なにしろチケット手に入らなくて。
 通いたくても通えない、じれったい公演でございます、『ヘイズ・コード』
 サバキもろくに出てないんですよ。待ってる人ばっかで。……ほんとに、某海馬公演と比べてせつないやらなんやら……うおおおまっつ〜〜(落ち着け)。

 よーやく観ることができた2回目。
 幕間、nanaタンと落ち合うなり、

「しいちゃん、かっこいい〜〜っ!!」

 と、叫びました。

 しいちゃんですよ、しいちゃん。
 立樹遥。

 カールトン監督役。
 なにがどーってわけでもない、2番手ですらない役。
 特別個性やらオイシイ見せ場があるってわけでもない(そりゃ、スターとしての立ち位置は考慮されているが)、とくに「コレ!」ということのないふつーのキャラ。オイシイといえばヘンリー@すずみんの方がまだオイシイよな、という、ほんとにどーしよーもないような役。
 ああそれなのに。

 しいちゃんが、かっこいい。

 どうしちゃったんですか、あの人。
 なんかものごっつーキラキラしてるんですけど。
 大人数でいつもわいわいしているようなこの作品で、それでも「あっ、あそこにかっこいい人がいる!」と思わせるのは、なんなんですか。

 ろくな見せ場がなくても、ハートフルなキャラクタ、真面目に仕事をしている様が伝わってくるんですが。
 いやその、「いつものしいちゃん」であり、相変わらず演技しているようには見えないんですが……ゲフンゲフン、それでもとにかく、しいちゃんがかっこいい。

 レイモンド@トウコに対しての友情とか、すーっごくわかるし。や、今回レイモンドはカールトンのこと、ろくになんとも思ってない(笑)風なのがまた……結構リアルに男友だちって感じ。
 うん、必要以上に相手に関心がなかったりするのに、ちゃんとお互い気持ちがあるのがわかる、それがリアルに男友だち(笑)。腐女子的には萌えないけど、ほんとのとこ男同士ってそんなもんだよね、みたいな距離感。
 しかもこいつら、わざわざ名字で呼び合ってるしな。幼なじみのくせに。……てなところに萌えを探すことも作り出すこともできるけれど、今回はそこまでしなくてもいいや。しいちゃんには水輝涼がいるし(笑)、トウコにはあすかがいるんだから。
 しいちゃんとトウコちゃんで、腐女子萌えしたかったけどなー(笑)。

 
 で。
 しいちゃんにきゃーきゃー言ったあとは。

「すずみん、素敵〜〜っ!!」

 お気楽おぼっちゃまヘンリー@すずみん。
 出てきた瞬間キャラクタがわかる、妙な存在感と輝き。

 すずみんって華のある人だと思うよ。正統派の白い光でも華でもなくて、かなり色物入っちゃってる気もするが。
 たとえばリチャード@『MIND TRAVELLER』をすずみんが演じていたら、うさんくささも押し出しの良さも派手さも、素晴らしいことになっていただろうな、と思うのよ。まっつ、地味過ぎるんだもんよ……演技小さすぎるんだもんよ……。
 とにかく、この人が出てきた途端、場がぱぁっと明るくなる。
 重い空気も一瞬で軽くなる。
 壮くんのような「空気読めないゆえに、場を壊して登場する」わけではなく、役の上で「場を変えるべきだから変えている」のがわかる。(あ、壮くんの場合はそーゆー彼だから魅力なんですよ、はい。『2006-10-26 肯定の輝き。−壮一帆万歳−@タランテラ!』参照ヨロシク)
 空気を動かす力を持った人って、すごいよなあ。「スター」の必携能力。すずみさんは年々力を付けてきている。
 正しい能力を、正しく使うこと。仕事のできる人が、正しく仕事をしていること。
 それが、とても気持ちがいい。

 ヘンリーとリンダ@ひかちゃんのラヴコメが見たいなー。

 真面目一本のキャリアウーマン、見るからに男慣れしていない眼鏡っこリンダ女史を、気軽にそれこそなにも考えずに口説いたヘンリー。
 リンダは理性で否定しつつもヘンリーにぞっこんだし、ヘンリーはそんなのいまいちわかってないし本気でもない(でも機会があれば必ずコナをかけ続ける)し。
 リンダが本気だということに気づいたあとの、ヘンリーが見たい。見たい見たい見たいー。

 バウホールで、『ヘイズ・コード』スピンオフ作品上演してくださいよ、大野先生!!
 ヘンリー@すずみん主演で。
 レイモンド@トウコ(特別出演)、カールトン@しいちゃん(友情出演)で。ポスターに( )付きで正味5分の登場とかでいいから。スピンオフのお約束的ゲスト出演〜〜。
 あとは全キャスト登場、みんなでわいわい大騒ぎ!!

 ヒロインはリンダ@ひかちゃん、準ヒロはもちろんラレイン@みなみちゃんで!
 おねーちゃんは絶対出なきゃダメよ。それも、出まくって絡みまくらなきゃダメよ。あの姉弟ダイスキだ。かわい過ぎ。

 かわいい女の子たち総動員で、ヘンリーの「お気楽理事生活」を彩って。
 だからこそ、真面目リンダとの恋が栄えるってことで。

 すずみんには、男より女の子たちをはべらす方が絶対似合うもの。女の子たちの真ん中で、「スター」しているのが似合う。ああ、うっとり。

 ヘンリーのうさんくささと、その輝きが愛しくて。

 スタジオに閉じこめれられちゃって、ラレインにジャケットを貸して自分は寒そうに丸まるって寝ている姿、が超絶かわいくてダイスキ!なのはもう今さら語るまでもないこととしても。
 実は、ヘンリーでいちばん好きなシーンは、ラレインとエディ@ゆーほの熱々ラヴシーンを、所在なく眺めている姿、だったりする。

 ヘンリーは、ほんとにただ、「眺めて」いる。ちょっとニヤけたり、あきれたりはしているけれど。特にどうってこともなく、ただ眺めてるのな。
 ソレが、ツボ。

 レイモンドとカールトンの関係にしてもそうだけど、「リアル」なんだよね。温度や距離感が。

 あれだけラレインとヘンリーを仲良く接触させておきながら、必要以上にべたべたさせない。
 エディとひと目もかまわずラヴるラレインを見て、弟ヘンリーに嫉妬させることは簡単なんだ。「大好きなおねえちゃん」があんなことに……と苛々させることも、「浮気疑惑であれだけ人を振り回しておきながら、そのお気楽ラヴっぷりはなんだ」という腹立ちすらもない。
 ただあるがままに受け入れている。

 や、だって、家族だし。
 家族って、そんなもんだよね?
 いちいち大仰に「愛してるわ、わたしの家族!」とやらなくても、「さんざん振り回しちゃった」ことを詫びなくても、「今はしあわせ」である事実を確認するだけで、十分だよね。

 ラレイン×ヘンリーが大好きだー!!
 いいなあ、エロ一切無しでニュートラルに愛し合っている男女って。家族という、姉弟という気持ちよさ。
 や、現実的にはソレが当たり前なんだけど、フィクション界ではそうでもないからさ〜〜(笑)。

 「恋愛」以外の温度と距離感のよさが、「主役カップル以外総脇役状態」「ストーリー特になし」の、わいわいがやがやにぎやかすぎる、『ヘイズ・コード』という作品の魅力のひとつだろう。

 脇役ひとりひとりまでもが、みんなみんな魅力的。すげえや。

 
 あああ。しいちゃんかっこいー! すずみん素敵ー!


 前日欄で、壮くんの話がちらりと出てしまったので、そこから引っ張ってみる。

 あれは、『MIND TRAVELLER』青年館千秋楽の日。
 楽を観終わったわたしは、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにした。いやあ、ついに一度も入り出待ちしなかったしお茶会もスルーなので、ナマまっつは一度も見ていませんよ。公演自体は通ったけどな〜〜。まっつしか見てなかったけどな〜〜。
 DC楽では、退団するりりかちゃんのギャラリーはしちゃったけど(袴姿ですよ、りりかちゃん! ファンの人で花道作られてました)、りりかちゃん見送れただけで満足して、まっつの出は待たずに帰ったなー。

 で、青年館楽。早々に移動して、なにをしていたかというと。

 「壮一帆を愛でる会」フレンズのパクちゃんと、壮一帆について、語り合ってました。

 素晴らしきかな、壮一帆。
 わたしたちの胸を熱くする素敵キャラクタ、壮一帆。
 わたしの携帯、「そう」と打てばまず真っ先に「壮」という字が出るんだけどどうよソレ、どれだけその字を使ってるんだヲイ!てな。

 『タランテラ!』の、壮くんの銀橋シーンの破壊力は素晴らしいです。
 あそこを語るだけで、いくらでもしあわせに過ごせてしまう。

 壮くんの銀橋でナニが素敵かってさ。

 「♪待っている♪」と歌うときのリズムが、必ずもれなくまちがいなく、ズレていることですかねっ!!(笑顔)

 壮くんはそりゃ音程も声質もよくはないが、いちばん致命的なのはリズム感ぢゃなかろーか。
 メロディアスな曲ならともかく、リズムで歌いきる系の曲は、いろいろいろいろ大変かと。

 しかもほら、「♪待っている♪」のトコは、客席アピールしなきゃなんないじゃん、ポーズ決めて。
 で、そっちに気が行っているため、歌は遅れてしまう、と。

 あああ、その鈍くささ、そしてそんなことにまったく気づいていないところが、萌え。

 いいのよいいのよ、壮くんはソウでなきゃ。
 空気を読んで小さくまとまらなくていいの。ズレてよーが浮いていよーが、キャラクタのまま突っ走って。

 銀橋ソングのあの微妙なリズム感。
 もだえるほどスキ(笑)。

 てなことを、パクちゃんと幸福に語り合いました。ああ、しあわせ。
 いやその、『MIND TRAVELLER』のことも、前日発売だった『タランテラ!』実況CDのことも(あたしゃ東宝キャトレでわざわざ買って、その日のうちにドリーさんちでオーディオ借りて聴きましたよ)、雪組のこともコム姫のことも、えんえん語りましたけれども。

 でも、壮くんを力一杯語れる相手がいることは、とてもうれしい。
 ピュア壮くんファンとはチガウ観点で愛でているのかもしれないが、彼の空気読まないナルシス芝居だとか、リーマン持ち味だとか、微妙感漂う芸風だとかを、同じ温度で愛でられる相手は貴重。

 
 で、時は流れて翌週、『ヘイズ・コード』初日。
 この日は『タランテラ!』DVD発売日でもあったので、わたしはいそいそキャトレへ買いに行きましたとも。
 キャトレ店頭にはもうDVDの仮パッケージがなく(本来仮パッケージを持ってレジへ行く)、「本日発売!」とポップのつけられたコーナーが空っぽになっていたさ。パッケージ返却が間に合わないくらいの売れ行きらしい。
 迷わずカウンターへ直行し、「『タランテラ!』のDVD下さい!!」と言ったあとで、あれ? ふつーは芝居のタイトルを言うべきか? と思ったんだが、如何せん芝居のタイトルが思い出せなかった。(年寄りなので、ど忘れがひどい)
 キャトレのおねーさんもあうんの呼吸で、「はい、『タランテラ!』のDVD、こちらでよろしいですね!!」と商品を差し出してくれたわ。客の言葉をそのまま返す(客の表現が多少アレでも、意思の疎通さえ確実であれば、いちいち訂正して客に恥をかかせない)のは接客の基本っす!
 だからコレは、『タランテラ!』のDVD!! 『堕天使の涙/タランテラ!』のDVDではないっす!(笑)

 そーやって購入したDVD。
 その日は親の家に帰っていたので、自分ちに帰るのを待ちきれず母のPCを借りてひとりで見た。
 最初は床に置いていたノーパソを、途中からは膝の上で抱くよーにして眺めた。

 とーちゃんはテレビでどーでもいいバラエティ番組を見ているし、弟はDSやってるし、母はなにかしらがさごそやっている、そんなうるさすぎる茶の間で。
 ひとり、泣きながら『タランテラ!』を見ていた。

 そして。

「気持ち悪いな、にたにたして」

 弟が、ツッコミを入れてきた。

 はい?
 わたしのこと?
 えーと、ついさっきまでべそかいてたはずなんですが。
 わたし、わらってた?

 弟が突っ込んできたのは、もちろん壮くんの銀橋シーンを見ていたときでした。

 わたしは相当やにさがって、うれしそーな顔をしていたようです。

 そうか……他人から指摘されるほど、壮くんに癒されているのか……。

 しかし『タランテラ!』DVD。
 映像で見るとすごいね!
 なにがすごいって、壮一帆が2番手に見える!

 カメラはストーリーを忠実に追っているもんでさー。
 タランテラ@コム姫と対照的な位置にいるのが、囚われの男@壮だもん。
 タランテラの影@キムはタランテラと同等の出方をするし、役割がかぶるときは映らない。
 だもんで、コム側がドラマを展開する要所要所で、派手に壮中心のヌキが入る(笑)。
 すげえや壮一帆。映像だけでいえば2番手だ、準主役だ。

 そして、映像だとほんとに、ストーリー的に意味のない水くんは立場がない……。
 いやその、わたしは水ファンだが作品至上主義なんで、彼の扱いはアレでいいんだけどさ。かなしいのはかなしいけど。

 コム姫と対照的な意味での壮くん。

 うん。
 まったく相容れない、別の宇宙の生き物。

 そうであるからこそ、壮くんがこんなに愛しいんだ。
 わたしがコム姫とコム姫の持つ「世界」を愛しているからこそ、ソレを際だたせる「反するもの」が愛しい。

 影のない世界の光は、すでにソレは光ではないし、光のない世界の影は、すでにソレは影ではない。ソレが「ふつー」になってしまい、光でも影でもない。

 だから、コム姫がコム姫であることを際だたせるために、壮くんが必要なんだ。

 影がなければ光がないように。
 光がなければ影がないように。

 壮くんが、雪組にいてくれてよかった。
 コム姫を見送るひとりでいてくれて、よかった。

 心からそう思うよ。


 凍えながら、当日券に並んだ。

 雪組東宝公演『タランテラ!』
 チケ運ナシなわたしには、東宝のチケットなんてまず手に入らないし、札ビラを切る財力もない。
 つーことで、とりあえず体力勝負。
 ひとりで並ぶ平日の日比谷。

 並んでいる時間を利用して、ブログの更新をしようなんて考えてたんだけど、甘かったね!
 パソコン持って行ってたって、凍えて指が動かない。
 ブランケット(旅行荷物の大半をこいつが占めてくれたさ……ああ大荷物)にくるまり、カイロを握りしめていたって、指は動かないっ。
 いやあ、過酷だった……(笑)。

 それでも、観たかったんだよ、『タランテラ!』。
 それでも、会いたかったんだよ、タランテラ@コム姫。

 結局東宝では2回観ただけに終わった。2階のてっぺんと、1階のいちばん後ろ。ほんとにわたし、水くんの出る公演のチケットは手に入らないのよ……このジンクスはいつまで続くんだヲイ。

 
 心の整理を付けるために、ここへ来た。

 
 千秋楽を観られるはずもない。大阪在住のわたしが、チケットもないのに何度も東京へ通えるはずもない。
 これが、最後だ。
 わたしはもう、『タランテラ!』をナマで観られない。

 ソレを、思い知るために行った。

 何回観たって満足できない、多彩すぎる舞台。
 たった2回でわたしは、ナニを見れば、どこを見ればいいんだろう?
 そりゃ、コム姫を見ているよ。まーちゃんを見ているよ。この作品を最後に天へ還ってしまう愛しい天使たちを、必死で見つめていたさ。

 それとは別の次元で。

 『タランテラ!』という世界を愛するものとして、なにを選び、なにを捨てればいいのか。

 東宝ではもちろん、舞台はさらに深化していた。
 ムラであれほど危ぶんでいたハマコの高音がクリアになり、今回は度外視していたキムの歌声に、熱と勢いを感じた。
 コム姫の人間離れ度はさらにどえらいことになり、「奇跡が“あたりまえ”に舞台にいる」てな風情だ。
 そして、そんななかでも変わらない壮くんに癒され、やっぱり高音になるとあちこちやばいアミたんに苦笑し、気を抜くと水くんをぜんっぜん見ない自分@水ファンだってば、に、愕然とする。
 「作品」主体に観ると、水くんが視界に入らないんだもん……意識して見るよーにしないと、黒燕尾場面まで一度もピンで見ない、とゆー可能性大いにあり@だからあたしは水ファンなんだってば。

 キャストの誰が好き、という前提をぶっ飛ばしてくれるんだよなあ、『タランテラ!』。
 まず、「作品」ありき。
 そりゃ、そもそものキャストへの好意は前提だけれども。好意の濃淡、順位を無意味にするんだよなあ。

 水くんラヴなはずのわたしが、水くんを見ていられないほどに。

 
 『タランテラ!』が好き。

 初日は情報量の多さと型破りさについてゆくだけで大変だったけれど、繰り返し観ることで毒に侵され、中毒化した。

 もう戻れない。この毒を知るまでの自分には。

 『タランテラ!』を観ることができる最後の日、最後の回。

 わたしはわかった。
 唐突に。

 何回観たって、何十回何百回、毎日観続けることができたって、わたしが『タランテラ!』を見切る(=見極める・納得しきる・咀嚼しきる)ことはできないんだ。

 わたしが、考え、感じ、人と出会いふれあい、毎日なにかしら得てなにかしら失い生きている人間である以上、『タランテラ!』を見切ることはできない。
 観るたびにチガウことを感じ、チガウことに気づき、チガウことに涙する。
 わたしが生身の人間である限り、無理だ。わたしが一定のまま一切なにも変化しない存在でない以上、無理なことなんだ。

 見切ることはできない。
 満足することはない。

 そうわかったときに、すこんと納得した。
 不可能を不可能と知り、心が軽くなった。

 それは、絶望かもしれない。

 わたしにとって最後の『タランテラ!』の幕が下りたあと、しばらく動けなかった。
 劇場のすみっこ席で、自力入手できた唯一の席、自分の限界だった席で、泣き続けた。
 多少の涙ならまず使わないのに、このときはハンカチを出して顔を埋めて号泣した。係の人に追い出される直前まで、泣き続けた。
 や、たんに動けなくて。すぐに立ったら絶対また倒れるし。

 わかってしまったから。
 心は軽くて、澄んでいて。
 そして、絶望している。

 麻痺してしまったような、透明な気持ち。

 ああ、そうか。
 毒だ。
 タランテラの毒はわたしのなかに入り、わたしを侵し、わたしの一部になったんだ。
 中毒が行き過ぎ、わたし自身が毒になったんだな。

 あー、そうか……なるほどなー。

 かわいた、澄み渡った心で、そう思った。

 
 整理をつけるために、東宝へ行った。
 そして、そこへたどり着いた。

 わたしの『タランテラ!』。

 もう、戻れないんだ。 
 とても幸福で、そして、かなしかった。

 
 
 −−−−その、数時間後に。

 白衣を着て、海馬に乗っていたりするもんだから、人生って素晴らしい。
 (2006-12-07「海馬に乗った征服者、リアルバージョン。@MIND TRAVELLER」参照・笑)


 12月23日、21時30分過ぎ。
 わたしは、23日大阪駅桜橋口(23:20)発→24日東京駅八重洲口(7:36)着の夜行バスをキャンセルした。

 チケットさえ手に入れば、夜行バスに飛び乗って東京へ行く予定だった。24日の朝に日比谷にいるはずだった。
 や、東宝楽チケなんておこがましいことは考えてません。中継の東京会場チケットですよ。
 水くん組替え後、雪組チケ運壊滅記録更新中のこのわたし、当然中継すら入手できずにおりました。
 それでもあきらめきれず、「コム姫を見送りに行くの」と、アテなんかなにもないくせに、交通手段だけは先に押さえておりました。
 たかちゃんのお見送りのとき、「帰りのバスに間に合わないかも!」と青ざめた経験を生かし、帰りのバスは夜遅いバスを手配し、車中2泊日帰り敢行する気満々でしたさ。
 しかし。
 東京会場チケットは、手に入らず。
 いろいろな要因が重なり、運が悪かったんだよな。(多くは語らぬ……遠い目)

 大阪会場のチケットだけは、ハイディさんのおかげで手に入っていた。
 中継をあきらめ、生コム姫を東宝前でお見送りするためだけに、東京へ行くか。
 選択肢として、ソレはある。大いに、ある。
 だけど。

 わたしは、『タランテラ!』を取った。

 たとえ中継でも「作品」が、「公演」が見たかった。

 舞台人「朝海ひかる」の創り出すものを見届けることを、選んだ。

 中継でしかなくてもな。

 自分で選んだ。
 だから、ソレでいい。
 ソレでいいはずなんだが。

 ぎりぎりまで、バスをキャンセルできなかった。

 このバスに飛び乗れば、明日の朝、コムちゃんの入りを見られる。そのままいれば、出も見られる。そうするべきではないのか。中継なんか、所詮中継じゃないか。1年後だかにスカステで放映されるものと同じだろう。それよりも、自分の目でコムちゃんを遠くからでもちらりと見る方がいいんじゃないのか。
 そうは思っても、わたしが愛するのは「舞台人・朝海ひかる」であり、『タランテラ!』なんだ。入り出待ちもしない、お茶会にも行かない、「舞台」でだけジェンヌと宝塚歌劇を愛でてきたわたしは、「舞台」を捨てて「歩いているだけの個人」を取ることができない。
 両方を取るには、運かお金が必要だったが、わたしには両方なかった。今回は掲示板運もなかったしな。

 ぎりぎりまで、チケット譲渡掲示板を眺めていた。もし今、チケットを譲ってもらえる口約束だけでも取れたら、バスに乗ろう。日帰りだから身ひとつでいい。防寒対策だけして、旅立とう。
 ……そーやって優柔不断にぐるぐるしつづけて、夜9時半過ぎ。
 バスの発車まで2時間を切ってから、ついにキャンセルした。

 わたしは、『タランテラ!』を見る。
 『タランテラ!』を取った。
 そーゆーことなんだ。

 タランテラ@コム姫を、見届ける。


 12月24日。コム姫卒業の日。

 わたしは大阪梅田の、『朝海ひかるザ・ラストディ』中継会場へ行った。
 海馬祭りをやっていた茶屋町梅田芸術劇場ですよ、ええ。海馬祭りは地下のドラマシティ、中継はメインホールでだけども。この界隈にはすごい密度で通っている気がする……。

 コムちゃんの入りにかしちゃんが来ていたとか、現地のジュンタンから速報を受けつつ、ひとりで大阪。や、会場に行けば友だちには会えたんだけど。気分はひとりぼっち。どりーずのみんながいないんだもん。
 梅芸はライヴのみを念頭に置いた劇場であり、映像を見るには適していないことに、席に着いてから気づく。「映像なんだから、どこで見ても同じ。前方センター席なんて、かえって見にくいかも?」と思っていたが、大間違い。
 スクリーン、小さっ。しかも、えらく奥まってる。後方席や2階席だと、かなり遠かったり小さかったりするんじゃないの、コレ……? 映画館感覚で席を選んでいたら、後悔したかも。や、わたしは譲っていただいた席なんで選ぶもナニもないし、結果としてすげー良いお席だったわけじゃが。

 『堕天使の涙』は、素直に映像をたのしんだ。芝居はストーリー中心に映してくれるとわかっていたので、ある意味安心し、大スクリーンに映し出されるコム姫たちの、繊細な表情の動きなどを堪能。

 そーいやわたし、映像で『堕天使』を見るのははじめてだと気づく。
 『タランテラ!』のDVDは買っていたけれど、なにしろ『タランテラ!』単体が目当てだったから、芝居の方は見てなかったっすよ。だからDVDとどうチガウかはわからない。

 わたしの懸念は、『タランテラ!』のみだ。
 映像では、『タランテラ!』はわからない。どうあがいも伝わらない。
 わかっていても、見届けずにはいられなかった。

 東宝で『タランテラ!』を見たときに、納得はした。わたしにはこの作品を見切ることはできない。だから100も0も同じだ。永遠に届かないのだから、もう二度と観ることがなくても同じだろう。
 だがそれも、今現在『タランテラ!』が存在しているという前提の上でだ。

 「映像」の限界は知っている。
 それゆえ、中継を見ることにこだわったのは、確認でしかない。
 記憶の確認。
 想いの確認。
 コム姫がコム姫として存在すること。
 まーちゃんがまーちゃんとして存在すること。
 この素晴らしいキャストがあってこそ、『タランテラ!』が息づいているのだということ。

 たとえわたしが二度と『タランテラ!』を観られなくても。
 『タランテラ!』がある、今も上演されているということが、救いだった。

 あのうつくしい世界が、存在していること。

 それが、救いだったんだよ。

 中継映像は、DVDよりコムちゃん中心になっていた。といってもDVDのAnother Angle(コム姫ピン取りオンリー)ではなく。

 たしかにある。
 存在している。
 触れることはできなくても、そこにいてくれる。

 いてくれるだけでいいのに。

 舞台は、消える芸術だ。
 そのとき一瞬しか存在しない。
 だからこそ、魅力的な世界だ。

 いつかわたしが死ぬことと同じよーに、いずれ確実に消えてしまう。自然の摂理から解き放たれることなんかない。
 それがわかっていてなお、思う。願う。祈る。

 そこにいて。存在していて。

 「タカラヅカ」の、美しい虚構のままいて。

 『タランテラ!』とコム姫の境などなく。
 『タランテラ!』とまーちゃんの境などなく。

 消えないで。存在していて。

 手が届かなくていいから。わたしなんかが理解も近寄りもできないところにいてくれていいから。
 いてくれるだけでいいから。

 幕が下りるまで、見守った。
 『タランテラ!』が終わる。
 タカラヅカでしか表現できない、コムまーでしか表現できない、コムまーをもっとも強く鮮明に描き出した、あのうつくしいせかいが、消える。
 そのことを、かなしんだ。

 
 サヨナラショーは、とても他人行儀だった。わたしにとっては。
 気持ちが『タランテラ!』で燃え尽きてしまい、あとはムラで観たときの郷愁や衝撃を遠くから再確認している感じ。
 にしてもやっぱ、コム姫らしく特異なサヨナラショーだよな(笑)。同時退団の相手役と触れ合わない、ラストシーンは定番の「組子に囲まれて幕」ぢゃない、つーのは。
 コレを臆面もなく演出したオギーも、そして板に乗っているコム姫もすげえ。

 公演部分が終わってからだ。中継が中継としての意義や効力を発揮するのは。
 退団者挨拶は、人物をアップで映すことのできる映像の利点だよなー。

 緞帳を使って退団者の「乙女」写真を映すのは、やはり映像好きのオギーならではの演出だったんだね。宙組ではなかったもの。
 また、コム姫登場時のオケ演奏も、オギーのこだわり?

 退団者たちの挨拶をスクリーンいっぱいのアップで見守る。
 劇場の隅からオペラグラスで見るよりはるかにアップ。自宅の小さなテレビで見るよりはるかに大きく。
 しあわせであれ、と思う。
 10代のころに自分で選んだ夢と、決別をする人たち。卒業する人たち。ここ、にいた年数も過ごしてきた濃度も、ひとりひとりがチガウにしろ。一様に、前へ進むことを決めた人たち。
 「終わる」こと「別れる」ことは寂しくても、その選択が正しいことを信じて。
 しあわせであれ。

 まーちゃんはでろでろにかわいらしく。最後になって、コム姫への愛をのろけてくれるのが、うれしくてならない。
 コム姫はまーちゃんが想うほどまーちゃんを愛してはいなかったように見えたけれど、まーちゃんにはきっとそんなこと関係ないんだよなー。
 「愛」は名詞ではなく動詞である。相手を好きで、好きでいること自体を「幸福」と思える……まーちゃんがそういう人であることが、泣けるほどうれしくて、わたしは幸福を感じるんだ。
 コムちゃんへの愛と感謝を、幸福な笑い声と共に語るまーちゃんが愛しい。
 相手から返されるものが多かろうと少なかろうと、「愛」する者には関係ない。「愛」している、そのことがすでに幸福だから。
 彼女の陽だまりのようなあたたかさと、懐の深さに癒される。ダイスキだ。

 コム姫は最後までコム姫で。
 正式の挨拶は短く。え? これで終わり? だったんだが。
 正念場はそのあとだよな。繰り返され続けるアンコールで、なにか喋らなきゃいけないことがわかっているんだから、そっちへ取っておいたって感じ? 合理的だな、姫。
 コム節炸裂。あの飄々としたみょーーな喋りで、場を泣き笑いさせる。ああ、まったくもー。
 退団者全員にひとことずつ喋らせたりと、気配りを見せて場を仕切りながらも。
 隣のまーちゃんを、振り返りもしねえ。
 まーちゃんは何度も何度も、うれしそうにコム姫を振り返るのに、完全無視。視線を返してもらえないまーちゃんは、それでも笑顔のまま視線を戻す。……あああ。最後の最後まで、コムまーだ。あまりにらしくて、苦笑してしまう。

 好きだよ。
 そーゆーとこも含めて。

 コム姫がコム姫らしく、まーちゃんがまーちゃんらしくある、そしてそのことをあったりまえに受け止め、赦す、この世界を、美しいと思う。

 卒業おめでとう。
 それから、ありがとう。こんなに、好きだと思わせてくれて。好きという、豊かさをわたしの心に満たしてくれて。


わたしの海馬グッズ。
 みんなに見せびらかしている「竜」の絵のついたMY携帯。
(一緒に写っている画面クリーナーは、Victorの犬、ニッパー。まっつに似ているので、わたしたちの間で「まっつ」と呼ばれている儚げでプリティな犬)
 

 この竜は転写シールで、nanaタンの九州みやげ。
 何故、竜なのか。

 坂本竜馬@かしちゃんにちなんで! ……というわけではなく。(や、ソレでもいいが、「天に還る竜の図」はかなしすぎる)

 これは干支シールなの。
 竜ではなく、辰。

 辰ノオトシゴ……つまり、海馬なんですよ!!

「はい、海馬グッズを探している緑野さんへ」
 と、nanaタンに笑顔でプレゼントしていただきました。

 ええわたし、タツノオシゴ・グッズを探して、あちこち渡り歩いたけれど、見事になかったんですよ。存在しないの、そんな微妙なもの!
 ひどーい、「海馬の帝王」ファンには、グッズが必要ないというの?!

 そんなわたしに、タツ・グッズ。なるほど、タツノオトシゴはなくてもタツならアリか。それにタツの方がなんかかっこいいしなっ。よりによってタツノオトシゴを身につけているより、一般人への言い訳ができるし。
 もちろん、「どうして竜?」と人に聞かれた場合、「辰年なの」と答える予定。辰年が今年いくつなのか知らないけど、実年齢より若く申告してやる〜〜ふふふ。
 あとはまっつだよなー。海馬にはまっつが乗ってなきゃ。
 このタツのシールに、小さな男の子のシールを探して来て、貼ったらどうだろう? チャーリー・ブラウンでもなんでもいいから、とにかく人間の男の子のシール。「海馬に乗った征服者」だから、やっぱ背中に乗るよーに貼るべきだよな。

「ソレぢゃ、『日本昔ばなし』だから!」

 −−速攻つっこまれました、はい。

 
 リチャード@まっつの舞台写真も無事購入、来年のスケジュール帳に入れたし、携帯には金の海馬が輝いているし。
 身の回りがまっつまっつでしあわせです。
 

 25日は、サトリちゃん、チェリさんと一緒。
 夜道を歩きながら言った。

「明日は、26日だね」

 2004年12月26日。わたしたちは、東京にいた。あれから2年経つ。


 どんな事情があるにせよ、集合日退団はヘビィだ……。

 華城季帆
 澪乃せいら
     2006年12月26日付で退団

 退団、ということを受け止める以前に、「えっ、それじゃあもう会えないの?!」ということに、愕然とした。
 お別れを惜しむとか、最後の舞台に心を馳せるとか、そーゆーこともなく。
 もう、会えない。
 てゆーか、タカラヅカが特殊な場所であるからこそ、彼女たちは、もう「存在」しないのだという現実が、痛い。

 同じ芸名で、なにかしら芸能活動をするとしても、「タカラヅカ」という特殊な世界観での彼女たちではない。まったく別カテゴリの存在となる。
 もう、この世のどこにも「いない」のだ。「存在しない」のだ。かしろきほも、みおのせいらも。
 そんな馬鹿な。

 愕然、呆然ですよ。

 ……事情があったのだろうと思う。なにかよほどのことがない限り、こんな去り方はしないだろう。
 それはわかるけれど、一ファンとしては、退団発表後せめてなにかしら出演したうえで退団して欲しかった。その芸名でタカラヅカで生きてきた「責任」を果たして欲しかった。

 残念だ。
 持ち味はチガウものの、お姫様ドレスの似合うかわいい若手娘役スターがふたりも、本日付けでいなくなってしまったなんて。

 大きな喪失感に、過去の彼女たちの舞台姿がぐるぐる回り続ける。

               ☆ 

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の配役が発表された。

 明智@オサ様、黒蜥蜴@彩音。

 無理とは知りつつ、一縷の望みを託していたんだが、やっぱり無理だよなー。
 オサ様は黒蜥蜴を演じるに相応しいキャラクタだと思っていたので、是非ハマリ役を演じる姿を見たかったんだわ。

 それに、『MIND TRAVELLER』ドラマシティの前代未聞のガラガラっぷりを目の当たりにして、まとぶをプッシュするには「オサ様の相手役」をするのがいちばん確実だと思った。
 オサ様を愛し、憎み、また翻弄される役なら、オサ様ファンにも愛されるだろうし。花組のファン分布パーセンテージはかなり極端なことになっているから、オサ様ファンを味方につけるしか勝機はないんだし。
 まとぶを本気で売りたいなら、料金のバカ高いドラマシティで小池のダメダメオリジナルをやらせるより、本公演でオサ様とがっぷり組ませること、以上の手段はない。

 トップスターのオサ様が今さら女役(しかもヒール)ができないというなら、まとぶに蜥蜴役をやらせるのがいろんな意味で最良だろうと思った。

 とはいえ。

 無理は無理だとあきらめていたし、そのうえで、彩音ちゃんの黒蜥蜴もたのしみなのだ。

 きほちゃんはどうあがいても、母性だとか包容力だとかを出せない人だった。他の技術はとても高い人だったのに。
 反対に彩音ちゃんは、母性と包容力がある。他の技術力が高いとは、とても言えない人なのに。

 トップ娘役候補として歩いてきたきほちゃんは去り、彩音ちゃんはトップ娘役としてこれからもここで戦わなければならない。
 母性と包容力という大きな武器を持ち、彩音ちゃんはこれからどう成長していくのか。
 黒蜥蜴という難役をどう演じるのか。
 たのしみだ。

 寿美礼ちゃんの明智小五郎役は、純粋にわくわくする。
 だってさー、なんかすごーくイヤらしくイヤなヤツになりそうで。インテリゆえの嫌味さというか。「春野寿美礼」のあの爬虫類っぽいナルシーさを、わかりやすく発散できるなとか。
 もってまわった台詞回しとか、クドすぎる歌い方とか、寿美礼様ならではの明智が見たいわー。天知茂を超えるのだ!(笑)

 また、演出家がキムシンだということも、たのしみのひとつ。
 さあて、次はなにをやらかしてくれるんだろう(笑)。

 
 ビジュアル面でも役割でも、いちばん不安なのは少年探偵団浮浪児とやらなんだけど……わたし、大人が演じる無理矢理な幼児が超苦手だからなー。ヤな感じでなければいいなー。

 でもって、書生ってどんな服装かなー。
 やっぱ着物に袴? わくわく。
 クラシカルなスーツ? わくわく。
 それともいっそ学ラン?! わくわくわくっ。
 まっつなら、どれもOKだ! 儚げだといいなあ。うっとり。
 ただし、ザンギリ頭は勘弁。


 底力を見せるのは、アクシデントのときだろうさ。
 そしてソレは、どさくさまぎれの力ではなく、蓄積した技術や経験が能力として発揮されるということ。

 演出変更された『ヘイズ・コード』を観て思った。

 トウコちゃんが声帯を傷め、歌えなくなっている。話す声自体がどえらいことになっている。
 そのために演出が変更になっている。ソロはすべてカット、なくせない歌は、録音された曲や別の人が歌う声にあわせて、口パクしている。

 そう聞いて、純粋に訝しんだ。
 トウコちゃんが心配、ショック、とかそーゆーことは置いておいて、ただ初日を観た者として、一観客として、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、首をかしげたんだ。

 そして実際に観に行って。

 トウコちゃんの「声」におどろき、口パクにおどろき、演出変更におどろき、なによりも、舞台がちゃんと成り立っていることに、おどろいた。

 思うように抑揚のつけられない、ざらざらしたレイモンド@トウコの声は、たしかにもどかしかった。ここはこうしたいわけじゃないだろう。初日はもっと抑揚があった、感情が込められていた……なのに「声を出す」ことが精一杯の一本調子のかすれた喋り。
 でも、それだけだ。
 初見ならソレも気づかないかもしれない。そーゆー抑揚のない話し方をするクールなキャラクタ、で通るんじゃないか。
 口パクはさすがに変だし、とくにリビィ@あすかとのデュエットで、別人の声に口パクしているのは違和感があったことはたしかだけれど、それでいてなお、物語として舞台として、致命的な問題にはならず、ちゃーんと進んでいくのがすごい。

 わかっていた。
 トウコは、歌だけの人じゃない。
 役者としての力を、きちんと持つ人だ。たとえ歌部分全部カットでストレートプレイになっていたとしても、観客をたのしませるだけの演技をしてくれる人だと安心していた。
 演技だけでなく、場を支配する力を持つ人だ。その他大勢の脇役ではなく、「真ん中」に立つべき能力を持つ人。
 空気を動かし、どこが真ん中であるかを知らしめる人。たまたま持って生まれただけの「神様のお手柄」でしかない、与えられただけのものではなく、後天的に自分の力で得た、実力で輝く人。

 その力を、信じていた。
 だから、わかっていた。
 この窮地を、トウコが乗り越えることを。

 絶対的信頼のもと、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、思っていた。
 さあて、どんなことになっているの? どんな変更なの? ありえるの、そんなこと?
 トウコと星組を信頼してなきゃ、思わないさ。

 そのうえで。

 想像を超えたトウコの声のひどさと、それでもちゃーんと『ヘイズ・コード』という作品を完結させてしまうトウコと星組の底力に、想像をまるっと超えられてしまった。

 すげえ。
 こいつら、すげえや。

 演出変更になったあとからこの公演を観た人が、口をそろえて言う。
「口パク以外は、どこが変更になっているのかわからなかった」
 歌が少ないなとは思う、コーラスになっているところがひょっとしたらトウコのソロだったのかなと予想する……ぐらいで、「トウコの声が出ない」という先入観がなければ思わなかっただろう程度のきしみ。

 突然の演出変更について行き作品を作り上げた出演者もすごいし、違和感ない変更を施した演出家もすごい。
 演出家が大野先生でよかった〜〜!! 実力のある、若く順応力のある人でよかった。

 わたしはとにかく記憶力がろくにないので、細かい変更点なぞ、気づきもしませんさ。
 口パクだとか、存在自体なかったことになっているソロに少々気づくだけで。
 ここまで違和感なく作り上げてくれた『ヘイズ・コード』に惜しみない拍手を。

 
 とゆーのはさらにさらに、置いておいて。
 やっぱり完璧版を観たかった。
 歌いまくりのトウコの美声に酔いしれたかった。
 観客とはわがままで貪欲なものなのさ。

 一朝一夕に治るものではないと思いつつ、また、絶対に無理して欲しくない、これからの舞台人生活に響くようなことにならないよう完治させて欲しいと思いつつ。

 ドラマシティ千秋楽までに、治ってくれないかなぁ……と、はかない期待を抱いていた。
 や、無理だろうと思ってたし、無理して欲しくないと思っていたんだけど!!

 つーことで、ドラマシティ千秋楽の話。

 長くなったんで、ふたつに分けるね。

翌日欄へ続く。


 まず、「千秋楽」とアドリブについて私見を書く。

 大野拓史作品『フェット・アンペリアル』千秋楽がものすげえことになっていた。
 5分に1回アドリブ? 爆笑コント、本編との間違い探しになっていて本末転倒、元の話がわからなくなった。作品への緊張感がしょっちゅうぶった切られた。
 千秋楽のお遊びは、複数回生で観る場合にはたのしいし、実際観ていたときは大笑いしてウケまくっていたのだけれど、あとになって複雑な気持ちになった。
 だって『フェット・アンペリアル』はDVD発売がない。千秋楽1回きりの映像が、スカステで放送されるのみ。
 本来の『フェット・アンペリアル』はデータ化されず、「リピート観劇したファンのための番外編」である千秋楽のみが残った。

 じゃあ、本来の『フェット・アンペリアル』は? もう二度と正しい姿では見られないの? せっかくスカステ放送があったのに?

 好きだったんだよ、『フェット…』。「作品」を愛し「保存版」として大切にしたい場合には「番外編」になってしまった楽映像1本きり、つーのはつらい……。
 販売DVDがある場合は、「作品」をストイックに残した中日録画のソフトがあるわけだから、べつに楽でどれだけめちゃくちゃにしてくれても、2種類の映像が残るのでぜんぜんいいんだが。
 残す映像が1回きりのときは、楽だからといって遊びすぎずに「作品」を追求して欲しいな。

 と、前振りをしているのは、もちろん『ヘイズ・コード』のためだ。

 販売DVDはドラマシティ録画なんですか? ふつーにカメラが入っていたと聞いてますが。
 だとしたら、演出変更版が発売されるわけで、トウコの声も演出も完璧なバージョンはスカステ放送の青年館楽のみになる。……そのたった1本が、一発ギャグ命、本編がわからなくなるほどのリピータ向けお遊び尽くしになっていたら、つらいわ。
 きちんと「作品」を残して欲しい……や、もちろん適度なお遊びなら、せっかくの千秋楽だから入れてくれていいんだけど。『フェット…』の二の舞だけは勘弁してね、大野先生。

 や、販売DVDが青年館で撮り直した、トウコの声と演出が元に戻っているものなら、青年館楽にどれだけめちゃくちゃやってくれてもいいのよ。2本映像が残るなら、片方はなにをしたってかまわない。
 1本きりのときだけは、「作品」を守って欲しい……「作品」がよいときは。(『天使の季節』のよーなどーでもいい駄作なら、撮影が1回きりでもなにやってもいい。いやむしろがんばれ出演者、元の作品なんかわからなくなるまで壊してしまえ。その方がマシなものが映像に残る!)

 『ヘイズ・コード』は、素敵な作品だから。
 残して欲しい。映像に。
 映像は映像でしかなく、ライヴ命ライヴ中心であることが正しいとわかっているけれど。それでも、貪欲に思うよ。

 ……てのが、まことにわがままな、「千秋楽」とアドリブについての私見です。
 繰り返すけれど、適度なお遊びなら歓迎なのよ。元の作品がわからなくなるようなお遊び合戦は勘弁、と言っているだけで。

 舞台は舞台がいちばん大切で、映像を気にして舞台の変化を縛るなんて馬鹿げていると思うけどね。

 
 つーことで、『ヘイズ・コード』ドラマシティ千秋楽。

 同じ大野作品でしかも罪のないゴチャゴチャコメディである『ヘイズ・コード』楽は、どれほどえらいことになるかと、 期待半分 危惧していたんだが。
 やっぱ『フェット・アンペリアル』はやりすぎだったんだよな。『ヘイズ・コード』はそんなことにはならず、みんな節度を保って芝居してました。演出変更になったままで遊ぶのは不謹慎だとか思ったのかしら。青年館楽はぐたぐたになるのかな?

 カメラの入らないドラマシティ千秋楽は、ナニをやってくれてもよかったんだけどなぁ(笑)。

 トウコちゃんの声は、かなりよくなってました。
 中日頃に観たときとは、音も抑揚もちがっている。中日のレイモンドはほんとにクールだった……(笑)。
 
 大きなアドリブはレイモンド@トウコが、ミルドレット@コトコトを追い払うために犬がいるふりをするところ。
 いつもは布だけで犬を表現していたけれど、今回は犬のパペット付き。布を取るとレイモンドの手にまぬけな顔の犬パペット……すましたままのレイ様とのギャップが素晴らしい。

 それくらいで、あとは台詞がささやかに変わっていたくらい? わたしは記憶力ないんでもうおぼえてないけど。

 そうそう、ヘンリー@すずみんの日替わりの鼻歌、この日はアイーダの信念@『王家に捧ぐ歌』でした。しかも、長い。
 長々とちゃんと女の子の声で歌うアイーダちゃんに、拍手が起こる。
 そこに愛があるのがいいよね。なにも言わなくても、トウコの持ち歌をチョイスすることで、気持ちが伝わる。

 
 最後の挨拶で、トウコが必死に涙をこらえながら話している後ろで、みんな泣いてるし。しいちゃんとか、顔はにこやかに笑っているのに、涙がこぼれてるし。

 愛されてるね。
 信頼が感じられる、その熱量とブレのないベクトルが、濃密な舞台を作り上げた。

 そう、トウコはここで泣くべきじゃない。主役であり作品の看板を背負う身だから泣いちゃダメだ。きちんと挨拶をしなければならない。タカラヅカはあたたかいところで、「仕事」や「責任」を忘れ素の顔で泣き出す姿に拍手を送ったりするけれど。
 「プロ」であるトウコには、踏ん張って欲しい。馴れ合って欲しくない。
 決壊しそうな涙腺と戦いながら、それでも挨拶を終えたトウコに、力一杯拍手をした。
 まだ、終わってないからね。青年館があるから。まだ、完璧版じゃないから。
 泣くのは青年館楽まで取っておいて。

 なんだかわたし、トウコには他の誰にも求めないものを求めてしまうわ。
 そして、信じている。
 トウコなら、応えてくれると。

 これほど尊敬し、信頼している役者は他にない。
 あああ、トウコちゃん好きだー。

 『ヘイズ・コード』は、すばらしい作品だった。
 アクシデントも含め、感動させてくれる舞台だった。

 観られて、よかった……。

 青年館も行きたかったよ。


 2006年のタカラヅカ納めは、『ヘイズ・コード』でした。
 よい作品にすばらしい出演者。しあわせな観劇納め。

 そして観劇後はnanaタンとえんえんヅカ語り。
 えーと、7時間? ランチを食べに入った店を「おなかすいた」から出て、隣の店に入り直し、晩ごはんを食べたという……。
 nanaタンの解説のもと、『彩吹真央パーソナルブック』を閲覧し、つづけてnanaタン購入済みの若手本『NEW GENERATION』をふたりで読み切りました。……これだけじっくり読んだらもう、買う必要はないなってくらい。
 ヅカ納めに喋りに喋りきった7時間。さすがに満足だわ、と思って帰宅したら。
 デイジーちゃんからTEL、「寿美礼サマのVISAの新CM」の話題で盛り上がる。そのまま長電話ええっと2時間以上?

 さすがに、喉切れるかと思った……(笑)。

 タカラヅカの今年すべての公演が終了したってことで、どりーずの面々が決算報告をしている。で、わたしもやってみよーかと思ったが、相変わらずきちんと観劇記録をつけていないし半券も完璧には保存していないので、はっきりしたことはわからない。
 仲間たちは組や演目別に「何回観た」って一覧表を書いているっつーのに……わたしにはできそーにない。大体面倒くさいし(ヲイ)。

 手元にある半券をざーっと数えてみたところ、130枚ほどだった。

 えーと。
 2006年当初の目標は、観劇回数をフタ桁に抑えるだったよーな?
 半年経ったあたりで、目標を下方修正、2005年の観劇回数(120回)を超えないにしたよーな?

 増えてますがな。がっくり。

 なんでこんなことになってしまったんだろう……。退団ラッシュが悪いんだ……そうさ、悪いのはわたしぢゃない……。

 来年こそは、観劇回数を抑えよう。

 2007年の目標、観劇回数100回以内。

 ええっと、1年で100回というと、ひと月に8回くらいにすればいいんじゃん?
 ひと月に8回? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことができなかったんだろう。

 ひと月30日あるうち、観劇する日を8日間だけにすればいいんじゃない。
 30のうちの8よ? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことが以下略。

 1年は52週だから大体1週間に2回の観劇にすればいいんじゃない。
 7のうちの2よ? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことが以下略。

 …………できるよな? できるよな、これくらいのこと?!

 なんか改めて数字にすると、130回超えってことは「週に2回以上観てたんだ」とか、「ひと月に10回以上観てたんだ」とか、「30日のうち10日は観てるんだ」とか、「1年の3分の1は観劇してるんだ」とか、ショックな現実が襲ってくる。
 や、なにも1日1公演ってわけじゃなく、複数公演観ていたりするので、日にち計算はおかしいんだけど……。

 いくらなんでも観すぎだろ。落ち着け自分。金の有り余った有閑マダムだっつーならともかく、びんぼー人のくせにこんな生活はまちがっている。

 来年こそは反省し、ひと月8回を死守するのだ。


 今さらだが、『愛するには短すぎる』の話。

 や、ずっと書くつもりだったのよ。てゆーかテキストはすでにあったのよ。書くことがありすぎて、UPできなかっただけで。
 

 わたしたちどりーず内で意見がまっぷたつに分かれたことがある。
 それが、フレッド@ワタルとバーバラ@となみは、ヤッているかいないか。

 ……すみませんねえ、そんな話で。
 でもわたしたちは、某SNSでそんなことを大真面目に議論しておりました(笑)。
 
 ヤッていない派は、もちろんkineさん、それからnanaタンとジュンタン。
 ヤッている派は、チェリさん、サトリちゃん、ドリーさん。

 わたしはもちろん、ヤッている派でした(笑)。

 それぞれとてもアツく持論を語り、それぞれ説得力があるので、ログをまるっと披露したいくらいなんだが(笑)、それは自重するとして自分の意見だけ書きますと。

 わたしがバーバラなら、「追いかけっこ」で一晩過ごすのは絶対に嫌だから、です。

 他人事として、物語を眺めていたんじゃないのよ。
 バーバラになって、フレッドに恋をしていたのよ。だから当然、立ち位置がバーバラになる。「わたしがバーバラなら」と考える。
 美しくも自立した大人の女性バーバラになり、幼なじみの初恋の人フレッドと再会し、恋をする。場所は豪華客船。フレッドは背が高くてハンサムでとびきりやさしい大富豪。……なんてすばらしいシチュエーション、ヲトメの永遠の夢。
 感情移入してヒロインになれる、極上の時間。
 ぶっ壊れ、不快過ぎて酔えない作品がめちゃくちゃ多いなか、奇跡のような美しい物語。

 わたしはごくあたりまえに、わたし視点で考えた。
 ヒロインはわたしだから。
 わたしがいちばんときめく物語として。

 つーことで、はい、フレッドとバーバラはヤッている派です。
 プラトニックにこそときめく場合もあるが、この物語ではチガウ。フレッドの胸で、せつない涙を流したいですよ、あたしゃ。

 ただ、「ヤッた」のはいつか、というと、最後の夜よりは3日目の夜、が濃厚かな。
 どりーずのみんなとは最初、「最後の夜(追いかけっこして「めくるめく♪」と歌っていたとこ)にヤッたかどうか」を議論していたのだけど、仲間うちでいちばんあとに観劇したドリーさんが唱えた「3日目の夜」説を支持したいわ、わたし。

1日目 避難訓練、ウェルカムパーティ
2日目 盗難発覚、昼食会、金銭トラブル解決、仮装パーティ
3日目 自殺騒ぎ、宝石投げ目撃、鑑定
4日目 ゾウさん体操、盗難事件解決、追い掛けっこ
5日目 下船

 と、ドリーさんがまとめてくれた時間経過と出来事一覧表(無断借用)を眺めつつ、説明。

 3日目の夜、というと、フレッドとバーバラが「言葉なんかいらない」状態で見つめ合っていた、あのあと、ということですな。
 同じ部屋で船長やらブランドンやらが宝石鑑定をしているっつーのに、そんなことにおかまいなく「ふたりの世界」を作り上げていた、あの日ですよ。
 ブランドン@まやさんの名台詞、「奇怪な、どうしてあそこだけ明るいのか」のあと。

 邪魔をしそうなブランドンを、アンソニー@トウコが「新しい任務」を与えることで遠ざけているしね。
 アンソニーはアレ、わかってやってるよな。

 言葉も不要で見つめ合い、互いの肌に触れているふたり。
 アンソニーの機転でふたりっきりになったあと、そのままなだれ込んでると思う。

 だからこそ翌日のゾウさん体操→盗難事件解決もフレッドとバーバラは一緒にいるのが自然だし、その後ふたりっきりになって「なにか言って」と意味深な大人の会話をはじめる、と。

 正塚作品は、ありがたいことに主役がきちんと恋愛している場合、「どこでヤッ……いい加減表現を変えよう、どこで結ばれたか」がはっきりとわかる。
 『La Esperanza』新公だと動物園で主役ふたりが「ひとりじゃダメだ」と話し合い、抱き合うようにして去っていくあと。(新公限定。本公演は主役たちが恋愛してなかったので除外)
 『Crossroad』も、別れを決意したふたりが抱き合うようにして去っていくあと。(あ、『La Esperanza』とまったく同じ演出だ)

 ただ思いを通じ合わせたとかいうだけでなく、そのあとからふたりの雰囲気が変わるんだよね。肌の温度が変わるというか。
 ことさらべたべたさせたり、いやらしいことをさせるわけじゃないのに、「あ、このふたり、昨日とはチガウ」と思わせる。
 『Crossroad』は少女の片想いで、男の方は自分の気持ちを理解するに至っていないままの「一夜」だからさらに切なかった……。『Crossroad』も『La Esperanza』新公も、ヒロインはどっちもあすかだ……あすかちゃんはほんと、正塚お気に入りのヒロイン女優だよなぁ、と横道。

 『愛するには短すぎる』もまた、同じように「翌日」のふたりの触感でわかる。
 ああそうか昨夜、ふたりはたしかめあったのだと。

 それでいてなお、歌ってだの手を見せてだの追いかけっこだのをやっているのよ。
 ヤるヤラないは、ゴールではなく通過点でしかない。「おぼえておきたいから」と手を取るのと同じ意味でしかない。
 愛し合うふたりにとって、いちいち大袈裟に描く必要もないあたりまえの時間だから、んなシーンはさくっととばしてある。
 なにひとつ行為に言及されていないにもかかわらず、それを感じることのできる脚本と演技の「艶」にどきどきする。

 バーバラになって、フレッドに恋をする。
 リアルに、ほんとうに、彼女と自分を重ね合わせて。

 せつなさに、涙を流す。

 
 ……てな感じだったんですが、どうですかね?

 チェリさんは「ケロファンはヤッている派」だというデータを提示している。ケロちゃんを好きなるタイプの女は、こーゆーシチュエーションで「プラトニックはありえない」と感じるらしい。ケロファン仲間にひとりひとりリサーチしていたぞ(笑)。
 越リュウファンにも是非リサーチしたいわ。越リュウを好きになるタイプなら以下略。

 「プラトニック派」のジュンタンは当時、kineさんに会ったときにこの話題を切り出そうとして、「フレッドとアンソニーはやったのか?なんだけどさ」と真顔で言い、kineさんにあっさり「アンソニーじゃないから」と返されたという逸話を持つ。
 ははは、フレッドとアンソニーなら、なにもモレタニア号でヤラなくても、ロンドンででもどこでもデキたしなっ(笑)。

 どりーずの論争に巻き込まれたハイディさんは、後日こう語った。
「サトリさんとはわたし、あの日が初対面だったんです……はじめまして、とお互い挨拶して、その次の台詞が、『で、フレッドとバーバラはヤッてると思います?』だったんで、おどろきました」
 災難だなハイディさん……(笑)。初対面、しかも挨拶の次の台詞からエロトークさせられるとは……。

 主役ふたりの恋愛関係において、これだけアツく語り合える物語って、素敵だ。
 ほんとうに、大好きだよ、『愛するには短すぎる』。

 極上の恋物語。


 今年の感想、今年のウチに……とはいかないようだ。

 今のところ、まだ書いていないものは、と。

・『湖月わたるラストディ』
・『MIND TRAVELLER』楽
・まっつまっつまっつ
・『維新回天・竜馬伝!』新公

 えーと。他になんかあったっけ?

 テキストだけは未整理のまま、いろいろPCやミニパソの中に眠っている。
 コム姫と『タランテラ!』についてなんか、どれほど書いたか。今となってはここにUPすることはない(つか、できない)ものばかりだが。
 コム姫退団と『タランテラ!』楽に向けてかなり平静を欠いており、熱にうなされたよーな文章を書き殴っていた……。
 その結果、ここを更新する気力がなくなったんだよなー。
 や、いちおー、「人様に見せられる」ところまで推敲した文章でないと、UPできないもんよ……。今でも毎日ずーっと、頭の中を『タランテラ!』の曲が回っている。

 同じ意味で、『湖月わたるラストディ』に関してももういいか、という気がしている。
 ワタルくん退団において、いろいろいろいろ書き殴りはしたんだが、とにかくヘコんでいるときの文章なので、支離滅裂かつ暗い。今さらあんなテキストを発掘して改稿する意味もないだろう。

 罪のない『MIND TRAVELLER』や需要のないまっつ話をしている方がいい。

 今、この欄を書いているのは2007年になってからだけど、部分的なテキストはリアルタイムに書いてあり、それをUPするにあたって加筆訂正しているわけなので、ちゃんと年内に書いてはあるんですよ。

 去年の大晦日は、nanaタンとふたりで宝塚ホテルで開催された『「ベルサイユのばら」2006カウントダウンスペシャル』に行ってたんだよなぁ。
 ゆーひくんと水くんとまーちゃん、そーいや壮くんもいたっけ。大好きな彼らと一緒に新年を迎えたんだった。
 2006年が、こんな怒濤の年になるとは思わずに。

 2007年が、豊かな年になりますように。
 祈るばかりだ。


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