ちょっくらここでお知らせ。

 この「DIARY NOTE」ときたらあらゆる意味でヘボいサイトなので、いい加減限界を感じ、よそに倉庫を作りました。

 だってここさあ、書いている本人ですら過去ログ読むの一苦労なんだよ? カテゴリ分けも検索もできないんだからさー。
 おまけに過去記事は壊れて紛失してるし。
 カウンターもぶっ壊れてそのままだし。

 つーことで、過去の観劇日記はこちらへ。

 

彼女は陽気な破壊的気質を持っている。 http://koalatta.blog48.fc2.com/



 まだ作りかけなので、2002年と2006年4月以降のデータしか移してないんだけど、追々完成させる予定。
 夏ごろからやっていたわりには、ちっとも進まなくてなー(笑)。なにしろ過去ログ、壊れてるから、PCの中から原文探して復元させつつなのよー。もーうんざり。

 あちらは倉庫として活用予定なんで、最新記事は読みにくくなってる。
 だからいちおー、こっちで最新記事の更新はする。や、倉庫にも同時にupしていくけどさ。
 公演ごとの感想だとか、時系列順の感想が必要なときに、倉庫をのぞいてやってくださいませ。

 別サイトで「さくいん」を作っていたけれど、そっちはとりあえず作業Stop。さくいんのない2006年4月以降は倉庫を探してくださいな。


 オサ様に会いたかった。

 あの人、『エンレビ』で「あやぶきまお おまえにだかれたい」って歌ったんですって?(注・オサ様は博多座時代から『エンレビ』でいろんなモノに「抱かれたい」と作詞なさってます)

 あーもー、会いたかったよオサ様。しょぼん。

 ゆみこちゃんの花組最後の日も見納めたかったさ。

 そして東京の空の下では、まっつの楽屋出が大変愉快なことになっていたようだし。
 あああ、見たかった見たかったよまっつ、まとぶんに後ろから襲われるまっつ! まとぶ×まっつ?! しかも出だから双方素顔だよなっ。まっつのことを「海馬」と呼ぶまとぶん! なんだよまっつ、愛されてるな!
 わーん、そんなオイシイものをこの目で見られなかったなんて〜〜っ。わたしもギャラリーしたかったよー。
(まっつの情報には日々飢えています。みなさん、タレコミよろしくです!・笑)

 それで今日わたしは大阪の空の下、檀ちゃんの『武士の一分』見た後は、ムラへ移動。
 ジュンタンと一緒に「NTTフレッツトークショー」へ行ってきました。
 なんかすげーよいお席GETできたんですが。どきどきどき。

 フレッツトークショーは昨年の『落陽のパレルモ』オサ様、ふーちゃん、ゆみこちゃん出演、に引き続き2回目っす。
 今回の出演者もセオリー通り、かしちゃん、るいちゃん、タニちゃんの3人。

 ええ。去年の印象があったわけですよ。
 いちゃいちゃいちゃいちゃしまくる男役トップ様と男役2番手と、話題に入れずぽつんとしている娘役トップ、という図の。

 えー。

 ステージの上に、はぁとをトバしまくる、ラヴラヴ新婚バカップルがいました。
 そして、ソレにあてられて、腰が引けている男2がいました。

 なんなの。
 なんなの、あのラヴラヴっぷりはっ!!(笑)

 いやあ、いいもん見ました。
 通常タカラヅカでは「相手役」が固定されるのはトップだけだよね。(雪組裏トップコンビ・ハマコ×アミ除く)2番手以下は、決まった相手がいない。
 芝居ごと、ショーの場面ごとに組むことはあっても、一時的なものだしな。
 だから、「ただひとりの人」が決まったあと、どんなふーに相手を見るのかは、決まってからでないとわからない。

 かしちゃんって、相手が決まると、こーゆー感じなる人だったの?!!

 どういう感じか。

 S属性を、感じます。

 や、かわいいかっしーなのはそのままなんだけど。
 きれーなおねーさんなのも、そのままなんだけど。
 ヘタレなのもヘタレなままなんだけど。

 それでいて、なんか、「この人性質Sだよね?」と思わせる始末に負えないやわらかさ・なめらかさを感じます。

 かしちゃんがるいちゃんを好きで、ものすごーくかわいがっていることが、わかる。
 るいちゃんがかしちゃんを好きで、全身でついてゆこうとしていることが、わかる。

 この前提で。
 かしちゃんは、愛情を隠さない。
 いかなるときも、るいちゃんを見つめ、その反応を見守る。

 ここまではいい。
 微笑ましいことさ。
 だが、かしちゃんは。

 自分がまっすぐな愛情を向けることで、相手がどきまぎし、歓びに動揺したり自爆したりするのを、すっげーたのしそーに眺めている。

 いじってるの。
 るいちゃんを。
 るいちゃんがかしちゃんに愛されて、それゆえにキャパ超えしちゃってぐるぐる回っているところを、すっげたのしそーに、わかっていていじっている。

 強い鋭いオトコマエ系で鬼畜なんじゃなく、当たりはあくまでやわらかくヘタレテイストのまま、そのくせ根っこは鬼畜入ってますというか。

 ど、どうしよう。あんなもん見せられたら、熱出ちゃうよぉ。

 かしちゃんはかわいらしい、愛情たっぷりのいたずらっぽい笑顔でるいちゃんを見つめる。ええ、愛がビーム状態でるいちゃん直撃。
 るいちゃんはかしちゃんに見つめられたまま、愛ゆえに言葉が出なくなってあたふたして、ついには自爆する。
 それをまた、かしちゃんが笑顔でからかい、一旦オチがついて話題終了。
 そしてまた次の話題。
 かしちゃんはかわいらしい、愛情たっぷりのいたずらっぽい笑顔でるいちゃんを見つめる。ええ、愛がビーム状態でるいちゃん直撃。
 るいちゃんはかしちゃんに見つめられたまま、愛ゆえに言葉が出なくなってあたふたして(以下略)。

 この繰り返しで1時間。

 このバカップルなんとかして。

 新婚さんに盛大にアテられて終わったよ……もー、どーしよーかと。

 俺様ムードの人がS属性なのとは、まったくちがってさらにやばい感じだ、かっしー(笑)。
 あんなに「ふにゃっ」としたやわらかい人なのに、かわいい笑顔で相手を追いつめているなんて。そして、相手が「追いつめられてこまっている」ところを、たのしんでいるなんて。
 愛がちゃんと見えるだけに、その上で存在する毒がこわい。

 いやあ、あれはやばいですよ。
 るいちゃんに感情移入すると、昇天したまま、還ってこられない。

 るいちゃんのとまどいは、人ごとではないからです。
 かしげちゃんみたく美しすぎる人から、愛のこもった目で見つめられたら、平静ではいられないでしょ?
 で、かしちゃんは、わたしが「どうしよう、かしちゃんがわたしを見てる!」とどきまぎしてうろたえまくり、失敗しまくる様を、たのしそーに見てるんですよっ?!

 るいちゃんの自爆っぷりが、「かしちゃんへの愛の深さ」でもあるんですよ。あんなに見つめられなければ、もっとまともに喋れるだろうに、かしちゃんがそれを許さない。
 アレわざとだよね? るいちゃんがどきどきして喋れないよーに、わざとしてるよね? ソレで彼女の愛情計ってたのしんでるよね?

 るいちゃんみたいな美しい娘さんでも、かしちゃんに見つめられたら、あんなにがたがたになっちゃうんだ……かしちゃんすげえ。

 わーん、貴城けい好きだぁ〜〜っ!!

 かっしー、おデコの面積もすばらしかったです。潔く開放されてました。あのデコがいいのよ、かっしーは。
 目尻にシワ寄せて、でかい口をぱかりと開けて笑うのがかわいい。
 大きな目をくりくりさせて、るいちゃんをたのしそーに見つめるのがいい。

 去年のフレッツトークショーと、ギャップがすげえよ。
 オサ様も、今年はこれくらい若い嫁とラヴラヴしてるのかしら……。

 タニちゃんはラヴラヴ新婚カップルと同席させられ、大変そうでした。アテられっぱなし。
「奇っ怪な。どうしてあそこだけ明るいのか」ですよ、もお。

 それでも。
 こんなラヴいふたりなのに、今回の公演では、キスシーンすらないんですよ。

 なんてこったい、もっと考えろよ演出家。

 貴城けいの、男役生活最後のキスの相手は、大和悠河さんです。

 ……このネタで、かっしーはタニちゃんではなくるいちゃんをいじってましたよ。Sめ……(笑)。

 とにかくもー、かしるい可愛すぎ。
 健全な意味でも腐った意味でも萌えなカップルです。
 トークショー行けて良かった。わーんダイスキ。

 
 そんでもって。
 湖月わたるの男役生活最後のキスの相手は、安蘭けいだったなー、とか、ふと思ってみたり。


スポットライトをあびる人。@大和悠河お茶会。


←オリジナル(タニちゃん名前入り!)クッキーと、プログラムに添付されていたオリジナルな舞台フォト♪

 
 
 東京では「長田○子ご一行様」が大型バスで青年館に乗り付け、大変盛り上がっていたよーでうらやましいです。はぁ、まっつまっつ。(しかし全ツ組、何故にオサ様本名ご一行様バス……・笑)。
 そーゆーわたしは大阪で恒例『1万人の第九』のリハーサル。

 夜、東京ではまっつ茶が開催されていたはず。(指をくわえてまっつメイトからの報告を待っつ)
 そしてわたしは寒風吹きすさぶ宝塚ムラにて、大和悠河お茶会初参加。


 会場中央に作られた真四角のステージ。それを囲むカタチで設けられた座席。
 タニちゃんはステージの上の椅子に坐り、その姿を参加者が四方から眺めるというわけだ。えーと。こんな座席配置のお茶会はじめてだー。
 ふつーのテーブル形式よりシアター形式より、「プロレスリング観覧席」みたいなこの形式だと、すげータニちゃんが近い。
 四方に分かれているわけだから、最後列の人でもシアター形式の最後列より4倍手前の席だし、端席が存在しないようなものなので、「前方だけど端っこだったからステージが遠かった」ということもない。

 大和悠河という人を、はじめて長時間、ナマで近くでガン見した。

 いちばん記憶に残ったのは、尻だ。

 ……ご、ごめんジュンタン。爆裂タニぃファンにまず謝ってみる。

 ステージ上の椅子は360度回転するし、立っているときも四方すべてが「正面」になるよう、タニちゃんはなにかと向きを変えてくれる。
 でもどうしても、「後ろ向き」の時間が存在してしまう。ふつーのテーブル形式やシアター形式ではありえないよな。「前」が決まっている場合は絶対尻を向けたりしないものな。
 だが四面ステージではどうしても「死角」ができてしまう。
 その後ろ向きに立っている間中、わたしはタニちゃんのお尻に見とれていた。

 ちっちゃい〜〜。

 それがまた彼は、お尻のカタチや動きがまんまわかる、エロいパンツを履いていたのですよ。
 なんか、裸でいるのとあんま変わらないんぢゃ……? とゆーよーな「肉」の動きがまんま見えるパンツ。もちろん下着のラインは見えなかったわ。

 尻に釘付け。
 長い長い脚の上の、きゅっと引き締まった小さな尻。
 うわー……。

 その驚異のスタイルに圧倒される。なんなのあの小さな顔。細い身体に長い手足。どこの星から来た人ですか? 少なくとも、わたしと同じイキモノぢゃないよね? ちがいすぎるよね? ありえないよね?

 ステージはスポットライトに照らされている。直視できないほどの強い光。ふつーの人なら臆してしまうだろう空間。

 そこに彼は立つ。
 あたりまえに。

 椅子は深く坐り込むタイプのもの。
 彼はいちいち、脚を組んで坐る。
 決してふつーには坐らない。長い脚を強調するかのよーに、高く組む。

 王のように。

 傲慢なんですけど。

 立ち居振る舞い、動作のひとつひとつが。
 話し方はいちおー丁寧なんだけど。客に対して敬語を使っているのだけど。
 でも、ニュートラルに「上」にいる。

 ステージはとても高い。通常のトークショーのステージよりも高く作ってある。たとえ彼が着席したとしても、周囲の観客は彼を見上げるカタチになる。
 王とその臣下の位置。

 あー、これがこの「会」の雰囲気であり、ファンに見せる「スター」としての大和悠河の顔なんだろう。
 なまじ昨日、フレッツのトークショーに参加しているから、タニちゃんの雰囲気の違いがわかる。フレッツトークショーで彼は、おとなしかった。どちらかというと地味だった。
 しかし。

 かっこいいんですけど。

 傲慢な王として、玉座に坐り、下々の物を見下ろす様が。
 すごい、かっこいい。
 もー、きゃーきゃーにかっこいいんですけどっ?!

 ヅカのスターさんって意識して「親しみやすさ」だとか「やさしさ」だとかをアピールするじゃないですか。フレンドリーだけど丁寧だったりへりくだっていたり。
 タニちゃんはそうじゃないんだ。
 や、ちゃんとフレンドリーであり、へりくだっている面もあるんだけど。
 それよりも、全体のイメージとしては「王様」なの。「俺様」じゃないよ。個人の性格の問題ではなく、「立場」なの。えらそーなんじゃないの。それが「当然」だと思える雰囲気を作っているの。

 傲慢な美しい王を見上げるのが、快感なの。

 王様は足を高く組み椅子にふんぞり返り、自分のペースでお茶会を進める。
 司会者、ナシ。
 進行をマイクで話す人はいるけれど、時間を区切っている程度のことで、メインはタニちゃんが自分ひとりでやっている。なにを話し、どこへ話題を持っていくかはタニちゃん次第。
 事前に集めた質問票をタニちゃん自身で読み上げ、それについての答えを話したり、それをきっかけとしたフリートークをしたりする。
 ふつーのイベントなら、スタッフが前もって質問を選り分けておく。わたしも以前スタッフ側にいたことがあるが、前もって起票させて回収するのは質問を選別するためだ。答えをあらかじめ用意する場合だってある。問題なくイベントを遂行するために必要なことだからだ。
 でもこのお茶会はそれがない。質問票はすべてまるっとタニちゃんの手元へ。タニちゃんが自分で開票してその場で目を通し、答えたいと思ったものだけ淡々と答えていく。
 小細工ナシなんだろう、わたしとジュンタンの質問は続けて読み上げられたもの。提出したまんまの順番に。あ、質問内容は内緒。ま、昨日のわたしのフレッツトークショーの感想を読んでいる人があの場にいたら、どれがわたしの質問かバレバレかもしれないが(笑)。
 選択権はスタッフではなく、タニちゃん本人にある。だから、しばらく無言時間が続くなと思ったら、1枚読んで「なかったこと」にし、また次の1枚読んでは「なかったこと」にし……なかなか話してくれないんだよ(笑)。
 お茶会のメインはこのタニちゃんのフリートーク。「質問コーナー」じゃないよ、ただの「お題目」を得てのフリートークだ。通常の質問コーナーならこんなに、話題も温度もバラバラめちゃくちゃぢゃない。サイコロトーク以上に出たとこ勝負だ。
 司会者がいないから、ほんとーに場を支配するのがタニちゃんひとりなんだ。
 彼がしたいようにする。
 ここは、彼の王国だ。

 それが、心地いい。
 あの美しい人の足下にひざまずき、彼の言葉を待つのがうれしい。たのしい。

 昔に比べ大人びてきてはいるけれど、タニちゃんはやはり少年ぽくて。
 若い、幼さの残る美貌の青年王が君臨する姿は、倒錯感に似た酩酊を呼ぶ。

 たーのーしーいー。

 ちょっとした「ごっこ」遊びみたいな昂揚。
 嘘を嘘としてたのしむ感覚。
 このわずかな時間だけ、王の足下にひれ伏すたのしさ。

 もちろん、タニちゃんを好きでなければドン引きするおそれは大いにある。なにしろ最初から「タニちゃんを讃える歌」を歌うよう指示されたしな(笑)。すごいよ歌詞(笑)。
 でも、ファンしか来ないことが前提の空間なんだから、なにやってもいいと思う。
 わたしはタニちゃん好きだから無問題だ、王様素敵! わくわくする。どきどきする。

 タニちゃんは、かしちゃんのことを語ってくれたよ。やさしい人だって。尊敬しているって。言葉を探しながら、自分の言葉で話してくれたよ。
 かしちゃんの最後の公演を、心を込めて作り上げようと、完遂しようとしている。引き継ぐ物の重さを知り、大切にしてくれているよ。
 や、わたしの海馬は不良品なんで、自分フィルターを通したニュアンスだけしかおぼえてないんだけどな。具体的にどんなふうに話したかなんて、なーんにもおぼえてないんだけど。
 タニちゃんがかしちゃんのことを話す背中を見ていた。うん、後ろ姿だった(笑)そのときは。だからこそ余計に、直視できたかもな。
 スポットライトが照らし出す、金色の輪郭を見ていたよ。
 この人が、かしちゃんを見送るんだ。送り出すんだ。引き継ぐんだ。
 落下傘で外様で、引き継ぐも組カラーもあったもんぢゃないけどさ。
 でも人の心は誰とも関連付けずになんて在れないものだから。なにかの融合や接点、伝導があるものだから。

 かしちゃんはきっと、どこかに伝わっている。
 かしちゃんと出会ったいろんな人のなかに。


 金色の王様は、ときにおちゃめにときにシリアスに、基本傲慢に、場を支配し続ける。
 美しい人。
 上に立つ人。
 指導力があるかどうかは知らないが、崇拝者を持つことに慣れた人は、真ん中の意味を知っている。

 
 握手のあとわたしは、ジュンタンの膝にすがりついて取り乱していた。

「どうしよう、タニちゃんかっこいいかっこいい! きれい! どーしよう! 体温上がっちゃって戻らない」

 ジュンタンは満面の笑み。
 わたしの言葉のひとつひとつに力強くうなずく。「そうでしょう」「そうでしょう」と。
 そして、女神のよーに言うのだ。
「まっつファンやめて、大和ファンになっていいのよ(笑)」

 や、ソレはない。即答してごめんね。
 タニちゃんほどの美貌も輝きもなくても、まっつがいちばん好きです、はい。と、冒頭の話題にリンクしつつ締めるとしよう。

 
 でもタニちゃんほんと素敵だった。ジュンタン、誘ってくれてありがとう。


 毎年恒例、『1万人の第九』コンサート当日。

 会場の大阪城ホールの自分の座席にてわたしは、『ヘイズ・コード』のチケ取りしてました。うわーん、つながらねえええ。販売画面は見たのよ、販売画面は! 千秋楽B席がまだ売っていたのよ。でも、購入のための操作をしているウチに「販売枚数終了」。わーん! 1分経ってないよね?!
 無謀だとわかっていて楽を入力したのは、トウコちゃんの千秋楽が好きだから。本人もファンもめちゃくちゃ盛り上がるんだもん。あの興奮と狂乱が好き。……手に入るわけナイって、わかってたけど、万に一つの願いをかけて!
 で、あわてて他日を入力、よかった、まだある……しかしまた、その後の操作をしているウチに「販売枚数終了」。がーん。時計を見たら、まだ開始から3分足らず。
 DCも取れてないんですが……どこにあるのよチケット。

 そーいや昨年もわたし、『1万人の第九』会場で、星組『ベルばら』のチケ取りやってたわ……アレも販売画面まで行って、「販売枚数終了」になったんだった……。

 日曜日の朝9時半集合なんだもん、『1万人の第九』。日曜朝10時から発売のチケットがあるのは常識でしょう。これからも毎年、会場で不自由な思いしながらチケ取りすることになるのかしら……自宅でなら取れたかもしれないのにー。

 えー、『第九』の朝10時はなにをやっている時間かというと、「座席決め」です。
 わたしたち合唱出演者は「仮座席」に坐っているので、当日席が決まるの。
 まず合唱席の「中心」となる男性席を決めてから女性が決まるので、しばらくなにをするでもなくヒマなのね。自分の順番が来るまで、仮座席に坐って待機。
 その間を利用して、わたしはもっぱらチケ取りですよ。……取れた試しないけど。

 
 さて、今年の『1万人の第九』、今年のテーマはなんだっけか。プログラム買ったことナイからわかんない……。
 公式ゲストは元ちとせ、当日まで秘密(恒例)のゲストは優香+落語家の月亭八方&桂ざこば。
 優香はテレビ放送時のナビゲータらしいな。こーゆーとこも恒例。

 参加するたびに気になることはチガウんだけど、今年わたしは、何故かティンパニばかり注目してました。
 なんだろう。目をつぶっていても、ティンパニの音だけ追っているの。
 打楽器は永遠のあこがれだからかなぁ。

 わたしは音楽的才能が皆無のかなしい人間だが、とくにリズム感のなさは致命的だ。運動音痴で反射神経激ニブなのも関係しているだろう。

 小学2年生だったかのとき、クラス対抗音楽会でわたしは木琴をすることになった。曲の最初にわたしのソロパートがある。
 自分でも、そして音楽の先生も、気づいてなかったのよね、わたしがリズム感皆無だってことに。ただ、わたしが音楽ダイスキだったから、先生もわたしにやらせてあげよう、と思ったんだろう。
 単調にリズムを刻む木琴ソロのあと、他楽器による演奏がはじまり、合唱に続く、という曲。わたしの木琴が曲の最初、冒頭、イントロ、ここでコケるとヘタレた印象で曲がはじまる……とゆーのに。
 わたしには、リズム感がなかった。
 言われたとおりに演奏しているつもりなのに、先生は苦い顔。
 あまりに下手っぴだから、途中で奏者変更されそーになった。練習の最中、突然他の子を指名して、わたしの代わりに演奏させたのよ、先生。
 でも、突然やれと言われてやった子は、わたしより下手だった。そりゃそーだ、どんなにわたしに才能がないからって、1ヶ月毎日練習してたんだ、今はじめてやる子よりはマシだろうよ。
 音楽会まで時間もないしと、先生もあきらめたんだろう。結局わたしが演奏することになった。
 本番がどーだったのかは知らない。先生は満足したのだろうか、わたしの演奏で。

 ただ、下手なわたしを責める先生の顔が、脳裏に焼き付いている。
 クラス全員の前で、1ヶ月ずーっとみんなと一緒に練習していたわたしを降ろし、他の子に変更しようとした、あのときの空気とか。
 代わりに演奏させられた子も、気まずかったろうなあ。
 わたしには自分の演奏のどこがダメなのか、ぜんぜんわからなかった。メトロノームを友だちに、正しいテンポで叩いていたつもりだったのに、ぜんぜんダメだったらしい。

 むしろ、旋律のある他の楽器の方がまだ少しは上手に演奏できたんだよ、わたし。楽器演奏の成績はふつーだったのに。
 リズム命のあんなパートでさえなければ……。

 とゆートラウマ。
 きっと一生忘れない。

 その記憶を、苦く思い出していた。ティンパニの音を聴きながら。

 
 さて、今年の第1部のクラシック曲は、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデッキー行進曲」。さすがのわたしも部分は知ってる有名曲、ラデッキーって将軍の名前だよね?
 毎年ゲネプロは進行をすべて真面目にやっていたのに、今年はなんか略しまくり。
「はい、ここはトークをする予定」
 とか言って省略するの。前日のリハーサルも、ゲストの出演なかったし。……なかったよね?(遅刻した上に、タニ茶へ行くために早退した女)
 まあ、同じトークを何度も聞かされるのも萎えるんで、本番のみにしてくれるのはいいんだけどさー。
 てなふーに、省略しまくりのゲネプロだったので、「ラデッキー行進曲」もシークレットゲストの説明なし、トークなしでとにかく演奏。
 だからゲネ時の「ラデッキー行進曲」の手拍子はおざなり、途中からどんどんしぼんでいく。
 少なくとも、手拍子を入れる練習は、しなかった。練習になっていなかった。とくに「しろ」とも言われていなかった。

 ところが。

 本番、八方・ざこば両師匠を迎えてのトークから続く「ラデッキー行進曲」。
 合唱団と観客、あわせて1万数千人の手拍子が、ぴたりと合うんですよ。

 指揮者・佐渡裕に導かれるままに。

 指揮って、楽器や歌手相手だけじゃないんだ。
 観客を含む拍手や手拍子も、操れちゃうんだ。

 100人越えの多人数オーケストラによる演奏と、1万数千人の素人たちの手拍子が、ひとつの音楽を作る。

 す・げぇ。

 あの一体感。
 どこまで行くの、コレ?!

 曲が終わったあと、どっちかの落語家が、「手拍子って音楽なんやな」と呆然と言ったのが、納得。
 すごいすごーい。

 手拍子もまた、リズム感が必要なモノだから。
 わたしは苦手なんだけどねー。
 だけどそんなこと忘れて、一緒になって手を叩いた。
 指揮者の意図するままに。強く、速く、小さく、激しく!

 すごいなー。
 ひとって、こんなこともできるんだ。

 
 第2部「第九」は、ゲネでいねむりこいていたのが嘘のよーに、目をランランさせて指揮者やオケや客席、合唱席を見てました。
 ティンパニの音に集中しながら。
 いろーんなことを、漠然と考えていた。
 この長い長い曲は、考え事に最適だよな……毎年恒例だからこそ、1年を振り返る回想にうってつけ。暗いこと考えるとドツボにはまるので、そこは回避しつつ。

 合唱自体は、わたし的に声のコンディションよかったっす。両隣の人よりアタマひとつでかかったが(笑)、今年は後ろの人から「アンタがでかすぎるせいで指揮者が見えないのよ!」とゆーよーなクレームは来なかったし。(去年は段差の少ないアリーナ席だったからなー)

 歌、うまくなりたいなあ……。どうしてこう才能がないんだろう。

 
 心残りは、張り切ってDS持っていったのに、誰ともすれ違えなかったこと!
 誰も『ぶつ森』やってないのー?!
 「きょうは1まんにんのだいくのひ」って手紙書いて、わざわざとたけけさんの音楽をプレゼントに付けて、海に流したのに!!

 参加年齢を考えたら、無理もないか……。
 わたしも含め、中・高齢者が大半を占めているイベントだもんよ……。
 女の子はまだ多少若いお嬢さんたちもまざってるけどさ……。


 つくづくわたしは、「真ん中」を見るのに向いていないのだと思う。
 植田紳爾演出家50周年記念スペシャル『夢のメモランダム』−植田紳爾・魂(こころ)の軌跡−(長いよ!!)において、いちばんたのしいのは、脇の群舞や大勢口から誰かを探すことだったから。夢中になって点呼を取っているのもそのせい。
 ゆーひくんは好きだけど、真ん中になりすぎているのでちょっとつまんない(笑)。昔の彼のような、もっと脇扱いされているときに探し出してガン見する方がたのしいんだよなあ。

 花組が出演していないので、まっつを探すというたのしみがない、というのもさみしいわ。
 まっつは探し甲斐あるよなー。小さいしさー。まったくの背景扱いではなく、微妙に何人口かには入るだろーしさー。
 路線かそうでないかの境くらいの人をオペラで追いかけてガン見するのが、わたし的にいちばんたのしいらしい。

 今回、わたしのそーゆーたのしみを担ってくれたのが、そのかとまさきだ。

 そのかは、きれいだ。

 とても端正にストイックに、丁寧に踊っている。
 6人口だった「おーい春風さん」でにこにこかわいこちゃんぶって踊る姿はちとチガウ気がして仕方なかったが、黒燕尾はとてもきれいだった。
 彼ぐらいの立場の子たちが、出番的にはおいしいと思う。まったくの背景ではなく、ソロはもらえないものの、スターの後ろで少人数で踊ることができるから。その分露出が大きい。

 かなしかったのは、夜公演ではフィナーレのそのかがまったく見えなかったこと。
 そのか、花道の端なんだもん、立ち位置。2階上手で観ていたわたしには、上手花道端から3人目のそのかが見えないっ。4番目からは見えるのに。昼公演で立ち位置チェック済みでなかったら混乱したよ、「そのかがいない?!」って。

 そのかのことは積極的に探していたが、まさきのことは特に探していたわけでもなかった。
 しかし、目に付く。

 だってこの子さー、すっげー鼻息荒いんだもの(笑)。

 全身からやる気があふれ出ている。
 群舞でもそうなのに、少人数口になるともー、「あんたどこの大スターよ?」と聞きたくなるよーな気合いの入ったキザりぶり。
 すげー。
 あんまり愉快なんで、つい見てしまった。

 そして、いちばん笑ったのはフィナーレ。
 出演者全員が並び、客席に向けて手を振っているとき。

「みんな、今日はボクに会いに来てくれてありがとう! ボクもみんなのことが好きだよ!」
 と言わんばかりの笑顔で、2階席も1階席も目線絨毯爆撃している龍真咲。
 彼が立っているのは、大階段の端。つまり、背景。

 や、誰も君を見てないから! 君まだただのデコレーション、背景位置だから!

 周囲の人たちがみんな、目を泳がせて漠然と手を振っているのに、まさきひとりエンジン全開。にこにこ笑いながら、自分が主役であるかのよーに振る舞っている。……大階段に並んだ一山いくらの名もなき下級生たちの間で。その他大勢でしかないみんなお揃いの白い衣装着て。

 おもしろい。おもしろいぞ龍真咲!! それでなきゃスター候補生はつとまらない! その恥ずかしいまでの自己顕示欲と自信が、明日への道を切り開くんだ。

 ある意味、まさきにいちばんウケた。この子好きだわ〜〜。まっつと似たよーな顔してて、どうしてこうまで押し出しがチガウのだろう(笑)。

 とゆーことで、あとはまた感想箇条書き。メドレーのソロ歌手についてひとことずつ。

・「おーい春風さん」というトホホな歌に乗って、きれーなパステルカラーのドレス燕尾で踊る6人の若手スターたち……って、センターがそのかとゆかりかよ?!
・上記6人をバックダンサーにして、れおん登場。えーっと、がんばれ。後ろのまさきの方が温度は高いし、マギーの方がクドいときたもんだ。
・すずみんソロは女の子たちを引き連れて。うんうん、女の子たちがバックの方が似合うねキミは!
・公演後、宙担デイジーちゃんとえんえんメールしていた。「あひの歌に手に汗握りました」「あひくん、自分が主役じゃないときはいい感じだよね」……あひくん、好きです。
・七・十・もりえのトリオは、十がセンターでびっくりした。もりえちゃん、けっこーきれいだったよね?
・登場するなりそこを昭和のステージに変えるほっくんにときめきます。なんかすげー軽々歌ってるよこいつ……。
・ほっくんのあとに登場すると、ともちが地味に思えるのは何故だろう……でかいのに……。でもともちの歌好き。さわやかな歌い方で、なんか照れる(何故)。
・登場するなりそこを昭和のステージに変えるらんとむにときめきます。らんとむ氏を見ると、なんかいつも恥ずかしいような気持ちになる。ドキドキする。あああ、いい男だらんとむ〜〜。
・……なのに、らんとむより後ろで踊っているそのかたち6人男とそのカノジョたちに目移りする。てゆーか音乃いづみを見ている場合ぢゃないから!
・しいちゃん登場! 衣装がごっつー派手です。そして、化粧も負けずに派手です。
・しいちゃん、どーしたのそのお化粧! 気合い入りすぎてるよ!!(笑)
・そのデコラティヴ立樹遥様に負けず、後ろで陶酔顔で踊るまさきも目についてこまります。
・ゆーひくん、最後に登場かぁ。ウメちゃんあいちゃんというゴージャス美少女連れて、なんてステキなんでしょー。

・で、そのゆーひくんとしいちゃんとらんとむというトリオで歌われると、絵面にとまどう。
・不思議な並びだ……しかし、好きな人ばかり3人並んでくれると、なんかものすごーく得をした気分。

・次期トップ決定のタニちゃんと、現2番手筆頭のきりやんは、特別扱い。ゆーひくん以下とわかりやすく取り扱い注意されている。
・そーいやトウコちゃんが長年そーゆー立場だったよなあ。感慨深いなあ。

・トウコちゃんが歌う「この恋は雲の涯まで」が好き。ドラマティックな、大袈裟な歌が似合うのよー、声とか歌い方とか。
かしちゃんが、王子様だ。
・トップ3人はみんなそれぞれまったく別物の白い衣装(基本はドレス燕尾)を着ているのだけど、かしちゃんが着ている衣装がいちばん「王子様」ちっくなの。似合うの。
・トド様は、だんだん歌唱力が落ちて来ている気がする……。数年前はもっと歌えたよなぁ。

・みんなメドレーからずーっと同じ衣装のままフィナーレ突入するんだけど(たしか85期まで。それより下は全員おそろいの白)、スターが着ているドレス燕尾がほんとにばらばらで。
・ゆーひくんの衣装、地味だー(笑)。
・そんでもって、ゆーひとともちの衣装が、ペアルックだー(笑)。
・フィナーレの全員並びのしいちゃんの立ち位置の良さ、衣装の派手さ+化粧の濃さが大変ツボる(笑)。

・最後の挨拶、鳳蘭様にかかってはトドがすっかり下級生モード。
内股になってるよ、トド様!!注意注意!(笑)

 
 定価を出していなければ、出演者ゆえにたのしい舞台だったわ、『夢のメモランダム』。あのものすげー値段を出していたら、びんぼーなわたしはこんなにたのしめなかったかもしれない。や、お金持ちなら気にならないのだろうけど。わし、ほんまにびんぼーやさかい……

 植爺はたしかに、「宝塚歌劇」に必要な人だったのだと思う。彼の功績を否定したいとは思わない。

 だがそれも、昭和時代までだ。

 あとはもうただひたすら、勇退を望む。彼のクリエイターとしての才能は、演出家としてではなく、時流に乗ることだったのだと思う。あの時代だったから成功したのであって、演出家としての才能ゆえではない。
 もう時代は変わった。現実を知って欲しい。
 それを祈り続ける。


 なんかとても影の薄い公演『MIND TRAVELLER』
「東京? なにしに行くの? まっつファンなのに雪組を追いかけるの?」
 いやその、まっつファンだから東京へ行くんですが。
「まっつ、なにか東京でやってるの?」
 いやその、だから、青年館……。
「青年館? なに?」
 いやその、『MIND TRAVELLER』……。
「『MIND TRAVELLER』……? ……(沈黙)……ああ! ドラマシティでやってたやつ! アレ、青年館でやってるの?!」

 ヅカファン相手に素でこんな会話をしました。
 まあな、ものすげー人気薄公演だったからな。いい悪い以前に、興味の対象ですらない、というのが痛すぎる現実。ドラマシティの集客ぶりがよーっく表している。

 それでも青年館ではそれなりに客は入っていたようで。よかったよかった。ドラマシティはほんとに埋めるのが難しいハコだよ。

 10日ぶりで観た『MIND TRAVELLER』、いちばん変わっていたのはマックス@まとぶんだと思った。
 おおお、きらきらしてる。
 DCで観たときあまりの地味さにびっくりしたんだが、ちゃんとまとぶらしい華を取り戻していた。
 マックスはものすげー「ふつー」の人。このふつーぶりで華を表現するのは大変だったろう。ヒロインと2番手が超地味だから、どうしてもそれに引きずられるし。
 ワイルドでありながら女の子好みの甘さのある二枚目。ハートフルで誠実。パメラ@きほちゃんを見つめるときのうれしそーな瞳とか、感情が高ぶっているときの涙できらきらした瞳とか、パメラを心底大切そうに抱きしめる繊細な手の動きとか、数え上げるとキリがないほど素敵な男の子。
 DCよりキャラの押し出しがよくなった分、化粧が濃くなっているし、モミアゲも太くなっている(笑)。星組遺伝子だなぁ。

 ルーク@まぁくんのキラキラぶりも磨きが掛かっているし、ピート@めぐむの胡散臭さと微妙な若者ぶりもすっかり板に付いている。
 アフロ男、テンション高い入院患者、刑事@ふみか3役は、素晴らしい存在感。まだ新公学年だなんて頼もしすぎるぞヲイ。

 正しく進化してくれていることに胸をなで下ろしつつ。

 さて。

 テオ・カサベテス氏の銃の腕前について語ろう。

 そもそもこの物語は、テオ@さお太さんが撃ち損じなければはじまらなかった。

 正義の人カザン@星原先輩がテオの悪事を追求したがゆえに、口を封じる必要があった。
 その口封じに、カザンのボディガード・マックスを利用する予定だった。
 カザンとマックスが同士討ちになった、とゆーことにするはずだったのね。

 さて、この筋書きだけどさ、いくらなんでもひどくない?

 雇い主とボディガードで同士討ちってナニよ、ありえねー。

 共倒れにしたいなら、「信頼し合っている関係」のふたりを使うか? ふつーなら、「恨みを持つ者の犯行」にしないか? マックスとカザンが良好な関係だったことは、娘ジュディ@ののちゃんが証言している通り、周知のことでしょう。なんでわざわざマックスなのよ?
 素行不良でカザンに解雇された職員だとか、麻薬中毒患者だとか、カザン対し殺意を持ってもおかしくない人間をチョイスするよね?
 信頼し合っていたのに、「金銭トラブルが」なんてありもしないことを1からでっちあげるよーな手間をかけるのは何故? もともと「あいつならカザンを殺すのもアリだよな」とゆー人間を使う方が安全だろー?

 なにがなんでも、マックスを絡めなければならなかったらしい。

 マックスがカザン殺害現場に居合わせてしまったから、というのはおかしい。テオたちは「当初の予定通り、同士討ちに見せかける」と言っている。動機のある人間を使い捨てるのではなく、わざわざ苦労して動機のないマックスを犯人役にと偽装しているんだ。

 では何故、マックスを巻き込み、カザンと共に殺さなければならなかったのか。

 マックスがテオの悪事についてなにか知っていた、というならば仕方がない。だが実際マックスはなにも知らない。親友ボブ@きよみの裏切りすら気づかないうっかりさんだ。
 腕っ節が強く誠実ではあっても、たぶんあまりアタマはよくないし、人を疑うとか言葉の裏を読むとか苦手なんだろうよ、マックスくん。カザンがどーゆー状況か洞察することなく、ただ物理的な面でボディガードをしていた模様。
 カザンはマイクロチップを隠したペンダントをマックスに託したりと、破滅の予感を持っていたようなのに、マックスときたら、太平楽にもほどがある。まあ、そーゆー鈍いところも含めて彼の美点であり、だからこそカザンは彼を愛したのだろうけど。
 つくづく、テオがマックスを殺す理由、カザン殺人犯に仕立てる理由が見あたらないんだ。
 カザンの口封じが目的なら、人を雇って殺した方が早いし(サリーにしたようにな)、犯人にも同時に死んでほしいなら、カザンに恨みを持つ小物を連れてきてふたりとも殺し、「同士討ち」に見せかければいい。

 カザンの仕事の内容も、テオの悪事もなにも知らない、ただの雇われボディガード、カザンの死後は解雇されて無関係になるだけのマックスを、何故、カザン殺しの犯人にしなければならなかったのか。

 それはぶっちゃけ作者・小池の浅慮ゆえの都合に過ぎないと思うが、まあ、ソレを言ったら終わってしまうので、無理矢理、理由を考えてみよう。

 カザンやテオの仕事や悪事絡みで、マックスを事件に巻き込む必要はなかった。
 では、それ以外に理由があったと考えるべきだ。

 マックスがカザンに信頼され、「息子同然」と扱われていること。
 これが理由だろう。

 だが、「息子同然」だからといって、マックスがカザンの財産を相続するとか、そーゆーことはありえない。
 カザンがマックスを自分の後継者にしたがっていたようだが、NPOの後継者ってなんだそりゃ。公私混同もいいとこだな、その考え方は。NPOの代表者、というのはNPOの所有者ではないぞっと。……まあいいや、突っ込むまい。
 カザンのお気に入りゆえに非営利団体の代表者の座を得る確率が高いとして、なんだっつーんだ? カザンがNPOを隠れ蓑に私腹を肥やしていた、というならともかく、正義と善意の人ならあるのは責任と名誉職だけだろ? 後継者になっても手に入るのはやりがいある仕事と苦労がメインだろ?
 だからマックスがカザンの「息子同然」だからといって、金銭関係、財産関係でマフィアにねたまれることはない。今のところ。
 マックスがマフィア撲滅の超タカ派だとかというなら、彼がNPO代表になることへ脅威が生ずるかもしれないが、今のところそれもない。マックスは政治も社会情勢もなにもわかっていなさそーな気のいいにーちゃんでしかない。

 んじゃなんで、マックスが「息子同然」なのが許せなかったんだ、テオよ?

 ええ。
 金絡みでないなら、色絡みでしょう、この世の中は。

 カザン殺人犯にするために、死人に口なし、マックスを殺すはずだったテオ。
 しかし彼は、マックスを撃たなかった。
 テオが撃った相手は、自分の共犯者であるボブ。マックスは無傷。

 さて。
 同じシチュエーションが、後半にも繰り返されている。

 カザン殺人事件の真相を闇に葬るために、死人に口なし、マックスを殺すはずだったテオ。
 しかし彼は、マックスを撃たなかった。
 テオが撃った相手は、自分の共犯者であるリチャード@まっつ。マックスは無傷。

 テオは2度も、マックスを撃たなかった。

 腕が落ちたとか、そーゆー問題ぢゃないだろ。
 1回だけならともかく、2回まるまる同じシチュエーションってなんだそりゃ。

 つまりは、そーゆーことなんだよな。

……ってことで、翌日欄に続く。


 あの子は、かわいい子猫ちゃん。
 愛されたがりの甘えっ子。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。

 少し優しくしてやると、簡単に身を任せた。
 飼い主がいるにも関わらず、私になびいた。

 最初から遊びのつもりだったので、手を出したあとは大して構いもしなかった。まとわりついてくるのを邪険にもした。
 もともとあまり利口ではない、育ちのよくもない野良育ちの猫だ。エサをやらなくなったらすぐに元の飼い主のところへ戻った。

 猫の飼い主は、私のライバル的存在の男だ。
 私が猫に興味を持ったのは、その男の飼い猫だったからだ。悪戯心で手を出した。軽い意趣返し程度の気持ち。ただの遊び。

 だが。
 あの日たしかに私の腕の中にいた猫が、あの男に抱かれている。
 私のことなど忘れたように。いや、出会ってすらいないかのように、私の存在を抹消して、飼い主に甘えている。
 それを見ていると、ひどく腹立たしかった。

 私より、その男がいいのか。

 なにかにつれ、私の前を行く同郷の年長の男。なにかにつれ、比べられてきた男。
 猫もまた、私と男を秤にかけ、男を選ぶのか。

 猫を手に入れるには、どうすればいい?

 遊びのつもりだったのに、いつの間にか私はひどくムキになっていた。なにがなんでも、あの猫を手に入れたかった。

 猫は飼い主を愛している。もう私が声をかけても振り向きもしない。
 誇らしそうに、飼い主からもらったペンダントを首からかけている。

 私を愛さないなら、殺してしまえばいい。
 なにかと目障りな飼い主ごと、殺してしまおう。

 そのつもりだったのに、いざ私は、猫を殺すことができなかった。
 飼い主の方は無事に殺すことができたのに、猫だけは殺せなかった。猫を狙うはずの銃口は大きく逸れた。

 猫は、私の前から姿を消した。逃げてしまった。

 待っていれば、きっとまた、猫は私の前に現れる。目の前で愛する飼い主を殺されたのだ。あの利口でない猫は、感情のままに私の元に現れるだろう。私に復讐するために。
 それを待てばいい。

 しかし、予想に反して猫はなかなか現れなかった。
 あの愛されたがりの甘えっ子は、別の男を見付けでもしたのだろうか。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。誰か他の男に優しくされ、ころりと身を任せているのだろうか。

 そうではなかった。
 猫は事件のショックで記憶を失っているというのだ。私の元へ復讐に現れなかったのは、そのためだった。

 記憶喪失の、猫……。
 あの男を愛していない、猫……。

 それは、ぞくぞくする事実だった。
 私は猫が収容されている病院を訪ねた。なんとしてでも、猫を引き取らなければならない。
 猫を引き取り、そして、私だけを愛させるのだ。

 担当医師だという若い教授は言う。彼の行う手術で、猫の失った記憶を取り戻すことができると。

 せっかく記憶を失っている猫を、元に戻すだと?
 それでは、私が飼い主を殺したことも思い出してしまう。
 それでは、猫は一生私を愛さなくなってしまう。
 なにか手だてはないかと思案する私に、教授は傲慢に言い放つ。

「私には、人間の記憶を書き換えることができる」

 あったことをなかったことに。
 なかったことを、あったことに。

 飼い主を愛していた猫。
 では、その飼い主への愛を、「なかったこと」にできるか?

 研究資金の援助を申し出ることで、教授は私の要望を承諾した。
 猫の記憶の、飼い主への愛を書き換える。

 無邪気に飼い主を愛していた猫。
 愛されたがりの甘えっ子。
 父の愛に飢えているからか、うんと年上の、大人の男に弱い。
 「愛の証」と贈られたペンダントを大切にしていた猫。

 その猫の気持ちを踏みにじる「出来事」を、猫の記憶に上書きする。

「俺のことを愛してるって言ったじゃないか!」
「誰がお前のような、素性のしれない馬の骨を愛するものか。遊んでやっただけだ。身寄りがなければ、使い捨てても問題はないしな」

 愛を踏みにじられて。
 裏切られて。
 嘲笑されて。
 猫は激昂する。飼い主に向かって、引き金を引く。

 そう、飼い主を殺したのはお前だ。

 書き換えされた偽りの記憶とも知らず、猫は消沈する。罪の意識に苦悩する。

 どん底にいる猫を救うのは、私だ。
 やさしくしてやろう。ただひとりの味方になってやろう。そうすれば、あの利口でない愛されたがりの子猫ちゃんは、私を頼るだろう。私を愛するだろう。

 愛を得るために。記憶を操作するのだ。

 病院から姿を消した猫を追う。猫を捕まえ、檻に入れよう。私だけが鍵を持つ檻へ。
 私しかいない世界へ閉じこめれば、猫は私を愛するはずだ。

 教授の研究はまだ未完成であるらしい。定期的にケアが必要だという。そんな中、別の被験者が記憶を取り戻し、騒ぎ出した。
 ゆえに猫の記憶の書き換えも発覚し、外野が突然うるさくなった。飼い主を殺したのが誰なのか、追求されることとなった。

 猫を閉じこめるつもりだった。私だけのものにするつもりだった。
 それが叶わないなら、取るべき方法はひとつだけだ。

 前と同じ。
 私を愛さないなら、殺してしまえばいい。
 私のものにならないなら、殺してしまえばいい。

 そのつもりだったのに、いざ私は、猫を殺すことができなかった。
 猫を狙うはずの銃口は大きく逸れた。

 何故?
 何故2度も、同じ過ちを繰り返す?

 銃声がきっかけとなって、猫はすべての記憶を取り戻した。
 書き換えたはずの記憶。愛の裏切りの記憶。
 なのに猫は、飼い主への愛を忘れない。死んだ飼い主だけを愛し、私を決して愛さない。

 猫を殺す機会は、いくらでもあった。
 でも私は、猫を殺せなかった。

 最初から遊びのつもりだった。私が猫に興味を持ったのは、私のライバル的存在の男の飼い猫だったからだ。悪戯心で手を出した。軽い意趣返し程度の気持ち。ただの遊び。
 ……だったのに。

 猫もまた、私に抱かれていたときは、ただのアタマの軽い野良猫だった。
 だが飼い主の毅然とした愛を知ったあとでは、もう私に見向きもしなくなった。

 私が失ったのはなんだったのか。
 私が愛したのは、なんだったのか。……欲しかったのは、誰だったのか。

「腕が鈍ったな」
 私はつぶやく。猫を殺せなかったことに、深い意味などない。そう結論づけるために。


                 ☆

 「テオはわざとマックスを撃たなかったんだよね?」てことで結論が出ました、『MIND TRAVELLER』
 故意であれ無意識であれ、テオにはマックスを殺せなかったのさ。

 そもそもこの物語は、テオが撃ち損じなければはじまらなかった。
 「当初の予定通り、同士討ちに見せかけてマックスとカザンを同時に殺す」ことができていれば、なんの問題もなかったんだ。
 なのにテオは、マックスを殺さなかった。

 しかも、同じ失敗を2度もしているんですよ、この人。ありえないってそんなの。
 結果には、理由があるんだってば。

 金でなければ色でしょう、この世の中。火曜サスペンス劇場ならなおさら。

 「カザンを愛している記憶」を、「カザンに裏切られた記憶」に変えるなんて、えげつなさ過ぎですよちょっと!(笑)

 「記憶の旅人」とはテオのことですか? マックスの心からカザンを消し去ってしまおうとしたテオの物語……それこそが、『MIND TRAVELLER』という物語のすべてですね?

 まぁ、マックスが華麗に総受キャラなのが問題だと思いますが。
 登場するすべての男たちに狙われても仕方ないよなー(笑)。
 ボブもリチャードも、恋敵認定で、テオに撃たれたっつー感じだし。

 『MIND TRAVELLER』千秋楽の日付に、ナニ書いてんだかなぁ(笑)。
 楽の話はまた別欄で。
 

海馬に乗った征服者、リアルバージョン。@MIND TRAVELLER
←海馬に乗るリチャード教授。
 首っ玉にしがみついているのがポイント。
 まっつの顔でアイコラしよーかと思ったけど自重、『ぷつ森』のMyキャラ、アズくん@リチャードコス済み。
 あ、顔から下は緑野です。

 

「海馬に乗りに行こう」

 と、突然どりーず東京組+緑野は盛り上がった。
 『MIND TRAVELLER』千秋楽翌日。雪組東宝『タランテラ!』観劇で、終演後すぐに立ち上がれないくらい号泣していた、そのわずか1時間後のことだ。
 目指すは「エプソン品川アクアスタジアム」。サトリちゃん情報では、そこに海洋生物ONLYのメリーゴーランドがあるというのだ。
 名前はいちおー「ドルフィンパーティー」。ふつーのメリーゴーランドは馬や馬車だが、そこではイルカを中心にアシカだとかラッコだとかサメだとかアコヤ貝だとか、いろーんな海関係生物がぐるぐる回るのだ。

 その中に、タツノオトシゴもある。

 すげーよヲイ。マジで乗ることのできるヒポキャンパスが在るんだぜ?!

 存在を知ったおよそ1時間後には、白衣持参で駆けつけておりました!! フットワーク軽いぞ、どりーず!!

 えー、施設内は時間のせいかもともとそーゆーものなのかすっかりガラガラで、わたしたちの貸切状態。

 白衣を着て、リチャードなりきりGO!GO!GO!

 大変たのしゅーございました。

 是非、まっつ本人にもやって欲しいです。
 海馬に乗るまっつ(本物)。
 自前の白衣(お稽古場で着ていた白衣は自前だそーですよbyスカステNOWON)で、素顔のまっつがタツノオトシゴに乗る。

 ああ……。
 想像するだけで萌えです。

 まっつまっつまっつ。


 坂本竜馬の魅力を語ろう。

 彼が成し遂げたことの偉大さが、魅力なわけじゃない。
 機知だとか洞察だとか自由だとか、奔放だとか大胆だとか強靱だとか、能力、性質、行動を讃える言葉はいくらでも出てくるが、それが彼の魅力であるわけじゃない。

 いや、それらが彼の魅力であることはわかっている。だが、正確に言うと「魅力は、それだけではない」のだ。

 理屈ではなく、言葉ではなく、人を惹きつける力。
 損得や先入観、立場を超えて、ただただ惹きつける力。

 この男ならなにかやる、世の中を変える、状況がもっと良くなる、なにか得をしそうだ……いろんな想いで人は人に向き直り、荷担したり、見守ったりする。
 そーゆーものを、まるっと超える力。

 ぶっちゃけ、ただの大風呂敷でなにも成し遂げないとしても、世の中も変わらないし、状況が良くなることもないし、味方をしてもなんの得にもならない……としても。
 そんな計算を全部すっ飛ばして、この男の力になりたいと思う。この男が見たいモノを見、したいことをし、魂のままに生きる様を見たいと思う。そう、思わせてしまう、力。

 ねえソレ、なんだと思う?

 簡単なんだな。

 「好き」って力だよ。

 他のこと全部、置いておこう。
 ただ、「好き」と思わせる力。
 理屈も常識も届かない、感情だけで「好き」と思わせる力。

 彼がどんなに突拍子もないことをやりだしても、言い出しても、受け入れてしまう。腹を立てたり、文句を言ったりしつつも、根っこのところでいつも許している。
 ただ、「好き」だから。

 雄藩を担う海千山千の政治家たちが、時の将軍が、現行政府の要人が、憂国の志を持つ若者たちが、彼に影響を受け踊らされ指針を変化させたのは何故だ。
 もろもろの美点利点を上げることはできるが、それ以前に、彼が人の心を動かす「なにか」を持っていたからだ。

 好きだから。

 言葉だとか数字だとかで考える部分とはまったくべつの、本能的な部分を惹きつける力。

 「好き」……そう感じさせてしまう、力。
 とてもプリミティヴな力。シンプルな力。

 
 貴城けい演じる坂本竜馬に、その力を感じるんだ。

 小難しい歴史だとか、背景や設定、人物、役職、関係、立ち位置。
 そんなことなにも考えず、竜馬だけを見ればいい。

 そか、好きだからだ。
 理屈じゃなく、好きだから、動くんだ。

 竜馬が魅力的である。
 それが、なによりもの説得力。
 この男のために、なにかしたい。この男の言うことを、信じたい。この男の導く未来を、見たい。
 そんな純粋な気持ちが、一歩を踏み出す目に見えないきっかけとなり、歴史の輪が回り出す。

 『維新回天・竜馬伝!』を観て、思うんだ。

 竜馬がいる。

 あれはまちがいなく、坂本竜馬だ。

 美しすぎる顔立ち云々の話ではなくてな。かしげは竜馬ってイメージぢゃないよ、とか、そーゆー話でもなくてな。
 そもそもタカラヅカで、女が演じる男役なんてもので坂本竜馬ってのが変なんだ、とかゆー次元のことでもなくてな。

 「坂本竜馬」という記号を表現する上で、かしげ竜馬は、まちがいなく「ひとつのかたち」だと思うんだ。

 出会った人すべてを虜にする、不思議な魅力を持った青年。
 人なつこい笑顔。
 あどけなさとしたたかさ。

 竜馬が笑う。
 大きな口をニカッと開けて。
 調子の良さ、不遜さ、だらしなさ、押しの強さ。
 万華鏡のような魅力を振りまきながら、周囲全部をかき乱していく。

 その、陽の魅力。

 それでいて暗い絶望や焦燥、怒りをひそませるときの、壮絶な孤独感。

 その、陰の魅力。

 併せ持つことで彼は、強い光を放つ。

 あれは、坂本竜馬だ。
 あれも、「坂本竜馬」だ。
 星の数ほど繰り返し描かれててきた幕末の風雲児。人の数だけ「わたしの竜馬イメージ」はあるだろうけれど、今舞台にいるかしげ竜馬もまた、まちがいなく「坂本竜馬」だ。

 
 彼を、好きだと思う。

 ただそれだけの事実に、胸が熱くなる。


 語れずにいた。

 かしちゃんと宙組公演について、どれだけ書いたかしれない。だけどここにUPすることはできなかった。書きかけの、整理が付かないままのテキストがどれほどあるか。

 ここは愛を叫ぶところであって、毒を吐くところじゃないからだ。
 作品いじりキャラいじりをするところであって、人事や劇団の経営方針について疑問や文句を書くところではないからだ。
 や、そりゃいろいろ愚痴も文句も書いてるけどさ。ネタの範囲を超えるよーな、ヘヴィな物言いは、「緑野こあら」がすることではないんだ。ここが世界の片隅でありながら、世界の誰からでものぞける場所であることを自覚する以上、「負」の文章は書きたくないんだ。(腐った文章はいくらでも書くけどな、愛ゆえに・笑)

 『維新回天・竜馬伝!』『ザ・クラシック』を語りたくても、作品がどうとかいう前に、疑問ばかりがわきあがって平静でいられない。

 わたしは所詮「作品」にいちばん重点を置く人間なので、好きな人が出ていても駄作には通えないし、特別好きな人がいなくても良作ならよろこんで通う。「○○ちゃんが出ていれば、すべて名作」とは思えない。反対に「●●が出ている作品は観ない」とかもない。
 また、つまんねー作品であっても、逆鱗ポイントに触れなければ、出演者への愛情の濃淡によりいくらでも通うことができる。『スカウト』や『マイトラ』がアレな作品であっても、生理的嫌悪をもよおすよーなものではなかったので、まっつへの愛だけでいくらでも通えたように。反対に、たかはなダイスキでありながら、『ネバセイ』は気持ち悪くてろくに通えなかったように。

 『維新回天・竜馬伝!』は、ふつーレベルの作品だ。リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽作品。
 わたしは石田作品は嫌いだが、石田せんせーは最低限「物語」だとか「芝居」だとかは作れる人だと思っている。ただ、ヅカ向きぢゃないっつーだけでな。演歌歌手主演の舞台とか作ったら、高評価を受けられる人ぢゃないかしらね。
 だから正直なとこ、『維新回天・竜馬伝!』はいいんだ、べつに。

 わたしがつらくて正視できないのは、『ザ・クラシック』だ。

 『ザ・クラシック』は、駄作だ。わたし的にな。

 いやあ、そーいやわたし、草野作品ダメだったよ、思い出した。
 『バロック千一夜』とか『マンハッタン不夜城』とか『火の鳥』とか、気持ちよくも心の底から大嫌いだったもんな。ショーが草野だとわかるとヘコんだもんだった。「嫌いな芝居」を上げると植爺尽くしになるが、「嫌いなショー」というと草野尽くしになる人間だったわ、わたし。
 『タカラヅカ絢爛』も、ダメだったんだよ。だから星組公演はほとんど観なかった。月組版はちょっとマシになってたから、まだ観られたけど。
 ただ、ワタさんと星組が、あんまりたのしそーに、なにかっちゅーと『タカラヅカ絢爛』の曲をやるもんで、彼らの温度にのせられて、忘れていた。
 わたし、草野ダメだったんだよ……。

 『ザ・クラシック』でよかったのはオープニングと最後の大階段パレードのみだ。
 あとはわたし的に、どーにもこーにもダメなところと、ツッコミたいところばかりだった。
 なんで「クラシック」というテーマでお笑いなんだろう。なんでセンス最悪なんだろう。軍服尽くしのくせに、美しい軍服はひとつくらいで、あとはみんなダサいんだろう。お金はかかっていそうなのに、空間をもてあましたちゃちぃ演出なんだろう。なんでショパンが深夜アニメもどきのキモ格好悪い服を着なきゃいけないんだろう。微妙とはいえいちおーそれらしい「天井画」を背景に、何故モンペで踊るんだろう。

 わたしは説明過多がどーにもダメだ。創作でいちばん簡単プーなのが、「台詞ですべて説明する」ことだと思っているからな。
 格好悪いことだと思っている。
 表現することを、放棄することだと思っている。

 『ザ・クラシック』はセンスがひでー作品だが、それでも「台詞で全部説明」さえなければここまでくだらなくならなかったと思う。
 芝居ではなくショーだっつーに、いちいち台詞で説明。前後のつながりもなにもなく、その場限りの繰り返し。
 たとえば『ネオ・ダンディズム』も説明台詞でドン引きさせてくれたけど、アレはまだ冒頭だったからマシだったのね。それからあとのシーンで忘れられるから。
 しかし『ザ・クラシック』ってば、説明台詞があるの、後半なんだもん。しかも、クライマックスは説明台詞オンパレード!!
 とってつけたよーな「退団作品台詞」、意味のわからない「次期トップ引き継ぎ台詞」で地の果てまでドン引きし、コレ、もう二度と観なくていいやと思った(笑)。

 わたしは所詮「作品」にいちばん重点を置く人間なので、好きな人が出ていても駄作には通えない……いやしかし、そんなこと言ってられないだろ、かっしーコレで最後なんだから!
 ただの駄作ならまだよかったんだ。逆鱗ポイントさえなければ。でも『ザ・クラシック』は逆鱗に触れまくってるよヲイ!!

 かしちゃんもるいちゃんも、そして宙組のみんなも、とても誠実に舞台をつとめている。かしちゃん、あったかく迎えてもらえてよかったね、と思える。
 彼らを眺めているのはたのしい。
 だがどーしても、作品への嫌悪感、そして、嫌悪を感じるよーな作品1作こっきりで卒業しなければならないかっしーに、納得できないんだ。

 たとえ1作きりであってもそれが良作なら、いや多くは望むまい、せめてふつーレベルの作品なら、まだ納得できたのに。

 わたしは、かしちゃんが宙組で1作限りで辞めることを、まだ受け止め切れていない。
 かしちゃん単体のことすら整理がつかないのに、そのうえ作品がコレだ。
 『ザ・クラシック』を観るたび、納得できない想いが沸き上がり、ただただつらいばかりだった。

 たのしい感想を書けない。
 おバカなネタやツッコミを書けない。

 じゃあもう、宙組公演についてなにも書けないじゃないか。つらさだけを書くのは「緑野こあら」ではないから。
 1作きりでないのなら、これがただのお披露目作品なら、張り切って文句を書いていたと思う。演出の矛盾や構成の粗など、いつもの調子で。
 未来を信じているから、書けることなんだ。

 未来を断ち切られたあとでは、なにも書けないよ。苦しいだけだ。
 作品への絶望が、そのまま宝塚への、人事だとか方針だとかへの絶望になってしまうから。
 なにも書きたくない。

 
 と、たのしくもなんともない話になってしまうので、宙組公演、かしちゃんの公演については語れずにいた。まっつの話に逃げていたさ。

 わたしがなにも書けないだけで、かしちゃんも宙組も、みんなキラキラしているんだよ。
 それはほんとう。
 てゆーか、わたし個人の逆ツボ直撃しているだけで、人の好みは千差万別、この作品を「名作! こんなかしちゃんが見たかったの!」という人だってきっとたくさんいるはず。
 わたしにとってのみの駄作。世間的にどうかはわからないし、世間がどうでも、ひとりひとりにとって感想がチガウのは当たり前。
 かしちゃんの美貌や、あの笑顔を見られるだけで「名作」とするのも、ぜんぜんアリだと思う。
 かしちゃん、ほんとにステキに笑っているから。

 だからみんな、輝いているかしちゃんたちに、会いに行ってね。


 とゆーことで、『ザ・クラシック』のことは忘れて、わたしがいじれるのは『維新回天・竜馬伝!』のみ。
 『維新回天・竜馬伝!』の話、行ってみよー。

 この作品は、しみじみお披露目作品だと思う。竜馬暗殺まで描いているが、だからといってかなしいだけの物語じゃない。制作発表で演出の石田昌也自身が語っていたように、新生宙組のお披露目公演的意味のある作品だと思う。
 ……あくまでも、お披露目、な。これから何本も主演作があること前提の話な。そーでないからいろいろこまるんだが、ソレは置いておいて。

 物語は竜馬の千葉道場破門から禁門の変、海援隊設立、薩長同盟、大政奉還、暗殺まで描かれている。
 歴史の細々したことをいちいち描いてられないし説明してもいられないから、名場面集としてつないでいくのは仕方ないと思う。
 石田作品が場面場面がぶつ切りで全体の流れが悪いのはデフォルトだが、今回は派手なシーン、わかりやすいシーンをチョイスしてあっていいと思う。

 ただ不思議なのは、中岡慎太郎の描き方だ。
 初演は知らないが、再演のミキさん主演バージョンの2番手役は桂小五郎だったはずだ。だからわたしはこの作品をやると知ったとき「タニちゃんが桂?! ありえねー!」と、幕末ファンならではの危惧を感じた。いやその、桂にはしっかりキャラクタのイメージがあるからさ……タモさんならわかるけれど、タニちゃんはどう考えてもちがったのよ。
 それがフタを開けてみれば2番手のタニの役が中岡だという。なるほど、誰が考えてもタニちゃんと桂はイメージちがいすぎるんだ、とほっとした。
 中岡に対して、固定したイメージをわたしは持っていない。中岡慎太郎とゆーのは、わたし的にとても地味な存在で、「竜馬と一緒に暗殺されなかったら、ここまで有名にはなっていないだろう」的手応えの人。竜馬とそれほどいつも一緒に行動していた人でもないしなー。親友ってほどのイメージもないしなー。
 実際、わたしの周囲にも「中岡って誰? なにした人?」という声を上げる人がいたり、中岡の知名度のなさを実感したさ。
 有名でない分、いろいろ自由に作れるんだろう。歴史を元にしたエンタメなんだから、それくらいのフリースペースは必要だ。うまく書けば中岡はすごーくおいしい役になるよなー。
 竜馬主役で中岡が準主役というからには、ふたりの友情メインで、いちばんの盛り上がりは暗殺シーンだな。再演とはチガウ切り口で書くんだな、と思い込んでいた。

 だから、顎が落ちた。
 実際の中岡の描き方に。

 えーと。
 いてもいなくてもいい役、ですか。
 クライマックスは薩長同盟と大政奉還ですか。
 暗殺シーンは舞台の後ろでイメージ映像のみ、てなもんですか。メインであるお竜@るいちゃんの背景扱いですか。せめて上手と下手で同列にすることもなく、紗幕の後ろでなしくずし、ですか。
 再演時の中岡と同じくらい、ただの脇役だった。なんのためにタニちゃんにこの役をやらせているんだ?

 本公演を観ることなく新公を観たチェリさんは、中岡役をただの脇役だと信じて観終わってしまったぞ?
 脚本上ではほんとーにただの脇役で、とってつけたような銀橋が1回あるだけ(ストーリー上必要ナシ)で、「タニちゃんの役だから2番手の役」だという先入観がないと、存在価値が見えない描かれ方をしていたんだ。

 なんのために中岡を2番手役にしたんだ。それがわからない。
 タニちゃんに重要な役をさせたくなかったのか? 慶喜@らんとむも桂@ほっくんも適役でいい仕事をしているだけに、中岡の自爆っぷりがイタイ。
 タニちゃんならではの、意味のある中岡を見たかったよ。

 あと疑問なのは、冒頭の明治場面なんだが。
 プロローグとして置くからには、エピローグもつけよーよー。なんのために出てきたんだ、あの人たちは。
 てゆーか、いらないよなぁ。
 竜馬母の声のあと竜馬本人登場でええやん。竜馬のマンセー説明は他ですればいい。どうせ何度も何度もマンセーされるんだから。
 登場人物紹介は、ショー部分でやっちゃえばいいじゃん。群舞の中でひとりずつスポットライトと見せ場もらって、キャラクタを売ればいいじゃん。台詞ナシでも扮装が「役」なら「あ、なにか意味のある人なんだな」ってわかるって。
 本編と関係ない群舞に時間を割くのはもったいないよ……。時代的に華やかなものにはなりっこないんだしさ。

 あとは土方歳三いらないと思う。
 薩摩藩邸に新撰組がやってくるくだりね。なんのためにあるのかわからん。
 や、八雲氏の土方が悪いわけじゃないんだよ。ただ、場面が不要だと思う、つー話。
 けがを押して竜馬が桂・西郷両名を説得する、という美しいエピソードは、それだけで完結している。追ってきた新撰組なんか出す必要はない。
 出すなら腹を据えて出さないと、なんとも意味のない描き方になってしまっている。
 竜馬・お竜の前に通りすがりで現れたときの沖田@ちぎの描き方は露出的にも「あんなもんだろ」って感じだったのに、この場面ではひたすらかっこわるい。アタマの弱いにーちゃん的描き方をして、前の場面の「沖田らしいかっこよさ」をぶっ壊している。
 第一、互いの強さを認め合った達人同士として描かれたあとなんだ、再会し、斬り合ったのならそれなりのエピソードを入れなければならないだろう。
「誰も見たことないんだから、あんなの嘘ですよ! 嘘ですよ! 嘘ですよ!」と、駄々っ子沖田。
 かっこつけて出てきたけど、権力の前に尻尾を巻いて退散する土方。
 たかが数人の小物を追い払うためだけに、もったいつけて錦の御旗を振りかざす“ガキ大将を「先生に言いつけるからな!」と言って追い払って悦に入る嫌味な学級委員”程度に見える西郷。
 ……なんのためにあるんだ、このシーン。
 西郷に「ひじかた」を「どかた」と読ませて笑いを取る、くだらないギャグをやりたいがためだけに存在したのかもしれない、と思えてしまうあたり絶望的。

 神戸まで男装して竜馬を追ってきた佐那子@たっちんも、なんのために再登場したのかわからん……。
 映画版『ガンダム』のイセリナのやうだ……(ヲタクなたとえを)。
 そうまでして出すからには、彼女のエピソードを入れるべきだ。
 男装させてキィキイ言わせる、くだらないギャグをやりたいがためだけに存在したのかもしれない、と思えてしまうあたり絶望的。

 ラストの「ヨサコイサッサ」にも、物申したいことはあるんだが、それはもーいいや……。

 あきらかに「いらない」と思えるのは明治と土方、男装佐那子だけだから、それを削って他のシーンを書き足してくれりゃーいいのになぁと思う。
 てゆーか、竜馬と中岡の友情シーン描こうよ。
 中岡を2番手の役として、ちゃんと描こうよ。
 そうすれば、暗殺シーンもきちんと盛り上がるし、盛り上げるべく演出を変えるべきだし。

 「銀橋を渡っていいのはスターだけ」というお約束だとか番手だかを知らない団体の一見さん向けだから、いいのかしら。
 タニちゃんを2番手だと知らない人たちには、中岡がいてもいなくてもいい役でもなんの問題もなく物語は進んで終わるからなー。
 中岡が準主役だと思って観るから、バランス悪く見えちゃうんだよなー。ふつーに、慶喜や桂を準主役だと思って観れば、まとまった話なんだよなー。

 あ、そんでもってわたし、この話では桂@みっちゃんに萌えてます(笑)。


 スカステに加入したのは、ケロ祭りの最中だった。
 ケロ映像のためだけに、あわてて入った。

 自分の性格からいって、録画すること、データを整理することに血道をあげ、見ないくせにメディアだけ貯め込むことがわかりきっていたので、自戒の意味もあってスカステには手を出していなかったんだ。
 思った通り、スカステが見られるようになってからはすごい勢いで録画し続け、整理し続けている。DVDメディア枚数は、2年で500枚を超えた。たぶん、残りの一生かけても見切れないくらい、録画しつづけている(笑)。録画し、整理することが趣味であり快感なのだから仕方がない。

 その録画し整理し続けている、タイトルの中に。

 「貴城けい」がある。

 かしげの登場する番組を、節操なく録り続ける、というものだ。
 ニュースだろうとトークショーだろうと、「公演」以外のものを録り続ける。彼がメインでなくても、ある程度映っているものならなんでも録る。
 ニュースなどは、彼関連のものだけ切り取ってタイトルを付けて保存してある。
 今でDVD8枚かな。

 かっしーだけでなく、ゆーひくんも水くんも、しいちゃんも、もちろんまっつだって、そうやってひとりずつ録り続けてあるんだがな。

 「貴城けい 1. 2005年新春メッセージ/パーソナルブック撮影風景/JURIのそれどう/スカステトークSP……」
 「貴城けい 2. 2005年ゴールデン・ステップス稽古場風景……」
 とかゆーふーに、とにかくかしげ関連番組をDVDに焼いていく。

 そーやって録り続けてきて。

 はじめて、「退団のお知らせ」を録画した。

 ケロ祭りの最中に加入したわけだから。
 ケロの「お知らせ」は見ていないんだ。

 個人タイトルで関連番組を録画し続けてきて、はじめて、「お知らせ」を切り取り、DVD−Rに焼いた。

 「貴城けい 8. 2006年貴城けい新たなる飛翔/『ベルばら』トークショー/TCA稽古場/TCA稽古場インタビュー/TCA2006/退団発表/退団会見……」

 や、だからナニってことでもないんだが。

 発表があって、最初で最後の公演の幕が開いて、そのすぐあとに溜まっていたDVDレコーダの整理をして。
 ニュースの中の、たかが数十秒の「退団のお知らせ」を丁寧に切り取り、そして。

 泣いた。

 
 溜まりきったブログ記事の整理をしようと、夏ぐらいからちんたら倉庫を作りはじめた。
 過去記事データはDIARY NOTE上では壊れているんで、PCの中から元テキストを発掘し、改めて倉庫に収納する。その際に、過去記事のチェックもする。
 2002年からだ。ヅカ日記をこうして書きはじめたのは。その2002年からはじまる自分の書いた文章を、簡単に読み返しながらの作業だ。

 『追憶のバルセロナ』『春麗の淡き光に』『アメリカンパイ』……かっしーのヘタレさを嘆きながら、薄さを危惧しながらも、のんきに愛でている。
 がんばれかっしー。いつもいつも、そう書いている。

 や、だからナニってことでもないんだが。

 夏の間は笑っていられたけれど。
 今はつらい。

 過去の、未来を信じていられた時間を振り返ることが、つらくてならない。

 雪組ともかっしーとも、関係がないだろうタイトルの文章にも、ときどき不意にかっしーの話が出てきて、息が詰まる。
 あたりまえに、彼を好きで来たよ。ここまで、ずーっと。

 別れはいつかやってくる。
 でも、もっと先だと思っていたんだ。


 もしも「運命」に出会ったら。

 運命……あるいは、「神」といってもいいかもしれない。
 わたしたちの手の届かない、わたしたちに関与し、自在に翻弄する、あらがいがたい力。

 それを、目にすることがあったら。

 ひとは、こんな眼をするのかもしれない。

 それを思った。

 宙組公演千秋楽、『貴城けいサヨナラショー』

 かしちゃんを見つめるるいちゃんの眼がね。
 「運命」を視る目だった。

 あらがいがたい、強大な力。人を超えた存在。
 るいちゃんにとって、かしちゃんは……かしちゃんに対する想いは、そーゆーとこまで行っているのかもしれないな、と、思った。

 かしるいがどういう状況で結ばれ、ともに1作きりで散るのかはわからない。
 意志なのか、そうでないのか。
 歓喜なのか慚愧なのか、諦念なのか信念なのか。
 わたしには、想像することさえできない。

 どんな事情や感情があるにせよ、わかっていることは、ふたりが共に滅びる者として、対峙しているということだ。

 これだけ多くの人間がひしめいている中で。

 今の自分の立場、今の自分の心情を理解し、分かち合える相手は、ただひとりだけ。

 灰色の世界のなかに、ただひとり、色を持って立つ人がいる。
 それが、かしげにとってのるいであり、るいにとってのかしげであるということ。

 多くの人の中でひとりだということは、無人島でひとりであることとはチガウ絶望がある。ある意味無人島にいるよりも孤独である。
 だが、かしるいは、ひとりではない。
 彼らには、互いがいるんだ。

「あなたがいたから、生きていられた」

 『仮面のロマネスク』の歌詞が、胸に突き刺さる。

 このふたりで、よかった。
 かしちゃんに対するるいちゃん、るいちゃんに対するかしちゃん。彼らが、ひとりでなくてよかった。かけらとかけらが合ってひとつのパーツになるように、片翼と片翼が合って飛び立てるように。
 かしちゃんに、るいちゃんがいてくれてよかった。

 かしちゃんは、強い人だ。
 強くないと言いながら、とても強い人だ。少なくとも、公の場では「貴城けい」としての顔を保ち続けている。
 その強さで、るいちゃんを包み、導いている。

 かしちゃんの強さが発揮されているのは、組替え後だと思う。この人事がすべて予定されていたものだというなら、自分のタカラジェンヌとしての終焉を知った上で、発揮された強さだと思う。
 ほんとうは、これほど強い人だった。強靱な持ち味の人だった。雪組の御曹司、きらきら白馬の王子様だったときには発揮できなかったカラーだ。あのまま雪でのんびりトップになっていたら、表に出ることはなかったかもしれない力だ。

 今のかっしーを見ることができた、知ることができた、それを、すばらしいことだと思う。

 これほどすばらしい人を、長年愛し見守ってきたのだと思えることを、誇りに思う。

 るいちゃんが見ているのは、その「強いかっしー」だ。
 雪組時代のヘタレかしちゃんじゃない。

 天下無敵の美貌を持ったかっしーが、それまでは持たなかった強さや男っぽさを備えて、ある日ふつーの女の子(といっても、相当美少女。少女マンガで「ふつーのヒロイン」といえば、設定はどうあれ見た目は絶対相当かわいいんだからな)るいの前に現れる。
「キミは、僕を愛する運命にある」
 彼は予言する。
 反発する暇も、困惑している暇もない。
 抱きしめられて口づけられて、あとはもうめくるめく(笑)惑乱の世界へ。

 気が付けば、彼を愛している。
 理屈じゃない。
 本能が、彼を求めている。

 親も家も友だちも、学校も未来もみんな捨てる。
 彼以外、なにも必要ない。

 それがまちがっていることはわかる。ゆがんでいる、なにかおかしい、わかっていても、止められない。

 彼が「運命」だから。
 彼が「神」だから。
 彼が「世界」だから。

 愛欲ではなく、敬虔な祈りが満ちる。

 自分ではどうすることもできない、大きなものに対峙した。
 人の姿をして、美しい青年の姿をして、彼女の前に現れた。
 彼女が視ているものは、「彼」ではなく、「彼」を超えた、もっと別の、果てしないもの。

 それは、彼女自身に由来するものかもしれない。

 かしちゃんを視る、るいちゃんの眼が、せつなくて。
 凝視、という言葉が合うほどに強く見開いた眼で見つめて。
 瞳ではなく眼という文字が合うような、いびつささえ感じる強さで。

 「運命」を視てしまった彼女は、どうなるのだろう?

 ふつーに生きていたら、そんなもん見えるはずがない。
 だけどぎりぎりまで追いつめられ、研ぎすまされた濃密な時間と空間の中にいた彼女には、見えたのかもしれないな。

 それはおそろしくて、そして、うらやましいことだ。

 ふつーに生きていたら、見えない、感じられないことだから。
 見えなくていい、感じなくていいことだとしても。

 うらやましいよ、るいちゃん。

 わたしはあなたになって、かしげと心中したかったよ。

 砲弾の音と崩れ落ちる屋敷の中で、踊り続けたかったさ。

 自分を見つめるかしげのなかに、「運命」を視たかったさ。

 せつなくてせつなくて、号泣した。
 それまでけっこー平静に観ていたサヨナラショー。
 『仮面のロマネスク』がはじまるなり、奔流が来た。
 しゃくりあげている自分が不思議だった。こんな泣き方、ありえない。子どもじゃないんだぞ?

 追いつめられた崩壊する時代の最期の恋人たちが、次の瞬間、しあわせそうに笑う。光がこぼれるような、花びらが揺れるような、明るいかわいらしい微笑。
 ヴァルモンとメルトゥイユだったかしるいは、一瞬でかしるいにもどって、ライトを浴びて笑ってみせるんだ。

 いろんな色を持つ恋人同士。短いけれど光彩を放つ時間をともに生き、ともに終焉を迎えるふたり。それは、凝縮された人生にも似て。

 かしちゃんは単体よりも、恋人といるときの方が魅力の出る人だった。
 そのことがはっきりとわかる、この最後のショーが愛しい。
 愛する人といる。そのときこそ、輝くひと。
 ある意味残酷に、ある意味強く、ある意味やさしく、ある意味おおらかに。
 愛することでいろんな顔を見せてくれる。

 だから愛のひと。
 だから運命。
 だから。

 だから、彼の導くものが、愛しい。

 ……貴城けいサヨナラショー。
 彼のタカラジェンヌ人生最後のショー。

 それが、さらに彼の魅力を見せてくれるものであることが、うれしくてせつなくて、くるしい。
 新しい魅力。きっとかっしーは、「真ん中」に、「相手役」と立つことで、脇で決まった相手なしでいたときには出せなかった魅力を、開放していくはずだったろう。
 10年間貴城けいを見てきたわたしもまだまだ知らない、未知の魅力を持っていたことだろう。

 
 
 もっと彼を、知りたかった。

 
 

 過去にわたしは、1作トップぶんちゃんのサヨナラショーを観ている。エスプリホールでだけどな。
 星組作品の曲ばかりで構成された、雪組ファンには馴染みのないサヨナラショーだった。仕方ない、とはいえ、雪組で3公演(博多座のように1ヶ月もあった公演を入れれば4公演)一緒に過ごしたのに雪作品を潔いまでに排除した構成に、寂しいモノを感じた。
 また、同時退団するスター成瀬も、雪組での曲ではなく月組時代の曲を選んでいたこともあり、ほんとーにどこの組のショーかわからない状態だった。
 わたしがいたホールの空気も微妙だった。劇場内ではない映像を眺めるホールだから、空気はそのまま低いざわめきになる。
「この曲知ってる?」「知らない……」「コレも知らない……」
 ぶんちゃん個人ファンしかわからない曲が続き、客席のテンションが微妙になる。もちろん、基本はあたたかく、また涙涙で見送っているのだけど。

 ぶんちゃんのときの微妙な空気感をおぼえているから。てゆーかある意味トラウマ、忘れられないでいるから。

 1作トップが発表されたとき、そのことにも傷ついた。

 あの、微妙な空気。
 個人ファンはいいけれど、置き去りにされた組ファンの複雑の心境。
 知らない曲ばかりなのは仕方ない、それでも見送らなきゃ、盛り上がらなきゃ!と、馴染みのない曲に手拍子を送る姿。次こそは知ってる曲かな? ……また知らない曲だ、の連続。
 ちゃんと見送りたい、大切なわたしたちの組のトップさん! そう思っているのに、曲を知らないがゆえにさみしい気持ちになる。好きだからこそ、見せつけられる「知らない歴史」にかなしくなる。共有したいのに、どうすることもできない思い出に、苦しくなる。
 組替え先での1作トップ、という、気の毒な状況と相まって。

 かしげもまた、あーゆーサヨナラショーをするんだろうか。

 とゆー危惧があったので、前楽を観たときは選曲にとてもぴりぴりしていた、『貴城けいサヨナラショー』

 『コパカバーナ』ではじまったり、『ネオ・ヴォヤージュ』を入れたり、雪時代の曲でもわざわざ『ワンダーランド』のような新しい作品、しかも主題歌ではあまりに雪組臭が強い(ついこの前コムちゃんがサヨナラショーで使った)ので劇中曲を選ぶあたり、気を遣っているなと、しみじみ思った。
 3公演、雪組本公演に出演していたぶんちゃんが星組一色のサヨナラショーをしたんだ、1公演ぽっきりのかっしーがそうでもまったくおかしくはないのに。
 それでも、宙組の曲を使うんだね。
 かっしー、宙組が好きなんだね。

 そして、宙組の子たちが、応えてくれているね。

 かっしーのワンマンショーではなく、相手役のるいちゃん、同時退団者たち、そして組子全員が一丸となって取り組む、きちんとしたショー作品だった。
 すげー出番多いんですけどみんな。すげー踊ってるんですけどみんな。
 お稽古、大変だったろうなあ。よくぞここまで。

 いやその、『ワンダーランド』がよりにもよってアラビアのシーンだったものでオチをどうするつもりなんだ、と手に汗握ったんだが、どーしてくれよう(笑)。
 ええ、大嫌いな『ワンダーランド』。そしていちばん大嫌いなアラビアのシーン(笑)。なにが嫌いかって、あのくだらないオチがあるからよ。
 「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」と、仲間たち話した究極の二者択一、わたしは「『ワンダーランド』が駄作! だってアラビアがあるから! かしちゃんにあんなことをやらせるなんて、石田許すまじ!!」と答えていたもんだ。
 サヨナラショーでは衣装がきれいになっており、さらに、あの最悪なオチがなかった。
 すると、ものすごーくいいシーンになっている。あああ、やっぱりオチが悪かったんだよまったくもー! と、今さら再確認。
 でも、最初はオチがないなんてわからないからおびえたよ。「リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽場面」、温泉旅館の余興のようなオチを見せられたときの、あの嫌な気持ちを、サヨナラショーでは味わいたくない!

 で、次のシーンがるいちゃんと同期による『ネオ・ヴォヤージュ』でしょ。
 「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」という、究極の二択を続けられて、ツボ直撃しました。やー、すげー。

 以降の雪組メドレー(本公演主題歌ナシ、主演公演曲という、ある意味地味な選択)は想定の範囲内だったので置くとして。

 『仮面のロマネスク』は、クリティカルだった。

 あの歌、あの台詞、あのシチュエーション。
 予備知識がないまま見せられて、そのまま撃沈した。しゃくりあげるほど泣いた。

 おぼえているさ、新人公演。
 かしちゃんは衣装を着て立っているだけでもいっぱいいっぱいだった。まだ長の学年でもないっつーのに、いきなりの大人の男で初主演。
 ゆきちゃんが演じてあんなにエロい役、エロい台詞が、ちーっともエロくならないことに感心したさ。
 ま、わたしはケロ目当てで客席にいたんだけどなー。ダンスニー@ケロは、本役より正しい役作りだったと今でも確信しているぞっと(トドのダンスニーは「変な人」、ケロのダンスニーは「いい人」だった)。

 あの、ちいさな男の子が。
 若くて幼くてなんにもできなかった子が。

 今、大人の男として、ここにいる。

 そうか、『仮面のロマネスク』か。かしるいで観てみたかった、コレ。
 雪組時代のかしげではない、宙組のかしげで観たい。……そう思えることがうれしい。かっしーはたしかに、変わったんだ。意味があったんだ。この組替えも。
 さよならはかなしくても、1作きりに納得なんかしていなくても、それでも無意味なことなんてなにひとつない。
 宙組に来て貴城けいは変わった。雪組時代より、さらにいい男になった。その事実がうれしい。

 サヨナラショーで泣きツボ直撃の魂シェイクシェ〜イク(何故かピート@めぐむ調)されたのは、『仮面のロマネスク』と、『コパカバーナ』関連全部。

 『コパ』はいかん。いかんちや。と、嘘っぱち土佐弁で降参してしまうくらい、勘弁してください状態。(幕末ミーハーなので、竜馬喋りでごっこ遊びくらい、学生時代さんざんやったさ)

 『コパ』はしあわせの記憶だから。

 かしちゃんお披露目おめでとー!と、夜行に乗って駆けつけた博多座初日。
 闇雲にわくわくしていたあの時間、あの日々。

 初日の幕が下りたあと、興奮冷めやらぬまま川下りの船に乗り、博多を堪能したっけ。ひとり旅のわたしに、地元の人たちはすげーやさしかった。
 船から見た夕焼け。
 ……知らないおじさんに、博多駅まで車で送ってもらったなぁ(笑)。みんないい人だった。

 出会う人出会う人、みんなやさしくていい人で。ヅカ関係の人も、まーったく関係ない通りすがりの人も。
 やさしい、たのしい旅の記憶は、『コパ』のたのしさ、かしちゃんのトップお披露目のよろこびとも融合して。
 ただただ幸福な記憶となる。

 帰りの夜行で、知り合ったばかりのかしファン(ブログに博多座初日行くと宣言していたため、ココを読んでくれている人に捕獲された。顔バレしてないハズなのに・笑)と、えんえん喋った。かしちゃんファンに会うのは長いヅカファン人生でもはぢめてのことだ。すっげーうれしくて、いっぱいいっぱいかしちゃんの話をした。
 信じていた未来。幸福。

 幸福の記憶が押し寄せてきて、痛い。

 痛くて痛くて泣く。

 『コパ』の中でも、「踊る阿呆」よりさらにさらに、るいちゃんの「さらばオクラホマ」ではじまる歌の方が、痛かった。
 はじまりの歌、新しい希望に満ちた歌だから。
 彼女の歌声に、新生宙組、かしるいに夢を見た時間がよみがえってくる。

 博多旅行が幸福であった分、今の現実が痛くて泣く。

 いや、今のかしるいが博多のころよりさらにさらに素敵になっているから。
 だから余計に泣く。

 で、ラストの「奇跡」でまた泣いて。「さだまさしかよっ」とツッコミつつも、こーゆーところで歌われるとすげーリンクして泣けるよなと。某趣味の悪い語らせすぎのショパンがどーのクラシックがどーのというショーの曲とえらいちがいだ。

 雪組メドレーがいちばん平静でいられた、というこの事実。
 それが、かっしーが成長し、今、この組のトップスターであるということなんだろう。
 宙組として宙組メンバーと共にあったかしコンの曲の方が、胸に迫ったしな。
 過去を振り返るより、現在が愛しい。
 そう思わせてくれるかっしーと、宙組の仲間たちが愛しい。

 まだまだ未整理だけど。すべて納得できたわけではないけれど。
 それでも、サヨナラショーを観られて良かったんだ。

 いいサヨナラショーだったよ。
 ありがとう。


「バカだこいつ(笑)」 

 と思ったのは。

 入りのときのちぎと、『維新回天・竜馬伝!』の七帆。

 や、バカにしているわけではなくて。
 なんつーかもー、愛しくてな。

 
 宙組公演千秋楽の朝。

 最後の大劇場の楽屋入りをするかっしーのために、宙組組子たちが集まった。
 それぞれアタマにかっしーの顔のお面をつけて、白い服を着て「あいらぶ・かしさん♪」と歌う。

 王子様のよーな姿に飾り立てられたかっしーの、白いはっぴ?の背中にあった「宙組三代目」の文字に、朝から泣いた。
 たとえ「おとめ」に載らなくたって、かしちゃんは宙組トップスターだ。なにがどうあろうと、今ココにいる人たちの記憶には残るんだ。

 その、「あいらぶ・かしさん」な人々の中。

 ちぎが、えらいことになっていた。

 新公挨拶で、唐突にかっしーの名前を出していたちぎ。かっしーを好きでいてくれることは、想像がついたけれど。

 かしげの顔写真だらけの服を着ていた。

 なんなのその服!! お手製? お手製なの? わざわざ写真拡大してアイロンプリントにして、白いシャツに転写したの?
 そこまでするか。
 そこまでやると、ただのバカですがなアンタ。
 見た途端爆笑したよ。

 そーまでして、かっしーに愛をアピールしたかったのね。

 
 とまあ、これだけでわたしは、ちぎサイコー!(笑)と思っていたんだけど。

 所詮花の道にいるわたしには、宙組生たちとかっしーのイベントをつぶさに見られるわけじゃない。
 楽屋口前は、かっしーFCの人だけがいることのできる聖域。そこにいた人から、あとで話を聞いたんだ。

 ねーねー、かしげだらけの服着てたのって、ちぎだよね? すごいよねアレ。

「そう、ちぎがソコまでやっているっていうのに、かしちゃんが“……”ってやったのは、ちぎの横にいた風莉じんになんですよ!」

 “……”ってゆーところで、ゼスチャー付き。
 頬を手で包み、撫でるよーな仕草。

 うわーっ、かっしー、んな真似してたのか!! てゆーか何故に風莉じん!!(笑)

 全身にお手製かしちゃんスマイルをまとい、愛してますっ!!と全霊をあげてアピる年下ワンこ、ちぎ@アイドル系美形。
 それをさくっと無視して他の男@not美形に色気を振りまく、鬼畜王子かしげ様。

 萌え。

 わたし、片想いダイスキですから! ツボですから!
 ちぎの一方通行ぶりが、ツボ直撃です!!(笑)

 ちぎの自爆っぷりと、かしげのスルーっぷりが、最高に萌えだ。

 そして、芝居本編で。
 いろーんな人たちが「あいらぶ竜馬」とやっていたけれど。その中でも、七帆がえらいことになっていた。

 いちばんお遊びし放題、野放しになるグラバー邸のシーンで。

 海援隊副長陸奥陽之助@七帆は、いつもの学ラン帯付き姿の上に、「坂本先生命」と書いたたすきをかけていた。

 手書きです。
 東急ハンズとかに売っている、宴会グッズのお花付きたすき。

 まあね、ソレだけならまだ「あーあ(笑)」ですんだのよ。
 問題は、後ろ姿。

 たすきの背面には、「大好き」と書いてあった。

 「大好き」……。

 わかるかな、このニュアンス。
 「坂本先生命」は、役の上でのお遊びというか、まだありえそうな書き方なのね。
 でも、「大好き」は……。

 えー、大の男が言いますか? 男同士で。「大好き」って。コレ、女のコの使う言葉だよね?

 「坂本先生命」で竜馬の写真を胸に飾り、ハートを散らせた「竜馬ハチマキ」をしていたって、陸奥陽之助のアドリブで済む。
 でも、背中の「大好き」は……海援隊副長陸奥陽之助ぢゃなく、七帆ひかる自身の言葉だろう!!(笑)

 ちぎの「かしさん大好きシャツ」と同じノリだろう!

 たすきもハチマキも笑いごとで済んでいたんだが、背中の「大好き」を見て、へたへたと崩れ落ちたい気持ちになった(笑)。

 バカだ……バカだこいつ……(笑)。

 で、全霊をあげてアピるどんくさくも若いニャンコ@七帆を、坂本先生は余裕でいじる。
 借金の担保にされたと憤る陽之助を、竜馬はにっこりとキスで黙らせる。や、ほっぺただけど。
 愛する坂本先生にチューされた陽之助くんは、幸福感にぼ〜〜っとしたまま、すすんで担保となりヲトメ歩きで去っていく。

 ムラ楽はスカステ全編放送がないと思って、好き勝手やってやがるな(笑)。星組の『長崎しぐれ坂』もホモネタで盛り上がったもんなー。(そしてスカステで全編放送される東宝楽はアドリブひかえめだった)

 ちぎの場合とちがい、七帆は芝居でのお遊びだから、あらかじめかしげとネタの仕込みをしてあったはずなので、チューしてもらったからといってソコに愛があるのかどうかはわからない。てゆーか、あしらわれている感じがいいですなー。
 坂本先生は高嶺の花だからねえぇ。すべての人が老若男女問わず彼にめろめろになるんだからねぇ。

 終演後にとある筋からタレコミが入ったのだが(笑)、七帆のあのたすきはほんとーに彼自身の「手書き」であるらしい……。

 
 ちぎの「かしさん大好きシャツ」と、七帆の「大好きたすき」。

 バカだ、こいつら(笑)。

 や、他にもみんな、とてもたのしく愛にあふれたアドリブとばしたり小物を使ったりしていたけれどね。
 でも、このふたりがバカさ加減では双璧かと。

 あんまりバカで……。

 最初に見たとき、泣けてきたよ。

 笑って、笑いながら、泣いた。

 ありがとね。
 かしちゃんを愛してくれて。
 バカに見えるほど、愛してくれて。愛を表現してくれて。

 ありがとう。

 ありがとう。


 みなみちゃんになりたい。

 緑野こあら、心の叫び。

 みなみちゃんになって、ゆーほを夫にして、すずみんを弟に持つの。(役名で言いましょう)

 星組ドラマシティ公演『ヘイズ・コード』初日。

 トウコちゃん、トップお披露目おめでとう!!

 なにがなんでも初日に観に行きたくて、初日以外ありえなくて、相当じたばたしました。結局前々日に掲示板でGET。執念だわ(笑)。
 おめでとうが言いたかったの。
 トウコちゃんに。あすかちゃんに。
 お披露目初日に、劇場に駆けつけたかったの。

 ドラマシティは超満員、これがあの「海馬」がどーたらやっていたサムい劇場と同じハコかと愕然とするくらいだよ(自虐発言)。

 そんでもって『ヘイズ・コード』。
 期待される新人演出家No.1の座は堅いだろう、とゆー大野作品。
 ハズレがない、たとえナニかあったとしても最低限、美しくて嫌味のないものを作ってくれるという安心感。平均点の高い作家はいいなあ。

 相変わらず予備知識ナシ、トウコ&あすか+しいちゃん以外の出演者も知らずに席に着く。

 舞台は映画の倫理を厳しく追及されていた時代のハリウッド、新作映画『シークレット・オブ・ハンター』を撮影中のスタジオ。
 「ルールを守れ。ルールこそ神」と振りかざすのはPCA職員のレイ様(笑)こと、レイモンド@トウコ。彼が「3秒以上のキスはルール違反」と斬り捨てるもので、撮影がすすまない。女優リビィ@あすかは猛反発。ところかまわずふたりは丁々発止。
 さてこのルール、「ヘイズ・コード」とやらを遵守しているかを管理する組織PCA(映画製作倫理規定管理局)。実は政治絡みの組織なんだ。根っこは純粋な規定なんだけど、運営する上で政治や金が絡むのは世の必定。レイモンドは政治家一族に生まれ、演劇と家業(笑)の間で板挟み、兄のエドワード@ゆーほが共和党推薦で市長選に出馬するっつーんで、同じ共和党の息のかかったPCAで働くよーになったそうな。
 んでエドワードを支援する政治家サミュエル@ソルーナさん。この人はなにか思わせぶりに企んでいたよーだが途中でどこかへ行ってしまった。あ、あれ? 政治絡みの話はどこへ行ったんだ大野せんせ?
 サミュエルパパはただの親バカになり、娘ミルドレット@コトコトとレイモンドをくっつけるためだけに、『シークレット・オブ・ハンター』を制作中止にしようと悪だくみ。レイモンドとリビィがいい感じになっちゃってるもんだからさ。「映画がなくなれば、ふたりの接点もなくなる!」……そんなあさはかな……ゲフンゲフン。
 で、サミュエルパパってば、監督のカールトン@しいちゃんをボコったり、カンチガイ女優@エレナを他社に引き抜かせてみたり、「ヘイズ・コード」を楯にとってみたりと、セコい手、使いまくり。
 我らのレイモンドは、悪の魔の手から、清廉潔白な兄とみんなの大事な映画と、リビィとの恋を守り抜けるのか?! がんばれレイ様!!

 えーと。
 ストーリーは、あんまりナイです。あ、言っちゃった……。

 悪役のサミュエルが迷走しているので、ストーリーもカオスに乗り上げてます。
 『フェット・アンペリアル』でブランメル将軍がナニやってんだかわかんなくてぐちゃぐちゃになってしまった、あのノリ。……大野くん、また同じ失敗を……(笑)。

 されど、本筋ってなんだっけ? わかんないけど、たのしいからいいや!(いい笑顔)てな話なんですよ、『ヘイズ・コード』!!(笑)

 登場人物多すぎ。
 全員バックボーン持って、画面のあちこちでなにかしらやってるの。
 みんなみんなあまりに濃すぎて、その個人芸見ているだけで、ストーリーなんかどーでもよくなる。
 ヲタク満開にいろいろ書き込み過ぎてかえって混乱しているくせに、ストーリーとしては余白だらけで、そこを出演者の力で埋めていく作りになっている。
 トウコとあすかなら、きっと魅力的な色で埋めてくれるだろう。
 今日は初日で、進行させるのに精一杯って感じだったけど、回数を重ねるにつれ進化するぞこりゃ。ってゆーか、どこまで濃くなるのか、考えるだけでこわい(笑)。

 つーか、組ファンならたのし過ぎるよコレ。
 キャラがたまんない!!

 祐穂さとるファンは、劇場へGO!!

 ゆーほが、ゆーほが、ゆーほが! オイシイ。オイシイぞゆーほ!!(鼻息)

 美女を転がし、ネクタイをゆるめる色男ゆーほに、客席で身もだえました。

 ……あれ? あんまし需要ナイですか? ゆーほのエロシーンに大喜びする人って、わたし以外にいない?

 それから、ヘンリー@すずみん!! 陽気で軽薄、おつむも少々軽めの超おぼっちゃま!! すずみんのいちばん得意な役!!(笑) ラケット持って女の子はべらして登場するのがたまりません。
 またすずみん、こんな役か!(笑)

 そしてこのサワヤカぼっちゃまってば、姉ラレイン@みなみに頭が上がらないの! イニシアチブが、完全におねーちゃんにあるの。
 みなみちゃんは相変わらず(笑)、強気にぶっとんだ美女で、弟をぶんぶん振り回す。
 撮影所の一室に閉じこめられてしまったレイモンド&リビィと、ヘンリー&ラレイン。スポットライトは主役カップルであるレイモンドとリビィにあたって、ヘンリーたちは背景扱い。……なんだけど。
 この背景しているところで、ヘンリーは眠ってしまったラレインにジャケットを脱いでかけてやる。で、自分はシャツとベスト姿でさむそーに丸まってるの。

 かわいい。
 かわいいかわいいかわいいっ。

 ヘンリーかわいいよおっ。

 こんな弟欲しいよおっ。

 夫エドワードの浮気を疑っていたラレイン、後半で誤解だったとわかり、エドワードとえんえんラブシーンするわけなんだが。

 ゆーほさとる、ゆーほさとる人生で、最大級のキスの数なんじゃないか?

 ゆーほとみなみで、えんえんえんえんキスしまくり。ドラマティックに盛り上がりまくり。

 ちょっともー、たまりませんわよぉーっ。

 みなみちゃん、うらやましー!! あんな夫とあんな弟、わたしも欲しいよおーっ。

 
 わたしのオンナノコ的萌えはゆーほとすずみんでしたが、腐女子萌えは、水輝涼×立樹遥で!(笑)(役名で言いましょう)

 
 と、脇の話ばかり書いてしまいましたが。

 レイモンド@トウコは、マジかっこいいっす。
 かっこよくて、そのくせかわいげもあって、目が離せない。口でなんと言おうとも、彼がリビィに惹かれているのがわかるのね。その裏腹さがたのしい。わくわくする。
 ラストの「あんなにキスの回数、増やすんじゃなかった」とかゆー台詞が、ヲトメ心直撃です。
 嫉妬する男がかわいいなんて。
 その瞬間、リビィになって、レイモンドに愛される感覚を味わえました。はぁ。めろめろ。

 リビィ@あすかちゃんが、かわいい。
 またしても女優役なんだが、今までのどの女優役ともちがう、かわいい等身大の女の子。表情のひとつひとつ、仕草のひとつひとつが超キュート。
 トウコと並ぶとやっぱりデカいんだが、そんなことはどーでもいいんだっ、このカップルが好き。

 そしてアツい、トウコファンと星組ファン。

 フィナーレが終わり、一旦幕が下りるなり。
 スタンディングするんだもの。

 フィナーレのあと幕が下りるのはお約束。そのあとまた上がって、出演者が挨拶する。それが暗黙のルール。
 なのにみんな、幕が下りるなり総立ちだもん。

 立つの、早いって!!(笑)

 幕が上がり、舞台に一列に並んだ出演者は予想していなかったろう。カーテンコールでスタンディングはあるだろうと予想してはいても、まさか挨拶前から総立ちなんて。
 トウコちゃんが。
 あの、舞台ではつとめて余裕ぶっこいてるトウコちゃんが、うるっときていた。

 みんな立つのが早すぎるから、座長の柚長が挨拶するときに「みなさま、お坐り下さい」と仕切るハメになったぞっと(笑)。

 台詞を何度も噛んで、大変だったトウコちゃん。初日からできあがりのイイ人なのに、今日はボロボロだった。
 ほんとに、特別な日だったんだ。
 ほんとに、待ちに待った、特別の日なんだ。

 おめでとう、トウコちゃん。
 10年前、「すぐにトップでもいけるのに」と思った実力者、長い長い道のりの果てにたどり着いたね。
 そのぶんたくさん、いろんなトウコちゃんを見られてよかった。
 そしてこれから、「真ん中」に立つトウコを見ることができる。
 それがうれしい。

 新生星組へのエールがいっぱい詰まった(次回大劇場公演のパロディネタ満載!)作品でプレお披露目。大野くんの愛もいっぱいだ。

 よい幕開きだった。

 どうか、よい旅を。


 『ヘイズ・コード』初日を観ている間に、来年のラインナップの追加発表があったようで。

 幕間にチェックしよーとしても、ついさっき発表になったばかりらしく公式は激重で開かない。チェリさんの携帯をみんなでのぞき込みながら、あわただしく演目と演出家を調べたさ。

 いちばんウケたのが星組の『エル・アルコン−鷹−』であることは、言うまでもない。

 見た途端、笑っちゃったよー。

 『エル・アルコン』で斎藤くん演出って!! そう来たか!!

 青池保子作のピカレスクロマン、『エル・アルコン』。野望に燃える黒髪美形が主人公。彼は、悪。目的のために手段を選ばず、彼を愛する者・憎む者問わず踏みにじり裏切り、権力を手にしていく。
 選ばれたる者の孤独と恍惚を胸に、自らの意志で修羅の道を進む彼は、たしかに悪なのだが、とてつもなく魅力的な人物。
 自身の傷も痛みも凛として耐えうる強い強い男であるがゆえに、そんな彼が少年のような純粋さで海と船を愛する様が切ない。「エル・アルコン」とはその悪の主人公自身でもあり、また彼が愛し誇りとしていた戦艦の名でもある。
 『エル・アルコン』の前身である『七つの海七つの空』に、彼は「敵役」として登場する。『七海空』の主人公は、冤罪で父を失った金髪巻き毛の大学生。復讐のため海賊になり、女装したり女の子を助けたりしながら(笑)正義の聖戦、父の敵である『エル・アルコン』の主人公にたどりつく。

 とゆー話を幕間にチェリさんたちにしつつ。
 わたしは首を傾げる。

 あれ?
 『七海空』の方の主人公、名前なんだっけ?
 こっちの方が先の話なのに、読んだのも当然先で、印象も強いのに、なのになのに、主役の名前が出てこない。
 『七海空』の悪役で、『エル・アルコン』の主人公の名前なら言えるのに。

 ティリアン・パーシモン。

 フルネームがすらりと出てくる。
 なのに何故、もうひとりの主人公は思い出せないのか。てな話をすると、

「キャプテン・レッド」

 kineさんはすらりと答えたさ。さすが同い年、さすがヲタク(笑)。
「仕方ないよ、ティリアンの方がどうしても印象が強いから」とかなんとか。
 わたしも、「ドリアン・レッド・グローリア伯爵」まで思い出したら、キャプテン・レッドに記憶が結びついたんだけどねー。

 もちろんkineさんも、青池保子大大代表作『エロイカより愛を込めて』の主人公、ドリアン・レッド・グローリア伯爵が『七海空』のキャプテン・レッドの子孫で、エーベルバッハ少佐がティリアンの子孫だっちゅー話は確認するまでもなく知っているだろう。伯爵と少佐が最初に出会ったとき「先祖同士が仲が悪かったのかな」というネタが出ている(笑)。
 伯爵がこだわっている名画「紫を着る男」がティリアンの肖像画だっちゅーこともな。
(確認してないけど、コレはみんな常識だよね?)

 星担kineさんはもちろん『ヘイズ・コード』観劇のためにはるばる大阪入り。そしてわたしも、kineさん会いたさに梅田に行く。サバキ出てないから、わたしは『ヘイズ』2日目観られなかったわ。
 で、そのkineさんと、

「『エル・アルコン』がサイトーくん!!」

 ということで、説明不要で盛り上がる。 

 『七海空』にしろ『エル・アルコン』にしろ、サイトーくんの芸風まんまの作品だからな。てゆーか、ここでこーやって「サイトーくん、青池保子ファンなんだ」とわかったら、反対に「今までの作品ってみんな、『七海空』や『エル・アルコン』から影響受けてんぢゃないの?」って勘ぐってしまいそうだ(笑)。
 パクリとは言わないけど、元ネタのネタにはなってんぢゃねー?的な。
 それくらい、サイトーが『エル・アルコン』演出ってのは、すこんとハマってしまう夢の顔合わせなんだ。

 しかしサイトーくん、ほんとにもうネタがないんだなぁ……今までも自作の焼き直しばかりだったけれど、ネタ元かと思えるよーな『エル・アルコン』まで引っ張り出して来たとなると、ほんとにもうすっからかんなんぢゃないだろうか……。

 てゆーか、宝塚歌劇団、齋藤吉正に大劇場公演任せるなんて、ギャンブラーだな。

 わたしが経営者なら、こわくてできない……(笑)。
 劇団は今年の『Young Bloods!! 』をまったく観ていないか、観ても判断・評価……以前に理解できなかったのかもな。

 『ヤンブラ』でなくても、彼の過去のバウ作品を観ても、ヤヴァイのはわかりきっているだろうに。
 2時間で30人程度のキャストでも話をまとめられないのに、たった1時間半で80人以上使って、話を作れるのか? ……こわすぎ。

 それにしてもトウコちゃん、こだまっちに続き、サイトーくんって、すげーや。
 やっぱナニ、トウコちゃんって彼らの教育係なの?(笑) 『龍星』のときみたく、トウコちゃんが演出までやるのかなー(注・言い過ぎです)。

 なんにせよ、トウコちゃんの演じるティリアンが、心から楽しみです。
 龍星に続き、タイトルロールだよねっ。わくわくっ。
 多少?作品がぶっこわれていても、トウコならそれ以上の「ナニか」を見せてくれると信じている。
 それが、役者・安蘭けいのすごさ。純粋に役者としての力量を期待させてくれる存在って、貴重だわ。

 いやその、作品やキャラがかなり『龍星』とカブりそーだ、という危惧はあるが。

 
「キャプテン・レッドは誰がやるんだろー、しいちゃんがいいなっ」
 と、素直に無邪気に言うと、「無理でしょ」と速攻返されましたが。

 だってれおんがレッドだと、ますます『龍星』まんまに……ゲフンゲフン。
 や、その、イメージがね……。

 しいちゃんで見たいなー、レッド。パトリックをすずみんで。みんな女装するのー、うっとり。
 

 と、夢をふくらませつつ。

 花組の演目に、じつは心かき乱されている。
 オサ様オサ様オサ様〜〜。どうしようどうしよう。めそ。


 現代の男は、背が低い。

 テレビでも映画(洋画含む)でも、背の低い男たちがあったりまえに闊歩している。同じ身長か、あるいは彼より大きな女たちとラブストーリーを演じている。

 背の高い王子様と、小さなお姫様の恋物語なんて、マンガやアニメの中だけだ。
 現実の人間が演じると、「男女の身長差」なんてほとんどない。

 もちろん、背の高い美男俳優もいるにはいる。だが「背が高い」ことがウリになるくらい、数が少ない。
 大多数のタレントは、背が低い。

 何故現代の男たちは、こうまで小さいのか。

 食生活の悪さだとか、子どもの頃から酒だの煙草だのやってるせいもあるんだろうけど(煙草を吸ったことがない中学生とか、存在するのか?)、ひとつには女の子のスタイルが良くなったせいだろう。相対的なものだ。高いか低いかを決めるのなんて。

 なにしろ日本人男性の平均身長は170cmだ。

 正確には171とコンマ以下くらいなのか? キリが悪いのでここでは170で通すが。

 170cmっていったら、「低い」よね?

 世の中の女の子たちの平均身長が163cmとか言われる時代だよ?
 女性ファッション誌の「体型別着こなし」とか見たら、「163cmのふつう体型のアナタ」「172cmの長身のアナタ」とか「158cmの小柄なアナタ」とかに分けられているこの現代。
 男が170ぽっちじゃ「低い」でしょう。
 だって女の子はヒールを履くもの。
 安定のいい6cmヒールを平均身長の女の子が履いたら、169cmになっちゃうよ。

 男と並ぶと、「身長おんなじ」になっちゃうよ。

 テレビに出てくる女の子は大抵スタイルがイイし、ヒールも履くから170cmくらいになっている。
 背がある程度高くないと、きれいなスタイルであることが難しい。身長170cmで八等身とか九等身とかっていくらでも聞くけれど、身長150cmで九等身とかって、顔の大きさどんなことになるんだ?って話。身長がないとキツイわな。
 一方、タレントだからって男はハイヒールを履かない。
 同じくらいの身長の男女で、ラブストーリーをする。

 テレビの中でなくても、町を歩けば電車に乗れば、男たちの小ささは嘆息もの。6cm程度のヒールを履いただけのわたしが、車両の中で「ひょっとしてあたし、今この中でいちばん背が高い?!」とびびる経験はいくらでもある。

 「平均」てのは中間的数値のことであって、世のほとんどの人が170cmなわけじゃない。180cm50人と160cm50人でも平均は170cmになるからな。
 170cmの人が100人、160cmが100人、180cmが100人いても、平均は170cm。
 てゆーことは、170cmと160cmの人が200人で「背が低い」人が3分の2、「背が高い」人は3分の1しかいないっちゅーことになる。
 これは現実としての正しい計算ではまったくないけど。数字の上ではこうなる。

 現代の男は、背が低いのだ、ほんとーに。

 だからこそ古い男尊女卑の精神を持ち、それでも女の夢の世界という相反する世界観を持つ「宝塚歌劇」では、「男役は背が高くないとダメ、娘役は小さくなくてはダメ」というすり込みがある。

 もちろんソレは、「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」に夢を抱く女の本能と、「男は強くあるべき、女はソレに従え」という男尊女卑精神の融合であるが。

 現実問題として男役は「背が高くないと、男に見えるように作れない」ということがある。技術がなくても背さえ高ければ男っぽく見える。後押しする力になる。

 だから、男役は娘役より大きい。
 それがタカラヅカの「あたりまえ」。
 現実社会がどうであろうと、タカラヅカだけは「男は長身、女は彼より小さい」を貫いてきた。
 嘘でも。
 かなり無理があっても。
 貫いてきたんだ。

 それが。

 『ヘイズ・コード』を観て、思った。

 あ、ふつーに男女身長差無しだ。

 ヘタすると、女の子の方が大きい?

 タカラヅカでは、およそ見ない構図。

 あすかちゃんはその卓越した娘役芸でちゃんと小さくなっているんだけど、それでもあちこちで大きい印象を受ける。
 彼女の素晴らしいプロポーションに感激する。

 トウコが、小さい。
 なにがどうじゃなく、ただたんに、物理的に身長が足りてない、というだけのことだ。

 「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」がタカラヅカの存在価値、あるいは必要不可欠だと思って観ていたら、新生星組トップコンビの体格はゆるせないものになるだろう。
 わたしはそこまで思い込んでいたわけじゃないが、なにしろずーっとソレが「あたりまえ」であり「常識」であったので、トウコとあすかの並びに改めてショックを受けた。

 あ、ふつーに男女身長差無しだ。
 ヘタすると、女の子の方が大きい?

 そんなタカラヅカのトップコンビ、見たことなかったから。

 もちろん過去に長身の娘役と小柄な男役のトップコンビはいたけれど。それでもビジュアル的にここまで「身長差がない」ことを感じたことがなかったの。

 はじめびっくりして、そして。

 感じたのは、リアルさ。

 世の男たちは、小さい。
 ヒールを履いた女の子と同じくらいの身長で、あたりまえに恋をしている。腕を組んで歩いている。あちこちで人目もはばからずいちゃついている。

 どんなに小柄でも、トウコはちゃんと男に見える。
 洋画に出てくる色男。キザでうさんくさくて、クドい二枚目。男っぽいのに、かわいげもあり、ヲトメ心を刺激する。

 大きくないからこその、リアリティ。
 たしかに実感する、厚みを感じるナマの男。
 それはトウコの芸風でもある。
 質感やら体重やらを感じさせないフェアリーではなく、現実の生々しさを、ゆめゆめしい愛だ恋だのキラキラ舞台で展開する力。
 リアルでありながら、それでも夢を描く力。

 あすかちゃんのたしかな実力と相まって、ふたりの見せる「恋」は、絵空事ではないときめきを感じさせてくれる。

 そりゃわたしも、背の高い男は好きだ。現実でも180cm以上の男はそれだけでかっこよく見えるっつーもんさ。
 タカラヅカでも男女身長差があると萌える。男の腕に女の子がすっぽり入っちゃったりするのを見るの、ダイスキだ。

 でも、それだけが、すべてぢゃない。

 温度だとか濃さだとか息づかいだとか肉感だとか。
 リアルな部分での相性がいいカップルだ。トウコとあすか。

 おもしろい。
 こんなタカラヅカ・トップコンビって。

 たか花のよーに、ひたすら美しくトリップさせてくれるカップルも好きだけど、5組あるタカラヅカ全部が全部たか花である必要はない。

 「芝居好き」「物語好き」の血が騒ぐ(笑)。

 このふたりで、もっともっと「物語」が見たい。

 ひりつくような愛憎劇だとか、世界を溶かすようなメロメロドラマだとか。
 「男と女」が見たい。トウコとあすかで。

 
 現代の男は、背が低い。

 だから、トウコの背が低くても、なんの問題もないさ。
 要はその素材で、「どんなものを見せてくれるか」だ。


 はりきって『ヘイズ・コード』初日を観に行ったのは、わたしとチェリさんとハイディさん。それから、待ち合わせて会ったことが一度もない、でもやたらと会う(笑)ユウさん。

 そんなわたしたちに、次週まで観劇おあずけのnanaタンが聞いてきたことは。

「予備知識入れたくないけど、ホモかどうかだけ教えて」

 …………nanaタン。
 なにを期待しての質問だ?

 nanaタン曰く。
 大野作品だから、女置き去りに男ふたりで愛憎している話だったらどうしよう! と思ったらしい。さすがゆみこ@『月の燈影』ファンは着眼点がチガウ。

「トウコちゃんお披露目での相手役が、あすかちゃんなのかしぃちゃんなのか、はたまたその他のヒトなのか」……という心配をしたそうな。『月の燈影』でのゆみこの相手役はらんとむだったからな(笑)。

 たしかに大野拓史といえばデコラティヴ・ホモを書く人だ。『更に狂はじ』だとか『月の燈影』だとか『睡れる月』だとか、耽美ホモ一直線!!な芸風。
 しかし。

 大丈夫、星組だから!(笑)

 大野くんの星組作品はホモとか耽美とかとはほど遠い、健康的な作品しかないから! 『花のいそぎ』とか『フェット・アンペリアル』とか、古き良き時代の少女マンガ的作品やってるから!
 ……なんで星だけいつも、こんなに健康作品ばっかなんやろ? あのきりやんに耽美やらせた作家なのに。

 にしてもnanaタン、トウコちゃんの相手役がしいちゃんってことはないよ(笑)。
 や、なんかしいちゃんとトウコちゃんって、カップリングとしては予想もつかないとゆーか。
 てゆーかこの作品、2番手いないし。

 主役のレイモンド@トウコ、リビィ@あすかがきちっと中心で、それ以外は、みんなそろって「いい役」って感じ。
 主役たちの恋愛以外の本筋はどこかへ行ってしまって、みんなでごちゃごちゃやってるだけで1本終わってしまう(笑)という作品なので、2番手不在。みんな等しく出番アリ。

 うーん、しいちゃんとトウコの腐った話っつーのも見てみたいけどなぁ、変に生々しくなりそうで、ソレはソレでたのしいかもしれん。『ベルばら』のアンドレとオスカルはナマの男女っぽくて素敵だったからなー。

 しかし、今回ソレはない。
 いくらホモ作品任せろの大野くんでも、トップコンビお披露目でホモはやらんやろ。
 トウコとあすかのラヴストーリーだから、みなさん安心してヨシ。

 
 しかし、やはりホモは有る。てか、カップリングできる。
 大野くんだもん、お約束だよね(笑)。

 カールトン監督@しいちゃんと、ジョニー@水輝涼。

 カールトン監督は、なんかやたらめったらかっこいい。「主役以外はその他大勢」という作りの作品でも、やっぱ目立つ。
 そりゃしいちゃんとかすずみんとか、みなみちゃんとかコトコトとかしゅんくんとか、スターさんにはそれなりの見せ場が用意されているけれど、そーゆーこととは別に、モブとしてみんなで踊っていても目立つよー。キャリアがいい感じで発揮できている。

 相変わらず「しいちゃん、演技してる?」って感じの「いかにも、しいちゃん」な人(笑)。
 さわやかで、アツくて、いい人で。
 スーツ姿がかっこいいんだコレが。

 元ガキ大将だそうで、ケンカ強いし。

 金で雇われた男たちにボコられるんだが、多人数による闇討ちなのに、しばらくは応戦しちゃうんだよねー。虹人@『天の鼓』くらいには強いって!(笑)
 真面目な監督さんだから、すぐにやられちゃうんだと思ってたら、いつまでたってもやられない。ええっ? いつまで戦ってるの? てゆーかあーた、強くない?

 どんなに監督が強くても所詮多勢に無勢。後ろから襲われて危機一髪! ……なところに、助けに飛び込んでくる男がひとり。

 カールトン監督ダイスキ新人俳優ジョニーだ。

 こちらは元「やんちゃ」だったそうで。悪人たちを千切っては投げ千切っては投げ。
 監督守るためならなんでもします!!

 元やんちゃ……不良青年が役者の道に目覚めて鋭意努力中、そんな彼の理解者がカールトン監督で。
 監督はぶっちゃけ誰にでもやさしいので、べつにジョニーだからやさしくしたわけじゃない。
 でもジョニーからしたら、やさしいカールトン監督はただひとりの人なわけで。

 どうしよう。ジョニーからピンクのハートが出てるよ!!(笑)

 ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン、てなんですかその構図!!

 いろんな話がごちゃごちゃしている「全編モブ芝居」みたいな作品だけど、中でもジョニーとカールトンの話だけ浮いている気がする……。
 カラーがチガウというか。

 カールトン氏はたぶん、鈍いと思う。ニュートラルにやさしい人だから、他人の好意ややさしさもニュートラルに受け止めてしまう。
 だからジョニーの気持ちにも気づかない。
 自分がジョニーを「殺した」ことも、まったくの無自覚。

 「殺した」……ええ、彼のハートに矢が突き刺さったことなんか、気づきもしないでしょうよ(笑)。

 ジョニーは明確に生きているよーに見えるんだけどなあ(笑)。

 ジョニーの「リアル」さは、彼の体格にもある。痩せていない、むっちりとした体格の若い男、って……ホンモノくせぇ(笑)。

 にしてもさぁ、水輝涼、2作連続でホモ役?!

 や、ホモと限定しなくても、2作連続、男に惚れる男の役?!

 大野先生的に「役者・水輝涼」つーのは、ホモにしたくなる男なんだねえぇ。
 「よーし、男に惚れさせよう」とイマジネーションをかき立てる男なんだねえぇ。
 しかも無頼派、任侠系なんだねえぇ。

 すばらしい持ち味だ、水輝涼。

 まだ研5、頼もしい限り。

 だって、若くても攻なんだもん、いつだって。貴重ですよ、ヘタレだの受姫だのが蔓延するゆるい世の中において、きっぱり攻属性の男って。
 保護せよ保護、育てよ!

 ジョニー×カールトンで、おいしくいただけます。はい。

 ジョニーとミルドレット@コトコトの恋のさや当てが見たいですほんと。
 大丈夫、ミルディ相手なら余裕で勝てるよジョニー!
 ミルディに追いかけ回されて身も心も消耗している監督を癒すんだ、てゆーかどさくさに紛れてヤッちゃえ!!(笑)

 ジョニーにシリアスモードで告られて、これまたシリアスモードで悩む監督が見たい……。ほらなにしろこのふたりって『ヘイズ・コード』から微妙に浮いているよーな空気を醸し出すからさー。あの空気感で、真面目に恋愛してくれていいから(笑)。

 や、もちろんはじめのうちはじっと耐えているのよ、ジョニー。相手はノン気だからってことで、自分がゲイだってことは隠し恋愛感情も欲望もぐっと押し殺して生きている。
 監督と役者、尊敬と親愛でいいじゃないかと無理矢理納得させて。
 ところが。
 あのまっしぐらミニ爆弾娘ミルディが現れた。「ラル様ぁ♪」とハートマーク飛ばして監督を追いかけ回しはじめた。
 どうする?
 うやむやのうちに監督が、あんな娘に盗られてしまっていいのか?!
 監督も逃げ回ってるんだぞ? 困っているんだぞ?

 夜中にジョニーのアパートに「かくまってくれ」とやってきたカールトン氏。

 ふたりきりの夜。外は雨。濡れたカールトンをとりあえず着替えさせてそれから。
 それから。
 ……どうする?

 とか、いろいろいろいろ考えられて、すげーたのしいですよ『ヘイズ・コード』。
 ジョニー×カールトンだけに限らず、いろーんなキャラクタの「物語」で遊べそうだ、腐女子抜き(笑)でも。

 何回観てもたのしめること請け合いだ。


幻のラヴシーン。@ヘイズ・コード
「祐穂さとるって、コアラに似てるよね?」
http://www.hanakoala.com/main/top.htmlのハナコアラを見るたび、ゆーほを思い出します。
ゆーほの鼻が好きだ……。
「緑野さん、鼻フェチだから」と言われたさ……フェチってそんな。
 あー、まっつの鼻、触ってみてぇ。(変態発言はやめなさい)
 
            ☆
 
 ちょっとちょっとちょっと!!

 『ヘイズ・コード』ってば、演出変更されてるぢゃないですか!!
 トウコちゃんの不調ゆえの変更は、仕方ないと思っています。てゆーかよくあれだけうまくまとめたもんだ。トウコ&星組がんばれ!

 だからソレぢゃないの、ソレぢゃ!

 ジョニーとカールトンのラヴシーンがなくなってるって、どーゆーことですかっ?!!

 わたしが前日欄で書いた、

>ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン、てなんですかその構図!!

 が、なくなってるんです。

 暴漢に襲われたカールトン監督@しいちゃんは、自分を助けるために大暴れするジョニー@水輝涼の身を案じて、ケガに苦しみながらも彼を制止するわけです。
 過剰な暴力は、ジョニーの将来に関わる、と。
 その思いに打たれ、ジョニーは拳を納めて悪漢@ますちんを解放。
 倒れているカールトンをジョニーが抱き起こし、その腕の中でカールトンが意識を失い暗転。

 ……えー、初日にアゴが落ちたシーンです。

 なんかこのふたりだけ、別世界で。
 『ヘイズ・コード』はかわいいコメディです。嘘っぽくも明るいムードで統一されており、悪役の悪だくみですら結局バカなオチで事件が解決します。
 そーゆー世界観の作品なのに、カールトン襲撃事件だけが、なんかドシリアス・ムードだったんですね。
 正確には、カールトンを抱きしめ、その名を呼ぶジョニーが。

 あれ? この話、そーゆー話だっけ? てゆーかジョニーってそんな重要なキャラクタだっけ?
 なんか、すげーバランス悪い突然のシリアス芝居。

 それまでの世界観をぶちこわす勢いで突然展開される、濃い〜〜ぃい、男ふたりの愛情シーン。

 アゴが落ちると共に、ツボって爆笑しました。
 すげえや水輝涼、2作連続ホモか! すげえや大野くん、1作品1ホモか!

 ……バランス悪かったから。ジョニーとカールトンの話だけ浮いていると、初日観て思ったから。

 CUTされているのは、仕方ない、と、思う……。
 思うけど。

 せっかくの目に愉快なホモシーンがなくなってるなんて!!
 残念だわ。
 ものごっつー残念だわ。

 あああ、これだから初日観劇ははずせないのよ……後日からの幻のシーンが生まれたりするから。

 「ジョニーに抱きしめられるカールトン」は、「『血と砂』のプルミタス@ゆーひの拷問シーン」みたいなもんだなっ。
 作者がたのしく演出したのはいいが、すみれコード的にまずいからつって、変更されてしまったアレと同じだなっ。

 『血と砂』初日はすごかったのよ、ゆーひの拷問シーン……エロいのなんのって。
 客席でうろたえたわ……。

 が、翌日からさくっと変更になり、時間も短く演出もライトになっていた。(それでもエロかったが)
 エロすぎてやばかったんだろーな、アレは。サイトーくんの趣味丸出しだったからなー。

 だが問題は。

 「幻のシーン」なんつーものを作られてしまうと、しかもソレがエロだのラヴだのゆーシーンだったりすると。

 初日を観て、ウホウホで報告した者の立場がないぢゃん?!

 「ゆーひの拷問シーンがものすごいことになってるから!」と事細かに報告したあとで、「……緑野が言ってたのとチガウよ? アレとかアレとかなかったし、時間も短かったよ? ソレって緑野の妄想?」ってことになっちゃうじゃん!!

「『ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン』ってどっかのブログで読んだけど、そんなシーンあった?」
「ないない、あのブログ書いてる人、腐女子でアタマおかしいから、そんな妄想を見たって思い込んでるのよ」

 とかゆーことになっちゃうじゃん!!(泣)

 あったの。
 あったのよ、初日は!!

 大野拓史的に、「必要」だったのよ、ジョニー×カールトンが!(笑)
 だけど、作品的に「不要」だと幕が開いてからわかったために、変更になっちゃったの。

 ああ……こうしてまた、「幻」のシーンがタカラヅカの歴史に加わったのだった……。


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