坂本竜馬の魅力を語ろう。

 彼が成し遂げたことの偉大さが、魅力なわけじゃない。
 機知だとか洞察だとか自由だとか、奔放だとか大胆だとか強靱だとか、能力、性質、行動を讃える言葉はいくらでも出てくるが、それが彼の魅力であるわけじゃない。

 いや、それらが彼の魅力であることはわかっている。だが、正確に言うと「魅力は、それだけではない」のだ。

 理屈ではなく、言葉ではなく、人を惹きつける力。
 損得や先入観、立場を超えて、ただただ惹きつける力。

 この男ならなにかやる、世の中を変える、状況がもっと良くなる、なにか得をしそうだ……いろんな想いで人は人に向き直り、荷担したり、見守ったりする。
 そーゆーものを、まるっと超える力。

 ぶっちゃけ、ただの大風呂敷でなにも成し遂げないとしても、世の中も変わらないし、状況が良くなることもないし、味方をしてもなんの得にもならない……としても。
 そんな計算を全部すっ飛ばして、この男の力になりたいと思う。この男が見たいモノを見、したいことをし、魂のままに生きる様を見たいと思う。そう、思わせてしまう、力。

 ねえソレ、なんだと思う?

 簡単なんだな。

 「好き」って力だよ。

 他のこと全部、置いておこう。
 ただ、「好き」と思わせる力。
 理屈も常識も届かない、感情だけで「好き」と思わせる力。

 彼がどんなに突拍子もないことをやりだしても、言い出しても、受け入れてしまう。腹を立てたり、文句を言ったりしつつも、根っこのところでいつも許している。
 ただ、「好き」だから。

 雄藩を担う海千山千の政治家たちが、時の将軍が、現行政府の要人が、憂国の志を持つ若者たちが、彼に影響を受け踊らされ指針を変化させたのは何故だ。
 もろもろの美点利点を上げることはできるが、それ以前に、彼が人の心を動かす「なにか」を持っていたからだ。

 好きだから。

 言葉だとか数字だとかで考える部分とはまったくべつの、本能的な部分を惹きつける力。

 「好き」……そう感じさせてしまう、力。
 とてもプリミティヴな力。シンプルな力。

 
 貴城けい演じる坂本竜馬に、その力を感じるんだ。

 小難しい歴史だとか、背景や設定、人物、役職、関係、立ち位置。
 そんなことなにも考えず、竜馬だけを見ればいい。

 そか、好きだからだ。
 理屈じゃなく、好きだから、動くんだ。

 竜馬が魅力的である。
 それが、なによりもの説得力。
 この男のために、なにかしたい。この男の言うことを、信じたい。この男の導く未来を、見たい。
 そんな純粋な気持ちが、一歩を踏み出す目に見えないきっかけとなり、歴史の輪が回り出す。

 『維新回天・竜馬伝!』を観て、思うんだ。

 竜馬がいる。

 あれはまちがいなく、坂本竜馬だ。

 美しすぎる顔立ち云々の話ではなくてな。かしげは竜馬ってイメージぢゃないよ、とか、そーゆー話でもなくてな。
 そもそもタカラヅカで、女が演じる男役なんてもので坂本竜馬ってのが変なんだ、とかゆー次元のことでもなくてな。

 「坂本竜馬」という記号を表現する上で、かしげ竜馬は、まちがいなく「ひとつのかたち」だと思うんだ。

 出会った人すべてを虜にする、不思議な魅力を持った青年。
 人なつこい笑顔。
 あどけなさとしたたかさ。

 竜馬が笑う。
 大きな口をニカッと開けて。
 調子の良さ、不遜さ、だらしなさ、押しの強さ。
 万華鏡のような魅力を振りまきながら、周囲全部をかき乱していく。

 その、陽の魅力。

 それでいて暗い絶望や焦燥、怒りをひそませるときの、壮絶な孤独感。

 その、陰の魅力。

 併せ持つことで彼は、強い光を放つ。

 あれは、坂本竜馬だ。
 あれも、「坂本竜馬」だ。
 星の数ほど繰り返し描かれててきた幕末の風雲児。人の数だけ「わたしの竜馬イメージ」はあるだろうけれど、今舞台にいるかしげ竜馬もまた、まちがいなく「坂本竜馬」だ。

 
 彼を、好きだと思う。

 ただそれだけの事実に、胸が熱くなる。


日記内を検索