「『運動会』をタイトルに作文を書きましょう」
「やだやだやだ。書きたくない」
「書かないと2学期の成績表がつけられなくなりますよ」
「やだやだやだ。作文きらい」
「嫌いでも書くのです。みんなだって書いているでしょう?」
「やだやだやだ」

 さんざん逃げ回って末に、提出された作文は。

「『運動会』 四年三組 とどろきゆう
 朝起きました。
 お母さんが「おはよう」と言いました。
 ぼくも「おはようございます」と言いました。
 家族で朝ごはんを食べました。
 手を合わせて「いただきます」と言いました。
(中略)
 学校へ向かって歩いていると、みのるくんに会いました。
 みのるくんは、「おはよう」と言いました。
 ぼくも「おはよう」と言いました。
 それから、まことくんに会いました。
 まことくんは「おはよう」と言いました。
 ぼくも「おはよう」と言いました。
 まことくんは「今日の運動会、たのしみだなあ」と言いました。
 ぼくも「たのしみだね」と言いました。
(中略)
 こうして、運動会がはじまりました。
 たのしかったです。」

 てな具合の「その日の出来事箇条書き」で、しかもどーでもいいことだけをさも「書くことないんだよ」と書いてマス目を埋めて、結局運動会の感想は「たのしかったです。」だけ。

 ……はい、トド様の「最初で最後のエッセイ」(本人談)は、こーゆー感じの本でした。

 前日欄でちょろっとトドロキのエッセイの話をしたので、どう最悪だったのかを書いておこうかと(笑)。

 当時のトップスターはすべからく、自筆エッセイを出さなければならなかった。
 これは「トップスターとしての義務」だった。……たぶん。
 それ以前、3番手のころトドは、同期のマミ・ノル・タモと一緒に『すみれ四重奏』というエッセイを書く予定だったが、「書きたくない」と言ってひとりだけ逃げ切り、『すみれ三重奏』というタイトルで出版された。
 これはどっかでトド本人が語っていたぞ。「同期(マミ・ノル・タモ)から恨まれた(笑)」と。

 3番手のころは「嫌だ」で済んだけれど、トップになればそうはいかない。
 「トップの義務」で仕方なくトドは筆を執った。

 轟悠の唯一のエッセイ。タイトルは、とってもやる気なく『My Stage』

 わたしはトドファンだったので、発売日にわくわく買いに行きましたよ。
 そして、アゴを落とす。

 まず本文1ページ目にデカい活字でひとこと。

 わたしは

 作家では
 ありません。

 1ページ、コレだけ。
 究極の、開き直り。

「オレは作家ぢゃねーんだよ、こんなもん書けるわけねーだろ、仕事だから仕方なく、嫌々やってんだよ。うまくなんか書けるわけねーんだから、内容がどれだけアレでも文句言うなよ?」

 ジェンヌ自筆のエッセイに、「巧さ」なんか誰も期待してないって。
 ファンが買うものであり、スター本人の人となりや過去のエピソード、舞台裏がのぞければソレでいいんだってば。
 つたない文章でも、どんな子どもだったとかどんなふうにタカラヅカに出会って、どんなふうにがんばって受験して、音楽学校時代はこんなことがあって、入団してからはこんなことがあって……と、本人の「想い」が伝わればソレだけでいいんだって。
 他の人のエッセイはそうだったってば。

 なのにトドエッセイは、それすらなかった。

 初舞台からの仕事を、箇条書き
 それも、資料としてもらった写真を見ながら、思い出したことを書いてあるだけ。
 ひどいときは、「新人公演*月*日」と、ほんとに日付だけ書いてある。
 「この写真の私は、**さんとなにを話しているんでしょうね」って、おぼえてもいないのに、ただ写真見て書いてるだけかよ?!……とかな。
 「このお衣装は好きでしたね」「**役は**さん、**役は**さんでした」「この公演は大変だったことをおぼえています」って、終始この調子。

 エッセイぢゃ、ない……。
 こんなの、エッセイぢゃないよーっ!

 備忘録以下。
 目的は、「原稿用紙を埋めること」。マス目を無駄に稼いで、「とにかく、終わらせたい」という本音プンプン。
 全編通して、「書きたくて書いてんぢゃねーよ! 嫌なんだよ!」という、トドの叫びが伝わってくる……。

 あまりのことに、口は開いたまんまふさがらないわ、目は点だわ……。
 『歌劇』の「えと文」を、格言を書き写すだけで3ヶ月埋めたという伝説の持ち主は、やることがチガウわ……。

 本当に、モノを書くのが嫌いなんだな。

 わたしはこの通りモノを書くのがダイスキなので、さらに唖然としましたわ。
 文章書くのなんか、どーってことないじゃん。踊ったり演技したりより、ぜんぜん簡単で、誰にだってできることだろうに。

 最低最悪、こんなもんを世に出すくらいなら、本人のためにもファンのためにも、出版しなければよかったのに。と、心から思いました。

 でも、だんだん慣れてきたのか、記憶に新しくなるからか、後半になると「舞台の思い出」らしい記述も増えていくので、ほっとする。

 あっ、そーいや新人公演の『ベルサイユのばら』の記述のころはまだただの「箇条書き」で、なんの思い出も書かれていなかったのだけど。
 あのころいろんなインタビューでたかこが、「ファーストキスの相手はトドロキさん♪」と宣伝して回っていたのに、トドはオスカル@たかこにキスをしたことなんか、完全スルーしていたことに、ウケたっけ。
 たかちゃんがあんなにうれしそーに、トドとの新公『ベルばら』の話をしているのに、トドにとってソレは黒歴史、記憶から抹殺したいような出来事なんだ……(笑)。
 後年トドも大人になったのか、いろんなところで「ファーストキスの相手はたかこ」と言うようになっていたけれど。
 
 『ベルばら』みたいな大きな作品での初新公主演すら、出演者の名前を数名挙げただけの箇条書きレベルで済ませていた、実にやる気のない文章。
 
 ほんとにひどい本だと思いつつ。
 それでも、ファンにとっては愛すべき1冊であることも、たしかだ。

 ここまで書くのを嫌がりながら、それでも気力を振り絞って書いた1冊。
 この投げやりな文章が、やけっぱちな態度が、彼の性格を物語っていて、それこそが愛しい。

 くそお、ファンってやつは、どーしよーもねぇな。

 この最低最悪なエッセイの最後のページには、

 やっぱり
 わたしは
 作家では
 ありませんでした。

       あしからず。

 と、まるまる1ページ使ってデカい活字で書き捨ててある。

「だからオレは作家ぢゃねーんだよ、嫌々やってんだよ、わかって読んだんだから文句言うなよ?」

 って、書き逃げかよっ?!(笑)

 帯のあおり文「舞台人・轟悠が溢れる思いの丈を綴った、ファーストエッセイ集。」が、ひたすら哀しい……(笑)。

 
 年寄りなので、昔話をする。

 雪組の初演『エリザベート』で、忘れられないエピソードがある。

 1幕、教会での結婚式シーン。銀橋のトートと本舞台にいる結婚式出演者たち、そして舞台にいない人たちも陰コーラスとして参加している、歌の掛け合い。
 トートがまず歌い、それを継ぐように他出演者全員が歌う。

 トート@いっちゃんが、歌詞を間違えた。

 次の瞬間、組子全員が、その間違った歌詞で歌った。

 誰も、本来の歌詞で歌わず、全員がトートについて行った。

 彼らは、ひとつだった。

 これは、いっちゃんが自身がエッセイで書いていることだ。
 「間違えたことより、みんながついてきたことに興奮した」と。

 わたしはこのアクシデントを実際に見ていないと思うが(見ていても気づかないだろう、全員が同じ歌詞で歌ったなら!)、想像して興奮した。
 あの場面で。
 ハプスブルクの終焉を歌うあの神秘的かつ押し出しの強い場面で、あれほどの人数の声が重なっている状態で。
 全員が、なんの打ち合わせもなく、本来とチガウ歌詞を歌うことができるなんて。

 『エリザベート』は、そーゆー「奇跡」をあったりまえに孕んだ作品だったんだよなあ。

 
 わたしは一路真輝のファンではない。
 長く雪組のファンをしていたので、「わたしの組のトップさん」ということで愛着は強かったが、とくに好きだったことはない。

 それでも、彼女の退団記念エッセイ『真実』は購入した。
 96年5月、いっちゃんのタカラジェンヌ人生があと1ヶ月ほどで終わるころのことだ。

 や、たんに『エリザベート』フィーバーしてたんだよ。なんせわたし、小池修一郎作『小説版・エリザベート』まで買ってたからな!(笑) 「小説」と呼ぶには相当アレな、高いだけのあんな本まで!! 

 いっちゃんのエッセイは、衝撃的だった。
 わたしがそれまでに読んだことがあったのは、杜けあきと大浦みずきのエッセイのみだった。
 どちらも、明るく楽しくタカラヅカ生活が綴られていた。
 大浦氏は雑誌に連載されていたエッセイを単行本化したものだったから、1章ごとの書かれた間隔が空いていたのだと思う。最初はかなりアレだった文章が、どんどんうまくなっていくのだわ。おお、進化している! と、そんなことでも感動したな(笑)。

 それらに比べ、いっちゃんの『真実』はひたすら重く暗いものだった。

 ずっと隠していた身体/障/害の告白からはじまり、父親の事件のことまで書かれていた。
 父親の事件の具体的な内容については書かれていなかったけれど、事件があったことと、それによっていっちゃん自身がどんな目に遭ったかは書かれている。
 90年代、タカラヅカの暴露本が次々出版されていたので、いっちゃんの父親の事件のことは、自然と情報として耳に入った。
 いっちゃん自身の手で書かれた、幸福な幼少時代から綴られたエッセイだからこそ、あのしあわせそうな家族がズタズタに引き裂かれる様は読んでいてショックだった。

 「一路真輝」だからというより、「タカラヅカ」だからというより、「ひとつの青春小説」として、わたしのツボにハマったのだと思う。
 わたしはなにかっちゃー、この本を読み返していた。

 そのころのトップスターは、誰もが必ずエッセイを出さなければならなかった。
 雪組ファンだったわたしは、カリンチョさん、いっちゃん、タカネくん、トドロキと4世代のトップスター・エッセイを購入したもんだが、いちばんふつーだったのはカリさん、がっかりしたのはユキちゃん、衝撃的だったのはいっちゃん、そして最悪だったのはトドだ(笑)。
 タカネくんのエッセイにがっかりしたのは、本人の作品ではなかったことだ。『歌劇』の「えと文」でタカネくんはユニークな文才を披露していたので、すごーく期待していたの。「ユキちゃんのエッセイなら、絶対おもしろいはず!!」……なのに、ライターさんが書いたもので、タカネくん自身の文章ではなかったのだわ。ちゃんとライター名が書いてあった。
 まあ、タカネくんの例があったために、「ヅカのエッセイってほんとに本人が書くんだ!」と反対におどろいたよ。芸能人本はゴーストライターが基本、とか、世の中的に言われてるじゃん?!
 まあ、「えと文」みたいな、素人丸出し、絵文字だらけのすごい文章を載せてしまうカンパニーだから、エッセイがほんとーに本人執筆でもおかしくないっちゃーないんだが。
 トドのエッセイは、ちがった意味で最悪だった。どう最悪だったかを書くと話が長くなるので割愛するが、トップスター・エッセイ企画がなくなったのは、この最悪な作品が原因ではないかと思うくらい、記念的なものすごさだった。
 所詮わたしはトドファンなので、盛大に肩を落とし、「トド、さいてー」とつぶやきつつも、その落とした肩がふるふる笑いに震えたけどな(笑)。

 どう考えても、いっちゃんの『真実』だけは色が違っている。

 わたしは疑り深いので、エッセイだろうと伝記やノンフィクションだろーと、「心にあるまま正直に書いた」「出来事を正しく書いた」などと謳われていても、そのまんま信じられない。
 「心」を持った人間が「文章」という技術を利用して具現化する以上、絶対になんらかの「作為」「装飾」「歪曲」がある。
 自動筆記マシンじゃないんだから、「真実」そのまま、なんてことあるはずがない。

 てな認識だから、いっちゃんの書いた『真実』という本の内容が、どれだけ「真実」かについては、どーでもいいんだ。
 そんなことより、そこに「書かれていること」を受け止め、愉しむ。

 一路真輝の『真実』は、「青春小説」として、ふつーにおもしろかった。

 「宝塚歌劇団」という、わたしのよく知っているジャンルを舞台とした、ひとりの女の子の「自分」との戦いの記録。
 彼女が抱えた「闇」は、特別でもなんでもない、誰もが持つ普遍的なモノであると思うからだ。

 傷つくことがこわくて、優等生を演じてきた。
 嫌われることがこわくて、自分を押し殺してきた。

 身体の障/害や家族の事件などはたしかに特別な不幸で、それゆえに心を殺してしまうのはストーリー的にアリだと思うが、そーゆー特別なことがなくったって、人間は多かれ少なかれ似たような痛みを抱えている。

 幼いがゆえに闇や痛みを抱え、頑なに殻をまとって自分自身を守ってきた少女が、スターへの階段を上りつつ、さまざまな出来事を通し、人間的に成長していく。
 そしてついに、心を開き、闇の部分を解放するに至る。

 や、完璧な青春小説だよ。TVドラマ化OK!的な、見事な起承転結ぶり。
 その「物語」のクライマックスが、冒頭に書いた『エリザベート』の場面だ。

 長い間心を閉ざすことで自分を守ってきたヒロイン。舞台に立つことで、少しずつ心を開き、仲間たちに「自分」を見せられるようになってきていた。
 その仲間たちとの最後の公演で、彼女は歌詞を間違えた。致命的な失敗。彼女に続けて出演者全員が掛け合いで歌わなければならないのに、間違えるなんて!! 混乱した出演者たちの歌声が乱れたら、バラバラになったら、舞台はどうなる?!
 だが仲間たち75人全員は、一糸乱れず彼女と同じ歌詞で歌った。
 迷わず、彼女について行った。

 ひとりじゃない。
 ひとりじゃないんだ。
 心を開き、弱さや汚さを見せたって、本当の仲間なら赦してくれる。

 少女・一路真輝のナイーヴさ、いじらしさ。
 栄光への道と、内側に抱え込んだ闇。
 そして、それらからの解放。

 魂がカタルシスへ到達する物語。

 文章が巧いわけでもないし、あちこち引っかかるところも相当あるんだが、それも含めて、ある意味お約束通り、ベッタベタな「青春小説」として、わたしはこの本を愛しく思っている。

 
 や、その。
 予定以上に、現在の再演版雪組『エリザベート』に散財してしまったもんで。
 どれほどわたしにとって『エリザベート』が特別かとゆー意味で、『エリザベート』絡みの昔話でした。

 2007/06/20追記。
 あまりに毎日「一路真輝 身体/障/害」で検索が来るので、スラッシュを入れてみる。キャッシュが反映されるのはいつになるやら。
 カラダのこともパパのことも、詳細を書く気はありませんのでここには来ないでくださいよぅ。てゆーか当時からのヅカファンならみんな知ってることだよぅ。
 

 はいはいはい、現実逃避の妄想配役は続きますよ。

 『アデュー・マルセイユ』って、どんな話になるんだろう……?

 漁師だの魚屋だの息子たちがギャングになって、ひとりの女の子を争う、友情と恋のアクション・コメディなんだよね?

 このふたりのギャングが、オサ様とまとぶだろう。で、ふたりに恋される女の子が彩音ちゃん。

 小池のオリジナル作品の場合、2番手は大抵悪役だ。それも、世界征服を企まなければならない。
 だがまとぶが親友役だとすると、オイシイ悪役は3番手の壮くんがやることになる……?

 壮くんが、世界征服?!

 
 ……す、すいません。
 ここですでに、盛大に、ツボりました。

 世界征服を企む壮くん!!
 ダークスーツをびしりと着こなし、世界は俺のモノ@壮くんのテーマソングを歌っちゃうの?!
 トンデモ機械登場、オサ様が改造されそーになったり、カプセルに入れられたり電気椅子でビリビリされちゃったりするの?!

 銀橋で大きな瞳をキラキラさせて、悪の帝王化する壮一帆に、抱腹絶倒!!

 ど、どうしよう。
 そんな壮くん、ステキ過ぎるっ!!

 ここで妄想は横滑り、『さらば港町』から「悪の帝王@壮一帆」しか考えられなくなる。

 今いちばん記憶に新しい、トンデモ世界征服野望キャラといえば。

 言わずとしれた、海馬の帝王@『MIND TRAVELLER』。

 ああもしも、もしも壮くんがリチャード・モリス教授を演じていたとしたら。

 白衣を着て、「君を海馬帝国のファーストレディに迎えよう」とか言っちゃう壮一帆。
 高いところで「♪海馬に乗った征服者」と歌い上げる壮一帆。
 金髪ロン毛で「ヒポキャンパス・エンパイア」で帝王として長ハチマキを揺らして踊る壮一帆。

 震撼。

 心が震え、血が沸き立ちます!!
 見てえ。
 見てえよ、そんな壮一帆!!

 
 いやその。
 海馬の帝王は、愛しのまっつだけに与えられたすばらしい称号だと思っていますし、「リチャードはまっつの役よ! 誰にも渡さないわ!!」とかも、イタいファンとしてふつーに本気で思ってますが(心配しなくても絶対再演とかあり得ないって)、つい……。

 寿美礼サマの退団と、まっつの去就についてこんなにこんなにヘコんだり不安になったりしているというのに、壮一帆は偉大だ、わたしを救いあげてくれる。

 『タランテラ!』で、底辺にのめり込むくらい絶望したときに、壮くんがあっけらかーんと救いあげてくれたように。

 小池オリジナルには不安こそあれ、期待はできやしないのだが。
 壮くんがいる、と思うと、なんだか光が射すような気がするよ。

 ありがとう、壮くん。


 寿美礼サマのことで心はざわめいたままだし、ついでにまっつのことを考えても落ち着かない。
 集合日まで、生殺しのままか……。
 あああ、まっつ……まっつ……まっつ……。

 と、うだうだ言っても見苦しいだけなので、別の話。
 罪なく意味なく、妄想配役。

 どりーずで『コンフィダント・絆』の妄想配役して遊んでいたんですよ。

 わたしのベスト配役は、

 ゴッホ@オサ様
 ゴーギャン@まとぶ
 シュフネッケル@壮
 スーラ@まっつ


 なんですよ! もー、絶対ガチ! これ以外ないっ!!
 天才オサ様が見たいよ〜〜! そんなオサ様を愛しながら憎む(憎みながら愛する)まとぶが見たいよ〜〜!! まっつの白衣プレイが見たいよ〜〜! でもって、壮くんの空気読めないっぷりがめちゃくちゃ見たいよ〜〜っ!!

 ほら、自分のご贔屓、自分の贔屓組で考えちゃうじゃん?
 上から順に当てはめただけでも、花組ハマり過ぎ。(みわさんがいないことに他意はありません。持ち味的に彼はスーラではないし)
 nanaタンが「雪組で上から順に配役したら、ゆみこがゴーギャンになる、ゆみこはゴーギャンキャラじゃない」と言っているのを見て、いやそもそも水くんは絶対ゴッホキャラぢゃないから! と、ツッコミつつ。

 この4人の男たちは、あまりにもキャラが立っている。
 ヅカの男役たちをあてはめるとしたら、誰が誰キャラだろう?
 と、考えたんだ。

 役者なら、役に合わせて演じてナンボだが、ヅカはチガウから! まず持ち味ですから!
 

 天才ゴッホ。
 絵の天才であっても、人生では落伍者。ふつーに生活する、という、誰でもあたりまえに出来ることが出来ない、社会生活不適応者。
 性格は、ウザイのひとこと。
 ナイーヴ過ぎてベッタベタにウェット過ぎて、重いわジメッてるわ、幼児入ってるわで、ろんなもんぢゃない。
 でも、天才。
 その異次元へイッちゃってる才能と、現実のギャップに生涯苦しみ続ける人。

 現在ヅカでこのゴッホがもっとも自然に演じられる人は、春野寿美礼だと思う。
 今のオサ様なら、まんまハマる。
 暴走する才能。奔放な天才。
 相当ウザい性格のゴッホを、それでも「にくめない」「かわいい男」として演じることが重要。

 オサ様とはまったくチガウ意味で、タニちゃんもアリかなと思う。
 彼もまた、技術とは別の部分の才能だけで、ここまで来た希有な能力の持ち主だから。

 
 色男ゴーギャン。
 生活力があり、器用で力強く、いつでも自分の意志で勝ち組の人生を掴み取れる能力のある、男性的な色男。
 すべてを持ち合わせている彼は、唯一絵の才能でだけゴッホに叶わない。だからこそ彼は、絵以外のすべてにおいてゴッホを凌駕しようとする。
 ほんとうに欲しい、ただひとつのものだけが、手に入らない。
 そのゆがみを抱えて、ゴッホを愛し、憎む。

 4人の中で、もっともヅカの男役スターらしい役が、このゴーギャンだ。
 トップスターとしての正しい持ち味がある人は、大抵このゴーギャンがハマると思う。

 まとぶ、水くん、らんとむは絶対ゴーギャン。
 ゆーひくんもココだと思う。抑えられた情念とか表現するのに適した持ち味の人だからだ。(exプルミタス@『血と砂』)
 みわっちも、入るとしたらココかなー。
 
 色男全開、フェロモンだだ漏れに愛し、憎み、苦悩してほしい(笑)。

 
 偽善者スーラ。
 知性と計算高さ、尊大な自尊心と臆病な羞恥心を持つ、孤独な男。善人ぶりつつ、人格者ぶりつつ、有事には他人を蹴落として自分だけ助かるタイプの男。
 そんな自分の「器」を、誰よりも痛く自覚し、闇として抱える男。ちなみに、仕事着は白衣(笑)。

 まっつ! まっつ! まっつで見たい!! クールビューティで、実は小物!! ゴッホを陥れるくせに、彼の絵を抱いて号泣する男。
 あとはすずみん希望。わくわく。

 
 哀しき凡人シュフネッケル。
 善良な常識人。ふつーに生活できる、ふつーの感覚を持った、ふつーの人。市井で生きるならソレで十分だったんだけれど、彼が共に過ごしていた3人の男たちはみな非凡な存在だった。
 無知の罪。そして、それゆえの功績。物語の核となる人物。

 壮くん。絶対に壮くんで見たいっ!!

 人間たちに飼われていた犬は、自分も人間だと信じていた。人間たちも犬を仲間として扱ってきた。だから犬はずっと気づかなかった。自分が犬だということに。
 ある日犬は、真実を突きつけられる。ふつーに乗り込もうとした車のドアが、目の前で閉められた。仲間たちは車に乗っていってしまう。どうして? ボクはまだ乗っていないのに!
「犬は乗れないんだ、さっさとどこかへ行け」

 自分を人間だと信じ、得意満面になっている犬@壮くん。真実を知り、慟哭する壮くん。
 見たい……見たいよ、そんな壮くん。
 ぐるぐる回っちゃうくらい見たいよー。

 ゆみこが入るのはココだと思う。でもって、しいちゃんもすっげーハマると思う。

 
 ゴッホは特殊な役だから置くとして、ゴーギャンが路線系真ん中の役、スーラは芝居巧者で路線でも脇でもいいけど知的美形がハマる人、シュフネッケルはマジに芝居が巧いか、あるいは持ち味が合う人が才能勝負する、って感じかな。

 でもって、トウコちゃんときりやんは、4つの役どれでもOKだと思う。
 このふたりは持ち味が天才系ではなく、もっと地に足のついた人たちだと思うけれど、役者としての「技術」とスターとしての「華」で、ゴッホを演じられると思う。
 ゴーギャンは路線系のかっこいい役だからそのままでOKだし、芝居巧者だからスーラ、シュフネッケルも余裕でOKっしょ。

 みっちゃんは、ゴッホ以外の役は全部OK。
 でもってハマコ先生は、スーラとシュフネッケルOKだと思う。

 OGでは、かしちゃんとさららんのスーラが見たかったりする……(笑)。

 でもって、水くんがゴーギャンキャラだということで、前雪組での妄想配役。

 ゴッホ@コム姫
 ゴーギャン@水くん
 シュフネッケル@壮くん
 スーラ@キム


 や、上から順番に……って、あれ? ここでもやはり、シュフネッケル@壮?!

 あああ、シュフネッケル@壮くんが見たい〜〜!! じたばた。

 
 ……罪のない、意味のない、妄想配役です。ミーハーしているだけなんで、深く突っ込まないでください……。


 好きにもいろいろあって。
 同じように好きな人なんて、ひとりもいない。

 春野寿美礼に対する「好き」は、いったいなんなんだろう。

 好きなジェンヌを、自分の中でジャンル分けしたことがある。
 たとえば、ダーリン系で好きなのは、水くんだ。彼のことは、ドキドキする恋愛対象として好き。男性としてときめく相手。
 1ファンとして、「かっこいい!」ときゃあきゃあ無邪気に言えるし、生真面目ぶりだとかをつついて遊べるくらいの親近感もある。本人の人柄なんか知るよしもないが、「きっといい人」だと思いこみ、その人間性まで勝手に好意を持っている。
 技術的にも、安心している。や、歌がアレなことはわかっているが、それを含めて「男役」として高水準の仕事をする人だという信頼感がある。体温の感じられる舞台が好き。

 ゆうひくんも、ダーリン系。水くんが「文武両道の生徒会長にときめくキモチ」ならば、ゆーひくんは「どこか寂しげな不良少年にときめくキモチ」だ。彼の「どこか欠けた」ところが、ハートをきゅんきゅん(笑)させる。
 成長してえらくきらきら輝く人になってしまったけれど、彼の持つ「月」の魅力(反対語=太陽)が胸をざわめかせる。
 ヲトメハート全開で恋をしていたい人。

 職人系で好きなのは、トウコちゃん。彼女の「プロ」としての生き方自体に感動し、その高い技術とパッションに、これまた一方的にあこがれている。この人の創るものを見たい、見届けたい、と渇望する。
 ただ、ダーリンとしてはときめかない。わたしは男役を「彼」という三人称で書くが、役名で呼ぶときはともかくとして、トウコちゃん本人には「彼女」の方がしっくりくる。女性として好きなんだと思う。

 ネタ系で好きだったのは、まっつ、だった。
 いじってあそんでいたはずだったのに……どっからこんなことに。
 ネタ系のベクトルが上がりきると、ダーリン系に近くなるのがわたしの萌え構造式らしい。(おかげで、最近は壮くんがヤヴァイかも・笑)
 いちばんのご贔屓はまっつであり、いちばん好きなのも、ときめく……というか、見ていてしあわせになれるのもまっつだ。
 まっつはただ、眺めているだけでうれしくて、幸福感に浸れる。

 じゃあ、春野寿美礼はなんなんだろう。

 いちばんのご贔屓、だったことは一度もないのに、「このひとがいなくなったら、あたしはどうしたらいいんだろう」と、途方に暮れる、この喪失感はなんなんだろう。

 ダーリンとするには距離を置いているし、職人にしてはときめき過ぎている。ネタとして愛でてもいるが、それにはあまりにも尊敬しすぎている。

 恋というより尊敬、尊敬というにはエロスを含みすぎた想い。
 「タカラヅカ」でしかありえなかった、この想い。

 わたしは、「タカラヅカ」の力を信じている。
 フィクションの力、世界平和にも地球の未来にもなにも役に立たない、「娯楽」でしかないものの力を信じている。
 女が男を演じ、わざわざ台詞を歌にしたりダンスにしたりする、効率の悪い、「なんでそんな不自然で無駄なことをする必要あるの? バッカみたい」と言われるこの文化を、愛している。

 ひとのこころを動かすことの出来る、「所詮作り物」の力を信じている。

 フィクション。嘘。ありえないもの。異世界。
 生物活動には空気と水と食料があればそれですむことだけど、社会生活には服と食べ物を得る仕事と住む家さえあればそれですむことだけど。
 生物として在ることにも、人間として社会で生きることにも、不必要だけれど。

 わたしには、「フィクション」が必要だ。

 「こころ」をふるわせるものが必要だ。

 わたしには、「タカラヅカ」が必要だ。

 そして。

 春野寿美礼は、タカラヅカそのものかもしれない。

 わたしにとっての、「異世界」。
 わたしのカリスマ。
 わたしの王。

 わたしを、「ここ」ではない別の世界へ連れて行くことのできる人。

 オギー作品のような位置づけかもしれない。
 オサちゃん自身はオギー役者ではないけれど、それとは別の意味で超越した人。

 「世界」を構築する力。

 わたしがわたしとして生きるために、必要なモノを、創り出すひと。

 だからこんなに、途方に暮れる。

 春野寿美礼を失ったら、わたしはどうすればいいんだろう?

 ただ、途方に暮れる。
 どうすればいいのか、わからない。

 
 ……そして、この事実のうえで、まっつの去就についてもいろいろ思いをめぐらせ、さらにうちひしがれる。
 こわいよ。

 
 世界が、真っ暗だ。
 こわいよ。


 なんか、『大坂侍』のことを語りつつも、主演のきりやんのことをあまり書いていないよーな気もするが。
 又七@きりやん、すげーかっこいい。
 なんてことは、もう大前提ですから。

 正直ね、最初はべつにどーってことないの。
 客席から登場して、美女ふたりにやいのやいのと取り合いをされるよーな色男には見えない。
 きりやんならではのひょうひょうとした、とぼけた感じがあるだけに、又七はそんなわかりやすい「外見」の色男じゃない。
 それが。

 物語が進むにつれ、どんどん色男に見えてくるのよ!!

 ビジュアルが命のタカラヅカにおいて、きりやんはいわゆる「ビジュアル」に特化した魅力の持ち主ではない。
 や、もともときりやんが美形であることはわかっているけど。ガイジンさんみたいな目鼻立ちの、おそろしく整った顔立ちのヒトだとわかってますけれど、ヅカの舞台上限定ではほら、カオカタチより別の要素が重要視されるわけだから。

 小柄だということが大きなハンデになる世界において、それでもそのマイナス部分を覆す力を持つヒト。
 最初に「なんてかっこいい人!」と「外見」のみで目を引くことはあまりなくても、実力で観客を納得させることができる人。骨太で誠実な芸風が光を放つ。

 又七はたしかに、きりやんアテ書きだろうなと思う。
 このキャラクタのおもしろさや魅力は、きりやんだからこそのもの。
 見ているうちにどんどん、惹かれていく。一目惚れではなく、その人柄や生き方に恋をする。
 内面からの輝きで、ものごっつー男前に見えますってばよ。

 そしてしみじみ、霧矢大夢という舞台人に対する安心感だとか信頼感を噛みしめるのよ。
 実際に観る前から、きりやんの舞台ならばきっとおもしろいはず、と素直に思える。演出家が誰であれ、題材がなんであれ、「きりやんなら、観る価値がある」と思わせるもの。……や、わたし個人の感覚ですが。
 作品の好き嫌いはあるし(『オクラホマ!』なんか、トラウマもんだ)、ハマるかどうかはまた別の話になるが、きりやんがきりやんである限り、わたしは「観劇理由」のひとつに彼の名前を挙げられるわ。

 ただわたしは「大坂侍」という「きりやんならではの役」よりも、「黒いきりやん」の方が好みなので、又七の素敵さに盛大に拍手しつつも鬼畜なきりやんが見たいなあとか思ってました……。
 いちばんときめいたのは、アルジャノン@『Ernest in Love』だもんよ……。軽妙さと黒さと高い技術力が生んだ超二枚目!がアルジだよなっ。
 きりやんに限らず、アルジに限らず、わたしは毒のある役が好きなので、そっちに反応しちゃうんだよなー。
 そして、きりやん自身は太陽系の健康的な持ち味の人だけれど、その実力ゆえに正反対のモノも演じられるんだよな。持ち味勝負のタカラヅカで、そしてその持ち味っつーのが素の善良さまんまの健康さだけになりがちなタカラヅカで、実力ゆえに「毒」を演じられる人は貴重だってば。
 わたしがきりやんに対して全面の信頼を感じているのは、彼が「毒」を演じられる人だということに対してかもしれない。ソレがあればオールオッケー!みたいな(笑)。

 
 「毒」キャラといえば、この『大坂侍』では、極楽の政@まさき。
 キラキラのアイドル・ポジションのくせに、確実に「毒」がある。自分がかわいいことを理解した上でそれを武器にしている、小型愛玩犬。むきーっ、こいつムカつくわー!(誉め言葉)
 まさきの「毒」は技術で得たモノでも表現しているモノでもなく、ただの「持って生まれた持ち味」なのできりやんのソレとはまったく別物ね。

 悪人と偽善者なら、後者の方がタチ悪いと思うんだよなー。
 たとえば、弱い人を私利私欲のため平気で殺すのが悪人、それをなにもせずに傍観した上で安全なところで悪人を批判するのが偽善者。
 政って、この「偽善者」系だよね? でも法律に触れることはなにもしていないから、「悪人」ではないの。なんてステキ。
 「悪人」は警察に捕まったり受刑したりするけれど、「偽善者」はなんのお咎めもナシ、平和にしあわせに暮らし続けられる。なんてステキ。

 つーことで、「悪人」カテゴリ天野玄蕃@マギーは、「毒」度では政に及んでいない、と思うのです。(や、べつに及ぶ必要まったくナイけどな・笑)

 異世界ファンタジー『大坂侍』において、唯一の「悪」、天野玄蕃。
 いやはや。

 マギー、かーーっこいー!

 最初の着流し姿から、どえらいかっこええです。なんかすげービジュアル系じゃん?
 お笑いに走る「けったいな人々」のなか、ただひとりのシリアス悪人は、すげーオイシイっす。
 官軍入りしてからの赤いカツラの似合いっぷりもすごい。負けてない、負けてないよ、あの派手な色とカタチに!(笑)

 うまくすれば腐女子的にもすごーくオイシイ役のハズなのに、ちっとも萌えがなかったのは残念無念。
 マギーってあんなにいい男なのに、何故にああも色気がないのだ? 強すぎるのかな。全盛期のラオウ@『北斗の拳』とか、そんな感じ。ラオウは挫折してからがさらにいい男になったわけだから、マギーもこれからかなぁ。
 いちどぽっきり折れてしまったよーなマギーが見てみたい……泣きの演技をしてなお戦闘意欲満々だもんな彼。そこが魅力なんだが、ソレだけだと引き出しが増えないから、ここは是非引きの演技にも開眼してほしー。

 
 もりえくんの潔いヘタレ坊っちゃまぶりと、フィナーレの男役群舞の二枚目ぶりのギャップにクラクラした。
 なんだよヲイ、かっこいーじゃないかもりえ!! スタイルの良さが一段と映えてますよ。
 初心者には、あのホクロのアホぼんぼんと、群舞で又七さんの斜め後ろにいた男前が同一人物だなんてわからないんだろうなあ。惜しいなあ。

 
 さて、ひそかな萌えキャラだったのは、又七の同僚・山崎さん@アルフォンソくん。
 いつの間にか男役らしい佇まいになっていたんだねえ、良基くん。アルフォンソ@『血と砂』のころは、声から立ち居振る舞いからなにもかも「わ、勉強中の子なんだよな」「若いんだもん、仕方ないよな」って感じだったけれど。
 彼が地味にいい味出してくれていたので、素直に又七さんとの関係にときめきました。
 山崎さんてば、すげー地味〜〜に又七のこと愛してるよねえ? あの展開ぢゃさ、又七のこと、一生忘れられないよな。
 又七がお勢と結婚して大坂に戻ってくることを知らず、行き違いで江戸務めとかになっていたら、すげー萌えだなあ。で、なにも知らず彰義隊の最期とか聞いて、勝手に胸を痛めていたりな……ふふふ。

 
 とまあ、いい男ウォッチングとしてもたのしい『大坂侍』。
 マギーの手下やってるエリヲくんも、相変わらずステキですわ。目立つよなー、彼。
 あと、美貌という点では海桐望くんが目を引きますわ。壮くん系だよねえ? たのしみだわ〜〜。

 
 ところで又七の父@マチヲ先輩は、アレでいいんですか……?
 石田せんせ、すげーブラックジョーク的な意味でマッチ先輩を使っている?
 又七父の異世界感、ズレてる感、周り見えていない感が、ブラックなアテ書きに見えて笑うに笑えないというか、心冷えてうろたえたというか。


 『大坂侍』で、いちばん泣けたのは、じつはお勢ちゃんだ。
 この子の潔いバカっぷりに、泣けた。

 大和屋のいとはん、お勢@ねねちゃんはそりゃーもー、バカでわがままで猪突猛進、目的のためには手段を選ばない狡猾さと、子どもまんまの純粋な心を持っている。
 やってることはめちゃくちゃで、はた迷惑この上ない。
 「金がすべて」という世界観のファンタジーで、ほんとーに「金」というものがなんなのかを理解した、「金」の力の申し子。

 彼女の、いつも全力疾走、つまずいて顔面から地面に激突するよーな生き方が好きだ(笑)。

 かわいい。
 ほんとにもお、かわいくてかわいくて、どーしようかと。

 バカだけど一生懸命、まちがっているけど一途。
 すごい勢いで転んでは、吠えながら立ち上がる。転ぶときも立ち上がるときも、はた迷惑。

 男子向けマンガなんかによく出てくるタイプのヒロイン。男にだけ都合がいい、男のことを一方的に好きで追いかけ回してくる女の子。
 わたしはこのテの男の妄想具現キャラが苦手なんだが、ソレはキャラ以前に「世界観」が問題なんだと思う。
 客観的に見て、その女のやってること「犯罪」じゃん。ただの自分本位、「好き」と言っている相手の迷惑も考えず、自分が気持ちいいことだけを追求している無神経女。
 やっていることが「犯罪」でも、「世界観」がまちがっていなければいいんだ。わたしが最高に苦手なのは、やっていることは「犯罪」なのに、ソレを「正しい」とする世界。
 男を待ち伏せして、嫌がっているのに拒絶しているのに勝手に家の中に入ってきて、家族に挨拶したり恋人ぶってみたりするとか。男マンガで5万回見た展開だけど、この女の行動を「正しい」とする世界観がダメなの。女の行動自体じゃない。
 「犯罪者」「おかーさん、警察呼んで!」と色めき立つよーな「まとも」な世界なら、なんの問題もない。
 ただその女が「カオがかわいい」というだけの理由で、すべての犯罪行為が許される世界観が、逆ツボなの。
 「美人な女の子に強引に追いかけ回されたい」「なんの苦労もなく、美人とえっちしたい」という、男の妄想が主体でできあがった世界観こそが、問題。
 もちろん、男子向けマンガなんだから、「男だけが気持ち良ければヨシ」という意識で作られていても仕方ないと思っているけれど。

 一方的に男に惚れて追いかけ回す、はた迷惑女がヒロインでもいい。
 彼女を「世界」がどう思っているか、が重要だ。

 彼女を「まちがっている」と認めている世界ならいいんだ。
 ヒロインだから、カオがかわいいから、というだけで許されているのではなく、なにかちゃんとした理由があり、一般常識や倫理、法律から逸脱していることがわかるならば。

 『大坂侍』は「金がすべて」という意識で貫かれたファンタジー作品だ。だから金の力でなんでも手に入れようとするお勢は正しい。
 だが、彼女のキャラクタのかわいらしさは、そこにあるのではない。
 この「金がすべて」という、わたしたちの知る世界とは別の世界「大坂」においても、やはり「大切なモノ」は変わらないわけで。そこだけは変わってはいけない最低ラインはあるわけで。
 ソレが「金で買えないモノ」だ。
 愛とか命とか信頼とか絆とか。
 目に見えない、大切なモノ。
 お勢というキャラクタは、その最低ラインからも、ズレている。
 そしてそのことを、作中でちゃんと指摘されている。

 たしかに「金がすべて」。愛も命も金で買える。
 でもさ、ソレだけじゃないんだよ。
 口ではなんとでも言うけれど、暗黙の了解、言葉にしない、するまでもない最低ラインはあるものさ。
 お勢はついうっかり、ソレすらぶっちぎってしまうわけだから。
 玄軒先生@まやさんに、諭される。

 ただ笑わせるためだけなら、人格なんて関係なく、桁外れな突拍子もない行動だけ取らせておけばいい。
 だけど、そうじゃない。
 「大坂」というこの異世界は、「笑わせるため」だけになんでもありな世界じゃない。
 「人間」が生きて生活する場所なんだ。
 人の心なんてものは、ルールが土地柄ごとに変わっているからといって、根本から変質するものじゃないんだよ。

 さんざんお勢の突拍子もない行動で笑わせておきながら、ちゃんと修正は入る。
 まちがってるよ、と。

 相手の気持ちも考えず、自分の気持ちだけを押しつけていたバカ娘。
 しゅんと肩を落とし、自分が「まちがっている」ことを「自覚」するだけの誠意も素直さもある女の子。
 過ちを知り、認め、反省し……そのうえでまだ、バカを通すしかない、バカ娘。

 まちがっている。
 こんなの、まちがっている。
 でも、これしかできない。
 これが「わたし」だから。

 自殺騒ぎ起こして大騒ぎしているお勢の、レーゾンデートルを懸けたバカっぷりに、大泣きした。

 自分のゆがみを自覚する知能があるくせに。
 ただのサルなら、まだ救われたのに。
 まちがっていることも、みっともないこともわかったうえで、それでもバカを通す。
 「自殺する!」と言って彼女が懸けたのは、生命じゃない。
 彼女の「存在」だ。魂だ。人格だ。
 これ以上は後ろに下がれない。下がったら、落ちてしまう。崩れてしまう。そんなぎりぎりで、虚勢を張るバカ娘。

 世界を敵に回しても、アナタを愛している。

 両手を広げて、バカ娘はそう宣言しているんだ。
 自分の行動が、性格が、世界に対し「まちがっている」と自覚したあとだから。
 愛と世界と、天秤にかけて、彼女が選んだのは愛だった。

 いやほんと、はた迷惑だけど。

 たかが「大坂」、たかが町民たちの愛憎劇。だけどこんなミクロな舞台でも、マクロな愛は表現できる。
 振袖の袂に石を入れて、蝶のように両手を広げるお勢は、名だたる大作ヒロインたちに遜色ない「世紀の恋愛モノ」のクライマックスに立つヒロインっぷりだ。

 かわいいなあ、お勢ちゃん。
 あまりにバカで、おバカ過ぎて愛しい。

 お勢がかわいいことと、異世界ファンタジーであること、又七@きりやんがかっこいいことは、すべてひとつにつながっているよ。
 なにかひとつ欠けても成り立たない。

 それってほんとに、しあわせな物語だ。
 公演として、役者として、役者やカンパニーのファンとして。

 バウはチケ難だったのでリピートするという選択肢はなかったけれど、リピートできたらしあわせだったろうなあ。
 

「ねえ、アンタ司馬遼太郎全部読んでるよね? 『大坂侍』ってどう?」
「ああ? 短編だろ。読んだけど……べつにどーってことない話」
「今度ソレ、ヅカでやるんだよ」
「……阪急電車のポスター、アレ、タカラヅカか」
「知ってるの? てゆーか、ポスター見て、なんだと思ったのよ」
「そんな、ちゃんと見てないから、ただ『ああ、芝居のポスターだな』って」

 ふつーに、芝居のポスターに見えた……つまり、ふつーに男の人に見えたんだ、きりやん。

 や、ヅカにカケラも興味のない弟が、車内吊りポスターをおぼえている+ヅカだと思わないクオリティ、だなんて、きりやんステキ。

 つーことで、『大坂侍−けったいな人々−』の話。

 いつものよーに初日から観に行きたかったのに、チケット難民していたので、無理でした。ま、バウの初日は無理だわな。友会ではもちろんはずれちゃって、チケット1枚もないままだわ、サバキも出ないわ。……どーなることかと思ったぞ。

 司馬遼はかなりの冊数読んでいるけど、『大坂侍』は読んでない。ので、予備知識ナシ。
 えーと、誰が出てるんだっけ。たしか、ヒロインがねねちゃんで、まさきとマギーが出ていたはず。それからもりえもいたよな。……いつもなら出演者を誰も知らないのに、かなり理解しているぞ、今回。
 でも、それ以外は誰が出ているかわかっていなかったので、いちいちおどろいた。わ、マチヲ先輩出てたんだ、とか、よしづきさんいたんだ、とか、マヤさんとチャルさんってすげー豪華!とか。

 時は幕末、舞台は大坂。士農工商ならぬ商工農士、いちばんえらいのが商人、いちばん立場が弱いのが侍、という世界で、頑なに時代遅れに武士であることを貫く男・鳥居又七@きりやん。
 彼に惚れた豪商のわがまま娘・お勢@ねねちゃんが、父親の大和屋源右衛門@チャルさんと結託して「金」の力で又七を手に入れようと表に裏に画策・爆走、それと同時に時代も急変、えーと世の中では後世に「明治維新」と呼ばれる大騒ぎの最中なんですが、大坂はなにやってんですか? そう、大坂は「金」の力で戦争すら回避、金さえあればなんでも出来るっつーことでヨロシク。
 そんな大坂人のなか、「武士」であることを貫く又七は、死を覚悟して彰義隊に参加することを決意。悲壮な決意と覚悟で大坂侍は江戸を目指すが……。
 笑いと涙の、歴史ファンタジー。

 そう。
 幕末という動乱の時代を借りた、ファンタジーだ。
 すべては金だという独特の世界観がしっかり構築された異世界で、「人間」たちが右往左往喜怒哀楽している。
 歴史の渦の中で、出来事ひとつひとつが「金」という世界観で洗われていく。「んなわけあるかい!」な展開も、世界観が正しく機能しているから、どんなにナンセンスでも「アリでしょう!」と思わせる。

 やりすぎなおかしな人たちの間で、主人公の又七ひとりがわたしたちと同じ価値観を持っている。彼のみを「まとも」だと思うのは、観客であるわたしたちの目線に合わせてあるから。
 視点となる主人公になっておかしな……「けったいな人々」に翻弄され、それでもいつしかその「けったいな人々」を愛し、また、不器用な生き方しかできない又七を愛していく。
 又七はわたしたちの視点でありながら、わたしたちが持たない強さ、人としての正しさを持つ。だからこそ、彼の存在は心地いい。彼を視点としてこの世界にいるのは心地いいんだ。

 ファンタジーとして、たのしんだ。
 や、たのしかったよ、ほんと。

 『維新回天・竜馬伝!』と陸続きというか、石田せんせ、作風確立したな、という感じ。
 下手にシリアス歴史物として大上段に構えず、「ファンタジー」であること、史実に足を取られ過ぎず「別の世界」を構築することにこだわった作品。

 ファンタジーの鉄則として、主人公と同じくらい、「世界描写」が大切なんだよね。
 わたしたちが生きている現実社会とは別の世界なわけだから、そこをしっかり教えておいてもらわないと、ついていけなくなるからね。
 んじゃどーやって解説するかとゆーと、1列に並んで順番に説明台詞を長々言うだけが解説方法ではなく、「いろんなサブキャラを出す」ことで、彼らの言動全部ひっくるめて「世界描写」。
 石田芝居はもともとサブキャラ多すぎで下級生までなんかしら役があって画面のあちこちでごそごそやっているもんだけど、バウで小品なんでその手法もいい感じに機能、「銭が命」「銭次第」と体現する彼らのエピソードが混在することによって、「世界」を解説する。
 主人公・又七の話だけなら、シンプルであっちゅー間に終わるんだけどね。サブタイトルにもなっている「けったいな人々」を描くのに時間を割いてあるからさー。
 「けったいな人々」を描いてあるからこそ、又七のキャラクタが浮かび上がってくるし。

 コメディだから、素直に笑って観ていたんだけど、意外なほど泣けたんですが。

 笑いと涙なら、わたし的には涙の方が多かった。

 「異世界ファンタジー」であり、その世界観の中で人々の人生に共感してしまったら、そりゃ泣けるって。

 「戦う」とか、「強く生きる」とか、「命ぎりぎり愛」とか「命がけの友情」とか、そーゆーのはなにも、戦争とかSFとかことさらにドラマティックな時代背景や道具立ては必要ないのよ。
 イタリアンレストランが舞台でも「学校」と戦う女弁護士でもなんでもいいの(今期ドラマで出来がいいものを例に挙げてみた)。「世界」がきちんと描かれていて、そこで「生きている人間たち」がきちんと描かれていれば、歴史巨編に遜色ない「人間ドラマ」を描くことができる。
 「金がすべて」という価値観に貫かれた舞台で、その金の力ですべてを回していく「人間」たちの物語。
 道具立てがちがっても、やはり「人間」の物語だから。
 それは哀しく愛しく、ある意味滑稽で、そして感動的だ。

 ド真面目公務員・又七のコツコツとした人生を、「金さえあればなんでも出来る」大金持ちお嬢様・お勢がひっくり返すのがおもしろい。
 徳川の家臣であり、その禄を受けてきた鳥居家の存在意義や誇りや歴史も、金持ちお嬢様にかかっちゃーひとことだ。鳥居家が得てきた30年分の俸禄なんぞ、お嬢様の一声で全額返金できるってか。
 金で買えること、そして、金でもどうしようもないこと、このパワーバランス絶妙に、綱引きしながら物語が転がっていく痛快さ。
 金文化を否定する又七も、金文化の申し子お勢も、どちらもかわいいし、愛しい。

 たのしいファンタジーだ。
 素直に、しあわせなキモチになれる。

 
 ……という感想を先に書いていたんだが、腐女子話が先になってしまったのは何故なんだ。


 ヘコんだときは、前向きな話を書く。

 他に書くつもりのこと、順番、考えていたこともいろいろあるけれど。
 ただぼーっとまっつのDVD眺めて、無邪気に『TUXEDO JAZZ』とか口ずさんで過ごしたりしつつ。
 なんで博多座『マラケシュ』は放送してくんないんだよ、わたしにクリフォード@まっつを見せろ〜〜じたばた!とか、あの役に出会ってなかったらこんなにまっつまっつな人生じゃないぞとか、あああスーラ@まっつが見たい、オサ様の絵を抱きしめて号泣するまっつが見たいとか、や、ゴッホ@オサ様なのは説明するまでもないだろうとか、そーゆー自分だけにわかる話でぐるぐるしつつも、もっと前向きな話をしましょう。

 
 龍真咲の、キラキラっぷりについて。

 月組バウホール公演『大坂侍』において、なににびっくりしたかって、まさきのアイドルぶり。

 なんなんですか、あの子。
 幕開きから、あたりまえにセンターで踊っていて、アンタどこのスター様?!と、びびった。
「商売繁盛で笹持って来い♪」と、大阪人なら誰でも知っているフレーズで踊りまくるまさおさんに、くらくらしました。
 手です、手。手に注目。
 なんかやたらきれーだったんですけど、手の動き。

 「大坂侍」こと鳥居又七@きりやんの弟分、極楽の政@まさき。
 まさに、アイドル・ポジション。
 他愛なくもかわいらしく、舞台に花を添える存在。
 たぶん、地味な子がやったら、ただの脇役になる……。ストーリー的には、いてもいなくても同じ。少なくとも、クライマックスまでは。
 このままただのお花で終わるのかと思いきや、クライマックスでやたらオイシイことになっていたけれど。てゆーか、伏線だったのか、このお調子者の存在って。

 幕開きでセンター取ってて「まさき2番手? ちょっと待て、上級生スターがあと何人かいたはずだぞ?!」とびびったものの、作中では固定2番手はなさげで、まさきを偏重したキャスティングはしていなかったから、胸をなで下ろした。
 や、やっぱ学年と番手は守ってもらった方が安心だからさ。
 スターシステムを守って、もりえ、マギーがそれぞれ見せ場のあるいい役・味のある役をやっており、まさきの出番が彼ら以下であることにほっとしたのさ。

 お調子者としてあちこちに罪なく出ていたけれど、役のインパクトは大してない。
 最後にオイシイところを持っていくとはいえ、美形悪役@マギーだとか、不細工メイクでお笑いに徹して話題騒然@もりえに比べて、地味な役だなあ、と思う。

 それでも、無意味にキラキラ。
 かわいこちゃんオーラびしばし。
 善良ぶりつつじつはいちばん腹黒?的キャラクタも、似合いすぎ。

 なんかもー、彼のこのTPO関係なくキラキラしているところが、ツボでした。

 いいなー。
 正しく、「タカラヅカ・スター」だー。

 そーだよ、スターたるもの、これくらい、無意味に輝かなきゃ。

 彼がきれいでかわいくて、キラキラしていて腹黒くて、大変眼福でございました。

 物語は又七@きりやん争奪戦。
 登場人物ほぼ全員が彼を愛し、彼を得るために奔走するという話。いやあ、潔いまでに主人公が愛されまくる話ですわ。
 その昔、『更に狂わじ』とかゆー作品で、チャルさん×きりやんという、濃ぃ〜いカップリングがあったんですが、またしても同じ顔ぶれですよ。
 大和屋源右衛門@チャルさんは、又七に惚れ込んで、金の力で彼を自分のモノにしようと……いやその、娘の婿にしようと画策。大変だニャ。
 なんでみんな、チャルさん×きりやんなんて玄人ウケの強そうなカップリングにしたがるんだろう……需要あるのかソレ。

 わたしは素直に、政×又七でいいです。

 力関係とか、『NAKED CITY』のバーナード×ビリーを彷彿とさせるんだけど、バーナードはヘタレ攻で、政はちゃっかりモノ攻になる。どっちもヘタレな弟キャラのはずなのに……演じている人の持ち味のせいか。

 政のスウィートすぎる外見とキラキラオーラ、ときおり見せる黒さにときめきました。
 あんなどーでもいい役なのに。
 ただにぎやかしに同じ画面にいるだけなのに。
 なのになんで、あんなにキラキラしてるのよー。

 だからクライマックスのどんでん返し、政がちゃっかり現れたことに、膝を打った。
 そーだよな、そーでなくっちゃな。
 あのまま、いてもいなくても同じ、ただの画面のお花で終わっていい男ぢゃないよな(笑)。
 そーやって大仰に再登場したわりに、やっぱりどーってことない扱いであるあたりがまた、ステキ(笑)。

 
 若者が伸びていく様を見るのは、心地いい。
 まさきが成長していく様を見るのは、心地いい。

 その黒さを持ったまま、正統派の白い二枚目ぶっていい男になってほしいと思う。

 きりやんの質実剛健ぶりと、まさきのアイドルぶりは、なかなか素敵なコントラスト。
 このふたりの並びって、けっこー好みだー。
 うれしい発見。

 あ、わたし的には山崎さん@アルフォンソくん(『血と砂』以来彼はこの呼び名……って、何年前だよ?!)と政と又七の三角関係希望です、はい。
 あ、もちろんきりやん総受で。(役名で書きましょう、誤解を受けます)

 ……って、前向きな話を書いていたら、腐女子話に落ち着くのかわたし?!


 このブログは、タカラヅカ感想、ヅカ絡み雑談のみを書いている。

 だが、最初からそうだったわけじゃない。
 最初はもちろん、ふつーに「日記」だった。日常のあれこれを書いていた。
 テレビドラマや映画の感想も書いていたし、ゲームの話も書いていた。
 それがまあ、なんかヅカの割合が大きくなって、途中から日常日記はよそに移して、こちらはヅカのみにした。

 その、ヅカ感想ブログにする前。
 ふつーに「日常日記」だったころ。

 このブログに幾度となく登場していた友人、あらっちが、亡くなった。

 「あなたが伴侶に求めるモノ」
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-434.html
 とかで、わたしが「外見はケロちゃん」と答えるもんで、「わかったわかった、こあらちゃんはそのケロさんね、んじゃそのケロさんで想像して」と、あきれもせずに会話につきあってくれていた子だ。

 ケロの最後のディナーショーのポスターを、わたしが後生大事に持ってコーラスのレッスンに行ったとき、「よかったね、ディナーショーに行けて」と一緒によろこんでくれた子だ。

 ヅカ友だちではなかったので、ヅカ日記になってからは、ここにも登場しなくなっていたけれど。
 ヅカ友だちに比べれば、会う回数も少なかったけれど。

 彼女との交友を書いていた場所だから、今日は日常日記として、ここに書く。

 あったかい人だった。
 やさしい人だった。
 おだやかで、安心できる人だった。
 わたしはいつも甘えていた。

 きれいで正確な歌声。音痴なわたしは、あらっちの声を手本に、いつも音を探していた。
 人生でもまた、ときどきあらっちのカオをのぞきこんでは、「あたし、まちがってないかな?」と探っていたよ。

 わたしより、2つ年上だっただけだよ。
 早すぎるよ。

 
 つーことで、今日は仲間たちと献杯。
 最初はみんな、あまりに暗くて、どーなることかと思った。
 最後はいつもどーり、にぎやかに馬鹿騒ぎで終わったけれど。
 ここにあらっちがいないことがさみしいね。
 いつもいたのにね。
 あのときも、あのときも、いたのにね。
 
 笑顔しか、思い出さないな。
 いつも笑っていた。

 
 ……つーことでも明日からはまた、ふつーのヅカ日記行きます。


 オサ様のDS行きたかったなぁあぁ。
 大阪も東京も追加のランチも、全部電話通じなかったもんよ。や、いちばんがんばったのは大阪で、その他は後ろ向きにすぐリダイアルするのあきらめちゃったけどさ。
 いいんだ、DSに行くつもりだったお金で、『エリザベート』DVDオマケ版のみ抜粋セット買うからさ……オサ様トート東宝版を心の支えにするさ……めそめそ。や、水くんトートDVDだってもともと買う予定だったしさ……いいんだ……ペーパークラフト(謎)で遊ぶんだからさ……。

 オサ様の歌が聴きたいなあ。
 まっつに会いたいなあ。

 ……なんて、ひとり部屋で膝を抱えてブツブツゆーてますが、今年の目標はぶっちぎりで守れていません。

 今年の目標。
 月8回、年間100回以内に観劇回数を抑える。

 守れたのは、1月だけです。

 ……5月末で56回なんですが。たぶん。数え忘れていなければ。そして、なにか数え忘れているよーな気も、ぷんぷんしているんですが。まあソレは忘れていた方がいいんだろうってことで。

 それにしたって。
 月11回計算やん!! そんなことしてたら、昨年の記録更新してしまうやん!!

 そう、わたしが有閑マダムで金もヒマも有り余っているとか、バリバリのキャリアウーマンで稼ぎまくっているからバリバリ使うのよ!とかなら、べつにどーってことのない回数と金額だと思う。
 でも、チガウから! わたしみたいなびんぼー人のしていい生活ぢゃないから!

 身の丈にあった生活をしなければ。
 分相応に、慎ましく生きなければ。

 ああだけどわたし、『舞姫』は何回観るんだろう。
 まっつの出番が極端に少ないとかいないも同然の扱いとか、作品が逆ツボ直撃で正視に耐えないとか、そーゆーことでもない限り、チケットのあるナシは関係なく、毎日ムラに通っていそうでイヤだ……。
 それにしてもなんで雪楽とかぶってんだよ、日程。時間ずらしてくれゃー両方観られるのに、水くん見てたらまっつ見られないぢゃんよおー。おぅおぅ。
 貴重な平日2日が、雪楽(水しぇん! 水しぇん!)と、宙初日(わたしは初日スキー)と丸かぶりなのがつらいっす。だって平日の方がチケット取りやすいじゃん……せっかくチケット取りやすい日が、行けない日だなんて……。

 6月は『舞姫』があるので「月8回」は守れないと思うが、7月以降は大丈夫、守ってみせるぞ。『あさきゆめみし』はチケット高いから、そんなに回数観ていられないし。
 8月も遠征をあきらめれば、かなりおとなしくしていられるはず。
 9月から忙しくなるはずだから、せめて夏の間はおとなしくするんだ。するんだってば!

 心の中で思っているだけでは叶わない気がするので、ここに書いておく。
 7〜8月は休止期間。少ない観劇で、それでも集中してねーっとりたのしむんだ。

 
 ……てな文章をミニパソで書いているときに訃報が飛び込んで来たので、この文章の後に葬儀の日程とかが続けて打ち込まれているという不条理さ。

 オサ様の歌に、癒されたいなあ。
 DVDでも見るだす。


 つくづくタカラヅカって衣装派手だよなあ、と思った『ダル・レークの恋』

 女性の衣装がきらびやかなのは西洋お姫様ものでもアリだけど、男の衣装がここまでキンキラキンなのは、インド・マハラジャ物がいちばんでしょう。
 
 あひくんのマハラジャぶりがすげえ。
 体格がいいから、衣装に負けてない。
 かっこいーよー、きれーだよー。
 役の少ない芝居だし、役があっても名前だけ、ぶっちゃけいなくても、話はかわらないてな役ばかりだよ『ダル湖』……とはいえ、クリスナ@あひくんは、ビジュアルに大いに貢献しています。
 やさしげなキャラクタがまたよし。

 リタ@あいちゃんはとにかくキュート。
 責任を課せられた姉とちがい、のびやかに育った妹のキャラの差が出ていてステキ。
 そして、2幕最初のダルマ!!
 あいちゃんの脚線美はそりゃー眼福ですよ、この公演のウリのひとつになりますよ。
 とはいえ、これほど役がない公演だからこそ、レビュースター役は別の人でもよかったかなと思う。あいちゃんが黒塗り→白塗り→黒塗りとハードな早替わりをしてまでやらなくてもよかったのでは、と思う。
 他の娘役ちゃんとか、いっそみりおくんとか、役の少ない男役の見せ場とする。さえちゃんのときみたいに。……あ、そのかは絶対不可(いちいち断らなくてもいいって?)。

 で、たしかにそのかは役らしい役がついていないんだけど、なんかすげー扱いよくてびびった。
 プロローグからひとりチガウ衣装(カワイイ系……ええっと……)で登場、群舞センター取っちゃいますか。
 昨中でもダンスシーンでは絶対いい位置にいるし、極めつけはフィナーレ。
 あさこちゃんを真ん中に、そのかとあひの3人口って、なんだそりゃ。しかもそのか上手、あひ下手。
 ええっと、あひくん、この公演3番手だよね? あ、そっか、単なる学年順だわ……って、ちょー待て、そのか下級生ぢゃん!!
 いろいろ謎やな、扱い……(笑)。
 酒井せんせ、ひそかに「ダンサー・漢一匹そのか」気に入ってる? 博多『エンレビ』で2番手が演じた猛獣使いを、上級生スターをさしおいて、そのかにやらせたくらいだもんな。
 や、うれしいからいいんだけど。

 お笑い兵隊コンビ、ルイスとるうは、サム過ぎてうろたえた。
 ねえいい加減、ルイスにお笑いやらせるの、やめようよ……。
 いや、相対的に巧い人だと思ってはいるけれど、決して向いているとは思えないぞヲイ。
 もちろん、今回悪いのは脚本と演出であって、ルイスとるうに罪はない。吉本新喜劇か『ドリフの8時だよ全員集合!』のコントみたいな役、サムくて当然だって。
 兵隊コンビをのーみそからっぽ、ありえないほど愚かな言動で笑いを取る、というキャラクタにする必要性がないんだ。現実にありえるような言動ならコメディの範疇だが、ここまでパーだと「笑わせるために、わざわざパーにしてあるのだ」というご都合主義が見えて笑えない。愚者を笑うなんて、2番目に嫌な笑いだわ。(いちばん嫌な笑いは、暴力ね。強い者がバカな弱者に対して殴る蹴るの暴力行為、それを見て笑うってやつ。どつき漫才とかゆーの?)
 ふつーに、役目に忠実なクールビューティでいいじゃないか。真面目過ぎて少々勇み足、程度で。立ち居振る舞い、本気で美形にするの。ターバンから前髪が一筋垂れていたりする系の。……そんなルイスとるう、見てみたいぞっと。

 ガチャさんは、こちらに出演でしたか。
 前もってチェックはしないが、出ていると気づいたからにはとにかくやたらと見てしまう、わたし好みの色男、一色氏。
 パリの場面ではなんか彼ばっか見てしまったような……いや、ゆーひくんとそのかも見てましたが。それにしたって、ゆーひ、そのか、ガチャと続くわたしの「見ている順位」っていったい。
 彼は別に、ストーリーに関係ないんだけど……出ていると、見てしまう。目で追ってしまう。目の下のシワを確認し、「やっぱいいなあ」とニヤける。ああ、好きな顔だー。

 や、パリの場面は越リュウ様の見せ場でもあるんですが、ついでに一樹さんとの濃ぃいヒゲオヤジのボーイ・ミーツ・ボーイ場面でもあるのですが……。
 説明しますと、ヒゲオヤジ@越リュウのピンチを、黙って見過ごせずヒゲオヤジ@ヒロさんが介入する、ヒゲオヤジ同士の愛が芽生える不思議な場面なんですよ。ええ、そーゆー場面ですよ、10年前観劇したときもそうでしたから、デフォルトなんでしょう。
 でも、10年前も今も、ちっとも萌えません。
 無意味にコメディなんだもん……。シリアスにやりゃあいいのに、2幕は突然コメディ色が強くてなぁ。
 そう、せっかく越リュウなのに、彼はお笑いキャラなの。ヒゲなのもおっさん役なのもかまわない。「笑わせるために、わざと滑稽にしてあるキャラクタ」なのよ。自然な笑いではなく、作り物の、押しつけ系の笑い。……いやなにしろ、古い作品だから。きっと半世紀前はこーゆーキャラでよかったんだと思う。
 今見ても、ちっとも笑えない……心は冷えるばかり。わざとまぬけに描かれたキャラって好きじゃないのよ……あああ、越リュウなのに〜〜、もったいない〜〜。
 そーやって、まぬけ役をやっている反動なのか。
 フィナーレの越リュウは、めっさかっこいいっす。
 顔なんか見なくてもね、「あっ、あそこにかっこいい人がいる!」とわかる。で、ちゃんと確認すると越リュウなの。
 うおおお。なんてセクシー、なんて男前。
 まぬけ役をやっている反動ですって? いや、反動なのはわたしの問題であって、リュウ様はもともとかっこいいんだってば〜〜、色男なんだってば〜〜。

 もちろん、1幕の美女ぶりもステキでした。
 わたしが観たのは初日ですから。ヒロさんと越リュウ、2大オヤジが「美女」となって扇ぱたぱたやっている姿に、ざわざわと笑いが起こる様がステキでした(笑)。
 困惑の笑いが広がっていくあの雰囲気。
 ……いや、美女でしたよ、ほんと。

 
 ゆーひくんをあまり語っていないよーな気もするが。
 彼がかっこいいのはほんとデフォルトで、言葉がない。
 ペペルはほんと「2番手」の役であり、真ん中に立つ力のあるスターでないと、役の持つ華やかさに負けてしまうのだなと思った。
 それを「こなせている」と思う部分と、「ちょっとやばい?」と思う部分とがいろいろで、ただもー、「あの隅っこにいたゆーひが、こんなことに」みたいな感慨に耽っていた(笑)。

 ゆーひとそのかが並んでいる図にも、免疫がついてきた。
 そのかはケロではないし。
 ゆーひは大人になっているし。

 清々しい切なさを噛みしめながら、愛しい彼らを見つめる。

 大好きな彼らが、美しく舞台に立っていてくれることがうれしい。
 美しい世界にいてくれることがうれしい。

 キンキンキラキラのインド・マハラジャ物。
 こんな世界をあたりまえのカオで上演できる、タカラヅカのすごさ、そして、衣装や設定のすごさを変だと思わせない、タカラジェンヌという妖精たちにも、感動するのみだ。

 タカラヅカでなきゃ。
 そえ思えることが、たのしい。

 
 全国ツアー『ダル・レークの恋』の感想続き。

 なんといっても、カマラ@かなみちゃん。

 きれい。
 すげーきれい。
 ナマ腹ですよ、ナマ腹!!

 ヘソ見えてますよ。背骨見えてますよ。
 いやあもー、かなみちゃんの腹見せてもらっただけでも価値ありました、この公演!(鼻息)

 インド物は男役にはきついが(男物ターバンは日本女性にはふつー似合わない。頬が丸い人は悲惨になる)、娘役は華やかでよいねっ。サリーと金色尽くしが豪華、タカラヅカ的視覚満足感につながる。

 そして、1幕はふつーに、カマラが主人公に見えた。ラッチマンは、その相手役。

 わたしがこの作品に10年前よりすんなり入れたのは、このことも大きいと思う。
 マリコさんは「主役にするしか能がない」くらい、脇には置いておけない、なにをやっても脇にはならない人だった。
 カマラ視点で物語を進めなければならないときでも、ラッチマンの印象が強くなりすぎて、混乱したってばよ。

 マハラジャの姫君カマラ@かなみんは、避暑に訪れたダル湖畔で身分違いの恋に落ちる。
 恋のお相手は超イケメンの騎兵大尉ラッチマン@あさこ。女たちにきゃーきゃー騒がれている、ダル湖畔避暑中セレブたちのアイドル。
 身分はなくても有名人、カマラとの恋はあっちゅー間に人の耳に届いてしまう。まあ、このラッチマンつー男、悪びれないっつーか無神経っつーか、ちっとも恋を隠さないからね。
 恋の噂がマイナスになるのは、嫁入り前の姫君の方。輝かしい将来が待っているカマラ姫は、祖母インディラ@タキさんの命によりラッチマンと別れることになった。
 身分違いじゃしょーがない……いずれ別れさせられるのだから、自分の手で、相手を傷つけて別れる。自分が悪役になって、別れる。カマラは泣く泣くそうするわけだ。
 別れの哀しみでダメージくらっているところへ、さらに追い打ちがかけられる。ラッチマンの正体は、セレブ女をターゲットにする色男詐欺師ラジエンドラではないかというのだ。
 詐欺師に喰われたとなるとカマラの将来はなくなってしまう。インディラたちに尋問されたラッチマンはあっさり自白、自分が詐欺師だと肯定。
 そして彼は、カマラ姫との関係を吹聴しないかわりに1回ヤラせろと要求してきた。お家大事のインディラたちは、もちろんカマラを差し出してしまう。まあもともと恋愛関係にあった段階で不名誉さは同じ。男女の仲がどこまでかなんて、世間にはわからない。今さら「1回ヤラせろ」と言ってきたところで、インディラからすりゃ「今さら」なことだ。
 ちょっと待っておばーさま、ヤるとゆーか、ヤラれるのはわたしなんですけど? 自業自得、身から出たさびとはいえ、わたしがこのカラダで責任取らなきゃならないんですか?!
 カマラ、ピ〜ンチ!
 しかし救いの手は差し出されず、彼女は悪漢ラジエンドラ……たしかに愛したはずの男ラッチマンと一夜を過ごすことになった……。

 カマラ主役で、カマラに感情移入して、ハンサムなラッチマンに恋をする。
 祖母の命令で無理に別れを言い渡すせつなさや、実は彼は詐欺師で騙されていたのだという哀しみも堪能できる。
 いやあ、少女マンガです。少女マンガ感覚、まんまを味わえます。

 そして、あさこがまた、少女マンガのヒーローまんまなんだよなあ。
 脚長っ。軍服似合い過ぎ。
 ビジュアルだけで「彼が、ヒロインの相手役」だと納得させてくれる。

 で、休憩を挟んだ2幕になってからラッチマン視点で物語が再スタートする……わけだな。
 1幕をまるまるカマラ視点で観てしまったので、2幕もパリの回想シーン以外は全部カマラ中心にしてくれてもよかったんだが。2幕は途端カマラの扱いが悪いので、落差にとまどう。
 もっと彼女中心に葛藤を描いて、どきどきさせてほしかったなあ。

 カマラと観客の目線を完全に一体化することで、ラッチマンへの恋を「一人称」で堪能させてほしかったっすよ。
 2幕で半端にラッチマン目線が入るので、「三人称」になるのが散漫な感じ。

 タカラヅカは男役中心だから、仕方ないのか……。
 でもさあ、女性向け恋愛ドラマも映画も、女が主人公じゃん。ヒロインに感情移入して、ダーリンキャラに恋するんじゃん。
 ヅカでもそーゆー風に恋愛ドラマを展開してくれてもいいと思うんだけどなあ。
 せっかくかなみちゃんという、ピンで立てる実力のある娘役トップスターがいて、乙女の夢を満たす美しさのあるあさこちゃんという男役トップスターと組んでいるんだからさぁ。
 

 まあなんにせよ、美しさに酔うことのできるふたりだ、月組トップコンビ。
 そしてまた、ゆーひくんが少女マンガまんまのハンサムっぷりだから。
 かなみちゃんとあさこ、ゆーひって、すごく映りがいいんだよなあ。3人揃って嘘くさいまでにヴィジュアル系。タカラヅカはこうでなくっちゃなキラキラ感。
 そのうえあいちゃんというスタイル抜群の美少女が加わり、少女マンガ完成。
 すげえなヲイ。

 
 ゆーひはダークサイドが映える持ち味の人だと思っているんで、こーゆーコメディ的な悪役は器の大きくなさ(微妙な表現)がのぞいちゃった気がしないでもないんだが、とにかく色男なのでヨシ。
 10年前に観たコテコテ昭和芝居『ダル・レークの恋』とはちがい、キラキラ少女マンガ『ダル・レークの恋』なんだから、ペペルもキラキラしてなきゃ!

 ゆーひの持ち味的にはラッチマンの方が得意分野(プルミタス系だよね?)だと思うし、あさこはペペルの方が得意(スーパーラティーノ系つーことで)なんだろーなとは思うけど。
 まあ、番手的に逆は無理だからなぁ。

 男をよく見せるもしょーもなく見せるも女の腕次第、かなみちゃんの華やかで深みのある演技で、観客を「情熱の恋」へ誘ってほしいわん。カマラになりかわって、ラッチマンに恋をさせてほしいわん。

 
 そーいや初日のカマラ姫、「一夜」のあとサリーがうまく着られなかったらしく、翌日の祭りのダンスにハラハラさせられっぱなし(笑)。
 カマラ、自分でサリーを着たことなかったのね、お姫様だから。
 サリーの片端を背中に長く垂らしているんだけど、一夜のあとはソレが長すぎ、引きずるほどだったの。危ないって。踏んだら転んじゃうよ?
 やばいと思ったのか肩のアクセサリをいじって短くしよーとしたあげく、アクセサリごと取れちゃって。
 サリーの端がひらひら状態に。
 かなみちゃんは必死に押さえながら踊ってるし。……ラッチマン、助けてやれよー。
 しかし救いの手は差し出されず、彼女はサリーを押さえたまま、なんとか演技を終えて走り去った……。
 あああ、せっかくのいいシーンだったのに、サリーの処理に気を取られず、カマラの感情の揺れだけにとことん注目してせつなくなりたかったわ。まあ、初日だから仕方ないか。
 ダンスなどの決められていた「手順」を止めて、ラッチマンが強引にカマラのサリーを直したりしたら、ときめいただろうなあ(笑)。残念。

 
 あれから10年、当時あんなに苦手だったコテコテな星組にハマったあとなので、今、マリコさんの『ダル・レークの恋』を観てみたい気もする。
 ……すげーハマっちゃったら、どうしよう(笑)。
 や、時は戻らないので無理ですが。(ビデオは「観た」うちにカウントしません。だからもう無理っす。残念)


 今頃ですが、月組全国ツアー『ダル・レークの恋』初日観劇時の感想。

 なんか、わたしの知っている『ダル湖』と、1から10まで、なにもかもがあまりにちがって、大ウケした。

 10年も前に大劇場で観ただけの記憶なんだが、『ダル湖』といえばエロいというイメージ。
 エロくてきわどいラヴシーンがウリだと思いこんでいた。

 だからびっくりさ。

 あの『ダル湖』が、さらりサワヤカだ!!

 すげえ。
 まったく別物!!

 『ダル・レーク』と言えば、円形ベッド。
 欲情を表すかのよーに男は自分のターバンをむしり取る。ばさりと広がるのは野性的なチリチリロン毛。おびえる女のサリーを掴み、くるくる回して脱がせる。
 あーれー、お代官様、おやめください〜〜。

 星組版の『ダル・レーク』を観たとき、わたしはもー、笑いをこらえるのに必死だった。ツボに入っちゃって、声を殺して笑うのに腹筋を鍛えられた。

 マリコさんのラッチマンは、ひたすらエロかった。エロくてうさんくさくて、見ていて恥ずかしいやらくすぐったいやら。
 かっこいいし素敵なんだけど、その素敵さっつーのがだね、地団駄踏んで転げ回りたいよーなかっこよさなの!!
 クドい! 濃い! ネバい!
 ラヴシーンに限らない。ただ立っているだけ、ふつーの台詞を喋っているだけでもエロ胡散臭いのよー!

 だから、ラッチマンと『ダル湖』ってのは、そーゆーもんだと思いこんでいた。
 つまり、転げ回りたくなるよーな、恥ずかしいまでの濃いぃぃいエロエロなラヴシーンのある、大人の恋物語。

 それが今回、月組版を観て感心。

 エロくねえ!クドくねえ! てか、サワヤカだ!!

 そ、そうか……あれはマリコさんと星組の持ち味だったのか……。作品がどうとかゆーわけぢゃなかったのね。

 同じようにラッチマン@あさこちゃんはターバンをはずして(むしり取り、ではない)、カマラ姫@かなみちゃんをくるくる回して脱がして、円形ベッドに押し倒すんだけど。

 やっていることはけっこうアダルトできわどいはずなのに、あさこがやると、いやらしくない。
 ただ、きれいだ。
 年齢設定もチガウ? 20代前半の若者くん? 7年前がどーとかって、パリの高校に留学していたころとか?
 オトナ設定ぢゃなかったのか……。
 さわやかな青春の息吹が感じられて、コレはコレでよいと思う。
 マリコさんはパリ時代ですら、すでに胡散臭い大人の男だったので、不良高校生バージョンって感じのあさこと差別化が出来ていていいと思う。せっかくの再演だもんな。
 

 芝居が薄いのはあさこちゃんの固定スキルなんだろう、そして、この薄さや軽さが彼のきれいさやオシャレさに通じているのだろう。濃い、クドいってのは、やっぱダサさに通じるモノだから。

 なにをやってもきれいにまとまる、清潔感があるっていうのは、あさこちゃんのスターとしての特質ってもんだろう。
 それって、トップスターとして、正しいよね。

 まるで少女マンガのようだ……。
 どんなラヴシーンも点描だの花だのが飛び交っていて、肉の生々しさを持たない。いやらしさや汚さを持たない。
 きっとこれこそが、正しいタカラヅカなんだろう。

 10年前、わたしはコテコテ過ぎる『ダル湖』に大ウケはしたけれど、それ以上はナニも感じなかった。作品の古くささに辟易したのみだ。
 当時のわたしは、クドすぎるマリコさんと星組の芸風についてゆけなかったのだ。今のわたしならまた別かもしれないが、当時は硬質なトドロキと雪組の芸風をもっとも愛していたので、どーにも相容れなかったのだわ。

 あの当時のわたしを鑑みて、「あさこと月組の『ダル湖』なら」と考える。
 ……ぜんぜん、OKだったかも。ゆーひくんの二枚目ぶりに、ふつーによろこんでいたかも。

 主役の持ち味と、組のカラー。
 同じ作品をやって、ここまで別物になる愉快さ。

 そう、あさこだけのことじゃない。
 月組と星組じゃあ、持ち味正反対だもんな。

 月組は現代的でオシャレな、さらりとした芸風。だが星組は今も昔もコテコテの大仰芝居を得意とする。
 正塚芝居が似合う組と、植田芝居の似合う組。
 ……そら、ぜんぜんチガウわ。
 や、だからといって星組で植爺芝居が観たいわけではないけれど。つーかもうどの組でも観たくないけれど。

 組の持ち味を考えて、さらに納得するのは、遅れて出てくるペペル@ゆーひ。

 これがまた、星組バージョンのノルさんと、まったくチガウ。
 ふつーに、かっこいい。

 わたしは当時、ノルさんのことを「薄い」「正統派」とかゆーイメージがあったんだけど、ソレって星組比だったんだ。マリコさん比だったんだ。
 ノルさんのペペルもまた、問答無用で胡散臭かったからさぁ。大仰と言うか、存在自体嘘くさいというか。
 それがマリコさんと絡むともお、恥ずかしいやらアセるやら。や、ソレが素晴らしい「味」だったんだけど。

 ペペルってこんなに、ふつーにかっこよかったんだ……。立っているだけで笑えるよーな、くすぐったい恥ずかしさのある人ぢゃなかったんだ……。

 マリコファンで星組ファンでもあったBe-Puちゃんと月『ダル湖』初日観劇したあとお茶していたんだけど、
「当たり前でしょ、ノルさんは『パン泥棒アレクセイ』が当たり役だった人よ! 胡散臭いに決まってるじゃない! 薄いわけないじゃない!」
と、叱られました……。
 た、たしかに。あの役と某TCAのアシュレができる人だもんな……。

 ラッチマンはさわやかな少女マンガのおにーちゃんだし、ペペルはふつーに二枚目だし、他の組子たちも時代錯誤な脚本と現代的な芸風を埋め合わせずにいるし、なんか愉快なことになってます。

 この作品さあ、今の月組向きに本気で書き直すべきだったと思うよ。

 現代感覚で90分の1幕モノに短縮するべきだ。
 50年前はこれで笑えたんだろうな、と遠い目をしてしまうつまんないギャグキャラをなくして、盛り上がりに水を差す子ども騙し的かわいらしい?シーンをなくし、あくまでも本筋だけを際立たせる。
 台詞は全部書き直そうよ。もちろん、古めかしさゆえに萌えることはあるのだから、現代語訳するというのではなく、あくまでも言語センスを現代にするという意味。
 月組の持ち味が活きるように。

 タニちゃんの『不滅の恋人たち』でもそうだけど、主役がきわどいラヴシーンを演じる作品は、ソレだけで単体ファンが大喜びする。
 完全に主演ファン向け作品と割り切って、バウとかDCとかでファンだけで客席埋める勢いで上演すれば、幸福な作品になるんじゃないのかな。
 ついでに2幕はふつーにショーにして。こちらももちろん、主役のためだけにある構成で。
 それってすごく「タカラヅカ」だと思うなー。
 

 書き直さず、今の脚本演出のまま上演するなら、別の組の方が合うっちゃー合うかもなー。なにしろ作品古いし昭和時代独特の臭味があるし。
 作品の古さもこの際逆手にとって、とことん時代錯誤に昭和テイストにやっちゃうとか。

 ラッチマンはいいキャラだし。今のままでももっと芝居的に掘り下げることができたら、主役としてすごくたのしいキャラになるはず。
 てゆーか、わたしの趣味が濃ぃ〜〜い芝居の方だから、つーだけのことだが。
 マリコさんを踏襲する意味で、見ているだけで赤面させてくれる持ち味の人で、ラッチマンが見てみたいぞ。
 らんとむ希望。立っているだけ、喋っているだけなのに、クド恥ずかしい濃いぃいラッチマン(笑)。
 もしくはすごーく痛々しい慟哭型の演技がハマる人とか。
 もちろんトウコ希望。痛々しさがドラマティック、傷ついた瞳を自虐的にギラつかせるラッチマン。
 すごい見てみたいんですけど(笑)。
 

 ハイディさんちでWiiスポーツをほんのちょっとやっただけで、両腕が筋肉痛の緑野です。
 ボクシングをあんなに一生懸命やらなきゃ、せめて右腕だけの筋肉痛ですんだものの……両腕痛い……。
 や、ハイディさんちに行った理由がまっつまっつだったりするんですがね。まっつってば罪作りよね。(いやその、お世話になりました、ハイディさん&BENさん。んで、さらによろしくです)
 

 新人公演『エリザベート』感想の続き、あと少しだけ。

 ゾフィー@かおりちゃん。
 本役のマダム・ヴォルフでも感じたけれど、ほんとーに「正統派」の娘役なんだなあ。実力があるんだから、こーゆー脇の大物役も簡単プーに演じられるかと思いきや、手に余っている。
 低音が出ないので最初の「強く厳しく」がキマらなかったのはたしかに痛いけど、それ以上に持ち味のちがいが気になった。
 きれいすぎる。
 月組のあいちゃんもそうだったなー。真ん中向きの子は脇にはハマらないのか。……って、それで正しいのか。
 後半はリズムを掴んだようで安心して見ていられた。
 せっかくの大輪の花だ、大切に延ばしていってほしーなー。
 

 エルマー@ぐっちょん。
 本来の登場シーンをカットされているため、登場するなり苦悩全開。
 こんな演出でエルマーを演じるのは、そりゃー難しいだろう。……比べるつもりはないが、脳裏に浮かぶのは月組のマギー。彼はこんな演出なのに、登場するなりトップテンション、号泣せんばかりの勢いだった。やっぱアレは相当特殊なんだな……。

 ぐっちょんはクールキャラなんですか? 表情が変わらないことが気になった。好きなカオなんで、眺めているだけでたのしいんだけど……クールビューティとしてキャラメイクしたなら、もっと徹底して欲しかったな。
 それこそとことん冷酷、目的のためには手段を選ばない、ルドルフのことは利用して捨てる気満々とか、行きすぎた愛国者のやばさを出すようにしてみるとか。あ、あのカオでソレを極められるとウバルド@ケロになってしまうか(笑)。
 カオはクール、でもなんか叫んでるし、温度がよくわからない……。

 なんか最近、エルマーがキャラクタとして愛しくてならないので(笑)、真面目くさって踊っているところとか自分の世界に入っているルドルフに話しかけてスルーされているところとか、ツボ満載、新公でもたのしく注目してました。
 なんつーか、トート@コマがクドくて嘘くさい(ホメてます)ので、そんなトートに「どうぞ我らのお仲間に」とたのしそーにしている革命家たちの浮き世離れぶりは愉快です。

 革命家トリオはやはり、なにがなんでも美形でなくてはならないと思うので、3人揃って美しくあってほしいっす。
 作品の華だもんなー。書き込みされていない分、無意味なほどの華でにぎやかしてほしい。

 
 本公演時から、とにかく目について仕方がない涼瀬みうと。
 新公でもやはり、目につきまくる。でもべつに、とくに役が付いているわけでもない。
 顔が好みだというだけのことだ。オサ様・水くん系の顔。
 なんか気がつくと、彼を探しているわたしがいる……(笑)。

 
 世代交代し、いつの間にやら85期あたりがもう「大人役」「壮年以上の役」をやる時代になっている。
 スターの学年は上がりまくっているけれど、それ以外の役割を負う学年は下がりまくっているからなー。
 新公学年とはいえ、87、88期あたりから、脇の大人役を演じられる人を育てないと、芝居が成り立たなくなってしまう。
 人生迷いまくりのナイーヴな青年役を演じる高学年スターと、そーゆー青年を叱ったり導いたりする父親だとか先輩だとか脇の大人役をカラをお尻にくっつけたままの下級生が演じる。……なんかおかしな光景っちゅー気もするが、それが現実。
 今がチャンス、オイシイ大人の男ポジションを狙え。
 オヤジ役ばかりの『エリザベート』は、オヤジスキルを磨くチャンス。
 タカラヅカを愛し、長くおっさん道を極めてくれる男たちが育つといいな。
 ……と、たのしそーにオヤジ演技をする重臣ズだとかシシィパパだとかを眺めておりました。
 まるまるつやつやしたオヤジたちだけど、葉陰の果物が熟するのを待つように、ゆったりと見守りましょう。
 オヤジは1日にして成らず。大人の女やおばさんを作るよりずーっと時間がかかる。
 好みのオヤジが育ってくれるといいなあ。

 
 個人評はこんなもんで。
 新公『エリザベート』、とてもたのしんだし、終わったあと「コマ! コマ!」と大喜びしていたのだけど、主要キャスティングを別の人で観てみたかった気はするなー。
 なにしろ大作なので、いろんな人で見てみたい、というだけのことで、キャストに対してなんの含みもない。

 トートを演じるキングを見てみたかった。……のは、最近彼があまりにヘタレキャラ続きだから。
 『ハロー!ダンシング』『ノン ノン シュガー!!』『エリザベート』と3作連続ヘタレなんだもんよ。
 強いキャラをがーんと演じてみせてほしい。このまま変な癖がつかないか心配だ。

 エリザベートはもちろんかおりちゃんで。正統派の歌姫が演じる正統派のヒロイン。……そりゃ、ウエスト50cmには見えないかもしれないが、華と美貌と歌唱力は群を抜いてるんだからさー。

 コマはフランツもルキーニも見てみたいが、じつはいちばん見たかったのはルドルフだ。
 アツくてクドい彼がハマり込んで演じる破滅型の美形ってのは、想像するだけでわなわなしちゃうわ。

 せしるはトートかルキーニ以外はやめておいた方がいいキャラだと思うので、ルキーニで良かったけど……あー、エルマー見たかったなー。華と熱で群衆の中で燦然と輝いて欲しい。

 そんなふうに、いくらでも役を当てはめて考えられるのが、『エリザベート』という器のたのしいところ。

 新公がチケ難になるのは、作品人気が高いときのみだもんよー。
 ムラの新公なんて大概チケ余って大変なのに、『エリザベート』はいつでもチケ難だもんな。

 たのしゅうございました。はい。

 
 で、よーやく感想終わりだーってことで、スカステの新公ニュースを探して見てみた。
 や、ナマを観た感想書ききらないと、映像は見られないでしょ。ナマがいちばん、たとえなにかしらカンチガイしていたって、劇場で感じたことの方が大切、あとから映像を見たことで、せっかくの記憶を書き換えたくないもの。

 確認事項はひとつ。

 自分が、うっかり映っていないか。

 せしるの客席降りのすぐそばだったから。通路際だったりしたから。
 絶対に映らないよう、カメラがあるだろう方向は、一切見なかった。映り込むのはもうごめんよ。自分の不細工な顔が映っていたりしたら、夢の世界が台無し、もう二度と見られなくなった公演中継映像があるっつーの。(苦すぎる過去)

 映ってませんでした。
 や、アタマは映ってるが、顔は映ってない。やった、きょろきょろしたりせずに視点固定していたから、髪の毛しか映ってない、あれならセーフ。友だちでも、わたしを特定できないはずだわ。(後ろ姿だけで特定された過去が……)

 東宝新公観劇予定の人、せしると一緒にテレビに映りたいなら、上手側通路、5列目くらいのとこですよ。センターよりも、上手ブロック通路際の方がよく映るかも。
 おすすめ★


 汐美真帆は、わたしの「はじめての人」である。

 ヅカファンになって19年。
 19年もこの特殊な世界に、浅くではあるが長々とハマって過ごしてきたが、未だケロが「はじめて」なんだ。
 「見送ったご贔屓」というのは。
 なにしろ、その前はトドロキのファンだったもので。(や、今でもトドは愛着持って見守ってますが)

 わたしが自分のファン生活を「浅い」と思うのは、いわゆる会活動をしていないためだ。
 タカラヅカファンの醍醐味は、「私設ファンクラブ」体験だと思う。

 お揃いの服を着て楽屋口前に整列し、立ったりしゃがんだりを繰り返し、声をそろえて同じ台詞を言う人たち。
 同じ人を応援する、という明確な意志で集まった組織。
 独特のルールと人間関係、閉鎖性。
 ……それを体験してこそ、「正しいタカラヅカファン」だと思う。

 いや。
 FCの入会有無ではない。

 タカラジェンヌとの距離感。

 それこそが、タカラヅカの特殊性だと思う。

 好きな人と、直接関われる。
 生徒のポジションにもよるが、一部の人気スター以外ならば本人と直接会話も出来るし、自分を個別認識してもらうことも可能。

 毎日入り出に通い手紙を渡して、生徒自身の日々の機嫌や癖、日常の姿を垣間見る。
 舞台の上での非日常的空間ではなく、あくまでも生身の人間としての姿をも愛でる。

 たとえ雲の上の大スターでも、毎日の出勤帰宅風景を何年も眺め続けりゃー、「あの人って、じつはこんな人」と人となりが見えてくるだろう。人間なんだから。

 ジェンヌとそーゆー関わり方をしてこそ、「真のタカラヅカファン」だと思う。
 会に入って応援すれば、入らなくても舞台以外の姿も愛していけば、それで「真のタカラヅカファン」。

 わたしは時間ばかり長く過ごしてきたが、結局のところ舞台を観るだけで、生身のジェンヌには一切近づいていない。
 FCにも入らないし、入り出待ちもしないし、お茶会にも行かない。スカステだって入らないので、トーク番組を目にすることもなかった。

 タカラジェンヌとは「ファンタジー」であり、現実の存在だとは思っていない。男役は男だと思っている。

 だから、FC入会は必要なかった。手紙であれ会話であれ、本人に「舞台、よかったです」「ステキでした」と伝える意味など無い。だって、「ファンタジー」だから。ジェンヌは生きた存在ではないから。
 アニメの登場人物に、ファンレター書いてどうするよ? 演じている声優さんが読むの?「スナフキンはわたしの初恋です★」とかゆー手紙を? 声優さんは演じているだけで、スナフキンちゃうやん。

 架空の世界、架空の人物を、架空だと割り切ったまま愛する。
 それがわたしのスタンスであり、生きやすい距離だった。

 それでなんの問題もなかった。
 ところが2004年後半、ケロが劇団を去ることになり、わたしは混乱する。

 あれほど頑なに拒んでいたお茶会にもはじめて参加したし、スカステも加入したし、千秋楽は入りも出も見たし、そのあと、OGになった直後のトークショーにも駆けつけた。

 舞台の上ではない汐美真帆を、追いかけた。

 その後、某所でケロが日記を書いているのも、その書きはじめた初日から知ることが出来、以後2年まったりと眺めている。もちろん、こちらからアクションする気などないので、眺めるのみだ。
 
 そーやって、混乱は深まるんだ。

 わたしが愛してきたのは舞台上のケロであり、生身のyokoさんではない。
 もちろん、ケロの中の人だからyokoさんも大切なのだが、やはりどうしてもyokoさんは「知らない人」なんだ。
 だってわたしにとってのケロは、男だし。チェリさんがどれほど「ケロちゃんだって女の子なんですよっ」と言ったって、聞かなかった。ケロは男だから、ふんどしでもいいんだってば。(『厳流』の頃の日記参照してくれ)

 わたしのなかの汐美真帆と、NYでほにゃりとした日記を書いているyokoさんはちっともイコールにならない。

 それでも。
 願うことは、ひとつだった。

 yokoさんがしあわせであればいい。
 それだけを、祈ってきた。

 
 『ドルチェ・ヴィータ!』東宝千秋楽から2年5ヶ月経ったこの日、ケロが再び東京宝塚劇場の舞台に立つという。

 貸切公演の司会者として。

 行くかどうするか、悩んだ。
 ナマのケロを見てみたかった。
 トウコちゃんと同じ舞台に立つ姿を、見てみたかった。

 でも結局、行くことはあきらめた。
 チケットがなかったこともあるが、今の世の中、金さえ出せばどんなチケットでも手に入るのだから、それは言い訳にはならない。
 わたしは、行かなかった。

 こわかったからだ。

 19年ヅカファンやってきて、「退団後、女になっても好きは好き」だと公言してきた。
 事実、他の人に関してはそうだと言える。異性だったときと濃度はそりゃかわるが、いったん好意を持った人にずーっと好意を持ち続けるのは、ふつーのこと。
 ただ、わたしの愛するものが「タカラヅカ」である以上、「タカラヅカ」でない舞台までは、追いかけられないけれど。(金があれば追いかけたいけど、物理的にこれ以上無理)

 だがそれは、好きのレベルがケロとはちがうわけで。
 ある一定レベルより好きな人全部を、わたしはまるっとまとめて「ファン」という言葉でくくっているけれど、「ご贔屓」と書くのはケロだけだった。「担当」と書くのも、ケロのみだった。

 男役は、男。
 タカラヅカは、存在自体がファンタジー。

 ナマのジェンヌに近づくことがなければ、あくまでも舞台を観ているだけならば、いくらでもソレで完結していられた。

 舞台のケロを愛してきた。
 今でも、ソレは変わらない。

 だからこそ、男子であった汐美真帆と、今の汐美真帆でもあるyokoさんとの存在の差に、おびえている。
 整理がつかない。

 ケロは、わたしの「はじめての人」だ。
 こんなに混乱することなんか、他の人ではあり得ない。他の人なら、「女になっても好き」とシンプルに言えるのに。

 ケロ司会貸切公演を観劇したドリーさんから、詳細な報告をもらった。
 なまぬるいyokoさんクオリティは健在のようで、とほほと思いながらも、微笑ましく思った。
 ドリーさんもまたケロファンで、ケロが去ったあともケロがいた宝塚歌劇団を愛し、現在もまた幸福にヅカファン生活を送っている同志だ。
 彼との恋、そして別れがあったからこそ今のわたしがあり、新しいいくつかの出会いがあり、今また愛する人たちがいる。人生はすべてつながっており、なにひとつ無意味なことなどない。
 ドリーさんは、とてもあたたかいキモチでケロとの再会を受け止めたようだ。
 そしてわたしは、彼女の報告を読みながら、マジ泣きした。

 今もわたしは混乱したままだけれど、それでも、ケロもケロの中の人も特別だ。それだけは、変わりようがない。
 ケロがしあわせであってほしい、これからどんな生き方をするのかわからないけれど、あの人の人生があの人にとって豊かなモノであればいいと思う。
 や、今回の司会にはこわくて近寄れなかったけれど。次にやはり司会とかされても、行けるかどうかわかんないけれど。

 ただ、役者としてのケロを愛していたので、司会とかカルチャースクールの講師とかではなく、役者として舞台に立ってくれたら、どんなに複雑でも混乱していても、やはり観に行くんだろうなとは思う。
 

 ヅカファンになって19年。
 はじめての混乱。はじめての痛み。

 そして、思うんだ。
 もっとちゃんと、ディープにヅカファン経験していればよかったのかな、と。

 わたしは「浅く長く」いただけで、ヅカファンの醍醐味である会活動をしていない。いや、FCの入会有無ではなく、ジェンヌとの距離感の問題だ。
 舞台上だけを愛で、生身の彼ら、女性芸能人であるところの彼らに近づくことがなかった。
 それをちょっと、考え直すべきかなと。

 会に入るとか、出待ちしてジェンヌに声かけちゃうぞとかゆーのではなく。
 「男」だとドリームで囲って愛するだけではなく、女性の部分も愛して行ければいいな、と。

 そうすれば、女性として生きるようになった彼らに対し、あそこまで混乱はしないでいられるかな、と。
 「男役じゃなくなったから、興味がなくなった」は世の中的にもアリだと思うけれど、「男じゃないという現実についていけない」のは、アレだと思うので。

 男だと思ってここまで愛するのは、ケロが最後かもしれない。

 現にまっつのことは、女性でも好きだと思う。てゆーか、女の子だから好きだと思う。
 まっつには、ジェンダー的な混乱はない。素顔のまっつが、「女性として」美しいことが、うれしくてならない。
 ケロとまっつはチガウ。
 今わたしはまっつダイスキで、「ご贔屓は?」と聞かれればまっつだと答えるけれど、まっつにたどりついたのは、ケロがいたからだ。

 今、こんなに誰かを好きでいられるのも、ケロがいたからだ。
 それが、うれしい。
 

 汐美真帆は、わたしの「はじめての人」である。

 そして。
 ある意味。

 汐美真帆は、わたしの「最後の人」である。

 
 ……そーゆーことで。


 新人公演『エリザベート』の感想続き。

 ヒロイン、エリザベート@さゆちゃん。
 すっげー不思議だったのは、どうしていつも、怒っているのかってこと。

 シシィはいつも、怒っていた。
 眉をつり上げ、厳しい、こわい顔をして。
 笑っていないところは全部、怒っている。
 悲しんだり孤独だったり、なにかしら感じているのだと思うけれど、顔が全部怒っているので、よくわからない。
 「私だけに」も、怒ったまま歌いきった。
 息子が死んでも怒っていた。
 年老いた夫と話すときも怒っていた。
 暗殺者と出会ったときも、怒っていた。

 怒りだけに彩られた人生だった。

 ……苦手だなあ、このひと。わたしは臆病なので、いつも怒っている人って、苦手。周囲に対してマイナスの火花を振りまく人って苦手。
 と、エリザベートを見て思った。少女マンガの悪役美人お嬢様キャラみたい。

 エリザベートの言動は、表情ひとつでこんなにも攻撃的に見えるんだなー、と感心。
 今まで見たことのない、新しいエリザベートだった。世界のすべてに対し、怒り続けるエリザベート。憤怒の仁王像のよーな。

 怒る、攻撃する、というエリザベートも、アリだと思う。
 彼女はひたすら強かった。
 怒る、という能動的言動を取る彼女は、自身に対して絶対の愛と自信があり、それを損なうモノに対しての拒絶と嫌悪、反感がとても強い女性だった。
 扉を開けてくれと言う夫を張り倒し、共に黄泉の世界へとささやくテンション高い男を張り倒し、べそべそ泣く息子を張り倒し、ひとりずんずん力強く怒り続けていた。

 そんなに怒ってばっかじゃ、誰も君のこと好きになってくれないよ?
 今は若くてキレイだからいいかもしれないけど、トシとってソレじゃあ、誰もそばにいなくなるよ?
 ……と、心配してしまう。

 あまりに強くて怒ってばっかの人だったんで、ラストで何故いきなりトートを選んだのかはわかんないけど、「宮廷に収まらない」女性としては、こーゆーキャラ立てもアリです、ほんと。
 この性格ならそりゃ、誰ともうまくいかないわ……。
 そして、その強さゆえに他人からも理解されず、孤独にもなるわ……。
 そのことを本人が自覚し、「それでも、これがわたしよ!」と胸を張っているなら、それでヨシ。どんなに傷ついても、棘を持ち続ける覚悟があるなら、あっぱれな人生だ。

 せっかくおもしろいキャラなので、さゆちゃんにはこのエリザベート像を極めて欲しい。
 強いゆえの痛みとか、攻撃的であるがゆえの孤高さとかを表現してくれたら、さらに魅力的になる。
 ただの悪役キャラではなく、姫川亜弓@『ガラスの仮面』まで到達したら、都合のいいだけのヒロインキャラなんか足元にも及ばない共感と人気を得られるんだから。

 いっぱいいっぱいで表情が固定されたままだった、真剣さやせっぱ詰まり感が怒りの炎に見えた、とかゆー話にオトすのではなく。
 舞台裏がどうあれ、彼女が舞台上で表現したモノを評価したい。

 ……さゆちゃんがいちばん魅力的に見える役は、街にいるふつーの女の子、とかなんだろうなあ。お姫様とか女優とかバレリーナとか、華やかなジャンルの人ではなくて。天使とか妖精とか女神とか、人間外の体重のないよーな役も、チガウんだろうなあ。
 素のかわいさで勝負できる役なら、もっと活き活きと演じられるんだろーな。

 
 フランツ@しゅうくんは、辛抱役を切々と歌い上げる。
 わたしにとって彼は、『Young Bloods!! 』の「おとーさん」。や、そこではじめて認識したから。
 高いところに立って歌っていた記憶が、彼を認識した最初。
 そのすり込みのおかげで、「ふつーに歌える人」と思っていた。どっちかっつーとダンサーの人だったんですか? 『堕天使の涙』で水くんと踊っていたりしたよね?
 雪組の中では、まず身長で目に入ってくる人。

 ふつーに歌えると思っていたけれど、思っていた以上に歌える人だった。
 やさしげで軍服が似合って、なんかめおちゃんフランツを彷彿とするんですが……。

 トート@コマはテンション高くぶっ飛ばしているし、エリザベート@さゆちゃんは怒り続けているし、で、フランツは大変だぁな。
 相手が悪かった、という言葉が脳裏をちかちか通り過ぎていく。
 シシィが別人つーか、もっとちがった役作りだったら、もう少し向き合ってもらえたのかもしれないね、フランツ。
 怒りのオーラで人を寄せ付けないシシィに必死に取りすがっていたけれど、ビンタ一発で吹っ飛んだ。……婿養子テイストなのは何故。

 辛抱役で地味で目立たないけれど、やっぱフランツって好きな役だなあ、と再確認。
 強い嫁にたじたじになっているエリート色男って感じで、萌え(笑)。

 
 ルドルフ@キングは、なんか演技以前の手順のところで大変なことになってなかった?
 トート@コマがなかなか出てこなかったり、ラストシーンでなかなかセリ下がらなかったり。や、キングが悪いわけじゃないけど、「うわ、気の毒」と思った……。

 ルドルフって、しどころのない役なんだなあ、と思った。
 うーん、今までそんなこと考えたことなかったけど。つか、反対にオイシイ役だと思っていたけど。
 考えて見りゃ、これだけの出番で「なにか」を残すのは、ほんと大変だ。

 キングのルドルフは弱く、道に迷った子どものようだった。
 や、キミ、ママにまったく似てないから! ママは怒りの10時10分、息子は哀しみの4時40分。思い通りに行かないとき、ママは怒り、息子は嘆く。
 勝手に「ボクはママの鏡だから」とか言ってママに取りすがっていたけれど、「冗談じゃないわよ、このヘタレがっ!」とビンタ一発で吹っ飛んだ。

 そして最後の見せ場、拳銃自殺とトートのキス……。
 されど、セリが、動かない。

 ふつーなら「トートのキス←セリ下がり」なのに、キスが終わってなお、セリが動かない……。
 トートの腕の中のルドルフ、という美しいシーンのはずなのに、舞台に響くのはスタッフのおっちゃんの「降りへんぞー」という声。ああ無情。

 チューし終わったあとしばらく、小柄なトートはでかいルドルフ抱いたまま固まっていた。
 ライトも真面目に点灯したまま。……暗転させてやればいいのに。

 そのあとでよーやくセリが動き、不思議なタイミングでトートとルドルフは沈んでいった……。
 固まっていたトートが、最後の最後で後ろを振り返ってしまったのが惜しい。その動作、トートではなくコマとしてだよね?
 キングはずーっと死体だしなー……大変だなー……。

 
 つーことで、まだ続く。


 新公『エリザベート』の感想の続きを書く気満々だったのに、今日友の会から「お知らせ」の最新号が届き、『アデュー・マルセイユ』のあらすじを読んで、他のことが吹っ飛びました。

 ……読まなきゃよかった……。
 いつもあらすじなんか、まったく見ないのに。前もってなにもチェックしないのに。
 今回から冊子のデザインが変わっていたので、物珍しさで読んじゃったよ……。

> マイケルとスティーブは幼なじみ。共にびんぼー少年だったわけだ
>が、マイケルはギャングのボス・アルビンに拾われ裏街道、スティー
>ブはまともに勉強して医者になった。ふたりの運命が分かたれたのは、
>マイケルがスティーブをかばって罪を着たせい。
> さて、大人になり再会したふたり。立場はちがっても仲良し。なん
>せ、同じ女の子を好きなった……。

 って、コレはセンス皆無の中村A作品、『あの日みた夢に』のあらすじ。(2004-09-12記述)

  冊子に載っていた『アデュー・マルセイユ』あらすじは、こいつをはてしなく連想させるモノだったのよ……。

 勘弁してくれ。
 『あの日みた夢に』は中村Aらしい、するするすっとんとんの引っかかりのカケラもない、つまんない駄作だったのよ。
 そんな駄作とニアミスした設定に、心に冷たい風が吹く……。
 しかも、魚屋と漁師の息子って、学生って……オサ様でなぜそんなのどかな設定なの。

 小池の目には、オサは「オサダくん」にしか映っていないのか……。
 もしくは、「オサダくん」がウケたから、2匹目のドジョウを狙っているのか。
 小池オリジナルだから、駄作・トンデモ作は決定事項だと覚悟はしているけれど、不安が募るばかり。
 ああもお、小池修一郎、なんでオリジナルなんか書くんだ、物語書く才能持ってないんだから、演出だけしてればいいのにー。演出家としては天才的な人なのにー。天は二物を与えてないのよー、自覚してよお。

 まあ、植爺よりマシだと、自分を慰めるしかないんだがな……。

 まとぶがオイシイ役だといいなあ。
 オサ様とがっつり組む役だといいなあ。

 でもって、チケット、当たるといいなあ……。遠い目。

 

 ああそして、ぜんぜん関係ないことだけど、もずえさんが久しぶりにブログ更新してるー、うれしー。
 待ってるからねー、またムラで会おうね〜〜。


 作品を短縮するのは大変だと思う。
 『ベルばら』みたいにいらないシーンばかりでできあがっているのではなく、ちゃんと意味のあるシーンがつらなってできあがっている作品を、短くするのは。
 大変だとは思うけど……。

 新人公演『エリザベート』の演出家は、小柳先生。

 あの最悪だった月組新公『エリザベート』と同じ演出家! やはり問題ありすぎだった新公『NEVER SAY GOODBYE』と同じ演出家!

 小池の弟子なんですか、彼女。小池作品の新公演出ばかりしている? 小柳先生には構成力や物語をなめらかに進めるセンスが欠けていると思うんだが……鈴木圭演出で、『エリザベート』の新人公演が観てみたい。
 鈴木くんなら、どんなふーに『エリザベート』を料理し、ルキーニにどんな台詞を言わせ、どんな歌を歌わせるだろう。新公のみの新曲や新場面を作ってしまう人だからなー。

 
 はい、月組新公の構成のひどさがトラウマ(笑)になっているので、今回も開演直前にnanaタンとふたり新公プログラム開いて、「演出家、小柳先生だよ!」と、不安におののいたのでした。
 またなにか、ひでーことするんぢゃないかと。

 でも冒頭に「霊廟」のシーンがあるようだ。
 月組新公ではなかったシーンが、存在する。

 やっぱ不評だったんだ、月組新公『エリザベート』。
 1場をすっとばしてシシィとパパからはじめるもんだから、主役のハズのトート閣下の出番がシシィが木から落ちたあとまでない、という構成。
 そして、ルキーニがえんえんセンスのない流れの悪い台詞をひとりで喋って無理から解説していたっけ。

 それをやめて、「霊廟」シーンやるんだー。よかったー。
 プロローグの「霊廟」シーンがない『エリザベート』が、どれだけ盛り下がるか、月組新公で思い知ったもの。

 と、ほっとしたのも束の間。

 「霊廟」シーンは、ただのデコレーションでした。
 銀橋で解説するルキーニ@せしるの背景に、ただ衣装を着て並んでいるだけのみなさん。
 トート閣下も歌うことはなく、ただ出てきただけ。

 月組よりはマシだけど。
 しかしやっぱ、プロローグは欲しいわ……アンサンブルぶちかますのは、「作品」として必要だと思うよ。トートが主役だということを、最初に示すことも。
 パパとシシィ削って(台詞だけのやりとりにするとかして)、かわりにプロローグの「霊廟」シーンやればいいのにー。
 なーんかバランス悪いよなー。

 
 でもって。
 
 その昔、『あさきゆめみし』という作品があり、「刻の霊」という役の比重について、ファンたちは首を傾げていた。
「あれって、2番手、だよね……?」
「しっ、言っちゃダメだよそんなこと!」
 スダマ役をやっているのは、2番手ではなく、学年的にはまだ4番手のはずの、若者だったから。番手制度絶対のタカラヅカで、ソレは「言ってはいけない」こと。
 とくに、わたしの友人のチャーリーファンの神経の尖らせ方は、痛々しかった。
 2番手はチャーリーのはず。
 だけど、チャーリーが演じている頭中将はどう考えてもスダマ以下の役だった。
 劇団が押している若手が、わざわざ原作にはないオリジナルキャラクタで2番手以上の扱いを受ける。
 それは露骨な所行だったが、とりあえず公的には「頭中将が準主役」という触れ込みだった。
 公的な2番手役……ソレが、救いだったのに。

 新人公演で。
 2番手ポジションの生徒が演じたのは、頭中将ではなく、刻の霊だった。

 本公演では、それでも取り繕っていたくせに!
「スダマが2番手役? いやいや、そんなことはありませんよ、よく見てくださいよ、2番手役は、頭中将ですってば」
 と、言ってお茶を濁していたくせに。
 新公では詭弁を捨てて、「スダマが準主役」と公言しますか!!

 チャー様ファンの友人のグレ方、そしてスダマ役をやった当時4番手の若者くんに対する反感は凄まじかったっす……。
 劇団、これはひどいよー、なまじお茶を濁したあとの本音だから、さらにきついよー。
 そのチャー様ファンの友人は、未だにハルノスミレ大ッ嫌いだもの。

 
 なーんて昔話を思い出した。

 というのも、『エリザベート』新公の2番手役は、比重的に言ってルキーニだよな、と思ったから。

 月組新公ではルキーニに台詞が不必要なほど増やされていて、たんに構成が悪くなっていただけ、という印象が強かったし、まあ、演じている人がいっぱいいっぱいで、台詞噛みまくり、忘却してしばし沈黙したりの繰り返しで、流れがそのたび止まって大変だった(でもずっと、「ルキーニ」役として通していた、あっぱれな役者ハート)ので、比重云々つーこともなかったんだが。

 今回はわかりやすかった。
 そっか、ルキーニか、と。

 フランツ視点で観劇する癖のついているnanaタンと一緒にいたことも大きいと思うが(笑)、たしかにフランツの見せ場がカットされ、ルキーニの見せ場は増えている。
 そして、月組新公ほど不要なまでに台詞をダラダラ増やしていない。必要最低限の解説で進めているので、進行がなめらかだ。

 もともと辛抱キャラのフランツを大きく引き離し、ルキーニが準主役の座にわかりやすく躍り出た。

 新公のルキーニ役は、芝居の主要キャラというより、ショーの主役に近いかな。
 他のことは置いておいて、とにかく求心力が求められる。ぶった切って継ぎ接ぎした場面場面を、彼がまとめなければならないから。

 この構成において、主役以外でもっとも「タカラヅカスター」として「勉強」になるのはルキーニ役だ。

 新公になると、いろーんなことが起こるなあ。
 その昔、『あさきゆめみし』で番手逆転が白日の下になったよーに。

 
 2幕冒頭にあたる、カメラ小僧ルキーニの「キッチュ」。客席から登場、さんざん客いじりをしたのち、銀橋に上がってそのままそこで単独で1曲。
 トップスターでも、ここまで派手な演出はそうそうない(笑)。
 銀橋でピンライト浴びてソロ1曲、って、ふつーそこまでする必要はない。本舞台のカーテン前(本公演と同じ)でも花道でも済むことだ。
 それがわざわざ銀橋だからなー。

 そっかあ、ルキーニの比重上げてあるんだー。「解説」として必要だからではなく、番手を上げるために。
 や、番手云々より、それによって舞台が派手になってくれる方がいいので、ありがたいっす。

 
 そして、ルキーニ@せしるはちゃんと、仕事をこなしていた。
 おおっ、なめらかだー。
 台詞や手順がどれだけ変わっていても、噛んだり忘れたりせずにちゃんとふつーに演じている。
 『ハロー!ダンシング』のために、わたしの中のせしる株は暴落していたんだけど、一気に持ち直したわ(笑)。
 なんだよ、ここまでデキんじゃんー。
 狂言回しとして、空気動かせるんじゃんー。

 ルキーニとして、一貫したモノがあったのが、大きいかなと。
 場面ごとに都合良く別物にならず、ちゃんとひとつのキャラクタで演じきった。
 台詞も歌もよかったよー。

 ただ、あまりにも「簡単」なルキーニで、「軽い」役作りではあったけれど。
 そうそう、「ルキーニ」っていったらこうだよね? みたいな。
 簡単お手軽わかりやすい……そうか、こうすればインスタントに「ルキーニ」ってできるんだ。みたいな。

 もちろん、これは新公だから。新公でそこまでカタチを叩き出したことがすごい。

 なんつっても、美形だし。
 
 もー、眼福ですよ、ルキーニの美形っぷり。
 ヒゲ似合うなー、せしる。

 客席いじりしているときのせしる、わたしの目の前だったんですよ。
 すぐ目の前で三脚立てて、本役さんたちの座席に向けてカメラ構えて。
 あの大きな目が、ずらーっと周囲見回して。

 目が合って、どきんとしたよ。
 わわわ、あの美しい人と見つめ合ってしまった!!(誇大妄想)

 かっこいーなー、せしる〜〜。

 
 2幕モノの芝居を短縮して1幕構成にするうえで、役の比重が変わっていたことはたしかだ。
 フランツ役のしゅうくんがどうこうという意味ではなく。役の比重の変化は、出演者のせいじゃないからな。

 そのことがどーゆー意味を持つのかは、深く考えない。
 ただ、ルキーニはちゃんと、2番手としての役目を果たしていたと思う。


 今日は梅田で月組全ツ初日観て、ムラへ移動して雪新公観て、と大忙しだわ。ああそして、フルールのたこ焼きが「20分待ち」×2のあげく、売り切れで食べられなかったことが心残り……(たこやき食べるハート満々だったのよ!)。

 月組の話は置くとして、なんといっても新人公演『エリザベート』

 や、とりあえず、おもしろかった。

 ハイディさんに譲ってもらったおかげで、わたしの新公観劇経験MAXの良席。
 オペラ無しで顔が見える〜〜、全体が見渡せる〜〜。つか、『エリザベート』でセンター坐るのはぢめてだ〜〜。(チケ運ないっすから!)

 コマトートが、近いです!! お化粧すごいです! 顔はキャンバス! よくぞそこまで描き込んだ!ってくらい、すごいです。ブルーのシャドウがデビルマンの眉みたいになってます。眉はその上で枝分かれしてます。青と黒の鹿の角みたいです。
 ……コマくん。がんばったのはわかるから、東宝ではお化粧変えようね……。

 トート@コマは、アツい魂を持った、シャウトなヤロウです。
 彼の生き方は、ロケンロールです。
 ロックではなく、ロックンロールでもなく、ロケンロール、もしくはロケンロー。……ニュアンスをくみ取ってください。

 シャウトの最中で音色が変わったり、音が迷子になったりいろいろですが、いいんです、それは彼なりの表現なんです。

 開演アナウンスから、彼のアツいハートはびんびん伝わってきます。
 低い、なりきった声で、微妙にタメつつアナウンスしてます。録音のはずなのに、影アナウンス(影ソロとかのノリで)かと思わせるよーなパッションです。
 プロローグはぶった切りで、ルキーニと裁判官のやりとりの背景にトートが無言で登場、シシィがせり上がってきて詩の朗読につながるので、トートは一切喋りませぬ。
 登場時はクールなトートだったのにね……シシィとの初対面で、すでにエンジンがかかりはじめる。とってもアツくフォーリンラヴ(笑)。
 あとは出てくるたびに上昇加熱。
 クールに「美しい顔」「セクシーな佇まい」を演出していたつもり……つーか予定……つーか希望……だったろうに、一旦スイッチ入っちゃうと、顔ゆがめてシャウトシャウトっ!! ゆがんでますよ顔、表情行き過ぎてます、戻って戻って!

 と、万事この調子で大変愉快なトート閣下でした。
 あれが「トート」かというと、正直よくわからんですが、ぶちこわす勢いであがいている姿は心地いいっす。

 ラストの挨拶も、最後まで「男役声」。低い、作り上げられた声で話していた。素のオンナノコの声で話す子も多い中、最後まで「男役スター・沙央くらま」で通しますか。
 かっこいいぞ。

 
 さて、あとは順不同、思いつくままに。

 
 マダム・ヴォルフのコレクションが、ステキにオカマ・ショーだった。

 マダム・ヴォルフ@せーこちゃん、ごつっ。
 かっこいー女役が歌っているというより、「男役が演じている女役」のようだった。月組の嘉月さんみたい。
 歌うまいー、押し出しいいー、こわかっこいいー。

 娼婦のみなさんは「あ、ホンモノのオンナノコかな?」と思ったけれど、そのあとに登場したマデレーネが、見事にオカマ。
 やっぱしゲイバーなんだコレ! 大司教様ったら、そんな趣味が?!
 エリザベートに夢中なフランツ陛下の関心を別の人間に移させるために、オカマを用意しますか! たしかに、有効な手段かもしれん。こっちに開眼してくれりゃー、もうシシィになんか見向きもしなくなるだろう。

 事前チェックしていなかったので、マデが誰か知らずにいたの。

 黒天使で愛輝ゆまくん、目立つところにいるなあ、と思ってはいたけど、そうか、マデレーネだったからか!! マデ役の黒天使はいつも、目立つ位置で踊ってるよねえ。
 でもまさか、彼がマデだとは夢にも思っていなかったので、魚ちゃんが立ち上がった瞬間(それまでは歌に従って他の娼婦たちを眺めていた)に、アゴが落ちた(笑)。

 ええっと、マデをやるなら、もう少し女の子に見えるお化粧をしていてもよかったのかも……?
 なんか、すげーこわいっす。ヤロウっす。特徴ある輪郭と頬骨が、化粧とライトで強調されてます。

 『Young Bloods!! 』『ハロー!ダンシング』と着実にわたしの目を奪ってくれる愛輝くん、なんかもー、マジでかいですよマデレーネ!
 フランツ@しゅうくんもでかいけど、トウで立つ分さらにでかいマデレーネ。フランツを覆い尽くす勢いだ。

 なにがウケたかって、最後のフランツにチューするところ。ルキーニのフラッシュに合わせて足を交差してしなりとポーズを取るんだが、そこがもお、潔いまでにオカマ。
 なんてわざとらしい「オンナノコ」ポーズ。

 そっかあ、もうオンナノコができないくらい、「男役」なんだね、愛輝くん。
 それがわかって、愛しさが増す。

 
 少年ルドルフ@詩風翠くん、かわいい〜〜。

 甘く可憐な容姿と、素直な歌声。
 でも、横顔はアゴがしっかりしていて、ちゃんと「男役」向きの顔立ちなの。

 いつもは立ち見とかでオペラグラス使用なので、主要人物以外見られないけれど、今回はわりとあちこち眺めていたの。
 で、バートイシュルのお見合い場面で、兵士ふたりが細かい芝居をしているのに気づいて。
 あの兵士のちっこい方、かわいーなー、きっとまだ若いんだろうなー、お肌つるつる〜〜とか思っていたら、小ルドルフで再登場! 役ついてたのか!
 とにかくかわいーよー。

 もうひとりの兵士って、剣崎裕歌くん……? いやその、演技よかったけど、その、ちょっと彼の横に大きくなりっぷりに目を疑ったので。本公演でも、最初彼だとわからなかったくらい。
 92期文化祭で、「いちばんの美貌の君」と称した、天海祐希と壮一帆を足して2で割ったよーな美貌の彼が、なんでこんなにふくらんでしまったのか……うわーん、もったいない〜〜! 歌も芝居もできる子なのにー。

 
 あと、芝居で目を惹いたのがグリュンネ伯爵@彩夏涼。
 この子おもしろい。
 グリュンネ伯爵って組長だとか専科さんだとかがやる役で、あまり変化がないというか、すでにしっかり型が決まっているという印象だったけど、ここまで表情豊かに演じてもいいのか、と開眼。
 実にいろんな表情(顔だけでなく、全身含む)で、そのときどきの感情を表現している。
 芝居、好きなんだろうな。この役を息づかせること、作品の中で役割を果たすことを、たのしんでいる。
 見てて気持ちいいわぁ。

 
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