子どもの王国。@シャングリラ-水之城-
2010年3月16日 タカラヅカ 『シャングリラ-水之城-』にて、とりあえず、アイス@ともちんに食いついておきます(笑)。
や、ともちんスキーとして! 基本事項なので!(笑)
とりあえず、と言ってしまうのは、アイスさんがとってもステキにトホホさを持っているため。いやその、アイスさんだけじゃなく、この作品の人々はみんななにかしらトホホなんですけどね(笑)。
えーと、シャングリラの影の支配者。コドモばっかの王国でラスボス気取ってる恥ずかしいオトナ(笑)。
もともと孤児を拾って託児所経営していたようだが、彼の子育ては間違いまくっていたらしい。自分が育てた子どもだけで夢の王国作って、自分が君臨って、どこの黒トカゲ様@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』だ。黒トカゲ様はものすごい人数の孤児を変な格好で踊らせていたけど、アイスさんたらたった4人だよ、子ども。そのスケールのミクロさにかえって感心する。
子どもだから唯一のオトナのことを信じ従ってきたけど、年齢がアイスさんに一番近かったらしいソラ@ゆーひさんは、他の子たちより先にオトナになったので、分別がつくなり即脱走。そりゃそーやろ。
あの警備も皆無、誰でも自由に入れます暴れられます、な謎の秘密基地(笑)で、巨大な大人が王様ごっこやってるんじゃあなあ。
かっこいいんですよ、ともち。
あの体格、あの厚み、わざとらしい(笑)ロン毛。アニメのお約束全部踏襲した感じが、ミツルギ@『逆転裁判2』に続いて演じるのに良いキャラクタかと。や、あそこでついたファンを逃がさない意味で(笑)。
そして、ともちの美点だと思っている、あの温度。
クールビューティにはなれないですね、彼。
ソラ@ゆーひがクール過ぎて愉快なことになっているのに、アイス@ともちはホット過ぎて愉快なことに。……こいつら、面白すぎる。
すべてはアイスの陰謀だった! 自分に逆らったソラを、アイスは抹殺しようとしたんだ! ……てな話の運びの中で、ソラが「てことになってるけど、実はアイス、オレのこと逃がそうとしたよね?」と突っ込んだときの、アイスの、バツの悪そうな顔!(笑)
脚本上では、ホットな主人公とクールな悪役の会話なのに! クールな悪の意外な一面、それを理解しているイカス主人公の場面なのに!
主人公のツッコミがクールで、悪がハートフルで、ナニ、この漂うトホホ感!!
そして、ソラの容赦ない冷たいコトバのヤイバで、アイスが寂しがり屋の構ってちゃんだと暴露される。
自分の言葉しか信じないよう育てた自分の子どもたち、自分だけの王国。
誰も彼を傷つけない、彼だけに都合の良い子どもの城。そこで君臨する裸の王様アイスは、利己的な暴君ではなく、まさしく「子どもの心」でしか生きられなかった男。
「199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった」……という、日本一有名な(笑)フレーズの作品に登場するサウザー様と同じ設定ですな。子どもばかりの王国でふんぞり返っていた王様は、実は誰よりも愛情深いがゆえに、そーゆー歪んだ王国を作っていた、という。
大好きなおもちゃだけで囲んだ、「ボクのお城」。ボクを絶対に傷つけないモノだけだったはずなのに、人形のひとつが逆らった。だから城の外へ放り投げる。……でも、大好きな人形だから、壊れてしまわないよう、気を付けて。
結局彼は、自分も自分のお人形もお城も、なにひとつ傷つけるだけの気概も覚悟もなかったんだ。
ママにおねだりして買ってもらえず「ママのバカ、しんでやる~~!」と泣く子どもが、ただ泣くだけで自分のカラダに傷ひとつつけるはずがないように。
そーゆー恥ずかしいハートを持った、誰より巨大な大人のアイス。
アイス自身、「恥ずかしいよなオレ」と内心思ってはいたんだろう。自覚があるからこそ余計頑強に殻に閉じこもって、攻撃的になって。コンプレックスを隠すために、無意識は幾重にも発動する。
いや、作者は「ピュアな心」と思って書いているのかもしれない。お約束だから(笑)。サウザー様だって、「誰よりも愛深きゆえに!」なわけだし。「本当はいい人」だけど、時代とか対外的なモノが理由で道を誤ってしまった可哀想な人、というお約束のラスボス。
だからアイスはツンツンツン、心の鎧でツンツンツン。
それを、我らがクールビューティ主人公は、めっちゃバッサリ突いてくる。
ちょっとソラ、少しは気を遣ってやってよ、ソレ言っちゃオシマイだから! 「べ、別にアンタのためにやったんぢゃないんだからね!(赤面)」てのがアイスの信条なんだってば、ツンデレに余計なツッコミはしないのがお約束っつーか、優しさってもんでしょう? なんでそークールなのよアンタは(笑)。
「本当はいい人」というか、「寂しがりさん(はぁと)」だと暴露されてしまったアイスは、自暴自棄になってホットなハートのいい人さを全開に、みんなのためにお亡くなりになりました。
……ソラが追いつめなければ、あんなことにならなかったのに(笑)。
主人公と悪役の魂温度がまちがっているために、せっかくのクライマックスで笑いツボ直撃されて困りました。
いやはや、大好きです、クールなゆーひさん、そしてホットなともち。
素直にわたしは、ソラ×アイス派です。逆ぢゃないですよ、右側はアイスです(笑)。ただし彼の片想い。ソラさんはいいS具合だと思いますよ。無意識というか、他人に興味ないまま、ピュアハートのアイスさんをびしばし傷つけて下さい。言葉責めがスタンダード、標準装備ですね。
楽しいですね、『シャングリラ-水之城-』。
や、ともちんスキーとして! 基本事項なので!(笑)
とりあえず、と言ってしまうのは、アイスさんがとってもステキにトホホさを持っているため。いやその、アイスさんだけじゃなく、この作品の人々はみんななにかしらトホホなんですけどね(笑)。
えーと、シャングリラの影の支配者。コドモばっかの王国でラスボス気取ってる恥ずかしいオトナ(笑)。
もともと孤児を拾って託児所経営していたようだが、彼の子育ては間違いまくっていたらしい。自分が育てた子どもだけで夢の王国作って、自分が君臨って、どこの黒トカゲ様@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』だ。黒トカゲ様はものすごい人数の孤児を変な格好で踊らせていたけど、アイスさんたらたった4人だよ、子ども。そのスケールのミクロさにかえって感心する。
子どもだから唯一のオトナのことを信じ従ってきたけど、年齢がアイスさんに一番近かったらしいソラ@ゆーひさんは、他の子たちより先にオトナになったので、分別がつくなり即脱走。そりゃそーやろ。
あの警備も皆無、誰でも自由に入れます暴れられます、な謎の秘密基地(笑)で、巨大な大人が王様ごっこやってるんじゃあなあ。
かっこいいんですよ、ともち。
あの体格、あの厚み、わざとらしい(笑)ロン毛。アニメのお約束全部踏襲した感じが、ミツルギ@『逆転裁判2』に続いて演じるのに良いキャラクタかと。や、あそこでついたファンを逃がさない意味で(笑)。
そして、ともちの美点だと思っている、あの温度。
クールビューティにはなれないですね、彼。
ソラ@ゆーひがクール過ぎて愉快なことになっているのに、アイス@ともちはホット過ぎて愉快なことに。……こいつら、面白すぎる。
すべてはアイスの陰謀だった! 自分に逆らったソラを、アイスは抹殺しようとしたんだ! ……てな話の運びの中で、ソラが「てことになってるけど、実はアイス、オレのこと逃がそうとしたよね?」と突っ込んだときの、アイスの、バツの悪そうな顔!(笑)
脚本上では、ホットな主人公とクールな悪役の会話なのに! クールな悪の意外な一面、それを理解しているイカス主人公の場面なのに!
主人公のツッコミがクールで、悪がハートフルで、ナニ、この漂うトホホ感!!
そして、ソラの容赦ない冷たいコトバのヤイバで、アイスが寂しがり屋の構ってちゃんだと暴露される。
自分の言葉しか信じないよう育てた自分の子どもたち、自分だけの王国。
誰も彼を傷つけない、彼だけに都合の良い子どもの城。そこで君臨する裸の王様アイスは、利己的な暴君ではなく、まさしく「子どもの心」でしか生きられなかった男。
「199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった」……という、日本一有名な(笑)フレーズの作品に登場するサウザー様と同じ設定ですな。子どもばかりの王国でふんぞり返っていた王様は、実は誰よりも愛情深いがゆえに、そーゆー歪んだ王国を作っていた、という。
大好きなおもちゃだけで囲んだ、「ボクのお城」。ボクを絶対に傷つけないモノだけだったはずなのに、人形のひとつが逆らった。だから城の外へ放り投げる。……でも、大好きな人形だから、壊れてしまわないよう、気を付けて。
結局彼は、自分も自分のお人形もお城も、なにひとつ傷つけるだけの気概も覚悟もなかったんだ。
ママにおねだりして買ってもらえず「ママのバカ、しんでやる~~!」と泣く子どもが、ただ泣くだけで自分のカラダに傷ひとつつけるはずがないように。
そーゆー恥ずかしいハートを持った、誰より巨大な大人のアイス。
アイス自身、「恥ずかしいよなオレ」と内心思ってはいたんだろう。自覚があるからこそ余計頑強に殻に閉じこもって、攻撃的になって。コンプレックスを隠すために、無意識は幾重にも発動する。
いや、作者は「ピュアな心」と思って書いているのかもしれない。お約束だから(笑)。サウザー様だって、「誰よりも愛深きゆえに!」なわけだし。「本当はいい人」だけど、時代とか対外的なモノが理由で道を誤ってしまった可哀想な人、というお約束のラスボス。
だからアイスはツンツンツン、心の鎧でツンツンツン。
それを、我らがクールビューティ主人公は、めっちゃバッサリ突いてくる。
ちょっとソラ、少しは気を遣ってやってよ、ソレ言っちゃオシマイだから! 「べ、別にアンタのためにやったんぢゃないんだからね!(赤面)」てのがアイスの信条なんだってば、ツンデレに余計なツッコミはしないのがお約束っつーか、優しさってもんでしょう? なんでそークールなのよアンタは(笑)。
「本当はいい人」というか、「寂しがりさん(はぁと)」だと暴露されてしまったアイスは、自暴自棄になってホットなハートのいい人さを全開に、みんなのためにお亡くなりになりました。
……ソラが追いつめなければ、あんなことにならなかったのに(笑)。
主人公と悪役の魂温度がまちがっているために、せっかくのクライマックスで笑いツボ直撃されて困りました。
いやはや、大好きです、クールなゆーひさん、そしてホットなともち。
素直にわたしは、ソラ×アイス派です。逆ぢゃないですよ、右側はアイスです(笑)。ただし彼の片想い。ソラさんはいいS具合だと思いますよ。無意識というか、他人に興味ないまま、ピュアハートのアイスさんをびしばし傷つけて下さい。言葉責めがスタンダード、標準装備ですね。
楽しいですね、『シャングリラ-水之城-』。
小鳩が首を傾げるように。@虞美人
2010年3月15日 タカラヅカ 公演スチールには、興味がない。
プログラムを全公演買っていた頃は、プログラムがあれば出演者の顔写真はすべて見られるので不要だった。昔のプログラムは大劇場のものでも2~300円と、学生のおこづかいでも十分買えたんだ。
そして、プログラムに載っているスチールが、あまり興味を持てなかった。
だってカツラも衣装も舞台とチガウんだもの。
「※写真はあくまでもイメージです」って感じで、ナマ舞台の美しさに比べ、スチールの写りは大抵みんな微妙。
プログラムを開いて、写りの善し悪し……というか、マシか悪いかできゃーきゃー言うだけのもの。
そんなものより、公演半ばで発売される舞台写真の方が重要。昔から舞台写真は買う場合があったけど、スチール写真は興味なし、売場で足を止めることすらない。
そんなわたしが、スチール写真を買った。
舞台写真未発売ジェンヌの退団記念購入以外に、自発的にスチール写真を買ったのって、平成元年『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』アラン@轟悠以来っ?!
……古いなんてもんぢゃねえな、カリンチョさん時代だよ。てゆーか、わたしがヅカファンになった公演。トドロキの美貌にくらくらきて、ヅカにハマっちゃったんだな。スチール(ちなみにモノクロ)も舞台写真も衝動買いしてた(笑)。
トド様以来の快挙。
ええ。
『虞美人』の、張良@まっつ。
いやその、買う気なんかなかったっす。ファンやってたって、今まで買ったことなかったし。(舞台写真は全買いしてるけどな)
インタビューが載っているからプログラムも買ったし、プログラムに載っていた張良さん写真は「ふーん」程度だったし。
なのに。ああ、あのに。
劇場ロビーに飾ってあるキャスト写真。キャトルレーヴ入口上にずらりとある、楕円形のアレ。
あの張良さんが。あのまっつが。
小首傾げて微笑んでますがなっ。
どどどどーしちゃったの? ナニあのかわいこぶりっこ青年。張良ってそんなキャラ?!
わたし、プログラム写真とスチール写真って同じもんだと思ってたの。微妙にチガウ場合もあることは知っているが、基本同じだと思ってた。
だからほんと興味なかったんだ。
プログラムの張良@まっつを見直してみる。
チガウ。あの小首傾げスウィ~ト・ビューティぢゃないっ。
ナニ、あのかわいこちゃんまっつが欲しかったら、わざわざスチール写真買わなきゃなんないのっ?! セコイわ、劇団、なんでかわいい方を別売りにするのよ?! うきゃ~~。
スチール売場とプログラム売場を何往復もして見比べました(笑)。や、プログラム買ったはいいけど、家に置いたままで観劇のたびに持ち歩いたりしないし。
で、トドロキ様以来、22年ぶりにスチール写真購入。
まっつってば、どこまでわたしを泥沼にオトシたら気が済むの?!
なんて悪い男。まっつのせいでわたし、どんどん深みにハマってますよ……まっつにハマるまでは、写真やグッズ買ったりしない人だったのに、ディナーショー行ったりしない人だったのに。びんぼー小市民ヅカファンとして、本拠地公演をまったり観劇するだけで満足してたのに。
まっつファンになってから、観劇回数は増えるわ、購入・自作合わせて部屋にグッズが積み上がっていくわ、どんどんダメな大人に……。
劇場では恥ずかしくてゆっくり眺められなかったので(笑)、帰宅してからまじまじとスチール写真を見てみた。
変だな、破壊力が少ない。
それほど「小首を傾げている」よーに見えない。
……劇場に飾ってあるアレは、楕円形のカットが絶妙っつーか、小首傾げ角度が、強調されてないか??
写真切り抜いた人が「これくらい小首傾げてるよーにした方が、萌えぢゃね?」って、画策したんじゃない?
劇場(だか写真屋さんだか)スタッフをも萌えさせてしまう、まっつおそるべし!!(落ち着け)
あー、美形だなー、まっつ。かっこいーなー、まっつ。
……スチール写真、楕円形に切り抜こうかな……小首傾げ角度大きくして(笑)。
プログラムを全公演買っていた頃は、プログラムがあれば出演者の顔写真はすべて見られるので不要だった。昔のプログラムは大劇場のものでも2~300円と、学生のおこづかいでも十分買えたんだ。
そして、プログラムに載っているスチールが、あまり興味を持てなかった。
だってカツラも衣装も舞台とチガウんだもの。
「※写真はあくまでもイメージです」って感じで、ナマ舞台の美しさに比べ、スチールの写りは大抵みんな微妙。
プログラムを開いて、写りの善し悪し……というか、マシか悪いかできゃーきゃー言うだけのもの。
そんなものより、公演半ばで発売される舞台写真の方が重要。昔から舞台写真は買う場合があったけど、スチール写真は興味なし、売場で足を止めることすらない。
そんなわたしが、スチール写真を買った。
舞台写真未発売ジェンヌの退団記念購入以外に、自発的にスチール写真を買ったのって、平成元年『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』アラン@轟悠以来っ?!
……古いなんてもんぢゃねえな、カリンチョさん時代だよ。てゆーか、わたしがヅカファンになった公演。トドロキの美貌にくらくらきて、ヅカにハマっちゃったんだな。スチール(ちなみにモノクロ)も舞台写真も衝動買いしてた(笑)。
トド様以来の快挙。
ええ。
『虞美人』の、張良@まっつ。
いやその、買う気なんかなかったっす。ファンやってたって、今まで買ったことなかったし。(舞台写真は全買いしてるけどな)
インタビューが載っているからプログラムも買ったし、プログラムに載っていた張良さん写真は「ふーん」程度だったし。
なのに。ああ、あのに。
劇場ロビーに飾ってあるキャスト写真。キャトルレーヴ入口上にずらりとある、楕円形のアレ。
あの張良さんが。あのまっつが。
小首傾げて微笑んでますがなっ。
どどどどーしちゃったの? ナニあのかわいこぶりっこ青年。張良ってそんなキャラ?!
わたし、プログラム写真とスチール写真って同じもんだと思ってたの。微妙にチガウ場合もあることは知っているが、基本同じだと思ってた。
だからほんと興味なかったんだ。
プログラムの張良@まっつを見直してみる。
チガウ。あの小首傾げスウィ~ト・ビューティぢゃないっ。
ナニ、あのかわいこちゃんまっつが欲しかったら、わざわざスチール写真買わなきゃなんないのっ?! セコイわ、劇団、なんでかわいい方を別売りにするのよ?! うきゃ~~。
スチール売場とプログラム売場を何往復もして見比べました(笑)。や、プログラム買ったはいいけど、家に置いたままで観劇のたびに持ち歩いたりしないし。
で、トドロキ様以来、22年ぶりにスチール写真購入。
まっつってば、どこまでわたしを泥沼にオトシたら気が済むの?!
なんて悪い男。まっつのせいでわたし、どんどん深みにハマってますよ……まっつにハマるまでは、写真やグッズ買ったりしない人だったのに、ディナーショー行ったりしない人だったのに。びんぼー小市民ヅカファンとして、本拠地公演をまったり観劇するだけで満足してたのに。
まっつファンになってから、観劇回数は増えるわ、購入・自作合わせて部屋にグッズが積み上がっていくわ、どんどんダメな大人に……。
劇場では恥ずかしくてゆっくり眺められなかったので(笑)、帰宅してからまじまじとスチール写真を見てみた。
変だな、破壊力が少ない。
それほど「小首を傾げている」よーに見えない。
……劇場に飾ってあるアレは、楕円形のカットが絶妙っつーか、小首傾げ角度が、強調されてないか??
写真切り抜いた人が「これくらい小首傾げてるよーにした方が、萌えぢゃね?」って、画策したんじゃない?
劇場(だか写真屋さんだか)スタッフをも萌えさせてしまう、まっつおそるべし!!(落ち着け)
あー、美形だなー、まっつ。かっこいーなー、まっつ。
……スチール写真、楕円形に切り抜こうかな……小首傾げ角度大きくして(笑)。
役名と役者名がごっちゃ表記に感想をば。@虞美人
2010年3月14日 タカラヅカ 記事タイトル日本語変だけどキニシナイ!(笑)
とにかく、名前がおぼえられない。
アタマ悪いんやオレ、勘弁してくれよー。
わたしがこの物語について行けたのは、なんつっても出演者の個別認識ができている、そのことに尽きる。役名はわかんないが、めぐむだめぐむ、とか、ふみかだふみか、とか、しゅん様、らいらい、アーサー……ジェンヌで区別しているのみ(笑)。
タカラヅカ自体初見の人に、どこまで理解できるんでしょうか、『虞美人』。
オープニングの赤いポピーちゃんたち。
着物をミニスカドレス的にアレンジして着ているのね、赤いタイツで脚線美披露なのね、と他意はなくオペラで衣装をちゃんと眺め……アゴが落ちた。
ぱ、ぱんつ丸出し……。
なななんであのデザイン? ミニドレス風着こなしなら、何故股間にスカートがないんだ~~。ぱんつつっーかレオタードなんだろうけど、やっぱヒラヒラで隠して欲しいなと思ったっす。ぱんつは丸出しより、チラリズムがいいっす。
で、アセって顔の確認をした。まままままさかまっつ、ここにまざってないよなっ?! まっつがぱんつ丸出しミニドレス姿だったら椅子から落ちますよあたしゃ?!
で、あわてたオペラの中心にどーんとキたのが、くまちゃんの満面の笑顔……こ、こわい……。はっ、失礼しました、天下の美女くみ様に対しそんな……!(最敬礼)
くまちゃんだけでなく、基本みんなこわかったっす。楽園の乙女たち@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』系キワモノさにあふれてるわ、アレ……(笑)。
い、いやその、かわいいんですよ、遠目には……!!(フォローになっていない)
キムシンのセンスって、ぶっとんでるなー。しみじみ。あ、上級生男役はまざってませんでした、コレも楽園の乙女たちと同じ。
この作品、「**出てきた」と思ったら次の場面で「**は死にました(事後報告)」の連続っすよ。
きちんと殺される場面がある人は幸運、つーくらい。
めぐむ出てきた、かっこいー。つか、いきなり大劇場本舞台でひとりで、ってすげー扱いだな、と思ったら、即死亡。
ふみかかっこいいかっこいい、ナニそのヒーローっぷり! きゃー!! と思ってたら、次の場面で「死にました」。
王陵@ネコちゃん、役ついてる喋ってる、トップ娘役の虞美人@彩音様を口説いてる、すげーすげー。
つかネコちゃんその悪役メイクはナニ? 眉とかがんばりすぎてる?(笑)
と思ってたら、次の瞬間「誰かわからないけど斬ってみたら王陵だった」by項羽@まとぶん。
もう死んだんかいっ?!
されどこの「もう死んだ?!」な人たちは、実は半端な通し役の人よりおいしかったりするんだよねええ。
なんせあちこちに出ている。しかも、歌も台詞もある(笑)。
めぐむ、ふみか、アーサーあたりのおいしさってば、めおくん以上じゃないだろうか。
トップとその周辺の人たちの扱いは劇団的に決められてるいるから仕方ないとして、それ以外のところでは演出家の趣味や好みが反映されるかなあ、と。
キムシン、『オグリ!』チーム好きだよね(笑)。めぐむは出てないけど、彼が唯一新公で2番手だったのはキムシンの『黒蜥蜴』だものね。
てことで、『オグリ!』で勇名を轟かせた(笑)、呂@じゅりあ、今回もすげえなと(笑)。
『太王四神記』と役がかぶりまくってるんだが、たしかにキャラには合っている。いい女役さんだと思う。可愛く演じようとか半端な気持ちがなく、潔くどーんと演じてくれるのが気持ちいい。
役が大きいだけに、路線系の娘役さんで見たかった気もするが……(たとえば、オサふー時代のあすかなら、この役をふつーにやってると思うなー)。
めおくんの扱いはどうかと思う。出番が少なくても「これが俺の顔? ……美しい♪」ぐらいのインパクトのある役ならともかく。ただ項羽にくっついて舞台にいるだけが主な仕事っつーのは。最後まで一貫して忠臣なのはイイんだけど。
めおくんと同列な感じの役、鍾離昧@輝良まさとは反対にオイシイ。今までの輝良まさとの役付きからするとびっくりだ。彼もナニ気に『オグリ!』出てたよね。
途中で殺されてしまうから出番は少なめだけど、衛布@みつるはオイシイんだよなー。
あの徹底した悪役ぶりはイイわー。
そして殺されるときが、また。
下手に台詞がナイのがいいの。彼が最後にナニを思ったか、観客に委ねられてる。そしてみつるの迫真の演技が……!! 萌えまくりっす。
この学年で子役はどうよ……?!な、稚児@一花。
たしかに今さら子役は気の毒なんだが、わかっちゃいるが、かわいすぎる。
ほんっとーにいちかすげえ。子役やらせたら天下一品。野々すみ花か桜一花か、てなもんだわ。
このお稚児さんにハァハァいってるのが宋義@まりんなんですが、似合いすぎててどうしようかと(笑)。
でもっていちか、小林少年も明智先生のお稚児さんポジションだったっつーか、キムシン作品での彼女の役って……えっと。
すごいスキルだな、まりんもいちかも。ふつーに女優やってたらありえないハイクオリティ・キャリア!
……ナニ気に、新公でこのお稚児さんハァハァなおっさん役を、みちるタソがやる、つーことに、悶絶してまつ……(笑)。
樊噲……読めんわ……もとい、ハンカイ@らいらいが、なんかすごくオイシイんですが。
らいが大劇場で喋ってるー。すげー。
しかもかわいこちゃんキャラかよ(笑)。最近らいはこっち方面で花開いてるなー。
鳳くんと瀬戸くんとトリオなんだけど、らいがもっともよく喋る。
項荘@しゅん様は期待したほどオイシクはないよーな。剣舞もあるけど、がっつりダンス!というより、ばたばたしてる場面だし、桃娘@だいもんにセンター取られるし(笑)。
アルバイトも含めて勇ましい姿を眺めるのが良いかと。ビジュアルいいよなー、やっぱ。
てゆーかわたしは、どれがアルバイトでどれが本役なのか、いまいちわかってません……。町人やってるときならともかく、あとはどっちにしろ兵隊さんだし。
王媼@ミトさん、お帰りなさい!!
ミトさんの声がすぱーんと響くと、気持ちいいなあ。
女の子たちはみんなわーーっと出てきゃーきゃーやってて、とにかくかわいい。
花娘ってほんと美形揃いだわ、かわいいわ。
劉邦@壮くんがいつも女の子担当なのがイイ。壮くんには女の子たちの黄色い声が似合う。
そんな中、戚@れみちゃんの可憐さ、清廉さが光りますなー。
出番はすごく少ないんだけど、役割は大きい。劉邦にとっての虞美人なんだよね……。
1幕は役の縛りがナイからか、プロローグ、村の女の子、後宮の美女といろんなところで他の女の子たちにまざって美貌を披露。ほんま美人さんや。
戦争物だから基本女の子たちに出番はないんだけど、兵隊さんにかなりの数、女子もまざってるよね。
目が慣れてきたら、そーゆー子たちをチェックするのも楽しそうだ。
役名のないみんなでわいわいのミュージカル場面で、いろんな子たちが台詞もらったりワンフレーズのソロをもらったりしている。
リピート観劇時の憩い場面になるぞきっと(笑)。
で。
その最初のみんなでわいわい場面で、田舎者@みちるタソの衣装がヒョンゴ先生@越後の縮緬問屋で、ひそかに凹む……(笑)。
とにかく、名前がおぼえられない。
アタマ悪いんやオレ、勘弁してくれよー。
わたしがこの物語について行けたのは、なんつっても出演者の個別認識ができている、そのことに尽きる。役名はわかんないが、めぐむだめぐむ、とか、ふみかだふみか、とか、しゅん様、らいらい、アーサー……ジェンヌで区別しているのみ(笑)。
タカラヅカ自体初見の人に、どこまで理解できるんでしょうか、『虞美人』。
オープニングの赤いポピーちゃんたち。
着物をミニスカドレス的にアレンジして着ているのね、赤いタイツで脚線美披露なのね、と他意はなくオペラで衣装をちゃんと眺め……アゴが落ちた。
ぱ、ぱんつ丸出し……。
なななんであのデザイン? ミニドレス風着こなしなら、何故股間にスカートがないんだ~~。ぱんつつっーかレオタードなんだろうけど、やっぱヒラヒラで隠して欲しいなと思ったっす。ぱんつは丸出しより、チラリズムがいいっす。
で、アセって顔の確認をした。まままままさかまっつ、ここにまざってないよなっ?! まっつがぱんつ丸出しミニドレス姿だったら椅子から落ちますよあたしゃ?!
で、あわてたオペラの中心にどーんとキたのが、くまちゃんの満面の笑顔……こ、こわい……。はっ、失礼しました、天下の美女くみ様に対しそんな……!(最敬礼)
くまちゃんだけでなく、基本みんなこわかったっす。楽園の乙女たち@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』系キワモノさにあふれてるわ、アレ……(笑)。
い、いやその、かわいいんですよ、遠目には……!!(フォローになっていない)
キムシンのセンスって、ぶっとんでるなー。しみじみ。あ、上級生男役はまざってませんでした、コレも楽園の乙女たちと同じ。
この作品、「**出てきた」と思ったら次の場面で「**は死にました(事後報告)」の連続っすよ。
きちんと殺される場面がある人は幸運、つーくらい。
めぐむ出てきた、かっこいー。つか、いきなり大劇場本舞台でひとりで、ってすげー扱いだな、と思ったら、即死亡。
ふみかかっこいいかっこいい、ナニそのヒーローっぷり! きゃー!! と思ってたら、次の場面で「死にました」。
王陵@ネコちゃん、役ついてる喋ってる、トップ娘役の虞美人@彩音様を口説いてる、すげーすげー。
つかネコちゃんその悪役メイクはナニ? 眉とかがんばりすぎてる?(笑)
と思ってたら、次の瞬間「誰かわからないけど斬ってみたら王陵だった」by項羽@まとぶん。
もう死んだんかいっ?!
されどこの「もう死んだ?!」な人たちは、実は半端な通し役の人よりおいしかったりするんだよねええ。
なんせあちこちに出ている。しかも、歌も台詞もある(笑)。
めぐむ、ふみか、アーサーあたりのおいしさってば、めおくん以上じゃないだろうか。
トップとその周辺の人たちの扱いは劇団的に決められてるいるから仕方ないとして、それ以外のところでは演出家の趣味や好みが反映されるかなあ、と。
キムシン、『オグリ!』チーム好きだよね(笑)。めぐむは出てないけど、彼が唯一新公で2番手だったのはキムシンの『黒蜥蜴』だものね。
てことで、『オグリ!』で勇名を轟かせた(笑)、呂@じゅりあ、今回もすげえなと(笑)。
『太王四神記』と役がかぶりまくってるんだが、たしかにキャラには合っている。いい女役さんだと思う。可愛く演じようとか半端な気持ちがなく、潔くどーんと演じてくれるのが気持ちいい。
役が大きいだけに、路線系の娘役さんで見たかった気もするが……(たとえば、オサふー時代のあすかなら、この役をふつーにやってると思うなー)。
めおくんの扱いはどうかと思う。出番が少なくても「これが俺の顔? ……美しい♪」ぐらいのインパクトのある役ならともかく。ただ項羽にくっついて舞台にいるだけが主な仕事っつーのは。最後まで一貫して忠臣なのはイイんだけど。
めおくんと同列な感じの役、鍾離昧@輝良まさとは反対にオイシイ。今までの輝良まさとの役付きからするとびっくりだ。彼もナニ気に『オグリ!』出てたよね。
途中で殺されてしまうから出番は少なめだけど、衛布@みつるはオイシイんだよなー。
あの徹底した悪役ぶりはイイわー。
そして殺されるときが、また。
下手に台詞がナイのがいいの。彼が最後にナニを思ったか、観客に委ねられてる。そしてみつるの迫真の演技が……!! 萌えまくりっす。
この学年で子役はどうよ……?!な、稚児@一花。
たしかに今さら子役は気の毒なんだが、わかっちゃいるが、かわいすぎる。
ほんっとーにいちかすげえ。子役やらせたら天下一品。野々すみ花か桜一花か、てなもんだわ。
このお稚児さんにハァハァいってるのが宋義@まりんなんですが、似合いすぎててどうしようかと(笑)。
でもっていちか、小林少年も明智先生のお稚児さんポジションだったっつーか、キムシン作品での彼女の役って……えっと。
すごいスキルだな、まりんもいちかも。ふつーに女優やってたらありえないハイクオリティ・キャリア!
……ナニ気に、新公でこのお稚児さんハァハァなおっさん役を、みちるタソがやる、つーことに、悶絶してまつ……(笑)。
樊噲……読めんわ……もとい、ハンカイ@らいらいが、なんかすごくオイシイんですが。
らいが大劇場で喋ってるー。すげー。
しかもかわいこちゃんキャラかよ(笑)。最近らいはこっち方面で花開いてるなー。
鳳くんと瀬戸くんとトリオなんだけど、らいがもっともよく喋る。
項荘@しゅん様は期待したほどオイシクはないよーな。剣舞もあるけど、がっつりダンス!というより、ばたばたしてる場面だし、桃娘@だいもんにセンター取られるし(笑)。
アルバイトも含めて勇ましい姿を眺めるのが良いかと。ビジュアルいいよなー、やっぱ。
てゆーかわたしは、どれがアルバイトでどれが本役なのか、いまいちわかってません……。町人やってるときならともかく、あとはどっちにしろ兵隊さんだし。
王媼@ミトさん、お帰りなさい!!
ミトさんの声がすぱーんと響くと、気持ちいいなあ。
女の子たちはみんなわーーっと出てきゃーきゃーやってて、とにかくかわいい。
花娘ってほんと美形揃いだわ、かわいいわ。
劉邦@壮くんがいつも女の子担当なのがイイ。壮くんには女の子たちの黄色い声が似合う。
そんな中、戚@れみちゃんの可憐さ、清廉さが光りますなー。
出番はすごく少ないんだけど、役割は大きい。劉邦にとっての虞美人なんだよね……。
1幕は役の縛りがナイからか、プロローグ、村の女の子、後宮の美女といろんなところで他の女の子たちにまざって美貌を披露。ほんま美人さんや。
戦争物だから基本女の子たちに出番はないんだけど、兵隊さんにかなりの数、女子もまざってるよね。
目が慣れてきたら、そーゆー子たちをチェックするのも楽しそうだ。
役名のないみんなでわいわいのミュージカル場面で、いろんな子たちが台詞もらったりワンフレーズのソロをもらったりしている。
リピート観劇時の憩い場面になるぞきっと(笑)。
で。
その最初のみんなでわいわい場面で、田舎者@みちるタソの衣装がヒョンゴ先生@越後の縮緬問屋で、ひそかに凹む……(笑)。
作品を語る前に、あること。@虞美人
2010年3月13日 タカラヅカ で結局『虞美人』という「作品」がどうなのか。
贔屓組っつーのは、こまったもんだな。
純粋に作品として好きかどうかでは、観劇できなくなっている。
他の組なら、好きか嫌いか、もう一度観たいかどうかなど、素直に味わえるのに、贔屓組ときたら「コレ、20回観られるか?」が判断基準だったりするので、余分なモノがこちら側にありすぎる。
ふつーに観客として1回観る分には楽しかったり美点だったりする部分が、「20回観る」前提だと苦痛だったりするわけだから。
や、1ヶ月公演になり値上げもされた今、ひとつの公演を20回観ることはありませんが、気持ちとしては以前と同じ「贔屓組っつったら結果的に20回は観るよな?」という前提があってねえ。
こちらが特殊な状態で構えて観ているため、純粋な反応は難しいのですよ。
どんなに「作品」を好きで好きでしょーがなくても、感性ドンピシャすぎてリピートはつらかったり、反対に作品自体はどーでもいいつまらないものでも、贔屓がかっこいいからそれだけで20回が苦にならないとか。
相思相愛で観劇できることなんて、ほんっとーに稀だもんな。
近年の芝居作品で、大好きでリピートしたのは月組の『夢の浮橋』だけど、果たしてアレが贔屓組だったら素直に評価できていたんだろうか。ご贔屓の出番とか役割とかで残念な気持ちを抱いてなかったろうか。
てゆーかわたし、ご贔屓の出演している作品で、その作品、「芝居」を好きでたまらないなんてこと、何回あっただろうか。
いつもわたしが好きになるのは、ご贔屓の出ていない作品な気がする……(笑)。
ご贔屓が出演していて、なおかつ作品自体も素直に大好きでリピートしまくることができた「芝居」って、『凱旋門』『血と砂』『王家に捧ぐ歌』のみか? 20年からヅカヲタやっていながら、たった3作? ……『舞姫』もカウントしていいかなあ。でもアレ、ご贔屓が出てなかったらそこまで好きかなあ。
ショー作品なら、相思相愛だったものがいくつかあるんだが、芝居はさらに敷居が高い。ヅカ全体を見回して、おもしろい芝居っつーのが少な……ゲフンゲフン。
最初から1回観るだけ、今愉しめればソレで万歳、な見方をしているわけではないので。
キムシン作『虞美人』。
いちばん思ったことはやはり、1本モノってしんどい。でした(笑)。
や、1回観る分にはいいんだよ、1本モノだって。ただ、20回観るんだ、とか、午前午後でダブル観劇とかしちゃうんだ、とかゆー観点で見ると、作品の出来云々以前にもお、ただひたすら、2時間半ストーリーを追うのはしんどいと思っちゃうんですよ。
トシ食ったってことかなあ。若いころはそうでもなかったと思うんだがなあ。
そして、痛感する演出力の違い。
誰と?って、小池せんせとです(笑)。
記憶に新しいアジア舞台の1本物ミュージカル、どうしても『太王四神記』がある。比べちゃうんですよね、無意識にでも。
はああ、やっぱイケコの演出力ってすげえなあ。音楽が残念なのは同じくらいなのに、やっぱ演出は『太王四神記』の方が断然いいや。
(さらにイケコ作品でいうなら、『スカーレット・ピンパーネル』の方がさらにいいんだけどねー。て、アレは音楽の力もあるか)
『太王四神記』はスポンサー付き公演だったせいもあるのか、やっぱ舞台装置とか衣装とかトータルして良かったよなあ。
通常公演予算しかないにしろ、キムシンの舞台使いはやっぱとってもキムシンで、半2次元的というか、イケコのような立体感はないんだよな。もちろん、植爺や谷のような時代遅れな紙芝居ではないのだけど、キムシンの「動かなさ」も特徴的だよなと(笑)。
いっそいつものように「舞台全体を使った大きなセット」があり、その周囲にキャストが出たり入ったりする形式の方が、違和感がなかったのかもしれない。あのセットじゃあ、キャストはこう動くしかないよな的納得があって。
今回はそのテの「ひとつだけ」の大きなセットはなく、他作家と変わらないセットが場面に合わせてチョイスされているもんで、キャストの出たり入ったりぶりが単調に思えた。
また、戦闘場面少なすぎねえ?
さあこれから戦闘だー、群舞だわくわくっ、と思うと、肩透かし。
予算のない民放の2時間スペシャル歴史物ドラマみたいだ。戦闘シーンはお金がかかるからナイんだね……部屋の中で喋ってるばっかで、ロケしてエキストラや衣装や馬にお金のかかる合戦シーンはナシで、ナレーションと土煙と音とイメージ映像でお茶濁すんだー……みたいな。
戦争続きの武将モノなのに、戦闘シーンが最後の1回しかナイって、どうなのよ。や、人殺しとか残酷な場面が観たいわけではまったくなく、かっこいい派手な群舞が観たかったんだが、さわりだけのちょっとしたモノはあっても腰を落ち着けた場面がぜんぜんナイまま2時間経過っつーのはストレスだ。『太王四神記』は要所要所に戦闘シーンがあったなあ。遠い目。
……そういや『王家』も戦闘シーンは1回だけで、あとは全部カットされてたっけ(「エチオピアを滅ぼしに行きましょう!」→次の瞬間、エチオピア滅んでます)。今回もまさにそんな感じ。キムシン、戦争場面描くの好きやないんや? てゆーか、ダンス中心場面が描くの苦手なのかな。
場面ごとがセットも含めてキレイで、キャストも衣装を含めてキレイで、そのへんはさすがにキムシン、外さないなと思うのだけど。
演出的な意味でいうと、『太王四神記』よりリピートしんどいなあ、と。
理屈抜きの五感に訴えかける、立体的な演出ではないよなと。
やたら『太王四神記』と比べて申し訳ないが、初日観劇後いつもの店でいつものよーにnanaタンとごはんしてだらだらしていたわけだが、そこで聞かれたせいでもある。
「で、『太王四神記』とどっちが面白い?」
うーんうーん、どっちが面白い……面白い、ねええ? 困ったな、わたし別に、『太王四神記』を面白いと思っていたわけではナイし。
『太王四神記』初日の感想は、「すごい! けど、これって面白いの??」だったしなー。あんときはいっそサイトーくんのトンデモ演出で観てみたかった、とか思ってたっけ(笑)。
ただ、演出力では絶対イケコだよー。
「じゃあ、どっちが好き?」
あ、ソレは簡単。
『虞美人』が好き。
『太王四神記』は泣けないけど、『虞美人』は泣ける(笑)。
悲劇だから、人が死ぬから泣く、のは生理現象であって涙カウントはしない。『虞美人』に泣くのは、彼らが死んで終わるからじゃない。
死は結果でしかない。死に方が泣けるのではなく、そこにたどり着くまでにどう生きたかが重要。
彼らの生き方が、わたしの泣きツボを刺激する。
だから絶対『虞美人』が好き。
しかし、「20回観る」という偏った観点だと、いい作品なのかどうかわかんねえ(笑)。先述の3作は20回観てもぜんぜんOKだったけどなー。それらと同列ではナイもんよ、コレ。
贔屓組っつーのは、こまったもんだな。
純粋に作品として好きかどうかでは、観劇できなくなっている。
他の組なら、好きか嫌いか、もう一度観たいかどうかなど、素直に味わえるのに、贔屓組ときたら「コレ、20回観られるか?」が判断基準だったりするので、余分なモノがこちら側にありすぎる。
ふつーに観客として1回観る分には楽しかったり美点だったりする部分が、「20回観る」前提だと苦痛だったりするわけだから。
や、1ヶ月公演になり値上げもされた今、ひとつの公演を20回観ることはありませんが、気持ちとしては以前と同じ「贔屓組っつったら結果的に20回は観るよな?」という前提があってねえ。
こちらが特殊な状態で構えて観ているため、純粋な反応は難しいのですよ。
どんなに「作品」を好きで好きでしょーがなくても、感性ドンピシャすぎてリピートはつらかったり、反対に作品自体はどーでもいいつまらないものでも、贔屓がかっこいいからそれだけで20回が苦にならないとか。
相思相愛で観劇できることなんて、ほんっとーに稀だもんな。
近年の芝居作品で、大好きでリピートしたのは月組の『夢の浮橋』だけど、果たしてアレが贔屓組だったら素直に評価できていたんだろうか。ご贔屓の出番とか役割とかで残念な気持ちを抱いてなかったろうか。
てゆーかわたし、ご贔屓の出演している作品で、その作品、「芝居」を好きでたまらないなんてこと、何回あっただろうか。
いつもわたしが好きになるのは、ご贔屓の出ていない作品な気がする……(笑)。
ご贔屓が出演していて、なおかつ作品自体も素直に大好きでリピートしまくることができた「芝居」って、『凱旋門』『血と砂』『王家に捧ぐ歌』のみか? 20年からヅカヲタやっていながら、たった3作? ……『舞姫』もカウントしていいかなあ。でもアレ、ご贔屓が出てなかったらそこまで好きかなあ。
ショー作品なら、相思相愛だったものがいくつかあるんだが、芝居はさらに敷居が高い。ヅカ全体を見回して、おもしろい芝居っつーのが少な……ゲフンゲフン。
最初から1回観るだけ、今愉しめればソレで万歳、な見方をしているわけではないので。
キムシン作『虞美人』。
いちばん思ったことはやはり、1本モノってしんどい。でした(笑)。
や、1回観る分にはいいんだよ、1本モノだって。ただ、20回観るんだ、とか、午前午後でダブル観劇とかしちゃうんだ、とかゆー観点で見ると、作品の出来云々以前にもお、ただひたすら、2時間半ストーリーを追うのはしんどいと思っちゃうんですよ。
トシ食ったってことかなあ。若いころはそうでもなかったと思うんだがなあ。
そして、痛感する演出力の違い。
誰と?って、小池せんせとです(笑)。
記憶に新しいアジア舞台の1本物ミュージカル、どうしても『太王四神記』がある。比べちゃうんですよね、無意識にでも。
はああ、やっぱイケコの演出力ってすげえなあ。音楽が残念なのは同じくらいなのに、やっぱ演出は『太王四神記』の方が断然いいや。
(さらにイケコ作品でいうなら、『スカーレット・ピンパーネル』の方がさらにいいんだけどねー。て、アレは音楽の力もあるか)
『太王四神記』はスポンサー付き公演だったせいもあるのか、やっぱ舞台装置とか衣装とかトータルして良かったよなあ。
通常公演予算しかないにしろ、キムシンの舞台使いはやっぱとってもキムシンで、半2次元的というか、イケコのような立体感はないんだよな。もちろん、植爺や谷のような時代遅れな紙芝居ではないのだけど、キムシンの「動かなさ」も特徴的だよなと(笑)。
いっそいつものように「舞台全体を使った大きなセット」があり、その周囲にキャストが出たり入ったりする形式の方が、違和感がなかったのかもしれない。あのセットじゃあ、キャストはこう動くしかないよな的納得があって。
今回はそのテの「ひとつだけ」の大きなセットはなく、他作家と変わらないセットが場面に合わせてチョイスされているもんで、キャストの出たり入ったりぶりが単調に思えた。
また、戦闘場面少なすぎねえ?
さあこれから戦闘だー、群舞だわくわくっ、と思うと、肩透かし。
予算のない民放の2時間スペシャル歴史物ドラマみたいだ。戦闘シーンはお金がかかるからナイんだね……部屋の中で喋ってるばっかで、ロケしてエキストラや衣装や馬にお金のかかる合戦シーンはナシで、ナレーションと土煙と音とイメージ映像でお茶濁すんだー……みたいな。
戦争続きの武将モノなのに、戦闘シーンが最後の1回しかナイって、どうなのよ。や、人殺しとか残酷な場面が観たいわけではまったくなく、かっこいい派手な群舞が観たかったんだが、さわりだけのちょっとしたモノはあっても腰を落ち着けた場面がぜんぜんナイまま2時間経過っつーのはストレスだ。『太王四神記』は要所要所に戦闘シーンがあったなあ。遠い目。
……そういや『王家』も戦闘シーンは1回だけで、あとは全部カットされてたっけ(「エチオピアを滅ぼしに行きましょう!」→次の瞬間、エチオピア滅んでます)。今回もまさにそんな感じ。キムシン、戦争場面描くの好きやないんや? てゆーか、ダンス中心場面が描くの苦手なのかな。
場面ごとがセットも含めてキレイで、キャストも衣装を含めてキレイで、そのへんはさすがにキムシン、外さないなと思うのだけど。
演出的な意味でいうと、『太王四神記』よりリピートしんどいなあ、と。
理屈抜きの五感に訴えかける、立体的な演出ではないよなと。
やたら『太王四神記』と比べて申し訳ないが、初日観劇後いつもの店でいつものよーにnanaタンとごはんしてだらだらしていたわけだが、そこで聞かれたせいでもある。
「で、『太王四神記』とどっちが面白い?」
うーんうーん、どっちが面白い……面白い、ねええ? 困ったな、わたし別に、『太王四神記』を面白いと思っていたわけではナイし。
『太王四神記』初日の感想は、「すごい! けど、これって面白いの??」だったしなー。あんときはいっそサイトーくんのトンデモ演出で観てみたかった、とか思ってたっけ(笑)。
ただ、演出力では絶対イケコだよー。
「じゃあ、どっちが好き?」
あ、ソレは簡単。
『虞美人』が好き。
『太王四神記』は泣けないけど、『虞美人』は泣ける(笑)。
悲劇だから、人が死ぬから泣く、のは生理現象であって涙カウントはしない。『虞美人』に泣くのは、彼らが死んで終わるからじゃない。
死は結果でしかない。死に方が泣けるのではなく、そこにたどり着くまでにどう生きたかが重要。
彼らの生き方が、わたしの泣きツボを刺激する。
だから絶対『虞美人』が好き。
しかし、「20回観る」という偏った観点だと、いい作品なのかどうかわかんねえ(笑)。先述の3作は20回観てもぜんぜんOKだったけどなー。それらと同列ではナイもんよ、コレ。
清浄な光が照らす。@虞美人
2010年3月12日 タカラヅカ ぜんぜん日記が追いついてないけど、花担である以上、初日ははずせない! なんやかんやで終電で、帰宅したのが日付変わってからでいろいろくたくたなんだけど、とりあえず走り書きだけでも。
『虞美人』観劇。
項羽と劉邦、そのあたりの知識皆無、中国モノは特に苦手分野分類(名前おぼえられん)、予備知識特になし。
でも、ストーリー的には大丈夫、ちゃんとわかりまつ。今回もまっつ先生いっぱい説明解説台詞淡々と語ってくれてるし!(笑)
彩音ちゃんの、退団公演。タイトルロール。
クリスティーヌ@『ファントム』で大劇場でトップ娘役披露した彩音ちゃんが、「お兄ちゃん……」とか、神懸かり巫女とか飲んだくれとかいろいろいろいろ演じてきて、最後に演じるのがこの虞姫であるということ。
原点に、たどり着いたんだね。
彩音ちゃんはなんでもできるスターさんではなく、足りないと思うところも多々あった。正直、歯がゆいこともあった。
それでも、彼女はそんな足りない部分を補って余りある魅力を持った、押しも押されもせぬトップスターだ。
「桜乃彩音」のなにが好きか。
正統派娘役スターとしての清潔感や気品、美貌、声……それらも魅力ではあるが、わたしの中で彩音ちゃんの最大の魅力は、包容力だ。
か弱い少女であり、男の背中で守られているだけの、なにもできない存在でありながら。
美しいだけのお人形さんのように見える、自我のないつまらない女のようでありながら。
ほんとうは、彼女こそが、その男を守っている。救っている。
聖・少女。
抱いているのは彼女であり、抱かれているのが男の方なんだ。
彼女の清らかな光で、無私の愛で、男を救っているんだ。
虞美人の出番自体は大してナイと思うし、歴史物である以上女性キャラがどーんと物語を動かすこともない。
出てくるたび、項羽@まとぶんといちゃいちゃしているだけの存在(笑)。
でも。
その「いちゃいちゃ」以外に仕事がなさそうな虞が、それゆえにこそ、光を放ちはじめる。
マリー@『うたかたの恋』が、破滅していくルドルフ@オサ様を守っていたように。その心を救っていたように。
虞美人の揺るがない魂が、救いになる。
項羽の……ううん、観ている、わたしの。観客の。
荒れた世界。裏切りと、奸計と、欲と、暴力と。
そんななかに、光が射す。
虞美人という、光。
癒しの光に守られて、すさんだ心に涙が染み渡る。
彼女が、救いだ。
この痛みに満ちた世界。苦しい人生。
この光があるから、顔を上げてまた、歩き出せる。
……そーゆー光。
わたしは彼女に愛された項羽ではないけれど、項羽が救われたように、わたしも救われた……気がする。
いやまあ、プロローグの呂@じゅりあ、劉邦@壮くんのやりとりは、蛇足っちゅーかやりすぎだとは思うけど。虞と項羽に対比させてるのはわかるが。
あざとさはあるものの、癒しの光を照らす「虞美人」は、たしかにタイトルロールであり、この物語の根幹、テーマなんだろうな。
とりあえず、まっつがかっこよくて、良かった(笑)。
美青年です、ヒゲなしです!!←重要
最初、えんえんえんえん出てこなくて、「今で何分経ったんだろう……1幕出番ナイのか??」とアセりましたが(1幕が全部で14場、まっつ登場は7場)、登場してからは万遍なく出たり入ったりしていたかと。
張良@まっつ、相手役は劉邦@えりたん……だと思っていたんですが、ある意味范増先生@はっちさんで、びびりました(笑)。
クールでドSな張良さんがもっとも感情的になる場面が、范増先生との別れって……!
ドS全開に劉邦を追いつめ、望みの答えを引き出す張良と、決断させられてしまうヘタレ劉邦が、たまりません。ジオラモ×モーリス@『アデュー・マルセイユ』再び……!!(笑)
項羽@まとぶんは、マジかっこいいっす。最後の総髪とか反則やわ、あの美しさ。両刀なのがまたかっこいい。え、剣の話です、もちろん。両手使いなのー。
まとぶんの持つ誠実さが、なにがどうあれずーーっと出ているんだ、項羽の人生が過酷でも冷酷でも。
劉邦@壮くんはなつかしいですよ、挫折専科と呼ばれた彼が、復活しています(笑)。そーだよなー、膝を折って慟哭してこそ壮一帆だよなっ。
つか、キムシンってほんと壮くん好きだよな。キャラが素敵過ぎてたまらん。
個人的に、最初の方で奥さん@じゅりあに「宴会に行かれるのですか」と言われ、ギクッとするところが、ツボっす。ほんとに今、「ギクッ」て擬音が見えた(笑)。
韓信@みわっち、すげー包容力。なんか久々に、本気で「いい男モード」のみわさんを見た気がする……!
だいもんが、女の子だ。
桃娘@だいもん、マジ女の子だ。違和感なく女の子だ。ふつーに娘役でなんの違和感も遜色もなく、なんなのあの化けっぷり!!
桃娘はいい役なんだが、それでも男役がやるべき役だとは思わなかった……男装するったって、アレ、男装やなくて、ただの子役やん……。ふつーに娘役がやるべきっしょ……。
だいもんがものごっつーかわいくて萌えだったこととは、まったく別に。
で。
桃娘を男役がやる意味が、とか言いながらも。
桃娘がだいもんだから、ものごっつードキドキしたっ。……という部分がある。
衛布@みつる!!
悪役! 悪いヤツ! 黒いヤツ!
こいつがもー、もー!! かっこいーー!!
この悪い男がだよ、か弱いだいもんを無理矢理……!
桃娘が男役だから、だいもんだから、一気に体温上がりましたね(笑)。や、びっくりした。
みつる×だいもんっすよ! 濃すぎるっしょ!!
いかん、衛布×桃娘でSS書けるわ……めっさ好みだ、このふたり。
めぐむとふみかのおいしさときたら(笑)。
めぐむなんかもお、死んだと思ったらすぐさま飲んで騒いでるし。どこを見てもいるし。客席登場、わたしのすぐ横の方で「どこだ!」って騒いでいて、うわー、だったし。
ふみかは、どさくさまぎれの銀橋センター(笑)。なにあのスポットライト(笑)。めっちゃ楽しそうなんですが、あの人!
ひとりずつ語り出すと文字数ぜんぜん足りない。
翌日欄へ続く。
『虞美人』観劇。
項羽と劉邦、そのあたりの知識皆無、中国モノは特に苦手分野分類(名前おぼえられん)、予備知識特になし。
でも、ストーリー的には大丈夫、ちゃんとわかりまつ。今回もまっつ先生いっぱい説明解説台詞淡々と語ってくれてるし!(笑)
彩音ちゃんの、退団公演。タイトルロール。
クリスティーヌ@『ファントム』で大劇場でトップ娘役披露した彩音ちゃんが、「お兄ちゃん……」とか、神懸かり巫女とか飲んだくれとかいろいろいろいろ演じてきて、最後に演じるのがこの虞姫であるということ。
原点に、たどり着いたんだね。
彩音ちゃんはなんでもできるスターさんではなく、足りないと思うところも多々あった。正直、歯がゆいこともあった。
それでも、彼女はそんな足りない部分を補って余りある魅力を持った、押しも押されもせぬトップスターだ。
「桜乃彩音」のなにが好きか。
正統派娘役スターとしての清潔感や気品、美貌、声……それらも魅力ではあるが、わたしの中で彩音ちゃんの最大の魅力は、包容力だ。
か弱い少女であり、男の背中で守られているだけの、なにもできない存在でありながら。
美しいだけのお人形さんのように見える、自我のないつまらない女のようでありながら。
ほんとうは、彼女こそが、その男を守っている。救っている。
聖・少女。
抱いているのは彼女であり、抱かれているのが男の方なんだ。
彼女の清らかな光で、無私の愛で、男を救っているんだ。
虞美人の出番自体は大してナイと思うし、歴史物である以上女性キャラがどーんと物語を動かすこともない。
出てくるたび、項羽@まとぶんといちゃいちゃしているだけの存在(笑)。
でも。
その「いちゃいちゃ」以外に仕事がなさそうな虞が、それゆえにこそ、光を放ちはじめる。
マリー@『うたかたの恋』が、破滅していくルドルフ@オサ様を守っていたように。その心を救っていたように。
虞美人の揺るがない魂が、救いになる。
項羽の……ううん、観ている、わたしの。観客の。
荒れた世界。裏切りと、奸計と、欲と、暴力と。
そんななかに、光が射す。
虞美人という、光。
癒しの光に守られて、すさんだ心に涙が染み渡る。
彼女が、救いだ。
この痛みに満ちた世界。苦しい人生。
この光があるから、顔を上げてまた、歩き出せる。
……そーゆー光。
わたしは彼女に愛された項羽ではないけれど、項羽が救われたように、わたしも救われた……気がする。
いやまあ、プロローグの呂@じゅりあ、劉邦@壮くんのやりとりは、蛇足っちゅーかやりすぎだとは思うけど。虞と項羽に対比させてるのはわかるが。
あざとさはあるものの、癒しの光を照らす「虞美人」は、たしかにタイトルロールであり、この物語の根幹、テーマなんだろうな。
とりあえず、まっつがかっこよくて、良かった(笑)。
美青年です、ヒゲなしです!!←重要
最初、えんえんえんえん出てこなくて、「今で何分経ったんだろう……1幕出番ナイのか??」とアセりましたが(1幕が全部で14場、まっつ登場は7場)、登場してからは万遍なく出たり入ったりしていたかと。
張良@まっつ、相手役は劉邦@えりたん……だと思っていたんですが、ある意味范増先生@はっちさんで、びびりました(笑)。
クールでドSな張良さんがもっとも感情的になる場面が、范増先生との別れって……!
ドS全開に劉邦を追いつめ、望みの答えを引き出す張良と、決断させられてしまうヘタレ劉邦が、たまりません。ジオラモ×モーリス@『アデュー・マルセイユ』再び……!!(笑)
項羽@まとぶんは、マジかっこいいっす。最後の総髪とか反則やわ、あの美しさ。両刀なのがまたかっこいい。え、剣の話です、もちろん。両手使いなのー。
まとぶんの持つ誠実さが、なにがどうあれずーーっと出ているんだ、項羽の人生が過酷でも冷酷でも。
劉邦@壮くんはなつかしいですよ、挫折専科と呼ばれた彼が、復活しています(笑)。そーだよなー、膝を折って慟哭してこそ壮一帆だよなっ。
つか、キムシンってほんと壮くん好きだよな。キャラが素敵過ぎてたまらん。
個人的に、最初の方で奥さん@じゅりあに「宴会に行かれるのですか」と言われ、ギクッとするところが、ツボっす。ほんとに今、「ギクッ」て擬音が見えた(笑)。
韓信@みわっち、すげー包容力。なんか久々に、本気で「いい男モード」のみわさんを見た気がする……!
だいもんが、女の子だ。
桃娘@だいもん、マジ女の子だ。違和感なく女の子だ。ふつーに娘役でなんの違和感も遜色もなく、なんなのあの化けっぷり!!
桃娘はいい役なんだが、それでも男役がやるべき役だとは思わなかった……男装するったって、アレ、男装やなくて、ただの子役やん……。ふつーに娘役がやるべきっしょ……。
だいもんがものごっつーかわいくて萌えだったこととは、まったく別に。
で。
桃娘を男役がやる意味が、とか言いながらも。
桃娘がだいもんだから、ものごっつードキドキしたっ。……という部分がある。
衛布@みつる!!
悪役! 悪いヤツ! 黒いヤツ!
こいつがもー、もー!! かっこいーー!!
この悪い男がだよ、か弱いだいもんを無理矢理……!
桃娘が男役だから、だいもんだから、一気に体温上がりましたね(笑)。や、びっくりした。
みつる×だいもんっすよ! 濃すぎるっしょ!!
いかん、衛布×桃娘でSS書けるわ……めっさ好みだ、このふたり。
めぐむとふみかのおいしさときたら(笑)。
めぐむなんかもお、死んだと思ったらすぐさま飲んで騒いでるし。どこを見てもいるし。客席登場、わたしのすぐ横の方で「どこだ!」って騒いでいて、うわー、だったし。
ふみかは、どさくさまぎれの銀橋センター(笑)。なにあのスポットライト(笑)。めっちゃ楽しそうなんですが、あの人!
ひとりずつ語り出すと文字数ぜんぜん足りない。
翌日欄へ続く。
こっそりと、記録。
雪組『ソルフェリーノの夜明け』『Carnevale睡夢』千秋楽。
当日券は、当日B席42枚、立見100枚。先着順。
並んだ人は250人ほど。ただし、抽選ではないため、朝8時半くらいから係員が並ばせないようにしていたようだ。
並びのピークは午前3時~4時。
そこで一気に50人ほどになる。始発が動く前に、車で乗り付けるわけだな。車内で暖をとりつつ、交代で並ぶグループたちで当日B枠は埋まる。
電車組に残されているのは立見券のみだ。
始発は大体午前5時台なので、家の近さにもよるが、6時~7時台に第二次並びピークを迎えるわけだ。
今回は7時過ぎで締め切りが来た模様。始発か、その次くらいで動いた本気の人しか間に合わなかったようだ。
何故今回先着順で、抽選にはならなかったか。
係の人に質問したり、過去の自分の経験を元に考えてみる。
まず、現在の当日券発売方法になったのは、2009年1月1日からである。
まだ1年ちょっとしか経っていない。
そのため、劇団的にもデータが少なすぎるのだと思う。
この1年あまりの間にあった「サヨナラショーのある、男役トップスター以外の千秋楽」のデータは、となみちゃんの『ZORRO 仮面のメサイア』しか「ない」んだ。
2009年より前なら、単独退団する娘役トップスターや、新専科さんたちが何人もいた。が、当時は現在のような発売方法ではない。
現在の発売方法……つまり、「立見券は、前売り発売ナシ」。
2008年までは、立見券も前売りされていた。一度でも座席券が完売すると、立見券が発売された。その後戻りがあって座席がガラガラになっていたとしても、一度立見券を売ったわけだから、引き続き立見券も売り続け、高くて観にくい2階S席は売れないまま、1階で観られる安価な立見券が売れ続ける、という事態になっていた。
立見も含め完売している千秋楽の場合、当日券として販売されるのは、当日B券42席のみ。ちょっとした公演の千秋楽には、いつもの徹夜組がいるので、当日券は大体売り切れて早々に終了。ファンもわかっているので、それっぽっちの当日券を求めて前日から並ばない。
また、立見券100~150枚ほどが前売りされているため、「押さえ」として買っている人が多く、会での取次が判明したあと掲示板やサバキに複数飛び交うことになる。
当日券に無理して並ばなくても、選択肢はあった。
それが、去年から立見券の前売りがなくなった。
東宝と同じように、立見券は当日券が完売したあとにはじめて売り出されることになった。
その結果、新人公演や通常の千秋楽は立見が激減した。あの広大な大劇場がクズ席まで完売しないことには立見が買えず、また、システムが変わっても感覚的には以前と同じ気分が抜けず、「完売」と書かれるともうチケットは存在しないようなキモチになる。
いや、「完売」というのは、当日券が立見を含めて142枚以上発売されるって意味なんだけど、今までのムラで完売ってのは、立見まで売り切ってほんとーにふつーの人は買えない状況を指していたから。
「完売」に対する認識にズレがあるまま。
となみちゃんのサヨナラショー付き千秋楽は、売り切れなかった。
座席券は売り切れたが、立見券は残った。
入場前点呼では70番くらいまでしか呼ばれなかった。
発売開始時刻である午前10時までに並んでいた人たちは、100人くらい。当日券は座席50枚ほど+立見券100枚で、150枚は用意されていたのに。
それまでと同じ、前売りで立見まで発売していれば、ふつーに立見券まで完売していたと思うんだ。
とりあえずチケットを持っていたい人や、反対にチケットを前もって用意してないとあんな僻地までわざわざ行かない人が、押さえにかかるから。
過去のデータが、ソレしかないわけだ。
150枚用意して、100人しか並んでおらず、結果完売しなかった、という。
それゆえに、今回も同じように先着順で150枚ほど用意していたら……並んだ人数がまったくちがった、と。
劇団的にも、予想外のことだったんだろう。
そして、予想外というあたりが、読みが甘いっちゅーか、今回の事態をナメてかかっていたんだなと。
当日券抽選を行うのはトップスター退団時のみ、という確固たる信念があり、それ以外の場合はたとえ何千人並んで大混乱を起こしても先着順である、という勢いでやっているのではないと思う。
単に、「通常の千秋楽は混乱するほど人は来ないから、やる必要なし」と思っていたことが、透けて見える。
2番手退団である、ということ。
20年ほどなかった異常事態が起こったのだ、起こしたのだということ。
正直なとこ、この過剰反応はゆみこちゃん単体の人気かどうかわからない。
わたしの周りはゆみこファンだらけだし、とても人気のあったスターさんだと思っているが、この祭りっぷりは「2番手退団」というショック、判官贔屓感情も大きく関わっていると思う。
最初からここまで大人気スターだったら、劇団的にも認識と扱いが違っていただろう。
準トップスターを切る、という事態がどういうことなのか、どれほどの人心を動揺させるか、劇団は想像していなかったんだろうなと思う。
千秋楽のこの対応を見ても。
過去の例と照らし合わせて、通常通りの販売体制を取った。
…………2番手退団は、「通常」の事態ではない、つーことを、劇団は気づいてないんだ、うわあ。
この異常事態が通常にならないことを、心から祈る。
雪組『ソルフェリーノの夜明け』『Carnevale睡夢』千秋楽。
当日券は、当日B席42枚、立見100枚。先着順。
並んだ人は250人ほど。ただし、抽選ではないため、朝8時半くらいから係員が並ばせないようにしていたようだ。
並びのピークは午前3時~4時。
そこで一気に50人ほどになる。始発が動く前に、車で乗り付けるわけだな。車内で暖をとりつつ、交代で並ぶグループたちで当日B枠は埋まる。
電車組に残されているのは立見券のみだ。
始発は大体午前5時台なので、家の近さにもよるが、6時~7時台に第二次並びピークを迎えるわけだ。
今回は7時過ぎで締め切りが来た模様。始発か、その次くらいで動いた本気の人しか間に合わなかったようだ。
何故今回先着順で、抽選にはならなかったか。
係の人に質問したり、過去の自分の経験を元に考えてみる。
まず、現在の当日券発売方法になったのは、2009年1月1日からである。
まだ1年ちょっとしか経っていない。
そのため、劇団的にもデータが少なすぎるのだと思う。
この1年あまりの間にあった「サヨナラショーのある、男役トップスター以外の千秋楽」のデータは、となみちゃんの『ZORRO 仮面のメサイア』しか「ない」んだ。
2009年より前なら、単独退団する娘役トップスターや、新専科さんたちが何人もいた。が、当時は現在のような発売方法ではない。
現在の発売方法……つまり、「立見券は、前売り発売ナシ」。
2008年までは、立見券も前売りされていた。一度でも座席券が完売すると、立見券が発売された。その後戻りがあって座席がガラガラになっていたとしても、一度立見券を売ったわけだから、引き続き立見券も売り続け、高くて観にくい2階S席は売れないまま、1階で観られる安価な立見券が売れ続ける、という事態になっていた。
立見も含め完売している千秋楽の場合、当日券として販売されるのは、当日B券42席のみ。ちょっとした公演の千秋楽には、いつもの徹夜組がいるので、当日券は大体売り切れて早々に終了。ファンもわかっているので、それっぽっちの当日券を求めて前日から並ばない。
また、立見券100~150枚ほどが前売りされているため、「押さえ」として買っている人が多く、会での取次が判明したあと掲示板やサバキに複数飛び交うことになる。
当日券に無理して並ばなくても、選択肢はあった。
それが、去年から立見券の前売りがなくなった。
東宝と同じように、立見券は当日券が完売したあとにはじめて売り出されることになった。
その結果、新人公演や通常の千秋楽は立見が激減した。あの広大な大劇場がクズ席まで完売しないことには立見が買えず、また、システムが変わっても感覚的には以前と同じ気分が抜けず、「完売」と書かれるともうチケットは存在しないようなキモチになる。
いや、「完売」というのは、当日券が立見を含めて142枚以上発売されるって意味なんだけど、今までのムラで完売ってのは、立見まで売り切ってほんとーにふつーの人は買えない状況を指していたから。
「完売」に対する認識にズレがあるまま。
となみちゃんのサヨナラショー付き千秋楽は、売り切れなかった。
座席券は売り切れたが、立見券は残った。
入場前点呼では70番くらいまでしか呼ばれなかった。
発売開始時刻である午前10時までに並んでいた人たちは、100人くらい。当日券は座席50枚ほど+立見券100枚で、150枚は用意されていたのに。
それまでと同じ、前売りで立見まで発売していれば、ふつーに立見券まで完売していたと思うんだ。
とりあえずチケットを持っていたい人や、反対にチケットを前もって用意してないとあんな僻地までわざわざ行かない人が、押さえにかかるから。
過去のデータが、ソレしかないわけだ。
150枚用意して、100人しか並んでおらず、結果完売しなかった、という。
それゆえに、今回も同じように先着順で150枚ほど用意していたら……並んだ人数がまったくちがった、と。
劇団的にも、予想外のことだったんだろう。
そして、予想外というあたりが、読みが甘いっちゅーか、今回の事態をナメてかかっていたんだなと。
当日券抽選を行うのはトップスター退団時のみ、という確固たる信念があり、それ以外の場合はたとえ何千人並んで大混乱を起こしても先着順である、という勢いでやっているのではないと思う。
単に、「通常の千秋楽は混乱するほど人は来ないから、やる必要なし」と思っていたことが、透けて見える。
2番手退団である、ということ。
20年ほどなかった異常事態が起こったのだ、起こしたのだということ。
正直なとこ、この過剰反応はゆみこちゃん単体の人気かどうかわからない。
わたしの周りはゆみこファンだらけだし、とても人気のあったスターさんだと思っているが、この祭りっぷりは「2番手退団」というショック、判官贔屓感情も大きく関わっていると思う。
最初からここまで大人気スターだったら、劇団的にも認識と扱いが違っていただろう。
準トップスターを切る、という事態がどういうことなのか、どれほどの人心を動揺させるか、劇団は想像していなかったんだろうなと思う。
千秋楽のこの対応を見ても。
過去の例と照らし合わせて、通常通りの販売体制を取った。
…………2番手退団は、「通常」の事態ではない、つーことを、劇団は気づいてないんだ、うわあ。
この異常事態が通常にならないことを、心から祈る。
主役記号と、ゆーひさん(笑)。@シャングリラ-水之城-
2010年3月10日 タカラヅカ 『シャングリラ-水之城-』は、記号だけで成り立っている。
主人公ソラにあるのは、「主役」というだけの記号。
誰が演じてもハマるだろう、美しい、かっこいい主役。
だがしかし。
ゆーひさんが演じると、なんであんなに残念なキャラになるんだろう?(笑)
や、ビジュアルは完璧ですとも。
おーぞらゆーひのこの世のモノとも思えない、三次元世界に存在することが驚異なほどの、徹底した美貌ゆえに成り立っている役であり、作品である。
キャラとビジュアルを楽しむことが主眼であるこの作品で、ソラ@ゆーひくんの美しさは素晴らしい。
が。
ゆーひくんの持つ無機質さ、クールさは、小柳タンの書く「男子ヲタク的世界観の主人公」からは、微妙にずれているんだ。
主人公なんて、ぶっちゃけナニもしなくても、そのアツさでストーリー的には誤魔化しが利くもんなんだ。
よく考えるとこの人ナニもしてない……とか、なんでこの人の言う通りにコトが運ぶんだろう……と思っても、彼の平素のパッションで全部なし崩しになる。熱に巻き込んで、うやむやのウチに出来事を転がしていく。
ソラも、アツい芸風の人が演じれば、説得力になったと思う。
水源独り占めイクナイ!とか、記憶喪失で苦悩してまつ!とか、とくにどーってことないけどいつの間にかミウ@すみかとラヴラヴ!とか、考えなしの行き当たりばったり行動も、全部全部問題ナシ。
ああ、この男ならそうだろう、と思わせることが可能。
設定上がクールガイだとしても、魂のパッションは別だからね。
ゆーひくんはそのあたりの説得力につながらないいつものゆーひくんっぷりで、突き進むから(笑)。
なんとも不思議なキャラになってますなあ。
ナニがウケたかって、最後の託児所オチ。
断言します、ゆーひさんのソラは、あんなことしません(笑)。
や、脚本上の主人公記号さんならするだろうけど、ゆーひさんは違います(笑)。
ゆーひくんにアテ書きしてたら、ああはならん。
子どもなんか好き嫌い以前に興味もないクールかつ乾燥しまくりなソラさんが、すげー嘘くさいボランティア託児所経営。
それだけでもありえなさ、画面のシュールさにウケまくったのに、さらに、トドメ。
子どもに、好きな女の名前を付けて育ててる、とかゆーし。
だから、脚本上の主人公記号さんならするだろう、男子向けラノベならこのラストだろう。
しかし、相手はおーぞらゆーひだからっ。
女の子に「ミウ」と名付けて育てている、という段階で、ダメっぷりMAX!!(笑)
なんつーんだ、かわいこちゃん派遣OLに声もかけられないクール美形眼鏡エリート正社員男子が、家でこっそり子猫にその派遣さんの名前付けて育てている的な、ダメっぷりを感じて、爆笑した。
ツボった。
まとぶんとからんとむとかがソレやってたら微笑ましいけど、ゆーひさんがやってると変で、かえって面白いから。
もー、ソラがいちいち残念キャラ過ぎて、ウケる(笑)。
少年マンガぢゃないんだ、ゆーひさんは。少女マンガか耽美系なのよー。体育会系ではなく、バリバリの文系なのよ。
男子脳で構成された世界観は、微妙に不協和音。
その本質的な似合わなさと、表面的なビジュアルのハマりっぷりのギャップが、すげー面白い効果になっている。
小柳タンは女性だけど、男子ヲタクハートを持った作家さん。男性だけど女子ヲタクハートを持った大野くんで、一度おーぞらさん主演作を見てみたいなあ。
主人公ソラにあるのは、「主役」というだけの記号。
誰が演じてもハマるだろう、美しい、かっこいい主役。
だがしかし。
ゆーひさんが演じると、なんであんなに残念なキャラになるんだろう?(笑)
や、ビジュアルは完璧ですとも。
おーぞらゆーひのこの世のモノとも思えない、三次元世界に存在することが驚異なほどの、徹底した美貌ゆえに成り立っている役であり、作品である。
キャラとビジュアルを楽しむことが主眼であるこの作品で、ソラ@ゆーひくんの美しさは素晴らしい。
が。
ゆーひくんの持つ無機質さ、クールさは、小柳タンの書く「男子ヲタク的世界観の主人公」からは、微妙にずれているんだ。
主人公なんて、ぶっちゃけナニもしなくても、そのアツさでストーリー的には誤魔化しが利くもんなんだ。
よく考えるとこの人ナニもしてない……とか、なんでこの人の言う通りにコトが運ぶんだろう……と思っても、彼の平素のパッションで全部なし崩しになる。熱に巻き込んで、うやむやのウチに出来事を転がしていく。
ソラも、アツい芸風の人が演じれば、説得力になったと思う。
水源独り占めイクナイ!とか、記憶喪失で苦悩してまつ!とか、とくにどーってことないけどいつの間にかミウ@すみかとラヴラヴ!とか、考えなしの行き当たりばったり行動も、全部全部問題ナシ。
ああ、この男ならそうだろう、と思わせることが可能。
設定上がクールガイだとしても、魂のパッションは別だからね。
ゆーひくんはそのあたりの説得力につながらないいつものゆーひくんっぷりで、突き進むから(笑)。
なんとも不思議なキャラになってますなあ。
ナニがウケたかって、最後の託児所オチ。
断言します、ゆーひさんのソラは、あんなことしません(笑)。
や、脚本上の主人公記号さんならするだろうけど、ゆーひさんは違います(笑)。
ゆーひくんにアテ書きしてたら、ああはならん。
子どもなんか好き嫌い以前に興味もないクールかつ乾燥しまくりなソラさんが、すげー嘘くさいボランティア託児所経営。
それだけでもありえなさ、画面のシュールさにウケまくったのに、さらに、トドメ。
子どもに、好きな女の名前を付けて育ててる、とかゆーし。
だから、脚本上の主人公記号さんならするだろう、男子向けラノベならこのラストだろう。
しかし、相手はおーぞらゆーひだからっ。
女の子に「ミウ」と名付けて育てている、という段階で、ダメっぷりMAX!!(笑)
なんつーんだ、かわいこちゃん派遣OLに声もかけられないクール美形眼鏡エリート正社員男子が、家でこっそり子猫にその派遣さんの名前付けて育てている的な、ダメっぷりを感じて、爆笑した。
ツボった。
まとぶんとからんとむとかがソレやってたら微笑ましいけど、ゆーひさんがやってると変で、かえって面白いから。
もー、ソラがいちいち残念キャラ過ぎて、ウケる(笑)。
少年マンガぢゃないんだ、ゆーひさんは。少女マンガか耽美系なのよー。体育会系ではなく、バリバリの文系なのよ。
男子脳で構成された世界観は、微妙に不協和音。
その本質的な似合わなさと、表面的なビジュアルのハマりっぷりのギャップが、すげー面白い効果になっている。
小柳タンは女性だけど、男子ヲタクハートを持った作家さん。男性だけど女子ヲタクハートを持った大野くんで、一度おーぞらさん主演作を見てみたいなあ。
ビジュアル王率いる、ビジュアル軍団。@シャングリラ-水之城-
2010年3月9日 タカラヅカ 初日からドラマシティに駆けつけ、なんやかんやでジュンタンと並んで観劇。『シャングリラ-水之城-』、ええ、ふたりそろってまさこ登場に吹き出しました。
つーのも開演前にみんなでプログラムを開いていて、いりす氏のスチール写真に食いつきまくっていたの。
何故はっぴに蝶ネクタイ?! 実は旅館の婿養子で、鈴奈姐さん女将に尻に引かれていて、風呂掃除に三助もするし、宴会場で余興もやる……みたいな妄想が止まらなく展開されておりましてね。マジックを披露するも、タネを忘れて……みたいな。誰か止めろ(笑)。
わたしの想像もアレだけど、実際のいりす氏ときたら、想像の斜め上を行く素敵衣装で。
ときめきのあまり、大ウケしました。
いやはや……まさこ素敵すぎる……(笑)。
開演前のプログラム閲覧時、もっとも衝撃だったのは、もちろん言うまでもなく、ゆーひさんの美貌ですが。
ナニあのビジュアル王っぷり! ありえねーわ。この世のモノではないわ。アニメ・ゲーヲタに見せびらかしたい自慢の美形サマだわ。
予備知識はナイまま観劇。演目発表になったときにあらすじを読んで、あまりのラノベ臭さに眩暈がしたことしかおぼえてない。ええ、内容まではおぼえてません、登場人物の名前からして危険フラグ立ちまくっていたことぐらいしか(笑)。
えー、ストーリーは、まさかの、記憶喪失モノ。
はい、今までも何度となく語っている、ヲタク界でいうところのアホアホ設定(笑)。同人誌(素人の創作)の内容を判別する上で、このキーワードがあったら地雷、みたいな設定のこと。プライスカードに「記憶喪失ネタです☆」とか明記するレベルですよ。真面目な話だと誤解されないように、ネタ本だとわかるように。
いや、描き手も読み手も、わかった上で「お約束」として記憶喪失ネタを遊び、楽しむ分には、都合の良い設定なんで、大昔から愛されている設定ですわ。
ただ、ソレを大真面目に大上段に構えてやられちゃうと、相当恥ずかしいキモチになっちゃいますが……いやまあ、ヅカってもともと恥ずかしさをおもしろがる文化だし。
アリだと思ってます。面白ければ。
199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった。……という、日本一有名な(笑)フレーズからはじめたくなる、ナンチャッテ近未来。
水が貴重品になっているため、水を管理している「シャングリラ」の王様がいちばんエライっつーことになっている、らしい。
旅一座のミウ@すみかがうっかり拾った超絶美青年ソラ@ゆーひは記憶喪失で、彼は何故か旅一座の行方不明息子ラン@らんとむのネックレスを持っていた。
ネックレスには「シャングリラで待つ」というメッセージ付きだったため、記憶を探すソラと、ランを探す一座のみんなは、一緒にシャングリラを目指すことになった。
すべての謎はシャングリラに! ……てことなんだが、その謎っていうかええっと。
ストーリー自体ははっきりいって、どうでもいいんだと思う。
作者も別に、そこは気にしてナイんじゃね?
目的は別にあって、その言い訳として、後付けにストーリーらしいものをでっちあげているだけで、ストーリーを見せる気はぜんぜんないんだと思う。
アーティストのプロモーション映像みたいなもんで、物語があるっぽい雰囲気だけでOKっていうか。
目的っていうのが。
キャラと、ビジュアルを、楽しむこと。
ポスター写真、プログラムのキャスト写真、そして舞台のオープニング。あーゆーのをやりたいがためだけに、あとは全部てきとーにでっちあげた。
だからキャラ設定のお約束のみの記号っぷりとか、名前表記の日本語英語中国語めちゃくちゃ具合とか、ストーリーのトホホ具合とか、文化のありえなさとか、そんなこんなは「宙組ビジュアル軍団のプロモーション・ステージ」だと思えば納得じゃん?
つっこむのは、野暮ってもんですよ。
キャラとビジュアルを楽しむモノなんだから。ストーリーの粗とか、世界観の粗とか、作中で掲げているテーマの粗とか、考えちゃダメ(笑)。
ゆーひさんをはじめとする、とんでもねー美形っぷりを堪能する。
これも、タカラヅカだ。
だがしかし。
ひとつだけ、どーしても納得いかないことがある。
ストーリーも世界観も作中で掲げているテーマも、どんだけアレでも気にしていない。この圧倒的ビジュアルの前には、そんなのどーでもいいと思う。
こんだけビジュアル「だけ」で勝負している公演なのに、何故、みっちゃんがあの役なの?
シャングリラの傀儡王・カイ。
記号から察するに、絶世の美少年。盲目の天使。ちょっと白痴寄りっていうか、純粋過ぎて精神年齢10歳で止まってます系。
すべてにおいて美しい『シャングリラ-水之城-』において、設定上のいちばんの美少年役が……ビジュアル、まちがいまくってます……。
小柳タンはヲタクだと思うけど、腐女子ではないから。むしろ男子ヲタク的な感性をしている。アイスとカイの設定なんて、いかにも「腐女子ってこんなのが萌えなんだろ(笑)」とヲタク男子が書きそうだ(笑)。
腐女子なら絶対みっちゃんにあの役はさせてないっ。なんでこの人はこう、いろんなところでハズすんだろう。
自身の脳内記号に、かけはなれた生徒をあてがう。
不細工設定のグラン・パとか、絶世の美少女吸血鬼アナベルとか、盲目の天使美少年カイとか。
その生徒の魅力を発揮できる役は別にあるのに、似合わない役とカツラと衣装で「記号」に押し込める。
みっちゃんはついこの間までメタボなおっさん演じてたんだよ……次が子役ってのはあんまりだろ……。
カイは下級生の美形男役か、いっそ娘役に演じさせるべきだと思う。研12、今年研13にもなる大人の男が演じる役ぢゃない。演じていいのはコム姫くらいだ。
ふつーにアイス@ともちんの役がみっちゃんでいいじゃん……大人の悪役やったら、絶対かっこいいのにー。
や、ともちん演じるアイスは、ともちんスキーとして大好物だけど、みっちゃんの扱いがあんまり続きなので。
みっちゃんがアイス役なら、ともちんは新キャラで、アイスLOVEな側近とか、ランLOVEなレジスタンスとかでいいじゃん。(ラヴってなきゃあかんのか。あかんのだ・笑)
ボクちゃん喋りをしているみっちゃんが、歌い出すといきなりイイ声で、なよなよボクちゃんのみっちゃんが、踊り出すといきなりオトコマエなのが、惜しくて。もったいなくて。
最初から、男役としてのみっちゃんの美しさ・オトコマエさを全開にする役じゃ、なんであかんかったんや、と。
まあそれと、あのカイくんのビジュアルでは、対アイスでも対ソラでも萌えられない、という、個人的な都合もあります(笑)。
とことん美しい舞台なのになー。
つーのも開演前にみんなでプログラムを開いていて、いりす氏のスチール写真に食いつきまくっていたの。
何故はっぴに蝶ネクタイ?! 実は旅館の婿養子で、鈴奈姐さん女将に尻に引かれていて、風呂掃除に三助もするし、宴会場で余興もやる……みたいな妄想が止まらなく展開されておりましてね。マジックを披露するも、タネを忘れて……みたいな。誰か止めろ(笑)。
わたしの想像もアレだけど、実際のいりす氏ときたら、想像の斜め上を行く素敵衣装で。
ときめきのあまり、大ウケしました。
いやはや……まさこ素敵すぎる……(笑)。
開演前のプログラム閲覧時、もっとも衝撃だったのは、もちろん言うまでもなく、ゆーひさんの美貌ですが。
ナニあのビジュアル王っぷり! ありえねーわ。この世のモノではないわ。アニメ・ゲーヲタに見せびらかしたい自慢の美形サマだわ。
予備知識はナイまま観劇。演目発表になったときにあらすじを読んで、あまりのラノベ臭さに眩暈がしたことしかおぼえてない。ええ、内容まではおぼえてません、登場人物の名前からして危険フラグ立ちまくっていたことぐらいしか(笑)。
えー、ストーリーは、まさかの、記憶喪失モノ。
はい、今までも何度となく語っている、ヲタク界でいうところのアホアホ設定(笑)。同人誌(素人の創作)の内容を判別する上で、このキーワードがあったら地雷、みたいな設定のこと。プライスカードに「記憶喪失ネタです☆」とか明記するレベルですよ。真面目な話だと誤解されないように、ネタ本だとわかるように。
いや、描き手も読み手も、わかった上で「お約束」として記憶喪失ネタを遊び、楽しむ分には、都合の良い設定なんで、大昔から愛されている設定ですわ。
ただ、ソレを大真面目に大上段に構えてやられちゃうと、相当恥ずかしいキモチになっちゃいますが……いやまあ、ヅカってもともと恥ずかしさをおもしろがる文化だし。
アリだと思ってます。面白ければ。
199X年、世界は核の炎に包まれた。だが人類は死滅していなかった。……という、日本一有名な(笑)フレーズからはじめたくなる、ナンチャッテ近未来。
水が貴重品になっているため、水を管理している「シャングリラ」の王様がいちばんエライっつーことになっている、らしい。
旅一座のミウ@すみかがうっかり拾った超絶美青年ソラ@ゆーひは記憶喪失で、彼は何故か旅一座の行方不明息子ラン@らんとむのネックレスを持っていた。
ネックレスには「シャングリラで待つ」というメッセージ付きだったため、記憶を探すソラと、ランを探す一座のみんなは、一緒にシャングリラを目指すことになった。
すべての謎はシャングリラに! ……てことなんだが、その謎っていうかええっと。
ストーリー自体ははっきりいって、どうでもいいんだと思う。
作者も別に、そこは気にしてナイんじゃね?
目的は別にあって、その言い訳として、後付けにストーリーらしいものをでっちあげているだけで、ストーリーを見せる気はぜんぜんないんだと思う。
アーティストのプロモーション映像みたいなもんで、物語があるっぽい雰囲気だけでOKっていうか。
目的っていうのが。
キャラと、ビジュアルを、楽しむこと。
ポスター写真、プログラムのキャスト写真、そして舞台のオープニング。あーゆーのをやりたいがためだけに、あとは全部てきとーにでっちあげた。
だからキャラ設定のお約束のみの記号っぷりとか、名前表記の日本語英語中国語めちゃくちゃ具合とか、ストーリーのトホホ具合とか、文化のありえなさとか、そんなこんなは「宙組ビジュアル軍団のプロモーション・ステージ」だと思えば納得じゃん?
つっこむのは、野暮ってもんですよ。
キャラとビジュアルを楽しむモノなんだから。ストーリーの粗とか、世界観の粗とか、作中で掲げているテーマの粗とか、考えちゃダメ(笑)。
ゆーひさんをはじめとする、とんでもねー美形っぷりを堪能する。
これも、タカラヅカだ。
だがしかし。
ひとつだけ、どーしても納得いかないことがある。
ストーリーも世界観も作中で掲げているテーマも、どんだけアレでも気にしていない。この圧倒的ビジュアルの前には、そんなのどーでもいいと思う。
こんだけビジュアル「だけ」で勝負している公演なのに、何故、みっちゃんがあの役なの?
シャングリラの傀儡王・カイ。
記号から察するに、絶世の美少年。盲目の天使。ちょっと白痴寄りっていうか、純粋過ぎて精神年齢10歳で止まってます系。
すべてにおいて美しい『シャングリラ-水之城-』において、設定上のいちばんの美少年役が……ビジュアル、まちがいまくってます……。
小柳タンはヲタクだと思うけど、腐女子ではないから。むしろ男子ヲタク的な感性をしている。アイスとカイの設定なんて、いかにも「腐女子ってこんなのが萌えなんだろ(笑)」とヲタク男子が書きそうだ(笑)。
腐女子なら絶対みっちゃんにあの役はさせてないっ。なんでこの人はこう、いろんなところでハズすんだろう。
自身の脳内記号に、かけはなれた生徒をあてがう。
不細工設定のグラン・パとか、絶世の美少女吸血鬼アナベルとか、盲目の天使美少年カイとか。
その生徒の魅力を発揮できる役は別にあるのに、似合わない役とカツラと衣装で「記号」に押し込める。
みっちゃんはついこの間までメタボなおっさん演じてたんだよ……次が子役ってのはあんまりだろ……。
カイは下級生の美形男役か、いっそ娘役に演じさせるべきだと思う。研12、今年研13にもなる大人の男が演じる役ぢゃない。演じていいのはコム姫くらいだ。
ふつーにアイス@ともちんの役がみっちゃんでいいじゃん……大人の悪役やったら、絶対かっこいいのにー。
や、ともちん演じるアイスは、ともちんスキーとして大好物だけど、みっちゃんの扱いがあんまり続きなので。
みっちゃんがアイス役なら、ともちんは新キャラで、アイスLOVEな側近とか、ランLOVEなレジスタンスとかでいいじゃん。(ラヴってなきゃあかんのか。あかんのだ・笑)
ボクちゃん喋りをしているみっちゃんが、歌い出すといきなりイイ声で、なよなよボクちゃんのみっちゃんが、踊り出すといきなりオトコマエなのが、惜しくて。もったいなくて。
最初から、男役としてのみっちゃんの美しさ・オトコマエさを全開にする役じゃ、なんであかんかったんや、と。
まあそれと、あのカイくんのビジュアルでは、対アイスでも対ソラでも萌えられない、という、個人的な都合もあります(笑)。
とことん美しい舞台なのになー。
花は太陽に向かって咲く・その2。@立樹遥トーク&ステージ
2010年3月8日 タカラヅカ 『立樹遥トーク&ステージ「夢を追い続けること~障がいを乗り越えて~」』の、レポではなく、感想だらだら。
歌のあとは「ふつーのOGトーク」になったわけだが、ここらの説明のなさもすごい。ヅカを知らない人は作品名・役名で語られてもなんのことかわからないと思います~~(笑)。
トークの相方はしいちゃんの友人、ということで、人権関連の仕事をしているという素人さんだったのね。しいちゃんの舞台は見ていても、タカラヅカ自体にはあまり知識がなさそうだし、しいちゃんの舞台も近年のモノしか観ていなさそう。知り合ったのがそれほど前ではない印象を受けた。断言するが、絶対ヅカヲタぢゃない、あの人(笑)。
お茶会の司会さんレベルか、それ以下の仕事っぷり。お茶会のように対象者が決まっていない催し、かつ、お茶会の司会さんより司会としてのキャリアがないことは一目瞭然、ものすごく緊張しているのがよくわかった。
わたしたちファンはそれでもいいんだけど(ついていけるし!)、一般客に対してハラハラした、この仕切り悪さ。
でもしいちゃんにまったくの敬愛や興味のないプロの司会さんではなく、気遣いのあるあたたかい素人さん、というのも、ファン目線ではぜんぜんOKなあたり、どーしよーもないなと(笑)。
このトーク・イベントで、個人的にいちばん大きかったのは。
しいちゃん自身の口から、退団を決めた時期と理由を聞けたこと。
『ア ビヤント』のムラ茶会がわたしの最後のお茶会だったのだけど、そこでは退団についてはナニも触れない、なごやかなものだった。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』でアンドレとアランを演じ、はじめて故郷で公演をした。
故郷に錦を飾る、とはよく聞く言葉だが、ほんとーに地元で興行するってのは他とはまったくチガウのだと。
それまでにない、最高級の充足・幸福感を得、退団を決意した、と。
言葉にしなくても、真のファンには伝わっているのだと思う。いつ、退団を決めたのか。何故、退団するのか。
だからきっと、特別言葉にはしないんだろう。
全国ツアー追いかけていた人とかは、地元凱旋公演のしいちゃんを見て、思うところはあっただろうし。
でもわたしみたいなぬるいファンには、今はじめて聞くことで。
ああ、そうなのかと。
どれほどの幸福感だったのか、それほどの幸福感だったのか、ただもお、しいちゃんがしあわせだと言うなら、それに勝ることはない。
しいちゃんと言えば「笑顔」で「太陽」キャラ。
本人もそれを望み、セルフ・コントロールしていた部分もあるのだろう。
就学年齢以前という人恋しい時期に親から離れての闘病生活は、その後の人生を変化させるくらいの苦みがあったと思う。
されど、幼い頃の闘病云々の話を知らなくても、たくさんの人がしいちゃんの笑顔に救われてきた。
しいちゃんの笑顔は、とても「強い」からだ。
ただのーてんきににこにこ明るいのではなく、そーゆー面もあるんだろうがそれだけではなく、なにかしら「越えてきた」ものがあるからだ。
それがわかる、感じられる笑顔だから、わたしを含め、たくさんの人がしいちゃんに惹かれた。
今、子どもの頃の話を聞いて「ええっ?!」と驚くよりも、「ああ、そうなんだ」とすとんと納得するのは、しいちゃんの笑顔の強さを知っているから。
経験したつらさは、わたしみたいなぬるい人間がわかった気になっていいようなものではないだろう。わたしが知っているのは、今のしいちゃんの笑顔だ。その、強さだ。
つらいことを乗り越えてさらにあの花園で輝き続けたのだと、言葉で語るまでもなくその笑顔が教えてくれる。
太陽キャラのしいちゃんは、地上のわたしたちをまるっと照らし、にこにこ笑ってくれている。
そして、ぐだぐだなトークをしてくれる(笑)。
トークの合間、次に歌ってくれたのは「ひまわり」という曲らしい。「みなさんご存じないと思いますが」と言うなら、もっと曲について教えてくれてもいいのに、そのへんはなにしろデフォルトの仕切りの悪さで(笑)。
そして、「ひとかけらの勇気」。
えっ、伴奏の人、この曲弾いてくれるの、汎用性のないヅカ曲ですが?! と思ったら、コレのみ録音テープ伴奏でした。お稽古場の練習用テープみたいな(笑)。
しかし、「ひとかけらの勇気」!!
しいちゃんの、「ひとかけらの勇気」!!
かっけーーっ!!
男役度MAX! 素顔で歌うパーシー!
ちょいロン毛なのがまた、似合ってるんですよ、イメージ合ってるんですよ!!
や、パーシーである必要はない。
デュハースト様が歌う「ひとかけらの勇気」でもいいんだ。彼が歌ったってなんの問題もないし、むしろ歌って欲しい。
思い出がよみがえる。どんだけときめいたか、デュハースト様。
今後の仕事とかちょろりと口にしているけれど、これまた前後左右のない、自分たちだけがわかっている系の話し方で。前回の横浜のトークショーの話とかしいちゃんのブログ読み込んでる人しか、なに言ってんのかわかんないって、とまたハラハラする(笑)。
ヅカ司会でお馴染みの竹下さんとかだったら、しいちゃんが述語のないつぶやき系のことを言ったらすかさず、「**は、今度**で、**する、ということですよね」って万人にわかるよう解説してくれるんだろうな、と思った。
まあ、ファンにはたぶん通じているから、解説なくていいのか。
サプライズ?で、しいちゃんのサイン色紙プレゼントがあった。
が。
抽選するんだけど、抽選箱がないの。
ちゃんと入口で整理券をもぎってもらっているのに、半券の入った抽選箱が出てくるわけじゃなくて。
しいちゃんが、思いついた数字を言う。……これが、抽選。
最初からそう決めていたというよりは、とても成り行きっぽい流れで。
あ、新しい。新しいわっ!!(笑)
ナニこのぐだぐだ感!!(笑)
おかげでゾロ目とかキリ番ばっかなのよ、当選番号。
わざとやっているわけじゃなくて、素で。思いつかないらしくて。
わたしとサトリちゃんはいちいち客席で悶えてました。ぐだぐだな展開になるたびに、大ウケして。かわいいかわいいかわいいっ。
いやあ、素敵すぎるの、立樹さん!
最後はみんなで「世界に一つだけの花」を歌って終了。
みんなみんな、世界にひとつだけの特別なオンリーワンだけど。
だけど、どんな花も、太陽に向かって咲くんだよ。
ねえ、しいちゃん。
歌のあとは「ふつーのOGトーク」になったわけだが、ここらの説明のなさもすごい。ヅカを知らない人は作品名・役名で語られてもなんのことかわからないと思います~~(笑)。
トークの相方はしいちゃんの友人、ということで、人権関連の仕事をしているという素人さんだったのね。しいちゃんの舞台は見ていても、タカラヅカ自体にはあまり知識がなさそうだし、しいちゃんの舞台も近年のモノしか観ていなさそう。知り合ったのがそれほど前ではない印象を受けた。断言するが、絶対ヅカヲタぢゃない、あの人(笑)。
お茶会の司会さんレベルか、それ以下の仕事っぷり。お茶会のように対象者が決まっていない催し、かつ、お茶会の司会さんより司会としてのキャリアがないことは一目瞭然、ものすごく緊張しているのがよくわかった。
わたしたちファンはそれでもいいんだけど(ついていけるし!)、一般客に対してハラハラした、この仕切り悪さ。
でもしいちゃんにまったくの敬愛や興味のないプロの司会さんではなく、気遣いのあるあたたかい素人さん、というのも、ファン目線ではぜんぜんOKなあたり、どーしよーもないなと(笑)。
このトーク・イベントで、個人的にいちばん大きかったのは。
しいちゃん自身の口から、退団を決めた時期と理由を聞けたこと。
『ア ビヤント』のムラ茶会がわたしの最後のお茶会だったのだけど、そこでは退団についてはナニも触れない、なごやかなものだった。
『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』でアンドレとアランを演じ、はじめて故郷で公演をした。
故郷に錦を飾る、とはよく聞く言葉だが、ほんとーに地元で興行するってのは他とはまったくチガウのだと。
それまでにない、最高級の充足・幸福感を得、退団を決意した、と。
言葉にしなくても、真のファンには伝わっているのだと思う。いつ、退団を決めたのか。何故、退団するのか。
だからきっと、特別言葉にはしないんだろう。
全国ツアー追いかけていた人とかは、地元凱旋公演のしいちゃんを見て、思うところはあっただろうし。
でもわたしみたいなぬるいファンには、今はじめて聞くことで。
ああ、そうなのかと。
どれほどの幸福感だったのか、それほどの幸福感だったのか、ただもお、しいちゃんがしあわせだと言うなら、それに勝ることはない。
しいちゃんと言えば「笑顔」で「太陽」キャラ。
本人もそれを望み、セルフ・コントロールしていた部分もあるのだろう。
就学年齢以前という人恋しい時期に親から離れての闘病生活は、その後の人生を変化させるくらいの苦みがあったと思う。
されど、幼い頃の闘病云々の話を知らなくても、たくさんの人がしいちゃんの笑顔に救われてきた。
しいちゃんの笑顔は、とても「強い」からだ。
ただのーてんきににこにこ明るいのではなく、そーゆー面もあるんだろうがそれだけではなく、なにかしら「越えてきた」ものがあるからだ。
それがわかる、感じられる笑顔だから、わたしを含め、たくさんの人がしいちゃんに惹かれた。
今、子どもの頃の話を聞いて「ええっ?!」と驚くよりも、「ああ、そうなんだ」とすとんと納得するのは、しいちゃんの笑顔の強さを知っているから。
経験したつらさは、わたしみたいなぬるい人間がわかった気になっていいようなものではないだろう。わたしが知っているのは、今のしいちゃんの笑顔だ。その、強さだ。
つらいことを乗り越えてさらにあの花園で輝き続けたのだと、言葉で語るまでもなくその笑顔が教えてくれる。
太陽キャラのしいちゃんは、地上のわたしたちをまるっと照らし、にこにこ笑ってくれている。
そして、ぐだぐだなトークをしてくれる(笑)。
トークの合間、次に歌ってくれたのは「ひまわり」という曲らしい。「みなさんご存じないと思いますが」と言うなら、もっと曲について教えてくれてもいいのに、そのへんはなにしろデフォルトの仕切りの悪さで(笑)。
そして、「ひとかけらの勇気」。
えっ、伴奏の人、この曲弾いてくれるの、汎用性のないヅカ曲ですが?! と思ったら、コレのみ録音テープ伴奏でした。お稽古場の練習用テープみたいな(笑)。
しかし、「ひとかけらの勇気」!!
しいちゃんの、「ひとかけらの勇気」!!
かっけーーっ!!
男役度MAX! 素顔で歌うパーシー!
ちょいロン毛なのがまた、似合ってるんですよ、イメージ合ってるんですよ!!
や、パーシーである必要はない。
デュハースト様が歌う「ひとかけらの勇気」でもいいんだ。彼が歌ったってなんの問題もないし、むしろ歌って欲しい。
思い出がよみがえる。どんだけときめいたか、デュハースト様。
今後の仕事とかちょろりと口にしているけれど、これまた前後左右のない、自分たちだけがわかっている系の話し方で。前回の横浜のトークショーの話とかしいちゃんのブログ読み込んでる人しか、なに言ってんのかわかんないって、とまたハラハラする(笑)。
ヅカ司会でお馴染みの竹下さんとかだったら、しいちゃんが述語のないつぶやき系のことを言ったらすかさず、「**は、今度**で、**する、ということですよね」って万人にわかるよう解説してくれるんだろうな、と思った。
まあ、ファンにはたぶん通じているから、解説なくていいのか。
サプライズ?で、しいちゃんのサイン色紙プレゼントがあった。
が。
抽選するんだけど、抽選箱がないの。
ちゃんと入口で整理券をもぎってもらっているのに、半券の入った抽選箱が出てくるわけじゃなくて。
しいちゃんが、思いついた数字を言う。……これが、抽選。
最初からそう決めていたというよりは、とても成り行きっぽい流れで。
あ、新しい。新しいわっ!!(笑)
ナニこのぐだぐだ感!!(笑)
おかげでゾロ目とかキリ番ばっかなのよ、当選番号。
わざとやっているわけじゃなくて、素で。思いつかないらしくて。
わたしとサトリちゃんはいちいち客席で悶えてました。ぐだぐだな展開になるたびに、大ウケして。かわいいかわいいかわいいっ。
いやあ、素敵すぎるの、立樹さん!
最後はみんなで「世界に一つだけの花」を歌って終了。
みんなみんな、世界にひとつだけの特別なオンリーワンだけど。
だけど、どんな花も、太陽に向かって咲くんだよ。
ねえ、しいちゃん。
花は太陽に向かって咲く・その1。@立樹遥トーク&ステージ
2010年3月7日 タカラヅカ 1年ぶりに、しいちゃんに会いました。
会うことが、できました。
ステージの上にいるしいちゃんを、まったりと眺められました。
『立樹遥トーク&ステージ「夢を追い続けること~障がいを乗り越えて~」』、大阪市立矢田人権文化センターにて、入場無料、先着順。
えー、微妙なイベントでした(笑)。
なにが微妙かというと、「どの客層に向けての催しか不明」なところ。
タイトルにあるように、人権関係のイベントなわけです。 障がいを乗り越えて、つーのが、ただの元ジェンを呼んでのイベントとはチガウところ。なにしろ手話による同時通訳付き。
タカラジェンヌという、華やかな成功を得た彼女は、幼少時に重い病気を抱えとても苦労していました。それを乗り越えて、こんなにも素晴らしい女性になったのです。みんなもつらいことに負けず、夢を持って生きましょう。
というのが、本来の企画意図だったと思うんです。
チラシには「立樹さんは、子どもの頃に心臓の病を患い、長い入院生活を体験しました。同室の同じ病の友達の死を体験しながらも、自ら病と闘いました。退院後に見た宝塚の舞台。それに魅せられ、入学の為の猛レッスンに励みました。再発の恐怖と闘いながらも見事合格。夢を実現させたのです。」と書いてあるし。
しかし、メインであるはずの闘病関連の話がぐだぐだで。
いつ、どんな病気だったのか説明がほとんどなく、どのへんで回復して、どんな体調でどんな運動をしても良くなったのか、過酷なレッスンをできるよーになったのか、再発するような病気だったのか。
そのあたりがさっぱりわからない。
基礎を押さえてくれないため、どこに立ち位置を持って話を聞けばいいのかさっぱりわからなかったのですね。
大意はわかるけれど、明言されないので、聞いている側が「こういうことかな?」と想像で補いつつ聞く、というか。デリケートな部分だと思うので、曖昧にして想像させるよりは、かえってはっきり教えてくれた方が誤解がなくていいのになあと。
ピアノ伴奏の方も難病を抱えておられる方だったんだけど、こちらは明確に説明してもらえたので無知なわたしでも誤解の入り込む余地なし。頭が下がります。
で、「障がいを乗り越えて」な部分は早々に終了し、あとはいわゆる「タカラヅカOGによる、昔話」。つまり、ファンへのトーク。
タカラヅカのことも立樹遥というスターのことも、「知っている」前提に進むエピソード。や、わたしたちはわかるからいいけど、しいちゃんだからではなく人権関連で来館した人にはいいのか、このトーク内容??
実際会場にいた大半はしいちゃん個人のファンだし、しいちゃんにもタカラヅカにもなんの予備知識もない人は少なかったと思う。でも、あくまでも今回は、テーマが決まっていたのだから、それに沿うべきだったんじゃないかなあ。
ファンがたくさん来てくれるから、と気を使ってファン向けトークをメインにしてくれたのかもしれないけど、大丈夫、ファンならばどんな話でも聞きますし、受け入れますよ。
でもって、こんなところに来るファンは、しいちゃんが子どもの頃長い間入院していた経験があるって、知ってるし。わたしですら、聞いたことある、その話。ファンなら知ってるけど、公にはしてこなかった(よな?)話を退団した今だから語れる、というなら、ファンはよろこんで聞き入りますよ。
同じ病気や同じようにつらい思いを抱えている人たちの勇気になるように、きちんと話してくれてもよかったよ。重い話になってしまうのは、しいちゃんの本意ではなく、それゆえにぼやかしたらあんなことになった、のかもしれないが。
どんなに重くても、今のしいちゃんの笑顔があれば救われるよ。
「このトーク、なにを目指してどこに着地するつもりなんだ?」と首を傾げまくったが、ぶっちゃけそんなぐだぐだなところも含めて(笑)、しいちゃんに会えてうれしい。
しいちゃんは、変わってなかった。
記憶にあるまんま。
ええ、女子にも、カタギにもなってない(笑)。
男役時代となんら変わらぬパンツ・スーツ姿、派手な茶髪。髪はちょっと伸びているけれど、襟足だけで全体イメージは変わらず。
坐って喋っているときはなんとも思わないのに、いざ立ち上がると「うわっ」と思う。
背ェ高っ、スタイル良いっ、押し出しすげっ。
……一般人ではあり得ないの、いろんなところが。
トークの合間に歌ってくれたんだが、歌い出すと「ザ・男役」。
女子ぢゃない、女子の歌声ぢゃない~~(笑)。
闘病時代~音楽学校の話題からの流れで、1曲目は「上を向いて歩こう」。
多分この曲は、「ヅカファン以外の人も来るイベント」に考慮した選曲ぢゃないかなあ。ぴっちぴちのローティーンが、「つらいときはこの歌を歌ってました」というには、渋すぎる……。ふつーにそのときの流行アーティストの励ましソングを歌いそうだよな、現代の女の子なら。
しかし、しいちゃんがバリ男役声で気迫を込めて歌う「上を向いて歩こう」の、いたたまれなさってば!(笑)
彼女が歌い出すなり、ステージに飾ってある花がひとつ、ぼたりと落ちたのが忘れられない。思わずオペラグラスで確認した、今目の端にナニか落下したけど、ナニっ?!って。
そしたら、上手にどーんと飾られていた花のうち、白い百合が1輪、花部分のみまるっと落ちていた。
ただの偶然だろうけど、歌い出すなりボタッって。そのタイミングの良さに人知れずウケる。
で、次がやはり自身の励ましソングだったという、「負けないで」。
……チガウ、わたしが知ってる「負けないで」とぜんぜんチガウ~~!! ナニこのどすこいアルトの「負けないで」?! ヅカ的なコブシの入り方って?!
元歌と別物っぷりがすごい。
なんか変なところでツボに入り過ぎる(笑)。
や、たんに久しぶりのしいちゃんに過剰反応してしまっているんだと思う。
しいちゃんだしいちゃんだとがっつきすぎて、彼女がナニを言い、ナニをしてもウケまくるという。
一挙手一投足、声の高低、相づちに至るまで、なんでもかんでも「しいちゃんだ!!」と喜ぶ。
文字数の関係で、翌日欄に続く。
会うことが、できました。
ステージの上にいるしいちゃんを、まったりと眺められました。
『立樹遥トーク&ステージ「夢を追い続けること~障がいを乗り越えて~」』、大阪市立矢田人権文化センターにて、入場無料、先着順。
えー、微妙なイベントでした(笑)。
なにが微妙かというと、「どの客層に向けての催しか不明」なところ。
タイトルにあるように、人権関係のイベントなわけです。 障がいを乗り越えて、つーのが、ただの元ジェンを呼んでのイベントとはチガウところ。なにしろ手話による同時通訳付き。
タカラジェンヌという、華やかな成功を得た彼女は、幼少時に重い病気を抱えとても苦労していました。それを乗り越えて、こんなにも素晴らしい女性になったのです。みんなもつらいことに負けず、夢を持って生きましょう。
というのが、本来の企画意図だったと思うんです。
チラシには「立樹さんは、子どもの頃に心臓の病を患い、長い入院生活を体験しました。同室の同じ病の友達の死を体験しながらも、自ら病と闘いました。退院後に見た宝塚の舞台。それに魅せられ、入学の為の猛レッスンに励みました。再発の恐怖と闘いながらも見事合格。夢を実現させたのです。」と書いてあるし。
しかし、メインであるはずの闘病関連の話がぐだぐだで。
いつ、どんな病気だったのか説明がほとんどなく、どのへんで回復して、どんな体調でどんな運動をしても良くなったのか、過酷なレッスンをできるよーになったのか、再発するような病気だったのか。
そのあたりがさっぱりわからない。
基礎を押さえてくれないため、どこに立ち位置を持って話を聞けばいいのかさっぱりわからなかったのですね。
大意はわかるけれど、明言されないので、聞いている側が「こういうことかな?」と想像で補いつつ聞く、というか。デリケートな部分だと思うので、曖昧にして想像させるよりは、かえってはっきり教えてくれた方が誤解がなくていいのになあと。
ピアノ伴奏の方も難病を抱えておられる方だったんだけど、こちらは明確に説明してもらえたので無知なわたしでも誤解の入り込む余地なし。頭が下がります。
で、「障がいを乗り越えて」な部分は早々に終了し、あとはいわゆる「タカラヅカOGによる、昔話」。つまり、ファンへのトーク。
タカラヅカのことも立樹遥というスターのことも、「知っている」前提に進むエピソード。や、わたしたちはわかるからいいけど、しいちゃんだからではなく人権関連で来館した人にはいいのか、このトーク内容??
実際会場にいた大半はしいちゃん個人のファンだし、しいちゃんにもタカラヅカにもなんの予備知識もない人は少なかったと思う。でも、あくまでも今回は、テーマが決まっていたのだから、それに沿うべきだったんじゃないかなあ。
ファンがたくさん来てくれるから、と気を使ってファン向けトークをメインにしてくれたのかもしれないけど、大丈夫、ファンならばどんな話でも聞きますし、受け入れますよ。
でもって、こんなところに来るファンは、しいちゃんが子どもの頃長い間入院していた経験があるって、知ってるし。わたしですら、聞いたことある、その話。ファンなら知ってるけど、公にはしてこなかった(よな?)話を退団した今だから語れる、というなら、ファンはよろこんで聞き入りますよ。
同じ病気や同じようにつらい思いを抱えている人たちの勇気になるように、きちんと話してくれてもよかったよ。重い話になってしまうのは、しいちゃんの本意ではなく、それゆえにぼやかしたらあんなことになった、のかもしれないが。
どんなに重くても、今のしいちゃんの笑顔があれば救われるよ。
「このトーク、なにを目指してどこに着地するつもりなんだ?」と首を傾げまくったが、ぶっちゃけそんなぐだぐだなところも含めて(笑)、しいちゃんに会えてうれしい。
しいちゃんは、変わってなかった。
記憶にあるまんま。
ええ、女子にも、カタギにもなってない(笑)。
男役時代となんら変わらぬパンツ・スーツ姿、派手な茶髪。髪はちょっと伸びているけれど、襟足だけで全体イメージは変わらず。
坐って喋っているときはなんとも思わないのに、いざ立ち上がると「うわっ」と思う。
背ェ高っ、スタイル良いっ、押し出しすげっ。
……一般人ではあり得ないの、いろんなところが。
トークの合間に歌ってくれたんだが、歌い出すと「ザ・男役」。
女子ぢゃない、女子の歌声ぢゃない~~(笑)。
闘病時代~音楽学校の話題からの流れで、1曲目は「上を向いて歩こう」。
多分この曲は、「ヅカファン以外の人も来るイベント」に考慮した選曲ぢゃないかなあ。ぴっちぴちのローティーンが、「つらいときはこの歌を歌ってました」というには、渋すぎる……。ふつーにそのときの流行アーティストの励ましソングを歌いそうだよな、現代の女の子なら。
しかし、しいちゃんがバリ男役声で気迫を込めて歌う「上を向いて歩こう」の、いたたまれなさってば!(笑)
彼女が歌い出すなり、ステージに飾ってある花がひとつ、ぼたりと落ちたのが忘れられない。思わずオペラグラスで確認した、今目の端にナニか落下したけど、ナニっ?!って。
そしたら、上手にどーんと飾られていた花のうち、白い百合が1輪、花部分のみまるっと落ちていた。
ただの偶然だろうけど、歌い出すなりボタッって。そのタイミングの良さに人知れずウケる。
で、次がやはり自身の励ましソングだったという、「負けないで」。
……チガウ、わたしが知ってる「負けないで」とぜんぜんチガウ~~!! ナニこのどすこいアルトの「負けないで」?! ヅカ的なコブシの入り方って?!
元歌と別物っぷりがすごい。
なんか変なところでツボに入り過ぎる(笑)。
や、たんに久しぶりのしいちゃんに過剰反応してしまっているんだと思う。
しいちゃんだしいちゃんだとがっつきすぎて、彼女がナニを言い、ナニをしてもウケまくるという。
一挙手一投足、声の高低、相づちに至るまで、なんでもかんでも「しいちゃんだ!!」と喜ぶ。
文字数の関係で、翌日欄に続く。
続・紅ゆずるの謎。@立樹遥トーク&ステージ
2010年3月6日 タカラヅカ
その昔、なーんにも考えず、「紅ゆずるの謎」というタイトルでブログ記事を書いた。
彼はまったく無名の下級生で、そうやってタイトルにしたところでなんの反響もない。星の数ほどあるヅカブログの、こんな辺境の地でナニを書いても、流れていってソレで終わり。
そのときはソレで済んだ。
が。
それから3年も経ってからだ。そのタイトルが検索に引っかかりまくり、アタマを抱えることになるのは(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』新公主演で、まさかのブレイク!!
ちょお待て、待ってくれ。わたしはたしかにベニー好きで、まったり眺めていたりチャチャ入れ感想書いたりしてきているけれど、それはその「紅ゆずるの謎」というタイトルの記事以降のことであって、その記事自体にはベニーに関して有益な情報はナニも載っていないのよ?!
なのになのに、検索に引っかかるのは「中身はナイです」なその記事ばかり。どーせ読むなら『龍星』とか『ヘイズ・コード』とかにしてよおお。ベニーのことちょろっとだけだが書いてるわよお。あとは各新公感想ね。つか、まずは『スカーレット・ピンパーネル』新公感想にたどり着いてくれよ。
なのに、タイトルに名前を書いてしまったのが運の尽き。検索でやってきた人はもれなくその記事にだけ行く。でもってこのDiaryNoteの検索機能はあってなきがごとし、読みたい記事にたどり着くのは至難の業。
檀ちゃんの太股記事と並んで、わたしの痛恨記憶です(笑)。
なにも考えずタイトルにジェンヌ名を書いてしまったがために、以来その名前の検索はすべてそこにのみ行き着くという。
書いたときは世間的に無名だから、とっても油断していたんだけど、そのあとでブレイクして不特定多数の目にさらされる。書いた瞬間ならいいけど、何年も経ってからという、その時差が痛い。
いやその、檀ちゃんはトップだったけど、やっぱり娘役さんはそれほど検索来ないので。……辞めたあと某CMでブレイクして、検索が来まくったんだよ……「檀れい エ/ロ」「檀れい 太/股」で(笑)。
これに懲りて、タイトルに無闇にジェンヌ名は入れなくなった(笑)。
さて、過去に何度も書いているが、わたしにとっての紅ゆずる、ベニーのファースト・インプレッションは、まず名前。
タカラヅカではないところで、「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」という名を、まず文字で目にした。
しいちゃんの外部出演舞台の初日。
他の人たちがみーんな「**期一同」で演出家の先生へお花を送り、しいちゃん個人には送っていなかった。きっとなにかしらルールがあって、あえてしいちゃんへは見えるカタチでお花を送っていなかったんだろう。
それがわかりすぎる中で。
たったひとり、空気読めないヤツがいた。
「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」。
ひとりで堂々と、しいちゃん宛にお花を送っていた下級生。
見つけて、仲間内で大受けした。その空気読めないところと、細かいことは気にせず愛を叫んでいるところとに。
それゆえに書いたんだ、「紅ゆずるの謎」という記事を。
『タック』で、「名前」と出会ったのが2005年1月。
『それでも船は行く』で「舞台姿」と出会ったのが、同年3月。
『ソウル・オブ・シバ!!』の倉庫番で、仲間内で「ベニー」と勝手に命名、同年5月。(この作品はみんな芸名にちなんだ役名があるので、それに倣って)
まさかプレイクするとは思わないじゃないか、路線に乗るとは思わないじゃないか(笑)、『スカピン』2008年6月。
しいちゃんへの愛を叫んでいた謎の下級生は、しいちゃんの最後のムラお茶会に「しぃ様LOVE」と手書きされたタスキを身につけ、乗り込んできた、2009年。
一貫してるね、ブレないね、紅ゆずる(笑)。
しいちゃんを好きか、そうか。心の握手、わたしもそうだよ! しぃ様LOVE!!
しいちゃんを好きだからこそ出会った、紅ゆずる。
なんかズレてるよーな気がしなくもないが、たったひとりででもしいちゃんへの愛を叫ぶその姿勢に感動した。
しいちゃんはヅカを卒業し、舞台でその姿を見ることは叶わなくなった。
女優さんになったりという、いわゆる芸能活動はしないっぽい。そんなしいちゃんの、トーク・イベントが大阪であった。
もちろんわたしは駆けつけた。
キタ生まれのキタ育ち、阪急沿線育ちゆえ、右も左もわからない南大阪、駅を降りてからしっかり道に迷ったさ(笑)。←調べてから行けよ
そーやってひとりぼっちでたどり着いた会場で。ピュアしいちゃんファンのサトリちゃんと合流、ふたりして見つけるわけだ。
「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」という名前を。
芸能活動もしていないヅカOGの、舞台ではない、チャリティ的な、手作り感あふれるトーク・イベント。
連名・グループ名・法人名で綴られる花の中に。
ありましたよ、ひとりだけ。
ひとりだけで、堂々と花を送っている、紅ゆずる。たったひとりで、愛を叫んでいる、紅ゆずる。
空気読めてない、浮いている、そんなこんな。
大受けした。
サトリちゃんとふたり、大笑いした。その昔、博品館の狭いロビーで大受けしたように。
ベニー! またか!! そう言って笑った。
そして。
うれしかった。
今も変わらずにいてくれるベニーに。
この微妙なイベント(笑)に、堂々とひとりで「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」と花を送るベニーに。
泣けるくらい、うれしかった。
その昔、博品館のロビーで感じたように。
2010年3月。
紅ゆずるの謎は続く。
真っ当なしいちゃんのトーク・イベントについては翌日欄へ(笑)。
彼はまったく無名の下級生で、そうやってタイトルにしたところでなんの反響もない。星の数ほどあるヅカブログの、こんな辺境の地でナニを書いても、流れていってソレで終わり。
そのときはソレで済んだ。
が。
それから3年も経ってからだ。そのタイトルが検索に引っかかりまくり、アタマを抱えることになるのは(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』新公主演で、まさかのブレイク!!
ちょお待て、待ってくれ。わたしはたしかにベニー好きで、まったり眺めていたりチャチャ入れ感想書いたりしてきているけれど、それはその「紅ゆずるの謎」というタイトルの記事以降のことであって、その記事自体にはベニーに関して有益な情報はナニも載っていないのよ?!
なのになのに、検索に引っかかるのは「中身はナイです」なその記事ばかり。どーせ読むなら『龍星』とか『ヘイズ・コード』とかにしてよおお。ベニーのことちょろっとだけだが書いてるわよお。あとは各新公感想ね。つか、まずは『スカーレット・ピンパーネル』新公感想にたどり着いてくれよ。
なのに、タイトルに名前を書いてしまったのが運の尽き。検索でやってきた人はもれなくその記事にだけ行く。でもってこのDiaryNoteの検索機能はあってなきがごとし、読みたい記事にたどり着くのは至難の業。
檀ちゃんの太股記事と並んで、わたしの痛恨記憶です(笑)。
なにも考えずタイトルにジェンヌ名を書いてしまったがために、以来その名前の検索はすべてそこにのみ行き着くという。
書いたときは世間的に無名だから、とっても油断していたんだけど、そのあとでブレイクして不特定多数の目にさらされる。書いた瞬間ならいいけど、何年も経ってからという、その時差が痛い。
いやその、檀ちゃんはトップだったけど、やっぱり娘役さんはそれほど検索来ないので。……辞めたあと某CMでブレイクして、検索が来まくったんだよ……「檀れい エ/ロ」「檀れい 太/股」で(笑)。
これに懲りて、タイトルに無闇にジェンヌ名は入れなくなった(笑)。
さて、過去に何度も書いているが、わたしにとっての紅ゆずる、ベニーのファースト・インプレッションは、まず名前。
タカラヅカではないところで、「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」という名を、まず文字で目にした。
しいちゃんの外部出演舞台の初日。
他の人たちがみーんな「**期一同」で演出家の先生へお花を送り、しいちゃん個人には送っていなかった。きっとなにかしらルールがあって、あえてしいちゃんへは見えるカタチでお花を送っていなかったんだろう。
それがわかりすぎる中で。
たったひとり、空気読めないヤツがいた。
「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」。
ひとりで堂々と、しいちゃん宛にお花を送っていた下級生。
見つけて、仲間内で大受けした。その空気読めないところと、細かいことは気にせず愛を叫んでいるところとに。
それゆえに書いたんだ、「紅ゆずるの謎」という記事を。
『タック』で、「名前」と出会ったのが2005年1月。
『それでも船は行く』で「舞台姿」と出会ったのが、同年3月。
『ソウル・オブ・シバ!!』の倉庫番で、仲間内で「ベニー」と勝手に命名、同年5月。(この作品はみんな芸名にちなんだ役名があるので、それに倣って)
まさかプレイクするとは思わないじゃないか、路線に乗るとは思わないじゃないか(笑)、『スカピン』2008年6月。
しいちゃんへの愛を叫んでいた謎の下級生は、しいちゃんの最後のムラお茶会に「しぃ様LOVE」と手書きされたタスキを身につけ、乗り込んできた、2009年。
一貫してるね、ブレないね、紅ゆずる(笑)。
しいちゃんを好きか、そうか。心の握手、わたしもそうだよ! しぃ様LOVE!!
しいちゃんを好きだからこそ出会った、紅ゆずる。
なんかズレてるよーな気がしなくもないが、たったひとりででもしいちゃんへの愛を叫ぶその姿勢に感動した。
しいちゃんはヅカを卒業し、舞台でその姿を見ることは叶わなくなった。
女優さんになったりという、いわゆる芸能活動はしないっぽい。そんなしいちゃんの、トーク・イベントが大阪であった。
もちろんわたしは駆けつけた。
キタ生まれのキタ育ち、阪急沿線育ちゆえ、右も左もわからない南大阪、駅を降りてからしっかり道に迷ったさ(笑)。←調べてから行けよ
そーやってひとりぼっちでたどり着いた会場で。ピュアしいちゃんファンのサトリちゃんと合流、ふたりして見つけるわけだ。
「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」という名前を。
芸能活動もしていないヅカOGの、舞台ではない、チャリティ的な、手作り感あふれるトーク・イベント。
連名・グループ名・法人名で綴られる花の中に。
ありましたよ、ひとりだけ。
ひとりだけで、堂々と花を送っている、紅ゆずる。たったひとりで、愛を叫んでいる、紅ゆずる。
空気読めてない、浮いている、そんなこんな。
大受けした。
サトリちゃんとふたり、大笑いした。その昔、博品館の狭いロビーで大受けしたように。
ベニー! またか!! そう言って笑った。
そして。
うれしかった。
今も変わらずにいてくれるベニーに。
この微妙なイベント(笑)に、堂々とひとりで「宝塚歌劇団星組 紅ゆずる」と花を送るベニーに。
泣けるくらい、うれしかった。
その昔、博品館のロビーで感じたように。
2010年3月。
紅ゆずるの謎は続く。
真っ当なしいちゃんのトーク・イベントについては翌日欄へ(笑)。
思い込みと期待で、配役あれこれ。@スカーレット・ピンパーネル
2010年3月5日 タカラヅカ 日記の周回遅れっぷりがアレなんで、今さら感満載ですが。
『スカーレット・ピンパーネル』配役がいろいろショックなんですが(笑)。
プリンス・オブ・ウェールズ@そのかって!!(ソコ?!)
いやその、初演ではエマくみちょだったってだけで、アレがデフォルトではないとは思うけど、思いっきり三の線でびっくり。
たぶんアルバイトでがんがん踊ってくれるんだろうけど。
そして、月組には娘役不要なのかなあ、と不安を抱いてみたり。
マリーって、娘2のポジションですよね。そこにトウカさんっつーのは。トウカさんはすばらしい娘役さんだけど、月組娘役2番手ではなく、別格女役スターさんだと認識しているもので。
トップ娘役不在なんつー状況のあった組だから、ちょっとでもふつーとチガウと不安になりまつ……。
スカピン団のキャラ立ては変わるんでしょうか。
わたしは以前、スカピン乙女ゲームネタを書いたくらい、スカピン団萌えしてました(笑)。
http://koala.diarynote.jp/200808090210260000/
↑
ヒロインになって、スカピン団のイケメンたちと恋をしようシミュレーション・ゲーム。GE以降の隠しキャラはショーヴランとジュサップという(笑)。
星組版と同じキャラ立てだとどうだろう、と思った、ハル@珠城くん。
ハルはねええ、年下かわいこちゃん彼氏枠なんだぞおお。(ゲーム脳から離れなさい)
珠城くんがあのガタイで「先輩、ボク、先輩のこと好きです☆」な年下キャラをやるのかと思うと……。(だからゲーム脳は……)
いやその、素の珠城くんは若いかわいい男の子なんだろうから、少年枠はアリだろうけど、せっかく男役としてのビジュアルが整っている子だから、いっそ大人の役をやらせた方がいいんぢゃないかと、うだうだ(笑)。
あとはルイ・シャルル@愛希れいかに食いつきまくり。
愛希くん、ここに来るのか!!
小柄なかわいこちゃんで、声変わりもまったくしてないもんな。でもって、ダンサーで歌はそれほどうまいっつーわけでもなかったよーな気がしてたんだが、ソプラノで歌う分には問題ないのかな。
そして、新公の主な配役では微妙に凹み(笑)。
いやその、パーシー@珠城くんはいいんです。ぶっちゃけ『ラスト プレイ』新公観た帰り道、友人と「珠城りょおくんでパーシー見てぇ!」とか言ってました、無邪気に。
それくらい、ムーア役は素晴らしかった。
ただ、『HAMLET!!』を観た限りでは、珠城くんはなんでも出来るスーパー下級生ではなく、ふつーに得手不得手がある。それならパーシーよりもショーヴランでひとつの役に集中した方がいいなと。
パーシーは2役演じるよーなもんだし、「笑いを取る」という、ジェンヌが持たなくてもいいスキルにも血道を上げなくてはならないから。もともとイロモノばっかやってきた研7のベニーならハマっても、二枚目もイロモノも経験自体皆無の研3の坊やにわざわざやらせなくても、と思った。
そしてナニより。
実は。
本心的には。
宇月くんの、新公主演が観たかったっ。
パーシーが、ではない。新公主演(笑)。
月組は基本ひとりっこ政策、新公主演経験者は少ない組。珠城くんを上げてくるなら、その前にすべり込み主演してほしいのよ~~。
宇月くん、いいじゃん。いっぺん真ん中やらせてみてよぉ。
まだ今年度はあと1回チャンスがあるけど、下級生のヒヨッコを主演に据える場合、経験たしかな上級生を相手役や2番手に配したりするわけで、そこで2番手役が回ってこない、ことに危機感を募らせてみたり。
あうう。
マルグリット@りおんちゃんは、歌ウマさんだし『ME AND MY GIRL』新公良かったしで、よい配役だとは思うんだけど。
本役のマリー@トウカさんと同じ意味で、娘役不在感を煽られます。娘役2番手としての抜擢とは思えないのよ……。
組内の娘役ちゃんたちをヒロイン・キャラとして育てる気はないんだろうか、月組は。可愛い子もいっぱいいるだろうに、不思議でならない。
で。
そんでもって。
ショーヴラン@紫門くんって、ナニゴトっ?!(笑)
考えてなかった。
マジ、この配役は予想だにしなかった。
パーシー@珠城くん、ショーヴラン@宇月くん、あるいはこの逆、だった、わたし的に。
だってシモンくんっつったらだ、デフォルトが泣き顔のかわいこちゃんだぞ?
わたしの認識が偏っているだけだとは思うが、うん、ほんと個人的な思い込みでは、泣いてるのか笑ってるのかわからないヘタレ男キャラ。
フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』で、ヘタレとして素敵にキャラ立ちしてくれた、あの素敵かわいこちゃん!
うわああ、ショーヴランかよぉ。見てぇ。絶対見てぇ!!
地団駄踏む勢いで、観たくてたまりません。
男らしい紫門ゆりやを見られるのかな。黒い紫門くんを見られるのかな。
想像つかなくて、わくわくする。
宇月くん、紫門くん共々本公ではスカピン団だし。
キャラ立ちしてぜひ、わたしに月組版スカピン恋愛シミュレーションゲーム・ネタを書かせるよーな、素敵っぷりを見せて欲しい。
問題は、本公も新公も、見事に1枚もチケット持ってないってことですね(笑)。
友会全滅したもーん。
まあなんとかなるだろう。
たのしみだなあ、新生月組。
『スカーレット・ピンパーネル』配役がいろいろショックなんですが(笑)。
プリンス・オブ・ウェールズ@そのかって!!(ソコ?!)
いやその、初演ではエマくみちょだったってだけで、アレがデフォルトではないとは思うけど、思いっきり三の線でびっくり。
たぶんアルバイトでがんがん踊ってくれるんだろうけど。
そして、月組には娘役不要なのかなあ、と不安を抱いてみたり。
マリーって、娘2のポジションですよね。そこにトウカさんっつーのは。トウカさんはすばらしい娘役さんだけど、月組娘役2番手ではなく、別格女役スターさんだと認識しているもので。
トップ娘役不在なんつー状況のあった組だから、ちょっとでもふつーとチガウと不安になりまつ……。
スカピン団のキャラ立ては変わるんでしょうか。
わたしは以前、スカピン乙女ゲームネタを書いたくらい、スカピン団萌えしてました(笑)。
http://koala.diarynote.jp/200808090210260000/
↑
ヒロインになって、スカピン団のイケメンたちと恋をしようシミュレーション・ゲーム。GE以降の隠しキャラはショーヴランとジュサップという(笑)。
星組版と同じキャラ立てだとどうだろう、と思った、ハル@珠城くん。
ハルはねええ、年下かわいこちゃん彼氏枠なんだぞおお。(ゲーム脳から離れなさい)
珠城くんがあのガタイで「先輩、ボク、先輩のこと好きです☆」な年下キャラをやるのかと思うと……。(だからゲーム脳は……)
いやその、素の珠城くんは若いかわいい男の子なんだろうから、少年枠はアリだろうけど、せっかく男役としてのビジュアルが整っている子だから、いっそ大人の役をやらせた方がいいんぢゃないかと、うだうだ(笑)。
あとはルイ・シャルル@愛希れいかに食いつきまくり。
愛希くん、ここに来るのか!!
小柄なかわいこちゃんで、声変わりもまったくしてないもんな。でもって、ダンサーで歌はそれほどうまいっつーわけでもなかったよーな気がしてたんだが、ソプラノで歌う分には問題ないのかな。
そして、新公の主な配役では微妙に凹み(笑)。
いやその、パーシー@珠城くんはいいんです。ぶっちゃけ『ラスト プレイ』新公観た帰り道、友人と「珠城りょおくんでパーシー見てぇ!」とか言ってました、無邪気に。
それくらい、ムーア役は素晴らしかった。
ただ、『HAMLET!!』を観た限りでは、珠城くんはなんでも出来るスーパー下級生ではなく、ふつーに得手不得手がある。それならパーシーよりもショーヴランでひとつの役に集中した方がいいなと。
パーシーは2役演じるよーなもんだし、「笑いを取る」という、ジェンヌが持たなくてもいいスキルにも血道を上げなくてはならないから。もともとイロモノばっかやってきた研7のベニーならハマっても、二枚目もイロモノも経験自体皆無の研3の坊やにわざわざやらせなくても、と思った。
そしてナニより。
実は。
本心的には。
宇月くんの、新公主演が観たかったっ。
パーシーが、ではない。新公主演(笑)。
月組は基本ひとりっこ政策、新公主演経験者は少ない組。珠城くんを上げてくるなら、その前にすべり込み主演してほしいのよ~~。
宇月くん、いいじゃん。いっぺん真ん中やらせてみてよぉ。
まだ今年度はあと1回チャンスがあるけど、下級生のヒヨッコを主演に据える場合、経験たしかな上級生を相手役や2番手に配したりするわけで、そこで2番手役が回ってこない、ことに危機感を募らせてみたり。
あうう。
マルグリット@りおんちゃんは、歌ウマさんだし『ME AND MY GIRL』新公良かったしで、よい配役だとは思うんだけど。
本役のマリー@トウカさんと同じ意味で、娘役不在感を煽られます。娘役2番手としての抜擢とは思えないのよ……。
組内の娘役ちゃんたちをヒロイン・キャラとして育てる気はないんだろうか、月組は。可愛い子もいっぱいいるだろうに、不思議でならない。
で。
そんでもって。
ショーヴラン@紫門くんって、ナニゴトっ?!(笑)
考えてなかった。
マジ、この配役は予想だにしなかった。
パーシー@珠城くん、ショーヴラン@宇月くん、あるいはこの逆、だった、わたし的に。
だってシモンくんっつったらだ、デフォルトが泣き顔のかわいこちゃんだぞ?
わたしの認識が偏っているだけだとは思うが、うん、ほんと個人的な思い込みでは、泣いてるのか笑ってるのかわからないヘタレ男キャラ。
フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』で、ヘタレとして素敵にキャラ立ちしてくれた、あの素敵かわいこちゃん!
うわああ、ショーヴランかよぉ。見てぇ。絶対見てぇ!!
地団駄踏む勢いで、観たくてたまりません。
男らしい紫門ゆりやを見られるのかな。黒い紫門くんを見られるのかな。
想像つかなくて、わくわくする。
宇月くん、紫門くん共々本公ではスカピン団だし。
キャラ立ちしてぜひ、わたしに月組版スカピン恋愛シミュレーションゲーム・ネタを書かせるよーな、素敵っぷりを見せて欲しい。
問題は、本公も新公も、見事に1枚もチケット持ってないってことですね(笑)。
友会全滅したもーん。
まあなんとかなるだろう。
たのしみだなあ、新生月組。
残骸を踏む音と、砕け散る音と。@パッサージュ
2010年3月4日 タカラヅカ 今さら『パッサージュ』の話。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でもタカラヅカにおいての歌唱力には、ハッタリ力というかスター力というか、別のモノも大きく作用していて。
ハマコはハッタリもスター力もとっても持ち合わせている人(笑)で、彼がどーん!と歌うと「はい、歌ウマさんですね!」とひれ伏してしまうというか、「わかったわかった」という気持ちになるというか。
本当の意味で、「ハマコってマジ歌ウマぢゃね?」と思ったのは、『パッサージュ』ではないかと思う。
過去に囚われた女が足を踏み入れたカフェ。
そこのギャルソン@ハマコが歌う。
♪玻璃の裏通りの硝子の屋根薄汚れたカフェがある
この歌がすごく好きで。
ハマコの歌からはじまるこの曲、さまざまな人々の人生が交錯する。
そして、ハマコの「♪また同じ」というフレーズで、終了する。
オギー節全開の言葉遊び、韻を踏みまくった言葉の洪水。
軽妙な曲なのに、そこに歌われているモノ自体は、重い。というか、閉塞感がある。
絶望と否定。それすらも達観した諦観。
ハマコの深みのある声が、あやういコーラスを支える。
ハマコってマジ歌ウマじゃね? この歌、よく歌えるもんだよヲイ。
そう思った。
そして、ハマコですらこんだけ大変そうな歌を、ワタルくんに歌わせるオギーのチャレンジャーぶりに感心したり(笑)。
いつものカフェ、いつもの人々。
いつもの絶望、いつもの孤独。
軽妙に描き出される、毒の鋭角さ。
鋭すぎると、切られたことすら気づかない。
その「いつも」の世界から、舞台は夜、裏社会へ移る。
青年@ブンちゃんが足を踏み入れる夜の街。マフィアが支配する世界。
でもそれはまだ、「こちら側」でしかない。
青年はさらに裏世界へ……「あちら側」へ迷い込む。
片翼の少女@まひるちゃんが囚われている真夜中のサーカス団。
こちらとあちらの境目。トワイライト・ゾーンのカオス。
そしてついには、美貌の王@トドが支配する地獄へ。
♪黒い硝子はひび割れて澱んだ闇がにじみ出す
トドロキのとんでもない美貌。堕天使コム姫といづるんの毒。
美穂圭子ねーさまの暗黒の歌声。
でも、このいかにもな「闇」は実はあんまし破壊力大きくないんだよね。
マフィアたちがダークなのも、地獄がダークなのも、とーぜんじゃん?
でもって、これらの世界は、現実で生きているわたしたちに関係なくね?
この一連の場面で、いちばんヤヴァイのは、サーカス団ですわ。こちらとあちらの境目、アレはやばい(笑)。
マフィアに翻弄されるプンちゃんはエロいし、トド×ブンの耽美っぷりをとことん堪能させてもらえる地獄も、大好きな場面なんだけど。
そのあとなんだよな、いちばんこわいのは。
華やかな中詰めのあと、物語の核心。
「硝子の空の記憶」と、このショーのサブ・タイトルが付けられた場面。
そう、ハマコの歌声で綴られる場面。
圭子ねーさまと、ハマコが歌う、「ホリデー」。
歌詞はなく、スキャットのみ。
男と、死にゆく女のダンスに続いて展開する、恋人同士のダンス場面。
硝子の砕け散る音のあと、ノイズまじりの遠い歌声。
ここの破壊力が、ハンパなくて。
表情や感情の消えた操るようなダンスと、別れていく男女。
すべてのカップルが、みな背を向けて別れていく。壊れていく。
そのこわさ。うつくしさ。
ハマコの歌声っていうと、いつもどーん!と元気で押しつけがましくて、無視できない、主役でなきゃならない系の歌声で。
うまいことはわかるけど、ちょっと抑えてくれてもいいんじゃね?的な。
そんな思い込みが、消える。
こんな歌い方も、できるんだ?
音楽が、耳について離れない。
そののちの海の場面の旋律に姿を変えても。
観終わったあとに残るのは、圭子ねーさまとハマコの歌声。
海の追憶はひたすら美しくて。
美しすぎて、泣けて泣けて仕方なかった。
手のひらに残る、残骸。
もう決して帰らないもの。
白い光がまぶしければまぶしいほど、過去は絶望となり現在を蝕む。
無邪気に踊る天使@コムの美しさと。
そして、彼の慟哭。
カメラは映してくれなかったけれど、壊れた人形のように、つかれたにんげんのように、肩を落として去っていく、後ろ姿の痛さ。
スイッチが入るのは、ハマコの歌声だったんだなあと思う。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でも、あんな風にハマコを使った人は、オギーが最初だったと思う。
力強くて陽性で押しつけがましい……そんなハマコを持ってして、儚いモノを描く。
ハマコが卒業してしまう。
それはわたしにとって、「わたしの雪組」の区切りでもあるんだな、と、今さらながらに思う。
組カラー尊重は大切だけど、こだわりすぎるのはナンセンスだし、トップさんが替われば組自体が変わっていいと思う。
自分の好きだった・よく観ていた時代のカラーや雰囲気に固執するのは馬鹿げている。
そうやって今までもトップスターの代替わりを見守り、受け入れてきた。
でも実際のところ、トップスターより、こんなところで代替わりってのは実感するもんなんだね。
わたしにとっての雪組って、コムちゃん卒業あたりまでなのかなあ、とぼんやり思う。贔屓の変化と共に、担当する組も変わっていくわけだから。わたしが雪担だったのは昔のこと。コムちゃん時代ですら、贔屓も贔屓組も別だった。
でも、わたしがこの世界に入ったのは雪組で、雪組があってこそ、今のわたしがある。雪組はずっと特別だ。
そして、そのコム時代の雪組の名残が今また、消えようとしているんだなと、思ってみたり。
今の雪組を否定するわけではなくてね。
ぶっちゃけ、年寄りの懐古趣味ですよ。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でもタカラヅカにおいての歌唱力には、ハッタリ力というかスター力というか、別のモノも大きく作用していて。
ハマコはハッタリもスター力もとっても持ち合わせている人(笑)で、彼がどーん!と歌うと「はい、歌ウマさんですね!」とひれ伏してしまうというか、「わかったわかった」という気持ちになるというか。
本当の意味で、「ハマコってマジ歌ウマぢゃね?」と思ったのは、『パッサージュ』ではないかと思う。
過去に囚われた女が足を踏み入れたカフェ。
そこのギャルソン@ハマコが歌う。
♪玻璃の裏通りの硝子の屋根薄汚れたカフェがある
この歌がすごく好きで。
ハマコの歌からはじまるこの曲、さまざまな人々の人生が交錯する。
そして、ハマコの「♪また同じ」というフレーズで、終了する。
オギー節全開の言葉遊び、韻を踏みまくった言葉の洪水。
軽妙な曲なのに、そこに歌われているモノ自体は、重い。というか、閉塞感がある。
絶望と否定。それすらも達観した諦観。
ハマコの深みのある声が、あやういコーラスを支える。
ハマコってマジ歌ウマじゃね? この歌、よく歌えるもんだよヲイ。
そう思った。
そして、ハマコですらこんだけ大変そうな歌を、ワタルくんに歌わせるオギーのチャレンジャーぶりに感心したり(笑)。
いつものカフェ、いつもの人々。
いつもの絶望、いつもの孤独。
軽妙に描き出される、毒の鋭角さ。
鋭すぎると、切られたことすら気づかない。
その「いつも」の世界から、舞台は夜、裏社会へ移る。
青年@ブンちゃんが足を踏み入れる夜の街。マフィアが支配する世界。
でもそれはまだ、「こちら側」でしかない。
青年はさらに裏世界へ……「あちら側」へ迷い込む。
片翼の少女@まひるちゃんが囚われている真夜中のサーカス団。
こちらとあちらの境目。トワイライト・ゾーンのカオス。
そしてついには、美貌の王@トドが支配する地獄へ。
♪黒い硝子はひび割れて澱んだ闇がにじみ出す
トドロキのとんでもない美貌。堕天使コム姫といづるんの毒。
美穂圭子ねーさまの暗黒の歌声。
でも、このいかにもな「闇」は実はあんまし破壊力大きくないんだよね。
マフィアたちがダークなのも、地獄がダークなのも、とーぜんじゃん?
でもって、これらの世界は、現実で生きているわたしたちに関係なくね?
この一連の場面で、いちばんヤヴァイのは、サーカス団ですわ。こちらとあちらの境目、アレはやばい(笑)。
マフィアに翻弄されるプンちゃんはエロいし、トド×ブンの耽美っぷりをとことん堪能させてもらえる地獄も、大好きな場面なんだけど。
そのあとなんだよな、いちばんこわいのは。
華やかな中詰めのあと、物語の核心。
「硝子の空の記憶」と、このショーのサブ・タイトルが付けられた場面。
そう、ハマコの歌声で綴られる場面。
圭子ねーさまと、ハマコが歌う、「ホリデー」。
歌詞はなく、スキャットのみ。
男と、死にゆく女のダンスに続いて展開する、恋人同士のダンス場面。
硝子の砕け散る音のあと、ノイズまじりの遠い歌声。
ここの破壊力が、ハンパなくて。
表情や感情の消えた操るようなダンスと、別れていく男女。
すべてのカップルが、みな背を向けて別れていく。壊れていく。
そのこわさ。うつくしさ。
ハマコの歌声っていうと、いつもどーん!と元気で押しつけがましくて、無視できない、主役でなきゃならない系の歌声で。
うまいことはわかるけど、ちょっと抑えてくれてもいいんじゃね?的な。
そんな思い込みが、消える。
こんな歌い方も、できるんだ?
音楽が、耳について離れない。
そののちの海の場面の旋律に姿を変えても。
観終わったあとに残るのは、圭子ねーさまとハマコの歌声。
海の追憶はひたすら美しくて。
美しすぎて、泣けて泣けて仕方なかった。
手のひらに残る、残骸。
もう決して帰らないもの。
白い光がまぶしければまぶしいほど、過去は絶望となり現在を蝕む。
無邪気に踊る天使@コムの美しさと。
そして、彼の慟哭。
カメラは映してくれなかったけれど、壊れた人形のように、つかれたにんげんのように、肩を落として去っていく、後ろ姿の痛さ。
スイッチが入るのは、ハマコの歌声だったんだなあと思う。
ハマコが歌ウマなことは、誰もが知っている。
でも、あんな風にハマコを使った人は、オギーが最初だったと思う。
力強くて陽性で押しつけがましい……そんなハマコを持ってして、儚いモノを描く。
ハマコが卒業してしまう。
それはわたしにとって、「わたしの雪組」の区切りでもあるんだな、と、今さらながらに思う。
組カラー尊重は大切だけど、こだわりすぎるのはナンセンスだし、トップさんが替われば組自体が変わっていいと思う。
自分の好きだった・よく観ていた時代のカラーや雰囲気に固執するのは馬鹿げている。
そうやって今までもトップスターの代替わりを見守り、受け入れてきた。
でも実際のところ、トップスターより、こんなところで代替わりってのは実感するもんなんだね。
わたしにとっての雪組って、コムちゃん卒業あたりまでなのかなあ、とぼんやり思う。贔屓の変化と共に、担当する組も変わっていくわけだから。わたしが雪担だったのは昔のこと。コムちゃん時代ですら、贔屓も贔屓組も別だった。
でも、わたしがこの世界に入ったのは雪組で、雪組があってこそ、今のわたしがある。雪組はずっと特別だ。
そして、そのコム時代の雪組の名残が今また、消えようとしているんだなと、思ってみたり。
今の雪組を否定するわけではなくてね。
ぶっちゃけ、年寄りの懐古趣味ですよ。
硝子迷宮の影に酔う。@パッサージュ
2010年3月3日 タカラヅカ 今さら、『パッサージュ』の話。
ハマコを失うという事実がわたしのなかで浸透するなり、古いメディアを引っぱり出していた。
DVDレコーダを買って最初に録画したのが、NHK放送の『パッサージュ』。おかげで殻付きRAMに録画してるんだよー(笑)。ブルーレイ・レコーダ様は殻付き再生できないの、同じパナソニックなのに、純正品RAMなのに。それくらい、昔のメディア。
トップスターはトド。トップ娘役はグンちゃん。2番手がブンちゃん、3番手がワタルくん、W4番手としてコム姫とナルセくん。
美しい人々、美しい衣装、美しい世界。新専科制度という苦い時代に出来た、奇跡のような公演。
当時、狂ったように書き散らかしていた文章は、まったく残っていない。PCの故障、買い換えなどで紛失した。
だからもう、あの当時のキモチを顧みることもできないのだけど。
最初わたしは、その世界の美しさに感動した。
「天使の夢を見たわ」ではじまる、硝子細工のような世界。きらきらと輝き、角度によって光を変え、夢夢しいにも関わらず冷たく、たしかな硬さを持ちながらも砕け散るもろさを秘める。
オープニングの娘役のドレスの美しさときたら! 色とりどりのキャンディのようで、盆が回って女の子たちが登場するなりぱーっとテンションが上がったのをおぼえている。
きれい。かわいい。
ただそれだけのことに感動して、胸が熱くなる。
どの場面もひたすら美しく、悪趣味な濁りがない。
だがその「美しさ」は陽と陰、光と闇がサンドイッチ状態になっていて、作者の苦心がしのばれた。
ダークな部分を表現したあとは、「とてもタカラヅカ」な明るく美しい場面を必ず入れる。作者自身が描きたいものが闇部分であったしても、いちいち「タカラヅカです」という場面を入れることによって言い訳してある。それが愉快ではあった。
美しいこと、光と闇が交互に構成されていること。
そこまでは初日からわかっていたのだけど。
繰り返し観ているうちに、どうもおかしいことに気が付いた。
初日から、わけもなく涙があふれ、なんで自分が泣いているのかさっぱりわかっていなかったんだが。
リピート観劇すればするほど、さらに涙が止まらなくなる。心臓がばくばくして、気分が悪くなる。
なんなんだろう? なんでこんなことになるんだろう?
こんなに美しくて楽しくて、しあわせなキモチで観ているのに。
何度でも観たくて劇場に通い、芝居はどーでもいー、『パッサージュ』だけが目当てで客席にいるのに、いざその『パッサージュ』がはじまる間際になると、そこから逃げ出したくなる。苦しくなる。
実際、観ていても苦しくて仕方がない。こんなに心臓ばくばくして、血を送り続けて、わたし、破裂するんじゃないの? と思うくらいに。
泣きすぎて消耗しすぎて、終演後もなかなか座席から動けない。
ばくばくする心臓をなだめなければ、動くこともままならない。
……アタマ悪いので、気づいてなかったんだ。美しい、楽しい、大好き……そんな表面的なことに夢中になって、それ以上はナニも考えていなかった。
あきらかにおかしいだろ、わたし。なんでこんなに過剰反応しているのか、考えろよ。
何回目かの観劇時に、不意に気づいた。
美しい、楽しい、大好き……そう思って陶酔して観ているその夢のような舞台の上に、絶望しかないことに。
美しさで隠されていたけれど、そこで描かれているのは「別れ」「喪失」「悔恨」……プラスのものはナニもなかった。
「タカラヅカ・ショーのお約束」部分ではにこにこ愛だの幸福だの歌っているけれど、物語部分、作者のメッセージ部分では絶望しか描かれていなかった。
なまじ美しいから、問題だ。
絶望をマイナスのものとして描くならわかる。だが、そこにある絶望はひたすら美しく、甘美だった。
誘惑があった。
絶望……死への。
わたしは、こわかったんだ。
美しくて大好きなのに、心臓ばくばくして涙が止まらなくて気分が悪くなる、そんな作品。
こわくてこわくて、たまらなかったんだ。
アホなアタマが追いついてなくても、カラダは反応していたんだ。まずい、って。コレにハマったら、傾倒したらまずいって。
気づいた瞬間、血の気が引いて、その日は帰宅するまで大変だった。
美しい絶望。
わたしが狂ったよーに観ていたものは、とんでもない毒だった。
カラダはすでに侵されていた。
このままじゃまずい。
わかっていても、観るのをやめられない。
毒に侵され、毒なしには生きられない。
観る前に気分が悪くなり、観ている最中も気分が悪く、見終わってもへとへと。それでも、観たくて観たくてたまらない。
それでも、好きで好きでたまらない。
「こんなこわいもの、何回も観てるんですか?」
ある日友人のかねすきさんがそう言った。彼女はその日が初見だった。わたしが何回も観てよーやく「コレ、こわい」と気づいたものを、初見でずはりと言い切った。
ああ、やっぱりコレ、こわいよねえ? 他の友だちに言っても通じなくて。きれいだけどこわい、きれいだからこそこわい、ってどんだけ訴えても「緑野が変なんだ」で片づけられちゃったよ。「変」と言っても、そのおかしさも含め、受容してくれるやさしく寛容な友人たちなんだが。
まあたしかに、わたしも過剰反応してるんだろうし、自分でもちょっと行き過ぎてね?とは思っているし。
「心が健康な人には、必要ないからですよ」
わたしたちが「こわい」と思う毒の部分が。健康な人には毒にはならない。そう、すっぱり言われて納得。だから、どんだけ訴えても届かないんだ。
「まあ、わたしってトクベツなひとなんだわ!」というよりは、人よりまちがっている、劣っている、と指摘されたようなもので。
よく母に「アンタがアフリカのキリンなら、とっくに死んでる」と叱られるのだけど(心身共に虚弱なんて、生物として劣っている。人間だから許されてるけど、野生動物ならとっくにライオンの腹の中だろう、という意味)、それと同じレベルのしょぼんさですな。
肩を落とす……だって、実際そうなんだから、もう変えようがないんだから、責められても仕方ないっいうか。
事実を事実として受け止め、しょんぼりする。
こんなに大好きなのに、こんなに苦しい。それはもう、どうしようもないんだ。逃げられないし、変えられないんだ。
それならそれで、開き直って楽しむしかない。
毒満載作品なんてすごーい、オギー最高!(笑)
コレ観て反射的に自殺する人とか出てこなければいいね。毒に侵されて、帰り道線路に飛び込んじゃう系の人が、いなければいいね。
そんなことを、冗談まじりにかねすきさんと話して発散した。
美しいけれどこわい、こわいけれど美しい。
病んだ自分を肯定し、受容し、解放する。
細胞を解き放つ感覚。
原子まで分解され、また再構成される快感と恐怖を、味わう。
『パッサージュ』に浸る、とゆーのはそーゆー行為だった。体験だった。
てなイタイ話は置くとして(笑)、ふつーの感想に続く。
ハマコを失うという事実がわたしのなかで浸透するなり、古いメディアを引っぱり出していた。
DVDレコーダを買って最初に録画したのが、NHK放送の『パッサージュ』。おかげで殻付きRAMに録画してるんだよー(笑)。ブルーレイ・レコーダ様は殻付き再生できないの、同じパナソニックなのに、純正品RAMなのに。それくらい、昔のメディア。
トップスターはトド。トップ娘役はグンちゃん。2番手がブンちゃん、3番手がワタルくん、W4番手としてコム姫とナルセくん。
美しい人々、美しい衣装、美しい世界。新専科制度という苦い時代に出来た、奇跡のような公演。
当時、狂ったように書き散らかしていた文章は、まったく残っていない。PCの故障、買い換えなどで紛失した。
だからもう、あの当時のキモチを顧みることもできないのだけど。
最初わたしは、その世界の美しさに感動した。
「天使の夢を見たわ」ではじまる、硝子細工のような世界。きらきらと輝き、角度によって光を変え、夢夢しいにも関わらず冷たく、たしかな硬さを持ちながらも砕け散るもろさを秘める。
オープニングの娘役のドレスの美しさときたら! 色とりどりのキャンディのようで、盆が回って女の子たちが登場するなりぱーっとテンションが上がったのをおぼえている。
きれい。かわいい。
ただそれだけのことに感動して、胸が熱くなる。
どの場面もひたすら美しく、悪趣味な濁りがない。
だがその「美しさ」は陽と陰、光と闇がサンドイッチ状態になっていて、作者の苦心がしのばれた。
ダークな部分を表現したあとは、「とてもタカラヅカ」な明るく美しい場面を必ず入れる。作者自身が描きたいものが闇部分であったしても、いちいち「タカラヅカです」という場面を入れることによって言い訳してある。それが愉快ではあった。
美しいこと、光と闇が交互に構成されていること。
そこまでは初日からわかっていたのだけど。
繰り返し観ているうちに、どうもおかしいことに気が付いた。
初日から、わけもなく涙があふれ、なんで自分が泣いているのかさっぱりわかっていなかったんだが。
リピート観劇すればするほど、さらに涙が止まらなくなる。心臓がばくばくして、気分が悪くなる。
なんなんだろう? なんでこんなことになるんだろう?
こんなに美しくて楽しくて、しあわせなキモチで観ているのに。
何度でも観たくて劇場に通い、芝居はどーでもいー、『パッサージュ』だけが目当てで客席にいるのに、いざその『パッサージュ』がはじまる間際になると、そこから逃げ出したくなる。苦しくなる。
実際、観ていても苦しくて仕方がない。こんなに心臓ばくばくして、血を送り続けて、わたし、破裂するんじゃないの? と思うくらいに。
泣きすぎて消耗しすぎて、終演後もなかなか座席から動けない。
ばくばくする心臓をなだめなければ、動くこともままならない。
……アタマ悪いので、気づいてなかったんだ。美しい、楽しい、大好き……そんな表面的なことに夢中になって、それ以上はナニも考えていなかった。
あきらかにおかしいだろ、わたし。なんでこんなに過剰反応しているのか、考えろよ。
何回目かの観劇時に、不意に気づいた。
美しい、楽しい、大好き……そう思って陶酔して観ているその夢のような舞台の上に、絶望しかないことに。
美しさで隠されていたけれど、そこで描かれているのは「別れ」「喪失」「悔恨」……プラスのものはナニもなかった。
「タカラヅカ・ショーのお約束」部分ではにこにこ愛だの幸福だの歌っているけれど、物語部分、作者のメッセージ部分では絶望しか描かれていなかった。
なまじ美しいから、問題だ。
絶望をマイナスのものとして描くならわかる。だが、そこにある絶望はひたすら美しく、甘美だった。
誘惑があった。
絶望……死への。
わたしは、こわかったんだ。
美しくて大好きなのに、心臓ばくばくして涙が止まらなくて気分が悪くなる、そんな作品。
こわくてこわくて、たまらなかったんだ。
アホなアタマが追いついてなくても、カラダは反応していたんだ。まずい、って。コレにハマったら、傾倒したらまずいって。
気づいた瞬間、血の気が引いて、その日は帰宅するまで大変だった。
美しい絶望。
わたしが狂ったよーに観ていたものは、とんでもない毒だった。
カラダはすでに侵されていた。
このままじゃまずい。
わかっていても、観るのをやめられない。
毒に侵され、毒なしには生きられない。
観る前に気分が悪くなり、観ている最中も気分が悪く、見終わってもへとへと。それでも、観たくて観たくてたまらない。
それでも、好きで好きでたまらない。
「こんなこわいもの、何回も観てるんですか?」
ある日友人のかねすきさんがそう言った。彼女はその日が初見だった。わたしが何回も観てよーやく「コレ、こわい」と気づいたものを、初見でずはりと言い切った。
ああ、やっぱりコレ、こわいよねえ? 他の友だちに言っても通じなくて。きれいだけどこわい、きれいだからこそこわい、ってどんだけ訴えても「緑野が変なんだ」で片づけられちゃったよ。「変」と言っても、そのおかしさも含め、受容してくれるやさしく寛容な友人たちなんだが。
まあたしかに、わたしも過剰反応してるんだろうし、自分でもちょっと行き過ぎてね?とは思っているし。
「心が健康な人には、必要ないからですよ」
わたしたちが「こわい」と思う毒の部分が。健康な人には毒にはならない。そう、すっぱり言われて納得。だから、どんだけ訴えても届かないんだ。
「まあ、わたしってトクベツなひとなんだわ!」というよりは、人よりまちがっている、劣っている、と指摘されたようなもので。
よく母に「アンタがアフリカのキリンなら、とっくに死んでる」と叱られるのだけど(心身共に虚弱なんて、生物として劣っている。人間だから許されてるけど、野生動物ならとっくにライオンの腹の中だろう、という意味)、それと同じレベルのしょぼんさですな。
肩を落とす……だって、実際そうなんだから、もう変えようがないんだから、責められても仕方ないっいうか。
事実を事実として受け止め、しょんぼりする。
こんなに大好きなのに、こんなに苦しい。それはもう、どうしようもないんだ。逃げられないし、変えられないんだ。
それならそれで、開き直って楽しむしかない。
毒満載作品なんてすごーい、オギー最高!(笑)
コレ観て反射的に自殺する人とか出てこなければいいね。毒に侵されて、帰り道線路に飛び込んじゃう系の人が、いなければいいね。
そんなことを、冗談まじりにかねすきさんと話して発散した。
美しいけれどこわい、こわいけれど美しい。
病んだ自分を肯定し、受容し、解放する。
細胞を解き放つ感覚。
原子まで分解され、また再構成される快感と恐怖を、味わう。
『パッサージュ』に浸る、とゆーのはそーゆー行為だった。体験だった。
てなイタイ話は置くとして(笑)、ふつーの感想に続く。
密かな決戦の日。
話題にもなっていないが、桜乃彩音 ミュージック・サロン『Ever green』-春風のように-のチケット発売日なんだってば!(笑)
発売開始ジャストに電話がつながるようにと、万全の態勢で臨みましたとも。
……もちろん、一発でつながりはせず、「ツーツーツー」を何度も何度も聞きましたが。
ええ、「ツーツー」という通話中音です。その前に参戦したゆみこさんDSのときのように「ただいまこの電話は大変混み合っております」というお断りテープぢゃなかったっすよ。がんばればつながる!という希望の持てる音でした。
ちなみに、『巴里祭』のときも話中音でしかなかったっすね……ゲフンゲフン。
で、無事に宝塚ホテルにつながったわけなんですが。
座席位置を教えてくれなかった。
『巴里祭』ではすらっと答えてくれたんですよ、席。
それで、納得して購入したんですが。
DS自体あまり行ったことないし、行くときも会頼みっつーか人を介しての場合が多く、そーゆーときに席番なんぞを聞くのは野暮、自力チケ取り以外は座席に期待しない・どこでも喜んで、が当然。
だからあまり知らないんだけど、よその興行でも、座席位置ってのは不明で販売してるもんなんでしょうか、ディナーショーって。何万円する興行でも、席種関係なく一律料金でも。
殿様商売だなー。
にまんごせんえんもする商品なのになー。
や、タカラヅカの特質として、前売り販売時点で席がわからないのも、想像はできるんですよ。
会とか特別なお客様の配席関係もあり、明確な座席表自体存在していないんでしょう。直前になってセットするテーブル数を決めるくらいの勢いじゃないかと思う。
ぶっちゃけ、売れるようならテーブル数増やす算段っていうか。
だから教えられないのもわかるんだが。
ホテル阪急インターナショナルは、教えてくれたんですよ、何列目のどこ、と位置までちゃんと明確に。すらっと、さらっと。そのテーブル位置は、自分の電話がつながったタイミングからして、納得のいくものだった。この時間なら、たしかにこのへんだろうなと。
HHIでは、一般前売りで電話がつながった先着順に、ふつーに配席していた模様。
別のイベントでも、「私は15分でつながったからここ。あのあたり(何列か前のテーブル)の席の人は10分でつながったそうよ」と言っている人がいたなー。
これって大事じゃね? 今後の購買意欲につながるよ。
良い席は一般売りしてません、配席はすべて藪の中です、という態度より。
HHIがすごいの? 特殊なの?
それとも宝ホがひどいの?
昔、前のご贔屓の退団DSで宝ホのチケ取りしたときは、電話がつながっただけで心臓バクバクで座席位置を聞くことなんか念頭になかった。
あのとき「席を教えて」と言ったら、断られたんだろうか、やっぱ。
タカラヅカは一般客よりも特別なお客様や会を中心に動いているから、なんとも言えないんだよなー。
それが正しいかどうかではなく、そーゆーもんなんだから、仕方ない。
そーゆー世界の文化を、好きになってしまったんだから。
電話がつながった時間から察する座席位置より、はるかに悪い席だったらヘコむなー。
だってこのイベント、売り切れてないわけだし。今現在(実は発売日から10日以上経っている・笑)絶賛発売中なわけだし。発売当日の発売開始時刻からそれほど経っていない時間帯につながって、いちばん後ろの端席だったりしたら、一般売りってなんなん?ということになるな。
ソレでも仕方ない、自分で決断して自分で観に行くのだから、と納得するしかないわけだが。
ひとつひとつ自分で経験して、スキルを上げていくしかないので、これも経験。
何時につながってどの席だったかは、貴重なデータとして蓄積する(笑)。
話題にもなっていないが、桜乃彩音 ミュージック・サロン『Ever green』-春風のように-のチケット発売日なんだってば!(笑)
発売開始ジャストに電話がつながるようにと、万全の態勢で臨みましたとも。
……もちろん、一発でつながりはせず、「ツーツーツー」を何度も何度も聞きましたが。
ええ、「ツーツー」という通話中音です。その前に参戦したゆみこさんDSのときのように「ただいまこの電話は大変混み合っております」というお断りテープぢゃなかったっすよ。がんばればつながる!という希望の持てる音でした。
ちなみに、『巴里祭』のときも話中音でしかなかったっすね……ゲフンゲフン。
で、無事に宝塚ホテルにつながったわけなんですが。
座席位置を教えてくれなかった。
『巴里祭』ではすらっと答えてくれたんですよ、席。
それで、納得して購入したんですが。
DS自体あまり行ったことないし、行くときも会頼みっつーか人を介しての場合が多く、そーゆーときに席番なんぞを聞くのは野暮、自力チケ取り以外は座席に期待しない・どこでも喜んで、が当然。
だからあまり知らないんだけど、よその興行でも、座席位置ってのは不明で販売してるもんなんでしょうか、ディナーショーって。何万円する興行でも、席種関係なく一律料金でも。
殿様商売だなー。
にまんごせんえんもする商品なのになー。
や、タカラヅカの特質として、前売り販売時点で席がわからないのも、想像はできるんですよ。
会とか特別なお客様の配席関係もあり、明確な座席表自体存在していないんでしょう。直前になってセットするテーブル数を決めるくらいの勢いじゃないかと思う。
ぶっちゃけ、売れるようならテーブル数増やす算段っていうか。
だから教えられないのもわかるんだが。
ホテル阪急インターナショナルは、教えてくれたんですよ、何列目のどこ、と位置までちゃんと明確に。すらっと、さらっと。そのテーブル位置は、自分の電話がつながったタイミングからして、納得のいくものだった。この時間なら、たしかにこのへんだろうなと。
HHIでは、一般前売りで電話がつながった先着順に、ふつーに配席していた模様。
別のイベントでも、「私は15分でつながったからここ。あのあたり(何列か前のテーブル)の席の人は10分でつながったそうよ」と言っている人がいたなー。
これって大事じゃね? 今後の購買意欲につながるよ。
良い席は一般売りしてません、配席はすべて藪の中です、という態度より。
HHIがすごいの? 特殊なの?
それとも宝ホがひどいの?
昔、前のご贔屓の退団DSで宝ホのチケ取りしたときは、電話がつながっただけで心臓バクバクで座席位置を聞くことなんか念頭になかった。
あのとき「席を教えて」と言ったら、断られたんだろうか、やっぱ。
タカラヅカは一般客よりも特別なお客様や会を中心に動いているから、なんとも言えないんだよなー。
それが正しいかどうかではなく、そーゆーもんなんだから、仕方ない。
そーゆー世界の文化を、好きになってしまったんだから。
電話がつながった時間から察する座席位置より、はるかに悪い席だったらヘコむなー。
だってこのイベント、売り切れてないわけだし。今現在(実は発売日から10日以上経っている・笑)絶賛発売中なわけだし。発売当日の発売開始時刻からそれほど経っていない時間帯につながって、いちばん後ろの端席だったりしたら、一般売りってなんなん?ということになるな。
ソレでも仕方ない、自分で決断して自分で観に行くのだから、と納得するしかないわけだが。
ひとつひとつ自分で経験して、スキルを上げていくしかないので、これも経験。
何時につながってどの席だったかは、貴重なデータとして蓄積する(笑)。
映画から、見えたこと。
2010年3月1日 タカラヅカ レビュー・シネマは諸手を挙げて賛成・肯定するけれど、ジェンヌで映画を撮って欲しいとか、映像だけあれば舞台はいらないとかいう意味じゃない。
タカラヅカはナマ舞台。これ以上の物はない。
その上で、別の媒体に展開してもいいじゃん、てこと。
また、映画が最高だから、スカステやTCA発売のDVDが不要だと言っているわけでもない。映画版をDVD化すればいいじゃん、という意味でもない。
劇団がファン用に作っている「記録映像」としてのスカステや販売DVDは絶対必要。ストーリーよりもジェンヌの顔を映す、ファン・ディスクとしての姿勢は必要不可欠。
雪組、星組と自分の贔屓組以外で制作されたレビュー・シネマを見たわけだが、こんだけ楽しかったのは贔屓組ではないから、てのもあるかもしれない。
それぞれの組に好きな人はいるけれど、過度の愛と執着(笑)のあるご贔屓が出演しているわけじゃないから、客観的に見ていられる。
もしコレが花組本公演だったりしたら、物語を楽しむとか新たな視点を楽しむとかゆー話ではなく、ただひたすらご贔屓がどれくらい映ったか、どんな顔だったかとかだけに一喜一憂していそうだ(笑)。
主要人物ならいつも顔をアップにしてカメラが追い続けてくれるからいいけど、それ以外の人はなー。スカステなら脇役も満遍なく、できるだけたくさんの人の顔を映してくれるけど、映画はそうはいかないもんな。台詞や歌があっても、映ってないかもしれん。
さて、レビュー・シネマ第1弾『ソロモンの指輪』鑑賞時に、こんな感想を書いている。
> 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』は第一弾と書いてあるのだから、これからも続けるのかもしれないが。
> ヅカを素材にして、ここまで「別作品」を作れるほどの、「素材」として深みのある作品が、今後どれほど出るのだろうか。
> 単に歌っている人をアップにして、ストーリーを脚本通りに追って終わり、の、劇団販売映像となんら変わらないものしか、出来ないんじゃないか?
ごめん、レビュー・シネマをナメてたね。
「歌っている人をアップにして」ではなく、テーマと主役だけを追いかけて、だった。歌っていても踊っていても、主軸に関係なかったらさくっと無視されていたわ(笑)。
主役たちだけを丹念に追うのでも、劇団印の記録映像とはまったくチガウ……つまり、劇団販売映像がどれだけ「映画」とはかけ離れていたかが、反対にわかった。
主役クラスの人たちを映すだけでも、「視点」のあるなしで物語は大きく変わる。
やはり、「舞台」というのは面白い。
どんな視点で見るかは、わたしたち観客にまるっと全部委ねられているわけだもの。
わたしたちひとりひとりが、あの映画と同じくらいの映像作品を、脳内で作り上げているのよ。それを許してくれる媒体が、ナマの舞台ってやつなのよ。
「映画」というカタチで差し出されることにより、「舞台」の魅力を再確認した。
舞台観劇ってさあ、お金も時間も労力もかかって大変じゃん? テレビやネットのない時代ならともかく、お茶の間であらゆる娯楽をタダで愉しめるこの現代に、なんつー不便で効率の悪い文化なのかと思うよ。
だから実際、観劇人口は減る一方なわけでしょ? テレビがない時代にあんなにたくさんあった芝居小屋は、今じゃ生き残っているのはわずかばりだよね?
それでも今現在、少なくなろーがどうしよーが、舞台芝居というモノがずーーっとしぶとく生き残ってきているのは、理由があるんだよなあ。
この魅力だけは、お茶の間娯楽には取って代わられない、なくなられちゃ困るもんだよな。
しみじみと、出会えて良かったと思う、この文化に。娯楽に。
タカラヅカはナマ舞台。これ以上の物はない。
その上で、別の媒体に展開してもいいじゃん、てこと。
また、映画が最高だから、スカステやTCA発売のDVDが不要だと言っているわけでもない。映画版をDVD化すればいいじゃん、という意味でもない。
劇団がファン用に作っている「記録映像」としてのスカステや販売DVDは絶対必要。ストーリーよりもジェンヌの顔を映す、ファン・ディスクとしての姿勢は必要不可欠。
雪組、星組と自分の贔屓組以外で制作されたレビュー・シネマを見たわけだが、こんだけ楽しかったのは贔屓組ではないから、てのもあるかもしれない。
それぞれの組に好きな人はいるけれど、過度の愛と執着(笑)のあるご贔屓が出演しているわけじゃないから、客観的に見ていられる。
もしコレが花組本公演だったりしたら、物語を楽しむとか新たな視点を楽しむとかゆー話ではなく、ただひたすらご贔屓がどれくらい映ったか、どんな顔だったかとかだけに一喜一憂していそうだ(笑)。
主要人物ならいつも顔をアップにしてカメラが追い続けてくれるからいいけど、それ以外の人はなー。スカステなら脇役も満遍なく、できるだけたくさんの人の顔を映してくれるけど、映画はそうはいかないもんな。台詞や歌があっても、映ってないかもしれん。
さて、レビュー・シネマ第1弾『ソロモンの指輪』鑑賞時に、こんな感想を書いている。
> 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』は第一弾と書いてあるのだから、これからも続けるのかもしれないが。
> ヅカを素材にして、ここまで「別作品」を作れるほどの、「素材」として深みのある作品が、今後どれほど出るのだろうか。
> 単に歌っている人をアップにして、ストーリーを脚本通りに追って終わり、の、劇団販売映像となんら変わらないものしか、出来ないんじゃないか?
ごめん、レビュー・シネマをナメてたね。
「歌っている人をアップにして」ではなく、テーマと主役だけを追いかけて、だった。歌っていても踊っていても、主軸に関係なかったらさくっと無視されていたわ(笑)。
主役たちだけを丹念に追うのでも、劇団印の記録映像とはまったくチガウ……つまり、劇団販売映像がどれだけ「映画」とはかけ離れていたかが、反対にわかった。
主役クラスの人たちを映すだけでも、「視点」のあるなしで物語は大きく変わる。
やはり、「舞台」というのは面白い。
どんな視点で見るかは、わたしたち観客にまるっと全部委ねられているわけだもの。
わたしたちひとりひとりが、あの映画と同じくらいの映像作品を、脳内で作り上げているのよ。それを許してくれる媒体が、ナマの舞台ってやつなのよ。
「映画」というカタチで差し出されることにより、「舞台」の魅力を再確認した。
舞台観劇ってさあ、お金も時間も労力もかかって大変じゃん? テレビやネットのない時代ならともかく、お茶の間であらゆる娯楽をタダで愉しめるこの現代に、なんつー不便で効率の悪い文化なのかと思うよ。
だから実際、観劇人口は減る一方なわけでしょ? テレビがない時代にあんなにたくさんあった芝居小屋は、今じゃ生き残っているのはわずかばりだよね?
それでも今現在、少なくなろーがどうしよーが、舞台芝居というモノがずーーっとしぶとく生き残ってきているのは、理由があるんだよなあ。
この魅力だけは、お茶の間娯楽には取って代わられない、なくなられちゃ困るもんだよな。
しみじみと、出会えて良かったと思う、この文化に。娯楽に。
「そーいやケロファンが最近、ちえちゃんに流れていってるらしいよ」
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
何年か前、びんぼー人らしく水曜日に映画館へ行った。や、映画はレディースデーでしょう(笑)。予算は2000円、1日で2本見るのよ、るるる・ららら。
上演リストを見て、コレを見ると決めていた、『髑髏城の七人』。ええ、ゲキシネですよ。
そしてチケット売り場で知った。
「ゲキシネは割引対象外、いつでも定価2500円」。
……今日がレディースデーでなかったら、ふつーの映画は1800円、ゲキシネは2500円。700円差なら仕方ないなと思うかもしんないけれど、今日はチガウ。
ふつーの映画は1000円、なのにゲキシネは2500円。その差1500円!!
だ、ダメだっ。
びんぼーかつびんぼー症のわたしには、レディースデーにゲキシネを見る勇気がないっ。
他の日なら700円だけど、今日は1500円なのおおっ。そんなもったいないことできなーーいっ!!
とゆーことで、ゲキシネあきらめて他の映画を2本見て帰りました。
結局わざわざ他日に出直すことはなく、『髑髏城の七人』は見られませんでした……。どっとはらい。
てな記憶があったので。つか、トラウマ(笑)があったので。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』の価格を見たときも合点がいきました。
ああ、ゲキシネと同じ値段だ、と。
そして、とても安心感があった。
長くない上映期間のレディースデーをわざわざ目指して行く必要もなく、いつでも自分の都合の良い日に行けばいいんだ。
また、ポストカード目当てに前売りを買っていいんだ。他に割引はされないんだもの。
なにしろオレはびんぼーかつびんぼー症だ。仮に上映期間が1週間あるとして、そのうち1日だけが1000円で見られるというのなら、無理をしてでもその日に行くだろうし、1000円で見られるとわかっていたら、前売り券を買うはずもないからだ。
や、実は現在はゲキシネもレディースデーの割引対象になっていたり、タカラヅカ・レビュー・シネマもレディースデーなら1000円だったのかもしれないが、知らぬが仏、情報はシャットアウトして自分ひとりで納得。
いつでもいいから、余裕を持って見に行こう、だっていつ行っても同じ2500円だもん(笑)。
ちなみに、レビュー・シネマ第一弾の『ソロモンの指輪』はいつ行っても1000円でした。前売り割引も特典もナシ。
なにしろ30分こっきりのショート・フィルムだからなー。これ以上の値段は取れんやろ。
『太王四神記 Ver.II』は上映時間152分。
長っ。
いや、でも、仕方ないのか。映画だから途中で休憩入れるわけにもいかないし。
しかし、ノンストップで2時間半はキツイなあ。
実際、映画館って、めっちゃ寒いし。
わたしはいつも重装備で行くし、客席でもコートは脱がないしマフラーもしたままがデフォルトなんだが、それにしても映画館は寒い。
膝掛けを持っていかなかったことを後悔したね……あの寒さで2時間半はこたえた(笑)。
いつも自転車で行く某シネコンにて鑑賞。
公開から1週間、ガラガラかと思ったら、けっこうな混みっぷり。センターブロックはほぼ埋まっていて、サイドブロックにも縦1列のみ客がいる状態。人気洋画ならいざ知らず、マイナーな映画だったらこんなに混むことはないレベルの入りにびっくり。
わたしは映画を見るときいつも、迷わずサイドブロックの通路際を指定して取る。センターが空いていても、サイドを指定。や、他に客が皆無に近いとわかっているならセンターでもいいが、ふつーレベルの客入りならセンターはウザいと思う人間。
今のシネコンで、センター以外が見にくい作りなんかありえないもの。
それよりは前後左右に人がいない、真ん中に向かって脚を伸ばせる後方サイドブロック通路際がいちばん。
映画はいつもひとり鑑賞だし、予告編見ない(本数見ていると、同じ広告・予告ばかりで飽きる)から本編開始間際の暗い場内に遅れて入ることもあり、人の少ないブロックの通路際席がいいんだほんと。
だから今回も、ひとりでのびのび見るつもりで、いつものあたりを指定して取ったのに。
前後にもひとり客が坐っていて、びっくりだ。ふつーサイドブロックにはほとんど人がいないもんなのにー。
客層はもちろんヅカファンがほとんどだが、カップルらしい若い男女や、ひとりで見に来ている男子とかもいて、不思議な感じ。
本編上映前のCMは、アニメ映画のときは他のアニメやファンタジー映画の予告編を流したり、邦画のときは他の邦画の予告編を多く流したりと、関連づけられている。
タカラヅカ・レビュー・シネマだとどんな映画の予告編が流れるのかと思っていたら、企業CMも予告編もなしだった(笑)。
いきなりはじまりましたよ、本編。
初回でも最終でもない、ふつーの時間帯上映で予告なしって、落ち着かないわー(笑)。
なにしろノンストップで2時間半。
1幕と2幕のつなぎがどうなっているのか、映画ならではの演出を期待したんだが、なーんにもなかった。
ふつーに暗転。しかもわりと長い。
1幕ラストの盛り上がりは、そこで幕が下りてこそだなと思った。
ふつーにブラックアウトでつなげても、拍子抜けだ。
映画らしく、エンドロールの作りは凝っている……というか、恥ずかしかったが(笑)。
うおお、タムドク@れおん素敵~~!!
パンフレット欲しいなー、つか、必要だろ。
ヅカファン以外でちょっと興味持ってこの映画を見ちゃった人だって、皆無ではないと思うんだ。
そんな人に「映画版『太王四神記 Ver.II』」のパンフを用意する必要がある。
舞台用のプログラムではなく、あくまでも映画用の切り口で編集された、ビジュアル重視のヤツ。パンフのない映画なんて、ほとんどないもの。映画というなら、用意しなきゃ。
映画館のシアターブースを出てから、ロビーフロアの売店のパンフレット・コーナーに「『太王四神記 Ver.II』パンフレット完売。入荷予定はありません」と書かれていることに気づいた。
映画版のパンフレットって発売されてたの?
他映画のパンフレットと並んで、見本が置かれていたわけ?
それは見てみたかったなー。
売店で『アバター』グッズと並んで『太王四神記 Ver.II』クリアファイルとか販売されているのを見て、とまどったもの……なんてカオスな並び……(笑)。
初日に鑑賞済みのkineさんに聞いてみたところ、映画用パンフはなかったとのことなので、ふつーの公演プログラムを「映画版『太王四神記 Ver.II』プログラム」として販売していたのかな。
……他の映画パンフと並べて、アレを……? 想像すると軽く眩暈がしたっす(笑)。
いやはや、たのしいわ、レビュー・シネマ。
上演リストを見て、コレを見ると決めていた、『髑髏城の七人』。ええ、ゲキシネですよ。
そしてチケット売り場で知った。
「ゲキシネは割引対象外、いつでも定価2500円」。
……今日がレディースデーでなかったら、ふつーの映画は1800円、ゲキシネは2500円。700円差なら仕方ないなと思うかもしんないけれど、今日はチガウ。
ふつーの映画は1000円、なのにゲキシネは2500円。その差1500円!!
だ、ダメだっ。
びんぼーかつびんぼー症のわたしには、レディースデーにゲキシネを見る勇気がないっ。
他の日なら700円だけど、今日は1500円なのおおっ。そんなもったいないことできなーーいっ!!
とゆーことで、ゲキシネあきらめて他の映画を2本見て帰りました。
結局わざわざ他日に出直すことはなく、『髑髏城の七人』は見られませんでした……。どっとはらい。
てな記憶があったので。つか、トラウマ(笑)があったので。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』の価格を見たときも合点がいきました。
ああ、ゲキシネと同じ値段だ、と。
そして、とても安心感があった。
長くない上映期間のレディースデーをわざわざ目指して行く必要もなく、いつでも自分の都合の良い日に行けばいいんだ。
また、ポストカード目当てに前売りを買っていいんだ。他に割引はされないんだもの。
なにしろオレはびんぼーかつびんぼー症だ。仮に上映期間が1週間あるとして、そのうち1日だけが1000円で見られるというのなら、無理をしてでもその日に行くだろうし、1000円で見られるとわかっていたら、前売り券を買うはずもないからだ。
や、実は現在はゲキシネもレディースデーの割引対象になっていたり、タカラヅカ・レビュー・シネマもレディースデーなら1000円だったのかもしれないが、知らぬが仏、情報はシャットアウトして自分ひとりで納得。
いつでもいいから、余裕を持って見に行こう、だっていつ行っても同じ2500円だもん(笑)。
ちなみに、レビュー・シネマ第一弾の『ソロモンの指輪』はいつ行っても1000円でした。前売り割引も特典もナシ。
なにしろ30分こっきりのショート・フィルムだからなー。これ以上の値段は取れんやろ。
『太王四神記 Ver.II』は上映時間152分。
長っ。
いや、でも、仕方ないのか。映画だから途中で休憩入れるわけにもいかないし。
しかし、ノンストップで2時間半はキツイなあ。
実際、映画館って、めっちゃ寒いし。
わたしはいつも重装備で行くし、客席でもコートは脱がないしマフラーもしたままがデフォルトなんだが、それにしても映画館は寒い。
膝掛けを持っていかなかったことを後悔したね……あの寒さで2時間半はこたえた(笑)。
いつも自転車で行く某シネコンにて鑑賞。
公開から1週間、ガラガラかと思ったら、けっこうな混みっぷり。センターブロックはほぼ埋まっていて、サイドブロックにも縦1列のみ客がいる状態。人気洋画ならいざ知らず、マイナーな映画だったらこんなに混むことはないレベルの入りにびっくり。
わたしは映画を見るときいつも、迷わずサイドブロックの通路際を指定して取る。センターが空いていても、サイドを指定。や、他に客が皆無に近いとわかっているならセンターでもいいが、ふつーレベルの客入りならセンターはウザいと思う人間。
今のシネコンで、センター以外が見にくい作りなんかありえないもの。
それよりは前後左右に人がいない、真ん中に向かって脚を伸ばせる後方サイドブロック通路際がいちばん。
映画はいつもひとり鑑賞だし、予告編見ない(本数見ていると、同じ広告・予告ばかりで飽きる)から本編開始間際の暗い場内に遅れて入ることもあり、人の少ないブロックの通路際席がいいんだほんと。
だから今回も、ひとりでのびのび見るつもりで、いつものあたりを指定して取ったのに。
前後にもひとり客が坐っていて、びっくりだ。ふつーサイドブロックにはほとんど人がいないもんなのにー。
客層はもちろんヅカファンがほとんどだが、カップルらしい若い男女や、ひとりで見に来ている男子とかもいて、不思議な感じ。
本編上映前のCMは、アニメ映画のときは他のアニメやファンタジー映画の予告編を流したり、邦画のときは他の邦画の予告編を多く流したりと、関連づけられている。
タカラヅカ・レビュー・シネマだとどんな映画の予告編が流れるのかと思っていたら、企業CMも予告編もなしだった(笑)。
いきなりはじまりましたよ、本編。
初回でも最終でもない、ふつーの時間帯上映で予告なしって、落ち着かないわー(笑)。
なにしろノンストップで2時間半。
1幕と2幕のつなぎがどうなっているのか、映画ならではの演出を期待したんだが、なーんにもなかった。
ふつーに暗転。しかもわりと長い。
1幕ラストの盛り上がりは、そこで幕が下りてこそだなと思った。
ふつーにブラックアウトでつなげても、拍子抜けだ。
映画らしく、エンドロールの作りは凝っている……というか、恥ずかしかったが(笑)。
うおお、タムドク@れおん素敵~~!!
パンフレット欲しいなー、つか、必要だろ。
ヅカファン以外でちょっと興味持ってこの映画を見ちゃった人だって、皆無ではないと思うんだ。
そんな人に「映画版『太王四神記 Ver.II』」のパンフを用意する必要がある。
舞台用のプログラムではなく、あくまでも映画用の切り口で編集された、ビジュアル重視のヤツ。パンフのない映画なんて、ほとんどないもの。映画というなら、用意しなきゃ。
映画館のシアターブースを出てから、ロビーフロアの売店のパンフレット・コーナーに「『太王四神記 Ver.II』パンフレット完売。入荷予定はありません」と書かれていることに気づいた。
映画版のパンフレットって発売されてたの?
他映画のパンフレットと並んで、見本が置かれていたわけ?
それは見てみたかったなー。
売店で『アバター』グッズと並んで『太王四神記 Ver.II』クリアファイルとか販売されているのを見て、とまどったもの……なんてカオスな並び……(笑)。
初日に鑑賞済みのkineさんに聞いてみたところ、映画用パンフはなかったとのことなので、ふつーの公演プログラムを「映画版『太王四神記 Ver.II』プログラム」として販売していたのかな。
……他の映画パンフと並べて、アレを……? 想像すると軽く眩暈がしたっす(笑)。
いやはや、たのしいわ、レビュー・シネマ。
れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』見ました、見に行きましたとも。や、見るでしょそりゃ、第一弾の『ソロモンの指輪』がどんだけ楽しかったか知ってる人なら。
でもってもお、タムドク@れおんくんがステキ過ぎるんですがっ。
好み過ぎるんですがっ。
終始ときめいて大変でした(笑)。
はー……罪が深いわ、レビュー・シネマ。
すべてがまるっと観客に差し出されている舞台とちがい、映画は他者の作為が入る。今回の場合は「映像演出:橋本直樹」氏の手腕になるのかな?
どの人のどの表情をアップにし、ナニを切り捨てるか。ひとつの素材で別物語だって作成可能だ。
だからこそ、おもしろい。
いつも自分で好きなように見ている世界が、「視点」を持つこと。
ヅカの公式DVDやスカステ放送には「視点」がない。アレは映画ではない。ただの記録映像だ。舞台をできるだけ忠実に撮影してあるだけ。
所詮ヅカファンであるわたしは公式映像もジェンヌの顔が映っているというだけの理由で大好きだが、物語好きフィクション好きとしては、映画という「視点」のある映像は別腹で大好物だ。
実験作っぽかった『ソロモンの指輪』とちがい、今回の『太王四神記 Ver.II』は本気で映画だ。
ひとつの物語を、宝塚歌劇まんまをまるっとひとつの映像作品に再構築してある。
「物語」をより明確に演出する。
監督が「見せたい」と思うモノを見せることができる。
それゆえに、プルキル@すずみんの場面はよりおどろおどろしく、ダークに悪役的に。
ナナメになったフレーム、3D酔いしそうな揺れる画面。
主人公であるタムドク@れおん、ヒロイン・キハ@ねねちゃん、ライバル役ヨン・ホゲ@かなめくんの表情を追い、彼らの心情を明確に打ち出す。
ヒーロー物だからこそ、戦闘シーンはよりかっこよく効果を付けて。聖剣発動、蛍光灯光ります!のチュモ神剣の裏側を映さないよう苦労してみたり(笑)。
たのしいなあ。しみじみ。
反面、ミュージカルの魅力のひとつである「ダンス」は捨てにかかってる。
群舞の格好良さを映すのは、映画的ではないんだね。
戦闘シーンもだが、映すのは主役のみで全体に興味はない。全体がどれだけかっこいい動きをしているか、周囲で踊っている人たちが魅力的かは関係なく、真ん中のみに言及。音楽番組で歌い踊るミュージシャンと、そのバックダンサー的扱い。
潔いわな。
ホゲ軍の盾ダンスは戦闘シーン扱いだからまだかっこよく映していたけれど、アレもホゲ様しか興味のない画面構成だったしな。
トップ周辺のポジションではない出演者たちを見たいとか、舞台ならではの群舞を見たいというならスカステや劇団発売DVDを見ていればいいと思うが、『太王四神記 Ver.II』という「物語」を楽しみたいのならこのレビュー・シネマを見る価値がある。
「舞台中継」ではなく「映画」であること。
そこにこだわった作りが気持ちいい。
物語中、一度も拍手が入らないことに感心した。
現代の音響技術って、こんなことができるんだ?
……まあその、すばらしい技術ゆえなのか、歌と画像が合ってない場面もちらほら。ナマのままぢゃあかんかったんかい、加工しすぎですよ、ねえ(笑)。
そーやって物語に集中させ、舞台中継ではなく「映画」だと打ち立てたあとで。
フィナーレになるなり、拍手が入る!
この演出に膝を打った。うまい。
タカラヅカの持つ、ファンタジー性。別世界へつれていってくれる特殊性。
それを見事に表現しているなと。
ヅカの特徴のひとつだよね、どんな物語が展開されていようと、いったん幕が下りれば何事もなかったかのよーに華やかなフィナーレがはじまる、てのは。
どんな悲劇で涙涙に終わろうとも。主人公死んでいようとも。ソレはそれ、コレはこれ。悲劇も涙もこっちへ置いておいて、今は華やかに歌い踊る。敵も味方も悪人も善人も、びんぼー人も貴族も王様も、みんな同じようにキラキラ衣装で歌い踊る。
はじめてヅカを見た人が腰を抜かす、アレ(笑)。
余韻もナニもあったもんぢゃねええ! でもきれー! でもたのしー!
物語パートと、フィナーレの断絶感。
物語に集中していればいるほど、その直後からスタートするお気楽なショー・パートにアタマを殴られた気分になるはず。
その両極端なモノを、平気で内包するのがタカラヅカ。
初心者はまずびびる、他ではありえない「それは置いておいて」精神(笑)。
これぞ異世界。これぞファンタジー。
あの「タカラヅカ」特有のトンデモなさが、なんの解説もなく表現されている(笑)。
そして、そのトンデモなさにずっぽり浸りきったわたしは、こうやって外側から客観的に差し出された「トンデモなさ」に膝を打つ。
ああ、タカラヅカって素敵。タカラヅカって最高。
改めて、「タカラヅカ」を見せてくれた。
気づかせてくれた。
タカラヅカって、面白いよ。すごいよ。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』見ました、見に行きましたとも。や、見るでしょそりゃ、第一弾の『ソロモンの指輪』がどんだけ楽しかったか知ってる人なら。
でもってもお、タムドク@れおんくんがステキ過ぎるんですがっ。
好み過ぎるんですがっ。
終始ときめいて大変でした(笑)。
はー……罪が深いわ、レビュー・シネマ。
【タカラヅカ レビュー シネマとは】
それは、宝塚歌劇〔TAKARAZUKA REVUE〕の華やかな舞台と、
映画的な演出〔CINEMA〕があざやかに融合した、幻想的な“映像美”にあふれるオリジナルな映像世界。
劇場でしか味わえなかった感動が、最新のデジタルシネマ技術を駆使して撮影・収録された高画質映像と臨場感溢れるサウンド、
そして情緒感あふれる人物描写とストーリー性が際立つ映像演出によって、新たな物語としてスクリーンの中によみがえります。
■脚本・演出:小池修一郎 ■映像演出:橋本直樹 ■映像制作プロダクション:ウィルコ ■配給:東宝映像事業部 ■映像製作・著作:宝塚クリエイティブアーツ
■チケット:当日¥2,500均一 ■上映時間:152分
■お問い合わせ/宝塚クリエイティブアーツ カスタマーセンター Tel.0797-83-6000(10:00~17:00水休)
以上公式より引用
すべてがまるっと観客に差し出されている舞台とちがい、映画は他者の作為が入る。今回の場合は「映像演出:橋本直樹」氏の手腕になるのかな?
どの人のどの表情をアップにし、ナニを切り捨てるか。ひとつの素材で別物語だって作成可能だ。
だからこそ、おもしろい。
いつも自分で好きなように見ている世界が、「視点」を持つこと。
ヅカの公式DVDやスカステ放送には「視点」がない。アレは映画ではない。ただの記録映像だ。舞台をできるだけ忠実に撮影してあるだけ。
所詮ヅカファンであるわたしは公式映像もジェンヌの顔が映っているというだけの理由で大好きだが、物語好きフィクション好きとしては、映画という「視点」のある映像は別腹で大好物だ。
実験作っぽかった『ソロモンの指輪』とちがい、今回の『太王四神記 Ver.II』は本気で映画だ。
ひとつの物語を、宝塚歌劇まんまをまるっとひとつの映像作品に再構築してある。
「物語」をより明確に演出する。
監督が「見せたい」と思うモノを見せることができる。
それゆえに、プルキル@すずみんの場面はよりおどろおどろしく、ダークに悪役的に。
ナナメになったフレーム、3D酔いしそうな揺れる画面。
主人公であるタムドク@れおん、ヒロイン・キハ@ねねちゃん、ライバル役ヨン・ホゲ@かなめくんの表情を追い、彼らの心情を明確に打ち出す。
ヒーロー物だからこそ、戦闘シーンはよりかっこよく効果を付けて。聖剣発動、蛍光灯光ります!のチュモ神剣の裏側を映さないよう苦労してみたり(笑)。
たのしいなあ。しみじみ。
反面、ミュージカルの魅力のひとつである「ダンス」は捨てにかかってる。
群舞の格好良さを映すのは、映画的ではないんだね。
戦闘シーンもだが、映すのは主役のみで全体に興味はない。全体がどれだけかっこいい動きをしているか、周囲で踊っている人たちが魅力的かは関係なく、真ん中のみに言及。音楽番組で歌い踊るミュージシャンと、そのバックダンサー的扱い。
潔いわな。
ホゲ軍の盾ダンスは戦闘シーン扱いだからまだかっこよく映していたけれど、アレもホゲ様しか興味のない画面構成だったしな。
トップ周辺のポジションではない出演者たちを見たいとか、舞台ならではの群舞を見たいというならスカステや劇団発売DVDを見ていればいいと思うが、『太王四神記 Ver.II』という「物語」を楽しみたいのならこのレビュー・シネマを見る価値がある。
「舞台中継」ではなく「映画」であること。
そこにこだわった作りが気持ちいい。
物語中、一度も拍手が入らないことに感心した。
現代の音響技術って、こんなことができるんだ?
……まあその、すばらしい技術ゆえなのか、歌と画像が合ってない場面もちらほら。ナマのままぢゃあかんかったんかい、加工しすぎですよ、ねえ(笑)。
そーやって物語に集中させ、舞台中継ではなく「映画」だと打ち立てたあとで。
フィナーレになるなり、拍手が入る!
この演出に膝を打った。うまい。
タカラヅカの持つ、ファンタジー性。別世界へつれていってくれる特殊性。
それを見事に表現しているなと。
ヅカの特徴のひとつだよね、どんな物語が展開されていようと、いったん幕が下りれば何事もなかったかのよーに華やかなフィナーレがはじまる、てのは。
どんな悲劇で涙涙に終わろうとも。主人公死んでいようとも。ソレはそれ、コレはこれ。悲劇も涙もこっちへ置いておいて、今は華やかに歌い踊る。敵も味方も悪人も善人も、びんぼー人も貴族も王様も、みんな同じようにキラキラ衣装で歌い踊る。
はじめてヅカを見た人が腰を抜かす、アレ(笑)。
余韻もナニもあったもんぢゃねええ! でもきれー! でもたのしー!
物語パートと、フィナーレの断絶感。
物語に集中していればいるほど、その直後からスタートするお気楽なショー・パートにアタマを殴られた気分になるはず。
その両極端なモノを、平気で内包するのがタカラヅカ。
初心者はまずびびる、他ではありえない「それは置いておいて」精神(笑)。
これぞ異世界。これぞファンタジー。
あの「タカラヅカ」特有のトンデモなさが、なんの解説もなく表現されている(笑)。
そして、そのトンデモなさにずっぽり浸りきったわたしは、こうやって外側から客観的に差し出された「トンデモなさ」に膝を打つ。
ああ、タカラヅカって素敵。タカラヅカって最高。
改めて、「タカラヅカ」を見せてくれた。
気づかせてくれた。
タカラヅカって、面白いよ。すごいよ。
年度替わりの新人公演。@新人公演『ソルフェリーノの夜明け』
2010年2月25日 タカラヅカ かわいいと得だな。
と、思った新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。
アンリエット@あゆちゃんは、ツンツンしていてもかわいい。言っていることはキツいのかもしんないけど、その丸いかわいい顔で言われても「アリだな」と思えるから不思議だ(笑)。
男子向けマンガのヒロインみたいだ。すごく自己中でキツイんだけど、顔がかわいいから許されてる、みたいな。同じことをブスが言ったらフルボッコだけど、美少女だから「世界」から許されている、みたいな。
そーゆー男子向けマンガは苦手なので読まないんだけど、あゆちゃんはかわいいから許す(笑)。←言っていることがめちゃくちゃです。
本役のみなこちゃんは外見も含めてキツい女の子に見えるし、そこから変わっていくのがドラマなわけだが、新公のあゆちゃんは最初から「ほんとはやさしい子なんだろうな」と思わせる「背伸び感」がある。
どっちもアリでしょー。
ほんとうは優しくしたいのに、それが出来ない、許せないことが苦しい……みたいに見えたから、デュナン@咲奈くんとの出会いで解き放たれて、戒めがとれてほっとしているように思える。またデュナンくんが癒やし系だから、余計に。
よかったねー。憎しみという呪いが解けて、本当の姿に戻れたんだね。ほろり。
他の女の子の役が、実はいまいちわかっていない……。
本役さゆちゃんの役とさらさちゃんの役ぐらいしか、区別ついてないんだもんよ。
どっちもやさしい女の子キャラらしい、ということしかわかっていないわたしは、他を見るので忙しかったんだろう。
ところでわたしは、「あなたなら歌えるわ」という台詞が苦手なんだが。これは新公だからではなく、本公も含め、脚本自体が。
他人に振ってんぢゃねーよ、自分でまず歌えよ、と突っ込んでしまいましたから(笑)。
誰だって集団の中で最初に反抗的な意思表示をするのは難しい。反対意見をたったひとりで述べるのは勇気がいる。……なのに、後輩に向かって「反対だって言いなさい」と命令する先輩ってどんなパワハラ……?! と、白目剥きましたから、初日に。
歌ウマ娘役ちゃんに見せ場があるのは良いことだが、何故こんな持って行き方をするんだと小一時間……。
自分で口火を切らずに後輩に難役を押し付けた看護婦、とゆーことで、さゆちゃん演ずる看護婦さんに対し、混乱が生じたという(笑)。や、植爺が植爺なだけで、やさしい女の子キャラなんだろうけどな。
悪いのは植爺、と納得して見ている新公は、同じ台詞に対しても耐性があり、「パワハラをするコワイ先輩」ではなく、善意の人だと思って観ることが出来た。
てゆーかさゆちゃん、新公出てないんだね。
89期が卒業し、90期が長になっている。年度変わりに差し掛かる公演なので、全組通して代替わりが行われた最初の新公なんだ。
なにしろがおりくんが長の挨拶するんだもんなあ。時の流れを感じるなあ。
と言いつつ、新公の舞台にいちばん違和感を持ったのは、みうとがいないことでした。
なにがどう、じゃないんだけどわたしは舞台上に探していた、みうとくんの姿を。なんとなく「みうとがいそうなポジション」を見回して、あれ、いない?! と思い、代わりに大澄れいくんを見つけていたりした。
何故だ……今までも特にこのブログでみうとに対して触れていたことはナイと思うんだが(顔が好みだとは書いたよーな?)、実はけっこー好きだったのか?! 自分でもおどろいた、何故こうまで彼を探すことがふつーになっているのか。目の端に「ああ、みうとだわ」と入れることがふつーで、いなくなってはじめて「あれ、いない?」とおどろく、そのこと自体におどろいたわ(笑)。
本公演で医者役もらってますますわたしの視界に入っているのは、新公卒業したからだったのか……学年が上がって本公演での扱いもナニ気に上がっていたのか……。
本公演も含めて目に入る人、つかけっこー好みなんですけど、という若手くん、グラン先生@朝風くん。
いつものよーに主役以外の配役を知らないまま見ていたので、朝風くんがそらくんの役でどーんと出てきたのにびびりました(笑)。そうか、役付いてたのか、わーい。
ああ、いそうだね、こんなお医者さん……というか、あの微妙な枯れっぷりが良くないですか彼。無力そうなとこがいいじゃないですか。
ゼンマイ巻いたら強く動き回りそうなんだけど、今は切れかけてますっていうか。
美形過ぎない、でもオトコマエなあたりがいいなー。
ベネディック将軍@央雅光希くんがいい感じでした。出てきた瞬間、若い子なんだろうなと頬のラインでわかったけれど、汝鳥さんの大きさを出そうと健闘。
えーと、まだ研5なのか。押さえの演技は大変だろうけど、この役の経験は将来に生かされるだろうな。
年配役といえば、おじさん@月城くんがうまかったっす。
ヒゲで顔とかぜんぜん判別ついていなんだけど、いい感じだなーと思ってあとでプログラム見て。ん? 95期って……研1? 次の『スカピン』で初舞台生入ってくるまで、95期が研1だよな? 研1でおじさん役? しかもうまいって……。
そして、どっかで見た名前だな、月城かなとって、と見直してみる。
あ、文化祭のマスター役の子だ、あのかっこいい子!
えええ、あのマスターがあのおじさん?!
びっくりだ。
研1抜擢といえば、ポポリーノ@桜路くん。こちらも配役知らないで見ていたので、あとから研1だと知った。だがこちらの彼は、文化祭での記憶はない。芝居を見ていないからだな(文化祭は芝居がWキャスト)。星組の凰津くんの役をやっていた子なんだね。
なによりハモニカ大変!(笑)と思った。本役のまなはるはうまかったんだなあ。や、ハモニカへたっぴでもジェンヌの価値とは関係ないからいいんだけど、それにしてもうまくなさ過ぎて、関係ないところで手に汗握った(笑)。加えて、見せ場であるアヴェマリアのソロも……た、大変(笑)。がんばれ。
や、声がぶるぶる震えてひっくり返って、てのが芝居的にリアルかもしれない。ポポリーノがオペラ歌手みたいに朗々と美声を披露したら変だろうし。
表情がずーーっと同じなのは、気になった。こわい、きつい顔で固まったまま。エリザベート役のときのさゆちゃんを思い出した。大役で大変だったんだろうな。
若い子に役がついているのは今後が楽しみっす。
研7抜きの下級生だけ、植爺だから役も見せ場も一部の人にしかありません状態だけど、熱意の伝わる舞台でした。
と、思った新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。
アンリエット@あゆちゃんは、ツンツンしていてもかわいい。言っていることはキツいのかもしんないけど、その丸いかわいい顔で言われても「アリだな」と思えるから不思議だ(笑)。
男子向けマンガのヒロインみたいだ。すごく自己中でキツイんだけど、顔がかわいいから許されてる、みたいな。同じことをブスが言ったらフルボッコだけど、美少女だから「世界」から許されている、みたいな。
そーゆー男子向けマンガは苦手なので読まないんだけど、あゆちゃんはかわいいから許す(笑)。←言っていることがめちゃくちゃです。
本役のみなこちゃんは外見も含めてキツい女の子に見えるし、そこから変わっていくのがドラマなわけだが、新公のあゆちゃんは最初から「ほんとはやさしい子なんだろうな」と思わせる「背伸び感」がある。
どっちもアリでしょー。
ほんとうは優しくしたいのに、それが出来ない、許せないことが苦しい……みたいに見えたから、デュナン@咲奈くんとの出会いで解き放たれて、戒めがとれてほっとしているように思える。またデュナンくんが癒やし系だから、余計に。
よかったねー。憎しみという呪いが解けて、本当の姿に戻れたんだね。ほろり。
他の女の子の役が、実はいまいちわかっていない……。
本役さゆちゃんの役とさらさちゃんの役ぐらいしか、区別ついてないんだもんよ。
どっちもやさしい女の子キャラらしい、ということしかわかっていないわたしは、他を見るので忙しかったんだろう。
ところでわたしは、「あなたなら歌えるわ」という台詞が苦手なんだが。これは新公だからではなく、本公も含め、脚本自体が。
他人に振ってんぢゃねーよ、自分でまず歌えよ、と突っ込んでしまいましたから(笑)。
誰だって集団の中で最初に反抗的な意思表示をするのは難しい。反対意見をたったひとりで述べるのは勇気がいる。……なのに、後輩に向かって「反対だって言いなさい」と命令する先輩ってどんなパワハラ……?! と、白目剥きましたから、初日に。
歌ウマ娘役ちゃんに見せ場があるのは良いことだが、何故こんな持って行き方をするんだと小一時間……。
自分で口火を切らずに後輩に難役を押し付けた看護婦、とゆーことで、さゆちゃん演ずる看護婦さんに対し、混乱が生じたという(笑)。や、植爺が植爺なだけで、やさしい女の子キャラなんだろうけどな。
悪いのは植爺、と納得して見ている新公は、同じ台詞に対しても耐性があり、「パワハラをするコワイ先輩」ではなく、善意の人だと思って観ることが出来た。
てゆーかさゆちゃん、新公出てないんだね。
89期が卒業し、90期が長になっている。年度変わりに差し掛かる公演なので、全組通して代替わりが行われた最初の新公なんだ。
なにしろがおりくんが長の挨拶するんだもんなあ。時の流れを感じるなあ。
と言いつつ、新公の舞台にいちばん違和感を持ったのは、みうとがいないことでした。
なにがどう、じゃないんだけどわたしは舞台上に探していた、みうとくんの姿を。なんとなく「みうとがいそうなポジション」を見回して、あれ、いない?! と思い、代わりに大澄れいくんを見つけていたりした。
何故だ……今までも特にこのブログでみうとに対して触れていたことはナイと思うんだが(顔が好みだとは書いたよーな?)、実はけっこー好きだったのか?! 自分でもおどろいた、何故こうまで彼を探すことがふつーになっているのか。目の端に「ああ、みうとだわ」と入れることがふつーで、いなくなってはじめて「あれ、いない?」とおどろく、そのこと自体におどろいたわ(笑)。
本公演で医者役もらってますますわたしの視界に入っているのは、新公卒業したからだったのか……学年が上がって本公演での扱いもナニ気に上がっていたのか……。
本公演も含めて目に入る人、つかけっこー好みなんですけど、という若手くん、グラン先生@朝風くん。
いつものよーに主役以外の配役を知らないまま見ていたので、朝風くんがそらくんの役でどーんと出てきたのにびびりました(笑)。そうか、役付いてたのか、わーい。
ああ、いそうだね、こんなお医者さん……というか、あの微妙な枯れっぷりが良くないですか彼。無力そうなとこがいいじゃないですか。
ゼンマイ巻いたら強く動き回りそうなんだけど、今は切れかけてますっていうか。
美形過ぎない、でもオトコマエなあたりがいいなー。
ベネディック将軍@央雅光希くんがいい感じでした。出てきた瞬間、若い子なんだろうなと頬のラインでわかったけれど、汝鳥さんの大きさを出そうと健闘。
えーと、まだ研5なのか。押さえの演技は大変だろうけど、この役の経験は将来に生かされるだろうな。
年配役といえば、おじさん@月城くんがうまかったっす。
ヒゲで顔とかぜんぜん判別ついていなんだけど、いい感じだなーと思ってあとでプログラム見て。ん? 95期って……研1? 次の『スカピン』で初舞台生入ってくるまで、95期が研1だよな? 研1でおじさん役? しかもうまいって……。
そして、どっかで見た名前だな、月城かなとって、と見直してみる。
あ、文化祭のマスター役の子だ、あのかっこいい子!
えええ、あのマスターがあのおじさん?!
びっくりだ。
研1抜擢といえば、ポポリーノ@桜路くん。こちらも配役知らないで見ていたので、あとから研1だと知った。だがこちらの彼は、文化祭での記憶はない。芝居を見ていないからだな(文化祭は芝居がWキャスト)。星組の凰津くんの役をやっていた子なんだね。
なによりハモニカ大変!(笑)と思った。本役のまなはるはうまかったんだなあ。や、ハモニカへたっぴでもジェンヌの価値とは関係ないからいいんだけど、それにしてもうまくなさ過ぎて、関係ないところで手に汗握った(笑)。加えて、見せ場であるアヴェマリアのソロも……た、大変(笑)。がんばれ。
や、声がぶるぶる震えてひっくり返って、てのが芝居的にリアルかもしれない。ポポリーノがオペラ歌手みたいに朗々と美声を披露したら変だろうし。
表情がずーーっと同じなのは、気になった。こわい、きつい顔で固まったまま。エリザベート役のときのさゆちゃんを思い出した。大役で大変だったんだろうな。
若い子に役がついているのは今後が楽しみっす。
研7抜きの下級生だけ、植爺だから役も見せ場も一部の人にしかありません状態だけど、熱意の伝わる舞台でした。