異端審問、ややこしいよね?・その2。@ドン・カルロス
2012年5月2日 タカラヅカ 『ドン・カルロス』の異端審問、もっとわかりやすくできなかったのか? という話、続き。
イサベル@あゆみちゃんとの不倫疑惑と、異端の書を持っていたことによる宗教問題。
最初カルロス@キムは、黙ってすべての罪状を受け入れていた。
宗教問題の方は、新教徒ではないという証拠を持っていたけれど、カルロスはあえてそれを提示しない。
カルロスはふたつの罪で裁かれているのであり、イサベルを誘惑した件がある以上、宗教裁判の方でのみ無実を勝ち取っても意味がないのね。だから宗教問題の方の証拠……「157ページ」を持ち出さない。
それよりは、イサベルのこともポーザ侯爵たち仲間のことも、全部かばって死ぬつもりだった。
義母を誘惑したと誤解されたままでもいいけれど、宗教を捨てたとは思われたくない、ってのが、ぬるい日本人のわたしにはちょっとわかんないけど、敬虔なカトリック教徒には、そこんとこは譲れないんだろう。
自分の宗教だけは誤解されたくないと、死んだのちに父親にわかって欲しいと「新教否定の証」を胸に忍ばせていた、と。
加えて、言外のメッセージもあったんだろう。
無関心ゆえに迫害されるネーデルラントの人々、無関心ゆえに死へ追いやられるカルロス。
そして、「かけがいのないもの」と歌う想い。
そうやって、あきらめていたけれど、イサベルの勇気を受けて、カルロスは思い直す。
不倫疑惑は晴れた。あとは宗教問題だけ。そしてこちらは、証拠がある。
このまま彼が闘わずに死ねば、禍根を残す。
宗教問題の争点は、「聖書を持っている」が、「信者ではない」と証明できるか。
イサベルが「カルロスが新教を否定している」と証言した。「これだけのもののため、尊い命が失われるのか」と言った、と。
言った、言わない、の証明って、現代でも大変だよね。
録音機器もない時代に、「そのときそう言った証拠」なんて、出せるものじゃない。
だから異端審問長官は、カルロスに死刑を言い渡した。
イサベルが「カルロス王子は、新教くだらねー!と言いました」と言ったところで、証拠はナニもない。証言だけでは証拠にならない。
ここで争点が「そう言った証拠」になっている、つーのが、わかりにくいんだよなあ。
禁断の書を持っていたことが罪、ってだけでも現代日本人に感情移入しにくい話なのに、「持っていた」ことで責められていたのが、いつの間にか「言った/言わない」で責められているんだ、という流れが不親切。
それまでずーっと「異議なし」だったカルロスが、突然「証拠はあります」と言い出すので、観客はアタマを整理する暇もないと思うんだが。
いきなり「157ページ」で「これこそ動かぬ証拠♪」とコーラスする、この流れは、一見さんはどれくらい理解できるんだろう?
もちろん集中していればわかるし、実際わたし程度のアタマの人間が初日から理解できたんだから、ふつーの人はみんな完璧について行けて、ここであーだこーだ言う方が無粋ってもんなのかもしれないが。
でもわたしはかなり集中して見ていて、キャラクタに感情移入してだーだー泣きながら、かなり入り込んでいたゆえに理解できた、のかもしれない。
「半分くらい寝てたわー。でもクライマックスっぽいから起きたわー」な人に、ナニが起こっているかわかったろうか。「出演者の顔見分けつかないなー、主役だけはわかるかなー」てな人に、何が起こっているかわかったろうか。
異端審問にて裁かれていたのは、ふたつの問題。
ひとつめ、カルロスとイサベラの不倫。
ふたつめ、カルロスの宗教。
ひとつめは、イサベルが真実を告げ、フェリペ二世が告訴を取り下げたために不問に。
ふたつめは、新教徒の聖書を持っていた=新教徒という疑いを掛けられたカルロスが、「新教くだらねー!」と言ったか言わなかったか、で争っている、と。
しかも、ひとつめの問題ゆえに罪を被る気でいたカルロスが、途中で変心、ふたつめの問題を否定する証拠を出すという、ややこしさ。
……キムシン、裁判するなら、裁く罪はひとつだけにしようよ……。
よっぽどうまく書かないと、表現難しいよ……。
「言った」「言わない」の話になっているので、カルロスは「言った」証拠を出す。それが「破られ、落書きまでされた157ページ」。
聖書を破るという行為は大罪、すなわち、カルロスが新教徒ならばするはずのない行い。
だが、ただ聖書が破られ、そのページをカルロスが持っていた、というだけでは、「それを、カルロスが行った」という証拠にはならない。
だからまずカルロスは、「破かれたページを自分が受け取ることは不可能だった」ということを証明する。
誰もカルロスに、聖書を破って渡せなかったのならば、カルロス自身が破り取り、持っていたと考えるだろう。
その「聖書を破る」という大罪すら、「なにか他に理由があって、あえて行った」だけで、カルロスは新教徒である、と追求されないために、イサベルの証言の裏を取る。
それが、「これだけのもののため、尊い命が失われるのか」という、イサベルが聞いたというカルロス自身の言葉。
これだけだと、「イサベルがカルロスを助けるために嘘の証言をしている」と疑われるかもしれない。だから「イサベルとカルロスは示し合わせる時間はなかった」とまず証明。
その上で、157ページの落書きをトレド大主教@ナガさんに読み上げてもらい、イサベルの言葉に嘘はなかった、カルロスは本当にそう言った、同じ言葉をそれ以前に書き記していたのだから、と証明したわけだ。
ここのわかりにくさもまた、台詞が足りないためだと思うんだ。
カルロスの言う「証拠」とは、なんに対しての証拠なのか。
それをはっきりさせるだけで、ずいぶんチガウと思うんだ。
「法は法です。判決は下った!」
という死刑判決とコーラスのあと。
「お待ちください」
と異議を唱えるカルロス。
「これだけのもののため、尊い命が失われるのか、と確かに私は述べました。その証拠があります」
「述べたという、証拠? この場で示せますか」
と、わかりやすくくり返した上で、157ページに同じ言葉が書いてある、そりゃ確かにカルロスが言い、カルロスが聖書を破ったんだろうよ、と証明される。
今までさんざん、「父はものも言わずに立ち去りました」「ものも言わずに」、「すなわち、父上の妻なのです」「陛下の、妻」、「母上の夫です」「私の夫」、と、オウム返し会話ばっかしてきたくせに、なんで肝心のところでやらないかな。
なんの証明をしているのか、わかりやすくしてくれよ。ふたつの問題がごっちゃに語られていたり、コーラスを挟んだりで、今ナニがしたくてナニを話しているのか、わかりにくいんだよー。
せっかく、否が応でも盛り上がる「裁判」というクライマックス。
もっとうまく展開させればいいのに。
という点が、じれったかったっす。
みんな誰もがすらっと初見で完璧に理解できたのかなあ。
台詞でかなり補えると思うんだけどなあ。
イサベル@あゆみちゃんとの不倫疑惑と、異端の書を持っていたことによる宗教問題。
最初カルロス@キムは、黙ってすべての罪状を受け入れていた。
宗教問題の方は、新教徒ではないという証拠を持っていたけれど、カルロスはあえてそれを提示しない。
カルロスはふたつの罪で裁かれているのであり、イサベルを誘惑した件がある以上、宗教裁判の方でのみ無実を勝ち取っても意味がないのね。だから宗教問題の方の証拠……「157ページ」を持ち出さない。
それよりは、イサベルのこともポーザ侯爵たち仲間のことも、全部かばって死ぬつもりだった。
義母を誘惑したと誤解されたままでもいいけれど、宗教を捨てたとは思われたくない、ってのが、ぬるい日本人のわたしにはちょっとわかんないけど、敬虔なカトリック教徒には、そこんとこは譲れないんだろう。
自分の宗教だけは誤解されたくないと、死んだのちに父親にわかって欲しいと「新教否定の証」を胸に忍ばせていた、と。
加えて、言外のメッセージもあったんだろう。
無関心ゆえに迫害されるネーデルラントの人々、無関心ゆえに死へ追いやられるカルロス。
そして、「かけがいのないもの」と歌う想い。
そうやって、あきらめていたけれど、イサベルの勇気を受けて、カルロスは思い直す。
不倫疑惑は晴れた。あとは宗教問題だけ。そしてこちらは、証拠がある。
このまま彼が闘わずに死ねば、禍根を残す。
宗教問題の争点は、「聖書を持っている」が、「信者ではない」と証明できるか。
イサベルが「カルロスが新教を否定している」と証言した。「これだけのもののため、尊い命が失われるのか」と言った、と。
言った、言わない、の証明って、現代でも大変だよね。
録音機器もない時代に、「そのときそう言った証拠」なんて、出せるものじゃない。
だから異端審問長官は、カルロスに死刑を言い渡した。
イサベルが「カルロス王子は、新教くだらねー!と言いました」と言ったところで、証拠はナニもない。証言だけでは証拠にならない。
ここで争点が「そう言った証拠」になっている、つーのが、わかりにくいんだよなあ。
禁断の書を持っていたことが罪、ってだけでも現代日本人に感情移入しにくい話なのに、「持っていた」ことで責められていたのが、いつの間にか「言った/言わない」で責められているんだ、という流れが不親切。
それまでずーっと「異議なし」だったカルロスが、突然「証拠はあります」と言い出すので、観客はアタマを整理する暇もないと思うんだが。
いきなり「157ページ」で「これこそ動かぬ証拠♪」とコーラスする、この流れは、一見さんはどれくらい理解できるんだろう?
もちろん集中していればわかるし、実際わたし程度のアタマの人間が初日から理解できたんだから、ふつーの人はみんな完璧について行けて、ここであーだこーだ言う方が無粋ってもんなのかもしれないが。
でもわたしはかなり集中して見ていて、キャラクタに感情移入してだーだー泣きながら、かなり入り込んでいたゆえに理解できた、のかもしれない。
「半分くらい寝てたわー。でもクライマックスっぽいから起きたわー」な人に、ナニが起こっているかわかったろうか。「出演者の顔見分けつかないなー、主役だけはわかるかなー」てな人に、何が起こっているかわかったろうか。
異端審問にて裁かれていたのは、ふたつの問題。
ひとつめ、カルロスとイサベラの不倫。
ふたつめ、カルロスの宗教。
ひとつめは、イサベルが真実を告げ、フェリペ二世が告訴を取り下げたために不問に。
ふたつめは、新教徒の聖書を持っていた=新教徒という疑いを掛けられたカルロスが、「新教くだらねー!」と言ったか言わなかったか、で争っている、と。
しかも、ひとつめの問題ゆえに罪を被る気でいたカルロスが、途中で変心、ふたつめの問題を否定する証拠を出すという、ややこしさ。
……キムシン、裁判するなら、裁く罪はひとつだけにしようよ……。
よっぽどうまく書かないと、表現難しいよ……。
「言った」「言わない」の話になっているので、カルロスは「言った」証拠を出す。それが「破られ、落書きまでされた157ページ」。
聖書を破るという行為は大罪、すなわち、カルロスが新教徒ならばするはずのない行い。
だが、ただ聖書が破られ、そのページをカルロスが持っていた、というだけでは、「それを、カルロスが行った」という証拠にはならない。
だからまずカルロスは、「破かれたページを自分が受け取ることは不可能だった」ということを証明する。
誰もカルロスに、聖書を破って渡せなかったのならば、カルロス自身が破り取り、持っていたと考えるだろう。
その「聖書を破る」という大罪すら、「なにか他に理由があって、あえて行った」だけで、カルロスは新教徒である、と追求されないために、イサベルの証言の裏を取る。
それが、「これだけのもののため、尊い命が失われるのか」という、イサベルが聞いたというカルロス自身の言葉。
これだけだと、「イサベルがカルロスを助けるために嘘の証言をしている」と疑われるかもしれない。だから「イサベルとカルロスは示し合わせる時間はなかった」とまず証明。
その上で、157ページの落書きをトレド大主教@ナガさんに読み上げてもらい、イサベルの言葉に嘘はなかった、カルロスは本当にそう言った、同じ言葉をそれ以前に書き記していたのだから、と証明したわけだ。
ここのわかりにくさもまた、台詞が足りないためだと思うんだ。
カルロスの言う「証拠」とは、なんに対しての証拠なのか。
それをはっきりさせるだけで、ずいぶんチガウと思うんだ。
「法は法です。判決は下った!」
という死刑判決とコーラスのあと。
「お待ちください」
と異議を唱えるカルロス。
「これだけのもののため、尊い命が失われるのか、と確かに私は述べました。その証拠があります」
「述べたという、証拠? この場で示せますか」
と、わかりやすくくり返した上で、157ページに同じ言葉が書いてある、そりゃ確かにカルロスが言い、カルロスが聖書を破ったんだろうよ、と証明される。
今までさんざん、「父はものも言わずに立ち去りました」「ものも言わずに」、「すなわち、父上の妻なのです」「陛下の、妻」、「母上の夫です」「私の夫」、と、オウム返し会話ばっかしてきたくせに、なんで肝心のところでやらないかな。
なんの証明をしているのか、わかりやすくしてくれよ。ふたつの問題がごっちゃに語られていたり、コーラスを挟んだりで、今ナニがしたくてナニを話しているのか、わかりにくいんだよー。
せっかく、否が応でも盛り上がる「裁判」というクライマックス。
もっとうまく展開させればいいのに。
という点が、じれったかったっす。
みんな誰もがすらっと初見で完璧に理解できたのかなあ。
台詞でかなり補えると思うんだけどなあ。