悪役は世界征服を歌うべきだ(笑)。@オーシャンズ11
 ゾロ目が並ぶとうれしい小市民。
 2011年11月11日、『オーシャンズ11』に行ってきました。

 上り調子の組ってすごいやね。びっしり埋まった駐車場、人であふれたロビー……なんかなつかしいタカラヅカの雰囲気(笑)。
 初日に立ち見が出てるなんて、近年のムラではめずらしい光景だもんなあ。

 タカラヅカが活気づくことは、単純にうれしい。

 んで、『オーシャンズ11』。
 映画観てません、予備知識ナシ。映画は予告編見ただけで「本編見なくてもおなかいっぱい」になったクチです、はい。

 第一の感想は。

 ねね様の脚っ!!!

 第二の感想は。

 ……原作付き? チガウよね、これ、イケコオリジナルだよね?

 でした(笑)。

 ダニー・オーシャン@れおんが、悪者金持ちテリー・ベネディクト@ベニー経営ホテルの金庫から、大金を盗み出す計画を立てる。ひとりじゃ無理だから、仲間を集めて全部で11人で計画実行、「オーシャンと10人の愉快な仲間たち」というのがタイトル。
 でもダニーの目的は金じゃなくて、ベネディクト氏とラヴラヴになっちゃってる妻のテス@ねねちゃんを取り戻すこと。ベネさんの悪の顔を暴いたら嫁さん戻ってくんじゃね?てな。
 悪者に天誅を、とゆーか、なにしろ悪者なのであちこち恨み買ってるし、仲間は集めやすい……てゆーか、10人はやっぱ多すぎっつーかバランス悪いなあ、敵もそれなりに人数いるし、まさかの登場人物紹介だけで1幕終了。
 まる1幕かけてキャラ紹介したんだ、2幕はどんだけ盛り上がるのかと思いきや、えーと、まあその、結局ダニー以外大して見せ場なく作戦完了、オーシャンズ11チームが勝利してハッピーエンド。えええ。

 幕間からすでに、
「ねえコレ、『LUNA』? 『LUNA』だよね?」
「ベニーがリカちゃんで、ねねちゃんが檀ちゃんだよね?」
「エコエコ言ってるのが、檀ちゃんの調査調査にあたるのよね?」
 と、意見出まくり、なつかし語りに突入する、ヅカヲタ歴フタ桁軽いわな人たち……(笑)。
 『LUNA』に限らず、今までのさまざまなイケコオリジナルまんまっす。

「イケコ……フラストレーション堪ってたんだろなあ」

 『ロミジュリ』だけじゃ足りなかった模様。ネットでサイバーで携帯電話でエコでNPOでヒップホップですよ。イケコオリジナル必須条項全部詰め込んでストレス解消、やりたかったんだね、いつものイケコ世界。

 小池せんせのやりたい放題完全オリジナルって、『MIND TRAVELLER』が最後? そのあとに『アデュー・マルセイユ』はあったけど、トップサヨナラという縛り付きだったから、完全フリーは『マイトラ』だよね。
 『MIND TRAVELLER』、感動的に売れなかったもんね……小池先生自らテーブル出してチケット取り次ぎしてたくらい、大変だったんだよね……そのおかげで、もうオリジナル書かせてもらえなくなって、ネットでどうこうケータイでどうこうっつー話が書きたいのに無理だから、原作付きでやっちゃうんだね……。

 や、映画『オーシャンズ11』にもハッカーは登場するけど、星組の『オーシャンズ11』とは色合いがチガウ、結局のところイケコオリジナルだよコレ、と原作映画も観たし、「人生でいちばんたくさん観た公演は『LUNA』。ムラ東宝博多制覇」という剛の者がニラニラ語る。


 ということで、物語的には、「原作がある分破綻していないが、その分盛り上がりに欠ける、イケコオリジナル作品」って感じです。

 イケコオリジナルは破綻しまくりで馬鹿馬鹿しいことこの上ないけど、とりあえず、派手だ。

 なにしろマッドサイエンティストが出てきておかしな機械をバチバチさせ、悪役2番手が「世界征服」を歌う。

 主人公とそのチームが挑むのは、地球の命運が掛かった大作戦だ。

 個人レベルの悪党の私財を盗んで終了とか、そんな地味な話では、絶対ナイ。

 イケコオリジナルがいいとはぜんぜん思わないけど、イケコらしさを押さえ込んで破綻させない話にしたら、こんなに地味になるんだと、そこが新しい発見でした。
 やっぱ悪役は世界征服ぐらい、ぶちあげなきゃなー(笑)。

 「仲間集め→悪者と闘って勝利→囚われのヒロインを助け出しハッピーエンド」という1本モノで、直近では『太王四神記』を観ている。
 同じ軸であるだけに、『オーシャンズ11』の地味さはよくわかった。服装が所詮現代スーツだし、なんといっても戦闘シーンがない。
 仲間も敵も全員揃ってバトル!てな場面がなく、それぞれ個別にごちゃごちゃやっていて、スクリーンにアップになるわけでもない舞台というジャンルである限り、11人も主人公チームがいるとすごく散漫。個人の活躍はほんっとに少ない。
 まる1幕かけてキャラ紹介しておいて、この尻つぼみ感はいったい……! てな残念さ。

 あっちを尖らせばこっちが引っ込む、すべて良くはならないもんなんだな。
 派手にすると破綻するし、ブレーキ踏みつつ走れば事故らないけどスピード出ないし。
 破綻しない、あるいは多少の破綻なんかぶっ飛ばすような派手派手演目は、出来ないものなんだろうか。


 と、なんかアレなことをいろいろほざいていますが。

 面白いよ。

 『LUNA』のときより、小池せんせの演出技術が上がっている以上、焼き直しをするにしても、演出が良くなってる!!
 しかも、イケコのトホホなセンスを、「原作付き」という縛りが押さえ込み、スタイリッシュ。

 お金も掛かっているので舞台豪華だし、役が多いし、舞台上にいろいろごちゃごちゃ登場しているし、とにかく楽しい。

 四の五の理屈は置いておいて、わくわする。
 もう一度観たくなる、エンタメはこうでなきゃね!感覚。

 ハリウッド映画の大味さと、タカラヅカの大衆性は、実は相性いいのかも? いやいや、そうだとしてもそれだけではない、イケコの演出手腕、そしてキラキラした星組メンバーの力あってこそ。
 たのしいなー、まいったなー、わたしもうお金ナイのになー(笑)。

 ねねちゃんの美しさも一見の価値有り。
 これでもかと美脚強調ドレス。

 れおんくんがかっこいいのは言うまでもなく。

 ちえねね! ちえねね! と拳振って喜んでまつ。わーん、ちえねね好きだーー。


 ……『MIND TRAVELLER』も、今のイケコとこの予算で、大劇場で再演したら、これくらい格好良くなるのかなあ? と、考えてしまいました……いや、あんなの再演なんて一生なくていいですが(笑)。
 駄作だったけど、出演者のファンは見どころが多くてリピート可の作品だったのよ、『MIND TRAVELLER』。ざっつイケコオリジナル!
 まだ続いてる『仮面の男』ムラ版演出感想の続き。こいつを終わらせないと他が書けないっ。

 飲んだくれる三銃士はかわいい。
 捕らえたルイ@キムの処遇を考えていなかったり、弟を殺されたばかりのアトス@まっつはこんなむちゃくちゃな脚本演出で気の毒だなと思うけれど、ここだけを切り取って見る分には、かわいい男たちがかわいく絡んでいるのでかわいい。……つまりソレって、三銃士でも『仮面の男』でもなくてイイって話だけど(笑)。
 「今夜の成功」と限定してしまったのが敗因。
 そして、どーして今夜かというと、「祝して乾杯」と三銃士を飲んだくれさせたかったから。
 酒飲みの歌をやりたい、それだけの理由で本筋を壊す。……なんてこだまっちらしい。

 銃士隊とダルタニアン@ちぎは大騒ぎして三銃士を追ったり、ルイを助けたりしている。
 その頃王宮ではフィリップ@キムとルイーズ@みみが逃避行中。
 ええ、あの影絵のシーン。
 影絵自体はいい。隠れて生きることしか許されない・友だちと遊んだりできないフィリップのために、コンスタンス@あゆっちが、ひとりでも出来る遊び……影絵を教えたのかと思うと、切ない。
 子どもの頃の遊びなのに、フィリップが今でもそれが出来ること……それこそ人に教えられるくらい長けていることも、牢獄の中でひとりで繰り返し遊んでいたのかと思うと、超絶切ない。
 だから、影絵が悪いわけじゃないんだよ。
 鳥だの犬だのやっているうちは。

 ウサギとカメが、いらん。

 フィリップとも『仮面の男』ともまったく関係ないやん。
 当時のフランスでポピュラーなおとぎ話だったんですか? 史実があって、これを入れなくてはならなかったの? チガウよね?
 本筋に必要だから入れた、本筋に必要だからウサギとカメだった、というようには、まったく思えない。
 むしろ、「素人が付け焼き刃でできる影絵が、ウサギとカメだけだった。だから必然的にウサギとカメになった」に思える。

 まず、影絵をやりたい、という目的があり、それゆえにストーリーもキャラクタも、ここがタカラヅカであることも一切無視した結果が、「ウサギとカメ」である。

 『仮面の男』全編を貫いている、本末転倒さ。
 演出家のエゴ。
 それを具現した場面だと思うために、不快さMAXレベル(笑)。

 影絵というアイディア自体はいいんだから、それを自分でぶちこわすことないだろーに。ほんとアタマ悪いなー。

 話している内容は噛み合ってないんだけど(なにしろウサギとカメだし)、それでもフィリップとルイーズの会話から歌にかけてはすごくいい。全編通してもっとも泣ける。
 不快さMAXレベルなのに、いちばん泣けるってナニゴト(笑)。
 キムみみがいいだけに、ほんとにくやしい。そのこともあり、さらにウサギとカメがムカつくのかも。


 影絵のためにセットされたスクリーンに、次は疾走する馬の映像が映る。
 紗幕の向こうには三銃士。よく見るとなにかしら台の上に乗り、「馬に乗っている」演技をしている模様。
 しかしここは、カッコいい。映像も使い方次第。

 でもさー、ひとつ聞きたいんだ。

 サン・マルグリット島へ、ナニしに行くの?

 死刑囚だけが送られる島だそうで。
 そこへわざわざ向かうのは、何故? 理由が書かれていない。

 国王誘拐犯であり、国王が双子であることを知った者は皆殺し必須、三銃士は国家をあげて追われているわけよね。捕まったら即口封じされるよね。
 そこで何故サン・マルグリット島? 国外脱出ではなく? フィリップと落ち合う、待ち合わせ場所なだけで、場所自体はどこでも良かった、この島から国外へ脱出するってこと?

 理由を教えてくれないと、何故島なのかがわからない。だって、島だよ? 船を着けられる場所は限られているだろうし、そこを押さえられてしまったら逃げ場ナシ、一網打尽にされるじゃん?
 自ら袋小路へ逃げ込む意味は?
 現に、銃士隊に待ち伏せされているし。

 日本と違って、他国と陸続きのフランスで「脱出=船」ってわけでもないだろうし。通信手段が限られているから、「バレた=即国境封鎖」ってわけでもないだろうし。

 ええ。何故マルグリット島なのかではなく、ポイントは「島」なのではないかと、思うのですよ。
 つまり。
 船~海中の場面をやりたかったから、島へ逃げたんじゃないか、と。

 はじめて見た人がもれなくアゴを落とす、無意味なギャグ場面。

 馬の場面から続き、三銃士は小さな船に乗り込む。酔っぱらいポルトス@ヲヅキがバランスを崩し、船は転覆、突如南国ムードな音楽になり、スクリーンにクラゲがふわふわ。
 黒子が動かす台の上に腹這いで乗った三銃士がそれぞれ「泳げないんだ~~」とかわめきながらじたばたする。

 こだまっち的には、馬の場面の格好良さとの落差を狙った演出らしい。
 どちらも三銃士のテーマソング「Un Pour Tous」を歌わせている。馬の場面では格好良く「ひとりはみんなのために」と歌い、海の場面では「ひとりはみんなのためじゃなかったのか~~!」と言わせる。
 「ル・サンク」に「歌詞に反して醜い争いをしながら泳いでいく三銃士」とあるのを読んだときに、心からがっくりと肩を落としたもんです。うわあ、ドヤ顔で「なんて秀逸な演出!」と思ってるよ、と。

 島へ行く理由も説明されず、格好いい馬の場面は、海の場面をやりたいがための前振り。
 こだまっちにとって「タカラヅカ」ってなんなんだろう、と思う一瞬。

 馬の場面は格好いい。ここは映像を使った斬新な演出であり、かつ「タカラヅカ」である。
 が、何故馬の場面があったかというと、そのあとのどーでもいいギャグ場面をやりたかったから。海の場面は「タカラヅカ」ではない、「タカラヅカ」がもっとも嫌うタイプのものだ。

 「タカラヅカ」的なモノを道具にして、「タカラヅカ」が嫌うモノを創る。これは、「タカラヅカ」への陵辱ではないのか?

 「タカラヅカ」的ではないから云々、の域を超えている。

 日舞の発表会で、着物姿で古式ゆかしく踊る場面を真面目に作り、その次の場面でキテレツな現代衣装で登場して電子音楽で踊りまくる、日舞を観に来た人はびっくり、演出家が鼻息荒くドヤ顔しているのはこのキテレツ場面の方、キテレツ場面だけだとインパクト薄いけどなにしろ古めかしい日舞でやるから効果覿面でしょ、って……日舞観に来た人怒るわ。日舞を利用された、辱められたと憤慨するわ。それなら最初から日舞の発表会っていうなよ、利用するなよてなもんで。

 タカラヅカの座付き演出家でありながら、何故タカラヅカを辱め、タカラヅカとファンを傷つけるようなことをするんだろう。わけわからん。

 続く。
 もう記憶が薄れてきてる……自分のぽんこつ海馬が憎い。
 未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の感想、続き。レポではなく、あくまでも感想、わたしが感じたことのみ。

 まっつ茶にも、もれなく写真撮影と握手があります。
 正直、あまり覚えてません。
 わたしは生まっつを眺めたいだけで、近寄りたいわけではないので、写真も握手もなくていいっす。
 握手で一瞬見つめ合う(笑)わけだか、そのときのでかい目しか覚えてない……ちゃんと顔見られないし、ナニも言えないので、こちらは無言会釈でそそくさと逃げるよーに走り去るのみ。
 みんなナニを話すんだろう……いや、わたしも他のジェンヌさんのお茶会だとなにかしら伝えているけど、まっつに伝えたいことなんか、ナニもない。
 わたしみたいなファンがいること自体知られたくないよなあ……うおお。

 あ、ひとつ記憶に残ることといえば、小さいってこと(笑)。
 近くで見るとまた一層小さいまつださん……。
 目を合わせるとき、こちらの方が目線上だもんなあ……。
 や、身長だけでなく、顔の小ささハンパないし、細いし薄いし、とにかくマンガみたいだ。小さな顔からでかい目がはみ出している感じ。
 こちらの手を両手で包むように握手、ありがとうございます、とか言ってくれてるんだと思う。←よく覚えてない

 えーとえーと、あと写真撮影と握手時間で覚えていることといえば、ケーキがおいしかったこと。←まっつ関係ない


 オフの質問コーナーかな、まっつ自身が質問用紙を引いて、質問者のいるテーブル近くへ行って回答ってやつ。わたしたちのテーブルは当たらなかったけれど、隣のテーブルとかには来てくれたので、けっこう近くで眺められてラッキー。

 公演の話でもそうだったけど、まっつはとっても話をぶった切る。それは「話を変える」「別の話をはじめる」とかいう「ぶった切り」ではなく、「そこで話を終了させる」。
 「お芝居の『仮面の男』では、宝塚と東宝では演出がいろいろ変わったりしてますが、まっつさんの役作りに変化はありましたか」てなありがちな質問に「ナニもナイです」とすぱーっと切り裂いてみたり。
 一瞬場がしーんとなる勢い。
 そこで話、終わります。剣の達人が藁を縛ったヤツをすぱーっと真っ二つにする、あの感じ。いやあ、切り口きれいだねー、てな。
 万事その調子の切れっぷりに、一瞬しんとなって、次の瞬間客席爆笑、てなノリ。まっつのぶった切りっぷりが、面白い。
 で、ぶった切ったあとで、解説を入れる。これまたさばさばと。

 ぶった切りでないふつーの話もまた、独特のスパイシーさ。

 てゆーか、素敵に毒舌(笑)。

 悪口ではない、性格がどうこうじゃない。
 話し方の角度。

 突き放し方の切れ味がよく、すぱっと来るので、印象として「毒舌」になる。

 強く印象に残ったのが、そのテーブルを回っての質問トークで、「三銃士のみなさんは、オフでもあんな感じなんですか」とか、そーゆー意味の質問について。「あんな風に仲良しなんですか」だったかな?

「そんなわけないでしょ。上級生下級生ですよ」

 すぱっとな。
 切り裂きましたよこの人(笑)。
 話し方も憮然とした様子で。
 笑いの混ざった「そんなわけないでしょ(笑)」ではなく、わざともったいつけた「そんなわけ、ないでしょ(芝居声)」とかでなく。
 ここだけ聞いたら、「怒ってる?」みたいな。
 怪訝そうに「はあ?」って感じに言い捨てる。
「蓮城さんとか、いくつ期が離れてると思って……」と、さらに追い打ち。

 仲が悪いわけでは、もちろんなくて。
 ただ、そのすぱっとした切り口が、面白い。
 現に場内大ウケ。
 舞台の三銃士みたいに対等かついつも一緒、ではない。
「緒月さんはすぐにいなくなるし、蓮城さんはいつも遅いし」……てな意味のことを語っていた。
 3人で一緒にやってもいいようなときに、気がつくとヲヅキはひとりで勝手にやっているし、きんぐは終わった頃にあたふた現れる、みたいな。
 「『歌劇』にも書いたけど」と言いながらも、まっつはさらに蓮城さんを語る。(お茶会時点で、「歌劇11月号」は未発売)
「蓮城さんは、いつも遅いんです。そこがかわいいんだけど」

 まっつ、きんぐのこと「かわいい」言いました?!(笑)

 いやその確かに、きんぐはかわいいんだろうけど。
 しかし、まっつのキャラ的に下級生男子を「かわいい」呼ばわりするとは思ってなかった。
 そして、イケメン男役をつかまえて「かわいい」呼びはまずいと思ったのか、「いや、かっこいいんですよ。舞台ではかっこいいんだけど、そういうところはかわいいなと」みたいな、言い訳きました。

 へええ。ほんとに、かわいいんだ、きんぐ。
 まっつよりはるかにでっかい子なのにねええ。(まっつより小さい男子の方が少ないです)
 ちなみに、ヲヅキさんのことは「かわいい」とは一言も言わなかったので、今回相方だからかわいいってわけでもないようです(笑)。
 蓮城氏は本当にかわいいんだと思います。

 質問用紙を引いて、それに真面目に答えようとしている、参加者を喜ばせたいとは思っている。それはすごく伝わる。
 しかしその話し方は飾らないというか、とにかく切れ味がいい。
 その飾らなさが小気味いい毒舌となる。

 面白い。特になにかしているわけじゃないけど、妙な味がある。
 「まっつのお茶会面白いよ」と人の口に上るのは、そのためだろうか。
 ナチュラルにツッコミ入っている人なので、話し方が攻なのな。腐った意味ではなく(笑)。口にしている話題について、能動態の切り口を持つというか。
 「歌劇」の文と文(笑)で表れているように、ツッコミ入れつつ切り捨てつつ進む会話は、面白く興味深い。


 どのお茶会にももれなくあるモノだと思っていた、「ゲーム」がなかった。正味トークのみ。ありがたいわー。
 ゲームは楽しいモノと必要性を感じないモノと両極端だからなー。ハズレが大きいので、それなら最初からなくてもいい派ですわたし。
 んで、どのお茶会にもほぼもれなくある「歌のプレゼント」がなかった……。「歌うときは歌う」そうなので、歌わないときは歌わないそうです。……お高いわ、まっつ(笑)。まあそんなすぱっとした自由さも、彼のキャラに合っているか。


 まっつをミニチュアにして、家に持って帰りたい、というのがわたし的なお茶会総評です。←
 時期遅れではありますが、未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の感想、続き。
 レポじゃないです、あくまでも感想です。

 『仮面の男』お茶会だけど、わたしの思い込みの関係で『インフィニティ』の話のみお送りしております(笑)。

 『インフィニティ』ポスター撮影時エピソードを話すまつださん。
 ついには立ち上がり、

 ポスター再現、ナマまっつキました。

 両腕を広げて、振り返り様に撮影、だったそうで。
 男役テイストなロングジャケット姿で、振り返りキメポーズ、を実演してくれるまっつに、場内騒然。

 かっ……けーーー!!

 マジかっこいい。ナニこれすごい。
 まっつ、ちっこいのに。体型だけではすごく不利な人なのに、それでもその技術のみで、こんだけ「男」として美しいモノを形作る。
 舞台補正ナシの素顔姿で、気合い入れた「男役講座」的なものでもなく、話ながらのゆるい実演……それでこのレベルをぽんと出してくるんだ、さすが男役14年。

 某小柄な上級生お茶会に参加したときも思ったけど、小柄で華奢な男役さんが技術のみで作る「男役としての美しさ」ってのは、恵まれた体格の男役さんに感じるときめきとはまた別の感動がある。
(身バレがこわいので、少人数茶会参加時は、誰のどの茶会かは書きませぬ・笑)

 まあそんな風に、静止しての撮影ではなく、ひたすら動き続け、さらに「歌っている風」なので、実際に、歌うわけじゃないけどなにかしら声を出し続けての撮影だったそうです。
 空調の壊れた部屋で、分厚いベロアなんか着て。
 ああ、見てみてえ。

 んで、撮り終わってから見せられた写真データが、最初に見せられた目標イメージ画像そっくりだったと。第一の感想はそれだったと。

 でもまっつ的には満足っぽい。今までの自分と違うイメージを楽しんでいる様子。
 ポスター写真のまっつが変にピンぼけなのも、実際に歌っているような躍動感を表しているためだそうですよ。素人が下手な処理をしたためじゃないそうですよ(笑)。『アリスの恋人』の凝りまくったポスターデザインと加工っぷりを見たあとで、『インフィニティ』を見るとそのお金の掛かってなさというか手を掛けてもらってない感ありありで肩を落としていた、なんて言っちゃダメなんですよ!(笑)

 ポスター再現まっつがすげーかっこよかったことも確か。

 しかし、真の意味でコノヒトがカッコイイのは、別のところにあった。

 『インフィニティ』は、はじめてのバウ主演だ。同期より7年も8年も遅れて、花組にいたときは下級生に抜かされて、もうそんな機会はないのだろうと思われていた、研14。
 苦節何年、じゃないけれど、はたから見れば「よかったねえ、ようやくだねえ。どんだけ大喜びしたことだろうねえ」って感じじゃないすか。

 ところがまつださん、バウ主演をやってくれとプロデューサーだかに言われたときの反応は「はい」だったそうな。はい、わかりました、と。

 「きゃあ、うれしい♪」とか「どうしよう☆」とかではまったくなく。
 次の仕事を指示された、了解と応えた、みたいな。

 もちろん、うれしくないわけではない。とても光栄だし、うれしく思っている。
 ただ、「きゃあ♪」という次元の話ではない。という。

 もっと下級生のときなら、この重責になにか思うところはあったかもしれない。
 しかし今のまっつは、バウだから主演だからというところには、ないんだ。舞台人として、タカラジェンヌとしての位置が。
 バウ主演ですよ、と言われても、「はい、わかりました」でその仕事を受けられるだけの力がある。
 出来る、という自信。
 それは驕りではなく、実績からくる認識。
 わたしたちだってあるよね、新しい仕事を言い渡されたにしろ、今までの自分の経験から「これなら出来る」と思うこと。はじめてだからって、別に不安じゃない。だって、「出来る」もの。知ってるもの。これは驕りじゃない、ただの事実。

 バウ主演を聞いたときの反応が、「はい、わかりました」。
 ただの事実確認。

 しみじみ、思いました。

 この人、カッコイイ。

 不遜に思う人もいるかもしれない。仕事と情を混同する一部の人たちとか、過剰に謙虚さを求める人とかは、「はじめての大きな機会を与えられて、『きゃあ、うれしい♪』と舞い上がらないなんて、ナニかカンチガイしてるんじゃないの」とか「『私なんかでいいんですか?』とへりくだらない人は傲慢だ」とか思うのかもしれない。
 でも現実問題、「仕事」なんだから。企業がお金を掛けて行う事業なんだから、情とは別でしょう。

 舞い上がりもへりくだりも、ある意味言い訳だもの。
 「すごくうれしいのでがんばっちゃいます」は能力ではなく情のアピール、努力を評価対象に加えてくださいね結果だけではなく、「私なんかでいいんですか?」はスタート地点を下げる予防線、大した結果を出せなくても怒らないでくださいね。
 了解だけを伝えるってことは、出来て当たり前、ってことだもの。情も努力も手加減もなく、ただ結果のみで勝負。実力のみで勝負。
 勝つ前提、負けることはあり得ない発言。

 そして、「きゃあ、うれしい♪」と言わないことに対し「不遜だ」と思う人たちがいるウェットな世界で、本心はどうあれ「『きゃあ、うれしい♪ 私でいいんですか? どうしよう……不安だけど精一杯がんばります☆』と言いました」と言っておけばいちばんありきたりで安全な話なのに、わざわざ「『はい』って感じでした」という、まっつの嘘のなさ。

 仕事に対する真摯さと誇り、そして自信。
 舞台人としてもだけど、ひとりの働く人間として、かっこいい。ああ、ほんとうに「仕事の出来る人」なんだ、と思った。

 この人が作るバウ公演『インフィニティ』は、きっと成功するだろう。
 観客を満足させてくれるクオリティになるだろう。
 シンプルに、そう思った。

 惚れ直す、ってのはこーゆーときに使う言葉なのか。
 基本わたしは舞台の上の役者にしか興味はないんだが、「未涼亜希」という舞台人に改めて惚れ直した。
 こういう人だからこそ、あの舞台姿をわたしに見せてくれているんだ。

 この人を好きで良かったと思う。

 ……のはさておき。

 まっつがねえ、いちいち「『きゃあ、うれしい♪』とは思わなかったんですよ。あ、うれしくないという意味ではなくて!」と言うんだけど。
 あのまっつが、声を裏返らせて、「きゃあ、うれしい♪」と女子な感じで言う。ええ、♪とか☆とかはぁととかの感じで、言うんです。
 この人、女子な声出ないんだ、という事実。
 声が裏返っているというか、無理にかわいい高い声を出そうとして、かすれている。
 男が女子の真似をしているときの、あの不自然な声……。まつださん……いちおー生物学的には女子だと思うんだけど……そ、そうか、ぶりっこな女子喋りはマジで出来ないんだ……。
 トド様のぶりっこ喋り的なやっちまった感あふれる声でした。
 しかもまっつ、「だから、『きゃあ、うれしい♪』とは思わなかったんです」って2回言ったんです、話の中で。
 まっつの「きゃあ、うれしい♪」は2回とも、ひっくり返ったかすれ声で、女役はマジに無理だなと、関係ないところで感心してました。

 面白いなあ、この人。
 ……はっ。かっこいい、で終始させるつもりが、面白いに着地してしまった?(笑)

 続く。
 ここで唐突に、未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の話、初のまっつ茶参加感想行きます。
 いやその、いい加減『仮面の男』感想書くのに飽きてきて(笑)。
 レポ機能はないため、あくまでも「感想」です。真実・事実ではなく、わたしの脳とフィルターを通したモノです、ご注意を。

 会場、広っ。
 最近小規模のお茶会だーのお茶飲み会だーのしか知らなかったため、なんか「スターさんのお茶会に来た」という感じ満々。
 ええ、番手のついたスターさんのお茶会と無縁な生活なもので、比較対象が偏っている結果の感想だと思います(笑)。
 まず、グッズ販売に食いつきました……が、販売数限定のガチャガチャがあって、わたしが並んだときには時すでに遅し、売り切れでした。
 最初から軽くヘコんだ……(笑)。まっつ写真入りストラップのガチャガチャだったようです。ガチャガチャなので、なにが出るかはわからない。コインを入れて、ハンドル回して、カプセルが出てくるアレ。
 買えた人(その場にいた、知らない人・笑)に見せてもらったところ、いかにも手作りっぽい写真入りストラップで、自分で作ることも可能なモノだったけど……やっぱりガチャガチャやりたかったなー。グッズスキーで物欲の人だからなー(笑)。
 や、グッズが売り切れるくらい盛況、まっつ大人気!ってことで、よしとします。めそ。←しつこい
 写真は全買いしたし、来年のカレンダーも買ったし! よしとします。←だから、しつこい


 さて、まつださんの印象ですが。

 男前でした。

 金髪で潔いデコ出しヘア、フロックコート風のロングジャケット姿がちょうかっこいい、という外見はもちろんのこと。

 話しっぷりが、かっこよかった。

 なんつーんだ、この人アタマいいんだろうな、と思わせる受け答えと、質問に対する切り込み方……真面目さというかな、自分勝手に話すのではなく、あくまでも「質問」に答えようとする姿勢。
 先に進むために司会者が「こういうことですね」とまとめても、そのまとめ方に納得がいかないと「違う」と食い下がる(笑)。自分にとっての「ほんとう」を伝えるために、手加減なしという感じ。

 『仮面の男』については、わたし的にはどーでもよかったので(笑)、今回のわたしのがっつきポイントは、『インフィニティ』ポスターってアレ、正気なの? なんであんなことになってるの?ってことのみでした。

 ええ、ポスター発表時に腹抱えて大爆笑した、「まつださん、ご乱心?!」としか思えないアレ。
 クール・ジェントル氏としては、アレをどう思ってるの? アレでいいの?

 えー、まつださんも、自分の対外的イメージというか、ウリは理解しているようです。
 だから、バウ主演ポスターっつーんで、みなさんが期待した……というか、想像したものはもっとクールなものだったろう、と自分でゆーてました。
 でも、フタを開けてみればアレ。
 あのデザインは、演出家の稲葉くんですらなく、誰って言ってたかな、ポスター制作スタッフが「こんな感じで撮りたい」と外国人の写真を持ってきたらしい。
 そんなポスターだかCDジャケットだかなんかが、すでにあったのかしらね。現行のものではないのかもしれないけど、とにかく、先にもう決められた画像を持って来られた。
 で、その、すでにあるビジュアルイメージに合わせて、まっつがポーズ取りをした、と。
 ……その撮影スタッフの人、まっつがどーゆーウリのキャラクタか、知ってたのかしら……クール・ジェントルだと知っていて、あえて「生きる喜び、歌う喜びのソウルフル外国人(わたしの脳内では黒人さんで再生)」のイメージをまっつに押しつけたのかしら……。

 なにしろ、まっつ自身、出来上がり画像を見たときの感想は「イメージ写真そっくり!」だったそうだから。ほんとに、本人の意思とかイメージとかじゃなく、スタッフ先行、生徒は従うのみなんだねえ。
 まあ、制作側の求めるものをカタチにするのが役者だから、正しいんだけど。
 あまりに本人のウリと違っていてびびったからさー。

 かといって、まっつ本人がそのイメージ写真や、実際に出来上がったポスターを嫌がっているわけではなく。
 いくら役者でも、嫌々撮ってあの笑顔はナイよなと思う通り、撮影時のエピソードその他を話すまつださんはしれっとしつつもノリノリで、まっつ……うれしいんや……ということがよーっくわかりました(笑)。

 ええ、そうなの。
 「しれっとしつつもノリノリ」……饒舌なんですよ、『インフィニティ』関係を語るまっつさん。
 かといって全開に「うれしいんです、楽しいんです」でもない。ドライぶってるけど積極的というか。
 ツンデレだなあ。
 ファンが期待するキャラを裏切らない男だ、まっつ……。

 ポスター撮影時の話を「大変だった」と語るまつださん。
 彼独特の突き放した感のある、毒舌。
「まず、空調が壊れてた」
 暑い日だった。そして、
「あのピンクの衣装、ベロアで、いい物なんです」
 ヅカ衣装は舞台で映えればいいわけで、舞台と照明マジックでキラキラ豪華でも、実はぺらぺらの安物を使っている場合も大いにある。スターさんの衣装は豪華だけど、その他の人たちなんて、そりゃあもお……てなもんで。
 ポスター撮影のために、衣装部さんは豪華な衣装を用意してくれたんでしょう。見た目はあんなだけど。先行画像時点で「これはちょっと……」だったとしても、素材はいいものなのよ、金のかかった豪華なものなのよ、見た目アレだけど!!
 んで、クソ暑い日に空調の壊れた部屋で無駄に豪華で暑いベロアを着て、撮影をなさったわけですよ、まつださん。
「あの歌っているポーズは、最初からあのポーズで『はい撮りますよ』ではなくて、いちいちこう振り返って……」
 壇上でおとなしく語っていたまつださん、喋りながら「伝わるかな?」と首を傾げ、ついには実際に立ち上がり。

 ポスター再現、ナマまっつキました。


 というところで、文字数の関係で一旦切る。
 続くー。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想。

 三銃士たちは無事に、ルイ/フィリップ@キム入れ替えに成功した。

 ここで、整理してみよう。
 この『仮面の男』という物語は、ラウル@翔が牢獄でフィリップの素顔を見てしまったことにはじまる。
 国王ルイに双子の兄がいることは国家機密、ラウルは口封じに殺された。
 ここまでなら、物語はなにも動き出さない。ただの「仮面の男の説明」でしかない。
 物語が動き出すのは、そうやって殺されたラウルの仇を討つため、兄のアトス@まっつが立ち上がったことによる。
 「ルイへ復讐する」……これがアトスの動機であり、それによってフィリップが牢獄から助け出され、次にルイと入れ替えられる。
 ルイへの復讐という動機がなければ、アトスはなにもしていないし、フィリップは永遠に牢獄の中だ。
 ではこの「ルイへの復讐」はどうなったのだろう。
 物語根幹の「理由」だ。動力だ。これが動いていないと、物語は動かない。

 ところが、ルイ/フィリップ入れ替え作戦が成功した時点で、復讐は、忘れられている。

 三銃士がルイとフィリップを入れ替えたのは、「復讐のため」であるはずだ。

 ルイが暴君であるゆえに、フランスのために入れ替えるわけではない。
 フランスのためならば、入れ替えるフィリップは賢王でなければならないのだが、フィリップの資質についての言及は一切ナイ。
 泣いて逃げ出すことを考えている場面があるのみ、フィリップを王にしたところで国が良くなるという描き方はしていない。しかもアラミス@きんぐに「失敗したらそのときだ」と言わせ、フィリップの王としての素質の有無は重要視していないことを表現している。
 フィリップを王にすることが入れ替えの目的ではない。
 つまり、三銃士の目的はルイを誘拐することであり、その動機は復讐であるはずだ。

 が。
 いざ入れ替えが成功したとき、アトスは言う。「捕まえたルイをどうするか、それが問題だ」と。
 復讐のためにルイを捕まえたはずなのに、どうするか決めてない??
 復讐自体を楽しむために、どう料理しようか舌なめずりをしているわけではない。ほんとうに言葉通り、なにも決まっていないのだ。

 『仮面の男』という物語の動力は、ルイへの復讐だったはずだ。
 なのに、動機が忘れ去られている。

 では、動機もナシに、なんのためにルイとフィリップを入れ替えたのか?

 入れ替えたあとのフィリップに、王としての期待はまったくない。
 捕まえたルイをどうするかも、まったく決めていない。

 なにがしたかったの?

 導き出される答えは、ひとつしかない。

 入れ替え劇である、一大ページェントを、やりたかった。

 三銃士が、ではない。
 作者が、だ。

 早わかり世界史をやりたかった、人間ボウリングをやりたかった、大囚人ナンバーをやりたかった……それらと同じ動機。
 一大ページェントを、やりたかった。
 人間ミラーボールや不思議なイキモノを出したかった、もう何回目のちんなのか「ちんは国家なり」と言わせたかった。

 ただ、それだけ。

 ストーリー上必要だから一大ページェントがあるわけじゃない。

 現に、一大ページェントの直後に双子の入れ替えはすべてばれ、ルイはダルタニアン@ちぎに助け出される。
 長々と一大ページェントをやったわけだが、全部無意味になった。
 なくても問題がない。ルイが王宮を離れた時間なんて、ほんとうに数時間のことだろう。一度も王座を退くことはなかった、でも問題ないわ、数時間の不在なら。

 こだまっちはほんとうに、アタマが悪いんだなあと思う。
 いや、頭脳の問題ではなく、それをコントロールする感情部分に問題がある。
 『天の鼓』でも感じたことなんだけど、物語の軸が途中で横滑りするの。虹人の物語を描いていたはずなのに、途中で帝の話に萌えてしまった。ふつうなら、どんだけ萌えても「この物語の主人公は虹人」と軸はそのまま、帝はおいしい悪役として花開く。
 が、こだまっちは帝に萌えたら萌えた時点で、それまでの話は放り出して、帝の話を描きはじめてしまった。
 幼児と同じ。おえかきをして遊んでいたところ、つみきが気になった。その瞬間、クレヨンを放り出して、つみきで遊びはじめる。
 大人なら……いや、とりあえず幼児でなくなれば、なにかひとつのことをしていて、別のモノに気を取られても、全部投げ出してそっちに移らないよね。今やっていることに片を付けてから移る。
 数学の計算をしている途中で、同じノートの続きに英作文ははじめないでしょう? 計算途中の同じ行から突然英文が書かれていたら、びびるわな。
 人間だから、ひとつのことだけを考えていられる訳じゃない。気は散るさ。でも、理性で押さえつけて、「それはそれ」と分けて考える。
 こだまっちは、ソレが出来ない。気が散ったら、散ったまま。感情を理性でコントロールできない。
 だから、物語も横滑りする。
 「ルイへの復讐」として描いていたはずの物語が、「一大ページェントをやりたい」にすり替わる。
 ふつうの人なら、「ルイへの復讐」はそのまま継続して、その手段として「一大ページェント」をやる。復讐だけじゃ据わりが悪いから、「フランスのため」と美しい理由を付けて、フィリップが王に相応しい資質を持つ人物であることも表現する。
 だがこだまっちはふつうじゃないから、そんなことは思いつかない。おえかきにあきた子どもが次のオモチャに夢中になるように、自分の大好きな「素晴らしいアイディア発表会」である、一大ページェントを描くことだけに夢中になる。

 そんな作者によるモノだから、『仮面の男』には、まとまった軸が存在しないんだ。
 作品は3つのパートに分かれている。
 大囚人ナンバーまでは、こだまっちのパフォーマンス。ストーリーなし。なにしろまだ主人公は登場していない。
 ラウルがフィリップを目撃、一大ページェントまでが、アトスの復讐。つまり、ストーリー部分。
 そのあとの逃走劇はトップコンビと2番手の見せ場。ストーリーは、実はあまり関係ない。
 3つのパートはそれぞれ別物。こだまっちが、ひとつの軸で物語を作っていないためだ。
 一応、2つめのアトスの復讐を軸にしようとしたきらいはある。途中で忘れちゃったみたいだけど。

 アトスは主人公じゃないから、ここを軸にしているところから間違ってるんだけどねー。
 なにしろ、主人公が登場するのが、幕が開いてから50分後だからねー。

 大囚人ナンバーが終わって、ようやくストーリーが動き出した、主人公が登場した!
 と思った直後、一大ページェント終了と共に、ストーリーも終了。
 物語を直接動かしていた復讐という動機が忘れ去られ、キャラクタたちは舞台の上で立ち往生。

 誰ひとり、自分がなにをすればいいのか、わかっていない。

 ルイを誘拐したのにそれでどうするか考えていなかった三銃士、ダルタニアンに追われて逃げ出したけれどそれでどうするつもりなの、フランスを出るの?
 ルイでないことがばれ、ルイーズ@みみと共に逃亡するフィリップ、逃げてどうするの、フランスを出るの?
 コンスタンス@あゆっちの復讐に生きると言いつつなにもしていないダルタニアン、たまたまルーヴォア@ひろみが実行犯だとわかるわけだが、そうでなかったらどうするつもりだったの、三銃士を殺したの?

 軸のない物語は、誰ひとりナニもできない、どこへも行けない。
 ちょっと油断しているウチに、カウンターの「6666666」が過ぎ去ってしまった……。
 次は7並びか。ちょっと縁起良さそう(笑)。

 ムラ版『仮面の男』演出についての感想、続き。

 この作品ではアトス@まっつとミレディ@ヒメの元夫婦設定はない。
 だけど一大ページェントでアトスが登場するとき、ミレディはなんとなく顔を隠す……と、役者が勝手にやっている、というのは、「NOW ON STAGE」でもお茶会その他でも語られている。
 ミレディには、闇の騎士に扮したアトスがわかったわけだ。

 しかし。

 ダルタニアン@ちぎには、わからない。

 ミレディのことがなくたって、三銃士は顔をさらして踊っているし、大暴れもしている。
 なのに銃士隊隊長で元親友のダルタニアンは、なーんも気付いていない。

 ダルタニアン……どんだけアホの子……。

 一大ページェントでルイ/フィリップ@キムの入れ替えは無事に成功。
 フィリップと母のアンヌ王太后@ミトさんの語らいは「人目につくから」ということで中断、今はまず王として王太后としての務めを果たしましょう、なんて雰囲気で、続くイベントの中へとけ込んでいく。

 ちょっと気になるのは、人間ミラーボール@かおりちゃんの扱い。

 ただの装置じゃないよ、彼女は武器でもあるんだよ。
 銃士隊と追いかけっこをするポルトス@ヲヅキとアラミス@きんぐ。ふたりは銃士隊をやっつけるために、人間ミラーボールを利用する。
 ミラーボールを吊っている太いロープを引いて彼女を移動させ、走ってくる銃士隊のみなさんをなぎ倒す。

 どんだけ固いんだ、人間ミラーボール。

 吊ってあるだけなのに、男たち数人でぶつかっても、吊ってある方はびくともせずに、ぶつかった男たちが倒れるんだよ? ふつー、吊ってある方は揺れるよねえ?
 まあ、涼しい顔をしているかおりちゃんが大変美しいのですが(笑)。

 んで、ここでポルトスとアラミスの力の差が出ているのは、いいんだろうか。
 ポルトスがミラーボールを動かすときは、相当重いらしく、あの大男が全身の力を込め、体重を掛けてローブをたぐり寄せている。それでよーやく動くんだな。
 が、その次にアラミスが同じようにミラーボールを動かすんだが、ああら不思議、アラミスは大して重くもなさそうに、とっととロープをたぐり寄せる。

 実はアラミス、怪力の持ち主?

 よくわからん演出だ。

 で、武器として活躍した人間ミラーボールは、アラミスが動かしたのを最後に放置される。
 ライトも当たらないし、声も聞こえない。なにか歌っているような姿ではあるんだけど。

 手前でフィリップとアンヌの芝居が展開されているから……といっても、彼女に小さな音量で歌わせることはできた思う。
 「あのミラーボール、なんのためにいるの?」と観客の気を散らせるより、歌という役割を与えた方が、中央の芝居に集中できると思うんだがなあ。


 そして、フィリップとルイーズ@みみの場面。
 この場面自体はいい。ルイーズの思い詰めた美しさ、フィリップの歌声のやさしさ。
 初対面の女の子相手に、そんなにすぐに正体明かしちゃっていいの? とかは問わない。時間ナイし。

 たださあ、疑問は残るんだよなあ。ルイーズはいつ、ラウルの死を知ったのか?と。

 ラウル@翔は秘密裏に処刑されてるんだよね? 政治犯として投獄されただけで、サンマール@コマの訊問ショーを見ても「さあ吐け!」としばらくは囚人たち相手に過ごしているし、投獄即死刑ではないらしい。
 アトスもラウルからの手紙ではじめてその死を知ったように、身内にすら処刑は知らされていなかった。
 「ル・サンク」に、アトスが飲んだくれているのは「捕らわれの弟を思い」とあるので、処刑については知らされていないのは公式設定。

 ラウルの手紙でその死を知ったアトスが、ルイーズに知らせたのか。
 それなら、入れ替え作戦のことも、教えてやれよ。

 ラウルの婚約者だぞ? 一生、別人だと知らずにフィリップを憎ませる気だったのか、アトス。

 フィリップ救出作戦や、双子入れ替え作戦自体に、彼女を巻き込むのは危険だ、という判断はわかる。しかし、完璧に蚊帳の外は可哀想だろう……。
 三銃士ってほんとにひどい奴らだな。


 で、立ち聞きダルタニアンが「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」とか、お笑い台詞を吐く。
 立ち聞きするまで、ルイ/フィリップの違いに気付かなかったくせに!
 どんだけアホの子なの、ダルタニアン!!


 で。
 ある意味、わたしがいちばん「この構成ってどうよ」と思っているのが、三銃士の酒盛り場面。

 というのも、彼らが飲んだくれる理由が「今夜の成功を祝して」。

 今夜?
 てゆーと、アンヌ王太后のお誕生日パーティは今日のことだったの? 一大ページェントは数時間前?

 じゃあ、さっきの私室で書き物をしていたフィリップは、入れ替わって数時間後っていうか、直後ぐらい??

 あんだけ大騒ぎして、たった数時間で、もうバレちゃったの?

 なんて無意味。
 それでルイを手に入れて、なにかしているならともかく、「捕まえたルイをどうすかる、それが問題だ」とか言ってるし。
 ナニも考えてなかったんかい。

 一大ページェント自体が、まったく無意味になっているの。
 ルイ/フィリップを入れ替えた、でも数時間後にバレてルイは無事銃士隊に救出され、フィリップと三銃士は逃走……って、ソレいったいなんの意味があったの?
 牢獄から助け出したあと、サンマールから報告を受けたダルタニアンに追いかけられても話通じちゃうんですが? ダルタニアンはこの時点で双子のことを知らないとしても、フィリップを逃がしてしまったのは国家を揺るがす大失態だから、サンマールが泣きついても不思議はない。

 なんのための入れ替え劇?
 入れ替えたあとになにかしらアクションがないと、エピソードがないと、構成上無意味だよね? プロット段階でツッコミ入るレベルのミスだよね?

 単に劇中劇とドタバタがあって盛り上がるから?
 ストーリーに無関係(無意味)に「盛り上がるから」だけで入れるなら、そんなのルイの悪趣味場面やサンマールの大囚人ナンバーと同じじゃん。

 ストーリーに関係があり、その上で派手に盛り上がる場面、だったはずでしょう、一大ページェント。

 王太后のイベントがあったわけだから、フィリップはなにもできないよね。せっかく会えたママとも個人的な時間は持てていないだろう。
 入れ替わってやったことといえば、ダンスを踊ったくらい? 王様としての務めはなにも果たしていない。

 私室で書き物をしていたから、さっそくなにかしら王として働いているのかと思ったよ。
 入れ替わったあと数日だか数週間だか知らないが、王として優秀だとかルイの悪政を正して政治を立て直そうとしたとか、なにかしらよいところを皆に示していたのかと。

 入れ替えました、次の瞬間バレました……って。
 作者はアホかと。

 続く。
 ムラ版『仮面の男』演出に関する感想、続き。

 一大ページェント場面。

 人間ミラーボール@かおりの歌声のなか、不思議な生き物たちが現れる。
 馬やタマネギ、にんじん、海の人。
 とりあえず、かわいい。

 みんなかわいいよ。トンデモなんだけど、それでもかわいい(笑)。
 てゆーか、あのタマネギ衣装を着てかわいくしてしまう、タカラジェンヌのフェアリーっぷりがすごい。
 同時期に某女性山盛りアイドルグループも、野菜着ぐるみみたいなコスチュームでCMに出てたけど、みんな微妙だったもの。
 あっちのアイドルさんたちの方が、言い訳のきく年齢なのにねええ。ハタチを大幅にすぎたジェンヌたちの方がフェアリーってすごいわほんと。

 闇の騎士たちもかっこいいし、この出し物を見守るルイ@キムたちという演出もいいと思う。闇の騎士たち登場のセリ上がりは、オープニングと呼応しているわけで、そのへんはうまいよね。
 もちろん、全体的に説明不足過ぎるので、誰がどこまで仮面の男に関わっていて裏にナニがあったのか、わからないままなのはよくないんだけど。

 三銃士たちが幼なじみのモリエール@咲ちゃんに頼んで、ルイ/フィリップ入れ替えのために仕組んだ大芝居、という設定。

 芝居のどさくさで作戦決行、というのはいい。
 よくある手法だけど、そーやって定番となっているのは、舞台が華やかになって良いことだから。困ったときは劇中劇ってくらい、頼りになるお約束の手法。
 そこで人間ミラーボールやタマネギなのは、こだまっちのセンスが非凡ってことで(笑)。
 ここの音楽も好きだなー。

 気に入らない演出だからと芸人たち相手に剣を抜いて舞台へ上がる王様ってどうなん、とか、たかが芸人相手に走り回るだけでまったく役に立たない銃士隊とか、疑問はいろいろあるけどな。

 前にも別項で書いたけど、ここでいちばん気に入らない演出が、「フランス語使う私ってかっこいい」と作者が悦に入っているだけ、としか思えない、フィリップ@キムの「はじめて会う母親への言葉がフランス語」ってやつ。
 とても盛り上がる場面、観客も固唾をのんで見守るものすごーく重要な場面で、何故フランス語なの? ここ日本なんですけど。
 以前『キル・ビル』っちゅー映画を見て爆笑した、アレと同じよね。英語を話すアメリカ人たちが、チャンバラをして「ここぞ!」というキメ台詞だけ日本語なの。とても無意味に。脈絡なくキメ台詞だけ日本語なのは、「突然わからない言葉を使うと、かっこいいから」ってだけだよね?
 物語の流れを壊さないキメ台詞だけなら「わからない言葉」でもいいかもしれないけど、「母と息子の涙の対面」を「かっこいい」優先する気持ちがわからない。
 ほんとうにこの作品を作った人は、人の心を理解しないんだなと思うのみ。

 というか、アンヌ王太后@ミトさんが、ほんとに謎で。
 ルイ/フィリップが入れ替わっていることにすぐにわかった、だって母親ですもの、というのはいい。
 わからないのは、やはり作品の根幹の「仮面の男」関連について。

 三銃士とダルタニアン@ちぎの年齢を誤魔化したために、全部壊れたのか?
 ここがタカラヅカである以上、メインキャラをおっさんや老人で埋め尽くすわけにはいかない。だから、本来はかなりの年齢であるはずの彼らを青年に設定した。それはタカラヅカ的に正しい判断だと思う。
 だがそのために、年代経過がわかりにくくなっている。
 最初に「早わかり世界史」をやったわりに、年表が書けない。
 何年にルイが生まれ、何年にフィリップはコンスタンス@あゆっちと出会ったのか、何年にフィリップが投獄されたのか、そして今が何年なのか。

 フィリップに仮面を付けてバスティーユへ幽閉した黒幕はルイ、実行犯はルーヴォア@ひろみということになっている。
 だから一大ページェントで闇の騎士たちが、一部のモノしか知らない「仮面」を付けていることで、ルイとルーヴォアだけが反応する。悪役チーム内でも、ダルタニアン、ロシュフォール@せしる、ミレディ@ヒメは反応しない。

 アンヌ王太后はなにも知らないらしい。
 これが、不思議なんだ。
 コンスタンスは王太后の命令で、フィリップ養育に当たっている。そして、殺された。
 アンヌさんは言う、フィリップの命を守るにはこうするしかなかった、監視の目が厳しくて手紙も書けなかった、って……。
 この言い分が通るのって、いったい何年くらいだろう。
 常識的に考えて、牢獄に監禁されて24時間監視されている人間でもない限り、ふつーに生活している人間が「監視の目が厳しくて手紙1通書けない」状況は、どれくらい継続できるだろうか?
 たとえば5年経てば、手紙くらいは書けるんじゃないの? ほんとうに、捨てた息子のことを忘れていなくて、ずーっと彼を愛し心配しているなら、最初の数年は「もうひとりの息子ってナニ? もう忘れたわ、ほほほ」と振る舞って、そのあとに手紙を書くことは出来たでしょうに。
 さらに不思議なのは、彼女の口調だと、フィリップが「鉄仮面を付けてバスティーユに監禁されていた」とは思っていなさそうだということ。
 闇の騎士たちの仮面にも反応していなかったし、ナニも知らなかったらしい。
 えー、コンスタンスは殺されています。彼女だけではなく、フィリップ養育に当たった人々は皆殺しです。そのことを、何年知らずにいられるものでしょうか?
 わずかな間なら、コンスタンスと連絡が取れなくても不思議はないかもしれないけれど。何年もって……。

 結論として言えるのは、アンヌ王太后は、フィリップのことなんか忘れていた、ってことだよね……。

 守りたかったのはフィリップの命ではなく、自分の立場。
 双子なんか生んでしまって、そのせいでフランス王家が揺れては困る。だから片方は抹殺したかった。王子を殺せないから、秘密裏に育てることにした。腹心の侍女コンスタンスに任せて、あとのことは知らない、興味ない。

 手紙? 書きませんよそんなもの。コンスタンスと連絡? 取ってませんよ不必要。

 たしかに、一大ページェントでの双子入れ替えはすぐにわかったんだろう。
 捨てた息子が無事に成人していたことが、うれしくはあったんだろう。しかし、そっから先は全部嘘、そう言わないとまずいと思って泣きの演技スタート。辻褄合ってないけど、そこまで考えない。
 第一、変じゃん。なんで芝居の最中に双子が入れ替わるの? それってかなり不穏なことだよね? ルイはどうなったの? フィリップ相手に泣いてる場合じゃない、ルイへの愛情もないってこと?

 キムの演技が素晴らしいのでついもらい泣きしちゃう母子の再会場面だけど、脚本に書かれているのは、「人でなしの母」でしかないという。
 結局ルイもフィリップもどーでもいい、自分保身しかアタマにない人。

 もちろん、きちんとアンヌ王太后のことを描く時間がないということはわかる。
 ならば、最初から彼女を出さなければいい。
 ルイ/フィリップを入れ替えた、みんな気がついていない、だけでいい。アンヌ王太后は気付いたかもしれないけれど、台詞では特にナニも言わなかった、「あなた……?」とひとこと不審そうな声を掛けた、でもすぐに人目を気にしてなにごともない態度に戻ったとかで、それ以上描かれていないから、彼女がどう思ったかは観客にはわからない、でいいじゃん。
 安易に「お涙頂戴」をやろうとして「ちょっといい話」をやろうとして、失敗している。

 続く。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想、続き。

 ラウル@翔の手紙からフィリップ@キム救出作戦まではいい。

 問題は次の場面。
 三銃士のなかでもっともしどころのないアラミス@きんぐの唯一の見せ場……ええっとその、アラミスの笑顔で恫喝、フィリップは道具ですがナニか?という場面。
 『シークレット・ハンター』のときもあったけど、登場人物ふたりがなにかしっとりと「いい話」をしているっぽい。しかし、会話は、電波。話がかみ合っていない。
 アラミスはなにかいいことを言っているっぽい。そんな雰囲気を出して話している。
 でも彼が言っていることは、酷い。

「我々三銃士の手によって、君が助けられたのも運命。君は君の運命を受け入れるべきだ。失敗しても運命だよ」
 と、要約するとこんなことを言っているんだ。

 ここですでに、三銃士とフィリップに信頼や友情が芽生えていれば、これは愛のある言葉になる。
 おびえて後ろ向きに……運命を否定して逃げ出すことしか考えていないフィリップを勇気づける言葉になる。

 が。
 実際は、そうじゃない。
 三銃士とフィリップの間には、ナニもない。
 ついさっき監獄から助け出しただけだ。
 なんの信頼も友情もない状態で、この台詞を言うってことは。

 泣いておびえるフィリップに「君を助けたのは我々だ。だから我々は君の命を自由に使っていい。ルイに復讐するために、君を使い捨てることにする。ルイとすり替えて王になってもらうけど、大丈夫、バレたとしても君が殺されるだけだから、私たちは痛くもカユくもない、大丈夫(いい笑顔)」と語った……ってことだ。
 ひでえ、アラミスひでえ!!

 これが、あきらかに「時間が足りなくて、言葉足らず、場面足らずになっているのね」ならあきらめもつく。
 サイトーくんの『エル・アルコン』を観た多くの人が「1本物にした方がよかったんじゃない?」と言ったように、あきらかに作品のスケールの方が大きくて、時間切れ感満々だったならば。

 しかし、『仮面の男』はそうじゃない。
 この直前に、「不愉快、いらない」監獄場面をえんえんえんえん見せられていたんだ。
 物語を描く時間も場面もいくらでもあった、なのに肝心の物語部分が描かれておらず、ストーリーとキャラクタが破綻している。
 ストーリーとキャラクタが破綻していたら、もう作品自体破綻してるじゃん、終わってるじゃん。
 それでもせめて、ストーリーでもキャラクタでもない部分、まったく無関係のパフォーマンス部分が秀でて素晴らしく、美しく感動でその場面だけでチケット代の価値があったと思えるものならば、「これは芝居じゃナイ、ショーなのよ」と思って楽しむことも、最後の手段としてアリだろう。
 しかしその無関係場面が、水戸黄門やダチョウ倶楽部、そして「死刑って楽しい! ラインダンス」……。

 アラミスの人格破綻台詞も、逃げ場なしのひどさ。
 そしてやっぱり、「国王を転覆」が気になる。


 それでも、そのあとのフィリップの銀橋ソロはいい。
 歌詞も、意味はわからないけど、一見ナニかよさそうなことを歌っている。
 キムの演技力、歌唱力を堪能できるので、トップスターの見せ場という点において、よい演出だと思う。

 フィリップのテーマソング、とーーってもいい曲なんだけど、歌詞はよくわからない。オープニングからして。
 オープニングはそれでも、複数の人たちで歌い継ぐし、辻褄があってなくても「これからはじまる本編で、そのわかんない部分が解き明かされるんだわ」的な期待がもてるからイイ。

 しかし、フィリップの銀橋ソロは、ほんとにフィリップひとりが心情を歌っているので、わけのわからなさがつらい。

 「この濁った世の中で大切な心を保てたらそれはこの仮面で守られて」ってナニ? これ日本語? 文章としても意味が通じてないし文法変。

 「この濁った世の中では、大切な心を保てない。もしも保てるとしたら、それはこの仮面で守られたからだ」が、正しい文章ですか?

 あのー、「仮面を被せられ幽閉されること」が、大切な心を保つことになるの?? むしろ心を壊す行為では? てゆーか「大切な心」ってナニ?
 世の中のほとんどの人は鉄仮面なしで生きているわけで、じゃあ他の人たちは「大切な心」とやらは持っていないの、「濁った世の中」に侵されて? 世の中の人がふつーに生きているならば、鉄仮面がないと「大切な心」を保てないフィリップって、どんだけ弱いの? これからは仮面なしで生きるわけだから、もう無理じゃん大切な心保てないじゃん、細菌だらけの世の中で生きられないから牢獄に戻れば?
 ……とまあ、ほんとにわけわかんない、わたしには。他の人にはわかっているのかもしれないが。

 ちなみに、このフィリップの銀橋ソロあたりで、幕が開いてから55分ほど経過(笑)。
 主役なのに。95分しかない芝居なのに。
 残り40分だ。さあどうする(笑)。


 フィリップのソロに客席がうっとり聴き入ったところで、すっかり存在を忘れていた、空気壊して登場する宿命、モリエール@咲ちゃん。
 アンヌ王太后のお誕生日祝いの出し物「朕は国家なり」を開演すると言う。
 またしても、「ちん」。
 その台詞、さっきもう聞きました……また同じことを言うの?
 どんだけちんちん好きなんだ、こだまっち。


 本舞台中央に、ふくらんだスカート、豪華ドレス姿の大女優@かおりちゃんがスタンバイ。髪の毛には風船。
 かおりちゃんはどんどん吊り上げられる。一応、風船の力で浮かんでいる、という設定らしい。
 舞台のかなり高い位置まで上げられた大女優は、おもむろにスカートを開く。
 中から、巨大なミラーボールが!!
 そして大女優は、大真面目な顔のまま、正面を見つめたまま、おもむろにミラーボールを回す!!

 噂に高い、「人間ミラーボール」場面。

 いやあ……。
 吊り上げられたかおりちゃんが、スカートをめくるあたりまでは、みんな「なにごと?」って黙って見守ってるんだけどね。
 手でミラーボールを回し出した瞬間に、失笑が起こる。

 わたしもつっこんだ、手動かよ?!(笑)と。

 でも、みんなが言うほど、わたしはこの演出嫌いじゃない。
 かおりちゃんが退団でさえなければ、最後の役がコレということを除けば、いっそ突き抜けていて楽しい演出だと思う。
 水戸黄門と違って、物語にまったく無関係ではないし、豪華で派手な役だし。ソロをこれでもかと披露できるわけだし。
 手動ミラーボールには失笑が起こるけど、ここは笑われてナンボだと思う。むしろ、回さなかった新人公演は不満だった。半端だ!と。ここまでやるからには、回せ、極めろ!と。

 ただ、ライトの当たり方が不満。
 美人のかおりちゃんが、なんとも不気味な顔になる。もっとふつーに顔が見えるようにしてくれよ。


 続く。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想。

 なんかこうしているうちに、近々カウンターが6並びになりそうな感じ。
 小市民だから、同じ数字が並ぶと意味もなくうれしいんだよなあ(笑)。


 監獄での、大囚人ナンバー場面の感想、続き。

 とてもわかりやすく「だめ」だと言える演出。
 拷問や殺人を「楽しい!」「みんなでやろうよ、ミャハ☆」と遊ぶ場面。

 この程度のブラックな演出に拒絶反応を出すなんて、ヅカファンは狭量だ、と思う人もいるかもしれない。
 でも、言わせてもらう。
 こーゆーブラックさを必要としないのが、「タカラヅカ」だ。
 こんなことがやりたいなら、どこか他でやればいい。

 テレビでも書籍でも、それを楽しんでもらう対象者がいる。
 作り手は対象者が誰かを考えて商品を提供している。
 子どもが見てはいけないものは年齢制限表示をしているし、幼年向け雑誌にエログロを載せたりしない。
 エログロナンセンスがいけないわけじゃない。やりたいならば、それ相応の場所で、媒体でやればいい。

 家族みんなで見ていた『サザエさん』に、いきなり「人殺しって楽しい! さあみんなで楽しく残酷プレイ!」な場面があったら、非難轟々だろう。

 こだまっちは勘違いしている。
 ここが「タカラヅカ」であるということ。
 こだまっちがどれだけ才能ある演出家であっても、まず「タカラヅカ」である作品を発表しなければならない。
 ここが「タカラヅカ」で、観客は「タカラヅカ」を観に安くはないお金を払って時間を使って劇場へ足を運んでいる。
 客が求めるものを差し出した上で、自分の才能あふれる演出とやらをするべきだ。

 こだまっちの作品全部とか、演出すべてが嫌いなわけじゃない。
 おもしろいモノを作れる人だとも思っている。

 ただ、こだまっちの場合、創作の才能よりも、問題点は人間性にある気がする。
 彼女の失敗している部分はクリエイターとしての能力というより、人間としてアレな部分が作品に反映されている気がするんだ。
 誰か人格的にまともな人が監督した上で、ただ「演出」するだけなら、こだまっちは独創的で美しいモノを作れるんじゃないだろうか。

 ……ともかく。
 大囚人ナンバーは、こだまっちの人間性がよく表れている場面だった。


 ちなみに、この囚人場面でわたしがいちばん苦手っちゅーか正視に耐えないのは、実はホタテでもコマでもなく、ゆめみさんだ。
 囚人たちのセンターにいる女性。
 彼女の演技が苦手すぎる。

 初日から、嫌で嫌でしょーがなかった。
 いつか変化するだろうかと期待したけど、彼女は変わらなかった。

 とゆーのもだ、彼女ひとりがリアルなんだ、拷問される演技が。
 呻き声の痛さも半端ナイ。
 他の人の呻き声は、呻き声というよりはモロ「音階」。聞いてもそれほど嫌じゃない。
 ゆめみちゃんだけが「悲鳴」なの。

 この場面は、もういっそ現実離れしたお笑い場面にしてしまった方がいい。その方が救われる。
 そいう意図があったんだろう、新公では鞭打たれた人々がわざとらしい滑稽さでぴょーんと跳ねていたし、本公演でもにわにわがどんどん愉快な人になっていっていた。
 にわさんくらい「これはギャグですよ」な表情と仕草、声をしてくれていたら、救われるんだけど。
 後ろでどんだけにわにわが滑稽な芝居をしていても、センターのゆめみさんがドシリアスに苦しみ呻いてるんだもの……救いがない。

 演出家指示だったのかな。
 ひとりぐらい本気で苦悶している人がいないと、拷問に見えないから、ゆめみさんだけは絶対にドシリアスに苦しみ続けろと。

 鞭打たれるさらさちゃんもりんきらも、すごくニュートラルに「音階」としてしか声を出さないのでよかったんだがなあ。にわにわはもう、コメディ一直線だったし。
 ゆめみさんにも、演出家指示がどうあれ、手加減して欲しかったよ……あんなに本気に演技しなくてもいいじゃんよ……。

 まあともかく、この場面を演じきったコマとみんなには心からの拍手を。
 コマはよくやったよ、ほんと……。


 本筋を忘れてしまうくらい長いこの場面の次、花火のスクリーンが上がると、まだ場面は監獄。
 鉄格子の中に仮面の男がいる。
 それを背景に、マントをまとって逃げるラウル@翔。収監するときに逃げ出したってことなのか、捕らえられたときと同じ服装。
 時間経過がよくわからない……。ミレディ@ヒメに催眠術で捕らえられた、その数時間後なのか? でもすでに何日も経っているかのように、ルイーズ@みみがルイ@キムに嘆願してたのに?
 ラウルが仮面の男の真実を目撃しなければならないので仕方ないんだが、とっても無理のある展開(笑)。

 部下たちを怒鳴りつけるサンマール@コマ、ついさっきまでピンク衣装で歌い踊ってたんですがね。マントを着てます。
 病気っぽい仮面の男を介抱し、仮面を取ってやるわけですが、シリアスな場面なのに下のピンク衣装がちらちら見えます(笑)。こだまっち……。

 ルイ/フィリップ@キムの年齢についてはアンタッチャブル、決して触れてはいけないこと。彼がすごーく若くないと、彼と親子ほど年の違うはずのダルタニアン@ちぎや三銃士たちが困ったことになるので……ここはタカラヅカだから、老人ばかりが活躍する話にするわけにもいかないので、そのへん嘘満載に誤魔化しているのは正しい。
 フィリップはまだ少年なんだよ、若いんだよ、と思って見ていると、仮面の男のヒゲっぷりに、びびる(笑)。

 仮面の男の素顔を見てしまったラウルは捕らえられ、そこで場面終了、檻のセットが盆で回転、アトス@まっつの家になる。


 「ラウルの手紙」場面はいい。
 こだまっちはシリアスな部分の演出はうまいと思う。
 音楽がいいからなあ。
 ラウルの歌声がアヤしいのはともかく(笑)、死にゆく彼と、その手紙を読むアトスのコントラストはいい。
 そっから先の「脱獄大作戦」も、「え、こんなに簡単に脱獄成功しちゃうの?」ってことはあるにしても、音楽はいいし、たくさんの人々が走り回って派手な場面になっている。
 アトスのソロと、最後の決め台詞「次に鉄の仮面を被るのは、ルイお前自身だ!」でじゃんっと暗転するのもいい。


続く。
 しつこくだらだら、ムラ版『仮面の男』の演出についての感想。

 問題の監獄場面、大囚人ナンバー。
 いちばんわかりやすく「だめ」と人に言いやすい、攻撃しやすいだめっぷり。
 先に話を聞いてから観た人たちがみんな口を揃えて言う言葉がある。

「あんなに長いとは思わなかった」

 そう。
 長いんだよ。

 場面変わって監獄。
 囚人たちが椅子に坐り、看守フェルゼン@がおりたちが鞭を持ってすごんでいる。
 そこへ現れる看守長サンマール@コマ。「鬼のサンマール!」とおびえる囚人たち。
 重々しく「今日の私は大変……」、ころっとコメディちっくに「機嫌がイイ!」、ほっとする囚人たち、「拷問は私自ら行う!」囚人たちすくみがる。そして鞭打ちへ。
 鞭打たれる囚人の呻き声が音階になっており、そのことに気づいたサンマールは部下たちを指揮して音楽になるよう鞭打たせる。
 拍手する部下たち、「オーケストラの指揮者のようです」と持ち上げるフェルゼン。
 それを聞いたサンマールが調子に乗る。「そう、私は指揮者!」と。
 それまでの重々しい喋り、重々しい音楽から、ころっと変わり、愉快で明るいショー音楽になる。
 サンマールも暗い色のロングコートを脱ぎ捨て、きらきらピンク衣装になり、「ディレクトール!」と歌い踊る。
 曲の中には囚人たちの運命を嘆くパートもあり、ダンスもあり、見応えはある。

 ただ何故かこの流れの中で、携帯電話が鳴る。

 わたしにはついに最後までわからなかった。
 この携帯の意味。
 ぽかーん、だった。

 囚人たちを脅すサンマールと看守たち、なのに突然鳴り響く携帯に興をそがれて犯人を探し回る。
 携帯はオケピから棒にくっつけられて差し出される。
 サンマールがそれを手に取って、切る。

 さらに場面は続き、白状しないなら全員死刑だと言い、部下たちが囚人たちへ一斉に銃を向ける。
 震え上がる囚人たち。
「撃てー!」のタイミングで、何故か、ゴーストバスター。
 音楽を聴きながら、徐々にノリ出し、踊り出すサンマール。「ゴーストバスター?!」と歌い出すタイミングで、サンマールのピンクジャケットのポケットからきらきらピンクデコの携帯を取り出した囚人@りんきらが、携帯を切る。
 ゴーストバスターの着メロは、サンマールのものだったらしい。
 りんきらから憮然と携帯を奪い返すサンマール。びびって囚人の列に戻るりんきら。
 携帯をポケットに戻したサンマールは、「仕方がない」と銃殺をやめて絞首刑のロープを囚人たちに配る。
 はい、ここから例のダチョウ倶楽部ネタな。
 誰かひとり犠牲になって殺されれば、他の者は助けてやる、と。
 並んだ囚人たちのセンターにいるホタテは「そんなことできるかよ」と反発。されど他の者たちが次々と「みんなのために死にます」と手を挙げる。
 それを見たホタテが「じゃあ俺も犠牲になります」と進み出ると、他の囚人たちが手のひらを返し「どうぞどうぞ」。
 ホタテは看守に引きずられ「なんでやねーん!」他、アドリブでいろいろ言いながら舞台奥へ。
 そこでホタテは、看守から天使の背負い羽を渡されて装着、首吊りロープはなんと天使の輪に早変わり!
 看守フェルゼンとホタテのいるセリがどんどん上がり、舞台前面ではサンマール賛歌で囚人・看守たちが一列に並んでラインダンス。ホタテも天使の羽をつけてコミカルにかわいらしく、楽しそうに踊りながら天に消えていく。

 カーテンが閉まり、首からロープをぶら下げた囚人たちの楽しげなラインダンスは続き、背景には打ち上げ花火が上がる。
 「看守長っていいよ♪」というサンマールの決め台詞で場面終了……かと思いきや、このあともまだ続く。
 音楽が盛り上がったりスローになったり、そのたびにダンスのテンポを変えながら、サンマールが退場していく。

 とにかく、長い。

 前もって「ひどい場面だよ」と聞いていた人たちが、みんな言うんだ。
「囚人の呻き声が音楽になる、それで看守か拍手するところで終わりかと思った」
 うん、そこまででも十分悪趣味だもんね。
 でも、その看守たちの拍手、みんなが「終わり」だと思ったところがプロローグだったなんて。
 みんな、「今度こそ終わりのはず」と思うんだ、曲の切れ間とかで。だって悪趣味で気分が悪くなり、しかも本筋とは無関係、いらない場面だってわかっている、こんないらないものはここで終わりだろう、いくらなんでもこれで終わりだろう……途中何度も「終わり」と思う、そしてそのたび裏切られる、「まだ続くの?」「いつまで続くの?」「まだ不愉快の上があるの?」と。

 ほんとに、最初のとこでやめときゃよかったのにねえ。
 鞭打ちと呻き声の和音……それを喜ぶサンマールと看守たち、で場面とキャラ説明には十分だ。
 そっから先のいくつにも分かれたパートは全部不要。


 過去のタカラヅカにも、拷問シーンや死刑シーンはいくらでもあった。
 だから、問題なのは拷問でも死刑でもない。
 罪のない人たちが無為に残酷に殺される、夢のタカラヅカでそんなものを見たくない、という意味で不評なのではまったくない。
 その「殺される人々」をふつうなら「可哀想」と観客は思う。そんなことを行う悪役に対し「ひどい」と観客は思う。そういう演出をする。
 悪役の悪を描き、虐げられる人々の悲しみを描き、そんな悪役に対峙する主人公サイドの正しさ、感情移入を煽る。
 拷問や死刑をタカラヅカで描くのは、そういうことだ。
 その表現がリアルだったりダークだったりする、度合いによって観客からさらりと流されたり拒絶反応が出たり、過去作品にもいろいろあった。
 しかし、どの作品だって拷問や死刑を「楽しい」「笑う」場面としては、描いてない。
 拷問も死刑も、楽しいことでも笑うことでもないためだ。
 「こんなに楽しい拷問! さあみんなで楽しもう!」「こんなに楽しい人殺し! さあみんなで殺して遊ぼう!」……とは、やらない。
 仲間だったはずのひとりをみんなで殺して「楽しい!」と歌い踊り、ラインダンスで花火。

 正気か。

 ブラック云々じゃなく、演出家の人格を疑う(笑)。

「さすが、子どもを亡くしたばかりの母親へ、その夫(主人公)に『なーに、子どもはまた作ればいいさ(いい笑顔)』と言わせた演出家だわ……」
 と、友人談。
 ああ、あったねええ、そんなトンデモ脚本が。

 こだまっちは宇宙人だから、人間の心は持ってない。仕方ないよね(笑)。


 続く。
2011/10/31

月組トップ娘役・蒼乃夕妃 退団会見のお知らせ

月組トップ娘役・蒼乃夕妃が、2012年4月22日の月組東京宝塚劇場公演『エドワード8世』-王冠を賭けた恋-、『Misty Station』-霧の終着駅-の千秋楽をもって退団することとなり、2011年11月1日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。

 まりもちゃん、90期娘役、研8。
 抜擢されたのが初舞台の年度末だから、研1ですでにバウ(WS)ヒロインを務めていたわけだ。トップスターになるために入団してきた的な立場の子だったんだろう。その後も抜擢続きで若手スターとして華やかな芸歴を持つ。
 ……けど、わたしがまりもちゃんの舞台姿に強い印象を持っていなかったためか、早い、短いと思う。

 トップになったのも「え? もう?」だったし、卒業も「え? もう?」という印象。

 ヒロインというより、脇の実力派としてのイメージがあるためだろうなあ。
 もっと長くじっくり見ていられる人、という刷り込みがあったみたいだ、わたしの脳内に。
 や、わたしの思い描く「タカラヅカの娘役トップスター」ってのは、キラキラなお姫様で可憐で寄り添い系で、てな、とてもオールドファッションなスタイルだからなのですよ。
 まりもちゃんはうまい人だけど、キラキラとかかわいい♪とか、華奢で頼りなげで、とかいう感想はあまり持ったことがなく、かといって、すべての人を平伏させるような、圧倒的美貌を売りにしているわけでもなかった、と思うので。

 かといって、わたしの脳内イメージのトップ娘役以外はNO!というわけではなく、いろんなスターさんがいていいと思う。また、娘役はなんつってもまず男役トップスターありき、ふたりの相性優先なわけだし。

 まりもちゃんはきりやさんとの接点無し、トップコンビになるためだけの月組組替えだった。
 体格的には、きりやんに合っていたとは思えない。なにしろ縦にも横にもきりやんより大きいとゆーか強そうと言うか……ゲフンゲフン。

 だけど。
 その質実剛健な持ち味は、きりやんに合っていたのだと思う。

 きりやんの相手役になるためにやってきた人だから、きりやんと一緒に去っていくんだろうなとは思った。
 でも、こうして発表されると、「え、もう?」と思う。「早い」と思う。
 きりやんや、次期月組トップスターとの兼ね合いはともかく、タカラジェンヌとしてのまりもちゃんは、まだすべてを出し切っていない、まだまだ可能性がありそうな気がする。

 かといって、今のタカラヅカで、トップ娘役を務めた人の「別の可能性」を発揮する場は作られていない。
 有限であるゆえの美しさを誇る楽園だから、短いと惜しまれての卒業が正しいこともわかる。

 でもなんかほんとに、まりもちゃんに関しては、わたしはずっと置き去りにされてる感じだ。
 トップが決まったときも「ぽかーん」だったしなあ。

 彼女のダイナミックなダンスと骨太な舞台人姿に、安心を見いだしていた。
 きりやんと共に、期待を裏切らないクオリティの舞台を見せてくれる人だと。

 最後の公演が素晴らしいモノになること、タカラジェンヌとしての集大成を願っている。

 ……頼むよ大野くん!!
 ムラ版『仮面の男』の演出についての感想、続き。

 『H2$』パロをやりたいがためだけの酒場のシーンは演出家があまりにアホだと思っているけれど。

 ただ、たくさんの出演者が舞台にいて、みんなががちゃがちゃ楽しそうにしていること自体は好き。
 モブの人たちまで一緒になってのミュージカルナンバーはいい。
 パロディの是非や、キャラクタの人格破壊はともかく、酒場でわいわいはいいよなー。


 さて、ひとりシリアスなダルタニアン@ちぎ。

 変わってしまった彼については、その前の場面で三銃士たちが語っている。
 三銃士の説明台詞の不自然さは相当なもんなんだが、言葉の量のわりに内容が伝わっていないんだよなー。つか、意味がわかんないんだよなー。

 三銃士が語る「変わってしまったダルタニアン」とは。
 「恋人のコンスタンスが殺されたため」「銃士隊の隊長になった=自由よりも欲に目がくらんだ」「三銃士は、そんなダルタニアンのそばにいたくなくて銃士隊を辞めた」「いつかダルタニアンは三銃士の元に戻り、フランスのために共に闘う日が来ると信じる」。

 えーと、ここの台詞で欠けていることが、すごく気になる。

 だって三銃士も、そもそもは銃士隊にいたんだ。銃士隊の隊長になることが何故「自由より欲に目がくらんだ」ことになるんだ?
 義勇軍にいたのに、国王の軍隊に入った、とかなら「自由より欲に目がくらんだ」もアリかもしんないけど。
 もともと4人とも銃士隊なのに。

 問題なのは「銃士隊」でも「隊長」でもない。
 「今の国王」だ。
 三銃士たちが誇りを持って銃士隊にいたころと、現在では国王が変わっている。
 この物語のラスボスはルイ@キムだ。
 だからいかなる場合も、「悪いのはルイ」と示していかなければならない。

 三銃士が「自由より欲に目がくらんだ」と語るのは「ルイの手下になった」ことだ。「銃士隊の隊長」云々ではない。
 ルイは悪い王であり、彼はフランスのためになっていない。だからルイの銃士隊を辞め、三銃士の元へやって来ないと「フランスのために闘う」ことにならない。そういう意味だ。

 なのに、その肝心のことを語っていないんだ。

 だから、「三銃士だって銃士隊だったのに、その隊長になることが何故、『自由より欲に目がくらんだ』ことになるの?」と観客が混乱する。
 銃士隊ってのがよっぽどひどいところで、そこに籍を置くってのは「自由より欲に目がくらんだ」ことなの? だから三銃士が職を辞したの? ……と思ったら、「ダルタニアンを見るのが辛いから辞めた」……えええ、そんな個人的理由??

 説明台詞の無駄な長さ、そのくせ必要なことは語られていない。
 脚本を書いた人のバカさに苛々する(笑)。

「ルイが国王になってから、銃士隊はすっかり変わってしまった。そんな銃士隊の隊長になるなんて、自由より欲に目がくらんだ」

 と語るのが正しい。

 三銃士たちが銃士隊を辞めたのも、ダルタニアン云々以前に、ルイの施政のもと、悪を行う銃士隊に耐えられなくなっていたため。その悪の象徴たる隊長に収まったダルタニアンを見ていられなかった、ということだろうに。

 しかし、「俺たちの元へ戻り、もう一度フランスのために」と語る三銃士が、無銭飲食と居直り強盗の恥ずべき犯罪者と成り果てているために、どの口が言うか!!と観客は総ツッコミ、その直後のダルタニアンの苦悩もナニも活きない、という欠陥付き(笑)。

 三銃士の解説で、ますますよくわからないダルタニアンという男。
 ひとりシリアスに登場し、銀橋で1曲歌う。

 ダルタニアンの銀橋ソングはいい曲なんだほんと。
 ……どうも難しいらしく、ちぎくんはわたしが知る限りただの一度もきれいに歌いきったことがなかったのだけど(笑)。

 歌詞が聞き取れないという問題はあるにしろ、友情と、ソレを裏切らねばならない苦悩を歌っているらしい。

 コンスタンス@あゆっちとの思い出場面はあれでいいんじゃないかと。
 額縁に入った思い出……って、ダルタニアン、ヲトメ的な美化入ってんぢゃね? って感じがしてイイ。
 ダルタニアンはほんと変な人なんで、変を貫いてくれるくらいでいいよ、もう。

 ちぎあゆの芝居、彼らの空気感を楽しめる、それだけでいいよね。


 次の場面、ビートの響く「王はすべてお見通し」は、好きだ。
 眼球の影絵、アーチの上の人間睫毛。
 貴族な人々なので、衣装も豪華で目にもたのしい。
 音楽もパンチが効いていていい。

 パリ市民の声を途中からルーヴォア@ひろみが代弁するのも楽しい。
 ワンフレーズずつでも、いろんな子にソロがあるし。

 ただ、パリ市民にライトが当たらなくなるのだけが気になる。
 ルーヴォアと同じ振り付けで歌っているのに、舞台に沈んでしまってわかりにくい。
 ライトの輝度は落としていいから、市民たちもよく見えるようにして、ルーヴォアとのシンクロ率を上げて欲しい。
 途中からルーさんが引き継いで歌っているのだと、もっとわかりやすく。
 バウじゃない、大劇場なんだから。

 ミレディ@ヒメの使い方はどうかと思うパート1(笑)。
 催眠術はともかく、「閣下の胸のペンダント」がなー。ここの伏線、必要か? ルーさんが日常的に身につけているペンダントに何年も気づかないダルタニアンってどうよ?と、トホホ感を増すだけだと思うんだが。
 ふつーに兵に取り押さえさせればいいと思うんだがなー。


 ルイとルイーズ@みみの銀橋はよいし、後半のルイとフィリップ@キムの銀橋との差を楽しめる。
 てゆーかほんとにキムくんの芝居はいいよな。
 高笑いが素敵(笑)。
 まあ、「陛下を転覆」という日本語がかなり気にはなるのだけど。


 さて、次が問題の監獄場面、大囚人ナンバー。
 続く。
 東宝版の幕が開き、今さら感満載だが、『仮面の男』ムラ版の演出についての感想、続き。
 映像にも残らず、「なかったこと」にされるムラ版だからこそ、なにがあってどう思ったかをちゃんと残しておきたい。
 ムラ版のみの幻の場面の感想ではなく、ムラ版全部まるっと。だから東宝と変化ナシのところも含まれている。
 てゆーか、本文書いたのは東宝版見る前だしなっ。えーっと、10月20日欄からの続きね。

 『H2$』パロの酒場場面あたりの感想から。

 ラウル@翔くんの描き方が、気に入らない(笑)。

 ラウルの手紙によってすべてが動き出すのに、ラウルとアトス@まっつの関係がちっとも描かれていない。
 ここ一場面しかないのは別にかまわない。
 問題は、描き方だ。

 ラウルがやったことは、「ボクのカノジョ」を三銃士に紹介する、ただそれだけ。

 たしかに、アトスとの兄弟愛を描く、物理的な時間はないんだろう。「本筋とは無関係なパフォーマンス」ばかりにかまけて、ストーリー部分を描いてない結果だが、こだまっちにとって「アイディア発表>芝居」という重要度なんだから、アトスとラウルの関係を描くのに「兄のアトスだ」という台詞ひとつしかなかったのは仕方がない。
 台詞はひとつ、たったひとことだけだが、とりあえず、アトスとラウルは同じ場面にいる。
 そして一緒にいる時間は、結構長い。

 つまり、時間を割く気がなくても、この「ただ同じ場面に出ている」状態を利用して、こだまっち的余った時間に「アトスとラウルの関係」を表現することは出来るんだ。

 アトスにはやることがたくさんある。
 ロシュフォール@せしるに悪事を暴かれたり、ダルタニアン@ちぎとのやりとり、三銃士たちとダルタニアンをどう思っているかを語ったりとかダルタニアンがどういう人かの説明台詞とか、短い間にいろいろ詰め込まれているので、ラウルどころじゃなくなっているのは、仕方がない。

 でもラウルはそうじゃない。
 三銃士に恋人のルイーズ@みみを紹介したあとは、やることがない。

 ただそこにいるだけ、モブの酒場の人たちと同じ扱い。
 主要人物、物語のキーパーソンの短い貴重な出番だっちゅーに、なんだこのどーでもいい演出。

 わざわざラウルに彼中心の場を与えなくても、彼がアトスをどう思っているか、どんな立ち位置でいるのかは、表現できる。

 だってアトス、無銭飲食しているんだもの。

 ふつーに考えてください。
 家族が目の前で犯罪を犯したと責められ、実際に悪事の証拠を突きつけられたら、あなたはどうしますか?

 無反応ではいられないよね? 赤の他人、どーでもいい行きずりの人ならともかく、家族だよ?

 三銃士が無銭飲食をしたと目の前でロシュフォールに暴かれているんだ、ふつーショック受けないか、ラウル?
 「父であり母である」敬愛する兄が、犯罪者……。しかも意気揚々とつれてきたカノジョの前だ、「あの有名な元三銃士」と紹介した手前もある。面子丸つぶれだよね、ラウル。
 銃士隊の面々が去ったあとに、「無銭飲食ってナニゴト?!」と兄を責めるくらいしそうなもの。

 それをしない、笑ってスルーしているってことは、アトスとラウルの間には信頼関係もナニも存在していないってことだ。
 その程度の間柄ってことだ。

 いくら「ラウルの手紙」でお涙頂戴したところで、この程度の関係なわけですよ。
 まあ、なんてうすっぺら。

 もっとも、無銭飲食という情けない罪を、ラウルに責めさせるわけにはいかなかったんだろうと思う。
 ふつうなら大事件。ファミリーもののドラマなら、それだけで1時間使っちゃうようなネタ。だから真面目にそれを追求させるとどうしても話が長くなるし、ここまでマイナスな事態から信頼関係を取り戻すのは難しいし。
 95分の公演時間、パフォーマンスが大事で本筋はそのうち40分あるかないかのショートストーリーで、「ショック! 一家の大黒柱が無銭飲食!!」というホームドラマを1時間描けるはずがない。物理的に不可能だから、スルーするしかなかった。

 つまり最初から無銭飲食なんかさせるなってことだ。

 こだまっちのウケ狙いのただの思いつきが、作品の根幹まで揺るがしている、悪い例の見本。

 「三銃士はどんなに落ちぶれても無銭飲食なんかしない!」という原作への冒涜という意味を離れ、「これはデュマ原作なんか関係ない、児玉明子作の『仮面の男』なんだから、こだまっちの中の三銃士は無銭飲食も居直り強盗もなんでもやる人間性の人たちなのよ!」ということだとしても、その「こだまっちの『仮面の男』」的にも、破綻しているんだ。
 アトスとラウルの兄弟愛が引き金になって、「仮面の男」の謎が暴かれ、すべての物語が動き出す……という、この作品を、こだまっち自身がめちゃくちゃにしている。
 バカ?

 三銃士は無銭飲食をするのではなく、ベタに人助けをしたためにロシュフォールに脅される、でいいじゃん。
 酒場でロシュフォールの部下に絡まれている娘とかを助けたところ、銃士隊を連れたロシュフォールに難癖を付けられ、成り行きで剣を抜いた、昔ならいざ知らず今はただの一市民なのに、お上の軍隊に剣を抜いたんだ、覚悟はあるんだろうなと、とても悪役らしい言動のロシュフォールに、ダルタニアンが登場して一喝、場を収める。
 助けてくれたのは友だちだからだよな、と喜ぶ三銃士にダルタニアンは冷たく「目こぼしは今回だけだ」でいいじゃん。
 三銃士は正義だけど権力がない、ロシュフォールは権力を笠に着る悪者、ダルタニアンはそんな三銃士を助けてくれたけどツンツンしている、と。
 話の流れは変わらず、間違いだけ正せる。

 『H2$』パロをやりたいがためだけの、無銭飲食……。
 そんなどーでもいいネタのためだけに、人格も人間関係もめちゃくちゃにされた三銃士とラウル、そして『仮面の男』という物語……。


 ラウルの描き方についてもうひとつ、ひっかかっている。

 ラウルは兄たちが「元三銃士」だと知っているんだから、ダルタニアンのことも知っているだろう。
 三銃士とダルタニアンの今の殺伐とした関係についても、コメント無し。

 せっかく同じ場面にいても、「三銃士」と「ラウルとルイーズ」にぱかっと分かれていて、互いへの干渉はほぼナッシング、別次元の存在。
 なのに、同じ場面にいる。なんて無意味。

 兄とその仲間たちが友を心配しているんだ、兄を愛しているなら、そんな兄の姿に心を動かさないか?
 ラウルだってダルタニアンとは顔見知りだろうし、個人的なつきあいがなくても、普段から話は聞いているだろうに。
 ツンツンしているダルタニアンへの不信を口にする三銃士たち、身内だけで話すことになる場面がせっかくあるんだ、ルイーズの腰を抱きながらでいい、ラウルに一言「兄さん……」と声を掛けさせ、アトスが目線で「大丈夫だ」と頷き、「俺はそうは思わない」という通常の台詞につなげるだけでいいのに。

 三銃士の話は三銃士に任せておいて、ラウルはひたすらルイーズとだけ関わる、カノジョと2コイチでこちょこちょ話しているだけ。
 兄の心の傷なんか興味ありません! 自分がラブラブだから幸せです! って演出しておいて、次の場面では「アナタは父で母でした」とか言われてもなー……。

 ほんとうに、なんのために同じ場面に出させているんだか。
 バカじゃないの、演出家。


 続く。
No.1の女。@宝塚歌劇100周年プレ企画「カウントダウンチケット」
 ということで、雪東宝初日に駆けつけたわけですが。

 宝塚歌劇100周年まであと893日!……という微妙なメッセージの書かれたカードをもらいました。893日……や・く・ざ……。

 はい、宝塚歌劇100周年プレ企画「カウントダウンチケット」とやらです。2012年11月17日にプレゼント抽選があるそうですよ。2011年じゃないよ、来年の2012年だよ。

 実はコレ、宙組初日でももらいました。各組やるそうです。で、宙組のとき、開演間際に駆け込んだもんで、かなり半端などーでもいい番号のチケットだった記憶がある。ええ、記憶。すでにチケット紛失してますから。←

 で、行く予定なんかなかったはずの雪組東宝初日に急遽行くなら、せっかくだからイイ番号狙ってみようじゃないかと。
 2000枚は最低でも配布するだろうから、100番以内とかだとなんとなーく気分いいかなと。
 別にナニがどうじゃないけどさ。ささやかな努力でできることだし。

 てことで、東京宝塚劇場の開場会場時刻ちょうどに行きました。
 すでに入口前にはちょっとした列ができている。

 開場時刻に行くのはじめて。
 劇場周辺にいたって、お茶していたり友だちと喋っていたりで、開場と同時に中へ入るなんてしたことないから。
 時刻ちょうどには開かないんだね、さすがゆるいわ、タカラヅカ。開場時刻ジャストにスタッフのおねーさんたちがぱらぱらと現れて、ミーティングですか? なんか集まって指示を受けている様子。えーとそれ、開場時刻前に済ませておくことじゃないの、他の企業なら……。まあ、タカラヅカだもんな……そんなもんか。

 入口が複数あるため、どの列が何番からのチケットを配布しているかは謎。並んだ列によっては、いきなり501番から配布、とかもありだろうしなあ。
 まあ、それはしゃーないか、そんなめぐり合わせだったっつーことで。

 そんな温度感で、端っこの列の前から3番目に並んでいたら、まさかの1番チケットGET。
 なんか1番目の人がもらったチケットにクレーム付けて突き返していて、その間に2番目の人は次のチケットもらって中へ入り、3番目のわたしに、係のおねーさんはおそるおそる、1番目の人が突き返したチケットを差し出してきた。
 1番目の人が突き返したチケットは、1番のチケットだった。
 チケットのはしっこが微妙に曲がっている。それでクレームつけたらしい。
 なるほどねー、コレクターからすりゃ許せないわなー。
 でもわたしは「1番」という数字が愉快だったので、それを受け取りました。

 「1番」!!
 わたしのぬるい人生では、まず得られない数字(笑)。

 雪組東宝公演『仮面の男』『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』で、入場1番目。
 ……どんだけ必死なの、こあら!! って感じで、自分で自分を笑えるのがイイ。

 ただし、抽選はナニも当たらないだろうなあ。
 こーゆー数字モノの抽選で、1番って何故か当たり番号にはならないよね(笑)。

 ナニが当たるのか知らないけど、「ヅカヲタ以外に一銭の価値無し!」な潔いモノが当たるといいのに。
 よろしくお願いしますよ、歌劇団様。
 (2012年11月17日までに、紛失している可能性大)

 2012年11月までこのブログがあると仮定して、ネタ用に記録しておくナリ。
 キムが好きだ。
 今さら言うべきことでもないし、このブログはじめた当初からキムくんスキーで、キムくんきゃーきゃー書き続けてきた。

 だがしかし。

 フィリップのヒゲは、キツイ。

 キムくんへの愛があっても、キツイ。

 ムラ版では、客席から遠い舞台奥、格子の向こうに一瞬ちらりと見えるだけだった、ヒゲモジャフィリップ。

 それが、演出変更された東宝版『仮面の男』では、まるまる1場面、ヒゲモジャフィリップ。

 えー、フィリップくんっていうのは、いじめられまくっておどおどした美少年で、膝を抱いて丸まっていたり、大きなお目目で涙をうるうるさせていたり、もしくは隠しもせずにぽろぽろ泣いたりする、そーゆー男の子です。

 天使のような美少年。

 話していると誰もが「……ええ子や……!」と感涙しちゃうような、愛さずにはいられない男の子です。
 ムラ版でも大好きだったけど、東宝版でさらに萌えキャラ度アップ、どこまでいくんだトップスター?!なステキな主人公です。
 や、ほんと、どんどんフィリップが好きになる、キムが好きになる。もっともっとフィリップを見たい、いろんなフィリップを見たい。
 が。

 そのフィリップくんが、ヒゲ。
 それも、ただのヒゲぢゃないよ、サンタクロースヒゲだよ。顔中ヒゲモジャだよ。

 似合わない。

 なんつーかこう、見ていて落ち着かない、「見てはならないモノを見てしまった」系の、いたたまれなさがある。

 ムラ版くらいの露出なら、まあ仕方ないかで済んだんだけど。
 仮面付けっぱなしだったらそりゃヒゲモジャになるよね。仕方ないよね。と、思えるんだけど。

 ヒゲモジャのまま、1場面、しかもフィリップは被虐キャラ全開に、いたいけにぶるぶる震えたり涙ぐんだり、「美少年キャラ」としてそこに在る。
 少年なのに、ヒゲ。しかもサンタクロースヒゲ。

 えーとコレ、誰得?

 ファンだって、美しいキムくんを見たかっただろうし、腐ったご婦人方だって、おびえる美少年を見たかったはずだよ?

 て話を、初日の夜にまっつメイトとしていたんだが。

 サンマール@コマの前に引き出されるときに、ヒゲ剃るべきだったんだよ。仮面の男がルイと同じ顔をしたフィリップである、と観客に見せる必要があるから、仮面を取る瞬間は必要だけど、そのあとサンマールがフェルゼン@がおりとかに「きれいにしてから連れてこい」って命令して、ヒゲ無しでこざっぱりした姿で出てくれば良かったのに。

 んで、美少年としてフィリップ登場、サンマールが「ほお、きれいになったじゃないか」って、アゴに手を……あれ?

 な、なんかやばい方向に展開してしまう?

「コマはやばくないすか。きれいにしてから連れてこい、って、他の人が言うならともかく、コマつんだとなんか……」

 た、たしかに。
 たとえば、同じ台詞をちぎくんが言ってもなんとも思わないけど、コマだとやばいわ。

「ちぎだったら、それは単にキタナイ奴と話したくないからとか、ふつーの感覚で言ってそうだけど、コマだと、触るからにはキタナイままだと困るっていうか……」

 サンマールとフィリップの場面。
 あそこでもしも、フィリップがヒゲ無しだったら。
 サンマールの部屋に連れてくるために、風呂に入れられ、髪を梳かれ、ヒゲも剃られていたら。
 それってつまり……。

 えーと、飲酒と打ち明け話の次は隣室のベッドがお待ちかねだよね? フィリップ、喰われちゃうよね? いただかれちゃうよね?

 サンマールってナチュラルにエロ男、自然に変態だよね?

 いやしかし、彼の場合、ヒゲで垢まみれでも平気かもしれない?
 ラウル@翔が突撃してこなかったら、やっぱりあのままフィリップを……。

 と、想像できしまうコマってすごい(笑)。

 他の誰でもダメよ、コマくんだからこその想像の翼。
 コマのあのエロさ、歪んだ色気は半端ナイ。さすがギャッチさん@『H2$』を悠々演じることのできた男だわ。

 男の子を部屋に呼び出す……だけで、「危ない、フィリップ逃げてー!」と思わせてくれる、そんなキャラクタ、そんな役者。

 フィリップがヒゲモジャなんて、誰得よ!!
 と、思ったけれど。

 そうか、彼の貞操のために、そしてわたしとあなたのスミレコードのために、あのヒゲは必要なんだわ。
 あのヒゲ姿なら、サンマールさんに危機感を持つ観客は、何割か減っていそうだもの!! ヒゲ無しだったらきっと、一定数の女子は「あれってやばくね? フィリップ逃げてー!」と思ったはずよ!

 キムにモジャヒゲは似合わない。とっちゃん坊や的で、いたたまれない。あんな姿でえんえん芝居させて、もっとトップスターにやさしい演出にしてよ。
 そう思っていたけれど。

 あのヒゲは、必要なんだわ。

 そう納得させてくれるコマくんに完敗。

 そして。
 「コマだとやばい!」と思うからこそ、わたしは、コマが好きなんだ。

 キムが好きでコマが好き。
 なんて俺得な新場面(笑)。
 新人公演『クラシコ・イタリアーノ』感想続き。

 この新人公演でいちばん大変だった……というか、難易度が高かったのって、冒頭のスーツ祭じゃないかな。
 本公演でも、中央以外には微妙な人たちもいるっつーに、それを下級生だけでやるとなると……。
 スーツの着こなし、男役しての居方、見せ方、存在感……は、一朝一夕で身に付くモノじゃないから。
 本公演の「うわー! きゃー!」とテンション上がるはずの祭場面で、「うわー……大変やなこれは……」と思うところからスタート、てのは、ハードル高くて大変だったねええ。
 いやもちろん、個々はきれいな子たちなんだけどねえ。

 てな、「タカラヅカ」以外ではありえない、夢いっぱいの舞台(笑)。


 愛りくはいい感じに成長しているなあ。

 レニー@愛ちゃんは、かなめくんと持ち味かぶっているというか、違和感なくレニー(笑)。
 へらへらした役のときのかなめくんの持つ愛嬌とやわらかさ、そんなものと共通する愛らしさがある。
 いろんな役をやってどんどん成長していってほしい。

 マリオ@りくくんは、本役さんとは違うマリオ。というか、世界観に合ったマリオかな。男気と友情と。ちゃんと現在のタカラヅカで、今の宙組的な男っぽさというか。
 ……こうして別の人が演じているのを見ると、みっちゃんの芝居の異質さが改めてわかるなあ。

 わたしはなにしろりくくんの顔が好きで。
 オープニングのスーツ祭で、彼がちょうかっこつけてセンターに並んだとき、いちばんキターーッ!なキモチになりました(笑)。

 口紅最後まで塗ってない下クチビルとか、フナっぽい横顔とか、いいよなあ。好きだわー。


 本公演ではヒロイン(笑)のファビーノ親方@かけるくん。ヒロインとまでは思わなかったけれど(当然です)、よくやってくれた。
 彼は顔と体型が個性的っちゅーか、本公演その他でも目につく子なんだが、お芝居好きなんだろうなあ。全身の体当たり感が気持ちいい。
 しかしちょっと大袈裟すぎるきらいもアリ。もっと男役としていろいろスキルが上がればいいんだが、今の実力でキモチだけ先走るとわざとらしくなってしまう諸刃の剣。
 なんにせよまだ研4で、この大役をよくやり遂げてくれた。今後も楽しみだー。

 本公演でやたら目につくとゆーと、桜木くん。
 やっぱ彼、痩せたよね、きれいになったよね。『カサブランカ』のときとか、アゴがすごいことになっていたけど……と新公でじっくり眺めたら、やっぱりアゴは残念だった。
 難しいよなあ、アゴのラインって。あんなにきれいになっているのに、アゴだけ二重になっちゃうのか……。
 と、そんなところが気になるのはわたしが横顔スキーであるせいでしょう。正面から見る分にはわかんないくらい、きれいになったもんね、彼。
 んで、やっぱり新公でも彼のビジュアルを楽しむ。
 でっかいポスターになって張り出されて遜色ない美貌の研3ですよ?! いいなー。
 まだ小物感のあるライバル姿だったが、それは仕方ないよねっと。ナニ気に抜擢続きの彼、うまく育ってくれるといいな。

 ペッピーノ@モンチを見て、顔のパーツが収まってきたなあ、と思った。
 すまん、わたしずっと、彼の顔のパーツの配置の不自然さが気になっていて。マンガ的というか、似顔絵的デフォルメ顔というか。一度見たら忘れない、どこにいても目立つ、のは舞台人としての強みなんだけど、顔立ちに加えて顔芸の激しさゆえの情報量が多すぎて、あんまり高評価になってなかったんだ。
 それが今回、あれ、あんまりうるさくないぞ、と。ペッピーノってすごくうるさい役だから、これをモンチがやるとなるとさらにうるさいのかなあ、と覚悟している部分もあったので、拍子抜けするくらい、ふつーだった。
 押しつけがましくない、やりすぎ力みすぎじゃない芝居を、このうるさい役でやってくれるのか。それはうれしい。
 どんなに少ない出番、比重の低い役でも、あんなに全開でうるさかったモンチが……。
 ちょっと引いてくれた方が、いい男だよなあ。もともとうまい子なんだもの。

 ヘンリー@美月くん、ジョルジオ@春瀬くん、いい顔だなー。

 相変わらず樹茉くんの顔が好きで眺めているんだが、彼ってみーちゃんの役だったの? なんかずいぶん印象が違った。みーちゃんは輪郭がはっきりした人なんだとしみじみ。
 樹茉くんだともっと淡色になるんだなー。

 五峰ねーさんの役をやるえりちゃんの違和感のなさ……ほんとに落ち着いた大人の女になっちゃって……最後の挨拶も好きだわ。
 アニメ的萌えキャラのハマる彼女なのに、このギャップ。……また萌えキャラなえりちゃん見たいなー。てゆーか比重の高い役を演じるえりちゃんが見たいなー。

 あー、CM撮影のディレクターが大変なことになってましたねー(笑)。楽しそうでなにより。
 新人公演『クラシコ・イタリアーノ』観劇。

 あっきー、うららちゃん、初主演おめでとー。

 なんかもー、よく泣いた。

 もちろん作品の力が大きいのだけど、それでもどんどん引き込まれましてね……サルヴァトーレ@あっきーに。

 この作品はほんとに主役ただひとりだけの物語なんだわ。
 景子タンがゆーひくんのために渾身の書き下ろしをしただけあって、サルヴァトーレだけが主役、他は彼を盛り立てるための仕掛けでしかない。
 だからこそ、サルヴァトーレがコケると全部コケる。

 本公演観ているときは、そこまで感じなかったの。
 だってトップスターが舞台を牽引することも、ひとりで全部持っていくことも支えることも、比重半端ナイことも、当たり前だもの。
 ゆーひくんがそれをしていても、なんの違和感も疑問もなかった。他のいろんな生徒がその分割食って出番やドラマがなかったりしていることは、わかるけど。今回はそういう作品なんだなと思うのみ。

 だけど新人公演。
 なにしろ、新人公演。

 幕が開いた当初、他の新公に漏れず「あー、大変やなー」と思った。
 なにが悪いとかじゃなく、新公だから、いろいろ足りていない。それがまず目につくから、わりと引いた感じで眺めていた。あー、大変やなー、がんばれー。
 そして。
 どんどん、気づきはじめる。
 この芝居、なかなかどーして極端じゃないか? 主役の比重めちゃ高くね? 主役が全部担うの? ここもあそこも? ここまで主役?
 と、思ったのは、あっきーが、ばーんと前へ出て走り出したからだ。

 ゆーひさんだったら、それが当たり前だし、また、他のキャストも安定しているのでひとりだけ前にいることがそこまで目立たない。
 しかし、あっきー。あっきーなのに。

 終演後、宙担の友人ジュンタンにもちらりと本音を語ってしまったのだが、わたしにとってのあっきーのイメージっていうのが、「小物」だったのだわ。
 顔立ち自体は好きなので、最近なんとなーく目に入る子ではあるけど、だからどうということもなく、ぶっちゃけ新公主演するとは思ってなかった。下級生の愛りくが先に主演して当然と思える、新公2~3番手あたりが定位置で違和感なしっていうか。下級生スター固定の新公は百害あって一利なしだから、めぐり合わせで1回くらい主演できるといいね、と言われるあたりに過ぎないっていうか。

 そーゆーイメージの子だったので、期待薄目というか、ヘタ過ぎて目立つこともないだろうし、まあそこそこふつうに務めて幕、涙の挨拶で新公らしくほっこりして、それで終わると思っていた。幾多の新公と同じように。

 ……ごめん。
 あっきー、ナメてた。

 なんかどんどん彼が「前へ」出てくる。
 歌がイイとか演技がいいとか、特になにか秀でているわけでもないと思うんだが。
 芝居は本役のコピー、台詞回しその他、よく勉強しましたね系。
 なんだけど、新公という輪郭のゆるい舞台を、彼が背中に全部背負って、ひとり走り出したんだ。

 ああ、主役だ。
 サルヴァトーレって、ほんっとーに主役だわ。
 そう思った。

 んで、本公演と同じように泣けた。
 いろいろ足りていないはずの新人公演で。
 主役が主役として、ほんとうに走りきったんだ。この比重半端ナイ作品で。

 ゆーひさんのための、男役集大成みたいな役を。

 底力のある子だったんだ。
 重いモノを担がせたら、その分馬力を出す。

 ……普段の舞台、普段の比重の扱いだと、そこまで輝いていない気がするんだけど……これから彼は、どう成長していくだろう。
 楽しみだ。


 んて、この芝居って主役の比重半端ナイ、と思ったその原因のひとつに。

 ヒロインがどこにいるのか、わからなかった、ということがある。

 ののすみって、ほんっとーにうまいんだなああ。
 ミーナという役がののすみアテ書きである強みはあると思う。しかし、それにしたってこの比重、この扱い、ミーナはやっぱヒロインじゃないよー。別にちゃんとしたヒロインがいて、2番手娘役あたりがかわいくがちゃがちゃやる役だよ。
 それでもミーナがあれだけちゃんと目立っていたのは、ののすみだからだったんだな。
 新公だと、ミーナ役自体が視界に入らない……。

 期待の美貌の新進娘役うららちゃん。
 芝居も歌も良かったんだと思う。声もきれい。

 しかし。柄違い過ぎる。

 ぽっぽさんや柚長が、若い女の子の役をやっているように見えた。

 本気で美人系のキツイ大人っぽいおねーさんが、若さだけが取り柄の小娘役をやっているような違和感。柚長美人だけど、美人はナニしたって正義!とはいえ、小動物系女子高生役はさすがにキツイっすよ、というか。
 芋っぽい格好がまた、致命的に似合わない。ダサかわいいとかじゃなく、気の毒な感じになる。

 何故この作品、この役で彼女をヒロインにしたんだろう……。
 いや、持ち味とチガウ役は勉強になるだろうけど、若い彼女にはまず、柄にあった役で「ヒロイン」として立つ場を与えることが必要なんじゃ?

 ミーナはなにも出来ずに泣き出してしまう子には見えなかったし、なにもないところで転ぶようなドジっ娘にも見えなかった。文盲の田舎娘にも見えなかった。
 知性と落ち着きがあり、美貌と品があった。
 ……ので、最初から最後まで違和感ありまくり。仮面を付けてプルチネルラをやっていたところぐらいしか、違和感は緩和されなかった。

 小動物ではなく、大人の女性に見えてしまうので、ラストシーンも納得できないなあ。
 うららちゃんのミーナだと、ちゃんと女優として生きるだろうと思うんだ。まず自分がきちんと自分の足で立たないと、サルヴァトーレのそばに寄ってはいけない、と思っていそう。
「女優としてがんばる。でも、ときどきこうして会いに来てもいい? 迷惑?」
「……迷惑じゃないよ」
 という流れで、あとは同じようにラストまで。

 知性のあるまともな女性に「自分の夢も人生も家族のことも、全部捨てて好きな男のそばにいたいの、ミャハ」とやられちゃうと、なかなかキツイわ……。恋人でもない女にソレをやられたら、ふつー男は引くと思うんだが。
 ののすみミーナは子犬だったからそれが許されるわけで、ふつうはナイわ……。

 てことで、うららちゃんに関しては、別の役を見てみないことには、あまりにアウェイ過ぎてよくわかんなかったっす。
 ミーナ役が極端なのだとはいえ、意外に出来る役の幅か狭いのかなあ。正統派美人も大変だな。
 や、ほんとに美貌の活かせる役で見てみたい、せっかくの美人さんなのに!
 ついに来てしまったの。シューマッハがまたひとり、花園を去っていく。
2011/10/24

月組トップスター・霧矢大夢 退団会見のお知らせ


月組トップスター・霧矢大夢が、2012年4月22日の月組東京宝塚劇場公演『エドワード8世』-王冠を賭けた恋-、『Misty Station』-霧の終着駅-の千秋楽をもって退団することとなり、2011年10月25日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。


 きりやさんに関しては、何度も何度も語ってきたので、もう今さら言うまい、だけど、ほんとに紆余曲折だったよなあ。
 長い間ずーっと眺めてきたスターさん。しんしんと寂しいな。

 このブログをはじめたのが2002年の5月。まだヅカブログではなく、日常日記だった頃。
 2002年の6月に書いた観劇感想、「君と初恋したかった。@SLAPSTICK」。
 きりやん演じるセネットくん、彼のような男の子と初恋したかった、そう書いてるんだよな。
 素直に、応援したくなる男の子。
 あの、まっすぐな瞳。


 はじめてのバウ主演が大野先生、プレお披露目が大野先生、そして最後の公演も大野先生だ。
 そして、大野先生の作品で、わたしのなかで1、2を争う大好き作品『夢の浮橋』は、まさにきりやんのために書かれた作品だった。(主役は視点、作家が描きたいと熱望していたのはきりやんの役……だとわたしは受け取った)
 大野せんせはきりやん好き過ぎるもんな(笑)。きりやんもまた、大野せんせを信頼しているんだろうな。
 きりやんの男役として、タカラジェンヌとしての集大成作品を、期待したい。

 思い切り、泣かせてくれ。

 『夢の浮橋』で、オープニングから泣き通しだったように。
 物語の明るい暗いではなく、ハッピーアンハッピーではなく。
 心がひりひりする、切ない幸福な涙を流されてくれ。

 出会えて良かった。今、この涙を流すために、今までのすべてが積み重ねられてきたのだと、思えるような。

 大野×きりやんなら、ものすごいモノを見せてくれる気がする。


 ただ。
 大野せんせ、きりやんドリームは、ほどほどにお願いします。

 大野せんせはきりやんを「絶世の美少年」だと思ってるからなああ。
 ホモも耽美もいいけど、もう少し現実も見てね、せんせ(笑)。
 東宝版『仮面の男』
 演出が変わることはわかっていたけれど、問題シーンを削除するだけで、肝心の物語部分はそのままなんじゃないかと危惧していた。ほんと、新人公演程度の変更かと思っていたから。
 思っていたよりは物語部分も手を加えられている。……前述の「3つの問題点」は改善されていないばかりか、更にひどいことになっているので、いろいろ愉快な作品になっているんだが(笑)。

 それはともかく、「物語部分の変更」で、ひとつ意外だったことがある。

 「早わかり世界史」のラストに、ムラ版の中詰めのネタばらしをしてしまったことだ。

 観客のほとんどは、仮面の男ってのがルイの双子の兄弟だと最初から知って観劇していると思う。それこそ、越後のちりめん問屋のご隠居が水戸黄門だとわかって見ているように。

 だけど、この『仮面の男』という物語において、ルイに双子の兄弟がいる、という事実はあえて伏せられていた。
 つまり、なんの予備知識もなく客席に坐った人は、トップスターがひとり2役をやっていることも知らず、ただあるがままに舞台上で展開されるモノだけを、与えられる情報だけを受け止めている。
 ゆえに、舞台中盤、ラウルが牢獄で偶然仮面の男を目撃し、しかも仮面を取るとルイと瓜二つである……! という場面に来るまで、タイトルの仮面の男が誰とかナニとか、まったくわからずにいるんだ。
 ラウルの驚きは観客の驚き。
 そしてさらに、ラウルの手紙にてはじめて、仮面の男の正体を知る。すなわち、ルイの双子の兄弟であるということ、トップスターがひとり2役をやっている、ということ。
 物語の中詰め、話がよーーーっやく動き出す、そのときまであえて、伏せられているんだ。
 こだまっちは、「双子である」ということをわざと観客へ秘密にしていたわけだ。物語の伏線として。
 そこまでずっと秘密で、中詰めでばーんと「実は双子なのだ!」とぶちあげる。そーゆー計算。そーゆー作劇。

 それがムラ版だ。

 なのに東宝版では、オープニングから早々に、「ルイには双子の兄弟がいる」とばらしてしまった。
 アンヌ王妃が侍女コンスタンスに、双子の片割れを託す場面が加わっているんだ。

 これは「物語」として、相当な変更だ。
 物語の半分まで引っ張っていた大きなネタを、いきなり冒頭でばらしちゃったんだもの。
 『キャンディ・キャンディ』の1巻で、「丘の上の王子様は、実はアルバートさんなんだよ」とばらしちゃうよーなもんだ。
 王子様が誰かわからずに9巻まで読んでいたときと、最初からわかって読むのでは、物語の印象がまったくチガウ。プロットのアプローチも違ってくる。

 そういう意味で、まったく別物だなと思う。

 といっても、この『仮面の男』に関しては、だからといって別に、どっちでもいいんだけどな(笑)。もともと物語部分が少なすぎて、大きなネタを隠すか先に明かすか、ふつーならすげー変化なんだけど、もし小説なら地の文からなにから全部変更して視点を変えて描写しなきゃいけないくらいの、ものすげー変更なんだが、1観客としてもすでに投げやりになっているので正直どうでもいい(笑)。
 ただ、プロットの組み立て部分で大きく作用する変更をしたんだ、へー、ということだけ、記しておく。


 でもって、この冒頭のネタばらし。
 アンヌ王妃から託されたフィリップ王子を抱くコンスタンス。

 この場面の追加により、ある意味、「どーすんだよヲイ」なことになっている(笑)。

 ムラ版『仮面の男』にて、最大のタブーがなんだったか、わかるだろうか。
 どう考えてもおかしいんだけど、それは突っ込んじゃいけない、出演者も観客も、全員が共犯になって「見て見ぬふり」を決め込んでいたことがある。
 それが、この場面追加により、言い訳できない白日の下にさらされてしまった。

 すなわち。

 ダルタニアンと三銃士の、年齢設定(笑)。

 ムラ版では、あえて彼らの年齢には触れられていなかった。

 えーっと、コンスタンスはフィリップの世話をするために、ダルタニアンと別れたんだよね? で、フィリップを守ろうとして殺された。それが、「今から数年前」のこと。
 クライマックスの影絵で、コンスタンスの最期が描かれているけれど、フィリップはコンスタンスより小柄な、少年だった。つーと、フィリップが仮面をつけられたのは少年のころ。
 その少年が今は青年になっている……あの影絵を12歳として、今が18歳だとしたら6年前か。
 でもってそもそもコンスタンスはいつからフィリップの世話係になったんだ? 影絵で犬さんだの鳥さんだのを教えられるくらいの年になってからかなあ。10歳のフィリップのところに「新しい侍女です、よろしく」って行ったのかな。
 というと、回想シーンのダルタニアンが20歳としても今は28歳、三銃士はそれより10歳上でも38歳、うん、それくらいなら見た目的にも納得。

 原作がどうの史実がどうのとかは関係なく、あくまでも宝塚歌劇『仮面の男』においての、年齢や年代設定。
 登場人物は若く美しいに越したことはない。三銃士はルイ14世の父親に仕えていたんだから、今はもうじじいじゃん、とか考えちゃいけない。歴史の勉強がしたいわけではなく、「タカラヅカ」を観たいのだから、そのへんはてきとーにいじくって、とにかく主要人物が若いハンサムという設定にしてくれる方がいい。

 と、すべての人が同じ思いでスルーしていたはず。ダルタニアンと三銃士の年齢。
 なんとか辻褄を合わせ、思い込みでも妄想でも、とにかく「三銃士はまだぴっちぴちの30代よ!」「ダルタニアンだって若くて美貌の青年なのよ!」ってことにしていたはずだ、ヅカファンのみなさんは。

 それが。

 コンスタンスが、赤ん坊のフィリップを抱いてますがな。

 フィリップとルイが生まれたとき、彼女はもう大人。そして、ダルタニアンからペンダントを渡されている。
 ……ええっと、あのときのダルタニアン、少年じゃなかったよ、ね……大人の喋り方だった、よ、ね……ぎりぎり20歳だったとして、あのとき生まれた赤ん坊が……ええっと。

 そう、ダルタニアンが言い訳もできないくらいふつーに「大人」だったときに生まれた赤ん坊が、妻と山ほどの愛人を持ち、取っ替え引っ替えしている! 人間ボウリングとかで誤魔化してない、正味妻と愛人の紹介されちゃったよ! あんだけの愛人はべらすのは18歳じゃ無理だ。
 ちょっと待て、あれから何年経ってるの、ルイ/フィリップはもうかなり大人なの? それじゃあダルタニアンはいくつなの? そしてさらに、ダルタニアンより年上の三銃士は……?!!

 「歌劇」の座談会で、アトス氏は「30代後半」だと答えています。
 わたしたち観客も、それくらいの年齢だろうと、見た目や芝居から思っていたはずです。

 それが、無理!なことになってますよ、東宝公演(笑)。
 あの赤ん坊がこの大きさになってるってことは、アトスいくつよ? ルイ/フィリップが25歳としたら、どう考えても三銃士は50代、へたすりゃ60代……あの時代の50、60ってすでにおじーさん……。

 キャラの年齢や年代、時の流れについて、ムラ版では総力を挙げて誤魔化してたのにねええ。
 言い訳できない展開になっちゃったね。

 ナニも知らずに見ている人は、混乱するだろうなあ。
「あの赤ちゃんがこの王様で、赤ちゃんの双子の兄弟を抱いていた女性の恋人がこの青年……ってことは、えええ、この青年、50歳くらいなの?!」

 ……大変だニャ。
 でもそれが「タカラヅカ」。

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