なんでこんなんになっちゃったんだろう? と、『華やかなりし日々』を考える。

 間違いまくっているので、考えずにはいられない(笑)。
 あくまでも、脚本の話。
 実際の舞台は、ゆーひくん他、キャストの力で別モノに仕上げているし、華やかな演出も加わって、きれいな舞台になってるのよ。サヨナラ公演なんて、何十回リピートするのが前提だろうから、これくらい薄い話の方がいいってのは、あると思う。

 原田くんの、脚本についての感想です。


 ロナウド@ゆーひくんは、ジュディ@ののすみに、「自分に似ている」と恋をする。

 この考え方はわかる。
 つーか、組み立ての基本っちゅーか、お約束。
 詐欺師だが、表向きは成功者として優雅に振る舞っている。
 そんな二面性のある主人公には、「本当の俺」ですよ。

 だが待ってくれ。

 ロナウドと、ジュディは似ていない。

 一緒にしたら、ジュディが可哀想だ。
 何故なら、「底辺の生まれだが、大きな夢を持って努力する」という立場は同じでも、ジュディは「間違ったことをしない」娘だ。
 せっかくのオーディションを、スターの横暴が許せずに棒に振るような子だ。

 ロナウドは反対。
 夢を叶えるために、いくらでもズルをする男。犯罪者ですから。

 「劇場を手に入れる」という夢を叶える方法が、全うに商売して富を得て、ではなく、人を騙して手に入れた金を元手に、さらに興行師@ともちんを騙して、だ。
 ジュディとは似ても似つかない。


 もちろん、そーゆー汚れた男が、純粋な娘に恋をするのはいい。
 その場合は、悩まないか?
 彼女の夢を叶えるのが、自分の汚れた金だってことに。
 他人を騙し、陥れ、泣かせて手に入れた金で、トップスターになることを、ジュディは喜ぶ性格だろうか?

 それとも、出会って最初のデートで「ロシア貴族なんて嘘、のし上がるために汚いこともしてきた」と告白したことで、みそぎは済んだと思ってる?
 今現在絶賛犯罪中だとは、伝えてないよね?

 それとも、ジュディはロナウドの現在の犯罪も知っていて、それでスターになることを受け入れたの?
 チガウよね? わざわざ正義感の強い子だと描いてあるんだから、そんなお金で夢を掴むことは拒否するよね?


 対ジュディへの、ロナウドの気持ち悪さは、そこにある。
 ジュディがもっとも嫌う方法で、彼女を幸せにしようとして、平気だということ。
 それは自己満足であって、彼女のためではナイ。

 どれほど汚い手であっても、彼女が成功すればそれでいい。
 結果、彼女に憎まれ、軽蔑されたとしても、彼女自身が悩み傷つくとしても、まず成功を収めれば世間が彼女の才能を正しく認識し、遠回りしても夢を得られるだろう、俺はそれでいい。
 ……てことなら、まだわかる。
 なにもかも納得の上で、地獄が待っていたとしても、その先にあるものを信じてあえて修羅に身を落とす覚悟があるなら。
 でも、そこまでも考えてない。
 のんきに花束持って、カードに「本当の俺」の名前を書いて、浮かれてデートに誘いに来る。

 ただ単に、鈍いとしか思えない。

 人の心ってものに。

 だから、人を傷つけても平気、詐欺だってしちゃう。
 そーゆー人に思える。

 ジュディとラヴラヴできて、そのとき楽しければそれでよし。本当に愛しているわけじゃない。
 だから、自分の身が危うくなると、すべて捨てて投げ出して、自分だけ逃げちゃう。
 そーゆー結末なんでしょう。


 原田作品に致命的なのは、「薄っぺらさ」だと思ってきた。
 どこかで聞いたことを、本人が理解せずに、そのまま使っている感じ。

 きれいなものを小器用に並べて体裁を整えて、及第点取りました的な。

 失敗してもいいから、これを訴えたい、これを表現したい、が感じられない。

 まあ、そうやって見た目のいい物を借りてきて、てきとーに並べてあるだけなので、毒はない。所詮借り物、本人はナニもしていないので、毒にもならない。
 「偉人の伝記」という、あらすじがあった過去のバウ作品では、ストーリーのガイドラインがすでにあったために、破綻もしなかった。
 2時間かけて主役だけを、すでにあるあらすじに載せて展開するだけ、他の出演者は全員モブか都合のいいその場限りの出番、まとまりのいい話、一丁上がり。
 きれいで薄くて主役には出番がたくさんあるので、主役のファンには楽しい。

 バウなんて主演のファンしか基本観に行かないモノだし、ファンアイテムとしてはいい出来なんじゃないかと思ってきた。
 きれいで薄くて主張も個性もなくて、かわいい贔屓やかっこいい贔屓がいろいろ見られて、ファンにとっては名作。
 それで十分。

 そう思ってきた。

 いつも通りの薄っぺらい意識で描いたために、大劇場のトップスターのサヨナラ公演でも、主人公がこんなに薄っぺらいキャラクタになってしまったのか……。

 ゆーひくんが自力でかっこよく仕上げちゃってるもんだから、脚本上の薄っぺらさ、致命的な欠陥には、気づいてないのかな。


 ロナウドは、すべてにおいて、ひどいんだよ。
 親友のニック@みっちゃんを平気で見捨ててしまえることも、幼なじみのロイ@りんきらを見殺しにすることも。

 いや、酷いことをしてもいいんだ。
 酷いことをした、と本人がわかっているならば。

 悪いことをしたからといって、それを悔やむ必要はない。俺は悪なんだと笑ってくれたっていい。騙される方が悪いんだ、死ぬなんて負け犬だと。
 なのに、いいも悪いもない、自分がなにをしたのか、本当の意味を理解していないんだ。

 詐欺をしました、だから悪いです。
 って、小学生程度の認識。
 そのことによって、もっと深いところで人を傷つけているとか、理解に及んでいない。

 心の動きが、鈍い。
 想像力がない。
 どこかで借りてきた台詞だけを喋っている。
 その奥に、訴えたいものがない。

 それは、今までの原田作品に共通してきたことだ。
 上っ面だけの作劇。

 バウではなく大劇場であること、ゆーひさんという大きな力を持つ人が主演しているということ、それらによって、欠陥がなお大きく被害を広げている。


 同じ設定と同じラストシーン、ゆーひさんのカッコイイ場面や演出はそのままで、ストーリーだけ書き直したいとうずうずするよ……(笑)。
 ほんと、おーぞらゆーひを格好良く描くという点においては、いい仕事してるんだってば。

 芝居でなく、ショーなら良かったのにね。

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