コレクション・アイテム。
 「ステージスタジオ」のツーショットまっつは、あの小首傾げ張良さんですよおお。(あの、の説明→http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1853.html

 プログラム写真と販売スチールがチガウことに気づいたとき、ステージスタジオの写真のチェックもしました。
 プログラムとスチール、どっちなんだろ、と。

 ええ、思った通り、販売スチールが使われていました、ステージスタジオの「タカラヅカファンタジー」と名付けられた、あの恥ずかしい合成写真。
 スターの顔と自分の顔写真をひとつのフレームに並べて合成して「憧れのスターとツーショット☆」という、「コレ、需要あるの??」と多くの人が疑問に思うだろう、びみょーかつイタいサービス。

 販売されているスターの写真と自分を合成するくらいなら、自分でもできます。昭和時代ならいざ知らず、PCと画像加工ソフトがどの家庭にもある現代、わざわざお金を出してやる必要はない。
 どんな写りかもわからない、その場で撮られた写真より、厳選した自分的最高の写りの1枚を使って、もっと「ツーショットらしく」合成する方がいいに決まってる。

 レプリカの舞台衣装を着て撮影する、ステージスタジオの本来のサービスは、わかるんだ。写真に残す、のは目的ではなく、あの衣装を着るのが第一の動機だから、あのショップが存在するのはイイ。あの衣装はあそこでしか着られないんだもの。
 しかし、アリモノのスター写真と自分の顔写真を合成するサービス、アレはマジでわかんない。そんなことしたってスターとツーショしたことにはならないから虚しい行為だし、虚しくてもそんな写真が欲しいというなら、自宅でいくらでも作れるし。
 いらんサービスだよなあ。

 と、思いはする。

 でも、アレはアレでなかなか、味があるモノが手元に残るんだ。

 
 衣装を着て撮影、という、ステージスタジオ本来のサービスも何回か利用したことがある。
 で、実際にやってみてわかったんだが、アレは衣装を着て鏡の前に立つのが最高に楽しいんであって、写真自体はどーでもいー。
 ものすげー美人さんならチガウだろうけど、わたしは顔が不自由なおばさんなので、あとから写真を見ても楽しくないんだ。
 もっと若い、ぴっちぴちのお嬢さんだった時代に撮影したし、衣装を着て鏡の前に立ったときは「あたしってけっこうイケてる?」と思ったりもしたけれど、カメラは正直だ、現実を容赦なく写し出す。
 鏡で見たときはそれなりだと思ったのに、写真にはただのブスが写っている……。

 だから撮った写真は黒歴史、厳重なる警備のもと半永久的に封印。
 いつか白髪のおばーさんになり、どんなに不細工でも「若い」ってだけでまぶしく思えるよーになるまで、存在を完全抹殺。

 つまり、ドレスを着た、軍服を着た、という思い出だけを胸に、写真は「なかったこと」になっているの。
 手元にはナニも残らないの。

 
 それが、「スターとツーショ写真」は。
 B5版やA4版のでかいプリント写真はまったく意味ナイ(家で作れる・自分の顔アップなんざ見たくない)と思っているが、唯一、ストラップ作成だけは、アリだ。

 2.5cm×3cmの大きさに、スターの写真と自分の写真が入り、スターの写真の方が大きいので、自分の顔は5mmほど。ブスでも平気、よくわかんないから(笑)。

 そしてスターの写真は、その公演の販売スチール。公演のイメージの扮装をしているので、毎回違う。
 で、公演ロゴが入る。

 これはなかなかどーして、いい記念品だ。
 本公演のみ発売だから、公演ごとに適度に間が開いており、自分の服装も髪型もチガウし。
 『EXCITER!!』では半袖カットソーでショートカットのわたしが、『虞美人』ではセーターでセミロングになってますよ。タートルネックはいかんな、顔が埋まって見える……とか、改めてお勉強(笑)。
 いやあ、わたしの顔がわたしだとわかる程度のぎりぎりの大きさと写りであることが、ありがたくてなりません。シワもシミもなく、つやつやお肌に見えますわ~。

 んで今回は、張良さんの美写真だし!
 まっつきれー。しみじみ。

 まっつが写った表ももちろん良い記念だけど、こうやって複数になると、裏面の公演ロゴが改めてうれしいかな。
 思い出、として。記念、として。

 このまま毎公演、残していけるといいな。
 毎回、撮り続けるのに。

 いやその。
 いつも気分は崖っぷち。
 前回購入時にも書いたが、「ステージスタジオ」の「スターとのツーショ写真」は、その組、その公演で数名しかメンバーに挙がらない。
 トップコンビと2、3番手までがガチ、あとは流動。
 前回は載っていたのに、今回ははずされた、なんてことがとてもふつーにある。

 前回『EXCITER!!』で、まっつは初メンバー入り。
 まっつはいつも微妙な扱い、微妙な位置にいる人で、いつ今の扱いから押し出されるかもしれない人。

 今回は無事入った(ムラ初日にわざわざ確認した)けれど、次回があるかどうかは、わからない。まぁくんが入って、まっつが落ちてるかもしんないんだしなー。ははは。(自虐)

 もし、次回もメンバーに入るとして。

 …………写真は、またしても、『EXCITER!!』?

 他の人たちはいいのよ、まとぶん、えりたん、みわっちは、前回も『EXCITER!!』ではなく『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』の写真だったから。ふつーはみんな、芝居の写真なの。まっつは芝居の扮装写真を作ってもらってないから、仕方なく間に合わせでショーの写真だっただけで。
 次回もまとぶさんたちはふつーに、『麗しのサブリナ』の扮装写真でしょう。
 でもまっつはきっと、芝居の写真はナイ。撮ってもらえない。販売してもらえない。だから必然的に、ショーの写真となる。
 そしてショーは『EXCITER!!』……。

 あわわ、あわわ。
 まっつ、次はツーショメンバーにいないかも?!
 だってまっつひとり、同じ写真になっちゃうよー!

 「スターとツーショ写真」がスタートしてからこっち、大劇場で同じ組で同じ作品の再演はなかった。トップさんたちが毎回芝居に合わせて写真が刷新されるのは当然としても、4番手さん以下の芝居写真のない人たちだって、ショー扮装でのスチールは撮り下ろしてもらっていた。
 だからツーショで使う写真も毎回違っていた。

 しかし、まっつは……まっつだけは……。
 公演スチールの撮り下ろしはするんだろうけど、衣装は同じだろうし。テイストも同じ髪型とかお化粧にするだろうし。ぱっと見には、「前回と同じ」……。

 変わりばえのしないまっつをはずして、別の人がメンバー入りするかもなー。まっつの以外の人ならみんな、「公演スチールが前回と同じ」でも、ツーショメンバー入りは「はじめて」ってことで、「同じ」にはならないもん。
 うわー。

 
 これからも、ツーショストラップがコレクションできますように! なむなむ。
 『虞美人』東宝、みんな熱演で隅々までみっちり濃い、たのしい。
 でもってやっぱ花娘のかわいさはハンパないっすね! どこ見てもかわいいわ、きれいだわ……。

 そんななか、だいもんが何故、第2ヒロイン役だったのかはわからないまま(笑)。
 だいもんの桃娘がめっちゃかわいかったこととは別に、ね。

 あの誰より大きな桃娘が、誰かのそばに寄るとき必ず、徐々に小さくなっていくことに、おばちゃんは感動していました。
 離れているときは「桃娘>衛布」なのに、衛布@みつるが悪役らしくがばっと迫ってくると、桃ちゃんはなんとなーく彼より小さくなってるんですねー。
 でもって、あんだけ華奢と言えない体格の娘が大暴れしているのに、衛布はびくともせず腕を押さえていたりして、「衛布って超力持ち!」と表現しているんですね。や、ふつーなら吹っ飛ばされるっしょ、あんだけ暴れられたら。

 韓信様@みわっちにしても、桃娘ったら一歩近づくごとになんとなく小さくなり、でも最後膝立ちになると安心するのか、それほど小さくない?……と、なかなかステキな混乱っぷり(笑)。

 
 韓信様はますます突き抜けていい男。
 一見まともそうで、実はじわじわとマイペースなところが、「大物はチガウよな」って感じ。
 あの人、ナニ気に自分中心じゃないですか?
 どんな場でも、周囲に合わせることはしない。自分が思ったことを言うし、またそれを決して曲げない。
 おだやかな物腰と男前な容姿で誤魔化されてるけど、ありゃーいいタマっすよ。
 桃娘に告白する場面だって、告るタイミング間違えちゃったかな、驚かせてゴメンね、てだけで、自分が振られるとか、身を引くことになるとか、まったく考えてないし。

 そもそもまったくの無名無冠時代から、「太刀を下げ、自分はいつか偉くなると言いふらす」男だったわけよね、韓信様。
 「いつか大物になるぞ」と思うのは男子らしいけれど、それを「言いふらす」って……。
 大望を持つのはかっこいいけど、なにもしないうちからただ言いふらしているのは、かっこわるい……。

 でもそーゆーことを、格好悪いとも思わずに、あの顔でしれっと「私は将来えらくなりますよ、ははは」とか言ってたのね、韓信様。
 ……萌え。

 自分が正しいと思うことに対し、なんの疑問も持たないし、それを曲げる気も譲る気もないから、場の空気も相手の気持ちもキニシナイ!
 「義兄弟を裏切れというのか」と劉邦@壮くんがあんなに悲壮に苦悩しているのに、あの場にいる人たちの中で唯一韓信様だけは、気にしてねえ!(笑)
 張良@まっつはナニもかもわかった上で、それでも劉邦に決断を迫っているし、他の兵士たちは停戦から講和までの流れを全部見ているから事情をわかっていて、劉邦のヘタレ講和に不満を持っている。
 あとから現れて、劉邦の気持ちをまーったく顧みずに「今攻めずにどうする!」と進言する韓信様のマイペースぶりが素敵。

 好き勝手やっていてなお、決してイヤナヤツにならないのは、みわっちの力だよなあ。
 「大きさ」を感じさせるから、素直に納得しちゃうんだわ。

 よかったね、桃娘。絶対幸せになれるよ、この男となら。いろんな意味で大物だもん(笑)。

 
 桃娘と虞姫@彩音ちゃんの関係も好きだった。
 桃娘の正体を知った虞姫が「事情は問いません。楽しかった時間に、ありがとう」と言うのが、すごく好き。

 事情は問わない、って。
 自分を騙していた、裏切っていた、ことがわかったのに。敵国のスパイだとわかったのに。
 それを知って、次の瞬間、なにもかも飲み込んで。
 たとえ自分や自分の夫の命を狙っていたのだとしても、そのために近づいたのだとしても、共に過ごしていたときに桃娘がやさしい子だったことは変わらない。
 虞姫が言及するのは、それだけ。近づいた目的ではなく、実際にやさしくしてくれた、愛してくれた、その事実だけを言及して、礼を言う。

 愛だけに生きる、虞美人ならではだよなあ。
 どんな罪も悪意も、彼女を汚すことは出来ないんだ。

 ……桃娘が本当に男の子だったら、虞姫に恋していたんじゃないかと思う。
 すでに、そんな感覚は、うっすらとあったのかもしれない。桃娘が項羽@まとぶんへの復讐を思い切ることが出来たのは、虞美人ゆえだろうし。
 崇拝と、敬愛と。
 衛布に身を汚され続ける桃娘は、自分は愛される資格はないと思い込んでいたようだし、それゆえになお、ただひとりの人に愛し愛され生きる虞姫は、崇高に映ったろうなあ。すべての憧れが、彼女に集中しただろうなあ。

 ……んで。
 あのかっこいー、でもちょっとナチュラルにカンチガイ入った韓信様に、
「私は虞美人に嫉妬しています。あなたにそんなに想われるなんて」
 とか、大真面目に言ってほしいなあ。虞姫付きの童をやっていたころの他愛ない思い出を語る桃娘に、韓信様がちくちく。嫌味で言うわけじゃないの、いつだって本気なのよ、韓信様は。
 んで、これまた冗談通じない桃娘があわてて、「私がお慕いしているのは韓信様おひとりです」とか言い出して……あー、犬も食わないお似合い夫婦。
 バカップル属性が垣間見える、韓信様と桃娘が好き(笑)。

  
 ところで、東宝からは蘭はなちゃんが出演しているわけで。
 月組を観るときのたのしみのひとつだった美少女の花組デビュー……つっても、もう千秋楽なんだけど、わたしにとっての花っこ初お目見え、プロローグからオペラでがっつりマークしました。

 が、最初なんか、わかんなくて。
 れみちゃんの位置、だよね? なんか知らない顔がある、とは思ったけれど、それが誰かわかんなくてなあ。
 カツラと衣装がアレだったから、つーのもあるかもしれないが……なんかとても地味に見えた。

 本役の戚はもちろんかわいいんだけど……なんかすごく若くて、劉邦がロリコンに見えるし(笑)。
 最後の花道でおなかをなでているのがなんとも背徳感っちゅーか……劉邦、じょしちゅうがくせえを孕ませちゃイカンよ……。

 と、みょーなとまどいがありました。

 あの蘭はなちゃんを飲み込んじゃうくらい、ほんとに花娘たちの美貌と華はハンパないんだな、と改めて思い知りつつ、蘭はなちゃんのこれからにも期待しています。
 張良先生が、こわくなってる。

 1ヶ月ぶりに観劇した、『虞美人』東宝楽の日。
 熱演だとは聞いていたけれど、張良@まっつはムラよりさらに……おっさんぼくなった気がした。

 より胡散臭く、かつ軍師っぽくなったのかもしれない。
 それがおっさんぽさに……つーか、ムラではもっと、美形寄りの役作りだったと思うんですが? 女子が好きな「軍師」という萌えジョブに相応しい美しさがあったと思うんだが。

 まつださん、ノリノリっすね。楽しそうっすね。
 でもって、それゆえになんかおっさんっぽいって……(笑)。

 感情がわかりやすくなり、嫌ったらしさもUP。ナニあのもったいつけた喋り方!
 「心の傷も増える」とか范増先生@はっちさんとの別れのシーンでは、苦悩っぷりもUP。
 クールな張良せんせを見慣れていたので、その喜怒哀楽の派手さにびっくり。

 いやまあその、所詮張良せんせなので、派手っつってもたかがしれてるんですが。
 張良先生比では、かなり激しくなっているんだと思いまっつ。いやー、こわいわー。胡散臭いわー。(誉めてます)
 

 まっつメイトからの報告で、張良先生がときに冷酷を通り越していたこともあったそうで。
 劉邦@壮くんが「義兄弟を裏切れというのか」とうだうだ悩む場面で、「お決めになるのは漢王ご自身です」と突き放し、劉邦の「行こう~~♪」を聞いたあとににやりと笑うことは、ときにあった、わけで。まあ張良せんせ冷酷! ですわな、ここまでなら。
 それだけではおさまらず。
 「男と男の誓いを破れというのか」とすがる劉邦に対して、わらう、というのは、冷酷を通り越してますがな!
 苦悩し惑乱する者を、自分をすがるように見る者を、笑うって、張良さんどんだけ……!
 ドSまっつにときめく習性があってこそ、まっつファン。そんな張良先生を目撃したまっつメイトも「こわい」と言い、同じ濃度で「すてき」とゆーてました。そーなのよ、こわければこわいほど素敵なのよ、張良せんせ!(笑)

 そんな行き過ぎた冷酷まっつを期待したんですが、楽日の張良せんせは熱演だったけれど、そっち方向ではなかったっす。どっちかっつーと、ハートフルだった(笑)。
 そしてこれはまっつの習性かもしれないけど、千秋楽はよりニュートラルになるっちゅーか、基本に立ち返るよね。最後だから暴走するのではなく、きっちり勤め上げるというか。
 楽も熱演だけど、その前の週くらいの方がさらにアツかったと聞き、さもありなん、と思いました。


 今回の役がたのしくて仕方がないのは、起承転結があり、人生があるから。
 脇役でそれだけの事象が描かれていることは、まずナイ。あっても相当稀。
 二度とこんなことはありえないかもしれない、くらい稀。

 未涼亜希、というひとりの役者が、ひとつの役を演じきる様を視ることが出来たから。

 その場面限りの芝居ではなく、2時間半つながった芝居をしている。その2時間半で、彼の立ち位置も心も変化している。
 それをじっくりともムラと東宝と2ヶ月掛けて、演じ抜いた。

 まるまる1本つながった芝居、役というものを、大劇場ではじめて見られたんだ。
 
 感じるのは、緻密な計算。
 本能とかノリとか、そのときの感情とかで演じ、表現してしまうのではなく、まっつは緻密に設計図を引いて演じているように見えた。
 や、どの役者も緻密に演技プランを作っているだろうし、またそのとぎどきの感情やノリを大切に演じていることはわかっているが、それを前提とした上でどっちかっつーと、計算派かなと。
 わたしはほんとのとこ、計算に囚われないオサ様みたいな人が好きなので、まっつの内側に向かったよーな芝居は好みど真ん中ではナイんだが。
 まっつを好きなので、彼の芝居も好きにならざるをえんとゆーか、「好みじゃないな、でも好き」というどーしよーもない事態に陥っている(笑)。

 丁寧に感情を重ね、それを表現する技術を重ね、自分が引いたラインを堅実に歩く。
 そのうえで、多少の振り幅はある。大きくはずれることはないが、ちょっと前後に揺らしてみたりして、ひとりだけで「今日はこうだったな」と思っていそうな感じ。
 正しくライン上を歩くために、いつも下を向いているところが、もどかしくもあり、愛しくもあるかなと。

 ゆるみなく真っ向勝負に「芝居」を作り上げてくる姿がいい。
 張良という大きな役ゆえに、なんかまるっとまっつ……役者・未涼亜希が見えた気がした。

 まあ、すべては勝手な思い込みと思い入れでしかなく、さらに、まっつがナニやったって好きでしかないわけなんだが。ファン心理ってすげえ(笑)。

 
 それにしても、鴻門の会は面白いなあ。

 張良先生ひとりでも、すげードラマっぷり。
 台詞はなくても彼の戦いがとんでもない濃さで表現されている。

 緊張してたりほっとしたり、威嚇したりまた緊張したり……台詞のやりとりはまさに丁々発止、言葉の剣と剣が金属音を鳴らしている。
 そんななかで、劉邦と目配せしているのが好きだな。ナニおまいら目だけで語り合ってるんだ(笑)。

 敵ばかりの宴にまぎれ込んで、味方はお互いふたりっきりなんだよねえ。
 つか、劉邦は「あとひとり、呼んでいい」ときに、迷わず張良を呼ぶんだねえ。親友で弟分のハンカイ@らいらいではなく。武勇に頼るなら、剣で命を守って欲しいなら、ハンカイの方が役に立つだろうに。
 それでも、劉邦が信じ、命を託したのは張良にだった。

 あの濃いぃドラマが詰まった場面を夢中で眺めることができて、よかった。
 映像には残らないからなあ。自分の海馬頼みですよ。

 
 しかしまつださん、痩せすぎじゃないっすか。
 頬の削げ方がハンパなくて、びびりました。

 そのよりシャープになった輪郭に、ムラよりさらにキツいラインの眉を描いて、張良さんのときはそれでもいいけど、フィナーレのチャイナスーツの男。

 こ、こわっ(笑)。

 古代中国化粧のまま、現代人やってて、しかも役が役だったりするもんだから、悪魔顔になってる。

 頬は削げてるわ、目は切れ長だわ、眉は悪人眉だわ、唇だけ不自然に紅いわで。

 爬虫類っぽいクチを開けて、ぱかーっと笑われると、こわくてしょーがない。
 やーもー、かっこいいわあ。(処置ナシ)

 その切れ長悪魔顔のまま、サヨナラショーでは『EXCITER!!』やってたりするしねー。
 いいなー、もー。

 張良先生万歳。
 えりたんとまっつに、同時に手をさしのべられたらアナタ、どちらの手を取ります?

 わたしのハートはひとつ。
 大切に大切に、両手で握りしめていた。

 そこに現れたふたりの男性。
 長身ですっきりさわやか、白い歯の光るハンサムさん。明るく人懐こい笑顔にきゅん。
 小柄だけれど知的で落ち着きのある端正な人。クールな面持ちに浮かべる笑顔にきゅん。

 あああ。
 なんでふたり同時?
 選べと? わたしに、選べというの?!

 無理。
 絶対無理、選べないわーー!!

 
 ……という夢のような状況に陥っていたのは、もちろんわたしではありません。

 『虞美人』東宝千秋楽、今公演を持って退団する、千桜ちゃん。
 彼女の花盾を、左右に並んだ男ふたり……壮くんとまっつが持ってあげていたんだ。

 退団者の持つ花盾って、相当重いんだね。女の子が両手で持つのが精一杯、みたいな。
 下級生娘役の花はまだそれほど大きくないけれど、トップスターが持つヤツなんか、いったいどんだけ重いんだろう。みんな笑顔で片手持ちして、手を振っているけれど。

 緞帳が下りるまでの間、お客様へ手を振りたい、でも花が重くて両手がふさがっている……状態の千桜ちゃんのために、男たちが「ボクが持ってあげるから、キミは手を振りなよ」と申し出たんですよ。
 ひとりでいいのに、ふたりが。

 いや、そもそもは舞台センターにいる我らがトップスターまとぶんさんが、お花があるがゆえに手を振ることの出来ない彩音ちゃんともえりちゃんのために、ふたりのお花を持ってあげたことにはじまる。
 まとぶんはオトコマエにも、ふたりの女の子の花を、両方ひとりで持ってあげたの。
 両手で持つのが精一杯、の重さのものだから、まとぶさんの中の人も本当に全部持ってあげれたわけじゃなく、彩音ちゃんたちが片手を放せるように、花を持つのを手伝ってあげた、支えてあげた、というのが正しい。
 だから女の子ふたりは、片手で自分の花を持ったまま、美しく手を振ることができた。

 
 それを見た……つーか、気づいたんだろう、壮くんとまっつ。
 自分の横にいる千桜ちゃんにも同じことをしてあげるべきだと……ふたりともが、思った。
 で、ふたりして手を差し出す、「持ってあげるよ」と。

 両側のふたりの男が名乗り出てしまったら、間にいる女の子としてはどうすればいい?
 えりたんとまっつに、同時に手を差し出されるのよ?! 女子としても選べないし、下級生としても選べないじゃない、そんなの(笑)。

 で、かぶっちゃったなら、壮くんとまっつが譲り合えばいいのに、ふたりは引かず、……結果、ふたりともが、千桜ちゃんのお花を持った。千桜ちゃんは、されるがまま。

 千桜ちゃんの花盾は、ハート型。
 組からのお花と同期からのお花、ふたつ合わせてハートになる作り。
 それを。

 壮くんとまっつが、両側からひとつずつ奪っていった!!
 ハートが真っ二つ!(笑)

 まとぶんは支えるだけで、お花は女の子たちがちゃんと自分で持っていて、片手だけ自由になるようにしてあげていたのに。
 壮くんとまっつはお花を女の子から取り上げてしまった(笑)。

 で、両手の空いた千桜ちゃんに、「ほら。手を振って」と笑顔。
 千桜ちゃんはあたふたと、両手を振る。

 「いいことしたわ」と、壮くんとまっつも笑顔。
 それぞれ、ハートの片割れを持って。

 
 ……なんつーか。

 すごく、愉快なモノを見ました(笑)。

 ハートを真っ二つにして、男ふたりが持っているのって……!!
 なんとも不思議な光景なんですがっ。

 千桜ちゃんだって、両手がまるっと空いちゃうのって、手持ち無沙汰というか、扱いに困ったんじゃないかとか、目の前でハートを分けられてしまうのは視覚的にどうなのかとか、ええっと。

 いやとにかく、いいものを見せてもらいました。
 つか、千桜ちゃんうらやましー。えりたんとまっつに同時に手をさしのべられるなんて、「選べないわ」って女子の憧れのシチュエーションに陥るなんて……。

 まとぶんにエスコートしてもらってる彩音ちゃんと萌子もだし、みんなみんな笑顔がきれいで泣き笑いで、ああもお、みんなしあわせになってくれええ。

 
 
 ……どっかに、えりたんとまっつのハート半分こ画像はないもんですかね。
 ふたりのハートをくっつける、萌え画像を作りたいぞ(笑)。
(スカステはちらりとしか映ってなかったなー。残念!)
 タカラヅカのお約束。
 主人公をかばって撃たれたヒロインが、主人公の腕の中で息絶える。はい、そこで主人公が絶叫「○○(名前)~~!!」。

 お約束だからいつもそうだし、もう数え切れないほど見てきたけれど、それにしても最近立て続けに同じシチュエーションばっか続いてる気がする。
 ヒロインでも他の誰かでも、死ねば必ず絶叫、「○○~~っ!!」……美しいなあ、伝統という名のワンパターン。

 それがあまりに当たり前で、それ以外のパターンでの「死」、「慟哭」を思い出せないくらい、染みついてしまっている。
 大切な人が目の前で死ぬ→節を取って叫ぶ。
 歌舞伎だから、それが受け継がれてきた「型」ってやつだから、とにかくやらなきゃなんない。ないと落ち着かない(笑)。

 だからこそ。
 『虞美人』の虞姫@彩音ちゃんの最期……項羽@まとぶんの腕の中で息絶えるところで、項羽が叫ばないのは違和感があった。
 つい先日観たバウホールでも、かなめくんが節を回して盛大に叫んでましたよね、ヒロインの名を。
 現実問題、大切な人が亡くなったその瞬間、名前を絶叫することはどれくらいあるのかなあ。哀しみの爆発方法は人それぞれだから、ほぼ100%名前絶叫のヅカはやはり「型」としての表現を使っているわけでしょう。
 「叫ぶ」というわかりやすい発散方法で、哀しみを表現するわけっす。

 それをあえてしない『虞美人』。
 声もなく慟哭する項羽に、劇場中が固唾をのむ。
 あの、集中した感覚。
 その場にいるすべての人々の意識が一点へ結びつく、息苦しささえある空気。

 いっそ、絶叫してくれればいいのに。
 そうすれば観ている者もスイッチ入って、だーっと泣き出せるのに。

 項羽が叫ばないことで、哀しみはしこりのように胸に残る。発散してすっきりカタルシス、にならず、重苦しいまま涙だけ流れる状態で、次景へ持ち越される。

 だからやっぱり、この『虞美人-新たなる伝説-』のクライマックスは、初演のクライマックスであった虞姫の自害を含む四面楚歌場面ではないんだな。
 今作のクライマックスは、そのあとの項羽自害場面。虞姫を失った項羽の姿。

 味方だった者はみな裏切るか殺されるかし、たったひとりになった項羽を数千人が探している。
 数千対、ひとり。
 この異様な光景で。

 その数千人の敵の前に、無防備に姿を現す項羽。

 彼が登場してきた瞬間、わたし、悲鳴あげたよ。
 悲鳴っつーか、ひっ、てな息がもれた。

 項羽がもう、この世の人ではなかった。

 呼ばれたからただ出てきた、ここがどこなのか、自分が何故ここにいるのかもわかっていない……すでに、コワレてしまった男が、そこにいた。

 どこをも見ていない……なにも映していない目。
 たましいを、うしなってしまったひと。

 ねえちょっと、この人今まで、つかここまで、どうやって戦っていたの? 虞姫が死んでから今まで、ここまで、戦っていたんだよね?
 もう自分がナニかもわかっていない、赤ん坊みたいなこの人を、戦わせてきたの?
 生物の本能で、襲われたら牙を剥く、爪を立てる、そんな脊髄反射だけでここまで来たの?
 臣下がいる限りは自害も出来ないと、記憶をなくし理性をなくし、ただ刻み込まれた本能部分の愛情のみで、ココまで来たの?

 項羽に近しい人ほど、最後まで彼を裏切らなかったんだろう。
 んな、20数名になるまで、沈むとわかりきった船に残っていた者たちは、項羽自身を好きだったんだろう。不器用で欠点のしこたまある人だったけれど、それでも見捨てられなかったんだろう。
 こんな姿になってなお、戦おうとする男を、見捨てられなかったんだろう。

 たったひとりの項羽に気圧されて、数千人の兵士たちがたたらを踏む。
 そんなやりとりも、項羽の耳には入っていない。なにも、見えていない。

 ようやく近づいた呂馬童@めぐむを見つけ、はじめて項羽の表情が動く。
 ゆっくりと、人間の表情が戻る。

「なつかしい」と。

 やさしい、幼い笑顔になる。

 呂馬童はそれ以上近づけない。そりゃそうだ、あんな顔を向けられて、どうして剣を振るえる。
 猛々しい覇王ではなく、いたいけな少年が、傷ついた瞳でなおやさしく微笑んでいるんだ。なつかしい、会えてうれしい、と。自分を殺しに来た男に。

 心の壊れてしまった項羽は、半分浮いているような透き通っているような姿で、それでも束の間正気に戻って遺言を伝える。
 虞の名を呼ぶときはもう、心のほとんどは飛び立っている。この世ではないところへ。

 彼が自害して果てるのを、待った。
 待ち望んだ。
 彼はもう、そこに行き着くしかない。あらかじめ決まった一歩を待つように、彼が踏み出すのを待った。

 彼が死ぬのを、待ち望んだ。
 そうでなければもう、彼は救われないから。
 それがわかるから。

 でも。
 死んで欲しいわけじゃない。わたしは誰にだって死んで欲しくないし、死んで美しいとかハッピーエンドとかより、生きて大変とかかっこわるいとかのほうが好きだ、そっちを支持する。

 死んじゃいやだ。

 誰か彼を、救って欲しい。

 ひとは、ひとに、あんな顔をさせちゃダメだ。
 お願い誰か、彼を救って。
 誰か。誰か。神様。

 どんな想いで、最後の臣下たちは、彼を見つめていたんだろう。
 壊れていく彼を、壊れたまま、それでも前進をやめない彼を。

 
 凄まじかったのは、前楽。
 楚軍の旗を手に登場したときからすでに、この世の人ではなかった。
 魂を失ってしまった人が、昔馴染みの顔を見つけて記憶を呼び戻し、遺言を伝えだした日にゃあ。
 あわれすぎてつらい。痛い。

 人間、あっこまで壊れるの? たかが女ひとり失ったくらいで?
 たかがでも女ひとりでもないことはわかっている。それが虞美人。それが項羽。

 楽の項羽は、この最後の場面ですでにイッちゃってた。恍惚の人というか、すでに夢の国に半分踏み入れているようだった。なんかうっすら笑ってるの、ずっと。

 より痛々しくて、破壊力が高かったのは前楽。
 あのからっぽの瞳を見たときに、悲鳴上げた。ここまで痛ましい人を、見ることになるなんて。

 前楽は虞姫の最期の慟哭もすごくて。声もないまま虞姫を抱きしめて……。

 指揮者もぴたりとまとぶんの次の演技を待って、音も進行もなにもかも止まっているのに……空気読まずに出てくるめおちゃんが、らしすぎてイイ。
 ここまでまとぶんが演技引っ張って、「終演時間、何分延びるんだろう」てな感じの芝居なのに、めおちゃんはなんの問題もなく、通常のタイミングで登場するんだな(笑)。待ってやれよ、項羽様まだ喋れる状態ぢゃねえよ(笑)。

 最後の臣下、で思い浮かべるのは季布@めおくんなんだけど、彼のいかなる場合もめおくんなところが、いっそ救いかもしれない。
 うん、救ってよ。お願い。

 
 死んでいく者の名を絶叫して発散するのではなく。死んでいく主人公の名をみんなで絶叫して盛り上げるのでなく。
 ストイックな自刃の輝きをカタルシスとする、その追いつめられたクライマックスを、素晴らしいと思う。
 『虞美人』を、美しい作品だと思う。

 東宝千秋楽。
 相変わらず夜行バスで駆けつけて、早朝から当日券並んで、入りからギャラリーして、昼公演と楽をWヘッダーして、出をギャラって、また夜行バスで帰る。
 いつものびんぼー旅行。近年体力ナイんで、いつまでできるかわからんが、もっとも効果的なヅカヲタ遠征。

 彩音姫の、退団公演。千秋楽。

 『虞美人』はアテ書き作品。ポスター掲載の主役3人のキャラクタまんまを活かして描かれた。

 ムラ初日から、彩音ちゃんの菩薩っぷりはすごかった。
 彼女の持つ神聖さを、すべてを包み込む光を、まんま発揮できる作りの役であり、作品だったから。

 彩音ちゃんはあまり芝居のうまい人ではなく……芝居は観る側の好みが大きいので、単にわたしの好みの話でしかないのだが……彼女はあまりに「できること」が少ない人だと思っていた。
 特に表情の少なさは致命的で、顔がアップになる映像でならいいのかもしれないが、大きな劇場だといつも同じ顔をしている人になりがちだった。
 だからこそ、つんと冷たい表情のままでいい黒トカゲやキハは際立って美しかったが。

 できることは少ない。表現できることは少ない。
 だけど、それを補う魅力がある。
 役によっては技術のなさが前面に出すぎてキツイ場合もあるが、得意分野を演じると他のすべてを不問にする魅力を放つ。
 技術さえあれば娘役トップスターになれるものじゃない、ってことだ。学校の成績表には記載されないような、目に見えない、数字に出来ない部分の、力。

 アテ書きのキムシンは、娘役トップスター・桜乃彩音に、彼女の魅力を、才能を全開させる役と作品を与えた。

 最初から最後まで、ただ項羽@まとぶんを愛する虞姫@彩音。
 最初から最後まで、「変わらない」ヒロイン。
 最初から、「完成された」ヒロイン。

 物語において、「変化」は必須とされる。状況が変化し、キャラクタが変化する。傷ついてへこたれて、でもまた立ち上がって。出会って恋をしてあきらめかけて、でもがんばって成就して。
 そうやって変化すること、成長することが必要とされる。

 だけど虞姫は変わらない。項羽との出会いもなければ、恋に落ちる過程もない。ただ項羽のかたわらで、ひたすら愛するだけ。微笑むだけ。
 虞姫登場場面で、彼女は自分に言い寄る男を顧みもせず、その男との間を疑った項羽に対し、命懸けで真心を示す。
 最初から、項羽のために、この愛のために死ぬと言い切っている。
 彼女は登場したその瞬間から、すでに完成形であり、これ以上成長のしようがない。

 虞美人は変わらない。
 彼女はまぎれもなく、この物語の核なんだ。
 描かれている世界がひとつであるように、核もひとつ。

 世界創世の女神のように、虞美人という核を真ん中に置き、そこからすべてが派生し、また回っていく。

 最後に「変わらない」「変わる必要のない役」を与えるキムシンGJ。
 彩音ちゃんの「変わらなさ」は、ひとつのファンタジーだ。

 彼女の光はムラ初日から変わらない。
 退団者は退団オーラを出して日々美しく輝いていくものだけど、彩音ちゃんはそれほど大きな変化はなかった、と、わたしは思った。
 舞台での泣きっぷりが上がり、いろんなところで涙を流している度合いが上がっていたけれど、ムラの初日から後半にかけてと、東宝楽日に観たものと、それほど違いがない。
 本人が泣いているから、すばらしい演技というわけじゃない。役者の涙に釣られて泣くことは多々あるけれど、彩音ちゃんムラのときから泣きっぱなしだし、泣いていても表情はあんまし変わらないし、そのへんはぶっちゃけどーでもよかったりする。注目するのはソコではなくて。
 彼女自身の気持ちの盛り上がりと関係しているのかどうかわからないが、彼女の出す「光」は、最初からすごかったんだってば。
 最初から最後まで、ムラ初日から東宝楽まで。変わらずに。

 彩音ちゃんが変わらずに発光し続けて。
 この『虞美人』という「世界」を揺るぎなく支えて。

 変わっていくのは、周囲の人間たち。

 世界樹の下で、生命の営みが繰り返されるが如く。

 変わらない虞姫の周りで、項羽が、呂@じゅりあが、直接虞姫とは関わらないけれど同じ舞台に立っている他の役者たちが、どんどん変わっていく。
 芝居が動き出している。

 なんつーんだ、人が生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、その子どもがまた生まれて愛して苦しんで笑って泣いて死んで、そーやっていくつもの命が循環している中心で、山河はなにひとつ変わらずそこにある、みたいな。

 虞姫は変わってないけど、対する項羽がえーらいこっちゃになってるから、観ているこっちは泣きツボ押されて大変ですよ! みたいな。
 キャストがみんな熱演で、それぞれ世界観掘り下げて来てるから、エネルギー充満してすごいですよ! みたいな。

 それらがどんだけ爆走していても、虞姫は最初から変わらない。
 決まった光で、世界を照らし、抱きしめている。

 その、安心感。

 女神が治める世界は、どれだけ揺れても壊れないんだ。彼女が揺るがないから。
 だから観客も安心して、項羽の慟哭に身を投げ出せるんだ。

 えーらいこっちゃ、になっている舞台で、彩音ちゃんの白い光が広がり、満ちる幸福に、酔った。
 安心して、心の手足を伸ばした。

 彼女は、宝塚歌劇団の、娘役トップスターだ。世界にひとつのタカラヅカにこそ相応しい、トップスターだ。そういう力を持ったひとだ。
 そう、思った。

 
 サヨナラショーのサリー@『ME AND MY GIRL』のかわいさ、デュエットダンスの端正さ。
 一転してしっかりとした、袴姿での挨拶。
 さらに一転してぐだぐだの、カーテンコールの挨拶(笑)。
 まとぶんと一緒になって泣いちゃって笑っちゃって大変な、ぽわんぽわんした姿。

 しあわせな記憶として、海馬に刻むよ。
 ありがとう。
 彩音ちゃんの光が、好きだった。癒された。
 卒業おめでとう。

 人混みの後ろから、袴姿で歩く彼女を見送りながら、拍手した。いろんな思い出を反芻しながら。
 『虞美人』でいちばん残念だったのは、キムシン節が薄いってことだな。

 盛り上がりに欠けるとか戦闘シーンどこ~~?とかはたしかに残念なんだが、いままでのキムシン作品なら多少の残念な部分は、他の派手な部分でぶっ飛ばしてくれた。
 よくわかんねーけどーすげー!! で、どっかんどっかん終わることが出来た。

 それがなあ、なんかふつーに地味になっちゃって。
 もっと説教カマシてトンデモ歌詞のオンパレードで、史実も原作も無関係に、好きに作り直してくれて良かったのに。
 史実だの有名エピソードを順番に並べるだけとか、原作をなぞるだけとかだったら、他の作家でもできんじゃん。キムシンにしかできないことを、どーんっとして欲しかった。

 とどのつまり、初演があったってことなんだなあ。

 同じように元の公演があったのに、自己流に作り替えて上演した『鳳凰伝』のように、タイトルまで変えてしまえたなら、よかったのに。

 今回はあくまでも『虞美人』という初演のタイトルを使わなければならなかった。

 初演のネームバリューを利用しつつ、初演のような経費は使えない劇団の、苦肉の策。
 あわよくば……という姑息な下心で、初演タイトルにこだわりすぎたんだろうなあ。

 初演のタイトルを使う以上、初演にある楔から自由にはなれず、不自由なまま少ない経費でコスプレ物を作ったら、なんともチープで地味なモノになってしまった、と。
 キムシンにイチから好きに作らせれば、もっとめちゃくちゃでも、とりあえず派手なモノになったのかもしれないのに。

 新人公演のように。

 
 今回の新公は、キムシン自身の演出だった。
 2幕構成の1本モノを、無理矢理1幕モノにまとめるときに、カーテン前で登場人物に漫才やコントをさせて、話をつないだ。
 これくらい、荒唐無稽なことをしちゃう演出家だ(笑)。

 でもほんとのとこ、キムシンが好きにしていい新公演出で、いちばんすごかったのは。

 初演を無視したことだ。

 タカラヅカ史上に残る名作とやらの、『虞美人』。60年も前に初演、以来「赤いけしの花」という主題歌は名曲として歌い継がれている。
 ……という触れ込みだ。そしてキムシンも、いろんなところで初演に敬意を示しているよーなことを言っている。
 今回の再演でも、わざわざこの「名曲」とやらを使っているのだ。

 が。
 新公では、「赤いけしの花」が使われなかった。

 まるっと無視。
 なかったこと。そんなの知らな~~い。

 そして、タイトルの『虞美人』も無視。
 虞姫の死んだ丘に咲く花の話、出てこないんデスヨ? 虞美人草の話ナシっすよ、完無視っすよ!

 「赤いけしの花」を歌いながらけしの花の乙女たちが歌い踊り、項羽と虞姫がラヴラヴするオープニングはさっくりカット。
 野心まんまんに剣を振るう項羽の場面からスタート。
 そして、男たちの野心と戦い中心に描き、虞姫の出番減らしても范増と張良の別れ場面はきちんと入れ(笑)、「赤いけしの花」は四面楚歌場面でちらりとハミングされるのみで終了、項羽の自害で物語自体も完。
 劉邦が「赤いけしの花」を歌うラストシーンも、その歌の中で項羽と虞姫がラヴラヴするエンディングもナシ。

 タカラヅカ史に残る「名曲」を、ばっさりカット、なかったこと。
 項羽の英雄譚であり、虞姫はその相手役止まり、タイトルロールにはなりえない。

 あんだけ初演を持ち上げておいて、コレですか(笑)。

 初演では虞姫が自害する四面楚歌場面で終わっているという。だがキムシンは自作であえてそのあと、項羽の最期まで描いた。
 オープニングの伏線ナシに四面楚歌やって、項羽自害でエンドになる新公では、四面楚歌の盛り上がりが薄い。クライマックスは楚漢の戦闘と講和、そして項羽自害だ。作品の力点が変わってしまっている。

 1世紀近く前に書かれたという原作を元に、キムシンが好きに描いていいとなったら、きっと今の『虞美人』とは別物になっていたんだろうなあ。

 本公演は彩音ちゃんの退団作であり、彼女の女神っぷりとトップ、2番手のアテ書きっぷりから、『虞美人』という作品としてなり得ているとは思うし、それでいいのだと思うが、それでも残念に感じていることもたしか。

 劇団が、初演の名声とやらにこだわらなければ……「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝で濡れ手に粟♪」なんて考えなければ……。
 高い版権を払って海外の有名ミュージカルを上演するのでもなく、他メディアへ広告を出すのでもない、「タカラヅカの中での名作」という、タカラヅカの中の人しかありがたがらない、経費のかからない宣伝でこの不況を打破できると、劇団の人たちはマジで考えていたみたいだし。

 歴史ヲタの弟が「あの**櫓が50年ぶりに公開されるんだぞ!」と大騒ぎしていても、門外漢のわたしはぽかーん、そんなにすごいもんなの? つか興味ないし、わざわざ観に行かないし、世の中の誰もそんなことで騒いでないよ、誰も知らないよ? ……みたいなもんで。

 そんな経費削減のために、キムシンの新作が彼の自由に出来なかったとしたら、もったいないことだ。
 新公で好き勝手していたように、作品自体、自由に料理してみてほしかったよ。

 
 劇団はあくまでも、「名作の再演、という、元手の掛からない宣伝」にこだわったらしく。

 初演まんまの再演ではないのに、「観劇者数100万人突破記念セレモニー」という、恥ずかしいことをやっていた。

 「こんなに名作なんですよーぅ!」「ほーら、大人気~~ぃ!」と、自分で作った賞に自分で入賞しました! と胸を張って宣伝している、悲しい人を見る気分になるので、やめてほしかったっす……。
 

 それでも。

 大好きですよ、『虞美人』。
 キムくん、雪組トップ決定おめでとーー!!
2010/05/28

雪組次期トップスターについて


この度、雪組次期トップスターに音月 桂(雪組)が決定致しましたので、お知らせ致します。

 ……て、発表文、短っ(笑)。

 待ち望んでいたよ。キムがトップになること。
 トップスターになるのが相応しい器を持った人だと、信じていたから。

 人事のめぐりあわせ云々とは別に、もっと若くしてトップになっていてもおかしくない人だと思っていた。水くんや、トウコやきりやんに対し、そう思っていたように。早くから「男役スター」としての型を作り上げている人だから、いつでもOK、みたいな。

 タカラヅカのトップスターに必要な、「駄作を力技で、客に見せてもいいレベルまで引き上げる」能力を持った人。

 
 誰もが、最初にハマった組は、特別なんだと思う。
 わたしにとっての雪組がそう。故郷みたいな位置付け。
 いろんなことがあって悲しい思い、寂しい思いもしたけれど、故郷は故郷だ。

 キムが雪組を継ぐ。
 当然のことだし、そうなると信じていたけれど、事実となって改めて、ほっとした。うれしい。

 ハマコ退団で「わたしの雪組が区切りを迎えた」と思ったけれど、なんかまた顔を上げて「そうだ、わたしにはまだキムがいる!」と希望の光を見た気分。
 ハマコ退団前後に『パッサージュ』を、そしてなにより『タランテラ!』を繰り返し見てはじめじめしていたんだが、トド-コム-水-キムって、わたしの中で一本のラインでつながってるんだよなあ。で、ブンちゃん、かっしー、ゆみこはその一本線上ではないけれど、同じ空間の大切な場所にいる人たち。(ちなみにハマコはブライトさん位置っていうか。いやその、ガンダム・シリーズでいうところの)

 ますます、雪組が愛しいわ。

 相手役がたのしみだし、作品もたのしみだ。
 ……いやその、不安もありますがね……キムの作品運の悪さと来たら、平成以降でダントツだと思うし……。

 
 んで、発表文の短さにツボって、「たしかきりやんも短かったよな」と確認。

 キムは、きりやんを超えた。

 発表文の短さ記録において(笑)。
 きりやさんは3行発表だったが、キムは2行発表だ。タイトルを数えなければ、1行だっ。

 この記録は誰にも破れないと思うの。
 これ以上短くはしようがないと思うから。本文1行よ? これ以下つったら、タイトルのみで本文ナシにするしかないもん(笑)。

 で、きりやん(2009/08/10)の発表文を確かめて、今さら気が付いた。

 「トップスター」なんだ。

 長年使われてきた悪しき呼称、「主演男役」じゃないんだ。
 劇団が正式に、呼称を元に戻したんだ。

 きりやんの前、ゆーひくんとすみ花ちゃん(2009/02/27)は「主演男役・娘役」なんだ。

 今ごろ気づくなんて、どんだけトロいんだ、わたし。
 きりやんが21世紀最初に「トップスター」に就任した人なんだね。でもってゆーひくんが劇団史最後の「主演男役」なんだ。
 や、みんなまごうことなき「トップスター」だし、劇団も近年は組トップをちゃんと「トップスター」表記にしていた(たとえば退団発表時にあさこちゃん2009/07/06は公式に「トップスター」表記だった)けれど、劇団の公式「就任」ニュース上だけで言うと。
 
 呼称の切り替えは、ゆーひくん発表以降、あさこちゃん発表までの間?
 劇団のやることはよくわからん。

 なんにせよ「トップスター」と言えるのはうれしい。

 
 まず今は、トップスター・水くんとみなこちゃんの退団公演を、しっかり見送りたいと思う。
 キムくんが、水しぇんのかっこよさをがつんがつんと受け継いでくれますように。
 よりよって、2回連続なんだなあ、と思った。
 『スカーレット・ピンパーネル』初日。

 初演星組もそうだった。そして、再演月組も。
 公演組も変わったし、公演順も変わった。

 なのに、またしても、花組のあとに『スカーレット・ピンパーネル』なんだ。

 ほんの数日前まで同じカンパニー、同じ値段で上演されていた作品と、レベルが違いすぎるだろう!!
 特に初演初日は強く思った。たかだか4日前に、同じ値段で上演されていたのがよりによって駄作安定『愛と死のアラビア』。あの紙芝居をさんざん見せられたあとで、天下のVISA様がスポンサーについた豪華絢爛冒険活劇を見せられた日にゃあ、絶望もしますわよ。

 そしてわたしは花組ファンで、駄作だということ紙芝居だということを悔しがりながらも、花組を眺めるためにその駄作をフタ桁通いしていたわけですよ。
 『スカピン』がどんだけすばらしい作品でも、その直後にフタ桁通うなんてことは一般人には不可能なわけですよ。お金ないって!

 納得できる作品に通いたい、お金を払いたい。
 しみじみとそう思った。

 そしてまた月日は流れ、『スカピン』は再演された。
 んで、またしても、花組公演のあと。

 再演月組初日、わたしは劇場で「4日前までやっていた作品と、違いすぎるな」とアタマを抱えていた。
 再演はVISA様不在のせいか、初演ほど豪華絢爛なカネのかけ方はしていないようだが、それでも基本ラインがチガウ。もともと名作なんだってば。

 毎回毎回、花組のあとにどーんと名作上演かぁ。ははは。

 だがしかし。

 初演の『愛と死のアラビア』比較だと話にもならなかったが。
 再演の『虞美人』比較だと。

 『虞美人』で、良かったな。と、思う。……こまったことに。

 もちろん名作なのは『スカーレット・ピンパーネル』だ。作品の持つ力が段違い。とりわけ音楽の力は大きい。演出力もチガウ。
 それはわかっている。
 作品の力の差は、ふたつの公演の客入りに大きく現れていたさ。

 でも純然たるファン目線で言うと、わたし個人は、『スカピン』より『虞美人』が好きなんだ。
 
 作者と感性が合うかどうか、てのは大きいんだと思う。
 今回演出的にいまいちで、描き切れていないところがいつも以上に多かったんだが、それでも「描きたい」と思っていること、その方向性が好みに合っているため、足りない部分は脳内補完できるのな。
 結果、キャラクタに感情移入して大泣きしたり、二次創作可なほど萌えまくったりする。
 
 バイオリズムに合わない演出で、盛り上がる!と思った瞬間に肩透かし、の大連続、ナマで観ているからわかるけど、あとでテレビ放送をたまたま見た予備知識ない人は「放送時間の関係で、あちこちカットしてあるのね」と誤解するぞ、と危惧するよーなつぎはぎ感。
 平坦で退屈、時間が経つのが遅く感じるよーなしんどい作り。

 それはたしかにそうなんだけど、それでも「泣ける」のは、『虞美人』だ。
 主人公たちが死んでしまうから脊髄反射で泣くのではなく、その生き様に涙するんだ。
 登場するキャラクタひとりひとりにドラマを感じ、彼ら主役でSS書けるくらいの魅力を感じる。
 それがあるから、『虞美人』なんだ。

 隣の芝生はいつも美しいもので、うらやましくはあるんだけれど、『愛と死のアラビア』の4日後に『スカピン』を観た2年前とは違い、今回は真面目に考えた。

 もし『虞美人』ではなく花組が『スカピン』を上演していたら。
 や、なにを上演していても、結局のところ贔屓組である以上それなりに楽しむのだが、それを抜きにしても。

 『虞美人』に感じていたほどのカタルシスを、『スカピン』には感じられなかったろうな、と思った。
 あくまでも、わたしは。
 わたし限定。

 ただ、『スカピン』の方が通いやすかったと思う、バイオリズムに合っているから。
 メリハリがあって時間が経つのを早く感じられる、素晴らしい音楽と美しい画面でぐいぐい引っ張られてわくわくしたまま2時間半を過ごせる。
 フタ桁リピートを前提として考えると、絶対『スカピン』が通いやすい(笑)。退屈を我慢しなくていいから、心の負担にならない。
 贔屓の出番が少なくても、いや、少ないからこそ、彼の関係していない部分が面白くあってくれないと、リピートはつらいって。

 また、『スカピン』くらい罪なく軽い物語の方が、リピートには楽だ。ショーヴランの最後を真面目に考えちゃいけない、笑って終わることができる、濃度で楽しむのが『スカピン』。

 『スカピン』の方が通うのが楽だとわかっていても、たるくてしんどい『虞美人』の方が好きだ、ってのはもお、ただの好みの問題、どーしよーもないですな。

 項羽の不器用な生き方に、劉邦のいびつさに、そしてすべてを照らす虞美人の存在に、心をひりひりさせて涙するのが、心地良かったのですよ。

 世間的評価が正しいんだろうし、わたしもまた『虞美人』がいろいろとアレな作品であることはわかっちゃいるが、それでも『虞美人』が好きだ。

 『虞美人』で良かった。『虞美人』と出会えて良かった。……こまったことに(笑)。
 2010年6月号の「宝塚GRAPH」の表紙写真が好き過ぎる。

 かなめくんとみなこちゃんのツーショット。

 かなめくんのことはいつも美しいと思っているし、彼の静止画の強さプロデュースのうまさには、いつも感心している。
 が。
 そんなわかりきっている美しさ・うまさの問題ではなく、この表紙写真のかなめくんが好みだ。
 いつもの作りきったモード系の美しさではなく、かなりシンプルに抑えた……素の美しさだけで勝負している感じ。きれーなおねーさんでもなく、つとめて男役を作っているのでもなく、「男役であることがナチュラルな域」に到達したからこそ、それらの気負いをハズした一瞬に、とても男子な表情が現れる、みたいな。

 中の写真はちゃんと「男役」だったり、いつもの「モード系」の顔してたりするんだけど、表紙の1枚だけはその隙間を突いたような、キメる寸前の顔というか。

 半開きのクチがたまらん。

 彼のことをナニも知らなくて、書店でこの写真を偶然見かけたとしても、わたしは足を止めたと思う。
 この男子、好みだわ、と。

 
 また、彼に寄り添っているみなこちゃんもきれいだ。
 ……あれほど彼女の顔が苦手だったのに、この写真のみなこちゃんはすべてきれいだと思う。トップになってからの彼女はたしかにどんどんあか抜けてきれいになっていったけれど、さらにこの写真は好き。

 かなめくんの隙間っぽい表情に、みなこちゃんの「作りすぎない端正さ」が似合っているんだと思う。イマドキのくっきりメイクの派手な美女ではない、シンプルな女性ってのが。

 
 まっつ×ヲヅキのトーク目当てで買ったのはたしかだが、それにしたって表紙写真が好みすぎる。
 日々眺めては溜息。

 かなめくんってほんと、きれいだなあ。

 
 ……てな書き出しだけど、未だに『リラの壁の囚人たち』の話。
 かなめくんのとんでもない美貌を説得力に、英国天然タラシ男(笑)が舞い降りたために混乱が起こった袋小路の物語。

 良い物語だと思うけれど、正直リピートはキツイ。
 つか、しんどい。
 観た瞬間は別にいいんだけど、あとからなんかじわじわキモチが重くなるので、楽しいけど体調の良くないときはつらい。人間健康体でないと、キモチも悪い方へ引きずられるからさあ。HPが削られるレッドゾーン、フルチャージできてるときなら多少は平気だけど、半分になってるときに近づいたら致命傷になるよ。
 なので、贔屓が出ていなくて良かった、と思った。

 『舞姫』はキツかったなあ、どんだけHP削られても通わざるを得なくて、体調ボロボロになりつつ実際体重何キロか落としながらも、それでも通ったもんなあ。その直後に会う人にもれなく「なんかやつれてない?」と言われたり……あ、青年館のあとは某所で倒れてそのまま入院したっけ(笑)。
 痩せた、ならいいけど、やつれた、と言われるのはこのトシだといろいろヤバイ(笑)。

 贔屓が出ていたら、すげー勢いでリピートしていたと思うよ。
 たのしいもん。
 しんどいけれど、たのしい。心とカラダが消耗するのも悔いナシ。

 そこまでいい作品かというと、そりゃもちろん粗はあるしぶっちゃけ古いし、気になる部分はあるんだけど。
 それでもキャラクタにハマることができれば、楽しむことが出来る。

 わたしの場合は、「リラの壁の囚人」である、ポーラ@れみちゃんとジョルジュ@ベニー。
 このふたりだけで二次創作できます。自分だけが楽しい、とことん暗くてぐだぐだで救いのない、恋愛小説書ける(笑)。
 もっとたのしい意味で二次小説書くなら、ギュンター@みやるりメインに、真っ向勝負の恋愛小説にしますわ。

 んで、ナビゲーターというか、物語につかず離れず顔を出すフェアリー(笑)が、エド@かなめ。こいつが元凶だが、彼は投げられた石であって、それによって起こる波紋を描く物語の、主役にはなり得ない。連作小説の共通キャラ「当て馬」という存在。
 ポーラとジョルジュ、マリー@音波みのりちゃんとギュンター、ふたつのカップルをかき回すだけでどっちの女の子ともくっつかない一過性の異邦人。
 天然タラシ男ですから! すべてのカップルをかき回していくのですよ! ……きっとここだけではないと思う。エドのことだ、フランスでもイギリスでも、どこでもきっとやってるわ、同じこと。よくある青春ドラマ(男女複数のグループで誰と誰がくっついて誰と別れて、と大騒ぎして、必ず誰かひとりが自殺するやつ)にいなくてはならない、悪意がないから最悪、なヒロインタイプ(笑)。
 
 主役にはなり得ない、と書いたけれど、でもわたしの二次小説でも、最初と最後に登場するのはエドだと思う。
 あの微妙な(笑)ヒゲのおっさん姿で、「エド、あなた結婚は?」「子どもがふたり」という会話をするのよ。

 とどのつまりは、エドが好きだ。
 かなめくんの演じている、エドが。

 あのフェアリー感を、得がたいものだと思う。

 そのどーしよーもないカスミ食って生きてる妖精が、最後におっさんになって回顧しているのがイイ。
 現在の彼が愛にも家庭にも恵まれ、それゆえに回顧する余裕を得て、かつての監獄を訪れたのだということが。

 今の彼の幸福が、すべてを肯定している。

 なにひとつ、まちがったことなどなかったと。
 あの苦しみも悲劇も、あるがままに正しいことなのだと。
 ポーラもジョルジュの人生も、その死も、ナニも間違っていない、無意味ではない、無駄ではない。

 ヒゲを付けた妖精さんが、きらきらとすべてを浄化していく。救っていく。
 うつくしい物語だと、思う。

 
 モランさん@美城れん氏はほんとにうまいなあ。この人がいてくれてよかった。若者よりもおっさんでこそ本領発揮する人って、さらに素敵だと思う。

 ジャン@しーらんは演技勘のいい人なんだなとしみじみ。登場した瞬間に明確にキャラがわかる。直感を裏切らない。……が、彼の場合、この違和感のなさがプラスに働いていないような。出オチじゃないけど、登場から全部表現してしまってその後は発見やサプライズが薄くなる。

 ピエール@みっきー……ピエールってこんな役だっけ?! 初演のトドがもーヘタでヘタでやり甲斐もナニもあったもんぢゃねえ、って印象だったから、もっとどーしよーもない役かと思っていた(笑)。なんだよ、ふつーにいい役じゃん! つかみっきーうまいわ……。

 リヒターさん@直樹じゅんは……ええっと、がんばってました。そして、この役を経た今後の彼に期待します。うんその、ぷっちゃけ力不足で大変そうだった……若造がやるには大役過ぎたなあ。悪くはないけど……ないけど……それだけじゃあ……。ううむ。

 それでも、専科さんナシで、組内だけでやってくれたことがうれしい。
 老け役も大役も、別格な役も、全部組子たちで、学年を言い訳にせずに取り組み表現してくれているのが、心地良い。
 これからさらに、彼らが躍進すると、わかるから。

身軽。

2010年5月25日 タカラヅカ
 星組全ツが終わったあと。
 ちょっとショックだった。

 これでもう、チケットがない。

 ご贔屓のネーム入り(笑)チケットケースをここ数年利用しているんだが、全ツが終わるともうそこにチケットが1枚もなかったんだ。

 今までのわたしは、バカみたいにたくさんのチケットを持ち歩いていた。
 数ヶ月後までの公演の、観劇予定が手帳にはびっしり。

 だったのになー。

 手帳にはいちおー観劇予定がびっちりだったりする。
 でもそれは、チケットをすでに持っている「観劇予定」ではない。この日にこの公演を観に行く「つもり」でしかない。
 他のスケジュールとの兼ね合いで、この日にコレを観ておかないと他日じゃ無理だわ、とか、この日からこの日の間にこの公演かこの公演に行く、とか。
 流動的。
 ぶっちゃけ、「気が乗らなかったら、行くのやめた」もアリ。

 前売り券を持っていたら、「絶対に行く」ことを前提に立てる予定も、今はかなりアバウト。

 複数の前売りチケットを持っているのが、わたし的デフォルト状態だったのに。
「こあらちゃん、何枚チケット持ってるの」
 と、あきれられるくらい、分厚いチケットケースを持っていたんだけど。

 最近はもう、前もってチケットを買うことはなくなってしまった。

 店頭販売がなくなったことがいちばん大きいな。
 梅田でチケット発売があったころは、全公演発売日の朝から並んで、とりあえず買えるだけ買ってたからなー。や、抽選に当たったら、だけど。
 並ぶという労力、抽選というレア感、それゆえに「冷静に考えると、別に買わなくてもよかったかも」なチケットまで買っていたりしたし。
 友だちに会えるわけだから、「一緒に観に行こうね」と連番チケットを買ったりもしていた。

 同じ抽選でも、友会はチガウんだよなー。
 友会は「抽選に当たる=購入」だから、友だちと「一緒に行こうね」すらできない。友だちとそれぞれ入力して、ふたりとも当たったらダブってしまうから。
 梅田の前売りは、「抽選に当たる=購入権利がある」だから、当たった段階でいつどのチケットを買うか決められたので、無駄をおそれずに必要なものだけ買うことができた。

 梅田の前売りがなくなって、必要なモノだけ買えないのなら、必要なモノすら買わなくなった。

 前売りチケット、買わなくなったなあ、マジで。
 ムラはいつ行ってもまず「観られない」ということはないし。
 それなら前売りという足かせ無しに、観たいときにふらりと行って観ればいいじゃん、になった。

 わたしがお金持ちならともかく、びんぼーだからなあ。
 ぶっちゃけ、コストパフォーマンスの悪いチケットは欲しくないし。

 ヅカはますます前売り券が売れなくなっているのだと思う。
 ……って、自分ひとりを例にしてもちっぽけすぎて例にもなんないと思うが。ちっぽけらしく、自分中心に(笑)世の中を考えて。

 いつも10~20枚の前売りチケットを持っていた人間が1枚も持ってなくなってるんだから、そりゃ前売りも売れなくなってるよなあ。
 わたしみたいなのが増えてるのかなあ。

 
 ちなみに、去年そこそこ当たっていた友会ですが、今年はさっぱりです(笑)。
 それも相俟って、手元に前売りチケット皆無という。

 あー、しみじみ不景気だ。
 再演『激情』、全国ツアーではなく本公演でやってほしかったなあと思う。
 改めて観て、おもしろい話だよなあ、と。

 しかし全ツには全ツの愉快さ……組を半分に割っての公演だからこそ、キャスティングの妙がある。

 メリメ@すずみん!!

 端正な傍観者、解説者としての彼には「すずみんならそりゃそうでしょ」と安心していたんだけど、それにしても美しかった。

 役者として、舞台人として、格の違いを感じさせるというか。
 全ツゆえにセンター付近も本公演のレギュラー陣だけでない顔ぶれだからってのもあるかもしれないが、すずみんが出るたびに「スターが現れた」と思える。
 役割が狂言回しだからこそ、彼が「舞台を切り裂く」感じが痛快だった。
 そこだけ切り込みが入って、別の空間が開くのね。

 そうやって別世界の人なんだけど、この世界で唯一ホセ@れおんとだけは同じ地平にいるの。
 ふたりがまったくチガウ人間であることはわかるんだけど、同じ地平を踏みしめている。唯一同じ世界にいる、しかしチガウために手を握り会うことは出来ない、そんなちりちり肌をこがすような矛盾。

 切り込みから顔を出して語っているだけだったのに、途中から彼、どんどんこちらの世界に入ってくるんだよね。
 や、ダメだから。こっちに来ちゃダメ。
 一歩踏み出すたびに、一歩壊れていく。
 メリメが端正であるだけに、彼の一歩がこわくて、どきどきした。

 ガルシアの化けっぷりもさすが。
 メリメと同一人物が演じているなんて、その直後にメリメとして出てくることもあり、気づかない人も多いんだろうな。

 2番手が正反対の役をやることが売りというか、ファンサービスのひとつになっている作品だと思うが、すずみんに関してはガルシアはなくてもいいかとも思った。
 ガルシアかっこよかったけど、線が細すぎて……無理に2役せんでも……と思い、でも全ツだし他にトップスターと対峙できる役者がいるかというと難しいし、やっぱすずみんがやるしかないのかとか、ぐるぐる考えた。

 初演のメリメはこんなに壊れてなかったし、「物語」のキャラクタとして生きてもいなかったと思う。
 より冷静で傍観的というか……わたしがあのホセ相手にどうこう考えられなかっただけかもしれないが、メリメとしてのホセとの並びより、ガルシアとしてカルメンと並んでいる方がしっくり来たんだよなあ。

 すずみんのメリメは、とても面白いキャラクタでした。

 
 んで、別の意味で面白くて仕方なかったのが、エスカミリオ@ともみん。
 ナニあれ、すげー面白いんですがっ?!(笑)

 ともみんはショー『BOLERO』のトマケと合わせて、えらいオモシロキャラとして花開いているよーな?

 エスカミリオ役に必要なのは、「スター!」力。
 他のナニより、「スター!」力。

 タカラヅカって恥ずかしいなあ、観るとなんかこう赤面するなあ。……そう思わせるエッセンスを濃縮したモノ、それがエスカミリオ!
 それを演じるともみん! って段階で、もおたまらん(笑)。

 ショーのトマケといい、ともみんは今「修行中」って感じだなあ。
 すごい勢いで外側削って、カタチを作っているところっていうか。

 エスカミリオ役は、とにかく無駄に格好良くてキラキラしていてキザで自信満々でクサくて「タカラヅカ!」の見本、お手本としてショーケースに飾られるくらいの「男役スター」スキルを全部使う。
 この役をやれるのは、純粋培養のスター様のみ。
 超下級生時代から抜擢され、「この子は将来トップスターになるんだ」と自他共に暗黙の了解があり、重ねて機会を与えられることでカタチを作られてきた、そーゆー男役スターが演じる役。

 ところがともみんは、そーゆー育ちの子じゃない。
 路線寄りのところにはいたが、卒業間際に新公主演が決まって「良かったね!」と喜ばれるあたりの子。

 極端なひとりっ子政策ゆえに、気が付いたら星組には確固たる路線と呼べる中堅がおらず、「良かったね!」の子を奥から引っ張り出してきて、あわてて「スター」というカタチに削りだした印象。
 少なくとも5年くらい掛けて削るカタチを、ここ1年くらいで突貫している?

 その突貫工事中ゆえの微妙さで、ともみんがとても愉快。
 や、工事が終われば無事に素晴らしいスター!様の竣工祝いを出来るのかもしれないが、今はまだ大あわてで削っているところだから。

 その劇団事情の渦中で、竜巻の中の木の葉のようなともみんが、それでも一生懸命前を向いて吠えている姿が愛しい。
 面白い。
 これは、今の彼にしか出せない味。

 ……任を果たせているとは、ごめん、ぜんぜん思えないんだが、愉快なのでイイ。
 彼をみているのが、面白くて仕方ない。
 いいなあ、ともみん。あの不器用な健やかさが好きだ。

 
 しかし、なんつーか……。
 上級生はたしかに豊富なんだが、「スター!」な顔ぶれの少なさを、改めて感じた全ツだった。
 芝居はともかく、ショーで特に。
 なんつーか、ショーで芯を張れる経験値を持った人が不足している気がした。
 脇の上級生でもなく職人の中堅でもなく、「スター!」として、真ん中を張れる人。
 本公演でも十分活躍している、安定した力……華と見せる技術を持った人。加えて、そのセンターのスターのすぐ脇で踊る、「次代のスター」「鳳雛の品格」を持った少人数口の人々。
 3番手のともみんが「路上運転練習中」の札を付けている感じなんだもんなあ。ココが「真ん中任せろ、どーんっ!」であるとか、真風が「場面のひとつやふたつ、ひとりでさらっていきますよ!」な新鮮な旋風キャラであるなら、よかったんだが。もしくはそれ以下の出番の人でも「アレは誰?! なんかキラキラした無名の若手スターがいますよ?!」系の新星をぱーんと売り出しているとか。

 前の全ツで大活躍していたあかしを、なつかしく思い出す。
 路線スター様ではなかったけれど、星組らしいクドいハッタリで場を締めることのできる人だったなあ。

 星組だけのことではなく、どの組も多かれ少なかれそーゆー部分はあるんだろうけど、今回は特にそう感じた。れおんくんに掛かる比重の高さハンパねぇなと。

 や、見守りますよ、これからも。
 わくわくと、どきどきと。

 あ、ショーのねねちゃんのかわいらしさに、心からほっとした。ねねちゃんはこっちの方がいいっす。
 んで、本公演時に?マークが飛び交ったレ○プシーンがなくなっていてほっとし、だがそれゆえなんでヒロインがそこまで傷ついてバックレちゃったのか、ストーリーがさらにわけわかんなくなるという……。
 草野せんせとはわかりあえないです、相変わらず(悔いのない笑顔)。
 あれは、1999年か。
 もう11年も経ったの? ついこの間のことなんですが……あああ年を取ると時間が経つのが異様に早い。

 『激情』初演はなんつってもお花様のカルメンと、たかちゃんのガルシアでした、わたし的に。
 花ちゃんがかっこよくてなあ……たかちゃんがかっこよくてなあ……。

 ただ、わたしはどうもずんちゃんの芝居に共感できず、リピートすることはできなかったの。芝居はうまいヘタではなく相性だから、わたしと姿月あさと氏は接点がなかったらしい。月組時代とか、彼が脇なら別にかまわなかったんだが、真ん中だと作品自体の魅力がわかりにくくなっちゃって……。

 ずんちゃんの色気のなさを常々憂えていたので、長身美形トップ3が並んだ宙組を、「美しい」とは思っても、萌えだとは思えなかった。
 ……ので、後ろの席の見知らぬお嬢さんふたり組が「ずんことたかこの接触度が高いと萌える」てな意味のことをクールに語っていたことにびっくり、おかげで忘れられない(笑)。
 『激情』が終わった幕間に、そう語っていたんだよ。ホセ@ずんことメリメ@たかこの友情を超えた男同士の尊敬・愛情について。このふたりだからこそ萌えだと。

 わたしはまさにそこ、「ホセとメリメっておいしいはずなのに、演じているのがこのふたりだからこそ萌えなくて惜しい、残念」と肩を落としていたところだったので、真逆の感想を持つ人もいるんだと瞠目。
 ひとの感じ方はそれぞれなんだ、ほんとに。

 また、わたしは初心者たかこファンをエスコートしていたんだが、その子が「あのガルシア役をやった人は誰? すごく素敵だった」と言い出し……「いやその、あれもたかこだから」「えええっ?!」てな会話をしたことも、忘れられない。
 たかこだから素敵なのではなく、素敵なのはみんなたかこ。いやあ、ひとの好みってのはそれぞれだよねえ、ほんとに。

 初演は知っているけれど、思い入れはあまりない。主役を理解できなかったために、消化不良な物語として記憶。舞台も音楽も美しくて、ホセを別の誰かが演じていたら、もっと違った感想もあったんだろうな、とぼんやり思う程度。

 でもそれはあくまでもわたし個人の感想でしかない。『激情』は名作とされたし、宙組は人気だし、なんつってもずんちゃんの人気は凄まじい。世の多くの人が「素晴らしい」と思っていたわけだ。ネットの観劇感想でも疑問視されるのはお花様のカルメンがほとんどだった。
 わたしはお花様のカルメンは素晴らしいと思ったんだがなあ……。

 
 別の人が演じたら、と当時から思っていたので、再演は願ってもないことだ。今度こそ、楽しめるかもしれない。
 あの有名な「カルメン」の、タカラヅカ・バージョン。

 若く美しく、勢いのある星組での再演。
 素直に楽しみにしていた。全国ツアーがはじまって約1ヶ月、最後の梅田で観劇。

 んで、実際。

 ホセ@れおん、素敵。

 最近れおんくんの魅力にめろめろなわたしですが、さらにガツンとやられました。
 かっこいーよー。
 
 ホセは間違ってない。
 や、罪を犯してしまうのだから間違ってるんだけど、そのことではなくて、彼の心理の流れは間違ってないの。
 彼は、「まとも」だ。悲しいほど。

 反応のひとつひとつがまともだからこそ、罪を犯すことも、それでもなおやり直せると信じていることも、納得できる。
 あのカルメン相手に、本気でまともな未来を語っている。その現実の見えてなさ、そんな男がよりによってあのカルメンを愛してしまった悲劇……みんなまるっと、見ていてたのしい。

 激しいラヴシーンがあるからではなく、ホセの生々しさがいい。カラダの厚みと体臭を感じさせるような。抱きしめられたら、じとっとしてそうだな、汗を感じそうだな、ってなところ。
 タカラヅカというファンタジーの中で、ぎりぎり生々しいのがれおんくんの魅力だなあ。絵空事ではなく、リアルに女子をときめかせる感じ。

 ホセという男の輪郭がはっきりとわかり、彼の生き様にとてもどきどきしたんだけど……。

 わたし、カルメン@ねねちゃん、ダメだった……。しょぼん。
 なんであんなことになってんだ、あのカルメン。
 まず「カルメン」として型があって、それに当てはめるために無理をしている?
 あの発声、喋り方、表情……何故そうしているのか、いちいちわからない。今の声は何故、今の発音は何故、今の表情は何故、彼女がなにかするたびにひっかかって、現実に引き戻される。
 ここまで理解できないねねちゃんを見るのははじめてで、すべてにおいて混乱。

 カルメンというには可愛らしすぎる丸い幼い顔と、不可思議な下品さ。スタイルは素晴らしく、胸の谷間も長い長い脚もいいんだけど……うーむ。

 ただ、観ているウチに最初ほど違和感はなくなった。
 でもそれは、いわゆる「カルメン」というキャラクタを離れ、ひとりの若い女の子に見えてきたためだった。
 「カルメン」をやろうとして気合いの入っている前半はみょーなことになっていて、だんだん「カルメン」ではない、人生経験少なさそうなせまい世界できーきー言っている女子高生風になって。でもまた「そうだ、私はカルメン」とところどころ思い直すのか、また変な感じになり、でもまたわがままな女子高生になり……。

 カルメンという、芯のあるエネルギーの固まりを、わたしは感じられなかった。
 熱意はわかるんだが、いちいちいびつさに足を取られて。

 それならいっそ、最初から「世界のせまい女子高生」でもいいのに。精神の幼さゆえの奔放さと残酷さで通してくれても良かったのに。
 ねねちゃんゆえの持ち味で暴走してくれても、よかったんだけどなあ。真面目に「カルメン」に取り組んでたんだなー。

 カルメンがもっといい女でないと、それに惚れてるホセが悲しいです……(笑)。
 おかげでちょっと彼、カンチガイ風味というか、愉快なことになってたなー。
 いや、それも味かもしれないが。

 花ちゃんって、すごかったんだなあ、とまた改めて思う。

 ……ちなみに。
 当時、花ちゃんはずんちゃんより先に辞めると思っていた。だからたかちゃんとのカップルを見られるガルシア×カルメンの並びの美しさは今限定だと信じ、心に焼き付けようとか、思っていた。
 や、花ちゃんはすでにトップになってからキャリア長いし、ずんちゃんで4人目の夫だから、常識で考えて、ずんちゃんより先に退団すると思ってたんだよ……まさかまだ折り返し地点にも来てないとは夢にも思わず……(笑)。
「ねえねえ、ともちんと踊ってた女の子は誰?」

 と、幕間にわくわく宙担友人に聞きました。
 が。

「踊ってた? どこ?」

 だから最初の方の舞踏会。ネルソン@ゆーひくんとエマ@すみ花ちゃんが出会う場面。

「ごめん、見てない」

 えええっ。
 ともちん、すげーかわいかったじゃん、ダンス下手らしくしどろもどろで、しかもデカすぎて女の子の手が届かなかったり、子どもたちに絡まれてわたわたしてたり。
 ライト当たってないんだけど、おもしろくてかわいくて、絶対コレ目立ってるから、誰に聞いても「ああ、あの場面ね」とわかると思ってたっ。
 なのに、「ともち、いた?」とか言われるとわっ。

 …………この一連の会話を、別の宙担さんともまんま繰り返しました……誰も「見てない」ってゆーのよおおお。だからそんなことやってたって、まるっとなんにも知らないって。

 幕間に叫んじゃいましたね、なんでなんで?!と。
 ジュンタンが薄く笑っていたよーな気がします……そうよ、アタシは悠未さんスキーなのよっ。なにかと彼を見ているわよっ。

 『TRAFALGAR』初日感想、続き。

 作品を微妙だとは思うけれど、萌えはそれなりにある。

 とりあえず、いい人なともちん萌え。

 久々に見た、白いともち。
 本人もすごい楽しそう。
 でっかい図体でぶんぶんしっぽ振りながら、美しいネルソン様の横にくっついてる。

 見たかったんだよ、ともちの素でできる役。「いい人」な役。
 かわいい。とにかく、かわいい。
 ちゃんと妻子アリで、しかも家庭大事なパパっぽいところも素敵。きっと奥さんにメロメロで、娘には輪を掛けて甘甘なんだわ(笑)。若造とか小僧じゃないとこがイイ。
 家族は舞台上には実際に出てこないけれど、会いたがっている台詞ひとつで彼の背景がわかる。その温度と明度ゆえに、彼のキャラクタが浮き彫りになる。
 そんなトマスだからこそ、「愛する者を守るために戦う」となんの迷いもなくキラキラ言い切っちゃうシンプルさが映える。

 ナイーヴでいろいろと考え過ぎちゃうネルソンにとって、この単純明快な副官が癒しだったんだろうなと。

 色気のなさすぎる人なので、せっかくの耽美王ゆーひさんの片腕であっても腐った展開に発展しにくいのはどうかと思いますが(笑)、その「晴れ渡った青空のようにバカ」なところは大好物なので、両手を合わせてオイシクいただきます。うまうま。
 ありがとーサイトーくん。『A/L』に続いて素敵なともちんを見せてくれて。

 ……ところで、ともちんと踊っていた女の子は千鈴まゆちゃんだそーです。ジュンタンから教えてもらうことができました。翌日。翌日には、見てもらえたみたいだ、踊ってるともちん! ねー、かわいいでしょー?!
 ありがとジュンタン。

 
 そしてもうひとつ、わたし的な萌えポイントは。

 狂気のちーちゃん萌え。

 登場するなりテンションMAX!な美青年オーレリー。ネルソンさんに兄を殺されたっつって恨み節。
 復讐の鬼なので、いつも根暗くギラギラ。思い詰めすぎて狂気。

 狂った……というか、派手にメーターがどちらかに寄っている役の演技ってのは、日常ではないだけにけっこうやりやすいっていうか、イロモノ扱いだからカタチを作りやすいってのはある。
 だからちーちゃんの芝居がうまいのかどうかはわからない。本公演でキャラクタのある役をちゃんと演じているの、わたしははじめて見るし。今までで彼の演技をまともに見たことあるのって、恐怖の『殉情』ぐらいのもんだったし。アレはいろんな意味でちーちゃんこわすぎたし。

 オーレリーでわかった。

 とりあえず彼の狂気演技は、好みだ。

 わかりやすいイカレた芝居でも、好みに合わない場合はいくらでもある。狂気な役は、芝居が派手なだけに、合わないと見ていてつらくなるので両刃の剣。
 されど無問題、ちーちゃんは好みだった!

 つか、好みの顔の男が、好みの表情浮かべて、好みの芝居をしている。ってのは、なんてパラダイス。

 しかもしかも、この好みの男が憎んでいる相手は好みの美貌王ゆーひさんで、この好みの男を利用し、飼うのがこれまた好みの赤面色男らんとむさんなんですよ?

 これってなんのご褒美? わたしシフト?(笑)
 つーか、サイトーくんと好みが合っているっつーだけ?(笑)

 ネルソンへの憎しみの強さが不自然だし、死んだ兄への妄執もいびつだし。
 オーレリーのネルソンへの憎しみって、アイドルに対する1ファンのストーカー理論っていうか。
 ネルソン個人がわざわざオーレリー兄を手に掛けたのではなく、兄が死んだ戦争の、敵の指揮官だったっつーだけだよね? そこを憎むしかないキモチはわかるけれど、それだけであそこまで人としてコワレなくても、と思う。
 兄との間に精神を病むよーな確執があったゆえなのか(ネルソンという仮想敵を作らないと精神崩壊するよーな)、ネルソン個人に兄の死以外の思い入れがあるためか。

 兄が登場しないのでそちらに理由を求めにくいため、舞台の上にあるものだけで判断すると、ネルソンの美貌に一目惚れしたんじゃね?ってことになりますよ、わたし的には(笑)。
 あの美しい人が兄を殺した! つーことでテンパっちゃったんじゃねーの?

 や、正直言ってこの『TRAFALGAR』という作品の辻褄の合わないところや詰めの甘いところすべて、「ネルソンが美しすぎるから、仕方がない」で納得するしかないんですよ。

「なんでそんな展開に?!」
「だってネルソンが美しすぎるから」
「そうか、それじゃ仕方ないな」

 てことで、いつだってFA、世界は平和です。

 とにかく、ネルソンのストーカーとして花開くオーレリーくんが素敵だし、そんな彼の邪恋を利用する色男ナポレオン@らんとむが、無意味にエロくて素敵です。

 ネルソンのことでアタマもハァトもいっぱいいっぱいなオーレリーくんを、あのエロ黒いナポレオン様が飼っていたのかと思うと、それだけで愉快すぎる。
 そしてナポ様は自分の愛人歌姫@せーこちゃんと一緒に、オーレリーくんをスパイとして送り込むんだよね? ふーん。(裏をいろいろ考える・笑)

 出番自体は多くない……つか、投げっぱなしでちっとも書き込みされていない、ありがちなキャラ止まりなんだけど、ちーちゃんの顔が好みすぎてあとはもおどーでもいー、くらいの勢いだ(笑)。

 
 白ともちんと狂ちーちゃんだけでも、この作品を楽しくいただけます。
 萌えは正義(笑)。
 スポンサーの力って、偉大なんだ。
 と、思った宙組初日。

 『エル・アルコン』って、お金かかってたんだねええ。しみじみ。

 同じ方法論で作られた舞台を、「予算は『エル・アルコン』の何分の1かです」という画面で見せられると、ちょっとしょぼんです……。

 サイトーくんの新作『TRAFALGAR』
 勝手に『エル・アルコン』な盛り上がりを期待していたわたしは、勝手にいろいろ肩を落としました。

 なんつーか……ふつー?
 当時の歴史がよくわかりました、とか、あらすじはよくわかりました、的な。

 わたしが観たかったのは、歴史だのあらすじなどがお行儀良く並んでいるものではなくて、ぶっこわれてるけどなんかすげーっ!なモノだったので。

 こじんまりとまとまってるなあ。サイトーくんに常識なんかいらないのになあ。

 えーと、フランス革命直後。同じ劇場で先日まで『スカーレット・ピンパーネル』やっていたので、その流れでも時系列は正しい(笑)。ああ、あのあとね、と。
 イギリスVSフランス、ネルソン@ゆーひさんVSナポレオン@らんとむ。
 戦争やってる傍ら、ネルソンは美女エマ@すみ花ちゃんと恋に落ちてさあ大変。だって双方家庭持ち。W不倫ですよ。恋愛パートはネルソンVSウィリアム@みっちゃん。あちこちで戦って、大変だなネルソン。
 でもふたつの戦いは、トラファルガー海戦で片を付けられることになった。ウィリアムがこの戦争に勝ったらエマを自由にしてやると持ちかけてくれたから。
 よーしっ、国を守って愛する女も手に入れちゃうぞ! ネルソンは勇壮に出撃して行きました、とな。

 死亡フラグ立ちまくりなので、勝敗はともかく、ネルソンの生死がどうなるか語るまでもありませんが。

 オープニングから映像使いまくり。新公はアレ、全部キャスト替えて流すんだよね?(ex.『エル・アルコン』新公)
 
 えー、ネルソンさんって人なんですが。

 サイトーくんってば、おーぞらゆーひになんの夢を見ているんだろう?

 と、ちょっと首を傾げておりますが、ネルソンさんってのはよーするに母性本能くすぐりキャラでした。英雄なんだけど、不器用さんなの☆

 人間小さっ!!なエピソード満載で、それはとても人間的なんだろーけど、ゆーひさんのアンドロイド的美貌でつづられるもんだから、落ち着きが悪いというか、わたしはどこに基点を置いて観ればいいのか終始とまどって終わりました。
 たぶん、2回目からは「そーゆーもん」と思って観るので、大丈夫だと思う……。

 いやともかく、ビジュアルはすごいです、さすがビジュアル王、ハズしません。
 あんだけ美しくて英雄で、なのにあのセンシティヴでナイ~~ヴなヲトメンぶりは、ええっと。サイトーくんは彼にどんな夢を見て…………。

 作劇のこじんまりさと、ゆーひさんにとまどいまくりましたが、他にいろいろ萌えがあったんで、ソレはそれで楽しかったっす。

 なんつっても。

 みっちゃん、かっけー!!

 ポスター見る限り、愉快な髪型のヒゲオヤジぢゃないですか。またみっちゃんビジュアルに難アリのオヤジ役かぁ、と残念に思ってました。
 そしたら。

 なんだよなんだよ、かっこいいじゃん!
 わたし的にポイント高いのは、彼が最初に登場したときに、エマ母@舞良サンが「あらイイ男♪」とみっちゃんを見て言うこと。
 色男設定なんだ、とわかりやすい。
 ポスターと同じ髪型だから、わたしには見た瞬間にイイ男かどうかはわからなかったんだけど、設定が色男ならきっと、みっちゃんは本気で色男を演じるはずだ。期待メーターがここで上がった。

 そして。

 甥の婚約者であるエマを金で買った助平オヤジ。妻を所有物扱い、モノ扱い、暴力、嘘とてんこ盛りな黒い役なんだが。

 これがもー、かっこいいのなんのって。
 最初のエマを上から目線で口説くところから、すごかった。ナニあのドSっぷり!
 寛大なフリしながらもあちこちでエマの動向に目を光らせている、あの表情。

 このたるたるした物語の中で、いちばんツボったのは実は、不倫カップルとその家族対決レストランですよ!!
 ナニこのメロドラマっぷり! 昼ドラというよりは、夜10時からのドラマみたいですよ!(笑)
 ネルソンとその妻@アリス、エマとウィリアムがひとつのテーブルに着く、あの空気。「このドロボウ猫」という目でエマを冷たくねめつけるアリス!(役名なんだっけ)アリスこわいよかっこいいよ!!

 逃げ出すネルソンのチキンっぷり!! ヒロインかオマエは!(笑)←不倫モノの定番。

 ここでもほくしょーさんが格好良すぎてさあ。やってることひどいんだけど、でもでもかっこいいのよ、あの黒さが、陰険さが!!

 見たかったほくしょーさんが、ここに!

 おバカな三枚目とか人の好い友だちで終わるキャラとか胴布団入れた愉快なオヤジとか、ましてや心の成長が10歳で止まった、顔にザクみたいな黒線つけた子役もどきでもなくて!
 複雑な腹芸の出来る、大人の男ですよ。腹黒な色男みっちゃんこそ、わたしが見たかったみっちゃん!
 ……髪型がもう少し二枚目寄りだとなお良かったんだけど、見ているうちにアリだと思えるようになったし。

 てゆーか、大劇場内のコーヒーラウンジの壁に、トップから3番手までの写真が飾ってあるじゃん。
 あそこの「見つめる」ウィリアムさんが、マジ素敵っす。

 言葉にするのは、冷酷な悪役めいた台詞ばかり。……でもほんとーはエマを愛してるんだよね、と四重唱でのみ表しているのがイイ。
 「エマの幸せのために、わざと冷酷な夫のふりをしよう」と独白したりしないでくれて、ほんっとーに良かった。

 くだらん説明台詞がなくても、みっちゃん見てたらわかるもん。ほんと、うまいわこの人。

 
 ナポレオン@らんとむは、前回公演に引き続き、男としての度量を試されているなと。

 「英雄」と呼ばれるに足るキャラクタであること。

 ドラマがネルソン側中心だから、その外側にいるナポレオンはどうしても部外者になってしまう。
 史実なんか無視して、もっとふたりが何度も出会っている設定とかにしちゃえば良かったのになー。

 今主人公たちが大騒ぎしていることには無関係で、あちこちで「いますよ、忘れないでよね」と顔出す作りで、だけど立ち位置的にはファムファタールというか(笑)、「運命の相手」認識なので……。

 どう存在感を出すか、どう空気を支配するか。
 らんとむさんくらい派手なスター!様だからこそ、できることだと思う。

 
 しかし、主人公の最期で多くの観客をびっくり……というか、唖然とさせなくてもええやん、サイトーくん。

「どこだオスカル?!」
「アンドレ?! 見えていないのかっ?!!!」

 ……ともちの腕の中の金髪のゆーひさん、というシチュエーションで、突然『ベルばら』ごっこやらんでもええやん……。
 ギュンター@みやるりは、アレでいいんですか?

 美しすぎて、やばいです。

 『リラの壁の囚人たち』、悪役、に分類されるナチス将校役。分類されるだけで、別に彼自身は悪人ではないと思うが。

 出てくるだけで「あの美形はナニモノ?!」と思わせるので、目立ちすぎてる気もする。
 あれだけインパクトあるなら、もっと比重高くて当然、今の役割だと拍子抜けする……のは、わたしにとって彼が好みど真ん中だからですか。ふつーの人には、作品バランス壊すほどの存在には見えてないんでしょうか。

 わたしには、美しすぎてやばいです。作品バランス崩してます(笑)。
 
 
 ギュンターはふつーにあの時代のSS将校、特に彼個人が悪人ということではなく、時代と彼を取り巻く世界のイデオロギーに忠実に生きていただけにすぎない。

 むしろ、彼の取っている行動だけ見ると、かなり人情味あふれる人だと思える。

 物語の最初、ギュンターは行きつけのキャバレーのホステスのために、職務を曲げる。
 お気に入りのホステス・マリー@音波みのりちゃんが「私の言葉を信じてくれないの? 私の嫌がることをするの?」と色っぽく絡むと、部下への命令を撤回した。リヒター@直樹じゅんがあれだけ進言しているのに、強引に従わせた。
 ヲイヲイ、いいのかソレ。なんて公私混同。

 しかし多分、彼の中では公私混同ではないんだろう。

 なにもわからない初見では、「酒場の女にお色気ウッフン言われたことで、命令撤回ってどんだけ色ボケ将校?」と思えるけれど、その後の物語を見ていればわかる。

 ギュンターさんが、マジにそのホステスを……男を色気でもてなす職に就いている女のことを愛している、のだと。

 それで「レジスタンスなんてここには来ていない」という彼女の言葉を信じ、命令撤回、強制家宅捜査はやめてよそを探そう、になるわけだ。
 また、ある意味自惚れてもいたんだろう。マリーが自分に嘘をつくはずがないと。彼女に愛されている……一目置かれ、好意を持たれている、自分は特別な存在だと。そのため、彼女の言葉を疑わない。
 どちらにせよ、個人的感情。プライベートな関係を優先して、軍人としての行動を揺るがす。

 ナチスとしての立場を重んじるなら、占領下のフランス女になにか言われたくらいで、命令撤回はしないはず。
 マリーを好きだからマリーの嫌がることをわざわざしなくてもいいと思っている、また、マリーに好かれているから彼女は嘘をつかない……それらのことから、合理的に判断した、と思っているんだろう。
 ここにレジスタンスはいない。だからここを探しても無駄、よそへ行こう。

 ギュンターの中では筋が通っているんだけど、そんなことリヒターにはわかんないし(笑)。
 リヒターの目には、「この色ボケ将校めっ」と映ったことだろうなあ。

 愛情を信じている男。
 なんせ、ホステスに入れあげて求婚しちゃうんだから(笑)。
 や、所詮は現地妻になれ、愛人になれってことなんだけど、そこにちゃんと愛情を求めているから。マリーは「好きな人がいる」とそれを断るわけだが、カラダだけが目的の身請け話ならマリーの気持ちは関係ないわけで。恋人がいるからと怒ってあきらめるのではなく、さらに金と権力を匂わせるなりすればいいのに、さっさと手を引くし。
 つか、「子どもみたいな顔して、所詮フランス女」とかなんとか、悔しまぎれに言ってたのは、「オレを弄んだんだな」って意味だよなあ。
 ギュンターさん、どんだけ純情? 相手、水商売の女ですから。マリーは本当にピュアな女の子、という設定らしいが、それにしたって対外的にはキャバレーで男の相手をしている女の子ですから。客の男にいい顔するのは仕事だってば。

 玄人の女に入れあげて、一方的に盛り上がって、求婚して、「私、恋人いるんですけど、なにカンチガイしてんの?」とやられて、ぷんすか退場する……そーゆーことだよね。

 一方的に盛り上がる……ほど、ラルダ@柚長の店にいるとき、マリーはどんな顔を見せていたんだろうか?
 ギュンターがいかにもなカンチガイ馬鹿男として描かれているならともかく、まともな男に見えるから、ひとりの男がここまで盛り上がるには、それ相当の理由があったと思うんだが。
 ギュンターがSS将校様らしい傲慢さで、「すべての女はオレにめろめろ」と思い込んでいたにしろ、マリーが裏庭でエド@かなめくんやポーラ@れみちゃんに見せている顔からは想像もつかない展開なんですが。

 そーなんだよな、実を言うとわたし、マリーというキャラクタがわからんのですよ。
 キャバレーで働いている女の子で、ギュンターにプロポーズさせるほどの態度を、仕事では取っていたわけだ。実際、最初の登場では女の武器を使ってギュンターを操るわけだし。
 めっさ世慣れた凄腕のホステスかと思いきや、それ以外の場面ではピュアな少女みたいで。
 ピュアな女の子がホステスやっててもいいけど、登場場面のシナの作り方にギュンターが疑問を持たないところを見ると、普段の彼女はあーゆー態度で男たち相手に商売してるってことで……舞台が庭だけで仕事中の彼女を描いてくれてないから、混乱したまま終わった。
 子どもみたいな顔だそうだから、あどけなさで売っているホステスさんだったのかもしれないが、だとしたらやっぱ、最初の悪女ぶりがイメージにつながらない……わたしの中では。
 
 つっても、もっとあどけないヨゴレを知らぬ少女風にされたら(最初の場面も無邪気な幼女テイストでおねだりされたら)、ギュンターがロリコンになっちゃうから、仕方ないのかなー(笑)。

 ギュンターとマリーの関係が、よくわかんなかった。

 庭でエドやポーラと話すマリーがあんまりかわいい、いじらしい女の子で、この子が客を騙すほどの色事師手管で店に出ているとは思えなくて。
 感情がそのまま出てしまう、ふつーの女の子なのに、この子に「愛されてる。求婚したら即OKのはず」とギュンターが思い込む? やっぱ店では相当演技していた?

 ギュンターとマリーに関して、描かれていることだけだとぜんぜんつながらない。
 つながらない、辻褄が合わない、というなら「ま、所詮脇役だし」とあきらめてスルーすればいいんだろう。芝居を進める上でのご都合主義ってことで。
 ふつーならそうなんだけど、この物語は「つながらないけれど、ナニかあるはず。そして、つなげることができるはず」と思えてしまうから。

 マリーがギュンターにどんな顔を見せていたか、態度を取っていたか、そしてギュンターがナニを想い彼女を欲したか。
 描かれていない、辻褄の合わない部分を、脳内補完したくなるんだ。
 あれだけひどい断り方をして……「とんだ恥をかいた」とギュンターも言っていたけど、ナチス将校が人目のあるところでフランス女に完膚無きまでに振られる、って、相当な状況なんですが。よく平手打ちひとつで済んだなと。さんざん誤解させる態度を取っていたわけでしょ? で、土壇場で裏切ったわけでしょ?
 あそこまで恥をかかせておいて、結局現地妻に収まるって、すごいっす。
 そしてドイツ敗退の折には、ギュンターがわざわざマリーを送り届けに来るって、すごいっす。
 どんなドラマがあったんだ、あのふたり。

 と、いろいろいろいろたのしいっす、ギュンターさん。
 やっていることはかなり私情に左右される人情家なんだけど、あくまでもクールに取り繕っているのがまた(笑)。
 『リラの壁の囚人たち』というタイトルをもっとも具現しているのは、ポーラ@れみちゃんだと思う。

 「リラの壁の囚人」という言葉を発するのはエド@かなめくんなんだけれど、所詮彼は異邦人。外から来た人で、外へ帰っていく人。
 匿われている身だから、今のところ外へは出られない囚われ人状態だけど、彼の場合はただの物理的な意味での軟禁。

 心を囚われている人たちとは、ワケがチガウ。

 ヒロイン・ポーラの囚われっぷりはハンパないなと。

 薄幸な女を演じたら、現在ヅカ一ぢゃね?!の呼び声も高い、白華れみの本領発揮。

 登場するだけで不幸さが際立つ。
 この女、絶対幸せにならない。この物語の最後は、この女が非業の死を遂げて終わりだわ!と思わせる負のパワー。
 うっかり家に憑いてきたら、その家没落しますよな縁起の悪さ。

 ソコが、たまらんっ。

 れみちゃん好きだー。うおー。
 ナニこの際立つ個性。

 笑っていてなお、かなしさが染み渡るというか。
 むしろ、笑顔で夢なんか歌われた方が切なくなるというか。

 絶対叶わない夢を、壊れることがわかっている美しいモノを、儚げにキラキラ語られたり歌われたりしたら、たまらないじゃないか。

 袋小路に佇むポーラに、鎖が見える。
 囚人を縛る、蔦のような植物の鎖。
 縛られて、棘に苛まれ、それが日常であるがゆえ棘の痛みにすら気づかなくなっているおそろしさ。
 その、絶望感。

 彼女は決して、どこへも行けなかったんだろうなと思う。

 エドは非日常。彼女の長い年月のなかの、ほんの一瞬。
 束の間だからこそ、彼と共にこの檻を出る夢も見られたけれど、非日常の刺激は日常に飲み込まれる。打ち消される。
 結局ポーラは、檻を出なかったと思う。
 ナチスの凶弾に倒れなくても。

 ポーラの檻を壊せるほど、残念ながらエドは愛されていないし、それほどの器のある男でもない。
 
 てゆーかわたしは、ポーラは結局のところジョルジュ@ベニーを愛していたのだと思うのですよ。
 や、ジョルジュキライだけどなっ(前日欄で書いたことと違いますよ・笑)。出てくるたびにムカついて、「こんな男、捨てちまえ!」と思ってたけど(笑)。

 ポーラは不幸な女だけど、可哀想な女とはチガウ、気がする……と思えるあたりが、彼女の魅力だよなあ。

 このままエドが現れなくても、ナチス云々がなくても、きっと彼女は破滅したと思う。

 ジョルジュが握りしめていた小さなピストル。
 あれはいつか、ポーラか、あるいはジョルジュ自身に向けられたと思う。
 ジョルジュに銃口を向けられて、あるいはジョルジュの死体を前にして、彼女がひとり前向きに生きる決意をしたとは思えない。

 そんな生き方しかできない男と女が「彼らなりに幸せだった」とは思わない。「それもひとつの愛のカタチです」とか、きれいにまとめようとも思わない。
 不幸ですよ。もー、ぐっちゃぐっちゃに不幸ですよ。なんつー非生産的な関係。

 それでも、彼らのぐっちゃぐっちゃな不幸っぷりに、胸の痛くなるような「美しさ」を感じるのですよ。

 枯れてしぼんで地に落ちて、泥にまみれる花を、「こんな姿をさらすなら、咲かなければいいのに」と思うことがないように。
 花は、花。
 ただ咲けばいい。美しいんだから。

 
 ポーラの不幸体質と、彼女が抱える「現実」の重さに対し、英国天然タラシ男エドの「軽さ」ときたら!!

 エドってすげえ、かなめくんってすげえ。
 と思うのは、あの軽さゆえ。

 現実に生きている限り、あんな人現れないって。少女マンガかタカラヅカにしかいないって!(笑) それをよくぞ表現した!(笑)
 浮き世とはチガウ、微妙な浮き上がり感というか。かなめくんがわかった上で演じているというより、彼の持ち味で出来上がっている奇跡のようなバランス。
 ポーラが束の間夢を見る、恋をした、この現実を捨てて檻を出て、新しい世界へ旅立とうと、一瞬でも錯覚できるだけのとんでもないキャラクタ。

 それはまったくもって、かなめくんならではだよなあ。
 このポーラには、このエドだったんだ。
 この物語は、白華れみと凰稀かなめだったんだなあと思う。

 
 で、わたし実は冒頭とラストの、中年エドがダメだったんですが。
 エドが、というより、かなめくんが。

 うわっ、似合わねええ。

 ヒゲも似合わないし、中年演技もダメ過ぎる(笑)。
 きれいな女の子がヒゲつけても、おっさんには見えませんよっていうか。ヅカファン以外の人が想像する「タカラヅカ」みたい。
 ほんとかなめくん、芝居できない人なんだなー。あ、訂正、できる役が限られている人なんだなー。

 と、あまりの似合わなさにツボったくらいだ。

 彼と芝居をするマリー@音波みのりちゃんがふつーにうまいので、余計にかなめくんのナニも出来なさぶりが目に付くわけなんだが。

 だがしかしっ。

 その「老け役出来ません」「つか、等身大以外出来ません」なところも含めて。

 彼が「タカラヅカ」であることに、震撼した。

 冒頭のびみょーな老け役で首をひねり、せっかくのいい物語をじっくりしっとり味わったあと、またびみょーな老け役で登場されて「あの話のあとにコレになんのかよ?!」とツボり(笑)、さらに駄目押しというか、極めつけ。

 空気読まない、「タカラヅカ」なフィナーレ、スタート!!

 ちょ……っ、ジョルジュが立って踊ってるー!!(笑) キザってるー!! 釣ってるー!!

 いやもお、フィナーレはじまった途端、笑いましたよ。
 まさかこの話で、この流れで、ふつーにフィナーレやるとは思ってなくて。

 もちろん、フィナーレでもないとやってらんない面もあるけど、それはそれとして、空気感としてこりゃナイなと。びっくりだなと。
 『舞姫』終演後に、ノリノリなフィナーレがどっかーんっと披露されたよーな感じ。

 しかしわたしはどんな場合も「フィナーレ肯定派」です(笑)。
 どんなシリアス芝居も号泣の悲劇芝居でも、「それはソレとして!」と突然キラキラきゃーきゃーのフィナーレがはじまるのは全肯定です。
 だってソレが「タカラヅカ」だから!

 空気をぶった切ってはじまったフィナーレに笑いツボ直撃されたのと同じ感覚で、かなめくんの老け演技も愛しいのです。
 あの現実ではあり得ない美青年は、現実ではありえないからこそ、年を取ることも出来ず、こーやって「ヒゲさえつければおっさん」と無理な姿を披露しているのです。

 ああ、タカラヅカっていいなあ、ほんとに。

 不幸の権化だったポーラも、フィナーレでは笑っているのよ、きれいに。
 エドとデュエットダンスしちゃったりするのよ。

 好きだわ、ほんと。
 で、どーしても引っかかるのはジョルジュ@ベニーだ。

 演技に正解なんてものはナイにしろ、さて、彼はアレでいいのか。

 『リラの壁の囚人たち』はタイトルが複数形なこともあり、主役やってるかなめくんがアレだということもあり、とっても群像劇で、誰が主役というほど抜きんでて主役でもなかった気がする。
 いちおーエド@かなめくんが主役らしいけれど、彼はただの視点であって彼自身がアクティヴになにかするわけでもないし。

 動かないセット、箱庭の宇宙。あの空間そのものが、「主役」だったような。

 ナチス占領下のパリの、袋小路の人たちの物語。
 物理的に袋小路の中庭での出来事、というよりも、精神的にどこへも行き場のない人たちの、やるせない物語。

 タイトルを具現しているのはヒロインのポーラ@れみちゃんだと思う。
 リラの壁に囚われた人。

 ナチスさえいなけれりゃどこへでも行けるエドと違い、ポーラは結局どこへも行けないと思う。
 彼女の心は檻の中。

 だから彼女は悲しい。

 彼女を捕らえる檻、彼女を縛る蔦のような枷、そのひとつが婚約者のジョルジュ。

 戦争のため、車椅子生活になってしまった青年。
 ヒステリックなDV男。

 彼の父ルビック先生@にしきさんや、婚約者のポーラを見ても、彼が最初からあんなにひどい人間でないことはわかる。
 人格的に問題のない人たちの間で良好な人間関係を築いていられたんだから、ふつーに良い青年だったんだろう。
 それが戦争で、人が変わってしまった、と。

 自分の足で歩けなくなっただけでなく、女性を愛することも出来なくなったのかなあ、と勝手に思う。ポーラに対する暴力、エドへの過剰な嫉妬はそのためもあるかなと。

 ジョルジュ自体はそれほど出番があるわけでなく、登場するたびいつもきーきーわめいていてウザイことこの上ない(笑)。
 でもほんとのとこ、タイトルを表しているひとりなんだよな。ポーラの相手役、ポーラの枷。リラの壁の檻から出られない、囚人。

 少ない出番、しかもヒステリックに騒いだり暴力振るったりピストルちらつかせたりで、いつもせわしないんだが、彼自身を含めた周囲のすべてでもって、彼の持つ複雑さや歪みが浮かび上がってくる。
 いろんなものが、彼の中で渦を巻いているのだろうと。それゆえにあんなにきーきーうるさくなっちゃってるんだろうと。

 後半に、ジョルジュのソロがある。
 ほんとはポーラを愛しているのよね! ほんとはいい人なのよね! とかゆーことにたどり着くとか、こんなに苦しんでいたのね! と気づかされるということもなく。
 わざわざ彼に一場面あることで、彼の位置づけが完了したので助かった、わたし的には。

 ジョルジュはとにかく、ウザい。
 出てくるとそれだけで不快(笑)。
 「見たくない」と思うモノすべてが、彼に詰め込まれている。

 不幸体質のポーラはダメンズ・キラーというか、アレな男にしか惚れられないという典型的なだめんず・うぉ~か~ぶり。(主役のエドも含まれてますわよ、もちろん・笑)
 脅迫ストーカーのジャン@しーらんもひどいしウザいが、ジョルジュのウザさはまた格別。
 立ち聞きばっかでプライバシーのない袋小路にて、次から次へと立ち聞きした人たちが現れるよーな作りの不思議な芝居で、とにかくジョルジュが出ると不快指数が跳ね上がる。

 引っかかるんだ。彼のコワレっぷりが。

 群像劇のなかのひとつ、出番自体はあまりない……のに、彼に引っかかる。無視できない。苛っとする。

 こんだけウザくてそれでただの脇役だったら、すごく嫌だな。
 無意識に、そう思っていたんだろう。

 だから彼の真情を吐露するソロ場面があって、良かった。
 ああ彼は脇役じゃなかったんだ、それまでどんだけちょろっとしか出てなくても描かれてなくても、重要なキャラクタだったんだ。そう思って良かったんだ。

 彼に苛ついていたのは、正解だったんだ。

 自分の気持ちの位置づけが出来て、すとんと納得した。
 で、そのベニーの熱唱・熱演なんだが、それによってジョルジュ自身が「こんな人だったのね!」とは別に思わなかった。
 ソロでやっていることといえば、結局のところ今まで見えていたモノをもう一度まとめておさらいしてくれたぐらいのことで、なにも新たな情報はなかったし。

 そう、わざわざ思わせぶりに彼のソロがあるのに、新たな情報はナイし、それゆえのカタルシスもナイの。
 それまでの出番で、彼がどういう人か、ちゃんと伝わっていて表現されていているから。とっても「今さら」感。
 ただ作劇の「お約束」で、「ソロがわざわざある人はメインキャラですよ」とわかったことのみに、すっきりする。ここに焦点合わせていいんだ、と。

 ジョルジュ単体でどうこうではなく、「囚人たち」……複数形の物語であるゆえだと思う。
 てゆーかこの物語、誰がいきなりソロを歌い出してもアリだと思う。

 ジャンが突然舞台にひとり残り、歪んだ愛だの生き方だのを独唱しだしても、ナチスのギュンターさん@みやるりが突然立場と愛の狭間の苦悩ソング歌い出しても、「あ、この人メインキャラだったんだ」と納得して受け入れるんじゃね?
 モランさん@美城れん氏が過去の恋バナをうっとり歌ってくれても、今の情勢を嘆く歌を歌ってくれても、なんでも納得、しっくりくる。

 そーゆー物語なんだと思う。
 

 で、ベニーの演技、アレはいいんですか?

 演技に正解も間違いもないんだろうけど、ジョルジュ役ってあんなに最初から狂ってていいのかなあ。
 つかアレ、ふつーに「変な人」なんだが(笑)。

 ベニーの場合、その美貌で車椅子、つーだけでわたしの視覚にがつんがつんクる。
 脚本的に「いい人」としてはまったく描かれておらず、出てくるたびに最低最悪、毒をまき散らしていく。
 その姿があまりにも、どっかんどっかんしていて。(わかりにくい擬音表現)

 えーとその、ぶっちゃけ、面白い。

 笑える、という意味ではなく、interesting。

 ったくこいつ、苛つくわー、ウザいわー。
 気になるわー(笑)。

 んで。

 萌えるわー。

 ジョルジュっていうのはこんな人でこんな風に考えているんですよ、という説明はないけれど、見えているモノだけでなんとまあいろいろ妄想できることか。

 その衝撃的な最期も含めて。

 結局ポーラもジョルジュも、檻を出ることは出来なかった。
 彼らのカルマは薄くない。エドなんて薄い男がどうしたところで、太刀打ちできるよーなもんじゃない。

 最後でなんか改心して!とか、解放・昇華して!とか、そーゆーこともないまま、歪んだまま壊れたまま、人生がぶちっと断ち切られる。
 それについての解説はナニもない。

 そんな彼らの人生を、存在を当たり前に飲み込んで、花は咲き、春は訪れる。毎年。

 
 ベニーのあの演技が正しいのかどうか、かなり疑問っていうかやっぱりチガウんぢゃないかなと(笑)、思いつつも結局のところ、彼の演じるジョルジュが好きだ。
 わたしは、凰稀かなめを赦しているのかもしれない。

 そう思った。

 や、ゆるすもゆるさないもナイですよ、かなめくんはナニもしてません。つか、わたしとはなんの関係もない芸能人、雲の上の人。
 かなめくんに限らず、すべてのジェンヌ、演出家含めスタッフ等、実生活でなんの関連もないので、そもそも利害も愛憎も別次元の存在です。

 でも良い作品を観たら、出演者や作者に「ありがとう」と思うように、勝手になにかしら思い入れるわけです。

 そんでもって、役者としてのかなめくん。
 特技は美貌で、それ以外はよくわかんない。時折ツボにジャストミートするんだが、概ねあまり好みセンサーには引っかからない。足りないと歯がゆく思うことも多々あり。

 だがしかし。

 結局のところわたしは、彼の「キャラクタ」を愛でているのだと思う。認めているのだと思う。
 出来ないことだらけ、足りないことだらけで、歯がゆいこともじれったいこともたしかだけれど、それでもいいんだ。
 赦せてしまえるんだ。

 これが「凰稀かなめ」なんだ、と。

 そしてこの「凰稀かなめ」っぷりは、わたしの好みとは違っているはずなのに、彼のことを考えるとなんだかあたたかいキモチになる、ほわほわとうれしくなる。
 って、わたし結局、彼のこと好きなんだ?
 いやその、ずっと好きだったと思うけれど、なんか改めて思う。

 英国の天然タラシ男エドって、どうなのよ?! と(笑)。

 星組バウ公演『リラの壁の囚人たち』のことです。

 初演は観てません。わたしがヅカヲタになる前の公演ゆえ。
 ただあとになってビデオで見た。トドロキ目当てに。
 目当てに見るにはあまりに出番が少なくてびっくりした……が、当時トドは研3ですか。役があるだけでもめっけもん。また、トドの相棒は天海祐希、研1だっけ? ふたりそろって大根だった……(笑)。学年からすりゃ当然なんだが。
 トドと天海がコンビ組んでた……って、今思うとすごい並びだな。

 映像は映像でしかなく、当時もわたしはナマ舞台にしか興味がなかった。舞台中継映像はあらすじを確認するとか、出席表にハンコを押してもらう程度の意義。人と話すときにあらすじもわかんないとつまんないし、ぐらいの感覚で眺めただけ。
 ビデオはカットされている部分もあるし、キャストの顔ぶれとあらすじ確認でしかナイ身には、作品自体の良さも意味もわからず終了。

 当時のビデオも発掘し、「見比べる」楽しみを得るために観劇前に見ておくか、新作として楽しむためにあえて見ないでおくか、迷った。

 結局忙しくてビデオを見るヒマはないまま、なし崩しにバウへ行くことになっちゃったんだけど。

 
 ここんとここんな話ばかり観ている気がする……ナチス占領下のパリ。
 下町の袋小路の中庭に逃げ込んだレジスタンスのエドワード@かなめくんは、なんやかんやでその庭に面した建物に住む人たちに匿ってもらうことになる。
 大都会パリの下町なので、建物ひとつとってもいろんな人たちが住んでいる。様々な人々、思惑の交差する中、エドはそのへんの人たちをタラシていく。って、えええ。そんな話?!

 ナチス支配によって時が止まったパリ、壁に囲まれた「いつもの場所」「いつもの顔ぶれ」ゆえに時の止まった人々、そこへ混ざってきた異分子・異邦人の超イケメン。
 黒船によって安寧が乱れるのはお約束、投げ入れられた小石は波紋を生み、さまざまに化学反応していく。

 変わらないセット、時代の暗さとそれでもオシャレなパリ、袋小路。

 いやはや、語るべきところはいろいろあるが、それにしたって、あの天然タラシ男。

 フランスのレジスタンスとして活動をしていますが、エドくんはフランス人ではありません。
 英国情報部将校、という、なんだかなーな肩書き持ちです。
 なんでなんだかなーかというと、すごく嘘くさいからです。

 厨な人が脳内で萌えなオリジナル物語を作るときに、「主人公はクールビューティな執事様なんだけど、実は凄腕の傭兵だったという過去があって……」とか、すごくてきとーな経歴だの暗い過去だのを山ほどつくってムヒムヒする感じ、というか。
 下手な肩書きナシの方がかっこいいのに、と大人になってからは思うけど、若いころは「元殺し屋」とか「なんとか軍の将校」とか「IQ200の天才」とか、訳アリな肩書きがあるとすごいと思い込んでいたなあ、みたいな。
 現在の行動がかっこよければ肩書きなんかいらない……むしろ肩書きに似合わないメンタリティや言動しかしないとプゲラになるっつーことを理解していなかったというか。設定だけ「天才」でも思考回路や言動の元になる知性が中学生の妄想レベルだと意味ねーっつーか。

 そういう意味で、エドくんの「英国情報部将校」つーのが嘘くさい……つーか、むしろ「いらん設定」に思えます。
 英国人でもいいから、ヒラでええやん……。やってることがなさけなさすぎるんやから。

 なんの訓練も受けていない、愛国心や義侠心でレジスタンスとして闘っている若者、ならちょっと腕っ節が強い場面を見せるだけでも「すごい!」と思えるけど、仮にも英国情報部将校様が、負けて追われて一般人に匿われて、どこへも行けずにのらくらナニもせずに過ごしているところだけで2時間引っ張る物語は、どうかと思う(笑)。
 物語の趣旨が、行き場のない人々を描くことなんだから、主人公もタダメシ食いのニート化してそこにいるしかないわけなんだけど、それなら肩書きがナイ方がよくね?と。
 そのご立派な肩書きの似合う人ならともかく……。

 いやまあとにかく、お陰様で、あのヘタレ風味漂う素敵なエドくんが、よりによって「英国情報部将校」という肩書きゆえに、ヘタレ度がさらに気前よくアップしていて素晴らしい、と(笑)。

 んな肩書きでやってることはソレなのかと(笑)。

 やってること……天然タラシ男(笑)。

 男も女もその美貌でタラシまくる。オトシまくる。
 そして最悪なことに、自覚、ナシ。

 奇跡の芳香を放つ草食系美男子。
 肉食系女子だけに留まらず、彼を目にした者たちは皆それまでの属性を捨て、肉食獣へ変わるという。

 周囲の生態系を破壊したくせに、本人は無自覚。実際彼、ナニもしてないし。周りが勝手にわいのわいのとやってるだけだし。

 ナニこの男。
 どこの最終兵器?

 そういう役でそういう脚本なんだろうけど、あまりにナニもしなさすぎる主人公。
 こーゆーのを、しどころのない役、というのかもしれない。
 きれいな人が、きれいに微笑んで立っているだけ。歌っているだけ。

 ……なんだけど、その説得力や、如何に。

 とんでもないなあ、凰稀かなめ。
 演技してるんだかしてないんだか、よくわかんないまま、その美貌で天下を取る。
 クライド@『凍てついた明日』とどこがチガウんだかわかんない頼りなさで、それでも「キャラ勝ち」だと思う。
 こんだけなにやってんだな姿で、ソレでもアリだと思う、OKだと思う。

 わたしは、凰稀かなめを赦しているんだなと思う。

 
 『リラの壁の囚人たち』、たのしかったっす。
 月組『スカーレット・ピンパーネル』、役替わりについて。

 まさおショーヴランばかり見ていたので、みりおショーヴランは最後に1回すべり込みで見ました。他意はない、そんなスケジュールだったんだ。

 ヒゲみりお、かっけー!!

 すげーイケメン!! ナニあのイイオトコ!!
 ヒゲをつけてなおおっさんにはならないあたりが、みりおくんの素晴らしいところですな。とても旬な麗しいおにーさんでした。
 美形ってすごいな、なにやったって美しい。

 ヒゲ=ワイルド、というのも短絡的かもしれないけれど、男らしい男に見えた。
 直情的で一途で視野が狭くて、「友情・努力・勝利」が大好きで、「正義は勝つ」と心から信じている、純粋な男。
 正しさや純粋さが焦げてしまったら、ただの暴力になるんだなあ、という。

 とても単純なキャラに見えて、そこがツボでした。こーゆー男好き~(笑)。

 
 役替わりというのは、最初から別の演技プランを提出しているの?
 「ボクはこーゆーキャラでいきます」「んじゃかぶらないよーに、ボクはこのキャラで」と? あるいは演出家が決めているの? 「まさおは病的に、みりおは短絡的に」とか?
 で、そのプラン通りに演出家はいちいちお稽古して、他の役者も合わせて演技しているの?

 それとも、分け隔てなく「ショーヴラン」というテンプレなお稽古をやっただけなのに、あそこまでキャラは違ってくるモノなの?

 まさおとみりお、ふたりのショーヴランはあまりに違いすぎて、愉快でした。

 Wキャストや特出で、いろんな人がいろんな役をやるのを見たけれど、ここまでキャラクタがチガウのもめずらしいなと。
 役者が変われば印象は変わるけど、キャラクタ設定自体違っているのでは? てくらいチガウことは、あまり記憶にない。
 それくらいショーヴランが大きな役で、個性の差がはっきり出やすいんだろうけど。

 まさおの病みっぷりが変だったのか……? あの人、変質者みたいデシタヨ?

 普通の人 ← → 病んだ人
 みりお れおん 麻尋 まさお

 って感じかなあ。麻尋は狂ってたけど、病んではいなかったしな(笑)。この図式はあくまでも私感なので、意義はありまくると思いますが。 
 あ、ゆりやくんは、わたしにはよくわかんなかったのではずしてます。

 この図に明暗の概念を加えると、

 派手(爆発!)← →地味(内にこもる)
 れおん 麻尋 みりお     まさお

 れおんはほんと「スター!」って感じで、みりおは「正統派」な感じ。
 まさおはどこへ向かうのかわからん(笑)。

 とにかく、どのショーヴランも魅力的なので、「ショーヴラン」という役自体がイイんだよなー。
 いろんなショーヴランが見られてうれしい。楽しい。

 
 んで今回の役替わりで、ある意味目覚めたのが、アルマンというキャラ。

 初演のときはわたし、「ぴっかぴかの路線スター様がやる役にしては、しどころのない役だな」と思ってたんだけど。

 役替わりだと、面白いねっ!(笑)

 月組初日の段階で、「アルマンがおバカキャラじゃない!」と開眼していた。
 初演では空気読めない足手まといおバカキャラだと思っていた。取り柄は顔だけという。(ソコがいじり甲斐があって、かわいかった)
 しかしみりおくんのアルマンは、別におバカには見えなかった。知性があるように見えたんだ。
 なんだよ、アルマンってふつーに美形の役じゃん! 好青年じゃん! と驚いた。

 そして、最後にまさおアルマンを見て。

 ナニ、あのネタキャラ?!

 初演で「おバカなくせに、それを自覚していないバカ。一見涼しげな美形」だったのをさらに斜め上にパワーアップして、「見た目からダメダメな甘い美形」になってる?!
 パリのあの暗い町並みにそぐわない、キラキラ縦ロールとおリボン姿。アルマンって、あの髪型で生活してんだよね、あ・の・パリで。イギリス紳士たちの間にまざってなお「パリの人って、こんなん?」なキラキラぶり。

 あまりにスウィートな王子様っぷりに、彼がどんなヘタレたことをしてもさもありなん、なんの違和感もナイっ!
 そうか、和くんは見た目とギャップがあったからおバカでとほほに見えたんだ。見た目はふつーにかっこよかったもの!
 まさおは見た目からして浮いてるから問題ナシ!(笑)

 アニメやゲームにいます、こんなキャラ。美形イロモノ。
 いやはや。

 秀逸なのは、なんつっても拷問されるアルマン。

 鞭打たれ、倒れたあとに「……あっ」と声を漏らすのは、なんのプレイですかっ?!
 狙ってやってるのか、素なのか。
 何故ソコで悶える?! 観ているモノを悶えさせようという魂胆か?!

 みりお×まさおはイイですなっ。

 みりおショーは、まっすぐな人だと思うの。革命が歪んでしまったことで彼も歪んで暴走しているけれど、昔はほんとに純粋に夢を信じて走るひたむきな若者だったと思うのね。
 んで、まさおアルマンは昔も今も変わらず、甘甘なおぼっちゃま。

 まっすぐ健康な革命の闘士だったショーヴランと、キラキラ美少年アルマンの昔話が見たいです。姉の恋人だったんだから、一緒に食事したり、休みの日にピクニックに行ったりドライブに行ったり、したかもしれん。いやしたよなショーヴランはきっと家族を大切にすると思うのよ不遇な少年時代の反動で恋人の弟はオレの弟だよしキャッチボールなんかしちゃうぞショーヴラン兄さん強いだろうはははそうか尊敬してるかそうだろうそうだろういじめられたら言えよ兄さんが守ってやるそうか兄さん大好きか可愛いこと言うよなこいつ。
 アルマンを鞭打つショーヴランのアタマの中に思い出がキラキラと浮かんで消えたとかなかったとか(笑)。

 たのしいなヲイ。

 まさおショーとみりおアルマンでも、みりお×まさおだよね?

 強く正しいアルマンと、弱く病んでいるショーヴラン。アルマンは強いモノ、正しいモノの傲慢さで、ショーヴランのプライドを踏みにじり、憤慨する彼を見てこっそり笑うのねっ。ショーヴランを憐れみの目で見ちゃったりするのよね、それくらいするよね、みりおアルマンなら!! いや、やってくれ!

 本気で楽しくなってきたので、このへんでやめときます(笑)。

 まさみりがいいコンビなのかどうかわからないけれど、今回の公演ではなかなかどーして良い味が出ていました。
 役替わりばかりで、役者への負担も大きいし、月組の落ち着きのなさ(役替わりがなかった公演って、ここ数年でトップ退団公演のみって?!)ゆえに劇団への疑問はあるにしろ。
 
 ジェンヌたちはいつも、誠心誠意取り組んで、素晴らしいものを見せてくれる。
 それを受け取り、素直に楽しんだ。

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