「はじめて、まっつ見た。まっつって、素顔はきれいなんだ」

 ちょっと待てMyフレンド、その限定項な感想はナニゴト?

「なんで舞台ではメイクダウンしてるんだろう?」

 えええ。舞台顔ダメですか? 舞台もめちゃかっこいいと思ってますがっ。

 梅芸花組全ツ初日の夜公演。
 客席にはすでに雪組組子となったまつださんが来ていました。
 わたしは友人のキティちゃんと観劇後もお茶したりしていたわけですが。
 
 そこではじめて知った、まっつの舞台メイクってそんなに変なのか。
 そーいやBe-Puちゃんもさんざん「変な顔」呼ばわりしてたな。
 いや、Be-Puちゃんは素顔(スカステ)も変呼ばわりしていたぞっ。

 顔の美醜なんてほんと好みによるところが大きいもんなー。
 美形で通っているあの人とかこの人とか、どこがそれほど美形なのかマジでわかんなかったりするし。や、整っている場合はそうわかるけど、整うと美しいは厳密にイコールぢゃないよねええ。

 わたしはまっつの舞台顔も素顔も美しいと思います、ナマで見る限り。
 テレビでは微妙と思うことも多いので……はっ、テレビカメラという別人のフィルターを通して見るまつださんこそが、一般人の目に等しく映っているまつださんなのか? ナマで見るだけだと、わたしの「まっつ大好きフィルター」がかかって別人に補正されているっ?!(笑)

 まあなんにせよ。
 久しぶりにナマまっつを見られて幸福な日でした。
 つーことで、ナマまっつを自分の席から目だけでストーカー(笑)した記録。

 
 まっつは真っ黒髪ではなく自然な茶髪で、巻物付きのいつもの格好。や、いつもなんか知らないけど、勝手に「いつものまっつ」と思うような服装。
 最初に登場したときは帽子を目深にかぶっていて、鼻先から下しか見えなかったけど、そんだけ見えればまっつだとわかる人にはわかる。
 わたしの周囲も「まっつさん来た」とざわめいていた。……よかった、みんなにもわかるんだ、とナニその心配(笑)。

 ジェンヌは連れだって観劇することが多いけれど、まっつの周囲にはジェンヌらしき人はナシ。席の両側も年配女性だった。坐るときにあちこち挨拶していたから、あのへん関係者席なのかな。
 センターブロックの3列目だか4列目だかの、上手通路寄り。数字覚えるの苦手だから、細かいことは忘れた(笑)。ただ、わたしの席からよく見えた。小さな後ろアタマ。

 芝居の間は暗いし、こちらも芝居に見入っているのですっかり忘れていたが、ショーになれば客席前方は明るいためよく見える。
 特に『ラブ・シンフォニー』は客席降りや客席いじりがあるからなっ。

 いちばん派手にまっつがリアクションしていたのは、なんつってもオープニング直後の、まとぶさんのひとり歌場面。
 しばらくは舞台の上で歌い、次に上手側の客席階段に片足かけて、それからついに上手通路へ降りる。これがお約束の流れ。

 その、上手側の階段に脚をかけたまま、まとぶさんてばまっつ直撃して歌う歌う。

 「to you」でまっつ指さし。
 まっつ大ウケ。

 んで次に客席に降りて、まっつ横の通路に来て「素晴らしい時を、あなたに」の「あなた」でまっつ指さし。
 まっつ、顔の前で片手を振ってゼスチャー返してました。謙遜・恐縮しているようです、爆笑しながら(笑)。

 たのしそうだなあ。
 まっつもだけど、まとぶさんがすごくイイ顔していて。まっつに語りかける、茶目っ気たっぷりの、でも色男ぶったどや顔がなんとも言えず素敵。

 わたしはまだ正直なとこ、まっつがもう花組じゃないんだってのが、理解できていない。
 アタマではわかっているが、感覚では。
 だからこうして、まとぶんにまっつがいじられているのを見て、「ウチのトップさんがかまってくれている」と思ってしまう。
 花組を「ホーム」だと思ってしまう。

 前日から開始した『タクティクスオウガ』も、あたりまえのよーに花組だ。
 僧侶まっつ、いちか。魔剣士えりたん、じゅりあ。戦士みつる、ゆま。魔道士めお。射手みわっち。(ちなみに、みわっちは女性キャラ、あとのみんなは性別通り)
 自由度の高いゲームなので、キャラは自由に作れる、育てられる。総勢50人までOKとかゆーシステム(ストーリー上の固定キャラがいるため、オリジナルキャラだけで50人は無理だけど)。
 だからまずは花組メンバーで、各イメージに合わせた職業でキャラを作り、イメージ合う武器を持たせる。みつるは両手剣、ゆまちゃんは格闘系でナックル装備とか。
 初期はまだ使える職業が限られてるからかぶってるしキャラも少ないけど、ゲームが進むにつれ職業増えるし役割も必要になるので、他の花組メンバーも登場させ、それぞれ個性的に育てる予定。
 将来的にえりたんは魔獣使いに転職させてムチを持たせるのー♪とか。

 まだ雪組でのまっつを見ていないから、「もう花組じゃない」とわかっていても、ぴんと来ないんだ。

 客席が明るくなる「キンバラ」の客席降り、まっつの顔が横向いていることだけ遠く眺める。客席降りを見ているんだねえ。
 や、わたしもセンターブロック通路際だったりするので、横で歌い踊る人々を見るのに忙しいから、まっつどころぢゃないんだが(笑)。

 まっつは総じておとなしく観劇していた印象。客席のジェンヌさんに遭遇することはままあるが、盛り上がってイイ公演とかだったら、彼らはけっこーにぎやか(笑)だから。それに比べると、まっつはおとなしいなと。
 ふつーにマナーを守った観劇だった。

 幕間往復と終演後は、ふつーに人混みにまぎれて帽子ナシで歩いていた。
 ええ、友人に「素顔はきれい」と言わせるだけの、べっぴんさんぶりですよ!!(笑)
 ふつーにきれーなおねーさんで、男と間違える人もいないだろう。

 わたしはしぶとく席に残り、なかなか進まない流れにまぎれてゆっくり歩いてくるまっつを堪能しました。
 あああきれーだなー。しあわせだなー。
 
 こんな風にまっつをストーカー(笑)できることなんて、まずありえないし。
 客席でいろんなジェンヌに遭遇するが、まっつだけはほんっと会わないんだもの。花組メンバーがぞろりとそろっているときすら、まっつだけは見あたらない、なんてことが何度もあった。
 今後もきっと、そうそうない、会活動も入り出ギャラリーもしないわたしが、ナマまっつを見られる機会なんて。

 そんな飢餓感から、がっつり食いつきましたっ。
 やべえ、「運命の輪 C.H.A.R.I.O.T.」システム、マジハマる……ッ!!
 ……ということで、『タクティクスオウガ 運命の輪』が原因でほとんど寝てないんですが、よぼよぼと梅芸行ってきました。花組全国ツアー初日。

 『メランコリック・ジゴロ』『ラブ・シンフォニー』って、まとぶさんのトップお披露目プレ公演だったわけですよ。
 退団発表後に、お披露目と同じ作品を見せられるのは、感傷的な人間にはけっこーキツイっす。
 どうしても当時を振り返ってしまう。
 「新生花組!」「これからはまとぶんがトップ、この面子が新しい花組を作るんだ!」とわくわく名古屋へ通った、あのキモチがありありと甦って。過度のオサファンだったから、オサ様のいない花組、オサ様のいない『ラブ・シンフォニー』に心ずきずきもしていたけれど、それとは別に、現在を受け入れ未来ごと愛した。あのときの、キモチ。
 タカラジェンヌは等しく卒業するものだから、まとぶんの退団にもの申したいわけではなく、ただただ、切ない。

 わたしの周囲の人たちは、芝居がはじまるなり大泣きスタート、もちろん笑うところは笑ってるんだけど、やっぱり基本泣いてる。……うん、ファンなら泣いても仕方ない、切なくて。

 本公演→全ツではなく、本公演→中日ときてるから、その段階でキャストは減っているし、セットもしょぼくなっている。
 やっぱ本拠地・本公演ならではだよな、地方ではセットがスケールダウンして残念だな……てな感覚を経験していただけに。
 中日→全ツにはあまり違和感がないかなと思っていた、なんとなく。

 いやいや、セットのしょぼさは半端ナイですな。
 あのろくにセットのないマサツカ芝居すら、さらに地味な画面になっている。そっか、階段なくて、ベニヤ板のみなんだ……。
 
 で、大劇場ですらいろいろ問題アリな、中村Bショーになるともお……(笑)。

 初日初回は3階で観て、その画面のシンプルさに閉口した。
 んで2回目は1階センター、まとぶさんにタッチしてもらえる席(笑)から観ると、ちゃんときれいだった。

 中村B作品は、1階センターからしか、見られないってことを、しみじみ思い出しました、ええ。
 見られない、または、見てられない。

 劇場の限られた座席からしかきれいに見えない空間使いは、彼の特徴ですな。

 あ、『ラブ・シンフォニー』というタイトルだけど、『ラブ・シンフォニーII』でした、中身。
 主題歌は「♪胸によみがえる…」ではなく、「♪栄光の空に…」でした。スパニッシュも「アモーレ」でトップソロダンスではなく、「みんな一緒」バージョンだったし。

 そして、マサツカ芝居では、キャスティングを大胆に変えて観劇意欲をかき立てておりましたが、中村Bショーはさすがですよ。
 オープニング、「まっつがいなくなったところには、誰が入るのかしら」と思ったら。

 空席になっていた。

 中日では「まとぶ・壮・みわっち・まっつ・みつる・りせ」という顔ぶれだったけど、今回はそこからまっつ・りせが抜けてめおが加わった。-2+1だから空席は1、そこに誰が入るのかしらという意味。
 
 トリオで登場のところはふたり、トップを真ん中に左右にふたりずつ計4人のところはひとりとふたりで計3人になってた。
 それとか、スパニッシュのラストとか、ただ頭数が減っている。
 あ……引き算なんだ……詰めないんだ……。

 さすが「いつも同じ」「キャストに合わせてアレンジ無し」「上から順番1、2、3」の中村Bだ……。

 誰かひとり、下から上げてあげればいいのに……。

 大人数場面はもちろん人数調整して新しい顔ぶれになってるんだけど、番号のついた役割は、その融通のきかなさ、アレンジできなさに、おどろき、あきれ……ついにはウケた(笑)。さすがに中村B、裏切らない人だわ。

 全ツは基本「板」モノばかりのセットだから、板製だったのであるだろうとタカをくくっていた、カードのドアを持っていけないんだ、ということに驚いたり。
 ダーツ台がなくなっていて、どーすんだ?と気をもんだり(笑)。

 や、まとぶさんが乗って登場、そのまま移動してきた台、絶対人力だよな中に人入ってるよな大道具さん乙と思って観ていたら、だいぶん経ってからスーツの下級生2名が出てきて、ナニゴトもなかったかのよーに群舞にまざり、あの中にふたりも入ってたのか、動きやすい格好のスタッフさんではなくメイクして体型補正して衣装着た男の子たちが! ヅカってすげえ! と、みょーなとこで感心する。

 アレンジできない、番号通りに振るしかできない中村Bは、月組の『Rhapsodic Moon』でW2番手の扱いに苦労、新しく2番手の役を2つ作るのではなく、ひとつのポジションをふたりで分けるという手抜き……か、能力の限界なのか、しかできなかった。
 そんな彼は、今回の花組のW4番手めおみつの扱いに、相当苦労した模様。

 スパニッシュのまっつの役が、ふたつに分けられてる……。
 トップと2番手と一緒にトリオで歌い踊るのがみつる、その後群舞を背後にソロで「Bamboreo」を歌うのがめお……。ひとりでやった役をふたりで、って、なんて中村Bな解決法。

 でも地味にあきらが少人数口に入り込んでいる。つか、出番多くて大変そう。
 最後の黒燕尾、抜けたまっつの代わりに階段に入ったのが王子って……?!と思っていたら、あとからその他大勢で加わったあきらの胸にマイクが。
 ピックアップで踊るメンバーには入ってないのに、その直後の「壮印ラブ」……アレ、ナニこの素敵変換(笑)、「So in Love」歌唱には何故かあきらが混ざっているという、不思議な画面に。

 ロケットボーイはルナ&あきら。
 ぜんぜん違和感なくスター!なふたり。
 あきらが若さや初々しさより大人っぽさや貫禄があるのはわかっていたとしても(笑)、ルナくんの美貌とさわやかな笑顔は「若手スター」としてロケットを牽引するに、なんの違和感もない。
 中日のときの、あのいたたまれなさを思い出し、おかしいやら切ないやら(笑)。や、ちゃーのあの無理してる笑顔が大好きだったけど!!

 『ラブ・シンフォニー』は無印もIIも繰り返し観たし、『Rhapsodic Moon』の記憶も新しいしで、つい中村B作品へのツッコミに終始してしまった(笑)。
 いちお、デュエットダンスあたりだけ変えてみたり、気は遣っているんだよね、中村B。努力はしてるんだよね、中村B。限界がその辺だってだけで(笑)。

 ふつーの感想は次回!

 全ツ楽しいよー、まとぶん好きだーっ、花組大好きだー!!

 『麗しのサブリナ』東宝楽以来の、ナマまっつも見れた、真横2往復してくれた、最初は帽子目深にかぶってたけど、残り3回は素顔大盤振る舞い、きれーきれーきれーうきゃー!

 と、狂乱のまま終わる。
 さあっ、オウガの続きやるんだー!
 言うは易く行うは難し。
 言うのはタダ。

 今だから言える。外野だから言える。後出し、後の祭り、後は野となれ山となれ。

 こんな『EXCITER!!』が見たかった!!

 前例を作った劇団が悪いのです。
 雪組の『ロック・オン!』において、ブルース・バージョンとラテン・バージョン、2種類出演者からしてチガウ、独立した場面を作り、なんの法則性もない抜き打ちで日替わり上演。
 1回の観劇ではどちらか片方しか観られないし、たとえ10回観ても運が悪けりゃ片方しか観られない。

 なんだよソレ、そんなことがアリなら、花組でもやればいいのに。
 ただでさえ客席の人口密度が低……ゲフンゲフン。
 少しでもリピーター稼……ゲフンゲフン。

 役替わりによって客を釣るにしても、インパクトがなきゃ意味ナイ。
 たとえば今さらえりたんとみわっちとまぁくんが役替わりしたって、新鮮味に欠けるんだ。この役替わりは『ME AND MY GIRL』で実践したけど、集客が格段と上がったかどうかはさだかではない。

 今の時代、スターがスターだからという理由で主演公演を立て続けにしたり、オイシイ場面を独占したりしても、ダイレクトに人気にはつながらない。
 むしろ、ちょっとはずれたあたりを突く方が、観客の興味を引く。

 いくら再演でも、場面ひとつまるまる、変更するのは容易ではないだろう。
 そこの場面の出演者たち全員がイチからお稽古し直しになる、だけでなく、その前後の場面も関係してくる。役替わり出演したりしたら、その前後場面には出られないものね。

 だからいちばん影響が少なく、お稽古も短時間で済む場面。

 溜息銀橋を、役替わりにする。

 3人しかいない場面なので、何十人と出ている場面のお稽古し直しに比べ、労力は圧倒的に少ないはず。
 また、中詰めでほぼ全員の勢いで舞台にいる場面から3人だけ残るので、影響が出るのは溜息銀橋の直後の場面だけで、直前の場面には影響なし。

 まとぶん、えりたん、みわっちの3人で銀橋っていうのは、まとぶんがトップになってからずっとやっていることなので、新鮮味が少ないんだ。ゆーひさんがいてもいなくても、このトリオはガチなイメージだもんよ。

 だから初演でえんえんこのトリオでやった場面を、再演でも変化無しに上演するのは、バージョンアップになっていない。
 もちろん、彼らの男役芸は素晴らしいんだけど。「スター!」である証、さすが花組のトップスターたち!って感じなのはたしかなんだけど。

 「いつもの3人」で完結するよりも、役替わりのひとつのパターンにすれば、彼らの格上ぶりもわかるんじゃないかな、他の人たちで溜息するのと比べて。

 物理的にいちばん役替わりしやすい、人を動かしやすい、そしてオイシイ場面である、溜息銀橋。
 ここを役替わりにするなら、観客に「観たい」と思わせる人選でなくてはダメだ。

 まつみつめおにする? まぁだいまゆにする? 直後のハバナは別の人に出てもらうとして?

 ……甘い。

 一定学年・立ち位置以上の人々、全員だっ。

「今日の溜息銀橋、はっち、さおた、王子、まりんのダンディ銀橋だった!」
「今日はまぁくん、めぐむ、しゅん様、らいらい、よっちの88期男銀橋だった!」
「今日はみつる、ふみか、だいもん、あきらのオラオラ野郎銀橋だった!」
「今日はえりたん、まっつ、めおちゃんの個々別物異次元トリオだった!」

 テーマを決めた人選で、キザりまくり、客席釣りまくり。
 中堅以上なら、ある程度キャラは出来ているので、ソレを活かして釣りまくれ。花開け。

 でもってさらに。

「今日はすごいレア! じゅりあ、さあや、きらり、くまくまの肉食系迫力美女銀橋!」

 とか、娘役DAYもアリ。
 中詰めのドレス姿で戦闘態勢ばりばりに色気振りまけ、客席喰いまくれ。

 何パターンあるのか誰も知らない(笑)。
 中詰めの銀橋・本舞台勢揃いで主題歌、ばんと決めて暗転!のあと、いったい誰が銀橋に残っているのか、溜息銀橋スタートでライトが点く瞬間までわからないという。

 銀橋で少人数でライト浴びて、丸1曲自己アピールするって、タカラヅカスターである以上、経験しておいて損なことはない。
 路線スター以外だって、娘役だって。「スター!」スキルはあるに越したことはないんだ。

 基礎やキャラクタが出来上がってない下級生だけでやられるとつらいけれど、ある程度の学年と立ち位置と自覚のある人なら、なにかしら自己表現するはず出来なきゃ困る。

 自主練も盛んになるだろう、「昨日**ちゃん出が異様に遅かったから、明日の溜息銀橋**ちゃんかも?!」とか、噂がつぶやきまくられる(笑)。
 銀橋グループごとに、鏡の前でえんえんうふんあはん自主練習する花男たち! あああよっちとかすげー見てみてえぇぇ!

 そんななかで、正統派の溜息トリオ、まとぶんたちもどーんと本家の力を見せつけてくださいまし。

 ご贔屓や気になる人の溜息銀橋見たさに、ファンはリピートするしかないという(笑)。

 
 そんな『EXCITER!!』が見てみたかった。
 ただの外野の無責任な思いつき、後の祭り。
 今さら言ってどうするだけどな。
 演出家って、替えてイイもんなんだ……。
2010/11/10

2011年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<3月~5月・月組『バラの国の王子』『ONE』><4月~7月・星組『ノバ・ボサ・ノバ』『めぐり会いは再び』>

11月10日(水)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場、東京宝塚劇場の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

月組
■主演…(月組)霧矢 大夢、蒼乃 夕妃

ミュージカル
『バラの国の王子』
~ボーモン夫人作「美女と野獣」より~

脚本・演出/木村信司

18世紀半ば、フランスの作家ボーモン夫人によって書かれた寓話「美女と野獣」を原作とし、魔法で野獣に変えられてしまった王子と、心優しい娘とのロマンティックなラブ・ストーリー。
原作となる「美女と野獣」は、詩人ジャン・コクトーが映画化したほか、1955年には宝塚歌劇でも取り上げています。近年ではディズニーのアニメーション映画としても知られていますが、今回の舞台化では、原作の古典精神に立ち返り、単なるお伽噺ではなく人間味あふれる物語として、美貌をたたえた「麗しの魔物」を主人公に展開します。

グラン・ファンタジー
『ONE』-私が愛したものは・・・-
作・演出/草野旦

ものごとの始まりという意味の他、様々な意味が込められた“ONE”という言葉にまつわるイメージをテーマに、華やかで楽しく美しい宝塚ならではのショー。


星組
■主演…(星組)柚希 礼音、夢咲 ねね

※本公演(宝塚大劇場公演)は第97期生の初舞台公演となります。

ミュージカル・ショー
『ノバ・ボサ・ノバ』-盗まれたカルナバル-
作/鴨川清作 演出/藤井大介

1971年に初演し、1976年の再演時には文化庁芸術祭で優秀賞を受賞、1999年に再々演された後も更なる再演の呼び声の高かったショーの傑作を上演。

ロマンティック・ミュージカル
『めぐり会いは再び』-My only shinin’ star-
~マリヴォー作「愛と偶然との戯れ」より~
脚本・演出/小柳奈穂子

18世紀フランスの劇作家マリヴォーが書いた名作喜劇を原作として、結婚しようとする男女が身分を変えて相手を観察することから起こる騒動を、華やかに、かつコミカルに描きます。演出家・小柳奈穂子の宝塚大劇場デビュー作。

 いったんこの演出家と決まったら、変更してはいけないもんかと思ってた。
 だからどんだけ枯渇し、壊れきっていても、『ベルサイユのばら』は植爺が演出し続けるし、柴田作品は平板に紙芝居全開に中村Aが演出し続ける。
 植爺のピンチヒッターで谷せんせになったり、イケコ留守に中村Bが演出したりと、スケジュールや体調など仕方ない場合のみ、変更あり。でもこれはイレギュラーっつーか、本来ならば変更せずにオリジナルの演出家がやるつもりだった、仕方なくそうしただけのこと。
 替えない、が基本、替えてはならない。
 そう思ってきただけに。

 『ノバ・ボサ・ノバ』演出が藤井くん! てとこに、反応しました。

 99年の再演時は、草野せんせ演出だった。
 名作という触れ込みだったので、いったいどんなに素晴らしいショーなのかと思ったら、やっぱりとどのつまりは古くさい作品で、これのどこがとぽかーんとしたが、リピートするうちに楽しみ方もわかった。
 それでも、ショーは時代を映すモノなので、芝居以上に古いショー再演はキツイと思ったなああ(笑)。
 草野せんせ演出だからどうというより、元の作品が悪いわ、と。当時は名作でも、現代には古い、と。
 フィナーレ付けたのが改悪だと、初演ファンから叩かれていたっけな。でもそれは草野のせいじゃない、劇団の企画の問題でしょう。

 草野せんせがスケジュール的に体調的に登板できないなら、演出家変更も今までにあったことなので不思議はないが、くさのっち、ふつーに現役ぢゃん。1個前の月組公演演出してるじゃん。
 「99年版演出がすばらしい! 神!」だとしたら、あえて変更するわけがないから、ふつーに考えると「99年版がダメダメだった」という話になる。
 ダメとまでいかなくても、99年と同じだと意味がない、と劇団に判断されるよーな出来だったのか?

 99年版、そんなに悪くなかったと思うけどなー。
 初演は知らないので、比べようもありませんが。
 初見時はぽかーんだったけど、何度も観るうちに慣れたし。
 ショーだと思うからつらいんであって、芝居だと思えばOK。ショーだとしたら、いつも画面同じテイスト同じしかもソレが黒塗り色彩悪趣味昭和テイストで、きつかった(笑)。
 芝居なら、舞台が同じなんだから、時代や場所がいきなり変わったりしないから、画面同じ衣装同じも当たり前と耐えられる。
 わかった上で観れば、楽しかったよ。
 古い作品にありがちな、コテコテの「ヅカ」を楽しめて。芝居よりもわかりやすくコテコテだよねー。

 草野演出のナニが悪かったかわからないだけに、変更にびっくり。
 変更していいなら、次からあの作品を再演するときは、別の演出家に替えてくれよ……なモノが、みんないろいろいろいろあるんぢゃないか?(笑)

 劇団が「再演」をなめまくっていて、「誰がやっても同じ」と思っているだけ、という気がしないでもないが。
 藤井くんは草野以上に、「初演を1ミリたりとも変えずに再現する」ことだけを求められている、気もするんだが。
 ショーが前ってことは、不評だったフィナーレはカットなわけだし。

 再演は再演であって、再現じゃない。今さら40年も前の作品そのまま見せられたって、現代ファンにはぽかーんだし、初演ファンには「再演はキャストも演出も改悪、初演はすべてよかったのに」しか言わないし、リスクばかりなのになあ。
 藤井くんが、現代に耐えうる作品へとアレンジしてくれる……してもいい権限を、劇団から与えられていることを祈る。

 しかし星組、またショーが前なのか……。
 そして、新人演出家が芝居だけでなくフィナーレまで任されるのか……。

 や、なんだかんだ言って『ノバ・ボサ・ノバ』は楽しみだし、他もみんなオリジナル作品なので楽しみです。
 キムシンは是非キムシンらしい作品を。小柳たんは舞台は18世紀のまま? ならコスプレも楽しみ。『君に恋してラビリンス』も『それでも船は行く』も現代だったし。
 あとは草野ショーが黒塗りでないことを祈るばかりです。黒塗りショー続きはいやだー、空気読んでくれー。
 でもってぶっちゃけた話、『EXCITER!!』って、そんなに名作か?

 ふつーにいいショーだとは思うけどね。
 1年を待たずして同じ組同じメンバーで本公演で再演しなければならないほどの、タカラヅカ史上はじまって以来の名作だとは、とても思えない。

 さらに、再演して、さらにクオリティは下がったと思う。

 出演者がではない。彼らは「初演以上のエネルギー」を出すべく、すっげーがんばっていたし、実際出ていたと思う。
 下がったのは、「演出」。

 
 わたしはもともと、「Mr.YU」場面を評価していない。
 たしかに楽しいけれど、内輪受けの楽しさに過ぎないし、冗長すぎる。ミュージカル調に長々と物語をやっておきながら、オチはない。
 あれだけの尺を使って演出するならば、起承転結すべて書くべきだ。すなわち、チェンジボックスでイケメンに変身したMr.YU@まとぶんが、彼を嫌っていたチェリーちゃん@彩音ちゃんを虜にし、彼を見下していたMr.SO@壮くんや会社の人たちに見直させる。そこまで書いてこそだ。
 変身した途端に終了って、ナニそれ。意味ないじゃん。ここから物語がはじまる、プロローグだけえんえん見せられてエンドマークって、ジャンプの打ち切りマンガや植爺の『虹のナターシャ』かっつーの。
 風呂敷を広げることは出来てもたたむことができない、フジイくんの悪いところがまるっと出たのが、「Mr.YU」。

 それが再演で改訂させるかと思いきや、さらにわけのわからないことになっていた……のは、前に書いた。
 ダブルスタンダードというか、「前作を見ていないとわからない」、でも「前作の続きだとしたらおかしなことだらけ」という、お粗末さ。構成力のない人が物語を書くとこんなひどいことに……。

 とまあ、物語として見た上でも、いちばん長い尺の場面がクオリティダウンしているので、再演は初演以下になっている。

 ちなみに「Mr.YU」はミュージカルとしても、再演は落ちてるんだよねー。
 初演ではちゃんとメロディになっていた、音楽に乗ってミュージカルしていた部分が、「前作を見ているという前提で」メロディ無関係な台詞とかになってるの。
 だから歌が少ない、音楽が少ない。趣向としてのミュージカル手段を、再演ではことごとく無視しているの。演出家は「前作を見ているという前提で」「どたばたのお笑いを書く」ことを、「初演を超える演出」だと誤解している模様。
 「Mr.YU」はミュージカルになってナイよ……。バックに音楽が流れてるだけのドタコメじゃん。
 

 んじゃ、「Mr.YU」場面を離れ、『EXCITER!!』全体を「タカラヅカ」として見た上では、どうだろう?

 ショーとしての演出の他に、タカラヅカには「タカラヅカならでは」のお約束がある。
 それは、トップスターを中心にしたピラミッド。華やかな人海戦術。スター個人の見せ場。

 外部の作品なら、作品全体さえ良ければそれでいいのかもしれないけれど。
 タカラヅカでは、どんだけ作品が正しく出来上がっていても、スターが魅力的に見えないと価値が下がる。トップコンビが世界の中心にいるのは当然だが、トップだけしか見どころのない作品は敬遠される、ある程度の番手付きスターたちもなにかしらオイシイところがないと。

 そーゆー意味で、『EXCITER!!』初演と再演を比べてみる。トップから3番手までは変わっていないし、天才デザイナー作品の銀橋はノーカウント、それ以外の変更があったところで考える。

・初演でソロがあった男。
  まっつ、めおくん、マメ、だいもん。

・再演でソロがあった男。
  まっつ、タソ。

 ちょ……っ!!
 路線男役スターの見せ場削って、増えたのがタソのソロだけって、「タカラヅカ」としてどうなん?!

 タカラヅカの座付き演出家として、花形男役スターに見せ場を作るのは使命ぢゃないのか?

 トップから3番手まではちゃんと彼らがセンターの場面があるので、一見さんやライトファンにもわかりやすい。
 だが問題は、それ以外の立ち位置のスターを、一見さんやライトな人たちの「記憶に残す」「個別認識しやすくする」演出が必要ってこと。
 「8人口の左から2番目の人が気になった」として、ライトな観客はそれが誰なのか、人に聞くことも出来ない。
 そうではなく、「オフィスの場面で、最初にフィットネスグッズを紹介していた人」とか、「ハバナの最初の場面で、女の子と踊りながら歌っていた人」とか、それを示すのがたったひとりしかいない、そーゆー場面が与えられなければならないんだ。

 なのに再演ではそういった「スター」な場面を削ってしまった。

 めおくんにはデザイナー場面の銀橋があるとか、まぁくんだいもんまゆくんは鳥さんやオラオラロケットボーイあるったってさあ、デザイナーは5組のうちの1組だし、鳥さんはあくまでも3人組だ。
 「初演よりもバージョンアップ」を合い言葉にするなら、スターの個別の見せ場を増やすならまだしも、削ることないじゃん。

 男役スターの活躍の場を削ってナニをしたかというと、娘役トップ蘭はなちゃんのお披露目。
 ……や、トップお披露目が大事なことはわかるけど、それならそれで初演でめおくんやだいもんの唯一の見せ場だった場面を削らず、新たに追加すれば良かったのに。
 再演は上演時間が延びているんだから、蘭ちゃんお披露目おめでとー場面を挿入できたはずだ。

 なのに、延びた分はデザイナー場面の無意味な水増し引き延ばしや、「Mr.YU」のぐだぐだお笑い場面に使うってどうなん。

 初演よりバージョンアップというなら、初演よりも若手スターに見せ場を与えるべきなんじゃ?
 まぁくんにちょろりとでも差別化した役割を与えるとか、まゆくんやあきらという新公主演経験者にピックアップ場面を作るとか。

 今この瞬間だけ「笑える」からと、タソにおでぶおばさんをやらせることは、これからも続いていく花組を「タカラヅカ」として盛り上げているのだろうか?

 退団するちあきさんにエトワールをやらせたり、エトワールでなくなって見せ場がひとつなくなったまっつといちかに、別の場面でデュエットさせる、しかも組替えするまっつにまとぶんと蘭ちゃんを見守らせる演出とかは、さすがフジイくん!と思うけれど。
 そーゆー演出が罷り通るところが「タカラヅカ」ゆえのすばらしさだと思うけれど。

 たった10ヶ月とかで再演なんだ、本気でバージョンアップしてほしかったよ、演出に。
 「Mr.YU」をやるのはかまわないから、もっと要点をまとめて無駄なくオチまで描いて。台詞によるお笑いではなく、ミュージカルである最低限の歌は使って。
 あれだけの長時間を費やすならせめて、いろんなスターに雪崩のように見せ場を作って。大勢が団子になって歌って踊って終わりではなく。
 初演でソロがあった人の見せ場は削らず、むしろいろんな人に見せ場を増やす方向で。

 再演の方がテンポが悪く冗長で、見せ場のあるスターの数が減っている。
 これでバージョンアップなんて。
 残念で仕方がない。

 
 てなことを、ハードリピートしながらずーーっと考えていた。
 ほんっとに、何回観たと思ってるんだ、『EXCITER!!』(笑)。

 こうして「どうなん?」と書くけれど。
 それでも、好きなんだけどね、『EXCITER!!』。
 もう何度となく書いてきた気もするけれど。
 それでも書く。

 『麗しのサブリナ』の、ライナス@まとぶんが好きだ。

 間を置いて東宝で観て、またさらにヲトメゴコロを直撃された(笑)。

 夜のオフィスにて、なついてくるサブリナ@蘭ちゃんに言っちゃうわけですよ、真実を。サブリナが障害だったので、騙してパリへ送り返すつもりだったって。
 空っぽの船室に別れの手紙、とライナスの陳腐なシナリオを言い当てるサブリナに、ライナスは必死になって「それだけじゃない」と彼女への慰謝料を言いつのる。
 ライナスとしては、サブリナへの精一杯のキモチ、誠意を表すつもりでアパートや銀行口座を用意していると、お金いっぱいあげるよと言うのだけど。
 サブリナはそんなものを欲しがっていない。最初に「心あるウェイトレス」の話をしたように、彼女はお金なんか求めていないんだ。
 なのに、お金の話しかできなくて。
 賢明に慰謝料を読み上げたライナスに、サブリナは「寛大ね」と微笑みを返す。
 その微笑みは泣き叫ぶよりも哀しく、その言葉は非難よりも厳しい。

 愛する少女にそんな顔をさせて、そんな言葉を言わせて。
 自分の心ひとつコントロールできない恋愛下手なライナスは、激しく傷つく。
 傷つけたのは自分なのに、そのことに傷つく。

 「寛大ね」と言われたときの、ライナスの表情が。
 あまりに痛くて、見ていられない。

 そしてこの男は、自分でその傷を、痛みを、受け止めきれない。自分が何故そこまで傷ついているのか、痛いのか、理解できていないのかもしれない。

 うろたえて、逃げやがった。

 サブリナを傷つけた。
 それによって、自分も傷ついた。
 それがわかった瞬間から、サブリナに、背中を向けた。

 そのあと、ただの一度も目を合わせやしねえ。

 サブリナに船のチケットを渡すときですら、視線をそむけたまま、「はい」と手だけ差し出す。
 なんっちゅーチキンぶり!

 大の男が、30代の大人の男が、22の小娘相手に、逃げ隠れ。目を合わせたら石になるわけでもあるまいし、びびりきって背を向ける。
 こわくてこわくて、縮こまっている。

 ライナスは、逃げたんだ。
 サブリナを傷つけたとわかったあとからはもう、彼女とまともに対峙することができなくなった。視線を合わさない、背中ばかりを向け続けるのは、カラダはそこにあっても脱兎のごとく逃亡したのと同じ。
 この負け犬。

 どんだけ怖いの。
 恋は。
 恋をしている、自分を認めることは。

 大会社の社長で敏腕で通っている、度胸も分別も判断力もある男が、子どものようにおびえて縮こまっている。
 そのみっともなさ、なさけなさ、その愚かさが……愛しくて。
 愛しくて愛しくて、胸が詰まる。

 ライナスがあまりにバカで、かわいくてならない。
 この男を好きだと思う。
 この男を、愛しいと思う。

 そして。

 そのバカなヘタレ男に比べて、サブリナの強さと来たら。

 騙されて利用されて。
 その言い訳にお金なんか用意されて。最初に「心あるウェイトレスの話」をしているのだから、買収に応じろというのは、彼女の「心」を否定することなのに。
 そこまでされてなお、ライナスを見る。顔を上げて、愛する男を見る。
 そして、そのひどい男のために、チケットを受け取る。

 目も合わさない……彼女という被害者の元から精神的に「逃げてしまった」男なんかのために。

 ここのふたりのやりとりは、切ない。
 ヲトメゴコロ直撃。
 これぞ恋愛モノ、心のひりひりする切なさが快感。

 久しぶりに観て、まずはライナスのかわいさにハァハァする(笑)。
 バカでかわいくてたまらん。もー大好き。
 
 んで、その次に観たときには、サブリナの目線を想像する。

 客席にいるわたしは、舞台全体が正面から目に入っているわけだけど。
 人間には想像力があるのよ。
 カラダは客席にいるけれど、舞台を遠く正面から眺めているだけなのに、まるでドラマのようにサブリナの後ろあたりにカメラがある感覚で観るの。
 目で見ている光景から、別の角度の光景を脳内に再構築するの。……人間の目と頭脳ってすごいな。経験からわかるじゃん、こう見えている立ち位置なら、こっちのカメラから見るとこう重なって見えるとか。

「他にもある、銀行口座、アパート、車」
 あわてふためいてファイルを読み上げるライナス、その必死な顔が、突然凍り付く。
 私の顔を見て、彼の表情が変わる。
「寛大ね」
 見たこともない、空っぽの顔。
 魂を失ったみたいに、私を見つめて。
 そして、背中を向ける。
「切符をくださる?」
 見えているのは、背中。そして横顔。彼は決して、私を見ない。
 これが、最後なのに。
 もう二度と会えないのに。
 なのに、私を見てくれない。

 私に、顔を見せてくれない。

 広い背中だけがある。
 私を拒絶する背中だけが。

「さよなら。料理、できなかった……」

 私がなにを言おうと、その背中は振り返らない。
 その顔は、瞳は、私に向けられない。

 わたしがきずつけた、あのひとみを、わたしにやきつけて。
 
 それを最後に、もう彼は私に顔を、瞳を見せてくれないんだ。

 ……という、サブリナ目線カメラ(笑)。
 サブリナに目で見たら、こんな風に映っているだろう、と脳内でライナスの位置や顔や身体の角度を想像するんだ。
 わざと向けられ続ける背中、そらされた視線。

 これがもおっ、すげー痛いっ。
 愛する男にコレやられたら、立ち直れない。どんだけ哀しいか、切ないか。
 それを堪能する。

 ヲトメゴコロ直撃。
 これぞ恋愛モノ、心のひりひりする切なさが快感。

 あああ楽しい。
 『麗しのサブリナ』、楽しすぎるっ。

 恋愛小説読んで大泣きする、あの感覚ですよ。少女マンガでもBLでも、コレが欲しくて読むわけですから。切ない系が大好物なんですよ。

 まとぶんのストレートさに、蘭ちゃんのセンシティヴさが絶妙なマッチ感。
 このカップル、イイ!! 大好き。

 『麗しのサブリナ』はなあ、演出がもう少しなんとかなっていれば、ほんと名作になったと思うのですよ。役の少なさはどーにもならんけど、バウで景子タンあたりの演出で上演してればどんだけ美しい作品になったかと。
 中村Aだと演出力に限界ありすぎて。
 もったいないわー。

 でも、楽しんだわ、わたし(笑)。
 ノベライズしたいわ、この宝塚歌劇花組版の、『麗しのサブリナ』を。切なさ全開で恋愛描写したいわー。
 『麗しのサブリナ』のクライマックス、サブリナ@蘭ちゃんを追いかけてオフィスを飛び出すライナス@まとぶん。
 それを見送る秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの、ライトの有無から、照明さんについて考える(笑)、その2。

 ムラ初日には、ライトはなかった。
 2日目から千秋楽まで、ライトはあった。
 が、東宝ではなくなっていた。

 このことから、考えられるパターン。

1.演出家がムラ初日の翌日から「秘書コンビにライトを当ててくれ」と指示していたのに、東宝では「やっぱりライトいらね」と思い直した。
2.演出家が指示していないのに、ムラ2日目から秘書コンビにライトが当たるよーになった。そのことに、ムラ千秋楽になってはじめて演出家が気づき、「秘書コンビにライトなんていらね」と言った。
3.演出家はライトを当てろともいらねとも言っていない。なんの指示もしていない。秘書コンビのことなんて、そこまで考えてない。

 わたしはこれまた勝手に、「3」だと思ったのですよ(笑)。

 中村Aは、ムラ2日目から千秋楽まで秘書コンビにライトが当たっていたこと、最初から最後まで気付いてなかったんじゃあ……?

 気付いてないから、それがいいとも悪いとも思わない。自分ではそんな指示出してないから、東宝の照明さんにムラでそこにライトがあったことを知らせるわけがない。知らないから、やらない。
 結果として、秘書コンビにライトはない。

 もしも気付いていたら、東宝でもライトをくれたんじゃないかなーと、これまた勝手に思う。
 中村Aがものすげえ職人気質の人で「オレの演出絶対! オレが神、オレはパーフェクト、変える必要などナイ!」と思って舞台を作っているとは、思えないからだ。
 ふつーに「この方がよくなるよな」と思ったら、変えると思う。昔、『お笑いの果てに』というものすごーい珍作を演出した際、公演途中で台詞やらなんやら変えていたもの……あまりにひどい脚本だったゆえ。
 プライドにこだわって手を加えない人ではないから、ムラで1ヶ月間ライト有りで上演してなんの問題もなかった、むしろファンが喜んだ演出なら、東宝でも続行してくれたんじゃないかなと。

 それがなかったってこは、中村Aそもそもナニも気付いてなかったんぢゃあ……? と、思った。

 んで、ムラの舞台稽古と同じ演出、照明指示で東宝スタート。
 東宝の照明さんは、秘書コンビに興味はなかった、と。本筋に関係ない脇役にライトを当てるなんて、考えるはずもない。それが当たり前。

 でもいちおー期待していた。
 普段の公演は等しくライト無しでも、千秋楽だけは特別にライトくれるんじゃないかって。
 「NOW ON STAGE」でその長年にわたるコンビぶりに言及されたりなんだりするふたりの、最後のコンビ芝居、最後の場面。そこにわざと暗めでも控えめでも一瞬でもちらりとライトを当てて、ファンをほろりとさせる……それってすごく「タカラヅカ」。
 わたしはまっつファンだから、今回まっつのことで着目してこうして書いているけれど、まっつだからどうのではなく、他のジェンヌに対してもそういうニクい心遣いをするのが「タカラヅカ」の舞台スタッフ。退団者に千秋楽だけ特別のライトを餞別に当ててくれたり、ムラではそれをふつーに眺めてきた。

 が。
 千秋楽も、ライトはなかった……。

 なんの特別扱いも、ニクい演出もなく、最後のコンビ芝居はその他大勢として平等に、早々に闇に沈んだ。

 
 まっついちかにライトがなかったことが、残念。
 手を取り合うふたりの場面が最後まで見えず、闇に沈んでしまったのが残念。
 ライトがあれば、最後の最後くらいなにかしらサプライズな芝居を期待できたんぢゃないかとか、そんな自分勝手な期待が打ち砕かれたことも残念(笑)。

 とまあ、うだうだ書いてますが、ここで書きたいのは「ライトがもらえなかった」ことへの恨みつらみではなく(笑)、そのことによって、ムラの照明さん、ありがとう!! と、心底思ったってことだ。

 ライトが当たらない、早々に闇に沈んでしまうのが当たり前、だったんですよ。東宝の人は別に悪くないし、中村Aだって悪くない。それがふつー、彼らはふつーに仕事をした。
 本来ライトはないはずなのに、ムラの1ヶ月間、わたしはまっつといちかのかわいい姿を見ることができた。
 それは、ムラの照明さんの裁量なんだ。……そう思って、すごくうれしくなった。

 それまでも、勝手に「照明さんGJ!」と思い、演出家の指示ではなく照明さんが独自でやっていることだとなんとなーく思っていたけれど、今回のことでその思いがさらに強くなったというか(笑)。
 やっぱり、ムラの照明さんにはフリーハンドがあり、退団者や組替え者に優しいのは、演出家ではなく照明さんなのかなと。

 ムラの照明さんが秘書コンビに本来ナイはずのライトを当ててくれている、照明さんGJ!と思っているなら、東宝でそのライトがなくなっているのは想像してしかるべきなのに、わたしってば与えられることが当たり前になっていたのね。
 つか、東宝の照明さんもムラと等しく「タカラヅカ」な感覚かと、勝手に思っていた。こっちはやっぱ首都の劇場に勤めるプロフェッショナルで、「ムラ」という特殊世界のプロとはチガウのかな。
 ふつーの舞台のプロなら、脇役にライト残すなんてありえないもんなー。その役者が退団するとか組替えするとか、役者のプライベートであって一般客には関係ない話だし。

 だけど、その役者のプライベートまでもが「物語の一部」である半プロ感覚……つーか、愛すべきアマチュア感が、「タカラヅカ」の魅力のひとつ。
 「この人が休演したら、公演自体立ちゆかなくなる」というクラスの役ではないのに、退団者なら声が出なくて歌を台詞に変更してまで舞台に立つことを許す、むしろ許すことを素晴らしいと拍手する、それが「タカラヅカ」。

 ムラの照明さんは、その「タカラヅカ」を表す一端なんだなと、思った。

 わたしたちファンが、ジェンヌを愛し舞台の上だけでない部分にまで一喜一憂する、その心ごと汲んで、ライトを当ててくれる……照明さんもまた、「タカラヅカ」な人たちなんだ。

 と、ほんっとーに勝手に、いろいろ考えて感動しました。
 事実かどうかなんてわかりません。
 舞台スタッフさんがナニ考えてナニしてるのかなんて、イチ素人にわかるはずもない。
 ジェンヌさんがどんな人でナニ考えてるのかわかんないよーに。

 だから勝手に、夢見るのです。ただのわたし個人の思い込み、伝説や神話みたいなもん。

 ジェンヌがフェアリーだというように、舞台スタッフさんにも、その愛を。
 『麗しのサブリナ』を東宝まで観に行って、演出の変化で残念だったことが、ひとつ。

 ウィリスとマカードルに、ライトが当たらない!!

 ミニマム秘書コンビ、ウィリス@まっつとマカードル@いちかの最後の出番、ライナス@まとぶんのオフィスにて、愛に駆けだしていくボスを応援し、手を取り合って喜ぶふたり。
 重要なのはサブリナ@蘭ちゃんを追いかけてオフィスを飛び出すライナスで、見送るその他大勢ではない。だから、ライナスが銀橋へ異動するに従って、本舞台の照明は消え、暗転する。秘書コンビもその闇に消える。

 が。

 ムラではその暗転の間際、秘書コンビにもわざわざ照明が当たってたんだ。

 デイヴィッド@壮くんにはピンライトが当たっており、暗転とは別に、彼の姿は最後まで見える。そーやって舞台全部が「暗転」しても、主要人物だけは最後の一瞬まで観客の目に残るよう演出してある。完全に真っ暗闇になるその瞬間にピンライトも消えるから、結果としてはたしかに暗転だけど、その他の人はもっと早くから闇に消える。
 ムラ初日は秘書コンビも「その他」扱いで早々に闇に飲み込まれていた。肉眼でなら彼らが手を取り合っているのがわかっても、カメラでは「闇」にしかならないだろう。
 が、翌日にはふたりにピンライトが当たっていた。デイヴィッドに比べれば控えめな暗めのライトだが、たしかにふたりを照らしている。
 秘書コンビはいてもいなくてもかまわない脇役だし、本筋に関係ないから、闇に落として当然なのに、わざわざライトを当ててくれた。だから、かわいいふたりの姿が最後まで見られた。

 これって、誰の判断だったんだろう?

 
 とゆーことで、今回は照明さんのことを考えてみる。
 勝手に(笑)。

 ムラでは千秋楽に退団者だけにピンスポが当たったり、普段からピンスポもらっているところでは輝度の高いものに替えてもらったりしていた、と思う。
 てなふーに、その日によって照明がチガウことがままある……んだが、これって誰がやっているの?

 ムラの照明さんにはある程度のフリーハンドがある、とわたしは勝手に思っていた。わたしがっつーか、わたしの周りの人たちがそう言っているからそれを信じてきたというか。「退団する**ちゃん、いい照明もらってたね」「照明さんGJ!」みたいな使い方。
 演出家がわざわざ「千秋楽は退団する**に、いつもとチガウ照明を当てるように」と個別に指示するとは思えないので。それがすごーくスターだっつーならともかく、微妙な立ち位置のジェンヌだったりすりゃ、なおさら。
 毎日現場で舞台を作っている照明さんが、その場の判断でしているのかなと。

 根拠はない。ただの思い込みだ。
 日々のライトのひとつひとつまで、演出家が全部指示を出して、照明さんにはなんの自由もないもないのかもしれないし。
 毎日演出家が舞台を見守り、毎日ダメ出しして毎日舞台を指揮しているのかもしれないし。そのため、なにか変化があったとすれば、それはすべて演出家が指示したことなのかもしれないし。

 でも、初日の翌日、ウィリスとマカードルにわざわざライトが当たっているのを見て、わたしは「照明さんGJ!」と思った。演出の中村Aの功績だとは思わなかった(笑)。
 だって、演出家指示なら、最初からライト当ててると思うんだ。秘書コンビはたしかに脇役だけど、中の人の学年や立ち位置ゆえに、作中にとってつけたミュージカルシーンを挿入している、しなければならない、という。あのとってつけた感からして、演出家は本筋を描いているとき背景にいるふたりに、注意は払っていないと思う。ゆえに、観客の注意を引くためのライトをふたりに当てるなんて、考えもしない。

 幕が上がるまでを作る演出家ではなく、実際に幕が上がってから現場を作り続ける照明さんが、暗転の瞬間まで芝居をしている秘書コンビにライトをくれるよーになったんじゃないかと思ったんだ。

 ……もちろん、暗転の瞬間まで芝居をしているのは舞台にいる全員がだ。まついちだけが特別ぢゃない。けど、全員にライトを当てると演出プランが変わってしまうからそこまではできない。フリーハンドの中、やっていい範囲で、秘書コンビにライトをくれたんじゃないだろうか。
 まっつが組替えするからとか、そんな意味もあったかもしれない。退団者に特別のライトをくれるように、そーゆーファンにしかわからないところで優しさをみせてくれるのが、ムラの照明さんだから。

 てことで、わたしは勝手に照明さんに感謝してムラではずーっと当たり前に、手を取り合って喜ぶ秘書コンビを見ていた。

 それが当たり前だったから。
 東宝でも、とーぜんそんなふたりを見られると思っていた。

 が。

 東宝では、ふたりにライトはなかった……。

 あっちゅー間に、闇に消える。
 他の人たちと同じように。

 ムラと東宝では、ライトが違っていた。
 つまり、これは……。

 
 翌日欄へ続く。
 ナターシャ@らんとむ?!

 わたしの脳裏に、おかっぱフラッパースタイルのらんとむさんが合成されました。

2010/11/05

2011年 公演ラインアップ【シアター・ドラマシティ、東京特別】<3月~4月・宙組『ヴァレンチノ』>

11月5日(金)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、シアター・ドラマシティ、東京特別公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

宙組
■主演…(宙組)大空 祐飛

◆梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ:2011年3月8日(火)~2011年3月20日(日)
一般前売:2011年1月9日(日)
座席料金:全席7,500円
◆東京特別(日本青年館):2011年3月26日(土)~4月2日(土)
一般前売:2011年2月13日(日)
座席料金:S席7,500円、A席5,000円

ミュージカル
『ヴァレンチノ』
作・演出/小池修一郎
  
1986年に杜けあきを中心とした雪組により宝塚バウホールで初演され大好評を博した作品。
1920年代に活躍した不世出の映画スター、ルドルフ・ヴァレンチノの半生を描いたミュージカルで、これまで再演の呼び声の高かった名作が男役として今や円熟期にある大空祐飛により甦ります。

 またしても、カリンチョさんの代表作の再演っすか。

 古すぎる作品の安直な再演には反対ですが、再演に拒絶反応が出るのは、時代云々よりも演出家の問題が大きいと思う。
 78年の柴田作品がダメで、86年の小池作品がOKっつーのは、その差8年にあるのではなく、現在活躍している演出家の作品であるかどうかということの差だ。
 『ヴァレンチノ』がたとえ78年作であっても、演出家が小池せんせならばOK。
 その作品が名作か如何かではなく、その作品を作者自身が現在演出できるのかどうか。
 現在活躍している演出家ならば、過去作品も現代に合わせて作り直すことが出来るが、すでに引退した演出家の作品では、時が止まったままの古い作品をそのままこの現代に再演するしかない。
 初演時代には名作だったのかもしれないが、現代にはそぐわない。過去はいつでも美化される、初演は良かったけれど再演はダメだった、再演は演出が悪いキャストが悪い、新演出したところは全部ダメ、昔のままが良かったのに、昔のままですが今観たらこんなもんなんですよ、ああもーめんどくさい。
 演出家が自身で采配をふるえば、それは再演ではあってもひとつの「新しい作品」。変化させられる、再生させられる。
 だから、それができる作品ならば、古い時代の作品の再演でも、わたしの「再演アレルギー」は出ない(笑)。
 あ、植爺除く。彼はもう終わっている認識なので、彼が彼自身の作品を再演するとしても、アレルギー発動(笑)。

 んで、いわゆる「思い入れのあるあの作品を再演されるなんて嫌っ」という意味での再演アレルギーは、わたしにはほとんどありません。
 そんなもん、『エリザベート』が再演されたときに克服しました。初演『エリザベート』ファンをなめんなー(笑)。
 てことで、素直に楽しみです、『ヴァレンチノ』。

 ただ、この作品の2番手の役が思い出せないのです。

 カリさんが主役で、相手役がともちゃん、そしてもうひとりのヒロインがタカネくん……としか、おぼえてない。
 でもって当時の雪組は、カリさんトップ、いっちゃん2番手、タカネくんが3番手だったので、この場合2番手はタカネくん。

 てことは。

 らんとむが、ナターシャ役?!

 という認識に行き着くという。

 や、わたしが想定しているのはカリンチョさんが卒業間近に上演された、再演版です、初演は知りません、さすがに。画面がーがーのビデオで見た記憶はあるが……あのビデオ、まだどこかにあるだろうか?

 らんとむ氏がバウに出るかどーかわかりませんが、タカネくんの役だったらすごいなああ。
 キ、キレイダトオモウヨ、タブン。
 らんとむ氏がガイジン顔の美形なのは事実だし。でも、美男が女装したからといって、美女になれるかは……イ、イヤキット、キレイダトオモウヨ、タブン。

 ゆーひ×らんとむ(女)かぁ……それは一度見てみたい気も……トップになる男役スターは、みんな一度は女役経験するもんなー。

 いや別に、ふつーに男の役やってくれていいです、ええ(笑)。

 ゆーひさんのルディはふつーに楽しみっす。
 カリさんとはまったく別のモノになるだろうなああ。

 
 それとそれと。 
2010/11/05

2011年 公演ラインアップ【宝塚バウホール、東京特別】<3月・宙組『記者と皇帝』>


11月5日(金)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール、東京特別公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

宙組
■主演…(宙組)北翔 海莉

◆東京特別(日本青年館):2011年3月4日(金)~3月10日(木)
一般前売:2011年1月30日(日)
座席料金:S席6,500円、A席5,000円
◆宝塚バウホール:2011年3月17日(木)~3月27日(日)
一般前売:2011年2月12日(土)
座席料金:全席5,000円

バウ・ポピュリスト・コメディ
『記者と皇帝』
作・演出/大野拓史
  
19世紀後半のサンフランシスコを舞台に、破産を契機として、自分が「皇帝」であるという妄想にとりつかれ、その言動が市民の人気を集めた、「初代合衆国皇帝にしてメキシコの守護者」こと「ノートンⅠ世」と、その人気を当て込み、虚実入り混じる記事で部数を競い合う新聞記者達の、奮闘と恋を描く、ポピュリスト・コメディ(人民喜劇)。

 大野せんせの新作うれしい!!

 充電期間は十分だよね? きっと濃ゆい大野ワールドだよね?
 演じるのがみっちゃんなら、これまた実力十分だし。
 楽しみだー!!
 スカステのニュース内で、まっつの「スター★キラキラファイル」が放送されました。

 『麗しのサブリナ』東宝「NOW ON STAGE」で言っていた、「はじめて『雪組の未涼亜希です』って言った」ってヤツですな。

 「NOW ON STAGE」で言っていたときに、あのコーナーのことかな?と思い、だったらいいな、と思い、そこにもまた、組替えの意味を知ったよーな気がしました。

 タカラヅカ・ニュースは開局した7月を機にコーナーが一新されます。
 今やっている「スター★キラキラファイル」も今年の7月からスタート。

 2007年7月 「スター☆ボイス一問一答」
 2008年7月 「スター★セレクトQUESTION?」
 2009年7月 「スター★セレクトStage」
 2010年7月 「スター★キラキラファイル」

 という流れ。

 どーゆー基準で出演者が選ばれているのかわからないけれど、花組にいたときのまっつは、出してもらえませんでした。

 これ以前は学年や立場的に出られるコーナーではなかったけれど、2007年の「スター☆ボイス一問一答」には登場しているの。
 だからあのときは、「まっつもこーゆーところにまぜてもらえる人になったんだなあ」と喜んだんだけど、ソレが最後で、以後、出してもらえなかった(笑)。
 登場しないなんて夢にも思わず、翌2008年は毎週楽しみに待っていたなあ、「スター★セレクトQUESTION?」、まっつはどう答えるのかしら、と。みつる、壮くん、りせ、みわっち、めおくんと来て、よその組ではもちろんそのかも登場していて、下級生や別格の人たちだって登場していて、次こそはまっつだ、次こそは……と。
 ……出ないまま終わるなんて、思ってなかったから。
 7月になり、新コーナースタート、それでもわたしは夢をつないでいた、2009年「スター★セレクトStage」、去年はきっと人数調整で出られなかっただけよ、去年はごめんなさいってことで、今年は出してもらえるはずよ、まっつはどんな答えをするのかしら、と毎週……。あやねちゃん、めおくん、まぁくん、だいもん、みつる、壮くん……よその組ではもちろんそのかも登場していて、下級生や別格の人たちだって登場していて、次こそはまっつ、次こそは……? 
 またしても、出ないまま、終了。
 特に2009年は『宝塚巴里祭2009』があり、例年の『巴里祭』は記者会見付き、演出家や主演者のトーク付きと、ニュース内でいろいろオリジナル・コーナーが放送されていたのに、まっつだけ一切ナシ。枠がなかったわけじゃない、過去の『巴里祭』ダイジェスト映像をえんえん流していたので、単に「作らなかった」だけ。もちろん記者会見もなかったし。
 そっか、タカラヅカ・ニュースの中の人は、まっつをキライなんだ……。と、やさぐれました(笑)。コーナーを2年連続はずされて、それまであったコーナー消滅させてまで、まっつを映さないっつーのは、つまりそーゆーことだろうと。
 これからDSはトーク・コーナーなしにする方針なのかと思ったら、あやねちゃんのMSはちゃんとあったし。ほんとに、まっつのときだけ「意志を持って、作らなかった」んだなあ……。
 スカステの中の人の好みなのか、劇団の指示なのか。どっちにしても、しょぼん。

 2年連続はずされて、「今年もまた、まっつだけ出してもらえないんでしょ?」なキモチでやさぐれていた(笑)ので、「NOW ON STAGE」でそれらしき番組を収録したと言っているのを見て、今までスルーされていただけに、あのコーナーに出られるんだったらいいな、と思い……そこでもまた、組替えってこういうことなのか、と思った。
 ずっと出してもらえなかったコーナーに、組替えしてはじめて出られる。花組にいたら、出してもらえないままだった。

 なんだか切ない。
 わたしは花組のまっつが大好きだったんだけど、ほんとに花組は人いっぱいで、ちょっとしたスカステのコーナーすらメインどころで回しきれないほどぎゅうぎゅうなんだなあ。

  
 とまあ、いつもの愚痴です、毎度すまん。貪欲なため、よその芝生が青く見えてねえ、「あの人がもらってるのに、わたしもらってない」とひがむ、わたしのやーらしい根性ゆえです、はい。

 とりあえず、2007年12月10日の「スター☆ボイス一問一答」以来3年ぶり、ニュース画面にひとりでバストアップになるまっつ。

 なんつーか、さわやか。
 髪の色も明るいし、服もさっぱり白だし。

 ちなみに、「スター☆ボイス一問一答」は真っ黒です、髪も服装も(笑)。←改めて見返した。

 わたしはまっつ好きだからいいけど、ふつーの人の目にはどう映るんだろう?
 ぶっちゃけあんましキレイでないような……ゲフンゲフン。絵を描く上でのわたしの理想的ラインを持っている人だが、でもやっぱ、個性的な顔だなあ、と思ってみたり。万人向けの美形ぢゃないよなあ。若くもないしなああ。でも好きだなああ。

 質問内容は「観ると絶対に泣いてしまう場面」「観るとスカッとする場面」「スカステ初登場」「スカステで番組を持つとしたら」。

 「観るとスカッとする場面」なのに、自分が演じていてスカッとする役を語り出すまつださん……。
 しかもその役が、張良先生@『虞美人』……。

 他人を操り、手玉に取り、命ばかりか歴史まで操る役。そのドS役を「スカッとする役」で挙げますか。
 いや、たしかにそりゃ、スカッとする役だとは思うけど……ラスボスっちゅーか歴史の陰の主役っちゅーか諸悪の根元やもん。その通りの役なんだけど、ほんとにそう思ってやってたのか(笑)。
 本人はいちおー、「スカッとするとは違うけど」と言いつくろっていたけれど。でも、「ある意味楽しい」って。

 そんだけ役になりきってたんだろう。
 張良先生は、きっと楽しんでいたと思うもの。思い通りに人を操れたときは、スカッとしていたと思うよ。
 しかし、ドS……(笑)。

 最後の質問、「スカステで番組を持つとしたら」どんな番組がいいか。
 先にこのコーナーに出演済みのそのかくんが、「まっつとふたりで視聴者の悩みに答える番組」と答えていたのは、周知のこと。
 だから注目は、まっつがなんと答えるか。

 予想通り、まっつはそのかの「そ」の字も出しませんでした(笑)。

 ええ、何度も引き合いに出して悪いが、わたしのツボなエピソード。
 お茶会で「『ファントム』でやってみたい役は?」と聞かれたそのかが、「エリックがまっつで、私がキャリエール」と答えた、という話。
 いや、聞いたのは君がやりたい役であって、まっつのことは聞いてないから! という(笑)。
 そしてもちろんまっつは自分のお茶会で、ほんとにただ自分単体でやりたい役を答え(カルロッタだっけ?)、そのかの「そ」の字も出さなかったという。

 いいなあ、このふたりの関係(笑)。
 ありがとうそのか、なにかにつれてまっつの名前を出してくれて。まっつはあの通りのマイペースっぷりだけど、それでもそのかがまっつを好きでいてくれるのがうれしい。
 ヅカスペで園松が観られますように!!

 
 そしてこれは、すごくファン目線の思い込みなんだろうけど。

 まっつって、「嘘のつけない人」なんだろうなと。
 「雪組に組替えして……まいりました」という挨拶に、一瞬逡巡が見えた気がして。

 組替えの是非のことではなくて、ただ単に、この映像の収録時、まだ彼は花組で、これから東宝公演がまるまる残っている「花組の未涼亜希として燃焼するぜ!」なとき。
 この状況で、「今もう雪組です、組替え完了、過去完了形で喋ります」ってのが、とまどいあるんだろうなと。
 こんな挨拶、ただの台本だからとすらすら喋るんじゃなく、文法の時制に逡巡するあたりが、正直な……器用ではない人なのかなと。

 や、うがちすぎなんでしょう。ファン心理ってイタいわー(笑)。

 とにかく、ひさしぶりのまっつがうれしいです。
 まっつまっつまっつ。
 雪組公演『ロミオとジュリエット』の、友会フルエントリしたのには、理由がある。
 ひとつは前に語ったとおり、「まっつを前方席で見たい」という、まっつ愛のため。
 もうひとつの理由は。

 今、「宝塚歌劇団」が斜陽になっているから、だ。

 
 わたしが友会抽選を利用しなくなったのは、「良席観劇の期待心<<<カス席の恐怖心」ゆえ。
 「最前列で観られるかも!」というわくわく感より、「2階7列目だの、旧A席に8000円取られる」という恐怖心が上回ったため。
 うん、席種変更され、S席が8000円に値上げされたころから、入力しなくなっていた。

 5500円だった席が8000円になり、7500円だった席が11000円になった。
 たしかに2階後方席は5500円から3500円に値下がったけれど、そんな座席は前売りで買う必要がない。当日劇場に行けば、いくらでも売っているので、前売りのメリットがナニもない。

 抽選入力による「アタリなうれしい席」の数は増えなかったのに、「売りつけられたらショックな席」の数は1.5倍ほど増え、負担する価格まで上がった。
 リスクばかりが増え、得るものはわずか。
 これじゃ、入力なんかできない。

 また、発足当時の友会の配席ぶりは、実に非道なモノだった。

 コストパフォーマンスのいい席が売れ残って誰も坐っていないのに、高くて観にくい、自由意志で購入できるなら誰も買わないだろう位置の席に、何故か客が密集して坐っていた。
 それが、友会席だった。
 一般発売ではまず売れないような、ひどい席を拒否権のない会員に売りつけていた(笑)。

 自分が友会で当たった席がそうだったから、よくわかる。
 なんでセンターブロックが空いてるのに、端っこブロックにこんなにぎっしり坐っているの? てな。周囲をうかがえば、同じように「友会最低」と憤慨している人、券面に名前が印字されているから友会だとわかる人……ああやっぱりココ、被害者席だわ、と(笑)。

 そんなことが平気でまかり通っていた。
 でも、「最前列で観られるかも!」という期待感があったから、耐えられた。実際、最前列センターはあったんだ、友会席に。友会は嘘はついていない。カス席埋めに会員を利用しているだけで、エサである良席チケットもたしかに存在したので、詐欺ではない。

 その期待感を失ったとき、友会利用はしなくなった。

 
 そんな人は、わたしだけでもないんだろう。
 新公とかトップ退団の千秋楽とか、特別な公演のみ入力するけれど、それ以外では利用しない。
 席を選べない前売りを利用するより、当日劇場に行って、自分で納得して購入する方がいい。前売りは、予定が変わって当日行けなくなったりというリスクもあるし。

 友会の前売りは、どんどん余るようになった。
 HPに販売状況が発表されるので、よくわかる。
 みんな抽選入力しないんだ。前売りを買わないんだ。

 とーぜんだよな、劇場はいつ行っても残券余裕たっぷり。
 友会で当たった席より良い席が窓口でどーんと売れ残っているのを見たら、もう友会なんかバカらしくって使ってられるかっての。

 ……と、わたしはすっかりやさぐれていました。

 
 が。

 友人から、教えてもらったのです。

「最近の友会は、そうでもないよ(笑)」と。

 昔は、悪い席から会員に押しつけていた友会。それこそ、2階7列目から配券していたと思う。
 
 でもソレは、宝塚歌劇に力があったからこそ、できたこと。
 当日までに2階7列目まで売れる、という自信があったからこそ、できた。
 たとえ会員が「悪い席をわざと押しつけている!」と文句を言っても、「ナニをうがった見方をしているんですか、劇場S席はほぼ満員でしょう? たまたまアナタの席よりいい席に空席があっただけのことですよ。友会は会員様のために、より良いお席をたくさんご用意しているのです(にっこり)」と言い逃れられる程度には、客が入っていたんだ。

 だけど、タカラヅカはどんどん斜陽になり。

 1階S席、旧A席ぢゃない、昔からのS席すら埋まらないような時代になった。
 2階席は1列目センターと、値下げされたLR1列目だけにしか人がいない、あとはB席センターブロックや当日B席しか売れていない、そんな時代の到来だ。

 ここまで誰も坐っていない状況で、友会会員に「2階7列目」は売れない(笑)。

 7列目どころか、1列目だって売れてないのに。1階席だって売れてないのに。
 会員に悪い席から販売したら、そーゆー悪どいことをしているのが、バレバレですよ。
 でもって、どーせ売れないんだから、2階7列目でも1階21列目でも同じっすよ。一般で売れるかも、と思って残しておく必要はないっすよ、売れない売れない、キニスンナ。

 友会抽選で売り切れるのは、SS席のみ。S席だってふつーに売れ残っている。
 つまり、昔は2階7列目までほぼ売れると踏んでいたから、そこから押しつけていたけれど、今はもう1階18列目までしか売れないのに、2階7列目は押しつけられないってことだ。

 ふつーに、前方席から配席している。
 18列目までしか売れていない日は、ほんとにいちばん悪い席でも18列目で、わざわざ2階7列目はナイ。
 そして実際最近は、あきらかに友会席だとわかる、不自然に悪い席に人が固まって坐っている、という事態は見あたらない。
 ふつーに、後方席には人がいない。

 
 わたしは「ハズレ席が増えた」から入力しなくなった。
 今までは2階7列目までにおびえるだけだったのに、そこに1階25列目まで、つーのも増えた。
 アタリが1階6列目まで(微妙な数字・笑)だとするのなら、1階25列目までの19列と2階7列目までの7列、合計26列は「ハズレ」だった。
 アタリが6、ハズレが26ぢゃ、確率低すぎて参加できない。(そこに1列の座席数を加えたら、ハズレ席数はものすごい数で、アタリはほんのわずかだってば。ややこしいので今は列でだけ例にするけど)

 しかし今は、最後列が18列目とかになっている。ハズレが12しかないわけですよ。
 ハズレの確率がすごーく下がっているわけですよ。

 これなら、入力してもいいや。

 そう思いました。

 全日程がそうでないにしろ、「SSしか売り切れていない回」ってのは、エントリした人の何割かがSS当選した回ってことだ。
 それでもはずれることはもちろんあるけど、悪くても18列目とかなら、別にいいじゃん? 2階7列の恐怖を思えば。

 
 いやあ、「宝塚歌劇団」が斜陽になってくれたおかげで、チケットがますます取りやすくなりましたな。

 ヅカファンとしては悲しい状況なんだけど、びんぼー人ゆえに実に利己的な目線でいうと、ありがたい状況になっています。
 ごめんよぉ。
 びんぼー人は心まで貧しくていかんわぁ。

 
 がんばれ歌劇団、と思いつつ、「今って昔ほどひどい配席じゃないですよ」ということを、伝えてみる。
 あくまでも、わたし個人のデータ・感覚だけれど。
 昔さんざん酷い目に遭ったため、「2階7列目の恐怖」でうなされたりするけど(笑)。 

 くじ運の悪いわたしは、相変わらず抽選結果で「……微妙」となってますが(笑)。
 でもって、11月です。
 月が変われば、スカステの番組発表がある。
 わたしは毎月、「ナニかまっつないかな」といそいそチェックし……大抵うなだれて終わるのです。

 それが今回。

 カウントダウン番組に出演!!

 わーいわーい。
 このテのイベントにまっつが呼んでもらえるの、わたしがファンになってからはじめてですよ。わたしが知らない過去に出たことあるのかしら。
 スターかスカイフェアリーズかレポーターズしか出られないのがスカステイベント番組。そして花組で番手スターでもなくスカフェにもかすっていない新公主演経験者って、まっつとめおくんしかいないという事実(今後はあきらも含まれるわけだが)。
 みわっちは3番手だからイベントに呼んでもらえるし、みつる、まぁくん、だいもん、まゆくんはスカフェなのでイベント御用達の面々。
 おかげでまっつは、イベントはいつもスルーだった。出られなくて当たり前、たとえそのかが「そのか枠」として月組でイベントにしょっちゅー出演していても、路線のひしめく花組にはそんなもん存在しない。(つか、まっつぢゃあ「キャラ枠」としてイベントに出すわけにも……ゲフンゲフン)
「オール・リクエスト宝塚名曲!カウントダウン2011」
【出演者】
専科:美穂圭子
花組:愛音羽麗、悠真倫、花野じゅりあ、初姫さあや
月組:明日海りお
雪組:未涼亜希
星組:如月 蓮
宙組:北翔海莉、美風舞良、天羽珠紀、大海亜呼

 花組にいたら、依然出演できなかったんだなああ。
 
 各組3番手格の人と、スカステ常連面子。れんたはスカフェだし、あとはレポーターズだし。例外はさあやのみという。つか、さあやは次期レポーターズ候補ってとこか。

 毎年年末のスカステのカウントダウン番組を見てはいるが、この番組の特長というと、おもしろくないってことなんだよね(笑)。
 パーティらしくホテルの1室らしいところに組ごとに集まってぐだぐだ喋る、「次は*組のみなさんです。*組さぁーん」カット変わって「はい、*組です! 盛り上がってますよお」「いえーい」……てな実に盛り下がる流れ。
 話す内容は、1年間を振り返ったクイズとか、来年の抱負とか。大体みんな、似たり寄ったりのことを言う……人としてとーぜんだわな、こんなテーマじゃ。それを5組分5回繰り返すから、見ていてつらい。
 場を仕切る組子のキャラに丸投げしてある手抜き番組なので、スベリだすと誰も止められない。
 同じようなイベント特番をクリスマスにも放映するため、トップスターが登場してにぎやかに盛り上げるのはそっちで、大晦日はトップ以外のスターや、スカフェやレポーターズのみとかで地味にまとめるんだな。日本人、クリスマス好きだから。

 毎年あまりにつまらなかったせいか(笑)、今年は趣向を変えてリクエスト物にしたのね。
 リクエスト物・ランキング物になれば、台本がお粗末でも場は持つ。過去映像さえあればいいんだから。ぶっちゃけ、現役生徒が誰も出演していない、外部ナレーターの解説のみでも(笑)。

 放送時間は2時間ほど?
 そのうち何曲流して、出演者のトーク部分は何分あるんだろう?

 出演者は一同に集めての収録だといいなあ。
 過去のカウントダウン・パーティは組ごとに別収録だったもの。
 出演者が少ないから、みんな一緒だと思いたいな。

 よーするに、わたしにまつみわを見せろってことなんですけどね(笑)。

 あと、仲が良くないイメージしかない同期、まっつとみっちゃんが並んでどんな会話をするのか見てみたい(笑)。
 わたしがナマまっつをはじめて見たのが、『天使の季節』の新公ステージトーク、そこで彼はみっちゃんからのビデオレターを見て、とても正直に「仲良くないオーラ」を出していたので、その印象が強くてなあ。みっちゃんの不思議ちゃんな喋りと、対するまっつの「北翔空気読め」なぶつぶつコメント……ああどーしてあのときわたし、まっつファンぢゃなかったんだろう。ファンだったらすげーウケてたろうに。(両人とも、今思えばすごく「らしい」姿だ)
 つか、まずまっつはみっちゃんをなんて呼ぶんだろう? まっつが言う「みっちゃん」は通常みつるのことだし。

 組ごとに別々の収録で、ただコメント述べるだけだったら、寂しいなあ……。
 てゆーかそれじゃ、雪組としての仕事をほとんどしてない(ヅカスペしか出てない)まっつに、雪組の1年を振り返るトークは無理だしな。

 
 まあナニはともあれ、リクエスト番組です。
 まっつのブリドリには参加しそびれた(笑)ので、こっちはいっちょ噛みしてみるかと。

 んでもって、全国5万人のまっつファンのみなさんは、まっつのどの曲をリクエストします?
 や、どーせ名だたる名曲、スターの曲ばかりがランキングされ、まつださんに出番があるわけはないんだけど、ひょっとしたら「ちなみに、**さん関連ではこの曲がいちばん人気でしたよ」と出演者枠の紹介があるかもしんないぢゃないですか(笑)。
 番組内ではなくても、スタッフから裏ネタとして本人に伝わるかもしんないぢゃないですか。

 いちばんネタ的に楽しいのは、「海馬の帝国」@『MIND TRAVELLER』ですかね?

 歌と映像がちょびっと流れるだけで、まず爆笑できる、という意味で。
 名曲というより、迷曲ですけどね。
 

 まあよーするに。

 まっつ切れなんです、まっつネタに飢えてるんです。
 今はちまちまと来年のスケジュール帳のまっつ表紙を作っているところですが……ナマまっつが足りないよお。
 まっつ出演のヅカスペまで、まだ1ヶ月半あるよお。

 11月です。
 寒くなってただひとつの良いことは、猫がひとなつこくなることです。目が覚めたとき、布団の中にぬくぬくの生きた毛皮が丸まってる幸福。
 ウチの猛獣は相変わらず猛獣で、いろんなモノと闘い、いろんなモノをぶっ壊し叩き落としてますが、寝てるとかわいーです。
 全身筋肉、余分な脂肪ナシ、実用的な短い毛皮に包まれた、小顔で手足細長しっぽ長のドーベルマンのようなカラダ付きで、今まで飼ってきたどの猫より手触りが良くない・固いのですが、それでもくにゃりとした触感は至福の気持ちよさです……つくづく猫ってすげえ。最低の手触りの猫でも、他の動物よりキモチいいって……。

 そんな今朝の夢っつか、悪夢は、友会の抽選結果でした。

 『ロミオとジュリエット』の抽選結果メールが送られてくる日ぢゃないですか。

 明け方までいろいろやっていたわたしは、夢うつつにケータイの着信音を聞き、枕元のケータイのチェックをしました。

 ああ、抽選結果のメール来てる……今回は久しぶりにフルエントリしたんだ……最近もう友会入力忘れてたりほとんどしてなかったりだったけど、まっつを前方席で見たい!という切望ゆえ、当たりやすいっちゅーかまず入力したらハズレはナイだろう平日まで、びっちり入力していたんだ。

 友会入力しないのは、「良席観劇の期待心<<<カス席の恐怖心」ゆえです。
 期待より恐怖の方が大きい「友の会」ってどうなのよ。

 でも今回は「まっつを見たい」キモチが恐怖心を凌駕。愛の力ってすげえ。
 わたしのよーなカネもツテもない一般人以下のファンが前方席に坐れる唯一の機会が、友会抽選ぢゃないですか。どんだけリスクが大きくても、賭に出てこそファン、燃えろわたしの愛っ。
 てことで、ほんっとにめずらしくフルエントリ。

 その結果が、ぴーぴー鳴るメール着信音、3連発。

 3連発? 4公演入力したのに? もう1通は1分位遅れて到着。
 わたしはメールをざーっとチェックした。「続きを受信」するまでもない、冒頭を読むだけで当たりハズレは文面でわかる。
 ケータイでチェックするのは当落のみ、座席番号はPCで確認している、ケータイの小さな画面は面倒くさいから。つかわたし、基本ケータイでネットしないし、mixiくらいで……ああ、起きてPC立ち上げなきゃ……むにゃむにゃ。

 ええ。
 ケータイ手にしたまま、2度寝しちゃったんですよ、猫を脇に乗せた体勢で!!

 脳裏にあるのは、抽選結果。そして、かわいいけどうれしいけど、重い毛皮の固まりが圧迫。

 悪夢、一直線。

 ……悪夢とは、抽選にはずれることをいうのではありません。

 カス席が当たりまくることを言うのです。

 夢の中でわたしは、友会カードを食券販売機のようなモノに差し込んでました。
 すると、機械の下、食券が出てくるところから、ガチャンと友会発行のあの柄のチケットが出てくるのです。
 友会カードで抽選販売されたチケットが、印字されて出てくる自動発券機らしい。郵送より事故がナイんぢゃね、それって?

 んで、出てきたチケットを見て、わたしはショックを受けるのです。

 2階7列4番って!!

 ショックのあまり、番号までおぼえてる(笑)。
 平日でコレってひどくね? 満員御礼の舞台ならともかく、客がいないことがデフォルトのムラ平日ですよ? 全組平日に観劇してるから知ってるけど、どこの組がどうぢゃなく、ほんとにムラの平日はアレなんですってば。
 2階S席はセンターブロック最前列にしか人がいなかったりするのに、なのになのに7列目の端って、どーゆーこと? 選択肢のない友会会員に「絶対売れない席」を押しつけるのが目的?!

 いや、友会がそーゆーところだと、わかっていた。
 わかっていてわたしは、まっつ愛のために賭に出たんだ。
 伸るか反るか、失敗すればどん底だとわかっていて、それでもわたしは一縷の望みに懸けたんだ……!! あああ、まっつ……!!

 そして、恐怖はこれだけではすまない。
 何故なら、当たったのは1枚ではないからだ。
 別の平日がもう1枚、当たっているのだ。

 わたしは震える手で、券売機を操作した。
 もう1枚、チケットがガチャンとはき出される。

 ああ、それは…………っ!!

 
 目が覚めた。

 もー、心臓ばくばく。

 そして、自分がまだベッドの中で、猫と一緒で、チケットの座席番号は未確認であることを知る。

 よかった。
 夢だ。2階7列4番は夢だっ。わたしはまだ席番確認してないっ、PC立ち上げてないっ。

 こわかった。
 こわかったよーーっ。

 友会って大抵、「こんな席なら、当たらない方が良かった」な席ばかり当たるんだもの、ムラ。だから入力しなくなってたんだよ。

 わたしがお金持ちならイイ、こんなみみっちいことで一喜一憂しない。
 でもわたしには、はっせんえんは大金なの。「1列後ろは5500円」の席で観るくらいなら、はじめから5500円の席で観たいの。んで、浮いたお金でまた別のチケットを買うのよ。
 びんぼーなのよ、びんぼーがみんな悪いのよ。うきーっ。

 悪夢でした。
 朝から(もう昼です)無駄に消耗しました。

 
 抽選結果は、案の定平日だけ当たってました。
 席は……微妙。

 うなされるほど悪夢ぢゃないけど、しかし、手放しで喜べないというか、うーん。てな席。
 下を見ればキリがないけど、なにしろわたしはびんぼーなので、うーん。

 びんぼーが憎い。

 ほんとのとこ、わたしに甲斐性がないのがいちばん悪いんですけどね。
 なんでびんぼーなのに、こんなカネのかかるモノを好きになっちゃったんだろう。
 で、まだ続いている『はじめて愛した』感想。

 なんか久々に楽しかったんだもん。
 こんだけ「キャラクタ」に魅力を感じる公演はイイよなー。
 物語的にどうよとか、キャスティングに疑問はあっても、キャラ萌えできるとそれだけでリピートが楽しくなる。

 女性キャラはヒロイン・レイチェル@あゆっちの他はナタリー@夢華さんとジャンヌ@きゃびいぐらい。レイチェルママやぼんぼんの愛人やメイドさんや弁護士もあるけど、物語の中で「キャラクタ」として書かれているのは3人だけだよね。
 愛人@かおりちゃんはすごく難しい役で、それをまた的確に演じていてすごいと思うけど、でも物語の中では「顔」のある役ではない……もったいないことに。

 その、たった3人しかいない女性キャラの中、ナタリーはいい役なんだけど、容姿と役が合っていない感じ。大人ばかりが出てくるこの物語の中で、彼女の「若さ」と「幼さ」はハイライト的に活かせるはずなんだが、演じている夢華さんは柄違いの感が強い。
 等身大の役だろうに、なんであんなに大人びて……つーか、若さがなく見えるんだろう。顔立ちのせいかなあ。
 ぼんぼんジュリアーノ@咲ちゃんが、心の幼さはともかく、年齢的にはもっと大人の役なのに子どもっぽすぎるのと、対照的。
 劇団期待の下級生に経験を積ませるのはもちろん大切だけど、足りなさすぎると作品として見る場合そこが残念だなぁ。

 ナタリーがもっと、見るからに若いきらきらした女の子なら、レイチェルとの関係もガイ@キムとの関係も、変わって見えただろう。
 なにより、クリッツィ@コマとの関係も。
 クリッツィ好きな者としては、それが惜しくて仕方ない。
 ナタリーって、『ラストプレイ』でいうところのポーリーン@蘭はなちゃんだよねえ。クラブで歌い踊る、若くてちょっと考え無しな、現代的な女の子。かわいいは正義、だけで生きてる系の。だから好意を持っている年上の男に、平気で「次のステージも見ていってよ」と言える。
 夢華さん、ふつーにうまいんだけどね。きらきらした美少女ってわけじゃないので、「かわいいは正義」系の女の子の役はつらい。
 ナタリーがいい年の大人の女だと、物語のニュアンスが変わっちゃうんだよなあ。

 ので、ナタリーのことは置いておいて。
 もうひとりの女性キャラ、ジャンヌ。

 ジャンヌ最高。

 場をさらう、って意味では、彼女は半端ナイぞ。
 登場からキャラ立ちしているけれど、圧巻はヒステリー場面。
 レイチェルを尋問する刑事@ちぎに食って掛かる!

 殺し屋ガイを愛していると言うレイチェルを「おかしい」と言う刑事に「謝れ!」と詰め寄るジャンヌの剣幕、言葉の雨霰。
 止めようとする相棒刑事@ホタテを振り切り、吠える、暴れる。

 そして言うだけ言って、刑事に謝らせて、わーっと泣き出す。

 彼女の感情の流れがリアルで、たまらん。
 他人のために本気で怒って、怒鳴って、緊張の糸が切れて号泣。これは、わかる。わかるよジャンヌ。
 てゆーか、一緒に泣いた(笑)。
 彼女の剣幕が本気だから、食って掛かる彼女とたじたじの刑事は滑稽だから、観客は笑っているけど、たしかにおかしいけど、でも泣けた。
 
 他人のために、やさしさゆえに感情を爆発させる、その姿がおかしいものか。

 それが滑稽な風情でも、笑えることとは別に、泣ける。
 本気ってのは、伝わるから。誠実さってのは、届くから。

 刑事も彼女にたじたじで追い出されてしまうけれど、きっとあのあと「すげー女だなヲイ」って話したと思うけど、悪くは言わないと思うんだ。
 ジャンヌが間違っていないこと、そしてレイチェルのために本気で怒っていたゆえだって、わかるから。
 刑事ふたりはまともにいい人たちだから、自分たちが罵られたからといって、ジャンヌを悪人認定はしないはず。
 むしろ、落ち込んだと思うぞ、レイチェルを好きな刑事くん。言い過ぎたのは事実だもの。それを自覚するだけの度量のある男だもの。そして相棒がそれをなぐさめる、と(笑)。

 ジャンヌがすごいと思うのは、そうやって、「やさしさの表し方」を知っていること。
 怒るべきときに怒り、いたわるべきときに、いたわる。

 レイチェルがどん底にいるとき、特別なことはナニも言わないけれど、ただ「夕飯食べにウチへおいで」と声を掛け、出て行く。「こんなときひとりでいない方がイイよ」と押しつけてそばにいたりせず(笑)、相手を尊重して、その意志に任せる。「おいで」とあたたかい居場所を用意して、待っていてくれる。
 これは、すげー上級者ですよ。
 心底、見習いたいと思った。

 若かりしころ、落ち込んで夜の道ばたに坐り込んで泣いていたとき、「帰ろ」とナニも聞かずに迎えに来てくれた、先輩(美人)のことを、思い出した。背中なでられて、べそべそ泣き続けたっけ……。先輩んちでお風呂借りて、そこでも丸まって泣き通して、でもお風呂から出たあとはなんとなく、生きていける気になったなあ。
 てなことを、思い出してよりじーんとした。が、若かりしころの自分が、なんでそんなに泣いていたのかはおぼえていないという……あんときは生きるか死ぬかの大問題だと思ったからこそ、あんなに大騒ぎしていたはずなのに。がーん、トシとったなオレ。

 そんな大きさ、やさしさのある大人の女になりたいですよ、無駄にトシ食うだけでなく。
 自分はダメダメなままですが、だからこそ、ジャンヌのような女性にはあこがれます。大好きです。

 アンリ@りんきらも、めちゃいい男だしなああ。でぶだけどさぁ。恐妻家ですっかり尻に敷かれちゃってるけど、そこがまたいいんだよなあ。

 最後のどんでん返しのキモとなる、アンリ製の防弾シャツ。縫製係のジャンヌが手を抜いたために、ガイは大ケガするわけで。
 そのことを悔やむジャンヌと、彼女の手抜きを知らずに自分の設計ミスだと悔やむアンリ。

 アンリがジャンヌにダダ惚れだということが、わかるイチ幕(笑)。
 彼女への大いなる愛で、すべてを背負い、包み込むアンリと、そんな夫の言葉をまったく聞いていないジャンヌ。
 イイ。ここが、すごくイイ。
 大好きだ(笑)。

 きゃびいはいい役者になったなああ。しみじみ。
 待ちに待った、「2011年スケジュール帳」の発売日です。

 9月には来年のダイアリー売り場が作られるこのご時世において、毎年11月発売のタカラヅカ・スケジュール帳。
 半年分の演目をどーんと一気に発表していた頃とは違い、毎年発売が難しくなっているんぢゃないかな。公演の年間スケジュールがひと目でわかるページがあるとかを売りにしているのに、肝心のスケジュール欄が空白だったり、意味ねー!!なことも、過去にあった。

 今年はまだマシ。
 あと2日で11月とはいえ、10月中に発売だし、年間スケジュール(どの組がどの時期にどこで公演しているか)は発表されているし。

 わたしは昔からスケジュール帳は使い込む方。7色ペンとミニスタンプやシールを持ち歩き、出来事別に色やシールを変え、マンスリーページにびっしり予定を、ウィークリーページにイラストや日記、ポエム(笑)まで書き込む人間だった。若い頃は手帳と筆記用具類だけでポーチ1個分だったさ。
 今はおばさんなのでそこまでしてないが、カスタマイズは基本。

 マンスリーページに全公演の初日新公千秋楽をチェックし、発売日と友会入力日も発表されている分は全部書き込む。
 書き込むというか、わたしの場合、オリジナルで作ったシールを貼る。大きさや色、枚数など、過去の経験から最適なモノをいちいち作っている。
 観劇予定と実際に観劇済みシールも別に作る。2010年までは花組が他組の3倍という偏ったシールだったが、2011年用に雪組が他組の3倍にデータを変更。
 このシールデータの変更や微調整、印刷してカットし、手帳に貼り込む作業がけっこー時間を食う。ふつーに半日仕事(笑)。

 そのため、1日でも早く、手帳が欲しい。
 11月はじまりの手帳なら、9月発売でもいいよってくらい。

 そういった準備のこと以外に、今年はものすごーく新しい手帳を欲していた。

 とゆーのもだ、わたしの今年のスケジュール帳ってば、お茶をこぼしてガビガビなんだわ、早々に。
 表紙だってカスタマイズしているし、中身もオリジナルシールと書き込みでいっぱい、とっても充実した自慢の1冊なんだが、どんだけお気に入りでも黄緑のシミとガビガビバリバリのページは如何ともしがたい。
 少しも早く、新しい手帳が欲しかった。

 つーことで、発売日にいそいそとキャトルレーヴへ。
 今年も表紙はリバーシブルなのね、ピンクとグリーンの2色並んでいるわ、例年通り手帳用のシールも売っているわ、フッそんなわずかな観劇予定シールで足りると思っているのまったく足りないから買わずに自分で作るわよ、と売り場を眺めると。
 トップスターの表紙?

 なにやら新商品。
 スケジュール帳リフィル(2枚組) 価格840円(税込)とな。

 スケジュール帳の表紙は透明カバー。中の紙を変えることで、いくらでもカスタマイズ可能。だから去年から中身の紙が両面印刷のリバーシブルになっているくらいだ。

 そのスケジュール帳に合わせて、トップ5人+トドの写真印刷済み表紙が売られている。
 うわー、みんなきれー、かっこいー。
 タカラヅカスケジュール帳でなくても、B6サイズの手帳なら使えますよっと。

 しかし、表紙ったってぶっちゃけただの紙なのに、それが840円……。ボるなあ、歌劇団。

 手帳1冊握ってレジに並ぶわたし、ヅカ手帳なんて恥ずかしいモノ、買う人はどれくらいいるのかしらねと毎年思うんだが……さすが発売日だからか、列の人はほとんどが手帳を持っていた。しかも、ゆーひくんの表紙率高し。さすがはビジュアル王。

 わたしは表紙は買いませんよ。
 や、売っていたなら買いますけどね、ご贔屓写真の表紙が。
 売ってないから買えません(笑)。

 いいのよ、自分で作るから。

 手帳を早く手に入れたいのはもうひとつ、大きな理由がある。

 オリジナル表紙を作るため。

 B6サイズの手帳ですから、ポストカードサイズ。なにも専用表紙を販売してくれなくても、劇団がポスカを発売してくれていたら、それを入れれば済む。
 だがMyご贔屓はポスカ未発売。表紙に入れられるモノがない。ヅカ手帳のサイズが2LサイズからB6サイズに変更になったときに、さんざん嘆きました(笑)。2Lサイズのときは、劇団発行の舞台写真を入れられたのに。

 表紙がないなら、作るしかない。ポスカがないなら、作るしかない。
 つーことで、毎年自作に励んでおりまっつ。

 どーせサイズはわかってるんだから、手帳が発売される前から表紙画像を作っておくのもイイが、いちおー毎年、オフィシャル表紙のロゴを流用したりして「手作りだけど、劇団発行っぽく」しているの(笑)。
 だからやっぱり、手帳が発売してからでないと、現物が手元にないと、表紙を作れない。

 てなわけで、発売日買いですよ。

 あ、今回は透明カバー外にポケットがついてない。
 2010年版のみ、カバー外に大きな全面ポケットが付いていた。便利といえば便利だが、引っかかって邪魔だったんだよねー。そこから汚れていくし。なくなったのは、やっぱ不評だったのか。

 2009年版にはあった見開きマンスリーページの、縦一列のスケジュール欄が復活。コレがあると現在の公演をラインで書き込めて便利。

 なんつっても巻末のスター情報ページが感慨深い。
 トップのページにはキムが載っていて、2番手のページは半分が入れ替え、まさお、みりお、ちぎが載っている。5組で2番手は6人か……。

 2012年の手帳は、どうなってるんだろうか……。

 
 なんにせよ。

 お茶をこぼしたりせず、きれーに使うぞー。
 しつこく続く、『はじめて愛した』感想。

 クロード@しゅうくんが、かっこいい。
 これほどかっこいい彼を見たのははじめて。
 体格的に悪役を振られることは多いけれど、クロードは大仰な記号的悪役ではなく、「生きた」悪の部分が物語の棘のように存在感を出している。

 最初はいきなり暴力シーン……つっても、殴られている側。
 殴ってるのがジュリアーノ@咲ちゃんで、はっきり言ってごめんよへたっぴだから、「こんなヘタレに殴られてるから、ヘタレ以下の人??」と誤解されそうだ。(ジュリアーノがヲヅキだったら本気でこわかったろうなあ、暴力シーン・笑)。
 まあ、脚をタコのよーにして「うわーんっ」と暴れているギャグマンガの子どものよーなジュリアーノは、他の役者と格が違いすぎるので置いておくとして。
 見るからに格下のバカに殴られながら登場の、クロードさん。
 ジュリアーノがアレだから気付いてなかったけど、敷物に血が飛び散るほどひどい折檻だったらしい。

 どう見たって、強そうなのはクロード。なのにアホボンに殴られ、罵られるまま。
 その気になれば、あのへろへろに遅い拳をかわして、むちむちしたカラダを殴り倒すことくらい、簡単だろう。
 でもそれをせずに、じっと耐えている。

 ジュリアーノに対しては、コミュニケーションを放棄しているらしく、ほとんど話さない。
 だからクロードの立ち位置がわからなかった。
 アホボンに殴られ威張られ、黙して従うのは、アホはアホとしてそんなぼんぼんを好きだからだろうか? 忠義心だろうか? ぼんぼんの親父に義理があるとか?

 クロードはただの「ジュリアーノの手下」とするには目立ちすぎている。
 台詞や出番が多いわけではないけれど、最初から「あれ?」と目をとめたくなるドラマを抱えている。
 カッセル@ホタテが、「刑事の片割れ」にしては目立ちすぎるように。

 ストーリー的に主要人物ではないのだけど、ただの脇で名前もない、刑事とか手下とかでくくられてしまっても仕方ない、そんな役がドラマを感じさせる……そこがツボです。

 キレやすいだけのゆるいおぼっちゃんにえらそーにされ、でもなんかただの端役にしては存在感、レイチェル@あゆっち相手にはぺらぺら喋ってとりつくろって下っ端感、カッセルごときに(笑)にやっつけられちゃう、カッセルともども立ち位置不明感、そして最後のアレ。
 
 最後のアレが、さいこーです(笑)。

 街中で突然狙撃されたジュリアーノ。驚いて駆けつけるけれど、それ以上ではなく。ジュリアーノ本人にどやしつけられ、いちおー介抱するふりはするけど、本心ではなく。
 絶命したジュリアーノに「清々したよ」で、死体放置。

 ただの下っ端にしてはなんか引っかかる、名前もない「手下」ではないのは、これだったのか!
 台詞だけならクロードは、異を唱えずにジュリアーノに従っている。
 だけどなんか引っかかる……彼がどう思っているのか、どんな立ち位置なのかわからない……そう思っていたのは、最後で昇華される。
 だからなのか、と。

 わたし的クロードのツボは、妻帯者であることです(笑)。

 ジュリアーノに言われるんだよね、「レイチェルを見つけてこないと、お前の女房ごと殺してやる」とかなんとか。
 あ、女房いるんだ。
 結婚しているかいないかはともかく、決まった女がいるんだ。

 ひとりものではない。
 ……それが、クロードという男を考えるのに大きく左右するよな。

 ひとりものなら、嫌気がさせばどこへでも行けるかもしれない。自分ひとりが戦い、殺されれば済むなら、反抗も出来るだろう。
 でも、妻がいるなら。
 愛した女がいるなら、そうもいかないよね。
 黙って耐えるしかないよね。リーマンはつらいやね(笑)。

 なんのしがらみも、守るべきモノもないまま、アホボンに仕えているのと、守りたい生活があるから耐えているのとでは、まったくチガウよなー。
 クロードひとりのことなら、ジュリアーノに好き勝手させて不満そうにしていると「それだけの器の男」だけど、妻のためにあえて留まっているなら、今の状態は彼の器とは別に考えられるもんな。

 でもっでジュリアーノのアホさ加減もいいよな。
 自分の愛する女を捜させるために、部下の愛する女を殺すぞと脅すなんて。
 どんだけ無神経かつ、身勝手。
 そりゃクロードにも愛想尽かされるわ。

 余分なことは言わず、死体を放置する姿が冷酷で、プロっぽくで素敵です。

 
 ジュリアーノの手下はあとふたり、ザッキーとレオくん、こちらはキャラ不明、名前はあっても「手下1、2」レベル。
 ナニかやっていたかもしれないが、わたしにはわからなかったよごめん。
 どちらもイケメンで、ジュリアーノチームは無駄にカッコイイ(笑)。

 でもってわたし、やはりレオくんの顔が好きです。
 ナニをしているでもないのに、目に入る。
 声を出すとけっこーあちゃ~な感じなんだがな(笑)。
 台詞無しで舞台横切っていくだけで「あ、今の!」と思う。ポイントはやはり横顔か(笑)。
 で、まだ続いている『はじめて愛した』語り。

 で、まだ続いている、クリッツィ@コマ語り(笑)。

 クリッツィがケンカ弱いとこが好きっす。

 ケンカ弱くて、クロード@しゅうくんにはボコられるわ、駆けつけてきたカッセル@ホタテには一蹴されるわ。
 問題は、クリッツィがケンカに強いか弱いかではないの。

 理不尽な暴力をかざされたときに、逃げるという選択肢がないことなの。

 弱いのに彼は、当たり前に女の子をかばって立ちふさがった。
 とりたてておびえている風でもない。そりゃ勝つ気満々でもないが、ガクブルしながら楯になったわけでもない。

 弱いのは結果であり、これからもクリッツィは当たり前に、女の子を背中にかばうんだろう。
 ……弱いから、なんの役にも立たないにしろ(笑)。
 

 でもってわたしは、カッセルが好きだ。

 彼の「まともさ」が好き。
 相棒のベルモンド@ちぎがあまりに熱血刑事なので、それにつきあわされているカッセルの「ふつうさ」が最初、ナニか裏があるんぢゃねーの?ってくらい、疑わしかった(笑)。
 だってあまりにもカッセルひとりまともすぎて……。他はみんな、リアルだけどナニかしら「フィクションらしいドラマチックさ」を持っているのに、カッセルだけナニもない。んで、ナニもないただのモブ、人数合わせ、刑事はふたり一組だからとりあえずもうひとりいます的な人にしては、目立ちすぎている。
 だから最初は、ナニかあるのかと……(笑)。

 ほんとに、「ただのいい人」で「ふつーの人」で「まともな人」でした。

 …………。
 萌え~~っ。カッセルの、ふつーさ萌え~~!

 あのうるさすぎる相棒持ちながら、あんだけふつーでいられるって、どうよ?!(笑)
 横で高速回転空回りして発熱通り越して火熾ししてるよーなベルモンドがぎゃーぎゃーゆってて、それに引きずられるでなく自分のスタンスでつきあってられるのって、すごい!
 隣では公私混同で目撃者の女の子に惚れて空回りして、オチたり煮えたぎったりしてるのよ。それが仕事の相棒よ? どんだけうざいよそんなの(笑)。なのにカッセル、ふつーについていくし。

 で、ナニ気に強いし。

 本職!って感じに乱暴なクロードを、クリッツィがまったく歯の立たなかった相手を、簡単に転がしてしまうし。

 ベルモンドがきーきーうるさいだけで実は弱そうだから(金と力のない美男の見本)、地味でおっさんくさいカッセルがナニ気に強いところがまた、素敵にコントラスト。

 質実剛健なとこがたまらん。
 あんだけ強くて、威嚇で吠えることもできて、なのにあのベルモンドに従っているとことか。
 従うっていっても部下とか下僕ではなく、ふつーに相棒で、異を唱えることもないから従うっていうか、ほんとうにチガウと思ったらチガウと言うだろうっていうか。

 まともで強い真面目な男が、大暴れヒステリー女@きゃびいに振り回されっぱなしで終わるとことか。

 好みすぎる(笑)。

 
 で、話はクリッツィに戻る。

 レイチェル@あゆっちを守ろうとして、クロードにボコられるクリッツィ。
 転がされながらも立ち上がり、向かっていこうとしているのに……そこに駆けつけたカッセルに、暴漢と間違えられ、ぶん投げられる。
 ……あの可哀想さが、萌え(笑)。
 観客も容赦なく笑うしな。

 クリッツィの素敵なところは、そのことでぎゃーすか騒がないこと(笑)。
 女の子を守ってケガをしながら闘っていたのに、駆けつけた刑事にさらにケガをさせられるってどうよ?
 文句言っても泣き言言っても仕方ないのに、ナニも言わない。

 クリッツィをカッコイイと思うのは、こーゆーとこだ。
 三枚目的に描かれているクリッツィだから、ここで「ひでぇよ」と泣き言を言わせ、カッセルに食って掛からせることは簡単、観客も大笑いするだろう、その滑稽さに。
 だけどそんな描き方はしない。

 クリッツィはナニも言わない。
 腹は立てているが、カッセルをなじることなく立ち上がって、荷物拾って歩き出す。

 で、自分が最初にぶっとばした相手が悪者ではなく、守ろうとした女の子の関係者だとわかったカッセルが、「あ」って顔でクリッツィを見るのも好きだ(笑)。
 舞台上で、台詞で、いちいち詫びたりなんだりで時間を取ることはないが、暗転の間際、クリッツィが積み上げた荷物を、カッセルがいくつか手伝って持ってあげる、あの展開が好き。

 クリッツィは、いちいち謝られたくないのよね。
 男だから。
 自分が強ければ、ひとりでなんとかできていたのに、それが叶わずカッセル登場となった。
 カッセルが現れ、自分を投げ倒したのは、自分が弱かった結果。
 だから自分を暴漢と間違えたカッセルをなじらない、でもムカつくから目も合わせない。

 そしてカッセルは、間違いは間違いだから、悪いと思っている。怒って目も合わせないクリッツィに、詫びの意味で荷物を持つ。
 や、実際「すまん」ぐらいは口にしていると思うし。クリッツィは「別に」ぐらい返していると思うし。

 この、「男」ならではの関係に、萌え。

 
 わたしは、クリッツィのこと最初、アッシュ@マヤさんの仲間だと思っていた。チームだと思っていた。
 だから最後、作戦決行前後の彼の身の振り方に、誰も言及しないのが不思議だった。
 アンリ@りんきらとガイ@キムは、レジスタンス時代からの親友、アッシュもその時代を知る関係者。ナタリー@夢華さんはアッシュの家族。
 クリッツィだけ時代と次元が違う。
 彼は、アッシュがパリで殺人仲介業をはじめてからのつきあいだろう、年齢的にも。
 チームの一員ではなく、フリーの立場のまま、関わっていた。だから作戦が終わればもう関係はない。

 そもそも仲間仲間友情絆とべたべたしない、コトが終われば解散!な関係なんだ、アッシュたち。
 そしてまた、ナニかあるときには力を貸したりするんだろう。

 そんな彼らに関わっていたクリッツィだから。
 一仕事終わって行くあても帰るあてもない。まあてきとーにどうとでもするさ、な彼を、ナタリーが口説く。一緒に暮らそうと。
 ナタリーは今回の件で少し成長したとはいえ、基本が依存心の強いふつーの女の子だ。クリッツィを愛しているというよりは、誰か事情を知っている男と暮らしたかったんだろう、ひとりになりたくなくて。もちろん、クリッツィに好意はあるにしろ。
 そしてクリッツィも、そんなこんな全部わかってて、頷く。それもアリかと。

 
 で、ここで問題なのは。

 ナタリーはアッシュの店を守っていくそうな。てことは、彼女と一緒に暮らすクリッツィもまた、パリに残るということで。

 カッセルと、会うよね?

 クリッツィは情報屋としてのパイプを捨てるとは思えないし、結局はパリの裏社会を泳いでいくのだと思う。
 するととーぜん、パリ市警のベルモンド&カッセルコンビに、今後も関わる公算大よね?

 ……楽しみだ(笑)。
 それでも続いている、『はじめて愛した』の感想。

 クリッツィ@コマが好きだっ。

 アッシュ@マヤさんチームの情報屋。つっても、ばっちりべったり仲間というわけではなく、彼自身はフリーであるっぽい。
 アッシュやガイ@キムを好きで、なんとなく近くにいる感じ。

 コマはいい役者になったな。つか、マサツカ芝居と合うんだろう。ハリー作品のときは空気がチガウ。
 なんかなつかしい、と思うのは、彼がまとう朴訥とした雰囲気が、若い頃のきりやん@『PJ』を思い出させるのか。

 正塚作品は、台詞による情報量が少ない。
 コトバで解説するのではなく、「ああ」とか「うん」とかの短い日常のやりとりで、背後にあるモノを想像させる。
 だから、コトバ以外の部分の雄弁さが、キャラクタを分ける鍵。

 これまでのマサツカ芝居でコマは、台詞も出番も少ない役を与えられ続け、印象的に空気を動かしてきた。テンポだけで客を笑わせる芝居をしてきた。
 段階踏んで着実に前進しているイメージ。
 あれらの役があり、今回のクリッツィ役がある。

 クリッツィもまた、「いつものコマ」に分類できる役だ。
 本人は真面目だけど、客に笑われるまぬけな役。ほっこり息抜き的役割。ああ、なんていつものコマ。

 でもさ。

 クリッツィって、めっちゃかっこよくない? 耽美キャラぢゃない?

 まず、見た目のギャップ。
 単純に、美形です、クリッツィ。
 オーディエンスとして、役と離れて歌ってるとこだとわかりやすいよね、見た目だけならほんとキレイですってば。

 下っ端体質でいろいろとアゴで使われたりケンカ弱くて簡単に転がされたり、しているけれど。
 三枚目的立ち位置にいるけれど。

 ひとりで佇んでいるときとか、主要人物の話をじっと聞いているとき、見つめているときが、やたら美しいですが。

 西洋の教会とかの神像だの彫刻だの美しさではなく、原色と毛皮で塗り分けられたジャングルの神像や仮面の美しさっていうか。
 血と肉と大地を感じさせる、プリミティヴな美しさ。

 土臭いとか泥臭いとか(笑)、そんな意味でもありますが。

 白く美しい教会の像はわたしにとって遠い世界の出来事で、きれいねと思ってもソコ止まりだけど、毒々しい色の大地の面は思わず二度見するっちゅーか手にとってしまうような、吸引力がある。

 なんか、やばいな。
 やばい美しさだ、コマ。

 ひとことで言うと、色っぽいんだと思う。
 ……生々しく。

 おきれいな高尚な美しさは遠く眺めるだけだけど、生々しい美しさはわたしに関与してくる。絡め取ろうとしてくる。だからびびる(笑)。

 持っているモノがエロ気十分なのに、朴訥で鈍くさいキャラを演じている。
 そのギャップに、くらくらくる。
 黙っているときの美しさ、妖しい耽美っぷりと、口を開いたときの下っ端感。それはギャップであり、乖離ではない。
 自然に融合している。
 いや、あの耽美っぷりと下っ端感が、たまらん。それこそが、リアルな色気になっている。

 単純に腕っ節が強いとかクールとか、そーゆーものは美しさとして「わかりやすい」から表現方法として取られがち。
 ケンカ弱いとか、女の子にパシリ扱いされてるとか、マイナスになる要素を持ちながら美しさや色っぽさを醸し出しているから、コマさんやばい(笑)。

 そして、語りすぎないキャラクタ。

 ナレーションで、全解説しないし!(重要)

 ガイはちょーカッコイイ男だけど、モノローグ(録音)でうだうだ言い過ぎなんだよっ。モノローグ全カットしてくれ、その方が絶対カッコイイ。
 あんな解説なくても、短いナマの会話だけでも心情の表現は出来るし、背景だって想像できるし、客だって理解できるよ。……ヅカの客は1から10までコトバで説明しないと理解できないって、マサツカおじさんが絶望している結果があのナレーションの洪水かもしれないが。

 ともあれ、脇役であるおかげで、クリッツィはアホなモノローグをうだうだつぶやかないので、男ぶりが上がってますのよ。

 ナタリー@夢華さん相手に「たぶん、なにか飽きるんだよ」とか語っているところ。
 アレこそがマサツカ芝居の真骨頂だよなああ。
 言葉少なすぎて、ナニ言いたいのかわかんないところ(笑)。

 ヅカファン相手には全部コトバでどう思ったからどうだったとか、解説しなきゃいけないから、主役にはあーゆー芝居はさせられない。
 主役の顔さえ、かっこいい衣装や姿さえ見てれば満足なヅカファンには、無粋なモノローグ(録音)芝居を押しつけておいて、主役ファンがどーでもいーとスルーしているだろう脇に、ずっぽりマサツカ芝居をさせる。
 正塚せんせの上から目線っつーか、悦に入った考え方が透けて見える……よーな気がしないでもないんですが、それでもやっぱ、このわけわかんねーやりとりこそを、もっと見たいと思うな。

 コトバが少ないからこそ、その奥にあるモノを想像する。
 クリッツィという男を想う。

 アッシュの手下みたいな出方をするけれど、チーム入りしているわけじゃない。
 彼自身は、フリー。自分の意志で、アッシュやガイに協力している。
 だからいつでも、手を引ける。ひとりでどこへでも行ける。

 誰にも、依存していないから。

 アッシュにはナタリーという家族がいるし、アンリ@りんきらも妻がいる。
 でもクリッツィには家族も恋人も出てこない。最後、ナタリーに口説かれて彼女の店に居着くことを決めるのだから、その時点まで恋人もいないんだろう。

 クリッツィは、ひとり。なんのしがらみも持たない。

 自由であるということ。
 それは、強さだ。

 自由であるということ。
 それは、孤独だ。

 クリッツィの魅力は、「ケンカ弱いから格好悪い」とかわかりやすいところでは三枚目的に描かれているのに、彼に注目しているとその強さ、格好良さが見えてくるというところにある。
 この多重構造(笑)は、おもしろいわー。好きだわー。

 ナタリーに口説かれて、とりあえず彼女の元に身を寄せるけれど、いつでも彼はいなくなっちゃえるんだろうな。
 ナタリーは弱い女の子だけど、クリッツィは強い男だから。
 強くて、ある意味冷酷な男だから。
 不要になれば、ひとりで出て行く。籠の中には入らない。

 オーディエンスとして、ガイの葛藤を歌で見守っていた、あの硬質な眼差しそのままに。

 自分の翼で飛ぶから。
 地味に続いている、『はじめて愛した』感想、ジュリアーノ編の続き。

 ジュリアーノ@咲ちゃんは、レイチェル@あゆっちの弟を殺した。

 レイチェルはそれに絶望し、自殺まで追いつめられる。

 レイチェルも彼女の母@ヒメも、ジュリアーノを責めるばかりで、もちろんそれは当然なんだが、ほんとのとこ、ジュリアーノは弟を殺すつもりはなかったと思うんだ。
 弟がシスコンでもともとふたりがつきあうのに反対だった、というのはわたしの妄想だが(笑)、それ以後、ジュリアーノがギャングだとわかったあと、弟がふたりがつきあうのに反対していたのは物語からわかる。
 
 殺すつもりはなかった。
 ジュリアーノは基本、レイチェルの嫌がることはしたくないんだ。
 喜ばせたいと思っているんだ。好かれたいと思っているんだ。
 なのに、弟を殺すはずがない。
 母子家庭で育ち、家族を愛している、ふつーの娘なんだから。
 愛する女の子の、弟を殺したいはずがない。

 だけどジュリアーノは、キレやすい性格で。キレたら即暴力、即拳銃。ギャングの若様として、そーゆー環境で育ち。
 レイチェルと別れろと言う弟に、ついかっとなって……うっかり、殺しちゃった。
 そんなつもり、なかったのに。

 弟のことでなじられると、ジュリアーノはバツの悪い顔をする。最初からレイチェルを脅すための「見せしめ」として殺したのなら、そんな顔する必要ない。
 殺すつもりはなかった、彼女を泣かせるつもりはなかった。なのに、自分の落ち度でそんなことになってしまった。だから、痛いところを突かれた、という顔をする。そして、キレる。
 間違いを指摘されたら認めたり謝ったりするのではなく、威嚇したり暴れたりして誤魔化して来たんだね。
 誰も彼を叱ってくれなかった。謝り方を教えてくれなかった。
 だからジュリアーノは、暴れ続ける。
 大切なモノを傷つけて、自分も傷ついて。

 
 レイチェルママとジュリアーノの場面が、わざわざあることを考える。
 ヒメに役を付けるため・出番を作るため(笑)とかゆーことは、置いておいて。
 別にレイチェルの母親を出す必要はないんだ。出したとしても、ちらりとでいい。ジュリアーノが母親を人質にしているとわかる程度で。
 なのにわざわざ、しっかりと1場面使って、ふたりのやりとりを見せている。

 それによって、台詞だけで「オマエが逃げたら、母親がどうなるかわからないぞ」と言わせるのとは、違ったモノが見えてくる。

 ジュリアーノがギャングだとバレていなかった頃、彼は当たり前にレイチェルの家族ともつきあっていた。ママにもかわいがってもらっていた。
 ギャングだとバレた途端手のひらを返され、そのことにジュリアーノが傷つくほどには、仲良くやっていたんだろう。
 嫌いな相手、どーでもいい相手に「ギャングだからキライ」と言われても、ムカつきはしても、ショックは受けないだろう。生まれてからずーっと同じ台詞は表で裏で言われ続けていただろうし。
 ママに「ギャングだから」と否定され、ジュリアーノは「痛い」表情をする。一瞬、深く傷つく……すぐにアタマ悪くキレて吠えるけれど。

 ママはたしかに人質で、レイチェルを捕まえておくためのエサなんだうけど。
 スパイ物とかでよくある「母親の命が惜しかったら組織に協力しろ」ネタの場合、母親はどこか遠くに監禁されていて、顔も見られないのがデフォ。「母は元気なの? 会わせて、声を聞かせて!」「お前が命令に従えば会わせてやる」……で、大抵すでに人質は殺されてるのな。死んだという確証がない限り、命令に従うしかないから。
 大人ひとりを生かして見張り続けるのは大変だよ? そんな労力払うくらいなら、殺して「生きている」と思わせる方が遙かに楽。
 ママは地下牢に監禁されているわけじゃなく、ふつーにアパートかなんかで暮らしているわけでしょ。
 そんだけややこしいことを、お金と労力使ってやってるのは、ひとえにレイチェルのため。

 ジュリアーノは、レイチェル自身もだけど、彼女を形作った彼女の背景も愛していたんじゃないかな。

 やさしくてこわいママがいて、美人の娘がいて、生意気な弟がいて。
 「ただいま」と言って、帰る家。

 レイチェルがママにハグして、夕飯の支度を手伝う話をして。紹介されたジュリアーノは、場違い感に棒立ちしていて。椅子を勧められて、あわてて坐って。
 キッチンから聞こえる母と娘の会話や、豪華ではなくても大切に整えられたインテリアを眺めて、時折声を掛けられたら居住まいを正して。
 帰ってきた弟にねめつけられて、睨み返して。こいつ気にいらねえ!と双方思って(笑)。
 家族みんなで囲む食卓、他愛ない日常の会話。
 レイチェルがレイチェルとして育ってきた場所。彼女が笑う場所。

 母親を殺すことだって出来た。でもあえて生かした。家や金を与え、ナニ不自由ない生活をさせた。
 弟を殺すつもりなんかなかった。いろいろとうるさいヤツだったけれど、殺したいとは思ってなかった。あんなに突っかかってこなけりゃ、ナニもしなかったんだ。
 ただ、レイチェルが欲しかった。彼女に、喜んで欲しかった。笑って欲しかった。愛して欲しかった。

 子どもの癇癪まんまにレイチェルを探し、探させ、ガイ@キムの家でよーやくレイチェルを見つけたときの、うれしそうな顔。

 ただ、会いたかったんだ。会えてうれしいんだ。そんな顔。

 
 ジュリアーノはほんとにどーしよーもないアホボンだけど。
 こんな男に人生費やすのは無駄でしかないと思うけど。

 「ギャングに生まれたのはオレのせいじゃない」「だからオレは悪くない」「オレはナニもしなくていい」と、なにひとつ現状を変える努力はせずに、責任転嫁して暴力をふるうだけ。
 まともな人間関係を一切築けなかったから、いちばんの部下にも「清々したよ」と見捨てられる。
 それがとーぜんの、どーしよーもない男だけど。

 ジュリアーノのどーしよーもなさの中に、いたいけな子どもの顔が見え隠れするから、切ない。

 そんなふうにしか育つことが出来なかった、いびつな子どもの悲しさが。哀れさが。

 レイチェルと結婚して、「家族」を作りたかったよね。
 「ただいま」と言って、帰りたかったよね。
 地味にまだ続いている、『はじめて愛した』感想(笑)。

 ジュリアーノ@咲ちゃんに足りていない部分が山ほどあること、成長する未来があるにしろ今この時点で、この舞台上においては足りなさが丸見えでいろいろと残念なこと……は、置いておいて。

 ジュリアーノ萌え。

 ジュリアーノは大学時代、ギャングのぼっちゃんだってことを隠して、レイチェル@あゆっちとつきあっていたという。

 あのー。

 隠せないだろ、性格は。

 出自はたしかに、言わないとわからないかもしれない。手下も遠ざけ、屋敷を出て、ひとり暮らししていたら、誤魔化せるか。
 でも、あの尊大な態度、キレやすい性格は、変えられないだろ。
 ただの知人とかクラスメイトなら、がんばって作った外面(が、あるのか?)しか見ないかもしれないけど、恋人としてつきあったら、どうしても出るだろ、元の性格が。
 完璧に別人を演じられるよーなスキルはないよ、ジュリアーノ。バカ丸出しだよ、ジュリアーノ。
 彼が外面を作っていたとして、純粋に接している時間の長さに比例して、バレたと思う。気に入らないことがあると瞬時にキレ、即暴力、という性格が。

 現在のレイチェルが可哀想だから誤魔化されそうになるが、別にジュリアーノは出会ったときから暴力で脅して拉致していたわけではない。
 昔はふつーにラヴラヴだった、つきあっていた、というから、わからなくなる。

 ラヴラヴだったころって、レイチェルはジュリアーノのこと、どう思ってたの?

 ちょっとわがままでキレやすい、大金持ちのおぼっちゃま?

 高級品身につけてるしぃ、車持ってるしぃ、会うたびブランド品プレゼントしてくれるしぃ、デート豪華だしぃ。
 玉の輿じゃん♪ と、喜んでたとか……? 母親@ヒメも歓迎してたっぽいし。

 それがセレブじゃなくギャングだとわかって、手のひらを返した……?

 そりゃ、ジュリアーノぢゃなくてもキレるわ。

 本人に罪のない、生まれの問題で切られたんじゃあねえ。手のひら返されたんじゃねえ。
 まあ、ほんとのとこレイチェルは、そこまで打算でつきあっていたわけじゃないでしょうが。

 実際問題として。
 「お金持ちでキレやすいおぼっちゃん」のときは、わがままで暴力的なところが「素直で自分に正直、子どもっぽくてカワイイ」と思えても、ギャングだとわかったあとは「凶暴で危険、ナニをされるかわからない」と思えるのは、仕方ない。
 人間として、リアルな心の動きだと思う。
 同じように「思い通りにならないとキレて殴る」行為が、セレブなら許されても、ギャングなら許されない。
 セレブだと思っていたときはイイ顔して、ギャングとわかって恐怖と軽蔑を突きつける、レイチェルとその母の行動は実にありがち、仕方ない。
 リアルですよ、ええ。誰だってアナタだって、そうでしょ?てなもん。

 しかし、現実的にはそうであったとしても、フィクションで、恋愛モノで、ヒロインで、「カタチや肩書きに左右されて、態度を変える」可憐でやさしいキャラ、つーのもなあ。大変だなあ(笑)。

 その後レイチェルはガイ@キムと出会い、彼が殺し屋とわかっても愛するので、肩書きが問題ではないとわかる。
 ギャングだからってのはきっかけに過ぎず、性格的にジュリアーノを嫌うようになったのだろうとは思う。
 ジュリアーノがギャングでなく、セレブであったとしても。母親が「玉の輿よ! どこが不満なの!」と騒いだとしても、レイチェルはいずれジュリアーノと別れたと思う。
 でも、彼女が態度を変えたのはジュリアーノがギャングとわかったときであり、また、彼を嫌だと思うすべての理由をそこに集約させている。や、その通りだろう、ジュリアーノが暴力的なのもキレやすいのも我慢を知らないのも、全部彼がギャングのおぼっちゃまとして育った所以だろう。
 だから彼を否定する理由として「ギャングだから」とするのは仕方ないんだが……ジュリアーノからしたら、納得いかんだろう。

 今までふつーにつきあってきた、恋人同士だった。なのに、ギャングだとわかったら、別れ話。
 こりゃひどい。

 
 レイチェルの心の動きはリアルだし、実際ジュリアーノはひどい男だし、当然っちゅーか、仕方ないと思える展開。
 それでも、ジュリアーノを可哀想だと思わせるものが、咲ちゃんにはある。
 
 クロード@しゅうくん相手に吠えているとことかは、ギャグマンガの脚をタコのようにばたつかせているガキにしか見えないんだが(笑)、そのあとレイチェルママと話しているときに、すごくいたいけな顔をする。

 ギャングだってことを知らなかった頃、ママは今とはまったくチガウ態度だった。
 ジュリアーノのことを、娘の彼氏と認めていた……かわいがっていた、んじゃないか?
 カラダが大きくてわがままで裏表のないジュリアーノは、変にスレた学生たちよりも純真に映ったんじゃないか?

 昔はちがったじゃないか、と笑おうとするジュリアーノに、ギャングだと知らなかったからだ、と返すママ。凍り付くジュリアーノ。
 その傷つきっぷりがね。
 意味もわからず母親に殴られた幼児のようで、主人に殴られた犬のようで。

 愛を、存在を、否定された。
 その痛みが、ストレートに伝わる。

 ジュリアーノがあんまり純に傷つくもんだから、想像してしまうのよ。
 ギャングだと知らなかった頃、ママはすごくやさしかったんじゃないかって。やさしいだけじゃなく、いけないことをしたときはぴしゃりと叱られたり……それがまたこわかったり。
 ふつうに、「母親」として。
 ジュリアーノはレイチェルも大好きだけど、彼女の家に遊びに行くのも好きだったんじゃないかって。ママにやさしくされたり、叱られたりするのも楽しみだったんじゃないかって。

 弟とは仲悪かった気がする(笑)。
 弟は絶対シスコンだし。決めつけ。「あんな乱暴者、やめとけよ」ってレイチェルにことあるごとに言って、ジュリアーノにもつんけんして。
 弟とジュリアーノがケンカになって家の中走り回って、ママが雷落として。
 一緒にごはん食べて。弟とジュリアーノは目が合うとふんっとそらして。弟は高校生くらい、そしてジュリアーノは弟かそれ以下の精神年齢(笑)。

 好きだったんじゃないかな。
 いけ好かない弟(笑)も含めて、レイチェルの家が。家族が。

 単にレイチェルと過ごしてきた時間だけでなく、家族とのふれあいも全部否定されたから、ことさら暴挙に走るはめになったんじゃないか。
 ただ、生まれの問題だけで、なにもかも否定されて。

 
 続く。

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