喪失、断絶。過去と未来。
2012年4月27日 タカラヅカ 東宝初日ですね。
打たれ弱い人間なので、ただいま現実逃避中。
23日以来、スカステ見てません。楽しみにしていた東宝の稽古場映像も見てない。もちろん、ニュースで流れただろう、退団のお知らせとか、退団会見も見てないっすよ。
23日、キム退団を受け止めきれず、ぐーるぐるしているときに、やたら思い出したのが、『アルバトロス、南へ』でした。
音月桂という舞台人の能力、才能に心から感嘆していた、あの公演。
すごいものを見ている、そう背筋がざわざわした、あの感覚。
歴史に残るナニか、とんでもないものを今、わたしはこの目にしている、歴史の生き証人になっている……と、理屈ではない、本能がそうメッセージを発していた。
そして、『タランテラ!』。
オギーに愛された舞台人である音月桂は、彼の作品で自在に呼吸し、クリエイターの世界を強く表現していた。
毒のある美しい世界で的確に花開きつつ、キャラクタだけで乗り切るのではなく、確かな実力の裏打ちがあった。
キャラクタだけで乗り切ることが出来るタカラヅカで、キムくんは希有なバランスを持った舞台人だ。
オギーが、いてくれたら。
何度、そう願ったろう。
もう一度、オギー作品をタカラヅカで観られるとしたら、それはキム主演であるべきだと思った。
オギーのショー処女作『パッサージュ』をスタートに、一貫してキムは毒と強さを持ったキャラクタとして描かれてきた。
差し色だとかペルソナだとかではなく、彼を「主役」として描くなら、それはどんな物語になるのだろう。そう、わくわくした。
オギーのタカラヅカ最終作『ソロモンの指輪』の映画版が、キム主演?てな切り口で潔くも再構築されていたように。
キムくんの本領を発揮させられるクリエイターがいないまま、彼の男役人生が幕を閉じるかと思うと、悲しくてならない。
タカラヅカでしか描けないものがある。
タカラヅカ以外ではダメなんだ。だからこそ、この特殊な劇団は1世紀も在り続けてきた。
何故わたしは、『アルバトロス、南へ』のような、『タランテラ!』のような、あのキムを再度見ることが出来ないまま、彼を失わなければならないんだろう。
あくまでも、わたしの話。
キムが、でも、キムファンが、でも、劇団が、でも、タカラヅカファンが、でもなんでもなく。他の誰かが、でもなく。
んなこたぁー全部蚊帳の外で、単にわたし自身が、悲しい。
わたしが、音月桂を失ってしまう。
それが、悲しい。
それが、やるせない。
わたしの目には、音月桂はとんでもなく魅力的な人に映っていた。
心の底から自慢したいというか、誇りに思える役者だ。
あの歌声、あの演技力。そしてあの、熱。
誰だって虜になる! 彼をちゃんと見てみて!
……わたしにはそう見えるけれど、そう見えない人もいる。当たり前だけどさ。
背が低いとか女の子っぽいとか、彼の足りないところとして、挙げられていることは、わかるよ。回ってくるのが若者役ばっかだしさ。オフだってスイーツ大好きてへぺろキャラってな感じだしさ。
でも。
んな見た目だーのオフのキャラクタだーのは、わたし的にはどーでもいい。
役者として、舞台の上でのキムが魅力的なので、彼が演じる役が好きなので、どーでもいい。
女っぽいだの子どもっぽいだのは、先入観だ。舞台のキムは骨太な男だし、演出家が若者役ばかり与えるから若く演じているだけで、大人を演じれば大人になる。いつまでも7年前の『銀の狼』のままじゃない。
オギーはいなくなるわ、わたしのメインも雪組ではなくなったので昔ほど没入して観劇していないわで、一時期温度が落ちていたけれど。
贔屓が雪組になったため、嫌っちゅーほど雪組を観る。そうすると、嫌でもわかる、キムのすごさが。
この1年で、ますますキムに傾倒した。
わたしのご贔屓のいる組のトップが、キムくんでよかった。
心から、そう思っていた。
同じ公演を10回以上観るんだ。いちばん出番が多くて、いちばんたくさん歌う人を苦手だったりしたら、つらいじゃん。
なのに、めちゃくちゃ好みの芝居と歌声を持った人がトップスターなんだよ? なにその幸運!!
ほんとうに、しあわせだった。
キムが好きだから、いろいろと夢を見られた。
今現在の公演もたのしいし、これからの公演もたのしみでいられた。どんな役が、どんな作品が回ってくるのか、キムくんと雪組でこんな作品が観たいと、夢を見られた。
ああそして、いつかオギーが戻って来てくれたらなあ。謝先生みたく、外部クリエイターのゲスト演出公演ってポジでいいから。トウコ主演は叶わなかった、タカラヅカのオギー作品、せめてキムで観たい、と。
その未来が、夢が、失われた。
これほど力のある舞台人を、どうしてうまく生かすことができなかったんだ、宝塚歌劇団。
『アルバトロス、南へ』まで時を戻し、彼をプロデュースしたいよ。
音月桂が、もったいない。
思うところはいろいろあるが、そのうちのひとつ。
わたしが、音月桂を失ってしまう。
彼の演じる役を、見られなくなる。
それがつらい。悲しい。
打たれ弱い人間なので、ただいま現実逃避中。
23日以来、スカステ見てません。楽しみにしていた東宝の稽古場映像も見てない。もちろん、ニュースで流れただろう、退団のお知らせとか、退団会見も見てないっすよ。
23日、キム退団を受け止めきれず、ぐーるぐるしているときに、やたら思い出したのが、『アルバトロス、南へ』でした。
音月桂という舞台人の能力、才能に心から感嘆していた、あの公演。
すごいものを見ている、そう背筋がざわざわした、あの感覚。
歴史に残るナニか、とんでもないものを今、わたしはこの目にしている、歴史の生き証人になっている……と、理屈ではない、本能がそうメッセージを発していた。
そして、『タランテラ!』。
オギーに愛された舞台人である音月桂は、彼の作品で自在に呼吸し、クリエイターの世界を強く表現していた。
毒のある美しい世界で的確に花開きつつ、キャラクタだけで乗り切るのではなく、確かな実力の裏打ちがあった。
キャラクタだけで乗り切ることが出来るタカラヅカで、キムくんは希有なバランスを持った舞台人だ。
オギーが、いてくれたら。
何度、そう願ったろう。
もう一度、オギー作品をタカラヅカで観られるとしたら、それはキム主演であるべきだと思った。
オギーのショー処女作『パッサージュ』をスタートに、一貫してキムは毒と強さを持ったキャラクタとして描かれてきた。
差し色だとかペルソナだとかではなく、彼を「主役」として描くなら、それはどんな物語になるのだろう。そう、わくわくした。
オギーのタカラヅカ最終作『ソロモンの指輪』の映画版が、キム主演?てな切り口で潔くも再構築されていたように。
キムくんの本領を発揮させられるクリエイターがいないまま、彼の男役人生が幕を閉じるかと思うと、悲しくてならない。
タカラヅカでしか描けないものがある。
タカラヅカ以外ではダメなんだ。だからこそ、この特殊な劇団は1世紀も在り続けてきた。
何故わたしは、『アルバトロス、南へ』のような、『タランテラ!』のような、あのキムを再度見ることが出来ないまま、彼を失わなければならないんだろう。
あくまでも、わたしの話。
キムが、でも、キムファンが、でも、劇団が、でも、タカラヅカファンが、でもなんでもなく。他の誰かが、でもなく。
んなこたぁー全部蚊帳の外で、単にわたし自身が、悲しい。
わたしが、音月桂を失ってしまう。
それが、悲しい。
それが、やるせない。
わたしの目には、音月桂はとんでもなく魅力的な人に映っていた。
心の底から自慢したいというか、誇りに思える役者だ。
あの歌声、あの演技力。そしてあの、熱。
誰だって虜になる! 彼をちゃんと見てみて!
……わたしにはそう見えるけれど、そう見えない人もいる。当たり前だけどさ。
背が低いとか女の子っぽいとか、彼の足りないところとして、挙げられていることは、わかるよ。回ってくるのが若者役ばっかだしさ。オフだってスイーツ大好きてへぺろキャラってな感じだしさ。
でも。
んな見た目だーのオフのキャラクタだーのは、わたし的にはどーでもいい。
役者として、舞台の上でのキムが魅力的なので、彼が演じる役が好きなので、どーでもいい。
女っぽいだの子どもっぽいだのは、先入観だ。舞台のキムは骨太な男だし、演出家が若者役ばかり与えるから若く演じているだけで、大人を演じれば大人になる。いつまでも7年前の『銀の狼』のままじゃない。
オギーはいなくなるわ、わたしのメインも雪組ではなくなったので昔ほど没入して観劇していないわで、一時期温度が落ちていたけれど。
贔屓が雪組になったため、嫌っちゅーほど雪組を観る。そうすると、嫌でもわかる、キムのすごさが。
この1年で、ますますキムに傾倒した。
わたしのご贔屓のいる組のトップが、キムくんでよかった。
心から、そう思っていた。
同じ公演を10回以上観るんだ。いちばん出番が多くて、いちばんたくさん歌う人を苦手だったりしたら、つらいじゃん。
なのに、めちゃくちゃ好みの芝居と歌声を持った人がトップスターなんだよ? なにその幸運!!
ほんとうに、しあわせだった。
キムが好きだから、いろいろと夢を見られた。
今現在の公演もたのしいし、これからの公演もたのしみでいられた。どんな役が、どんな作品が回ってくるのか、キムくんと雪組でこんな作品が観たいと、夢を見られた。
ああそして、いつかオギーが戻って来てくれたらなあ。謝先生みたく、外部クリエイターのゲスト演出公演ってポジでいいから。トウコ主演は叶わなかった、タカラヅカのオギー作品、せめてキムで観たい、と。
その未来が、夢が、失われた。
これほど力のある舞台人を、どうしてうまく生かすことができなかったんだ、宝塚歌劇団。
『アルバトロス、南へ』まで時を戻し、彼をプロデュースしたいよ。
音月桂が、もったいない。
思うところはいろいろあるが、そのうちのひとつ。
わたしが、音月桂を失ってしまう。
彼の演じる役を、見られなくなる。
それがつらい。悲しい。