あれは、竜馬だ。@維新回天・竜馬伝!
2006年12月8日 タカラヅカ 坂本竜馬の魅力を語ろう。
彼が成し遂げたことの偉大さが、魅力なわけじゃない。
機知だとか洞察だとか自由だとか、奔放だとか大胆だとか強靱だとか、能力、性質、行動を讃える言葉はいくらでも出てくるが、それが彼の魅力であるわけじゃない。
いや、それらが彼の魅力であることはわかっている。だが、正確に言うと「魅力は、それだけではない」のだ。
理屈ではなく、言葉ではなく、人を惹きつける力。
損得や先入観、立場を超えて、ただただ惹きつける力。
この男ならなにかやる、世の中を変える、状況がもっと良くなる、なにか得をしそうだ……いろんな想いで人は人に向き直り、荷担したり、見守ったりする。
そーゆーものを、まるっと超える力。
ぶっちゃけ、ただの大風呂敷でなにも成し遂げないとしても、世の中も変わらないし、状況が良くなることもないし、味方をしてもなんの得にもならない……としても。
そんな計算を全部すっ飛ばして、この男の力になりたいと思う。この男が見たいモノを見、したいことをし、魂のままに生きる様を見たいと思う。そう、思わせてしまう、力。
ねえソレ、なんだと思う?
簡単なんだな。
「好き」って力だよ。
他のこと全部、置いておこう。
ただ、「好き」と思わせる力。
理屈も常識も届かない、感情だけで「好き」と思わせる力。
彼がどんなに突拍子もないことをやりだしても、言い出しても、受け入れてしまう。腹を立てたり、文句を言ったりしつつも、根っこのところでいつも許している。
ただ、「好き」だから。
雄藩を担う海千山千の政治家たちが、時の将軍が、現行政府の要人が、憂国の志を持つ若者たちが、彼に影響を受け踊らされ指針を変化させたのは何故だ。
もろもろの美点利点を上げることはできるが、それ以前に、彼が人の心を動かす「なにか」を持っていたからだ。
好きだから。
言葉だとか数字だとかで考える部分とはまったくべつの、本能的な部分を惹きつける力。
「好き」……そう感じさせてしまう、力。
とてもプリミティヴな力。シンプルな力。
貴城けい演じる坂本竜馬に、その力を感じるんだ。
小難しい歴史だとか、背景や設定、人物、役職、関係、立ち位置。
そんなことなにも考えず、竜馬だけを見ればいい。
そか、好きだからだ。
理屈じゃなく、好きだから、動くんだ。
竜馬が魅力的である。
それが、なによりもの説得力。
この男のために、なにかしたい。この男の言うことを、信じたい。この男の導く未来を、見たい。
そんな純粋な気持ちが、一歩を踏み出す目に見えないきっかけとなり、歴史の輪が回り出す。
『維新回天・竜馬伝!』を観て、思うんだ。
竜馬がいる。
あれはまちがいなく、坂本竜馬だ。
美しすぎる顔立ち云々の話ではなくてな。かしげは竜馬ってイメージぢゃないよ、とか、そーゆー話でもなくてな。
そもそもタカラヅカで、女が演じる男役なんてもので坂本竜馬ってのが変なんだ、とかゆー次元のことでもなくてな。
「坂本竜馬」という記号を表現する上で、かしげ竜馬は、まちがいなく「ひとつのかたち」だと思うんだ。
出会った人すべてを虜にする、不思議な魅力を持った青年。
人なつこい笑顔。
あどけなさとしたたかさ。
竜馬が笑う。
大きな口をニカッと開けて。
調子の良さ、不遜さ、だらしなさ、押しの強さ。
万華鏡のような魅力を振りまきながら、周囲全部をかき乱していく。
その、陽の魅力。
それでいて暗い絶望や焦燥、怒りをひそませるときの、壮絶な孤独感。
その、陰の魅力。
併せ持つことで彼は、強い光を放つ。
あれは、坂本竜馬だ。
あれも、「坂本竜馬」だ。
星の数ほど繰り返し描かれててきた幕末の風雲児。人の数だけ「わたしの竜馬イメージ」はあるだろうけれど、今舞台にいるかしげ竜馬もまた、まちがいなく「坂本竜馬」だ。
彼を、好きだと思う。
ただそれだけの事実に、胸が熱くなる。
彼が成し遂げたことの偉大さが、魅力なわけじゃない。
機知だとか洞察だとか自由だとか、奔放だとか大胆だとか強靱だとか、能力、性質、行動を讃える言葉はいくらでも出てくるが、それが彼の魅力であるわけじゃない。
いや、それらが彼の魅力であることはわかっている。だが、正確に言うと「魅力は、それだけではない」のだ。
理屈ではなく、言葉ではなく、人を惹きつける力。
損得や先入観、立場を超えて、ただただ惹きつける力。
この男ならなにかやる、世の中を変える、状況がもっと良くなる、なにか得をしそうだ……いろんな想いで人は人に向き直り、荷担したり、見守ったりする。
そーゆーものを、まるっと超える力。
ぶっちゃけ、ただの大風呂敷でなにも成し遂げないとしても、世の中も変わらないし、状況が良くなることもないし、味方をしてもなんの得にもならない……としても。
そんな計算を全部すっ飛ばして、この男の力になりたいと思う。この男が見たいモノを見、したいことをし、魂のままに生きる様を見たいと思う。そう、思わせてしまう、力。
ねえソレ、なんだと思う?
簡単なんだな。
「好き」って力だよ。
他のこと全部、置いておこう。
ただ、「好き」と思わせる力。
理屈も常識も届かない、感情だけで「好き」と思わせる力。
彼がどんなに突拍子もないことをやりだしても、言い出しても、受け入れてしまう。腹を立てたり、文句を言ったりしつつも、根っこのところでいつも許している。
ただ、「好き」だから。
雄藩を担う海千山千の政治家たちが、時の将軍が、現行政府の要人が、憂国の志を持つ若者たちが、彼に影響を受け踊らされ指針を変化させたのは何故だ。
もろもろの美点利点を上げることはできるが、それ以前に、彼が人の心を動かす「なにか」を持っていたからだ。
好きだから。
言葉だとか数字だとかで考える部分とはまったくべつの、本能的な部分を惹きつける力。
「好き」……そう感じさせてしまう、力。
とてもプリミティヴな力。シンプルな力。
貴城けい演じる坂本竜馬に、その力を感じるんだ。
小難しい歴史だとか、背景や設定、人物、役職、関係、立ち位置。
そんなことなにも考えず、竜馬だけを見ればいい。
そか、好きだからだ。
理屈じゃなく、好きだから、動くんだ。
竜馬が魅力的である。
それが、なによりもの説得力。
この男のために、なにかしたい。この男の言うことを、信じたい。この男の導く未来を、見たい。
そんな純粋な気持ちが、一歩を踏み出す目に見えないきっかけとなり、歴史の輪が回り出す。
『維新回天・竜馬伝!』を観て、思うんだ。
竜馬がいる。
あれはまちがいなく、坂本竜馬だ。
美しすぎる顔立ち云々の話ではなくてな。かしげは竜馬ってイメージぢゃないよ、とか、そーゆー話でもなくてな。
そもそもタカラヅカで、女が演じる男役なんてもので坂本竜馬ってのが変なんだ、とかゆー次元のことでもなくてな。
「坂本竜馬」という記号を表現する上で、かしげ竜馬は、まちがいなく「ひとつのかたち」だと思うんだ。
出会った人すべてを虜にする、不思議な魅力を持った青年。
人なつこい笑顔。
あどけなさとしたたかさ。
竜馬が笑う。
大きな口をニカッと開けて。
調子の良さ、不遜さ、だらしなさ、押しの強さ。
万華鏡のような魅力を振りまきながら、周囲全部をかき乱していく。
その、陽の魅力。
それでいて暗い絶望や焦燥、怒りをひそませるときの、壮絶な孤独感。
その、陰の魅力。
併せ持つことで彼は、強い光を放つ。
あれは、坂本竜馬だ。
あれも、「坂本竜馬」だ。
星の数ほど繰り返し描かれててきた幕末の風雲児。人の数だけ「わたしの竜馬イメージ」はあるだろうけれど、今舞台にいるかしげ竜馬もまた、まちがいなく「坂本竜馬」だ。
彼を、好きだと思う。
ただそれだけの事実に、胸が熱くなる。