それでも『愛と死のアラビア』勝手に改造計画の続きっす。
 
 前に書いた中詰めの「トマス改宗」場面。
 人間愛まで高らかに歌って。

「騙されるな、そいつは所詮イギリス人だ」
 「トマス素晴らしい、トマス英雄!」な流れに逆ギレして、アジズがトマスを罵倒する。
 つーことで、トマスの決闘宣言へつなぐ。

 ただし、ここで転換する舞台にスポットを浴びて残るのが、マルムークのマメとふみか。「アジズと決闘か。これは利用できる」「アジズが勝てばヨシ、負けても……(含み笑い)」「悪者大臣@みおさんに計画を持ちかけよう」……てな、悪役らしく悪だくみしている場面を入れる。
 本編のままだと彼ら、成り行き任せなだけでナニもしていないからなー。

 マルムークたちとすれ違うカタチで、ナイリお嬢様登場。トマスの決闘を聞きつけてはいるが、深く言及する前に女官長@えりさん登場でイギリスへ嫁入り命令。
 ナイリのトマス誘惑シーンはちゃんとあったわけだから、ここで彼女の物語は終了、ということでも変じゃない。

 ところで決闘シーンなんだけど、地味じゃない?

 たくさんの人々が注目している、という設定らしいけど、なんかすごくちんまりと集まってやっていたように見えるんだけど。
 本舞台のセリを上げて、そこにも人々を鈴なりにしておこうよ。
 立体的に、舞台の奥まで使って。
 ただし主役たちは奥には引っ込まない。決闘がはじまると、トマスとアジズは銀橋まで出てきてチャンバラをする。
 最初のトマスの勝利は銀橋で。
 勝利に沸く本舞台にトマスが凱旋してきたところで、反対側から本舞台に戻ったアジズが後ろから襲ってくる、と。
 あとは本編と同じ。
 大勢の人々の前でトマスが捕縛されるから、余計にショッキングだし、そのあとのイブラヒムの言葉に重さが増す。

 さて、悪役たちはこれまでにちょくちょく出ては立場を解説してきていたので、このあとのカーテン前で悪役大臣がべらべら喋る必要はない。
「計算通りだ」「わっはっはっ」だけで謁見の間へ。

 トマス処刑をムハンマド・アリに迫る場面も、悪役大臣にあんなに喋らせない。大臣自らアレじゃ、あまりに安っぽくなる。彼は要所要所に重々しく発言するだけで、陳情はマメに任せて。
 みおさんには何行以上台詞を喋らせなければならない、とか規定があるのかと思うくらい、不自然にたくさん一気に喋るんだよなー、本編では。

 トゥスンの哀願、イブラヒムの訴願はそのままで。

 しかし、イブラヒムの銀橋ソングの唐突さは、なんとかならないもんだろうか。
 歌詞を変えれば「この人いきなりナニ言い出したの?!」は緩和できると思う。イブラヒムとトマスの友情場面はいちおー描いたあとだし、突然アラビアの伝説を歌い出すのではなく、ふつーに友情の歌を歌ってくれ。

 そっから牢獄場面、クライマックスは最初に言っていた通りそのままで。
 クライマックスを盛り上げるために、それ以外のところを変えていったわけだから。

 ただし、微調整は必要。

 友情のために死を決意するトマスがストイックすぎるのが、不満。

 や、わたしの個人的感覚にすぎませんが。
 何故かこの別れの場面、トマスはセリの上、ドナルド、トゥスン、イブラヒムは本舞台の上で、ふれあわない。

 最初のドナルドは今のままでいいと思う。トマスはなにもドナルドのために死ぬわけじゃない。
 が、次のトゥスン、イブラヒムに対してあまりに線を引きすぎている気がする。もっとわかりやすく盛り上げてもいいんじゃないか?

 抱擁シーン希望。

 トゥスンを抱きしめてやってくれ。
 イブラヒムは握手だけでもいい。

 同じ舞台で、別れを惜しんでやってくれ。

 せっかく下に降りてきても、すぐに上に戻っちゃうんだもん、今のままだと。
 お涙頂戴はサービスシーンですから。観客の期待に応えて、これでもかと盛り上げて。

 そして、ここがポイント。「トマスはストイックなことに意味がある、抱擁なんてもってのほか!!」というポリシーが谷にあったにせよ、トゥスンやイブラヒムとべたべたさせないにしろ、ヤシムの号泣は、きちんと演出する。

 銀橋まで渡らせたヤシム少年だよ? 無邪気にトマスを慕っていることを、イブラヒムとの友情よりも時間を掛けて描いていたじゃないか、谷せんせ?
 日本人は子ども絡みのエピソードが大好きなんだ。子ども絡みのお涙頂戴が大好きなんだ、利用しないでどうする。

 決意を変えないトマスにすがりつくよーにヤシムが真ん中に出てきて、崩れ落ちて号泣する。トマスはセリの上、ヤシムは本舞台、彼らは触れあわなくてヨシ。むしろ立ち位置の違いがよりせつない。
 あのときの少年兵だと観客にわかるように、とにかくあわれに。

 本編ではヤシム、下手端で号泣していて、真ん中を見ていると彼がいることすらわかんないのね。もったいないよ。

 トマスのストイックさが不満、PART.2。

 アノウドと、キスシーン希望。

 よーやく両想い、しかも一夜だけの夫婦、なんて展開なのよ?
 なんでキスシーンひとつないの?! デュエットしてよりそってENDってなんだそりゃ。
 お披露目だよ? まとぶんだよ? 愛を表現してなおかつアツくてエロいの得意な人じゃん?
 どんだけ愛が濃いかを、ラヴシーン入れようよ。首筋にチューでも後ろから胸に両手回して抱きしめ、でもいいから。
 ファンが「最後のラヴシーンのためだけにでも通える」てなヤツを。

 「お兄様を愛します」「兄弟では結婚できない」「トマス様を愛します」「様はいらない」……なんて、コントはいらないから、余計なまだるっこしい会話は省略してヨシ。
 ふたりが愛し合っていながらすれ違っていたことを、それまでに描いたあとだから、余計な解説なしで率直に愛を表現してくれ。

 なんつーかアノウドの場面になると一気に盛り下がるのは、彼女の扱いについて考え方がまちがっているためとしか思えないんだ。
 今回の物語は女の子の比重が低く、友情メインであるがゆえ、どうしてもヒロイン・アノウドの出番が少ない。
 その埋め合わせに、無意味に台詞を水増ししているように見えてならない。
 自己紹介に時間を掛けたり、告白に時間を掛けたり。
 とにかく長々と喋らせる。そうすることで「出番少なくてごめんね。でも台詞はいっぱいあるから勘弁してね」とお茶を濁しているような気がするんだ。
 出番が少なくても、印象的な使い方は出来る。なのにそれをせずに、安易に不要な台詞だけをだらだら水増ししている。

 余計な台詞、やりとりをカットし、単刀直入にトマスとアノウドに愛を語らせ、あとは見た目にわかりやすく華やかに、ラヴシーンを入れる。
 で、END。

 「トマスはストイックなことに意味がある、キスだのいちゃいちゃだのはもってのほか!!」というポリシーが谷にあったにせよ、水増し台詞は全カットすること。
 台詞に気を取られず、まとぶさんの芝居に全部任せちゃおう。たとえラヴシーンがなくても、彼なら愛を表現してくれるさ。

 
 つーことで、長々書きました、自己流『愛と死のアラビア』。アタマの体操、積み木の組み替え。
 この通りに上演できるなんてまったく思ってないが(笑)、考えるのはたのしかった。


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