お待たせしました、腐った話です。『夢の浮橋』です。

 誰がお待たせって、わたしがだよ。腐った話を書きたかったんだけど、まず作品語りしないことには腐女子話ができなかった。

 長々と書いた「彼がわたしに還る物語を。@夢の浮橋」は別に、腐女子話ではない。薫と匂宮の愛憎の物語だと語っているだけで、あそこに腐女子視点は絡めていないんだ。
 BLでなくても、人間同士の話である以上、「愛」はあるのだから。

 わたしにはいくつものチャンネルがあり、腐女子視点で萌えるのと平行して、作品自体に邪心ナシで感動していたりも、平気でするので、誤解なきよう。
 ほんとに、作品自体に感動して、毎回号泣してたんだってば。まずそっちを吐き出さなければ、ヲタク話ができないほどに。

 で、それだけじゃなくて、ほんとに腐女子ど真ん中な、腐女子なだけの腐女子語りもしたかったんだっ(笑)。

 
 初見時、ふつーに匂宮@あさこ主人公として、彼だけを見、彼に感情移入してがーがー泣いた。

 観劇後すぐに会ったnanakoさん(月組未見)は、いつものようにこう聞いてきた。

「で、ヒロインは誰だったの?」

 月組には現在トップ娘役がいない変則状態なので、そのことを聞いたのかもしれないが、なにしろ彼女は『ヘイズ・コード』初日観劇後に、

「予備知識入れたくないけど、ホモかどうかだけ教えて」

 と、真顔で聞いてきた人だからな。

 大野拓史といえばデコラティヴ・ホモを書く人だ。『更に狂はじ』だとか『月の燈影』だとか『睡れる月』だとか、耽美ホモ一直線!!な芸風。
 大野作品の場合、主人公の真の相手役は女性とは限らない。

 ふつーに匂宮視点で浮舟とのせつない恋にダダ泣きしてなお、わたしは素で答えた。

「ヒロインは、きりやん」

 匂宮は浮舟を愛していたけれど、愛っていうかアレはえーっと、依存? でもって薫も依存していて、匂宮が真実愛していたのは薫で、でもそれすら愛とかゆー美しげなものとは違っていて……てなことを、もごもご説明した。
 や、だって未見で予備知識を好まない人にどこまで説明していいやら。

 するとnanakoさんは「ま、『宇治十帖』って言ったら、そんなもんだよね」と、ひとりで納得していた。そーか、薫がヒロイン、で納得なのが『宇治』なのか。『源氏物語』って愉快だ。

 とまあ。
 初見から、匂宮と薫とのラヴ・ストーリーだってことはわかったけれど、別に萌えはなかった。薫@きりやんがわかんなかったし、きれいに見えなかったし。
 薫を「わからなかった」というのは、なんつーんだろ、すごく違和感があったのね。きりやんの演技って、コレでいいの?って。

 んで2回目はきりやんガン見して(笑)。
 で、彼の薫像に震撼して。

 わたしのなかで『夢の浮橋』って作品が一気にクリアになった。

 だが、それでもまだ、胸の中でもたつくものがあった。納得しきれない、理解しきれていない部分があった。

 そのあとで、答えに行き着いたんだ。
 答えを得たとき、わたしの視界は輝度を増し、可視範囲もがずーーんと広がった。

 そう。
 わたしのなかにあった迷い、不理解、混沌。
 それは、つまり。

 匂宮と薫って、どっちが受なのよ? ……と、ゆーことだった。

 属性がわかんないと、モヤモヤするのよ! 困るのよ!

 たしかに主人公が匂宮だから、その相手役って意味でヒロインは薫だけど、だからって受攻とは関係ないし。ふつーに男女のカップルでも、「アレはヒロインが攻だよねー」という物語は山ほどある。
 匂宮と薫って、どっちが攻? どっちが受?

 わたしは攻スキーだ。
 好きな人には攻でいてほしい。
 でもって、あさこちゃんときりやんだと、きりやんの方が好きだ。だからきりやんは攻が好きだ。『Ernest in Love』のアルジは、ほんとに素敵な攻だったわ。アルジこそが、わたしの求めるきりやさん(はぁと)。
 その昔、ヅカホモ同人やってたときも、きりやんは攻キャラだった。(作品パロなので、ジェンヌ自身のことぢゃないっすよ)
 好きな人は攻になるんだってば、わたしの場合。

 だから余計、混乱していた。
 匂宮と薫の属性について。

 それがよーやく、すこーんと突き抜けたのだわ。答えを得たのだわ。

 薫受だわ!!

 匂宮×薫ですわよ。
 これぞMy真理。

 受攻がはっきりするなり、『夢の浮橋』は見事に立体的に浮かび上がってきましたね(笑)。
 腐女子ハートがきゅんきゅんします、なんて素晴らしい物語なんだ、『夢の浮橋』。

 わたしの中の「受攻法則」に、「より愛している方が攻」とゆーのがあります。
 愛し、求めるから攻になるんです。男子ですから。愛してる、から「抱かれたい」と思うのは女子の感覚、そんなこと思う男子は嫌です。愛したなら、「抱きたい」と思ってもらわなくては。
 だから、愛している方が攻。

 薫を一方的に愛し、求めているのは匂宮なので、匂宮が攻です。

 ……ええ、この法則があるにも関わらず、なかなか受攻が決まらなかったのは、ひとえにわたしが攻スキーで、きりやさんが攻であって欲しいと思っていたからです。わたしの愛情が、センサーを鈍らせていたの。

 ええいっ、あきらめろ。きりやさんは今回は受なの、受。
 そーだよな、大野せんせだもんな。大野くんは『更狂』できりやんを耽美な受キャラにしてたっけ。大野くん的にきりやさんって受キャラなのか?

 でもって、あさこ氏が攻。

 はい、わたしは攻スキーです。つまり今回、匂宮@あさこが、好きすぎて、困ります。

 匂宮、大好きだ。
 あの報われなさが。あの弱さが。あの歪みが。
 新公で同じ役をやったみりおくんが強くて健康できらきらしていて、まったく萌えなかったこともあり、さらにあさこ氏の匂宮がどんだけわたし好みなのかを思い知りました。

 匂宮は絶対に、薫を役職では呼ばないんだよね。
 ただひとり、「薫」と呼び続ける。

 反対に、薫は匂宮に対し、一線を引き続ける。女一の宮も交えてのイベントで会ったときぐらいしか、匂宮にくだけた口調で話さない。
 浮舟のことで対峙したときなんか、完璧な慇懃さ。匂宮のことも「兵部卿宮」としか呼ばないし。

 このふたりの「温度差」が、じたばたするくらい好きだ。萌えだ(笑)。

 わたしは片想いスキーなの。愛される人より、愛する人が好き。
 匂宮の、爆裂片想いっぷりが、ツボ過ぎる。

 宮中すべての人から一目置かれ、愛されている匂宮が、真実愛している人には相手にもされていない。
 名前ですら、呼んでもらえない。慇懃な「ですます調」で話されちゃって、突き放されまくる。

 なんなの、このMプレイ。匂宮、攻なのにドMって!!(ハァハァ)

 物語の最後、薫は匂宮の足元にひざまずく。生涯を共にすると誓う。
 だけどそれは、あくまでも臣下としてなんだよね。呼びかけは「宮様」であって、子どもの頃のように「匂宮!」とは呼び捨てないんだよね。

 この「世界」で、匂宮と薫はふたりっきりなの。
 匂宮は薫のためにすべてを捨てて、狂気と絶望の世界へ足を踏み入れたの。
 この世にたったふたりしかいない、そして薫はたしかに匂宮のものになった……けれど、あくまでも「東宮」と「臣下」、ひいては「帝」と「臣下」でしかなく。

 薫を得てもなお、匂宮の片恋は続くの!
 
 永遠に満たされないのよ、匂宮は。
 たとえば「命令」すれば、薫は粛として抱かれもするだろうけれど、ソレは真に匂宮が求めたことではないのよ。
 欲しかったものではないのよ。

 薫も鈍い上に融通が利かないから、そっから10年20年と平気ですれ違いそうだわ。
 両想いでも満たされないまま、片翼に片恋を続けるんだわ。一対でないと、飛ぶことが出来ないふたりなのに、心は通じないまま、それでも大空を高く飛び続けるの。それが王たるものの宿命だから。

 もー、もー、萌え狂ってますよ。
 今すぐオレに同人誌作らせろってノリで(笑)。

 大野拓史、恐るべし。
 HDDレコーダは、すぐにいっぱいになってしまう。

 ここんとこわたしはチュンソフトの新作『428』をプレイするのに忙しい。伝説の名作『街』の続編……ではないが、同じシステムで作られた作品。
 『街』のファンは今すぐ買ってくれ、プレイしてくれ。

 ベストエンディングを見るのは簡単だが、『街』の醍醐味はバッドエンド探し。バッドエンドを全部見つける方が、ベストエンドにたどり着くよりはるかに難しい(笑)。
 制作者の気合いの入ったバッドエンドが、すげーたのしい。「なんでネコ……?」とか、アレ『静岡』好きにはたまりませんて(笑)。

 とりあえず、タマがかわいい。タマがかわいすぎる。

 猫好きとゆるキャラ好きは必見だ。

 タマの出番が少なすぎるのは不満だ。もっとタマを!!

 ……てことで、Excelでフローチャート作りつつちんたらプレイしている(弟に「攻略本でも作るつもりか?」と突っ込まれる。ええ、攻略サイト立ち上げられるくらいには、どの選択肢でなにがどーなるかいちいち調べまくってプレイしてますがナニか?)ので、テレビを見ているヒマがない。

 ふと気がつくと、HDDの残量が30分になっていた。

 あれ?
 たしかこの間がんばって整理して、60時間残量あったよね?

 あれ? あれっていつだ? 『428』プレイより前、溜め込んでいたプログUPする前にまずHDD整理したから、2週間くらい前?

 2週間で59時間30分も、ナニを録画してるんだあたしは?!

 そりゃゴールデンタイムの民放の連続ドラマ全部録画してる(今期のアタリは『夢をかなえるゾウ』と『ブラッディ・マンデイ』と『流星の絆』。他もそれなりに楽しい)けど、深夜アニメもいくつか録画してるけど、タカラヅカニュースも毎日録画してるけど、それにしたって溜まりすぎじゃあ??

 つーことで、丸1日かけて、HDD整理。ドラマも前述したタイトル以外は見たら消していく。や、お気に入りはCMカットしてメディアに落としてますよ、完全保存版ですよ、あたしゃドラマヲタクでもありますから。ドラマのDVDだけでもかなりの数抱え込んでますよ。

 そんなことをしていると、プレリザーブから、抽選結果が届いた。

抽選結果のお知らせ[宝塚歌劇星組 宝塚大劇場公演『My dear New Orleans』-愛する我が街-/他〔兵庫〕]
緑野 こあら 様

以下のお申し込みにつきましては、
残念ながらチケットをご用意することができませんでした。


 ああ……やっぱりダメだったか。
 トウコちゃんの楽と前楽、申し込んでたんだ。一般発売では取れるわけがないから、一縷の望みを託して。

 このときはまだ、「やっぱりな」で済んだんだけど。

 問題は。

 1日部屋のテレビの前で、パソコン立ち上げてExcelにデータ打ち込みながらHDD整理をしている(映像データが膨大すぎてメモごときでは管理できないので、Excelで管理表作ってますがナニか?)わたしのもとへ、次々とメールがやってくるですよ。

 友人たちから。

「落選」
「力になれず」
「ごめんね」


 次々と。

 プレリザーブの入力を、わたしは友人たちにも頼み込んでいた。
 ヅカファンはみんな自分自身のために入力するだろうから、ヅカとは無関係な人たちに頼んだ。
 無関係といっても、ネットをやっていて、チケぴを利用している人たち限定だ。普段からチケットを取ってあれこれする人でないと「プレリザーブ」と言っても通じない。誰でも登録できるったって、そもそもなんの知識もない人にゼロから説明するのも、そこまで迷惑を掛けるのも避けたいから。
 自分でチケ取りしてコンサートとかに行っている人限定で、お願いメールを出した。
 ありがたいことに、みんな快く引き受けてくれた。てゆーかジャニファンのフットワークの軽さは頼もしいなあ。「ヅカもチケ取り大変なんだね」って、「ヅカ‘も’」って、ジャンルは違えど通じるものがあるというか(笑)。

 わたしは友人が少ないので大した人数にお願いしたわけではないが、彼らが真面目に当落の報告を入れてくれた場合……。

 立て続けに、落選通知がやってくるわけだ。

 自分ひとりの落選通知は「やっぱり」だった。
 しかしこう次々と「ダメだった」「ダメ」「ダメ」と言われ続けると。

 凹んだ。

 なんか、どんどんヘコんでいった。
 10通弱、立て続けに否定されまくったら、なんかもー、どんどん気分が下降、地面にのめり込むほどだった。

 協力者たちに感謝の意と他の人の結果報告とかを1通1通返しながら、これまたさらにヘコむ。
 返事にいちいち「ダメだった」とわたし自身書くわけで……ダメダメの何乗?!

 わたしがあんまりヘコむので、友人たちはまたあたたかい励ましのメールをくれるわけで、これじゃいかんと空元気なメールを打って……。
 ああああ。

 
 なんかひたすらしょぼんなまま、1日が終わった。

 スカステを整理していても、ぜんぜんまっつ出てないしさ……。まっつとそのかのスカステコールってあるよね? あるはずだと思って探してるんだけど、一度も見てないよ。

 まっつとは会えなかったけれど。

 スカステニュースを整理しているときにたまたま、あさこちゃんの「スター☆セレクトQUESTION?」のラスト部分だけが耳に飛び込んできた。

「良いお年を」

 や、ほんとにこの一言だけだったんだけど。
 画面には、黒い軍服みたいなジャケットの瀬奈さんがいて、微笑むというより、微笑んだあとの顔、って感じで、映像が止まっていて、んで、一瞬でスタジオのスカフェたちの姿に切り替わってしまったのだけど。

 かっ……かっこええ……っ!!

 「良いお年を」って、それだけだったんだけど、ほんとその一言だったんだけど。
 なんかすげーときめいたんですがっ。
 かっこいいっ。

 そこだけしか見てなくて、ヅカのスターだとか公演の宣伝だとかそーゆー話はなく、ほんとに日常でわたしたちがクチにする言葉だけ耳にしたからか、なんかとてもリアルに、心に響いた。

 うおー、あさこちゃんやっぱかっこいいなあ。すげーいい男だー、こんな美男子が現実に生きてるなんて、この世界も捨てたモンじゃないよなあ。(男役はバーチャル設定ですってば・笑)

 
 丸1日の努力の甲斐あって、なんとか25時間ほど空きを作りました、HDD。
 しかし油断すると一瞬で埋まるよなあ、これくらいの時間……。

 さて、また『428』に戻ろう。
 物語をどう見るか、どう感じるかは、観客の自由だ。

 『夢の浮橋』を、わたしは「まともで健康なふつうの人間だった青年が、狂気に身を染める物語」だと思っている。

 「愛ゆえに」。

 イザナギはイザナミを取り戻そうと黄泉の国へ行き、結局は叶わなかった。
 イザナギは間違えたんだよ。
 イザナミを得たいのなら、現世に連れ戻そうなんてせずに、自分が黄泉の国の住人になるべきだったんだよ。

 愛しているなら、すべて捨てれば良かったんだ。

 世界すら。

 
 『夢の浮橋』で象徴的に登場する、階段。
 プロローグで光源氏と薫が上っていき、ラストシーンで匂宮がひとり上っていく、あの階段。

 わたしはあの階段に、「世界」を見る。

 
 匂宮は視点であり、薫はこの物語の軸だ。
 薫が登場したときから物語ははじまり、それまでは承前でしかない。

 視点である匂宮が、あの日失った薫を探す物語。
 少年の日、横にいるはずの薫が、階段を上っていった。
 そのときから、薫は「あちら側」へ行ってしまった。同じ宮中で生きているのに、姿はたしかにここにあるのに、本当の意味で薫はいなくなってしまった。

 匂宮は、薫を探す。
 伊達男を気取り、浮き名を流し、香をたきしめ薫に対抗しつつ、彼は薫を探している。
 現世に薫はいない。薄々気づきながらも、知らない振りで探し続ける。
 そして。
 祭りの中で匂宮は薫を見つける。それは、光る君の姿をしていたかも、しれない。
 薫が生きる世界を、垣間見る。

 そこではじめて、痛感するんだ。

 薫を得たいのならば、彼の住む世界に行くしかないんだ。

 この世で、こちら側でどれほど薫を恋うても、薫は決して振り向かない。
 だって薫は同じ世界にはいないのだから。

 闇の芽を宿して現世に戻った匂宮は、思い知った答えにたどり着くための道を、歩みはじめる。
 薫のいる場所へ、続く道。

 それまで生きていた正常な平穏な世界を捨て、匂宮は狂気と絶望の世界を選んだ。
 他の誰もいない。
 ふつうの人間は、存在しない。
 そこにいるし話せるし触れるけれど、同じ地平で生きていないから、魂を触れあわせることは出来ない。
 そんな、二重写しになったもうひとつの世界へ、自ら足を踏み入れた。

 誰もいない?
 いや、ちがう。

 ここには、薫がいる。

 あの日失った薫を追いかけて、ここまで来た。
 薫のいる世界へ、やって来た。

 たとえ薫が今まで通り自分になんの興味も持たず、拒絶されるとしても……少なくとも今の自分は、薫と同じ世界で、同じものを見ている。

 
 そして、薫。

 少年の日、匂宮を置いて階段を上っていった薫は。
 あの階段を上がることで、彼も確実にナニかを捨てていた。失っていた。
 失っていたことにすら、気づいていなかった。

 今、自分と同じ地平に立つ匂宮を見て。
 同じ世界に、自分ひとりしかいない永遠の孤独の世界に、匂宮が現れたのを見て。

 気づくんだ。
 あの日、自分を失ったものを。

 あのときまで、たしかに自分の中にあったものを。

 匂宮が、世界を捨ててまで、魂を闇に侵させてまで、追ってきた。
 薫が失ったものを、薫に還らせるために。

 それがわかるから、薫は匂宮にひざまずくんだ。

 自分のために、すべてを捨てた男に。
 匂宮がすべてを捨てたならば、自分がすべてを捧げようと。

 そうすることで、彼は彼の中へ還る。

 
 運命のふたり。
 裂くことはできないふたり。

 こうして視点は、軸とひとつになる。主人公とテーマはひとつになり、そのために語り手は彼らとは別の、もうひとりの匂宮である女一の宮が必要だった。

 
 とまあ、こんなふーに思ったのよ。
 『夢の浮橋』という物語を。

 あくまでも、わたし個人の感想として。
 毎年恒例、もはや年中行事の『1万人の第九』に行ってきました。
 ええっと、タイトルは『サントリー10000人の第9 歌のある星へ』が正しいのか? ロゴはそうなっていたけど。

 自分が参加しはじめて何回になるのかわかんなくなりがちなんだけど、総監督・指揮の佐渡せんせが「10回、10年目です」と言っていたので、「ああ、そうか」と思った。佐渡せんせと同期なので、わたしもこれで10回、10年目だ。

 ゲネプロの前半、午前中はごめん、ほとんど記憶にない。『街』……ぢゃねえ、『428』を明け方までプレイしていて、ほとんど寝てなかったのな。
 お隣の席の人も自分が声を出すとき以外はいびきかいて爆睡しているし、お隣の人のせいばかりでもないが、なんか気もゆるみっぱなしでした。
 で、やっぱ寝起きで歌っても声が出るはずはなく、ゲネプロの第九は自分的に最低。
 午後は絶対寝ちゃダメだと気合いを入れ直す。……いやその、一眠りできたため、もう寝なくても大丈夫になった、ともいうが(笑)。

 前もって配られていたプログラムとは無関係に、ゲネプロは進む。去年ぐたぐだだったせいか? 今年は最初に「本日の予定」として、プログラム記載の時間通りにやる気はないのだと演説された……んじゃ最初からプログラムに書かなければいいのに、とは、思う。
 お昼ごはんをお昼に取ることはできないのが『1万人の第九』なので、ちゃんとしたお弁当は持っていかず、短い休憩時間に何度も分けて食べられるように、パンやおにぎりを用意するのが、10年連続参加しているささやかな知恵(笑)。
 いつが休憩でも、べつにいいさ。

 今年のゲストはCHEMISTRY。
 前日のリハーサルも当日のゲネプロも、テレビでよく見るジーンズにジャケット、帽子姿。
 テレビで見る姿とおんなじ……で、去年の中島美嘉の変わりっぷりを、なつかしく思い出す(笑)。

 ふたりとも細いなー。かっこいいにーちゃんたち。
 余分なものを削ぎ落とした系の、正味ヴォーカル力を問われるアレンジの楽曲で、すばらしい歌声を披露してくれる。

 彼らの歌に、1万人の合唱団がコーラスを入れるわけだが、例年通り楽譜をもらったのがレッスン最終日。圧倒的な、練習不足。
 なんで毎年毎年、楽譜作成と練習が遅れに遅れるんだろう。たぶんコーラスはいちばん後回しにされているのだと思うけど、1万人いるからたとえ半分の人が練習不足で満足に歌えなくても、それでも5千人は歌えるわけだからどーにでもなる、ってことだろうけど、毎年「ひでえな(笑)」とは思う。
 タイトル的には「1万人の第九」で、1万人の合唱団を全面に押し出しているが、「コンサート開催」する大人の事情でいけば、合唱参加者はいちばんどーでもいい存在なんだよな。それがあちこち透けて見える(笑)んだけど、それさえまあ「所詮そんなもんだろ」と思う10年目。

 コーラスがダメダメなのは主催者側もあきらめていると思うけど、それにしても、練習不足のあおりをくって、CHEMISTRYのふたりがコーラスの練習につきあわされるのは、大変っつーか気の毒っつーか。
 はじめて見た(笑)。

 毎年1万人の合唱団もコーラス担当させられてるんだけど、これまではゲストのシンガーさんの歌声がなくてもかまわない位置に挿入するコーラスだったり、誰もが知っている歌を主旋律通りに勝手に歌っていいから練習する必要もなかったりしたんだよね。
 ちょっと難しいときは、さすがに練習できる期間に楽譜が配られていた。
 去年はゲストの曲にはコーラス入れず、別のオリジナル曲にコーラス、だったし。
 今年がはじめて。ゲストの歌声が練習時に必要なコーラスだから、ソレ無しで歌えるようになるには練習が必要なのに、楽譜配布が遅く練習不足、リハーサルでいきなりぶっつけにやっても合うはずがなく、ゲネプロではゲストさんをコーラス練習につきあわせるはめになった、てのは。

 コーラスを合わせるためだけに、余分に歌わされたCHEMISTRYのふたり、乙。

 や、外野としては余分にふたりの歌声が聴けてラッキーだったが。
 今までのゲストさんにそんなことをさせていないのをおぼえているだけに、「どーすんだコーラス、ぜんっぜん合ってないよ、でもこのままCHEMISTRYの歌声無しに練習したって合うわけないし、かといってあのふたりに素人コーラスの練習のために歌わせるわけにもいかないし、どーすんだ??」と心配してたんだが。
 ケミストリーのおふたりさんが、いい人たちで良かった(笑)。

 
 わたしの席あたりは、なんつーか、「会話が少ない」ところだった。
 どうやらみんな個人参加者でツレなし、常連ゆえにひとり参加平気、新鮮味無しってとこらしい。
 お隣さんは終始いびきかいてるし、反対側のお隣さんも静かに目を閉じている。
 わたしもゲーム機持ち込みでヒマなときはゲームしたり、新たに入手したミニパソでテキスト打ってたり。
 ひとりだからってべつに、なんの問題もない。

 とはいえ、そんな一匹狼たちも次第に会話をはじめる。
「何回目ですか?」
「山本直純時代からです」
「佐渡さんだと、ぜんぜんちがいますねー」
 そんなふうに。

「はじめは仲間たちと参加してたんだけど、みんな脱落していって、ひとりになって」
「ひとりでも、まあいいかって」
「恒例というか、毎年というか」
「とりあえず参加しないと12月じゃないっていうか」

 もう、生活の一部。
 人生の一部。
 だから、ここにいる。

 新鮮味はない。だからどうってこともない。

 だけど。
 それでも、ここにいる。

「今年はハズレですねー、この席」
「スクリーン真後ろはないですよねー」

 大阪城ホールには液晶大画面と大スクリーンがあるんだけど、液晶画面はともかく、スクリーンの方は周囲が明るいと真っ白になって見えないし、鏡像になるし。おかげで、CHEMISTRYの立ち位置が逆ですよ。
 スクリーンは光を映すから、カメラ映像のCHEMISTRYに、演出ライトの水玉が二重写しになって、えらくファンタスティックになるし(笑)。

 いびき爆睡のお隣さんは、本番でもやっぱりいびきかいて爆睡していたけれど、それでも自分が歌うときには背筋を伸ばして一生懸命歌っていた。

 本番は、格別。それは合唱団だけでなく、ソリストさんたちのメドレーも、ケミストリーの歌声の響きも。
 あ、女性ソリストさんは特に、ドレスとお化粧が加わるから、見た目もすげーチガウ(笑)。ケミストリーのおふたりさんも、気合いの入ったスーツ(川畑氏はコート、と司会から突っ込まれていた)姿で、彼らにもドレスコードはあるんだ、と感動。(それぞれ素敵だったが、そのスーツを某瀬奈氏が着たとこを見たいと、さぞやかっこいいだろーと思っていたことはナイショ・笑)

 もうすっかり慣れきったイベントではあっても。 

 恒例で、年中行事。
 特別、ではなくて、あたりまえ、であったとしても。

 1万人の声が響くこの瞬間は、たしかな感動なんだ。

 それがあるからこそ、みんな時間を捻出して、ここに集まるんだ。

 
 ……なにしろ、恒例だから。

「お疲れ様でしたー」
「また来年ねー」
「また来年、お会いしましょう」

 見知らぬ独り参加者同士、笑顔で挨拶するんだ。
 「また来年」……恒例だものね、年中行事だもんね。

 なにも変わらず、平穏無事に。
 わたしもあなたも、そして日本も世界も。

 またいつものように、「歓喜の歌」を歌える日が来ることを祈って。
 もう悲惨さとあきらめがほとんどなのに
 まだ抵抗の気持ちが残ってる

 けど ねェ
 グレアム

 その抵抗だけが、
 ボクの中で唯一の真実なのさ…


 
 匂宮はわかっている。
 浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。

 匂宮は東宮になり、いずれ帝になる。
 浮舟のような女が、宮中で生きられるはずもない。

 今、彼女の手を取ったからって、彼女と共に愛を貫いたからって、待っているのは破滅だけだ。

 それでも彼は、走るんだ。

 自分で選ぶことの出来ない人生の中、精一杯、自分の意志で。自分の、愛で。

 浮舟への想いが、匂宮に残された最後の「己れ自身」だった。
 最後の自由、最後の若さ。

 最後の、抵抗。

 もう子どものままではいられない。気楽な皇子のひとりではいられない。
 この国を担う責任。……いや、この国を欲しているのは匂宮ではなく、匂宮を背後から操ろうとする為政者たち。
 強大な彼らに操られ、傀儡となることが決められた人生。

 終焉まで見通せる長い長い道のりを前に、若者・匂宮は愛だけにすべてを懸けて走った。
 自分の意志で。
 人形ではない、己れ自身で。

 匂宮の賢さは、空気を読む機敏さと、分をわきまえる力があったことじゃないかな。

 自分に求められるものがなんなのかを察し、そのように振る舞う。「期待に応える性質」だと嘯きながら。
 兄の手前、政治に興味無しのプレイボーイを気取ってきたのもそうだし、姉の手前、愛を封印してきたのもそうだろう。

 姉……女一の宮は、この『夢の浮橋』の語り手を務める。
 彼女は「もうひとりの匂宮」だ。
 匂宮と女一の宮は、同じ色の魂を持つ。

 無垢だった幼少期を終わらせたのは、胸に抱いた秘密ゆえ。
 匂宮は実の姉を愛していたし、おそらくは女一の宮もまた、実の弟を愛したのだろう。

 それでいて、彼らはその想いを封印した。互いに互いの気持ちに気づきながらも、なにも知らぬ顔で、仲の良い姉弟を演じ続けた。

 行動と、責任と。

 「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられない。

 あたりまえに、演じてきた。人々が期待するままの役割を。
 空気を読む機敏さで、分をわきまえて。

 そうすることで、戦ってきた。王宮という、戦場で。

 誰もが、あやつり人形だ。

 心のままに生きている者なんかいない。

 それがわかったうえで、匂宮は抗うんだ。
 たったひとりで、反旗を翻すんだ。
 自分の、運命に。

 それが、浮舟だ。
 浮舟への愛だ。

 
 はじめから、わかっているんだけどね。

 浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
 共に生きられるはずがないんだってこと。

 わかっていて、それでも浮舟を欲したのは、匂宮のエゴであり、弱さだ。
 匂宮の弱さ、薫の弱さ、すべてがより弱い浮舟に流れ込み、彼女は溺れるしかなかった。沈むしかなかった。

 浮舟の自殺未遂は、仕方のない結果だった。

 
 物語は、なんのためにある?
 わたしは、「変わる」ことだと思っている。
 主人公が出来事を通してなにかしら「変わる」こと。「変身」のカタルシスあっての「物語」だと思う。

 『夢の浮橋』の主人公は、匂宮だ。
 わたしたちと物語世界をつなぐ視点であり、わたしたちが共感を抱くふつうの感覚を持ったキャラクタであり……物語を通して、彼が「変わる」ことで、カタルシスをもたらす。

 薫に憧れながら彼の精神世界に近づくことは出来ないままモラトリアムを生きていた匂宮は、社会的責任を負わされることになり、はじめて自分の人生と対峙する。己れの意志だけではどうにもならない流れの中で、彼は、大きく変わる。

 浮舟を愛さずにはいられなかったことも彼の変化ゆえだし、彼女の入水を知って自分の罪を自覚するのも変化ゆえ。

 そしてさらに。
 匂宮は、変わる。

 抗うことの出来ない大きな力によって、匂宮は運命を決められた。
 匂宮は兄の生き甲斐を奪ってまで、自分が王になる意志などなかったのに、匂宮が王になると、彼が不在の場で決められてしまった。
 匂宮を、傀儡として操ろうとする者たちによって。

 たしかに、抗えない流れはある。
 ある、が。

 人形にはならない。

 匂宮は、真の王になる。

 人形ではない。彼が、自身を治めるのだ。
 あやつり糸を握っていた者たちに、その生命でもって宣言する。傀儡にはならない、と。
 己れの首筋に刃を向け、糸を断ち切る。
 操られるくらいなら、自害する。王となる生命を、身体を失いたくないなら、あやつり糸を放せ。

 自身を統べるということは、すべての責任を、自分ひとりで負うということ。

 誰のせいにも出来ない。
 すべての過ち、すべての罪。
 なにもかも、自分自身で背負うということ。

 王になる。その、絶望。

 操られるのは、楽だ。
 自分のせいじゃない。そう言える。過ちも罪も、判断に迷うことも、全部誰かのせいにして解放される。
 匂宮は、それらすべてを、超えた。

 なにもかも自分で背負うし、また、「命令」することで相手の罪や罪悪感をもひとりで背負う。

 誰も彼を、救えない。

 彼は、王になった。
 この瞬間から、彼は王だ。
 もう誰も、彼を救えない。

 この世のすべての罪を、彼が背負うから。

 ひとの上に立つ、統べるとは、そういうことだ。
 すべての人に命令し、従わせるとは、そういうことだ。

 上宮太子の剣を手に、日出処を統べる者として、匂宮は帝になる運命を自ら受け入れる。
 王になる……その決意の、かなしさ。救いのなさ。

 
 そして彼は、「あの階段」にたどり着くんだ。

 
 続く。

 愉快なのは、明らかに、匂宮の片想いだということ。

 浮舟に対してじゃないよ? 浮舟は、匂宮を好きだったと思う。
 匂宮が一方的な想いを寄せていたのは、薫に対して。
 腐った意味ではなく(笑)。や、腐ってても別にいいけど。なにしろ、大野くん作『宇治十帖』の二次創作『夢の浮橋』だから。

 原作を下敷きにしているけれど、原作とは無関係っていうか。
 史実のボニー&クライドと、オギーの『凍てついた明日』が無関係なのと同じっていうか。
 「創作」てのは、これくらい自由であっていいと思っている。

 原作はさておき、あくまでも、『夢の浮橋』の中での話。

 匂宮は一途に薫にこだわり続けているけれど、薫の方は匂宮には大した興味はない。
 匂宮が浮舟に手を出しているとわかったとき、匂宮には直接ナニも言わず、周囲の大人たち……権力者たちに密告して引き離そうとするあたり、愛情がない(笑)。

「女房が友人に寝取られた! くそー、友人の会社と取引先に『この男、不倫してますよ』って怪文書送ってやる!」
 ……とは、しないだろ、ふつー。
 ふつーならまず、友人と話すだろ。……友人なら。

 そんな手間を掛けるより、夕霧たちを動かす方が簡単だったんだね、薫の気持ち的に。また、その決断・行動の速さは、薫の正気の部分であり、優れた知性の持ち主である証拠なんだろう。実に的確で、無駄のない行動だ(笑)。
 友人に対してそんな非道な手段を平気で執るあたり、薫の「心」の部分が蝕まれている証拠なんだろう。まるでなにかに操られるように、無表情に、他人の罪を責める。

 「愛」と「罪」が同義語である薫にとっての、最後の砦が浮舟だった。

 初恋の女一の宮にはその想いを過去形で、すでに失われたものとして話し、幼なじみの匂宮を平気で陥れる。
 母は人形、自分は不義の子。
 心から愛した大君は彼のものにはならず、失われた。

 薫が浮舟を愛していたかどうかは、知らない。
 浮舟はあまりに都合の良すぎる存在だ。
 愛する大君に似ていて、愛する母のように人形めいた女。

 浮舟を匂宮に盗られてはじめて、愛したんじゃないかとも思える。

 浮舟は匂宮を愛することでさらに、「想い出の中の母」と符合したんだよね、
 夫以外の男の子を産み、その夫ではない男のことでしか、感情を表さなかった母に。

 盗られて惜しくなったとかではなく、はじめて「気づいた」んじゃないか。
 自分が浮舟にナニを求めていたか。

 罪しか知らない薫は、愛し方を知らない。
 浮舟という理想の恋人を囲いながら、彼女になにを求めていいか、自分がなにを欲しているか、気づいてなかった。

 匂宮に対して生身の女の感情を浮かべる浮舟を見て、はじめて、気づいた。
 あれが、自分の欲しかったものだと。

 だから薫は、浮舟をかき口説く。
 もう一度自分とやり直してくれと。
 欲しかったものはわかった。どうしたいのかわかった。

 愛したいんだ。
 生きている、女を。

 人形ではなく、人間を。

 薫の中の、正常な部分。半分闇に沈んでいた彼が、必死になって這い上がり、光射す方へと進み出した。
 彼の出生、半生を思えば、どれほどのものを超えて、浮舟をかき口説いているか。
 すがって、いるか。

 ただの色恋の次元を超えて、魂を、現世を懸けて。

 浮舟は肯いた。
 薫とやり直すと、薫ものでいると応えた。

 薫はよろこんで、浮舟を抱きしめる。
 けれど。

 薫は、気づいていない。
 腕の中の浮舟が、すでに「ひと」ではないことを。

 薫と、匂宮。選べなかった彼女は、心を失った。
 彼女が愛していたのは、匂宮だと思う。だけど、薫の懇願をうち捨てられなかった。

 薫が欲したのは、生身の女。
 人形ではない、生きた人間。

 なのに。

 彼がすべてを懸けて欲した女は、彼の腕に落ちた瞬間、人形となった。

 糸の切れたあやつり人形のような女を抱きしめ、薫は愛を歌う。

「罪も懼れない」と。

 「愛」と「罪」が同義語であった薫が。
 それらすべてを超えて。

 超えて……、愛したのに。

 薫が、哀れでならない。

 結局薫には、人形しか残らない。

 罪の子よ。
 愛という罪を背負って生まれた子よ。

 なにもかもが、彼の前を過ぎ去っていく。指の間をすり抜けていく。

 最後の砦である浮舟を守ろうと、自分から「愛」を奪ってゆく匂宮に敵対する姿は、薫が「こちら側」で生きようとした証。
 狂気の世界から、わたしたちのいる世界へ戻り、なんとか暮らしていこうとしていた。浮舟とふたりで、こちら側で生きようとしたんだ。

 でもそれも、裏切られる。
 浮舟の自殺によって。
 未遂であったとこは、関係ない。死んでまで、薫から逃れようとした、その事実だけで。

 薫がこの世界で、正気で、生きる理由が浮舟だったのに。
 浮舟は、薫を全否定した。

 浮舟が現世で生きる理由のすべてだったのだから、彼女からの否定は、世界からの否定だ。

 薫は拒絶された。
 「世界」に。

 物語の中でただ一度、取り乱す薫。

 浮舟の自殺を「お前のせいだ!」と匂宮に掴みかかる。
 ただ、このときだけ。

 「お前」……それまで、頑なに身分を全面に出した話し方しかしなかった薫が、なにもかもかなぐり捨てる。
 たぶん、子どものころは「お前」呼びしていたのだろう。

 そう、子どもの頃のように。

 少年に返る薫とは対照的に、匂宮は大人の顔を見せる。
 大人……自分の歩む道の先まで見据えた、哀れな大人の、顔を。

 続く。
 愛ゆえに、ひとは汚れる。罪を犯す。

 『夢の浮橋』最大の見せ場。傀儡たちの祭り、傀儡として舞う光源氏。

 祭りとは、この世とあの世、天と地をつなぐ行為である。
 今この瞬間、神は地上に降り、人は神と交わる。
 現実と虚構の境目はあやしくなり、実像がにじむように虚像と溶け合う。
 禁忌がいざなうトランス。光と闇と、過剰な音楽。

 あれは誰。あれは彼。あるいは。

 戒められた糸。
 あやつり糸なのか、封印なのか。

 自由な王子様としての人生から、正式な皇位継承者としての重責を負うことなったわけだから、この傀儡場面を匂宮の人生転機の迷いと見るのもアリだろう。つか、それがスタンダード?
 東宮の地位は彼が選んだモノではなく、彼以外のものの利害勘定で押し付けられたものだ。彼は、ただの駒でしかない。あやつり人形でしかない。
 抗い難い力の前に、プチ家出をしてみたって、なにが変わるわけじゃない。見知らぬ人々に戯れに上宮太子の剣を奪われたとき、必死になって取り返した。つまりはそういうこと、彼は宮中でしか生きられない。

 答えは出ている。
 自分で選ぶことの出来なかった人生を、生きるしかない。
 傀儡のように。

 心を失ったあとの光る君が、それでもその政治的価値を利用され、権力者たちに操られていたように。

 ……傀儡の光源氏が表すものが政治的な意味だけならば、彼はなにも口にする必要はないんだが。
 光る君は「声」を出す。

「紫の上」と。

 糸に戒められ、自分から自由を失った男は、愛する女の名を呼ぶ。「何故、私から逃れようとする」……彼が囚われているモノは、愛。己れ自身。

 壊れてしまった心。
 愛ゆえの過ち、愛ゆえの罪。

 罪を重ね、ひとは生きる。

 
 匂宮のプチ家出は終わり、少年はひとつ大人になる(笑)。
 もとい、わたしたちの生きる世界から、境目にある「祭り」に参加することで「常世」をのぞいてしまったんだよね。
 あれほど「ふつう」の青年だった匂宮は、少し別の因子を魂に宿すことになる。

 それは予感。
 いずれ彼が向かう先、のぞいてしまった闇への禁忌と恐怖……そして、恍惚に背中を押されるように、焦燥にジリジリ追いつめられるように。

 彼は、薫の女である浮舟と恋をする。

 匂宮には、浮舟しかいなかった。
 薫に愛されたお人形。

 匂宮は、ずっと薫を探していた。
 正常で健康な匂宮には、狂気の世界にいる薫へ近づくことは出来ない。

 少年の日、地上から見上げることしかできなかった。階段を上がっていく、光る君と薫を。

 だけど祭りの日、聖と闇が交差する篝火の中で、匂宮はあの日の世界を垣間見た。
 光源氏が……そしておそらく、薫がいる(あるいは、薫が行く)世界を。

 真っ白な魂に落ちた闇。それは広がり、染み込み、変質していく。

 祭りの夜を機に、それまでの健康で真っ白だった匂宮は消失した。魂の染みが広がり、いずれは闇に覆い尽くされる……その予感に、匂宮は焦がされる。

 変容している今、匂宮は浮舟を愛する。

 この女しかいない。
 人形としてしか生きられない、居場所のない女。弾けない琴を鳴らし、泣くしかできない哀れな女。

 匂宮は、浮舟を欲する。
 正常なままなら気づかなかった、真っ白なままなら知らずにいた、激しい飢えのままに。

 行動と、責任と。

 プレイボーイで知られる匂宮は、本当の意味での「恋」には手を出さなかった。行動には、責任が生じる。本気の恋には、それだけの責任がある。
 なんの障害もない、現代のわたしたちだってそうだ。愛であれ憎であれ、人間が人間に本気で働きかけたとき、放った心の重みは、全部自分に返ってくる。よろこびであれ、かなしみであれ。
 「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられないんだ。

 この物語では、愛と罪を同義語に使っている。
 単純に脚本中の単語を置換することもできるよ。愛と、罪。

 匂宮は、変わる。もう少年のままではいられない。きれいなままではいられない。

「私たちも、罪を犯す年頃となりました」

  
 匂宮が揺れ動いている傍らで。
 薫は狂気と正気の境をゆらゆらしている。

 宇治での宮中行事に顔を出して、匂宮や女一の宮と思い出話をしたり、正気な部分は十分にある。
 社交部分じゃない。彼の狂気の鍵は、「愛」。

 少年の日、敬愛する父・光る君は薫を、「罪の子」と呼んだ。
 愛の罪に心を壊した母は、人形のようになっていた。

 薫にとっての「愛」は、生まれたときから「罪」と同義語だった。
 自分自身すら、「罪」の申し子だった。

 罪の子と父に烙印を押された少年が、最初に狂気の世界へ足を踏み入れたのは、彼自身の「愛」の目覚めからではないかと思う。

 無垢なるものとして象徴的に描かれる子どもたち。
 嘘もない、秘密もない、無邪気だったサンクチュアリを最初に壊したのは……「愛」だ。

 少年の日、薫は幼なじみの少女・女一の宮を恋するようになった。
「あれが、私のはじめての隠し事でした」
 サンクチュアリは失われる。愛ゆえに。

 当時のその想いを知っていたかと問われ、沈黙する女一の宮。
 たぶん彼女も知っていた。知っていて、口に出さなかった。だから彼女にとっても、サンクチュアリはそのときに失われていた。

 愛という名の罪。
 無垢なままではいられない。
 愛を知り、人間たちは楽園から追放される。

 女一の宮を愛し、その想いを封じ込め、また女一の宮もまた胸の内に秘密を抱いているのがわかった……嘘偽りのない世界に生きていた子どもたちが、「秘密」を持った、聖域を汚した……罪の子薫が狂気へ進んでいくきっかけには、あまりある出来事だろう。
 だからこそ、ここでこの逸話が挿入されるのだろう。

 愛ゆえに、薫は壊れていく。

 表向きには正常で、光る君の再来と呼ばれる公達ぶりを発揮しながら、内側でゆっくり壊れ続ける。

 彼がひとを愛するとき、彼の中で罪がまたひとつ増えて行くんだ。

 大君に対しても、そうだったんだろう。
 光る君が紫の上の死に罪の意識を持っているように、薫もまた大君に対し償いきれない罪と悔いを持ち、苛まれている。

 愛が、罪だから。

 
 続く。
 今回、「宇月颯くん好きかも」と言ったら、同行のnanaタン、木ノ実さんから賛同の声があがった。

 続いて、「耳の位置がまっつっぽいよね」と言ったら、絶句されたあと、「そんなのわかんない」と返された。
 ……あれ?

 宇月くんはべつにまっつには似てないっす、耳以外(笑)。そして、あーゆー耳の子は他にもたくさんいる。
 宇月くん見てるとずんちゃん思い出すわ。笑顔が似てると思うの。

 新人公演『夢の浮橋』にて、宇月くんは二の宮役。本役はあひくん。
 もともとこの役が大好きなので、注目してたんだが、いやあ、あったかくてカッコイイおにーちゃんでした。ストレートに二枚目だよね。貴公子だよね。学者肌っぽい感じが、またツボ。
 銀橋の歌も、本役さんより安心して聴……ゲフンゲフン。相手役の娘役さんも、歌うまかったなー。

 
 それにしてもわたし、月組の下級生を知らなさすぎだ。元月担だったのになあ。贔屓が月組にいたのはもう何年も前……当時の下級生たち、みんなもう新公卒業してんだもんなー。

 来年はみりおくんが新公主演独占するのかな。まあそれもアリとして、再来年は誰になるんだろう……今回の新公見た限りでは、さっぱりわからん。
 あまりにみりお一人勝ちで、華とかキャラクタとか、「次の大劇場では、この子主演で観てみたいわ」と思う子が、わたしにはわかんなかったっす。
 
 道定@千海華蘭くんの目の輝きが印象に残ったけど……名前読めない……ええっと、ちなみ・からん……中卒の研3? 若っ。
 本公演で小君役の子だとわかり、納得。キャラ的に同じかー。別の役作りで見てみたかったな。似てしまうのは仕方ないけど。

 子役は演じやすいものなので、新公では特に「お得な役」になりがちだけど、こちらの小君@輝城みつるくんもはしこくてかわいかった。

 てゆーか、女一の宮・子役@愛風ゆめちゃんって、研1っすか。しかも中卒ってあーた、若いわよちょっと。文化祭でフラウ役やった子だよね? 顔小さっ、声きれー。若いのにほっぺがすっきりしているのがすごい。
 

 反対に年輩役について、いちばん言いたいことは。

 仲信@華央氏に、ヒゲかないっ!! なんで? 華央氏と言えばヒゲでしょう?! ……と、内容に関係ないことでダダこねてみたり。
 や、彼はどんどんいい男になってますなあ。越リュウのあとを継ぐべく、この路線でがんばってほしいナリ。

 夕霧@美翔くんが意外にうまかった。意外と言ってごめん、ちゃんとしたおっさん役(正統派におっさん、というか)は彼には難しいかなと思っていたので。
 新公バランスの中では、ちゃんとおっさんであり、悪役になっていた。

 光源氏@寿音くんは、うーん……。今までの彼からすれば、あんなもんなんかなあ。ヘタではないっていうか、うまい部類の子なんだろうけど、わたしとは合わないみたいだ。

 明石の中宮@羽咲まなちゃんは余裕! まかせて安心!
 
 
 自分が「鼻好き」だと自覚してから、正面顔より横顔チェックをするよーになり、主要人物を演じる若手ちゃんたちを「鼻」で判断するんだけど(笑)、小宰相の君@咲希あかねちゃんの鼻は、わたし的にOKです(笑)。
 特徴のある顔なのでどこにいてもわかる子ではあるけれど、鼻をじっくり眺めたのは今回がはじめて。てゆーか、こんな大きな役をする子だったんだね。
 本役のあいちゃんに台詞回しがそっくりで、よくコピーしたなと。器用というか、技術があるからできることだ。声もよく通る。
 いい女だなー、小宰相の君。

 でもってもうひとり、今回は鼓英夏くんの横顔を好みだと思いました。鼻を中心にきれいに弧を描いたラインが好きなのー。
 

 さて、本公演よりさらに「ヒロイン」としてきちんと描かれていた感のある、浮舟@蘭ちゃんは、「演技している」「歌っている」感じがイイです。
 本役のしずくちゃんは、「演技してない」「歌ってない」感じがイイと思っているので(笑)、本公と作品自体もヒロインの位置もチガウ新公では、ちゃんと「物語のヒロインとして存在している・演技している」蘭ちゃんは正統派ヒロインっぽくてイイ。
 日本物のお化粧のせいか、シナちゃんを思い出したわ、あちこちで。
 お花様系美少女……劇団はほんと、この顔好きだよな(笑)。

 きれいつながりで、衛門督@紫門くんは、なんかいつも泣きそうな顔に見えるんだが、何故だろう。きれいだから目立つんだけど。こーゆー「強い」役でも、なんかめそめそ顔に見える? わたしだけかな。
 でもってきれいといえば、海桐くん、やっぱきれいだ、壮くんだ。
 瑞羽くんもきれいだ、目につく。てゆーか台詞言って芝居してるの見てみたいんだけど……無言で踊るだけですか、今回も。

 
 役自体は多い割に、これといって目に飛び込んでこないのは、わたしが月組下級生に暗いだけだと思いたい。
 みりおくんの次の世代は、いったい誰になるんだろう? 
 薫が、ふつーの人だった……!(震撼)

 月組新人公演『夢の浮橋』、演出家は大野くん自身。
 本公演とはあえて、「別の作品」を作っているように見えました。

 まだ本公演の感想をまともに書いていないので、新公感想を書きにくいんだが、主人公である「匂宮」の存在が、まったくチガウ意味を持っていた……と、思う。

 本公演では、女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸である、と書いた。

 しかし新公では、匂宮が、完全独立した「主役」である。

 匂宮は「視点」ではない。観客の視点も務めつつ、間違いなく物語の軸であり、語り手でもある。女一の宮はナレーションをしているだけ、薫は主要人物のひとりでしかない。
 本公演では薫が登場したときから物語の本編がはじまるが、新公では匂宮が登場したときからが本編だ。

 匂宮@みりおの『夢の浮橋』は、英雄譚だ。

 みりおが演じる匂宮は、明るく、強い。
 同じ物語、同じ台詞をたどっていてなお、彼は強い光を放っている。傷ついたときも彼の強さを損なうことはなく、その光は揺らぐことがない。

 彼が「日嗣の皇子」となる……やがて、王としてこの国に君臨するのは、正しい。
 そう思わせる、まっすぐな強さ。

 生まれながら王の若き日の物語。英雄譚の一節のようだ。
 浮舟@蘭ちゃんとの過ちも、薫@るうくんとの確執も、「若き日の出来事のひとつ」というか。

 「タカラヅカ」としては、正しいのだと思う。
 かっこいいヒーローが、かっこよく成長する物語。
 明るさと強さと正しさにあふれ、かわりに色気はなく(笑)、保護者も安心、子どもに見せて大丈夫な英雄物語。

 
 薫@るうくんは、あまりにふつーの人だった。
 そ、そうか、やっぱきりやんがやばかったんだ……と、再確認。

 匂宮と浮気中の浮舟を無言で見つめているときとか、霧矢さんはガクブルものでこわかったんだけど、るうくんはふつーに「可哀想」です。

 るうくんの薫は、「こちら側」の人だ。狂ってない。ぜんぜん正常な、ふつうの人。
 薫はミステリアスでもナニ考えてるのかわからない人でもなく、繊細で弱い、一般人が普通に理解して、共感できる青年でした。
 浮舟を大君の身代わりに屋敷に住まわせるのも薫の凡人たる弱さゆえだし、彼女を匂宮に盗られて告げ口するのも、小人物たる弱さゆえ。出生にコンプレックスを抱え、母の愛に飢え、ヒツジのように悲しい目で恋人の裏切りを見つめる。

 徹頭徹尾、薫はふつうの……凡庸な、愛すべき青年でした。

 英雄・匂宮とはなにもかも、違いすぎる。
 浮舟のことを匂宮に秘密にしていたのも、盗られたとわかった瞬間の身の振り方の素早さも、浮舟の自殺未遂を知ったときの匂宮への当たり方も、なにもかも、自分と匂宮の「器」の差を知って、意識しまくっているためだろう。

 「天才」と幼なじみで、なにかと比較される身に生まれてしまった苦労と苦悩。それがしみじみと伝わってくる。

 とにかく薫ときたら、草食動物系の可哀想さにあふれ、母性本能に訴えかけるいじらしいイキモノになってるよ~(笑)。
 いつも泣きそうな顔してる。浮舟入水を知ったときの茫然自失ぶりなんか、どんだけ可哀想か。

 最後の「跪いてプロポーズ」も、るうくんの場合は完全敗北、臣下としてお仕えします、だよなー。(別欄で語る予定だが、わたしはきりやんはチガウと思っている)

 
 匂宮というヒーローの物語で、薫はちゃんと脇役だし、薫が脇役になった分、浮舟がヒロインらしく見える。
 加えて、本公演は薫が登場したときから物語スタートだけど、新公は匂宮が登場したときから物語スタート。
 って、それじゃまるで本公演のあさこちゃんがみりおに負けてるみたいじゃん?!
 ……てなことではないんで、誤解しないで欲しい。

 タカラヅカ的に「正しい」のはみりお匂宮のヒーローっぷりなのかもしれないが、作者が描こうとしたのは、あさこの匂宮だということだ。

 健康で正常なふつーの男の子である匂宮@あさこが、別のところへ到達する物語。
 繊細さと淫靡さ、狂気を孕んだ、耽美の世界。

 ストレートな英雄譚ではなく、ややこしい情念だの心理だのにこだわった物語。
 それは、あさこの匂宮でなければならなかった。そのために、匂宮は「視点」からはじめ、「軸」となる薫によって「あの階段を上がる」ラストまでたどり着き、女一の宮@あーちゃんが悲しみを込めて「語る」必要があるんだ。

 みりおくんの「明るい強さ」を見せられることによって、あさこちゃんの「弱さと繊細さ」を思い知ったわ……。

 本公演、新人公演ともに、大野くん自身の演出。
 新公は別物にしたんだな。つか、みりおくん、アテ書き。

 作品のカラーも、キャラクタも、みりおくん中心に作り直してある。
 みりおの匂宮に対し、他の子のキャラクタも考慮して、配置してある。
 本公演のコピーをさせるつもりなら、あんなに「強い」ままの匂宮にはしないだろうし、感情(悲しみ)むき出しの薫にもしないだろう。

 すげーなー……。

 
 おもしろい作品は、技術の足りていない出演者の手による新人公演でも、やっぱりおもしろいものなんだけど、『夢の浮橋』はほんとーにおもしろかった。
 演出意図の変更を別にしても、やっぱ好きだわ、この作品。

 でもってみりおはほんと、真ん中向きだー。
 目を引く美貌、そして、華。
 なにより「強く正しい」光っぷり。これって、持ってる人意外に少ないよ。「正しい」だけならジェンヌはみんないい子たちだからか、放っておいても「善人」オーラが出てたりするんだけど。ただ「人が好い」ってだけだと、まぬけになっちゃうんだよね。ここに「強さ」がないと、かっこよくならない。ヒーローになれない。
 得がたい力だ。
 この素直な光をそのまま成長させていってほしい。

 るうくんは芝居は手堅くうまいんだけど……日本物のお化粧苦手なのかな? あまりきれいに見えなかったのがつらい。『ME AND MY GIRL』のとき、あんなに色男だったのに、何故??
 でもって歌、実は難しい曲だったのね……霧矢さんがふつーに歌ってたから気づいてなかった。るうくんは大変そうでした……そりゃあもお。

 他の人の感想は、別欄で。
 「抽選結果のお知らせ」って、当落発表以外に、文章がチガウんですね!

 宝塚友の会ネットサービス。
 サイトからの抽選申し込みに対し、メールでその当落を教えてくれる便利モノ。
 しかし公演ごとの受付なのに、メールは申し込み回数分届くので、1公演4回分申し込むと、メールも4通届く。

 今日はトウコちゃんサヨナラ公演の、当選結果がわかる日。運命の日。

 携帯に、抽選結果のお知らせ[【抽というタイトルのメールが4通並んでいた。
 や、ただ受け取っただけだと全部表示されないのよ。タイトル途中まで、本文も途中まで。そこまでなら受信料無料。メールの内容を確かめてから、受信料払っててでも受け取るかどうか決めるのね。そーでもしないと迷惑メール多すぎるんだよ、SoftBank。

 つーことで、「受信」ボタンを押す前に確認できた内容は、

Title:抽選結果のお知らせ[【抽

緑野 こあら 様

宝塚友の会ネットサービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
お申し込みいただ


 肝心の当落が、わからない。
 どーせハズレなら、わざわざ受信料払って「残念ながら」を確認するのはシャクだ。最初にわかるよーに書いてくれればいいのに、と思う。や、受信料なんて金額にするのもアレなくらい些細な額だが、金額でなくて気分として。

 あーあ、と思いつつ、なんとなく次のメールも見てみた。同じく、受信前。

Title:抽選結果のお知らせ[【抽

緑野 こあら 様

宝塚友の会ネットサービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
以下のお申し込み


 あれ?

 ふたつを読み比べる。

 「お申し込みいただ」と「以下のお申し込み」って、文章ちがってるよ?!

 途端、心臓がばくばくする。
 これって……どっちかは「当たってる」ってことじゃないの?

 残りの2通も確認する。

 「お申し込みいただ」と「以下のお申し込み」になってる!!

 4通のうち、1通目と3通目が「お申し込みいただ」で、2通目と4通目が「以下のお申し込み」だ。

 えっとえっと、あたし入力の順番どーしてたっけ?
 入力したのは、楽・前楽・新公・初日だ。
 ずっと見守ってきた、特別な人、トウコちゃん。どーしてもどーしても最後を見たいと、祈りながら入力した。劇場には入れればそれでいいんだから、B席希望だ。

 メールが入力順に当たっているなら、楽と新公、前楽と初日というどちらかのカップリングで当たっている??

 そ、そんなことがあっていいの?

 心臓ばくばく、涙目になってきた。

 
 携帯で確認するのがこわくて、あわててPCを立ち上げ、友会サイトへ行った。
 Myページへログインし、当落結果を確認する。

 ネットサービス開始以来、「落選」と一言書かれて終わった公演だけが並んでいる、笑えるくじ運の無さ。
 その一番上に。

 当選(4件中2件当選しました。)の文字がっ!!

 やった、やっぱりそうなんだ、メールの文章の違いはそーゆーことなんだ。
 今までそんな違いがあるなんて知らなかった。だって一度も、当選しなかったから。

 マウスを握る手ががくがく震える。
 結果詳細をクリック。

 そして。

 ええ、そして。

 
 
 
 当たっていたのは、新公と初日でした。

 
 
 
 入力順とは関係なく、メールは届いた模様。

 …………トウコちゃんのサヨナラショーが観られる?! って、どきまぎしたあとなだけに、天高く舞い上がっただけに、墜落のショックは大きかったっす……。

 しばらくぼーっとして、あとになってなんか泣きたくなった。
 そーだよな、あたしのくじ運なんか、そんなもんだよなー。ははは。

 新公と初日が当たったことは、もちろんうれしいです。当たっただけ文句言うな、てなもんだろうけど。
 でもやっぱ、退団公演の楽と前楽は特別だから。落胆も大きいっす。

 
 じっくり眺めたところ、メールはタイトル欄からしてチガウわ。
 抽選結果のお知らせのあとのスペースだけでもわかる。
 あと、受信して全タイトルを見ると、当たりメールの最後には「・」がついてるわ。
 抽選結果のお知らせ[【抽選方式】宝塚歌劇星組公演/宝塚大劇場(兵庫県)]って。

 知らなかったなー。はじめて見たなー。ははは。

 あー……。
 泣きたい……。

 
 ついでに、携帯に届いていたモバタカの「オリジナル会員証を発行」とかゆーサービスに、登録してみました。
 なんかすげー厨臭いサービスやなあ、と思いつつ、ヘコんでいたので気分直しに。

 そもそもナニをするモノなのか、なんでそんなモノが必要なのか、携帯サイト上で「オリジナル会員証」とやらを確認できてナニがたのしいのか、さっぱりわからないまま、サイトの指示に従う。
 えー、組別に台紙選んで、画像を貼る? 画像ってナニ? うおっ、花組選んだら眩暈がするよーなショキピン台紙なんですけど、正気かこのデザイン。
 まあいいや、どーでも。名前? 本名でいいや、「こあらった・ぐりーん」で。(ソレのどこが本名?!)

 画像ってナニ、携帯写真を貼付してメール送れって? 今携帯に入っている写真って、ナニがあったっけ。

 今の携帯は、オサ様退団を機に買い直したもので、10ヶ月ほど使ってるのかな? 写真はすでに数百枚撮ってる……。
 自分でもどんな写真を持っているかおぼえていないので、ざーっと眺めてみる。眺めて……。

 猫の写真だらけだ。

 今年8月に、逝った猫の。

 まだ、元気だったころ。このあと数ヶ月で別れることになるなんて、夢にも思ってなかった頃の。
 余命を宣告された頃のもの。
 徐々に弱っていく姿。

 バカみたいに、撮り続けている。

 なにかに急かされてるみたいに、憑かれたみたいに、撮り続けている。

 大切な、家族の姿を。
 少しでも、留めておきたくて。

 
 撮るだけ撮って、見てなかった。
 見る勇気はなかった。

 お葬式をしたペット霊園の写真まである。
 抜けるような青い空。

 
 なんか、泣けてきた。
 泣いていいよな。うん、泣こう。

 
 なんかすごく時間かかって。
 結局写真を1枚選んだ。

 全開で笑っている、まっつ写真。
 もらいもので、解像度はたぶんすごく低い。もらったときから携帯画面の半分くらいの大きさしかなかった。

 かなしくて仕方ないときは、まっつまっつだ、そーだそーだ。
 なんかめずらしくまっつが大口開けて笑ってる。顔シワシワにして笑ってる、某舞台写真。
 これに決めた、これを送ろう、モバタカの「こあらった・ぐりーん」用会員証に。

 で。

 何度かエラーが出たあとに、よーやく「オリジナル会員証」とやらを確認できました。

 目に痛い、ショッキングピンクの台紙にわざとらしいキラキラ効果入れた、厨全開デザイン。
 そこに堂々と「氏名:こあらった・ぐりーん」と書かれ、中央にまっつの写真が……写真……が……。

 まっつ、小さっ!!

 写真スペースらしい空白の真ん中に、めちゃくちゃちっさく、まっつがいました。
 てゆーかコレじゃまっつだとわからん。顔はリアルごま粒サイズ。

 すげーまっつらしい!!(笑)

 なんかツボって、浮上した。

 愛は世界救う、ってことだな。うん。

 
 まっつまっつまっつ。
 順を追って書けば良かった。

 忙しさにかまけて整理するヒマもなくきちんとブログにUPすることもなく、本能のままに書きなぐっていたテキストも、モバイル用のミニパソコンの臨終と共に消失した。

 つーことでもう、「最初」の感想には戻れない。
 「最初」の感想を書き記すことなく、「次」の感想になってしまう。

 『夢の浮橋』のこと。

 初見ではとーぜん、主人公である匂宮@あさこを中心とした視界で観ていた。彼の物語として、観ていた。
 準主役である薫@きりやんは、よくわかんなかった。なんであんなにきれいじゃないんだろう、なんであんなに棒読みなんだろう、なんかくすんで見える、と思っていた。

 それが、だ。
 次に観たときは、薫の恐ろしさに、震撼していた。

 こわい。こわいんですけど、この人っ。

 罪と聖の物語であると同時に、狂と正の物語でもあるのか、これは?

 薫ってさ、アレ、狂ってるよね?

 正常の範囲には踏み止まっているけど。内側では、壊れてるよね、すでに。

 それを感じているからこそ、匂宮はなにかと薫を気にしているんだと思う。

 
 匂宮、薫、女一の宮の少年(少女)時代から、物語ははじまる。
 彼らの前に立つのは、光源氏@萬ケイ様。
 幼い彼らが愛してやまない偉大な人。

 されどその光る君はもう、この世の人ではない。
 心は壊れ、人形のような姿になっている。

 そして。

 己の罪ゆえに、愛ゆえに、壊れてしまった美しい人形は、ひとりの少年を選んで連れて行く。階段を、上っていく。
 「罪の子よ」……薫を。

 匂宮は、取り残される。
 彼も願ったのに。一緒に行きたいと。

 ……時は流れ、子どもたちは大人になる。
 罪に対しての聖として、無垢な輝きを放っていた子どもたち……少女・女一の宮の姿に、「大人」である女一の宮@あーちゃんの姿が二重写しになる。
「私たちも、罪を犯す年頃となりました」

 無垢だったものも、罪に汚れる。

 
 匂宮はずっと、取り残されたまま。
 薫に対抗し、薫を追いかけて、薫をかまって、現在に至るのに。
 薫は、ここにいない。
 宮中の宴に薫がいないと舞を止める匂宮は、たぶんそーやってずっと、薫を追い続けている。

 あの少年の日、階段を上がっていく薫を見送った……あのときのまま。

 幼なじみの3人。
 女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸となる。
 匂宮は視点だから、物語という異世界を、観客であるわたしたちにつながなければならない。
 世界説明やらキャラクタ解説やらで、愛人ちゃんたちと愉快に歌い踊ったりして、まず彼は地ならしをする。
 「源氏物語」といったって、「宇治十帖」といったって、そんな特別なモノではなく、現代のわたしたちと変わらない世界なんだよ、と。だって主人公の匂宮は、こんなに「ふつう」の人だろう? と、見せつける。

 そこまではずっと、承前。
 物語がはじまるのは、薫が登場する瞬間からだ。

 紅葉の、暗い赤。
 乾いた血糊のような、禍々しい赤。

 その暗い情熱の中に、薫が立つ。

 薫は、今は亡き愛する人を想って歌う。彼の傍らには、大君の幻。

 えーっと、薫と大君ってべつに、両想いのラヴラヴ・カップルじゃなかったよね? たしか、振られてたよね?
 原作読んだのなんか大昔過ぎて忘却の彼方、しかも宇治まで行くともう飽きててトバしてたんでさっぱりわかんねえ(笑)。
 一度も愛されていない、つまりはいい思いもしていない、プラトニックというかストーカー的思い込みによる一方的な盛り上がりだよな?

 自分のものではなかった女、だからこそ彼の想い……歪みが、大きいのかもしれない。
 生身の女としての欠点だとか問題だとかは、実際につきあうから見えてくるもので、心だけで勝手に愛している分には最強、良いところしか見えない。
 存在しない幻の女じゃん、そんなの。
 バーチャル彼女じゃん。

 この世にないものを、ひとり愛し続ける薫。
 幻の女の袿を抱きしめて。

 壊れている。この男の心はどこか、この世とはべつのところにある。
 その姿は、冒頭の光源氏の姿にも似て。

 人形の、ように。

 その薫に、幻の女の代わりとして囲われた女、浮舟@しずく。
 今は亡き女の袿を羽織らされ、弾けもしない琴を与えられた女。

 匂宮は浮舟に興味を持つ。
 彼が知りたいのは薫だから。近づきたいのは薫だから。薫が大切に隠している女に、近づく。

 薫が狂気の世界にいるのに対し、匂宮はあまりにも真っ当で、ふつうの青年だ。
 だからこそなお、匂宮は薫に惹かれるのだろう。

 わたしたちの視点である匂宮には、わたしたちが理解しやすい「状況の変化」が起こる。
 兄・二の宮@あひの失脚だ。このことにより、匂宮が東宮候補になる。

 皇族と生まれた重責は兄が背負い、弟宮の気楽さで(それが処世術であったにしろ)粋な好男子として、自在に振る舞ってきたのに。まさかの展開。

 匂宮は、ただの軽薄お気楽トンボではない。女好きを装い、恵まれた才能を無駄に過ごしているのは、兄を思ってのことだろうさ。
 二の宮の背負ってきたモノの重さを知っているからこそ、彼の気持ちを知っているからこそ、あえて浮き名を流していた面もあるのだろうさ。
 資質がどうあれ、遊び人の弟より真面目な兄がこの国の王として相応しいのだと、内外に示すために。

 垣間見える、兄と弟の関係。
 凡才を努力で補おうとする兄と、兄を想うゆえに非才さを隠す弟。
 そんな弟に鬱屈したものを抱きつつ、その公正な人格から、なおも弟を愛している兄と。そんな兄だからこそ、愛している弟と。

 どれほど長い間、この兄弟は才能と立場の不相応さを誤魔化して生きてきたのだろう。
 ただ、愛ゆえに。

 二の宮から上宮太子の剣を渡された匂宮。上宮太子だよ、英雄だよ、改革者だよ、1万円札だよ。
 二の宮が人生を懸けて欲していたことを知っているのに……兄はそれを自ら手放すしかなかった、自分がそれを受け取ることになった、これは最悪の結末。

 二の宮と匂宮の関係は、どこか匂宮と薫の関係に似ていたかもしれない。

 匂宮がいるのは「こちら側」、わたしたちのいる側だ。
 現実、正気、常人の感覚、凡人の罪。
 わたしたちが理解できる範囲で彼はあがき、悩む。

 それが、ここではじめて彼は「日常」から外へ出て行く。
 彼にとっての「世界」とは貴族社会、宮中のみだ。そこから出るということは、「現実」の外へ足を踏み入れるということ。

 小宰相の君@あいあいにいざなわれ、彼は聖と闇が混ざり合う傀儡たちの祭りに参加する。
 純から濁へ、正気から狂気へ。

 渡ってはいけない川を渡る。
 見てはならないものを見る。

 あの少年の日、彼は置き去りにされた。
 光る君に手を引かれ、薫は階段を上っていった。

 あの階段の先にあったものを……匂宮は、垣間見る。

 
 続く。
 花組大劇場公演『太王四神記』発売日です。

 ヅカにハマって以来10数年、ずーっと梅田に並びに行っていたんで、贔屓組の発売日に家にいるなんて、変な感じ。
 もちろん、パソコンの前に坐り、片手にマウス、片手に携帯でチケ取り参戦しました。
 千秋楽とか初日とか新公とか、高望みはしてません。
 今まで梅田に並んで取れていた席、平日昼間のタケノコ席が欲しいのよー。
 だから入力するのはなんでもないふつーの平日、つながれ!と祈りを込めてクリック。
 チケぴにわりとサクッとつながり、奥へ入れたときは、まだSS席があった。
 大劇場公演のSSの取り扱いがあるのは、今回がはじめてよね? 今までSSは一般発売無しの謎の席種だったよね?
 とりあえずSS1枚入力。購入画面へ。

 提示された席は、1階7列目21番だった。

 ……すすすすみません、びびって「戻る」を押しちゃいました。

 7列目21番って、SSとはいっても、今までS席だったとこじゃん。
 でもって、隣はS席、後ろもS席という、SSの最果て位置じゃん。
 今現在7500円の席に、11000円払うの?!

 びんぼー人のびんぼー根性ゆえ、とても購入できませんでした……。
 これが6列目21番なら買えたかなー……現在10000円の席なら、11000円でもあきらめもつくってゆーか。

 あわててSで入力してみたけど、もう18列とかしかなかったし、他日もすげー後方しか出てこなかった。あ、それでも2階席は出なかったな。

 結局、1枚も買えませんでした。うわあああん、まっつ~~!!
 端っこでもイイから、前で観たいのよおおお。
 どーせ何回も観るんだから、どーせいつも2階の隅っこなんだから、1回くらいは前で観たいっす。

 さあこれから、チケット探しの長い旅がはじまるのだわー(笑)。

 
「買えなかったんなら、ちょうどいい、観るのやめれば」
 と、弟。

 今わたしは、弟からWiiを買えと催促されているのだ。
 とゆーのも、Wiiソフト『街へいこうよ どうぶつの森』のために。

 Wii版の『どうぶつの森』新作は、ニンテンドーDSの『おいでよ どうぶつの森』の続編と言うより、キューブ版『どうぶつの森』の続編だった。
 プレイヤー個人で「ひとつの村」を所有するのではなく、「ひとつの村」の中に何人ものプレイヤーがいる。
 わたしも弟もキューブ版からのプレイヤーだが、DS版に慣れてしまった今は、もうキューブ版には戻れない。

 ひとり暮らしの快適さを知った今、不自由な共同生活なんかできるかぁ~~!!

 とゆー感じです。

 携帯電話の便利さを知ってしまった今、家族で1台の固定電話生活には戻れないってこってす。

 DSは携帯機だから、ひとり1台基本。しかしWiiは家庭用据え置き機だから、「1家庭に1台」がふつー。
 我が家にも1台しかない。

 がっ。
 『街へいこうよ どうぶつの森』で「自分ひとりの村」を持ちたかったら、Wii本体と、ソフト1枚が新たに必要なのです。

 両方で25000円ほど。

 我が家のWiiは弟の持ち物だし、『街森』ソフトも弟のモノなので、わたしは彼の村に間借りしている状態。

「魚を寄贈しに行ったら、なに渡しても『すでにこあらったさんから寄贈済』って言われたっ、このヲタク、何時間やってんだ?!」
「そっちこそなんできのこの家具ひとりで全部拾っちゃうのよ?! あたしにも譲ってよ!」
「たぬきちの店行ったら、みんなsold-outになっててヘコんだ」
「早くプレイヤー変わってよ、たぬきちの店が閉まっちゃうでしょー、売りたいモノがあるのにっ」

 ……このままだと、いい大人がマジで姉弟ゲンカに発展しそうです……。

「早くWii本体買えば? タカラヅカやめればいつでも買えるだろ」

 トド様DS1回より安いんだけどな……DS行ったあとだから、言っても仕方ない……(笑)。
 今のわたしに、余分ににまんごせんえんあれば、まっつのため……いやその、花組公演のために全部ぱーーっと使いますとも、ええ。

 しかしこのまま、弟の村に居候するのも居心地が悪い……どーしたもんか。

 
 と思いつつ、溜まった日にちのブログをちんたら更新していたところ。

 愛用のミニパソが、臨終した。

 オーマイガッ。
 再インストールし直そうとどーしよーと、起動しないっ。
 今年の中日劇場で床に落っことしてATOKが死んで以来、だましだまし使ってきた半死状態のPCだったんだが……ついに。

 贔屓公演を目前に、なんでこんなことになってんだ??

 てゆーか、ミニパソ死んだら、泣きながら書きなぐった、渾身の『夢の浮橋』感想がっ!! アレ、もっぺん書くの?! つか、書けるの?!

 
 かみさま。
 おかねください。
 『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、最後は「歌唱披露」です。公演の曲を、一足先に聴けちゃうわけですねっ。
 

 最初に登場するのは、もちろんドミートリー@水しぇん!

 はい、背景スクリーンが真っ赤になりました。

 来ました、アニメソング!!
 サイトーくんですから! アニメでとーぜん、燃えてとーぜん!(笑)

 サイトーくん的にこの作品のテーマは「衝動」だそーです。だもんでドミートリーも「衝動♪衝動♪」と歌ってました……たしか。あんまし歌詞がよく聴き取れないんだが。

 続いてイワン@ゆみこ……と、カテリーナ@さゆちゃんのラヴソング。
 ふたりの声はきれいで、さわやかにしあわせな歌声なんだが。

 朗読がキャラひとりずつの「見せ場」であり「個性披露」であっただけに、歌もそれぞれのキャラクタ・ソングだと思ったわけよ、わたしは勝手に。アニメやゲームのキャラCDが発売になる、あのノリで。
 だから「これぞイワン!」な彼個人のためのテーマソングを聴けると思っていたから、ちょっと拍子抜け。
 女の子とラヴラヴ・デュエットだと、イワンというキャラクタが伝わりにくい……。ふつーに、タカラヅカ的二枚目に収まってしまうというか。

 大変なのは、グルーシェニカ@となみちゃんのソロ。
 なんかものすげー高音。てゆーか声、出てない……。が、がんばれー。
 しかしほんと華やかに美しい人だなー。素顔で私服で歌っているのに、なんの問題もないぞ。
 
 次に登場したのが、たしかハマコ。
 ここまでキャラソングが続いたんだから、ハマコもそうだと思うじゃん。
 明るいというか、愉快な曲調……おちゃらけているフョードルの歌ってことかなあ、と思ったら。
 なんか、チガウ?
 そこへコマ登場。同じ曲を続けて歌う。さらにひろみ登場。こちらも同じ曲。
 ハマコのソロパートはほんのわずかで、結局3人のコーラスに。
 しかも歌っているのが、「だいしんもんかん、だいしんもんかん♪」って……えええ、この愉快なマーチがあの「大審問官」なんですかっ?!

 フョードルたちには固有の歌はないのかな。それで別の人がコーラスすることになっている曲を、とりあえず3人で歌った、とか?
 いやあ、ハマコが2役で(フョードル役とは別に)「大審問官」やってくれるのはぜんぜんかまわないんですが……。
 フョードル、アリョーシャ、スメルジャコフ、だと思って聴いている身には、この展開は衝撃でした(笑)。

 終演後、「あの『だいしんもんかんっ』の歌のとこはきっと、舞台後ろに大審問官がいて歌ったりなんだりしていて、その前方のテーブル席でイワンとアリョーシャが話してるんだよ、きっと」と同行のゆみこファンに言ったら、「そんなの見たくない」と言われました。
 「大審問官」はイワン・パートの話だからなー。ドミートリー@水先輩なんか、絶対さくっととばして読んでない部分だろーしなー(笑)。

 「だいしんもんかんっ♪」の衝撃さめやらぬうちに、再度水しぇん登場、青春がどーたらこーたら歌っていたような……そしてとにゃみとのデュエットで完。

 歌い終わった後も舞台は完全な暗転はせず、ふたりがキメを解いたけど素にも戻れない、どーしたもんかなー、と半端な感じでいつまでも立っていたことが、印象深いっす(笑)。
 照明がちゃんとついて、司会者が出てきて、よーやく素に戻ってた。仕切りが悪いと大変だな(笑)。

 
 いやはや、すげーたのしかったっす。
 このイベントが発表になったときは、実は水しぇんたちよりヨシマサ目当てだったりしたんだが(笑)、こんなに本気な内容だとは思ってなかった。
 トップスター様たちのイベントは、今までもこれからも、多々あるだろうから、それより普段あまり表に出てこない演出家に興味があったの、わたし的には。
 水しぇんとサイトーくんが出演する、以外はほんとナニも考えていなかった。や、友人のゆみこファンたちが色めき立っていたから、ゆみこも出ることはわかっていたが。(それにしても、相変わらずわたしの周りにはゆみこファンしかいないっす。水ファンはいずこに?!)

 あとになって、ポスターメンバー全員出演って、こりゃマジですごいお得だなと思った。
 これだけの面子のトークなんて……!

 斎藤孝先生は大変ユニークで、彼の講義はたのしかった。それはたしか。
 『カラマーゾフの兄弟』朗読も、立ったり坐ったりもわたしは苦にならなかったし。(妊婦さんにアレはどーかと思ったが……大学で講義してるわけじゃないのになー)
 孝せんせのキャラは愉快です、ほんと。
 しかし、ソレでほとんどの時間を費やし、結局のところ公演の話もヨシマサの話もほとんど聞けなかったのは残念っす。

 今回のトークショーに参加するにあたって、「サイトーくんの萌えがどこにあるのかを推理する」という命題があったんだが、そんなとこにたどりつけないくらい、サイトーくんの出番はなかった。舞台にはいるけど、喋らせてもらえない。
 原作未読の出演者たちに、ポスター撮影時にキャラクタになりきるための台詞をそれぞれ与えたそうだが、となみ、さゆ、コマぐらいしか話題に出なかったし。
 司会者、ソコでつっこめよ、全員の台詞を聞かせてくれよ!と、じれじれ。どんな台詞をイメージしたかで、サイトーくんの萌えどころがわかったかもしんないのにー。
 あ、わかった台詞は、パクちゃんのとなみ茶報告で既知のグルーシェニカ「やめてよ、私そんな女じゃない」……って、そーいやこのポスター撮り時のヨシマサ台詞の話振ったのとなみだっけ? となみちゃんこの話題気に入ってる?(笑)
 んで、カテリーナ「あなたには私がいなければダメなの! ダメなの! ダメなの!!」、アリョーシャ「神よ、お救い下さい」だっけ。微妙にチガウかも?
 ひとりずつになにかしら言って、あのドラマティックなポスターが出来上がったなら、ますます知りたいわー。

 午後7時開始で9時終演、途中休憩有りの2部構成って、マジ本気のイベント。抽選会が1部2部とそれぞれあり、そこでもちょっと時間を費やしていたので、実際は1時間半程度のイベントだったわけだが。(賞品は出演者のサインとか、公演チケットとか。孝せんせ著作とか。……もちろんナニも当たらず・笑)
 歌唱披露もそりゃうれしかったけど、やっぱいちばんの収穫は原作台詞朗読ですわ。
 トップスターだけでなく、副組長ハマコや、下級生のコマ、さゆまで実際に聴けたことは、ものすごい貴重な体験だ。

 すっごいたのしかった。
 「声に出して読む『カラマーゾフの兄弟』」、すっかり時間が押して、巻き巻き進行、わざわざ立って孝せんせの次に朗読していたわたしたち、坐ったまま孝せんせと一緒に朗読するだけになる。
 ……それでも、「時間がない」とわかるなりやり方をぱきっと変えた孝せんせの切り替えの速さはすごいなと。ほんとにソレで時間内にほぼ収めたもんなー。

 『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、巻き進行になったあとのジェンヌの朗読は、孝せんせのツッコミや解説が少なくて寂しいです。

 つーことで、次はスメルジャコフ@ひろみ。台詞はよりによって、

「もしもあなたが、どうもお見受けしたところ……」

 からはじまる、「何故よりによってコレ?!」という台詞なんだが(笑)、ネタバレ的にはやさしくないが、スメルジャコフというキャラクタを表現するには、これ以上ない台詞だったと思う。

 と、いうのも。

 ひろみ、すげえ。

 慇懃さとその奥の狂気、悪意……何層にも展開する感情。この複雑さが見えるキャラクタ、すげえ魅力的。
 この男をもっと知りたいと思う。
 ひろみちゃんがこのキャラクタをどう演じるのか、知りたいと思う。見たいと思う。

 すごくすごく魅力的に……的確に演じていたと思う。……が。

 噛みまくっていた。

 センスはあっても、技術は低い……。新公『エリザベート』を思い出したよ……ルキーニ、すごくよかったけど、健闘していたけど、噛みまくったり台詞忘れて棒立ちしたり、自爆していたね……。

 あちゃーなとこも含め(笑)、わくわくする子だ、スメルジャコフ@ひろみ。

 
 そして、最初に“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”を見たときから、いちばんのお楽しみだったのが、トリを飾るヒロイン・グルーシェニカ@となみちゃんとカテリーナ@さゆちゃんの会話。
 時間がなくて巻き進行、になったとき、「ええっ、最後のとなみ&さゆの会話は絶対やってよおっ?!」ともっとも危惧したくらい、楽しみだったってば。

 なにしろ、彼女たちのキーワードは「虎同士の戦い」ですから。
 美しい女性ふたりの、罵り合いです、戦いです。原作1巻の最後の方、グルーシェニカ初登場にしてものすげーインパクトの台詞の応酬。

カテリーナ 「出てって!淫売」
グルーシェニカ 「ええ、淫売でもなんでも結構よ。でもそういうあなただって、生娘のくせに、お金目当てで若い男の家に、闇にまぎれて忍んでったじゃないですか。ご自分の美しさをエサにね」


 スミレコード的にどうなんですか?な単語を使って、なりふりかまわず火花を散らす美女ふたり。
 これは見たいだろう、絶対!! ふつーに舞台の上で、ヅカメイクしてドレス着てやりあうんじゃないのよ? 素顔の、ナマの姿でやるのよ?

 いやあ……素晴らしかった。

 となみ姫は、迫力の赤いワンピース姿。グルーシェニカのイメージにも合う、いかにも大人の「高嶺の花」、半端な男じゃ声もかけられないよーな美女っぷり。
 その美しい女が、声音に皮肉と侮蔑を込めて、世間知らずのお嬢様を手のひらで転がし、嘲笑するの!
 こわいっ!!(笑)

 対するさゆちゃんは……まず、衣装選びをまちがえていたと思う。近くで見ればかわいらしい服なのかもしれないが、遠い客席から見るとパーカー(普段着)を着ているように見えて、ひとり場違い。このへんは経験の差なんだろうな、舞台で栄える服、どんくさく見える服がわかっていない模様。
 また、その「娘役として清楚でかわいらしい服(なんだと思う、一見パーカーだが)」は、娘役・大月さゆには相応しいかもしれないけれど、カテリーナとしてはどうもイメージがちがった。他の人たちがみんな、役のイメージから遠くない服装をしていただけに、ここでもまた失敗なんじゃないかと……。

 問題は「朗読」であって、外見なんぞ関係ないかもしれないが。
 グルーシェニカの強烈さ、また、となみちゃんの圧倒的な華に太刀打ちするためには、外見も武器にするべきだったんじゃないかなと思った。
 てゆーかほんと、グルーシェニカ圧勝。原作がそうだから、それで正しいっちゃ正しいし、そもそも台詞の量からしてカテリーナは分が悪いんだが……さゆちゃん、大変だったなあ。

 他の人たちが単体での朗読だったのに、会話として掛け合いをしなければならないグルーシェニカとカテリーナは大変だったと思う。
 とくに、会話の主導権がグルーシェニカであり、合いの手を入れるだけになってしまったカテリーナは、ものすごく割を食った。
 つか、新公学年の子が、トップスターと掛け合いして、勝てるわけないやん……。さゆちゃん、ドンマイ。

 とまあ、あまりに実力差がどーんと出てしまい、びびった感はあったんだが、それにしてもたのしかった、「虎同士の戦い」。
 となみちゃん、かっこいー。

 
 でもって次が期待の「歌唱披露」ですよ、プログラムにもそう書いてあります……って、あれえ? プログラム的には第2部は「対談:『カラマーゾフの兄弟』の魅力に迫る」「歌唱披露:ミュージカル『カラマーゾフの兄弟』より」になってるんだけど、「対談」してたっけ……? 体操したり、朗読したりはしてたけどな?(笑)

 とにかく、孝せんせーも客席に着席してのお歌コーナーです。

 続く。
 さて、「声に出して読む『カラマーゾフの兄弟』」。
 『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、において、斎藤孝先生の指揮の下、客席も舞台もみんな原作の台詞を朗読させられるはめになったわけだが。

 ものごっつー「イイ声」でフョードル・パパの台詞をハマコ大先生が朗読したあとは、お待ちかね、主役のドミートリー@水先輩の出番です。

「なぜって、おれはカラマーゾフだからね」

 孝せんせが言うところの、ドミートリーの「キーワード」を含んだ台詞。

 かっ……かっこいい……!!

 それまでの、若干オネエ風味(笑)の水しぇんが、一気に「男役トップスター」になる。

 「声」が。
 舞台で聴く、「水夏希」の声なの。
 素顔なのに。
 素のままの姿で、一気に舞台上の顔になるの。

 うわーうわーうわー。

 見たかった。
 あたしコレ、見たかったっ。

 来て良かった。
 なんなのこのトークショー、たのしすぎるっ。

 素顔の水しぇんが、素顔のまま「男役」として空気を動かしてくれるの。
 一般人が到底見ることの出来ない、稽古場とかでなきゃありえない、ヅカメイクというファンタジーアイテム抜きでの、剥き出しの演技。

 そりゃただの「朗読」であって、実際に芝居をしているワケじゃないけれど。

 でも、ドミートリーとして語る彼は、「ちかちゃん」ではなく、「男役・水夏希」であり、彼が演じる「ドミートリー」という人物なのよ。

 フロックコートを意識したようなラインのジャケットに細身のパンツ、黒尽くめの姿にアクセントとしてでかいコサージュつけて、かっこいけけどとても謎なファッションをした水先輩が、そのうわーな姿ごとその場を別空間にする。

 原作の会話文の特徴のひとつに、( )による補足文挿入がある。
 「 」で括られた会話本文の中に( )で今語られている内容の補足・蛇足がぐだぐだ加えられているの。

 ドミートリーの台詞で言うと、

「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」

 の中の(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)のことね。
 わたしは会話文中にそんな補足を入れるのはアンフェアだと思っているし、自分では絶対やりたくない。補足を入れた方がわかりやすくなるのはたしかだけど、人間の会話には実際( )なんてありえないじゃん? 会話のニュアンスを通常のテキストだけで伝えることにこだわりがあるので、こーゆー手法は小説における顔文字や絵文字と同じくらい好きじゃない。ずるい、と思う。
 どーしてもここでこのセルフツッコミを入れさせたいというなら、地の文に開いて、フェアなカタチで挿入するね、わたしなら。
 でもまあ、ドスエフスキー大先生のやることだから、わたしがどうこういってもはじまらない。

 この、現実の会話には存在しない( )を、水しぇんはとてもナチュラルに表現した。

「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき……フッ……おれに起こるのはそんなことぐらいさ……、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
 
 この、「フッ」ですよ、「フッ」。
 孝先生も絶賛していたけど。

 自嘲の溜息を入れることで、補足文で解説されていたドミートリーのセルフツッコミ、このときの心情を表現する( )を本文中に融合させたの!!

 この自嘲の「フッ」によって、ドミートリーの人となりがさらに明確に浮かび上がってきたわけよ。

 うわああん、水しぇんかっこいー。

 わくわくわくっ、このドミートリーに会いたい、早く会いたいっ。

 
 あー、ドミートリー@水しぇんでテンション上がりまくったわ。

 
 次は次男のイワン@ゆみこ。

「この生きたいっていう願望を……」

 前もって配られていた“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”に目を通して、自分でも実際に朗読してみて、途中だけどまあ、原作も読んでいるところで、ゆみこの朗読する「イワン」は、少しイメージがちがった。

 わりとふつー、だな。
 と、思った。

 芝居の中でこの台詞を言うならこのテンションでいいんだろうけれど、今ここで、「そのキャラクタを代表する台詞」としてチョイスされたらしいキーワード的な原作台詞を朗読する場合、ちょっとぐらい大袈裟に表現してもいいんじゃないかな、と。
 2時間の芝居を通して表現するのではなく、今、この10行程度の台詞で「イワンってこんな人」ということをアピールするのに……なんかゆみこ、地味だ、と、思った。

 ゆみこはふつうに「長い作品の中の台詞のひとつ」として読んだんだろうなあ。
 「この台詞だけで、客席の人間すべてにオレを見せつけてやる!」ではなく。
 
 他の人たちがどこまでの意識で朗読をしていたかはわからないが、他のキャラたちの台詞はどれも強烈だったので(笑)、そこだけ抜き出されていても、キャラ紹介としてわかりやすいのね。イワンはその点割を食っているので……て、コレはのちの歌部分でも感じたんだが……「ふつう」っぽくまとまっちゃったのが、残念だなあ、と。
 や、ゆみこにはつい「もっと!」を求めてしまう(笑)。できる人だと思っているから。

 別の台詞ならよかったのに……って、イワン、喋り出すととにかく長いからなー、長い分、短くぴりっとコレ!という抜粋がしにくいのかなー。や、不勉強なわたしが言ってもとんちんかんなだけだと思いますが。

 
 で、ここまではとても孝せんせーのペースで進んでいたんだけど、時間がなくなっちゃって。
 なにしろわたしたち観客も、いちいち立ったり坐ったり、体操させられたりしてたので、時間が押してしまったのな。

 ひとりずつのキャラをいろいろ語ったり、ジェンヌの朗読に感想を述べたりはもう、できなくなってしまった。
 つーことで、あとはもう、巻きに巻いて。

 水しぇんよりさらにフロックコートまんまなスーツ姿で、三男アリョーシャ@コマは、

「ぼくはこの二、三日のうちに……」

 と、彼もまたキーワードである「ぼくだってカラマーゾフなんですからね!」という言葉を含んだ台詞を朗読。

 アリョーシャは清涼剤。濃ぃい人たちの中、ほっとするかわいらしさ。
 孝せんせー曰く、「カラマーゾフ家のペット」。

 あー、わかるわかる、それぞれひどい言葉で罵り合っている家族でも、ペットのわんちゃんには目尻下げて赤ちゃん言葉で話しかけちゃったりしてね。
 みんな大好きなんだよね。

 コマがうまかったかどうかはよくわからないが、「タカラヅカの男役」として真っ当に表現していいのが、アリョーシャというキャラの持ち味であり、抜粋されていた部分の台詞だったので、問題なく耳に入ってきた。

 
 文字数ないんで、続く。
 えー、ヅカファンつーのは「ル・サンク」の脚本を朗読して「ひとりタカラヅカ」やるのがふつーなんですか?
 あるいは仲間内でお芝居の台詞言い合ったりして遊ぶのが?
 贔屓の歌のパートを知るために、公演の歌を自分で納得いくまで実際に歌ったり、曲を覚えるために『エリザベート』全部ひとりで歌ったり台詞言ったりするのが、ふつーなんですか?

 本日、わたしはかなり久しぶりに小説を「朗読」しました。
 たぶん教育実習以来です。
 ひとりではなく、大勢の人たちと一緒に、小説を読み上げました。

 朗読は得意分野だし大昔は演劇部だったし、教育実習のとき教材の小説をまるまる芝居調に朗読して生徒から授業中に拍手もらったりとかそーいやあったなー、とか思い出したり、てなわけで朗読自体はどーってことはないことなんですが、そのあと友人たちとごはん食べてるときに、

「みんな朗読うまいよね」「みんなふつーに声出してたよね。声を出せって言われても、誰もナニも言わないことだってあるだろうに、みんな物怖じしないし」「ヅカファンだからね」……という話の流れで、ヅカファン=脚本を朗読して遊ぶのが日常、みたいなことになり、びっくりしたのだわ。

 わたしは、ヅカごっこをしたことは一度もありません。

 台詞も言わないし、歌も歌わない。
 「ル・サンク」に目は通しても、音読なんかしたことないよー。

 教育実習以来の「朗読」。
 ええ。

 声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」。

 はい、行ってきました、『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、なつかしの中之島中央公会堂。
 なんでなつかしいかってそりゃ、昔、中之島中央公会堂では毎週同人誌即売会が開催され……ゲフンゲフン。

 第1部が『カラマーゾフの兄弟』ポスター掲載の7人+サイトーくんによる、「『カラマーゾフの兄弟』を公演するにあたっての雑談(笑)」、第2部が『ドストエフスキーの人間力』の作者・斎藤孝先生による『カラマーゾフの兄弟』講座。

 この第2部で、『カラマーゾフの兄弟』原作の朗読コーナーがあったんだ。

 入場時に配られたパンフレットに、“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”というリーフがあり、nanaタンとふたりして「誰がこの台詞のチョイスをしたの?!」と、首をひねってました。

 本日出演のキャスト7名のキャラクタの原作の台詞(亀山訳の文庫からまんまコピーしたもの)なんだけど、ちょっとというか、かなりまずいのだわ……その、ネタバレ的に。他にも台詞はあるだろう、なんでよりによってコレ?!
 
 さらに、斎藤孝先生著作から引用された「登場人物とキーワード」というリーフには、さらに決定的にネタバレ……つーか、オチの部分まで丁寧に解説してある。

「やっぱ大学教授呼んでやる講演会だから、『カラマーゾフの兄弟』を読破していることが前提条件なんだよ」
「ストーリーもなにもかも知っている人、核心に触れても構わないっていうことなんだねー」

 と、話していたんだが……第1部でキャラ紹介と役に対する意気込みや感想を語る水しぇんたちが、「事件」とか「真犯人」とか「もうひとりの兄弟」について話しそうになると、サイトーくんが横から割って入り、「ソコはミステリってことで」とか、「見てのおたのしみで」とか言って、語らせなかった。
 物語がどうなるのかは、いちおー秘密らしい。

 あのー……。
 サイトーくんが「秘密」と言ったこと、みんなパンフレットに書いてありますが……。
 そもそも朗読用の台詞集にアレが……ゲフンゲフン。

 とゆーことがあったので、台詞を選んだのが斎藤孝先生だとわかった。事前に打ち合わせはしていないらしい……。していたら、サイトーくんが孝せんせにネタバレ禁止をお願いしていたと思う。
 孝せんせーは、『カラマーゾフの兄弟』を読破した人がほとんどいない客席に、肩を落としていた。ふつーなら、読者を想定して講演している人なんだろーになあ。
 ここに集まっているのは、ドストエフスキーファンでも、『カラマーゾフの兄弟』ファンでもなく、ただのタカラヅカファンで、雪組のファンなわけだから。

 あ、わたしも原作は読破してません。今よーやく3巻で、よーやくおもしろくなってきた、ってとこ。2巻の「大審問官」で難破しそうになったよ……(笑)。
 韓流長編ドラマを見るより、ドストエフスキーを読む方が敷居が低い、というのがわたしの現実。
 読み切ってはいなくても、ストーリーはなんとなく知っているので、ネタバレしてもまあいいっちゃいいんだが。サイトーくんが必死にネタバレ回避していたのに、意味なかったことに「あーあ」と思う(笑)。

 てゆーか、出演者も、誰も原作読んでないから(笑)。

 「マンガで読んだ」とか「自分の役が出てないとこはトバした」とかだから。
 彼らにとって『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキー作ではなく、斎藤吉正作だから。……原作読破より先に脚本読んで、役作りしてるわけだから。

 そんな状態の出演者と、客席を相手に、孝せんせーはめげずに「声に出して読む日本語講座」をするわけだ(笑)。

 台詞集がパンフレットに入っているのを知ったとき、わたしとnanaタンは「出演者が原作の台詞を読んでくれるってこと?!」ときゃーきゃーよろこんだんだが、まさか自分たちも読まされるとは思わなかった(笑)。

 孝せんせがまず朗読し、それにわたしたちが続き、それらが終わったあとで真打ち登場、ジェンヌが「役になりきって」同じ台詞を朗読する。

 最初はカラマーゾフ家の父親、フョードル@ハマコ。

 なにしろそれまでが「斎藤孝せんせの講座」なわけで、「私の講義ではいつもこんなですよっ」という、彼のペースで進んでいるなか、突然タカラジェンヌがタカラヅカとしての芸を披露するわけですよ。

 舞台上のジェンヌ席から舞台中央に出てきたハマコは、「恥ずかしいですね(笑)」と照れ笑いしたあとに。

「おれの信念でいうとだな……」

 と、めちゃめちゃイイ声で、朗々と語り出した!!

 原作のパパの台詞。ええ、かなり最初に出てくる台詞だな、わたしが知ってるわけだから(笑)。
 通る声、滑舌の良さ、浮かび上がる「キャラクタ」……。

 ハマコ、すげえ。

 「恥ずかしいですね(笑)」と笑った次の瞬間、別人になってますよ!

 かっこいいっ。ハマコかっこいいっ。

 純粋に、「この人すごい。この人うまい」と思った。
 そして、誇らしかった。

 ヅカファンとして。
 タカラヅカを知らないわけじゃなくても、あくまでも「知らないワケじゃない」程度のエライせんせーの前で、芝居の台詞ではなく原作の朗読で、ここまでやってしまえる人がタカラジェンヌだということ、こんな人があたりまえにいるところが宝塚歌劇団なのだということが。

 ハマコ・タイフーン。
 最初にどーんとぶちかましてくれたので。

 誇らしい反面、そのあとで朗読する人たち……とくに下級生たちが、気の毒になった。

 最初がコレだったわけだから。このレベルが求められるんだよ? が、がんばれー!!

 文字数ないんで、続く。
「とどのつまり、毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ」

 ……いったい何人に、この台詞を聞かされたことだろう。

 『マリポーサの花』のラストシーンのことですよ、ええ。

 一緒に生きることもできない、いつ帰れるかもわからない。
 そんなときに「待っていろ」と言う男なんて、最低。
 毎月、変わらない心の証に花を送る、なんて、最低の上に、最悪。

 女の幸せを考えていない。自分の都合、自分本位の価値観。

「よーするに、男目線なんだよね」

 はい、その通りです。

 正塚晴彦の書く物語は、いつだって完璧に男目線。オンナゴコロなんざぁカケラもわかっちゃいない。

 毎回毎回飽きもせず、「男のロマン」を書き続ける。それもちょっと時代遅れの、時代遅れなことすら「かっこいい」と思っている団塊世代あたりのオヤジ価値観。

 ツッコミ担当ドリーさんが「あの学生運動コンプレックス、なんとかしてほしいんだけど!」てなことを言い捨てていたのは、的確すぎて、痛快。

 正塚的には、「生きている証の花を送り続ける」から、かっこいいんだろう。自分で書いてて「くぅ~~、かっこいいよなっ」と思ってるんだろう(笑)。
 でも、観客である女からしてみりゃ、夢も冷める最悪行為という(笑)。

 作中のセリア@となみが送られてくる花をよろこぶのはわかる。彼女の立場、状況ならそうだろう。
 しかし観客はセリアじゃない。客席で物語を眺めているわけだから、現実問題、「あの状況で、あんなことをする男は嫌だ(笑)」ということになる。
 「ま、所詮絵空事だからアレでいいけど(笑)」……女性がそう思うなんてこと、正塚はまったく考えていないんだろう。自分があまりのかっこよさにシビレているネロ@水の行動に、女はとーぜんセリアのようにめろめろになると思って、書いてるんだろう。

「そーゆー男の浅はかさを、かわいいと思えるかどうかだね」

 正塚作品を愛せるかどうか。

  
 いやあ、迷惑千万だよねー、ネロみたいな男って。
 毎月きちんと送られてくればいいけど、遅れたりしたらセリアはものすごーく気に病むだろうし、来なくなったら「ネロが死んだ? それとももう私のことどーでもよくなった?!」と思い悩むよね、傷つくよね?
 かといって、10年20年送り続けられたら、さらにひどいよね。なにもしてくれない男に義理立てして、目の前にどんな幸せがあっても背を向けろってか? セリア自身が心変わりしても毎月の花はすげー重荷だし、なにか事情があってそれ以上待てなくなった場合は毎月断罪の証として届けられるわけだよ?

 どれほど無神経なら、こんな仕打ちが平気でできるんだ??

 ふつーに現実を見つめる女性たちが「毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ!」と一刀両断するのもとーぜんですよ、正塚せんせ?(笑)

 でもわたしは、非現実世界こそを愛して妄想して生きるヲタクとゆーイキモノなので。
 もう二度と会えないかもしれない女に、毎月きちんと花を送り続ける……それを「かっこいい」と本気で思っている男を、「かわいい」と思う(笑)。

 そして、純粋に萌えだと思う。

 この「男の無神経さ」が。

 ふつーに「美しい物語」として、正塚が夢想する通りの「生きている証」を毎年受け取ってしあわせに微笑むセリアにも、わくわくする。
 また、あるとき花が届かなくなったり、遅れたりして、そのたびに取り乱すセリア、というのにも、すごくわくわくする。
 何年も経って、送られてくる花がセリアを縛る鎖となり、日常の中でどれだけ彼女が苦しむかも、想像するとわくわくする。
 でもって、いつかセリアがネロを憎むようになったりして。
 また、心は変わらずネロのもとにありながら、事情があって他の男と結婚しなければならなくなったセリア、にもわくわくする。それでも彼女は毎月花を受け取るんだよ。心をズタズタにされながら。
 あるいは、乾ききってナニも感じず、受け取るなりゴミ箱へ投げ捨てるの。悲しみゆえに心を閉ざしたのもアリだし、ほんとーにもうネロのことなんかどーでもよくなって、「また来たわー、うざ」と思ってるの、心から!てのも、アリっす、わくわくっす!

 反対に、ネロに対しても。
 セリアのことを愛しながらも、事情があってどうしても花が送れなくなってしまうネロの葛藤、なんてのを想像するとわくわくする。
 いつの間にか花を送ることが義務になってしまい、心に澱を溜めていくよどんだネロ、つーのもわくわくです。
 さらに義務が鎖になり、いつしかセリアを憎んでしまうネロ、とゆーのも、すげーわくわくですわ。
 他に愛する人ができてしまい、「やべ。セリアどーするよ?!」と苦悩するネロなんて、これまた素敵にわくわくっ(笑)。

 「もう二度と会えないかもしれない女に、生きる証の花を送り続ける」という、アホなことをするキャラクタだからこそ、悲劇的結末がいくらでも想像できて、楽しい。萌える。

 あーもー、ネロってば大好きだ。

 『マリポーサの花』はすごくキレイに終わってるけど、現実的に考えれば、待っているのは高確率で悲劇だから(笑)。
 しかも、泥沼系、人間の醜さ全開系の不幸てんこ盛りになるって。

 や、無事に政変が起こり、ネロが帰国できる未来がすぐに来るかもしれないけど、正塚的美学では、「半年後には、ふたりは無事再会し、幸せに暮らしました」ではないんでしょ?
 いつ、と簡単に言えないくらい期間はあり、また、先が見えないことがロマンなんでしょ?

 なのに、ネロの行動を「かっこいい」と悦に入っていられるのは、男目線だよなあ。
 や、そーゆーとこも含めて、とにかくたのしいです。

 
 わたしは、正塚作品が好きです。
 あの恥ずかしい「男のロマンチシズム」も含めて。 
 昔、わたしが正塚晴彦にハマって間もない頃、「正塚作品は嫌い!」と言う人と話して、実感がわかなかったことがある。
 どうしてキライかと尋ねると、「暗いからキライ」と言う。
 暗いって……まあ、明るい話ではないわな。重いっていうか、タカラヅカらしいキラキラした、王子様とお姫様の夢物語ではないよね。
 王子様が出てくる、華やかなドレスに舞踏会もいいけど、それだけじゃなくてもいいじゃん、正塚みたく、現代と陸続きのとこで政治だの革命だのやってる作家がいても。

 や、チガウんだ。誰も作品内容の話なんかしていない。

「正塚作品は、舞台が暗いから、キライ」

 ……照明の問題、だと言うんだ。
 はあ??
 心から、びっくりした。
 照明は演出手段、表現手段でしょ? 暗いったって、ちゃんと出演者の顔は見えるし、つか見えなかったら芝居になんないし。ナニをわけのわかんないことを……。

 たしか大劇場では、『二人だけが悪』をやっていたと思う。
 わたしはこの作品が大好きで、機嫌良く劇場に通っていた。ブエノスアイレス、タンゴ、元CIAの男、と、いつもの正塚炸裂。この「元」が正塚よねー。元革命家、元軍人、元殺し屋……とにかく「元」なのよ、現在じゃないの。男のロマンよねー(そして、男のロマンとは女にとってしばしば笑えるモノだったりもする・笑)。
 「正塚作品がキライ」と言う人は、もちろんこの『二人だけが悪』もひどく嫌っていた。
「舞台が暗い、つまらない!!」
 暗い中に浮かび上がったセットがきれいじゃん、場面転換がきれいじゃん、ナニ言ってんの?

 うん。
 わたしは当時星組ファンではまったくなかったし、贔屓組だって組子全員の顔と名前おぼえて舞台上で点呼したり、下級生の成長を楽しみにしていたりは、しなかった。
 あくまでも「物語を観ている」わけだから、筋に絡む主要人物以外は観ていないもの。で、主要人物はちゃんとライトを浴びているから問題ない。

 「暗いからキライ」というのは、ただ純粋に、単純に、脇の下級生の顔が見えないって怒ってたんだよね。ご贔屓や、気に入っている子たちの、顔すらまともに見えないから「つまらない」って言ってるんだよね。

 わかってなかったよ。当時はほんと、真ん中さえちゃんと見えれば、芝居さえちゃんと演出してあれば、それでいいと思っていた。

 や、それでいいと思うけど、なにしろココはヅカなので。
 主役たちのドラマの背景で、ライトの外で目深に帽子を被って踊る姿を「演出」として使用するのも粋だと思っちゃいるが、たしかに贔屓の出番がソレばっかじゃあ、「キライ」という人がいても無理はないか……。
 
 という話を思い出した。

 『ブエノスアイレスの風』キャスト感想つれづれに行きます。

 誰が出ているのか、いつものよーになにも知らずに行ったので。

 幕間にポスターに記載されている名前を見て、そうそうたるメンバーが出演していることに、びっくりした。や、プログラムは買ってないので、出演者一覧はポスターしか資料がないのよ。

 1幕では、マジで知らなかった。
 ふつーに「物語」を見ていたので。主人公のニコラス@れおんを見、彼の目線の先しか見ていない。彼と直接に関わる人しか見てないし、関わりの度合いによって注意もチガウ。

 通行人や店の客、ライトの外で帽子被って踊る人たちが誰かとか、さっぱりわかってなかった。

 誰が出ているか、アタマに入れてからなら「あ、あそこにいる」といちいち探すことが出来たけど……うわー、組ファン以外わかんないよコレ、いわゆる「路線」以外の顔と名前の一致している人しか、「顔」すら舞台上で確認できない……。

 タカラヅカはリピート観劇が基本だから、最初は「物語」を見ていても、次からは背景芝居やモブのひとりずつに気を配って点呼していったりするのかもしれないが……初見1回限りの組ファン以外観劇では、きついなこりゃ。

 で、今さらながらに『二人だけが悪』も、ひどい演出だったなそーゆー意味で、てなことを思い出してしみじみした……同じ星組つながりで(笑)。

 もちろん、モブはモブ、真ん中だけ物語だけちゃんとできてりゃ、それでいいんだけどね……ヅカってとこは因果なとこだよなあ。

 
 とりあえず、武器商人@水輝涼は、アレでいいんでしょうか?

 二枚目なのかそーでないのか、ただひたすらクドくて、よくわかんないです。
 本人は二枚目に作っているよーな気がしますが、役割的にはチガウんじゃないかなとか、見ていて落ち着きが悪かったです。
 お化粧もすごく濃くて……気合い?

 いやその、かっこいいんですが。
 クドくて彼だけなんか空気がちがっているところも、愉快だとは思いますが。

 うーん……。

 
 みやるりは台詞ひとつ……というか、一場面だけ?
 その声が良くて、「おっ」と着目したら、みやるりだった。いたんだ?!(がーん)
 存在を認識してからは、暗がりでもわかる美貌……。

 他、れんた、キトリ、ミッキー等、2幕以降に点呼をはじめる。
 研1ちゃんたちも出てたのね、お孫さんは新公に続いて抜擢? 台詞アリだがんばれ。レイラはマジで顔が見えない(笑)。
 知ってる顔だ、と思ったらそーだスカフェの子だ、とか。や、目立つね、彼女。

 年長組のかつきさん、ゆうかちゃんは探さなくてもわかるけど……またすごい役なんだな……って、役としての出番はアレだけ?

 あー……たしかに「正塚作品は暗い」わ(笑)。

 
 抜擢続きで猛烈修行中の真風くん、どこまでも水しぇん似な姿。あれだけ顔と声が似ていると、技術も比べられてしまうから大変だよなー。
 今は全力で「男役」という難題に向かって行ってる感じ。がんばってほしいなー。

 しかし、このマルセーロ@真風の「母」がコロちゃんというのは……。
 シビさん役のコロちゃんは、最初と最後のテーマ曲独唱で作品を牽引する重責を負っている。歌声はますます饒舌になり、彼女の芸幅の広さ、成長ぶりが感じられてうれしいのだけど。
 でもやっぱり、マルセーロの母親には見えなくて、母子ネタが出てくるたび、「えっ。……ああ、そーだった」と思った。

 リリアナ@千秋ちゃんは、かわいい。すごくかわいい。顔だけじゃなく、キャラごとかわいい。
 キティお嬢様@『ANNA KARENINA』より、こーゆー現代的な子の方が似合うかな。

 ロレンソ@美城れんはあまりにまりえったまんまで、びびった(笑)。
 初演を知らないのに、「あ、この役ってまりえっただったんだ」とわかったってば。
 これだけよくコピーしたなー。自然なおっさんぶりも素晴らしい。すごいぞ84期(笑)。

 バーテンのどいちゃんは、観る前から周囲のどいちゃんファンたちがうるさくて(笑)。
 たしかにかわいい。妙な味がある、バーテンなのに身のこなしがきれい。でもわたし的には、『ANNA KARENINA』とかの方が……って、はっ、わたしはもう、彼をおっさん認識しているのか? 素顔はあんなにいとけない美少年なのに?!

 
 正塚は役者の好き嫌いが配役から見えがちな人なんだけど。
 今回の『ブエノスアイレスの風』では、どうだったんだろう。
 てゆーか、和くんのことどう思ってるのか、聞いてみたいわ。
 敗北がかなしいが、気を取り直して『ブエノスアイレスの風』キャスト感想。

 ニコラス@れおんは大人になったなあと思う。ショーヴランが素敵だった記憶があるだけに、無意識に底上げされているかもしれないが、ゆっくり地道に力をつけている。

 しかし、正塚芝居に合わないんだろうか。
 たんに正塚芝居をしているときに、わたしと合わないんだろうか。

 『愛するには短すぎる』のときのフランク役で「結局ナニをしたかったのかわからないキャラだ」と思った、あのときから変わっていない気がする。

 そのときそのときはちゃんと動いているし、イイ声で男臭く、かっこいい野郎なんだけども。
 全体として俯瞰したとき、ふと我に返ると「……で?」になってしまうというか。

 正塚作品以外ではそんなことは感じないので、鬼門はココだけだと思う。

 
 さて、ある意味愉快なリカルド@和。
 街の不良少年が成人してちんぴらになった、という、正しい成長ぶりの男の子。……え? そーゆー役だよね?

 一昔前の暴走族とか、不良グループって、すごくいろいろ「掟」があったりするんだよね。
 チームを抜けるときは制裁を受ける、とかさ。
 自分に自信がなくて、ひとりではいられないので、とにかく群れる。でも、自分も他人も信じられないから、「掟」で縛る。
 暴力によって、恐怖によって、はじめて安心するの。ひとりじゃないって。アイツはオレを裏切らないって。

 「敵」の存在もそう。
 「敵」を作ることで、「味方」でいられる。闘うべき「敵」がいるから、結束し、「仲間」でいられる。ひとりじゃなくなる。

 ひとりでは、いられない。
 こわくてこわくて、仕方がない。
 暴力でも掟でも、メールでも掲示板でもなんでもいいから、誰かとつながっていないと、不安で生きていられない。

 えーと、そーゆー男の子だよね、リカルドくんって?

 だから、暴走族で同じような格好して「オレたちは仲間だ、裏切りはゆるさねぇ」とか言って、敵チームとか警察とか大人とかと闘っているときは、イキイキしていられたんだよね?
 でももう未成年じゃないし、仲間たちはみんな大人になって就職して、「ゾク? ハタチ過ぎてまでやるこっちゃないっしょ(笑)」って言われて、がーーんってなるのね?
 仲間さえいれば、居場所を見つけられた。仲間であるためには、集う理由が、闘う理由が必要だった。だから敵を脳内設定していた。いつもいつも、見えない敵と戦い続けた。敵さえいれば、「仲間」が在る、はずだったから。

 闘う理由もないのに闘おうとして、その戦いの資金のために銀行襲撃を考えて、銀行襲撃する武器を手に入れるため、妹を犠牲にして。

 欲しかったのは、居場所。生きる意味。存在価値。
 いわゆる中二病。

 ……というキャラクタは、大変愉快です。
 あまりにバカでかわいい。はた迷惑で、人生ナメきってるとことかデコピンしたくて仕方がない。
 不細工ならゆるせんが、なにしろ絶世の美形なので、すべて許せる(笑)。人生なんてそんなもん。

 てゆーかさ、こんだけ美貌があって、どうして自己肯定できないのか。妹という自分の分身以外をなにも持っていないと思い込むのか。
 その屈折ぶりを思うと、興味深いです。

 誰か、身内以外の人が教えてあげるべきだったんだよ。「キミは自分に価値を見つけられないかもしれないけど、客観的に見てその美貌には価値が生じるよ」と。
 人格とか才能とかは置いておいて(笑)、とにかくわかりやすいところで、「美貌」。
 わかりやすいとこでないと、お馬鹿なリコくんは理解できないでしょ? まず、美貌を認めて、あとはそっから自分探しするがヨシ。

 しかし、彼の周りには妹しかいなかったんだよなあ。妹は彼の一部分だから、ナニ言っても意味ないし。
 ニコラスが言えば…………あああ、あの男はそんなこと死んでも言わねえ。てゆーか、男の顔の美醜なんか、絶対区別ついてねえ(笑)。

 まあ、ともかく。
 リカルドは興味深いです。
 つか、和くんでなんか、ややこしい役とか、じっくり見てみたいなー。

 
 イサベラ@ねねちゃんは、やっぱ「華」なんだなと。
 ヒロインがちっとも特別扱いされない正塚芝居において、自力で輝かなければならないところを、ちゃんと「わたしはヒロインよ」と華やかさで自己発信してるんだもの。
 単独ヒロインではないのかもしれないが、とにかくヒロイン級の役だとわかる。華美な衣装やファンファーレ、ライトがなくても。

 長身に小顔、長い手足とまあ、シンプルなドレス姿が、栄える栄える。
 ダンスがうまいかどうかより、彼女単体の美しさで説得力になる。

 イサベラの抱え込んだ人生の重みは、脚本には多少描かれていたと思うし、彼女の自宅の場面などその場のインパクトはあるんだけど……なんだろう、それによって彼女がどう生きているのかは、あまり伝わってこなかったような。

 
 キャラクタがよくわかったというか、うまい!と思ったのは、エバ@まりもちゃん。
 彼女はちゃんと脚本通りの演技をしていると思う。耳から入る情報と、目の前の光景に齟齬がなかった。
 たしかに7年前は大学生で、今は社会人だわ。

 となると、他のキャラクタとのバランスがおかしくなる……こまった。

 エバがほんとに地に足つけて自分の人生を生きている、等身大の女の子だったので……すまん、27歳くらい?だと、わたしからすりゃ「女の子」だ、つきあっている男がアレでいいのかと首をひねったよ。

 ニコラスはいいの。
 エバと対峙していると、違和感はあるんだけど、まあそんなこともあるかな、元法科のインテリ学生革命家だったのかな、と想像できないこともない。

 ただ、ビセンテ@ベニーがなー……。
 なにしろキャリアがない(路線として扱ってもらって来ていない)ため、技術が乏しいことはわかっていたが、本気でやばかった(笑)。
 正塚芝居は新公がひどいことになる、というお手本のように、役というか、立ち居振る舞い着こなしから、全部に手こずっていた模様。
 元軍人で現刑事には、見えない。てゆーか、大人に見えない。
 いっそエバの家庭教師時代の生徒、とかゆー設定だったらよかったのに。今24歳くらいで、今年よーやく憧れの刑事になりました!みたいな。元軍人設定はナシで、戦争で家族亡くしたからゲリラを憎んでる、とかでいいじゃん。

 設定とベニーがまったく合ってないので、エバがなんでこんな男にプロポーズされていろいろ思い悩むのかわからん……。

 とまあ、辛口ではあるが。
 ここまでなんにもできてないのに、ベニーは、負けていない。
 できていないことを本人わかっているのかいないのか、自由に舞台の上にいるよね(笑)。
 動くときに、まず心を動かそうとしているのがわかる。……技術が足りてないから空回りしているけど、彼が「なにかしよう」と思ってソコにいることは、わかるの。
 やっぱおもしろいなあ、ベニー。

 この子に技術がつけば、どんなに愉快なスターになるだろう。今後がたのしみだー。




 す、すみません。
 わたし的にものすごーくびっくりな終わり方でした。

 『虹のナターシャ』初日と同じくらい、びっくりした終わり方だったかもしれません。

 正塚晴彦作『ブエノスアイレスの風』にて。

 えええ、天下の正塚作品なのに、植爺作の超珍作と同列に並べちゃうって、どーしたんだわたし、ダメだろわたし!

 つまり、「ここで終わり」とは思わずに観ていて、一拍遅れて「えっ、終わってたの? アレで終わり? え? え? 続きはっ?!」となったのでした……ほほほ。

 えー、初演・再演共に観ていません。リカちゃんが苦手だったのと、バウ公演ではなかったため。バウならせめて、再演の方を観ていたのに。

 ストーリーはシンプルでわかりやすい。とゆーか、いつか観たハリー芝居のエッセンスがいっぱいなので、取っつきやすい。とゆーか……『マリポーサの花』と同時期に上演していい話じゃないだろコレ。
 『マリポーサの花』と『ブエノスアイレスの風』はもちろん別の話なんだが、なんだか本公演と新人公演を同時に別のハコで上演しているような感じが、……ええっと、その場合どうしても新公の方が割を食ってしまうというか、ええっと。

 政治犯として投獄されていたニコラス@れおんは、政変による特赦で出所した。
 彼が倒そうとしていた軍事政権はすでになく、今は民主政治となっている……わけだから、ニコラスはもう革命家でいる必要はない。とりあえず新しい生活を、と彼は酒場で働き出すわけだが、そこでダンスの才能を見出され、イサベラ@ねねちゃんと組んでダンスのオーディションを受けることになった。
 が、そこへトラブルメーカー襲来。過去の生き甲斐が忘れられないリカルド@和は、妹のリリアナ@千秋ちゃんと共にニコラスへ、「なんでもいいから革命やろうぜ!」と持ちかける。
 ニコラスは断ったが、リカルドはめげずに銀行襲撃を計画、リリアナを武器商人へ人質として差し出したり、めちゃくちゃやりまくり。放っておけないニコラスは大切なオーディションをすっぽかして……。

 へ、変だ……革命とか政治とか、生きるとか生命とか、重いものを基盤にしたテーマが垣間見えるんだが、なんだかそこへわたしがたどり着けない。

 なんかすごく、「軽い」物語に見えた。

 7年前だっけ?かに、ニコラスたちが革命を目指していたとは、思えないんだ。
 それによって人間がほんとうに「死んだ」というのが、ぴんと来ない。
 革命ごっこで、オモチャのピストル持ってただけじゃないの? ってゆーか……。

 ニコラス単体なら、まだ「過去があるんだな」と思えたんだけど、そこにリカルドがやって来ると、説得力が一気に下降するというか。

 彼ら自身がまだ、学生に見えるせいだろうか。
 今21で、7年前っつったら中学生じゃん? 中学生の夢見た「革命」って、ごっこだよね?的な。

 リカルドの過去へのこだわり方が、ただの拾った石ころを「本物の宝石だ、大人にはわかんないんだ!」と言っているようで……彼を哀れだと思うけれど、それよりも「はた迷惑なヤツだな」と嘆息してしまって、こまる。

 耳に入る情報と、目に映るモノがちがいすぎるのが、混乱の原因かもしれない。

 台詞では、彼らが「大人」であり、「重い過去」があるように聞こえる。だけど実際に目に映っているのは、世間知らずの学生さんが「大人はみんな汚いっ、うわーーんっ!!」と言っている姿。
 リカルドを諭しているニコラスは、学級委員みたいだし。

 ニコラスに敵対するビセンテ@ベニーも、刑事だと言ってるけど、刑事に見えないってゆーか、ええっとその着こなせていないスーツはなんだ、ヒゲをつけてりゃ大人に見えるってわけじゃないぞ?!な、謎なビジュアルの人だし。
 なのに彼の愛する女教師エバ@まりもは、ひどく大人の女性だし。

 なんか、大変なことになっているような……。

 本来これは、どーゆー話だったんだろう、と、初演を観ていないことを、今さら悔やむ(笑)。

 んで、リカルドの後始末をしたところでフィナーレ突入して、マジでおどろいた。

 ええっ、これで終わり?! ニコラスの人生、ナニもはじまってないじゃん?! つか、イサベラってナニ?!

 リカルドが強烈すぎて、ニコラスが見えなかったのか、わたし?

 ニコラスが誰を好きで、ナニを胸に抱いて生きているのか、わかんなかったっす。
 新しくはじめる過渡期であることはわかるが、それにしても彼の思いがどこにあるのか、今現在目の前に起こっていることだけしか見えなくて、しかもソレはニコラス自身のコトではなく他人の騒動で、その出来事が終わったら物語終了って、じゃあニコラスの物語はドコ?! ……と。

 完全に置いていかれてしまった……。敗北感。

 いやその、観ている間はたのしいの。
 れおんかっこよくて、いい男になったなあ、と思えるし。和くん美しいし。ねねちゃんあでやかにきれいだし、千秋ちゃんかわいくていじらしいし。
 なまじたのしく観ているから、突然終わってびっくりした。

 突然のゲームオーバー。コントローラ握ったまま、あぜん。えーと、わたしなんかヘタ打った? 即死するとは思わなかった。
 わーん、リトライさせてよ、コンティニュー無し?!

 「名作」との誉れ高き作品だと聞き及んでいるので、クライマックスになっていたことや、エンディングになっていたことに気づかず終わってしまったのは、わたしが悪いのだろう。
 どう考えたって、『虹のナターシャ』とは作品の格がチガウわ! なのに同じように「えっ、終わってたの?!」と愕然とするなんて、正塚と作品に失礼だわ。
 だから謝る、すみません。

 もう一度観れば、違って見えたのだと思うけれど、チケットもないし不思議なほどチケ難だし、たぶんわたしには向いていなかった、縁がなかったとあきらめるべきだろう。
 人間、向き不向きはどーしてもあるんだし。

 ううう、なんかしょぼんだわ。
 

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