粗忽者と呼ばれた男・その6。@ロミオとジュリエット
2011年2月18日 タカラヅカ 『ロミオとジュリエット』、ベンヴォーリオ@まっつ語りの続き。
2幕4場、ヴェローナ市街にて宿敵ティボルト@ヲヅキとマーキューシオ@ちぎの決闘スタート。
離れたところで眺めていたベンヴォーリオもようやく立ち上がったところで、ロミオ@キム登場。ああ泥沼。
ロミオを見てティボルトさらに大暴れ。仕方なくベン様も対ティボ戦突入。
ティボルトにリフトされるベン様。
すごーく義務的にやっているのがわかって、萌え(笑)。
だってその直前の振りとか、ベン様かなり「振りですから、演出ですから」とお仕事的ぱきぱきにやってる感じで……そしてヲヅキさんとアイコンタクトして、「行くよ!」「はいっ!」と飛びついてる感じが……楽しすぎる……。
腕だけで飛び込んで回されるのって、難しいのかな。見ていると、腕の掴み方、絡み方はそのときどきで、多少ズレてたりで、それでもなんとか力尽くで合体し、まっつ自身も自分で跳躍して「リフトされてる」ふりをしてるよね?
いやその、ケガなく無事に過ごしてくれ。
総乱闘になるのでみんなそれぞれ大暴れしているわけで、ここでベン様もめずらしく人を殴っている。てゆーか彼が暴力ふるうのここだけだよね?
相手はりんきら。
縦にも横にもでかいですよ……分厚いですよ……だけどベン様、そんなでっかい若者を殴り倒しちゃいます。
殴って、殴られて。そのあとマジに殴り倒して、蹴りを入れる。
ここのアクションが、すげー好き。
いつも仲裁ばっかしているベン様。チームリーダーとはいえ、ケンカ強いのかどうか、それまではわかんなかった。
それが、ここでわかる。強いこと以上に、ケンカ慣れしているってことが。
殴り倒して、蹴りですよ?
ふつーは殴り倒したらそこまでです。だって相手倒れてるんだもん。
だけどそこへすかさず蹴りよ? 体重乗せてますよ? 倒れた相手に、とどめ刺すのよ? そんな戦い方、ヤクザかっつーの。
相手が二度と起きあがれないよう、戦線離脱するよう、意識を失うか実質ケガや痛みで動けなくなるか戦意喪失するかするように、とどめを刺す。
それをすごく当たり前にナチュラルにやってのけて、その足で仲間助けに行くんだわ。
ベン様にとってこんな戦い方、容赦なくとどめ刺す戦い方が日常なんだ。
普段はクールだし制止役だけど、ほんとはここまでふつーにやっちゃえる人なんだ。
こ、こええ。
ベン様ってマジ、不良グループのリーダーなんだ。バリ武闘派なんだ。
武闘派はマーさんだけで、ベン様は頭脳派に見えるんだけど、彼も戦闘員なんだ。
舞台だからりんきらはすぐに起きあがって次の振りに入るけど、ドラマや映像などなら、彼はそのまま地に伏して動かないよね。とどめ刺されちゃってるからね。死んでなくても、動けないだろー。
でもって、この物騒なベン様の、ひそかな萌えは。
本気で殴り倒したあと、「いてて」と手を振るところ。
人を殴ると、手は痛みます。本気で殴れば殴るほど、拳も痛い。
拳が痛むほど、本気で殴ったわけだ。で、実際相手は一発で倒れてるし。
んで拳の痛みを逃がすために、せわしなく振りながら、体重乗せて蹴りですよ。
一連の動きが、説得力。リアル男子のケンカがこんな感じかっつーか。ヤンキーマンガ愛読者(笑)として見慣れた感じっつーか。
ああこの人強いんだ、マジでケンカ慣れしてるんだ、と。
少女マンガなら手を振ったりしないよ、かっこいい男子は美しく次々に敵を殴り倒していくのみ。でも実際はそうはいかない。
その実際は、というか、無駄にリアルなベン様の表現に萌え(笑)。
ほんといいなーベン様……生身な感じがたまらん……。
ところでベン様は、この乱闘のさなか、ロミオの説得を受け入れるんだよね。
「もう友だちじゃない」とか言ってたくせにさー。「誰もが自由に生きる権利がある」と共感して、心変わり。
しかしこの心変わりが、わかりにくい。
もう少し演出でわかりやすくして欲しいなあ。
ロミオの決死の歌(赤組に持ち上げられてる・笑)を聴いて、客席に背中を向けて立ち尽くし、困惑の横顔を見せ、次に「誰もが自由に生きる権利がある」と力強く唱和、親友の生き方を認め、ロミオと見つめ合いながらデュエット。
……なんだけど、唐突な感じだし、初見の人にはベンヴォーリオがここで心変わりをしたとわかるんだろうか?
実際わたしも、星組版を観たときにはわかんなかった。だってあんときは、ロミオ@ちえしか見てなかったもん(笑)。ベンヴォーリオがどうしてたかなんて、オペラグラスの外ですよ。
つまり、あのときのわたしと同じことが雪組でも起こっていると思うの。ロミオ見てたらベンヴォーリオのことなんかわかんねーよ、と(笑)。
持ち上げられながら歌うロミオと、ベン様の背中(ロミオを見ている)ところ、ふたりにだけピンスポあてるとか、してくんねーかなー。周囲明らかに輝度のチガウ、クローズアップ意図のライトを。
んで、ベン様振り返り(混乱、苦悩)、ロミオとデュエット(友情パワー!)、までふたりをクローズアップしてくれたら、ナニが起こってるかわかりやすいのになー。
上手の方でずっともつれているティボとマーさんも、ロミベンの対比としてピンスポで抜いてもいいし。
大勢でごちゃごちゃしてるしコーラス入ってるしで、わかりにくいんだよなー。
主要キャラの関係性が動いた瞬間だけクローズアップして、あとはまたふつーのライトに戻してくれていいんだけどなー。
まあベン様が心変わりした、ロミオ側についたとわからなくても、大筋には支障がないから(現に星組初見時、わからないままでも問題なく感動して大泣きしていた)今のままでもいいっちゃーいいんだがなー。
ロミオと和解したあとのベン様は、争いを止めるために動き出すわけなんだが、マーさんはそんなこと知ったこっちゃねー。
積年の恨み!てなもん。
ああ、マーさん好きだな。
このブチ切れマーさんの暴れっぷりが、みょーに好きだ。
「ヤツは昔からオレを蔑み、憎んでる」……うん、マーさん目線で見るとほんっとティボルトってヤなヤツだ。てゆーかカオからして憎々しいじゃん? 生々しいっていうかさー。
そんなマーさんをカラダ全体使って止めるベン様が好きだ。
止める、引きはがす、そんな行為にも相手への愛情が見えるってゆーか。
なのに。
続く。
2幕4場、ヴェローナ市街にて宿敵ティボルト@ヲヅキとマーキューシオ@ちぎの決闘スタート。
離れたところで眺めていたベンヴォーリオもようやく立ち上がったところで、ロミオ@キム登場。ああ泥沼。
ロミオを見てティボルトさらに大暴れ。仕方なくベン様も対ティボ戦突入。
ティボルトにリフトされるベン様。
すごーく義務的にやっているのがわかって、萌え(笑)。
だってその直前の振りとか、ベン様かなり「振りですから、演出ですから」とお仕事的ぱきぱきにやってる感じで……そしてヲヅキさんとアイコンタクトして、「行くよ!」「はいっ!」と飛びついてる感じが……楽しすぎる……。
腕だけで飛び込んで回されるのって、難しいのかな。見ていると、腕の掴み方、絡み方はそのときどきで、多少ズレてたりで、それでもなんとか力尽くで合体し、まっつ自身も自分で跳躍して「リフトされてる」ふりをしてるよね?
いやその、ケガなく無事に過ごしてくれ。
総乱闘になるのでみんなそれぞれ大暴れしているわけで、ここでベン様もめずらしく人を殴っている。てゆーか彼が暴力ふるうのここだけだよね?
相手はりんきら。
縦にも横にもでかいですよ……分厚いですよ……だけどベン様、そんなでっかい若者を殴り倒しちゃいます。
殴って、殴られて。そのあとマジに殴り倒して、蹴りを入れる。
ここのアクションが、すげー好き。
いつも仲裁ばっかしているベン様。チームリーダーとはいえ、ケンカ強いのかどうか、それまではわかんなかった。
それが、ここでわかる。強いこと以上に、ケンカ慣れしているってことが。
殴り倒して、蹴りですよ?
ふつーは殴り倒したらそこまでです。だって相手倒れてるんだもん。
だけどそこへすかさず蹴りよ? 体重乗せてますよ? 倒れた相手に、とどめ刺すのよ? そんな戦い方、ヤクザかっつーの。
相手が二度と起きあがれないよう、戦線離脱するよう、意識を失うか実質ケガや痛みで動けなくなるか戦意喪失するかするように、とどめを刺す。
それをすごく当たり前にナチュラルにやってのけて、その足で仲間助けに行くんだわ。
ベン様にとってこんな戦い方、容赦なくとどめ刺す戦い方が日常なんだ。
普段はクールだし制止役だけど、ほんとはここまでふつーにやっちゃえる人なんだ。
こ、こええ。
ベン様ってマジ、不良グループのリーダーなんだ。バリ武闘派なんだ。
武闘派はマーさんだけで、ベン様は頭脳派に見えるんだけど、彼も戦闘員なんだ。
舞台だからりんきらはすぐに起きあがって次の振りに入るけど、ドラマや映像などなら、彼はそのまま地に伏して動かないよね。とどめ刺されちゃってるからね。死んでなくても、動けないだろー。
でもって、この物騒なベン様の、ひそかな萌えは。
本気で殴り倒したあと、「いてて」と手を振るところ。
人を殴ると、手は痛みます。本気で殴れば殴るほど、拳も痛い。
拳が痛むほど、本気で殴ったわけだ。で、実際相手は一発で倒れてるし。
んで拳の痛みを逃がすために、せわしなく振りながら、体重乗せて蹴りですよ。
一連の動きが、説得力。リアル男子のケンカがこんな感じかっつーか。ヤンキーマンガ愛読者(笑)として見慣れた感じっつーか。
ああこの人強いんだ、マジでケンカ慣れしてるんだ、と。
少女マンガなら手を振ったりしないよ、かっこいい男子は美しく次々に敵を殴り倒していくのみ。でも実際はそうはいかない。
その実際は、というか、無駄にリアルなベン様の表現に萌え(笑)。
ほんといいなーベン様……生身な感じがたまらん……。
ところでベン様は、この乱闘のさなか、ロミオの説得を受け入れるんだよね。
「もう友だちじゃない」とか言ってたくせにさー。「誰もが自由に生きる権利がある」と共感して、心変わり。
しかしこの心変わりが、わかりにくい。
もう少し演出でわかりやすくして欲しいなあ。
ロミオの決死の歌(赤組に持ち上げられてる・笑)を聴いて、客席に背中を向けて立ち尽くし、困惑の横顔を見せ、次に「誰もが自由に生きる権利がある」と力強く唱和、親友の生き方を認め、ロミオと見つめ合いながらデュエット。
……なんだけど、唐突な感じだし、初見の人にはベンヴォーリオがここで心変わりをしたとわかるんだろうか?
実際わたしも、星組版を観たときにはわかんなかった。だってあんときは、ロミオ@ちえしか見てなかったもん(笑)。ベンヴォーリオがどうしてたかなんて、オペラグラスの外ですよ。
つまり、あのときのわたしと同じことが雪組でも起こっていると思うの。ロミオ見てたらベンヴォーリオのことなんかわかんねーよ、と(笑)。
持ち上げられながら歌うロミオと、ベン様の背中(ロミオを見ている)ところ、ふたりにだけピンスポあてるとか、してくんねーかなー。周囲明らかに輝度のチガウ、クローズアップ意図のライトを。
んで、ベン様振り返り(混乱、苦悩)、ロミオとデュエット(友情パワー!)、までふたりをクローズアップしてくれたら、ナニが起こってるかわかりやすいのになー。
上手の方でずっともつれているティボとマーさんも、ロミベンの対比としてピンスポで抜いてもいいし。
大勢でごちゃごちゃしてるしコーラス入ってるしで、わかりにくいんだよなー。
主要キャラの関係性が動いた瞬間だけクローズアップして、あとはまたふつーのライトに戻してくれていいんだけどなー。
まあベン様が心変わりした、ロミオ側についたとわからなくても、大筋には支障がないから(現に星組初見時、わからないままでも問題なく感動して大泣きしていた)今のままでもいいっちゃーいいんだがなー。
ロミオと和解したあとのベン様は、争いを止めるために動き出すわけなんだが、マーさんはそんなこと知ったこっちゃねー。
積年の恨み!てなもん。
ああ、マーさん好きだな。
このブチ切れマーさんの暴れっぷりが、みょーに好きだ。
「ヤツは昔からオレを蔑み、憎んでる」……うん、マーさん目線で見るとほんっとティボルトってヤなヤツだ。てゆーかカオからして憎々しいじゃん? 生々しいっていうかさー。
そんなマーさんをカラダ全体使って止めるベン様が好きだ。
止める、引きはがす、そんな行為にも相手への愛情が見えるってゆーか。
なのに。
続く。
粗忽者と呼ばれた男・その5。@ロミオとジュリエット
2011年2月17日 タカラヅカ はい、今さらですが『ロミオとジュリエット』、ベンヴォーリオ@まっつ語りの続き。
東宝初日ですね、観に行きたいです、お金ナイです、しくしくしく。
今頃になって、ムラ『ロミジュリ』感想ですよ、ええ。
いよいよ第2幕。
最初の出番は2場、ヴェローナ市街。
ロミオとジュリエットと結婚の噂を聞いた人々が「狂気の沙汰」を歌った直後。
登場は舞台奥中央、上手のセット奥を通ってくるところからチェック。そのあと、死@咲ちゃんの横を通って出てくる。
このときの、冷え冷えした感じがたまらん。
モンタギューのタカ派であるベンヴォーリオと、マーキューシオ@ちぎ。
ロミオ@キムの裏切りに、このふたりがどんな反応を見せるか。
観客をぞくりとさせる登場だと思う。
気まずい空気の中平静を装うロミオに、「ナニかいうことはないのか」と声を掛ける、この台詞が好きだ。
まっつの声がなんて合うシチュエーションと台詞!
明瞭でストレートで。
責めているようにも、釈明を求めているようにも、ただの状況解説を促している無感動なものにも聞こえる。
ニュートラルな一言だからこその、広がりというか。
「街に噂が」は、ロミオとベンマーコンビ(と、仲間たち)の対立の歌。
全員でひとりを詰問する。
まっつの歌と声が好きなわたしにとって、台詞が歌になり歌が台詞になる、ドラマティックな掛け合いで歌と芝居両方を堪能できる、大好きな場面だ。
また、この場面のベン様はほんと感情がそのときによって違っていて。
すごく冷酷にロミオを責めている日もあれば、哀願するよーな日もある。
ベン様萌え台詞のうちのひとつ。
「本当ならもう友だちじゃない」
ナニこの絶交宣言。
絶交ってのは、それまでに交際があるからで。
愛情や濃いつながり前提で、それを断ち切ることを脅しに使う。それってどんだけラブなん?という……誰かを愛している役を演じる機会の少ないまつださんでしたから、この台詞がすげー重い。萌える。
そしてベン様はナニ気に仲間たちから「愛」を歌われる人なんだ。
友情連呼されるというか。
1幕のモンタギュー夫人@ゆめみちゃんに「親友ならロミオを捜して」と言われるところからはじまる。へー、母親公認、誰もが知ってる仲なんだ。
んで、そうやって「親友」と持ち上げたあとに。
この「もう友だちじゃない」ですよ。
でもって、それに対してのロミオの返答は「君たちを愛している」。
ロミオはベンヴォーリオに向かって言うんだ。「愛している」と。
君たちと複数形だけど、言う相手は、ベン様(笑)。
そしてさらに、マーキューシオの最期。ロミオ相手にいろいろ歌って喋って大騒ぎしているけれど、「愛する友よ」でベンヴォーリオを見るんだよね。
どんだけ「愛」を歌われるんだ、ベン様。
……だからこそ、最後にジュリエットの死をロミオに伝えるのは自分しかいないと決意するわけだ……これほど直接愛を伝えられていた男だから。
裏切ったロミオを責めるだけでなく、困難な現状を説明して説得しようとするベン様がイイ。
怒りをぶつけるだけのマーさんと好対照で。
「モンタギューの名誉は」「つらくてもあきらめるんだ」……すがるように手すりを握り、ロミオの返答に天を仰ぐ。
その一連の動作が好き。(階段の手すりを握るまっつの手に萌えその1)
しかし。
「天使のような微笑み」って、男が男相手に本気で言うな。
リアルに考えるとキモいぞお前ら(笑)。
ロミオは天使なのか……ベンマーにとって……いいけどさー……イタい友情だな……(笑)。
場面が変わる瞬間の「おい待てよ」は最初からあったかな。最初はマイク入ってなくて、途中から聞こえだした気がする。
次が4場。やはり市街にて。
ロミオに復讐するため捜しているティボルト@ヲヅキと行き会う。
下手からの登場。最初はベン様笑ってる。笑ってなくても機嫌よく仲間たちと一緒にいる。てゆーか女の子を両側にはべらしてるんだけど、それってさすがの女ったらしぶり……。
それがティボルトを見かけた瞬間、空気が変わる。
仲間相手のときのにこやかさ親しみやすさが消え、オープニング時と同じ冷ややかで剣呑なものになる。
わんちゃんマーさんが吠えている間、ベン様はひとり喧噪の外側に坐り込む。
ここのベン様が、素晴らしい。
この作品の「ベンヴォーリオ」らしさ。挑発はするけれど本気の闘いはしない、制止役であり、いつもどこか冷めた大人びた風情で人々を見つめる……その微妙な距離感。
冷え冷えとした面持ちは、クールビューティここにあり、ですよまさに。
いろいろとありがとうだわほんと。
こんなまっつが見たかった!が詰まっているよ『ロミジュリ』。
この坐っているまっつは苛っとしていたり冷笑していたり、その時々に様々。
坐り方も基本は決まっているけれど、そのときの気分で体勢は微妙に変わる。
キャピュレット男@香音くんに絡まれるのがいい。その体格差に萌え(笑)。
香音くんも絡み方が日々違っていて、覆い被さる勢いだったり、抱き上げるように(立てよ、ってことだと思うが)腰に手を回してきたり、ファンのニーズを理解した絡み方でポイント高し! GJ!
それを心底うざそーに、相手にしてない風に追い払うベン様がまた素敵。
小物に絡まれても相手にしないけど、ティボルトにやってこられるとさすがに立ち上がる。
ティボルト相手でよーやくってな感じに立ち上がるのがいいわー。
ティボルトのキレっぷりがパネェからな、ココ。
傍観を決め込んでいたけれど、ちょっとチガウぞコレ、てなもんか。
ベン様もようやく参戦しようかってときに、ロミオ登場。
ティボルトは愛する女を取られた、失恋逆ギレ中なんだが、ピュア(笑)ゆえ洞察力に欠けるロミオくんは「チガウ」ことがわからない。
「殺し合ってどうする、暴力はヤメロ!」といきなり説教モード。……火に油。
ベン様途方に暮れたろうなあ……マーさんひとりでも止めるの必死なのに、ロミオまで来ちゃったよ……ふたりも止めるの物理的に無理だよー。
ロミオが乱入してこなければ、ベン様がマーさん止めてここは終了したかもしんないのにねー。
ロミオを見てティボルトさらに大暴れ。仕方なくベン様も対ティボ戦突入。
てことで、続く。
東宝初日ですね、観に行きたいです、お金ナイです、しくしくしく。
今頃になって、ムラ『ロミジュリ』感想ですよ、ええ。
いよいよ第2幕。
最初の出番は2場、ヴェローナ市街。
ロミオとジュリエットと結婚の噂を聞いた人々が「狂気の沙汰」を歌った直後。
登場は舞台奥中央、上手のセット奥を通ってくるところからチェック。そのあと、死@咲ちゃんの横を通って出てくる。
このときの、冷え冷えした感じがたまらん。
モンタギューのタカ派であるベンヴォーリオと、マーキューシオ@ちぎ。
ロミオ@キムの裏切りに、このふたりがどんな反応を見せるか。
観客をぞくりとさせる登場だと思う。
気まずい空気の中平静を装うロミオに、「ナニかいうことはないのか」と声を掛ける、この台詞が好きだ。
まっつの声がなんて合うシチュエーションと台詞!
明瞭でストレートで。
責めているようにも、釈明を求めているようにも、ただの状況解説を促している無感動なものにも聞こえる。
ニュートラルな一言だからこその、広がりというか。
「街に噂が」は、ロミオとベンマーコンビ(と、仲間たち)の対立の歌。
全員でひとりを詰問する。
まっつの歌と声が好きなわたしにとって、台詞が歌になり歌が台詞になる、ドラマティックな掛け合いで歌と芝居両方を堪能できる、大好きな場面だ。
また、この場面のベン様はほんと感情がそのときによって違っていて。
すごく冷酷にロミオを責めている日もあれば、哀願するよーな日もある。
ベン様萌え台詞のうちのひとつ。
「本当ならもう友だちじゃない」
ナニこの絶交宣言。
絶交ってのは、それまでに交際があるからで。
愛情や濃いつながり前提で、それを断ち切ることを脅しに使う。それってどんだけラブなん?という……誰かを愛している役を演じる機会の少ないまつださんでしたから、この台詞がすげー重い。萌える。
そしてベン様はナニ気に仲間たちから「愛」を歌われる人なんだ。
友情連呼されるというか。
1幕のモンタギュー夫人@ゆめみちゃんに「親友ならロミオを捜して」と言われるところからはじまる。へー、母親公認、誰もが知ってる仲なんだ。
んで、そうやって「親友」と持ち上げたあとに。
この「もう友だちじゃない」ですよ。
でもって、それに対してのロミオの返答は「君たちを愛している」。
ロミオはベンヴォーリオに向かって言うんだ。「愛している」と。
君たちと複数形だけど、言う相手は、ベン様(笑)。
そしてさらに、マーキューシオの最期。ロミオ相手にいろいろ歌って喋って大騒ぎしているけれど、「愛する友よ」でベンヴォーリオを見るんだよね。
どんだけ「愛」を歌われるんだ、ベン様。
……だからこそ、最後にジュリエットの死をロミオに伝えるのは自分しかいないと決意するわけだ……これほど直接愛を伝えられていた男だから。
裏切ったロミオを責めるだけでなく、困難な現状を説明して説得しようとするベン様がイイ。
怒りをぶつけるだけのマーさんと好対照で。
「モンタギューの名誉は」「つらくてもあきらめるんだ」……すがるように手すりを握り、ロミオの返答に天を仰ぐ。
その一連の動作が好き。(階段の手すりを握るまっつの手に萌えその1)
しかし。
「天使のような微笑み」って、男が男相手に本気で言うな。
リアルに考えるとキモいぞお前ら(笑)。
ロミオは天使なのか……ベンマーにとって……いいけどさー……イタい友情だな……(笑)。
場面が変わる瞬間の「おい待てよ」は最初からあったかな。最初はマイク入ってなくて、途中から聞こえだした気がする。
次が4場。やはり市街にて。
ロミオに復讐するため捜しているティボルト@ヲヅキと行き会う。
下手からの登場。最初はベン様笑ってる。笑ってなくても機嫌よく仲間たちと一緒にいる。てゆーか女の子を両側にはべらしてるんだけど、それってさすがの女ったらしぶり……。
それがティボルトを見かけた瞬間、空気が変わる。
仲間相手のときのにこやかさ親しみやすさが消え、オープニング時と同じ冷ややかで剣呑なものになる。
わんちゃんマーさんが吠えている間、ベン様はひとり喧噪の外側に坐り込む。
ここのベン様が、素晴らしい。
この作品の「ベンヴォーリオ」らしさ。挑発はするけれど本気の闘いはしない、制止役であり、いつもどこか冷めた大人びた風情で人々を見つめる……その微妙な距離感。
冷え冷えとした面持ちは、クールビューティここにあり、ですよまさに。
いろいろとありがとうだわほんと。
こんなまっつが見たかった!が詰まっているよ『ロミジュリ』。
この坐っているまっつは苛っとしていたり冷笑していたり、その時々に様々。
坐り方も基本は決まっているけれど、そのときの気分で体勢は微妙に変わる。
キャピュレット男@香音くんに絡まれるのがいい。その体格差に萌え(笑)。
香音くんも絡み方が日々違っていて、覆い被さる勢いだったり、抱き上げるように(立てよ、ってことだと思うが)腰に手を回してきたり、ファンのニーズを理解した絡み方でポイント高し! GJ!
それを心底うざそーに、相手にしてない風に追い払うベン様がまた素敵。
小物に絡まれても相手にしないけど、ティボルトにやってこられるとさすがに立ち上がる。
ティボルト相手でよーやくってな感じに立ち上がるのがいいわー。
ティボルトのキレっぷりがパネェからな、ココ。
傍観を決め込んでいたけれど、ちょっとチガウぞコレ、てなもんか。
ベン様もようやく参戦しようかってときに、ロミオ登場。
ティボルトは愛する女を取られた、失恋逆ギレ中なんだが、ピュア(笑)ゆえ洞察力に欠けるロミオくんは「チガウ」ことがわからない。
「殺し合ってどうする、暴力はヤメロ!」といきなり説教モード。……火に油。
ベン様途方に暮れたろうなあ……マーさんひとりでも止めるの必死なのに、ロミオまで来ちゃったよ……ふたりも止めるの物理的に無理だよー。
ロミオが乱入してこなければ、ベン様がマーさん止めてここは終了したかもしんないのにねー。
ロミオを見てティボルトさらに大暴れ。仕方なくベン様も対ティボ戦突入。
てことで、続く。
貸切公演を考える。@ロミオとジュリエット
2011年2月16日 タカラヅカ 貸切公演の限界を思った。
普段のわたしは、貸切公演を観に行かない。
面倒くさいからだ。チケット購入方法が通常とチガウなんて。
でもって別に、その日でなくてもいつでも行けるから、貸切ではないふつーの日に観劇する。
それが今回の『ロミオとジュリエット』は、大ハマリ絶賛リピート中!になってしまったため、貸切だろーとなんだろーと、自分が行ける日は行く、観られる限り観る! という状態だった。
つーことで、貸切公演も複数観たんだが。
貸切公演は、誰の得にもなっていない、と思った。
全組全公演万遍なく平日も土日も観劇する身なので、近年のヅカ人気の低迷ぶりはよくわかっている。
どの組が人気ないとか、どの演目がやばかったとか、実体験をもとに肌で感じている。
そんななか、今回の『ロミジュリ』はマジで客入りが良かった。
当日券3桁表示だから「朝から100人以上並ぶわけナイ、楽勝楽勝」と安心して出かけたら、座席券完売立ち見券しかなかったり、「当日券ってほんとに100枚以上売れるものなんだ」と今まで知らなかったことを知った公演だった。
平日3時公演とかも、あんだけ2階席が埋まってる姿を、久しぶりに見た……(笑)。S席センター1列目に数人しかいないとか、どの組と言わずふつーにあるのが今のヅカの現実だもん。
以前の「満員完売が当たり前」時代ではなく、あくまでも「2階席に数人しかいない」が日常となった今現在のタカラヅカにおいて。
貸切公演の意味って、なんなんだろう。
企業招待貸切じゃなく、カード会社とかの会員相手に定価で販売する貸切公演ね。
今回の『ロミジュリ』は客入りが良く、土日は座席完売が基本だった。
あとになるほど人気は上がり、立ち見も100人とかで「サヨナラショー付きレベルの混雑」ぶりだった。
そんな状況なのに、貸切公演は、席が余っていた。
午前公演は見慣れた人口密度の客席で、「**番の人に色紙当選つっても**番のうち何割かは空席だよなー」と思いながら観る、いつもの埋まり具合。(それでもまあ、最近にしては入っている方だったけど)
が、その同じ日の午後公演は座席完売で立ち見もぎゅうぎゅう。普段立ち見なんかしたことない人までもが「立ち見はじめてなんです」と勝手のわからない様子で右往左往しているから、余計に混乱必至の立ち見スペース。
……間違ってる。
貸切じゃなく、ふつーに両方通常公演として販売していれば、どちらも同じくらい売れただろうに。
立ち見が嫌で観劇をあきらめた人だっているだろう。
2回公演があるなら当日券目当てに出かける人だっていただろう。
販売機会を失った劇団も損失だし、全館貸し切ったのに埋まらなかったカード会社だって損失だ。観劇したかったのに出来なかった客たちだって損失だ。
誰も得をしない。
もちろん、売れていない貸切公演はHPに告知される。当日窓口で当日券を販売すると。
だから本気でなにがなんでも観たい、だから情報を調べまくる人、ヅカヲタで貸切公演のシステムを理解していてどこをチェックすればいいかわかっている人、ならば、貸切公演のチケットも購入可能だ。
しかし、一般人はそこまでしない。
ぴあを観て「日曜日に『ロミジュリ』観たかったけど、午前は完売、午後は貸切公演でチケット発売無し。じゃあもう観られないわね」で終了だ。
宝塚歌劇団のHPまでいって「貸切公演チケットの販売方法」をチェックするなんて、想像の範囲外。また、どこの会社の貸切なのか調べてそのカード会社のHPをチェックするとかも、ありえない。
notヅカファンの知人が娘さんを連れて「『ロミジュリ』だから。ポスターきれいだったから」と観劇を決めて前売りを買っていたが、もちろん彼女は貸切公演のチケット購入方法なんか知らなかった。
「真ん中で観てみたかったんで、真ん中で探したら2階の後ろから2列目しか買えなかった」そうで、「同じ日の午前公演は?」と聞いたら「だって午前は貸切でしょう?」と不思議そうに返された。
貸切公演=存在しないと同じ。
実際わたしだって通常は貸切なんて観ないもんなー。
日程に「貸切」と書いてあったら、そこは「なかったこと」にするもの。「どこの貸切かしら、チケット販売あるかしら」とは、めんどーだから考えないもの。
東宝に遠征するとか、日にちが限定されているときは調べるけど。
いつでもいいなら、めんどーなことはしない。
そうやって、劇団が今喉から手が出るほど欲している「一般ファン」の観劇チャンスを、土日に貸切を入れまくることで劇団自身が逃しまくっている。
一般人に注目度高い演目こそは、貸切じゃダメなんだ。ふつーにチケットを購入できるカタチにしておかないと。
『麗しのサブリナ』とか、東宝ではチケットが取りにくくなっていたらしいけど、貸切は変わらず空いていたそうだし。一般人は貸切公演は知らないんだよー。
とゆーことで。
今ほんとに、ディープなヅカヲタが減っているんだなと思う。
貸切公演を狙って観に来る類いの。
そもそも貸切公演は、普段ヅカを観ない一般客用という意識があった。
でもそれって昔の話だよね。
ネットのない時代は、カード会社のお知らせやフリーペーパーに載っている「貸切公演」のお知らせだけが、一般人のチケット購入方法だったかもしれない。
「タカラヅカはチケットが取りにくい」「タカラヅカのチケットってどこで買えばいいのかわからない」という時代。
タカラヅカのチケットは専用窓口で発売日に並んで買うのがいちばん良くて、それ以外は不透明だった頃。
一般人は情報のなさゆえに、貸切公演ぐらいしかわかりやすい販売方法を目にする機会がなかった。
だけど今は、コンサートでも舞台でも、とりあえずぴあのHPを見れば事足りる。
いちいち劇団や劇場のHPを調べるのではなく、なんでもかんでも大手チケット販売HP。ぴあに限らず、普段から耳馴染みのある、あるいは使い慣れているサイトひとつチェックして完了。
劇団HPまで行く必要はない。
考え方が、逆になった。
初心者が見るのはぴあなどのチケット販売サイトで、ファンがチェックするのが公式HP。
貸切は一般人の目にするサイトには発売方法が載っておらず、ヲタが目にするサイトにのみ載っている。
それゆえ、貸切公演利用の一般人率は下がり、「貸切公演だから」と特別感を求めて観劇するヲタの数は近年減り続けている……ために、貸切の客入りはどんどんひどくなる。
もちろん、依然一般人で古来からの意味で貸切公演を楽しみにしている層もあるだろうけど。それ以外の部分では、時代と共に変わったのだろうなと。
今回の『ロミジュリ』は作品力にて、一般人やライトなヅカファンを動かした。
それゆえに盛況のうちに終了した。
土日はほんとチケットなかったっすよ……。
だからこそ、1階席後方扉前は立ち見客で通行すら大変な混雑ぶりだった同日の貸切公演が、2階席のサイドや後方空いてます状態が、理不尽かつもったいなくて。
誰も得してないじゃん! みんな損してるじゃん!と。
作品力のない、完全ヅカヲタ人気しか当て込めない作品だったら、通常公演も貸切公演も空きっぷりは似たよーになるだろうけど。
せっかくお金懸けて有名作品持ってきたなら、売り方も考えようよ、劇団。
普段のわたしは、貸切公演を観に行かない。
面倒くさいからだ。チケット購入方法が通常とチガウなんて。
でもって別に、その日でなくてもいつでも行けるから、貸切ではないふつーの日に観劇する。
それが今回の『ロミオとジュリエット』は、大ハマリ絶賛リピート中!になってしまったため、貸切だろーとなんだろーと、自分が行ける日は行く、観られる限り観る! という状態だった。
つーことで、貸切公演も複数観たんだが。
貸切公演は、誰の得にもなっていない、と思った。
全組全公演万遍なく平日も土日も観劇する身なので、近年のヅカ人気の低迷ぶりはよくわかっている。
どの組が人気ないとか、どの演目がやばかったとか、実体験をもとに肌で感じている。
そんななか、今回の『ロミジュリ』はマジで客入りが良かった。
当日券3桁表示だから「朝から100人以上並ぶわけナイ、楽勝楽勝」と安心して出かけたら、座席券完売立ち見券しかなかったり、「当日券ってほんとに100枚以上売れるものなんだ」と今まで知らなかったことを知った公演だった。
平日3時公演とかも、あんだけ2階席が埋まってる姿を、久しぶりに見た……(笑)。S席センター1列目に数人しかいないとか、どの組と言わずふつーにあるのが今のヅカの現実だもん。
以前の「満員完売が当たり前」時代ではなく、あくまでも「2階席に数人しかいない」が日常となった今現在のタカラヅカにおいて。
貸切公演の意味って、なんなんだろう。
企業招待貸切じゃなく、カード会社とかの会員相手に定価で販売する貸切公演ね。
今回の『ロミジュリ』は客入りが良く、土日は座席完売が基本だった。
あとになるほど人気は上がり、立ち見も100人とかで「サヨナラショー付きレベルの混雑」ぶりだった。
そんな状況なのに、貸切公演は、席が余っていた。
午前公演は見慣れた人口密度の客席で、「**番の人に色紙当選つっても**番のうち何割かは空席だよなー」と思いながら観る、いつもの埋まり具合。(それでもまあ、最近にしては入っている方だったけど)
が、その同じ日の午後公演は座席完売で立ち見もぎゅうぎゅう。普段立ち見なんかしたことない人までもが「立ち見はじめてなんです」と勝手のわからない様子で右往左往しているから、余計に混乱必至の立ち見スペース。
……間違ってる。
貸切じゃなく、ふつーに両方通常公演として販売していれば、どちらも同じくらい売れただろうに。
立ち見が嫌で観劇をあきらめた人だっているだろう。
2回公演があるなら当日券目当てに出かける人だっていただろう。
販売機会を失った劇団も損失だし、全館貸し切ったのに埋まらなかったカード会社だって損失だ。観劇したかったのに出来なかった客たちだって損失だ。
誰も得をしない。
もちろん、売れていない貸切公演はHPに告知される。当日窓口で当日券を販売すると。
だから本気でなにがなんでも観たい、だから情報を調べまくる人、ヅカヲタで貸切公演のシステムを理解していてどこをチェックすればいいかわかっている人、ならば、貸切公演のチケットも購入可能だ。
しかし、一般人はそこまでしない。
ぴあを観て「日曜日に『ロミジュリ』観たかったけど、午前は完売、午後は貸切公演でチケット発売無し。じゃあもう観られないわね」で終了だ。
宝塚歌劇団のHPまでいって「貸切公演チケットの販売方法」をチェックするなんて、想像の範囲外。また、どこの会社の貸切なのか調べてそのカード会社のHPをチェックするとかも、ありえない。
notヅカファンの知人が娘さんを連れて「『ロミジュリ』だから。ポスターきれいだったから」と観劇を決めて前売りを買っていたが、もちろん彼女は貸切公演のチケット購入方法なんか知らなかった。
「真ん中で観てみたかったんで、真ん中で探したら2階の後ろから2列目しか買えなかった」そうで、「同じ日の午前公演は?」と聞いたら「だって午前は貸切でしょう?」と不思議そうに返された。
貸切公演=存在しないと同じ。
実際わたしだって通常は貸切なんて観ないもんなー。
日程に「貸切」と書いてあったら、そこは「なかったこと」にするもの。「どこの貸切かしら、チケット販売あるかしら」とは、めんどーだから考えないもの。
東宝に遠征するとか、日にちが限定されているときは調べるけど。
いつでもいいなら、めんどーなことはしない。
そうやって、劇団が今喉から手が出るほど欲している「一般ファン」の観劇チャンスを、土日に貸切を入れまくることで劇団自身が逃しまくっている。
一般人に注目度高い演目こそは、貸切じゃダメなんだ。ふつーにチケットを購入できるカタチにしておかないと。
『麗しのサブリナ』とか、東宝ではチケットが取りにくくなっていたらしいけど、貸切は変わらず空いていたそうだし。一般人は貸切公演は知らないんだよー。
とゆーことで。
今ほんとに、ディープなヅカヲタが減っているんだなと思う。
貸切公演を狙って観に来る類いの。
そもそも貸切公演は、普段ヅカを観ない一般客用という意識があった。
でもそれって昔の話だよね。
ネットのない時代は、カード会社のお知らせやフリーペーパーに載っている「貸切公演」のお知らせだけが、一般人のチケット購入方法だったかもしれない。
「タカラヅカはチケットが取りにくい」「タカラヅカのチケットってどこで買えばいいのかわからない」という時代。
タカラヅカのチケットは専用窓口で発売日に並んで買うのがいちばん良くて、それ以外は不透明だった頃。
一般人は情報のなさゆえに、貸切公演ぐらいしかわかりやすい販売方法を目にする機会がなかった。
だけど今は、コンサートでも舞台でも、とりあえずぴあのHPを見れば事足りる。
いちいち劇団や劇場のHPを調べるのではなく、なんでもかんでも大手チケット販売HP。ぴあに限らず、普段から耳馴染みのある、あるいは使い慣れているサイトひとつチェックして完了。
劇団HPまで行く必要はない。
考え方が、逆になった。
初心者が見るのはぴあなどのチケット販売サイトで、ファンがチェックするのが公式HP。
貸切は一般人の目にするサイトには発売方法が載っておらず、ヲタが目にするサイトにのみ載っている。
それゆえ、貸切公演利用の一般人率は下がり、「貸切公演だから」と特別感を求めて観劇するヲタの数は近年減り続けている……ために、貸切の客入りはどんどんひどくなる。
もちろん、依然一般人で古来からの意味で貸切公演を楽しみにしている層もあるだろうけど。それ以外の部分では、時代と共に変わったのだろうなと。
今回の『ロミジュリ』は作品力にて、一般人やライトなヅカファンを動かした。
それゆえに盛況のうちに終了した。
土日はほんとチケットなかったっすよ……。
だからこそ、1階席後方扉前は立ち見客で通行すら大変な混雑ぶりだった同日の貸切公演が、2階席のサイドや後方空いてます状態が、理不尽かつもったいなくて。
誰も得してないじゃん! みんな損してるじゃん!と。
作品力のない、完全ヅカヲタ人気しか当て込めない作品だったら、通常公演も貸切公演も空きっぷりは似たよーになるだろうけど。
せっかくお金懸けて有名作品持ってきたなら、売り方も考えようよ、劇団。
女の子はみんな、お姫様。@メイちゃんの執事
2011年2月15日 タカラヅカ 原作が少女マンガである以上、男役主導のタカラヅカで上演したとして、『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』は、どうあがいても女の子が主役。
女の子視点で物語が動く。
男は飾り、作品を彩るお花扱い。総じて実より花、実力よりも見た目(笑)。
反対に女の子たちは実力と美貌、両方が必要。
という、ちょっとヅカでは珍しい女性中心作品において。
メイ@はるこちゃんかわいい、ルチア様@れみちゃん美しい。
このふたりの、ぶっちぎりの美貌と実力。すごいわー、いいもん見たー。
添え物ではなく、自分の力で輝く女の子たち。物語を支え、回し、導く。
それでいて外部の女の子主役ミュージカルのタレントにはならず、あくまでも「タカラヅカの娘役」である、品とたおやかさを持つ。
こーゆー「娘役芸」を見せつけてくれると、「タカラヅカってすごい!」と思う。
タカラヅカは男役至上主義。経済効果が男役にかかっている以上当然のことだが、その男役を輝かせるために「娘役」がどれほど特殊技術を必要とするか、一朝一夕では身に付かないれっきとした「芸」であることを教えてくれる。
星組のタカラヅカ力は、こうやって娘役ちゃんたちの華やかな底力によっても表現されてるんだよなー。
ヒロインのメイちゃん@はるこちゃんてば、とにかくかわいい。
あの衣装の数々をかわいらしく、だけどどこか現実と地続きに着こなしてくれるのがイイ。くすぐったくてたまらない。
てゆーか原作のしばりがあるゆえなんだろうけど、あの目の上ぱっつんの重い前髪ヘアスタイルでかわいく見せるってすげえ。
理人@ベニーとの身長差もいいなあ。あのつま先立ちがたまらん。ヲトメの夢だわ……(笑)。
はるこちゃんには、「がんばる女の子」が似合うなあ。
見ていてきゅんとする、応援したくなる女の子。
そして、なんといっても、ルチア様@れみちゃん。
見た人全員が、まず口を揃えて絶賛するのがわかる。
美貌と貫禄、そしてあのこわさ(笑)。
かなりアレな役なんだけど、それでも匂い立つ品の良さ。
れみちゃんは薄幸女優なので、一歩間違うと悪役にならない。観客が彼女に感情移入しちゃうと本末転倒。
だから多分にエキセントリックな方がイイ。
忍@真風は極力喋らず、ルチア様の横に侍ってくれていればヨシ。ってゆーか、車椅子の美女と銀髪の美青年って、美しいわ……この見た目だけで楽しいわ。
ふたりの女の子がそれぞれに作品を牽引してくれているので、男たちは安心して美貌担当、お花担当でヨシ。みんな、得意分野で勝負だ。
作品の外郭は圭子ねーさまと汝鳥サマががっつり囲ってくれてるから。中が多少ゆるくても、びくともしないで立っていられる!
圭子ねーさま素敵。彼女の演じる「いい女」は大好物だ。もっと歌って、踊って! ……シスター服にスリット(+ガーターベルト・笑)が欲しいくらいです、おねいさまのおみ足大好きです(笑)。あ、圭子ねーさまと五峰ねーさま限定ですが。
あと、ツンデレお嬢様@コロちゃんがいい仕事してた。
実はいちばんヲトメ心がきゅんっとしたのは、コロちゃんのツンデレ台詞だ(笑)。
素晴らしいツンツンぶりと、デレたときのギャップがたまらん。ときめいた。
その相方のイヤミ執事@キキくん、新公を観ていないわたしは彼をはじめて見たわけなんだが、見た目ほどヘタじゃなくて驚いた。
って、失礼な(笑)。
見た目はどうしても若さ故の洗練されてなさが目に付く。この子を売りたいのはわかるけど、もう少し磨き上げてから推した方がいいんじゃないの的ってゆーか、若いことだけしか見えない感じってゆーか。そもそも執事なのにおじょーさまより明らかに子どもっぽい見た目であることからして、劇団の思惑に首を傾げるというか。
それでも芝居自体は、見た目ほど足りてないわけでもなかった。学年にしてはうまいってゆーか、新公なら十分いいレベルなんじゃ?と。
これは新人公演じゃないけど、組内4番手?の主演バウの出演者なら、十分責任は果たしている芝居だった。
でもって外見はこれからいくらでも磨く機会はあるのだし、芝居も今がこれなら今後が楽しみですわ。せっかくガタイいいんだもんなー、是非いい男になってほしいなー。
他のお嬢様たちと執事たちが、ただのにぎやかしに留まっているのは残念だ。
ろくに描かれていないわりに、メガネ執事@汐月くんとパンダタミー@妃海風ちゃんは目立ってておいしかったけど。や、汐月くんはイイですなっ。『ロミジュリ』のときからその美貌で目立ちまくっていたけど、迷いなくその延長線上の二枚目ぶり。ブレないのはイイですな。
せっかく女役だったのに、夏樹れいくんに独自エピがなくて残念だった。てゆーかやっぱりでかいわ、女の子役をやると。
大門@礼くんはもうちょいでかい方が役のイメージに合ったよーな。力仕事乙です。
れんたはもったいない使われ方だなあ。
にしても、女の子たちの制服がかわいくてたまらんっす。
アニメヲタが見てもよろこびそーなビジュアルだー。
……タミーのあのパンダコスを、パンダスキーなご贔屓さんに着て欲しいとか思ってしまうわたしは、どうしたもんかと……(笑)。
女の子視点で物語が動く。
男は飾り、作品を彩るお花扱い。総じて実より花、実力よりも見た目(笑)。
反対に女の子たちは実力と美貌、両方が必要。
という、ちょっとヅカでは珍しい女性中心作品において。
メイ@はるこちゃんかわいい、ルチア様@れみちゃん美しい。
このふたりの、ぶっちぎりの美貌と実力。すごいわー、いいもん見たー。
添え物ではなく、自分の力で輝く女の子たち。物語を支え、回し、導く。
それでいて外部の女の子主役ミュージカルのタレントにはならず、あくまでも「タカラヅカの娘役」である、品とたおやかさを持つ。
こーゆー「娘役芸」を見せつけてくれると、「タカラヅカってすごい!」と思う。
タカラヅカは男役至上主義。経済効果が男役にかかっている以上当然のことだが、その男役を輝かせるために「娘役」がどれほど特殊技術を必要とするか、一朝一夕では身に付かないれっきとした「芸」であることを教えてくれる。
星組のタカラヅカ力は、こうやって娘役ちゃんたちの華やかな底力によっても表現されてるんだよなー。
ヒロインのメイちゃん@はるこちゃんてば、とにかくかわいい。
あの衣装の数々をかわいらしく、だけどどこか現実と地続きに着こなしてくれるのがイイ。くすぐったくてたまらない。
てゆーか原作のしばりがあるゆえなんだろうけど、あの目の上ぱっつんの重い前髪ヘアスタイルでかわいく見せるってすげえ。
理人@ベニーとの身長差もいいなあ。あのつま先立ちがたまらん。ヲトメの夢だわ……(笑)。
はるこちゃんには、「がんばる女の子」が似合うなあ。
見ていてきゅんとする、応援したくなる女の子。
そして、なんといっても、ルチア様@れみちゃん。
見た人全員が、まず口を揃えて絶賛するのがわかる。
美貌と貫禄、そしてあのこわさ(笑)。
かなりアレな役なんだけど、それでも匂い立つ品の良さ。
れみちゃんは薄幸女優なので、一歩間違うと悪役にならない。観客が彼女に感情移入しちゃうと本末転倒。
だから多分にエキセントリックな方がイイ。
忍@真風は極力喋らず、ルチア様の横に侍ってくれていればヨシ。ってゆーか、車椅子の美女と銀髪の美青年って、美しいわ……この見た目だけで楽しいわ。
ふたりの女の子がそれぞれに作品を牽引してくれているので、男たちは安心して美貌担当、お花担当でヨシ。みんな、得意分野で勝負だ。
作品の外郭は圭子ねーさまと汝鳥サマががっつり囲ってくれてるから。中が多少ゆるくても、びくともしないで立っていられる!
圭子ねーさま素敵。彼女の演じる「いい女」は大好物だ。もっと歌って、踊って! ……シスター服にスリット(+ガーターベルト・笑)が欲しいくらいです、おねいさまのおみ足大好きです(笑)。あ、圭子ねーさまと五峰ねーさま限定ですが。
あと、ツンデレお嬢様@コロちゃんがいい仕事してた。
実はいちばんヲトメ心がきゅんっとしたのは、コロちゃんのツンデレ台詞だ(笑)。
素晴らしいツンツンぶりと、デレたときのギャップがたまらん。ときめいた。
その相方のイヤミ執事@キキくん、新公を観ていないわたしは彼をはじめて見たわけなんだが、見た目ほどヘタじゃなくて驚いた。
って、失礼な(笑)。
見た目はどうしても若さ故の洗練されてなさが目に付く。この子を売りたいのはわかるけど、もう少し磨き上げてから推した方がいいんじゃないの的ってゆーか、若いことだけしか見えない感じってゆーか。そもそも執事なのにおじょーさまより明らかに子どもっぽい見た目であることからして、劇団の思惑に首を傾げるというか。
それでも芝居自体は、見た目ほど足りてないわけでもなかった。学年にしてはうまいってゆーか、新公なら十分いいレベルなんじゃ?と。
これは新人公演じゃないけど、組内4番手?の主演バウの出演者なら、十分責任は果たしている芝居だった。
でもって外見はこれからいくらでも磨く機会はあるのだし、芝居も今がこれなら今後が楽しみですわ。せっかくガタイいいんだもんなー、是非いい男になってほしいなー。
他のお嬢様たちと執事たちが、ただのにぎやかしに留まっているのは残念だ。
ろくに描かれていないわりに、メガネ執事@汐月くんとパンダタミー@妃海風ちゃんは目立ってておいしかったけど。や、汐月くんはイイですなっ。『ロミジュリ』のときからその美貌で目立ちまくっていたけど、迷いなくその延長線上の二枚目ぶり。ブレないのはイイですな。
せっかく女役だったのに、夏樹れいくんに独自エピがなくて残念だった。てゆーかやっぱりでかいわ、女の子役をやると。
大門@礼くんはもうちょいでかい方が役のイメージに合ったよーな。力仕事乙です。
れんたはもったいない使われ方だなあ。
にしても、女の子たちの制服がかわいくてたまらんっす。
アニメヲタが見てもよろこびそーなビジュアルだー。
……タミーのあのパンダコスを、パンダスキーなご贔屓さんに着て欲しいとか思ってしまうわたしは、どうしたもんかと……(笑)。
美男子名鑑のページを繰るがごとく。@メイちゃんの執事
2011年2月14日 タカラヅカ 組カラーがなくなって久しいと言われる昨今。
「ダンスの花」とか「日本物の雪」とか、そーゆーのは確かにそのときのトップスターの持ち味によって変化しがちだと思う。
でも、トップひとりがどうこうではなく、変化しようのない組全体の持ち味ってのは、あると思う。
最近とみに思うのは、星組の「タカラヅカ」力、ハンパネェ!!ってこと。
歌唱力とかダンス力とか、成績表に付けられる技術ではなく、「タカラヅカ」力。
たとえばサイトーくんのトンデモ作品を上演した場合、星組だとなんかぶっ飛んだスペクタクル作になるが、他組だとそうでもない。宙だとなんか薄くなったし、雪だと重苦しくなったし、月だと小さくまとまった。(花はサイトーくんと縁がないのではぶく)
どの組を落としているというのではなくて、組の持ち味、得意分野の話。人間の集まりである以上、個人と同じように、組にもそれぞれ個性があり、得手不得手がある。
星組の得意分野は「ザ・タカラヅカ!」。
良くも悪くも派手にコテコテに異世界を、ファンタジーを創りあげる。
『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』も、星組ならではの異世界感に充ち満ちている。
異文化コラボである以上タカラヅカらしくないこともいっぱい詰まっているのに、それでも全部飲み込んでひっくるめて「タカラヅカ」以外のナニモノでもない公演にしてしまった。
冒頭で理人@ベニーがタイトルのあの恥ずかしい台詞をしれっと言うんだが、それだけでもお、うひゃーと思う。キターーッ!と思う。
そして、タカラヅカならではのキラキラした人々が原作を再現しつつ、ずらりと並ぶオープニングはテンション上がる。『逆転裁判』にしろ『相棒』にしろ、コラボ作品は映像使いまくりでふたつの世界の橋渡しをするのね。面白いわ。
理人@ベニーの格好良さ。
このビジュアルだけでココまで来た……それを遺憾なく発揮してくれるイロモノ主演。
てゆーかベニーってほんと「タカラヅカ」な人だなあ。タカラヅカって技術だけじゃないんだよ、+αが必要なの。
ベニーはいろいろと足りていない人で『スカーレット・ピンパーネル』新人公演以降あれよあれよという間にこんなところまで来ちゃったわけだが、足りていないからこそ持っている彼だけの魅力を磨いて欲しい。いやほんと面白いから、彼。
で、そこは磨きを掛けて、さらに、足りていない部分も埋めていって欲しいなと。
バウサイズでイロモノ作品でならば、ベニーがベニーであるだけでぶっちぎれるけど、今後を思うと不安もある……いろいろと(笑)。頼む、もう少し実力を……と。
でもさー、この「ベニーがベニーであるだけでぶっちぎれる」てのが、彼の魅力だよな。ソレが出来るか出来ないかですよ、ヅカの真ん中ができるか否かは。他の演劇ならいざ知らず、「タカラヅカ」では。
1回限りの新公なら、イロモノバウ公演なら、と但し書き付きでも、ベニーはぶっちぎるもんなあ。
そして、タカラヅカ力と実力の乖離で不安……というと、なんといっても忍@真風。
黙って立ってるだけ、あるいは短い台詞だけならマジ格好いい美しい。
これぞタカラヅカ! 男装の麗人かくあるべし!な人。
しかし。
ひとりで歌い出したときには、どーしよーかと……(笑)。
死@『ロミオとジュリエット』はほんとに彼を鍛えたんだな。ビジュアルの美しさ、男役としての見せ方が上がってますよ。
だからこそ、声を出したときのとほほ感ってば……。
若手男役ってのは通常、等身大の若者や子どもしか演じられない・見えないもんだ。なのにこの学年で「大人」に見える真風くんの容姿は素晴らしい。
いやその、みやるりに「おっさん」呼ばわりされる真風、って、なんのプレイ?ってゆーかまあ、大変だなどっちもっつーか(笑)。
こんだけの武器を持っているんだから、ソレを活かすためにも技術を身につけて欲しい。いや切実に。
外見は心から好みなんだ。ほんっとにもー、これでもかっつーくらい好みだ。彼だけ眺めてうっとりしていられるくらいだ。
でもわたしは声フェチでもあってね……歌ダンス芝居では芝居を最重要視していることもあってね……声と芝居をもう少し、なんとか……頼むよー(笑)。
ビジュアルと実力が高く、安心して見ていられたのは、なんといっても剣人@みやるり。
あーもーいいなー。あの美貌とキラキラ感!! そしてなにより、声。
かわいこちゃんな豆柴役でも、あの男前な声がある限り、絶対に女の子にならない。女装も正しく女装だし! あんなに美人さんなのに。
あのかわいらしくも迫力のある美貌で、あの男子な声でしっかりと芝居されちゃったりすると、すげーときめく。
ベニーのように技術じゃない部分で持っていかれちゃったりするのも快感!なんだけど、みやるりのようにかっちり実力で小細工無しのど真ん中勝負を仕掛けてくる人も、好きだ。
てゆーかほんとこの公演、単に美形を揃えただけでなく、いろんなアプローチをしてくるオトコマエたちを揃えているの。
人によってツボってチガウじゃん? 顔に好みがあるように、口説かれ方にも好みがあるっちゅーか。
いろんなタイプの執事を並べてさあお好みは?とやるだけでなく、役者としてのタイプまで取りそろえている。
みやるりは理人や忍みたいな役ももちろんできるけれど、せっかく技術があるのだから、ハッタリだけでは空回りしてウザくなるだろう豆柴役で実力を見せつけて。
豆柴役は難しいわりにオイシイ役ではないんだけど、それゆえに、そこをきっちり技術の裏打ちアリでこなしてみせるハンサムくんには、それ系にときめく女子が付きますから(笑)。ルキーニが派手でオイシイのはわかるけど、フランツにハマる人も一定数いるんですよっていう。……まあ、劇団がトップにしたいのはルキーニの人で、フランツの人ではないってのがイタイけどさ。
ベニー、真風、みやるりと、顔立ちだけでなくいろんな意味でタイプの違う美形3人をぞろっとバウに並べられる強さ。
ヅカファンだけでなく、はじめてヅカに触れる女子な心を持った人々に、いろんな角度から魅力をアピールする。こんなに男前が揃ってますよ、どの子がお好みですか?
たのしいなあ。
異文化コラボであってなお、これぞタカラヅカ!な世界を、ファンタジーを見せてくれる。
その安心感と、快感ときたら。
「ダンスの花」とか「日本物の雪」とか、そーゆーのは確かにそのときのトップスターの持ち味によって変化しがちだと思う。
でも、トップひとりがどうこうではなく、変化しようのない組全体の持ち味ってのは、あると思う。
最近とみに思うのは、星組の「タカラヅカ」力、ハンパネェ!!ってこと。
歌唱力とかダンス力とか、成績表に付けられる技術ではなく、「タカラヅカ」力。
たとえばサイトーくんのトンデモ作品を上演した場合、星組だとなんかぶっ飛んだスペクタクル作になるが、他組だとそうでもない。宙だとなんか薄くなったし、雪だと重苦しくなったし、月だと小さくまとまった。(花はサイトーくんと縁がないのではぶく)
どの組を落としているというのではなくて、組の持ち味、得意分野の話。人間の集まりである以上、個人と同じように、組にもそれぞれ個性があり、得手不得手がある。
星組の得意分野は「ザ・タカラヅカ!」。
良くも悪くも派手にコテコテに異世界を、ファンタジーを創りあげる。
『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』も、星組ならではの異世界感に充ち満ちている。
異文化コラボである以上タカラヅカらしくないこともいっぱい詰まっているのに、それでも全部飲み込んでひっくるめて「タカラヅカ」以外のナニモノでもない公演にしてしまった。
冒頭で理人@ベニーがタイトルのあの恥ずかしい台詞をしれっと言うんだが、それだけでもお、うひゃーと思う。キターーッ!と思う。
そして、タカラヅカならではのキラキラした人々が原作を再現しつつ、ずらりと並ぶオープニングはテンション上がる。『逆転裁判』にしろ『相棒』にしろ、コラボ作品は映像使いまくりでふたつの世界の橋渡しをするのね。面白いわ。
理人@ベニーの格好良さ。
このビジュアルだけでココまで来た……それを遺憾なく発揮してくれるイロモノ主演。
てゆーかベニーってほんと「タカラヅカ」な人だなあ。タカラヅカって技術だけじゃないんだよ、+αが必要なの。
ベニーはいろいろと足りていない人で『スカーレット・ピンパーネル』新人公演以降あれよあれよという間にこんなところまで来ちゃったわけだが、足りていないからこそ持っている彼だけの魅力を磨いて欲しい。いやほんと面白いから、彼。
で、そこは磨きを掛けて、さらに、足りていない部分も埋めていって欲しいなと。
バウサイズでイロモノ作品でならば、ベニーがベニーであるだけでぶっちぎれるけど、今後を思うと不安もある……いろいろと(笑)。頼む、もう少し実力を……と。
でもさー、この「ベニーがベニーであるだけでぶっちぎれる」てのが、彼の魅力だよな。ソレが出来るか出来ないかですよ、ヅカの真ん中ができるか否かは。他の演劇ならいざ知らず、「タカラヅカ」では。
1回限りの新公なら、イロモノバウ公演なら、と但し書き付きでも、ベニーはぶっちぎるもんなあ。
そして、タカラヅカ力と実力の乖離で不安……というと、なんといっても忍@真風。
黙って立ってるだけ、あるいは短い台詞だけならマジ格好いい美しい。
これぞタカラヅカ! 男装の麗人かくあるべし!な人。
しかし。
ひとりで歌い出したときには、どーしよーかと……(笑)。
死@『ロミオとジュリエット』はほんとに彼を鍛えたんだな。ビジュアルの美しさ、男役としての見せ方が上がってますよ。
だからこそ、声を出したときのとほほ感ってば……。
若手男役ってのは通常、等身大の若者や子どもしか演じられない・見えないもんだ。なのにこの学年で「大人」に見える真風くんの容姿は素晴らしい。
いやその、みやるりに「おっさん」呼ばわりされる真風、って、なんのプレイ?ってゆーかまあ、大変だなどっちもっつーか(笑)。
こんだけの武器を持っているんだから、ソレを活かすためにも技術を身につけて欲しい。いや切実に。
外見は心から好みなんだ。ほんっとにもー、これでもかっつーくらい好みだ。彼だけ眺めてうっとりしていられるくらいだ。
でもわたしは声フェチでもあってね……歌ダンス芝居では芝居を最重要視していることもあってね……声と芝居をもう少し、なんとか……頼むよー(笑)。
ビジュアルと実力が高く、安心して見ていられたのは、なんといっても剣人@みやるり。
あーもーいいなー。あの美貌とキラキラ感!! そしてなにより、声。
かわいこちゃんな豆柴役でも、あの男前な声がある限り、絶対に女の子にならない。女装も正しく女装だし! あんなに美人さんなのに。
あのかわいらしくも迫力のある美貌で、あの男子な声でしっかりと芝居されちゃったりすると、すげーときめく。
ベニーのように技術じゃない部分で持っていかれちゃったりするのも快感!なんだけど、みやるりのようにかっちり実力で小細工無しのど真ん中勝負を仕掛けてくる人も、好きだ。
てゆーかほんとこの公演、単に美形を揃えただけでなく、いろんなアプローチをしてくるオトコマエたちを揃えているの。
人によってツボってチガウじゃん? 顔に好みがあるように、口説かれ方にも好みがあるっちゅーか。
いろんなタイプの執事を並べてさあお好みは?とやるだけでなく、役者としてのタイプまで取りそろえている。
みやるりは理人や忍みたいな役ももちろんできるけれど、せっかく技術があるのだから、ハッタリだけでは空回りしてウザくなるだろう豆柴役で実力を見せつけて。
豆柴役は難しいわりにオイシイ役ではないんだけど、それゆえに、そこをきっちり技術の裏打ちアリでこなしてみせるハンサムくんには、それ系にときめく女子が付きますから(笑)。ルキーニが派手でオイシイのはわかるけど、フランツにハマる人も一定数いるんですよっていう。……まあ、劇団がトップにしたいのはルキーニの人で、フランツの人ではないってのがイタイけどさ。
ベニー、真風、みやるりと、顔立ちだけでなくいろんな意味でタイプの違う美形3人をぞろっとバウに並べられる強さ。
ヅカファンだけでなく、はじめてヅカに触れる女子な心を持った人々に、いろんな角度から魅力をアピールする。こんなに男前が揃ってますよ、どの子がお好みですか?
たのしいなあ。
異文化コラボであってなお、これぞタカラヅカ!な世界を、ファンタジーを見せてくれる。
その安心感と、快感ときたら。
少女マンガであるということ。@メイちゃんの執事
2011年2月13日 タカラヅカ 改めまして、『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』の感想。
いやもお、タイトルからして恥ずかしいのがいいね。そういうネタだもんね。お嬢様ひとりずつに執事が、って、設定からしてアホアホだもんね。アホアホ設定を割り切って楽しむものだもん、作る側も観る側もそれを極めて楽しまなきゃ。
原作は未読。ドラマは見てます。だから執事とお嬢様をざーっと眺めると、役名はおぼえてなくても「ああ、あの人たち」とわかる程度。
ドラマもアホアホドラマとして割り切って眺めていたけれど、そこにやっぱ「実写の限界」を感じていた。
マンガにはマンガでしか表現できないことがある。それは顔が突然ギャグ絵になったり2頭身になったりすることじゃなくて、「絵柄を含めた世界観の構築」にあると思う。
絵柄が世界観の一部だから、それを封じられた現実……実写でテレビ俳優が演じるのはかなり苦しい。世界観がそこですでにひび割れているため。
実写であるマイナスを補うためには、別の世界観を構築してすり替えなければならないんだが、ドラマ『メイちゃんの執事』はそこまで本気で原作の世界観に向き合っていない印象を持った。
原作を大切にするとか、原作とまったく同じでないにしろ損なわない別の表現によるファンタジー構築やチガウ角度での切り口による再構築を、放棄していると思った。
ドラマの目的は、イケメン俳優を取りそろえて執事コスプレをさせ、視聴率を稼ぐこと。原作は執事コスプレの言い訳に利用しました、みたいな。
だから終始、「マンガならいいかもしれないけど、実写だときついな」という感想だった。
そこで展開される人間ドラマは女子好みのものだが、描き方がアホアホ過ぎて、ふつーの学園モノでやってくれた方が救われた。
で、ドラマの最大の問題点は執事ではなく、お嬢様にあったと思っている。
男たちはいいんだ、執事コスプレという異空間ぶりだから、まだ。
しかし女の子たちはマンガ的とはいえ女子高生の制服だ。ちっとも、お嬢様じゃない。
ただのタレントの女の子たちだ。
化粧して着飾っただけの美少女たち。
みんなイマドキのアイドルタレントでしかなく、個性が見えない。お色気もタカビーも見た目はみんな同じテイストの美少女。
これがアニメなら、髪の毛の色や制服の着こなしが違ったりして差別化されるんだろうけど、実写じゃなあ。
実写ドラマにおけるお嬢様女子校のファンタジー構築とキャラ立ちという点では、『小公女セイラ』の方がはるかに素晴らしかったなと。
「あのドラマは原作まんまを再現、これ以上の三次元化はありえない」と世間では評価されているのかどうか、知らないが。
「少女マンガ」を昔愛読したことのある、以前少女だった人間には、あのドラマと「少女マンガ」とは、ずいぶん隔たりがあるように思えたんだ。女子向きドラマであったことはよーっくわかるが(笑)。設定がアホアホでも、最後まで見られたもん、女子好みのエピソードと展開てんこ盛りで。
と、前置きが長くなったが、ドラマでがっくりした「少女マンガ」というファンタジーを、タカラヅカならば表現しうるのではないか……そう期待していたんだ。
演出家がこだまっちだということには、期待と不安が7:3くらい(笑)、主演のベニー含め、星組キャストには期待全開!
こだまっちの演出センスには期待している。
彼女には萌えと、ヲタク的ドラマティックな舞台を作る能力がある。
インスパイアとパクリの区別がついていないことと、日本語力がおかしいことを除けば、良い舞台を作れる人だと思う。
だからきれいな原作さえあれば、見た目に楽しいきれいな舞台を作ってくれるだろうと期待していた。
不安だったのは、彼女が真っ当な少女マンガ的ツボは理解していないだろうということ。
恋愛マンガや小説を読んで、女の子がきゅんっとなる、アレを根本的にわかってないだろうと、わたしは勝手に思っている。
ヲタクマンガ(二次創作含む)を描くことは出来ても、少女マンガは描けない。ただ女性ゆえ絵柄が女子向きなだけで。
……結果として、最初に期待し、懸念した通りの舞台だった(笑)。
舞台『メイちゃんの執事』は、たしかに「少女マンガ」の舞台化だった。
設定のアホアホさは、「少女マンガ」ならではのファンタジー。プラスチックのジュエリーストーンで飾られた宝石箱みたいなもん、キラキラしていれば本物の宝石でなくてかまわない。
ドラマで首を傾げた「少女マンガ」を軽んじた雰囲気、それが舞台にはなかった。
むしろ「少女マンガ」であることを大前提に箱庭を作ることに、とことんこだわった不自由感。最初から壁作ってるよヲイ。でもそれは不快じゃない。
「コラボだから原作有りで作るけど、枠組みなんか私の才能でぶっ壊す」というつもりではなく、壊さないよう最初から壁で囲い込んで、あとはその中で「好きにやるぞー!」的。
こだまっちは伊達にヲタクやってないよな、パロディ描くの得意だよな。原作のテイストを三次元化する、別次元に変換する能力は高いよなと感心した。
たとえが古くて恐縮だが、昔むかし、こじろーとかわかしまづとか、原作とは似ても似つかない美麗青年たちが同人界のスタンダードになったように、ヲタクは原作を必要に応じて別モノにデータ変換できるのだわ。
また、留学帰りのこだまっちは、いろんな「できること」「やりたいこと」があり、それをこの小さなハコに全部詰め込みました!的、意欲が感じられる。
かわいいこと、きれいなこと、たのしいこと。
それを表現する意欲。
原作設定のトンデモさ、それゆえの夢やかわいらしさを、別のファンタジーに変換して、小さな手のひらに載せて差し出してくる。
それはこの「バウホール」という小さなハコに相応しいオシャレさとかわいらしさ。
ああ、この公演が贔屓組で、贔屓がある程度の役割で出演していたら、どんだけうれしかったろう。
きっときゃーきゃー言って通ったろうな。
もうトシがトシなので日常では必要としていない、10代少女にだけ許されるイミテーションの宝石箱を抱きしめる、あの感覚。それを割り切って楽しめる舞台だ。
トシがトシなんで、いろいろと気恥ずかしくなりながら、ね(笑)。
こだまっち舞台作るのうまいわー、きれーだわー、たのしいわー。
と、喜びつつ。
ただ、不安は的中。
やっぱこだまっち、ヲトメ心は理解してない……(笑)。
きゅんっ、がナイのよ、きゅんっ、がっ!!
ヲタクとしての萌えは理解しても、ヲトメのときめきはわかってナイだろ、このヲタクめ……! と、ヲタであるわたしがじれったく言わせてもらいます。ええ、ヲタだからこそ気になるの、そこ。
だから贔屓がいない場合は、楽しく眺めてそこで満足かな。
なんでもっと理人@ベニーを美味しく使わないかなー。ヲトメ心をつつきまくってくれなくちゃだわー。
いやもお、タイトルからして恥ずかしいのがいいね。そういうネタだもんね。お嬢様ひとりずつに執事が、って、設定からしてアホアホだもんね。アホアホ設定を割り切って楽しむものだもん、作る側も観る側もそれを極めて楽しまなきゃ。
原作は未読。ドラマは見てます。だから執事とお嬢様をざーっと眺めると、役名はおぼえてなくても「ああ、あの人たち」とわかる程度。
ドラマもアホアホドラマとして割り切って眺めていたけれど、そこにやっぱ「実写の限界」を感じていた。
マンガにはマンガでしか表現できないことがある。それは顔が突然ギャグ絵になったり2頭身になったりすることじゃなくて、「絵柄を含めた世界観の構築」にあると思う。
絵柄が世界観の一部だから、それを封じられた現実……実写でテレビ俳優が演じるのはかなり苦しい。世界観がそこですでにひび割れているため。
実写であるマイナスを補うためには、別の世界観を構築してすり替えなければならないんだが、ドラマ『メイちゃんの執事』はそこまで本気で原作の世界観に向き合っていない印象を持った。
原作を大切にするとか、原作とまったく同じでないにしろ損なわない別の表現によるファンタジー構築やチガウ角度での切り口による再構築を、放棄していると思った。
ドラマの目的は、イケメン俳優を取りそろえて執事コスプレをさせ、視聴率を稼ぐこと。原作は執事コスプレの言い訳に利用しました、みたいな。
だから終始、「マンガならいいかもしれないけど、実写だときついな」という感想だった。
そこで展開される人間ドラマは女子好みのものだが、描き方がアホアホ過ぎて、ふつーの学園モノでやってくれた方が救われた。
で、ドラマの最大の問題点は執事ではなく、お嬢様にあったと思っている。
男たちはいいんだ、執事コスプレという異空間ぶりだから、まだ。
しかし女の子たちはマンガ的とはいえ女子高生の制服だ。ちっとも、お嬢様じゃない。
ただのタレントの女の子たちだ。
化粧して着飾っただけの美少女たち。
みんなイマドキのアイドルタレントでしかなく、個性が見えない。お色気もタカビーも見た目はみんな同じテイストの美少女。
これがアニメなら、髪の毛の色や制服の着こなしが違ったりして差別化されるんだろうけど、実写じゃなあ。
実写ドラマにおけるお嬢様女子校のファンタジー構築とキャラ立ちという点では、『小公女セイラ』の方がはるかに素晴らしかったなと。
「あのドラマは原作まんまを再現、これ以上の三次元化はありえない」と世間では評価されているのかどうか、知らないが。
「少女マンガ」を昔愛読したことのある、以前少女だった人間には、あのドラマと「少女マンガ」とは、ずいぶん隔たりがあるように思えたんだ。女子向きドラマであったことはよーっくわかるが(笑)。設定がアホアホでも、最後まで見られたもん、女子好みのエピソードと展開てんこ盛りで。
と、前置きが長くなったが、ドラマでがっくりした「少女マンガ」というファンタジーを、タカラヅカならば表現しうるのではないか……そう期待していたんだ。
演出家がこだまっちだということには、期待と不安が7:3くらい(笑)、主演のベニー含め、星組キャストには期待全開!
こだまっちの演出センスには期待している。
彼女には萌えと、ヲタク的ドラマティックな舞台を作る能力がある。
インスパイアとパクリの区別がついていないことと、日本語力がおかしいことを除けば、良い舞台を作れる人だと思う。
だからきれいな原作さえあれば、見た目に楽しいきれいな舞台を作ってくれるだろうと期待していた。
不安だったのは、彼女が真っ当な少女マンガ的ツボは理解していないだろうということ。
恋愛マンガや小説を読んで、女の子がきゅんっとなる、アレを根本的にわかってないだろうと、わたしは勝手に思っている。
ヲタクマンガ(二次創作含む)を描くことは出来ても、少女マンガは描けない。ただ女性ゆえ絵柄が女子向きなだけで。
……結果として、最初に期待し、懸念した通りの舞台だった(笑)。
舞台『メイちゃんの執事』は、たしかに「少女マンガ」の舞台化だった。
設定のアホアホさは、「少女マンガ」ならではのファンタジー。プラスチックのジュエリーストーンで飾られた宝石箱みたいなもん、キラキラしていれば本物の宝石でなくてかまわない。
ドラマで首を傾げた「少女マンガ」を軽んじた雰囲気、それが舞台にはなかった。
むしろ「少女マンガ」であることを大前提に箱庭を作ることに、とことんこだわった不自由感。最初から壁作ってるよヲイ。でもそれは不快じゃない。
「コラボだから原作有りで作るけど、枠組みなんか私の才能でぶっ壊す」というつもりではなく、壊さないよう最初から壁で囲い込んで、あとはその中で「好きにやるぞー!」的。
こだまっちは伊達にヲタクやってないよな、パロディ描くの得意だよな。原作のテイストを三次元化する、別次元に変換する能力は高いよなと感心した。
たとえが古くて恐縮だが、昔むかし、こじろーとかわかしまづとか、原作とは似ても似つかない美麗青年たちが同人界のスタンダードになったように、ヲタクは原作を必要に応じて別モノにデータ変換できるのだわ。
また、留学帰りのこだまっちは、いろんな「できること」「やりたいこと」があり、それをこの小さなハコに全部詰め込みました!的、意欲が感じられる。
かわいいこと、きれいなこと、たのしいこと。
それを表現する意欲。
原作設定のトンデモさ、それゆえの夢やかわいらしさを、別のファンタジーに変換して、小さな手のひらに載せて差し出してくる。
それはこの「バウホール」という小さなハコに相応しいオシャレさとかわいらしさ。
ああ、この公演が贔屓組で、贔屓がある程度の役割で出演していたら、どんだけうれしかったろう。
きっときゃーきゃー言って通ったろうな。
もうトシがトシなので日常では必要としていない、10代少女にだけ許されるイミテーションの宝石箱を抱きしめる、あの感覚。それを割り切って楽しめる舞台だ。
トシがトシなんで、いろいろと気恥ずかしくなりながら、ね(笑)。
こだまっち舞台作るのうまいわー、きれーだわー、たのしいわー。
と、喜びつつ。
ただ、不安は的中。
やっぱこだまっち、ヲトメ心は理解してない……(笑)。
きゅんっ、がナイのよ、きゅんっ、がっ!!
ヲタクとしての萌えは理解しても、ヲトメのときめきはわかってナイだろ、このヲタクめ……! と、ヲタであるわたしがじれったく言わせてもらいます。ええ、ヲタだからこそ気になるの、そこ。
だから贔屓がいない場合は、楽しく眺めてそこで満足かな。
なんでもっと理人@ベニーを美味しく使わないかなー。ヲトメ心をつつきまくってくれなくちゃだわー。
ヒゲの彼は何者?@メイちゃんの執事
2011年2月12日 タカラヅカ 『メイちゃんの執事』初日の幕が開いたその日から。
この辺境ブログにやってくる検索ワードに変化があった。
漣レイラ。
アクセス解析ページにこの名前がずらーっと並んでた日にゃあ、びびりますよ。
ええ、レイラです。94期文化祭で結果的にわたしの目を奪っていった男です。でかくて丸くて(笑)、しかもアピールうるさい(笑)。まん丸なくせに、アゴのラインが独特で、本科生比では男役が出来ていた。
……や、もっとも目についた「男」ではありますが、94期でわたしのハートを奪ったのは娘役の仙名さんなんで、レイラくんは次点です(笑)。ダンスとかは仙名さんしか見てなかったからなあ、オレ。
『メイちゃん』初日は観てないけど、こんだけ検索ワードが偏っていたらわかります、きっとレイラがナニかしら人々の興味をかき立てたのだと。
それまでまったくもって無名なはず。星組94期といえば謎の麻央くん推し一辺倒でレイラはぜんぜん使われてなかった印象しかない。
せっかく検索してウチに来ても、有益な情報はナニもないんだがなあ。文化祭感想ではレイラのことも書いてるけど、芸名で書いてないからそこには検索ヒットしてないだろうし。
『ME AND MY GIRL』のモブで踊ってるあたりの記述しかないんじゃ……? しかもそれすら仙名さんのことばっか書いたよーな(笑)。
翌日kineさんに聞いてみたら、レイラに役が付いていた……らしい。大した役ではまったくないが、かわいこちゃんズの中、大人担当な分目立っていたと。
で、大した役でないからこそ、ボロも出ずに大人役が出来ていたと。
つーことで『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』観劇時、ひそかにレイラくんも楽しみにしていました。
大人? 大した役じゃないのに、こんだけ検索来まくる? って、どんなことになってるんだ、と。
…………納得。
アレはたしかに、目を引くわー。
レイラくんの役は、ホスト……ぢゃねえ、執事の根津。不二子ちゃん@紫月音寧ちゃんの相手役。
着崩した執事服にヒゲ、お色気お嬢様の腰を抱くフェロモン男。
ろくに台詞も見せ場もなんもナイけど、若さと幼さばかり目につく他の執事たちの中で、クールビューティメガネ執事@汐月くんと双璧的に目立つ。
汐月くんはふつーに出番も見せ場もあるので、背景役に過ぎないにぎやかしの執事の中では、やっぱレイラは目立つ。
で、ビジュアルで目立っているのに見せ場ナシ、……であることが、余計に興味をかき立てるのかなあと。
んで、「あのフェロモンゆんゆん男誰?」とプログラムで名前確認、次に学年を調べたらまさかの94期、研3?!
……で、とりあえずネットで検索してみる、と。←
文化祭では芝居の巧さと男役らしさで目を引いた子だけど、それはやはり「文化祭だから」であって、実際に劇団の舞台で台詞喋ってるのを見たのが『ブエノスアイレスの風』だっけ、やっぱ男役になるのは難しいんだなと思った。
それでもまったり見守ってきて、立ち姿は進化しているんだなと、ヴィジュアル特化の今回うれしかった。
星組の新公とご無沙汰していることもあり、若手を見ることが出来たのが直近では『ロミオとジュリエット』、レイラは青チームで元気に踊っていたけれど、やっぱりフェイスラインの丸さが残念だったんだよなあ。や、若いから仕方ないんだけど。
ところがどっこい、ヒゲ似合うじゃん! フェイスラインを引き締めて見せる効果アリだ。
長身と、厚みのあるカラダもいい方向に作用。
水輝りょおが好きだったわたしは、彼と似たイメージをレイラに重ねていたんだが、根津役でさらに実感。ああ、こーゆー厚みや丸さは、キライぢゃないんだわ、と。
……でも声と歌は、水輝と別次元だニャ……仕方ないけどな……(笑)。
少ない台詞はまだなんとか雰囲気でこなしていたけれど、ラストの短い歌い継ぎとか、見た目とのギャップが……。
歌うと研3のオンナノコだ……(笑)。
せっかく注目されたことだし、ここで中身も充実させて、どーんと羽ばたいて欲しいなあ。
……いやその、たかがこの辺境ブログのアクセス数が多かったぐらいで、ムーブメントを起こすような人気だと思っているわけではないですが。
それでも、こんだけ顕著に検索ワードがひとりの名前だらけになることって、ここが辺境であるゆえにまた珍しいことでなあ。(人気サイトならもっとチガウだろーし)
やっぱり、舞台人は舞台だよねえ。
舞台でなにかしら実績を上げないと、興味持ってもらえないよね。
そして、まずは劇場に足を運んでもらわないと、出会ってももらえないよね。
と、その昔、某ご贔屓の名前で誰か検索して来てくれないかと、毎日わくわく検索ワードを眺めていたことを思い出すわ……あんなに毎日必死に観劇感想も書いたのに、誰も来てくれなかった……そりゃそうだよな、誰も興味ないよな、実際劇場のガラガラっぷりもすげーことになってるしなと肩を落とした、某ヒポキャンパスDC……。
今は毎日ご贔屓の名前で検索くるけどさー。当時はほんっとなかったなああ。(特にあの公演は。もー自虐ネタとして定番化)
『メイちゃんの執事』は良い公演だと思います。
いろんな人に興味を持ってもらえて、まず劇場に足を運んでもらえて。
かわいくて楽しい、キラキラやトキメキ、女の子の大好きなモノがいっぱい詰め込まれた作品で。
主演のベニーやはるこちゃんたちのことをますます好きになり。
そして、今まで無名だった誰かに興味を持つ。
正しい「バウホール公演」だわ。
こんなプラスのベクトルに満ちあふれた公演を、これからもやってほしい。
(あんまりレイラ名で検索来るから、そしてせっかく来てもらってもろくに記事がないことを悔やんで、まずレイラのことから書いてみました。ふつーの公演感想はまた改めて)
この辺境ブログにやってくる検索ワードに変化があった。
漣レイラ。
アクセス解析ページにこの名前がずらーっと並んでた日にゃあ、びびりますよ。
ええ、レイラです。94期文化祭で結果的にわたしの目を奪っていった男です。でかくて丸くて(笑)、しかもアピールうるさい(笑)。まん丸なくせに、アゴのラインが独特で、本科生比では男役が出来ていた。
……や、もっとも目についた「男」ではありますが、94期でわたしのハートを奪ったのは娘役の仙名さんなんで、レイラくんは次点です(笑)。ダンスとかは仙名さんしか見てなかったからなあ、オレ。
『メイちゃん』初日は観てないけど、こんだけ検索ワードが偏っていたらわかります、きっとレイラがナニかしら人々の興味をかき立てたのだと。
それまでまったくもって無名なはず。星組94期といえば謎の麻央くん推し一辺倒でレイラはぜんぜん使われてなかった印象しかない。
せっかく検索してウチに来ても、有益な情報はナニもないんだがなあ。文化祭感想ではレイラのことも書いてるけど、芸名で書いてないからそこには検索ヒットしてないだろうし。
『ME AND MY GIRL』のモブで踊ってるあたりの記述しかないんじゃ……? しかもそれすら仙名さんのことばっか書いたよーな(笑)。
翌日kineさんに聞いてみたら、レイラに役が付いていた……らしい。大した役ではまったくないが、かわいこちゃんズの中、大人担当な分目立っていたと。
で、大した役でないからこそ、ボロも出ずに大人役が出来ていたと。
つーことで『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』観劇時、ひそかにレイラくんも楽しみにしていました。
大人? 大した役じゃないのに、こんだけ検索来まくる? って、どんなことになってるんだ、と。
…………納得。
アレはたしかに、目を引くわー。
レイラくんの役は、ホスト……ぢゃねえ、執事の根津。不二子ちゃん@紫月音寧ちゃんの相手役。
着崩した執事服にヒゲ、お色気お嬢様の腰を抱くフェロモン男。
ろくに台詞も見せ場もなんもナイけど、若さと幼さばかり目につく他の執事たちの中で、クールビューティメガネ執事@汐月くんと双璧的に目立つ。
汐月くんはふつーに出番も見せ場もあるので、背景役に過ぎないにぎやかしの執事の中では、やっぱレイラは目立つ。
で、ビジュアルで目立っているのに見せ場ナシ、……であることが、余計に興味をかき立てるのかなあと。
んで、「あのフェロモンゆんゆん男誰?」とプログラムで名前確認、次に学年を調べたらまさかの94期、研3?!
……で、とりあえずネットで検索してみる、と。←
文化祭では芝居の巧さと男役らしさで目を引いた子だけど、それはやはり「文化祭だから」であって、実際に劇団の舞台で台詞喋ってるのを見たのが『ブエノスアイレスの風』だっけ、やっぱ男役になるのは難しいんだなと思った。
それでもまったり見守ってきて、立ち姿は進化しているんだなと、ヴィジュアル特化の今回うれしかった。
星組の新公とご無沙汰していることもあり、若手を見ることが出来たのが直近では『ロミオとジュリエット』、レイラは青チームで元気に踊っていたけれど、やっぱりフェイスラインの丸さが残念だったんだよなあ。や、若いから仕方ないんだけど。
ところがどっこい、ヒゲ似合うじゃん! フェイスラインを引き締めて見せる効果アリだ。
長身と、厚みのあるカラダもいい方向に作用。
水輝りょおが好きだったわたしは、彼と似たイメージをレイラに重ねていたんだが、根津役でさらに実感。ああ、こーゆー厚みや丸さは、キライぢゃないんだわ、と。
……でも声と歌は、水輝と別次元だニャ……仕方ないけどな……(笑)。
少ない台詞はまだなんとか雰囲気でこなしていたけれど、ラストの短い歌い継ぎとか、見た目とのギャップが……。
歌うと研3のオンナノコだ……(笑)。
せっかく注目されたことだし、ここで中身も充実させて、どーんと羽ばたいて欲しいなあ。
……いやその、たかがこの辺境ブログのアクセス数が多かったぐらいで、ムーブメントを起こすような人気だと思っているわけではないですが。
それでも、こんだけ顕著に検索ワードがひとりの名前だらけになることって、ここが辺境であるゆえにまた珍しいことでなあ。(人気サイトならもっとチガウだろーし)
やっぱり、舞台人は舞台だよねえ。
舞台でなにかしら実績を上げないと、興味持ってもらえないよね。
そして、まずは劇場に足を運んでもらわないと、出会ってももらえないよね。
と、その昔、某ご贔屓の名前で誰か検索して来てくれないかと、毎日わくわく検索ワードを眺めていたことを思い出すわ……あんなに毎日必死に観劇感想も書いたのに、誰も来てくれなかった……そりゃそうだよな、誰も興味ないよな、実際劇場のガラガラっぷりもすげーことになってるしなと肩を落とした、某ヒポキャンパスDC……。
今は毎日ご贔屓の名前で検索くるけどさー。当時はほんっとなかったなああ。(特にあの公演は。もー自虐ネタとして定番化)
『メイちゃんの執事』は良い公演だと思います。
いろんな人に興味を持ってもらえて、まず劇場に足を運んでもらえて。
かわいくて楽しい、キラキラやトキメキ、女の子の大好きなモノがいっぱい詰め込まれた作品で。
主演のベニーやはるこちゃんたちのことをますます好きになり。
そして、今まで無名だった誰かに興味を持つ。
正しい「バウホール公演」だわ。
こんなプラスのベクトルに満ちあふれた公演を、これからもやってほしい。
(あんまりレイラ名で検索来るから、そしてせっかく来てもらってもろくに記事がないことを悔やんで、まずレイラのことから書いてみました。ふつーの公演感想はまた改めて)
思わず、過去を振り返る。@『黒い瞳』ポスター
2011年2月11日 タカラヅカ
雪組全国ツアー公演『黒い瞳』『ロック・オン!』ポスター出ました。
えーと。
未涼亜希、はじめてのポスター掲載です。
ちょ……ナニガオコッテイルノ??
彼は今までただの一度もポスターに載ったことないっす。
バウで2番手やろーと、DCで2番手やろーと、載せてもらってません。
以前バウのポスター掲載者を調べたことがある。(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1792.html)
そこでわかったことは、「劇団は、主演(WS等含む)をさせる予定のあるモノしか、ポスターには載せない」ということだった。
阪急沿線など、ヅカファン以外の人の目に触れるところに劇団の名を掲げて貼り出す以上、売るつもりのない商品は掲載しないのだ。そんな無駄なカネは使えない。当然の判断。
だからもう、まっつが劇団のポスターに載ることはないのだと、肩を落とした。
今後、何度バウ2番手やDC2番手をしたとしても、ポスターに載ることはないんだ……路線スター様とそうでない者の差を思い知らされた。
のに。
ああ、なのに。
何故全ツで??
全ツポスターって、基本トップコンビのみっしょ?
雪組は娘役トップがいないからという特殊事情があるにしろ、それならキムくんひとりでもいいわけで。
思わず調べました(笑)。
過去の全ツポスター掲載人数。
全部書き出すと長くてウザいので、結果のみ、2002年~2010年。
27公演中、トップコンビのみは、18公演。
トップコンビに加えて2番手が掲載されているモノは、6公演。
2番手以外が、この公演限定の2番手枠として掲載されているモノが、2公演。
記憶は間違っておらず、やはり全ツといえば、トップコンビのみっつーのが基本のようだ。
全ツは1年に3回だから、1年以上の間に1回、2番手も載ることがあるかな、くらいの確率。
2番手以外で全ツポスターに載ったのは、みっちゃんと新専科だったガイチ。しかもガイチは丸囲みで小さく載ったのみ。
基本がトップコンビだから、2番手でも珍しいのに、新専科事情は置くとして、それ以外で載ったみっちゃんすげえ。
されど、みっちゃんにしろガイチにしろ、それまでに本公演ポスターにも本人の主演バウにもふつーに掲載されている。
まったくもって掲載経験ナシのところからってのは、さらに特異な事態。
てゆーか、あらゆるポスターで、主演経験ないまま載ってる人っているのか?
だいもんとか89期以下の、今後主演バウが組まれる可能性のある若手スター以外で。(『摩天楼狂詩曲』は役替わりという特殊事情もあるしなー)
前のご贔屓も路線スターじゃないのに何故か本公演ポスターに載ったりしていたけれど、バウ主演はしていたし。
やっぱ近年では未聞の出来事?
『ロミオとジュリエット』プログラムの扱いといい、つくづく前例のないまま行く人だなあ。(WS主演すら未経験でプログラムで1P載りなんて人、見たことないっす)
ちなみに、前述の全ツポスター掲載人数。
27公演中、トップのみが18、2番手までが6、2番手以外が2……1本足りませんよ?
ええ、残りの1公演は、2002年の雪組全国ツアー公演、コム姫ひとり写り!
3人写ってるけど、全部コム姫(笑)。
とまあ、その気があれば、トップスターのキムくんひとりでポスターも、前例があるんだから作れたの。
ニコライ@『黒い瞳』でバーン、下半分はヅカのシンボルである大羽根背負ったショー衣装でバーン!とかいうふーに。
なのにあえてまっつを載せてくれて、感謝です。
なにがどーしてそーなったかわからないけど、ラッキー!!(笑)
一度でいいから、ポスターに載ったまっつが見てみたかったの。
夢が叶ったっす……。
しかも、なんかふつーにかっこよくて、びびる……。
どーしちゃったんだ、まっつの中の人。
『宝塚巴里祭2009』ポスターの微妙さが嘘のやうだ……。
これからは、ポスターやプログラムの掲載基準が変わる……いや、まっつの扱いを見ても、すでに変わったのかもしれない。
脇スキー的には、喜ばしいことだ。
ちぎくんバウのポスターに、ヲヅキさん載らないかな~~。見たいなー。
また、こーやってヒロインとして堂々掲載されたみみちゃんは、この公演のでのヒロインポジションだと思って良いよね。
全ツは他の公演とは違い、ヅカをよく知らない人々向けだ。
それぞれの地方興行主がチケットを発売しているのだから、「トップ娘役不在なんですよ」とか「この前の公演では、ヒロインがWキャストで、もうひとりヒロイン扱いしないといけない娘がいるんですよ」とかは、彼らには無関係。ヅカ内部の事情を彼らに押しつけるわけにはいかない。
ヅカをまったく知らないお客さん相手に「この人たちがメインキャストですよ」とわざわざ告知した以上、責任は取らないと。
みみちゃんが「この公演の娘役代表」でないのなら、最初からポスターに載せなければ済む。載せたんだから、芝居だけでなく公演自体の「顔」、ヒロインだよね。
てゆーか、ヅカの看板背負って巡業するんだから、トップでなきゃいかんよなあ。
わたしが知る限り、トップ以外で全ツを回ったのは水しぇんだけ。でも水しぇんは次期トップスターという肩書きがあり、実際その後トップになったしなあ。
あ、冒頭の画像は98年の『黒い瞳』です。いや、思わず引っ張り出したよ、チラシ(笑)。
全ツ『黒い瞳』ポスターは初演と同じラインでデザインされているのがわかる。
しかし赤と青……つーか、ワインレッドとアイスブルーですか、正反対の色で作られますわ。『ロック・オン!』のロゴまで青いし。
この差はなんなんだろうね。
キムくんはマミさんより、持ち味がさわやかだからかなあ。
……プガチョフ@まっつ、なんか若くね?
なんかまつださん、若返ってきてる??
やっぱナニか変。ナニが起こってるの~~?!(今の扱いに慣れない。こわい)
(ついでに99年『ノバ・ボサ・ノバ』のチラシや、トド様ばーーん!の『ノバ・ボサ・ノバ』前夜祭プログラム表紙とかも発掘してウケる。いや、ナニよりすげーのが、98年雪組全ツ『風と共に去りぬ』ですよ、スカーレットが黒燕尾ですよ……笑)
えーと。
未涼亜希、はじめてのポスター掲載です。
ちょ……ナニガオコッテイルノ??
彼は今までただの一度もポスターに載ったことないっす。
バウで2番手やろーと、DCで2番手やろーと、載せてもらってません。
以前バウのポスター掲載者を調べたことがある。(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1792.html)
そこでわかったことは、「劇団は、主演(WS等含む)をさせる予定のあるモノしか、ポスターには載せない」ということだった。
阪急沿線など、ヅカファン以外の人の目に触れるところに劇団の名を掲げて貼り出す以上、売るつもりのない商品は掲載しないのだ。そんな無駄なカネは使えない。当然の判断。
だからもう、まっつが劇団のポスターに載ることはないのだと、肩を落とした。
今後、何度バウ2番手やDC2番手をしたとしても、ポスターに載ることはないんだ……路線スター様とそうでない者の差を思い知らされた。
のに。
ああ、なのに。
何故全ツで??
全ツポスターって、基本トップコンビのみっしょ?
雪組は娘役トップがいないからという特殊事情があるにしろ、それならキムくんひとりでもいいわけで。
思わず調べました(笑)。
過去の全ツポスター掲載人数。
全部書き出すと長くてウザいので、結果のみ、2002年~2010年。
27公演中、トップコンビのみは、18公演。
トップコンビに加えて2番手が掲載されているモノは、6公演。
2番手以外が、この公演限定の2番手枠として掲載されているモノが、2公演。
記憶は間違っておらず、やはり全ツといえば、トップコンビのみっつーのが基本のようだ。
全ツは1年に3回だから、1年以上の間に1回、2番手も載ることがあるかな、くらいの確率。
2番手以外で全ツポスターに載ったのは、みっちゃんと新専科だったガイチ。しかもガイチは丸囲みで小さく載ったのみ。
基本がトップコンビだから、2番手でも珍しいのに、新専科事情は置くとして、それ以外で載ったみっちゃんすげえ。
されど、みっちゃんにしろガイチにしろ、それまでに本公演ポスターにも本人の主演バウにもふつーに掲載されている。
まったくもって掲載経験ナシのところからってのは、さらに特異な事態。
てゆーか、あらゆるポスターで、主演経験ないまま載ってる人っているのか?
だいもんとか89期以下の、今後主演バウが組まれる可能性のある若手スター以外で。(『摩天楼狂詩曲』は役替わりという特殊事情もあるしなー)
前のご贔屓も路線スターじゃないのに何故か本公演ポスターに載ったりしていたけれど、バウ主演はしていたし。
やっぱ近年では未聞の出来事?
『ロミオとジュリエット』プログラムの扱いといい、つくづく前例のないまま行く人だなあ。(WS主演すら未経験でプログラムで1P載りなんて人、見たことないっす)
ちなみに、前述の全ツポスター掲載人数。
27公演中、トップのみが18、2番手までが6、2番手以外が2……1本足りませんよ?
ええ、残りの1公演は、2002年の雪組全国ツアー公演、コム姫ひとり写り!
3人写ってるけど、全部コム姫(笑)。
とまあ、その気があれば、トップスターのキムくんひとりでポスターも、前例があるんだから作れたの。
ニコライ@『黒い瞳』でバーン、下半分はヅカのシンボルである大羽根背負ったショー衣装でバーン!とかいうふーに。
なのにあえてまっつを載せてくれて、感謝です。
なにがどーしてそーなったかわからないけど、ラッキー!!(笑)
一度でいいから、ポスターに載ったまっつが見てみたかったの。
夢が叶ったっす……。
しかも、なんかふつーにかっこよくて、びびる……。
どーしちゃったんだ、まっつの中の人。
これからは、ポスターやプログラムの掲載基準が変わる……いや、まっつの扱いを見ても、すでに変わったのかもしれない。
脇スキー的には、喜ばしいことだ。
ちぎくんバウのポスターに、ヲヅキさん載らないかな~~。見たいなー。
また、こーやってヒロインとして堂々掲載されたみみちゃんは、この公演のでのヒロインポジションだと思って良いよね。
全ツは他の公演とは違い、ヅカをよく知らない人々向けだ。
それぞれの地方興行主がチケットを発売しているのだから、「トップ娘役不在なんですよ」とか「この前の公演では、ヒロインがWキャストで、もうひとりヒロイン扱いしないといけない娘がいるんですよ」とかは、彼らには無関係。ヅカ内部の事情を彼らに押しつけるわけにはいかない。
ヅカをまったく知らないお客さん相手に「この人たちがメインキャストですよ」とわざわざ告知した以上、責任は取らないと。
みみちゃんが「この公演の娘役代表」でないのなら、最初からポスターに載せなければ済む。載せたんだから、芝居だけでなく公演自体の「顔」、ヒロインだよね。
てゆーか、ヅカの看板背負って巡業するんだから、トップでなきゃいかんよなあ。
わたしが知る限り、トップ以外で全ツを回ったのは水しぇんだけ。でも水しぇんは次期トップスターという肩書きがあり、実際その後トップになったしなあ。
あ、冒頭の画像は98年の『黒い瞳』です。いや、思わず引っ張り出したよ、チラシ(笑)。
全ツ『黒い瞳』ポスターは初演と同じラインでデザインされているのがわかる。
しかし赤と青……つーか、ワインレッドとアイスブルーですか、正反対の色で作られますわ。『ロック・オン!』のロゴまで青いし。
この差はなんなんだろうね。
キムくんはマミさんより、持ち味がさわやかだからかなあ。
……プガチョフ@まっつ、なんか若くね?
なんかまつださん、若返ってきてる??
やっぱナニか変。ナニが起こってるの~~?!(今の扱いに慣れない。こわい)
(ついでに99年『ノバ・ボサ・ノバ』のチラシや、トド様ばーーん!の『ノバ・ボサ・ノバ』前夜祭プログラム表紙とかも発掘してウケる。いや、ナニよりすげーのが、98年雪組全ツ『風と共に去りぬ』ですよ、スカーレットが黒燕尾ですよ……笑)
奇跡は続かないからこそ奇跡。@2011年ラインアップ
2011年2月10日 タカラヅカ 名作で、作品を好きで、贔屓の役が好きで、贔屓の出番が多いなんて公演は奇跡である。
ヅカヲタやって長いけど、そんな幸運に遭遇することは相当稀である。
つーことで、『ロミオとジュリエット』公演中は祭り状態、自分でもありえない勢いでリピートしていた。
加えて、次の『黒い瞳』『ロック・オン!』も、『ロミジュリ』ほどのハイクオリティ作品じゃないにしろ、ヅカでは十分に良作。そこに贔屓が2番手格で出演する……ってことで、まさかの奇跡継続! 盆と正月がいっぺんに来た浮かれっぷり。
ナニが起こってるの、シアワセ過ぎてコワイ……!状態だったんだが。
はい。
所詮は奇跡。
滅多に起こらないからこその奇跡。
『H2$』かよ……。
その96年の真矢みき時代に観劇しました。
名作らしい、楽しいらしいと前評判は聞いていたけれど。
わたしには、まったく合いませんでした。
バド@タモさんが面白かっただけで、主人公のフィンチ@ミキちゃんはいいとしても、他の役もストーリーも疑問だらけ、なんでこれ、ヅカでやらなきゃいけないの?? と、がっくりと肩を落とし、2度と観に行かなかった。
バドが面白いっつっても、悪意のある滑稽さはわたしの好みじゃないっす……。
物語ではなくショーだと割り切って、ナンバーを楽しむなら、アリなのかなあ。
『ロミジュリ』『黒い瞳』『ロック・オン!』と、奇跡が続いたんだもの。このへんでがっくり落ちるのは仕方ない。
てゆーかこれは、びんぼーなわたしへの財政を立て直すチャンス到来なのだわきっと。
贔屓が出る以上観劇はするけれど、アホみたいにリピートはしないだろーから、『ロミジュリ』や全ツで使いすぎてすっからかんのお財布を、次の公演までに人並みに戻せということなんだわ。や、1公演自粛したところで人並み以下にしかなれないびんぼー人だけどなっ。
しかし、夏の梅芸公演とわたしは基本相性が良くないなー。
てゆーか1本モノのミュージカルと決まっているらしいハコなので、海外ミュージカルがあまり得意でないわたしには鬼門となっている模様。
2年前の『ME AND MY GIRL』が発表されたときもヘコんだなー。1回観る分にはいいけど、贔屓がその他大勢で出演だとリピートはつらいなーと。
タカラヅカ的に構成し直したミュージカルはいいんだけど、翻訳の古さまでそのまんま?な、ただの輸入モノはヅカで観たくないっすよ。タカラヅカの良さが活きない。
んで『ME AND MY GIRL』のときも思ったな、通わなくて済むからお財布にやさしい公演だと。そう前向きに捉えていたんだが結局贔屓は出演せず、まさかの大出費になったんだっけ……なつかしー。
えーと。
わたしの好みではない、というだけで、世の中的には名作で人気作なんじゃないかなと思います、多分、きっと。
2番手までのファンは楽しめるんじゃないかなあ。
まっつはなんの役になるのやら。タータンあたりかな。
てゆーかヒロイン誰なのよ。
トップ出演作に、ヒロインがわからないなんて、やっぱおかしいよ歌劇団。
ヅカヲタやって長いけど、そんな幸運に遭遇することは相当稀である。
つーことで、『ロミオとジュリエット』公演中は祭り状態、自分でもありえない勢いでリピートしていた。
加えて、次の『黒い瞳』『ロック・オン!』も、『ロミジュリ』ほどのハイクオリティ作品じゃないにしろ、ヅカでは十分に良作。そこに贔屓が2番手格で出演する……ってことで、まさかの奇跡継続! 盆と正月がいっぺんに来た浮かれっぷり。
ナニが起こってるの、シアワセ過ぎてコワイ……!状態だったんだが。
はい。
所詮は奇跡。
滅多に起こらないからこその奇跡。
2011/02/10
2011年 公演ラインアップ【梅田芸術劇場メインホール】<7月・雪組『ハウ・トゥー・サクシード』>
2月10日(木)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、梅田芸術劇場メインホール公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
雪組
■主演・・・(雪組)音月 桂
◆梅田芸術劇場メインホール:2011年7月1日(金)~7月17日(日)
一般前売:2011年5月1日(日)
座席料金:S席8,500円、A席6,000円、B席3,000円(税込)
ミュージカル
『ハウ・トゥー・サクシード』
How To Succeed in Business Without Really Trying!
-努力しないで出世する方法-
原作/シェパード・ミード
脚本/エイブ・バローズ、ジャック・ウェインストック、ウィリー・ギルバート
作詞・作曲/フランク・レッサー
脚色・演出/酒井澄夫
1961年にブロードウェイで初演され、1417回のロングラン記録を持ち、1962年度のトニー賞最優秀ミュージカル賞など数々の賞に輝いたヒット作で、現在ブロードウェイでの再演が大きな話題となっている『ハウ・トゥー・サクシード-努力しないで出世する方法-』。宝塚歌劇では1996年に真矢みき、純名里沙、愛華みれを中心とした花組で上演し、大好評を博しました。1950年代のアメリカのビジネスマン社会を皮肉ったミュージカルで、話題のビジネス成功法を耳にした窓拭き青年フィンチが、波乱万丈の出世街道を驀進する姿をユーモラスに描いたコメディ作品です。
『H2$』かよ……。
その96年の真矢みき時代に観劇しました。
名作らしい、楽しいらしいと前評判は聞いていたけれど。
わたしには、まったく合いませんでした。
バド@タモさんが面白かっただけで、主人公のフィンチ@ミキちゃんはいいとしても、他の役もストーリーも疑問だらけ、なんでこれ、ヅカでやらなきゃいけないの?? と、がっくりと肩を落とし、2度と観に行かなかった。
バドが面白いっつっても、悪意のある滑稽さはわたしの好みじゃないっす……。
物語ではなくショーだと割り切って、ナンバーを楽しむなら、アリなのかなあ。
『ロミジュリ』『黒い瞳』『ロック・オン!』と、奇跡が続いたんだもの。このへんでがっくり落ちるのは仕方ない。
てゆーかこれは、びんぼーなわたしへの財政を立て直すチャンス到来なのだわきっと。
贔屓が出る以上観劇はするけれど、アホみたいにリピートはしないだろーから、『ロミジュリ』や全ツで使いすぎてすっからかんのお財布を、次の公演までに人並みに戻せということなんだわ。や、1公演自粛したところで人並み以下にしかなれないびんぼー人だけどなっ。
しかし、夏の梅芸公演とわたしは基本相性が良くないなー。
てゆーか1本モノのミュージカルと決まっているらしいハコなので、海外ミュージカルがあまり得意でないわたしには鬼門となっている模様。
2年前の『ME AND MY GIRL』が発表されたときもヘコんだなー。1回観る分にはいいけど、贔屓がその他大勢で出演だとリピートはつらいなーと。
タカラヅカ的に構成し直したミュージカルはいいんだけど、翻訳の古さまでそのまんま?な、ただの輸入モノはヅカで観たくないっすよ。タカラヅカの良さが活きない。
んで『ME AND MY GIRL』のときも思ったな、通わなくて済むからお財布にやさしい公演だと。そう前向きに捉えていたんだが結局贔屓は出演せず、まさかの大出費になったんだっけ……なつかしー。
えーと。
わたしの好みではない、というだけで、世の中的には名作で人気作なんじゃないかなと思います、多分、きっと。
2番手までのファンは楽しめるんじゃないかなあ。
まっつはなんの役になるのやら。タータンあたりかな。
てゆーかヒロイン誰なのよ。
トップ出演作に、ヒロインがわからないなんて、やっぱおかしいよ歌劇団。
ナイショですよ。@ロミオとジュリエット
2011年2月9日 タカラヅカ 私は名もなきキャピュレット家の者です。
この小さな胸にしまい込むことができない、ある秘密を聞いてください。王様の耳はロバの耳、ここではき出すことで封印したいのです。
キャピュレット家の次期当主、後継者のティボルト様は、いつもナイフを持っていらっしゃいます。
「俺には軍神マルスがついている」
そう言ってナイフをかざして見せたり。
荒々しくも魅力的な、頼もしい方です。
でも、あの。
見てしまったんです。
「なあ、マルス。マーキューシオのヤツ、マジでムカつくよな。今度こそがつんとやらなきゃだよな。ん、お前もそう思うか」
ティボルト様が、ナイフに語りかけているのを!
てゆーか、ナイフと会話してらっしゃるんです、ナチュラルに、ふつーに、日常的に。
「ジュリエットはピンクが似合うよなあ。うんうん、そうだろ。……えー、ナニ言ってんだ、バカだなあ。ははは」
「軍神マルスがついてる」って、比喩じゃなくて、ほんとにあのナイフが「軍神マルスくん」なんです、名前なんです、いつも一緒の友だちなんです。
あの人ほら、友だちいないから。ぼっちだから。
子どもの頃からいつもひとりで「ヒーローごっこ」とかしていたけれど。
あのトシでソレって……あの図体で、あのキャラで……。
……秘密ですよ?! こんなことを喋ったとわかったら、殺されます! あの人クソ真面目でシャレとかツッコミとか、ぜんぜん受け入れられないんですから!!
ああでも、黙っていられなくて! 王様の耳はロバの耳!
今日もひとりで、「マルスくん」に話しかけてますよ。
友だち、できるといいですね。
人間の。
☆
えー、愛してやまない、雪組版『ロミオとジュリエット』のあれやこれや。
なんか機嫌良く週3日ペースで通ってしまったので、その間いろいろ思うところあり。
出演者たちが日を追うごとに生き生きとその世界で息づいていくさまを楽しく眺めたり、また声が嗄れていくことにハラハラしたり。
台詞噛んじゃう・間違えちゃうNo.1は、わたしが観ているときに限って言えば、ぶっちぎりで乳母@コマくんでした(笑)。
てゆーかキミ、噛まずに終われる日は来るのか?と思うくらい、毎回なにかしらやらかしてくれた。
でも公演後半は噛まなくなってた。
コマくん、なんでお化粧変えちゃったのかなあ。
初日と翌日ぐらいまではおてもやんだったのが、濃いめのチークなだけになり、公演が進むにつれそれすら薄くなり、顔だけ見てるとふつーにきれーなおねーさんになっていった。カラダはおでぶのままなんだけど。
初日のおてもやんも好きだったんだけどなあ。男役が乳母だと、ここまで汚していいものなのか、と。
乳母の言い間違いで愉快だったのは、ロミオ@キムくんとはじめて会ったときに、彼のカラダを触り、「うん、逞しいわ」と言うところ。
「たくましいわ」が正解なのに、「たのもしいわ」と言っちゃったんだな。
間違いじゃない。間違いじゃないんだけど。
「ちえちゃんなら『たくましい』だけど、ケイちゃんだからそれはまずいと思って『たのもしい』にしたのかと思った」
と、その回を観た友人が真顔で言っていたよーに、ソコを変えてしまうと星組版との差異がええっと。
キムくんだって、たくましいと思う。うん。
乳母のソロは大変なんだなあと思う。
コマは歌える人なのに、あの音域は相当難しいんだな。新公は娘役で歌ウマのさらさちゃんがやっていたけれど、彼女もまた高音と低音の両方は出なかった。
コマ乳母は地声で高音まで無理から出していたので、いつ声が途切れるかハラハラしっぱなしだった(笑)。
そして、公演が進むにつれ……やばくなっていった、歌。音程とか声量とか、もういろいろと。
それでも、彼女の歌声が好きだ。
乳母はコマくんでなきゃ!と思う。
千秋楽の3日前くらいだったかな、乳母が裏声でソロを歌っていたときがあって。
びっくりしたよ、え、なんで?と。裏声使うことにしたんだ? と思ったら、それ1回きりで、そのあとはまた地声で歌うようになっていた。
チャレンジしてみて、やっぱり違ったのかな。
公演を通してキャラクタ変わったかなーと思ったのは、神父@にわさん。
最初はほんとエマくみちょの台詞回しまんまで首を傾げてたんだけど、どんどんにわさんの神父になっていった。
エマさんのあのひょうひょうとした感じはエマさんだからであって、にわさんはチガウよなー。
変に奇をてらわず、ふつーにおじーさんっぽくしているときが好きだった。わりとその日によってチガウんだけど。
枯れてる方が好みだよー。
マーキューシオ@ちぎくんが「歌劇」や「BINGO」で自ら告白していたナイフ落とし事件やナイフ忘れて絞殺未遂事件は、わたしは観ていない。
マーさんの失敗でわたしのツボにはまったのは、ちょっとした言い間違い。
「決闘」場面にて、マーさんはティボルト@ヲヅキに「キャピュレットの貴公子のお出ましだぜ」と声を掛ける。
んで「モンタギューの飼い犬か。ロミオはどこだ」「色男が女あさりに飽きたのか」とつながるわけだ。
この「キャピュレットの貴公子」を、ちぎくんが「キャピュレットの色男のお出ましだぜ」と言い間違えた。
んでもう一度そのあとに、「色男が女あさりに飽きたのか」と言う。
大切なことだから2回言ったんですね。
ティボルトは色男。ティボルトは色男。
いやその、ティボルトがかなめくんならいいんですよ、でもほら、ヲヅキさんじゃないですか。
ご本人がすでに「最初は色気を出そうと考えてたけど、ソレはもういいかと思うようになった」と語っておられる、色気より人間臭さのティボルトさんですよ。
2回言われてもねー(笑)。
マーさんはティボルトを色男だと思ってるんだー。ふふふ。
や、いいですな、ティボ×マー。(かけ算はやめなさい)
わたしはティボ×ベン一押しですが。(だからかけ算は……)
さらに言うと、ティボ×ベン→マーだったりするんですが。(数式はもっとやめなさい)
そーいやベン様@まっつ、「綺麗は汚い」の場面の最初、ヒメと踊らなくなったのはなんで?
最初の方は振付?ってくらい必ず踊っていたのに、後半はナシだった。
女ったらしのベンヴォーリオ様としては、ヒメはタラす相手に含まれないの??
いやその、相手が相手なので、ベン様の方が食われちゃいそうでドキドキしていたことは、ナイショですよ(笑)。
この小さな胸にしまい込むことができない、ある秘密を聞いてください。王様の耳はロバの耳、ここではき出すことで封印したいのです。
キャピュレット家の次期当主、後継者のティボルト様は、いつもナイフを持っていらっしゃいます。
「俺には軍神マルスがついている」
そう言ってナイフをかざして見せたり。
荒々しくも魅力的な、頼もしい方です。
でも、あの。
見てしまったんです。
「なあ、マルス。マーキューシオのヤツ、マジでムカつくよな。今度こそがつんとやらなきゃだよな。ん、お前もそう思うか」
ティボルト様が、ナイフに語りかけているのを!
てゆーか、ナイフと会話してらっしゃるんです、ナチュラルに、ふつーに、日常的に。
「ジュリエットはピンクが似合うよなあ。うんうん、そうだろ。……えー、ナニ言ってんだ、バカだなあ。ははは」
「軍神マルスがついてる」って、比喩じゃなくて、ほんとにあのナイフが「軍神マルスくん」なんです、名前なんです、いつも一緒の友だちなんです。
あの人ほら、友だちいないから。ぼっちだから。
子どもの頃からいつもひとりで「ヒーローごっこ」とかしていたけれど。
あのトシでソレって……あの図体で、あのキャラで……。
……秘密ですよ?! こんなことを喋ったとわかったら、殺されます! あの人クソ真面目でシャレとかツッコミとか、ぜんぜん受け入れられないんですから!!
ああでも、黙っていられなくて! 王様の耳はロバの耳!
今日もひとりで、「マルスくん」に話しかけてますよ。
友だち、できるといいですね。
人間の。
☆
えー、愛してやまない、雪組版『ロミオとジュリエット』のあれやこれや。
なんか機嫌良く週3日ペースで通ってしまったので、その間いろいろ思うところあり。
出演者たちが日を追うごとに生き生きとその世界で息づいていくさまを楽しく眺めたり、また声が嗄れていくことにハラハラしたり。
台詞噛んじゃう・間違えちゃうNo.1は、わたしが観ているときに限って言えば、ぶっちぎりで乳母@コマくんでした(笑)。
てゆーかキミ、噛まずに終われる日は来るのか?と思うくらい、毎回なにかしらやらかしてくれた。
でも公演後半は噛まなくなってた。
コマくん、なんでお化粧変えちゃったのかなあ。
初日と翌日ぐらいまではおてもやんだったのが、濃いめのチークなだけになり、公演が進むにつれそれすら薄くなり、顔だけ見てるとふつーにきれーなおねーさんになっていった。カラダはおでぶのままなんだけど。
初日のおてもやんも好きだったんだけどなあ。男役が乳母だと、ここまで汚していいものなのか、と。
乳母の言い間違いで愉快だったのは、ロミオ@キムくんとはじめて会ったときに、彼のカラダを触り、「うん、逞しいわ」と言うところ。
「たくましいわ」が正解なのに、「たのもしいわ」と言っちゃったんだな。
間違いじゃない。間違いじゃないんだけど。
「ちえちゃんなら『たくましい』だけど、ケイちゃんだからそれはまずいと思って『たのもしい』にしたのかと思った」
と、その回を観た友人が真顔で言っていたよーに、ソコを変えてしまうと星組版との差異がええっと。
キムくんだって、たくましいと思う。うん。
乳母のソロは大変なんだなあと思う。
コマは歌える人なのに、あの音域は相当難しいんだな。新公は娘役で歌ウマのさらさちゃんがやっていたけれど、彼女もまた高音と低音の両方は出なかった。
コマ乳母は地声で高音まで無理から出していたので、いつ声が途切れるかハラハラしっぱなしだった(笑)。
そして、公演が進むにつれ……やばくなっていった、歌。音程とか声量とか、もういろいろと。
それでも、彼女の歌声が好きだ。
乳母はコマくんでなきゃ!と思う。
千秋楽の3日前くらいだったかな、乳母が裏声でソロを歌っていたときがあって。
びっくりしたよ、え、なんで?と。裏声使うことにしたんだ? と思ったら、それ1回きりで、そのあとはまた地声で歌うようになっていた。
チャレンジしてみて、やっぱり違ったのかな。
公演を通してキャラクタ変わったかなーと思ったのは、神父@にわさん。
最初はほんとエマくみちょの台詞回しまんまで首を傾げてたんだけど、どんどんにわさんの神父になっていった。
エマさんのあのひょうひょうとした感じはエマさんだからであって、にわさんはチガウよなー。
変に奇をてらわず、ふつーにおじーさんっぽくしているときが好きだった。わりとその日によってチガウんだけど。
枯れてる方が好みだよー。
マーキューシオ@ちぎくんが「歌劇」や「BINGO」で自ら告白していたナイフ落とし事件やナイフ忘れて絞殺未遂事件は、わたしは観ていない。
マーさんの失敗でわたしのツボにはまったのは、ちょっとした言い間違い。
「決闘」場面にて、マーさんはティボルト@ヲヅキに「キャピュレットの貴公子のお出ましだぜ」と声を掛ける。
んで「モンタギューの飼い犬か。ロミオはどこだ」「色男が女あさりに飽きたのか」とつながるわけだ。
この「キャピュレットの貴公子」を、ちぎくんが「キャピュレットの色男のお出ましだぜ」と言い間違えた。
んでもう一度そのあとに、「色男が女あさりに飽きたのか」と言う。
大切なことだから2回言ったんですね。
ティボルトは色男。ティボルトは色男。
いやその、ティボルトがかなめくんならいいんですよ、でもほら、ヲヅキさんじゃないですか。
ご本人がすでに「最初は色気を出そうと考えてたけど、ソレはもういいかと思うようになった」と語っておられる、色気より人間臭さのティボルトさんですよ。
2回言われてもねー(笑)。
マーさんはティボルトを色男だと思ってるんだー。ふふふ。
や、いいですな、ティボ×マー。(かけ算はやめなさい)
わたしはティボ×ベン一押しですが。(だからかけ算は……)
さらに言うと、ティボ×ベン→マーだったりするんですが。(数式はもっとやめなさい)
そーいやベン様@まっつ、「綺麗は汚い」の場面の最初、ヒメと踊らなくなったのはなんで?
最初の方は振付?ってくらい必ず踊っていたのに、後半はナシだった。
女ったらしのベンヴォーリオ様としては、ヒメはタラす相手に含まれないの??
いやその、相手が相手なので、ベン様の方が食われちゃいそうでドキドキしていたことは、ナイショですよ(笑)。
番手と演出と・その2。@ロミオとジュリエット
2011年2月8日 タカラヅカ 雪組版『ロミオとジュリエット』の演出についての疑問点、続き。
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいいと思う。潔いと思う。
だが。
番手制度は、守られているんだ。姑息に。
物語重視ならば、ティボルトが2番手役。ならば何故、ティボルト@ヲヅキの歌は削られた?
ティボが2番手でいいなら、星組版のまま上演されたはずだ。
雪組版でティボルトを演じるのが2番手ではない、そんな番手事情ゆえに、大切な準主役の歌がカットされた。
また、上演されているのは梅芸ではなく、大劇場だ。
大劇場にはタカラヅカの売りのひとつであるエプロンステージ、銀橋がある。
ことあるごとにスターが銀橋を渡り、客席の近くで華やかな姿を見せる。それが本拠地宝塚大劇場の醍醐味。
なのに、銀橋が使われない。
大劇場全体を使ったダイナミックな演出を得意とする小池修一郎が、銀橋の存在をあえて無視している。
植爺のように、カーテン乱用。なにかっちゃーカーテンが閉まり、その前を使う。
そう、銀橋を使わないのではなく、使えないんだ。
番手制度ゆえに。
2番手に、銀橋ソロがないから。
ティボルトの「本当の俺じゃない」は、ふつーなら銀橋ソロだ。準主役がひとり舞台に残り、心情を歌い上げる、ドラマティックな場面だ。
だがティボルト役を演じている役者が2番手ではない。だから銀橋は渡らせられない。
乳母@コマのソロにしろ、ベンヴォーリオ@まっつのソロにしろ、銀橋を使うことは可能だ。
つか、その方が盛り上がる。より画面に奥行きが出来る、客席に訴えかけられる。
だが、それは許されない。それらの役を演じている役者が、2番手ではないから。
むしろ、2番手役者がなにかしらソロで銀橋を渡っていたら、他の役も銀橋に出すことが出来た。
2番手のみが最後まで銀橋を歌って渡りきり、他の者たちは途中まで歌ってあとは黙って足早に歩き去るとか、途中までで引き返すとかで、差別化できた。
ソロで最後までではなく、次の場面の登場人物を迎えに来させ、ソロで渡りきっていない、途中から何人口だった、と言い訳できる。
乳母ならジュリエットが途中まで迎えに出て、銀橋で薔薇の受け渡しをすれば済むこと。
だがそれすら出来なかった。
2番手が演じるマーキューシオ役に、銀橋ソロがなかったため。
なんでこんないびつなことをしているんだ??
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいい、潔いさ。
なのにそうではなく、物語の表現を損なってまで番手重視。
それなら最初から、2番手の役を、2番手に演じさせろよ。ちぎくんにティボルトやらせろよ。
ちぎくんはマーキューシオでなくてはダメだというなら、マーキューシオに銀橋ソロやらせて、ちゃんと番手通りの比重にしろよ。
番手優先、人事優先で、舞台は二の次ですかそうですか。
もちろんそれはタカラヅカである以上当然だけど、それなら何故、2番手に準主役をやらせないんだ。
2番手を脇役にするから、すべてがおかしくなってるんだ。
しかもマーキューシオ役は、星組版で歌だったところが台詞になっていたりと、さらに見せ場を減らされている。ナニこの2番手いじめ?
たしかにちぎくんは歌がアレだ。
しかし、彼が2番手なんだ。たとえアレな結果になるとしても、番手優先ならば彼に堂々と銀橋ソロを芝居で披露させろよ。
ソレが「タカラヅカ」じゃん。
なんでこんなハンパなことしてるんだ、イケコ。
そんなにちぎくんに歌わせたくないのか。
フィナーレの銀橋ソロも最後まで渡らせずに3分の2で終了だし、いちばんひどいと思ったのは階段降りのソロ。
2番手のパレードのソロが、コーラス付きで、ソロ部分が一部しかナイなんて、アリかよ。
タニちゃんにエトワールやらせた劇団が、なんで今さらハンパに日和ってんだ??
その、たしかにフィナーレのちぎくん銀橋「天使の歌が聞こえる」はすごいけど、芝居中の歌はそんなことないんで、「マーキューシオ」として歌う分にはぜんぜん大丈夫だと思うのになあ。
今からでも、ちゃんとマーキューシオ2番手役に演出しなおしてくんないかなあ。
今の『ロミジュリ』が大好きなのはたしかなんだけど。
今のマーキューシオ@ちぎが、ティボルト@ヲヅキが大好きなんだけど。
ベンヴォーリオ@まっつとマーキューシオのコンビが好きで好きでしょーがないんだけど。
大好きだからいっぱい通ったんだけど。
でもずーっと、引っかかっていた。
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいいと思う。潔いと思う。
だが。
番手制度は、守られているんだ。姑息に。
物語重視ならば、ティボルトが2番手役。ならば何故、ティボルト@ヲヅキの歌は削られた?
ティボが2番手でいいなら、星組版のまま上演されたはずだ。
雪組版でティボルトを演じるのが2番手ではない、そんな番手事情ゆえに、大切な準主役の歌がカットされた。
また、上演されているのは梅芸ではなく、大劇場だ。
大劇場にはタカラヅカの売りのひとつであるエプロンステージ、銀橋がある。
ことあるごとにスターが銀橋を渡り、客席の近くで華やかな姿を見せる。それが本拠地宝塚大劇場の醍醐味。
なのに、銀橋が使われない。
大劇場全体を使ったダイナミックな演出を得意とする小池修一郎が、銀橋の存在をあえて無視している。
植爺のように、カーテン乱用。なにかっちゃーカーテンが閉まり、その前を使う。
そう、銀橋を使わないのではなく、使えないんだ。
番手制度ゆえに。
2番手に、銀橋ソロがないから。
ティボルトの「本当の俺じゃない」は、ふつーなら銀橋ソロだ。準主役がひとり舞台に残り、心情を歌い上げる、ドラマティックな場面だ。
だがティボルト役を演じている役者が2番手ではない。だから銀橋は渡らせられない。
乳母@コマのソロにしろ、ベンヴォーリオ@まっつのソロにしろ、銀橋を使うことは可能だ。
つか、その方が盛り上がる。より画面に奥行きが出来る、客席に訴えかけられる。
だが、それは許されない。それらの役を演じている役者が、2番手ではないから。
むしろ、2番手役者がなにかしらソロで銀橋を渡っていたら、他の役も銀橋に出すことが出来た。
2番手のみが最後まで銀橋を歌って渡りきり、他の者たちは途中まで歌ってあとは黙って足早に歩き去るとか、途中までで引き返すとかで、差別化できた。
ソロで最後までではなく、次の場面の登場人物を迎えに来させ、ソロで渡りきっていない、途中から何人口だった、と言い訳できる。
乳母ならジュリエットが途中まで迎えに出て、銀橋で薔薇の受け渡しをすれば済むこと。
だがそれすら出来なかった。
2番手が演じるマーキューシオ役に、銀橋ソロがなかったため。
なんでこんないびつなことをしているんだ??
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいい、潔いさ。
なのにそうではなく、物語の表現を損なってまで番手重視。
それなら最初から、2番手の役を、2番手に演じさせろよ。ちぎくんにティボルトやらせろよ。
ちぎくんはマーキューシオでなくてはダメだというなら、マーキューシオに銀橋ソロやらせて、ちゃんと番手通りの比重にしろよ。
番手優先、人事優先で、舞台は二の次ですかそうですか。
もちろんそれはタカラヅカである以上当然だけど、それなら何故、2番手に準主役をやらせないんだ。
2番手を脇役にするから、すべてがおかしくなってるんだ。
しかもマーキューシオ役は、星組版で歌だったところが台詞になっていたりと、さらに見せ場を減らされている。ナニこの2番手いじめ?
たしかにちぎくんは歌がアレだ。
しかし、彼が2番手なんだ。たとえアレな結果になるとしても、番手優先ならば彼に堂々と銀橋ソロを芝居で披露させろよ。
ソレが「タカラヅカ」じゃん。
なんでこんなハンパなことしてるんだ、イケコ。
そんなにちぎくんに歌わせたくないのか。
フィナーレの銀橋ソロも最後まで渡らせずに3分の2で終了だし、いちばんひどいと思ったのは階段降りのソロ。
2番手のパレードのソロが、コーラス付きで、ソロ部分が一部しかナイなんて、アリかよ。
タニちゃんにエトワールやらせた劇団が、なんで今さらハンパに日和ってんだ??
その、たしかにフィナーレのちぎくん銀橋「天使の歌が聞こえる」はすごいけど、芝居中の歌はそんなことないんで、「マーキューシオ」として歌う分にはぜんぜん大丈夫だと思うのになあ。
今からでも、ちゃんとマーキューシオ2番手役に演出しなおしてくんないかなあ。
今の『ロミジュリ』が大好きなのはたしかなんだけど。
今のマーキューシオ@ちぎが、ティボルト@ヲヅキが大好きなんだけど。
ベンヴォーリオ@まっつとマーキューシオのコンビが好きで好きでしょーがないんだけど。
大好きだからいっぱい通ったんだけど。
でもずーっと、引っかかっていた。
番手と演出と・その1。@ロミオとジュリエット
2011年2月7日 タカラヅカ マーキューシオの扱いが不満だ。
イケコ偉大!とその演出力に拍手しながらも、雪組版『ロミオとジュリエット』の疑問点。
星組版はいいんだ。
主人公はロミオで、ヒロインはジュリエット。そして2番手役はティボルト。
物語の比重、動きと、役が比例している。
問題は雪組版。
大切なのは物語であるはずなのに。
人事事情が優先されて、舞台が二の次になっている。
タカラヅカには、決まりがある。
トップスターを中心にしたピラミッド。
その物語でいちばん良い扱いを受けるのはトップスター、そしてそれ以外の人の扱いは番手に準じる。
物語的におかしくても、この決まりは守られる。
たとえば『ベルサイユのばら』。物語の主人公はオスカルと、次いでアントワネットなのに、トップスターがフェルゼンというナニもしない脇役を演じることになったら、話をねじ曲げてフェルゼンを主役にする。辻褄が合わなくても、フェルゼンがえんえん舞台に出てきて、えんえん歌ったりする。
おかしいけれど、仕方ない。
これは「タカラヅカ」のルールだからだ。
アントワネットが主役でフェルゼンが脇役の『ベルサイユのばら』を見たいなら、どこか別の劇団での上演を待つしかない。
タカラヅカに番手制度があること、トップスター至上主義であることは、タカラヅカらしさであるので、それはいい。
それによって物語がねじ曲げられるのは、仕方ないと受け入れている。
そして新生雪組は、トップスターキムくん、2番手ちぎくん。
されど発表になった『ロミオとジュリエット』の配役は、ロミオ@キム、マーキューシオ@ちぎだった。
星組版では、マーキューシオは4番手の役だ。
でもここはタカラヅカ、マーキューシオが2番手の役に書き直されるんだろうと思った。
ティボルト、ベンヴォーリオ、マーキューシオはそれぞれおいしい役で、描き方によってどれが2番手役でもおかしくない。
星組版がとても素敵で大好きだったけど、また別の切り口から、新しい『ロミオとジュリエット』が観られるんだと、わくわくした。
でも。
雪組版の『ロミジュリ』は、期待したモノと違った。
マーキューシオが、2番手の役になっていない。
前日欄で語ったけれど、ティボルトとマーキューシオは表裏一体、同じ役割りを持っている。
ティボルトにあるのはジュリエットを愛しているということだけ、ティボルトがマーキューシオを殺すのはジュリエットとは無関係。
ならば「本当の俺じゃない」を歌うのは、マーキューシオであるべきでは?
翻訳ミュージカルである以上、ティボルトの持ち歌をマーキューシオに割り振れないというならば、同じ意味の別の歌を、マーキューシオに歌わせればいい。
死の間際に吐露するように、マーキューシオもまた憎しみに踊らされ破滅する自己を嘆いている。
ティボルトと同じように。
なのに、観客に差し出されるのがティボルトの心情で、2番手役であるマーキューシオの心情はナシって、ナニ?
ティボルト目線で物語を描くヒマがあったら、マーキューシオ目線の場面を作るべきでしょう。
仮面舞踏会へ行くぞー!とかで無邪気に無責任に盛り上がっているマーキューシオ。仮面を付けて戯けてみせるマーキューシオ。
でもそれは、彼の仮面。
道化を装うことで、彼も心の闇を隠していた。
ティボルトの「本当の俺じゃない」をカーテン前でつぶやく端的な台詞だけにして、それに呼応するかのよーに同じ台詞を歌にして、マーキューシオに銀橋渡らせれば良かったのに。
ティボもマーさんも、憎しみに歪んだ自分と世の中に苦しんでいるんだってことを、マーさん目線で描いてほしかった。
わたしはヲヅキのティボが好きで、彼の歌う「本当の俺じゃない」で涙している身なので、今の演出で観られたことはうれしいんだけど。
ただ、それとは別に。
タカラヅカの番手制度が、何故無視されてるんだ? てことに、疑問を持つ。
マーキューシオの一人称場面がないために、マーキューシオは2番手の役に見えない。
物語的にはどうしても、ティボルトが2番手役だ。
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいいと思う。潔いと思う。
だが。
番手制度は、守られているんだ。姑息に。
続く。
イケコ偉大!とその演出力に拍手しながらも、雪組版『ロミオとジュリエット』の疑問点。
星組版はいいんだ。
主人公はロミオで、ヒロインはジュリエット。そして2番手役はティボルト。
物語の比重、動きと、役が比例している。
問題は雪組版。
大切なのは物語であるはずなのに。
人事事情が優先されて、舞台が二の次になっている。
タカラヅカには、決まりがある。
トップスターを中心にしたピラミッド。
その物語でいちばん良い扱いを受けるのはトップスター、そしてそれ以外の人の扱いは番手に準じる。
物語的におかしくても、この決まりは守られる。
たとえば『ベルサイユのばら』。物語の主人公はオスカルと、次いでアントワネットなのに、トップスターがフェルゼンというナニもしない脇役を演じることになったら、話をねじ曲げてフェルゼンを主役にする。辻褄が合わなくても、フェルゼンがえんえん舞台に出てきて、えんえん歌ったりする。
おかしいけれど、仕方ない。
これは「タカラヅカ」のルールだからだ。
アントワネットが主役でフェルゼンが脇役の『ベルサイユのばら』を見たいなら、どこか別の劇団での上演を待つしかない。
タカラヅカに番手制度があること、トップスター至上主義であることは、タカラヅカらしさであるので、それはいい。
それによって物語がねじ曲げられるのは、仕方ないと受け入れている。
そして新生雪組は、トップスターキムくん、2番手ちぎくん。
されど発表になった『ロミオとジュリエット』の配役は、ロミオ@キム、マーキューシオ@ちぎだった。
星組版では、マーキューシオは4番手の役だ。
でもここはタカラヅカ、マーキューシオが2番手の役に書き直されるんだろうと思った。
ティボルト、ベンヴォーリオ、マーキューシオはそれぞれおいしい役で、描き方によってどれが2番手役でもおかしくない。
星組版がとても素敵で大好きだったけど、また別の切り口から、新しい『ロミオとジュリエット』が観られるんだと、わくわくした。
でも。
雪組版の『ロミジュリ』は、期待したモノと違った。
マーキューシオが、2番手の役になっていない。
前日欄で語ったけれど、ティボルトとマーキューシオは表裏一体、同じ役割りを持っている。
ティボルトにあるのはジュリエットを愛しているということだけ、ティボルトがマーキューシオを殺すのはジュリエットとは無関係。
ならば「本当の俺じゃない」を歌うのは、マーキューシオであるべきでは?
翻訳ミュージカルである以上、ティボルトの持ち歌をマーキューシオに割り振れないというならば、同じ意味の別の歌を、マーキューシオに歌わせればいい。
死の間際に吐露するように、マーキューシオもまた憎しみに踊らされ破滅する自己を嘆いている。
ティボルトと同じように。
なのに、観客に差し出されるのがティボルトの心情で、2番手役であるマーキューシオの心情はナシって、ナニ?
ティボルト目線で物語を描くヒマがあったら、マーキューシオ目線の場面を作るべきでしょう。
仮面舞踏会へ行くぞー!とかで無邪気に無責任に盛り上がっているマーキューシオ。仮面を付けて戯けてみせるマーキューシオ。
でもそれは、彼の仮面。
道化を装うことで、彼も心の闇を隠していた。
ティボルトの「本当の俺じゃない」をカーテン前でつぶやく端的な台詞だけにして、それに呼応するかのよーに同じ台詞を歌にして、マーキューシオに銀橋渡らせれば良かったのに。
ティボもマーさんも、憎しみに歪んだ自分と世の中に苦しんでいるんだってことを、マーさん目線で描いてほしかった。
わたしはヲヅキのティボが好きで、彼の歌う「本当の俺じゃない」で涙している身なので、今の演出で観られたことはうれしいんだけど。
ただ、それとは別に。
タカラヅカの番手制度が、何故無視されてるんだ? てことに、疑問を持つ。
マーキューシオの一人称場面がないために、マーキューシオは2番手の役に見えない。
物語的にはどうしても、ティボルトが2番手役だ。
物語重視、役者の持ち味重視で、番手制度は今回だけ無視しました!というなら、それはソレでいいと思う。潔いと思う。
だが。
番手制度は、守られているんだ。姑息に。
続く。
すべての不幸は彼からはじまる。@ロミオとジュリエット
2011年2月6日 タカラヅカ 舞台の上には、死@咲ちゃんがいる。
タカラヅカ版『ロミオとジュリエット』には、象徴的に死と愛@せしるが踊っている。
だけど。
それとは別に、ほんとうの「死」は、マーキューシオではないのか?
マーキューシオ@ちぎはトラブルメーカー。悲劇の発端は、いつだって彼だ。
仮面舞踏会へ行こうと誘い、それによってロミオ@キムとジュリエットが出会ってしまう。
ティボルト@ヲヅキに殺されることで、ロミオが復讐し、ヴェローナを追放になる。
いつだって、きっかけはマーキューシオ。
とまあ、これは周知のことで今さら確認することでもない。
それとは別の部分。
ストーリーのキーとなる出来事として、まず「ティボルトがマーキューシオを殺害」というのがある。これは原作にある通り。
でもこのヅカ版ではティボルトはジュリエットを愛していて、彼女がロミオに奪われたためロミオに対し殺意を持った、という流れになっている。
おかしいじゃん。ティボルトが殺そうとしたのはロミオ、なのに何故マーキューシオが殺される?
「決闘」場面ではロミオもいるのに、積極的に闘っているのはティボとマーさんだ。ティボはマーさんを挑発するのに忙しくてロミオなんか眼中にない感じ。ロミオを羽交い締めにしてマーさん煽るとか、そんなことしてるヒマがあったらとっととロミオ殺せよっていう。
ティボルトのロミオへの憎しみは、ぶっちゃけモンタギュー関係ないんだよね。
ふたつの家が長年争っていて、それによって若者たちが殺し合うことになった……つーストーリーの大筋とは無関係。
ただの失恋逆ギレだもん。
相手がロミオでなくても、ティボルトは殺意を持ったと思う。それこそパリス@ひろみでも。政略結婚であてがわれたのではなく、ジュリエット自身が心から愛する男と結ばれる、てなことになれば、ティボルトはやはりキレていただろう。
ティボルトはそこまで、追いつめられていた。
ロミオが原因ではなく、代々続く憎しみの連鎖に囚われ歪んでいく自分自身に。ジュリエットを救いとしていた、彼女を愛することでなんとか現実と折り合いをつけていた……のだから、最後の砦を失ったときに彼は破滅するしかなかった。
では、ティボルトを狂わせた「憎しみ」とはなにか。
ろくに口をきいたこともない、話に聞くだけのヴァーチャルな存在に対し憎しみを発酵させていたんだろうか?
もちろん「反モンタギュー教育」を生まれる前からほどこされ、洗脳されて育ったんだから、嫌悪し憎んでいるのだろうけど。
話で聞くだけでなく、日常の中で実際にモンタギューを憎む、積み重ねがあったんじゃないか。
体験に勝る教育はないですよ。
「悪い奴らだ」とただ聞かされるより、実際にそいつらに悪いことをされたら、実感を伴って納得するじゃないですか、「本当に、悪い奴らだ」と。
ティボルトを日々苛つかせ、憎しみを煽っていたのは、マーキューシオじゃないの?
ええ、ティボルトに感情移入して見ると、マーキューシオがちょうウザいんだわ。ムカつくんだわ(笑)。
むっきーっ、て感じでアタマにくる。だからケンカになることを、納得してしまう。
ドラゴンをやっつけるヒーローを夢見る、ふつーの男の子だったティボルトを、歪ませてしまった憎しみの直接的原因は、マーキューシオじゃないのか。
ムカつくヤツがいる、だから殴る。……ふつーはここで大人が止める、叱る。ムカついたからといって暴力はいけません、人はひとりずつチガウのだから、あなたがムカつくからといって相手が悪いとは限りません、他人を理解し許し合いましょう。
しかしモンタギューとキャピュレットの確執ゆえに、大人は誰も止めない、どころか煽る。ムカついたのは正しい、だってアナタは正義、相手は悪、悪を攻撃するのは正しい、さあ暴力を!!
大人たちの洗脳によって、少年は戦士となる。正義の名の下に暴力を行使する、歪んだ戦士に。
それってチガウんじゃないかな、と聡明なティボルトが首を傾げることがあっても、目の前にムカつくマーキューシオがいて、わんわん吠えている。うざいから思考をやめて、とりあえず殴る。
その繰り返し。
そんな習慣づけで成長したティボルトはもう、自分を止めることが出来ない。ムカついたら殴る。即暴力、即ナイフ。
おかしい、と思っても止められない。マーキューシオを見たら攻撃せずにはいられない。
ロミオへの殺意は、ただの記号でしかない。
ロミオでなくてもいいのだから。
それがパリスだったとして、パリスを殺すということは、ティボルトはもうすべてを捨て、愛するジュリエットさえ捨て、死へ向かって走り出したということ。
「本当の俺じゃない」と苦しんでいた彼は、「偽りの世界」を破壊し尽くし、滅びようとした。
だからこそ。
ティボルトの刃は、マーキューシオに向かう。
ティボルトを病ませていたのは、モンタギューへの憎しみ。大人たちの教育を基盤に、実体験を重ねて燃え上がった。
その現実の憎しみ相手……マーキューシオ。
ティボルトを壊した、憎しみの権化。憎しみの象徴。
だから仇のロミオを前にしても、ティボルトはロミオなんか眼中になく、マーキューシオを挑発する。マーキューシオと闘う。
すべての不幸は、マーキューシオからはじまった。
仮面舞踏会にロミオを誘ったのも、ロミオに殺人をさせたのも。
だがそれ以前に、ティボルトの人格を壊すほどの憎しみを与え続けた。なにかしら特別なことではなく、日々の蔑みや嘲笑、暴力で。
でもそれは、マーキューシオにとっても同じ。
ほんとのところ、マーさんもまた憎しみに支配された自分たちに疑問は持っている。
自分が死ぬのはティボルトに刺されたからというよりも、両家の憎しみゆえであると。
死の間際に彼は本心を吐露する。
憎しみに踊らされる現実を受け入れ、それゆえある意味道化を演じていたことを。
それらを打破するために、ロミオにジュリエットを愛し抜けと告げる。
ティボルトにとってのマーキューシオ、マーキューシオにとってのティボルトは、同じだった。
大人たちの洗脳と、等身大の現実としての憎しみ相手。
死@咲ちゃんにふたりそろって翻弄されて、ロミオの前に現れるように。等しいふたり。
ただマーキューシオにはロミオとベンヴォーリオ@まっつがおり、ティボルトほど追いつめられていなかった。友だち偉大。
てことで。
ティボとマーさんが同じだったとしても、悲劇の口火を切るのはぼっち星人のティボ。
ティボを苛つかせるのはマーさん。ロミオは言い訳。
すべての悲劇は、マーキューシオから。
マーさんこそが、「死」。
彼こそが、ヴェローナに巣くう「憎しみ」の具現。
マーキューシオ自身にはそんなつもりも悪意もない。
彼はふつーにかわいい、ありがちな不良少年だ。彼はただ自分の人生を、彼らしく生きている。
でもそれゆえに、それこそが、「死」。
悪意なんか、自覚なんか、あるわけないよ、「死」に。
ただ、そこに「在る」ものだもの。
タカラヅカ版『ロミオとジュリエット』には、象徴的に死と愛@せしるが踊っている。
だけど。
それとは別に、ほんとうの「死」は、マーキューシオではないのか?
マーキューシオ@ちぎはトラブルメーカー。悲劇の発端は、いつだって彼だ。
仮面舞踏会へ行こうと誘い、それによってロミオ@キムとジュリエットが出会ってしまう。
ティボルト@ヲヅキに殺されることで、ロミオが復讐し、ヴェローナを追放になる。
いつだって、きっかけはマーキューシオ。
とまあ、これは周知のことで今さら確認することでもない。
それとは別の部分。
ストーリーのキーとなる出来事として、まず「ティボルトがマーキューシオを殺害」というのがある。これは原作にある通り。
でもこのヅカ版ではティボルトはジュリエットを愛していて、彼女がロミオに奪われたためロミオに対し殺意を持った、という流れになっている。
おかしいじゃん。ティボルトが殺そうとしたのはロミオ、なのに何故マーキューシオが殺される?
「決闘」場面ではロミオもいるのに、積極的に闘っているのはティボとマーさんだ。ティボはマーさんを挑発するのに忙しくてロミオなんか眼中にない感じ。ロミオを羽交い締めにしてマーさん煽るとか、そんなことしてるヒマがあったらとっととロミオ殺せよっていう。
ティボルトのロミオへの憎しみは、ぶっちゃけモンタギュー関係ないんだよね。
ふたつの家が長年争っていて、それによって若者たちが殺し合うことになった……つーストーリーの大筋とは無関係。
ただの失恋逆ギレだもん。
相手がロミオでなくても、ティボルトは殺意を持ったと思う。それこそパリス@ひろみでも。政略結婚であてがわれたのではなく、ジュリエット自身が心から愛する男と結ばれる、てなことになれば、ティボルトはやはりキレていただろう。
ティボルトはそこまで、追いつめられていた。
ロミオが原因ではなく、代々続く憎しみの連鎖に囚われ歪んでいく自分自身に。ジュリエットを救いとしていた、彼女を愛することでなんとか現実と折り合いをつけていた……のだから、最後の砦を失ったときに彼は破滅するしかなかった。
では、ティボルトを狂わせた「憎しみ」とはなにか。
ろくに口をきいたこともない、話に聞くだけのヴァーチャルな存在に対し憎しみを発酵させていたんだろうか?
もちろん「反モンタギュー教育」を生まれる前からほどこされ、洗脳されて育ったんだから、嫌悪し憎んでいるのだろうけど。
話で聞くだけでなく、日常の中で実際にモンタギューを憎む、積み重ねがあったんじゃないか。
体験に勝る教育はないですよ。
「悪い奴らだ」とただ聞かされるより、実際にそいつらに悪いことをされたら、実感を伴って納得するじゃないですか、「本当に、悪い奴らだ」と。
ティボルトを日々苛つかせ、憎しみを煽っていたのは、マーキューシオじゃないの?
ええ、ティボルトに感情移入して見ると、マーキューシオがちょうウザいんだわ。ムカつくんだわ(笑)。
むっきーっ、て感じでアタマにくる。だからケンカになることを、納得してしまう。
ドラゴンをやっつけるヒーローを夢見る、ふつーの男の子だったティボルトを、歪ませてしまった憎しみの直接的原因は、マーキューシオじゃないのか。
ムカつくヤツがいる、だから殴る。……ふつーはここで大人が止める、叱る。ムカついたからといって暴力はいけません、人はひとりずつチガウのだから、あなたがムカつくからといって相手が悪いとは限りません、他人を理解し許し合いましょう。
しかしモンタギューとキャピュレットの確執ゆえに、大人は誰も止めない、どころか煽る。ムカついたのは正しい、だってアナタは正義、相手は悪、悪を攻撃するのは正しい、さあ暴力を!!
大人たちの洗脳によって、少年は戦士となる。正義の名の下に暴力を行使する、歪んだ戦士に。
それってチガウんじゃないかな、と聡明なティボルトが首を傾げることがあっても、目の前にムカつくマーキューシオがいて、わんわん吠えている。うざいから思考をやめて、とりあえず殴る。
その繰り返し。
そんな習慣づけで成長したティボルトはもう、自分を止めることが出来ない。ムカついたら殴る。即暴力、即ナイフ。
おかしい、と思っても止められない。マーキューシオを見たら攻撃せずにはいられない。
ロミオへの殺意は、ただの記号でしかない。
ロミオでなくてもいいのだから。
それがパリスだったとして、パリスを殺すということは、ティボルトはもうすべてを捨て、愛するジュリエットさえ捨て、死へ向かって走り出したということ。
「本当の俺じゃない」と苦しんでいた彼は、「偽りの世界」を破壊し尽くし、滅びようとした。
だからこそ。
ティボルトの刃は、マーキューシオに向かう。
ティボルトを病ませていたのは、モンタギューへの憎しみ。大人たちの教育を基盤に、実体験を重ねて燃え上がった。
その現実の憎しみ相手……マーキューシオ。
ティボルトを壊した、憎しみの権化。憎しみの象徴。
だから仇のロミオを前にしても、ティボルトはロミオなんか眼中になく、マーキューシオを挑発する。マーキューシオと闘う。
すべての不幸は、マーキューシオからはじまった。
仮面舞踏会にロミオを誘ったのも、ロミオに殺人をさせたのも。
だがそれ以前に、ティボルトの人格を壊すほどの憎しみを与え続けた。なにかしら特別なことではなく、日々の蔑みや嘲笑、暴力で。
でもそれは、マーキューシオにとっても同じ。
ほんとのところ、マーさんもまた憎しみに支配された自分たちに疑問は持っている。
自分が死ぬのはティボルトに刺されたからというよりも、両家の憎しみゆえであると。
死の間際に彼は本心を吐露する。
憎しみに踊らされる現実を受け入れ、それゆえある意味道化を演じていたことを。
それらを打破するために、ロミオにジュリエットを愛し抜けと告げる。
ティボルトにとってのマーキューシオ、マーキューシオにとってのティボルトは、同じだった。
大人たちの洗脳と、等身大の現実としての憎しみ相手。
死@咲ちゃんにふたりそろって翻弄されて、ロミオの前に現れるように。等しいふたり。
ただマーキューシオにはロミオとベンヴォーリオ@まっつがおり、ティボルトほど追いつめられていなかった。友だち偉大。
てことで。
ティボとマーさんが同じだったとしても、悲劇の口火を切るのはぼっち星人のティボ。
ティボを苛つかせるのはマーさん。ロミオは言い訳。
すべての悲劇は、マーキューシオから。
マーさんこそが、「死」。
彼こそが、ヴェローナに巣くう「憎しみ」の具現。
マーキューシオ自身にはそんなつもりも悪意もない。
彼はふつーにかわいい、ありがちな不良少年だ。彼はただ自分の人生を、彼らしく生きている。
でもそれゆえに、それこそが、「死」。
悪意なんか、自覚なんか、あるわけないよ、「死」に。
ただ、そこに「在る」ものだもの。
それは愛の後奏曲。@愛のプレリュード
2011年2月5日 タカラヅカ 『愛のプレリュード』の、ストーリー解説。合っているかどうかは、それぞれが要判断願いますよ。
フレディー@まとぶんとジョセフ@壮くんは悪と闘う正義の捜査員だった。それが、逆恨みした悪者組織にフレディーが撃たれ、意識が戻らなくなってしまった。
ショックを受けたのはジョセフですよ。文字通り命がけで闘ったのに、悪人は金の力で釈放、恋人のフレディーは昏睡したまま。
「世の中カネだ、カネさえあればいいんだ」
すっかりヒネくれて星をにらんだジョセフは警察を辞め、悪の道に入る。
経歴偽証して不動産屋さんやりつつ、裏でワルイコトしているらしいけど、なんつーかこうみみっちいというか……小金に一喜一憂している小悪党感ゆんゆん。
何故か仲間だけはみょーにたくさんいて、「こいつらの食い扶持稼ぐためにも、オレががんばんなきゃな」的所帯じみた風情が素敵な悪の秘密組織。(アジトはもちろん秘密の地下室!)
目下のターゲットは街のお金持ち、発明家ドイル@まりんの新発明品。それを盗み出すために、娘のキャシー@蘭ちゃんに色仕掛けしているところ。
でもなあ、ジョセフもともと女に興味ないからなあ。そんなんで色仕掛けっつっても、無機質過ぎて相手にされない。てゆーか、10代の女の子相手に色仕掛けの30男ってどうなのよ?
今日も乗り気しないまま義務感だけでキャシーに会いに行くと、何故かドイル氏が娘のためにボディガードを雇ったところだった。
金持ちの考えることはわからん。別になにか危機感があるわけでなく、「しばらく研究室に泊まり込みで、家を留守にするから」という理由で大金積んでボディガード。屋敷には大勢の使用人たちがいるのに。
キャシーを取り込むつもりのジョセフとしてもそれは困るので、とりあえず反対してみる、が。
「ジョセフ? ジョセフぢゃないか!! 偶然だなヲイ」
なんと、そのボディガードとは元カレのフレディーだった!! ちょお待て。混乱するジョセフ。とりあえずツンツンしてその場を去る。
フレディーは悪者に撃たれて眠り姫だったはず。オレは彼に最高の治療を受けさせるために手を汚してカネを作ろうとしていたのに、ナニそれ、ぴんぴんしてるってどーゆーこと?! オレの苦労はいったい? てゆーかこんなにヨゴレてしまったオレを見られたくないっ。
と、考えたかどうかは知らないけど。
5年前と変わらない愛情で近づいてくるフレディーから、ジョセフは必死に顔を背ける。オレはもう変わってしまったんだ。この世はすべてカネだ、カネさえあればいいんだっ。
元カレ登場で揺れ動いているのは、ジョセフだけじゃない。ジョセフにアプローチしているマウロ@みつるにとっても、フレディーの存在は死活問題だ。年下で頼りないかもしれないけど、今のアンタをいちばん愛しているのはオレだ! あの男はアンタのなんなんだ?!てな。
ところでこのフレディーさん。
もともと正義の人で、「大切な命をひとりでも守りたい」という崇高な動機でボディガードをやっているのですが。
実はもう余命短し。5年前の弾丸がアタマに残ったままなんだって。いつ意識を失うか、カラダが動かなくなるかわかんないんだって。
それを聞いて思わず取り乱すジョセフ。ツンツン顔に戻すの大変。
あのー。
フレディーさんアナタそんな状態でボディガードって……命をいちばん軽んじているのは、アナタです。
依頼人の命が掛かったときに、意識失ったらどーすんの?? どう責任取るの?
ボディガードだの「命の大切さ」だのゆーてるのは、全部全部フレディーの自己満足。他人を危険にさらしても、偽善に酔うことを選ぶ。しかもそうやって稼いだカネで彼がしているのは、恵まれない孤児たちへの善意の寄付……というのは名目で、ほんとのとこは孤児院を経営している母親への援助。
ちょ……ナニこの何重もの偽善っぷり。
ジョセフ、こんな男やめとけよー。愛するより愛された方が幸せだよ、マウロにしときなよ……と思っていたら、さらにそこへ、第三の男登場。
出たぞテンプレ悪役ナチス! こまったときはナチスにおまかせだ! とにかくナチス出しておけばOKだ! サンタモニカを鉤十字付けたまま闊歩するナチスの人@はっちさん。
ジョセフはこの悪い人に命令され、脅されて後には引けなくなってるんだ。ナニがなんでもドイルの新発明を手に入れなければならない。
えーとジョセフさん、このナチスの人との関係は、ぶっちゃけどうなん? なんかもー身も心も縛られてます感ハンパないのは、はっちさんがハイクオリティ過ぎるのか……?
ヨゴレてしまった自分はもう、フレディーには相応しくない。フレディーにはキャシーがお似合いだ、自分さえ身を引けば……と、恋愛モノのお約束スパイラルにはまってゆくジョセフ。
肌身離さず持っている、ふたりの愛の証の懐中時計に語りかける……。
利用するためにキャシーを丸め込むつもりだったのに、なんかもーそんなことはどーでもよくなってるジョセフ。アタマの中は元カレでいっぱい。
今の情人……ナチスのあの男からも、逃れられない。ならばせめて、自分で始末をつけよう。
絶望のジョセフは極論へ走る。
大勢の人の前でわざわざ発砲してキャシーを誘拐し、研究所へGO! よくわかんないけど、自分が全責任取って、仲間たちは逃がそうとしたらしい。根がいい人だからジョセフ、キャシーに興味ないとしても、殺したくないんだよ。
そこへ現れるナチスはっち。ドイル屋敷だろーと研究所だろーと、どこでも鉤十字のまま現れます。つかこの人たちの悪役ぶり、ショッカーレベルなんだがどうにかならんのか。
武力で研究所に押し入るなら、ジョセフに色仕掛けさせんでも良かったじゃん。
仲間に「ここはオレに任せて逃げろ」と言うジョセフ。しかーしっ。ジョセフLOVEのマウロは「心中上等! 今の恋人はオレだっ」と逃げずにショッカーと闘う覚悟。
すると他の仲間たちも「ジョセフLOVE!」と、逃げずに闘うぞ!
……って、そんなやりとりをショッカーの皆さんは攻撃もせずにずーっと待ってくれている……特撮ヒーローもののお約束、主人公チームがポーズ決めてるときは攻撃しちゃいかんのだ。
ヒロインの危機に、ダーリンが現れるのはお約束。
フレディーがジョセフを助けにやってきた!! しかし。
ひとりで来るなよ……なんの役にも立たねーっつの。
結局ショッカーたちにボコられる運命。ショッカーはっちもどーでもよくなってるのか、殺しても意味ナイのにわざわざキャシーを殺そうとする。それをかばうフレディー、そんなフレディーをさらにかばって、撃たれるジョセフ!!
「お前に抱かれて死ねるなんてシアワセだ……」
うっとりジョセフは愛の勝利者。フレディーの腕の中で死んでゆく。
駆けつけた刑事@さおたさんと王子相手に、フレディーがよくわかんない説教してたけど、オマエガイウナクラーーッシュ!!て感じ、なんかもお筋道立てて考えるの嫌になってきてたからもおいいや、なんか感動的なこと言ってるらしいよ、ってことで。(投げやり)
あとはタカラヅカの定番、スモークのなかで愛のデュエットダンス。フレディーとジョセフ。
てゆーかさー、フレディーは最初からジョセフLOVEだったわけよ。
ジョセフにとっては5年経ってたわけだけど、最近目覚めたばかりのフレディーには今も変わらぬ恋人なわけだし。
ジョセフがツンツンしないで、素直に彼の胸に飛び込んでいれば、なんの問題もなかったんじゃ?
勝手にひとりでやさぐれて、「彼に相応しくない」「彼女の方がお似合い」とかぐるぐるしてただけじゃん。まあ、はっちさんという悪い情人がいたから、駆け落ちする必要はあったにしろ。
フレディーも結局、キャシーとはくっつかずに旅立っていく。余命幾ばくもない彼は、恋なんかしちゃいけないのだ。……だったらキャシーに気を持たせるよーなことしなきゃいいのに……だけど、余命幾ばくもないんだからナニしたって許されるさ、OKOK。
そして、自分の命をかけて、誰かの尊い命を守る使命があるのだ。……自己満足GOGO。
そーいやドイルさん、金儲けが目的でも世の役に立つ研究していたのに、今回の事件で研究するのやめちゃったんだって。つまりフレディーのしたことって、有益な発明家を廃業させただけで、害にしかなってませんがな。
そんな話でした。
スズキケイさん、放課後屋上に来てください。話したいことがあります(笑)。
フレディー@まとぶんとジョセフ@壮くんは悪と闘う正義の捜査員だった。それが、逆恨みした悪者組織にフレディーが撃たれ、意識が戻らなくなってしまった。
ショックを受けたのはジョセフですよ。文字通り命がけで闘ったのに、悪人は金の力で釈放、恋人のフレディーは昏睡したまま。
「世の中カネだ、カネさえあればいいんだ」
すっかりヒネくれて星をにらんだジョセフは警察を辞め、悪の道に入る。
経歴偽証して不動産屋さんやりつつ、裏でワルイコトしているらしいけど、なんつーかこうみみっちいというか……小金に一喜一憂している小悪党感ゆんゆん。
何故か仲間だけはみょーにたくさんいて、「こいつらの食い扶持稼ぐためにも、オレががんばんなきゃな」的所帯じみた風情が素敵な悪の秘密組織。(アジトはもちろん秘密の地下室!)
目下のターゲットは街のお金持ち、発明家ドイル@まりんの新発明品。それを盗み出すために、娘のキャシー@蘭ちゃんに色仕掛けしているところ。
でもなあ、ジョセフもともと女に興味ないからなあ。そんなんで色仕掛けっつっても、無機質過ぎて相手にされない。てゆーか、10代の女の子相手に色仕掛けの30男ってどうなのよ?
今日も乗り気しないまま義務感だけでキャシーに会いに行くと、何故かドイル氏が娘のためにボディガードを雇ったところだった。
金持ちの考えることはわからん。別になにか危機感があるわけでなく、「しばらく研究室に泊まり込みで、家を留守にするから」という理由で大金積んでボディガード。屋敷には大勢の使用人たちがいるのに。
キャシーを取り込むつもりのジョセフとしてもそれは困るので、とりあえず反対してみる、が。
「ジョセフ? ジョセフぢゃないか!! 偶然だなヲイ」
なんと、そのボディガードとは元カレのフレディーだった!! ちょお待て。混乱するジョセフ。とりあえずツンツンしてその場を去る。
フレディーは悪者に撃たれて眠り姫だったはず。オレは彼に最高の治療を受けさせるために手を汚してカネを作ろうとしていたのに、ナニそれ、ぴんぴんしてるってどーゆーこと?! オレの苦労はいったい? てゆーかこんなにヨゴレてしまったオレを見られたくないっ。
と、考えたかどうかは知らないけど。
5年前と変わらない愛情で近づいてくるフレディーから、ジョセフは必死に顔を背ける。オレはもう変わってしまったんだ。この世はすべてカネだ、カネさえあればいいんだっ。
元カレ登場で揺れ動いているのは、ジョセフだけじゃない。ジョセフにアプローチしているマウロ@みつるにとっても、フレディーの存在は死活問題だ。年下で頼りないかもしれないけど、今のアンタをいちばん愛しているのはオレだ! あの男はアンタのなんなんだ?!てな。
ところでこのフレディーさん。
もともと正義の人で、「大切な命をひとりでも守りたい」という崇高な動機でボディガードをやっているのですが。
実はもう余命短し。5年前の弾丸がアタマに残ったままなんだって。いつ意識を失うか、カラダが動かなくなるかわかんないんだって。
それを聞いて思わず取り乱すジョセフ。ツンツン顔に戻すの大変。
あのー。
フレディーさんアナタそんな状態でボディガードって……命をいちばん軽んじているのは、アナタです。
依頼人の命が掛かったときに、意識失ったらどーすんの?? どう責任取るの?
ボディガードだの「命の大切さ」だのゆーてるのは、全部全部フレディーの自己満足。他人を危険にさらしても、偽善に酔うことを選ぶ。しかもそうやって稼いだカネで彼がしているのは、恵まれない孤児たちへの善意の寄付……というのは名目で、ほんとのとこは孤児院を経営している母親への援助。
ちょ……ナニこの何重もの偽善っぷり。
ジョセフ、こんな男やめとけよー。愛するより愛された方が幸せだよ、マウロにしときなよ……と思っていたら、さらにそこへ、第三の男登場。
出たぞテンプレ悪役ナチス! こまったときはナチスにおまかせだ! とにかくナチス出しておけばOKだ! サンタモニカを鉤十字付けたまま闊歩するナチスの人@はっちさん。
ジョセフはこの悪い人に命令され、脅されて後には引けなくなってるんだ。ナニがなんでもドイルの新発明を手に入れなければならない。
えーとジョセフさん、このナチスの人との関係は、ぶっちゃけどうなん? なんかもー身も心も縛られてます感ハンパないのは、はっちさんがハイクオリティ過ぎるのか……?
ヨゴレてしまった自分はもう、フレディーには相応しくない。フレディーにはキャシーがお似合いだ、自分さえ身を引けば……と、恋愛モノのお約束スパイラルにはまってゆくジョセフ。
肌身離さず持っている、ふたりの愛の証の懐中時計に語りかける……。
利用するためにキャシーを丸め込むつもりだったのに、なんかもーそんなことはどーでもよくなってるジョセフ。アタマの中は元カレでいっぱい。
今の情人……ナチスのあの男からも、逃れられない。ならばせめて、自分で始末をつけよう。
絶望のジョセフは極論へ走る。
大勢の人の前でわざわざ発砲してキャシーを誘拐し、研究所へGO! よくわかんないけど、自分が全責任取って、仲間たちは逃がそうとしたらしい。根がいい人だからジョセフ、キャシーに興味ないとしても、殺したくないんだよ。
そこへ現れるナチスはっち。ドイル屋敷だろーと研究所だろーと、どこでも鉤十字のまま現れます。つかこの人たちの悪役ぶり、ショッカーレベルなんだがどうにかならんのか。
武力で研究所に押し入るなら、ジョセフに色仕掛けさせんでも良かったじゃん。
仲間に「ここはオレに任せて逃げろ」と言うジョセフ。しかーしっ。ジョセフLOVEのマウロは「心中上等! 今の恋人はオレだっ」と逃げずにショッカーと闘う覚悟。
すると他の仲間たちも「ジョセフLOVE!」と、逃げずに闘うぞ!
……って、そんなやりとりをショッカーの皆さんは攻撃もせずにずーっと待ってくれている……特撮ヒーローもののお約束、主人公チームがポーズ決めてるときは攻撃しちゃいかんのだ。
ヒロインの危機に、ダーリンが現れるのはお約束。
フレディーがジョセフを助けにやってきた!! しかし。
ひとりで来るなよ……なんの役にも立たねーっつの。
結局ショッカーたちにボコられる運命。ショッカーはっちもどーでもよくなってるのか、殺しても意味ナイのにわざわざキャシーを殺そうとする。それをかばうフレディー、そんなフレディーをさらにかばって、撃たれるジョセフ!!
「お前に抱かれて死ねるなんてシアワセだ……」
うっとりジョセフは愛の勝利者。フレディーの腕の中で死んでゆく。
駆けつけた刑事@さおたさんと王子相手に、フレディーがよくわかんない説教してたけど、オマエガイウナクラーーッシュ!!て感じ、なんかもお筋道立てて考えるの嫌になってきてたからもおいいや、なんか感動的なこと言ってるらしいよ、ってことで。(投げやり)
あとはタカラヅカの定番、スモークのなかで愛のデュエットダンス。フレディーとジョセフ。
てゆーかさー、フレディーは最初からジョセフLOVEだったわけよ。
ジョセフにとっては5年経ってたわけだけど、最近目覚めたばかりのフレディーには今も変わらぬ恋人なわけだし。
ジョセフがツンツンしないで、素直に彼の胸に飛び込んでいれば、なんの問題もなかったんじゃ?
勝手にひとりでやさぐれて、「彼に相応しくない」「彼女の方がお似合い」とかぐるぐるしてただけじゃん。まあ、はっちさんという悪い情人がいたから、駆け落ちする必要はあったにしろ。
フレディーも結局、キャシーとはくっつかずに旅立っていく。余命幾ばくもない彼は、恋なんかしちゃいけないのだ。……だったらキャシーに気を持たせるよーなことしなきゃいいのに……だけど、余命幾ばくもないんだからナニしたって許されるさ、OKOK。
そして、自分の命をかけて、誰かの尊い命を守る使命があるのだ。……自己満足GOGO。
そーいやドイルさん、金儲けが目的でも世の役に立つ研究していたのに、今回の事件で研究するのやめちゃったんだって。つまりフレディーのしたことって、有益な発明家を廃業させただけで、害にしかなってませんがな。
そんな話でした。
スズキケイさん、放課後屋上に来てください。話したいことがあります(笑)。
鈴木圭が、植爺の弟子だということがよーっくわかりました(笑)。
『愛のプレリュード』初日観劇。
いやはや、すごい話でした。
スズキケイに今すぐ必要なのは原作、もしくは本公演(笑)。原作をアレンジしてバウの舞台に乗せたり、1本モノ本公演をアレンジして新公の1時間半に収めるのは得意な人なんだ、ただオリジナルの話は作れない人なんだ。そんなの、今までの彼の作品からもわかりきっていたことだけど。
でも今回は大劇場公演ってことで、すごーく植爺っぽい演出だった。ああ、正しく植爺DNAを持った人なんだなと。
今さらながらに、植爺ってすごい人なんだなと思った。
わたしは植爺アレルギーがあり、彼の作品は大嫌いなんだけど、とりあえず彼の作品は大衆演劇としてのハッタリと、派手さがある。
へたっぴだけど華のあるスターって感じ? 音痴だし大根だけど、どーんと大劇場のステージに登場し、なんか煙に巻かれて気が付いたら拍手してる、みたいな。
ところが弟子のスズキケイ氏は、植爺を踏襲した作劇をしながら、こじんまりしていて、地味。
植爺くらいコワレた話なのに、植爺ほど突き抜けてないの! スケールちっさっ!!
植爺スターほど実力壊滅してるわけじゃないけど、華のないスターが羽根を背負って銀橋に出てきちゃいました、な印象……。
とりあえず、ツッコミの嵐です、ストーリー(笑)。スズキケイにオリジナル書かせちゃいかん、と熱弁したい。
まあそんな内容だからして、まとぶん他が、力尽くで話を支えています!
駄作上等! 作品なんてのは、「場」でしかない。それを「タカラヅカ」にするのは、スターの力。
まとぶんはほんと、いいトップさんだ。いいスターさんだ。底力を見せつけてくれてる。
ストーリーなんか気にせず、まとぶんだけ見ていれば、なんかいい話のよーな気もするもの!
ラストシーンで鞄どかっと捨てて、蘭ちゃんにキスするところとかときめくもの。冷静に考えると「それじゃマリポーサの花を送りつける男と同じくらい無責任」な行動であってもだ!
緞帳が閉まったあとに、これみよがしな「サヨナラ」銀橋があるので、そこでは素直に別れを惜しめるもの!
話の中身はツッコミの嵐なんだが、特にいちばん反応に困ったことは。
ヒロインが壮くんってのは、どーゆーこと?
最初から最後まで、男ふたりのラヴストーリーでしたが?
スモークの中を、スーツ姿の野郎がふたり、デュエットダンスして熱い抱擁までしてました。
ガチホモ過ぎて、びびった……。(真の腐女子は据え膳には手を出さないモノなのです)
えりたんはテンプレめいたツンデレヒロイン。ツンツンツーン。でもうっかり、まとぶさんの前ではデレちゃいそーになるのー。
もちろん最後は盛大にデレちゃうのー。
えりたん、男にモテモテ。男ばっかの親衛隊に囲まれ「えりたんのためだったら命なんかいらねえ!」なスーツ男たちが口々に愛を叫んでました。
なかでも熱いのがみつる。
「今の恋人はオレだっ」と、昔の恋人まとぶんに向こうを張って、えりたんを守るために立ち上がる……。
役名で書かず、役者名で書いているので、さらに違和感っすねー(笑)。
なんでこんなことになってるんだ、スズキケイ。
いやその、まとぶさんも壮さんも、とても美しかったです。
その美しさだけで、観る価値のある舞台です。
しかし、ショーがあって良かった、と、心から思いました(笑)。
『Le Paradis!!(ル パラディ)』-聖なる時間(とき)-は、安心のフジイくんサヨナラ公演クオリティ。
こちらは素直に泣けます。忘れない、忘れたくない、ああほんとうに。
泣く用意して観ていたのに、芝居はツッコミの多さにそれどころではなかったんで、フジイくんの「泣いていいよ」という仕様に身をゆだねてきました。ありがとうフジイくん! さすがサヨナラ職人だ!
ただ、ショーでも壮くんがファムファタルだったよーな……?
なんでこんな、2作揃ってまとえり?? 美しいからいいけどさ……今までそんな絡め方してなかったじゃん、なんでいきなり??
フジイくんはトップだけでなく、他の退団者にも優しいしさ。どこのアビヤントな作りだとしても、観ていて楽しいよ。
目が足りないよ。
いやその、芝居もきっと、次からは耐性出来てるから大丈夫だと思う。今回ははじめて観たので、アゴが落ちっぱなしで戻らなかっただけで。
次はきっと、キャストにのみ集中して、アレなとこは脳内変換して楽しめると思う。
植爺テイストだけど、植爺じゃないし。(重要)
花組はやっぱり特別な組で、愛着ハンパなくて、今ここに「いない」ことが寂しい。
いるとしたらあのあたり、と勝手に思い描いては寂しくなる。って、それはわたし個人の感傷。現実を否定する意味ではなくて。
まとぶんと花組が、充実した日々を送れますように。
『愛のプレリュード』初日観劇。
いやはや、すごい話でした。
スズキケイに今すぐ必要なのは原作、もしくは本公演(笑)。原作をアレンジしてバウの舞台に乗せたり、1本モノ本公演をアレンジして新公の1時間半に収めるのは得意な人なんだ、ただオリジナルの話は作れない人なんだ。そんなの、今までの彼の作品からもわかりきっていたことだけど。
でも今回は大劇場公演ってことで、すごーく植爺っぽい演出だった。ああ、正しく植爺DNAを持った人なんだなと。
今さらながらに、植爺ってすごい人なんだなと思った。
わたしは植爺アレルギーがあり、彼の作品は大嫌いなんだけど、とりあえず彼の作品は大衆演劇としてのハッタリと、派手さがある。
へたっぴだけど華のあるスターって感じ? 音痴だし大根だけど、どーんと大劇場のステージに登場し、なんか煙に巻かれて気が付いたら拍手してる、みたいな。
ところが弟子のスズキケイ氏は、植爺を踏襲した作劇をしながら、こじんまりしていて、地味。
植爺くらいコワレた話なのに、植爺ほど突き抜けてないの! スケールちっさっ!!
植爺スターほど実力壊滅してるわけじゃないけど、華のないスターが羽根を背負って銀橋に出てきちゃいました、な印象……。
とりあえず、ツッコミの嵐です、ストーリー(笑)。スズキケイにオリジナル書かせちゃいかん、と熱弁したい。
まあそんな内容だからして、まとぶん他が、力尽くで話を支えています!
駄作上等! 作品なんてのは、「場」でしかない。それを「タカラヅカ」にするのは、スターの力。
まとぶんはほんと、いいトップさんだ。いいスターさんだ。底力を見せつけてくれてる。
ストーリーなんか気にせず、まとぶんだけ見ていれば、なんかいい話のよーな気もするもの!
ラストシーンで鞄どかっと捨てて、蘭ちゃんにキスするところとかときめくもの。冷静に考えると「それじゃマリポーサの花を送りつける男と同じくらい無責任」な行動であってもだ!
緞帳が閉まったあとに、これみよがしな「サヨナラ」銀橋があるので、そこでは素直に別れを惜しめるもの!
話の中身はツッコミの嵐なんだが、特にいちばん反応に困ったことは。
ヒロインが壮くんってのは、どーゆーこと?
最初から最後まで、男ふたりのラヴストーリーでしたが?
スモークの中を、スーツ姿の野郎がふたり、デュエットダンスして熱い抱擁までしてました。
ガチホモ過ぎて、びびった……。(真の腐女子は据え膳には手を出さないモノなのです)
えりたんはテンプレめいたツンデレヒロイン。ツンツンツーン。でもうっかり、まとぶさんの前ではデレちゃいそーになるのー。
もちろん最後は盛大にデレちゃうのー。
えりたん、男にモテモテ。男ばっかの親衛隊に囲まれ「えりたんのためだったら命なんかいらねえ!」なスーツ男たちが口々に愛を叫んでました。
なかでも熱いのがみつる。
「今の恋人はオレだっ」と、昔の恋人まとぶんに向こうを張って、えりたんを守るために立ち上がる……。
役名で書かず、役者名で書いているので、さらに違和感っすねー(笑)。
なんでこんなことになってるんだ、スズキケイ。
いやその、まとぶさんも壮さんも、とても美しかったです。
その美しさだけで、観る価値のある舞台です。
しかし、ショーがあって良かった、と、心から思いました(笑)。
『Le Paradis!!(ル パラディ)』-聖なる時間(とき)-は、安心のフジイくんサヨナラ公演クオリティ。
こちらは素直に泣けます。忘れない、忘れたくない、ああほんとうに。
泣く用意して観ていたのに、芝居はツッコミの多さにそれどころではなかったんで、フジイくんの「泣いていいよ」という仕様に身をゆだねてきました。ありがとうフジイくん! さすがサヨナラ職人だ!
ただ、ショーでも壮くんがファムファタルだったよーな……?
なんでこんな、2作揃ってまとえり?? 美しいからいいけどさ……今までそんな絡め方してなかったじゃん、なんでいきなり??
フジイくんはトップだけでなく、他の退団者にも優しいしさ。どこのアビヤントな作りだとしても、観ていて楽しいよ。
目が足りないよ。
いやその、芝居もきっと、次からは耐性出来てるから大丈夫だと思う。今回ははじめて観たので、アゴが落ちっぱなしで戻らなかっただけで。
次はきっと、キャストにのみ集中して、アレなとこは脳内変換して楽しめると思う。
植爺テイストだけど、植爺じゃないし。(重要)
花組はやっぱり特別な組で、愛着ハンパなくて、今ここに「いない」ことが寂しい。
いるとしたらあのあたり、と勝手に思い描いては寂しくなる。って、それはわたし個人の感傷。現実を否定する意味ではなくて。
まとぶんと花組が、充実した日々を送れますように。
復讐の手先になんかなりたくなかった。@ロミオとジュリエット
2011年2月3日 タカラヅカ ティボルトは、ベンヴォーリオと話すべきだと思うんだ。
千秋楽は終わりましたが、まだまだ『ロミオとジュリエット』の話です。
てゆーかまだぜんぜん書き切れていない(笑)。
以前どっかでちらりと書いたけど。
ティボルトとベンヴォーリオについて、改めて。
『ロミジュリ』でいちばん好きなキャラクタは、実はティボルト@ヲヅキだ。
わたしはまっつファンなので、ベン様No.1なのは揺るがないけれど、純粋にキャラクタだけで見れば、ティボルトが興味深い。
あくまでも、ヲヅキ氏の演じている、今のティボルトが。
雪組の『ロミオとジュリエット』は、再演であるせいか、脚本本来のキャラクタと違っている気がする。脚本まんまではなく、初演と変えているというか。
ベンヴォーリオがちっとも粗忽者に見えないこともそうだし、ティボルトだってすぐにキレる危ない男ではないし、「15のときから女をとっかえひっかえ」でもないだろう。
ティボルトは生真面目で武骨。
体育会系の、冗談が通じない人。
彼がキレやすいのは、真面目すぎるから。笑いの許容量が少なく、ふつーの人が笑って流せるところにもいちいち大真面目に引っかかる。
戦国武将とか柔道部とか応援団とか、硬派系の集団にいそうなタイプ。つか上司がこのタイプだったら嫌だ、うざそう(笑)。
女を知るのも早かったし、経験が少なくないのは事実だけど、チャラいのではなく、飢えからくる代償行為。不埒な遊びはしない。ある意味潔癖性。
ほんとうなら真面目で誠実な人なのに、憎しみに汚れ歪んでしまった。自分が間違っていること、世の中が間違っていることを誰より先に気づき、苦悩している。
闇から抜け出せないことが、彼をキレやすくしている。
そうやってはけ口を作らないと、パンクしてしまうから。
「誰も止められない」と歌い、手にしたナイフを見つめる哀しさ。
自分の苦しみの根元であるモノにすがるしかない、絶望。
この生真面目で自分にも世の中にも逃げ場を作れない・赦してやれない不器用な男が、どれほどの渇望でジュリエットを求めていたか。
ジュリエットの前でだけは、「ドラゴンをやっつけるヒーロー」のままでいられたんだろう。
子どもの頃の、汚れる前の自分で。
もともと余裕のないぎりぎりのところで生きている男だから、ジュリエットを失えば精神の均衡を崩す。
チャラ男がキレるより、真面目人間がキレる方がこわいんだってば。
義務のために家族のために耐えに耐え何十年こつこつサラリーマンやってきた男がリストラされてブチキレたらこわい、一気に犯罪突っ走りますよしかも鬱憤たまってる分無差別殺人やっちゃいますよてなもんで。
ティボルトのキレ方はリアルな分、救いがない。
また、ティボルトに感情移入して、彼目線でこの物語を生きていると。
マーキューシオ、ウザすぎ(笑)。
冗談通じない真面目人間からすりゃ、マーキューシオ@ちぎのヘラヘラ茶々入れはカッチーンとくる。
特に「決闘」場面なんかもお。
空気読めよ、ティボルト今マジで機嫌悪いじゃん、このタイミングでつまんないこと言うなっつの。
ティボルトが憎み、殺したいと思っているのはジュリエットを奪ったロミオ@キムだ。だが実際に殺されたのはロミオではなく、マーキューシオ。
それも当然、日頃からマーキューシオがウザすぎるんだ、ティボルトにとって。
ロミオはジュリエットのことがなければ眼中にない。しかし、マーさんのことは日頃から大嫌い。
ロミオを殺すと決めた、今ある世界をすべて壊し、自分自身すら捨てるつもりのティボルトにすりゃ、まずマーキューシオを殺すのは必然。だってこいつ、ウザいんだもん。
ヒーローに憧れていた少年は、はじめて殺人を犯したのに悪びれることなく仲間たちと祝杯をあげている。ティボルトという真面目な人間が取るリアクションとは思えない。つまりそれくらい、彼はすでに壊れている。
闇に、堕ちている。
そのさまが苛酷に哀れで。
悲劇を止める手だてはなかったのか。
ティボルトはまともな男だったのに。色気がない分(笑)、常識を持ち合わせていたのに。
憎しみが彼をゆがめ、過剰な暴力に走らせていた。
両家に伝わる亡霊のような力だから、取り憑かれている彼にはどうすることもできなかったとして。
直接的にティボルトを苛んでいた「憎しみ」ってナニ?
ロミオは眼中になかった。それまでの彼を追いつめるものって?
ええ。
直接ティボルトを暴力に走らせていたモノって、マーキューシオじゃないの?
あの男、ウザすぎるんだもん。
顔を合わせるたび、マーキューシオがいちいち癇に障ることをするから。
それでキレて乱闘。
その繰り返しで10何年。
だからこそ、考えるんだ。
もしもマーキューシオがいなかったら、って。
ロミオを殺すつもりで街中を彷徨うティボルト。
ここでロミオに出会ってしまってはまずい。即ナイフを出して殺しに掛かるかもしれない。
さらにロミオが「争いは良くない、やめよう」といきなり説教はじめたりしたらもっと最悪。ティボルトの血管がいくつかキレるだろう、マジで。ロミオもそーゆー空気読めない、お花畑なところのある男だし。
ティボルトを、そしてそのあと起こる悲劇を止めることが出来たのは。
ベンヴォーリオじゃないかと思うんだ。
「ロミオを地獄へ」と呪ったあとのティボルトと出会ったのが、ベンヴォーリオひとりなら。
顔を見るなり相手の嫌がることを言って触れられたくない部分を暴き立て、攻撃してこないだろう。
とにかくマーさんは、ヘラヘラとバカにした態度取りすぎだもんよ。
余裕のないときにコレやられたら、相当ムカつく(笑)。
コレをことさらにはやらないベン様には、あそこまでキレはしないだろう。
「ロミオはどこだ」「こちらも困惑している」……てな会話が可能だったんじゃないか。
ベンヴォーリオは争いの制止役。それまでも直接的な暴力沙汰になりそうなときは、仲間たちを止めていた。
「争いは良くない、やめるんだ」という理想主義のロミオではなく、「争いはある、キャピュレットとモンタギューは敵同士」と現実を踏まえた上で、やりすぎはよくない、と判断する男だ。
また、その後ティボルトが殺されたとき、その亡骸を哀しく見つめた姿からしても、憎しみに染まりきっているわけじゃない。
現在の困った状況を話し合うことができたのが、ティボルトとベンヴォーリオだった。
だってふたりとも、ロミオとジュリエットの結婚には反対なんだもんよ。立ち位置は同じなんだよ。
マーさんがいるからぐちゃぐちゃになっちゃうだけで、利害は一致しているんだから、協定を組むことだって出来たんだ。
も、マジでマーさんとロミオ抜きで、ふたりで話してくれよ。
話すという行為は、対人関係を変化させる。自己を見つめさせる。
ティボルトだって、刹那的な破壊衝動を薄れさせることができたかもしれない。
手を取り合うまではいかなくても、ティボルトとベンヴォーリオに友情が芽生える可能性はゼロではない。他のキャラとの組み合わせに比べて。
悲劇を回避することができたかもしれないのに。
ティボルトとベンヴォーリオは、ちゃんと話すべきなんだよ。
復讐の手先となる前に。
そうすれば、チガウ未来もあったろうに。
千秋楽は終わりましたが、まだまだ『ロミオとジュリエット』の話です。
てゆーかまだぜんぜん書き切れていない(笑)。
以前どっかでちらりと書いたけど。
ティボルトとベンヴォーリオについて、改めて。
『ロミジュリ』でいちばん好きなキャラクタは、実はティボルト@ヲヅキだ。
わたしはまっつファンなので、ベン様No.1なのは揺るがないけれど、純粋にキャラクタだけで見れば、ティボルトが興味深い。
あくまでも、ヲヅキ氏の演じている、今のティボルトが。
雪組の『ロミオとジュリエット』は、再演であるせいか、脚本本来のキャラクタと違っている気がする。脚本まんまではなく、初演と変えているというか。
ベンヴォーリオがちっとも粗忽者に見えないこともそうだし、ティボルトだってすぐにキレる危ない男ではないし、「15のときから女をとっかえひっかえ」でもないだろう。
ティボルトは生真面目で武骨。
体育会系の、冗談が通じない人。
彼がキレやすいのは、真面目すぎるから。笑いの許容量が少なく、ふつーの人が笑って流せるところにもいちいち大真面目に引っかかる。
戦国武将とか柔道部とか応援団とか、硬派系の集団にいそうなタイプ。つか上司がこのタイプだったら嫌だ、うざそう(笑)。
女を知るのも早かったし、経験が少なくないのは事実だけど、チャラいのではなく、飢えからくる代償行為。不埒な遊びはしない。ある意味潔癖性。
ほんとうなら真面目で誠実な人なのに、憎しみに汚れ歪んでしまった。自分が間違っていること、世の中が間違っていることを誰より先に気づき、苦悩している。
闇から抜け出せないことが、彼をキレやすくしている。
そうやってはけ口を作らないと、パンクしてしまうから。
「誰も止められない」と歌い、手にしたナイフを見つめる哀しさ。
自分の苦しみの根元であるモノにすがるしかない、絶望。
この生真面目で自分にも世の中にも逃げ場を作れない・赦してやれない不器用な男が、どれほどの渇望でジュリエットを求めていたか。
ジュリエットの前でだけは、「ドラゴンをやっつけるヒーロー」のままでいられたんだろう。
子どもの頃の、汚れる前の自分で。
もともと余裕のないぎりぎりのところで生きている男だから、ジュリエットを失えば精神の均衡を崩す。
チャラ男がキレるより、真面目人間がキレる方がこわいんだってば。
義務のために家族のために耐えに耐え何十年こつこつサラリーマンやってきた男がリストラされてブチキレたらこわい、一気に犯罪突っ走りますよしかも鬱憤たまってる分無差別殺人やっちゃいますよてなもんで。
ティボルトのキレ方はリアルな分、救いがない。
また、ティボルトに感情移入して、彼目線でこの物語を生きていると。
マーキューシオ、ウザすぎ(笑)。
冗談通じない真面目人間からすりゃ、マーキューシオ@ちぎのヘラヘラ茶々入れはカッチーンとくる。
特に「決闘」場面なんかもお。
空気読めよ、ティボルト今マジで機嫌悪いじゃん、このタイミングでつまんないこと言うなっつの。
ティボルトが憎み、殺したいと思っているのはジュリエットを奪ったロミオ@キムだ。だが実際に殺されたのはロミオではなく、マーキューシオ。
それも当然、日頃からマーキューシオがウザすぎるんだ、ティボルトにとって。
ロミオはジュリエットのことがなければ眼中にない。しかし、マーさんのことは日頃から大嫌い。
ロミオを殺すと決めた、今ある世界をすべて壊し、自分自身すら捨てるつもりのティボルトにすりゃ、まずマーキューシオを殺すのは必然。だってこいつ、ウザいんだもん。
ヒーローに憧れていた少年は、はじめて殺人を犯したのに悪びれることなく仲間たちと祝杯をあげている。ティボルトという真面目な人間が取るリアクションとは思えない。つまりそれくらい、彼はすでに壊れている。
闇に、堕ちている。
そのさまが苛酷に哀れで。
悲劇を止める手だてはなかったのか。
ティボルトはまともな男だったのに。色気がない分(笑)、常識を持ち合わせていたのに。
憎しみが彼をゆがめ、過剰な暴力に走らせていた。
両家に伝わる亡霊のような力だから、取り憑かれている彼にはどうすることもできなかったとして。
直接的にティボルトを苛んでいた「憎しみ」ってナニ?
ロミオは眼中になかった。それまでの彼を追いつめるものって?
ええ。
直接ティボルトを暴力に走らせていたモノって、マーキューシオじゃないの?
あの男、ウザすぎるんだもん。
顔を合わせるたび、マーキューシオがいちいち癇に障ることをするから。
それでキレて乱闘。
その繰り返しで10何年。
だからこそ、考えるんだ。
もしもマーキューシオがいなかったら、って。
ロミオを殺すつもりで街中を彷徨うティボルト。
ここでロミオに出会ってしまってはまずい。即ナイフを出して殺しに掛かるかもしれない。
さらにロミオが「争いは良くない、やめよう」といきなり説教はじめたりしたらもっと最悪。ティボルトの血管がいくつかキレるだろう、マジで。ロミオもそーゆー空気読めない、お花畑なところのある男だし。
ティボルトを、そしてそのあと起こる悲劇を止めることが出来たのは。
ベンヴォーリオじゃないかと思うんだ。
「ロミオを地獄へ」と呪ったあとのティボルトと出会ったのが、ベンヴォーリオひとりなら。
顔を見るなり相手の嫌がることを言って触れられたくない部分を暴き立て、攻撃してこないだろう。
とにかくマーさんは、ヘラヘラとバカにした態度取りすぎだもんよ。
余裕のないときにコレやられたら、相当ムカつく(笑)。
コレをことさらにはやらないベン様には、あそこまでキレはしないだろう。
「ロミオはどこだ」「こちらも困惑している」……てな会話が可能だったんじゃないか。
ベンヴォーリオは争いの制止役。それまでも直接的な暴力沙汰になりそうなときは、仲間たちを止めていた。
「争いは良くない、やめるんだ」という理想主義のロミオではなく、「争いはある、キャピュレットとモンタギューは敵同士」と現実を踏まえた上で、やりすぎはよくない、と判断する男だ。
また、その後ティボルトが殺されたとき、その亡骸を哀しく見つめた姿からしても、憎しみに染まりきっているわけじゃない。
現在の困った状況を話し合うことができたのが、ティボルトとベンヴォーリオだった。
だってふたりとも、ロミオとジュリエットの結婚には反対なんだもんよ。立ち位置は同じなんだよ。
マーさんがいるからぐちゃぐちゃになっちゃうだけで、利害は一致しているんだから、協定を組むことだって出来たんだ。
も、マジでマーさんとロミオ抜きで、ふたりで話してくれよ。
話すという行為は、対人関係を変化させる。自己を見つめさせる。
ティボルトだって、刹那的な破壊衝動を薄れさせることができたかもしれない。
手を取り合うまではいかなくても、ティボルトとベンヴォーリオに友情が芽生える可能性はゼロではない。他のキャラとの組み合わせに比べて。
悲劇を回避することができたかもしれないのに。
ティボルトとベンヴォーリオは、ちゃんと話すべきなんだよ。
復讐の手先となる前に。
そうすれば、チガウ未来もあったろうに。
温故知新を繰り返し、現在は未来につながる。@ル・ポァゾン 愛の媚薬II
2011年2月2日 タカラヅカ 初演は観ていません、『ル・ポァゾン 愛の媚薬II』。だから初見ショーとして観劇、星組中日公演初日。
なんか岡田ショーを観たのが久しぶりな気がする。最近登板ナイよね?
新作を作る能力がなく、過去作品の切り貼りでお茶を濁す作家、というイメージなので、大劇場に登板してもらわなくてぜんぜんかまわないんだが、中劇場で再演というカタチならば良いのではないかと思った。
新作ですら過去作品の切り貼りなんだから、最初から再演で、しかも複数作品からの良かった場面の寄せ集めなら、さらに失敗がなくて良いのではと。
また、今の星組と岡田作品の相性もいい。
コテコテに一昔前に「タカラヅカ」なところが、実に心地良い。
ちえねねテルは「現代」のタカラヅカを象徴するような、きれいでスタイルのいいスターさんたちだけど、あのビジュアル特化ぶりは昔ながらのタカラヅカを象徴表現するのにも向いている。
なんかしみじみと、「タカラヅカを観た」と思わせてくれる組だわ、星組。
ゴテゴテのわけわかんねーよーな、派手派手衣装に負けてないんだもの。ラテンで関西なノリとセンスってゆーか。ぎとぎとやりつつ、白くキラキラもアリ、いきなり白鳥に乗って王子様が登場してもOK!な世界観の人々というか。
昔は星組のそーゆーとこが苦手だったんだが、今はソレがうれしくて仕方ない……って、わたしが年をとっただけかもしんないけど。
装飾過多色彩過多ゆえにできあがる陰影と濃度、そこに創り出される何十年前と同じ「タカラヅカ」という文化、「タカラヅカ」というファンタジーがそこにある。
ポスターと同じ姿で登場するかなめくんの美しさ。衣装トンデモないのに、ソレに負けていない美貌。美しいという武器、おごりの春のまばゆさ。
そして、やはりポスターの衣装かな、抱き合ったまま登場する赤い衣装のれおんくんとねねちゃん。このふたりが密着しているだけでテンション上がる、胸がハクハクする。
濃ゆいタカラヅカっていいな! 新しくないのがイイ、前世紀の古さを大切に守っているのがイイ。
ちえねねテルのトライアングルが大好きなので、かなめくんの組替えがかなしい。
長身ビジュアル系のトリオだけど、ひとりずつまったく持ち味がチガウ。そのバランスが好きなんだ。
今回は作品ゆえか、かなめくんがちゃんと2番手だった。
いやその、それまでのショー作品ってかなめくん2番手としての仕事もらってなかったよね? 『ソウル・オブ・シバ!!』は2番手あかしだったし、『BOLERO』と『宝塚花の踊り絵巻』はれおんくんひとり舞台だったよねえ?
特に直近に観た『宝塚花の踊り絵巻』で、かなめくんの場面がつなぎのカーテン前1個で、ちゃんと1場面もらってなかったせいもあり、今回は「うわ、かなめくんがショーでセンターで場面務めてる!」と新鮮に眺めました。
大劇場にてひとりで場面を支えるのは、制作サイドから杞憂されているのかもしれないけれど、中日クラスの箱ならばOKと判断されたか。
彼の場合、雪組4番手からあれよあれよというポジションアップだったから、いろいろ追いついてないんだよね。こうしてひとつずつスキルアップしていってくれるといいな。……もう組替えしちゃうけど。
予備知識ナシに観ているもんで、途中で突然『ナルシス・ノワール』がはじまり、おどろいた……。
わたしはシメさんスキーで、この公演は複数回観ているのよ……。
ちえテルは絡ませたくなる美しいふたり。
体格的、ビジュアル的にはお似合いのふたりで、衣装もわかりやすく白と黒だし(笑)、ネッシーさんとシメさんのときに感じた「身長差が残念」な感じはなく、まさに光と影。
……なんだけど、「色気」の方向性が違って、なんともこそばゆい「アンダルシアの孤独」でした(笑)。
いや、きれいだよ。きれいなんだけどねー……。楽近くだとまた違っているのかな。
それにしても星組は上級生多いなってゆーか、センター付近に多すぎ(笑)。
トップスターの両脇がくみちょーとみきちぐ、娘役でかわいこちゃんポジが花愛さんと白妙さんって……実力者たちなのはわかるけど、もう少し見た目もなんというか……。(失礼な)
ねね様はすばらしいねね様でした。
あのおみ足の美しさ! スリット万歳。
加えて、喪服萌え。
ねねちゃんには夢が広がるなあ。いろんな衣装見てみたい、いろんなシチュエーションを見てみたい。
ぶりっこから背徳の女まで、なんでもござれだもんなあ。
アダムとイブもかわいかった。ねねちゃんキュート! れおんかっけー!
しかし、れおんの英語のカタカナっぷりには現実に引き戻された(笑)。ねねちゃんの舌っ足らずな英語はかわいーんだけどなー。
フィナーレの取って付けたよーな「ちえねねテルトリオを惜しむ」場面は、オリジナルでしょうか?
こーゆーあざとい演出するのが、タカラヅカの美点だとありがたくいただきます。あーん、この3人好きだよおお。
あ、しーらんはもちろんショーでも最初からアクセルふかしまくりでした。芝居とちがってセンターで踊ってくれなかったので、わたしの真ん前に来てくれることがなかったのが残念っす。
あ、唯一センターだったのが、女装場面。
男がマグロでも女が喘いでいればなんとなく格好が付く、みたいな感じで、とても素敵でした(笑)。テルさんが薄いのに、女装しーらんがひとりぶっちぎりで喘いでて……実によい悶えっぷりでした。男がテクニシャンに見える!……かもしれない(笑)。いやその、観ていて思わず目が泳ぐ体験をしました……誰だこのふたりを組ましたの(笑)。
そーいや、前の場面には出ていないのに、麻央くんは何故ひとり汗だくで頭飾りもなくロケットに出遅れぎりぎりに飛び出してきたのか不思議でしたが……彼がその前に出ていた場面に一緒に出ていた人たちは、みんな涼しい姿でロケット出てるのに。まあ、彼はセンターだからひとりだけ衣装が違っても、「そういう役」だと思ってもらえたかな?
初日だからいろいろハプニングはあるし、固さや緊張感はあるにしろ。
よい舞台でした、ああ楽しい。
今回わたしは改めて、みっきーを好きだと思いました。うむ。
そーいやプログラムの写真を見たら、れおんくんはまだ短髪のままでした。
『ロミジュリ』『愛と青春の旅だち』仕様のショートヘアで、ヅラなしの通常タカラヅカな芝居やショーはどうするつもりだろうと思ったら、実際にはもうずいぶん伸びていて、ふつーにリーゼントしてた。
……ゆえに、ちょっと残念に思ったわたしがいる。れおんくんのショート好きだったなあと。
そして、リーゼントを作れる長さにはなっているとはいえ、バリエーションを作れるほどではないらしく、シンプルなおじさんリーゼントが基本になっていたなあ。
これからさらに髪が伸びたら、もっともっとオトコマエなれおんくんが芝居でもショーでも観られるはず。
いやとにかく中日公演楽しすぎ。組担は思い存分通ってヨシだ、うらやましい。
なんか岡田ショーを観たのが久しぶりな気がする。最近登板ナイよね?
新作を作る能力がなく、過去作品の切り貼りでお茶を濁す作家、というイメージなので、大劇場に登板してもらわなくてぜんぜんかまわないんだが、中劇場で再演というカタチならば良いのではないかと思った。
新作ですら過去作品の切り貼りなんだから、最初から再演で、しかも複数作品からの良かった場面の寄せ集めなら、さらに失敗がなくて良いのではと。
また、今の星組と岡田作品の相性もいい。
コテコテに一昔前に「タカラヅカ」なところが、実に心地良い。
ちえねねテルは「現代」のタカラヅカを象徴するような、きれいでスタイルのいいスターさんたちだけど、あのビジュアル特化ぶりは昔ながらのタカラヅカを象徴表現するのにも向いている。
なんかしみじみと、「タカラヅカを観た」と思わせてくれる組だわ、星組。
ゴテゴテのわけわかんねーよーな、派手派手衣装に負けてないんだもの。ラテンで関西なノリとセンスってゆーか。ぎとぎとやりつつ、白くキラキラもアリ、いきなり白鳥に乗って王子様が登場してもOK!な世界観の人々というか。
昔は星組のそーゆーとこが苦手だったんだが、今はソレがうれしくて仕方ない……って、わたしが年をとっただけかもしんないけど。
装飾過多色彩過多ゆえにできあがる陰影と濃度、そこに創り出される何十年前と同じ「タカラヅカ」という文化、「タカラヅカ」というファンタジーがそこにある。
ポスターと同じ姿で登場するかなめくんの美しさ。衣装トンデモないのに、ソレに負けていない美貌。美しいという武器、おごりの春のまばゆさ。
そして、やはりポスターの衣装かな、抱き合ったまま登場する赤い衣装のれおんくんとねねちゃん。このふたりが密着しているだけでテンション上がる、胸がハクハクする。
濃ゆいタカラヅカっていいな! 新しくないのがイイ、前世紀の古さを大切に守っているのがイイ。
ちえねねテルのトライアングルが大好きなので、かなめくんの組替えがかなしい。
長身ビジュアル系のトリオだけど、ひとりずつまったく持ち味がチガウ。そのバランスが好きなんだ。
今回は作品ゆえか、かなめくんがちゃんと2番手だった。
いやその、それまでのショー作品ってかなめくん2番手としての仕事もらってなかったよね? 『ソウル・オブ・シバ!!』は2番手あかしだったし、『BOLERO』と『宝塚花の踊り絵巻』はれおんくんひとり舞台だったよねえ?
特に直近に観た『宝塚花の踊り絵巻』で、かなめくんの場面がつなぎのカーテン前1個で、ちゃんと1場面もらってなかったせいもあり、今回は「うわ、かなめくんがショーでセンターで場面務めてる!」と新鮮に眺めました。
大劇場にてひとりで場面を支えるのは、制作サイドから杞憂されているのかもしれないけれど、中日クラスの箱ならばOKと判断されたか。
彼の場合、雪組4番手からあれよあれよというポジションアップだったから、いろいろ追いついてないんだよね。こうしてひとつずつスキルアップしていってくれるといいな。……もう組替えしちゃうけど。
予備知識ナシに観ているもんで、途中で突然『ナルシス・ノワール』がはじまり、おどろいた……。
わたしはシメさんスキーで、この公演は複数回観ているのよ……。
ちえテルは絡ませたくなる美しいふたり。
体格的、ビジュアル的にはお似合いのふたりで、衣装もわかりやすく白と黒だし(笑)、ネッシーさんとシメさんのときに感じた「身長差が残念」な感じはなく、まさに光と影。
……なんだけど、「色気」の方向性が違って、なんともこそばゆい「アンダルシアの孤独」でした(笑)。
いや、きれいだよ。きれいなんだけどねー……。楽近くだとまた違っているのかな。
それにしても星組は上級生多いなってゆーか、センター付近に多すぎ(笑)。
トップスターの両脇がくみちょーとみきちぐ、娘役でかわいこちゃんポジが花愛さんと白妙さんって……実力者たちなのはわかるけど、もう少し見た目もなんというか……。(失礼な)
ねね様はすばらしいねね様でした。
あのおみ足の美しさ! スリット万歳。
加えて、喪服萌え。
ねねちゃんには夢が広がるなあ。いろんな衣装見てみたい、いろんなシチュエーションを見てみたい。
ぶりっこから背徳の女まで、なんでもござれだもんなあ。
アダムとイブもかわいかった。ねねちゃんキュート! れおんかっけー!
しかし、れおんの英語のカタカナっぷりには現実に引き戻された(笑)。ねねちゃんの舌っ足らずな英語はかわいーんだけどなー。
フィナーレの取って付けたよーな「ちえねねテルトリオを惜しむ」場面は、オリジナルでしょうか?
こーゆーあざとい演出するのが、タカラヅカの美点だとありがたくいただきます。あーん、この3人好きだよおお。
あ、しーらんはもちろんショーでも最初からアクセルふかしまくりでした。芝居とちがってセンターで踊ってくれなかったので、わたしの真ん前に来てくれることがなかったのが残念っす。
あ、唯一センターだったのが、女装場面。
男がマグロでも女が喘いでいればなんとなく格好が付く、みたいな感じで、とても素敵でした(笑)。テルさんが薄いのに、女装しーらんがひとりぶっちぎりで喘いでて……実によい悶えっぷりでした。男がテクニシャンに見える!……かもしれない(笑)。いやその、観ていて思わず目が泳ぐ体験をしました……誰だこのふたりを組ましたの(笑)。
そーいや、前の場面には出ていないのに、麻央くんは何故ひとり汗だくで頭飾りもなくロケットに出遅れぎりぎりに飛び出してきたのか不思議でしたが……彼がその前に出ていた場面に一緒に出ていた人たちは、みんな涼しい姿でロケット出てるのに。まあ、彼はセンターだからひとりだけ衣装が違っても、「そういう役」だと思ってもらえたかな?
初日だからいろいろハプニングはあるし、固さや緊張感はあるにしろ。
よい舞台でした、ああ楽しい。
今回わたしは改めて、みっきーを好きだと思いました。うむ。
そーいやプログラムの写真を見たら、れおんくんはまだ短髪のままでした。
『ロミジュリ』『愛と青春の旅だち』仕様のショートヘアで、ヅラなしの通常タカラヅカな芝居やショーはどうするつもりだろうと思ったら、実際にはもうずいぶん伸びていて、ふつーにリーゼントしてた。
……ゆえに、ちょっと残念に思ったわたしがいる。れおんくんのショート好きだったなあと。
そして、リーゼントを作れる長さにはなっているとはいえ、バリエーションを作れるほどではないらしく、シンプルなおじさんリーゼントが基本になっていたなあ。
これからさらに髪が伸びたら、もっともっとオトコマエなれおんくんが芝居でもショーでも観られるはず。
いやとにかく中日公演楽しすぎ。組担は思い存分通ってヨシだ、うらやましい。
あの頃、あの小悪魔と。@愛するには短すぎる
2011年2月1日 タカラヅカ 友人のチェリさんは、いろいろと愉快なカンチガイをする人なのだが。
星組中日公演の演目が『愛するには短すぎる』だっつーことで、
「ちえがテルに『幸せになれー!』って叫ぶのね」
と、真顔で言う。
ちょっと待て。どーしてれおんくんがかなめくんにそんな台詞を?
「だってテルは宙組に組替えでしょ」
たしかに組替えだが、その台詞はフレッドがバーバラに言う台詞だってば。
「だから、テルがバーバラでしょ?」(真顔)
チガーウ! 何故そんな愉快配役をしなきゃなんないの、ねねちゃんがいるでしょ、バーバラ@ねねちゃんだってば!
「じゃ、テルはなにするの?」(真顔)
アンソニーに決まってるじゃん。
「えええ?!!」
いや、驚かれても。
チェリさんの中では「組替え=バーバラ役」と直結し、それ以外は考えられなかったようだ……って、ヲイ。
たしかにバーバラ@となみは組替えだったけどさー。
てことで、中日『愛するには短すぎる』初日行ってきました。
いやはや。
退団公演ナメてました。
代替わりしたあとの全ツやらの別箱公演で、退団公演と同じ演目をすることはよくある。記憶も新しいうちにするわけだから、実際に観劇した際に切なかったりするわけだが。
今回はもう4~5年経っている。ただ作品ファンとして楽しむ気満々で観に行ったんだ。
またわたしは、「再演」に対する拒絶反応が少ない。思い入れのある作品を再演されるからといって「**は※※さんの作品なのに! 別の人でなんか観たくない!」とか、そーゆー感覚がない。
時代にそぐわない大昔作品の再演に反対なだけで、作品への思い入れゆえに反対することはナイ。
特に中日などの別箱は再演が基本だから、ナニやってくれてもいいさ。
シンプルに「あの作品をもう一度観られる」「役替わり公演的に楽しみ」と言える。
『愛短』は大好きな作品。毎回だーだー泣きながら通った。それをもう一度別キャストで観られるのは、楽しい、うれしい。
と。のーてんきに中日まで行ったわけなんだが。
……『愛短』はただの作品ぢゃない。退団公演だったんだ。わかっていたけど、わかってなかった。
泣けました。
物語が、以前に、思い出ゆえに。
どんだけ好きだったか。フレッド@ワタさん、アンソニー@トウコ、バーバラ@となみ。船長@しいちゃん、ウメ、和くん、みらん、コトコト、きんさん、にしきさん、まひろ、エンディ、……役ついてた人たちだけでも次々と甦ってきて、切なくてたまらない。
てゆーかわたしほんとに好きだったのよ、ワタトウ!!
フレッドとアンソニーのデュエットで涙腺決壊。うわーん!!
トウコちゃんに会いたいなあ。女優の安蘭けいさんじゃなくて、タカラジェンヌの、男役の、あのころのトウコに。あんな人にはもう出会えないのかなあ。うわーん。
アンソニー@トウコが好きすぎて、フレッド@ワタさんとのコンビが好きすぎて、切なさでドキドキする。
もう4年半経ってるし、というのはなんの関係もなかった。
記憶は鮮明で、なんのフォローにもなりゃーしない。全編答え合わせというか、ここはこうだった、あの人だったと勝手に脳が動く。
いやもお、無駄に消耗した(笑)。
そんななか、オープニングから、黒髪しーらんの戦闘意欲ばりばりっぷりに、アテられまくる(笑)。
初日で下級生多しでみんないっぱいいっぱいが透けて見える、自分の役目をこなすのに精一杯、な群舞で、しーらんひとりすげー勢いで客席釣っててウケた。ナニあの目ヂカラ。kineさんは「仕様ですから!」のひとことで済ませてたけど(笑)。
うん、たしかにしーらんさんの仕様なんだろう。目線もらったっつーか、がっつり釣られた……びびった。
草食系が多い昨今、彼のような肉食男子はいいよねー。
フレッド@れおんくんに、彼の新公時代を思い出す。
れおんくんはワタさんの役をえんえんやっていたねえ……って、そうかフレッドはやってないのか。
ワタさんにあった朴訥さが、れおんにないことを、驚いて見つめる。れおんのフレッドの方が、スマートだ。見た目だけでなく、いろんなところが。
アンソニー@かなめくんは……。
まあトウコちゃんはなあ。変なクド味というか、ねっとりした曲者感のある人だったからな。あれはトウコちゃんならではの持ち味として。
アンソニーが、小悪魔ではなくお調子者だった。てのは、なかなかに衝撃的だ(笑)。
アンソニーって、小悪魔キャラの代表だと思ってたのよ。マサツカすげえ、おっさんが小悪魔キャラの「男」を描けるなんて、ふつーは女子にしか描けない・理解できないのに! と、感心してたんだけど。
そっか。マサツカおじさんはふつーに男子脳でお調子者を描いていて、トウコが勝手に小悪魔にしていたのね。
小悪魔でないアンソニーは、チャラいというか、軽かったっす……(笑)。
かなめくんの演じる軽い二枚目というとコレだよねというか、鳴海先生またここに?というか(笑)。
や、かわいかったよ。
体格が同じの男ふたりがいちゃいちゃしまくり、抱き合ったりなんだりされると、なかなかみょーな迫力があるもんだなと、そんな感心をしました……。
小悪魔に翻弄される朴訥な男、ではなく、チャラ男に言いくるめられる二枚目、なわけだしなー。うーむ。
バーバラ@ねねちゃんは、しみじみ「スター」だなと思った。
どんな役をやっても彼女は「ねねちゃん」であり、役に染まることはないんだなと。アイドルやスターは、役になりきるよりも「ナニをやっても**(名前)」である方が向いている。
れおんくんもそのタイプだと思ってたんだけど、彼はけっこう役によって変わる。変わらないねねちゃん相手に、彼が変わることでいろんな色を作っていくんだ……ということに瞠目。
フランク@ともみんは、当時のれおんよりうまいと思う……って、れおんここ数年で急成長したんやなー。
船長@れいやくんのいっぱいいっぱいぶり、歌大変!以上に、「舞台でセンターに立つ」ことにキョドっている感じが、手に汗握る。きっとこの経験が彼を大きく変えるだろうな。
ドリー@わかばちゃんは、なんか大人びていてびびった。ウメちゃんが演じたドリーにあった「向いてない感じ」がそのままあったので、コレはマサツカのこだわりなのか?と首を傾げる(笑)。
ドリーの相方デイブ@麻央くんを見て、「この役は、演技アレな人がやる役なのか」と、妙に納得した(笑)。初演が和くんで新公がベニーだもんなあ。主要人物の中で実力の差ゆえに浮いてる感じ、それを必要とした役回りなのか。
中堅以上のひとたちの役替わりに関しては、問題なくたのしめた。
個人的に、まいけるの違和感のなさと、役そのままなのか!のギリーにツボった。
今回退団公演ではないっつーことで、サヨナラ色を薄めようとしたところ、ラストがさらに淡泊になっていて、もともとマサツカ作品って淡泊なのにいいのかよと思いつつ(笑)。
星組中日公演の演目が『愛するには短すぎる』だっつーことで、
「ちえがテルに『幸せになれー!』って叫ぶのね」
と、真顔で言う。
ちょっと待て。どーしてれおんくんがかなめくんにそんな台詞を?
「だってテルは宙組に組替えでしょ」
たしかに組替えだが、その台詞はフレッドがバーバラに言う台詞だってば。
「だから、テルがバーバラでしょ?」(真顔)
チガーウ! 何故そんな愉快配役をしなきゃなんないの、ねねちゃんがいるでしょ、バーバラ@ねねちゃんだってば!
「じゃ、テルはなにするの?」(真顔)
アンソニーに決まってるじゃん。
「えええ?!!」
いや、驚かれても。
チェリさんの中では「組替え=バーバラ役」と直結し、それ以外は考えられなかったようだ……って、ヲイ。
たしかにバーバラ@となみは組替えだったけどさー。
てことで、中日『愛するには短すぎる』初日行ってきました。
いやはや。
退団公演ナメてました。
代替わりしたあとの全ツやらの別箱公演で、退団公演と同じ演目をすることはよくある。記憶も新しいうちにするわけだから、実際に観劇した際に切なかったりするわけだが。
今回はもう4~5年経っている。ただ作品ファンとして楽しむ気満々で観に行ったんだ。
またわたしは、「再演」に対する拒絶反応が少ない。思い入れのある作品を再演されるからといって「**は※※さんの作品なのに! 別の人でなんか観たくない!」とか、そーゆー感覚がない。
時代にそぐわない大昔作品の再演に反対なだけで、作品への思い入れゆえに反対することはナイ。
特に中日などの別箱は再演が基本だから、ナニやってくれてもいいさ。
シンプルに「あの作品をもう一度観られる」「役替わり公演的に楽しみ」と言える。
『愛短』は大好きな作品。毎回だーだー泣きながら通った。それをもう一度別キャストで観られるのは、楽しい、うれしい。
と。のーてんきに中日まで行ったわけなんだが。
……『愛短』はただの作品ぢゃない。退団公演だったんだ。わかっていたけど、わかってなかった。
泣けました。
物語が、以前に、思い出ゆえに。
どんだけ好きだったか。フレッド@ワタさん、アンソニー@トウコ、バーバラ@となみ。船長@しいちゃん、ウメ、和くん、みらん、コトコト、きんさん、にしきさん、まひろ、エンディ、……役ついてた人たちだけでも次々と甦ってきて、切なくてたまらない。
てゆーかわたしほんとに好きだったのよ、ワタトウ!!
フレッドとアンソニーのデュエットで涙腺決壊。うわーん!!
トウコちゃんに会いたいなあ。女優の安蘭けいさんじゃなくて、タカラジェンヌの、男役の、あのころのトウコに。あんな人にはもう出会えないのかなあ。うわーん。
アンソニー@トウコが好きすぎて、フレッド@ワタさんとのコンビが好きすぎて、切なさでドキドキする。
もう4年半経ってるし、というのはなんの関係もなかった。
記憶は鮮明で、なんのフォローにもなりゃーしない。全編答え合わせというか、ここはこうだった、あの人だったと勝手に脳が動く。
いやもお、無駄に消耗した(笑)。
そんななか、オープニングから、黒髪しーらんの戦闘意欲ばりばりっぷりに、アテられまくる(笑)。
初日で下級生多しでみんないっぱいいっぱいが透けて見える、自分の役目をこなすのに精一杯、な群舞で、しーらんひとりすげー勢いで客席釣っててウケた。ナニあの目ヂカラ。kineさんは「仕様ですから!」のひとことで済ませてたけど(笑)。
うん、たしかにしーらんさんの仕様なんだろう。目線もらったっつーか、がっつり釣られた……びびった。
草食系が多い昨今、彼のような肉食男子はいいよねー。
フレッド@れおんくんに、彼の新公時代を思い出す。
れおんくんはワタさんの役をえんえんやっていたねえ……って、そうかフレッドはやってないのか。
ワタさんにあった朴訥さが、れおんにないことを、驚いて見つめる。れおんのフレッドの方が、スマートだ。見た目だけでなく、いろんなところが。
アンソニー@かなめくんは……。
まあトウコちゃんはなあ。変なクド味というか、ねっとりした曲者感のある人だったからな。あれはトウコちゃんならではの持ち味として。
アンソニーが、小悪魔ではなくお調子者だった。てのは、なかなかに衝撃的だ(笑)。
アンソニーって、小悪魔キャラの代表だと思ってたのよ。マサツカすげえ、おっさんが小悪魔キャラの「男」を描けるなんて、ふつーは女子にしか描けない・理解できないのに! と、感心してたんだけど。
そっか。マサツカおじさんはふつーに男子脳でお調子者を描いていて、トウコが勝手に小悪魔にしていたのね。
小悪魔でないアンソニーは、チャラいというか、軽かったっす……(笑)。
かなめくんの演じる軽い二枚目というとコレだよねというか、鳴海先生またここに?というか(笑)。
や、かわいかったよ。
体格が同じの男ふたりがいちゃいちゃしまくり、抱き合ったりなんだりされると、なかなかみょーな迫力があるもんだなと、そんな感心をしました……。
小悪魔に翻弄される朴訥な男、ではなく、チャラ男に言いくるめられる二枚目、なわけだしなー。うーむ。
バーバラ@ねねちゃんは、しみじみ「スター」だなと思った。
どんな役をやっても彼女は「ねねちゃん」であり、役に染まることはないんだなと。アイドルやスターは、役になりきるよりも「ナニをやっても**(名前)」である方が向いている。
れおんくんもそのタイプだと思ってたんだけど、彼はけっこう役によって変わる。変わらないねねちゃん相手に、彼が変わることでいろんな色を作っていくんだ……ということに瞠目。
フランク@ともみんは、当時のれおんよりうまいと思う……って、れおんここ数年で急成長したんやなー。
船長@れいやくんのいっぱいいっぱいぶり、歌大変!以上に、「舞台でセンターに立つ」ことにキョドっている感じが、手に汗握る。きっとこの経験が彼を大きく変えるだろうな。
ドリー@わかばちゃんは、なんか大人びていてびびった。ウメちゃんが演じたドリーにあった「向いてない感じ」がそのままあったので、コレはマサツカのこだわりなのか?と首を傾げる(笑)。
ドリーの相方デイブ@麻央くんを見て、「この役は、演技アレな人がやる役なのか」と、妙に納得した(笑)。初演が和くんで新公がベニーだもんなあ。主要人物の中で実力の差ゆえに浮いてる感じ、それを必要とした役回りなのか。
中堅以上のひとたちの役替わりに関しては、問題なくたのしめた。
個人的に、まいけるの違和感のなさと、役そのままなのか!のギリーにツボった。
今回退団公演ではないっつーことで、サヨナラ色を薄めようとしたところ、ラストがさらに淡泊になっていて、もともとマサツカ作品って淡泊なのにいいのかよと思いつつ(笑)。
闇の中だからこそ、光が見える。@『ロミオとジュリエット』千秋楽
2011年1月31日 タカラヅカ 本日は2階後方、されど47番とドセンター。0番に立つまっつと目が合いたくて(笑)。
紫燕尾の「背の順に並びました」場面がまっすぐ見えて感動したぞっと。
2階センターだと、アタマの上をライトが通っていることがよくわかる。2階最奥から照明が舞台へ向けられているから。
そう、本日雪組『ロミオとジュリエット』千秋楽。
『麗しのサブリナ』にて、ムラと東宝でまっつに対するライトが違っていたこともあり、なんか今日はライトを気にして見ていた。
ティボルト@ヲヅキのソロで「誰も止められない♪」でピンスポがぱーんと明るくなることや、ベンヴォーリオ@まっつのソロへ向けられたライトの数が、彼の慟哭と共に増減することなんかを、今さら感心して眺めた。
暗い客席の上を通り、舞台を照らす光。
その光の筋を、美しいと思う。
フィナーレで胸に花を付けた子たちに、ピンスポがあてられる。
ロケットは全体が明るいからよくわかんなかったけれど、娘役群舞で隅っこにいるゆりんちゃんに光が届いたときに涙腺壊れた。や、芝居ですでに泣いてたけど、それとは別に。
大階段にトップスターキムくんが登場、黒燕尾の男たちもまたその周囲でバンとポーズ。その瞬間、暗めの舞台上に、ピンスポはふたつだけ。
ひとつは真ん中のトップスター。
そしてもうひとつは、その横のグループにいる、個別化されていない、他の男たちと同じ衣装(ただし胸に花)の、れのくん。
トップスターと、れのくんだけだよ。
群舞スタートで、舞台は明るくなったけれど、ライトはずっとれのくんを追いかけていた。
最後のキメポーズは、ピンスポが上手花道にいるれのくんだけを、照らしていた。
本舞台中央のキムたちの周囲はもともと明るいので、ライトの存在はあまりわからない。花道は暗めだから、ピンスポが目立つんだ。
なんて劇団だろうね。
や、ふつーありえないって、こんな演出。スターでもなんでもない、舞台構成上なんの関係もないところにピンスポ当てるなんて。
だけどコレがタカラヅカ。
タカラヅカの、タカラヅカらしいところ。
劇団がそれを許し、ファンがそれを許す。求める。
脇で踊る、普段ならライトなんてあててもらえない子に、今日この日、丁寧にライトをあてる照明さんに感動した。
暗い劇場内を、わたしたちのアタマの上を、光の筋が走る。動く。
愛情を持って。
まっつベン様と別れるのが哀しくて、数日前から「まっつだけ見る」宣言をしていたんだけど、やっぱりあちこち見るのに忙しくて(笑)。オペラおろして全体眺めてみたり。
ラスト4日はムラに通い詰めだったわけだが、いちばんベン様のノリが良かったのは金曜日かなあ……。
今日もすごくたのしそうで、充実して舞台に立っていることがわかる。……しかしベン様、仮面舞踏会でナチュラルに腰振って歩いているのはナニ?!(笑)
まっつだけでいうと。
ヴェローナでの2回目の頬拭いはピッと一瞬、「憎しみ」にていつもはマーさんにお辞儀させられるのが逆になってた、ストップモーション時はベン様がマーさんの肩に手をおいてちょっと顔を寄せた状態、舞踏会にてバレエ踊ってた、キングの腰を抱いて流し目(キングたじたじ)、相手の女の子に手を振り色目、裏ピース、ひとりめにキスしたあと腰振りで次の獲物へ、さらに移動時は両手を広げてキ~~ン、乳母に投げキッス、女の子の後ろに隠れ……その子とさらに隣の子にもいちいちアピール(女の子たちぽわわん)、4人目の女の子にキスぢゃないけどちゅって感じにした上でお持ち帰り、「綺麗は汚い」で何故かあすくんに正面から抱きしめられているところからスタート(ナニやってんのキミたち?!)、犬ころマーさんとは抱き合うだけ……でもちょっとキスっぽく向かい合ってる、イケメンポーズはしつこくリップ音たてる感じ、乳母へのアピール激しくそのくせ嫌がり方も激しい(どっちや)、マーさん臨終時は手を握る→滑り落ちる→手を見つめるバージョン。
なんかベン様元気にいろいろやりすぎていて、とても全部はおぼえてらんない……きっと他にもあったと思う。
女ったらしぶりに拍車が掛かり、さらに男もタラシてる気がするんですが……大丈夫か、ベン様の中の人??
まっつってあんましアドリブする人じゃなかった、と思うんだが。
千秋楽は、楽だから無礼講!ではなく、基本に立ち返って忠実に、だったと思うんだが。
な、なんかいろいろとびっくりだー。
本編が終わり、幕前でナガさんの退団者紹介があったあと、再度幕が上がり……まっつがお花を持っていることにおどろいた。
退団者は4人。組からのお花(出演者からのお花、とナガさんは言っていた)を渡すメンバーに入っちゃうんだ。上級生がいっぱいいた花組ではありえない。
なにはともあれ、これで終わりだ。
……終わって、しまった。
通常のわたしの観劇回数はヒト月に8回ほどなんだが……今月は……ううう。
あ、雪組だけだと19回でした。45公演中19回かぁ……。
休演日を除いた27日中、15日ムラにいました……。
や、友人たちを見ても、この程度のレコードは大したことないとわかっているけれど、わたしとしてはアリエナイくらいの祭りっぷりです。
今回に限りだこんなの、次からは自分のペースに戻すもん!
基本的に舞台にしか興味がないため、こんだけムラに通っていて、入り出は一度もしてないっす。ので、素顔まっつは見てない……。
唯一、出を見ることが出来たのは、そのかのみ。や、大劇終わって外に出たら、ちょうどバウ初日の出の最中だったんだ。ラッキー。そのか、かっこよかったー。
今月は見事に「日常」がなかった。
最低限の日々のことと、ムラ通いしかしてねー。まだ年賀状見てないってどうなのよ。こあらに年賀状出したのに、こあらからは来てないってヒト、すまんです……。チェリさん、今さらだけど年賀状手渡していい? 今年も干支関係無しにウチの猛獣デザインだけど(超私信)。
家にいる間は、レコーダの整理に追われていて。外出時間が増えればその分録画するから、レコーダがすぐにいっぱいになっちゃって……睡眠時間削って録画したドラマ見て(ドラマヲタクでもありますの)、またよぼよぼムラへ向かう日々。
それも終わりだ、日常取り戻さなくちゃ、家の中のことなんとかしなきゃ。
少しは落ち着いた生活しなきゃ。てゆーかマジお金ナイ。
でも明日は星組中日初日だー!! 名古屋まで往復8時間かけて行くぞー(笑)。
その3日後は花初日だー!!
よぼよぼ。
紫燕尾の「背の順に並びました」場面がまっすぐ見えて感動したぞっと。
2階センターだと、アタマの上をライトが通っていることがよくわかる。2階最奥から照明が舞台へ向けられているから。
そう、本日雪組『ロミオとジュリエット』千秋楽。
『麗しのサブリナ』にて、ムラと東宝でまっつに対するライトが違っていたこともあり、なんか今日はライトを気にして見ていた。
ティボルト@ヲヅキのソロで「誰も止められない♪」でピンスポがぱーんと明るくなることや、ベンヴォーリオ@まっつのソロへ向けられたライトの数が、彼の慟哭と共に増減することなんかを、今さら感心して眺めた。
暗い客席の上を通り、舞台を照らす光。
その光の筋を、美しいと思う。
フィナーレで胸に花を付けた子たちに、ピンスポがあてられる。
ロケットは全体が明るいからよくわかんなかったけれど、娘役群舞で隅っこにいるゆりんちゃんに光が届いたときに涙腺壊れた。や、芝居ですでに泣いてたけど、それとは別に。
大階段にトップスターキムくんが登場、黒燕尾の男たちもまたその周囲でバンとポーズ。その瞬間、暗めの舞台上に、ピンスポはふたつだけ。
ひとつは真ん中のトップスター。
そしてもうひとつは、その横のグループにいる、個別化されていない、他の男たちと同じ衣装(ただし胸に花)の、れのくん。
トップスターと、れのくんだけだよ。
群舞スタートで、舞台は明るくなったけれど、ライトはずっとれのくんを追いかけていた。
最後のキメポーズは、ピンスポが上手花道にいるれのくんだけを、照らしていた。
本舞台中央のキムたちの周囲はもともと明るいので、ライトの存在はあまりわからない。花道は暗めだから、ピンスポが目立つんだ。
なんて劇団だろうね。
や、ふつーありえないって、こんな演出。スターでもなんでもない、舞台構成上なんの関係もないところにピンスポ当てるなんて。
だけどコレがタカラヅカ。
タカラヅカの、タカラヅカらしいところ。
劇団がそれを許し、ファンがそれを許す。求める。
脇で踊る、普段ならライトなんてあててもらえない子に、今日この日、丁寧にライトをあてる照明さんに感動した。
暗い劇場内を、わたしたちのアタマの上を、光の筋が走る。動く。
愛情を持って。
まっつベン様と別れるのが哀しくて、数日前から「まっつだけ見る」宣言をしていたんだけど、やっぱりあちこち見るのに忙しくて(笑)。オペラおろして全体眺めてみたり。
ラスト4日はムラに通い詰めだったわけだが、いちばんベン様のノリが良かったのは金曜日かなあ……。
今日もすごくたのしそうで、充実して舞台に立っていることがわかる。……しかしベン様、仮面舞踏会でナチュラルに腰振って歩いているのはナニ?!(笑)
まっつだけでいうと。
ヴェローナでの2回目の頬拭いはピッと一瞬、「憎しみ」にていつもはマーさんにお辞儀させられるのが逆になってた、ストップモーション時はベン様がマーさんの肩に手をおいてちょっと顔を寄せた状態、舞踏会にてバレエ踊ってた、キングの腰を抱いて流し目(キングたじたじ)、相手の女の子に手を振り色目、裏ピース、ひとりめにキスしたあと腰振りで次の獲物へ、さらに移動時は両手を広げてキ~~ン、乳母に投げキッス、女の子の後ろに隠れ……その子とさらに隣の子にもいちいちアピール(女の子たちぽわわん)、4人目の女の子にキスぢゃないけどちゅって感じにした上でお持ち帰り、「綺麗は汚い」で何故かあすくんに正面から抱きしめられているところからスタート(ナニやってんのキミたち?!)、犬ころマーさんとは抱き合うだけ……でもちょっとキスっぽく向かい合ってる、イケメンポーズはしつこくリップ音たてる感じ、乳母へのアピール激しくそのくせ嫌がり方も激しい(どっちや)、マーさん臨終時は手を握る→滑り落ちる→手を見つめるバージョン。
なんかベン様元気にいろいろやりすぎていて、とても全部はおぼえてらんない……きっと他にもあったと思う。
女ったらしぶりに拍車が掛かり、さらに男もタラシてる気がするんですが……大丈夫か、ベン様の中の人??
まっつってあんましアドリブする人じゃなかった、と思うんだが。
千秋楽は、楽だから無礼講!ではなく、基本に立ち返って忠実に、だったと思うんだが。
な、なんかいろいろとびっくりだー。
本編が終わり、幕前でナガさんの退団者紹介があったあと、再度幕が上がり……まっつがお花を持っていることにおどろいた。
退団者は4人。組からのお花(出演者からのお花、とナガさんは言っていた)を渡すメンバーに入っちゃうんだ。上級生がいっぱいいた花組ではありえない。
なにはともあれ、これで終わりだ。
……終わって、しまった。
通常のわたしの観劇回数はヒト月に8回ほどなんだが……今月は……ううう。
あ、雪組だけだと19回でした。45公演中19回かぁ……。
休演日を除いた27日中、15日ムラにいました……。
や、友人たちを見ても、この程度のレコードは大したことないとわかっているけれど、わたしとしてはアリエナイくらいの祭りっぷりです。
今回に限りだこんなの、次からは自分のペースに戻すもん!
基本的に舞台にしか興味がないため、こんだけムラに通っていて、入り出は一度もしてないっす。ので、素顔まっつは見てない……。
唯一、出を見ることが出来たのは、そのかのみ。や、大劇終わって外に出たら、ちょうどバウ初日の出の最中だったんだ。ラッキー。そのか、かっこよかったー。
今月は見事に「日常」がなかった。
最低限の日々のことと、ムラ通いしかしてねー。まだ年賀状見てないってどうなのよ。こあらに年賀状出したのに、こあらからは来てないってヒト、すまんです……。チェリさん、今さらだけど年賀状手渡していい? 今年も干支関係無しにウチの猛獣デザインだけど(超私信)。
家にいる間は、レコーダの整理に追われていて。外出時間が増えればその分録画するから、レコーダがすぐにいっぱいになっちゃって……睡眠時間削って録画したドラマ見て(ドラマヲタクでもありますの)、またよぼよぼムラへ向かう日々。
それも終わりだ、日常取り戻さなくちゃ、家の中のことなんとかしなきゃ。
少しは落ち着いた生活しなきゃ。てゆーかマジお金ナイ。
でも明日は星組中日初日だー!! 名古屋まで往復8時間かけて行くぞー(笑)。
その3日後は花初日だー!!
よぼよぼ。
彼女の頑なな強さは・その2。@ロミオとジュリエット
2011年1月30日 タカラヅカ 『ロミオとジュリエット』、のダブルキャスト、みみジュリエットについての感想、続き。
ああ、好きだな、この子。素直にそう思う。
それが「ジュリエット」として正しいかどうかは知らないが、ひとりの少女として、みみジュリエットをとても魅力的だと思う。
ロミオ@キムと一緒にいるときのジュリエットは、恋する乙女モード発動中なので、気の強さはなりをひそめている。
とにかく美形でかわいくて華奢で、「ジュリエット」としての外見イメージを満たしてくれるので、そのあたりはそれで十分。
でも実際、ジュリエットを「面白い」と思うのは、彼女の気の強さが全面に出る場面。
ロミオ追放後、パリス@ひろみとの結婚を両親から言い渡されたときの、強い拒絶。
この場面がすっごく好き。ジュリエットの感情の激しさに引き込まれる。
どんだけ気が強くても、本人が歌っていた通り、真の意味では親に逆らったことなんかないんだろう。ジュリエットが特別良い子だとか親の言いなりだとかいうことではなく、娘が親に逆らうこと自体が常識としてあり得ない、そんな時代と家柄。
家や両親が全世界、絶対的なモノである、深窓のお嬢様。彼女にとって「親の命令に逆らう」ことは、全世界と闘うに等しいこと。
それくらい、無謀なこと。ありえないこと。
だけどジュリエットは、絶対譲れない信念のもと、真正面から闘いを挑む。
そこでパリスが現れなければ、彼女はなおも自分ひとりで闘おうとしただろう。乳母@コマの腕を払いのけたように。
しかしあののーてんきで空気読めない男が登場、それによって強引に話を進めてしまうキャピュレット夫妻。
ジュリエットには、闘うことすら許されなかった。
自分の意志で、全存在を懸けて闘おうとしたのに。
キャピュレット卿@ヒロさんは、娘の意志なんてものにこれっぽっちも重きを置いてなかった。それが常識だから。
ジュリエットの人生は、彼女の手の届かないところで決められてしまった。やめてと、嫌だと、本気で訴えたのに。闘う意志すら示したのに。
なのに彼女は踏みにじられた。
「ジュリエット」という個の完全否定。蹂躙。
パリスと父の話を聞いているときのジュリエットが、もう。
愛を、心を砕かれていく。
その絶望、悲鳴に引き込まれる。見ていて苦しくなる。ジュリエットの表情見ているだけで泣ける。
パリスが席を外したあと、やぶれかぶれの状態で「嫌よ、彼の妻にはならない」と父の前に飛び出していくジュリエット。
闘うつもりで法廷に立ったのに、無理矢理部屋から追い出され、本人不在のうちにありもしないことをでっちあげられ有罪極刑判決、こんなバカなことがあっていいのか、一度出た判決が覆らないとしても叫ばずにはいられない……!
そんな血を吐くような叫びを、……暴力で、終了させられる。
ここで、暴力って……。
ジュリエットに感情移入しまくりだから、キャピュレット卿のこの行動にはすげー反発。許せない。
横暴さを責められたら、暴力で口封じかい。気に入らないものは殺せ、人間が行う、最低の行為。
キャピュレット卿がジュリエットを叩くのはわかる。あの激しさの前には、暴力しかなかった。
優位なら手はあげない。格下の者に本気にならない。
キャピュレット家当主に余裕をなくさせ、暴力をふるわせるほど、ジュリエットは強かった。なんの力もない小娘なのに。
ジュリエットはここで父に殺されたんだ。
彼女の魂の叫びはそもそも聞いてさえもらえなかった。闘いの場に立つことすら許されなかった。
自分の意志を示したら、暴力で口封じだ。
聞き分けのない子ども……道具でしかない、個を必要としない、「キャピュレット家の娘」という器としか、見られていない。
ぶっちゃけ、ジュリエットがジュリエットでなくてもいいんだ、父にとって。「キャピュレット家の娘」でさえあれば、中身が別の人に入れ替わっていてもかまわない。
ジュリエットは殺された。彼女自身を完全に否定されたのだから。
いや実際、親の立場からするとそーゆーことではないんだけど。親の愛はそんなもんじゃないんだけど。時間を掛ければ誤解は解け、わかりあうこともあるんだろうけど。
そんなことは、今のジュリエットにはわからない。つか、それくらい、キャピュレット卿のやり方がまずかったわけなんだが。
実の親に殺されたばかりのジュリエットに、味方だったはずの乳母までもが裏切り宣言。
そりゃ彼女の「地獄に堕ちろ」台詞がこわいわけですよ。ジュリエットがぼそりとつぶやく「そうなりますように」がすごくこわい。無表情なんだけど、その奥にある強い意志がこわい。
そのくせ、次の瞬間には微笑んでみせる。「ロレンス神父のところへ懺悔に行く」と。こーわーいー。
ロレンス神父@にわにわのところで「死んだ方がマシ」と歌うジュリエット。
ヒステリックなわけでも悲しみどん底というわけでもなく、ただ「事実」を歌う姿が、こわい。
実際のところ、もう死を選ぶしか彼女には残されていない。
魂を懸けた訴えは、聞く以前に全面否定された。彼女自身で選べることは、その生死のみ。意志を持ってはならないのなら、もうジュリエットがジュリエットである必要はない。生きる意味などない。
神父があわてて仮死状態になる薬を渡すわけだよ。
このままだったら確実に、ジュリエットは死んでいるもの、今晩中に。
どんだけ危険な賭でも、それにすがるしかないくらい、追いつめられた状態だ。
せめてあと1日あれば、神父や乳母が目論んでいたように、大公@しゅうくんにロミオとジュリエットの結婚を理由に恩赦を願い出ることも出来たんだろうけど。
両家の争いを憂えているあの大公ならば、力になってくれただろう。今すぐでなくても、ロミオが戻って来られる未来はあったはず。
パリスとの結婚が、明日でさえなければ。……ああもお、キャピュレット卿のバカー!
霊廟で目覚めたジュリエットが、ロミオの自殺を知り、自分もまたあとを追おうと短剣を握る場面。
そこで感じるのも、彼女の意志の強さだ。
「私もう生きていけない」と悲しみゆえに後を追うのでも、狂気に堕ちるのでもなく。
高らかに愛を歌い、強い意志で、自分の道を決める。
それは最初に「結婚だけは好きな人としたい」と歌っていた、あの女の子だ。強い意志を持ち、それゆえに華やかに輝いていた、あの女の子。
ゆるがない、ブレない、ジュリエットというひとりの人間。
自分の意志で自分の愛を、生き方を決める。それを宣言する行為。
だからジュリエットの自害は光に満ちる。清々しいほどの白さに満ちる。
闇にゆがんだロミオの自殺とは違って。
みみジュリエットが、キムロミオと合っているのかどうかは、わからない。
なかなかどーして、異質だと思うんだ、このふたり。
キムくんはキムくんひとりで「ロミオ!」をやっているし、みみちゃんはみみちゃんで「ジュリエット!」をやっているよーな気もする(笑)。
でもこのふたりは、それぞれが「主人公」であることに納得の「生きた」人間たちだ。
世紀のラブロマンスに相応しいほど愛し合っているかどうかはさておき(笑)、このふたりが「運命の恋人」で、それぞれ大騒ぎしているのはイイと思うんだ。
見ていて楽しいんだ。非日常に浸って、どきどきわくわくできる。
雪組『ロミオとジュリエット』は、いろんな人たちの人生が見えて面白い。
みんな負けてなくて、真面目で地道に濃くって、すごく楽しい。
ああ、好きだな、この子。素直にそう思う。
それが「ジュリエット」として正しいかどうかは知らないが、ひとりの少女として、みみジュリエットをとても魅力的だと思う。
ロミオ@キムと一緒にいるときのジュリエットは、恋する乙女モード発動中なので、気の強さはなりをひそめている。
とにかく美形でかわいくて華奢で、「ジュリエット」としての外見イメージを満たしてくれるので、そのあたりはそれで十分。
でも実際、ジュリエットを「面白い」と思うのは、彼女の気の強さが全面に出る場面。
ロミオ追放後、パリス@ひろみとの結婚を両親から言い渡されたときの、強い拒絶。
この場面がすっごく好き。ジュリエットの感情の激しさに引き込まれる。
どんだけ気が強くても、本人が歌っていた通り、真の意味では親に逆らったことなんかないんだろう。ジュリエットが特別良い子だとか親の言いなりだとかいうことではなく、娘が親に逆らうこと自体が常識としてあり得ない、そんな時代と家柄。
家や両親が全世界、絶対的なモノである、深窓のお嬢様。彼女にとって「親の命令に逆らう」ことは、全世界と闘うに等しいこと。
それくらい、無謀なこと。ありえないこと。
だけどジュリエットは、絶対譲れない信念のもと、真正面から闘いを挑む。
そこでパリスが現れなければ、彼女はなおも自分ひとりで闘おうとしただろう。乳母@コマの腕を払いのけたように。
しかしあののーてんきで空気読めない男が登場、それによって強引に話を進めてしまうキャピュレット夫妻。
ジュリエットには、闘うことすら許されなかった。
自分の意志で、全存在を懸けて闘おうとしたのに。
キャピュレット卿@ヒロさんは、娘の意志なんてものにこれっぽっちも重きを置いてなかった。それが常識だから。
ジュリエットの人生は、彼女の手の届かないところで決められてしまった。やめてと、嫌だと、本気で訴えたのに。闘う意志すら示したのに。
なのに彼女は踏みにじられた。
「ジュリエット」という個の完全否定。蹂躙。
パリスと父の話を聞いているときのジュリエットが、もう。
愛を、心を砕かれていく。
その絶望、悲鳴に引き込まれる。見ていて苦しくなる。ジュリエットの表情見ているだけで泣ける。
パリスが席を外したあと、やぶれかぶれの状態で「嫌よ、彼の妻にはならない」と父の前に飛び出していくジュリエット。
闘うつもりで法廷に立ったのに、無理矢理部屋から追い出され、本人不在のうちにありもしないことをでっちあげられ有罪極刑判決、こんなバカなことがあっていいのか、一度出た判決が覆らないとしても叫ばずにはいられない……!
そんな血を吐くような叫びを、……暴力で、終了させられる。
ここで、暴力って……。
ジュリエットに感情移入しまくりだから、キャピュレット卿のこの行動にはすげー反発。許せない。
横暴さを責められたら、暴力で口封じかい。気に入らないものは殺せ、人間が行う、最低の行為。
キャピュレット卿がジュリエットを叩くのはわかる。あの激しさの前には、暴力しかなかった。
優位なら手はあげない。格下の者に本気にならない。
キャピュレット家当主に余裕をなくさせ、暴力をふるわせるほど、ジュリエットは強かった。なんの力もない小娘なのに。
ジュリエットはここで父に殺されたんだ。
彼女の魂の叫びはそもそも聞いてさえもらえなかった。闘いの場に立つことすら許されなかった。
自分の意志を示したら、暴力で口封じだ。
聞き分けのない子ども……道具でしかない、個を必要としない、「キャピュレット家の娘」という器としか、見られていない。
ぶっちゃけ、ジュリエットがジュリエットでなくてもいいんだ、父にとって。「キャピュレット家の娘」でさえあれば、中身が別の人に入れ替わっていてもかまわない。
ジュリエットは殺された。彼女自身を完全に否定されたのだから。
いや実際、親の立場からするとそーゆーことではないんだけど。親の愛はそんなもんじゃないんだけど。時間を掛ければ誤解は解け、わかりあうこともあるんだろうけど。
そんなことは、今のジュリエットにはわからない。つか、それくらい、キャピュレット卿のやり方がまずかったわけなんだが。
実の親に殺されたばかりのジュリエットに、味方だったはずの乳母までもが裏切り宣言。
そりゃ彼女の「地獄に堕ちろ」台詞がこわいわけですよ。ジュリエットがぼそりとつぶやく「そうなりますように」がすごくこわい。無表情なんだけど、その奥にある強い意志がこわい。
そのくせ、次の瞬間には微笑んでみせる。「ロレンス神父のところへ懺悔に行く」と。こーわーいー。
ロレンス神父@にわにわのところで「死んだ方がマシ」と歌うジュリエット。
ヒステリックなわけでも悲しみどん底というわけでもなく、ただ「事実」を歌う姿が、こわい。
実際のところ、もう死を選ぶしか彼女には残されていない。
魂を懸けた訴えは、聞く以前に全面否定された。彼女自身で選べることは、その生死のみ。意志を持ってはならないのなら、もうジュリエットがジュリエットである必要はない。生きる意味などない。
神父があわてて仮死状態になる薬を渡すわけだよ。
このままだったら確実に、ジュリエットは死んでいるもの、今晩中に。
どんだけ危険な賭でも、それにすがるしかないくらい、追いつめられた状態だ。
せめてあと1日あれば、神父や乳母が目論んでいたように、大公@しゅうくんにロミオとジュリエットの結婚を理由に恩赦を願い出ることも出来たんだろうけど。
両家の争いを憂えているあの大公ならば、力になってくれただろう。今すぐでなくても、ロミオが戻って来られる未来はあったはず。
パリスとの結婚が、明日でさえなければ。……ああもお、キャピュレット卿のバカー!
霊廟で目覚めたジュリエットが、ロミオの自殺を知り、自分もまたあとを追おうと短剣を握る場面。
そこで感じるのも、彼女の意志の強さだ。
「私もう生きていけない」と悲しみゆえに後を追うのでも、狂気に堕ちるのでもなく。
高らかに愛を歌い、強い意志で、自分の道を決める。
それは最初に「結婚だけは好きな人としたい」と歌っていた、あの女の子だ。強い意志を持ち、それゆえに華やかに輝いていた、あの女の子。
ゆるがない、ブレない、ジュリエットというひとりの人間。
自分の意志で自分の愛を、生き方を決める。それを宣言する行為。
だからジュリエットの自害は光に満ちる。清々しいほどの白さに満ちる。
闇にゆがんだロミオの自殺とは違って。
みみジュリエットが、キムロミオと合っているのかどうかは、わからない。
なかなかどーして、異質だと思うんだ、このふたり。
キムくんはキムくんひとりで「ロミオ!」をやっているし、みみちゃんはみみちゃんで「ジュリエット!」をやっているよーな気もする(笑)。
でもこのふたりは、それぞれが「主人公」であることに納得の「生きた」人間たちだ。
世紀のラブロマンスに相応しいほど愛し合っているかどうかはさておき(笑)、このふたりが「運命の恋人」で、それぞれ大騒ぎしているのはイイと思うんだ。
見ていて楽しいんだ。非日常に浸って、どきどきわくわくできる。
雪組『ロミオとジュリエット』は、いろんな人たちの人生が見えて面白い。
みんな負けてなくて、真面目で地道に濃くって、すごく楽しい。