『オネーギン』には、なんとフィナーレがあったんだよ! 群舞もデュエダンもアリ、音楽に乗って出演者が出てきてお辞儀、とかゆーんじゃなく、ミニ・ショーみたいな、真っ当なフィナーレだよ!」
「すごい、はじめてじゃない? ちゃんとしたフィナーレって」

 『オネーギン』観劇後に、未見の友人nanaタンとそんなことを話した。
 正確にははじめてでもないのか。89期生のお披露目だった『シニョール ドンファン』はショー先行型で、芝居のあとにフィナーレがあった。初舞台生ロケットに大階段パレードまで。

 でもそれは、「フィナーレを付けなければならない」というルールがまず先にあって。
 付けても付けなくてもイイ、演出家の自由意志に任されているところで、ここまできちんとフィナーレを付けているのは相当珍しいんじゃないか、景子作品として。

「じゃあ景子タン、最後に蛇足付けるのやめたんだ(笑)」

 未見のはずの友人が、見事に言い当てる。

 そう。
 その通り。
 景子せんせのお約束、最後の蛇足。

「うん、トドロキが突然『ディア、オネーギン!』とか言い出すんぢゃないかってハラハラしてたんだけど、なかったの!! 代わりにフィナーレがあったの!!」
「すごーい、景子せんせー、やっと蛇足が蛇足だって気付いたんだ!!」

「後日談もなかったの。ヲヅキが作家でこの話を書いたことになってるんだけど、最後にヲヅキが出てきて『オネーギン、キミはうんぬんかんぬん』って、景子タンの言いたいことをまとめて語り出したりしないのー」
「すごーい!」
「後世にどう伝えられたかとか、その後どうなったかとか、物語が終わったあとでいちいち解説者が出てきて一席ぶたないの!」
「すごーい!」

 ……これがネタになる、景子タンの作風って……(笑)。

 でもほんとーに、『オネーギン』は景子せんせらしくないのよ、主人公のオネーギン@トドが決意して旅立つ、ほんとソレだけで幕なの。
 なんの説明もないの、解説もないの。
 通常の景子タンなら、まず作家@ヲヅキが出てきてオネーギンの人生について語り、そのあと彼に関わったいろんな人が出てきてさらに解説したり、当時の歴史や考え方、それによってどうなったかとか、1から10まで全部言葉で解説、答え合わせ、それ以外の感想なんか持っちゃいけないとばかりに絶叫してくるのに。
「オネーギン、キミを忘れない!」とか、ヲヅキさんが宣言してくれちゃったりするだろーに。
 それがなかったんですよー(笑)。

 こんだけ細かく作中でテーマを叫んでおきながら、出来事より心情の変化で物事を進めながら、まだ最後に言葉によってテーマをまとめあげる、小論文テスト、「作者の言いたかったことを50字でまとめましょう」的作風が特徴の景子せんせ。
 わかったわかった、キミの言いたいことはわかった、十分伝わってるから少し黙ってくれ。観客はバカじゃない、10のことを20も30も繰り返さないでくれ、ふつーに10聞いたらわかるから!(笑)
 てゆーか、7か8あたりで止めてくれた方が、残りの2や3は想像で補うのに。
 なんで何回も何倍も説明し直すんだろう。
 と、常々残念だったんだ。

 ちゃんと10の話は10で止めてくれました。7か8あたりで止めてはくれなかったけど(笑)、蛇足はやめてくれた。
 そして、いつもなら「作品全解説」をやる時間を、まんまフィナーレに回してくれました! ハラショー!!

 ロシアだから首まできっちり詰まった重苦しいドレス姿ばかりだった雪娘たちが、フィナーレで首筋や肩をばーんと出して踊ってくれることに、見ているこちらも一気に解放、爽快感!
 やっぱ美しい画面を作れる人ってすごいわー!

 トド様とみみちゃんのデュエットダンスもまるまる1場面、逃げ口上無しに作ってくれて、すごいお得感。
 いいもん見たわー、と素直に思う。

 オネーギンのモラトリアムを軸に進む物語だけど、実際のところは幾重かの時間的・空間的構造になっている。
 そのいちばん外枠が、ちぢれっ毛の友人@ヲヅキ。ラストにオネーギンが彼の名を呼ぶことで、「物語」が完成する。
 ぱたんと、開いていた扉が閉まる……あるいは、表紙が閉じられる。

 そこで終わってくれて、ほんっとーに良かったっ。
 多重構造であるがゆえに、いつもの蛇足を付けることが出来たのに……見ているこちらも「うわ、こりゃいつものが来そうだ」と身構えるくらい、用意は調っていたのに、あえて付けずにいてくれたことがうれしい。
 おかげで、素直に余韻を楽しむことが出来た。
 「物語」についての思考という、ゼイタクな森で遊び、「フィナーレ」という視覚と聴覚で潤いながら、澱みがちな思念を前向きに解放できた。

 「タカラヅカ」のタカラヅカたる所以。
 どんな悲劇のあとにも、フィナーレがつき、キャストみんながきらきら笑顔で歌い踊り、大階段に羽根にシャンシャン、きらきら別世界に昇華すること。
 結ばれなかった恋人たちも、それが答えであるかのようにデュエットで踊る。

 ある意味大きなお世話、これ以上ない蛇足なんだうけど、わたしはこの「タカラヅカ」な蛇足は大好きだ。
 「ダンディズムとは」と台詞で解説する陳腐さに比べれば、美しい音楽に乗って踊ることで表現してくれることが、どれだけ洗練されているか。
 「テーマを50字以内」で解説されるより、主人公とヒロインが黙って踊ってくれた方が、主人公がかっこよく美しく男たちを率いて踊ってくれた方が、どんだけ説得力を持って彼の人生を、物語を肯定できるか。
 いやはや、改めて思いましたね。

 良い作品でした(笑)。
 で。

 『オネーギン』って、どーゆー話?

 アタマ悪くてごめん。マジでわかんなかった(笑)。

 原作は知りません、オペラもバレエも知りません。無教養ですから!

 ナニがしたくてどんな起承転結、なんの話?
 なんか淡々とメリハリなく、どーってことのないエピソードがただ流れていたような?

 ああしてこーしてこーなって、ストーリー型っちゅーか、出来事で話が進むハリウッド映画型の物語ではなく、心の動きを追った小説型の話なんだなあ。
 だもんで、出来事だけ見ると、ストーリーがつながらない(笑)。

 ナニがどーしてそーなって、つかそもそも起承転結と呼べるほど出来事としての事件はないよーな。
 クライマックスと呼べるほどの、出来事としての事件はないよーな。

 だから、出来事のつながりとしてのストーリー、起承転結はわからない。
 あらすじを起こしたいとは思わない。

 いやその、わかるよ? あらすじはわかってる、ちゃんとつながってる。わかんないってのは言い過ぎだ、誇張だ。
 正確には、「どーでもいい」かな。
 「わからなくてもいい」かな。
 理詰めであらすじを理解し、ここがこうしてああなった、と計算式を作りたくないというか。
 景子せんせ自身は、かなり真面目に計算式を作って実践していると思うけれど。それをそのまま受け止めたくはないというか、もっと曖昧なまま、感覚だけでいたいというか。

 だから「わかんない」ということにする。その方が、「わたしが」楽だからだ(笑)。
 どこがどーしてこーなって、なんて、まるでわかんない。ってことにする。

 そして、その上で。

 最初から最後まで、すげーたのしかった。

 コレといってナニがあるわけでもなく。
 オネーギン@トド様見てるだけでしあわせだった。楽しかった。
 ドキドキしたし、きゅんとしたし、えんえん泣き続けることが出来た。

 理屈の部分ではなく、感情とか本能とか、プリミティヴなところが静かにざわめいて、涙になった。
 それはとても、心地よかった。

 計算された、美しいモノを見る。
 細部までこだわられた、美しいモノを見る。
 それは、こんなにも幸福なキモチになるんだ。

 わからない、わかりたくない。
 そうありたいと思いつつ、わたしはわたしたる所以で、やっぱりここがこーしてああなって、と説明したい、読み解きたい思いに駆られる。
 ペテルブルク社交界の虚無と虚飾、そこからはじまり少年時代のきらめきを随所に垣間見せながら逆行することのない時間軸、立ち止まることを象徴する夢の住人たる友人、影あるいは鏡のように関わっては遠ざかるちぢれっ毛の友人、ひととひとの間をつなぐ手紙、心を伝えもするし突き返すことも出来る「カタチ」を持ったもの、手紙。長い深い森を抜け、オネーギンが意志と決断を持つことによって、物語の幕が下りる。

 この作品が、もっと衝動的に創られているなら、かえって細かく読み解きたいと思ったろう。
 技術や丁寧さより、「これを書きたいんだっ」という抑えきれない衝動ゆえに書き散らし書き殴り、荒削りだけどおさまりきらない息づかいが聞こえるよーなモノならば。
 それが正解かどうかではなく、わたしの言葉でひとつの角度から残しておきたいと思うのだけど。

 でもそうではなく、細かい計算でもって隙なく書かれたことがわかるだけに、細かい解説は蛇足な気がして、二の足を踏む。
 ただでさえ細かい表現がされているのに、それをさらに言葉で書き表してしまうのも、つまらないなあと。ああ、コマカイコマカイウルサイ文章だ(笑)。

 だからこう、ざっくりとアタマ悪く印象のみ書き記す。
 このアタマぬるめな感想が、わたし自身にとって居心地イイ。

 リアルタイムに観劇時に、きちんと感想を書けなかった、もう今さらだからこそ、自己完結したまま言葉を連ねてみる。
 グレアム@『はみだしっ子』のノートみたいに。

 
 過去は過去であるというだけで、人を切り裂く。
 若さは傲慢であり、老いが救いになるとは限らない。
 立ち止まることをヨシとするかしないかは、選択のひとつであって正誤ではない。
 美しくまとまりすぎ、計算という枠の中でしか作品が存在しないのは景子作品の特徴のひとつだが、そのまとまりとこだわり抜いた美しさは武器だと思う。
 てゆーか今回は、景子タン独特のアレがないし。(あとでネタにする)
 計算式を作って、ココを足すからこちらが減る、ここの仕掛けがここに関係して展開する、この伏線はココで昇華する、それがいちいちマメでウザいと思うのは、たぶんわたしがそういう物語作りをするからだ。ひとは似たものには過剰反応する(笑)。でもわたしは景子タンほど真面目ぢゃない。てゆーか怠惰だから、叱られているみたいでちょっとヤだ(笑)。
 美しさ自体が救いであり、この物語に「醜さ」は必要ない。醜さとは視覚上のことではなく、精神的な意味で。真の闇の存在しない世界はあっていい。いや、在るべきだ。
 だからわたしは肯定する。否定だけで成り立つ世界をわたしは認めない。
 枠の中で小宇宙作成、だけど枠の向こうには借景。そして呪術は完成する。いや、共通認識を形成する上でのお約束か。
 枠にとらわれているのはわたしだ。無駄なプライドが軋むのか、ったくくだらねえ。
 逃げは逃げとして、いじることで出口は見つかるかもしれない。まあそれもまたよし、いずれ、いずれ。
 忘れずにいたいのは、少年の彼も現在の彼も、等しく過去であるということだ。ここには現在が存在しない。視点は利口すぎ、それゆえに過去しか見ていない。未来は見えないので語れないんだ。
 人は未来へ向かって、前を向いて進むけれど……進むしか、ないけれど、創作自体は後ろを見つめることかもしれない。
 後ろを向いて進むから、光は影となり諦念は増す。だがそれこそが快感なのかもしれない。
 チョークを手にとって、アスファルトの地面に線を引く。ここから、ここまで。A群とB群とを正しく線で結びなさい、てゆー、アレ。彼の足下から線を引き、わかっている答えにたどり着く。たどり、着かせる。その快感。
 いいなあ。だから好きなんだよなあ。

 ……って、この調子で書いていたらいくらでも続けられるので自重。
 楽に垂れ流してないで(笑)、ちゃんと組み立てて書かねば。
 轟悠が、おもしろい。

 感想周回遅れどころぢゃない、公演自体終わってしまってもまったく書けないままでいるあれやこれ、すでに開き直っているのでカレンダーの日にち無視して書いていく(笑)。
 ったく、ミニパソが使えないせいで、外でテキスト打てなくなったのが大きいんだよなー。ノートにメモするの疲れたー、ソレを写すのもめんどくさいー。

 景子タンの新作バウ『オネーギン』、せっかくだからいろんなところを見よう、全体を楽しもう。そう思っていたんだ。
 贔屓が組替えになり、これからはまた雪組がホームになる。雪組は好きな組で、花組の次によく観ていたと思っているが、下級生までよくわかっているわけじゃない。
 バウ公演は新しい出会いの宝庫、少人数を近くで観られるんだもの、いろんなところを見るわよお。
 ……と思っていたのに、早々に白旗。

 トドに釘付け。

 オペラグラス、ガン見。トドしか見ていない状態に。

 いやその、誰がどの役で、どこにいて、とかの最低限の確認はしていますが。
 台詞があろうがなかろうが、とにかくトド様の表情の変化のみに夢中になって、終わった。
 みみちゃん、ヲヅキ、リサリサ、ルーシーちゃん、みんなみんな素敵で彼らも見たくて仕方なくて、目がいくつあっても足りない!だったんだけど。それが本気で本音の感想だったんだけど。
 それでも。

 初見がそんな観劇結果になったため、2回目は全体を見よう……とは、思わなかった。
 2回目は、ストーリーわかったから安心して、最初から最後までトドロキのみアングル敢行(笑)。

 そーだわたし、トド様ファンだった。……という、最近自分でも忘れがちなことを、骨の髄まで思い出させてくれました。

 だってトドロキユウ。
 それにしても、トドロキユウ。

 はじめて見る、トド様がソコに。

 彼がいたから現在のわたしがいる、普段意識しないよーになっているとはいえ、わたしはトドファンだし、トド様が出演する公演はトド様だから観てみるよーな人。
 とゆーのはたしかだが、彼を好きなことと、彼の芝居にハマるかどうかは、別問題。

 彼がうまい人だということはわかっているが、たとえばイシダ芝居の彼には、心が動かない。
 だって、いつも同じだもの。

 タイトルと役名がチガウだけで、同じキャラ、同じ話。大味で一本調子。
 イシダせんせは商業演劇を作る力はある人で、作品的にはおおむね破綻していない。だから役者が力尽くで支えたり、立て直したり、別の話に作り変えたりする必要もない。
 そしてまた、イシダせんせがトドに求めるモノが一貫しているため、トドはいつものトドで、引き出しの中にあるモノだけで楽々演じているよーに見える。

 植爺作『長崎しぐれ坂』とかは、作品のぶっ壊れぶりがものすごく、キャストが一丸となって戦い、ムラ初日と東宝では別物に作り直していたりとか、いろいろと実験作だった谷作『Kean』はチャレンジしまくりあがきまくりだったりと、トドも自分の枠を超えて演じていたけれど。
 手抜きとかではなく、「出来る」モノに関しては、手堅くテリトリー内で演じてしまうため、トド様の芝居はおもしろくない。

 彼はプロなので、一か八かの挑戦だの実験だのはしない、的確に堅実に、与えられた役割をこなす。
 それは当たり前で、正しいこと。
 トップ専科で理事で宝塚歌劇団の代表みたいな立場なんだ、冒険より堅実を選んで当然、当たり前。

 そんな彼のスタンスや芸風を受け止め、まったり眺めてはいるけれど、わかっていても好意があっても、彼の芝居が予定調和でおもしろくないのは事実。
 だからいつも、1回観れば十分。彼が好きだからといって、彼から目が離せない、他の人が見られない、なんて事態にはまずならないから平気。

 それが。
 どーしたこったい、今回はいつもの予定調和、引き出しの中、失敗しないかわりに冒険もしません、ぢゃ、ないっ!!
 大味で、ヒーローで、どーん! でーん! ガオー!!の、トドロキぢゃないっ!!

 若く、繊細な青年が、そこにいる。

 演出家がチガウと、こんだけチガウの?!

 男性的無神経さにあふれた作家の、無神経の権化(ソレこそ男性視点でのカッコイイ男の中の男!)ばっか演じていた、漢トドロキが。
 繊細な作品を与えられたら、繊細な芝居をするんだ? 繊細に演じてみせるんだ?

 トドにハマったが故にヅカにハマったわたしです。良くも悪くも、トド様を長く眺めて来ました。
 しかし、22年目にしてはじめて、トド様の演技を繊細だと思いました。
 トド様の演技を、おもしろいと思いました。

 表情や仕草のひとつひとつに内面が見え、感じられ、その多面体な輝きが、動きが、変化が、おもしろくて目が離せない!!
 こんな人だったの? こんなことも出来たの?

 ときめいちゃって、どうしてくれよう(笑)。

 や、今さら困る。わたしご贔屓いるんだってばー!

 たしかにトド様は初恋の人だが、初恋は初恋でもう美しい思い出になっていて、今はもう夫(笑)……ぢゃないが、ゆるがない決まった人がいて今さら20年前の初恋の人に再登場されて当時は知らなかったカオなんか見せられて、しかもソレがめっちゃいい男で好みで、もともとカオで一目惚れした男がそんな内面の魅力ひっさげて登場って、強いばかりで押しの良さだけで男の中の男だったのに、そんな今さらヨワイとこ見せるってなんなのよもお、困るわよ、ただでさえ今、夫(笑)ぢゃなく本命様がしばらく公演なくて会えなくて不在でまっつ切れで人生グレーでつまんなくてうじうじしているとこにソレはないわよ、なんで今なのよもおおおっ……って、ナニ言ってんだかわかんねえ(笑)。 どこの夜10時台主婦向けドラマだ、なノリだな(笑)。

 それくらい、びびりまくった。
 ニュー・トド様が素敵で。

 思いもかけないところからトキメキが飛び込んできて、うれしいやらうろたえるやら(笑)。

 再演である以上、以前の記憶をめぐる時間旅行になるのは仕方がない。

 花組全国ツアー公演は、3年前に同じ2本立てで中日劇場で公演済み。同じ顔ぶれで同じことをしていて、そこに取り返せない「時間」があるから切ない。
 芝居はそれでも物語に没頭できるから忘れていられる部分もあるが、ショーになると記憶の答え合わせみたいになる。
 ああ、ここはこうだった、ここはこうなるのか。

 なまじ『ラブ・シンフォニー』は再再演、3回目だ。短い期間に3回も公演してりゃー記憶も新しい。
 てゆーかわたしは、いったい何回『ラブ・シンフォニー』を観たことになるのか。オサ様退団で通いまくり、まとぶお披露目にも通ったんだ。まさかまた、観るはめになるとは思わなかった。「いかにも中村B」な、「悪くはないけど、良くもないショー」を。

 タカラヅカはスターありきだが、中村Bはスターに合わせて作品や場面を作れない……だけでなく、アレンジもできない。
 デビュー当時から使い続けているテンプレートに曲や衣装を当てはめていっているだけ。自動生成マシンみたいなもんだな、「いかにもタカラヅカ」なモチーフを放り込んでおけば、お約束通りのいつもの「中村B作品」が出来上がるので、あとはそこに出演者を上から1、2、3とあてはめていけばいい。
 テンプレ通りだから、それは「タカラヅカ」であることに間違いはない、とても普遍的なモノが出来る。「タカラヅカ」自体をよく知らない人が1回だけ観ると、「うわあ、タカラヅカだわあ。きれいー!」と思える作りなので、需要のある作風だと思う。
 ただ、贔屓組はヘビーリピート前提で、全組全公演まんべんなく観劇、それを10年以上続ける……ごくふつーレベルのヅカファン(笑)には、いつどの組でナニを観てもまったく同じ、という作風はつらい。
 たとえ今回の『ラブ・シンフォニー』を観るのははじめて、であったとしても「この作品、既視感しかない……」ということになるので。

 そんな毒にも薬にもならない『ラブ・シンフォニー』。
 現実に何十回観劇済みだがそれ以上におなかいっぱいになりつつ、作品が平板であるから余計に思考はいろんなところに飛ぶ。

 オサ様の歌声や、まとぶんの気合い入りまくりのあれこれ。彩音ちゃんの笑顔。
 まっつがいないことは、それほど気にならない……彼の立ち位置は全部無意識レベルに刻み込まれているため、いちいちそこを見てしまい「あ、いない」となるが、それは大してなんとも思わない。
 組替えでいないというより、バウに出演中だからいないとか、『巴里祭』出演中だからいないとか、過去にもあった不在感覚でしかない。まだ、実感していないんだ、まっつが花組にいないこと。全ツとバウの出演者一覧に名前がなかったときの方が、ずっと寂しかった。

 初日初回はまさに答え合わせ。
 花盗人な壮くんが、センターパーツで現れたときに、ぶはっと吹いた。
 そうか、ここも昔のままか!
 初演でまとぶんが気合いのセンターパーツで歌い踊った場面、再演で壮くんまでもが同じ髪型にして現れ、「髪型まで決まってるのか!」とウケた。
 2度目の再演でもまた、同じ髪型なんだ。そうそう、そうなんだね、えりたん。そこはそうなんだ!
 すっかり忘れていたのに、思い出した。

 みわさんの小雨降る♪のタメと吐息っぷりに悶絶したこと、キンバラのゆまちゃんの胸、スパニッシュの壮くんのダンスのやばさ(笑)、女の子にキスするときはクチを開けてのらいらい……順不同に書いてますが、流れの順番に次々思い出してくる。

 初回は3階席でまったりと、そして2回目は1階センターブロック通路際……てことで、まとぶんのハイタッチ狙います!席(笑)。

 答え合わせをしているうちに、甦ったんだ。
 中日で、まとぶんにハイタッチしてもらったこと。(それも、1回2回ぢゃない・笑)
 この人が、ウチの組のトップさん……敬意と憧憬とトキメキを込めて、毎回手を出していた。

 最初にそうやってタッチしてもらった、その人に、最後が見えてからまたタッチしてもらう……それは、とても大切なことに思えた。
 けじめというのもおかしいが、節目を受け止める心構えとして。

 ……実際は、よりによってその回に、今回あたり現れるんじゃないかと思ってはいたけどほんとーにまっつが客席にいて、しかもわたしの席から丸見えなところに坐っていて、こちらがさらに平常心でなくなってしまったため(笑)、まとぶさんのハイタッチ狙いが微妙に遅れてしまいましたが。
 なんとかタッチしてもらえたけれど、中日のときほどばしって手のひら全体でなく、かすめた程度。

 狙うぜ!とか思っていたくせに、自分的にダメダメな結果に落ち着くあたりが、まあわたしらしいかと。
 
 それでも、客席の手をいちいちぱしぱししていくまとぶさんのことは、正面から見られたわけで。
 お披露目公演でそうだったように。
 記憶が、二重写しになる。

 その姿に、切なくなる。

 時が経つ、それは切ないことだ。
 出会いと別れの繰り返し。それを、改めて思う。

 
 贔屓が舞台にいない分、いつも無意識に贔屓ばかりを見ていたいろんな箇所で、いろんなところを見られる、それは楽しい。
 大好きな花組。贔屓の組替えは寂しくてならないが、良かったと思えることは、花組のみんなをたっぷり見ることが出来る、ようになること。何十回観たってダメなんだよ、まっつが出てたらまっつしか見られないの、いつも同じ顔して踊ってるだけとわかってるのにさ、他の人たち見たいのに!!
 だからある意味新鮮な画面。まっつしか見えていなかった場面が、あららフリーダム、あっちもこっちも見放題!

 で、めおくんの腰振りに釘付けになったり、襟が片方出ていないあきらにはらはらし、仕方ないかまだ若いし経験不足だし……と思った目線の端に同じように片方襟が出てない人がいて、誰かと思ったら王子だったり(笑)、じゅりあの靴を見たり、よっちのエロ流し目を見ていたたまれないキモチになったり、らいのウインクを捕獲したりと大忙しだ。

 いつも同じ中村B作品、何十回と観た『ラブ・シンフォニー』。
 既視感と答え合わせ、切なさと発見と。
 ウチの組のトップさん、ウチの組。
 ハイタッチしてもらった、指先。

 楽しいのに、ふいに鼻の奥がつんとする。
 思わぬところで、泣きたくなる。
 雪組ラインアップ、キターーっ!!
2010/11/22

2011年 公演ラインアップ【全国ツアー】<4~5月・雪組『黒い瞳』『ロック・オン!』>

11月22日(月)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、全国ツアーの上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

雪組
■主演・・・(雪組)音月 桂

◆全国ツアー:2011年4月23日(土)~5月22日(日)

ミュージカル・プレイ
『黒い瞳』
-プーシキン作「大尉の娘」より-

脚本/柴田侑宏 演出・振付/謝 珠栄

1998年に真琴つばさ、風花舞、紫吹淳ら月組により上演され大好評を博した、ロシアの文豪プーシキンによる「大尉の娘」をモチーフにした作品。

ショー
『ロック・オン!』
作・演出/三木章雄

2010年、水夏希を中心とした雪組により上演された『ロック・オン!』を、雪組新トップスター・音月桂のためにリメイクして上演いたします。

2010/11/22

2011年 公演ラインアップ【宝塚バウホール、東京特別】<4月~5月・雪組『ニジンスキー』>

11月22日(月)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール、東京特別公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

雪組
■主演…(雪組)早霧 せいな

バウ・ミュージカル
『ニジンスキー』-奇跡の舞神-
作・演出/原田諒
  
伝説の天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの半生を描いたミュージカル。生涯を共にした妻ロモラとの愛、ロシアバレエ団「バレエ・リュス」を率いるディアギレフとの確執。20世紀初頭、“レザネ・フォール”と言われた時代のパリを舞台に、豊かすぎる美貌と才能が、一人の男にもたらした栄光と破滅をドラマティックに描き出します。


 毎年恒例の「まっつ手帳」を作りながら、愕然としたの。

 2010年、まっつは『虞美人』と『麗しのサブリナ』と『EXCITER!!』しか出演していない……!(『相棒』は2009年カウント)

 まっつ手帳っつーのはだ、その年のまっつ公演写真を使って表紙をオリジナルで作るスケジュール帳のことだ。1年間を振り返る内容なわけだ。

 通常は大劇場の「芝居&ショー」×2と、全ツやらバウやらDCやらで1年間に5~6作品はある。
 なのに、今年のまっつは、3作品だけ。花組が大劇場+大劇場で、秋になってはじめて全ツとバウに分かれるスケジュールだったから。そしてまっつは、全ツとバウには出ずに異動したから。

 出演した公演数が大劇の2公演のみ、しかもそのうちひとつは1本物。通し役なので、写真が「同じ」。張良先生の衣装は2着きりなので、公式発売写真も会販売写真も代わり映えしない。
 さらに、たった2公演3作品のうち、ひとつは去年の再演。同じ役同じ衣装ゆえ、写真も「同じ」。ナマ舞台なら別だけど、静止画で見る限り、去年となんら代わり映えしない。

 1年間の舞台写真を集めて2011年のスケジュール帳表紙を作ろうってのに、選択肢の少なさよ……。

 組替えのおかげで、まっつは大劇場+大劇場+大劇場なのよ。間に他のハコがナイの。
 大劇場公演3回連続やって、よーーっやく、別の公演が回ってくるの!!(笑)

 んで。
 雪組組替えが発表された日、混乱しまくりながら2011年の年間スケジュールを眺めた。
 4月の東上付きバウはちぎくんだろーから、まっつは全ツだ。まっつが全ツ? 雪組で? トップ交代後の全ツって大抵、前トップの退団ショーで回るよね?
 てことは、まっつ、『ロック・オン!』に出るの?!と、くらくらしましたことよ……その翌々日、前楽観ながら混乱しまくりだったさ……。

 や、振り分けが出るまでまっつがどちらに出るかはわかんないけれども、ちぎがバウである以上、ふつーに考えたら全ツだろうなと。

 ああやはり、『ロック・オン!』かぁ。定番だなあ。
 退団公演ショーで新トップが全ツや別ハコ公演は定番だけど、前トップファンは複雑になるもんなんだよなあ。

 まったく知らない再演ショーに出演するまっつ、って、観たことナイから、観てみたいなああ。(見飽きた再演ショーばっかだったもんよ、花組。『エンレビ』はもうほんとノーサンキュー・笑)

 『ロック・オン!』は想定内つか多分コレだろと思っていたけれど、『黒い瞳』はびっくりだ!

 謝作品キターーっ!!
 わーいわーい、謝せんせの作品で、まっつが観られるかもーー!!

 『黒い瞳』『激情』『凱旋門』は謝作品カウントです、わたし的に(笑)。

 『黒い瞳』大好きだった。マミさんが美しくて、リカちゃんがうさんくさくて(笑)。このときわたしはまだ、ゆーひくんを個別認識していない。この直後の風花ちゃんバウでオチたんだ……あああ、新公観たかったーー!!

 プガチョフ役が誰かが気になります。
 持ち味的にはヲヅキがハマる。

 が、わたしはまっつファンですから、まっつ希望です(笑)。
 言うだけはタダ、希望するのはタダ!
 先のことなんざわからんが、願っておく。

 ラインアップ発表になるなり、まっつメイトから来たメールが笑えた。
「縄で縛られて歌いながら歩くまっつ?」

 ソコか、友よ?!!(笑)

 マニアックなとこに食いつくなー。
 ニコライ@キムくんとがっつり男の友情とか、「先生」って呼びかけとか、ヒゲとかぢゃないのねっ(笑)。

 
 ちぎくんバウも、題材が魅力的で楽しみです。
 演出家が、わたし的にいまいちな人なんですが……同じ新人なら、生田せんせが良かったなー。
 生田せんせはイケコやサイトー系だけど、原田せんせは中村A的だからなー。わたし中村Aの芝居苦手なんよ……。
 いやその、原田せんせはこれからの人なんで、『ニジンスキー』で脱中村Aしてくれることを祈ってます!

 でもってわたし、ニジンスキーってゆーと、「ヒース、私を見て……」しか思い出さないんですが。
 無教養なもんでなあああ。

 まっつがバウっつー可能性もあるんだよなー。バウだとどんなあたりの役になるんだろう?

 
 なんにせよ、組替えして舞台に立つ姿をまだ見ていないので、どんな立ち位置でどうなるのか、今から予想してもはじまらない。
 だからこそ、勝手にわくわくもできるわけで。どきどきもできるわけで。

 雪組のまっつ。
 ……って、どうなんだろう??

 なんであれ、早く見たいっす。
 ファンタジー感が薄れ、ふつーのドラマになっていた全ツ版『メランコリック・ジゴロ』

 ふつーの範囲内で地に足付けて芝居する人たちの中、ひとり愉快に浮き上がっていたのは、マチウ@めおくんだ。

 めおくんは、独自の世界に入ると強いね!

 芝居がうまい人だという認識はないが、うまい下手とは別の魅力を持っている。それがハマったときは他の役者にはない存在感を放つ。

 弁護士マチウは三枚目。かっこつけることもなく、わかりやすくお笑いキャラ。
 だから素直に笑いを取りに行っていい分、やりやすいっちゃーやりやすいのかもしれない。
 にしたってマチウ。ああマチウ。

 オープニングから、素敵にマチウ。

 なんの説明もなく、役の姿で歌い踊るオープニング。
 マチウはなんとも不思議なダンスをしていた。
 ヘタレ三枚目としてのダンスで、笑いを取ることを真面目に考えていそうなんだけれど……なんだろう、あの期待感のある三枚目ぶりは。
 ただ滑稽というのではなく、長い手足をもてあましている感じが……隠された可能性を洞察したくなるってーか。

 あ、あの人おもしろい……けど、背も高いし手足長いし、あれ、なんかかっこよくない? ほんとはあの人かっこいいよね? 髪型と眼鏡でわかんないけど、ほんとはかなり美形だよね???

 と、初心者(主役以外に惹かれがちタイプ)が目をとめるナニかを持っているんですよ!!(笑)

 マチウは三枚目のなさけないキャラクタ。結局のところ最初から最後まで三枚目のまま。
 だからもちろん、中日版のまりんのように、芝居巧者のおじさんでがちっとまとめることもできる。
 でもめおくんぐらい、アニメ的な美形が演じてしまうのもイイ! 最後まで滑稽なままだからこそ、興味がその後も持続する。「あの弁護士役の人、ショーではどんな風なのかしら」と。
 三枚目の役だからあんなだったけど、あの人絶対美形! という、確信を持ってショーで捜すことが出来る……そんなマチウ。
 初演は美貌のタモさんが演じていたんだから、こっちが正しい使い方なんだろうな。ショーと2本立てのタカラヅカだからこそやっていい、美形の贅沢な使い方。

 なんにせよ、この全ツ版の『メランコリック・ジゴロ』。
 ダニエル@まとぶんとフェリシア@蘭ちゃんの恋愛のリアルさが増し、ヲトメハートでどきどき恋愛に集中できるのはすごーくたのしいんだが、その分「タカラヅカ」的なファンタジックさが減ってしまった。
 それぞれの役を、現実的な持ち味で演じることによって、作品自体がファンタジーからドラマへ移行した。

 舞台はみんなで創りあげるものなんだなと思う。
 たとえばフォンダリ@みわっちは、かなりファンタジックなキャラクタだ。中日版では特に、その仰々しさが活きていた。
 だけど全ツ版ではそれほどでもない。一緒にいるバロット@みつるとルシル@さあやが現実的なキャラクタである分、フォンダリひとりが異次元でいいわけがない。
 芝居センスのイイみわさんは、変わらずに「フォンダリ」でありながらも、悪目立ちすることなく世界観に調和している。

 また、ティーナ@ゆまちゃんがすごーくふつーの女性になってしまっているため、その相方のスタン@壮くんもファンタジー度が下がっている。
 壮くんはタカラヅカ的なファンタジーに満ちあふれた人で、本人のキャラだけで突き進んでヨシなタイプ。
 詐欺師のスタンは壮くんに合った役だけど、今回はちょっと半端な印象。
 ティーナがエイリアンでない分、彼女に冷たくするとスタンの男ぶりが下がるのよー。生身の女の子にあーゆー態度取る男はいかんですよ。もともと正塚脚本がリアルであるため、男女間のモメ方がうれしくない方向に生々しくなる。
 こんな男も、こんなも女もいそうだけど、こんなケンカをしそうだけど、それでも離れられずに共依存していそうだけど、ソレをタカラヅカで、よりによって壮くんで見たいわけじゃない、と。

 フォンダリとティーナという、2大ファンタジーキャラが「現実の範囲内」に収まっている全ツ版は、ほんとに地に足のついた恋愛ドラマになっていた。舞台よりも、映画で見たい感じに。

 それはいい。ソレはソレでイイ。
 でもやっぱりわたしはタカラヅカファンで、タカラヅカでしかありえない「ファンタジー」が好きで、ソレの下がった全ツ版はちょっと寂しかったりもする。

 そんな中で。
 マチウ@めおくんの「タカラヅカ」っぷりは、イイ。

 ほっとする。うれしくなる。
 ああ、「タカラヅカ」だ。コレがアリなのが、いかにも「タカラヅカ」だ。

 めおくんはほんっとに、「タカラヅカ」な人だなああ。

 タカラヅカ度をあえて下げた芝居だからこそ、あえてマチウがめおくんなんだと思う。
 タカラヅカらしいサーモンピンクやグレイッシュピンクな中日版(それでもマサツカだから、鈍いピンク・笑)から、落ち着いたセピア一色になったよーな全ツ版。そこに、アクセントとしてひとりだけ輝度の高い色を置く。
 
 昔、よく絵を描いていたころ。
 セピア一色で描いて、最後の仕上げにホワイトを入れていたことを思い出した。
 ハイライト効果以外にも、ちょっとした輪郭とか、強調したいところとか。
 そうすることによって、下手の横好きの素人ポンチ絵も、なんかまとまって見えたもんだった。
 アクセント・カラーは大切です。どこにどう入れるか。入れすぎてもうざくなるし。

 めおくんは素敵にタカラヅカ。

 パンダを求めて、白浜へ。

 まっつまっつなの、パンダなの! そう言うわたしに、弟は、

「前は海馬って言ってなかったか? タツノオトシゴ・グッズを探し回っていたような」

 うん、海馬だったね!(笑顔)

「で、ついこの間、玄武グッズが欲しいって飛鳥まで行ってたよーな」

 うん、玄武だったね!(笑顔)

 でも今はパンダなの。まっつの中の人がパンダ好きで、パンダ=まっつファンに必須!なの。(笑顔)

 生パンダを見て、パンダグッズを買いまくるのよおー!

「わざわざ見に行かなくても、パンダ柄の猛獣ならウチにいるだろう!……牛柄かもしれないが」

 弟の目線の先には、白地に黒ブチの我が家の猛獣様@先日はパソコンをラックから叩き落としました、がいる。
 ソレはパンダ柄ぢゃない、牛柄よ! 凶暴さは牛というよりパンダかもしれないけど。

 「愛・地球博」でデザートローズを探して歩き回るところから、わたしのまっつグッズ探しにつきあわされ続けた弟は、パンダグッズの旅の同行は拒否しやがりました。どーして? 姉と姉の友人(ヅカファン)と一緒は嫌か、パンダ大好きなくせに。

 
 つーことで、どりーず西組で「白浜アドベンチャーワールド」へ。

 JRの「白浜パンダきっぷ」を買って、「パンダ列車」に乗って、本気のパンダ旅!!(笑)
 
 今、アドベンチャーワールドでは、8月に生まれた双子の赤ちゃんパンダで話題騒然。
 白浜駅に降り立ったときから、どっちを向いてもパンダパンダ、パンダ好きにはたまらない画面。

 わたしはもともとパンダ好きなんです。
 そこに、贔屓のことまで重なり、パンダがいっぱい=まっつがいっぱい、な間違いまくったフィルターかかって、もーシアワセっす!!
 あー、パンダかわいいなあ。あー、まっつかわいいなあ。(だからソレ間違い)

 赤ちゃんパンダを見るための行列は30分待ち当然、体重測定を見るためにはどれくらい前から並ばなければならないのか?てな状況。
 赤ちゃんパンダは生後101日目でおにーちゃんが5.5kg、妹が5kgってとこで、一緒に行ったチェリさんちの猫よりはるかに小柄・体重軽いということがポイントですね。そっかあ、猫より小さいんだあ……ってゆーより、チェリさんちの猫の大きさにびびる……(笑)。ちなみに猫の平均体重は4kgだそーですよ。
 赤ちゃんパンダはめちゃくちゃかわいかったっす。
 あの口元! あのお尻!!

 が、赤ちゃんパンダより、青空の下、仰向けになって両手両足を開ききって熟睡している大人パンダの方がある意味強烈でした……うわー……。

 パンダだけぢゃなく、他の動物も堪能。

 てゆーかみんな、「あ、あさこだ!」→シロクマ、「ゆーひくんもいる」→レッサーパンダなど、他の人にはわからないコトバで会話している(笑)。
 「なんでカッパはいないのーっ?!」……いないよ(笑)。

 わたしは海獣苦手なんで、海獣関係はみんなが「かわいー!」と言うなか、ひとり「きもいー、きもいー、ぎゃ~~!」とゆーてましたが、魚を連想する姿・質感・動きが苦手なだけで、動物を連想する動き・表情などはかわいいと思っているのよ。

 その海獣ショー。
 まず、アシカのショーを観てから、イルカショーを観たわけなんだが。
 アシカや他の小動物のショーは、小さな会場で、ストーリー仕立て。目玉のイルカショーは大きな会場で、観客も多い。

「結局カワウソくんは芸をしなかったね」
「舞台横切ってたじゃん!」
「かわいいから許されるんだよ」
「檀ちゃんだってしずくちゃんだって、黙って舞台横切るだけで芸になってたわ! かわいいっていうのはそれだけでひとつの芸なのよ!」
 
 アシカショーの感想がソレだし。

「やっぱこっちは大劇場?」
「アシカたちは若手なのよ、だからバウホール。やっぱ大劇場は広いし、観客数も多いわ」
「出演者も多いねー、さすが大劇場」
「トップスターは誰? 今のイルカ?」
「うわ、3組のデュエットダンスだー!」
「スターが銀橋に勢揃い!」
「すごい、やっぱトップスターって最後までひとり銀橋に残るんだ」
「中詰め華やかー!」
「銀橋のダンスソロ、あれはダンス得意な中堅?」
「そのか?」
「そのかー!!」(呼ぶな)
「フィナーレ! パレード!!」

 イルカショーはソレだし。
 や、客席の前にエプロンステージがあってねー。そこを勝手に銀橋呼びしてねー(笑)。
 イルカがそこに勢揃いして、最後に1匹だけ残る演出とかもお。

 ナニゴトも、ヅカ変換。

 お子様向きなテイストのアシカショーと比べ、イルカショーは「やたら感動的」な演出のショーでした。愛とか未来とか、感動的なテーマ曲にのってナレーションすらなく淡々と芸を披露。
 愉快なナレーションをしてお笑いに走るのではなく、「感動壮大路線直球」なのが、すごいなと。

「弟さん来なくて正解だったね。イルカショーのときとか、ヅカファン以外はわかんないよね」

 うん、共通言語は大切だね。
 弟とは趣味や感性が合うのだが、唯一ヅカだけはまったく理解してくれなくて、いつもどかしい思いをしている。
 まあヤツとはゲーム言語で話してるけどさー(笑)。

 
 生パンダを見て、パンダグッズを買いあさり、パンダランチやパンダスウィーツを飲み食いし、パンダ充しまくりました。
 パンダグッズしかない店とか、入るなりテンション上がりまくり。うおおお、まっつ~~!!(落ち着け)

 
 そーやってパンダ尽くしで大阪に戻り。

「ふつー白浜って泊まりで行くとこだよね。でも緑野さんとはふつーの人が何泊するところを日帰り強行ばっかしてる気がする」

 うん、博多とか東京とか、日帰りが基本だよね(笑)。特に東京は日常的に日帰り範囲だよね?
 とゆーnanaタンとは、最後梅田で動くポンズ広告捕獲まで一緒。
 や、我らが89期ポンズ5の巨大ポスターが10枚10種類、梅田のムービングロード脇の壁に貼ってあるのな。ムービングロードに乗っていると、広告が動くよーに、次々見ることが出来る、という。
 梅田の広告って値段の関係かサイクルが早くて、1週間で消えることが多いため、「トウコちゃん観に行くときでいいや」とか思ってたら、見逃す可能性もある!
 ビデオカメラ持ってる今、捕獲しておくべきでしょう!と、梅田の真ん中でカメラ回してみる(笑)。自分的記念っつーか記録っつーか、「こんな広告もあったんですよ」とゆーか。
 いつか、なつかしく思い出すだろうから。

「だいもんと記念撮影しなくていいの?」

 ……だいもんも大好きだが、この広告群と記念撮影ですね、したいのは(笑)。
 タカラジェンヌがイロモノとしてではなく、美しく扱われているのはうれしいの。

 
 そんな、ヅカ尽くしな1日。
 ……nanaタンと別れたあと、深夜まで開いている書店に寄って、「GRAPH」を補完。
 ポートレイトの、麗しまっつ!!
 
 ヅカ尽くしではなく、まっつ尽くしの1日として締める! まっつまっつまっつ!
 作品を好きだと、再演は「役替わり公演」として楽しめる。
 演じる人が変わることで、新しい発見や、解釈があったり。

 ダニエル@まとぶんとフェリシア@蘭ちゃんの年の差恋愛に萌えられるのも、そういった再演ならではの楽しみ。

 路線・脇関係なく、大胆なシャッフル配役をしてくれた、全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』
 期待していましたとも、いろんな役を、人々を!

 そして。

 3年前の中日公演とはかなり色が変わったなと。

 なんつーんだ、ファンタジー色が薄れて、よりふつーの恋愛モノになったというか。

 主人公のダニエルと、相棒のスタン@壮くんは、基本あまり変化はしていないと思う。同じ役だから、いきなり役の解釈を変える必要はない。
 ただ、彼らをとりまく人々が大きく変わった。

 現実的な人々に。

 初日の2公演を観て、驚いたんだ。展開されている物語の、ふつーさに。

 同じ物語なのに、タカラヅカ的ファンタジー色が薄くなってる。すごくふつー。ふつーの、ミュージカルだー。

 あまりにふつーで驚いた、いちばんはなんといっても、ティーナ@ゆまちゃん。
 浅慮で生活が派手な、ふつーの女の人だった。
 ちんぴらを恋人に持ち、ふたりで組んで美人局とかやってる、テレビドラマや映画によく出てくるタイプの美女。
 ぶっとんでもいないし、エイリアンでもない。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、「ありがち」な言動と生活をしている、顔とカラダのイイ女の子。

 そ、そうか、ティーナって脚本的にぶっとんでるわけじゃなく、ふつーの人が演じればふつーのキャラクタだったんだ。

 改めてののすみの化け物ぶりを思う(笑)。ののすみティーナのぶっとびぶりは半端なかった。
 そこを舞台の中心にしてしまう、華と存在感。
 他の誰とも比べられない「ティーナ」という女の子を創りあげていた。ドラマや映画というよりは、マンガやアニメ的。二次元をよくここまで三次元化したってゆーか。
 彼女の作り出すファンタジーっぷりは、すごかったんだ。

 次にふつーで驚いたのは、バロット@みつる。
 なんの違和感もなく「オレに任せりゃ一発だ」な男。
 そう、違和感がない。みつるが腕っ節だけが自慢の乱暴者を演じていても、ふつーに納得してしまう。
 あ、あれ? ふつーだ、違和感ない、納得……って、バロットってそーゆー役だったのか??

 改めて、まっつはバロットキャラではなかったんだなと思う。任ではないというか。
 まっつがあのひょろっこい姿で、カケラも強くなさそうな姿で「オレに任せりゃ一発だ」ってのは……キャラ違いも甚だしい。
 わたしは最後までわからなかったさ、まっつバロットが本当に強いのか、強いと思い込んでいるだけのバカなのか。

 外見と演じているキャラのミスマッチ……それゆえにまっつバロットは「そこにいるだけで笑える」キャラクタだった。
 ふつーにカーテン前を歩いているだけで、客席から笑い声が起こる。別におもしろいことをしているわけでも、言っているわけでもないのに、とにかく笑い声が上がる。
 まっつのバロットしか知らないわたしは、バロットってのは、そーゆーキャラかと思っていた。

 が。みつるバロットは、別に笑いは起こらない。
 ふつーに強そうだし、強くてもアタマは弱くてかかあ天下なんだなと、見た目から納得できる。
 ドラマや映画によく出てくるタイプ。会話としておもしろいところは笑いが起こっていたけれど、存在自体がおかしいわけではまったくない。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、「ありがち」な言動と生活をしている、愛すべきちんぴらキャラ。

 みつるバロットのふつーさを後押ししたのはもうひとつ、奥さんのルシル@さあやにも原因がある。
 さあやは美人で手堅い仕事をする人だが、やっぱりその、地味だ。うまくて地味な人とコンビ芝居をすると、さらにバロットはふつーの男になる。みつるには、巧さより華やかさのある女の子と組む方が合っている気がした。

 ふつーといっても、バロット自体かわいくてイイ役なので、見ていて楽しいからいいんだが。
 つか、そもそも役が正しい、任に合っている、のはみつるバロットだよな?

 でもって、次にふつーで驚いたのは、ノルベール@まりん。
 はっきり言って、すげー巧い。
 芝居巧者のまりんが、余裕で本領発揮している。浮浪者のときも、一転して元大物犯罪者と正体を明かすときも、フェリシアの父として対峙するときも。
 途方もない話なのに、まりんが演じればそこにリアルが生まれ、なんかすげー感動物語発動。彼の人生の重みが感じられ、親子の対面で泣かされる。

 さおたさんノルベールは、リアルではなかったなと。彼は二枚目過ぎた。彼には生活臭がなかった。罪と秘密を背負い10年以上逃げ隠れしていたとか、実感できない。
 ただの「種明かし」「どんでん返しを語る人」であり、生きた人間ではなかった。
 でもそれが、中日版のノルベールに相応しかった。
 ティーナやバロットが派手にファンタジーを構築しているように、ノルベールもリアリティよりは「物語」としての美しさが必要だった。フォンダリ@みわっちが異世界なくらいファンタジックなキャラなんだし。
 

 とまあ、中日版と比べ、全ツ版は地に足がついている。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、恋愛ミュージカルやってる。
 同じ脚本なのに、こんだけ変わるんだ。

 つか、中日版はほんとファンタジーだったんだ。
 「いそうで、いない人」という半リアルな設定で、そこからさらに斜め上にぶっとんだキャラ造形だった。
 笑いもどっかんどっかん、総じて派手。
 でもって、ここに彩音フェリシアという、これまた現実離れした妹キャラが加わるわけだ。リアルな蘭ちゃんではなく。
 ラストシーンがダニエルとフェリシアのデュエットダンスっつーのも、いかにもタカラヅカな「ファンタジー」だよなあ。全ツはソレもカットされてるしさー。

 中日はファンタジックなコメディ、全ツは恋愛ドラマって感じか。
 どちらがいいとか悪いとかではなく、それぞれおもしろい。

 ふつーな世界観だからこそ、今回はさらにダニエルとフェリシアの切ない関係にドキドキきゅんきゅんできる。

 
 中日版に比べ、リアルにふつーにまとまった全ツ版。
 そこでただひとり、正反対にファンタジーキャラをぶっ飛ばしているのは、マチウ@めおくん(笑)。
 それはまた、別の欄で。
 『CODE HERO/コード・ヒーロー』って、どんな話?

 ロックがやりたくて、演歌に着地した話。

 とゆーことで、花組バウホール公演、まぁくん怒濤の連続主演初日に行ってきました。

 舞台は1974年のアメリカ、らしい。数字は多少チガウかも、でも74年前後だったと思う。
 でもって当時のロックをガンガンに生演奏で使った、ゼイタクな公演、らしい。

 いやはや。
 あれはロックなのか?
 演歌ぢゃなくて?(真顔)

 日本海の荒波と和服の演歌歌手が似合いそうな音楽に、充ち満ちてました。

 使われていた曲が実際に当時あった曲なのか、それ風に作ったオリジナル曲なのか、うといわたしにはわかりません。いや、わたしがとんちんかんなだけかもしれない。70年代アメリカはあれがロックだったのかも。
 だとしたらごめんなさい。

 で、音楽のことはともかくとして。

 1974年のアメリカが舞台、らしい。
 しかし、時代劇が繰り広げられていた。

 谷先生って、ひょっとして1974年を18世紀くらいだと思ってる?
 
 もんのすげー、大芝居。

 古典劇ですかコレ、スーツ物なのにみんなえーらいこっちゃな芝居、台詞回し。
 ずーっと苦悩している主人公なんか大変ですよ、たかが日常会話で顔をゆがめたまま片手で自分をがしっと抱き、次にもう片手でさらに自分をがしっと抱き、両腕で自分を抱きしめて叫びながらがくりと膝を折る、でもって1曲歌っちゃう、とかですよ? ふつーの会話中ですよ? クライマックスぢゃなくて!!

 万事このノリでねええ。

 大劇場でコスチューム物の時代劇やってるよーな感じなの。
 バウホールでスーツ物の現代ドラマやってるなんて、演出家が気付いてないんだと思う。2500人劇場のいちばん後ろからでも、感情がわかるようなお芝居なの、ヅカ歌舞伎なの。

 これならまだ、大昔に作られたとかゆー、隣の大劇場でやってる『誰がために鐘は鳴る』の方が自然な演技だし、この間同じバウでやってた、コスチューム時代劇の『オネーギン』の方が断然自然な現代劇だった。

 復讐物で大芝居なもんで、みんな終始怒鳴りっぱなしの怒鳴り芝居。……大変だニャ。

 で、芝居が時代劇なことはともかく。

 1974年のアメリカが舞台、らしい。
 VHSビデオテープが一般家庭に普及しているけど。

 ※VHSビデオテープは1976年に日本で開発されました。

 他にも出てくる単語やテーマが、いちいちこれって現代日本だよね?と思わせる。

 35年前のアメリカの空気感ナッシング。
 作者がただなんとなく脳内で「ちょっと前の、自分の知っていること」を書いた、のよね? ちょっと前だから携帯はないの、ちょっと前だからビデオテープなの、と。
 自分の知っていることだけで作っちゃったから、舞台が日本なの。

 
 えー、そんでもって見どころは。

 だいもんの手錠と、くまくまのチェーンソー。(えっソコ?!)

 ジャスティン@まぁくんは殺人犯として10年も刑務所にいた。んで、模範囚として無事仮出所。彼はほんとのとこ無実で、自分を陥れた真犯人に復讐を誓っているのだ。
 つっても手がかりがないもんで、とても大雑把に「自分が殺人犯になったのは、犯行を目撃したという嘘の証言をしたヤツがいたためだ。その証言をしたのは郵便配達人だった。だから、郵便配達人が証言をしている他の殺人事件の関係者に会おう!」というんだ。ザッパーにも程がある、キミはどこのクリストファー@『BUND/NEON 上海』やねん。
 んで郵便配達人が決め手の証言をした、まったく別の事件の、殺された被害者の娘で犯人の婚約者だというヴァネッサ@みりおんに会いに来た。おとなしく婚約者の刑期が終わるのを待っているヴァネッサをたき付け、復讐心をあおる。
 そこへ飛び込んできた手錠の男、ハル@だいもん。彼もまた、身に覚えのない殺人の罪で警察に追われていた。
 3人は共通の目的のために手を取り合い、己れの掟に従い立ち上がった!!

 ……いやもお、なんというか。
 すごいよ?(笑顔)

 友だちと並んで観劇したんだが、ふたりとも肩震えっぱなし。
 ツッコミどころ満載!!
 ひとりで観るより、お友だちと一緒に! より楽しめると思う。幕間、終演後に会話がはずむぞっ!

 とりあえず、2回観たくなる作品です。

 3回はいらんかもしれんが(笑)、2回は観ておけ? な? てな話。

 でもって、ネタバレ厳禁。
 知らない方が楽しめる。
 挨拶時にまぁくんが何度も「真犯人が誰かは言わないでください」と念を押してました。

「真犯人って、あの人だよね?」
「そう、あそこで笑ってる……」

 まぁくんの念押しを聞きながら、わたしと花坦ドリーさんはそんな会話をしました。
 真犯人ってゆーかねー……(笑)。

 
 ストーリーはツッコミどころ満載!!
 でもって、出演者は見どころ満載!!

 谷せんせの「かっこいい男はロング衣装着せておけ」っつーことで、まぁくんロングコートばっさばっさひるがえしてまつ。
 幻想のダンスシーンも、みんなロングコートばっさばっさひるがえしてまつ。
 ついでにいまっちも、ロングコート(ベスト?)ばっさばっさでつ。

 だいもんは手錠プレイえんえん、おちゃめでホットな映画ヲタクです。放っておくと映画と現実混同したよーな台詞を空気読まずに垂れ流します(笑)。
 そして、謎の衣装で、突然1曲オンステージ。
 空舞台にたったひとり、ストーリーの流れぶった切ってまるまる1曲ソロ……すげえ。

 まぁくんもみりおんも怒鳴りっぱなし……テンション一定だから表情も同じ、だがしかし、がんばれ。美男美女だからこその華、説得力。
 アーサー、しゅん様かっこいー。ふみか、うさんくさいー。さおたさんがすごくさおたさん(笑)。まゆくんかわいい、台詞のない葛藤部分がイイ! でもはるちゃんは年上女房だよね?
 くまくまが素敵すぎる。でもくまちゃんがほんとは兄より年上だよね?(笑) そしてヒッピーな妹たち……。
 いちか巧い、そして突然のソロ……。イブちゃんといちかが時折恋人同士に見えた……ナニあれサービスなの?(サイトーなら間違いなく趣味でやってると思うが、谷せんせなのでそれはナイか)
 ネコちゃんもナニ気にいい役、びっく大きいよびっく、モブで踊ってるときのきらりがハンサム過ぎる!(笑)。
 みんないろいろ役ついてます、台詞あります。

 ネタバレ禁止ゆえ語りにくいのだが。
 ラストを見て、いちばんに思ったことは。

 ケネス@タソはどーなったの?です。

 ヴァネッサ、ひどい(笑)。
 ダニエルがロリコンになってる……っ!

 花組全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』初日観劇。

 『メランコリック・ジゴロ』自体は、中日公演に通って何度も観た。大好きな作品。
 ダニエル@まとぶんはまさに「お兄ちゃん役者」で、そのアツさと誠実さ面倒見の良さっつーか「関係ないよ」と手を離せない投げ出せない生真面目な不器用さ……そーゆーのがハマって、ものすごく素敵だった。問題は、ジゴロに見えないこと……(笑)。ジゴロだと悪ぶっているだけの、ふつーに誠実な若い男に見えた。

 それはまとぶんの愛すべき持ち味。クールやドライになる必要はない、ホットでウェットでいいじゃない。
 中日公演から約3年経ち、トップスターとしてのキャリアは重ねたけれど、この人は変わらず地に足をつけている印象。
 女を食い物にするワル=かっこいい、ではなく、年上の金持ち女にふつーに恋してたのに、浮気がバレて捨てられて、その言い訳に「オレはジゴロだ、あんな女ただの金ヅルに過ぎなかったんだ」と虚勢を張る、等身大の青年の好ましさ。

 ワルが純真な少女と出会い、恋することによって改心するのではなく、もともとふつーのオトコノコ。ふつーだから、一攫千金の「完璧な計画」にも乗ってしまうし、嘘からはじまった関係や過去や現在の自分の生き方を恥じて、愛する少女に素直に告白できない。
 それってものすごーくふつーだ。
 納得できる、感情移入できる、キモチの流れだ。

 クールだったり格好良すぎたりしない、感情移入できる等身大の男の子、ダニエル。

 そんなふつーの青年だからこそ。

 フェリシア@蘭ちゃんとの関係が、リアルにロリコン味を増す……!(笑)

 
 フェリシアの初登場場面、オープニングはほんと、大変なんだなとはじめて思った。
 それぞれ派手に歌い踊る人々の中、紺の事務員的ワンピで本を手に登場するのは……相当華がないと埋もれるんだなと。

 蘭ちゃんのスターとしての素質に疑問はないが、それでもこの初登場シーンにぎょっとした。あまりに、地味で。
 地味でグズな女の子役だから当然なんだが、それは本編でそうあるべきで、オープニングのショー部分では華やかに「この物語のヒロイン」と、輝きと存在感をばーんと出してくれてもいいんだがな。
 うわ、かわいいきらきらした子が出てきた! でもなんか地味なカッコしてる?? と思わせるのが、このオープニングでのフェリシアの役割では?
 そして、彩音ちゃんは華やかな娘役だったんだなと、改めて思う。実力面でいろいろ足りないところはあったけれど、とりあえず地味服着て出てきても、「あ、なんかヒロインっぽい人が出た!」とわからせる力のあった人なんだ。

 蘭ちゃんの良さは、初見初登場の数秒で視覚にがつーんと来る系の、大輪の薔薇や牡丹のあでやかさではない。彼女をずーっと見ていることによって、じわじわと伝わってくるんだ。
 タカラヅカの娘役トップスターとしてそれはどうよ?な気もするが、初見での客席の掴みは技術として後天的に得られる部分もあるので、それは今後に期待。

 とりあえず、フェリシアとしての初登場時に、あまりに地味で埋もれていて、びびった(笑)。
 ナニこの子……って、はっ、そうだこの子がヒロインだったっ。
 
 地味ではかなげで、他の花の陰に埋もれて揺れているかすみ草みたいな女の子。小動物というか、ハムスターみたいな女の子。
 肉食獣だの大型獣だの間で、このか弱い女の子はどんなはたらきをするのかしら……?

 彩音フェリシアにあった押し出しの良さと鈍くささがない分、際だつのは幼さ。

 彩音ちゃんのフェリシアって、たしかに鈍くさいっつーかスローモーな感じだった(笑)。ちゃきちゃき先輩@さあやからすりゃ、そりゃ耐えられない時間感覚だったろうなと。

 でも蘭ちゃんのフェリシアは、それほどトロそうに見えない。おどおどはしているけれど、それは人生経験の少なさから立ち居振る舞いに迷いがあるせいで、それほど鈍くさいわけでもなさそう。
 まあ、彼女のスローさを対比で表す役目の先輩@仙名さんが、ちっともきびきびして見えなかった、むしろフェリシアよりもドジッ娘☆に見えたせいもあると思うが……。(がんばれ仙名さん・笑)

 フェリシアが人生生きにくそうにしているのは、彼女がグズキャラだからではなく、単に子どもだから。
 戦争と親の死と、幼い彼女が社会に出てひとりで生きなければならない状況があったから。

 15歳のナニも知らない女の子が、家庭の事情でいきなり就職してもばりばり仕事できないし、大人の同僚からは役立たずだと思われるし、おどおどしちゃうのは仕方ないって。

 子どもだから、父親のニュースに即仕事辞めて飛び出して来るし、「お兄ちゃん!」とダニエルになつきまくるだろう。

 フェリシアが本気で「少女」だから……ダニエルとの年齢差がすごいことになってるから……。

 おもしろいな、コレ(笑)。

 ダニエルがフェリシアに対して保護本能を発揮するのも、惹かれていてもそれを打ち消そうとするのも、騙しているとかジゴロだからとゆーことに加え、年齢差のタブーがありそう。

 「ひとりって嫌ね」と言うフェリシアに「これからは一緒にやっていこう、兄妹なんだから」と言うダニエルがより無心に見える。
 きれいな若い女の子と暮らすのは男としてまずいけれど、かわいくてもまったくもって子どもで対象外、大人としていたいけな孤児を保護する意味だから、ぜんぜんOK。……って感じ。
 この子の兄として、この子を守って生きていくのも悪くないかもしれない。より無心に、なんの下心もなくそう思う。

 そーやって、大人として子どもを拾った感覚だったのに……その対象外の子どもに、どんどん惹かれていく。
 ちょっ待て、相手子どもじゃん、女じゃないじゃん。オレってロリコン?!
 自分のアイデンティティまで揺らぐダニエル(笑)。

 そしてまた、蘭ちゃんの演技は繊細系。
 いたいけな少女フェリシアが、すげーリアル。
 むらむらわき上がる保護欲。
 この子を守りたい、しあわせにしてやりたい……っ。

 「ずっとひとりだった」と言う彼女、「でももう孤独じゃないよね」と笑う彼女。
 フェリシアの背負ってきた孤独とか悲しみが、そこに透けて見えて一気に切なくなる。

 そりゃダニエルも「お兄ちゃん」をかってでるわな!
 オレに任せろ!てなもんだな。

 でもあまりにフェリシアが素直に心を預けて、頼ってくれるから……罪悪感と恋心が表裏一体にわき上がるわな。

 ナニこの萌え物語。

 すげえツボな話になってますよ。や、もともとそうなんだけど、中日版より、さらに。
 今日は毎年恒例の『1万人の第九』レッスンの最終日だった。

 恒例であり日常なので、なんかもお、鈍感になっているようで。
 とくにナニも思わず、考えず、それが当たり前であるがゆえにルーチン化していたというか。
 もちろん、自分なりに一生懸命歌ってはいるんだけど。……音楽的才能、カケラもないからな、わたし。

 先生の指示で、フーガの第一声をアルトパートみんなで繰り返し練習。そこがなんとか良くなったので、じゃあその先も歌ってと言われ、一斉に歌い出す……が、すぐさま先生に止められる。
 練習した第一声だけ良くて、そこで安心してそのあとが弱くなってる、と。

「アルトさんは、第1テーマなのよ。最初のSeidだけじゃダメ、Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! までがんばって歌って。 ganzen Welt!よ、ganzen Welt!。みんな、言葉の意味わかって歌ってる?」

 言葉の意味っすか。えーと、なんだったっけ? みんな目が泳いでる(笑)。

「もっとより良い世界を!! そう思って歌ってる?!」

 何故だろう。

 ここで、ぶわっと涙が出た。

 より良い世界か。
 誰だってそれを望んでいるのにね。悪くするためにすることなんて、ひとつもないのにね。

「ソプラノさんは第2テーマ、Freudeは歓喜、喜びよ!」

 第九は「歓喜の歌」。喜びを歌う歌。
 なんであたし、こんなときに喜びの歌なんか歌ってるんだろう?
 けっこう今、オチてるんだけどな。こんな気分で、喜びって、歓喜って。

 第九が喜びの歌だとわかっているのに、なんか今さら苦しくなった。

 そして、一通りの注意が終わり、再度合唱開始。
 アルトの歌声からはじまる、フーガ。
 一小節遅れてソプラノが加わる。第九の特徴的なあのメロディ、Seid umschlungen, Millionen!とFreude, schöner Götterfunkenが女声だけで絡み合う。

 テーマを1回歌い終わったところで、男声が加わる。4つのパートがそれぞれ別の歌詞を、メロディを追い掛け合うように歌う。

 歌う内容はみんな同じ。
 喜び。

 気を取り直して歌っていたのに……何故だ、この男声が加わり、「第九」の本領発揮な音の重なり、フーガが加速したところで、またもガツンとキた。
 一気に泣けた。

 4つのパート、4つの声は、まさにganzen Weltを表すのだろう。全世界。いろんな人々。
 みんなみんな、より良い世界を、美しい世界を望んでいる。
 それが得られることを、望んでいる。

 
 わたしがもしも、壮くんのファンサイトを運営するなら、ブログでもいいや、ファンブログをはじめるのなら、あるいは元同人女らしくファンジン(笑)を出すなら、タイトルは「Elysium」にしようと、決めていた(笑)。

 第九の主題、あのもっとも有名なフレーズ。
 第九と聞いて思い出す、あのメロディ部分の歌詞。

 Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium

 その、Elysium。
 いつもいつも、ここでえりたんのことを思い出していた。

 えりーずむ。
 えり・イズム。

 タイトルは絶対「Elysium -えりイズム-」。
 Elysiumは「楽園」という意味の単語。

 楽園という意味で、読みがえりたん!!
 もお、壮くんのファンサイトにつけるしかないわ!と(笑)。

 語学さっぱりなので、楽譜に書いてある語句の意味としてしか、知らないんですが。
 教養がナイため、第九の歌詞でも勝手にジェンヌを思い浮かべてます。
 Millionenではみりおくんだし、eine Seeleで愛音さんだし、Ahnestで『Ernest in Love』だし。Todはもちろんトート様だし。

 「タカラヅカ」はわたしにとって、楽園なのです。
 歓喜の歌で歌われる、Freude, schöner Götterfunkenなんですよ。
 
 所詮は絵空事、誰もほんとうにそんな世界が作れるなんて思っちゃいないでしょう?な、歓喜の歌に歌われる、Alle Menschen werden Brüderな世界なんですよ。

 そこで起こる、切なさや悲しみも含めて、全部ひっくるためて、「タカラヅカ」なんだと思う。
 「楽園」なんだと思う。

 わたしは、いちばんえりたんの境遇についてショックを受けたけれど、きっとすべてのヅカファンが、それぞれの立ち位置、それぞれの想いで受け止めていると思う。
 傷ついたり悲しんだり混乱したり。もちろん、喜んだり。
 わたし個人の中ですら、えりたんのことはえりたんのこととして、らんとむがトップになることはうれしいのだ、というややこしさがあるのだし。
 ひとつの事象は、受け止める人によってちがっている。そのひとのなかですら、刻々と色を変える。

 それでいいのだと思う。
 わたしが傷ついたから、喜んでる人が信じられない!とかゆーのではなく、ひとりずつがチガウ受け止め方をする、それもが「宝塚歌劇」というモノなんだなと。

 それすら内包するモノなんだ。なにしろ「Elysium」だからな。

 劇団に対し憤ったり絶望したりはしょっちゅーだし、愚痴もさんざんこぼしているけれど、それすら含めてが「タカラヅカ」のファンであるわけだ。

 
 美しき神々の火花、楽園の乙女。
 彼らと出会えたこと、彼らを、そして彼らの生きる世界を愛している、喜び。

 
 レッスン最終日にして、いちばん気持ちよく歌えた。腹の底から声を出した。
 泣いて、ナニかぶっちぎれたみたいに、声が出るよーになった。周囲の人ごめん(笑)。
 蘭寿とむは、トップスターになるべき人である。

 彼がトップスターになることはわかっていたし、タニちゃんほど極端ではなかったものの、「未来のトップスター」として下級生時代から大切に帝王道を劇団から用意されていた、特別な人だ。
 劇団の期待や扱いという意味だけでなく、彼自身の資質、実力、人間味ともに、トップになるべき人だとわたし自身思っていた。
 だから、彼がトップになるのは、あるべき人があるべき地位に就くことであり、自然な美しい姿だ。祝福されることだ。

 ただ。
 その当たり前の、自然な姿は、このようなカタチである必要があったんだろうか。

2010/11/15

花組 次期トップスターについて

この度、花組 次期トップスターに蘭寿とむ(宙組)が決定致しましたのでお知らせ致します。

尚、蘭寿とむは2011年4月25日付で宙組から花組に組替えとなります。
トップスターとしての公演は、2011年6月24日に初日を迎える花組宝塚大劇場公演(演目未定)からとなります。


組替えについて


この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。

【星組】
凰稀 かなめ・・・2011年2月25日付で宙組へ
(今後の出演予定)
・~2011年2月24日 星組中日劇場公演『愛するには短すぎる』『ル・ポァゾン 愛の媚薬II』に出演
・2011年5月20日~ 宙組宝塚大劇場公演(演目未定)に出演

【宙組】
蘭寿 とむ・・・2011年4月25日付で花組へ
(今後の出演予定)
・~2011年1月30日 宙組東京宝塚劇場公演『誰がために鐘は鳴る』に出演
・2011年3月      宝塚及び東京にてディナーショー開催予定
・2011年6月24日~ 花組宝塚大劇場公演(演目未定)にトップスターとして出演

 思い出すのは、一昨日見た、壮くんの笑顔だ。
 加えて、わたしは今日またムラにいた。宙組観劇だって、していた。今日のぐだぐだな避難訓練も一応参加したさ。だから、らんとむの笑顔も、見たばかりだ。

 タカラジェンヌはみんな、いろんなものを内側に抱え込んで、それでもあのきれいな笑顔を見せているんだ。
 その事実に、泣きたくなる。
 彼らはフェアリーでありながら、こんなにも「人間」だ。
 ひとりずつなにかしら重いモノを抱え、背負い、それでも笑うのは、「人間」だからだ。
 そんな彼らだからこそ、わたしたちは愛し、夢を見る。

 らんとむトップ発表おめでとう。
 かなめくん、宙組でもがんばれ。

 そして。

 そして。
 大好きな壮くんと、大好きな花組が、美しくあれますように。輝き続けられますように。

 まとぶんから壮くんへの引き継ぎが見たかった、いずれ来るだろうゆーひくんの卒業時、らんとむへの引き継ぎが見たかった、ちえねねテルの並びが大好きだった……言っても仕方のないことでも。
 それらの「美しいこと」を捨ててまで決行するこの人事が、さらなる輝きを得られると、願うばかりだ。祈るばかりだ。

 でなければ、やりきれない。
「はじめて、まっつ見た。まっつって、素顔はきれいなんだ」

 ちょっと待てMyフレンド、その限定項な感想はナニゴト?

「なんで舞台ではメイクダウンしてるんだろう?」

 えええ。舞台顔ダメですか? 舞台もめちゃかっこいいと思ってますがっ。

 梅芸花組全ツ初日の夜公演。
 客席にはすでに雪組組子となったまつださんが来ていました。
 わたしは友人のキティちゃんと観劇後もお茶したりしていたわけですが。
 
 そこではじめて知った、まっつの舞台メイクってそんなに変なのか。
 そーいやBe-Puちゃんもさんざん「変な顔」呼ばわりしてたな。
 いや、Be-Puちゃんは素顔(スカステ)も変呼ばわりしていたぞっ。

 顔の美醜なんてほんと好みによるところが大きいもんなー。
 美形で通っているあの人とかこの人とか、どこがそれほど美形なのかマジでわかんなかったりするし。や、整っている場合はそうわかるけど、整うと美しいは厳密にイコールぢゃないよねええ。

 わたしはまっつの舞台顔も素顔も美しいと思います、ナマで見る限り。
 テレビでは微妙と思うことも多いので……はっ、テレビカメラという別人のフィルターを通して見るまつださんこそが、一般人の目に等しく映っているまつださんなのか? ナマで見るだけだと、わたしの「まっつ大好きフィルター」がかかって別人に補正されているっ?!(笑)

 まあなんにせよ。
 久しぶりにナマまっつを見られて幸福な日でした。
 つーことで、ナマまっつを自分の席から目だけでストーカー(笑)した記録。

 
 まっつは真っ黒髪ではなく自然な茶髪で、巻物付きのいつもの格好。や、いつもなんか知らないけど、勝手に「いつものまっつ」と思うような服装。
 最初に登場したときは帽子を目深にかぶっていて、鼻先から下しか見えなかったけど、そんだけ見えればまっつだとわかる人にはわかる。
 わたしの周囲も「まっつさん来た」とざわめいていた。……よかった、みんなにもわかるんだ、とナニその心配(笑)。

 ジェンヌは連れだって観劇することが多いけれど、まっつの周囲にはジェンヌらしき人はナシ。席の両側も年配女性だった。坐るときにあちこち挨拶していたから、あのへん関係者席なのかな。
 センターブロックの3列目だか4列目だかの、上手通路寄り。数字覚えるの苦手だから、細かいことは忘れた(笑)。ただ、わたしの席からよく見えた。小さな後ろアタマ。

 芝居の間は暗いし、こちらも芝居に見入っているのですっかり忘れていたが、ショーになれば客席前方は明るいためよく見える。
 特に『ラブ・シンフォニー』は客席降りや客席いじりがあるからなっ。

 いちばん派手にまっつがリアクションしていたのは、なんつってもオープニング直後の、まとぶさんのひとり歌場面。
 しばらくは舞台の上で歌い、次に上手側の客席階段に片足かけて、それからついに上手通路へ降りる。これがお約束の流れ。

 その、上手側の階段に脚をかけたまま、まとぶさんてばまっつ直撃して歌う歌う。

 「to you」でまっつ指さし。
 まっつ大ウケ。

 んで次に客席に降りて、まっつ横の通路に来て「素晴らしい時を、あなたに」の「あなた」でまっつ指さし。
 まっつ、顔の前で片手を振ってゼスチャー返してました。謙遜・恐縮しているようです、爆笑しながら(笑)。

 たのしそうだなあ。
 まっつもだけど、まとぶさんがすごくイイ顔していて。まっつに語りかける、茶目っ気たっぷりの、でも色男ぶったどや顔がなんとも言えず素敵。

 わたしはまだ正直なとこ、まっつがもう花組じゃないんだってのが、理解できていない。
 アタマではわかっているが、感覚では。
 だからこうして、まとぶんにまっつがいじられているのを見て、「ウチのトップさんがかまってくれている」と思ってしまう。
 花組を「ホーム」だと思ってしまう。

 前日から開始した『タクティクスオウガ』も、あたりまえのよーに花組だ。
 僧侶まっつ、いちか。魔剣士えりたん、じゅりあ。戦士みつる、ゆま。魔道士めお。射手みわっち。(ちなみに、みわっちは女性キャラ、あとのみんなは性別通り)
 自由度の高いゲームなので、キャラは自由に作れる、育てられる。総勢50人までOKとかゆーシステム(ストーリー上の固定キャラがいるため、オリジナルキャラだけで50人は無理だけど)。
 だからまずは花組メンバーで、各イメージに合わせた職業でキャラを作り、イメージ合う武器を持たせる。みつるは両手剣、ゆまちゃんは格闘系でナックル装備とか。
 初期はまだ使える職業が限られてるからかぶってるしキャラも少ないけど、ゲームが進むにつれ職業増えるし役割も必要になるので、他の花組メンバーも登場させ、それぞれ個性的に育てる予定。
 将来的にえりたんは魔獣使いに転職させてムチを持たせるのー♪とか。

 まだ雪組でのまっつを見ていないから、「もう花組じゃない」とわかっていても、ぴんと来ないんだ。

 客席が明るくなる「キンバラ」の客席降り、まっつの顔が横向いていることだけ遠く眺める。客席降りを見ているんだねえ。
 や、わたしもセンターブロック通路際だったりするので、横で歌い踊る人々を見るのに忙しいから、まっつどころぢゃないんだが(笑)。

 まっつは総じておとなしく観劇していた印象。客席のジェンヌさんに遭遇することはままあるが、盛り上がってイイ公演とかだったら、彼らはけっこーにぎやか(笑)だから。それに比べると、まっつはおとなしいなと。
 ふつーにマナーを守った観劇だった。

 幕間往復と終演後は、ふつーに人混みにまぎれて帽子ナシで歩いていた。
 ええ、友人に「素顔はきれい」と言わせるだけの、べっぴんさんぶりですよ!!(笑)
 ふつーにきれーなおねーさんで、男と間違える人もいないだろう。

 わたしはしぶとく席に残り、なかなか進まない流れにまぎれてゆっくり歩いてくるまっつを堪能しました。
 あああきれーだなー。しあわせだなー。
 
 こんな風にまっつをストーカー(笑)できることなんて、まずありえないし。
 客席でいろんなジェンヌに遭遇するが、まっつだけはほんっと会わないんだもの。花組メンバーがぞろりとそろっているときすら、まっつだけは見あたらない、なんてことが何度もあった。
 今後もきっと、そうそうない、会活動も入り出ギャラリーもしないわたしが、ナマまっつを見られる機会なんて。

 そんな飢餓感から、がっつり食いつきましたっ。
 やべえ、「運命の輪 C.H.A.R.I.O.T.」システム、マジハマる……ッ!!
 ……ということで、『タクティクスオウガ 運命の輪』が原因でほとんど寝てないんですが、よぼよぼと梅芸行ってきました。花組全国ツアー初日。

 『メランコリック・ジゴロ』『ラブ・シンフォニー』って、まとぶさんのトップお披露目プレ公演だったわけですよ。
 退団発表後に、お披露目と同じ作品を見せられるのは、感傷的な人間にはけっこーキツイっす。
 どうしても当時を振り返ってしまう。
 「新生花組!」「これからはまとぶんがトップ、この面子が新しい花組を作るんだ!」とわくわく名古屋へ通った、あのキモチがありありと甦って。過度のオサファンだったから、オサ様のいない花組、オサ様のいない『ラブ・シンフォニー』に心ずきずきもしていたけれど、それとは別に、現在を受け入れ未来ごと愛した。あのときの、キモチ。
 タカラジェンヌは等しく卒業するものだから、まとぶんの退団にもの申したいわけではなく、ただただ、切ない。

 わたしの周囲の人たちは、芝居がはじまるなり大泣きスタート、もちろん笑うところは笑ってるんだけど、やっぱり基本泣いてる。……うん、ファンなら泣いても仕方ない、切なくて。

 本公演→全ツではなく、本公演→中日ときてるから、その段階でキャストは減っているし、セットもしょぼくなっている。
 やっぱ本拠地・本公演ならではだよな、地方ではセットがスケールダウンして残念だな……てな感覚を経験していただけに。
 中日→全ツにはあまり違和感がないかなと思っていた、なんとなく。

 いやいや、セットのしょぼさは半端ナイですな。
 あのろくにセットのないマサツカ芝居すら、さらに地味な画面になっている。そっか、階段なくて、ベニヤ板のみなんだ……。
 
 で、大劇場ですらいろいろ問題アリな、中村Bショーになるともお……(笑)。

 初日初回は3階で観て、その画面のシンプルさに閉口した。
 んで2回目は1階センター、まとぶさんにタッチしてもらえる席(笑)から観ると、ちゃんときれいだった。

 中村B作品は、1階センターからしか、見られないってことを、しみじみ思い出しました、ええ。
 見られない、または、見てられない。

 劇場の限られた座席からしかきれいに見えない空間使いは、彼の特徴ですな。

 あ、『ラブ・シンフォニー』というタイトルだけど、『ラブ・シンフォニーII』でした、中身。
 主題歌は「♪胸によみがえる…」ではなく、「♪栄光の空に…」でした。スパニッシュも「アモーレ」でトップソロダンスではなく、「みんな一緒」バージョンだったし。

 そして、マサツカ芝居では、キャスティングを大胆に変えて観劇意欲をかき立てておりましたが、中村Bショーはさすがですよ。
 オープニング、「まっつがいなくなったところには、誰が入るのかしら」と思ったら。

 空席になっていた。

 中日では「まとぶ・壮・みわっち・まっつ・みつる・りせ」という顔ぶれだったけど、今回はそこからまっつ・りせが抜けてめおが加わった。-2+1だから空席は1、そこに誰が入るのかしらという意味。
 
 トリオで登場のところはふたり、トップを真ん中に左右にふたりずつ計4人のところはひとりとふたりで計3人になってた。
 それとか、スパニッシュのラストとか、ただ頭数が減っている。
 あ……引き算なんだ……詰めないんだ……。

 さすが「いつも同じ」「キャストに合わせてアレンジ無し」「上から順番1、2、3」の中村Bだ……。

 誰かひとり、下から上げてあげればいいのに……。

 大人数場面はもちろん人数調整して新しい顔ぶれになってるんだけど、番号のついた役割は、その融通のきかなさ、アレンジできなさに、おどろき、あきれ……ついにはウケた(笑)。さすがに中村B、裏切らない人だわ。

 全ツは基本「板」モノばかりのセットだから、板製だったのであるだろうとタカをくくっていた、カードのドアを持っていけないんだ、ということに驚いたり。
 ダーツ台がなくなっていて、どーすんだ?と気をもんだり(笑)。

 や、まとぶさんが乗って登場、そのまま移動してきた台、絶対人力だよな中に人入ってるよな大道具さん乙と思って観ていたら、だいぶん経ってからスーツの下級生2名が出てきて、ナニゴトもなかったかのよーに群舞にまざり、あの中にふたりも入ってたのか、動きやすい格好のスタッフさんではなくメイクして体型補正して衣装着た男の子たちが! ヅカってすげえ! と、みょーなとこで感心する。

 アレンジできない、番号通りに振るしかできない中村Bは、月組の『Rhapsodic Moon』でW2番手の扱いに苦労、新しく2番手の役を2つ作るのではなく、ひとつのポジションをふたりで分けるという手抜き……か、能力の限界なのか、しかできなかった。
 そんな彼は、今回の花組のW4番手めおみつの扱いに、相当苦労した模様。

 スパニッシュのまっつの役が、ふたつに分けられてる……。
 トップと2番手と一緒にトリオで歌い踊るのがみつる、その後群舞を背後にソロで「Bamboreo」を歌うのがめお……。ひとりでやった役をふたりで、って、なんて中村Bな解決法。

 でも地味にあきらが少人数口に入り込んでいる。つか、出番多くて大変そう。
 最後の黒燕尾、抜けたまっつの代わりに階段に入ったのが王子って……?!と思っていたら、あとからその他大勢で加わったあきらの胸にマイクが。
 ピックアップで踊るメンバーには入ってないのに、その直後の「壮印ラブ」……アレ、ナニこの素敵変換(笑)、「So in Love」歌唱には何故かあきらが混ざっているという、不思議な画面に。

 ロケットボーイはルナ&あきら。
 ぜんぜん違和感なくスター!なふたり。
 あきらが若さや初々しさより大人っぽさや貫禄があるのはわかっていたとしても(笑)、ルナくんの美貌とさわやかな笑顔は「若手スター」としてロケットを牽引するに、なんの違和感もない。
 中日のときの、あのいたたまれなさを思い出し、おかしいやら切ないやら(笑)。や、ちゃーのあの無理してる笑顔が大好きだったけど!!

 『ラブ・シンフォニー』は無印もIIも繰り返し観たし、『Rhapsodic Moon』の記憶も新しいしで、つい中村B作品へのツッコミに終始してしまった(笑)。
 いちお、デュエットダンスあたりだけ変えてみたり、気は遣っているんだよね、中村B。努力はしてるんだよね、中村B。限界がその辺だってだけで(笑)。

 ふつーの感想は次回!

 全ツ楽しいよー、まとぶん好きだーっ、花組大好きだー!!

 『麗しのサブリナ』東宝楽以来の、ナマまっつも見れた、真横2往復してくれた、最初は帽子目深にかぶってたけど、残り3回は素顔大盤振る舞い、きれーきれーきれーうきゃー!

 と、狂乱のまま終わる。
 さあっ、オウガの続きやるんだー!
 言うは易く行うは難し。
 言うのはタダ。

 今だから言える。外野だから言える。後出し、後の祭り、後は野となれ山となれ。

 こんな『EXCITER!!』が見たかった!!

 前例を作った劇団が悪いのです。
 雪組の『ロック・オン!』において、ブルース・バージョンとラテン・バージョン、2種類出演者からしてチガウ、独立した場面を作り、なんの法則性もない抜き打ちで日替わり上演。
 1回の観劇ではどちらか片方しか観られないし、たとえ10回観ても運が悪けりゃ片方しか観られない。

 なんだよソレ、そんなことがアリなら、花組でもやればいいのに。
 ただでさえ客席の人口密度が低……ゲフンゲフン。
 少しでもリピーター稼……ゲフンゲフン。

 役替わりによって客を釣るにしても、インパクトがなきゃ意味ナイ。
 たとえば今さらえりたんとみわっちとまぁくんが役替わりしたって、新鮮味に欠けるんだ。この役替わりは『ME AND MY GIRL』で実践したけど、集客が格段と上がったかどうかはさだかではない。

 今の時代、スターがスターだからという理由で主演公演を立て続けにしたり、オイシイ場面を独占したりしても、ダイレクトに人気にはつながらない。
 むしろ、ちょっとはずれたあたりを突く方が、観客の興味を引く。

 いくら再演でも、場面ひとつまるまる、変更するのは容易ではないだろう。
 そこの場面の出演者たち全員がイチからお稽古し直しになる、だけでなく、その前後の場面も関係してくる。役替わり出演したりしたら、その前後場面には出られないものね。

 だからいちばん影響が少なく、お稽古も短時間で済む場面。

 溜息銀橋を、役替わりにする。

 3人しかいない場面なので、何十人と出ている場面のお稽古し直しに比べ、労力は圧倒的に少ないはず。
 また、中詰めでほぼ全員の勢いで舞台にいる場面から3人だけ残るので、影響が出るのは溜息銀橋の直後の場面だけで、直前の場面には影響なし。

 まとぶん、えりたん、みわっちの3人で銀橋っていうのは、まとぶんがトップになってからずっとやっていることなので、新鮮味が少ないんだ。ゆーひさんがいてもいなくても、このトリオはガチなイメージだもんよ。

 だから初演でえんえんこのトリオでやった場面を、再演でも変化無しに上演するのは、バージョンアップになっていない。
 もちろん、彼らの男役芸は素晴らしいんだけど。「スター!」である証、さすが花組のトップスターたち!って感じなのはたしかなんだけど。

 「いつもの3人」で完結するよりも、役替わりのひとつのパターンにすれば、彼らの格上ぶりもわかるんじゃないかな、他の人たちで溜息するのと比べて。

 物理的にいちばん役替わりしやすい、人を動かしやすい、そしてオイシイ場面である、溜息銀橋。
 ここを役替わりにするなら、観客に「観たい」と思わせる人選でなくてはダメだ。

 まつみつめおにする? まぁだいまゆにする? 直後のハバナは別の人に出てもらうとして?

 ……甘い。

 一定学年・立ち位置以上の人々、全員だっ。

「今日の溜息銀橋、はっち、さおた、王子、まりんのダンディ銀橋だった!」
「今日はまぁくん、めぐむ、しゅん様、らいらい、よっちの88期男銀橋だった!」
「今日はみつる、ふみか、だいもん、あきらのオラオラ野郎銀橋だった!」
「今日はえりたん、まっつ、めおちゃんの個々別物異次元トリオだった!」

 テーマを決めた人選で、キザりまくり、客席釣りまくり。
 中堅以上なら、ある程度キャラは出来ているので、ソレを活かして釣りまくれ。花開け。

 でもってさらに。

「今日はすごいレア! じゅりあ、さあや、きらり、くまくまの肉食系迫力美女銀橋!」

 とか、娘役DAYもアリ。
 中詰めのドレス姿で戦闘態勢ばりばりに色気振りまけ、客席喰いまくれ。

 何パターンあるのか誰も知らない(笑)。
 中詰めの銀橋・本舞台勢揃いで主題歌、ばんと決めて暗転!のあと、いったい誰が銀橋に残っているのか、溜息銀橋スタートでライトが点く瞬間までわからないという。

 銀橋で少人数でライト浴びて、丸1曲自己アピールするって、タカラヅカスターである以上、経験しておいて損なことはない。
 路線スター以外だって、娘役だって。「スター!」スキルはあるに越したことはないんだ。

 基礎やキャラクタが出来上がってない下級生だけでやられるとつらいけれど、ある程度の学年と立ち位置と自覚のある人なら、なにかしら自己表現するはず出来なきゃ困る。

 自主練も盛んになるだろう、「昨日**ちゃん出が異様に遅かったから、明日の溜息銀橋**ちゃんかも?!」とか、噂がつぶやきまくられる(笑)。
 銀橋グループごとに、鏡の前でえんえんうふんあはん自主練習する花男たち! あああよっちとかすげー見てみてえぇぇ!

 そんななかで、正統派の溜息トリオ、まとぶんたちもどーんと本家の力を見せつけてくださいまし。

 ご贔屓や気になる人の溜息銀橋見たさに、ファンはリピートするしかないという(笑)。

 
 そんな『EXCITER!!』が見てみたかった。
 ただの外野の無責任な思いつき、後の祭り。
 今さら言ってどうするだけどな。
 演出家って、替えてイイもんなんだ……。
2010/11/10

2011年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<3月~5月・月組『バラの国の王子』『ONE』><4月~7月・星組『ノバ・ボサ・ノバ』『めぐり会いは再び』>

11月10日(水)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場、東京宝塚劇場の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

月組
■主演…(月組)霧矢 大夢、蒼乃 夕妃

ミュージカル
『バラの国の王子』
~ボーモン夫人作「美女と野獣」より~

脚本・演出/木村信司

18世紀半ば、フランスの作家ボーモン夫人によって書かれた寓話「美女と野獣」を原作とし、魔法で野獣に変えられてしまった王子と、心優しい娘とのロマンティックなラブ・ストーリー。
原作となる「美女と野獣」は、詩人ジャン・コクトーが映画化したほか、1955年には宝塚歌劇でも取り上げています。近年ではディズニーのアニメーション映画としても知られていますが、今回の舞台化では、原作の古典精神に立ち返り、単なるお伽噺ではなく人間味あふれる物語として、美貌をたたえた「麗しの魔物」を主人公に展開します。

グラン・ファンタジー
『ONE』-私が愛したものは・・・-
作・演出/草野旦

ものごとの始まりという意味の他、様々な意味が込められた“ONE”という言葉にまつわるイメージをテーマに、華やかで楽しく美しい宝塚ならではのショー。


星組
■主演…(星組)柚希 礼音、夢咲 ねね

※本公演(宝塚大劇場公演)は第97期生の初舞台公演となります。

ミュージカル・ショー
『ノバ・ボサ・ノバ』-盗まれたカルナバル-
作/鴨川清作 演出/藤井大介

1971年に初演し、1976年の再演時には文化庁芸術祭で優秀賞を受賞、1999年に再々演された後も更なる再演の呼び声の高かったショーの傑作を上演。

ロマンティック・ミュージカル
『めぐり会いは再び』-My only shinin’ star-
~マリヴォー作「愛と偶然との戯れ」より~
脚本・演出/小柳奈穂子

18世紀フランスの劇作家マリヴォーが書いた名作喜劇を原作として、結婚しようとする男女が身分を変えて相手を観察することから起こる騒動を、華やかに、かつコミカルに描きます。演出家・小柳奈穂子の宝塚大劇場デビュー作。

 いったんこの演出家と決まったら、変更してはいけないもんかと思ってた。
 だからどんだけ枯渇し、壊れきっていても、『ベルサイユのばら』は植爺が演出し続けるし、柴田作品は平板に紙芝居全開に中村Aが演出し続ける。
 植爺のピンチヒッターで谷せんせになったり、イケコ留守に中村Bが演出したりと、スケジュールや体調など仕方ない場合のみ、変更あり。でもこれはイレギュラーっつーか、本来ならば変更せずにオリジナルの演出家がやるつもりだった、仕方なくそうしただけのこと。
 替えない、が基本、替えてはならない。
 そう思ってきただけに。

 『ノバ・ボサ・ノバ』演出が藤井くん! てとこに、反応しました。

 99年の再演時は、草野せんせ演出だった。
 名作という触れ込みだったので、いったいどんなに素晴らしいショーなのかと思ったら、やっぱりとどのつまりは古くさい作品で、これのどこがとぽかーんとしたが、リピートするうちに楽しみ方もわかった。
 それでも、ショーは時代を映すモノなので、芝居以上に古いショー再演はキツイと思ったなああ(笑)。
 草野せんせ演出だからどうというより、元の作品が悪いわ、と。当時は名作でも、現代には古い、と。
 フィナーレ付けたのが改悪だと、初演ファンから叩かれていたっけな。でもそれは草野のせいじゃない、劇団の企画の問題でしょう。

 草野せんせがスケジュール的に体調的に登板できないなら、演出家変更も今までにあったことなので不思議はないが、くさのっち、ふつーに現役ぢゃん。1個前の月組公演演出してるじゃん。
 「99年版演出がすばらしい! 神!」だとしたら、あえて変更するわけがないから、ふつーに考えると「99年版がダメダメだった」という話になる。
 ダメとまでいかなくても、99年と同じだと意味がない、と劇団に判断されるよーな出来だったのか?

 99年版、そんなに悪くなかったと思うけどなー。
 初演は知らないので、比べようもありませんが。
 初見時はぽかーんだったけど、何度も観るうちに慣れたし。
 ショーだと思うからつらいんであって、芝居だと思えばOK。ショーだとしたら、いつも画面同じテイスト同じしかもソレが黒塗り色彩悪趣味昭和テイストで、きつかった(笑)。
 芝居なら、舞台が同じなんだから、時代や場所がいきなり変わったりしないから、画面同じ衣装同じも当たり前と耐えられる。
 わかった上で観れば、楽しかったよ。
 古い作品にありがちな、コテコテの「ヅカ」を楽しめて。芝居よりもわかりやすくコテコテだよねー。

 草野演出のナニが悪かったかわからないだけに、変更にびっくり。
 変更していいなら、次からあの作品を再演するときは、別の演出家に替えてくれよ……なモノが、みんないろいろいろいろあるんぢゃないか?(笑)

 劇団が「再演」をなめまくっていて、「誰がやっても同じ」と思っているだけ、という気がしないでもないが。
 藤井くんは草野以上に、「初演を1ミリたりとも変えずに再現する」ことだけを求められている、気もするんだが。
 ショーが前ってことは、不評だったフィナーレはカットなわけだし。

 再演は再演であって、再現じゃない。今さら40年も前の作品そのまま見せられたって、現代ファンにはぽかーんだし、初演ファンには「再演はキャストも演出も改悪、初演はすべてよかったのに」しか言わないし、リスクばかりなのになあ。
 藤井くんが、現代に耐えうる作品へとアレンジしてくれる……してもいい権限を、劇団から与えられていることを祈る。

 しかし星組、またショーが前なのか……。
 そして、新人演出家が芝居だけでなくフィナーレまで任されるのか……。

 や、なんだかんだ言って『ノバ・ボサ・ノバ』は楽しみだし、他もみんなオリジナル作品なので楽しみです。
 キムシンは是非キムシンらしい作品を。小柳たんは舞台は18世紀のまま? ならコスプレも楽しみ。『君に恋してラビリンス』も『それでも船は行く』も現代だったし。
 あとは草野ショーが黒塗りでないことを祈るばかりです。黒塗りショー続きはいやだー、空気読んでくれー。
 でもってぶっちゃけた話、『EXCITER!!』って、そんなに名作か?

 ふつーにいいショーだとは思うけどね。
 1年を待たずして同じ組同じメンバーで本公演で再演しなければならないほどの、タカラヅカ史上はじまって以来の名作だとは、とても思えない。

 さらに、再演して、さらにクオリティは下がったと思う。

 出演者がではない。彼らは「初演以上のエネルギー」を出すべく、すっげーがんばっていたし、実際出ていたと思う。
 下がったのは、「演出」。

 
 わたしはもともと、「Mr.YU」場面を評価していない。
 たしかに楽しいけれど、内輪受けの楽しさに過ぎないし、冗長すぎる。ミュージカル調に長々と物語をやっておきながら、オチはない。
 あれだけの尺を使って演出するならば、起承転結すべて書くべきだ。すなわち、チェンジボックスでイケメンに変身したMr.YU@まとぶんが、彼を嫌っていたチェリーちゃん@彩音ちゃんを虜にし、彼を見下していたMr.SO@壮くんや会社の人たちに見直させる。そこまで書いてこそだ。
 変身した途端に終了って、ナニそれ。意味ないじゃん。ここから物語がはじまる、プロローグだけえんえん見せられてエンドマークって、ジャンプの打ち切りマンガや植爺の『虹のナターシャ』かっつーの。
 風呂敷を広げることは出来てもたたむことができない、フジイくんの悪いところがまるっと出たのが、「Mr.YU」。

 それが再演で改訂させるかと思いきや、さらにわけのわからないことになっていた……のは、前に書いた。
 ダブルスタンダードというか、「前作を見ていないとわからない」、でも「前作の続きだとしたらおかしなことだらけ」という、お粗末さ。構成力のない人が物語を書くとこんなひどいことに……。

 とまあ、物語として見た上でも、いちばん長い尺の場面がクオリティダウンしているので、再演は初演以下になっている。

 ちなみに「Mr.YU」はミュージカルとしても、再演は落ちてるんだよねー。
 初演ではちゃんとメロディになっていた、音楽に乗ってミュージカルしていた部分が、「前作を見ているという前提で」メロディ無関係な台詞とかになってるの。
 だから歌が少ない、音楽が少ない。趣向としてのミュージカル手段を、再演ではことごとく無視しているの。演出家は「前作を見ているという前提で」「どたばたのお笑いを書く」ことを、「初演を超える演出」だと誤解している模様。
 「Mr.YU」はミュージカルになってナイよ……。バックに音楽が流れてるだけのドタコメじゃん。
 

 んじゃ、「Mr.YU」場面を離れ、『EXCITER!!』全体を「タカラヅカ」として見た上では、どうだろう?

 ショーとしての演出の他に、タカラヅカには「タカラヅカならでは」のお約束がある。
 それは、トップスターを中心にしたピラミッド。華やかな人海戦術。スター個人の見せ場。

 外部の作品なら、作品全体さえ良ければそれでいいのかもしれないけれど。
 タカラヅカでは、どんだけ作品が正しく出来上がっていても、スターが魅力的に見えないと価値が下がる。トップコンビが世界の中心にいるのは当然だが、トップだけしか見どころのない作品は敬遠される、ある程度の番手付きスターたちもなにかしらオイシイところがないと。

 そーゆー意味で、『EXCITER!!』初演と再演を比べてみる。トップから3番手までは変わっていないし、天才デザイナー作品の銀橋はノーカウント、それ以外の変更があったところで考える。

・初演でソロがあった男。
  まっつ、めおくん、マメ、だいもん。

・再演でソロがあった男。
  まっつ、タソ。

 ちょ……っ!!
 路線男役スターの見せ場削って、増えたのがタソのソロだけって、「タカラヅカ」としてどうなん?!

 タカラヅカの座付き演出家として、花形男役スターに見せ場を作るのは使命ぢゃないのか?

 トップから3番手まではちゃんと彼らがセンターの場面があるので、一見さんやライトファンにもわかりやすい。
 だが問題は、それ以外の立ち位置のスターを、一見さんやライトな人たちの「記憶に残す」「個別認識しやすくする」演出が必要ってこと。
 「8人口の左から2番目の人が気になった」として、ライトな観客はそれが誰なのか、人に聞くことも出来ない。
 そうではなく、「オフィスの場面で、最初にフィットネスグッズを紹介していた人」とか、「ハバナの最初の場面で、女の子と踊りながら歌っていた人」とか、それを示すのがたったひとりしかいない、そーゆー場面が与えられなければならないんだ。

 なのに再演ではそういった「スター」な場面を削ってしまった。

 めおくんにはデザイナー場面の銀橋があるとか、まぁくんだいもんまゆくんは鳥さんやオラオラロケットボーイあるったってさあ、デザイナーは5組のうちの1組だし、鳥さんはあくまでも3人組だ。
 「初演よりもバージョンアップ」を合い言葉にするなら、スターの個別の見せ場を増やすならまだしも、削ることないじゃん。

 男役スターの活躍の場を削ってナニをしたかというと、娘役トップ蘭はなちゃんのお披露目。
 ……や、トップお披露目が大事なことはわかるけど、それならそれで初演でめおくんやだいもんの唯一の見せ場だった場面を削らず、新たに追加すれば良かったのに。
 再演は上演時間が延びているんだから、蘭ちゃんお披露目おめでとー場面を挿入できたはずだ。

 なのに、延びた分はデザイナー場面の無意味な水増し引き延ばしや、「Mr.YU」のぐだぐだお笑い場面に使うってどうなん。

 初演よりバージョンアップというなら、初演よりも若手スターに見せ場を与えるべきなんじゃ?
 まぁくんにちょろりとでも差別化した役割を与えるとか、まゆくんやあきらという新公主演経験者にピックアップ場面を作るとか。

 今この瞬間だけ「笑える」からと、タソにおでぶおばさんをやらせることは、これからも続いていく花組を「タカラヅカ」として盛り上げているのだろうか?

 退団するちあきさんにエトワールをやらせたり、エトワールでなくなって見せ場がひとつなくなったまっつといちかに、別の場面でデュエットさせる、しかも組替えするまっつにまとぶんと蘭ちゃんを見守らせる演出とかは、さすがフジイくん!と思うけれど。
 そーゆー演出が罷り通るところが「タカラヅカ」ゆえのすばらしさだと思うけれど。

 たった10ヶ月とかで再演なんだ、本気でバージョンアップしてほしかったよ、演出に。
 「Mr.YU」をやるのはかまわないから、もっと要点をまとめて無駄なくオチまで描いて。台詞によるお笑いではなく、ミュージカルである最低限の歌は使って。
 あれだけの長時間を費やすならせめて、いろんなスターに雪崩のように見せ場を作って。大勢が団子になって歌って踊って終わりではなく。
 初演でソロがあった人の見せ場は削らず、むしろいろんな人に見せ場を増やす方向で。

 再演の方がテンポが悪く冗長で、見せ場のあるスターの数が減っている。
 これでバージョンアップなんて。
 残念で仕方がない。

 
 てなことを、ハードリピートしながらずーーっと考えていた。
 ほんっとに、何回観たと思ってるんだ、『EXCITER!!』(笑)。

 こうして「どうなん?」と書くけれど。
 それでも、好きなんだけどね、『EXCITER!!』。
 もう何度となく書いてきた気もするけれど。
 それでも書く。

 『麗しのサブリナ』の、ライナス@まとぶんが好きだ。

 間を置いて東宝で観て、またさらにヲトメゴコロを直撃された(笑)。

 夜のオフィスにて、なついてくるサブリナ@蘭ちゃんに言っちゃうわけですよ、真実を。サブリナが障害だったので、騙してパリへ送り返すつもりだったって。
 空っぽの船室に別れの手紙、とライナスの陳腐なシナリオを言い当てるサブリナに、ライナスは必死になって「それだけじゃない」と彼女への慰謝料を言いつのる。
 ライナスとしては、サブリナへの精一杯のキモチ、誠意を表すつもりでアパートや銀行口座を用意していると、お金いっぱいあげるよと言うのだけど。
 サブリナはそんなものを欲しがっていない。最初に「心あるウェイトレス」の話をしたように、彼女はお金なんか求めていないんだ。
 なのに、お金の話しかできなくて。
 賢明に慰謝料を読み上げたライナスに、サブリナは「寛大ね」と微笑みを返す。
 その微笑みは泣き叫ぶよりも哀しく、その言葉は非難よりも厳しい。

 愛する少女にそんな顔をさせて、そんな言葉を言わせて。
 自分の心ひとつコントロールできない恋愛下手なライナスは、激しく傷つく。
 傷つけたのは自分なのに、そのことに傷つく。

 「寛大ね」と言われたときの、ライナスの表情が。
 あまりに痛くて、見ていられない。

 そしてこの男は、自分でその傷を、痛みを、受け止めきれない。自分が何故そこまで傷ついているのか、痛いのか、理解できていないのかもしれない。

 うろたえて、逃げやがった。

 サブリナを傷つけた。
 それによって、自分も傷ついた。
 それがわかった瞬間から、サブリナに、背中を向けた。

 そのあと、ただの一度も目を合わせやしねえ。

 サブリナに船のチケットを渡すときですら、視線をそむけたまま、「はい」と手だけ差し出す。
 なんっちゅーチキンぶり!

 大の男が、30代の大人の男が、22の小娘相手に、逃げ隠れ。目を合わせたら石になるわけでもあるまいし、びびりきって背を向ける。
 こわくてこわくて、縮こまっている。

 ライナスは、逃げたんだ。
 サブリナを傷つけたとわかったあとからはもう、彼女とまともに対峙することができなくなった。視線を合わさない、背中ばかりを向け続けるのは、カラダはそこにあっても脱兎のごとく逃亡したのと同じ。
 この負け犬。

 どんだけ怖いの。
 恋は。
 恋をしている、自分を認めることは。

 大会社の社長で敏腕で通っている、度胸も分別も判断力もある男が、子どものようにおびえて縮こまっている。
 そのみっともなさ、なさけなさ、その愚かさが……愛しくて。
 愛しくて愛しくて、胸が詰まる。

 ライナスがあまりにバカで、かわいくてならない。
 この男を好きだと思う。
 この男を、愛しいと思う。

 そして。

 そのバカなヘタレ男に比べて、サブリナの強さと来たら。

 騙されて利用されて。
 その言い訳にお金なんか用意されて。最初に「心あるウェイトレスの話」をしているのだから、買収に応じろというのは、彼女の「心」を否定することなのに。
 そこまでされてなお、ライナスを見る。顔を上げて、愛する男を見る。
 そして、そのひどい男のために、チケットを受け取る。

 目も合わさない……彼女という被害者の元から精神的に「逃げてしまった」男なんかのために。

 ここのふたりのやりとりは、切ない。
 ヲトメゴコロ直撃。
 これぞ恋愛モノ、心のひりひりする切なさが快感。

 久しぶりに観て、まずはライナスのかわいさにハァハァする(笑)。
 バカでかわいくてたまらん。もー大好き。
 
 んで、その次に観たときには、サブリナの目線を想像する。

 客席にいるわたしは、舞台全体が正面から目に入っているわけだけど。
 人間には想像力があるのよ。
 カラダは客席にいるけれど、舞台を遠く正面から眺めているだけなのに、まるでドラマのようにサブリナの後ろあたりにカメラがある感覚で観るの。
 目で見ている光景から、別の角度の光景を脳内に再構築するの。……人間の目と頭脳ってすごいな。経験からわかるじゃん、こう見えている立ち位置なら、こっちのカメラから見るとこう重なって見えるとか。

「他にもある、銀行口座、アパート、車」
 あわてふためいてファイルを読み上げるライナス、その必死な顔が、突然凍り付く。
 私の顔を見て、彼の表情が変わる。
「寛大ね」
 見たこともない、空っぽの顔。
 魂を失ったみたいに、私を見つめて。
 そして、背中を向ける。
「切符をくださる?」
 見えているのは、背中。そして横顔。彼は決して、私を見ない。
 これが、最後なのに。
 もう二度と会えないのに。
 なのに、私を見てくれない。

 私に、顔を見せてくれない。

 広い背中だけがある。
 私を拒絶する背中だけが。

「さよなら。料理、できなかった……」

 私がなにを言おうと、その背中は振り返らない。
 その顔は、瞳は、私に向けられない。

 わたしがきずつけた、あのひとみを、わたしにやきつけて。
 
 それを最後に、もう彼は私に顔を、瞳を見せてくれないんだ。

 ……という、サブリナ目線カメラ(笑)。
 サブリナに目で見たら、こんな風に映っているだろう、と脳内でライナスの位置や顔や身体の角度を想像するんだ。
 わざと向けられ続ける背中、そらされた視線。

 これがもおっ、すげー痛いっ。
 愛する男にコレやられたら、立ち直れない。どんだけ哀しいか、切ないか。
 それを堪能する。

 ヲトメゴコロ直撃。
 これぞ恋愛モノ、心のひりひりする切なさが快感。

 あああ楽しい。
 『麗しのサブリナ』、楽しすぎるっ。

 恋愛小説読んで大泣きする、あの感覚ですよ。少女マンガでもBLでも、コレが欲しくて読むわけですから。切ない系が大好物なんですよ。

 まとぶんのストレートさに、蘭ちゃんのセンシティヴさが絶妙なマッチ感。
 このカップル、イイ!! 大好き。

 『麗しのサブリナ』はなあ、演出がもう少しなんとかなっていれば、ほんと名作になったと思うのですよ。役の少なさはどーにもならんけど、バウで景子タンあたりの演出で上演してればどんだけ美しい作品になったかと。
 中村Aだと演出力に限界ありすぎて。
 もったいないわー。

 でも、楽しんだわ、わたし(笑)。
 ノベライズしたいわ、この宝塚歌劇花組版の、『麗しのサブリナ』を。切なさ全開で恋愛描写したいわー。
 『麗しのサブリナ』のクライマックス、サブリナ@蘭ちゃんを追いかけてオフィスを飛び出すライナス@まとぶん。
 それを見送る秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの、ライトの有無から、照明さんについて考える(笑)、その2。

 ムラ初日には、ライトはなかった。
 2日目から千秋楽まで、ライトはあった。
 が、東宝ではなくなっていた。

 このことから、考えられるパターン。

1.演出家がムラ初日の翌日から「秘書コンビにライトを当ててくれ」と指示していたのに、東宝では「やっぱりライトいらね」と思い直した。
2.演出家が指示していないのに、ムラ2日目から秘書コンビにライトが当たるよーになった。そのことに、ムラ千秋楽になってはじめて演出家が気づき、「秘書コンビにライトなんていらね」と言った。
3.演出家はライトを当てろともいらねとも言っていない。なんの指示もしていない。秘書コンビのことなんて、そこまで考えてない。

 わたしはこれまた勝手に、「3」だと思ったのですよ(笑)。

 中村Aは、ムラ2日目から千秋楽まで秘書コンビにライトが当たっていたこと、最初から最後まで気付いてなかったんじゃあ……?

 気付いてないから、それがいいとも悪いとも思わない。自分ではそんな指示出してないから、東宝の照明さんにムラでそこにライトがあったことを知らせるわけがない。知らないから、やらない。
 結果として、秘書コンビにライトはない。

 もしも気付いていたら、東宝でもライトをくれたんじゃないかなーと、これまた勝手に思う。
 中村Aがものすげえ職人気質の人で「オレの演出絶対! オレが神、オレはパーフェクト、変える必要などナイ!」と思って舞台を作っているとは、思えないからだ。
 ふつーに「この方がよくなるよな」と思ったら、変えると思う。昔、『お笑いの果てに』というものすごーい珍作を演出した際、公演途中で台詞やらなんやら変えていたもの……あまりにひどい脚本だったゆえ。
 プライドにこだわって手を加えない人ではないから、ムラで1ヶ月間ライト有りで上演してなんの問題もなかった、むしろファンが喜んだ演出なら、東宝でも続行してくれたんじゃないかなと。

 それがなかったってこは、中村Aそもそもナニも気付いてなかったんぢゃあ……? と、思った。

 んで、ムラの舞台稽古と同じ演出、照明指示で東宝スタート。
 東宝の照明さんは、秘書コンビに興味はなかった、と。本筋に関係ない脇役にライトを当てるなんて、考えるはずもない。それが当たり前。

 でもいちおー期待していた。
 普段の公演は等しくライト無しでも、千秋楽だけは特別にライトくれるんじゃないかって。
 「NOW ON STAGE」でその長年にわたるコンビぶりに言及されたりなんだりするふたりの、最後のコンビ芝居、最後の場面。そこにわざと暗めでも控えめでも一瞬でもちらりとライトを当てて、ファンをほろりとさせる……それってすごく「タカラヅカ」。
 わたしはまっつファンだから、今回まっつのことで着目してこうして書いているけれど、まっつだからどうのではなく、他のジェンヌに対してもそういうニクい心遣いをするのが「タカラヅカ」の舞台スタッフ。退団者に千秋楽だけ特別のライトを餞別に当ててくれたり、ムラではそれをふつーに眺めてきた。

 が。
 千秋楽も、ライトはなかった……。

 なんの特別扱いも、ニクい演出もなく、最後のコンビ芝居はその他大勢として平等に、早々に闇に沈んだ。

 
 まっついちかにライトがなかったことが、残念。
 手を取り合うふたりの場面が最後まで見えず、闇に沈んでしまったのが残念。
 ライトがあれば、最後の最後くらいなにかしらサプライズな芝居を期待できたんぢゃないかとか、そんな自分勝手な期待が打ち砕かれたことも残念(笑)。

 とまあ、うだうだ書いてますが、ここで書きたいのは「ライトがもらえなかった」ことへの恨みつらみではなく(笑)、そのことによって、ムラの照明さん、ありがとう!! と、心底思ったってことだ。

 ライトが当たらない、早々に闇に沈んでしまうのが当たり前、だったんですよ。東宝の人は別に悪くないし、中村Aだって悪くない。それがふつー、彼らはふつーに仕事をした。
 本来ライトはないはずなのに、ムラの1ヶ月間、わたしはまっつといちかのかわいい姿を見ることができた。
 それは、ムラの照明さんの裁量なんだ。……そう思って、すごくうれしくなった。

 それまでも、勝手に「照明さんGJ!」と思い、演出家の指示ではなく照明さんが独自でやっていることだとなんとなーく思っていたけれど、今回のことでその思いがさらに強くなったというか(笑)。
 やっぱり、ムラの照明さんにはフリーハンドがあり、退団者や組替え者に優しいのは、演出家ではなく照明さんなのかなと。

 ムラの照明さんが秘書コンビに本来ナイはずのライトを当ててくれている、照明さんGJ!と思っているなら、東宝でそのライトがなくなっているのは想像してしかるべきなのに、わたしってば与えられることが当たり前になっていたのね。
 つか、東宝の照明さんもムラと等しく「タカラヅカ」な感覚かと、勝手に思っていた。こっちはやっぱ首都の劇場に勤めるプロフェッショナルで、「ムラ」という特殊世界のプロとはチガウのかな。
 ふつーの舞台のプロなら、脇役にライト残すなんてありえないもんなー。その役者が退団するとか組替えするとか、役者のプライベートであって一般客には関係ない話だし。

 だけど、その役者のプライベートまでもが「物語の一部」である半プロ感覚……つーか、愛すべきアマチュア感が、「タカラヅカ」の魅力のひとつ。
 「この人が休演したら、公演自体立ちゆかなくなる」というクラスの役ではないのに、退団者なら声が出なくて歌を台詞に変更してまで舞台に立つことを許す、むしろ許すことを素晴らしいと拍手する、それが「タカラヅカ」。

 ムラの照明さんは、その「タカラヅカ」を表す一端なんだなと、思った。

 わたしたちファンが、ジェンヌを愛し舞台の上だけでない部分にまで一喜一憂する、その心ごと汲んで、ライトを当ててくれる……照明さんもまた、「タカラヅカ」な人たちなんだ。

 と、ほんっとーに勝手に、いろいろ考えて感動しました。
 事実かどうかなんてわかりません。
 舞台スタッフさんがナニ考えてナニしてるのかなんて、イチ素人にわかるはずもない。
 ジェンヌさんがどんな人でナニ考えてるのかわかんないよーに。

 だから勝手に、夢見るのです。ただのわたし個人の思い込み、伝説や神話みたいなもん。

 ジェンヌがフェアリーだというように、舞台スタッフさんにも、その愛を。
 『麗しのサブリナ』を東宝まで観に行って、演出の変化で残念だったことが、ひとつ。

 ウィリスとマカードルに、ライトが当たらない!!

 ミニマム秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの最後の出番、ライナス@まとぶんのオフィスにて、愛に駆けだしていくボスを応援し、手を取り合って喜ぶふたり。
 重要なのはサブリナ@蘭ちゃんを追いかけてオフィスを飛び出すライナスで、見送るその他大勢ではない。だから、ライナスが銀橋へ異動するに従って、本舞台の照明は消え、暗転する。秘書コンビもその闇に消える。

 が。

 ムラではその暗転の間際、秘書コンビにもわざわざ照明が当たってたんだ。

 デイヴィッド@壮くんにはピンライトが当たっており、暗転とは別に、彼の姿は最後まで見える。そーやって舞台全部が「暗転」しても、主要人物だけは最後の一瞬まで観客の目に残るよう演出してある。完全に真っ暗闇になるその瞬間にピンライトも消えるから、結果としてはたしかに暗転だけど、その他の人はもっと早くから闇に消える。
 ムラ初日は秘書コンビも「その他」扱いで早々に闇に飲み込まれていた。肉眼でなら彼らが手を取り合っているのがわかっても、カメラでは「闇」にしかならないだろう。
 が、翌日にはふたりにピンライトが当たっていた。デイヴィッドに比べれば控えめな暗めのライトだが、たしかにふたりを照らしている。
 秘書コンビはいてもいなくてもかまわない脇役だし、本筋に関係ないから、闇に落として当然なのに、わざわざライトを当ててくれた。だから、かわいいふたりの姿が最後まで見られた。

 これって、誰の判断だったんだろう?

 
 とゆーことで、今回は照明さんのことを考えてみる。
 勝手に(笑)。

 ムラでは千秋楽に退団者だけにピンスポが当たったり、普段からピンスポもらっているところでは輝度の高いものに替えてもらったりしていた、と思う。
 てなふーに、その日によって照明がチガウことがままある……んだが、これって誰がやっているの?

 ムラの照明さんにはある程度のフリーハンドがある、とわたしは勝手に思っていた。わたしがっつーか、わたしの周りの人たちがそう言っているからそれを信じてきたというか。「退団する**ちゃん、いい照明もらってたね」「照明さんGJ!」みたいな使い方。
 演出家がわざわざ「千秋楽は退団する**に、いつもとチガウ照明を当てるように」と個別に指示するとは思えないので。それがすごーくスターだっつーならともかく、微妙な立ち位置のジェンヌだったりすりゃ、なおさら。
 毎日現場で舞台を作っている照明さんが、その場の判断でしているのかなと。

 根拠はない。ただの思い込みだ。
 日々のライトのひとつひとつまで、演出家が全部指示を出して、照明さんにはなんの自由もないもないのかもしれないし。
 毎日演出家が舞台を見守り、毎日ダメ出しして毎日舞台を指揮しているのかもしれないし。そのため、なにか変化があったとすれば、それはすべて演出家が指示したことなのかもしれないし。

 でも、初日の翌日、ウィリスとマカードルにわざわざライトが当たっているのを見て、わたしは「照明さんGJ!」と思った。演出の中村Aの功績だとは思わなかった(笑)。
 だって、演出家指示なら、最初からライト当ててると思うんだ。秘書コンビはたしかに脇役だけど、中の人の学年や立ち位置ゆえに、作中にとってつけたミュージカルシーンを挿入している、しなければならない、という。あのとってつけた感からして、演出家は本筋を描いているとき背景にいるふたりに、注意は払っていないと思う。ゆえに、観客の注意を引くためのライトをふたりに当てるなんて、考えもしない。

 幕が上がるまでを作る演出家ではなく、実際に幕が上がってから現場を作り続ける照明さんが、暗転の瞬間まで芝居をしている秘書コンビにライトをくれるよーになったんじゃないかと思ったんだ。

 ……もちろん、暗転の瞬間まで芝居をしているのは舞台にいる全員がだ。まついちだけが特別ぢゃない。けど、全員にライトを当てると演出プランが変わってしまうからそこまではできない。フリーハンドの中、やっていい範囲で、秘書コンビにライトをくれたんじゃないだろうか。
 まっつが組替えするからとか、そんな意味もあったかもしれない。退団者に特別のライトをくれるように、そーゆーファンにしかわからないところで優しさをみせてくれるのが、ムラの照明さんだから。

 てことで、わたしは勝手に照明さんに感謝してムラではずーっと当たり前に、手を取り合って喜ぶ秘書コンビを見ていた。

 それが当たり前だったから。
 東宝でも、とーぜんそんなふたりを見られると思っていた。

 が。

 東宝では、ふたりにライトはなかった……。

 あっちゅー間に、闇に消える。
 他の人たちと同じように。

 ムラと東宝では、ライトが違っていた。
 つまり、これは……。

 
 翌日欄へ続く。

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