初日に固唾をのんで見守ったので。
 そのあと若者たちがどーなったのか、見届けに行ってきました、『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』千秋楽。

 ボニー@みなこが、暴走してました。

 わはははは。
 すげーなヲイ。

 クライド@かなめを完っ全に置き去りにして、ひとりで突っ走ってました、みなこちゃん。

 いやはや。
 作品として大変なことになってしまったようですが、それはソレでアリだと思う。

 オギー作品は、一分の狂いも許さないよーな作り方は、していないと思っている。
 座席指定ではなく、ブロック指定。A列の3番に坐って、そこからまったく動いてはいけないのではなく、チケットにはAブロックと書いてあるのみで、ラインで区切られたブロックの中ならどこにいてもヨシ、好きな場所で踊るなり手を鳴らすなりしてたのしんでね、なライヴ的ゆるさがあるというか。
 力の足りない子も、テンパって暴走しちゃう子も、いてヨシ。それによって崩れるよーな作り方はしていない、サプライズでできあがるものさえ可能性として許容している印象。

 だからボニーが暴走し、クライドがヘタレてしまっても、それはソレでまちがっていない。アリだと思う。

 みなこちゃんが暴走したのは、かなめくんが手を離しているせい。
 かなめくんはボニーと演技が合わなくなってもおかまいなしで自分の仕事のみをしていた。
 それは役者として、主演として、どうかと思う。WSで主役を張るのは2回目で上級生なんだから、初ヒロインで舞い上がっている下級生の女の子を支えてやれよと思う。
 主演としては、度量の無さを顕わにする、どーよ?な出来事なんだが。

 クライドには、ソレが合っていた。

 他人を支えることも救うこともしない。闇雲に求めるだけで、義務は一切果たさない。
 ただ逃げるだけの、美しい男。

 そのヘタレで卑怯なところさえもが、美しく説得力になってしまう。

 ダメ男だなあ、クライド。
 でもソレこそが、彼の魅力なんだよな。

 この再演クライドは、かなめくんへのアテ書きであり、かなめくんしかできないのだと思う。
 ボニーが大暴れしている分影が薄くなり、なにやってんだか、ナニを考えてんだか、さらにわかんなくなったクライドの存在感の薄さが、また味わいになっている。

 みなこちゃんには誰か、包容力のある男役とがっつり組んだ芝居が見てみたいな。
 暴走し、空回りしているボニーが痛々しかった。
 みなこちゃん自身は演技力があると思う。だけど、アクセル踏んじゃうと自分でも減速の仕方がわからなくなるみたいだ。クライドだけじゃなく、他の人も見えなくなってしまい、ただ暴れ続けてしまう。
 それはこれから経験を重ねれば自分で調節が出来るようになるんだろうけれど、今回のWSではみなこちゃん自身も、そして周りの誰もどーすることもできていなかった。
 新公学年ではない、ちゃんと芝居の出来る人たちの中で、重要な役をずっしりと演じてみてほしいな。なんか、すごいものが見られそうだ。

 
 クライドは世界から乖離してふわふわ漂っているし、ボニーは暴走して竜巻みたいに被害を拡大しているし、ハマコは別世界でたのしそーにしているし、なんつーか、変な芝居だなあ。

 今回の再演で、副組長として初仕事をするハマコさんは、妙な浮き上がりっぷりをしていた。

 物語を外側から見つめる「記者」役。ただメモを取りながら舞台にいる、ときどきナレーションを入れる、だけで「私はボニクラ事件を調べている記者です」と自己紹介はひとこともナシだが、再演ならではの新しい作品切り口となる役だとわかる。
 初演のオーディエンスとは違い、さらにコアに物語を包囲する「壁」である印象。
 初演でハマコの役を演じたみやたんは、あくまでも「オーディエンス」だったんだよね。「記者」として物語を視ていたわけじゃない。
 クライドの聖域バック兄さんと、クライドを追いつめるフランク捜査官を同一の役者が演じるのはこの作品の肝だからはずせないとして、さらに作品全体を外側から押し込める「記者」をも、ハマコが兼ねる、というのが、なんとも故意的でヤな感じだなと(笑)。

 オギー芝居は、ぎちぎちに理詰めで作られていない。現場の雰囲気でどうにでもなる「ゆるさ」がある。
 WSで、力の足りない子たちが演じている、難しすぎる題材。
 主役を含め、とにかく足りないことばかりだから、もともとゆるい部分はいくらでもゆるくなって、液体のようにはみ出してくる。
 それをハマコが、押し戻すんだよね。
 凝固する力がないゆえにだらしなく垂れてきたモノを、外側で見張っているハマコが、内側へ押し上げる。押し戻す。渇を入れて垂れないよう、凝固するようにしばらく支える。でもそのまま手を添え続けてはやらず、最低限垂れなくなったらまた手を離す。その繰り返し。

 副組長として、上級生として、芝居を締める責任あるモノとして、ソレをやっているのかどうかは、正直よくわからない。
 ハマコさん、天然に見えます(笑)。
 垂れてきたモノをぴしゃっと叩いて押し戻すのも、それを仕事だと思ってやっているというより、たのしんで伸びをしたらそこに垂れていたモノがあってたまたまぴしゃっと叩いてしまった、みたいな?
 計算でやっているとしたら、ハマコすげえ!てなもんだが。
 ハマコを芝居の中の役として閉じこめず、世界のいちばん外側に置いたのは、こーゆー使い方をするためですか、オギー?

 ハマコが天然に見えてしまうのは、彼と他の出演者たちの実力の差がものすごいから。
 彼が歌い出したときの異世界感ときたら。
 格がチガウ。とゆー言葉しか、出ない。
 あまりにもレベルが違いすぎて、どーしてここまでチガウことを平気で見せつけられるのか、場に合わせようとしないのか、不思議なほどだ。

 ハマコが異世界なほどにところどころで世界に平手打ちを喰らわせるため、ゆるゆるになりそうなところで、なんとか芝居として物語として踏ん張ってくれるんだと思う。
 ハマコが凄いのはわかるが、あのたのしそーに浮いているのは、なんなんだろう。アマチュアの子どもたちの間で、プロの大人が全開で実力を発揮し、ご機嫌になっている……みたいな。

 かなめ、みなこ、ハマコと、大変愉快です。つかこの舞台、ハリケーン吹き荒れてないか?(笑)

 
 初演とは別物で、最初から別の作品として今の出演者に対してアテ書きをしたことは、素晴らしいと思う。
 だけど初演を引きずるあまりに、ひとつ大きな失敗をしたなー、と気になることがある。

 この再演では、「ブルース・レクイエム」を歌える歌手がいない。
 クライドをはじめとする中心人物たちに、歌を担えるだけの力……卓越した歌唱力と、歌を裏切らないだけの芝居力を持つ人がいなかった。
 だからわざと「ブルース・レクイエム」を登場人物たちには歌わさなかった……のは、いい。懸命な判断だと思う。
 だけど。

 中心人物たちが歌えないのなら、「ブルース・レクイエム」は、抹消するべきだった。この『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』からは。
 彼らが歌えない「ブルース・レクイエム」は、あっても意味がないよ。むしろ、作品を壊しかねないよ。

 ……てな話は、またいずれ。


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