愛を放つ、光。@オネーギン
2010年11月28日 タカラヅカ みみちゃんの株が、上がりまくりました、わたしの中で。
『オネーギン』のヒロイン、タチヤーナ@みみ。
みみちゃんは早くから抜擢されているため目にする機会は多かったけれど、可もなく不可もなくというか、わたし的にはあまり印象に残っていなかった。
歌がアレなことはわかっているが、それを含めてなお、可もなく不可もなく。わたしは芝居>歌>ダンスの人なんで、歌がうまいかどうかよりも芝居ができるかどうか。芝居声がきれいかどうか。みみちゃんは声に問題ないので気にならない。
スカフェとしてテレビに出ているときは、そのあまりのかわいらしさに眼福を感じていた。
でも舞台では素顔のテレビタレント的かわいらしさが生かし切れていないっちゅーか、地味で不景気な感じになるのが残念な子、という認識。
芝居に出ている分はいいとして、ショーになるとこの暗さはどうなん……つーか、隣に立つのがキムだとなあ、彼の輝きに負けて陰にすっぽり隠れちゃってるよと嘆息した『RIO DE BRAVO!!』。
それが。
『オネーギン』ではハマりまくり!! タチヤーナかわいいっ、タチヤーナ素敵!
彼女の持っている暗さがいい方向に開花。
美貌と知性、そして慎み深さ。
『忘れ雪』のときみみちゃん演じるヒロインがとてもホラーだったのは、深雪というヒロインに、あってはならないはずの「知性」があったせいかなと今頃思い返してみたり。
深雪がのーみそ10歳で止まったままの女の子なら、彼女の行動もあそこまでホラーにはならなかったろう。知性のある年相応の女性に見えたからその言動の裏に悪意や計算があるとしか思えず、恐怖の対象にしか見えなかったわけで。
タチヤーナはめっちゃアタマ良い才女、秀才天才、というのではなく、常識の範囲で利口な女性に見える。そこに育ちの良さと奥ゆかしさが加わって、地味だけれど魅力的な女の子になっている。
地味で魅力的。
これって少女マンガには必須のヒロインキャラ(笑)。
読者はそんなヒロインに感情移入して読むの。最初から美女でモテモテでなんでも手に入れてる女の子の物語ではなくて。
今は地味でイケてないけど、この先絶対華やかに変身する!という予感を持ちつつも、地味な現在も女性が共感するタイプの魅力を持つ女の子。
おしゃれと男の子にしか興味を持たない派手な女の子グループとは離れたところで、そんな人たちにちょっと劣等感を抱きつつも迎合はせずに自分の世界を大切に守って生きている、そんな女の子。
そんな彼女の前に現れた、夢の王子様オネーギン@トド。
都会からやってきた洗練された美形で、そのくせ彼女が大切に守っているヲタクな世界を笑い飛ばしたりせずに肯定してくれた。
そりゃ惚れるわ。
でもって、タチヤーナの恋がすごく気持ちいい。
彼女の心が動いていることが、手に取るようにわかる。
彼女にシンクロして、初恋のときめきを追体験できる。
ああそうだ、そうだったよ、初恋ってやつぁよぉ。……そんな感じ。
そこまでが丁寧に「少女の恋」を描いているから、彼女の「恋文」の爆発力につながる。
そりゃあそこまで書くわ、盛り上がるわ、と。
わたしは基本トド様ロックオン状態で、ほぼトド様しか見ていない偏った視界しかなかったんだけど、タチヤーナの恋文でだーだー泣きましたことよ。
かわいいけど地味だよなー、と思っていたみみちゃんが、タチヤーナとして一気に輝きを放つ。
愛を語る、愛を放つ、愛していると愛する人に告げる、あるべきものをあるべきところへ、あるものをあると世界の真理を告げる、その光。
ここに在るから、在ると告げる。正しく真理を告げる。
それはこれほどまでに、力を持つことなのか。快感を伴うことなのか。
そうだよな、こんなへっぽこブログでもそうだけど、好きなモノを好きだと叫ぶのは快感だよな。
誰にともなく叫ぶのでも自分のためになっているのに、それを好きな相手に叫ぶのだから、そりゃあ快感だろう。高揚感があるだろう。
タチヤーナが手紙を書きつつどんどんクレッシェンドしていくってゆーか、自分でエンジン掛かっちゃって止まらなくなっていくのがわかる(笑)。気持ちいいんだもの、そりゃ止まらんわ。
タチヤーナがぴかーっと発光し、まさに愛することの喜びにきらきらしていることに、泣けて仕方がない。
その光を背後っちゅーか横の方に置いておいて、手紙を黙ったまま読んでいるオネーギンがまたすごいし。
タチヤーナが輝けば輝くほど、オネーギンはびびっちゃうんだよね。
少女の初恋が清らかな幸福感にあふれているだけに……まだ腰の据わっていない若造は、逃げ腰になる。
あんだけの光、受け止められないって、ハタチそこそこの男の子に。
いや、そこで正しく逃げ出すのが、オネーギンがある程度の恋愛スキルもあり、人生経験もある大人だったってことだろう。
ただの若造なら、ただ舞い上がって一緒に爆走したろうし。
でも本当に成熟した大人の男でもなかったので、ケツを割って逃げた。
どちらの気持ちもわかる。
タチヤーナも、オネーギンも。
だから切ない。
ふたりの今この段階での別れは仕方のないことだった。
もう少し時間をおけば、関係は変わっていったろう。しかし。
レンスキー@ひろみとの決闘事件があり、ふたりの「時間」は断ち切られたままとなった。
この「仕方がない」まま、対外的な圧力で引き裂かれる、てのはもー、少女マンガのお約束ってゆーか、恋愛ドラマの基本ですよねっ。
キミら両思いじゃん?! なのに、現段階では泣く泣く別れることが「仕方ない」、どちらの気持ちもわかる……そこへ事件発生、引き裂かれてキモチを再確認し合うこともできないまま、時が流れる。あのとき再確認できていたら、ハッピーエンドだったかもしれないのに!!
という、もどかしさ(笑)。
これぞ恋愛モノの醍醐味!
こんな感情移入できる、ヲトメツボ突きまくりのラヴストーリーを、みみちゃんがあのトド様相手に負けることなく繰り広げている……そのことに拍手喝采。
観る前は、トド様とみみちゃんの実年齢差ゆえ、「恋人同士というより親子ぢゃ……?」なんて危惧しておりましたのことよ。
トド様の演技も役と世界に合わせて変わったにしろ、トドみみがこんなにお似合いの美しいカップルになるとはうれしい驚き。
フィナーレのデュエットダンスも素敵でした。美男美女、美しいモノはこんなにわたしをシアワセにする……。
いやその、歌はやっぱりすごかったですけどね(笑)。「みみちゃんの歌がうまくなってた」と前評判を聞いていたが、みみちゃん比ではそうなのかもしれないが、やっぱりわたしは彼女のソロで「うわー(笑)」と思っちゃったよ。
今まで歌があんまし気にならなかった、トータルして可もなし不可もなしだったのに、今ここで「歌が……」と思ったのは、彼女への好意というか興味が上がったためだと思う。今まではマイナス面を気にするほど彼女自身を気にしていなかったというかね。
歌はかなりアレだと思ったが、そんなことを差し引いても、素敵だった、タチヤーナ。
彼女の恋に、泣いた。
『オネーギン』のヒロイン、タチヤーナ@みみ。
みみちゃんは早くから抜擢されているため目にする機会は多かったけれど、可もなく不可もなくというか、わたし的にはあまり印象に残っていなかった。
歌がアレなことはわかっているが、それを含めてなお、可もなく不可もなく。わたしは芝居>歌>ダンスの人なんで、歌がうまいかどうかよりも芝居ができるかどうか。芝居声がきれいかどうか。みみちゃんは声に問題ないので気にならない。
スカフェとしてテレビに出ているときは、そのあまりのかわいらしさに眼福を感じていた。
でも舞台では素顔のテレビタレント的かわいらしさが生かし切れていないっちゅーか、地味で不景気な感じになるのが残念な子、という認識。
芝居に出ている分はいいとして、ショーになるとこの暗さはどうなん……つーか、隣に立つのがキムだとなあ、彼の輝きに負けて陰にすっぽり隠れちゃってるよと嘆息した『RIO DE BRAVO!!』。
それが。
『オネーギン』ではハマりまくり!! タチヤーナかわいいっ、タチヤーナ素敵!
彼女の持っている暗さがいい方向に開花。
美貌と知性、そして慎み深さ。
『忘れ雪』のときみみちゃん演じるヒロインがとてもホラーだったのは、深雪というヒロインに、あってはならないはずの「知性」があったせいかなと今頃思い返してみたり。
深雪がのーみそ10歳で止まったままの女の子なら、彼女の行動もあそこまでホラーにはならなかったろう。知性のある年相応の女性に見えたからその言動の裏に悪意や計算があるとしか思えず、恐怖の対象にしか見えなかったわけで。
タチヤーナはめっちゃアタマ良い才女、秀才天才、というのではなく、常識の範囲で利口な女性に見える。そこに育ちの良さと奥ゆかしさが加わって、地味だけれど魅力的な女の子になっている。
地味で魅力的。
これって少女マンガには必須のヒロインキャラ(笑)。
読者はそんなヒロインに感情移入して読むの。最初から美女でモテモテでなんでも手に入れてる女の子の物語ではなくて。
今は地味でイケてないけど、この先絶対華やかに変身する!という予感を持ちつつも、地味な現在も女性が共感するタイプの魅力を持つ女の子。
おしゃれと男の子にしか興味を持たない派手な女の子グループとは離れたところで、そんな人たちにちょっと劣等感を抱きつつも迎合はせずに自分の世界を大切に守って生きている、そんな女の子。
そんな彼女の前に現れた、夢の王子様オネーギン@トド。
都会からやってきた洗練された美形で、そのくせ彼女が大切に守っているヲタクな世界を笑い飛ばしたりせずに肯定してくれた。
そりゃ惚れるわ。
でもって、タチヤーナの恋がすごく気持ちいい。
彼女の心が動いていることが、手に取るようにわかる。
彼女にシンクロして、初恋のときめきを追体験できる。
ああそうだ、そうだったよ、初恋ってやつぁよぉ。……そんな感じ。
そこまでが丁寧に「少女の恋」を描いているから、彼女の「恋文」の爆発力につながる。
そりゃあそこまで書くわ、盛り上がるわ、と。
わたしは基本トド様ロックオン状態で、ほぼトド様しか見ていない偏った視界しかなかったんだけど、タチヤーナの恋文でだーだー泣きましたことよ。
かわいいけど地味だよなー、と思っていたみみちゃんが、タチヤーナとして一気に輝きを放つ。
愛を語る、愛を放つ、愛していると愛する人に告げる、あるべきものをあるべきところへ、あるものをあると世界の真理を告げる、その光。
ここに在るから、在ると告げる。正しく真理を告げる。
それはこれほどまでに、力を持つことなのか。快感を伴うことなのか。
そうだよな、こんなへっぽこブログでもそうだけど、好きなモノを好きだと叫ぶのは快感だよな。
誰にともなく叫ぶのでも自分のためになっているのに、それを好きな相手に叫ぶのだから、そりゃあ快感だろう。高揚感があるだろう。
タチヤーナが手紙を書きつつどんどんクレッシェンドしていくってゆーか、自分でエンジン掛かっちゃって止まらなくなっていくのがわかる(笑)。気持ちいいんだもの、そりゃ止まらんわ。
タチヤーナがぴかーっと発光し、まさに愛することの喜びにきらきらしていることに、泣けて仕方がない。
その光を背後っちゅーか横の方に置いておいて、手紙を黙ったまま読んでいるオネーギンがまたすごいし。
タチヤーナが輝けば輝くほど、オネーギンはびびっちゃうんだよね。
少女の初恋が清らかな幸福感にあふれているだけに……まだ腰の据わっていない若造は、逃げ腰になる。
あんだけの光、受け止められないって、ハタチそこそこの男の子に。
いや、そこで正しく逃げ出すのが、オネーギンがある程度の恋愛スキルもあり、人生経験もある大人だったってことだろう。
ただの若造なら、ただ舞い上がって一緒に爆走したろうし。
でも本当に成熟した大人の男でもなかったので、ケツを割って逃げた。
どちらの気持ちもわかる。
タチヤーナも、オネーギンも。
だから切ない。
ふたりの今この段階での別れは仕方のないことだった。
もう少し時間をおけば、関係は変わっていったろう。しかし。
レンスキー@ひろみとの決闘事件があり、ふたりの「時間」は断ち切られたままとなった。
この「仕方がない」まま、対外的な圧力で引き裂かれる、てのはもー、少女マンガのお約束ってゆーか、恋愛ドラマの基本ですよねっ。
キミら両思いじゃん?! なのに、現段階では泣く泣く別れることが「仕方ない」、どちらの気持ちもわかる……そこへ事件発生、引き裂かれてキモチを再確認し合うこともできないまま、時が流れる。あのとき再確認できていたら、ハッピーエンドだったかもしれないのに!!
という、もどかしさ(笑)。
これぞ恋愛モノの醍醐味!
こんな感情移入できる、ヲトメツボ突きまくりのラヴストーリーを、みみちゃんがあのトド様相手に負けることなく繰り広げている……そのことに拍手喝采。
観る前は、トド様とみみちゃんの実年齢差ゆえ、「恋人同士というより親子ぢゃ……?」なんて危惧しておりましたのことよ。
トド様の演技も役と世界に合わせて変わったにしろ、トドみみがこんなにお似合いの美しいカップルになるとはうれしい驚き。
フィナーレのデュエットダンスも素敵でした。美男美女、美しいモノはこんなにわたしをシアワセにする……。
いやその、歌はやっぱりすごかったですけどね(笑)。「みみちゃんの歌がうまくなってた」と前評判を聞いていたが、みみちゃん比ではそうなのかもしれないが、やっぱりわたしは彼女のソロで「うわー(笑)」と思っちゃったよ。
今まで歌があんまし気にならなかった、トータルして可もなし不可もなしだったのに、今ここで「歌が……」と思ったのは、彼女への好意というか興味が上がったためだと思う。今まではマイナス面を気にするほど彼女自身を気にしていなかったというかね。
歌はかなりアレだと思ったが、そんなことを差し引いても、素敵だった、タチヤーナ。
彼女の恋に、泣いた。