まっつ落ちしてから早1年。頑なにお茶会参加すら拒んでいるわたしにとって、『トークスペシャル in 東京』(出演・未涼亜希、望海風斗)は、ナマのまっつをはぢめて体験しちゃうイベントなわけなんです。もぢもぢ。

 オチる前は、ステージトークを見に行ったりしてたんですがね。今さらどっきどきの初対面(一方的)だったわけです。もぢもぢ。

 しかも、友人ってありがたい、最前列センターを譲ってくれました。てゆーかよく当てるよな、そんな。わたしのチケ運はこのナマまっつで燃え尽きたのかもしれません。まっつが目の前。もぢもぢ。

 まっつとだいもんのトークショーって、よりによってこの面子というのがありがたいやらとまどうやら。
 まっつオチしているだけでなく、だいもん少年もわたしにとっちゃ特別な気になる男の子だもん。なんておいしい顔ぶれなの。

 さて。
 舞い上がっていたせいかろくになにもおぼえていないトークショー。

 強烈におぼえているのは、まっつの閉じた膝と足の甲までのパンツの裾。

 彼らが会場に入ってきたとき、わたしはまっつのパンツ丈がひどく気になった。ものすげーハイヒールを履いているにもかかわらず、靴の先まで隠れるよーな長すぎるパンツを穿いてるのよまつださん。ヒールがなけりゃまちがいなく松の廊下状態。
 だいもんくんはふつーのパンツ丈。甲が隠れる程度のきれいな長さ。
 ふたりで打ち合わせしてベージュにしたという、きれいなスーツ姿だったけれど、パンツ丈まちがってないかまっつ?

 答えはすぐに出た。
 トークショーで立ったままなのはほんのわずかな間だ。1時間のうちほとんどは坐っていることになる。
 壇上の椅子に坐るまっつの長すぎるパンツは、ちょうど足の甲を隠す位置となった。
 膝を閉じ、脚を前後にずらす形で坐るまっつは、とても端正だった。
 一方だいもんくんは。
 立っているときにちょうどいいパンツ丈だったので、坐ると足の甲全開。足首まで見えてしまう。また、膝も開いていて、あまりきれいな坐り方といえない。

 まっつ……慣れてる。
 暴走するでなく、スタンドプレイするでなく、司会者の話に適度に答えだいもんくんにも話を振り、にこやかに話すまっつは、まぎれもなく芸能人だった。

 話の内容よりなにより、そんなことに感動していたんだ。

 まっつ……かっこいー。
 アタマのよさを感じさせる姿が、話し方が、なんかすごくかっこいい。
 芸能人といってもね、「女性タレント」ぢゃないの。ちゃんと「タカラヅカの男役」として話しているの。構えとか所作とか、心の立ち位置とか。
 となりにいるのが「まだふつーに女の子」のだいもんくんだから余計にそう見えるのかもしれないが。

 この人、きちんと「男役」なんだなあ。
 仕事ができる人がいろんな意味で好きなので、こんなふーに立場をわきまえた仕事ぶりを見せてくれると、わくわくする。

 トーク・イベント初出演だというだいもんくんは、最初めちゃくちゃ緊張していたんだけど、緊張がテンション上昇になり、成り行きのままタニちゃんに、愛の告白をしていた。
 おーい、だいもん、これテレビ放送するって知ってるかぁ? なにテンパって告ってるんだ(笑)。

 だいもんは、タニちゃんにあこがれてジェンヌになったらしい。
 タニちゃんを見て自分もヅカに入ろうと思ったらしい。
 ……すまん、ソレを聞いたときわたしは、「これくらいなら自分もできると思ったんぢゃない?」と、大変失礼なことを考えちゃったよ。だってタニちゃんとだいもんだったら、歌とかだいもんの方がはるかにうま……ゲフンゲフン。

 話がめためたになっていくだいもんがすげーかわいい。そして、それを受け止め、からかうよーに愛でるよーに眺めていたりいじっていたりするまっつが、攻っぽくて素敵(笑)。

 にしても、だいもんくんはお肌つるつる。若いっていいなあ。
 まっつはええっと、やっぱり年齢不詳だ。お肌コンディションはいまいち? 目の下のシワもはっきりわかるし。同年齢の女の子より、ある意味老けて見えるかも。
 でもいいんだ、その年齢不詳さとシワごと好きだから(笑)。

 いろいろ話していたけど、耳に残ったのは、『ファントム』のオーベロンについての話題。
 まっつはあそこでほんのわずかだけど、ソロがある。
 歌いにくい歌らしくて、最初の歌い出しは音程があやういことが多い。そのあたりの話になるのかと思いきや。

「オサさんの指揮で歌っているので」
「指揮をしているオサさんをちゃんと見たいけど、目線を下げることが出来ない」
「いつか指揮をしているオサさんを見たい」


 てなことしか、言わない。
 えーと。

 まっつにとってのオベ様ソロは、春野寿美礼サマの指揮で歌うということが最重要ポイントなのか!!

 や、たしかにあそこはエリック@オサ様が指揮をしているけど……それとはまったく切り離して考えてたよ。ぶっちゃけ、考えたことなかったよ。

 まっつ……ほんまにオサ様好きなんやね……。ホロリ。

   
 ところで、最後の「お土産手渡し」ですが。
 わたしと木ノ実さんは会場を出るのが最後になってしまったのだけど(後方席から出るので、最前列組は必然的に最後になる)、先に会場を出ていたドリーさんとnanaタンは、「あとから来る友だちを待つ」という大義名分で、いつまでもまっつとだいもんの側に立っていたらしい。
 いいなあソレ、おいしいなあ。
 わたしと木ノ実さんが順番を待っている間、ずーっと間近でまっつとだいもんを見ていられたってことでしょう?
 わたしたちが無事にまっつからお土産カードを手渡してもらい、合流するなり言うのですよ、ドリーさんとnanaタン。

「まっつとだいもんって、鼻のカタチが同じ!!」

 他の角度からだとぴんとこなくても、横顔だと一目瞭然だという。テーブルに並ぶふたりの顔を真横から眺めていての発見。

「なんで緑野さんが、まっつとだいもんを好きなのかわかった」

 ははは。
 同じか、そうか。

 まっつとだいもんの鼻のカタチが「同じ」とまでは思ってなかったけれど、好きな鼻であることはたしか。
 まっつの顔の中で、たぶんいちばん、鼻が好き。あの鼻さえ別のカタチならもっと美人だったかもしれないのに、と言われる個性的な鼻だけど、アレがいいの。
 大きくて存在感がある、高い鼻が好き。鷲鼻とか大好物。横顔で、鼻がきちんと存在を主張している顔が好き。
 だいもんの鼻も好きだ。あとすずみんとか、お花様とか、そしてなんといってもケロの鼻。

 ぐだぐだとまっつの顔を眺めていることも出来たのかもしれないが、お土産を受け取ったあとはすぐに退場。や、なんか舞い上がっていたので。照れまくっていたので。

 はぢめてのナマまっつ。
 なんにもおぼえてないけど、いいんだ、いずれスカステで放送あるし。なにを言ったどうしたより、ほわわんとした夢見心地だけ、おぼえていよう。

 
 ……質問コーナーがあったら、「『タイターニア』でリシャールの役付が上がったのは、文化大臣がパトロンについたせいですか?」と聞いてみたかったんだが……なくてよかったかな。


 植田景子は、あて書きをしない。

 これは、ここ数年の印象だった。
 彼女があて書きをしたのって、『シンデレラ・ロック』ぐらいじゃないの? 『ICARUS』だってあて書きとは思えない。たんに自分がやってみたかったんだ、としか。
 『ルートヴッヒ』とか、健康優良児のタモさんに耽美をやらせて自爆してみたり、情熱的な恋をする禁断の恋人たちをよりによってあのオサ&ふーにやらせてみたり。あて書きをしていたら、ありえない失敗をしている。

 ただ、景子せんせのいいところは、ニュートラルにかっこいい主人公を描くところだ。
 あて書きをしなくても、誰が演じてもかっこいい役を描くから、無問題。
 『ルー』のタモさんとか、『パレルモ』のオサ&ふーとか、できないことをやらせていない限り、「誰が演じてもかっこいい役」なら、スターが演じればふつーにかっこよくなる。

 あて書きをしない、が前提の景子先生なのに。

 今回は、あて書きをしている。

 雪組公演『堕天使の涙』は、まちがいなくコム姫あて書きだよねえ? まーちゃんあて書きだよねえ?
 他の人にはできないもの。

 堕天使ルシファー@コムは神が創った「人間」に嫉妬し、神によって地獄へ落とされたんだって。
 だから彼は、探し続ける。
 神が「人間」を愛する理由を。

 物語は20世紀はじめくらいのパリ。
 芸能界はいつの時代も欲と毒に満ちている。
 実の母@まゆみ姐さんと憎み合っている振付家のジャン=ポール@水、弟子@ひろみの曲を自分の名で発表しようとする作曲家@壮、夢を叶えるためにパトロンを作るダンサー@さゆと彼女に捨てられる善良だがびんぼーなピアニスト@キム。

 ルシファーは、「人間」がどれほど醜いか、弱くてまちがっているかをあげつらい、あおり立てる。

 ……とまあ、この設定とストーリーラインがね、あて書き以外の何物でもないと思えるの。

 ルシファーは人間たちの物語には直接関与しない。添うように、そこにいるだけ。
 シニカルに眺め、自分の正体を知っているジャンPに露悪めいた台詞を投げつけるだけ。

 際立つのは、ルシファーの孤独感。

 人間たちと同じ地平にいない彼。
 人間たちの罪にも慟哭にも流されない彼。

 ルシファーは、ひとりだ。こんなにも、ひとりぼっちだ。

 神が何故、「人間」を創ったか。神が何故、「人間」を愛したか。
 それがわからず、いや、わかりたくなくて彼は罪を弄ぶ。
 「人間」がどれほど愚かで醜いかをあげつらう。自分ではなく「人間」を愛した神に、「アナタが愛したものはこんなに醜い」と言って嗤う。それを神への復讐だという。

 傷つけているのは、自分自身でしょう?

 「人間」を貶めることで、さらに貶めているのは、ルシファー自身。

 美貌が自慢のお姫様がいました。
 だけど、彼女が夢中になっている王子様は、彼女ではなく別の女の子を選びました。
 お姫様は怒り狂い、女の子を泥の中に突き落として言います。
「ほら、この子はこんなに泥だらけよ。こんなに汚いわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
 王子様は言います。
「泥だらけでも、この子の方が好きだ」
 お姫様は女の子の服や装飾品を奪い取りました。身分も地位も奪い取りました。
「ほら、この子はなにも持っていないわ。アナタはこんな子を好きだというの?」
 王子様は言います。
「なにも持っていなくても、この子の方が好きだ」

 お姫様が女の子を貶めれば貶めるほど、お姫様自身がみじめになっていくのです。

 
 人間を、愛したい。

 堕天使ルシファーがほんとうの意味で欲していたこと。
 愛したいのに愛せないから、愛したくないから、駄々をこねていた。

 人間の美しさを認めてしまったら、負けを認めることになる。
 だけど、「選ばれなかった」時点で彼は負けているんだ。
 ただ、ソレを認めまいとしている。

 神が「人間」を愛している。
 その前提を受け入れるならば、「人間」は神の愛にふさわしい存在であるということだ。
 だが、前提を受け入れられないルシファーは、はじめから歪んだ目で「人間」を見つめる。アンチ目線ってやつですな。アンチだから、なにをやっても言っても、全部悪く映る。
 そのことで、結局傷つくのは自分なのに。

 際立つ孤独感。
 自ら望んで人間の醜さを嘲笑っているはずなのに、無表情な彼にいたましさが見える。

 愛したい。
 愛することが出来たら、救われるのに。

 彼自身が、心に壁を作り、決して人間を愛すまい、認めまいとしている。

 誰か、彼を救って。

 心を閉ざし、孤独の底にいる美しい人を救って。
 人間たちのドラマを描きながら、浮かび上がってくるのは、ルシファーの孤独感。
 物語の外側にいる天使の、壮絶な孤独。

 人間たちはいいよ。愛したり憎んだり、関わり合ってるじゃないか。
 ルシファーにはそれすらないんだ。
 彼は同じ世界に生きていないもの。
 別の存在なんだもの。

 コム姫あて書きだろ、コレ。

 この壮絶な孤独感、異世界存在感を出すのは、コム姫の特性だろ。

 たとえば、『銀の狼』のような。
 研ぎ澄まされた、絶望的な孤独感。

 『堕天使の涙』を視ていて、痛切に思いだしたよ。『銀の狼』と『スサノオ』。
 コム姫が「孤独」を演じて秀逸だった作品。

 ルシファーが良くも悪くも「大人」である分、その孤独は『銀の狼』を思い出させ、物語的には『スサノオ』を彷彿とさせる。あああれも、人間たちの中にただひとり立つ神の物語だったっけ。

 愛されない。
 愛せない。
 すべてを否定した「孤独」の中にいる男の前に。

 清冽な光が射す。

 リリス@まーちゃんの、光。
 満身創痍で余命数日の盲目の娼婦は微笑む。「すべてを受け入れる」と。
 神に愛されなかった。母に愛されなかった。運命に愛されなかった。
 あらゆる苦しみ、負の感情。それらすべてを受け止め、昇華し。
 赦す、と。

 自暴自棄になったスサノオの前に、清冽な少女イナダヒメが立ったように。

 孤独という闇の中に、白い少女が立つ。裸足で、踊り出す。光をまとって。

 それまでの孤独感と、リリスの持つ光とのコントラストがすごい。
 宗教画のようだ。

 まーちゃんあて書きだろ、コレ。この清浄さは、まーちゃんの持つ特性だよな?

 絶望から、救いへ。
 憎しみから、赦しへ。
 闇から、光へ。

 コム姫の孤独すぎる姿に胸がつぶれそうなほど痛み、まーちゃんの清らかな光に悲鳴をあげそうなほどせつなくなった。
 痛い。
 痛みに満ちた……そして、救いへ辿り着く物語。

 すげえ。
 景子せんせ、あて書きできるんだ。
 あて書きしたら、こんなすごいことになるんだ。

 ラストの、怒濤の説明台詞は健在。うわ、景子タンクオリティだ(笑)。

 ルシファーが「愛を認める」ことができれば、「人間」を認めることさえ出来れば、彼は救われるわけだから。
 今さら天上界には戻れないとしても、人間界で生きることができないにしても。
 魂の孤独からは、解き放たれた。魂の否定からは、解き放たれた。

 王子様は、お姫様の愛を拒絶し、なにも持たない泥だらけの女の子とお城を出て行きました。
 王子様や女の子のことを憎んでいたときは、つらいだけの日々だったお姫様も、今では平穏に暮らしています。
「あの女の子にも、いいところはあったわ。だから王子様が愛したのね」
 お姫様がどう生きるか、どうしあわせになるかは、これからのお姫様次第です。
 お姫様はひとりぼっちのお城で、静かにお茶を飲みながら空を眺めていました。

 
 いやその。
 ラストの、前を向いたまま、じりじり後退していく装置は、どうかと思う。てかぶっちゃけやめてくれ(笑)。


 あれは、『アルバトロス、南へ』をバウホールで観たあと。
 わたしは白木蓮ちゃん相手に、なんかものすげー興奮して喋っていた。感情が高ぶって、半泣きになっていた。
 ……ごめんよ、パクちゃん。めーちゃ年下の女の子相手に、なにをやってんだか。
 コムちゃんファンの人と話したかったんだよ。『アルバ』を、語りたかったの。

 で、自分でもこりゃまずい、大人としてこの興奮っぷりはいかんやろ、パクちゃんドン引きしてんぢゃねえ? と、びびっていたとき。
「オギーの『タランテラ!』を、たのしみにしているんですよ。なんといっても、壮くんの使い方を」
 パクちゃんが言った。
 自分の醜態を恥じて「どーしよー」とアタマを抱えていたわたしに、パクちゃんはそう言って、すこんと話を変えてくれたんだ。

 荻田浩一が、壮一帆を、どう使うか。

 想像しただけで、爆笑してしまいました。
 たのしみだ。そりゃー、めっちゃくちゃたのしみだっ。

 つーことで、あれほど熱くイタく『アルバ』を語り、目に涙を溜めて熱弁をふるっていたのに、わたしとパクちゃんの会話の最後は、「壮一帆」。わたしの『アルバ』感想の最後は、「壮一帆」。ふたりして爆笑して終わりました。

 すげえよ、壮一帆。

 とゆーことで、壮くんに心をときめかせて、行って来ました雪組公演『タランテラ!』初日!!(芝居はちょっと横へ置いておく)

 わたしは水くんLOVEな人間なので、オギーが水くんをどう使うか、どのよーなあて書きをするかを、とてもたのしみにしておりました。

 ………………。

 オギー、水くんにあんまし興味ないんだね……。涙。

 いや、そーぢゃないかな、とは、ちと思ってはいたんだ……いたんだよ……。でもさ、こうまであからさまな扱いをされるとさ……(笑)。

 期待の壮くんは、期待をはずさない使われ方でしたとも。
 終演後にパクちゃんと会ったんだけど、彼女も壮くんの素敵さに、大きな瞳をきらきら輝かせておりました。
 プロローグからすごかったよ。
 毒々しいきらびやかな人たちの中に、必殺リーマンヘア&地味スーツで登場! で、みんなに喰われる。毒蜘蛛たちに弄ばれ、ヘタレ全開。おー、キムにまで喰われてるー。きゃー。
 ヘタレでなければ、スカンと明るい場面や、キャラクタとして使う。派手な衣装で銀橋渡ったりねっ。
 いいなあ、壮一帆。癒やし系だよ。
 この人の毒のなさ、空気のちがい、周囲からの浮きっぷり。すばらしい個性だ。

 ほら、壮くんってなまじ美形ぢゃん?
 センスのない人だと、「美形」=「耽美」とか、安直に思い込むぢゃん?
 「美形」と「耽美」は、別の概念。併せ持つ人もいるけど、壮くんはそうぢゃない。
 いやあ、さすがオギー。
 壮くんにフリルブラウス着せて、オスカル様カツラかぶせて、コム姫とえっちくさく男同士で踊らせたりしないんだよ!!
 ほれ、つい先日、センスのない人の「エセ耽美」見せられたとこだからさあ(笑)。や、かっしーにもちぎにも罪はない。やらせたヤツが悪い。

 わたしが盛大に引っかかっているのは、この素敵壮一帆と、愛する水夏希先輩の使われ方に、あまり差がなかったこと。

 番手の話じゃないよ。
 キャラクタとして。

 水くんはもちろん、2番手としてコム姫とがっぷり組んでみたり、かっこよかったりおいしかったりしていますよ。
 ただ。
 オギー的に、水くんは好みぢゃなかったってことなのかなぁ、と。

 水くんは、健康な人だと思うの。カラダがではなく、魂が。
 そして、魂が健康な人って、オギー的ではないんだよね。
 健康は健康でも、ハマコくらい突き抜けて、「頑丈」って感じになればまだ別なんだろうけど。
 水くん、適度に繊細だからなぁ。

 さて。

 壮くんと水くんを語るだけではなんなので。

 レビュー・アラベスク『タランテラ!』とやら。
 毒々しい色彩の洪水。いつものオギーショーの洗練とは、おもむきがチガウかな。群舞と娘たちの独唱、とにかくダンスダンスダンス。
 なんつーか、アレだな。
 教会のステンドグラスというより、カラーセロファンとアルミホイルで創った子ども工作のステンドグラスみたい。
 安っぽい。
 だが、安っぽいことが、不安をかき立てる。
 夏祭りの夜店の、裸電球が作る美しさというか。
 まがいものだと、太陽の光の下だとメッキがはがれることがわかっていて、今この瞬間の美しさだけを愛でるよーな。

 その嘘くさい色彩世界で、タランテラ@コム姫が踊る。

 彼は変わらない。
 物語が変わり、舞台が変わっても、彼は変わらないんだ。

 で。
 んな変わらない人だけぢゃ、どーしよーもないわな。

 この「物語」を「視る」なら、もうひとりの主人公に注目しなければならない。

 もうひとりの主人公……いや、影の主人公、真の主人公と呼ぶべきか?

 キムだ。

 タランテラ@コム姫は「象徴」として世界の中心に存在し、彼のミラーとしてキムが存在する。
 変わらないコムと対照的に、キムは変わり続ける。ときに残酷に笑い、毒を振りまき、純粋な憧れや寂寥、もどかしさをも表現する。

 
 『パッサージュ』の主演がトドであったのに、主役がコム姫であったよーに、『タランテラ!』では主役の位置にキムを配したようだ。
 そしてそれは、時の流れと、コム姫への讃辞と哀悼でもあると思う。
 『アルバトロス、南へ』へ、コム姫はかつて自分が演じた役を相手に、現在の男役・朝海ひかるとして対峙した。
 そしてこの『タランテラ!』では、かつて自分が演じたポジション……作品の中枢を表現する「主役」をキムに譲り、「主演」をつとめた。
 あの少年天使は成長し、なにものにも揺るがないタランテラとなり、かつての少年@キムを背後に置く。

 コム姫。
 こんなところまで、やってきたんだね、アナタは。

 ……てゆーかこの作品、キムをガン見してないとストーリーについていなくなるんぢゃあ……?
 ふつートップスター退団作品で、下っ端の男の子をガン見しているファンは少ないと思うが……いいのか、この作りで?

 壮くんとキムのパレードの立ち位置のことで、友人のユウさんが憤慨していたけれど(はい、ついにブログ登場ですよユウさん>私信)、そんなのささやかですよ、水ファン的には。
 ショーが終わってから、パクちゃんとにこやかに、
「キムくんが2番手でしたねっ」
 と、会話してしまえるくらい、「物語」的に、比重がキムの方が上だったんだもん。
 水くんがいなくても物語は成り立つけれど、キムがいないと成り立たない。

 ……オギー……あうあう。
 正直者め……。

 でも、壮くんは銀橋ひとり渡りするシーンをもらっていたし、水くんだってコム姫といっぱい絡んで、いいシーンをたくさんもらっていた。あーついでにエトワールだしなー。コム姫への愛を歌う歌だっけ? コレを水に歌わせるのって絶対確信犯(笑)。
 とまあ、「物語」に絡んでいなくても、つりあいは取れるよーにしてあるんだ。……ずるいよなー。

 
 目がいくつあっても足りない、含みがあちこちにありすぎる作品。
 チケットぜんぜん持ってないんだけどなあ、どうしたもんか。

 あー、最後に。

 あいようこ、歌いすぎ。

 じつは2番手娘役か?(笑)


 こっそりつぶやく。

 ブルータス@『暁のローマ』を、オサ様で見たかったな。

 想像するだけで、震撼します。
 似合う。似合うってあの人!
 めーっちゃ苦悩しますよ。慟哭しますよ。周囲なんか見なくて、自分でうっとりしちゃいますよ!!(笑)

 ブルータスは濃いタイプの人が演じてこそ映える役だと思うのね。トウコちゃんとか(笑)。

 5月22日によそで書いた妄想配役をこっちにもコピペ。

 カエサル@トドロキはデフォルトとして。

 ブルータス@オサ。
 ポルキア@彩音。
 アントニウス@ゆみこ。
 カシウス@まとぶ。
 オクタヴィアヌス@みわっち。
 セルヴィーリア@はっち組長。
 クレオパトラ@きほ。
 リガリウス@まっつ。
 ストラトーン@まーくん。

 トド×はっちってなにソレ!! すげえ濃い(笑)。いやその、他の人でもいいんですが。
 カシウス@まとぶは、素直に見てみたい。かっこいいだろーな。
 ゆみこ担のnanaタンは「アントニウスはいい役だけど、幕前漫才はいやっ」と吠えていたなー。大丈夫、アドリブなしの「芝居の一貫」なんだから。某博多座のコメディアンほどサムくはならないよぅ(笑)。
 個人的に、ストラトーンをまっつで見たいのだけど、学年的に無理だよなあ。せっかく「オサ様の最期の相手」になれるのに……アレは少年役だもんなあ。
 ああ、まっつは越リュウの役でもいいよなー、歌多いし、卑怯だし。あの役の無責任さと二枚舌は萌え。
 暗殺者たちを演じる花男たちは、そりゃー無意味に濃くて戦闘意欲満々でしょうな。ローマ市民たちも、きっと「アンタたちやりすぎだから!」という騒ぎになる(笑)。

 オサ様が濃ゆく濃ゆ〜くブルータスを演じ、トドのカエサルと対峙する様は、想像だけでわくわくします。
 カリスマ系ブルータス……ナルシスブルータス。そしてなによりも、歌の説得力。

 ただ。

 あの衣装は、絶対にオサ様には着こなせません!!
 カエサル衣装ならOKだけど、ブルータスは無理だ。アレはあさこちゃん並のスタイルがあってこそあり得る衣装。
 オサがブルータスの衣装着たら、ゼウス様再びになるよなあ……そりゃ悪夢だ(ファンの台詞か)。
 

 フタを開けてみたら『ファントム』もたのしかったから結果オーライなんだけど、このころはほんと、「『ファントム』は嫌、『暁のローマ』がうらやましい、『JAZZYな妖精たち』でもいい!!」と言い続けてましたから(笑)。
 芝居とショーの2本立てがいちばんいいよな、ほんと。

 『JAZZYな妖精たち』の花組配役も一通り妄想しましたとも。あの話も、ねっとりとオサ様が演じたら、別物になっていたかと。
 もちろん、いちばん見たいのはウォルター@ゆみこだったりするけどなっ。


 その昔、わたしと友人オレンジの合言葉は「チンチコール!」だった。(ネタ元がわかる人だけわかってくれ)

 志を同じくする人と、同じ言葉を使って挨拶をし、志気を高めたり親睦を深めたりするのはよいことさ。
 メールのはじまりは「チンチコール!」、終わりには「チンチコーレ!」……他愛ないことだけど、好きなモノを「好き」と声に出す幸福を得られるわけさ。

 で。

 今わたしは、まっつメイトのモロさんとのメールやネット上でのコメントで、やはり合言葉のよーに、同じ言葉を唱和している。
 その言葉とは。

 「まっつまっつまっつ」

 ふつーのメール、ふつーのコメントのあとに、「まっつまっつまっつ」とつける。
 意味も脈絡もない。

「ワタトウは萌えですね。星組最高です。
 まっつまっつまっつ。

                     緑野こあら」

 とか、そーゆーノリですな。本文とはなんの関係もないが、文末にはとりあえず「まっつまっつまっつ」とつけてみる。

 好きなモノを書くだけで、好きな人の名前を唱えるだけで、なんとなくしあわせになれるわけだ。

 いやいやさすがに、まっつメイト以外にはンな挨拶はしてませんので、ジュンタンには負けます。
 ジュンタさんのメールの語尾は、内容となんの関係もなく、「タニィ〜〜〜〜〜っ!!」という絶叫で終わっていたりするから(笑)。
 ジュンタンぐらい極めてこそ、「ファン」を名乗っていいんだよなあ……と、しみじみ思います。
 わたしなんかじゃ、「ファン」を名乗るにはおこがましい。

 しかし。

 ファンだから。
 強行軍してきました。

 17日 徹夜明けのまま、星前楽当日券友人分協力並び。(玉砕)
     宙エンカレ。
     星前楽。
 18日 入りを観るためにあえて早朝から、星楽当日券並び。(玉砕)
     入り待ち。
     星楽。(立ち見だ!!)
     出待ち。
     ワタさんを見送ってから帰宅、そのまま夜行バス乗車。
 19日 東宝花ファントム。
     まっつ×だいもんトークショー。
     夜行バスでとんぼ返り。

 えーと。
 18日は起きている間中、ほぼ立ち通しでした。早朝から、深夜バスに乗るまで。しかも身動きとれない満員エレベータ状態で。食事以外で坐ってない。

 濃い〜〜3日間でした。
 それでも、ワタさんを見送りたかったし、まっつに会いたかったのだ。
 なにひとつ、あきらめられなかった。

 つーことで今、アタマから、煙が出ています。
 情報量過多、処理能力オーバー。
 確実に、宙エンカレの記憶はとんでます……あああ、ともち……。

 感想は、追々書いていきます。

 ワタさんは、漢前でした。
 トウコちゃんは萌えでした。
 寿美礼サマは感動でした。

 まっつは……。


 うおおおおまっつ〜〜。

 もー、まっつのファンクラブ入っちゃおうかな、と口走るくらい、まつださんは素敵です。はい。

 まっつまっつまっつ。


 わたしは小心者だ。
 いつも、人の目が気になる。
 自分がどう思われているかも気になるが、「場の雰囲気」というものも、やたらと気になるのだ。
 コンパだのパーティだのではもれなく盛り上げ役に徹するし、人との会話が不自然に途絶えたりすると「なにか喋らなきゃ」とか、「ウケを取らなきゃ」とか考える。
 べつに、誰もわたしにそんな役目を求めていないし、自分が向いているとも思えないんだが、場が盛り下がると「なんとかしなきゃ!」という気になる。
 そーしてひとりで喋って道化てテンパッて、帰り道はいつもひとり反省会で泣きそうにヘコんでいる。……そーゆー人生だ。

 だから、思いっきり躊躇した。

 『トークスペシャル in 東京』(出演・未涼亜希、望海風斗)において。

 最後の「記念カード参加者全員プレゼント」のとき。

 まっつとだいもん、ふたりの写真入りカードを、出口のとこで客に直接手渡してくれるんだ。ムラのステージトークと同じな。

 ブツは同じ。チガウのは、手渡してくれる人。出演者はふたり、どちらから渡されるかは、確率2分の1。

 つっても、客は正直さ。
 目当ての人からカードをもらおうと、その人の前の列に並ぶ。

 わたしはまっつメイトの木ノ実さんとふたりして、トークスペシャルに参加していた。
「カードをもらうのは、とーぜんまっつ!!」
 と、はじまる前から鼻息荒く宣言していた。

 だが。
 だがな。

 わたしは、小心者なんだ。場の雰囲気に流されてしまうんだ。

 知人を見つけてだらだら喋っていたわたしたちは、会場を出るのが最後になってしまった。
 木ノ実さんの後ろにくっついて、まっつの列の最後尾にいたわたしは、知ってしまうわけですよ。

 だいもんくんが、ぽつんとひとりで立っていることに。

 だいもんの列はとっくに途切れ、まっつの前にだけ列が出来ている。
 しかも、まっつのところに行くためには、所在なく立っているだいもんの前を素通りしなくてはならない。

 これは、堪えた。
 わたしは、だいもんも好きなんだってば!! 相手がオサ様かまっつかそのかでなければ、まちがいなくだいもんからカードを受け取ったはず!! あ、めぐむやマメだったら、悩んだかも……。(ヲイ)

 とにかく、小心なわたしはとまどった。迷った。躊躇した。
 まっつからカードをもらうのはあきらめて、だいもんからもらうべきではなかろーか……。

 まっつとだいもんの人気に差があるのは、当然のことだ。
 学年がチガウ、露出がチガウ。
 まっつはいちおー新公主演しているし、大劇場公演のポスターにも名前が掲載されているし、機関誌にもたまに写真が掲載されたりする、そのあたりにはいるわけだ。
 でもだいもんはまだ研4、今年からスカフェになったとはいえ、本公演でまともな役が付いたこともない、新公主演もしていない、まったくの無名の下級生。組ファンでなきゃ舞台姿をまともに認知していないだろうあたりの若い男の子。
 なんでこの組み合わせでトークするのか、よくわかんねー。微妙すぎるだろ。……いや、わたしは大喜びしたけど。

 客席を出るときから、ふたつの列には差があった。
 スタッフが「こちらの列にも分かれて並んで下さい」と何度も指示しているのに、みんながんとして上手の列から動かない。まっつ目当てで来た人たちは、そりゃーまっつ列から動きはしないだろう。
 まっつがそれほど大人気スター!ということではなくて、無名の下級生とまっつなら、まっつを選ぶ、という人たちも多かったんだろうさ。

 ロビーへと続くふたつの列が、どんなふうにまっつとだいもんに続いているのかはわからなかったが、「上手がまっつ」と先に客席を出たドリーさんに電話で確認をして、わたしと木ノ実さんはわざわざ上手列に並んだんだ。
 そーして客席を出てロビーにたどりついたとき、知るわけだ。
 ひとつのテーブルに並んで立ち、カードを手渡しているまっつとだいもんの姿と、まっつの前にだけできた列に。

 だいもんの前を素通りできなくて、わたしはわざと他の人と団子になってなんとなーくまっつの方へ行こうとした。
 でも、それも知らない人に阻止された。木ノ実さんとわたしの間に、いつの間にどこから現れたのか、ちょいと横に大きなお嬢さんが入り込み、だいもんの前を通らずにまっつのところへ行こうとしたわたしを、だいもんの方へ押しやった。
 うわああ、どーしよー。だいもんと目が合っちゃったよ! このままだいもんからもらうか……? ひとりでぽつんと立っているだいもんを見ると、胸がきゅんとするんだ。なんなんだ、その子犬のよーな風情はっ。どきどきどき。

 しかしそのとき。

 だいもんに行くべきか迷っているわたしに。

 まっつが、笑顔でカードを差し出した。

 おどろいた。
 まっつ、躊躇しないんだ。

 わたしは、ふたりの間で迷っていた。だいもんに行くべきか、とそちらを見たりしていた。
 キョドっているわたしは、「どっちでもいいんだけどなー、どっちにもらうかなー」程度の人にだって、見えただろうに。
 だいもんは手が空いていたんだから、だいもんが先に動けば、ソレで話は付いたかもしれない。だいもんにカードを差し出されたら、ソレを無視することなんてできないからなっ。

 なのにまっつは、なんの躊躇もなく、キョドっているわたしにカードを差し出した。

 わたしが、自分を選ぶって信じてるんだ。

 この場合の「わたし」になんの含みもない。他の誰でもあっても同じだろう。わたしがまっつファンだなんて、まっつは知らない。入り出もしないしお茶会にも行ったことないからな。わたしなんか、ただのその他大勢、一期一会の行きずりの人と同じだろうよ。

 だいもんの列が途切れ、彼が所在なさそうにしていてもまったく気にせず、すべての客は自分目当てと思っているかのよーに応対をする。

 ……や、それはとーぜんっちゃーとーぜんなんだよ。
 先にも書いた通り、まっつとだいもんではキャリアがチガウから。この微妙なイベントだって、「チケットを売るのは自分の名前」だと感じていて当然なんだ。たとえチケがぜんぜん売れなかったとしても、その場合はまっつの責任であり、ひよっこのだいもんは不問とされるだろうよ。
 人気がちがうのは当然。だいもんよりファンや一見さんが多くて当然。
 だから、どっちつかずにうろうろしているわたしを「自分目当て」だと判断して営業するのは正しい。そもそもまっつ列に並んでいたんだしさ。

 正しいんだけど。

 おどろいた。

 まっつって、こーゆー人なんだ……。

 10cmはあるだろーものすげーヒールを履いたまっつと、ローヒールのわたしの目線はほぼ同じだった。
 至近距離で目を見て微笑まれ、彼の美貌よりなによりわたしは、わたしを自分のファンだと迷いなく判断し、行動したまっつにのまれていた。

 「どっちでもいい」とか「だいもんくん、手持ち無沙汰そうで胸きゅん」とか迷っている人間を、なんの疑問もなく自分の側へ持っていくのよ?
 なんなの、その傲慢さ。強引さ。

 や、繰り返すが、まっつの立場的にそれはあたりまえだし、ふつーだし、正しいことだとわかっている。
 わかっているけど。

 わたしなら、できない。
 自分ばかり客に話しかけられて、隣で後輩がひとりで黙り込んでいたら、客が後輩にも話しかけるように仕向ける。そーしないと自分がいたたまれない。道化にもなるし、仕切婆にもなる。みんなが公平になるようにする。

 トークをしているときのまっつは、だいもんにも話を振り、暴走することもスタンドプレイをすることもなかった。
 なのに、トークが終わるとコレですか。後輩に流れるかもしれない客も、迷いなく自分が持っていきますか。

 そーゆー人だったんだ……。

 どどどどーしよー。

 ものごっつー、ときめいたんですが。

 まっつに微笑まれたことも、至近距離の挨拶も、そんなのどーでもいいんだ。
 だいもんとの間で躊躇していたわたしを、なんの迷いもなく「自分のを選ぶ」と信じて行動した、その自信と強引さにアタマを殴られた感じがして、うろたえまくった。

 どうしよう。
 まっつ、かっこいー……。

 どうしようどうしよう。
 どきどきどき。


「サヨナラショーだけで、8000円の値打ちあったよね」
「あったあった」

 と、退団者のパレードを待つ間、後ろのふたり連れが話していた。
 「8000円」という値段設定が、「関東圏の人なんだな」と思わせる。関西圏の人ならここで「7500円の値打ちあった」と言うはずだから。
 や、S席の値段ですよ。東京宝塚劇場は8000円、宝塚大劇場は7500円。

 うん。
 なんかすごい、サヨナラショーだった。

 わたしみたいなぬるいファンは、ナマでサヨナラショーを観た経験は、ほんとに少ない。男役トップスターではいっちゃんと、タモさん、さえちゃんぐらいだ。たかちゃんは前楽しか観られなかったし。トップ退団千秋楽は、縁がないモノだと、ずっとあきらめている。や、手に入らないもの、どうあがいたってチケットが。
 あとは生中継映像でサヨナラショーだけ見たことがあるとか、退団記念ビデオやスカステであとから見たことがある程度。

 そんなわたしが言っても「サンプル範囲狭すぎ、説得力ナシ」だろうけれど。

 すごいサヨナラショーだった。
 エンタメとして。

 星組公演『愛するには短すぎる』『ネオ・ダンディズム!』千秋楽「湖月わたるサヨナラショー」

 ふつーサヨナラショーというものは、退団するスターとそのファンのためだけにある。
 だからファン以外が見ても仕方ないし、ファンこそが見るモノだと思っている。

 そのスターだけが出ずっぱりで、まぎれもなく「主役」としてステージに立ち、着替えの間にだけ別の人がお茶を濁す程度に登場する。同時退団者がみんなで1曲歌って銀橋渡ったりとか。
 ワンマンショー基本だから、凝ったことや特別なことはできない。思い出の衣装で思い出の曲を歌い継ぐのが基本。

 なのに、ワタさんサヨナラショーときたら、ちゃんと「ショー作品」になってるんだもんなあ。

 「思い出の曲の歌い継ぎ」だけでは、エンタメとして弱いし、ショー作品とは言えない。
 作品には起承転結が必要だし、それには「芯」になる場面がいる。
 通常のヅカ作品では、プロローグ−中詰め−メイン−ロケット−デュエットダンス−パレードという定型があるよね。華やかな中詰めのあとに、がつんと「芯」になる場面が来て、あとはフィナーレへと流れていく。
 『ネオ・ダンディズム!』ではポラリスのシーンだし、『レ・ビジュー・ブリアン』ならタンゴのシーン。(今年ショー作品が少ないから、例をあげられるものが少ない……)
 プロローグで華やかにカマして、盛り上げながら中詰めへ、場が暖まったあとに重いモノを持ってくる。そしてロケットで雰囲気を戻して、フィナーレへ。
 ひとりのスターのメドレーでは、これだけの流れを支配できない。要所要所にダンスシーンを入れること、しかも群舞が必要。って、不経済だよね、たった4回だけの観る人限られている短いショーなのに、本気で群舞入れて「ショー作品」作るのって。

 でも、やってのけたんだ。ワタさんサヨナラショーって。

 プロローグはあの「大漁ソーラン」!!
 ええっと? わたしは前楽・楽と観たのだけど、予備知識ナシで観た前楽は、本気でびっくりした。
 「ソーラン」ってあの「ソーラン」? 『ミレチャ』の?!
 思い出しますよ、あの舞台、あの時代。新専科発足でヅカがめちゃくちゃに混乱していたあの頃。
 漢ワタルの真骨頂、魅力爆発、ファンが急増したあの「ソーラン」を、今ここでやりますか!!
 でもアレって宙組だったのに。ここ、星組だよ。……踊るの、みんな?! 「ソーラン」を?!!

 本気の群舞。最初から。
 ヒートアップする場内。
 踊る男たち女たちの背中に「星」の一字、『ミレチャ』のときと同じ。そして漢ワタルの背中は「星」をめくって、「卒」へ。……石田センスのアレを、そのまま取り入れますか!! すげえ!

 騒然としているなか、星組とワタルの定番となってしまった『タカラヅカ絢爛』を問答無用で客席まで総踊り状態へ、それから物語は「芯」へ向かって動いていく。
 『花舞う長安』があって『ベルサイユのばら』があって。
 端正に盛り上げたと思ったら、『ドルチェ・ヴィータ!』の「アリベデルチ・ローマ」の1シーン再現、別れのシーンを退団者と絡めることでせつなく盛り上げた。
 名場面の羅列ではなく、意味のある場面再現。見送られるモノと見送るモノが逆転した演出。ピースがはまることで浮かび上がってくる絵の美しさに息をのむような。
 そしてまさかの、大真みらんひとり舞台。
 新公主演もしていない、TCAにも出ていない、若手が出ていた地上波テレビの旅番組にも出ていない、組ファン以外には「誰ソレ?」な若者でしかないみらんくん。
 なのに彼が1曲歌い、本舞台にたったひとりで立った。0番に立った。
 ありえねえ。ふつーなら、みらんくんくらいの位置の子は、トップスターのお着替え時に4人とか6人とかで銀橋渡る程度でしょう?
 彼が歌うのは、夢を追う『1914/愛』の歌。
 「アリベデルチ・ローマ」からみらんくんまで、「トップスターのワンマンショー」が基本のサヨナラショーを逸脱した構成に、退団者ファンのみならず、組ファンまでもが最高潮に盛り上がっている。

 そこへ、「芯」となる場面が幕を開ける。

 ラダメスの衣装をつけたワタさんがせり上がってきたときの、あの空気の動きときたら!

 『王家に捧ぐ歌』、星組トップスター湖月わたるの原点。
 若く猛々しく咆吼をあげる黄金の獅子。体温が上がるのがわかる。温度が上がるのがわかる。
 たくさんの人の心がひとつになるときって、わかるよね? 伝わるよね?
 なにか力が生まれて、なにかが動くよね?

 ひとのこころが、さけんでいる。声ではなくて、心が。
 空気が動いている。
 なにか計りでもあればいいのにね。あれほどのひとのこころを、エネルギーに換えられたら、エネルギー不足なんてなくなるね。

 ラダメス登場、そしてまさかのアイーダ登場。

 「ソーラン」にトウコがいなかったことから、「ひょっとしたら」とは思っていたけれど。
 ほんとーに、「アイーダ」になって現れた。
 アンソニーだったのに。チャイナスーツの男だったのに。
 カオは白いままだけど。それでも、アイーダのドレスを着て、アイーダのカツラをつけて。

 ここを去るトップスターと、彼の後を継ぐ次代のトップスターは、銀橋でラヴシーンを演じ、手をつないではけていった。

 「月の満ちる頃」の再現。
 このショー作品の「芯」となるに相応しい重さとキャッチーさを持つシーン。
 ハンパな再現ではなく、本気で入り込んでの再現。ええ、抱きしめられて、踵が浮くワタさんならではのラヴシーンを、がっつり見せてもらいましたよ! トウコちゃんの踵、浮いてたもん! ごちそーさまっ。

 そーして、『ソウル・オブ・シバ!!』でロケット代わりにほっこりして、来たぞフィナーレ大階段、韓国Ver.「すみれのボレロ」!!
 わたしは韓国公演観てないんで知らないけど、これが「すみれのボレロ」と呼ばれるモノであることは一目でわかる。
 タカラヅカここにあり!! タカラヅカという夢、美しさ、すべてが詰まった場面だろう。

 最後は『王家』の主題歌「世界に求む」で、全員登場、客席はペンライトの光。
 個人に芽生えた小さな愛から、視線を世界へ向ける歌。わたしたちひとりひとりは小さくて無力だけれど、そんなわたしたちが、世界を変えていく力と、責任があるんだ……そのことを忘れずにいれば、きっとなにかが変わるはず。

 タカラヅカを好きで、タカラジェンヌを好きで、ただ自分が好きだというだけで動いて集まって、それをきっかけに「自分ひとりでは得られなかったなにか」を得た。
 最初の単位は、ひとり。
 でも、ひとりから何人か、ひとりから誰かに、なにかが広がっていく。

 それを全身で、五感すべて感じながらの幕。

 すげー。
 ちゃんとした、ショー作品だ。
 スターの思い出の曲メドレー、じゃない。

 プロローグの派手な「ソーラン」群舞、「芯」となる『王家に捧ぐ歌』再現、フィナーレでぶちカマす「すみれのボレロ」。それらを「湖月わたるの歴史」でつなぎながら、他の退団者との別れを重ね、「タカラヅカとしての美しさ」でコーティングした。
 トップスターひとりのためのショーではなく、「星組」のショーだった。

 ワタルは、それを選んだんだ。
 自分のワンマンショーにもできたろうに。
 そして、ワタルファンもまた、それを許したんだ。
 少しでも長く多くワタルを見ていたいだろうに、他の退団者や組子たちの出番がきちんと……他では類を見ないほどきちんとあることに、非難や不満ではなく賞賛を贈った。
 ワタルくんが、そーゆー人だからだね。
 そーゆー人だとわかって愛したから、そーゆーことにあたたかい拍手を送れるんだね。

「でもわたしはあなたが好き。そうやってひとりきりの、あなたが好きよ」

 他人のことを考えずには生きられない、そーゆー人を愛したから。

 そして、そーゆー人だから、組子たちも一糸乱れず「ソーラン」や「ボレロ」を踊るんだね。
 彼を見送るために。

 
 サヨナラショーなんて、とにかくスターが出て、思い出の曲を歌ってればソレで場は保つのに。
 それでもファンは感動して泣くのに。

 それがわかっていて、ここまでエンタメとして盛り上げてくれたことに感動する。感謝する。

 すげえや、星組。すげえや、ワタさん。
 ほんとに、サヨナラショーだけにチケット代使ってても惜しくないよ。や、もちろん本公演も堪能したけれど。


 湖月わたるにあるのは、演技力ではなくて男役芸だと思う。

 ワタさんを演技巧者だとは思っていない。
 新専科時代より以前は、「早くどっかでトップにしてくれ」と思った。理由は、「演技がアレだから」。歌が下手なのはわたしはあまり気にしていない。ヘタだな、とは思うけど、芝居重視なのでそれ以外は気にならない。
 新専科として2番手であちこちの組に出演されると、いろいろつらかったのだ。
 だってワタさん、悪役できないし。いや、通り一遍はできるけど、それ以上ができない。彼は「湖月わたる」であって、その悪役自体ではないから。あくまでも湖月わたるとして、役を演じる人だから。
 スターたるもの、それでいいんだ。キムタクがなにやってもキムタクであるように。役になりきってしまうことはない。そーゆー人は「地味」と言われる。
 トップになるべき人は、「なにをやっても****」という人でなきゃいけないのだ、タカラヅカでは。

 ワタさんは、「トップにするしか能がない人」認識だった。
 とゆーと言葉は悪いが、彼は脇で芝居を固める人じゃないからさ。つか、引き出しにない役や持ち味とチガウ役を割り振られたときに、真ん中の芝居を壊すので迷惑だ。地味なら埋没して目立たないけど、ワタさん華があるから、真ん中に影響するんだもん。

 彼に似合うのは、「真ん中」の役。
 真ん中でまっすぐに光り輝く役。
 屈折していたり邪悪だったりは、無理だからやめてくれ。持ち味殺して押さえた演技をすると、無表情で大根風味になるからパス。

 だから、彼が星組のトップスターになったときは心からよろこんだ。
 2番手の彼はちと苦手だったけど、「真ん中」の彼は好きだ。
 「主役」という役は、ワタさんの持ち味に合っている。彼がより魅力的に見えるはず。

 相応しい地位に立つことで、湖月わたるは男役としてさらにステップアップしていった。
 懐深くなった今なら、昔ほど「芝居を壊す」演技をするとは思っていない。
 でも。

 ワタさんは、演技の人ではないと思うんだ。

 彼の演ずる役は、どれもハートがあって好きだけど。
 それと、演技力とはまた別の話で。

 ラダメス、アリスティド、玄宗、卯之助、フェルゼン、そしてフレッド。
 結局のところ全部、湖月わたるまんまという気がしている。
 湖月わたるのハートフルさ。アツさ。誠実さ。強さや大きさ、寛さ。そーゆーものがまるっと出ている。
 ただ素を出しているだけで、魅力的な男性に見えるわけじゃない。
 ワタさんが長い年月を掛けて作り上げた男役芸がずば抜けて秀でているために、演技力云々を超えているのだ。

 ワタさん演じる役が素敵なのは、湖月わたる自身が素敵だからだと思う。
 そしてそれは、正しいトップスターの姿だ。

 役者と役を混同し、ジェンヌへの愛情で彼が演じる役に恋をする。
 それが心地よいのがタカラヅカ。

 ワタさんは、正しいトップスターだ。
 この人が正しくトップスターとして生きることができた、この時代とこの組とを、愛しく思う。

 男役を極めたワタさんのこと、今はもう大根だなんて思ってないよ。
 人は変わるし、人への想いだって変わるから。

 「トップにするしか能がない人」と、昔このブログでも書いていたと思う。2002年ぐらい?
 今はチガウ。
 「トップになるべき人」「トップであるべき人」だ。

 トップスターになったワタさんを見続けて、見識が変わったことがうれしい。
 好きってうれしい。

 湖月わたるというキャラクタ自体が、大輪の花を咲かせていることを、同時代にこの目で見ることが出来て、とてもうれしい。
 苦手だったままで、終わらなくて。好きだと言えることが、とてもうれしい。

 
 演技力ではなく、その研ぎ澄まされた男役芸と、トップスター力を、尊敬している。

 才能だけで築き上げたモノではなく、努力による鍛錬の結果だとわかるから。

 その、湖月わたるという生き方に、敬服している。

 
 今、ね。
 フレッドに恋をしたいと思うんだ。

 バーバラになって、彼に恋したい。
 彼を思って、泣きたい。傷つきたい。苦しみたい。

 その傷ごと苦しみごと、微笑んで生きていきたい。

 そう思うの。

 
 湖月わたるが、すてきだからなの。

 
 想像でしかないけれど。

 『愛するには短すぎる』のラスト5分ほどは、小林公平作だよね?

 フレッド@ワタルとバーバラ@となみがフェアウェルパーティの花火を見上げてから、あと。

 そこから主題歌らしい曲に突入するんだけど、明らかに作風が変わるよね?

 この主題歌らしい曲がもー、目眩がするほど、ダサイ。

 正塚芝居の特徴は、台詞の少なさにある。
 台詞で解説せずに、短いやりとりによって背後にある設定や出来事を観客に想像させる。

 なのにこの主題歌がはじまると、正塚らしさは一気に消え、怒濤の物語解説がはじまる。

フレッド「♪思いもかけずに巡り会い たちまち燃えた恋の炎♪」
バーバラ「♪それぞれの人生背に負いながら たちまち燃えた恋の炎♪」

 おいおいおい。
 「解説」しないからいい作品なのに。
 なんでいきなり「さあ、あらすじのおさらいをしようねっ。ふたりは偶然めぐりあって、たちまち激しい恋に落ちたんだ。でも、残念だけどふたりにはもう時間がなかったんだよ」とストーリーもテーマもなにもかも、言葉で読み上げるの?!

フレッド「♪めくるめく♪」
バーバラ「♪めくるめく♪」
フレッド「♪しあわせを♪」
バーバラ「♪しあわせを♪」

 と、かけあいでムード歌謡の昭和世界が広がっていく。
 アメリカの豪華客船の、おしゃれな物語だったハズなのにっ?!

 船を降りてから、バーバラが走り去るまではまた、正塚芝居に戻っている。
 が。

 アンソニー@トウコもが去り、ひとりになったフレッドが、またしてもこれまでのあらすじとテーマと結末を、全部全部超絶ダサい長台詞で歌舞伎調に語り出す。これ、『ベルばら』だっけ? この人フェルゼンだっけ?

 …………ひどい。

 ここまで、最後に作品をぶっ壊してくれるなんて。

 フレッドならばあんなことは言わないし、言うとしても別の言葉を使うだろうし、あんなラストシーンにはならないだろう。

 最後まで、正塚芝居で観たかった。
 フェアウェルパーティのあと、フレッドとバーバラはどんなふうに過ごしたんだろう。
 正塚芝居だったら。
 愛し合うふたりのデュエットだったとしても、あんなひどい歌ではないだろう。歌は昭和歌謡か演歌なのに、手首のキスだとか正塚らしい美学のあるラヴシーンを合間に入れているからまだ、なんとか救いはあるんだけど。
 そして、あの最悪なラストシーン。
 長々と説明台詞を吐き、しかも現代日用語ではない時代錯誤な物言いで、観客の想像の余地も物語の余韻もすべてぶち壊し、ひとり去っていくフレッド。
 本当なら、ラストはどんなふうに「男の美学」を見せてくれたんだろう。小林公平の横槍さえなければ。

 そう思うと、くやしくてならない。

 もちろん、証拠はナニもない。
 「原案・小林公平」とあるが、彼がどんな風に制作に関わったのかはわからない。
 わたしが想像するのは、主要キャラクタの設定(細かい性格は除く)と舞台、そしてストーリーラインのみ公平氏原案で、あとはみんな正塚が好き勝手やったんじゃないかと。
 出てくる脇キャラの個性だとか役割、描き方、そーゆーものもみんないかにも正塚っぽい。
 主要キャラも正塚キャラまんまだし、彼らが船の上でどたばた巻き起こす展開は、無理がない。
 原案のみで自由にやらせてくれた……としても。
 主題歌とラストシーンだけは、自分が書いた。

 あの「物語のあらすじそのまんま解説します、芝居観なくてもこの歌1曲でぜーんぶわかります」なダサい歌謡曲。
 そして、「物語のあらすじそのまんま解説します、芝居観なくてもこの長台詞だけでぜーんぶわかります」なダサいラストシーン。

 漢ワタルが、男役芸の集大成ともいえる説得力で、芝居のカラーががくんと変わったこともいきなり昭和的ダサさ全開になったことも、力尽くで帳消しにして、「男の背中」で収束させちゃうけど。
 ワタさんの「トップスター」としての力を再確認させてもらう結果となったけれど。

 にしても、正しいラストシーンを、観てみたかった。

 正塚ってさあ、タイトルとかテーマとか、これみよがしに連呼したりしないじゃん、矜持に懸けて。
 主題歌にテーマを込めはするけれど、作中で同じことを全部台詞で説明したりしない。
 そーゆーの「かっこわるい」と思っている人でしょう?
 それが、こんなことになっちゃってさ。雇われクリエイターって大変だな。

 『SAY IT AGAIN』のタイトルの使い方なんて、すごいオシャレだったよ。
 言葉が足りないために誤解だの行き違いだので雪だるま的に悲惨になった、男ふたりの物語。言葉を操り、人を騙す商売の男ふたりの物語。彼らと、彼らを取り巻く愛すべき人々の物語。
 言わなくてもわかってくれる、なんて都合よく思い上がらないで、一歩を踏み出すこと。自分のために。相手のために。
 「言葉」……「伝える」ということをめぐる物語で、タイトルを口にするのは主役たちではないんだ。
 最後の最後に、振り回された中年男がつぶやく。「もう一度言ってくれ」……愛の言葉を。芝居の最後の台詞が、ソレ。

 これほどまでに「タイトル」「テーマ」にこだわった作劇をする人が、『愛するには短すぎる』のラストシーンを作ったとは思えないんだ。
 あれはどう考えても、公平氏の横槍でしょう。……横槍、というのはチガウか。彼の「原案」に、「これだけは譲れない」と明記してあったんでしょう。

 
 本来の正塚芝居なら、下船シーンがフレッドとバーバラだけっつーのもありえない。
 だって、船の中でさまざまな人生が交錯する、のもテーマのひとつだったでしょう?
 正塚芝居はモブの通行人までもが、なにかしら人生を感じさせるよーになっているでしょう?
 「♪船は進む 扉の数だけある物語を運んで♪」という作品なんだから。
 下船シーンもまた、登場人物全員が行きかうべきだ。それぞれの人生を感じさせながら。

 フレッドとバーバラも、特別なふたりなんかじゃない。
 世界はふたりを中心に回っていない。だからこそ、別れるんだから。
 世界でふたりきり、になって別れをするなんておかしい。

 下船していくたくさんの人々。
 挨拶する船長他スタッフ、思い思いに一旦解散するショーチーム、ぞろぞろ歩くバレエ団、秘書と奥方の真ん中でヘコヘコ笑っているスケベ貴族親父@くみちょ、警察と宝石泥棒カップル、オコーナー@すずみんにしなだれかかるドリー@ウメ、それを少し離れて見送るデイブ@和、港に奥さん@せあら希望(笑)が現れ、あわててドリーを突き飛ばしとりつくろうオコーナー……。
 そんな人々の姿があたりまえにある、雑踏の真ん中で。

 フレッドとバーバラの別れも、ある。

 背景が全部ストップモーションになってみたり、ふたりだけライトを浴びたりしながらも。
 あくまでも、雑踏の中。

 バーバラが一途に走り去るのだって、雑踏の中へだよ。や、銀橋から花道なのは変わらなくていいから。本舞台にふつーに人がいれば、どこを通ったってそこが雑踏だとわかるから。

 で、正塚お得意の行きかう人々の人生を歌う合唱だよ。
 これがなきゃ正塚芝居ぢゃない(笑)。

 そして最後に、フレッドが消えていくのさ。
 ラストシーンだけは本舞台カラにして、ひとりで締めてくれていいから。
 正塚なら、あんなにダラダラ喋らせず、台詞なしの演技だけで終わらせたかもな。
 タイトルの「愛するには短すぎる」も、一度も言わせなかったかも。公平氏は「愛するには短すぎる、とは決して言わない」というのがいちばんのこだわりみたいだけど。本人的にはひねってるつもりなんだろうけど。
 でも正塚なら、本編中に逆の言葉を言わせるのみでその言葉自体使わないんじゃないかな。
「でも、まだ時間はあるよ。だからまだまだ一緒にいられるわ」……あえて。
 

 正塚オリジナルで、完全版が観たい。
 観たいよー。


 あ。星組新人公演『愛するには短すぎる』の感想書くの、忘れてる。

 日にちが悪すぎた。
 魔の9月5日。かしちゃんの退団発表日だ。
 新公直前に発表になってるもんだから、もー新公どころぢゃない。
 それにわたし、生徒さんの親御さんだという方のお隣になってしまい(や、べつに知り合いぢゃないです)、その方がお嬢さんが登場するたび「あそこにいます、**の服着てます」とか解説してくれてたんで、視界が限られてしまったというか。
 その解説付きのお嬢さんのことは、結果よく見ていたんだけど、それ以外は、ええっと。

 
 フレッド@和くんは、うまくなってるんだなと思った。
 とゆーのも正塚芝居ってのは、著名ミュージカルの何倍も難しいからだ。
 わたしたちがふつーに会話していそうな、ふつーの会話を、ふつーの衣装を着てかわす。
 大袈裟な衣装や台詞、突拍子もないストーリーで底上げしてもらえない。
 演技していないよーなふりで、「男役」として演技するのは、相当難しいはず。
 『ホテル ステラマリス』新公の主要メンバーのえらいこっちゃぶり(和自身も含まれているが・笑)を思えば、成長しているのだな、と。
 といっても、『ホテル ステラマリス』がアタマにあり、ソレに比べれば……という前提があるからなー。正塚芝居の独特の台詞回しや、空気をなぞるのに精一杯という印象はぬぐえない。
 立ち姿などの洗練には程遠くても、やっぱりこの子はきれーだ。美人は七難隠す。

 バーバラ@うめちゃんは、なんかもー、新公卒業遅すぎって感じ。劇団もなに考えてんだかなあ。『フェット・アンペリアル』で一皮剥けた今、ウメちゃんをこーゆー使い方する必要はないと思うんだけどなー。
 ウメちゃんはもともと正塚喋りが似合う。ぶっきらぼうな、性別関係ない短い台詞とか、語尾とか。似合いすぎていて、かえって損をしている。ただのがさつな喋り方をする女の子になっちゃうよ……品のある女の子が「うん」とか「**だよ」とか言うからリアルなのに。

 アンソニー@あかしは、歌がマシだった。
 どーしたこったい、幕開きのアカペラ・ソロ。絶対破壊的音声を響かせてくれるだろうと期待?していたのに、すげーふつーで拍子抜け。丁寧に丁寧に歌っていた。
 ま、ソレはともかく。
 化粧、濃すぎ。
 トウコちゃんを意識して、似せてメイクしてるんだけどソレ、やりすぎだから!!(笑)
 宙組育ちの和くんが化粧薄いだけに、あかしの塗りすぎメイクがすげー違和感。
 なんかもー、見ててすごーくおもしろかったんですが。あかしだと、骨太なアンソニーだねえ。トウコみたいな小悪魔ぢゃないわ(笑)。
 新公ではぜひ、アンソニーに、フレッドをリフトしてもらいたかったんだけど、和くんが必死になってあかしを持ち上げてました。別に逆でもいいだろーにさー(笑)。

 ブランドン@鶴美舞夕くんが、すげーきれいでした。カオにシワとか描かないんだね、タカラヅカは。姿勢を悪くしてキャラを表していたけど、いまいち年齢不詳。だって見えている顔はすげーかわいい。アイドル系だもんよー。
 ここまでイロモノだと、はじけられていいんだろうな。

 船長@水輝涼は、期待していたモノと違っていた。
 なにかしら+αを、勝手に求めていたわたしが悪いんだが。
 実直に本役をなぞりつつも、しいちゃんの持つ味を出すには至らず。……だってアレ、しいちゃんナチュラルボーンだもんなー。他人が真似られるモノでもないし、真似ても意味がない。

 ドリー@コロちゃんはもー、うまいしかわいいし。あー、この子、持って帰りたい……。
 コケティッシュで計算高くて、でもかわいげのある女の子。つつきたい……あのほっぺた、つんつんしたいー。

 ドリーの相方、名前なんだっけ役@ベニー。
 ふつーに二枚目でした。やっぱカオ、水くんに似てるよね。
 あまりに(新公的に)ふつーで、とくになにも残ってない……コロちゃんに食われまくっていたよーな。
 がんばれベニー!!
 てか、ラヴシーンがほんと大変そうだった(笑)。

 フランク@しゅんくんは、どーゆー役なのかよくわかんない……。本役のれおんも、ついにわたしにはどーゆー人なのかわかんなかったので、しゅんくんでなにかわかるかと思っていたんだけど。
 フランクって、なにがしたかった人なんだ。バーバラを愛していたのかそうでないのか、あのサムいカッコつけはなんなのかとか、疑問ばかりが残る。

 華美ゆうかちゃんの歌声が、めっさ耳に心地よかった。
 しのぶさんの声は硬質だけど、ゆうかちゃんはやわらかい。

 そーいや研一の水くん似の彼も、しっかり役ついてたねー。台詞もあったねー。
 水くんとベニーと真風くんと、3人並んでみてほしいわ。

 星組はずーっと大芝居ばっかやっていた組だけど、若い子は柔軟性があるのかな、それほどダメダメな感じはしなかった。難関正塚芝居、いろいろ大変そうだけど、大丈夫『La Esperanza』新人公演(宝塚)に比べたら、みんなすげーうまいよ!!(笑) いやあ、花組下級生って芝居相当ヤバイな、と震撼したからなーアレは。

 タカラヅカらしい大芝居・型芝居も必要だけど、正塚芝居で空気を動かしていける役者も育って欲しい。
 ……正塚芝居って、演技足りていない人がやると、ひたすら地味で単調になるんだもんなー。
 新公だと、ソレがよくわかったっす。

 正塚芝居で輝けるようになったら、その人の「光」は本物だと思う。


「ドリアン・グレイがほっくんでなくてよかったよ(笑)」

 たしかにわたしは、心からそう思っていますとも。
 北翔海莉くん。
 スタイルも体格も実力も、すべてを備えたスーパー若手スターの彼に、痛切に足りないモノは、美貌だと。

 リカちゃんやさえちゃんという、タカラヅカきってのオシャレマスターだとか美貌の人の役を、新人公演で演じていたほっくん。
「あれが、リカちゃんと同じ衣装?!」
「あれが、さえちゃんと同じ役?!」
 と、ビジュアル面で驚愕させてくれた、イケてなさ。ぶっちゃけいもっぽさ。
 なんでだ……何故なんだ北翔海莉。舞台姿なんかメイクでどうとでもなるだろう、素顔がどうあれ舞台で美形になってくれればソレでいいんだ、たのむよ北翔海莉、きれいになってくれ。みんなのために。

 と、思い続けて早何年。

 『エリザベート』以降、「演技していればかっこいい」というところまでこぎつけてはいたが、「ショーになると、いつものみっちゃん」になっていもっぽくなるという、愉快な人になっていた我らがほっくん。

 そのほっくんが、育った月組を離れ、宙組にやってきました。

 や、実際見るまでわかってなかった。
 貴城けいコンサート『I have a dream』初日を観てはじめて、「あ、ほっくん宙組なんだ」と知った。実感した。

 えーと。

 ほくしょーさんの見事なまでの浮きっぷりは、いいんですか?

 宙組に出演している、北翔海莉。

 …………もー、ひとりだけめちゃくちゃ浮いてるんですけどっ?!!

 かっしーにしろ、らんとむにしろ、ここまで「浮いている」とは感じなかった。
 組にはカラーがあるから、組替え当初はみんな浮く。微妙に。
 だけど誰もが懸命に組に合わせようとするし、溶け込もうとする。

 ほっくん、野放し?
 アータ、合わせる気まったくないね?

 ウケました。
 北翔海莉、おもしれー。

 ええ。
 彼がただ「浮いている」だけなら、おもしろがるより別の感情があったかもしれない。

 気づいてしまったんだ。

 北翔海莉が、美しいことに。

 カオぢゃないよ(笑)。
 カオの話ではなく、「姿」が。

 「男役」としての北翔海莉は、美しかった。
 派手なコスプレ衣装の着こなし、立ち姿や所作、そして押し出しの良さ。燕尾服の端正さ。
 月組にいるときは、気づかなかった。
 こんなに美しい、「タカラヅカ的」な技術をあたりまえに持った子だったんだ。

 そう、そしてソレは、宙組の「男役」の技術力の低さを、思い知らされたってことだ。

 今までも、「宙組は男役芸ができていない」とはあちこちで耳にしていた。体格の良さだけが売りで、恵まれた資質がいまひとつ活かされていないと。
 つっても、全組観るわたしはそーゆーものも「組の個性」と受け止めていた。宙組が薄いのもタカラヅカ力が低いのだとしても、「ソレもアリ」だと思って、とくに気にしたことはなかった。

 組単位で観れば、気にならない。
 宙組の男の子たちが美しく黒燕尾を着こなせなくても、全員がそうなら、それが「ふつー」になる。
 タカラヅカ的に作り込んだ所作や立ち姿ができなくても、全員がそうなら、「そーゆー世界観」ということで納得する。

 実際、いかにも作り込んだ「タカラヅカ的」なものが、初心者には「気持ち悪い」と映るかもしれない。だから1組くらいは、そういった「タカラヅカ的」な臭みのない、さらっとしたテレビアイドル的な組があってもいいと思う。

 ただ、前トップスターのたかちゃんは、「タカラヅカ的」なものを極めた上で過分なモノを削ぎ落とし、「ナチュラル」と呼ばれる芸風を確立、くどさのない美しい世界を見せてくれた。
 最初から「ナチュラル」だったわけじゃない。雪組時代の彼は、黒い役ばっかやってたってば。
 ナチュラルなたかこを見て、男役芸を極めたわけでもないのに「ナチュラルでいいや」とタカラヅカ芸を磨かなかった男の子たちのツケが、今ココでこーゆーことになっているんだ。

 耳から入っていた情報と、自分の目がひとつの現実を結び、愕然とした。

 そっか……宙組、こんなことになってたんだなー……。

 ほっくんは、手加減ナシだ。
 自分の美しい男役芸を、これでもかと披露する。
 カオだけなら七帆やちぎの方が美しいのに、姿全体ならほっくんの方がずっと美しい。
 学年の問題じゃないよ。ほっくんの方が七帆よりひとつ上だけど、他の下級生たちよりもちろん上だけど、そーゆー次元の話じゃない。

 新入りだからって、周囲のレベルに合わせないんだ。そりゃ、自分の方が優れてるんだから、隠すことはないよなー。でも、すげーあからさまだなー。

 美しさにもいろいろあるから、ほっくんが持ち込んだ「クドいまでのタカラヅカ芸」も美しさのひとつであり、たかこが作り上げた「ナチュラル」も美しさのひとつだ。
 どちらが優れているとか正しいとかいうわけじゃない。
 芸風的に不協和音はあったとしても、技術に裏打ちされた「表現の差」であれば、ほっくんひとりがここまで浮き上がることはなかった。
 芸風がちがってもいい、ほっくんの「タカラヅカ的」男役に、並び立てるだけの実力のある「宙組カラー」を持った男役がいなかった。
 それが、痛い。
 オペラグラスでひとりだけのカオのアップを眺めているならともかく、肉眼で舞台全体を眺めていたら、その「タカラヅカ技術力」の差は歴然だろう。

 さて。
 これからどーなるんだ宙組。

 かしちゃんはニュートラルな人で、タカラヅカ的な技術力と薄さを併せ持っていたのに。
 宙組カラー−かしちゃん−みっちゃん、と、グラデーションがきれいにキマリ、そのうちそれぞれの色が混ざり合って新しい模様が見えてくるよーになっただろうに。

 かしちゃんがいなくなったあと、みっちゃんがみっちゃん全開のまま「THE男役・北翔海莉」をやっていたら、どーなるんだ? 浮くぞ?

 宙組カラーしか知らないファンにとって、ほくしょーさんの持ち込むモノは「不要なモノ」として、拒絶反応が出るかもしれないじゃん。
 それは、組ファンにもほっくんファンにも不幸な摩擦だよ。

 や、わたしは、今回あまりに若者たちの男役スキルが低いことがわかったので、宙組らしさを守りつつも基本力UPして欲しいと、心底思いましたが。
 ナチュラルやるなら、やっぱ一度はクサさの果てを極めてからにしてほしーよなー。

 
 と。
 男役・北翔海莉の美しさを絶賛しておきながらも、重ねて言います。

「ドリアン・グレイがほっくんでなくてよかったよ(笑)」

 人間、できることとできないこと、やっていいことといけないことがあるから!!
 ほっくんに耽美は無理。やめて(笑)。


 ふつーに眠った。
 お昼ごはんもしっかり食べた。
 ふつーの体調、ふつーの日。

 そしてわたしは、ふつーに笑い、ふつーに喋っていた。

「ドリアン・グレイがほっくんでなくてよかったよ(笑)」

 とか、ふつーに喋りながら、ふつーに歩いていたの。

 なのに。

 ふつーに歩きながら、膝がくだけた。かくん、と立てなくなった。
 あ、あれ?
 いきなり正座するみたく、地面に坐っちゃったから、照れ笑いしながら立ち上がった。
 でもまた、かくんと坐り込む。

 立てない。

 立てないよ、かしちゃん。

 かしちゃんが退団するとかゆーから、立てなくなったぢゃないか。泣きすぎて、貧血起こしたぢゃないか。

 コム姫の『アルバトロス、南へ』とは、わけがチガウ。
 作品はかなり微妙、とゆーか、ええっと、ゲフンゲフンな感じなのに。
 作品とキャストがすごすぎて貧血起こした『アルバトロス』とは、まったくチガウのにーっ。

 それでも、かしちゃんがかしちゃんだから、立てなくなっちゃっただろーっ!!

 ひとりじゃなくてよかった。
 一緒にいたnanakoさんに抱えられて、近くの喫茶店へ移動。すまん、迷惑かけて。
 元気なんだけど。
 喋れるし、つまんないこと言い続けてケラケラ笑ってるのに、不意に坐り込んで泣き出したくなる。

 かしちゃん、やめちゃやだ。
 ちっとも納得できてない。
 ぜんぜん、整理できてないよ。

 これが、ふつーのコンサートならよかったのに。
 新生宙組、トップスター貴城けいをよろしく! な、ふつーのコンサートならよかったのに。

 ……ええ。
 作品レベルがアレなことも含め、退団イベントなんかぢゃない、「ふつーのコンサート」であったら、どんなによかったかと(苦笑)。
 いや、所詮、中村暁だから、作品がアレでも、あたりまえっちゃー、あたりまえなんだが。

 貴城けいコンサート『I have a dream』初日。雨。

 ここは古代エジプト。かしげ陛下が新たにファラオに即位しました!! ばんざーいばんざーい!
「わたしには夢がある。新しい国を作るぞ!」
 次の瞬間。
 あわれ、かしげファラオは暗殺されてしまいました。

 ヲイ。

 いつものよーに予備知識ナシ。

 びっくりしました、このはじまり方。
 こ、これは、ええっと。

 現実に照らし合わせろということですか? ……哀悼? 皮肉?

 まあいいや。深く考えない。
 なにしろ予備知識ナシだったので、キャストすらわかっていない。七帆が出ることだけはわかってたんだけど。
 ほっくんがいて、おどろいた。

 ほくしょーさん、ここから宙組だったんですか。知らなかったよ。
 エジプト編、悪い大臣@ほっくん、悪い将軍@七帆。……この役割分担にウケる。そーだよな、逆はないよな(笑)。
 ファラオの妃@るいるい。あとはみんな兵士と女官。

 どうやら、場面ごとに別の時代別の人物として生まれ変わり続ける恋人同士の物語らしい。
 そうか、1幕は歌メインの簡易ミュージカル仕立てなんだ。
 「芝居」だとは思わなかった。や、コレ絶対芝居ぢゃない。芝居と呼ぶにはあまりにもアレな構成っす。
 舞台後方にはとても映りの悪いスクリーンがあり、物語のポイントとなる映像が映し出される。
 エジプト編ではツタンカーメンの黄金像とかな。

 次は突然イタリアで、ラファエロ@かしげ、傲慢貴族@八雲の政略結婚相手マリア@るい。
 ラファエロに迫る欲求不満マダム@まちゃみ。ラファエロ先生の弟子@春風。前髪がおちゃめな司祭様@七帆。

 えーと……。
 とりあえず、そのイーゼルは、坐って描くタイプのぢゃないかな……? 立って描くのは変だよ……。(言うことはソレなのか)

 続いてスクリーンに、明智光秀@かしげの姿が映る。『ささら笹舟』のワンシーンだ。

 『ささら笹舟』再現しますか!!
 油断していたので、ゴーンとキた。
 洋物の途中で日本物は無理だから、光秀はふつーに洋服。タイトなパンツと白いブラウス。
 衣装なんか関係なく、かっしーは光秀となり、果てる。

 次がすごかった。
 オスカー・ワイルド@かしげ。
 黒かっこいーかしげを中心とした、黒尽くめ男たちのエロかっこいーダンス。
 コレはいいんだ、コレは。
 問題は、その次。
 投獄されたワイルドの前に、幻想?のドリアン・グレイ@ちぎが現れる。

 ちぎ、あーた、なにやってんですか。

 白いフリフリブラウスにオスカル様カツラ。「美青年」の記号のような格好。
 男ふたりの怪しいダンスシーン。……ごめん、「妖しい」って漢字は使えない……。
 たぶん、耽美を目指したんだと思う。せっかくの美貌のかしげ様だからっつーんで。

 でも、こまった。
 すごーく、萎えた。
 いやまあ、意欲は買うよ……。黒かしちゃんはかっこいいんだけど、黒男たちとのダンスもよかったんだけど、そのオスカル様もどき(男)のラヴシーンは……。
 や、ちぎが悪いワケじゃないよ。彼は、がんばっていた。がんばっているのはわかったけれど、人には向き不向きっちゅーのがあってだね……ゲフンゲフン。

 かしげ×ちぎより、その後ろで、ライトも当たってないのにラヴシーンやってる男たちの方が、よかったかもしんない……。
 えーと、七帆×八雲、春風×カチャかな。ほっくんがいなくてよかった……。いやその、ほくしょーさんと耽美とは、相容れない概念なので、モゴモゴ。
 ひとりノリノリでをやっている八雲氏に、目頭が熱くなりました……相手役に色気もなにもないのにさ……。

 センスのない演出家に「耽美」をやられると、別の意味で破壊力が大きいことを、また見せつけられました。はい。
 るいちゃんは、とってつけたよーにワイルドの最愛の妹役でちらりと登場。

 次はいきなりゲバラです、革命家の。スクリーンに彼の顔がガンガン映し出されて、なにごとかと思った。
 昭和のかほりのする男@ほっくんと、ゲバラ@かしげは旅に出て、「世界を救うぞーっ」と決意するのでした。
 ゲバラのトレードマークのベレー帽に迷彩服、銃を片手に踊ります。

 で、ゲバラが殺されたかと思うと、なんの説明もなくふつーのブラウスとスカートのるいちゃんが現れ、「ようやく会えたね」。
 つーことで、ハッピーエンド。幕。

 えっと。
 殺されてから出会えても、ハッピーエンドにはなりません!!

 てゆーかアンタ誰!>るいちゃん

 この華々しく登場しては、そのたびそのたびあっさり死んでいく、「トップスターになったけど、1作でサヨナラなのよ」と言わんばかりのかしげの物語の、場面と場面、時代と時代の間には、無粋な解説が入ります。
 妖精?かなんかなのかしら。とにかく「メルヘ〜〜ン」な女の子たちが出てきて、なにがあったか、テーマがなんであるか、オチがどうであるかを、全部台詞で説明する。

 幸福になれなかった恋人同士が、生まれ変わって出会い、引き裂かれ、また生まれ変わって……とやるならば、殺されたゲバラと女の子が天国?で結ばれても、物語はまったく完結しないっす。
 むしろ、ここで終わられると、「結局、夢を成し遂げることは出来なかったの」という、すげーマイナスな終わり方なんですが……。

 作者は、なにをやりたかったんだ……。
 中村Aだからか? 中村Aなんだから、これであきらめろってこと?

 いっそ、ストーリー仕立てでなければ、あきらめもつくものを。
 せめて、なにもかも台詞で解説して、想像の余地すら無くすことさえ、やめてくれれば……っ。

 遠い目。
 
 で、でも。

 かしちゃんは、きれいです。

 お衣装着替えまくり。
 そして、かしちゃんのかしちゃんたる、あの「声」で歌いまくってます。

 1幕はともかく、2幕はたのしいし。
 「台詞(言葉)」に縛られる1幕とちがって、歌とダンスだけの2幕は、構成が多少アレでも、キャストの力で盛り上げられるから。

 もー、いいんだ。
 かしちゃんが、笑っている。
 るいちゃんが、笑っている。
 それだけでいいんだ。

 作品がコレだけアレで、もーどーしていいかわかんないのに、それでも、立てなくなるまで泣けるんだから、もう全部全部、なにもかも、あるがままに、正しいんだ。

 かしちゃん、るいちゃん、そして宙組のみんな。
 ありがと。

 
 『Young Bloods!! 』を全組観て思ったこと。

 出演者がみんな、ほんとーに一生懸命だ。
 うまいとかヘタだとか、きれーだとかそーじゃないとか、そーゆー次元ではなく、ただもーひたすら一生懸命だ。主演はもとより、最下級生の脇役に至るまで、みんなみんな等しく一生懸命。
 一生懸命な若者たちを見るのは心地いい。努力する姿は美しい。
 どの子もみんな一生懸命、真正面から小細工ナシに不器用なまでに一生懸命。
 それが素晴らしいことは前提として。

 努力とは、別の話。

 5組5公演の、それぞれ主演者たちの、立ち位置のちがいが興味深い。

 星組のれおんは、ある意味ストイックだった。
 自分のやるべきことを知り、黙々と仕事をこなしている印象。
 その「やるべきこと」が、「やらなければならないこと」なのか「やりたいこと」なのかは、わたしにはわからなかった。
 まあ、「やるべきこと」をやる人は好きなので(てか社会人の基本?)それはいいんだけど。

 月組のまさきは、アグレッシヴだった。
 敷かれたレールがどうあれ、自分の力で真ん中を目指す力。野心と情熱。
 「やりたいこと」「欲しいモノ」を明確に、なりふりかまわず手を伸ばしている印象。
 「やりたいこと」のために、「やらなくてもいいこと」までがむしゃらにやってしまう貪欲さ。

 花組のそのかと宙組のいりすは、現状維持が自己目標?
 やりたいとかやらなくてはならないとか、それ以前の状態。ただがむしゃらに、目の前にあることをこなしている。壁を越えることだけに夢中で、その壁が何故そこにあるのか、何故越えなければならないのか、越えた先になにがあり、どうしたいのか、なにも考えていない印象。
 目の前より未来が見えていない?

 雪組のかなめは、さらに謎。
 れおんほど黙々と仕事をしている風でもなく、まさきのようにやりたくてやっている風でもなく、そのかやいりすほどいっぱいいっぱいになっている風もなく。

 エリート輩出を目的とした特別進学クラスっちゅーのがあったとする。れおん、まさき、そのか、いりす、かなめはそこの同級生。
 医者の家に生まれた跡取り息子れおんは、よい医者になるのは義務だからと黙々と勉強をしている。もともとの素質に加え、幼い頃から英才教育を受けてきたので、とりあえずの実力はある。ただ義務感の方が先に立って、彼自身がほんとーに医者になりたいのか、どんな医者になりたいのかはよくわからない。
 ふつーの家に生まれたまさきは、「絶対ビッグになってやる! 世の中金と名誉だ!」となりふりかまわず猛勉強中。英才教育なんか受けてないけど、そんなの関係ない、要は結果を出せばいいんだろ? 奨学金を得て特別進学クラスに編入、鼻息荒らし。
 一般クラスにいたのに、なんかこの間受けた試験がみょーによかったらしいそのかといりす。今回から突然特進クラスに編入、えええ、俺たちここにいていいの? とりあえずがんばんなきゃ! キョドりつつも鋭意努力中。共に体育会系男子、そのか@柔道部、いりす@ラグビー部。
 宿題はするけど、予習復習はしないかなめ。それでも及第点はあるし、推薦入学も決まってるし推薦落ちても他にいくらでも生きる方法はあるし、がつがつしなくてもいっか。ずば抜けて美形でサワヤカ、ふつーにカノジョ有り。
 ……てゆー感じに思えた。

 キャラ立ってておもしろいなヲイ。どの乙女ゲーだ(笑)。

 彼らがみな一生懸命で努力していることは前提として、そんな印象を持ったわけね。

 「真ん中に立つ」エクササイズとしてのワークショップ。
 だがこの「真ん中に立つ」意味が、ひとりずつによってちがっていたからさ。
 それがおもしろくもあり、歯がゆくもあった。

 れおんは、ワークショップなんかしている立場の子じゃない。本公演でアンドレやってるよーな大スター様が、なんで今さらひよっこたちと同じ舞台に立つのよ。高校球児が小学生野球チームを相手にホームラン打って、だからなんだというんだ。
 伸び悩みが原因で、喝入れのために監督から小学生チームへ放り込まれた高校生ってとこか?
 どれだけ足踏みしていても、彼の目の前にはもうすでに途中下車できないレールが敷かれている。そこをあざやかに走っていくしかないんだ。
 ゴールが見えた窒息感に背を押されるように、立場に相応しい成果を求められ、黙々と階段を上る姿は、彼ののびやかな芸風を微妙に歪めているよーな気もする。……いや、翳りがあった方が今後いい男になるかもしんねーから、これでいいのかな?
 ワークショップに出演している場合ではないのに、出演するしかなかった歪みを、彼がどう受け止めて成長していくのか。
 良くも悪くも分を知る男だなー。

 まさきにとって、このワークショップは、「輝かしいオレ様の歴史のはじまり」なんだろうな(笑)。今までくすぶっていたことこそが、まちがい。
 新公主演より先に、バウホールで主演する。これを成功させて、若手路線に名乗りを上げる。
 栄光まで駆け上がる(笑)、その心に描いたサクセスロードのスタート地点。

 そのかといりすは、敗者復活メンバー。新公主演はできなかったけれど、まさかのバウ主演。
 でも「よーし、これを機に路線狙うぜ!」てな意気込みは感じられず、ただ確実にこの公演を成功させることのみに集中した模様。
 主演経験によって、舞台人としてのスキルが上がった。それがいちばんの財産です、てか?

 かなめは謎。どーゆーつもりで真ん中にいたのか、よくわかんにゃい。
 昔のたかちゃんを、さらに背骨の通ってない幼い感じにしたみたいな子だ。よく言えば野心がない? いや、舞台人にとってそれは、よい意味にはならないか。

 
 通常バウ主演をする人たちは「路線」と言われる人たちで、将来トップスターになるかもしれない立場にいる。
 だから、みんな出来はどうあれ立場はどうあれ、心の「立ち位置」は同じよーなもんなんだよな。
 ワークショップと銘打ったって、ソレで主演をするのは路線だけだもんよ。
 でも今回の『Young Bloods!! 』は、従来の路線以外の顔ぶれを主演とした。
 主役だから「真ん中に立つ」ことになった彼らは、実際真ん中に立ちながらも、そこにいる意味がぜんぜんチガウ。
 おもしれー。

 おもしろかったよ、『Young Bloods!! 』。
 ほんとうに。


 『Young Bloods!! 』全組制覇。

 「歌、芝居はもとよりショーに重点を置き、ダンスシーンで魅せる、今までにはないワークショップです」……と、チラシに書いてあります。
 ショー中心、ダンス中心。それはいい。わかる。
 バウホールという小さなハコでまず、「真ん中」に立つこと。「真ん中」を担う役に付くこと。
 それらで、若者たちはたしかにどーんと成長するでしょう。

 でもさ。
 実際『Young Bloods!! 』はショーのみ1時間の公演ではなくて。芝居+ショーでひとつの公演だったわけだな。

 名もなき若者たちのアツい舞台を全組に渡って観劇し、痛切に感じ、声を大にして言いたいことは。

 演出家をなんとかしろでした(笑顔)。

 『Young Bloods!! 』の公演目的が「若手演出家の育成と発表の場」というなら、本専科のおねーさま方出演で、1日ごとに演出を変えて下さい。
 実力ある出演者たちが、ぶっ壊れた作品を力尽くで支え、1日公演したあとベテラン演出家(……外部の人希望)に脚本や演出のダメ出しをしてもらい、作品を手直ししていく。そうやって毎日手直ししながら1週間公演し、商業作品レベルに辿り着いた時点で、通常のバウホール公演として上演していいかを判断する。
 素人演出家作品が実際に板に載せて毎日ダメ出ししてどう変わっていくか、実験作品として安く公開すれば客も入るんじゃないの? 一般演劇関係者だとか舞台での仕事を目指す若者たちが、勉強のために観に来るんじゃない?
 「演出家」を育てる意味のワークショップなら。

 でも『Young Bloods!! 』って、「育てる」「新人」は、出演者の方だよねえ?

 出演しているのは、まだカタチも出来ていない下級生たち。本公演では活躍の場を与えられない若者たちが、経験を積むべき公演。
 舞台人は、こなしたステージの数だけ大きくなるモノだから、どんなチョイ役でも技術が追いついていなくても、とりあえず舞台に立て。ライトを浴びろ。そーやって「舞台」を血肉にしろ。
 勉強の意味でのワークショップ、ぜんぜんOKだ。なんにもできないヘタレちゃんからスタートしてもいい、経験を積んで成長するならば。ソレを見守り、応援するのもヅカの醍醐味。
 しかし。

 出演者を育てるなら、まともな作品にして下さい。

 学芸会並みの芝居に出して、なにを学べとゆーんだ。

 芝居の作品レベルが低くても、高校の文化祭程度の脚本とセンスであったとしても、トップスタークラスの舞台人ならば、力尽くで商業作品レベルまで引き上げる。
 それができてこその「スター」だ。
 『天使の季節』とか、学芸会以下の作品だって力尽くでなんとかしただろ、それが「スター」の仕事。

 でも、『Young Bloods!! 』はワークショップだ。
 なんの実績もない下級生たちが「勉強」の意味で通常バウホール公演と同じ料金を取って上演するんだ。
 駄作を底上げどころか、名作すらまともに演じる力のないひよっこたちに、駄作をやらせて、なんの意味がある?

 客の身にもなってくれ。

 出演者がへたっぴで、作品も大駄作だなんて。

 逃げ場がないよ。ありえないよ。

 繰り返すが、出演者がヘタなのはかまわない。はじめから「若手のワークショップ」と謳ってあるんだから。
 だが、脚本・演出がダメダメなのはナシだろ。演出家のワークショップだなんて、謳ってないじゃん。
 藤井・さいとーの芝居がダメダメなことくらい、最初からわかっているはずだ、わかりきったことをぐたぐたゆーな。というのもナシよ。「わかっている」ことと、「商品の宣伝として謳ってある」ことは別だから。
 出演者がヘタなことは、「若手ワークショップ」という「商品の解説」で明記されている。だが「作品が駄作前提」だとは「商品の説明」に載ってないの。
 ソコが問題だと言っているわけ。
 ショー中心、ダンス中心なんだから、芝居が駄作だと文句を言うな。というのもナシよ。だって、半分は芝居なんだから。タカラヅカはダンス・カンパニーではなく、ミュージカル・カンパニーなんだから。声を出し、芝居をするのだから。
 所詮タカラヅカの芝居だ、駄作があたりまえ、あたりまえのことでつべこべゆーな。というのもナシよ。
 人間よいときと悪いときがある、どんな実力あるクリエイターだって失敗することもある。というのもナシよ。
 駄作っつっても程度があるし、5作全部駄作だし、出演者がヘタだから駄作がさらに目も当てられないほどひどいデキになっているし。
 ひどすぎるよ。

 若手育成のためのバウ・ワークショップは、これからもぜひ続けて欲しい。
 でもやるなら、一定レベル以上の作品で、やって欲しい。
 作品と出演者、ヘタでも赦されるのは片方のみだよ。
 過去の名作の再演でもなんでもいいから、作品も出演者も学芸会レベル、つーのは勘弁してくれー。

 つらかったのは、芸のつたない若者たちを見ることではなく、ありえねーレベルの駄作を見せられることでしたよ、『Young Bloods!! 』。

 若手のワークショップだからって、手を抜いてないか、演出家よ?


 ジュンタンたら、前補助センターで観劇したそうですよ! 宙組『Young Bloods!!-Cosmo∞(コスモ無限大)-』を! いりすの脚と尻が間近! 揺れるフリンジ! うらやましー!
 8月31日、わたしがめずらしく観劇後即日感想UPしたっつーんで、「それほど良かったなら、無理をしても観に行こうかな」と、チェリさんが言うので、かえってあせりました。
 いやいやいや! 即日UPと作品の善し悪しは関係ないっすから! 帰り道がひとりでヒマだったから感想書いてただけ、つーのも関係してますから! 1時間もひとりで電車乗ってたら、感想も書けますよ。

 作品は……芝居はひどいです。
 高校時代の文化祭のクラス出し物で、こんな話やってるとこあったよなー、みたいな感じっす。
 あまりに陳腐なので、あちこちで失笑したり、居心地の悪い思いをします。昭和時代のマンガで描かれていた「未来社会」のようです。高層ビルの間を透明チューブが行き交い、そこを色とりどりのエアカーが走っていて、人々は銀色のつなぎみたいな服を着て、コンピュータに管理されていて……みたいな、古い古い「未来社会」。1970年代に描かれたSFみたいな世界観と言葉センス。
 そういうものを表現するならば、細部までこだわった「これがライフワークだ」的徹底された意気込みだの、科学ヲタク的なマニアックさだとかが必要だと思うんだが、それもナシ。
 観ていて、ひたすら恥ずかしかったっす……。
 小学生のころ鼻高々でノートの隅に鉛筆で描いていた「本格SFまんが」を、大人になって「あんた、子どもの頃こんなもの描いてたのね(笑)」と人に見せられでもしたかのよーな、いたたまれなさ。うわっ、やめて、見せないで! 小学生だったんだよ、自分では絵もうまいつもりだったし、本格でSFで、ものすげー感動巨編だと思って描いてたんだよ、もう時効だよ、許してよ。
 えーと、やっぱこの話は、いたたまれないほどのダサさ、を狙って作ったんですよね? 現代のセンスではありえないけど、ソレを狙って作ったんだよね? 笑ってくれという意図で。
 ほら、宮本武蔵が現代にタイムスリップしてきて、コジローくんと決闘しちゃう、アレを観てトホホと笑う、同じ感覚で同じ狙いだよね?

 べつにわたし、タカラヅカでいたたまれない情けなさを感じたり失笑をしたいと思っているわけぢゃないんで、ひたすらつらかったっす……。

 せめて、センスがよければなあ。
 ストーリーがひどくても、言語感覚が昭和中期でも、視覚センスである程度誤魔化すことはできるんだが(例・植田景子)。

 登場人物の衣装のひどさも見どころのひとつ。
 主人公のサイボーグ刑事マーク@いりすは、銀のスーツです。サイボーグだから、銀スーツ。……笑わせるためだよね?
 悪役刑事@すずはるきは、ナンチャッテ黒軍服に黒眼帯。……刑事なんだって。んぢゃソレ私服? サイボーグが作れる時代に眼帯? そっからビームでも出すのかな、ははは。
 署長@雅桜歌はオレンジのコンサート衣装。また着こなし最悪。
 蓮水ゆうや他、悪ガキたちはとても痛々しい、ヅカならではのまちがったストリート系ファッション。
 マークの元恋人@大海亜呼は、ぶりっこお嬢様菜の花色ワンピース。
 電波受信中のあぶないアンドロイド@舞姫あゆみはメルヘンコスプレ。
 その他、メルヒェ〜〜ンな妖精跋扈と、衣装センスだけでもお笑いポイントは枚挙にいとまがない。

 お笑いを目指すなら、もっと徹底して世界を構築すればよかったのに。
 署長のコンサート衣装やすずはるき刑事の服装センスを基点として、みんな「石田昌也ショーにこのまま出られます」系にするとか。
 女の子はみんなSF系ボンデージファッション、サイボーグ刑事は宇宙刑事シリーズみたいな半着ぐるみ状態、夢見るアンドロイド娘はパステルカラーのチュチュを着て必ず可憐ポーズで立ち止まるとか。
 それくらいやってはじめて、ストーリーのばかばかしさについていけるんじゃないか?

 ……この話がシリアスものだったという認識はないんだが、もしシリアスを目指すならなおさら、ここまでやるべきだろうと思う。
 昼の東海テレビ制作愛憎ドラマみたいに、ありえねーストーリーのありえねー悲劇は、ありえねー舞台で徹底して構築すべきだ。

 まあどのみち、なし崩しに主人公が死んで終わり、という「なにも終わってねええ!!」なひどい話なんで、どうあがいたって無意味っちゃー無意味だが。

 とまあ、あらゆるものがものすごいことになっていたこの芝居。

 それでも十輝いりす、というキャラクタを「見る」にはいいさ。オリジナル作品で、主役なら、役者自身が見えてくる。

 ……ヘタだな、いりす。

 歌がものすごいのはわかっていたけど、改めて聴くとまた破壊力すごかったし、演技もかなりやばいことがわかった(笑)。
 イロモノは演じられても、基本的なことはできてないんだなー。「創りやすい」モノはできても、ふつーの衣装を着て、人間として共感できるふつーの芝居、はまだどうすることもできないレベルなんだ。大変だなー。

 でも。
 魅力のある人だ。
 おおらかな、あたたかい光がある。

 顔立ちはゆみこちゃんにすげー似ているのに、あらゆる意味でゆみこちゃんと反対。
 歌がうまくて暗くて重くて繊細なゆみこちゃんとちがい、歌が下手で明るくて軽くて大味。
 すげえ。
 同じ顔でも、ここまでチガウもんなのか。キャラを決めるのは顔ぢゃないんだよな。

 どちらがいい悪いではなく、この事実にひたすらウケた。

 いりすの持つ、ほっこりとした明るさ。あたたかさ。
 カラダの強張りを解いて、ほっと息をつけるような、それをゆるしてくれるようなおおらかさ。
 それをとても、得がたいものだと思う。

 技術なんかあとからどーとでもなる。
 今はただ、「十輝いりす」という真ん中のやわらかい光に癒された。

 
 芝居がやばいといえば、署長役の彼はほんと、やばかった(笑)。会社の宴会の余興でコスプレさせられた人みたいな着こなしのひどさも、またかえって目に付くって。
 なのに、ショーではものごっつーキザっていて、ウケた。やる気満々!
 なにもできないくせに、その心意気やヨシ! がんばれー。

 すずはるきを除いた男役で、いちばんできていたのは、蓮水ゆうやくんだったと思うんだが、どうだろう?
 野心と、それに見合うだけの結果を叩き出そうとアグレッシヴになっているのが見えた。……いりすには感じなかったものを、彼には感じた。や、それがいりすのいいところなんだろうけれど。

 とりあえずこの公演、すずはるきがいなかったら、どうなっていたんだろう?
 すずはるきの一人勝ちっぽい……あ、トキイリのダルマ@フリンジ付きを除いて。


 今のタカラヅカ、感想は溜めちゃいかんね。
 「発表」があったあとでは、「観劇」したときの感想が変化してしまう。そのままを書けなくなってしまう。

 『TCAスペシャル2006 ワンダフル・ドリーマーズ〜人は夢見る〜』の感想を、わたしはいつものよーにミニパソにちんたら書いていた。あくまでも下書きだ。てきとーに散漫に、オチもつけずにだらだら書いていたりする。曲名とか曲順とか個人名とか確認が必要なことでもてきとーに書いたりとばしたり、あとでリライトするんだからいいや、と気軽に打ち込んでいる。
 結局ブログにUPしない文章もいろいろある。内容が適さないとかタイミングを逸したとか。まぁ理由もさまざま。
 ……『TCAスペシャル2006』の感想も、ミニパソの中に断片がいろいろ入っていたんだが。

 かしちゃんの発表のあとでは、文章ののーてんきさに泣けてくる。

 わたしは、未来を信じていたんだ。
 かしちゃんとるいるいと、新生宙組の未来を。

 未来が断ち切られたあとでは、夢見ていたことがみな虚しくなる。

 以下は、発表より前にミニパソに打ち込んであったテキスト。いちお、下書きでもタグまで入れてあるんだ(笑)。タグ込みで文章考えるから。
 

 冒頭のMCは、トップ4人+トド。
 なんか、すごい並びだ……。
 この中で、あさこちゃん以外はみーんな雪組の舞台に立っていた人たちなんだ。
 かしちゃん、コムちゃん、トド、そしてワタルくん。そうさ、あの『パッサージュ』の中心メンバーだよ! あそこから、ここまで来たんだ……。
 なんか、感慨深い。
 瀬奈あさこちゃん(トドの呼び方)は「次のシーンの準備」とやらですぐに退場してしまったので、とくに「雪組」という感じがして、なつかしかった。
 もっとも、ステージ上の4人は、「パッパラー」を踊れるかどうか、『華麗なる千拍子』に出演していたかいないかで、ワタルひとり「踊れません、出てません」てことで笑いを取っていたけど。
 『月夜歌聲』『パッサージュ』『風と共に去りぬ』と3本立て続けに雪組に出演していたワタルくんは、「当時雪組でした」でも、わたし的にはなんの不思議もない(笑)。
 やっぱり「雪組」は、わたしにとって特別な組だなあ、としみじみ思う。

 さて、その雪組だけど。
 1幕の雪組中心シーンにて、わたしとサトリちゃんはほぼ同時に、驚きを口にしていた。

「ハマコがいない」

 いると信じ切っていたから。
 出演者を確認してもいなかった。
 えええ、ハマコ大先生がいない舞台なんて! いやその、あの人も微妙路線な人なんで、TCAにはいたりいなかったりするんだけど。なんか、いつも「いる」っていう思いこみがあるんだよな。

 歌うコムちゃんの後ろで、水まーがこれまたすばらしいダンスを披露してくれていて、眼福でした。あああ水くんかっこいー。最後に観た水くんがオカマ@オスカルだったりしたもんだから、オトコマエな水くんに胸が熱くなります。
 そして、これまた雪組にいなくてはおかしい……かしげちゃんは、そんなことを吹き飛ばすかのよーに、宙組ではじけていました。

 博多座でお披露目をしたとはいえ、本拠地で宙組の組子として、トップスターとして舞台に立つのははじめて。
 そうさ、トップスターかしちゃんを見ることにこだわるからこそ、TCAだって初日狙いさ。

 タニ、らんとむ、みっちゃん、ともちと揃うのもはじめて。
 なんかものすげー不思議な並び。それでもいつもと変わらず、いやいつも以上に?タニちゃんは大暴れしているし、きっとこのメンバーでうまくやっていけるだろう。

 かしちゃんは、ものすげートバしていた。

 気合い入りまくり!!
 なんだよ、エネルギー放出することできるんじゃん! 雪にいたときに感じなかった熱を、新たに放っている。そうか、これがトップスターということか。
 かしちゃんが歌う「いかにもタカラヅカ」な歌と歌い方が、ダイスキだ。安心感と郷愁を感じる。

 トップコンビシャッフルの『ME AND MY GIRL』も、かなみちゃんとふたりして目を曲がった一本線にして、全開で笑っているのが、かわいくてかわいくて。

 なんかとっても雪組中心で観てるよなあ、わたし。
 いや、かつて雪だったものも含めての雪組中心かな。

 かつて雪だったといえばこの人……と、以下はトドロキ語りに入る。こっちはリライトして4日欄にUPした。

 きらきらしていたかしちゃんの感想を、過去形に書き直したくないので、このまま載せておく。


 えー、ムードを換えて、アホ話いっときます。

 9月5日、その直後にある発表を知らず、わたしはのーてんきにキャトレで買い物をしておりました。

 究極のワタ×トウ写真ですよ。

 もう今さら説明不要でしょう。
 『愛するには短すぎる』の、フレッド@ワタルとアンソニー@トウコのツーショット写真。

 いやがるトウコを、ワタルが後ろから抱きすくめ、服の中に手を突っ込んでまさぐっている写真ですよ。

 トウコは抵抗しているようですが、感じてもいるようで、抵抗がどこまで本気なのかはわからない様子。
 一方ワタルは完全に鼻の下が伸びているし、激情に駆られてなにかわめいている様子。
 (役名で言いましょう、誤解を受けます)

 ……いやあ、そらおそろしいですね。
 ヅカ至上、ここまでヤヴァイ写真が発売されたことがあったでしょうか?

 このまんま、BL小説の挿絵に使えそうですよ。

 まだ芝居を観ていない人は、この写真を見てどう思うんだろう?

 舞台写真って、本人選定なんだよね? ワタルさんの中の人と、トウコさんの中の人は、どーゆー意図で、コレを販売することを選んだのだろうか?
 同じシーンでも、通常何回も連続でシャッターを切っているだろうから、手の位置だとか表情だとか、1秒ちがってもべつのニュアンスになっているだろうに、わざわざコレを選びますか。

 やっぱ、確信犯?(首傾げ)

 まあなんにせよ、巷で名高いワタトウ萌え写真を買いに、わたしはいそいそとキャトレに行ったわけです。
 そのあとの新公に備えてとっとと昼ごはんを食べなければいけなかった……てゆーか、ごはんを食べるための店を押さえなければならなかった(本公と新公の間は、どの店もいっぱいになっちゃって、出遅れると席がないの)ので、ゆっくりショッピングをたのしむヒマはなかった。

 なにも考えず、目的の写真1枚掴んで、レジに行ったわけですよ。
 なにも考えず。

 
 ………………。

 
 後悔。

 
 後悔しましたとも。

 
 レジにて。
 わたしの差し出した写真は、レジを打つ間、お金を渡す間、おつりをもらう間、ずーっと表を向けられていたのですよ。
 わたしはいちおー、裏を向けて渡したのに。

 しかも。

 お金のやりとりが終わっても、そのままだったの。

 ちらしを袋に入れようとして、レジのおねーさんはもたもたしているの。
 写真1枚だから、それに合った大きさの袋にはチラシがそのままの大きさでは入らない。つーんで、あわててチラシを二つ折りにしているのね。
 その、チラシを用意する間、写真は剥き出し。

 レジに持っていた瞬間から、後悔したのよ。
 あ、やべっ、て。

 なにがやばいって、恥ずかしい!って。

 自分が眺めて手に取る分には平気だけど、それを「欲しいのだ」という意思表示として他人にゆだねる行為に、羞恥を感じたわけよ。

 ぶっちゃけて言えば、エロ本を買う男子中学生の気持ちだよ。

 恥ずかしい。
 なんかコレ、すっげー恥ずかしいんですけど?

 カムフラージュに、なにか他の写真1枚まぜればよかった!!

 トウコ姫の写真を1枚加えておけば、「ただのトウコファン」ですむのに。
 このエロエロ写真1枚だけうれしそーに持ってレジに来たんぢゃあたし、ただのスケベぢゃん?!!

 や、その認識はまちがってない。まちがってないけど、べつにあたし、ひとに「アタシ、スケベです!」と宣伝したいわけぢゃないから!!

 エロ写真だから買うわけぢゃないんです! ファンだから買うんです!

 もちろん、エロ写真だから買うんですけど!!(鼻息)

 …………もうわけわかんないっす…………。

 
 とにかく、恥ずかしかったっす……。レジでの羞恥プレイ。むっはー。

 
 腐女子友のモロさんは、まだ『愛短』を観てもいないのに、キャトレでたまたま見つけたこのエロ写真を思わず買ってしまったそうだが。
 エロ写真単体で買う勇気がなくて、カムフラにもう1枚ワタトウ写真を買ったそうですよ。
 単体で買ったわたしの勇気を誉められました……。

 わたしがエロ写真を買ったことを知っていたのは、kineさんだけのはずだったのに、kineさんからドリーさんに伝わり、ドリーさんからモロさんに伝わった模様。
 おそるべし、HOTEL DOLLYの情報網。わたしのムラでの行動が、あっちゅー間に東宝組にバレている……!!(白目)

 
 ワタトウLOVE。


 わたしが信じていたのは、「宝塚歌劇団」なんだと思う。

 貴城けいは、人気がない。

 そりゃーもー、隠しようがないことだろう。
 10年以上かしちゃん眺めてきて、新公、主演公演等含め追いかけてきて、思い知っているよ。
 一度だけお茶会に行ったこともあるが、サクラだらけでひどい雰囲気だったさ。ヘコんで、二度と行くまいと思うくらいにはな。
 破綻のない実力と、歌劇団で五指に入る美貌を備えていながらも、人気がなかった。出なかった。

 わかるよ。
 かしげが人気の出ないタイプだってこと。

 人気スターになるには、「色気」が必須だ。

 現実社会で実際につきあうなら、薄くても地味でも「やさしい人」「誠実な人」がいいに決まっているが、自分とは無関係な虚構の世界なら「濃い人」「黒い人」「悪役」にときめきたいもんな。
 非現実であるところのタカラヅカでは、持ち味が「色悪」である方が人気に結びつく。もともとの持ち味が「白いいい人」なのに、人気を取るためにわざと「濃いキャラクタ」のふりをする人たちだっているもんな。「役のかっこよさ」と「本人のかっこよさ」を誤解するファンが多いことに目をつけて。

 そんななか、かしちゃんは、ずーっと「いい人」のまんまだった。
 色気のなさがそのまま人気のなさだった。
 「いい人」だからべつに嫌いじゃないけど、夢中になることもない。もっと他に、どきどきさせてくれる色男が現れればそちらに行く。
 きれいだし、ヘタじゃないし、いてくれる分にはかまわない。でも、わざわざ無理をしてまで舞台を追いかけたり応援したりしたい人じゃない。

 そーゆー「クラスメイトの、ハンサムだけど貴重感に欠ける学級委員(雑用は彼にお任せ)」感覚のキャラというかな。

 人気がないことなんか、知っていたさ。
 『アメリカン・パイ』の売れなさ具合……てゆーか、サバキのものすごさは記憶に刻みつけられているしな。同じ2番手バウとして同年に上演された水・あさこ・トウコの公演がものすげーチケ難の人気公演だっただけに、気の毒過ぎたさ……。
 『DAYTIME HUSTLER』はチケ難だったが、正直謎だ。2番手特出を経て人気は多少上がっているようだったが、それほど急撃とも爆発的とも思えなかったので。
 ほんとーに人気が出たなら、そのあとの『コパカバーナ』のチケットの売れなさ具合がさらに謎になる。

 お披露目の『コパカバーナ』はトップお披露目初日ですら売り切れていなかった。そのあとのコンサートは、平日とはいえ、たった2日間なのに定価以下に値下げされたチケットが売買掲示板でいつまでも買い手がつかず、回転寿司状態になっていた。
 近くの劇場でやるなら見てもいい。前方席なら見たい。土日なら見てもいい。……自分になんの犠牲も必要ないなら、まあ見てもいいか。その程度の位置にあるんだろう、貴城けいという人は。

 それでも、貴城けいはトップになった。

 かしちゃんが人気がないことも、地味で薄いことも、劇団はわかっているだろう。
 わかっていて、トップにした。

 だからこそ、期待したんだ。
 ヅカにおいて人気が出やすいのは、「色悪」キャラだ。だが、ヅカのトップスターが演じる役は、「白い役」である。
 かしげは、2番手以下では人気の出にくいキャラだった。オイシイはずの「色悪」キャラを演じても、まぬけに見えたりおひとよしに見えたり、ちっとも魅力的にならなかった。(悪役がまともにできたのは、鎌足役ぐらいのもんだ)
 かしげの魅力がもっとも活かせるのは「真ん中の役」、すなわちトップスターだ。
 それを見越しての、かしげトップ就任だと思ったんだ。

 そりゃあ、今まであれだけ人気がなかったんだ。トップにしたって、いきなりブレイクはしないだろう。
 だけど、周囲をきっちりかため、宣伝をし、盛り上げていくことで着実に人気を得られる人だと思った。
 そこまで巨視的な目で見てこその劇団経営だと思った。2番手等の「オイシイ役」だけに頼った「色悪」のバブル人気キャラではなく、堅実に「真ん中」をつとめられるキャラの育成。目先の人気や利益ではなく、5年先10年先を考えて、「白い人」もトップ路線として雇用する。かしげだけでなく、これからのトップスター候補たちも含めてね。

 「白い人」で成功したキャラに、「和央ようか」がある。彼の場合は白というより「無色」だった気もするが。
 トップ就任前、たかこは「実力はあるが、人気がないので、トップ就任は難しい」新聞に書かれたんだからな。「全国ツアーは、代理トップとして回る」と書かれたんだからな。
 そこからスタートしたたかこも、「白い人」を演じて魅力を出せる持ち味と、破綻ない実力と美貌で人気スターになった。

 もちろん、たかことかしげはチガウ。
 でも、かしげは、たかこのいたポジションをねらえるキャラクタだった。

 白馬に乗った王子様を、素の持ち味で演じられるキャラクタが、他にいるかよ?!

 ただ、熱狂的にチケットを買ったりリピートしたりする層が好きなのは「白馬の王子」ではなく、「黒馬にまたがった盗賊」だっただけで。「王子様」にファンがつきにくいだけで。
 今の世の中、「それはとてもよいね(肯定)」と言うより、「どこがいいんだよ、そんなもん(否定)」と言う方が簡単に「かっこいい姿」になるんだよ。
 簡単に「かっこいい」からって、その人をトップにしたって、トップが演じる役は「白馬の王子」であり、「肯定」する役なんだから。「否定」する姿がかっこよかっただけじゃ、他のかっこよさは出せないよ。

 貴城けいに、期待していた。
 たしかに、今の彼に人気はない。
 だが、これから先、「タカラヅカらしいもの」を正しく見せてくれる「真ん中の人」になることを。
 タカラヅカは、夢を見せてくれるところ。現実社会において「どこがいいんだよ、そんなもん」と否定することがかっこいいことだとしても、タカラヅカだけは「とてもよいね」と肯定することの美しさを見せてくれるところだと思っている。
 愛だとか、夢だとか、友情だとか、人情だとか。笑われるような「うつくしいもの」を「肯定」してくれる世界。

 貴城けいを、信じていた。
 彼に、それだけの力があることを。

 そして。
 そんなかしげの能力を正しく理解し、素質を正しく開花させるために、歌劇団がかしげを宙組のトップスターにしたのだと。
 期待していた。

 ありえない落下傘トップ、怒濤のスケジュール、不穏なサインは出ていた。
 だが、わたしはそんなことに気を取られはしなかった。
 信じていた。

 宝塚歌劇団を。

 1作トップなんて非道なことは、もうしないはずだと。
 企業はメンタル面だけで動いたりしない。損得勘定で考えても、もうそんな愚行は繰り返さないはずだ。
 「宝塚トップスター」というブランドを、自分たちの手で地に落とすことはしないだろう。その価値を高めるために、最低限のことをするだろう。

 信じていたんだ。
 だから、かしげの人気のなさを目の当たりにしても、平気でいられた。劇団は、わかってやっているのだと。2番手時代以下の人気のなさと、トップになってからの人気は別ものであるのだと。

 トップというのは、それくらい「別物」なのであると。

 「真ん中」にふさわしい扱いをすること。任期も含めて。
 それが、「宝塚トップスター」という、他にないブランドの価値を守り、引いては「宝塚歌劇団」というカンパニーを守ることだと、信じていた。

 信じていたんだよ。

 
 ……所詮、わたしが貴城けいファンであるという偏った立場から、一方的に盲信していただけにすぎないのかもしれないが。


 続けて、泣けました。

 駄目押しされた気分だ。

 
 だから。
 チーム『血と砂』は、特別なんだよ。
 のぞみちゃんのときにも書いたけど。『血と砂』のメインメンバーは、わたしにとって特別なの。何年経って、変わっていったとしても、根っこのところで変わらずにあるの。

 チリーパ@るいるいは、性転換したってアニメ声の女の子になったって、あのときの大切な空間を共有した子なんだもの。

 たしかに、男役にはかわいすぎた。
 性転換は成功だったと思う。
 きれいで、華と実力のある娘役になった。

 素直な笑顔でかしちゃんと並んでいた、博多座やTCAでの姿を思い出すと、せつなくて仕方がない。


 あんまりだ。

 今日は星組観劇日。チケ運に見放されたこの公演、唯一持っている前方席観劇の日、オペラなしで脇の組子たちひとりひとりを眺めては楽しんでいた。ワタさんのあたたかな大きさに涙ぐんでいた。
 博多初日に知り合ったかしちゃんファンと、偶然客席で再会した。新公も観るんですか? んじゃ、またあとで。そう言って別れた。
 kineさんとふたりで遅めのランチをしているときに、報が届いた。

「嘘だ」

 知らせてくれたメールを信じず、公式をチェックする。
 嘘だ。こんなことってない。ありえない。

 そのまま泣いた。

 劇団がなにをしたいのかわからない。
 こんなことをして、いったい誰が幸福になるというのか。

 和くん主演の新公を観るためにやってきたデイジーちゃんが泣いていた。宙組を愛している彼女が泣いていた。

 博多で知り合ったかしちゃんファンは、なにも知らなかった。新公開演前、「今日携帯忘れて来た」と言う彼女に、発表があったことを告げた。彼女はわたしの腕にすがりつくように泣き出した。

 これからだったはずなのに。
 新生宙組がスタートするって、あんなにあんなに言っていたじゃないか。

 ジェンヌはいつか退団する。それはわかっている。
 今までも、かなしみながらたくさんの人たちを見送ってきた。
 でも、今回は通常の退団とはチガウだろう。
 同じであるはずがない。トップスターという立場は特別で、重いのだから。
 その特別で重い立場だからこそ、冒してはならない禁忌がある。

 今の気持ちは、かなしい、というには、あまりに暴力的な衝撃が濃い。
 かなしみと同じ重みの、怒りと絶望がある。


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