きりやさんが、手袋ハズしたっ!!

 はい、月組『スカーレット・ピンパーネル』の話です。

 まったく、トキメキってのはどこに転がっているか、わかったもんぢゃない。
 最後の最後、油断しているときに、すかーんとやってキました、ヲトメハート。

 「スカーレット・ピンパーネルらしい決着」と、捕らえたショーヴランを殺さずにグラパンの扮装でロベスピエールの元に送り返すところで、パーシー@きりやんはとてもあわただしく手袋を脱ぎ捨てた。スカピン団の誰か(見てない)に、脱ぐなり手渡してた。

 え、手袋はずすの? 脱ぎ捨てるの? あれ? あれ? そんな演出あった??
 わたしはびっくりして、パーシーに釘付け。

 そして舞台はラストシーン、「デイドリーム号で結婚式のやり直しだー」「おー!」で、見る見るうちにそこは船の上、パーシーの汗をマルグリット@まりもちゃんが拭いてやり、ラブラブ抱擁キメポーズで幕。

 パーシーが、素手だ。
 ナマの手で、ハダカの手で、マルグリットを抱いている~~!!

 うっきゃ~~っ!!

 
 はい。
 最後の最後に、客席でひとり身悶えました。

 ナニこの演出。
 いったいいつ変わったの?! 前に見たときはこんなぢゃなかったよ??

 
 そう。
 初演星組初日からずーーっと、実は不満+違和感があったの。
 感動のラストシーンで、パーシーが黒いゴム手袋をしていることに。

 最初は直前までグラパンの変装をしているから仕方ないのかと思った。手には年齢が出てしまうから、老人ではないと見破らせないためにグラパンはいつも手袋をしていなきゃなんないのかと。
 でも、グラパンの別の場面が素手だと気づき、この案はチガウなと。

 次に、ショーヴランも同じように黒手袋をしているので、フェンシングに必要なのだろうと察しを付けた。

 すべって剣を落としたりしないように? 事故なく演技できるように?
 それであんな身も蓋もないゴム手袋が必要なのかと。
 まるで現代の作業員みたいな、容赦ないゴム手袋。夢も冷めちゃいそうな、哀しみのゴム手袋。
 や、ほんとのとこの材質は知りませんよ。ゴムではない別の素材かもしれん。だがわたしにはずーーっとゴム手袋に見えていた。

 戦っているときはまあそれでも仕方ないかと思えるけど、そのあとのスモーク焚いての幻想的なラヴラヴエンディングでも、ゴム手袋のままってのが、わたし的に相当引っかかった。

 あんなゴム手袋でキスされたくないです、ヲトメとしては!(笑)

 グラパンの変装を解いても脱がなかった手袋だし、フェンシングの事故防止だとしたら、フェンシングが終わったからと脱ぐのもなんか舞台上の手順踏んでますみたいで変なのかなとか。
 いろいろ勝手に思い悩んでは、溜息ついてました。
 仕方ない、んだろう。トウコも付けていたし、きりやんも付けている。再演してなお演出変更がないなら、それだけ重要なんだろう。

 そう、あきらめていた。

 なのに。

 ああ、なのに。

 月組『スカピン』のMY楽において、わたしは見たんだ。
 きりやんがすっげー急ぎながらあわてながら、ゴム手袋を脱ぎ捨てる様をっ!!

 白い腕が現れ、どきっとする。

 その超高速脱ぎ脱ぎっぷりが、「早くキミを抱きたいんだハニー!」ってな性急さに見えて、いやん(笑)。

 無粋な手袋を脱ぎ捨て、ナマの手で、ハダカの腕で、愛する妻を抱く。
 ……って。

 パーシー、素敵~~!!

 「恋には少年のよう」というパーシーのキャラを表す演出ですがな。
 カッコつけて納まり返ってないで、紳士の仮面の下に押さえつけられていた情熱がほとばしりだしたっ、て感じで、すごくイイ。

 ラストの船の上も、白い腕が目に焼き付いて……。
 うわわわ、ときめく。
 めっさときめくんですがっ。

 いつからこんな演出に?!
 うれしすぎる!!

 きりやさん素敵ーー!
 たまきちくんのパーシーでいちばんときめいたのは、なんといっても最後の一騎打ち場面。
 剣を構え、すっと腕を広げたとき。
 うおお、かっこいー。
 あのガタイはときめきですよ!
 その昔、同じような白いブラウス姿のあさこちゃんにときめいた、あの感じ!
 ヲトメハートがきゅんとするわ(笑)。

 さて、そのヒーローらしいヒーローの活躍する新人公演『スカーレット・ピンパーネル』

 パーシーの相棒、デュハースト@鳳月杏くんてば、いい感じにおっさんで、素敵だった!

 目からウロコ。
 そうか、デュハーストが年長者、つーのもアリなんだ!
 初演星組、星組新公、そして今回の月組本公演。すべてデュハーストはふつーに青年だった。星組では本公演も新公もパーシーと同世代、月組本公演ではパーシーより明らかに年下。
 パーシーが恋愛結婚の新婚さんだし、その友人であるスカピン団のみなさんも独身カノジョ持ち、つーことで若いんだと思い込んでいた。

 ところが今回の新公では、鳳月くんが渋い大人で、青いパーシーを支えたりあやしたり、たしなめたり時に驚いたりと、良い距離感と空気感だった。

 パーシーがいかにもなヒーローなので、その親友はブレーキ役の大人なんだ!
 えええ、いいじゃんその設定!

 星組新公が、本能突っ走り型のパーシー@ベニーと、冷静でチームのブレインなデュハースト@みやるりという、これまたオイシイ萌えコンビだったことを思い出す。
 パーシーとデュハーストっていいよなー。バディ物としていろんなパターンを試せるんだわ~。

 鳳月くんは前回の新公と、本公演の代役でがんばって大人の役をやっていた、よなあ。
 その経験が活きているということか、こんなに素敵に大人だなんて。
 おっさんスキーなわたしは心から喜びました。やーん、いい感じに育ってるわ~~。

 ひとりだけ年長者って感じに、若い幼いスカピン団に混ざっているのが、イイの。
 オサレ衣装を取り合う場面がなかったので、カッコイイところしか基本出てこないし。

 前回丸いと思ったフェイスラインも、落ち着いて来た? いい男でした、マジで。

 
 そして、配役見てツボっていた、フォークス@まんちゃん!!(笑)

 フォークスって貴公子役ですよ? すずみん王子がやっていた役ですよ?!
 それを、まんちゃん?!

 えーと。
 端正に演じるまんちゃんは、あんまり破壊力なかったっす。
 なんだ、ふつーだわ、と思ってしまったわたしは、彼にナニを求めているんでしょう。
 いやその、前回の新公ヴィクトール@『ラスト プレイ』が、出オチっつーくらい、えらいことになってたからさぁ……(笑)。

 ところでフォークス様って宮廷靴にバンドしているのはデフォなんですか? それともまんちゃんだけ? 本役様の足元までおぼえてないっつーか、気づかなかったってことは、してないのかな?
 庭で恋人ちゃんたちとラヴラヴする場面で、フォークス様の足の甲に、18世紀のイギリスらしからぬ透明のバンドを見つけ、気になって仕方なかった。パンプスがすっぽ抜けないように足の甲に巻き付けるアレ。ふつーに色があればストラップシューズっぽく見えるけど、透明だから余計目に付いた。

 ふつーに二枚目を演じるまんちゃんはとてもふつーで、本公演のモブで踊っているときの方がキラキラかっこいい気がしたナリ……。

 
 スカピン団は案の定、あまりキャラが立っていない。
 アルマン@煌月くんも、まざってしまうとやっぱり目立たない……本公演でもそうだけど。
 煌月くん、スカステで見る限りきれいな顔立ちなのに、舞台で見ると丸さが目立つなあ。

 そんな中、エルトンが、変な人だった。

 誰だアレ、と調べました(笑)。隼海惺くん・研3ですか。
 オカマキャラ? フリルのハンケチひらひらさせる系のキャラになっていたような。や、そこまでバカやってないけど、それ系のイメージでキャラを作っていた。
 なにかするたびに微妙にシナを作るというか。

 スカピン団のキャラ立てってのは、自由なんだよね? にしても、ナニをどうやってキャラの割り振りするんだろう?
「オレ、オカマやるわ」「えー、ずるい、ボクもオカマさんやりたいー」とか、希望が重なったりしないんだろうか。
 団体戦だと、イロモノがオイシイもんなあ。

 華蘭くんがかなりがんばっていたが……がんばっている、ということはわかったれど、キャラ立ちまでは至ってなかったよーな。

 ひそかに注目している愛希くんですが、やっぱり彼まだ「男役」ぢゃないっす……。子役とは言わんが、少年役だわアレは。
 きらきらのパツキンがスウィートな美少年。声変わりもまだです。
 とびぬけて幼いのと髪の色でスカピン団でも目に付くけれど、芸では足りないことだらけ。
 好みの顔立ちなだけに、成長を祈ります。……このままだとわたし、ショタコンなキモチになっちゃうわ……。

 
 さて、愛希くん・研2が少年道まっしぐらなのに対し、同期の輝月くんはおっさん道を歩み出してます。
 サン・シール侯爵キターーッ!! と、配役発表時にツボりました。

 ナニ気に抜擢ですよ、話題になってナイけど! 研2でソロのあるおっさん役! ヒゲ! ヒゲ!(笑)

 緊張が解ける間もなく終わってしまった感があったので、もう少し見せ場があったら良かったのにな。
 ヒゲをつけてもやっぱ若々しく、美形さんでありました。

 役としては一瞬だけど、アルバイトはいっぱい。つか、モブの中で、すげー熱量でシャウトしてらっしゃいました。
 ガタイがいいし、男役としてキレイなので目立つよね~~。
 本公演では兵士やってたっけ? 新公では民衆だからはじけ方、入り込み方がハンパないっす。「栄光の日々」はいいなー。
 
 かっこいいなあ、輝月くん……。ときめきキャラだわほんと。

 
 それと、ピポー軍曹@輝城みつるくんが、なんか耽美キャラでした。
 眼帯の色男っつー感じで。ガルシア@『激情』っぽいというか。

 プリンス@響れおなくんもうまかったし、メルシエ&クーポーが美形だった。つか瑞羽くんはここにいたのね。
 ジュサップ@海桐くんはヒゲに顔が埋もれていた(笑)。あの大きな目だけぐるんぐるんと動いていて、すごく楽しそう。

 
 恋人ちゃんたちでは、なんつってもシュザンヌ@ちゅーちゃんの美貌が際立ってたっす!
 他のオンナノコたちもかわいい! 初々しい!
 本公演はなにがどうぢゃないけどええっとその、いろいろと残念な配役なので、新公の恋人ちゃんたちの「どこを見てもかわいい!」状態に喜びました。

 つか、おっさんなデュハーストと、清純さキラキラな娘役ちゃん(ゆめちゃんで合ってる?)の組み合わせは萌えですた。ええいこのロリコンめっ(笑)。あんな年下のオンナノコにマジに口説きモード入ってるデュハースト様萌え~~。

 マリー@みくちゃん、すごくうまい。
 しかしマリーって役は難しいのか……うまくなればなるほど、可憐さから遠くなる? 本役のトウカさんしかり。

 
 もう一度観たいなあ、新公『スカピン』。
 植爺芝居はともかく、真っ当に「ミュージカル」ならば、表現する技術のひとつとして、歌唱力の有無が重要。
 それを思い知った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』

 ショーヴラン@ゆりやくんの自爆っぷりもそうだが、もうひとり、マルグリット@りっちーの歌唱力に、舌を巻いた。

 りっちーのマルグリットは、美しくないわけじゃないけど、なんかすごく年上に見えた。女優とかヒロインとかいうより、別格女役スター。
 もともとマルグリットは可憐なお姫様ではなくて、強い大人の女系の役だけど、それにしてもえらく大人で地味なマルグリットだなあ、と正直最初は思った。
 マリアおばさま@『ME AND MY GIRL』のときは「おばさま若っ」と思ったけど、いざヒロイン役をやると「マルグリットふけ……ゲフンゲフン、大人っ」と思うのだから、ヅカのヒロインって難しいな。

 「パリいちばんの女優」という華やかさは感じられないけれど、存在感はあると思った。
 彼女はとても、強い。
 実際平手打ちだのなんだのと、大暴れな演出にしてあるし。

 ふつうに芝居をしているときのマルグリットには、あまり興味を持てなかった。深刻な感じはいいけど、もう少し光がないと真ん中はつらいなあ、とか、そんなことを思っていた。

 しかし。

 彼女が歌い出すと、一気に引き込まれた。

 歌っているときの方が饒舌なんだ!

 この作品において歌は歌なだけではなく、芝居のひとつである。特に、キャラクタの心情を表す部分である。
 日常のやりとりは平凡に見えても、心情を打ち出す部分が雄弁ならば、物語としてぜんぜん成り立つんだってば!

 歌にはらはらしないですむ、はじめてのマルグリットかもしれん(笑)。
 マルグリットのソロ「あなたを見つめると」で、あれっ?と思い、でもまたふつーの芝居の平坦さに見失い、さらにソロの「忘れましょう」でガツンとやられた。

 てゆーか。

 「忘れましょう」で泣けたんですが。

 ナニ、あの悲痛な絶唱。
 なまじそれまでが地味に堅実な分、彼女の弱さというか揺れている切ない部分が全開になると、そのギャップでオチた。

 うわ、このマルグリット好きかも?!

 歌で表現する人なんだ、演技する人なんだ。
 歌っているときの方が絶対華やかだ。

 ソロでマルグリットというキャラクタを見せつけてくれたんで、あとはもお、感情移入OKですよ。
 彼女がどんな人かわかってるんだもん、伝わったんだもん。多少地味でも固くまとまっていても無問題。

 ステージで歌う「ひとかけらの勇気」にも、素直に感動。

 歌唱力ってのは、ミュージカルにおいて大切な表現方法なんだな。表現者の武器なんだな。
 それをしみじみ思った。

 りっちーがこの武器を持って、もっと早くから芝居とか舞台での発光の仕方とかを学ぶ機会があれば、チガウ役者になっていたのかもしれない。
 旬の短い娘役で、研7になってはじめての機会だというのが惜しい。研3とか4でこんな機会に恵まれていたら、実力と光を持ったヒロイン役者さんになったかも……。(当時は男役だったから仕方ないが)
 研7でこの大人っぽい持ち味だと、ヅカのヒロイン役者カテゴリには入らないだろうなあ。

 この歌声は、研7の今だから持ち得たものかもしれないし。
 ナニが良い悪いもないんだろうけど。

 もったいない、惜しい、と思いつつ。
 素晴らしい歌声を持った娘役さんとの出会いを、心から喜んだ。

 研7で新公初主演という前例のあまりない彼女に、劇団がちゃんと活躍の場を与えてくれることを祈る。

 
 でもって、歌唱力といえば、もうひとり。

 ロベスピエール@宇月くん、かっけー!!

 黒いー、うまいー、きゃー。

 強いんですよこのロベ様。
 グラパン@たまきちくんの撃った弾を指先で難なく受け止め、それどころかはじき返してたぞ?!(笑)

 ショーヴランが自爆しているだけに、ロベスピエールの強さと役不足っぷりが残念でならない。
 言っても仕方ないことだが、宇月くんのショーヴランが見たかった……。でもって、ゆりやくんはヘタレの殿堂としてぜひアルマンをやって欲しかった……(笑)。

 ロベスピエールって、出番少なかったんだねえ。
 初演では「こんなに出番が?!」と思ったのに。

 近年実力をつけてきている宇月くんだから、新公配役発表前はパーシーかショーヴランだと思っていた。長の学年なわけだし。
 彼に新公主演して欲しいからパーシーが見たいけど、月組はスターの早期抜擢とひとりっ子政策の組。堅実に一歩一歩上がってきた宇月くんより、一足飛びにたまきちくんに主演が回るかもしれない。
 だとしても最悪ショーヴラン役は回ってくるだろう、実力的にいっても学年的にいっても。と、思っていた。
 まさかロベスピエールとはなあ。

 抜擢若手主演を支える役目をヒロインに回し、2番手役は華と美貌担当になるとはなー。

 ショーヴランがヘタレ一直線なので、余計にロベスピエールのラスボス感が出ていた。
 うん、悪いのはコノヒトデスヨ!

 
 新公ではヒーロー物の冒険活劇っぷりが上がっていたので、パーシーのまっすぐなヒーローぶり、悪の手先ショーヴラン、強いラスボスのロベスピエール、とわかりやすい力関係になっていたと思う。
 だから是非、地団駄踏むロベスピエールが見たかったなあ。手先をやっつけて完、ではなく、ちゃんとラスボスまで言及して欲しかったよ。

 
 ところで、あの強くて堅実で、女優なんていう不確実な人気商売をしていたとは思えないりっちーマルグリットは、ほんとうにあの頼りないゆりやショーヴランとつきあっていたんでしょうか。
 全部ショーヴランの思い込みに見えたんですが。あのおねーさまが、キミみたいな小僧っこを相手にするわけないやん。
 ちょっとつきあってくれたとしたら、そりゃキミの顔がイイからだよきっと。
 大人のおねーさまこそがついうっかりジャニーズの美少年にハマっちゃったりする、あの感じで。でも、現実の恋人や夫は別、ちゃんといます、区別はついてます、みたいな。

 いやはや、ゆりやくんならわたしもお願いしたいです、是非(笑)。

 「歌劇」であってもここはタカラヅカ、歌の上手さはあまり関係ない。
 と、普段のわたしは思っている。物語好きのわたしは、歌よりも芝居ができない……つーか、芝居がわたしの好みに合わない人の方が、観ていてツライ。
 だから歌唱力はあまり問わない……そりゃうまい方がイイに決まってるけど、うまくないからダメということはまずナイ。

 されど、「歌える」ことによってナニが出来るか出来ないか、見せつけられたなあ、と思った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』

 新公の配役で、いちばんたのしみだったのはショーヴラン@ゆりやくんだ。
 そこそこ役付きのイイ彼なので、今回もわりとイイ役が付くのではないかという期待はあった。しかし、ショーヴランは、意外だった。ぶっちゃけ、パーシー役が来る方が驚かなかった。

 ゆりやくん自身がどんな人かはまーったく知らないが、舞台上の彼はヘタレ系美青年だ。なにしろジェラルド@『ME AND MY GIRL』、フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』と、素敵にヘタレな二枚目をやってきた。
 笑っているのか泣いているのかわからないよーなくしゃっとした笑顔、薄幸さを感じるキャラクタ……顔立ちは別に似てないのに、彼を個別認識するなり「まっつに似てる」と友人が言い張って聞かないよーな、そんな舞台姿。

 あの終始困った顔で舞台に立っている、甘い美形くんがショーヴラン? フランツ役でも「歌、がんばれ」だった彼が、ショーヴラン?
 『スカピン』本公演では金髪巻き毛の「カンチガイオシャレキャラ」として花開いているあのゆりやくんが?

 紫門ゆりや、新境地なるか?
 ちなみに、『夢の浮橋』でも悪役やってたけど、ぜんっぜん足りてなかった彼ですよ?

 ほんと歌唱力はどーでもいいんで、彼のキャラだけ楽しみたくて、わくわくと劇場へ駆けつけました。

 短縮版になっている新公では、ショーヴランはマルグリット@りっちーを脅すところからスタート。劇場閉鎖を解いてほしかったら、侯爵の居場所を教えろと。

 改めて。
 紫門ゆりやは、美形だと思う。

 や、もともと91期ナンバーワンの美形さんだと思っていたけれど。(91期文化祭で顔をおぼえて帰ることが出来たのが、王子様系美形のゆりやくんと、クドくて変な……もとい個性的なまんちゃんのみだったという)
 顔立ちの端正さよりも、八の字眉の泣きそうなヘタレ顔の方が強印象になりがちだった。
 が、しかし、黒塗り化粧できりりっと表情を引き締め悪役をやるゆりやくんは、とても美しかった。

 ああ、美形だわ、美形っていいわ、目と心の潤いだわ。そう思って見ていたんだが。

 えーと。
 歌が。
 ショーヴランの、難曲の数々が。

 大変なことに。

 ……歌唱力は重要ではない、芝居さえ出来れば、と思っていた。
 植爺や谷芝居ならきっと、歌唱力は関係なかったと思う。芝居と歌は分離されていて、「歌=銀橋」で芝居内容とは無関係に番手に必要だからと披露させるだけの意味しかない。

 しかし「ミュージカル」はチガウ。
 「歌=芝居」なんだ。
 歌を歌えないっつーのは、芝居をする技術がないってことになるんだ。

 もうすっかりヅカ作品に慣れていたから、鈍感になっていたよ。そうだった、「ミュージカル」って歌唱力が必要だった! 当たり前のことなのに、すっかり忘れてた。

 ショーヴランの歌は全部「芝居」だ。銀橋で「スターですよ」と示すためにあるのではなく、歌唱力という技術を披露する場でもなく、物語を表現するためにあるんだ。

 もちろん、歌だけの台詞ナシで進む芝居じゃないから、歌がうまくなくてもふつーの芝居部分で取り返せるけど。
 しかし、歌も芝居の一部である以上、歌になるなり芝居技術が落ちる芝居ってのは、見ていてつらい。

 技術ってのは、「器」なんだと思った。
 大きな器があれば、入った水はそうそうこぼれない。ぐるんぐるん揺らしても余裕。
 でも小さな器だとすぐに水がいっぱいになってしまい、動かすことも出来ない。

 歌唱力があれば、水の量は同じでも、自在に揺らし、表現することが出来る。
 反対に歌唱力がないと、こぽさないようにするだけで精一杯、なにかを表現するどころじゃない。

 表現するための技術なんだ。
 たとえば、どんだけ芝居がうまくても日本語の発音が出来ないとか、なにを言っているのか聞き取れないような人がいたら、芝居で感動させるのは難しいだろう。
 まず基本的な技術があって、その上でどんな芝居をするか、表現をするか、なんだ。

 ゆりやくんに技術があったら、どんなショーヴランを見せてくれたんだろうか。

 歌えない彼は、「表現」することが出来ない。
 100まであるメーターの50位のところにフタがされてしまい、それ以上高く飛ぶことが出来ずにいた。
 あのフタさえなければ、彼はどこまで飛べたんだろう? ……フタをしたのは他でもない、彼自身とはいえ。

 
 声を潰してなお、歌芝居を一貫させていたまさおは、うまかったんだなと再確認した。(新公の時点で、みりおショーヴランはまだ見ていない)

 そしてなにより、星組新公の麻尋ショーヴランを思った。
 星組新公がおもしろかったのは、パーシーとショーヴランの拮抗した姿にある。パーシーがペパーミントの風をさわやかに吹かせれば、次の場面でショーヴランが濁った闇で染め上げる、次の場面でパーシーがキラキラお日さま色のオーラを振りまく、といった具合に。場面ごとに別物、パーシーが登場するたび、ショーヴランが登場するたび、がらりと舞台の色が変わる。
 それが、ものすごく面白かった。
 そうやって主役の色を一瞬で打ち消す、麻尋ショーヴランの強さ。
 あれは彼の豊かな歌唱力にもあったんだな。
 「表現」するに足りる歌唱力。麻尋は登場するなりテンションMAXでブチキレてたけど、あれだけ暴走していいほどの技術があった。
 あれだけ抱腹絶倒の舞台を見せてくれたのは、たしかな技術の裏打ちあってこそだったんだ。
 ……へたっぴな人がただテンパって暴走したら、それってただの学芸会だもんなー。麻尋の新公はいつも暴走していて面白かったけど、それってやっぱ彼がうまかったからなんだなー。
 と、今さらなことに感心し、切なくなる。彼はかわいらしすぎる外見で損して、芸風と見た目と劇団の嗜好(美少年には女役や中性的な役をやらせる)と折り合いを付けられないまま退団してしまったよなあ。劇団が彼の芸風に合った骨太な男役をやらせてやれば、彼の男役人生もちがっていただろうに。

 そしてまた、ぜんぜん関係ない『さすらいの果てに』という芝居を思い出したりした。
 Wキャスト作品で、歌が得意でない主役が演じていたときは脚本の粗ばかり目について抱腹絶倒だったけど、歌唱力のある人が主役を演じたときは歌でねじ伏せてしまってそれなりに良い作品だったよーな錯覚を持ったなあ、なんてことを。
 
 
 とまあ、実際に目にしているゆりやくんを超えて、いろんなことに思いをめぐらせてしまいました(笑)。

 んで、結論。
 「表現」するための武器はあった方がイイね、表現者には。

 や、それでもゆりやくんは好きだ(笑)。
 面白い物語こそ、いろんなキャストで観てみたい。
 仲間内で名作や有名作の妄想配役で盛り上がったりすることがあるように、力のある物語は別キャストゆえに新公も楽しみになる。

 つーことで、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』、トウコ、ペニー、きりやんに続いて4人目のパーシー@たまきちくんは。

 「ヒーロー!」でした。

 ナニ、あの好青年!

 堂々たる体躯。長身で肩幅や胸板もあり、さわやかな明るさを持つ美丈夫でした。

 研3という学年からイメージすれば、もっとキラキラな少年、子どもっぽい、とか、若い、姿になるもんなんだが、たまきちくんに関してはそーゆー次元を超えている。
 ふつーに青年。
 や、前回の新公がナチュラルにおっさんすぎたせいで、青年に見えることがすごいというか(笑)。

 残念ながらわたしには彼が美貌の人にはまったく見えないし(すまん)、ムーア@『ラスト プレイ』のいぶし銀っぷりから、彼の適所が「研3で新公主演」ということなのかどうか危惧していた。
 が、こうして真ん中に立ってみるとふつーに「明るさ」のある人だった。

 キラキラ、という形容よりも、明るい、が相応しい。
 陽気ではなく、明るい。輝度よりは、明度がある。

 他3人のパーシーよりも、いちばん真っ当に「冒険活劇のヒーロー」でした。

 トウコパーシーはクセモノ感強いし(そこがイイ)、ベニーは頭脳はデュハースト頼みで本能疾走系だったし(そこがイイ)、きりやんは重みがあるし(そこがイイ)、より明快にヒーローやっているのはたまきちかなと。

 余計な説明がいらないのだわ。
 この人、いい人で、それで人助けやってんだわ。と。

 とても魂が健康な人だから、澱みを見過ごせなくてがんばっちゃってるんだ。

 心がやわらかい、愛されキャラ。
 相棒のデュハースト@鳳月杏くんがおっさんキャラなこともあり、パーシーがみんなから愛でられているのがわかる。

 結婚式の夜、マルグリット@りっちーが裏切っているかもしれないとデュハーストに進言されたときの揺れっぷりとか、彼女の反応を見るために、嘘の手紙を仕掛けると決めたときの傷つきっぷりとか。
 なんて素直に気持ちを表に出す人なんだろう。

 これだけやさしい素直な若者だから、ヒーローやってるんだ。
 育ちのいい貴公子なんだ。

 まっすぐな青年がまっすぐに、お約束のヒーローをやっている。
 なんて明快なヒーロー物なの、『スカーレット・ピンパーネル』って(笑)。

 たまきちくんは、最初見えた硬さがどんどん解け、とても素直に舞台に立っている……ライトを浴びているように見えた。

 歌声もあとになるほどのびやかになっていく。おお、ふつーにうまい、歌えてるじゃん。つか、大物やなヲイ。

 グラパンはきりやんよりはコミカルなトウコ寄りの作り。うん、いっそお笑いキャラに行く方が、役者経験の少ない彼には、パーシーとの差を明確に出来てやりやすいんだろう。演出家GJ、と思った。

 で、長身の彼はグラパンのときはかなり腰を折って演技しているので、パーシーに戻るときにスッと身長が伸びるのが、なかなか素敵なインパクト。
 そうそう、変装から真の姿への変化のギャップ、これがすごく「ヒーロー物」っぽい!(笑)
 天知茂の明智小五郎が、変装を解く瞬間のときめきを思い出したわ!(古すぎ)

 ムーア@『ラスト プレイ』はすごく良かったけど、『HAMLET!!』は若さと足りなさが目に付き、歌もそれほどうまいわけじゃない?と思ったりもしたし、『スカピン』本公演でやっているスカピン団の末っ子ハル役は目立たないっちゅーか埋もれてる感があるだけに、不安もあったんだが。
 実際新公の板の上に主役として乗せてしまえば、やっぱりうまいし、舞台映えする。
 オリジナルより新公がイイってのは、お手本があると強いってことなのかな。また、きりやんの指導がイイのかもしれんし。
 それはなにしろまだ研3になったばかり、2年前に初舞台生としてロケットで足を上げていたよーな子だもの、これから経験を積めば落ち着いていくだろう。

 あれだけ舞台映えする容姿と、早熟な芸風、なにより舞台度胸があるんだから、これから楽しみだ。
 ……ええ、新公初主演でテンパってぐだぐだになったり、泣き出したりしない挨拶、久しぶりに見たっ。
 そっか、泣かないんだ……もお最近、泣き出すのがデフォかと思っていたよ……みんな泣くもんよ……。

 なにしろヅカだから、挨拶でパニクったり泣いちゃったりするのは微笑ましいけど、泣かないで最後まで勤め上げるのもえらいよ、よくやったと感心したよ。

 
 力のある作品だから、別キャストで観られる、それだけでもうれしいし楽しいことなんだけど。
 星組に続いて月組も、力のある新人公演だった。
 パーシーは自力で「真ん中」に立ち、「ヒーロー!」として舞台を、物語をまとめて見せた。

 おもしろいなあ、ほんと。
 観ることが出来て良かった。
 月組版新人公演『スカーレット・ピンパーネル』の、構成・演出についての感想、後編。
 なにしろ新公は1回限り、記憶違い・思い込み、いろいろいろいろあると思う。特に星組新公なんて2年前に1回観たっきりだし。
 失敗を恐れていたら一歩も進めない、カンチガイ上等!で、勝手に語ります(笑)。

 
 生田せんせ演出の、月組新公『スカピン』オープニング。

 主人公の歌う主題歌の間に、物語の起因が同時進行する。そして、主題歌が終わったところから本編スタート、タネは蒔かれている、って、すげーオープニングだ。
 うまい! と、膝を打った。

 小柳タンの「とりあえず端折りました」のプロローグ演出より、断然好き。ええ、比較している星組版新公『スカピン』の演出は、小柳せんせ。
 小池作品の新公といえば、かなりの確率でいつも小柳せんせが務めている。小柳せんせは彼女自身のオリジナル作品ではハッタリかました作劇をしてくれるんだが、師匠作品のアレンジは苦手らしい。大作一本モノを新公に短縮するとどれもひどいか微妙かの二択、という演出になる。(『NEVER SAY GOODBYE』はひどかったな……・笑)

 小柳タンが続けざまに演出している新公『エリザベート』でなにが不満かって、プロローグを大切にしていないことなのよ。
 ここで観客の心をぎゅっと鷲掴みにしなきゃいけない、劇場だからみんな黙って坐っててくれるけど、雑誌なら最初の1ページで読み飛ばされたり、テレビなら数分でチャンネル替えられてるわよ?! と、思う、意欲のないオープニング。
 「時間調整の手段として手っ取り早いから、まずプロローグを短縮しました・スケールダウンしときました」でしかないんだよな、いつも。

 それを、生田せんせはちゃーんと「プロローグ」の役目をわかった演出を見せてくれた。よっしゃ!

 でもって、次によかったのが、1幕から2幕へのつなぎ方。
 わたし、1幕ラスト大好きなの。王宮の仮面舞踏会、「謎解きのゲーム」。重なり合うメロディ。ギロチン、炎の中へ……。
 音楽が最高潮に盛り上がり、銀橋のパーシー@たまきちと鈴なりの本舞台でジャンっと静止。
 ストップモーションから、本舞台の「空気読まない」プリンス@響れおなくんの「スカピンごっこやろう」で物語再開……この流れのスムーズさ。

 1幕の「マダム・ギロチン」と同じ方法論。同内容が近隣のふたつの場面に分けられているから、ひとつにまとめる。重複は表現のひとつだけれど、時間がないときは1回でいい。

 そして、個人的にテンション上がったのが、2幕のショーヴラン@ゆりやくんのソロ。ブレイクニー邸の庭でマルグリット@りっちーに詰め寄り、突き放されたショーが幻の女たちを背景に歌う、アレ。
 「君はどこに」があるっ。
 星組版ではほぼカットされていた、大好きな歌がカットされていない! うおおお、コレを麻尋で聴きたかった……っ。

 とりあえず『スカピン』って、パーシーとマルグリットとショーヴラン、この3人のキャラクタさえ描けていればいいんだよね。そりゃ大勢に役がある方がいいに決まってるけど、現実問題としてこの3人をキャラ立ちさせることが鍵。
 そのためにどこを削るかとなると、ショーヴランに関していちばん削ってはならないのが「君はどこに」だと思うんだ。ショーのたくさんある黒い歌をちょっとぐらい削ることになったとしても、「3人の物語」である以上マルグリットに対するショーの根幹を示す歌だけは、必要だと思うんだ。

 で、パーシー、マルグリット、ショーヴランとそれぞれ内面を歌う場面はちゃんと確保してあって、その上で。

 「栄光の日々」があるっ!

 『スカピン』はたしかに「3人の物語」で、たかが男女の三角関係、夫婦の仲違い物語だ。
 でもこの物語がそーゆー小さなところだけに留まらず、ワールドワイドな広がりを持つのは、人間の持つ普遍的な部分にも触れているからだ。
 それが「栄光の日々」。過ちと後悔、現実と希望をすべての人たちが等しく表現する。「3人」だけでなく、彼らの関係者だけでなく、いろんな立場の人たちが、みんなチガウ人たちが、同じメロディを歌う。悩みながら苦しみながら、それでも未来を歌う。

 星組版ではスカピン団の歌になってたんだよね。関係者オンリーの場面。
 その分スカピン団に見せ場があってよかった面はあるが……テーマとしてはブレていたよーな気がした。

 それが今回はちゃんとあった。
 初舞台生も巻き込んで、ものすげー人数のダンスとコーラスになった。
 そのテンション、立ちのぼるオーラ。若者たちが「たった一度の新公」を体当たりに演じる、その一種イッちゃったよーな気迫。
 一丸となって発散する場面であり、ここが出番の最後になる子たちも多い……だからこそ、ものすげー盛り上がり。うおお、派手だー。
 

 主要キャラの見せ場は極力削らず、全員で盛り上げるところはどーんと盛り上げて、流れに起伏を付けて。

 そりゃどこもカットせずに全部上演してくれるのがいちばんいいが、現状での最適な演出を見せてくれたと思う。
 2時間という省略版で、本公演とはチガウ、新公キャストのために再構成された『スカーレット・ピンパーネル』。

 たのしかったよ、生田せんせ。
 でもって、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
 興味深いのは、新公用の短縮の仕方。
 たとえば、『エリザベート』(月雪月)は同じ演出家が毎回担当しているというのに、短縮の仕方が毎回違っていた。どう編集するかは、作品ごとに決まっているわけではない、らしい。

 新公『スカピン』の上演時間は2時間。本公演はフィナーレ付きで2時間半だから、カットされるのはかなり少ない場面で済むだろう。
 同じようにフィナーレ付き2時間半→2時間に縮めた新公『虞美人』は、2幕半分ぶった切って漫才でつなぐという暴挙(笑)をやってのけた。
 『虞美人』の次の公演である『スカピン』で、さあどうなるか。

 新公プログラムを開いてまず、ナニがウケたかって、活字の大きさ。
 というか小ささというか、行間の狭さ。

 紙面いっぱい、これ以上無理!ってくらい、びっちり字が詰まっている。
 活字の大きさ自体は変わってないのかもしれないが、詰め込むだけ詰め込んであるので、新聞みたいなびっちり感。紙面、黒っ。

 初舞台生公演だから純粋に出演者数が多いんだろうけど、それにしても極端だ。
 人数が多くったって、出番とはイコールじゃない。現に、去年の初舞台生公演であった『薔薇に降る雨』新公は、初舞台生の出番はほとんどなく、プログラム紙面の活字量はすっかすかだった。
 この新公では、とにかくみんなに出番を、とにかく板の上に乗れと言っているわけだな。

 演出家は、生田せんせ。
 「生田くんと言えば、『ファントム』だよね?!(笑)」と、幕が開く前にnanaタンときゃーきゃー言ってたんですが、わたしたちの記憶にある、生田せんせの「1本モノを短縮した新公演出」というと、4年前の花組『ファントム』まで遡るのですよ。
 とにかく少しでも本編をそのままやりたいと、詰め込むだけ詰め込んで、本編以外の削れるところをちまちまと数秒ずつ削り取っていく、とても神経質なダイジェスト版っぷり。
 どのシーンも歌も削りたくないっ、みんなやりたい、やらせたい! というパッションゆえに、なんとも疲れる作りになっていた新公『ファントム』。

 『スカピン』新公プログラムを開いた段階では、「生田くん、またアレをやる気?」と思いました。
 ほとんどカットされてないっぽいんですが、この真っ黒な紙面を見る限り。

 ちまちま数秒ずつ削ってできるだけ本編通りに上演した『ファントム』は、本編通りであるにもかかわらず、良い出来だとは思えなかった。中村Bの本公演演出がイイかどうかは置いておいて、それにすら新公では届いていなかった。演じていた生徒たちの問題ではなく、演出として。
 それよりも、すぱっと切るところは切って、代わりに訴えたい部分をどーんと前面に持ってきた、スズキケイ演出の宙組新公『ファントム』の方がカタルシスがあった。

 ただの「あらすじ」な演出だとつまんないなあ。
 でも生田くんって、『BUND/NEON 上海』の生田くんだよねえ? 4年前の『ファントム』は平板で退屈な演出になっていたけど、今年の『BUND/NEON 上海』は良いエンターテインメントだったじゃん?
 変わってる、かもしれない……?

 
 結果。

 生田大和、進化してました。

 4年前の『ファントム』とチガウ! ちゃんと面白い!!(笑)

 本公演では、「マダム・ギロチン」が冒頭に2回ある。
 だからソレを、1回にしてしまった。

 デュハースト@鳳月杏くんとドゥ・トゥルネー伯爵@篁祐希くんの冒頭の会話だけそのままで民衆たちは出ない。
 現在のパリの説明と「スカーレット・ピンパーネル」の説明を本公演まんまにやってのけ、そこへその「スカーレット・ピンパーネル」……パーシー@たまきちがせり上がってくる。
 いやあ、後ろ姿でせり上がり、照明を浴びて振り返りで主題歌「ひとかけらの勇気」ですよ、この「主役っ!」演出に、最初から拍手した。
 主演のたまきちくんにもだが、演出の生田くんにも(笑)。

 星組版も同じく「マダム・ギロチン」は1回にまとめられていたと思う。民衆は登場せず、デュハーストと伯爵ふたりの会話にパーシー登場。
 でも星組版のパーシーは本舞台ゼロ番せり上がり→銀橋ではなく、いきなり銀橋ソロだったはず。歌は歌で独立、物語はストップして、とにかく主役による主題歌披露。
 で、本公演通りの時系列でコメディ・フランセーズにつながっていたと思う。

 が、月組版は。
 本公演でパーシーの「ひとかけらの勇気」歌唱中にパリ市民の暗い現実が挿入されるように、マルグリット@りっちーとショーヴラン@ゆりやくんのやりとりがカットインされていた。
 歌が歌なだけではなく、同時に物語も進行しているの。

 コメディ・フランセーズは無しか!
 ヒロインが華やかな女優であることを示す唯一の場面だが、華やかさよりも堅実な技術を買われてヒロインを務めるりっちーには、深刻なドラマ場面としての登場の方がイイ。彼女には合っている。

 まずギロチンを見せて暗い情勢を語り、みんなの希望!としてヒーローが登場、彼が「勇気」を歌う中、主要人物らしい女と男が、なにかしら深刻な取引をしている……って、このはじまりは正しいっしょ。
 新公だとか短縮版だとか以前に、このキャストで『スカーレット・ピンパーネル』というひとつの物語として作る上で。

 
 ……ということで、続く~~。
 そして、お楽しみの新人公演『スカーレット・ピンパーネル』

 力のある作品は、新公にも注目が集まる。大抵のヅカ作品はキャストの力でなんとか嵩上げされているだけで、力のない若手が演じると脚本の粗が目立ってえらいことになる……ものだが、『スカピン』はそうではない数少ない名品のひとつだ。
 おもしろい物語の別キャスト版として、楽しめるわけだ。
 また、2時間半の本公演を2時間に縮めるので、別編集・切り口での『スカピン』を観られる。

 初演の星組新公はそりゃーもー大騒ぎだった。
 極端なひとりっ子政策によって偏りまくっていた星組で、前代未聞の抜擢があった。それまでの新公で脇のおっさん役ばかりやっていた、組ファン以外には無名の研7生・ベニーが突然主演することになった。
 月組で言うなら、突然彩央寿音氏や華央あみり氏が新公主演するよーなもんだろう。(ベニーと同期で挙げてみました)
 新公の主なキャスト発表時に、すでに仲間内で祭りだったし(笑)。

 実際、チケット・レートもすごいことなっていった。
 わたしはムラのチケットを1枚余らせて、某定価以下譲渡掲示板に出したところ、携帯がピーピー鳴り続けすげー焦った記憶がある。投稿した、すぐに譲ってメール来た、んじゃお譲りしますとメールを打つ間もなく次々メールがやってきて……。当日手渡しで譲ったけど、ものすげー勢いで感謝されたなー……いやいや、チケットは天下の回りモノ、お互い様ですから。

 そしてさらに東宝ではどえらいチケ難公演に。B席でにまんえんとか、チケットを探している友人が悲鳴を上げていたのをおぼえている。

 抜擢に応えたベニーもすごかったし、ソレを支えた星組新公メンバーもすごかった。
 そしてなんといっても、『スカーレット・ピンパーネル』という、作品が。
 どんだけ無名の若手抜擢だったとしても、たとえば『愛と死のアラビア』では話題にも観劇意欲にもつながらないだろう。
 「別キャスト公演を観てみたい」と思わせるほんとうに面白い作品で、しかも冠公演で海外ミュージカルで劇団がかなりのお金と気合いを掛けていることがわかっている「特別な」1作で、そこに「スター誕生」の期待感をミックスさせてはじめて、組ファンだけでなくライトな層まで巻き込んでブレイクとなる。

 たのしかったなあ、星組の新公。

 
 その記憶も新しく、また鮮烈過ぎて、それが冷めやらぬうち……というか、それ以来そんな新公にお目に掛かっていないままに、『スカピン』再演で、再度新公がある、のだから。
 そりゃ楽しみでしょう。

 主な配役がまた、冒険というか変わっているというか、ある意味月組らしい謎の配役で。

 主役のパーシーが、研3になったばかりの珠城りょう。
 ものすごい抜擢なんだが、前回研2で2番手というか主役の相手役というかをやってしまっているので、ベニーのときほど「劇団、どーしたんだ?!」という大抜擢感はない。
 また、前回の2番手役で、男役としての外見が出来上がっていることも、歌えることも芝居が出来ることも示してしまっているので、「スター誕生?!」とわくわく劇場に駆けつける、という配役ではない。

 ヒロインのマルグリットが、研7の彩星りおん。
 男役で最終学年滑り込み主演はよくあることだけど、娘役ではあまりない。
 娘役の旬は短いので、はじめての新公主演は大抵もっと若い学年で済ませる。その後研7までヒロインをすることはあるけど、最初がいきなり研7ってのは、トップ就任が決まっていて、とりあえず主演させとかなきゃいけなかった檀ちゃんくらいしか、おぼえがない。……というと、12年ぶりか。
 りっちーがどこかの組で落下傘トップ娘役になるのでなければ、一体いつ以来のことなんだろう、研7で初ヒロインって。わたしの記憶にはナイが、わたしはたかだか20年ほどしかヅカファンやってないし、10年以上前のことは新公ヒロインの学年までよくおぼえてないし。……まさか史上初ではないよね? 昔はよくあることだった、のかもしれん。

 主役と同等の注目役である2番手のショーヴランが、研6の紫門ゆりや。
 『エリザベート』でフランツやって、『スカピン』でショーヴラン、って、経歴だけ見ると若手を代表する歌ウマみたいだね(笑)。ゆりやくんはどっちかっちゅーとダンサー認識(文化祭でソロで王子様踊ってたよねえ?)だったんだが……。
 いやまあその、歌の実力は置いておいて、美貌とかアイドル性とかを買われての配役かな。

 天海やタニちゃんをはじめとする超抜擢、トップ娘役不在とか、他組の男役が大作ヒロインとして特出とか、変則人事が組カラー?な月組らしい配役、かな。
 珠城くんという若いスターを支え、売り出すために万全の配置をした、というか。
 前回の新公で、珠城くんの実力……できることとできないことが明確になったので、絶対にコケさせないためにパズルがんばりましたというか。

 珠城くんは、男役としての基本値はクリアしている。そんな彼にないモノは経験と、若者っぽいアイドル性(笑)。渋いオヤジができることは証明済みだが、「研3で新公主演です、若いです、キラキラです☆」てなタイプぢゃない……。

 彼を支えるために、ヒロインは舞台経験が現時点でいちばん豊富な人でなくてはならない。
 されど、研7の90期にはヒロイン経験のある娘役がいない。それなら研7より下級生でもいいから、ヒロイン経験がある人……って、いないじゃん。んじゃヒロインじゃなくても舞台に立った年数・回数の多い人で、そのなかでいちばん歌のうまい人。
 経験だけそこそこあっても、豊かな歌唱力がないと、今回の役は主役の足を引っ張ることになるから。

 そーなると、実力はあるけれど渋いというか地味な並びになってしまう。せっかく真ん中が研3なのに、キラキラ☆なイメージがない新公ってどうよ?

 つーことで、2番手は実力よりもアイドル性重視。歌が難しい役だが、歌唱力は問わない。歌唱力があって堅実な研7男役もいるけど、2番手までソレじゃ困る。

 ……と、いうことなのかなと、勝手に考える。
 新公の配役にはいろいろある。主役、2番手、3番手の男役たちを順当に鍛え、またスターとして順当に売りに出したいと配役する場合も、たったひとりのスターを売り出すために周りを手堅い実力者で固める場合もある。

 同じくひとりっ子政策の星組が、劇団が育てたいブレイクさせたいと切望している真風くんを支えるために2番手をさせたみやるりが、その後新公主演できたように、月組で珠城くんを支える役目になった他の子にも、チャンスがめぐってくることを祈る。

 男役は旬が長いのでチャンスはまだあるかもしれないが、娘役の軽んじられ方に、不安を覚える。
 前回はヒロイン不在だから、娘役がヒロイン役を演じる機会を奪われていた。そして今回は……りっちーが今後月組路線娘役として花開く、檀ちゃんのような遅咲きヒロイン役者ならばいいんだが、そうでなければ年2回しかない新公ヒロインの枠をひとつ、男役の支えだけで消費したことになってしまう。
 や、もちろんヒロイン経験は、路線としてでなくてもたしかな血肉となり、今後の彼女をよりすばらしい舞台人にするだろうけど。
 経験豊かな娘役が、ぺーぺー男役を支えるために新公ヒロインをすることはいくらでもあるが、そーゆー場合はいつも、すでに新公ヒロイン経験を積んだ子がやるからさー。その子たち同様、今後もりっちーが活躍しますように。

 と、新公本編以前の感想というか、思ったことをつらつら。
 てなわけで、いろんな意味で負け犬だったわたしですが(笑)。

 2回目からは完全復活、郷愁から解き放たれました、ぜんぜんOK!

 月組『スカーレット・ピンパーネル』楽しい!!

 
 なんつっても、パーシー@きりやんです。

 わたし、きりやんパーシーに冷たくされたら絶対傷つく。
 なんだろ、この人は「真正面」とか「全部」とか、そんな言葉を思う。
 このパーシーに冷たくされたとしたら、それは演技とかとりあえずとかではなく、ほんとうに彼の全部で否定される気がする。
 誤魔化しがない。
 マルグリット@まりもちゃんに対し、正体を隠して誤魔化して接しているわけなんだけど、わざと嫌味な貴族っぽい喋り方や接し方をしたりしているわけなんだけど。
 それでもなお、誤魔化しがない気がする。
 彼が心を閉ざしたら、閉じる音が聞こえるくらい容赦なく閉じられてしまうんだと思う。

 だから、痛い。
 マルグリットの痛みがわかる。
 うわ、きつい。そう思う。

 あああ。
 きりやんのそーゆーとこ、いいよなあ。好きだなあ。

 軽薄に傷つけるんじゃなく、本気で傷つけちゃうあたりが。
 真面目だからこそ、逃げ場のない、自分も相手も追いつめちゃう感じが。
 いいキャラクタだわ~~。

 それがわかるから余計に、最初の結婚式の真っ白な笑顔が、幸せそうなふたりの姿が泣ける。
 この笑顔に、「良かったね!」と思う。「幸せでうれしい!」と。
 今観ている、幸せなふたりに癒されると同時に、でもこのあとふたりは……と切なさに胸が痛くなる。
 や、ハッピーエンドだとわかっていてなお、痛いんだもん、すれ違うふたりは。
 つかマルゴ可哀想。パーシーひどい、きつい(笑)。
 
 んでもって、実はあまり最後の仕切り直しの結婚式……デイドリーム号で「あなたこそ我が家」を歌うふたりにカタルシスはない。
 とゆーのも、最後でどばーっと「良かったね~~!」と爆発するというより、そこまでの過程で段階踏んで「良かったね」になっていくからだ。
 誤解が解けていく過程が、リアル。
 ナニこの質実剛健な夫婦(笑)。
 人間そんな一気に180度方向転換しないって、少しずつの積み重ねで変わっていくんだよ、ってゆーか。
 パーシーとマルグリットがひとつずつ心の穴を埋めていき、最後はその確認というか、ふつーに「めでたしめでたし」のエンドマークとして見られる。

 堅実さや色合いの似た、お似合いのカップルだと思うよ、きりやんとまりもちゃん。

   
 でもって、ショーヴラン@まさお。

 2回目の観劇はGWだった。
 まさおくんが声をつぶした、声が出ない、いろいろいろいろ聞いてはいたが、正直、違和感はなかった。

 たしかに歌い上げをせず、低い音域でまとめてあったけど、元の曲を知らなければ問題ない。つーか、本来の譜面で歌っていただろう初日だって、耳で覚えているれおんの咆吼(笑)とはずいぶん違っていて、「こんなもん??」と思っていたので、これくらいアレンジされている方が混乱がない。
 咆吼しなくても、魅力的な楽曲じゃないですか、ショーヴランの曲って!

 まさおくんのねちっこい、線が細くて病的な(笑)ショーヴランは、いろいろとツボでした。……変な人なんだ、ショーって(笑)。

 なんというか、萌えがあります。
 カップリングOKな萌えであります。

 配役を知ったときはロベスピエール@リュウ様との間に腐った萌えが発生するかと期待したんですが……もちろんそっちもアリだと思いますが。

 まさかの、パーシー×ショーヴラン(笑)。

 だってパーシー様、黒いんだもん!(笑) 深刻な分、自分追いつめてとんでもないところで爆発しそうなんだもん!!
 となると矛先はショーでしょー(笑)。

 ショーヴランがなにかときーきーうるさくて、パーシー様がSで容赦なくて、素敵空間発動ですわ……ぽわわん。

 いやはや、初演では夢にも思わなかったカップリング。いやその、わたし的に。

 腐った萌えは置いておいても、ショーヴランが可哀想で可愛くてたまりませんな。
 ええ、可哀想なとこがいいのよ彼は。ただの一度も幸福ぢゃない感じが!(握り拳)
 漂う薄幸さ、匂い立つ負け犬臭。
 傲慢ぶりながらもいつもぎりぎり感を背負って強がっている感じが、実にオイシイですな。
 あー、後ろから名前呼んでほっぺを指で突いてウザがられたいなー(笑)。きっと青筋立てて怒るんだぜえ(笑)。

  
 えーとそれで、フォークス@マギーって、ドゥ・トゥルネー伯爵@一色氏の婿になるわけだよね?
 あのきらびやかな貴公子が、薄幸感漂う素敵なドゥ・トゥルネー伯爵に最敬礼でシュザンヌ@りっちーとの結婚を許してくれとか挨拶しちゃうんだわ!!
 きゃ~~!! なんか、きゃ~~!!(笑)

 アルマン@みりおくんはきれいでかっこいい、絵に描いたような好青年。
 ナニこの少女マンガのキャラクタみたいな子(笑)。
 芯のある若者で、ヘタレには別に見えない。わからないのは女の趣味くらいかなあ(笑)。

 マリー@トウカさんが強い。最初の公安委員に食ってかかるところもすげー強いが、実はシャルル@愛希くんを隠してドアの外の訪問者(マルグリット)に誰何するところがいちばん強い……恐いと思う(笑)。

 モブになるとやたらとまんちゃんが目に入る。
 初日に観たときはふつーに茶色っぽかった髪が、GWに観たときは明るいド金髪になっていてびびり、次に観たときは金色かもしんないけどまた落ち着いた色になっている気がした。
 髪の色を新公の日程に合わせて変えていたのかな。それともわたしの思い違いか。
 とにかく、ただでさえ目立つのに、ドキンパツのときは目立って目立って仕方なかった(笑)。
 彼はどんどん素敵になるよな。

 観れば観るほどファーレイ@ゆりやくんがツボだ……。ナニあのアホの子(笑)。
 とびきり美形の砂糖菓子のような王子様。でもどっかピントがずれてる感じがたまらん。

 ジェサップ@彩央氏がオイシイ。ナニ気に可愛い。
 ピポー軍曹@綾月氏もうまい。期待のヒゲ部・靴屋のオヤジ@華央氏も相変わらず素敵だ。

 セットや主役以外の衣装はほぼ同じなのかな?
 しかし画面の重厚さを初演ほど感じないのは、スポンサー付き公演でないためだろうか。照明が変わったのかなとも思う。

 にしてもやっぱキレイだし、豪華だし、面白いし、良い作品だわ、『スカーレット・ピンパーネル』。
 若い人はきっと、もっと柔軟なんだと思う。
 新しい物事をすんなり受け入れ、アレンジがきく。

 しかし年寄りはなあ、ナニをするにも時間とか手間とかがかかってなあ。
 若者が1回でマスターすることを、年寄りは何度も何度も説明を聞いて実際にもたもたやってみて、よーやく出来るようになるのだよ。

 つーことで、若くないわたしは、初見はリハビリ状態だった。月組での『スカーレット・ピンパーネル』再演。

 わたしはひとつのタイトルにこだわることは、自分ではナイと思っているので、再演もメディアミックスもぜんぜんOK、全部別物としてがっつりいただく、「愉しんだ持ち勝ち」で「オレは勝つぜ!」な姿勢でフィクションと向き合っていると思う。
 好みはあるので「**がいちばんよ!」と思うことはあっても、その**以外を否定する気はない。
 たくさん愉しめた方が、人生得だもん。

 だから『スカピン』再演も愉しむ気満々だった。
 が、悲しいかな年寄りは心の柔軟性がなく、初演への思い入れゆえに郷愁に駆られ、せつなくて仕方なかった。

 どっちの『スカピン』がいいとか悪いとかではなくて、「なつかしいなあ、昔は良かったなあ、わたしも若くて青春で……よぼよぼ」という感じで。
 たかが2年、されど2年。
 ここ1年の記憶を、「そうそう、あのときはまだ、ゆみこの退団発表前だったよなあ。無邪気に生きていられたころだよなあ」とかで区切って遠い目をしてしまうように、後ろを振り返るときりがないんだ、このまだるっこしい性格は。

 そんなヤツなので。

 月組の『スカピン』に、作品ともキャストとも関係ないところで心をひりひりさせておりました。

 きりやんはさすがのきりやんで、初演のトウコを思い出してどうこうとは、まーったく思わなかったのだけど。

 彼以外の主要キャラには、初演の印象がつきまとい、初見では混乱した。

 マルグリット@まりもちゃん、彼女がどう演技しているとかいう以前に、同じ台詞同じ歌に、あすかを思い出してしまい、そこから一歩も前に進めなかった。や、ただもお、わたしが。

 ショーヴラン@まさおを見ても「あたし、れおん好きだったんだ」とそっちに気がいく。こんなにこんなにれおんのショーヴランがなつかしい、彼の歌声、彼の暑苦しさ、彼のまぬけさ、彼の格好良さ、そんなことばかりが脳裏に浮かんでしまう。まさおがいいとか悪いとかじゃなく、「れおんじゃない」と思う。それが切ないという。

 で、実はいちばんキツかったのが、デュハースト@もりえくん。
 幕が上がるなり、最初に登場するじゃないですか、彼。最初だから余計ってのもあるかもしれないが、胸が痛かった。なんだろう、彼に、しいちゃんと共通するナニかを感じてしまう。
 似ているというよりは、彷彿とさせる。記憶をくすぐる。うわー、なんか正視できない。

 フォークス@マギーとか、ロベスピエール@リュウ様とかは別物だからそのまんま受け止められるんだが。
 どっちもいい男だー。

 あ、もうひとり別物過ぎて平気……というか、ある意味ツボったのが、アルマン@みりおくん。アルマンって、おバカキャラぢゃなかったのか?!(笑)
 ごめん、初演では顔だけいいおバカキャラだと思ってた……ヘタレでクチが軽くて、空気読めなくて。こいつのせいでスカピン団が危機に陥る、冒険活劇シリーズお約束のトラブルメーカー。
 それが、みりおくんだとふつーに賢そうだった。

 スカピン団も気にならない。薄いな、と思ったけれど、これは初演だってキャラが立ってきたのは回数重ねてからだし、キャラクタはどうやら固定ではなさそうで、ファーレイ@ゆりやくんが星組ではベン@ペニーの役割だったりして、役者によってキャラ変更がありらしいし。

 
 いやあもお、年寄りってどーしよーもないっすね。
 切り替えが悪いっちゅーか、順応性に欠けるっちゅーか。

 でも結局のところ、『スカピン』は、楽しい。
 観ているうちに切なさや混乱とはべつに、ただ楽しくなる。
 やっぱ「作品の力」ってすげえ。なんてわくわくする物語なんだろう?

 なにかと取り沙汰されているショーヴラン@まさおの歌は、及第点だと思った。フィナーレの銀橋ソロで力尽きたよーに声がヘタっていたが、それ以外は十分よく歌っているなと。……まさかその後声をつぶしてしまうとは思ってなかったし。
 いちいち「れおんぢゃない」と思い知りながらも、それでも「やっぱショーヴランってかわいいなあ」と思う。なにがどうあろうと、とにかくかわいいわー。愛しいわー。
 
 プリンス@そのかのかわいらしさに震え、しかしまさかあの胴布団姿だけで群舞のアルバイトもナシだとはあんまりじゃないかい?とうたろえ、マリー@トウカさんの強さというかいぶし銀というか姉御というか大人というかアルマンとの年の差というかそのへんどうなってるのとか、恋人ちゃんたちの並びのすごさにびっくりしてマリーといい月組っていぶし銀というか姉御というか大人というか男子との年の差というかそのへんどうなってるのとか、ルイ・シャルル@愛希れいかくんかわいー顔ちっちゃいカツラ大きいとか、メルシエとクーポーがふつーに美形だわとか、ドゥ・トゥルネー伯爵が好みすぎるわ包帯萌え~とか、フィナーレで『エリザベート』に続き番手不透明演出を見せられ落ち着きの悪さにとまどったりとか、まあいろいろ感じつつ。

 『スカピン』楽しい、初見はリハビリだとしても、次はもっとちゃんと愉しむわよお、複数回は観るつもりだし! わくわく。
 小池すげえ、ワイルドホーンすげえ、と「ひとかけらの勇気」をアタマの中でぐるぐる回しながら歌いながらご機嫌で劇場を出て。

 出たところ、キャトル・レーヴの前にあるスカステ放送をエンドレスで流しているテレビで、『ソルフェリーノの夜明け』関連映像が流れていて。

 やばっ、と思ったときには、遅かった。

 アタマの中を、「♪ソルフェリィぃぃノ~~、ソルフェリィぃぃノ~~」がエンドレスで回るっ!!

 ちょ……っ。

 恐るべし、植爺。

 天下のワイルドホーンが、植爺に負けたっ。

 てゆーか、なにこの敗北感。植爺め(笑)。
 5月5日、月組新人公演『スカピン』、わくわくと観に行きました。
 それはまたいずれ、日を改めて書くとして、まずは本公演の話。やっぱ時系列順に書かないとダメだ(笑)。

 『スカーレット・ピンパーネル』は、大好きだ。
 ツッコミどころはいろいろあるし、ほんとーの意味でわたしの好みど真ん中な作品ではないんだけど、やっぱり力のある作品は好きだ。

 わたしのアタマの中はまだまだ『虞美人』で、しかも彩音ちゃんMSでも占められている。
 そんな状態で月組での再演初日、きりやん・まりもちゃんトップコンビお披露目おめでとー!ってことで、とにかく駆けつけた。

 以前『虞美人』はわたしのバイオリズムと合っていない、と書いたが、反対に『スカーレット・ピンパーネル』は合っているんだと思う。
 ここで歌が来て欲しい!ってときに歌でどーんと盛り上がり、ここで派手な群衆シーンが欲しい!ってときに群舞とコーラスキターーっ!てな具合に。なんてかゆいところに手の届く、気持ちいい作り。
 イケコの『太王四神記』も『カサブランカ』もそうだから、彼はとてもバイオリズムの整った演出をする人だなと。(ちなみに、あとは小柳タンとサイトーくんも、わたしのバイオリズムと合っている。まだ1作しか知らないけど、生田クンもその可能性アリで期待)

 小池せんせはほんと、演出うまいんだよなあ。こんなにわくわく盛り上げられるんだから。
 そして、音楽の力。ワイルドホーンすげえ、と心から思う。なまじ『虞美人』の音楽がわたしにとってかなりアレだったので、「ドラマティックとは、エンターテインメントとは、こういうこと」と見せつける音楽の力に脱帽。
 冒頭の「マダム・ギロチン」から「ひとかけらの勇気」に移る、そのメロディの流れでもお震撼したもんなあ、初演初日から。

 月組初日、キャパ・オーバーでアタマから煙を出しつつも、わたしは『スカーレット・ピンパーネル』という「作品」にわくわくした。楽しかった。

 さて、前にちょろりと書いたが、わたしがキャパ・オーバーになっていたのは、花組からアタマが切り替わっていなかったこともある。
 だが、それだけではなくもうひとつ、初演の印象が強すぎて混乱した、ということも、事実。

 どっちがいいとか悪いとかではなく、なんつってもまず郷愁で切なくなるのはもお、年寄りだから仕方ない。
 あのころは良かった、じゃないけどさ、もう今はいない人々の思い出が脳裏に再生され続け、なつかしくて寂しくて切なくて。それだけもお、十分泣けるという(笑)。
 あああ、大好きだトウコ、あすか、しいちゃん、あかし、コトコト、しゅんくん、ゆーほ……過去にとらわれ、息が詰まる。

 初日に見たときはほんと、自分の中で折り合いを付けるに至らなくて、公演を愉しんだけれど、それ以上ではないってゆーか、なんか月組公演を「観た」うちに入らない気がした。
 記憶や感情の再確認をしているってゆーか、星組『スカピン』のDVDでも見ている感じってゆーか。
 『スカピン』に限らないが、なまじリピートしたりハマっていたりした公演を映像で見ると、とても違和感が強い。自分が実際にナマで観たモノと隔たりがありすぎるためだ。アングルもカットもチガウ、別編集作品のよーに感じる場合が往々にしてある。
 だから演じている人がチガウことをアタマでわかっていても、感覚としては星組『スカピン』のDVDを見るとしたら、こんなふうに感じるかもな、と。

 そんなどうしようもない部分に生じる、本能的、生理的な感覚。衝動。
 
 『スカーレット・ピンパーネル』という作品を、思い出す。
 そして、当時の自分の感情を、思い出す。
 それをたどる。再確認する。納得する。
 そーゆー段階を踏む、踏む必要がある、整理期間。

 それは、新生月組にわくわくしているのとは、別問題。

  
 そんななかで、なにがすごいって、パーシー@きりやさん。
 キャラを確立していて、ブレない、初演の記憶に引きずられない。
 当時を思い出して切なくなるけど、パーシーに関しては、トウコを二重写しに見ることはない。同じ役なのに、同じことをやってるのに、別物。確実にきりやさんのパーシー。それが小気味よくて、混乱しない。

 なんかすごくほっとしたというか、正直助かった。トウコちゃんをいちいち思い出してたら、切なくてたまらなかったよ。ここまで別物で、安定してくれていると、トウコを思い出すこともない。
 今、目の前にあるキミだけを愛せる(笑)。

 パーシーは、賢しさが魅力であり、ムカつくところでもある。
 きりやんのパーシーは生真面目さがイイ。女の子と愛のレッスンに明け暮れるフランス貴族ではなく、同じ遊び人でもアウトドアで健全(笑)なイギリス貴族。
 社交家でありながらも、恋には少年のよう、てのがよくわかる。
 また、グラパンが遊びすぎてないのもイイ。初日に見たとき、グラパンが「お笑いキャラ」ではなく「異様な男」だったことに、とてもよろこんだ。お笑いも好きだし、かわいかったけどな。

 きりやんがヒーローやってる……。
 それだけでなんか、感慨深くてなあ。

 誰とも間違わない、オーバーラップしてとまどうことがない、きりやんはきりやん。その、存在の強さ。
 それがうれしい。
 

 きりやんが今、トップスターとして大劇場に立っている。
 そのことを、シンプルにうれしいと思った。よかったと思った。

 意味もなく、「お帰り」と思ったよ。
 蛇行した長い道のりを経て、本来の道へ戻ってきた……おかえりなさい、きりやん。
 おめでとう。
 花組『虞美人』に囚われているうちに日々は過ぎ。書くべきことがたまっていくよどうしよう。『虞美人』まだ語り足りてないんだけど(ヲイ)、月組新公の日付までにせめてさわりだけでも触れなくては。
 

 『スカーレット・ピンパーネル』は、とても思い出深い作品だ。
 いや、作品以前に、思い出深い「公演」だ。

 鳴り物入りの海外ミュージカルだが、知名度はイマイチ。
 最初は英語表記だったタイトルがいつの間にかカタカナ表記になっていたり、劇団も「売り方」を試行錯誤していた印象。
 大昔、『エリザベート』初演はどうだったんだろう? 当時は今ほどネットが発達していなかったし、未知の海外ミュージカルに対してヅカファンがどう反応していたのか、よくわからない。

 とりあえず初演『スカピン』は、「鳴り物入りの海外ミュージカル」だと宣伝されているわりに、一般客の反応は鈍かった。チケット発売後にアフタートークが発表されるほどに。

 だけど、なにしろ「鳴り物入りの海外ミュージカル」だ。一般客はともかく、一部の人々には熱い注目を受けていた、のだろう。

 初演初日の、あの劇場内の空気。
 ナニあの緊迫感。

 初日好きで、各組大劇場公演初日を観に行っているけれど、ちょっとナイような、異様な緊迫感があった。
 いちばん近いのは、あさこシシィ@『エリザベート』初日かなあ。あの緊張感はすごかった(笑)。みんな手に汗握ってるんだもん。

 でも作品のわかっている『エリザベート』を、男役のあさこちゃんがどう演じるのかで固唾をのんでいたあの空気とも、やっぱり違っていたと思う。

 『スカピン』初演初日は、やっぱり異様だった。

 そして、幕が上がり、「マダム・ギロチン」の歌声が響いた瞬間の、空気。

 チガウ。
 なんか、チガウ。いつもの、じゃない。なにをもって「いつもの」とするか、それは言葉にはできないんだが。
 感覚でしかないんだが、肌があわだつ気がした。ぞわぞわと。

 あたし今、すごいモノを観ている?!

 という、実感と驚き。目の前の現実と、その現実を目の当たりにしている感動と、不信感(笑)。素直に感動できなくなってるらしいよ、このスレたおばさんは(笑)。

 『スカピン』がどんだけ名作なのかはわからない。冷静に考えればツッコミどころは満載だし、繰り返し観ると粗も気になるし。
 だけど初見ではそんなもんに足を取られることはなかった。それよりも、すごい! ということが感覚を締める。
 理性とか知性とかの理屈部分ではなく、感情とか本能とかの感覚部分が歓声を上げているの。

 で、1幕が終わり、幕間ですでにわたし、「ずるい」って嘆いていたし。
 わたし、つい数日前までこの同じ劇場で『愛と死のアラビア』観てたんですが? 同じカンパニーで同じ劇場で同じ価格で、なんなのこの差! 『愛と死のアラビア』なんぞを10何回観たあたしってナニ?! あたしが可哀想! そう嘆いて、同行のトウコファンに生暖かい目で笑われたっけ(笑)。

 舞台の熱さ。
 演じている側だって、まだ手探り。観客の反応、どう受け入れられるかなんてわかっちゃいない。海外で名作だからって、タカラヅカで名作かはまた別の話。そんなの今までのいろーんな作品でわかっている。
 それでも、舞台と客席で、じわじわと浸食しあっている。双方向に関与しあっている。

 今、すごいことが起こっている。

 それを、肌で感じる感動。
 幕が下りたときの熱狂。
 ひとの感じ方も価値観も人の数だけある。同じなんてことはありえない。だが、そんななかで比較的多数に共通する価値観はあるだろう。『スカーレット・ピンパーネル』はそこに響く力を持っていた。
 多くの人の共通のナニか。
 そこを突かれ、同じ空気を共有した人たちの、爆発的な興奮。

「おもしろかった!」
 素直な声があちこちで上がり、興奮が興奮を呼ぶ。
 誰もがくわくできる冒険活劇。勧善懲悪、単純明快。

 初日だし、出演者のファン、組のファン、宝塚歌劇のファンが多く足を運んでいたと思う。
 その人たちが、胸を張って喜べる、誇りを持って好きだと言える、そんな作品である、という感動。

 わたしは小市民で、好きなモノに対し懐疑的というか悲観的というか、いじりながらオトシながら愛でる癖がある。手放しで「素晴らしい!」と言うより、「ごめんなさい、わたしは好きです」という方が性に合っているというか。
 そんなわたしでも、胸を張って言える、「『スカーレット・ピンパーネル』は面白い」。
 タカラヅカを観たことがない、でもちょっと興味あるな、なんて人に「今やってる『スカーレット・ピンパーネル』はオススメですよ」と堂々と言える。

 そんな作品に出会えたこと、それが今生まれ、そのことの感動に劇場中で酔えるという幸福。

 
 ほんっとに、初演『スカピン』は特別だったんだ。初日のあの空気。
 劇場中の空気が動く、温度が変わる快感って、ハンパないね。
 退団公演とか、キャストの去就絡みで空気が動くことはめずらしくないっちゅーか、ソレがタカラヅカの売りのひとつだと思っているけど、そーゆーのとは無関係に、「この作品すげえ!」で空気がどーんと爆発するのは、わたしのヅカヲタ人生でも稀有なことだ。

 そんだけすごい作品だっつーに、客足にはあまり反応しないようで。
 純粋に、不思議だった。
 この作品で、このクオリティで客が入らないのは何故だ。どんだけ良い作品でも、一般の支持を得られないということか?
 「タカラヅカ」って、ほんとうに斜陽なんだ、やばいんだ、と思った。

 ところが『スカーレット・ピンパーネル』は東宝公演でまさかの大ブレイク。一気に人気公演・人気演目となった、らしい。えええ。

 それってつまり、「知名度」なのかな。
 『スカピン』はやっぱ、一般人にとって無名作品だった。面白いかどうかなんてわからない。
 不景気は深刻で、もう誰も博打はしない。「面白い」とわかったモノにしか、お金は使わない。
 ムラの1ヶ月半は宣伝期間、それらが浸透して東宝公演にて「良いモノは良い」と正しい評価を受けたってことなのか。

 
 初演初日の、忘れられない経験。
 今後、あんな経験を出来るのはいつなのか、見当もつかない(笑)。未知の新作で、その後ブレイクするだけの良作を、実力のあるキャストで上演する、その初日に劇場にいる可能性って、どんだけ低いんだ。

 まあそんなこんなで、初演『スカーレット・ピンパーネル』という公演には、思い入れがありすぎる。
 トウコと星組が好きで、地味にリピートしていた。その印象が強烈すぎて、まずはそれゆえの混乱が生じる、再演月組『スカーレット・ピンパーネル』を愉しむにあたって。

 ……てなことを時系列に書いていきたかったのに、書いている余力がなかった。
 月組初日は思い出がオーバーラップしまくりで大変だったが、次に観たときはそれもなく愉しめて、さらに新公となるともお……(笑)。

 やっぱ好きだ、『スカーレット・ピンパーネル』。
 役者の熱演に泣かされる、ことはある。
 それが芝居として正しいのかどうかわかんないけど、本当に泣いている人を見ると、もらい泣きするというか。

 『虞美人』千秋楽。

 項羽@まとぶさんの、泣きっぷりがすごかった。

 自害した虞美人@彩音ちゃんを抱きかかえ、慟哭する項羽。
 ヅカで良くある「**(名前)ーー!!(節を付けて絶叫)」ではない。名を絶叫しないんだ。
 音楽も止まり、ただ項羽の哀しみだけにすべてが集中する。

 台詞があるわけじゃない。
 歌ったり、叫んだりするわけじゃない。

 悲しむ。
 泣く。
 この行為だけに、舞台が止まる。

 長かった。千秋楽の、この場面。
 放送事故?ってくらい、無音時間が続いた。

 長いよ、これがラジオなら無音時間続き過ぎでエラー出てるよ、ここだけ見たら「台詞忘れて止まってる?」てくらい妙に長いよ。
 と、行き過ぎっぷりを冷静に突っ込んでいる自分がいる。

 しかし、それと同時に。

 この長すぎるほどの時間、哀しみに我を忘れている項羽に……いや、まとぶんの熱演に、胸を突かれる。

 声もない哀しみが広がり、ときおり嗚咽が混ざる。

 マジ泣きじゃん、アレ。演技じゃない。そーゆー次元じゃない。
 項羽として、ほんとうに泣いている。魂をふるわせて、慟哭している。

 『虞美人』の主要キャラはアテ書きで、役者とのシンクロ率が高い。虞姫@彩音ちゃんもえらいことになっているが、項羽@まとぶんももー大変。
 
 ただもお、そこにあるのは、「愛しさ」だ。
 項羽が好き。この不器用な男が好き。そう思って見ているけれど、それ以上だ。
 項羽を好きなのか、まとぶんを好きなのかわからない。もちろんまとぶんが演じているからこそ好きなんだけど、それにしたって好き過ぎる。

 愛しくて愛しくて、声なく慟哭する項羽を抱きしめたくなる。
 彼のかなしみが辛すぎて、痛すぎて涙になる。可哀想とか悲しいとかじゃないよ、辛いんだよ痛いんだよ。

 ダメだろコレは。舞台の上で、パブリックな場で、ここまで個人の「かなしみ」を出して良いのか、それってはてしなくパーソナルな部分じゃん!!
 と、わけのわかんないうろたえ方をするくらい、生の感情に圧倒されて泣いた(笑)。

 人間の「真の心」って、伝わるもんだから。心からの言葉と、上っ面だけの言葉は、届き方がチガウ。
 役者ならば技術で、演技で伝えるもんなのかもしれないが、ここは舞台で生でタカラヅカで、まとぶんはとにかく本人のアツいハートでがっつんがっつんトバしてくる。
 彼の芝居を好きになれるか感情移入できるかは、彼のそーゆー芸風を愛せるかどうかなのかなとも思う。

 項羽役は、そのまとぶんの役者としての持ち味、基本スキルを全開に出来る役だ。
 だから項羽なのかまとぶなのか、わけわかんなくなるくらい、入り込んで熱演している。

 ほんとのところ、まとぶんの芸風はわたしの好みではないんだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃない、彼の真剣さ誠実さの前に、スカシた態度でなんかいられない。
 力尽くで、振り向かされた、感じ。

 冷静に突っ込んでいる自分がいてなお、彼の熱にさらわれる。彼を、好きだと思う。好きでたまらないと思う。

 静まりかえった劇場内。
 そして、すごく長い時間のあと、ようやく聞こえる、項羽の嗚咽。

 あのなにかが憑依したような時間、空気。
 劇場ってすげえ、演劇ってすげえ。

 
 人間のナマの感情に、魂に触れられる。
 それが、わたしが芝居を好きな理由のひとつなのかなと思う。……テレビでも、DVDでも見られるものを、時間とお金を工面して、劇場に行かざるを得ないのは。

 まとぶさんの芝居っぷりが正しいのかどうかは、わからない。本人がダダ泣きして、それゆえに観客を泣かせるってのが、どうなのか。
 ただ、項羽として慟哭するまとぶさんは、わたしの魂の横面ぶん殴った、くらいにわたしを自分の方へ向かせた。
 
 彼を愛しいと思う。
 地団駄踏みたい勢いで、今、まとぶんが好きだ。
 項羽@まとぶんを破って勝利し、高祖となった劉邦@壮くんがつぶやく。
「生き残った者こそ、哀れか」

 『虞美人』のこの展開に、わたしの海馬は勝手になつかしい記憶を掘り起こす。

“あなたはこの世の汚濁に染まることなく、潔いまま逝ってしまわれた。
 人々はあなたの悲運に涙し、哀惜とともに後々の世まであなたの名を語り伝えるだろう。
 だが勝利したはずの皇后や皇太子はどうだ。
 有形無形の世の指弾を浴び、外からも内からも血を流し苦しんでいる” 

 『虞美人』とはまったく無関係だが、「勝者の苦悩」を書いたマンガの一節を思い出すんだ。
 悲劇のヒーロー大津皇子と、彼を滅ぼしたうののさらら(名前の漢字が表示できない)皇后、草壁皇子。大津と草壁なら、大津の方が優れていたのは一目瞭然、だけど大津は死んで草壁が残った。
 大津を滅ぼすしかなかった、草壁陣営の苦悩や悲哀を描いたエピソードは、それまで大津寄りでしか大津皇子の謀反を読んだことがなかった少女のわたしに、強い印象を与えた。
 ピカレスク・ロマンに分類されるのかな。主人公は野心家で、目的のために手段を選ばない……同じ作者の別作品では悪役として登場する藤原不比等の、若き日の物語。ひとりの純粋な少年が、冷酷な権力者となっていく過程を描いた歴史コミック。
 滅びることで美談にくくられがちな出来事を、滅ぼす側、野心を持って成り上がっていく側から描く、というのは、わたしのツボにジャストミートした。
 主人公は自分が正義だとは思っていない、それが最善でないこと、まちがっていると他の価値観で責められることがあると理解した上で、それでも「必要だから」と冷酷な判断を下す。罪を罪だとわかった上で「それでも、欲しいモノがある」とあがく。
 責任を負い、覚悟を決め、あえて修羅の道を行く。
 ……コミックの奥付を確認したら、1986年雑誌掲載とありましたよ。そんな昔から、わたしのツボは変わっていないらしい(笑)。

 その大昔のマンガ『眉月の誓』と『虞美人』はまったく無関係なんだが、わたしのツボにハマるという点に置いてのみ、共通しているのだ(笑)。
 好きな展開に、勝手に好きな作品がリンクして、脳内にオーバーラップする。

 「生き残った者こそ、哀れか」とつぶやく劉邦に、呂皇后@じゅりあが「え?」と返す。
 この「え?」がいい。
 劉邦は言葉を重ねて自分の心を説明せず、天子としての勅命を下す。

 劉邦はここで心を閉ざしたのか。彼の真実を聞くことができた者はいたのに、誰もそこに触れなかったのか。
 劉邦の真実のつぶやきを耳にして、音としてしか拾えず疑問の声を上げたのか、意味が理解できなかったのか、あるいは、理解したからこその声だったのか。
 「え?」という呂の返しが、いかようにも想像できておもしろい。

 「今なんか言った? 聞こえなかったからもう一度言って」の「え?」。「なにわけわかんないこと言ってんの、この人?」の「え?」。それとも、「理解したくないことを聞いた、そんなことを言うなんて信じられない」という「え?」。

 プロローグの劉邦と呂を見る限り、この「え?」は「わからなかった」からなんだろうけど。
 呂には、劉邦の心がわからなかった。だから、彼の悲しい言葉を聞いても理解しないままスルーした。

 わたしは劉邦の臨終場面であるオープニングはいらない派だ。
 ラストの劉邦と呂の余韻を打ち消すっちゅーか、想像の余地を狭めるから。

 劉邦の心を理解しつつも、それを拒否して見ないフリをするしかなかった呂とか、想像してたのしみたいじゃないですか。
 ただ「悪いのは相手、私はちっとも悪くなかったのに、許せない!」と思い込んで怒っている人より、「相手も悲しかったんだ……でも、私だって傷ついた。だからやっぱり許せない!」と相手の傷も自分の傷も合わせて2倍傷ついて結果として怒っている人の方が、その心理が複雑に揺れて面白いってゆーか。

 オープニングで「結果」を出してしまっているのが、物語の広がりを拒んでるんだよなー。
 わかりやすくしたかったんだろうけど。そして、キムシンのいつものオープニング、幕が上がるなり地味!をやりたかったんだろうと思うけど。

 わたしのよーな妄想過多人間には、いらん足枷だなと。

 
 范増先生@はっちさんは、予言していた。
 「漢王は戦いに勝ったのち、必ず変わる」と。人を惹きつけて勝ち続けていた劉邦だが、権力を得たあとは人を信用しなくなるぞと。

 実際劉邦は変わったんだろう。
 それが「生き残った者こそ、哀れか」であり、「赤いけしの花」の歌なんだろう。

 この「変わってしまった」劉邦を見てみたい。
 あのキラキラあっけらかんと野望を歌っていた劉邦ではなく。子どもだから人を信じることも騙すことも出来た劉邦ではなく。
 大人になり、自分がなんであるかわかった上で、それでも手を汚す劉邦が見たい。
 それこそ、四半世紀前から変わらない、わたしのツボだ(笑)。

 まあ、タカラヅカで描くべきではないし、壮くんの演技力で見たいジャンルでもないが……(笑)。
 壮さんはナチュラルボーン、その天分のままに存在する役がもっとも輝く舞台人。挫折は彼の得意分野だが、それゆえの屈折鬱屈、心の深淵をちまちま表現する人ではない。だから彼の演じる劉邦が、彼が天子になるところまで、なのは正しい。あとは観客の想像に委ねた方がいい。

 キムシンはほんと、壮くんと相性いいなあ。
 つか、作家としてうれしいだろうなあ、こんなに自分の作風と合う役者と出会えて(笑)。
 壮くんはどーんっ!でばーんっ!でファンタジックなところがイイ。あの『オグリ!』がハマるような。
 自分の描きたいと思うニュアンスを、計算ではなく本能で体現してくれる表現者と出会えるなんて。あとは役者のキャラクタと相乗効果でどんどん膨らみ、勝手に転がっていく。描いてて面白いだろう、快感だろう。

 壮くんの見せてくれた劉邦が魅力的だからこそ、描かれることのない「その後の劉邦」をも勝手に妄想できる。
 いいキャラクタだほんと。
 ヒソヒソヒソ。宮殿のそこかしこで、女官たちが噂する。
「ねえ、張良様が今日もまた紅林を呼びつけていたわよ」
「紅林ってあの子よね、宋義様の……」
「そう、あの、宋義様の……」
「才気煥発な美少年。漢詩も読むし、歌も踊りもできる」
「それでもって、宋義様の……」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。宋義様とはチガウわよね」
 ヒソヒソヒソ。
「張良様が、金祥鳳と柱の陰で話しているのを見たわ」
「金祥鳳って、虞美人様のお側付きの童よね」
「そう、あのちょっとごついけど、才気煥発な美少年。胡弓を弾き、剣舞もたしなむ」
「ちょっとというか、かなりごついというか、張良様や衛布様や韓信様より大きい気もするけど、ええ、美少年という設定の童よね。あの子と、張良様が?」
「人目を避けるように、こう、顔を寄せて」
「金祥鳳って、衛布様とも噂なかった?」
「あるある、夜中に衛布様の部屋に入るのを見たって、何人も言ってる」
「そんな子と、張良様が?」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。衛布様とはチガウわよね」
 ヒソヒソヒソ。
「ねえねえ、今日私、張良様が紅林にお金を渡しているの見ちゃった!!」
「なんでお金?! 賢い童に勉強を教えているとかなら、お金は渡さないわよね?」
「真夜中に密会してたわよ? で、お金……」
「……それって援交……」
「しっ」
 ヒソヒソヒソ。
「紅林に金祥鳳。軍師様は賢い童がお好き」
「てゆーかそれ、単なるショタコン……」
「しっ」
 ヒソヒソヒソ。
 女官たちにナニを想像されていたか、天才軍師様もご存じない。


                ☆

 東宝版のプログラムには、主な出演者インタビューってのは載ってないんでしたっけ。わたしがプログラムを買う理由はひたすらまっつなので、東宝版にインタビューが載っていない・大劇とまったく同じなら購入する必要はナイなと。

 まあそれはさておき、大劇『虞美人』プログラムのまっつインタビュー。

 紅林@いちかに対して見せる優しさ……てなくだりを読んで、心からおどろきました。

 張良さん、紅林くんになんかしてました? 手なずけて利用してましたけど。彼の憎しみと、小銭を使って、あんな小さな子を野望の道具にしてましたね。アレ、優しい目だったのか。なんて悪そーな笑顔だと思って見てたよ……ごめん、張良の中の人……。

 しかし、わたしの目に「なんかたくらんでるっ」と映っても、演技的には「優しい姿」だったそうですよ。
 冷徹な軍師様が見せる優しさ、ギャップの部分。

 でもって張良先生、同じ場所で桃娘@だいもんにも優しくしてるんだよね。金祥鳳という偽名で生きる桃娘を、すっかり手なずけてるんだよね。

 部屋や寝具の清掃をする女官たちは、衛布@みつると金祥鳳のことは知っていると思う。金祥鳳がほんとは女の子だってことはわかんないにしろ、衛布のお稚児さんだろうことは、ばれてるだろう。知らないのは虞美人@彩音ちゃんと、項羽@まとぶんはじめ、宮殿の男たち。女は女だけで噂を回している。

 宋義@まりんのお稚児さんだった紅林と、衛布と関係のある金祥鳳。
 こそこそ会うのがどっちか片方だけなら言い訳も出来たろうけど、両方じゃなあ。
 しかも、「優しさ」を見せているそうですから、中の人が言うことには。他の人には慇懃無礼だったりクールだったりするのに、紅林にだけは優しくしてみせたりしてるそーですから。

 張良先生、絶対ホモショタ男だと思われてるよ(笑)。
 女っ気なさそーだしなあ。(史実は知らん、あくまでも『虞美人』の物語上)

 女官たちがさらに噂話を展開させてるかもな。

「それで張良様の本命はどっち? 紅林? 金祥鳳?」
「金祥鳳には衛布様がいるでしょ?」
「三角関係? 金祥鳳をめぐって衛布様と張良様が?!」
「じゃあ紅林はどうなるの? お金を渡してるわけだから、そーゆー割り切った関係? 本命は金祥鳳?」
「それにしても金祥鳳ってすごいわ。衛布様と張良様って、タイプ正反対のイケメンじゃない。それを二股?」
「武の衛布様か、智の張良様か。って、どこの乙女ゲーの世界……」
「や、金祥鳳オトコノコだから、ボブゲ……」
「しっ」


 桃娘が張良と会っていたことを知り、嫉妬する衛布とか、見てみたいですな。

 衛布は張良を信頼してはいないだろうから、立場的にも胡散臭いと思っているだろうし、そこへ自分の手駒である桃娘になにかしら近づいていることを知れば。
 野心を持つ武人として、心穏やかではないだろう。張良は劉邦@壮くんのスパイだろう、そのスパイとナニを話していた……てな展開は普通にありそーだ。
 だがここで、衛布は頑なに心の奥に芽ばえた感情を押し殺す。
 張良と会っていた桃娘に怒りを感じるのは、野望達成の邪魔をされたくないからだと、手駒に裏切られたらムカつくからだと。
 断じて、嫉妬しているわけじゃない。
 俺以外の男と密会していたことに。

 衛布が真に警戒・嫉妬すべきなのは韓信なんだけど、こちらは桃娘が気づかれまいと必死に守っていただろうしな。桃娘が韓信に好意を持っていることまでは察しがついても、あくまでもプラトニック、遠くで想っているだけ。桃娘が韓信と実際に会ってどうこう、なんてことはないだろうし。
 それに比べ、張良は項羽側でスパイ活動をするために、桃娘とも信頼関係を築いている。実際に桃娘とも話すだろうし、桃娘は素直な子だから張良への信頼は表に出るだろう。

 つーことで、三角関係希望(笑)。や、実際にはそんなもんどこにもナイんだが、衛布の中だけで勃発。
 桃娘には迷惑なだけの話だし、張良に至ってはコレ幸いと利用されそうだ。

 そして、女官たちは「男ばかりで愛憎のもつれ?!」とワクテカする、と(笑)。
 東宝公演スタートですね、『虞美人』。観に行きたいなー。
 

 桃娘@だいもんはとてもいいキャラクタなのに、きちんと書き込みがされていないため、とてももったいない。衛布@みつるとの関係、衛布の野心についてもだし、なにより韓信@みわっちがえらい割を食っている。
 もう少しなんとかならんかったんかなあ、と思うけれど、まあそれゆえに、観ている側が脳内補完にいそしむことはできる。
 エピソードとエピソードの間を埋められるくらい、それぞれのキャラが立ってるからさ。

 つーことで、桃娘関連の我らが張良さん@まっつの話。

 張良先生は、衛布と桃娘の関係を知っていた、と思う。

 桃娘と衛布の関係。……つったらもちろん、アレ。毎夜毎夜、衛布元気だな、の、アレ。
 ……毎晩だと台詞で名言はされていないようだが(友人と「毎晩って言ってたよね?!」と盛り上がったのは妄想? 笑)、虞美人様@彩音ちゃんの「夜中に出歩いている」という言い方は、1回限りではなく継続的かつ日常的な出来事を連想させるので、間違ってはないんでしょう。

 そのことを、張良せんせは知っていたと思う。……桃娘が、隠しているつもりでも。
 

 桃娘を楚陣営へ送り込んだのが呂@じゅりあである以上、早い段階から張良の耳には入っているだろう、虞美人お気に入りの童が、桃娘だと。張良は桃娘の働いていた居酒屋にも出入りしていたわけだから、顔は知っているだろーし。
 で、ちゃっかり項羽@まとぶんの配下に収まった張良は、桃娘にコンタクトを取っているはず。
 鴻門の会で、桃娘が劉邦を守るために剣舞へまざっていたことも、わかっているのだし。
 項羽のお膝元で自由に暗躍(笑)するために、味方には働きかけているだろうから。

 2幕冒頭にて、張良は当たり前に桃娘に話しかけている。すべてを知り尽くした顔で。
 桃娘も張良の言動にはなんの疑問も持っていない。「この人嘘をついている?」とか「言葉に裏があるのでは?」なんて、みじんも考えない。まるっと鵜呑み。

 張良は、見事に桃娘を手なずけている。

 桃娘と張良が直接言葉を交わすようになるのは、鴻門の会以後だと思う。
 1幕ラストと2幕冒頭がどれくらい時間経過しているのかわからないが、その間ですっかり懐柔(笑)。桃娘は張良の手のひらの上。

 やっぱ隙を見て張良から、「今は項羽に従っているふりをしているが、心は劉邦様のモノ(笑)だ」と話して、安心させたんだろうなと。オマエのことは呂妃から聞いていると。項羽は共通の敵であると。

 単身敵地に乗り込んでいる桃娘にとって、事情を知っている味方の存在は心強いだろうし、また、張良ならば「心強い味方」であると世間知らずのおじょーさまに思い込ませることなんかたやすいだろう。

 てことで桃ちゃんは衛布のことを、張良に告げていると思う。
 「父の部下であった衛布には顔が知れているため、私の正体も知られてしまっている。でも、自分が項羽に成り代わろうと狙う衛布は、あえて黙っているようだ」……てな、「表面的な事実」を。
 項羽を討つために必要な情報を、劉邦の軍師に伝える。呂に恩を感じている桃娘はそれくらいするだろう。

 衛布に「なぐさみものにされている」ことは、死んでも言わないだろうけど。

 でも張良は、気づくと思う。
 衛布の野心にも、そして彼に対する桃娘の恐怖にも。

 ナニが行われているか、正しく察して。
 その上で、ナニも言わないだろう。

 助けません。ええ。
 藪をつついて蛇を出すわけにはいかないので。罪のない娘をひとり救うことで、事を荒立てるわけにはいかない。娘には引き続き犠牲になってもらって、まずは自分の任務優先。

 そーゆー人だよね、張良先生。

 時間経過はよくわからないが、范増先生@はっちさんが懐王@王子のところへ行っている間、桃娘が「先日の剣舞をお褒めいただきました」と言っているから、ほんとーに大した期間ではないのかもしれないが。
 
 衛布と桃娘の歪んだ関係。そして、黙って見ている張良。
 ……というのは、萌えなんですが(笑)。

 短い期間だとしたら、そんな間に桃娘の信頼を得、項羽陣営でも幅を利かすよーになっている張良先生ってどんだけ優秀なん(笑)、という。

 ハンゾー先生からの報告書を、わざわざ張良が持ってくるってどういうこと? ボスへの機密文書を取り扱っていいんだ、ついこの間の鴻門の会までよそ者だった張良が。

 項羽が待ち望んでいたハンゾー先生からの手紙。使者ではなく、張良が運んだ。……これってつまり、そーゆーことなのかねえ。
 解答は提示されなかったけれど、張良が手紙をすり替えて懐王暗殺へと誘導したってことかねえ。懐王が武将たちに国を分けることに反対したまでは事実だと思うんだけど(そのあとの場面で、ハンゾー先生がそのことについてスルーしているから)、事実が歪められている可能性があるよな。使者ではなく張良さんがメッセンジャーボーイをやっているなんて、怪しすぎる。
 この物語では項羽が曲がったことはしないことになっているので、悪!な所行は別キャラの策略になる傾向がある。だからこそ、あの善良な王様を暗殺するのは項羽のせいではない、と。悪いのは張良ですよと。

 ついでに言うと、「韓信を殺せ」もほんとーにハンゾー先生の言葉だったのかどうか。
 韓信を劉邦側に寝返らせるための策略じゃなかろうか。
 それをわざわざ、桃娘に聞かせているあたり、アヤシイ。

 ええ、とーぜん張良さんは知っていたのでしょうとも、桃娘が韓信を慕っていることを。ある意味桃娘と同時期に韓信を見初めたんだもの、例の股くぐりで。

 張良なりのやさしさかもしれない。
 桃娘の今の身の上……父の仇を討つために、好きでもない男の愛人やりながら耐えている日々。無事に仇を討てたとしても、殺されることがわかっている。
 その現実に、別の道を指し示す。父への思いを忘れろ、捨てろというのではなく、恩人を助けるのだ、と。桃娘のまっすぐな心の軌道を、変えさせる。歪めるのでも曲げるのでもなく、向きを変えさせたんだ。

 だって、漢への抜け道を教えるなら、韓信に直接言ってもいいんだもの。このままここにいたら殺される、この地図の通りに漢へ逃げろと。なにも桃娘に託す必要はない。
 桃娘を救うために、わざとやったんだよね、張良。

 だからこそ余計に、「張良は、衛布と桃娘の関係を知っていた」と思う。
 黙って見て見ぬフリして、そして、さっと助ける。……すごいな。

 で、なにがすごいって、優しい行いのはずなのに、やっぱり悪だくみしているよーにしか見えないことでしょう、良ちゃんってば(笑)。
 
  
 桃娘が衛布を殺してしまったのは、突発事項。さすがの張良先生も、これは計算していないと思う。

 桃娘が韓信と駆け落ち(笑)したとなると、残された衛布はどう思っただろう。
 そして張良は、そんな衛布をどうさばくつもりだったんだろう。なにかしら算段はあったんだろうし。

 衛布VS張良。
 見てみたかったな。
 我らが張良様@まっつの偉業は数しれない。
 しかし、彼の最大の功績は。

 項羽の最期の言葉を意訳したことぢゃね?(笑)


「それで、覇王の最期の言葉は?」(無表情)
「いや、それがその……『漢王に伝えて欲しい。♪誰もナニも信じられないこの世界だからこそ…』」(朗々と歌い出すふみか武将)
「…………」(無表情)
「そこで遠い目をして、『虞よ、待たせたな。アナタと共に』で、また歌って『シアワセに生ーきーたーとぉお♪』」(朗々と歌う)
「…………」(無表情)
「えーと。どうしましょうか。虞って、虞美人のことですよね? 漢王に伝えるんですか? 『私は虞と共にシアワセに生きました』って」
「…………」(無表情、あ、でもなんか、こめかみに筋が)
「てゆーかなんで最期にわざわざのろけを? 死の淵で伝えなければならないよーなことだったんですか? ……はっ。まさかコレは、痴話喧嘩?! 女が自分を捨てた男に対し、『アタシはアンタ以外の恋人とシアワセに生きたんだからねっ。別にアンタのせいで自殺するんじゃないんだからねっ。あーアタシはシアワセだったわ!!』」(声色を使うふみか)
「…………」(無表情、でも、こめかみに筋が……)
「痴話喧嘩じゃないとしたら、意識錯乱? 漢王に伝えよって言いながら、もう自分がナニ言ってるのかわかってない? たしかにお花畑な感じにイッちゃってて……うわ、こりゃダメだ、みたいな」
「…………」(無表情。でも、たしかにこめかみに筋がっ)
「どうします、他ならぬ覇王じきじきの、最期の言葉ですから、そのまま伝えないといけないんでしょうか……」
「…………今後、覇王の最期に関しては、一切他言せぬように」(無表情。力強く、無表情っ)

「覇王の最期の言葉が届いております。いわく、

『武人として、シアワセに生きた』

 と!!(意訳!!)」

 劉邦、感激! ザッツ美談!!  超訳っつか、ほとんど捏造の域っ!! さすが空気を読める男、張良グッジョブ!!(笑)
 
 最後に張良の美声が響くのがたまりません。そうだよな、ここは是非にまっつの声だよな。「あなたこそ、チュシンの王!」だよな(笑)。

 いやあ、項羽の最期の言葉をそのまま伝えたら、みなさんぽかーんになるよなあ。それをいいよーに意訳して場を盛り上げた張良先生はほんとに優秀な軍師だと思いまっつ。
 張良はそうやって脚本を書いてるんだよね。「覇王は暗殺されるべきではない」とか言って、自分のイメージする通りに歴史を動かしていく。

 実は、ロマンチストなんじゃね?

 歴史に……人間の生き方に、ロマンを求めている。美しさや、清冽さを求めている。
 それを叶えるために、人の情を捨てたり、自分の感情すら踏みにじったりする。……本末転倒している気がしないでもないが、そーゆーままならないところを持つのが、この天才軍師の魅力なんだろう。

 誰よりも夢見がちだからこそ、リアリストである、みたいな。
 誰よりも情深いからこそ、冷酷である、みたいな。

 キムシン作品は基本アテ書き、キャラ物だから。ストーリーがどうとかよりも、キャラを愉しむモノだから。(例・「『王家に捧ぐ歌』ってそんなに名作だっけか?」「だって主要3人のキャラがハマり過ぎてたしさー」「ああ、それでなんか名作っぽくなってる?」)
 

 張良さんのキャラ立ちっぷりは、たのしくてなりません。
 こんな性格です、と説明されるのではなく、その言動でわかる「張良先生ってどんな人?」。

 その張良先生がもっともアクティヴで、なにかとたのしい鴻門の会。
 劉邦様@壮くんを逃がすために、助けるために、守るために、張良さん大活躍!

 ここでのひそかな楽しみは、まっつVSしゅん様!!

 ハンゾー先生@はっちさんから、劉邦暗殺を命じられる項荘@しゅん様。剣舞にかこつけて、劉邦様に襲いかかる!
 これをさせまいとする張良。
 良ちゃんは剣を握ることもないし、「剣舞なら私だって♪」と腕まくりしてまざることもない。彼の戦いは頭脳戦。プラス、舌戦。後宮の美女たちを舞い踊らせたりして場を混乱させ、劉邦にバリアー(笑)を張る。

 このどさくさまぎれの大混乱の中、睨み合う張良と項荘。この場での直接の敵はお互いであることを理解し、威嚇し合っている。
 ああ、なんてうひゃっほうな画面(笑)。

 項荘は武官だ。張良を斬り捨てることなんか造作ない。許可が下りないから威嚇だけになっているわけで、ほんっと彼のキモチひとつで今、張良を殺せるんだよね。
 丸腰でありながら太刀を手にした男と睨み合う張良の、きつい視線。
 一刀のもとに絶命させられそうな間合いで、一歩も引くことなく睨み合うんですよ?

 かっこいい。
 ここの張良さん、すげーかっこいい。
 漢ですよ彼は。

 誰よりも(剣舞披露中の「子猫ちゃん」よりも)ちっこくて華奢なくせにね(笑)。

 劉邦を無事逃がしたあとの嘘臭い「項羽様@まとぶん万歳姿勢」もステキ。あのわざとらしい喋り、畏まりぶり。

 ちゃっかり上座をせしめ、ちゃっかりハンゾー先生の留守をせしめてしまうのも、素晴らしい。ハンゾー先生絶句。

 鴻門の会は隅から隅までおもしろいなあほんと。


 2幕最初は、そのハンゾー先生の留守を預かり、項羽のもとにいる。
 張良さんの項羽様への態度はイイよね、慇懃無礼を絵に描いたようで。
 こいつ絶対、心から思ってねえ。ということがわかる、冷風が吹くよーな敬いっぷり。
「お前は私を覇王と呼ぶのか」
「世に並ぶもののない方ゆえ」
 このやりとりの嘘臭さが、たまらない(笑)。

 張良は項羽の才能を認めている。だから、張良が「覇王」と呼ぶことに偽りはない。でも彼はきっと付け加えている、心の中で。「今だけの、覇王」と。

 対項羽の、張良の立ち位置、感情はとても興味深い。
 一貫して慇懃無礼、上っ面だけの服従、敬服。衛布@みつるよりも、赤裸々。……ここまで露骨で、なんで項羽は気づかないんだ、みたいな。や、これは物語をわかりやすくするために、大袈裟にやっている結果だろうけれど。

 項羽の項羽らしいところを見るにつれ、いちいち劉邦を思い出していたのかな。比べていたのかな。
 心の中で「今だけの、覇王」と付け加え、さらに「いずれ私の劉邦が、真の王になる」と続けているのか。

 張良にとって、劉邦は最初から所有格だったと思う。
 なんせ自分で選んだのだから。
 ハンゾー先生に「項羽側につかないか」と誘われたのに、きっぱり断って劉邦を選んでいる。
 だから最初から、「私の選んだ王」「私の劉邦」。

 項羽への冷たい態度は全部、項羽の才能を認めるがゆえ、加えて劉邦へのキモチの裏返し。

 けっこー一途じゃないですか。健気ぢゃないですか(笑)。たとえアクセントが「私の、選んだ王」「私、の劉邦」と「私」にあったとしても。
 「英雄は英雄にしか見出せない」、劉邦を高めることがすなわち自分を高めることであったにしろ。

 まったく、いいキャラだ。
 劉邦@壮くんにとっての戚@れみちゃんってナニか。

 ……まだ続いています、『虞美人』、劉邦の病みっぷり語り(笑)。

 「誰からも愛されていない」……そう気づいて泣く劉邦は、絶望の中で項羽@まとぶんを思う。わざわざ項羽の名前を出しているから、ほんとに「愛」ときて項羽なんだなこれが。

 項羽には、虞美人@彩音ちゃんがいる。
 項羽は虞を愛し、虞もまた項羽を愛している。

 命も意味も知らず、小鳥の羽をもいで遊んでいた劉邦は、項羽によって命を知った。
 ちやほやするばかりで劉邦の心なんて顧みもしない人々の中、本気で劉邦に対して怒り、叱りとばしてくれた項羽。
 劉邦にとって、項羽だけがこの現実でリアルなものとして、存在した。

 その項羽が愛している、虞美人。
 項羽にあって、自分にないモノ、それが虞美人。

 生まれたばかりで空っぽの劉邦が項羽になるためには、項羽が持っているモノが、劉邦にも必要だ。
 それが、虞美人。
 心から愛する、女性。

 その事実に気づいた劉邦の前に、戚が現れた。
 心優しい、美しい娘。

 Boy Meets Girl.これぞ運命。

 空っぽの劉邦は、全霊で戚を求めた。愛した。
 彼が、人間になるために。「項羽」になるために。

 
 さて、ここにもうひとり、愉快な人がいる。
 軍師・張良@まっつ。
 劉邦を利用する人々のひとり。

 劉邦が変わると同時に、張良も変わっているんだ。

 劉邦が子どもの無邪気さで楽しそうに裏切りと戦争にあけくれているときはそれなりにやわらかい態度で接していたが、いざ生身の人間として生まれ直した途端、態度が豹変している。

「覇王に勝ちたいか」
 と豪華で渋い金色のお衣装に着替え、髪に金冠まで付けて再登場する張良先生は、とても傲慢かつ威圧的。

 手段を選ばずに勝つ、カラダの傷よりも痛い、心の傷も増える……そうわざわざ忠告する。

 あのー、今までもさんざん酷いことばっかやって来てますよね、あなたたち。
 「戦わず、脅して勝つ!」とか、端で聞いていて「ヲイ、それってどうよ?!」なことを、とっても陽気に気軽にやってきましたよね、張良先生と劉邦さん。
 今までも十分酷いのに、今さら「これから酷いことするよ、心が痛むよ」と言われても……。

 張良先生はやっぱ、わかってるんだろうなあ。
 劉邦という人間を。

 無知な子どもだったために、どんな残酷なことも笑って行うことができた。それが、ついに大人になってしまった、自分の行いの意味も責任も理解している、理解できるようになってしまった……という、劉邦の変化を。

 だからこそ、「大人」の劉邦に対しての言葉なんだ。「手を、心を汚す覚悟はあるのか」という。

 劉邦が子どものままの方が、張良には都合が良かったんだろうな。利用する分にも、かわいがる分にも。

 張良先生も、彼なりに劉邦のことは好きだったと思うので。
 ちょっと目を離した隙に調子こいて大敗して、しかもいらん知恵ついて大人になってるんだもん、先生もショックだったろう(笑)。

 劉邦の最大の才能は、他人の痛みを理解しない、子どもゆえの無知と無邪気さ。天使であるがゆえの、恐いモノ知らずの大らかさ。
 なのに、知恵がついて常識とか限界とか知っちゃったら、困る。大人は、やる前にそれが自分に出来るかどうか考えちゃうからね。子どもみたいに考える前に飛び出したりしない。

 それで作戦変更、今までみたいにライバルの范増先生@はっちさんと頭脳戦やってる場合じゃない、ってことで、范増先生を排除する作戦に出る。(そのことで張良自身が傷つき、その後心を閉ざすことになるわけだな)

 
 心が病んでいる、コワレている劉邦は、項羽のおかげで「人間」になった。まともな心を取り戻した。
 だからこそ、項羽と戦い、滅ぼすしかなかった。

 優れているのは項羽だけど、どんな手を使っても、劉邦が勝たなければならなかった。そうでなければ、劉邦は生きていけない。
 生まれてしまった以上、殻を破って世界へ出なければならない。

 劉邦の誰も愛していない病みっぷりが愉快だった。それが、誰からも愛されていない、自分は無知な子どもだったと気づいたあとの、コンプレックスまみれの「人間」っぷりがすごい。
 「私も龍」と「東へ」と、きらきら野望ソングを歌っていた人とは思えない、引っかかり。
 挫折専科の壮くんらしく(笑)、翼を持たない、天使ではない、ただの「人間」としての苦悩。

 天下を治め、天子となったあとも。
 死の間際まで。

 劉邦は己れの現実と戦うことになる。

 あんなに無邪気に、きらきらしていたのにね。

 
 劉邦が生まれ直す……羽を失い、ただの人間となった直接の原因が、項羽。
 劉邦がただひとり愛した相手。

 劉邦は誰も愛していなかったと思う。ついでに、誰も憎んでなかったと思う。愛と憎の人・項羽とは対照的に。
 項羽は虞姫を愛し、また劉邦に一目惚れし(笑)、愛情深い分憎しみも深く激しい人だった。
 項羽の劉邦への爆裂片想いはとても愉快で、切ないものだった。劉邦が人間の気持ちなんかまったく理解しない、そーゆー次元に生きていない分、さらに。

 そんな劉邦が、項羽に現実を突きつけられてから、ふつーに人間として生まれ直して。わたしたちと同じ次元に羽を失って堕ちてきて。
 そのあとはいろいろ愛も憎もあったと思うよ。彼はただの人間になったのだから。
 その上での、物語冒頭の臨終場面なんだと思う。

 だからこそ、死の間際まで思い続けた、死の瞬間思い起こす相手だったんだ。
 劉邦にとっての、項羽。

 項羽がどれほど虞美人を愛していたか、彼女を必要としていたか知っていたから、項羽と虞姫が再会する場面を夢に見る。
 それこそが、劉邦の……罪にまみれた劉邦の、贖罪……魂が救われる場面なんだ。

 
 項羽と劉邦。加えて、張良。
 この3人の愛憎関係、ハンパねぇと思います(笑)。じっくりねっとり、長編愛憎小説書きたいくらいっす(笑)。
 『虞美人』の劉邦@壮くんが歪んでいてコワイと書いた。
 無邪気に笑いながら、慕いながらも、項羽@まとぶを殺すことしか考えていない。
 彼が陽気でかわいい男であればあるほど、不気味さが増す。心の病みっぷりに戦慄する。
 項羽を「義兄弟」と愛することと、項羽を殺して自分が天下を取ること。相反する行為なのに、劉邦はそれをあったりまえにひとつの心の中で同時に存在させている。
 よくある、「愛するからこそ、この手で殺したい」とか、「偉大なライバルだからこそ倒したい(勝つこと、殺すことが敬意)」とかですらない。
 そういう意味でのこだわりや意欲を語る場面はない。
 あるのは、義兄弟と慕う場面と、楚を討つためにきらきら野心を語る場面。

 とても少年マンガ的なんだと思う。
 これがスポーツマンガなら、なんの違和感もない。弱小チームのキャプテン・劉邦が「前回の優勝校・楚に勝つぞぉ、項羽に勝つぞぉ。オレたちが優勝するんだー!」とキラキラしているならば。
 試合で勝つことは、ただ勝つことでしかない。項羽を好きなことと、試合に勝つことは同時に存在していても不思議はない。

 しかしコレ、戦争だから。

 敗北者は一族郎党まで皆殺し必須の国の戦争ですから。
 少年マンガと同じノリのライバル観ってどうなのキムシン?!

 劉邦がコワレてるのは、作者のせいだと思います(笑)。

 しかし、そのおかげで劉邦がひどく愉快なキャラクタになっていることは事実。病んだ人、大好物ですから!(笑)

 劉邦は子どもなのかなと思う。
 お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んで「動かなくなっちゃった」と泣く幼児。や、アンタそれ自分で殺したんだから! それをすることで相手を傷つけるとか殺してしまうとか、理解していない。
 だから項羽に勝つ、楚を攻めるということが、項羽を殺すことだと理解していない。ただ、項羽と遊ぶことがたのしくて仕方ない。

 命、を、理解していない。

 劉邦は、お気に入りの小鳥の羽をもいで遊んでいるところ。それによって小鳥が死んでしまうなんて、死というものがナニかなんて、根本から理解していない。そんなものがあるということすら理解していない。
 ただ、自分が楽しいからやっている。欲しいからやっている。呂ママも「欲しいなら奪いなさい、アナタはそうしていいのよ。だってアナタは天からソレを許された龍なんだから」と言っている。そんな育てられ方をした、不幸な子ども。

 劉邦に、項羽と同じように、天分の才、羽があったとしたら、それはこの心の歪みっぷりだろう。命を理解せず、無邪気に天使のように命を弄ぶことが出来る。
 悪い、という意識がないので、迷いなくこだわりなく、天真爛漫に戦える。どんな残酷なことでも平気で出来る。
 子どもだから、素直に人の言うことを良く聞く。呂@じゅりあとか、張良@まっつとか。

 天使であるがゆえ、命だとか痛みだとかを理解しないがゆえにのびのびと恐れ知らずに生きてきた劉邦。

 彼が翼を失ったのは、命、を知ったとき。

 義兄弟の項羽を裏切り、調子こいて攻めまくった挙げ句、怒りの項羽にばっさりやられ、命からがら逃げ出したとき。
 自分の命が危なくなってはじめて、劉邦は命がなんたるかを知った。

 羽をもいで遊んだら、鳥は死んじゃうんだよ。死んじゃった鳥は、もう二度と動かないんだよ。生き返らないんだよ。

 今まで誰も劉邦を叱らなかった。羽をもいだら鳥が痛いなんて死んじゃうなんて、誰も教えてくれなかった。「アナタはなにをしてもいいのよ」と言われ、「劉邦サマ(はぁと)」「兄貴(はぁと)」とちやほやされるばかりで、誰も彼の言動を修正しなかった。

 それを項羽がやってのけた。
「この馬鹿野郎、卑怯なことしてんじゃねえ」と横面張り倒されて、劉邦ははじめて自分が間違っていたことを知る。(ちなみに、ヲトメ坐り)
 「私は誰も愛していない」と泣く劉邦ってさ、よーするに、「私は誰からも、愛されていない」ってことだよね。
 劉邦は愛していないのに、平気で愛してくる人々は、劉邦の心なんかどーでもいいと思っている人たちだ。
 本当の心がどこにあるかに興味のない人々しかいないんだ。劉邦の周りには。
 劉邦が意味もわからず小鳥の羽をもいで笑っていても、叱ってもくれない、劉邦の才能を利用することしかしない人たちだ。

 項羽に叱られて、はじめて知る。
 自分が、はだかの王様だと。
 自分を利用する人々に担ぎ上げられ、無知なまま笑っていた。無知なまま、その手を血で染めていた。
 命の意味も知らず。

 劉邦は、生まれ直した。
 傷つけられたら痛いとか、死んだらもう生き返らないとか、そんな当たり前のことを知った。

 その上で。

 彼は、項羽の死を願う。

 今まではゲーム感覚で項羽に勝つことを考えていた。スポーツマンガのように、勝ったり負けたりしながら友情するアレ。
 でも、現実はそうじゃない。彼らがやっているのは戦争だ。かかっているのは命だ。

 劉邦に真実を教えたのは項羽。現実を見せたのは項羽。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならない。
 雛が殻を割って生まれるように、劉邦は項羽を殺さなければ、生まれられない。

 命の意味を知らなかった劉邦は、ある意味天使で、羽のある存在だった。
 だが、その羽はもぎ取られた。項羽によって。
 劉邦はただの人間だった。

 項羽が都を留守にした間に兵を挙げた劉邦は、韓信@みわっちに「項羽には騙し討ちと思われているだろう」と言われ、「えっ、そんな?!」と驚いているくらい、自分のやっていることを理解していなかった。
 彼がやっているのは戦争で、楚に対して兵を挙げるというのがどういうことか、ほんっとーに、わかっていなかったんだ。項羽が怒ることすら、わかってなかったんじゃね?
 挙兵予定を語るとき、とっても無邪気にキラキラしていたもの。

 そんな劉邦だもの、講和のあと張良に「背後から追撃しろ」と言われ、あそこまで苦悩し、慟哭するのはおかしい。
 もともと項羽を裏切って、背後から騙し討ちで挙兵した男が、今さらなんで悩む必要がある? 恭順の証に橋を焼いて見せて、それでもこうやって挙兵したくせに。今まで散々裏切りまくり、ひでーことばっかやりまくりだったくせに、何故今回だけ苦しむ?

 劉邦が、変わったから。
 翼のあった、天使の劉邦じゃない。痛みも死も知らない子どもの劉邦じゃない。
 ただの人間になった劉邦だから。
 人間として、項羽を愛している劉邦だから。誰も愛してくれない中で、ただひとり、劉邦を叱りとばし、何度劉邦が裏切ろうと、許し、信じようとしてくれる項羽だからこそ、愛し……殺したいと、願った。
 今回だけは明確な殺意を持って挙兵し、その上で、講和に応じた。
 それを裏切れと言われたから、苦悩したんだ。

 それまでの劉邦だったら、悩むことなく「ソレ名案♪」と後ろから項羽に襲いかかったろう。小鳥の羽をもいで遊んでいた劉邦なら。

 劉邦は項羽によって、翼を失った。項羽に、ただの人間にされた。……もともと、その程度の器であったにしろ、思い知らされた。
 だから劉邦は、項羽を殺さなければならなかった。

 劉邦として、ひとりの人間として、生きるために。
 愛する者を手に掛けることで、知らなければならない。彼がずっと知らずにいた、「命」というものを。
 未だに、心は『虞美人』です。

 項羽@まとぶんが好き。彼の不器用で苛烈な生き方が好き。

 でもって。
 思うんだ。

 劉邦って、どうよ?

 融通の利かない項羽に対し、人を活かすことを知っていた劉邦@壮くんは結果として天下を手に入れる、わけだが。
 前にも書いたように、現実に項羽と劉邦がいたら、わたしは項羽にはこわくて近寄れない。無能だから絶対切り捨てられる。でも劉邦なら、こんなわたしにも居場所をくれそうな気がする。
 劉邦に人気があって、項羽が滅んだのもわかる。

 が。
 そーゆー話ではなくて。
 
 わたしは、劉邦の無邪気さが、こわい。

 「私は誰も愛していない」と泣き崩れる劉邦だが、わたしとしてはそれ以前のところで「オマエ、こわいよ」と思う。

 衛布@みつるという男がいる。彼は野心家で、自分こそが天下を取る器だと思っている。
 会稽の太守・殷通@めぐむの部下だが、上役に対してなんの思い入れもない。いずれオレが取って代わる、程度にしか思っていない。……ので、殷通が殺されても平気。太守の仇を討つどころか、早々に敵に寝返る。

 この衛布と、劉邦にどれほどのちがいがあるのか。
 野心と敵愾心を顕わにしている分、衛布の方が健康だ。

 劉邦はただの一度も項羽を愛していない。
 なのに、なーんも考えずに、義兄弟の契りを結ぶ。

 男にとっては一夜限りの遊びだった。だが、女は運命だと思った。……てなぐらいの、温度差。

 義兄弟だからと項羽は劉邦を許し続けるけれど、劉邦はそんなことは頓着なく、項羽を殺すことしか考えていない。

 「私も龍」と歌って楚の軍に加わるときも「項羽は当分は味方」と、言下に「いずれ殺すけどね」と匂わす。
 先に咸陽に入れば、項羽のことなんか関係なく門を閉ざす。
 僻地とはいえ領地を与えられて漢王となったあとも、とってもナチュラルに「楚を攻める日は近い」と兵隊の訓練にいそしみ、懐王を弔うという大義名分を得て兵を挙げる。
 項羽が都を不在にすると、ここぞとばかりに進軍。

 終始一貫彼は、項羽を敵とし、殺してその地位を奪うことしか考えていない。

 なのに彼は、とても善良そうに見える。項羽との間に友情があるようにさえ見える。
 陰でいじめグループを指揮しながら、当人の前では「オレたち親友だろ!」とにっこり微笑んでいるくらい、やっていることに裏表がありすぎる。

 でもって、この親友ぶって陰でいじめ、てのは衛布がやっていること止まりで、劉邦はさらにものすごいことに、悪意がないんだわ。
 自分でこっそり友だちの上靴を焼却炉に放り込んでおきながら、「上靴がない? ひどいな、オレも一緒に探すよ」と、心から親切で言って、一緒に探してやるのよ。自分がそのひどいことをしているんだという、自覚がないの。

 こーわーいー。

 義兄弟だ、と無邪気に言いながら、その同じクチで楚を攻める話をする。戦争を吹っ掛けるってことは、項羽を殺すことなんだけど、そのへんは気にしてない。

 項羽は義兄弟である劉邦を、自分から攻めたりしない。いつもいつも、劉邦が攻め、項羽が怒る。で、項羽の方が強いから、劉邦が「ごめんなさい」して許してもらう。

 項羽は「私には羽がある」と英雄ソングを歌う。劉邦は「東へ」と英雄ソングを歌う。
 だが、項羽は野心を歌うことで誰も裏切らないが、劉邦は「項羽を殺すぜ! ヤツを殺してオレが上に立つぜ!」と歌っている。西の地へ追いやられた劉邦は、東へ攻め入る予定だからだ。

 「義兄弟」でなければ、べつにそれでいいんだけど。衛布がどんだけ野心を持っても健康であったように。
 項羽個人を慕っているようなのに、それと同じハートで項羽を殺すことをにこやかに歌う劉邦の、病みっぷりがこわい。

 項羽への好意と、項羽を殺して天下を取ることは、劉邦の中で別物になっている模様。
 ……ふつうは、葛藤とかわだかまりとか、ありそーなもんだがね。劉邦にはそういう「闇」の部分がない。いつもからっと明るい。

 という、闇。

 鴻門の会で范増先生@はっちさんに命を狙われてなお、「まだ義兄弟に別れを告げていない」と言い募るあたり、ほんとに項羽のこと、素で好意を持ってるんだよね。
 そんな相手を殺すことしか考えていない、それを変だと思わないって、どんだけコワレてるんだ、劉邦。

 そんな人だからこそ、「私は誰も愛していない」になるわけだな。
 愛せるわけないじゃん。アンタ、人としておかしいよ。

 ……されど、人としておかしい人こそが、天下を取ることが出来るんだろう。
 ふつーの神経持ってたら、裏切り続け利用し続け、血で血を洗って屍の山の上に国を作ろうなんて思わないって。

 
 とはいえ、このこわさは、ひとえに演じているのが壮くんだからだと思う。

 壮くんの得難い才能なんだ。
 彼の光には、影がない。
 どんな光にも、影はできる。物理的にいって。
 しかし、壮一帆の輝きには、そんなもんが存在しないのだ。

 そんな壮くんがあっけらかんと突き抜けた明るさで演じるから、劉邦はあんなに可愛らしく、魅力的な人物になっている。
 それと同時に、いびつで、キモチワルイ人間になっている。

 や、1回観る分には、劉邦の闇は見えないというか、気にならないんだけど。だって劉邦、可愛いんだもん。
 繰り返し観ていると、誠実そうにきらきら笑いながら、めちゃくちゃダークな言動しかしていないことに、背筋が寒くなっていって。

 もっと深刻な持ち味の人が演じたら、屈折や裏が感じられるキャラになるんだろうけど、なにしろ壮くんだから。
 ぴかーっ、とか、てかーっ、という明るさゆえに、やってることのひどさが伝わりにくい。ふたつが乖離しまくり、とても病み&闇が広がっている。

 大好きだ、劉邦。

 こんな無邪気さがコワイ人、愛さずにはいられません。
 歪んだ人は大好物だ。

 いずれ楚軍と戦う、と英雄みたいに語っている漢王サマのキラキラぶりに心奮える。「義兄弟を殺すよ~♪(笑顔)」って言ってるんだよねー。項羽は劉邦を傷つけることなんか、一度も考えてないのに。劉邦ってば項羽を殺すことしか考えてない、なのに項羽のことはふつーに好きで義兄弟だと思ってるんだよー。すげーすげー。

 悪意なんかないから、項羽に「義兄弟を裏切るなんて、酷い奴だ」と責められたら、「ごめん、オレが悪かった」って心から謝るんだぜえ。
 劉邦はナチュラル・ボーン、いつだって誠実なの。二心なんてないの。

 劉邦がきらきらと無邪気に美しければ美しいほど、心奮えます、彼への愛しさがつのります(笑)。 

 ……項羽ってばほんとに不幸。なんでこんな病んだ男を愛したんだか(笑)。

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