だからどうしてこんなに、計画性がないのか。

 もともとぐだぐだでのろまで怠惰な腰の重い人間ゆえ、きびきび生きることができないのだが。
 雪組全ツ千秋楽に行こう、とは、なんとなく思っていた。……なんとなく。
 現実的にどうこう考えていた訳じゃない。
 どこで公演しているのかも知らない。5/22が千秋楽であり、日本地図の真ん中あたりでやっているらしい、とか、そんな意識。(大雑把過ぎ)

 いつもなら「千秋楽はとりあえず行くから、用意しておかなきゃ」と思うもんなんだが、今回のわたしはそうじゃなかった。
 『外伝ベルばら』ですら千秋楽追いかけたのに、『黒い瞳』でまっつプガチョフで2番手で羽根付きだっちゅーに、「千秋楽? 行くかどうかわかんない。初日観てから決める」とか言っていた。
 『ロミジュリ』を好き過ぎて、アタマが切り替わらなかったため。
 『ロミジュリ』だけを考えていたくて、浸っていたくて、他の公演のことを考えられなかった。
 さすがに公演がはじまり、プガチョフ@まっつを目にすれば、アタマも切り替わるかなーと思っていたけど、しつこく公演二次書きをして楽しんでいたりしたこともあり、なかなか切り替わらない。
 千秋楽? どーしよーかなー。どこでやってるのかも知らないしぃ、チケットないしぃ、お金もないしぃ。

 しっかり考えてしっかり決めていなくても、行くときは行く。なにがあっても行く。自分の性格というか行動パターンはわかっているので、まあきっと、行くんだろう、と思っていた。なんとなく。

 まっつメイトから「四日市はどうするんですか?」と聞かれていたけれど、そっちはさらにイメージがわいてなかった。
 四日市というと、「追いかけて四日市」のあそこだよね、日帰り圏内とはいえコストパフォーマンス悪すぎて、あまり行きたい場所じゃない。
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1243.html ←2005/12/06の「追いかけて四日市」話。
 名古屋へ行くのとほぼ同じ交通費がかかるのに、1日2公演観られないの。お金と時間を掛けて遠征して1公演しか観られないのはコスパ悪いよなあ。いっそ宿泊しか手がない場所ならあきらめもつくけど、日帰り範囲、しかし1公演だけ、ってのは、心理的にも後ろ向きになる。

 てことで、四日市をどうするか、まともに思考せず。
 ただ、日々の生活に追われる。

 てゆーか。

 今週1週間、ひどくね?

 星楽と雪全ツ彦根と四日市と千秋楽(場所知らない)と『MITSUKO』と宙初日が全部あるのよ? 雪全ツは実は平日もう1日どっかであったはずだし(よくわかってない)。
 自分の自由になる時間とお金と相談して、時間でもお金でも目眩がした。
 …………無理。こんな生活無理(笑)。

 どれかあきらめなきゃならないっつーんで、取捨選択。
 星楽、彦根、『MITSUKO』、四日市、全ツ楽を選択。……それでも週5日ですよ、1週間は7日ですよ、そのうち5日は観劇、兵庫と滋賀と大阪と三重と愛知、全部場所違いますよ。
 なんかもお、わけわかんない……。

 この怒濤の1週間、特に週末をどう過ごすか、まともに決めたのは木曜日でした。
 金曜日に梅芸行って、土曜日に四日市へ行って、日曜日に日進とやらへ行こう。

 なんでこういつも泥縄なの。計画性がないの。
 動くのがぎりぎりだから、あちこちてんてこ舞い。

 全部、まっつのせい。(ソコ?!)

 まっつがカッコイイから悪いのっ!(笑)
 まっつ写真入り公演グッズ。

 全国ツアー『黒い瞳』『ロック・オン!』初日、市川市文化会館ロビーの特設グッズ売り場にて、ぽかーんとした。

 『黒い瞳』のクリアファイルに、まっつが載っている。
 ニコライ@キム、マーシャ@みみ、プガチョフ@まっつの3人掲載。ポスターとは微妙に別デザイン。

 えええ。
 夢にも思わなかった。まっつ写真入りのクリアファイルが発売されるなんて。
 ポスター掲載されたからといって、グッズに入れてもらえるとは限らない。いや、むしろナイ。グッズ作成時は、まっつプガチョフの画像はわざわざ削除して、キムひとりか、キムみみで作ると思っていた。
 被害妄想ではなく、過去の例から。
 直近でいうなら、『ロミオとジュリエット』のクリアファイルはポスターと同じ柄と、キムロミオひとり映りのものだった。別画像だとジュリエットは載っていない。
 ポスターと同じ柄ではなく、マイナーチェンジして作る画像では、掲載人数を減らす場合が多分にある。
 大勢ごちゃごちゃと載っているより、トップやトップコンビがすっきり載っている方がよく売れる、という判断だろう。または、先行画像で先にグッズを作成していたとか。
 ヅカファンのパーセンテージ的に、ほとんどがトップファンである以上、その多数派が喜ぶグッズを作るのは当たり前。
 それでも2番手ならトップの次に多数のファンを持つから載せるだろうし、劇団がこれから売り出したいと思っているスターや、いろんな事情で載せなければならない人(新専科とか)はどんだけ画面がごちゃごちゃしても載せるけど、番手がついているのかどうかあやしい、劇団推しでもまったくない人を載せるとは、マジで思ってなかった。現に公演ポストカードはキムくんひとり画像だし。

 ありがたい。
 マジで、ありがたい。

 しかもこのプガチョフ@まっつ、すごいカッコイイし!
 プガ様マジで美しいし、涼しげだし。実際の舞台より二枚目っぽい(笑)。

 ご贔屓の写真入り公演グッズが発売される日が来るなんて、ファンになってからただの一度も想像したことがなかったので、心底おどろいたし、また、うれしかった。
 そりゃブックマークとか組ごとに10名近く出してもらえるものにはまぜてもらってたけどさ、ポストカードは出てもいいじゃん出してくんないなんて劇団のイケズ!とか思ってたけどさー、公演グッズはマジで夢にも思ったことなかった。さすがに贔屓の立ち位置はわかっていたので、脳みそが働かなかった。

 『ハウ・トゥー・サクシード』でもポスター入りしているけれど、「ポスター画像そのまま」でグッズを作成しない限りは、クリアファイルをはじめグッズにまっつが載ることはないと思う。
 わざわざ別画像でバランス取ってデザインし直すには、たくさん載りすぎてるもん、『H2$』ポスター(笑)。さくっとトップコンビのみか、ちぎまでだと思うなあ、別デザイン作るなら。
 や、是非ポスター画像まんまでグッズ作って欲しいけど。そしたらまた買いますよ、まっつが載っている物は全部(笑)。

 うれしいなあ、とニヤニヤしてましたが、さらにもうひとつ、地味にうれしいことが。

 キャトルレーヴのちらしに、まっつが!!(笑)

 「キャトルレーヴ通信」てのが毎月発行されてるじゃないですか。店頭のチラシラックに置いてあったり、商品を購入すると問答無用で袋に入れられるヤツ。
 その「キャトルレーヴ通信 2011年5月号」に、このクリアファイルが載っているのですよ。
 おかげで、初のチラシ掲載(笑)。

 すごーいすごーい、まっつがキャトルのチラシに載ってるー。
 素直によろこんでます。うれしいうれしい。

 それがなんであれ、まっつが載っているとうれしい。

 
 で、全ツの公演写真が発売されました。
 プガチョフ写真がカッコイイとか、2番手羽根写真がうれしいとか、それはある意味予想の範囲内。
 わたし的に想像外っちゅーか、おどろいたのは、ホモ館のキムくんのとの絡み写真があったこと。

 2番手って、こーゆーことなんだ。

 今までも、トップさんとエロく絡むシーンはいくらでもあった。ちゅーかソレこそ花組のお家芸、オサ様にしろまとぶんにしろ、毎回男たちはエロ絡みにいっていた。
 でもそれが写真として抜かれること、残ることは、なかった。
 トップとエロ絡みしてグッズ化されるのは、スターのみだ。今回のホモ館だって、その場にいる全員がキムくんと絡んでいるけど、写真になったのはまっつだけ。そーゆーことなんだ。

 まっつはエロOKな人で、こーゆー男同士の絡みも得意だけど、ソレは知る人ぞ知るってもんで、カメラに残らないからスカステでもDVDでも映らないから知りようがない。ナマで舞台を観ていて、しかも真ん中や贔屓だけオペラグラスで追っていたらわからないエロさだ。
 まっつだけじゃなく、脇の人はすべからくそうなんだけど。

 舞台の端の方で、写真にも残らない、テレビにも映らない、だけどエロエロやっていたなあ、ってのが今、はじめて写真というカタチで陽の目を見たんだなと。
 ナマを見ていない人にも「こんなことやってたんですよ」と残してもらえる立場になったんだ、この公演では。
 ……キムくんとの絡みがエロいかどうかは、置くとして(笑)。

 とまあ、2番手なら驚くまでもないことに、いちいち驚いてました。

 キャトルレーヴで写真を見つけたときは、ほんっと驚いたなああ。びっくりだなああ。
 あの、まっつが……。
 
 今までDCやバウで2番手格の役をさせてもらってはいたけれど、2番手格ではあっても、公演2番手ではなかったので、主役さんとの絡みの写真は残してもらってないもんなあ。
 プログラムの写真も学年順で小さいままだったし、主演スターさんとダンスでエロく絡んでも写真は出なかったし、親友役でもツーショすら出なかったなああ。
 主役が出ていないフィナーレ群舞でセンターですらなかったり、最後の挨拶がふたりひと組だったりと、2番手扱いされてなかったもんな。

 ソレが身に染み付いていたので、2番手役といっても2番手格なだけだろうと無意識に思い込んでいた。
 最後に白い羽根を背負って出てくるまで、羽根の有無も半信半疑だったし。

 プログラムにヒロインと同じ大きさで写真が載っていたり、一回り小さくても1ページでトップコンビの次にショー扮装の写真が載っていたり、プロフィールが載っていたりすると、すごくうれしい。
 特別なキモチがして、そわそわニヤニヤする(笑)。

 今回はポスター掲載からはじまって、ほんっとーに、2番手扱いだったんだ、グッズ的にも。

 なんて大盤振る舞い。
 ありがたく味あわせていただきます。購入させていただきます。
 ありがとうありがとう。
 全国ツアー『黒い瞳』の感想あれこれ、続き。

 パルミラ@ひーこは、女戦士なのか。

 プガチョフ軍にひとり、男装の麗人か、はたまた女性と見まごう美貌の少年か、がいる。
 飛び抜けて華奢で小顔、されどダンスのキレはピカイチ。ハイキックのスピードなんて、他の男たちよりよっぽどすげえ。

 パルミラというのは、プガチョフ@まっつに色っぽく絡んで「ご用が済んだら呼んでくださいね(はぁと)」と言う踊り子のおねーちゃんのことだ。プガチョフがヤニ下がって「あとでな(はぁと)」と応える踊り子のことだ。

 戦闘場面でがしがし踊っている戦士と、ハーレムの女みたいなベリーダンスの美女は、同一人物なのか?

 プログラムには、戦闘場面もうふんあはんな宴会場面も、同じ役名でひーこの名が載っている。
 役名が同じだからふつーは同一人物と判断するんだろーけど、それだとキャラクタがあまりにわけわかんない。

 同一人物なら、それらしい役作りをしないか?
 男装して戦列に加わっているときもプガチョフLOVEな視線をしていたり、女性だとわかる色っぽい仕草をしたり、踊り子のときのように表情豊かだったり。
 踊り子のときと戦闘場面とでは、人格が違いすぎる。
 戦うためにクールにしている、という域を超えている。というか、そういう設定なら、説明が必要だろう。踊り子さんに手を触れまくりのプガ様に、「戦っているときとは別人だな」とか一言言わせるだけで済む。パルミラにも、「今の私が本当の私よ」とか、一言返させるだけで済む。
 初見の観客にはなにがなんだかわからんだろーが、そんなの他にいくらでもある。ジェンヌの顔の見分けつかない人には、マクシームィチ@がおりが最初ベロゴールスク守備隊にいたことだってわかるかどうか難しいんだから。いちいち気にしてられないでしょ。

 戦闘場面のひーこはあまりに「キャラクタ」がない。
 モブの下級生たちと同じように「戦士」というだけの姿で踊っている。
 通し役ならおかしいだろー。
 
 出番が多いのは戦士役の方だ。踊り子は一瞬。
 それで考えるなら、感情のない戦士の顔がスタンダードで、お色気媚び媚びの踊り子は別人格か仮面?
 通し役なら踊り子のときも戦士と同じくらいクールに、感情なさげにするべきでしょー。「ご用が済んだら」の台詞も冷ややかに無感動に言う。それはソレで、キャラ立つと思うぞ。

 てことで、戦闘場面のパルミラは、踊り子パルミラとは別人認識。
 戦闘場面の戦士が男装の女の子でも、美少年でもどっちでもいい。とにかく、踊り子とは別人。
 荒くれ男たちの中に、涼やかな戦士がいる。……それでいい。

 
 そして反乱軍にはナニ気にズーリン少佐@にわにわとセルゲイエフ少尉@ハウルがいる……(笑)。
 にわさんの「こんな人ロシアにいそう」なおじさんぶりは素敵だし、ハウルの少年っぽい戦士ぶりはかわいい。
 

 反乱軍のメインどころに「アルバイト」として混ざっているのはこの3名か。
 役の付いてる、べロボロードフ@ひろみ、マクシームィチ@がおり、フロプーシャ@朝風、ザルービン@ザッキー、トマーノフ@月城にプラスして、センターグループで踊るから目立つ、ひーこ、にわにわ、ハウル。
 あとは「政府軍でも反乱軍でもなんでもやります」な下級生たちと、狂言回しトリオ。

 反乱軍の棒を使ったダンス、かっこいーよーねー。
 シンボルの赤いタスキ?を使ったダンスもかっこいーよねー。

 
 もうひとり、央雅くんはどうしているのかとゆーと、ロシア宮廷でナントカ将軍をやっている。

 このナントカ将軍の使い方も、おかしーんだよね。
 オレンブルグに本体を置くロシア軍司令官なのに、何故か宮廷場面になるとそっちにいる。当時の司令官が任地と宮廷をそんなに頻繁に行き来するはずがないので、やっぱ人数が足りなくて、別人にすることができないんだろう。
 初演では将軍は宮廷場面にはいないはず。越リュウがアルバイトとして出てはいても。

 央雅くんはきよみやふみかのポジションの子なんだなあ、と花組脳ですまん。
 新公学年から悪役やえらいさん役を総なめする宿命の、立役体型。今はまだ見た目に実力が追いついていないから、少しも早く充実した男になってほしい。
 新公で観る分には十分うまいんだけど、上級生たちにまざるとやっぱ、未熟さが目立つ。

 
 宮廷にいてはいけない人、といえば、レーヴィン夫人@杏奈ちゃん。
 初演では宿屋のおかみがレーヴィン夫人で、以前宮廷勤めをしていたという設定。同じ人がアルバイトで貴婦人役もやっていたから、女帝陛下の取り巻きのひとりとレーヴィン夫人が同じ顔なのは初演と同じ。
 ド田舎守備隊の貴族でもない大尉の娘と、地方貴族の従僕が女帝陛下の側近に会えるのは変だから、間を取り持つ宿屋のおかみが存在したわけだが、今回はチガウ。
 レーヴィン夫人自身が女帝の取り巻きの貴婦人で、さらにサヴェーリィチ@ヒロさんたちにも直接会って話してしまう。
 女帝の腹心なら大貴族だろーに、そんな人が何故サヴェーリィチたちに会ったのかは謎だが、杏奈ちゃんに役と出番を付け、かつ時間短縮になるのはいいよね。
 そしてなんつっても、レーヴィン夫人が余裕の微笑みで「王宮中に私の配下がいますからね」なんて言ってくれると、「さすが杏奈ちゃん!!」とひれ伏したくなる。(役名で言いましょう)

 女帝様の取り巻きのひとりでブイブイ言わせていたあの貴婦人が、実はいい人だった!てのは、好みの設定だ。
 女帝陛下も最初悪役っぽいのに最後はいい人になるので、彼女の腹心が話のわかる人であってもおかしくないし。
 (女帝も悪とかそういう一元論とは別にあるんだけど、手っ取り早く表現すると)

 少ない人数を、がんばって効果的に使っている。
 いろいろ加筆訂正してあるんだなあと。

 しかし、戦士と踊り子が同じパルミラという役名なのはどうかと思う。そのあたりの修正はしてくんないの?? 同一人物だからなの??(笑)
 彦根駅に着くと、大きなひこにゃんの看板が出迎えてくれました。
 おおお。ひこにゃんかぁ。ひこにゃんの国なんだなああ。

 ひこにゃんに関しては、「新公で役がつかない頃からこっそり応援していたのに、あれよあれよとトップスターになってしまい、うれしいけれどちょっと寂しいような」という気持ちを勝手に持っています。
 彦根築城何百年祭だかの初日、つまりひこにゃん初舞台の初日から、そのかわいらしさと彦根市のプロデュースのヘタさに頭を抱えてました、ええ勝手に(笑)。
 それがつい昨日ことのようなのに。「地方の誰も知らない祭のマスコットキャラクタ」でしかなかったひこにゃんが、ここまで人気になるなんてなあ。

 地元まっつメイトの木ノ実さんのエスコートで、いざひこね市文化プラザへ!
 彦根はゆーひくん追いかけた『ジャワの踊り子』以来だぞっと。

 2週間ぶりの『黒い瞳』『ロック・オン!』だー!!

 えーと。
 『黒い瞳』は、梅田で見たモノと違いすぎて、とまどいました。

 なんじゃこりゃー。
 ニコライ@キムくんも、プガチョフ@まっつも別人っ?!

 ニコライは大人びたというか、あまり少年少年しなくなったというか。もちろん最初のおぼっちゃまぶりは健在なんだけど、恋と争乱の最中の成長ぶりが顕著というか。
 少年らしい熱血度が下がり、分別っぽい落ち着きが増したというか。
 バカっぽさが減ったというか。

 梅田のときより、プガチョフLOVEぢゃなくなってる!!

 てのが、ショックです(笑)。
 梅田がやり過ぎだったのか? あの「大将」と呼ぶ声の甘さとかテレとか、「お前プガチョフ好き過ぎるやろ!」とツッコミたくなった、恋するヲトメみたいなニコライはどこに。

 ニコライのアホかわいさを最大級に表していると思う、「マーシャ~~っ!!」と叫びながら全速力で袖に駆け込んでいく姿も、声が泣いていないので、なんかトーンダウンしたような。
 あ、泣かないんだ、と思った。
 ニコライってマンガみたいに涙ぶわっと吹き出させながら「マーシャ~~っ!!」と走っていくイメージがあったので、ふつうになっていてびっくり。

 設定年齢上げたんだ。
 青年ならば、プガチョフ相手にあんなに目をハートにしないだろうし、マーシャを泣きながら探したりしないだろう。
 大人の男はそんなことしないもんなー。

 ニコライの少年っぽさが大好きだったので、ちょっとしょぼん。

 
 対するプガチョフときたら、まあ。
 おっさん度が上がってる。

 そ、そうか、ニコライの年齢が上がると、プガチョフも上がるのか。
 少年になつかれるおにーさんではなく、青年になつかれるおっさんになってる(笑)。

 年齢設定自体は変わっていないんだろうけど、芝居が骨太になった。
 柄違いの武将役を、軍師タイプのまっつががんばって演じている、という感じだったのが取れ、ふつーに武将を演じている。
 無理してる感がなくなったなー。つまんない。←

 あの、無理に大きさを出そうと、あがいている感じが良かったのにー(笑)。
 なんだよ、演じているうちに進化しちゃうんだ。てゆーか、こんなこともできたんだ、まっつって。

 キムくんにしろ、まっつにしろ、梅田あたりがわたしの好みどんぴしゃだった、というだけで、進化した今の姿が悪いわけではまったくありません。
 梅田は、初日よりもこなれて感情も乗り、されどまだ手探り中、って感じだったのかなあ。過渡期というか、ゴールが見えていないがむしゃら感、とまどい感が魅力だったんだと思う。
 今は最終形態が見えたのかな。キムくんのことはわかんないけど、まっつはそんな感じだ。

 物語として楽しむことと、ジェンヌの一ファンとして楽しむことは別。目線がチガウから。
 物語的には梅田の、がむしゃら少年ニコライと、どこかいびつな英雄プガチョフが好みだった。
 しかし、まっつファンとしては。

 英雄まっつ、かっけー!!

 知らないまっつだ。
 骨太キャラって!
 おっさん役は今までもやってきたけど、やっぱ線細い系っていうか、神経質系だったもんな。
 粗野で骨太、ワイルドなまっつ。
 知らないまっつにドキドキ。

 キムくんファンも、びーびー泣いてるお子ちゃまキムくんより、押さえた大人のキムくんにときめいているのかな。

 
 『ロック・オン!』は、市川~梅田で感じた「テンション高っ。アンタ誰?!」なまっつではなく、また別のまっつでした。
 なんつーんだ、オレ様で肉食なまっつ。

 なんだこの、堅実に押せ押せでがっつりいただいてる感じはっ。
 はじけてテンションおかしくて盛り上がっているんじゃなくて、確信犯。自分をカッコイイと思ってるスターが、当たり前のよーに客席を釣る、あの感じ。
 まままままつださん? どーしちゃったんですかっ?!

 彦根のホールに入るなり、階段を確認してしまったのは、客席降りでここを走るまっつを思って(笑)。
 ひこね市文化プラザの客席通路階段はけっこう段差がはっきりとあり、これを走り上るのはしんどいな、まっつコケないでね、と勝手に心配したんだけど。

 まっつ、走りませんでした(笑)。
 
 歩いてた。上手のみみちゃんがさーっと走っていくのに、まっつがゆっくりなもんで、下手通路ときたら渋滞気味。通路際のお客さんを丁寧に拾ってタッチしながら歩いている。
 そして、音楽関係なくいちばん後ろまでいってハイタッチ。ええ、通路際だけじゃなく、その隣とかもみんな、手を出している人全員にタッチ。
 そんなことやってるから、踊る暇ナシ。
 梅芸でやっていた、帰る間際に腕を上げて飛び跳ねる、アレもナシ。
 そんなことやってるヒマがあったら、できるだけたくさんのお客さんと触れあおうとしている様子。
 いちばんゆっくり会場奥まで行って、戻るのも遅い、みみちゃんはもうずっと先を歩いているのに、まっつまだ客席にいる(笑)。

 テンション高い、つーんでもないよアレ……なんか着実にファンサービスしてるよおおお? あの、あの、まっつが……。

 舞台からのアピールも強く、骨太。

「あんなまっつ、はじめて見た」
 と、梅田でも言っていたのに、彦根でも言うばめになるとわっ。
「プガチョフ入ってる? それであんなキャラなの?」
「オレ様だよアレ、ナニあれ、まっつぢゃない!」
 と、木ノ実さんとひそひそ。

 いやはや、格好良すぎてぽかーんですわ。
 タカラジェンヌってすげえな。ナマモノってすごい、そして、こわい。
 どんどん変わる。
 
 面白いなあ。
 星楽、たのしかったー!!

 もう何度目かわからないけど、叫んでおきます。

 ちえねねが好きだーっ。

 かわいいかわいいかわいい。
 このふたりを見ているとドキドキする、幸せになれる。
 かわいくてかわいくてたまらん。

 そして、れおんくんを見ていると、こんな男の子と恋愛したかった。と思う。
 ハタチくらいのときにさー、れおんくんみたいな男の子と出会って、恋したかったなあ。や、わたしはきっとフラれるっちゅーか、近寄ることも出来ないだろうけど、ひとりでドキドキしたり切なくなったり、泣いたりポエム書いたり(笑)、したかったよ。

 
 えー、とりあえず『ノバ・ボサ・ノバ』、役替わり3パターン目。

 いちばん、昭和度が高かった。

 びっくりだ。
 ナニこのレトロっちゅーか時代錯誤なまでの古き良き昭和。

 オーロ@真風がもお、古式ゆかしき昭和スターだった。
 タカラヅカの昭和スターぢゃなく、テレビとか映画とか、モノクロ時代の二枚目俳優。や、わたしもよく知るわけじゃないが、親が喜んで見る古いモノクロ映画のスターっぽい。
 えーと、唯一わたしが知るモノとしては、『仮面の忍者 赤影』の赤影さんみたいな感じ。びっちり撫でつけた髪と面長、主張のある鼻、涼しい目元。そして、ちょい嘘くさい芝居。音声と映像がズレてるような、古い映像っぽい。

 なんつーか、由緒正しい二枚目。
 で、イイもん。
 悪役とか色悪とかライバルキャラじゃなく、直球ど真ん中の主役キャラ。
 真っ白で誠実でクソ真面目。

 すごーく真面目にブリーザ@れみちゃんと恋をして、すごーく真面目に悲しんで、すごーく真面目に引きずりながら立ち直ろうとしていた。

 で。
 もうひとりの昭和。
 マール@ともみん。

 今すぐこの人に、赤いスカーフを。

 首にスカーフ巻いて、たなびかせてください。唇には茎の長い葉っぱくわえてください。で、頭の上に丸いサングラスを載せて、ギターを背中に担いでください。

 そーゆー人でした。

 ギターかき鳴らして黄昏れて、海辺を夕陽に向かって走って「海のばかやろーっ」て叫んでください。

 そーゆー人でした。

 主要人物ふたりが昭和なもんで、なんかものすごく『ノバ・ボサ・ノバ』って感じでした……。
 初演とか知らないから勝手なイメージだけど、昭和中期のかほりってこんなかなあ、と。

 面白かったです。

 オーロが真面目だからブリーザも真面目に恋してるし、マールが火の玉野郎だからブリーザの「ごめんなさい」感も強いし。
 いいバランスと温度でした。

 メール夫人@ベニーは、変な人でした。
 や、ベニーはどの役やっても変な人なんだけど(笑)。それにしてもメール夫人のぶっとび具合はなんなんだろう。
 千秋楽のお遊びだったのかもしれないけど、笑わせまくってくれたけど、うーん……ちょっとやりすぎていたような。
 メール夫人のキャラクタがわかんない……。

 というか、メール夫人って台詞あったっけ?
 「ベサメムーチョ」の場面とか、ふつーにいろいろ喋りまくっていて、びびった。「ひっく」とかだけで演じるものだと思ってたから、台詞によって笑いを取るのにびっくりした。

 ベニーは『めぐり会いは再び』でも遊びまくりだったからなあ。
 ブルギニョン@ベニーはたしかにお笑い担当キャラだけど、最初から最後までギャグなのはどうかと……。
 タカラヅカの男役スターなんだから、かっこいいところはかっこよくしてほしいなあ。
 ブルギニョンは公演日程があとになるほど笑いに走って、戻ってこなくなったような。

 それでもやっぱり見ちゃうんだけどね。目についちゃう、気になっちゃうんだけどね。

 
 卒業する真吹くんのお花のものすごさ。なんのキャラクタだろう、ファンシーなクマ?の顔になった花楯。
 や、それを持つ真吹くんはかわいらしいんだが、問題は彼に渡すまでの間、それをみきちぐが持っていた、ってことだな……。
 あまりにシュールな姿に目を疑った……(笑)。

 挨拶する真吹くんのまっすぐな声がよく通った、響いた。
 素直で健やか、気持ちの良い姿だった。

 ギリーは組長が読む手紙からすでに泣けた。
 音楽学校に合格したとき、神様にいっぱいいっぱい「ありがとう」を言ったんだって。
 ほんとにタカラヅカが好きなんだね。
 挨拶も、すごーくシンプルに「大好きです」って。
 大好き。大好きか。
 すごい破壊力だ。そのシンプルさがすぱんと胸に刺さったよ。

 
 楽しかった、星組公演。
 ショーも芝居も大好きだ。

 てゆーか「明日は星楽行くんだ」と思ったら眠れなかったってナニ? 遠足前の子ども??
 つーことで今死ぬほど眠いです……昨日からほとんど寝てない……。
 全ツ『黒い瞳』の感想続き。

 ベロゴールスク場面、センターで踊るハウル! に、ちょっとワクテカ(笑)。
 国境警備隊の歌を歌いながら踊る兵士さんたち、センターがめがねっこのセルゲイエフ少尉@ハウル。
 『ロミオとジュリエット』の子役、ピーターくんから一気に若くない役へ(笑)。

 兵士の朝風くんがかわいこぶりっこしてるー。声色使ってるけど、ちっとも声色になってないー(笑)。

 鶏を追いかける男の子@ららちゃんで、どの回も必ず笑いが起こったのがすごいなー。そんなに笑えることなのか。

 ところでイヴァン中尉@央雅くんが、好みすぎるんですが。

 隻眼の長身美丈夫が、両手に毛糸巻き付けて登場したら、そりゃ萌えますわ。
 かっこいいなああ。
 黙って立っていたらすごくかっこいいのに、笑うと一気にやさしくなる。
 のどかな田舎部隊の副官って感じがいいわあ。

 ただ彼、台詞声に問題アリ?
 セルゲイエフと話しているところとか、声質のこもり方と抑揚のなさが気になる。
 セルゲイエフも、芝居うまくないし。
 このふたりの会話部分はほっこりシーンなのに、ふたりとも微妙で素直にほっこりできない。
 でも、ふたりとも好き(笑)。

 ヴァシリーサ@ヒメは見た目に反した肝っ玉母さん的に登場。
 見た目はきれーなおねーさんだもんよ。でも年配役だから、喋り方とか脚本が田舎のおばさん風。
 毛糸の飛ばし方と豪快な笑顔……されど、マーシャ@みみちゃんがヤイーク川に行って来たと言ったときに不安気な顔になって夫のミロノフ大尉@ナガさんのところへすがっていくのがイイ。
 強さと弱さが両方ある感じで、こーゆー女性、モテるだろうなと思う(笑)。

 ヒメはこのヴァシリーサ役だけじゃなく、モブのダンサーとしてあちこちでも活躍してるけど、オープニングの民衆のコワさが半端ナイ(笑)。
 よろけて登場、地に転がる、その目つき。
 入り込み過ぎ、見るなり「こわっ」と思う(笑)。

 ところで、ここで登場する神父さん@真地くん。
 でかっ。
 ただでさえ長身なのに、嵩高い帽子かぶってるもんで、さらに上に長い。全長2mぐらいあるんじゃないの?
 2mな神父様って……誰得……(笑)。

 ニコライ@キムとマーシャが出会い、双方一目惚れで一気にラヴラヴになる、それを後ろでひとり見つめるシヴァーブリン@コマの目つきがイイ。

 シヴァーブリンは最初からひどい態度で、わかりやすくイヤナヤツ!なんだけど、実はマーシャに対する眼差しは優しいの。
 「私の宝物」と歌うマーシャを見つめる瞳が、このひねくれ者にはそぐわない、ピュアな愛情に満ちていて……切なくなる。
 ほんとにマーシャのこと好きなんだよ。
 ツンデレだから、素直になれないだけで。

 去年マーシャにプロポーズして断られたらしいけど、きっとアプローチ間違いまくったんだろうなあ。
 貴族を鼻にかけて「この俺様がお前なんかに声を掛けてやってるんだぜ」的態度で接して、背中向けられたんだろーなー。
 ペテルブルクで、そんな女たちとしかつきあってなかったんだろう。馬鹿だなあ。
 マーシャが振り向いてくれたらきっと、彼女だけにはデレて見せたろうに。

 
 反乱軍陣営の人々。

 ザルービン@ザッキー、トマーノフ@月城くん。
 実はわたし、初演のザルービンがかなり好きで。プガチョフが別物になるのは覚悟していたけれど、ザルービンの別物ぶりに、地味にショックを受けた(笑)。

 ザルービンってあんな役だっけ?

 プガチョフの部下で、シンパ、熱愛者。
 プガチョフが正しいとかどんな人でどんな行いをとか、そーゆー客観的な目は持たず、ただもう盲目的にプガチョフを崇拝し、付き従っているイメージ。
 プガチョフが死ねと命令したら、なんの躊躇もなく死にそうな男。
 演じていたナルセくんの持ち味もあったんだろうけど、パッションはあったけれどやっぱどこか冷ややかさがあったというか。
 こーゆー腹心キャラって好きなのなー。『龍星』の飛雪とかさー。

 それがザッキーザルービンってば。
 ナニあの暑苦しい男(笑)。
 シンパはシンパなんだけど、間違ってないんだけど、いつもガオガオ吠えまくってるというか。顔の情報量が多いっていうか。
 プガチョフを妄信しているというより、ただの頭の悪い暴力的な男に見えて。プガチョフへの愛情が足りていない気がしたなー。

 チガウ……こんなのザルービンぢゃないっ!てくらい、違和感だった(笑)。 

 初演と比べても意味ないので、そう思ったことは事実だけど、それで悪いと言っているわけじゃない。
 ザッキーザルービンはザッキーザルービンで良いのです、アリなんです。
 このウザいところが、今回の『黒い瞳』のザルービンなんだろう。

 むしろザルービンより、トマーノフが、初演のザルービンっぽかった気がする。
 初演のトマーノフは、記憶にありません(笑)。プガ様の腹心はザルービンだけかと思ってたよ。
 だもんでこちらは初演と比べてどうこうもない。

 月城くんはどんどん男前になってきてるなあ。好きな顔立ちなので、どこにいても目につくし。
 顔の情報量はザッキーの方がはるかに多いんだけどね(笑)。

 実直にプガ様を愛している感じが良かった、トマーノフ。

 そして、ふたりの元帥。ベロボロードフ@ひろみちゃんと、フロプーシャ@朝風くん。
 ひろみちゃんがこんな身も蓋もないヒゲ男役をやっているとは思ってなかった。最初気付かなかったよ。
 ワイルドでかっこいい。声が良いの、姿に似合っているの。新境地開拓?
 ベロボロードフ役を演じる彼を見て、芝居の好きな子だったんだよなと思い出した。技術は足りてなくても、ルキーニとか体当たりでやってたもんなあ。雪に来てアイドル系になっちゃったから、しばらく忘れてた。脇で芝居に没入していた、昔のひろみちゃん。
 ベロボロードフは脇の役というイメージだっだけど、ひろみが演じることで、わたしが思っていたよりずっといい役だったんだと気付いた。

 ベロボロードフの相棒、フロプーシャは美青年ポジだよね? 初演が卯城くんだったし。ベロボロードフがいかついヒゲオヤジな分、相方は美形優男系という、コンビ物のお約束において。
 朝風くんはすらりとした美青年じゃない。いやハンサムだけど、もっと土臭いというか。ベロボロードフの方が絶対美青年だ、ヒゲで誤魔化されてるけど!な感じが、かえって愉快。

 朝風くんも顔芸激しい人なんだけど、ザッキーのような情報量云々ぢゃないんだよなあ。不思議だなあザッキー。(そっち?)
 あまりにも怒り顔と悪い顔ばかりしているので、おなかいっぱいになりがちです、朝風くん。もうちょい引くところは引いてくれた方が好みです。
 今さらですが、『黒い瞳』の感想。

 つくづく、良い作品だなーと思う。
 『激情』のときも書いたけど、柴田&謝コンビ作品は、は柴田作品というより、謝作品認識。柴田せんせ単独だったら、わたしは好きになっていなかったと思うし。
 謝演出ならではの狂言回しトリオも、初見時は説明しすぎでウザいと思ったんだが(笑)、繰り返し観ると気にならなくなるし、ソレはそれの味と思えるし。
 正塚せんせみたく、解説を全部録音テープのモノローグでやられちゃうより、狂言回しの解説とはいえ、ナマで喋ってくれるのはいいよね。正塚作品なら絶対、「その男とは、運命の出会いだった」とか「そのときのぼくは、知るよしもなかった」とか、「シヴァーブリンがマーシャの名を出さなくて、ぼくはほっとした」とか録音テープが流れるぞっと。

 柴田せんせの台詞は美しいけれど、言葉以外の部分がすでにつらい。
 なんつっても、テンポと視覚。
 テンポは時代感覚。柴田せんせの活躍した時代と現代ではあきらかに別物なんだが、せんせにはソレが理解できない……てゆーか、気付いていないのかもしれない。
 そして、舞台全体の美しさ。画面。絵づら。舞台転換も含めた、「動」の動き。柴田せんせも植爺も、平面の紙芝居しか作れないのは、彼らの時代の限界だろう。

 それらの大きすぎる欠点をカバーするのが、謝せんせの演出だ。
 脚本自体の古さは仕方ないとして、ダイナミックなダンスとスピーディな舞台転換で立体的に物語が進むのは、観ていて気持ちいい。
 謝作品って、盆回りまくり! という印象。大劇場の舞台機構を存分に使って、上に下に奥行きのある演出が特徴的だった。
 加えて、ドラマティックなダンス。「謝作品は必ず稽古段階でケガ人が出る」って言われていたなあ、ダンスがハード過ぎて。女子の筋力でソレは無理です、て振付もされちゃうから。

 それまでもショーの1場面で謝せんせが振付していることがあったけど、ダンスのさっぱりわからないわたしでも、初見予備知識ナシで「あ、コレ謝珠栄だ」とわかる、独特の振付。
 振付が面白いのはわかっていたけど、舞台演出自体は見たことがなくて、この『黒い瞳』がはじめてだった。
 謝せんせらしさがふんだんに盛り込まれ、すげーわくわく観たのを覚えている。

 第一わたし、マミリカ好きだったしね(笑)。
 マミさんの美貌に釘付けだったもんよ。
 ……ちなみに、月組初演大劇場公演『黒い瞳』時点で、わたしは大空祐飛さんを認識していません。
 どこに出ていたかも知らない。
 わたしがゆーひくんオチするのはこの公演直後、『黒い瞳』ムラと東宝(1000days劇場)の間に上演された風花ちゃんのサヨナラバウでだ。
 おかげで新公プガチョフ見てないのよー。代役だったのも東宝だし。

 盆を回せない、舞台機構を使用できない全国ツアーで再演するのはもったいないと思う。
 全ツはそれぞれの箱の機能を使うことは一切なく、持ち込んだ絵を描いた板とカーテンだけを使う、紙芝居演出にするしかないもの。

 去年、同じ柴田&謝コンビの『激情』が全ツ落ちして各地を回ったけれど、演出面でやっぱ物足りなさと寂しさがあった。
 大劇場で上演したときは美しかったのになあ。舞台の大胆な使い方、その視覚効果に息をのむ部分があったのに。全ツではそれらを禁じられ、不自由な乏しいセットでがんばってたなあ。

 それでも、『激情』はまだマシだったんだ、と今回の『黒い瞳』を見て思った。
 『激情』は登場人物が少ないんだもの。全ツでも十分回せる。
 しかし。

 『黒い瞳』は、戦争モノである。

 何千人が戦う場面があるっちゅーのに、それぞれの陣営がひと桁しかいないのは、つらい。

 大劇場で、盆を回しセリを使い、80人の組子総動員で演じたら、どんだけ興奮しただろう。
 ダイナミックな謝ダンスでさー。がしがし戦ってさー。

 戦闘シーンがしょぼくて、哀しかったっす。
 全ツだから仕方ないと、最初からわかっていることとはいえ。
 人数は少ないし、下級生も娘役も総動員で兵士を演じているから、男役スキルが低くてなんかものすごく、「女子校の文化祭」ちっくになる……。

 男として走る、とかって、実はナニ気に難しいよね。
 戦闘だからとにかく「うおー」とか「わー」とか言って走り回っているのがさらに、つらい。強く見せよう、大きく見せようと無理をしている感がありありで。声も姿もオンナノコで。
 タカラヅカを観たことのない、地方のお客さんに「女の子たちががんばってるなあ」と思われちゃうよーな姿だわ……。
 総力戦の大劇場なら、目立つところにはうまい子、男役が出来ている子を配置するから、こんな見た目にはならないのよお客さん、これがタカラヅカ全体の実力だと思わないで~~、と、老婆心。
 これはどこの組だから、ということじゃなく、全ツの宿命よね。

 『黒い瞳』が全ツ落ちして、おそらくはもう大劇場本公演には戻らないことを惜しみつつ。

 それでも、良い作品だと思った。

 冒頭の雪の精たちのダンスから、引き込まれる。
 衣装も含め、なんて美しいんだろう。
 くるくる回る彼女たちが、舞う雪を自然に想像させる。

 倒れるニコライ@キムのもとに現れる雪の少女@みみちゃんのダンスも素晴らしいし。
 衣装も動きも、なにもかも「かわいい!」と思わせる。
 なんて印象的な登場。

 雪の精たちが最初にまいた雪が、ずっと効果的に使われるよね。
 わたしはプガチョフ@まっつ登場時に、彼の身体の周りに雪が舞うのが好き。
 下手奥の壇上から登場した彼は、階段を降りてから舞台に倒れるよーにころんと一回転する。
 そのときに、床に落ちている雪が舞い上がるんだよね。
 雪をまとって現れるプガチョフが、ただ者ではない!って感じを高めていて。
 わくわくする。

 馬車の車輪を動かしたり、サヴェーリィチ@ヒロさんの自己紹介がなかったりと、微妙にカットされているのは時間調整か。
 あと短縮されているっぽいのは、マクシームィチ@がおり関係? マクシームィチはえらくあっさりと描かれていた気がする。
 それと、オレンブルグのナントカ将軍登場のくだりがまるまるカットか。これは時間というより、人数の問題の気が……だっておっさん役できる人いないじゃん。宮廷場面やラストの戦闘のどさくさならいざ知らず、カーテン前少人数の目立つ場面を、央雅くんにこれ以上やらせるわけにもいかんだろーし。

 宿屋の主人がひろみちゃんだと気付いたのは2回目から。
 プガチョフがナニ気にスキンシップ高いのがツボ。
 肩抱かなくてもいいじゃん、そんなに顔くっつけなくても喋れるじゃん。

 主人がひろみちゃんだとわかった途端……つまり、美形だとわかった途端、プガチョフとの関係を邪推したことは秘密です(笑)。

 ズーリン大佐@にわにわが連れている士官@真地くんが長身美形で目を引きます。
 この士官くん、ベロゴールスクのことを笑ったりして性格悪いのかなと思いきや、ビリヤードをしようと大佐がニコライを誘ったあとは、フレンドリーにニコライの肩抱いてるし。実はイイ奴なのか(笑)。
 若い者同士、ニコライとは友情が芽生えているかもしれない、とか思うと楽しい。
 しつこく全ツ『ロック・オン!』の話。

 新場面は『Dancing Heroes!』から紳士の館と、『Heat on Beat!』からラテンメドレー+オリジナルのラテン場面。

 単に、三木せんせが直近で作ったショー作品である、というだけのチョイス。
 それぞれ退団公演で、ファンが大切にしている作品だということは、一切考慮無し。

 
 紳士の館は、そのかバウで観たときも相当微妙だった。
 「男役」がやるべき場面で、「男装した女の子」がやると、直視できないいたたまれなさがある。
 そのかと下級生たちの断絶感がものすごく、2番手格のとしくんですらまったく足りていなくて、観ていて途方に暮れた。

 当時も本公演でやってくれと、心底切望した。
 どこの組でもイイ、本公演ならば「男役」だけでまかなえるはず。
 ゆーひ、らんとむ、みっちゃん、ともちん、まさこ、みーちー大、カチャで、とか。
 まとぶん、えりたん、みわっち、めおみつ、まぁだい、あきら、まよで、とか。
 今年1月の布陣で考えましたよ。
 実際に、こんなにすぐ使い回しされるとは思ってないから、本気にしていたわけではなく、イメージとして。

 そのかバウと同じことになるなんて、なあ。
 つまり、男役スキルが足りていない下級生たちがホモやっても、背徳感より、トホホ感が満ちる。

 また、こーゆー耽美場面は全国ツアー向きではないと思うんだ。
 善良な各地方の年配の方々に、ホモを見せてどーするんだっていう。

 いや、中には耽美場面を観て、なにかしら目覚める人もいるかもしれない。
 今コレを書いている時点で四日市公演を観劇済みなわけだが、「ショーは喋って良いもの」と思い込んでいる地元のおばあちゃまたちご一行が、わたしの後ろの席でずーっとなにかしら観たままの感想を喋り続けていたんだけど、ホモの館だけはしーんと静まりかえっていた(笑)。や、理解できなくて沈黙していたのかもだけど、わかんないわ、とすら言わなかったもの。んで、ホモが終わるなりまた、ぴーちくさえずり出した。
 茶の間感覚のおばーちゃまたち、ナニかに目覚めたかもしれない(笑)。

 でもま、ふつーはびびるんぢゃね?
 女が男を演じているだけでもアレなのに、その上ホモって、キモチをどこへ持っていけばいいのかって。

 それでもあえて耽美をやるなら、それこそ本気で「耽美」にしてくれよ。
 男役として磨き抜かれた人たちでやってよ。
 ファンしか観ない、おこちゃまたちの成長をあたたかく見守ることが前提のバウホールぢゃないんだよ。
 男役10年という言葉は伊達じゃない。下級生には難しいことがあるんだ。誰にでも簡単にできるものじゃない。だからこそ「タカラヅカ」は素晴らしいところなんだ。

 1ヶ月を通して下級生たちの成長はたしかに目に見えたけれど、それでもやはり、任でないのはどうしようもなかった。
 いやその、長の期のふたりだって、最後までまともにキスシーンできなかったくらいだしね……下級生をどうこう言える立場ぢゃないけどさあ(笑)。

 
 後半のラテン部分は、中詰め+中詰めになり、構成として破綻していることは、すでに書いた。
 安直に『Heat on Beat!』から持ってきた「クンバンチェロ」「ベサメムーチョ」もどうかと思うが、いちばん残念なのはそのあとだなあ。

 けっこう長い場面なのに、ずーっと同じ面子がずーっと同じ舞台でずーっと踊り続ける。
 全ツなので、セリや銀橋がないため、単調な画面。

 途方に暮れたような盛り下がり方が痛々しかった、ってのは、初日の感想に書いた通り。

 川崎悦子せんせの振付好きなんだけど、彼女は耽美は得意でも発散系のラテンは苦手なのかな。
 「NOW ON STAGE」で新場面の振付も「月の王」と同じ川崎せんせだとキムくんが言っていて、わくわくしてたんだけどなあ。

 前日欄で書いた通り、このあたりはまったくもって「イベントショー作品」の形式で作られてるんだよね。
 だから構成に工夫ナシ。
 それならイベントショー作品らしく、出演者でメリハリ付ければいいのに、それすらしていない。

 つまり、一旦出演者総出のにぎやかな場面になったら、次の瞬間他のみんなはさーっといなくなって、キムみみだけ残り、ふたりでデュエットダンスするとか。
 コーラス隊は後ろに残っててもいいから、とにかく舞台上の人数を整理する。
 キムみみデュエダンだけ明らかに曲調を変え、ドラマティックにずどんと印象づけて、そしてまたみんなわーっと登場、総踊りでさっきの曲に戻る。
 これくらいメリハリ付けてよ、変化出してよ。
 何分あったか知らないけど、とにかく長すぎだよ、同じ面子で同じダンス。しかも選曲と振付微妙ときたもんだ。

 みみちゃんはせっかくタコ足付きダルマ姿なのに、コーラス隊のさらに後ろにいるだけで、そこにトップ娘役がいるなんて全ツの観客はまず気付いていない。

 くわえて、このダルマ姿っつーのが、みみちゃんの魅力を発揮する衣装ではないんだな。
 なんでもっと、彼女に似合う衣装を着せてあげないんだろう。
 似合わない衣装を着せて、あまり見えないところで踊らせるとか、なんのいじめよ。

 いちばん長いシーンがいちばん変化がなくてつまらなかった、というは、痛い。
 しかも中詰めのあと、クライマックスのメイン場面がコレだもの。ヅカヲタであるほどショーのテンプレ構成はカラダに染みついているから、悪い方ではずされるとショー全体への印象が悪くなる。

 
 元祖『ロック・オン!』の良い場面を捨てて、良くなかった場面を残した、その取捨選択ぶりに疑問を持った……てことも、すでに書いた。
 良い悪いは主観でしかないので、「月の王」はつまらない場面だったからなくしてヨシ、反対にピアノは超名場面だったので残して当然、と思う人だっているかもしれない。
 水くんのためにあった「月の王」が削られたことに文句はない。
 ただ、ピアノはなあ。キムくんがやっているときも相当微妙で、次期トップの彼の見せ場がこんな場面のみなのかと、当時苦く思ったもんです。
 体力的につらそうなわりに、観ていてカタルシスも爽快感もないなあと。

 それを今回、咲ちゃんがやっていて。
 
 初日初回に観て良かったと、心から思いました。
 客席の空気が、すごかった。
 組ファンが多く締めた場であるだけに、咲ちゃんの後ろで踊るひろみ、コマ、がおり……そんな姿を見せられて、しーんとした客席。拍手も起こらないまま、淡々と進む舞台。
 ドン引きした空気ってのはこーゆーのをいうんだ、と肌で感じる体験でした。

 回を重ねれば、客席も慣れるのでそこまで引かないんだけど、最初はねー……。
 劇団もプロデュース下手だよなあ。
 まあとにかく、咲ちゃんが伸びてくれることを祈る。劇団がここまでやってるんだもん、せめてきれいになってくれ~~。きれいなら許されるよ、タカラヅカだし(笑)。

 
 ほんとに、いびつなショーですわ、『ロック・オン!』。
 構成もだし、人の使い方も(笑)。

 それでも、贔屓と贔屓組の、大切な作品。
 文句言いつつ、抱きしめるのよ。
 全ツ『ロック・オン!』の駄作っぷりは、演出家の手抜き感に充ち満ちていることにある。

 もちろんソレは、水くん版『ロック・オン!』に、既存のミキティ作品の一部を切り貼りしただけ、という安直さが直接の理由だ。
 ただの切り貼りではなく、センスや思いやりに欠ける手法だったことも、作品クオリティとそれを観た人間のテンションを下げる効果となっている。

 ……てなことはすでに語ったので、別の話をする。

 今回のテーマは、大劇場ショー作品と、『タカラヅカスペシャル』等のイベントショー作品の違いってなんだろう? ってことです。

 全ツ版『ロック・オン!』が駄作なのは、イベントショー作品の手法で作られているからだと思うんだ。

 
 大劇場のショーは、場面場面につながりがなく、ラテンやって歌謡曲やってドレスと燕尾の舞踏会やって……と、一見バラバラに見えたとしても、骨組みのところではしっかりジョイントされている。
 全体でのまとまりというか、起承転結。
 オープニングがあって、まずひとつめのネタがあって、ふたつめのネタがあって、派手な中詰めがあって、そのあとに作品の中核となるいちばん力の入った場面があり、息抜き的軽い場面が入り、ロケットからフィナーレ、大階段パレードになる。
 たまに変則的なモノもあるし、軽い場面が前後することはあるけれど、大体この流れは守られている。
 人間の生理に合うんだろう、この流れ、メリハリが。
 タカラヅカのショー作品は、長い時間を掛けてたくさんの作品を通して、このカタチに行きついたんだと思う。

 わたしがもしもショー作品を作るとしても、まずこのテンプレートに流し込むと思うよ。
 「これをやりたい!」と思う、いちばんメインの場面をまず中詰めの後ろにセットして、ソレが活きるタイトルと全体テーマを考え、それに合わせてオープニングと中詰め、フィナーレを考える。
 これで骨組みは出来た。
 あとはその間を、全体のメリハリを考えて埋める。

 オープニングと中詰めとフィナーレは純粋に「ショー」というか、歌とダンスでがんがんに盛り上げ、出演者全員で本舞台から銀橋から全部使ってずらりと並んで、華やかに手拍子されて全体で盛り上がるところだ。
 これはもう鉄板。この3箇所で芝居仕立てにするわけにもいかない。絶対に、ショー場面。
 ならば、このみんなで手拍子して盛り上がって、それがばんっと終わった中詰め、その次の場面は、がらっとカラーを変えて、中身のあるモノになるだろう、メリハリ的に。
 それが、メイン場面。
 中詰めのあとには、ストーリー性や、テーマ性のあるモノがくる。構成的に、ひとの生理として。
 メドレーとかで表層のみ感覚のみで盛り上がった中詰めのあとに、同じようにただ流れていくだけのモノが続くと、盛り上がりに欠けてしまう。 
 メイン場面は濃ゆい、凝った場面になる。
 本家『ロック・オン!』でいうと、「月の王」だな。

 大劇場用のショー作品だと、純粋なショー部分、歌い継ぎや総揃いダンスなどの場面の間に、ストーリー性のある場面が入る。
 ひとつの場面だけで起承転結があるような。カタルシスがあるような。
 ショー・芝居・ショー・芝居・ショー、というように、「ショー作品」の中にチガウ色のモノが交互に差し込んである。
 ひとりの女をふたりの男が取り合って、女が刺されてしまう、とかゆー、よくあるモチーフも、そうやってショーの中で「芝居」パートとして使われている。
 旅人がどこかの世界へ迷い込み女と出会い、男と戦い、結局はそこをあとにしてひとりまた立ち去る、とか。昔の恋人と再会し、追憶の中で戯れ、現実に追いつかれ、昔の恋人にはすでに別の生活があり、男はひとり去っていく、とか。
 ワンパターンだけど、なにかしら繰り返されてきた、物語。ああいうやつが、歌やダンスだけ場面の間に、絶対差し込まれている。
 それを、総踊り基本のオープニングと中詰めの間に、画面や絵面、登場する人数顔ぶれを変えて工夫して、メリハリを付けるわけだ。

 
 ソレとは反対に、イベントショー作品は基本、芝居部分はない。
 公演パロを入れることになっている『タカラヅカスペシャル』第1部とかじゃなく、歌謡ショー形式になっている第2部の方ね。
 作品全部がメドレーみたいなもんだ。
 使う曲と出演者とその力関係だけ考慮して、あとは全部同じテンション。
 トップスターはひとりで1曲歌うけど、その他大勢は4人口とかでワンフレーズずつ歌い継ぎ。
 メリハリは演出で付けるのではなく、スターの格でつける。
 若者たちが大勢で歌ったあとに、どーんとスター様がひとりで歌ったりする、それがメリハリ。
 やってることはただ1曲歌うという、誰もが同じ、どの場面も同じ。

 
 全ツ『ロック・オン!』の失敗は、大劇場ショー作品なのに、イベントショー作品の形式で作られたこと。

 前述の通り、大劇場ショー作品は、オープニングと中詰めとフィナーレは純粋に「ショー」部分だ。だからこの3箇所以外のところには、ストーリー性のある濃い場面を置く必要がある。
 本家『ロック・オン!』は正しくそう作られていた。オープニングのあとはピアノとオペラ座という、ストーリーのある場面があり、ギャングでジャズな中詰めはワンモアタイムで盛り上がり、息抜きイベントのラテンorブルースバージョンの短いショー場面、それからメインである「月の王」、ロケットからフィナーレへ。

 しかし全ツ『ロック・オン!』は。
 ストーリーのある場面が3分の1で終了。残り3分の2が、全部中詰めとフィナーレだった。

 ギャングでジャズな中詰めはワンモアタイムで盛り上がり、次はストーリーのある濃ゆいメインにいくはずが、メインがなかった。
 手抜きミキティがてきとーに詰め込んだのは、『Heat on Beat!』の中詰めメドレーだった。

 ジャズの中詰めメドレーのあとに、ラテン中詰めメドレー。

 だらだらと続く、中詰め。
 やたらたくさん人が出て、手拍子をさせたまま何場面、何十分。

 中詰めとフィナーレは、その間にじっくりとしたメイン場面があるからこそ、盛り上がるんだ。
 手拍子不要、黙って集中する場面があるからこそ、ぱーっと明るいお祭り場面で手拍子するんだ。
 半ばからロケット終了まで、ほとんどの場面手拍子強要演出って、ナニそれありえない。

 ショー部分だけつないで、短い歌と短いダンスでメドレーしていいのは、イベント公演だけだよ。
 出演しているのがトップクラスの人たちだから許されるんであって、組をふたつに割った全国ツアー、本公演なら単独でお金取れるレベルじゃない若手が有象無象の舞台で、やっていい演出じゃない。

 盛り上がらないのは、演出のせい。

 たとえば『タカラヅカスペシャル2010』第1部のパロディ部分以外と、第2部を、まんま組をふたつに割った全国ツアーでやってみるといいよ。どこの組でも盛り下がること必至だから。
 どの場面もただ人が出てきて、歌って去っていくだけ、出てくる人数と歌う長さがチガウだけ、その繰り返し。

 
 公演に合わせた演出、形式ってものがあるんだ。当然じゃないか。
 それをせずに、ショー・芝居・ショー・ショー・ショー・ショーという構成で『ロック・オン!』という作品を盛り下げまくったミキティは、ひどい演出家だなと。
 こっそり書いておくかな、全ツ『ロック・オン!』の駄作っぷりについて(笑)。

 初日に観てそのダメダメっぷりにびっくりして、なんじゃこりゃあ、と口を開けた。
 でもそれはきっと初日だから、見慣れたら平気になる部分や、楽しくなってくる部分があると思ったの。

 しかし、駄作は駄作だねっ(笑)。慣れるとかそんなもんぢゃないわ。
 わたしの中でミキティ株が地に落ちましたよいやはや。

 再演だからは言い訳にならない。
 手抜きした結果の失敗に思える。

 複数作品から場面を切り貼りして作った、その取捨選択を間違えている、つーことは、以前に書いた。

 ソレにくわえ、やっぱどーしても納得できないのは、トップ娘役の使い方だ。

 元作品がトップスター退団作品だから、男トップの比重ハンパねえのは仕方ない。しかし、今回はそうじゃない。みみちゃんの娘役トップのお披露目作品でもある。
 なのに、彼女の活躍の場が皆無だなんて、いくらなんでもおかしい。

 みなこちゃんがヒロインとしてがっつり活躍したオペラ座場面をカットして、ホモの館にしちゃったんだよ。
 だから、元作品より娘トップの活躍の場が減らされてるの。

 もうひとつ差し替えになった場面は、たしかにみみちゃん出ているけれど、脇の女の子のひとりとして、舞台奥の下級生が踊る位置に少しの間いるだけ。お披露目の女の子にそんな位置で目立てと言われても、まず無理。

 階段前でのデュエットダンスもないし、なんなのこの扱い。

 タカラヅカはいろんな大人の事情の絡む劇団だから、ジェンヌの出番はポジションや実力、人気と比例しない。それはわかっている。
 だけど、客は「タカラヅカ」を観に来ている。
 トップスターが大きな羽根を背負うのと同じように、トップコンビの活躍も期待しているんだ。
 王子様とお姫様がくるくる歌い踊る、そーゆーものが「タカラヅカ」だと、全国ツアーならばなおさら客は、漠然と期待しているだろうに。

 大人の事情でみみちゃんの見せ場をゼロにした、というより、演出家がナニも考えていなかったように見えるんですが。
 見せ場を作っちゃいけない、脇役と同じ扱いをしなきゃいけない女の子を、わざわざトップにするとは思えないので、三木せんせが馬鹿なんぢゃないの、と思いました。わたしは。

 それともこれは、三木せんせの確固たる意志というか、新しい試み、芸風でしょうか。
 2009年『Heat on Beat!』、2010年『Heat on Beat!』中日、『ロック・オン!』、2011年『Dancing Heroes!』、『ロック・オン!』全ツと、近年の作品全部娘役トップスター無し、男役2番手無し作品しか作っていない。
 トップスター至上主義。主役ひとりが出ずっぱりで活躍、ヒロインもいなければ、2番手もいない。
 ディナーショーやコンサート方式というか。

 タカラヅカの「タカラヅカ」たる部分を否定するのが、ミキティの目的?

 主役ひとり出ずっぱりであとはバックダンサーってのは、外部ならふつーのこと。主役のステージのために、他のキャストは集められるわけだから。
 トップコンビがいて2番手がいて、ってのは同じメンバーで公演を行うタカラヅカならではの形態。
 三木せんせはもう、「タカラヅカ」を作る気がないのだろうか。

 『Heat on Beat!』のいびつさは、トップ娘役が公式に不在である、というイレギュラー事態だから、仕方ないのかと思っていた。
 しかし、ちゃんとトップ娘役のいる『ロック・オン!』も、『Heat on Beat!』と同じ作りでデュエダンもなかったし、さらにトップコンビお披露目だった中日『Heat on Beat!』でもトップ娘役がトップスターの前に階段を降りないなど、「トップ娘役否定」があった。
 バウ作品の『Dancing Heroes!』は主演のそのか以外はスター無しという構成だったので、大劇作品と同等には語れないが、特徴は同じだ、ヒロイン無し、強い2番手も無し。

 「タカラヅカ」を否定するなら、タカラヅカにいてくれなくていいんだけどなあ。

 あさこちゃんの『Heat on Beat!』単体のときは、良いショーだとわくわくしたのに。トップ娘役いないから、主役ひとりしか見せ場のないワンマンショー(あとは退団者やきりやん以下スターで見せ場を分担、平坦化)でもアリだと思ったし。
 しかし、それ以降、すべての作品が同じことになるとわ。

 わたしは「タカラヅカ」が観たいのだと、しみじみ思った。
 「タカラヅカ」という方法論で作られたショーが観たいのだと。

 トップコンビがいて2番手がいる、美しいピラミッドになった「タカラヅカ」。

 
 三木せんせに「タカラヅカ」否定という強い意志がなく、ただなんとなくこんなモノを作っているのだとしたら、そりゃもう仕事態度の問題で、やる気ナイなら帰ってくれてイイよな気分だ。

 今回の全ツ『ロック・オン!』は、大劇場のショー作品としての形式で作られていない。
 ディナーショー、あるいは、『タカラヅカスペシャル』などのイベントショーの形式だ。

 まちがった形式で作られているのは、単に手を抜いたからでしょう。
 簡単な方を選んだ。
 努力することを放棄した。
 本公演では許されないけど、全国ツアーだからいいや。劇団のおえらいさんや業界のうるさ方も観に来ないし、田舎のおっちゃんおばちゃんに見せるモンなんぞ、真面目に作ってられるか、手抜きして当然。
 そーゆーキモチで作ったのかしら。

 ……なーんてことを邪推されるレベルの作品を作っちゃう人なんだわ、と心と記録に残します(笑)。
「キムくんの、はじめてのショーだから」

 と、友人に言われて、一瞬なんのことかわかりませんでした。

「だから、キムくんがトップに就任して、はじめてのショー作品。お披露目の『ロミオとジュリエット』は一本モノだったから」

 全ツ『ロック・オン!』は、音月桂はじめての、ショー主演作品。

 知らなかった。

 キムくん、ショー主演はじめてだったのかっ!!

 いやその、考えてみたら当たり前のことなんですよ。
 ふつーショーっていうのは大劇場か、それに準じるクラスの箱でしかしません。博多座とか中日劇場とか、あるいは全国ツアーとか。
 でもって、本拠地宝塚大劇場や、宝塚歌劇団の名前を背負って各地方で公演する場合は、トップスターが座長を務めるもんです。
 バウホールやドラマシティという、関連劇場とはチガウんだから。

 ふつーのタカラジェンヌは、トップスターになるまで、ショーでの主演を経験しません。
 せいぜいディナーショーで疑似体験するくらい。

 ショーの新人公演は21世紀になってからこの間の『ノバ・ボサ・ノバ』までやってなかったわけだし、2番手としてある程度の期間を過ごせ、かつ劇団推しのスターならコンサートを任されるが、キムくんは2番手時代はほぼなかったよーなもんだし(2番手だったの、5ヶ月のみって……)。
 キムがショーの経験がなくても、不思議はない。

 当たり前のことなのに、何故かわたしはわかってなかった。
 忘れてた、ではなく、知らなかった。

 考えたこともなかったので、知らなかった。

 キムってはじめて、ショーで主演してるんだー。へえー。

 何故だろう。
 わたしはすっかり思い込んでいたよ。

 音月桂が、ショーで主演するのは当たり前だって。

 トップだから主演するのではなく、音月桂だから主演する。
 わたしにとってキムくんは、トップになるのが宿命付けられた人。真ん中で輝くために生まれた人。
 だから彼が真ん中に立っている今は、『ロック・オン!』は、太陽が東から昇るくらいふつーのことなので、考えなかったんだ。

 ……うわーん、なんでわかってなかったんだろう。
 キムくんがショーはじめてなんだって、わかっていたならわたし、初日にもっと感動したのに! 感慨深かったろうし、「ちゃんと真ん中できるのかしら」とかハラハラしただろうに!
 ……最後のは嘘です、別にハラハラしません(笑)。だってキムくんは真ん中に立つために生まれた人だから(笑)。

 2003年の『レ・コラージュ』ですでに、トップ娘役の相手役として、ショーで1場面務めていたんだもんなー。違和感ないよそりゃ。
 以来8年間、あったりまえにセンターとかカーテン前とか銀橋とか、とにかく「将来トップスターになる」ためのスキルを磨いてきたんだもんな。
 芝居では2001年の『猛き黄金の国』新公主演からはじまり、2002年の『ホップスコッチ』バウ主演と、以来10年間、あったりまえに「主役」やり続けてきたんだもんな。
 どんだけど真ん中だけのサラブレッド人生。

 はじめてだとまったく気付かなかったくらい、キムくんはふつーに「真ん中」でした、「主演」でした、『ロック・オン!』。

 いきなりライト点いて、舞台にただひとり立っていて、すぐに客席降りして観客煽って。
 ……はじめてだったのか。初心者だったのか。
 オープニングが終わったら、次はいきなり客席登場で、お客さん一本釣りして手にちゅーだの髪撫でだのして通路練り歩いて。
 ……はじめてだったのか。初心者だったのか。
 舞台に戻ればホモの役で、エロのエの字もない下級生たちを喰う演技しなくちゃならなくて、そりゃひろみちゃんはいい仕事してるしコマとがおりはなんとか様になってるけど、あとの子たちはモゴモゴ……しかもエロホモ対決のラスボスはまっつだし、アレ相手にガチホモやれってそんな無体な……!って感じだし。
 ……はじめてだったのか。初心者だったのか。

 どんだけハードル高いん?! 考えてみれば!!

 キムくん、すごいな。
 よくやったな。
 
 ものすごくプレッシャーだったろうなあ。
 ぜんっぜん、気付かなかったけど。

 
 真ん中に立つキム。
 ショーで主演するキム。

 当たり前だと思う……思われてしまうことが、彼のネックなんだろう。
 なにしろ抜てきされてから10年超えだからねええ。年季の入ったヅカヲタほど、彼には見飽きた感を持つだろう。抜てきからトップ就任までが長すぎた。
 わたし個人の見解では、2005年あたりでトップになってくれてても、違和感なかったもん、キムくんは。どこの組でどのスターの間に入れたのよ、という話ではなく、彼の成熟度からして。
 そりゃジャンルイ@『銀の狼』はきびしかったかもしれないが(笑)、おっさん役できなくてもトップはできるし。『さすらいの果てに』で壮くんとの実力差とスター力の差を見せつけてくれたことで、舌を巻いたもんよ。(えりたんは成熟するのに時間がかかるタイプらしい。花組に戻ってから花開いた印象)

 主演作や主演場面は増えていくけれど、トップにはなかなかなれずに、抜てきから10年。
 回り道した分、いろんなキムくんを見られた。
 良かったんだと思おう。

 キムの中に、トド様やコム姫や水くん、歴代雪組トップスターの姿が垣間見える。
 こうしてDNAは受け継がれていく。

 あまりに自然で、気付かなかった。
 キムが雪組を継ぐということ。わたしが愛し、見守っていた時代を、彼の中に見、彼の背中を見て育つ下級生たちの中にも見つけることなんだ。

 そんなことを、改めて思った。
 気付いた。

 
 初日から、わかっていれば良かったのに。
 『ロック・オン!』が、キムくんのはじめてのショー主演作品なんだって。

 惜しいことをした。
 査問委員会の恥ずかしさはなんだろう。

査問官「ベロゴールスクで反乱軍に襲われたとき、ひとりだけ何故助かったかはわかった、そーゆーことにしておいてやる」

 え、なにがわかったの? ニコライ@キム、なにをどう申し開きしたの?
 プガチョフ@まっつが君にでれでれだったから助けてもらえたんだって言ったの?
 と、ここでまず恥ずかしさにうきゃーっとなる。って、最初やがな!

 昔ウサギの外套をあげたことをプガチョフが恩に着ていて、それで命を助けてくれたんだと証言したんだとは思う。
 でも、そんなことを査問官が本気にするんだろうか?
 金銭的な問題ではなく、そこにナニか裏の事情、ニコライが語っていないナニかを勘ぐって、とりあえず「それはそーゆーことにしておく」ってやつで、さらに同じことを示す別の質問につなげただけだよね。

査問官「不可解なのはオレンブルグの連隊に所属していた者が、何故ひとりで反乱軍の本陣へ行ったかということだ。詳しく述べてみろ」

ニコライ「…………(マーシャの名前を出すとやばい。彼女がコサックであることがわかれば、今度は彼女がスパイだと思われる。言えない)」

査問官「お前が反乱軍の陣営からプガチョフと仲良くソリに乗り、ベロゴールスクの要塞まで行ったことはわかっている。証人だっているぞ」

 ちょ……っ。
 仲良くって、今、仲良くって言ったっ。査問会で、査問官が言う言葉なの、仲良くって。

査問官「それでもプガチョフから放たれたスパイでないと言い張るのか」
ニコライ「絶対に違います。プガチョフとの個人的な関わりのことは先ほど申しました。それ以上の密接なつながりは……」

 個人的な関わり? 密接なつながり?
 えーっとコレって、なんの裁判だっけ?

 ニコライのスパイ容疑……というより、愛人容疑?

証人シヴァーブリン「ニコライはプガチョフの命令でスパイとしてオレンブルグに派遣され、政府軍の情報を知らせる任務に就いていました。そしてさらに! 公然とプガチョフのそばについて、あちこちの要塞を乗り回してましたっ」

 そしてさらに!で声を張り上げるシヴァ@コマ。
 公然とプガチョフのそばについて。
 公然と。みんなの前で。隠しもせず。堂々と。

 えーと。

査問官「ニコライくん、こんな行動を取っていてスパイじゃないと言うのか。スパイじゃないなら、なんなんだ」

 誘導尋問。
 スパイだとわかったら極刑だ。
 死にたくなかったら、本当のことを言え。

 もういいじゃん、言っちゃえよ。君さ、プガチョフの恋人だったんだろ?
 スパイだったら、プガチョフとふたりでソリに乗ってあちこちの要塞へ行くとか変じゃん。なんで皇帝と一スパイが他の兵たちの目の前で、公然とふたりで過ごしてるんだよ。
 デートしてただけだろ?
 言いたくない気持ちはわかるけどさー、こんだけ証拠挙がってるんだから、もう認めちゃいなよ。
 このままじゃスパイだってことになっちゃうよ?
 ほんとのこと言いなよー。

 ……という流れに見えて、恥ずかしくてなりません、査問委員会。

 ニコライくんだけが「マーシャがスパイだと疑われる」と、ひとりで勝手に苦悩してますが、いや、査問官の目的はソコぢゃないから!と、言いたくなる(笑)。
 プガチョフとの個人的な感情、関わりを聞きたがってんじゃん、査問官。
 プガチョフとの個人的な感情、関わりを力説してんじゃん、証人。

 ナニこれ恥ずかしい!(笑)
 痴情のもつれ裁判。

「ボクは浮気なんてしてない」
「嘘をつくな。愛人と仲良くデートしていただろう。証人もいるぞ」
「ニコライくんはプガチョフくんとデートしてました。みんな知ってます、公然の秘密でしたから」
「これでもシラを切るのか」
「ボクは無実だ!」

 ……楽しいなあ、『黒い瞳』

 軍事裁判の中、「仲良く」なんて感情論・個人の主観が証拠として罷り通っているあたりがもお、ダメダメっぽくて、いらん妄想をかきたてます(笑)。
 突然ですが、まっつの話。

 わたしは未だに、まっつのキスシーンを見たことがありません。
 わたしがまっつオチしたのが2005年。彼が新公主演したのが2004年。
 その1年の差ゆえに、見てないんです。

 や、新公は観ています。『天使の季節』も『La Esperanza』もナマで観た。当時もわたしは無邪気にまっつまっつ言って、「まっつファン」だと臆面もなく言ってました。
 「ご贔屓」は別にいたので、あとは好きな人たちみーんな「ファン」表記。まっつファンで水ファンでトウコファンでたかちゃんファンで……と、いくらでも言ってました。
 そのあたりの感覚で観ただけなの、まっつ新公主演。
 当時はまっつご贔屓じゃなかったから、ただ好きだってだけでふつーに見ちゃったんだもの。

 そして愛の劇団タカラヅカは、路線スター様でないとラヴシーンがない。
 まっつはバウで2番手やろーと、ドラマシティで2番手やろーと、何故か恋愛しない人でした。
 つまり、ラヴシーンがないっ。

 くそー、まっつのチューしてるところが見てぇよー。
 と、このブログに書いたのが3年前だっけ。中日『メランコリック・ジゴロ』で、いちかちゃんと夫婦役だと知り、「相手役がいるなら、ラヴシーンあるかしら?!」と期待し、結果がっくりと肩を落としたんだった。

 
 この「キスシーン」というのは、あくまでも「芝居」においての、です。
 ちゃんと前後があって人間関係があって台詞があって、結果としてキスに至るやつ。
 ショーでならキスシーンあるもん。まっつじゃなくても、ある程度の学年の人なら。

 ショーじゃなく芝居で見たい……と言いつつも、ショーでももちろん、キスシーンはがっつり眺めますが(笑)。

 
 そう嘆いていたら、組替え後のベンヴォーリオ@『ロミオとジュリエット』では、まさかのキス大安売り。
 常時3人以上の女の子にキスしてまわるという。ほっぺも入れたら、乳母@コマも入るし、ふざけての寸止めも入れたらマーキューシオ@ちぎくんも入るし……と、この5年間の砂漠生活を取り戻す勢いのキス魔ぶり。

 でもこの『ロミジュリ』のキスも、ミュージカル場面だからショーと同じ扱いなんだよねー。
 芝居というよりは、やっぱりショーでのキスだよなあ。全部ダンスの最中にやってるんだもん。

 つーことで、「まっつのキスを見たことナイ」歴は更新中です。

 あ、手にキスなら『MIND TRAVELLER』や『黒い瞳』で見ているわけですが、口はナイよなってことで。

 
 んで、ショーでダンスの振付の一環としてのキスもきれいでいいけれど、物足りないのはソコに至るまでの過程やドラマ、会話がないこともそうですが、もうひとつ、一瞬だから、堪能する暇がないというのもあります。

 お芝居のでのキスは、見つめ合ってゆっくり顔が近付いてゆき……て感じでしょ。
 アレが見たいのよー。

 
 で。
 こっからが、本題。

 「まっつのチューが見たい」と前にブログに書いたとき、ツッコミ担当の友人から「あんな恥ずかしいこと、よく表に書いたね」と言われ、「えっ、恥ずかしいことだったのか?!」と反対に驚いたくらい、恥知らずなわたしです。
 今回もまた書く!(笑)

 まっつのチューが見たいハートが、思ってもみないところで、満たされ……てはいないが、なだめられました。

 雪組全国ツアー『ロック・オン!』、「紳士の館」と表記されたプログラムにおいて。
 アレな趣味の紳士が集まる倶楽部。いわゆるホモの館。

 ここで巴里の紳士A@まっつは、巴里の紳士S@キムくんと、まさかのキスシーンがあります。

 しかしこの同期コンビってば萌えないってゆーか相性いまいちってゆーか、キス、ヘタすぎ。
 踊りながらのキスがそれほど難しいのか、何回観てもキスがキスに見えないというか、うまく顔が重なっていない。
 ここまでうまくできないなら、振付変えてくんないかなー。キムくんがまっつの頬に手を添えてチューにいく、ぐらいしないとうまくいかないんじゃないの??
 と、思ってました。

 ええ、そしてあれは、梅田での最終公演。

 このときもまた、ふたりの気は合わないらしく、キスは大きくズレてました。
 ただのズレ方じゃない。
 顔1個分、ズレてた。
 顔ひとつ、って、ソレすでにキスぢゃない(笑)。

 しかも顔は、上下にズレてた。

 わたしの席からは、キムくんの後ろ頭の真下に、まっつの顔がまるっと全部見えていた。キムくんの唇は、まっつの頭くらいの高さでチューの振りになっていた。

 ズレ過ぎやろ!と、突っ込む暇もなかった。
 何故ならば。

 まっつは、本気でキスの顔をしているからだ。

 本当なら、まっつの顔の真ん前にキムくんの顔が来るので、まっつの顔は見えない。
 が、キムくんかまっつか、どっちがズレたのかわかんないけど、ふたりの顔は重ならなかった。そして、まっつは客席に顔を向けていた。
 そこにあるはずのキムくんの顔がないと、まっつの顔はまんま客席から見えることになる。

 まさかそこにキムくんの唇がないとは思わず、まつださんは、チューの顔してポーズ付けてます!!

 目ぇつぶってんだ、まっつ!!
 や、お化粧でよくわかんないけど、わたしにはそう見えた。

 目をつぶって首をかしげて、キスを待つまっつ。

 お芝居で「見つめ合ってゆっくり顔が近付いてゆき……」てな場合でも、キスの瞬間は角度や手で隠すので、チューしている顔は見えません。席によってナナメから見えるかな、ぐらいで。

 真正面から、チュー顔見える、って、そんなバカな(笑)。

 オペラグラスを落とすかと思いました。
 自分が目にしたモノが信じられなくて。

 ええ、一瞬は一瞬です。
 何故ならキムくんが「しまった!」って感じで、あわててキスを待ってるまっつの顔に、自分で合わせたからです。

 まっつは目をつぶって待ってた。
 キムくんが合わせた。
 ふたりのどっちが間違えたのかはわかんないけど、マイペースだったのはまっつ、合わせたのがキム(笑)。
 ……この同期……(笑)。

 いやあ。
 いいもん見ました。

 何故わたしの目に録画機能がついてないのか、悔しいです。
 マジにキス顔まっつって、しかも真正面から障害物(相手役の頭)ナシって……そんなこと、もう二度とないよなあ。

 それともこのタイミングの合わない同期コンビは、あちこちの地方で、会場で、キスに失敗してたりするのかしら。
 面白いから失敗してくれてもいいのよーそして受顔まっつを見せてくれていいのよー(笑)。

 あえて言おう。キムくん、GJ!!
 ちょ、星組公演のこの大人気ぶりはナニ?! 座席券完売は当たり前、当日140枚発売される当日券すら売りきれるってナニゴト?!

 なんか、なつかしいタカラヅカがそこに。
 以前はこーゆーこともあったよねえ。ここ数年はとんとご無沙汰だったけど。

 と、大盛況がうれしいGW。

 『ノバ・ボサ・ノバ』、役替わり観てきました。

 オーロ@ベニー、面白すぎ。

 なんかもー、膝叩いてツボって、喜んだ。
 彼のダンスがうまいとか、歌が素晴らしいとか、そーゆーことではなくて。いや、うまいかヘタか正直わかんないくらい、とにかくもー、面白かった。

 ベニーはナニやってもベニー。
 なんであんなにいつもイッちゃってる人になるんだろう。
 わかんないけど、とりあえず『ノバ・ボサ・ノバ』という世界観においては、どんだけイッちゃっててもOKだ。

 それが「オーロ」という役として正しいかどうか知らないが、とにかく目につく。
 んで、目についちゃったら最後、離せなくなる(笑)。
 なんか面白い。興味深い。

 面白い、ってのは、武器だよなあ。
 どんだけうまくても退屈な人っているもんなあ。
 ベニーはとにかく面白い。よくわかんないけど、見てしまう。

 そして。

 オーロが、エロい(笑)。

 ごめん、(笑)付き。
 エロいの、オーロ。
 だけどなんかソレすら、面白いの。

 このやたら面白くてエロくてトンデモないオーロが、野生の美女ブリーザ@れみちゃんと絡んだ日にゃあ。

 やだコレ、18禁(笑)。

 ごめん、(笑)付き。
 なんでだろう。エロくてきゃーきゃーで、舞台でそんなことしちゃいけません、清く正しいタカラジェンヌが!的なドキドキ感があって、やばいわーやばいわーって感じにオペラでガン見しちゃうふたりなんだけど。
 それでもなんか、面白い。

 ベニーとれみちゃんって似合うなああ。
 ベニーの面白さと異端ジェンヌっぽさと、れみちゃんの正統派の娘役力ががっつり組み合うと、すてきな相乗効果。

 改めてわたし、ベニー好きだと思った。
 
 
 んで、マール@真風は、えーっと、真面目なマール青年だった。
 あー、いるいる、こーゆー田舎の男の子。純朴でスレてなくて。
 ブリーザがこの男の子で満足するとは思えないので、エロいオーロに走ったのは仕方ないなと。
 そして、真面目であるがゆえにブリーザの心変わりが許せなくて、キレてナイフを出しちゃったんだね。

 ベニーのイッちゃったマールと別人過ぎる……(笑)。

 
 メール夫人@ともみんのはじけっぷり。
 ちょっとおかーさん、ノリノリ過ぎ。娘以上にバカンスあーんどアバンチュール満喫する気満々ですがな。
 おつむとお尻が軽そうなセレブ夫人。
 だけど下品ではなく、かわいらしい。

 でもってともみんはさすがのプロポーション。
 女役だと感じ入るのは、なんといっても腕の長さ。
 男役だと補正入れて肩幅作るから、その分腕が短くなっちゃうんだよね。女役だとその必要がないから、持って生まれた腕をまんま出せる。
 腕長ぇ。きれー。

 今回のエストレーラ@ねねちゃんのドレスにスリットが入り、その脚線美を披露してくれてますが、メール夫人のドレスにもスリットが欲しいと思いました。
 99年版を観ていますが、ちなみにかつての贔屓もメール夫人を演じていますが、メール夫人にスリットを!なんて、そんなことはじめて思った(笑)。
 それくらい、ともみんの女性としてのスタイルは素晴らしいっす。

 
 ソール@れおんくんはますます余裕で舞台の中心、世界の中心を示してくれているし、ねねちゃんはかわいいし。

 『ノバ・ボサ・ノバ』はいいなあ。
 「シナーマン」で背景に鳥がせり上がってくるあたりでもお、胸がわくわくアツくなり過ぎて泣けてくるんだけど!
 好きだーーっ、て気持ちが走り出して。

 いい作品だ。でもって、いいキャストだ。

 
 そして、最後にひとつ。

 れみちゃんの太股が好きだーーっ!!
 『ニジンスキー』の2番手格の役・ディアギレフを演じるヲヅキさんの話。

 ヲヅキはあの身体の大きさと厚みが武器であり、魅力である。
 それは周知のことだと思う。

 そこに長年培ってきた男役としての技術が加わり、テラカッコイイ。
 スーツや燕尾の着こなし、男としての動き。

 小僧っこには出せない、大人の魅力。
 主人公のヴァーツラフくん@ちぎに対し、完全に「大人」であること。それができる男役であるということ。
 それはまったくもって素晴らしい。

 しかし今回、なかなかどーして諸刃の剣だなと思った。

 ディアギレフ@ヲヅキは魅力的である。
 それは彼の外見だけの話ではなく、中身っちゅーか、キャラクタゆえでもあると思う。

 ディアギレフは悪役ではない。
 結果的に敵役となるが、いわゆる「悪」ではない。
 誰よりもヴァーツラフくんを愛している、「もうひとりのヒロイン」だ。

 いや、ヴァーツラフくんがわかりやすく「悲劇のヒロイン」なので、ディアギレフは「もうひとりのダーリン」だ。
 90年代によくあった恋愛ドラマ、富も権力も美貌もなにもかも持ち合わせている強引な男を振って、問題だの障害だのありまくりの優しいだけの男とハッピーエンドになるヒロイン、アレですな。
 ディアギレフは振られる方の男。

 もうひとりのダーリンだから、「どっちのダーリンにしようかしら」と二択になり得るだけの魅力が必要。
 しかし、結果的にヒロインに選ばれないだけの欠点も必要。
 このバランスが難しい。

 で、ヲヅキディアギレフは、このバランスで失敗している気がしたんだ。

 脚本では、ディアギレフはヴァーツラフくんの才能を閉じこめているらしい。ヴァーツラフくんは自由になりたがっている。このままじゃ籠の鳥だと。
 しかしそれはあくまでも、脚本上だけ……つーか、原田せんせの脳内だけ。

 実際には、ディアギレフはヴァーツラフを閉じこめていない。むしろ放し飼いにして、そのくせ危険な目に遭わないように苦労して守っている。
 ヴァーツラフくんは、「うまく飛べないのは鳥籠のせい」と言っているだけに見える。自分の才能のなさとか、努力めんどくせーな気持ちを鳥籠のせいにしている、ような。
 そうやって現実逃避している中2の少年の前に現れたロモラ@あゆっちがまた、ひどい。
 「冴えないふつーの男の子の前に、突然異世界から美少女が現れ、『一緒に来てください、アナタは私たちの世界を救ってくれる伝説の勇者様なんです!』と異世界へGO! 異世界ではなにしろ異世界なので、魔法でも剣でもパーフェクトに使えちゃうスーパーヒーローに!」……てな、中2男子の夢見る世界観まんまの、「ボクが言って欲しいと思っていることを、そのまま言ってくれる女の子」。
 ロモラの言葉はヴァーツラフくんにとっては都合が良いので、気持ちいいこと、楽なことに流れるのは人の生理、努力とか義務とかしんどいことは投げ出して、楽なことに逃げ出した。鳥籠を飛び出したというよりは、自分で作った「誰もボクを傷つけない檻」に自分から逃げ込んだ印象。
 あゆっちの芸風がまた、かわいい外見に反してリアル系だから。より展開がえらいこっちゃに見える。

 原田せんせの意図はチガウんだろうけど、ヴァーツラフくんが天才には見えず、ロモラはご都合主義過ぎて気持ち悪く、ディアギレフが至極まともな人に見えた。

 なので、ヴァーツラフがディアギレフを裏切ったときに、彼の行動を是と思えなかった。

 もっとちゃんとヴァーツラフを「天才」として描き、ディアギレフを「檻」として描いてくれないと。二択の魅力と、選ばれなかっただけの欠点を描いてくれないと。
 脚本演出が悪い。
 それは確か。

 なんだけど、ヲヅキもチガウんじゃないかと思った。

 こーゆー脚本でこーゆー演出で、ヴァーツラフが中2の現実逃避引きこもりくんみたいな描かれ方をしているわけよ、原田くんの限界で。
 それならキャストで正しい方向へ持っていく必要があるんじゃないかと。

 ディアギレフ、いい人過ぎ。

 ヴァーツラフに裏切られたとき、マジ泣きしてるんだもんなー。
 それまでも誠実な愛情がにじみ出てるんだもんなー。
 
 誠実でホットなのはヲヅキさんの芸風であり、魅力であるけれど、それゆえに、そんな素晴らしい人を自分勝手に裏切るヴァーツラフがトンデモな人になってる……。
 仕方ないよね、と思えない……。

 ヴァーツラフくんがアレな描かれ方をしているのはもう仕方ない、変えられないだろうし、ロモラによる誘導尋問や洗脳の気持ち悪さももう変えられないだろう。
 それならあとは、ディアギレフしかない。
 普段からもっと変質的に病的にヴァーツラフくんに執着しているとか、「うわ、この人無理!」と思わせてくれる部分がないと、そこから逃げ出すヴァーツラフくんの分が悪すぎる。
 裏切られたと怒りを爆発させるところも、すげー誠実な人が嘆き悲しんでいるんじゃ困る、ヴァーツラフくんが悪者になってしまう。

 ……しかし、ちぎくん演じるヴァーツラフは歪みなく真面目だし、ヲヅキ演じるディアギレフはホットな善人だし、なんでこの人たちでこんな柄違いの作品やろうなんて思ったんだろう……って、いやその、彼らの美しさゆえでしょう、わかりますそれは! わたしも彼らの美しい姿を見ることが出来て良かった、うれしかった。

 
 脚本と作者の意図した役割と、実際の舞台の上が不協和音。
 それゆえとってもトホホな感じの作品ではあります、『ニジンスキー』。

 と、そんなことを書き連ねておりますが。
 はい、ここで意見をひっくり返します。

 
 それでも、そんなヲヅキが好き。

 苦悩すればするほどその魂の健康さや生真面目さを露呈し、より中2病っぽくなるちぎたさんが愛しいのと同じです。

 物語の流れ的にこれはチガウやろ、と思える、ヲヅキディアギレフのホットさ、誠実さが好き過ぎます(笑)。
 ヴァーツラフくんに裏切られて、目を剥いてぼろぼろ泣いている姿に震撼しました。うわーんこの人、愛しい!

 冷酷な大人として振る舞っているところで醸し出すまともさや誠実さ、「この人絶対イイ人だよね」オーラがたまりません。
 ソコよ、ソコがいいのよ、大好きなのよ。

 身体の厚みと心の厚み。
 そして、暑苦しさ(笑)。
 どんだけクールぶっても醸し出す熱。

 そこが、素敵過ぎる。

 
 『ニジンスキー』はいろいろとアレな作品だと思うけれど、主人公と2番手が、それぞれ自分の持てる「美しい」という力を最大限に発揮できるところがいい。
 それが作品に合っているかどうかではなく(笑)、たとえ合っていなくても、「タカラヅカ」としては正しく力を発揮できる作品だから。発揮していい作品だから。
 実際、彼らの力技ゆえに、この「お約束」だけで出来上がった話が、重厚な話っぽく見えますから!
 薄い話でもいいの、ジェンヌがパワーを発揮できる足場としてさえ成り立っていれば。『ニジンスキー』って、そうだよね。
 
 
 あー、ヲヅキ好きだなー。
 仲間内で『ニジンスキー』の感想を話しているときに、「高校生のあたしが書きそうな話」と解説したら、友人のひとりに「失礼だけど、ほんとに書いてそう(笑)」と言われてしまったのが印象的。……ねえ?(笑)

 『ニジンスキー』の薄っぺらさっつーか軽さっつーか、既視感あふれるお手軽さに「あちゃー」という気がするのは、自分の「通ってきた道」を振り返る気恥ずかしさもあるのかもしれない。
 まあ、「美しいは正義」で、主演のちぎくんの美しさを愛でるファンアイテムとしては、これくらい軽い、わかりやすい作りの方がいいんだとは思う。
 エンタメだもん、楽しければそれでヨシ。

 画面が美しいから、それだけで楽しい。

 ただ。
 演出家の原田くんは処女作『Je Chante』と同じように、メイン数人以外はモブとしてしか、使えないらしいよ。
 スズキケイのモブしかいない舞台、もすごいけど、原田くんもそのあとに続くのか……。バウでこれだもんなー。
 名前だけ付いたモブのひとたちがもったいない。キングとかメガネかけてちょうカッコイイのにただのモブだし、ソルーナさんもなんでソルさんがこんなとこでこんなモブをやってるんだろうって役だし、その中でもイケメンの翔くんがあのでかい図体で何故女役のモブキャラをやっていたのかわかりません……どうせただのモブなら、男の役が見たかったよ……。
 役名だけあっても、なにひとつ描けてないと、モブキャラでしかないっすよ。一言ずつ喋ってワンフレーズずつ歌う記者のみなさんと、なんの差があるんだ、という演出でした。
 原田せんせのこの作風は、早く変わってくれるといいなと思う。

 
 モブ以外の役がすごーく少ないんだけど、とりあえず「2番手男役を格好良く描く」のはイイよね。

 『Je Chante』のみーちゃんもかっこよかった。ストーリーとキャラクタは破綻していたけれど(笑)、みーちゃんが力技で「2番手役としての、タカラヅカの色悪」として成立させていた。
 あの役を血肉の通った役にしたのはみーちゃんの功績だけど、そもそもの設定が「いかにもタカラヅカファン好み」てんこ盛りにしてあったため、てことはある。
 「ヒロインに横恋慕する、権力を笠に着た悪役」という役割でキャラを作る際に、「ただの成金男」とかではなく、「ナチス将校」にしたのは「タカラヅカ」らしさ。なにしろストーリーは破綻しまくりキャラも多重人格揃いだから、設定なんかなんでもOKだったはず。
 なんでもいいなら、「タカラヅカとして見た目のカッコイイ方」を選び、悪役はナチス将校になった。
 ナチスの描き方云々とか史実云々ではなく、あくまでもタカラヅカの舞台の上で「カッコイイ」ことが重要。
 (敵役の設定が「なんでもいい」なんて破綻した作品をそもそも書くなよ、というツッコミはまた別問題だから、置いておく・笑)

 タカラヅカにおいて2番手は重要。
 俗に主役よりも2番手の方がオイシイ、と言われるが、それが当然、2番手の演じる役を「オイシイ」役として描くことは、座付き作家の義務だと思っている。
 主役とヒロインだけじゃダメ、2番手男役までもがオイシイ作りでないと、見ていてつまんないし、「未来」へつながらない。

 タカラヅカは、そのタイトル1本上演するために集められたキャストで演じているわけじゃない。同じ顔ぶれで何年も違う作品を上演していく。
 ならば主役だけかっこよくても広がらない。主演=トップスターはいずれ退団し、2番手が次のトップとなり組を支える。
 2番手が魅力的に見えない、トップとヒロインだけの芝居を続けたら、彼らが退団したあとに観客がついてこなくなる。
 トップコンビで客を呼びながら、2番手を育てて売り出さないと。
 バウホールでも同じ。
 大劇場ではここまで比重を与えられない、だけど「未来」に期待しているスターにオイシイ役を与え、主演者目当てでやって来た人たちの気持ちを動かす。
 そーやって「あのスターが卒業しても、次のスターが」という連鎖が、100年近く続いてきたはず。

 最近のタカラヅカがどうだとか、そもそも2番手が順当に昇格しないじゃん、てことは置いておいて。

 主役とヒロインだけじゃなくて、2番手もオイシイ作品が必要、とわたしは強く思っている。

 大劇場は組の番手そのままだから、2番手はいつも決まった人だけど、バウはそうじゃない。
 主演に対する2番手の関係性はいくつかパターンがある。
 確固たる人気のスター主演のバウに、売り出したい、人気を出したい劇団推しの若手を2番手に。劇団推しで人気や実力に不安がある主演者には、路線外の実力者を保護者として2番手に。ふつーに人気のあるスターたちを主演と2番手にして相乗効果を。
 『Je Chante』は2つめのパターン、『ニジンスキー』はそれに加えて3つめかな。

 原田せんせの2作はどちらも保護者2番手系だから、「将来のトップスターにオイシイ役を」という意味での2番手役ではないけれど、それにしたってヅカの基本、「2番手はオイシイ」を正しく守ってくれるのはイイです。
 ……主役とヒロインと2番手までしか描けない、その他は全員モブだけどな(笑)。
 でも、今後保護者2番手ではなく、劇団推しのスターが2番手でバウを上演する際に、原田せんせの「2番手がカッコイイ」という作風は有効なんじゃないかな。タカラヅカとしては正しいよ。

 
 つーことで、ディアギレフ@ヲヅキさん、カッコイイです(笑)。

 2番手がカッコイイのはいいよねー!
 こーゆー、いくらでも美しくしていい、格好良くしていい役を、正しく2番手に与えてくれるのはいいよねー。

 役や役割によっては、そのジェンヌがどれだけかっこいい人でも、かっこよくしてはいけない場合があるから。
 主にイシダ作品に登場する系のキャラとか。
 そうではなく、設定として「好きなだけ美しくしてヨシ!」な役を与えてくれることは、大切だと思う。

 と、2番手がカッコイイことは素晴らしい、必要である、ということをうだうだ語り、次に本題のヲヅキさん語りへ(笑)。

 ちぎが、真面目な人だということがよーっくわかる作品だった。

 ちぎくん単独バウ主演『ニジンスキー』観劇。
 「いかにもタカラヅカ」な作品。てゆーか、「タカラヅカ」でないと上演できない作品。
 や、コレを実際外部で日本人男性たちで上演したら誰得って感じだもの(笑)。ヅカならではでしょう。

 内容は、すごくステレオタイプの「天才」物語。
 わたしたち凡人が思い描く「天才ってこんな感じだよね」をまんまカタチにして描いた、とてもわかりやすい「ニジンスキー」。

 タイトル通り、天才バレエダンサー・ニジンスキーの物語。
 バレエだけに一途で、日常生活は欠陥だらけ、うまく生きられないヴァーツラフくん@ちぎは、彼の才能と美を愛するディアギレフ@ヲヅキの籠の鳥。イカロスのように自分の翼で飛びたいと望む彼は、魔法の鏡のように彼の望む言葉だけを与えてくれる踊り子ロモラ@あゆっちと恋に落ち、ディアギレフと決別。
 庇護者を失ったヴァーツラフくんはもちろん没落の一途、だって彼、好きに踊ることしかできないんだもん。籠から出た小鳥は自分でエサを取れずに衰弱、頭を下げて再び籠に戻るけど、もう籠の中では生きたくない、生きられない……てことで、狂ってしまいました、てな話。

 なんだけど、演じているのがちぎくんなので……なんとも生真面目な、地に足のついたニジンスキーになっていた。

 ちぎくんの美しさはこの作品が必要とする「ニジンスキー」に相応しい。
 が、彼の芸風的には柄違いかなあと。

 天才ゆえの軋轢や断絶感、苦悩と破滅というより、ちぎくんの場合は努力する優等生が壁にぶつかってる感じがする。
 や、わたしは彼のそーゆーとこが好きで萌えなんだけど。
 苦悩すればするほど、狂えば狂うほど、ちぎくんのまともさ、魂の健康さと生真面目さが伝わる。
 良い子なんだなあ、健康な子なんだなあ、と。

 いや、そういうニジンスキー像もアリだろうけど、なにしろこの『ニジンスキー』で描かれているヴァーツラフくんはそうじゃなく、とてもありがちなステレオタイプの「天才」だから、ちぎくんのまともさはちょっとチガウよーな。
 いやその、彼は熱演だし、芝居の出来る人なのでもちろんなんの遜色なくニジンスキーを見せてくれているのだけど。

 わたしは史実としてのニジンスキーをよく知るわけではまったくないけれど、宝塚歌劇団の『ニジンスキー』という作品を観て、既視感てんこ盛り過ぎて、ちょっとびびった。
 いわゆる「天才」主人公系の物語王道ど真ん中、そのわかりやすさとヒネリのなさ、てゆーか、作風の素直さ?に、同人誌的なモノを感じて、ちょっと照れた。ああ、わたしも昔こんな話描いたことある、的な(笑)。

 いや、そーゆーお約束満載のところもまた、タカラヅカっぽくてイイです。
 お約束は大事です。作っている側も、観ている側も、「ああ、コレってアレだよね」「こう来たから次はこうだよね」と、お約束をわかった上で楽しむ。
 『Je Chante』もそうだったけど、原田せんせはそーゆー共通認識で舞台を作る人らしい。
 でも『Je Chante』よりわかりやすくなってる!(『Je Chante』ではあちこち展開の荒さに置いて行かれた人・笑)

 テンプレ設定にちょっとテレつつ、テンプレ設定ゆえにちぎくんの持ち味が合っていないことに、ちょっと首をかしげつつ。

 美しいから、無問題。

 美しいは正義。
 憑依系、天才系の役者云々よりも、宝塚歌劇団の『ニジンスキー』に必要なのは、なんつってもまず美貌だ。
 ダンス力云々よりも、宝塚歌劇団の『ニジンスキー』に必要なのは、なんつってもまず美貌だ。
 その美しさを愛でるところに、タカラヅカのタカラヅカたる意味がある!

 こんだけ美しい「お約束物語」を観られるのはタカラヅカだけだもの。
 星組の『めぐり会いは再び』が予定調和とお約束で、楽しく美しいタカラヅカであると同じように。
 観ていてわくわくする、タカラヅカっていいよな。

 
 とゆーことで、ヴァーツラフくんとディアギレフの古き良きJUNEな関係が良いですな。
 ガチホモを美しく描けるのもヅカの素晴らしいところ(笑)。

 タカラヅカとはいえガチホモを見たいかというと微妙なところですが、でも実際美しく真正面から描いてくれると、目の保養です。動く少女マンガというか。

 BL、ボーイズラブといわれるものではなく、少女マンガ。
 JUNEというのは今となっては、BLよりも少女マンガに分類されるジャンルだなあと思う。
 だから寸止めで美しく表現されるヅカのホモは、少女マンガの3D版認識。

 ヲヅキを好きで、ちぎくんが好きなので、それだけでたのしいっす。うれしいっす。

 
 ガチホモなのも少女マンガなのもいいんだけど。
 キャラの描き方に疑問はある。

 ディアギレフをいい人に描きすぎていることと、ヴァーツラフの小物感とまともさ具合、そしてロモラのご都合主義さ、この3つが相乗効果でマイナスになっている気がする。

 ヴァーツラフが翼を持った人物ならすべて解決したことかもしれないが、生真面目な優等生止まりであるため、いろんなところで説得力を欠いたような。
 ディアギレフが執着を持って籠に閉じこめているように見えない。ディアギレフがいい人過ぎて、そんな彼を裏切るヴァーツラフの行動が正当……というか、「仕方ないよね」と思えなくて困る。
 また、ロモラの言動がただの魔法の鏡、ヴァーツラフが「言って欲しい」と思っていることをそのたび口にするだけ、物語の誘導ナレーションになっている。
 あまりに作為的にロモラがヴァーツラフを煽動し、それゆえに物語が展開するので、脚本にあるものと目に映っているモノの差にとまどう。
 でも、裏があるような話じゃないしなー。
 裏ってのはたとえば「ニジンスキーは天才ではなかった。すべて外側からのプロデュースで祭り上げられた、実態のない存在」とか「舞台の上のロモラはニジンスキーの幻想。ロモラという女性と結婚したのは事実だが、ニジンスキーが見ていたのは彼自身の作りだした幻」とか、そーゆーの。
 でもそんな裏はないよなー。王道の「天才」物語だよなあ。
 単に間違えたとか足りなかったとか過剰だったとか、そういうことなのかなー。

 観ていてもどかしい部分がいろいろあったけど、それでも画面の美しさだけで全部許せる。
 だから力一杯繰り返す、美しいは正義。
 
 星組新人公演『ノバ・ボサ・ノバ』観てきました。

 星組の新公は久しぶりです。全組観るのが基本姿勢なんだけど、何故か星組だけは観られないことが多くてなあ。
 てことで、主演の麻央くんには馴染みがないっす。というのも、彼が活躍したらしい新公は大抵観られていないので。
 あまり出番のない役のときは観たし、バウとかに出ているのは観た。
 ぷくぷくちゃんで技術的にはいろいろ大変、されど初詣ポスターからしても劇団が特別扱いしている子、という印象。トップ候補は劇団が決めるもの、そして麻央くんはトップ候補なんだろうから、ビジュアルと技術が上がってくれることを切に祈っていた。
 直近の印象が中日で、しかも歌がえーらいこっちゃ!だったので、どうなることかと思ってました、正直なところ(笑)。

 しかし、ソール役は良かった!

 歌はうまいわけじゃないけど、作品の勢いに乗って歌いきってました。
 長身でスタイルいいから、裸足もOK。黒塗りでフェイスラインも引き締め効果ばっちり(笑)、中日の頃より絶対キレイ。

 舞台度胸あるよね。歌詞を忘れたりアクセサリーをちゃんとつけられなかったり、ハプニングはあるものの、のびのびと演じていた。
 よくやったと思う、ほんと。

 終演後の挨拶も、素直で好感。なにかしら自分の言葉で話そうとしてる。それでちょっと天然というか「今ここでソレ言うんだ」的な感じがまた、素直でいいなと。お仕着せの言葉しか言わない子よりいいよ(笑)。

 このままもっときれいになって、もっといろいろうまくなってくれたらいいなあ。つか、なってくれ、未来のタカラヅカのために!

 
 オーロ@れいやくんが、濃くなっていた。

 派手な顔立ちの美形だと思っていたけど、なんかこう、押し出しが弱いというか決まったラインの内側にお行儀良く収まっている、絶対はみ出ないように小さくなっている印象のある子だったから。……いやその、わたしの勝手な思い込みですが。
 なんか、ラインの外に出ることを恐れなくなったような。
 いい感じで星男っぽいオーロだった。

 そして……なんかしいちゃんを思い出して、切なくなった。
 彼の大きなパーツの顔は、かの人を思い出させる効果があるようだ……。最後の公演の、新公やったしなあ。この間の中日では船長さんだしなあ(笑)。

 
 ルーア神父@礼くんは歌ウマ。

 彼の歌声は素直で耳馴染みがイイ。すーっと入ってくる。実は「男歌」CDでもすごくーく気に入っていたんだな。
 その素直な歌声で狂言回しをされると、とても耳福だ。

 ただ、あまりにかわいらしいルーア神父なので、もっと男らしい役の礼くんを見てみたかったなあと思う。『ロミジュリ』の愛のイメージがわたしには強くて、彼がきちんと「男」としてがっつりなにか演じているところをまだ見ていないので。

 しかし、ブリーザが死んだあとに神父が歌う「ライライライ…」はすげー良かったよ……物語の盛り上がりをさらに後押しする歌声だった。
 

 シスター・マーマ@みっきーは……怪演(笑)。

 登場した瞬間、ふつーに美女なので驚いた……というか、あかんやん、シスター・マーマがそんなに美人だったら! と、突っ込んだ。
 もともと派手顔美形で小柄なみっきー、女役したらそのまま美女になってしまうのも仕方がない、自然の摂理。しかしシスター・マーマはルーア神父に迫って相手にされず笑いを取る役、美女じゃダメなんだってば。

 外見が美女なのはどうしようもない、だからあとは性格で男にドン引きされる女になるしかない。
 つーことで、シスター・マーマはすげー変な人でした(笑)。

 歌ウマみっきーと礼くんのデュエットは、これまた素敵に耳福でした。

 
 マール@芹香くんとブリーザ@はるこちゃんはこの間の新公主演コンビだね、一日の長というか、経験が生きてる。
 安定しているというか、こちらも安心して見ていられるというか。
 芹香くんも黒塗り引き締め効果大、かっこよくなってた。

 レイラの休演が残念だ……すごく残念だ……『メイちゃんの執事』で注目されて、今がチャンスだったのに。今までほんと役つかなくて、よーやく大きな役がついたのに……。
 東宝の新公には、彼が出演できますように。

 つーことで、緊急処置のメール夫人@真風。メガネで酒乱……!(笑)
 泣き上戸からはじまって笑い出したりすごんだりと、酒癖の悪さがすごいことに。
 さすがに余裕だ。

 ボールソ@夏樹くん、みやるり→夏樹くんだとほんと違和感がなさ過ぎて……その大きな目が(笑)。かわいかった。

 ヒロインのエストレーラ@わかばちゃんは、今回あまり印象がない……。
 てゆーかエストレーラってこんなにしどころのない、目立たない役なんだ、と。
 トップ娘役が自力で輝いてるんだなあ。
 わかばちゃんの鼻を少し、麻央くんに分けてあげられたらなあ、とよくわかんないことをぼーっと考えてしまったナリ……。

  
 作品の力ってのは、ほんとに大きいと思った。
 『ノバ・ボサ・ノバ』はたしかに、ちゃんと演じきる・作るには歌唱力やダンス力が必要なんだと思う。
 だけどその作品自体が持つパワーで、技術が足りなくてもなんか押し切っちゃうことが出来るんだ。
 12年前の雪組の新公を観たけれど、別に真ん中は歌ウマでなくてもカタチになっていた。作品のパワーで出演者も観客も一緒になってエキサイトして、なんか良かったー!ってキモチになった。

 ショーは芝居以上にタカラヅカ力を必要とする。
 サムいショー作品を与え、スキルのない若者に「ひとりで大劇場の真ん中に立って空間埋めろ」というのは無謀すぎる。
 が、スキルのない若者でもその気にさせて木に登らせるような、盛り立ててくるパワーのある作品ならば、ショーの新公も今後もっとやってみるべきじゃないだろうか。
 見せ方というか、舞台に「スター」として立つことの勉強になると思うんだけどなあ。

 挨拶時の「12年ぶりのショーの新公」という言葉を聞いて、そんなにやってないもんなのか、と驚いたもの。
 昔はもっとふつーにショーの新公もあったんだけどなあ。『ノバ・ボサ・ノバ』みたいに通し役じゃないから、場面ごとにいろんな人がセンターの役をやっていた。たくさんの人に「真ん中」に立つチャンスを与えられるのが、ショーの新公だったのになあ。

 でも、ショーの新公だと公演時間が短く、チケット代の時間単価は上がっているというか。
 たった1時間のために4000円かあ、と考え。
 あったわね、そんなことが、12年より新しい時代に。
 ショーの新公は12年ぶり、しかし1時間公演で4000円という値段設定の新公は12年ぶりじゃない。
 まっつ主演『天使の季節』は、1時間4000円だった。
 ……納得いかんわ……『ノバ・ボサ・ノバ』と同じ時間単価だなんて、あの超駄作がっ。プログラムもさらに安っぽかったのに、通常公演と同じ値段だったなんて……。
 と、今さらなことを残念に思う。『天使の季節』で新公やるくらいなら、ショーの新公をして欲しかったよ。(そしたらきっと主演はまっつぢゃなかったろう・笑)
 雪組全国ツアー『黒い瞳』、プガチョフ@まっつと、ニコライ@キム。

 ニコライの愛情がぐいーんと大きくプガチョフを取り巻くことで、プガチョフも変わる気がした。
 これだけ純粋な愛情を向けられて、てらいなく突きつけられて、心の動かない人間はいない。

 ニコライはプガチョフを愛している。
 少年らしい純粋さで、まっすぐに。
 少年の瞳には嘘や欺瞞がない。剥き出しの激しさがある。

 いろんなものに汚れ、絶望しているプガチョフには、ニコライの汚れなさが痛い。彼を直視できないくらい。
 歌うニコライから目をそらし、どこでもない空間を見つめるプガチョフの哀しさ。

 キムくんってやっぱすごいと思う。
 彼がぴたりと照準を合わせたことで、どんだけ視界がクリアになったか。
 まっつのブレすら正してしまうんだ、彼は。

 ニコライの少年らしさと愛情が際立つことにより、それを拒否して破滅へ進むプガチョフの悲劇性も増した。

 そりゃ、この子のことを好きだろうよ、プガチョフ。
 こんなにまっすぐ愛してくれる人がいたか、今まで?
 プガチョフの周りには蛾のように、彼の光や甘い汁に群がる者たちがいただろう。
 でも純粋に、彼を愛してくれた人は……?

 ソリの場面のニコライの痛々しさ、そしてマーシャを取り戻したあと、別れるプガチョフを見つめる姿に、こっちまで胸が痛くなった。
 ほんとにプガチョフのこと好きなんだ……そんなに好きなんだ……。

 そして当たり前だけど、ニコライの中では、プガチョフへの愛情と、マーシャへの愛情が同居している。
 プガチョフを切ない目で見送ったあと、マーシャを振り返って微笑むんだ。

 わたしがマーシャなら絶対つらい(笑)。
 自分の恋人が、自分以外にあんな目をしていたら。

 聡明なマーシャはナニも言わない。
 でも薄々感じている、ニコライの、プガチョフへの傾倒ぶりが半端ナイこと。
 だからいざ別れを切り出されたとき、泣いて嫌がるわけだ。
 戦い云々を理由にしているけど、もちろんそれも本心だろうけど、ほんとのとこ嫌だったと思うよ、恋人に一時的でも別れを切り出される理由がプガチョフに会うためだなんて。
 ニコライはマーシャへの愛と区別して考えているようだけど、女の立場からしたら一緒じゃん。愛は全部欲しいもの。

 ニコライはプガチョフという男を知っている。
 彼が、破滅するために進んでいることを。
 どれほど止めたところで、彼の人生を変えられないのだということを。
 だからニコライは言う「プガチョフの敗北を見届けたい」と。

 この辺が男子だなーと思う。
 女子ではありえない思考回路(笑)。

 ニコライは男の子だから、愛した男の最期を見守りたいんだ。
 プガチョフを助けたいとか生きていて欲しいとかじゃないんだ。
 彼が、志を全うすることを望み、それを助けたいと思っているんだ。
 プガチョフの望みが死なら、破滅なら、正しく死を、破滅を得るべきだと思っている。
 彼を愛する自分こそが、それを見守るべきなのだと。

 だから、戦場へ向かうニコライの決意が痛い。
 彼は本当に、悲しいまでの覚悟をして、決戦に臨んでいる。

 破滅を望んでいたプガチョフの、最後の戦いもまた、壮絶を極める。
 剣を手に戦場を駆ける彼の、壮絶な美しさ。
 仲間だった、腹心だった元帥たち@ひろみ、朝風くんの裏切り。
 プガチョフと最後まで一緒だった、彼を守ろうとしたのがシヴァーブリン@コマだという事実。
 マタギ衣装のシヴァくんは最後まで戦ってるよなあ。ニコライを狙ったのに間違えて仲間撃ったりしてるけど(笑)。

 そして、最後の場面。
 処刑場へ向かうプガチョフと、最後の再会をするニコライ。

 民衆になじられながら歩き、テーマソング?を歌うプガチョフ。このときの彼がどう感じているのか。それはいろいろと妄想できることなので、置くとして。

 問題は、ニコライを見つけたとき。

 「やあ、先生」と声を掛けるプガチョフ。
 このとき彼は、救われたのだと思う。

 わたしはどうしたってプガチョフ寄り……というか、まっつ中心の視点しか持たない。
 だからこの悲しい瞳の英雄に惹かれ、彼の人生を見守り、追体験している。
 その最期の瞬間に出会うのが、ニコライで。

 英雄だと持ち上げられていたはずなのに、今では罵られ、(梅田ではなくなっていたが)モノをぶつけられるよーな蔑まれ方をしていて。
 そんな死刑囚の前に現れて、泣きじゃくる少年。

 ニコライ、泣いてるし。
 キムくんの瞳に涙が盛り上がって、ぽろぽろこぼれる。

 それを見て、微笑むプガチョフ。
 肯定されたね。
 プガチョフの人生が、人格が、肯定された。
 こうして彼を愛し、彼のために手放しで泣く少年の存在で。

 救われた。
 ニコライの涙に、その、愛に。
 プガチョフに感情移入していたわたしは。そしておそらく、プガチョフ自身も。

 最後の微笑みは、演技でも計算でもない。
 ほんとうに、こぼれたんだ。
 自分のために泣くニコライを見て。

 だから、胸を張る。
 ニコライの涙に。愛に。
 相応しいだけの美しい姿を見せる。

 プガチョフが何故、ニコライを愛したのか。
 その答えを得た気がする。

 プガチョフには、ニコライが必要だったんだ。彼の荒ぶる人生に、寂寥の瞳に。少年のまっすぐな愛情が、尊敬が。
 出会ったそのとき、なんの屈託もなく酒やら高価なウサギの外套やらを差し出してくれた、純粋な好意。
 その真っ白な魂に惹かれた。癒された。

 ニコライが、プガチョフの強さに惹かれたように。

 まさしく運命の出会い、運命のふたりだったんだ。
 まっすぐに生きる者と、まっすぐに破滅する者と。

 ボロボロに泣きながらプガチョフを見送り、「まだ終わってない。僕の大切なモノが消えてしまった」とかなんとか言い募るニコライ。
 それはプガチョフのことを言っているようでもある。
 ニコライの中では、プガチョフへの想いとマーシャへの想いは当たり前に同居しているから。
 マーシャの名を呼びながら走っていくニコライは、ほんとにマジ泣きしていて。泣き声の幼さに、泣けて仕方がない。

 男であるプガチョフのことは、死を見取る。女であるマーシャのことは、守り共に生きていく。
 それでいい。ニコライは、男だから。

 ラストシーンにて、コサックだから貴族だからと人間に、愛情に壁を作ることの愚かさを言及するニコライがいい。
 確かにニコライは革命を起こしたりしない。
 だけど彼は、コサックの少女を愛する。
 貴族の彼がコサックの少女を愛するように、他のみんな、ひとりひとりが身分とか国とか民族とか、そんな壁を越えて誰かを愛すれば、いつかそんな壁はなくなるんだ。エライ人が命令するとか、武力によって傷つけ合うとかしなくても。

 ただ、目の前の人を愛する。偏見とか差別とかを捨てて。大切な人を、大切だと言う。
 それがいつか、世界を革命する。

 白いコサック衣装のプガチョフが雪の精となって、愛し合う恋人たちを見守るラストシーンに、涙が止まらない。
 プガチョフが、何故ニコライを愛したのか。
 その答えを得た気がする。雪組全国ツアー公演『黒い瞳』、梅芸楽。

 無知無教養なコサックたちを煽動し、皇帝を名乗り、敵には容赦なく、されど従うモノには情け深く、剛胆な英雄でありながら子どものような無邪気さを持つ。
 プガチョフのカリスマ性だけで何万という人々が動き、彼の力が衰えたときに反乱は終息する。
 ……という、この宝塚歌劇『黒い瞳』の登場人物「プガチョフ」という男。
 もちろんそれは、初演でプガチョフを演じたリカちゃんのイメージまんまなんだと思う。
 「この男ならほんとうに世の中を変えるかもしれない」と錯覚させる大きさ、わくわく感。
 無謀でバカな行為なんだけど、リカプガには不可能を可能にする光があった気がする。
 そこに在るだけでただ者ではないオーラがあったというか、胡散臭さハンパねえとか、暴力的なまでの色気とか。
 これぞ英雄! という力が。

 だが、今回のまっつプガチョフはそういった「いわゆる、英雄」という印象からははずれている気がする。
 いや、英雄は英雄なんだけれど、少なくとも初演のプガチョフとはチガウんだなと。

 プガチョフ@まっつには、哀愁と気品がある。
 「薄汚いコサック」と評されているけれど、実は貴族の血が入ってんぢゃね?的な。
 「大尉の娘」マーシャ@みみが実はコサックの娘であるのと対をなすように、コサックのプガチョフも実はロシア貴族の落とし胤だとか、多重構造を想像できる。
 史実とか原作とか初演とかの縛りを離れ、あくまでも舞台の上、そこで描かれているものからのみ、考えて。

 世直しの英雄といっても、どこまで本気なのかわからない。
 皇帝だの元帥だの司令官だのと、呼び名だけは大仰で、まるでごっこ遊びをしている子どものよう。
 その滑稽さや蛮族の王を気取るには、まっつプガチョフは知性と分別がありすぎる。
 自分のしていることの些少さと、女帝の治世の揺るがなさ、すべてわかった上でそれでも一瞬の勝利と享楽を得ているように思える。
 まっつプガチョフは、そもそもこんなバカな反乱を起こしそうにない。やる前から無駄だ無理だとわきまえそうだ。

 だけど彼は兵を挙げ、皇帝と呼ばれている。

 世直しとか世界を変えるとか、プラスの意味ではまったくなく、最初から破滅するために戦いはじめたように見える。

 なんつーんだ、これはプガチョフ個人の自殺、あるいは世界との心中なんじゃないか。
 彼の絶望は、ただ自分ひとりが死を選んで終わりなんじゃない、というか。
 なにかしら世界に問う、その結果の心中であるというか。

 もちろん、どこまでやれるか、自分の力と運を試していた節はある。人生を、命を賭けて、世に問うていたのだろう。
 だけどほんとのところ、最初から彼のゴールは破滅だったんだろうなと。死ぬことが前提、ただそれまでにナニが出来るかどこまで行けるかが焦点だったというか。
 途中でダメかもと思ったのではなく、最初からハッピーエンドは考えてなかったというか。

 たしかに彼は、ペテン師かもしれない。
 人々に夢を見せた。彼自身信じていない夢物語を、信じさせた。
 それが出来てしまうことが、彼が「英雄」であった証。
 そして。
 彼に騙される人がいること自体が、彼の「絶望」であったのかもしれない。
 と、思う。

 
 ソリの場面は、プガチョフの内面が見えるのだと思う。
 ニコライ@キムにこの反乱の無謀さを言及され、「俺の胸を抉るつもりか」と返す。
 口では威勢の良いことを言うけれど、歌うけれど、ニコライに理を説かれている間のプガチョフは、なんとも切ない、悲しい顔をしている。

 今までずっとここのプガチョフに夢中で、彼の表情のひとつひとつ、それこそ目の下のシワにたまる汗の一粒すら見逃すまい!という気合いでいたのだけど。

 その回は「あんたほどの男が無惨に果てるのを見たくないんだ」と訴えるニコライの熱に、はっと胸を突かれて。
 はじめて、ってくらい、ニコライを見た。

 初演から通してわたしは、プガチョフとニコライの男の友情は、プガチョフの一方通行だと思っていた。
 いや、片思いではなく、それぞれベクトルのチガウ想いであるというか。
 プガチョフがニコライを愛するのは理屈ではない部分にある。プガチョフは本能的な男だから。
 ニコライはプガチョフのことを想っているけれど、所詮彼は女帝陛下の貴族で自分の立場を捨てることはないし、マーシャという恋人もいるしで、彼の中の一部分をプガチョフに割いているだけという印象だった。
 だから結果的に、プガチョフの一方通行に見えた。理屈ではない愛を持つプガチョフと、大切なモノは他にたくさん抱えたままプガチョフにもこだわるニコライとでは。
 ふたりのキモチが同量である必要はない。ニコライのこれからずーっと続く長い人生の中にプガチョフとの出会いと友情があった、ソレだけでいいじゃん。

 キムまつ版『黒い瞳』初日を観たときも、やはりプガチョフがニコライに惚れているようで、ああ一方通行なんだなと思った。
 それが、マーシャとハッピーエンドを前にしてわざわざ「プガチョフの敗北を見届けたい」と言い出したニコライに驚いた。なんだ、丸っきしの一方通行でもないんだ、ちゃんとそれなりに愛されてるんじゃん、と思った。
 や、初演を観ているからこの展開は知ってるんだけど、キムまつだと新鮮な展開に思えた。
 ニコライがあまりに若々しく、素直な青年だからだと思う。彼の言動はより直感的に「心」の動きと連動していると思うんだ。

 そういった部分を踏まえた上での梅芸、これでもうしばらくは『黒い瞳』見納めの回。

 ソリの上で語るニコライは……あまりにも、痛々しかった。

 うわ、この子ほんとにプガチョフが好きなんだ。
 だから本気でプガチョフに言い募っている、すがっている、説得しようとしている。
 「君を死なせたくない」と。

 「なんだか気に入ってるんだな、あんたのこと」と告白するニコライのはにかみ。
 そして、「大将と呼ぶことにするけどいいか」と前振りして、合意を得た上で改めて「大将」と呼んだときのうれしそうな顔。

 ナニこのヲトメっぷり!!

 「まつださんのこと、まっつって呼んでいい?」「ああ」「じゃあ……まっつ。きゃっ呼んじゃった!!」……みたいな会話!!

 見ていて目眩がした。
 ニコライってこんなだった? プガチョフのこと好きすぎて、見ていて恥ずかしいんですがっ?!
 でもってその大好きオーラを臆面もなく当てられて、あのクールなまっつプガチョフが照れているよーな、とまどっているよーな。
 はじめてのデートでどう振る舞っていいか困惑している男子のように、手をあげて顔の横に置いてみたり。(初日からずっとしてます)

 ふたりがラヴくてびびった。
 キムまつには萌える要因がなかったのに、今まで(笑)。


 続く。

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