『タカラヅカスペシャル2011』、いろいろ書いて落ち着いたところで、まっつの話。

 まっつファンとして、これほど感動したタカスペはなかった。

 オサ様サヨナラ時のTCAスペシャルもそのサヨナラショー仕様に大泣きしたけど、それとはまた別の感動。

 こういった全組単位のイベントにて、まっつは「声」を聴かせる機会をもらえない。
 歌の得意不得意に関わらず、歌っていいのが「スター」に限られているためだ。
 まっつはもうずっと、「その他大勢」としての出演だったため、バックダンサー・コーラス要員だった。
 ワンフレーズ歌い継ぎがあればめっけもん、というくらいの。

 タカスペは、スターと、そのファンのためにある。
 出演者たちは豪華だけど、番手付きスター以外のジェンヌファンには、いろいろ寂しい催しである。
 組の公演なら得られる扱いを、ここではしてもらえないから。

 どんだけその他大勢扱いでも……いや、そうだからこそ、出演するときは生で観なければならなかった。だってテレビカメラには映らないんだもの、すみっこにしかいないから!
 参加することに意義がある、まっつを見られる貴重な機会である、という以上の意味はないのが、タカスペだった。

 今回は雪組を代表しての出演だけど、今までのまっつ扱い的に、多大な期待は出来ない。
 2009年のまぁくんぐらいの扱いかなと思っていた。
 2009年は花組はDC公演間近で出演できず、年明けのバウチーム数名が代表して出演していたんだ。今回のまっつと同じ立場。
 組単位出演時にまとまって出てきたときは、センター。ちゃんとした1場面はもらえず、他の組にまざってみたり、メドレーでわずかに歌い継ぎをさせてもらったり。
 そんなもんだと思っていた。
 ……それ以下の扱いだったらどうしよう、と不安だった(笑)。

 それが、フタを開けてみたら。

 まともに、雪組3番手として、扱われている。

 えええええ。

 1幕の雪組コーナーにて、まっつはセンター奥の階段から、登場した。

 去年までその他大勢、いちばん良くて6人口にしか登場できなかったまっつが、梅芸メインホールの舞台に、たったひとりでセンターに立ち、歌う。

 今までの扱いと違いすぎて。
 見るなり心臓バクバク、体温が急上昇したのが、自分でわかった(笑)。
 ナニが起こっているんだ……。

 泣けてきたのは感動というより、生理現象だったんじゃないかと思う。
 体温が急激に上がりすぎ、本能的に温度調節を必要としたんぢゃないか? 顔がほてりまくって変な汗かいて、ナニか感じる前に涙が出て……って、ほんとコレただの生命維持活動だと思う……し、しなないために、ひつようだったんだ……。

 ソロで歌ったのは、「ニコライとプガチョフ」。
 男ふたりの掛け合いの曲なんだが、自分のパートのみ歌った。
 衣装は「La Vida」@『ロック・オン!』のときの薄紫燕尾。
 あのしあわせだった全ツの記憶が甦り、走馬燈のよーに現在目にしているモノに二重写しになる。あうあう、苦しい。しあわせすぎてくるしい。

 劇中歌でしかも一部分だから、ソロはあっちゅー間。

 プガ様ソングを歌い終わると、がらりと曲調は変わり、『H2$』。
 上手からコマ、下手からきんぐがフレーズをソロで歌いながら登場、あゆっちと翔くんも現れて、5人で歌う。
 衣装は5人とも色違いでカタチは同じ……ってゆーか、La Vida衣装って、こんだけ色違いであったんだ!!と、関係ないとこに驚愕。

 コーラスで歌う『H2$』だから、見慣れた姿。
 でもチガウの、まっつセンターなの、メインボーカルなの。キムくんが歌っていたパートなの。

 ここで困ったことにわたしの海馬は勝手に『仮面の男』の「努力しないで無銭飲食する方法」が甦ってきたりしたんだけど、それと同時に、しあわせでしあわせてたまらなかった、オサコンの記憶が甦っていた。

 頼りなげな顔のまっつを、歌いながら抱き寄せるオサ様。
 そのかがいた、彩音ちゃんがいた、ゆまちゃんがいた、しゅん様が、めぐむが、……みんなみんな、いた。
 もう帰らない日々。みんないない。今この花園にいるのは、残っているのは、まっつの他はみわっちとまぁくんとじゅりあだけ。

 感動、が、わたしのなかの「しあわせの記憶」を刺激する。呼び起こし、あふれさせる。

 あの八の字眉毛で困った顔のまま固まっていたまっつが、今、あのときのオサ様と同じ歌を歌っている。
 余裕綽々でかわいこぶり(笑)、あの頃のまっつのような下級生たちに囲まれている。

 うわわわわ。わわわ。
 心臓鳴りすぎて、ピストン早すぎて、やばいよ、止まらないよ。

 で、雪組コーナーの最後は「世界の王」。

 わたしは『ロミオとジュリエット』が好き。
 作品自体が大好きで、雪組の『ロミジュリ』が好きで好きで仕方がない。ヅカヲタやってそこそこ長いけど、ここまで好きになった作品はない。
 それくらい好きな作品、もう二度と会えないと肩を落としていた作品の、大好きな歌を……もういちど、聴けるなんて。

 もちろん、キムくんセンターの、大劇場公演まんまのメンバーで再現してくれたらうれしい。
 わたしは彼らの「世界の王」が大好きだった。

 だけどもうそれは叶わず、今ここで「雪組の今年の舞台を振り返る」ことができるのは、まっつを含めた5人だけだ。

 今ある中で、最高のカタチで、「世界の王」と再会できた。

 ベンヴォーリオがセンターで歌う、「世界の王」。

 厳密にはベン様ではないんだろう、まっつはもっとニュートラルに歌っていた。センターで。

 そう、「主役」としての歌い方だった。

 変にキャラをいじらない、ど真ん中の「主役」的歌い方。素直に、明るく、若く、キラキラに。

 もう一度ベン様に会いたかったわたしは、ベン様が歌っていた歌を歌うまっつにくらくらし、さらに、ベン様ではなく主役……ロミオ風に素直な若者の顔で歌うまっつに、くらくらした(笑)。

 じ、情報量多すぎ……処理できねー……。


 組を代表して出演しているんだから、自組コーナーでセンターなのは当たり前のことなんだけど、そんな姿見たことなかったし(まつださんは、未だにショーでセンターの場面を経験していません・笑)、いくらでも誤魔化してまっつにセンターさせない演出方法はあるわけだし、きっとそうなるだろうと思っていたんだよ。
 なにしろほら、直前のショー作品が『RSF』ですよ? あーゆーことかと思うじゃん?
 腹括るというか、覚悟するじゃん。どんなことになったって、ついていくだけなんだから。

 劇団のサディストぶりはすごいわ……上がって下がってまた上がって、もー大変。
 こんだけはらはら揺さぶられたら、ますます夢中になっちゃうわ。

 つか、出演している4つの組の3番手は、全員等しくソロでの見せ場があったんだけど、センターから登場させてもらったのはまっつだけなのね。
 トップのキムくんがいない、ための嵩上げ演出だとしても、そうやって気を遣った演出をしてくれることが、マジ泣きするほどうれしかった。ありがとうありがとう。

 1幕前半の雪組コーナーだけで、もー息も絶え絶え。
 なんなのこのありがたいタカスペは。
 こんだけ幸せだと、次がこわいよー。

 続く。 
 思えば去年のタカスペも、小林公平氏の追悼ネタでしたね……。
 んで今年は震災、エールを込めて。
 テーマがかぶるっちゅーか、構成が似てしまうのは仕方ないことなのか。

 『タカラヅカスペシャル2011』、どさくさにまぎれてプログラムのサイズが変わり、値段も100円UPしてました。セコイよ劇団様……。

 タカスペ、ヅカスペ、略し方が2種類あり、わたしもそのときによっててきとーに使ってましたが、今回からタカスペに統一します。
 理由は、スカステで宇月としくんが「もうすぐタカスペ」とキーワードにしていたから。
 ああ、タカスペが公式略語なんだなと(笑)。


 去年のタカスペはいろいろひどかった。
 公平氏の追悼にしたって、MCやるのがトドロキだ。彼は観客の感情を波立たせる気の利いたトークは出来ない。
 脚本にある通りなんだろうっていう、キレイゴトな話を機械的にナレーションしていた。
 1部のパロディはまあ、意義やデキについては置くとして。
 2部のショーが、ほんっとーにひどかった。
 ヅカファンのあまり馴染みのない海外公演ネタで、ただ曲をだらだらつなげただけのなんの工夫もない演出に終始していた。

 去年の構成が、なんでああまでひどかったか。
 それは、「タカラヅカ」のピラミッドが形成されていなかったためだ。

 すなわち、トップコンビがいて、男役2番手がいて、3番手がいて、というきれいなポジショニング。
 どの組も同等の位置に同等の人がいるから、シャッフルもできるし、演出に幅が出る。

 それが去年は、ぐちゃぐちゃだった。
 トップ男役は3人、でもトップ娘役はふたりだけ。
 単独2番手もふたりしかおらず、3番手と3番手扱いの2番手見習いが計4人。
 組ごとにポジション構成がばらばらだから、イベント恒例のトップコンビ・シャッフルダンスもできやしねえ。トップコンビが華麗に競うこともできやしねえ。

 そんな去年に比べて、今年は、良かった。

 まず、MCの達人、ミサノエールがいる!
 彼が狂言回しとして全体を締めてくれるし、震災絡みの、今回のテーマとなる部分も「ええ話」として聴かせてくれる。
 なんてありがたいんだ、ミサノエール!

 彼の語りから、追悼として「希望」を、トドを中心とした男たちの歌とダンス、礼くんといちかの「:Amazing Grace」っつー感動的な歌声に牽引させ、男たちの総踊りで1部の幕を下ろす。
 この盛り上がりっぷりはイイ。

 大劇場で退団挨拶を見た専科さんが、こうして別の公演の舞台に立っているのを見るのはヅカヲタ人生でもはじめてのことだ……(笑)。どんだけ劇団から買われているんだ、ミサノエール。

 そして今後、彼なくして、イベント物のMCはどうなってしまうんだ……。

 マヤさんの功績はともかく。
 ショーとしての構成も、今年は落ち着いていた。

 なにしろ、トップコンビのデュエットダンスからはじまるんだぜえ。

 うわあああ、「タカラヅカ」だ、「タカラヅカ」だよお。
 この美しさ、優雅さ。他では味わえない夢の世界だ。

 また、どのコンビも「俺たちがいちばん!」と思って踊っている。男たちなんか絶対、「俺のカノジョが、いちばんかわいい! きれい!」とか思ってるよね? そうでなくちゃね!

 トップ娘役不在だった去年では、逆立ちしても出来なかった演出だよ……。

 そして、トップコンビだけでなく、2番手、3番手もしっかり決まっていた。
 それゆえに、構成や人遣いにブレがない。

 2部の演出は去年に引き続いて中村B。上から順番1、2、3の中村Bだ。彼にイレギュラー構成は作れない、だから去年はぐだぐだだった。
 しかし、ちゃんと順番が決まった人たちで作っていいショーならば、中村Bはいつも通りの仕事をする。
 特にいいわけじゃないけど、平気点の仕事はする。

 みんなに元気を届ける歌、というコンセプトはわかりやすく、感動的なものにしやすい。
 総力戦の「明日へのエナジー」からはじまり、前向きソングでメドレーをやり、「ゴールデン・デイズ」でキンキラ総力戦、生への讃歌を歌い上げる。
 で、甲斐オペラの壮大な曲「世界に求む」で盛り上げて、とどめが全員での「心の翼」。

 中村Bの本領発揮のスタンダードさ(笑)。

 グループ分けは正しく順番通り。
・トド(ソロいっぱい、舞台にただひとりもいっぱい、ソロの客席降りあり)
・らんとむ、きりやん、れおん(ソロも、舞台にただひとりも、ソロの客席降りもあり)
・えりたん、まさお、すずみん(ソロあり)
・みわっち、みりお、まっつ、ベニー(少人数口センターにてソロあり)
・まぁくん、ともみん、だいもん、マカゼ(ペアでセンターあり)
 それ以下の男役は、ポジションに準じて少人数口の登場人数が違っている。

 作りやすかったんだろうなあ、今回。あまりにきれーに「テンプレートまんま」なので感心した。

 ショーとしての構成は、「心の翼」で終了。
 そっからあとはタカスペならではのお約束、「クリスマス抽選会」と、トド+トップスターの客席降りソロ、2・3階席置き去り演出。

 抽選会は去年ほどぐだぐだになってなかった。
 抽選する前に、これからどの賞品のくじを引くのか説明していたし。(ソレすらできてなかった去年って)
 賞品のしょぼさ、お金の掛かってなさも去年と同じ(笑)。

 良かったのは、抽選の場にいたのが全員トップスターだということ。
 去年は男役トップスターと「お手伝いの下級生」だったから、下級生はただいるだけで口を挟めず、かといってトップだけではどーにもならず、大変なことになっていた(笑)。
 今年の初日初回は、らんとむさんが自分の抽選、次回花組公演チケットのプレゼントをまるっと忘れていて、すげーあわてふためいていたけれど、それでもまだ去年の初日初回よりマシ、って、どんだけ……(笑)。

 トップ娘役ちゃんたちがいるのは、いいなあ。
 あの子たちはなんであんなにきらきらきゃあきゃあしているんだろう。声も話していることもやっていることも、いちいち「女子!」で、かわいいったらない。(おやぢ発言)
 そんなカノジョたちを見守る旦那衆……トップスターたちもまた、鼻の下が伸びていてイイ。

 相手役がしっかりいるためか、今年は「かわいこちゃんによる、飲み物の差し入れ」はナシなのね……(笑)。

 そのあとの客席降り4連発は、もう「お約束」とあきらめてる。
 トドとトップスターの格付けに必要なんでしょう。
 空っぽの本舞台に誰か出して、2・3階席のお客様を楽しませるより、スターひとりだけの舞台、他の出演者に場を割かないという面子が大事。

 初回はまったり3階席だったので、客席降りはもうあきらめてた。周囲が色めき立っても無関係、身を乗り出すこともしない(笑)、どーんとくつろいで声だけ聴いてる。
 で、翌日観劇時は正反対に1階前方席だったんだが、これまた客席降りってけっこう不自由なのね。あっという間に後ろの方に行っちゃうし、前方席の人って後ろを振り返らないものなのね、みんな行儀良く空っぽの舞台の方を向いて坐っている。わたしひとり後ろを向くのも、後ろの人と目が合いまくってやだし、結局、3階にいたときと同じ、声だけ聴いていた。
 たったひとりのスター様の客席降り(お触りなし)って、1階後方席の人しか、おいしくないんじゃあ……?
 大勢がわーっと客席降りしてくれるのは、1階席の人みんな楽しいと思うけど。

 で、あとはフィナーレ突入だし。
 梅芸で行うタカスペの限界だね、この「トップスターの面子ゆえ」のソロ場面の演出の盛り下がりは。客席半分置き去りにしても、「やらなければならない」んだもん……銀橋のない梅芸で。
 『タカラヅカスペシャル2011』全体の、パロディとしてのデキはともかく。

 「梅芸の怪人ラントム」ってナニよ?!(笑)

 3作品混ぜ合わせただけ、しかもベースになるのがヅカファンなら知っていて当たり前レベルの有名作『ファントム』である花組は、例年通りふつーに楽しめた。

 プログラムに「ラントム 蘭寿とむ」とふつーに活字で書かれていることからして、おかしい(笑)。
 承前にマヤさんが大真面目に「梅芸にまつわる哀しい物語」と、仰々しくMCするだけで、おかしくて仕方がない。

 これは完璧に内輪ネタだけど、「パリオペラ座」が「梅芸」になっているだけで、おかしい。
 カルロッタ@いちかが「私の夫が梅芸の新しい支配人になったの」と言うだけで、地元民としては笑えるんだな。クリスティーヌ@蘭ちゃんが「梅芸の前で歌っていた娘」とか言われるだけで「梅芸の前かよ」とおかしい。

 「ラントム」がウケたのは、有名作『ファントム』を観て、誰もが思っていたことを突っ込んで、ネタにしていたこともあるよな。
 すなわち、「自分から『素顔を見せて』と言っておきながら、実際見たら『キャーー!!』ってナニ、ギャグ??」って、誰もが一度は思うよね?
 それを盛大にパロっていた。
 ラントム@らんとむが仮面を取ると、クリスティーヌは「ぎゃあーーーっ!!」(両手を上げて叫ぶ)で、失神。ちなみに、ラントムさんは傷もナニもないまるっきしの素顔ですがナニか。ひでえよクリスティーヌ(笑)。

 正直、『カナリア』とのミックスはうまくいっていたとは思えない。ラントムを掏摸呼ばわりするのは無理がありすぎるし、面白くもない。『ファントム』単体パロにした方が、クオリティは上がったろうな。
 笑わせていたのはキャストの力技。
 また、アジャーニ@みりおんが、ソレリの姿のままで登場しても、観客にはわかりにくい。衣装を着替えさせるべきだ。……姫花のように。

 いやあ、あっちゃん@姫花が、全部持っていった(笑)。

 全ツのあの神演技を見たら、そりゃあ姫花を使いたくなるだろうけど(笑)。
 あっちゃん登場で、カオス化したなあ。

 ラントムが死んでるのに、主役を置き去りにあっちゃんとクリスティーヌを中心に大盛り上がりするのがおかしい(笑)。

 それと、最後の「ル・ポァゾン」熱唱が、みんなそれぞのキャラクタのままなので楽しい。
 女装しているあきらやマヨくんの漢らしさもだが……あっちゃんのまま「ル・ポァゾン」を踊る姫花!! お遊戯風の動きが可愛すぎる……っ。


 月組は難しかったなあ。演出が悪すぎて。
 ジュリアンを「野獣」と言い換えるだけが笑える、つーのもなあ。

 救いは、元がシリアス芝居なので、ただシリアスに台詞を言うだけで、単語や持ち物の差で滑稽に見える=笑いにつながる、ってことかな。

 きりやさんの深刻芝居は好物なので、苦悩した二枚目顔でボケてくれるのは楽しいんだけどな。
 そして、まさおの気持ち悪さがまたイイ! ジャックってほんとにキモチワルイよなー、笑える男だよなー。(褒めてます)
 みりおくんの美しさもまた良いし。アンリのスーツ姿大好きだ。

 ラントム=『ファントム』が公式だったのか?! と同じように、「まりもの腹筋が割れている」も公式だったのか?!と刮目した、「サビーヌ@まりもの腹筋は百個に割れている」発言……そうか、百個か……すげえなまりも。

 そのあとサビーヌがどーんとショースターとして登場したので、てっきり腹筋を披露してくれるんだと思った……かなりの早着替えになるのかもしれないが、そこまでやってくれよ、中村A。

 ブラド伯爵@もりえはたしかに当たり役、あの美姿のもりえくんを見られるのはうれしいけど、意味わかんなさ過ぎ、なさ過ぎだ、中村A。


 星組もまた演出がひどかったなあ。
 『仮面の男』のこだまっちを思い出す。思いついたネタは全部使いました、って感じ。思いついても全部使うな、厳選しろっていう。

 とりあえず、制服コスプレのねね様が、てらエロい。

 派手な時代コスチュームよりも、現代物の制服の方がなおコスプレ感が高いって、どうなの、ねね様。
 イケナイものを見ているような感じがしてたまらん(笑)。

 女子高生コスプレで、「アマール・アマール」を踊っちゃうって……エロ過ぎ。
 露出度の高いドレス姿より、なおやばい。背徳感パネェよ!!
 あんなにいやらしい振りだったのか……いやらしい表情だったのか……。
 ってもお、ねね様から視線が離れなかった(笑)。

 れおんくんは、……執事が似合わない……(笑)。
 や、もちろん、こんな余興じゃなく、まともにやったらストイック系も似合うんだろうけど、嘘くさいカツラとか「変装してます」が見え見えで。
 ドラント衣装でエロ格好良く踊ってくれた、登場シーンがいちばんときめいたなー。

 ベニーはいつものベニー。気持ち悪くていいよね。(褒めてます)
 まさおくんといい、ベニーといい、姿が良くてキモチワルイ芸風の人、わたし好きみたいだ……(笑)。

 マヤさんのシスター・マーマ……じゃない、シスター・マーヤに感涙。
 わたしにとって、シスター・マーマはマヤさんである。マヤさん以外にいない。くらいなので、もう一度あのシスター・マーマに会えたことがうれしい。
 また、ルーア神父@すずみんも、コウちゃんと似た雰囲気があるので、このふたりのカップルを見られたことはうれしかったなあ。
 『めぐり会いは再び』の台詞ではなく、ちゃんと『ノバ・ボサ・ノバ』の台詞でパロって欲しかったな。


 作品クオリティがどうあれ、大好きなスターさんたちが舞台に出てナニかしている、ってだけで、うれしいし楽しい。
 だってヅカヲタだもん!!
 お祭りだから、イベントだから、それだけで楽しかった。
 今年も行ってきました、1年を締めくくるお祭り、『タカラヅカスペシャル2011』

 タカスペと言えば今年1年を振り返る組ごとのパロディ。
 参加は花・月・星。

 今年は、花組圧勝かと(笑)。

 というのも、今年のパロディを構成した演出家が、悪い。
 作劇の指針を間違えてる。

 タカスペは年に一度のお祭り、ファン向けのイベントだ。
 だから客席にいるのはファンばかり、ヅカヲタ相手だからこそのパロディ。
 パロってのは、元ネタを知っていてはじめて成立する。客席にいるのはヅカファンだから、元ネタを知っていて当然。
 ……という姿勢で作劇するのは、間違っていない。

 が。
 パロディであっても、「より多くの人にわかりやすくする」「客を喜ばせる・楽しませる」のは、エンタメの基本だろう。
 今年のパロディは、本末転倒していたと思うんだ。
 「今年1年の上演作品をネタにしたパロディ芝居を上演して、観客を楽しませる」ではなく、「今年1年の上演作品を網羅したパロディ芝居を上演する」になっていた。
 観客を楽しませる手段としてのパロディなのに、パロディを作ることだけを目的としてしまった。
 手段と目的が逆転、本末転倒。

 パロディとして楽しめるのは、せいぜい2~3作品を混ぜ合わせたり、元ネタを違う角度でいじったりする程度だ。
 もちろん世の中にはもっと複雑な構造のパロディも存在するが、イベントの一発芸でそんなもんは求められていない。
 観客もまたヅカファンとはいえ、全組全公演脇のキャストに至るまで顔やキャラクタ、どの公演でナニを演じてどんな持ち台詞があったかなどを知り尽くしている者は少数だろう。
 そのギャグをやると面白いか、観客にウケるかは考えていない、「多くの作品を、パロディに取り入れたぞ!」という作家の自己満足が前面に出てしまった。
 たくさんの作品とキャラを出すだけでごちゃごちゃし、それがナニを表しているのか、わかりにくい。
 おかげで、観客が置き去りにされる率高し。

 また、舞台パロディでもっとも安直、かつ、やってはいけないことをやりまくっているし。
 同じ役者がいくつもの公演、作品に出ているわけだから、いちばん簡単にギャグに出来るのは「あなたは**(役名)じゃないの? **と同じ顔だけど」ってやつ。
 例に出すと、ラブロー神父@みわっちに対し、「シャンドン伯爵?」と呼びかけ、「ちがいます」と言わせることね。
 それを言っちゃおしまいよ、っていうか、ソレをやると出演者全員が「**(役名)じゃないの?」になってしまう。Aさんはナニも言われないのに、Bさんだけが「**じゃないの?」と言われるのはおかしい。
 ダブルスタンダードの極地。「ズル」になってしまうので、多作品を混ぜ合わせるパロディでやっていいことではない。
 同じように、禁じ手なのが「あなたは**(役名)だから、私の恋人でしょ?」「いいえ、※※(別の役名)だから、私の恋人よ」というネタ。
 アンリ@みりおが、突然「ルイス・キャロル!」と声を掛けられ、アリス@ちゃぴとアナベル@みくの板挟みになることね。
 それを言っちゃおしまいよ。他の人たちもつれあいのいた役すべてが「あなたは私の恋人」になってしまう。Aさんはナニも言われないのに、Bさんだけが言われるのはおかしい。

 コレをよしとすると、今後すべてのパロディが、「あなたは**(役名)じゃないの? **と同じ顔だけど」とか、「あなたは**(役名)だから、私の恋人でしょ?」「いいえ、※※(別の役名)だから、私の恋人よ」とかやって、済んでしまう。
 これから先何十作何十年、同じことが出来るよ、どの作品、どの出演者でも。
 だってこんなの、パロディでもなんでもない。プロが書く話じゃない。

 プロがお金を取って上演しているんだ。
 お祭りだから、イベントだからとバカにしないで、真面目に作って欲しい。
 たかがパロディぢゃねーよ、これもひとつの「作品」なんだよ。

 ただ複数作品を混ぜ合わせただけ。
 ひとりで複数の役割をやって、それゆえに混乱したものを見せただけ。
 なんてレベルの低いパロディなんだ……。

 二次創作好き、パロディ好きとしては、肩を落とす低レベルさ。

 演出は去年と同じ中村A。
 「**(作品名)だけでなく、※※(別の作品名)も入れて欲しかった」と要望を多くもらったのかな? それで、どの作品のファンも喜ぶようにと、全作品を入れることを考えたのか?
 そんなの、無理だから。
 観客は勝手なこと言うもんですよ、でも全部の声に応えられるわけないじゃん。万人が納得するモノなんてないんだから、まず演出家として、最低限の作劇をすることを念頭に置いて欲しかったわ。
 「わたしは**ファン。**がパロディにしてもらえなくて残念だったけど、面白かったから、いいわ」と思わせるような作品にしてくれよ。


 ということで、花組がいちばん良くて、月組がいちばん残念だったのは、混ぜ込まれた作品数と知名度ゆえ。

 花組はらんとむがトップになってからの公演のみなので、『ファントム』『小さな花がひらいた』『ル・ポァゾン 愛の媚薬II』『カナリア』の4作しかない。『ル・ポァゾン』は歌のみなので、パロディに使ったのは実質3作。
 しかも『ファントム』は近年立て続けに再演された作品なので、組ファン以外にもキャラやストーリーが浸透している。『ファントム』をベースにパロをやるなら、らんとむの『ファントム』を観ていない人の多くにも理解できる。

 星組は『メイちゃんの執事』『ノバ・ボサ・ノバ』『めぐり会いは再び』『ランスロット』の4作だけをチョイス、中日の『愛するには短すぎる』と花組とかぶる『ル・ポァゾン』はスルー。
 『ノバ・ボサ・ノバ』が有名作かつ、『めぐり会いは再び』と共にムラ東京博多名古屋と4都市半年間公演していたこともあり、観ている人は多いだろうし、観ていなくても内容を知っている人が多い。
 『メイちゃんの執事』はすでにスカステで放送済み。知らない人が多いのは『ランスロット』のみ。

 月組がひどい。『バラの国の王子』『ONE』『アルジェの男』『Dance Romanesque』『アリスの恋人』『我が愛は山の彼方に』と6作混合。
 ベースになる『アルジェの男』は、再演作とはいえ、近年何度も再演されたりスカステでなにかっちゅーと放送された作品ではないため、ナマで観た人でないと話がわからない。今作もスカステ未放送。『アリスの恋人』『Dance Romanesque』も同じ、劇場に行った人しか知らない。
 現実に劇場まで行ってリピートしている人以外、相当わかりにくい作りになっていた。
 混ぜる作品数が増えるほど、構成力が必要になる。ややこしくなる分、緻密な計算で演出しなければならない。ヅカファンならば絶対知っている超有名作6作で作るとしてもかなりの難業だ。それを、てきとーなやっつけ仕事で混ぜただけのクオリティで、一部の人しか知らない作品ばかりでやっても、観客は置き去りにされるだけだ。

 ひでーなー。

 演じている人たちに罪はないし、差があるとも思わない。
 ただ、演出に差があったために、笑いや満足度にひどく差が付いたと思う。

 わたしは全作品ナマで観ているし、出演者全員顔も名前もわかるし、咄嗟にナニが出てきても「ああ、あれか」とわかるけれど、それとは別に、演出に不満を持った。
 パロディなめんな。と(笑)。

 例年のパロディがそれほどハイクオリティだと思っていないが、それでもいろんなとこに目をつぶって楽しめたんだけどなあ。
 今年は残念過ぎる。

 あくまでも、演出家の姿勢が。
 今さらの、こあらった目線の『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』まっつまっつ、続き。

 オープニングが終わったあとはしばらく出ない。
 次の登場は第4場の西部から。

 テレビ番組場面のキムみみが銀橋に出て、彼らを目で追うように他のみなさんがうちわ持ったまま「なんだよー」と本舞台でやっている、その辺から準備開始。
 ウサギちゃんズのあたりに、西部の男(歌手)@まっつがスタンバる。
 ライトなしだからシルエットだけなんだけど、シュールよねー、ウサギちゃんと西部の男って。

 銀橋のキムみみが佳境になるあたりで本舞台の盆が回り、そこは西部の酒場になる。
 盆が回り出すところから、まっつロックオン。彼がいるのはセンター段上がりです。
 盆が回りきっちゃうと彼は前方に走り出てしまうので、それまでがチェックポイント。
 ケーティー@かおりちゃんの腰を抱いてたりするんだな、ここ。
 余裕の顔でさわやかに、しかしエロく美女の腰を抱いて揺れているのでがっつきます。

 歌いながら前へ出てくるところも要チェック。
 なにしろ唯一のセンターポジション!(笑)
 めっちゃ短いですが、一瞬ですが、男たち群舞のセンター、扇の要の位置にいます。ここだけ切り取ってみると、「スター」っぽいっす。
 すぐに脇へ行っちゃうんですけどね。一瞬だけどセンターまっつを味わうのです。

 このショーでは、まっつはほとんど歌わせてもらっていないので、貴重なソロを聴ける場面。
 かおりちゃんとのデュエットを聴きたいとずっと思っていたけれど、それが叶った場面でもある。……が、あんましじっくり聴かせてくれる絡み方ではないんだよなあ。そこは残念。

 サイトーくんは音楽にあまりこだわりがない人、という印象。ものすごく凝った選曲はしない。わりとベタというか、ありがちな曲を使う。その場面に合った曲を何日もかけて探すというより、もともと知っている曲から「これでいいや」と選んでいる感じ。
 もともと持っているCDから選びました、新規開拓はしてません、めんどーだし。てなイメージです。
 そう思ってしまうのも仕方ない選曲続きなんだが、とりあえずここは「大いなる西部」、とってもありがち曲。

 ただこの曲が、思った以上にまっつの声質に合っている。
 違和感なさ過ぎに響き、ピンスポ浴びてじっくり歌うわけじゃないこともあり、ますますBGMっぽくなっていた気はする(笑)。
 で、反対にかおりちゃんの声には、あまりこの曲は合ってない気がした。……もっと別の曲でデュエットが聴いてみたかったなあ。

 ところでわたしは、この西部の男@まっつが好きだ。
 BGM化しそうなくらい、余裕の安定した歌声を、踊りながら響かせてしまう、その男前さ。
 踊ってるよね、周囲とばっちし動き合ってるよね、笑顔だよね、涼しい顔だよね、だのにナニ、この、びくともしない歌声。
 飛び跳ねても、声は揺れない。安定供給。どんだけうまいのこの人。と、今さらながらに感動。

 でもってここの衣装。
 なんかすごく……かわいい。
 まっつのコンパクトな体型がよりキュートにわかる、というか。
 シャツに体型の出るソフトパンツ姿だもんよ。補正されるスーツ姿ぢゃないもんよ。
 まっつ細い。小さい。かわいい。

 この人の、こーゆー体型が好きなんだと思う。
 ミニマムで華奢な男性。女の子より細くても、きちんと男。まず男であるから、「女の子みたい」に華奢な姿にきゅんとくる。
 その昔、わたしがまっつ落ちを認めた・降参したのが、まっつが「中性的な華奢さ」を見せた場面だったなと思う。
 ええ、オサコンのスカステ放送ではカットになって流れないあの場面ですよ、DVDでは音声ナシで別カテゴリに収録されてるあそこですよ。
 女性のような姿で、だけど確実に男性である、美しさ。
 タカラヅカの男役である以上、本物の男ではなく、あくまでも男役としての範疇で。

 まっつに高い身長とか広い肩幅とかがあれば、彼のジェンヌ人生はまったく違っていたのだろうけど、わたしが彼を好きになったのは、この小さくて華奢な姿ゆえになんだよなあ。

 てな感慨に耽る、コンパクトまっつ、西部の男。
 ここでたまらんのはなんつってもです。

 ここのパンツが、尻のカタチがとてもよくわかるラインと素材なんですよ。
 前向きでも腰のラインがいいっす。ガンベルトとの兼ね合い、バランスにてすごくそそるんですわ。

 上手側の群で踊ったり、真ん中のキムくんの後ろで踊ったりもしているけれど、途中で後ろに行って、まったくのモブになってしまう……そのモブがまた、ツボ。
 セットの壁際まで行って踊る、1階席だと他の出演者にかぶっちゃって姿が見えなくなる位置なんだが、ここの振付が尻ビューポイント(笑)。
 背中向けて立つんですよ。でもって尻を回しちゃったりするんですよ。
 たのしい……たーのーしーいー(笑)。

 まつださん追いかけるのに必死で、真ん中でナニが起こっているのかよくわかってません。
 でも花組時代、ずっとそうだったしね。脇のすみっこをオペラで追いかける、真ん中は映像に残るけど脇はそうはいかない、生の舞台を観る醍醐味。

 踊り終わって銃を抜く動作、その自然さ。銃口を向けることが特別ではない温度感がいい。
 相棒のカラミティ・ジェーン@あゆみちゃんは、ちょっと芝居がかった風に銃を扱うんだよね。それがコケティッシュなわけだが、まっつは違う。ふたり対で行動していても、キャラがまったくチガウ。男女の差とかいう部分ではなくて。

 やったね!って感じに明るくあゆみちゃんと手を取り合ったり、あゆっちとランデヴーなキムくんを見て「おいおい」と三枚目っぽく置き去りにされてみたりしているけど。

 あちらこちらですーっと冷たいのは、まっつの持ち味。にやにやしてしまう。←

 続く。
最高のカード、スペードのJ!・その1。@ROYAL STRAIGHT FLUSH!!
 今さら過ぎて気後れするが、めぐり合わせで書けずにいた、『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』のまっつまっつ。

 併演の『仮面の男』があまりにすごすぎて、ショーまで語る暇がなかったんだ。

 あ、わたしはこのショー、ダメです。好きじゃない。(笑顔)
 その理由は公演はじまってすぐに書いた。リピートして慣れはしたし、キムくんの底力で大分持ち上げてくれたけれど、最初に書いた「好きになれない理由」はまったく変わらなかったし、ついに好意は持てなかった。

 『仮面の男』が劇団史に残る問題作だったから、『RSF』は命拾いしたと思っている。もしも同時上演の芝居が「ふつーレベルの駄作」だったら、世の中の『RSF』に対する評価も違っていたのではないかと思う。
 現にわたしは、『仮面の男』(ムラ)と『RSF』のどちらか片方だけ観なければならないというなら、芝居の方を選ぶ。『仮面の男』(ムラ)は許されない作品だったけれど、リピートする分にはアリだった。
 『仮面の男』(東宝)だったら、悩むかなあ……どっちもどっちだー。

 なので作品は語らない。
 まっつについてのみ語る(笑)。


 最初の出番は、第2場。
 本舞台のそれぞれのカードから、DREAM5のみなさんが登場する。
 まっつは上手側の「スペードのJ」から。

 サイトーくんクオリティとしか言いようがナイんだが(笑)、登場のときの台詞が「フラ~~ッシュ♪」なんだなー。あのまっつが、「フラ~~ッシュ♪」って……。

 オープニングはサイトーくんならではの、アイドル・コンサート系の手振りダンス。(中詰めもな・笑)
 まっつは手の動きがキレイなので余裕でキメてます。

 いったん引っ込んで、次は下手セリから登場。上手登場のコマくんとデュエット。

 わたしは初日からばっちりこのせり上がりに反応できていて、まっつが登場する最初からがっつり見ています。
 なんで下手セリを見ていたのか、自分でもわからない。たまたまだと思うけど、まるで待ち構えるかのよーにセリを見ていたら、まっつが現れた。
 もちろん翌日も「まっつがこっから出てくる」とわかっているので待ち構える。

 ……だもんで。
 キムみみのリフトを、ムラの最後の方まで、見たことがなかった。

 初日の幕が開いて数日経ってから、ふと気がついたんだ。「あれ? そういやスカステの稽古場映像では、キムみみのデュエットダンス、リフトがあったよね? 稽古場映像ではあったのに、舞台ではやってない??」
 わたしは見た記憶がないのに、ネットの感想を見ると「ケイみみのリフトが良かった」とか書いてある。???もう*回も観ているのに、どーしてわたしの記憶にナイの?
 マジでわからなかった。わたしはキムみみも大好きだから、ふたりの場面はおいしくいただいている。なのに覚えてないなんて、そんなバカな……。

 ほんと長い間、マジで知らなかった。てっきり大階段前のデュエットダンスでやっているんだと思ったし、そうでなければ海賊ショーのとこだと思ってたもん。
 ふたりのデュエットダンスってゆーと、そこくらいしかないじゃん。トップコンビお披露目なのに、ろくにふたりのラブ場面ないんだもん、このショー。

 入れ替わり立ち替わりの忙しいオープニングで、そんなことしてたなんて、夢にも思ってなかったよ……。
 稽古場映像を見直して、探しましたよ。どこでやってるんだろう、って。

 答えを知ってびっくり。
 わたしが、下手セリをガン見していた、まさにそのときですか……!

 や、その一瞬前までは、キムみみを見ているんですよ。でもね、もうひと組カップルが前へ出てきたあたりで下手を見るんですよ、まっつの少ない出番を少しでも長く見るために!!

 いやはや。
 視界が狭いのはまずいですな。

 だけどやっぱり、ここは静止してせり上がってくるまつださんを見ちゃうのよ。

 銀橋から一旦上手花道に行き、そこでトップのキムくんを迎えて、また銀橋へみんなと戻ってくるくだりが好きだった。
 キムくんを迎えるときの、笑顔が。

 初日はまず、髪の色にびびった。
 まっつは2007年アタマから丸5年黒髪だった、フラワーブラックだったからさー。(フラワーレッドはまとぶさんですよ、もちろん)

 黄土色っぽい金髪は、肌色の延長に見えて、なんとも違和感が大きかった。
 わたしが見慣れていないせいもあるんだろうけど、黒髪でないまっつはどこにいるのか、わかりにくかった。
 ふつーのタカラジェンヌみたいな髪色だと、小柄で華奢で、えっとその、特別キラキラしているわけでもない人は、目立ちにくいというか……ゲフンゲフン。
 少しも早く、黒髪に戻してくれ。それが無理ならいっそ、キンキンの金髪にしてくれ。肌色みたいな髪はいちばん損だー。


 オープニングとパレードの衣装は同じ。
 このオープニングの「スペードのJ」ジャケットを見るたび、不思議だった。

 そのポケットは、必要なのか。

 服飾に詳しくないんだが、もともとは白のタキシード・ジャケットなのかな? 襟を黒にして、袖や身ごろにスペードやJの意匠が大きく縫い付けてある。
 スペードだけならただの模様とも言えなくもナイが、特徴的なのはなんといっても前の両側にある大きな「J」のマークだろう。
 前開きでシングルボタン、拝絹の襟が切れる、ジャケットの下半分の位置にポケットがある。左右にひとつずつ、ご丁寧にフラップ付き。
 そう、ジャケット自体はとてもふつー。シンプルなカタチ。襟もボタン位置もポケットも。
 そのふつーの白ジャケットに、上から、スペードとJが縫い付けてある。

 このショーのために作られた衣装ぢゃ、ないんだ……。
 アリモノの白いジャケットに、とりあえず模様を付けただけなんだ……。
 ショーのオープニングなのに……わざわざカードから出てくる人たちなのに……。

 もしもこのショーのための新調だとしたら、ポケットが、わからない。
 ポケットにかぶる位置に縫い付けられた「J」のマークは、わざわざポケットを生かして縫い付けてある。
 Jの文字を持ち上げて、フラップポケットを使えるように、わざわざ二重にしてあるよ……その手間は、いったい……。

 この公演が終わって、プチミュの展示も終わった暁には、マークを全部取っ払って、ただの白ジャケットとしてリサイクルするため?
 だとしても、ポケットつぶして上からJを1枚貼ってもよかったんじゃあ? それだとリサイクル衣装だとバレバレだから、ポケットに意味があるように、苦労して2枚使ったのかなあ。

 なんて、まっつと関係ないところで引っかかっていた。
 ……とゆーのも、あまりにまっつばっか見ていたからこそ、ですが(笑)。

 続く。
 『めぐり会いは再び』で、予想外にキたのは、エルモクラート先生@マカゼだった。
 ベタ過ぎるのはわかってる、でもあのマカゼはツボだった。
 『ランスロット』も良かったけど、キャラのハマりっぷりは、エルモ先生。

 芸風の未熟さは学年相応の若手、しかし顔立ちは大人、そのアンバランスさがマカゼくんの魅力かなと思う。
 エルモ先生は頼りなさと大人さがうまく作用していた。

 ランスロットのような大人の男の役も、足りてなさは目立ったけれど……今回の『オーシャンズ11』、ライナスのような少年役もまた、外見の老け……ゲフンゲフン、大人っぽさとのアンバランスさで、収まりが悪かったなあと。
 顔だけ見ると、子どもに見えないもんなあ。
 や、原作が子どもでないかどうかではなく、ダニー@れおんくんとの兼ね合いですよ、ダニーにガキ扱いされて違和感のない男の子でなきゃいかんのですよ。
 がんばって男の子していたなあと(笑)。

 収まりは悪いんだけど、ヘタレたマカゼを見ると萌えるという回路が、わたしの中に出来上がった模様。エルモクラート先生は偉大なり。

 芝居マカゼのヘタレ具合もいい感じなんだが、実はものすごーくツボったのが、フィナーレ。

 マカゼくんの「センター修行プログラム」らしい、ヒップホップ風ダンス。

 ダンスが苦手というか、身体能力以上にリズム感が大変そうなあのマカゼくんに、あの面子の中で、あのテのダンスを踊らせますか! という、いたたまれなさに、まいった(笑)。
 吊り橋効果抜群だわなー。
 手に汗握るというか、指の間からのぞいちゃう感覚でした。

 芝居のかわいらしさの上に、ラストにこれだもんなー。たまらんわー(笑)。

 ほんと、たのしみにまったり眺めていきます、マカゼくん。


 『オーシャンズ11』はほんと、キャラクタひとりひとりが素敵でいいよな。
 1幕にしかろくに出番がないというか、キャラ紹介場面しか見せ場がないのが残念。
 連続モノじゃなく単発ドラマじゃあ、11人ものキャラに見せ場は作れないわな。『タイバニ』だって単発モノだったら主役ふたりのいちゃいちゃだけで終わったろうなあ、2クールあったから他のメンバーの話も書けたけど、なんてことを、初日の「11人もいる!」を観たときに思ったもんだった(笑)。

 それでもみやるりかわいいし、みっきーが11人の中に入れたのがうれしかったニャ。


 みやちゃんは成長著しいひとりだよなあと思う。
 現代の少年役だからか、なんかふと『My dear New Orleans』を思い出していたんだ。
 トウコの弟役でどさくさまぎれに銀橋芝居に混ざっていたりして、やっぱうまくないことが、目に付いた。それまでろくに役ももらったことのない子で、いきなりの役付にびっくりしたもんだった。
 あれから2年。女役やったり新公主演したり、ばたばたと立場が変わったよなあ。組替えがあるとは、思ってなかったよなああ。
 そして、うまくなったよなと思う。男役であること。舞台人であること。

 ハッカーくんは、いかにもな現代少年。年齢設定がいくつか知らないけど、「大人」ではないと描かれている。
 若手ならある程度、なんとでもなる。少年役ならば。「男」になっていない未熟さを「少年らしさ」にすり替えられるから。
 でもみやちゃんは、未熟だから少年役、なのではなく、得意分野としての少年役を演じていたんだなと。やろうと思えば大人もできる、その上での少年役。
 ああ、うまくなっているんだ、と思い、ふと『My dear New Orleans』での姿が思い浮かんだ。二重写しになった。
 これからも、楽しみだ。


 新公以来、みっきーがさらに気になる存在に(笑)。
 美形であることはわかっているんだが、はて、彼の華はどの程度なのでしょうか。
 新人公演はねえ、なにしろ彼しか見ていないので、一般的な判断が付かないのですよ。
 オペラグラスロックオン、画面に彼しかいません状態だったので。
 大勢の人がいる中、どの程度輝きを放っていたのか、さっぱりわからん。

 で、こちらの意識が変わっているから、モブにいてもやたら彼が目に飛び込んでくるわけです。
 キラキラして見えるわけです。

 ……いぶし銀のまつださんすらキラキラに見えるわたしですから、ほんとに「好き」フィルターかかった目には、通常の判断力は期待できません。

 双子の片割れでいるときより、名もなきモブの方が好みなのは、わたしがかわいこちゃんより男前が好きなためでしょう。
 みっきーのマジ芝居をじっくり見てみたいと思うのことよ。


 れみちゃんがどんどんぶっ飛ばしていることに、うれしくもあり、ちょっと複雑でもあり(笑)。
 ガチ路線、ヒロイン街道真ん中だったころの彼女も眺めてきていただけに、この花開きっぷりが頼もしいけれど、もったいない気もするんだ。
 もったいないけど……いいのかな、これで。
 いろんなれみちゃんを見られて、また、れみちゃんのおかげで良い舞台を見られて、とてもうれしい。

 タカラヅカは難しいところ、特に娘役は実力や美貌だけでなくタイミングも大きく作用する。
 月にいたときはアイドル系、花にやって来たら儚い不幸タイプ、星ではあばずれ・老け役なんでもまかせろ別格女役、って……すごい遍歴だ。
 役に貴賤があるわけでなく、良い女役さんになり、確固たる位置に根付いている様子、良かったんだよなと。


 とにかく楽しかったよ、『オーシャンズ11』。楽しいよ星組。
 とりあえず、ベニーがおもしろい。

 『オーシャンズ11』を観て思った。役者として、ミュージカル俳優として、紅ゆずる氏がうまいかどうか、ではない。正直いろいろいろいろやばいと思うんだが、そんなことは置いておいて、とにかく、おもしろい。

 好き嫌いはともかく、目立つ。目に入る。これは、強いよな。
 嫌いな人にはすげー不快だろう、その芸風の派手さ。無視できないんだもの、画面の端に勝手にちらちら映り込むんだもの。

 いやあ。
 いいなあ(笑)。
 こーゆー「スタァ」はアリだと思う。
 ここはタカラヅカだもの。タカラヅカ的な美しさを持つことが前提で、あとは目を奪う人、派手な人が正しい。
 ベニーは美しい。タカラヅカ的な美貌を持つ。それゆえに、あのおかしな芸風……とにかく、うるさいキャラクタが許されている。

 ベニーを路線に引き上げた人は、なかなかタカラヅカを、星組をわかった人だなと思う。
 判官贔屓が当たり前、劇団愛に守られた子は人気が出にくいヅカファン気質。それまでずーーっと脇役一直線で、組ファンにのみ認識され愛でられていた無名のベニーを突然大作主演に抜擢、スター誕生が大好きな人々の真理を突いた。
 しかもベニーは星組ファンの好物、ハッタリ系の芸風。
 美しさはある、しかし足りないものだらけ……という、ファンの力で育てることが可能な物件。
 閉鎖的な星だからこその「うちの子」感で、脇時代を知っている組ファンは「あの子がこんなに立派になって」を味わえるし、他組ファンやライト層は「突然現れた新星!」として無邪気にわくわくできる。
 またベニー自身が、こんなタカラヅカ的イレギュラー(トップになる子は入団前から決まってます的育て方がヅカのスタンダード)方針に萎縮せず、むしろ図に乗る性格だった。
 なんにもできないくせに、「スタァ」としての存在の仕方は立派。
 そこがイイ。それがイイ(笑)。

 生真面目さが舞台に出てしまって、そこが残念なジェンヌや役を語るときに、「この役がもしもベニーだったら」と、仲間たちと話す。
「うわ、ウザそう」「絶対図に乗るよね」「カンチガイして暴走するよね」「ソレ観たいかも(笑)」
 なんて言われちゃうくらいの、ある意味安心のキャラ・クオリティ。
 ベニー自身がどれだけ生真面目に計算に計算を重ねて緻密で繊細に演じているとしても、ノリと勢いだけで突っ走っているよーに見える、あの芸風。
 今後どう評価されるのか、また彼がどう変わっていくのかはわからないが、今この時点ではアリだと思う。

 つーことで、ベネディクト@ベニー。
 The 悪役。

 わかりやすく悪役で、派手でかっこよくてバカ(笑)で、素敵だ。
 ベネディクト自身苦労人なんだけど、それを吐露する場もあるけれど、彼はハリウッド映画の「悪役」だ、日本映画じゃない、悪役は完璧に悪でないと。
 日本人は滅ぶ側に感情移入しがちだし、悪人にもその背景や「ほんとうはいい人」などと夢を見がち。でもアメリカさんはそうじゃない、悪は悪、徹底的にやっつけてよし、悪党が泣き叫ぶ様に拍手喝采する気風。
 ベネディクトは、観客に同情されたり、感情移入されちゃいかんのだわ。
 ダニー@れおんたち犯罪者チームが悪だってことを、気づかせちゃいけない。ダニーたちは正義、ベネディクトは悪。
 突き抜けたキャラなのがイイ。彼が最後「ぎゃふん!」となることを、素直に受け取れる。彼のおかげで、ダニーがヒーローであれる。
 いい仕事だなー、ベニー。
 色男でおもしろくて。

 2番手としての貫禄や説得力があるかというと微妙だが、初日はともかく、千秋楽は図に乗って暴れている感じが存在感になっていた。

 てゆーか、気持ち悪くてステキ。

 ベネディクト、気持ち悪い。
 格好いいんだか気持ち悪いんだか、よくわからない。
 だからこそ、目立つ。さらに目立つ。
 ナニあの変な人?! 目が離せない。
 かっこいい。かっこいいんだよ? でも、それだけじゃない、もっとチガウ(笑)。

 期待をはずさない人だ。初日を観て、「公演が進めばきっとキモチ悪くなるよね」と友人と話したまんまの進化。

 わたしにもっともっとお金があって、リピートたくさん出来ていたら、もっとチガウ面も感じられたのかもしれない。芝居の深みとか台詞の行間とかを感じ取れたのかもしれない。
 でも、ほんの数回しか観劇できなかったので、あちこち観たいところが多すぎて、ベニーだけを全編通してガン見する回は作れなかった。
 すごく表面しか観られていないのだろうけど、その表面的な派手さ……気持ち悪さが、良かった。
 わたしが彼に期待するものであり、また、この役に期待するものだった。

 イケコとベニーは相性が良いのではないかと思う。
 イケコの作風は、派手なエンターテインメント。テーマパークのアトラクションを観ているような、気持ちの良い演出。盛り上がってしかるべきところで、ばばーんと盛り上げてくれる、爽快感。
 その代わり、叙情的なところは弱い。
 純文学ではなく、ライトノベル。小中学生から共感できる系の悩みや嘆き。
 緻密でせせこましい構成や、複雑で裏のあるテーマではナイ。ダイナミックでキャッチーな、わかりやすい持ち味。
 イケコのエンタメ性と、ベニーは通じるものがあるのかなと。
 舞台人としての基本的技術は低いけれど、美貌と勢いでばばーんと煙に巻いてしまうベニー。複雑なモノは表現できないけれど、見た目のキャッチーさで派手に爆発させて細かいことは不問にしてしまう、パワー。
 それらはなんともイケコ作品的持ち味。
 イケコ自身は、もっと文学的だったり深みのある作品を作りたがっている・創っているつもり、だったりするんだろうけど。
 悪の組織がマッドサイエンティストと組んで世界征服うわーー!!が本質であるイケコと、気持ち悪く格好つけて舞台で大暴れうわー!!なベニーは、良いコンビなんじゃないかな?
 ドラマシティあたりで、イケコのトンデモオリジナル作品の「世界征服を歌う悪役」をベニーで見てみたいわー。
 もしくは、イケコのアニメ的世界観のエンタメ主人公を、大劇場で。

 がんばれベニー。このままもっともっと速度を上げて走ってくれ。こーゆージェンヌがいてもいいだろう。
 星組でならアリだと思う!
上昇気流の心地よさ。@オーシャンズ11
 2011年11月11日に行ったのなら、2011年12月13日も、行かなきゃいけないでしょう(笑)。

 ということで、『オーシャンズ11』千秋楽。
 東宝初日は2012年1月2日なんだよねえ……おもしろいなあ、星組。ここまで数遊びするなら、東宝楽も2月2日か12日にしてほしかったわ(笑)。

 さて、東宝初日は行けないけれど、ムラ千秋楽を観ることは日程が発表になったときから決めてました。なのにチケットは持ってなかった。友会はずれちゃったんだもん。
 ムラというところは、チケットなくてもとりあえず行けば観られるところ、当日券もあるし立ち見券だけで100枚は出るんだし、まあ大丈夫よねと。

 ……甘かった。
 今の星組に通例は通用しない。立ち見まで完売って、どんだけ……!

 門の前にもサバキ待ちの人たちでいっぱいだし、なんか「いつの時代のタカラヅカ?」って感じ。
 ……少し前は、こんな光景もそれほどめずらしいものでもなかったんだが、今では驚愕(笑)。

 タカラヅカが斜陽の今だからこそ、上昇気流の気持ちよさがハンパない。
 星組の勢いをすばらしいと思う。
 1ファンとしてその場にいることが、心地よい。
 上昇気流って、気持ちいいもんなんだなあ。

 わたしが星組を自分のホームと腹をくくって応援していたころのタカラヅカは、こんな感じだった。
 初日と新公と千秋楽は立ち見まで完売が当然、後半の土日も座席はほぼ埋まる、立ち見が出ることもある。サバキ待ちもたくさんいて、門の前では駆け引きが繰り広げられる……。
 どの組が、というか、タカラヅカ自体が。

 だからひたすら、なつかしい。
 自分が星担だったころと同じ星組の空気が。

 立ち見まで完売、せっかくはるばるこんな遠くまで来たのに、このままだと観劇できない?! なんて切迫感を持ってサバキ待ちするのも、すげー久しぶり。
 トップさんのサヨナラショー付き公演すら、集合時間までに並べばバウホールのチケットなら買える(発売座席数より、当日券に並ぶ人数が少ない)現代ですもの……。

 人気がある、活気がある、って、いいなあ!
 ……いやその、人気ありすぎてチケットが手に入らないのは困るけど(笑)。

 ありがたいことに声を掛けてもらって、無事観劇できた。
 劇場内の空気も、アツい。
 ただでさえ星組はアツい。ファンの気質もアツい。昔、星組が苦手でほとんど観ていなかった理由は、そのアツさと身内意識。同じように観劇していても、組ファン以外は置き去りにされるんだもん(笑)。
 ずっと苦手で近寄らないようにしていたけど、いざ自分が星担になり、星組だけをヘビーリピートするようになると、わかった。
 楽しい。
 一般人を置き去りする身内意識、閉鎖性ゆえの盛り上がりは、そこに身を置く者にはすげー心地よかった。
 外から見ると引くけれど、中に入ると楽しい。
 世の多くはそーいった性質があるもんだろうけど、星担は特にその傾向が強いと思う。
 一時星組担当で、その後また別の組に行った者の経験談(笑)。

 今のわたしは星担ではないけれど、かつての記憶から、勝手に親しみを持って眺めている。
 「星組を楽しむ」ときは、「引かない。積極的に中へ入る」ようにしている。地味な性格なので、これがなかなか難しいんだが、意識してそうしている。
 だって、楽しんだもの勝ちだもんね。
 それぞれのジャンルに楽しみ方があるよーに、星組には星組の楽しみ方がある。
 よりアグレッシブに、貪欲に。

 劇場にいる、ことを楽しむ!

 ちえねねの力、人気。
 ベニー以下の中堅の力、人気。
 そして、派手で力押しの通用する、イケコ演出のハリウッド映画のミュージカル化作品、『オーシャンズ11』の力、人気。
 それらが一体となって、星組らしい盛り上がりを見せる。

 客席の、熱気。
 行列ができる店効果じゃないけど、人気でチケットが取れない公演であるからこそ、みんなこぞってチケットを求めるし、実際にナマで観られることの喜びも大きい。
 チケ難の中、それでもなんとか手を尽くしてチケット入手し劇場にいる、この人たちはみんな同志、組ファンという共通コミュニティの仲間たち。
 その安心感、盛り上がり。

 相乗効果、正のスパイラル。

 いいなあ、星組。
 うらやましい(笑)。
 チケット取らなきゃ、って焦る気持ちがあるから、前もって努力するしねー。「いつ行っても観られるし、あとから美味しいイベントや格安チケットが出るかもしんないから、前売りは買わないでおこう」なんて思わないもの。
 れおんくんのコンサートとか、すごい必死になってチケ取りしたもんなあ。自組のDC公演は前売り買わなかったのに……。
 いやそれでも、自組の方が好きなんですけどね。うちのトップさんの方が好きなんだけど、ただシンプルに、うらやましいっす。

 まあ、隣の芝生をうらやむよりは、隣のすばらしい芝生で遊ばせてもらう方がいい。
 星組を観るときは星ファンに倣い、積極的に楽しむんだ。
 昔、星担だった記憶をなつかしみながら。
 年寄りゆえに、過去を思い出すといつも切なくなる。その切なさごと、今の星組を堪能する。

 タカラヅカっていいところだな。
 5つ組があって、新陳代謝があって、長く続いていて。
 いろんな楽しみ方、関わり方があり、自分自身の記憶や経験とリンクして、年輪を重ねることができる。
 星組の特異性っちゅーか、他の4組とわかりやすく違っている感じが、それを改めて考えさせてくれた。

 星組楽しい!
 好きなだけアツくあっていい、千秋楽はさらに楽しい!
 マヤさんの卒業にも、力一杯拍手できた。
 観ることができてよかった。
 『仮面の男』のツボ走り書き、続き。

 ダルタニアン@ちぎの銀橋ソロを観たときに、唐突に思った。
 こういう人が、トップスターになるんだな。と。
 おウタのクオリティはいつものちぎたさんなんだけど、なんかとてもシンプルに、すとんと納得した。
 たったひとりで歌いながら、役として銀橋を渡る。それで彼が「スター」だということをわからせてしまう、力。

 そうか、考えてみれば、ちぎくんが2番手になってはじめてなんだ。
 芝居で、銀橋をひとり歌いながら渡るのって。
 『ロミジュリ』で銀橋ソロがあったのはロミオ@キムとジュリエット@みみ・夢華のみ。2番手のマーキューシオ@ちぎには、銀橋ソロがなかった。
 小池作品のお約束、フィナーレの2番手銀橋ソロはあったけど、そんな「空気を変えて、はいどうぞ」というお膳立てされた場面ではなく、あくまでも芝居の中で決まった空気の中での「スター」としてのソロ。
 かっこいいなあ。いいスターさんだなあ。そう、素直に思った。

 「王はすべてお見通し」場面は好き。
 音楽がいいし、ブリッジの上の人々もいいし、パリ市民たちもいい。

 人間睫毛となっている人々は、それぞれ個性を出している。
 ナガさんがめーっちゃイイ味出してるんだなー。
 んで、ひそかに気に入っていたのが、あんりちゃん。
 なんかものすごくわたし好みの「女子」だった。
 オンナノコであることの驕りや冷酷さが、オンナノコであるがゆえのキュートな美貌ににじみ出ていて素敵。
 それが彼女の「演技」だとわかる。台詞もなく、ブリッジの上に立って歌うだけの場面と役で、彼女がコケティッシュで冷酷な淑女を演じているのがわかるの。
 遠眼鏡でのぞいている、それだけのことなんだけど、キャラクタが見えるってすごい。てゆーかあんりちゃんは、ショーのウサギちゃんでもそうだけど、台詞ナシで「かわいこちゃん」という役をやっているときが、いちばん饒舌だと思う(笑)。

 好戦的に歌う市民男@朝風くんも好きだー。衣装のダサさがまたツボ(笑)。

 ルーヴォア@ひろみちゃんのビジュアル、そして声というか話し方も好きだな。
 かわいこちゃんや美青年ばっかやっていたときには気づかなかったけれど、ノイズ的なざらつきのある声が、ヒゲ男から発せられるとドキっとする。んで、ヒゲ男だからノーマークでいたのにちゃんと見るとこの人美形だわ!というギャップ萌えにつながるというか。
 『黒い瞳』のときも思ったけど、悪役ヒゲ男ひろみってイイ。胸がざわざわするー。

 ルーヴォアはオネエ喋りのあと一気に渋く変貌する場面があるんだが、そこの声の差も毎回注目だった。ここできちんと「男の声」に戻るのがイイ。さすが上級生。

 監獄場面は、役者の能力がまんま出るというか、見えると思った。
 サンマール@コマくんを、心から尊敬した。
 この役を、大囚人ナンバーという劇団史に残るトンデモ場面を、それでも成立できたのは、コマくんの実力だと思う。
 彼は「スター」だ。
 作品や役の是非はともかく、舞台を牽引して盛り上げる。

 大囚人ナンバーは何度か観れば耐性が付き、別次元のものとして楽しむことができた。
 だからコマくんのイッちゃった演技、ノリノリの姿をオペラで追って楽しんでいた。

 この役を他の誰でもないコマに振るあたり、こだまっちはキャスティングのセンスはあるんだよなあ。

 また、看守フェルゼン@がおりもまた、いい仕事をしていた。
 がおりくんは堅実な持ち味の人だけど、アレな役もしれっとこなしちゃうよな。
 この「しれっと」したところが彼の強みであり、舞台人としての魅力のひとつだなと、しみじみ思った。
 ただ実力あります地味です堅実です、じゃなくて。彼も間違いなくタカラヅカ・スターである所以。

 囚人ダンサーたちの、手枷足枷は見ていて面白い小道具だけど、あれで動くのは難しいだろうなと思った。
 ひとりで拘束されているのも大変だろうけど、ふたりで拘束されている人たちとか……お稽古、大変だったろうなあ。ケガなく済んでいたならよかったけど。
 しかし実際、ダンスは良かった。動きの制限の効果、表現の拡大。
 なんかすごくキレよく踊るダンサーがいると思うとひーこさんでした。枷があっても自在なのなー。

 ところで囚人りーしゃの役割は、美貌担当? ずーっと目立つところにいるが、アカペラ要員ではない……でも役名は「歌手」。
 や、すごく大切なお仕事です、美貌担当!
 歌はにわにわとりんきら、ゆめみさらさにお任せでしたな-。

 ラウル@翔くんは若手スターとして良いデビューっぷりだったなと。
 もちろん彼はこの公演より以前からの期待される下級生のひとりだったろうけど、新公やバウで役付が良くても一般ファンには認識されない。スターを作るのは本公演だ。
 ラウル役は期待の新人をライト層へアピールする、デビューさせるのに最適の役。
 実力よりも、必要なのは美貌と、若々しさ。
 これできれいでない子が抜擢されると「???」だけど、きれいな子なら誰もがとりあえずは納得する。実力はこれから付けていけばいいことだもの。
 こういう若手にオイシイ役が、作品にあるのはイイ。

 ラウルがわかりやすくきれいで初々しい若者だから、彼が無残に処刑されることで観客の視点が定まるのな。
 こんな子を殺しちゃうなんて、ルイひどい!!と。

 ラウルの手紙を運ぶ、洗濯女@リサリサが、うまい。
 彼女ひとりで十分ドラマが感じられる。

 「脱獄!仮面大作戦」はほとんど見れたことがナイので、よくわかんない……きっとDVDやテレビ放送で見られるだろうから、生で見るのはあきらめた(笑)。

 三銃士にはそれぞれ「学年順」に見せ場ある。アトス@まっつは銀鏡ソロ、ポルトス@ヲヅキは本舞台で2番手ダルタニアン@ちぎとふたり芝居、アラミス@きんぐはカーテン前で主役のフィリップ@キムとふたり芝居……ヅカのピラミッドに従ったうまい配置ではあるが、特にアラミスは大変だなあと。
 脚本の粗というか、こだまっちの人としての常識のなさがまんま出ちゃったやりとりの場が見せ場っつーのはなあ。
 や、だからこそ、「笑顔で恫喝」というひどいことをしているアラミスを、一見「いいことを言っている」と観客に錯覚させる美貌と演技は大したものだと思います。
 ……あのきんぐがさぁ……彼もまた、大人になりつつあるんだねえ……。(脳裏にロバート@『ロシアン・ブルー』のすべりっぷりが浮かんでいる……・笑)

 続く。
 あすレオあすレオ言いながら、ナニか思い出すなあ、と思っていたんだが。
 自転車を漕ぎながらはっと思いついた。

 レオとアストラだ!

 子どもの頃に見た、『ウルトラマンレオ』。夕方に毎日子ども向け番組の再放送がやっていたころ、ウルトラシリーズや他の特撮なんかも順次放映していたと思う。
 『レオ』はなんか暗い話で、頭の悪いガキだったわたしにはあまり理解できず、途中で見るのをやめてしまっていた。が、学校から帰ったらちょうどやっている時間帯だったからか、見るともなしに見ていた部分もあったらしい。断片的に記憶がある。
 話はよくわかんないが、ツボがあったためだ。

 ひとつめのツボ。
 レオは、滅亡した星の王子様である。
 悪い宇宙人に故郷を滅ぼされ、地球に亡命してきていたのな。
 んで、再び悪い宇宙人が、今度は地球をターゲットにしたから、レオは第二の故郷を守るために戦っている。……てな設定だったと思う。

 ふたつめのツボ。
 レオには、双子の弟アストラがいる。
 ただの弟ぢゃダメだ、双子だ。この「双子」っつーのに、何故か萌えた。や、その時代には「萌え」という言葉も概念もなかったが。
 ガキのくせに、双子萌えだった(笑)。

 みっつめのツボ。……実はコレが最大のツボ。
 アストラは故郷が滅亡した際に死んだと思われていた。それがあとになって生きていたことがわかる。……後付け設定くさいと当時ですら思ったな(笑)。
 で、その、実は生きていたアストラは、敵に囚われていた。
 囚われの身だったために、片方の太ももに足枷を付けたままである。

 双子の弟で、足枷付きですよ?! ナニこの萌え設定。今の時代なら「あざとすぎ」と言われるくらい腐った設定ですよ?
 足枷の位置がやばい。太ももって、なんの意味でそんなところを拘束したのよ?!

 ……と、子どもだったはずなのに、無意識にツボっておりました……。三つ子の魂百まで。ヲタは生まれ落ちた瞬間からヲタ。

 「ウルトラマンでどれがいちばん好き?」と聞かれたら、「アストラかゾフィ」と答える子どもでした。聞いてきた相手を絶句させる返答ナリ。
 アストラとゾフィの共通点は、「どちらも脇役」「人間の姿がない」「たまにしか出てこない」……あああ、大人になっても嗜好が変わってなさ過ぎる。主役タイプに興味なかったんだ、昔から! 脇の渋い人が好きだったんだよー。……まっつってゾフィタイプだよね?(笑)

 
 そんなこんなを芋づる式に思い出しつつ。

 あすレオになーんか引っかかると思ったら、レオとアストラだったのか!
 と、答えを得られて良かったっす。

 思い出せないままだと、むずむずするじゃん?


 あすレオ好きです。
 またしても雪組の話に戻る。
 こだまっち演出の話ばかり書いて、他の感想を書けていないっつーのがもう。

 『仮面の男』のツボを走り書きしておく。

 オープニングはとにかくかっこいい。
 このままのカラーで統一してくれたらどんなによかったか。

 ルイーズ@みみちゃんの思い詰めた、凛とした顔が好き。
 彼女を観ているだけで、これからはじまる物語にわくわくする。この美女は何故こんな表情をしているのか……期待の深まる姿だ。
 また、すでに内容を知った上で観るのもいい。
 恋人を失うことになる、「仮面の男」に翻弄される彼女の運命を思うと、オープニングの表情は深く、切ない。

 三銃士が正装しているのはここだけ。
 もったいない。惜しい。
 めっちゃかっこいいんだから、他の場面でもこの衣装を観たかった。
 や、服装だけならラストバトルで銃士隊の制服着ているけど、帽子の有無が大きいのよ。
 三銃士まっつかっこいい……。(ソコか)

 「早わかり世界史」はいらないと心から思うけれど、それとは別に。
 助さん@央雅くん、格さん@香音くんというキャスティングはツボ。
 助さんと格さんなら、助さんの方が役は上だと思う。でもあえて、下級生の央雅くんが助さん。……だって香音くんは「格さん」って感じなんだもの(笑)。
 反対に水戸黄門@しゅうくんは、役に合っていなくて残念だった。央雅くんと香音くんという、ニーズのわかったキャスティングをするこだまっちなのに、なんで水戸黄門をはずすのよ~~。そこがこだまっちなんだろうけどさー。
 しゅうくんは、もっと別の役で声を聞きたかったな。

 ともあれ、前進している顔で後退しているご一行が、ツボ(笑)。
 盆が回っているので前に進むとムービングウォークを歩いている状態で、かなりスピードが出てしまう。立ち止まっても、歩くのと同じスピードで運ばれてしまい、芝居にならない。
 ので、センター位置をキープしつつ「さあ歩け」とばかりに歩いてなければならない水戸黄門ご一行様は、しれっと回る盆の上を後ろ歩き。
 変。すげー変な姿だからそれっ。水戸黄門云々とは別に、3人並んで前へ歩く振りで後ろ歩きって、相当変だから!!(笑)

 かわいいなー、もー。

 マリー・アントワネット@さらさちゃん、ルイ16世@がおりも、うまいキャスティング。さらさちゃんの大ぶりで派手な顔立ちが、アントワネットによく合っている。がおりの堅実な持ち味も、ルイ16世にイイ。

 ところでわたし、ジャンヌ・ダルク@ゆめみちゃんが、すげー好きです。
 登場して、歌う前にくいっと首を振り、髪をばさっと動かすとことか、好きすぎるっ。いつもオペラでガン見(笑)。
 かっこいー!
 歌声の力強さも好き。
 ……ただ、長い間歌詞がわからなかった……。これはゆめみちゃんの問題ではなく、こだまっちの歌詞の選び方のせいだと思う。ジャンヌ・ダルクの名言「行動すること、そうすれば神も行動される」をまんま歌詞にしているわけだが、コレ聞き取りにくい音の並びだ……少なくとも、わたしの耳には。

 ルイ13世@りーしゃの出番のなさは残念。せっかくきれいなのに。

 ムラ版の「人間ボウリング」はなんつっても、ボール係@あすレオがかわいい。
 なんか散漫な場面に呆然としているところへ、彼らが歌い出すことでその瞬間だけ集中できる。
 いろんな人から「ボール係って誰?」と聞かれたなあ。そりゃ目立つわ、気になるわ。いい役だし、こだまっちのこーゆー「きれいどころ」の使い方はうまい。

 下手のあすレオにロックオンしていたため、上手のチェックをはじめたのが公演も後半になってからだったんだが(どんだけあすレオに食いついてたの・笑)、絵描き@イリヤくんの歌声はいいね。や、長い間耳だけで聴いていて、誰が歌っているのか知らなかったのよ……新公終わったあたりから上手も観るよーになって、あれ、イリヤくんあんなとこにいるわ、と思ったらワンフレーズ歌うし、えっ、耳だけで聴いていてイイ声だ-、と思っていた少年、イリヤくんの声だったのか!

 侍従@りんきらと巨大メガホン@朝風くんは最初からチェック済みですが、オーケストラはあえてスルーしていた。
 とゆーのもだ、最初に観たとき「これやばい!」と思ったんだ。
 だって、ザッキーとまなはるがいる。
 このふたりに楽器持たせて、「好きに小芝居していいよ」なんてことになったら、無法状態じゃん(笑)。
 目を奪われて戻ってこられなくなるのがわかっていたから、まずは他を観ることに専念した。……あとのお楽しみっていうか(笑)。
 いやはや、期待に違わぬ暴れっぷりでした。オーケストラ、ちょっと落ち着け!ってな。

 歌があるところはいいんだけど、音楽だけだと散漫なんだよなあ、「人間ボウリング」。オケ4人が暴れているのは楽しいけど、それだけでは埋まらないくらい、大劇場の舞台は広かった。

 侍従@凰くん、おいしいよね。ってゆーか、美貌担当っぽい?(笑)
 同じく侍従@真地くんもいつもながらきれい。翼くんはファニーフェイスという思い込みがあったんだが、侍従やってプラカード持って歩いているときは、けっこうイケてると思うの。

 『H2$』パロの酒場シーンでのツボは、ハウルだった。
 突然大ゲンカをはじめる三銃士に、酒場の人たちは右往左往。そんななか、ハウルひとり席に着いたまま、悠々と食事を続けている。
 女の子を膝に乗せていちゃいちゃしていたりな。
 ハウルなのに!(笑)
 あのハウルが、男前・クール・剛毅キャラを演じていることに、ツボ入りまくり。ピーターのくせに~~(笑)。
 あと、後半になってからアトス@まっつに絡むよーになったのも、たのしいです。最初のうちは「そーゆー振り付けなんだろう」って感じに話しかけるだけだったのに、途中から手にした食べ物を勧めるよーになっていたぞ。東宝ではその勧める食べ物が日替わりになっていたとか?
 ハウルがひょうひょうとした様子なのが、楽しい。

 あ、ポルトス@ヲヅキに手を握られて嫌そーにしている店員@央雅くんもツボだ(笑)。
 ポルトスは空気読まない人なつこいキャラなので、あちこちでいろんな人になつき、嫌がられている。
 銃士隊@しゅうくんに話しかけてはガン無視されていたりなー(笑)。

 アトスさんは酒場ではとてもわざとらしい人です。中の人は悪い癖のよーな気もするが、そーゆー演出なのかもしれない。


 続く。
 わたしが企画していい立場なら、まさおがみりおに苛められる作品をやるわ。肉体的にでも精神的にでもいいから、まさおに唇噛んでふるふるさせたり、「あっ」とか「うっ」とか呻かせたいわー。みりおには黒い役を、まさおの役に愛であれ憎悪であれ、なにかしら執着している役をやらせるわー。
 まさみりを売るには、ソレがいちばんなんじゃないの?

 と言ったら、「それって多数派意見よ」とすんなりいなされたっけね。ついったーとかでみんな言ってると。
 そうなんすか? 一般的見解なんだ。
 だとしたら、ソレをやらない劇団はアホだなー。せっかくまさおくんとみりおくんという、麗しく実力もあるスターがふたり並び立っているのに、芝居でこのふたりを絡ませることがほとんどナイんだもんなー。
 ショーでふたり一緒にやらせることは、かわいく明るく幼く、だし。あるいは共に女装させてトップスターに絡ませたりとか。ただのかわいこちゃん扱いでしかない。
 「男役」として、将来のトップスター候補として売り出すならば、彼らの魅力を相乗効果を狙って盛り上げればいいのに。

 全国ツアー公演『我が愛は山の彼方に』『Dance Romanesque』を観ながら思った。

 いやあ、すげえまさおさん大売り出し中!! に見えたもので。
 これでもかとプロデュースしてもらっているように見えたもので。

 芝居ではチャムガという、主役以上にオイシイ、魅力的に見える役を与え、ショーでは本来の2番手役に加え、3番手がやっていた場面まで彼用に書き換えて場面を増やして。
 彼よりキャリア豊富な上級生スターは、出演者半分なのに役付が上がらず、見せ場的な場面は組長や下級生が務めたりして、まさおくんより目立つ人がいないよう、気を遣って。
 あー、劇団、本気だなあ。がんばってるなあ。

 わたしはまさおさんスキーなので、彼がわーきゃー言いながらたくさん出てくるのも、がんばっている姿を眺めるのも大好きですが、作品のいびつさはちょっと気になった。
 もりえくんにはがんとしてセンターを与えず、でも並びでだけは「3番手ですよ」と配慮するあたり、そのあたりの扱いの人を贔屓に持つ身としては、胸が痛いです。
 役がないならともかく、あるのに、スター役を組長にやらせてまで、もりえくんに華々しい場面を増やさないっつーのはなあ。

 大劇場でやったショー作品を、人数も規模も半分になる全国ツアーで使い回すときは、ふつーに出演者の番手が上がるもんだ。
 3番手がバウ主演で抜けるなら、4番手以下がひとつずつ上がる。

 それが、空いたみりおくんの役も一部は2番手のまさおがやり、残りを4番手のもりえくんをとばして、番手があるのかまだ不透明な宇月くんがやる、ってのはなあ。んで、5番手マギーの見せ場は組長がやり、いろんな場面の少人数口にも組長がスター位置を占める。
 月組って不思議な組だなと、あさこちゃんトップ時代に思ったことを、思い出した。トップ娘役がいなくて、3番手位置に組長がいたりした、あの違和感のある配置。
 きれいなピラミッドにはせず、あえてぐちゃぐちゃにして、いろいろ誤魔化すことに必死になった並び。
 また、たかはな時代の宙組を思い出した。本公演でやったショーをもっての全ツ、役割がみんな上がるだろうと期待したらほとんど誰も上がらず、3番手位置の役をすっしーやまりえったが務めていたっけねえ。番手付きの若手スターも出演しているのに。
 見えるのは、明確な意図。誰を目立たせて、誰を脇にしたいか。作品のクオリティも観客の満足度も関係ない、そこにあるのは劇団の意志と都合。全ツって本公演より、野放しだ。

 今回の全ツのいびつな配役でわかったことは、劇団がものすごーくまさおを売り出したいのだということ。人気をつけさせたいのだということ。
 そして、なんかまさおアゲの余波で場面を与えられた宇月くんが、けっこう足りていなくて、大変だということ。
 としくんがんばれー。センターに立つと地味さとか器の大きくなさとかが、どーんと見えてしまって苦戦しまくりだったが、経験を詰むことによって変わると思うので、どーんと吸収していって欲しい。

 劇団の本気が見える公演だったわけだが、このまさおくんの扱いは、間違ってないと思う。

 だって、久しぶりに王子様なまさお!!
 チャムガは武人というより、きらきらで育ちの良い王子様ですよ(笑)。
 骨太な秀民@きりやんとの対比もいい。
 まっすぐきれいなままでいい役で、そのきれいさを振りまくまさおさんは、正しくタカラヅカスターでした。

 で、そんなふーに真正面からきらきらさせておいて、だ。

 ショーの新場面。
 本公演ではみりおくんが健康的に若者たちを引き連れてアイドルっぽく盛り上げていた場面が、まさおくんのために書き直されると。

 粘着質エロ場面になる。

 爆笑した。
 声殺すのに腹筋使った。

 まさおアテ書きすると、こうなるのかっ!!(笑)
 イイ。イイよこれ、イイ仕事だ!!

 まさおが、彼の特色である気持ち悪さ全開に、あはんあはん言ってくねくね歌う。
 うわーー、たまらん~~。まさおスキーには、たまらん~~。愉しい~~っ。

 みりおくんとの対比がまた、ツボ直撃。
 あたしやっぱ、まさみり好きだ。このふたり、おもしれー。


 わたしがまさみりで好きに書いてイイなら、まさおくんはコンプレックス持ちのおとなしい青年にする。
 メガネ着用の真面目男子とかいいですな。いろいろ優秀でエリートなんだけど、本人はそんな自分にプライドと同等の劣等感や焦燥感……俺ってツマンナイヤツだよなって闇を持っている。
 そこへ現れる、笑顔きらきらの健康的美少年みりお。誰からも愛されるみりおくんは、その明るさと正しさでエリートまさおに近付く。素直にまさおを尊敬しているみたいな言動で。
 しかし。みりおは実は腹に一物、まさお失脚を狙う刺客、真っ白な笑顔で後ろからナイフでちょこちょこまさおを突き、痛みに呻くまさおが振り返っても、そこにあるのはまぶしい笑顔、あれ、俺の気のせいかな、背を向けるとまたちくちく……。まさおのコンプレックスやトラウマを、笑顔でいじめ抜く。
 徐々にまさおは追いつめられ、クライマックスではみりお豹変、鬼畜全開にまさおを嬲る。さあこれでもうまさおはおしまいだ、社会的にアボーンだ、てな段になって。
 まさお、ブチ切れる。切れるとこわい、内側に溜め込み凝縮されたものが一気に爆発。その激しさとむちゃくちゃさはみりおが思いもしなかったパワーで。
 最後はふたりが手に手を取って、ふたりを争わせた巨悪(笑)に向かっていくのでもよし、ふたりして果てるもよし。
 現代物でもコスプレでもなんちゃってSFでも、舞台もネタもなんでもあてはめOK、汎用性の高い愛憎モノ(笑)。
 あー、愛憎のまさみりが見たいー。みりおにいたぶられるまさおが見たいー。みりおくんの白さと強さゆえの歪みが見たいー。まさおの黒さと弱さゆえの歪みが見たいー。

 共にきれいでかわいいふたりだけれど、持ち味はまったくチガウのにな。
 見た目のきれいさとかわいさで、十把一絡げに「かわいこちゃん」扱いしかされないまさおくんとみりおくんを、心からもったいないと思う。
 チャムガは、オイシイ役だなあ。

 全ツ『我が愛は山の彼方に』を観て、しみじみ。

 2番手役はオイシイ、とよく言うけれど、実際そーゆー役はそれほど多くない。やっぱいちばんオイシイのは主役だ。
 しかしこのチャムガという役は、オイシイわ。「男」を上げる役だわ。こーゆー役を2番手に与えることで、観客の興味を次代へとつなげていくのも、座付き作家の仕事なんだわ。

 と、大嫌いなはずの植爺作品を、何故か好意的に観てしまったのでした。やっぱ老練よね、植爺。「タカラヅカ」の記号をわかった人よね。と。
 ……疲れてるんだなあ、あたし。

 にしても、植爺の衰え方はわかりやすく、彼はもうたくさんのキャラクタの絡む話は作れないし、動かすことすら出来ないんだ。
 今回の再演を観て、「役の少なさ」に驚いた。
 主人公・秀民@きりやん、ヒロイン・万姫@まりも、恋敵・チャムガ@まさお、秀民の部下・玄喜@もりえ、チャムガの部下・エルムチ@リュウ様、万姫の侍女・楚春@トウカさんしか、役がなかった。
 ひとりの女を争う男がふたり、あとはこの3人の会話の合いの手になる連れがそれぞれひとりずついるだけ、計6人。万姫のもとには「あいごー」老夫婦もいるけど、この役は役割的には楚春と同じなので独立した役割はない。
 合いの手役はシャドウでしかないので、登場人物は正味3人だけだ。ドラマも、3人分しかない。しかも三角関係というベタなネタ一本。
 植爺の最近の新作『長崎しぐれ坂』にしろ『パリの空よりも高く』にしろ『ソルフェリーノの夜明け』にしろ、本編とは無関係のプロローグや本編をぶった切って唐突にいつまでも続くショー場面でわかる通り、ドラマ部分が少ない。
 95分もの時間を使う物語を、書けなくなっているんだ。
 せいぜい50分が限度。
 で、50分で描けることといえば、主役3人の三角関係くらいのものだ。
 登場人物がひとり増えると、物語の尺は伸びる。足し算ではなく、乗算だ。わたしが小説を書くとき、規定枚数をオーバーしてどうしようもない場合、いちばん確実な枚数を減らす方法として「登場人物を減らす」方法を採る。ふたり登場していた友人をひとりですべてまかなったりとか、しちゃうわけだ。キャラクタがひとり減ると、本文はどーんと枚数が減るんだよ。
 反対に、長い物語を書くときは、キャラクタを増やす。ひとり増やすだけで、残り全部のキャラクタとの絡みが立体的に増えるので、本文も物語の奥行きもどーんと増える。
 キャラがたくさんいて、長い物語のプロットは入り組んでいてほんとに大変なことになる……わけだから、それができない、最初から放棄している植爺は、創作者としてはほんっとーにもう終わっているんだなと、今回もまた思った。

 つーのも、役もエピソードも、減ってるよね?
 『我が愛は山の彼方に』って、ここまで平面的な話じゃなかったよね?

 そのあたりはなんだかなあ、と思うんだが、わたしも疲れているせいか、少ないキャラクタと少ないドラマだけではじまり終わる物語を、スプリンターのように瞬発力で楽しんだ。

 万姫に感情移入して観劇したもんだから、いい男ふたりに愛されて大変!という、女の醍醐味を味わいましたよ(笑)。

 でもって、しみじみとチャムガはいい役だと思った。
 そりゃ万姫もチャムガを選ぶわー。

 原作がどうなのかを知らないのだけど、万姫がチャムガへの心変わりをものすげー不自然に言いつくろうのは、秀民がトップスターで、チャムガが2番手だからかなと思う。
 植爺は『ベルばら』の改悪でもよくやるけど、「カッコイイ台詞を言うのはトップスター」とか彼の中でルールがあって、ある台詞を、アンドレが主役のときはアンドレが言い、オスカルが主役のときはオスカルが言い、フェルゼンが主役のときはフェルゼンが言う、てのがある。
 アンドレもオスカルもフェルゼンも別の人間で立ち位置も性格も考え方も、まーったくチガウにもかかわらず、「カッコイイ台詞だから」というだけの理由で「その作品の主役」が言う。作品もテーマもキャラクタも場面もストーリーも、無視。「トップスター様」に、その場限りの「華」を持たせる。
 もしもチャムガ主役で『我が愛は山の彼方に-チャムガ編-』を作ったら、チャムガをトップスターが演じていたら、万姫はチャムガへ真実の愛を語り、秀民との婚約は「恩があるから仕方なかった」と言うんだろうなあ(笑)。
 植爺の「スターの立て方」はとてもいびつ……というか、浅はかだ。
 豪華な衣装を着ていればいい、台詞がたくさんあればいい、歌を歌えばいい、銀橋を渡ればいい、他のキャラクタから褒められればいい……「良い役」というのは、そんな表面的なことで計れるものじゃないということが、理解できない。彼は「目に見える」もので目に見えないものを計る。目に見えない才能とか誠意とかより、目に見える権威とかお金とかが好きなんだろうなあ、なんて、うがったことを考えてしまうほど(笑)。

 万姫がチャムガを選ぶのは、流れとしてわかる。
 平和なときにふつーにラヴラヴだった彼氏より、命ぎりぎりのときに守ってくれた敵の男に惹かれるのは、ふつーにあること。
 万姫がとてもわけわからん描かれ方をしているのは、そういう流れがあるにもかかわらず、「チャムガの妻」とまで宣言させておきながら、チャムガは恩人、秀民への愛は変わらないと手のひらを返させる。
 秀民がトップスターだから、ヒロインに愛されなければならないから。植爺ルールによって、万姫は破壊される。
 植爺には理解できない。ヒロインに捨てられたって、それでもカッコイイ男がある、ということを。

 身を引く男の格好良さを理解しないなら、どうして最初からチャムガをトップスターの役にしないんだろう。
 そうすれば好きなだけチャムガを賛美できるのに。

 先にタイトルが決まっていて、トップスターに「我が愛は山の彼方にいぃぃぃ!!」と叫ばせるためかな?
 生き残る方しか言えないもんな。

 万姫主役で見てしまったわたしは、万姫自害のあとの秀民の繰り言が蛇足にしか思えず、相当うざかったっす。
 んな恨みごと言うくらいなら、「チャムガは万姫を我が妻と言った」と言わなければよかったんだよ。
 そう言ったからには、あとは嘆くだけにしとけ。
 何故そう言ったかとか、1から10まで全部言葉で喋って説明する男は格好悪すぎる。

 きりやさんの秀民は、その長台詞になる前までが、壮絶に格好良かった。
 くどくど解説しなくても、彼が何故そう言わざるを得なかったか、あえてそう言ったのかが、全部伝わってくる。
 きりやんの芝居に十分泣かされていただけに、そのあとの恨みごとのくどさは主人公の価値を下げまくった。主題歌を歌い上げるきりやんはいいんだけどなあ……あれだけ愚痴ったあとだと、せっかくの壮大な歌も台無し。

 てことで、余計なことは言わずに死ぬ、チャムガはほんっとーにオイシイ役だ。
 月組全ツ『我が愛は山の彼方に』初日観劇。
 ほんとは、見終わってすぐに感想を書くつもりだった。そのつもりでブログの何日にナニ書くか、調節していた。
 それが。
 花組の退団者発表でぶっ飛んでしまって、ぜんぜん時間を取れないまま現在に至る。
 予定のない休みが欲しい。ソレが月に1回くらいしかないと、モノを書くヒマがなくなる。予定のない、1日家にいていい連休が欲しい……そしたら好きなだけ文章書いて過ごすのに。予定のない連休なんて、もう何年も存在してない気がする……。(休みっちゅーのは観劇するためにあるものなので、家にいる「休養日」はわたしには存在していない・笑)

 えー、『我が愛は山の彼方に』は99年の星組を観ています。
 秀民@ノルさん、万姫@ゆりちゃん、チャムガ@ぶんちゃん/さえちゃん。

 わたしはチャムガはさえちゃんの方が好きでした。
 とゆーのも、ノルさんとぶんちゃんは持ち味がかぶるというか、相乗効果のある並びだとは思ってなかった。ノルさんとぶんちゃんは、どっちも白い王子様系の秀民とチャムガで、どっちも「武人」「武人」と言って話も考え方もかぶるので、ノルさんのノーブルな秀民には、さえちゃんチャムガの方ががっちり体型で武将っぽく見えて、映りが良かったんだな。

 まあ、あの当時は劇団のむちゃな人事でファンが動揺しまくっており、とても平静に観劇できる様子じゃなかったっすがね……。

 劇団推しの子にいい役を本公演で与えたいがための役替わり、までは歴史にいくらでもあることだけど、そのために本来の役、本来の番手のスターを休演させるのは、いくらなんでも史上稀な力技では?
 『ファントム』でまあくんを3番手(二枚目役という意味では実質2番手役の)フィリップ役にするために、本来の3番手みわっちを休演させる、みたいなもん。
 あさこちゃん時代の『エリザベート』で、まさおにルキーニを、みりおくんにルドルフをやらせるために、あひくんともりえくんを休演させる、みたいなもん。
 ……休演はひどいわ……フィナーレにだけ出るために、楽屋にはちゃんといるんですよ、てな「出演ナシ」という扱いは。
 そんなことしたら、劇団推しの子は、一気に嫌われます。とてもわかりやすい「嫌われ者の作り方」。

 おかげで客席がいろいろこわかった……。
 ぶんちゃんたちが「出演ナシ」にさせられたむちゃな人事の直後にあった、さえちゃんのバウ主演作は、「不買運動、さえこ主演作なんぞ観てはならぬ!」という風潮が絶好調でした。
 あんなことをしてしまったら、さえちゃんが人気を得るのは難しかったろう。劇団のおじさんたちはどこまでバカなんだろう。
 わたしはさえちゃんスキーで、そのガラガラの客席のバウに通い、がーがー泣いていたクチなので、逆風がつらかったっす。

 ああ、そんな思い出しかない、『我が愛は山の彼方に』。


 なんか、ねえ。
 しみじみ感じてしまったことは。

 わたし今、どんだけ消耗しているんだろう? ということでした。

 自分でも驚いた。

 幕が開くと、花の精らしき娘役たちが、床に寝そべっている。んで、おもむろに身を起こし、ゆーらゆーら揺れながら、まったりした歌を歌いはじめる。

 古っ。

 それこそ白目をむく勢いで、その古さに愕然とした。
 99年の時点でも古さが目立っていただろう作品を、この現代、2011年に。
 いくらなんでも無理、古い、古すぎる。

 植爺は今新作を書いたとしても、まったく同じ紙芝居、ゆーらゆーら揺れるだけのオープニングを作るだろうけど、それにしたって、古い。つまらない、くだらない、ありえない。生徒の無駄遣い。

 と、幕開きからその古さに愕然とし……その古さが、愛しくて泣けた。

 古いよー、ダサいよー、ありえないよー、うわー、これって「タカラヅカ」だああ。これぞ「タカラヅカ」だああ。

 なんつーんだ、田舎の田舎くさいところを嫌って都会に出て、洗練された美しい便利な世界を満喫してはいるんだけど、ふと田舎が恋しくなって里帰りし、田舎が相変わらずダサくて古くて不便なことに感動するみたいな? ほっとするみたいな? いやわたし、大阪人なんて都会以外知らないんだけども。

 このままじゃいけない、こんなものを「タカラヅカ」だと思われたら嫌だな……と思う古さ、ダサさ。
 でもそれは、「タカラヅカ」のすべてだと思われたら嫌だ、という意味で、この古さとダサさも、まぎれもまく「タカラヅカ」で、「タカラヅカ」に必要なモノなんだ。

 オープニングのクソ古さとダサさに泣き、はじまる説明台詞ばかりの紙芝居のクソ古さとダサさに泣く。ひでー脚本、ひでー演出。
 そして極めつけ、ジャジャーンと効果音付きで登場する主役に、泣く。
 古っ。ダサっ。ああこれぞ植爺、これぞ昭和。

 わたしが大嫌いな「植爺紙芝居」満載で、その古さと時代錯誤さに……普段ならあきれたり失笑したり腹を立てたりしているところなのに。

 どーしたこったい。

 愛しくて、泣ける。

 うわああ、「タカラヅカ」だあ。これぞ「タカラヅカ」だああ。

 「タカラヅカ」の悪いところ満載(笑)なんだけど、それすらもお「タカラヅカ」らしいってことで、愛しい。
 ……って、どんだけわたし、疲れてるの? そんなに人生辛いの? なんでそんなに消耗してて、それで「タカラヅカ」だあ、てなことに泣くほど愛しさを感じるの?
 田舎なんか大嫌い!って飛び出したはずなのに、田舎に帰ってその田舎っぷりに癒されて泣いてるみたいなことになってるの?

 自分がそんなに疲れていると、心が消耗しているのだと、気付いてませんでした。

 目の前で繰り広げられる植爺芝居を、ただ素直に受け止め、感動しました。

 まともに考えたら理不尽かつツッコミどころだらけなんだけど、そんなの一切なく、万姫の「チャムガの妻です!」に号泣、チャムガの「我が妻にあらず」に号泣、秀民の苦悩の主題歌に号泣……。
 泣きすぎて、アタマ痛い……(笑)。

 きりやさんの大芝居の「仕事の確かさ」に惚れる。
 まりもちゃんの「リアルな心の在り方」に惚れる。

 『バラの国の王子』と同じく、わたしはまりもちゃんを「主役」にして見てしまうようだ。
 男たち関係なく、この芝居でも万姫に感情移入して、彼女中心に見ていた。ので、泣ける泣ける。
 万姫って、冷静に考えるといろいろアレな人なんだが、彼女の世界に入ってしまえば無問題、全部気持ちよく流れていくのよ!(笑)

 ああ、いいもんを見た。
 「タカラヅカ」を見た。
 そう思えた。
 花組全ツ『小さな花がひらいた』で、ずーーっと疑問だったこと。
 最初から最後まで疑問で、見終わったあとに友人のドリーさん相手に、その疑問をぶつけずには、いられなかったこと。
 それは。

 ふみかの役って、善人だったの?!!

 えー、『小さな花がひらいた』は江戸の大工さんたちのお話です。
 主人公の茂次@らんとむは火事でなくなった父の跡を継ぎ、棟梁としてがんばっちゃう、男は黙ってやせ我慢、の人です。
 火事で両親も家も財産も失った茂次さんに、やたらと優しい言葉を書けてくるのが、伊吉さん@ふみかです。
 茂さんのお父さんに世話になったとかで、すべてを失った茂さんに「俺に任せろ。俺に頼れ」と再三言ってくる。
 伊吉さんも大工の棟梁なのよね? もとは茂さんちにいたけど、独立して今は大手としてばりばりやっている。……でもさー、伊吉さん豪商にしか見えないんですけど。越後屋さんとか、そんな名前よね。お代官様に山吹色のお菓子を渡している人よね?

 茂次さんはやせ我慢の人なので、優しい言葉を掛けられても頑なに突っぱねる。
 伊吉兄貴の顔を潰すようなことを、何度もする。それでも伊吉さんは笑って許容、取り巻きが色めき立ってもそれをなだめる側。
 えーと?

 伊吉って、悪者だよね?(素)

 優しい言葉で茂次を言いくるめて大留組を乗っ取ろうとか、そーゆーこと考えてるんだよね?
 途中、せっかく軌道に乗りかけた大留組が火事によって危機に陥るんだけど、これってもお絶対、伊吉の策略だと思った! 茂次を奈落へ突き落として、そこへ手をさしのべる、と。
 さしずめ、トート@伊吉、シシィ@茂次です。
 手に入れるまで追いつめよう、です。

 伊吉さんが、あの胡散臭い笑顔を覆し、本性を現して高笑いするのを、今か今かと待ちかまえてました。

 …………あれ?

 …………あれれ?

 いつまで経っても、伊吉さんは偽善笑顔のまま。
 いったい、いつ……と思っていたら、幕が下りちゃったよ!! えええ!

 本当に善人の役だったの?!!

 嘘ぉっ、あの人が善人?! 腹に一物無し?! そんなバカな!!

 だって、ふみか様だよ?
 悪人以外のなんだというの??

 …………。
 ……まあ、その、なんだ。
 1万歩くらい譲って、伊吉が悪人ではなかったとしよう。

 しかし、茂次に言い寄っていたのは、善意からではないよね?

 見ていて、気が気じゃなかったっす。
 逃げてー、茂さん逃げてー!!
 そのおっさん、アナタを狙ってるわあああ。

 モテモテの茂次さん、彼にラヴラヴなのはおりつちゃん@蘭ちゃんやおゆうさん@じゅりあだけじゃありません。
 伊吉さんも茂次LOVEだから。マジだから。
 しかも彼の場合、本命が茂次パパで、それゆえに息子LOVEとかゆー、筋金入りのホモだから!
 にこにこ笑いながら、脳内であれこれ鬼畜なことになってます、絶対。だって、ふみか様だもの。
 なにやっても無駄にエロい方だもの。

 茂次も本能的に危機感を持って、「なにがあっても伊吉の世話にはならない」と思ってたんじゃないかな。死んだパパから、それらしいことを生前言われていたかもしれないし。

 伊吉さんが無駄にエロくて「狙ってる。茂さんのこと狙ってるわー!」てな人にしか見えなかったため、優しく差し伸べられた伊吉の手を断って、茂次がわざわざお久さん@京さんとこに看板抱えて行ったときに、みょーなツボに入りました。
 嫌か! そこまで伊吉は嫌か!!(笑) ……嫌だよな、どーせ身を売るなら、相手は選びたいよなっ。

 いやはや。
 思いかけず楽しかったです、『小さな花がひらいた』。

 ふみか×らんとむかあ……濃ゆいなあ。
 らんとむさんも、すっかり大人になったよねえ。今なら『月の燈影』のゆみこの役もハマるだろーなー。はっちさんの役はふみかでヨロシク(笑)。


 いや別に、ちゃんと茂次さんとおりつちゃんの恋にときめいてましたよ? おりつちゃんになって、茂次さんに恋してましたから!
 それとは別チャンネルです、伊吉兄貴の恋(笑)。


 キャスティングを理解していなかったので、くまちゃんが子役をやっていることに、ものごっつー驚きました……二度見したもんよ……。

 みんな良い仕事をしていました。
 みつるはとてもみつるらしい役だし、子どもたちけなげでかわいいし、じゅりあの「無神経とピュアのバランス加減」の絶妙さも、大人チームの存在感も。
 純粋に泣けて、ヲトメとしてのときめきもあって、さらに腐った心でも楽しめる(笑)、なにもかも愛しい作品です。


 『ル・ポァゾン 愛の媚薬II』は、期待値が高すぎたのか、あまり破壊力は感じなかった。(ナニを期待してるんだ)
 さおたさんの女装と、だいもんの三枚目ぶりが、なんか痛々しかったかなあ……。どっちも柄違いな気が……。

 しかし、いろいろと耳に優しくない布陣なんだなと思った(笑)。芝居では気にならなかったんだがな。特に、みつるにあんなに歌わせんでも……。
 でもみつるくんはショースターなので、活躍の場を与えられてバーン!としているのはいいなー。
 らんとむさんも、4番手時代に全ツ2番手として活躍したわけだし、花組的にはめずらしいわけでもない振り分けだよね。
 つか、やっぱ花組は濃いわー。いいわー。 
 わたしは涙もろい……というか、感情の高ぶりが涙腺に直結している人間なので、簡単に泣く。泣くのは日常なので、多少のことでは「泣いた」にカウントしない。
 そんなわたしでも、知らないことがあった。

 泣きながらだと、正しい音階で歌えない。

 知らなかった……こんだけよく泣く人間なのに。
 だって、泣きながら歌を歌うことなんか、ないもんよ……。

 『1万人の第九』、最終レッスンとリハは不参加だし、ゲネは喉の調子が悪くてそれどころではなかったし。
 今年のプログラムをきちんと理解したのは、本番だったと言っても、間違ってない。
 体調の悪かったゲネプロ時は睡魔にも襲われていた……カラダが休養を求めていたためだろう。最近忙しかったからなー……。

 しかし本番前は喉を温め、腹式で歌うならあまり痛まないくらいには回復していた。(地声のカラオケ歌唱をしようとすると、痛む)
 本番だ、という緊張感でもって睡魔もなく、冴えたアタマと心で臨んだ。

 オープニングは「G線上のアリア」の演奏に、震災の詩の朗読が流れる。場内の大モニターに映し出されているのが、被災地にてライブで詩を朗読している詩人さんの姿。
 ゲネでは中継がうまくいかないのか、音声も映像も途切れ途切れで、「大丈夫なんかこの演出」と思われたが、本番では問題なくつながった。

 いや、この詩の段階で、泣けるから。

 そして、もう1曲演奏があったのち、去年に引き続きゲストの平原綾香登場。
 歌う曲は現在のヒット曲「おひさま」、第九の三楽章にあーやが詩を付けた「LOVE STORY」、そして1万人のコーラス付きで「Jupiter」。

 「おひさま」は前期のNHK朝ドラ主題歌で、FNS歌謡祭で宙組がコラボする曲(笑)ぐらいの認識。知っているけど、ちゃんとフルコーラス聴いたことがない。
 体調最悪のゲネで聴いたときは「岡田さんが作詞なんだ、へー(岡田氏スキーです一応)」「こんな歌だったんだ、めんどくさい感じの歌詞だな」と思うくらいだった。
 しかし。
 復興と鎮魂を祈る一連の流れで、改めて聴き入ると、だ。

 泣ける。

 続く「LOVE STORY」は、去年も聴いたけれど、あまり好みではなかった。視点のブレが気になるというか(笑)、これが小説なら構成にいろいろ物申したいというか、素直に味わえなかった。
 手放しで好きになることはないが、それでもやっぱり一連の流れで聴くと、引っかかるところはスルーできて、好みなフレーズだけが深く心に染みる。

 泣ける。

 ……わたし、この歌のいちばん苦手な部分って、タイトルだわ……「LOVE STORY」というタイトルでなかったら、もっと好きだったと思う(笑)。

 んで、最後が「Jupiter」。
 「おひさま」「LOVE STORY」「Jupiter」って、すごいベタすぎるプログラムだと思う。
 だって3曲とも、テーマかぶってるもん。
 もお、これでもかっ、と同じ意味のことをたたみかけてくる。
 ずるいなーと思う。ふつーは1曲だけで勝負だよな、3倍にしたらそら泣けるわ、なんつーベッタベタな泣かせ演出なの、と、泣きながら思った(笑)。

 泣くとは思ってなかったので、ハンカチを用意してなくて。
 よく泣く人間なので、多少の涙は平気。流れるにまかせ、乾くにまかせる。場内暗いからみっともない顔してても誰にも見えないし。
 劇場でも、いつもそうやって乗り越えてきた。
 が。
 乾くにまかせられない。泣けて泣けて、仕方がないっ。

 途中から、観念して鞄ごそごそ、ハンカチ取り出した(笑)。
 涙はともかく、鼻水はどーにもならんっ。(きたねーなー)

 で、顔中大洪水状態で、「Jupiter」のコーラス部分に突入。合唱団席にも一斉にライトが当たる。

 う、歌えない……っ!

 思った通りの音が出ない。
 いつも通りに歌うつもりが、耳に入る音は見事に調子っぱずれ。えええ。
 たしかにわたしは歌うまくないけど、それにしてもここまで音が外れるなんて。
 持ち直そう、仕切り直そうと必死になる。でも、やっぱり正しい音が出ない。

 そうか。
 泣きながらだと、歌えないんだ。
 知らなかった……。

 他のみなさんはどうだったんだろう。わたしの右隣の人は、わたしと同じくらい泣きっぱなしだったし、場内ずっとすすり泣き聞こえまくりだったんですが、みんなふつーに歌えたの??
 わたしは自分の音と格闘するだけで、それどころぢゃなかったっすよ……。
 てゆーか佐渡せんせーも指揮しながら泣いちゃってるし。


 いやはや。

 休憩を挟んで第2部、「第九」ではそれを踏まえ「泣かない。絶対泣かないっ」と心に誓っていた(笑)。

 「歓喜の歌」は、泣ける。
 通常でも泣ける。
 でも、歌えなくなるほど泣くことはない……さすがに。
 しかし今回ばかりは、さらに「泣いちゃダメだ」と自分に言い聞かし、手綱を締めてかかった。
 歌いながら崩れそうになる、泣くことでゆるみそうになることが、ほんとあちこちにあるからなあ。おそるべし「第九」。


 トシを取ったからか、子どもの頃は鼻で笑ってバカにしていた「教科書に載っている歌」の良さがわかるようになってきた。

 昔は、教科書に載っている歌はみんなきらいだった。押しつけられることが、なにより嫌だったんだと思う。
 とくに旧かな使いの、現代の生活にそぐわない「教科書を作るエライ人たちが若い頃には、名曲だったのかもしれないけどさ」という歌を「名曲だから、ありがたく歌いなさい」と押しつけられるのがきらいだった。
 ウサギがおいしい山とかナニソレ。わけわかんない、ばっかみたい。
 言葉の意味もわからないまま、歌わされた記憶ゆえ、唱歌嫌いは根が深い。
 少しオトナになって、言葉の意味がわかると、別の意味でいらっとするし。
 ウサギも追ったことないし、魚釣りできるような川もないんですけど。てゆーか大阪生まれの大阪育ち、山もないし水も清くないんですけど。でも大阪が故郷なんですけど。田舎に変な憧憬なんてないし、都会暮らしが便利でいいし。他人の故郷の歌なんかどーでもいいわ。
 とまあ、その調子で。

 しかしトシを取り、子どもの頃は嫌っていた唱歌の良さ、美しさや普遍的な切なさなんかが、わかるよーになってきた。
 ああほんとにわたし、もう若くないんだわー。

 「第九」のあとは「故郷」の合唱。
 これがまた、泣ける。
 歌詞が染みる。

 「蛍の光」でも泣き通したもんなー。もーなんでもこいだ(笑)。

 歌は、音楽は、かみさまのもの。
 遠い昔、人間たちは神へ……自分たちではどうにもできないさまざまな力を神と呼び、音楽を捧げた。
 歌い、踊った。

 だから歌は、祈りなんだ。

 復興と鎮魂のために、歌うんだ。

 たしかにわたしはすぐ泣くし、よく泣くけど。
 わたしの隣の人も、同じくらい泣き通していたから、わたしは別に特異な人じゃないよな(笑)。
 上から下から、いろんなとこからすすり泣きは全編通してしていたし。
 左隣の人たちは反対に、まったく泣く気配なく、休憩時間に「今年は盛り上がらないわねー」「演出や選曲が悪いわ」とか言っていたので、個々の温度差もすごかったんだろうけど(笑)。

 泣けたわたしはラッキーだ。
 単純だろうとなんだろうと、感動したもん勝ち!!


 そして。
 あんだけ大泣きしながら、揺らぐことない歌声を響かせるキムくんのすごさを、改めて思ったのだった。
 『1万人の第九』で毎年思うこと。

 寒い。

 大阪城ホール、寒すぎ。風がカラダに当たる、足下もしんしんと冷える。
 こんな状況で、女性にブラウス1枚で数時間過ごせなんて、どんないじめなの。

 動き回っているスタッフはスーツ着用だから気づかないんだろう。ステージ上はライトさんさんだから気づかないんだろう。
 1万人の合唱団の大半を占める女性参加者たちは、寒さと戦いながらそこにいるのだ。
 もともと女性より暑がりなのにジャケット着用の男性陣には、まったく想像もつかないんだろうなあ。

 それがわかっているから、自衛はしている。
 薄手のニットを着た上でブラウスを着て、その上にさらに白のカーディガンを着ている。ブラウス1枚なんて無理、どーせスタンド席のてっぺんだ、服の素材まで誰にもわからない。色さえ白なら大丈夫、ってことで。
 寒さがマシならカーディガン脱いでブラウスになろうと思ったけど、無理だ。凍える。
 足下はレッグウォーマーに、膝掛けまで持ち込んだ。それでも冷える。しんしんと冷える。スカートなんて穿けない、黒パンツに腰回りだけ黒のミニスカートをレイヤードっちゅーより防寒目的で合わせている。
 さーむーいー。
 これだけ自衛してなお、寒い。

 朝、会場へ入ったときはふつーに元気だったし、発声練習はノリノリだったのに。
 ゲネプロが進むうちに、どんどん調子が悪くなった。喉が痛い。声が出にくい。
 ちょお、会場内で坐っている間に風邪引いちゃったよ。
 どんだけ寒いんだ、『1万人の第九』。

 まあこれは、わたしが特別弱っちいせいなんだが。
 とはいえ、風邪は引かなくても、周囲の人たちもみんな「寒い」「寒い」とつぶやいている。日常会話のあちこちに「……にしても寒いね」「寒いね」が当たり前に入るって……どこの北国なのここは。

 今年はリハーサルを欠席しちゃったので、当日のみ参加っす。
 佐渡レッスンも自分のクラスでは参加できず、日程のチガウ別のクラスに混ざってぎりぎり参加した。

 毎年ぐだぐたになるゲネプロは、今年はなんとタイムテーブルが発表されなかった。
 もう10年以上、あらかじめ「何時から発声練習、何時から休憩」とか連絡プリントに印刷されてるんだけど、今年はソレがナシ。近年あまりにも時間通りに進まないもんだから、クレームでも来たのかな。
 予定を教えるからその通りに出来ずにクレームになる、教えなければ出来てないことがバレずクレームを防げるってこと?
 朝9時から夕方6時まで、9時間拘束されるのに、その間のタイムテーブルは参加者には伏せられたままです、はい。休憩がいつ何回あるかもわからないんじゃ、初参加の女性とか高齢の人には不便だったろうなあ、いろいろと。
 女性の多くにとって、休憩時間はトイレの大行列に並ぶだけで終了します(笑)。1万人の大半は女性、そして場内のこの寒さ。何百人が1箇所のトイレに並ぶわけだから、そりゃー壮観ですよ。つづれ折りになった列が廊下を埋め尽くす。
 いろいろすごい。

 ゲネプロは風邪との闘い、喉痛い声出ない、どうしよう! でした。
 なにしろ1万人なので、わたしひとり口パクでもなんの問題もありません。でも、数ヶ月練習してきて、本番で歌えないんじゃ哀しすぎる。
 とにかく寒いのがいかん、風がぴゅーぴゅー吹いてるのがいかん、それをなんとかするだけでも違ってくるはずだ。
 つーことで、膝掛けにしていたストールを首に巻いた。これもオフホワイトなので、遠目にはストールだとわからないはず。首の詰まった白ブラウスを着ている人と同じでしょうよ。
 喉を暖め、声を出さず、手当に務める。
 反対に寒くなった膝には、平原綾香「Jupiter」の楽譜を広げて載せる。浮浪者の人が新聞紙を布団代わりにしているのと同じ、紙ってわりと温かいもんな。

 暖めていると、喉はずいぶんマシになった。
 これなら本番歌えるかもしれない。と、休憩時間はずっとのど飴。


 さて、今年の『1万人の第九』は、もちろん震災絡みだ。『1万人の第九』のコンセプト的に、絡めないはずがない。
 仙台会場と中継で結んで、1万1千人で第九を歌う。

 震災にしても被災された方々に対しても、敬虔なキモチはもちろんある。労りやエール、他人事ではいけない、共に力を合わせて進むべきキモチもある。
 だが、そんなわたし個人のキモチと、企業が行うイベント「サントリー1万人の第九with東北」とやらには、どうしても温度差がある。
 何故ならば、プログラムはすべて「上の人」が決めたことで、1参加者でしかないわたしはすべて事後承諾、「へー、そんなことやるんだー」でしかないためだ。
 企業による「感動的なイベント」「感動的な演出」のコマのひとつであるわたしは、彼らの意図とは別のところで「年中行事」としての、わたしの『1万人の第九』を遂行するのみだ。
 毎年の恒例行事なので、コレがないと年末の気がしない、自分的節目っていうかね。
 あとづけで「with東北」とかやられてもね。

 ……てな、わりと冷めた目線だったのですよ。
 被災地の方々に対してではなく、あくまでも、イベントの演出、パフォーマンスに対してね。
 それより現実問題寒いんですが!という(笑)。

 ところが、だ。

 ところがどっこい、いざ本番がはじまると。

 だだ泣きしました(笑)。


 続く。
 わたしが雪組を観はじめたのが、23年前。そのときからナガさんはふつーにナガさんで、雪組にいた。
 組長は星原先輩だったり京さんだったり、チャルさんだったりしたけど、ナガさんは変わらずにいた。
 トップスターが替わり、時代が変わっても、ナガさんはナガさんだった。

 てことで、なかなかどうして、ナガさん専科異動がこたえてます。
 やさしくあたたかい、品のある大人の女性。そのやわらかな雰囲気が好き。
 芸幅はとても狭い人なので、役者としては使いどころの難しい人だと思うが、組をまとめる人としては、きっととても能力の高い人なんだろうと思っていた。
 やさしいばっかのイメージがあったから、キム関係のインタビュー記事とかに、ナガさんがけっこーキムにきつい物言いをしていることに、驚いたもんだ。
 そのきつさゆえに、「ああ、キムは将来雪組の看板になるんだ。ナガさんは未来のトップを厳しく育てているんだ」と思った。
 キムがトップになったとき、ナガさんうれしかったろうなあ、と、これまた勝手に思った。キムは生粋の雪組っ子、ナガさんが組長として1から育てたトップスターだ。中卒の子ども子どもしたオンナノコが、こんなに立派な男役スターに、トップスターになった……。
 ナガさんに「母」的なものを見ているわたしは、「母と息子(娘?)の感動物語」的に、ナガさんとキムを見ていた。ふたりの最初の「稽古場情報」には注目したなあ。あー、ナガさんなんか照れてない?、みたいな。

 そうか、いなくなっちゃうのか……。

 悪役のできない、なにをやっても「いい人」になってしまう、そのキャラクタが好きだった。
 頼むよキムシン、次の公演、ナガさんに品のあるおじさま(善人)の役を……。


 と考えて、雪組っ子たちの異動日を確認する。
 りんきら、次の本公演出ないのか……。

 『SAMOURAI』青年館千秋楽で、組替え。
 縦にも横にも大柄だから、宙組の大きさにも負けないとは思うけど。
 りんきら、92期、研6。宙の同期はれーれやじゅまくん。1期上があっきー、1期下に愛りく。
 どういう立場での異動なのかなあ。りんきら本人はアンリ@『はじめて愛した』みたいなおっさん役を楽しげにやる人だから、どんな役割を求められても生き生き演じてくれるだろうし、また実力ゆえどんな役割だとしても、果たすことができるだろうが。
 ……やせれば美形のはずなんだがな。一時期は路線の新人として鳴り物入りだったんだし。最近りんきら比でやせてきてたんだけどなあ。

 りんきらは劇団が猛プッシュしていたころから一貫して、実は「正統派二枚目」が苦手な芸風だったと、わたしは思う。二枚目だと地味に堅実になっちゃう、もしくはまた別のところへ向かってしまう。おっさん役とか個性派のときの方が華や光を感じるというか。
 組替えで、それらの持ち味も変わるかもしれない。正統派二枚目ど真ん中を演じられる人になるかもだし、実力派としての腕と存在感を磨いてくれるかもだし。
 組替えする子だとは、まったく思っていなかったので、ずーっと雪で眺めていられると思っていたので、寂しいことだが、ニューりんきらを期待したい。つか、まずは『SAMOURAI』を楽しみにしている。


 ヲヅキ組替えは、ほんっとーにショックだ。
 かなめくんは絶対トップになる人だから、どこの組かはわからなくても、いずれトップになる。彼が雪組を出るときに、「トップになるときヲヅキを呼び寄せて、テルキタ復活とかあったりして」てなことを仲間内で言っていた。わたしたちだけでなく、一般的に想像のつくネタじゃなかろうか、テルキタ復活。
 ……ネタとしてな。ほんとうに復活すると思っているわけじゃなくて。

 わたしはテルキタ大好物で、このコンビが見られないことを嘆いていた。寂しがっていた。
 それでも時は流れる、人は前へ進む。
 テルのいないヲヅキを、楽しむようになっていた。
 腐った目線で語ると、かなめくんでない男と絡むヲヅキが、なかなか新鮮な萌えだったんだ。
 ヲヅキ氏の、あの木訥な風情が、せっかくの耽美な設定をぶちこわしてくれる様が、好きだった。サービス精神のない「やらされてる感」あふれる男同士の絡みとか、最高ですよ。近年ナイですよ、あんなキャラ。
 これからも雪組で、ヲヅキを愛でられると思っていたのに。

 残念だ……。
 ティボルト……ちょっとナイくらい、ヲヅキのティボさんにハマっているのに。(過去形にあらず)
 偏ったことをいわせてもらうと、まっつと絡むヲヅキをもっとちゃんと見たかったんだ。昔の「GRAPH」で、まっつがまっつらしくもない熱烈なラヴコールをしている対談記事とかあったし、ポルトスとアトスなんつーわけわかんない役柄でなく、もっとちゃんとしただね……あうあう。
 同じ組にいる限り、いつか見られるだろうと期待していたのに。
 別箱公演ではいつもバラバラだもんなあ。次の本公演では、どうだろうか……頼むよキムシン。

 もちろん、テルキタ復活も楽しみにする。
 『タランテラ』『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』などのテルキタぶりには感動を通り越して胸が痛かったもんなあ……って、どっちもオギーか。
 『銀薔薇』オープニング、テルとヲヅキがシンメで踊っている、それだけで「この舞台、豪華だ!」と思えたもんなあ。ほんとに、似合いのふたりだ。


 りんきらは『SAMOURAI』のあと組替え、4月の宙組大劇場公演から出演。
 ヲヅキは次の本公演が終わってから組替え、8月の宙組大劇場公演から出演。
 同じ組から同じ組へ、同じ公演に出演しているのに、別々に異動ってなんだそりゃ。
 りんきらひとりでまず宙組へ、遅れてヲヅキ合流か。なんかいびつっていうか、裏事情がありそうでいやんですが、まあそれがタカラヅカ。

 一方、星から来るともみんは4月1日から雪組っ子。
 宙から来る大ちゃんは7月2日から雪組っ子。
 大ちゃんは10月の本公演から出演、ともみんは謎。というのも、夏の雪組公演から出演するから、振り分けが未定であるため、どの公演と言えないんだろう。
 出て行く人と入ってくる人が同じ舞台に立つことはない。ほんとーに入れ替えなんだな。
 どちらも舞台でのキャラのわかっている人たちなので、前もっていろいろ想像できて楽しいですが、実際にどうなるのかは未知数過ぎて不安もあり。


 雪だけでも思いはいろいろ。
 それぞれの組に、人たちに、愛着も興味もある、それぞれに期待と不安がある。
 みんなどうか、よい結果になりますように。
 公式をコピペしようにも、すげー長くなるほどの、大規模な組替えが発表された。
 なにをどう受け止めていいのか、混乱が収まらないので、とりあえずコントローラを握って徹夜した。『DARK SOULS』のプレイ時間は現在120時間突破……にひゃくじかんに達したらどうしよう、ってのが悩みですがナニか。

 変わってしまうこと、いなくなってしまうこと、それが哀しい。寂しい。
 それはいつの組替えでも思うこと。

 だけど、今回こんなにキモチがふさぐ……というか、落ちるのは、異動先の立ち位置が不透明な組替えが大半であるということだ。

 過去の例からして、組替えってのは大半が栄転だ。わざわざ異動する生徒は、ふつー異動先でどのように必要とされているかが、わかるもんだ。
 かなめくんは雪から星に、2番手になるために組替えなのね、ちぎくんは宙から雪へ、4番手として組替えなのね、というように。
 ちぎが雪へ来るときは、同期にコマがいることはわかっていたけれど、かなめくんの位置に入るのだと配役からして発表されていたので、組ファンや当事者ファンの心の内はともかく、対外的にはわかりやすい人事だった。

 番手制度に弊害はあるが、それでもタカラヅカは番手制度のある劇団だ。トップスターを頂点に、ピラミッドが形成される。
 番手がある、縦並びのポジショニングが存在する、のが前提のカンパニーだ。
 それを不透明なまま異動だけ発表するってのは、不誠実だ。

 去年、贔屓の組替えが発表になり、異動先での立ち位置がわからなくて、不安で仕方なかった。
 もちろん、元いた組での立ち位置や、全組万遍なく観ているので、相対的な扱いによる、劇団の考え方も見える。
 だが、その時点でファンの目に見えるところにある要素だけかき集めたところで、公式は穴だらけ、どれだけ計算したって解答は出ないんだ。

 あのときはまっつひとりだったし、雪組ひと組だけの話だった。

 しかし今回はソレが、十何人、専科まで含めた全組レベルだよ。
 異動する生徒のファンだけじゃない、すべてのヅカファンが動揺する。
 ヲヅキひとりとっても、宙組ではまったくの別格なのか、それともキムに対するまっつのように3番手になるのか、今ある数字だけじゃ計算できない、答えは出ない。となると、宙組の周辺の学年、立ち位置の生徒ファンもまた、贔屓の生徒がどの位置になるのかわからなくなる。
 みっちゃんひとりとっても、専科ってどういう意味の専科なのか、新専科として2~3番手として出演するのか、脇の実力者として年配役などをする専科なのか、どの組に出るのか、いつ活躍の場が与えられるのか、今ある数字だけじゃ計算できない、答えが出ない。彼がどのようなカタチで出演するかで、その公演のクオリティも変わるし、また、その公演の生徒の番手にも影響する。
 そうやって、異動するほとんどの人が、不透明。確実に「*番手になるための組替え」の人は何人いる?

 組替えして、最初の本公演を観るまで、関係している人や組のファンはずーーっと不安を抱えていなければならない。
 疑心暗鬼していなければならない。

 誰も傷つかないで欲しい、みんなが幸せな組替えであって欲しい。誰もがそう願って、タカラヅカはひとつだとか、どんな扱いになっても愛は変わらない、応援し続ける、そう思っていたって、不安なのは変わらない。

 新しい出会いにわくわくするのとは、また別のチャンネルでの話。

 今の並びが終わってしまう悲しみと寂しさだけで、十分きついんだ。立ち位置がどうなるかわからない不安と動揺まで、課せないでくれよ。

 1年前を思い出して、さらにきつい。あああ。みんなみんな、出来る限り、良い結果になりますように。

 ひとりひとりが魅力的だから、どんな並び、どんな組み合わせでも、魅力的なことはわかっているんだ。
 いざ新しい体制がはじまってしまえば、楽しめるはずなんだ、どの組も。
 だけど今は、混乱と動揺が大きい。

< 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 >

 

日記内を検索