな、というトウコちゃんのぶっとばしトークを観て思う(笑)。←2幕は「トウコに任せた!」感じ。
 そして実は、2幕はじめの「リボンの騎士」たらったらったらった♪で、関が切れたよーに号泣したのはわたしだ。オギーがいなくて良かった(笑)。←1幕じゃ、泣く余裕もなかった。

 『安蘭けい 箱舟 2010「羅針盤の記憶、或いは熱情と曖昧さの関係について」って、タイトルがすでに詩。そして出オチなくらい、いちばんすごいのはタイトルかもしれないと、失礼なことを思う。
 年寄りなので、昔話をする。

 『バッカスと呼ばれた男』は、改稿を重ねてどんどん変わっていった、愉快な作品だ。
 谷先生もひとつの作品を3回書き直せば、コワレていないモノになるんだ、と目からウロコだった(笑)。

 男トップ以外の路線の顔ぶれをがらりと替えられ、わけわかんなくなった雪組が、それでもまとまり、前進しはじめたころの公演。組としてのまとまりと勢いは、観ていてたのしかった。……トップ娘役のグンちゃんがやせはじめたころで、そこはちょっと心配だったが。

 元銃士隊隊長の大貴族ジュリアン@トドは、義侠心あふれる青年であるため、身分を捨てさすらいのシャンソニエとなっていた。社会を風刺する歌を歌う彼は、わざわざ仮面のシュンソニエとして王宮に行き、戦勝の祝いの場で戦争の哀しみや愚かさを歌ってみたりする。ふつーならそんなことしたら即逮捕だけど、なにしろ彼、大貴族だし、王妃アンヌ@グンちゃんの恋人だったりするし。

 ドイツとフランスの国境にある小国アルザスを救うために、身分を捨てたシャンソニエと、彼の元部下の老三銃士たち、彼の仲間である盗賊・旅芸人たちが、武力ではなく知恵と勇気で大国と渡り合う痛快活劇。
 そこに、フランス王妃アンヌとジュリアンの禁じられた恋、身を引くことが最大の愛の証、というストイックな関係を絡めたラブ・ロマンスでもある。

 記憶だけで書いているのでカンチガイも多々あるだろうが、最初の大劇場バージョンでは「バッカス大作戦」がなにやってんのかわかりにくく、主人公がどうすごいのかわかりにくかった。また、王妃との恋愛も薄かった。
 次に1000days劇場バージョン。ここでは王妃との恋愛場面が付け加えられ、「何故、別れたのか」「身を引くことが愛の証」というテーマが大劇よりも際立った。つっても、肝心の「バッカス大作戦」はわけわかんないままだったんだけど。

 それが、全国ツアー(当時は「地方公演」呼び)では、わけわかんなかった「バッカス大作戦」がきちんと整理され、主人公も主要人物も、ちゃんと活躍するようになった。王妃との恋愛は1000daysのままだから、わかりすいし。
 『バッカスと呼ばれた男』は、全国ツアーを持って、完成したんだ。

 全ツ版での完成、それはすべて、少人数の組子のみで公演できたことにある。

 本公演は雪組だけでなく、3名の専科さんが出演していた。
 アトス@汝鳥サマ、ポルトス@チャルさん、アラミス@まやさん。

 当時も専科さん優遇の風潮は変わらずあり、彼らが出演していることによって、物語が壊れていた。

 専科さんの芸は素晴らしく、彼らを粗末にしろと言っているわけじゃない。
 ただ、彼らは組子だけではどうにもならない、物語を「補強」する意味で出演するのであって、彼らを優遇するあまり、物語を「壊す」のは本末転倒だろう。

 主人公ジュリアンが、ラズロ@コムの頼みを聞いて、吟遊詩人ミッシェル@タータン、盗賊マンドラン@トウコたちと組んで、強国フランス・ドイツを相手に「血を流さない闘い」で勝利する……というストーリーラインに、老三銃士@専科トリオは不要だった。
 本公演では三銃士が活躍し、笑いを取りまくっていた。
 オイシイところは三銃士なので、他のキャラクタはなにをしているのかわからない、なんのために出てきたのかわからない。
 なんのために出てきたのかわからないキャラクタがいっぱいいる、でもどうやら主軸はそこらしい、でも見せ場は本来いなくてもいい三銃士独占、というめちゃくちゃさ。

 本筋に必要なキャラクタに見せ場や役割を与えず、いなくてもいいキャラクタを優遇したために、物語が壊れた。
 せっかくの「バッカス大作戦」も人が多いだけでナニをやっているのかわからず。
 結果として、主人公もかっこよくない。男の友情物語でもあったのに、三銃士がごちゃごちゃやっていて、トップと2番手の友情もとってつけた感。

 それが全ツ版でようやく、三銃士がいなくなったために、他のキャラクタが正しく活躍できた。
 三銃士がしゃしゃり出ていた場面、出来事を、主要人物が務めるよーになったんだ。
 おかげで主人公は、変な三銃士の後ろでえらそーにしてナニもしない人ではなく、ちゃんと自分で動く人だし、自分で他の人たちと出会い、親交を深めていく。
 他のキャラクタも、自分たちで物語に絡み、出来事を動かし、直接主人公と友情を深める。
 「バッカス大作戦」も、主人公と主要人物たちが実際に動いて成功させる。

 当時全ツは大阪近隣では公演されず、いちばん近いところが広島だった。わたしはひとりで広島まで行って観たわけなんだが、この改稿ぶりに感動したもの。

 全ツで出演者が減った、それなら繰り上がりで本公演と同じ役に当てはめていくんじゃなく、出演しない人の役をなくすなんて、そんなアレンジはじめて見た(笑)。
 三銃士もだが、他にも「タカラヅカの番手制度」ゆえに歪んでいた部分が修正されたの。
 「路線だから、役を付けなければならない」ってやつ。
 ええ、かしげの役が、なくなりました。
 「バッカス大作戦」がナニやってんだかわかりにくかった理由のひとつ、新人公演独占4連続主演、研8でエスプリコンサート、研9でバウ・青年館主演をするぴっかぴかの路線スター、かっしーに、無理矢理役を作り、見せ場を作っていた。それでも大した役じゃなくて「え、かしげあれだけ?!」だったけど、その役があるために「バッカス大作戦」が余計に混乱、なにやってんだか観客にはわからなかった。
 全ツ版でかっしーの役がなくなっているのを見て、膝を打った。やっぱり、いらない役だったんじゃんと。
 三銃士はそれでもまだおもしろいから存在価値はあったんだけど、かっしーのドイツ人役は本公演のときから「いなくていいんじゃね?」だった。路線スター様のために無理矢理役を作ったのが見え見えだった。
 それでもかっしースキーなわたしとしては、「いなくていいんじゃね?」程度に見ていたけれど、全ツ版を見て、いなくていい、どころじゃない、「いてはいけなかった」んだと知った。あの役のせいで、いちばんの盛り上がり場面が今ひとつわかりにくくなってたんじゃん!!

 専科さん偏愛と番手制度によってコワレた物語が、全ツでは見事にキレイな物語になっていた。
 主人公が活躍し、その仲間たちが活躍する。不要なキャラは出ずに、必要なエピソードだけが正しく展開する。

 おかげで、キャラクタ間の愛憎がよりはっきりして、感情移入度も上がる。
 愉快だったのは、マンドラン@トウコ。全ツ版では「オマエ、どんだけジュリアンのことが好きやねん!!」とツッコミ待ちされているとしか思えない、爆走ぶり。
 エロカッコイイ、大人の伊達男トウコを見られる、貴重な公演だった。小柄なトウコは油断すると子役やかわいいだけの役を振られがちだったから。

 当時の全ツは映像にはまったく残っていないと思うが、『バッカスと呼ばれた男』の完成版は、全ツ版だった。
 「物語」として正しく機能していたこの全ツ版を、わたしは意識して記憶に残すようにしている。だって、いちばん面白かったんだもの。
 ひっそりこっそりと、思い出話。

 「彩吹真央」で、思い出す公演・場面。

 いろんなゆみこちゃんを見てきたし、良かったとか好きとかはいろいろあるし、特に選べないし、しいてどれと選ぶ意味もないし。
 だからそーゆー意味ではなく、「思い出す」場面。思い出の、ではなく、思い出す。

 バウ・ワークショップ『LAST STEPS』の、スパニッシュ。

 樹里ちゃんが歌い、ゆみこが踊る場面。

 
 それまでわたしは、ゆみこ=歌手だと思っていた。
 『嵐が丘』のゲイル役のイメージゆえにだ。
 滑舌の良い喋りに、耳触りの良い声。
 でかい目と派手な顔立ちの、押し出しのいい若手。
 雪組下級生だったときの彩吹真央のイメージは、そんな感じだ。
 新公でトウコの役をやっていたりして、そのイメージがまたかぶっていたかもしれない。派手で押し出しのいいトウコと、まるっと同じ印象の芝居をする下級生だから、派手で押し出しがいい。

 …………雪にいたときは、派手だと思ったのに。押し出しがいいと思ったのに。
 花組では地味で目立たなくて、びっくりした。
 花組ファンの友人から、「雪組って地味~~」とさんざん言われていたのは、こーゆーことか! 雪で派手でも花だと埋もれるんだ! と、実感したのも、今となってはいい思い出(笑)。

 話を戻して。
 雪組時代のゆみこは、歌手だと思っていた。

 花組へ組替えが決まり、雪組として最後の公演が、風花ちゃんの退団記念バウ『LAST STEPS』だった。

 正確に言うと、すでに雪ではなく、花組に組替え後だったんだけど。
 たしか出演が発表されたときはまだ雪組で、公演日には花組になっていた。
 つまり、風花ちゃんのバウは、「花月雪宙合同公演」と銘打たれているけれど、最初はそんな4組にも渡る大袈裟なものじゃなく、風花ちゃんの月組と、空いている雪組メンバーで行う、月雪2組だけの公演だった。
 それが組替えで、「花月雪宙合同」という大仰なモノに……。

 だから、日付だけすでに花組、でも、感覚的にはまだ雪組だ。
 ゆみこを派手で華のある(笑)実力派下級生だと思い、歌手だと思っていた、雪組時代だ。

 ゆみこ=歌手だったから、なにかしら見せ場をもらえるとしてもそれは「歌」だと思い込んでいた。
 学年的に、見せ場があるとも思えないんだが、そのときはほら、ゆみこのことを派手で以下略と思っていたので、下級生でもなにかしらオイシイ扱いされるんじゃないかと、勝手に思い込んでいた(笑)。

 そしたらほんとに、見せ場があった。
 バウホールとはいえひとつの舞台、ひとつの公演で、1場面をたったふたりっきりで務めた。

 それが、スパニッシュ。

 歌うのは、樹里ちゃん。
 この公演で風花ちゃんの相手役ポジションのスター。

 その、主役の相手様の歌声で……ゆみこが、踊った。ひとりで。

 つまりは樹里ちゃんのソロ歌の場面で、背景が寂しいから誰かに踊らせた、それがゆみこだった、ってだけで、主役は樹里ちゃん、ゆみこはバックダンサー、に過ぎないんだけどね。

 それでも驚いたんだ。
 ひとつの場面をふたりきり。
 しかも、すでにスターとして認識されている樹里ちゃん(月組から、宙組4番手として組替え)の歌で、ひとりで踊るなんて。

 もしも見せ場があるなら、それは歌でだと思っていた。ソロをもらえるかもしれないと思っていた。
 しかし。

 ダンスで、ソロがあるなんて、カケラも想像してなかった。

 暗い舞台。セットなんざ特にない、シンプルな公演だった。
 その暗い中で、スポットライトを浴びて、踊る。
 月組ファンからすりゃあ「誰?!」てくらい、無名の下級生。新公でも最高で2番手までしかやったことない子だよ。

 そんな子が、いきなり、スポットライト。

 なんだか不思議なモノを見る思いで、注目した。

 ドラマティックなナンバーだったと思うので、激しく力強く踊っていたと記憶している。

 ほんとに、真剣っ!でね。
 「抜き」どころの一切ない、力の入りまくったダンス。

 ライトを浴び、闇に浮かびあがった姿は美しく、「ゆみこ=歌」ではないことを、思い知らされた。
 こんなに、踊れるんじゃん!!

 ……ダンスの善し悪しがわからないわたしは、「このメンバーで、この学年の子がこの場面に抜擢される」=「ダンサー」だと、単純に思い込んだ(笑)。

 今思うと、そんなにうまかったかどうか、定かではない。
 ただ、あの張りつめた雰囲気ごと、端正だと思ったんだ。

 
 ずっと雪組で育って、このまま雪組で生きるんだと思っていたら、まさかの組替えで。
 しかも、組替え最初の仕事が、よそさまのトップスター様のサヨナラ・イベント公演で。別の組の選抜メンバーと一緒で。 
 「花組」と看板背負いながらも、まだ一度も花組さんとは仕事してなくて、組替えしたのに雪組の仲間と一緒で。
 なんかいろいろ複雑で大変で、それでもやるしかないわけで。

 で、何故か上級生スターを差し置いてのソロで。

 尋常でなく、緊張していたと思う。気負っていたと思う。
 ただの観客のわたしだって、驚いたくらいだもの。

 あの「抜き」どころのない、真剣勝負なダンス。眼差し。

 ゆみこが退団し、新たな道を歩み出しているとわかっている今、何故か思い出すんだ。
 「彩吹真央」というと、あのソロダンスを。

 思い出深い役とか好きな役とか、他にいくらでもあるのにね。
 映像に残っていないことも大きいかな。手元にあって、いつでも再生できるものじゃないから、美化されていたり、またすごーく貴重な記憶だと祭り上げられているのかもしれない、わたしの中で。

 遠いね。なにもかも。

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