ちょっくら松本悠里お姉様のこと。

 今回、ミエコ先生出演の『さくら』を観ながら、考えたんだ。

 なんでこんなに、違和感があるんだろう。

 わたしは日舞の善し悪しはわからないので、ミエコ先生がどれほどすごい踊り手なのかはわからない。
 日舞に興味がないので、彼女の美貌ぐらいしかわかっていない。

 ミエコ先生は、フェアリーだと思いますよ。わたしが子どものころから今とまったく同じ姿だもん。わたしの記憶にあるいちばん最初からすでに、ひとりだけ日本物メイクでプログラムに載り、フィナーレもひとりだけ着物姿で大階段を下りてくる人だったさ。

 何十年経っても、変わらない。
 彼女はフェアリー。
 人間ぢゃない(笑)。

 その妖精ぶりを、今なお舞台で発揮してくれるのはかまわない。
 わたしは彼女のすばらしさをろくにわかっていないので、彼女の舞台を「長いなー」と思い遠く眺めているだけなんだが、それでも、彼女の出演を「アリ」だと思っていた。
 彼女の舞を、わたしは理解できないし大してたのしめもしないけれど、彼女は「タカラヅカ」に必要な人であり、必要な場面なのだろうと思っていた。
 今まで。

 ところが今回、はじめて、疑問を持った。

 松本悠里は、この「作品」に不要なのではないか?

 
 最初に思ったことは、「奇妙」だった。
 踊るミエコ先生を見て、「なんか変?」と思った。

 ミエコ先生はいつもと変わらぬ美しさなのに。何故こうも違和感があるのか。

 答えが出たのは、「竹灯籠」でトウコの相手役を務めているのを見たときだ。

 「相手役」なのに。恋人同士の設定なのに。

 ふたりは、あまりに異質だった。

 同じ世界の人間ではなかった。映画と現実くらいチガウ。アニメとマンガくらいチガウ。
 同じ世界で向き合っているとは思えない。

 トウコ云々ではなく、ミエコ先生が、違うんだ。「世界」と。

 彼女には、「表情」がない。

 笑顔もなければ泣き顔もないんだ。
 人形のような、無表情。

 もちろん、彼女は舞の中で喜怒哀楽を表現するし、ほんのわずかに眉根を寄せる、口の端を持ち上げるなどで感情を表している。

 だがソレは、この「作品」に必要とされる演技ではないんだ。

 日舞ならそれでいいのかもしれない。
 だがここはタカラヅカで、これは日本物ショーだ。日舞発表会ではない。
 トウコたちが演じているのは日舞ではなく、タカラヅカのショーなんだ。

 日本物だから、所作など決まり事の中で演じているけれど、「日舞」ではないんだ。

 だから、最初のミエコ先生ソロの場面でも、背景で踊る娘役たちには「表情」がある。
 舞ではなく、カラダすべてで「演技」している。
 演技しているショースターたちの中に、ひとりだけ「日舞」を踊る人がいる……から、「奇妙」だったんだ。

 『ベルサイユのばら』のマンガの中にひとりだけ、墨一色で描かれた日本画美人がいるよーなもの。
 マンガの中の人たちはおしゃべりしたり笑ったり、怒ったり決闘したりしているけれど、日本画美人はポーズを取って静止しているだけ。

 ……なんでいるの、この人?
 「世界」に合ってないんですけど?

 「竹灯籠」も、ヒロインが「演技」していないので、盛り上がりようがない。
 苦悩も哀しみも、すべて無表情。唇は絶対に閉じたまま。お付きの侍女たちは喜怒哀楽ものすげーことになってるのに。
 そして主役のトウコは、「タカラヅカ」の男役として、トップスターとしての演技をしているのに。

 ひとりだけ、別世界。
 「作品」にも共演者にも、合わせる気一切無し。

 なんなんだコレは。

 
 今まで漠然と感じていた「なんでこの人、ここにいるんだろう」の正体はコレか。
 他の専科さんたちには感じたことのない違和感は、コレか。
 今まで「そーゆーもんだから」と思って、深く考えないできたけれど。

 濃ぃ〜〜い星組のおかげで、答えが見えた(笑)。

 
 昔のタカラヅカはもっとちゃんとした日舞発表会テイストだったのかもしれない。
 だが、今のヅカの日本物ショーは、なによりも「ショー」であることの方が大きい。エンターテイメントなんだよ。
 今の時代と、ミエコ先生は相容れない。

 彼女は「タカラヅカ」をやる気はないんでしょう?
 エンタメの、ショースターになるつもりはないんでしょう?
 あくまでも、「日舞の師匠」なんでしょう?

 彼女を出演させるならば、彼女が浮かないちゃんとした日舞発表会にする必要がある。
 エンタメ性を排し、高尚で厳粛なモノにする。
 そーでないと、芸風が違いすぎて双方不幸だ。

 みんなが「演技」しているなか、ひとりだけ無表情の人形がいるのは、はっきりいってホラーだよ……。
 「竹灯籠」はこわかったよ……ドラマティックな物語なのに、周囲はみんなドラマティックに演じているのに、ひとりだけ埴輪のような無表情で踊られたら。いやその、顔はもちろん美しいのだけど。

 「時代」と松本悠里は乖離していっている。植田芝居がそうであるように。
 伝統を守ることは大切だが、その方法を考えるべきなのではないのか。

 ……なんてな。


 星組ってさあ……。
 そして、星組ファンってさあ……。

 なんであんなにふつーに、手拍子が揃うの?

 星組公演『さくら』『シークレット・ハンター』千秋楽。

 フィナーレ銀橋の「クンバンチェロ」にて。
 拍手が、鳴りやまないわけだ。

 トップお披露目おめでとートウコちゃん。
 雪組時代、同じよーに歌った「クンバンチェロ」を、トップとなって再び歌うことの意味。
 あのころ「すぐさまトップOK」だった人が、紆余曲折を経て10年も回り道をして、よーやくここへたどり着いた。
 その、涙涙の「クンバンチェロ」だ。

 アツすぎる空気。
 拍手の音がチガウ。
 いつまでもいつまでも、盛り上がり続ける。ショーストップしたまま。

 で。
 銀橋のトウコが、動いた。
 客席に向かって両腕を広げ、「静まれ」のゼスチャー。

 ぴたっ。

 ……ぴたっ、て。

 静まるんだもん、客席!!

 あれほど鳴り響いていた拍手が、ぴたっと止まるの。

 なにこれぇ〜〜。
 なんで、止まっちゃえるの?!!

 初日、やはり同じように手拍子が揃った。トウコの音頭で、チャ・チャ・チャ!でぴたりと揃った。

 なんの練習もなく、事前の打ち合わせも指示もなく、2500人の赤の他人の行動が揃うって、なにごと?

 ありえない。
 ありえないよ星組!!(笑) や、わたしももちろんぴたりと静止したけどなっ。

 この、一体感。
 舞台も客席もラインを超えた熱さがある。

 トウコちゃんはこの「アツい星組」を正しく継承するトップスターだ。
 「真ん中」で観客の熱を自在にあやつる人。自身が熱を放出することによって。

 安蘭けいの時代が来た。
 それがただもう、うれしい。

 
 彼の「時代」は、決して長いものではないだろう。
 就任までにこれだけ時間がかかってしまったのだから、先が長くないことは予想がつく。
 トウコが過ごしてきた時間に、なにひとつ無駄はないと思うし、星組に来てからのトウコの演じた役が大好きだから、それらに出会えたことをとてもうれしく思っているけれど。
 それでも、「トップスター」として過ごせる時間が短いことが、とても残念なんだ。

 彼と同期のオサ様は、まさしく「今」、円熟期を迎えている。
 トップになって5年経ったからこそ得られる、凄まじい魅力を放出している。
 もともと歌の得意な人だったけれど、今ほどの豊かな歌声を、トップになったばかりの頃には出せていなかった。

 どんな天才だって、「時間」は超えられない。
 そのときそのときに出せるものがちがっている。

 トウコは実力派だし、お披露目からすでに完成形かと思えるような堂々たるトップスターぶりを見せてくれる人だ。
 そのことに安心しているし、感動してもいるけれど、それでも、思うんだ。

 トップスターとして、長く君臨することでしか出せないものは、たしかにあるのだと。

 トップとして、円熟期のトウコを見たかった。
 どれほどのものを見せてくれただろうかと思う。
 今現在で、ここまで見せてくれる人なんだよ。このまま熟成させたら、どれほどの殻を破り、観客を熱狂させたことだろう。

 そう思うと、惜しくてならない。

 
 もちろん、今は今で、たのしんでいる。
 今の星組を、今、真ん中に立つトウコを、愛している。
 満を持してやってきた彼の「時代」を愉しんでいる。

 
 千秋楽のお遊びは少なめ。

 『さくら』の「節句人形」場面で、武者人形@トウコが、なんの説明もなく、アタマにミニチュアこいのぼりを付けていた。こいのぼりっちゅーか、吹き流し?

 目を、疑った。

 烏帽子に付いてる、アレはナニ?
 誰も突っ込まないし、舞台はふつーに進んでいくし。
 なにより、トウコが、くそまじめに演じているし。

 でもたしかにあんなもの、今までついてなかったよね?
 てゆーか、変だよね?

 お遊びだ、とは思うけれど、あまりに微妙すぎて混乱。
 楽のお遊びなら、出てきた瞬間観客が爆笑するとか、舞台上でそれについて言及するとか突っ込むとかがないと、混乱する(笑)。

 トウコの仕掛けは、そののち開眼。
 アタマになにか付けながらも、大真面目に演じていた武者人形、くるりと背を向けるとそこに、こいのぼりが。

 こっちはよーっくわかる、ふつーにこいのぼり。
 お遊びだと、ギャグだとわかる。

 それでよーやく、「頭に付いてるアレも、お遊びだ」とわかるんだ。

 にしても、誰もこいのぼりには言及せず、舞台はシリアスに終始するんだよ。
 さすがだ、トウコ&星組。

 『シークレット・ハンター』では、冒頭のトウコちゃんのひとり芝居で言及するくらいだったかな。
 あ、そだ、もひとつあった。
 「男爵とお呼び下さい」に対し、ダグ@トウコがとーっても滑舌良く「男爵いもぉ?!」と返し、男爵@しいちゃんを憤慨させていたわ。
 目を剥くしいちゃんがツボ。まさく憤慨(笑)。

 でも、ほんと楽だからとギャグ連発で暴走することナシ。
 元がはちゃめちゃな芝居だったけれど、それをさらにアドリブでぐちゃぐちゃにすることは、しなかったのね。

 や、楽はわたし、ジェニファー@あすかちゃん見てツボ入りまくりでがーがー泣いてたんで(笑)。変にギャグに走られなくてよかったかなと。

 
 フィナーレのデュエットダンスは、初日と同じようにセリ下がりの最後の最後まで、トウコの表情ガン見していたし(笑)。
 気張ってエロい顔をしているのは途中までで、セリ下がっていく最後は、あすかを抱いたまま静かに放心したように目を閉じているの。
 それがまた、エロいのよ。
 攻の顔ではなく、受の顔で終わるところが、そしてソレがまたエロいところが、トウコのすごいとこだわー。

 くそー、トウコでエロを見せろー。トウあすでエロエロを見せろー。

 拳を振り上げて主張するわ。これだけの素材を腐らせるなよ劇団!!
 もったいないオバケが出るぞー。

 
 最後の挨拶は噛みまくりで、「せっかくいいコト言ってるのに(笑)」でかわいいっす。
 わざとですか? 捨て身でギャグやってる? いやあ、いいキャラクタだ、安蘭けい。

 いつまでも鳴りやまない拍手。
 トウコの口から「気を付けてお帰り下さい」と言わせるまで、カテコを続けるんだもんなあ。

 星組は、アツい。

 こーでくなくちゃ。


 『シークレット・ハンター』、2回目の観劇時に、ツボったこと。

 男爵@しいちゃんが、いつものしいちゃんになった。

 初日は男爵という役に振り回されていた。なにより、わたしが。そしてひょっとしたら、しいちゃん自身も?
 おバカな悪役としてはじけるのか、とんでもなく深刻に大仰にやってしまうのか。もともとの脚本がアレなんで、しいちゃんだけの問題じゃないが、それにしたって半端な役。
 どーするつもりだ、コレ。

 と、思っていたら。

 男爵は、「しいちゃん」になっていた。
 つまり。

 キラキラしている。

 登場するなり、大ウケしましたよあたしゃ。

 うわー、しいちゃんだー。
 なにあれ、キラキラしてるー。太陽背負ってるー。もうアレ、「男爵」ぢゃないー(笑)。

 そうか、こうきたか。
 どのみち半端な役だもんな。どうしたって限界あるもんな。
 それなら、役に引きずられてくすんでしまうより、得意分野に持ち込んだ方がいい。
 てゆーか、たんに、こなれてきただけか。
 慣れると「しいちゃん」になるってだけかしら。もともとしいちゃん、演技できない人だし。

 半端にくすんでいた初日の男爵より、ずっとたのしい。
 台詞と行動と健康的なキラキラぶりが、ちっとも役に合っていない、空中分解しているよーな変なキャラクタになっているけれど、もともと壊れた話だから無問題。

 しいちゃんがどんな役でも、「しいちゃん」として輝きだしたことが、痛快だ。

 これでこそ立樹遥。
 多少のドロでは、彼の太陽を曇らせることはできないんだ。
 それが芝居として、舞台人として、正しいかそうでないか、武器となるかそうでないかはまた別の話。

 ただ、事実として、しいちゃんはしいちゃんとして、輝いている。

 おもしれー。

 
 とはいえ。

 男爵役はしいちゃんより、すずみんの得意分野だよなあ、と思う。
 すずみんは似合うだろうなあ。あの薄紫のとんでもない衣装もシルクハットも。ステッキも。
 や、某海馬の帝王だってね、涼さんならもっとうまく演じたんぢゃないかと思うのよ……。彼、地味派手ハッタリ系大得意だもん。
 半端な役を、型にはめて安定させてしまう力が、涼紫央にはあると思う。
 男爵@すずみん、見たいなぁ……。
 すずみんには是非、派手こいマントも付けてほしいわー。仮面とかもいいなあ。(すでにチガウものを妄想している模様)

 とゆーことで、しいちゃんのマックスも見たいのだ。
 クールビューティしいちゃん。
 ……くすくすくす。
 きっとすっげー真面目で、暑苦しく仕事している男になるんだろうな。あすかちゃんのお兄ちゃん、というのも納得。

 セルジオ役がいちばんいいのかもしれないけれど、わたしはマックスの方がいいなー。
 陽気でテンション高いしいちゃんより、抑えた二枚目しいちゃんが見たいよー。
 てゆーかあのスーツ姿のしいちゃんが見たいよー(笑)。

 しいちゃんとすずみん、いっそ役代わり(期間限定)でもしてくんないだろーか。
 今のままももちろんスキだけど、逆のパターンも見てみたいんだよ。

 んで、舞台稽古とかで、男爵衣装のすずみんとマックス衣装のしいちゃんが、男爵@しいちゃん、マックス@すずみんを演じるハメになったり。昔の『風と共に去りぬ』のトドとゆきちゃんみたいに、役代わりの場合衣装そのままで両パターンお稽古(笑)。
 ふたりの「殺す/護る」デュエットとか、とびきり愉快になるだろーになー。

  
 そうそう、『さくら』の鍾馗人形のヒゲ無しは、初日限定だったそうですね。
 初日の感想で「しいちゃんがかっこいい」と書いているのは、ヒゲがなかったからよ。『花舞う長安』の楊国忠@戦闘バージョンみたいだったの。腰まで黒髪を垂らした美丈夫。
 ヒゲがあってもしいちゃんはかっこいいけどね……でも、初日のヒゲ無し姿のかっこよさはまた格別だったのよお。
 いやあ、いいもん見たわぁ。
 またヒゲ無しで出てくんないかなぁ。


 初日観劇時に、ちらりと書いたが。

 『シークレット・ハンター』で、いちばん萌えな役は、マックスだ。

 マックス@すずみん、パラス・アテナ国の王族に代々仕えるボディガード。父親は前皇太子を守って殉職。
 今回の「王女誘拐事件」の首謀者……というか、指揮者。
 ブリジット@あすかの兄。(ついでに、きんさんの息子。や、自分的ツボなの、きんさん−すずみん母子・笑)

 オチに関わることだったから、初日にはどーして萌えなのか、書けなかった。

 彼の「設定」は、萌えだ。

 殉職した父と、あえて同じ職に就く男よ?
 そして、父が命を懸けてなお果たせなかった使命を、実の妹を囮にして果たそうとする男よ?

 萌えだろ、この設定。
 あまりに非情で、あまりに切ないじゃないか。

 マックス少年がどれほど父を愛していたか、誇りにしていたか、語られていなくてもわかる。たとえ作者がなーんにも考えていなくても、設定から、そういうことが想像できるんだ。

 ブリジットもまた、ボディガードとしての教育を受けているのだろう。
 銃の腕も、ギャンブルの腕も、王女だとか王女付きの侍女だとかいう範疇を超え、「王女を護る」という使命のもとに磨かれたモノだろう。王女と見分けがつかないように、つまり影武者として「いつでも王女の代わりに死ぬ」ように育てられた少女。

 この兄妹がどんな想いで自らを鍛え、使命に向き合っていたのか。

 自らを楯とするブリジットよりも、彼女を利用することになる兄の方がつらかっただろーと思うんだ。
 ソレが必要なときは、王女として死んでいく妹を、見殺しにしなければならないのだから。

 そーゆー十字架を背負った男。
 端正で、クール。
 余裕すらある佇まい。

 萌え。

 すずみんのクールビューティぶりがまた、よいのだわ。
 うまい人だなと思う。
 短い出番の中で、有能さと華を印象づけている。
 すずみんの演技はいつも「的確」だと思う。役割を過不足なく当てはめてくる。……だからこそ、脇の仕事をきちっとこなせるんだよなあ。得難い人だ。

 相棒のクリス@ゆかりくんは、美貌の点では申し分ない眼鏡っこなんだが、演技力のなさがちとつらいかな。ただのお笑い一直線でなく、深みも欲しいんだが……まあ、ゆかりくんだから美貌一点集中型、多くを求めるのはまちがっているか。

 マックスは萌えキャラなんだが、彼に絡むクリスと男爵@しいちゃんが、どーにも足りない人たちなので、カップリングがしにくくて、初日はソコがつらかった(笑)。

 で、そのうち開眼。

 やっぱセルジオ×マックスですかね。

 マックスは、どっからセルジオ@れおんを見付けたんだか。ダゴベール@トウコを推薦したのはセルジオだが、そもそもセルジオはどーやってマックスに近づいたんだ?
 もともと知り合い? 友人? セフレ?(こらこら)

 使命と任務に生きる堅い男と、いーかげんでお調子者の情報屋。
 なんか愉快な取り合わせなんですけど。

 親友ということになっているダグにも、マックスのことはナイショみたいだし、やっぱまぁ、そーゆーこと(深く読んで下さい)で、深いんだかドライなんだかという関係(深く読んで下さい)がいいなあ。

 セルジオが「憎めない小悪党」というには、どーにも「ゆがんで」いる気がして。
 それはれおんくんの持ち味なんだけど。
 そのゆがみが、セルジオって実はすげー冷酷なんぢゃね? とか、思わせるんだよなあ。
 保身のためなら、ダグなんか平気で見殺しにしそうだよな、て感じで。

 だってセルジオってさ、誰のことも愛してないよね?

 温度がないラテン男。
 口先だけの明るさ。
 目が笑っていない陽気さ。

 ソコが彼の魅力(笑)。
 ダグはブリジットとハッピーエンドだから手を出さず、マックスとカップリングで、ハイ。

 ダグは聖域だけど、マックスなら汚してもいいから。むしろ彼は、汚れるべきだから。妹を踏み台にする自分自身を、汚すべきだから。
 そんな葛藤を突いて、付け入って、傍若無人に振る舞って欲しいですよ、セルジオ。

 
 鬼畜攻のクールビューティ受(年上)。
 まああ、世の中的にもニーズぴったり、キャッチーですわん。

 
 すずみん、ラヴ。れおんもスキだー。


 王女暗殺計画は無事に阻止することが出来、ダゴベールとブリジットは結ばれることとなった。

 ハッピー・ウェディングに沸き立つ人々の中。
 わざとらしいまでに「女らしさ」をアピールする帽子をかぶった中年女性が、ダゴベールの前に進み出た。

「ダゴベール……」
 帽子の下のその顔は、まちがいなくダゴベールの……。

「父さん……!」

 ダゴベールは驚愕した。
「どうして……? 死んだはずじゃあ……それに、その姿は」
 ダゴベールの父は、女らしいワンピース姿だった。膝丈のスカートからは、細い足がのぞいている。微妙に、開いたままの立ち姿だが。
「これが父さんの、ほんとうの姿なの。世間体を考えて無理矢理結婚したけれど、自分を偽って生きることはつらかったわ。あのころは、それでお酒に逃げてばかりいたけど……ほんとうの姿で生きようと決意したの。でも、幼いお前にはとても真実を打ち明けることは出来ず……だから、母さんとも相談して、死んだことにしたの」
「どうして、もっと早く打ち明けてくれなかったんだ? あのとき、海へ行ったっきり……そのままずっと……」
「ごめんなさい。私……お前に会わせる顔がなくて」
「馬鹿だな。どこの世界に、親を思わない子どもがいる? 父さんは……オレの父さんだ」
「ダゴベール」
「お帰り、父さん」
 固く抱き合うふたり。

「でもダゴベール。私のことは、『母さん』と呼ぶのよ。いいわね?」

「…………」



             ☆

 とゆー、意味のないお笑いシーンは置くとして。
 ダゴベール父と母を同じ役者が演じなければならない理由もわからないし、ここでダゴベール母が出てくる意味もわからない。
 出なくていいよー。
 流れが止められて、いいことなにもないよー。

 
 他のキャストの話。

 あかしが二枚目だ。
 とゆーのは、なんかもー、わたし的にデフォルトになってきている気がするので、いちいち語るほどのこともないのかもしれない。

 でもほんと、ハンサムでびびるよー。
 街の人々として歌い踊っているときの「若さ」と「美しさ」もすごいの。
 あの美形ダレ? と思ってよく見たら、あかしだった。なんてコトが、いくらでもあるわけだから!!

 金髪と明暗くっきりメイクのせいかなあ、なんかビスクドールみたいな美貌に見えるんですが。
 わたしが盲目状態なだけですか?

 
 でも、あかしよりびびったのは、みきちぐが、美形だということなんですが。

 美形だよね?
 美しいよね?

 どーしちゃったんだ今回。
 みきちぐって、こんなにきれいな人だったの??

 謎の画家役のみきちぐ。
 みきちぐだということは、一目でわかる。だが、「わかる」ことと「視覚情報」が同期できずに混乱した。エラー出そうな勢いで、混乱したってばよ。

 てゆーか、「美形」を演じれば美形になれる人だったってことか。
 三枚目しか見たことなかったからなー。

 ふだん三枚目なところばかり見ていたから、うっかり恋に落ちそうなくらい、ときめいちゃったわ(笑)。←笑うのか。

 
 最近好み度が上がっているのは、れおん。
 セルジオ役はべつにどーってことないっちゅーか、「また同じ役かよ」って感じの、れおんがいちばん得意とする役なだけだが。

 ……でも、ちょっと引っかかるのは、彼から、大らかさや暖かさをあまり感じないせいだと思う。
 同じ役をワタさんが演じたら、それこそ太陽そのものになったと思うのね。大きさも温度も。ついでに、うさんくささも(笑)。

 でもれおんだと、温度のない「ラテン男」になる。

 どこか、いびつだ。

 そこが、引っかかる。
 そしてわたしの場合、ソコが魅力に感じられるわけだ。

 たぶん、もともとの姿には、温度も大らかさもあるんだと思う。カラー粘土を想像してくれ。暖色の粘土の丸い固まり。

 でも、役目的にもとのままではいられず、必要に応じてのばしてのばして、無理矢理にでも「器」に合わせなければならない。
 足りない分無理に広げるもんだから、粘土は薄っぺらくなり、色も薄くなってしまった。
 いちおー、器全部を埋めてはいるけれど……今にも穴が開きそうに薄くなっている。とても大らかさや暖かさを出せる余裕はない。

 どんなに薄くなってしまったとしても、求められた器を埋めるだけ「のびる」のだから、彼はそれだけの実力があるのだろう。
 このまま成長すればいずれ、色を変えないまま器を覆うことができるようになる、だろう。

 だけど「今」、いびつに器を覆っている姿が、けっこー好みだ。

 なーんか、やばいよなー、こいつ(笑)。
 「演じて」はいるけれど、ほんとに、ソレだけだ。リアリティはないし、感情移入も出来ない。
 それでも、ダゴベール@トウコと「仲間」らしい貫禄はあるときたもんだ。
 歪んでるわー、嘘くさいわー、ニセモノくさいわー。
 ソレはちょっと、いいかもしんない(笑)。

 れおんは、ワタさんとは似ていない。
 ワタさんに今いちばん似ている男は、らんとむだろう。漢っぽさはもちろんのこと、温度や芸風がもっとも似ている。
 れおんはワタさんの持ち味から、どんどん遠くなっていっている。
 ワタさんなら、セルジオはあんなに気味の悪い温度になってない。低温でラテン、って、ちょっとゾンビみたいだぞっと。
 でもソコがいいんだよなあ、セルジオ@れおん。

 「トップスターになるしかない」育てられ方をした、御曹司。
 医者以外の選択肢を与えられないまま育った医学生みたいだ。周囲のお膳立てゆえ「仕方ない」から医者になるのか、ほんとうに医者になりたいのか、「どんな」医者になりたいのか、わからないままとにかく「医者になること」だけを苦行僧のように黙々と目指す。
 そのいびつさが、どんな濁りとなって、この「大切に大切に、傷ひとつないよう守られて育てられた御曹司」を花開かせるのか。

 たのしみだ。


 脚本がひでーことになっている『シークレット・ハンター』

 作者が「人の心」というものを理解せず、「なんとなく聞きかじったことのある、いい場面」だとか「どっかで見た設定」「どっかであったシチュエーション」だとかをてきとーにパッチワークしただけなので、それはもう仕方がない。
 壊れていてもおもしろけりゃソレでいいので、概ねいいっちゃーいいんだが、今回は「いちばんいい場面」としての主人公とその恋人の会話が壊れていたので、破壊力絶大。
 過去作品から見ても、こだまっちは基本「人の心」なんて理解できないんだから「いい話にしよう」なんて欲を出さずに、いつもの萌えパワーだけで書ききればよかったものを。ちっ。

 
 それでも、『シークレット・ハンター』はおもしろい。
 脚本も台詞も、壊れているところは「ただの音」として意味を考えず、主役ふたりの演技に集中するのだ。

 泣けるんですけど。

 ジェニファー@あすかの恋に。

 
 わたしはトウコファンでもあるが、まちがいなくあすかファンでもある。
 初日はダグ@トウコ中心で見たけれど、次からは他も見る。そして、相手役のジェニファーに行き着く。

 「ジェニファー」という、ひとり女の子に行き着く。

 「嘘」をついている女の子。
 「嘘」の上で、存在している女の子。
 「嘘」を通しながら、恋をする女の子。

 ジェニファーの、心の動きのきめ細かさ。
 「嘘」を知った上で見れば、彼女のさまざまな表情がわかる。

 彼女の苦しみ。
 よろこび。
 そして、恋。

 ジェニファーと共に、恋をする。

 追体験。
 彼女と共に歓び、はしゃぎ、傷ついて、切なくなる。

 ダグを見つめるジェニファーは、わたし自身となる。

 わたしが、恋をする。

 「嘘」をつきながら。
 「嘘」の上で、存在しながら。
 「嘘」を通しながら。

 恋をする。
 ただひたすらに、たったひとりの男性を愛しく思う。

 それはもう、すでに忘れてしまったひたむきさで。純粋さで。

 追体験だから、ジェニファーと一緒にどきどきするの。南の島のダンスや歌にわくわくして、お酒を飲んで、色とりどりの花に歓声を上げて。
 命がけで守ってくれるハンサムな男性と一緒に。
 ひとときだけの自由を満喫するの。
 夕焼けの美しさに感動し、人間の醜さに疑問をこぼし、それでも今、ダグを愛しはじめている自分を知る。

 愛しているから、嘘が苦しい。
 巻き込んでいる事実がつらい。

 それでも、愛する国のため、敬愛する王女のため、任務を貫く。
 終わってしまう時間。
 このしあわせは、近い将来必ず消える。
 王女だと嘘を突き通しても別れは来るし、真実を知らせれば騙していたことがバレるわけだからきっと許してもらえない。

 待っているのは、恋の破局。終焉。
 それでも今、たしかに恋をしている。

 
 ジェニファーの恋を受け止める男、ダグが、まちがいなく「いい男」で。

 これで役者の力が拮抗していないと、「あんないい女が何故、あんなチンケな男に?」となるんだけど(なにしろ脚本壊れてるんで)。

 演じているのがトウコだから。
 めちゃくちゃな論理で泥棒しているわけわかんない男でも、台詞の中身なんか関係なく「いい男」になるんだわ。

 恋をしたのは、ジェニファーの方が先だと思う。
 ダグはただ、人の良さから「子犬を拾った」だけ。

 ダグの方はたぶん、キスをしようとするその瞬間まで、特別なキモチはなかったのだと思う。傾きつつはあったとしても。

 一緒に逃げている間に、子犬から「守らなければならない少女」に昇格していたとしても、それはべつに「恋愛対象」ではない。
 一緒にいればソレだけで恋に落ちる、ほどダグはウブじゃないし、飢えてもいない。

 想い出の教会跡にて、会話の内容はわけわかんない電波っぷりだけど、ダグとジェニファーの心は確実に近づき、盛り上がっていた。
「約束して」
 と言うジェニファーを見つめて、ダグの目がやさしさを帯びる。

 「守らなければならない少女」は、ひとりの「愛すべき女性」としてそこにあった。

 だからこそ心の触れあったデュエットのあと、キスになる。
 高まりを抑えきれないように。

 「嘘」をついているジェニファーは、そのことゆえにダグの愛を拒むのだけど。

 ふたりの「心の動き」がリアルで。
 ドキドキする。

 一緒に、恋を追体験する。

 使命に忠実なジェニファーが、任務を忘れ、「ただの女の子」になって懇願する場面がある。

 男爵@しいちゃんに狙われ、アナ・マリア@みなみ姫に追いつめられ、ダグが「囮になる」と言い出したとき。

 アナ・マリアの手を振りほどき、ダグにすがりつくジェニファー。

「あなたと一緒にいたいの」「お願い」……そう懇願するジェニファーの、表情は客席から見えない。

 だけど、ダグの表情が見える。

 彼の大きな瞳に、いろんな想いが映る。

 どれほど、彼が彼女を愛しいと思っているか。

 どれほど、彼女が彼を愛しているか。また、彼がそれをわかっているか。

 「お願い」……泣き声でそう言う彼女の、背中の痛々しさ。
 使命ゆえ、任務ゆえ、愛を語ることもできず、キスを拒むことしかできなかった彼女の、精一杯の気持ち。

 それを、確実に男は受け止めている。
 だからこそ彼は、彼女のために行くんだ。命を懸けて。
 彼女を守ろうとするんだ。

 騙されている・いないはもう、関係ない。
 今ここで真実を知ったとしても、男は同じ行動を取っただろう。

 そののち、すべての嘘が明かされたとき、ダグは「なにも言わなくても、君の気持ちはわかっている」とあっさり許してしまうんだが。

 ふつーなら、そんな簡単なコトじゃない。
 悪気がなかった、仕方なかった、そーゆー次元じゃないから。
 だけど、この簡単ぷーな許し方が、変じゃない。脚本の浅さが、ご都合主義にならない。

 だって、「わかる」から。

 ダグはジェニファーを愛していた。
 王女だとか泥棒だとか関係なく。

 「あなたと一緒にいたいの」……そう言って泣くひとりの少女を、愛した。
 愛し合った。
 あのときの彼女は、演技のプリンセスではなく、任務中の影武者でもなく、「ブリジット」という、ひとりの少女だった。

 
 ダグとジェニファー……ブリジットの、心のリアルさ。
 その繊細な動き。

 それらが、脚本のアレさをまるっと飛び越えていく。

 恋が出来る。
 できて、しまう。

 ジェニファーになって。あるいは、ダグになって。

 疑似体験が、気持ちいい。
 カタルシスが快感。

 安蘭けいと、遠野あすか。
 「恋愛」をきちんと表現できる演技巧者ふたりによる、「恋愛物語」を堪能できる新生星組。

 なんてたのしみなんだろう。

 
 ……この壊れきった話で、ここまで持っていくんだぜぇ? まとな話だったら、どこまで魅せてくれるだろう。
 想像するだけで、わくわくするよ。

 トウあすで、濃ぃ〜〜いエロエロなラヴストーリー希望。
 魂を焦がし尽くすような恋を、彼らと共に追体験したい。


 わけわかんねー話なのだわ。『シークレット・ハンター』

 繰り返し観るほど納得できないことが目について、不快指数が上がる。
 構成上の粗は、初見で引っかかってもリピートする場合には「そういうもの」と納得して観るので気にならない。

 やはり、「心」が壊れている部分は、何回観たって慣れない。つか、どんどん不快になる。

 最近の作品では、『ノン ノン シュガー!!』とまったく同じ。
 物語的に、「いちばんいい場面」のキャラクタの心の動きが、まるっと壊れている。

 これは、キツイ。

 『ノン ノン シュガー!!』でいうと、2幕前半、不良とのケンカに負けた主人公が、突然ヒロインに向かって「金持ちのお前に、びんぼー人の気持ちがわかるのかよ!」と怒鳴りはじめるところ。
 はあ? ケンカに負けたことと、ヒロインが金持ちなことになんの関係が?
 ヒロインも「お金持ちだったら、びんぼー人に恋しちゃいけないの?!」みたいな会話を展開、あのー、だから、どうしてそんな会話に? ケンカに負けただけでしょ?
 言いがかりにしか思えない絡み方を一方的にしてきた主人公、突然態度をがらりと変え、「そうだ、ノンノンシュガーへ行こう、俺たちが出会ったあの場所へ」とヒロインを抱きしめてドリーミーにささやく。
 いやあの、だから、どーしてそういう展開に。ヒロインと言い争う理由もわからないし、会話もつじつま合ってなくて気持ち悪いだけだし、そんな電波会話のあとこれまた一方的に感動シーン的抱擁されてもこまる。
 脚本、ひどすぎ。

 それとまったく同じ印象、『シークレット・ハンター』。てか、ぶっちゃけもっとひどい。

 思い出の教会にやってきたダグ@トウコとジェニファー@あすか。ダグの思い出話のあと、「どうして泥棒なんてやってるの?」という話になる。
 これがもー、見事な、電波会話。つじつま合ってないし、意味わかんない。

「人の魂は平等だと言うけれど、父のように心の弱い者もいる」→だから反抗して泥棒に。
 この論理がわからない。

 人間は平等だというけれど、金持ちと貧乏人がいる。心正しさと貧富はイコールではない。それに反抗して、泥棒に。
 ……なら、わかるんだけど。

 父親が心弱い人だったとして、それが何故「泥棒」で「反抗」になるんだ?
 「泥棒をする=心弱い人。自分もこんなに心が弱いんだ!!」ってこと?
 でもダグ、自分を「心弱い人」だとは思ってないよね。「この世で盗めぬモノはない」って、強い自分を誇って生きているよね。

 心弱い人が許せないなら、父を憎み続けるだけのことだが、ダグは父を憎んでいない。
 じゃあ、父を死へ追いやった「汚い人間たち」を憎んでいるのかというと、そーでもない。ダグは人生を謳歌している。

 ダグはとても前向きに、たのしそーに「泥棒」をやっている。
 それならそれでべつにいいのに、いきなりなにか「ちょっといい話」「お涙ちょうだい話」を入れて、自爆している。

 「心」がつながっていないんだ。
 「お涙ちょうだいの父話」と「生き方の理由」が。

 これを書いた作者、どんな精神構造してるんだろう……。

 ショーガールとの手切れ金欲しさに王女誘拐に荷担したダグ。→「ダグは自分のためだけに盗みをしているわけではない」(ジェニファー談)
 この論理がわからない。

 ダグはただの泥棒でしょ? 義賊なんですか? 盗むことで社会悪と戦っているの? 恵まれない人たちにほどこしをしているの?
 ただ、自分のシュミと実益を兼ねて、たのしんでいるだけでしょう?

「自分のためだけに盗みをしているわけではない。だったら何故?」→夢だから。父親のように、たったひとつの宝物を探し続けている。
 この論理がわからない。

 夢のためにやっているなら、自分のためだろう!!
 てゆーか、なんで泥棒が「自分探し」なんだ。
 泥棒をしなければ探せない宝物ってなんだ? 行方不明の父の手がかりを追うために泥棒をしている@『キャッツアイ』とか、愛するジョフレの財産を取り戻すことが復讐@『アンジェリク』とかとは、根本的にチガウだろう?

 会話の意味がわからない。

 日本語で話しているのに、外国語を聞いているかのようだ。
 ひとつひとつの文章が、相手の文章につながっていないの。

 気持ち悪いの。

 会話が成り立っていない。キャッチボールになっていない。
 ただ、「なんとなく“感動的なこと”を、羅列している」だけなの。

 会話の気持ち悪さに鳥肌を立てているところへ、さらに追い打ち。それまで、「泥棒はいけないことだわ」と言っていたジェニファーはするっと前言撤回。

「じゃあ約束して。宝物を手に入れたら、泥棒から足を洗って」

 「じゃあ」ってなんだ、「じゃあ」って。ソレでいいのか。

「自分だけの宝物を手に入れるために、他人を傷つけ続ける」→「じゃあ、宝物が手に入るまでは、いくらでも他人を傷つけてね」
 こんな人道的にまちがいまくったことを、「美談」として言うな。

 「泥棒はいけない」んじゃなかったのか。「夢」なら、なにをしてもいいのか。

 もちろん、フィクションだから泥棒が主人公でいいんだ。スパイでも殺し屋でも娼婦でもいいんだから。不道徳だからいけないと言っているんじゃない。

 言っていることのつじつまが合っていないから「変」だと言っているんだ。

 これを書いた作者、どんな精神構造してるんだろう……。
 人間として社会生活が可能なのか?

 物語の他の部分がどんなに壊れていたって、リピートするうちに「そーゆーもん」だと思って気にならなくなる。
 だが、「心」が壊れていると、リピートすればするほどつらくなる。

 この作者がもっとも「いい話」だと思ってかわしている一連のやりとりが、もっとも不快で、気持ち悪い。

 人間なのか、作者?
 宇宙人ぢゃないのか、じつは。

 人間の言葉をコンピュータに入力して、てきとーに並べただけぢゃないのか?
 ここまで会話が成立していないラヴシーンは、前代未聞だぞ。

 
 こだまっちの宇宙人ぶりに目眩がし、そしてなにより。

 台詞の内容のめちゃくちゃさなんかお構いなしで、それでも「心」をつなげて演技してしまう、トウコとあすかだ。

 会話の内容さえ「ただの音」だと割り切ってしまえば、ふたりの演技だけで十分感動シーンになるんだよこれが。

 脚本なんか、いらないの。

 すげー……。
 実力派俳優ふたりで組むと、こんなことになるのかヲイ。

 ある意味、えらいもんを観たぞ。


 わたしは、『TUXEDO JAZZ』が好きだ。

 観れば観るほど、好きになっている。

 しかし。

 うーん。
 あんまし、他人様にはお勧めできないよなあ、コレ。
 

 どんなにこまったことになっていても、『タランテラ!』は胸を張ってオススメできたのね。
 「タカラヅカ」としての欠点はあれど、「作品」としての力を確信していたから。
 ヅカファンには不評かもしれない、でも、ヅカとは関係なく「ドラマ」を愛する人は観て。この世ではない、人間が、人間だからこそ創り得る「異世界」を愛する人は観て。
 ショーとしても、物語としても、秀逸だから。
 むしろ、「こうでなくてはならない」に凝り固まったヅカファン以外の人にこそ、観て欲しい、評価して欲しい作品だった。

 実際、ヅカファン以外にも好評だったみたいだし。ヅカなんてキョーミない、でもオギーだから観る、てなあたりの人は熱狂(笑)。

 オギーがその才能とシュミを野放しにした作品。

 
 しかし、『TUXEDO JAZZ』は。

 ヅカファン的にも、オギーファン的にも、どうよ?

 ヅカファンが受け入れない作品であることは、容易に想像がつく。
 シックなスーツの男女がクラシックに踊った直後、水玉原色ラテン衣装でバンボコ踊り狂うのがヅカのショーだもん。次の瞬間軍服とロングドレスで不倫の恋とかやってたりするのがヅカのショーだもん。
 同じテイストの場面が続くと、「ヅカのショー」らしくない、つまらない、単調だ、と攻撃されるのが「ヅカのショー」だもん。
 もちろん、ソレでいいと思うし、それでこそタカラヅカだとわたしも思っている。

 だから、同じテイストで貫かれた『TUXEDO JAZZ』は、メリハリに欠けるタカラヅカらしくない、つまらないショーだと判断される可能性は、大いにある。

 オギーセンサーがついていないと、「よくわかんなかったけど、なんか気になる」ともならないだろうしなあ。
 あ、オギーセンサーって、彼の作品の中にある「毒」を感知する力。べつに、持ってなくても、人生ナニも困らないもの。
 センサーに引っかかると、「とりあえず、もう一度観てみよう」となり、2回目になるとセンサーの針がぎゅいんぎゅいん動いて「さすがオギー!! この作品好き!」になる(笑)。
 しかしふつーの人はふつーに1回だけ観て、「つまんないから、もういいや」てなことになるよなあ。

 なんでこんなことになってるんだろう。

 オギーは今まで、「オギー全開場面」と、「一般人用の華やかな場面」を交互に入れるなどして、工夫してきていたのに。
 『TUXEDO JAZZ』は、「オギー色」をゆるめにしたことで、誤解したのかな。毒を薄めた分、無理してヅカっぽい仕掛けをしておもねらなくてもいいや、って。
 毒も薄いけれど、華やかさも薄い。
 ……それって、単に、全体が同じ色になってしまっただけぢゃあ?

 まずいってば。ソレ。

 わたしはオギーのショー作品で『パッサージュ』をもっとも愛しているけれど、アレなんかほんと、「オギー場面」と「ヅカ場面」のサンドイッチ作品。ふたつがわかりやすーく交互に来る(笑)。
 また、オギー場面もダークさを秘めているとはいえ十分見た目にも華やかだったしなあ。

 『バビロン』はオギー場面と全体のテーマが乖離していて苦手なのでスルーするとして(笑)、『ドルチェ・ヴィータ!』は過去2作を踏まえた上で、さらに「オギー場面」と「ヅカ場面」の使い分けと融合が洗練された印象。
 で、『タランテラ!』がオギー暴走、ヅカ置き去り作品(笑)。

 『TUXEDO JAZZ』は、『タランテラ!』直後ってのが災いしたのかなあ。
 「オギー場面」が薄いのはヅカファン的にいいことかもしれないが、「ヅカ場面」も薄いっつーはやばいって。

 
 つーことで、あんましおおっぴらにオススメできない、『TUXEDO JAZZ』。

「絶対イイよ、すごいから、モノ創る人間なら絶対観て損ないから!!」
 と、豪語していた『パッサージュ』や『ドルチェ・ヴィータ!』、『タランテラ!』とはちがって。

 『TUXEDO JAZZ』は。

「えーと、まあ、よかったら観てみて。あちこちに仕掛けがしてあるから、ハマるとすげーおもしろいよ?」(語尾上がる)

 てな勧め方になってますよ、ヲタクな人相手にすら。
 うおおお。

 やーんもー、複雑だわー。

 でももちろん、声を大きくして、付け加えているけどね。

「でもわたしは、ダイスキよ」

 と。

 薄い毒はリピートすることで中毒になるし、どれほど毒がちりばめられていても、基本にあるのは「やさしさ」だし。
 切なさや痛み、かなしみと表裏一体だとしても。それで「やさしさ」が損なわれることはない。

「♪誰もがみなここへと きっと帰りくる」

 ……愛しい場所。
 愛しい世界。
 
 
 寿美礼サマの魔王っぷりと、まっつ眺めているだけでしあわせだもん!!
 ……と言うと途端に、「作品」を薦める、説得力が落ちるけどなー。

 や、全部本音だし。とほ。


 まぁくん、かっこいいなあ。

 彼のことは顔が好み(カエル顔、たかちゃん似)であることで、かなりポイント高かったんだけど。

 そもそもわたし、路線スター一直線な、キラキラだけが取り柄の子は好みではないのだわ。
 真ん中より、ちょっとズレたあたりが好みど真ん中。実力があるならともかく、華と美貌しか取り柄がないへたっぴには心が動かない。

 なのになんで、まぁくんは気になるんだろう。

 『TUXEDO JAZZ』のカオスの歌手役で、答えが明確になった。

 毒があるから、好きなんだ。

 「人間」と「魔物」に分類するとき、「魔物」側に入ってしまえるキャラクタなんだ。

 彼に近いあたりのポジションの若手花男たち、きよみ、めお、ふみか、めぐむは「人間」側だっつーに。みつる、りせ、まぁくん、だいもんは「魔物」側ですか、そうですか。(みつるは人間側でもいいと思うけれど、次の出番があるので先に消える都合上、人数合わせで魔物側に入れるしかないかなと思ったり。まっつが人間側だからさー)

 めぐむが「人間」で、まぁくんが「魔物」なのが、最大のツボですわ。
 めぐむは絶対人間側だよなー(笑)。

 まぁくんの持つ、若い「毒」。
 若さが持つ残酷さが現れていて、すげー好き。カオスの歌手のドラマティックな歌声は耳に残る。心に届く。

 こーゆーダークな面を奥に眠らせたまま、のほほんとしたかわいこちゃんやってんのか、朝夏まなと。
 『MIND TRAVELLER』のルーク役も、ダーク面がのぞいていたから、あんなにかっこよかったんだよなあ、と思い返してみたり。

 毒が強すぎるとアクになって、路線スターのカラーから外れてしまうので、これくらいの濃度で持っていてくれるのがいいな。
 世の人々は「きれいなもの」が好きで、「毒」には過剰反応する。かといって、ただ「きれい」なだけだと「嫌う人がいない」だけで、「熱狂的に愛する人」も少なくなる。
 ほんの少しの毒と、圧倒的な「きれいさ」が、人気スターの資質かと。

 トウコちゃんなんか「毒」が強い人だから、熱狂的に愛する人と、拒絶反応出る人がぱっきり分かれるし。
 雪組時代のかしちゃんは「きれいさ」が占めていて、嫌う人は少ないけれど、それだけだったし。
 たかちゃんはバランスの取れた人だったなあ。圧倒的な「きれいさ」と、ほんの少しの毒。それでも「毒」が前面に出過ぎたマンリーコ@『炎に口づけを』は拒絶反応出てたなあ。

 
 まぁくんが今、「舞台を愉しんでいる」「男役を愉しんでいる」感じなのが、またたのしい。

 銀橋で一本釣りしている様を見ると、ぞくぞくする(笑)。
 そうか、自分の目線ひとつで客が動くのがおもしろいんだな。オンナゴコロを手玉に取るのがおもしろいんだな。
 なんだよ、ひどい男ぢゃん!!(笑)
 自分が美しいことを知っている、傲慢な若者。でも悪気は特になし。おばさんオトして無邪気に笑っている。

 たのしそうだなと、素直に思うよ。

 こーゆー男がさぁ、年上の人妻と不倫してお小遣いもらっちゃうんだよなー。本人は「恋愛」のつもりでさー。
 で、大人の恋人が「このままじゃダメよ。別れましょう」と言い出したら、自分の未熟さ・世間わかってなさは無自覚で、「オレ、遊ばれたんだ」と勝手に傷つくの。
 倍傷ついたのは相手の人妻だっつーの!! 最後は悪役まで演じてさー。なのに、自分だけ傷ついたと思ってるのよ、このガキは!
 ……て、ドリーム見ちゃうんですが。まぁくんでそんな役見たいんですが。ハァハァ。

 若さゆえの狭量さ、無神経さ、傲慢さを、キラキラキラキラ見せつけて。
 人間の多くが感じる、「失った青春」そのものの輝きで、「夢」を見させて欲しい。

 
 つーことで、まぁくんがかっこいい。
 彼を見ていると、ドキドキする。

 バランスの悪い顔なのにさー(笑)。美形なのか不細工なのか、かなりきわどい顔立ちなのに、それでも絶対美形カテゴリ、華カテゴリ。
 あああ、まぁくん素敵。

 
 まぁくんの話をしたから、ついでにめぐむ話もしよう。(ついでかよ!! だって同期だし・笑)

 『TUXEDO JAZZ』ではもちろん、「歌手」認定。
 なにしろ「エトワール?(首傾げ)」てな使われ方。
 彼もまた、『エンカレ』で活躍した若手歌手カテゴリの男だもの、さすがオギー。

 歌がうまいことはわかっていたけれど。
 今回、それよりも。

 声がでかすぎることに瞠目した(笑)。

 どこにいても、めぐむがわかる。
 まっつしか見ていない場面でも、めぐむだけはどこにいるかわかるのよ。声で。

 いくつもの声が重なっているコーラスの場面で、「ナニ、このでかい声」と思って振り向けば、めぐむがソコにいる。

 そしてまた、一旦耳につくと離れないのだわ、あの声(笑)。

 うまいし、でかいし、歌声は派手だし。目立つ(耳立つ?)ってばよ。
 本人の芸風はイマイチ地味だっつーのにねええ。

 ただ巧くてでかいだけでなく、そこに「ドラマ」が加われば最強なのになー。
 今のところ、「巧く歌えている」だけだよね。……うまくて、地味、ってそんな、どこぞのまっつさんと同じ特性を持たなくてもいいのに……。きれいな歌声、ってだけだなんて……それ以上がないなんて、どこぞのまっつさんと同じゲフンゲフン。(声量はまっつよりはるかにあるが)

 歌のドラマっぷりでいけば、カオスシーンのまぁくんの方が際立ってるもんなー。まぁくん、歌はアレな人なのに。

 技術以外のところが「足りていない」んだよなあ、めぐむ……。惜しい〜〜。

 それでも、水色ロングコート場面のかっこよさはすばらしいし。
 あの体格はほんと武器だよねええ。
 あああ、あたしだってめぐむの太股に「ちょこん」と乗ってみてぇよおお。(無理です、体格・体重考えろ)

 
 ショーのウリのひとつ?、金ぴかダルマトリオは。

 めおちゃんの、女性としての完璧な美しさ(男役だと、どーしてあの美しさが活かせないのか)と、まぁくんの細さ(脚はいいんだ。すげーきれい。しかし腕はヤヴァイだろ。ダルマのいづるんを見てしまったよーな不安感があるぞ)と、めぐむのオカマっぷり(しかも美人にあらず)に驚愕する。

 肉感的なのは、まちがいなくめぐむだなー。
 あの太股。
 触って気持ちいいのは、絶対めぐむだよなー。
 内股がぷるぷるしている感じは、男性ファン獲得につながるかしら? しかし顔は……ええっと。

 どんなに顔や存在がアレでも、ここではどーしてもめぐむばかり見てしまう。

 めぐむから、視線がはなれない。
 これも「華」というヤツなのかしら……。おろおろ。

 
 いやはや、ダイスキですよ、まぁくん&めぐむ。
 期待の中卒88期コンビ。
 華のまぁくんと実力のめぐむ。
 若さのまぁくんと老け……大人のめぐむ。
 これからもたのしみだー。
 

 そーいや。

 あの金ぴかダルマ衣装、新調だそうだけど、単にサイズがなかったためだと信じて疑いませんことよ(笑)。
 身長170cm超えであの衣装3つは、作った方が早いでしょー。
 使い回しは宙組専用になるかな(笑)。


 『TUXEDO JAZZ』の「街角」場面の、歌手トリオが好きだ。

 だいもん、ネコ、アーサー。

 『エンカレ』で活躍した若手の歌得意っ子たち。
 オギーは、自分とは関係ない過去の公演でもちゃんと踏まえてくれてるんだね。本公演でろくに声を出したことがない子たちでも、特性にあった使い方をしてくれる。

 初日に観たときは、驚愕したさ。
 だいもんがソロ?! えええ? てゆーか、歌い継いでるオトコマエ誰だよ、あのダメっ子レア@『Young Bloods!! 』かよ?! でもってアーサー?!!

 この面子を、ここで、ここまで大きく使うなんて。
 ふつーのヅカ公演ではありえない。新公でだって、ろくに歌の場面なんかもらえやしないのに。オギーすげー。

 初日はこのトリオにアゴを落としていたために、舞台中央をろくに観られなかった。まっつのことは必死で捕獲したものの、その他っちゅーか車のタイヤ役の人たちは一切観られなかった。そんなものがあることさえ……。

 その他大勢にまぜられるのではなく、舞台の隅でただ揺れてトリオでコーラスをするのでなく。
 「物語」の中で動きながらソロを歌う。

 そのことの、意味。

 それまで超脇役、背景しかしたことのなかったひよっこたちが、得がたい機会を得て、みるみる成長している。

 スポンジが水を吸い込んでいる様を見ているよう。

 なんなのこいつら。発芽ビデオの早回し?
 目に見えて成長するって……若いってすげえ。
 舞台人は、舞台に立つことがいちばんの薬なんだなあ。

 
 89期、この4月から研5になっただいもん。
 感心するのは、彼の「華」。
 
 だいもんは「スター」としての歌い方をしている。BGMではなく、自分がライトを浴びていることを示す歌手。
 「歌う」ことでナニかを表現しようと、前へ進もうとしている、その明確な意志が美しい。
 ミュージカルが好き、と公言する彼らしい、「ドラマ」のある歌い方。
 声の使い方もそうだが、実際に舞台で「美しくある」ことを知っているのは、路線スターとして早くから新公で役をもらってきた経験ゆえか。
 積み重ねてきたものが、正しく力となって花開いている。
 まっすぐ成長していく若者を見るのは楽しい。

 あー、だいもん好きだー。
 顔が好き、声が好き、鼻が好き、温度が好き、やりすぎな芝居が好き。
 素顔が美人なことも好きよ(笑)。

 
 成長のすさまじさでいえば、なんといっても90期のネコくん。

 『Young Bloods!! 』で喘息持ちの虚弱眼鏡っこ(『A/L』にもいた、主役の友人。サイトーくんの定番キャラクタらしい)を演じ、ショーでもソロをもらったりしてがんばってはいたが。
 いろいろいろいろ(笑)大変なことになっていて、自爆気味の舞台を披露したのち、千秋楽の挨拶では号泣してまともに喋れないとゆー、潔いダメっぷり。
 スウィートなかわいこちゃん顔で、舌っ足らずにあうあうしゃくりあげられたら、たまりません(笑)。その印象がこびりついてますがな。

 それが、次の『エンカレ』では、ピアノ弾き語りしてみたり、意欲的。彼が目指す「男役」の方向は、どーやら顔通りの「かわいこちゃん」ではないらしい?
 とはいえ歌自体は、声の素直さは買うものの、まだまだいろんな意味で幼かった。

 その後の従者@『ファントム』でも、なんか必死にかっこつけているのがわかる、正しい花男ぶりを発揮。
 彼が目指すのは、素のかわいらしさや若さを言い訳にしたアイドル系、男装したオンナノコではないらしい?

 そんな彼が、今回『TUXEDO JAZZ』でソロをもらって。

 ものすげー気合い入ってます。

 トリオの中で、もっとも甘いかわいこちゃん顔だってのに、「オレが目指すのはセクシーでワイルドな大人の男だぜ!!」と言わんばかりのキザりぶり。
 きれいにおとなしく、ではなく、多少歪んでいても、男っぽく!!

 やりすぎてるから!! 表情とか、はっきり言って歪みすぎ、キレイを通り過ぎちゃってるから!!
 だけど、その心意気が愛しい。

 あの泣きべそレアちゃん(だから、役名が「レア」)は、それでも男の子だった。
 自分が目指すモノに向かって、力強く進んでいる。
 できているかどうかはともかく(笑)、その野心がカッコイイ。

 高見を目指すのは、自分自身。「これでいいや」とゴールを決めてしまうのも、自分自身。
 もっと上を、今日手が届かない場所に明日届くことを願って、希望して、努力し続ける。
 立ち止まらない。進み続ける。

 うわー、男だ。この子、こんなにかわいいガキ臭いカオした少年なのにもその心根はちゃんと「男」なんだ。

 それを感じさせてくれる様が、カッコイイ。

 ネコくんはねー、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』のホテルのボーイででも、ものごっつーキザっててねー。
 あの弱肉強食のアピール合戦、椅子を使ってのダンスシーンでも、えらいことになってるよ(笑)。
 『TUXEDO JAZZ』ではこの歌手トリオ場面のあと、雨の中ソロを歌うもえりちゃんをエスコートするんだが、ここでもひとりで、濃い〜〜ぃ小芝居を繰り広げている。
 アグレッシヴだなあ。どこまで行くんだろ、この子。

 
 で。
 トリオ3人目、同じく90期研4のアーサー。

 ……ははは。
 ははははは。

 「表現すること」「目立つこと」に命懸けた兄ふたりに囲まれ。

 ひとり、能面です。

 それでも、こーまでしてもなお、表情ナイのか、アーサーよ(笑)。
 や、彼なりに表情つけてはいるんだけど。どうも彼の表情はバリエーションが少ないというか、あらかじめ決まった型どおりにしか表情筋が動いていないというか、「笑う」はこの表情、「悲しむ」はこの表情、「怒る」はこの表情、と、決まっているような。
 その不自然さが、能面みたいなの。役に合わせて面を付け替えているよーな感じというか。

 その印象に拍車をかける、歌声の饒舌さ。

 歌声には表情があるし、実際巧いし、華のあるいい声なのよ。
 だから、ますます歌っている本人とのギャップが大きく、コーシツテイオンカチンコチンのムヒョージョー、の印象が大きくなるの。

 うまいのに。いい声なのに。抜擢されて気合いだって入っているだろーに。
 それでもモアイ・テイストってどーなの、こーがあさひ。おもしろすぎ。

 にーちゃんふたりが濃いせいもあるけどさー。あれだけ顔芸しまくる男たちと一緒にいるのは不利かもしんないけどさー。
 それにしても不自由な男だな、アーサー。

 彼の歌の実力と、足りなさすぎる本人の表現力がツボです。注目株(笑)。

 
 花組は、演技力が低い。

 役が付く人たち、ある程度の上級生たちになると、どの組も大して実力に差はないと思うが(そーでなきゃ、残って芸能人やってないわな)、それ以外、新公学年以下になると、組によって得手不得手があると思う。

 で、花組は、芝居が苦手。演技がやばい。

 花組下級生たちが、演技もしないでなにをやっているかとゆーと。

 観客への、アピール。

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の、ホテル従業員たちがえらいことになっている。

 みんな新公学年のひよっこたちだが、アピールがすげーのなんの。
 舞台最前に椅子を持ってずらりと並び、客席に向かってえんえんダンスをするところ。
 みんな、ものすげー気合いでアピっている。
 ふつーのショーでは学年的に、あれだけの長時間舞台最前列で歌い踊ることなんて、ありえない。群舞のいちばん後列でスポットライト外とかでしょ。それも、場所移動したりすぐにハケなければならなかったりで、客席見ているヒマもないでしょ。

 同じ場所で、ライトを浴びて、客席に向かって訴えかけるように歌い踊る。
 今、このとき。ものごっつーチャンス!!
 今が勝負のとき!!

 鼻息荒っ!!

 前方席に坐ったときの、彼らからの目線絨毯爆撃ア〜ンド一本釣り。
 めっさかっこつけた少年@お尻にまだ卵の殻つけてます、が、リーゼント撫でつけながら「オレにオチなよ」と目線を合わせてくる。
 「最高に色っぽいオレ!!」と陶酔した流し目を送ってくる。

 おもしろいなオマエら!!
 なにができるわけでもないくせに、やる気だけはフルスロットル。

 や、少年たちだけならともかく。

 女の子たちまで、戦闘意欲バリバリ。

 目線、来まくるんですけど。
 すげーアピってるんですけど。
 いいオンナオーラ全開で、「アタシを見て! アタシを覚えて帰ってよね!!」と訴えかける。
 メイド服着てキュートなポーズ、小悪魔系のフェロモン放出、観客を狙い撃ち!!

 カッコつけすぎだから、メイドたち、ボーイだち!!

 どんなホテルだよ(笑)。

 あまりに露骨にアピられるんで、オバサン照れちゃうわー。美少女に見つめられてうろたえちゃうわー。やーん(笑)。

 わたしは東宝新公を観ていないが、観た人の話によれば、やはりモブのひよっこたちは演技そっちのけでアピるのに必死だったようだし。

 さもありなん(笑)。

 演劇コラムニストという人の記事で、

「(下級生娘役が)暗転の時やポーズの決まりの時に客席に向かってウインクを送っていた。たとえスターであっても、そんな仕草はもう過去の遺物。宝塚では今や、誰もそんなことはやっていないだろう(ファンの集いでは知らないが…)。何げない癖であるのなら、すぐさま止めるべきだ。」
http://www.sankei.co.jp/enak/sumirestyle/2007/apr/kiji/23sumire_blacklizard_newcomer.html

 とゆーのがあったが、今ごろナニ言ってんのてなもんだ。
 芝居の最中ならともかく、芝居の中の「ショー」パート(文脈からしてホテルメイド役だろう)でアピるのなんかあたりまえだろう。本公演でもみんな役を超えてアピりまくってるぞっと。
 今までこの人、どこのナニを見ていたんだ?? 芝居の「ショー」パート(芝居最中ぢゃないぞ、あくまでもショーだぞ)のキメでウインク、って、今現在のスターで何人もやっている人挙げられるぞ? 実際このブログでもそーやってもらったウインクについてきゃーきゃー書いてるぞ?

 や、新公学年の下級生限定なら、他の組はやっていないかもしれないが、少なくとも花組はそーゆー組だろう。
 組としての演技力は、芝居力はたしかに低いが、かわりにショーが愉快な組なんだから、それでいいぢゃないか。
 5組あるんだから、いろんな組があっていいんぢゃね?
 伝説の黒タキ祭り(笑)@『TAKARAZUKA舞夢!』ができる組カラーなんだから。

 アピール上等。
 目立ってナンボ。
 弱肉強食。目立たない真ん中なら、喰ってしまえ。
 悪目立ちだとしてもとにかく目立て。なにしろ弱肉強食、そーやって目立ったところで中身が伴わない場合は自然と淘汰される。

 演劇コラムニストとかゆー人に、わざわざ公の記事で個人特定される書き方で批判された無名の娘役ちゃん、めげずにがんばってほしい。TPOをまちがわなければ、アピることは過去の遺物でなんかあるはずがない。今まさに旬の行動なのだから。
 や、その娘役ちゃんが誰なのか知らないけれど。
 なにもできないへたっぴ下級生のくせにアピるな生意気だ、ウインクする前にやるべきことは山ほどあるだろう!という意見ならわかるんだけどなあ。そう感じる人もいるだろう。
 でも、実際今現在のスターたちがやっていることを「誰もやっていない」からという理由をこじつけてまで、その娘役ちゃんを攻撃するのがわからない。んじゃ誰かやっていればしていいのか?(実際してるし)なんて見当はずれの攻撃。

 
 新公はさておき本公演の話に戻る。
 今回わたし、下手ばかりに坐っているので(まっつ見るなら下手!)上手の子たちはあまり見ていないんだけど。

 誰かホテル従業員の下手の子たちの名前全員教えて下さいよ。
 あまりにアピール濃いんで、そのたびウケるんだけど、個別認識できてナイのよー。みんな若くて、みんなきれいなんだもん。

 
 そのやる気バリバリ、鼻息の荒さで温度変わっていそうな面子の中で。

 能面のような固定したカオのまま歌い踊るアーサーが、ひそかにツボだ。
 アーサーに温度とか表情とかが生まれるのは、いつのことだろうな。からくり人形(和製)みたいだ、こいつ(笑)。←愛でてます。


 シュミで書いているこんなブログにも、好不調はあり、スランプというものが存在する。

 書きかけてPCに眠っているテキストは多々あれど(『A/L』とか『NEVER SLEEP』とか!)どーにも気分がノらないので、マメの話をしようと思う。

 マメ。
 芸名の読み方を実はよくわかっていない、花組のお気に入りの若手くん。
 ひゅうがくんだと信じること数年。実は今も信じている節がある……何故か。
 ひゅうがの方が耳障りがいいんだもん。アニメヲタクだった過去を持つ身には。
 ヒュウガと言えば小次郎で、ついでに『シュラト』だったりするもん。地味で真面目な学級委員タイプが大好物なわたしは、あのころヒュウガがお気に入りだったなぁ。そして今はまっつなんだよなあ(話飛躍しすぎ。誰もついてこられないだろー)。

 芸名の読みすらよくわかっていないからこそ、『Young Bloods!! 』で「サンコン」という看板抱えているのを見て「どっからサンコン?」と本気で首をかしげた。
 芸名が「さん」だから、「サンコン」か!! 人に言われるまで想像もしなかったっつの。

 未だに、名前はよくわからない。

 だが、舞台にいる彼のことはよーーっく愛でている。

 はっきりいって彼は、美形ではない。
 本名のマメちゃんがかわいー女の子だとか、そーゆー話ではなく、あくまでも芸名の、舞台人としての話ね。

 現代のタカラヅカ男役の美形基準からはわかりやすくはずれた、丸いフェイスライン。
 丸い目、丸いほっぺ、と、なにかと丸い顔の作り。
 華奢には見えない体格。

 タカラヅカの正統派美形というのは、美少年系フリルのブラウスと、総スパンラテン襟巻き衣装、両方着こなすことだと思っている。
 どっちかじゃダメだ。両方だ。

 マメは両方、「……できることなら、やめとけ? な?」と肩を叩いて語りかけたいよーなヴィジュアルの男だ。
 君には、他に似合うものがいくらでもある。サナトリウムの美少年みたいなフリルブラウスとタイツはやめとけ? 総スパンの襟巻きやら手ビレ脚ビレ付きラテン衣装もいたたまれないから、やめとけ? な? そんなもん似合う奴の方が変なんだから。
 ふつーの日本少年には、似合うわけないから。似合わなくて当然だから。

 と、ヅカ的美形ではないにもかかわらず。

 マメは、耽美OKの男なんだ。

 彼は、耽美世界を表現できる役者だ。
 外見はぜーんぜんっ、耽美ぢゃないのに。むしろ耽美を損なうくらいなのに。

 お笑いキャラ、喜劇役者として能力を発揮し、新公でも「笑わせてくれるはず」と観客が勝手に期待してマメが登場するだけですでに笑っている、という状況まで到達してしまった(これは観客が悪い。ひどいと思う)彼だが、ほんとのとこ、「笑い」だけが彼の持ち味ではない。
 舞台へのアクティヴさがお笑い芸人方面に結びついているだけで、それは彼の役者人生の一部でしかない。
 「演技が出来る」から、コメディやギャグができるだけで、それだけがすべてではないんだ。

 や、なにしろ花組だからマメが「演技が出来る」カテゴリだけど、よその組なら「ふつー」カテゴリぢゃないかとも危惧してはいるんだけど(笑)、ま、それは今は置いておく。花組の演技力の低さは、今語ることではナイ。(それでも花組ダイスキさ!)

 マメは演技が出来る。
 基本的な技術をとりあえずクリアしたうえで、もうひとつ。ひょっとしたらこれは天賦の才ってやつなのかもしれないけれど……彼には、毒がある。

 音楽学校という女子校を経て同じ面子で囲いの中で純粋培養されるせいか、タカラヅカの俳優たちはみな「いい人」は演じられても、「悪い人」が演じられない。
 「少年」は演じられても「大人の男」は演じられない。ましてや、「かっこいいおじさん」も演じられない。(かっこわるい中年なら、外見を作ることでまだなんとかできる)
 「少年」で「いい人」は、技術がなくても演じられるからだ。素の「幼稚さ」と「未熟さ」を出すだけで「若くてかわいいハンサム」程度なら演じられてしまうんだ。タカラヅカという舞台自体のマジックで。
 「幼稚」で「未熟」だから「純粋」で、「いい人」。
 たしかにソレはソレで魅力的な場合もあるがな。

 でも、舞台にいる若い男たち全員が「善良な少年」ばかりでは、物語にならない。
 役割があり、役を示す衣装があり、台詞がある「芝居」ですら、「善良な少年」たちは素のままいるだけで、仕事を果たせていないことが多い。
 同じ衣装を着、明確な役や台詞のないショーになると、もうどーしよーもない。みんな「善良な少年」。ひとりずつがんばっていることはわかるけれど、いや、ヅカの舞台でがんばっていない子なんかひとりもいないことはわかっているけれど、それにしたってみんな「自分」の枠の中だけであがいている。

 そんな十把一絡げのモブの若者たちの間で。

 マメがすこーんと前に出る。

 彼には、毒がある。
 「善良な少年」だけで終わらないアクがある。

 もちろん、マメもふつーに「善良な少年」を演じられるだろう。彼がもっと力を抜き、ただきれいに笑っていれば、勝手に「善良な少年」になるだろう。ヅカの男役ってそーゆーもん。
 素を出すだけでいい「善良な少年」に、「なにか」加えることで彼は「仕事」をはじめる。

 「毒」は持って生まれた才能かもしれない。
 なにをやっても「いい人」にしか見えない、悪役をやると「まぬけな人」になるジェンヌは、存在している。しかも、かなりの数。そーゆー持ち味の人が「毒」を出すには相当の技術が必要になる。
 マメが今の技術や経験で毒を持っていられるのは、やはり天賦の才なんだろうなとも思う。
 だが、それを外へ向かって出しているのは、マメ自身の意志であり力であるだろう。

 「毒」は、きれいなものとは限らないからだ。

 世の中の人の多くは、「毒」を嫌う。
 とくに、タカラヅカのような「現実を忘れてひととき夢を見ていたいの」てな目的で観劇する人の多いジャンルでは嫌われる。
 「きれいであること」「たのしいこと」「簡単であること」を求められる世界では、「毒」はない方がイイとゆーことになっている。
 「きれい、たのしい、簡単」を能動的に嫌う人はいないが、「毒」を本能的に能動的に攻撃的に嫌い、排除する人は一定数確実にいるからだ。
 その確実にいる人たちのために、「毒」は最初から排除しておく。
 タカラヅカにあっていい「毒」は、「悪役」だけだ。主人公サイドには絶対にあってはならない。

 「きれいなこと」を求められるタカラヅカで、それでも「毒」を表現する。
 天賦の才であったとしても、それはたしかに、マメの意志であり力であるだろう。

 『TUXEDO JAZZ』の後半、「ナイト・ジャズ」の赤ベストの男@マメを見て欲しい。

 あの、邪悪さ。

 白スーツの男@オサ様に迫り、嘲笑う男。
 醜いほどの禍々しさを解放している。

 彼がここまで思い切って「毒」を解放できるのは、「路線ではない」からだと思う。
 マメが路線男役ならば、やってはいけないことだと思うからだ。「毒」を嫌う人は多い。脇でならいくらいてもいいが、少しでも真ん中寄りになると拒絶反応を起こす人がいる。で、拒絶反応を起こす人の声は大きく強く、なんとも思わないから黙っている人を駆逐する勢いで叫ばれてしまう。危険危険。

 邪悪全開のマメの横で、必死に邪悪を「演じよう」として自爆している「路線スター」まとぶの、痛々しいこと。
 マメを操っているべき存在なのに、いたいけに見えてしまう善人まとぶは、「路線スター」としては正しいのだと思う。彼はトップスターになるべき人なのだから、「毒」は不要なんだ。

 オギーがマメをひそかに愛でている(博多『マラケシュ』しかり、『TUXEDO JAZZ』しかり)のも道理、これだけ邪悪な毒を持った若手男役はめずらしい。
 みんなまだ、「善良な少年」でしかない世代なのに。

 そしてわたしもまた、マメの「毒」に、その「耽美」さに震撼する。

 美形ではないのに。フリルもレェスも似合わないのに。ほっぺぷくぷくちゃんなのに。
 それでも彼は、耽美世界で生きることが出来る男なんだ。

 耽美に必要な、「毒」を表現しうる「役者」であること。

 彼をただのギャグメーカーとして使うのではなく、その「黒の魅力」をも正しく認めて欲しいと思う。
 将来、色気のある大人の男役に成長する可能性を持った少年なのだから。

 や、その前に芸名おぼえろよ、こあら。……て話ですが。


 OSK『春のおどり』話の続きっす。

 1部の日本物でのカルチャーショックはいろいろあれど、着流しの男役がみんなズボン着用なことは、心からおどろきましたね。
 着流しの裾からすねをちらちらさせるのはデフォルトではないのですか?
 男の色気ってもんでしょう?! チガウのですか?!
 ミニスカートの娘役のパンチラをたのしむのと同じハートではないのですか?
 びっくりだわー。残念だわー(笑)。
 

 2部は洋モノショー「桜ファンタジア」。

 燕尾、タキシード、猫ちゃんと盛りだくさん。

 ……猫ちゃん?
 ええ、娘役ちゃんたちがそろってしっぽフリフリ、キュートな猫ちゃんやってました!! あ、耳はついてないっす。たしか。サイトーぢゃあるまいし!
 センターが娘役トップスター(だよね?)の若木おねーさまで。
 おねーさま、な年齢なはずなのに、これまたかわいい!! キュート!!

 タカセ氏はわたし、ミツバチ・トミーでハマったせいか、端正な黒燕尾姿より、ストリート・キッズやってる方がクるみたいっす。
 それぞれえーらいこっちゃな「イマドキの10代@いやソレ、カンチガイ入ってるから!!」な格好をさせられたみなさんが、わいわい踊るストリート・ダンス。
 群舞センターのタカセ氏がかっこいーぞっ。若いぞっ。

 しかしそのうえ、トップスターの大貴さんまでもが、「キッズ」のひとりとして登場するとは思わなかった。
 客席からの登場で、赤いキャップ姿で、わたしのすぐ横を歩いていったのに、大貴さんだと気づかなかった。
 アタマ小さっ。肩細っ。ほんとに、少年みたい。
 びびびっくりだー。ほえー。

 でもって我らが鶴橋様は、キッズの中には、まざってないの。
 とーぜんだよな。桐生さんが短パン穿いて「少年」やってたら、そりゃなんの罰ゲームだよ?!なノリになるよな?(よな?)
 おっさん属性の緋波・貴城両名もがキッズをふつーにやっていても、桐生さんだけはチガウよな?(よな?)

 大貴・桜花・高世とそろって少年役をやっているのを横目に、桐生さんは、大人役。

 高級クラブのマネジャーとして登場!!

 きゃーっ、うさんくせーっ(笑)。

 クラブ・チェリーだっけ?
 1部の鶴橋様もそうだったけど、桐生さんってこーゆーポジなわけ?
 2部でひとりだけ、台詞がある。狂言回しというか、世界観を台詞で語りながらオシャレ(笑)に客席と舞台をつなぐ。

 鶴橋様(違)の案内によって、舞台はクラブ・チェリーへ。

 美しいショーガールたちが踊る、大人の社交場。
 訪れる客たちは、もちろん黒タキだ。

 この場面がすごい。

 次々と、これでもかと、ダンスダンスダンス!!

 画面前面にせり出してくる勢いで、黒タキの紳士たち、ドレスの淑女、ショーガールたちが踊り続ける。
 全員登場だよね。
 スター勢揃い。
 華やか。
 グループごとに「これぞ見せ場!」って感じに、次々登場してサイドにはける。はけたあとはそれぞれお酒飲んだりしてくつろいで、またダンスグループに混ざってガンガン踊り……と。

 ええ、鶴橋様含む従業員たちも、踊りますよ!!

 かっこい〜〜!!

 この場面、もっぺん観たいなー。とにかくテンポ良くてダンスがかっこよくて、わくわくしたわ。
 それぞれ画面のあちこちで小芝居してるみたいだし、ファンやリピーターもたのしいんたろうな。

 終業後の姿まで見せるのは、正直「なんで?」だったけど、鶴橋様の見せ場が多いのは歓迎(ヲイ)。
 若ぶっている貴城氏もかわいかったし。(貴城さんがほんとに若い場合は失礼極まりない認識だニャ)

 大貴さんのサヨナラ公演でもあるわけだから、またこっちがその先入観で観ているせいか、彼の見せ場はなにかしらセンチメンタルに映った。
 そーゆー持ち味の人なのかしら。

 クライマックス、大貴さんの絶唱で緞帳が下りる。

 えええ。
 緞帳だよ、カーテンじゃないよ。
 まるで、これで終演、というように、幕が下りてしまうの。

 そして、ひと呼吸置いたあとで幕が上がり、フィナーレがはじまる。

 ああ、そうか。
 ほんとうに、ひとつの歴史の区切りなんだ。
 ショーの途中で緞帳を下ろすほどに、大貴誠の存在は大きく、彼のラストステージは特別なものなんだ。
 スタッフもファンも、それに敬意を示しているんだ。

 あまりにドラマティックな演出だったので。

 もう、大貴さんは出てこないのかと思った。

 再び開いた幕、再開された舞台の上にいるのは、桜花さんだ。
 次のトップスターは彼だよね?
 現トップが満場の拍手とともに一旦幕を下ろして去り、次のトップが幕を開ける……そーゆー演出だと思った。

 もう大貴さんは出ないのかなぁ……フィナーレなのになぁ……。

 桜花さん中心の男役場面、若木さん北原さんの娘役場面、高世さんの場面……と続いて、スター全員の場面になっても、大貴さん、ぜんぜん出てこないし!! アレで終わり? 緞帳を下ろして区切り、って、ほんとにそりゃすげー斬新な演出だ〜〜!!

 や。
 最後の最後に出てきました。大きな羽背負って(笑)。
 そりゃそーだよなー、出ないわけないよなー。

 でも、「緞帳を下ろす→フィナーレは出ない」ての、すごいわー。
 それくらい、大貴誠は重い存在なんだと思う。ふつーではありえないような演出をするほど。

 で、ラストは傘回し。
 出演者全員が、ピンク(スパンコール付き)の傘を客席に向けて持って、OSK讃歌みたいのを歌いながら、回したり、閉じたり開いたりするの。
 そーいや去年も見たよーな気がする。
 
 恒例らしいが、客席から笑いが起こるのは、どうなんだろう。
 回している出演者たちも、恥ずかしそう……笑顔が微妙になっている。

 大昔なら「舞台と客席で、傘を回す」というのは一体感があってよかったのかもしれないが、現代ではキツいのでは? 「傘を歌に合わせて開いたり閉じたりする」って、どう考えてもダサい……。

 OSKは、タカラヅカがなくしたものを持ち続けているカンパニーだと思う。
 それが感じられて、今回の公演はすげーたのしかった。
 じんじんと胸が熱くなる、愛おしさを感じた。

 大衆演劇であること。
 それが愛しいのだが。
 ……傘回しはその大衆演劇の象徴としても、さすがに時代を超越しすぎていて、愉快な文化になっているなー。
 客席の微妙な笑いも、出演者の微妙な笑いも(笑)。
 客席が濃い〜〜いファンのみで構成されていたら、そーゆー空気も流れないんだろうけど、実際はそうじゃない。てゆーか、ファン以外の「はじめて観ました」「縁あって足を運びました」な人たちが大半を占めるからこそ、大衆演劇なんだもの。

 微妙な笑いが起こるなか、それでも観客たちはソレを受け入れ、「こーゆーもんなんだ」と手拍子をする。
 あの空気感が、いいよなー。
 傘回しも、やっぱなきゃダメなんだろうなー(笑)。

 ハイディさんがわたしの観た翌日に、『春のおどり』を観に行ったそーで。
 桐生さんに食いつくあたり、すばらしい(笑)。
 鶴橋様の話が出来る人がいてくれて、うれしいわん。

 えーと、23日月曜日までミナミの松竹座で上演中っす。
 オススメですわ〜〜。


 1年ぶりです、OSKです、『春のおどり』です。

 突然お誘いを受けまして、取るモノも取り合わず、とりあえずミナミの松竹座へ駆けつける。や、お誘いのメール見たのが開演2時間半前でな……よくぞ間に合った、開演5分前に座席にすべり込む。

 予備知識は、トップスター大貴誠さんの退団公演だということ、日本モノと洋モノ、ショー2本立てだということ。

 おもしろかった。

 や、ほんと、ただもー、素直におもしろかった。

 なつかしい、愛しい世界がそこにあった。

 わたしは年間100回超えてヅカの舞台を観ている少しばかりディープなヅカファンで(少し、ですよ!!)いつだって「現在」のタカラヅカを愛しているのだけど。

 なんか、いろーんなことの中でタカラヅカが変わってしまった、失ってしまったものを、『春のおどり』から感じたの。

 昔の方が良かった、とは、思わない。いつだって、「今」がいちばん好き。好きでありたいと思う。
 だけど。

 「今」はもう失ってしまった「愛しいモノ」が、たしかにある。存在する。

 そーゆーものに、不意に出会わせてくれた。
 だからなんかもー、たのしくてたのしくて。
 1部の和モノも2部の洋モノも、きゃーきゃーなキモチでいっぱい。自分でも、カオがにやけてるのがわかるの。あーわたし今、すっげー笑ってるぞー、なさけないカオしてるぞー、でもま、いっかー。

 1部は「桜・舞・橋」で、大坂の橋をテーマにした日本物。
 チョンパですよ、チョンパ。
 「春のおどりはヨイヤサァ」ではじまる、お約束のアレ。
 ライトがついた瞬間の華やかさ。わくわく感。ひらひらつけた天女たちが舞い踊るプロローグ。
 ああ、この路線ですすむのだと思い込んだら。

 ……まともに和モノだったのって、プロローグだけ?(笑)

 次の場面は、いなせなにーちゃんたちが歌い踊る、ノリのいい場面。
 いきなり町人ですか、や、だって町人ってどーしても地味ぢゃん、いいの?
 ……いいのだ。
 だって、かっこいいんだもん。

 このへんで、「なんか変だぞ」と思うべきだったのか。

 次の場面でタカセさんがこれまた色男オーラばりばりに橋の上での逢い引きをキメてくれるので、そっちにときめき、感じた違和感を忘れる。
 なんだよー、あの色男ぶりー。いたずらっぽい大人の男の表情とかたまらん〜〜。
 カノジョ役の若木さんがまた、かわいくてさー。すねるとことか、すげーキュート。あまり若い人には見えない(失礼)のに、それでもかわいくてかわいくて。あんな女の人好きだなー、と思う。

 大人っぽい場面のあとに、子役がぞろぞろ出てきたことでまた、「あれ、なんか変だぞ」という気分になる。
 子どもたちのシーンが、何故か長い(笑)。まあ、大人の恋バナばっかやってても単調になるから、こーゆーシーンも必要なのかなと思っていたんだが。

 次の場面で、「やっぱ変だよこの日本物!!」と確信する。

 カーテン前で、突然コントがはじまった!!

 予備知識ないですから!! ふつーに和モノショーだと思ってましたから!! ついでに、サブタイトルも知りませんから! 大貴さんが橋について歌ってたなー、つーことと、橋のセットが出てきたなー、ぐらいで、「橋がテーマ」だということさえ、知らずに観てましたから!

 泣いてる梅の橋ちゃん@珂逢こころをイジめる、おっさんふたり、太左衛門橋@緋波亜紀、淀屋橋@貴城優希。
 橋の話だなんて知らないから、なにを言い合っているのか、マジでわからなかった。
 しかし、緋波さんと貴城さんって、初見でも絶対目につくとびきり濃い男たちふたりで女の子イジめるって、そりゃないだろー(笑)。
 最初「???」だったのが、だんだん「橋の話」だとわかってきて。
 そうかこいつら、「橋」なんだ、擬人化なんだ! ……てゆーか、何故橋を擬人化してコントを?!(白目)

 八百八橋大坂の橋の名は、みんな「バシ」と濁って発音する。なのに「梅の橋」だけは「ハシ」と清音だっつーんで、おっさん橋ふたりが梅の橋ちゃんをいじめているの。……わけわかんねえ。
 コンセプトはわかったが、目的がわからずとまどっているところへ、どっかで聴いたメロディが流れる。

 これは、日本物です。
 みんな着物着てるし、髷を結っています。

 なのに、流れるメロディは、「冬のソナタ」!!

 なんぢゃそりゃ?!
 と思っていたら、花道に清盛様登場!!

 や、去年の『義経』で清盛役をやっていた素敵なアゴのおじさま(おにいさま?)桐生麻耶さん登場!!

 もちろん着物です、髷姿です。
 なのに。

 マフラー巻いてます!!

 ヨン様! ヨン様よ〜〜!!

「女の子をイジメちゃいけないよ」
 てな、粋でいなせで超COOLなヨン様です。

 お前は何者だ! と迫られ、ヨン様は花道でハタッと見得を切る。

「問われて名乗るもおこがましいが」とゆー、お約束の見得。
 マフラーを巻いたその背中には。

 目出度い鶴の絵。

 そう、彼は「鶴橋」様!!

 「ツルハシ」……そう、「ハシ」と濁らない!!

 だからナニ。このコント。(白目。背景ベタフラ)

 わけわかんねーけど、たのしい。

 勢いだけに持って行かれる。
 てゆーか、鶴橋様に持って行かれる。

 鶴橋様、素敵(はぁと)。

 そーしてコント4人集そろって大坂八百八橋ラップだ!!

 ラップ? に、日本物でっ?!

 てゆーか鶴橋様、歌うまいー。いちばんリズムにノれてる〜。鶴橋様なのにー(意味不明)。

 「なんか変だぞ」と、思ったんだ……チョンパではじまる、ふつーの日本物っぽかったのに……ぜんぜん、ふつーぢゃなかった。

 音楽が、見事に洋モノっす。
 アレンジが完璧洋モノ。
 だからすげーノリがいい。

 舞台が大坂だから、町人ばかりなの。
 「春のおどり」でチョンパだったから、平安だとか王朝だとか華やかな時代で来るかと思いきや、江戸時代一辺倒。

 大都会大坂。
 しぶとくも粋、ラテンでおおらか、ちゃっかりしてて適度にウェット。
 京都ほど気取ってないし、江戸より下世話。

 その「大坂」の魅力を歌い踊るショー。
 舞台が江戸時代なだけで、感覚は、現代。

 鶴橋様コントはもう1回あったし、「橋の上での、大人の男と女の恋」も今度は桜花さんを主人公にしてもう1回あった。これがまた、糸を引きそうにクドい……桜花さんっておもしれー。

 そして「シメるとこはシメるぜ」と、大貴さん中心の連獅子。

 ごちゃまぜ感と、笑いと、ノリの良さ。
 桜花さんの「これでもか!」なクサみと、大貴さんの端正なセンチメンタルさ。

 緩急具合が、すげーツボりました。

 てゆーか桜花さん、最後のソロすげーよ。あのクドさと色気はナニ。
 日本物なのに、着物なのに、歌う歌はふつーに現代、ムード歌謡系。知ってる歌なんだが、タイトルが思い出せない……。
 ヅカでなら、黒タキ着て流し目ばんばんで歌っている感じ。……着物なのに!!

 この人のクドさと色気に勝てる人は、ハマコぐらいかもしれない……。そして、ハマコより美形カテゴリ。
 もー、すげー素敵。

 
 と、本気でたのしかったっす。
 2部の話はまた別欄で。


 今日はドリーさんのBDで、オサ様DSの発売日。
 てことで、朝から携帯の電源が切れるまで電話しつづけたのに、つながらず。あああオサ様……さめざめ。

 昨年のドリーさんの誕生日は、HOTEL DOLLYで過ごした。前日がスカステ『ドルチェ・ヴィータ!』東宝楽ファーストラン日だったから。
 東京のドリーさんちに駆けつけて、どりーずメンバーみんなで見たんだよな。
 あれから1年。
 時が経つのは早い。

 原因不明のまま映らなくなった我が家のスカステは、1ヶ月近くのブランクを経て、やはり原因不明のまま復活。
 『Cafe Break』のケロが、『ガイズ&ドールズ』のころのわたしの大好きなケロで、ケロの素顔についてドリームを持たないわたしですらケロちゃん美形だわ!と思えるビジュアルで、大変うれしい。
 わたしんちはMXテレビは見られないので、スカステで見るのが基本はじめて。だから、『ガイズ&ドールズ』のケロははじめて見るんだってばーっ。
 なんだよー、舞台映像は全カットかよー、著作権のばかぁ。わたしにビッグ・ジュールを見せろ〜〜、じたばた。

 
 ……なんてことを言いながら、今回は1週間遅れの星組新人公演『シークレット・ハンター』の話。

 86期が卒業、87期が長となった初の新人公演。主役ダゴベールは88期の麻尋しゅんくん。ヒロインのジェニファーは89期の羽桜しずくちゃん。

 なんか星組の新公って切っても切ってもれおん、切っても切ってもウメって印象で、両人がいないだけで、別の組を観ているよーな錯覚にとらわれる(笑)。
 代替わりしている実感がないので、いつも新公で見かける子たちがいないことに、まず違和感。

 あたしの一輝慎くんはどこっ?! ……とゆーことに加え、天緒っちを無意識に探している自分におどろきました。(ともに86期なので、探してもいないっつーの)

 さて、この新公でいちばん「わちゃー★」と思ったのは、オープニングでした。

 この作品は、完全トウコちゃんアテ書き。
 すなわち、トウコの力業で成り立っている部分が大きい。

 オープニングから、コントがあるんだもんよ。
 コテコテのクサみたっぷりに、観客を相手にひとり芝居をしなければならない。
 空気をひとりで動かし、一瞬で世界を構築しなければならない。

 トウコだからこその、オープニング。

 それを、まだ研6になったばかりの、新公初主演の少年にやらせるのは、そゃー酷ってモノだろう。

 麻尋しゅん、大変。
 オープニング、ボロボロ。
 仕方ない。仕方ないさ。……わかっちゃいるが、大変なことになっていた。

 えーと、オープニングの童謡、音、アレって正しかった?
 ズレたまま、最後まで歌いきったよーに聞こえたんだけど。
 しゅんくんの歌唱力をもってしても、あそこまでずたずたになるものなのかと、ある意味感心……。

 最初があんまりえらいことになってたので手に汗握ったが、そのあとは大丈夫。
 しゅんくんはきちんと演じていた。

 て、ゆーか。

 孤軍奮闘?

 伊達に抜擢はされてきていない、しゅんくんは「演じる」ということがどーゆーことなのか、理解した上で仕事をしていた。
 ヒロインのしずくちゃんがねえ……ええ、そりゃーもー、大変なことになっていてねえ……(笑)。
 ダゴベールは基本、ジェニファーとしか絡まないのよ。だから、ジェニファー役がアレだと、負担がどーんと大きくなるのよ。

 なんにもできないヒロインの分まで引き受けて、しゅんくんがすげーがんばっていた。

 かっこいいぞ、麻尋しゅん! 男だね!!

 スタイルもいいし、美しい子だとわかっているんだが、フェイスラインの丸さが惜しい。
 なんか、タータンに似てる……。そしてわたしは、タータンが苦手なので、今回のしゅんくんは実はかなり苦手だ(笑)。

 
 ヒロインのしずくちゃんは。
 美しい。
 まずは、それに尽きる。
 お姫様だってことがわかる、納得のビジュアル。この容姿だけでヒロインをやる価値がある(笑)。
 ただ、芝居ははたして芝居をしているのか、素で喋っているだけなのかきわどいラインだったし、なにより歌がえらいことになっていた。
 そうか、ここまで歌えない子だったのか!!
 か細いっちゅーか儚いっちゅーか……ひとりだけマイク音量変えてもらっているんだろうに、それでも途切れそうな細い声。
 いやあ、大変だなー。
 突然の抜擢だ、プレッシャーもすごかったろうけど、がんばれー。
 美しい娘役さんなので、成長が愉しみ。

 
 セルジオ@ともみんは、あまりに本役のれおんまんまで……困惑。
 容姿も似ているわけだから、ここまでコピーされちゃうと、ともみんである意味がないような。
 や、うまいんだけどね。

 男爵@ドイちゃんは、お化粧変えた?
 なんか切れ長の瞳になっていて、ドイちゃんっぽくなかった。本役しいちゃんより、シリアス度高し。それゆえに悪役度高し。
 ダゴベール@しゅんに、本役トウコの軽妙さがないから、コントラストとしてはいい感じ。
 でもなんか足りない……。

 マックス@カマちゃん。
 ……地味でおどろいた……。
 そうか、本役のすずみんはほんと、華やかだったんだなあ。それを改めて思った。
 なにが悪いってわけでもないんだが、出番自体が多いわけではない分、華やかさがないと役の説得力に欠けるのだなと。

 ニコラス@とゆー役名だったのか、知らなかった、しーらん。
 実はちょっとしーらんブームが来ているので(笑)、個人的に要チェック。……のわりに、彼が何の役をしているのか知らずに見て、ヒゲのおっさん役だったことに、びっくらこいたんですが。
 本役はにしきさん。王女暗殺計画の首謀者。
 
 濃い。
 無駄に濃いっ(笑)。

 てゆーか、べつにうまくないのに、やりすぎている感じがとてもツボ。
 絶対コイツ、自分のことヒゲのダンディだと思ってる〜〜、てな陶酔系演技にウケる。

 アナ・マリア@コロちゃんは、予想通りの巧さで、とくになにも思わず。
 イグナシオ@碧海りま……が、がんばれ。微妙な本役(でもソコが味)の、微妙さだけをコピーしなくても……。が、がんばれ。

 水輝涼が国王役で、出番がほとんどないのが不満です。
 この子にもっと演技させてやってよぉ。見てみたいよぉ。

 ダゴベールパパ@ベニーが、無駄に美しくて、ツボる。
 なんであんなに浮世離れした美青年なんだ、ダグパパ。本役英真くみちょーとのギャップがすげえ。
 美しいだけの生気に乏しい青年が自滅するようで、物語に説得力があったかなあ(笑)。

 ダグの少年時代は、弟くん。……あ、『Hallelujah GO!GO!』の主人公れおんの弟役をやった、大輝真琴くん。
 かーわーいーいー。
 自然な少年姿、情感たっぷりな演技。
 子役ばかり続いているのでナンだが、将来がたのしみな子だー。

 そーいや新公では、ダグのパパとママは別の人が演じているんだよなあ。本公はなんのためにくみちょーがやってるのかなあ。遠い目。

 鼻の君こと、蒼羽りくくんはどこにいても目立ってました。
 彼は男爵の手下ズにまざっているんだけど、なにしろあの鼻がねー、サングラスかけてもわかりやすいからねー(笑)。

 初舞台生がいるもんだから、新公だというのに寂しさを感じさせない、にぎやかな舞台でした。
 なにはともあれ、パーカッション演奏があったり、客席降りがあったりでたのしい。
 勢いで演じぬく感じ。未熟さを後押しするパワーが気持ちいい。

 
 ラストの挨拶で、コロちゃんが長の挨拶をしているときすでにダム決壊カウントダウンって感じのしゅんくんが、かわいらしかったっす。
 そうか、初主演だもんねえ。まだ研6だもんねえ。
 そんなにいっぱいいっぱいには見えなかったんだけど、十分追いつめられていたんだなあと。

 新公を観ると、キャストへの愛しさが増すよねえ。
 みんながんばれー。


「オギーの色って、何色だと思う?」
「青」

 ドリーさんと、そんな会話をした。あれはムラでのこと。

 オギー作品には色があふれているし、独特の色を使うけれど、核となる場面の色は、大抵決まっている。

 青。
 そして、水の音。水を連想させるナニか。

 青のグラデーション。青系。

「ピンクは、オギーの色じゃないよね?」

 チガウ。
 ピンクは、まったくチガウ。
 賑やかしにかわいらしく使われることはあっても、核となる使い方はされない。
 ヒロインらしくピンクを着まくっていた『タランテラ!』のまーちゃんだって、「大西洋」では青いドレスを着ている。

 ピンクは、異質な色だ。

「どうしてゆうちゃんにピンクを着せるんだろう。ピンクがいちばん似合う色だっていうならともかく」

 うん。
 ソレ、すっごい疑問。

 何故、真飛聖だけが、ピンクを着るのか。

 『TUXEDO JAZZ』の話っす。

 今回、まとぶは「影の主役」になるべき役を与えられた。
 でも実際にはぜーんぜんダメ、ただの脇役その1に成り下がっている。
 ただひとり、「オギー世界」にない色=ピンクを与えられている男だというのに、世界から浮き上がってもいいはずなのに、世界に埋没している。

 ムラで観ていたとき、まとぶの足りなさぶりに胸を痛め、「オギーのことだから、東宝ではまとぶ、役の比重変えられてるんじゃあ?」と危惧した。

 そしてやはり、東宝ではさりげなーく演出にアレンジが加えられ、まとぶの比重は下げられている。
 まとぶがオサ様を導き翻弄する「運命」そのものではなく、オサ様自身が勝手に狂気で遊べるようになっていた。
 ぶっちゃけ、まとぶがいなくても、オサ様はカオスで自在に歌いまくるよ。
 誰に導かれなくても、オサ様は最初から人外だってば。

 オギーはなんで、オサに人間を、まとぶに人外を割り振ったんだ、最初?
 まとぶに人外キャラが演じられないことなんか、『ドルチェ・ヴィータ!』のサテュロスのダメっぷりでわかっていただろうに。

 や、わたしとしては、まとぶ氏のまともさが愛しくてならないんだけどさ。人外とか悪意とかが演じられない、誠実さや真面目さが透けて見える常識人なところが、好きでしょーがないんだけど。
 邪悪を演じようと、ものごっつー努力しているのはわかるし、人外のアヤしさを出そうと摩擦熱で焦げそうなくらい一生懸命空回っているのもわかる。
 ソレが愛しくて愛しくてしょーがないんだが。

 ……そんな、努力して自爆する人に、何故できもしない役割を振る?
 柄でもないピンクを着せて。

 まとぶの持ち味って、「ピンク」ではないよね? 彼のトレードカラーがそんな色であるはずがないよね?
 なのにわざわざ、まとぶはピンクなんだ。この作品において。
 オギー世界にそぐわない色を、わざわざ選んで着せられている、2番手。

 オギーはそこまで、真飛聖を疎外しているのか?

 いや。
 そんなふーには、思えない。
 オギーが舞台人としてのまとぶに興味がないだろうことは想像がつくが、マイナスの意識はべつにないだろう。
 2番手としての彼の体面に傷が付くような使い方はしていないわけだし。……「オギー作品」として見た場合は、足りなさぶりがえーらいこっちゃになっているだけで。オギーに興味のない人から見れば、「今回まとぶん大活躍だよね!」てな出番の多さだよね。

 何故オギーは、まとぶに人外をやらせ、ピンクを着せ、できもしない役をわざわざやらせたのか。
 ……できると、思ったからかなあ? 彼の成長を見越してのキャスティング?
 でも結局ダメだったから、東宝ではオサがひとりでカオスで大暴れするよーにアレンジした?

 アテ書き基本の作家が、まとぶにだけソレをしなかったってこと? それもかえって変だよなあ。
 

 うがった考え方をしてみよう。

 まとぶファンの方と、このテーマでちょっとメールのやりとりをしたんだが。

>花カラーですよね、ピンクって。

 そう指摘されて。

 オギーがまとぶに「アテ書きをした」と考えるならば、今現在の真飛聖という立場そのものへのアテ書きではないか?

 たとえば壮くんは、すーっかり花組に馴染んでいる。彼の芸風は違和感なく花組で、「お帰りなさい」の演出のあとは、見事に街の住人として落ち着いている。
 なのに、まとぶんはどうだ。組替えしてきて1年半、未だに組カラーのちがい、芸風のちがいにとまどっている風情がある。

 トップスター=組カラーである、トップ至上主義ピラミッドのタカラヅカにおいて、魔界の帝王オサ様相手に、誠実な人間の騎士まとぶはなんとも分が悪い。世界全部がオサ様のモノ。アウェイで戦う彼には、どこか不自由感がつきまとう。

 ココは、彼の世界ではない。

 だからひとりだけピンク。
 「世界」に反する色。
 ヒロインが記号として着るピンクではなく、男役がわざわざ着せられるピンク。オギーカラー青に対する反対色、あるいは補色。

 まとぶは、花組らしい花組生徒ではない。
 ここは、彼の世界ではない。

 しかし。

 彼は、「花組」を継ぐ者だ。

 人事のことなんざ知らんが、ふつー2番手ってのは、「いずれトップスターになる」ものだ。
 組子としてトップスターを支え、時期が来れば世代交代してトップスターになる。
 どんなに組カラーから浮いていようと手こずっていようと、2番手である以上、「組を継ぐ」意識と責任は必要だろう。

 わたしは、まとぶを「花組を継ぐ者」だと思っている。さんざん苦労しているとか足りていないとか言ってるけどな。ソレは「現花組」に対してであって、彼の時代になれば彼が組カラーになるんだから無問題。
 わたしは古い人間なんで、落下傘人事はキライ。順当にトップから2番手に引き継ぐのが、タカラヅカの「美しいカタチ」だと思っている。
 生え抜き主義ではないよ。
 いずれトップになるために組替えされてきたのだとしても、年単位前からならそれはもう組子と考えるさ。現トップと同時期を同じ組の2番手として過ごしてきた人は、組替えだ生え抜きだと区別するべきではない。
 まとぶが花に来て1年半。今回から単独2番手になったのだから、当然彼が次代の花組トップスターと考えるべきでしょう。
 劇団がなにをしでかすかは知りようがないけれど、ヅカファン19年目の人間の感覚として。

 花組を継ぐ者が、花組カラーをまとう。
 「世界」からは浮いた色。「世界」の外側にいるべき役割。

 花組を継ぐべき者でありながら、花組カラーに染まりきることができない、真飛聖。

 そーゆー意味でのアテ書き?
 オサ様相手に、オサ様の形作る「花組」を相手にあがいている、今のまとぶへのアテ書き?

 ……なんて、うがった考えではありますが。

 まとぶのことはダイスキなので、『TUXEDO JAZZ』のまとぶの半端さには、真面目に考え込んでしまいますよ。

 まとぶがいつか、柄でもないピンクを着こなし、オサ様相手に負けないだけのオーラを放てるスターになることを、現在を風刺しながら未来にエールを送っているのかなと、解釈しておきます。

 わたしはオサと花組ファンであり、そして花組にいるまとぶもダイスキだ。オサ様とまとぶの並びも好き。
 このふたりの並びを見ることが出来てよかったと思う。
 今回はテーマに取り上げてしまったけれど、じつはそれほどまとぶが今の花組に合っていないとは思ってない。
 『TUXEDO JAZZ』のまとぶにはいろいろいろいろ(笑)考えさせられるけれど。

 おもしろいなあ。


 ちょっくら、ポスターの話。

 その昔わたしは、たかこ主演『嵐が丘』のポスターを見て、「すげえ、たかこひとり写りだ!!」と感心したんだ。

 それまでわたしは、ひとり写りのポスターをろくに見たことがなかったんだな。
 もちろん、まったくなかったわけじゃないだろうけれど、意識に残っていない。
 主演とヒロイン、2番手までが載るのがあたりまえ、という意識が先にあり、それ以上を考えたことがなかったんだ。

 で、たかこの『嵐が丘』に触発され、それ以来「バウホールの宣伝ポスターに、何人で掲載されるか」をチェックするよーになった。

 それによってわかったことは、「バウホールのポスターが、ひとり写り」の場合、劇団がかなり期待をしている人で、将来的にトップスターになる可能性が高い、ということだった。

 手持ちのチラシで2番手以下ひとり写りなのは、古いところではトド、たかこ、ズンコかな。えー、20世紀後半あたり。

 あー、正確には、トドのひとり写りの方がたかこより先だな、もちろん。順番からしても。でも、トドはなんか「順当」だったので(笑)、その直後のたかこの方が印象的だった。なんせモノが『嵐が丘』(ヒロインとふたり写りでなきゃおかしいタイトル)だし。

 このへん、バウのチラシは貴重品で、一般人には手に入らなかったので(笑)、自分がチケ取りしたものしか持ってない。(発売日当日にチケカウンターに並んだ人に、ひとり1枚ずつ配布、それ以外は手に入らなかった)

 99年あたりから、チラシが自由に入手できるようになった。

★99年のシェークスピア特集
『冬物語』オサ
『から騒ぎ』ガイチ、チカ・ゆうひ・きりやん・星野瞳
『ロミオとジュリエット’99』水、かなみ
『十二夜』タニ、ゆうひ・あーちゃん
『夢・シェイクスピア』ブン、ええっと? ひとりぢゃなかったぞ、たしか
『TEMPEST』ワタル、ねったん・陵あきの
『SAY IT AGAIN』おっちょん・コム、その他いっぱい
『エピファニー』さえこ、妃里梨江

 水のロミジュリとブンちゃんのが見あたらない……何故だ……たしかに持っていたし、持ってない人にあげたりするくらい、余裕があったはずなのに。(白目)
 ひとり写りは、オサだけ。(でも写りは超微妙)

★2000年
『聖者の横顔』さえこ、妃里梨江
『ささら笹舟』かしげ、まひる
『FREEDOM』樹里、ねったん・あすか
『更に狂わじ』タニ・きりやん、となみ
『トム・ジョーンズの華麗なる冒険』チャーリー、あさこ・まーちゃん
『花吹雪恋吹雪』トウコ、そんちゃん・ねったん

 ひとり写りナシ。

★2001年
『マノン』あさこ、かなみ
『イーハトーヴ夢』ねったん、ゆうか・えみくら
『アンナ・カレーニナ』コム、まひる
『フィガロ』水、かなみ・久遠麻耶
『血と砂』けろ・ゆうひ、みえ・たまこ

 ひとり写りナシ。
 この年はエンカレの年でもあったので……花エンカレリプライズの、まっつ写真見てしばしウケてしまった。(ウケるのか!)

★2002年
『エイジ・オブ・イノセンス』ゆうか、ふーちゃん・まちゃみ
『SLAPSTICK』きりやん、るいるい
『月の燈影』ゆみこ・らんとむ、くるみ
『ヴィンター・ガルテン』かよこ・まとぶん、そんちゃん・チカ
『ホップスコッチ』しい・そう・キム

 ひとり写りナシ。

★2003年
『アメリカン・パイ』かしげ、シナ
『里見八犬伝』水
『なみだ橋えがお橋』きりやん

『二都物語』あさこ、彩音・ゆみこ
『厳流』トウコ、ケロ・チカ・ウメ

 はい、これだけひとり写りナシが続いたあとだったので、水くんひとり写りを見たときは震撼しました。しかも彼のポスターのみ、2バージョンあったのよね。サイズちがいで別ショット、なんてありえねー。
 どれだけ期待されてるんだ、と驚きました。演目的に、他にわらわら出ていてもおかしくないからね。『嵐が丘』でひとり写りだったたかこの不自然さに継ぐ(笑)。
 きりやんは納得のひとり写り。この年彼は、タニちゃんの跡を継いでペルソナのイメージガールになったり、タニちゃんがまさかの組替えでいなくなったりと、「ああ、劇団がきりやんを次世代月組トップとして認めたんだな」ということが丸わかりの力の入れぶりだったから。
 ……まさかの休演で、レールは大きく蛇行してしまったようだけど。この年のきりやんは、ほんとにすごかったんだよ。

★2004年
『送られなかった手紙』壮、他いっぱい
『愛しき人よ』きりやん、あいあい・さららん・るいるい
『NAKED CITY』ゆみこ、あすか
『花のいそぎ』まとぶ、コトコト・れおん
『THE LAST PARTY』タニ
『THE LAST PARTY』ゆうひ


 壮くんはひとり写りにカウントしていいのか……? 微妙。
 タニちゃんはいつも特別扱いだから、ひとり写りでも違和感なし。ゆーひくんは、タニちゃんとペアだから、ひとり写りだからどうこうとは特に思わず。

★2005年
『DAYTIME HUSTLER』かしげ

 イレギュラー感漂う公演、ひとり写り。
 だって、通常バウ公演、かしげ1作きりなんて、やっぱなんか変……。

★2006年
『不滅の恋人たちへ』タニ、るいるい
『想夫恋』ほっくん、あいあい・もりえ
『スカウト』らんとむ
『フェット・アンペリアル』しい、すず・ウメ
『やらずの雨』キム、ちとせ
『UNDERSTUDY』七帆、アリス

 らんとむがひとり写りだと知ったとき、再び震撼。
 そうか、らんとむか、来たか! と。

★2007年
『Hallelujah GO!GO!』れおん、ウメ
『ノン ノン シュガー!!』キム
『NEVER SLEEP』らんとむ、まちゃみ
『大坂侍』きりやん

 つーことで、現在。
 きりやんは納得のひとり写り。
 飛ぶ鳥を落とす勢いだった2003年から、病気で失速し回り道したけれど、今ここでまた本来の道に戻ってきた印象。

 あ、ワークショップや再演、特別公演(コラボとかコンサートとか)はカウントしてません。純粋に、バウ公演のみ。

 2番手以下のバウなんて、ポスターは賑やかし、いくらでも載せた方がいいんだと思う。
 そーゆー意図で、何年も何年も、主役とヒロイン、そして2番手を載せてきたんだろう。第一、複数いた方がドラマを表現しやすいしな。本公演とちがい、バウは物語内容に沿った画面作りをしているもの。

 そんななかで、ほんとーに「ピンで売りたい」と思っている男役スターのみに、ひとり写りをさせるのだろう。
 作品内容とは無関係に、ただ突っ立っているだけのポスターになってしまったとしても。
 売りたいのは「作品」ではなく、「スター個人」である。という、強烈な意思表示。

 で、さらに人気と劇団の強固な意志がある場合は、バウより大きなハコだったり、個人冠のコンサートだったりをひとり写りポスター制作でやっちゃうわけだな。
 バウのひとり写りはその一歩手前。

 今のところ、ひとり写りになった人で、トップスターになっていない人はいない。

 劇団の意志なんだ、と思っている。受け取っている。
 わたしがどう思うかではなく、劇団の意志として、ただ、受け止めている。
 たとえば、大野先生がどんなにしいちゃんひとり写りでポスターを作りたがっても、劇団がOKを出さなかったと思うんだ。……しいちゃんを例に挙げて悪いが。(『フェット…』のポスターは、大好きな人たちのトリオ写りでウレシイ!のだが)演出家の「作品」でありながら、そこには劇団主導の人事も確実にあるんだよなと。

 未来なんかどーなることか、さっぱりわからないけどな。

 その昔、『嵐が丘』でたかこのひとり写りポスターを見て、震撼した。
 「来た」と、そう思った、あの衝撃のまま、現在に至る。
 他の人がどう思おうが、わたしはバウのひとり写りポスターには、過剰に反応するぞ(笑)。

 つーことで、今年のキムくんひとり写りには、ひとりでやいのやいのゆーてました。
 まさかキムくんひとり写りとは思ってなくてな。

 きりやんと、らんとむ、キム。……れおんも、ウメちゃんのトップ決定時期とバウ公演がかぶっていなければ、ひとり写りだったかもな。
 そして、バウをすっとばしてドラマシティでひとり写り公演をやらされたまとぶ。

 彼らが、現在の「劇団の意志」なんだろうなと、受動的に思う。

 ただ、ソレだけだが。


 男爵は、どーゆー人なんだろう?

 疑問解消になるか?
 立樹遥お茶会@『さくら/シークレット・ハンター』にまざって来ました。

 『シークレット・ハンター』の素敵悪役、ジョエル・ロビュション、通称男爵。
 いちいちおフランス語で話す、TPO無視したエ〜レガントなお衣装の殺し屋。

 いちおー悪役、いちおー最後まで真面目に敵役、なんだけど……なんつーかこー、微妙?(語尾上がる)
 なにがどうと言えないが、なんか収まりが悪い気がする妙な役。

 まず。

 男爵は、20代の若者であるらしい。

 どよどよ。客席にびみょーな空気が広がった。

 え? なんで? としいちゃんはマジに戸惑いながら、言葉を重ねた。20代、後半と。

 若い役だったのか男爵。マジで知らなかった。
 大人で、それでもあんなセンスで生きているんだと思っていた。ケツの青い若造だったのか?
 客席がどよめかなかったら、20代、つーことで話が進んでいたんぢゃないのか? 後半、ではなく。

 貧しい生まれで、それゆえに金だの地位だの権力だの、そして豊かであることから有しやすい美というものを憎んでいる。殺し屋をやっているのは人生への反抗だそうだ。美にこだわるのは、ソレに対する愛と憎しみがあるからだそーな。
 ……まあ、こだまっちだから、ソレでいいか。すげー薄い設定だが、なにしろこだまっちなのでそこは突っ込む気にならん。

 てゆーかそもそも、『シークレット・ハンター』という作品自体、突っ込んで考えてはならないんだけどね。ツッコミ出すとドツボにはまるから。

 手下のグラサン軍団は、男爵が個人的に雇っているそうだ。
 雇用の基準はズバリ。

 ルックス。

 男爵面食いだから。
 美にこだわる人だから。

 ゆーほさとるも、ルックスで選んだんだ。(ソコか!)

 グラサン軍団は、なんか増えたり減ったりコスプレしてたりでいろいろだけど。
 うんうん、たしかにルックスだねえ。

 王女ジェニファー@あすかを狙い、そのたびダゴベール@トウコに邪魔をされ。
 最後の対決までいくころには、王女のことはどーでもよくなっているらしい。それよりもダゴベールとの決着にこだわっている。

 で、結局男爵はあのあとどうなったの?
 ジェニファーにまで撃たれてましたけど? 死んじゃったの?

「絶対死んでない」

 力強い断定。
 男爵はあのあとも、なんら変わりなく殺し屋やってるそうです。……や、誰も死んだとは思ってないだろうけど。(ジェニファーが人殺しになっちゃうじゃん!)

 そもそも、「初の悪役、男爵役はどうですか」という基本的な質問に、しいちゃんはうなり声をあげて、しばらく悩んでいた。
 ……しいちゃん的にどうなんだろうなあ、あの役。もちろん、役を愛し、大切に演じているのはわかるけれど。

 完全おバカなコメディアンにしてしまうべきなのか、まともな悪役であるべきなのか。
 どーしよーもない役だよなあ。まともな悪役にするには、あまりにディテールがバカだし。しいちゃんは真剣に演じているし。

 ……なんかね、某海馬の帝王を真面目に演じていて、どーにもこうにも足りてなくてじれったかった、かの人を思い出すのですよ。
 キチガイとしてバカバカしく演じることは簡単だけど、役割はそうではないらしい、半端な設定をされた美形悪役。
 なんかね……ひとごとではなくて、手に汗握ってしまうんですよ、しいちゃん!!

 今、わたしのパスケースには、まっつとしいちゃんのポケットカレンダーが並べて入ってるんですが。(微妙にしい担サトリちゃんの陰謀・笑)
 太陽しいちゃんと月まっつはまったくタイプチガウんだけどね。なのになんか、共通項があったりしてね。微妙なポジションが、わたしのハートをくすぐるんでしょうか……。や、たんにヘタレ男好きなだけですけどね(笑)。

 まあ、それはともかく。

 しいちゃんは相も変わらぬおおらかな輝きで場を満たしてくれる。
 大きな表情、大きな声(笑)、大きな反応。しゃきしゃき答えが返って、表情がくるくる変わるのがたまらない。てゆーか、絶対笑顔で締めくくってくれるんですけど。
 なにか話したあと、にこっと笑う。うおー、なんかカラダにいいモノ出てるよ、しいちゃんから。この場にいて、浴びていると健康になれるナニかを放出中。
 日光浴とか月光浴とかあるじゃん。アレと同じ言葉の使い方で、しいちゃん浴。しいちゃんを浴びると、キモチいい。幸福に、健康になれる。ほわわん。

 テーブルごとにしいちゃんを囲んで写真を撮るとき、わたしは椅子に坐っているしいちゃんの真後ろに立っていたんで、ついつい首筋眺めてました。襟足長いし服の襟があるしでふつーはまず見えない、「上から見下ろす」角度限定の、白いやわらかそーな首筋。ふふふ。
 しいちゃんは大きい人なので、なんかすげー安心して会いに行けるのもいいよなあ。「ぺたんこ靴履かなきゃわたしの方がでかくなる?」なんて気を回さなくていいもの。や、ぺたんこ靴で行きましたけども。
 握手のとき、目が合うとき、ひとつひとつ表情が動く、その豊かさ、あざやかに見とれる。……じーん……。

 しかししいちゃん、おおらかなのはわかるし、純朴な人なんだろうとも思っちゃいるけど、ゲーム回答の天然ぶりには、ウケましたよ。
 「*ではじまる言葉」を、しいちゃんの回答を参加者みんなで当てる、というゲーム。

 「『エ』ではじまる言葉」とかゆったら、「次の公演『エル・アルコン』かな」とかちょっとはヒネるじゃん? 特別凝る必要はなくても、あまりにベタな答えだとか突拍子もなさすぎると引かれるんぢゃ、とか、一瞬考えるじゃん? ふつー。
 しいちゃんの答えは、「えのぐ」。
 ……どうして絵の具なんですか?
「思いついたから」 ……天然だ……。

 なにしろ、最初の回答がすごい。「『ジョ』ではじまる言葉」で、しいちゃんの答えは「ジョーシン」。
 関西大手電化商品量販店かよ?! 固有名詞かよ?!
 関東人が面食らっていたぞ、「ジョーシンってナニ???」って。いちおー全国展開しているとはいえ、基本大阪の会社だってば〜〜。

 連想ゲームで、実在の店名(全国区ではナイ)を答えるってありえねーよ……。
 天然……。

 や、わたしはしいちゃんに会うのももちろんたのしみでしたが、しいちゃんに会うためにドレスアップしたピュアしいファンのサトリちゃんに会うのもたのしみのひとつでしたことよ。いやあ、若い娘さんがおしゃれしているのを見るのはいいよねえ。しみじみ。

 
 お茶会のあと。
 男爵とゆー役のアレさについて、もっとも問題なのは脚本であり演出であり、とどのつまりこだまっちだよねえ、といつもの店で話していたんだけど。

「斎藤吉正演出なら、まちがいなく男爵は仕事だから・プリンセスを守る者は排除しなければとかとゆー話ではなく、ダゴベール自身を憎んで愛して追いつめるよね」

 と言ったら、

「ソレは緑野演出だから」

 と、総ツッコミされました。
 ええええ。
 チガウでしょ、キチマサ演出なら絶対そうだってばっ。
 『花恋吹雪』を見てよ、『巌流』を見てよ、『血と砂』を見てよ、主人公は敵に憎しみという名の愛を捧げられ、執拗に追い求められるんだってば。

 わたしがヨゴレているからの発想ぢゃないやい。

 ……まあ、「トウコちゃんを愛しすぎて憎しみとの区別がなくなり、追い回すしいちゃん」、つーのが見たいかどうかは置くとして。(正直微妙……。逆なら見たいが。しいちゃんを追い求めるトウコ・笑)
 さいとーくんならまちがいなくそっち系になっていたよなと。


              ↑
 ……我ながら阿呆なタイトルだな……(笑)。

 
 大野せんせ〜。
 せっかくだから萌えポスター製作しよーよ。萌えポスター。

 たしかに前回の『ヘイズ・コード』ポスターは素晴らしかったが、今回の『NEVER SLEEP』は『フェット・アンペリアル』ポスター並に、詰めが甘い。

 アングルは同じでいいからもうちょいロングショットにして、らんとむに手錠を付ける。

 腰から上くらいのショットがいいな。
 どっから見てもラヴラヴな恋人同士がいちゃついている写真。
 なのに、男は手錠を付けられている。

 ……萌えじゃん?
 ソレって、すげー萌え写真ぢゃん?!

 なんで手錠? 男は犯罪者なの? どうして女と抱き合ってるの? 禁断の恋? にしてはなんか甘甘な雰囲気してますけど?

 この矛盾が萌えなんですよ。
 大野先生、詰めが甘いわ。

 予備知識無し、主演がらんとむ、ヒロインがまちゃみ、2番手が七帆、つーことしか知らない。探偵ものだったんだ?

 なーんにも知らずに見て、幽霊かよっ?! とアゴを落としつつも。

 蘭寿とむの格好良さにとろける。

 らんとむかっこいーかっこいーかっこいー。
 アテ書きをするとこうなるのか、ぶっちゃけ、『スカウト』のときとどうチガウの?てなキャラクタだけどな。
 ハートフルな二枚目半。好きな女の子、大切な女の子にでろでろに甘い誠実な男。たぶんコレが、らんとむの持ち味。『スカウト』はもっとススけているワルい男のはずが、途中から大甘の愛すべき男になっていた。『NEVER SLEEP』では最初かららんとむの「漢」のかわいらしさ全開。

 役としてはかっこよくないはずなんだけど、らんとむの容姿と女の子好みの甘さてんこ盛りのおかげで、十分かっこいいって。

 手錠ですよ、手錠。

 手錠をはめられる意味も大してないんだが、とりあえず手錠をはめられてしまうサミュエル@らんとむ。すべては愛ゆえ、大切な女の子のためゆえ。ブリジット@まちゃみと手錠をはめたままのラヴシーン。
 胸にすっぽり抱きしめてしまえるんですよ。手錠で両手をつながれたまま。
 両腕の中に、女の子。
 てろてろに甘い抱擁、だけど手錠、囚われの身。
 邪魔者たちの登場に、あわてて彼女と離れるサミュエル。万歳するみたいに両手をあげて、それで腕からブリジットを抜くのね。なにしろサミュエルの両手首は手錠で固定されてるから。

 あの、「すぽっ」感がたまらない。

 両手をつながれていてなお、女の子を抱きしめてしまえるガタイ。包容力。
 女の子がかがんで下から入るのではなく、男が腕を上げ下げするだけで、入るの。

 いいなあ。
 あたしもあんなふーに抱きしめられたい。

 まちゃみになりたいよーっ。らんとむに抱きしめられたいよーっ。あの厚みのある胸板にしがみつきたいよーっ。

 ……舞台上の話ですから。
 ナマのまゆさんがわたしよりはるかに細いお嬢さんであることとは、別ですから。身長もひょっとしたら同じくらいだよな、万が一オレの方が高かったらどうしよう、なんてことも、別ですから。

 舞台の「蘭寿とむ」という男の美しさに感心する。
 たしかに、彼より美しいプロポーションの男役は存在する。身長にしろカオの大きさにしろ。
 だけどらんとむの場合は、「男役」ではなく、「男」として理想的な美しさを持っている。

 夢の王子様ではない、生身の男としての最高峰のルックス。
 あの肩幅、胸板、そして手足の長さ。スーツ姿の美しさ、ハッタリ感。
 彼の持つリアリティが、なんか、なにをしてもどこか恥ずかしいという特質につながるのだと思う。

 らんとむを見るのは、なんか恥ずかしい。
 カオを両手で覆い、「きゃ〜〜っ!!」と言いながらも指の間から見てしまう、得も言われぬ魅力がある。
 恥ずかしいんだ……くるくる回りたくなるくらい、恥ずかしいんだ……でも、ときめくんだ……。
 あああ、かっこいいよ、らんとむ……。

 てな、蘭寿とむの魅力爆発してますわよ、『NEVER SLEEP』。
 恋人に対しでろでろになっているらんとむ、妹に対しててろてろになっているらんとむに、きゅんきゅん来る人におすすめ。
 愛を隠すことないとろけきった表情で見つめる、ガタイのいい二枚目。
 なんて愛すべき男。

 
 サミュエルはかっこいい役ではない。かっこいいのもオイシイのも、2番手マイルズ@七帆の方。

 で、七帆くんが正しく、「オイシイ2番手」として機能している。

 いいですな。キャラクタが正しく機能しているのって。見ていて気持ちいいぞっと。
 七帆くんてば、眼鏡着用クール・ビューティですよ!!
 すばらしい!!

 ハートフルな主人公に、クールな相棒。基本ですよ基本。

 しかも眼鏡っこのお約束「必要に応じて眼鏡を外す」まで完璧に踏襲されています。大野せんせーすごーい(笑)。
 マイルズくんは「ここぞっ」てなときは眼鏡を外して、その美貌を際立たせるのですよ。拍手。

 七帆ひかるの成長ぶりは、じつに気持ちいい。
 『UNDERSTUDY』でのいっぱいいっぱいぶりがウソのようだ。『維新回天・竜馬伝!』でひとつふたつ脱皮したよねえ?

 七帆くんは本当に美しい人だと思う。
 彼もまた、「リアル」なルックスを持つ。王子様的な「タカラヅカ男役」ではなく、ナマの男を感じさせる体格だから。
 背が高い、だけではリアル男性にはなれない。彼の顔の大きさ脚の長くなさ(微妙な表現)が、リアリティなのよ。現実の男って、あれくらいカオでかいし、脚だってみ……長くないじゃん。
 現実の男のような体格でありながら、現実の男ではありえない美貌を持つ。それが彼の魅力に拍車をかけていると思う。
 らんとむ氏と並ぶと、顔の大きさと脚のアレさに驚愕するけれど、ソレはらんとむ氏が「現実の男にしてはありえないくらいプロポーションがいい」わけで、「現実の男」である七帆くんの魅力を損なうことにはならないんだ。

 らんとむと七帆、リアルなガタイを持つ美形ふたりが並んでるのって、眼福だわ。

 ついでに愛情の在処もいい感じ。

 『ヘイズ・コード』のときも感じたけれど、大野作品の「男の友情」の温度と距離加減は絶妙だと思う。
 無駄にリアルというか(笑)。
 ベタベタするでなし特別盛り上がるでなし、されどけっこう絆があったりする感じは、大野作品独特。これが正塚だともっとホモっぽくなるし、谷だと大仰でウザくなる(どっちも誉め言葉・笑)。

 サミュエルとマイルズは、いい感じで友人していると思う。

 ……わたしとしては、とむ・七帆で萌えたかったんですが(受はどっちだ?)、無理でした(笑)。マイルズ、ちょっとチガウんだなー。も少し針がどちらかに揺れてくれないとカップル萌えはできねーや。

 マイルズの哀しい過去、自殺した恋人のくだりは、さらに消化不良。いっそ役者を使わずマイルズのひとり語りでよかったんじゃないか?
 あの恋人役の子が下級生だからだろうけど、かなりアレだったんで、七帆が空回っていてトーンダウン。
 シルエットだけで、らんとむが2役とかやってくれたら完璧だったのに。ええ、マイルズの元カレ役。
 ん? マイルズはゲイの設定だよね? 大野せんせーだから、ごくあたりまえにそーゆーキャラがいるんだと思ったけど。
 ただ、特に萌えないのがつらい。キャスティングって大切だわ。七帆単体はいいんだけどなー。食い合わせがなー。GOアカツキあたりと絡めてくれたら、生唾もんだったのに。

 ヲトメゴコロを刺激するかっこいーらんとむと、ヲタクゴコロを刺激する眼鏡っこ七帆の並びを、素直に堪能しておきます(笑)。


 長くなり過ぎちゃった、まっつ語り。

 ★★こあらった目線の、見どころまっつ。★★

『TUXEDO JAZZ』その4。

 で、フィナーレ突入。
 彩音ちゃんと歌い踊るみつるとりせ、金色のスキャットトリオ、そこへひとりあとから登場するまっつ。
 彩音ちゃんたちをぼーっと見ているとまっつの登場シーンを見逃すので、注意が必要。
「♪脚を高く蹴り上げれば」と彩音ちゃんたちが仲良くセンターで脚を上げるのを見たら、すかさず上手花道袖を見る。

 花道から出たまっつはスキャットトリオに色気を振りまき、どこの大人の色男だよってな態度で絡んでみせる。……ミトさんにだよ? ちあきさんにだよ? わかなちゃんにはアゴを指ですくってみたりしてるのよ?
 おねーさま方相手に、なんてことをっ。
 ごめんなさいごめんなさい。わたしが謝るのは変だが、いたたまれなくて謝り倒したくなる。
 そのうえまっつ、駄目押しにおねーさまズに、投げチューまでする。
 ごめんなさいごめんなさい。至らぬ贔屓でごめんなさい。
 アタマ抱えて丸まりたくなる。穴掘って埋まりたくなる。
 ごめんよぉ。
 ……でも……好きだー……。ぽっ。

 えー、ここでの登場の仕方は、明らかにスター扱いなので、びびります。
 登場で拍手してもらえるなんて、ありえないだろ?(あ、拍手お願いします)

 ひとりだけキラキラの多い衣装着せてもらってさ。それがまた、微妙に似合ってなくてさ。(ヲイ)
 さんざんかっこつけて出てきて、それであっさり彩音ちゃんに振られてトボトボ。……ってナニ、かわいすぎる。

 ここの歌がいちばん好き。まっつの声は単体よりデュエットとかで他の人の声と重なった方がきれいだということに、最近気づいた。や、ソロも好きなんだけど。
 スキャット隊の歌声とまっつのソロのハーモニーが好き。

 下手にはけて行く姿をしつこく追っているので、まとぶ、壮、みわっちのトンチンカントリオの登場は見たことないっす。振り向くと彼らはセンターにいる(笑)。

 はい、まっつ&オサファン的に気を抜けるのはこの3兄弟とタップのシーンだけです。ここ以外はまっつとオサ様、全部出ているよーなものだもの。
 シビさんとブルーロングコートの大男5人組のシーンが終われば、オサ様大階段ソロが待ってるしさー。

 オサ様がガーターベルトの小尻美女たちと戯れながら歌っている背景に、ブルーベストの男たちがずらりと登場。もちろんまっつもここにまざっている。中寄り下手をチェック。
 出番としては、ここが最後。
 遠く大階段上で踊ったあとは、本舞台に降りて総踊り、……ぢゃないんだ。音楽にのって階段を降りてきたかと思ったら、みんな次々はけていくんだよ。えええ?
 大階段を埋め尽くした男たちは、ただの前座。
 主役は彩音ちゃんだ。
 彼女が歩く赤絨毯の役目だったわけだよ、男たち。

 交差するようにはけていくのはお約束、まっつも下手から上手へ向かって走り去る。

 オサあやデュエットダンス+ちあき姉さんのソロ付き、が終わったあとは、まさかのめぐむエトワール?で、パレード開始。歌付きセンター降りはみわっちから。
 ……まっつがいません。
 いつまでたっても降りてこない。

 初日はあせったねー。その他大勢の中にまざって降りてしまったのかと。気づかないうちに終わってしまったのかと。

 他の人がほとんど降りてしまったあとで、まっつ、みつる、めお、りせが4人で降りてくる。まっつは上手中寄り。
 センター降りではないけれど、その他大勢降りでもない。4人だけ衣装チガウし(壮くんやみわっちと同じ)、なにより降りたあとショーシーンのように舞台に残り、彩音ちゃんを迎える。

 彩音ちゃんが降りたあと、4人の男たちはわたわたと所定のポジションへ。ここでも交差するのがお約束だから、まっつは上手から下手のみわっちの隣へ移動。
 お約束の馬蹄形になって、トップスター寿美礼サマを迎える。

 銀橋へのパレードは下手からセンターへ歩く、彩音ちゃん、みわっちのあと。
 センターのオサ様から左へ3人目とゆー位置だよ?! ありえねー。

 
 はぁ。こんなたくさんまっつを見られるショーなんて、しあわせ過ぎる。出番だらけで気が抜けない、気を張りすぎて消耗するという。
 終演後は高確率で偏頭痛起こしているし(直後に入る飲食店で鎮痛剤を飲む姿がデフォルトに近いな)、やたら甘いモノを食べていたり(苦手なので普段はまず食べない)、おなかすいたと大騒ぎしていたり(あれ、いつもか?)する。

 そして、ムラの花組公演が終わったあと、複数の人に「痩せた?」と言われた。
 あ、マジで消耗してたんだー(笑)。て、単にムラ通いがスケジュール的に大変だったのと、時間配分的にろくになにも食べられなかったりしていたせいだと思うが。
 

 はい、でもっておさらいです。

 こあらったは、何回ここがいちばん好きと言ったでしょう。

 いちばん好きな衣装……プロローグから「街角」のグレーのモーニングコート。
 いちばん好きな役……仕立屋の店員A。
 いちばんかっこいい場面……「ナイト・ジャズ」の白スーツの男。
 いちばん好きな歌……フィナーレの銀橋ソロ。

 いちばん、が4つもありますよ?!
 全部別、しかもまんべんなく見事にわかれてますよ?
 それ以外の場面だって「カッコイイ」「かわいい」を連発しておりましたよ?

 つまり、全部好きなんですね。

 しあわせです。
 ありがとうオギー。

 
 で。

 
 記憶だけでばばーっと書いてしまっているので、思いこみちがい聞き間違い(歌詞なんかわかるかー!)だらけだと思うし、ムラで書いたものなんで、東宝とちがっていることもあるだろーし、アテにはならない。
 ただ、わたしのために書いておくのさ。

 ……ほんと、自己満足。
 大きくまちがっていたところ(変だなあ、頭の中にはちゃんとああなっていたのに、なんであんな表記をしていたんだろう)をこっそり書き直したりしたけれど、まちがっているときになんの指摘も入らなかったことから、誰も読んでくれていないんだなとがっかりしたりほっとしたり(笑)。
 未来の自分のがたのしむために! 今のわたしは書き記し続けるのよ〜〜。

 あああ、『TUXEDO JAZZ』が観たい〜〜。
 東宝行きたい〜〜。

 まっつまっつまっつ。


< 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 >

 

日記内を検索