同じ素材を使って料理し直してみると。@愛と死のアラビア
2008年6月6日 タカラヅカ わたしは原作を知らない。
だからトマスがこの芝居で描かれる処刑では死なず、そのあともえんえん物語が続いていることなんか知らない。
あくまでも、今、舞台の上で描かれているモノがすべて。
原作付きだからといって、一言一句そのままコピーしなければいけないとは思っていない。
小説をミュージカルにし、別のタイトルを付けた段階で、別物だと思っている。
原作の設定やエッセンスを利用しただけの別物であっても、まったく構わない。
それくらい、「作品」というものは、尊いモノだと思っているのですよ。
小説という原作があったとして、それをどうあがいたって芝居になんかできるわけないんです。マンガでもゲームでも同じ。小説のマンガ化でもその反対でも、別のメディアに移すならば同じであることなんか不可能。
できっこない、別物必至、それくらいひとつの「作品」ってのはコアで真似できないモノなんだから、「原作とチガウ!」といって憤慨するのは無意味。
また、メディアミックス作品は原作の呪縛にとらわれず、ソレだけで評価に値すると思っている。
原作付きだからオリジナル作品以下、という格付けには反対。複写機でコピーしたり、贋作を作って本物と偽ることが目的でない限り、作家のオリジナリティは存在するから。
つーことで、谷正純作『愛と死のアラビア』も、「原作とチガウ!」からとか、「原作付きであって、所詮オリジナルじゃない」からとかで、評価を下げる気はありません。
どんなカタチであれ、元がなんであれ、そこにはあるのはひとつの「作品」。
なんだっていいのよ、よーするに、おもしろければ。
うん。
『愛と死のアラビア』は、たんに、おもしろくないのよ。ほんと、ソレだけなのよ。
まとぶんは美しく、かつ男臭いという、ステキな芸風のおにーさん。
太さのある声もいいし、歌唱力も毎回向上している。
今でも十分力のある人だけれど、これからさらに伸びていくんだろうと思わせてくれるとこがまたヨイのだわ。
大人の魅力を引っ提げてゆーひくんも仲間入りしたし、壮くんは相変わらずの輝きとせわしなさが素晴らしいし、彩音ちゃんは華やかでクラシカルな魅力に満ちている。
トマス@まとぶん、イブラヒム@ゆーひ、トゥスン@壮、アノウド@彩音は、みなキャラに合っている。
彼らはちゃんと良い仕事をしているのに、何故それを活かさないんだ、演出家。
クライマックスのドナルド帰郷から兄弟対決まではいい。
てゆーか、トマスとドナルドのやりとりは、泣ける。
そのあとの愛の暴走特急トゥスンと、やせ我慢は男の美学イブラヒムも、ツッコミどころは満載でも、派手で良い。
……そのあとのアノウドとのシーンで、なんか盛り上がりが失速してしまうのは、ヒロインが不要な話だったためだろう。あーあ。
あくまでも舞台の上にあるものだけを材料に、このなんだかなー、な『愛と死のアラビア』を料理し直してみようと思う。
原作は知らない。舞台だけが判断基準だから、ラスト、トマスは処刑されて死ぬとゆーことで。
処刑までは描かない、監獄でトマスとアノウドが抱き合って幕(明朝にはトマス処刑)、というのが必須、「変えられないゴール」であるとして。
このラストシーンを盛り上げるためにナニが必要で、ナニがいらないか。
それを念頭に物語を作ってみよう。
ラストで強引に「感動的な話」に持っていくわけだが、それにはいくつかの課題がある。
1.イギリス人なのに、エジプトのために処刑を受け入れるトマス
2.一夜限りの妻となるアノウド
3.トゥスン、イブラヒムとの友情
いちばん計画的に昇華しなければならない課題は、1の「イギリス人なのに」ってやつだ。
これは、この物語の情勢・世界説明と関係がある。
小難しい歴史の勉強や、解説の理解を観客に求めてはいけない。
必要なのは、ここが「エジプト」で、「オスマン・トルコ帝国」の支配下にあるということ。
でもってイギリスとゆーかヨーロッパは植民地稼ぎに躍起になっていた頃、そんなこんなを背景に、トマスはエジプトと戦いにやってきたイギリス兵である。
なんつーか、現在はトルコに支配されていて、ムハンマド・アリがエジプトの独立を目指している、つーのをしっかりと教えてくれないとトマスの決心が「はぁ?」てな弱いモノになってしまうのよ。トマスの死がどーゆー意味を持つのか、大袈裟なまでに教えておいてくれないと。
まず、トルコ対エジプトを描いておく。
トマスが心酔するのはエジプトであり、エジプト太守ムハンマド・アリの息子たち。
だからこそ、トルコに陥れられたカタチで死を選び、そのことによってエジプトと太守一家を盛り立てようとする。
簡単だよ、悪役を出せば良いんだ。
オスマン帝国様々な大臣様とかが金糸銀糸の豪華衣装に身を包み、わっかりやすい悪徳代官ぶりで、ふんぞり返っていればいいんだ。
「イギリスとの戦闘で、エジプトが疲弊すればいい、くくく」とか「ムハンマド・アリいじめのために、ヤツのかわいがっているナイリ姫をイギリスへ嫁がせよう、けけけ」とか、花道でちょっくら喋らせるだけでいい。
腰巾着なマムルークたちもそばに付けて。
いちばんえらいのが誰か、を、シンプルに表現する。
今のままだと、ムハンマド・アリがあまりにえらすぎて、彼が中間管理職に過ぎないことがわかりにくい。
ムハンマド・アリと彼のエジプトに対して、真の敵がトマスの祖国イギリスではなく、オスマン帝国だということを表現しておく。
……歴史的にどうだとか、原作がどうだとかゆー話ではないよ。
『愛と死のアラビア』のあのクライマックスを正しく機能させるために、逆引きしていってるだけだから、すげー微視的な目でトマスをとりまく時代背景を簡略化して表現することだけを考えているんだからね。
ただ、今の配役でいくと、この帝国の悪役様がアッバス長官@みおさんになりそうで、ソレはちょっとイヤン(笑)。誰か他の人の方がいいなあ。
とまあ、めっちゃ話の途中だが、文字数の関係でいったん切る。
だからトマスがこの芝居で描かれる処刑では死なず、そのあともえんえん物語が続いていることなんか知らない。
あくまでも、今、舞台の上で描かれているモノがすべて。
原作付きだからといって、一言一句そのままコピーしなければいけないとは思っていない。
小説をミュージカルにし、別のタイトルを付けた段階で、別物だと思っている。
原作の設定やエッセンスを利用しただけの別物であっても、まったく構わない。
それくらい、「作品」というものは、尊いモノだと思っているのですよ。
小説という原作があったとして、それをどうあがいたって芝居になんかできるわけないんです。マンガでもゲームでも同じ。小説のマンガ化でもその反対でも、別のメディアに移すならば同じであることなんか不可能。
できっこない、別物必至、それくらいひとつの「作品」ってのはコアで真似できないモノなんだから、「原作とチガウ!」といって憤慨するのは無意味。
また、メディアミックス作品は原作の呪縛にとらわれず、ソレだけで評価に値すると思っている。
原作付きだからオリジナル作品以下、という格付けには反対。複写機でコピーしたり、贋作を作って本物と偽ることが目的でない限り、作家のオリジナリティは存在するから。
つーことで、谷正純作『愛と死のアラビア』も、「原作とチガウ!」からとか、「原作付きであって、所詮オリジナルじゃない」からとかで、評価を下げる気はありません。
どんなカタチであれ、元がなんであれ、そこにはあるのはひとつの「作品」。
なんだっていいのよ、よーするに、おもしろければ。
うん。
『愛と死のアラビア』は、たんに、おもしろくないのよ。ほんと、ソレだけなのよ。
まとぶんは美しく、かつ男臭いという、ステキな芸風のおにーさん。
太さのある声もいいし、歌唱力も毎回向上している。
今でも十分力のある人だけれど、これからさらに伸びていくんだろうと思わせてくれるとこがまたヨイのだわ。
大人の魅力を引っ提げてゆーひくんも仲間入りしたし、壮くんは相変わらずの輝きとせわしなさが素晴らしいし、彩音ちゃんは華やかでクラシカルな魅力に満ちている。
トマス@まとぶん、イブラヒム@ゆーひ、トゥスン@壮、アノウド@彩音は、みなキャラに合っている。
彼らはちゃんと良い仕事をしているのに、何故それを活かさないんだ、演出家。
クライマックスのドナルド帰郷から兄弟対決まではいい。
てゆーか、トマスとドナルドのやりとりは、泣ける。
そのあとの愛の暴走特急トゥスンと、やせ我慢は男の美学イブラヒムも、ツッコミどころは満載でも、派手で良い。
……そのあとのアノウドとのシーンで、なんか盛り上がりが失速してしまうのは、ヒロインが不要な話だったためだろう。あーあ。
あくまでも舞台の上にあるものだけを材料に、このなんだかなー、な『愛と死のアラビア』を料理し直してみようと思う。
原作は知らない。舞台だけが判断基準だから、ラスト、トマスは処刑されて死ぬとゆーことで。
処刑までは描かない、監獄でトマスとアノウドが抱き合って幕(明朝にはトマス処刑)、というのが必須、「変えられないゴール」であるとして。
このラストシーンを盛り上げるためにナニが必要で、ナニがいらないか。
それを念頭に物語を作ってみよう。
ラストで強引に「感動的な話」に持っていくわけだが、それにはいくつかの課題がある。
1.イギリス人なのに、エジプトのために処刑を受け入れるトマス
2.一夜限りの妻となるアノウド
3.トゥスン、イブラヒムとの友情
いちばん計画的に昇華しなければならない課題は、1の「イギリス人なのに」ってやつだ。
これは、この物語の情勢・世界説明と関係がある。
小難しい歴史の勉強や、解説の理解を観客に求めてはいけない。
必要なのは、ここが「エジプト」で、「オスマン・トルコ帝国」の支配下にあるということ。
でもってイギリスとゆーかヨーロッパは植民地稼ぎに躍起になっていた頃、そんなこんなを背景に、トマスはエジプトと戦いにやってきたイギリス兵である。
なんつーか、現在はトルコに支配されていて、ムハンマド・アリがエジプトの独立を目指している、つーのをしっかりと教えてくれないとトマスの決心が「はぁ?」てな弱いモノになってしまうのよ。トマスの死がどーゆー意味を持つのか、大袈裟なまでに教えておいてくれないと。
まず、トルコ対エジプトを描いておく。
トマスが心酔するのはエジプトであり、エジプト太守ムハンマド・アリの息子たち。
だからこそ、トルコに陥れられたカタチで死を選び、そのことによってエジプトと太守一家を盛り立てようとする。
簡単だよ、悪役を出せば良いんだ。
オスマン帝国様々な大臣様とかが金糸銀糸の豪華衣装に身を包み、わっかりやすい悪徳代官ぶりで、ふんぞり返っていればいいんだ。
「イギリスとの戦闘で、エジプトが疲弊すればいい、くくく」とか「ムハンマド・アリいじめのために、ヤツのかわいがっているナイリ姫をイギリスへ嫁がせよう、けけけ」とか、花道でちょっくら喋らせるだけでいい。
腰巾着なマムルークたちもそばに付けて。
いちばんえらいのが誰か、を、シンプルに表現する。
今のままだと、ムハンマド・アリがあまりにえらすぎて、彼が中間管理職に過ぎないことがわかりにくい。
ムハンマド・アリと彼のエジプトに対して、真の敵がトマスの祖国イギリスではなく、オスマン帝国だということを表現しておく。
……歴史的にどうだとか、原作がどうだとかゆー話ではないよ。
『愛と死のアラビア』のあのクライマックスを正しく機能させるために、逆引きしていってるだけだから、すげー微視的な目でトマスをとりまく時代背景を簡略化して表現することだけを考えているんだからね。
ただ、今の配役でいくと、この帝国の悪役様がアッバス長官@みおさんになりそうで、ソレはちょっとイヤン(笑)。誰か他の人の方がいいなあ。
とまあ、めっちゃ話の途中だが、文字数の関係でいったん切る。