片桐はいりがいる。
 片桐はいりが蠱惑的に笑う。
 片桐はいりがセクスィーポォズを決める。

 ああ、どうしよう。片桐はいり。

 『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ監督最新作『カンパニー・マン』を見てきました。

 といってもわたし、『CUBE』見てないすんよ。映画ファンなら見ておけってタイトルなのにな。
 だから、真の映画ファンであるWHITEちゃんに鼻息荒く連れて行かれた今回の『カンパニー・マン』も、いただいたチケットのありがたみなんぞわかっておりませんでした。

 つーことで、ヴィンチェンゾ・ナタリ初体験。

 ……すごかった。
 すげーや、この映画。

 おもしろかったよ、お客さん!!
 みんなが騒ぐわけだよ。この監督好きだわ!

 いつもは俳優名であらすじを書くが、今回は役名で書く。

 主人公サリバンはイケてない平凡なサラリーマン。家では奥さんにばかにされてるしね。だけど彼には夢があった。それは「スパイになること!」だ。
 がんばって試験を受け、A社の産業スパイとなることに成功。子どものころからのあこがれの職業! はじめての任務で、「サースビー」という架空の男の名前とIDを渡され、サリバンくんわくわく! 恐妻家であることも、酒も煙草もやらない真面目人間であることも忘れて、「架空の人格」をたのしんじゃったりしてな。
 でも、スパイの仕事は、とっても地味だった。ちょっとがっかり。もっとドラマチックなものを期待したのに。それに、この仕事をはじめてから悪夢を見る。頭痛がする。なんなんだろう、繰り返し見るイメージの断片のようなものは……?
 そんなサリバンくんの前に現れた美女、リタ。彼女はサリバンくんに衝撃の事実を告げる。彼が「任務」だと信じて行っていることは、全部嘘。A社は「洗脳」によって「使い捨てOK便利スパイ」を製造するつもりでスパイ志望者を集めているのだ。サリバンくんも半分洗脳されかかっており、「サリバン」としての人格がゆらぎ「サースビー」に塗り替えられよーとしている、というのだ。
 リタの助けによってサリバンは、洗脳されたふりでB社(A社のライバル)側につき、A社の情報を流すことで生き延びる。
 しかしこれにはさらに裏があって……。

 2転3転するプロット。どんでん返しの連続ナリ。

 わたしアタマ悪いから、とっても混乱しました。複雑過ぎです、プロット。
 でも、「え、ちょっと待って、今のどーゆーこと?」というつまずきを超えてしまうともー、快感(はぁと)の複雑さ。

 いったいなにが正しくて、なにが嘘なのか。誰を信じていいのか。
 主人公サリバンくんと一緒に、迷路の中。

 いちばん大きな「どんでん返し」は、とても小気味のいいもので、そのあとのサリバンくんは素直に「かっこいい!!」と思えます。奥さんに罵られてた、あのなさけないサリバンくんがだよ? 別人だよ!! すてき!
 しかも、そもそもこのクソややこしい物語がどーしてはじまったか、サリバンくんを翻弄する「すべての出来事を陰で操っている人物」の真の意図ってのが、最後の最後にわかるんだけど……。

 これがね、ものごっつー「好み」だった。
 ツボだった。

 理由って、これ?
 こんな理由のためにアンタ、これだけの犠牲払って、これだけの騒ぎを起こしたの?
 ……うわ、好き。こんなの、好きすぎるよーっ、大好きだよ。

 もともとわたし、プロットの緻密な物語が好きなのね。
 緻密な物語が、クールな映像で表現され、しかも根底にあるテーマっちゅーか事件がはじまった「理由」が、いちばんわたし好みのものだった。……てそれ、すごいわ。猫にカツオブシ状態。
 なにもかも好きよ!!

 ……ネタバレできないから、まともな感想書けないのが口惜しい。まだ一般公開してない映画だもんな〜〜。

 ただし、ホモ要素はまったくありません。腐女子的ヨロコビはなし(笑)。

 そして、唯一わたしが気になったことは、ヒロイン・リタ。
 蠱惑的な美女リタ。謎の女リタ。ファム・ファタール、リタ。
 演じているのは、ルーシー・リュー。
 『チャーリーズ・エンジェル』出演の美女だそうだ。……だそうだ、というのは、わたしが『チャーリーズ・エンジェル』を見ていないから。予告編で見る限り、かっこいいねーちゃんたちが、ばしばし戦う、たのしそーな映画だったな。でも、見に行かなかった。目がたのしい以外に得るものはなさそうだったから。
 だもんで、ルーシー・リューのことなんて、まったく知りません。はじめて見る女優さんでした。
 そしてわたしの目に彼女は……。

 片桐はいりにしか、見えなかった……。

 片桐はいりがいる。
 片桐はいりが蠱惑的に笑う。
 片桐はいりがセクスィーポォズを決める。

 ど、どうしようお客さん! せっかくのクール&サスペンスな画面で、あちこち正気に戻ります。水をあびせられたよーに、映画世界から現実に意識が戻ります。
 あうあうあう〜〜。

 そ、それだけがつらかったよ、ママン……。

 
 仕事が切羽詰まっていると、別のことをしたくなる。
 ……てことで、ついつい行ってしまいました、宙バウ・ワークショップ。千秋楽。……どーせ行くなら挨拶付きがいいなー、と。
 つっても、往復の電車内と休憩時間はちゃんと仕事してましたよ、パソコン持ち込みで。家にいるよりはかどっているよーな……。

 相変わらず、予備知識はナシ。

 んでもって。
 順番逆だが、『春ふたたび』を語らせてくれ。

 この作品の出来がどうこう、わたしには言えない。わからない。
 何故ならば、「生理的に」大嫌いだからだ。
 生理的だ。ゴキブリ見て悲鳴あげるのと同レベルの反応だ。なんでゴキブリ見て悲鳴あげるのか、自分でもよくわからないし、論理的に説明もできない。「生理的に」嫌いだからとしか、言いようがない。
 わたしがこれまで観てきたヅカ作品で、「生理的に嫌い」だった作品がひとつだけある。
 それが、植田紳爾作『皇帝』だ。
 『皇帝』は、とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて、わきあがる嫌悪感と戦うのに体力気力を総動員した。
 それと似た嫌悪感を持った。
 たぶん、『皇帝』の方が作品的に壊れている分、嫌悪はひどかったと思う。しかしもう喉もと過ぎてるから、どれほど気持ち悪かったか、比べようがない。二度と観るつもりがないので、完全に忘却の海に沈めてしまったさ。

 『春ふたたび』の物語は簡単、出世した息子が生き別れの母親を捜して、ある老婆にたどり着く。だが老婆は認めない。証拠も挙がって、どっから見てもあんたら親子、なのに、ひとり強情に真実を拒絶しつづける。我が子を捨てたことを恥じているのさ母は。それでお涙頂戴ときたもんだ。

 描きようによっては、おもしろくすることは可能だと思う。人間的な弱さ故に過ちを起こし、その過ち故に、差し出された手をこばむことしかできない、よわく愛しい人間の姿を描くわけだから。
 だがな。
 この作品はダメだ。
 わたしの逆ツボ直撃。逆鱗ジャストミート。
 わたしは弱い人間やまちがった人間が好きだが、それはその人物の持つ「弱さ」や「まちがい」をフェアに描いたものに限る。それらを歪めて描かれるのが、いちばん嫌いだ。

 たとえば、ある女がいたとする。女は現在恋をしていて、それに夢中だ。仕事なんか手につかない。彼のことを考えていてつい、ケアレスミスをしてしまった。そのことで、嫌味な上司にねちねちと叱られた。
 ドラマでよくあるよーなエピソードだわな。
 ここで、この女の行為を正当化して描かれた場合が、わたしの逆ツボだ。
 公私混同して仕事でミスしたのに、正しいのは女で、まちがっているのが上司、という描かれ方をすると、ゆるせない。
 ヒロインの苦しみばかりを正当化して、彼女を叱る上司は、その苦しみを理解せずに、さらにひどい言葉をあびせ追い打ちをかける悪役なのな。
 大抵の恋愛ドラマはこーゆー描き方をする。とほほなことに。

 どーしてそこで、女をプラスの存在のみにする?
 仕事を放り出している段階で、彼女はマイナスの存在だ。人としてマイナスな地点に陥ってまで、それでもこの恋を捨てられないのだ、という描き方を何故しない。
 もちろん、何故女の行動が正当化されるのかはわかっている。
 恋愛ドラマの視聴者が「女性」だからだ。
 視聴者の気分が悪くなるよーな描き方はしないのさ。
 だから、ヒロインが人としてまちがった行動をしても、カメラは彼女を「正義」として映し続ける。そうすることで、彼女に同調して見ている視聴者に媚びているのさ。

 それと同じ不快さで描かれていたのだわ、この『春ふたたび』という作品は。
 この場合の「母」はまちがいなく「悪」なんだわ。てめえ勝手に子どもを捨てたのも悪なら、せっかく過去を水に流して迎えにきてくれた子どもをまた拒絶し、捨てるのも「悪」。
 どー考えたって、客観的に見れば彼女は「悪」。
 なのに、カメラは彼女視点。彼女が「正義」。歪められる世界。
 「悪」である彼女を正当化するために、あらゆる努力が成されている。
 泣け、さあ泣けッ!! 彼女は可哀想なんだ、けなげなんだ、さあ泣け!!
 悪を転嫁し、お涙頂戴に。

 わたしは嫌悪感と戦うので精一杯。
 「悪」ならば「悪」として描け!! 卑怯者め。偽善者め。
 たとえばオギー作の『左眼の恋』は、とことんまで「悪」を描ききったぞ。容赦なく心の深淵を、闇を描き、絶望の泥のなかの人間を描こうとしていたぞ。完成度なんぞわたしは知らないが、少なくともオギーははじめから「悪」を描こうとしていた。「彼が悪なのには、理由があるんだよ。彼だって、可哀想なんだ。根っからの悪人じゃないんだ」なんて描き方はしてないぞ。

 道理を曲げて無理を通すわけだから、「悪」を「同情」と「偽善」に転嫁するためにかなりの労力が使われている。
 つまり、「悪」の母親の「お涙頂戴」シーンがやたらめったら長い。語る語る。ひとりで語りまくる。
 それくらいやらないと、「悪」を転嫁できないからなのさ。

 この悪の母親役は、タキちゃん。さすがにうまい。すごい。
 しかし。
 彼女がうまければうまいほど、熱演すればするほど、わたしには反感だけがつのる。気持ち悪い。

 そして、この舞台が梅コマではなく、腐ってもタカラヅカであることを思うと、よけいに気持ち悪さが強くなる。
 この舞台の主役は、はるひくんだ。
 公達姿も美しい、売り出し中の若手だ。なのに。
 はるひくんに出番はない。ほとんどない。
 登場してきたところぐらいだ、見せ場らしい見せ場は。
 あとはほぼ出ずっぱりで、ただ舞台の上にいる。
 主役のはずなのに、物語の中心にいないのさ。
 物語の中心は、タキちゃんなんだ。タキちゃんの一挙一動によって、物語がすすむ。はるひくんは、その他大勢と同じ。彼女の言動に揺れ動くだけ。
 しかも、舞台の上に役者ただひとりで長台詞、ここがいちばんの決め所!!てゆーのが、主役のはずのはるひくんでなく、タキちゃんってのは、どうよ? どーゆーことよ?
 わたしの目には、はるひくんはただのまぬけに映りました。悪のタキちゃんが自己正当化するためにやっているお涙頂戴に、ころりとだまされるおつむの弱い美形。30歳近くにもなって「ママ〜、どこなの、そばにいてよ♪」な大男。
 悪を偽善でお涙頂戴に転嫁させるから、こんなことに。

 しくしく。
 こんなものすごい話だったんですか、『春ふたたび』って。

 わたしはただ、美しいはるひくんを観られるんだと思って、たのしみにしていたのに。

 いちばん長いシーンが、登場人物全員が舞台上でまったく動かず(坐っているので、動きようがない)、タキちゃんひとりがセンターで芝居をする(立っているのが彼女だけだから、動けるのが彼女ひとり)、ての、「舞台」として見た場合にも相当まずくないか? いちばん長いシーンなんだよ?
 ストーリーが破綻していない、とゆーだけしか評価ポイントがないんだが……それでもこれは「佳作」なのか? 世の中的に?

 まあ、世の中「お涙頂戴」好きだからなー。
 自分の中の「よわさ」や「まちがった部分」は見たくないから、そーゆーところから目をそらして、「お涙頂戴」にしてしまうのよね。
 彼だってつらかったんだ! 彼だって根っから悪い人じゃないんだ!! てさ。
 根っから悪人じゃなくても、罪は罪、悪は悪なんだけどな。
 だから人間は救われなくて、痛くて哀しくて絶望的で、……そして、いとしいんだがな。

 ああそして、『おーい春風さん』の感想を書く文字数がない……。
 明日の欄に続く。

 
 ママがうるさいので、見てきました。
 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』。

 なんでうるさいかっちゅーと、普段映画をまったく見ない母が、めずらしく見た映画だから。
「見てくれないと、話ができないじゃない!!」
 だそーだ……。

 たのしかったです。はい。
 途中ちょっと睡魔に襲われましたが。『賢者の石』のときも、実はちょっと睡魔と戦ってたんだが。
 おもしろいよ。おもしろいけど、何故か途中で眠くなるんだよなあ。
 とくに今回、めちゃ長いんだもんよ……。

 ふつーにたのしい映画だと思うが、やはりわたしが好きになることはないなと思う。
 なんでかは、わかっている。
 このたのしい作品には、「毒」と「痛み」がないからだ。
 そしてこのたのしい作品が、どーしてここまで大衆に受け入れられているのかも、わかっている。「毒」と「痛み」がないからだ。

 夕食の席で、母とふつーにたのしく映画の話をした。
「伊勢神宮に行ったとき、あの樹みたいな樹がいっぱいあったのよ」
「ああ、たしかになー。乱暴な樹だったねあれは。なにもわざわざ倒れてまで殴らなくてもいいじゃないって思ったわ(笑)」
「すごかったわよねえ。たのしかったわー」
「びっくりだよねえ」
「それから、最初に宇宙人みたいのが出てきたでしょ」
「ああ、ドビーね」
「レインっていうの? そのレインの表情が豊かで……」
「レインじゃなくてドビー……」
「ドビンのあの、上目遣いの目つきとかね」
「ドビンじゃなくて……あー、もういいよ、それで?」
「すごいよね、あれ」
「うんうん」
「ああ、ほんとにおもしろかったわ。すごかったわ。あたし、1は見てないから、2から見てわかるかどうか心配だったけど、ちゃんと2から見てもわかるようにしてあったし」
「そりゃ向こうも商売だから。つーか、子どもでもわかるように作ってあるんだから、ママにだってわかるでしょうよ」
「……それ、どういう意味?」

 ねえそれ、どういう意味よ? と追及する母を無視して、弟と「そのまんまの意味だよなあ」とうなずき合う。
 ほらママ、それより『その時歴史が動いたスペシャル』見なきゃ。今日は幕末だよー。

          ☆

 今日はわたし的には、『ハリー・ポッター』より、BSの『ゴッホとゴーギャン〜二人のヒマワリ』の方が意味が深いわ。

 わたしはゴッホが好きだ。
 それはたぶん、彼の絵が「痛み」に満ちているからだと思う。
 強烈な色彩で、しかもよりによって「黄色」という「陽」の色を愛しながらも、そこにあるのは狂おしい「孤独」と「叫び」だ。

 わたしがゴッホの絵と出会ったのは、高校生のとき。
 画家ゴッホと出会ったのは、小学生のとき幼児番組によってだが(11/2の日記参照)、絵に出会ったのは高校生になってからだ。

 予備知識はなかった。
 教科書に載っている有名画家。その程度。
 その有名画家の絵が、地元の美術館に来ている。つーんで、家族で観に行った。
 緑野家は何故か、美術館だの展覧会だのが好きな一家だった。有名どころがやってくると、大抵家族で出掛けた。

 有名画家だから、美術館はものすごい混雑。行列をして絵を見た。

 教科書に載っている、いちばん有名なヒマワリの絵と、跳ね橋の絵と、『星月夜』くらいしか、見たこともなかったよ。わたしゃ無知な女子高生さ。

 その無知な女子高生が。
 人でごった返す美術館で、はじめてその画家の絵をまともに見て。

 泣いたもんよ。

 いやわたし、よく泣くから。心が動くとそのまま涙になるから、泣くこと自体はべつにどーってこともないんだが。絵を見て泣くのははじめてじゃないし。
 しかし、衝撃だった。
 痛かった。

 ゴッホという画家が、どんな人で、どんな人生をたどったのかは知らない。知らないまま、絵だけを見て、泣いた。

 その、「絶望」に。

 慟哭の深さに。

 なんなんだろねえ。なんかやたら力強く、「現実」が描かれてるんですけど? できれば見たくもない、「痛い」部分が剥き出しに、強烈に、描かれてるんですけど。

 とくに印象に残ったのが、『疲れ果てて〜永遠の入り口にて』という絵と、マイナーな『ヒマワリ』の絵。
 どちらも共通しているのは「老人」。
 『疲れ果てて』は、老人が慟哭している姿。節くれ立った手をした、労働者の老いた男が泣いている。
 ……これが若者ならな、救いはある。とりあえず彼には「時間」があるから。今は絶望していても、立ち上がって歩き出すかもしれないから。
 しかし、絶望する老人、って……。
 見ているこっちも絶望するしかない。
 マイナーな『ヒマワリ』は、今を盛りに咲く花の絵ではなく、咲ききって枯れたヒマワリの絵。捨てられたヒマワリの、絵。
 燃え尽きたような、しかしもうただの「ゴミ」となった花の絵。
 こ、こわい……。どっちもとてつもなく、こわい絵だった。

 以来ゴッホは忘れられない画家。
 買って帰った図録を、何度も繰り返し眺めた。
 『永遠の入り口にて』は、わたしの生まれてはじめて「原稿料」をいただいた小説のタイトルにも使った。

 んで、今回のBSの番組は、彼とゴーギャンの蜜月と破局をテーマにしたもの。
 ……痛かったわー。
 愛し、求めていながらも、共に生きることのできない男たち。いや、ゴッホの爆裂片想いだとは思ってるけどさ。
 ふたりをホモだと思っているわけではないが、こいつらの愛憎っぷりは萌えですよ、まったく。
 このふたりを主題に、なにか書きたいとか思っちゃうよー。いや、そんなことしてるヒマあったら仕事しろっつーか、今現在そんなことを思うのはただの現実逃避なんだけどさ。(仕事が切羽詰まってるときほど、他のことがしたくなるよな)

 そして今ごろ気づいたこと。

 ゴッホって、「黄色」を愛した画家なんだ。
 わたしが彼の絵を好きな理由のひとつだわ、そりゃきっと。
 わたしのもっとも愛する色は、「黄色」ですから。
 好きな色が同じかー。そりゃ好みがあいますわー。
 ひまわりだって、わたし大好きだしさー。

 ゴーギャンはヒマワリのことを、「ゴッホの花」と呼んでいたそーだ。
 ひどい破局を迎えたというのに、晩年彼は、その「ゴッホの花」の絵をわざわざ描いている。ゴッホが彼のために用意した椅子(に似たモノ)に、「ゴッホの花」を載せて。
 ヴィンセント、って名前で呼んでいたと思うから、正確には「ヴィンセントの花」って呼んでたのよね?
 いいトシした男が、花のことを男の名前で呼ぶのよ?

 ……も、萌え……。

 
「16歳のときの緑野の写真見たら、大爆笑した」

 と言うのは、ミヤビンスキー。
 をい。どーゆー意味だ、それは。

 またも1日ずれてます。1月4日、帰阪しているダイコを囲んで、わたしとミジンコとミヤビンスキーの計4人。

「この間うっかり、昔の写真見ちゃったのよね。自分の写真にも笑ったけど、いちばんすごかったのは、緑野だわ。大爆笑」
「失礼だぞ、お前」
「緑野ってば、白のミニスカートなんか穿いてんだよーっ。大笑い」
「それのどこが悪いんだ」
「顔もさあ、『清純っ!!』って絵に描いたよー顔なんだよねー」
「それのどこが笑えるんだ」
「今はこんなに『ヨゴレ』きってるってのにさあ」
「失礼なっっ」

 ミヤビンスキーは、本日の集まりの中では、わたしといちばんつきあいが古い。
 16歳の緑野を知っているのは、彼女だけだ。

 そしてこいつは昔っから、わたしで「遊ぶ」ことを好んでいる。

 たとえばだ。
「緑野が万が一結婚して(万が一ってなんだ)、ダーリンとラヴラヴになったとするよ。そんでもって、裸エプロンなんかしちゃったら、どーする?」
 ……その仮定がすでに、どうをどうつっこんだらいいのか悩むくらいに、問題発言なんだがな。
 彼女はさらに言うのだ。
「緑野の裸エプロンだよ? 考えただけで、大爆笑!! 腹の皮がよじれる」
 じっさい、腹を叩いてそっくり返って爆笑する。
「ああ、笑いすぎて涙が出てきた。これからあたし、人生つらいとき、死にたくなるよーなとき、思い出すことにするわ。『緑野の裸エプロン』」
 言葉にするだけで笑えるよーで、「緑野の裸エプロン」と言うときは、いつも声が震えている。
 どんなにつらいときでも、「緑野の裸エプロン」のことを考えさえすれば、大爆笑。ノープロ、ノープロ、強く生きていける!!
 ……てなふーな、「遊び方」だ。
 今回の「16歳の緑野」も、大変ツボに入ったらしい。
「今度見せてあげるよ、16歳の緑野の写真。笑えるから」
 と、仲間たちに大推薦。
 ええいっ、見せんでいいわ、そんなもの!!

「16のころはそりゃー、キヨラカさ。なんせまだ、ダイコに出会ってないからな」
 と、わたし。

「えっ、なんであたしっ?!」
 人ごとだと思って涼しい顔をしていたダイコ、あわてる。
「ダイコに会うまで、やほひもコミケも知らなかったからなー」
 とわたしが言えば、
「そーいやあたしがはじめてイベントに行ったときも、ダイコに連れていってもらったんだっけ」
 とミヤビンスキーもうなずく。
「そっかぁ、みんなダイコに教えられたんだね」
 と、ミジンコが天然ぶりを発揮して言う。

「やめてよ、あたしが教えなくても、みんなどこかで開眼していたはずよっっ」
 ダイコは往生際悪くわめいているが。

 もし17のとき、ダイコに出会っていなければ。
 わたしの人生はどのよーなものになっていたのせう?

          ☆

 んで、前日書ききれなかった追記分。
 雪組の今回のショー、『Joyful!!』の感想。昨日の欄に書こうとしたら、文字数エラー出ちまったんで、改めてこちらで書き直し。

 ショーはたのしかったです。きれいで、かわいかったよみんな。
 しいちゃんまでもが、場面を持たせてもらっていることに瞠目。びっくりした。いっぽくんやキムちゃんならべつに「ああ、そうか」と思うんだけどねえ。しいちゃんがそーゆー扱い受けると、おどろくねえ(それでもファン)。

 その昔、カリンチョさんが退団したあとの、いっちゃんお披露目公演観たときのことを思い出したよ。
 たかちゃんが1場面持たせてもらってるのを観て、「トップの退団って、こういうことなのか」と感心した。
 カリンチョさんは、わたしがヅカにハマッたときの、トップさんだ。つまりわたしは、カリンチョ、いっちゃん、ミユさん、タカネくん、トド、タータン、たかこという「順番」しか知らなかった。カリンチョさん、4年トップやってたっけ? つまり4年間、同じパワーバランスの舞台を観続けていたんだ。
 その「当たり前」が崩れたのを観て、ものすごーく感慨深かったのをおぼえている。それまでは「トップ退団」ってのは単に、退団するトップさんにもう会えないだけだと思ってたから。

 その感慨を、あれから10年以上経って、思い出しますか。この10年ほどの間、多くのトップさんを見送ってきたけど、とくに思い出しはしなかったというのに。
 つまりそれくらい、違和感に満ちているんだな、新生雪組。わたしにとって。

 ショーがはじまってホッとしたのは事実だ。
 芝居の、しかも日本物のコム姫を観ているのはけっこーつらかった。いつものきれいなコム姫を観て、胸をなで下ろした。
 しかしショーになってようやく、これが「今」の雪組なんだと認識。芝居ならトップ以外主役のバウがあるし、本公演でも持ち味や役の数によって多少変化がある場合もあるから、誰がどんな番手で出ていてもめずらしいことじゃない。
 しかしショーとなると。
 番手があからさま、ヅカのスターシステムが前面。

 コム姫、トップなんですか!!
 てなことに、今さらおどろいてみたり。

 しかも、かしげ2番手ですか!
 こんなにこんなに薄いのにっ?!(いや、髪のことじゃなくて)

 な、慣れない……。ここはどこ? わたしはいったい、なにを観ているの?

 きれいになったなあ、雪組。
 きれいで、きらきらしていて、……薄くなったなああ。
 ぱすてるぴんくとか、ぺぱーみんとぐりーんとか、らいといえろーとか、そーゆー感じ?
 ああ、きれーだわ……。きれーなだけな気もするが……。

 落ち着かないのは、3番手がいないことだと思った。
 もー、いまいましいスターシステムめ。システム上等!なら、はっきりさせろよ。いっぽくんなんだろ? 彼が3番手なんだよな? だったらなんで、ちゃんと彼を3番手として使わないんだよ。
 しいちゃんに気兼ねするなっ!!
 スターシステムによって作られた世界なのに、変に「人情」を絡めて変なキャスティングをする。それで作品を壊す。……本末転倒。人情が大切なら、そもそもスターシステムなんてやめちまえ。

 トップのコム姫が出て、次の場では2番手のかしげが出て、またコム姫、かしげ、それから合間に3番手のいっぽくんが若手を率いて出て……てなふーに構成するのがお約束。ヅカの伝統。スターシステム。
 それが今回、3番手がいない、決めてはいけない、つーんで、なんともはがゆい作り。
 コム姫とかしげ、大忙し。ふたりしかいないんだもん、中央に立っていい男役。しい、いっぽ、キムは「平等に」「学年順に」扱わなくてはいけないから、扱いはデリケート。割れ物注意の赤いシールがベタベタ貼ってある。ああ、うざい。

 取り立てて新しさのない「どこかで観たよーな」ショーであるだけに、この落ち着きの悪さが気になった。
 衣装がどう、音楽がどう、以前の問題。作者がどう、さえ以前だ。劇団の考え方、ってやつだな……作者も苦労が絶えないだろーよ、こんなのって。

 あと、個人的にわたし、コム姫とかしげの並びは好きじゃないのさ。3番手不在のうえ、トップと2番手の並びが好きじゃない、とゆーのは、きついなあ。
 かしげ……なんであんたはそんなに健康的なの。せっかくせっかく、コム姫と絡んで踊っても、心は冷めるばかり……しくしく。
 コムもかしげも、もっとくどい男らしい男の隣に配してください。たのんます。

 とにかくきれーで、「とにかく歌います」の音神6人組と、「とにかく踊ります」のコム姫以下組子のみなさんが、とにかくがんばっているショー。

 とりあえず、わたしは好き。出演者のひとりずつが好きで、きれーなものが好きだから。
 出演者のファンなら、もっと好きになれるだろーし、そうでなければたのしくないレベルの作品だろうさ。
 わたしのネックは、ひとりずつが好きでも、並びが好きじゃない、ということなんだよなー。うーん、微妙だ。

「コムちゃん、歌うまくなったねえ」
 と、WHITEちゃんが言っていた。
 え? そ、そうなの? ……そうかもしれない。でも、わたし。

「ごめん、わたしのアタマの中はハマコ仕様にシフトチェンジされたみたいで。コム姫が歌うたびに、つらくてつらくてしょーがなかった」
 かしげはいい。りらちゃんもいい。しいちゃんだって、まだいいさ。ただ、コム姫の歌は……つ、つらい。

 どうも今回の公演ではわたし、ずっぽりハマコファンらしい。や、もともと好きだけど、今回は特に。ショーでもハマコばかり見ていたよ。
 だもんで、耳もうるさくなってたみたいね。『聖なる星の奇蹟』だっけ? 宙組の。あれで水くんの歌が平気だったこの耳が、なんでコム姫の歌がだめだなんてワガママ言うの。それはやはり、ハマコ仕様になっているせいとしか……。

「とりあえず、もっぺん観てもいいなあ」
「もっぺん観たいねえ」
 と、わたしとWHITEちゃんは所詮出演者のファンなのだ。なにを言っても。

 つーことで、ショーはよかったです。わたしにとって。
 しいちゃんが短いとはいえ1場面もらってるんだ、好きに決まっているだろう(笑)。


 昨日からの続き。『春麗の淡き光に』の話。

 この物語のなにがいけない、って、いちばん壊れてる要因は、「主役の薄さ」だと思う。
 主役がなにをしたいのか、どんな人なのかが、見えてこない。
 あのさー、作者はそりゃ、主役がどんな人なのかわかってるよ。だって自分が作ってるんだもん。でもな、観客にはな、説明しなきゃわかんないのよ? 作者のアタマの中だけでわかってたって、意味ないよ。

 まず、「主役」に注目する。「主役」を活かすことだけを考えて、物語を組み直すんだ。

 主役は、今の腐った世の中を憂い、新しい時代を求める正義感の強い青年である。
 彼には、彼の志を理解する親友がいる。
 彼には、彼と相愛の恋人がいる。

 これだけの情報を、まず観客に示すのだ。

 勧学院つーんですか? のシーンからはじめるんだ。主役と親友が共に「夢」を「理想」を語るシーンは必須。彼らがどれだけラヴラヴか……失礼、信頼し合っているかを、印象づけるのだ。
 現在の世の中に危機感を持つ主役、いずれ武士の世にしてみせると語る、武門の家に生まれた親友。キャラを立てろ。線の細いインテリ貴族の主役と、細身だが武人なんだぞの親友と。
 ちゃんと伏線を「エピソード」として表現してくれ。「説明台詞」で流すなんて最悪だ。
 そこに、親友の妹のヒロイン登場。ヅカの定番、一目惚れでいいから、ふたりにエピソードを。

 これだけのシーンを挿入するだけでいいんだよ。
 あとは、そのままでいいよ。
 悪役大臣の屋敷に盗賊「朱天童子」として押し入る主役、悪役大臣の手下となっている、親友。冒頭のシーンそのままでよし。ふたりの視線が一瞬絡むとか、ちらりと刀を交えるとか、わずかに付け加えるだけでいい。いいシーンになるじゃないか。
 朱天童子の正体が恋人ではないかと心配して取り乱すヒロインも、これで説得力ができるだろ?

 主役弟のエピソードは削除。意味なし。
 たんにあれって、トップスターの二役をたのしんでね♪的な、ただのお遊び、サービスでしょ? 昔はそんなもんがサービスだったのかもしれんが、現代ではお寒いだけ。いらん。

 そんなもんに時間を割くなら、主役と親友とヒロインの葛藤のシーンを入れろ。
 実際に会って「なぜこんなことを?!」「時代を変えるためだ」てなやりとりをしてくれ。
 こんなことをしても時代はかわらないかもしれない、でも、今の時代に一石を投じる行為なのだ、てな主義主張を明確に表現する。
 あくまでも「主役」が「なにをしたいのか」「どんな人なのか」を描きつづけるのだ。それがいちばん。それが最優先。
 コム姫なら、繊細に苦悩してくれれば、それだけで絵になるってもん。
 主役がなにをしたい/している、かをはっきりとわかったうえで、親友とヒロインもまた、自分の生き方を決めるわけだ。彼を否定するか、ついていくか。

 この三人の葛藤があったからこそ、野に下った主役は「自分ひとりでは新しい時代を作るのは無理かもしれない……」と思うよーになるわけだ。
 復讐に燃えるライバル強襲! のシーンとかもそのままでよし。
 悪役大臣の命で、親友が主役を討ちに来るのも、そのままでよし。
 つーか、主役と親友の絆をなんにも描かずにあのラストに持っていくから、壊れてんだよ。説明台詞で「親友だった」とか言われて、それたけで観客が納得すると思うなよ。……なんか、している人も多いみたいだけど、わたしはできん。

 立ち位置がはっきりしているから、主役はヒロインを捨てるし、ヒロインはそれでも主役について行こうとするし。そう、ヒロイン、家なんか飛び出せ。なにもせずに脇でぎゃーぎゃー言うだけじゃ意味がなさすぎる。
 覚悟を歌え。家も親兄弟も捨てて、逆賊の女として生きる、と。銀橋で一発歌って、主役を追って大江山へ行け。

 もちろん、物語は変わらない。植田のまんまのあのラストさ。
 主役は次代を親友に託し、親友は主役を殺したことにして逃がしてやり。
 なにも知らないヒロインは、命がけでやってきただけに悲劇性UPで観客の涙を誘え。

 わたしはあくまでも、『春麗の淡き光に』の改定案の話をしているわけだ。
 わたしはこの芝居を見て、うわ駄作、ぶっ壊れてる、と思った。
 んじゃ、こいつをどうすれば、「壊れている」部分を補修できるかな?
 とゆー観点で考えてみた。
 だから、本筋もシーンももとのまま。
 まったく別の話にしたら、意味ないもんね。できるだけ、もとの姿のまま、できあがっている部分は手を加えずに。
 ただ、「主役のキャラを立てる」という一点にのみ焦点を合わせ、冒頭にシーンをひとつ付け加え、二役である弟のくだりを削除、主役+親友+ヒロインの「キャラを立てる」シーンに差し替える。
 たったこれだけのことで、物語が正常になる。
 ……と、言っているわけだな。

 えらそーに語っていて「何様?!」だが、これはそーゆー日記なのだ(笑)。

 せっかくホモな話なのにさ。
 親友がラストまで出番ないし、親友たる由縁も台詞で解説されてるだけなんだもん。
 もったいないっつーの。

 ただでさえ、かっしー薄いんだよ?! いや、髪の毛の話じゃなく。

 途中まで、かっしー、いてもいなくても同じ、透明人間、見えてない人みたいなんだもんよ。
 ハマコが二番手じゃまずいだろ。がんばれかっしー、負けるなかっしー。
 ああ、わたしはいつもかっしーの応援ばかりしている気がする。だってかっしー、いつもいつも歯がゆいんだもん。

 腐女子的に解説するならばこの『春麗の淡き光に』というのは、「コム姫モテモテ!! コム姫争奪戦物語」と簡単に言ってしまえます。
 いちばんわかりやすく「コム姫ラ〜ヴ」と言っているのはライバル・ハマコですが、ひねくれ者の仲間・みやたんも負けてません。みやたんは、好きな子をいじめることで歓心を買おうとするタイプの男です。
 正統派のダーリンは親友かしげでしょう。「お前の手にかかって死にたい」とコム姫に言われ、めろめろりん。
 さあ、コム姫は誰の手に?!
 ……どーやら最終的には、お頭命のしいちゃん兄貴のものになったよーです。
 しいちゃんはオイシイ役で、コム姫の片腕です。しい×コムならば上官受の部下攻、みんなが大好き下克上、ってやつですが、いかんせんしいちゃんには色気がなさすぎ。なんであんたはそー、「いい人っ」「体育会系っ」を全開にしてるかな……ちっ。

 これが植田ではなく谷演出なら、もっとねちこくホモになっていたかもしれないと思うと、ちと悔やまれます(笑)。

 まあなんにせよ、駄作でした。
 眠い……。
 コム姫、日本物の化粧似合わねー。つーか真ん中が似合わな……げふんげふん。

 ハマコにおなかいっぱい。
 ……てゆー、芝居。それもいかがなものか……。

          ☆

 んでもって、ショーの感想を書くだけの、文字数あるかなあ?

 明日にでもまた、追記しませう。わたしは今、ずっぽりハマコファン……(笑)。
 ハマコの芝居は濃すぎて周りを見ていなくて、うざいんだが(笑)、それでもわたしはハマコ大好き。
 とゆー話をまたいずれ。

 とゆーことで、後日追記分。

 ショーを観ていちばん、どーしよーもなく、気になって仕方なかったことは。

 りらちゃんの胸の大きさ!!

 りらちゃん……衣装によって胸の大きさが「そこまで」チガウのは、まずいよ……。
 特に中詰めあたりの、紫のドレス。そのおっぱいの内容量は、ものすごいっすよ。いくらなんでも、そこまで詰めなくてもいいんじゃあ?
 女として、気持ちはわかるんだけどねえ。巨乳にしたいなら、全部の衣装に同じだけ細工をしなきゃだめだよー。谷間が見えそーなデザインになると、突然貧乳になるのは、いかがなものか。
 3列目にいたもんで、りらちゃんの胸の大きさの変化と、あばら骨にくらくらしてました。そっか、あばらか……。その昔見た、星奈のゆりちゃんのシックスブロックはすばらしかったなー……女でも腹筋って6つに割れるもんなんだ、と感心したもんだった。 

 りらちゃんとコム姫のカップルは、とてもかわいらしいです。お人形さんのよう。
 ただわたしは、コム姫にそーゆーものを求めていない人なので、目はスルーしていました。ごめんね、りらちゃん。
 コム姫はやっぱり、男たちと絡んでなんぼだなあ、と、スーツの男役を率いて現れたときに思いました。……まあ、それで単身絡む相手がかしげでは、これまた役者不足としか思えないんだがな……げふんげふん。

 と、ちんたら書こうとしていたら、文字数限界が。
 翌日につづく。


 なんだか、タカラヅカがとっても久しぶりな気がする。星組公演をほとんど観なかったせいだなあ。

 1月3日「小林一三生誕130年記念」に行ってきました。

 新生雪組。コム姫トップスター。んでかっしーが2番手。りらちゃんトップ娘役。芝居が植田の日本物。
 ……わたしの予備知識は、これだけです。

 つーことで、感想いってみよー。

 芝居『春麗の淡き光に』。
 わはは。正しく植田紳爾。正しく駄作でした。わはは。
 笑うしかない。

 時代は藤原北家が権力を握っていたころ。「朱天童子」とゆー「盗賊」が元気に跋扈していたそうな。どーやらひどい政治をしているらしい汝鳥伶サマ藤原大臣の屋敷に押し入り、かといってなにをするでもなく消えていったりな。
 この盗賊・朱天童子を、検非違使のリーダー、ハマコが追いかけるわけなんだが。

 わたしはまず、主人公らしい「朱天童子」つー男のことが、よくわからなかった。
 いきなり悪役大臣の屋敷に現れ、パフォーマンスして去っていった男。
 盗賊でしょ? 押し込み強盗、殺人とかやってんだよね? 悪の権力者の家を地道に回って、盗んで殺して、ってやってんのよね?
 ……それ、なんの意味があるの?
 お金にこまってやってるなら、わかるけど。どーやら彼は貴族のぼんぼんらしい。目的は金ではなく、悪の権力者にいやがらせをすることなのか?
 わざわざ悪の巨魁、汝鳥伶サマ大臣の屋敷にやってきたのに、したことはただの「いやがらせ」。嫌いな子の机にらくがきして逃げていく悪ガキのよう。
 もうすでにここで、「?」だった。なにがしたいんだろう、この人。なにを考えてるんだろう……。
 いや待て、彼の謎を追うのが、この物語のメインかもしれないぞ?

 検非違使リーダー・ハマコは罠を張って、朱天童子とその一味を襲う。そして、朱天童子の頬に傷を付けるのだ。その傷が証拠、次の貴族の集まりで頬に傷のある者が朱天童子だー!
 だけど朱天童子コムはぬかりなし。なんと彼には瓜二つの弟がいるのさ。弟に代わりにその貴族の集まりに出てもらえばそれでOK、問題なし。

 ここでまたわたしは、展開に取り残される。
 わたしには、朱天童子コムがなにをしたくて「盗賊になって貴族にいやがらせ」をしているのかがわかっていない。なにを考えているのか、どんな人なのか、さっぱりわからない。
 ひょっとしたら、歌でなにかしら心意気を語っていたのかもしれんが、ごめんコム姫、わたしあなたの歌、歌詞が聞き取れません。
 朱天童子コムのことが理解できていないのに、突然コム弟(コム姫二役)が登場。はぁ? いきなり主役交代?!
 いくら大臣がひどい政治をしているとしてもだ、盗賊やって「いやがらせ」してなんになるというんだ……そんな兄の所行を部下の、しい@お頭命、に聞かされ、影武者を引き受けるコム弟。
 待ってくれ、勝手に納得してないで、わたしにも教えてくれ。「なにがしたいのか」を。「盗賊」をやる意義を教えてくれええ。
 コム兄のキャラがわかってないのに、主役は突然コム弟へ。ああまた、わからない人が増えちゃったよお。

 せっかく影武者たててコムと朱天童子は別人ですよ、とやったわりに、どーやら意味なんかなかったらしい。
 頬の傷、という証拠はなかったが、「疑いをかけられた」ということでコム家はお取りつぶしだそーだ。ははは。無駄骨ですな、コム弟の影武者。
 つーか、なんのために出てきたんだ、弟。いなくていいだろう。しかも弟、一旦は影武者を引き受けたのに、あっさりと「兄のしたこと(だから盗賊家業ですな)は許されることではありません」と豹変。だからお前はなにをしに出てきたんだと小一時間、以下略。
 この影武者騒動でなにか変化があったのかというと、ハマコ検非違使リーダーが、職を失ったことだけだ。頬の傷という証拠が意味をなさなかった、つーことの責任を取らされて、クビにされたハマコ、復讐の鬼となる(笑)。

 ここまでの「あらすじ」には、おかしいですね、二番手のはずのかしげちゃんの名前が出てきていません。舞台にはちらりちらりと出てきてはおりますが、大筋に関係ない人なので、「あらすじ」には書きようがないのです。
 かわりに登場しているハマコ。
 ああ、ハマコ。嗚呼、ハマコ。

 あんた、二番手だったんですか。

 突然、「復讐の鬼の歌」を歌いながら、ひとりで銀橋渡っちゃいます。

 これにはびっくり。
 目が点。

 どーゆー話なんだろー、これは。

 主役らしいコム姫の人格はさっぱり見えませんが、とりあえずライバル(笑)らしいハマコの人格だけははっきりわかります。ああ、濃いわ、ハマコ。
 主役らしいコム姫の歌はなに言ってんだか、なにを考えてるんだかさっぱりわかりませんが、ライバル・ハマコの歌の、ものすごいこと。
 劇場中に朗々と響き渡り、この瞬間「ひょっとして君が主役?」と思わせてくれます。
 いや、それはまずいけどな。ちとやりすぎだけどな、ハマコ。(それはいつもか)

 復讐の鬼ハマコは、お家取り潰しで野に下った朱天童子コムを見つけ、斬り捨てようとするのだが……コム姫に口説き落とされ、あっけなく刀を収める。あらま。
 コム姫はなにかしら、黄昏れていらっしゃいます。どーやら彼には、大望があったよーだ。新しい時代とか、みんなが平等にしあわせな世界とか、なんか、そんなことを考える、夢多き青年だったよーだ。
 でも、現実はそんなに甘くない。おれひとりでは時代は変えられない……そんなことをつぶやいて、遠い目をしている。

 濃すぎるハマコを見て、わたしが考えたことは、「植田芝居にハマコは合うなあ」ということと、「ハマコでよかった」ということ。
 植田芝居ははっきりいって、古い。見ていて苦しい。お笑いに近いくらい、大袈裟でまわりくどくてお約束に満ちている。ハマコの濃さは、それに合う。……つまり、ふつーの芝居では悪いけどハマコちゃん、浮いてるんだよねー、いつも。
 そして、なにを考えてんだかわかんねー、薄っぺらぺらな主人公朱天童子コム相手に、ハマコひとりがもー、空回りもここまで行けば大車輪、摩擦で炎が燃えてるぜ! な、くどすぎる演技が映って(移って、ではない)、なんとなく「朱天童子はこういう人」って、観客が理解できたよーな気になれるものなあ。
 ハマコがアツければアツいほど、コムの薄さを誤魔化すことに成功しているというか。

 ……なんにせよ、つかれるがな。

 んでもって、このあたりでよーやくわたしは、朱天童子コムがなにをしたかったのかを理解する。
 理解するが……それはもー、驚愕の事実ってやつだった。

 革命を起こしたかったのか、あんた。
 目点、アゴ落ち。
 
 今の世の中はよくない → みんなしあわせなすてきな世の中にしよう!

 てことでやってたことが、「嫌いな子の机にらくがきして逃げていく悪ガキ」と同レベルの「盗賊」?!
 悪役大臣の屋敷にやってきて、「いやがらせ」して逃げる……こ、これであんた、「新しい時代」を作ってるつもりだったの?!

 バカすぎる……。

 貴族による腐りきった社会、とは言いますが、コム姫あんたも確実にその、貴族社会の弊害に染まってます。世の中が見えてません。バカすぎます、おぼっちゃま。

 さて、物語も終盤にきてよーやく、忘れられていた二番手、かっしー登場。ハマコがクビになったんで、代わりにかっしーが朱天童子コムの討伐を命ぜられるのだ。
 かっしーはコム姫とはお友だちらしい。植田お得意の説明台詞のなかに、そんな部分があった。
 ひとりでは世の中を変えられないと悟ったコム姫、「どーせならお前の手にかかって死にたい」と親友かっしーを逆指名。かっしーは源氏の統領、武門の男。貴族政治の次の時代を担う期待の星。かっしーがここで手柄を立てれば、彼の権力が増すから一石二鳥、コム姫の大望も叶えられる。
 かっしーはコム姫の心意気に打たれ、彼を討ち取ったことにして、こっそり逃がしてやることに成功。
 コム姫は僧としてひっそり時代を見守る覚悟のようだ。完。

 あれ、終わっちゃった。
 えーと、娘役は? いたでしょ、トップ娘役。たしかに役はあったし、出番もあったけど、大筋になんにも絡んでないから、「あらすじ」に書く必要なかったわ。
 りらちゃんはかっしーの妹。コム姫の恋人。
 大望に生きるコム姫はりらちゃんを捨て、かっしーはコム姫の命を助けたことを完全黙殺するので、りらちゃんにも真実を教えない。
 りらちゃん、いつもひとりで空回り役。恋人も兄も、彼女のことを軽んじている。だから本筋に関係なし。物語の脇の方で、ぎゃーぎゃーわめいている印象。
 ……ひでえ。こんなトップ娘役の扱い、アリか?

 『Practical Joke』を彷彿とさせるな。あれのヒロインも、物語の大筋には入れてもらえず、脇の方で勝手にぎゃーぎゃー言ってるだけだった。
 んでもって、『Practical Joke』も、ぶっこわれたひでー作品だった。(萌えがあったので、好きだけど・笑)

 植田作品が壊れているのなんか、あたりまえというか、大前提なのでもー、気にするよーなことでもないんだろーけど。
 せっかくホモだから(をい)、ちょっと検証してみようかなと思う。以下翌日。


お伊勢参り。

2003年1月2日 家族
「おかげ横町か……。あそこには苦い思い出があるからな……」

 弟は苦く笑ってそう言う。
 伊勢神宮の門前町、おかげ横町。江戸時代の町並みを再現した、愉快な場所だ。
 緑野家の初詣第2弾、お伊勢参りです。
 寒いのなんのって。天気は良くて気温も低くはない。ただし、風が強すぎて、体感温度は極寒。震え上がる。
 そして参拝客が多すぎて道路は渋滞、タクシー料金は通常の倍以上かかったよ。

「おかげ横町に入るなり、観光客にカメラ向けられたんだ。こっちも客なのに」

 弟は語る。学生時代の「苦い思い出」とやらを。

「弟よ。念のために聞くが、君はそのときどんな格好をしていたんだ?」
「江戸時代の『おかげ参り』の再現だから、はっぴを着て笠をかぶって柄杓を持ってた」
「……そら写真撮られるわ」

「でもぼくは、わらじ履きでもなかったし、歌い踊りもしてなかった!!」
「……してる奴もいたのか?」
「いた。ていうか、『おかげ参り』ってそういうもんだし」

 弟は某大学の史学科で、江戸文化を学んでいたはずだ。
 そして彼の所属するゼミでは毎年、おかげ参りを再現する授業がある。
 つまり、奈良県から三重県の伊勢神宮まで「徒歩」で旅をするのだ。当時の街道を通って。

 「徒歩」だ。

「ちなみに、どれくらいで着くの?」
「ん、4日ぐらい」

 4日。
 4日間、歩くわけだ。マジで。

「有名なゼミだぞ。マスコミの取材もよく来るしな。卒業生も参加してるし、毎年ものすごい人数で練り歩くんだ」
「……笠かぶってはっぴ着て?」
「当時の風俗を再現するわけだから。……でもぼくは、ふつーの服にはっぴとか着る程度だけど」
「ほとんどコスプレの集団が、4日かけて奈良から伊勢まで旅するのね?」
「仕方ないだろ。参加しないと単位もらえないんだから。……最初のうちは、恥ずかしいぞ。まだ街中だからな。しかし、伊勢まで来るころにはもー、周囲の視線にも慣れてるから、平気になってる」

 ……弟よ。

 江戸の町並みを再現したみやげもの街に、江戸の風俗を再現した大学生の集団が現れたわけだ。4日もコスプレしたまま往来を練り歩いていた集団のテンションは想像がつく。

「そりゃ、観光客にカメラ向けられるわ……」

「いいかげん視線には慣れてたけど、囲まれて写真撮られたら、びびるって」

 ……やれやれ。

 おかげ横町はたのしい場所なんだが、寒すぎるのと混みすぎているので、長居はできず。残念。

 前日ささやかな「ツキ」に恵まれ、ほくほくしあわせだったわたし。
 本日はなにかしら不運。ささやかな不運が続く。

 そのうえ。
 お財布に付けていた願掛け福猫が割れてしまいました。……がーん。
 さらに、ダヤンの招福ストラップも、欠けてしまいました。がーん。

 縁起物が次々と壊れるって、なにこれ。
 も、ものすごく不吉なのでわっ?!

「大大吉の効力は、やはり1日限りだったか……」
 と、弟。
 そ、そんなことないわよっ。あれは1年有効なはずよ。
 たぶん……きっと……願わくば……。

 
 いきなり「HAPPY BIRTHDAY」。

 タカラヅカ デスクトップ カレンダーですよ。
 去年の誕生日、東京にいたもんで、せっかくの「スターからの誕生日メッセージ&フォト」が見られなかったのよ。
 帰ってから見ようとしたら、もうダメ。「誕生日過ぎたから、見せてあげません」とメッセージが出た。
 なんじゃそりゃー。わしゃ客じゃぞ、見せんかいっ。誕生日のあとはいつでも何度でも、好きなときに見せるとか、融通を利かせてよ。
 ……でも、結局ダメ。
 2002年版は見ることができませんでした。

 だから、2003年版。
 同じ過ちは繰り返しません。
 迷わず1月1日、元旦を「MY誕生日」に設定。元旦は家にいるはずだから、次こそはメッセージを見ることができるわ。

 ……と、設定していたのを、きれーに忘れていたのよ。

 開くなり、「HAPPY BIRTHDAY」。
 ああ、びっくりした。

 トド様にお祝いしていただきました。
 音声付きなのか……。ほほお。フォトはパーソナルの表紙です。きゃあ、トド様男前。

 元旦にとっとと誕生日メッセージを見てしまったわたし。さあ、日にちを替えてもう一度、と思ったら。……あら。もう変更できないでやんの。
 はい、躊躇なくアンインストール。さくっとな。
 再びインストールし直しました。だってまだ、なにも書き込んでなかったもん。2002年版はもうずっと使っていたわけだから、そうはいかなかったけど。

 トド様の声で「お誕生日おめでとうございます」を言ってもらえたわたし、実は内心期待したの。
 デスクトップ カレンダーに収録されている人なら、OKよね? んじゃんじゃ、わたしのケロ様(突然、様付け)に言ってもらうのもアリ? よし、次はほんとに自分の誕生日に設定して、ケロ様にお祝いしてもらおう!! どきどきっ。

 …………スターカレンダーに載ってる人だけじゃん、メッセージが収録されてるの。
 しょぼん。
 ケロちゃんのメッセージは存在しないんだー。しくしくしく。

 悩んだ結果、たかこに設定。たかちゃん、わたしの誕生日に癒しヴォイスを聴かせてね。

          ☆

 のんきにBSの『タカラジェンヌ広州に踊る』を見ていたら、母が鼻息荒くやってきた。

「伏見稲荷に行くわよ!」

 はい? 伏見へ?
 伏見稲荷詣では我が家の年中行事。正月中に行くのはわかっていたけど、今日元旦ですよ? 元旦に行ったことなんか、ありましたっけ??

 なんでもテレビで伏見稲荷が映っていて、父がすっかりその気になったらしい。
 ……そんな理由で、今? 今から行くの? あの、超絶混んでると思いますけど?

 混んでました。
 ものすっげー、混んでました。
 本殿にたどり着くまでに渋滞ができてたのなんか、はじめてだよ……。

 京都の伏見稲荷大社。
 全国にある「お稲荷さん」の総本宮であり、日本人なら一度は「見た」ことがあるだろう超有名神社。

 わたしがはじめてこの神社に行ったのは、いったいいくつのときだっただろう。たしかまだ、小学生だったよな。
 いっぺんで、魅せられた。
 惹きこまれた。
 おそろしいまでの、吸引力。

 わたしも日本人だから、それまでに「見た」ことがあった。テレビか、写真か。なにかで、「見た」ことがあった。

 見渡す限りの、朱い鳥居。

 無数の朱色の鳥居が連なり、トンネルのようになっている。
 それが、えんえんつづく。
 いつ果てるともしれない、異次元空間。

 無数の鳥居、無数の祠、無数の狐像。
 リボンのようにのびる石段、木々の深い山。そして、目を刺す朱色。

 一度行ったら、忘れられない。
 他のどんな神社ともチガウ。この、強烈なちから。

 ここに迷界がある。
 ひとの想いと祈りでできた、異次元がある。

 一度行ったらハマってしまい、以来毎年参拝に行くことにしている。
 初詣とか、宗教とか関係なくても、純粋におもしろい場所だ。アートを志す者ならば、一度はその目で見よ、その魂で触れよ。……そーゆー場所だわな。

 わたしはオタクだから感じ入ることがいろいろあるが、そうでなくても愉快なところだ。
 正月三が日に行っていいところじゃない。
 ……人の、多さ。
 混みすぎだよーっ。歩けないよーっ。ぜえぜえ。

 今日行く予定じゃなかったのに、突然行くことになったので、いつもより着いた時間が遅かった。
 わたしたちは毎年、本殿参拝だけではなく、稲荷山の上まで登ることにしている。今年もそうしたんだけど。
 中腹の四ツ辻まで行ったあたりで、日が暮れだした。

 日暮れですよ。
 夜ですよ。
 闇ですよ。

 稲荷山には、1万基だかの鳥居が立ってるんすよ。参道すべて、朱色の鳥居のトンネルですよ。
 昼間に登ったって、異次元空間ですよ。
 なのに、そのうえ「夜」ですよ。

 ……す、すげえ。

 黄色い明かりに照らされて、朱色の鳥居がてらてら光る。
 足元の闇。
 空の闇、隙間の闇、木々の闇。
 ここ、どこ?
 ほんとうにこの世? わたしの知ってる世界?
 鳥居の隙間から、ひとでないものが躍り出てきそう。和服姿の狐面の子どもたちが、不意に走り去る気配が見えそう。

 いやあ、もー、めちゃくちゃおもしろかった!!
 ファンタスティック!! 幻想世界だよ、あれは。

 こわがりの人には向かないけどな。
 あちこち、マジこわいから。
 昼間でもこわいのに、夜はものすげえよ。
 得しました。
 こんなに美しいものを見ることができるなんて。
 弟とふたり「シャレならんぞ、こわすぎー」と言いつつも、心からたのしみました。

 実際、わたしはとてもツイていた。
 ささやかなことばかりなんだけどな。でもその、ささやかな「あ、ツイてるわ」が重なると、なんかとってもしあわせな気持ちにならない?
 大大吉を引いただけのことはあるってこと?

 そのささやかな「ツキ」の一例。
 150円のペットボトルを、わたしひとり100円で買うことができた。(ネコババしたとかゆーことではない。正価で買ったの。なんて不思議)
 ……ささやかでしょ? でも、こーゆーことがどんどん重なっていく日だったのなー。

 ラッキー☆ と、よろこぶわたしに。
「150円のペットボトルを100円で買うことだけで、大大吉の運を使いきったか……」
 と、弟。
 縁起でもないことを言うなっ。こんなことで運を使い切ってたまるかっ。

 ささやかな「ツキ」が重なる不思議な一日。
「たった一日で、大大吉の運を使いきったか……」
 と、弟。
 縁起でもないことを言うなっ。こんなことで運を使い切ってたまるかっ。

 ……そして帰ってきてパソコン立ち上げたら、トド様に「お誕生日おめでとうございます」だしな。
 なんて一日だ(笑)。

 

大大吉。

2002年12月31日 家族
 思ふ事 思ふがままに なしとげて 思ふ事なき 家の内哉

 ……いきなり、「大大吉」引きました。

 はい、12月31日です。
 なのにおみくじの話。

 つーのも、31日のうちから初詣に出かけるからです。
 除夜の鐘を聞きながら、のんきに歩いているうちに日付がかわり、はっぴーにゅーいやー。
 今現在は1月1日の午前2時です。
 でも、気分的には31日のまま。やっぱこれから一旦寝て、起きてからが元旦本番っちゅーかね。

 初詣は弟とふたりでした。

 我が家の年中行事。
 近所の神社へ初詣。
 氏神様っていうのかな。わたしも弟も、そこの神社で一通りの成長記録神事を受けてきました。だから、どんな有名な神社より、そこが特別。

 弟とふたり、思い出話をしながら夜道を歩く。

 昔は、家族6人で通った道を、ふたりだけで歩く。
 祖父と祖母が、いつも大張り切りで歩いていた。面倒くさがり屋の父は脱落することが多かったので、父抜きの家族5人のことも多かった。母が家に残ることもあった。
 でもとりあえず、祖父母とわたしと弟は参加していた。
 祖母が亡くなり、祖父が亡くなり。
 父が膝を悪くして出て来なくなり、夜間行動を嫌悪する母が来なくなり。
 近年は、弟とふたりきり。

 我が家の年中行事。
 31日の夜に近所の神社に行く。神社を通り抜けて隣の寺に行き、除夜の鐘を撞く。そのあとで神社へ戻り、初詣。そしておみくじを引く。
 日を改めて、京都の伏見稲荷へ行く。伏見稲荷は商売の神様。自営業である我が家にははずせないところ。
 そして10日は今宮戎へ。えべっさんもまた、商売の神様。縁起物を買って帰る。

 これはお正月のお約束。

 今は亡き人の思い出を語りながら、今年もまたお約束をたどる。

 神社もお寺も混んでいて、弟はうんざり顔。

「え、除夜の鐘撞かないの?」
「撞きたいの?」

 弟は列を見ただけで鐘を撞く気が失せたらしい。なんでよ、昔は並んで撞いてたじゃない。

「ぼくは、神社の列を見ただけで相当嫌気さしてんだけど。なんか、毎年増えてないか?」
「あの程度の列でそんなこと言ってたら、一生コミケには行けないよ?」
「んなとこ、一生行かない」

 オタクの弟が欲しかった、気もする姉であった。
 結局鐘を撞くのはあきらめた。根性なしの弟のために。
 ふたりで神社にだけ並び、参拝した。

 おみくじは大大吉。
 びっくりだ。
 今年で年女3回目になるこのわたし、今まで毎年この神社でおみくじ引いてたってのに、そんなもんがあるのを知らなかったよ。「大吉」が最高峰だと思ってた。

「思ふ事 思ふがままに なしとげて 思ふ事なき 家の内哉……って、すげえ。願望、待人、失物……なにもかもオールグリーンだぞ?」
「世界征服でもできそうだな」
 わたしのおみくじをのぞきこんで、弟も言う。
 彼は小吉。大袈裟ではないが、いいことばかりが書いてある。
 ふたりそろってなかなかな出だしか?

「縁談……他人の言う儘に委せてよし(笑)」
 弟、わたしのおみくじの、よりによってそこのくだりを読んで笑う。
 待て。
 なんでわざわざそこを音読して、笑うのだ。「他人の言うまま」というあたりに含みを持たせているのは何故だ。
 この姉が、自力では男をつかまえられないと、そう言いたいのか? そうか? ……そうだけどさ。

 コミケ疲れで腰は痛いし、今日(だから31日)になって担当からプロットについての連絡が入ったし(予定より遅れている)、しかもなんか、会社都合の不安てんこ盛りだし(わたしの手の届かないところにトラブルの予感……うう。不安だ)、順風満帆な年の暮れではなかったけれど。
 どうかどうか、2003年はよい年でありますように。

 ……しかも、現在仕事している担当氏に年賀状出し忘れていたことに「今」気づいたしな……この日記書いてるおかげで。
 他社の担当諸氏には全員出したのに、今現在の仕事の担当を忘れるとわっ。今朝電話で話したのに。
 しかも彼は、明日元旦から出社するとかなんとか、言ってたのに(それも、わたしとの仕事の関係で、元旦出社……気の毒に。あ、わたしのせいじゃないぞ。会社都合な)。うわーん、間に合わない〜。他の人なら、初出社時に間に合うように出しておけばすんだのに。
 マヌケなタイミングで届くなんだろーなー。ちぇっ。

 とゆーことで、さらば激動の2002年。

 
「やっぱり体力作りからかなあ……」

 早朝の大阪。
 空には月が輝き、星が瞬く。

 わたしとWHITEちゃんは並んで歩いていた。
 会話は途切れがち。

「……どーしても無言になるね」
「重いからねええ」

 ぽつりぽつりと話す。

「なんでこんなにつらいんだろう」
「こんなに痛いんだろ」

 不思議だね。

「もうだめなのかな」
「そうかもしれない」

「昔はこんなことなかったよね」
「あのころはたしか、送ってたよね」
「べつに、惜しんでいるわけじゃないよ」
「あのころは、他にももっとやることがあったから」

 よーするに、冬祭りからの帰り道だ。
 駅から、それぞれの家まで、荷物を持って歩く。
 行きは空だった巨大な鞄。帰りは本でいっぱい。
 重い。
 も、ハンパでなく、重い。
 あまりに重いので、ふたりは無口になる。
 昔は、買った本は旅行荷物ごと宅急便だった。で、身軽に帰宅していた。
 なのに今は、自力で担いで帰っている。
 べつに宅急便代を惜しんでいるわけじゃなくて。
 昔は、わたしたちは「コミケだけのために東京へ行く」のが嫌だったんだな。コミケだけが目的なんて、さみしすぎる。つーことで、ネズミーランドへ行ったり、日光まで行ってみたり、横浜で食い倒れしてみたりと、いろいろイベントを企画していた。
 とーぜん日程も長いから、旅行荷物もそれなりにある。それなら、コミケで買った本ごと宅急便つーのも、とーぜんのことだわな。
 そう、あのころは人数も多かったのさ。仲間たちと5人6人で、わいわいやっていたのさ。
 ところがみんな、年々オタクを卒業してゆき。
 残ったのは、わたしとWHITEちゃんだけになった。
 ふたりぽっちで、ネズミーランドも日光も横浜も、行きたくないよ。大勢だからたのしかったんじゃん。こーいっちゃなんだが、わたしとWHITEちゃんはいつもふたりひと組で行動してるから、今さらふたりでどっか行っても新鮮味に欠けるんだってば。
 わたしとWHITEちゃんでは、すでに気取るのがばからしくなっているので、とってもシンプルに、ショボイ旅をしている。
 コミケだけでいーじゃん。他にどっか行くの、めんどくせー。1泊だけでいいじゃん、長旅はめんどくせー。
 目的地が某有明だけだから、荷物は極小。鞄だけは巨大。ああなんて、オタクの旅。
 そうやってここ何回かは、必要最小限の日程と荷物でコミケに行った。買った本は自力で担いで帰った。
 昔とはチガウ。ちがってしまう。仲間たちとわいわい大勢で遊んでいたあのころとの差異を確認するかのように、コミケ以外には行かないし、荷物だって宅急便は使わない。なんか意地になってるかも。

 時は流れ、人は変わるのだ。

 うん、少なくとも夏はもっと、元気だったよな、わたしら。
 なのになんで、今回は、こんなにつらいの?
 ふたりとも、へとへと。
 足が痛くて痛くて、泣き言を並べ立てる。

 もうだめなのか、わたしら?
 限界がきている?

「やっぱ次は、コロコロを買ってるかなぁ」
「ついにコロコロデビウか……」

 今流行りの、ローラー付きの旅行鞄。アレをわたしらは「コロコロ」と呼んでいる。ビックサイトでもやたら見かけたよ。
 でもあれってさ、持ってるひとは楽かもしんないけど、周りは超迷惑。ふつーの場所で使うならいいけど、あんな密集地帯に「個人のお買い物」のために持ち込むのは、気配りのなさの象徴。(サークルが搬入搬出のために使うのは別問題ね)
 だから、もしわたしたちがコロコロを買ったとしても、会場には持ち込まない。ふつーに駅やホテルの移動時のみ使用するつもりさ。……つもりだけど。
 ああそれにしたって、その「ふつーに駅やホテルの移動時のみ」でも、コロコロを使わないといかんくらいにわたしら、体力が落ちてるのか??

「まずは走り込みかな……」
「夏に向けて体力作りだな……」

 遠い目で語る、早朝のオタク女ふたり。
 つーかお前ら、買う本の量を減らすとか、そもそもコミケを卒業するという選択肢はカケラもないわけだなっ。

「んじゃねー、よいお年を〜……」
「またねー、よいお年を〜……」

 毎年、早朝によたりながら別れる。
 空には月、星。
 夜明けまでは、まだ少し。

 ああそして。
 わたし今、とてつもなく腰が痛いです。
 荷物が重すぎるんです。
 この腰痛をかかえたまま、年越しをするんでしょうか。……するんでしょーね。

 
 君は『谷口六三商店』を知っているか?!

 芸術座で上演される芝居のチラシが欲しいというWHITEちゃんにつきあって出かけた日比谷。そこで入ったカレーショップ。
 メニューにある「タンドリーチキン」という文字を見ながら、わたしが言ったんだ。
「『谷口六三商店』てさあ、すごいドラマだったよねえ」
 WHITEちゃんもドラマフリークだ。当然、この唐突な話題についてきてくれると信じていた。
「鷲尾いさ子がインド人でさあ、加勢大周に嫁入りして……」
「加勢大周? 出てたっけ?」
「はあ? 主人公でしょ、加勢大周。なんでおぼえてないの? んで、加勢大周の妹が女子高生で……えーと、わたしらと同世代の女優なのに、何故か女子高生役をやっていて。あー、なんだっけ、あの女優の名前」
「えーと、お父さん役って誰だっけ?」
「泉谷しげる。いやたしかに、主人公はタイトルロールの谷口六三、泉谷しげるだけどさ、息子の加勢大周がインド人の嫁をもらう、っちゅーことではじまるどたばただから、加勢大周をおぼえてないなんてのは……WHITEちゃん君、じつは見てなかったんじゃないの、あのドラマ」
「見てたよ。見てたけどあたし、加勢大周キライだから。目がスルーしてたのよ。で、記憶にも残ってない」
「そんなんアリかなー? でも妹はおぼえてるでしょ? なんつったっけ、あの女優」
「…………」
「やっぱり見てなかったんじゃ?」
「見てたよ!」
「じゃ、妹役は誰?」
「…………」
「あー、名前、ここまで出かかってるんだけどなー。あとで名前が漢字からカタカナになったよね?」
「……ますますわからん」
「やっぱり見てなかったのね」
「見てたってば」
「ほらあれ、ビー玉のお京よ、ビー玉のお京」
「び、ビー玉のお京?」
「『スケバン刑事』の。んでもって、『花のあすか組』にも出てた」
「『花のあすか組』ぃぃい?! なんか、話がどんどんなつかしくなるんですけど?」
「『花のあすか組』はよかったなあ。ミコ攻のあすか受でよろしく。はるみはいらん。……じゃなくて、ビー玉のお京だってば」
「南野陽子と斉藤由貴しか出てこない……」
「南野陽子の仲間だってば。『谷口六三商店』のときはもう、20代半ばか後半にはなっていただろーに、セーラー服着て女子高生役やってたの。んで、彼女の友人たちはちゃんと現役の女子高生くらいの年齢の子を使ってたから、キツイのなんのって……なんだってビー玉のお京を今さら女子高生役にしなきゃなんなかったのかって、不思議でしょうがなかった」
「???」
「なんでおぼえてないのー? 庭の象ぐらいはおぼえてるよね?」
「庭のゾウ?」
「だから庭に、本物の象がいたんだってば。谷口家の庭に」
「いたっけ……?」
「ストーリーおぼえてなくても、象だけはおぼえてるでしょ、ふつー。とんでもない絵づらだったもん、あれは」

 だから『谷口六三商店』ってのは、舞台が下町のせんべえ屋で、主人の谷口六三が泉谷しげるでべらんめえな江戸っ子で、そこにインド人の鷲尾いさ子が嫁入りしてくるんだけど、もちろんべらんめえ親父はそんなもん認めない。
 泉谷に認めてもらいたくて、鷲尾いさ子がせんべえを焼く窯でタンドリーチキンを焼くのさ。それで泉谷が激怒。神聖なせんべいを焼く窯で鶏を焼くとはなにごとだ! 怒髪天! 臭いがついてもうせんべーが焼けねえ、どーしてくれんだこん畜生、だからインド人なんかイヤなんだ!! この結婚は反対だ!!
 まあまあおとうさん、インド娘(役名忘れた)だってわざとやったんじゃないんですし。うるせー、おめーはすっこんでろ! ひどいよとうさん、そんな言い方はないじゃないか! いいえ、ワタシがみんなワルイです……泣。
 な展開になってだな。

「責任を感じた鷲尾いさ子@インド娘が徹夜で窯を洗い、そのけなげな姿にさすがの頑固親父も胸を打たれ、しかし前言撤回は男の面子がゆるさねえ、なんてことになるわけだよ」
「…………」
「って、メニューの『タンドリーチキン』を見て、ちらっと思い出したから言っただけなのに。どーしてこんな長い前振りしなきゃなんないのーっ?!」

 みんな、『谷口六三商店』見てなかったの?!

「タンドリーチキンと鷲尾いさ子はもーいいけど、ビー玉のお京って誰だっけ? ここまで出かかってるのにーっ。気持ち悪いよーっっ」

 てな、冬祭り2日目。
 わたしたちは一般参加。

 タカラヅカ本はまたしても不発。ストーリーのあるものが読みたいだけなのに。
 他のジャンルでは当たり前のことが、ヅカジャンルでは皆無ってのが、かなしい。
 まあ、考え方の違いってやつで、わたしは少数派のヅカ同人女なんでしょう。ここまで二次創作が皆無だとそう思うしかない。

 ので、二次創作好きのわたしは、他ジャンルの本を買いあさる。ストーリーが読みたいのだ。「創作」が読みたいのだ。

 待ち合わせは「いつもの店にとりあえず2時」と言われ、わたしは内心鼻白んだ。
 とりあえず、2時?
 WHITEちゃんアンタ、どこまで買う気?
 以前わたしとWHITEちゃんは、ビックサイトの入り口で待ち合わせをしていた。
 だが、いつもWHITEちゃんは待ち合わせ時間に現れない。買い物にハマってしまって、出てこないのだ。しかも彼女は当時、携帯電話を持っていなかった。向こうは気が向いたときにわたしに連絡できるけど、わたしからはできない状態。
 わたしは立ちん坊。疲れた身体で待ち続ける。最後のプライドが邪魔して、ビックサイトの床に坐り込む人々とだけは一線をおきたい。
 あまりにも待ち合わせをすっぽかすので、わたしがキレて叱りとばして以来、彼女は携帯電話を持つようになったし、待ち合わせの方法も変えた。
 ビックサイトではなく、電話の通じる外の店で待つ。もし電話が通じない場合は、たとえ買い物の途中でも一旦会場を出て待ち合わせの店へ行く。先に店に着いた者は、たとえ店が混んでいて坐れなくても、並んででも席を確保し、そこで相棒を待つ。立ったままだと体力と気力を消耗するから、絶対に席についてエネルギー補給につとめる。
 ごはんやお茶をしながら坐っているならば、相棒の買い物が終わらなくても、待ってあげることができる。あのビックサイトで坐り込んでいるオタクたちのなか、ひとり立ったまま待ち続けるのは精神的にも肉体的にも苦痛でしかないからな。
 待ち合わせ方法を変えてからは、ケンカをしなくなった。
 つーのもだ、一方的に待たされるのがわたしだからなのな。
 わたしはパロディ女なので、オリジナルメインの2日目はあまり用事がない。一方WHITEちゃんはオリジナルメインのヒトなんだ。
「待ち合わせは1時ね」
 と決めても「ごめん、やっぱり2時にして」と、WHITEちゃんから連絡が入るのが常。
 もう1泊するなら、先にホテルに帰るけど、オリジナルの日ってホテルをチェックアウトした日なんだもん。居場所がない。
 そして今回。
 いつもなら「とりあえず12時」とか「とりあえず1時」とか、「とりあえず=初回の待ち合わせ時間。変更可」は、12時か1時だったのよ?
 なのに「とりあえず」がすでに「2時」なの?
 つーとWHITEちゃん、アンタどれくらい買う気でいるの??

 12時半には完全にお買い物を終えたわたしは、あてもなく会場をふらつく。
 だっておめあての作家さんは新刊ナシだったし、同人ゲームのあたりは人混みがすごくて近寄れないし、友だちとはもう会っちゃったし、『ときメモGS』は主人公本ばっかだし(オレにホモを読ませろ、オレはオタク女だホモが読みたいんだー!!)、時間余りまくりだよ、WHITEちゃん。君の言う「とりあえず2時」までどーすりゃいいの?

 努力したけど、1時半には戦線離脱。待ち合わせの店に行きました。
 すると。
 WHITEちゃんがいた。すでに。

「あたし……体力落ちたみたい……限界」
 WHITEちゃんはしょぼん。こんなはずじゃなかったのに。行きたいところはいっぱいあったのに。どうして? 体力ってこんなに急激に衰えるものなの? と。

 WHITEちゃん、それはね。
 君は今までオリジナル畑のヒトだった。1日目はオレンジのとこの売り子オンリー、どこにも出かけなかったでしょ。それが今ではジャンプジャンルのヒト。わたしよりも張り切って買い物してくる。
 1日目であれだけ歩いてあれだけ買って、2日目も同じように動けるわけないじゃん。
 今まで10ある体力を1日目に2、2日目に8使っていたヒトが、1日目に8使って、さらに2日目にも8使おうと思う方がマチガイなのよ。べつに、急に体力が衰えたわけじゃないよ。

 しょぼくれるWHITEちゃんと、ふつーにウインドウ・ショッピングしてから、日比谷へ。なにかっちゃー、お店に入って休みながら。
 帰りのバスまで時間があるので、東京タワーで夜景を楽しんだりな。……いや、ホテルの目の前が東京タワーだったもんで。えらい人だったよ、東京タワー。高層展望塔に上がるには待ち時間まであった。

 東京タワーからの帰りの電車の中で。
 わたしはふとひらめいたのだ。

「そうだ、相楽ハル子だ!! 『谷口六三商店』の妹役!!」
 …………思い出せて、よかった。


 年齢の半分ほどの間、おつきあいしてきて。
 はじめて、盟友オレンジの手を握りました。

 寒かったんだわ、冬コミ。
 西館の極寒ぶりはあれ、犯罪だよ。
 しかもオレンジのサークルは全開の巨大シャッターからの冷風が直撃する位置にあってさ。参加者を凍死させるのが目的かとマジ思いましたもん。

 とはいえ、わたしとWHITEちゃんは出たきり同人モノ。開始の放送と共に、お財布持って東館へGO!
 わたしが戻ってきたのはお昼をとっくに過ぎてからです。
 あれほどわたしたちを苦しめた巨大なシャッターが降りた後でした。
 たしかに東館に比べて寒いけれど、耐えられないほどではなくなっていた。
「今さっき閉まったんスよ」
 と、オレンジを「師匠」と呼ぶ、ワタンくんが売り子をしながら言う。わたしとWHITEちゃんが出たきり同人で売り子として役に立たないので、ワタンくんが助っ人にきてくれた模様。すまんな、ワタン。君ひとり年下だからっておねーちゃんたち、好きに使ってて。
 オレンジはと言えば、すっかり凍り付いていた。
 震える手で使い捨てカイロを握っているが、その手があまりにおぼつかないので、落としそうなカイロを支える意味で手を出してみたら。
「……このカイロ、ちっとも暖かくないけど?」
 かちかちに固まった、つめたいカイロ。こんなもんを握って暖が取れるのか?
「え? あたし、暖かいと思ってるから持ってるんだけど……?」
 と、オレンジは泣かせることを言う。
「暖かくないよ、ちっとも」
「カイロより、緑野の手の方がぬくい……」
「そーか、それならぬくもれ」

 てことで、手を握る。
 片方だけじゃなんだから、両手を握り合う。

 …………。
 異様な姿。
 いいトシしたオンナがふたり、両手を握り合う図。

 いや、オレンジは見てくれがかわいいからいいよ。今日も三角形のニットキャップがかわいいさ。顔立ちも整ってるしな。
 しかしわたしはな……かわいいとは言えない外見だしな……。

 わたしとオレンジが手を握り合ってるため、売り子としては使用不可能。
 ワタンくんひとりがせっせと働くはめに。すまん、ワタンよ。2sp取ってて、売り子がひとり……。
 そしてWHITEちゃんはマジ帰って来ねえ。東館のワンピスペースで会ったっきりだ。ジャンプジャンルにハマっている女の買い物が、そう簡単に終わるわけがないんだ……。
 実際、彼女が帰ってきたのはずっとあと、しかもへとへとに疲れていて、あまり使い物にならず(笑)。

 こーして冬祭りの1日目は終了する。
 あんまし売り子してませぬ。ごめんよ、オレンジ。まあそのへん、彼女もあきらめてくれているので、わたしとWHITEちゃんは搬出係、ダンボールを担ぐ役みたいなもんなんだけど。
 ……久しぶりにダンボール担いだ。ゲームショップに勤めているときは、毎日担いでたんだけどなー。
 体力の衰えを実感。

 買い物もだけど、友人のサークル回りもたのしみのひとつ。会えてうれしい、同好の士たち。つーか、祭りかパーティでしか会えないってのもなんなんだけどなぁ。みんな、わたしとちがって忙しいもんな。

 ところでWHITEちゃんが重大発言。
「最近あたし、サンルでもよくなってきた……」

 ええっ? アンタ、ルフィは絶対攻だって言ってたじゃん。ル受はショタ入るからイヤだって。

「もちろん、ショタはイヤよ、許せないわ。でも、ショタでさえなければル受でもいいか、って……」

 どーやらなにかしらあったらしい。
 なにがあったのかは不明。彼女は秘密主義なので、自分の買っている同人誌を一切ヒトには見せない、教えない。
 そしてわたしは、ワンピは原作ファンで同人誌はテリトリー外。彼女になにが起こったのか、不明のまま夜は更ける。

 
 さて。
 いい加減、1日ずれで書き続けるのもめんどーだから、ここで2日分一気に書くか。

 まず、26日。
 年賀状作りに明け暮れる。

 本名Ver.とペンネームVer.を2つの計3種類。名前が複数あると面倒だ……ペンネームはこれからも増える予定。いや、わたしの都合じゃなく、会社都合だ。木っ端作家なんてそんなもん。

 ヅカの人事異動についての人様の反応が知りたくて、ネットの海を漂う。
 もちろん、受け取り方は千差万別。悲喜こもごも。

 ただ。
 ひとつだけ、どーしても気になることが。

 どうしてみんな、とうこの身長だけを気にするの?
 今回の異動で、とうこの小ささが悪目立ちすることを懸念する書き込みが、けっこー目につくんだが。

 どーしてうちのダーリンの身長は、誰もつっこまないの?

 ケロだって、とうこと同じ身長だってばーーっっ。

 ワタル、ケロ、しぃが組替えでやってくる。→ 小さなとうこは退団or組替えね。
 って方式は、穴があるってば。
 ケロだって小さいんだよう。

 そりゃ、雪組時代、ケロの公式身長は169cmだったさ。しかしそれが、月に行っていつの間にか167cmになってたのさ。
 167なら、とうこと同じだってば。
 なんでみんな、ケロのこと無視してるのーっ?!
 そりゃ路線じゃないけどさー。並べて語るなら、ケロの身長ぐらいチェックしてくれよー。

 わたし、身長チェックはうるさいよ。
 ダーリンがわたしより大きいか小さいかは、大問題だからな。
 ケロがわたしより小さいと知ったときのショックときたらよ……(泣)。

 
 つーことで、明日の夜、バスに乗る前に27日の日記を書けるかな?

 バスに乗る前には、まったく時間なんかなかったわ、ということで、コレを書いているのは30日。

 27日はまたCANちゃんとこでバイトしていました。
 絶対終わらないと思った作業が、終わったもんよ……わたしってすごい?
 最初のうちは泣きを入れてたんだけどね。
「CANちゃんコレ、終わらなかったら、どーする……?」
 と。
 CANちゃんも引きつり笑い。
「もし終わらなかったら、どこかに隠しておくしかないか……」
 3日も作業して終わらないなんて、そんなバカな?! わたしの手が遅いのか? たしかに遅かったよ。めちゃ丁寧にやってたんだもん、A型の血が騒いでな。手抜きができず、バカ丁寧にやってたのさ。それで時間がかかった。
 いくら丁寧でも、与えられた時間以内に終わらなかったら、意味ないだろ?! 終わらせろ、もっともっとがんばれわたし!!
 ……ってことで、なんとか終わらせた。ぜえぜえ。

 んで、一旦帰宅して、食事して入浴して。荷造りして、旅行へ出発。
 だが。
 年賀状が終わりません!!
 友人たちには元旦に届かなくてもどーってことはないが、ペンネームで出す分は元旦に届かないとマヌケすぎる。うきゃ〜〜っ、とじたばた、なんともあわただしい出発。

 待ち合わせに現れたWHITEちゃんは、どうにも自信なさげな風情。

「鞄、空っぽなんだけど、いいのかなあ」

 安心しろ、わたしだって空っぽだ。いつものお出かけで持っているバッグひとつで十分な量しか持ち物はない。しかし、下げているのは巨大な旅行鞄。

 すべては、帰りのためだ。

「そーよね、鞄は空よね、帰りのためだけに巨大な空鞄が必要よね?」

 WHITEちゃんはこの旅行……というか、買い物のための1泊2日の移動(買い物だけが目的だから、旅行というのもチガウ気がする)で、いろいろ発見をしたようだ。
 たった2日間だってのに、
「こんなのあたしだけかと思って、今まで誰にも言えなかった。なーんだ、緑野もそうなんだ」
 と、何度言っていたことだろう。
 WHITEちゃんアンタ、どーでもいいことで悩みすぎ。わたしはそんなの、気にしたこともなかったぜ? なことで、ひとりで悶々としていることが多々あるよーだ。
 主に身体のコトとかな。んー? 人間なら誰でもそうなんじゃないの? と、わたしならまったく気にしてなかったよ。わたしが自分中心すぎるのか? わたしがそうなんだから、みんな多かれ少なかれそうだろ? と疑問には思わなかった。
 いちいちおそるおそる聞いては、「なーんだ、緑野もそうなんだ」と胸をなで下ろす、心配性のWHITEちゃん。……かわいいけどな(笑)。

 27日の深夜からはじまる、この移動。
 向かうは東京、某埋め立て地での冬祭り!!

 
 とにかく最近イベント目白押しで、日にちは1日ずれたまんま。

 んで今日は24日、クリスマスイヴ。

 わたしはCANちゃんの会社でアルバイト。
「今ごろ殿さんはムラだねえ」
「心の君がクリスマスイヴに退団、涙に暮れるわけかー……」
「つーか殿さん、独身最後のイヴだよ? 彼氏放っておいていいのか?」
 などと、のんきに話しておりました。

 んで、バイトを終えて帰ってみれば。

 人事異動発表ナリ。

 愛しのケロちゃんが異動する、とゆーので、反射的にショックを受ける。
 受ける……が。
 よく考えると、なかなかたのしい異動先だった。

 ケロとうこ復活か!!

 んじゃゆーひはどうなるの? 三人模様の絶体絶命〜♪
 妄想は走る。
 彼氏のためにパレードは観ずに帰宅したという殿さんと、メールがびしばし往復、ケロゆーひとうこのリーマンもの三角関係話が進む(笑)。

 名前忘れたこの間の月組のお芝居で、ワタケロに萌えただけに、ワタルくんトップもうれしい。
 しぃちゃんも星だし、これからは星組がたのしみだー。

 最後に、殿さんの名台詞。
「クリスマスプレゼントは、ケロトウコかー」

 ナイスだ、殿さん!!

 
 そういえば、最近イベント目白押しで、星組のショーと新人公演の感想を書いていなかったな。

 とゆーことで、ショー『バビロン』のこと。

 じつは、行って来ましたもう一度。
 やっぱりどーしても、もう一度オギーのショーが観たくてさ。
 手に入ったチケットは前楽、2階の1列目センター。ありがとうインターネット。
 さよならショー観て、盛大に泣いてきました。

 んで、オギー作の『バビロン』。
 2回目を観て、わたしがこのショーにさほどハマらないことを再確認。

 わたしが求めている「オギー」とはちがうから。
 わたしがオギーに求めるものは、「痛さ」と「絶望」なんだわ。『パッサージュ』やこの間観た『左眼の恋』、あれくらいの「むきだしの絶望」が欲しかった。

 どうして『バビロン』に痛みが少ないのかは、わかっている。主人公が、タータンだからだ。

 タータンには、土臭い力強さと、血の通った前向きさがある。
 それが悪いと言ってるんじゃないよ。それが、彼女の個性、持ち味。
 そして今回オギーは、タータンの持ち味を殺すことなく作品を描いた。そーゆーことだ。
 それは、正しい。
 これはタータンのさよなら公演だ。そこで趣味全開の「絶望」やら「破滅の耽美」なんぞをやらかされたら、ファンはたまったもんじゃない。
 半ばでタータンが力強く歌うよね。「自己肯定と未来への希望」の歌。……うわー、オギー作品とは思えない前向きっぷり。でもこれが「香寿たつき」だ。タータンらしさだ。
 オギー全開、ではないし、わたしの趣味でもないけれど、ちゃんと濃くて美しい作品になっている。
 オギー、いい仕事してんじゃん。

 『パッサージュ』はオギー全開、美しさにだまくらかされて油断して観ていると、絶望の奈落へ突き落とされたもんだったが、あれもまた、主役の個性に合わせてのことだった。
 あ、誤解しないでね。『パッサージュ』の主役はトドロキじゃないよ。
 主人公は、コム姫です。
 コム姫のもつ、「無邪気な毒」と「あやうい煌めき」があってこそ成り立った作品。
 トドは『パッサージュ』の主役にはなれない。何故なら彼もまた、タータンとはちょっとちがうにしろ、「地に足が着いた」個性を持つから。
 トドには「日本刀が持つ硬質な輝き」はあっても、オギー作品が求める「硝子の繊細な艶」は持たないんだよなー。
 だからコム姫主役、トドはその「無機質な美しさ」に焦点をあてた使われ方をした。
 適材適所。すばらしい。

 『バビロン』で唯一オギーらしいのが、第三景「浮遊する摩天楼」……俗に言う「白い鳩」のシーン。
 オギーはいちばん要になるシーンに、タイトルをそのままつけるからなあ(笑)。今回も、サブタイトル(タイトルはタカラヅカであることの言い訳、サブタイトルこそがオギーにとっての本タイトルでしょう)まんまを、ここに持ってきたか。

 ここは、「痛い」です。オギー本来の持つ「痛さ」と「絶望」に満ちています。

 とゆーのもだ、ここの主役はタータンじゃないからなんだよな(笑)。

 このシーンの主役は、かよこちゃん。

 もしもかよこ主役で作っていいならば、『バビロン』はどうなっていたんだろう。
 オギー全開だったろうな。……考えただけでもこわい。
 ヅカのスター制度がなかったら……と、考えてしまう一瞬。いやせめて、これがタータンの退団公演ではなく、数ある公演のひとつなら。コム姫主役で『パッサージュ』を作ってしまったよーに、かよちゃん主役で作られたものを観てみたかった……。心の叫び。

 朝澄けいというのは、稀有な存在だ。
 クリエイターの心をくすぐる個性を持っている。
 コム姫がきよらかでありながら明確な毒を持つのに対し、かよこちゃんは「真っ白」だ。涼やかだ。
 絶対の、白。
 人間であれば、誰もが色を持つ。濁りを持つ。だが、朝澄けいはそれを持たない「純白」を表現できるという、とてつもない資質を持つ。
 かよこ本人がどんな人かは知らないし、関係ない。役者としての持ち味の話だ。
 これは、後天的に努力で手に入るもんじゃないでしょう。持って生まれるものだ。才能というやつだ。
 朝澄けいは朝澄けいに生まれた。これは誰にも覆せない、真似できないこと。

 そして、わたしたちは知っている。「絶対の、白」が存在しないことを。

 それは、ありえないもの。
 いずれ失われるもの。消えるもの。はかないもの。かなしいもの。

 だから、「絶対の、白」はかなしい。そこにあるだけで、かなしい。
 だから、「絶対の、白」は絶望なのだ。

 朝澄けいの存在は、ただそれだけで、「絶望」なんだ。
 なんて稀有な資質。

 オギーはそれを、見事に表現しきってくれた。
 オギー全開のこのシーンは、美しくてかなしくて、涙が出る。

 欲を言うならば、鳩の間で迷う青年が、タータンでなければよかった。
 彼女の持ち味は、チガウんだもんよー。そりゃ芸達者な人だから、よく演じてるけどさー。ナチュラルボーンなかよこ主役のシーンだから、「努力で演じている」人が真ん中にいるのは、作品と作家ファンには物足りないのだった……。

 ああでもこれは、タータンがどう、じゃなく、まず最初に「作品」ありき、で語っているだけなの。タータンが悪いと言っているのではないの。どうせわたしは、痛いオギーファンよ。

 オギーだなー、と思ったのはこのシーンと、強いて言えばプロローグだけ。
 わたし的にはかなり、肩すかしでした。

 それでも、美しかったよ。
 なんだオギー、タカラヅカっぽいものも作れるんじゃない(笑)。
 このショーは、一見ヅカのショーっぽくはないかもしれないけど、根っこはちゃんと「タカラヅカ」。
 「絶望」と「破滅」をテーマにしてないもん(笑)。
 つーか、『パッサージュ』みたいな「ヅカのショーのふりをした、絶望と破滅のススメ」みたいなもんばっか作ってたら、エンタメから遠くなるぞー。まあ、それもわたしは観てみたいけどな(ヅカとしてはまずいって)。

 とにかく、オギーの次の作品に期待。

 とゆーことで、さよならショーだったんだよね。
 これって、オギー演出だよね?
 わたしはそうだと思ったんだけど。

 とゆーのも、テープの使い方が、ものすごかったから。
 ゆうこちゃんのさよならバウ『LAST STEP』を彷彿としたよ。

 まず、稽古場に入る星組生たちの声を、テープで流す。「おはよーございまーす」とか、みんなてんで勝手に喋っている。
 それがあったあとに、ふつーのショーがはじまる。
 んで、クライマックス。
 とうこの歌う「ブルース・レクイエム」の、本来なら台詞が入るところ(シギさんの「いい子だったわ……」など、ボニー&クライドを語る部分)に、これまた星組生たちの「別れの挨拶」がテープで流れるんだわ。
 「おつかれさまー」「お先に失礼しまぁす」「どこそこへ寄って行こうよぉ」などとゆー、「日常」の姿。
 実際に「ある」、「別れ」の姿。
 そして、そのテープにかぶるように登場する、「退団者」たち。

 こ、これにはまいった。
 だだ泣き。

 これぞオギーだっっ。
 この「痛さ」。

 日常の「別れ」を、永遠の「別れ」に重ねやがるっ!!

 日常が無邪気であればあるほど、今のこの、「永遠の別れ」が痛いんじゃないかっ。

 わたしは『凍てついた明日』の大ファンだから、よりによってさよならショーのある公演を狙って行ったのは、期待していたからだ。
 もう一度、クライドに会えることを。
 実際、会えたさ。
 タータンがクライドとなって舞台に現れた瞬間、わたし、両手握ってたよ。
 両手を組み合わせていた。
 神様! って、叫んでた。
 「クライドのテーマ」を歌うタータンを観ながら、神様って、心の中でつぶやきつづけていた。
 ここでなんで神様なのかわかんないんだけどさ。なんで祈りのポーズしてんのかわかんないんだけどさ。わたしべつに、宗教関係ない人なんですが。
 でも、心がきしんで悲鳴あげてて、痛くて痛くて、もう神様にでもすがるしかないって感じ。
 なんで祈るとき両手を組むのか、わかったよ。そうでもしないと、耐えられないからだ。自分の手を握る自分の力に支えられたよ。
 クライドがいる。……それだけで、痛くて痛くて、しょうがなかった。涙が出るのは結果でしかない。わたしはたしかに泣いているけど、それはかなしいからじゃない。
 心が、動いているからだ。
 そして、とうこのジェレミーだよ……。もー、いっそ殺して、ってな苦しさ。痛さ。
 とうこの歌で、ガイチが踊る。閉塞された、かなしい踊り。『凍てついた明日』そのままの振り付け。ぐんちゃんのさよならバウでもあったね。

 『凍てついた明日』の再現ってだけで、息も絶え絶えだったのに。
 そこに、無邪気な「日常の別れ」のテープが流れるのよ。
 そして、「永遠の別れ」をするひとたちが、かなしいくらい美しい姿で、立っているのよ。

 ちょっと待て、この人殺しぃぃぃいい!!
 あんた、わたしを殺す気ですか。
 今まで何度もオギーには殺されかけたけど。
 またしても、殺されかけたよ。
 痛くて、痛くて。

 ああ、いいもん見せてもらったよ……。だからオギーはやめられない……。


 昨日からのつづき。

 わたしは音楽に暗い。ジャンル分けが正確にできるわけでもない。
 ムード歌謡と演歌の、正しい差もわかってはいない。
 だが、わたしが演歌を「演歌」だと判断する基準のひとつは、「合いの手を入れられる」ということだ。
 曲の合間に、「ハ〜、ヨッコラショ」とか「ソイヤソイヤ」とか「ア〜、コリャコリャ」とか入れることができ、かつ違和感がなかったら、それは演歌だと思っている。

 『タカラヅカ・ヤング・クルセイダーズ』の10曲目は、まちがいなく合いの手が似合う曲だった。
 びっくりして、歌詞カードを見る。
 10曲目、タカネくん『L.A.ダウンタウン』。

 はあっ?!

 目を疑う。
 演歌なのに、L.A.っ?!!

 歌い方も、コブシまわってるし……。
 L.A.なのに……アメリカなのに……何故に演歌調?

 すまんタカネくん。タカネくんに罪はないが、このCD中、いちばん最悪なのはかよちゃんの『エゴイスト』を超えて君に決定だ。
 ムード歌謡まではゆるせても、演歌は勘弁……。
 L.A.に暮らす日本人青年を演歌で表現するなんて、斬新かもしれないけどさ。
 「ハ〜、ドッコイ」「ソラソラ、ドーシタ」なんて合いの手の似合う歌は好きじゃないっす……。

 10曲目で再び悶絶しかかっていたわたしは、11曲目で救われる。
 11曲目、のんちゃん『たそがれ気分』。
 正塚晴彦&高橋城コンビ。
 うわああぁぁん、正塚せんせぇ。
 これぞ正塚だぁ。よかったー、まともだ、いつもの正塚だぁ。
 のんちゃんの丁寧な歌い方にも好感。ああ、深い歌声だわ。「たそがれ気分」つー言葉にはとほほ感がただよってるけどな……しかもタイトルか……。

 12曲目。お花様『私の薔薇が咲く頃に』。
 ……なによりも、ここにお花様がいることにおどろいた……。まだ星組だよ。ミーミルのころっすか? すげー抜擢だ……。
 歌詞の現実離れしたかわいらしさに、ちょっと萎え。エプロンドレスの少女萌えないいトシした男が創った、ありえない美少女キャラみたいな感じの歌。
 でも花ちゃんの当時のイメージはこうだったんだろーなぁ。

 13曲目。リカちゃん『そして歩きはじめた君は』。
 おお、リカちゃんだわ。ちゃんと「ヅカ」で「男役」。ほっとするわ。

 14曲目。純名『マイ・ガーディアン・エンジェル』。
 うまい。
 いちばんうまい。文句なし。
 この曲だけ、他とぜんぜんちがうよ。びっくりした。
 他の曲はカンチガイした寒いものだったり、あるいはふつーにヅカだったりしたけど。
 この曲だけは、「ミュージカル」。物語が見える。
 わたしはこの曲知らないけど、きっとこの曲が使われている作品があるんだな。ミュージカルのなかの1曲なんだわ。……そう思えるの。
 情感たっぷり、余裕の歌声。語りかけるよう。
 純名……ほんと、うまかったんだ……。

 15曲目。マミさん『愛はルナティック』。
 吹き出した。
 ああ、マミさんここにあり。つーかマミさんて、こんな時期からすでに「真琴つばさ」だったんだ……。
 腰を振って歌ってるのが見えるよーだ。ショーの中の1曲って感じ。

 16曲目。あやかちゃん『ラヴ・イマジネーション』。
 きれい。わーん、きれいな歌声だよー、あやかちゃーん。
 純名につづいて2番目にうまいと思う。好き。
 ちゃんと「ヅカ」で「娘役」。純白のドレスが似合う感じ。いいなあ。ヅカの醍醐味だよなあ。

 最後はタータン『花咲く丘で』。
 おお、さすがにトリはタータンですか、実力者でシメますな。
 きれいに歌ってくれていますが……最初の方「歌のおねえさん」風なのはどうかと……。途中からの感じで通して欲しかった。せっかくヅカなんだから、「男役」であって欲しかったのね。
 でもタータンだからなあ。舞台以外ではかわいいお嬢さん、なんだよねえ。
 それがそのまんま出た歌。

 通して聴くと、ほんとにすばらしい破壊力。
 チャー様、かよちゃん、コウちゃん、そしてタカネくん。彼らが最高の兵器ナリ。ぜえぜえ。

 それにしても、豪華に作ってあるよ。
 歌詞の載っているブックレットはオールカラー24pだぜ。
 中の写真で、「ぐんちゃん(花)、トド(雪)、ぶんちゃん(星)」が1ページにきれーに揃い踏みしているのを見て、ちょっと感動。
 これが出た当初、この3人が同じ組でTOP3になるなんて、誰が思ったろう。3人とも組がちがうんだぜぇ。

 本日……じゃねーや、この日記は2日にわたって書いてるんだった……昨日我が家にやってきたBe-Puちゃんは、このCDの面子を見ながらおどろきの声をあげた。

「すごいわ、このメンバー。コウちゃん以外は全員トップになってる!!」

 たしかに。
 正しい人選だったんだなあ。
 今残っているトップは、リカちゃんと……お花様。うーん、深い。

 今のメンバーで『ヤング・クルセイダーズ2』を出すとしたら、誰になるんだ?
 2、3番手あたりの男役と、トップと新進娘役……。
 水くん、タニちゃん、あさこ……や、やめとこう、考えるの……。

 まあ、9年前に出たっきり2度と出てないってのはきっと、売れなかったんだろうねえ、これ。
 つーかBe-Puちゃん、よく買ったよな、これ……。

「好きになったばっかで、どうかしてたのよ」

 チャー様に恋した途端、転勤で鹿児島に行くことに決まったのよね。
 ビデオだろうがCDだろうが、なんでも買いあさっていたよね。
 月に1度以上の頻度でムラまで現れていたから「交通費を考えたら、大阪に住んだ方が経済的」つって、また大阪に転勤してきたのよね。会社を辞めたあとも、実家には戻らず、ヅカのために大阪で暮らしつづけてるのよね。
 一途なヤツだ。

「緑野さんがあたしをヅカに連れて行くから……おかげで人生狂っちゃって……」
 行ってみたいって言ったのは君じゃん。まさかそこまでハマるとは思わなかったよ(笑)。
 たしか君、ファンでもなんでもないのに、トドロキの写真集買ってたよな、2冊も。んで1冊は、ヅカを知らない子に「きれーだから!」つってプレゼントしてたし。それ、今考えると、すげーイタイのでわ……?(笑)
 ほんとに、なんでも買う人だった。おかげでわたしは、いろいろ見せてもらったなあ。

 このすばらしいCDも、今聴けてよかったよ。
 なんて価値ある1枚だ。
 破壊力のあるCDなんて、そうそうないからな。
 値打ちもんだと思うから、大事にしておいてね(笑)。

 
 すごい破壊力だ。
 わたしは何度も声をあげて、のけぞった。

 数年ぶりに聴いたんだ……『タカラヅカ・ヤング・クルセイダーズ』。

 宝塚歌劇団発行のオリジナルCD。発行年は1993年。
 帯には「タカラヅカのフレッシュなスター17名による夢の競演!! 全曲、CDのために書かれたオリジナル曲で、それぞれの新しい魅力がいっぱい!!」とある。

 じつはこれ、Be-Puちゃんからの借り物なんだ。もう何年借りっぱなしてにしていたかな……(借りてることさえ忘れてた。すまん)。このたび返却することになったので、改めて聴いてみたんだ。

 すばらしい!
 すばらしいよ、ママン!!

 これほど破壊力のある音楽を耳にすることができるとは。

 借りたときに1回聴いて、おなかいっぱいになって忘却していた。いや、あんときはたしか、他にもいっぱい借りてたからさ、吉崎憲治作品集とか80周年記念CDとかさ、ものすごいものと一緒だったから、耳が麻痺していたみたい。
 単品で聴くと、他人に語らずにはいられない、すさまじい1枚だ。

 どうすごいのかって?
 いやあ、わたしの貧困なボキャブラリーでは表現できませんが……。あえてしてみるならば、

 古い。

 センス皆無。

 恥ずかしい。

 とゆー身もフタもない言い方になってしまいますわ……。

 まず、1曲目。
 チャー様の歌う『ライド・オン・ア・バイシクル』。
 チャー様が、自転車の歌です。まず、このセンスに脱帽。しょっぱなからトバしてくれます。
 しかも、「若い心 のびやかに」だとか「そよ風に 青春 うたいながら」だとか言ってます。
 青春か……そうか……久しぶりに聞いたな、その単語。たしか、わたしが学生だった大昔でさえ、その単語は「恥ずかしい単語」として、忌み嫌われていたんだがな……。あ、ギャグとしては使われていたけど。
 しかし、1曲目がチャー様って、剛毅なCDだな。ふつー最初と最後って実力者を持ってこないか? 1曲目で停止ボタン押されてCD封印されたらどーすんだ??(失礼)
 チャー様、期待されてたんだよね、劇団に。こんなファンサービス・グッズのトップを飾れるほどに。
 自転車の歌を歌うチャー様、それほど音痴ではありません。ミキシングの力かどうかは知りませんが、彼女にしてはかなり健闘。……ところどころお経っぽいが……きっとそーゆー歌なんだと思う。思っておくわ。

 しかし、このみょーに明るい青春サイクリング・ソングでしょっぱなから腹をかかえていたってのに、2曲目がまたすごい。
 麻乃佳世『エゴイスト』 作詞・正塚晴彦。
 わたしの大好きな、正塚先生。彼の作品は大好きだ。劇中歌も深くて大好きだ。
 しかし。

 このCD中、いちばんサムかったのが、この2曲目。
 ……正塚先生、いったいどーしちゃったんですか?!
 「感性キラキラ
  心がズキズキ
  情熱ビンビン」
 「愛情クラクラ
  ドキドキ 毎日
  時間がそよそよ」
 「憧れさらさら
  ワクワク 毎日
  神経ピカピカ」
 なんか、おじさんが若い子にウケよーと、ひとりで空回って自爆しているよーな、うすら寒い世界が展開していますが?!
 正塚ってこんなに品のない言葉を使う人だっけ?
 あと、いちばんキたのが、

 「一人でウケる ギャグ」

 という、すばらしい歌詞。
 どうしよう……正塚先生、このときなにかつらいことでもあったのかな。それでちょっとコワレてたのかな。
 アイドル・ソングを真似して作って、力一杯すべったんだな、と思われる。
 いや、アレンジを変えてモー娘。が歌って踊るならアリだと思うよ。ただ、昭和中期のメロディに、地声に裏声まぜた不思議な歌唱で歌うと、なんともいえない異世界がそこに広がる……。
 正塚せんせえ……。涙。

 正直、この2曲目でわたしはマットに沈みました。立ち直れないかも、てな具合。
 ヅカのテイストを半端に引きずりながら、ポップス路線を狙うのがこんなにつらいものだとは。1曲目2曲目と、破壊力UPしてるよ、助けて。

 3曲目。タモさんの『夢はいつか…』。
 ……むくっ。マットに沈んだわたし、おもむろに起きあがりました。
 ほっとした。ほんと。
 ふつーにヅカな歌だった。それがなんとも、心地よい。無理して「ナウなヤング」ぶらず、当たり前に「タカラヅカ」の土俵で作られ、歌われている。
 よかった……1曲目2曲目のテイストまんまだったら、悶絶してたかも……。

 4曲目。コウちゃん『雨やどり』。
 おおっと、ここでカウンターをくらったぁぁあっ!! 緑野、再びマットに。
 曲が古いのはもーどーしよーもないが……どーしてこー歌詞までものすごいのぉお。涙。子犬に「愛は愛は 待たせつづけるものさ」とか話しかけないでよぉ。
 みょーに明るく1音1音はっきりくっきり歌っているのにもくらくらしていたのに……。

 「子犬よサヨナラ お先に行くよ
  ごめんね」

 台詞入りですかいっ?!
 き、気の毒だ、コウちゃん……気の毒すぎる……。

 5曲目。みはるちゃん『春』。
 先日弟が職場の人から借りてきたっちゅー、「なつかしアニメ主題歌集」のDVD見たんだわ。半分くらい白黒でね。さすがに生まれる前の作品が多かったので、ごはん食べながらぼーっと眺めてたんだが。
 いやあ、それを思い出しました。昭和30年代40年代の音楽。白黒の画面がいい感じ。
 ……狙ってやってるんだよね? まさかこれ、「現代」だと思って作ってないよね??
 みはるちゃんの歌自体はいい。

 6曲目。ノルさん『アプローズ−サヨナラしていく友に−』。
 うわー。これはふつーにヅカだぁ。退団していく仲間に贈る歌。ノルさんらしい。好感。
 しかし「青春」を連発するのよね……そうよね、そーでなきゃヅカじゃないわよね……あきらめの涙目。
 タキちゃんにちずさんがコーラス参加。ああ、みんな星組だったねえ。

 7曲目。ぐんちゃん『恋色の想い』。
 娘役の歌はいいなあ。かよちゃんはキツかったけど、みはるちゃんもぐんちゃんもちゃんと「ヅカの娘役」として歌ってくれてるから、違和感ないよー。
 素直にきれいな歌声だと思う。

 8曲目。ぶんちゃん『愛のメロディー』
 うわー、元気ー。
 すっげー力入ってるよ、ぶんちゃん。
 このあたりまで来るともー、慣れてきてるので、曲の古さもダサさも免疫。所詮ヅカファンだから、生徒さんの歌声をたのしむよーになっている。
 この歌のぶんちゃん、生意気盛りの男の子、みたいでかわいいなー。てなふーに。

 9曲目。トド様『Suddenly!-It’s Love Story-』。
 ど、どーしたんだ? この人だけ作曲・編曲・演奏、羽田健太郎だぞ?!
 わたしの好みでいけば、17曲のなかでいちばんいい曲だ。歌詞もいちばんまとも。つーか、ちょっと行き過ぎたくらいの表現の歌詞。
 「雲が ひどく しゃべり出し
  夕陽が はげしく 迷い出す」
 ……恋に落ちた瞬間を、こう表現するか……。映画でなら、きれいだろうな。
 トド様、今よりは確実に歌が下手なんだが……でも健闘してる。歌を表現しようという意欲が見える。
 ひとりだけ羽田健太郎だしな……金遣ってもらってんなぁ。ムード歌謡って感じの曲。
 ひっかかる単語はあるものの(僕のハート、はないだろ)、おおむねこの歌詞は好みにあっている。
 「美しいものは 見つからない
  君以外は 見つからない」
 てのがいいなあ。一目惚れではなく、前から知っている女性に、あるとき電撃的に恋をしてしまったのね。
 それって、萌えなシチュだわ。

 なんだ、マシなのもいくつかあるんじゃん(たんに耳が慣れてきていた、とも言うが……)。と思っていた矢先。

 10曲目のイントロが聞こえてくる。
 ……はぁっ?! な、なんなんだこれはっ?!
 思わず歌詞カードを確認する。
 今までの古くて脱力する半世紀前の歌謡曲ですら、耳が慣れてきていたというのに、そのわたしをノックアウトしよーとゆーよーな、この音楽はなに?

 聞こえてくるのは、まちがいなく「演歌」だった……。

 うわ、文字数限界。
 つづくのかよ、こんな話題が……。


「ヤッてるばっかで、つまんなーい!」

 今日の初体験。
 映画が途中でホワイトアウトした。客席のライトが点いた。
 映画は映画館で見る、が基本方針のわたしにしても、初体験だ。
 画面がずれたりしたことは、今まで何度か遭遇したよ。しかし、ほんとーに止まってしまったのは、はじめてだ。
 試写会、『運命の女』。リチャード・ギア、ダイアン・レイン出演。

 ギアとダイアンはしあわせ夫婦。8才の息子もいるし、裕福だし、言うことナシ。
 ところが、ダイアンはセクスィ〜なフランス男オリヴィエ・マルティネスと出会ってしまう。「いけないわ、わたしには夫と息子が……」てなダイアンだったが、すっかりしっぽりマルティネスとの官能の世界へダイビング。
 繰り返される、逢瀬。会うとヤるだけなんだわ。獣のよーに、手替え品替え、がっつんがっつん。カフェのトイレで、映画館の客席で、マンションの廊下で、前から・後ろから・立ったまま、地球上のどこでもふたりの愛の巣さ、HAHAHA!!!状態。

 いつまでつづくんだろ……と、見ているこっちの目が点になっているところで。

 スクリーン、力尽きる。
 ダイアンの浮気に気づいた夫のギアが、人に頼んで彼女の素行調査をし、その結果の報告を受けるシーンで、映画は中断、客席にライトが点く。

 おいおい、不手際もここまでいくとすごいぞ、と思っているところで、とても素直な声が響いた。

「ヤッてるばっかで、つまんなーい!」

 わたしの前の列に坐っているお嬢さんだった。
 いやあ、素直かつ、なかなかどーして大きな声だ。
 周囲の者たちは一斉に同意の苦笑をもらす(笑)。

 たしかに。
 ただひたすら、ヤッてるだけの映画ナリ。
 恋愛モノにしちゃー、あまりに性愛だけを表面に出しすぎてるよなー。

 しばらくして、スクリーンが復活した。
 途切れた場面から上映が再開。
 つっても、一端切れた緊張の糸は、戻せないけどな。

 しかも、この切れた場面から、物語は別物になるのだわ。
 それまでは、妻ダイアンの物語だった。彼女視点で語られた物語だ。
 夫にナイショで若い男と浮気、ドキドキよ! ああ、わたしって不貞な女、だけど止められないの……。
 てな具合だったのによ、途切れたあとからは、いきなり夫ギア視点。
 愛する妻の裏切り、ジーザス!! どうしてくれよう、ギリギリギリ……(注・歯ぎしりの音)。
 嫉妬と怒りにかられたギアは、マルティネスの部屋を訪ねる。おいおい、いきなり襲撃かいっ。真正面から妻との関係を問いつめる。そして……。

 こっから先は、まったチガウ物語へGO!!

 不倫モノ、というか、恋愛モノのカテゴリで見ていたもんで、このシフト・チェンジにはびっくりだ。
 目は点、口は丸、って感じのうちに、物語は終盤へ。

 なんつーか……なんなんだ、このバランスの悪さは。
 前半と後半が別物って??

 やりたかったのは後半で、前半は客を呼ぶためのネタ?
 エロ満載! ダイアン・レイン脱ぎまくり、腰振りまくり、上映時間の半分はふぁっくしーん!! 見物ですよ、お客さん!!
 ……てことかニャ?

 まあ、エロは強力なエンタメだからなあ。エロが多めなら客は入るのかな。
 それならエロものに徹して欲しかった。後半ひっくり返すなら、あのエンドレス・エロはいらんやん……。つーか、ベッドでヤれよ、お前ら……。周囲の人が迷惑だろ……。

 テーマはねえ、悪くないんだけどなあ。演出に問題ありすぎだわ。

 んでもってダイアン・レイン、老けたねえええ。
 リチャード・ギア、枯れたねえええ。

 このものすごい映画が終わり、場内が明るくなったときに。
 前述のお嬢さんが、またしても素直で大きな、心からの声をあげた。

「あー、カボチャ・スープが飲みたい〜〜」

 どっからカボチャ・スープ??!!

 わたしとWHITEちゃんは内心即ツッコミを入れたよ。(目で会話)
 本能だけで喋ってくれる、前列のお嬢さん。とってもウケたし、なごんだよ。
 君に乾杯(笑)。

 
 引き続き東京でお仕事。
 担当さんと午前中はショッピング・デート(語弊アリ)のあと、午後からまた某社で会議。

 わたしの心は。

「月組が観たい……」

 せっかくせっかく東京なのにー。交通費も宿泊費も食費も全部会社持ち旅行だから、財布に余裕だってあるのにー。
 実は鞄にこっそり、オペラグラスだって忍ばせてきていたのにー。

 観られませんでした。
 そんな時間なかったさ。めそ。
 明日は休演日だから、自力で1泊しても意味ないしな。
 オレンジにも会えなかったし、ほんとに2日間仕事漬けて帰宅。
 いろいろと残念ナリ。

 

ハードな日。

2002年12月16日 その他
 突然ですが、東京に行ってました。
 仕事で。

 あこがれのクリエイター氏に会えるかと期待してたんですが、ダメでした。しょぼん。
 そーだよな、忙しいあの方がわたしみたいな木っ端作家に会ってくれるわけないよな……。
 でもいいんだ、長年のあこがれの君、大ファンのクリエイター氏のプロジェクトの一端に関わることができるんだから。がんばるぞー。

 それにしても、担当さんとこの日最後の打ち合わせをしたのはホテルのわたしの部屋で、ホテルに入ったのが午後11時半過ぎ、終わったのは午前1時過ぎでした。
 フロントのにーちゃんには確実に誤解されてるだろーな……仕事でこの時間に男が女の部屋にいるとは思わんよな、ふつー。

 

< 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 >

 

日記内を検索