いろんな鼻があるから(笑)。@新人公演『バレンシアの熱い花』
2007年7月20日 タカラヅカ ホルヘが美形キャラで、びびったんですが。
これで最後だ、新人公演『バレンシアの熱い花』の感想。
ホルヘ。ルカノールの腹心のひとり。本役は鈴鹿さん。
鈴鹿さんが現在のヅカでは唯一無二の芸風を誇る人なので、それを真似ても意味がないことはわかっているが……本公ホルヘは三枚目的悪役、「黒い天使はフェルナンド!」と勇み足で館に押し入り失敗したりするキャラクタ。
それが新公では、ふつーに二枚目になってました。七海ひろきくん。前回の『維新回天・竜馬伝!』新公では沖田総司やってた子だから、目指すモノがそっち系の子なんだろうな。
年長の美形キャラ。
諜報長官らしー、クールな風情で。
本役と同じキャラには、したくてもできないのだから、いっそここまで別物にするのはアリだろう。
ルーカス大佐@ちーがギラギラしまくっているので、すっきり系でまとめるのはコントラストもいい。
でもバルカ@朋夏朱里くんとキャラがかぶっていたよーな気が、しないでもない……。
二枚目なので、親子の名乗りも美しい。
いちばん見せ場で噛んでしまったのが惜しい。東宝ではびしりとキメてくれ。
あと、本気でおどろいたんですが、きみつんってまだ、新公学年だったの?
レオン将軍役で出てくるからびっくりした。
まだ研7なのか!! めっさ本気で、ナチュラルに、もっとおっさ……ゲフンゲフン、大人なんだと思い込んでいた。
この学年であのおっさ……大人っぽさは財産だ。素晴らしい。
個人的に、とても目につく月映樹茉くん。役がついているのだけれど、台詞もあるのだけど、本公の役(ホルヘの部下やってるよね?)の方が目立っているよーな気が、しないでもない……。
まだこの子のお芝居らしいお芝居、見たことないんだよね。文化祭でも、わたしが観た回の芝居には出ていなかったもの。芝居が好みだといいなあ。
すっきりとした立ち姿、薄い顔(笑)。メイク次第でいくらでも美形に化けられるはず。まだ研2、これからのおたのしみ。
あと、「鼻の君」こと蒼羽りくくんがいろーんなところで目につきました。
鼻が目立つってのは強いね、かぶり物していたってわかるもの(笑)。
街の男かなんかでふつーに台詞言ってたと思うが、組配属されてすぐの新公で台詞アリってすごいよね? うまいも下手もないよーな感じとはいえ。
りくくんもまた、文化祭で芝居は観ていない。……文化祭で気になる子って、高確率でわたしは芝居を見損なっているのよー。2分の1の確率に破れて。
わたし的には芝居がいちばん気になるポイントなんだがなあ。
宙組はいちばん下級生の見分けがついていない組なので、とくに女の子たちがぜんぜんわかんない。
それが残念ナリ。
顔と名前の区別がついてこそ、なお観劇がたのしくなるとわかっているだけに、オイシイものを見逃しているよーでくやしい。
わかるのってかろうじて葉室ちあ理ちゃんと舞姫あゆみちゃんとかだもんなー。
ローラ役に抜擢のすみれ乃麗ちゃんも、たぶん次に観たらわかんなくなってそうだしな……。黒塗りだと、なにがなんだか。
活き活きしている若者たちだからこそ、もっと彼らのことを知りたいと思う。
バウホール公演がたのしみだ。
これで最後だ、新人公演『バレンシアの熱い花』の感想。
ホルヘ。ルカノールの腹心のひとり。本役は鈴鹿さん。
鈴鹿さんが現在のヅカでは唯一無二の芸風を誇る人なので、それを真似ても意味がないことはわかっているが……本公ホルヘは三枚目的悪役、「黒い天使はフェルナンド!」と勇み足で館に押し入り失敗したりするキャラクタ。
それが新公では、ふつーに二枚目になってました。七海ひろきくん。前回の『維新回天・竜馬伝!』新公では沖田総司やってた子だから、目指すモノがそっち系の子なんだろうな。
年長の美形キャラ。
諜報長官らしー、クールな風情で。
本役と同じキャラには、したくてもできないのだから、いっそここまで別物にするのはアリだろう。
ルーカス大佐@ちーがギラギラしまくっているので、すっきり系でまとめるのはコントラストもいい。
でもバルカ@朋夏朱里くんとキャラがかぶっていたよーな気が、しないでもない……。
二枚目なので、親子の名乗りも美しい。
いちばん見せ場で噛んでしまったのが惜しい。東宝ではびしりとキメてくれ。
あと、本気でおどろいたんですが、きみつんってまだ、新公学年だったの?
レオン将軍役で出てくるからびっくりした。
まだ研7なのか!! めっさ本気で、ナチュラルに、もっとおっさ……ゲフンゲフン、大人なんだと思い込んでいた。
この学年であのおっさ……大人っぽさは財産だ。素晴らしい。
個人的に、とても目につく月映樹茉くん。役がついているのだけれど、台詞もあるのだけど、本公の役(ホルヘの部下やってるよね?)の方が目立っているよーな気が、しないでもない……。
まだこの子のお芝居らしいお芝居、見たことないんだよね。文化祭でも、わたしが観た回の芝居には出ていなかったもの。芝居が好みだといいなあ。
すっきりとした立ち姿、薄い顔(笑)。メイク次第でいくらでも美形に化けられるはず。まだ研2、これからのおたのしみ。
あと、「鼻の君」こと蒼羽りくくんがいろーんなところで目につきました。
鼻が目立つってのは強いね、かぶり物していたってわかるもの(笑)。
街の男かなんかでふつーに台詞言ってたと思うが、組配属されてすぐの新公で台詞アリってすごいよね? うまいも下手もないよーな感じとはいえ。
りくくんもまた、文化祭で芝居は観ていない。……文化祭で気になる子って、高確率でわたしは芝居を見損なっているのよー。2分の1の確率に破れて。
わたし的には芝居がいちばん気になるポイントなんだがなあ。
宙組はいちばん下級生の見分けがついていない組なので、とくに女の子たちがぜんぜんわかんない。
それが残念ナリ。
顔と名前の区別がついてこそ、なお観劇がたのしくなるとわかっているだけに、オイシイものを見逃しているよーでくやしい。
わかるのってかろうじて葉室ちあ理ちゃんと舞姫あゆみちゃんとかだもんなー。
ローラ役に抜擢のすみれ乃麗ちゃんも、たぶん次に観たらわかんなくなってそうだしな……。黒塗りだと、なにがなんだか。
活き活きしている若者たちだからこそ、もっと彼らのことを知りたいと思う。
バウホール公演がたのしみだ。
いろんな花が咲くから。@新人公演『バレンシアの熱い花』
2007年7月19日 タカラヅカ 暁郷を語らずして、宙組新公は語れまい。
とゆーことで、はいはいはい、新人公演『バレンシアの熱い花』の感想の続きです。
ルカノール@GOアカツキ。
……すみません、わたしまたしても、配役チェックせずにおりました。
だもんで、プロローグが終わっていきなり登場してくるルカノールさんが、GOだとわかって、ウケました。
ルカノール役だったのか、GO!!
やだー、たのしそう(笑)。
GOのルカノール役を見て思ったいちばんの印象は、ソレです。
たのしそうにやってるな、GO。
自分のこと、色男だと思ってるんだろーな。悪役なオレ、かっくいー、とか思ってやがるな。
いちいちキメ顔作ってくるのが愉快。
や、スタァたるもの、これくらいナルシー入っててナンボですよ!!
作品が古くさ……ゲフンゲフン……その、時代物としての台詞回しや芝居を要求されるものなので、そこでの悪役っちゅーことで、GOの演技もそりゃーわざとらし……ゲフンゲフン……大仰かつクラシックなものでした。
GOの演技がアレなのか、それが演出だから仕方ないのか、もう少しふつーに喋って動いてくれてもいいのになー。でも、本役のともちも大概嘘くさい喋り方させられてるしなー。
昭和中期時代劇の悪代官みたいなんだよ、ルカノールって。役も演技も。それが演出意図なら、GOは忠実にやっていたってことかな。
新公でなにが萌えたかってあーた、ルカノールとセレスティーナ侯爵夫人の関係ですよ。
セレスティーナ侯爵夫人@たっちん。
硬質な美しさを持った、知的な大人の女性。
彼女が登場すると、場が華やぐ。
アイドル的な華ではないけれど、「役者が登場した」という空気の動きが、華やかさに通じるの。
ルカノールが「昔惚れていた」とイヤラシク言うのがたまりません。言外の含みがっ。
なになになに、ナニがあったのあんたたち?!
本公では「ありえねー」と思考停止するのみだったが、新公では萌えまくり。
たしかにこのふたりなら、昔ナニかあったかもしれない。
セレスティーナ的には「黒歴史」で、思い出したくもない記憶なのかもしれないが、たしかにナニかあった、男女のぬめりを感じてヨシ。
セレスティーナの美しさと賢さが、ルカノールをさらに男前に見せているのね。
悪役としての色気や華を、セレスティーナとの過去をほのめかすことでぐーんっと上げてくれた。
GO×たっちん、つーのもいいなあ……やたらと濃くて。
たっちんは、本公演で正統派ヒロイン……とゆーか、ヅカ以外ではウザくてありえないよーな「お姫様」キャラを演じ、新公で主役の母親役を演じ、いろいろ大変だと思うが、芸幅をどんどん広げていってほしい。
見るたびに期待感がふくらむ役者さんだ。
彼女もまた、新公主役経験者でありながら今回は脇に回って舞台を支える人。
主演経験者としての華と実力を、脇であるからこそさらに見せつけてくれる。これこそが、ひとりっ子政策でないことの素晴らしさ。
主役の母親、なんて、地味でも埋没していても仕方ないおばさん役なのに、セレスティーナ@たっちんは華やかな賢夫人ぶりが際立っている。
彼女の存在が、男たちをより魅力的に見せているんだ。フェルナンドにしろ、ルカノールにしろ。
シルヴィア@藤咲えりちゃんは、とてもきれいでした。
なんだかとても大人に……というか、年齢設定が高く見えたのは演技なのか、ただの見た目の結果なのか。
研3なんですか、彼女?? 若く見えないのは何故……。
相手役が相当アレだったので、彼と絡むことでしか芝居のしようがないシルヴィア役は大変だったと思うけど、相手役ともども地味に沈んでいっていたような。
別の人とお芝居をしているところが見てみたいです、はい。
マルガリータ@天咲千華ちゃんって、あの子だよね? トドロキのコンサート『LAVENDER MONOLOGUE』で相手役に抜擢されていた子。ちょっと独特の顔立ちの、かわいこちゃん。
独特の……というか、カエル系美少女なんで、わたしの海馬にインプットされたという(カエル顔スキー・笑)。
トドコンでもそうだっけれど、若く幼く相手についてゆくだけのお嬢様キャラというのは、これくらい若い子ならではの特権。ちょっとでも知恵だの経験だのがついてしまうとぶりっこ的に見えてウザくなる、難しい役。
つーことで、マルガリータ役は合っていました。
かわいらしくて可憐で。歌はよたってたけど、声はきれい。
若さと持ち味だけで勝負、演技はどうなのかまでわからないっす。……まあ、なにしろあんな役だしな(本役のたっちんも大変)。
藤咲えりちゃんとはタイプ正反対で、どちらも美形なのでたのしみだー。
ドン・ファン@カチャは線の細さと幼さが気になった。
持ち味の若さは武器だけれど、そろそろ大人の男を演じられるよーになってもいいかも。
ふつーにうまいんだけどなあ。
でもドン・ファンってあんなに少年ぽくていいのかなあ、と、ちと首を傾げる。
で。
ルーカス大佐@ちーちゃんが、やたら愉快だったんですが。
なにしろ配役チェックしていないので。
あれ、ルーカス大佐小さいなー、でもなんかすげー力入ってるなー、と思って顔を見てみると、ちーだった。
なんなのあの気合いっぷり。
「俺様美形」オーラゆんゆんに放出してますが?(笑)
わかったわかった、君が美形なのも、野心バリバリなのもわかったから、少し落ち着け。なっ?
ルカノールの腹心だけど、ルカノールのことなんかなんとも思ってなくて「あわよくば俺がトップに」と思っている感じ? 「俺はこんなところでくすぶっている人間じゃない。今の役はただの踏み台だ」って感じ?
トガりすぎていて、見ていて疲れるぞ(笑)。
かっこつけ過ぎで、観客意識し過ぎで、演技自体には「?」マークがいろいろ飛んだけれど、その心意気を買う。「見られていること」を意識するのは、方向として正しいもの。ちぎに次ぐハイテンションぶりが愛しい。
君が主役の公演を見てみたいよ、うん。その過剰な自意識が「真ん中」にきたときどうなるのか、見てみたい。大劇の「真ん中」は気合いだけでどーなるもんでもないからなぁ。実際に立ってみないことにはわからない。
GOが真ん中に立つところも、ぶっちゃけ見てみたいんだが……。白い二枚目を演じるアカツキ・ゴウ……みみみみ見てー(笑)。
とゆーことで、はいはいはい、新人公演『バレンシアの熱い花』の感想の続きです。
ルカノール@GOアカツキ。
……すみません、わたしまたしても、配役チェックせずにおりました。
だもんで、プロローグが終わっていきなり登場してくるルカノールさんが、GOだとわかって、ウケました。
ルカノール役だったのか、GO!!
やだー、たのしそう(笑)。
GOのルカノール役を見て思ったいちばんの印象は、ソレです。
たのしそうにやってるな、GO。
自分のこと、色男だと思ってるんだろーな。悪役なオレ、かっくいー、とか思ってやがるな。
いちいちキメ顔作ってくるのが愉快。
や、スタァたるもの、これくらいナルシー入っててナンボですよ!!
作品が古くさ……ゲフンゲフン……その、時代物としての台詞回しや芝居を要求されるものなので、そこでの悪役っちゅーことで、GOの演技もそりゃーわざとらし……ゲフンゲフン……大仰かつクラシックなものでした。
GOの演技がアレなのか、それが演出だから仕方ないのか、もう少しふつーに喋って動いてくれてもいいのになー。でも、本役のともちも大概嘘くさい喋り方させられてるしなー。
昭和中期時代劇の悪代官みたいなんだよ、ルカノールって。役も演技も。それが演出意図なら、GOは忠実にやっていたってことかな。
新公でなにが萌えたかってあーた、ルカノールとセレスティーナ侯爵夫人の関係ですよ。
セレスティーナ侯爵夫人@たっちん。
硬質な美しさを持った、知的な大人の女性。
彼女が登場すると、場が華やぐ。
アイドル的な華ではないけれど、「役者が登場した」という空気の動きが、華やかさに通じるの。
ルカノールが「昔惚れていた」とイヤラシク言うのがたまりません。言外の含みがっ。
なになになに、ナニがあったのあんたたち?!
本公では「ありえねー」と思考停止するのみだったが、新公では萌えまくり。
たしかにこのふたりなら、昔ナニかあったかもしれない。
セレスティーナ的には「黒歴史」で、思い出したくもない記憶なのかもしれないが、たしかにナニかあった、男女のぬめりを感じてヨシ。
セレスティーナの美しさと賢さが、ルカノールをさらに男前に見せているのね。
悪役としての色気や華を、セレスティーナとの過去をほのめかすことでぐーんっと上げてくれた。
GO×たっちん、つーのもいいなあ……やたらと濃くて。
たっちんは、本公演で正統派ヒロイン……とゆーか、ヅカ以外ではウザくてありえないよーな「お姫様」キャラを演じ、新公で主役の母親役を演じ、いろいろ大変だと思うが、芸幅をどんどん広げていってほしい。
見るたびに期待感がふくらむ役者さんだ。
彼女もまた、新公主役経験者でありながら今回は脇に回って舞台を支える人。
主演経験者としての華と実力を、脇であるからこそさらに見せつけてくれる。これこそが、ひとりっ子政策でないことの素晴らしさ。
主役の母親、なんて、地味でも埋没していても仕方ないおばさん役なのに、セレスティーナ@たっちんは華やかな賢夫人ぶりが際立っている。
彼女の存在が、男たちをより魅力的に見せているんだ。フェルナンドにしろ、ルカノールにしろ。
シルヴィア@藤咲えりちゃんは、とてもきれいでした。
なんだかとても大人に……というか、年齢設定が高く見えたのは演技なのか、ただの見た目の結果なのか。
研3なんですか、彼女?? 若く見えないのは何故……。
相手役が相当アレだったので、彼と絡むことでしか芝居のしようがないシルヴィア役は大変だったと思うけど、相手役ともども地味に沈んでいっていたような。
別の人とお芝居をしているところが見てみたいです、はい。
マルガリータ@天咲千華ちゃんって、あの子だよね? トドロキのコンサート『LAVENDER MONOLOGUE』で相手役に抜擢されていた子。ちょっと独特の顔立ちの、かわいこちゃん。
独特の……というか、カエル系美少女なんで、わたしの海馬にインプットされたという(カエル顔スキー・笑)。
トドコンでもそうだっけれど、若く幼く相手についてゆくだけのお嬢様キャラというのは、これくらい若い子ならではの特権。ちょっとでも知恵だの経験だのがついてしまうとぶりっこ的に見えてウザくなる、難しい役。
つーことで、マルガリータ役は合っていました。
かわいらしくて可憐で。歌はよたってたけど、声はきれい。
若さと持ち味だけで勝負、演技はどうなのかまでわからないっす。……まあ、なにしろあんな役だしな(本役のたっちんも大変)。
藤咲えりちゃんとはタイプ正反対で、どちらも美形なのでたのしみだー。
ドン・ファン@カチャは線の細さと幼さが気になった。
持ち味の若さは武器だけれど、そろそろ大人の男を演じられるよーになってもいいかも。
ふつーにうまいんだけどなあ。
でもドン・ファンってあんなに少年ぽくていいのかなあ、と、ちと首を傾げる。
で。
ルーカス大佐@ちーちゃんが、やたら愉快だったんですが。
なにしろ配役チェックしていないので。
あれ、ルーカス大佐小さいなー、でもなんかすげー力入ってるなー、と思って顔を見てみると、ちーだった。
なんなのあの気合いっぷり。
「俺様美形」オーラゆんゆんに放出してますが?(笑)
わかったわかった、君が美形なのも、野心バリバリなのもわかったから、少し落ち着け。なっ?
ルカノールの腹心だけど、ルカノールのことなんかなんとも思ってなくて「あわよくば俺がトップに」と思っている感じ? 「俺はこんなところでくすぶっている人間じゃない。今の役はただの踏み台だ」って感じ?
トガりすぎていて、見ていて疲れるぞ(笑)。
かっこつけ過ぎで、観客意識し過ぎで、演技自体には「?」マークがいろいろ飛んだけれど、その心意気を買う。「見られていること」を意識するのは、方向として正しいもの。ちぎに次ぐハイテンションぶりが愛しい。
君が主役の公演を見てみたいよ、うん。その過剰な自意識が「真ん中」にきたときどうなるのか、見てみたい。大劇の「真ん中」は気合いだけでどーなるもんでもないからなぁ。実際に立ってみないことにはわからない。
GOが真ん中に立つところも、ぶっちゃけ見てみたいんだが……。白い二枚目を演じるアカツキ・ゴウ……みみみみ見てー(笑)。
ふたりの男と、ひとりの女。@新人公演『バレンシアの熱い花』
2007年7月18日 タカラヅカ 宙組新人公演『バレンシアの熱い花』の話。
春風みーちゃん、初主演おめでとう!
まず配役発表されたときに、わたしとその周囲はやたら大喜びしていた。どりーずでの人気高いぞみーちゃん。
高翔さんとゆうひくんを足して2で割ったよーな顔立ち。スタイルのよさと濃いめの持ち味。『A/L』の感想を途中で投げ出したままだったんで、彼についてなにも書けないでいたが、たのしみな男の子なんだよコレが。
実力はあるしスタイルいいしで、堅実な役者ぶりを披露。
髪型が難しかったのか、それに合わせた化粧が難しかったのか、お顔がなんか大変なことになっていたよーな気もするが、それはこれからどーにでもなる。遠目でも個別認識できる個性的な顔立ちは武器だってば。
酒場で女たちに「歌って♪」とせがまれ、甘い恋の歌を歌うのが様になっていてほっとした。……いやその、ここはやはり、最低限歌えてくれないと……ゲフンゲフン。
タニちゃんの役だから、なんか「華がない?」「地味?」とか思ってしまったけれど、比較対象が悪すぎるよな、華でタニに勝てる人なんかまずいないんだし。タニに比べて地味でも、他の人の役ならそんな風には思わないのかも(よくわからん)。
わたしはこの子、いいと思うんだけどなあ……好きなんだけどなあ……「真ん中」的にはどうなんだろう?
みーちゃんのいちばんの魅力はエロOKなことだと思う。
『NEVER SAY GOODBYE』新公のときいちばん感動したのって、ヴィセント@みーちゃんがエロいことだったもの!
単体でもいい男だけど、女と絡んでいるとさらに色男度が上がるという、ありがたい持ち味。ヲトメハートできゃあきゃあになれる男。
今回もまた、そこはかとなく色っぽくて、いい男でごさいました。イサベラ@アリスちゃんと絡むところとか、熱っぽくてステキ。
本人はかなりいっぱいいっぱいっぽいんだけど、それでも雰囲気がエロ気アリっつーのは、持って生まれた資質なんだろうなあ。や、大切にしてほしいです、こーゆー持ち味。
本役をコピーするのではなく(つか、できないだろ)、自分なりのアプローチがヨシ。本役とは別人だし、どっちが正しいもいいも悪いもなく、ただ別物としてたのしかったよ。
どんな子なのかぜんぜん知らないけれど、最後の挨拶は「けっこー天然?」って感じだった……。
みーちゃんの「真ん中」資質について混乱するのは、その横にいる2番手役、ちぎが全開で輝いているため。
ラモン@ちぎ。
主要人物のなかでたったひとりのちびっこ。フェルナンドもロドリーゴも、ルカノールも巨人。ドン・ファンだって小さくはない。そんななか、ひとりちびっこ。
しかし。
「主役」級の輝きっぷり。
なんだなんだ、どーゆーこった。ちぎってばそんな子だっけ??
びっくりした。
とくになにも考えずに見ていて。ラモンの輝きっぶり、主役っぷりにびっくり。
新公主役を複数こなしてきた子が、あえて2番手以下に回るときって、なまじ主役をするよりその成長ぶりが顕著だったりするよね? 宙組でいうなら、『ファントム』『ステラマリス』と2作主演したあと『炎にくちづけを』で悪役に回った七帆とか。
「真ん中」経験をし、それを正しく咀嚼し血肉にした役者が、主役を支える役に回ったときの光。力。
やっぱひとりっ子政策はよくないよ。若者はこーやって育てていくもんだよ。と、しみじみ思った。
新公主役経験者も含む長の期が、初主演の研6生徒を見守り、盛り立てるっての、理想だよな。
ラモンは発散型の役だから、辛抱役のフェルナンドより輝きやすい、というのはあると思う。
デューク・フリードより兜甲児が輝いて見えるのと同じ理屈とはいえ、それにしたってなんかとんでもなく「主役」だったなあ。や、たとえがアレ過ぎて通じる人がいるのかわかりませんが。
今回の新公でわたし的に「主役」だったのはラモン@ちぎだ。
初主演のみーちゃんがいっぱいいっぱいになっている横で、明確な「真ん中への意識」を持ち、野心的に演じていたちぎが全部持っていったな、という印象。もちろんソレは「キャリアの差」であり、みーちゃんが劣っているというわけではなく、ただ今回は「すげえな、ちぎ」とゆーことに尽きたかな、と。
スタイルでは明らかに負けているのに、歌だってまー大変なことになっているのに、それでもラモンは前へ出てくる。自分が「スター」であることを自覚し、客席に訴えかけている。
オイシイ役、であることを超えて、ラモン自体が、ちぎ自身が「オイシイ奴」になっている。
なによりも、あの高温。高粘度。
ええ、ねーーっとりしているのよ、ラモン@ちぎってば!!(笑)
イサベラとの抱擁シーンなんか、糸引きそうな勢いですわよ。全体的にテンション高い舞台ではないだけに、ラモンひとりがぶっちぎりでハイテンション、独楽のように回転している様が愉快で愉快で。
や、いまいち芝居が噛み合っているのかいないのか、あやしい感じがしなくもないんだが……暴走するくらいの心意気を買う。
おもしろいなー。
若者はこんなに変わっていくんだ。成長するんだ。
予想していなかっただけに、ちぎの輝きにヤラレました。すげー。
イサベラ@アリスちゃんは納得のヒロインぶり。
やっぱ栄える子だなー。
誰が演じている、とかとくに考えず、ふつーにヒロインとしてイサベラとして違和感なく見た。
役がアレだからしどころがなくて気の毒だが、キモチをつないで高温に演じていたと思う。
等身大の少女ばかりでなく、こーゆー大人の女を演じるのも勉強になっていいんだろうな。
でもなんか、いつものアリスちゃんよりおとなしめというか、地味な印象だった……役のせいか、相手役との映り具合か。
ロドリーゴ@大ちゃん。
……きれい。
とりあえず、すごくきれいな子だ。
この子に、きれーな衣装を着せて、ライトの下に立たせたいキモチはよくわかる。
これで彼が研3とか研2なら、言うことないんだが。
まず「タカラヅカ」の「男役」としての基本スキルを上げて欲しいと切に願う。歌だとか芝居だとか以前の問題として。
これだけのルックスがあるのに、もったいない。
男3人の物語のはずが、新公はパワーバランスが本公とまーーったくちがい、別物になっていて愉快でした。
物語や出番的にはフェルナンド主役なんだけど、輝きっぷりと押し出しはラモンだし、ロドリーゴが精彩なく主役グループからこぼれていたので、フェルナンドとラモンのトップと2番手を中心とした物語になっていた。
でも、これくらいの方がコンパクトでいいかも。男ふたりと、彼に愛される女がひとり。トップと2番手とヒロイン。ふつーのタカラヅカのバランス。
3人主役で3人ヒロイン、で散漫になるよりいいかも。
なんにせよ、みーちゃん主役がうれしい、ちぎの成長ぶりがうれしい。そんな新公でした。
春風みーちゃん、初主演おめでとう!
まず配役発表されたときに、わたしとその周囲はやたら大喜びしていた。どりーずでの人気高いぞみーちゃん。
高翔さんとゆうひくんを足して2で割ったよーな顔立ち。スタイルのよさと濃いめの持ち味。『A/L』の感想を途中で投げ出したままだったんで、彼についてなにも書けないでいたが、たのしみな男の子なんだよコレが。
実力はあるしスタイルいいしで、堅実な役者ぶりを披露。
髪型が難しかったのか、それに合わせた化粧が難しかったのか、お顔がなんか大変なことになっていたよーな気もするが、それはこれからどーにでもなる。遠目でも個別認識できる個性的な顔立ちは武器だってば。
酒場で女たちに「歌って♪」とせがまれ、甘い恋の歌を歌うのが様になっていてほっとした。……いやその、ここはやはり、最低限歌えてくれないと……ゲフンゲフン。
タニちゃんの役だから、なんか「華がない?」「地味?」とか思ってしまったけれど、比較対象が悪すぎるよな、華でタニに勝てる人なんかまずいないんだし。タニに比べて地味でも、他の人の役ならそんな風には思わないのかも(よくわからん)。
わたしはこの子、いいと思うんだけどなあ……好きなんだけどなあ……「真ん中」的にはどうなんだろう?
みーちゃんのいちばんの魅力はエロOKなことだと思う。
『NEVER SAY GOODBYE』新公のときいちばん感動したのって、ヴィセント@みーちゃんがエロいことだったもの!
単体でもいい男だけど、女と絡んでいるとさらに色男度が上がるという、ありがたい持ち味。ヲトメハートできゃあきゃあになれる男。
今回もまた、そこはかとなく色っぽくて、いい男でごさいました。イサベラ@アリスちゃんと絡むところとか、熱っぽくてステキ。
本人はかなりいっぱいいっぱいっぽいんだけど、それでも雰囲気がエロ気アリっつーのは、持って生まれた資質なんだろうなあ。や、大切にしてほしいです、こーゆー持ち味。
本役をコピーするのではなく(つか、できないだろ)、自分なりのアプローチがヨシ。本役とは別人だし、どっちが正しいもいいも悪いもなく、ただ別物としてたのしかったよ。
どんな子なのかぜんぜん知らないけれど、最後の挨拶は「けっこー天然?」って感じだった……。
みーちゃんの「真ん中」資質について混乱するのは、その横にいる2番手役、ちぎが全開で輝いているため。
ラモン@ちぎ。
主要人物のなかでたったひとりのちびっこ。フェルナンドもロドリーゴも、ルカノールも巨人。ドン・ファンだって小さくはない。そんななか、ひとりちびっこ。
しかし。
「主役」級の輝きっぷり。
なんだなんだ、どーゆーこった。ちぎってばそんな子だっけ??
びっくりした。
とくになにも考えずに見ていて。ラモンの輝きっぶり、主役っぷりにびっくり。
新公主役を複数こなしてきた子が、あえて2番手以下に回るときって、なまじ主役をするよりその成長ぶりが顕著だったりするよね? 宙組でいうなら、『ファントム』『ステラマリス』と2作主演したあと『炎にくちづけを』で悪役に回った七帆とか。
「真ん中」経験をし、それを正しく咀嚼し血肉にした役者が、主役を支える役に回ったときの光。力。
やっぱひとりっ子政策はよくないよ。若者はこーやって育てていくもんだよ。と、しみじみ思った。
新公主役経験者も含む長の期が、初主演の研6生徒を見守り、盛り立てるっての、理想だよな。
ラモンは発散型の役だから、辛抱役のフェルナンドより輝きやすい、というのはあると思う。
デューク・フリードより兜甲児が輝いて見えるのと同じ理屈とはいえ、それにしたってなんかとんでもなく「主役」だったなあ。や、たとえがアレ過ぎて通じる人がいるのかわかりませんが。
今回の新公でわたし的に「主役」だったのはラモン@ちぎだ。
初主演のみーちゃんがいっぱいいっぱいになっている横で、明確な「真ん中への意識」を持ち、野心的に演じていたちぎが全部持っていったな、という印象。もちろんソレは「キャリアの差」であり、みーちゃんが劣っているというわけではなく、ただ今回は「すげえな、ちぎ」とゆーことに尽きたかな、と。
スタイルでは明らかに負けているのに、歌だってまー大変なことになっているのに、それでもラモンは前へ出てくる。自分が「スター」であることを自覚し、客席に訴えかけている。
オイシイ役、であることを超えて、ラモン自体が、ちぎ自身が「オイシイ奴」になっている。
なによりも、あの高温。高粘度。
ええ、ねーーっとりしているのよ、ラモン@ちぎってば!!(笑)
イサベラとの抱擁シーンなんか、糸引きそうな勢いですわよ。全体的にテンション高い舞台ではないだけに、ラモンひとりがぶっちぎりでハイテンション、独楽のように回転している様が愉快で愉快で。
や、いまいち芝居が噛み合っているのかいないのか、あやしい感じがしなくもないんだが……暴走するくらいの心意気を買う。
おもしろいなー。
若者はこんなに変わっていくんだ。成長するんだ。
予想していなかっただけに、ちぎの輝きにヤラレました。すげー。
イサベラ@アリスちゃんは納得のヒロインぶり。
やっぱ栄える子だなー。
誰が演じている、とかとくに考えず、ふつーにヒロインとしてイサベラとして違和感なく見た。
役がアレだからしどころがなくて気の毒だが、キモチをつないで高温に演じていたと思う。
等身大の少女ばかりでなく、こーゆー大人の女を演じるのも勉強になっていいんだろうな。
でもなんか、いつものアリスちゃんよりおとなしめというか、地味な印象だった……役のせいか、相手役との映り具合か。
ロドリーゴ@大ちゃん。
……きれい。
とりあえず、すごくきれいな子だ。
この子に、きれーな衣装を着せて、ライトの下に立たせたいキモチはよくわかる。
これで彼が研3とか研2なら、言うことないんだが。
まず「タカラヅカ」の「男役」としての基本スキルを上げて欲しいと切に願う。歌だとか芝居だとか以前の問題として。
これだけのルックスがあるのに、もったいない。
男3人の物語のはずが、新公はパワーバランスが本公とまーーったくちがい、別物になっていて愉快でした。
物語や出番的にはフェルナンド主役なんだけど、輝きっぷりと押し出しはラモンだし、ロドリーゴが精彩なく主役グループからこぼれていたので、フェルナンドとラモンのトップと2番手を中心とした物語になっていた。
でも、これくらいの方がコンパクトでいいかも。男ふたりと、彼に愛される女がひとり。トップと2番手とヒロイン。ふつーのタカラヅカのバランス。
3人主役で3人ヒロイン、で散漫になるよりいいかも。
なんにせよ、みーちゃん主役がうれしい、ちぎの成長ぶりがうれしい。そんな新公でした。
世界でひとつだけの華。@新人公演『バレンシアの熱い花』
2007年7月17日 タカラヅカ なんやかんやで、よーやく新人公演『バレンシアの熱い花』の話。
すごいよ。
別物でした。
新公を観て、なにより強く感じたのは「大和悠河」という人の特異性だった。
だからまず本公演を、主人公フェルナンドを語らねばならないと思い、なかなか新公の感想までたどりつかなかった。
今までも、タニちゃんの役を新公で演じる子たちは、本公とは「別物」になっていた。唯一同じカラーで演じていたのはちぎだったけれど、カラーが同カテゴリだっつーだけで、タニちゃんとまんま同じであるわけではなかった。
でも、今までタニちゃんの役は主役ではなかったんだよね。だからどんなに別物になっていたって、それほど作品全体に変化はなかった。
ところが。
今回は、主役だ。
主役が別物になると、作品自体が、変わる。
おもしれー。
『バレンシアの熱い花』って、こんな話にもなるのかー。
本公演を見る限り、『バレンシアの熱い花』はレオン将軍@まりえったの手のひらの上で、馬鹿なフェルナンド@タニをはじめ黒い天使たちがきゃーきゃーうるさく踊り、用が済んだら握りつぶされる物語、だった。
そう考える以外に、この壊れた話を救うすべはない。
という、「タカラヅカで見たくないよ、こんなの」という作品だった。
それが新人公演では。
フェルナンドが、ふつーの人だ。
主人公フェルナンドは、脚本通りならただのバカか、あるいは狡猾な卑怯者になる。なにしろ脚本ひでーから。
本公演では、バカだった。
レオン将軍の操り人形。
だがそのバカっぷりが他を超越していたので、キラキラキラキラ輝いていたので、細かいことを考えるのはやめよう。よくわかんねーけど、フェルナンドはそーゆーもんなんだ、で、納得した。
脚本やキャラクタのひどさを、その美貌と輝きで目くらまししていた。
感じられるのは、ひたすらな「別次元」感。
主役だから、仕方ない。
辻褄の合わないことも、バカにしか見えないことも、全部全部「仕方ない」「これもアリ」と思わせる。
フェルナンドはふつーの人ではない。そんな次元にいない。だから、なにも言うな。彼の言動がわけわかんなくても、誰を愛しているのか、なにをしたいのかわからなくても、問うな、つっこむな、悪いのは脚本と演出、その破綻ぶりを主演者が取り繕う故はない。
「別次元」感で、作品のアラに口を出させない……本公演のフェルナンドは、「スター性」だけでできあがった「特別」な人だった。
ところが、新人公演では。
フェルナンドは特別でも別次元でもなんでもない、「ふつー」の人。
彼の性格も心の動きも常識の範囲内で、見ていてふつーに想像できる。
で。
このひどい脚本とキャラクタを、「別物」感というフィルタなしで「ふつー」の感覚で演じてしまうとだな。
狡猾な卑怯者になるんだな(笑)。
バカだからどんなに不誠実な言動をとっても「バカだもんね」で済むところが、そこに知性を感じてしまうと「わかっていて不誠実な言動を取る」=「卑劣」に思える。
顕著なのが、黒い天使であることをイサベラに看破される場面。
それまで「ヒロイン」としての紹介もなく、ただの「酒場女」としてしか描かれていないイサベラが、主人公フェルナンドの前に登場、カマをかけて彼の秘密を握る。そのあとで彼に愛を告げるという、脅しともとれる素晴らしい流れ。彼女を「ヒロイン」だと知らなかったら、ただの悪役登場になるぞっと。
なのにフェルナンドは突然イサベラに「愛している」と言いだし、そのくせ「でもボクには婚約者がいる。結婚は婚約者とするけどね」と二股宣言。
「愛している」「愛している」と美しいデュエットダンスへ。えええ、いつそんな精神状態になっていたの? それまでのエピソードもなにもなし?
本公では展開自体についてゆけず、「まあ、そんなこともアリなのかな」程度だった場面が、新公では「秘密を知られた、それならこの女を口説いておこう」という、流れとして納得できる展開になっていた。
なるほど、「ただの酒場女」に秘密を知られたから、自分の女にして口を封じるのか。
そのあと彼女をほんとうに愛してしまうか、利用するだけで終わるかは、男と女の問題だ。
フェルナンドに、「ふつー」に知性がある。意志がある。
それが、新公の大きなちがいだ。
それゆえにキャラクタのひどさや、作品のひどさも浮き彫り。
新公のレオン将軍は、黒幕には見えなかった。フェルナンドが自分で動いているように見えた。
だからこそ、彼自身がひでー男に見える。
そして新公フェルナンドには、熱がある。
卑劣な言動も、その熱ゆえに「アリかな」と思わせる。
自分を正義だと信じてテロに走る過激派的熱さ。や、だってフェルナンドってテロリストだし。暴力で世の中を変えようとするわけだし。
考え方は青いけれど、過激派学生って感じだけど、でもいちおー大人の男が自分の意志で行動している。
彼が正しいかどうかは置くとして。
フェルナンドがチガウと、作品自体別物。
すごい。
コレを目の当たりにして、思うわけだよ。「大和悠河」という人の特異性について。
『バレンシアの熱い花』はタカラヅカ的に正しくない物語だ。
主人公がバカか卑劣か、どちらかになってしまう脚本なんて、タカラヅカで上演する意味がわからない。そのくせ、主人公を「正義」「かっこいい」と考えている世界観のゆがみが気持ち悪い。
こんな歪んだ物語を与えられ、「タカラヅカらしくカタチにしろ」と言われたら、アプローチは限られてしまう。
多くのトップスターがやるように、「トップとしての力業」で観客を煙に巻く方法。
新公フェルナンド役のみーちゃんは、真正直にこの方法でチャレンジしていた。多少の脚本のアラなんぞ、熱意をもって丁寧に演じればなんとかなる、新公ゆえ1回きりゆえの火事場の馬鹿力。……足りていたかどうかはともかく。
だがタニちゃんは、はじめからちがっていた。
タニちゃんがタニちゃんであること。その美貌と華、「トップスター」という「役割」だけで、輝きだけで勝負。
『バレンシアの熱い花』がアレな作品だからこそ、主演者のちがいで、タニちゃんの特異性がさらに明らかになった。
フェルナンドって、ふつーの人が演じるとふつーになるんだ……。
でも、ふつーに演じちゃうと、なんかあちあち卑怯で大変なことになってますけど……。や、そーゆー役だから、それでいいんだけど。
もちろん、目的のために卑劣な男が物語的に「魅力がない」わけではないので、利用するためだけに酒場女を抱く男でも、魅力的ならソレでいいんだよ。ふつーの人が役作りで目指すなら、こっちの方でしょ。
おもしろいなー、もー。
フェルナンド別人、作品別物。
どっちが正しいとか、正しくないとかゆー話ではなくて。
タニちゃんの役は、だれにもコピーできない。
タニちゃんには、誰もなれない。
それは、タニちゃんの、タニちゃんだけが持つ、ものすげー武器だ。
みーちゃんはいい感じに別人だった。
これから先、タニちゃんの役を演じる下級生たち、どうか「タニちゃんのコピー」を目指さず、彼の特異性を理解した上で独自の道を探って欲しい。
誰にも似ていない、誰にも真似できない個性、を持つ、唯一無二のスターが、トップスターにいる組。
宙組下級生たちが、そんなスターを見てどう成長していくのか、たのしみでならない。
すごいよ。
別物でした。
新公を観て、なにより強く感じたのは「大和悠河」という人の特異性だった。
だからまず本公演を、主人公フェルナンドを語らねばならないと思い、なかなか新公の感想までたどりつかなかった。
今までも、タニちゃんの役を新公で演じる子たちは、本公とは「別物」になっていた。唯一同じカラーで演じていたのはちぎだったけれど、カラーが同カテゴリだっつーだけで、タニちゃんとまんま同じであるわけではなかった。
でも、今までタニちゃんの役は主役ではなかったんだよね。だからどんなに別物になっていたって、それほど作品全体に変化はなかった。
ところが。
今回は、主役だ。
主役が別物になると、作品自体が、変わる。
おもしれー。
『バレンシアの熱い花』って、こんな話にもなるのかー。
本公演を見る限り、『バレンシアの熱い花』はレオン将軍@まりえったの手のひらの上で、馬鹿なフェルナンド@タニをはじめ黒い天使たちがきゃーきゃーうるさく踊り、用が済んだら握りつぶされる物語、だった。
そう考える以外に、この壊れた話を救うすべはない。
という、「タカラヅカで見たくないよ、こんなの」という作品だった。
それが新人公演では。
フェルナンドが、ふつーの人だ。
主人公フェルナンドは、脚本通りならただのバカか、あるいは狡猾な卑怯者になる。なにしろ脚本ひでーから。
本公演では、バカだった。
レオン将軍の操り人形。
だがそのバカっぷりが他を超越していたので、キラキラキラキラ輝いていたので、細かいことを考えるのはやめよう。よくわかんねーけど、フェルナンドはそーゆーもんなんだ、で、納得した。
脚本やキャラクタのひどさを、その美貌と輝きで目くらまししていた。
感じられるのは、ひたすらな「別次元」感。
主役だから、仕方ない。
辻褄の合わないことも、バカにしか見えないことも、全部全部「仕方ない」「これもアリ」と思わせる。
フェルナンドはふつーの人ではない。そんな次元にいない。だから、なにも言うな。彼の言動がわけわかんなくても、誰を愛しているのか、なにをしたいのかわからなくても、問うな、つっこむな、悪いのは脚本と演出、その破綻ぶりを主演者が取り繕う故はない。
「別次元」感で、作品のアラに口を出させない……本公演のフェルナンドは、「スター性」だけでできあがった「特別」な人だった。
ところが、新人公演では。
フェルナンドは特別でも別次元でもなんでもない、「ふつー」の人。
彼の性格も心の動きも常識の範囲内で、見ていてふつーに想像できる。
で。
このひどい脚本とキャラクタを、「別物」感というフィルタなしで「ふつー」の感覚で演じてしまうとだな。
狡猾な卑怯者になるんだな(笑)。
バカだからどんなに不誠実な言動をとっても「バカだもんね」で済むところが、そこに知性を感じてしまうと「わかっていて不誠実な言動を取る」=「卑劣」に思える。
顕著なのが、黒い天使であることをイサベラに看破される場面。
それまで「ヒロイン」としての紹介もなく、ただの「酒場女」としてしか描かれていないイサベラが、主人公フェルナンドの前に登場、カマをかけて彼の秘密を握る。そのあとで彼に愛を告げるという、脅しともとれる素晴らしい流れ。彼女を「ヒロイン」だと知らなかったら、ただの悪役登場になるぞっと。
なのにフェルナンドは突然イサベラに「愛している」と言いだし、そのくせ「でもボクには婚約者がいる。結婚は婚約者とするけどね」と二股宣言。
「愛している」「愛している」と美しいデュエットダンスへ。えええ、いつそんな精神状態になっていたの? それまでのエピソードもなにもなし?
本公では展開自体についてゆけず、「まあ、そんなこともアリなのかな」程度だった場面が、新公では「秘密を知られた、それならこの女を口説いておこう」という、流れとして納得できる展開になっていた。
なるほど、「ただの酒場女」に秘密を知られたから、自分の女にして口を封じるのか。
そのあと彼女をほんとうに愛してしまうか、利用するだけで終わるかは、男と女の問題だ。
フェルナンドに、「ふつー」に知性がある。意志がある。
それが、新公の大きなちがいだ。
それゆえにキャラクタのひどさや、作品のひどさも浮き彫り。
新公のレオン将軍は、黒幕には見えなかった。フェルナンドが自分で動いているように見えた。
だからこそ、彼自身がひでー男に見える。
そして新公フェルナンドには、熱がある。
卑劣な言動も、その熱ゆえに「アリかな」と思わせる。
自分を正義だと信じてテロに走る過激派的熱さ。や、だってフェルナンドってテロリストだし。暴力で世の中を変えようとするわけだし。
考え方は青いけれど、過激派学生って感じだけど、でもいちおー大人の男が自分の意志で行動している。
彼が正しいかどうかは置くとして。
フェルナンドがチガウと、作品自体別物。
すごい。
コレを目の当たりにして、思うわけだよ。「大和悠河」という人の特異性について。
『バレンシアの熱い花』はタカラヅカ的に正しくない物語だ。
主人公がバカか卑劣か、どちらかになってしまう脚本なんて、タカラヅカで上演する意味がわからない。そのくせ、主人公を「正義」「かっこいい」と考えている世界観のゆがみが気持ち悪い。
こんな歪んだ物語を与えられ、「タカラヅカらしくカタチにしろ」と言われたら、アプローチは限られてしまう。
多くのトップスターがやるように、「トップとしての力業」で観客を煙に巻く方法。
新公フェルナンド役のみーちゃんは、真正直にこの方法でチャレンジしていた。多少の脚本のアラなんぞ、熱意をもって丁寧に演じればなんとかなる、新公ゆえ1回きりゆえの火事場の馬鹿力。……足りていたかどうかはともかく。
だがタニちゃんは、はじめからちがっていた。
タニちゃんがタニちゃんであること。その美貌と華、「トップスター」という「役割」だけで、輝きだけで勝負。
『バレンシアの熱い花』がアレな作品だからこそ、主演者のちがいで、タニちゃんの特異性がさらに明らかになった。
フェルナンドって、ふつーの人が演じるとふつーになるんだ……。
でも、ふつーに演じちゃうと、なんかあちあち卑怯で大変なことになってますけど……。や、そーゆー役だから、それでいいんだけど。
もちろん、目的のために卑劣な男が物語的に「魅力がない」わけではないので、利用するためだけに酒場女を抱く男でも、魅力的ならソレでいいんだよ。ふつーの人が役作りで目指すなら、こっちの方でしょ。
おもしろいなー、もー。
フェルナンド別人、作品別物。
どっちが正しいとか、正しくないとかゆー話ではなくて。
タニちゃんの役は、だれにもコピーできない。
タニちゃんには、誰もなれない。
それは、タニちゃんの、タニちゃんだけが持つ、ものすげー武器だ。
みーちゃんはいい感じに別人だった。
これから先、タニちゃんの役を演じる下級生たち、どうか「タニちゃんのコピー」を目指さず、彼の特異性を理解した上で独自の道を探って欲しい。
誰にも似ていない、誰にも真似できない個性、を持つ、唯一無二のスターが、トップスターにいる組。
宙組下級生たちが、そんなスターを見てどう成長していくのか、たのしみでならない。
卵は割れ、新しい時代が誕生する。
2007年7月16日 タカラヅカ 今、宙組公演を観て思うこと。
動き出している。
忙しくて『A/L』の感想が途中で終わってしまっていた。や、ほんとはまだ書きたいことがあったんだけど。書きかけのテキストもあるっちゃーあるんだけど。
さすがに、時期を逸したので書けない(笑)。いやはや、こんな調子で、『舞姫』の感想の続きはいつ書けるんだー。(まだ書くのか)
だもんで、書いていないけれど『A/L』のときから感じていたこと。
宙組は、変わりはじめている。
トップスターが変われば組カラーが変わり、いろいろ変化するものだということは、経験上わかっている。
今までトップ交代を何度も見てきたのだから、ソレなら知っている。
でも今の宙組の「変化」はちがうんだ、そーゆーのと。
たか花時代、良くも悪くも宙組は安定していた。
和央ようかと花總まりという、絶対的な力のもと、美しいピラミッドが形成されていた。
わたしはたか花ファンだし、彼らの作り出す圧倒的な世界を愛していた。
「タカラヅカ」という、特殊な夢の世界、嘘の世界を作り上げる力。
たかちゃんも花ちゃんも単体でも美しい人たちだったが、ふたりで組むことによって追従を許さないハイクオリティな「乙女の夢」を作り上げてくれた。
そしてその美しすぎる世界は、他のどの組ともちがうシステムによって支えられていた。
組子の「動く背景」化だ。
余計な色を排除することによって、統一感のある、行き届いた美を形成する。
手法としてはアリだし、理にかなったことかもしれない。
だがそれによって宙組は、独特のカラーのある組となった。
ビジュアルだけの特化、長身者を揃えることで「男役」「タカラヅカスター」としてのスキルを持たなくても「背が高い」というのみで男役に見える仕組み。
真ん中を盛り立てるため、際立たせるためにある「背景」だから、個々の魅力や能力はできるだけ薄く、コーラスにのみ実力を発揮する。
それは、「タカラヅカ」として、ある意味究極のカタチかもしれない。
トップスターと動く背景。真ん中のみが圧倒的魅力を持ち、背景は真ん中の邪魔にならないよう薄くぼやけてなにも見えない。
そのコントラスト、相乗効果で主役たちはより美しく、魅力的に見える。
そしてたか花時代の宙組は、安定した舞台クオリティと人気を博していた。
停滞と安定。
たか花時代の宙組は、いわば鎖国状態だった。
それを悪いと言っているわけじゃない。
鎖国のおかげで独自の文化が栄え、功績となった。それも十分アリだと思っているし、たか花と彼らの時代も好きだった。
けれど、組としての宙組の時間は止まったままだった。
それが。
かしげという、新しい風が吹いた。
鎖国していた宙組が開国し、新しい呼吸をはじめた。
幕末の風雲児坂本竜馬は新しい時代を見届けることなく去っていったけれど、彼が起こした風は、確実に組を変えた。
「動く背景」たちが、「人間」として「舞台人」として、目覚めはじめた。
かしげの時代になってから、宙組組子の「タカラヅカ・スキル」の低さに驚いた。
たか花時代は、真ん中のできあがった人たちしか見えなかったから、気づかなかった。だが開国後はライトが全体的に当たるよーになったので、それまで見えなかったモノまで見えてきた。
組替えしてきたらんとむとみっちゃんもまた、確立した男役芸を持っているだけに、組子とのスキルの差があからさまになる。ちょうど、月組に組替えした元宙のあひくんが、誰より恵まれた男役資質を持ちながら、舞台で「きれいなおねーさん」にしか見えない事実に愕然としたように。
こんなことになっていたのか、宙組。
だけど若者たちは、「低スキル」のままではいなかった。
磨きはじめた。前進しはじめた。
ひとりひとりがたのしそうに、舞台で息づいている。
輝きはじめている。
新しい時代がやってきた。
タニちゃんの『A/L』を観ながら、感嘆した。
意欲を持って、なにかしら成し遂げようと前を見て足踏みする若者たち。
技術は足りていないし、実際足踏みであってほとんど前進してないんだけど、彼らはもう、「背景」ではない。
舞台人として、前へ進もうとしている。
その姿に、胸が熱くなる。
わくわくする。
たか花の、鎖国することで得られた絢爛たる時代もすばらしかったが、この新しい時代もまた、期待に満ちたすばらしいものじゃないか。
時代の急激な変化は、組より組子より、ヅカファンを息切れさせているのかもしれない。
今回の公演、『バレンシアの熱い花』大劇場初日の空席の多さは驚愕だった。
トップスターお披露目初日だ、完売で当然、人気スターならチケ難になって大騒ぎするよーな「特別な日」だ。
わたしは2階席だったんだが、A席がセンターブロックとサブセンターしか埋まっていない状況だった。サブセンも端や後ろは空いていたし。サイドブロックは前の数列にしか人がいない……。B席も端は空いているし。
ふつーの公演程度の入り? トップお披露目初日に?
立ち見券が発売されていたのは謎だ。この空席は「一度完売したが、その後キャンセルがあった」ためのものではあり得ない。戻りチケはこんなカタチでは出ない。
一度も売り切れなかったのに、それでも立ち見券は出したんだ、劇団……。報道関係者は1階しか見ないからかな。
拍手の少なさ、カーテンコールの少なさにもおどろいた。もちろんスタオベもナシ。
トップお披露目初日とは思えない……。
芝居が終わったあとの幕間では、あまりのアレさにわたしもかなり絶望していたんだが、ショーはそんなことを吹き飛ばす勢いでたのしくて、「太陽」としてよみがえったタニちゃん王子に涙し、きゃーきゃーなキモチで拍手したり手拍子したりしていたんだけど。
ショーの明るさもたのしさも、客席のムードを変えるには至らないのか……?
これがスタート地点。
劇団がさんざん翻弄してきた、新しい組の開幕。
組としての力だとか、タカラヅカファンの関心だとかは、落ちているのかもしれない。
たか花が作り上げていたよーなクオリティはないのかもしれない。
組子たちの「タカラヅカ・スキル」の低さも、そりゃーもー、あちこち目につく。
客入りもきびしいのかもしれない。
新時代ゆえの混乱、低迷があるかもしれない。
でも、鎖国していたときにはない、輝きがある。
真ん中の限られた人たちだけではなく。
ひとりずつが呼吸している。それがわかる。
初日はたしかに、ヅカファンとしていろいろ驚愕する「お披露目初日」っぷりだった。
だが、スタート地点がそこであるからこそ、「これから」に期待する。
だって舞台の上の生徒たちは、客席のとまどいなんか関係なく、前へ向かって進もうとしているんだもの。
ドラマとしてアリでしょう。足りないことだらけだからこそ、そこからどんどん成長していき、最終的に栄誉を手にする、てのは。最初がきびしい状況であるからこそ、そこからどこまで行くのか、たのしみじゃないか。
それを期待できる「変化」が、舞台の上から感じられるんだもの。
動き出している。
変わりはじめている。
カラを付けたままのヒヨコが、あぶなっかしく……だけどたしかに立ち上がり、歩き出す様を見るときめき。
キラキラしてるよ。
わくわくするよ。
泣けてくるよ。
新しい時代は、はじまったばかりだ。
動き出している。
忙しくて『A/L』の感想が途中で終わってしまっていた。や、ほんとはまだ書きたいことがあったんだけど。書きかけのテキストもあるっちゃーあるんだけど。
さすがに、時期を逸したので書けない(笑)。いやはや、こんな調子で、『舞姫』の感想の続きはいつ書けるんだー。(まだ書くのか)
だもんで、書いていないけれど『A/L』のときから感じていたこと。
宙組は、変わりはじめている。
トップスターが変われば組カラーが変わり、いろいろ変化するものだということは、経験上わかっている。
今までトップ交代を何度も見てきたのだから、ソレなら知っている。
でも今の宙組の「変化」はちがうんだ、そーゆーのと。
たか花時代、良くも悪くも宙組は安定していた。
和央ようかと花總まりという、絶対的な力のもと、美しいピラミッドが形成されていた。
わたしはたか花ファンだし、彼らの作り出す圧倒的な世界を愛していた。
「タカラヅカ」という、特殊な夢の世界、嘘の世界を作り上げる力。
たかちゃんも花ちゃんも単体でも美しい人たちだったが、ふたりで組むことによって追従を許さないハイクオリティな「乙女の夢」を作り上げてくれた。
そしてその美しすぎる世界は、他のどの組ともちがうシステムによって支えられていた。
組子の「動く背景」化だ。
余計な色を排除することによって、統一感のある、行き届いた美を形成する。
手法としてはアリだし、理にかなったことかもしれない。
だがそれによって宙組は、独特のカラーのある組となった。
ビジュアルだけの特化、長身者を揃えることで「男役」「タカラヅカスター」としてのスキルを持たなくても「背が高い」というのみで男役に見える仕組み。
真ん中を盛り立てるため、際立たせるためにある「背景」だから、個々の魅力や能力はできるだけ薄く、コーラスにのみ実力を発揮する。
それは、「タカラヅカ」として、ある意味究極のカタチかもしれない。
トップスターと動く背景。真ん中のみが圧倒的魅力を持ち、背景は真ん中の邪魔にならないよう薄くぼやけてなにも見えない。
そのコントラスト、相乗効果で主役たちはより美しく、魅力的に見える。
そしてたか花時代の宙組は、安定した舞台クオリティと人気を博していた。
停滞と安定。
たか花時代の宙組は、いわば鎖国状態だった。
それを悪いと言っているわけじゃない。
鎖国のおかげで独自の文化が栄え、功績となった。それも十分アリだと思っているし、たか花と彼らの時代も好きだった。
けれど、組としての宙組の時間は止まったままだった。
それが。
かしげという、新しい風が吹いた。
鎖国していた宙組が開国し、新しい呼吸をはじめた。
幕末の風雲児坂本竜馬は新しい時代を見届けることなく去っていったけれど、彼が起こした風は、確実に組を変えた。
「動く背景」たちが、「人間」として「舞台人」として、目覚めはじめた。
かしげの時代になってから、宙組組子の「タカラヅカ・スキル」の低さに驚いた。
たか花時代は、真ん中のできあがった人たちしか見えなかったから、気づかなかった。だが開国後はライトが全体的に当たるよーになったので、それまで見えなかったモノまで見えてきた。
組替えしてきたらんとむとみっちゃんもまた、確立した男役芸を持っているだけに、組子とのスキルの差があからさまになる。ちょうど、月組に組替えした元宙のあひくんが、誰より恵まれた男役資質を持ちながら、舞台で「きれいなおねーさん」にしか見えない事実に愕然としたように。
こんなことになっていたのか、宙組。
だけど若者たちは、「低スキル」のままではいなかった。
磨きはじめた。前進しはじめた。
ひとりひとりがたのしそうに、舞台で息づいている。
輝きはじめている。
新しい時代がやってきた。
タニちゃんの『A/L』を観ながら、感嘆した。
意欲を持って、なにかしら成し遂げようと前を見て足踏みする若者たち。
技術は足りていないし、実際足踏みであってほとんど前進してないんだけど、彼らはもう、「背景」ではない。
舞台人として、前へ進もうとしている。
その姿に、胸が熱くなる。
わくわくする。
たか花の、鎖国することで得られた絢爛たる時代もすばらしかったが、この新しい時代もまた、期待に満ちたすばらしいものじゃないか。
時代の急激な変化は、組より組子より、ヅカファンを息切れさせているのかもしれない。
今回の公演、『バレンシアの熱い花』大劇場初日の空席の多さは驚愕だった。
トップスターお披露目初日だ、完売で当然、人気スターならチケ難になって大騒ぎするよーな「特別な日」だ。
わたしは2階席だったんだが、A席がセンターブロックとサブセンターしか埋まっていない状況だった。サブセンも端や後ろは空いていたし。サイドブロックは前の数列にしか人がいない……。B席も端は空いているし。
ふつーの公演程度の入り? トップお披露目初日に?
立ち見券が発売されていたのは謎だ。この空席は「一度完売したが、その後キャンセルがあった」ためのものではあり得ない。戻りチケはこんなカタチでは出ない。
一度も売り切れなかったのに、それでも立ち見券は出したんだ、劇団……。報道関係者は1階しか見ないからかな。
拍手の少なさ、カーテンコールの少なさにもおどろいた。もちろんスタオベもナシ。
トップお披露目初日とは思えない……。
芝居が終わったあとの幕間では、あまりのアレさにわたしもかなり絶望していたんだが、ショーはそんなことを吹き飛ばす勢いでたのしくて、「太陽」としてよみがえったタニちゃん王子に涙し、きゃーきゃーなキモチで拍手したり手拍子したりしていたんだけど。
ショーの明るさもたのしさも、客席のムードを変えるには至らないのか……?
これがスタート地点。
劇団がさんざん翻弄してきた、新しい組の開幕。
組としての力だとか、タカラヅカファンの関心だとかは、落ちているのかもしれない。
たか花が作り上げていたよーなクオリティはないのかもしれない。
組子たちの「タカラヅカ・スキル」の低さも、そりゃーもー、あちこち目につく。
客入りもきびしいのかもしれない。
新時代ゆえの混乱、低迷があるかもしれない。
でも、鎖国していたときにはない、輝きがある。
真ん中の限られた人たちだけではなく。
ひとりずつが呼吸している。それがわかる。
初日はたしかに、ヅカファンとしていろいろ驚愕する「お披露目初日」っぷりだった。
だが、スタート地点がそこであるからこそ、「これから」に期待する。
だって舞台の上の生徒たちは、客席のとまどいなんか関係なく、前へ向かって進もうとしているんだもの。
ドラマとしてアリでしょう。足りないことだらけだからこそ、そこからどんどん成長していき、最終的に栄誉を手にする、てのは。最初がきびしい状況であるからこそ、そこからどこまで行くのか、たのしみじゃないか。
それを期待できる「変化」が、舞台の上から感じられるんだもの。
動き出している。
変わりはじめている。
カラを付けたままのヒヨコが、あぶなっかしく……だけどたしかに立ち上がり、歩き出す様を見るときめき。
キラキラしてるよ。
わくわくするよ。
泣けてくるよ。
新しい時代は、はじまったばかりだ。
現実逃避だ、妄想配役だ。
2007年7月15日 タカラヅカ ブログの更新が停まるには、ワケがあったりなかったりする。
前回はオサ様退団発表後停滞した。
でもって今回は。
『あさきゆめみしII』が、つらすぎるのっ!!
あーもー、ヘコんでヘコんで、文章書く気にもならんわっ。草野め〜〜!!
ゆってるうちに明日『あさきゆめみしII』楽じゃん!(今は7月22日深夜)
宙組の話もまだ途中だが、先に公演が終わる『あさきゆめみしII』の感想書かなきゃ、とそう思った途端、ぴたりと意欲が失せた……。
オサ様はステキなの。
ものすごく美しいの。
すばらしい歌声なの。
だけど作品がひどすぎて、観ていてつらいのよ。
うおー。
こんなときは現実逃避。
誰もついてこられないことはわかっているけれど、ぜんっぜん関係ない妄想配役で遊びましょう。
はいはいはい、ニンテンドーDSのゲームソフト『ウィッシュルーム』の妄想配役行きま〜〜す!!
発売が2007年1月25日だから、半年も前のゲームなんだが、キニシナイ! 緑野姉弟がプレイしたのが「今」なんだもーん。日本橋で新品が1980円まで値下がりしていたそうですよ(弟が購入)。
http://www.nintendo.co.jp/ds/awij/index.html
↑ 公式サイト
ゲームのあおり文句は「DSで、ミステリー」。
舞台は70年代のアメリカ、古き良き時代のハードボイルド風味。30代以上の大人向けのしみじみした物語。
主役はもちろんハードボイルドのお約束、「過去を持った元刑事」で「今は探偵」(のよーなもの)だ。
クールでちょっくら世をすねているが、実はアツいハートを持ったナイスガイ。……お約束すぎて愉快だ。
前作『アナザーコード』に引き続き、絵に惚れ込んでのプレイ。
『アナザーコード』のときも思ったが、この絵師さんはいわゆる「美少女」に興味がないらしい。
『ウィッシュルーム』でもいちおーヒロインとしてミラという謎の美少女が登場するが、彼女の描き方の淡白さときたら。締め切り間際の遅筆漫画家が主線だけとりあえず入れました、それで入稿しちゃいました、みたいな白さだ。
この絵師さんの真骨頂は、おっさんとおばさんにある。
メイドのローザのすばらしさときたら!
ローザが話し出すと、会話の内容そっちのけで絵に見とれちゃったよ(笑)。
彼女の表情の変化に釘付け。笑ったりはにかんだりも、すげー華やか。
常にメイド服に身を包み、料理上手で働き者、人なつこくて面倒見のいいローザ。少々口が悪く押しが強いのはご愛敬。
完璧じゃないか。最強メイド。
はいここで、公式サイトの「キャラクター紹介」でローザの絵を見てやってください。……ステキでしょ?
アゴのラインがいちばん好き。自分でも、あーゆー絵を描いてみたくなる。わたしに画力があればなぁ。
ゲーム中のローザはサイトで紹介されているよりずっと表情豊かで、すっげーかわいいよー。
滅多に見られないけど、後ろ姿もすこぶるプリティーだ。
ゲームは「ちょっとソレってどうよ?」と言いたいくらいレトロなフラグ立てゲームで、次のフラグを見失ってしまったときの途方に暮れ方はスーファミ時代を彷彿とさせるくらい不親切極まりないんだけど。
舞台が「小さなホテルの中だけ」「ストーリー上関係あるところにしか行けない」とかなり制限されているため、根気さえあればクリアは誰でも出来る。
わたしのよーなへっぽこでも20時間かからなかったんだから、ふつーの人はもっと早く終われるだろう。
小さなホテルでの一夜限りの出来事。
主人公カイル・ハイドとなり、ホテルの従業員や宿泊客の話を聞いて回り、彼らが抱える過去の傷や謎を解いていく。
いちばんの謎はいつだって「人間」なんだ。
ハードボイルド小説を読む感覚、昔の正塚晴彦作バウホール作品って感じっすよ。
わたしはいつも、ゲームは弟と共有しているので、感想だの攻略だのふたりで話し合っている。それで十分たのしーんだが。
弟相手には、腐った話が出来ない。
ヤツはわたしがヲタクであることを知っているが、非ヲタクであるため理解しないのだ。……してほしくもないが。
このゲーム、ふつーにBLに見えるんですが。
BLだろコレ? 正塚作品がBLなのと同じくらいBLだよな?
ハードボイルドってヤツは、男のロマンってヤツは、なんでこー恥ずかしいかほりに充ち満ちてるんだっ。
一見ふつーのヘテロ作品、でもいくらでも行間読んでBLとして萌えることができる話。
こーゆー話は弟相手に出来ないし、もひとつ、タカラヅカ妄想配役も出来ない。
このゲーム、このキャラクター。
痛烈に「見たい」と思うのは、雪組でだ。
カイル・ハイド@水くん。
主人公の元刑事。33才の一見クールな男前。ぶっきらぼうな物言い。非友好的な態度。でも、じつはかなりアツくてヘタレで繊細で真面目だったりする。やせ我慢の美学と自分探し。
自分を裏切った親友のブラッドリーの行方を追っている。……てゆーかブラッドリーのことしか考えていない。1時間置きに心の中で親友に語りかける33才身長180cm超えタフガイ(独身)ってどうよ? ソレは変だろ、カイル? ソレは恋だろ、カイル?
ミラ@となみちゃん。
白いワンピースを着た謎の美少女。口がきけない。透明な、不思議なムードを持つ。てゆーかぶっちゃけかなり幼い。その、ちょっと足りない不思議ちゃん、リアル妖精ぶりが魅力。
カイルになつく。臆病な子犬がおそるおそるなつく、あの感じで。
ケビン・ウッドワード@ゆみこ。
宿泊客。外科医、35才。女房に逃げられ、いろいろ自棄になっているダメおやぢ。心を閉ざしているが、そののちカイルに惚れる。
微妙にMっ気あるよね、ケビン。カイルにがつんとやられ、メロメロに。罵られると興奮するタイプなんだろう……。
ジェフ・エンゼル@キム。
宿泊客。生意気おぼっちゃま19才。得意技は冷笑、上から目線、セレブぶり。甘やかされまくった世間知らず。チョームカツク(笑)。ぜひぜひキムで、ものすごーくイヤッタラシクあのぶ厚い唇で嗤って欲しい。
が、もちろん彼も最終的にカイル兄貴にぞっこん。きちんと叱ってくれる大人の男カイルの前で、素直な少年の表情を見せるようになる。
ルイス・フランコ@ヲヅキ。
ホテルのボーイ。元スリで、刑事時代のカイルに捕まったことがある。陽気で軽薄な25才。てゆーかお前、どんだけカイルのこと好きなんだよ?
カイルの相棒つーか弟分を自認し、尻尾を振って盛大になつく。邪険にされても平気。危険なことも平気。痛い目にあっても平気。ハイドの旦那のためなら、たとえ火の中水の中!
……かわいすぎだ、ルイス。
マーティン・サマー@ハマコ。
宿泊客。小説家。自慢しぃでうさんくさい50才。最初から自己中で相当うざい男なんだが、途中からカイルにベタ惚れになり、さらにウザさUP!(笑)
職業柄なのか、かなり夢見がちっつーか、白馬にまたがったカイル王子が歯をキラリとさせて姫な自分を迎えにくる妄想小説とか、本気で書きそうな勢いだ。
あとは簡単に。
ダニング・スミス@汝鳥さん希望。
ホテルのオーナー。頑固オヤジ。客商売には絶対向いてない。汝鳥さんならではの、偏屈だが愛嬌あるオヤジっぷりを。
ヘレン・パーカー@圭子おねーたま。
宿泊客。元マジシャンの隻眼の老婆。華やかな時代の姿も是非、圭子ねーさまの美声と美脚で見たい。
アイリス@ヒメちゃん。
宿泊客。高慢ちき女優とくれば、ヒメちゃんしかいないかと。
メリッサ・ウッドワード@シナちゃん。
宿泊客。カイルになつく8才、ケビンの娘。
ローザ・フォックス@マヤさん。
カイルの捜査の相棒その2となる迫力メイド。この人しかできない。
レイチェル@いづるん……かなぁ。大人の女、ヒロイン系が不足しているよーな、雪組?
エド@専科のおじさまプリーズ。組長だけは絶対不可(笑)。
番手は無視してますよ。
役の重要さでいくと、2番手役はルイスになるしな。ある意味ヒロインはレイチェルかもしれんしな。ローザかもしれんが(笑)。
でもって。
イメージだけしか登場しない、幻の相手役、カイルの失った親友、ブライアン・ブラッドリー@コム姫でヨロシク!!
『ウィッシュルーム』つーのは、すべての登場人物が、主人公カイルにメロメロになる話で、そのカイルは自分を裏切って消えた親友ブラッドリーにメロメロな話。
そして、カイルとブラッドリーの、壮大な愛の物語。
ラストまでたどりつくと、ほんとに口ぽかーんになるよ……なんなのあの男たち。愛し合うにも程がある。はた迷惑だっつーの、てめーらの痴話喧嘩に周囲を巻き込むんぢゃねえ!って感じ。
ハードボイルドです、ほんと。正塚演出で小中劇場で観たいっす。マジ舞台化してくんねーかしら。
ブラッドリーは顔出ないまま、後ろ姿だけでいいから。コム姫だと思って観るから!
てゆーか、カイル@水しぇんが見たい。
あのとびきりかっこよくて、とびきりかわいー男を、水くんで見たいよー。
カイルは絶対水くんだよー。ハマりすぎるよー。
いつもは花組で妄想配役するけど、オサ様でカイルはあり得ないので、できませんでした。キャラ違いすぎ。
まとぶの時代になれば、花組でもOKだなっ。
まっつはケビン希望。ヘタレ医者〜〜。
あー、妄想配役考えるのはたのしーなー。
どーせ誰もわかんない話だろーけどさっ。
『かまいたちの夜』の妄想配役をしても、モロさん以外わかってくれなかったしさー。
さあ、明日は『あさきゆめみしII』だー。
オサ様〜〜。
前回はオサ様退団発表後停滞した。
でもって今回は。
『あさきゆめみしII』が、つらすぎるのっ!!
あーもー、ヘコんでヘコんで、文章書く気にもならんわっ。草野め〜〜!!
ゆってるうちに明日『あさきゆめみしII』楽じゃん!(今は7月22日深夜)
宙組の話もまだ途中だが、先に公演が終わる『あさきゆめみしII』の感想書かなきゃ、とそう思った途端、ぴたりと意欲が失せた……。
オサ様はステキなの。
ものすごく美しいの。
すばらしい歌声なの。
だけど作品がひどすぎて、観ていてつらいのよ。
うおー。
こんなときは現実逃避。
誰もついてこられないことはわかっているけれど、ぜんっぜん関係ない妄想配役で遊びましょう。
はいはいはい、ニンテンドーDSのゲームソフト『ウィッシュルーム』の妄想配役行きま〜〜す!!
発売が2007年1月25日だから、半年も前のゲームなんだが、キニシナイ! 緑野姉弟がプレイしたのが「今」なんだもーん。日本橋で新品が1980円まで値下がりしていたそうですよ(弟が購入)。
http://www.nintendo.co.jp/ds/awij/index.html
↑ 公式サイト
ゲームのあおり文句は「DSで、ミステリー」。
舞台は70年代のアメリカ、古き良き時代のハードボイルド風味。30代以上の大人向けのしみじみした物語。
主役はもちろんハードボイルドのお約束、「過去を持った元刑事」で「今は探偵」(のよーなもの)だ。
クールでちょっくら世をすねているが、実はアツいハートを持ったナイスガイ。……お約束すぎて愉快だ。
前作『アナザーコード』に引き続き、絵に惚れ込んでのプレイ。
『アナザーコード』のときも思ったが、この絵師さんはいわゆる「美少女」に興味がないらしい。
『ウィッシュルーム』でもいちおーヒロインとしてミラという謎の美少女が登場するが、彼女の描き方の淡白さときたら。締め切り間際の遅筆漫画家が主線だけとりあえず入れました、それで入稿しちゃいました、みたいな白さだ。
この絵師さんの真骨頂は、おっさんとおばさんにある。
メイドのローザのすばらしさときたら!
ローザが話し出すと、会話の内容そっちのけで絵に見とれちゃったよ(笑)。
彼女の表情の変化に釘付け。笑ったりはにかんだりも、すげー華やか。
常にメイド服に身を包み、料理上手で働き者、人なつこくて面倒見のいいローザ。少々口が悪く押しが強いのはご愛敬。
完璧じゃないか。最強メイド。
はいここで、公式サイトの「キャラクター紹介」でローザの絵を見てやってください。……ステキでしょ?
アゴのラインがいちばん好き。自分でも、あーゆー絵を描いてみたくなる。わたしに画力があればなぁ。
ゲーム中のローザはサイトで紹介されているよりずっと表情豊かで、すっげーかわいいよー。
滅多に見られないけど、後ろ姿もすこぶるプリティーだ。
ゲームは「ちょっとソレってどうよ?」と言いたいくらいレトロなフラグ立てゲームで、次のフラグを見失ってしまったときの途方に暮れ方はスーファミ時代を彷彿とさせるくらい不親切極まりないんだけど。
舞台が「小さなホテルの中だけ」「ストーリー上関係あるところにしか行けない」とかなり制限されているため、根気さえあればクリアは誰でも出来る。
わたしのよーなへっぽこでも20時間かからなかったんだから、ふつーの人はもっと早く終われるだろう。
小さなホテルでの一夜限りの出来事。
主人公カイル・ハイドとなり、ホテルの従業員や宿泊客の話を聞いて回り、彼らが抱える過去の傷や謎を解いていく。
いちばんの謎はいつだって「人間」なんだ。
ハードボイルド小説を読む感覚、昔の正塚晴彦作バウホール作品って感じっすよ。
わたしはいつも、ゲームは弟と共有しているので、感想だの攻略だのふたりで話し合っている。それで十分たのしーんだが。
弟相手には、腐った話が出来ない。
ヤツはわたしがヲタクであることを知っているが、非ヲタクであるため理解しないのだ。……してほしくもないが。
このゲーム、ふつーにBLに見えるんですが。
BLだろコレ? 正塚作品がBLなのと同じくらいBLだよな?
ハードボイルドってヤツは、男のロマンってヤツは、なんでこー恥ずかしいかほりに充ち満ちてるんだっ。
一見ふつーのヘテロ作品、でもいくらでも行間読んでBLとして萌えることができる話。
こーゆー話は弟相手に出来ないし、もひとつ、タカラヅカ妄想配役も出来ない。
このゲーム、このキャラクター。
痛烈に「見たい」と思うのは、雪組でだ。
カイル・ハイド@水くん。
主人公の元刑事。33才の一見クールな男前。ぶっきらぼうな物言い。非友好的な態度。でも、じつはかなりアツくてヘタレで繊細で真面目だったりする。やせ我慢の美学と自分探し。
自分を裏切った親友のブラッドリーの行方を追っている。……てゆーかブラッドリーのことしか考えていない。1時間置きに心の中で親友に語りかける33才身長180cm超えタフガイ(独身)ってどうよ? ソレは変だろ、カイル? ソレは恋だろ、カイル?
ミラ@となみちゃん。
白いワンピースを着た謎の美少女。口がきけない。透明な、不思議なムードを持つ。てゆーかぶっちゃけかなり幼い。その、ちょっと足りない不思議ちゃん、リアル妖精ぶりが魅力。
カイルになつく。臆病な子犬がおそるおそるなつく、あの感じで。
ケビン・ウッドワード@ゆみこ。
宿泊客。外科医、35才。女房に逃げられ、いろいろ自棄になっているダメおやぢ。心を閉ざしているが、そののちカイルに惚れる。
微妙にMっ気あるよね、ケビン。カイルにがつんとやられ、メロメロに。罵られると興奮するタイプなんだろう……。
ジェフ・エンゼル@キム。
宿泊客。生意気おぼっちゃま19才。得意技は冷笑、上から目線、セレブぶり。甘やかされまくった世間知らず。チョームカツク(笑)。ぜひぜひキムで、ものすごーくイヤッタラシクあのぶ厚い唇で嗤って欲しい。
が、もちろん彼も最終的にカイル兄貴にぞっこん。きちんと叱ってくれる大人の男カイルの前で、素直な少年の表情を見せるようになる。
ルイス・フランコ@ヲヅキ。
ホテルのボーイ。元スリで、刑事時代のカイルに捕まったことがある。陽気で軽薄な25才。てゆーかお前、どんだけカイルのこと好きなんだよ?
カイルの相棒つーか弟分を自認し、尻尾を振って盛大になつく。邪険にされても平気。危険なことも平気。痛い目にあっても平気。ハイドの旦那のためなら、たとえ火の中水の中!
……かわいすぎだ、ルイス。
マーティン・サマー@ハマコ。
宿泊客。小説家。自慢しぃでうさんくさい50才。最初から自己中で相当うざい男なんだが、途中からカイルにベタ惚れになり、さらにウザさUP!(笑)
職業柄なのか、かなり夢見がちっつーか、白馬にまたがったカイル王子が歯をキラリとさせて姫な自分を迎えにくる妄想小説とか、本気で書きそうな勢いだ。
あとは簡単に。
ダニング・スミス@汝鳥さん希望。
ホテルのオーナー。頑固オヤジ。客商売には絶対向いてない。汝鳥さんならではの、偏屈だが愛嬌あるオヤジっぷりを。
ヘレン・パーカー@圭子おねーたま。
宿泊客。元マジシャンの隻眼の老婆。華やかな時代の姿も是非、圭子ねーさまの美声と美脚で見たい。
アイリス@ヒメちゃん。
宿泊客。高慢ちき女優とくれば、ヒメちゃんしかいないかと。
メリッサ・ウッドワード@シナちゃん。
宿泊客。カイルになつく8才、ケビンの娘。
ローザ・フォックス@マヤさん。
カイルの捜査の相棒その2となる迫力メイド。この人しかできない。
レイチェル@いづるん……かなぁ。大人の女、ヒロイン系が不足しているよーな、雪組?
エド@専科のおじさまプリーズ。組長だけは絶対不可(笑)。
番手は無視してますよ。
役の重要さでいくと、2番手役はルイスになるしな。ある意味ヒロインはレイチェルかもしれんしな。ローザかもしれんが(笑)。
でもって。
イメージだけしか登場しない、幻の相手役、カイルの失った親友、ブライアン・ブラッドリー@コム姫でヨロシク!!
『ウィッシュルーム』つーのは、すべての登場人物が、主人公カイルにメロメロになる話で、そのカイルは自分を裏切って消えた親友ブラッドリーにメロメロな話。
そして、カイルとブラッドリーの、壮大な愛の物語。
ラストまでたどりつくと、ほんとに口ぽかーんになるよ……なんなのあの男たち。愛し合うにも程がある。はた迷惑だっつーの、てめーらの痴話喧嘩に周囲を巻き込むんぢゃねえ!って感じ。
ハードボイルドです、ほんと。正塚演出で小中劇場で観たいっす。マジ舞台化してくんねーかしら。
ブラッドリーは顔出ないまま、後ろ姿だけでいいから。コム姫だと思って観るから!
てゆーか、カイル@水しぇんが見たい。
あのとびきりかっこよくて、とびきりかわいー男を、水くんで見たいよー。
カイルは絶対水くんだよー。ハマりすぎるよー。
いつもは花組で妄想配役するけど、オサ様でカイルはあり得ないので、できませんでした。キャラ違いすぎ。
まとぶの時代になれば、花組でもOKだなっ。
まっつはケビン希望。ヘタレ医者〜〜。
あー、妄想配役考えるのはたのしーなー。
どーせ誰もわかんない話だろーけどさっ。
『かまいたちの夜』の妄想配役をしても、モロさん以外わかってくれなかったしさー。
さあ、明日は『あさきゆめみしII』だー。
オサ様〜〜。
萌えの種はあるのにな。@バレンシアの熱い花
2007年7月14日 タカラヅカ 作品はとってもアレだし、主人公はさいてー男だし、といろいろいろいろこまったことになっている『バレンシアの熱い花』。
でもなんかねえ、フェルナンドは主人公なのよ。
わたしはタニちゃんの演技はよくわからないので、その是非についてなにも言う言葉を持たないが、ただ、フェルナンドをすごーく「主人公」だと思う。
とゆーのもだ。
フェルナンドは、非凡な存在であることがわかるからなの。
ふつーぢゃない。
やってることひでーんだけど、ひどいにしても、ふつーの人がひどいことをしているんじゃなく、なんか「ひとつ上の次元」にいる気がする。
この男を理解することはわたしには不可能なんだけど、否定することは絶対にないというか。
これはタニちゃんの持ち味なんだろうなあ。
演じる人によっては、すっげーイヤナヤツになるだろうに。
なんかこー「お手上げ」っていうか、「コレも有りでしょ」な感じがする。
作品のアラを補うよーな「真ん中」ぶりとも、トップスターの力業ともまたチガウんだが。
それでも、「仕方ない」と思わせるだけの光とカラーを持っている。
ラモン@らんとむはそれまでけっこーふつーなのに、女が絡むなり、オトコマエ度が跳ね上がる(笑)。
イサベラ@ウメとのカーテン前がすげー熱量。
「つらいわ」と言って抱きついてくるイサベラを、抱きしめ返したくて、でもできなくて。
そっから、「愛してる」の歌までが、すっげーいい男。
らんとむは、女と絡むと、愛を表現するところにくると、どーんと前へ出てくるね。
昨今貴重な、ダダ漏れに相手を愛する男。
ワタさんの遺伝子を感じるんだよなあ……。
あの包容力、男臭さ、そして愛。
彼が熱量放出して愛を表現していると、ヲトメモードにスイッチ入るよ。
彼の腕の中にいる、華奢な美しい女性になったよーな錯覚を起こす。
彼がわたしに愛を語りかけているよーなドリームに包まれる。
『NEVER SLEEP』に引き続き妹役のアリスちゃんに対しての、でろでろなおにーちゃんぶりとかさー。
見ていてきゅんきゅんするなあ。
まったく得難い色男だわ。
三枚目はもういいから、マジで色男役が見たいっす。
ロドリーゴ@みっちゃんは……期待したモノと、ちがったかなと。
なんか、余裕のないつまんない男にしか見えなかった……。もちろん、脚本も大概なんだけど。
シルヴィア@まちゃみとの映りが悪いのも気になった。なんでふたりしてあんなにイ……いやその、あか抜けないんだ。
みっちゃんの実力、舞台の上での見せ方に信頼を置いているので、期待値が高すぎたのかも。
てゆーか、彼があんまりうまくて堂々としているから忘れてたけど、ほんのこの間まで彼、何番手だった? 最近どーんと上がってきただけで、まだまだこれからキャリアを積んでいくべき立場の子だよな。
大人の二枚目も貴公子も、恋愛をする役も、ろくに演じたことなんかないもんな……。
ここからどう変わっていくのか、たのしみだ。
イサベラ@ウメちゃんは、いい女だ……。
フェルナンドがナニ考えてるのかさっぱりわかんないし、「別の次元」にいるよーな男だから、なんかすごーく大変なことになっているのに、ウメちゃんが力業で「恋愛」をしている。
駄作を力業で「なんかいいもん見たかも?」にするのは、トップスターの仕事。
ウメちゃんは、トップスターだ。
彼女の「いい女」ぶりで、その「恋愛トップテンション」ぶりで、アレな脚本を力尽くで盛り上げている。
イサベラが本気で恋愛モード戦闘開始!の場面は、舞台の濃度変わるよ。
ラモンとイサベラの場面と、ラストのフェルナンドに別れを告げてひとり去っていくところ。
このふたつの場面がすごい。
でもって。
ルカノール@ともち!!
ともち! ともち!
かっこいい〜〜!!
ヒゲですよ、悪役ですよ! おっさんですよ!!
物語がはじまるなりいきなり登場で、油断していたんで強烈でした、やーんかっこいー。
でもって現れたフェルナンド母@邦なつきさんへの「昔惚れていた」発言で、一瞬、アタマが空白になりましたが……い、いや、いいんだ、負けるなオレ。
いくつの設定なんだろうな、ルカノール。
あの、孫娘@たっちんのいるレオン将軍@まりえったより年上に見えるフェルナンド母に惚れていたって……?
そ、そうか、昔の話だわ。
フェルナンド母がまだ若かったころ、母を慕うかのよーに少年ルカノールが恋をしたのよ。藤壺を愛する光源氏のやうに。
15才のルカノールが30才のフェルナンド母に恋をしたっちゅーことなら、辻褄が合うのかな?
おねーさまに弄ばれるのではなく、少年の方が主導権を握ってガンガン攻めたとしたら、それはそれで萌えな物語だわ。おねーさまと恋をする、少年ともち……うっとり。
ルカノールの館がまた、すっげー安っぽさでねえ……あのぴらぴらの柱とかなんとかなんねーのかと嘆いたもんだが、それでもルカノールをはじめとして、悪役なみなさんが美しくて、かっこよくて。
全編通してみんなすげー「時代劇」な喋り方と演技なんで、嘘くささもすごいんだけど、そのへんは割り切って楽しみましょう。
ルカノールのわっかりやすい悪役ぶりを堪能しましょう。
あのはるかに年上のフェルナンド母に「昔惚れていた」で、現在甥の恋人シルヴィアを妻にしているあたり、ルカノール、守備範囲広すぎ!!
年増から少女まで、なんでもござれ、好き嫌い無し、おいしくいただけます、な素敵なおじさまなのね。
これでロドリーゴに色気があれば、また別の物語も展開できるんだが……らんとむ版に期待かな。
ともちの「肉厚さ」がときめきです。
悪役として、老け役として、まだまだ足りていないとは思うのだけど、それとは別に「役者」としての資質を感じてたのしくなる。
いいなあ、ともち。
こーやって悪役が回ってくる人になったのか。番手とか気にしだしたらキリがないけど、悪役のできるいい男として華開いてくれたら、それはそれでたのしみだよなー。
はあぁ。ショーでもともちステキだしなー。
次の観劇がたのしみだー。
でもなんかねえ、フェルナンドは主人公なのよ。
わたしはタニちゃんの演技はよくわからないので、その是非についてなにも言う言葉を持たないが、ただ、フェルナンドをすごーく「主人公」だと思う。
とゆーのもだ。
フェルナンドは、非凡な存在であることがわかるからなの。
ふつーぢゃない。
やってることひでーんだけど、ひどいにしても、ふつーの人がひどいことをしているんじゃなく、なんか「ひとつ上の次元」にいる気がする。
この男を理解することはわたしには不可能なんだけど、否定することは絶対にないというか。
これはタニちゃんの持ち味なんだろうなあ。
演じる人によっては、すっげーイヤナヤツになるだろうに。
なんかこー「お手上げ」っていうか、「コレも有りでしょ」な感じがする。
作品のアラを補うよーな「真ん中」ぶりとも、トップスターの力業ともまたチガウんだが。
それでも、「仕方ない」と思わせるだけの光とカラーを持っている。
ラモン@らんとむはそれまでけっこーふつーなのに、女が絡むなり、オトコマエ度が跳ね上がる(笑)。
イサベラ@ウメとのカーテン前がすげー熱量。
「つらいわ」と言って抱きついてくるイサベラを、抱きしめ返したくて、でもできなくて。
そっから、「愛してる」の歌までが、すっげーいい男。
らんとむは、女と絡むと、愛を表現するところにくると、どーんと前へ出てくるね。
昨今貴重な、ダダ漏れに相手を愛する男。
ワタさんの遺伝子を感じるんだよなあ……。
あの包容力、男臭さ、そして愛。
彼が熱量放出して愛を表現していると、ヲトメモードにスイッチ入るよ。
彼の腕の中にいる、華奢な美しい女性になったよーな錯覚を起こす。
彼がわたしに愛を語りかけているよーなドリームに包まれる。
『NEVER SLEEP』に引き続き妹役のアリスちゃんに対しての、でろでろなおにーちゃんぶりとかさー。
見ていてきゅんきゅんするなあ。
まったく得難い色男だわ。
三枚目はもういいから、マジで色男役が見たいっす。
ロドリーゴ@みっちゃんは……期待したモノと、ちがったかなと。
なんか、余裕のないつまんない男にしか見えなかった……。もちろん、脚本も大概なんだけど。
シルヴィア@まちゃみとの映りが悪いのも気になった。なんでふたりしてあんなにイ……いやその、あか抜けないんだ。
みっちゃんの実力、舞台の上での見せ方に信頼を置いているので、期待値が高すぎたのかも。
てゆーか、彼があんまりうまくて堂々としているから忘れてたけど、ほんのこの間まで彼、何番手だった? 最近どーんと上がってきただけで、まだまだこれからキャリアを積んでいくべき立場の子だよな。
大人の二枚目も貴公子も、恋愛をする役も、ろくに演じたことなんかないもんな……。
ここからどう変わっていくのか、たのしみだ。
イサベラ@ウメちゃんは、いい女だ……。
フェルナンドがナニ考えてるのかさっぱりわかんないし、「別の次元」にいるよーな男だから、なんかすごーく大変なことになっているのに、ウメちゃんが力業で「恋愛」をしている。
駄作を力業で「なんかいいもん見たかも?」にするのは、トップスターの仕事。
ウメちゃんは、トップスターだ。
彼女の「いい女」ぶりで、その「恋愛トップテンション」ぶりで、アレな脚本を力尽くで盛り上げている。
イサベラが本気で恋愛モード戦闘開始!の場面は、舞台の濃度変わるよ。
ラモンとイサベラの場面と、ラストのフェルナンドに別れを告げてひとり去っていくところ。
このふたつの場面がすごい。
でもって。
ルカノール@ともち!!
ともち! ともち!
かっこいい〜〜!!
ヒゲですよ、悪役ですよ! おっさんですよ!!
物語がはじまるなりいきなり登場で、油断していたんで強烈でした、やーんかっこいー。
でもって現れたフェルナンド母@邦なつきさんへの「昔惚れていた」発言で、一瞬、アタマが空白になりましたが……い、いや、いいんだ、負けるなオレ。
いくつの設定なんだろうな、ルカノール。
あの、孫娘@たっちんのいるレオン将軍@まりえったより年上に見えるフェルナンド母に惚れていたって……?
そ、そうか、昔の話だわ。
フェルナンド母がまだ若かったころ、母を慕うかのよーに少年ルカノールが恋をしたのよ。藤壺を愛する光源氏のやうに。
15才のルカノールが30才のフェルナンド母に恋をしたっちゅーことなら、辻褄が合うのかな?
おねーさまに弄ばれるのではなく、少年の方が主導権を握ってガンガン攻めたとしたら、それはそれで萌えな物語だわ。おねーさまと恋をする、少年ともち……うっとり。
ルカノールの館がまた、すっげー安っぽさでねえ……あのぴらぴらの柱とかなんとかなんねーのかと嘆いたもんだが、それでもルカノールをはじめとして、悪役なみなさんが美しくて、かっこよくて。
全編通してみんなすげー「時代劇」な喋り方と演技なんで、嘘くささもすごいんだけど、そのへんは割り切って楽しみましょう。
ルカノールのわっかりやすい悪役ぶりを堪能しましょう。
あのはるかに年上のフェルナンド母に「昔惚れていた」で、現在甥の恋人シルヴィアを妻にしているあたり、ルカノール、守備範囲広すぎ!!
年増から少女まで、なんでもござれ、好き嫌い無し、おいしくいただけます、な素敵なおじさまなのね。
これでロドリーゴに色気があれば、また別の物語も展開できるんだが……らんとむ版に期待かな。
ともちの「肉厚さ」がときめきです。
悪役として、老け役として、まだまだ足りていないとは思うのだけど、それとは別に「役者」としての資質を感じてたのしくなる。
いいなあ、ともち。
こーやって悪役が回ってくる人になったのか。番手とか気にしだしたらキリがないけど、悪役のできるいい男として華開いてくれたら、それはそれでたのしみだよなー。
はあぁ。ショーでもともちステキだしなー。
次の観劇がたのしみだー。
正しい「再演」希望。@バレンシアの熱い花
2007年7月13日 タカラヅカ 七帆くんの休演が心配です……。
作品がすごすぎて、まだ出演者の話までたどり着いていないけれど、ドン・ファン@七帆はすげーかっこよかったんですよ……。どんどん男前になっていく、たのしみな若者。
ゆっくり休んで、そしてまた元気な姿を見せてくださいよ。
えー、そんでもって、『バレンシアの熱い花』の話。
いろいろ書いてきたけれど、そんな面倒くさいことをしなくても。
手っ取り早くこの話を救う方法は、「ライトコメディ」にすることだと思う。
半端にシリアスのふりをしているから変なのよ。
お笑いものにしちゃえばいいんじゃん。
そしたら主役がおバカでエライ人の言いなり操り人形でもOK、利害でつながった仲間関係も、どつき漫才前提の自分勝手野郎ばかりでぜんぜんOK、義賊ごっこのマントひらひらもOK、生命がかかったこともおちゃらけて軽く描いてOK。
メルヘンでファンタジーなムードにしちゃえばいいのよ。悪役もディズニーみたいな、抜けた大仰なバカばっかりにして、なにがあっても罪なく笑って済ませられるような。
そんなもんヅカで見たくないけど、今の設定のまま主役と物語を進めるためには、それくらいするしかないよなー、と。
ソレが嫌だから、つらつらと設定を変える話を書いてきたわけで(笑)。
えーと、初演とやらは観ていないので知りません。
大昔の「名作」とやらの再演にわたしはかなり懐疑的だし、柴田作品に対して最近は絶望しかないので、今回またしてもアタマを抱えました。
演出の中村Aももちろん無能だけど、脚本自体からしてひでーよコレ……。でも、悪いのは全部中村Aと出演者ってことになって、柴田作品は「名作」と呼ばれ続けるのかしら……。
柴田作品が、設定とかキャラとか物語の流れとか、とても良いことはたしか。
だから頼むよ、作り直してくれ。
演出がどうこうの問題じゃない。
脚本から、別物にしてくれ。
キャラや基本設定だけ残して、テーマやニュアンスという言葉にならない部分を、新たな脚本と演出で作り直してくれ。
なんか「再演」っていうとさ、台詞とか場面とか言葉になる部分を「そのまま書き写す」ことだと思っているよーで、嫌だ。
時代は変わっている。
その作品が持つ、ほんとうに大切な、根っこにある「テーマ」を「現在の感覚と言葉、エピソードに翻訳して写す」ことが「正しい再演」だろう。
ファースト『ガンダム』は聖典だが、21世紀の今、当時のテレビ映像を見たら絵の汚さにびっくりするよ。まるまるっちいゴムまりみたいなザクの造形、そのダサいラインにびっくりするよ。
だから今、ゲームソフトやらで何度も作り直され追体験されているファースト『ガンダム』は、聖典のテーマやイメージを壊すことなく、「今」の絵に直されているよ。モビルスーツもみんなかっこよく美しくなっているさ。
それと同じこと。……や、ヲタクな例えですまんが。
『あかねさす紫の花』も『うたかたの恋』も、現代版が観たかったと、心から思った。
たしかにおもしろい話なんだ。
だが、あまりの古さに、目眩がする。
当時はソレで良かったのかもしれないが、現代ではソレ、「壊れている」と言っていいゆがみだから。
「自分が青春時代に観たものと、一言一句変わっても許さない。柴田先生の名作をなんと心得る!!」とゆー老人のことは、置いておいていいから。
誰だって「青春時代」の思い出がいちばん、ソレを超えるモノなんかありえないんだから、なにやったってそんな人たちは文句言うんだから、とりあえず、大手術してみよーよー。
植田・柴田両名の「名作」は、一言一句変えてはならない、何百年そのままのカタチで伝えていかねばならない伝統芸術の域に達しているのかな。や、一部の人たちのなかで。
伝統も大切だとは思うけどね……臨機応変だよね……。
『バレンシアの熱い花』も、「書き写し」ではなく、「書き直し」だったら良かったのになあ。
キャラのチガウ、別の道を歩いていた男たち3人の視線がひとつになるわくわく感や、それぞれの愛のカタチ、復讐と別れ。
「描きたかったのはコレなんだろうなあ」と想像はするが、目の前にあるモノとかけ離れすぎていて、こまる。
企画は良かったけど、脚本・演出のアレさでポシャった作品、つー印象。
あれもこれも欲張りすぎて、なにひとつ満足に描けませんでした、みたいな。
せめてアテ書きならなあ……。
『バレンシアの熱い花』はひどい話だけれど、真ん中に圧倒的な力があれば、まだ誤魔化せるレベルの駄作だと思う。
たとえばワタさんなら、フェルナンドみたいなひでー男でも、なんか「英雄かも?」って観客を錯覚させるよーなところまで、力業で持っていったと思う。
同じくらいひどい男だった玄宗@『花舞う長安』を、力尽くで持っていったからな。
タニちゃんは、これがトップお披露目だ。
円熟期に入ったトップさんならともかく、最初の1本がコレってのは不利だったなぁ、と。
駄作を力業で「なんかいい話かも?」ってとこまで持っていくのがトップスターの仕事だ、がんばれタニちゃん。
最初から持ち味に合わない役、しかも駄作で気の毒すぎるけれど、お披露目が駄作なのはヅカのお約束、トップの洗礼だと思って耐えてくれ。
真ん中を経験することで、みんな成長していくのだから。
コム姫もかしちゃんも、トップスターになってからキャラ変わったもんなー。
「トップスター」というのは、それくらい特別なモノなんだと思う。
とはいえ、やっぱ最初はタニちゃんに合ったモノを観たかったよ……。
タニちゃんって演技できない人だから、演技しないでいいもの、タニちゃんのままでOKなものにすればいいのにさー。や、役者としてならソレはどうよ?でも、タカラヅカスターはソレでイイんだもん。
なんでこんな、タニちゃんのいちばん苦手なのもをやらせるかなぁ。
初日にこの芝居を観たあと、わたしはかーなーりグレていたし、どーしたもんかと憤慨していたんだが、ショー『宙 FANTASISTA!』がすばらしいので、救われた。
アテ書きっていいよねっ。キャストやタカラヅカへの愛がダダ漏れてんこ盛りの書き下ろし新作っていいよねっ。
ほんとに、再演はしばらく勘弁っす。
どこの組でも、どんな演目でもね。
宙組公演の感想を聞かれ、「ショーだけなら何回でも観たい」と答えたのは、ひっくり返せば「芝居はもう二度と観たくない」という意味で、役代わりを観に行く気力さえ失せていたんだけど。
でもやっぱ、ロドリーゴ@らんとむが見たいので、もう一度行きますわ!
ラヴシーンが見たいの〜〜!!
作品がすごすぎて、まだ出演者の話までたどり着いていないけれど、ドン・ファン@七帆はすげーかっこよかったんですよ……。どんどん男前になっていく、たのしみな若者。
ゆっくり休んで、そしてまた元気な姿を見せてくださいよ。
えー、そんでもって、『バレンシアの熱い花』の話。
いろいろ書いてきたけれど、そんな面倒くさいことをしなくても。
手っ取り早くこの話を救う方法は、「ライトコメディ」にすることだと思う。
半端にシリアスのふりをしているから変なのよ。
お笑いものにしちゃえばいいんじゃん。
そしたら主役がおバカでエライ人の言いなり操り人形でもOK、利害でつながった仲間関係も、どつき漫才前提の自分勝手野郎ばかりでぜんぜんOK、義賊ごっこのマントひらひらもOK、生命がかかったこともおちゃらけて軽く描いてOK。
メルヘンでファンタジーなムードにしちゃえばいいのよ。悪役もディズニーみたいな、抜けた大仰なバカばっかりにして、なにがあっても罪なく笑って済ませられるような。
そんなもんヅカで見たくないけど、今の設定のまま主役と物語を進めるためには、それくらいするしかないよなー、と。
ソレが嫌だから、つらつらと設定を変える話を書いてきたわけで(笑)。
えーと、初演とやらは観ていないので知りません。
大昔の「名作」とやらの再演にわたしはかなり懐疑的だし、柴田作品に対して最近は絶望しかないので、今回またしてもアタマを抱えました。
演出の中村Aももちろん無能だけど、脚本自体からしてひでーよコレ……。でも、悪いのは全部中村Aと出演者ってことになって、柴田作品は「名作」と呼ばれ続けるのかしら……。
柴田作品が、設定とかキャラとか物語の流れとか、とても良いことはたしか。
だから頼むよ、作り直してくれ。
演出がどうこうの問題じゃない。
脚本から、別物にしてくれ。
キャラや基本設定だけ残して、テーマやニュアンスという言葉にならない部分を、新たな脚本と演出で作り直してくれ。
なんか「再演」っていうとさ、台詞とか場面とか言葉になる部分を「そのまま書き写す」ことだと思っているよーで、嫌だ。
時代は変わっている。
その作品が持つ、ほんとうに大切な、根っこにある「テーマ」を「現在の感覚と言葉、エピソードに翻訳して写す」ことが「正しい再演」だろう。
ファースト『ガンダム』は聖典だが、21世紀の今、当時のテレビ映像を見たら絵の汚さにびっくりするよ。まるまるっちいゴムまりみたいなザクの造形、そのダサいラインにびっくりするよ。
だから今、ゲームソフトやらで何度も作り直され追体験されているファースト『ガンダム』は、聖典のテーマやイメージを壊すことなく、「今」の絵に直されているよ。モビルスーツもみんなかっこよく美しくなっているさ。
それと同じこと。……や、ヲタクな例えですまんが。
『あかねさす紫の花』も『うたかたの恋』も、現代版が観たかったと、心から思った。
たしかにおもしろい話なんだ。
だが、あまりの古さに、目眩がする。
当時はソレで良かったのかもしれないが、現代ではソレ、「壊れている」と言っていいゆがみだから。
「自分が青春時代に観たものと、一言一句変わっても許さない。柴田先生の名作をなんと心得る!!」とゆー老人のことは、置いておいていいから。
誰だって「青春時代」の思い出がいちばん、ソレを超えるモノなんかありえないんだから、なにやったってそんな人たちは文句言うんだから、とりあえず、大手術してみよーよー。
植田・柴田両名の「名作」は、一言一句変えてはならない、何百年そのままのカタチで伝えていかねばならない伝統芸術の域に達しているのかな。や、一部の人たちのなかで。
伝統も大切だとは思うけどね……臨機応変だよね……。
『バレンシアの熱い花』も、「書き写し」ではなく、「書き直し」だったら良かったのになあ。
キャラのチガウ、別の道を歩いていた男たち3人の視線がひとつになるわくわく感や、それぞれの愛のカタチ、復讐と別れ。
「描きたかったのはコレなんだろうなあ」と想像はするが、目の前にあるモノとかけ離れすぎていて、こまる。
企画は良かったけど、脚本・演出のアレさでポシャった作品、つー印象。
あれもこれも欲張りすぎて、なにひとつ満足に描けませんでした、みたいな。
せめてアテ書きならなあ……。
『バレンシアの熱い花』はひどい話だけれど、真ん中に圧倒的な力があれば、まだ誤魔化せるレベルの駄作だと思う。
たとえばワタさんなら、フェルナンドみたいなひでー男でも、なんか「英雄かも?」って観客を錯覚させるよーなところまで、力業で持っていったと思う。
同じくらいひどい男だった玄宗@『花舞う長安』を、力尽くで持っていったからな。
タニちゃんは、これがトップお披露目だ。
円熟期に入ったトップさんならともかく、最初の1本がコレってのは不利だったなぁ、と。
駄作を力業で「なんかいい話かも?」ってとこまで持っていくのがトップスターの仕事だ、がんばれタニちゃん。
最初から持ち味に合わない役、しかも駄作で気の毒すぎるけれど、お披露目が駄作なのはヅカのお約束、トップの洗礼だと思って耐えてくれ。
真ん中を経験することで、みんな成長していくのだから。
コム姫もかしちゃんも、トップスターになってからキャラ変わったもんなー。
「トップスター」というのは、それくらい特別なモノなんだと思う。
とはいえ、やっぱ最初はタニちゃんに合ったモノを観たかったよ……。
タニちゃんって演技できない人だから、演技しないでいいもの、タニちゃんのままでOKなものにすればいいのにさー。や、役者としてならソレはどうよ?でも、タカラヅカスターはソレでイイんだもん。
なんでこんな、タニちゃんのいちばん苦手なのもをやらせるかなぁ。
初日にこの芝居を観たあと、わたしはかーなーりグレていたし、どーしたもんかと憤慨していたんだが、ショー『宙 FANTASISTA!』がすばらしいので、救われた。
アテ書きっていいよねっ。キャストやタカラヅカへの愛がダダ漏れてんこ盛りの書き下ろし新作っていいよねっ。
ほんとに、再演はしばらく勘弁っす。
どこの組でも、どんな演目でもね。
宙組公演の感想を聞かれ、「ショーだけなら何回でも観たい」と答えたのは、ひっくり返せば「芝居はもう二度と観たくない」という意味で、役代わりを観に行く気力さえ失せていたんだけど。
でもやっぱ、ロドリーゴ@らんとむが見たいので、もう一度行きますわ!
ラヴシーンが見たいの〜〜!!
フェルナンドを救え・その2。@バレンシアの熱い花
2007年7月12日 タカラヅカ どうやったら主役のフェルナンドを愚かで卑劣でなくせるか。
『バレンシアの熱い花』でフェルナンドの取る行動を、すべて逆にすればいい。
・レオン将軍のいいなり→自分の意志で行動
・私怨しか言わない→個人的恨みには口を閉ざす
・私怨なのに義憤のふりをする→義憤であることのみ
・人殺しはゲーム、義賊ごっこたのしい→生命の重みを受け止め、悪であることを理解しながらもあえて、泣く泣く実行
結局のところフェルナンドは、ルカノール派とやらを奇襲で殺して回るだけ、スタンドプレイ的個人行動をしているだけで、流れとして全体を見るとなにもしていないのよね。
自治領ひとつ奪い返すための軍隊を組織し、指揮するのはレオン将軍。
フェルナンド、いなくてもよかったんぢゃ……?
という疑問ばかりがアタマを回る。だからレオン将軍黒幕説に行き着いちゃうんだけど。
はい、以上が前日欄のおさらいでしたので、続き行きます。
フェルナンドには個人的なことしかしない、うえに。
その個人的な宿敵ルカノールを殺すのも、3対1、2対1だし。丸腰のルカノールに剣を与えたって、3人で逃げられないように囲んだ上、だ。
ふつー、武装した3人に囲まれ、寝込みを襲われたガウン姿の男がいきなり剣を与えられたからって、ふつーに戦えるわけないわな。実力を出せないまま殺されるでしょう。
わざと相手に凶器を持たせた上で一方的に殺害、「武装した凶悪犯なので、仕方なく射殺しました」と報告しちゃうぞ、てなノリに見えるじゃん……。
あくまでも1対1で戦えば良かったのに。
フェルナンドもロドリーゴも私怨でここまで来た男だから、ふたりがかりで殺さなければならなかったのだろうけど。
フェルナンドは私怨ではなく、ロドリーゴのみにしておけばよかったんだ。
ロドリーゴとルカノールの1対1の決闘、フェルナンドは剣を収め、それを見守る。たとえロドリーゴが苦戦しても、手出しはしない。仁義を守る。
少しでも、卑怯さを払拭して欲しかったよ。
さて、私怨でつながったフェルナンド、ロドリーゴ、ラモンだけど。
彼らに友情関係がないのは、何故ですか?
利害の一致がなければ、一緒に行動はしなかっただろう男たち。
フェルナンドはロドリーゴもラモンも好きじゃないし、ロドリーゴもラモンも、それぞれ互いに好意も興味も持っていない。
男3人がメインキャラなら、友情を期待するじゃないか……。萌えも期待するじゃないか……。
なんでこいつら、こんなに互いに興味がないの?
私怨で話がまとまる場面以外に、友情がわかるエピソードがない。それぞれ自分の恨み辛みに夢中で、他人に興味がない。
ラモンに対しては「利用できる」とわかった途端の手のひら返しの他、ラモンの惚れている女を取って平気っつーかそもそも忘れてるだろ、とか、「ケガをしたのがラモンで良かった」というエピソード(コメディタッチ)とか、復讐が済んだらはいサヨナラ、「お前とは所詮住む世界が違うんだ」と言わんばかりの別れ方、とか。すげぇよ。
お貴族様のふたりは、卑しい平民には一線を引き、決して心は開かなかったのね……。ラモンもそれをわかったうえで、一線を引いてつきあっていたのね……。
ロドリーゴとラモンは、せっかく最初反目していたのだから、互いを認め合うエピソードのひとつは欲しかったのだけど。
「妹を殺された=これで私怨仲間」でよーやく握手、って……人間には、利害関係しかないものなの? もっとなにか、美しいものがあってもいいんぢゃないの?
「描かれていないだけで、本当は信頼し合っていたの。友情があったの」という言い訳はナシよ。描かれたことだけを指摘しているのだから。
フェルナンドがロドリーゴをどーでもいーと思っていたことは、彼のラストの台詞からもよーっくわかる。
「私のシルヴィアが死んだ」と言うロドリーゴに、「私のイサベラも死んだ」と返すのは……いくらなんでも、無神経過ぎるだろう。
実際、恋人が自殺した直後の人の前で、同じ台詞を言えるか? ふつーの感覚を持った人間なら。
たしかに、フェルナンドとイサベラは別れ、二度と会うことはない、永久の別れなんだから「死」と同じことだとしても。
でもソレは、フェルナンドの心の内だけのことで。
物理的な「死」を体験した人に、ソレを言うのは……。
他人に対し、少しでも思いやりや想像力を持てる人間なら、絶対に言わない。言ってはならない。
お茶の間でテレビを見ているわけじゃないんだよ。亡くなった家族や恋人を嘆く人のニュース映像を見て、無関係な人や事件を見て感想を言っているわけじゃないんだよ?
友だちだよ? 知っている人だよ?
ほんとうに、他人のことをなにも考えられない人だったんだ。
ロドリーゴのことも、ただ利用していただけだったんだ。彼の心の痛みに心を動かすことすらなく、自分の心のことしか考えられないんだ。
とまあ、ラストのひとことは『バレンシアの熱い花』という物語を集約する、すばらしい名言でした。
言いなり、私怨、卑怯、利用、自己中。
ラストでわたしは膝を打って感心しました。
まさか、ここまで完璧にフェルナンドという男を「愚かで卑劣」と筋を一本通し、彼のひどい物語を描ききるなんて、と。
や、さすが柴田せんせというのか、キャラはブレていないし、筋も壊れていないの。
フェルナンドが「愚かで卑劣」で、レオン将軍に利用されているだけ、と、すげーわかりやすく起承転結辻褄あってるの。エピソードのひとつひとつ、ラストのキメ台詞までが、正しく機能している。
物語としての骨組みはしっかりしてるけど……。
でもソレが、主人公がアホでかっこわるいという骨組みなのは、どうなのよ。
そのうえ、この男には二股という要因も加わるからねえぇ。
お貴族様な婚約者と、卑しい踊り子。どちらにもいいカオしてますぜ、てな。
まあ、女ふたりに対しては演じ方次第でどーにでもなるレベルの描き方なんで、作品について語る今ははぶいておく。
フェルナンドが私怨ではなく、義に生きる男だという設定ならば、ルカノールとの一騎打ちもロドリーゴで済むし、イサベラとの別れもそちらを強調することでよりスムーズになるんだが。
義に生きるフェルナンドはイサベラを人生から切り捨て、愛に生きるロドリーゴは愛ゆえの憎しみで闘いに参加し、結局その愛(シルヴィア)を失う、と、これまたラストが栄えるのになあ。
男3人の、「私怨」とは別の友情シーンを描く。
コメディタッチでラモンを利用しようと口説く銀橋いらないから、男3人で飲んだくれるとか、彼らだけの場面を。
身分を超えて、利害を超えて、信頼と友情があることを、エピソードで教えてくれ。
とくに、ラモンとロドリーゴがわかりあう場面は必須。これがないと、ほんとにただの「利用価値」だけになってしまう。
一本筋が通って「愚かで卑劣」な男の物語だから、フェルナンドを救うためには、設定をひとつひとつ全部逆にしていくしかないの。
えー、上のまとめ箇条書きの続き。
・正義ですから!と、2対1、3対1の決闘→もちろん、1対1で
・利害のみでつながった関係→友情
・他人の心の痛みなんぞ興味なし、自分だけしか大切じゃないもん→思いやれ、自分の心の痛みを振り切って、友人のことを思いやれ
てなことで、救いたいです、フェルナンド。
ほんとに、アレじゃあんまりだ。
『バレンシアの熱い花』でフェルナンドの取る行動を、すべて逆にすればいい。
・レオン将軍のいいなり→自分の意志で行動
・私怨しか言わない→個人的恨みには口を閉ざす
・私怨なのに義憤のふりをする→義憤であることのみ
・人殺しはゲーム、義賊ごっこたのしい→生命の重みを受け止め、悪であることを理解しながらもあえて、泣く泣く実行
結局のところフェルナンドは、ルカノール派とやらを奇襲で殺して回るだけ、スタンドプレイ的個人行動をしているだけで、流れとして全体を見るとなにもしていないのよね。
自治領ひとつ奪い返すための軍隊を組織し、指揮するのはレオン将軍。
フェルナンド、いなくてもよかったんぢゃ……?
という疑問ばかりがアタマを回る。だからレオン将軍黒幕説に行き着いちゃうんだけど。
はい、以上が前日欄のおさらいでしたので、続き行きます。
フェルナンドには個人的なことしかしない、うえに。
その個人的な宿敵ルカノールを殺すのも、3対1、2対1だし。丸腰のルカノールに剣を与えたって、3人で逃げられないように囲んだ上、だ。
ふつー、武装した3人に囲まれ、寝込みを襲われたガウン姿の男がいきなり剣を与えられたからって、ふつーに戦えるわけないわな。実力を出せないまま殺されるでしょう。
わざと相手に凶器を持たせた上で一方的に殺害、「武装した凶悪犯なので、仕方なく射殺しました」と報告しちゃうぞ、てなノリに見えるじゃん……。
あくまでも1対1で戦えば良かったのに。
フェルナンドもロドリーゴも私怨でここまで来た男だから、ふたりがかりで殺さなければならなかったのだろうけど。
フェルナンドは私怨ではなく、ロドリーゴのみにしておけばよかったんだ。
ロドリーゴとルカノールの1対1の決闘、フェルナンドは剣を収め、それを見守る。たとえロドリーゴが苦戦しても、手出しはしない。仁義を守る。
少しでも、卑怯さを払拭して欲しかったよ。
さて、私怨でつながったフェルナンド、ロドリーゴ、ラモンだけど。
彼らに友情関係がないのは、何故ですか?
利害の一致がなければ、一緒に行動はしなかっただろう男たち。
フェルナンドはロドリーゴもラモンも好きじゃないし、ロドリーゴもラモンも、それぞれ互いに好意も興味も持っていない。
男3人がメインキャラなら、友情を期待するじゃないか……。萌えも期待するじゃないか……。
なんでこいつら、こんなに互いに興味がないの?
私怨で話がまとまる場面以外に、友情がわかるエピソードがない。それぞれ自分の恨み辛みに夢中で、他人に興味がない。
ラモンに対しては「利用できる」とわかった途端の手のひら返しの他、ラモンの惚れている女を取って平気っつーかそもそも忘れてるだろ、とか、「ケガをしたのがラモンで良かった」というエピソード(コメディタッチ)とか、復讐が済んだらはいサヨナラ、「お前とは所詮住む世界が違うんだ」と言わんばかりの別れ方、とか。すげぇよ。
お貴族様のふたりは、卑しい平民には一線を引き、決して心は開かなかったのね……。ラモンもそれをわかったうえで、一線を引いてつきあっていたのね……。
ロドリーゴとラモンは、せっかく最初反目していたのだから、互いを認め合うエピソードのひとつは欲しかったのだけど。
「妹を殺された=これで私怨仲間」でよーやく握手、って……人間には、利害関係しかないものなの? もっとなにか、美しいものがあってもいいんぢゃないの?
「描かれていないだけで、本当は信頼し合っていたの。友情があったの」という言い訳はナシよ。描かれたことだけを指摘しているのだから。
フェルナンドがロドリーゴをどーでもいーと思っていたことは、彼のラストの台詞からもよーっくわかる。
「私のシルヴィアが死んだ」と言うロドリーゴに、「私のイサベラも死んだ」と返すのは……いくらなんでも、無神経過ぎるだろう。
実際、恋人が自殺した直後の人の前で、同じ台詞を言えるか? ふつーの感覚を持った人間なら。
たしかに、フェルナンドとイサベラは別れ、二度と会うことはない、永久の別れなんだから「死」と同じことだとしても。
でもソレは、フェルナンドの心の内だけのことで。
物理的な「死」を体験した人に、ソレを言うのは……。
他人に対し、少しでも思いやりや想像力を持てる人間なら、絶対に言わない。言ってはならない。
お茶の間でテレビを見ているわけじゃないんだよ。亡くなった家族や恋人を嘆く人のニュース映像を見て、無関係な人や事件を見て感想を言っているわけじゃないんだよ?
友だちだよ? 知っている人だよ?
ほんとうに、他人のことをなにも考えられない人だったんだ。
ロドリーゴのことも、ただ利用していただけだったんだ。彼の心の痛みに心を動かすことすらなく、自分の心のことしか考えられないんだ。
とまあ、ラストのひとことは『バレンシアの熱い花』という物語を集約する、すばらしい名言でした。
言いなり、私怨、卑怯、利用、自己中。
ラストでわたしは膝を打って感心しました。
まさか、ここまで完璧にフェルナンドという男を「愚かで卑劣」と筋を一本通し、彼のひどい物語を描ききるなんて、と。
や、さすが柴田せんせというのか、キャラはブレていないし、筋も壊れていないの。
フェルナンドが「愚かで卑劣」で、レオン将軍に利用されているだけ、と、すげーわかりやすく起承転結辻褄あってるの。エピソードのひとつひとつ、ラストのキメ台詞までが、正しく機能している。
物語としての骨組みはしっかりしてるけど……。
でもソレが、主人公がアホでかっこわるいという骨組みなのは、どうなのよ。
そのうえ、この男には二股という要因も加わるからねえぇ。
お貴族様な婚約者と、卑しい踊り子。どちらにもいいカオしてますぜ、てな。
まあ、女ふたりに対しては演じ方次第でどーにでもなるレベルの描き方なんで、作品について語る今ははぶいておく。
フェルナンドが私怨ではなく、義に生きる男だという設定ならば、ルカノールとの一騎打ちもロドリーゴで済むし、イサベラとの別れもそちらを強調することでよりスムーズになるんだが。
義に生きるフェルナンドはイサベラを人生から切り捨て、愛に生きるロドリーゴは愛ゆえの憎しみで闘いに参加し、結局その愛(シルヴィア)を失う、と、これまたラストが栄えるのになあ。
男3人の、「私怨」とは別の友情シーンを描く。
コメディタッチでラモンを利用しようと口説く銀橋いらないから、男3人で飲んだくれるとか、彼らだけの場面を。
身分を超えて、利害を超えて、信頼と友情があることを、エピソードで教えてくれ。
とくに、ラモンとロドリーゴがわかりあう場面は必須。これがないと、ほんとにただの「利用価値」だけになってしまう。
一本筋が通って「愚かで卑劣」な男の物語だから、フェルナンドを救うためには、設定をひとつひとつ全部逆にしていくしかないの。
えー、上のまとめ箇条書きの続き。
・正義ですから!と、2対1、3対1の決闘→もちろん、1対1で
・利害のみでつながった関係→友情
・他人の心の痛みなんぞ興味なし、自分だけしか大切じゃないもん→思いやれ、自分の心の痛みを振り切って、友人のことを思いやれ
てなことで、救いたいです、フェルナンド。
ほんとに、アレじゃあんまりだ。
フェルナンドを救え・その1。@バレンシアの熱い花
2007年7月11日 タカラヅカ タカラヅカは、主役をかっこよく描いてなんぼ。
主役至上主義。
なのに。
『バレンシアの熱い花』は、主役が最悪だ。
かっこわるい。
てゆーか、愚かで卑劣ってのは、いくらなんでもヅカの主人公としてアウトだろう。
主人公フェルナンド。
レオン将軍の言いなり。自分ではなにもできないし、考えられない。
個人的感情だけですべてを決める。周囲を見ない。
悪に対しては、どんな卑劣な行動しても当然。正義の名の下に、なにをしてもヨシ。
殺人もOK。多人数でひとりをなぶり殺してもOK。だって正義だもん。
個人的な恨みだけしかなかったのに、「スペインのために」と大言壮語。責任転嫁。
友人はいない。利害関係でつながった相手ならいる。
……この男、どうしよう。
かっこわるすぎる。主役なのに。
フェルナンドの美点は、「ハンサム」「スタイルがいい」「家柄や育ちがいい」という、本人の人間性とは無関係な、外側のみ。
そして、きれいな顔で誰より華美な服を着て、まちがった正義をがなりたてる。……その豪華な衣装がさらに、きつい。
悪代官が金糸銀糸の衣装で着飾っているのと同じに見える。豪華な衣装さえ着ていれば、人間自体が立派だと誤解している人みたいだ。
人間としてまちがいまくっているのに、彼を「正義」として描く、この物語の世界観がダメ。
なんでこーなるんだー。
フェルナンドを「愚かで卑劣」にして、なんの得があるんだ?
今のままだと、レオン将軍に操られて破滅するだけの道化者にしか見えないぞ?
そうしないと、この物語って破綻しているよ?
レオン将軍の操り人形だった、というオチにすれば、フェルナンドが「愚かで卑劣」で自分では有益なことをナニもしていなくても、すべて辻褄が合うけど。
そうじゃないんでしょ?
フェルナンドってヒーローなんでしょ?
だったら、描き方を根本から変えなきゃダメだよ。
まず、彼の目的が「私怨」でないことをアピールする。
バレンシアに帰ってきた彼が、圧政にあえいでいる市民を見て怒りを感じる、とかね。
ルカノールが「悪人」であることを、ちゃんと説明しなきゃ。
フェルナンド母が「税金高すぎ、民衆が困ってるわ」と言っているだけで、ちっともぴんとこない。だってエル・パティオに集う人々はたのしそーで、陽気に歌い踊るばかりで、ちっとも「圧政に苦しんでいる」よーに見えない。
次に、レオン将軍とフェルナンドの立場を逆転させる。
フェルナンドは自分の意志でバレンシアに戻ってきた。わざと遠くの駐屯地に身を置いたのは、ルカノールの目を逃れるためで、そこから苦労して義勇軍を組織し、ルカノールへの反旗を翻す機会が近くなったと判断しての帰郷。
その仕上げに、退役軍人レオン将軍の力を借りに来た。
たしかにフェルナンド父はルカノールに暗殺された。しかしそのことは、重要なことではない。
「父よりもルカノールが優れた施政者であるというならば、仕方がないことかもしれない。父の強固な反フランス姿勢ゆえ、バレンシア市民が苦しむことになる、そのために父を力尽くでも排除しなければならなかった、というなら。
だが、そうではない。ルカノールはただ私欲のために領主の座を欲したのです。現に、父が領主だったときと比べものにならないほど市民たちは苦しんでいる。父の仇を討つという以上に、前施政者の意志を継ぐ者として、ルカノールを倒さなければならないのです」……てな。
将軍はおどろきつつもフェルナンドの力になることを誓う。
遊び人ぶるのも、自分の意志で。誰かに命令されて操られるのではない。
卑しい酒場の踊り子イサベラとの恋の濃度は、また臨機応変に。
わたしの好みでいけば、ルカノールの目を逃れるために、レオン将軍の孫娘との婚約は破局だな、将軍とのつながりはもうないな、と思わせるためのフェイクとしてイサベラを利用する。……が、本気になる。てのがいいな。
フェルナンドがロドリーゴに会いに行くのも、自分の意志で。
レオン将軍に操られるままに会いに行き、「私怨仲間」ってことで手を取り合う、のではない。
フェルナンドとロドリーゴは、「友人」である。「利害が一致する」から「とりあえず協力」する関係ではない。
ふたりの友情シーンを入れる。私怨を語る前に。
そして、フェルナンドは私怨ではなく大義ゆえにルカノールを倒す計画を話す。
それに対し、ロドリーゴは「私怨」だけで加わることを明確にする。
「バレンシアの未来も、スペインの未来もない。私には、恋がすべてだ」
そーすることで、「義に生きるフェルナンド」「愛に生きるロドリーゴ」という、ふたつのキャラが確立。でも、ふたりの目的は同じ。
大切なモノがちがっても、互いを信頼し、尊重し合う男の友情だ。
黒い天使は正直不要なんだけど……。アレ、どう考えてもかっこわるいし。や、30年前ならかっこよかったのかもしれないけど。
どーしてもやらなきゃなんないなら、もっとダークに真剣にやる。
今の『バレンシアの熱い花』が気持ち悪いのは、フェルナンドたち黒い天使がやっているのは「殺人」なのに、それをきちんと描かず、お茶を濁していることだ。
ただチャンチャンバラバラと遊んでいるよーに見える。
現に、フェルナンドとロドリーゴがラモンを仲間に誘う場面は、コメディタッチだ。
それまで「父の仇」「女を盗られた」と「私怨」しか口にしていなかったフェルナンドとロドリーゴが、「ラモンを仲間にしなきゃ!」と思った途端手のひらを返して「バレンシアのために!」「スペインのために!」と言い出すことの、薄ら寒さ。
個人を憎んでの殺人計画なのに、いきなり「正義の聖戦」だよ? 開いた口がふさがらない。
ラモンの腰が引けるのもとーぜん。
「だって旦那方、個人的な恨みで領主様をやっちまおーって言うんでしょう? 勘弁してくださいよ、善良な一市民を大それた殺人計画に巻き込まないでくださいよ」
ラモンが正しいのに、さもまちがっているかのような描き方。
なんの関係もないのに他人の殺人計画に引き込まれる、それを必死に断る、という場面が何故コメディなんだ?
その軽さがありえない。
無神経極まりない場面だ。
かかっているのは、「生命」なんだ。
黒い天使は、「ルカノールの部下」というだけの人間を、確固たる罪の証拠も裁判もなく、死刑にしていくんだよ? 闇討ちにして殺すんだよ?
なんで愉快痛快な、軽い描き方をするんだ?
泣いて命乞いする者もいるかもしれない、亡骸に妻や幼い子どもがすがりついて泣くかもしれない。
それでも、殺すんだろう?
それだけの覚悟があっての「黒い天使」なんだろう?
シリアスに描けばいいのに。
何故か黒い天使関連は軽快。遊んでいるよーにしか見えない。
「ルカノールの部下」の亡骸にすがって泣く子どもの横で、剣を胸の前にかざして一礼、己の行動の意味も責任を負う覚悟であることを示して退場、とかでもいいのに。
「人殺し!」と罵られてなお、毅然とする男、でいいのに。
なんで闇討ち人殺しが肯定されているんだ、この世界? 正義だからナニをしてもヨシ?
正義のためだとしても、「殺人」をしている重さは描こうよ。それがフェアってもんでしょうに。
とっても気楽にたのしそーに「殺人」を繰り返すフェルナンドの軽さがこわい。
私怨と義憤の混同で、自分を「正義」だと信じ込んだ心の闇がこわい。
私怨仲間のロドリーゴ、利用できると思うなり手のひらを返して仲間にしようとしたラモン、利害でしか人を計らないゆがみがこわい。
フェルナンドが、気持ち悪すぎる。
つーことで、続く〜〜。
主役至上主義。
なのに。
『バレンシアの熱い花』は、主役が最悪だ。
かっこわるい。
てゆーか、愚かで卑劣ってのは、いくらなんでもヅカの主人公としてアウトだろう。
主人公フェルナンド。
レオン将軍の言いなり。自分ではなにもできないし、考えられない。
個人的感情だけですべてを決める。周囲を見ない。
悪に対しては、どんな卑劣な行動しても当然。正義の名の下に、なにをしてもヨシ。
殺人もOK。多人数でひとりをなぶり殺してもOK。だって正義だもん。
個人的な恨みだけしかなかったのに、「スペインのために」と大言壮語。責任転嫁。
友人はいない。利害関係でつながった相手ならいる。
……この男、どうしよう。
かっこわるすぎる。主役なのに。
フェルナンドの美点は、「ハンサム」「スタイルがいい」「家柄や育ちがいい」という、本人の人間性とは無関係な、外側のみ。
そして、きれいな顔で誰より華美な服を着て、まちがった正義をがなりたてる。……その豪華な衣装がさらに、きつい。
悪代官が金糸銀糸の衣装で着飾っているのと同じに見える。豪華な衣装さえ着ていれば、人間自体が立派だと誤解している人みたいだ。
人間としてまちがいまくっているのに、彼を「正義」として描く、この物語の世界観がダメ。
なんでこーなるんだー。
フェルナンドを「愚かで卑劣」にして、なんの得があるんだ?
今のままだと、レオン将軍に操られて破滅するだけの道化者にしか見えないぞ?
そうしないと、この物語って破綻しているよ?
レオン将軍の操り人形だった、というオチにすれば、フェルナンドが「愚かで卑劣」で自分では有益なことをナニもしていなくても、すべて辻褄が合うけど。
そうじゃないんでしょ?
フェルナンドってヒーローなんでしょ?
だったら、描き方を根本から変えなきゃダメだよ。
まず、彼の目的が「私怨」でないことをアピールする。
バレンシアに帰ってきた彼が、圧政にあえいでいる市民を見て怒りを感じる、とかね。
ルカノールが「悪人」であることを、ちゃんと説明しなきゃ。
フェルナンド母が「税金高すぎ、民衆が困ってるわ」と言っているだけで、ちっともぴんとこない。だってエル・パティオに集う人々はたのしそーで、陽気に歌い踊るばかりで、ちっとも「圧政に苦しんでいる」よーに見えない。
次に、レオン将軍とフェルナンドの立場を逆転させる。
フェルナンドは自分の意志でバレンシアに戻ってきた。わざと遠くの駐屯地に身を置いたのは、ルカノールの目を逃れるためで、そこから苦労して義勇軍を組織し、ルカノールへの反旗を翻す機会が近くなったと判断しての帰郷。
その仕上げに、退役軍人レオン将軍の力を借りに来た。
たしかにフェルナンド父はルカノールに暗殺された。しかしそのことは、重要なことではない。
「父よりもルカノールが優れた施政者であるというならば、仕方がないことかもしれない。父の強固な反フランス姿勢ゆえ、バレンシア市民が苦しむことになる、そのために父を力尽くでも排除しなければならなかった、というなら。
だが、そうではない。ルカノールはただ私欲のために領主の座を欲したのです。現に、父が領主だったときと比べものにならないほど市民たちは苦しんでいる。父の仇を討つという以上に、前施政者の意志を継ぐ者として、ルカノールを倒さなければならないのです」……てな。
将軍はおどろきつつもフェルナンドの力になることを誓う。
遊び人ぶるのも、自分の意志で。誰かに命令されて操られるのではない。
卑しい酒場の踊り子イサベラとの恋の濃度は、また臨機応変に。
わたしの好みでいけば、ルカノールの目を逃れるために、レオン将軍の孫娘との婚約は破局だな、将軍とのつながりはもうないな、と思わせるためのフェイクとしてイサベラを利用する。……が、本気になる。てのがいいな。
フェルナンドがロドリーゴに会いに行くのも、自分の意志で。
レオン将軍に操られるままに会いに行き、「私怨仲間」ってことで手を取り合う、のではない。
フェルナンドとロドリーゴは、「友人」である。「利害が一致する」から「とりあえず協力」する関係ではない。
ふたりの友情シーンを入れる。私怨を語る前に。
そして、フェルナンドは私怨ではなく大義ゆえにルカノールを倒す計画を話す。
それに対し、ロドリーゴは「私怨」だけで加わることを明確にする。
「バレンシアの未来も、スペインの未来もない。私には、恋がすべてだ」
そーすることで、「義に生きるフェルナンド」「愛に生きるロドリーゴ」という、ふたつのキャラが確立。でも、ふたりの目的は同じ。
大切なモノがちがっても、互いを信頼し、尊重し合う男の友情だ。
黒い天使は正直不要なんだけど……。アレ、どう考えてもかっこわるいし。や、30年前ならかっこよかったのかもしれないけど。
どーしてもやらなきゃなんないなら、もっとダークに真剣にやる。
今の『バレンシアの熱い花』が気持ち悪いのは、フェルナンドたち黒い天使がやっているのは「殺人」なのに、それをきちんと描かず、お茶を濁していることだ。
ただチャンチャンバラバラと遊んでいるよーに見える。
現に、フェルナンドとロドリーゴがラモンを仲間に誘う場面は、コメディタッチだ。
それまで「父の仇」「女を盗られた」と「私怨」しか口にしていなかったフェルナンドとロドリーゴが、「ラモンを仲間にしなきゃ!」と思った途端手のひらを返して「バレンシアのために!」「スペインのために!」と言い出すことの、薄ら寒さ。
個人を憎んでの殺人計画なのに、いきなり「正義の聖戦」だよ? 開いた口がふさがらない。
ラモンの腰が引けるのもとーぜん。
「だって旦那方、個人的な恨みで領主様をやっちまおーって言うんでしょう? 勘弁してくださいよ、善良な一市民を大それた殺人計画に巻き込まないでくださいよ」
ラモンが正しいのに、さもまちがっているかのような描き方。
なんの関係もないのに他人の殺人計画に引き込まれる、それを必死に断る、という場面が何故コメディなんだ?
その軽さがありえない。
無神経極まりない場面だ。
かかっているのは、「生命」なんだ。
黒い天使は、「ルカノールの部下」というだけの人間を、確固たる罪の証拠も裁判もなく、死刑にしていくんだよ? 闇討ちにして殺すんだよ?
なんで愉快痛快な、軽い描き方をするんだ?
泣いて命乞いする者もいるかもしれない、亡骸に妻や幼い子どもがすがりついて泣くかもしれない。
それでも、殺すんだろう?
それだけの覚悟があっての「黒い天使」なんだろう?
シリアスに描けばいいのに。
何故か黒い天使関連は軽快。遊んでいるよーにしか見えない。
「ルカノールの部下」の亡骸にすがって泣く子どもの横で、剣を胸の前にかざして一礼、己の行動の意味も責任を負う覚悟であることを示して退場、とかでもいいのに。
「人殺し!」と罵られてなお、毅然とする男、でいいのに。
なんで闇討ち人殺しが肯定されているんだ、この世界? 正義だからナニをしてもヨシ?
正義のためだとしても、「殺人」をしている重さは描こうよ。それがフェアってもんでしょうに。
とっても気楽にたのしそーに「殺人」を繰り返すフェルナンドの軽さがこわい。
私怨と義憤の混同で、自分を「正義」だと信じ込んだ心の闇がこわい。
私怨仲間のロドリーゴ、利用できると思うなり手のひらを返して仲間にしようとしたラモン、利害でしか人を計らないゆがみがこわい。
フェルナンドが、気持ち悪すぎる。
つーことで、続く〜〜。
己を正義と信じる者の暴力ほど、残酷で恐ろしいものはない。@バレンシアの熱い花
2007年7月10日 タカラヅカ 大義のためだ。
きれいごとだけで政治はできない。
私欲のために前領主を暗殺し、敵国フランスにしっぽを振ってバレンシア領主となったルカノール公爵。この男から、バレンシアを取り返さなければならない。
だが、ただ公爵を暗殺すればすむわけではない。公爵を象徴とするフランス勢力を払拭しなければ、彼ひとり殺したところでなんの意味もない。
私は反乱のための準備を進めた。挙兵までは、私の計画が外に漏れてはならない。公爵の目をそらすための道化が必要だ。
公爵のよく知る人物で、自分ではナニも考えられず簡単に他人の言いなりになる、しかしプライドだけは高く自意識過剰な愚か者……ちょうどいい男がいる。私はその男をバレンシアに呼び寄せることにした。
前領主の息子フェルナンドだ。
「君の父上を殺したのは、ルカノール公爵だ」
と、私が捏造した「証拠の手紙」とやらをちらつかせてやるだけでよかった。フェルナンドは激昂、「父の仇を討つ!」といきり立つ。
殺人には殺人で、個人の暴力で気を晴らす程度のことしかできない、低脳な……されど素直な若者を利用するのはたやすかった。
私の言うことを聞けば、仇が討てる。まずはルカノールを油断させるために遊び歩き、阿呆のふりをしろと言い含めた。
フェルナンドは単純に盛り場を遊び歩き、仇討ちなど考えていない振りをする。
そのあまりに唐突な変身ぶりが嘘臭く、ルカノールの目を引くには十分だった。しかもこの若者は、さらに愉快な真似をはじめた。
「黒い天使とでも呼んでもらおうか」
黒い帽子に派手なマント、恥ずかしい異名を自ら名乗り、ルカノール派を襲っては悦に入っている。子どもの頃にそのテの覆面ヒーローの活躍する読み物にハマったクチらしい。
フェルナンドの単純な脳みそには、「仇=悪」「仇を憎む自分=正義」「自分の敵=バレンシアの敵」という図式しかない。バレンシアの未来も、スペイン、フランスといった国家間のこともなにもない。
だが、それでいい。彼が愚かであることが、重要なのだ。
黒い天使が囮になってくれている間に、義勇軍の準備は整った。
ルカノールの館に自在に出入りする泥棒を飼っていた私には、正直ルカノールとの決戦に黒い天使とやらは必要なかったが、あえて連れて行くことにした。
ルカノールへの私怨に燃えるフェルナンドと、同じく私怨だけでつながった黒い天使チームは、私の組織する義勇軍と分けて行動させなければならない。この闘いへの意識がまったくチガウからだ。
どこから見ても「賊」でしかない姿をした黒い天使たちに、ルカノールを暗殺させる。そのあとで、私の義勇軍がルカノール派を制圧し、バレンシアの実権を握るのだ。
現国王とフランスに対しての時間稼ぎだ。
フランス派ルカノールを暗殺したのは黒い天使という賊であり、私たちはその黒い天使を討伐しに兵を起こした。
黒い天使は即刻公開処刑。前領主の息子が犯人だとわかれば、その動機も「現国王政府への反逆」ではなく、「ただの私怨」として片が付く。
すべてはバレンシアのため、祖国のためだ。
フェルナンドを処刑台に送り込むことは容易い。私に都合の悪いことはなにも言わないよう、耳障りのいい言葉でおだてあげればいい。あの愚かな男は、私の言葉ひとつで意気揚々と死んでいくだろう。自分を英雄だと信じて。
フェルナンドの仲間の黒い天使たちは、ルカノール暗殺直後に殺してしまうので問題ない。
黒い天使のひとりはルカノールの甥であり後継者であるロドリーゴなので、叔父を守ろうとして黒い天使に殺されたことにすればいいし、その正体を知るルカノールの妻も自殺を装って殺せばいい。
もうひとりはただの身分の卑しい小物だ、いつこの世からいなくなってもかまわない。余計な工作も必要ない。
黒い天使として処刑されるのは、フェルナンドひとりで十分だ。
私が必要としたのは、スケープゴートだ。愚か者をひとり、道化として祭り上げる必要があった。
フェルナンドの母は賢い女なので真実を察するだろうが、その賢さゆえに口を閉ざすだろう。
大儀のためだ。
きれいごとだけで政治はできない。
フェルナンドよ。恨むのならば私ではなく、愚かな自分を恨んでくれ。
☆
宙組新人公演『バレンシアの熱い花』観劇。
新公感想を書こうとしていたんだが、やめた。
本公演の、いや、『バレンシアの熱い花』という作品についての感想を書いた上でないと、新公感想が書けないことに気が付いたんだ。
新公感想を書いていたら、いちいち本公演ではこうだった、作品がこうだったからと解説しながらになって、まだるっこしい。論点がブレるから、順に書かなきゃダメだ。
や、タニちゃんお披露目だし、初日から作品についてキライ。駄作。と書くのもなんだかなー、と思って、書かなかったけれど。
いい加減書かないと、先に進めないや。
だからここで、『バレンシアの熱い花』という、作品についての感想。
柴田作品は古くてあちこち綻びだらけである、大昔はソレで良かったのかもしれないが、現代からすりゃ目眩がするほどダサかったりする、ということは、わかっていた。
だが柴田作品は「つまらない」ことはあっても、最低限「生理的嫌悪感がない」というのが美点だった。
柴田せんせー自身の人柄や、考え方ゆえだろう。時代にそぐわないのはもう仕方ないが、人格への信頼感はある人だった。
それが、同じように古くて時代錯誤でダサい植爺作品との、大きなちがいだった。
ところがどっこい、この『バレンシアの熱い花』は。
植爺と同種の「壊れ方」をしているんだよ。
どーしたもんだか。
何度も書いているが、わたしの逆ツボは、「まちがっているのに、それを正しいとする世界観」だ。
まちがったことをしてはならない、のではない。
まちがったことなら、まちがったこととして書いてくれ。
恋に夢中になったヒロインが、うっかり仕事でミスをした。すると意地悪な上司がヒロインをねちねちと叱った。なんてひどい人なんだろう! ヒロインは恋で悩んでいるのに。こんなに一生懸命に生きている子がミスをしたって仕方ないじゃないか。それを責めるなんて、この上司は悪人だ。
という、世界観のゆがみが逆ツボ。
恋に夢中なのも、ミスをしたのもヒロインの勝手。それを責める上司は正しいのに、ヒロインを正当化するために世界を歪曲、上司を悪に仕立て上げるのが気持ち悪い。
じゃあミスしない人間なんているの? ヒロインがミスをするのは、彼女が真摯に恋をしていることを表すエピソードなのに、書いちゃいけないの?
そうじゃない。個人的感情のために仕事でミスをするのは悪いこと、だが、悪いことをしてしまうほどに真摯に恋に悩んでいる、という描き方をしろと言っているんだ。
まちがったことを描いてもいい。してもいい。まちがったことはまちがったこととして、描いてくれ。
何故そのまちがったことを、それでもしなければならなかったのかを、描いてくれ。
『バレンシアの熱い花』の主人公フェルナンドは、まちがった人間だ。
目には目を、傷つけられたら傷つけ返す。自分の快感のためになら、他人を利用したり殺したりも平気。疑わしきは罰せよ、自分が正義、自分ひとりの感情で裁きを下す。
父の仇討ち、復讐劇。
……ソレはいいんだ、べつに。
彼がどれだけまちがっていようと、悪人だろうとかまわない。
フェルナンドを「悪」だと、きちんと描いてくれれば。
俺は悪人だ、自分がしていることはわかっている。だが、それでも父の仇ルカノールを殺したいんだ。
……というなら、いいんだ。
なのにフェルナンド、自分を正義だと思っている。
私怨でしかないのに、義憤だと思っている。
その意識のゆがみがこわい。気持ち悪い。
とゆーことで、ダメだったのですよ、この作品。
植爺作品と同じ気持ち悪さ。ありえない。
きれいごとだけで政治はできない。
私欲のために前領主を暗殺し、敵国フランスにしっぽを振ってバレンシア領主となったルカノール公爵。この男から、バレンシアを取り返さなければならない。
だが、ただ公爵を暗殺すればすむわけではない。公爵を象徴とするフランス勢力を払拭しなければ、彼ひとり殺したところでなんの意味もない。
私は反乱のための準備を進めた。挙兵までは、私の計画が外に漏れてはならない。公爵の目をそらすための道化が必要だ。
公爵のよく知る人物で、自分ではナニも考えられず簡単に他人の言いなりになる、しかしプライドだけは高く自意識過剰な愚か者……ちょうどいい男がいる。私はその男をバレンシアに呼び寄せることにした。
前領主の息子フェルナンドだ。
「君の父上を殺したのは、ルカノール公爵だ」
と、私が捏造した「証拠の手紙」とやらをちらつかせてやるだけでよかった。フェルナンドは激昂、「父の仇を討つ!」といきり立つ。
殺人には殺人で、個人の暴力で気を晴らす程度のことしかできない、低脳な……されど素直な若者を利用するのはたやすかった。
私の言うことを聞けば、仇が討てる。まずはルカノールを油断させるために遊び歩き、阿呆のふりをしろと言い含めた。
フェルナンドは単純に盛り場を遊び歩き、仇討ちなど考えていない振りをする。
そのあまりに唐突な変身ぶりが嘘臭く、ルカノールの目を引くには十分だった。しかもこの若者は、さらに愉快な真似をはじめた。
「黒い天使とでも呼んでもらおうか」
黒い帽子に派手なマント、恥ずかしい異名を自ら名乗り、ルカノール派を襲っては悦に入っている。子どもの頃にそのテの覆面ヒーローの活躍する読み物にハマったクチらしい。
フェルナンドの単純な脳みそには、「仇=悪」「仇を憎む自分=正義」「自分の敵=バレンシアの敵」という図式しかない。バレンシアの未来も、スペイン、フランスといった国家間のこともなにもない。
だが、それでいい。彼が愚かであることが、重要なのだ。
黒い天使が囮になってくれている間に、義勇軍の準備は整った。
ルカノールの館に自在に出入りする泥棒を飼っていた私には、正直ルカノールとの決戦に黒い天使とやらは必要なかったが、あえて連れて行くことにした。
ルカノールへの私怨に燃えるフェルナンドと、同じく私怨だけでつながった黒い天使チームは、私の組織する義勇軍と分けて行動させなければならない。この闘いへの意識がまったくチガウからだ。
どこから見ても「賊」でしかない姿をした黒い天使たちに、ルカノールを暗殺させる。そのあとで、私の義勇軍がルカノール派を制圧し、バレンシアの実権を握るのだ。
現国王とフランスに対しての時間稼ぎだ。
フランス派ルカノールを暗殺したのは黒い天使という賊であり、私たちはその黒い天使を討伐しに兵を起こした。
黒い天使は即刻公開処刑。前領主の息子が犯人だとわかれば、その動機も「現国王政府への反逆」ではなく、「ただの私怨」として片が付く。
すべてはバレンシアのため、祖国のためだ。
フェルナンドを処刑台に送り込むことは容易い。私に都合の悪いことはなにも言わないよう、耳障りのいい言葉でおだてあげればいい。あの愚かな男は、私の言葉ひとつで意気揚々と死んでいくだろう。自分を英雄だと信じて。
フェルナンドの仲間の黒い天使たちは、ルカノール暗殺直後に殺してしまうので問題ない。
黒い天使のひとりはルカノールの甥であり後継者であるロドリーゴなので、叔父を守ろうとして黒い天使に殺されたことにすればいいし、その正体を知るルカノールの妻も自殺を装って殺せばいい。
もうひとりはただの身分の卑しい小物だ、いつこの世からいなくなってもかまわない。余計な工作も必要ない。
黒い天使として処刑されるのは、フェルナンドひとりで十分だ。
私が必要としたのは、スケープゴートだ。愚か者をひとり、道化として祭り上げる必要があった。
フェルナンドの母は賢い女なので真実を察するだろうが、その賢さゆえに口を閉ざすだろう。
大儀のためだ。
きれいごとだけで政治はできない。
フェルナンドよ。恨むのならば私ではなく、愚かな自分を恨んでくれ。
☆
宙組新人公演『バレンシアの熱い花』観劇。
新公感想を書こうとしていたんだが、やめた。
本公演の、いや、『バレンシアの熱い花』という作品についての感想を書いた上でないと、新公感想が書けないことに気が付いたんだ。
新公感想を書いていたら、いちいち本公演ではこうだった、作品がこうだったからと解説しながらになって、まだるっこしい。論点がブレるから、順に書かなきゃダメだ。
や、タニちゃんお披露目だし、初日から作品についてキライ。駄作。と書くのもなんだかなー、と思って、書かなかったけれど。
いい加減書かないと、先に進めないや。
だからここで、『バレンシアの熱い花』という、作品についての感想。
柴田作品は古くてあちこち綻びだらけである、大昔はソレで良かったのかもしれないが、現代からすりゃ目眩がするほどダサかったりする、ということは、わかっていた。
だが柴田作品は「つまらない」ことはあっても、最低限「生理的嫌悪感がない」というのが美点だった。
柴田せんせー自身の人柄や、考え方ゆえだろう。時代にそぐわないのはもう仕方ないが、人格への信頼感はある人だった。
それが、同じように古くて時代錯誤でダサい植爺作品との、大きなちがいだった。
ところがどっこい、この『バレンシアの熱い花』は。
植爺と同種の「壊れ方」をしているんだよ。
どーしたもんだか。
何度も書いているが、わたしの逆ツボは、「まちがっているのに、それを正しいとする世界観」だ。
まちがったことをしてはならない、のではない。
まちがったことなら、まちがったこととして書いてくれ。
恋に夢中になったヒロインが、うっかり仕事でミスをした。すると意地悪な上司がヒロインをねちねちと叱った。なんてひどい人なんだろう! ヒロインは恋で悩んでいるのに。こんなに一生懸命に生きている子がミスをしたって仕方ないじゃないか。それを責めるなんて、この上司は悪人だ。
という、世界観のゆがみが逆ツボ。
恋に夢中なのも、ミスをしたのもヒロインの勝手。それを責める上司は正しいのに、ヒロインを正当化するために世界を歪曲、上司を悪に仕立て上げるのが気持ち悪い。
じゃあミスしない人間なんているの? ヒロインがミスをするのは、彼女が真摯に恋をしていることを表すエピソードなのに、書いちゃいけないの?
そうじゃない。個人的感情のために仕事でミスをするのは悪いこと、だが、悪いことをしてしまうほどに真摯に恋に悩んでいる、という描き方をしろと言っているんだ。
まちがったことを描いてもいい。してもいい。まちがったことはまちがったこととして、描いてくれ。
何故そのまちがったことを、それでもしなければならなかったのかを、描いてくれ。
『バレンシアの熱い花』の主人公フェルナンドは、まちがった人間だ。
目には目を、傷つけられたら傷つけ返す。自分の快感のためになら、他人を利用したり殺したりも平気。疑わしきは罰せよ、自分が正義、自分ひとりの感情で裁きを下す。
父の仇討ち、復讐劇。
……ソレはいいんだ、べつに。
彼がどれだけまちがっていようと、悪人だろうとかまわない。
フェルナンドを「悪」だと、きちんと描いてくれれば。
俺は悪人だ、自分がしていることはわかっている。だが、それでも父の仇ルカノールを殺したいんだ。
……というなら、いいんだ。
なのにフェルナンド、自分を正義だと思っている。
私怨でしかないのに、義憤だと思っている。
その意識のゆがみがこわい。気持ち悪い。
とゆーことで、ダメだったのですよ、この作品。
植爺作品と同じ気持ち悪さ。ありえない。
砂漠を旅するのだ、希望を胸に。@あさきゆめみしII
2007年7月9日 タカラヅカ いろいろ作品についてあーだこーだ、視点がどうとか構成がどうとか書いていたんだが、それは一旦引っ込めて。
よかった人のことを書こう!!
そうさ人生ヨカッタ探し! それでなきゃヅカファンやっていけないし、生きていけない人生砂漠!
作品を憎んで出演者を愛する! それがヅカファンライフ!
『源氏物語 あさきゆめみしII』、出演者の感想。
小侍従@きらりが女を上げた!
ひとり色っぺー小悪魔。
そう、ひとりで。
『不滅の恋人たち』だかなんだかで書いたよーな気もするが、男の腕を上げて見せるのは、女次第!!
男がどれだけただのマグロ野郎でも、女が演技すればテクニシャンに見えるんだ。
小侍従@きらりがひとりで悶えてみせるから、一緒にいるだけでなんにもしていない男が、錯覚でいい男に見える、かもしれない。
男はほんと相当アレだったが、きらりちゃんのがんばりで、まだなんとか見られるよーになっていた。
すげえよきらり! かっこいいよきらり!
そーやって、男を支えられるだけの頼もしい女になっていたんだね。
きらりのすごさに喝采を送りました。
ほんと、あそこまでやってくれるとは思わなくて。
……でもって、柏木@めおちゃんと夕霧@りせのちがう意味でのすごさというか、アレさが目にも胸にも痛かったんですが……あのふたりは、アレでいいんですか、世間的に?
わたしにはもー、なにがなんやら。
朱雀帝@高翔さんの薄幸美形キャラっぷりを賞賛しよう!(笑)
美形キャラです、さおたさん。
原作がどうあれ、この作品では美形ポジ。
なんせ1幕のヒロインは朧月夜@としこさんですから。彼女をめぐって主人公・光源氏@オサ様と対峙する、朱雀帝は二枚目ポジですよ。
病弱でコキュで、でもなにもかも受け入れ赦してしまう男。
まっつで見たいです、この役(笑)。薄幸さ具合がたまりません。
取り合っている女がアレなんで、源氏も帝もちょっと男ぶりを下げているよーな気がしないでもなかったりあったりしますが、ソレはソレとして。
なんだよ、さおたん、正統派美青年OKじゃん!
とゆー、うれしいおどろきです、はい。
主要人物が軒並みキャスト年齢高いこともあり、さおたさんが若者扱いでもなんの問題もありませんってば。
テンション上げてがんばるアーサーに胸きゅん☆
刻の霊@まとぶんは、子分を連れています。刻のコロスという、身もフタもないネーミングです。
トート閣下の黒天使、ファントムの従者です。スダマちゃんの心やその場面のイメージを、ダンスやコーラスで表現したりしてます。
黒天使はシリアス一筋の耽美キャラだし、従者も「街の浮浪児」とかゆーお笑い設定をのぞけばシリアスキャラの範疇でしょう。
ところが刻のコロスちゃんたちときたら気の毒にユーモラスなんですよ。
衣装やセンスっぷりが昭和臭プンプンでアレなのに、どこかお笑い風のゆるさのある存在、として描かれているので(昔話の鬼みたい。畏れられるとゆーより、滑稽さのある子ども向け絵本の鬼)、大変です。
ある意味、ピエロがパントマイムで狂言回しをやっている感じってゆーか。
その、わざとらしくも大仰な動きとか、かっこいいつもりなんだろうな、な静止ぶりとか、テンション高くないと、表情(顔のみにあらず)が豊かでないと、キツイ。
それを、あのアーサーがやってます。
大変です。
大変ですよ。
あの能面低温アーサーくんが、すっげー真面目に、がんばっています。
その姿がもお、心奮えるのですよ。
あ、他の刻のコロスでは遼かぐらちゃんが毒々しくてイイ感じです☆
弘徽殿の女御@くまくまちゃんは、出番少なくても強烈。
ギャグキャラ、こわい女キャラとして元気です。はじけてます。
あいかわらず、戦闘意欲満々です。
配役知らずに見ていたから、オペラグラスで確認してびっくりした。てゆーか、年齢設定どーなってんだこの芝居……ゲフンゲフン。
明石の上@ちあきおねーさまも、なんかふつーによかった。歌えるってのは強いなー。
刻の霊@まとぶんは……すごく、うまくなった。
役者として、舞台人として、どんどん力を付けていくんだな。きちんと前へ進む人を見るのは気持ちいい。
けど。
……気の毒な役だ。
出番が多くて歌が多い、というだけでしかない、いてもいなくても、どーでもいい役。
解説するだけなら、説明をダラダラ言うだけなら、「刻の霊」なんて役は必要ないよ……。
なんでこんなひでー役やらせてるんだ、草野。
まとぶんの試練の時はいつまで続くんだろう。
ここいらでぱーっと、彼がオイシイ目に遭う作品が見たいよほんと。
貧乏くじを引きながら、それでも誠実に前向きに、歩き続けるまとぶの存在が、歌声が、心地いい。
こんな役だけど、いや、こんな役だからこそ、力業でひっくり返し、場をさらうくらいの力を付けるためのエクササイズなんだよ、きっと。
がんばれまとぶ。
誠実な努力はいつかきっと、実を結ぶよ。
しかし、こんなに真面目に美しい人なのに、アレなフィナーレのハッタリぶりで、壮くんに負けているのは、どーしたもんかと。
いやその、そんなとこがまた愛しいのですが。
壮くんと違って、いろいろ考えすぎてはじけられないんだろうな、ってとこがまた、萌えですから。
頭中将@壮くんは、これまた刻の霊と同じくらい、いてもいなくても、どーでもいい役。だったりするんですが。
それでも、なんかもー、のーてんきに明るいです。
浮いていよーがいまいが、おかまいなしで我が道を行ってます。
ビバ、壮一帆。それでこそわたしのえりたん!!
ほんとにこの人、芝居できないんだなー、と思いつつも、「タカラヅカ・スター」である以上、それはまったく問題ないことだから。「スター性」さえあれば、技術なんか二の次三の次。
オサ様と合うというか、壮くんのマイウェイぶりをオサ様が許容し、ふたりの空気感がいいので、ソレだけでいいんです。
そしてあのトンデモ・フィナーレにて、真っ赤な唇と黒髪ロン毛、赤い衣装で出てきたときには、もお。
エロい歌詞(笑)の女歌を男のまま歌うって……。
それがもー、とんでもない美貌っぷりなのよー。きらきらっぷりなのよー。やってること変なのに、すっげー「スター!」なのよー。
すんません、ツボ直撃されて、笑いかみ殺すのに必死だった……。
壮くん、あいかわらずボンバーでクラッシャー、もー、ダイスキ(笑)。
我が道を行ってください。
とまあ、キャストひとりひとりは魅力的でたのしーんだよなー。
リピートすれば、ソレはソレでたのしみを見つけ出せるのでせう。
希望を胸に人生砂漠を進んで行こう。
よかった人のことを書こう!!
そうさ人生ヨカッタ探し! それでなきゃヅカファンやっていけないし、生きていけない人生砂漠!
作品を憎んで出演者を愛する! それがヅカファンライフ!
『源氏物語 あさきゆめみしII』、出演者の感想。
小侍従@きらりが女を上げた!
ひとり色っぺー小悪魔。
そう、ひとりで。
『不滅の恋人たち』だかなんだかで書いたよーな気もするが、男の腕を上げて見せるのは、女次第!!
男がどれだけただのマグロ野郎でも、女が演技すればテクニシャンに見えるんだ。
小侍従@きらりがひとりで悶えてみせるから、一緒にいるだけでなんにもしていない男が、錯覚でいい男に見える、かもしれない。
男はほんと相当アレだったが、きらりちゃんのがんばりで、まだなんとか見られるよーになっていた。
すげえよきらり! かっこいいよきらり!
そーやって、男を支えられるだけの頼もしい女になっていたんだね。
きらりのすごさに喝采を送りました。
ほんと、あそこまでやってくれるとは思わなくて。
……でもって、柏木@めおちゃんと夕霧@りせのちがう意味でのすごさというか、アレさが目にも胸にも痛かったんですが……あのふたりは、アレでいいんですか、世間的に?
わたしにはもー、なにがなんやら。
朱雀帝@高翔さんの薄幸美形キャラっぷりを賞賛しよう!(笑)
美形キャラです、さおたさん。
原作がどうあれ、この作品では美形ポジ。
なんせ1幕のヒロインは朧月夜@としこさんですから。彼女をめぐって主人公・光源氏@オサ様と対峙する、朱雀帝は二枚目ポジですよ。
病弱でコキュで、でもなにもかも受け入れ赦してしまう男。
まっつで見たいです、この役(笑)。薄幸さ具合がたまりません。
取り合っている女がアレなんで、源氏も帝もちょっと男ぶりを下げているよーな気がしないでもなかったりあったりしますが、ソレはソレとして。
なんだよ、さおたん、正統派美青年OKじゃん!
とゆー、うれしいおどろきです、はい。
主要人物が軒並みキャスト年齢高いこともあり、さおたさんが若者扱いでもなんの問題もありませんってば。
テンション上げてがんばるアーサーに胸きゅん☆
刻の霊@まとぶんは、子分を連れています。刻のコロスという、身もフタもないネーミングです。
トート閣下の黒天使、ファントムの従者です。スダマちゃんの心やその場面のイメージを、ダンスやコーラスで表現したりしてます。
黒天使はシリアス一筋の耽美キャラだし、従者も「街の浮浪児」とかゆーお笑い設定をのぞけばシリアスキャラの範疇でしょう。
ところが刻のコロスちゃんたちときたら気の毒にユーモラスなんですよ。
衣装やセンスっぷりが昭和臭プンプンでアレなのに、どこかお笑い風のゆるさのある存在、として描かれているので(昔話の鬼みたい。畏れられるとゆーより、滑稽さのある子ども向け絵本の鬼)、大変です。
ある意味、ピエロがパントマイムで狂言回しをやっている感じってゆーか。
その、わざとらしくも大仰な動きとか、かっこいいつもりなんだろうな、な静止ぶりとか、テンション高くないと、表情(顔のみにあらず)が豊かでないと、キツイ。
それを、あのアーサーがやってます。
大変です。
大変ですよ。
あの能面低温アーサーくんが、すっげー真面目に、がんばっています。
その姿がもお、心奮えるのですよ。
あ、他の刻のコロスでは遼かぐらちゃんが毒々しくてイイ感じです☆
弘徽殿の女御@くまくまちゃんは、出番少なくても強烈。
ギャグキャラ、こわい女キャラとして元気です。はじけてます。
あいかわらず、戦闘意欲満々です。
配役知らずに見ていたから、オペラグラスで確認してびっくりした。てゆーか、年齢設定どーなってんだこの芝居……ゲフンゲフン。
明石の上@ちあきおねーさまも、なんかふつーによかった。歌えるってのは強いなー。
刻の霊@まとぶんは……すごく、うまくなった。
役者として、舞台人として、どんどん力を付けていくんだな。きちんと前へ進む人を見るのは気持ちいい。
けど。
……気の毒な役だ。
出番が多くて歌が多い、というだけでしかない、いてもいなくても、どーでもいい役。
解説するだけなら、説明をダラダラ言うだけなら、「刻の霊」なんて役は必要ないよ……。
なんでこんなひでー役やらせてるんだ、草野。
まとぶんの試練の時はいつまで続くんだろう。
ここいらでぱーっと、彼がオイシイ目に遭う作品が見たいよほんと。
貧乏くじを引きながら、それでも誠実に前向きに、歩き続けるまとぶの存在が、歌声が、心地いい。
こんな役だけど、いや、こんな役だからこそ、力業でひっくり返し、場をさらうくらいの力を付けるためのエクササイズなんだよ、きっと。
がんばれまとぶ。
誠実な努力はいつかきっと、実を結ぶよ。
しかし、こんなに真面目に美しい人なのに、アレなフィナーレのハッタリぶりで、壮くんに負けているのは、どーしたもんかと。
いやその、そんなとこがまた愛しいのですが。
壮くんと違って、いろいろ考えすぎてはじけられないんだろうな、ってとこがまた、萌えですから。
頭中将@壮くんは、これまた刻の霊と同じくらい、いてもいなくても、どーでもいい役。だったりするんですが。
それでも、なんかもー、のーてんきに明るいです。
浮いていよーがいまいが、おかまいなしで我が道を行ってます。
ビバ、壮一帆。それでこそわたしのえりたん!!
ほんとにこの人、芝居できないんだなー、と思いつつも、「タカラヅカ・スター」である以上、それはまったく問題ないことだから。「スター性」さえあれば、技術なんか二の次三の次。
オサ様と合うというか、壮くんのマイウェイぶりをオサ様が許容し、ふたりの空気感がいいので、ソレだけでいいんです。
そしてあのトンデモ・フィナーレにて、真っ赤な唇と黒髪ロン毛、赤い衣装で出てきたときには、もお。
エロい歌詞(笑)の女歌を男のまま歌うって……。
それがもー、とんでもない美貌っぷりなのよー。きらきらっぷりなのよー。やってること変なのに、すっげー「スター!」なのよー。
すんません、ツボ直撃されて、笑いかみ殺すのに必死だった……。
壮くん、あいかわらずボンバーでクラッシャー、もー、ダイスキ(笑)。
我が道を行ってください。
とまあ、キャストひとりひとりは魅力的でたのしーんだよなー。
リピートすれば、ソレはソレでたのしみを見つけ出せるのでせう。
希望を胸に人生砂漠を進んで行こう。
40年前の少年の見た夢。@あさきゆめみしII
2007年7月8日 タカラヅカ ……とまあ、さんざんありえねえ駄作だと言って吠えてますが、駄作度判定は人によってチガウので、あくまでもわたしにとって『源氏物語 あさきゆめみしII』が「ありえねえ、責任者出てこい!」な作品ってだけのことです。
『花舞う長安』が大丈夫だった人には、OKなんじゃないですか? ストーリーが存在しないことが気にならない人には、大丈夫だと思う。
ただくだらなくて、つまらなくて、退屈だってだけで、生理的嫌悪があるよーなものではないから。
わたしには逆ツボで大変なんですが。くだらなくて、つまらなくて、退屈なだけの作品って。だって、おもしろくすることがいくらでもできるのに、最初からする気がなくて(する能力がなくて)、そんなことになってるのよ? 不愉快だっつーの。
そして、これはやはり趣味の問題だろうけど、わたしは草野のセンスは基本的に好きになれないので、『あさきゆめみしII』と『花舞う長安』なら、ストーリーが存在しなくて同じくらいくだらなくてつまらないにしろ、酒井のセンスの方を「美しい」と思うわ。
『あさきゆめみしII』、つまらないだけでなく、センス悪いのが致命的かと……。
『あさきゆめみしII』を観て、痛烈に感じたのは、昭和時代のSF。
えーと、UFOとか宇宙ロケットがブームになっていたころ?
当時の少年向け読み物に出てくる「みらいのちきゅう」は、高層ビルが建ち並び、その間を透明のチューブがくまなく張り巡らされ、色とりどりのエアカーが走っている。
人々は金色や銀色のつなぎを着ていて、「じどうかおあらいき」とか「じどうはみがきき」とかが一般家庭にあり、お手伝いアンドロイドが「ゴシュジンサマ、オカエリデスカ、ぴー、がー」とかゆってるの。
あの時代のかほりを感じるの……。
40年とか前の、「最先端ドリーム」。
団塊の世代が夢見た「素晴らしき未来」。
…………わたしが観たかったのは、「平安絵巻」であって、「昭和時代の夢」ぢゃないのよーっ!!
40年前の少年が夢見たよーな宇宙空間だとかきんぴかつなぎの超越者なんて、見せられてもこまるのよーっ。
草野せんせ、おとなしく大好きな黒塗りアフリカやっててくださいよ……。
大味でゴーゴーなもの作ってて下さいよ……。
繊細なモノは、繊細な感性の人に作ってもらってくださいよ……。
内容なくてもめちゃくちゃでも、もう少し雅に美しければねええ。
古典的でなくても、新感覚でもそりゃいいが、「昭和時代のSF」はまったくチガウやろ。
やれやれ。
光源氏@オサ様が美しいのは、彼ひとりの力業。作品の美しさではまったくない。
がんばれオサ様。
次に見に行くときは、ただオサ様だけガン見して、作品のひどさは「なかったこと」にします。
大好きな花組のみんなががんばっているさまだけを、目にやきつけ、たのしもうと思います。
オサ様の退団が決まっていなければ、こんなにショックも受けなかったんだけどね……。
カウントダウンはじまってるのに、1作がコレってのが、破壊力大きすぎて。
今年も半分終わりましたが、今のトコ、今年の最低作品はどれだっ?!で、輝かしい1位を『パリの空よりも高く』と『バレンシアの熱い花』と、この『あさきゆめみしII』が争い、じつに素晴らしいデッドヒートを繰り広げています。
『あさきゆめみしII』は生理的嫌悪感がない分、他2作よりマシなのかなあ……でも1本物だからきびしさは増しているしなあ。
しくしくしく。
『花舞う長安』が大丈夫だった人には、OKなんじゃないですか? ストーリーが存在しないことが気にならない人には、大丈夫だと思う。
ただくだらなくて、つまらなくて、退屈だってだけで、生理的嫌悪があるよーなものではないから。
わたしには逆ツボで大変なんですが。くだらなくて、つまらなくて、退屈なだけの作品って。だって、おもしろくすることがいくらでもできるのに、最初からする気がなくて(する能力がなくて)、そんなことになってるのよ? 不愉快だっつーの。
そして、これはやはり趣味の問題だろうけど、わたしは草野のセンスは基本的に好きになれないので、『あさきゆめみしII』と『花舞う長安』なら、ストーリーが存在しなくて同じくらいくだらなくてつまらないにしろ、酒井のセンスの方を「美しい」と思うわ。
『あさきゆめみしII』、つまらないだけでなく、センス悪いのが致命的かと……。
『あさきゆめみしII』を観て、痛烈に感じたのは、昭和時代のSF。
えーと、UFOとか宇宙ロケットがブームになっていたころ?
当時の少年向け読み物に出てくる「みらいのちきゅう」は、高層ビルが建ち並び、その間を透明のチューブがくまなく張り巡らされ、色とりどりのエアカーが走っている。
人々は金色や銀色のつなぎを着ていて、「じどうかおあらいき」とか「じどうはみがきき」とかが一般家庭にあり、お手伝いアンドロイドが「ゴシュジンサマ、オカエリデスカ、ぴー、がー」とかゆってるの。
あの時代のかほりを感じるの……。
40年とか前の、「最先端ドリーム」。
団塊の世代が夢見た「素晴らしき未来」。
…………わたしが観たかったのは、「平安絵巻」であって、「昭和時代の夢」ぢゃないのよーっ!!
40年前の少年が夢見たよーな宇宙空間だとかきんぴかつなぎの超越者なんて、見せられてもこまるのよーっ。
草野せんせ、おとなしく大好きな黒塗りアフリカやっててくださいよ……。
大味でゴーゴーなもの作ってて下さいよ……。
繊細なモノは、繊細な感性の人に作ってもらってくださいよ……。
内容なくてもめちゃくちゃでも、もう少し雅に美しければねええ。
古典的でなくても、新感覚でもそりゃいいが、「昭和時代のSF」はまったくチガウやろ。
やれやれ。
光源氏@オサ様が美しいのは、彼ひとりの力業。作品の美しさではまったくない。
がんばれオサ様。
次に見に行くときは、ただオサ様だけガン見して、作品のひどさは「なかったこと」にします。
大好きな花組のみんなががんばっているさまだけを、目にやきつけ、たのしもうと思います。
オサ様の退団が決まっていなければ、こんなにショックも受けなかったんだけどね……。
カウントダウンはじまってるのに、1作がコレってのが、破壊力大きすぎて。
今年も半分終わりましたが、今のトコ、今年の最低作品はどれだっ?!で、輝かしい1位を『パリの空よりも高く』と『バレンシアの熱い花』と、この『あさきゆめみしII』が争い、じつに素晴らしいデッドヒートを繰り広げています。
『あさきゆめみしII』は生理的嫌悪感がない分、他2作よりマシなのかなあ……でも1本物だからきびしさは増しているしなあ。
しくしくしく。
これぞ、トップスター。@あさきゆめみしII
2007年7月7日 タカラヅカ 初日ですから、駆けつけました、花組公演『源氏物語 あさきゆめみしII』。
チケットなかったんでサバキ待ち。あ、チケットのことでメールくれたHさん、ありがとう。メールに気づいたのが遅かったので、連絡できなかったっす。で、正攻法でサバキ待ち。
運良く声かけてもらい、3階のいちばん後ろで観劇しました。いやあ、あのサバキ待ちの数見て、あきらめていたのでラッキーだった。
退団発表後、はじめてのオサ様。
あああオサ様……オサ様……。
オサ様に限定して言えば、もちろん、すばらしいです。
美しい姿、艶のある歌声、涙を流しての熱演。
オサ様が登場するなり空気が変わります。
ああ、トップスターだ。
この人は、トップスターなんだ。
空気を動かし、支配する力。
カリスマ、という言葉を具現する存在。
春野寿美礼の前に、ひれ伏したい。
なんてすごい人なんだろう……これぞトップ……。
ええ。
駄作を力技でひっくり返すのが、トップの仕事ですから。
…………。
…………。
…………。
草野旦、許すまじ。
もともとわたしは、草野せんせーは好きじゃない。てか、嫌いだ。センスが合わないのよ、わたしと。
『火の鳥』『マンハッタン不夜城』でわたしの観劇意欲を粉砕し、『ブラックジャック』『CAN−CAN』が1回しか観られなかった(ショーがキライ過ぎて、芝居すら観られなかった)ことでまず恨み節だったんだが、その後もなにかと不快感を煽る作品を作り続けてきた。中にはまあ、ましなものもあったんだが、前回の『ザ・クラシック』で恨み骨頂、さらに株が下がり、底値を記録していたんだが。
まだ底があったのか!
びっくり。
ぼーぜん。
素朴な疑問なんですが、なんで草野が芝居の演出やってんの? この人、ショー作家でしょ? 作劇できない人に、なんで大劇場より高額な劇場の芝居を作らせるの?
8000円っすよ。1階26列目でも、この値段よ? 大劇場よりはるかに高いのよ?
出演者が少なく、音楽が録音なのに、8000円。同じハコで同じ条件で全ツは6500円なのに。
去年、一昨年は海外ミュージカルだし生オケだし、で、料金が高いのもわかったんだけど。
海外ミュージカル+生オケより、よほど特別感がなけりゃーならんのに、この大駄作。
オサ様の男役としてカウントダウンがはじまったあとの、貴重な1作がコレかと思うと握り拳ですよ、草野め〜〜っ。
えー、『あさきゆめみしII』は、箇条書きでした。
話が。
出来事を箇条書きで羅列してあるの。
なにがあった、こんな人がいた、こんなことを言った。
原作を横に置いて、ただ箇条書きで単語帳に書き出してあるの。
単語帳だから、1行しか書けない。内容を深く表現することはできない。
でもって、すごいのはこの箇条書きの単語帳を、草野氏は、一度、落としたらしい。
リングがはずれて、ページがばらばらになっちゃったの。さあ大変。
あわててかき集めて……あれ? 順番がわからなくなっちゃった。まあいいや、てきとーに並べ直しちゃえ。合ってる合ってる、大丈夫。……あれ? なんか微妙に枚数減ってる気がする。まあいいや、なくなっていたって数枚のことだから、誰も気にしないよ、大丈夫。
大丈夫ぢゃねえよ。
時系列合ってねえ、欠落と無駄な重複、キャラの人格破壊、無意味なエピソード抽出、まちがった演出、悪趣味な歪曲、なんなんだコレ。
ただの箇条書きすら、できてねえ。
時系列に一貫性を持たせろ。視点を統一しろ。テーマを決めて、ソレに沿ったエピソードの抽出をしろ。
一貫した人格があるのが光源氏@オサと朱雀帝@さおたさんだけってどーゆーこと?! あとは人格ナシか多重人格ってなにごと?! しかも朱雀帝は出番ほとんどないのに、このほとんどない人が主役以外で唯一まともな人って、他がどんだけひどいことになってるんだ?
なにがしたかったんだ?
心からの疑問。
これだけの原作を得て、何故ここまでひどいものを作れる?
ただの出来事箇条書き……。
箇条書きなのに、必要な項目が抜け、不要な捏造が有り。
しかも描き方が悪趣味。
演出は紙芝居。
ありえねえ。ありえねえよおおお。
作り直してくれ。
草野では最初から無理だから、別の人にやらせてくれ。サイトーくんでもこだまっちでもいいよ。最低限芝居の演出経験者にやらせてくれ。素人にやらせるのはやめてくれ。
とまあ、わたしの逆ツボ、逆鱗にジャストミート。
植爺作品を「嫌いだっ」と叫ぶのとは、別の意味なの。
『あさきゆめみしII』の草野旦の許せなさは、酒井澄夫の許せなさと同種なの。
つまり、「物語」として、最初から機能していないものを「物語」と大嘘こいて舞台に載せていること。
物語を作れないなら、はじめから書くな。
情だとか文学・芸術だとかいう、ファジィな話じゃない。
1+1=2だとかいう、計算の話なの。数学の話なの。論理の話であり、原因と結果の話なの。
どの薬品になにを混ぜればどんな化学混合物ができるか、学校で習ったでしょう? アレと同じ。「物語」には、最低限の方程式がある。なにをどうすればどうなるって、シンプルに仕組みがあるの。
草野せんせに説明してもらいたい。
あの箇条書きのひとつひとつを、論理的に。
テーマと視点を決めて、このエピソード、この台詞、この場面がどう意味を持ち、どう展開し、どう決着するのか。
作劇の方程式で説明して欲しい。
どういう仕掛けで、どういう意図でこの場面を作り、それがどこへつながり、どこで盛り上がり、それによってなにを表現しているのか。
数学的な話だよ。
プロ作品として上演しているんだから、計算の上で作られているはずだ。
それを教えて欲しい。
いやあ、幕間から梅芸ロビーの壁叩きまくっちゃったよ。あまりのありえなさに。ドリーさんと「どうしよう、コレ……」「どうするの、これ……」とつぶやきながら。
視点のない、センスのない「箇条書き」がどれほどつらいかを、身をもって知った。
1場面1場面、登場人物ひとつずつ、ばらばら。
感情のつながりも、物語のつながりもない。
そんな、とんでもない駄作だからこそ。
春野寿美礼の偉大さを知る。
ばらばらのぶつ切りなのに、彼が登場しているシーンだけ、いきなり持っていくんだよ。
力尽くで。
作品のひどさなんか関係なく、彼が歌っているその瞬間だけ、別のモノにしてしまうの。
すごい。
……もっとも、それすらぶつ切りの箇条書きなんで、寿美礼サマが持っていった直後にまた紙芝居に戻ってドン引き、寿美礼サマ登場で別次元、の繰り返し。
ははは、すげえや。
まとぶは歌も声もすげーよくなっているし、さおたさんの気弱+病弱プレイはステキだし、アーサーがすげーがんばっていてツボだし、くまくますごすぎるし、きらりは女を上げているし、まぁくんかっこいーし、いろいろいろいろ見どころはあるんだが。
正直、途方に暮れる。
あああオサ様。
オサ様。
あなたの偉大さを、またひとつ思い知りました。
あなたこそ、トップスター。
チケットなかったんでサバキ待ち。あ、チケットのことでメールくれたHさん、ありがとう。メールに気づいたのが遅かったので、連絡できなかったっす。で、正攻法でサバキ待ち。
運良く声かけてもらい、3階のいちばん後ろで観劇しました。いやあ、あのサバキ待ちの数見て、あきらめていたのでラッキーだった。
退団発表後、はじめてのオサ様。
あああオサ様……オサ様……。
オサ様に限定して言えば、もちろん、すばらしいです。
美しい姿、艶のある歌声、涙を流しての熱演。
オサ様が登場するなり空気が変わります。
ああ、トップスターだ。
この人は、トップスターなんだ。
空気を動かし、支配する力。
カリスマ、という言葉を具現する存在。
春野寿美礼の前に、ひれ伏したい。
なんてすごい人なんだろう……これぞトップ……。
ええ。
駄作を力技でひっくり返すのが、トップの仕事ですから。
…………。
…………。
…………。
草野旦、許すまじ。
もともとわたしは、草野せんせーは好きじゃない。てか、嫌いだ。センスが合わないのよ、わたしと。
『火の鳥』『マンハッタン不夜城』でわたしの観劇意欲を粉砕し、『ブラックジャック』『CAN−CAN』が1回しか観られなかった(ショーがキライ過ぎて、芝居すら観られなかった)ことでまず恨み節だったんだが、その後もなにかと不快感を煽る作品を作り続けてきた。中にはまあ、ましなものもあったんだが、前回の『ザ・クラシック』で恨み骨頂、さらに株が下がり、底値を記録していたんだが。
まだ底があったのか!
びっくり。
ぼーぜん。
素朴な疑問なんですが、なんで草野が芝居の演出やってんの? この人、ショー作家でしょ? 作劇できない人に、なんで大劇場より高額な劇場の芝居を作らせるの?
8000円っすよ。1階26列目でも、この値段よ? 大劇場よりはるかに高いのよ?
出演者が少なく、音楽が録音なのに、8000円。同じハコで同じ条件で全ツは6500円なのに。
去年、一昨年は海外ミュージカルだし生オケだし、で、料金が高いのもわかったんだけど。
海外ミュージカル+生オケより、よほど特別感がなけりゃーならんのに、この大駄作。
オサ様の男役としてカウントダウンがはじまったあとの、貴重な1作がコレかと思うと握り拳ですよ、草野め〜〜っ。
えー、『あさきゆめみしII』は、箇条書きでした。
話が。
出来事を箇条書きで羅列してあるの。
なにがあった、こんな人がいた、こんなことを言った。
原作を横に置いて、ただ箇条書きで単語帳に書き出してあるの。
単語帳だから、1行しか書けない。内容を深く表現することはできない。
でもって、すごいのはこの箇条書きの単語帳を、草野氏は、一度、落としたらしい。
リングがはずれて、ページがばらばらになっちゃったの。さあ大変。
あわててかき集めて……あれ? 順番がわからなくなっちゃった。まあいいや、てきとーに並べ直しちゃえ。合ってる合ってる、大丈夫。……あれ? なんか微妙に枚数減ってる気がする。まあいいや、なくなっていたって数枚のことだから、誰も気にしないよ、大丈夫。
大丈夫ぢゃねえよ。
時系列合ってねえ、欠落と無駄な重複、キャラの人格破壊、無意味なエピソード抽出、まちがった演出、悪趣味な歪曲、なんなんだコレ。
ただの箇条書きすら、できてねえ。
時系列に一貫性を持たせろ。視点を統一しろ。テーマを決めて、ソレに沿ったエピソードの抽出をしろ。
一貫した人格があるのが光源氏@オサと朱雀帝@さおたさんだけってどーゆーこと?! あとは人格ナシか多重人格ってなにごと?! しかも朱雀帝は出番ほとんどないのに、このほとんどない人が主役以外で唯一まともな人って、他がどんだけひどいことになってるんだ?
なにがしたかったんだ?
心からの疑問。
これだけの原作を得て、何故ここまでひどいものを作れる?
ただの出来事箇条書き……。
箇条書きなのに、必要な項目が抜け、不要な捏造が有り。
しかも描き方が悪趣味。
演出は紙芝居。
ありえねえ。ありえねえよおおお。
作り直してくれ。
草野では最初から無理だから、別の人にやらせてくれ。サイトーくんでもこだまっちでもいいよ。最低限芝居の演出経験者にやらせてくれ。素人にやらせるのはやめてくれ。
とまあ、わたしの逆ツボ、逆鱗にジャストミート。
植爺作品を「嫌いだっ」と叫ぶのとは、別の意味なの。
『あさきゆめみしII』の草野旦の許せなさは、酒井澄夫の許せなさと同種なの。
つまり、「物語」として、最初から機能していないものを「物語」と大嘘こいて舞台に載せていること。
物語を作れないなら、はじめから書くな。
情だとか文学・芸術だとかいう、ファジィな話じゃない。
1+1=2だとかいう、計算の話なの。数学の話なの。論理の話であり、原因と結果の話なの。
どの薬品になにを混ぜればどんな化学混合物ができるか、学校で習ったでしょう? アレと同じ。「物語」には、最低限の方程式がある。なにをどうすればどうなるって、シンプルに仕組みがあるの。
草野せんせに説明してもらいたい。
あの箇条書きのひとつひとつを、論理的に。
テーマと視点を決めて、このエピソード、この台詞、この場面がどう意味を持ち、どう展開し、どう決着するのか。
作劇の方程式で説明して欲しい。
どういう仕掛けで、どういう意図でこの場面を作り、それがどこへつながり、どこで盛り上がり、それによってなにを表現しているのか。
数学的な話だよ。
プロ作品として上演しているんだから、計算の上で作られているはずだ。
それを教えて欲しい。
いやあ、幕間から梅芸ロビーの壁叩きまくっちゃったよ。あまりのありえなさに。ドリーさんと「どうしよう、コレ……」「どうするの、これ……」とつぶやきながら。
視点のない、センスのない「箇条書き」がどれほどつらいかを、身をもって知った。
1場面1場面、登場人物ひとつずつ、ばらばら。
感情のつながりも、物語のつながりもない。
そんな、とんでもない駄作だからこそ。
春野寿美礼の偉大さを知る。
ばらばらのぶつ切りなのに、彼が登場しているシーンだけ、いきなり持っていくんだよ。
力尽くで。
作品のひどさなんか関係なく、彼が歌っているその瞬間だけ、別のモノにしてしまうの。
すごい。
……もっとも、それすらぶつ切りの箇条書きなんで、寿美礼サマが持っていった直後にまた紙芝居に戻ってドン引き、寿美礼サマ登場で別次元、の繰り返し。
ははは、すげえや。
まとぶは歌も声もすげーよくなっているし、さおたさんの気弱+病弱プレイはステキだし、アーサーがすげーがんばっていてツボだし、くまくますごすぎるし、きらりは女を上げているし、まぁくんかっこいーし、いろいろいろいろ見どころはあるんだが。
正直、途方に暮れる。
あああオサ様。
オサ様。
あなたの偉大さを、またひとつ思い知りました。
あなたこそ、トップスター。
あなたは しらない
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを
さて、しつこくプレイしつづけて、1年を超えましたよ、『おいでよ どうぶつの森』。
村の住人はプレイヤーキャラをのぞくと8人。彼らは随時入れ替わっていきます。他の村に引っ越してしまうの。
でも、お気に入りのキャラとはお別れしたくない。つーことで、引っ越し準備に入ったときに、引き留める。
そーやって、プレイ最初からいたカエルのフルメタルさん、白ネズミのとめさん、弟のまめさま村から大昔に引っ越してきたコアラのアデレード、任天堂のデータダウンロードサービス終了後はレアキャラとなったサルのさるお、この4人は我が「まっつ村」のレギュラーキャラ。
他の人たちは入れ替わるけれど、この4人だけは変わらない。ずっといる。
で。
ずっとひとつの村にいると、彼らの部屋はひどいことになる。
最初はそれぞれ個性的な部屋に住んでいるどうぶつたちだけど、長く村で暮らしていると、持っていた家具を捨てていくのね。
かわりに虫やら魚やら化石やら服やらを部屋に飾る。
なんにもない部屋にぽつんと水槽だけ置いてある、そんな変な部屋になったりするのだわ。
それが嫌でねー。
プレイ期間1年を過ぎ、イベントも全部やったし、借金なんかとーーーーっくの昔に払いきったし、化石も虫も魚もコンプしたし、みたいな状態になると、なにか別のことに燃え出すのね。
今わたしがこつこつやっているのは、「どうぶつたちの部屋のコーディネイト」。
自分の家のコーディネイトはもういい。
どうぶつたちだ。
どうぶつたちは、わたしが贈った家具を使ってくれる、ことがある。
手紙にプレゼントを添付できるんだ。
それで、ひとりずつにテーマを決めた家具を贈り続けている。
上の写真は、アデレードさんち。
青い家具で統一。壁紙も、絨毯も。
いちいち注文するのではなく、ふつーにたぬきちの店やふうせんやお礼で手に入った場合のみ、贈ることにしている。注文したら、すぐにコンプできちゃうから、そうではなく、あくまでも偶然性をたのしんで。
どうぶつたちに書く手紙、これがけっこー難しい。
あいつら、なにをよろこび、なにで機嫌を損ねるかさっぱりわからん。
プレイ当初わたしは、真面目にフルメタルさんと文通してケンカしていた(笑)。
真面目に書いた手紙だって、受け入れてもらえなかったりはザラ。ひどい罵り文が返ってきたりする。
だんだん考えるのがめんどーになってきて、しばらくは「アニメソング特集」をやっていた。
『ムーミン』『キャンディ・キャンディ』『マジンガーZ』……年齢のわかるなつかしアニメ主題歌を手紙に書いて、送り続けていた。
ガンダム名言集の頃もあったな。「ザクとはちがうのだよザクとは」とか、「エリートでいらっしゃったのね」とか、思いつくことを書いてたなー。
どうぶつたちはもらった手紙を持ったまま、よその村に引っ越すので、弟から「『シュシュッシュ ダンダダン(ちゅうりゃく)おれは なみだをながさない ロボットだから マシンだから』とかゆー手紙をどうぶつから見せられたぞ」と言われたりした。(や、ソレは『グレートマジンガー』オープニング)
んで、去年の末から今年のはじめにかけては、えんえん『タランテラ!』尽くしをやっていた。
「もしも ちいさなくもを
みつけたときは どうか
そっと てをふれないで
にがしてあげて どうぞ」
とか、
「こわれかけた なみが
うみのなかで おどる
あわが はじけるたび
こころが くだけちる」
とか、手紙に書いてどーぶつたちに送りつけていた。
で、うちからの引っ越し者が自分の村に多い弟は、「そっちから来たどーぶつに、手紙を見せられた。なんかわけわかんないポエムが書いてあった」と嫌そーに言っていたりした(笑)。
『タランテラ!』の歌詞を書き続けるのはたのしかったが、どうぶつたちには、不評だった。
アニソンのときは5割くらいだったのに、ほぼ100%怒りの手紙が返ってきた。
なんだよみんな、『タランテラ!』は嫌いか!!
で、今年2月からは趣向を変えて、『TUXEDO JAZZ』になる。
もちろん、オープニングの1曲目から送り続けていたんだけど。
「あなたは しらない
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを」
このフレーズだと、どうぶつたちの反応がいい。
それに気づいたので、えんえん、同じ文面で送ってみる。
何回送っても、みんな等しくよろこぶ。
そして、プレゼントを返してくる。
1年間、試行錯誤を重ねた「どうぶつが100%よろこぶ文面」!!
ついに見つけたわ!
さすがオサ様。
どうぶつたちまで、癒してしまうのね!
手紙に歌詞を書くとき、心の中にオサ様の声が響く。
「あなたは しらない
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを」
「あなたは しらない」の「い」で声が裏返るところも、そのままに。
いつもいつも、繰り返し反芻する。
何ヶ月もずっと、書き続ける。
心の中で、噛みしめ続ける。
あの人の、歌声を。
そーやってどうぶつたちに、それぞれのテーマに沿った家具を送り、彼らの部屋を改造する。
どうぶつたちがよろこぶ文章。
どのどうぶつも等しくOK。
何回でもOK。
連続でもOK。
魔法の言葉。
書くたびに、やさしい歌声が胸にひろがる。
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを
さて、しつこくプレイしつづけて、1年を超えましたよ、『おいでよ どうぶつの森』。
村の住人はプレイヤーキャラをのぞくと8人。彼らは随時入れ替わっていきます。他の村に引っ越してしまうの。
でも、お気に入りのキャラとはお別れしたくない。つーことで、引っ越し準備に入ったときに、引き留める。
そーやって、プレイ最初からいたカエルのフルメタルさん、白ネズミのとめさん、弟のまめさま村から大昔に引っ越してきたコアラのアデレード、任天堂のデータダウンロードサービス終了後はレアキャラとなったサルのさるお、この4人は我が「まっつ村」のレギュラーキャラ。
他の人たちは入れ替わるけれど、この4人だけは変わらない。ずっといる。
で。
ずっとひとつの村にいると、彼らの部屋はひどいことになる。
最初はそれぞれ個性的な部屋に住んでいるどうぶつたちだけど、長く村で暮らしていると、持っていた家具を捨てていくのね。
かわりに虫やら魚やら化石やら服やらを部屋に飾る。
なんにもない部屋にぽつんと水槽だけ置いてある、そんな変な部屋になったりするのだわ。
それが嫌でねー。
プレイ期間1年を過ぎ、イベントも全部やったし、借金なんかとーーーーっくの昔に払いきったし、化石も虫も魚もコンプしたし、みたいな状態になると、なにか別のことに燃え出すのね。
今わたしがこつこつやっているのは、「どうぶつたちの部屋のコーディネイト」。
自分の家のコーディネイトはもういい。
どうぶつたちだ。
どうぶつたちは、わたしが贈った家具を使ってくれる、ことがある。
手紙にプレゼントを添付できるんだ。
それで、ひとりずつにテーマを決めた家具を贈り続けている。
上の写真は、アデレードさんち。
青い家具で統一。壁紙も、絨毯も。
いちいち注文するのではなく、ふつーにたぬきちの店やふうせんやお礼で手に入った場合のみ、贈ることにしている。注文したら、すぐにコンプできちゃうから、そうではなく、あくまでも偶然性をたのしんで。
どうぶつたちに書く手紙、これがけっこー難しい。
あいつら、なにをよろこび、なにで機嫌を損ねるかさっぱりわからん。
プレイ当初わたしは、真面目にフルメタルさんと文通してケンカしていた(笑)。
真面目に書いた手紙だって、受け入れてもらえなかったりはザラ。ひどい罵り文が返ってきたりする。
だんだん考えるのがめんどーになってきて、しばらくは「アニメソング特集」をやっていた。
『ムーミン』『キャンディ・キャンディ』『マジンガーZ』……年齢のわかるなつかしアニメ主題歌を手紙に書いて、送り続けていた。
ガンダム名言集の頃もあったな。「ザクとはちがうのだよザクとは」とか、「エリートでいらっしゃったのね」とか、思いつくことを書いてたなー。
どうぶつたちはもらった手紙を持ったまま、よその村に引っ越すので、弟から「『シュシュッシュ ダンダダン(ちゅうりゃく)おれは なみだをながさない ロボットだから マシンだから』とかゆー手紙をどうぶつから見せられたぞ」と言われたりした。(や、ソレは『グレートマジンガー』オープニング)
んで、去年の末から今年のはじめにかけては、えんえん『タランテラ!』尽くしをやっていた。
「もしも ちいさなくもを
みつけたときは どうか
そっと てをふれないで
にがしてあげて どうぞ」
とか、
「こわれかけた なみが
うみのなかで おどる
あわが はじけるたび
こころが くだけちる」
とか、手紙に書いてどーぶつたちに送りつけていた。
で、うちからの引っ越し者が自分の村に多い弟は、「そっちから来たどーぶつに、手紙を見せられた。なんかわけわかんないポエムが書いてあった」と嫌そーに言っていたりした(笑)。
『タランテラ!』の歌詞を書き続けるのはたのしかったが、どうぶつたちには、不評だった。
アニソンのときは5割くらいだったのに、ほぼ100%怒りの手紙が返ってきた。
なんだよみんな、『タランテラ!』は嫌いか!!
で、今年2月からは趣向を変えて、『TUXEDO JAZZ』になる。
もちろん、オープニングの1曲目から送り続けていたんだけど。
「あなたは しらない
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを」
このフレーズだと、どうぶつたちの反応がいい。
それに気づいたので、えんえん、同じ文面で送ってみる。
何回送っても、みんな等しくよろこぶ。
そして、プレゼントを返してくる。
1年間、試行錯誤を重ねた「どうぶつが100%よろこぶ文面」!!
ついに見つけたわ!
さすがオサ様。
どうぶつたちまで、癒してしまうのね!
手紙に歌詞を書くとき、心の中にオサ様の声が響く。
「あなたは しらない
さびしい ときには
こんなに ちかくに
ぼくが いることを」
「あなたは しらない」の「い」で声が裏返るところも、そのままに。
いつもいつも、繰り返し反芻する。
何ヶ月もずっと、書き続ける。
心の中で、噛みしめ続ける。
あの人の、歌声を。
そーやってどうぶつたちに、それぞれのテーマに沿った家具を送り、彼らの部屋を改造する。
どうぶつたちがよろこぶ文章。
どのどうぶつも等しくOK。
何回でもOK。
連続でもOK。
魔法の言葉。
書くたびに、やさしい歌声が胸にひろがる。
彼は、もういない。@まっつまっつまっつ
2007年7月5日 タカラヅカ「もう10日もタカラヅカに行ってない……」
と、つぶやいては家族にウザがられている緑野です。「10日“も”ってなんだ、もう半年ぐらいは行くな」とか言われてますよ、ははは。
『舞姫』期間中、ずーっとムラ通いしていたことが祟ってますな。
や、毎日あんなところまで通うのは大変だったんで、しばらく家でおとなしくしているのはいいことなんですが。
不便すぎるんだ、宝塚。神戸や京都の方がよっぽど行きやすいよ……特急とか急行とかあるもん。宝塚線は「急行」という名前の付いた各駅停車があるのみだもんよー。
遠すぎるよー、宝塚〜〜。
ヅカを観ていないのは10日ほどだし、オサ様の『あさきゆめみし』がはじまるから、おとなしく家に引きこもっているのはあと数日のことだと思うが、まっつに次に会えるのは、いつだろう。と思うと、遠い目をしてしまいます……。
遠い道のりだなー……。
つーことではい、『舞姫』楽からたった10日、すでにまっつ切れ起こしてる緑野です。
だからここで、まっつの話!
わたしは手帳にまっつの写真を入れている。
キャトルレーヴで販売されている、スケジュール帳だ。アレの表紙は2Lサイズで、キャトレで売ってる舞台写真がぴったり入るのよ。
今年の手帳に入れているのは、リチャード教授@『MIND TRAVELLER』。
きほちゃんの手にチューした直後の横顔と、撃たれたあとの手に包帯(ハンカチ?)巻いているヤツ。
まあ、他にもいろいろ写真を入れてある恥ずかしい手帳なんだが(絶対に落としたりできないっ)、この手帳をわたしはなんとなーく毎日、ぼーっと眺めているんだわ。
や、たんに時間待ちしているときとか、ほんと空いた時間に、意味もなく。
他に見るもんがありゃーんなこともしないと思うが、とくになにもないときに見る。
そして、思うわけだ。
まっつってほんと、髪型いつも一緒だな。
まっつの髪型のバリエーションって、少なすぎ。
芝居でもショーでも、同じ髪型し過ぎだよー。
リチャード教授を見て、次に相沢@『舞姫』を見てとほほ、髪型同じかよ、と肩を落とす。
もちろん、厳密には違うんだろうし、まっつなりのこだわりもあるんだろうけど。
ぱっと見、ちがいなんかわかんないって。
そして。
思うわけだ。
外見は同じなのに、別の人なんだな。
髪型は同じ、色も似たよーなもん。同じ人が演じているんだから、とーぜん顔も同じ。
なのに、別人だとわかる。
リチャードはキツイ、冷酷な顔をしている。
相沢も冷徹さを持つエリートなんだが、それでもやはり、顔がチガウ。
ああ、別の人なんだ。
リチャードと、相沢。
そりゃ、キャラが違いすぎるんだから、顔つきが違っても当然だけど。
同じ冷徹な顔でも、別人なんだよ?
もうリチャード教授はいないんだなあ。
そしてたぶん、相沢くんも、もういないんだなあ。
役者ってのは不思議だ。
その瞬間瞬間の、消えてしまうことが前提のアートを創るひと。
リチャードの、嫉妬に燃える凍り付いた眼差しが好きだった。
マッド・サイエンティストではなく、人間的な感情を持っていた彼。
いちいち嫉妬したり不安に駆られたり、無表情なのに感情が動く様を見るのが好きだった。
相沢くんの、「人を傷つけることで、自分が傷つくことをおそれない」強さが好きだった。
あえて相手を傷つける、その自覚の元に発する言葉、言わなければならない言葉を痛みを持って告げる、そのやさしい強さ。強いゆえのかなしさ。
細かく揺れ動く心。繊細さと大胆な決意。誠実さに裏付けられた残酷さに、ときめいた。
あれらはみな、あのとき一瞬だけのもの。
きっともう、二度と会えない。
映像に残っていたとしても、それはやっぱり映像でしかなく、ただの別物だ。
第一わたしのようにまっつだけを最初から最後まで追った映像なんて、存在するわけない。
もう会えない。
それがかなしい。
そりゃ、次の公演はあるけどさー。
役があるかどうか、台詞があるかどうかすらアヤしいのが本公演のまっつの位置だもんなー。
濃密度に作り上げた「役」として息づくまっつを見られるのは、いつになるやら。
や、役が無くても台詞が無くても、いてくれるだけでいいんですけどね。
ほんと、ソレだけなんですけどね。
未涼亜希が、消えてしまわなければ、ソレでいいんですが。
『舞姫』楽から10日ですでにまっつ切れ。
こんなんで、やっていけるのかしら……。
いやその、所詮ミーハー全開ヅカファンなので、次の萌えがあればそれを糧に、まっつ待ちして生きますが。
『あさき』に萌えがあるといいなー。『マジシャンの憂鬱』が萌えな作品だといいなー。
まっつまっつまっつ。
と、つぶやいては家族にウザがられている緑野です。「10日“も”ってなんだ、もう半年ぐらいは行くな」とか言われてますよ、ははは。
『舞姫』期間中、ずーっとムラ通いしていたことが祟ってますな。
や、毎日あんなところまで通うのは大変だったんで、しばらく家でおとなしくしているのはいいことなんですが。
不便すぎるんだ、宝塚。神戸や京都の方がよっぽど行きやすいよ……特急とか急行とかあるもん。宝塚線は「急行」という名前の付いた各駅停車があるのみだもんよー。
遠すぎるよー、宝塚〜〜。
ヅカを観ていないのは10日ほどだし、オサ様の『あさきゆめみし』がはじまるから、おとなしく家に引きこもっているのはあと数日のことだと思うが、まっつに次に会えるのは、いつだろう。と思うと、遠い目をしてしまいます……。
遠い道のりだなー……。
つーことではい、『舞姫』楽からたった10日、すでにまっつ切れ起こしてる緑野です。
だからここで、まっつの話!
わたしは手帳にまっつの写真を入れている。
キャトルレーヴで販売されている、スケジュール帳だ。アレの表紙は2Lサイズで、キャトレで売ってる舞台写真がぴったり入るのよ。
今年の手帳に入れているのは、リチャード教授@『MIND TRAVELLER』。
きほちゃんの手にチューした直後の横顔と、撃たれたあとの手に包帯(ハンカチ?)巻いているヤツ。
まあ、他にもいろいろ写真を入れてある恥ずかしい手帳なんだが(絶対に落としたりできないっ)、この手帳をわたしはなんとなーく毎日、ぼーっと眺めているんだわ。
や、たんに時間待ちしているときとか、ほんと空いた時間に、意味もなく。
他に見るもんがありゃーんなこともしないと思うが、とくになにもないときに見る。
そして、思うわけだ。
まっつってほんと、髪型いつも一緒だな。
まっつの髪型のバリエーションって、少なすぎ。
芝居でもショーでも、同じ髪型し過ぎだよー。
リチャード教授を見て、次に相沢@『舞姫』を見てとほほ、髪型同じかよ、と肩を落とす。
もちろん、厳密には違うんだろうし、まっつなりのこだわりもあるんだろうけど。
ぱっと見、ちがいなんかわかんないって。
そして。
思うわけだ。
外見は同じなのに、別の人なんだな。
髪型は同じ、色も似たよーなもん。同じ人が演じているんだから、とーぜん顔も同じ。
なのに、別人だとわかる。
リチャードはキツイ、冷酷な顔をしている。
相沢も冷徹さを持つエリートなんだが、それでもやはり、顔がチガウ。
ああ、別の人なんだ。
リチャードと、相沢。
そりゃ、キャラが違いすぎるんだから、顔つきが違っても当然だけど。
同じ冷徹な顔でも、別人なんだよ?
もうリチャード教授はいないんだなあ。
そしてたぶん、相沢くんも、もういないんだなあ。
役者ってのは不思議だ。
その瞬間瞬間の、消えてしまうことが前提のアートを創るひと。
リチャードの、嫉妬に燃える凍り付いた眼差しが好きだった。
マッド・サイエンティストではなく、人間的な感情を持っていた彼。
いちいち嫉妬したり不安に駆られたり、無表情なのに感情が動く様を見るのが好きだった。
相沢くんの、「人を傷つけることで、自分が傷つくことをおそれない」強さが好きだった。
あえて相手を傷つける、その自覚の元に発する言葉、言わなければならない言葉を痛みを持って告げる、そのやさしい強さ。強いゆえのかなしさ。
細かく揺れ動く心。繊細さと大胆な決意。誠実さに裏付けられた残酷さに、ときめいた。
あれらはみな、あのとき一瞬だけのもの。
きっともう、二度と会えない。
映像に残っていたとしても、それはやっぱり映像でしかなく、ただの別物だ。
第一わたしのようにまっつだけを最初から最後まで追った映像なんて、存在するわけない。
もう会えない。
それがかなしい。
そりゃ、次の公演はあるけどさー。
役があるかどうか、台詞があるかどうかすらアヤしいのが本公演のまっつの位置だもんなー。
濃密度に作り上げた「役」として息づくまっつを見られるのは、いつになるやら。
や、役が無くても台詞が無くても、いてくれるだけでいいんですけどね。
ほんと、ソレだけなんですけどね。
未涼亜希が、消えてしまわなければ、ソレでいいんですが。
『舞姫』楽から10日ですでにまっつ切れ。
こんなんで、やっていけるのかしら……。
いやその、所詮ミーハー全開ヅカファンなので、次の萌えがあればそれを糧に、まっつ待ちして生きますが。
『あさき』に萌えがあるといいなー。『マジシャンの憂鬱』が萌えな作品だといいなー。
まっつまっつまっつ。
野生はきらめきだから。@舞姫
2007年7月4日 タカラヅカ ひとには好みがいろいろあるけれど。
わたしの男の好みの中に、何故か燦然と輝く「身体的特徴」がある。
ソレがあると、なんかときめく。
目がいく。
自分でもどーしてかわからない。
自覚したのも、近年のことだ。
ええ、ソレはすなわち。
目の下の「シワ」だ。
何故。
何故こんなもんにときめくのだ〜〜?!
ケロの目の下のシワが好きだった。
年齢不詳、新公学年からすでにいい感じにおっさんだった。
まっつの目の下のシワが好きだ。
年齢不詳、そのうえなんか薄幸で、たまらんウハウハ、って感じ。
そして月組観劇時はガチャ氏を目で追う自分に気づく。
ゆーひ、そのかを見ていないときはガチャを見ているわたしってナニ?!
ああ彼の、目の下のシワがいけないのよ……なんかわたしの目を奪うのよ……。
そんなわたしですから。
『舞姫』千秋楽の日、ひさびさ(でもないか。けっこう会っているような……)の再会を果たしたパクちゃんとふたりして。
「みつるの、目の下のシワ好き〜〜っ!!」
と、盛り上がる。
……なんてピンポイントな萌えだ……。
はいはいはい、『舞姫』の泣かせ担当、原芳次郎@みつるくんの話!
みつるくんの、あのシワはなんなんですか?
大きな少年めいた瞳とアンバランスなシワ。見た目ジャニーズ系のきらきらなおにーちゃんなのに、あのシワ。
やーん、かっこいー。
原よっしーはベルリンで豊太郎@みわっちの出会う私費留学生。
信念を持ち、異国で戦う雄々しき日本男児。
そう、雄々しいのだ。
顔だけ見りゃーかわいこちゃんなのに、持ち味は骨太。
方言で話す、野性を感じさせる青年。
その美貌と野性味が相まって、キラキラしている。
丹波@らいらい、大河内@しゅん様の嫌味コンビに絡まれたときの、三者三様の歌が好き。
くうぅ、かっこいー。
恋人のマリィ@由舞ちゃんがまた、派手で生命力のある美少女だしさー。
このふたりの並びがとてもきれい。
なにをするでもなく、ただふたりがカップルとしてそこにいる、だけで、わくわくするふたりってのは、ある。
その昔、アルヴァ@たかことライラ@花ちゃんが並んでいるだけでわくわくしたことを思い出した……や、アレは兄妹役だったけど、あまりの映りのよさに。
よっしー単体でもたしかにいい男なんだけど、マリィとの相乗効果でさらに魅力的になっていると思うのよ。
よっしーの部屋で、「ボクのエリス、ボクの恋(はぁと)」と語り続けて別世界へトリップしている豊太郎の後ろで、ごくふつーにいちゃついているよっしーとマリィが、すごく好き。
や、トヨさんそっちのけでよっしーとマリィをオペラグラスでガン見しちゃったりとかな。(トヨさん見ている日もあります、もちろん)
いいなあ。
あたしもよっしーみたいなダーリン欲しい……。指くわえ。
てなことを考えてしまうくらい、いちゃいちゃしているふたりがいいの。
他愛なくて、日常で、幸せそうで。
ふたりに「生活」が、そして「日常」が感じられるのがいいの。
特別だとか運命だとか、そーゆー物語めいたことはなく、ふたりにとってこれが日常、これがふつう。
互いを愛し、そのカラダに触れ、時間を共有するのが「あたりまえ」のこと。
そしてその「あたりまえ」が「ふつーのしあわせ」である、幸福感。
それが、せつないほどまぶしい。
2回目以降の観劇では、ふたりの結末を知った上で観ることになるから、さらに。
ふたりがキラキラしていてしあわせそうで、かわいらしいカップルであればあるほど、泣けてくるのよ。
よっしーの最期、「おかゆさん食べたい」あたりで号泣スイッチON!
ここがいちばん泣けるのは、「人が死ぬ」というわかりやすい泣かせ場所であることに加え、最初の山場だからだろう。
よっしーの死後、たたみかけるようにラストまで持っていくからなー。
みつるは、「熱」のある芝居が出来る人だと思う。
多少アレな脚本でも、役者が熱を放出することで観客を煙に巻いてしまう、アレな脚本がスタンダードであるヅカでは真ん中へ向かう人に必須な条件、持ち味。
『落陽のパレルモ』新公で、本公演とはまったく別物の「恋愛ドラマ」をその熱放射によって見せてくれたように。
原芳次郎役で、その熱を存分に発揮。
死に逝く彼を看取る豊太郎、マリィの熱演と共に、そりゃーもー、涙を搾り取ってくれました。さめざめ。
よっしーのポイントとしてはわたし的にはふたつ。
ひとつは、最初のしあわせいっぱいムードの、豊太郎初訪問時に、言いかけてやめるところ。
枠の中に収まりきらない、誰にもまつろわない獅子を魂に持つ自分自身……そして、シンパシーを感じる友との出会い。
豊太郎の名を呼び、なにか言いかけて……やめる。
あのとき彼が飲み込んだ言葉はなんだったのか。
もうひとつは、彼の死に際の言葉。
日本の将来がどうのという、耳障りのいい台詞じゃないよ。
「口惜しいな……こんな死に方」
くやしい。
我を貫いて、志半ばで倒れる男だからこそ、言って欲しい台詞なんだ。
自分の意志で選んだんだから悔いはない、みたいなことを言われたくない。
だって、ぜんぜん途中じゃん! なにも成し得てないじゃん!
鎖につながれたまま長生きするより、自由な外界で死ぬ方がかっこいい、とか、言われてもこまる。死んだら意味ないって。
自由に生きて、生きて、生きて、幸せにならなきゃ。
自由に生きて、その生き様こそが苦しみこそが幸せだったと、それはわかるけれど、それでもなお、言って欲しいの。「くやしい」と。
志半ばで倒れることが本意ではないと。
まだまだ、先を求めているのだと。
悔いはない、って言われたら、それで終わってしまう。
そこまでの男だってことになってしまう。
原芳次郎は、そうじゃない。
今ここで心ならずも倒れたけれど、もっともっと、高みを目指していたんだ。
もっともっと、進める男だったんだ。
こんなもんじゃない。
もっと、もっと。
だから、くやしい。
こんな死に方。
素直に「くやしい」と口に出せるよっしーが、好き。
そしてそのあと、やっぱり大口を叩いて強がるよっしーが、好き。
死の間際に「くやしい」と言える、現状に満足しない、貪欲な男。
その野生。その生命力。
かっこいいって。
絶対。
だから泣ける。
「おかゆさん食べたい」だの、泣き言言うだけの男ではないから。
その強い男が言う泣き言だから。
泣ける。
豊太郎@みわっち、芳次郎@みつるの歌で泣ける。
……その昔、『野風の笛』新人公演、みつるとみわっちのアカペラで幕が上がるという、ものすげー公演を観て、椅子から転げ落ちそうになったのが、なつかしく思い出される……。
あの破壊力∞の最終兵器みたいなコンビの歌で、泣ける日が来ようとは……。
しみじみ。
すばらしいです。
ほんと。
わたしの男の好みの中に、何故か燦然と輝く「身体的特徴」がある。
ソレがあると、なんかときめく。
目がいく。
自分でもどーしてかわからない。
自覚したのも、近年のことだ。
ええ、ソレはすなわち。
目の下の「シワ」だ。
何故。
何故こんなもんにときめくのだ〜〜?!
ケロの目の下のシワが好きだった。
年齢不詳、新公学年からすでにいい感じにおっさんだった。
まっつの目の下のシワが好きだ。
年齢不詳、そのうえなんか薄幸で、たまらんウハウハ、って感じ。
そして月組観劇時はガチャ氏を目で追う自分に気づく。
ゆーひ、そのかを見ていないときはガチャを見ているわたしってナニ?!
ああ彼の、目の下のシワがいけないのよ……なんかわたしの目を奪うのよ……。
そんなわたしですから。
『舞姫』千秋楽の日、ひさびさ(でもないか。けっこう会っているような……)の再会を果たしたパクちゃんとふたりして。
「みつるの、目の下のシワ好き〜〜っ!!」
と、盛り上がる。
……なんてピンポイントな萌えだ……。
はいはいはい、『舞姫』の泣かせ担当、原芳次郎@みつるくんの話!
みつるくんの、あのシワはなんなんですか?
大きな少年めいた瞳とアンバランスなシワ。見た目ジャニーズ系のきらきらなおにーちゃんなのに、あのシワ。
やーん、かっこいー。
原よっしーはベルリンで豊太郎@みわっちの出会う私費留学生。
信念を持ち、異国で戦う雄々しき日本男児。
そう、雄々しいのだ。
顔だけ見りゃーかわいこちゃんなのに、持ち味は骨太。
方言で話す、野性を感じさせる青年。
その美貌と野性味が相まって、キラキラしている。
丹波@らいらい、大河内@しゅん様の嫌味コンビに絡まれたときの、三者三様の歌が好き。
くうぅ、かっこいー。
恋人のマリィ@由舞ちゃんがまた、派手で生命力のある美少女だしさー。
このふたりの並びがとてもきれい。
なにをするでもなく、ただふたりがカップルとしてそこにいる、だけで、わくわくするふたりってのは、ある。
その昔、アルヴァ@たかことライラ@花ちゃんが並んでいるだけでわくわくしたことを思い出した……や、アレは兄妹役だったけど、あまりの映りのよさに。
よっしー単体でもたしかにいい男なんだけど、マリィとの相乗効果でさらに魅力的になっていると思うのよ。
よっしーの部屋で、「ボクのエリス、ボクの恋(はぁと)」と語り続けて別世界へトリップしている豊太郎の後ろで、ごくふつーにいちゃついているよっしーとマリィが、すごく好き。
や、トヨさんそっちのけでよっしーとマリィをオペラグラスでガン見しちゃったりとかな。(トヨさん見ている日もあります、もちろん)
いいなあ。
あたしもよっしーみたいなダーリン欲しい……。指くわえ。
てなことを考えてしまうくらい、いちゃいちゃしているふたりがいいの。
他愛なくて、日常で、幸せそうで。
ふたりに「生活」が、そして「日常」が感じられるのがいいの。
特別だとか運命だとか、そーゆー物語めいたことはなく、ふたりにとってこれが日常、これがふつう。
互いを愛し、そのカラダに触れ、時間を共有するのが「あたりまえ」のこと。
そしてその「あたりまえ」が「ふつーのしあわせ」である、幸福感。
それが、せつないほどまぶしい。
2回目以降の観劇では、ふたりの結末を知った上で観ることになるから、さらに。
ふたりがキラキラしていてしあわせそうで、かわいらしいカップルであればあるほど、泣けてくるのよ。
よっしーの最期、「おかゆさん食べたい」あたりで号泣スイッチON!
ここがいちばん泣けるのは、「人が死ぬ」というわかりやすい泣かせ場所であることに加え、最初の山場だからだろう。
よっしーの死後、たたみかけるようにラストまで持っていくからなー。
みつるは、「熱」のある芝居が出来る人だと思う。
多少アレな脚本でも、役者が熱を放出することで観客を煙に巻いてしまう、アレな脚本がスタンダードであるヅカでは真ん中へ向かう人に必須な条件、持ち味。
『落陽のパレルモ』新公で、本公演とはまったく別物の「恋愛ドラマ」をその熱放射によって見せてくれたように。
原芳次郎役で、その熱を存分に発揮。
死に逝く彼を看取る豊太郎、マリィの熱演と共に、そりゃーもー、涙を搾り取ってくれました。さめざめ。
よっしーのポイントとしてはわたし的にはふたつ。
ひとつは、最初のしあわせいっぱいムードの、豊太郎初訪問時に、言いかけてやめるところ。
枠の中に収まりきらない、誰にもまつろわない獅子を魂に持つ自分自身……そして、シンパシーを感じる友との出会い。
豊太郎の名を呼び、なにか言いかけて……やめる。
あのとき彼が飲み込んだ言葉はなんだったのか。
もうひとつは、彼の死に際の言葉。
日本の将来がどうのという、耳障りのいい台詞じゃないよ。
「口惜しいな……こんな死に方」
くやしい。
我を貫いて、志半ばで倒れる男だからこそ、言って欲しい台詞なんだ。
自分の意志で選んだんだから悔いはない、みたいなことを言われたくない。
だって、ぜんぜん途中じゃん! なにも成し得てないじゃん!
鎖につながれたまま長生きするより、自由な外界で死ぬ方がかっこいい、とか、言われてもこまる。死んだら意味ないって。
自由に生きて、生きて、生きて、幸せにならなきゃ。
自由に生きて、その生き様こそが苦しみこそが幸せだったと、それはわかるけれど、それでもなお、言って欲しいの。「くやしい」と。
志半ばで倒れることが本意ではないと。
まだまだ、先を求めているのだと。
悔いはない、って言われたら、それで終わってしまう。
そこまでの男だってことになってしまう。
原芳次郎は、そうじゃない。
今ここで心ならずも倒れたけれど、もっともっと、高みを目指していたんだ。
もっともっと、進める男だったんだ。
こんなもんじゃない。
もっと、もっと。
だから、くやしい。
こんな死に方。
素直に「くやしい」と口に出せるよっしーが、好き。
そしてそのあと、やっぱり大口を叩いて強がるよっしーが、好き。
死の間際に「くやしい」と言える、現状に満足しない、貪欲な男。
その野生。その生命力。
かっこいいって。
絶対。
だから泣ける。
「おかゆさん食べたい」だの、泣き言言うだけの男ではないから。
その強い男が言う泣き言だから。
泣ける。
豊太郎@みわっち、芳次郎@みつるの歌で泣ける。
……その昔、『野風の笛』新人公演、みつるとみわっちのアカペラで幕が上がるという、ものすげー公演を観て、椅子から転げ落ちそうになったのが、なつかしく思い出される……。
あの破壊力∞の最終兵器みたいなコンビの歌で、泣ける日が来ようとは……。
しみじみ。
すばらしいです。
ほんと。
かけ算パラダイス。−腐女子注意報?−@舞姫
2007年7月3日 タカラヅカ 知りたかったのは、『舞姫』日本人4人の人間関係。
黒沢@ちゃー、大河内@しゅん様、丹波@らいらい、岩井@マメ。
この4人が、いい感じでさー。
黒沢中尉はいかにも融通利かないプライドだけ高そうな軍人だし、岩井くんは小心な細菌ヲタクとしてキャラが立っている。
問題は、残りのふたり。
文官の丹波くんはまだ「東大法学部卒」で豊太郎@みわっちのライバルだったとか、「出る杭は打たれる」「長いモノには巻かれろ」と格言を連発するという、嫌味な小物キャラっつーのが、見えてこないでもない。
つっても、丹波くん、カケラもライバルに見えないから。
豊太郎は君のことなんて、まーーったく相手にしないって。つか、個別認識しているかすらあやしいぞ? なのに、ひとりで勝手に言ってないか、「ライバル」だって。
すごいトホホなんだよなあ、丹波くん。
でもってもうひとり。
軍人であり、どうやら黒沢中尉の副官ポジである大河内くんが、いちばんキャラクタがわからなかった。一生懸命見ていたつもりなんだけどなあ。
豊太郎の私生活を報告するのは彼だし、豊太郎が帰国命令を拒絶したときに声を上げるのも彼なんだが、とくに豊太郎をどうこう思っている風でないのはその直後の歌でわかるし。
黒沢の忠実な副官なのは、パーティでの給仕ぶりやカフェでの態度を見ていたりしても、わかるんだけど。
なんなんだろーなー、もう少しなんとかならなかったのかなー。
と、言いつつ。
この、「わからない」ってのが、けっこーツボだったりする。
二次創作花盛りジャンルを見ればわかるさ、理詰めできっちり練り上げられたものより、穴だらけ矛盾だらけ、キャラの人格も私生活もなにもわかっていない方がファンが勝手に想像できて盛り上がる、てなもんだ。
丹波も大河内もどんな人なのかさーっぱりわかんないけど、色男だから、いいや。
少年マンガの脇キャラで、台詞も出番もほとんどないけどとりあえず美形なキャラにファンがついて同人誌がばんばん出ちゃう、あの感じですよ。
丹波@らいらい、大河内@しゅん様ですよ。
花組が誇る若手色男ふたりが、無駄に美貌振りまいてるんですよ。そりゃ萌えるでしょう!(笑)
カップリングも考えるでしょう!(笑) 自然の摂理ってやつですよ!(笑)
らいもしゅん様も基本攻男ですから。
自ずと、受が誰かは決まってきますな。
てゆーか、黒沢中尉は総受だよね?
本命岩井×黒沢で、とりあえず大河内×黒沢なんかどうっすか?(誰に聞いている)
丹波はもちろん豊太郎ですよ、はい。トヨさんも総受だから大変だニャ。もっとも丹波はカケラも相手にされてないがなっ。
丹波と豊太郎のイメージは、ずばりニールとキャンディです、『キャンディ☆キャンディ』の!(笑) ニール、一方的にキャンディに惚れていろいろ画策してるけど、キャンディ気づいてねえ! かすりもしねえ! みたいな。
でもって。
岩井くんみたいなウザい男を、仲間としていつも連れ回す黒沢中尉が萌えなんですが。
「つきあいは大切ですよねっ」と言う岩井くんは、どうやら中尉の行くところはふつーに全部ついて回っているんだろうし。
大河内が黒沢に密告するときも、何故かそばにいる岩井くん。……なんだかんだいっていつもそばに。
便所臭くて外見も冴えない、しかもくしゃみ連発して迷惑をかける岩井くんなのに、ふつーに黒沢さんのテーブルでお茶しているあたり、すげー愉快です、2幕冒頭。んで黒沢さん、岩井くんの分も奢ってあげてるわけだし。
ミュンヘンに行きたくない、という岩井くんを一刀両断した黒沢さんだけど、結局岩井くんはベルリンにいていいことになってるしな。黒沢さんがじつは手を回して岩井くんのミュンヘン行きを阻止したりしていたら、すげーたのしい。
マメとちゃーって、みんなが好きな「同期萌え」ってやつですよ。たのしいぢゃないですか。ねっ?
性格が悪そうな大河内と丹波だけど、ふつーに黒沢さんのことは好きらしいのがまた、いい感じ。口先だけへつらってます、というよりは、ほんとに好きで一緒にいるように見える。
それがたぶん、黒沢中尉がただの悪役にならない理由のひとつだろう。
彼を「安い悪役」にするには、取り巻きの質を落とせばいい。ただでさえ阿呆な取り巻きが、表ではちやほやしているがほんとのところは軽蔑している、なのに気づかずにお山の大将をしている、てな「安い悪役」はいくらでもいる。
大河内も丹波も大した人物ではないけれど、でもいちおー仕事できますなエリートくんたちが、素直に慕っている上司、という設定は、黒沢をいい男に見せているよ。
キャラの設定が薄いおかげで、かけ算し放題。野放しな4人組。
いやあ、すばらしいですなあ。
でもって、花組にやって来るなり「まっつに似てる……」とわたしを唖然とさせたちゃーくんですが、今回はぜんっぜんまっつには見えませんでした。
今回は、むしろ。
ケロに似てる?
ということで、さらにわたしを愕然とさせました。
まっつの次はケロって、アンタ……。なんでそんなことになってるんだ、白鳥かすが。
ちなみに初日、まっつメイトでオサ様メイト、そもそもの出会いはケロメイトだった木ノ実さんとだらだらミスドでお茶してたんだけど、そのときに、
「白鳥かすが、いいですよねっ」
と、さんざん盛り上がっていたのだわ……。
「白鳥かすがのファースト・インプレッションは『シニョール ドン・ファン』新公のフィリッポ@本役さららん」ってとこまで一緒だったわ、木ノ実さん。
ケロでオサ様でまっつ、と、ここまで好みが同じな人は、やはり同じよーに黒沢@ちゃーにきゃーきゃー言うてましたよ……ははは。
とにかく、姫キャラな黒沢中尉がいてこその、華やかなかけ算し放題4人組です、はい。
トヨさんの他、相沢@まっつ、ドクトル@ふみかも、かけ算に参加させることは容易いんですが、組み合わせをいろいろ考えていたら、それこそ際限が無くなったので、自重しますわ。
黒沢@ちゃー、大河内@しゅん様、丹波@らいらい、岩井@マメ。
この4人が、いい感じでさー。
黒沢中尉はいかにも融通利かないプライドだけ高そうな軍人だし、岩井くんは小心な細菌ヲタクとしてキャラが立っている。
問題は、残りのふたり。
文官の丹波くんはまだ「東大法学部卒」で豊太郎@みわっちのライバルだったとか、「出る杭は打たれる」「長いモノには巻かれろ」と格言を連発するという、嫌味な小物キャラっつーのが、見えてこないでもない。
つっても、丹波くん、カケラもライバルに見えないから。
豊太郎は君のことなんて、まーーったく相手にしないって。つか、個別認識しているかすらあやしいぞ? なのに、ひとりで勝手に言ってないか、「ライバル」だって。
すごいトホホなんだよなあ、丹波くん。
でもってもうひとり。
軍人であり、どうやら黒沢中尉の副官ポジである大河内くんが、いちばんキャラクタがわからなかった。一生懸命見ていたつもりなんだけどなあ。
豊太郎の私生活を報告するのは彼だし、豊太郎が帰国命令を拒絶したときに声を上げるのも彼なんだが、とくに豊太郎をどうこう思っている風でないのはその直後の歌でわかるし。
黒沢の忠実な副官なのは、パーティでの給仕ぶりやカフェでの態度を見ていたりしても、わかるんだけど。
なんなんだろーなー、もう少しなんとかならなかったのかなー。
と、言いつつ。
この、「わからない」ってのが、けっこーツボだったりする。
二次創作花盛りジャンルを見ればわかるさ、理詰めできっちり練り上げられたものより、穴だらけ矛盾だらけ、キャラの人格も私生活もなにもわかっていない方がファンが勝手に想像できて盛り上がる、てなもんだ。
丹波も大河内もどんな人なのかさーっぱりわかんないけど、色男だから、いいや。
少年マンガの脇キャラで、台詞も出番もほとんどないけどとりあえず美形なキャラにファンがついて同人誌がばんばん出ちゃう、あの感じですよ。
丹波@らいらい、大河内@しゅん様ですよ。
花組が誇る若手色男ふたりが、無駄に美貌振りまいてるんですよ。そりゃ萌えるでしょう!(笑)
カップリングも考えるでしょう!(笑) 自然の摂理ってやつですよ!(笑)
らいもしゅん様も基本攻男ですから。
自ずと、受が誰かは決まってきますな。
てゆーか、黒沢中尉は総受だよね?
本命岩井×黒沢で、とりあえず大河内×黒沢なんかどうっすか?(誰に聞いている)
丹波はもちろん豊太郎ですよ、はい。トヨさんも総受だから大変だニャ。もっとも丹波はカケラも相手にされてないがなっ。
丹波と豊太郎のイメージは、ずばりニールとキャンディです、『キャンディ☆キャンディ』の!(笑) ニール、一方的にキャンディに惚れていろいろ画策してるけど、キャンディ気づいてねえ! かすりもしねえ! みたいな。
でもって。
岩井くんみたいなウザい男を、仲間としていつも連れ回す黒沢中尉が萌えなんですが。
「つきあいは大切ですよねっ」と言う岩井くんは、どうやら中尉の行くところはふつーに全部ついて回っているんだろうし。
大河内が黒沢に密告するときも、何故かそばにいる岩井くん。……なんだかんだいっていつもそばに。
便所臭くて外見も冴えない、しかもくしゃみ連発して迷惑をかける岩井くんなのに、ふつーに黒沢さんのテーブルでお茶しているあたり、すげー愉快です、2幕冒頭。んで黒沢さん、岩井くんの分も奢ってあげてるわけだし。
ミュンヘンに行きたくない、という岩井くんを一刀両断した黒沢さんだけど、結局岩井くんはベルリンにいていいことになってるしな。黒沢さんがじつは手を回して岩井くんのミュンヘン行きを阻止したりしていたら、すげーたのしい。
マメとちゃーって、みんなが好きな「同期萌え」ってやつですよ。たのしいぢゃないですか。ねっ?
性格が悪そうな大河内と丹波だけど、ふつーに黒沢さんのことは好きらしいのがまた、いい感じ。口先だけへつらってます、というよりは、ほんとに好きで一緒にいるように見える。
それがたぶん、黒沢中尉がただの悪役にならない理由のひとつだろう。
彼を「安い悪役」にするには、取り巻きの質を落とせばいい。ただでさえ阿呆な取り巻きが、表ではちやほやしているがほんとのところは軽蔑している、なのに気づかずにお山の大将をしている、てな「安い悪役」はいくらでもいる。
大河内も丹波も大した人物ではないけれど、でもいちおー仕事できますなエリートくんたちが、素直に慕っている上司、という設定は、黒沢をいい男に見せているよ。
キャラの設定が薄いおかげで、かけ算し放題。野放しな4人組。
いやあ、すばらしいですなあ。
でもって、花組にやって来るなり「まっつに似てる……」とわたしを唖然とさせたちゃーくんですが、今回はぜんっぜんまっつには見えませんでした。
今回は、むしろ。
ケロに似てる?
ということで、さらにわたしを愕然とさせました。
まっつの次はケロって、アンタ……。なんでそんなことになってるんだ、白鳥かすが。
ちなみに初日、まっつメイトでオサ様メイト、そもそもの出会いはケロメイトだった木ノ実さんとだらだらミスドでお茶してたんだけど、そのときに、
「白鳥かすが、いいですよねっ」
と、さんざん盛り上がっていたのだわ……。
「白鳥かすがのファースト・インプレッションは『シニョール ドン・ファン』新公のフィリッポ@本役さららん」ってとこまで一緒だったわ、木ノ実さん。
ケロでオサ様でまっつ、と、ここまで好みが同じな人は、やはり同じよーに黒沢@ちゃーにきゃーきゃー言うてましたよ……ははは。
とにかく、姫キャラな黒沢中尉がいてこその、華やかなかけ算し放題4人組です、はい。
トヨさんの他、相沢@まっつ、ドクトル@ふみかも、かけ算に参加させることは容易いんですが、組み合わせをいろいろ考えていたら、それこそ際限が無くなったので、自重しますわ。
かわいいあの娘は、ヴィクトリア座の踊り子。@舞姫
2007年7月2日 タカラヅカ 太田豊太郎が卑しい踊り子に入れあげ、毎晩劇場に通っているという。その踊り子とは深い仲で、太田の部屋には彼女が入り浸っているという。
それはけしからん!
大日本帝国の国費留学生たる者が、本分を忘れて色欲に溺れるなどもってのほか。
とゆーことで、黒沢中尉はお取り巻き3名を連れて、問題の踊り子のいる「ヴィクトリア座」へやってきた。
や、だって、気になるでしょう。
どんなに誘っても盛り場ひとつつきあわなかった堅物、ドイツ人サロンに出没して文化人気取りの太田が、踊り子にメロメロなんて。
所詮太田は世間知らずのおぼっちゃまだ。したたるような色気を持つ大人の玄人女に騙されているに違いない。踊り子と言っても娼婦と変わらない、売るのは芸だけではないだろう。
手練手管に長けた年増女に騙されるなんて、馬鹿な男だ。
さて、太田を騙した女は、いったいどんな……?
「ヴィクトリア座」は、十分にぎわっているようだった。客は当然男たちばかりだ。
飾り立てられた入口に、本日の出し物らしき手書き看板が置かれている。
「……大河内、これはなんと読む?」
「はあ……ええっと、『本日、スク水DAY☆』だと思いますが……」
「やはり、そう読めるか。しかし、『スク水』とはなんだ?」
「さあ……」
「スク水といえば、たぶん」
岩井がなにか言いかけ、黒沢の視線を受けて口をつぐんだ。「なんでもありません」と。
岩井は黒沢親衛隊♪のひとりだが、黒沢に面と向かって話すことができないらしい。いつも一緒なのに、シャイすぎる。黒沢中尉がラヴリーすぎるのが罪なのだと、親衛隊No.1、2の大河内・丹波のふたりは説明しているが。
目立たないように後ろの席に着席した黒沢たちは、改めて劇場を見渡し、客層の異様さに鼻白んだ。
何故、同じ色の服を着た者たちがかたまっている? グループ分けされているのか? それに、あのハチマキとうちわはなんだ? この程度の小屋で何故、あんなに大きな双眼鏡を持っているんだ?
最前列センターには、大きな花束を持った太田の姿もある。彼もまた、ハチマキをきりりと締めている。
どう考えても、黒沢たち一行だけ浮いている。
てゆーか、軍服はマズかったかも。
だが客たちは、周囲にはなんの興味も持たないようで、一心に幕が上がることだけを待ちわびている。
そしてついに、幕が上がった。
舞台の上にいる踊り子たちは、全員が紺色の水着姿だった。
「あ、やっぱり。スク水って言えば、スクール水着ですよねっ」
岩井がつぶやく。
「ス、スクール水着?」
「えーと、パンフレットによると先月がセーラー服、来月はメイド服だそうですから、今月はアタリですね、やっぱスク水はレアですよ」
「ちょ、ちょっと待て。スクール水着って……」
黒沢は混乱する。
「就学児童が着るからスクール水着だろう。あの娘たちのどこが就学児童だ?! トウが立ちすぎてるだろう!」
「ヤボは言いっこなしですよ。彼女たちはフェアリーだから、年齢なんて関係ないんですってば。ハタチ過ぎてセーラー服でもミニスカブレザーでも、ナースでもメイドでもいいんですって。むしろそれが萌えってもんで」
いつもはまともに喋れない岩井が、すらすらと話す。
「い、いちおう、ぎりぎり10代なんじゃないですか……? あー、なかには苦しい娘もいるようですが、あの子とかあの子とかは、まだ若そうですよ」
丹波が苦しい合いの手を入れる。
「そーゆー問題じゃないだろう!」
「いやいや、そのぎりぎり感、お前いくらなんでももうその格好は無理があるだろう!感がまた、醍醐味なんですよ」
「なんの醍醐味だ?!」
「♪ワタシたち、お年頃なの♪」
スク水姿の少女たちは、かわいらしく歌い踊る。
観客は熱狂。
太田も半狂乱でうちわと花束を振っている。
「あの赤いリボンの娘が、太田くんの恋人らしいですね」
「ああ、金髪の娘」
「スク水、似合ってますね」
道理で、どんなに誘っても酒場にも娼館にも来なかったわけだ……。
大人の女には、興味なかったんだ……。
狂乱に湧く劇場をあとにし、黒沢中尉は決意を固めていた。
「いくらなんでも、アレはいかん」
妖艶な玄人女に騙されているなら、まだしも。
黒沢も娼婦を愛人にしている身だ、そのへんの融通が利かないわけでもないのだが、いくらなんでもアレはいかん。スク水はいかん。
「太田め、日本へ送り返してやるっ」
☆
エリスの勤める「ヴィクトリア座」って、ヤヴァ過ぎ。
と、最初に観たときドン引きしました、花組公演『舞姫』。
てっきり、大人の女がセクシーに踊る劇場だと思っていたの。
まさか、ロリコン・イメクラだったとは。
わざとらしい幼女衣装を着て、幼女な歌を歌いながら、わざとらしい幼女プレイ。
景子タンの作品は、衣装のセンスがよくて安心なのに、まさかの悪趣味さにびっくりした(笑)。
そうかエリス、ロリコン・シアターで働いていたのか……だから多少エキセントリックでも大丈夫だったし、また、色気を売る店でもないから、少女のままいられたんだなー。
とまあ、いろいろいろいろ説得力はあったんだけど、それにしてもおどろいた。
ところで、黒沢中尉@ちゃーが、かわい過ぎるんですが。
小さなカラダでそっくり返っているところがたまりません。
しゅん様、らい、マメと、自分より大きな男たちを取り巻きにして、いつも一緒にいるところがツボです。
酒場とかビリヤードとかカフェとか、いつも一緒なんだねー。
でもってふつーに黒沢中尉が奢ってあげたりしてるんだねー。
あの岩井くんすら、いつも一緒になんだねー。
てもって黒沢さん、太田くんにも来て欲しかったんだよねー。
黒沢中尉の姫ぶりがステキ。
ただの悪役ではなく、信念があり、立場も人格もブレないあたりが好き。
日本に帰ってからも、やっぱり豊太郎と衝突しながらそれでも祖国のために真摯に働いているんだろうと、そう思えることがステキ。
初日から楽まで、どんどんよくなっていったよ、彼。
まだ新公学年だもんな、このままいい男に育ってほしい。
それはけしからん!
大日本帝国の国費留学生たる者が、本分を忘れて色欲に溺れるなどもってのほか。
とゆーことで、黒沢中尉はお取り巻き3名を連れて、問題の踊り子のいる「ヴィクトリア座」へやってきた。
や、だって、気になるでしょう。
どんなに誘っても盛り場ひとつつきあわなかった堅物、ドイツ人サロンに出没して文化人気取りの太田が、踊り子にメロメロなんて。
所詮太田は世間知らずのおぼっちゃまだ。したたるような色気を持つ大人の玄人女に騙されているに違いない。踊り子と言っても娼婦と変わらない、売るのは芸だけではないだろう。
手練手管に長けた年増女に騙されるなんて、馬鹿な男だ。
さて、太田を騙した女は、いったいどんな……?
「ヴィクトリア座」は、十分にぎわっているようだった。客は当然男たちばかりだ。
飾り立てられた入口に、本日の出し物らしき手書き看板が置かれている。
「……大河内、これはなんと読む?」
「はあ……ええっと、『本日、スク水DAY☆』だと思いますが……」
「やはり、そう読めるか。しかし、『スク水』とはなんだ?」
「さあ……」
「スク水といえば、たぶん」
岩井がなにか言いかけ、黒沢の視線を受けて口をつぐんだ。「なんでもありません」と。
岩井は黒沢親衛隊♪のひとりだが、黒沢に面と向かって話すことができないらしい。いつも一緒なのに、シャイすぎる。黒沢中尉がラヴリーすぎるのが罪なのだと、親衛隊No.1、2の大河内・丹波のふたりは説明しているが。
目立たないように後ろの席に着席した黒沢たちは、改めて劇場を見渡し、客層の異様さに鼻白んだ。
何故、同じ色の服を着た者たちがかたまっている? グループ分けされているのか? それに、あのハチマキとうちわはなんだ? この程度の小屋で何故、あんなに大きな双眼鏡を持っているんだ?
最前列センターには、大きな花束を持った太田の姿もある。彼もまた、ハチマキをきりりと締めている。
どう考えても、黒沢たち一行だけ浮いている。
てゆーか、軍服はマズかったかも。
だが客たちは、周囲にはなんの興味も持たないようで、一心に幕が上がることだけを待ちわびている。
そしてついに、幕が上がった。
舞台の上にいる踊り子たちは、全員が紺色の水着姿だった。
「あ、やっぱり。スク水って言えば、スクール水着ですよねっ」
岩井がつぶやく。
「ス、スクール水着?」
「えーと、パンフレットによると先月がセーラー服、来月はメイド服だそうですから、今月はアタリですね、やっぱスク水はレアですよ」
「ちょ、ちょっと待て。スクール水着って……」
黒沢は混乱する。
「就学児童が着るからスクール水着だろう。あの娘たちのどこが就学児童だ?! トウが立ちすぎてるだろう!」
「ヤボは言いっこなしですよ。彼女たちはフェアリーだから、年齢なんて関係ないんですってば。ハタチ過ぎてセーラー服でもミニスカブレザーでも、ナースでもメイドでもいいんですって。むしろそれが萌えってもんで」
いつもはまともに喋れない岩井が、すらすらと話す。
「い、いちおう、ぎりぎり10代なんじゃないですか……? あー、なかには苦しい娘もいるようですが、あの子とかあの子とかは、まだ若そうですよ」
丹波が苦しい合いの手を入れる。
「そーゆー問題じゃないだろう!」
「いやいや、そのぎりぎり感、お前いくらなんでももうその格好は無理があるだろう!感がまた、醍醐味なんですよ」
「なんの醍醐味だ?!」
「♪ワタシたち、お年頃なの♪」
スク水姿の少女たちは、かわいらしく歌い踊る。
観客は熱狂。
太田も半狂乱でうちわと花束を振っている。
「あの赤いリボンの娘が、太田くんの恋人らしいですね」
「ああ、金髪の娘」
「スク水、似合ってますね」
道理で、どんなに誘っても酒場にも娼館にも来なかったわけだ……。
大人の女には、興味なかったんだ……。
狂乱に湧く劇場をあとにし、黒沢中尉は決意を固めていた。
「いくらなんでも、アレはいかん」
妖艶な玄人女に騙されているなら、まだしも。
黒沢も娼婦を愛人にしている身だ、そのへんの融通が利かないわけでもないのだが、いくらなんでもアレはいかん。スク水はいかん。
「太田め、日本へ送り返してやるっ」
☆
エリスの勤める「ヴィクトリア座」って、ヤヴァ過ぎ。
と、最初に観たときドン引きしました、花組公演『舞姫』。
てっきり、大人の女がセクシーに踊る劇場だと思っていたの。
まさか、ロリコン・イメクラだったとは。
わざとらしい幼女衣装を着て、幼女な歌を歌いながら、わざとらしい幼女プレイ。
景子タンの作品は、衣装のセンスがよくて安心なのに、まさかの悪趣味さにびっくりした(笑)。
そうかエリス、ロリコン・シアターで働いていたのか……だから多少エキセントリックでも大丈夫だったし、また、色気を売る店でもないから、少女のままいられたんだなー。
とまあ、いろいろいろいろ説得力はあったんだけど、それにしてもおどろいた。
ところで、黒沢中尉@ちゃーが、かわい過ぎるんですが。
小さなカラダでそっくり返っているところがたまりません。
しゅん様、らい、マメと、自分より大きな男たちを取り巻きにして、いつも一緒にいるところがツボです。
酒場とかビリヤードとかカフェとか、いつも一緒なんだねー。
でもってふつーに黒沢中尉が奢ってあげたりしてるんだねー。
あの岩井くんすら、いつも一緒になんだねー。
てもって黒沢さん、太田くんにも来て欲しかったんだよねー。
黒沢中尉の姫ぶりがステキ。
ただの悪役ではなく、信念があり、立場も人格もブレないあたりが好き。
日本に帰ってからも、やっぱり豊太郎と衝突しながらそれでも祖国のために真摯に働いているんだろうと、そう思えることがステキ。
初日から楽まで、どんどんよくなっていったよ、彼。
まだ新公学年だもんな、このままいい男に育ってほしい。
エリスとマリィ。@舞姫
2007年7月1日 タカラヅカ 妄想配役を考えるのは楽しかった。
大抵の男役スターは豊太郎がハマるし、相沢もハマる。
しかし。
エリスができる娘役は、ほとんどいなかった。
花組公演『舞姫』は、エリス@ののすみあってこそだと思う。
すみ花ちゃんの巧さは、いったいなんなんだろう。
天才少女現る! と、シンプルに思う。
この子をきちんと意識して見たのが『スカウト』のときなもんで。
や、それまでの子役もうまかったけど、所詮子役だし。文化祭では、芝居は観ていないし。
ちゃんと大人の女性を演じているのを見たのは、『スカウト』のジェシカ役。
ドライな価値観を持つ、大人の女。セクシーで自信家。そののちコワレてギャグキャラになる。
セクシーキャラだったんだってば。
「アタシの色気じゃ不満?」なんつって男の前でポーズを取ってみせる、コケティッシュな大人の女だったんだってば。
ふつーにうまくて、セクシーだったんだってば。
女の子が殴られるシーンはわたし大嫌いなんだけど、この子の吹っ飛び方があまりにうまいんで、嫌悪感を持たずに素直に笑えたくらい、ギャグっぷりも突き抜けていた。
それが次は『MIND TRAVELLER』で等身大のイマドキ女子大生で、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』ではいくつもの顔を見せる(なにしろ替え玉)お嬢様に、新公の黒蜥蜴。
で、トドメがこの聖少女エリス。
なんなんだ、このすごさ。この巧さ。
まだ研3? ハタチそこそこ、学生の年齢? あああありえねー。
ちくしょー、文化祭見たかったなー、準ヒロインやってたはずなのにー。てゆーか、太田哲則作の超絶駄作だったからヒロインも準ヒロもないよーな、つまんない話だったんだけどねー。
ののすみがやっていたら、あの駄作もマシに見えたのかもしんないじゃん。
正直、外見は苦しい。
スタイルいいわけじゃないし、顔大きめだし、なによりそのお顔がタヌキちゃん。とくに初日の化粧はすごかった。「みわっち、助けて! なんとかしてやって!」と心から思った。
もとが美少女ってわけじゃないのに……。
「エリス」として舞台にいると、可憐な美少女に見えてくる。
どこの北島マヤですか。
『舞姫』のエリスは、難しいキャラだ。
原作ではウザいのひとこと、女がいちばん嫌うタイプの女。
それをウザくなく、女性が共感を持つキャラクタに昇華するのは、至難の業。
景子せんせの脚本がいいのもあるが、それにしたってののすみ、巧すぎ。
エリスが「夢」そのものに見える。
儚く美しい。
白一色の世界に一筋の朱が走るような、静かなあでやかさ。
静謐ゆえに煌めく雅。
彼女のかわいらしさといじらしさ、そしてエキセントリックさが棘のように胸に残る。
刃物の傷のように肌を切り裂きはしないけれど、ちくちくと痛み続ける。
エリスがあまりにかわいらしく、いじらしいから、豊太郎が彼女をとことんまで愛し、壊れていくことが不思議ではない。説得力になる。
狂う演技が秀逸なのも、言うまでもなく。
得難い娘さんだ。大切に育てて欲しい。や、ほんとに。
この儚いキャラで目を奪うエリスとは対照的に、現実的な力強さのある美少女マリィの生命力。
由舞ちゃんの美しいこと! 他になにか足りないものがあるとしたって、その美しさとまばゆい華だけですべて帳消し!みたいな。
ののすみとは正反対の女の子。
一般的に由舞ちゃんというと「大根」の代名詞みたいに言われていたよね。「顔(と胸)はいいけど、大根だから」みたいな。
たしかに博多『マラケシュ』の棒読みぶりは衝撃的だった。伝説になって語り継がれても仕方ないかもしれん。
でも、わたしが知る限り、棒読みだったの博多『マラケシュ』だけなんだけどなあ。
あとは、そりゃうまくはないかもしれんが、許容範囲の演技だったぞ? ホンモノの大根っつーのはりおんちゃんみたいな人のことを言うんじゃないの?(や、りおんちゃんに含みはない。ただ事実として)
役があり、台詞を喋って演技をしていた『Appartement Cinema』も『MIND TRAVELLER』も、たしかに等身大というか「演技してる? 素のままでやってない?」てなキャラだったことも、たしかだが……。
今回のマリィ役も、「演技」という上では、どこまでやっているのかはわからない。
今まで彼女が演じてきた役と、どうチガウのかはわからない。素のまま、いつもやっているキャラのままだと言われれば、その通りかもしれないと思う。
でも、泣けたんだから、無問題。
原よっしー@みつるの最期を盛り上げたひとつに、まちがいなくマリィの存在がある。
気の強い派手な女の子が、恋人のそばに寄ることもできず、ひとりで哀しみに震えている様が泣ける。
ぽんぽんと言いたいことを言い合い、それぞれの人生に互いがいることがあたりまえのようだった、よっしーとマリィ。
幸福な時間があざやかだったからこそ、その最期がかなしくて。
レマルク作『凱旋門』で、死の間際ジョアンは母国語で話しはじめる。それまで話していたであろうフランス語ではなく。死に逝く彼女にはもう、フランス語を話すだけの気力や知力が無くなっていたのだろう。
そんな彼女に対し、ラヴィックもまた母国語であるドイツ語で話しはじめる。無意識に。
死を前にして、すべての装飾が消える。
生まれた国の言葉で、むきだしの魂で、愛を語る。
相手には伝わらない。相手の言葉もわからない。
それでも、愛を語り続ける。最期のときに。
その、ドイツ語で語るラヴィックの愛の言葉が壮絶で。
魂の痛みに満ちていて。
帰る場所を持たない異邦人たちが、異国で堕ちた恋の結末。
ドイツ語がわからなくなり、マリィのこともわからなくなったというよっしーに、わたしはこの『凱旋門』のクライマックスを思い出していた。
よっしーは、マリィへの愛より望郷の想いの方が、強かったんだなあ。
原芳次郎は、いろんなことに負けてしまったんだなあ。
もちろん、負けたからいけないとか悪いとかいうわけではなく。
ただ、そうなのか、と。
ドイツ語がわからなくなっても、日本語のままでも、マリィに愛を語ってくれればよかったのにね。
言葉もわからない、自分のこともわからなくなっている、そんな恋人に、マリィは愛の言葉を告げ続けたんだ。
自分より日本を恋うてコワレてしまった、つれない恋人に、それでも愛を語り続けたんだ。
そして、「自分ではダメだ」からと、日本人の豊太郎を呼び、よっしーに残された貴重な時間を豊太郎に譲ったんだ。
よっしーを、愛しているから。
最期の最後、よっしーがマリィの名を呼んでくれたのが救い。
彼にとって「望郷」の次の想いであったとしても、たしかにマリィへの愛はあったのだから。
繊細な演技ではないと思う。
マリィは「苦しんでますっ!」てな、とても派手でわっかりやすいことをやっていた。
でも、それも彼女のキャラクタとしてまちがってはおらず、素直に感情移入できたよ。
ヌードモデルだと言っても「そりゃそうだろう」という、納得のカラダつき。
露出度の少ないドレスでは胸が大きく突きだしていて、なんか苦しそうだし、モデルをやっているときの下着?みたいなドレスでは胸の谷間がくっきりだし。
いやあ、すばらしいですなあ。
すみ花ちゃんと、由舞ちゃん。
なにもかも正反対の女の子ふたりが、なにもかも正反対な役を演じていた『舞姫』。
すみ花ちゃんの演技も、由舞ちゃんの美貌と華も、ともに天賦の才。
色はまったく違うけれど、大輪の花を咲かせて欲しい。
大抵の男役スターは豊太郎がハマるし、相沢もハマる。
しかし。
エリスができる娘役は、ほとんどいなかった。
花組公演『舞姫』は、エリス@ののすみあってこそだと思う。
すみ花ちゃんの巧さは、いったいなんなんだろう。
天才少女現る! と、シンプルに思う。
この子をきちんと意識して見たのが『スカウト』のときなもんで。
や、それまでの子役もうまかったけど、所詮子役だし。文化祭では、芝居は観ていないし。
ちゃんと大人の女性を演じているのを見たのは、『スカウト』のジェシカ役。
ドライな価値観を持つ、大人の女。セクシーで自信家。そののちコワレてギャグキャラになる。
セクシーキャラだったんだってば。
「アタシの色気じゃ不満?」なんつって男の前でポーズを取ってみせる、コケティッシュな大人の女だったんだってば。
ふつーにうまくて、セクシーだったんだってば。
女の子が殴られるシーンはわたし大嫌いなんだけど、この子の吹っ飛び方があまりにうまいんで、嫌悪感を持たずに素直に笑えたくらい、ギャグっぷりも突き抜けていた。
それが次は『MIND TRAVELLER』で等身大のイマドキ女子大生で、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』ではいくつもの顔を見せる(なにしろ替え玉)お嬢様に、新公の黒蜥蜴。
で、トドメがこの聖少女エリス。
なんなんだ、このすごさ。この巧さ。
まだ研3? ハタチそこそこ、学生の年齢? あああありえねー。
ちくしょー、文化祭見たかったなー、準ヒロインやってたはずなのにー。てゆーか、太田哲則作の超絶駄作だったからヒロインも準ヒロもないよーな、つまんない話だったんだけどねー。
ののすみがやっていたら、あの駄作もマシに見えたのかもしんないじゃん。
正直、外見は苦しい。
スタイルいいわけじゃないし、顔大きめだし、なによりそのお顔がタヌキちゃん。とくに初日の化粧はすごかった。「みわっち、助けて! なんとかしてやって!」と心から思った。
もとが美少女ってわけじゃないのに……。
「エリス」として舞台にいると、可憐な美少女に見えてくる。
どこの北島マヤですか。
『舞姫』のエリスは、難しいキャラだ。
原作ではウザいのひとこと、女がいちばん嫌うタイプの女。
それをウザくなく、女性が共感を持つキャラクタに昇華するのは、至難の業。
景子せんせの脚本がいいのもあるが、それにしたってののすみ、巧すぎ。
エリスが「夢」そのものに見える。
儚く美しい。
白一色の世界に一筋の朱が走るような、静かなあでやかさ。
静謐ゆえに煌めく雅。
彼女のかわいらしさといじらしさ、そしてエキセントリックさが棘のように胸に残る。
刃物の傷のように肌を切り裂きはしないけれど、ちくちくと痛み続ける。
エリスがあまりにかわいらしく、いじらしいから、豊太郎が彼女をとことんまで愛し、壊れていくことが不思議ではない。説得力になる。
狂う演技が秀逸なのも、言うまでもなく。
得難い娘さんだ。大切に育てて欲しい。や、ほんとに。
この儚いキャラで目を奪うエリスとは対照的に、現実的な力強さのある美少女マリィの生命力。
由舞ちゃんの美しいこと! 他になにか足りないものがあるとしたって、その美しさとまばゆい華だけですべて帳消し!みたいな。
ののすみとは正反対の女の子。
一般的に由舞ちゃんというと「大根」の代名詞みたいに言われていたよね。「顔(と胸)はいいけど、大根だから」みたいな。
たしかに博多『マラケシュ』の棒読みぶりは衝撃的だった。伝説になって語り継がれても仕方ないかもしれん。
でも、わたしが知る限り、棒読みだったの博多『マラケシュ』だけなんだけどなあ。
あとは、そりゃうまくはないかもしれんが、許容範囲の演技だったぞ? ホンモノの大根っつーのはりおんちゃんみたいな人のことを言うんじゃないの?(や、りおんちゃんに含みはない。ただ事実として)
役があり、台詞を喋って演技をしていた『Appartement Cinema』も『MIND TRAVELLER』も、たしかに等身大というか「演技してる? 素のままでやってない?」てなキャラだったことも、たしかだが……。
今回のマリィ役も、「演技」という上では、どこまでやっているのかはわからない。
今まで彼女が演じてきた役と、どうチガウのかはわからない。素のまま、いつもやっているキャラのままだと言われれば、その通りかもしれないと思う。
でも、泣けたんだから、無問題。
原よっしー@みつるの最期を盛り上げたひとつに、まちがいなくマリィの存在がある。
気の強い派手な女の子が、恋人のそばに寄ることもできず、ひとりで哀しみに震えている様が泣ける。
ぽんぽんと言いたいことを言い合い、それぞれの人生に互いがいることがあたりまえのようだった、よっしーとマリィ。
幸福な時間があざやかだったからこそ、その最期がかなしくて。
レマルク作『凱旋門』で、死の間際ジョアンは母国語で話しはじめる。それまで話していたであろうフランス語ではなく。死に逝く彼女にはもう、フランス語を話すだけの気力や知力が無くなっていたのだろう。
そんな彼女に対し、ラヴィックもまた母国語であるドイツ語で話しはじめる。無意識に。
死を前にして、すべての装飾が消える。
生まれた国の言葉で、むきだしの魂で、愛を語る。
相手には伝わらない。相手の言葉もわからない。
それでも、愛を語り続ける。最期のときに。
その、ドイツ語で語るラヴィックの愛の言葉が壮絶で。
魂の痛みに満ちていて。
帰る場所を持たない異邦人たちが、異国で堕ちた恋の結末。
ドイツ語がわからなくなり、マリィのこともわからなくなったというよっしーに、わたしはこの『凱旋門』のクライマックスを思い出していた。
よっしーは、マリィへの愛より望郷の想いの方が、強かったんだなあ。
原芳次郎は、いろんなことに負けてしまったんだなあ。
もちろん、負けたからいけないとか悪いとかいうわけではなく。
ただ、そうなのか、と。
ドイツ語がわからなくなっても、日本語のままでも、マリィに愛を語ってくれればよかったのにね。
言葉もわからない、自分のこともわからなくなっている、そんな恋人に、マリィは愛の言葉を告げ続けたんだ。
自分より日本を恋うてコワレてしまった、つれない恋人に、それでも愛を語り続けたんだ。
そして、「自分ではダメだ」からと、日本人の豊太郎を呼び、よっしーに残された貴重な時間を豊太郎に譲ったんだ。
よっしーを、愛しているから。
最期の最後、よっしーがマリィの名を呼んでくれたのが救い。
彼にとって「望郷」の次の想いであったとしても、たしかにマリィへの愛はあったのだから。
繊細な演技ではないと思う。
マリィは「苦しんでますっ!」てな、とても派手でわっかりやすいことをやっていた。
でも、それも彼女のキャラクタとしてまちがってはおらず、素直に感情移入できたよ。
ヌードモデルだと言っても「そりゃそうだろう」という、納得のカラダつき。
露出度の少ないドレスでは胸が大きく突きだしていて、なんか苦しそうだし、モデルをやっているときの下着?みたいなドレスでは胸の谷間がくっきりだし。
いやあ、すばらしいですなあ。
すみ花ちゃんと、由舞ちゃん。
なにもかも正反対の女の子ふたりが、なにもかも正反対な役を演じていた『舞姫』。
すみ花ちゃんの演技も、由舞ちゃんの美貌と華も、ともに天賦の才。
色はまったく違うけれど、大輪の花を咲かせて欲しい。