タカラヅカの番手制度無視のイレギュラー公演ゆえに、なんかさらにわかんないことになっている、新人公演『1789-バスティーユの恋人たち-』

 なにが「さらに」かというと、新公は本公演の短縮版になるため、あちこちカットされてるのね。
 トップ娘役がおかしな扱いを受けている公演から、トップ娘役の見せ場をカットすると、どうなるか。
 …………この新人公演での「トップ娘役」は、どの役だろうね…………。

 もちろん、ちゃぴの役をやり、プログラムに写真とインタビューが載っている美園さくらちゃんで間違いないんだけど。彼女自身の持ち味も加わって、「トップ娘役」の役、には見えなかったっす。

 さくらちゃんの持ち味。
 貫禄。
 99期、研3の新進娘役さんつかまえて、なんという表現を。
 や、でもほんと。
 見た目も芸風も、中堅以上のお姉様のようだった。
 顔立ちをオペラでガン見すれば、まだ幼いことはわかるんだけど。ふつうに舞台で観るだけなら、貫禄のお姉様。

 すばらしい歌唱だったし、芝居もうまいんだけど……ヒロインタイプではないなあ。
 安心出来るけれど、なんつーかこー、フェアリー感が薄い。
 タカラヅカって不思議。そして、娘役って大変。
 こんだけうまいのに、何故トップ娘役っぽく見えないのか。

 ……これは私見なんだけど、娘役は男役以上にスタイルが重要なんだと思う。
 その昔、宙組の瀬音リサちゃんが新公ヒロインしたときを思い出す……。すごくうまかった。うまいんだけど、その、ビジュアルが……。彼女はまだ日本物だったから、「タカラヅカのヒロインに見えない」にしろ、日本物のせいかな、と次の公演に託せたのだけど。
 タカラヅカの王道、輪っかのドレスでヒロインっぽくないのは、やっぱスタイルゆえかなあ?

 まだまだ若いので、これから垢抜けてヒロインっぽくなるのかもしれない。
 それに期待。


 アントワネットが別格スター的だったこともあり、本公演より「トップ娘役」に見えたオランプ@叶羽時ちゃん。

 きれいになったねええ。

 いやその、わたしが最初に彼女を個別認識したとき……『Dance Romanesque』だっけ? なんだっけ? 『Misty Station』のときはすでに認識してた……つか、「顔変わった?」ってそんときすでに思ってたし。
 えっとその、かなり個性的な顔、としておぼえたんだわ……。

 なんつーか、不思議な顔。
 顔というか、頭部の形自体?
 いったんおぼえちゃったら最後、どこにいても目に飛び込んでくる。
 個性的な顔、ってのは、舞台で有利だ。好悪と無関係に、とにかく目に付く。

 不思議な顔だなー、と思って眺めていただけに。
 きれーになったなあああ。
 今でも個性的だけど、わりとふつうにきれい寄りになってきてる。
 毎公演、「顔変わった?」と思うんだよな。毎公演、きれいになってきた、と思う。

 思うが。

 彼女の扱い、立ち位置は謎だな。

 アントワネットが見せ場削られ地味になったけれど、オランプはあまり削られず……となるとほんと、オランプがヒロインだよなあ。

 時ちゃんはうまかったし、遜色なくヒロインしていたと思う。
 まめなアスリートっぽく、生真面目にこなしていっている感じ。何故かアスリートという単語が出た……毎日きっちりジョギングしてます的な。
 堅実なのはいいことだ。

 かといって彼女をトップ娘役路線とも思えず……娘役の大きな役がふたつもあるというのに、「ヒロインキターーッ!」的な盛り上がりがなくて寂しい。
 新人公演は、出会いの場。
 どの組にも好きなジェンヌさんがいっぱいいるくせに、それでもわたしはオールウェイズ出会い探し、素敵な誰かとの運命の出会いを求めている(笑)。
 ので、本公演では見つけられない下級生を知るきっかけになる、新人公演は大好きさ。

 ということで、新人公演『1789-バスティーユの恋人たち-』

 なんか、好みの子がいましたーー!!

 や、下級生ぜんぜんわかんないんで。
 予備知識ないまま眺めていて。
 モブの中に、なんか気になる顔の男の子が。

 印刷所の若者たち場面にいる子。台詞も多少あったけど、基本メインな人々の後ろで、わいわいがやがやしてるだけ。
 役名があるのかもしれんが、よくわかんない。本役が誰かも、ポンコツ海馬しか持たないわたしには、判別が付かない。
 でも美形だわー、好みだわー。なんて名前だろー?
 と思って眺めてた。
 帰ってから調べてわかるかなあ? 自信ないなあ……。

 と、思ってたら。

 オランプ父役で再登場して、びっくりした。

 ちょ……っ、役付いてたんかい。
 しかも、ヒロインの父(組長)の役……。

 その昔、新公でヒロインの父(組長)の役を、わずか研2で違和感なく演じた、すてきなおっさんがいましたね……。
 そのすてきなおっさん役者は、同じ新公で堂々とペイロールさんやってますけどね。

 歴史は繰り返す。
 わたしったらまた、父役の人にときめいてるの……? どんだけおっさんスキーなのよ(笑)。

 ということで、この新公でいちばんときめいたのは、デュ・ピュジェ中尉@蒼真せれんくんです。
 98期、研4。
 へええ、きょうびの研4って、ふつーにお父さんできるんだねええ。頼もしいねええ。

 顔が好みで、芝居が声も含めてヘタじゃない、ふつうに見られる・聴ける、というだけで、それ以上のことはわかってません。
 これから意識して眺めることにします。


 でもって。
 実はもうひとり、気になる人が。

 こちらは、役ついてたから名前はすぐにわかった。

 フェルゼン@輝生かなでくん。
 99期、研3。
 本役の暁くんよりも、下級生。
 にもかかわらず、新公の方がアダルトだった。アントワネット@美園さくらちゃんともども。ふつーに大人のカップル。

 フェルゼン様はね、横顔が、好みだった。

 わたし、舞台人は横顔で選ぶのよ。
 正面顔がきれいでも、横顔で真ん中が陥没していると好みからはずれてしまうの。
 でもってフェルゼンって、ずーーっと横ばっか向いてる人なのね。真正面に向けてのお芝居はしない。センターで行われるアントワネットなどの芝居を、ちょい後ろから眺めてる。
 立ち位置格下ですよ、特別扱いじゃないですよ、という本役の暁くんの学年配慮なんですかね。そういう外側の事情を匂わせないでほしいんだけど……そういうところは無駄にタカラヅカ。
 本役さんは鼻ペチャさんなので、この「客席に横顔のみ見せる役」はプラスにならないと思うんだけどなー……その辺気を遣ってもらってないなあ、と漠然と思う。

 本役さんのイメージがあるもんで、登場してきたフェルゼン様見て「鼻がある!!」とまず注目。真ん中に鼻のある横顔!
 ちょっとちょっと誰これなにコレ、横顔めっちゃ好みなんですけど?!
 正面からはどんな顔なの? 早く正面顔見せてよ、横顔好きだけど、横顔しか認識できなかったら確実に見失うので、早く横顔以外も見せて……!
 と、じれじれしていたのに、フェルゼンってほんとKY。横顔以外見せやがらねえ(笑)。(フェルゼンKY説からいい加減離れましょう)

 登場シーンだけでなく、出て来るシーン出て来るシーン、ほんと横顔ばっかっすよ。オランプもなんだけどね。「役の上ですっごく重要っぽいけど、そんなことないですよ、格下ですよ」と表してるんだろうなあ。無駄な気遣いするよなあ、しなくてはならないサラリーマン体質が泣けるよなあ、イケコ……。

 まあ実際、かなでくんの正面顔はかなりイメージちがったというか、好みなのは横顔のみでしたが……横顔がこんだけど真ん中ってことは、学年が上がってラインがすっきりすれば、ますます好みになるんじゃないかなと思った。

 こちらも芝居・声ともにヘタではない。違和感なく見ていられた。
 お耽美ビジュアルは着こなしてない感じ。
 が、フェルゼン様がもっともかっこ悪いチャンバラがカットされていたので、男前渡UP!(笑)

 丸腰の市民相手に難癖付けて抜刀する、現役軍人。しかも剣術へたっぴ、という最低最悪の本公演演出がばっさりカット。
 フェルゼンはロナンの無礼さに怒るけど、剣を抜いたりしないの。これだけでフェルゼンの人間性がかなり守られる。


 今回の新公は、こうして新たな出会いがあったのでいつもにも増して楽しかったっす。
 まあ問題は、次の公演で見つけられるか、ですが……。わたしの海馬じゃあ……(笑)。
 新人公演『1789-バスティーユの恋人たち-』を観ていて、感動したの。

 ベルサイユ宮殿の場面。

 国王ルイ16世を囲んだ政治家たち。
 アルトワ、ネッケル、ペイロール。

 あ、厳密な政治家かどうかはともかく、直接国王に意見して、政治に関与出来る者たちという意味ね。

 場にいる全員がうまい、って、どういうこと?!

 だって新人公演。
 新公なのに、全員うまいって、ストレスなしに観られる、って、ナニゴト……!
 ふつー誰かへたっぴで、誰かが危なっかしくて、どこかいびつに、バランス悪くなるものなのに。
 しかも、男たちの駆け引き場面、難しい芝居なのに。

 ふつーに、落ち着いて、問題なく、芝居が進んでる……。

 すごいなあ、月組。
 しみじみ感心。
 ナニ気にこういう経験って、あまりないものなのよ。その場の役者が全員うまいなんて。

 アルトワ@あーさ、ペイロール@まゆぽん、ルイ16世@佳城葵くん、ネッケル@蒼瀬侑季くん。
 佳城くんも蒼瀬くんも、共に97期研5かぁ。頼もしいな!

 ルイ16世はとてもなめらかだった。
 観客として、いつの間にか本役さんの「癖」に馴らされていたんだと思う。本役のさやかさんはあれでどうして、強い癖を持つ俳優だ。どの役を演じても、その「癖」はアクセントになっている。
 佳城くんには、それがない。
 だからとてもシンプルに、素直に、「ルイ16世」が伝わってきた。
 引っかかりがない分、いじらしい王様に見えた。この人はこの人で、良くも悪くも自分の人生を生きているんだと。

 ネッケルはけっこう二枚目寄りじゃないかい?(笑) 熱というか、太さのある芝居。
 わりとヒーロー然としている気がして、「ネッケル」としてはチガウ気がしないでもないんだけど……楽しいからいいや。タカラヅカだもん、二枚目意識してがんばるのはアリだと思う。


 アルトワ@あーさは……とにかく、楽しかった(笑)。

 美形はいいねっ。耽美もヘンタイも似合うねっ。(ヘンタイ言うな)

 とはいえ、アルトワはあーさの得意分野だと思うので、その分わたしには新鮮味が少ない。
 『TAKARAZUKA 花詩集100!!』新公でやった薔薇のハードゲイ役の方が、いたたまれない勢いがあった気がする。(ハードゲイ言うな)

 そして、神ソングを歌うあーさを観ながら「得意分野だもんなー、新鮮味ナイなー」と思わせてしまうこと、それ自体があーさの才能だと思った。

 ああほんとに、あーさがチョーシこくよーな役と場面を与えてください。そう、心から願う。
 わたしが彼を最初に認識したのが『エドワード8世』新公、やはり歌いながらイッちゃってる男の役だった。
 エキセントリックなソロをぶちかましているうちに、ターボかかって変な方向へぶっ飛んでくんだ。
 なんて素敵な持ち味。なんて素敵な才能。

 そしてわたしは、あーさのそういうところが見たい。もっともっと見たい。
 そういう役を彼に与えてください、劇団様。絶対おもしろいキャラだと思うんだ。

 すでに新公主演済みの最上級生が、脇役に回る新公は好きよ。キャリアがあるからこそ、真ん中の下級生を支える姿に、包容力を感じるから。


 ペイロール@まゆぽんは、ただもう、かっこいい。
 あー、あたしほんとに、ゆうまくん好きやなー。
 センターにがっちり立ちはだかり、悪役をキメる姿に見とれる。
 あのガタイは、才能だわ……かっこいい……。

 でもって、ふつーにうまいしね。
 超下級生時代からおっさん役総ナメのキャリアは伊達じゃない。なんて素敵に大人の男。

 見た目も歌声も素敵なんだけど。
 残念なのは、声……。
 あの外見に相応しい、低い低い美声は得られないものなのか……。
 まゆぽんが好みの声だったら、わたし今頃シャレんなんない状況だったわ……(笑)。

 アルトワにしろペイロールにしろ、「型芝居」だなと思う。
 先に記号があって、あとはどれだけそれに近づけるか、活かせるか、にかかっている。
 自由度が高いのは革命家、悪役ふたりはなによりも役割が大事。
 あーさもまゆぽんも、きっちり「悪役」を形作ってきた。
 作品に必要な輪郭を、必要な圧で。

 その切り口のあざやかさが、快感。
 鋭利に切り抜け、それが仕事。

 ラストのロナン@暁くん復活場面で、本公演と違ってアルトワとペイロールが双璧!!って感じにその後ろに並んでいるの見て、ぞくぞくした。
 かっこいい……っ。

 ただもう「かっこいい」というだけのことが、こんなにこんなに胸を熱くさせるのか。
 あーさとまゆぽん、いいなあああ。このふたりが並び立つ空気がいい。真ん中が多少弱くても、後ろからぐあーーっと底上げしてくる。

 あー、あーさバウ楽しみだなーー。
 やっぱりやっぱり、うまくなってる、暁くん!!

 新人公演『1789-バスティーユの恋人たち-』観劇。

 大作の新公は楽しい。役替わり公演の意味もあって楽しい。
 だからこそ、ある程度の基礎力のあるキャストで観たい……そう思っていた。
 だから、主演が発表になったときに落胆した。
 劇団推しのへたっぴちゃんが主演か……と。劇団は大作の主演をさせて箔を付けたいのだろうけど、それを見せられる観客はいろいろつらいなと。

 辛辣ですまん、わたしの暁くんの評価はとても低かったんだ。
 『THE MERRY WIDOW』と 『THE KINGDOM』で、「今の誰?!」と二度見する勢いで目立っていたことが、忘れられなくて。
 声を発するだけでびっくり、姿もきれいじゃなくてびっくり。特に、むちむちぷりんのお尻にくらくら。
 てのが、わたしの暁くんの刷り込み印象。

 女の子としてキュートでも、男役としてはまだまだ魅力に欠けるビジュアルと、学芸会演技。
 だけど、劇団が「将来のトップスター」として特別扱いをしまくっている。
 そういう印象の若手スターさんには、感情移入しにくい。

 わたしは人間が小さいので、「顔が好み」だとそれだけで評価が甘くなる。や、舞台人は「鼻」です、鼻。高い鼻が好みなの。
 暁くんは好みの顔立ちでないがゆえに、「好みだから底上げして観ちゃう!」フィルタもかからない。


 ところが、だ。

 今回の本公演を観てびっくり。
 暁くんは、へたじゃなかった。
 十分、よくやっていた。

 え? わたしの目が、耳が悪いのかな? ハードル下げすぎて、基準がおかしくなってる??

 抜擢された若手スターとして、必要な分だけ、成果出してるよね?? ね??

 とまあ、自分に自信がないもんで、周囲の意見にキョドってみたり、日和ってみたり。

 でも改めて新公を観て。

 うまくなってる。

 ふつうに主演として、安心して観ていられる……!


 ロナン@暁くん、よかったです。

 無理のない少年。
 等身大の、青春。
 もちろん新公だから、周囲のレベル値の兼ね合いもあるにしろ。

 抜擢にそぐわない実力ゆえに苦手、だった暁くん……これならもう、苦手じゃなくなる?! わーーい!! 苦手な子が減るのは大歓迎っす。

 ロナンの歌って難しいと思うの。
 だけど暁くん、よく歌ってる。
 素直で、丁寧な歌声。

 そして、役割の大きさというか、煩雑さに振り回されていない感じが、大物っぽい。
 大変だと思うんだけど、大変さも見えるけど、それだけじゃない、「ロナン」としての感情の動きが見える。

 経験は大きいんだな。
 前回の新公は、もっといっぱいいっぱいだった。
 やること・やらなきゃいけないこと、がぐるぐる回っている様子で、それ以上を表現する余裕も技術もなさそうだった。
 だけど今は、こうして手順以外のことを表現出来てる。

 「成長する」って、言葉では言うけど。
 そうか、こういうことか、と理解した。

 小さなコップだと、少ない水しか、入らない。
 ちょっとの水でいっぱいになって、動かすことが出来ない。なにかしようとしたら、こぼれてしまう。
 こぼさないようにしているだけで、いっぱいいっぱい。

 それが、コップがひとまわり大きくなった。
 前と同じ両の水を入れても、こぼれない。それどころか、動かすことも出来る。水はコップの中で揺れるけど、コップに余裕があるから、こぼれない。

 コップが大きくなった……成長、した。

 そういうことなんだ。
 あんなにいっぱいいっぱいだったのに、今の暁くんは、水をこぼさないんだ。
 動かしてもこぼれないから、ああして動かしているんだ。

 手順を超えて、素直に心を動かす。
 素直な芝居だと思うのは、ロナンに苛立ちが見えること。ロナンってわりと、不機嫌なことの方が多い役だと思う。その小さなささくれを、ひとつずつ拾っていってる。
 ああ、素直な芝居だな。
 動く心を、台詞のひとつずつを、丁寧に拾い続けている。

 それで全体像がどうなのかまでは、把握していなさそうだけど。
 それはいいよ、ひとつひとつが積み重なって、あとは観客がつなぎ合わせるから。


 いやあ、よかったです、暁くん。
 本公演もどんどんうまくなってるし。
 このまますくっと育って欲しいな。
 トップスターになることが決まっているなら、早いことそれに相応しい実力を得て欲しいっす。
 観客として、ヅカファンとして、心からそれを望んでる。
 長年「柚希礼音」を観てきて、わからなかったこと。

 今、伝説の人気トップスターとなって卒業していくれおんくんを観て。

 10年越しの答えを得たような気がしたんだ。

 『黒豹の如く』なんていう、どーしよーもない作品を、よりによって最後の最後に与えられつつも、真正面からそれを受け取り。
 『Dear DIAMOND!!』で劇場中を走り回り、素朴な感謝ソングを歌う。

 そうかあ。
 応えること。それが、れおんの希みだったのかな。
 そう思った。

 「トップスターになる」、それは決まっていること。逃げることも逸れることも許されない。だからただ、決まっていることをする。義務を果たす。黙々と努力し続ける。
 その姿に疑問を持ち、あまり魅力を感じられなかったけれど。

 他人の期待、他人の夢、他人の用意した花道。
 それらを受け止め、果たすことが、彼の希望であり、よろこびだったのかな。

 「夢」という義務を果たす。

 それは、「スター」の仕事だ。
 「スター」にしかできないことだ。

 柚希礼音は、スターだ。

 スターであることを選び、果たした。
 それは、どれほどの力。
 どれほどの忍耐、どれほどの覚悟。

 彼が歩く道は、劇団が舗装した道であったとしても、踏みしめる一歩の重みは比類なきものだったはず。
 それを成し遂げられる者は少なく、だからこそれおんくんが唯一無二の伝説となった。


 彼は「スター」である。
 彼は「伝説」である。
 だからもう、今は祭りを楽しむ。

 100年に一度の大スターですよ、その退団公演ですよ。なにもかも桁外れのスターさんだから、一緒に全力疾走しなきゃね。

 先日のライブビューイングと違って、映画館の空気がアツい。みんな手拍子も拍手もするし!
 『柚希礼音ラストデイ』、映像の終わりに前代未聞の「見送りに来ないでね」のお願いメッセージ入ってるし!
 すげえなヲイ。ファンが多すぎる、アツすぎるから、その勢いで日比谷に集合されたら危険、だから遠慮してくださいと、トップスターの口からお願いされちゃうんだ。

 いろいろすごいな。

 宝塚歌劇団100周年の、一連の祭りを牽引し、また、その象徴のようだったトップスター・柚希礼音。

 相手役の大輪の華、ねねちゃんの輝きと共に、なんと誇らしい「わたしたちのスター!!」っぷりだろう。

 楽しいな。
 タカラヅカってすごいな。
 愛しいな。

 時の流れを思う。
 大劇場でやたらとくるくる回ってた、あの若い男の子を思う。
 わくわくも諦観もじれったさも、全部全部昇華して。

 過去は過去でしかなく、それは「今」の時点から振り返っているに過ぎない。
 首をかしげたあの日々も、今から思えばみな愛しく、意味があったのだと思える。

 れおんくん。
 こんなに長い間、わくわくさせてくれて、ありがとう。
 人は変わるし、それ以外でも印象や考え方なども変わっていく。
 そしてわたしの海馬はポンコツなので、記憶はすぐに薄れていく。や、年寄りなので昔話するの好きだけど、それは「今の時点で思い込んでいる昔の話」であって、脚色が加えられているはず。
 想いはその都度変わり、カタチとして残すことはできない。それが切ない。
 所詮「今」の時点で振り返ることしか出来ないのだけど、それでもなお、時折振り返る。もう遠くなった当時の記憶を掘り起こしては感慨にふける。
 年取った今、過去ばかりが積み上がって、未来はすでに先が見えている。
 ああまったく、生きるというのは切なく、愛しいモノだ。

 てな自分語りからはじまってるけど、れおんくんの話。
 5月10日、柚希礼音卒業の日です。

 退団公演のれおんくんを観ながら、わたしは昔の彼の姿を思い出していた。
 「トップスターという宿命」を科せられた若者の姿を。

 劇団は、「将来のトップスター」を入団時に決めている。すべてがそうではないとしても、「トップスター」枠で入団してくる生徒は確実にいる。
 れおんくんもそのひとりで。
 彼は入団時から……いや、音校生時代から、「将来のトップスター」として噂になっていた。
 トップにするのだと、劇団が決めている。
 で、わたしはミーハーだから、「すごい逸材がいる。将来のトップスター間違いなし」と噂されるスターを、わくわくと眺めた。
 ほほお、あれが噂の柚希礼音かぁ。
 当時研4か。はじめて観るれおんくんは、若くてかわいい男の子で、抜擢されてキラキラしていた。
 若くて新鮮でキラキラ。大器の予感にわくわく。
 そこからスタートしたけれど。
 彼は、伸び悩んだ。
 歌も芝居もいまひとつ。ダンスは得意だけど、男役としての魅力に直結しない。
 だけど劇団はおかまいなしで、彼を特別扱いし続ける。えんえん新公主演、えんえん大きな役、メディア露出、機関誌での扱い、えんえん、えんえん。
 扱いの大きさに比べ、人気も実力も向上しない。
 他組の「無名の若手」が主演する「ワークショップ」に、新公主演5回、バウ(WS)主演2回、本公演『ベルばら』のアンドレ役をやっているような身でまぜられてしまったのなんかは、なんとも痛々しい状態。ドラマシティ主演くらい任されるべき重鎮スターが、新公主演すらしてない子と同じ土俵に上げられたのよ、人気と実力が足りないために。

 そのWS上演時に、思ったんだ。
 れおんくんは、なにがしたいんだろう? と。
 こんな、小学生の草野球に、高校生の身でまぜられて、「すごーい、ひとりだけうまーい」と拍手されてるような持ち上げられ方をしている現状で。
 「トップスターになる」、それはわかっている。決まっていることだからだ。
 だが、わかっている、決まっていることと、れおんくん自身が「トップスターになりたいのか」「どんなトップスターになりたいのか」は別だ。
 わたしには、彼がどこを目指しているのかわからなかった。
 れおんくんから感じるのは、義務感だった。
 「将来のトップスター」という宿命を背負っているから。決められたことだから、そのための仕事をしている。

 当時のブログにこう書いている。

> 医者の家に生まれた跡取り息子れおんは、よい医者になるのは義
>務だからと黙々と勉強をしている。もともとの素質に加え、幼い頃
>から英才教育を受けてきたので、とりあえずの実力はある。ただ義
>務感の方が先に立って、彼自身がほんとーに医者になりたいのか、
>どんな医者になりたいのかはよくわからない。

 それから時は流れ、どんなことがあろうと「柚希礼音をトップにする」という劇団の固い決意は揺らがず。
 彼が転ばずに歩けるように、道なき荒野に大工事を施し立派な手すり付きの道を作り、邪魔になるモノは排除して、足元を照らし誘導灯を点し、素晴らしい衣装で飾り立てることに余念がなかった。
 そして劇団の長年に亘る気の長い投資は報われ、れおんくんは人気トップスターになった。

 トップスターのれおんくんはとても魅力的で、観ていてわくわくした。
 王道を歩いてきたモノだけが持つ、浮き世離れした輝きがあった。

 や、彼は努力家なのだと思う。劇団の過保護ぶりはともかく、れおんくん自身はいかなるときも努力してきたのだろう。それは疑ってない。
 だから、彼が華やかに才能を開花させたのは、本人の努力あってのことだと思っている。

 だからこそ、ストイックに努力し続けているのに、結果を伴わない日々を、彼はどんな思いで過ごしていたのだろう?


 続く。
 毎度毎度、好きなように書き散らかしてきたから。

 自分で、自分の書いた過去記事を読み返したくても、どこにあるのかわからないのですよ。

 たしかに書いた。書いた記憶はある。
 が、どこよ?
 この膨大な記事の中、どこに書いたのよーーっ!!

 あー……。
 その都度整理しなくちゃ、ダメっすね……。

 『アル・カポネ—スカーフェイスに秘められた真実—』初日を前に、自分のだいもん語りを読み返したかったの。
 なのに、見つけられないという……。

 最初に彼の「表現欲」について書いたの、どこだっけ??
 2010年1月25日が最初?
 それより前もなにかっちゃーだいもん語りしてきたと思うけど、見つけられない……。
 今ちょっと見つけられたのが、
http://koala.diarynote.jp/201002070243373591/ 欲望が人を前へと進ませる。@BUND/NEON 上海
http://koala.diarynote.jp/201002070358246111/ 欲望がわたしを彼へと走らせる。@BUND/NEON 上海
http://koala.diarynote.jp/201004211554147920/ 愛の力信じて。@Ever green かな。
 新公とかWSとか、とかくいろんなところでだいもん語りはしているけれど、まともに1枠使ってるのはこのへん?

 最近、「だいもん」で検索がよく来るのだけど、それらはみんな
http://koala.diarynote.jp/201211271605082755/ 君に、相応しい場所。@Victorian Jazz
 ↑ ここへたどり着いてるみたい。
 それと、もひとつ、
http://koala.diarynote.jp/201312200329268745/ おかえり、君の場所へ。@New Wave! -花-

 このふたつはいいんだけど、もひとつが問題。

http://koala.diarynote.jp/201306230018429210/ 四角in四角。@戦国BASARA

 ……四角in四角。
 すすすすすみません、ピュアなだいもんファンに怒られるわー、きゃーごめんなさい~~。


 なんにせよ、だいもん主演がうれしい。
 だいもんだいもん。
 真ん中に立つのが相応しい人。
 舞台の真ん中で、その「世界」を創り、動かすことを、天職とする人。
 本人から感じる「もっと」。
 もっと演じたい、もっと表現したい。もっと、もっと。

 ベネディクト@『オーシャンズ11』でブレイクしたんだっけ? そっからここまで、とにかくあっちゅー間に駆け上がってきた印象。
 劇団が彼を「売る」つもりだと、どうやら本気らしい、とわたしが気づいたのは、ルキーニ役を与えられたとき。や、不遇に慣れきってたもんで、多少扱い上がったところで疑心暗鬼(笑)。

 正直、遅いんだよ!! と、思った。

 どうしてオサ様時代に彼をもっと売り出さなかったのか。だいもんは基本変わってない。下級生時代から、実力も華もクドさもあった。場を与えてさえあげれば、いくらでも吸収して伸びただろうに。彼にその機会を与えなかった劇団をアホだと思う。

 今までだいもんに人気がなかったとしたら、それは知名度の問題だろう。
 組ファン以外知らない、そんな扱いしか受けてなかった。
 や、名前くらいは知られていても、年功序列の花組では本公演で役が付かないから、一般ファンに認識してもらえない。
 「天才ならば、どんな端役、舞台の端にいても全人類を魅了出来るものだ。そうでないのだから、才能などない」論は無視、現実問題、そんな「机上のスター」はいない。
 場を与えられてはじめて、スターは誕生する。

 で、実際、場を与えるなりだいもんはブレイクした。
 となると、与えなかった側に問題があるだろ。

 ったく、遅いんだよ。だいもんにオサ様の新公させて、さっさとスター扱いしちゃえばよかったのに。
 だいもんがイッちゃった顔で「トカ~ゲ~~ェ♪」と歌うのが見たかったんだ!!(笑)(by『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』)
 や、単純に、面白いものが観たいから。観客として。
 だいもんはきっと、面白いモノを見せてくれる舞台人だ。
 そしてその「面白さ」は、彼が主要な役をやるたびに、上がって行く。
 役の比重が上がるにつれ、表現していいことが増えるからだ。

 「主役」をさせればさらに、好きなだけ表現していいのだから、彼の「面白さ」は拡大するだろう。


 つってもほら、演出家が原田くんだから。
 作品に過剰な期待はしていない。
 だいもんがどんだけ愉快でも、作品に足を引っ張られて、不完全燃焼で終わるかもな。
 そのへんは覚悟、心づもりしておく。

 でもま、とてもわくわくと初日を迎え。
 仕事の打ち合わせもあったので、早めに梅田へ行き、仕事が終わったあといそいそとキャトルレーヴへ行って、プログラムやらブロマイドやら、なんかよくわかんねーミラーなんぞを買い込み。
 キャトルレーヴでは「望海風斗特集」をやってますよ、コーナー出来てますよ! ここぞとばかりに過去の舞台写真を買わせようと並べてますよ!!
 ええ。
 迫力のカポネ様と並んでいる写真が、桃娘@『虞美人』でした。

 ギャフン。

 よりによって、桃娘……。
 あー……ありましたねええ、そんなのが……。(遠い目)
  『1789-バスティーユの恋人たち-』のフェルゼン様がひどいという話(笑)、続き。

 フェルゼンという人物の描き方が酷い。
 なんつーんだ、「いなくてもいいのに、無理矢理出番を作りました」感がゆんゆんするからだろう。
 本当に必要で、役割があるなら、作者が意図した通りの人物に見えただろう。
 作者の意図……アントワネットやルイ16世と同じく、「行いの是非はともかく、悪い人間ではない」「仕方なかったのね……可哀想」てな風に観客から憎まれない、感情移入される「いいもん」ポジション。
 アントワネットが巨大ルーレットになって馬鹿騒ぎしていても、最後の「神の裁き」ソロで客席の涙を誘うように、フェルゼンもまた、「いい人」でなきゃいかんのだろうに。
 それが、空気読めなくてキレやすいアホの子になっているのは、扱いがぞんざいなせいだろうなと。

 フェルゼンを出さなくてはならない。
 出すだけじゃない、見せ場を作らなくてはならない。
 もっともっと、何度でも、とにかく隙あらば舞台に出さなくてはならない。

 そういうオーダーがあり、仕方なく出番と見せ場を水増しした。
 いなくてもいい役なのに、なんでそんな無茶なオーダーをされるのかはわからない。大人の事情だろう、としか。
 でもとにかく、無茶でも不必要でも、出さなくてはならない。から、無理矢理出した。何度も出した。出なくていいところにしゃしゃり出てくるから「空気読めない人」「迷惑な人」「カンチガイした人」になってしまった。
 見せ場をつくらなくてはならないから、とりあえず戦わせれば男役はカッコよくなるから、チャンバラをさせた。でもフェルゼンは戦う必要のナイ人なので、誰と戦わせればいい? フランス軍人と戦わせるわけにはいかない、立場上。てことで、丸腰の一般市民相手に剣を抜く「卑怯者」になった。

 雑な扱いだわー……。
 これで「かっこいい役」に見せろってのは、無茶振りもいいとこ。


 初日はほら、暁くんの芝居も浮いてたからさー。フェルゼンが「おねえさまにのぼせあがった少年」にしか見えず、アホさに拍車をかけたのね。
 「フェルゼン」という役にしては、存在が軽すぎて「世間知らずのおぼっちゃん」感が強かった。
 それゆえ、一方的な罵倒と抜刀、葬儀侵入てへぺろ、不倫相手の家に突撃、がすべて、空気読めないアホの子行動に見えちゃったの。主役四重唱にまざって苦悩されても、「カンチガイちゃん」にしか見えないという。

 大変だなー。


 とまあ、好き放題言ってますが。

 暁くん、めっちゃ成長してた。

 覚悟してたの。
 暁くんというと、台詞を言うだけで……つーか、声を発するだけで「誰今の?!」と二度見しちゃうくらいの舞台クラッシャー。『THE MERRY WIDOW』も 『THE KINGDOM』も見事なくらい、ひとり学芸会状態だった。
 今回もまた、アレをやられるんだろうなあ。フェルゼンって重要な役っぽいし、そんな役で、大劇場で、素人丸出しの女の子声を聞かされるのか、きついなー、でもなんとかして耐えなきゃなー、と覚悟していたの。
 なのに。

 ヘタじゃない……!!

 すっごい成長してる、びっくりするほどヘタじゃない、世界壊すほど浮いてない!
 つか、けっこうふつう? これくらいならまあ、アリなんじゃないかなってくらい、ふつうに見られる。

 すごいすごいすごい!
 短期間でどうしちゃったの?
 成長するんだねえ、このままずっとヘタなままかと思ってたよ。

 でもって、歌も、ひどくない!!

 ふつーに歌ってる! すげえ!
 どうしちゃったの、マジで。
 人ってこんなに変わるものなの??

 や、若さとぷくぷく具合と存在の軽さは、今の学年とキャリアではどうしようもないことなので、置くとして。
 それ以外の部分を、すごくすごくがんばってきたんだなと。努力したんだろうなと。

 これだけ「できる」ところを見せつけてくれると、うれしいねえ。
 立場が人を作る、を実践して見せてくれると、わくわくするねえ。
 これから先、もっともっと変わるのではないか、伸びるのではないか、と期待しちゃうよねえ。
 タカラヅカはジェンヌの成長を見守る楽しみもあるわけで、こうやって結果を出してくれる子を見られるのは、タカラヅカの醍醐味ってもんだ、こりゃ応援しがいがあるだろうねえ。

 と、わたしは暁くんの成長っぷりに感激しきりだったわけですが。

 久しぶりに月組を見た友人から「あのフェルゼン役の子、ひとりヘタ過ぎるけどあれでいいの?」とばっさり言い切られ、「いや、その、あれでもすごく、うまくなったわけで……もごもご」と語尾が弱くなりました。
 そ、そうか……客観的に見ると、まだそこまでヘタか……。
 でもでも、継続的に月組も観ている人からは「暁くん、すっごくうまくなった!!」と同意を得られた。
 前の破壊的なデキを知っているかどうかで、評価が変わるのかもしれない。

 わたしは、今回の暁くん、いいと思うな。
 初日より次に観たときの方が良かったし、3回目に観たときは、またさらによくなってた。
 どんどん成長してる。
 それを眺めるのは、楽しい。
 前日欄でちょっと名前を出したけれど。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』のフェルゼン、って、なんつーか、すごいね(笑)。

 感動したことはさー、タカラヅカにおけるフェルゼンという役は、もれなくKYでなくてはならないのか! ということ。

 植爺作『ベルサイユのばら』のフェルゼンは、人格破壊された、ものすげー人物造形なんだけど。
 空気読めないレベルじゃない、人としてありえない思考言動行動の人なんだけど。
 それを何十年何十作と続けてきたから、もうそれ以外存在しなくなってるのか?? とウケるくらいには、『1789』のフェルゼンのアホアホっぷりはサワヤカに突き抜けてました。

 まず、初登場シーン。
 もう会うのは自殺行為、てな雰囲気なのに、それでも愛するマリーちゃんと密会いそいそ。
 このときのアントワネットも大概バカ女なんだけど、対するフェルゼンがまた、バカ女の他愛ない言葉を額面通り受け止めてうろたえるバカ男で。
 ……ラヴラヴカップルの「もうあたしのことキライになったのね」「そんなことないよ、愛してる!」「嘘よ嘘、キライになったのよ」「愛してる君だけだ!!」って定番のいちゃいちゃ会話だから、これはもう定型文としてスルーすべきとしても。
 このバカップルの痴話喧嘩に巻き込まれたロナンに対し、本気で剣を抜くフェルゼンの、ドアホさはどうしたもんか。

 どう考えても、ロナンは悪くない。巻き込まれ、被害を受けただけ。
 わけもわからないでいる被害者の言葉が多少礼を欠いていたとして、仕方ないだろうに。
 てゆーか、場所的に場違いなのはフェルゼンたちであって、場所柄にあった物言いをしたロナンに、自分たちだけが生きる世界のルールを振りかざして激怒する、ってフェルゼンどんだけ小物なん……。
 銭湯に入っておきながら、「高貴な私の前で裸でいるとは、無礼者め!」と他の客に怒るよーなもんっすよ……。

 しかもフェルゼン、剣抜くし。

 丸腰の一般市民相手に、プロの軍人が抜刀……。
 これマジで最悪ですよ。お隣のピエール坊やを後ろからピストルで騙し撃ちしたド・ゲネメ公爵並の外道ですよ……。
 貴族だから、平民なんか無礼討ちにしていいって思ってるのよね。や、この時代の貴族なんだからそう考えてるのがあたりまえだろうけど、現代日本でそれを披露する意図はどこに?
 全体的な描き方からして、「フェルゼンは外道」としたいわけではなさそうなのに。

 あと、さらに最低なのは、この一連の言動が、アントワネットへのアピールに見えること。
 本当に心からそう思って行動しているのではなく、アントワネットへの点数稼ぎでやっている、ように見えるのだわ。わたしには。

 あー、いるよねー、こういう男。暴力を振るうことで「オレかっこいい」とアピールする男。レストランで彼女の料理に虫が入ってた、てなときに穏やかに注意するんじゃなくて、怒鳴りちらして暴力ちらつかせて、店員を土下座させて泣かせて、「ほら、お前のためにやってるんだぜ、チラッチラッ」と「かっこいいオレ」アピールする、みたいな。
 こんなことされたらふつーは、即行別れると思うけど。というか、「お前のためにやってるんだぜ、チラッ」の段階で彼女、逃げ出して店からいなくなってると思うわ。

 「こんなにアナタのことを想っています」アピールで、その場に居合わせただけ、という、無関係の丸腰の市民を殺害……。通り魔殺人レベルかよ。

 と、ここまでも「これ以下はそうそうないぞ?!」レベルの最低状態。

 なのに。

 まだ、下があるのだ!!(笑)

 かっこつけて剣を抜いたフェルゼン。

 剣の腕は、へっぽこだった。

 ちょ……。
 ギャグかよ!! ヨシモト並……。

 まさおさんも悪いんですけどね……。ロナンじゃなく、まさおさん(笑)。
 まさおがもう、ダンス苦手な人は殺陣も苦手なのか!と感心するレベルでへっぽこな動きをするので、相乗効果になっていて、フェルゼンだけのせいじゃないとは思うんだけど……。
 あまりにもふたりして、へなちょこな殺陣を繰り広げるもんで、見てられない。

 これ、なんのためにやってるの?
 フェルゼンの人格を貶めて、かっこ悪い主役を見せられて、演じている本人たちは無駄に大変そうで、誰も得しないんですが。

 いやもおほんと、最低最悪でした、フェルゼン様。


 初登場がこれでしょ。
 フェルゼンはアホの子、と自己紹介したよーなもん。

 その「アホの子」設定を踏まえて。
 会うのはNG、アントワネットのためを思うなら彼女の周りをうろちょろしてはいけないのだとわかりきっているのに。

 王太子を亡くし、アントワネットが大変なことになっているその最中……国をあげて葬儀やってる教会に、わざとらしい変装をして、まぎれこんでるとか……ギャグ? もうマジで、笑い取るためにやってるのかと。

 いやその、なにかしら彼にドラマがあるなら、違ったかもしんないけど。
 台詞もなく、変装してこっそり……でも、フェルゼンだとバレバレな様子で出て来るもんだから。
 演出としてね、「わかる人だけにわかる」じゃなくて、観客すべてに「あ、あそこにフェルゼンがいる!」とわからせなくてはならないわけで、従って「変装してこっそり」にはならないの、「変装してるくせに、バレバレ」という姿になるの。
 仕方ないけど……アホ度がさらにランクアップ!
 アホや……こいつ、マジでアホや……(笑)。

 で、立場をわきまえたアントワネットから三行半突きつけられ、今度はほんとに会いに来るし。
 で、完膚なきまでに拒否られるし。

 キラキラ着飾りまくったフェルゼン様が、地味なルイ16世に負けてすごすご退散……って、画面的にもまた、ギャグっぽい。


 植爺『ベルばら』もひどいが、イケコ『1789』もひどいな、フェルゼンの扱い。
 フェルゼンってのは、アホでなきゃいかんルールでもあるんかい。
 あ、景子タンのフェルゼン@『ジャン・ルイ・ファージョン』は違ったか……。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』でいちばんオイシイ役を考える。
 って、もう何回この話題(笑)。

 今回は、構成上とか人事含みとかでもなく、ただ純粋に、「わたし」がオイシイと感じる役の話。
 わたしがこの公演を観て、ただ観るだけじゃナイ、フタ桁回数リピートするとして、いちばん楽しいと思える役。
 まあつまり、まっつがいたとしたら、なんの役で観たいか。
 キムくん時代の雪組にこの作品が来たとして、どの配役をベストと考えるか。

 そんなことを、考える。や、好きですから『1789』。好きな作品は妄想配役しちゃうじゃん?

 妄想配役っつてもね、哀しいかな染みついた脇役ファン根性。大劇場公演の主役をご贔屓でなんて、妄想すらできないという(笑)。
 考えるのはいつも、主役以外。
 だから今回は、ロナン以外で、どの役だったらうれしいか。


 単純にオイシイ役は、アルトワ。
 耽美なビジュアル、悪役、エロ、トンデモソング付きのイケコ悪役。

 ……なんだけど、アルトワ役には魅力を感じない。
 や、楽しいこともわかるけど。
 だってうちのご贔屓、この役、もうやったことあるから、いいや。
 「私は神だ」より、もっとひどいトンデモソング歌ったもん。

 「海馬に乗った征服者~~♪」

 海馬の帝王やりましたから。
 数あるイケコ悪役の中でも、1、2を争うトホホさと自負出来る役。
 アレを超えるトンデモさはナイわー。

 イケコの悪役はみんな同じ。世界征服を歌うトンチキ野郎。
 そしてまっつは海馬の帝王の他に、ジオラモさんだってやりました。はっちさんや星原先輩を従えての大ボス、という罰ゲームみたいなハードル高い役だって、経験済みです。

 もう見たことあるから、アルトワはいいわー。


 んじゃ、ペイロールはどうよ。
 というか、わたしの周囲では「ペイロール@まっつ」一択、てな勢い。
 だって、違和感なさ過ぎだもんね。得意分野だもんね。
 ザ・悪役。冷酷残酷、ドS。美声で朗々と歌う大人の男。
 まっつがペイロールなら、どんだけこわくなるか、冷酷極まりないか、想像するだけでぞくぞくしますな。
 あのまっつヴォイスで「服従ソング」とか歌われちゃったら、平伏すね。
 どんだけ威圧感あふれるキャラになるか。

 でもって個人的に、キムくんを鞭打つまっつが見たいとは思います。
 や、もしもまっつが『1789』に出たとしたら、それはキムくん時代の雪組だろうなと。だからロナン@キムで脳内が勝手に妄想劇場。

 似合うこと、ハマること、わかりすぎているけれど、ペイロールでもない。
 わたしが「オイシイ」と思う役。


 アルトワにしろ、ペイロールにしろ、この役がご贔屓だったら、ただご贔屓単体で萌えて楽しく劇場に通ったと思う。
 役単体で、かっこいいから。素敵だから。

 でも。
 わたしはすでに、ゼイタク体質。
 単体でかっこよくても、それだけだと物足りない。

 求めるモノは、関係性。


 だから、やって欲しい役は、「20回楽しくリピート出来る役」は、革命家のうちのひとり、だ。
 キム時代ならまっつは3番手だから、ロベスピエールかデムーランだな。ダントンはない。ロベスピエールとデムーラン、どっちでもアリだと思う。……というくらい、今演じているふたりに個性を感じていない、とも言う(笑)。

 3個イチ扱いの革命家トリオは、おいしくない。
 そうさんざん書いたけれど、それは構成的にとか、客席の1ヅカファン目線とかであって、「20回リピートする」コアなファン目線でじゃない。
 数回なら、単体でかっこいいだけでもいいけど、えんえんえんえん見続けるなら、贔屓の役に「相手」がいる方がいい。絶対。
 がっつり芝居する相手。もしくはチーム芝居をする相手。
 精神的に濃いつながりのある役がある……そういう役。

 贔屓を観て楽しい、相手役を視て楽しい、ふたりが深化させていく関係性を見て楽しい。そして、いろいろ妄想出来てさらに楽しい、という。

 雪丸@『一夢庵風流記 前田慶次』は基本単体の悪役だったけれど、相手役がいた。利用しているだけかと思いきや、どうも本気だったらしいよと、見ていてわかった……その、「見ていてわかる」楽しさよ。

 そしてなにより。
 ベンヴォーリオ@『ロミオとジュリエット』の楽しさが、焼き付いている。
 孤独な悪役よりも、2個イチ3個イチでも、仲間とわちゃわちゃやっている役がいい!!
 その方が絶対楽しい、毎回毎回、見るところが多すぎる! 本人も仲間たちも、みんな生身の人間だから、見るたびチガウ! 見切れない、飽きない!

 ……ということで、革命家……恋人のいるデムーラン希望かなー。

 他の人から「革命家おいしくない、3個イチで個別の印象ナイ」と言われても「そーお? あたしは楽しいからいいや」と言って終了(笑)。

 まああ。
 さんざん構成的にどうとか言ってきておいて、なんなのこのダブスタ、アタマ悪いオチ!(笑)


 同じ意見をコメントで入れてくれた人がいて。その人に「フェルゼン見てみたい」と言われ、膝を打った。
 フェルゼン@まっつ見たいかも!!(笑)
 愛の暴走列車、空気読めません、の、へなちょこ美男子。
 まっつだったら無駄にシリアスになるのかなー。アントワネットはキム時代の雪ならかおりちゃんかなー、まっつ×かおりなら迫力のアダルトカップルだニャ。


 ……なんてね。
 ありえないことを語っても、虚しいだけだけどね。
 ほんと、まっつがいてくれたら。いてくれるだけで、よかったのに。
 だけどいつも考える。まっつがいたら、と。
 時が止まっているので、キムくん時代の雪組で妄想することが多いかな。
 キムみみ、ちぎまつ。ヲヅキがいて、コマがいて……そんな時代。

 あー、まっつめ。ため息。
 しつこくわたしは、まっつまっつまっつ。
 でもって『1789-バスティーユの恋人たち-』
 わたしの周囲ではあまりいい評価を耳にしないんだけど。
 でもってわたしも、こんな風にいろいろ疑問なり愚痴なり言ったりしてるけど。

 わたしは、好きです。

 たーのーしーいー。

 やっぱ音楽だよなあ、ミュージカルは!
 観終わったあとも音楽がこびりついて離れない。
 ズンダコダ・ダコダッ、とか、幕間に脳内鼻歌歌ってる(笑)。で、終演後は花の道を「サイ・ラ・モナムール きっとうまくいく♪」って脳内歌唱しながら帰ってる(笑)。

 いやあ、破壊的な歌唱力の人がいなくて、いいっすね、月組さん!
 素直に楽曲の素晴らしさに酔ってます。

 まさおきれーだし、歌うまいし。まさお節ちょっとマシになってるし。
 マギーかっこいいし。みや様美しいし。

 あ、初日観劇後のわたしのつぶやきは、ただひとつ、「フィナーレのみやるりの美しさがやばい。」だった。
 ほんとにもう、クチぽかーん開いちゃう美しさ!!

 ちゃぴきれいで華やかで、うまくてかわいくてキラキラしてて!!

 客席登場時、真っ暗で誰が誰かわかんなかったのに、たまきちの背中のたくましさがシルエットからして素敵で!
 やっぱたま様はカラダよ、カラダ! あのガタイ!(笑)

 まゆぽんとあーさが、かわいくて。

 イケコのとしくんの扱いには毎回苦い思いをしてるけど、それはともかく、群舞でとしくんのダンス眺めるの好きだし。

 やー、楽しいわー。

 オープニングが地味過ぎてちょーがっかりしたし、導入部分ももったりしててさらにがっかりしたけど。
 アントワネット登場からは俄然楽しくなった。
 やっぱイケコはこうでなきゃねー、スペクタクルで、テーマパークのアトラクションみたいでなきゃねー。

 でもってわたし、個人のささやかな話からスタートして、世界レベルにまで風呂敷広げる話、好きなのね。
 だから、たかがパリの一市民、名もなきロナンくんが死んじゃっただけで、もっともらしくみなさんが人権宣言までしちゃうの好きよ。
 最後にロナンが白装束でせり上がってくるのも、お約束で大好物!(笑)
 タカラヅカはこうでなきゃ!!


 細かいことは置いておいて、舞台という夢に酔う。
 イケコの海外ミュージカルって、そういう力がある。よーく考えると変なことや納得出来ないこと、好みではないことがいろいろあるんだけど、そのへん考えずに、わーーっ!!と高揚する。どきどきわくわくする。たぎる。
 それが、楽しい。
 エンタメの醍醐味だと思う。

 なんだろ、心を浮かせる時間? 
 心ってのが、やわらかい袋のようなモノで、えーと、ゴムみたいな伸縮性のある素材の、中に水が入った巾着袋。……我ながらみょーなイメージだが。それが、「心」だとする。
 普段は定位置にしっかりつながれてるのね。金属製のアームとかでがっちりホールドされてる。やわらかいものだから、固定しているアームがゆるむとそこだけ変形したり、重みで垂れ下がったりしちゃうのね。だから固定は確実に。
 その固定された水袋を、アームから放して、自由に浮かせる感じ。
 ふつーならアームはずしたら下に落ちちゃうんだけど、そのときだけは水中みたいに袋がぽよよんと浮くの。

 イケコエンタメ体験は、そんな感じ。
 水袋が浮いて、ゆらゆら漂っている。
 その圧で袋がちょっと変形するのも、適度な刺激、快感だったり。

 ……繊細な感動とか文学的な感動とかでは、ないのよね。だからあくまでも体感アトラクション的感動。
 水袋が浮く、思考ではなく、物質でイメージする、そんな感覚。


 てことで、ほんとたのしい。『1789』。
 あくまでも、「役」の話、演じている生徒さんの話ではない……として、『1789-バスティーユの恋人たち-』の疑問なり意見なり語ってきた。

 構成に問題があるから、仕方ない。と。

 が。
 それでもやっぱりさ。

 革命家たちの弱さは、演じている人の問題も大いにある。

 なんでああまで埋没し、かつ、おいしくなくなるかな?

 得に、デムーラン@カチャ。

 革命家トリオと言っても、コマは扱いが低いので、デムーラン@カチャとロベスピエール@たまきちの問題なんだよね、ほんとのとこ。
 このふたりが、弱いのだわー。
 群衆芝居で突出した光を放てない。
 たまきちはそれでも、後半の群衆場面でセンターとして説得力を見せる場面があるんだけど……カチャさんは……。
 ヘタではないし、ふつうに歌って喋っているんだけど……個別化されない。

 不思議だわ。
 カチャとたまきちって、体格がチガウのでふたり並ぶと差別化しやすいと思うのよ。
 華奢とガチムチで。
 なのに何故だ、この役では印象が薄く、革命家という役割の人がいた、ということしか印象に残らない。

 どっちもインテリおぼっちゃまキャラ、どっちも優しくいい人、という設定が難しいのかな。
 かろうじてダントン@コマはお笑い系キャラとして差別化しているけれど……ダントンは比重低いし、そんなお笑い別にいらんし。
 肝心なのは、カチャとたまきち。
 このふたりが足りない分、主人公チームの格が下がり、引いては作品全体のパワーダウンにつながっている。

 カチャの役はロナンの親友らしいけど、そんなんぜんぜん伝わらないし。
 そもそも友情も見えないから、ただの知り合いレベルに思えるから、ロナンがグレて疑心暗鬼になってデムーランたちと衝突するのが唐突というか、ぜんぜん大したことに思えない。
 なんか今さらつまらないことでもめてるなあ、てな。

 ケンカ別れ → 和解、がドラマになり得るのは、そこに友情が存在してこそ。
 ただの知り合い、レベルだと、なんのカタルシスにもならない。


 まさおさんはただでさえ「友だちも理解者も誰もいません、そもそもいりません。私は私単体でまさおというイキモノです」となりがちなんだから、愛でも友情でも、真正面からきちんと描かなくては伝わりにくいのよ。
 まさおがそーゆーキャラなのはもう仕方ないから、周りが受け止め、合わせなきゃ。

 むー。
 わたしは一度、カチャさんとまさおさんが、ガチで友情だの愛憎だのにもつれる芝居を観てみたいなああ。
 男同士がいいです、どっちかが性転換しなくていい。同世代の男ふたりが、ガチに憎み合ったり、友情したりする話が観てみたいです。
 『明日への指針』程度の絡みじゃ足りないのよー。でも、あのときのふたりの感じはよかったから、もっともっと、ちゃんとマジに芝居する話が見たいのー。

 そうすれば、カチャはなにか、変わるかも?
 とか、勝手に思う。
 まさお氏とガチでやりあうのは大変だと思うので、そっからなんか花開いてくんないかなあと。

 今のままだとどうにも収まりが悪い。
 『PUCK』のときのような、「脇のちょっとオイシイキャラ」をやる分にはいいんだけど、真ん中で場を牽引する役は、カチャさんには荷が重いようだ。
 荷が重くても、今のカチャさんがいる立場は、あたりまえにソレを要求されるので、そんならもうあとはなんとか、立場に相応しいスキルを得てくれと。
 観客のために、どうかそこんとこお願いします。
 って、カチャもう研13かあ……。


 革命家がどうにも残念で、一方アルトワ@みやちゃんはオイシイ役だなあ、とは思うけど。
 こちらも、まだなんか足りない気がしている。
 イロモノキャラで中身がないので、これ以上やりようがない、てのはあるだろうけど……ナニが足りないのか。

 ってそれはやっぱり、基本的実力だろうなあ。

 みやちゃんがあのビジュアルで、もっと歌ウマだったらなああ。
 トンデモソングを歌って場を支配するには、それに相応しい歌唱力が必要なわけで……。
 みやちゃんの声は好きだ。あの美麗な顔から意外なほど、低く太い声。
 だけど滑舌がいいわけでもないし、歌も上達しているとはいえ、微妙だし。
 エコーびんびんにコーラスがんがんでナマ声がわからなくなるレベルにしないと、あのアヤしさを形作れない感じなのが残念。
 あそこでみっちゃんレベルの歌声が響いたら、どんだけ場を圧倒するだろう……。あ、みっちゃんの歌声は、ああいうイベントソング(ゲーム中に突然スタートするムービー場面)に合うよなー(笑)。


 反対に、ペイロール@マギーは、役の比重以上に、マギー自身が役をおいしくさせていると思う。

 もともとマギーの得意分野とはいえ。
 見事に求められる役割を果たし、華々しく輝いている。

 こちらももう少し歌ウマだといいなとは思うけど。
 必要な分はクリアしているし、唯一無二な感じがいいわ。この分野でオレの右に出る者はいねえ的な。

 凸凹を削って埋めて、平坦にしたこの作品で、ペイロールも目立ちすぎないよう配慮されているのに。
 それでも、最後の階段降りで脇として降りてくるのに違和感を持つくらいには、主要キャラとして自力で確立しているわ。

 この仕事ぶりを最後に専科へ羽ばたくとか、なんて力強いんでしょう。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』の構成を、つらつら考える。

 このいびつな作品をふつーにするには。
 いちばん手っ取り早く、簡単確実なのが、オランプを、トップ娘役が演じる。
 コレですな。

 ここさえ正しくすれば、8割り方修正できたようなもん。

 で、トップ娘役の役でなければアントワネットにあんなに出番も見せ場もいらない。
 王族側の比重は全体的に落ちる。
 『黒い瞳』のロシア宮廷レベルで十分。

 ヒロインだから、オランプに銀橋ソロとセンター場面がある。


 次に、革命家を、ひとりにする。

 革命家トリオが埋没しているのは、ひとつの役割を3人でやっているから。
 しかも、他にも大人ポジションの医者兼印刷屋の親父とか、印刷屋の仲間たちなど、「似た役割」が複数いる。

 メインキャラの役割は、他と分け合わない。

 プチブルの革命家は、ひとり。
 あとはその他大勢。
 ひとりだから、放っておいてもキャラ立ちする。目立つ。

 そのたったひとりが、主人公ロナンの親友となる。
 主人公の親友だから、もちろんいい役、オイシイ役。
 ロナンと友情を育む場面とエピソードを描く。「腹ぺこ浮浪者と革命家が出会いました」→「次の場面では親友」ではなくて。

 革命側に3人必要だ、というならば、「役を3つ作る」のではなく、「役割を3つ作る」べきだ。
 今のように「プチブル革命家」というひとつの役割を3人で演じるのではなく、役割自体が別。
 ロナンが「革命とか言ってるのは、飢えたことのないブルジョワじゃないか!」と反発するのが物語上重要になっているらしい(らしい。たぶん。そうなんじゃないかな。そうは見えないけど、ストーリーを俯瞰しての推測)ので、プチブル以外の立場の革命家を作る。
 ロナンと同じ印刷屋で働いてる、金も学もない市井の青年。今のイメージだと、としくんがやってる役みたいな。
 もうひとつの役割は、ロナンに職と居場所を提供する大人の男、医者兼印刷屋の親父。

 裕福層のインテリ革命家、最下層で拳を振り上げてるだけの無教養革命思想青年、地に足着けて活動している勤労革命家。
 この3人が、ロナンと出会う……てことにすれば、「革命チームおいしくない。3個イチ扱い」にはならない。

 中でも、実質革命のリーダーとなるプチブル革命家には、銀橋ソロ必須。
 革命家トリオは今もそれぞれセンターになる場面があるけれど、みんな等しく「群衆の中で、みんなの意志を歌う」という意味のセンターだ。役割を歌っているだけ。たったひとりでそのキャラ個人の思いを歌うわけじゃない。
 今の『1789』で単体で「役割ではなく、自分の思いを歌う」のは、ロナン、アントワネット、アルトワだけだ。

 主要キャラならば、「役割」ではなく、「心」を歌わなくてはダメだ。たったひとりで。


 ヒロインがオランプだから、宮廷場面は削れる。アルトワとフェルゼンはいなくていい。悪役はペイロールに一任。かつ、ペイロールの描き方は現状のままでいい。
 空いた時間で、オランプのソロと、ロナンと革命家の友情を描く。
 ペイロールに革命家との友情の危うさを指摘され、ロナンがいったん革命家から離れる。びんぼー革命仲間と勤労革命親父とのエピソード入れて悩みを昇華し、ロナンは再び革命家と手を取り合う……で、あとは今の構成と合流。

 ロナンが革命チームのセンター、重要人物みたいな描き方はしなくてもいいと思うなー。
 テニスコート場面とか、センターはあくまでも革命家、ロナンが合流しても革命家の後ろに立つ、でいいじゃん。ロナンは名もなき民衆のひとりなんだから。もっとも豪華な軍服着たアンドレが「オレは平民、貴族のオスカルとは結ばれない」とか言ってるよーな嘘くささに興ざめる。
 2番手の斜め後ろでトップが踊っててもいいじゃん、ショーではなく、芝居の一場面なんだから。

 アントワネットはあくまでもアクセント的な使い方で。


 役の番手は、ロナン主役、オランプヒロイン、革命家が2番手、ペイロールとびんぼー革命青年が3番手あたり、革命親父はそれよりちょい落ちるぐらいの比重かな。もちろんソレーヌは今のままで。

 3人の革命家、ロベスピエール、デムーラン、ダントンのうち誰かひとりを2番手役に。
 ロベスピエールがいいと思うけどなー。ヅカ的にわかりやすいから。
 残りふたりはモブの革命チームへ格下げ。

 今演じている人の話はしていないので誤解なきよう。
 ちゃぴやみやちゃんの役いらない、わかばヒロインで2番手はたまきちで! と言ってるわけじゃないよ。
 あくまでも、役の話。物語の中の、キャラクタの話。


 現在の『1789』をベースに、できるだけ元をいじらずに手を加えることで、いびつさを解消するにはどうするか。
 で、構成を作り直したあとに、番手順に役を振れば、出来上がりっすよ。

 問題は、その番手がわからないことなんですけどね。
 んで、番手がわからないゆえに(番手をわからなくするために)、今のいびつさを作為的に構成しているとしたら、ほんともうお手上げってもん。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』の、革命家チームのどうしようもなさは、どうしたもんか。

 本来なら、革命家たちのポジションは、オイシイはずだ。
 主人公陣営で、物語の中心であり、革命を「起こす」というわかりやすいアクションがある。
 ただあるがままに書くだけで、勝手に物語の主流として盛り上がってしまう、目立ってしまう役のはず。

 なのに、この目立たなさは、わざとか、と思う。

 わざと……意図的に、やっている。

 役者の力量云々という話は別次元なので、今は置く。
 「どんなにおいしくない、目立たない役でも、天才が演じれば主役になる」という北島マヤ理論(=なのに、革命家チームがキャラ立ちしないのは、カチャ・たまきち・コマが天才でないせい、彼らの能力不足が原因、という見方)は混ぜないで。
 そんなもん、この世のありとあらゆることが、「天才なら出来た」「できない凡才が悪い」で終わってしまう。
 脚本・演出上の話。
 また、原作がこうだから、も関係ナシ。なんでもかんでも原作のせいにしたら、「ここが変だよ」「だって元のミュージカルがそうなんだもん、仕方ないよ」で思考終了してしまう。
 あくまでも、タカラヅカの舞台のみの話。

 全50話の大河ドラマなら、いろんなキャラクタに焦点をあてて描けるけれど、タカラヅカの通常公演はそうじゃない。
 短い上演時間内では、主人公の仲間である革命家たちを、描くことができなかった。
 だから3人の革命家たちは、いつも一緒に出て来て一緒に喋り、3人で1個の印象。「なんか3人いた」という印象のみ残す。

 何故そうなるか。
 革命家たちの物語上の役割が、ひとつしかないためだ。

 3人いるけれど、役割はひとつ。
 別に、3人である必要はない。5人でも7人でもいい。7人のこびとが7人である意味を問うなってなもん。彼らは7人で「7人のこびと」という存在であって、ひとりずつに意味はない。ドジっこがいたりリーダーがいたりと性格があるとしても、役割はひとつ。
 革命家トリオも、それし同じだ。

 5人でも7人でもいい……つまり、ひとりでいい。役割がひとつだから、ひとりで十分。
 革命家がひとりだけなら、主人公ロナンの親友として、十分目立っただろうし、キャラ立ちもしただろう。
 が、3人にすることで、あるのは役割だけになり、キャラは埋没した。

 タカラヅカは80人からの出演者にできるだけ多く役を付けなくてはならない、という縛りがある。
 ひとつの役割を3人にやらせることは、「役を水増しする」という観点においては、ありがちなこと。
 だから、革命家トリオだけなら、『ベルばら』における「ジャルジェ家の姉妹たち」が何人いても同じようにしか見えないのと同じ意味、仕方ないことかと思える。

 が。
 もうひとつ、腑に落ちないことがある。

 悪役のアルトワは「いなくてもいい役」だが、革命家たちは「必要な役」だ。
 いなくてもいい役が単体で目立ち、必要な役が埋没している、この現状。
 いなくてもいいアルトワには、ストーリーと無関係だからこそ脈絡なく派手な場面が用意されており、必要なはずの革命家たちには単体での見せ場がない。
 作り方が、いびつなんだ。

 ふつうに作劇するならば、派手な見せ場、キャラを特徴付けるエピソードや場面は「必要な役」に与える。いなくてもかまわない役には、見せ場なんかない。
 が、わざわざ逆にしてある。

 つまりそれは、「すべての役を、等しく目立たなくする」という目的があるのではないだろうか?

 必要な役に派手な見せ場を作ったら、その役が「オイシイ役」に、つまりは2番手役になってしまう。
 2番手を作ってはならないので、必要な役にピンでの見せ場は与えない。
 そして、いなくてもいい役には見せ場を作って底上げする。
 凸は削って、凹は埋めて、平坦にする。

 ……そんなことをしても「つまらない」出来になるだけなんだが……。

 群像劇だから、キャラクタの描き方や見せ場を「等しく」しているのだ、という理屈は通らない。
 群像劇というのは、面白い部分を削って「等しくつまらなく」したものを言うわけじゃないだろう。
 それぞれ単体でも魅力あるドラマを持ったキャラクタたちが、平行して描かれるはずだよな? なにも描かれていないモブに毛が生えただけの役をたくさん並べて「群像劇です」とは言わないよな? 「ジャルジェ家の姉妹たち」が何人いても「姉妹たちの群像劇」と言わないのと同じで。


 このいびつさは、アントワネットとオランプにも共通している。
 いてもいいけど重要なキャラクタではない、せいぜい「象徴」として扱う程度が相当、と思われるアントワネットに見せ場を複数用意し、ヒロインのオランプには芯となる場面がナイ。
 凸は削って、凹は埋めて、平坦にする作業が、丁寧に行われている。

 この物語を、魅力あふれる面白い作品にしてはならない。
 最低限の体裁は取り繕うけれど、作劇の基本をぐちゃぐちゃにして、あえて、わざと、意図的に、つまらなくする。

 そんな作為を感じるんだ。

 や、んなことしてなんの得があるのかわかんないけど。

 作劇の基本をあえて壊し、ぐちゃぐちゃにしてなお面白いモノを作る!!という、実験作だったのかな?
 必要な役に見せ場を作るなんてあたりまえのことはしない、見せ場がなくても話は進むし、不要な役だろうと派手な場面があれば客は喜ぶんだから、どーでもいいじゃん。とか?

 それとも、人事的劇団指示がきついことへの、抗議? 開き直り?

 なんにせよ、本来凸であるはずの革命家たちが、突出した部分を削られて、つまらない平地にされてしまっているっぽいのは、歯がゆいです。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』初日観劇後、友人から「結局、2番手誰なの?」と聞かれて、「わかんない(´・ω・`) 」と返した。

 月組さんは2番手をぼかしているだけに留まらず、今回はトップ娘役までぼかしているので、ほんとわけわかんないニャ。

 人事上のことはともかく、この作品で「じゃあ誰がオイシイんだろう?」と考えたんだ。

 オイシイ、と感じるのは、演じている人が誰かにもよる。大したことない役を実力ゆえに「あの役オイシイ」と思わせる場合がある……ということではなくて。
 たとえば、ソロが1曲ある役を、2~3番手男役スターが演じれば「ふつう」だけど、番手も付かない超下級生がやったら「オイシイ」になる。
 その生徒のポジション、普段の扱いにより、「オイシイ役」は変わるんだよなー。

 だからそういう番手的なことではなくて。

 ごく私的に、「『1789』という作品の中で」のオイシイ役を考える。

 わかりやすくオイシイのは、見せ場がどーんとある、アルトワ@みやるりだと思う。
 イケコ定番の、「世界征服を歌う悪役」。マッドサイエンティストをそばに置いているか、あるいは本人がマッドサイエンティスト。
 今回はサイエンスの代わりに「媚薬」。

 ……なんだけど、歴代のイケコ悪役に比べて、いまいち。
 それは、どんだけ素敵に悪役でも、主人公に絡まない役は、重要ではないからだ。

 ぶっちゃけ、アルトワがいなくても、主人公ロナン@まさおの物語は成立するのですよ。

 悪い権力者の見本みたいなキャラで、すべての不幸はこーゆー男がのさばる社会構造にある、と思わせる上で、重要なのかもしれんが。
 ロナンという一市民が主人公である場合、関係ない人なのよね。
 ロナンの恋人オランプに横恋慕しているけれど、本気の恋ではなく、単にちょっかいかけてるだけだし。オランプは一切相手にしてないし。
 主人公にもヒロインにも相手にされていない役は、重要じゃない。

 神ソングを歌う場面がなかったら、ただのカーテン前要員だ。
 そして神ソングは、なくてもぜんぜんかまわない場面だし。


 ただ、その「いなくて問題ない」キャラで、「なくてかまわない」場面を、わざわざぶっこんでいることに、意味は感じる。
 耽美でぶっ飛んだ悪役は、エンタメ的に「オイシイ」し、神ソングはいいアクセントになっている。
 似合わない人・出来ない人がやったら悲惨だけど、みやちゃんはその美貌で素敵にインパクトを刻んでいるし。
 こういうイロモノキャラって「わかりやすい」んだよね。わかりやすさは重要。ファン獲得にいちばんつながる役。派手な見せ場は、ファンなら観ていて楽しいはず。

 ……でもわたしはやっぱり、「物語的にいなくても支障ない役」はオイシイと心から思えないなあ。
 ベネディクト@『オーシャンズ11』がオイシイのは、「悪役は彼ひとり」、唯一無二の物語に必要な役だから。
 悪役、という意味でもアルトワは、代わりが他にいっぱいいて、彼ひとり欠けても問題ないんだよね。

 で、個人的にいちばん問題だと思うことは、主人公や主要キャラクタと精神的つながり、やりとりのない役だってこと。唯一無二の悪役でなくても、いなくてもかまわない役でも。
 精神的なつながり(愛でも憎でも)があれば、それはいい役だと、わたしは思う。物語の構成についての数学的価値ではなく、ひとの心においての価値。
 アルトワが本気でオランプを愛しているとか、ロナンに個別認識の上執着されるとか、部下でも肉親でも友人でも、誰かときちんと心の交流を描かれている・生身の人間としてのエピソードがあるとか……今のキャラと見せ場に加えて、誰かと精神的に濃いつながりがあれば、名実ともにオイシイ役……確立された2番手役になると思う。

 ……逆説的に考えると、「2番手役にしたくない」から、わざと「見せ場はあるけど、中身はないよ」てな作りにしたということに?
 なんて、ひねた見方をしてしまいますわね。
 4月23日にあった発表について。
 ラインアップ発表はともかく、これは……。
組替え(異動)について

2015/04/23

このたび、下記の通り組替え(異動)が決定いたしましたので、お知らせいたします。   
月組
星条 海斗・・・2015年7月27日付で専科へ異動
※異動後に最初に出演する公演は未定です。

 予想出来たこととはいえ、このタイミングで来るか。
 自分がマギーファンだったとしたら、明日の初日をすっげーわくわく楽しみにしているところに、これ、と考えたらもお、……きついわー……。
 千秋楽に組替え挨拶をして欲しいから、千秋楽後の事後報告発表は絶対嫌だけど、初日前日はタイミングとしてひどすぎないか? せっかくの初日を平静で迎えられなくなってしまう。

 わたしの経験で語ると、ご贔屓の異動を知ってからしばらくは「もう組にいられないんだ」ということ、他組を観てもナニを見ても、組単位のナニかあるたび「もうこういう場に入れてもらえないんだ」とぐらぐらして、受け入れられるまでけっこうかかったぞ?
 それを過ぎたら、新天地での活躍を楽しみに……それがどんな扱いであれ、腹をくくってついて行く、なんでも来やがれ! というところに落ち着いたけど。
 結局その日は来なかったけど、異動する最後の公演は切なさいっぱい愛しさいっぱいで、初日を迎えたんだろうなあ、とか思うし。

 初日前日だと、腹をくくることも出来ず、組での最後の公演を迎えることになっちゃうからな。
 想像するだけできついわ。
 マギーファンがんばれ。


 当事者のファン……特に、新公主役経験ありのスタージェンヌでありながら、専科へ異動する人のファンには、心穏やかでないことだとは思うけれど。
 一ヅカファンとしては、若い専科さんが増えるのは、心強いことだ。
 マギーは技術自体はその、いろいろうまくないというか、苦しいところの多い人なんだけど、それを吹っ飛ばす「スタイル」のある人だ。
 見た目のことだけじゃなくて、童顔のかわいこちゃんタイプの多い昨今貴重な、「色悪」が出来る立役。登場するだけでラスボスキターーッ! と思わせる力。
 はっちさんの後継者として、その魅力をさらに磨き、広く長く、その魅力をタカラヅカで発揮して欲しい。
 遅くなっちゃったけど、4月23日に出た雪組ラインアップについての感想。
2015年 公演ラインアップ【全国ツアー】<2015年11月~12月・雪組『哀しみのコルドバ』『La Esmeralda(ラ エスメラルダ)』>

2015/04/23

4月23日(木)、2015年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、全国ツアーの上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   

雪組
■主演・・・早霧 せいな、咲妃 みゆ
◆全国ツアー:2015年11 月21日(土)~12月13日(日)

ミュージカル・ロマン
『哀しみのコルドバ』

作/柴田 侑宏 演出/中村 暁  
1985年に峰さを理主演により星組で、その後も1995年に安寿ミラ、2009年に真飛聖主演により花組で上演された名作の再演。舞台は19世紀末のスペイン、花形闘牛士として栄光の人生を歩んでいたエリオは、ある夜会で初恋の女性エバと再会したことから人生の歯車を狂わせることとなり……。全てを捨てて、愛に生きようとする恋人達の美しくも哀しい姿を、珠玉の名曲に乗せてドラマティックに描き出します。

バイレ・ロマンティコ
『La Esmeralda(ラ エスメラルダ)』

作・演出/齋藤 吉正
どこまでも続くエメラルドの海をバックに繰り広げられる、情熱の愛と夢の数々を描いたラテン・ショー。早霧せいなが体現する“情熱”をテーマに、極彩色に彩られたロマンティックなステージをお届けします。

 『哀しみのコルドバ』か!!

 何故だろう、この演目を観た途端、わたしのなかにはえらく偏ったイメージがまたたいた。

 ヒゲのゆーひさん、だいもん、白、裸足……。

 いやあ、すごいな人間の思考って。むちゃくちゃなラインだわー。

 えー、『哀しみのコルドバ』というと、わたしは真っ先にゆーひさんを思い浮かべました。ロメロ@ゆーひくん、素敵だったなー、と。
 2番手役だから、だいもんがロメロってことよね。と考えるのとほぼ同時に、同じ黒塗りヒゲゆーひさんと、新公でその役をやっただいもんが浮かんだ。イブラヒム@『愛と死のアラビア』、本役ゆーひくん、新公だいもん。
 ここで白いかぶり物……ターバンか、をなんとなくイメージして。で、そっから何故か思考が横滑りし、『愛と死のアラビア』本公演のだいもん、「神はおひとりです」キラキラ瞳の子役、ヤシムを思い出す。
 ヤシムのターバンは白じゃなかったよーな気もするが、何故か「白」とこのときはイメージしていて、そのまま『Red Hot Sea II』の「引き潮」場面になる。
 『Red Hot Sea II』というと、だいもん大忙し!!公演。どこを観てもだいもんがいる。ロケットで脚上げまでしてるしな(笑)。
 名ダンス場面「引き潮」で、3組のカップルが叙情性豊かに踊る……センターゆーひくん、そしてまっつとだいもん、彼らがそれぞれ恋人の女の子と波打ち際でキャッキャウフフするわけだ。
 衣装は白。まぶしい白。黒塗りショーだから余計に際立つ白。そして裸足。

 ゆーひくんとだいもんって、何故かわたしのなかでイコールで結ばれることが多くて。
 顔の雰囲気かなあ。まあよーするに、わたしの好きな顔ってことなんだけど。(鼻は大事です)

 にしても、『哀しみのコルドバ』から「神はおひとりです」で「引き潮」って、どんだけぶっ飛んだイメージやねん……。

 で、まともに『哀しみのコルドバ』を考えようとすると、ああ、彩音ちゃんの「妹萌え」シリーズのひとつか。という、これまた偏ったイメージが……。わたしの海馬って……。

 えー、再々演当時の花組トップ娘役桜乃彩音サマには、「妹萌え」という必殺スキルが備わっておりましてね。
 毎公演、相手役の真飛聖サマを「お兄ちゃん(はぁーと)」と呼んでおりましたのよ。前の相手役、春野寿美礼サマを「お兄ちゃん」と呼んでいた公演も入れたら、一体何作「妹萌え」な作品ばかりやらされていたのでしょうか。や、呼び方は「お兄ちゃん」「お兄様」など、いろいろだったけど。その呼び方の違いもまた、萌えキャラっぽい色づけ……。
 演出家のおじさまたちは、彼女にナニを見ていたんでしょうね……。

 ぶるぶるぶる、偏ったイメージを振り払って!!

 楽しみです、『哀しみのコルドバ』。

 ちぎくんのマタドール!!
 苦悩しまくるちぎくん!! 大好物です、ヒャッハー!!

 彩音ちゃんの演技力には足りないモノを多々感じていたもので、あのヒロイン役をみゆちゃんで見られるかと思うと、期待うなぎ上りっす。

 そしてそして、ロメロ@だいもん! ……勝手に決めつけてるけど、だいもんだよね、ゆーひくんの役だし!(根拠にならない)
 大人の男、エロい二枚目っすよーー!

 他にもいい役いっぱいあるし、まっつの扱い以外はほんと楽しい公演だったもんな、『哀しみのコルドバ』。
 や、まっつは全ツになると扱いを下げられるんです、下級生の下に置かれちゃったりするんです、いつものことです。劇団は推したい人を全ツで上げてくるからさー、あからさまだからさー。
 まっつが番手通りの扱いを受けていたら、もっと楽しかったのかなあ?

 ともかく。劇団が変なことをせず、ふつーに、まともに、配役してくれるといいなあ。
 てゆーか、日本物じゃないのが、心からうれしい。
 ノーモア日本物!(笑)


 『La Esmeralda』が全ツなのは、想定内。つか、『ファンシー・ガイ! III』じゃなくてよかった(笑)。
 初日好きなので行ってきました、『1789-バスティーユの恋人たち-』役替わり初日。

 オランプ@わかばちゃん。ソレーヌ@みくちゃん。

 ちょ……、ぜんぜん、印象違った!!

 初日、オランプ@くらげちゃんで観たときは、「トップ娘役はあくまでもアントワネット@ちゃぴ、オランプはトップスターのロナン@まさおの相手役」というだけだった。
 それが、ぜんぜんチガウ。

 オランプは、タカラヅカのヒロインだった。

 トップ娘役かどうかはともかく、間違いなく、タカラヅカのヒロイン。
 トップスターと恋をして、広大な大劇場の真ん中で愛だ恋だと歌い上げられる存在。

 これがヒロイン力か……!(白目)

 わかばちゃんは、それほどうまい人ではないと思う。純粋に、舞台技術だけで言うなら。歌はアレだし、声もよくない。芝居もできることが少ない。
 が。
 「ヒロイン力」がある。
 登場するだけで「わたしがヒロインです」と知らしめる力がある。
 姿の美しさだけでなく、……なんだろ、やっぱ華がある、ってことなのかな。

 だもんで、観ていて焦った。

 ロナンがちゃんと、オランプと恋をしている。
 「タカラヅカ」している。

 まさおが……あのまさおが、銀橋で娘役相手に、「タカラヅカ」してるよ……! 恋愛してる、ラブシーンしてる……! やだなにこれーー!!

 まさおさんがちゃぴちゃんと恋愛している分にはなんとも思わないのに、わかばちゃんとしている、ということに、なんか盛大にとまどい、照れました。
 何故照れる。わたしの立ち位置はどこだ。

 てゆーか「恋愛している」まさお氏を見るのがすごーく久しぶりな気がして。
 思わず過去を振り返っちゃいました。

 『ベルばら』は別もんだし、『ミーマイ』はかわいかったけどソレ止まりだし、『ルパン』はまったく恋愛感じなかったし(だから新公で驚いた)、『JIN-仁-』もどたばたしてるばっかで、『風共』はチガウし、『明日への指針』も大してなんもないし、『PUCK』は妖精だし……。
 『ロミジュリ』以来、か……? わたしのなかで、男として恋愛してるまさおさん観たカウントなのって。

 まさちゃぴってかわいいけど、愛だ恋だ情念だ、という世界観ではない気がする……。

 わかば相手だと、まともに恋愛モードになるんだ、まさお……。

 まさおくんは相変わらず独特のくさみっちゅーか節回しがあるんたけど、わかばちゃんも星組育ちらしい大仰な持ち味があるので、負けてないのな。
 まさおを受け止められるのか……すげえなヲイ。
 たまきち(バウ)よりも、まさおの方が合うわ、わかばちゃん……。

 オランプがひとりのキャラクタとしてちゃんと顔が見え、ヒロインとして存在し、主人公と恋愛している。
 そのために、アントワネット@ちゃぴの存在が、ますますわけわかんないことに。

 オランプというヒロインがいる、なのにトップ娘役はアントワネット。
 このタカラヅカ的におかしな図式が、わかばちゃん版の方が際立っていて、落ち着き悪い……。

 たのしいのは断然わかばオランプなんだけど、タカラヅカとしては無難にくらげオランプを観るのもアリなのかなあ、とか。

 まさおファンはどっちがうれしいのかな?

 くらげちゃんは主張が激しくないので、夢小説みたいに「オランプ役は私」と脳内設定して観ることができそう。
 わかばちゃん版なら、「ロナンとオランプの恋」を客席から眺めてうっとりすることになるかな。オランプに人格があるから、書き換え不可。


 オランプ役は、どちらのキャストもアリだと思うけど。

 もうひとつの役替わり、ソレーヌ役は……。


 ごめん、はーちゃん一択で。
 みくちゃんは……ナイわー。

 理由は、太すぎるから。

 出て来た瞬間、目を見張った。
 いくらなんでも、太ましすぎっす……。

 や、歌うには体重は必須、この体型に見合った超絶歌唱を披露してくれるのかもしれない、いやきっとそうだ。
 そう身がまえて、聴いて……肩を落とした。

 ふつうにうまい。

 ……ふつうにうまい、レベルで、この体格……?
 この体格なら、ふつうレベルではあかんやろ。りりこレベルは最低限必要やろ。
 他の劇団ならいいけど、タカラヅカだから。抜擢されて海外ミュージカルのセンターでピンスポ浴びてソロを歌い上げるスターならば、きれいでうまいがあたりまえ、きれいじゃなくてうまいだけなら、タカラヅカの意味がない。

 いやその、これが『ロミジュリ』の乳母役なら気にならないのですが。
 若いロナンの妹役だから、まだほんとに若いお嬢さんなんだよね? 貧しくて身を売るしかなかった設定なんだよね?
 だったら太ってたらあかんやん。

 みくちゃん……『HAMLET!!』のとき、どんだけわくわくしただろう、ちっちゃくてかわいくて歌ウマで、なんかすごい新人娘役さん出て来た、と。
 『STUDIO 54』もかわいかったさ……。

 なんでこんなことに。

 年々太っていってるなと思ってはいたけど、モブでいる分にはまあいいか、やせてくんないかなあ、やせればかわいいのになあ、と思っていたし、大役GETしたからにはきっとやせてきれいなみくちゃんに戻ってくれてるだろうと思っていたのだけど。
 いやその初日も観たからわかっちゃいたけど、モブとピンライトでソロとでは受ける印象も違ってだね……。

 はあ。すみません。
 ダントンさん@コマが肩を抱くのが大変そうな、肉厚な肩と背中は、観ていてしょんぼりします。
 見た目でショック受けちゃって、お芝居はよくわかってません。すみません。

 ただの好みの問題です。わたしがタカラヅカの美少女キャラとしておでぶさんは苦手なんだってだけです。
 いやまあ、ともかく。

 まさおさん、歌うまいっすね。

 『1789-バスティーユの恋人たち-』で、ほとほと感心。
 もともとまさお氏が歌ウマなのは知ってるけど、さらに安定してうまいなあ、と。
 これで変なまさお節がなければ最強なのに(笑)。

 体型もきれい。
 今回華美な服装をしていない分、リアルにカラダのラインがわかる。まさおくんの肩とか背中とかの、薄さが、キレイ。
 二次元の美青年キャラまんま。少女マンガとかアニメとか、あのラインですよ、まさに。現実の男だとああはならない。

 なんかしみじみと、まさおきれいだなあ、と思った。
 キラキラ衣装を廃し、突拍子もない話でもなく、歌と芝居だけでひとつずつ進んでいく……それゆえに、まさおの地力が問われている感じ、つーかね。

 昔、まさおさんはきれいでうまくて、変な癖もなくて(←重要)、素敵な若手スターだったのになあ。
 『大坂侍』や『A-“R”ex』のころ、こんなにきれいでうまい若手って……!と震撼したもんじゃった。
 なんとか、あのころに戻ってくれないかなあ……と、遠い目になってしまったことよ。

 まさおくんの芝居は、まさお節に邪魔されて、わたしにはよくわからないことが多い。
 ロミオ役はすげー好みだったんだが、それ以降また、よくわかんない。
 今回はまさお節が抑えられているので観やすかったんだけど、脚本以上のモノをわたしが受け取ることが出来ずにいる。
 芝居は相性なので、スイッチが入るとまた違ってくるかも。
 や、とどのつまりはまさおスキーなので、わかんないまま愛でてはいる日々。


 ヒロインのオランプ@くらげちゃんは、うまかった。きれいでうまくて……なんだろう、「邪魔にならない」ヒロインぶりだった。

 言葉悪いっすね、「邪魔」って。

 不思議な感覚なんだが、ヒロインのはずのオランプが、「見えない」んだ。
 そこにいる、役割として機能しているのはわかる。が、わたしに見えるのはロナン@まさおのみで、オランプはいつも後ろ姿とか横顔とか、とにかくロナン越しにしか見えていない感覚。
 ロナン中心に展開している以上、会話の相手は必要、話を進める都合そこにいてくれなくてはならない、その役割を果たしている……そんな感じ。
 きれいでうまくて破綻なくて、なんの問題もないんだけど、オランプ自身の顔もドラマも見えず、「ストーリーを進めるコマのひとつ」として正しく機能しているのみに思えた。
 それが、「邪魔にならない」という感想。
 ぜんぜん嫌じゃない、ふつうにきれいでかわいくて、主人公の相手役として受け入れられる、問題ないヒロイン。

 そして、そんな「邪魔にならない」女の子を相手に、ロナンがとてもスムーズに、ひとりでさくさく芝居をしている。
 ロナンのひとり芝居を観ている感じ。
 で、うまいし、ロナン。共感出来るかとか感動するかとかは置いておいて、台詞が聞きやすいし歌うまいし姿キレイだし。
 これはこれで、似合いのカップルかもしんない、と思った。

 オランプが「歯車のひとつ」として正しく物語を回しているので。

 初日初見、わたしはとてもニュートラルに物語を楽しめたのではないかと思う。……いやその、ダントン@コマくんにめろめろでしたけど、彼は初登場シーン以外はモブに毛が生えたような扱いなので、本筋を楽しむ分には関係ないっつーか。


 オランプがヒロインなのに、「邪魔にならない」止まりの存在。
 じゃあこの物語に、女性の主要キャラはいないのか?

 いる。
 アントワネット@ちゃぴだ。

 主人公ロナンと接点なし(顔を合わせはするが、あんなもんは接点なし判定だ)で、ヒロインでもない。
 だが、アントワネット@ちゃぴは、間違いなくトップ娘役だ。

 アントワネットがあざやかに、陰影濃く「わたしが月組トップ娘役」と存在しているから。
 主人公と無関係でも、彼女こそが重要人物だとわかるから。
 ……余計に、オランプが「歯車のひとつ」「邪魔にならない」だけに見える、んだよなあ。

 これは演出上の計算なのかもしれない。
 タカラヅカはトップ制度のある劇団である。これは崩してはならない。
 この『1789』で、トップ娘役をヒロイン役には(なんらかの事情があって)出来なかった。
 が、トップ娘役は女性キャラでもっとも目立つ存在でなくてはならない。そうでなければタカラヅカのシステムが崩壊する。
 だから脇役のはずのアントワネットが主要キャラとして存在感を大きくし、ヒロインのオランプは「邪魔にならない」だけの存在とする。
 作品がいびつになるけど、仕方ない。タカラヅカルールと今回の事情の中間点を探ったらこうとしか、出来なかった。
 ……そういうことか?

 ちゃぴはほんと、いいスターさんだなあ。
 華やかでうまくてかわいくて。

 アントワネットの最後のソロを、堂々と歌いこなす女優になるなんて、数年前は想像も付かないよ。


 もうひとりの役替わり、ソレーヌ@はーちゃん。
 ふつうにうまいんだけど……地味……きれいじゃない……。
 と、思って、ロナンとの再会時のソロのあとは完璧見失っていた。

 んで、2幕の群衆シーンになってから、なんかすごく目に付く女の子がいて。
 なんだろ、エネルギーが高圧、って感じ。怒りや叫びがごつごつした剥き出しの岩みたいな感じで、ドレスを着ているけれど、男の子みたい。たぶん、内に秘めているものが女の子のカラダでは足りないくらいアツくて激しいんだな……そう思ってちゃんと見てみたら、はーちゃんだった。
 え、あれソレーヌだったの? ぜんぜん意識してなかった。
 が、ソレーヌだとわかって見ると……楽しい。あの怒りの塊みたいな女の子が、どういうバックボーンを背負って吠えているのか、怒っているのか、わかるから。
 でもって、そんなおっかない女の子が、ダントンと目が合った途端ふわっとくずれたりするんだな。なにがどうじゃないけど、怒りに安心とか甘えとかがよぎって、彼女がダントンを特別視していることがわかるんだな。

 うわ、ソレーヌ楽しい。萌える。
 で、現金なもので、「きれいじゃない」と一刀両断したくせに、「なんかかわいい」と思った。
 好意が芽生えると、見方感じ方が変わるのだ。ソレーヌ@はーちゃん、かわいいじゃん!

 てなもんで、結局楽しいです、『1789』。
 で、『1789-バスティーユの恋人たち-』の、構成のいびつさはなんなんだろう。

 物語のヒロインはオランプなのに、トップ娘役のちゃぴはオランプではなく、別の役をやっている不思議。
 ちゃぴ演じるアントワネットは重要な役だけど、ロナン@まさおを中心にした物語には関わってこない。
 だから、物語がブレる。
 群像劇であるというなら、やはりロナンの立ち位置はおかしい。革命の中心人物のような描かれ方をしている……。
 ロナンに対して直接の敵役はペイロール@マギーであるのに扱いは軽く、ロナンからすればどーでもいい位置のアルトワ@みやるりが、すげー唐突に場面をもらっていたりする。

 いびつな積み木。
 ここが飛びだしているのはおかしい、ここがへこんでいるのはおかしい。きちんと並べ直したくなる。積み直したくなる。

 原作は知らないよ。
 「もともとのミュージカルがこうだから」は関係ナシ。今、宝塚歌劇の舞台の上にあるモノだけで考える。語る。

 群衆劇だと考えるなら、ロナンを他のキャラクタたちと同等の扱いにする。主軸がロナンでなくなれば、場面ごとにセンターの変わるアイドル曲みたいな作りだと思えばいいんじゃね?
 正塚せんせが文化祭で書いてる芝居みたいなやつ。ひとりずつ必ず1場面はセンター。
 公平でいいかもしんないけど、「桃太郎5人、シンデレラも5人、だって主役がひとりだけなんて不公平」理論、「徒競走は差別です、手をつないで横並びで走りましょう」理論みたい。
 タカラヅカはトップスターを頂点としたピラミッド制の劇団。「手をつないで横並び」は違うと思う。群像劇がアリなのは、入団前の文化祭までだ。

 だからやっぱ、正しいのはロナンを主人公として、彼と関わる比重で役を付け、構成し直す、ことだよなあ。
 主人公がロナンなら、ヒロインはオランプ。敵役はペイロール。アントワネットたち王族さんたちの出番も比重も落とす。フェルゼンは出ない。
 ロナンが物語を引っ張らないといけないから、革命チームのリーダーはロナン。もしくは、革命チームの3人横並びをやめて、ひとりをリーダーとして確立、そのリーダーが一目置く相手としてロナンを設置。ゆえに革命でロナンがセンターに立つ。
 「バスティーユの恋人たち」という副題遵守するため、革命家チームの恋愛事情をクローズアップ。「恋人たち」と複数形だから、ロナンとオランプだけじゃダメ。かといって、ロナンとオランプ、アントワネットとフェルゼンはおかしい。ロナンと関係ない人は出さない、軸がぶれるから。
 一本モノで役が少ないのはNGだから、アルトワやラマールたちがいてもいいのだけど、比重が低くなるから、演じる人も違う。
 全50話の大河ドラマやるわけじゃないんだから、視点を決めて、そこから逸脱しない作りを。

 ふつーにロナン@まさお、オランプ@ちゃぴ、でよかったのにね。

 2番手が誰かわかんないから、イケコ定番の「オイシイ歌う悪役」は誰がやればいいのかしら。
 『PUCK』でみやるりがやってたんだから、もうみやるり2番手でがっつり黒い役やればいいのにー。アルトワは「歌う悪役」だから該当しているかもしんないけど、主人公と関係ない人、てのが痛いんだよな。主人公の恋人に横恋慕してるけど、主人公にもヒロインにも相手にされてないので、脅威になってないのな。
 ペイロールなら、主人公の憎しみが確実に向かっているから、双方向性の関係が成立したのに。で、役割ではペイロール、おいしい場面はアルトワ、と分割してしまっているので、どっちもハンパな役に。

 革命家たちの小物感、横並び感はどうしたら。
 横並びの弊害。
 きちんと番号振られた方が腰が据わって、個性が出る。
 どっちつかずなことをするから、全員がつまらないことに。
 ヅカファンが大好きなロベスピエールをピックアップして、順位明確にするだけで、かなりすっきりするはず。
 いかなるときもロナンと対話するのはまず、ロベスピエール。他のふたりはくっついているだけ。リーダーはロベスピエール、その親友がロナン。矢印が明確になれば、群衆場面も締まる。

 ロナンが民衆代表、思想も学もなくなんとなく時代に流されて悲劇っちゃいましたてへぺろ、てなことをタカラヅカで本気で描きたいと思っているなら、なおさら革命をきちんと書き込み、奔流を外側から眺める・巻き込まれるロナンを浮き上がらせるべき。

 ……細かいことは置いておいて、とにかくヒロインを、トップ娘役に演じさせようや。
 話はそれからだ。な。

 ちゃぴアントワネットも、ルイ16世@さやかさんの話も好きだけど、すごくよかったけど。
 比重落とすべきだわ、物語の構成だけ考えたら。


 なんでこんな、いびつな話になってるんだ?

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