こんなわたしに誰がした。@2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ・2
2008年11月20日 タカラヅカ 「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」4月~6月までが発表になりました。
> で、「季刊 タカラヅカ・ラインアップ」の次号予告はどうなってんですか?
> 3ヶ月後だから、11月末?
と、8月末に書いた通り、11月下旬発表っす。
なにがショックだったかって、『エリザベート』です。
や、『エリザベート』はいいんですよ。よい作品だと思ってます。
が。
『エリザベート』の名をラインアップの中に見て、贔屓組でなくて良かった……! と、胸を撫で下ろしてしまったことが、ショックですわ。
さすがにね、もう「観たい!」と積極的には思えないのですわ。
先日(気分的に、つい先日。年を取るとそんなもんです)雪組で再演されたときは、初演から10年以上間が空いていたわけだから、たのしめた。
しかし、月組で、って……。
月組『エリザベート』から4年、雪組『エリザベート』からは2年しか経ってないわけでしょ?
月組の『エリザベート』だって、わたしにしてみりゃ「ついこの間」のことなんですってば。(年寄りの時間感覚なんて、そんなもんです)
天下の『エリザベート』様に対し、ラインアップ発表時に名前があると「げっ」と思う……植爺(天敵)、イシダ(天敵)と同列の反応をしてしまったことが、悲しくてなりません。
『エリザベート』、大好きだったはずなのに……。
わたし的に今回の月組公演がヒットで、「リピートするわっ」と仲間うちで宣言していたりして、苦手な『ME AND MY GIRL』の間遠ざかっていた月組さんをまた近く感じられるのだわ、とよろこんでいた矢先なんで、余計ヘコみますわー。
いやその、きっと魅力的な舞台を作り上げてくれることと思いますが……しかし、さすがにもう……。
あとはキャスティング次第だなー。てゆーか、シシィは誰がやるんですか、頼むから娘役に娘役をやらせてくださいよ、男役には男役をやらせてくださいよ、そーやってタカラヅカは90年以上続いてきたんでしょうに。
役替わり連発も勘弁してほしいんで、シンプルにキャストを割り振って欲しいと、心から願います。
わたしにとって『エリザベート』の位置がこんなことになっている、現実がつらいです。
他の演目はみんなたのしみだー。
いやその、『Red Hot SeaII』ってなんだよ、まだやる気かよ、とか、『哀しみのコルドバ』ってたしか兄妹オチだよな、劇団も意地になって彩音ちゃんに妹キャラをやらせているのか?とか、またまとぶは盛大に死ぬ役ですか、とか、ヒロインより2番手娘役の役(ひまわり強烈)の方が印象強いんだけど、とか、まっつは全ツとバウどっちに出るんだろーか、とか、思うとこはありますが。
全ツ初日が梅田でなくなったことも、かなしーなー。ちぇっ(笑)。
とゆーことで。
「季刊 タカラヅカ・ラインアップ ~spring~」が発表になったわけだから、次の「~summer~」はいつ発表ですか?
3ヶ月後だから、2月末?
> で、「季刊 タカラヅカ・ラインアップ」の次号予告はどうなってんですか?
> 3ヶ月後だから、11月末?
と、8月末に書いた通り、11月下旬発表っす。
大劇場
宙組
『薔薇に降る雨』(仮題)作・演出/正塚晴彦
『Amour それは・・・』作・演出/岡田敬二
月組
『エリザベート』-愛と死の輪舞(ロンド)- 潤色・演出/小池修一郎
バウホール
月組
『二人の貴公子』脚本・演出/小柳奈穂子
龍 真咲、明日海 りお
花組
『オグリ! ~小栗判官物語より~』 脚本・演出/木村信司
壮一帆
全国ツアー
花組
『哀しみのコルドバ』脚本/柴田侑宏 演出/中村暁
『Red Hot Sea II』作・演出/草野旦
ディナーショー
霧矢大夢、遼河はるひ
なにがショックだったかって、『エリザベート』です。
や、『エリザベート』はいいんですよ。よい作品だと思ってます。
が。
『エリザベート』の名をラインアップの中に見て、贔屓組でなくて良かった……! と、胸を撫で下ろしてしまったことが、ショックですわ。
さすがにね、もう「観たい!」と積極的には思えないのですわ。
先日(気分的に、つい先日。年を取るとそんなもんです)雪組で再演されたときは、初演から10年以上間が空いていたわけだから、たのしめた。
しかし、月組で、って……。
月組『エリザベート』から4年、雪組『エリザベート』からは2年しか経ってないわけでしょ?
月組の『エリザベート』だって、わたしにしてみりゃ「ついこの間」のことなんですってば。(年寄りの時間感覚なんて、そんなもんです)
天下の『エリザベート』様に対し、ラインアップ発表時に名前があると「げっ」と思う……植爺(天敵)、イシダ(天敵)と同列の反応をしてしまったことが、悲しくてなりません。
『エリザベート』、大好きだったはずなのに……。
わたし的に今回の月組公演がヒットで、「リピートするわっ」と仲間うちで宣言していたりして、苦手な『ME AND MY GIRL』の間遠ざかっていた月組さんをまた近く感じられるのだわ、とよろこんでいた矢先なんで、余計ヘコみますわー。
いやその、きっと魅力的な舞台を作り上げてくれることと思いますが……しかし、さすがにもう……。
あとはキャスティング次第だなー。てゆーか、シシィは誰がやるんですか、頼むから娘役に娘役をやらせてくださいよ、男役には男役をやらせてくださいよ、そーやってタカラヅカは90年以上続いてきたんでしょうに。
役替わり連発も勘弁してほしいんで、シンプルにキャストを割り振って欲しいと、心から願います。
わたしにとって『エリザベート』の位置がこんなことになっている、現実がつらいです。
他の演目はみんなたのしみだー。
いやその、『Red Hot SeaII』ってなんだよ、まだやる気かよ、とか、『哀しみのコルドバ』ってたしか兄妹オチだよな、劇団も意地になって彩音ちゃんに妹キャラをやらせているのか?とか、またまとぶは盛大に死ぬ役ですか、とか、ヒロインより2番手娘役の役(ひまわり強烈)の方が印象強いんだけど、とか、まっつは全ツとバウどっちに出るんだろーか、とか、思うとこはありますが。
全ツ初日が梅田でなくなったことも、かなしーなー。ちぇっ(笑)。
とゆーことで。
「季刊 タカラヅカ・ラインアップ ~spring~」が発表になったわけだから、次の「~summer~」はいつ発表ですか?
3ヶ月後だから、2月末?
罪の子たちが、見る夢は。@夢の浮橋/Apasionado!!
2008年11月19日 タカラヅカ やるせない、痛みに満ちた物語。
なんの気負いもなく、いつものよーに2階の隅っこに坐った。
駐車場に並んだ観光バスの多さにびっくり、団体客の多さにびっくり、客席の埋まり具合にびっくり。行楽シーズンって、源氏物語って、こんなにすごいの? ヘタな海外ミュージカルより団体客入ってるんですけど?
学生さんやらお揃いのお弁当の袋を膝に置いた年輩の方々やら、どうか芝居は静かに観劇して下さいよと心の中で祈る。ショーなら多少騒いでもいいからさー。(団体さんのショーでの歓声は初々しくて好きだ)
初日でもなんでもない、ふつーの平日。
わたしは初日好きでいつも初日はハズさず観劇しているのだけど、トド様DS×2を取ったために、月組初日はあきらめた。いやその、星全ツとか合唱のレッスンとかいろんなものが同じ週に重なってね……いくらわたしでも遊んでばかりいられないわ。(つか、働けよナマケモノ……)
初日でなかったら、あとはいつ行っても同じ。新公までに観られればいいわ。DSのおかげで、超絶びんぼー、観劇回数減らすって決めたんだもん。月組は1回だけよ、1回だけ。
で。
オープニングから、号泣。
大野せんせの『夢の浮橋』。
まだ主役出てきてません!な状態で、ツボ直撃で大泣きする。
てゆーか、光源氏@萬ケイ様、素敵すぎ。
老いてなお美しい光源氏、愛ゆえに壊れてしまったかなしいひと。
罪に汚れた大人と、無垢な子どもたち……そして、罪の、烙印。
油断していたから、ハンカチの用意もない(笑)。
プロローグだよ? はじまって数分だよ? 主役もまだ出てないんだよ? ここで大泣きするって、誰が思うよ?!(逆ギレ)
しょっぱなからダメージでかすぎて、息も絶え絶え。
しばしぼーーーーっと舞台を眺める。
正気に戻ったのは、匂宮@あさこが、愛人ズに囲まれてわいわいやってるあたり。(遅っ)
あー、さすが大野くん、「大きいわあ、大物よお♪」とか「宮様モテモテ♪」とか、そんな歌詞にはなんないんだー、なんてことに感心する。
よーやくアタマがまともに働き出したので、ちょっと待て、きりやんどうした? と、焦る。なんかきりやんをぜんぜん見てない気がするんだけど? わたし、見落としてた?!
や、出てないから、見落としてたわけじゃないから、落ち着け(笑)。
そうやってせっかく冷静に観られるようになってきたっていうのに、その薫@きりやんが登場したあたりから、また、泣き通しになる。
うああぁぁん、ナニこれぇ。
痛い。
ものすごく、痛い物語だ。
やるせない、せつない、かなしい。
再度登場する萬ケイ様にまた、号泣。
ハンカチ握りしめての観劇に。
最後の最後まで、緊張して、心臓ばくばくして、泣きっぱなしで、幕が下りたときは、消耗しきっていた。
オギーが去り、こんな「痛い」ものは、タカラヅカで観ることはないと思ってた。
油断してたよ……。そうだ、大野くんがいたんだ。
わたしには、まだ大野くんがいるんだ。
なんつーんですか、厚い雨雲が切れ、隙間から黄金の光が射してきたよーなキモチでした。
祝福の天使が2~3匹、わたしの頭の上を回っていたかもしれません。
や、大野くんはオギーじゃないので、代わりとかそーゆーんじゃなく、オギーに求めていたわたし自身のツボを、補うカラーを大野くんも持っている作家なんだということを、再確認したの。
オギーより、芸風がホモ系っつーか腐女子向きなのも、愉快だしな(笑)。大野せんせ、ヲタクだもんなー(いろんな意味で)。
とにかく、よくぞ萬ケイ様に、光源氏を配役してくれました。
萬ケイ様だけで、ごはん3杯イケます。
夕霧@ソルーナさんとかも、もーくるくる回りたいくらい、ツボです。
匂宮@あさこちゃんの美しさ、浮舟@しずくちゃんもハマってる。小宰相の君@あいちゃんも好きだー。
ただ、薫@きりやんは最初、どうかと思ったんだが……なんつーか、精彩に欠けて見えて、首を傾げた。その、薫登場から泣きスイッチ入ったんだが(笑)、それとはべつに、薫の演技ってあれでいいのか?と。
しかし、次に観劇したときはんなこたぁーどーでもよくなってたねっ。てゆーか、薫はアレでいいのだー。
ええ、「次」って。
お金がないから、マジでびんぼーだから、月組は1回だけって決めてたのにぃーーっ。
芝居が終わった瞬間、「あたしコレ、もっぺん観る。絶対絶対観るー!!」って悶えてた(笑)。
もー、すごい好き。
大好き。
ツボ語りは欄を改めて、じっくりと。
うおー、観たいし書きたいし、今年いちばんのヒットだわ、わたし的に。1年の最後にすごいの来ちゃったなあ。いいなあ、月組さん。(他組をうらやましがる癖はやめなさい)
あ、ショーの『Apasionado!!』も、たのしかった。
冒頭の「小林幸子」では、毎回団体さんの歓声がすごかった(笑)。つか、いつ行っても団体さんだらけだ。バスが10台とか平日に停まってるの、久しく見ない光景だよー。
芝居が終わったとき、「この作品、団体さん向きじゃなさすぎるだろう」と嘆息したので、ショーがわかりやすいキャッチーさにあふれていて、ほっとした。
さすがフジイくん、いい仕事してるなあ。
あ、まさか『血と砂』が出てくるとは思わなかった。
チェリさん、みっぽーがドンニャ役やってますよー(私信・笑)。
中詰めのオカマ・ショーも愉快痛快。
どっかの赤熱海で見た、「子どもの名前はペドロがいい……」を再度見ることになるとは思わずひとしきりウケ、まさきのやる気っぷりと、野獣あさこのかわいさにきゃーきゃー。ナニあの「きょとん」とみりおを見る顔!! 可愛すぎる。
とまあ、とてもたのしかったのは、たしかなんだが。
でもなんか、落ち着きが悪いというか、ヅカを観ている気が薄くなるっていうか……OSKを観ている気がした。わたしがはじめて観たOSK公演は、トップ娘役がふたりいたんだよね。たぶん、そのせい。
「娘役トップスターがいない」と、こんなに落ち着かない、しっくりこないもんなんだ、とはじめて知った。
最後の大階段前のあさこちゃんのダンスシーンなんか、どこのサヨナラショーかと……。てゆーか長い……長すぎるだろアレ……。
ショーはともかくとして、芝居見たさにリピート決定っす。立ち見が出てくれるから、貧乏人にも通いやすいしなっ。人気公演ばんざい。わくわくっ。
なんの気負いもなく、いつものよーに2階の隅っこに坐った。
駐車場に並んだ観光バスの多さにびっくり、団体客の多さにびっくり、客席の埋まり具合にびっくり。行楽シーズンって、源氏物語って、こんなにすごいの? ヘタな海外ミュージカルより団体客入ってるんですけど?
学生さんやらお揃いのお弁当の袋を膝に置いた年輩の方々やら、どうか芝居は静かに観劇して下さいよと心の中で祈る。ショーなら多少騒いでもいいからさー。(団体さんのショーでの歓声は初々しくて好きだ)
初日でもなんでもない、ふつーの平日。
わたしは初日好きでいつも初日はハズさず観劇しているのだけど、トド様DS×2を取ったために、月組初日はあきらめた。いやその、星全ツとか合唱のレッスンとかいろんなものが同じ週に重なってね……いくらわたしでも遊んでばかりいられないわ。(つか、働けよナマケモノ……)
初日でなかったら、あとはいつ行っても同じ。新公までに観られればいいわ。DSのおかげで、超絶びんぼー、観劇回数減らすって決めたんだもん。月組は1回だけよ、1回だけ。
で。
オープニングから、号泣。
大野せんせの『夢の浮橋』。
まだ主役出てきてません!な状態で、ツボ直撃で大泣きする。
てゆーか、光源氏@萬ケイ様、素敵すぎ。
老いてなお美しい光源氏、愛ゆえに壊れてしまったかなしいひと。
罪に汚れた大人と、無垢な子どもたち……そして、罪の、烙印。
油断していたから、ハンカチの用意もない(笑)。
プロローグだよ? はじまって数分だよ? 主役もまだ出てないんだよ? ここで大泣きするって、誰が思うよ?!(逆ギレ)
しょっぱなからダメージでかすぎて、息も絶え絶え。
しばしぼーーーーっと舞台を眺める。
正気に戻ったのは、匂宮@あさこが、愛人ズに囲まれてわいわいやってるあたり。(遅っ)
あー、さすが大野くん、「大きいわあ、大物よお♪」とか「宮様モテモテ♪」とか、そんな歌詞にはなんないんだー、なんてことに感心する。
よーやくアタマがまともに働き出したので、ちょっと待て、きりやんどうした? と、焦る。なんかきりやんをぜんぜん見てない気がするんだけど? わたし、見落としてた?!
や、出てないから、見落としてたわけじゃないから、落ち着け(笑)。
そうやってせっかく冷静に観られるようになってきたっていうのに、その薫@きりやんが登場したあたりから、また、泣き通しになる。
うああぁぁん、ナニこれぇ。
痛い。
ものすごく、痛い物語だ。
やるせない、せつない、かなしい。
再度登場する萬ケイ様にまた、号泣。
ハンカチ握りしめての観劇に。
最後の最後まで、緊張して、心臓ばくばくして、泣きっぱなしで、幕が下りたときは、消耗しきっていた。
オギーが去り、こんな「痛い」ものは、タカラヅカで観ることはないと思ってた。
油断してたよ……。そうだ、大野くんがいたんだ。
わたしには、まだ大野くんがいるんだ。
なんつーんですか、厚い雨雲が切れ、隙間から黄金の光が射してきたよーなキモチでした。
祝福の天使が2~3匹、わたしの頭の上を回っていたかもしれません。
や、大野くんはオギーじゃないので、代わりとかそーゆーんじゃなく、オギーに求めていたわたし自身のツボを、補うカラーを大野くんも持っている作家なんだということを、再確認したの。
オギーより、芸風がホモ系っつーか腐女子向きなのも、愉快だしな(笑)。大野せんせ、ヲタクだもんなー(いろんな意味で)。
とにかく、よくぞ萬ケイ様に、光源氏を配役してくれました。
萬ケイ様だけで、ごはん3杯イケます。
夕霧@ソルーナさんとかも、もーくるくる回りたいくらい、ツボです。
匂宮@あさこちゃんの美しさ、浮舟@しずくちゃんもハマってる。小宰相の君@あいちゃんも好きだー。
ただ、薫@きりやんは最初、どうかと思ったんだが……なんつーか、精彩に欠けて見えて、首を傾げた。その、薫登場から泣きスイッチ入ったんだが(笑)、それとはべつに、薫の演技ってあれでいいのか?と。
しかし、次に観劇したときはんなこたぁーどーでもよくなってたねっ。てゆーか、薫はアレでいいのだー。
ええ、「次」って。
お金がないから、マジでびんぼーだから、月組は1回だけって決めてたのにぃーーっ。
芝居が終わった瞬間、「あたしコレ、もっぺん観る。絶対絶対観るー!!」って悶えてた(笑)。
もー、すごい好き。
大好き。
ツボ語りは欄を改めて、じっくりと。
うおー、観たいし書きたいし、今年いちばんのヒットだわ、わたし的に。1年の最後にすごいの来ちゃったなあ。いいなあ、月組さん。(他組をうらやましがる癖はやめなさい)
あ、ショーの『Apasionado!!』も、たのしかった。
冒頭の「小林幸子」では、毎回団体さんの歓声がすごかった(笑)。つか、いつ行っても団体さんだらけだ。バスが10台とか平日に停まってるの、久しく見ない光景だよー。
芝居が終わったとき、「この作品、団体さん向きじゃなさすぎるだろう」と嘆息したので、ショーがわかりやすいキャッチーさにあふれていて、ほっとした。
さすがフジイくん、いい仕事してるなあ。
あ、まさか『血と砂』が出てくるとは思わなかった。
チェリさん、みっぽーがドンニャ役やってますよー(私信・笑)。
中詰めのオカマ・ショーも愉快痛快。
どっかの赤熱海で見た、「子どもの名前はペドロがいい……」を再度見ることになるとは思わずひとしきりウケ、まさきのやる気っぷりと、野獣あさこのかわいさにきゃーきゃー。ナニあの「きょとん」とみりおを見る顔!! 可愛すぎる。
とまあ、とてもたのしかったのは、たしかなんだが。
でもなんか、落ち着きが悪いというか、ヅカを観ている気が薄くなるっていうか……OSKを観ている気がした。わたしがはじめて観たOSK公演は、トップ娘役がふたりいたんだよね。たぶん、そのせい。
「娘役トップスターがいない」と、こんなに落ち着かない、しっくりこないもんなんだ、とはじめて知った。
最後の大階段前のあさこちゃんのダンスシーンなんか、どこのサヨナラショーかと……。てゆーか長い……長すぎるだろアレ……。
ショーはともかくとして、芝居見たさにリピート決定っす。立ち見が出てくれるから、貧乏人にも通いやすいしなっ。人気公演ばんざい。わくわくっ。
また、会えたね。また、会おうね。@ネオ・ダンディズム!III
2008年11月18日 タカラヅカ わたしは、博多へ行っていない。
そーなんだ。そーなんだよ。
もう何年も、博多へは行ってないんだ。かしちゃんの『コパカバーナ』が最後だよ。
つまり、わたしの中では、ワタさんサヨナラ公演なんだ、『ネオ・ダンディズム!』って。
博多座公演の『ネオ・ダンディズム!II』はスカステで見たけれど。いや、見たのではなく、部屋で「流して」いたけれど。
そんなことぐらいじゃアタマに入らない。つか、「心」に入らない。
放送されるから、と、半ば義務のように録画し、とりあえず再生した。メディアに焼いてラベルを付けて、安心した。
博多座で『ネオ・ダンディズム!II』があり、トウコとあすかで演じられたのだとわかっていたのに……それでも今さら、感慨深かった。
星組全国ツアー『ネオ・ダンディズム!III』。
聴き慣れたイントロは、部屋の小さなテレビで見た博多座版ではなく、大劇場へと記憶を引き戻す。
あの夏、あの場所で、一心に見つめた。
長身のチャイナスーツの美丈夫、華やかな美貌のチャイナドール、深い歌声の小柄な色男。
……て。
いやその、テレビではほら、あんましぴんと来ないじゃん?
実際に、生の舞台で見ると……最初に出てくるチャイナスーツの男が……正確には男のカラダのサイズが……。
ワタさんの残像に、トウコちゃんがかぶってくると、なかなかインパクトありますな(笑)。
しかも、トウコちゃんのパートには、ガタイ良しのしいちゃんが入るわけで。
わはは、なんか逆だー。
いやいや、ステキですとも。
トウコちゃんはちっちゃくっても色男。オーラの大きさで劇場を包み込むから無問題。
しいちゃんも安定感ある2番手ぶり。タイトにまとめた髪とか、かっこよいわ。
ふと、雪組時代を思い出す。
このふたり、雪組で一緒に舞台に立っていたんだよね。共に若手スターとして、注目を浴び、真ん中の道を歩んでいた。
……紆余曲折を経て、ここにいる。ふたりとも、すげーいい男になった。
退団を発表したトウコちゃんが、わたしの中の「退団公演」である『ネオ・ダンディズム!』の真ん中で歌い踊ることが、なんだかちりちりと胸を焦がす。
トウコちゃんは昔から「スター」だったし、トップになるのがあたりまえと思っていたので、ココへたどり着くまでこんなに時間が掛かるとは思ってなかった。
時間が掛かった分いろんな役をして、さらに素晴らしい舞台人になった。
トップに相応しい人だと思い、その能力になんの疑問もなかったし、ある意味若い頃から変わらない人ではあった。
若い頃から想像つかない方向へ変わったのは、しいちゃんだ。
あのキラキラのロケット・ボーイ@『ラヴィール』が、こんなに大人のいい男になるなんて、予想の範囲を超えている。
ワタさんの『ネオ・ダンディズム!』でアタマが止まっているわたしは、公演がはじまってようやく、「あ、しいちゃんが2番手なんだ」と実感した。
トウコちゃんのポジションを務めるしいちゃんを見て、はじめてわかったんだ。
しいちゃんが2番手……それはあらかじめ考えていなかったことであり、そのくせしいちゃん2番手なら2番手で、「そうでなくちゃ!」と得心することだった。
雪組にいたころ、いつか見た未来だったかもしれない。
トウコが真ん中で大きな羽根を背負って、その横にしいちゃんがいること。
……もちろん当時の雪組には他にスターがたくさんいたけれど、それはさておき、パラレルワールドのひとつに存在したかもしれない光景だな、と。
ワタさん時代の星組を、彼の時代にいた人たちを彷彿としながら、さらに雪組時代のトウコとその周辺に想いを馳せたりする、わたし的にややこしい公演でした、『ネオ・ダンディズム!III』(笑)。
あすかちゃんも、となみちゃんとは明らかに輝きの種類が違うしなー(笑)。
本公演当時、「ダンディズムとは!」と語りすぎるところがダサくて嫌でしょうがなかったんだが、さすがにもう耐性がついているので気にならず。
むしろ、誰がどこに出るのか、点呼を取るので必死。
それにしても、しいすず大活躍。
しいちゃんてばさ、本公演時に3番手?3番目?ポジションをすずみんとふたりで任されていた、その出番はそのままに、2番手としての仕事もしているから、昔よりさらに出番増えている、つまり本公演時のトウコよりオイシイ役割、って、すごいなヲイ(笑)。
「ダンディとは」の解説長台詞、トウコちゃんは濃さで押し通していたけど、しいちゃんは姿も合わせた力業で押していく感じ。なんか強そうだな、耽美カツラに耽美衣装なのに。
そのあとの娘役ちゃんたちの群舞は、盆が回らないとさらに振付のつまんなさが増大されていたような……ゲフンゲフン。
耽美場面なので、すずみさんのビジュアルへのこだわりっぶりに注目。王子様っつったらこの人だよなー。
ヒゲのダンディ男の場面で、はじめて英真くみちょがいないことに気がついた。そーいや出てなかったっけ。だからにしきさんなんだ!と、思い至る。
や、にしきさん、活躍してました。
芝居もだけど、ショーでもしーらんの位置が上がっている気がする。おいしいなあ。かわいいなあ。
幕間にkineさんがプログラムチェックして、「パンパミーアにあすかが出てる!」と言っていた。彼女の着目点は「リフトどうするんだろう?」……たしかに。
女の子とラヴラヴ・カップルのストーリー色の濃い場面だから、トウコの相手役があすかなのはうれしい。しかし、リフトが必要な場合のトウコの相手役はコトコトと決まっていた……わけだから。
や、ちゃんとリフトありました。「1回だけでしたね」と言われようと、トウアスでリフトあったんだから、大したもんだ!(笑)
役替わりはあるかなあ、とぼんやり考えていたけれど、「恋する男はドン・キホーテ」が相変わらずしいすずで、ウケる。や、「恋ドン」はふたりの持ち歌、持ち場面だよね?!(笑) 他の誰もできないよねっ!
それなりのセンター通路際だったんで期待してたんだけど、思いの外前方だけで客席降り終わっちゃったよ、残念。
「明日へのエナジー」は、大好きな場面。博多へは、コレを観に行きたかったんだよなあ。行けなかったけど。
ワタさんのポラリスを思い出しつつも、ついでに『シトラスの風』のずんこ、たかこ、ワタルを思い出しつつも、すずみんのボタンの開き具合、中の黄色が見えちゃってるよ、を気にしてみたり。
「明日へのエナジー」のパワーを感じながら、浴びながら、トウコの星組で、ちゃんとしたショーを観たことがないだよな、と、改めて思う。
『レビュー・オルキス―蘭の星―』は、ふつーじゃなかったからな。(草野め)
次の公演が、集大成的な「タカラヅカのショー」であることを、心から祈る。
そういや博多座は「all by myself」がなかったそうで。
本公演の記憶しかない身としては、再びトウコの美声で人生ソングを聴くことができ、しみじみしましたさ……。てゆーかやっぱコレ、「退団」に直結していて、泣く。
客席からの登場だったけど、わたしのそばは通ってくれなかったよ……うわあぁん。がんばって通路際取ったのにぃ。泣く(笑)。
『ベルばら』が思いの外たのしくて、ショーは言うまでもなく楽しくて、「もっぺん観る~~」と言い、ひとりサバキ待ちしたんだけどさ(他のみんなはチケット持ってた)、あえなく玉砕……手に入らなかった。
『アラン編』の後遺症で、「『ベルばら』なんかもう観ない、トウコだから1回は観るけど、出演者の顔を見るだけだからがんばって良席1枚だけ買って、二度ともう観ないもん!」と言ってたんですけどね……こんなことなら、安い席を何枚も買って複数回観る方を選ぶべきだったわ。
そーなんだ。そーなんだよ。
もう何年も、博多へは行ってないんだ。かしちゃんの『コパカバーナ』が最後だよ。
つまり、わたしの中では、ワタさんサヨナラ公演なんだ、『ネオ・ダンディズム!』って。
博多座公演の『ネオ・ダンディズム!II』はスカステで見たけれど。いや、見たのではなく、部屋で「流して」いたけれど。
そんなことぐらいじゃアタマに入らない。つか、「心」に入らない。
放送されるから、と、半ば義務のように録画し、とりあえず再生した。メディアに焼いてラベルを付けて、安心した。
博多座で『ネオ・ダンディズム!II』があり、トウコとあすかで演じられたのだとわかっていたのに……それでも今さら、感慨深かった。
星組全国ツアー『ネオ・ダンディズム!III』。
聴き慣れたイントロは、部屋の小さなテレビで見た博多座版ではなく、大劇場へと記憶を引き戻す。
あの夏、あの場所で、一心に見つめた。
長身のチャイナスーツの美丈夫、華やかな美貌のチャイナドール、深い歌声の小柄な色男。
……て。
いやその、テレビではほら、あんましぴんと来ないじゃん?
実際に、生の舞台で見ると……最初に出てくるチャイナスーツの男が……正確には男のカラダのサイズが……。
ワタさんの残像に、トウコちゃんがかぶってくると、なかなかインパクトありますな(笑)。
しかも、トウコちゃんのパートには、ガタイ良しのしいちゃんが入るわけで。
わはは、なんか逆だー。
いやいや、ステキですとも。
トウコちゃんはちっちゃくっても色男。オーラの大きさで劇場を包み込むから無問題。
しいちゃんも安定感ある2番手ぶり。タイトにまとめた髪とか、かっこよいわ。
ふと、雪組時代を思い出す。
このふたり、雪組で一緒に舞台に立っていたんだよね。共に若手スターとして、注目を浴び、真ん中の道を歩んでいた。
……紆余曲折を経て、ここにいる。ふたりとも、すげーいい男になった。
退団を発表したトウコちゃんが、わたしの中の「退団公演」である『ネオ・ダンディズム!』の真ん中で歌い踊ることが、なんだかちりちりと胸を焦がす。
トウコちゃんは昔から「スター」だったし、トップになるのがあたりまえと思っていたので、ココへたどり着くまでこんなに時間が掛かるとは思ってなかった。
時間が掛かった分いろんな役をして、さらに素晴らしい舞台人になった。
トップに相応しい人だと思い、その能力になんの疑問もなかったし、ある意味若い頃から変わらない人ではあった。
若い頃から想像つかない方向へ変わったのは、しいちゃんだ。
あのキラキラのロケット・ボーイ@『ラヴィール』が、こんなに大人のいい男になるなんて、予想の範囲を超えている。
ワタさんの『ネオ・ダンディズム!』でアタマが止まっているわたしは、公演がはじまってようやく、「あ、しいちゃんが2番手なんだ」と実感した。
トウコちゃんのポジションを務めるしいちゃんを見て、はじめてわかったんだ。
しいちゃんが2番手……それはあらかじめ考えていなかったことであり、そのくせしいちゃん2番手なら2番手で、「そうでなくちゃ!」と得心することだった。
雪組にいたころ、いつか見た未来だったかもしれない。
トウコが真ん中で大きな羽根を背負って、その横にしいちゃんがいること。
……もちろん当時の雪組には他にスターがたくさんいたけれど、それはさておき、パラレルワールドのひとつに存在したかもしれない光景だな、と。
ワタさん時代の星組を、彼の時代にいた人たちを彷彿としながら、さらに雪組時代のトウコとその周辺に想いを馳せたりする、わたし的にややこしい公演でした、『ネオ・ダンディズム!III』(笑)。
あすかちゃんも、となみちゃんとは明らかに輝きの種類が違うしなー(笑)。
本公演当時、「ダンディズムとは!」と語りすぎるところがダサくて嫌でしょうがなかったんだが、さすがにもう耐性がついているので気にならず。
むしろ、誰がどこに出るのか、点呼を取るので必死。
それにしても、しいすず大活躍。
しいちゃんてばさ、本公演時に3番手?3番目?ポジションをすずみんとふたりで任されていた、その出番はそのままに、2番手としての仕事もしているから、昔よりさらに出番増えている、つまり本公演時のトウコよりオイシイ役割、って、すごいなヲイ(笑)。
「ダンディとは」の解説長台詞、トウコちゃんは濃さで押し通していたけど、しいちゃんは姿も合わせた力業で押していく感じ。なんか強そうだな、耽美カツラに耽美衣装なのに。
そのあとの娘役ちゃんたちの群舞は、盆が回らないとさらに振付のつまんなさが増大されていたような……ゲフンゲフン。
耽美場面なので、すずみさんのビジュアルへのこだわりっぶりに注目。王子様っつったらこの人だよなー。
ヒゲのダンディ男の場面で、はじめて英真くみちょがいないことに気がついた。そーいや出てなかったっけ。だからにしきさんなんだ!と、思い至る。
や、にしきさん、活躍してました。
芝居もだけど、ショーでもしーらんの位置が上がっている気がする。おいしいなあ。かわいいなあ。
幕間にkineさんがプログラムチェックして、「パンパミーアにあすかが出てる!」と言っていた。彼女の着目点は「リフトどうするんだろう?」……たしかに。
女の子とラヴラヴ・カップルのストーリー色の濃い場面だから、トウコの相手役があすかなのはうれしい。しかし、リフトが必要な場合のトウコの相手役はコトコトと決まっていた……わけだから。
や、ちゃんとリフトありました。「1回だけでしたね」と言われようと、トウアスでリフトあったんだから、大したもんだ!(笑)
役替わりはあるかなあ、とぼんやり考えていたけれど、「恋する男はドン・キホーテ」が相変わらずしいすずで、ウケる。や、「恋ドン」はふたりの持ち歌、持ち場面だよね?!(笑) 他の誰もできないよねっ!
それなりのセンター通路際だったんで期待してたんだけど、思いの外前方だけで客席降り終わっちゃったよ、残念。
「明日へのエナジー」は、大好きな場面。博多へは、コレを観に行きたかったんだよなあ。行けなかったけど。
ワタさんのポラリスを思い出しつつも、ついでに『シトラスの風』のずんこ、たかこ、ワタルを思い出しつつも、すずみんのボタンの開き具合、中の黄色が見えちゃってるよ、を気にしてみたり。
「明日へのエナジー」のパワーを感じながら、浴びながら、トウコの星組で、ちゃんとしたショーを観たことがないだよな、と、改めて思う。
『レビュー・オルキス―蘭の星―』は、ふつーじゃなかったからな。(草野め)
次の公演が、集大成的な「タカラヅカのショー」であることを、心から祈る。
そういや博多座は「all by myself」がなかったそうで。
本公演の記憶しかない身としては、再びトウコの美声で人生ソングを聴くことができ、しみじみしましたさ……。てゆーかやっぱコレ、「退団」に直結していて、泣く。
客席からの登場だったけど、わたしのそばは通ってくれなかったよ……うわあぁん。がんばって通路際取ったのにぃ。泣く(笑)。
『ベルばら』が思いの外たのしくて、ショーは言うまでもなく楽しくて、「もっぺん観る~~」と言い、ひとりサバキ待ちしたんだけどさ(他のみんなはチケット持ってた)、あえなく玉砕……手に入らなかった。
『アラン編』の後遺症で、「『ベルばら』なんかもう観ない、トウコだから1回は観るけど、出演者の顔を見るだけだからがんばって良席1枚だけ買って、二度ともう観ないもん!」と言ってたんですけどね……こんなことなら、安い席を何枚も買って複数回観る方を選ぶべきだったわ。
物語の中心は。@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月17日 タカラヅカ なにしろもう、3本目なわけだから。
配役が発表になった瞬間から、話題になるわけですよ。
「で、ダンス・ソロを踊るのは、にしきさんなの?」
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』の、革命場面。
雪組『ジェローデル編』ではロベスピエール@ひろみが演説したあと、センターで民衆を率いて踊り、彼に付き従っていた市民の男@そらくんが中央に出てソロを踊り、撃たれた。
花組『アラン編』では演説無し、市民の男@まっつがセンターで民衆を率いて踊り、さらに自分で中央に出てソロを踊り、撃たれた。
革命場面はどうやら3組共通であるらしい……からこそ、まず、話題になる。
ロベスピエール@にしきさんが、『ジェローデル編』に引き続いて演説して群舞センターで一場面務めるの??
にしきさんは貴重な上級生だけど、長く派手なダンス・シーンのセンターをまるまる一場面任されるよーな扱いの人ではない……よな?
じゃあいったいどうするつもりなんだろう、と思っていたら。
演説する人(歌)→ベルナール
センターで踊る人・その1→ベルナール
センターで踊る人・その2→ロベスピエール
ソロで踊って撃たれる人→市民の男@しーらん
と、役割分担してました!
ロベスピエール@にしきさんは、登場するなり観客に笑われる。……だって『スカーレット・ピンパーネル』の直後だし。
ロザリー@あすかという嫁連れで革命の仲間たちに合流したベルナールは、市民たちを集めてかっこよく演説をする……わけだが、初日初回はトウコちゃん、台詞忘れてえーらいこっちゃ、にしきさんがあわててフォローしていた。
聞いた話によると、けっこーな量の台詞をとばして進んでみたいだな、初回(笑)。
革命のリーダー格はロベスピエールであるべきで、ベルナールはその片腕ポジションのはずなんだが、完全逆転、リーダー様はベルナールでロベスピエールはその手下状態。
それでも、「主役」が物語を動かす様は、見ていて気持ちいい。
ベルナールの演説から、いつもの市民たちの歌になる。歌を牽引するのはベルナール。ドラマティックな歌声の華。
そして、彼を中心とした、市民たちの群舞。
そうさ、もっともドラマティックな場面である、「革命」シーン。ここの真ん中に「主役」がいること……あたりまえの画面なのに、3作かかってはじめて叶ったんだよ?!
主役がクライマックスの真ん中にいて、主役が物語を動かすの! あたりまえのことだけど、すげーキモチいい。なにしろ過去2作のフラストレーションが溜まってるからな。
それでも植爺的こだわりなんだろう。「革命」場面に主要キャラクタを入れないことは。なんでそんなこだわり持ってんのか謎だけど。
ベルナールは途中で姿を消し、ロベスピエールがセンターとなる。
そして「アンタ誰?!」な若者@しーらんが登場して、ひとりでくるくる踊って撃たれる、と。
しーらんはかっこよかったっす。
なにしろ「ココがオレの見せ場!」とすげー気合いの入り様(笑)。どんとこーい!なダンスっぷり、若さと幼さが浅慮な健気さと結びついていい感じ。
でもってわたしは、関係ないトコでウケてました。
まっつひとりでやったパートが、トウコ、にしきさん、しーらんの3人パートになってる!(笑)
まっつは演説してないから、場面全部をひとりで真ん中担ったわけじゃないが、それ以外を全部ひとりでやってたんだ。『ジェロ編』ではひろみちゃんとそらくんふたり、『ベルナール編』では3人て……全部ひとりでやったまっつは愉快だなと(笑)。
いやその、『アラン編』がいちばん場面としてアレな作りでしたけどね。物語中のキャラがひとりも出てなくて、「アンタ誰?!」だけで長い場面ひとつ強引に持っていったんだから。
そして、キャラがいないからほんと、地味なシーンになっててねえ……まっつが地味とかいう話以前に(笑)。
ところで、革命軍のおちゃめな帽子は、花組だけの小道具だったんですか? みんなかぶってないじゃないですか! まっつにも被り物無しで踊ってほしかったっすよ!(笑)
革命場面最後では、ちゃんと主役であるベルナール中心の画面になる。盛り上がる場面の真ん中には、主役がいなくちゃね!
勝利の歓声の中、オスカルの剣を抱きしめて泣き崩れるロザリーがいい。
で、こっからどうつないでいくのかと思いきや。
いきなり愉快な旋律で、戦災孤児たちの歌になる。……このへんの「昭和」センスがいかにも『ベルばら』、いかにもタカラヅカ(笑)。
ちびっこちゃんたちはみんなかわいいし、ソロを歌っていた子もうまい。
あまりにカラーが変わりすぎて、「なにすんの?!」とどきどきしながら(なにしろ植爺を信じていない・笑)、10年後、ナポレオンのいる時代を見守る。
いやあ、いつチャルさんがスターブーツ履いて「ナポレオンです」と出てくるか、気が気じゃなくてな(笑)。
『アラン編』がすっかりトラウマになっていて、無意味に専科さんがきれーな衣装で長々喋るモノだと思い込んでて。
すっかり大人になって、大人になってなおいちゃいちゃしている感じのかわいい夫婦、ベルナールとロザリーがいい。
アラン@しいちゃんがものすげーかっこよくて惚れ惚れしちゃうことは、これまた世界の常識ってことで置いておいて。
そーいやベルナール夫妻の子どもの名前、初回はトウコちゃん「オスカル」って言ってました。
あまりにまんまでストレートすぎるセンスだなと思っていたんですが、どうやらこれも間違いだったよーですな。2回目以降は「フランソワ」だったそうで。
だよなあ、いくらなんでも「オスカル」はないよな(笑)。
あちこちでちょろりと出てくるともみんがかっこよくて、なにがどうってほどのこともない扱いなのに、「あ、今の子かっこいい」と思えるあたり、ほんとにいい男に育っているなと思う。
一方まひろはしどころないっちゅーか、たしかに扱いもよくないが、とりたてて目を引くモノもあまりないよーな……と思っていたら、最後にアントワネットで驚いた。
そ、そうか……この大役があるから、バランス取ってたのか。や、ともみんのフェルゼンも大役だけど、やっぱ男役がアントワネットを演じるほどの意義っつーか役割はまた格別だろうと。
配役が出たときの予想では、革命場面のダンス・ソロは「あかし」だったんだけどなあ。
なんか、あかしがもったいない使われ方をしていたが……なにしろ番手・学年至上主義の植爺だからなあ。
やー、『アラン編』の傷が大きすぎるもんで、いちいち「はうっ」となりながらも、『ベルナール編』はすげーたのしかったっす。
トウコちゃんすごい、あすかすごい、しいすずすごい。
脚本がまともなうえに、実力もキャリアもある人たちががっちり固めて、見応えのあるモノになってた。
うらやましい……。あたしはあの『アラン編』を6回も観たんだよ……しくしくしく。
配役が発表になった瞬間から、話題になるわけですよ。
「で、ダンス・ソロを踊るのは、にしきさんなの?」
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』の、革命場面。
雪組『ジェローデル編』ではロベスピエール@ひろみが演説したあと、センターで民衆を率いて踊り、彼に付き従っていた市民の男@そらくんが中央に出てソロを踊り、撃たれた。
花組『アラン編』では演説無し、市民の男@まっつがセンターで民衆を率いて踊り、さらに自分で中央に出てソロを踊り、撃たれた。
革命場面はどうやら3組共通であるらしい……からこそ、まず、話題になる。
ロベスピエール@にしきさんが、『ジェローデル編』に引き続いて演説して群舞センターで一場面務めるの??
にしきさんは貴重な上級生だけど、長く派手なダンス・シーンのセンターをまるまる一場面任されるよーな扱いの人ではない……よな?
じゃあいったいどうするつもりなんだろう、と思っていたら。
演説する人(歌)→ベルナール
センターで踊る人・その1→ベルナール
センターで踊る人・その2→ロベスピエール
ソロで踊って撃たれる人→市民の男@しーらん
と、役割分担してました!
ロベスピエール@にしきさんは、登場するなり観客に笑われる。……だって『スカーレット・ピンパーネル』の直後だし。
ロザリー@あすかという嫁連れで革命の仲間たちに合流したベルナールは、市民たちを集めてかっこよく演説をする……わけだが、初日初回はトウコちゃん、台詞忘れてえーらいこっちゃ、にしきさんがあわててフォローしていた。
聞いた話によると、けっこーな量の台詞をとばして進んでみたいだな、初回(笑)。
革命のリーダー格はロベスピエールであるべきで、ベルナールはその片腕ポジションのはずなんだが、完全逆転、リーダー様はベルナールでロベスピエールはその手下状態。
それでも、「主役」が物語を動かす様は、見ていて気持ちいい。
ベルナールの演説から、いつもの市民たちの歌になる。歌を牽引するのはベルナール。ドラマティックな歌声の華。
そして、彼を中心とした、市民たちの群舞。
そうさ、もっともドラマティックな場面である、「革命」シーン。ここの真ん中に「主役」がいること……あたりまえの画面なのに、3作かかってはじめて叶ったんだよ?!
主役がクライマックスの真ん中にいて、主役が物語を動かすの! あたりまえのことだけど、すげーキモチいい。なにしろ過去2作のフラストレーションが溜まってるからな。
それでも植爺的こだわりなんだろう。「革命」場面に主要キャラクタを入れないことは。なんでそんなこだわり持ってんのか謎だけど。
ベルナールは途中で姿を消し、ロベスピエールがセンターとなる。
そして「アンタ誰?!」な若者@しーらんが登場して、ひとりでくるくる踊って撃たれる、と。
しーらんはかっこよかったっす。
なにしろ「ココがオレの見せ場!」とすげー気合いの入り様(笑)。どんとこーい!なダンスっぷり、若さと幼さが浅慮な健気さと結びついていい感じ。
でもってわたしは、関係ないトコでウケてました。
まっつひとりでやったパートが、トウコ、にしきさん、しーらんの3人パートになってる!(笑)
まっつは演説してないから、場面全部をひとりで真ん中担ったわけじゃないが、それ以外を全部ひとりでやってたんだ。『ジェロ編』ではひろみちゃんとそらくんふたり、『ベルナール編』では3人て……全部ひとりでやったまっつは愉快だなと(笑)。
いやその、『アラン編』がいちばん場面としてアレな作りでしたけどね。物語中のキャラがひとりも出てなくて、「アンタ誰?!」だけで長い場面ひとつ強引に持っていったんだから。
そして、キャラがいないからほんと、地味なシーンになっててねえ……まっつが地味とかいう話以前に(笑)。
ところで、革命軍のおちゃめな帽子は、花組だけの小道具だったんですか? みんなかぶってないじゃないですか! まっつにも被り物無しで踊ってほしかったっすよ!(笑)
革命場面最後では、ちゃんと主役であるベルナール中心の画面になる。盛り上がる場面の真ん中には、主役がいなくちゃね!
勝利の歓声の中、オスカルの剣を抱きしめて泣き崩れるロザリーがいい。
で、こっからどうつないでいくのかと思いきや。
いきなり愉快な旋律で、戦災孤児たちの歌になる。……このへんの「昭和」センスがいかにも『ベルばら』、いかにもタカラヅカ(笑)。
ちびっこちゃんたちはみんなかわいいし、ソロを歌っていた子もうまい。
あまりにカラーが変わりすぎて、「なにすんの?!」とどきどきしながら(なにしろ植爺を信じていない・笑)、10年後、ナポレオンのいる時代を見守る。
いやあ、いつチャルさんがスターブーツ履いて「ナポレオンです」と出てくるか、気が気じゃなくてな(笑)。
『アラン編』がすっかりトラウマになっていて、無意味に専科さんがきれーな衣装で長々喋るモノだと思い込んでて。
すっかり大人になって、大人になってなおいちゃいちゃしている感じのかわいい夫婦、ベルナールとロザリーがいい。
アラン@しいちゃんがものすげーかっこよくて惚れ惚れしちゃうことは、これまた世界の常識ってことで置いておいて。
そーいやベルナール夫妻の子どもの名前、初回はトウコちゃん「オスカル」って言ってました。
あまりにまんまでストレートすぎるセンスだなと思っていたんですが、どうやらこれも間違いだったよーですな。2回目以降は「フランソワ」だったそうで。
だよなあ、いくらなんでも「オスカル」はないよな(笑)。
あちこちでちょろりと出てくるともみんがかっこよくて、なにがどうってほどのこともない扱いなのに、「あ、今の子かっこいい」と思えるあたり、ほんとにいい男に育っているなと思う。
一方まひろはしどころないっちゅーか、たしかに扱いもよくないが、とりたてて目を引くモノもあまりないよーな……と思っていたら、最後にアントワネットで驚いた。
そ、そうか……この大役があるから、バランス取ってたのか。や、ともみんのフェルゼンも大役だけど、やっぱ男役がアントワネットを演じるほどの意義っつーか役割はまた格別だろうと。
配役が出たときの予想では、革命場面のダンス・ソロは「あかし」だったんだけどなあ。
なんか、あかしがもったいない使われ方をしていたが……なにしろ番手・学年至上主義の植爺だからなあ。
やー、『アラン編』の傷が大きすぎるもんで、いちいち「はうっ」となりながらも、『ベルナール編』はすげーたのしかったっす。
トウコちゃんすごい、あすかすごい、しいすずすごい。
脚本がまともなうえに、実力もキャリアもある人たちががっちり固めて、見応えのあるモノになってた。
うらやましい……。あたしはあの『アラン編』を6回も観たんだよ……しくしくしく。
物語のはじまりは。@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月16日 タカラヅカ なんかすでに記憶が怪しくなっている、『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』感想あれこれ。
幕が上がるなり、「いつものオープニング」で、花組のアレ(=暗い暗いまとぶひとり芝居プロローグ)はなんだったのかとかなしくなる。……が、ソレはもう言っても仕方がない。
それより金髪おかっぱさんたちを楽しまなきゃ! あかしのおかっぱよね、ここは! ……と、気を取り直してオペラグラスを上げたその視界に。
にしきさんがいた。
にしき愛、1986年初舞台、研23、中卒ではないので、トドロキ御大より確実に年上。
そんな方が、おかっぱカツラで、小公子をやってます。
…………いかん、瞬間アタマが真っ白になった。
目を疑い、二度見して、たしかにあれはにしきさん、いやしかしにしきさんが何故?!
と、やっているうちにオープニングは終わってしまった。……気がする。あんまし、他の子見られなかった……そりゃトウアスしいすずは見たけど、それ以外を眺める精神的余裕はぶっとんだよ、にしきさん。
研11で小公子なまっつどころの話ぢゃないな……(笑)。
まっつはおかっぱ役は一瞬で、すぐに軍服に着替えてしまうんだけど、にしきさんは最下級生男役と同じ扱いで、最初から最後までおかっぱでした。いやその、美人だからいいっちゃーいいんだが……あああ、フェアリーってのは大変な職業だな。
『ベルナール編』といっても、なにをどうするつもりなのかは、なにも知らないままだった。つか、直前に観た『アラン編』があまりにひどかったので、アタマが考えることを拒否していたんだと思う。
不思議なほど、なにも考えていなかった。
だからオープニングのあと、ドレスの貴婦人ズが歌い踊る舞踏会シーンになり、「こんな場面があるんだ!」と、とても素直に驚いた。『ベルばら』なんだから、ドレスは必要だけど、そうか、ベルナールって黒い騎士だから、舞踏会シーンもできるんだー、とか、すげー今さらなことに驚く。
あ、正確にはオープニングのあとはカーテン前でベルナール@トウコの、書き下ろし主題歌熱唱があった気がする。初日1回観ただけ(それ以外チケット取れなかった)で、相変わらずプログラム買ってないんで記憶違いがあるかもしれんが、まあ、わたしのアタマにはこんなふーに残ってる、つーことで。
オープニングは全組共通、歌も衣装もダンスもみんな同じ。「役」として出ているわけではない。だからその直後に出てきた地味目だが十分キラキラのついたきれーな衣装を着た男が「ベルナール」なのか、「オープニングの男」なのか、判断に迷った。
たぶんベルナールだろう。オベリスクがどーたらこーたらという歌は、トウコのドラマティック・ヴォイスと相まって心地よい。
ここでだらだら主題歌一発、よりは、ベルナールが舞踏会へ潜入するのだとわからせる演出をすればいいのに。
歌いながら黒い仮面を付け、マントを身につけるとか。「黒い騎士」という記号姿になってくれれば、物語の導入になるのに、ただきれーな服できれーに歌うだけ。ドラマティックなのはトウコの功績であって、演出家はナニもしていない。
それはともかくとして、舞踏会。
貴婦人たちがきーきー騒ぐあれこれは、はっきり言って無駄。無意味に長すぎる。
が。
植爺ムカつく、植爺キライ、植爺撲滅、と思う気持ちとは別に、星組だなあ(笑)と、たのしくなる。
貴婦人たちのうるささ、無意味なのに力の入りまくった演技っぷりが、いかにも「星組」で。
これがなきゃ星組ぢゃないよな、と思い、柚長、きんさん、ももさり等、彼女たちのうるささを愛でながら「これって組ファンサービス?」と思う。
別の席で観ている星担友人kineさんも、絶対この場面よろこんで観ているわ(笑)、と。
オスカル@すずみんが出て、さらにまだ貴婦人たちがぎゃーぎゃーやって、ええっと、ソレで黒い騎士いつ出てくるの? もっと前にいくらでも出て来てしかるべき大仰なタイミングはあったのに、なかなか出てこない。
暗転時に「いかにも黒い騎士」な姿でマントひるがえして舞台横断するとか、「活躍」を描けるだろーに。
出てこないなー、ナニやってんだかなー、と思っていたら、グラパンが登場した。
いやその、チガウけど。でも、誰もがグラパン@『スカーレット・ピンパーネル』を想像したはず。客席も明らかにソレで笑っている。
着ぶくれしたいかにも「下に衣装着てます」という格好で、ベルナールさん登場。
出てきてナニをするかというと、わざわざ兵隊さんたちに絡んでます。わかりやすく怪しいです。
でもって、オスカルに正体を見抜かれます。
ナニしに出てきたんだ、ベルナール?!
歌舞伎調にもったいつけて出てきたのはいいが、出てきた理由がわからない。
黙って逃げればいいのに、自分から兵士たちに絡むんだもんよ。注目を集めるんだもんよ。
ソレで正体ばれて捕まるって、ただのアホじゃん。
……わかってるよ、植爺だから。すべては、植爺だからですとも。わかってますけど。
『スカピン』がウケたから、パクりたかっただよね? 受けたモノをそのままやったら、自分ももてはやされると思ってるんだよね? 『天使の季節』でもそうだが、パクリを悪いことだとは思ってないらしいし。
つーことで、ベルナールにわざわざ無意味に変装させて、わざわざ兵士とコントをさせて、それで捕まる、と。
着ぶくれ変装トウコを見て、グラパンを連想して笑うのが組ファンならば、次のジャルジェ家場面にて、マロングラッセ@みきちぐを見て笑うのも組ファン。
初日初回だからかな。他の会場でもグラパン、マロングラッセ、ロベスピエールは登場時に笑いが起こったのだろーか?
ベルナールとロザリー@あすかの場面がかわいいこと、オスカル様がめちゃくちゃ美しくてかっこいーことは、全世界の常識だから置くとして。
かわいかったのは、ジャルジェパパ@チャルさん。
オスカルが危険なパリへ視察へ行った、なんで止めなかったんだとじたばた。
いやー、かわいい。
地団駄踏むチャルさんが、地団駄踏むほどかわいいっ。
叱られるのはアンドレ@しいちゃんと、マロングラッセという、同期プレイ。
アンドレとばあやは同期コントをするための配役だよね? 組ファンサービスだよね、コレ。
つか、大きさの差がいいよなあ。
おっと、文字数切れ、続く。
幕が上がるなり、「いつものオープニング」で、花組のアレ(=暗い暗いまとぶひとり芝居プロローグ)はなんだったのかとかなしくなる。……が、ソレはもう言っても仕方がない。
それより金髪おかっぱさんたちを楽しまなきゃ! あかしのおかっぱよね、ここは! ……と、気を取り直してオペラグラスを上げたその視界に。
にしきさんがいた。
にしき愛、1986年初舞台、研23、中卒ではないので、トドロキ御大より確実に年上。
そんな方が、おかっぱカツラで、小公子をやってます。
…………いかん、瞬間アタマが真っ白になった。
目を疑い、二度見して、たしかにあれはにしきさん、いやしかしにしきさんが何故?!
と、やっているうちにオープニングは終わってしまった。……気がする。あんまし、他の子見られなかった……そりゃトウアスしいすずは見たけど、それ以外を眺める精神的余裕はぶっとんだよ、にしきさん。
研11で小公子なまっつどころの話ぢゃないな……(笑)。
まっつはおかっぱ役は一瞬で、すぐに軍服に着替えてしまうんだけど、にしきさんは最下級生男役と同じ扱いで、最初から最後までおかっぱでした。いやその、美人だからいいっちゃーいいんだが……あああ、フェアリーってのは大変な職業だな。
『ベルナール編』といっても、なにをどうするつもりなのかは、なにも知らないままだった。つか、直前に観た『アラン編』があまりにひどかったので、アタマが考えることを拒否していたんだと思う。
不思議なほど、なにも考えていなかった。
だからオープニングのあと、ドレスの貴婦人ズが歌い踊る舞踏会シーンになり、「こんな場面があるんだ!」と、とても素直に驚いた。『ベルばら』なんだから、ドレスは必要だけど、そうか、ベルナールって黒い騎士だから、舞踏会シーンもできるんだー、とか、すげー今さらなことに驚く。
あ、正確にはオープニングのあとはカーテン前でベルナール@トウコの、書き下ろし主題歌熱唱があった気がする。初日1回観ただけ(それ以外チケット取れなかった)で、相変わらずプログラム買ってないんで記憶違いがあるかもしれんが、まあ、わたしのアタマにはこんなふーに残ってる、つーことで。
オープニングは全組共通、歌も衣装もダンスもみんな同じ。「役」として出ているわけではない。だからその直後に出てきた地味目だが十分キラキラのついたきれーな衣装を着た男が「ベルナール」なのか、「オープニングの男」なのか、判断に迷った。
たぶんベルナールだろう。オベリスクがどーたらこーたらという歌は、トウコのドラマティック・ヴォイスと相まって心地よい。
ここでだらだら主題歌一発、よりは、ベルナールが舞踏会へ潜入するのだとわからせる演出をすればいいのに。
歌いながら黒い仮面を付け、マントを身につけるとか。「黒い騎士」という記号姿になってくれれば、物語の導入になるのに、ただきれーな服できれーに歌うだけ。ドラマティックなのはトウコの功績であって、演出家はナニもしていない。
それはともかくとして、舞踏会。
貴婦人たちがきーきー騒ぐあれこれは、はっきり言って無駄。無意味に長すぎる。
が。
植爺ムカつく、植爺キライ、植爺撲滅、と思う気持ちとは別に、星組だなあ(笑)と、たのしくなる。
貴婦人たちのうるささ、無意味なのに力の入りまくった演技っぷりが、いかにも「星組」で。
これがなきゃ星組ぢゃないよな、と思い、柚長、きんさん、ももさり等、彼女たちのうるささを愛でながら「これって組ファンサービス?」と思う。
別の席で観ている星担友人kineさんも、絶対この場面よろこんで観ているわ(笑)、と。
オスカル@すずみんが出て、さらにまだ貴婦人たちがぎゃーぎゃーやって、ええっと、ソレで黒い騎士いつ出てくるの? もっと前にいくらでも出て来てしかるべき大仰なタイミングはあったのに、なかなか出てこない。
暗転時に「いかにも黒い騎士」な姿でマントひるがえして舞台横断するとか、「活躍」を描けるだろーに。
出てこないなー、ナニやってんだかなー、と思っていたら、グラパンが登場した。
いやその、チガウけど。でも、誰もがグラパン@『スカーレット・ピンパーネル』を想像したはず。客席も明らかにソレで笑っている。
着ぶくれしたいかにも「下に衣装着てます」という格好で、ベルナールさん登場。
出てきてナニをするかというと、わざわざ兵隊さんたちに絡んでます。わかりやすく怪しいです。
でもって、オスカルに正体を見抜かれます。
ナニしに出てきたんだ、ベルナール?!
歌舞伎調にもったいつけて出てきたのはいいが、出てきた理由がわからない。
黙って逃げればいいのに、自分から兵士たちに絡むんだもんよ。注目を集めるんだもんよ。
ソレで正体ばれて捕まるって、ただのアホじゃん。
……わかってるよ、植爺だから。すべては、植爺だからですとも。わかってますけど。
『スカピン』がウケたから、パクりたかっただよね? 受けたモノをそのままやったら、自分ももてはやされると思ってるんだよね? 『天使の季節』でもそうだが、パクリを悪いことだとは思ってないらしいし。
つーことで、ベルナールにわざわざ無意味に変装させて、わざわざ兵士とコントをさせて、それで捕まる、と。
着ぶくれ変装トウコを見て、グラパンを連想して笑うのが組ファンならば、次のジャルジェ家場面にて、マロングラッセ@みきちぐを見て笑うのも組ファン。
初日初回だからかな。他の会場でもグラパン、マロングラッセ、ロベスピエールは登場時に笑いが起こったのだろーか?
ベルナールとロザリー@あすかの場面がかわいいこと、オスカル様がめちゃくちゃ美しくてかっこいーことは、全世界の常識だから置くとして。
かわいかったのは、ジャルジェパパ@チャルさん。
オスカルが危険なパリへ視察へ行った、なんで止めなかったんだとじたばた。
いやー、かわいい。
地団駄踏むチャルさんが、地団駄踏むほどかわいいっ。
叱られるのはアンドレ@しいちゃんと、マロングラッセという、同期プレイ。
アンドレとばあやは同期コントをするための配役だよね? 組ファンサービスだよね、コレ。
つか、大きさの差がいいよなあ。
おっと、文字数切れ、続く。
彼で、見たい役って。@まっつまっつまっつ
2008年11月15日 タカラヅカ「で、『ベルばら』ではまっつにナニやってほしい? やっぱオスカル? 『エリザベート』ではトート?」
と、ニラニラしながら友人が言う。
『Brilliant Dreams』のことだ。
「未涼亜希に今後やってほしい役」という質問に、どう答えるのかと。
「だって、『ベルばら』と『エリザベート』はデフォルトでしょ? 誰の『ブリドリ』でも絶対出てくるもん」
そーね、出てくるわね。
しかし、声を大にして言うわ。
いらん。
イベントで1曲歌うだけならともかく、「作品」として「公演」としてやってほしいとも、「あの役が見たい」とも思わないよー。
てゆーか、まっつに、大劇場作品の主役で、見たい役なんかない。
実際問題、大劇場で主演できる云々ではなく、彼の魅力が最も発揮できる場所であるかどうか、という話。
『ベルばら』も『風と共に去りぬ』も『エリザベート』も、すてにネタとして人の口に上がる作品なので、なにも考えずに妄想配役が出来る。
その域にまで達した作品でないと、「見たい役」として不特定多数の票を集められない現実もわかるが。
まっつはフランツキャラだし、アシュレキャラだ。彼の持ち味的にそーゆー役がはまることはわかるが、「持ち味」「はまる」と「見たい役」は別だ。
『ベルばら』にしろ『エリザベート』にしろ、仲間内の妄想配役で「まっつってフランツ似合うよねー、歌えるしさー」とか言ってるレベルで十分です、はい。
でも実際、誰の『ブリドリ』でも出てくるので、『エリザベート』は出てくるんだろうなあ……。『ベルばら』も出てくるかなあ……。遠い目。
「じゃあ、ナニが見たいのよ?」
と言われ、胸を張って答えましたともよ。
正塚晴彦作『二人だけの戦場』シンクレア役。
本役・一路真輝。
ノーブルな気品と線の細い優等生雰囲気、親の職業だからとなんも考えずに軍人になり、不穏な情勢のなか、ぼっちゃんらしい理想に燃えている。
それが異民族の少女と出会い、恋をしたことで「現実」を知り、挫折を知り、人間として男として成長していく。
最後は白髪まじりのおっさんで、涸れていてステキ(笑)な役。
『舞姫』の豊太郎と似ているかな。キャラクタも、展開も。
ただ、少女マンガの甘さやきらきらさがなく、青年誌的骨太さと男性視点のロマンチシズムがある。
いっちゃんの役だから、歌もいいしなー。正塚だから主役はほんと丸々1曲、フルコーラス歌うしな(笑)。
謝珠栄振付のダンスもいいしなー。軍服とスーツだしなー。地髪でヘンなカツラ無しだしなー(笑)。
ソレ以外でなら、正塚晴彦作『SAY IT AGAIN』ピエール役。
本役・成瀬こうき。
アンニュイな結婚詐欺師(笑)。クールで厭世観にあふれていた……はずが、ウェイトレスの少女と出会い、彼女をめぐる事件に巻き込まれるウチになんかどんどんキャラクタが変わっていき……。
ナルセの役を、まっつで見たい。
それに尽きる(笑)。
スーツ姿で脚組んで坐ってるだけで、「英国紳士」に見える男ですから!!
「マジに答えられても、つまんない」
と言う友人は、「アタシは、オスカルって書いて投稿しちゃおっかなー♪」と言っている。
ゆみこでオスカルが見たい、と言ったことへの意趣返しですか?!
(友人、と名前を伏せていても意味のない会話っぷり・笑)
『ブリドリ』に投稿したからって、それが叶うわけないことはわかっているが、世の中の人すべてが『ベルばら』と『エリザベート』だけをのぞんでいるのではないのだという、ささやかな意思表示として、「見たい役」絡みでそーゆーのをあえて外す努力はしておこうと思います、はい。
劇団ってなんか、ネタ(TCAで1場面見られればヨシ)と本気(公演として観たい)の区別がついていない気がする。
つーことで、正塚晴彦イチオシ(笑)。
「公演」として観るならば、リピートがつらくないクオリティのモノしか、投票したくない。
あ、大劇場公演でも、ハリー作品なら、まっつで見たいわ。『愛するには短すぎる』とか。サイズ違いすぎてステキ(笑)。
不特定多数が投稿するから、みんなが知っている、すでにネタとしてしか考えられていない有名作品に集中する……わけだが。
最初のウチのトウコ、水、タニあたりはともかくとして、『ブリドリ』も回を重ねるウチにどんどん出演者の知名度が低くなってきていて。
投稿してるのって、コアなファンだけで、一般人は極少? という感じが、すごくしますな。
だって好きだった役とか歌とか、新人公演のときのアレとか、「んなもん、ファン以外知らねーよ!」なモノがあたりまえに1位取って出てきてますから。
心配しなくてもまっつも、ファン以外投稿しないし、ファン以外番組自体見ないんだろーなー。
だからここで「こんな役」とか言っても、なんの意味もないんだろーなー。
まっつの「印象に残っている役」も、新公とか下級生時代とか、マニアックなものばかりになるのかなー。
コアなファンはここぞとばかり、マニアックなツボを披露しがちだからなー。かくいうわたしも、「ブラックジャックの影」役だったりするしなー(笑)。
あ、ファンゆえのマニアックさ、というならば。
もしも設問に「印象に残っている声」というモノがあれば、「博多座『マラケシュ』の、クリフォードの手紙」に票を投じたいと思います。
あの録音声が、ものすごく好きでね。
ナマの声もそりゃいいけど、録音声ってことで、なんかさらに丁寧で深みのあるイイ声になってるんだわ。
当時わたしはまだまっつファンではなかったのだが、元アニヲタとして、この「声」にかなり反応した(笑)。
ぞくぞくするくらいイイ声だぞヲイ、と。
まっつオチする要因のひとつだったと思う、このクリフォードの手紙。
「で、オスカルは?(笑)」
……だから、やらなくていいっ(笑)。
と、ニラニラしながら友人が言う。
『Brilliant Dreams』のことだ。
「未涼亜希に今後やってほしい役」という質問に、どう答えるのかと。
「だって、『ベルばら』と『エリザベート』はデフォルトでしょ? 誰の『ブリドリ』でも絶対出てくるもん」
そーね、出てくるわね。
しかし、声を大にして言うわ。
いらん。
イベントで1曲歌うだけならともかく、「作品」として「公演」としてやってほしいとも、「あの役が見たい」とも思わないよー。
てゆーか、まっつに、大劇場作品の主役で、見たい役なんかない。
実際問題、大劇場で主演できる云々ではなく、彼の魅力が最も発揮できる場所であるかどうか、という話。
『ベルばら』も『風と共に去りぬ』も『エリザベート』も、すてにネタとして人の口に上がる作品なので、なにも考えずに妄想配役が出来る。
その域にまで達した作品でないと、「見たい役」として不特定多数の票を集められない現実もわかるが。
まっつはフランツキャラだし、アシュレキャラだ。彼の持ち味的にそーゆー役がはまることはわかるが、「持ち味」「はまる」と「見たい役」は別だ。
『ベルばら』にしろ『エリザベート』にしろ、仲間内の妄想配役で「まっつってフランツ似合うよねー、歌えるしさー」とか言ってるレベルで十分です、はい。
でも実際、誰の『ブリドリ』でも出てくるので、『エリザベート』は出てくるんだろうなあ……。『ベルばら』も出てくるかなあ……。遠い目。
「じゃあ、ナニが見たいのよ?」
と言われ、胸を張って答えましたともよ。
正塚晴彦作『二人だけの戦場』シンクレア役。
本役・一路真輝。
ノーブルな気品と線の細い優等生雰囲気、親の職業だからとなんも考えずに軍人になり、不穏な情勢のなか、ぼっちゃんらしい理想に燃えている。
それが異民族の少女と出会い、恋をしたことで「現実」を知り、挫折を知り、人間として男として成長していく。
最後は白髪まじりのおっさんで、涸れていてステキ(笑)な役。
『舞姫』の豊太郎と似ているかな。キャラクタも、展開も。
ただ、少女マンガの甘さやきらきらさがなく、青年誌的骨太さと男性視点のロマンチシズムがある。
いっちゃんの役だから、歌もいいしなー。正塚だから主役はほんと丸々1曲、フルコーラス歌うしな(笑)。
謝珠栄振付のダンスもいいしなー。軍服とスーツだしなー。地髪でヘンなカツラ無しだしなー(笑)。
ソレ以外でなら、正塚晴彦作『SAY IT AGAIN』ピエール役。
本役・成瀬こうき。
アンニュイな結婚詐欺師(笑)。クールで厭世観にあふれていた……はずが、ウェイトレスの少女と出会い、彼女をめぐる事件に巻き込まれるウチになんかどんどんキャラクタが変わっていき……。
ナルセの役を、まっつで見たい。
それに尽きる(笑)。
スーツ姿で脚組んで坐ってるだけで、「英国紳士」に見える男ですから!!
「マジに答えられても、つまんない」
と言う友人は、「アタシは、オスカルって書いて投稿しちゃおっかなー♪」と言っている。
ゆみこでオスカルが見たい、と言ったことへの意趣返しですか?!
(友人、と名前を伏せていても意味のない会話っぷり・笑)
『ブリドリ』に投稿したからって、それが叶うわけないことはわかっているが、世の中の人すべてが『ベルばら』と『エリザベート』だけをのぞんでいるのではないのだという、ささやかな意思表示として、「見たい役」絡みでそーゆーのをあえて外す努力はしておこうと思います、はい。
劇団ってなんか、ネタ(TCAで1場面見られればヨシ)と本気(公演として観たい)の区別がついていない気がする。
つーことで、正塚晴彦イチオシ(笑)。
「公演」として観るならば、リピートがつらくないクオリティのモノしか、投票したくない。
あ、大劇場公演でも、ハリー作品なら、まっつで見たいわ。『愛するには短すぎる』とか。サイズ違いすぎてステキ(笑)。
不特定多数が投稿するから、みんなが知っている、すでにネタとしてしか考えられていない有名作品に集中する……わけだが。
最初のウチのトウコ、水、タニあたりはともかくとして、『ブリドリ』も回を重ねるウチにどんどん出演者の知名度が低くなってきていて。
投稿してるのって、コアなファンだけで、一般人は極少? という感じが、すごくしますな。
だって好きだった役とか歌とか、新人公演のときのアレとか、「んなもん、ファン以外知らねーよ!」なモノがあたりまえに1位取って出てきてますから。
心配しなくてもまっつも、ファン以外投稿しないし、ファン以外番組自体見ないんだろーなー。
だからここで「こんな役」とか言っても、なんの意味もないんだろーなー。
まっつの「印象に残っている役」も、新公とか下級生時代とか、マニアックなものばかりになるのかなー。
コアなファンはここぞとばかり、マニアックなツボを披露しがちだからなー。かくいうわたしも、「ブラックジャックの影」役だったりするしなー(笑)。
あ、ファンゆえのマニアックさ、というならば。
もしも設問に「印象に残っている声」というモノがあれば、「博多座『マラケシュ』の、クリフォードの手紙」に票を投じたいと思います。
あの録音声が、ものすごく好きでね。
ナマの声もそりゃいいけど、録音声ってことで、なんかさらに丁寧で深みのあるイイ声になってるんだわ。
当時わたしはまだまっつファンではなかったのだが、元アニヲタとして、この「声」にかなり反応した(笑)。
ぞくぞくするくらいイイ声だぞヲイ、と。
まっつオチする要因のひとつだったと思う、このクリフォードの手紙。
「で、オスカルは?(笑)」
……だから、やらなくていいっ(笑)。
漢字一文字? 花? ……うおおお。(アタマを抱えている)
2008年11月14日 タカラヅカBrilliant Dreams「未涼亜希」募集のお知らせ
毎回、各組人気スターの魅力を徹底追及する人気番組「Brilliant Dreams」。今回は、3月放送予定の「未涼亜希」について、次の内容で皆様からのご意見、ご要望を募集いたします。
(1) 未涼亜希の舞台を漢字一文字で表すと?また、その代表的な舞台は?
(2) 未涼亜希を花にたとえると何の花?
また、その花からイメージする役、シーンは?
(3) 未涼亜希の舞台で印象に残っている役や台詞は?
(4) 未涼亜希の舞台で印象に残っている歌やダンスは?
(5) 未涼亜希に今後やってほしい役は?
(6) 未涼亜希にオフで挑戦してほしいこと、やってもらいたいことは?
さらに(1)~(6)に加えて、未涼亜希について望むことや、今後やって欲しい役、メッセージなど、楽しく個性的なお便りをどしどしお寄せください。採用された方の中から抽選で5名様に、未涼亜希のサイン入り特製写真をプレゼント! 皆さまのご投稿をお待ちしております。(スカステHPより)
びっくりした。
正直、まっつはナイんぢゃないかと思ってた。
スカステのオリジナル番組『Brilliant Dreams』。
2006年にスタートしたこの番組は、当初トウコ、水、タニ、と続いたくらいなので、ほんとにまっつとは無関係な番組だと思ったよ(笑)。
第1期の出演メンバーは2番手男役(一部3番手含む)限定、今年2008年から第2期スタート、前回漏れた3番手や4番手とかそのあたりのポジションの男役、娘役トップという顔ぶれだった。
ここにまっつが入るかどうかは、けっこーきわどいというか、「ナイんぢゃね?」と思うくらいだった。
だってさー、この番組って、好きだった役とかのアンケートを取るわけだから、選ぶほど役があることが大前提(笑)。
だから最低限主演経験者に限るんだろうなと、漠然と思っていた。
主演……誰かの役を代わりに1回だけやる新公ではなく、ちゃんと自身の役として、主役として、公演があること。この人主役で興行しますよ、と阪急沿線にポスターが貼られること。
最初は2番手さんの番組だったわけだから、彼らにはもちろん主演公演が複数あって、大劇場でも好き嫌いを問えるだけの役や見せ場があって、特別ファンじゃなくてもカオと名前とどんな役をやった人かは認知されている。
「好きだった役」として選ぶ範囲が広い人でないと、こーゆー番組に出てもかなしいだけだよねー。
たとえば、いくら劇団的に売りだしたい若手がいるとしても、いきなりこの番組に出すことはできない。だって「好きだった役」を視聴者が選べないもの。ある程度役がついて、キャリアのある人でないと成り立たない。
「街の男」だとか「通行人」だとかから「好きだった役」を選べて言われても困るよ、お茶飲み会のアンケートじゃないんだから。
とゆー理由で、まっつはナイかと。
それを裏付けるかのように、先月月組の園加が発表になった。
園加くんは、新公主演ナシ、されどWS主演経験アリ。つまり、新公より主演経験の方が判断基準として有効だということ。
まっつをトバして、下へ行くんじゃないかと思ってた。モバタカで配布されている待ち受け画像ではそうやって、まっつはトバされているし。(モバタカのスター・コレクション、みわっちの次はめおくん、まあくんの順。まっつ、みつる、りせ、はトバされてます)
まあ、そーゆー現実もあるわけだから、『Brilliant Dreams』がナシでも仕方ない、とは思っていた。ここでもトバされたら、うじうじ愚痴ってたと思うけど(笑)。
そんなわけだから。
まっつで、『Brilliant Dreams』!!
わーいわーい、2ヶ月連続まっつに会える~~。
どーしよーどーしよー。(なんかぐるぐる回っている)
みんなみんな、アンケート答えて送ってね。集計数少なかったら哀しいし。や、一般人にはわからないけど、関係ないことだけど、やっぱたくさんの人が答えてくれる方がいいじゃん?
バトンとか100質とか、わたしゃアンケートの類いが好きじゃない人なんで、こーゆーのももちろん参加したことないんだけど、それでもがんばって回答するわ! 参加するわ!
第一問、まっつを漢字一文字にたとえると? またその舞台?
…………いきなり撃沈。
なんにも思いつかねえ。
なんなのよ、この質問。なんで漢字一文字? 意味ないじゃん、そんな質問!(逆ギレ)
せめて単語にしようよ……一文字だとかなり限られるじゃん、既出のスターさんともかぶりまくるじゃん。
単語っつーか2文字までアリなら、「地味」とか「薄幸」とか、いろいろあるのに。(自虐系回答はやめなさい)
いつだったかな、nanaタンと話しているとき、「まっつで『ブリドリ』みたいな番組あったら、みんなが選ぶ『好きだった役』は絶対海馬の帝王だよねっ」と言われ、わたしは必死に反対意見を述べたんですが。
ふつーソコは、相沢くん@『舞姫』だと思うわっ。
「えー? 知名度でいけば海馬の帝王でしょ?」
リチャード@『MIND TRAVELLER』はありえないわ。だって、『マイトラ』を実際観た人は少ないもの!!(事実だが、自虐回答)
「観た人は少なくても、海馬の帝王って名称だけみんな知ってない?」
イケコのイケコらしい、イケコにしてもぶっとび度の高いお笑いキャラだったからな。ネタとしての知名度は、多少あるかもしれないけど。
てゆーか知名度=観劇者数とすれば、いちばんはジオラモ@『アデュー・マルセイユ』だと思うわ。オサ様サヨナラ公演での役だから、単純に「見た」人の数はもっとも多いはず。
……問題は、「見た」人がどんだけ多くても、あの独りミュージカルの愉快なおっさんを、ファンが「好き」かどうかは別基準だよなあ、と。
ファンクラブのイベントではなく、いちおー全世界へ向けて門戸を開いているので誰でも投稿できるとはいえ、結局のとこわざわざHP行って住所氏名入力してまで投稿しないよなー。
とどのつまりは、ファンしか投稿しないんだと思う。
ファン以外の人がどれだけ多く目にした役より、ファンが見て好きな役こそが、首位になるだろう。
だからこそ、相沢くんじゃないのかなと。
だってまっつ、相沢くん以外、二枚目役やってないし。
海馬教授はいちおー、美形悪役なのかな……? ヘンタイおっさんで、プロポーズしてヒロインをよろめかせるどころか、ドン引きされるという、「男として、人間として、どうよ?」な役だったわけだが。
アズ@『スカウト』は、美形悪魔……だよな? 最初はクール・ビューティ、されど途中からただのヘタレだと判明する……。
バロット@『メランコリック・ジゴロ』はアレ、バカ設定が全面に来すぎていて、美形役なのかどうかわからん。
ジェローデル@『ベルサイユのばら』はたしかにストレートな二枚目役だが、なにしろ扱いが「通行人」なので、役として語る以前かと……。
まーねー、所詮、わたしは全部好きですけどね。ファンなんてそんなもんですけどね。
好きな役……もとい、設題にある「印象に残っている役」に上げるには、さて、どーしたもんか。
てゆーか、「印象に残っている台詞」って……オモロ系が票を集めたらどうしよう?!
nanaタンの言う通り、海馬の帝王はあまりに愉快な台詞を言いすぎてるわ!
「君の海馬は私のモノだ」とか、「君を海馬帝国のファーストレディに迎えよう」とか、爆笑台詞に事欠かないんですけどっ?!
せっかくの『ブリドリ』が「未涼亜希お笑い場面特集」にならんことを祈る……。
[例]
印象に残っている役 リチャード・モリス(「海馬に乗った征服者~~♪」と歌う映像)
印象に残っている台詞 「君の海馬は私のモノだ」「君を海馬帝国のファーストレディに…」(海馬2連発)
印象に残っている歌 (ずんちゃっずんちゃっ)「ルイ・マレ~♪」(愉快なジオラモおじさん独りミュージカルの図)
印象に残っているダンス ロンゲ+ハチマキで海馬の帝王登場っ!!
……大丈夫だよね?
ふつーに相沢くんとか、市民の男ダンスとか入るよね?
わたしは実はバーナードくん@『NAKED CITY』がかなり好きで、ヲトメとしてはカルロス@『La Esperanza』新公がかなり好きなんだけどまあ、実際投稿するとなるとやっぱ……。
ブラックジャックの影@『TCAスペシャル2003』かなっと(笑)。
いや、最初に舞台人としてのまっつに注目した役だから。オペラでガン見していた、なつかしい役だー。
not ヒゲ。no more ヒゲ。@太王四神記
2008年11月13日 タカラヅカ わたしが大劇場公演のまっつにのぞむことは、ただひとつ。
ヒゲぢゃない役が見たい。
not ヒゲ。no more ヒゲ。
わたしはヒゲスキーなんで、ヒゲ男も好きっちゃー好きだが、デフォルト・ヒゲは求めてない。地ヒゲですがなにか?な男は求めてないのよ! 美青年が時と場合によってヒゲを生やすから萌えなのであって、「ヒゲがあるのがデフォルト」なのはチガウのよ。
本公演で2作連続ヒゲ男で、去年の秋からまっつは大劇場でヒゲ男しかやってないんだってば。他のハコでヒゲ無しもアリったって、そんなのファンしか見ないし、期間短いし。
ムラ→東宝と長々続く本公演でどーゆー役か、が重要。
んでもって、本日花組集合日。
配役が出たので、いそいそNHKのドラマサイトを見に行った。
わたしはドラマヲタクだが、日本ドラマ限定だ。韓流は対象外。次回公演がこのドラマだと決まったときですら、なにも調べなかった。どーせドラマを見る気はないのだから、と、サイトすら未チェック。
まっつの役名がわかったからこそはじめて、行く気になったんだ。そこだけ見ればいいわけだから。
人物相関図開いて、役を探す。
まっつの役は「ヒョンゴ」ね。ヒョンゴ……えーと、どれだ?
ヒゲだ。
がっくり肩を落とす。
またか……またヒゲなのか。……と、他キャラを見回して。
ヒゲだらけ。
なんじゃこりゃ。
男はほとんどヒゲヒゲヒゲ。
『愛と死のアラビア』に続いて、花組ヒゲ祭り?
コスチュームもので全員ヒゲだと、カオがわかんなくなるってばよ。
そりゃご贔屓のことは探して眺めるだろうけど、それ以外の脇の子たちの判別に一手間余分にかかっちゃうから初見でどこまで探せるかわかんないし、組ファンならリピートして全員の判別つくようにするだろうけど、ライトなファンや原作ドラマファンのヅカ初心者とか、1回しか観ない人にはまず区別なんかつかないって。
『愛と死のアラビア』のとき、さんざん聞いたよ、「ヒゲばっかで、見分けがつかない。みんな同じに見えた」「1回しか観ないから、被り物ばっかで結局誰が誰かわかんないままだった。花組って若手にスターいないの?」……あの悪夢再び?
頼むよイケコ。
ヒゲ祭りは勘弁。
ナマの男たちのドラマじゃなく、女性が演じるタカラヅカなんだからさ。
1回だけならそれでもアリかもしんないけど、2作連続だったらあんまりだ。せっかくの花男たちが、固定ファン以外に個別認識してもらえなくなる。
イケコよ、頼むから空気読んでくれ……。
まっつがヒゲでなければいいな、とは思うけど、まっつがヒゲなことと、男たち全員ヒゲのどっちが嫌かって言えば、絶対後者だ。
最悪まっつがヒゲでも我慢するから、ヒゲ祭りは勘弁して~~。せっかくのコスチュームものなのよ、美しい花男たちを見せてよ。
まあ、ヒゲ祭りにして、劇団が売りたい人だけをヒゲ無しの美青年にする、というのもひとつのテではあるが。
そーすりゃ絶対目立つしな。初見の人も目をとめるだろうし。
……でもやっぱ、全体的に美青年尽くしの方が、観客としてはウレシイので、ヒゲ無しでヨロシク。
イケコは同じよーな役を同じ人にやらせ続ける傾向があるからな。イケコ的にまっつは若くない男なんだろう……ヒゲかなぁ、やっぱ。
てゆーか、みわっちが、また女役なのは、しょぼんです、個人的に。
『TUXEDO JAZZ』で女神やって、『アデュー・マルセイユ』で姐さんやって、『Red Hot Sea』で通しで子役やって、次も女役?!
4作連続、「男役」ONLYの公演はナシ?
「男役」であれる時間は短い。たかだか10数年だ。しかも、カタチが出来上がり、役が付くよーになるのなんて、そのうちいったい何年あるっていうんだ?
どんだけオイシイ役であろうとも、限りある男役人生だからこそ、本公演では男役を見たいよ。2本立てのうちの片方ならともかく、1本立てで女役って……「男役」のみわっちに会えるのは何ヶ月先なの??
イケコってどーしてこう、同じ役ばっか……。
いやその、みわさんのことだからきっと魅力的な女性を演じてくれるだろうと期待しているけれども。
これが普段女役を演じたことのない男役が演じるなら、新鮮だし話題になるし固定ファンや組ファン以外から注目されるし、芸の幅を広げる意味でも、プラス面が多いと思うけど。
「また?」と言われる人が演じても、付加価値はさほど多くないよ。
同じと言えば、壮くんは、また悪役なんですね(笑)。
しかし彼の演じる大長老という役、アレですな。
その昔わたしが次の花組お正月公演がイケコだと知ったラインナップ発表の際、
> ところでこの『太王四神記』とやらには、「世界征服を企む悪役」は、いるんで
>すか?
とブログに書いたら、「いますよ」とレスが返った、あの役だよな。
でこかっぱさんとか、デイジーちゃんとか、他にもメールとか拍手ボタンとかで、わざわざ教えてくれたはず。
でもってわたし、『アデュー・マルセイユ』以前に、壮一帆で「世界征服を企む悪役」が見たい!と、声を大きくして夢を語っております。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1369.html)
夢が叶う?(キラキラキラ……)
とーぜん美青年キャラで頼みますよ、イケコ!!
壮くんはいつだって無駄に美青年なんだからっ。
はっちさんや専科さんが似合う役だって、当時教えてもらった気がするけど、演じるのが壮くんである以上、原作がどうであれ、ぴっちぴちの美貌の彼でヨロシク。
でも、悪が栄えないのは物語の鉄則。
世界征服を企む美形悪役は、やはり挫折してきーきー泣くのよね?
それこそが、壮くんの、イケコ的イメージ?(笑)
同じ人に同じ役。
やっぱ壮くんは挫折するエリートになるのか?
……や、今回はまっつが「世界征服を歌う悪役」ではなさそーなので、ちょっとほっとしてます。またヒゲっぽいのは残念ですが、なにしろ小池だから……。(結局すべてソコに尽きるのか)
そして、りせ。
わたしが花組ファンになる前から、なにかと好きで見ていた男の子。
へなちょこ、と言いながらも、そのなにかとアレな舞台姿をまったり愛でてきた。
全ツでもまっつとずっと絡んでいちゃいちゃしてくれていた、かわいこちゃん。
退団はさみしいっす……。
で、退団するっていうのに、ほんとに女役なの? 原作無視して男の役だったりしないの? 『銀英伝』のコミックみたいに、さりげなくキャラの性別変更されてたりしないの?
……上の、女役みわっちの欄をもう一度お読み下さい……しかも、次がないなんて……イケコ……。
ヒゲぢゃない役が見たい。
not ヒゲ。no more ヒゲ。
わたしはヒゲスキーなんで、ヒゲ男も好きっちゃー好きだが、デフォルト・ヒゲは求めてない。地ヒゲですがなにか?な男は求めてないのよ! 美青年が時と場合によってヒゲを生やすから萌えなのであって、「ヒゲがあるのがデフォルト」なのはチガウのよ。
本公演で2作連続ヒゲ男で、去年の秋からまっつは大劇場でヒゲ男しかやってないんだってば。他のハコでヒゲ無しもアリったって、そんなのファンしか見ないし、期間短いし。
ムラ→東宝と長々続く本公演でどーゆー役か、が重要。
んでもって、本日花組集合日。
配役が出たので、いそいそNHKのドラマサイトを見に行った。
わたしはドラマヲタクだが、日本ドラマ限定だ。韓流は対象外。次回公演がこのドラマだと決まったときですら、なにも調べなかった。どーせドラマを見る気はないのだから、と、サイトすら未チェック。
まっつの役名がわかったからこそはじめて、行く気になったんだ。そこだけ見ればいいわけだから。
人物相関図開いて、役を探す。
まっつの役は「ヒョンゴ」ね。ヒョンゴ……えーと、どれだ?
ヒゲだ。
がっくり肩を落とす。
またか……またヒゲなのか。……と、他キャラを見回して。
ヒゲだらけ。
なんじゃこりゃ。
男はほとんどヒゲヒゲヒゲ。
『愛と死のアラビア』に続いて、花組ヒゲ祭り?
コスチュームもので全員ヒゲだと、カオがわかんなくなるってばよ。
そりゃご贔屓のことは探して眺めるだろうけど、それ以外の脇の子たちの判別に一手間余分にかかっちゃうから初見でどこまで探せるかわかんないし、組ファンならリピートして全員の判別つくようにするだろうけど、ライトなファンや原作ドラマファンのヅカ初心者とか、1回しか観ない人にはまず区別なんかつかないって。
『愛と死のアラビア』のとき、さんざん聞いたよ、「ヒゲばっかで、見分けがつかない。みんな同じに見えた」「1回しか観ないから、被り物ばっかで結局誰が誰かわかんないままだった。花組って若手にスターいないの?」……あの悪夢再び?
頼むよイケコ。
ヒゲ祭りは勘弁。
ナマの男たちのドラマじゃなく、女性が演じるタカラヅカなんだからさ。
1回だけならそれでもアリかもしんないけど、2作連続だったらあんまりだ。せっかくの花男たちが、固定ファン以外に個別認識してもらえなくなる。
イケコよ、頼むから空気読んでくれ……。
まっつがヒゲでなければいいな、とは思うけど、まっつがヒゲなことと、男たち全員ヒゲのどっちが嫌かって言えば、絶対後者だ。
最悪まっつがヒゲでも我慢するから、ヒゲ祭りは勘弁して~~。せっかくのコスチュームものなのよ、美しい花男たちを見せてよ。
まあ、ヒゲ祭りにして、劇団が売りたい人だけをヒゲ無しの美青年にする、というのもひとつのテではあるが。
そーすりゃ絶対目立つしな。初見の人も目をとめるだろうし。
……でもやっぱ、全体的に美青年尽くしの方が、観客としてはウレシイので、ヒゲ無しでヨロシク。
イケコは同じよーな役を同じ人にやらせ続ける傾向があるからな。イケコ的にまっつは若くない男なんだろう……ヒゲかなぁ、やっぱ。
てゆーか、みわっちが、また女役なのは、しょぼんです、個人的に。
『TUXEDO JAZZ』で女神やって、『アデュー・マルセイユ』で姐さんやって、『Red Hot Sea』で通しで子役やって、次も女役?!
4作連続、「男役」ONLYの公演はナシ?
「男役」であれる時間は短い。たかだか10数年だ。しかも、カタチが出来上がり、役が付くよーになるのなんて、そのうちいったい何年あるっていうんだ?
どんだけオイシイ役であろうとも、限りある男役人生だからこそ、本公演では男役を見たいよ。2本立てのうちの片方ならともかく、1本立てで女役って……「男役」のみわっちに会えるのは何ヶ月先なの??
イケコってどーしてこう、同じ役ばっか……。
いやその、みわさんのことだからきっと魅力的な女性を演じてくれるだろうと期待しているけれども。
これが普段女役を演じたことのない男役が演じるなら、新鮮だし話題になるし固定ファンや組ファン以外から注目されるし、芸の幅を広げる意味でも、プラス面が多いと思うけど。
「また?」と言われる人が演じても、付加価値はさほど多くないよ。
同じと言えば、壮くんは、また悪役なんですね(笑)。
しかし彼の演じる大長老という役、アレですな。
その昔わたしが次の花組お正月公演がイケコだと知ったラインナップ発表の際、
> ところでこの『太王四神記』とやらには、「世界征服を企む悪役」は、いるんで
>すか?
とブログに書いたら、「いますよ」とレスが返った、あの役だよな。
でこかっぱさんとか、デイジーちゃんとか、他にもメールとか拍手ボタンとかで、わざわざ教えてくれたはず。
でもってわたし、『アデュー・マルセイユ』以前に、壮一帆で「世界征服を企む悪役」が見たい!と、声を大きくして夢を語っております。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1369.html)
夢が叶う?(キラキラキラ……)
とーぜん美青年キャラで頼みますよ、イケコ!!
壮くんはいつだって無駄に美青年なんだからっ。
はっちさんや専科さんが似合う役だって、当時教えてもらった気がするけど、演じるのが壮くんである以上、原作がどうであれ、ぴっちぴちの美貌の彼でヨロシク。
でも、悪が栄えないのは物語の鉄則。
世界征服を企む美形悪役は、やはり挫折してきーきー泣くのよね?
それこそが、壮くんの、イケコ的イメージ?(笑)
同じ人に同じ役。
やっぱ壮くんは挫折するエリートになるのか?
……や、今回はまっつが「世界征服を歌う悪役」ではなさそーなので、ちょっとほっとしてます。またヒゲっぽいのは残念ですが、なにしろ小池だから……。(結局すべてソコに尽きるのか)
そして、りせ。
わたしが花組ファンになる前から、なにかと好きで見ていた男の子。
へなちょこ、と言いながらも、そのなにかとアレな舞台姿をまったり愛でてきた。
全ツでもまっつとずっと絡んでいちゃいちゃしてくれていた、かわいこちゃん。
退団はさみしいっす……。
で、退団するっていうのに、ほんとに女役なの? 原作無視して男の役だったりしないの? 『銀英伝』のコミックみたいに、さりげなくキャラの性別変更されてたりしないの?
……上の、女役みわっちの欄をもう一度お読み下さい……しかも、次がないなんて……イケコ……。
美しく、咲き誇る。@Fallin’ Love
2008年11月12日 タカラヅカ トド様DS『Fallin’ Love with Yu』は、狙っているのか偶然の産物なのか、ビジュアル的になかなか愉快なことになってました。
トド様と、花組ふたり、お化粧違い過ぎ(笑)。
いちかは女の子なのでまだ比較しにくいんだけど、トド様とまっつは笑えるくらい別世界でした。
トド様はえらくラフな、フェミニンな薄化粧で、リップカラーだけ濃くててらてら浮いている感じ。
一方まっつときたら、これでもかってな本気の「男役仕様」。
「トド様の倍ぐらい眉毛あったね(笑)」
と、同行の友人たちに突っ込まれるほどに。
いやあ、まっつの力みっぷりがいいねっ。なんかすげー本気だねっ、手加減ナシだねっ、融通きかないねっ(笑)。
まっつの「仕事」ぶりがオトコマエでした。
自分の役割をきちんと見据え、全霊をあげて誇りにかけて、必要な仕事をしている感じが、「大人の男」って感じでかっこよかったっす。
まっつの職人ぶりを堪能。自分に求められていることをちゃんと判断して、成果をあげられる人なんだなあ、と。
トド様との「距離感」がすげえなと(笑)。
「間合い」と言ってもいいかな。
武芸者同士が持つ、あの感じ。ここまではいいけど、こっから先に半歩でも入ったらアウトっていう。でも離れすぎたら立ち会いにならないぞっていう。
まっつがすげー気合いで、その間合いを守っているのが、おもしろかった。
せっかく歌える人を出演者として呼んだんだから、まっつの「声」を演出の手段として使えばいいのに、演出家の意志なのかトドの意志なのか、それはまったくナシ。
トド様の声とまっつの声がどんなふうに響き合うのか、体験したかったんだけどなあ。や、声量では明らかにまっつが敗北しますが(笑)。
マイクボリュームの寂しいコーラスのみで、一緒にいようがいまいが「トド様の声しかまともに聞こえない……(笑)」状態だったので、まっつ的に「姿」勝負になってる感じも、また愉快。
あんなに「型」にこだわって踊ってるまつださん、すごくね??
トド様の背景でひとり踊る場面があったんだが、これがもーすごい力みっぷりで。
ぴしっぱしっと音が聞こえてきそうだった。
折り目がしっかりついてるっていうか、ゆるい部分皆無っていうか。
きれいになめらかに踊ってるんだけど、表面のつややかさと反対に、角をきちっと押さえてますっていうか。オセロで四隅をまず押さえてから、真ん中取りに行きますっていうか。
いやそのまず、肩パッド入れすぎ(笑)、とか、思っちゃったけどね。強く書き込んだ気合いの眉といい、トド様の存在感に負けまいと、すげー「男役」ぶりだった(笑)。
まっつの「声」がいちばんきれいに響いてたのは、最後の陰コーラス。
……て、「陰」かよ、出てこないのかよ?! と、ツッコミで終わったのも、オチとしてアリか(笑)。
相棒のいちかちゃんもまた、すばらしい腕前だった。
トド様と彼専用演出舞台で、「脇」として出演するのは、なかなかどうして難しいのだと思う。
なにもできない若手ならともかく、キャリアのある中堅としては。
なにをどこまでするか。
どう「存在」するか。
空気を読み、読んだ位置を「実践」する。
それは技術だろう。
いちかちゃんの舞台での「在り方」が、すばらしかった。
他の舞台ではなく、あくまでも今この舞台で求められている役割を、過不足なく果たしていた。
「娘役」というのはまぎれもなく「技術」であり、軽んじていいものではないと、改めて思ったよ。
小柄なトド様と並んで絵になる小柄さ、こんなに小柄なのに美しいスタイル。
得難い魅力のある人だ。
そして、まっつ×一花カップルスキーにはたまらない、デュエット・ダンス。
ミニマムで端正、しかも空気感のぴったり合った姿が小気味いい。
よく見知ったふたりの、別の角度の姿というか。
他組に特出したりしたら、やっぱりこれくらい緊張感ある姿を拝むことになるのかな。や、いつもがゆるんでるという意味ではなく。
チガウ空気のなかでのふたり、というか。
わたしがいちばん好きなのは、やはり「物語」なんだなあと思う。
ダンスではまったくないし、実のところ歌でもない。
コンサートでもっともたのしめるのは、「ドラマ」があるところなんだよなー。
つーことで、でも、いちばんわくわくしたのは「百万本のバラ」でした。
トド様がかっこいい。
繊細な青年なの。
派手なアクションなしで、物語が伝わってくる。
無造作に椅子に坐ったところとか、すげーかっこいい。
固めきっていない髪とか薄目の化粧とか、男役として作りきっていない姿なのに、彼はもうたしかに「彼」なの。物語の中の青年なの。
彼があこがれるバレリーナ@いちか。
彼女がまた、美しい。
トド様と絡むことはないんだが、背景で無言で踊るだけで、説得力。この女性に恋し、青年が愁えているのだと。
彼女が美しく神聖な女性でなければ、彼の恋が空々しくなる。曲の美しさ、せつなさに相応しい美女ぶりをいちかが表現している。
ただ「歌」を歌うだけでなく、そこに「物語」を表現してくれる人が好き。
歌手でなく役者のディナーショーであるということ。
恋に悩むトド様を見て、「トドの恋愛モノが見てえぇぇ!!」と、心底思った。
恋するトド様って、ほとんど見たことないじゃん? 女は添えモノでしかない英雄モノばかりでさ。『オクラホマ!』が恋愛モノに分類されるかもしれないけど、アレはわたし的にノーカウントなんで(笑)、もっと本気で恋愛に主題を置いた作品が見たいっすよ。
客席降りでトド様が何回か横を通ってくれたんだが、ほんとにきれいな人だ……。
トド様のDSに参加するのは実はこれで2回目だが、前のDSは超絶隅っこ席で、トド様はそばを通ってなんかくれなかったさ……。
はじめて、近くでトドを見た。すぐそばで、立ち止まって歌ってくれたさ。
たしかにカラダはちっちゃいが(笑)、んなこたぁどーでもいいくらい美しいさ。
曲名とかはネットの海のどこぞにUPされてるだろーから、ここで書く気ナシ(笑)。教養がないので、どの曲がどうとか語るすべもナシ。
HHIでのDSは初参加だったんだが、宝ホよりはホテル・スタッフの数が多く、飲み物を注文しやすかった。わたしは人一倍水分を必要とするイキモノなので、これは重要なポイント。オリジナル・カクテルがあるのはいいよな。(トド様の絵をイメージしたカクテルだそーな。ええわたし、ちゃんとトド様の個展も行きましたよ、これでもファンですから・笑)
食事は宝ホと同じくフルコースではなかった。料理の数が少ない……けど、今のディナーってこれがふつーなのかな? びんぼー人なんで判断できないや、そんなの日常で食べ慣れないから。
あ、DSのおたのしみだと思っているプログラム表は、とってもちゃちぃものでした。宝ホと同レベル。……新阪急だけなの? あんなに豪華なのは??
トド様、まっつ、いちかと、好きな人たちしかステージにいない、なんかすごい確率で存在したDSだった。
行って良かった。……びんぼーに拍車が掛かったがなー(笑)。
トド様と、花組ふたり、お化粧違い過ぎ(笑)。
いちかは女の子なのでまだ比較しにくいんだけど、トド様とまっつは笑えるくらい別世界でした。
トド様はえらくラフな、フェミニンな薄化粧で、リップカラーだけ濃くててらてら浮いている感じ。
一方まっつときたら、これでもかってな本気の「男役仕様」。
「トド様の倍ぐらい眉毛あったね(笑)」
と、同行の友人たちに突っ込まれるほどに。
いやあ、まっつの力みっぷりがいいねっ。なんかすげー本気だねっ、手加減ナシだねっ、融通きかないねっ(笑)。
まっつの「仕事」ぶりがオトコマエでした。
自分の役割をきちんと見据え、全霊をあげて誇りにかけて、必要な仕事をしている感じが、「大人の男」って感じでかっこよかったっす。
まっつの職人ぶりを堪能。自分に求められていることをちゃんと判断して、成果をあげられる人なんだなあ、と。
トド様との「距離感」がすげえなと(笑)。
「間合い」と言ってもいいかな。
武芸者同士が持つ、あの感じ。ここまではいいけど、こっから先に半歩でも入ったらアウトっていう。でも離れすぎたら立ち会いにならないぞっていう。
まっつがすげー気合いで、その間合いを守っているのが、おもしろかった。
せっかく歌える人を出演者として呼んだんだから、まっつの「声」を演出の手段として使えばいいのに、演出家の意志なのかトドの意志なのか、それはまったくナシ。
トド様の声とまっつの声がどんなふうに響き合うのか、体験したかったんだけどなあ。や、声量では明らかにまっつが敗北しますが(笑)。
マイクボリュームの寂しいコーラスのみで、一緒にいようがいまいが「トド様の声しかまともに聞こえない……(笑)」状態だったので、まっつ的に「姿」勝負になってる感じも、また愉快。
あんなに「型」にこだわって踊ってるまつださん、すごくね??
トド様の背景でひとり踊る場面があったんだが、これがもーすごい力みっぷりで。
ぴしっぱしっと音が聞こえてきそうだった。
折り目がしっかりついてるっていうか、ゆるい部分皆無っていうか。
きれいになめらかに踊ってるんだけど、表面のつややかさと反対に、角をきちっと押さえてますっていうか。オセロで四隅をまず押さえてから、真ん中取りに行きますっていうか。
いやそのまず、肩パッド入れすぎ(笑)、とか、思っちゃったけどね。強く書き込んだ気合いの眉といい、トド様の存在感に負けまいと、すげー「男役」ぶりだった(笑)。
まっつの「声」がいちばんきれいに響いてたのは、最後の陰コーラス。
……て、「陰」かよ、出てこないのかよ?! と、ツッコミで終わったのも、オチとしてアリか(笑)。
相棒のいちかちゃんもまた、すばらしい腕前だった。
トド様と彼専用演出舞台で、「脇」として出演するのは、なかなかどうして難しいのだと思う。
なにもできない若手ならともかく、キャリアのある中堅としては。
なにをどこまでするか。
どう「存在」するか。
空気を読み、読んだ位置を「実践」する。
それは技術だろう。
いちかちゃんの舞台での「在り方」が、すばらしかった。
他の舞台ではなく、あくまでも今この舞台で求められている役割を、過不足なく果たしていた。
「娘役」というのはまぎれもなく「技術」であり、軽んじていいものではないと、改めて思ったよ。
小柄なトド様と並んで絵になる小柄さ、こんなに小柄なのに美しいスタイル。
得難い魅力のある人だ。
そして、まっつ×一花カップルスキーにはたまらない、デュエット・ダンス。
ミニマムで端正、しかも空気感のぴったり合った姿が小気味いい。
よく見知ったふたりの、別の角度の姿というか。
他組に特出したりしたら、やっぱりこれくらい緊張感ある姿を拝むことになるのかな。や、いつもがゆるんでるという意味ではなく。
チガウ空気のなかでのふたり、というか。
わたしがいちばん好きなのは、やはり「物語」なんだなあと思う。
ダンスではまったくないし、実のところ歌でもない。
コンサートでもっともたのしめるのは、「ドラマ」があるところなんだよなー。
つーことで、でも、いちばんわくわくしたのは「百万本のバラ」でした。
トド様がかっこいい。
繊細な青年なの。
派手なアクションなしで、物語が伝わってくる。
無造作に椅子に坐ったところとか、すげーかっこいい。
固めきっていない髪とか薄目の化粧とか、男役として作りきっていない姿なのに、彼はもうたしかに「彼」なの。物語の中の青年なの。
彼があこがれるバレリーナ@いちか。
彼女がまた、美しい。
トド様と絡むことはないんだが、背景で無言で踊るだけで、説得力。この女性に恋し、青年が愁えているのだと。
彼女が美しく神聖な女性でなければ、彼の恋が空々しくなる。曲の美しさ、せつなさに相応しい美女ぶりをいちかが表現している。
ただ「歌」を歌うだけでなく、そこに「物語」を表現してくれる人が好き。
歌手でなく役者のディナーショーであるということ。
恋に悩むトド様を見て、「トドの恋愛モノが見てえぇぇ!!」と、心底思った。
恋するトド様って、ほとんど見たことないじゃん? 女は添えモノでしかない英雄モノばかりでさ。『オクラホマ!』が恋愛モノに分類されるかもしれないけど、アレはわたし的にノーカウントなんで(笑)、もっと本気で恋愛に主題を置いた作品が見たいっすよ。
客席降りでトド様が何回か横を通ってくれたんだが、ほんとにきれいな人だ……。
トド様のDSに参加するのは実はこれで2回目だが、前のDSは超絶隅っこ席で、トド様はそばを通ってなんかくれなかったさ……。
はじめて、近くでトドを見た。すぐそばで、立ち止まって歌ってくれたさ。
たしかにカラダはちっちゃいが(笑)、んなこたぁどーでもいいくらい美しいさ。
曲名とかはネットの海のどこぞにUPされてるだろーから、ここで書く気ナシ(笑)。教養がないので、どの曲がどうとか語るすべもナシ。
HHIでのDSは初参加だったんだが、宝ホよりはホテル・スタッフの数が多く、飲み物を注文しやすかった。わたしは人一倍水分を必要とするイキモノなので、これは重要なポイント。オリジナル・カクテルがあるのはいいよな。(トド様の絵をイメージしたカクテルだそーな。ええわたし、ちゃんとトド様の個展も行きましたよ、これでもファンですから・笑)
食事は宝ホと同じくフルコースではなかった。料理の数が少ない……けど、今のディナーってこれがふつーなのかな? びんぼー人なんで判断できないや、そんなの日常で食べ慣れないから。
あ、DSのおたのしみだと思っているプログラム表は、とってもちゃちぃものでした。宝ホと同レベル。……新阪急だけなの? あんなに豪華なのは??
トド様、まっつ、いちかと、好きな人たちしかステージにいない、なんかすごい確率で存在したDSだった。
行って良かった。……びんぼーに拍車が掛かったがなー(笑)。
美しさに、容赦ナシ。@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月11日 タカラヅカ オスカル@すずみんは、容赦なかった。
現在のタカラヅカきっての貴公子男役すずみん。オスカル役は今回の『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』で、すでに2回目。
余裕ですよ。
その作り込んだビジュアルも、演技も。
お化粧の、気合いぶりときたら。
すごいっすよ、是非すずみんのお化粧じっくり見てやって。アイメイクのグラデーショーンの繊細さなんか感動するから!
他の誰ともお化粧チガウから、びっくりしてガン見しちゃったよ(笑)。
そしてなにより、気合いの超ハイヒール!
誰よりも高いヒール履いてますよ、スターブーツ!
もともとでかいのに、さらにでかい!(笑)
以前星組本公演で『ベルサイユのばら』が上演されたとき、オスカル様はみんな中ヒール程度のスターブーツを履いていた。見た目の美しさと機能性のバランス的に「こんなもんだよな」という感じの。
それはもちろん、アンドレ@トウコが小柄だったために、ハイヒールは履けないという事情があったわけだが。いくらなんでもラヴシーンするのに、女の方があきらかにでかいと支障がある。
だけどすずみん、今回は容赦なし。ベルナール@トウコはオスカルの恋人ではないけれど、オスカルと絡みがあり、主役であり、いちおーかっこよく見せなければならない人なのに。
ハイヒールを履いたオスカルは、容赦なくベルナールを見下ろしています。
男同士ならね、トウコが見下ろされてもどーってことはないが、いちおー男女なのに、女の子に見下ろされているヒーローてなカタチになっちゃってますが、いいんですか?(笑)
女よりチビのベルナール……ええっと、原作もそうだっけ? アンドレと似た体格だから、オスカルよりは大きかったんじゃないかと思うんだが……。
ふつーは、小柄なトップスターに気を遣って、低いヒールを履くと思うのですよ。
ハイヒールを履いた方が自分が美しくなることはわかっていても、そこはぐっとこらえて、相手に合わせる。それがタカラヅカ。
ところが今回、んな気遣いはナシ。すずみんは、自分が美しくなることにてらいなく集中している。
ええ。
すずみんが、そーゆーことを「勝手にやっている、はずがない」と思うのですよ。
トウコを含め、演出家サイドも、それを認めているわけですよ。
主役ベルナール@トウコの魅力は、女の子キャラより小さいことぐらいで、揺るがない。
という、自信。
すなわち、
トップスター安蘭けいの魅力は、小柄ことなんかで揺るがない。
という、自負の表れですな。
実際、その通りだし。
オスカルより明らかに背が低く、横に並ぶと見下ろされているのが丸わかりでも、ベルナールがかっこいいことがよーーっくわかるもの。
自分を表面的にかっこよく見せるために、すずみんに低いヒールを履くよう強要しなかった、ということなんだろうトウコちゃんのオトコマエさに、ひとり勝手にしびれております(笑)。
とまあ、「美しさ」を潔いほど追求した、今回のオスカル様。
めちゃくちゃ、かっこいい。
「恋愛」の絡まないオスカルというのは、『ベルばら』史上はじめてではないだろうか。
植爺のキモチ悪いところは、恋愛を絡めるとオスカルがなよなよとふつーの女以上に女々しくキモチ悪くなるんだが、誰とも恋愛していない今回のオスカルは、ただただかっこいい。
や、アンドレは登場しているが、そしてアンドレ単体ではオスカルLOVEだが、番手至上主義植爺なので、3番手演じるオスカルにはとくにラブ関係を書いてないのね。
植爺の呪縛を受けずに済んでますよ、オスカル様!!
椅子にふんぞり返って、カードに興じるオスカル様の、かっこいいことっ!!
あの長い脚。お貴族サマよ、あれこそまさにお貴族サマよお。気品と洗練された高慢さ、美貌とクールさ、ネオロマ系ゲームにまんま出演できる美形サマっぷりよお。
植爺の原作コピーは大抵失敗しているのだが、これははじめて見るくらい、原作コピーでの成功例。
ベルナールに「商談」を持ちかけ、「スペードのA、前途多難」とか「ダイヤのA、商談成立だ」とかゆーの、かっこいいよお。オスカル様だ、あれぞオスカル様だわっ。
そして、ここまでかっこいー連発しつつ、もうひとつオスカル様は切り札を持っているのだ。
みわっちオスカルの「反省、反省☆」に通じるおちゃめシーン。
ジャルジェパパ@チャルさんのカミナリを避け、あとからちゃっかり顔を出す姿。
そのひょこっとした顔が、めちゃくちゃかわいいっ。
なんなのコレ、なんなのーっ、かわいすぎるよーっ!!
植爺らしい「オスカルは女の子(はぁと)」感覚の演出なんだろうけどね。キムオスカルが「ばあや、ばあやン♪」とくねくねして叫ぶよーなもんで、オスカルというキャラクタを理解していないおっさん脳ゆえに、必ずどこかでギャル的な部分を挿入しなければならない、とカンチガイしているわけだが。
今回はソレが一瞬で終わったことと、他の部分のオトコらしさかっこよさ、かわいらしいジャルジェパパのエピソードの流れから、原作(前半)テイストのギャグ絵っぽいオスカル様として、作品に合ったオスカル様のおちゃめシーンとなっていた。
いやあ、オスカル@すずみん、最強。
現在のタカラヅカきっての貴公子男役すずみん。オスカル役は今回の『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』で、すでに2回目。
余裕ですよ。
その作り込んだビジュアルも、演技も。
お化粧の、気合いぶりときたら。
すごいっすよ、是非すずみんのお化粧じっくり見てやって。アイメイクのグラデーショーンの繊細さなんか感動するから!
他の誰ともお化粧チガウから、びっくりしてガン見しちゃったよ(笑)。
そしてなにより、気合いの超ハイヒール!
誰よりも高いヒール履いてますよ、スターブーツ!
もともとでかいのに、さらにでかい!(笑)
以前星組本公演で『ベルサイユのばら』が上演されたとき、オスカル様はみんな中ヒール程度のスターブーツを履いていた。見た目の美しさと機能性のバランス的に「こんなもんだよな」という感じの。
それはもちろん、アンドレ@トウコが小柄だったために、ハイヒールは履けないという事情があったわけだが。いくらなんでもラヴシーンするのに、女の方があきらかにでかいと支障がある。
だけどすずみん、今回は容赦なし。ベルナール@トウコはオスカルの恋人ではないけれど、オスカルと絡みがあり、主役であり、いちおーかっこよく見せなければならない人なのに。
ハイヒールを履いたオスカルは、容赦なくベルナールを見下ろしています。
男同士ならね、トウコが見下ろされてもどーってことはないが、いちおー男女なのに、女の子に見下ろされているヒーローてなカタチになっちゃってますが、いいんですか?(笑)
女よりチビのベルナール……ええっと、原作もそうだっけ? アンドレと似た体格だから、オスカルよりは大きかったんじゃないかと思うんだが……。
ふつーは、小柄なトップスターに気を遣って、低いヒールを履くと思うのですよ。
ハイヒールを履いた方が自分が美しくなることはわかっていても、そこはぐっとこらえて、相手に合わせる。それがタカラヅカ。
ところが今回、んな気遣いはナシ。すずみんは、自分が美しくなることにてらいなく集中している。
ええ。
すずみんが、そーゆーことを「勝手にやっている、はずがない」と思うのですよ。
トウコを含め、演出家サイドも、それを認めているわけですよ。
主役ベルナール@トウコの魅力は、女の子キャラより小さいことぐらいで、揺るがない。
という、自信。
すなわち、
トップスター安蘭けいの魅力は、小柄ことなんかで揺るがない。
という、自負の表れですな。
実際、その通りだし。
オスカルより明らかに背が低く、横に並ぶと見下ろされているのが丸わかりでも、ベルナールがかっこいいことがよーーっくわかるもの。
自分を表面的にかっこよく見せるために、すずみんに低いヒールを履くよう強要しなかった、ということなんだろうトウコちゃんのオトコマエさに、ひとり勝手にしびれております(笑)。
とまあ、「美しさ」を潔いほど追求した、今回のオスカル様。
めちゃくちゃ、かっこいい。
「恋愛」の絡まないオスカルというのは、『ベルばら』史上はじめてではないだろうか。
植爺のキモチ悪いところは、恋愛を絡めるとオスカルがなよなよとふつーの女以上に女々しくキモチ悪くなるんだが、誰とも恋愛していない今回のオスカルは、ただただかっこいい。
や、アンドレは登場しているが、そしてアンドレ単体ではオスカルLOVEだが、番手至上主義植爺なので、3番手演じるオスカルにはとくにラブ関係を書いてないのね。
植爺の呪縛を受けずに済んでますよ、オスカル様!!
椅子にふんぞり返って、カードに興じるオスカル様の、かっこいいことっ!!
あの長い脚。お貴族サマよ、あれこそまさにお貴族サマよお。気品と洗練された高慢さ、美貌とクールさ、ネオロマ系ゲームにまんま出演できる美形サマっぷりよお。
植爺の原作コピーは大抵失敗しているのだが、これははじめて見るくらい、原作コピーでの成功例。
ベルナールに「商談」を持ちかけ、「スペードのA、前途多難」とか「ダイヤのA、商談成立だ」とかゆーの、かっこいいよお。オスカル様だ、あれぞオスカル様だわっ。
そして、ここまでかっこいー連発しつつ、もうひとつオスカル様は切り札を持っているのだ。
みわっちオスカルの「反省、反省☆」に通じるおちゃめシーン。
ジャルジェパパ@チャルさんのカミナリを避け、あとからちゃっかり顔を出す姿。
そのひょこっとした顔が、めちゃくちゃかわいいっ。
なんなのコレ、なんなのーっ、かわいすぎるよーっ!!
植爺らしい「オスカルは女の子(はぁと)」感覚の演出なんだろうけどね。キムオスカルが「ばあや、ばあやン♪」とくねくねして叫ぶよーなもんで、オスカルというキャラクタを理解していないおっさん脳ゆえに、必ずどこかでギャル的な部分を挿入しなければならない、とカンチガイしているわけだが。
今回はソレが一瞬で終わったことと、他の部分のオトコらしさかっこよさ、かわいらしいジャルジェパパのエピソードの流れから、原作(前半)テイストのギャグ絵っぽいオスカル様として、作品に合ったオスカル様のおちゃめシーンとなっていた。
いやあ、オスカル@すずみん、最強。
彼は英雄。@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月10日 タカラヅカ アラン@しいちゃんが、かっこいいっす。
地団駄踏みたいくらい、かっこよくて困ります。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』、後半に登場するアラン・ド・ソワソン。
革命の混乱を経て、「隻腕将軍」と謡われた英雄。
……それが納得できる美丈夫ぶり。
長身と安定感あふれる厚みのある体格、そして、太陽の笑顔。
戦災孤児たちを引き取り、官舎だかが託児所状態になっている、というのもわかる。この男なら、さもありなん。部下たちがソレをトホホと思いつつ許容している感じもまた、さもありなん。
愛されている。たくさんの人たちに。革命の英雄だから慕われているのではなく、そんな業績以前に、彼個人がその人柄ゆえに信頼され、愛されているのだとわかる。
かっこいいよお。アランってこんなにいい男なの? うおーっ。
……つい先日、すごくかなしいアランを見たんですが。
妹の亡霊と10年間会話をし、亡霊と過去以外なにも見ず、愛さず、なにもせず、「誰かがやってくれる」と責任を全部捨てて逃げ出して、自分で死ぬことすらせず殺されることで自殺した、すげーかっこ悪い男がいたんですが。
「しいちゃんアランは、亡霊なんか見えないだろうね」
終演後に仲間たちと口々に言いあった。
しいちゃんアランの突きぬけた明るさ、健やかさは、彼が亡霊なんかに依存しない人物だと示している。
そもそもこのアランには、近親相姦の上あてつけ自殺し、亡霊となって兄にとり憑くような心の病んだ妹はいないだろう。
まっすぐな心。強くやさしい魂。
祖国フランスを想い、今は亡き愛する人オスカルを想い、友人ベルナール@トウコとその妻ロザリー@あすかのことを想って、ひとりで戦い、死んだ男。
そう、しいちゃんアランのかっこよさは、その死に方にも表れている。
強い信念に従い、たったひとりでナポレオン暗殺を決行し、力尽きたんだ。
同じように「隻腕将軍」って呼ばれてたのに、ナポレオン暗殺もせず、ジェローデルが「暗殺に失敗して殺された」と聞いた途端、臆病風に吹かれて、自分はなにもせずに「なにをやっても無駄だ」と決めつけて、現実逃避して死んだ男がいたんですが。
……まとぶんのせいじゃない。悪いのは植爺で、まとぶんじゃないよ。それはわかってるよ。わかってるけど……花組の『アラン編』、やっぱひどすぎるだろう!!
まともなアランだって描けるんじゃないか。つか、せめてナポレオン暗殺決行しろよ、巨悪に立ち向かって殺されるならまだしも、やる前からあきらめて自暴自棄になったところを殺されるって……。
『スカピン』初日を思い出すなあ。
『スカピン』が素晴らしい作品であるがゆえに、かなしくなったんだよ……つい数日前まで同じ劇場で公演されていた組の作品を思って。
「星組がうらやましい」……そう言わずにはいられなかった、あのかなしみ再び……うわーんっ!
『スカピン』初日に引き続き、全ツ『ベルばら』初日にも、同じ台詞を言うハメになるとは思わなかったよ……遠い目。
ともあれ、アラン@しいちゃんはステキだった。
ステキだからこそ……無意味な2役に疑問。
しいちゃんはアンドレと2役。
しかし。
こういっちゃなんだが、しいちゃんは、しいちゃんである。
ひとつの芝居で主要2役を演じ分けるなんて器用なこと、できる人じゃない。
アンドレは眼帯で顔半分隠してがんばってたけど……演じ分けられていたわけじゃないから。観客が混乱するだけだから。
無意味な配役はやめようよ、植爺。
前にも語ったが、植爺は役者の格に合わせて出番と台詞の行数を割り振る人だから。
役の重要さとかやりがいとかは考えない人だから。大人の事情優先だから。
2番手男役であるしい様に相応しいだけの出演分数と台詞行数を考えたら、2役にするしかなかったんだよね。
アンドレ役は別の人にするか、あるいは登場させなければよかったのに。その分アランを出して、革命後の将軍姿との差を表現するなりすれば良かったのに。
2役でなければ、最後の「亡き人々のイメージ」場面だって、フェルゼン@ともみん×アントワネット@まひろ、アンドレ@誰か×オスカル@すずみんの二組のカップルの中央に、マントを広げてかっこよく立つアラン将軍@しいちゃんでキメることができたのに。
ベルナールとロザリーってば、ほぼ無関係(ベルナールに至っては面識もない)フェルゼンやアントワネットを思い出して、親友アランのことは思い出さないのか!という変な絵ヅラにならずにすんだのに。
実際問題、それじゃアンドレは誰よ、と言われると、オスカルがすずみんであるバランスを考えると……みきちぐ希望ですけどね(笑)。
アンドレの比重下げて、出てくるだけ程度にすれば、みきちぐでいいと思うけどなー。オスカルの横には並んじゃダメよ、身長差がえらいことになるから(笑)。
でもって是非、アラン@しいちゃんと絡んで欲しいわー。アンドレ@みきちぐに、「でかい図体してケツの青いガキだな」って、アラン@しいちゃんに言って欲しいわー。や、話が脱線するから無理だけど。
アンドレとしてのしいちゃんは、マロングラッセ@みきちぐと、同期コントをするためにあったのかと。
組ファンサービスかと思いました、あのかわいい、されど無駄なシーンは(笑)。
アンドレは直接ベルナールに絡まないし、彼とのエピソードがあるわけじゃないし、オスカルとの恋愛もまともに描かれないまま、ほぼ単体で出てきて終わるので、今回の脚本では主要人物として登場させる意味はなかった。
アンドレがまともに絡んでるのって、マロングラッセだけじゃん。
こーゆー無駄が、植爺らしいところではある。
比重を下げ、身長を問わないなら、あかしでも良かったのになー。
と、いちいち身長を気にしなければならないのは……オスカル@すずみんが、容赦なかったためだ。
続く(笑)。
地団駄踏みたいくらい、かっこよくて困ります。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』、後半に登場するアラン・ド・ソワソン。
革命の混乱を経て、「隻腕将軍」と謡われた英雄。
……それが納得できる美丈夫ぶり。
長身と安定感あふれる厚みのある体格、そして、太陽の笑顔。
戦災孤児たちを引き取り、官舎だかが託児所状態になっている、というのもわかる。この男なら、さもありなん。部下たちがソレをトホホと思いつつ許容している感じもまた、さもありなん。
愛されている。たくさんの人たちに。革命の英雄だから慕われているのではなく、そんな業績以前に、彼個人がその人柄ゆえに信頼され、愛されているのだとわかる。
かっこいいよお。アランってこんなにいい男なの? うおーっ。
……つい先日、すごくかなしいアランを見たんですが。
妹の亡霊と10年間会話をし、亡霊と過去以外なにも見ず、愛さず、なにもせず、「誰かがやってくれる」と責任を全部捨てて逃げ出して、自分で死ぬことすらせず殺されることで自殺した、すげーかっこ悪い男がいたんですが。
「しいちゃんアランは、亡霊なんか見えないだろうね」
終演後に仲間たちと口々に言いあった。
しいちゃんアランの突きぬけた明るさ、健やかさは、彼が亡霊なんかに依存しない人物だと示している。
そもそもこのアランには、近親相姦の上あてつけ自殺し、亡霊となって兄にとり憑くような心の病んだ妹はいないだろう。
まっすぐな心。強くやさしい魂。
祖国フランスを想い、今は亡き愛する人オスカルを想い、友人ベルナール@トウコとその妻ロザリー@あすかのことを想って、ひとりで戦い、死んだ男。
そう、しいちゃんアランのかっこよさは、その死に方にも表れている。
強い信念に従い、たったひとりでナポレオン暗殺を決行し、力尽きたんだ。
同じように「隻腕将軍」って呼ばれてたのに、ナポレオン暗殺もせず、ジェローデルが「暗殺に失敗して殺された」と聞いた途端、臆病風に吹かれて、自分はなにもせずに「なにをやっても無駄だ」と決めつけて、現実逃避して死んだ男がいたんですが。
……まとぶんのせいじゃない。悪いのは植爺で、まとぶんじゃないよ。それはわかってるよ。わかってるけど……花組の『アラン編』、やっぱひどすぎるだろう!!
まともなアランだって描けるんじゃないか。つか、せめてナポレオン暗殺決行しろよ、巨悪に立ち向かって殺されるならまだしも、やる前からあきらめて自暴自棄になったところを殺されるって……。
『スカピン』初日を思い出すなあ。
『スカピン』が素晴らしい作品であるがゆえに、かなしくなったんだよ……つい数日前まで同じ劇場で公演されていた組の作品を思って。
「星組がうらやましい」……そう言わずにはいられなかった、あのかなしみ再び……うわーんっ!
『スカピン』初日に引き続き、全ツ『ベルばら』初日にも、同じ台詞を言うハメになるとは思わなかったよ……遠い目。
ともあれ、アラン@しいちゃんはステキだった。
ステキだからこそ……無意味な2役に疑問。
しいちゃんはアンドレと2役。
しかし。
こういっちゃなんだが、しいちゃんは、しいちゃんである。
ひとつの芝居で主要2役を演じ分けるなんて器用なこと、できる人じゃない。
アンドレは眼帯で顔半分隠してがんばってたけど……演じ分けられていたわけじゃないから。観客が混乱するだけだから。
無意味な配役はやめようよ、植爺。
前にも語ったが、植爺は役者の格に合わせて出番と台詞の行数を割り振る人だから。
役の重要さとかやりがいとかは考えない人だから。大人の事情優先だから。
2番手男役であるしい様に相応しいだけの出演分数と台詞行数を考えたら、2役にするしかなかったんだよね。
アンドレ役は別の人にするか、あるいは登場させなければよかったのに。その分アランを出して、革命後の将軍姿との差を表現するなりすれば良かったのに。
2役でなければ、最後の「亡き人々のイメージ」場面だって、フェルゼン@ともみん×アントワネット@まひろ、アンドレ@誰か×オスカル@すずみんの二組のカップルの中央に、マントを広げてかっこよく立つアラン将軍@しいちゃんでキメることができたのに。
ベルナールとロザリーってば、ほぼ無関係(ベルナールに至っては面識もない)フェルゼンやアントワネットを思い出して、親友アランのことは思い出さないのか!という変な絵ヅラにならずにすんだのに。
実際問題、それじゃアンドレは誰よ、と言われると、オスカルがすずみんであるバランスを考えると……みきちぐ希望ですけどね(笑)。
アンドレの比重下げて、出てくるだけ程度にすれば、みきちぐでいいと思うけどなー。オスカルの横には並んじゃダメよ、身長差がえらいことになるから(笑)。
でもって是非、アラン@しいちゃんと絡んで欲しいわー。アンドレ@みきちぐに、「でかい図体してケツの青いガキだな」って、アラン@しいちゃんに言って欲しいわー。や、話が脱線するから無理だけど。
アンドレとしてのしいちゃんは、マロングラッセ@みきちぐと、同期コントをするためにあったのかと。
組ファンサービスかと思いました、あのかわいい、されど無駄なシーンは(笑)。
アンドレは直接ベルナールに絡まないし、彼とのエピソードがあるわけじゃないし、オスカルとの恋愛もまともに描かれないまま、ほぼ単体で出てきて終わるので、今回の脚本では主要人物として登場させる意味はなかった。
アンドレがまともに絡んでるのって、マロングラッセだけじゃん。
こーゆー無駄が、植爺らしいところではある。
比重を下げ、身長を問わないなら、あかしでも良かったのになー。
と、いちいち身長を気にしなければならないのは……オスカル@すずみんが、容赦なかったためだ。
続く(笑)。
あいしあう、ということ。@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月9日 タカラヅカ トウコの、揺れる瞳っ!!
トウコの瞳。
揺れる瞳。
大きな瞳が虚空を見つめ、痛みに揺らめく。
殊更な激しさはない。
発散するというより、自分の内側へ向かっているような、独白のような自答のような言葉なのに。
彼の心の傷が、見える。
彼の悲しみが、広がる。
トウコの、瞳。
揺れる瞳。
涙を湛えたような、濡れた瞳。
ベルナール@トウコ、好きだ~~っ!!
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』初日初回、梅芸。
なんの予備知識もなく、どーゆー話になるのか、他組外伝からの先入観はあっても、実際のとこナニも知らず。
ベルナール@トウコが、かわいい。かっこいい。切ない。
なんなのアレ、なんなのよ~~。
母の想い出を語るベルナールってば。
なんであんなに可哀想なの、悲しいの。
強い人だとわかっているのに、いや、わかっているからこそ、その強さの奥の傷が、孤独が悲しい。
熱く、激しい。
おとなしい人でもひかえめな人でもない。声の大きなリーダータイプ。自分が動くことで、周囲も動かす人。
そんな能動的な男が、強がり上等な男が、こぼす本音。弱音。穏やかに、独り言のように。
受け止めてくれるだろう、やさしい少女の前で。
「新聞記者ベルナール」「革命の志士ベルナール」となる前の過去の出来事を、悲しい想い出を語るベルナール@トウコの、痛々しいこと。
これですよコレ、安蘭けいがもっとも魅力的に見える芝居。トウコは、傷ついてナンボですよ!
かなしいとき、痛々しいときこそが、いちばんハマるんです、ステキなんです。
わかりやすく「ボク今悲しんでます」と泣くんじゃなく、悲しみを押し殺し、前を向いているときこそが、いちばんステキなんです。
見ていて、胸がきゅ~~んとなるんです。
原作では、マンガというジャンルが持つ手法を使い、若き日の母がそりゃーもー美しく描かれている。
が、ここは舞台の上。
紗幕の向こうにママンと少年ベルナールが登場したりせず、役者の芝居力真っ向勝負です。
ベルナール@トウコと、ロザリー@あすかの、ふたりだけ。
回想フィルムが回るわけでない、語る人たちが語るだけのシンプルな演出で、魅せてくれます。
ベルナールの心の傷、そして、愛。
そこにたどりつくまでの、ベルナールとロザリーが、ものすげーかわいくてね。
オスカル@すずみんに「ベルナールから目を離すな」と命令されたロザリーが、ベルナールのあとをちょこちょこついて回って。ベルナールがうざがって凄んで、でもロザリーは気にしてなくて、にっこり笑う彼女の勝ち。
ロザリーと寝室まで一緒で眠れないとオスカルに訴えかけるベルナールが、可愛すぎ。
も、彼がロザリーを意識しまくってるのがわかるの。そりゃ眠れないよね~~(笑)。
やり返すロザリーがまた、かわいくて。
若々しく、初々しく、いちゃいちゃしてるよーにしか見えないふたりが、可愛すぎる。
ベルナールが自分の面倒を見るロザリーに「オレは悪党だから、お前を拉致って逃げるかもしんないのに、オスカルも甘いよな」と言う原作のエピソードを、原作とはチガウ意味で使っているのが、うまい。
原作では、悪党ぶったベルナールにロザリーは心底怯えながら、「ベルナールには私を殺せないのだから、そんなの人質にならないって、オスカル様が仰ってました」てな返答、ベルナールは「見抜かれてる、オスカル恐るべし」と、あくまでもオスカルを持ち上げるためのエピソード。
それがこの作品では、ベルナールとロザリーのラヴ・エピソードになっている。
ベルナールに後ろから締め上げられ、このまま首の骨折ることもでんきじゃね?という体勢で凄まれているにもかかわらず、ロザリーは慈愛の微笑を浮かべ、わざと悪ぶるベルナールに「あなたはそんな人じゃないわ」と言う。
はっと胸を突かれるベルナール。
後ろから締め上げていた……はずの体勢が、その瞬間、愛し合うモノ同士の抱擁のように、見える。
ロザリーは、ベルナールの腕の中。
そのことに、ベルナールが気づく。
だきしめて、いることに。
……て、この一連のトウコの表情がっ。
わざと悪ぶって獰猛な顔して見せて、あすかに胸を突かれたときの「心」がぐわっと動いた顔、改めて腕の中のあすかを見る顔……。
トウコとあすかで、マジ恋愛モノが視たいと、じれじれしていた希望が、まさか植爺作品で叶うなんて。
真正面から恋愛して、出会いから恋の自覚から告白から、全部真っ当に順番に見せてくれる作品に出会えるなんて。
植爺なのに。
植爺のくせに。
くやしい~~、絶対コレ植爺演出ぢゃない~~、誰か別の人の作品よおおお(笑)。
ベルナールがかわいすぎて。
ロザリーが、かわいすぎて。
ママンの悲しい想い出から、心の内側から、現実に、この世界に瞳を移して、戻ってきて、そして言うの。
目の前にいる少女に。
強いだけじゃない、ありのままの自分を見せることの出来る、ただひとりの相手に。
「好きになってもいいか?」
なんなのよコレ~~!!
萌えまくり、ときめきまくりよお~~!!
真っ当なヲトメ・ハートが、じんじんうずいてきゅんきゅん鳴って、止まりません。
もー、テーブル叩いて熱弁しちゃうわ。
ベルナール×ロザリー最高っ。大好き。
このかわいいふたりが、10年後はほんとにいい夫婦になっていて。
信頼しあっていることが、わかるの。
ロザリー@あすかがまた、すごいのよ。少女時代もめちゃくちゃかわいい女の子だったけど、これほどキャリアを積んだ大人の女がよくぞここまで、ってくらい初々しいキュートな女の子を演じていたけど、そこからさらに、その春風のような少女が大人になった姿を違和感なく構築しているの。
どんな10年だったか、ふたりの歴史が見えるような、そんなベルナールとロザリーなの。
だからこそ、クライマックスのロザリーの裏切りと、ベルナールの慟哭が、カタルシスへつながるの。
ロザリーが軽はずみに決断したのではないことも、彼女の言葉だからなんの疑問もなく信じ、裏切られたことに崩壊して取り乱すベルナールも、わかる。違和感なく、わかる。
そして、このふたりだからこそ、すべてを乗り越え、未来へ向かって思いをつないでいくのだということが。
トウコすげえ。
あすかすげえ。
このふたりを組ませた、すべてものに、人に、感謝を。
見たい安蘭けいを見せてくれる、遠野あすかに感謝。
遠野あすかの力に負けず、さらに花開く安蘭けいの力に、感動。
トウコとあすかが大好きだ。
このふたりを見ることが出来てうれしい。
たのしいたのしい。
植爺だけど、『ベルばら』だけど、たのしいよお~~!
トウコの瞳。
揺れる瞳。
大きな瞳が虚空を見つめ、痛みに揺らめく。
殊更な激しさはない。
発散するというより、自分の内側へ向かっているような、独白のような自答のような言葉なのに。
彼の心の傷が、見える。
彼の悲しみが、広がる。
トウコの、瞳。
揺れる瞳。
涙を湛えたような、濡れた瞳。
ベルナール@トウコ、好きだ~~っ!!
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』初日初回、梅芸。
なんの予備知識もなく、どーゆー話になるのか、他組外伝からの先入観はあっても、実際のとこナニも知らず。
ベルナール@トウコが、かわいい。かっこいい。切ない。
なんなのアレ、なんなのよ~~。
母の想い出を語るベルナールってば。
なんであんなに可哀想なの、悲しいの。
強い人だとわかっているのに、いや、わかっているからこそ、その強さの奥の傷が、孤独が悲しい。
熱く、激しい。
おとなしい人でもひかえめな人でもない。声の大きなリーダータイプ。自分が動くことで、周囲も動かす人。
そんな能動的な男が、強がり上等な男が、こぼす本音。弱音。穏やかに、独り言のように。
受け止めてくれるだろう、やさしい少女の前で。
「新聞記者ベルナール」「革命の志士ベルナール」となる前の過去の出来事を、悲しい想い出を語るベルナール@トウコの、痛々しいこと。
これですよコレ、安蘭けいがもっとも魅力的に見える芝居。トウコは、傷ついてナンボですよ!
かなしいとき、痛々しいときこそが、いちばんハマるんです、ステキなんです。
わかりやすく「ボク今悲しんでます」と泣くんじゃなく、悲しみを押し殺し、前を向いているときこそが、いちばんステキなんです。
見ていて、胸がきゅ~~んとなるんです。
原作では、マンガというジャンルが持つ手法を使い、若き日の母がそりゃーもー美しく描かれている。
が、ここは舞台の上。
紗幕の向こうにママンと少年ベルナールが登場したりせず、役者の芝居力真っ向勝負です。
ベルナール@トウコと、ロザリー@あすかの、ふたりだけ。
回想フィルムが回るわけでない、語る人たちが語るだけのシンプルな演出で、魅せてくれます。
ベルナールの心の傷、そして、愛。
そこにたどりつくまでの、ベルナールとロザリーが、ものすげーかわいくてね。
オスカル@すずみんに「ベルナールから目を離すな」と命令されたロザリーが、ベルナールのあとをちょこちょこついて回って。ベルナールがうざがって凄んで、でもロザリーは気にしてなくて、にっこり笑う彼女の勝ち。
ロザリーと寝室まで一緒で眠れないとオスカルに訴えかけるベルナールが、可愛すぎ。
も、彼がロザリーを意識しまくってるのがわかるの。そりゃ眠れないよね~~(笑)。
やり返すロザリーがまた、かわいくて。
若々しく、初々しく、いちゃいちゃしてるよーにしか見えないふたりが、可愛すぎる。
ベルナールが自分の面倒を見るロザリーに「オレは悪党だから、お前を拉致って逃げるかもしんないのに、オスカルも甘いよな」と言う原作のエピソードを、原作とはチガウ意味で使っているのが、うまい。
原作では、悪党ぶったベルナールにロザリーは心底怯えながら、「ベルナールには私を殺せないのだから、そんなの人質にならないって、オスカル様が仰ってました」てな返答、ベルナールは「見抜かれてる、オスカル恐るべし」と、あくまでもオスカルを持ち上げるためのエピソード。
それがこの作品では、ベルナールとロザリーのラヴ・エピソードになっている。
ベルナールに後ろから締め上げられ、このまま首の骨折ることもでんきじゃね?という体勢で凄まれているにもかかわらず、ロザリーは慈愛の微笑を浮かべ、わざと悪ぶるベルナールに「あなたはそんな人じゃないわ」と言う。
はっと胸を突かれるベルナール。
後ろから締め上げていた……はずの体勢が、その瞬間、愛し合うモノ同士の抱擁のように、見える。
ロザリーは、ベルナールの腕の中。
そのことに、ベルナールが気づく。
だきしめて、いることに。
……て、この一連のトウコの表情がっ。
わざと悪ぶって獰猛な顔して見せて、あすかに胸を突かれたときの「心」がぐわっと動いた顔、改めて腕の中のあすかを見る顔……。
トウコとあすかで、マジ恋愛モノが視たいと、じれじれしていた希望が、まさか植爺作品で叶うなんて。
真正面から恋愛して、出会いから恋の自覚から告白から、全部真っ当に順番に見せてくれる作品に出会えるなんて。
植爺なのに。
植爺のくせに。
くやしい~~、絶対コレ植爺演出ぢゃない~~、誰か別の人の作品よおおお(笑)。
ベルナールがかわいすぎて。
ロザリーが、かわいすぎて。
ママンの悲しい想い出から、心の内側から、現実に、この世界に瞳を移して、戻ってきて、そして言うの。
目の前にいる少女に。
強いだけじゃない、ありのままの自分を見せることの出来る、ただひとりの相手に。
「好きになってもいいか?」
なんなのよコレ~~!!
萌えまくり、ときめきまくりよお~~!!
真っ当なヲトメ・ハートが、じんじんうずいてきゅんきゅん鳴って、止まりません。
もー、テーブル叩いて熱弁しちゃうわ。
ベルナール×ロザリー最高っ。大好き。
このかわいいふたりが、10年後はほんとにいい夫婦になっていて。
信頼しあっていることが、わかるの。
ロザリー@あすかがまた、すごいのよ。少女時代もめちゃくちゃかわいい女の子だったけど、これほどキャリアを積んだ大人の女がよくぞここまで、ってくらい初々しいキュートな女の子を演じていたけど、そこからさらに、その春風のような少女が大人になった姿を違和感なく構築しているの。
どんな10年だったか、ふたりの歴史が見えるような、そんなベルナールとロザリーなの。
だからこそ、クライマックスのロザリーの裏切りと、ベルナールの慟哭が、カタルシスへつながるの。
ロザリーが軽はずみに決断したのではないことも、彼女の言葉だからなんの疑問もなく信じ、裏切られたことに崩壊して取り乱すベルナールも、わかる。違和感なく、わかる。
そして、このふたりだからこそ、すべてを乗り越え、未来へ向かって思いをつないでいくのだということが。
トウコすげえ。
あすかすげえ。
このふたりを組ませた、すべてものに、人に、感謝を。
見たい安蘭けいを見せてくれる、遠野あすかに感謝。
遠野あすかの力に負けず、さらに花開く安蘭けいの力に、感動。
トウコとあすかが大好きだ。
このふたりを見ることが出来てうれしい。
たのしいたのしい。
植爺だけど、『ベルばら』だけど、たのしいよお~~!
演出家は誰ですか?@外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-
2008年11月8日 タカラヅカ うわわわわ。
どうしようどうしよう。
『ベルサイユのばら』で泣いてしまった。
ちょっと待て。植爺作『ベルばら』で泣くなんて、なにもわかってなくてもただ「人が死ぬ」と脊髄反射で泣いていた平成『ベルばら』(カリンチョとかネッシーとかのヤツ)ぐらいだよ? あのころわたしは若くて純粋で、どんな駄作でも腹を立てたり爆笑したりせず、ほんとありのままに感動していたの。
あとは、2001年の宙組版、お花様アントワネットに力尽くの迫力勝ちで泣かされたことはあったよーな気がするが、そのころはもうすっかりヨゴレた大人になっていたわたしは、駄作具合にプンスカしていたし。
植爺作品は、笑うためにある。
怒っても精神衛生上悪いだけだから、なにがあっても笑いへ転換する。笑って笑って、笑うことで自分を慰める。
これぞ人生。
「これ以上酷いモノは地球上に存在すまい」と思うものすごい作品を書き続ける植爺だが、彼は新作のたびにその記録を自分で破り、「信じられない、前作よりさらに酷いなんて! これ以上酷いモノは地球上に存在すまい!!」と、いつも新鮮な衝撃で観客を奈落へ突き落とす。
ある意味ゴッドハンドの持ち主、植爺。彼は神に選ばれた駄作製造者。
今年の『外伝』シリーズはその神に選ばれた才能を駆使した、まさに歴史に残る破壊作ぶりで、「宝塚の破壊神」としての能力を遺憾なく発揮していた。
だからこそ、どんだけものすごいことになろうとも、腹筋を鍛える目的で受け止める覚悟を決めて、挑んだのに。
…………あ、あれ?
植爺作……だよね、コレ?
もちろん、植爺らしさはちりばめられている。
無意味に大仰な言い回し、どこまで続くんだ中身のない格言合戦、貴婦人たちの悶絶パフォーマンス、マロングラッセのコント、無意味な二役、同じ境遇のモノ同士でないと理解し合えない教、てゆーか剣より強いのはペンだ、筆ぢゃねえ、とか、突っ込みどころは満載だが。
それでも。
植爺作じゃないよね、これ?
絶対チガウって。植爺に書けるわけないって。
観劇後、わたしと仲間たちは「演出補誰だ」と騒ぎました。
で、鈴木圭せんせだとわかり、納得した。
きっとコレ、鈴木圭演出作品だよ。
過去の壊れきった植爺『ベルばら』2幕2時間半を、新公専用に本公には存在しない歌を入れたりして正しくアレンジ、新公1幕1時間半に再構築した鈴木せんせ。散漫駄作『ファントム』2幕2時間半を整理してテーマを明確に新公1幕1時間半に再構築した鈴木せんせだよ。
「本公より新公の方が作品が壊れてない」と言われる演出をした、あの鈴木圭だよ!(笑)
「植爺はきっと、途中まで書いて投げ出したんだよ、さすがに体力持たなくて」
「いつもの調子で2時間半分書いちゃって、それを鈴木圭が1時間半用にまとめ直したんだよ」
「ほんとはナポレオン暗殺未遂前後からはじまるはずだったのに、鈴木圭が『時間ないからここはカット』ってやったんだよ」
とか、調子よく会話が続いていたのに。
「最初は張り切って『Zガンダム』書きはじめた富野由悠季が、『ZZ』になると投げ出しちゃったみたいなもんぢゃね?」
……沈黙のあと、「マニアックな喩えは出さないように、誰もついて来れないから」と、ばっさりやられちゃったよ。あれ?
なにはともあれ、植爺らしさは残しつつも、とても植爺が作ったとは思えない『ベルばら』になってます、『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』。
なにしろ、主役とヒロインが夫婦(恋人)役なの!!
接点のカケラもない主役とヒロインが「同じ境遇の私たち」と無理矢理こじつけて立ち話をするだけでいつの間にか愛し合っていたことになっていたり、瀕死の男と尼僧がえんえん立ち話して、話が長すぎて瀕死の男がご臨終したりしないの!
ヒロインが主役の妹だったりしないの! しかも妹が幽霊で、10年間主役に取り憑いていたりしないの! 主役と幽霊がえんえんえんえん立ち話して、愛の歌を歌ったりしないの!
物語が時系列に進むの!
お前らいくつなんだよ?という時点から、意味のない回想シーンになったりしないの!
物語の肝心なところになると突然ぶった切られて「10年後の主役と幽霊」が出てきて、その肝心な部分を説明台詞で一から十まで全部読み上げていったりしないの!
無意味に現在と回想が行ったり来たりして、流れを壊さないの!
物語のもっとも盛り上がる部分に、主役が登場しているの!
革命ダンス場面を率いるのが脇役だったり、そもそも「アンタ誰? 今までいなかったよね?」な人だったりしないの!
それまで主役に思えるほどの比重で描かれていたオスカルが、あとになって「死にました」という台詞で片づけられることがなく、革命場面で描かれているの! 彼女の戦死シーンが華々しく描かれるのではなく、革命成功の歓喜の人々の中、オスカルの剣を抱いたロザリーが泣き崩れる、という無音のアクションで表現しているの!
無意味に死んで殺して、とにかく主役が死ねば感動巨編、と思ってない終わり方になっているの!
瀕死の主役をべらべら喋らせて手遅れで死なせたり、それまでの人生やこだわりをすべて投げ出して「それは誰かがやってくれる」「しんどい思いして生きるより、死んで楽になる方がかっこいいよ」と主役が自殺して終わったりしないの!
「主役が死ぬとかっこいい」という結論ありきで、ただ死なせるためだけに無理矢理こじつけて主役を殺しておしまいじゃないの! 主役とヒロインが「生きる」ことを誓って、前を向いて終わるの!
主役とヒロインが愛し合っていて、物語が順番に進んでいって、いちばん盛り上がるところに主役もヒロインも登場して、物語に絡んでいて、困難を乗り越えたふたりがさらに愛情を深めて、未来に希望を残して終わるの。
……て、あたりまえじゃん。
「物語」として、ごくごくあたりまえな、いちばん基本的な起承転結、シンプルなラインじゃん。
いちいちおどろくこともない、世の中のほとんどの物語はふつーに、というか物語である前提としてクリアしている事柄ばかりじゃん。
でも、植爺だから。
そんなあたりまえな物語なんて、植爺に書けるわけないじゃん?!
だから、植爺が書いたのではナイんじゃないか、と思えるのですよ。
主役とヒロインがふつーに愛し合ってるなんて、おかしい。
ロザリーがオスカルに夜這いして愛を告白するガチレズ話とか、幽霊ディアンヌが「お兄さんを愛しているの。自殺したのもお兄さんのせいよ」と告白する近親相姦話とかを書くのが植爺ですよ。
主役はなにもしない、なにもできない人。物語を動かすのは別のところで、主役はなにもせずにきれーな服を着て「主役様すごい!」「主役様ステキ!」と意味なく誉められるだけ、なのが植爺クオリティ。
物語の重要な部分は怒濤の説明台詞だけで、とにかく主役は蚊帳の外。
「結局あの人、なにしたの?」「さあ?」が、いつもの植爺作品の主役でしょう。
主役を中心とした物語を書けないんだよね、植爺。
いやあ、植爺らしくない。
これが、『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』の最大の特徴。
ラストシーンではダダ泣き(笑)。
ベルナール@トウコすげえ、ロザリー@あすかすげえ。
このふたり、うますぎるよ。
脚本がまだまともなところへもってきて、トウコとあすかが力尽くで盛り上げるもんだから、もお。
『ベルばら』なのに、感動しちゃったよお。
…………いやその、紗幕の向こうのアントワネット@まひろ、フェルゼン@ともみんに一瞬涙が引いたんだが。(ナニこの謎のキャスティング?!・笑)
どうしようどうしよう。
『ベルサイユのばら』で泣いてしまった。
ちょっと待て。植爺作『ベルばら』で泣くなんて、なにもわかってなくてもただ「人が死ぬ」と脊髄反射で泣いていた平成『ベルばら』(カリンチョとかネッシーとかのヤツ)ぐらいだよ? あのころわたしは若くて純粋で、どんな駄作でも腹を立てたり爆笑したりせず、ほんとありのままに感動していたの。
あとは、2001年の宙組版、お花様アントワネットに力尽くの迫力勝ちで泣かされたことはあったよーな気がするが、そのころはもうすっかりヨゴレた大人になっていたわたしは、駄作具合にプンスカしていたし。
植爺作品は、笑うためにある。
怒っても精神衛生上悪いだけだから、なにがあっても笑いへ転換する。笑って笑って、笑うことで自分を慰める。
これぞ人生。
「これ以上酷いモノは地球上に存在すまい」と思うものすごい作品を書き続ける植爺だが、彼は新作のたびにその記録を自分で破り、「信じられない、前作よりさらに酷いなんて! これ以上酷いモノは地球上に存在すまい!!」と、いつも新鮮な衝撃で観客を奈落へ突き落とす。
ある意味ゴッドハンドの持ち主、植爺。彼は神に選ばれた駄作製造者。
今年の『外伝』シリーズはその神に選ばれた才能を駆使した、まさに歴史に残る破壊作ぶりで、「宝塚の破壊神」としての能力を遺憾なく発揮していた。
だからこそ、どんだけものすごいことになろうとも、腹筋を鍛える目的で受け止める覚悟を決めて、挑んだのに。
…………あ、あれ?
植爺作……だよね、コレ?
もちろん、植爺らしさはちりばめられている。
無意味に大仰な言い回し、どこまで続くんだ中身のない格言合戦、貴婦人たちの悶絶パフォーマンス、マロングラッセのコント、無意味な二役、同じ境遇のモノ同士でないと理解し合えない教、てゆーか剣より強いのはペンだ、筆ぢゃねえ、とか、突っ込みどころは満載だが。
それでも。
植爺作じゃないよね、これ?
絶対チガウって。植爺に書けるわけないって。
観劇後、わたしと仲間たちは「演出補誰だ」と騒ぎました。
で、鈴木圭せんせだとわかり、納得した。
きっとコレ、鈴木圭演出作品だよ。
過去の壊れきった植爺『ベルばら』2幕2時間半を、新公専用に本公には存在しない歌を入れたりして正しくアレンジ、新公1幕1時間半に再構築した鈴木せんせ。散漫駄作『ファントム』2幕2時間半を整理してテーマを明確に新公1幕1時間半に再構築した鈴木せんせだよ。
「本公より新公の方が作品が壊れてない」と言われる演出をした、あの鈴木圭だよ!(笑)
「植爺はきっと、途中まで書いて投げ出したんだよ、さすがに体力持たなくて」
「いつもの調子で2時間半分書いちゃって、それを鈴木圭が1時間半用にまとめ直したんだよ」
「ほんとはナポレオン暗殺未遂前後からはじまるはずだったのに、鈴木圭が『時間ないからここはカット』ってやったんだよ」
とか、調子よく会話が続いていたのに。
「最初は張り切って『Zガンダム』書きはじめた富野由悠季が、『ZZ』になると投げ出しちゃったみたいなもんぢゃね?」
……沈黙のあと、「マニアックな喩えは出さないように、誰もついて来れないから」と、ばっさりやられちゃったよ。あれ?
なにはともあれ、植爺らしさは残しつつも、とても植爺が作ったとは思えない『ベルばら』になってます、『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』。
なにしろ、主役とヒロインが夫婦(恋人)役なの!!
接点のカケラもない主役とヒロインが「同じ境遇の私たち」と無理矢理こじつけて立ち話をするだけでいつの間にか愛し合っていたことになっていたり、瀕死の男と尼僧がえんえん立ち話して、話が長すぎて瀕死の男がご臨終したりしないの!
ヒロインが主役の妹だったりしないの! しかも妹が幽霊で、10年間主役に取り憑いていたりしないの! 主役と幽霊がえんえんえんえん立ち話して、愛の歌を歌ったりしないの!
物語が時系列に進むの!
お前らいくつなんだよ?という時点から、意味のない回想シーンになったりしないの!
物語の肝心なところになると突然ぶった切られて「10年後の主役と幽霊」が出てきて、その肝心な部分を説明台詞で一から十まで全部読み上げていったりしないの!
無意味に現在と回想が行ったり来たりして、流れを壊さないの!
物語のもっとも盛り上がる部分に、主役が登場しているの!
革命ダンス場面を率いるのが脇役だったり、そもそも「アンタ誰? 今までいなかったよね?」な人だったりしないの!
それまで主役に思えるほどの比重で描かれていたオスカルが、あとになって「死にました」という台詞で片づけられることがなく、革命場面で描かれているの! 彼女の戦死シーンが華々しく描かれるのではなく、革命成功の歓喜の人々の中、オスカルの剣を抱いたロザリーが泣き崩れる、という無音のアクションで表現しているの!
無意味に死んで殺して、とにかく主役が死ねば感動巨編、と思ってない終わり方になっているの!
瀕死の主役をべらべら喋らせて手遅れで死なせたり、それまでの人生やこだわりをすべて投げ出して「それは誰かがやってくれる」「しんどい思いして生きるより、死んで楽になる方がかっこいいよ」と主役が自殺して終わったりしないの!
「主役が死ぬとかっこいい」という結論ありきで、ただ死なせるためだけに無理矢理こじつけて主役を殺しておしまいじゃないの! 主役とヒロインが「生きる」ことを誓って、前を向いて終わるの!
主役とヒロインが愛し合っていて、物語が順番に進んでいって、いちばん盛り上がるところに主役もヒロインも登場して、物語に絡んでいて、困難を乗り越えたふたりがさらに愛情を深めて、未来に希望を残して終わるの。
……て、あたりまえじゃん。
「物語」として、ごくごくあたりまえな、いちばん基本的な起承転結、シンプルなラインじゃん。
いちいちおどろくこともない、世の中のほとんどの物語はふつーに、というか物語である前提としてクリアしている事柄ばかりじゃん。
でも、植爺だから。
そんなあたりまえな物語なんて、植爺に書けるわけないじゃん?!
だから、植爺が書いたのではナイんじゃないか、と思えるのですよ。
主役とヒロインがふつーに愛し合ってるなんて、おかしい。
ロザリーがオスカルに夜這いして愛を告白するガチレズ話とか、幽霊ディアンヌが「お兄さんを愛しているの。自殺したのもお兄さんのせいよ」と告白する近親相姦話とかを書くのが植爺ですよ。
主役はなにもしない、なにもできない人。物語を動かすのは別のところで、主役はなにもせずにきれーな服を着て「主役様すごい!」「主役様ステキ!」と意味なく誉められるだけ、なのが植爺クオリティ。
物語の重要な部分は怒濤の説明台詞だけで、とにかく主役は蚊帳の外。
「結局あの人、なにしたの?」「さあ?」が、いつもの植爺作品の主役でしょう。
主役を中心とした物語を書けないんだよね、植爺。
いやあ、植爺らしくない。
これが、『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』の最大の特徴。
ラストシーンではダダ泣き(笑)。
ベルナール@トウコすげえ、ロザリー@あすかすげえ。
このふたり、うますぎるよ。
脚本がまだまともなところへもってきて、トウコとあすかが力尽くで盛り上げるもんだから、もお。
『ベルばら』なのに、感動しちゃったよお。
…………いやその、紗幕の向こうのアントワネット@まひろ、フェルゼン@ともみんに一瞬涙が引いたんだが。(ナニこの謎のキャスティング?!・笑)
はじまりの人を語る・その3。@Fallin’ Love with Yu
2008年11月7日 タカラヅカ 孤高のトドはもうたくさん!なキモチだったので。
今回のディナーショー『Fallin’ Love with Yu』の出演者の顔ぶれを見て、期待したことはたしかだ。
今までのトドのように、完全な脇扱いのその他大勢を求めているなら、もっと下級生でなんの色も持っていない子たちを侍らせばいい。完全にトドが王様でいられる、まだ形ができあがっていないひよっこたちを4~5人ほどバック・コーラス要員として使えばいい。
だが、今回のバック要員は、まっつといちかだ。
ふたりともすでにタカラジェンヌとしての形を作りあげており、それぞれ独自のカラーも持っている。トド様に匹敵できる力はもちろんないが、助演として盛り上げる程度の技術とキャリアがある。
ひよっこたちたくさん、ではなく、能力を持った中堅2名限定、という形に、「新しい轟悠」を期待した。今までもこれくらいの学年の生徒が出演したこともあったかもしれないが、記憶にある限り2名というのはない。何故ふたりだけなのか。そこに、意味があるのではないかと思ったわけだ。
わたしは現まっつファンなので、まっつ単体にもそりゃ期待していたが、あくまでも主役は「轟悠」だ。まっつが出演することで、トド様の新しい顔が見られればいいなと、勝手にわくわくした。
しかし現実は、いつもの酒井演出トドロキ主演作品(笑)。トド様ひとりが真ん中にどーん、あとは顔のナイその他大勢。
トドと彼らの絡みはなく、べつにまっつでなくてもいちかでなくてもいい演出だった。
こんな演出ならべつに、中堅を出す必要はなかったと思うが……それでもまついちコンビがいい仕事をしていたことはまた、別の話。それは置いておいて、今はトド様。
いつものトドロキ……といっても、厳密に同じというわけじゃない。
大劇場などの「男役」の枠にとらわれることなく、もっと自由な姿を見せていた。
ファルセットの歌声、薄い化粧、全体を通してやわらかな姿と演出。
いつもの「漢(オトコ)轟」という感じではなく、フェミニンさがあった。
男役としての素地ができていないひよっこたちがやると学芸会になるが、トド様くらい極めた人がやると新しい魅力になる、ナチュラルさ。
男装の麗人、という存在。
極めたからこそ、まとっていた枷を脱ぎ捨てた軽やかさっていうか。
大リーガー養成ギブスをはずした星飛雄馬はすげえぞっていうか。(ナニその喩え)
今ここで、これだけやわらかなトドロキを見られるとは思っていなかった。
最初に書いたように、男役は学年によってまとう世界がチガウ。
トドの作りこんだ男役姿は、今のタカラヅカの主流になっている学年の男たちとはカラーがチガウ。だから彼はどこにいっても浮いてしまう。
トドロキはよく、「男役ではなく、男そのもの」と言われてきた。(それゆえに人気がナイとも・笑)
その作りこんだ男っぷりを、あえて意識せずにステージに立つ。
女性が演じる男役であることがわかる姿で。
たしかにソレは「新しい轟悠」であり、彼の新しい魅力だった。
トドのナチュラルさ、今までとチガウやわらかさは、とくにまっつと対比することでも感じられた。
まっつ、未涼亜希。研11にもなる中堅男役。
彼がまたすげー真面目に、四角四面に「男役」をやっていた。
まっつがクラシカルな「男役らしい、男役」である分、「男役」という制約を超えたトド様のやわらかさ、自由さが目立った。
演出として、まっつがトド様に絡むことはないので、まっつである必要はなかったかもしれない。
だが、まっつが代表する、「タカラヅカの男役」というものが、このディナーショーには必要だったのだと、思った。
まっつは小柄な男役だ。
体格のハンデを補う分、男役としての所作を作りこんでいる。それはトド様にも通じる姿だ。まっつの気負い、模索の在り方は、たぶん、小柄な男役としてトド様自身も通って来た道だろう。
クラシカルに「男役」であるまっつを背景に使うことで、まっつの学年をはるかに超えてきたトド様の存在が、あざやかに浮かび上がった。
これで燕尾もまともに着こなせない若手のひよっこたちが背景だったとしたら、トド様のナチュラルさは際立たなかったと思う。足りてナイからナチュラルな者たちと、超越したからこそナチュラルな者を一緒にするのは良くない。ぐだぐだに見えるだけ。
「他者」と関わりあい、「芝居」をするトドロキを見たい……。
それを痛切に願う。
せっかく実力のある中堅ふたりを出演させておきながら、彼らを「背景」としか使わない演出に、「どんだけトドをひとりぼっちにするんだ」と絶望もする。
ソレとは別に。
まついちを「背景」とするこのディナーショーのゼイタクさを、たのしいとも思う。
ディナーショーが終ったあとの化粧室にて、列に並んでいるわたしは、見知らぬ老婦人に笑われた。「まあ、まだ夢心地って感じねえ(笑)」……ツレの老婦人に対し、わたしを見ておほほと笑っているのだった……え、わたしですか、そんなに浮かれて見えましたか、てへっと会釈して反省、反省☆
いや、その。
まっつのあまりに融通のきかない「男役」ぶりと、ラフにくずしたトド様のフェミニンぶりが、個人的にツボに入ってねー(笑)。
すげえたのしかったんですが。
て、ゆーかさ。
奇跡を見ている思いだった。
トドとまっつが、ふたりでステージに立っている、ということ。
トド様は、わたしのルーツだ。
はじまりのひとだ。
彼がいなかったら、今のわたしはない。
20年前、トド様の美貌に一目惚れして、わたしのヅカファン人生ははじまった。
「これほど美しい人はいない」と信じ、下級生にポジションを抜かれたときは「どーして? トドの方が美しいのに!」と憤慨していた(笑)が、今になって当時のビデオを見れば、「顔はキレイでも、男役としての技術が足りてナイから、それほど美しくない……」とわかる。
最初から美しかったわけじゃない。そりゃカオはいつだって彫刻のように整っていたけれど、そーゆー問題じゃない。持って生まれたってだけの、努力とは関係ナイところでの美しさではなくて。
技術を磨き、経験を重ね、トドは美しくなったんだ。
その、長い過程を思う。
ジェンヌとして今なお成長期にあるまっつと同じ舞台に立つことで、今のトド様を「見る」。より、あざやかに。
トド単体として、その魅力を伝えてくれるDSだったと思う。
「男役」という型にとらわれず、自在に歌うトド様は、素晴らしかった。たのしかった。
今までの「漢・轟」だけがこの人のすべてじゃない。まだもっともっと、可能性のある人だ。
そう思うからこそ。
このDSは、これはコレとしてたのしかったけれど、それでもなお、だからこそ、思うんだよ。
「他者」と関わりあう轟悠が見たかった。
今回のディナーショー『Fallin’ Love with Yu』の出演者の顔ぶれを見て、期待したことはたしかだ。
今までのトドのように、完全な脇扱いのその他大勢を求めているなら、もっと下級生でなんの色も持っていない子たちを侍らせばいい。完全にトドが王様でいられる、まだ形ができあがっていないひよっこたちを4~5人ほどバック・コーラス要員として使えばいい。
だが、今回のバック要員は、まっつといちかだ。
ふたりともすでにタカラジェンヌとしての形を作りあげており、それぞれ独自のカラーも持っている。トド様に匹敵できる力はもちろんないが、助演として盛り上げる程度の技術とキャリアがある。
ひよっこたちたくさん、ではなく、能力を持った中堅2名限定、という形に、「新しい轟悠」を期待した。今までもこれくらいの学年の生徒が出演したこともあったかもしれないが、記憶にある限り2名というのはない。何故ふたりだけなのか。そこに、意味があるのではないかと思ったわけだ。
わたしは現まっつファンなので、まっつ単体にもそりゃ期待していたが、あくまでも主役は「轟悠」だ。まっつが出演することで、トド様の新しい顔が見られればいいなと、勝手にわくわくした。
しかし現実は、いつもの酒井演出トドロキ主演作品(笑)。トド様ひとりが真ん中にどーん、あとは顔のナイその他大勢。
トドと彼らの絡みはなく、べつにまっつでなくてもいちかでなくてもいい演出だった。
こんな演出ならべつに、中堅を出す必要はなかったと思うが……それでもまついちコンビがいい仕事をしていたことはまた、別の話。それは置いておいて、今はトド様。
いつものトドロキ……といっても、厳密に同じというわけじゃない。
大劇場などの「男役」の枠にとらわれることなく、もっと自由な姿を見せていた。
ファルセットの歌声、薄い化粧、全体を通してやわらかな姿と演出。
いつもの「漢(オトコ)轟」という感じではなく、フェミニンさがあった。
男役としての素地ができていないひよっこたちがやると学芸会になるが、トド様くらい極めた人がやると新しい魅力になる、ナチュラルさ。
男装の麗人、という存在。
極めたからこそ、まとっていた枷を脱ぎ捨てた軽やかさっていうか。
大リーガー養成ギブスをはずした星飛雄馬はすげえぞっていうか。(ナニその喩え)
今ここで、これだけやわらかなトドロキを見られるとは思っていなかった。
最初に書いたように、男役は学年によってまとう世界がチガウ。
トドの作りこんだ男役姿は、今のタカラヅカの主流になっている学年の男たちとはカラーがチガウ。だから彼はどこにいっても浮いてしまう。
トドロキはよく、「男役ではなく、男そのもの」と言われてきた。(それゆえに人気がナイとも・笑)
その作りこんだ男っぷりを、あえて意識せずにステージに立つ。
女性が演じる男役であることがわかる姿で。
たしかにソレは「新しい轟悠」であり、彼の新しい魅力だった。
トドのナチュラルさ、今までとチガウやわらかさは、とくにまっつと対比することでも感じられた。
まっつ、未涼亜希。研11にもなる中堅男役。
彼がまたすげー真面目に、四角四面に「男役」をやっていた。
まっつがクラシカルな「男役らしい、男役」である分、「男役」という制約を超えたトド様のやわらかさ、自由さが目立った。
演出として、まっつがトド様に絡むことはないので、まっつである必要はなかったかもしれない。
だが、まっつが代表する、「タカラヅカの男役」というものが、このディナーショーには必要だったのだと、思った。
まっつは小柄な男役だ。
体格のハンデを補う分、男役としての所作を作りこんでいる。それはトド様にも通じる姿だ。まっつの気負い、模索の在り方は、たぶん、小柄な男役としてトド様自身も通って来た道だろう。
クラシカルに「男役」であるまっつを背景に使うことで、まっつの学年をはるかに超えてきたトド様の存在が、あざやかに浮かび上がった。
これで燕尾もまともに着こなせない若手のひよっこたちが背景だったとしたら、トド様のナチュラルさは際立たなかったと思う。足りてナイからナチュラルな者たちと、超越したからこそナチュラルな者を一緒にするのは良くない。ぐだぐだに見えるだけ。
「他者」と関わりあい、「芝居」をするトドロキを見たい……。
それを痛切に願う。
せっかく実力のある中堅ふたりを出演させておきながら、彼らを「背景」としか使わない演出に、「どんだけトドをひとりぼっちにするんだ」と絶望もする。
ソレとは別に。
まついちを「背景」とするこのディナーショーのゼイタクさを、たのしいとも思う。
ディナーショーが終ったあとの化粧室にて、列に並んでいるわたしは、見知らぬ老婦人に笑われた。「まあ、まだ夢心地って感じねえ(笑)」……ツレの老婦人に対し、わたしを見ておほほと笑っているのだった……え、わたしですか、そんなに浮かれて見えましたか、てへっと会釈して反省、反省☆
いや、その。
まっつのあまりに融通のきかない「男役」ぶりと、ラフにくずしたトド様のフェミニンぶりが、個人的にツボに入ってねー(笑)。
すげえたのしかったんですが。
て、ゆーかさ。
奇跡を見ている思いだった。
トドとまっつが、ふたりでステージに立っている、ということ。
トド様は、わたしのルーツだ。
はじまりのひとだ。
彼がいなかったら、今のわたしはない。
20年前、トド様の美貌に一目惚れして、わたしのヅカファン人生ははじまった。
「これほど美しい人はいない」と信じ、下級生にポジションを抜かれたときは「どーして? トドの方が美しいのに!」と憤慨していた(笑)が、今になって当時のビデオを見れば、「顔はキレイでも、男役としての技術が足りてナイから、それほど美しくない……」とわかる。
最初から美しかったわけじゃない。そりゃカオはいつだって彫刻のように整っていたけれど、そーゆー問題じゃない。持って生まれたってだけの、努力とは関係ナイところでの美しさではなくて。
技術を磨き、経験を重ね、トドは美しくなったんだ。
その、長い過程を思う。
ジェンヌとして今なお成長期にあるまっつと同じ舞台に立つことで、今のトド様を「見る」。より、あざやかに。
トド単体として、その魅力を伝えてくれるDSだったと思う。
「男役」という型にとらわれず、自在に歌うトド様は、素晴らしかった。たのしかった。
今までの「漢・轟」だけがこの人のすべてじゃない。まだもっともっと、可能性のある人だ。
そう思うからこそ。
このDSは、これはコレとしてたのしかったけれど、それでもなお、だからこそ、思うんだよ。
「他者」と関わりあう轟悠が見たかった。
はじまりの人を語る・その2。@Fallin’ Love with Yu
2008年11月6日 タカラヅカ 轟悠の、「恋愛モノ」が見たい。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、トド様はいつも通りにひとりぼっちで、そして、ひとりで十分魅力的な姿を見せてくれていた。
他者を必要としないほど作り込まれ、型にはまる必要がないほど「男役」を極めた人だからこそ、彼ひとりで完結するのではなく、他者と関係することで生じる「化学変化」を見たいと思った。
……とはいえ、「芝居」で、トドと対等に渡り合える人が、どれほどいるんだろうか。
前日欄で語った通り、ヅカには学年があり、それによって世界が違ってくる。
今、それぞれの組に「主演」として特出したって、「トド様、浮いてるね」と言われるだけで、同じ舞台に立っている意味は薄いと思う。
大劇場公演はどうあがいたって「組」のもので、特出したところで「主役」にはなれない。劇団や演出家ががんばって「トドロキ主演ですよ」とやったところで、彼が主役ではなくただの「外から来た人」なのは一目瞭然だ。
世代が違いすぎる。
そーゆー不自然なことをするのではなく、トドの持つ世界に合わせた選抜公演をやってほしいと思う。
『Kean』は、今までの中でもっともトドロキの実力を発揮できる公演だった。
あのトドを持ってしても苦戦するような、ヅカの枠を超えた作品だった。
大劇場でどーでもいい「主役」という看板だけが立派な役をやらせ、きれーな衣装で真ん中で吠えていればいいという、トドに与えられがちな今までの役とはちがい、内面を掘り下げていく役。トド自身が表に出したことがないようなモノを、どろどろと表に出す必要のある役。
トド個人でいえば、この作品を彼主演でやるのはとても意味があったわけだが……。
劇団もいちおー商売でやっているので、トドひとりの成果とか成長とかだけを糧に興行は打てない。
2番手スターとか、将来売り出したいとソロバンをはじいている若手とか、経営側の計算・大人の事情を盛り込んでしか、公演を成立させることは出来ない。
つーことで、2番手スターで将来トップ確実のれおんくんが出演することになり、若いまりもちゃんがヒロインを務め(トドといくつちがうんだろー……遠い目)、台詞言うだけでいっぱいいっぱいの真風くんが役をもらい、破壊力のあるソロをれんたが披露したりする、そーゆー公演にもなるわけだ。
Wヒロインとして、みなみちゃんが出演していたのは、せめてもの実力面補強だろうなと(笑)。
結果として、れおんもまりもちゃんもよくやっていたし、役の少ない……つまりはその少ない役を与えられた人たちは、やたらと比重が高くて大変だったりしたわけだけど、それでもトドに食らいついてがんばっていた。素直に、すげえよ、と心から拍手するよ。
それはたしかなんだけど。
トド単体で見るとやはり、相手役を務めるには足りていなかったんだ、彼らは。
キーンのひとり芝居めいていた。
こんなにおもしろい芝居なのに、トドが孤軍奮闘するばかりで、「芝居」としての総合的な調和には欠けていたと思う。
もちろんそれは、ひとりで芝居をしてしまうトドにも問題はある。
でも彼が主演で彼中心に展開する芝居なんだから、彼に合わせて、彼と同じレベルで芝居をしてくれよ、と、思ってしまうんだ。……所詮トドファンの身としては。
ひとり芝居じゃないのに、他にも出演者はいっぱいいるのに、舞台の上に人はいるのに、……なのに、トドはひとりだ。
いつも。
それが、彼の芸風であり、魅力だということはわかっている。
だけど、それこそが、もどかしい。
トドがひとり芝居ではなく、座の一員として芝居することに心を砕いている……ように見えた公演がある。
それが、『オクラホマ!』だ。
まさかの若者役で、20歳近くトシのチガウ女の子を恋人に、いちゃいちゃラヴラヴしなければならなかったし、上級生のいない組であるゆえ、出演者たちとの世代差が大きかった。
さらに演出家は、ナニも考えていない中村B。主演がトド様だからって、トド様風の演出はしない。つか、できない。
トドは懸命に若返り、いつもの「トド様」オーラを消してカンパニーに溶け込もうとしていた。
ソレが成功していたどうかはともかく、歩み寄ろうとしているトド様はくすぐったい魅力があった。
初心に戻って芝居に取り組んでいる風が、かわいくてわくわくした。
が。
その翌年のコンサート『LAVENDER MONOLOGUE』で、トドはまた完璧な「ひとり芝居」に戻ってしまった。
ひとり芝居じゃないのに、他にも出演者はいっぱいいるのに、舞台の上に人はいるのに、……なのに、トドはひとり。
若手中心の出演者たちの中で、トドはもちろんひとりで浮かび上がっている。ぽっかりと。
世代も時代も芸風も、ナニもかもチガウ。
ここまでチガウ人たちを同じ舞台に立たせることが不思議だ。
早い話が轟悠オンステージつーか、独り舞台。
ひとりでいる孤独より、大勢の中にいるときの孤独の方が、つらい場合がある。
子どもたちのなかにいるたったひとりの大人が、大人だから「いちばんなんでもできるんだよ」と悦に入っているよーな構成は、見ていてたのしいものではなかった。
演出家は、酒井。彼がトドを好きで、トドの実力を高く評価しているのはわかるし、それゆえの構成だともわかる。
わかるがこれは、トドのためなんだろうか? 今この一瞬、他出演者より際立って優れているトドロキを眺めて終わり、になることに、意味があるのだろうか?
トドはこれからもずっと、ヅカにいるのに?
『Kean』はそのコンサートの後だ。
トドはすっかり、いつもの孤高の人に戻ってしまっていた。
作品がトド様の手に余ったこともあり、演出家の谷がトドのひとり舞台上等の演出をしたこともあるだろう。
だが、こーゆー役者の能力ガチンコ勝負の作品ですら、ひとり芝居をする人だと見せつけることになった。
そして今年の宙組特出公演『黎明の風』『Passion 愛の旅』はイシダと酒井。
イシダはトドがどーゆー人だとか関係なく、ただ自分がやりたいことをやる。彼が描くところの男性的無神経さに満ちた主役に、たまたまトドロキの持ち味がハマる、というだけで、イシダはアテ書きはしていない。彼はジェンヌより自分自身を愛している。
反対に酒井は、トドを評価しているからこそトドのために演出をし……結果、いつものようにトドを孤立させる。トドひとりが真ん中どーん、あとはカオのない脇役、という。
誰もトドと同じ世界にいない。
『黎明…』でトドのそばに汝鳥さんが多くいてくれたことは救いだが、イシダ脚本なので主人公は結局誰とも深くは関わらないし、掘り下げられることもない。
役者として、男役として、トドロキがなりふり構わず「芝居」で共演者と火花を散らす……そーゆーものは、見られないままなんだ。
トドファンやって、もう20年も経つのに。
「他者」と関わり合うトドロキが見たい。
できることならば、「恋愛」するトドロキが見たい。
ぬるい一ファンとして、心から願う。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、トド様はいつも通りにひとりぼっちで、そして、ひとりで十分魅力的な姿を見せてくれていた。
他者を必要としないほど作り込まれ、型にはまる必要がないほど「男役」を極めた人だからこそ、彼ひとりで完結するのではなく、他者と関係することで生じる「化学変化」を見たいと思った。
……とはいえ、「芝居」で、トドと対等に渡り合える人が、どれほどいるんだろうか。
前日欄で語った通り、ヅカには学年があり、それによって世界が違ってくる。
今、それぞれの組に「主演」として特出したって、「トド様、浮いてるね」と言われるだけで、同じ舞台に立っている意味は薄いと思う。
大劇場公演はどうあがいたって「組」のもので、特出したところで「主役」にはなれない。劇団や演出家ががんばって「トドロキ主演ですよ」とやったところで、彼が主役ではなくただの「外から来た人」なのは一目瞭然だ。
世代が違いすぎる。
そーゆー不自然なことをするのではなく、トドの持つ世界に合わせた選抜公演をやってほしいと思う。
『Kean』は、今までの中でもっともトドロキの実力を発揮できる公演だった。
あのトドを持ってしても苦戦するような、ヅカの枠を超えた作品だった。
大劇場でどーでもいい「主役」という看板だけが立派な役をやらせ、きれーな衣装で真ん中で吠えていればいいという、トドに与えられがちな今までの役とはちがい、内面を掘り下げていく役。トド自身が表に出したことがないようなモノを、どろどろと表に出す必要のある役。
トド個人でいえば、この作品を彼主演でやるのはとても意味があったわけだが……。
劇団もいちおー商売でやっているので、トドひとりの成果とか成長とかだけを糧に興行は打てない。
2番手スターとか、将来売り出したいとソロバンをはじいている若手とか、経営側の計算・大人の事情を盛り込んでしか、公演を成立させることは出来ない。
つーことで、2番手スターで将来トップ確実のれおんくんが出演することになり、若いまりもちゃんがヒロインを務め(トドといくつちがうんだろー……遠い目)、台詞言うだけでいっぱいいっぱいの真風くんが役をもらい、破壊力のあるソロをれんたが披露したりする、そーゆー公演にもなるわけだ。
Wヒロインとして、みなみちゃんが出演していたのは、せめてもの実力面補強だろうなと(笑)。
結果として、れおんもまりもちゃんもよくやっていたし、役の少ない……つまりはその少ない役を与えられた人たちは、やたらと比重が高くて大変だったりしたわけだけど、それでもトドに食らいついてがんばっていた。素直に、すげえよ、と心から拍手するよ。
それはたしかなんだけど。
トド単体で見るとやはり、相手役を務めるには足りていなかったんだ、彼らは。
キーンのひとり芝居めいていた。
こんなにおもしろい芝居なのに、トドが孤軍奮闘するばかりで、「芝居」としての総合的な調和には欠けていたと思う。
もちろんそれは、ひとりで芝居をしてしまうトドにも問題はある。
でも彼が主演で彼中心に展開する芝居なんだから、彼に合わせて、彼と同じレベルで芝居をしてくれよ、と、思ってしまうんだ。……所詮トドファンの身としては。
ひとり芝居じゃないのに、他にも出演者はいっぱいいるのに、舞台の上に人はいるのに、……なのに、トドはひとりだ。
いつも。
それが、彼の芸風であり、魅力だということはわかっている。
だけど、それこそが、もどかしい。
トドがひとり芝居ではなく、座の一員として芝居することに心を砕いている……ように見えた公演がある。
それが、『オクラホマ!』だ。
まさかの若者役で、20歳近くトシのチガウ女の子を恋人に、いちゃいちゃラヴラヴしなければならなかったし、上級生のいない組であるゆえ、出演者たちとの世代差が大きかった。
さらに演出家は、ナニも考えていない中村B。主演がトド様だからって、トド様風の演出はしない。つか、できない。
トドは懸命に若返り、いつもの「トド様」オーラを消してカンパニーに溶け込もうとしていた。
ソレが成功していたどうかはともかく、歩み寄ろうとしているトド様はくすぐったい魅力があった。
初心に戻って芝居に取り組んでいる風が、かわいくてわくわくした。
が。
その翌年のコンサート『LAVENDER MONOLOGUE』で、トドはまた完璧な「ひとり芝居」に戻ってしまった。
ひとり芝居じゃないのに、他にも出演者はいっぱいいるのに、舞台の上に人はいるのに、……なのに、トドはひとり。
若手中心の出演者たちの中で、トドはもちろんひとりで浮かび上がっている。ぽっかりと。
世代も時代も芸風も、ナニもかもチガウ。
ここまでチガウ人たちを同じ舞台に立たせることが不思議だ。
早い話が轟悠オンステージつーか、独り舞台。
ひとりでいる孤独より、大勢の中にいるときの孤独の方が、つらい場合がある。
子どもたちのなかにいるたったひとりの大人が、大人だから「いちばんなんでもできるんだよ」と悦に入っているよーな構成は、見ていてたのしいものではなかった。
演出家は、酒井。彼がトドを好きで、トドの実力を高く評価しているのはわかるし、それゆえの構成だともわかる。
わかるがこれは、トドのためなんだろうか? 今この一瞬、他出演者より際立って優れているトドロキを眺めて終わり、になることに、意味があるのだろうか?
トドはこれからもずっと、ヅカにいるのに?
『Kean』はそのコンサートの後だ。
トドはすっかり、いつもの孤高の人に戻ってしまっていた。
作品がトド様の手に余ったこともあり、演出家の谷がトドのひとり舞台上等の演出をしたこともあるだろう。
だが、こーゆー役者の能力ガチンコ勝負の作品ですら、ひとり芝居をする人だと見せつけることになった。
そして今年の宙組特出公演『黎明の風』『Passion 愛の旅』はイシダと酒井。
イシダはトドがどーゆー人だとか関係なく、ただ自分がやりたいことをやる。彼が描くところの男性的無神経さに満ちた主役に、たまたまトドロキの持ち味がハマる、というだけで、イシダはアテ書きはしていない。彼はジェンヌより自分自身を愛している。
反対に酒井は、トドを評価しているからこそトドのために演出をし……結果、いつものようにトドを孤立させる。トドひとりが真ん中どーん、あとはカオのない脇役、という。
誰もトドと同じ世界にいない。
『黎明…』でトドのそばに汝鳥さんが多くいてくれたことは救いだが、イシダ脚本なので主人公は結局誰とも深くは関わらないし、掘り下げられることもない。
役者として、男役として、トドロキがなりふり構わず「芝居」で共演者と火花を散らす……そーゆーものは、見られないままなんだ。
トドファンやって、もう20年も経つのに。
「他者」と関わり合うトドロキが見たい。
できることならば、「恋愛」するトドロキが見たい。
ぬるい一ファンとして、心から願う。
はじまりの人を語る・その1。@Fallin’ Love with Yu
2008年11月5日 タカラヅカ 「轟悠」への疑問がある。
彼が専科に行ってから、それはどんどん大きくなっている。
タカラヅカの特殊性は、女性ばかりであるとかトップスターを中心にしたピラミッド社会だとかいうことだけではない。
団員たちは「生徒」と呼ばれ、それぞれ「学年」というものがある。
他の世界での役者さんたちには、関係ないものだろう。
舞台に立ってから何年であるか、いちいち看板ぶら下げているなんて。
ヅカにあるのはふつうの芝居ではなく、男役、娘役という別世界の存在を作った上での芝居なので、演技云々以前の部分が必要だ。
ソレを作るために年数が必要であり、概ね年数によって出来上がりが違っている。
学年によって、芝居がチガウんだな。
芝居のうまいヘタだけじゃなくて。
ヅカを表現する力っていうか。
新公やWSがどんなにへたっぴばかりでも、それでもなんとかなっているのは、全員同じような学年だから。同じカラーの世界だから。
ふつうの芝居ではなく、まず「タカラヅカ」という架空世界を最低限構築するために、カラーは揃える必要がある。
そんななかで。
研20を超えた轟悠の存在は、特異なモノになっている。
学年によって芝居がチガウものであり、今ヅカの中心になっているのは研10~17位までだ。トップスターの定年が研18、延びて19とか言われているなか、研24のトドロキは世代が違いすぎる。
彼と同じ世界観を表現できる生徒がいないんだ。
純粋に、学年がチガウから。
彼の持つ世界観に、誰も太刀打ちできない。
……その「世界」を、現代のタカラヅカのファン層が必要としているかどうかは別問題だから、置くとして。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、痛切に思った。
轟悠の、「恋愛モノ」が見たい。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
いったいいつから、トドロキはこんなことになってしまったんだろう?
たしかにもともと傾向はあった。
基本がひとり芝居っていうか、相手役の必要のない人だった。
だがそれでも、トップスターだったときは相手役もいたし、ちゃんと芝居もしていた。
専科となり各組に出演するようになったあと……彼が「他者」と「芝居」するのが、目に見えて減った。
出演者はもちろん他にたくさんいるのだけど、結局のところ彼はひとりで芝居をしている。
そう思うことが、何度もあった。
それは、彼と他の生徒たちの持つ「世界」がチガウためだ。
トドが勝手な人だから、自分ひとりで芝居をしているのだとは思わない。
他者と芝居したくても、同じ世界にいないから、かみ合いようがないんだ。互いの姿が見えないのだから。
演出家もソレを理解しているのか、トドひとりが浮いていることをうまく利用して作品を成立させた場合もある。
キムシンやフジイくんは最初からトドを「別世界の人」として他の組子たちとは格の違う扱いをした。
谷は格上・年上の主役トドが2番手役を構う、でも役割的に基本ひとり芝居可なモノを書いた。
植爺はナニも考えていない。植爺作品の主役はきれいな衣装で真ん中にいるだけで、ナニもしないし。スポットライト浴びて大仰に台詞言っていればいいだけの話。
中村B、イシダは誰が主役でもどこを吹く風、関係なく我が道を行く。
演出家がナニも考えていなくても、『花供養』は専科公演であり、実力者で周囲を固めたから問題なかったし、『長崎しぐれ坂』も相手役であり、物語を動かすワタさん(なにしろ主役はナニもしないから)がちゃんとトドと同じ世界で芝居をしてくれたから、成り立っていた。
『野風の笛』は英雄モノだから孤立して構わないし、専科に行ったばかりでまだそれほど一般組子たちと乖離しておらず、相手役を務めた寿美礼ちゃんも男役としての実力があった。
が、同じ谷作品でも『Kean』は同じ世界に相手役がおらず、トドひとり芝居状態に……。つっても、もともとひとり芝居上等で書いたのかもしれない、とも思う。
トドがいたからヅカファンになり、あーだこーだ言いながらここまで来た。
トド個人を好きでも、彼が出演する作品、彼を贔屓にする作家とはことごとく趣味が合わなかった。
おかげで、初心者ファンとか一般人に、「こあらちゃんの好きなトドロキさんの作品で、オススメがあったら教えて」と言われても、返答に窮したもんだ。
ごめん、トドは駄作にしか出演してないから、トドが出てないか、出てても脇役の作品をオススメするわ。
トド主演で唯一名作なのは『凱旋門』。しかしコレも大劇場でやるには重すぎる作品だったから、当時は作品評価だけ高くて客入りは凍り付いていたさ。さらに、ヒロインのグンちゃんの芝居が迷走していて、トドと致命的にかみ合ってなかったんだよなー……博多座版ではよくなっていたけど、映像に残ってないし。
トド贔屓な作家って、植爺を筆頭に、谷、イシダ、酒井だもんよ……。谷せんせのパッション(笑)はわりに好きなんだが、演出レベルは古すぎるし低下しているしなぁ。
植爺はわたしの天敵だし、イシダは作家としての能力は認めているけれどヅカの座付きとしてはやはりわたしの天敵だし(笑)。
わたしが好きになりようのない作品にばかり、主演するの、トドロキは。
という、わたしの好みの話は置くとしても。
タカラジェンヌであり、与えられた場で仕事をしているわけで、トド個人が自分の意志で仕事や芸風を選んでいるとは思っていない。
立場が上がっているので、多少は考慮してもらえていると思うが、公演の企画やプロデュースをトドひとりでやらせてもらえるはずがないのだから、所詮はジェンヌとして劇団の意向に従っているわけだろう。
劇団が、トドをひとりにしている。
もう何年も、まともに「誰か」と正面切って闘うトドロキを見ていない。
トドはいつも別格で、いつもひとりで「すごいですね」と言われて、ソレで終わりだ。
トド様の魅力がソコにあることもわかるが、これだけの能力を持った人なのだから、新しいことにもチャレンジして欲しい。
彼が専科に行ってから、それはどんどん大きくなっている。
タカラヅカの特殊性は、女性ばかりであるとかトップスターを中心にしたピラミッド社会だとかいうことだけではない。
団員たちは「生徒」と呼ばれ、それぞれ「学年」というものがある。
他の世界での役者さんたちには、関係ないものだろう。
舞台に立ってから何年であるか、いちいち看板ぶら下げているなんて。
ヅカにあるのはふつうの芝居ではなく、男役、娘役という別世界の存在を作った上での芝居なので、演技云々以前の部分が必要だ。
ソレを作るために年数が必要であり、概ね年数によって出来上がりが違っている。
学年によって、芝居がチガウんだな。
芝居のうまいヘタだけじゃなくて。
ヅカを表現する力っていうか。
新公やWSがどんなにへたっぴばかりでも、それでもなんとかなっているのは、全員同じような学年だから。同じカラーの世界だから。
ふつうの芝居ではなく、まず「タカラヅカ」という架空世界を最低限構築するために、カラーは揃える必要がある。
そんななかで。
研20を超えた轟悠の存在は、特異なモノになっている。
学年によって芝居がチガウものであり、今ヅカの中心になっているのは研10~17位までだ。トップスターの定年が研18、延びて19とか言われているなか、研24のトドロキは世代が違いすぎる。
彼と同じ世界観を表現できる生徒がいないんだ。
純粋に、学年がチガウから。
彼の持つ世界観に、誰も太刀打ちできない。
……その「世界」を、現代のタカラヅカのファン層が必要としているかどうかは別問題だから、置くとして。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、痛切に思った。
轟悠の、「恋愛モノ」が見たい。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
いったいいつから、トドロキはこんなことになってしまったんだろう?
たしかにもともと傾向はあった。
基本がひとり芝居っていうか、相手役の必要のない人だった。
だがそれでも、トップスターだったときは相手役もいたし、ちゃんと芝居もしていた。
専科となり各組に出演するようになったあと……彼が「他者」と「芝居」するのが、目に見えて減った。
出演者はもちろん他にたくさんいるのだけど、結局のところ彼はひとりで芝居をしている。
そう思うことが、何度もあった。
それは、彼と他の生徒たちの持つ「世界」がチガウためだ。
トドが勝手な人だから、自分ひとりで芝居をしているのだとは思わない。
他者と芝居したくても、同じ世界にいないから、かみ合いようがないんだ。互いの姿が見えないのだから。
演出家もソレを理解しているのか、トドひとりが浮いていることをうまく利用して作品を成立させた場合もある。
キムシンやフジイくんは最初からトドを「別世界の人」として他の組子たちとは格の違う扱いをした。
谷は格上・年上の主役トドが2番手役を構う、でも役割的に基本ひとり芝居可なモノを書いた。
植爺はナニも考えていない。植爺作品の主役はきれいな衣装で真ん中にいるだけで、ナニもしないし。スポットライト浴びて大仰に台詞言っていればいいだけの話。
中村B、イシダは誰が主役でもどこを吹く風、関係なく我が道を行く。
演出家がナニも考えていなくても、『花供養』は専科公演であり、実力者で周囲を固めたから問題なかったし、『長崎しぐれ坂』も相手役であり、物語を動かすワタさん(なにしろ主役はナニもしないから)がちゃんとトドと同じ世界で芝居をしてくれたから、成り立っていた。
『野風の笛』は英雄モノだから孤立して構わないし、専科に行ったばかりでまだそれほど一般組子たちと乖離しておらず、相手役を務めた寿美礼ちゃんも男役としての実力があった。
が、同じ谷作品でも『Kean』は同じ世界に相手役がおらず、トドひとり芝居状態に……。つっても、もともとひとり芝居上等で書いたのかもしれない、とも思う。
トドがいたからヅカファンになり、あーだこーだ言いながらここまで来た。
トド個人を好きでも、彼が出演する作品、彼を贔屓にする作家とはことごとく趣味が合わなかった。
おかげで、初心者ファンとか一般人に、「こあらちゃんの好きなトドロキさんの作品で、オススメがあったら教えて」と言われても、返答に窮したもんだ。
ごめん、トドは駄作にしか出演してないから、トドが出てないか、出てても脇役の作品をオススメするわ。
トド主演で唯一名作なのは『凱旋門』。しかしコレも大劇場でやるには重すぎる作品だったから、当時は作品評価だけ高くて客入りは凍り付いていたさ。さらに、ヒロインのグンちゃんの芝居が迷走していて、トドと致命的にかみ合ってなかったんだよなー……博多座版ではよくなっていたけど、映像に残ってないし。
トド贔屓な作家って、植爺を筆頭に、谷、イシダ、酒井だもんよ……。谷せんせのパッション(笑)はわりに好きなんだが、演出レベルは古すぎるし低下しているしなぁ。
植爺はわたしの天敵だし、イシダは作家としての能力は認めているけれどヅカの座付きとしてはやはりわたしの天敵だし(笑)。
わたしが好きになりようのない作品にばかり、主演するの、トドロキは。
という、わたしの好みの話は置くとしても。
タカラジェンヌであり、与えられた場で仕事をしているわけで、トド個人が自分の意志で仕事や芸風を選んでいるとは思っていない。
立場が上がっているので、多少は考慮してもらえていると思うが、公演の企画やプロデュースをトドひとりでやらせてもらえるはずがないのだから、所詮はジェンヌとして劇団の意向に従っているわけだろう。
劇団が、トドをひとりにしている。
もう何年も、まともに「誰か」と正面切って闘うトドロキを見ていない。
トドはいつも別格で、いつもひとりで「すごいですね」と言われて、ソレで終わりだ。
トド様の魅力がソコにあることもわかるが、これだけの能力を持った人なのだから、新しいことにもチャレンジして欲しい。
見果てぬ夢を。@遠野あすか退団発表。
2008年11月4日 タカラヅカ モバタカからメールが届いたとき、わたしはちょうど録画したドラマを見ていた。
観月ありさ主演の『OLにっぽん』第4話。や、わたしゃドラマ・ヲタクでもあるので、大抵のドラマは見ている。
井上芳雄演じる都留くんが、ネクタイはずし、歌い出したところだった。
「夢はみのりがたく 敵はあまたなりとも 胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん」
わたしでも知ってる有名曲。『ラ・マンチャの男』の「見果てぬ夢」。
その曲を聴きながら、あわてて公式に行って、本文を読んだ。
「星組主演娘役 遠野あすか 退団のお知らせ」を。
2年前、あすかちゃんがトウコちゃんの相手役になると、うれしくて泣いた。
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-267.html ←当時の日記
今でも、これほどうれしいふたりはいない。
このふたりに対する期待は、ふくらむばかりだ。
まだ観たいモノがある。
ぜんぜん、足りていない。
トウコと、あすか。
わたしの大好きな、俳優たち。
もっと、もっと。
ドラマシティあたりで、濃ぃ~い芝居が観たかった。彼らのためのオリジナル作品で。コケだのカビだの生えた古すぎる作品じゃなくて、現代の作家が現代の感覚で作った、ふたりのためのアテ書きを。
トウコ、あすか、そしてオギー。……夢見ていたさ、いつかひとつの舞台を作る彼らを、見られる日を。
足りていない。
一ファンとして、飢餓感がある。
貪欲なわたしが満たされることなんか、きっと一生ないんだろうけどな。
なにを与えられたって、きっと「足りない」「もっと」って言ってるとは思う。
自覚はあっても、仕方ないことだとわかっても、覚悟していたとしても、それでも言うさ。思うさ。
もっと、観たい。
もっと、観たかった。
宝塚歌劇団の、遠野あすかを。
そして、安蘭けいを。荻田浩一を。
井上くんの歌声が響き、勝手に涙が流れる。
「たとえ傷つくとも 力ふり絞りて 我は歩み続けん あの星のもとへ」
見果てぬ夢を。
観月ありさ主演の『OLにっぽん』第4話。や、わたしゃドラマ・ヲタクでもあるので、大抵のドラマは見ている。
井上芳雄演じる都留くんが、ネクタイはずし、歌い出したところだった。
「夢はみのりがたく 敵はあまたなりとも 胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん」
わたしでも知ってる有名曲。『ラ・マンチャの男』の「見果てぬ夢」。
その曲を聴きながら、あわてて公式に行って、本文を読んだ。
「星組主演娘役 遠野あすか 退団のお知らせ」を。
2年前、あすかちゃんがトウコちゃんの相手役になると、うれしくて泣いた。
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-267.html ←当時の日記
今でも、これほどうれしいふたりはいない。
このふたりに対する期待は、ふくらむばかりだ。
まだ観たいモノがある。
ぜんぜん、足りていない。
トウコと、あすか。
わたしの大好きな、俳優たち。
もっと、もっと。
ドラマシティあたりで、濃ぃ~い芝居が観たかった。彼らのためのオリジナル作品で。コケだのカビだの生えた古すぎる作品じゃなくて、現代の作家が現代の感覚で作った、ふたりのためのアテ書きを。
トウコ、あすか、そしてオギー。……夢見ていたさ、いつかひとつの舞台を作る彼らを、見られる日を。
足りていない。
一ファンとして、飢餓感がある。
貪欲なわたしが満たされることなんか、きっと一生ないんだろうけどな。
なにを与えられたって、きっと「足りない」「もっと」って言ってるとは思う。
自覚はあっても、仕方ないことだとわかっても、覚悟していたとしても、それでも言うさ。思うさ。
もっと、観たい。
もっと、観たかった。
宝塚歌劇団の、遠野あすかを。
そして、安蘭けいを。荻田浩一を。
井上くんの歌声が響き、勝手に涙が流れる。
「たとえ傷つくとも 力ふり絞りて 我は歩み続けん あの星のもとへ」
見果てぬ夢を。
立て続けにメール4通受信、どこのスパムかと。
2008年11月3日 タカラヅカ 携帯電話が、立て続けにピーピー鳴りました。
抽選結果のお知らせ[【抽選方式】宝塚歌劇花組公演「太王四神記」(兵庫県)]とゆータイトルのメールが立て続けに送られてきた。
結果って、メール送信されるモノだったのか。
てっきりサイトに確認しに行くんだと思ってた。
はいはいはい、ついにはじまりましたね、「宝塚友の会ネットサービス」。
あの怨霊の声を発し続ける不快な電話申し込みから解放されるときが来た。
ID取得モノなので、もちろん登録開始初日にいそいそ登録しました。
なんでも好きな単語をIDにできる。
やっぱアレか、「mattsu」にするべきか。
それとももっと恥ずかしく、「lovely mattsu」とかに、するべきか。
らぶりー……まっつにそぐわない形容だ……じーん……。
ID登録とかハンドルネーム登録とか、いつもこまるんだよな。とくに使いたい単語があるわけでもないので。
ヤフオクとか見てても、みんないろんなIDを使っているなと思う。
贔屓がわかるID使っている人は、「本気なんだな」と思うし……。ヘタレなわたしは、そんな人目に触れるところに贔屓の名前なんか使えないっつの。
今まで見たYahooIDでいちばん「すげー」と思ったのは「***love_fire_数字4桁_burning_heart_forever」だっけかな。***にはある芸能人の名前(フルネーム)が入り、4桁の数字は多分その芸能人の誕生日。
ラヴ・ファイヤーでバーニング・ハートでしかもフォーエバーかよ! どんだけそのアイドルくんを愛してるんだ、このお嬢ちゃんは。てゆーかID長すぎ。
IDってのは、ここまで自己主張してもいいもんなんだな、と思い知った。
かといって、わたしが「mattsu_0626_love_fire_forever」とかやるのも、どうもキャラ違いだし。(文章として変だし、↑の文字の並び)
結局ふつーにした。
ヅカ絡みでもなんでもなく。
んで、来年の花組公演、ご贔屓公演から入力スタート。
どんなもんかわかんないけど、とりあえず参加してみる。
他の組は当たらなくても、とりあえず贔屓組さえ当たっていれば、それで満足できる。
まっつまっつまっつ、当たりますように。
梅田での発売がなくなってしまった今、最前列で観劇できるチャンスは、唯一友会のみ。
念を送りつつ、入力して。
平日も含め、4公演フルエントリー。
そして。
立て続けに鳴った携帯メール、計4通。
タイトルは全部同じ、抽選結果のお知らせ[【抽選方式】宝塚歌劇花組公演「太王四神記」(兵庫県)]とやら。
うあああぁぁぁんっっ。
まっつ出演公演全滅記録、更新中。
なによこれ、これからずっと、「ハズレメール」がピーピー送られてくるの?
当たってりゃうれしーけど、ハズレ4連発とか並んだときの目で見るダメージときたら。
いやその、それでもあの怨霊電話よりずっと便利でありがたいが。
どっちにしろ、当たらないっす……。
しくしくしく。
抽選結果のお知らせ[【抽選方式】宝塚歌劇花組公演「太王四神記」(兵庫県)]とゆータイトルのメールが立て続けに送られてきた。
結果って、メール送信されるモノだったのか。
てっきりサイトに確認しに行くんだと思ってた。
はいはいはい、ついにはじまりましたね、「宝塚友の会ネットサービス」。
あの怨霊の声を発し続ける不快な電話申し込みから解放されるときが来た。
ID取得モノなので、もちろん登録開始初日にいそいそ登録しました。
なんでも好きな単語をIDにできる。
やっぱアレか、「mattsu」にするべきか。
それとももっと恥ずかしく、「lovely mattsu」とかに、するべきか。
らぶりー……まっつにそぐわない形容だ……じーん……。
ID登録とかハンドルネーム登録とか、いつもこまるんだよな。とくに使いたい単語があるわけでもないので。
ヤフオクとか見てても、みんないろんなIDを使っているなと思う。
贔屓がわかるID使っている人は、「本気なんだな」と思うし……。ヘタレなわたしは、そんな人目に触れるところに贔屓の名前なんか使えないっつの。
今まで見たYahooIDでいちばん「すげー」と思ったのは「***love_fire_数字4桁_burning_heart_forever」だっけかな。***にはある芸能人の名前(フルネーム)が入り、4桁の数字は多分その芸能人の誕生日。
ラヴ・ファイヤーでバーニング・ハートでしかもフォーエバーかよ! どんだけそのアイドルくんを愛してるんだ、このお嬢ちゃんは。てゆーかID長すぎ。
IDってのは、ここまで自己主張してもいいもんなんだな、と思い知った。
かといって、わたしが「mattsu_0626_love_fire_forever」とかやるのも、どうもキャラ違いだし。(文章として変だし、↑の文字の並び)
結局ふつーにした。
ヅカ絡みでもなんでもなく。
んで、来年の花組公演、ご贔屓公演から入力スタート。
どんなもんかわかんないけど、とりあえず参加してみる。
他の組は当たらなくても、とりあえず贔屓組さえ当たっていれば、それで満足できる。
まっつまっつまっつ、当たりますように。
梅田での発売がなくなってしまった今、最前列で観劇できるチャンスは、唯一友会のみ。
念を送りつつ、入力して。
平日も含め、4公演フルエントリー。
そして。
立て続けに鳴った携帯メール、計4通。
タイトルは全部同じ、抽選結果のお知らせ[【抽選方式】宝塚歌劇花組公演「太王四神記」(兵庫県)]とやら。
緑野こあら様
宝塚友の会ネットサービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
以下のお申し込みにつきましては、
残念ながらチケットをご準備することができませんでした。
※抽選結果のお知らせメールは1公演期間中の申込毎に配信させていただきます
うあああぁぁぁんっっ。
まっつ出演公演全滅記録、更新中。
なによこれ、これからずっと、「ハズレメール」がピーピー送られてくるの?
当たってりゃうれしーけど、ハズレ4連発とか並んだときの目で見るダメージときたら。
いやその、それでもあの怨霊電話よりずっと便利でありがたいが。
どっちにしろ、当たらないっす……。
しくしくしく。
勝利の女神よ、ボクに微笑んで。@宝塚友の会1年間の当選確率発表
2008年11月2日 タカラヅカ さぁてここで、緑野こあらの、宝塚友の会1年間の当選確率発表と行きましょう。
なんで11月に1年間分を発表? ふつー1月とか4月とかにやらないか? 年や年度を区切りにしないか?
……たんに、わたしが当落をいちいち記録しはじめたのが、2007年の11月からで、今年の10月いっぱいをもってちょーど1年になった、というだけのことです。
今までも何度となく当落を記録しておこう、と思いつつ、途中で忘れてわけわかんなくなっていたの。
それが今回よーやく、1年ちゃんと記録できたのだわ。
だから発表。
いやその、せっかく数えたり計算したりしたから(笑)。
申し込んだ数 59
受付番号を聞いた数、ですな。
ひとつの興行を4公演フルエントリーした場合は、4と数える。
フルエントリーすることはあまりなく、自分が行くつもりの日だけ入力していたり、入力自体忘れていたことも、しばしば。
ムラ中心の観劇なので、通常公演は当日ふらりと行っても必ず観ることが出来る。ので、ふつーでは手に入りにくい新公・千秋楽を中心に入力。初日はなにかしらプレミアのついた公演でもない限りムラではまず売り切れないので、贔屓組以外入力はしない。
平日の入力は、ほんとーに観たい公演のみ。誰もいないがらーんとした2階席で、掲示板やらに半額以下でもっと良席が売られているのを尻目に、7500円払って寒々しい思いで遠く客席を眺めるリスクを犯しても、最前列で観劇したいという欲求が勝つ場合のみ。
わがままな入力ぶりなので、当選確率が低いのは仕方がない、とは思う。
思うが。
当選回数 7
59分の7。
しかもその貴重な7のうち2は、友人に頼まれて入力したもの。わたし個人のアタリは、5ですよ、5。
友人の分であろうと、とりあえず記録は7ということで。
当選確率 11.9%!
10回入力して、1回。
9回あの呪いの音声聞かされて、1回だけ9桁の当選番号を聞ける確率。
新公・楽を中心に入力しているから、仕方ない、とは、思ってるよ。
思ってるけどさ。
べつに、ソレだけを入力しているわけじゃないから。
楽が当たったのは、1回だけ。しかも、友だちに頼まれて入力した東の公演だったんで、わたし個人には無意味だったんですが。新公は当たったこと、ついに一度もなかったしな。
10回に1回の当選で、結局のとこ、なにも冠のない日ばかりが当たってます。
しかも。
さらに数えてみた。
良席当選回数 1
7回のうち、1回だけ。
なんでもいーから前で観たい、それが叶う希望があるなら、2階7列目の恐怖にも耐えるわっ、と入力してきて、ほんとに望む席が来たのは、1回だけ。
残りの当選はすべて、「……こんなことなら、当たらない方が良かった……」なお席ばかりでした。
59回入力して、1回。
1年間に、1回だけ。
良席当選確率 1.7%!
1%台って、100回入力しても、1回当たるだけなのね? 運が良ければ2回目があるかな?レベルなのよね?
……あうう。
愉快だから、これからも記録はつけておこうと思います。
あー、くじ運が欲しい。
なんで11月に1年間分を発表? ふつー1月とか4月とかにやらないか? 年や年度を区切りにしないか?
……たんに、わたしが当落をいちいち記録しはじめたのが、2007年の11月からで、今年の10月いっぱいをもってちょーど1年になった、というだけのことです。
今までも何度となく当落を記録しておこう、と思いつつ、途中で忘れてわけわかんなくなっていたの。
それが今回よーやく、1年ちゃんと記録できたのだわ。
だから発表。
いやその、せっかく数えたり計算したりしたから(笑)。
申し込んだ数 59
受付番号を聞いた数、ですな。
ひとつの興行を4公演フルエントリーした場合は、4と数える。
フルエントリーすることはあまりなく、自分が行くつもりの日だけ入力していたり、入力自体忘れていたことも、しばしば。
ムラ中心の観劇なので、通常公演は当日ふらりと行っても必ず観ることが出来る。ので、ふつーでは手に入りにくい新公・千秋楽を中心に入力。初日はなにかしらプレミアのついた公演でもない限りムラではまず売り切れないので、贔屓組以外入力はしない。
平日の入力は、ほんとーに観たい公演のみ。誰もいないがらーんとした2階席で、掲示板やらに半額以下でもっと良席が売られているのを尻目に、7500円払って寒々しい思いで遠く客席を眺めるリスクを犯しても、最前列で観劇したいという欲求が勝つ場合のみ。
わがままな入力ぶりなので、当選確率が低いのは仕方がない、とは思う。
思うが。
当選回数 7
59分の7。
しかもその貴重な7のうち2は、友人に頼まれて入力したもの。わたし個人のアタリは、5ですよ、5。
友人の分であろうと、とりあえず記録は7ということで。
当選確率 11.9%!
10回入力して、1回。
9回あの呪いの音声聞かされて、1回だけ9桁の当選番号を聞ける確率。
新公・楽を中心に入力しているから、仕方ない、とは、思ってるよ。
思ってるけどさ。
べつに、ソレだけを入力しているわけじゃないから。
楽が当たったのは、1回だけ。しかも、友だちに頼まれて入力した東の公演だったんで、わたし個人には無意味だったんですが。新公は当たったこと、ついに一度もなかったしな。
10回に1回の当選で、結局のとこ、なにも冠のない日ばかりが当たってます。
しかも。
さらに数えてみた。
良席当選回数 1
7回のうち、1回だけ。
なんでもいーから前で観たい、それが叶う希望があるなら、2階7列目の恐怖にも耐えるわっ、と入力してきて、ほんとに望む席が来たのは、1回だけ。
残りの当選はすべて、「……こんなことなら、当たらない方が良かった……」なお席ばかりでした。
59回入力して、1回。
1年間に、1回だけ。
良席当選確率 1.7%!
1%台って、100回入力しても、1回当たるだけなのね? 運が良ければ2回目があるかな?レベルなのよね?
……あうう。
愉快だから、これからも記録はつけておこうと思います。
あー、くじ運が欲しい。
「美しさ」の遍歴。@華麗なるギャツビー
2008年11月1日 タカラヅカ 当時は、本公演と新人公演は発売日が別だった。
本公は抽選により発売順が決まるが、新公は先着順だ。
平成元年の『ベルサイユのばら』でトドにハマったわたしは、その次の公演からはずっと彼目当てで新公も観るようになっていた。
ネットもないし、会にも入っていない、ヅカ友も知り合いも皆無の一般人がチケットを手に入れるのは、とても大変だったあのころ。
情報がなにもないまま、それでも梅田の総合案内所にいちいちスケジュールを確認して、並びに行っていた。ええ、並び用の折りたたみ椅子とか用意したのもこの頃ですわ。なにしろ先着順、早朝から並ばなきゃならないんだもの。
『天守に花匂い立つ』『黄昏色のハーフムーン』『スウィート・タイフーン』と3回続けて同じ窓口に並んでいたので、「何時に行けばどこが買える」とか、すでに感覚でわかっていた。
梅田の総合案内所で発売するチケットは10枚から20枚くらいだったかな。15列目くらいのサブセンターが、1列~2列あるかないかだけ。列番号はすでにうろおぼえだが、S席の後ろの方(でも20列目ではない)だった。
大体15番目くらいまでに並べば手に入るし、たとえいちばんに並んでもはじめから後方席しか売ってないので、早くから並ぶ必要はない。
つーことでわたしは、4回目の気安さでもって、いつもと同じくらいの時間に並びに行ったんだ。
そしたら、どーしたこったい。
いつもの時間にはすでにすごい人数が並んでいる。
「なんで?」わけがわからないまま、発売時間まで並んださ。
……結果、チケットは売り切れで買えなかった。
トドの最後の新公が観られない?!
想定外のことにパニックになり、あちこちに泣きついたなー。
ヅカ友がいなかったので、ツテもナニもない。
ただ、腐っても大阪在住。ヅカファンはいなくても、探せばヅカの関係者はいるんだよなー。
友だちのおかーさんが劇団で働いていたり、バイト先の人がジェンヌの知り合いだったり。近所の人の友だちが「ナントカいうスターさんに毎日お弁当作って届けてるわよ」だったり。
本気で探せばなんとかなるもんだ。
どっから湧いて出たのか忘れたが(笑)、無事にチケットは手に入ったのだった。
さて、新公の前に、本公演だ。
見慣れたわたしの雪組に、知らない人がいた。
そーいや新公発売日に並んでるとき、前にいたおばさんが組替えがどうとか言ってたっけ。
あの知らない人が、組替えで来た人らしい。
その知らない人を見て、美しくないことに、おどろいた。
知らないだけなら、組替えってそういうもんなんだ、と思えた。わたしはよくわかってないんだけど、そもそもトドだって組替えで来た人なわけだし、それ以前から雪組を観ていた人にとってはトドだって「知らない人」に見えたことだろう。
その知らない人は、大活躍していた。
芝居でも1曲朗々と歌うし、ショーでも彼が中心の場面があって、ものすごいスターぶりだった。
学年はトドより下だという。なのに、トドがソロ歌ナシ、センター場面ナシで終始脇役なのに、よそから来た知らない下級生がトドより明らかに上の扱いを受けていた。
よそから組替えでスターがやってくる場合もあるんだろう。と、漠然と思いはした。
だがどーしてもわからないことがあった。
その知らない人が、美しくないことが、理解できない。
上級生を下克上するほどの下級生っていうのは、まず美貌が必要なのでは?
タカラヅカでいちばん必要なのは、「美」でしょう?
うまいだけでは、真ん中には立てないよね?
ミユさんはすごくうまくてかっこいいけど、美貌のタカネくんに番手を譲ったわけだし。や、譲るって言葉は変だけど。徐々にふたりのレールは離れていったじゃん?
真ん中に立つ人はまず美しくなきゃダメなんでしょう??
トドは新公主演だから、わざと本公演の比重を下げられてるのかな、と思った。
……が、その後、新公を卒業してもトドの見せ場はないまま、組替えでやって来た彼は新公主演の上に芝居でひとり歌ソロをもらったりと、スター街道まっしぐらだったさ。
なんで逆転されたのか、マジでわかんなかった。
タカラヅカは年功序列、上級生スターの方がイイ扱いをされるものでしょう?
順番を守ってさえいれば、いずれはトップになれるんだと思っていたのに、まさかの下克上?
だって、相手は組替えでやって来るなり、トドより上の扱いだったのよ? 同じ舞台で競って、その結果トドがオトされた、つーならまだわかるが、来たときすでに向こうが上。それってなんで?
混乱したなあ。
何故彼の方が評価されているのか、同じ舞台に並び立った新公を観てさえ、わからなかった。
なにしろわたし、主役のトドロキしか見てなかったし(笑)。
新公チケットがいきなり盛況で買えなくなったのは、作品への期待に加えて、このよそから来た人のファンもが、チケ取りに参入したためだと、あとでわかった。
雪組に来る前、花組にいたときにすでに新公主演している人だったんだ。新公主演経験者が、組替え後に2番手をやるんじゃ、そりゃ内も外も興味津々だよ。
とまあ、長々と年寄りの昔語りですが。
今になってよーやく、このときの謎が解けたのよ。
スカステで、『華麗なるギャツビー』を見た。
ええ、これがトドの最後の新公作品。
チケットが取れなくて右往左往した、思い出の作品(笑)。
本公演の幕が開くなり、センターからビロクシー@トドロキが登場してきて、心臓ばくばくだった(笑)忘れられない作品。
寡黙な執事役はトドのアンドロイドめいた美貌と相まって、そりゃーもーステキでかっこよくて、いやらしさ全開のウルフシェイム@タカネくんを中心にした闇社会の男たちとして踊る場面のかっこよさと、「ごはんですよ」のひとことのためだけに、何回でも通うことが出来た。
ウルフシェイムからギャツビーのシマを任されたときの困惑と、直後にギャツビーに見せる侮蔑の表情が、青臭い邪悪さに満ちていて、良かったよなあ。
ギャツビーの死について電話で話すウルフシェイムの背後に立つ姿も、これまたすげークール・ビューティぶりで。低温さがたまらん。
美貌で、あまりにも非人間的で。
だからこそ、千秋楽のアドリブ「ピンクのフリル・エプロン」では、きゃーきゃーにときめいたし(笑)。
ビロクシーをオペラでピン撮りして追っかけていたわたしの視界と、スカステで放送されている『華麗なるギャツビー』はあまりにも別物でした(笑)。
トドが映っていないのは想定内だったが、ギャツビーにしろ他の人たちにしろ、わたしの記憶とはぜんぜんちがっていて、記録と記憶はほんとに別物だなあ、と思ってみたり。
そして。
ええ、長年の謎。
美しくないあの人が、何故スター扱いだったのか。
大人になってから、映像を見て、よーーっくわかりました。
香寿たつきの、美しさが。
スーツの着こなしからして、チガウじゃん。美しいじゃん。
肩や背中のライン、「男役」としての在り方。それらの型がすでに出来上がっている。
それに比べ、トドロキはなんとももたついた姿をしていた。
男役としての洗練度がちがった。
続けて『ラバーズ・コンチェルト』のビデオも見ちゃったんだけどさ。
ショーの組、ダンスの花組からやってきたタータンは、派手で押し出しが良くてとくにスーツ、黒タキ系衣装の着こなしが堂に入っていた。
コメディと日本物の雪組で、ひとりダンディ風を吹かしていた。
なるほど。こりゃカッコイイわ。
美しいわ。
当時のわたしには、わからなかった。なにしろカオしか見てなかったからな。
今のわたしなら、この美しさも理解できるのにな。
もったいないことをした。
本公は抽選により発売順が決まるが、新公は先着順だ。
平成元年の『ベルサイユのばら』でトドにハマったわたしは、その次の公演からはずっと彼目当てで新公も観るようになっていた。
ネットもないし、会にも入っていない、ヅカ友も知り合いも皆無の一般人がチケットを手に入れるのは、とても大変だったあのころ。
情報がなにもないまま、それでも梅田の総合案内所にいちいちスケジュールを確認して、並びに行っていた。ええ、並び用の折りたたみ椅子とか用意したのもこの頃ですわ。なにしろ先着順、早朝から並ばなきゃならないんだもの。
『天守に花匂い立つ』『黄昏色のハーフムーン』『スウィート・タイフーン』と3回続けて同じ窓口に並んでいたので、「何時に行けばどこが買える」とか、すでに感覚でわかっていた。
梅田の総合案内所で発売するチケットは10枚から20枚くらいだったかな。15列目くらいのサブセンターが、1列~2列あるかないかだけ。列番号はすでにうろおぼえだが、S席の後ろの方(でも20列目ではない)だった。
大体15番目くらいまでに並べば手に入るし、たとえいちばんに並んでもはじめから後方席しか売ってないので、早くから並ぶ必要はない。
つーことでわたしは、4回目の気安さでもって、いつもと同じくらいの時間に並びに行ったんだ。
そしたら、どーしたこったい。
いつもの時間にはすでにすごい人数が並んでいる。
「なんで?」わけがわからないまま、発売時間まで並んださ。
……結果、チケットは売り切れで買えなかった。
トドの最後の新公が観られない?!
想定外のことにパニックになり、あちこちに泣きついたなー。
ヅカ友がいなかったので、ツテもナニもない。
ただ、腐っても大阪在住。ヅカファンはいなくても、探せばヅカの関係者はいるんだよなー。
友だちのおかーさんが劇団で働いていたり、バイト先の人がジェンヌの知り合いだったり。近所の人の友だちが「ナントカいうスターさんに毎日お弁当作って届けてるわよ」だったり。
本気で探せばなんとかなるもんだ。
どっから湧いて出たのか忘れたが(笑)、無事にチケットは手に入ったのだった。
さて、新公の前に、本公演だ。
見慣れたわたしの雪組に、知らない人がいた。
そーいや新公発売日に並んでるとき、前にいたおばさんが組替えがどうとか言ってたっけ。
あの知らない人が、組替えで来た人らしい。
その知らない人を見て、美しくないことに、おどろいた。
知らないだけなら、組替えってそういうもんなんだ、と思えた。わたしはよくわかってないんだけど、そもそもトドだって組替えで来た人なわけだし、それ以前から雪組を観ていた人にとってはトドだって「知らない人」に見えたことだろう。
その知らない人は、大活躍していた。
芝居でも1曲朗々と歌うし、ショーでも彼が中心の場面があって、ものすごいスターぶりだった。
学年はトドより下だという。なのに、トドがソロ歌ナシ、センター場面ナシで終始脇役なのに、よそから来た知らない下級生がトドより明らかに上の扱いを受けていた。
よそから組替えでスターがやってくる場合もあるんだろう。と、漠然と思いはした。
だがどーしてもわからないことがあった。
その知らない人が、美しくないことが、理解できない。
上級生を下克上するほどの下級生っていうのは、まず美貌が必要なのでは?
タカラヅカでいちばん必要なのは、「美」でしょう?
うまいだけでは、真ん中には立てないよね?
ミユさんはすごくうまくてかっこいいけど、美貌のタカネくんに番手を譲ったわけだし。や、譲るって言葉は変だけど。徐々にふたりのレールは離れていったじゃん?
真ん中に立つ人はまず美しくなきゃダメなんでしょう??
トドは新公主演だから、わざと本公演の比重を下げられてるのかな、と思った。
……が、その後、新公を卒業してもトドの見せ場はないまま、組替えでやって来た彼は新公主演の上に芝居でひとり歌ソロをもらったりと、スター街道まっしぐらだったさ。
なんで逆転されたのか、マジでわかんなかった。
タカラヅカは年功序列、上級生スターの方がイイ扱いをされるものでしょう?
順番を守ってさえいれば、いずれはトップになれるんだと思っていたのに、まさかの下克上?
だって、相手は組替えでやって来るなり、トドより上の扱いだったのよ? 同じ舞台で競って、その結果トドがオトされた、つーならまだわかるが、来たときすでに向こうが上。それってなんで?
混乱したなあ。
何故彼の方が評価されているのか、同じ舞台に並び立った新公を観てさえ、わからなかった。
なにしろわたし、主役のトドロキしか見てなかったし(笑)。
新公チケットがいきなり盛況で買えなくなったのは、作品への期待に加えて、このよそから来た人のファンもが、チケ取りに参入したためだと、あとでわかった。
雪組に来る前、花組にいたときにすでに新公主演している人だったんだ。新公主演経験者が、組替え後に2番手をやるんじゃ、そりゃ内も外も興味津々だよ。
とまあ、長々と年寄りの昔語りですが。
今になってよーやく、このときの謎が解けたのよ。
スカステで、『華麗なるギャツビー』を見た。
ええ、これがトドの最後の新公作品。
チケットが取れなくて右往左往した、思い出の作品(笑)。
本公演の幕が開くなり、センターからビロクシー@トドロキが登場してきて、心臓ばくばくだった(笑)忘れられない作品。
寡黙な執事役はトドのアンドロイドめいた美貌と相まって、そりゃーもーステキでかっこよくて、いやらしさ全開のウルフシェイム@タカネくんを中心にした闇社会の男たちとして踊る場面のかっこよさと、「ごはんですよ」のひとことのためだけに、何回でも通うことが出来た。
ウルフシェイムからギャツビーのシマを任されたときの困惑と、直後にギャツビーに見せる侮蔑の表情が、青臭い邪悪さに満ちていて、良かったよなあ。
ギャツビーの死について電話で話すウルフシェイムの背後に立つ姿も、これまたすげークール・ビューティぶりで。低温さがたまらん。
美貌で、あまりにも非人間的で。
だからこそ、千秋楽のアドリブ「ピンクのフリル・エプロン」では、きゃーきゃーにときめいたし(笑)。
ビロクシーをオペラでピン撮りして追っかけていたわたしの視界と、スカステで放送されている『華麗なるギャツビー』はあまりにも別物でした(笑)。
トドが映っていないのは想定内だったが、ギャツビーにしろ他の人たちにしろ、わたしの記憶とはぜんぜんちがっていて、記録と記憶はほんとに別物だなあ、と思ってみたり。
そして。
ええ、長年の謎。
美しくないあの人が、何故スター扱いだったのか。
大人になってから、映像を見て、よーーっくわかりました。
香寿たつきの、美しさが。
スーツの着こなしからして、チガウじゃん。美しいじゃん。
肩や背中のライン、「男役」としての在り方。それらの型がすでに出来上がっている。
それに比べ、トドロキはなんとももたついた姿をしていた。
男役としての洗練度がちがった。
続けて『ラバーズ・コンチェルト』のビデオも見ちゃったんだけどさ。
ショーの組、ダンスの花組からやってきたタータンは、派手で押し出しが良くてとくにスーツ、黒タキ系衣装の着こなしが堂に入っていた。
コメディと日本物の雪組で、ひとりダンディ風を吹かしていた。
なるほど。こりゃカッコイイわ。
美しいわ。
当時のわたしには、わからなかった。なにしろカオしか見てなかったからな。
今のわたしなら、この美しさも理解できるのにな。
もったいないことをした。