新人公演『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』箇条書き感想、その2。
 なにしろ新公だから、1回観ただけ、しかも観てから時間経ってるんで、カンチガイ入りまくりの偏った感想だと思うよ。事実と違っている確率も高いぞっと。でも、わたしの脳内事実であることはたしか(笑)。

・車に乗っている明智@まぁくんの輝きがスパークしている。何故今ここで?! なんて無意味な?!
・だって乗ってるの、「あの」車だよ? 新公は新公しか観ない・初見の人が多くいるので、今さらあのメルヘェンな車が登場するなり客席がざわめいたぞ。そんな失笑のなか、キラキラする明智小五郎。おーもーしーろーいー。
・黒蜥蜴チームの車では、なんか久しぶりな気がする雨宮@めぐむ登場。
・雨宮って素顔で真正面向いているときがほとんどないんだよな。銀橋もないし。決めシーンは全部横顔だし。
・あ、めぐむ歌ってる。そうか、ここで歌あったよな。(本公で明智チームの車しか観ていないことがバレる発言)
・雨宮から真面目さや木訥さのみが伝わる。うーん……ソレはナニかチガウ気がする……。
・田舎青年が都会でホステスに騙されるよーな、そんなものがなしさがある。
・いつも車上の人たちしか観ていないので、下の少年探偵団や刑事たちがナニしているのか、実はわかっていない。
・新公は下の人たちも見るつもりだったのに……。気が付いたら終わっていた。あああしゅん様ー!

・「金をくれー!!」叫ぶ寺坂@だいもんに、なまぬるい笑いがこみ上げる。
 や、悪いのはだいもんではなく、演出ですとも。
 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』にはお笑いポイントがいろいろあるが、寺坂の唐突なトップテンションも、まちがいなくそのひとつ。変だよ、こいつ。「シャブをくれー!!」と叫ぶジャンキーみたいなんだもんよ。で、言うことが「田舎の父さんさえ生きていれば……」だし。いちいち「はあ?」な役。
・だいもんが、もったいない。せめて歌のある役をやらせてやってくれ……。
・だいもんの渾身の慟哭芝居を、気を抜くと見るの忘れそーになるくらい、美しいサソリ@由舞ちゃんのアイス・ドールぶりにクラクラ。
・ちょっとちょっと、本役と衣装ちがいまんがな。やっぱり、としこさんの衣装じゃ、入らなかったんだなー……いろんなところが。
・本役とはちがい、人形のような悪の美少女。としこさんが「なんて口を!」と感情的に文句垂れるところも、クールに命令のみに従う。
・まあ由舞ちゃん、演技はほら、あまり得意ではない人だから、よろこびに大笑いしていたってなんか嘘くさいしね、それら全部ひっくるめて、人形めいていてGOOD!
・黒蜥蜴@ののすみちゃんに愛を告げる雨宮。このへんでめぐむに足りないのは、「美形」としての色気だと痛感する。
・ヘタレだ……これじゃただのヘタレ男だってば……アンタ、女にモテたことないでしょー……。
・わたしはヘタレ好きだからいいっちゃいいんだが。しかし、「2番手」の役として、これはまずいんぢゃあ?
・ののすみちゃんは基本巧くて安定していて、新公だとか初ヒロインだとか、つい忘れがちになるんだが。ときおりぽろっと失敗するときに、あ、ほんとはかなりテンパってるんだとわかる。
・ののすみちゃん、まぁくんの台詞ひとつトバしたね?
 「おじさんはひどい」と明智が言うはずだったのに、それを無視して黒蜥蜴がひとりで次の台詞へ突入。まぁくんは「おじ……」くらいまで言いかけて、沈黙。
・ののすみ、大丈夫か? 聞く耳持たなくなってる? 相手の台詞聞いて、演技を見て、演技してるか? 大丈夫か? と、不安になる。
・まぁくんのことも心配した。台詞トバされて、リズム狂わせてないか? ちゃんと次の台詞に移っていたけど。
・おじさんは高く、松公は低く。……声の話ね。まぁくん必死に声色変えてます。
・松公が、少年に見えます。
・黒蜥蜴に後ろから抱きつかれた、おどろきの表情が、まさに少年。
・いつの間にか、少年と少女の恋愛モノになっている……。
・えーと、年齢設定いくつだっけ、この人たち。

・楽園の乙女たちパワーに負けて、銀橋の人たちはまったく見られなかった。
・楽園の乙女たちに取り囲まれる雨宮。妖怪に囲まれているよーに見える……ホラー。
・あ、乙女たちネタの欄で書き忘れたよーな? 乙女たちの中に、彩音ちゃんもいました、もちろん。かわいー。「彩音コスプレを愉しむ」というコンセプトでこの新公を観る、というのもぜんぜんアリですよ!
・葉子@きらりは、いちいち現代的な、ふつーの女の子。演技なのか、地なのか。
・木訥でヘタレなめぐむは、なんか流されるままきらりにプロポーズ。
・このどんくさい、粗野な持ち味は、なんなんだろう。
・いつか彼が洗練される日が来るのだろうか。
・でも全部を帳消しにする勢いで、歌声はすばらしい。
・だから、なんで雨宮って横顔しか見えない役なのよーっ。めぐむの顔を見せろーっ!!(所詮めぐむファン)

 さらに続く。


 新人公演『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』で、気になったことを、書き留めておく。
 いちおー、話の流れに沿って、思いつくままに箇条書き。

・さすがの黒蜥蜴@ののすみちゃんも、最初は緊張のためか歌が堅かった。でも貫禄。
・雨宮@めぐむは、期待していたほどヒゲがかっこよくなくてショック。つか、丸い……顔が丸いとこんなにいろいろ支障があるのか。
・クラブの客が地味。囃し立てる声が通らないと、魅力半減するんだなと。
・明智@まぁくんのスーツの裾。
 折り目がくっきり。ああ、あの折り目のラインが、オサ様の足の長さなのねと思うと愛しい(笑)。
・まぁくんのダメさに目眩。ののすみちゃんが案山子にまとわりついているよーに見える。

・メイド@彩音ちゃんキターーッ!! かわいいっ、かわいすぎる〜〜!
・支配人@らいがめっさ二枚目。しかもやりすぎることなく、おとなしくしている。
・あ、先輩刑事@しゅん様なんだ。もうひとりはわからない。
・まっつの相手役(語弊ありまくり)の月野姫花ちゃん、かわいいなあ。
・岩瀬パパ@マメ、たしかにうまくて、くわえてちょっとおかしいんだけど……観客が期待しすぎている気がする。もっと演技に集中させて欲しいな。役のTPOも考えずなんでもかんでもコメディにするのがマメ、と決まったわけでもないのに。登場するだけで笑われるのは可哀想な気がした、さすがに。
・早苗@きらり、かわいー。
・「まとぶはヒゲ剃った方がオトコマエだけど、めぐむはきっと逆だよね?」
「ヒゲがある方がオトコマエにちがいないっ」

 と、わたしとnanaタンは観る前はえんえん夢を語っていたんですが。
 めぐむさん、ヒゲがいまいちだったので、剃ってくれた方がふつーによかったっす。はい。
・ソファーで眠る、先輩刑事と新米刑事コンビ。
 しゅん様は、後輩の肩(とゆーか胸の上というか)にアタマ載せて寝てましたよ! GJしゅん様! わかってらっしゃる!!
・波越警部@かすがくんは、なんかすげーいい人そうだ……。そしてとっても素敵にくたびれたおっさん刑事っぽい。本役の壮くんはほんと、無駄に二枚目なのだなと再確認。や、わたしは壮くんもかすがも好きですってば。
・明智が少年っぽいので、結婚がどうこう言われてもな。
・メイドの数が多いのか? 本公演より女の子率が高いよーな。ボーイの位置にメイドたちがいるー。
・最近よーやく、去年の文化祭で「ロベールの親友(=ホモ)」を演じた天真みちるくんの見分けがつくよーになった。……丸い……。
・小林少年@もえりが、なんかでかい……そうか、いちかはほんとーに小さいんだなー。
・あれ? 明智先生、小林くんをベタベタ触らないぞ? なんか淡泊だぞ? いやらしくないぞ? 明智先生って、小林くんの頬だの髪だの触りまくって顔をのぞき込んで話す、いやらしい男のことでしょ? えっ、ソレってオサ様だけ?
・もちろん、銀橋の「トカゲ〜〜」ソロも、いやらしくありません、明智先生。

・小間使いコスの彩音ちゃん。かわいー。なになに、今回彩音ちゃん、脇でコスしまくり?!
・ばあや@さあや(あ、韻を踏んでいる?)もまた、登場するだけで笑いが起こる。まあこちらはコミカルな役割だから、いいっちゃいいんだが。やっぱファンの過剰反応、つー気もする。
・葉子さん、暴力的(笑)。
・書生たちはなにがなんやら。
・かすかがソーランを踊るんだと思っていたら、ひとりロケットをはじめた。
・ヲイヲイおっさん、ナニやってんだ? と思ったら。
・書生たちも加わって、「学ランロケット」に!!(センターはおっさん)
・こんな濃い衣装のロケットは、ヅカ至上最初で最後かもな……。
・あれ、明智先生が、小林くんにデレデレしない? えっ、ソレってオサ様だけ?!
・葉子さん、明智相手にひざまずかなかったよね?
・ソファーを運ぶ寺坂@だいもんの名前が呼ばれていた……伏線のつもりだろーが、唐突すぎて、浮いていた。名前だけ呼んでも、その「寺坂」が誰なのか示してくれないと、伏線になってないっつの。
・「めぐむってさ、あのソファーに入りきるのかなあ?」
「フタが閉まってないかもよ?
 どーせあのソファー、岩瀬家では誰も坐らないし。よく見るとフタが浮いてたりして」
「ちゃんとフタが閉まってるか、チェックしなきゃ(笑)」
 なんてnanaタンと話してたんですがね。フタ、閉まってたよね? めぐむ、ほんとにあのソファーに収まってたよねえ?
 なんかすげー窮屈そうに出てきたけど(笑)。
・小間使いコスのサソリ@由舞ちゃんは、キャラがふつーだ。わざと舌っ足らずなきんきん声で話したりしない。
・家具屋@『マイトラ』の甥の人(名前おぼえろよ……)は、本役さんより、キャラが好みかもしれない……。

・通行人の濃さとやりすぎ感は、いったいどーしたものか(ソレが花組クオリティ)。
・少年探偵団はなにがなんやら。(書生と同じ、同時にわらわら出られるとわからなくなるらしい)
・階段で手紙を読んで苦悩するだいもんが、これまた無駄に濃い。みわっちも大仰で素敵なんだがなー。だいもんも、さらにクラシカルでいいよなー(笑)。
・おじさん@まぁくん、健闘中。
・演技はすげー余裕に見えるのに、おかみさん変装の黒蜥蜴@ののすみの割烹着が、片方肩落ちてる。……気づかないのかな。いつ気づくのかな。話しながら指で引っ張って直すのは、演技としてぜんぜんアリだよな。
・てゆーか、まぁくんが直してやれよ。おじさんのキャラのままで、「ああ、ちょっと」とか言って黒蜥蜴を呼び止めて、襟を直してやればいいのに!! それでこそ男役、それでこそ明智小五郎ってもんなのに。
 まぁくんに、必死に念を送ったわ。なんとかしてあげて、と。
・無理だったけどな(笑)。
・ののすみちゃんの襟を直してくれたら、惚れ直してたのに。
・ののすみとまぁくんは、おかみさんとおじさんコスプレなのに、「このままふたりで駆け落ちしたくなっちゃった」のところで、青春のかほりを感じた。
 好きなのに、好きと言えない……いや、「好き」というキモチすら理解できていない、少年少女の青い恋愛のような。自転車を押しながら帰る下校時、夕焼けの土手道、みたいな。
・変装をといて、明智になった瞬間、まぁくんの輝きがぐわーんと増す。な、なんだなんだ?
・小林くんは、カラダが大きいだけでなく、なんか年齢も高い。わたしの持つ、原作の小林少年のイメージに近いわ。
 わたしが「少年探偵団」シリーズを読んだのは小学校低学年だったから、「小林少年」が15才くらいだったのがすげー違和感ありまくりだったのをおぼえている。15才って、大人やん! 「少年」っていうからには、ボクぐらいのトシやないとおかしいやん!って。(小学校を卒業するまで、わたしの一人称は「ボク」だった。今まできれーに忘れてた。イタタ……)
 テレビ(天知茂の明智シリーズ)の小林くんは、もっと大人で、はっきりいっておっさんみたいだったので、さらにショックだったな……。
・もえりのあの頬骨が、ナチュラルに男の子に見える……。

 さあ、追跡シーンだ!

 てとこで、長くなったんで翌日欄へ続く。


 楽園の乙女たち、おもしれー!!

 新人公演『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の、いちばんの目玉。すごすぎる!!

 黒トカゲの島で、ビニールめいたカツラをつけて歌い踊る少女たち。同じ衣装、同じ髪型。だけどあきらかに、男も混じってることがわかる、アヤシイ人たち。

 本公演でも微妙なんだが(ビジュアルも、存在自体も)、新公ではさらに愉快なことになっていた。

 前もって出演者をチェックしたりしないわたしが、なにも考えずにオペラグラスをのぞくと、そこに。

 波越警部が、ドレスをひるがえして踊っていた。

 け、警部?! なにやってんですかっ?

 あわててオペラグラスを移動させる。するとどーだ、楽園の乙女たちはついさっき学ランを着ていた男たちと同じ顔をして踊っている。書生たち、なにやってんだ? 刑事も支配人もいる、てゆーか、岩瀬パパも踊ってる!!
 パパ@マメ!! ああ、見たかったマメがこんなところに!!(初日にマメの幻を見たそうですよ)

 顔ぶれのものすごさに悶絶していると、トドメを刺すよーに、謎のオカマ@アーサーが低い声で「つらかった〜〜♪」と呪い歌を歌い出す!!

 つらい。そりゃー、つらいだろう!! その姿、その声で女として生きるのは、無理ありすぎで昭和中期には浮きまくったことだろうよ。
 アーサーくんは期待の歌手なので、たしかに歌はうまい。だが、エンカレのときも書いたよーな気がするが、表現力に乏しいんだ。真面目に歌っていることはわかるが、顔はいつも硬直したまま。『TUXEDO JAZZ』で若手トリオでそれぞれソロを歌っていたりするが、ソコでもとっても硬直テイスト。
 そんなアーサーが、能面のまま、呪い歌@姿はオカマ。

 なんなのコレ! なんなのよーー!!

 なんのギャグ?

 もしもコレ、自分ちのテレビで見ていたら、転げ回って爆笑してる。

 本公演で、芽吹幸奈ちゃんのソプラノで刷り込まれているだけに、アーサーのアルトはこわい。
 それも、曲全体のアレンジをきちんとしたわけではなく、ただたんにアーサーのソロパートだけ音程を下げてあるんだよなコレ?
 なんなんだそりゃ。

 なにやってんだ新人公演演出、そんな意味のない、捨て身のギャグをカマさなくても。

 いやあ、声を立てないよーに笑うことに消耗しました。

 や、新公ですから人数の関係で、誰もが自分の役以外をアルバイトでやることは、わかっていますよ。
 わかっていることと、目にすることは別だから。
 人数が必要なのはわかるが、せめて岩瀬パパと警部と刑事はハズしてもよかったんじゃないか? 4人減ったからってどーなるもんでもないだろうし。
 もちろん、マメやかすがやしゅん様の女装が見られたことは、うれしかったんですが(笑)。 

 アーサーさえ、ふつーにソプラノで歌ってくれれば、ここまで破壊力もなかったろーになあ。
 いやあ、侮れないわ、新人公演。

 実際ここでは、キュートなサソリ@由舞ちゃんとかわいー彩音ちゃん、そして何故かやる気満々のだいもんを見ているだけで、終わっちゃったのよ。あああ、マメがっ、もっとマメが見たかったのにっ。だいもんがわたしの視界を奪うー。

 
 楽園で死にそーなほど笑っただけに、黒蜥蜴@ののすみを失って慟哭する明智@まぁくんの脇に所在なげに出てくる波越警部@かすがが、みょーにツボにハマってこまる。

 なにやってんですか警部。
 さっきまで女装して、スカート持って踊ってたくせに、またそんなくたびれたトレンチコート着ちゃってぇ。

 アルバイトと本来の役は別だとわかっていてなお、なんかツボる。
 いいなあ、警部……。
 本役の壮くんとちがって地味なところが、またわたしの脇スキーハートをくすぐるのよ……。
 こんなに地味な人が、『暁のローマ』新公ではカシウス様をやっていたのねええ……しみじみ。

 こんな趣味の悪い「楽園」を愛でる黒蜥蜴の度量の広さに感動。
 いやその、そもそも趣味悪すぎってことだけど。

 楽園の乙女たちだけでも、もう一度見たいなぁ。前方席でひとりずつガン見してぇ。


 ののすみ、ひとり勝ち。

 花組新人公演『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』観劇。

 本公演の主役は明智だけど、新公では黒蜥蜴だった。
 ののすみ、巧すぎ。

「野々すみ花ってさ、顔はチガウけど実は花總まりなんじゃない?」
「ののすみちゃんをふたつに割ると、中からお花様が出てくるとか」
 そんな会話をドリーさんとしたところだ。
 研2であの実力はありえない。

 なもんで、おかみさんコスプレの割烹着姿が着こなし失敗しているあたり、実はかなり緊張していたんだなーとわかり、かえってほっとしたわ。
 割烹着が片方肩から落ちてるんだよ? ふつーなら着心地悪くて気づくだろ。それに気が回らないくらい、いっぱいいっぱいだったんだねえ……演技はふつーに堂々とやっているのに。
 そのギャップがすごいわ。

 
 さて、主役の明智@まぁくんは、『マラケシュ』以来2度目の新公主演。
 今回つくづく、おもしろい子だと思った。

 「火事場の馬鹿力?」でやり遂げた『マラケシュ』とちがい、それ以降の新公ではダメっぷりばかりが目に付いていた。
 それがこの間の『MIND TRAVELLER』で、目を見張るほどの輝きっぷりを披露。わたしの中で、若き日の和央ようかを彷彿とさせる期待のルーキー位置へ昇格。
 実力がどうとかゆー以前のところで「ナニか」を感じさせる子。

 いやあ、今回の新公も、技術的にはかなりキツイだろヲイ。
 ののすみちゃんに全部持っていかれ、どーすんだコレ、状態なのに。

 なのに、ダメぢゃないの。

 基本ダメっ子なんだけど、時折ものすげー輝き出す。

 小さく薄くまとまってんなあ、安定した実力の前には半端な華なんか太刀打ちできないか。と、思っていたら。

 突然、キラキラしはじめる。

 ののすみやめぐむの実力を凌駕し、「主役」としての仕事をはじめる。

 なにコレ。ナニこれ。
 バイオリズムの曲線みたいに、上がったり下がったり。
 くすんでいたり、光ったり。
 輝き出すときのギャップがすごいの。
 まるでテレビや映画みたいに、彼がぐーんとUPになるのがわかるのよ。
 ズーム機能付き?! ありえねー(笑)。

 最初にキタのが、おじさん変装銀橋の直後。
 なにか吹っ切れたのか、変装を解いて明智に戻ったときに一気に輝きだした。
 そのあとの車での追跡。どどどどーしたんだ明智。背景にお花とばして、キラキラしまくってますがな。どこの少女マンガだヲイ!! 花がとんでるよ、意味なくキラキラしてるよ!!

 おもしろい。おもしろいよ、この子!!

 輝度が変わるなんて、その時々で吸引力がチガウなんて、わけわかんねー。
 クライマックスで場が盛り上がるから輝く、ぢゃなくて、そーゆーのとは無関係に発光するのよ?!
 変。
 すごく変で、おもしろい。目が離せない。

 
 雨宮@めぐむは、とりあえず「プロポーズ」の歌で、すべての粗を覆い隠している。

 出番最後が彼の役のクライマックスで、しかもソレが歌だけにかかっているとなると、歌えるめぐむには幸いしたよな。
 いやあ、いい声だ。

 雨宮はタカラヅカではめずらしい、ドM男だ。

「いぢめられれば、いぢめられるほど萌える……!!」

 てな台詞を真顔で言うよーな役だ。(ん? 台詞まちがってる?)

 ふつー健全な女子はM男には引くもんなので、んなアヴノな設定でも負けずに「潤ちゃん、素敵(はぁと)」と思わせるには、役者が力業でなんとかしなきゃならない。

 本役のまとぶ氏は、最近ワイルド受キャラまっしぐらのせいか、今回のM男も違和感がない。
 M男が許されるのは、彼が美形でセクシーな場合のみだ。とゆーことを、身をもって実践してくれている。

 美女の足元にひざまずき、いたぶられる様がセクシーであること……それが絶対条件。

 ところが、めぐむさんてば。

 美形……では、ないよな?
 体格は逞しくて素敵なんだけど。

 ヒゲに期待していたんだけど、最初の登場シーンは、丸顔をぐるりと囲むヒゲが、ポンデライオンみたいだし。
 酔っぱらいヒゲ姿は、違和感がなくてかえってなんの感慨にもつながらなかったし。

 苦悩していても、セクシーぢゃないし。
 無骨で鈍くさいだけに見えるし。

 そうか……M男が「セクシー」に見えないと、ただのヘタレ男になっちゃうんだわ……。

 女の尻に引かれているだけの、ヘタレ男。……そんなの、べつにめずらしくもない。せっかく、タカラヅカではめずらしい役のはずなのに、雨宮……。Mとゆーよりヘタレぢゃダメだよー。

 ふつーにうまいんだけどな、めぐむ。
 なんで色気がないんだろう。
 色気を必要としないバーバリアンを演じた方が、色気の出る人なんだろうな。ニコラ@『落陽のパレルモ』がそうだったように。

 こちらもののすみちゃんに食われまくって終了かと思ったら、最後の最後、「プロポーズ」の歌でかっとばしてくれたので、なんか気持ちよく終わってくれた。
 いいなー、あの歌。うっとり。

 
 早苗@きらりちゃんは、めちゃくちゃかわええ。
 あのやぼったいワンピースを着てなお、かわいらしいってどーゆーこっちゃそりゃ。

 「昭和中期のお金持ちのお嬢様」ではなく、「現代のふつーの女の子」だった気がする。実は庶民の葉子が演じているから、というわけではなく。早苗としてふるまっているときも、表情その他がいちいち現代的。
 それが正しいかどうかは、別として。その分、活き活きとしていて、かわいく見えた。

 早苗(葉子)ってのは「前髪ぱっつん」でなくてはならないのかと思っていたんだが、そうでもなかったんだね。きらりちゃんはラスト、ふつーの髪型していたよ。
 ののすみちゃんも髪型、自分に似合うものに変えられたらいいのにね。

 
 本公演でいちいち「あ、まっつに似てる」とわたしの目を奪う、白鳥かすがくんは、波越警部。

 ふつーにうまくて、ふつーに……地味。

 本役の壮くんが、どれだけ無駄にキラキラしているか、よーっくわかった。
 波越って、こんなに地味な役なんだ……。

 地味だろーがトレンチコート姿がおっさん臭かろうが、かすがくん、誠実な人柄の見える波越でした。

 
 いやあ、今回の新公はやたらたのしかったよ。いろいろと。
 つーことで、翌日欄に続く。


 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』が、わたし的に響いてこない理由を考える。

 それは、「テーマのブレ」のせいではないだろうか。

 キムシン作品はいつも、一貫したテーマがあった。
 彼は「叫ぶ」作家であり、題材を変えても同じテーマを問いかけ続けていた。

“ 人々の醜さ、無責任利己心浅慮偽善、そーゆーものをこれでもかと描きながらも、その奥にある美しさを求める。
 過ちや悪意といったマイナス部分が世界に満ちていることを肯定しながらも、それと同時に、愛や善意も存在するのだということを否定しない。
 容赦のない「人の醜さ」に対する描写、「卑怯さ」に対する描写、そしてあまりに無力で無意味な「愛」や「善意」。それでも、物語と主人公は「愛」や「善意」といった人の持つ美しいモノを肯定して終わるんだ。”
 ……と、2006/05/14(日)に『暁のローマ』感想
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-160.html)で書いているように。

 作劇的に失敗している場合もあるけれど、テーマはいつも一貫し、またテーマ的にはカタルシスを構築している。

 ソレが今回、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』ではブレている。つか、テーマ展開に、失敗している。

 ストーリー展開で失敗していよーと、テーマ展開ではまちがいのない人だったのに。何故。

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』はバランスの悪い作品で、前半と後半が別物になっている。
 前半は原作のイメージもあるし、また、いつものキムシン的ドラマティックな群衆芝居でもある。
 それが後半は「スター数人が立ち話をする」だけで話が進むふつーの演劇みたいになっている。

 主要人物以外が全部「歌う背景」状態、というのは、キムシンの短所として上げられがちだけれど、少なくとも「出番がある」ことの重要性をわたしは評価している。背景でもなんでも、ずーっと「舞台」にいる、これは大きいだろう。
 同じように下級生に役がないとしても、「そもそも舞台に出てこない」植爺作品より、ずーーっといい。

 なのに、どーしたこったい。
 今回は「スター数人が立ち話をする」ばかりで、歌う背景がいないじゃないの!
 つまんない。そんなの、つまんないよー。

 そしてキムシンお決まりの「大衆という名もなきモノたちの罪」をあげつらうには、歌う背景たちが必須なの。
 主人公たちの物語とは別に、「歌う背景=大衆たちの罪」を同時展開させられるのに。
 今回のホテル従業員たちがそう。彼らはただにぎやかしに登場しているわけじゃない。ストーリー展開とは別のところでテーマを演じているのよ。
 明智が黒蜥蜴との賭に負け、「探偵を辞める?」とゆー展開になる、前半部分。
 ホテルの従業員たちは無責任に歌う。「名探偵がしくじった 有名人はただのひとに/我々と同じ 我々に劣る なんのとりえもない ただのひとに!」……それまで「退屈だ」と言っていた人々が、ここぞとばかりに「他人の不幸」に食いつく。
 これこそキムシン芝居!!

 なのに、前半だけで終了。
 あとは主役たちの台詞で言及されるのみ。

 「大衆」がいないため、本来「大衆」が歌うはずの「ゆがみ」や「罪」をヒロインの黒蜥蜴がひとりで担うことになる。

 「歌う背景」にストーリーとは別部分で歌わせるのとちがい、ヒロインはストーリーの中でいちいちテーマを台詞にして言わざるを得なくなり、結果テーマとストーリーが直結され、広がりがなくなる。
 ……と、まあ、それは置くとして。
 すべてを託されたヒロイン黒蜥蜴を見てみる。

「いけないのは、みんな戦争よ」
 哀れな黒蜥蜴はそう繰り返す。彼女ひとりなんだ、いつまでもなにもかも戦争のせいにしているのは。

 それに対し、明智は言う。
「いけねぇのは、ひとでしょうねえ」

 悪いのは戦争ではなく、人間ひとりひとりだ。戦争を起こしたのも人間だし、起こってしまったことにいつまでも恨み辛みを繰り返して前へ進もうとしないのもまた、人間自身だ。

「謝れ! 誤り続けろ!」……そう言って未来を見ようとしなかったアオセトナ@『スサノオ』のように。

 アオセトナは極端な描かれ方をした、「偏狭な人間」だ。自分の不幸はすべて他人のせい、他人を恨む自分は正義、そう信じて、自身が行う悪のすべてを正当化。
 ただ彼は「大衆」という「安全地帯」にいる者ではなく、ひとりで戦うだけの強さを持つ。……方向性が間違っているけれど、「強さ」はあるのね。
 だから黒蜥蜴と近い。彼女もまた、ものごっつまちがった人間だけど、「強さ」はあるから。名もなき大衆として「退屈だ」「たった一度の失敗で すべてが台無しになる」と歌ったりしない。

 同じ「悪役」でも、暗殺者たち@『暁のローマ』とのちがいはソコ。
 暗殺者たちは結局「名もなき大衆」なのね。ピンで立ち、名声も誹謗も受けることはなく、「みんながやっているから」と責任の所在をあやふやにすることができる。
 彼らは、ホテル従業員たちと同じ立ち位置。

 大衆を嘲笑いながら、その上に君臨する強さを持つ、悪役。それがアオセトナであり、カシウス@『暁のローマ』であり、黒蜥蜴であるのよ。

 と、ここまではいい。役の立て方にブレはない。
 しかし。

 アオセトナも黒蜥蜴も同じように滅びるのだけど、意味がチガウ。

 アオセトナは「過去の妄執」に取り憑かれ、そこから踏み出せなかったために滅びたことがわかるけれど、黒蜥蜴はチガウんだ。
 彼女は結局「戦争なんかなかったらよかったのに」と言って死ぬ。

 ヲイヲイヲイ、ちょっと待て。

 『明智小五郎の事件簿』では、結局物語が進んでいないんだ。

 「みんな戦争が悪い」……自分ではなく、他人が悪い、そう責任転嫁することで生きてきた者が、結局なんの進歩もないまま死んで終わる。

 アオセトナも「責任転嫁してきた自分」に納得したわけではないが、彼は主人公であるスサノオに殺される。
 卑怯な思いこみを斬り捨てる強さを、主人公が得ることで、物語は大きく動く。

 しかし『明智小五郎の事件簿』はどうだ。
 黒蜥蜴は「戦争が悪い」と責任転嫁したまま、悲劇のヒロインとして自殺。
 悪いのは戦争じゃなくて、戦争を理由に他人を傷つけていた自分だろー!! 同じようにみんな戦争で傷を負っているのに、それでもなんとか生きているのに、自分ひとり特別に傷ついた顔して「やられたからやり返す、とーぜん」とやりたい放題やって美談ぽく死ぬのかよ?!

 おかみさん黒蜥蜴とおじさん明智の銀橋の会話でわかるように、明智は「不幸な生い立ちを理由に、他人を傷つけていいはずがない。そんなことは許せない」と言い、なのに黒蜥蜴は聞く耳を持たず「悪いのは戦争。だから、戦争で不幸になった人間はどんな悪いことをしてもいい」と言う。このふたりの会話の噛み合わなさが、光と影、正義と悪の対比になっている。

 ここではちゃんと、黒蜥蜴の「ゆがみ」が描かれているのに。
 被害者ぶって、自分の罪を正当化する卑怯さが、ちゃんと描かれているのに。

 何故、最後の最後、彼女を正当化して終わるんだ?

 元来のキムシン作品ならば、とことんまで彼女の醜さと卑劣さ愚かさを描くだろうに。
 そーして、その悲惨さにこそ、哀れさやはかなさ、美しさを見せてくれただろうに。

 アオセトナが改心しないまま死んでいったように、黒蜥蜴も改心しなくていい。
 バカなまま「わたしは悪くない。みんな戦争が悪い」と卑劣なままうっとり死んでくれてもかまわない。

 だがその場合、明智が黒蜥蜴を否定しなければならない。

 黒蜥蜴を殺したのは、戦争でも愛でもない。
 彼女が、卑劣で浅慮だったためだ。
 自業自得だ。

 明智は、自身の嘆き悲しみとは別に、そのことにも言及しなければならなかった。

「悪いのは戦争……そう信じて死んでいけたのは、ある意味幸福だったのかもしれない」

 そーゆーことを、言い表してくれなければ。
 「悪いのはわたし以外のなにか」だと信じて、罪を償うこともせず死に逃げたのだから、幸福だろう。罪を悔いて自殺したわけじゃないんだから。最期まで、責任転嫁したままだったのだから。

 最後の最後で、テーマがブレるの。
 いつもなら「歌う背景」が表現していたことまで全部黒蜥蜴ひとりが担い、そして黒蜥蜴がまちがった死に方をするの。
 だから作品全部がまちがうの。

 黒蜥蜴のゆがみを丁寧に描いてきておきながら、最後の最後で彼女を否定せずに終わるの。否定するために積み重ねてきたものが、全部無駄になる。
 彼女を徹底的に否定し、それでもなお、哀れさや愛しさを出してこそでしょうに。

 ストーリーがどんなにまちがっていても、「叫び」の本質であるテーマだけはブレない人だったのに、キムシン。
 どーしちゃったの?

 「タカラヅカ」だから、メロドラマにしなきゃ、とか思ったの?
 「悪」を全部ヒロインに押しつけるからだよ。ほんとーの意味でヒロインを悪の権化にすると、ソレ、「タカラヅカ」では描けないから。
 最後でお茶を濁すくらいなら、はじめからやめておけばよかったのに。


 もう何度目になるかわからないけれど、叫んでおこう。

 春野寿美礼が、好きだ〜〜!!

 オサ様を眺めているだけで、ものごっそ幸福なわたしがいます。
 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』は、正直オサ様ファンでもなきゃ「やってられるかよヲイ」な作品だと思ってますが、とりあえずオサ様を眺めているのがたのしいので、起きていられます(そんなレベル?!)。

 オサ様が、好きだ。

 なんでこんなに好きなんだろうと思う。

 わたしは好きな人がいっぱいいるので、順番はつけられないんだけど、寿美礼ちゃんは見るたび「特別」だと思える。

 素顔はかなりアレだと思っているし、舞台顔も最近アレになってきていると思うのに……それでも、「どうしよう!」とおろおろ回ってしまうくらい、ときめく(笑)。

 ええ、先日「サバキGETの達人」nanaタンのおかげで、SSセンターを2枚並びでGETできたわけなんですよ。
 nanaタンのサバキの腕前は知っていたけれど、今までも奇跡の技を披露してくれていたけれど、それにしても、SSセンターを、並びでGETって!!(白目)
 ありがとうありがとうnanaタン。

 あ、みんなわたしに「それで緑野さん、何回観たんですか?」って聞くの、やめよーよ。
 「月8回、年間100回以内観劇」を目標に掲げて2ヶ月弱。今月の観劇回数が2桁行ってるなんて、考えたくもないですからっ。
 今月だけで2ヶ月分近く消費しちゃってるなんて、忘れたい現実ですからっ。
 い、いいのよ、観劇しない月を作れば、今月倍観たっていいんだってばっ。1年で辻褄を合わせれば、ひと月ごとの内訳は気にしなくていいのよ。

 まあそれはともかく。
 機嫌良く大劇場に通っているわけなんだけど。

 さすがに、SSセンターははじめてで。(いつも掲示板で安い席GETか、当日B券でつつましく観てます)

 まっつが目の前だー!!

 ってことに、とーぜん浮かれはしたんだけど。

 現実問題、まっつよりも寿美礼サマの目の前率が高いわけよ。

 明智小五郎@オサ様が、アンニュイに目の前(銀橋)を通られたりするわけですよ!
 恍惚と歌い、手をクネクネさせたりしているわけですよ!!

 至福。

 いや、も、どーしよーかと。

 なにがどうじゃなく、どきどきするの。うれしいの。
 まっつを好きなのは自分でも納得できるところがあるんだけど、オサ様に関しては「手放し」って感じ。

 理屈じゃない。
 春野寿美礼のことは、手放しで「素晴らしい!!」と思う。

 こまった……どうしよう……。
 
 『明智小五郎の事件簿』は、ドラマシティあたりのハコでやるべきだったかなぁと思う。
 その方がよりディープに盛り上げられたんだろうなと。

 作品としては好みでないのだけど、オサ様単体と彼の歌はたのしく味わえる。
 まとぶも好きだし(M男を演じると魅力が増大する、素敵なキャラクタ)、壮くんの馴染みっぷりも愛しいし(車の追跡シーンがいちばん好き! オサ様とお似合い! 美しい!!)で、メイン3人を楽しむ分には問題ないんだな。彩音ちゃんもののすみちゃんも好きだし、オールOKって感じ?

 わたしがどきどきうるうる幸福にとろけながら銀橋のオサ様を眺めていると、その隣のnanaタンも、すっげうれしそーな顔でオサ様を見つめているし。(nanaタンの方がセンター寄りだったため、なんとなく表情がわかる)

 春野寿美礼って、いったいなんなんだろう。
 どーしてこう、魅力的なんだろう。

 美点を多く持つことがわかっている反面、もちろん欠点だっていろいろあるのに。
 そーゆーものを全部まるっと飛び越えてしまう。や、わたし的に。

 
 うーん。
 ある意味彼は、わたしの好みの1タイプの具現なのかもしれない。

 わたしは、「天才ゆえに欠けた人」っつーツボがあるのですわ。
 「平凡で、なおかつふつーの意味で欠けた人」とか「ゆがんだ人」も好みなんですが。

 春野寿美礼は、「天才」ゆえに、凡人には理解できないところで欠落がある人。
 そーゆー「キャラクタ」としての萌えがある。

 実際の寿美礼ちゃんがどんな人かは知りませんよ。舞台から感じる、わたし個人の勝手なイメージで。

 天才である、神に、運命に愛されたがゆえの、欠落。
 ふつーに生まれていれば知らずに済むだろう、苦しみや痛みに苛まれる人。
 もちろん、天才である、神に、運命に愛されたがゆえの悦楽と共に生きる人。

 至上の存在ですな。閣下だとか陛下だとかお呼びしたいくらいですよ。
 ひざまずいてマントの端に口づけたいとゆーか。(いいかげん妄想STOPしろっつの)

 だから、「オサ様」なんだろうなあ。
 わたし、水くんのことは「水くん」もしくは「水先輩」(先輩キャラだよね、彼)だし、トウコちゃんは「トウコちゃん」だしな。特に名称決まってないんで、そのときどきでてきとーに呼んでいるし、ここでもいろんな表記をしているけれど。
 トド様とオサ様だけだよ、日常で「様」呼び。

 今回芝居が好みでないために、「それでも好きって、どーゆーことだろう」と、しみじみ考えちゃったよ。

 はぁ。オサ様好きだー……。

 
 そして、貸切公演のたびに「オサ様の色紙が当たらない〜〜、サイン色紙欲しいよ〜〜!!」と騒いでいたわたしに、ドリーさんが馬をなだめるかのよーに、WOWOWかなんかで当てた色紙をプレゼントしてくれました!! きゃっほう!!

 よろこびいさんで帰宅したわたし。
 ……色紙はしっかり持って帰ったけれど、ストールと手袋片方を紛失していました……。
 ドリーさんから色紙をもらったときに入っていたレストランに、置き忘れてきた模様。……なにをやっているんだ自分。


 音月桂を、好きですか?

 ……この問いに、どう答えるか。
 それによって、印象も価値観も変わる。

 バウ・ライブ・パフォーマンス『ノン ノン シュガー!!』初日観劇。

 「一緒に初日から行こうね!」と指切りしていたチェリさんに見捨てられた(笑)わたしは、ひとりぼっちでバウ観劇。
 「観ようよ観ようよ!」と誘いまくって、ドリーさんと一緒。(東京在住のドリーさんが何故毎週ムラにいるのかは、ご想像にお任せします)

 1幕が終わり、わたしとドリーさんは、「バウ・ライブ・パフォーマンス」というあおりの意味を噛みしめていた。

「この公演、芝居ぢゃなかったんだね」

 ふつーにミュージカルだと思っていたから、びっくりした。
 音月桂主演雪組若手コンサートだったんだー。

「『熱帯夜話』と同じかー」
「知らなかったから、首ひねっちゃったよ」

 ストーリーは、「ナイ」と考えてください。……「ミュージカル」としては、あるうちに入らん、その程度。

 ショーとして考えて、その上で「ストーリー仕立て」とするのが正しい。

 や、「物語」と考えるにはあまりにも、ストーリーなさすぎだから。
 1幕のあらすじは、「歌手を夢見るジョニー@キムと、家出娘シェイラ@さゆが出会った。」……コレだけですから。

 ただもーえんえんえんえん歌ばっか歌い続けて、話はまったく進まないから。

 2幕のあらすじは、「ジョニーが夢をあきらめ、シェイラと別れた。」……コレだけですから。

 ただもーえんえんえんえん歌ばっか歌い続けて、話はほとんどナイから。

 キムのオンリーステージではなく、出演者全員、なにかしら見せ場をもらって歌い、踊り、演技し、「スター勉強中」。
 男の子たちはぷくぷくに丸いし、声も出来ちゃいない。それでも必死にキザったりはじけたり。
 女の子たちはかわいこぶりっこ、タカラヅカでしかありえないオンナノコ像と格闘中。

 大丈夫か、このキャストで興行打って……と不安になりかけるところへ、要所要所で萬ケイ様や圭子おねーさまが登場、バァーーンッ!と締める。

「芝居じゃないし、ずーっと同じことを同じテンションでやっているわけだから、なんか、飽きそうな予感」

 と、幕間で言っていたドリーさんは、案の定終演後、

「飽きた……」

 と言っていた。

 気持ちはわかる。
 「これで金取っちゃイカンやろ」レベルの子が大半を占める公演で、ストーリーは言い訳程度、えんえんえんえん同じ時代の同じテイストの歌ばっかじゃ、そりゃ飽きるわ。

 キモチはわかる。
 わかるともさ。

 でもわたしは、たのしかったっ!!

「この公演に贔屓が出演していたら、うれしいだろうね」

 ドリーさんはそうも言う。
 馴染みも思い入れもないキャストだから飽きてしまったけれど、贔屓や馴染みのある子たちがこの公演に出ていたら。

 きっと、すごくたのしい。

 本公演でも他劇場公演でも、ろくに出番も台詞もないよーな子たちが、ソロをもらって役になりきって歌っている。
 わたしは雪組下級生に馴染みがないからわかんないんだけど、きっとコレが花組や星組だったら「あの子があんな役!」「あの子って歌えるんだ!」とか、すげーわくわく眺めたと思う。

 つまり、そーゆー作品。

 キャストに思い入れや興味があるかどうか。好意があるかどうか。
 それによって、作品への感想がまったく変わってくる。

 とくに、「音月桂コンサート」状態なだけに。

 音月桂を、好きかどうか?

 によって、作品の印象も価値観も変わる。

 で、わたしの答え。

 音月桂、ダイスキっす!!

 やーもー、たのしいー。
 キムくんが出ずっぱり〜、歌いっぱなし〜。

 とにかく彼、一秒たりとも表情が止まらないの。ずっとずっと、動いているの。
 なんなのアレ。
 歌っている間、アピりまくりですよ。

 今回わたし、すみっこの席で観ていたんだけど、「段上がりセンター席が欲しい」と心から思った。

 ああ、そーだ、そうだった。
 忘れていたよ、『さすらいの果てに』で段上がりセンターに坐っていたとき、芝居だっつーにキムは目線絨毯爆撃、客席を釣りまくっていたもの。目線飛んでくるわ、ウインクはとんでくるわ……すごかった。

 今回も、キムはひとり盛り上げまくっている。
 客席へのアピールすごい。

 やーん、真ん中坐りたいー。
 キムくんにウインクされたい〜〜、目線もらいたい〜〜。

 キムを好きで、どれほど好きで、これほど彼だけを見つめているしあわせときたら。日本語変。

 下級生たちは「勉強中」の札をでかでかと貼っている状態だし、キムの孤軍奮闘っぽい印象はぬぐえず、脚本も「ストーリーないよ状態」だし、初日だし、拍手のポイントも五里霧中、客席の空気も微妙、盛り上がりたいと一部のキモチだけ空回り。

 だからこそ、めげないで笑い続けるキムに感動する。
 客席に、引かせる隙を与えないの。
 あー、盛り下がる……とか、あー、ダレてるなー……とかゆー空気を感じると、キムが引っ張るの。
 彼が明確な意志でもって、場を操ろうとしていることがわかる。……わかる、だけで、完璧に操れているわけじゃないけど、少なくとも手を放していないから、引き留められている感じ。

 ソレが、気持ちいい。

 この子、自分の「仕事」を知っている。

 自分がナニをするために、ナニを求められて「ここ」にいるかを、ちゃんと知り、真正面から「仕事」をしている。

 「客席の熱気」とか「一体感」とか、キムくんは挨拶で言っていたと思うけれど、ごめん、そーゆーのは特に感じなかった。隅で観ていたせいかもしれないけど、けっこー周り引いている・冷めている感じもあった。手拍子もしないし。スタンディングもしないし。(一部の人しか、そーゆーことをしない客席だったのだわ)

 その微妙な空気の中で、それでも彼は、「ナニが求められているか」を自覚し、戦っていた。

 ソコが、好き。
 音月桂の、そーゆートコが好き。

 言い訳無しで「笑顔」で戦う男。悲壮感漂わせちゃダメ、舞台人だから、必死さとかぎりぎり感だとかは見せちゃダメ。笑っていなきゃ。余裕ぶらなきゃ。「こんなに努力してます」を言い訳にするのは、プロじゃない。

 かっこいいなあ、音月桂。

 や、タカラヅカだから、必死さとかぎりぎり感とかを愛でるのもアリだと思っているけれど。そーゆーアマチュアハートも好きなんだけど。
 でも、「プロ意識」を持つ人も好き。

 
 『ノン ノン シュガー!!』。べつに、佳作だとは思いません。作品的にはふつーだけど、出演者がワークショップ・テイストなんで、誰が観てもたのしめるとは思えない。

 でも。

 雪組に、下級生に、愛や興味がある人は観てみて。
 たのしいから。

 そしてなにより。

 音月桂が好きな人は、観るべきだ。

 ジーンズ姿が微妙でも、「ナオン」で「シュガノン」なギョーカイ喋りがドン引きでも(笑)、キャラクタ造形がスベりがちでも、音月桂を好きなら、たのしいってば。


 オギーのミューズつながりで、ついでにまっつつながりで、ちょっくら、『凍てついた明日』妄想配役でもしておこうかな、と。

 オギーのミューズといえば、トウコちゃん。
 でもって、『マラケシュ』を観たときに「現花組でのオギーのミューズはあすかかー」と思ったこともあり、新生星組はオギー役者ふたりでトップコンビ? とゆー、うれしい現実。

 でもって今月のスカステ『VIVA!BOW!−宝塚バウホールへの誘い−#26「実在の人物編」』のナビゲータはまっつ! まっつ目当てで見たら、『凍てついた明日』のダイジェストをやっていた、と。

 あああ、なつかしいよ、『凍てついた明日』。タータン苦手だったのに、ケロ目当てで観に行き、前代未聞の大ハマリして帰ったんだわ……。
 チケット1枚しか買ってなかったんで、あわててチケットカウンターへ行ったなー。いやあ、よりどりみどりでしたよ。

 あれほど美しく、救いのないしあわせな物語と出会うことの出来たしあわせ。

 わたしが販売ビデオ2本買った、唯一の作品。や、繰り返し見過ぎでテープ傷んじゃったから、買い直したの。もちろん、発売日の前日にキャトレまで買いに行っていたしな。すり切れるほどリピートしたさ。

 この幸福な哀しい物語を、今の星組でなら再演できる。

 クライド@トウコ、ボニー@あすかで。

 あああ、見たいー。
 トウコとあすかで見たいー。

 どれほど深く、痛い物語になるか、考えるだけでも震撼するわ。
 ほんとはバウがいいけど、それぢゃチケット取れないから、ドラマシティあたりでやって欲しい。

 ドラマシティなら組をふたつに分けての公演だろうから、フルメンバーなはずはないけれど、とりあえずフルメンバーでキャスティング妄想。

 ジェレミー(クライド命!の弟分。懸命に背伸びしている少年)@れおん
 レイモンド(クライドの刑務所仲間。イカレたギャング)@しいちゃんorすずみん
 テッド(クライドの幼なじみ。真面目刑事)@しいちゃんorすずみん

 ビリー(ジェレミーの恋人)@えーと。星組の2番手娘役って誰?
 アニス(クライドの真の恋人)@コトコト希望
 メアリー(レイモンドの恋人。うふんあはんでのーみそ軽めの美女)@みなみ姫希望!!
 ネル(クライドの姉。強気。勝ち気。バツイチ。テッドといい雰囲気)@モモサリ姐さん
 ジョーンズ(ハンドル握っていればご機嫌、車ヲタク少年)@こまった、順番で行くと和くん?! 美しすぎるだろ、ハマコがやった役だぞ?!(なに気に失礼)
 
 で、いちばん問題なのがバック(クライドの兄)他2役、なんだけど。
 みきちぐ、かなぁ。組長はちょっと行き過ぎな気がするので。
 バック兄さんをうまい人がやってくれないと、作品の仕掛けが壊れるからなぁ。

 フルメンバーでなく、組を半分に割っての興行なら。

 テッド@しいちゃん
 レイモンド@あかし

 とか、

 ジェレミー@和

 とかもアリだろーなー。
 そしたら、

 ジョーンズ@水輝涼

 とかも、夢ではないよな。(漢・水輝に子役をやらせたいのか!!)

 kineさんはボブ(刑事。瞳キラキラ仕事一直線!)@一輝慎とか、マニアックなことゆーてましたが。

 
 あああ。見たいー、『凍てついた明日』が見たいー。

 『VIVA!BOW!』でひさしぶりにジェレミー@トウコを見て、その美少年ぶりに、びびった。

 トウコがいちばん「美少年」だったのは『グッバイ・メリーゴーランド』だったと思うし、『凍てついた明日』当時も「少年役はそろそろキツイやろ」と思っていたんだけど……いやいや、すげえよ、今見るとすげー美少年だ。

 タータンのイメージは、いつ見ても変わらない。新公学年からすでにおっさんだったもんなー(笑)。
 クライドが「若気の至り」で暴走しているなんて、タータンを見る限りは想像が付かないぞっと。

 再演でなくても、現星組でオギー作品が観たいっす。
 大衆におもねらなくてイイ、オギー全開、一般人置き去りなモノが観たい(笑)。
 それでも、トウコとあすかなら、わたしみたいな鈍感なモノにさえ「ナニか」伝えてくれると思うから。

 
 にしても、微妙だよね、『VIVA!BOW!』とかゆー番組も。ナビゲータのファン以外はどれくらい見るんだろ、この番組。
 わたしは、クソ真面目にアナウンサー喋りをしているまっつを堪能したのでヨシ。
 「日本物がやりたい」と繰り返すまっつにも萌えたので、ソレでヨシ。

             ☆

 つーことで、まっつ話もちょっくら。

 先週、宝塚にあるいつもの店(笑)でドリーさんとごはんしてるとき。

 手帳がないっ。

 という事態になりまして。

 2日連続ムラにいて、2日連続同じ鞄で同じ中身だったはずなんですよ。
 なのに、昨日持っていた手帳が、今日はない。

 ……落とした?

 青ざめる瞬間。

 えー、手帳っつーのはだね、キャトレで売っている「タカラヅカ・スケジュール・カレンダー」ってヤツなのだわ。
 舞台スチールと同じ大きさで、表紙に好きなスチールを入れることができるの。
 だからわたしは、もちろん、まっつの写真を入れていたの。

 去年もそうやっていたから、今年もそうした。……ソレだけのことだったのに、「ますますイタイ手帳になってるな」って、みんなが言うの!!

 なんで? 去年と同じじゃない。今年の手帳に、新しく買った写真を入れた、というだけで、去年とまったく同じなのに、なんでみんな口をそろえて「恥ずかしさが、グレードアップしている」って言うのおっ?!

 わかんない。

 一般的に言って恥ずかしい手帳だってのは、わかる。自覚している。
 一般人が見たら引くって。

 恥ずかしいのは、去年も今年も同じでしょ? 去年もわたし、恥ずかしい手帳だと自覚しつつ使っていたわよ。
 去年より云々、というのがわかんないのよ。

 去年より云々、はわかんないけど、たしかに「恥ずかしい」手帳が、入れたはずの鞄に入っていない。

 「恥ずかしい」手帳を、落とした。

 がーーん……っ。

 で、でも。
 救いはある。

「手帳には、個人情報はナニも記載してないわ。名前も電話番号も一切書いてないから、アレがわたしのものだって誰にもわからない」

 落としたら最後、もうわたしの手には戻らない。
 それはかなしいけれど、ある意味救い。

 あの恥ずかしい手帳の持ち主が誰か、わかる方が恥ずかしい。

 タカラヅカスターの写真だらけ、観劇予定だらけの手帳。ふつーに考えるとイタイ。イタ過ぎる。
 でもひょっとしたら、夢見がちな中学生の手帳かもしれないじゃん! アイドルの缶バッチを鞄にじゃらじゃらつけちゃう感覚の世代!(わしらの時代だけかと思ったら、平成生まれの子どもたちも同じ感覚でじゃらじゃらやってる……びびった)
 中学生ならスター写真持ち歩いていても、「子どもだから仕方ない」で済むわよね?
 おばさんの持ち物だと思うからキモくてイタイだけで!
 持ち主がわからなければ、わたしだとバレなければ、わたしは平気!

 そう自分をなぐさめるわたしに、ドリーさんは。

「そりゃ、緑野さんはいいかもしれないけど。可哀想なまっつさん」

 まっつが可哀想なのかよ!!

 ナンですか、つまり、こんな手帳を持ち歩く、イタイファンがいると、拾った人に思われるまっつが可哀想、てか。

 落としたところが大劇場内なら、拾った人も、届けられた人も、その写真がまっつだとわかるわけで。(や、まっつを知らない人もそりゃいるだろーけど)
 「マニアックなまでに作り込まれ、使い込まれた手帳に、まっつの写真がちりばめられている」というのは、まっつの名前を汚すことになる……?

 駅や電車で落としたのなら、「誰この写真の人?」「ヅカ? キモいメイク」とか、一般人の好奇の目にさらされることに?

 あああ。大地に両手をついて慟哭。

 まっつ、ごめん。わたしなんかがアナタを愛したせいで!!(まちがっている表現)

 で。

 心配する振りをしながら「大劇場忘れ物センターに引き取りに行くプレイになってるといいな」と鬼畜発言をするドリーさんを尻目に。

 手帳は無事に見つかりました。
 家に、置き忘れていた。

 ほほほ、残念ね、大劇で係のおねーさんに「まっつの写真だらけの手帳、届いてませんか?」と聞くよーなプレイをせずに済んだわっ!!

 まっつまっつまっつ。


 オギー新作ショー『TUXEDO JAZZ』はダイスキだ。
 『タランテラ!』の毒に酔っていた者なので、毒々しさが少ないことに物足りなさを感じる反面、ほっとしていたりもする。毎回『タランテラ!』をやられたら、こっちの身が持たない(笑)。
 これくらい、なにも考えずに観るオギーショーがあってもいいだろう。……や、繰り返し観ていると思いもかけないところで楔を打ち込まれる感覚があるんだけど。まあその話はいずれするとして。

 初日を見終わったあと、チェリさんと「よいショーだったけど、今の花組に、オギーのミューズはいないんだね」と話した。

 たとえば、『パッサージュ』のコム、『バビロン』のかよこだとか。『ドルチェ・ヴィータ!』の檀ちゃんだとか、トウコだとか。『タランテラ!』のコムだとかまーちゃんだとか。
 オギー作品の行き先を決める「女神」。
 性別は関係なく、「ミューズ」。

 オサ様のことは嫌いではないだろうし、その個性を愛して作品を作ってくれているのがわかるけど、「ミューズ」としては愛してないよな?

 いちかやとしこさんも気に入っているけれど、彼女たちに作品の行方を決めさせるほどの力配分はナイよな?

 壮くんのことは愛でている感じがするけれど、そもそも彼はオギー世界と相反するキャラクタだし(笑)。

 いちばんキャラクタを認められているのはみわっちだと思うけれど、彼もまたミューズと呼ぶには足りない。

 まっつはオギー役者ではないっす。だからどんな扱いをされるか不安だった(笑)。
 オギーの嫌いなタイプでないことはわかるので、まっつの組内立ち位置から考えてそこそこの扱いはしてもらえるだろーとは、思っていた。で、実際思っていた以上の扱いをしてもらっているので、感謝感謝だ。

 『TUXEDO JAZZ』がオギーにしては平凡な、汎用性のある作品になっているのは「ミューズ」不在のためかなと。
 オサ様がミューズだとよかったんだけど。オサ様もトシと共にどんどん丸くなってるしなー。

 ミューズもいないことだし、やりすぎだった『タランテラ!』のあとだし、演目発表されたときから(オギーにしては)オーソドックスなものになることはわかっていたし、軽く明るいエンタメに徹することで新しい試みをするのも、流れ的にアリだろう。

 オギーショーのおもしろさは、作品が多面的で多重構造であることなので、繰り返し観ることによって観客個人個人に好きなたのしみ方ができるということ。
 自分のご贔屓を追いかけて「アレはどの場面も全部同じ人物。じゃあソコにどんな物語が?」とやるのもたのしい。
 贔屓じゃなくても、「通しキャラクタ」「ひとつの物語」としてたのしむ気で観れば、誰を主役にしても考えられちゃうぞっと。「あるときは酔っぱらい、あるときは渋い男である、まりんの物語」「警官大伴氏の人生」とか、「シティガールちあきの毎日」とかでもOK。ひとりずつたのしめるのがすごい。

 いっそここに、贔屓がいない方が良かったよ。オギーファンとしては。
 まっつばかり見てしまって、他をたのしめないのが残念でならない。全体を見たいのにー。なにやってんだわたしー。うおー。

 『タランテラ!』がよかったのは、本当の意味での贔屓が出ていなかったことにあるんだろうなぁ。
 おかげであんときゃ、水くんをぜんぜん見なかった。わたしはとりあえず水ファンなんだけど、オギー世界では水くん、いてもいなくてもいい扱いだったんで、見ることが出来なかった……「世界」を堪能することに集中しちゃったから。
 あそこにまっつがいたら、それでもわたしはまっつを見てしまっていたんだろーか……あああ、それじゃ作品がもったいない……。

 そーして、思うわけだ。

 オギー役者というのは、ほんとのトコわたしの好みど真ん中の人ではないんだなー、と。

 もちろん、オギー役者は好きだ。
 オギー世界の本質を表現する力を持った、神から授けられた宿命と才能を持つアーティストたち。
 コム姫もトウコも檀ちゃんもかよちゃんもダイスキだ。
 彼らが創り出す世界を、心から愛している。

 それでも。

 わたしが本気で好きだった人は彼らではなかった。
 ミューズでも天才でもない。
 オギー作品を彩るその他のひとりでしかない。

 ミューズにも主役にもなれないけれど、世界と調和し、存在することのできる人。

 ケロ。そして、まっつ。

 オギー役者ではまったくないけれど、オギーに好意的に扱われ、役割を得ている舞台人。
 ケロとまっつはチガウけどね。まっつはケロにはぜんぜん届いてないけど。個々の持ち味や実力ではなく、オギー世界における、結果的な色というか。
 よーするにわたし、その距離感が好きなんだと思う。

 本物の毒や絶望、耽美や退廃よりも、そのそばにある健康だけど適度に影も傷もある人が好き。

 コム姫が好きで、あれほど『タランテラ!』が好きで、『アルバトロス、南へ』を観たときは貧血起こすほど入り込んでいたのに、それでもわたしは真の意味でのコム姫ファンではなかった。
 むしろ、コム姫ファンでないことを感謝した。
 もしもわたしがコムファンだったら、死んでるよ。わたしは生きていたいから、ファンでなくて良かった。
 『アルバトロス、南へ』を観て、反射的にリストカットするよーな、そーゆータイプでなくて良かった。『パッサージュ』を観たときに「コレ観て自殺する人がいたらどうするんだろう」と震撼したのと同じように。
 コム姫の創り出す「オギー作品」を、外側から愛していられる、畏れていられる人間で、よかった。

 だからわたしは、ケロファンで、まっつファンなんだと思う。

 ケロやまっつを主役にしたら、「見終わった途端リストカット必至」な作品にはならないと思うから。

 健康で平凡で、だけど影や傷もありなにもかも順風満帆ではなく、それでもそれら全部ひっくるめて、決してネガティヴではない。
 わたしの人生観まんまな人。

 生きることがかなしみだらけであることは知っている。つらいことだらけなのはわかっている。自分を含めたすべての人間が、醜いことも弱いことも知っている。
 それでも、人間と人生を愛している。
 自分を含めたすべてのひとに、美しいもの、すばらしいものがあることを、知っている。
 特別じゃない。
 平凡で地味で、特別でない、普遍的な痛みと悲しみと喜びと愛しさを抱きしめて生きる。

 そーゆー意識が「心地よい」と選び出す人。
 ソレは、「痛み」や「絶望」を強く打ち出すオギー役者ではないんだよな。
 オギー役者に、ただならぬ憧憬と愛情は抱くのだけど。
 真のご贔屓には、きっとならない。

 ……そんなことをつらつら考えながら、「ミューズ」不在の『TUXEDO JAZZ』をたのしむのさ。

 「特別な」絶望のない、もうひとつの人生のような仮想世界を。


 これで最後だ、『第93期宝塚音楽学校文化祭』の話。

 最後はダンス・コンサート。
 前日30分だけ観たのはコレ。

 ダンスは、タップ→モダン・ダンス→ジャズ→バレエ→ジャズ(タカラヅカ的)→モダン・バレエ→フィナーレの派手派手ジャズ・ダンスという構成。

 とにかく暗転が長く、団体芸炸裂。
 少人数で見せることはほとんどなく、できるだけたくさんの人が舞台にいること、を目的としている。
 1回1回暗転して、しかもソレが長いのは、「つなぎの場」がなく、衣装替えに時間がかかっているせいだろう。

 1部からこの3部まで全体を通してみると、鼻の君の印象がぜんぜんチガウので愉快。
 芝居に出ていないせいもあるが、彼はそれまではあまり冴えないんだわ。芝居にしろ、配役を見ると主要キャラではあっても主役ではないしな。
 日舞でもヴォーカル・コンサートでも大して目立たないとゆーのに。

 ダンスになると、彼が主役になる。

 すごいな、ヲイ。
 群舞基本のプログラムで、とにかくセンターにいるよ。目立ちまくるよ。
 3部のダンスだけ観てしまったわたしが、彼に目を奪われたのも納得だ。……って、顔が好みでなかったら、ここまで観ていなかったと思うけれど。

 鼻の君は本名も目立つ(タカラヅカ内限定・笑)ので、なにかと話題にしやすい。
 文化祭1日目、2日目と、「***ちゃん」と名前で呼んで話題にすることが容易くできてしまう。や、文化祭はわたし以外観ていないんだけど、プログラム見せて話をするだけで、もうみんな「***ちゃん」呼び。……呼びやすいんだもん、名前。
 「某所で***ちゃんに出くわした!」とその日の夜に鼻の君目撃情報がメールされてくるくらいに。……だからみんな、文化祭観てないのに。プログラムの写真見ただけなのに(笑)。
 
 さて、文化祭はどーせ「身内が観るモノ」だから、「ウチの子さえわかればいい」とか、「娘の友だちはみんな知っているから問題ない」とかなのかもしれないが、わたしのよーに「タカラヅカ」が好きで紛れ込んでいるヤツもいるのだから、もう少しミーハー客にもやさしくしてほしいなあ、と思う。
 とくに、ダンス。
 団体芸でものすごい人数が一斉に踊るし、次々顔ぶれが入れ替わっていくので、なにがなんだかわからなくなる。ちょっとばかし気になる子がいても、見失う。

 プログラムに、もっと詳しく記載されていればなあ。
 出演者50人の名前がただずらーっと書いてあったりするんだよなー。
 そーじゃなくて、せめてグループ分けして欲しい……。何人口かで。
 衣装の色が書いてあったら、それがいちばん助かるんだが。

 ま、無理なのもわかるけど。

 ただ、今回のバレエだけは、マジでプログラム記載が不親切だと思ったな。
 
 バレエは、今まで観た文化祭の中でいちばん変わっていた。
 ひとつの公園を舞台に展開する、浮浪児と盲目の花売り娘の恋の物語。
 芝居仕立てなら今までもあったけれど、完全に役の衣装を付けて起承転結オチまで完璧、てのははじめて観た。
 警官は制服着てるし、男たちはふつーに芝居で着るよーな男役の服を着ている。子役は子どものよーな服着てるし、女たちは庶民ドレスだし。
 バレエらしい衣装と振付でトゥで立たれるより、ふつーの芝居衣装でトゥで立ってくるくる回られる方がびっくり目に残る。
 「バレエ」の中の「役としての衣装」ではなく、ここがタカラヅカだからとーぜん、「タカラヅカで使われる、ふつーの芝居の衣装」なのよ。なのに女の子たちはみんなトゥで立ってるの。……ちょっとシュール。
 芝居でロジャー役だった濃い男とカップルの彼女、いつまでもトゥで立ったままゆっくり回転するからびびったわー。

 「役」がちゃんとあるのだから、プログラムに「警官」「子ども」「カップル男」「カップル女」とか、ふつーに書いて欲しかった。
 物語仕立てであれほどいろんな役に分かれてそれぞれ芝居しているのに、プログラムにはなんの変哲もなく、その場面に出ている46人がアイウエオ順で載っているだけなの。主役も通行人も関係なく。
 気になった子がいても、誰だかわかんない……。
 ふつーのダンスシーンで「衣装ごとにプログラムに分けて載せてよ!」が無理なのは自分でもわかっているが、この場面でなにも区切りがないのはかなり不親切だと思うぞ。

 それにしても、芝居のミミといい、この花売り娘といい、「清く正しく美しく」儚げキャラなので、現代の女の子たちが演じるのは大変だよなあ(笑)。みんな強そうで、か弱く演じるのに懸命の努力が見える。

 浮浪児くんは妖精的イメージなんだろうけど、軽やかさがなく、その分堅実な印象。役と本人のキャラクタが合ってないような?

 芝居を観てしまったあとは、とにかくロジャーくんが気になってこまる(笑)。
 彼、カノジョがいる方がイイよね絶対。女の子をエスコートしていると、オトコマエ度が上がる。なんか、カノジョのことすごく大切にしている感じがして。
 ダンス単体より、「芝居」の中でのダンスが見たい男だ。
 鼻の君はダンス単体でもいいんだけど。

 タカラヅカ的なダンスシーンは、たった1場面。
 男役と娘役として、デコラティヴな衣装をつけて正味デュエットダンス。団体芸ではなく、厳選された2組のみ。
 ここだけだからメリハリになっていいけれど、やはり大してきれいではない。レオタードで性別関係なく踊っているときの方がいいよなー。

 
 文化祭のお約束、最後のフィナーレダンスはとことん派手な発散型。
 みんなでガシガシ若さ満載ではじけきって終わる。
 や、衣装のカラーたすきはどうかと思ったけど(笑)。
 

 いやあ、やっぱたのしいわ、文化祭。
 『ハロダン』とはまったく別物。来年も観に行こう(笑)。チケットがもっと取り易ければいいんだけどなあ。

 それにしても、終わってから心に残っているのは、ロジャー@濃い男くんだったりするから、不思議だわ。
 所詮わたしは、ダンスより芝居が好きだからでしょう。


 ちんたらと『第93期宝塚音楽学校文化祭』の話、いちおー4回目。

 芝居は谷正純作『La Boheme+RENT=』。
 文化祭の芝居って、「劇団の劇中劇」にしなければならないルールでもあるの?
 89期から文化祭を観ているけれど、89、92、93と「劇中劇」で違和感。通常の公演で劇中劇なんてほとんどないのに、文化祭では比率高すぎ。
 谷作品としては、『1914愛』と『UNDERSTUDY』に似ている。
 舞台は現代の、あるカンパニー。1857年パリが舞台の『La Boheme』が舞台下手で、1989年NYが舞台の『RENT』が上手で同時に上演されている。どちらの物語にもミミという病弱な少女が登場し、それぞれの物語の主人公と愛し合い、貧しさの中で死んでいく。
 『La Boheme』の主人公・貧しい詩人ロドルフォ、『RENT』の主人公・貧しい音楽家のロジャーがそれぞれの「ミミ」と愛をはぐくむのが同時進行。片方の主人公とミミが会話しているときは、もう片方の主人公とミミは無声になっている。時代と場所を超えて、同じ会話をしているらしい。
 ストーリーらしいストーリーはなく、彼らと仲間たちのちょっとしたエピソードをつなぐだけで、ミミが死んで完。同時進行とはいっても、『La Boheme』の方が主。要になるシーンはロドルフォとミミばかりで、ロジャーとミミはあまり出番がない。
 習作、という感じで、作品として完成していない。短い上演時間で、登場人物全員に見せ場を作らなくてはならない文化祭では仕方ないのかもしれないけど。ちゃんと「作品」にしたら、おもしろそうなのになあ。

 芝居がうまいと思ったのは、現代場面のみに出てくるガタイよすぎの眼鏡の彼女。ええ、クラシック・ヴォーカルの彼女ですわ。堂々たる女役ぶり。

 お金をばらまくテンション高い女の子役の子と、浮気なお色気女役の彼女も素敵。

 ヒロイン・ミミは、たぶんうまかったのだと思う。ただ「清く正しく美しく」の具現で人格以前にとにかくかわいらしく儚げでなければならない、つーのは大変だなと。
 『La Boheme』の方のミミを、幕開きの日舞で美声を披露した娘役さんが演じており、うまかったとは思うが、違和感は消えない。……お花様やまーちゃんでもなきゃ、この役はできないだろ……難しすぎるよ。
 ライトの当たった死に顔があまりにリアルに死に顔で、びびった。死んでるよ、この子死んでるよー。なのに現実を受け止められないロドルフォが、死体の彼女に必死に話しかけ、気遣うのがものがなしくもちょっとホラー。
 ロドルフォが学芸会テイスト満載なので(笑)、いろいろ落ち着きが悪かった。

 もうひとりのミミは、うーん? とにかく出番もしどころもなくてなぁ。

 ロドルフォ、ロジャーにはそれぞれ男友だちがいるわけなんだが、男の子たちはみんな演技がアレで大変だ(笑)。やっぱり「男役」になることからはじめなきゃならないので、演技以前の問題なんだろうな。衣装の着こなしもえらいこっちゃになってるし、声は女の子のままだし。
 男友だちは、ビジュアル重視なのかなあ? みんなそれぞれ、容姿はいいと思う。

 なかでもロジャーの友人の大学の先生、着こなしその他いろいろあちゃーなんだけど、スタイルよかったなー。どこにいても目に付くわ。

 見せ場のあるロドルフォの親友ポジの子、せめてもう少しうまければなあ……見せ場と実力が合っていないし、相手役のお色気彼女がかっこいいだけにちぐはぐ感が増大された感じ。

 クラシック・ヴォーカルのえくぼの少年は、声と発声がいいから大分底上げされていたけれど、お芝居はそれほどうまくはないなー。ダンスでは目に付かないし。
 や、でも、声がいいのは武器だよな。他の男の子たちよりまだ男役っぽく見えたのはソレもあるかも。

 お色気女の愛人の政治家役の彼は、うまく育てばみきちぐやゆーほさとる系になってくれるのかしら。いい感じに脇っぽい三枚目だったわ。(バリ路線志向だったらごめんよぅ)

 昨日あまりに美形で目がいった彼、芝居に出ていたけれどちょい役で、台詞も出番もほとんどナシ。うまいも下手もわからない程度。……やっぱ下手だからそんな扱いなのかな?

 知人の応援している娘さん(幼少時から知っている子だそーで)が出ているというので、その子のことはがんばって探したんだけど……群舞ではわかんないし、歌は場面与えてもらってないし、ちょい役の芝居では、はっきりいって下手だった……うわー……がんばれー。
 顔はかわいいのになぁ。

 芝居がいちばん好きだったのは、前日欄で書いた濃い男。ロジャー役。素の表情より、演技しているときの方がかっこいいぞ。
 ひとりだけ「男役」になっていたことも大きいんだろうな。他の子たちとちがい、演技をする余地があるというか。
 芝居の主役は所詮ロドルフォなので、ロジャーである彼は舞台で演技をしていても、口パクだったり(ロドルフォが喋っているときは、ロジャーは口パク)ライトが当たっていなかったりするんだけど、それでも濃く芝居を続けていた。
 ラスト、死んだミミを抱きしめる姿が素敵。なんつーか、彼の心の痛みが伝わってくるのね。いい男だなあ。

 にしても、おもしろい芝居ではまったくなかった。
 演出家のせいだけど。
 制約付きで盛り上げるのは難しいんだろうな。
 去年の正塚芝居のよーな萌えがあればよかったんだが……そんなもん、まあふつーないだろうし(笑)。
 でも、ラヴシーンありの姫抱っこありの、サービスは心がけた作品だよね? 太田芝居よりマシマシ。
 

 さて、ミミの亡骸をロドルフォとロジャーがそれぞれ抱きしめて幕、なんだけど。

 最後の最後に、「愛してる」ってささやくの、どっちの男?

 幕はほとんど下りかけてるし、客席は拍手しているしで、「終わった」感が漂う中、マイクなしのナマ声で「愛してる」って声が聞こえたんだけど。

 ぶっちゃけ、ときめいたんですが。

 もう「終わった」と油断していたから。
 マイク落とされてたし、幕閉まりかけだったし、アレはアドリブなの?

 ロドルフォなのかな? ロジャーは最後のシーンも口パクだったから声を出してはいけない人だったんだろうし。
 ロドルフォくん、演技はかなりアレだったけれど、マイクがなかろーが幕が下りていよーが関係なくハマりきって演技を続けていたなら、その心意気やヨシ!
 
 だらだらと、翌日欄に続く。


 『第93期宝塚音楽学校文化祭』の話、3回目。でも、内容的には2回目?

 前日30分間の観劇で、カオをおぼえたのは男の子4人だけ。何度も言うが、わたしの海馬は不良品。記憶力ないし、事実を曲げておぼえがちだし。
 まったくアテにはならないが、まあとりあえず、鼻の君、カオはアレだけどなんか濃い男、鼻の君と一緒に踊っていた男の子、美形、の4人だけ認識して帰った。
 

 顔はアレだけど存在が濃くていいなーと思った彼は、やっぱり濃くていい感じだった。
 顔も、演技をしている分には悪くない。踊っているときの方がキツイなー(笑)。笑顔がこわいせいか。もりえ+えりおっとってイメージなんだが……わたし的に。(ソレってまずい?!)
 なんかひとりだけ「男役」でびびる。他の子たちは性別分化前なのに、彼だけもう「男」なの。
 芝居もそうだし、踊っている姿も男役。

 芝居の主役であり、ダンスで鼻の君と「唯一のタカラヅカ的場面」を踊っていた少年は、挨拶順を見る限りこの期の首席らしい。
 芝居はいまいちだと思ったんだけど……踊っている姿を見て、「あー、めちゃ甘い」と思った。
 技術的なことはよくわからない。わからないが、彼の存在は「甘い」んだ。「ロマンティック」というか。パステルブルーのフリフリレェスブラウスとパンツでデュエットダンスしていい男役だ。
 なるほど、あの「甘さ」(ロマンティックさ)は、タカラヅカとしてど真ん中の資質なんだろうな。

 美形くんは、カオ以外ではとくに目立つことがなかった……その、わたし的に。
 ダンスの善し悪しはわからないが、歌も芝居もそれほど琴線に触れず。

 
 つーことであとは、プログラム順に思ったこと、おぼえていたことをてきとーに書いてみる。

 日舞は恒例「清く正しく美しく」、このソロを歌う娘さんはいつもとても美しく見えるのだが、気のせいだろうか?
 毎年そう思うのよ、ほんとに。
 歌の効果か、歌声の効果か、はたまた羽織袴の正装効果か。おごそかで、大変ありがたいキモチになる。

 日舞は団体芸で、なんか構成がイマイチ。
 スターがいないから、こーゆーことになったのかなあ?
 センターでソロを踊れる子がいないのか。それとも今年の方針?

 コーラスは娘役ばかりで……というか、この期は不自然なほど娘役が多いから、そのせいかもしれんが、女ばかりのコーラスの中にちょこっとまざった男の子が新鮮に見えた。
 中でもひとり、気になる子がいたんで、その子のえくぼをぼーっと眺めていた。

 ……ら、次のクラシック・ヴォーカルでそのえくぼの少年がこれでもかというフリフリブラウスで登場した。
 なるほど、男役で歌1番の子なんだね。
 カオはけっこー好みだ。歌が巧い子が好きなので、歌の成績がいい、つーのは好感度アップ。フリフリブラウスだって、まだ着こなせていないにしろ、似合っていないわけでもないよね?

 次に現れたクラシック・ヴォーカルの娘役ちゃんは、「そ、そのウエストはいったい?!」な体型を披露して、度肝を抜いてくれた。
 いやそのたぶん、あのかわいこちゃんなドレスがいかんかったんやと思う……それ以外ではあそこまでおデヴさんには見えなかったから。
 しかし、メルヘンなまでにかわいいドレスで歌う彼女は、姿にあまりにも迫力があって……歌はどうだったんだろう。
 声としては、「清く正しく美しく」の彼女の方が好きかな。

 ポピュラー・ヴォーカルでは、ソロ歌手よりも男デュオ、しかも低音パートの子が気になる。まっつの低音にハマッてから、男役に求めるキーが変わったみたいだわ、わたし。
 ソロならある程度のキーでいいし、娘役とのデュオでもやはりある程度のキーでいいが、男同士で低音パートとなると、本気で低いからなー。
 ちょっといい感じの声の子がいたんだが、体型があまりに太いのでびびる。男の子たちはみんな、下半身のラインがまんま出るぴちぴちの黒パンツ着用なんだが……彼のお尻と股の肉はすごかった(笑)。顔も丸かったしなー。クラシック・ヴォーカルの娘役ちゃんといい、やっぱ歌うには肉が必要なのかしら。

 みんな進化しているのか、それぞれ客席へ向けて懸命にアピールしておりました。ガチガチに緊張して発表会ムード、という子は目に付かなかった。
 かといって、目立つほどアピールの濃い子も、派手な子もいない。
 平均値が上がったけれど、突出した個性もナシという印象。

 ところで、このヴォーカルパートのみ生演奏だったんですが。毎年そうだっけ?

 んじゃ、翌日欄に続く。


 文化祭への観劇意欲が薄れている。
 昨年までは、なにがなんでも観たい!と思っていたが、今回はなんか義務感でチケットを探していた。
 なんでかっつーと、『ハロー!ダンシング』を観たせいだ。星組ではあまり感じなかったんだけど、雪組がえらいことになっていてね。「文化祭とどこがチガウの……? 文化祭レベルの公演、毎月のよーに長い期間ワークショップとかゆー名前でやるんじゃん、無理して文化祭にこだわる必要ないじゃん」って。
 それでなんか、自分的にテンション落ちてたんだけど。

 それでもやっばり文化祭に行って。

 目からウロコ。
 『ハロダン』と文化祭は、ぜんぜんチガウ!!

 同じ「1回だけ観る」なら、文化祭の方がたのしい。
 内容的にも、技術的にも。

 文化祭は「日舞」「ヴォーカル・コンサート」「芝居」「ダンス」と盛りだくさんだし、公演時間もそこそこ長い。出演者数も多い。少人数で75分間ダンスのみの『ハロダン』とはまったくチガウ。

 ダンスのみに焦点をあてて考えても、文化祭の方が「場が持つ」んだ。
 何故ならば、文化祭のダンスは「タカラヅカのダンスではない」から。

 タカラヅカにはタカラヅカならではのダンスがある。
 ダンサーとして技術が高くても、「タカラヅカ力」が低い人はかっこよく見えない。娘役でももちろんそうだが、男役は顕著。

 『ハロダン』がキツイのは、「タカラヅカ力」が低い人たちばかりで、「タカラヅカのダンスショー」をやっていることだ。

 衣装の着こなしや立ち姿、所作のひとつひとつができていない「オンナノコ」たちが、見よう見まねで「タカラヅカ」をやっている……ソレが、キツイんだわ。
 もちろん、彼らが勉強中の身であり、これから「タカラヅカ力」を上げていくのだということはわかっている。どんなにダメダメだろーと、場数を踏むことで経験値を重ね、レベルアップしていくのだとわかっている。
 そのために、『ハロダン』が必要であることも、納得しているさ。(値段には疑問ありまくりだが)
 わかっていたって、キツイもんはキツイ。

 文化祭は、「タカラヅカ力」は問われない。
 男役も娘役も関係なく、みな同じレオタード姿で同じ振りで踊る。もしくはみな同じドレスで踊る。
 性別に分かれて「タカラヅカ」的に踊るのは、ほんのわずかな時間だ。
 あるのは純粋なダンス。
 人数も多いので空間を持て余すことなく、活き活きと踊っていられる。

 「タカラヅカ」ってのは、ほんとうに特殊なところだなあ。
 文化祭でそれなりに見せてくれた人も、改めて『ハロダン』で観ると「うっわー」てなことになっていたりする。ただ学んできた技術を披露するのと、「男役」「娘役」に分かれて「タカラジェンヌ」として舞台に立つのとでは、これほどまでにチガウものなのか。

 てな現実を認識した上での、『第93期宝塚音楽学校文化祭』。わたしが観たのは午前の方。いちいち観た回を言わなきゃいけないのは、午前と午後では芝居の出演者がチガウためな。
 文化祭では芸名を発表していないので、名前は書かない。どれが誰のことか、書いているわたし本人だけしかわからない書き方になるが、仕方ないわ。劇団が少しも早く、文化祭で芸名も教えてくれるよーになりますように。

 
 うっかり前日にラスト30分だけ観ちゃったんで、改めて最初から観るのは違和感(笑)。
 前日にプログラムを買っていたわりに予習はしていないから(昨日は帰宅してブログ書くだけで終わっちまったい)、いざ観劇してから、おどろいた。

 なんか短くなってない?

 日舞、全員で1曲だけ?
 あれえ? 今までは、何曲かあったよね? ソロで踊る子とかいて。
 でもって、お琴の演奏は? 去年は三味線もあったよね?
 ピアノ演奏もなし?

 あっちゅー間にヴォーカル・コンサートになってびっくりした。
 少人数でゆっくり踊ってくれる日舞パートやお琴、ピアノ演奏で、何人か顔と名前を一致させておくのがわたしの観劇パターンだったので、ソレがなくなっていて混乱。えええ、まだ誰が誰だかさっぱりわかってないんですけど?!

 ヴォーカルも、たったひとりで歌ってくれる子は覚えられるけれど、何人かで出てこられるとわかんねえ。

 芝居は半分の人数しか出てくれないし、ダンスは基本群舞だし常に動いていて次々入れ替わって、顔なんかよっぽどでないとわかんないから、ほんとにわけわかんないまま終わった……。

 結局、昨日ラスト30分観ておぼえた子しか、おぼえていないよーな。
 今日記憶の確認ができたわけだから。

 昨日「鼻の君」と命名した彼は、歌はアレなのか出番はほとんどナシ。いちおートリオでわずかばかりにソロはもらっていたが、歌ってゆーほど歌ってねえ。雰囲気だけで終わり。
 芝居は出ていない。
 が、ショーになるとガンガンにセンター。大活躍だ。

 初見のときに「変な顔」と思ったんだけど、見慣れると「……かっこいい?」(語尾上がる)つー感じには見える。
 目元は谷みずせ、輪郭というか顔のタイプが成瀬こうき系。貴羽右京にも似ている? 鼻のカタチがもう少しちがったら、正統派に美形になれるのではないだろーか。よーするにわたしの好きな顔だ。
 鼻がでかくてスナフキンっぽい。

 彼を見ていて気になることは、男役は、レオタードのときも胸をつぶすのだろうかということだ。
 性別関係なく踊る文化祭、男役も娘役も平等にガシガシ踊っているんだが。

 鼻の君には、胸がなかった。

 不思議なほど、なかった。

 他の男役は、レオタードでもちゃんと胸がある。どんなに華奢でカラダが薄くても、小さな丘がふたつ見えるもんなんだが。

 鼻の君には、ナニもない。

 ダンスで胸を大きく逸らしても、レオタードに浮かぶのはあばら骨と胸筋のみ。

 少年……? あれは、少年か?
 お尻もぺたんこなんだが。丸みがまったくないんだが。

 不思議な生き物を見る心地がした。
 性別がなさそうなんだもんよ……。

 
 と、とりあえずは「鼻の君」の話だけで終わる。

 翌日欄に続く。


 トウコちゃん大劇場お披露目公演前売り抽選でカスな番号を引き、「SS席でかぶりつきでまっつを見るの!!」と夢見て参加した花組ANA貸切公演(席は当日抽選)でも「まっつが遠い……遠いわ……」な席になり、ついでに「寿美礼サマのサイン色紙欲しいっす」と指をくわえつつ幕間抽選会でもなーんにも当たらず、くじ運に見放された1日。

 それでもまっつまっつでしあわせな気持ちで大劇場をあとにした。や、席がどうであれまっつ眺められたからしあわせなの。うふふ・あはは。

 ロビーでは、音楽学校生が、呼び込みをしている。

 今日と明日は、宝塚音楽学校文化祭の日。
 予科生たちが髪をびしっと固め、直立したまま文化祭プログラムを販売している。

 バウホール下にテーブルを出して販売しているのは、毎年のことだけど。

 今年は売店前、ロビーなどにも進出し、「文化祭プログラム発売中です。1部1000円です。いかがですか」と必死に繰り返している。

 去年もここまでやってたかなあ? やっていたよーな気もするが。
 にしても、異様な光景だ。

 プログラム、つーのは演目表であり、その公演を観る人以外必要のないモノだ。
 パンフレットではない。
 つまり、文化祭を観る人以外には不要なモノだ。
 文化祭が行われるバウホールで販売するのはわかるが、大劇場ロビーで、大劇場を観に来た客に声を張り上げてまで販売するのは、おかしくないか?

 ノルマでもあるのかな。

 バウホール500席×4公演 = 2000冊で済むところを、印刷費の関係で3000冊刷った、過剰な1000冊は音校生で処分するよーに、言い渡されている、とか?
 たかが1000円のプログラムを完売できないよーな集客力のない生徒は、歌劇団に入団しても能力に欠ける、とレッテルを貼られてしまうとか?

 なんか、悲壮感漂わせてプログラムを売り続ける音校生たちに、せつないものを感じました。

 ……と、まだここまではいい。

 わたしがムラに着いたのは、午後になってからだ。
 文化祭の1回目公演は幕を開けていたが、まだ夕方から2回目公演がある。夕方公演の客に向けてプログラムを販売するのは、至極真っ当なことだ。
 また、大劇場ではこれから午前公演が終わり、午後公演がもうじきはじまろうとしている。帰る人、到着した人でごった返し、活気にあふれている。
 そんななか、ロビーで声を張り上げて客引きするのは、あまり感心しないがまあ理解の範囲内だったんだが。

 問題は、彼らが、大劇場午後公演終了後もまだ、販売し続けていたことだ。

 びっくりした。

 劇場を出たら、ロビーにまだ音校生たちがいるの。
「プログラム、1部1000円です!!」
 悲壮に売り込み続けている。

 君らは、マッチ売りの少女か。
 売り切らないと親方にぶたれるのか?

 大劇場観劇を終え、帰路につく人の流れで「文化祭プログラム」が売れるわけないやん……。
 しかも、ANA貸切だよ? 抽選による無料ご招待だから、一般客率めちゃ高いのよ? 男性率、子ども率もすげー高いし。そんななかでやっても、異様なモノを見る目で見られてるだけだってばよ、同じ制服姿で同じ化粧と髪型の一団なんて。

 みんな彼らをじろじろ見て通り過ぎていくので、「今あの子たちからプログラムを買ったら、周囲からいたたまれない注視をあびてかえって愉快かも?」とゆーネタでドリーさんと話したくらいさ。

 雨だから紙モノは買いたくなかったけど、なんかもー、買うしかないかなこりゃ、という気になったので、ざーっと見てかわいい方の子たちのところへ近寄ってみた。
「プログラム、1部1000円です!!」
 とゆー叫び声の他に、まだ彼らは別のことも叫んでいた。

「文化祭チケット、あと2枚あります!!」

 はいー?
 チケット、売ってるの? えええ?

 プログラムを掲げながら、チケットも一緒に掲げて売ってるのよ、これが。

 そんなの、はじめて見た。
 文化祭チケットって、身内と友会抽選販売のみで、一般売りナシ、完売状態がデフォルトだよねえ?

 のぞいてみると。

「本日16時開演のチケットです」

 ……えーと?
 今、大劇場15時開演の公演が終わって、貸切公演恒例の寿美礼サマの挨拶まで終えて出てきたところで。
 18時を、回っています。

「18時から、第3部がはじまっています」

 はじまって2時間以上経過した、3部構成のうち2部まで終わって、最後の3部がすでにはじまったよーなチケット売ってるの?!!

「お代は結構です」

 えー? そりゃたしかに、ソレはもう売り物にはならないだろうけど。
 売り物にならないにしろ、それでもチケットを「あります、ご観劇下さい」と呼び込みをしているって……。

 毎年こーゆーもんですか? 余ったチケットは音校生自ら声を張り上げてロビーでさばいているの?

 なんか、よくわかんなくて、混乱しまくったまま、「観ます。チケット下さい」と言って、タダでチケットだけもらうわけにもいかんから、「プログラム買います」と1000円渡し、ひとりバウホールへ向かったさ。

 第3部ってたしか、ダンスショーだよな。何分あるんだっけ?

 もう終演を待つばかり、のバウホール周辺は「お疲れ様」ムード。劇場係員も受付をやっている音校生も、手持ち無沙汰。
 そんななか、ひとりで駆けつけるとなんかプレッシャー。わーん、みんな見るよー、「なんだこいつ?」って。

 実際、座席に着くときも周囲の人の目が「なにしに来たの、この人」的だった。「もう終わりなのに、わざわざ来なくても」……誰だってそう思うよな……ごめんよぅ。

 席がまた、すげー良席で。
 段上がりセンター。舞台が近い。出演者と目線の高さが同じ。

 コートを脱ぐこともできず、とにかく坐って舞台を観ると、同じ衣装の子たちの大人数の群舞。……わけわかんねえ。
 突然すぎて、なにがなんやら。
 買ったプログラムだって、開いてもいないし。

 舞台に目と気持ちが慣れるまで1場面くらいかかり、よーやく落ち着いてオペラグラスでも使おうかしら、という気になったとき。

 好みの「鼻」の男の子が、わたしに微笑みかけていた。

 はい。鼻です。花でも華でもありません。

 あの鼻、まっつに似てる……。

 鼻にこだわりのあるわたしの目を奪う、好みの鼻。
 大きくて、長くて、存在感があって。

 鼻筋が通る、というよりは、「鼻が大きい」と言われるだろう男の子。
 その子が、わたしに微笑みかけている。

 や、たんに出演者と目が合っているように感じる席だっつーだけで、ほんとうに彼がわたしに微笑んでいたのかなんてわかりません。
 でも、センターで踊る彼は、わたしに微笑みかけているの、好みの鼻で!!

 あらやだ、どうしましょう!!
 その鼻に注目してしまったわたしは、以来どこにいても彼を見付けてしまう。
 群舞でも絶対わかるって。あの鼻。

 美形かどうかはわからない。まっつの顔を、目の脇を持って横に引っ張って伸ばしたよーな感じ。まっつみたく細長い顔ではなく、両目も離れ気味。でもとにかく、鼻が似ている。

 ……他に美形な子とか、カオはアレでも濃い子だとか、いろいろ目にはついたんだけど。
 「鼻の君」見ているだけで、終わってしまった……。

 てゆーか、わたしが着席して30分? うおー、これだけしか残ってないチケット配ってたのか、音校生たち。

 鼻の君をガン見して、帰ったら名前チェックしなきゃ、舞台化粧顔から素顔写真を見付けなきゃ! とがんばっていたのに。

 舞台の最後、その鼻の君がまたつつつとセンターへ立ち、わたしに向かって(カンチガイ。席がそーゆー席だってだけだってば)「本日は文化祭をご観劇ありがとうございました」と挨拶をはじめた。

 今回の挨拶役生徒かよっ。それならカオがんばっておぼえなくても名前プログラムに記載されてるじゃん!!

 
 たった30分でバウホールをあとにし、ジュンタンとの待ち合わせの店に行った。

「いい子はいた?」
 と聞くジュンタンに、

「鼻が好みの子がいた」

 と答え、「あらまあ」と笑われ、さらに、はじめてプログラムを開き、名前を確認し、素顔写真を確認した。

「あ、わかる。緑野さんの好きそーなカオ」

 なんかすごーくふつーに、そう言われましたが。
 そ、そうか。わたしの好きそーなカオか。なるほど。

 なにしろ最後の30分しか観てないからなー。
 わけわかんない。
 ぜえぜえ。


 

 
 初日に『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』を観たときに、ものすげー素で思いました。

 刑事1@さお太さんと刑事2@みつるは、千秋楽には膝枕をしてくれるだろう。と。

 『明智小五郎の事件簿』の見所のひとつ、男3人でソファーとゆーのがあります。
 波越警部@壮くんと、彼の部下である刑事ふたりの合計3人の男たちが、ふたり掛けソファーにみっちり密着して無理矢理坐るという、プレイがあります。(プレイゆーな)

 男たちは、そのまま眠ってしまうの。
 真ん中が波越で、刑事ふたりが彼をサンドするかのよーにもたれかかって眠っている。
 その姿が、めっさラヴリー。

 明智@オサ様と波越はけっこーナチュラルに愛があって、互いを見つめる目がみょーにやさしいんですが。
 眠ってしまった男3人に明智がひとりごとのよーに声をかけると、波越くんはお目々ぱっちり、「眠ってないぞ」、いそいそとソファーから立ち上がります。で、お仲間ふたりを顧みることもせず明智に尻尾を振ってついていきます。

 男3人ソファー、だったのに、真ん中の波越が抜けたモノだから、両端のふたりは支えを失い、体勢を変えて眠り続けます。
 向かって右側にいるみつる刑事は坐ったまま熟睡、左側のさお太刑事は波越のいた場所にアタマをつけて、肘掛けに足を載せて横になります。
 その熟睡っぷりが、めっさラヴリー。

 ナニ男ふたりでひとつのソファーで寝てるのよー。やーん。

 不思議なのは、よりによって何故、みつるとさお太なのだろう?

 カップリング推奨するにしても、微妙な顔ぶれだ。はたして、このふたりのカップリングに、世間のニーズはあるのか?
 同じことをワタルくんとトウコちゃんがやっていたり、水くんとコム姫がやっていたりしたら、腐女子も女子も大歓びだろうけど……オサ様とまとぶんとか、みわっちとかでも大歓びだろーけど……さお太さんとみつるで?
 どっちが受?(素朴な疑問。どっちもアリだろうし、どっちもかわいいだろう)

 この、ふたりの寝姿がまた、微妙なの。
 ひとつのソファーで、触れそうで触れない、ぎりぎりのところで寝ているの。

 波越にもたれかかって寝ていたくらいだから、スキンシップOKな男たちだろう。
 なのに、互いに触れないのは、かえって不自然だ。真ん中の支えが無くなったんだから、ふたりで互いに寄っかかって眠ってもいいのに。

 とゆーよーなことから、なんの疑問もなく、素直に思った。

 何故、刑事ふたりが微妙な位置関係を守ってひとつのソファーで眠るのか。

 千秋楽のお遊びで、みつるの膝枕でさお太さんが眠るんだなっ。

 初日からすでに、そう信じて疑わなかったし、寝姿なんて、そのときどきで変えてもいいだろうに、いつ観ても同じなので、さらに確信した。
 楽でやるために、普段の公演ではわざと触れないようにしてるんだわ。

 これくらいのことは、誰でも考えつくだろうと思って、ドリーさんに言ってみたら。

「そんなこと、緑野さん以外の人は考えません」

 一瞬ぼーぜんとしたあと、しみじみとした口調で断言されてしまいました。

 えええっ?!

「これだから腐女子は……」

 え、いや、だって、腐女子とかそーゆー区別無く、誰だって考えるだろう?
 みつるは坐っていて、その太股の横にさお太さんがアタマを置いて寝てるんだよ?
 いちばん簡単なアドリブが、アタマの位置を10cmほどみつる側に移動させる、つーことじゃん!
 考えるだろ、誰だって?!

 ウケを狙って言ったとか、「……てなことを考えるのは、わたしだけではないはずだ」とかゆー意味ですらなく、本気で、「世界の共通認識」だから、今さら口に出して言う必要もないと思いつつ、言ったんですけど?

 速攻否定? 完全否定? えええっ?!

 みんな、考えたよねえ?
 あそこまで微妙な体位で寝るなら、膝枕くらいしろって。(体位言うな)

 だからこそ、千秋楽に持ち越しなんだなと思ったよねえ?
 変な意味ぢゃなく、かわいいじゃん、みつるの膝枕で眠るさおたん。

 ドリーさんがたまたま考えなかっただけで、みんな考えてたよねえ?

 
 つーことで、千秋楽のさお太&みつるに期待。

 膝枕頼みますよ、膝枕!!
 ファンの人、両名にリクエストよろしくです。


 兄妹オチが出てくると、お笑い度が跳ね上がるのは、何故だろう。

 それまで多少アラのある物語でも、とりあえずシリアスに恋愛してきたとして。
 クライマックスに「愛し合うふたりは、生き別れの兄妹?!」てなネタが出てくると、途端爆笑作認定となる。

 やっぱアレですか。
 昭和中期のトンデモナイドラマだの映画だの少女マンガだのの定番ネタだったからですか。
 記憶喪失と兄妹オチ。
 どっちかひとつでもお笑いなのに、両方使って大暴れしていた某韓国ドラマとか、腹を抱えて笑ったよなあ。「記憶喪失キターーッ!!」「兄妹疑惑キターーッ!!」つって。
 いちばん簡単プーに「ドラマチック!!」(縦ロールの睫毛びしばし下唇に縦線の古い少女漫画絵で白目ヨロシク)にできるからですか。
 その簡単プーさが、かっこわるい。時代遅れ感が際立つからかな。「この現代にこのネタ?!」みたいな。
 かっこわるくて、すでにお笑い世界。

 作品のアホアホ度が高くなるアイテム、ソレが「兄妹オチ」。

 それまでいちおーまともに見てきたのに、「記憶喪失」とか「兄妹オチ」とかが突然出てきたら、「なんだ、アホドラマだったのか。真面目に見て損した」って気分になる。
 そーゆー場合は、作品紹介に入れておかなきゃダメっすよ。「アホドラマ・キーワード」を。そしたら、最初からアホアホ設定を笑って楽しむつもりで見るのに。または、そーゆードラマを好きな人だけが見て、ふつーの恋愛物を見たい人はスルーするだろうに。

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の兄妹オチは、脱力でした。
 ベタベタの伏線を繰り返していたので予想がついていた分、腹は立たないが、相当トホホな気分になった。
 かっこわるいなぁ。ただでさえかっこわるい話なのに、さらにアホアホネタを使って作品知能指数を下げるか、キムシンよ。
 笑わせることが目的なら、ソレもいいけどさー。

 
 まあ、ソレはともかく。

 兄妹だから、ひとつの事象の裏と表として描いているのはわかるし、ソレを面白いとも思う。

 アホアホ系としての「兄妹オチ」に萎えるのと同時にね(笑)。後出しされると駄作感が大幅アップするので、最初から「兄妹モノ」と宣伝してくれてりゃー良かったのになー。あ、それぢゃ『黒蜥蜴』にならないのか。つまりそもそも、『黒蜥蜴』を原作に使わなければ良かったんぢゃ……ゲフンゲフン。

 や、アホアホ話は置いておいて。

 明智@オサと黒蜥蜴@彩音は、互いを「自分に似ている」つーことで恍惚となる。

 ここで「恍惚」となるあたり、「似ている」だろう。ふつーの人はあんなにうっとりせん。ヤヴァイ感性を持つナルシーちゃんならではの感激ぶり。

 実際、ふたりがやっていることは同じだ。

 妹は犯罪を犯して金を稼ぎ、兄は犯罪を暴いて金を稼ぐ。
 妹は戦災孤児の少女たち(同性)を拾って養育する。
 兄は戦災孤児の少年たち(同性)を拾って養育する。
 妹は少女たちを甘やかし、遊ばせることで尊敬を集め、「女王」として君臨する。
 兄は少年たちに仕事を与え、自立心を促すことで尊敬を集め、「先生」として君臨する。
 ふたりとも、自分の王国で年若い取り巻きを集めて愉快に生活。同性に限るのは、性的な欲望を満たすための王国ではないから。
 精神的な充足(ちやほやされる、敬愛される)を求めた結果。

 同じ感性と方法論で生きるふたりの方向がちがっているのは、性別の差が大きいだろう。
 女は「そばにいて与え続ける」愛のカタチを取りがちだし、男は「外に出て戦う」愛のカタチを取りがちだ。
 生物としての役割分担からくる傾向なので、男女差別とか偏見ではなく、大雑把に「男と女」ゆえの方向性の違いから、すべてはじまったんだろーな、と思える。
 妹の方は精神が幼いままなので、ソレがさらに極端になった、とゆー感じ。

 ここまで「同じ魂の裏と表」であるふたりだから、「同じ血を引く」とすること、「兄妹」とゆーことが設定として絶対であることも理解できる。

 だからなあ。
 突然のプロポーズが、さらにアホアホ感を煽るんだよなあ。

 「魂の半身」と出会った! =「結婚」!!
 「兄妹だから結婚できない!」=「自殺」!!

 そんなアホな。

 せっかくの「兄妹」=「同じ魂の裏と表」をそれまで積み重ねて描いてきたのに、全部ぶちこわしですよ。

「プロポーズのあと自殺させるためだけに、兄妹ってことにしたのね」

 とゆー、ものすげー安い結論に堕ちてしまう。

 冒頭で語った「アホアホ設定」ですよ。
 魂の類似、とかそーゆーナイーヴなところからかけ離れた、いちばんアバウトで失笑される展開に着地してしまいますよ。

 なにやってんだかなあ。
 「兄妹オチ」なんて、指さされて笑われるよーな危険なネタを使うときこそ、細心の注意が必要なのに。

 明智の安いプロポーズと、黒蜥蜴の安い改心、コレがなければどんなによかったろう。
 大劇場だから、とおもねったんだろうか。
 背徳と悪のままでよかったんだよ。
 なんにせよ、黒蜥蜴は死ぬべきだけどね。

 タイトルが『明智小五郎の事件簿』なので、最後明智が立ち直るところで終わるのは正しい。
 彼が「黒蜥蜴事件」を乗り越えることで、「事件簿」のなかのひとつの出来事だとわかる。

 どーせ明智が立ち直って終わりなんだから、プロポーズや改心は不要だった。どんなにそこが暗くても、倒錯的でも、最後は前向きになるんだから。

 や、贅沢は言わない。
 明日からでも、「コマがなんだーっ!!」の台詞を無くしてくれればイイ。
 いやその。
 作品が、とか、流れとかテーマがとか、理屈以前におかしいから。台詞として、行動として。
 明智くん真剣だけど、爆笑ポイントだから。

 半年経ってから押し花の裏のメッセージに気づかなくていいから。「押し花がなんだーっ!!」も無くしてくれていいから。

  
 いろいろ言ってますが。

 あちこちイッちゃってる明智くん@オサ様は、大変好物です。

 たのしそーだなー、オサ様。
 らぶ。


書生たちの人間関係が知りたい。@明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴
←恒例、アズくんの公演コスプレ。
 特技はピアノだそーですよ、ヨロシク!
 学ランは電車の中、乗り換えまでの3分で制作(笑)。簡単で助かるわ。

 
 
 とりあえず、まっつが、学ランです。

 
 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』初日、書生たちがわらわら登場した瞬間の、客席に満ちた、あの微妙な笑い。

 キャスティング発表があった2006-12-26から、期待してはいたさ。

> でもって、書生ってどんな服装かなー。
> やっぱ着物に袴? わくわく。
> クラシカルなスーツ? わくわく。
> それともいっそ学ラン?! わくわくわくっ。
> まっつなら、どれもOKだ! 儚げだといいなあ。うっとり。

 ……にしたって、ほんとに全員、学ランで出てくるとはっ!

 学ラン軍団が出てくるなり、客席から笑いが起こった。
 爆笑ではない。
 どちらかというと、失笑に近かったかもしれない。
 でも、微妙に違うんだな。

 笑えばいいのかあきれればいいのか同情すればいいのか。
 困惑が吐息となり、波のように広がっていく。

 笑い声に似た溜息が、広がっていく。

 いやあ、いいですなー。
 あの空気感は、初日の醍醐味です。

 すばらしいですね。
 若者はともかく、いいトシした男たちまで学ランですから!

 まぁくんの似合いっぷりだとか、めぐむの援団風だとか、らいらいの美形っぷりとか。マメがナニかやってくれるのは、言うまでもなく。
 ごめん、大伴さんはスルーしたからわかんないけど、みわさんがやっぱ年齢的に(キャラ的に?)学ランは似合わなくて居心地が悪かったり(ソレで慟哭芝居してくれるんだから素敵だ!)、もーいろいろなんだが。

「まっつはなんで、サイズの合わない学ラン着てるんですかね?」

 と、まっつメイトのモロさん。

 ええ。
 またしてもまつださんたら、サイズの合わない服を着てますよ。肩幅とか、絶対合ってない。服の中でカラダが泳いでるだろ。

 スーツや燕尾はきちんと着こなしている。
 でも、白衣だとか手術着だとか学ランだとか、制服プレイ(笑)には弱い模様。

 答えはなんとなくわかるけど。

[スーツや燕尾はいろんなサイズがあったり汎用性を持たせて作ってあるけど、学ランはチガウんじゃない?」

 仮にもタカラヅカ。
 学ランの出番がそんなにあるはずもない。
 白衣や手術着も、アリモノを使っているからまっつにはブカブカなんぢゃあ?

 衣装にカラダを合わすのも、ジェンヌの務め。「合ってない」と思わせてはいけないものですが。

 制服モノに限っては、ブカブカは萌えだから無問題っす。ハァハァ。

 書生さんズ、出番少ないけどなっ。
 人数多すぎて、誰を見てハァハァすればいいか悩むけどなっ。
 てか、まっつは何故にきよみと絡む? 体格差に萌えろってことですか?

 
 まっつは今回3役してますが、全部テンション高い役で、笑えます愉快です。

 テンションの高いまっつ。
 声を張り上げ、軽薄ぶるまっつ。
 必死に女の子のご機嫌取りをするまっつ。
 高笑いをするまっつ。

 出番は超絶少ないっすが、なんか、微妙にこう、痛々しくて萌えです。

 学ランも素敵ですが、後半ちらりとだけ出てくる悪の下っ端まっつが、すげーツボです。
 首にオサレなネッカチーフ巻いてるのよ。あのネッカチーフがたまらん。ヨミの手下@『バビル二世』とか、パンサークローの下っ端@『キューティーハニー』的というか。
 昭和時代のアニメの悪役(超下っ端)っぽくて。

 学ラン書生さんから、次の出番まで時間があるせいか、髪型もがらりと変えて、ボリュームのあるオールバックだし。アズみたい。
 ……はっ。まっつ的に「いつもの髪型=好青年」「センターパーツ=かわいこちゃん」「オールバック=悪役」と分類されてたりな。まっつ、舞台人とは思えないくらい髪型のバリエーション少な……ゲフンゲフン。

 オープニングのスーツ以外は、気の毒で素敵よ、まつださん(はぁと)。

 
 えー、確認事項。
 わたしは、キムシンファンです。

 彼の作風は好きだ。
 主義主張を叫ぶために、作品を利用するのはぜんぜんアリだと思っている。
 座付き作家である前に、「クリエイター」であるべきだと思うので。

 もしも「座付き」であることのみを求めるのなら、「演出家」はいらない。データを入力したコンピュータがはじき出した通りの流れで、ジェンヌが歌い踊ればいいだけのことになる。
 クリエイターが、自分の「訴えたい」と思うテーマを描くために、1時間半の物語を作る姿勢を、「正しい」と思っている。

 で、わたしのスタンスからいけば今回の『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』も、なんの問題もナイ。
 テーマを叫びたいがためにいろいろ原作とチガウことをやってるが、それはクリエイターの裁量のうち。クリエイターに任されたフリースペースでしょー。
 原作があればなにもかも写し取ったかのよーに原作まんまにしなければならない、というなら、演出家なんかいらないし、そもそもメディアミックスする必要もない。文学が文字情報のみで「読者の想像にゆだねられる」芸術である以上、すべての人間の「想像」を納得させる「三次元化」など不可能。なにしろ人間の数だけ「想像」があるんだから。
 コピーなど不可能である、それゆえ文学作品をタカラヅカでミュージカル化する上で、変更があるのは当然のこと。
 原作と別物になっていても、まったく無問題。構成だとかの骨組みが壊れてさえいなければ、創作ってのはそれくらい、幅があっていいはずだ。

 ぜんぜんOK、クリエイターとしてキムシンは正しい。

 ただ。

 個人的に、つまんないや、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』。

 わたしの好みじゃない。

 わたしが観たかったのは、怪盗黒薔薇@『熱帯夜話』なのよっ!!

 美を愛し、人間の作った法律だとか倫理だとか無関係に、己れの美学に忠実に生きるアーティスト。
 気に入った美女や美青年を剥製にして陳列、自身も女装して優雅に振る舞う。無垢な美少女を誘惑し、純粋な青年をも弄ぶ。性や重力すら超えたよーな、妖美の化身。

 「黒薔薇」が、乱歩の『黒蜥蜴』をオマージュした存在であることは、説明するまでもないだろう。実際、んな説明はされてなかったと思う。
 男性でありながら、女性としての美しさをも持ち、女性の姿で少女を誘惑し、男性の姿で青年を誘惑する。徹底した倒錯。常識を嘲笑うかのよーな、圧倒的な美の力。

 これは、「タカラヅカ」という特殊な世界でなくては描けない作品だと思う。
 現実の男性では、「黒薔薇」は演じられない。タカラヅカの男役のみが具象化できる。

 ……まあコレは、「黒蜥蜴」役がオサではなく彩音ちゃんだった段階で「無理だ」とあきらめたけれど。てゆーか、演出家チガウしな。キムシンが大介くんと同じことをするはずもない。

 それでも、乱歩の『黒蜥蜴』をベースにタカラヅカ化する、という期待感が損なわれるモノじゃなかったさ。

 あー、わたしはヲタクなので、もちろん江戸川乱歩ファンですわ。
 学生時代、周囲のヲタクたちの中で、乱歩を読んでない奴なんか皆無っすよ。乱歩全集(小説のみではなく、評論や書簡まで網羅)を読破する、のが常識だったさ。
 そんななかで、小説しか読んでないわたしは「無知」な部類。小説はほぼ全部読んだと思うけどなー。

 わたしが相当ぬるいファンだからかはわからないが、「黒蜥蜴」を「少女」とするキムシン版『黒蜥蜴』は、ぜんぜんアリだと思った。

 小説をまんまコピーする必要はないと思っている。トップスターのオサが黒蜥蜴を演じられない、「タカラヅカのルール」の上で創作するしかないのなら、黒蜥蜴を妖艶な大人の女とはせず、少女に置き換えるのはいいアイディアだと思う。

 「少女」という存在の持つ残酷性や神秘性を『黒蜥蜴』をベースに描くのは、そりゃーたのしいだろう。
 子どもが無垢だとか純粋だとか天使だとかゆーのは、大人の都合のいい幻想だ。
 子どもほど残酷で正直なものはない。
 とくに、「少女」という、「女」の片鱗を持つイキモノならば、どれほどの魔性を描くことができるだろう。

 いやあ、わくわくしたねえ。
 ……はじまる前は。

 ははははは。

 なーんだ、こう来たか。

 わたしが『黒蜥蜴』という原作から勝手に期待していたデコラティヴな耽美さも残酷さも妖美もなく、安い冒険活劇メロドラマが展開されていた。

 「安い」というのが、いちばん問題だな。
 冒険活劇でもメロドラマでもいいんだけど。

 せっかく「いびつな大人の女」として登場した黒蜥蜴@彩音は、そのままではいられず、後半はただの「駄々をこねている子ども」になる。
 「いびつさ=少女であるがゆえ」だったのになー。なんで最後までそのままでいてくれなかったんだろう。

 前半と後半が別物になっているのが気になる。
 舞台構成も演出も、そしてキャラクタも。

 
 でもって。

 オリジナル要素をいろいろ含んでいるし、原作から乖離している部分はたしかにある。

 でも、コレはコレでアリだと思う。
 原作タイトルまんまで上演しているならともかく(『ベルサイユのばら』とかな)、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』という、原作とは別タイトルなんだから、「原作まんまじゃない!」ことは、マイナスに数えない。『鳳凰伝』だって『王家に捧ぐ歌』だってそうさ。
 別モノなのは、最初からわかっている。

 ふつーに、そこそこよく出来た作品だろーさ。
 出来事が展開して話が進み、主役ふたりが恋愛をする。
 キムシンらしい人海戦術(笑)で、地味になりがちな画面を盛り上げて、キュートな車だのキッチュなソファだのでスパイスをきかせて。
 明智@オサ様はクネクネカッコイイし、雨宮@まとぶはワイルドマゾカッコイイ。公務員(刑事つーより公務員)@壮くんのフツーカッコイイぶりも見所だ。

 処女性強調するのは見ていて恥ずかしいからよせ! と心底思うが、テーマが「少女」ぢゃ仕方ないのか。にしても語彙をなんとかしろ、とツッコミつつ。

 『黒蜥蜴』という原作に引っかかりさえなけりゃー、ふつーにたのしめるんじゃないのか。
 いっそオリジナルっつーことにしちゃえばよかったのに。藤井くんの「黒薔薇」がアリなよーに、どっから見ても元ネタ『黒蜥蜴』じゃん!(笑)で。
 むしろ、原作の名前が大きすぎるから、先入観持たれて損している気がするぞ、『明智小五郎の事件簿』。
 キムシンにしては、ストーリーがまともに展開しているのになあ。地道というか。や、ツッコミどころの多さはまた別カテゴリとしても。このストーリーラインを、よくこれだけ「タカラヅカ」で引っ張ってきたなと、感心するよ。
 

 そうやって、この作品もキムシンも創作姿勢も、ぜんぜんOKだと言い放ちながらも。

 ただたんにコレ、つまんないや。

 わたしの好みじゃないのよー。
 ちょーっとズレてるのよー。


 ほんとのところは、迷っていた。

 ライブ中継『貴城けい ザ・ラストディ』を、どうするか。

 どの会場で見るか、で迷っていたわけじゃない。
 コム姫のときとちがって、かっしーの中継ならどこの会場でも見られる。東京以外は絶対売り切れないと踏んでいたし、東京だってふつーに手にはいると思っていた。事実、そうだった。
 先週会ったkineさんには、「かしちゃん見送りに東京行くかも」と言っていた。どこでだって見られるんだから、行くこと自体はたやすい。

 だから、わたしが迷っていたのはコム姫のときのように「東京行こうか、どうしようか」ではない。

 見るか、見ないかだ。

 つらかった。

 つらくてつらくて、考えたくなかった。
 ジュンタンからかしちゃんがどれだけ素敵かを聞くたびに、夜行バスに飛び乗って東宝へ行きたかったけれど、普段のわたしならふつーにそうしていただろうけれど、できなかった。
 他の公演とは違い、行けばチケットがいくらでもある。掲示板にも定価以下でいくらでも「譲る」投稿があるし、オークションだって手頃な価格だ。わたしみたいなびんぼー人でも、観たければいくらでも観ることができる公演だった。それでも、観たいと思えなかった。

 かしちゃんが素敵なのも、舞台が深化してすばらしいものになっていることも、今観なければ後悔することも、全部わかっていて、それでも、あと一歩を踏み出すことが出来なかった。

 こわかった。

 かしちゃんに会えばしあわせになれる。
 でも、それと同じくらい、つらい思いをする。

 それがわかっていたから、こわくて近寄れなかった。
 宙組のこともかしるいのことも、考えたくなかった。

 一歩を踏み出し、ヘヴィな命題にたどり着くのが嫌だった。
 それは、「宝塚歌劇団」への不信であり、嫌悪だった。

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 タカラヅカの持つゆがみを凝縮したような『ザ・クラシック』とかしるい人事に直面することで、タカラヅカを憎みたくなかった。

 のんきにまっつまっつ言っている方がよかった。
 だから逃げた。

 宙組は、観に行かない。

 たかちゃんのときもワタさんのときもコムちゃんのときも、必ず東宝まで1回は観に行ったけれど、かしちゃんは行かない。もう観ない。

 そーやって逃げ続けて、今日。

 持っていた東京会場のチケットは数日前に手放した。ぎりぎりになって、大阪会場のチケットを買った。
 や、ムラに行ったらさばいている人がいたから。その人と会ってなかったら、観に行かなかったかもしれない。
 どうしようか迷っているところに、手頃なチケットが目の前で売っていた。
 見に行けってことだよな?

 あきらめて、腹をくくって、見に行ったんだよ。

 
 …………行って良かったんだと思う。
 たぶん。

 宙組組子たちは、さらにさらに「かしさんダイスキ」「るいさんダイスキ」を全身で表現し、かっしーもるいちゃんも、とっても美しく、またしあわせそうだった。

 『維新回天・竜馬伝!』のアドリブは基本的にはムラと同じ、小道具もムラで使ったヤツの使い回し。それをさらに派手にしていた感じ。
 グラバーさんの「いーこそ」タスキや、陽之助の「坂本先生命」も、あのまま。

 ただ、竜馬さー……妻・お竜とのキスシーンもない芝居なのに、陽之助にしていいんかい?

 ムラでは陽之助のほっぺにぶちゅっとキスした竜馬、東宝楽では、口にしてましたよ……。えーと。

 貴城けい、男役人生、芝居での最後のキスの相手は、七帆ひかる。

 よかったねー、七帆くん。記録に残るよ。あの美しい人の、最後のキスの相手はキミだっ。

 『ザ・クラシック』では、替え歌率高し。オープニングのジーンズ穿いたバトラー5人組からして、「あいらぶかしさん」と歌う。
 ショーがはじまる、最初の曲から替え歌。
 ありえねえ。
 このはじまり方がゆるされるんだ、内容も推して知るべし、コミカルにしていい場面は「かしるいラヴ」を全面に出していじりまくり。
 本公演で、ここまでやっていいのか……。バウとかコンサートとかぢゃないんだぞ?

 ここまでやっていい、やってしまう事実に、泣けて仕方がない。

 そうしたいと思う組子たちの気持ちもそうだし、ソレをOKした演出家にもな。
 わたしは『ザ・クラシック』は嫌いだし、ショーが『ザ・クラシック』だから二度と観たくないと思った人間だし、もともと草野ショーは苦手だし、いろいろいろいろ含むところはあるんだけれど、それでも、草野せんせがこのめちゃくちゃな東宝楽を許してくれたのだということに、感謝するよ。
 ワンシーンちょっと遊ぶくらいならともかく、場面まるまる替え歌とか、演出家の許可がないとできないだろ。

 かっしーは最後まで「仕事」を勤め上げた。
 やるべきことをやった。
 プロとして。

 舞台をこなすことは当然として、そのうえでなお、精神面での仕事も果たした。

 わたしみたいな半端なヤツが「つらくて直視できない」よーな現実を、おくびにも出さず「夢の花園の住人」として務めを果たした。
 まぶしい笑顔で。

 最後に「大和と陽月の宙組をよろしくお願いします」と彼が言ったときに、ほんとうに、強い人なんだと思った。

 超えていくんだ。
 なにもかも。

 逃げていたわたしに、「強さ」とはなにかを見せてくれた、「夢の花園の住人」。
 夢だから、はかなくていいわけじゃない。
 夢だからこそ、心の闇やよどみゆがみ、この世のあらゆる醜いモノに負けてはならないんだ。
 額に汗して努力して勝つのではなく、さわやかに笑いながら、負の部分なんかまったく見せずに超えてみせるんだ。

 「わたしたち、しあわせになります」と、どこの新婚バカップルの結婚報告会見だよ?! のノリのかしるいのカーテンコールの挨拶に、泣き笑いしつつ。

 なんて、「タカラヅカ」なふたり。

 美しく、正しい。美しく、強い。

 つきつめて考えると宝塚歌劇団に絶望してしまうから、考えたくない、こわいから観たくない……そうやって逃げていたわたしとは、まったく別の次元で輝くふたり。

 
 それは、まるで。
 

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 タカラヅカの持つゆがみを凝縮したような『ザ・クラシック』とかしるい人事に直面することで、タカラヅカを憎みたくなかった。

 目をふさいでイヤイヤをしている子どものよーだったわたしの前に、白馬に乗った王子様が現れたの。
 マントを翻して白馬から降り立ったおデコの広い王子様は、素敵な笑顔で、泣いているわたしにおにぎりを差し出すのよ。

 愛してもいいですか。
 「貴城けい」を生み出した「宝塚歌劇団」を。
 絶望も不信もあるし、きれいなだけの夢なんかないと知っている、ヨゴレタオトナのわたしでも、あなたの笑顔の奥の「オトナノジジョウ」を疑ってしまうわたしでも。
 こんなに強く美しいあなたが「幸福だ」と「愛している」と言った夢の花園を、わたしも愛し続けていいですか。

 かしちゃんの退団発表のあった9月5日からずっと、納得できないまま今まで来た。
 納得なんか出来ない。今でもわからない。

 それでも。

 わたしはタカラヅカが好きだ。
 わたしはタカラヅカを愛したい。

 「貴城けい」を愛するように。
 他の、ダイスキなジェンヌたちを愛するように。

 
 行って良かったんだよな、『ラストディ』?
 なんか、つらいことにはかわりはないんですけど。

 それでも。
 王子様は、現れた。
 わたしは、彼の差し出したおにぎりを食べたの。泣きながら。

 食べ終わったらまた、萌え〜萌え〜ってアタマ悪く繰り返す、いつものわたしになるんだ。
 きっと。

 王子様の笑顔を信じて。


 どうやら、夢ではなかったらしい。

 今日はまっつメイトのモロさんとデート。
 ふたりでガクガクブルブルしながら、記憶の確認をした。

「まっつ、銀橋で歌ってたよね?」
「一瞬とはいえ、銀橋でゼロ番に立ったよね?」
「トップ娘役とふたりになってたよね?」
「ライト浴びてデュエットダンスしてたよね?」
「ソロ(部分含む)が3曲あったよね?」
「なんかやたら出番あったよね?」
「一瞬とはいえ、オサ様とふたりっきりで本舞台に残ったよね?」
「みつる、りせ、あやねの場面、ひとりだけ遅れてスターみたく出てきたよね?」
「パレード位置、みわっちの隣だったよね?」

 もー、涙ぐましいくらい、ちまちまと記憶の確認。

 あれは幻でないのか?

 初日、わたしはマメが出ていないシーンで「あれはマメだっ」と思い込んで知らない子を見ていた。「こーゆー色物シーンにはマメが出ているはず!」という思い込みゆえだ。
 ドリーさんに「幻を見るほど、マメを見たかったのか」と突っ込まれるほどに。

 そんな例があるもんだから、自信がなかった。

 まっつがなんか、すごーくいい扱いされていたよーな気がする。おいしかったよーな気がする。
 でもアレ、わたしの思い込みかしら? 錯覚かしら?

 ここにまっつがいて欲しい、ここでまっつに歌って欲しい。……そんな欲望が、ありもしない幻を見せたのではないかしら。

「まっつ……かっこよかったよね?」(超おそるおそる)

 ああ、同志よ。
 まっつメイトよ。

「かっこよかったよ! まっつなんか、すごくかっこよかったっ」
「なんか、ふつーにかっこよかったですよねっ?」
「微妙とか笑えるとかじゃなくて、ふつーにかっこよかったよね?」
「なんていうか、スターっぽいかっこよさですよね?」
「知らない人が見たら、ふつーにかっこいいと思いそうなかっこよさだよね?」

 …………まっつが「かっこいい」かどうかすら、確認しないとわからない、小心まっつファンがふたり…………。
 しかも、ふつーに、とか、知らない人が見たら、とか、あんたらまっつをなんだと思って……。

 衣装や立ち位置の確認したり、どこでどうしていたかの確認したり。

 主語のいらない会話って、すばらしい。

 まっつファンの友だちは、モロさんだけだから。ただえんえん、まっつの話をする、それだけのことに酔う。

 よかった……。
 幻ぢゃなかったんだ。
 まっつ、ほんとにいろいろ出番もらえてるんだ。

 じーん……。

 はあ。
 まっつが、かっこよくてこまります。

 こまるわー。こまるわー。
 微妙でハズしててスベってて、笑えるまっつでいてくれなくちゃー。
 やーん、まっつったらー。(のろけてます)

 
 とゆーことで、『TUXEDO JAZZ』2回目観劇。

 今年の目標、「観劇はひとつき8回まで」を、2月にして破りました……。
 1年は12ヶ月あるのに……2月にして撤回かよ……。
 今月用意してあるチケット、8枚ぎりぎりだったのに、今日観劇してしまったので、8回超えちゃいました。
 まだまだ観たいので、もっと超えるかもしれません……ああああ。

 「まっつの扱いがオイシイ」とさんざん書きましたが、べつにまっつだけが特別にオイシイわけではありません。

 オギーのすごいところは、特定の人間だけを持ち上げるのではなく、どの人にも納得感を与える使い方をすること。
 まっつの扱いが良くなっているからって、たとえばまっつの上のみわっちの扱いが悪くなっているわけではないもの。みわさんもすごいよー。登場からドラマ背負って銀橋だし、せり上がりして謎の美女だしさー。キラキラスパンでまと・壮・みわでタップダンスだしさー。
 みんな、学年や役割に応じて、「オイシイ」と思う作りにしてある。
 そしてオサ様はじめスター様たちの出番も見せ場も損なわれていない。

 きっとあちこちで、「**ちゃん、すごいかっこよかった!」「あの場面オイシイよねっ」と、それぞれのファンが語っていることだろう。

 わたしとモロさんはまっつファンなので、まっつを中心に盛り上がっているだけのこと。彼がそこまで「特別よっ!!」とは、残念ながら思っていません……おろおろ。
 むしろ、「このまままっつが**ちゃったらどうしよう」とか、そっちの心配でヘコんだわ。縁起が悪いので伏せ字にするが。
 お願いまっつ。路線でなくてもなんでもいいから、**ないで。この花園にいて。まっつのままでいて。それだけが望みです。
 いかん、書いてたら泣けてきた。

 話を変えよう。

 
 『TUXEDO JAZZ』オープニング、ほんとーに演出が変わってました。

 上手花道で、壮くんはコートの雪を払わない。
 初日はほんとに雪が舞っていたの。彼の周りに。肩についていたのかな? そこまではわからなかったけれど、わたしが見たとき彼はコートを手でぱんぱんってやっていて、周りに白い雪が舞っていた。ライトでキラキラしていた。
 どこか、寒いところから帰ってきた人だとわかるようになっていた。
 重そうなトランク抱えて銀橋へ。
 すると下手から、紅い薔薇を1輪持ったみわっちと、そのツレらしいまりんがやってきて、銀橋の中央で壮くんに薔薇を渡した。
 そこが、変更になっている。
 みわっちとまりんは変わらず登場するけれど、なにも持っていない。
 壮くんがどこから帰ってきたのか、どこへ帰ってきたのか、観客にわかるような描き方はしなくなっていた。

 べつに、雪も薔薇も、あってもかまわないものなのに。
 毎日毎回やったって、違和感はないのに。

 それでも、あえて初日だけにしたんだね。

 その心配りがうれしい。ニクい。
 オギーってすごい。

 
「今日2回観たけど、ぜんぜん全体を観れてないです」
 と、モロさんは言う。

 そりゃそーだよ、観られるはずがない。
 まっつ眺めているだけで、終わっちゃうもの。
 場面の切れ目がない、ずーっと続いているから気の抜きようがないし。
 咀嚼することができない。

 不思議の国に迷い込んだみたいだ。

 何回観たってオギーショーを観きることなんかできないことはわかっているけれど、それにしてもまだわからないことだらけ。
 もっともっともっと、世界に浸りたい。

 贔屓がかっこいいとか、オイシイとかゆーだけでなく、なにかキラキラした、甘く苦い毒が、見え隠れしている。
 それを味わわなくては、もったいない。

 ……えーと。
 月8回で、年間100回以内が今年の目標、なんですけど。
 どうしよう。

「とりあえず、前方席で観たいよね」
「銀橋のまっつ! かぶりつきで見たいですよねっ」
 ……まっつメイトの夢はふくらむ。

 モロさん、今日はありがとー。
 次の逢瀬を楽しみにしているよ。またムラに来るよね、まっつ見に!! 東宝よりムラですよ、チケット探すなら!!
 あたしもがんばってチケット探すぞおーっ!!(月8回で年間100回以内はどーしたっ?!)


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