個性イロイロ花イロイロ、未来に期待。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年3月1日 タカラヅカ 『第95期宝塚音楽学校文化祭』感想、ええっとこれで4回目? 芝居感想の続き。
「稽古場モノ」で出演者全員に台詞と見せ場を! というコンセプトの芝居なので、特に「主役」は決まっていないと思う。
それでも娘役の主役ポジションは、最初のひとり芝居の子だろうし、男役は犯人役の子だろうと思う。他の役に比べ、あきらかに「芝居」としての比重が高いので。
でもってこの、犯人役の男の子。
「ディーン」の子だああっ。
間違えようがない、個性的な顔立ち(笑)。
キャスト全員が去ったあと舞台でひとり佇み、振り返りで歌い出す、という「トップスター仕様」でソロを歌った男役。
ほんと優秀な子なんだね。メドレーでソロもらって、他の歌でもいいポジで歌って、さらに演劇の主役って。
あとから知ったが、有名人の娘さんらしい。
そっかぁ、いろいろ兼ね備えているのはいいねえ……えっと、その、美貌以外?
や、顔はこれからきれいになればいいんだし。ジェンヌは舞台で経験積むとみんなきれいにあか抜けていくし。
美人さんの多いこの95期で、チガウ意味で目立つこのディーンくんは、なかなかどーして思い切りのイイ芝居をする人でした。
たしかに、美形とは言い難い顔立ちだ。
でもそこに、とびきり濃い、てらいのない表情を浮かべる。
てゆーか、ここまでカオ崩していいの?!と、ジェンヌ人生の未来を心配してしまうくらい、本気ですごい表情をする。
手配書のイラストは、12時チーム、16時チーム共通なの? 12時チームのディーンくんそっくりだったんですが(笑)。16時チームは首席の美形くんが犯人役だよね?
すごい形相の手配書イラストと、同じ表情をするディーンくんが、すごい(笑)。16時の美形犯人も同じ表情をしたんだろうか……?
ディーンくんの芝居の良さで、全体的に成長の遅い男役たちをなんとかまとめていた感じ。
娘役では、レポーター役の女の子が、やたらめったら巧かった。正塚文化祭芝居定番のお騒がせ女だけど、いつもすごく巧い子がやるよねえ?
クラシック・ヴォーカルのソロ歌った子であってる? 声も整っていて、聴きやすかった。
芝居の配役表が意味を成さなくてがっかり、したまま、最後は第3部のダンス・コンサート。
ダンスはこれまた文化祭の特徴であるが、男役が男役でいられない。「踊ること」が中心だから、そこに男役スキルを載せるのが難しいのな。
ダンス自体はきっとみんなうまいんだろうけど、「タカラヅカ」ではないという……や、この子たちが入団して経験を積んで「タカラヅカ」になっていくんだ。
性別分化前の若者たちをたのしむ。
そんななか、クラシック・ヴォーカルのソロを歌った長身の男役が現れたとき、すげーほっとした。
女子校の文化祭テイストの「男装した女の子」たちの中、この長身くんは「男役」らしいんだよね。タカラヅカの。
ああ、この子はタカラヅカだ、と、なんかすごくほっとした。
この子はわたしが見た12時の芝居には出ていないんだ。たぶん、マスター役だったのに。あああ、この子の芝居しているところを見てみたかったよ。
他にも、「お化粧失敗してるけど、小顔でスタイルよくきれい、きっと美形なはず!(りせとかゆかり系のカオじゃん!)」な子とか、「なんかそらくん系目ヂカラ美形がいますよ!」とか「本名が某ハナフサマリ様で、舞台でとてもきれいな男役」とか、「首席で有名人の娘さんで美形の彼」とか、まっつ似の小柄くんとか、とにかくみんなみんな16時の部なんだよな、芝居。
彼らの演技しているとこ、見てみたかった……。しょぼん。
芝居に出ていないと、ダンスですごくひさしぶりに見た気になる。
されどダンスはとにかく大勢でわーーっと出てきて、わーーっと踊って、わーーっと去っていくので、個別認識しにくい。
じっとしていないから、カオなんかじっくり見ている場合じゃない(笑)。
そんななか、やっぱり前述の長身くんは目に付く。ダンスの実力は知らないが、「男役」らしい彼の存在は、心地よく目に映るんだよな。
去年の文化祭で、ソフトスーツの着こなしの汚さにアゴを落とした記憶があるんで(誰がではなく、全体に)、文化祭ってのはそーゆーもんだと覚悟して見ていたんだが、絶句するほど汚い着方はしてなかったので、胸を撫で下ろした。
やっぱ去年は衣装が良くなかったのかな。あのライトカラーのソフトスーツをきれいに着て、さらに踊りまくるのはスキルが必要だったんだよ。ひよっこたちに着せていい衣装じゃなかったんだろうな。
95期生たちはスーツもかっこよく着ていました。
ダンスの目玉、今年は「ダッタン人の踊り」? ストーリーのある場面として、それぞれ役の衣装を付けて踊り、見応えがあった。
主役の美形くんが首席の彼だが、うーん、わたしの記憶にはあまり残っていない。
ジャズダンス、バレエ、モダン・バレエ、モダン・ダンスが入れ替わり立ち替わり、そして最後はお約束のタップ・ダンスで発散して幕!
3部のダンス・コンサートはほんとたのしい。
洋楽ヴォーカル入り曲では、まるで歌っているかのようなパフォーマンス有りで、耳に安心(笑)、目に楽しい。
もっと見ていたいが、踊っている彼らは限界ぎりぎりの運動量なんだろうなあ。若いって素晴らしい。
95周年に初舞台を踏む彼ら。
タカラヅカはどんどん変わっていき、明日の保証なんかなんにもないけれど、「清く正しく美しく」過去と未来をつなげていって欲しいと、心から思う。
みんなみんな、がんばってくれ。
まったり見守っていくよ。
で。
家に帰ってから、「そうだ、たしか『学校へ行こう』に出てたあたりが、今回の文化祭出演学年ぢゃね?」と気づいて、昔のDVDデータを引っ張り出してみた。
うわ。
ヴォーカルソロの長身男役くん、まさにその『学校へ行こう』で受験していた高校3年がけっぷち組の子だ。カラダが堅くて苦しんでいるところしか映ってないから、身長だけで合格した技術の低い子かと勝手に思っていたけど……なんだよ、実力者じゃん!! ごめんよぅ。
ソロを歌っていなくても、とにかく目に付く「男役」としてのスキルのある子。
たのしみだなー。
んで。
ついでに、スカステの古いニュースも引っ張り出してみた。
まっつ似の彼とか、あの濃い顔の美形くんとか、入学当時はどんなもんだろ、と。
濃い顔の彼、名前の読み方が独特で巻き戻しして2回聞いちゃったよ。あの漢字で「レイ」って読むの?? そう呼ばれていたよーな……。いやたしかに英語でその漢字はレイだけどさ……?
そしてまっつの似の彼。
娘役で、びびった。
て、転向したのか、娘から男に??
「稽古場モノ」で出演者全員に台詞と見せ場を! というコンセプトの芝居なので、特に「主役」は決まっていないと思う。
それでも娘役の主役ポジションは、最初のひとり芝居の子だろうし、男役は犯人役の子だろうと思う。他の役に比べ、あきらかに「芝居」としての比重が高いので。
でもってこの、犯人役の男の子。
「ディーン」の子だああっ。
間違えようがない、個性的な顔立ち(笑)。
キャスト全員が去ったあと舞台でひとり佇み、振り返りで歌い出す、という「トップスター仕様」でソロを歌った男役。
ほんと優秀な子なんだね。メドレーでソロもらって、他の歌でもいいポジで歌って、さらに演劇の主役って。
あとから知ったが、有名人の娘さんらしい。
そっかぁ、いろいろ兼ね備えているのはいいねえ……えっと、その、美貌以外?
や、顔はこれからきれいになればいいんだし。ジェンヌは舞台で経験積むとみんなきれいにあか抜けていくし。
美人さんの多いこの95期で、チガウ意味で目立つこのディーンくんは、なかなかどーして思い切りのイイ芝居をする人でした。
たしかに、美形とは言い難い顔立ちだ。
でもそこに、とびきり濃い、てらいのない表情を浮かべる。
てゆーか、ここまでカオ崩していいの?!と、ジェンヌ人生の未来を心配してしまうくらい、本気ですごい表情をする。
手配書のイラストは、12時チーム、16時チーム共通なの? 12時チームのディーンくんそっくりだったんですが(笑)。16時チームは首席の美形くんが犯人役だよね?
すごい形相の手配書イラストと、同じ表情をするディーンくんが、すごい(笑)。16時の美形犯人も同じ表情をしたんだろうか……?
ディーンくんの芝居の良さで、全体的に成長の遅い男役たちをなんとかまとめていた感じ。
娘役では、レポーター役の女の子が、やたらめったら巧かった。正塚文化祭芝居定番のお騒がせ女だけど、いつもすごく巧い子がやるよねえ?
クラシック・ヴォーカルのソロ歌った子であってる? 声も整っていて、聴きやすかった。
芝居の配役表が意味を成さなくてがっかり、したまま、最後は第3部のダンス・コンサート。
ダンスはこれまた文化祭の特徴であるが、男役が男役でいられない。「踊ること」が中心だから、そこに男役スキルを載せるのが難しいのな。
ダンス自体はきっとみんなうまいんだろうけど、「タカラヅカ」ではないという……や、この子たちが入団して経験を積んで「タカラヅカ」になっていくんだ。
性別分化前の若者たちをたのしむ。
そんななか、クラシック・ヴォーカルのソロを歌った長身の男役が現れたとき、すげーほっとした。
女子校の文化祭テイストの「男装した女の子」たちの中、この長身くんは「男役」らしいんだよね。タカラヅカの。
ああ、この子はタカラヅカだ、と、なんかすごくほっとした。
この子はわたしが見た12時の芝居には出ていないんだ。たぶん、マスター役だったのに。あああ、この子の芝居しているところを見てみたかったよ。
他にも、「お化粧失敗してるけど、小顔でスタイルよくきれい、きっと美形なはず!(りせとかゆかり系のカオじゃん!)」な子とか、「なんかそらくん系目ヂカラ美形がいますよ!」とか「本名が某ハナフサマリ様で、舞台でとてもきれいな男役」とか、「首席で有名人の娘さんで美形の彼」とか、まっつ似の小柄くんとか、とにかくみんなみんな16時の部なんだよな、芝居。
彼らの演技しているとこ、見てみたかった……。しょぼん。
芝居に出ていないと、ダンスですごくひさしぶりに見た気になる。
されどダンスはとにかく大勢でわーーっと出てきて、わーーっと踊って、わーーっと去っていくので、個別認識しにくい。
じっとしていないから、カオなんかじっくり見ている場合じゃない(笑)。
そんななか、やっぱり前述の長身くんは目に付く。ダンスの実力は知らないが、「男役」らしい彼の存在は、心地よく目に映るんだよな。
去年の文化祭で、ソフトスーツの着こなしの汚さにアゴを落とした記憶があるんで(誰がではなく、全体に)、文化祭ってのはそーゆーもんだと覚悟して見ていたんだが、絶句するほど汚い着方はしてなかったので、胸を撫で下ろした。
やっぱ去年は衣装が良くなかったのかな。あのライトカラーのソフトスーツをきれいに着て、さらに踊りまくるのはスキルが必要だったんだよ。ひよっこたちに着せていい衣装じゃなかったんだろうな。
95期生たちはスーツもかっこよく着ていました。
ダンスの目玉、今年は「ダッタン人の踊り」? ストーリーのある場面として、それぞれ役の衣装を付けて踊り、見応えがあった。
主役の美形くんが首席の彼だが、うーん、わたしの記憶にはあまり残っていない。
ジャズダンス、バレエ、モダン・バレエ、モダン・ダンスが入れ替わり立ち替わり、そして最後はお約束のタップ・ダンスで発散して幕!
3部のダンス・コンサートはほんとたのしい。
洋楽ヴォーカル入り曲では、まるで歌っているかのようなパフォーマンス有りで、耳に安心(笑)、目に楽しい。
もっと見ていたいが、踊っている彼らは限界ぎりぎりの運動量なんだろうなあ。若いって素晴らしい。
95周年に初舞台を踏む彼ら。
タカラヅカはどんどん変わっていき、明日の保証なんかなんにもないけれど、「清く正しく美しく」過去と未来をつなげていって欲しいと、心から思う。
みんなみんな、がんばってくれ。
まったり見守っていくよ。
で。
家に帰ってから、「そうだ、たしか『学校へ行こう』に出てたあたりが、今回の文化祭出演学年ぢゃね?」と気づいて、昔のDVDデータを引っ張り出してみた。
うわ。
ヴォーカルソロの長身男役くん、まさにその『学校へ行こう』で受験していた高校3年がけっぷち組の子だ。カラダが堅くて苦しんでいるところしか映ってないから、身長だけで合格した技術の低い子かと勝手に思っていたけど……なんだよ、実力者じゃん!! ごめんよぅ。
ソロを歌っていなくても、とにかく目に付く「男役」としてのスキルのある子。
たのしみだなー。
んで。
ついでに、スカステの古いニュースも引っ張り出してみた。
まっつ似の彼とか、あの濃い顔の美形くんとか、入学当時はどんなもんだろ、と。
濃い顔の彼、名前の読み方が独特で巻き戻しして2回聞いちゃったよ。あの漢字で「レイ」って読むの?? そう呼ばれていたよーな……。いやたしかに英語でその漢字はレイだけどさ……?
そしてまっつの似の彼。
娘役で、びびった。
て、転向したのか、娘から男に??
正塚芝居は観客にやさしくない(笑)。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月28日 タカラヅカ 『第95期宝塚音楽学校文化祭』、第2部は芝居、短編ストレートプレイ。
プログラムには、出演者23名の名前が、役名と共に列記されている。
最初にプログラムを開いたときに、「うわ、今年も酷いな」とは思った。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニー……名前だけ見ても男なのか女なのかもわからない。
ただの「音の羅列」が23個。
そんなもんが載っていても、誰がどんな役なのか、さっぱりわからない。
文化祭ってのはたしかに「勉強の披露の場」ではあるわけだけど、宝塚歌劇予備軍として、お金を取って一般観客を入れているんだけどなあ。そして宝塚歌劇が作品ではなく人を、スターを観に行くカンパニーである以上、「キャストを個別認識させる」ことは、必要だと思うんだけどなあ。
配役表ではただの音の羅列でも、実際に芝居を見てみると「ああ、この名前が主役だったのね」とわかる。
少なくとも、過去3回の正塚文化祭作品ではそうだった。
作中で主要な役は何度も名前を呼ばれるからな。
プログラムを見た段階で「酷いな」と苦笑いしたけれど、そこは「見てみるまでわかんないよな」と思っていたんだよ。
が。
予想を吹っ飛ばす勢いで、酷かった(笑)。
正塚、役名表記なんとかしろ!と、大きい字で書いておく(笑)。
芝居中で、役名で呼び合うことは、一度もなかった。。
23個の音の羅列は、ほんとーにただ羅列されているだけで、なんの意味もなかったの。
舞台で芝居をしている人たちが誰なのか、どの役なのか、主役が誰なのかすら、わかんないの。
いっそ、「役名無し」で、出演者名23人書いてあるだけでヨシって感じ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーって横文字名前なのに、舞台上で実際に呼ばれた名前はイワシミズさんだけなの!!
イワシミズトモコだっけ? 名前の方はちょっともう忘れちゃったけど、名字はたしかイワシミズだった。ひとりだけ日本人がいたってわけでなく、ふつーに登場人物のひとりだった……って、日本が舞台なの?!
舞台が日本で、登場人物みんな日本人なら、配役表の横文字名前はナニ?! 舞台上の人物が即興で演じた役の名前だから、というにしても、横文字文化の劇団の人がなんで日本人を突然演じるの? 脈絡無さ過ぎ。
物語中に存在しない、物語中は別の名前なら、最初から役名いらないじゃん? モチベーションの問題のみ?
主役というほどちゃんと主役がいるわけじゃない、なにしろ「稽古場モノ」なのでみんなでわいわいやっているだけなんだけど。
それにしても、ずっと舞台にはいるけど脇でがやがやしているだけの子と、センターでがんがん台詞言って芝居している子とは、チガウわけでしょ? 配役表でわかるようにしてくれないと、結局全部印象に残らなくなってしまう。
正塚は23人全部顔の見分けが付いているのかもしれないけど、初見ではわかんないってばよ……日舞やダンスをやる都合上、みんな髪型ほぼ一緒だし。
意味のない音ではなく、「役割」を表記してくれればいいのに。
犯人とかマスターとかウエイトレスとか。
役割は役じゃない、そんな既成概念に囚われてはろくな演技が出来ない、そんな型にはまった目線で観劇して欲しくない、とかゆーのかしら、正塚せんせ。
せんせのこだわりより、未来のスターたちと観客にやさしい作りにしてほしいわ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーとか、名前の後ろに(犯人)(マスター)とか付けるだけでいいのに。普段はシャイという名前の劇団員の役なんだけど、このシャイくんが稽古場で犯人の役をやっているんだなってわかるのに。
や、シャイくんは犯人役ではないけども。
配役表の表記がちがっていたらおぼえられただろう子たちもいたのに、ただの音の羅列でしかないため、「あの台詞を言った子、どの子かしら」程度の興味では個別認識に至らず。
舞台は、どこかの劇団の、稽古場。
ひとりずつセンターに出てなにかしら「エピソード」を話す、という趣向。
他愛ない日常の出来事を他人にわかりやすく、みんなの前で話すという訓練は、ふつーの会社でもやってるとこあるよねー。
劇団なので、ただ話すだけではなく、それを芝居として表現する、という課題に取り組んでいるらしい。
最初は女の子ひとりが「ある喫茶店での出来事」を語るんだけど、ひとりだとうまく表現できないっていうんで、友だちに語ることにすればいいんじゃない、と対面式でやったり、喫茶店らしい雰囲気を作ればもっと自然になるんじゃない、と他の人たちも参加して舞台を急遽喫茶店に見立てたり、と。
ひとりの語りだったはずが、いつの間にかそこは彼女が語っていた「ある喫茶店での出来事」そのままの芝居に発展し……。
喫茶店が舞台なので、人はたくさん舞台にいる。
ふつーの喫茶店の風景だったのに、そこに銃を持った銀行強盗が逃げ込んできて、警察をやり過ごすために従業員・客たち全員に「貸切パーティをしている演技をしろ」と脅す。
やって来た警官が「楽しそうなパーティですな」と間抜けたことを言っている間に、ナニも知らない新しい客が入ってきたり、辻褄が合わなくなったりでてんやわいや。
なにしろ文化祭なので、やはり娘役と男役では仕上がりに隔たりがある。娘役は成長の早い子ならある程度の体裁は整っているが、男役は学芸会。女の子まんまの声で喋り、女の子の男装の域を出ない。
そのため、男役で成長の遅い子は特に目立つなー。
警官のツッコミ役の子とか、レポーター女子にくっついてる男の子とか、台詞が多い分、女の子まんまなのはつらい。どっちもきれいな子だから、成長に期待。
オデコくんは芝居もまずまず。にしても、あのオデコは目立つ……(笑)。助かります、個別認識できて。
イワシミズさんも眼鏡っ子かわいかったし、ちっこい人質役の彼女もかわいかった。あの人質役はメドレーでソロ歌った娘役だよね?
最初に台詞言ってた女の子は、うまい、んだろうな? 難しい役だから、あまりものすごくうまいとは思えなかった……や、難しいよな絶対。ひとりで最初にセンターに立ち、えんえんひとり芝居って。
「清く…」のソロを歌ってた子? チガウかな、ふつーに美人さんなんでよくわかんない。
あと、マスター役の男の子がかっこよかった。
でもって、この話の主役ポジ?の、強盗犯、これがまた……。
続く。
プログラムには、出演者23名の名前が、役名と共に列記されている。
最初にプログラムを開いたときに、「うわ、今年も酷いな」とは思った。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニー……名前だけ見ても男なのか女なのかもわからない。
ただの「音の羅列」が23個。
そんなもんが載っていても、誰がどんな役なのか、さっぱりわからない。
文化祭ってのはたしかに「勉強の披露の場」ではあるわけだけど、宝塚歌劇予備軍として、お金を取って一般観客を入れているんだけどなあ。そして宝塚歌劇が作品ではなく人を、スターを観に行くカンパニーである以上、「キャストを個別認識させる」ことは、必要だと思うんだけどなあ。
配役表ではただの音の羅列でも、実際に芝居を見てみると「ああ、この名前が主役だったのね」とわかる。
少なくとも、過去3回の正塚文化祭作品ではそうだった。
作中で主要な役は何度も名前を呼ばれるからな。
プログラムを見た段階で「酷いな」と苦笑いしたけれど、そこは「見てみるまでわかんないよな」と思っていたんだよ。
が。
予想を吹っ飛ばす勢いで、酷かった(笑)。
正塚、役名表記なんとかしろ!と、大きい字で書いておく(笑)。
芝居中で、役名で呼び合うことは、一度もなかった。。
23個の音の羅列は、ほんとーにただ羅列されているだけで、なんの意味もなかったの。
舞台で芝居をしている人たちが誰なのか、どの役なのか、主役が誰なのかすら、わかんないの。
いっそ、「役名無し」で、出演者名23人書いてあるだけでヨシって感じ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーって横文字名前なのに、舞台上で実際に呼ばれた名前はイワシミズさんだけなの!!
イワシミズトモコだっけ? 名前の方はちょっともう忘れちゃったけど、名字はたしかイワシミズだった。ひとりだけ日本人がいたってわけでなく、ふつーに登場人物のひとりだった……って、日本が舞台なの?!
舞台が日本で、登場人物みんな日本人なら、配役表の横文字名前はナニ?! 舞台上の人物が即興で演じた役の名前だから、というにしても、横文字文化の劇団の人がなんで日本人を突然演じるの? 脈絡無さ過ぎ。
物語中に存在しない、物語中は別の名前なら、最初から役名いらないじゃん? モチベーションの問題のみ?
主役というほどちゃんと主役がいるわけじゃない、なにしろ「稽古場モノ」なのでみんなでわいわいやっているだけなんだけど。
それにしても、ずっと舞台にはいるけど脇でがやがやしているだけの子と、センターでがんがん台詞言って芝居している子とは、チガウわけでしょ? 配役表でわかるようにしてくれないと、結局全部印象に残らなくなってしまう。
正塚は23人全部顔の見分けが付いているのかもしれないけど、初見ではわかんないってばよ……日舞やダンスをやる都合上、みんな髪型ほぼ一緒だし。
意味のない音ではなく、「役割」を表記してくれればいいのに。
犯人とかマスターとかウエイトレスとか。
役割は役じゃない、そんな既成概念に囚われてはろくな演技が出来ない、そんな型にはまった目線で観劇して欲しくない、とかゆーのかしら、正塚せんせ。
せんせのこだわりより、未来のスターたちと観客にやさしい作りにしてほしいわ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーとか、名前の後ろに(犯人)(マスター)とか付けるだけでいいのに。普段はシャイという名前の劇団員の役なんだけど、このシャイくんが稽古場で犯人の役をやっているんだなってわかるのに。
や、シャイくんは犯人役ではないけども。
配役表の表記がちがっていたらおぼえられただろう子たちもいたのに、ただの音の羅列でしかないため、「あの台詞を言った子、どの子かしら」程度の興味では個別認識に至らず。
舞台は、どこかの劇団の、稽古場。
ひとりずつセンターに出てなにかしら「エピソード」を話す、という趣向。
他愛ない日常の出来事を他人にわかりやすく、みんなの前で話すという訓練は、ふつーの会社でもやってるとこあるよねー。
劇団なので、ただ話すだけではなく、それを芝居として表現する、という課題に取り組んでいるらしい。
最初は女の子ひとりが「ある喫茶店での出来事」を語るんだけど、ひとりだとうまく表現できないっていうんで、友だちに語ることにすればいいんじゃない、と対面式でやったり、喫茶店らしい雰囲気を作ればもっと自然になるんじゃない、と他の人たちも参加して舞台を急遽喫茶店に見立てたり、と。
ひとりの語りだったはずが、いつの間にかそこは彼女が語っていた「ある喫茶店での出来事」そのままの芝居に発展し……。
喫茶店が舞台なので、人はたくさん舞台にいる。
ふつーの喫茶店の風景だったのに、そこに銃を持った銀行強盗が逃げ込んできて、警察をやり過ごすために従業員・客たち全員に「貸切パーティをしている演技をしろ」と脅す。
やって来た警官が「楽しそうなパーティですな」と間抜けたことを言っている間に、ナニも知らない新しい客が入ってきたり、辻褄が合わなくなったりでてんやわいや。
なにしろ文化祭なので、やはり娘役と男役では仕上がりに隔たりがある。娘役は成長の早い子ならある程度の体裁は整っているが、男役は学芸会。女の子まんまの声で喋り、女の子の男装の域を出ない。
そのため、男役で成長の遅い子は特に目立つなー。
警官のツッコミ役の子とか、レポーター女子にくっついてる男の子とか、台詞が多い分、女の子まんまなのはつらい。どっちもきれいな子だから、成長に期待。
オデコくんは芝居もまずまず。にしても、あのオデコは目立つ……(笑)。助かります、個別認識できて。
イワシミズさんも眼鏡っ子かわいかったし、ちっこい人質役の彼女もかわいかった。あの人質役はメドレーでソロ歌った娘役だよね?
最初に台詞言ってた女の子は、うまい、んだろうな? 難しい役だから、あまりものすごくうまいとは思えなかった……や、難しいよな絶対。ひとりで最初にセンターに立ち、えんえんひとり芝居って。
「清く…」のソロを歌ってた子? チガウかな、ふつーに美人さんなんでよくわかんない。
あと、マスター役の男の子がかっこよかった。
でもって、この話の主役ポジ?の、強盗犯、これがまた……。
続く。
えーとえーと。
ひとが風邪と花粉症で寝込んでいるときに、さらにくらくらする発表されてますな。
……これで全部? ヌケてないか?
なんかキャパオーバーで、まともに考えられない。
えーとえーと、ゆーひくん、ののすみ、宙組トップスターおめでとう。
栄転はめでたいことだとわかっているんだが、個人的に花担として、大好きなふたりが行ってしまうことに混乱しています。わーん、ふたりともほんとにダイスキだよ~~。
しかも宙組か……いや、宙組のみなさんがどうこうじゃなく、あまりに宙組人事は昨今落ち着かない様子なので、今回の落下傘人事もその一環てゆーかソレを助長しているとゆーか、複雑な面もあります。
らんとむ氏はトップの器だと疑っていないが、ごく個人的に、今回はまだ昇格しないだろうと思っていたので、ゆーひさんが行ってしまうことは予感があったんだが、決まってしまうと寂しさやらなんやらで、どーにもぐらぐらする、熱が上がりそうだ。
あー。ゆーひとののすみって、『銀ちゃんの恋』かあ。
お似合いだったなあ。このふたりのカップルがこれから見られるのは、うれしいよな。
トップおめでとうございます。
お披露目作品はなつかしの『大江山花伝』かよー! うわー、赤毛の鬼をゆーひくんがやるのか。悲劇のヒーローだから、持ち味に合ってるな。
主役より、2番手役の方が好きだった作品だわ……だれが渡辺綱をやるんだろう。
『Apasionado!! II』は、ええっと。……フジイくんだから、アテ書きしてくれるんだろう。
みつめおで、バウホール公演。
みつるくんとめおくんの同期コンビで、イシダ作品ってことは、『銀ちゃんの恋』かあ。
ヤスと橘、魅力的だったよねえ。
しかし、なんか花組がイシダ付いてる? ……イシダは宙組の半専属だったのに? ううう。
いやその、おもしろいものになるといいなあ。
でもって、ゆーひくんとみつめおが抜けた、花組『ME AND MY GIRL』。
ジョン卿@えりたん来る? 来る? わわわ、楽しみかもー。
AQUA5コンサートは、なんで東京だけ? しかもこれだけ?
チケット取れないっすよ……。
それから95周年イベント?
1回限り?
チケット取れないっすよ……。
なんだかなー、もー……。
のちのちゆっくり、うだうだ書きまつ。
アタマ痛いー、喉痛いー。
猫が走り回るー、猫パンチしてくるー。
ひとが風邪と花粉症で寝込んでいるときに、さらにくらくらする発表されてますな。
2009/02/27
次期宙組主演男役・娘役について
この度、次期宙組主演男役に大空 祐飛(花組)が、次期宙組主演娘役に野々 すみ花(花組)が決定しましたのでお知らせ致します。
2009/02/27
2009年 公演ラインアップ【博多座】<8月・宙組『大江山花伝』『Apasionado!! II』>
2月27日(金)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、博多座<8月・宙組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
宙組
■主演・・・(宙組)大空 祐飛、野々 すみ花
◆博多座:2009年8月3日(月)~8月25日(火)
王朝千一夜
『大江山花伝』
-燃えつきてこそ-
~木原敏江原作「大江山花伝」(小学館文庫)より~
脚色/柴田侑宏 演出/中村暁
ファナティック・ショー
『Apasionado(アパショナード)!! II』
作・演出/藤井大介
2009/02/27
2009年 公演ラインアップ【宝塚バウホール】<7月・花組『フィフティ・フィフティ』>
2月27日(金)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール<7月・花組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
花組
■主演・・・(花組)華形 ひかる、真野 すがた
◆宝塚バウホール:2009年7月9日(木)~7月20日(月)
バウ・プレイ
『フィフティ・フィフティ』
作・演出/石田昌也
2009/02/27
『AQUA5コンサート』
水 夏希をはじめとした雪組男役5名により2007年に結成されたユニット・AQUA5。
これまでの軌跡の集大成となるコンサートです。
『AQUA5コンサート』
構成・演出/未定
<開催会場・日時>
赤坂BLITZ
2009年6月 9日(火) 19時開演
2009年6月10日(水) 12時開演(※宝塚友の会優先公演)、16時開演
<主な出演者>
(雪組)水 夏希、彩吹 真央、音月 桂、彩那 音 (星組)凰稀 かなめ
※凰稀かなめは、4/14付で星組に異動予定
2009/02/27
宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年への道』
2009年1月号で通巻1000号を迎えた雑誌「歌劇」の歩みを、宝塚歌劇95周年の歩みと重ねて、全組の主演男役を始め、OGを迎えた豪華キャストによりお送りするスペシャルイベントです。
宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル
『百年への道』
構成・演出/三木章雄
<開催会場・日時>
宝塚大劇場
2009年6月15日(月) 18時30分開演
<主な出演者>
(専科)春日野 八千代、轟 悠
(花組)真飛 聖
(月組)瀬奈 じゅん
(雪組)水 夏希
(星組)柚希 礼音
(宙組)大和 悠河 ほか
※OGの出演者については未定です。
……これで全部? ヌケてないか?
なんかキャパオーバーで、まともに考えられない。
えーとえーと、ゆーひくん、ののすみ、宙組トップスターおめでとう。
栄転はめでたいことだとわかっているんだが、個人的に花担として、大好きなふたりが行ってしまうことに混乱しています。わーん、ふたりともほんとにダイスキだよ~~。
しかも宙組か……いや、宙組のみなさんがどうこうじゃなく、あまりに宙組人事は昨今落ち着かない様子なので、今回の落下傘人事もその一環てゆーかソレを助長しているとゆーか、複雑な面もあります。
らんとむ氏はトップの器だと疑っていないが、ごく個人的に、今回はまだ昇格しないだろうと思っていたので、ゆーひさんが行ってしまうことは予感があったんだが、決まってしまうと寂しさやらなんやらで、どーにもぐらぐらする、熱が上がりそうだ。
あー。ゆーひとののすみって、『銀ちゃんの恋』かあ。
お似合いだったなあ。このふたりのカップルがこれから見られるのは、うれしいよな。
トップおめでとうございます。
お披露目作品はなつかしの『大江山花伝』かよー! うわー、赤毛の鬼をゆーひくんがやるのか。悲劇のヒーローだから、持ち味に合ってるな。
主役より、2番手役の方が好きだった作品だわ……だれが渡辺綱をやるんだろう。
『Apasionado!! II』は、ええっと。……フジイくんだから、アテ書きしてくれるんだろう。
みつめおで、バウホール公演。
みつるくんとめおくんの同期コンビで、イシダ作品ってことは、『銀ちゃんの恋』かあ。
ヤスと橘、魅力的だったよねえ。
しかし、なんか花組がイシダ付いてる? ……イシダは宙組の半専属だったのに? ううう。
いやその、おもしろいものになるといいなあ。
でもって、ゆーひくんとみつめおが抜けた、花組『ME AND MY GIRL』。
ジョン卿@えりたん来る? 来る? わわわ、楽しみかもー。
AQUA5コンサートは、なんで東京だけ? しかもこれだけ?
チケット取れないっすよ……。
それから95周年イベント?
1回限り?
チケット取れないっすよ……。
なんだかなー、もー……。
のちのちゆっくり、うだうだ書きまつ。
アタマ痛いー、喉痛いー。
猫が走り回るー、猫パンチしてくるー。
まずは第1部です。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月26日 タカラヅカ さて、『第95期宝塚音楽学校文化祭』の感想をざーーっと。
2年連続で友会で、自分で当たりました、去年も今年も初日初回公演。友人たちに頼んでいた他公演ははずれているので、この回がいちばん当たりやすいのかなあと思ってみたり。初日の緊張好きだから、いいんだけど。
プログラムは「清く正しく美しく」1曲だけ日舞、予科生コーラス4曲、クラシック・ヴォーカル男役ソロ1曲、娘役ソロ1曲、タカラヅカ・メドレーでほぼ全員ワンフレーズだけでもソロあり、メドレーでソロがまるっと1曲あったのは男役ひとり、娘役ひとりのみ。ここまでが第1部。
毎年、「清く正しく美しく」ソロを歌う娘役さんがたのしみのひとつである。
これぞタカラヅカの娘役、という、澄んだ美しいソプラノで、清らかに歌い上げるわけだから。
これを聴くと、「タカラヅカっていいなあ。きれいだなあ」という気持ちになる。
今年もまた、きれいな娘役さんが美声を披露してくれた。
この彼女が今回の挨拶をする生徒さん、つまり成績4番の子ですな。
2列目センター通路脇だったりしたので、前方定位置に立っているコーラス隊の顔はかえってよく見えず、動き回る舞踊隊の方が見えたので、おとなしく日舞を眺める。
気になる顔立ちの子が何人かいる。……ひとりはまっつに似ているために気になるわけだが、あまり目立つわけでもない。
やっぱ濃い顔立ちの子の方が目にとまりやすい。
あと、柚長似の大人っぽい美形の娘役がいて、その徒っぽい姿に見ほれる。(曲は「清く正しく美しく」ですってば!)
なんか目に付く、目に入る顔立ちの長身の男役がいて、ものすごく美形というわけじゃないのに、どうしてだろう、と思っていたら、その子がクラシック・ヴォーカルの男役ソロだった。
ああそうか、「男役」として型ができあがっているんだなと思う。学生っぽい他の子に比べて、劇団下級生って感じだ。
この長身男役くんは、その直後のヅカメドレーでも初っぱなからデュオとして登場、一気に顔を覚えた。ええ、デュオのコンビの彼も特徴のあるオデコくんなので、よーーっくわかる。
長身くんとオデコくんはその他の場面でも、やたらいい位置にいたので優秀な人たちなのかな? それともたんにわたしの記憶に残っているだけ?
例年ならばもう少しヅカメドレーで目に付く人がいるもんなんだけど、今回はあまりこれということもなく。
日舞でわたしの目を引いた人が、歌ではあまり活躍していないため個別認識に至らないためだろう。
また、みんなふつーにきれーだってのも、印象が平板になるかな。去年とか、まずビジュアルでびっくりする子とかいたもんな。
毎年観劇しているだけに、構成の「お約束」みたいなものも見えてきて、メドレーのトリを飾る「ディーン」男役ソロ、の演出は「狙って」いることがわかる。
舞台いっぱいにキャスト全員で歌う前曲から、わらわらと人が舞台からはけていくと、舞台最奥に男がひとり佇んでいる。後ろ姿ですよ、背中ですよ。
曲は「ディーン」ですよ、ええ、とことんヅカ的二枚目曲です。
ここで、振り返りからはじまるわけですよ、歌唱が。
とことんヅカっぽく。
男役っぽく。
二枚目スターっぽく。
この演出には、ツボ直撃。これがヅカ舞台以前の文化祭であることや、やっているのが男役スキルの低い学生であること、それでもまぎれもなく「タカラヅカ」であることに、ウケる。
そうそう、ヅカはこうでなくっちゃ!みたいな(笑)。
そして、ここまで演出して、盛り上げて、振り返ったその男役が。
…………ごめん、ここでもまた、ウケた。
美形の多い95期で、たぶんほんとーにただ顔だけで判断すると、いちばんきっとええっと個性的な感じの彼です。
ヅカメドレー14曲で、男役ソロはたった1曲、ソロを歌えるのはたったひとり。
その特別なスターが、ええっと、なんつーんですか、みやたんに似ているのですよ。
風早優氏。
元雪組の個性派男役。
さあトップスター登場ですよ!てな演出で、背中からの振り返りで、そこにはみやたん。
でもってこのみやたんが、熱唱するわけですよ、「ディーン」を。
これまたクドく、ネツっぽく、身を振り絞るかのように。
うん。
男役のソロ曲は、全編通して2曲のみ。
クラシック・ヴォーカルはほんとうに歌のうまい人が、歌う場なんだろう。
そして、ヅカメドレー内のソロは、歌唱力も考慮されているにしろ、男役度の高さが関係している、んだろうなと。
ただ出てきて突っ立って歌う、のではなく、踊って歌うコンサートの中のプログラムとして、「演出」が加わっているわけだから。
クラシック・ヴォーカルの長身くんも男役度は高いと思うんだが、このみやたんくんのエグ味は、また格別。や、誉めてます。顔立ちなんて今後化粧でどーとでもなるんだから、この若さでこの芸風は将来有望ですよ(笑)。
みやたんショック冷めやらぬ間にフィナーレ。全員で「宝塚フォーエバー」。
一列ずつ入れ替わっていくキャストの中、オブリガートの娘役さんが、ずっと前列で歌い続けているのはオイシイなと。クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さん。メドレーでは首席のハンサムくんとデュエットしていたりで、ヒロイン度の高い子なんだろーなー。
でもって続いて第2部演劇。
正塚晴彦作『エピソード』。
プログラムの正塚挨拶文に、「稽古場モノ」とある。
正直「またか」。
正塚、文化祭芝居で「稽古場モノ」以外書いたことあるの??
わたしが観た文化祭の正塚作品は全部、「稽古場モノ」なんですけど??
どっかの劇団の若手たち、という設定で、彼らが上演する芝居の稽古をしている。劇団員としての素の会話と、役になって喋るところと両方あるから学生たちの鍛錬にはいいのかもしれないが。
わたしは89期からずっと文化祭観ているわけだから今回で7回目、そのうち4回が正塚の「稽古場モノ」って、過半数ですがな、いくらなんでも多すぎないか? アリモノ使って版権に引っかかって?映像が残らなかった谷せんせ(93期)もどうかと思うし、自己満足なだけの太田せんせは観ていてつらかったし(91期)、それに比べれば正塚芝居は観客として楽しめるからいいのかなあ。オギー(90期)はもういないしなあ。
またか、と思いながらも、幕が上がる。少なくとも89期以降文化祭作品の焼き直しではないらしい。(去年の94期文化祭の正塚芝居は、92期芝居の焼き直しだった)
……舞台両端に並んだ椅子に出演者たちがずらりと坐り、演じる人だけが中央のステージ上に出る、という、これまたいつものパターン。これ、去年も観た、その前も観たー(笑)。
もうコレしかやる気ないのか、正塚? と、思いつつ芝居開始。
続く。
2年連続で友会で、自分で当たりました、去年も今年も初日初回公演。友人たちに頼んでいた他公演ははずれているので、この回がいちばん当たりやすいのかなあと思ってみたり。初日の緊張好きだから、いいんだけど。
プログラムは「清く正しく美しく」1曲だけ日舞、予科生コーラス4曲、クラシック・ヴォーカル男役ソロ1曲、娘役ソロ1曲、タカラヅカ・メドレーでほぼ全員ワンフレーズだけでもソロあり、メドレーでソロがまるっと1曲あったのは男役ひとり、娘役ひとりのみ。ここまでが第1部。
毎年、「清く正しく美しく」ソロを歌う娘役さんがたのしみのひとつである。
これぞタカラヅカの娘役、という、澄んだ美しいソプラノで、清らかに歌い上げるわけだから。
これを聴くと、「タカラヅカっていいなあ。きれいだなあ」という気持ちになる。
今年もまた、きれいな娘役さんが美声を披露してくれた。
この彼女が今回の挨拶をする生徒さん、つまり成績4番の子ですな。
2列目センター通路脇だったりしたので、前方定位置に立っているコーラス隊の顔はかえってよく見えず、動き回る舞踊隊の方が見えたので、おとなしく日舞を眺める。
気になる顔立ちの子が何人かいる。……ひとりはまっつに似ているために気になるわけだが、あまり目立つわけでもない。
やっぱ濃い顔立ちの子の方が目にとまりやすい。
あと、柚長似の大人っぽい美形の娘役がいて、その徒っぽい姿に見ほれる。(曲は「清く正しく美しく」ですってば!)
なんか目に付く、目に入る顔立ちの長身の男役がいて、ものすごく美形というわけじゃないのに、どうしてだろう、と思っていたら、その子がクラシック・ヴォーカルの男役ソロだった。
ああそうか、「男役」として型ができあがっているんだなと思う。学生っぽい他の子に比べて、劇団下級生って感じだ。
この長身男役くんは、その直後のヅカメドレーでも初っぱなからデュオとして登場、一気に顔を覚えた。ええ、デュオのコンビの彼も特徴のあるオデコくんなので、よーーっくわかる。
長身くんとオデコくんはその他の場面でも、やたらいい位置にいたので優秀な人たちなのかな? それともたんにわたしの記憶に残っているだけ?
例年ならばもう少しヅカメドレーで目に付く人がいるもんなんだけど、今回はあまりこれということもなく。
日舞でわたしの目を引いた人が、歌ではあまり活躍していないため個別認識に至らないためだろう。
また、みんなふつーにきれーだってのも、印象が平板になるかな。去年とか、まずビジュアルでびっくりする子とかいたもんな。
毎年観劇しているだけに、構成の「お約束」みたいなものも見えてきて、メドレーのトリを飾る「ディーン」男役ソロ、の演出は「狙って」いることがわかる。
舞台いっぱいにキャスト全員で歌う前曲から、わらわらと人が舞台からはけていくと、舞台最奥に男がひとり佇んでいる。後ろ姿ですよ、背中ですよ。
曲は「ディーン」ですよ、ええ、とことんヅカ的二枚目曲です。
ここで、振り返りからはじまるわけですよ、歌唱が。
とことんヅカっぽく。
男役っぽく。
二枚目スターっぽく。
この演出には、ツボ直撃。これがヅカ舞台以前の文化祭であることや、やっているのが男役スキルの低い学生であること、それでもまぎれもなく「タカラヅカ」であることに、ウケる。
そうそう、ヅカはこうでなくっちゃ!みたいな(笑)。
そして、ここまで演出して、盛り上げて、振り返ったその男役が。
…………ごめん、ここでもまた、ウケた。
美形の多い95期で、たぶんほんとーにただ顔だけで判断すると、いちばんきっとええっと個性的な感じの彼です。
ヅカメドレー14曲で、男役ソロはたった1曲、ソロを歌えるのはたったひとり。
その特別なスターが、ええっと、なんつーんですか、みやたんに似ているのですよ。
風早優氏。
元雪組の個性派男役。
さあトップスター登場ですよ!てな演出で、背中からの振り返りで、そこにはみやたん。
でもってこのみやたんが、熱唱するわけですよ、「ディーン」を。
これまたクドく、ネツっぽく、身を振り絞るかのように。
うん。
男役のソロ曲は、全編通して2曲のみ。
クラシック・ヴォーカルはほんとうに歌のうまい人が、歌う場なんだろう。
そして、ヅカメドレー内のソロは、歌唱力も考慮されているにしろ、男役度の高さが関係している、んだろうなと。
ただ出てきて突っ立って歌う、のではなく、踊って歌うコンサートの中のプログラムとして、「演出」が加わっているわけだから。
クラシック・ヴォーカルの長身くんも男役度は高いと思うんだが、このみやたんくんのエグ味は、また格別。や、誉めてます。顔立ちなんて今後化粧でどーとでもなるんだから、この若さでこの芸風は将来有望ですよ(笑)。
みやたんショック冷めやらぬ間にフィナーレ。全員で「宝塚フォーエバー」。
一列ずつ入れ替わっていくキャストの中、オブリガートの娘役さんが、ずっと前列で歌い続けているのはオイシイなと。クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さん。メドレーでは首席のハンサムくんとデュエットしていたりで、ヒロイン度の高い子なんだろーなー。
でもって続いて第2部演劇。
正塚晴彦作『エピソード』。
プログラムの正塚挨拶文に、「稽古場モノ」とある。
正直「またか」。
正塚、文化祭芝居で「稽古場モノ」以外書いたことあるの??
わたしが観た文化祭の正塚作品は全部、「稽古場モノ」なんですけど??
どっかの劇団の若手たち、という設定で、彼らが上演する芝居の稽古をしている。劇団員としての素の会話と、役になって喋るところと両方あるから学生たちの鍛錬にはいいのかもしれないが。
わたしは89期からずっと文化祭観ているわけだから今回で7回目、そのうち4回が正塚の「稽古場モノ」って、過半数ですがな、いくらなんでも多すぎないか? アリモノ使って版権に引っかかって?映像が残らなかった谷せんせ(93期)もどうかと思うし、自己満足なだけの太田せんせは観ていてつらかったし(91期)、それに比べれば正塚芝居は観客として楽しめるからいいのかなあ。オギー(90期)はもういないしなあ。
またか、と思いながらも、幕が上がる。少なくとも89期以降文化祭作品の焼き直しではないらしい。(去年の94期文化祭の正塚芝居は、92期芝居の焼き直しだった)
……舞台両端に並んだ椅子に出演者たちがずらりと坐り、演じる人だけが中央のステージ上に出る、という、これまたいつものパターン。これ、去年も観た、その前も観たー(笑)。
もうコレしかやる気ないのか、正塚? と、思いつつ芝居開始。
続く。
難しい作品だよね。@新人公演『My dear New Orleans』
2009年2月25日 タカラヅカ やはり、前回の『スカーレット・ピンパーネル』新公は特別だったんだなあと思う。
観劇後の盛り上がりが、まったくチガウ。
作品の派手さもさることながら、スター誕生!な興奮は、客席をも席巻していた。
まあ、わたしとその周囲はスタァなペニーより、まひろのぶっとびぶりに興奮していたけれど(笑)。ペニーがおもしろい子なのは、星組をずっと観ていれば周知のことだから、今さら「無名の新人が……!」というおどろきには、仲間うちではならなかったんだな。
ペニーの躍進と、まひろの愉快な芸風の相乗効果で、そりゃーもー興奮する新公でしたよ、『スカピン』。
前回が特別で、それに比べるのは酷だとわかってるんだけど……見終わった後、仲間たちがヅカ的世間話ばっかして新公の感想が出ないというのは、星担以外にはあまり語るべきところがなかったのかなあ、と。わたしも含め、星組担当者不在だったからなあ。「kineさんがいたら、下級生の解説してもらえたのにね」と、わたしたちは前日東へ帰っていった星担友人をなつかしく語っておりました。
それにしても、役が少ないよなあ、と改めて思った新人公演『My dear New Orleans』。
本公演でそれぞれ役者の顔が見えるのは、演じている人たちが自力で存在感を放っているのであって、知らない下級生たちが演じると「役」ではなく「その他大勢の誰か」になるんだなと。もともとがバウ作品的作りだから、仕方ないのか、役の少なさは。
路線系な人たちが演じている「ストーリーヴィル・キッズ」が、ちょっと景子タンどーゆーことよ?ってくらい、しどころがなくて困るよな。
ゲイブ@しーらんはドラマとキャラクタがあるけれど、他の子たちときたら……。
本役が和くんであるところのバディ@まいけるも、「二枚目」という記号以外なにも見えなくて、難しい役だなと思った。ジョイの親友らしいが、親友らしい部分は特に描かれてないからな。ジョイはひとりで勝手に恋愛してるし、バディはひとりで勝手に軍へ入ることを決めている。
仲間なわりに、今後どうするか、互いに一切相談しない。……まあ、そういう自立した関係もアリだろうが、友情の在り方というより単に書き込み欠如なだけに見えるのが問題か。
まいけるが大人の男役をやって台詞言ってるの、はじめて見た、ってくらいなんだけど……うわー、難しいわこの役。会話の合いの手だけで終わってしまうのは、和くんだけの問題じゃないんだ。……て、新公と比べて言うのもなんだが。
まいけるのやさしげな佇まいは、いいんじゃないかと。ただ、なんかいつも笑っているよーな印象が残ったナリ。
表現できるモノは全部出すぜ、てなことになると、ジョイに対するときの愛情が一直線に出ていて、そーゆー記憶になったのかな。
あと、まいけるは冒頭にソロがあったので、和くんよりいい役になっていたよーな。て、同一人物なのか、あのソロ歌手とバディって? それとも2役扱い?
オリヴァー@れんたは、転げ回っていた。や、ほんとに転んでいるわけではないが、本役のあかしを踏襲し、前回の『スカピン』新公と同じように……って、ああもー、これもなあ。
「ストーリーヴィル・キッズ」ってキャラ立てがいちいち「スカピン団」とかぶるので困る。
目立つ役と言えば、新聞売り。いい加減芸名おぼえなきゃ、麻央侑希くん。「お孫さん」で通るから、名前がなかなか入ってこない。まいけるが「いとーさん」でだいもんが「大門」だったように、最初におぼえた呼び方が後を引くんだよな(笑)。
とりあえず、でかい(笑)。
新聞売りの少年で、子役的演技のわりに、とにかくでかい。目を引く。
麻央くんは、阪急ポスターのルールを崩してまで抜擢されたことからも、将来的にトップになることを期待されている子だと思うので、順調に育ってくれることを祈る。
そーいや、早乙女わかばちゃんがなにかと「かわいこちゃんポジ」にいるのがいい感じだ。
本公演も芝居・ショー共にナニ気に美少女必要なとこに使われてて、新公ではおしゃまな子役。少女ルルもやってるけど、子役の方がさらにかわいさ爆発的(笑)。
文化祭のときに「美貌重視の棒読み役?」と思った彼女、実はお芝居できるのか??
とにかく、鼻が好みなので、なにかと目に付く(笑)。
目に付く、というと、スカフェの女の子、美春あやかちゃんが目に付く。
こちらはとくに好みの顔ってわけでもないんだが、テレビで見ているとおぼえちゃうかなー。
入団時3番だっけ、優秀な子なんだよね。この役のない公演で、ソロがあってけっこう健闘中。娼婦として凄味はあるんだが、色気は課題かな。や、まだ若いからな。
レイラは本役の水輝涼と、体格からしてかぶっているよーな気がした。あのがっちり系の、丸みのある大きさっちゅーか……。
君は子役だとか若い役をやるより、このまま「男」スキルを磨いてくれー。
男役ではやはり、しーらんのアツさが群を抜いていて、そして意外なみやるりのやる気っぷりが、愉快だった。
主演の真風がいっぱいいっぱいな横で、上級生ふたりがフルスロットル。
個人的に、鼻息の荒いみやるり、というのが不思議な図に思えてね。本公演ではせっかく「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーなのに、すごく子どもっぽく演じていて、武器のひとつである「声」を活かしていないことがとても歯がゆかったんだが。
レニー役の新公では、なんかこの人、本気でセクスィ系を狙ってますよ! な感じが、ツボった(笑)。
そ、そうかみやるり、セクスィ系か。
男の色気でキますか。
テンション低めが芸風かと思っていたので、本気でキメキメな姿にちょっとびびりました(笑)。
厚めの唇が、やらしくてイイねっ。
鬱屈した感じが、美貌と低い声に合っていてイイねっ。
『ヘイズ・コード』のときからすげー急激に成長していってるよなあ、この子。
おもしろいから、また「大人」の、「能動的」な役を見たいんだが。すっとした二枚目じゃなく、戦闘意欲を放出できるタイプの役。その方がたのしいものを見せてくれそうだ。
最後に、ヒロインのルル@まりもちゃん。
君がいてくれて、良かった。
見事に実力で、真風と舞台を支えてくれた。
強く、堅実なルルだった。
ジョイ、アンダーソン共に、相手役がまだまだ足りていなかったので、芝居がかみあうところまでいってなくて、ひとり芝居風になっていたけれど、それでもまりもちゃんだから演じきってくれたんだと思う。
きっとみんな、東宝はさらに変わってるんだろうな。若者たちって成長著しいもんな。
観劇後の盛り上がりが、まったくチガウ。
作品の派手さもさることながら、スター誕生!な興奮は、客席をも席巻していた。
まあ、わたしとその周囲はスタァなペニーより、まひろのぶっとびぶりに興奮していたけれど(笑)。ペニーがおもしろい子なのは、星組をずっと観ていれば周知のことだから、今さら「無名の新人が……!」というおどろきには、仲間うちではならなかったんだな。
ペニーの躍進と、まひろの愉快な芸風の相乗効果で、そりゃーもー興奮する新公でしたよ、『スカピン』。
前回が特別で、それに比べるのは酷だとわかってるんだけど……見終わった後、仲間たちがヅカ的世間話ばっかして新公の感想が出ないというのは、星担以外にはあまり語るべきところがなかったのかなあ、と。わたしも含め、星組担当者不在だったからなあ。「kineさんがいたら、下級生の解説してもらえたのにね」と、わたしたちは前日東へ帰っていった星担友人をなつかしく語っておりました。
それにしても、役が少ないよなあ、と改めて思った新人公演『My dear New Orleans』。
本公演でそれぞれ役者の顔が見えるのは、演じている人たちが自力で存在感を放っているのであって、知らない下級生たちが演じると「役」ではなく「その他大勢の誰か」になるんだなと。もともとがバウ作品的作りだから、仕方ないのか、役の少なさは。
路線系な人たちが演じている「ストーリーヴィル・キッズ」が、ちょっと景子タンどーゆーことよ?ってくらい、しどころがなくて困るよな。
ゲイブ@しーらんはドラマとキャラクタがあるけれど、他の子たちときたら……。
本役が和くんであるところのバディ@まいけるも、「二枚目」という記号以外なにも見えなくて、難しい役だなと思った。ジョイの親友らしいが、親友らしい部分は特に描かれてないからな。ジョイはひとりで勝手に恋愛してるし、バディはひとりで勝手に軍へ入ることを決めている。
仲間なわりに、今後どうするか、互いに一切相談しない。……まあ、そういう自立した関係もアリだろうが、友情の在り方というより単に書き込み欠如なだけに見えるのが問題か。
まいけるが大人の男役をやって台詞言ってるの、はじめて見た、ってくらいなんだけど……うわー、難しいわこの役。会話の合いの手だけで終わってしまうのは、和くんだけの問題じゃないんだ。……て、新公と比べて言うのもなんだが。
まいけるのやさしげな佇まいは、いいんじゃないかと。ただ、なんかいつも笑っているよーな印象が残ったナリ。
表現できるモノは全部出すぜ、てなことになると、ジョイに対するときの愛情が一直線に出ていて、そーゆー記憶になったのかな。
あと、まいけるは冒頭にソロがあったので、和くんよりいい役になっていたよーな。て、同一人物なのか、あのソロ歌手とバディって? それとも2役扱い?
オリヴァー@れんたは、転げ回っていた。や、ほんとに転んでいるわけではないが、本役のあかしを踏襲し、前回の『スカピン』新公と同じように……って、ああもー、これもなあ。
「ストーリーヴィル・キッズ」ってキャラ立てがいちいち「スカピン団」とかぶるので困る。
目立つ役と言えば、新聞売り。いい加減芸名おぼえなきゃ、麻央侑希くん。「お孫さん」で通るから、名前がなかなか入ってこない。まいけるが「いとーさん」でだいもんが「大門」だったように、最初におぼえた呼び方が後を引くんだよな(笑)。
とりあえず、でかい(笑)。
新聞売りの少年で、子役的演技のわりに、とにかくでかい。目を引く。
麻央くんは、阪急ポスターのルールを崩してまで抜擢されたことからも、将来的にトップになることを期待されている子だと思うので、順調に育ってくれることを祈る。
そーいや、早乙女わかばちゃんがなにかと「かわいこちゃんポジ」にいるのがいい感じだ。
本公演も芝居・ショー共にナニ気に美少女必要なとこに使われてて、新公ではおしゃまな子役。少女ルルもやってるけど、子役の方がさらにかわいさ爆発的(笑)。
文化祭のときに「美貌重視の棒読み役?」と思った彼女、実はお芝居できるのか??
とにかく、鼻が好みなので、なにかと目に付く(笑)。
目に付く、というと、スカフェの女の子、美春あやかちゃんが目に付く。
こちらはとくに好みの顔ってわけでもないんだが、テレビで見ているとおぼえちゃうかなー。
入団時3番だっけ、優秀な子なんだよね。この役のない公演で、ソロがあってけっこう健闘中。娼婦として凄味はあるんだが、色気は課題かな。や、まだ若いからな。
レイラは本役の水輝涼と、体格からしてかぶっているよーな気がした。あのがっちり系の、丸みのある大きさっちゅーか……。
君は子役だとか若い役をやるより、このまま「男」スキルを磨いてくれー。
男役ではやはり、しーらんのアツさが群を抜いていて、そして意外なみやるりのやる気っぷりが、愉快だった。
主演の真風がいっぱいいっぱいな横で、上級生ふたりがフルスロットル。
個人的に、鼻息の荒いみやるり、というのが不思議な図に思えてね。本公演ではせっかく「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーなのに、すごく子どもっぽく演じていて、武器のひとつである「声」を活かしていないことがとても歯がゆかったんだが。
レニー役の新公では、なんかこの人、本気でセクスィ系を狙ってますよ! な感じが、ツボった(笑)。
そ、そうかみやるり、セクスィ系か。
男の色気でキますか。
テンション低めが芸風かと思っていたので、本気でキメキメな姿にちょっとびびりました(笑)。
厚めの唇が、やらしくてイイねっ。
鬱屈した感じが、美貌と低い声に合っていてイイねっ。
『ヘイズ・コード』のときからすげー急激に成長していってるよなあ、この子。
おもしろいから、また「大人」の、「能動的」な役を見たいんだが。すっとした二枚目じゃなく、戦闘意欲を放出できるタイプの役。その方がたのしいものを見せてくれそうだ。
最後に、ヒロインのルル@まりもちゃん。
君がいてくれて、良かった。
見事に実力で、真風と舞台を支えてくれた。
強く、堅実なルルだった。
ジョイ、アンダーソン共に、相手役がまだまだ足りていなかったので、芝居がかみあうところまでいってなくて、ひとり芝居風になっていたけれど、それでもまりもちゃんだから演じきってくれたんだと思う。
きっとみんな、東宝はさらに変わってるんだろうな。若者たちって成長著しいもんな。
ワイルドさんとめがねっこ。@新人公演『My dear New Orleans』
2009年2月24日 タカラヅカ 初日を観たときに、思った。
コレ、新公どうすんだ??
トウコが男役スキル総動員して、歌唱力でねじ伏せて、スター力で支えている作品なんだけど、これの新公ってどうなっちゃうの?
新公主演って、真風だよね?? 88期卒業しちゃって、長の89期ですらない、研3の坊やがやるんだよね??
心から、心配しました。新人公演『My dear New Orleans』。
いやまあ、ともかく。
無事、終わってよかったね。
あの比重の高い役を、出ずっぱりで歌いまくり、そのくせ静で受け身でじっくりしっとりな難しい役を、よく最後まで演じきったね、真風くん。
演じたというか、とりあえず台詞言って段取りこなしていただけのよーな気もするが、それすらよくがんばったねと。
劇団はスターを求めている。
それはディープなファンにだけ支持されるコアなスターではなく、対メディア、対一般にも「わかりやすい」スターなんだな、と、真風を見て思った。
タカラヅカの男役、という枠で語りやすい素質。長身、男子らしい体格、切れ長の瞳に高い鼻、長い顔。この子を「スター」にしたいんだ。
明確な希望のもと、育てようとしているのがわかる。たしかに、大型スターになりそうな素質を持った子だ。
……劇団が早期抜擢する子が、ことごとく人気が出ない、とゆー現状を、この子で打破できることを祈る。うん。
とりあえず、がんばっていたよ。すごーくがんばってた。
しかし。
芝居ではルル@まりもちゃんに完璧に食われ、彼女のひとり芝居にうなずくだけの人形になっていたような。
そして。
レニー@みやるりと、ゲイブ@しーらんが、最初からフルスロットルなので、ジョイは吹き飛ばされていた印象。
つか、しーらんが爆走するのは予想の範囲内だが、みやるりもすげー気合い入ってた。
本公演だけでいっぱいいっぱいのわたしは、相変わらず予備知識ナシ、新公配役なんか、知るはずもなく。
ミッキーがしいちゃんの役だとか、ねねちゃんが柚長の役だとか、事前にどっかから間違った知識を入れていて、思い込んだまま見ていたので余計こんがらがったままだった(笑)。
ミッキーがふつーにすずみんの役で登場して、「そうか、アンダーソンとアルバートって出番かぶんないし、どっちも白人だから、2役OKなんだ」とか素直に思ったしな。アルバート@ミッキー鼻息荒いなー、その分アンダーソンががちがちで精彩に欠けるな、なんか別人みたいとか、先入観っておそろしい(笑)。←気づけよ。
ねねちゃんはルル母だと信じ切っていたので、シスター・サラはぜんぜん見ていない。←気づけよ。
とまあ、「ほんとに観たのかオマエ」的とんちんかんさではあるが、まあそれはともかく。
今回、思いがけないところでときめいた。
少年ジョイ、なんかいい男ぢゃなかったすか??
油断していたから、いきなりがつんと来て、びびった。
本公演の印象があるもんで、少年ジョイってのは「子役」だと思っていたんだ。幼児じゃなくて、少年。演じている人が「子役」だと思って若ぶっている、幼くしている感じ。
そんなもんだろうと、考えるまでもなく思っていたので。
少年ジョイが、「男」でおどろいた。
ふつーに、若い男だった。
少年ではあるけど、子どもではなく、ちゃんといろいろ大人になっていそうな。
しかも、ワイルド系。
無骨な不良少年っていうか。
少女ルルをかばって、キッと前を見据えるまなざしの強さ。
誰コレ。
こんなに大人っぽい演技する子、いたっけ? や、わたしもう星組には暗いので下級生ぜんぜんわかんないんだけど。
少年ジョイは横顔ばっかのイメージ。真正面からはあまり顔を見られない。だから新公でも、横顔しかおぼえてない。
厚めの唇と濃いぃ顔立ちしかわからず。
わたしには不良少年萌えとゆーのがあるので、このワルっぽい若者が、女の子をかばって彼女のために歌ったりするのは、ときめきです(笑)。
到底歌なんか歌うタイプに見えないところがまた、素敵。
このワイルド少年が大人になって、あのへなちょこな……失礼、あの真風ジョイになるのは、ちょい不思議な感じ。
演技というかキャラがつながっていないので、よくないことなのかな?
でもでも、大人ジョイより少年ジョイの方が魅力的に見えたよ、わたしには。
観劇後に、配役を確認した。
夏樹れいくんでした。ええ、あの顔の濃いぃ下級生。真風より下、まだ研2。
夏樹くんだったの?! ぜんっぜん、わかってなかった。
夏樹くんの役は、いちおー事前にチェックしていた。というか、本役が麻尋だったので、おぼえてたんだ。
本公演の感想でもいずれ書くつもりだが、またしてもまひろしゅんくんはグループ芝居で敗北してるっぽい。『スカーレット・ピンパーネル』のときと同じ。
「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーで、マーティン役って、キャラを付けにくいんだよな。谷間的というか、空気というか。
そのしゅんくんの役を、新公ではどうするのか……『スカピン』新公のスカピン団がダメダメだったんで、今回も新公には別に期待していなかったんだが。
マーティンは、めがねっこになっていた。
最初から、「舞台に岩井くん@『舞姫』がいる!」とウケてはいたんだ。
いかにもダメっこな丸眼鏡。
アレ誰だ、とオペラでよく見ると、たしかに夏樹くんっぽくて。そのあと台詞や立ち位置で、アレがまひろの役だと確認。
……あの美人な夏樹くんが、すべてを捨てて三枚目やってる?! と、その役作りの思い切りの良さに感心していた。
うまいかヘタかまではわかんないけど、小道具に頼ってのこととはいえ、キャラの差別化が出来ているのはえらいなと。
丸眼鏡のヘタレくん、のび太くんポジってのは、わかりやすくていいよー。眉を思い切りよく八の字にしてたり、にかっと笑っていたり、かわいいー。
マーティン役だけだと、ふつーに思い込んでいた。
2役だったのか! マーティンだけだと思い込んでいたから、少年ジョイの顔を見てもわかんなかったよ!
(2役じゃない人をそう思い込んで個別認識できなくなったり、2役の人をそうじゃないと思い込んで個別認識できなくなったり、なんか今回ダメダメ過ぎですよ、こあらった)
少年ジョイ役との差別化、同じ役者だとわからないようにする意味もあったんだな、あの眼鏡。
そして、少年ジョイという二枚目役があるから、本役では思い切り三枚目でいられた、つーのもあるのかもな。
なんにせよ、うれしい発見、拾いモノをした気分。
マーティン役ではちゃんとキャラ立ててきて、少年ジョイ役では「子役」にならず(男役スキルのない下級生は、子役ならできるのでそちらに流れやすい)、「男役」であったことがうれしい。
コレ、新公どうすんだ??
トウコが男役スキル総動員して、歌唱力でねじ伏せて、スター力で支えている作品なんだけど、これの新公ってどうなっちゃうの?
新公主演って、真風だよね?? 88期卒業しちゃって、長の89期ですらない、研3の坊やがやるんだよね??
心から、心配しました。新人公演『My dear New Orleans』。
いやまあ、ともかく。
無事、終わってよかったね。
あの比重の高い役を、出ずっぱりで歌いまくり、そのくせ静で受け身でじっくりしっとりな難しい役を、よく最後まで演じきったね、真風くん。
演じたというか、とりあえず台詞言って段取りこなしていただけのよーな気もするが、それすらよくがんばったねと。
劇団はスターを求めている。
それはディープなファンにだけ支持されるコアなスターではなく、対メディア、対一般にも「わかりやすい」スターなんだな、と、真風を見て思った。
タカラヅカの男役、という枠で語りやすい素質。長身、男子らしい体格、切れ長の瞳に高い鼻、長い顔。この子を「スター」にしたいんだ。
明確な希望のもと、育てようとしているのがわかる。たしかに、大型スターになりそうな素質を持った子だ。
……劇団が早期抜擢する子が、ことごとく人気が出ない、とゆー現状を、この子で打破できることを祈る。うん。
とりあえず、がんばっていたよ。すごーくがんばってた。
しかし。
芝居ではルル@まりもちゃんに完璧に食われ、彼女のひとり芝居にうなずくだけの人形になっていたような。
そして。
レニー@みやるりと、ゲイブ@しーらんが、最初からフルスロットルなので、ジョイは吹き飛ばされていた印象。
つか、しーらんが爆走するのは予想の範囲内だが、みやるりもすげー気合い入ってた。
本公演だけでいっぱいいっぱいのわたしは、相変わらず予備知識ナシ、新公配役なんか、知るはずもなく。
ミッキーがしいちゃんの役だとか、ねねちゃんが柚長の役だとか、事前にどっかから間違った知識を入れていて、思い込んだまま見ていたので余計こんがらがったままだった(笑)。
ミッキーがふつーにすずみんの役で登場して、「そうか、アンダーソンとアルバートって出番かぶんないし、どっちも白人だから、2役OKなんだ」とか素直に思ったしな。アルバート@ミッキー鼻息荒いなー、その分アンダーソンががちがちで精彩に欠けるな、なんか別人みたいとか、先入観っておそろしい(笑)。←気づけよ。
ねねちゃんはルル母だと信じ切っていたので、シスター・サラはぜんぜん見ていない。←気づけよ。
とまあ、「ほんとに観たのかオマエ」的とんちんかんさではあるが、まあそれはともかく。
今回、思いがけないところでときめいた。
少年ジョイ、なんかいい男ぢゃなかったすか??
油断していたから、いきなりがつんと来て、びびった。
本公演の印象があるもんで、少年ジョイってのは「子役」だと思っていたんだ。幼児じゃなくて、少年。演じている人が「子役」だと思って若ぶっている、幼くしている感じ。
そんなもんだろうと、考えるまでもなく思っていたので。
少年ジョイが、「男」でおどろいた。
ふつーに、若い男だった。
少年ではあるけど、子どもではなく、ちゃんといろいろ大人になっていそうな。
しかも、ワイルド系。
無骨な不良少年っていうか。
少女ルルをかばって、キッと前を見据えるまなざしの強さ。
誰コレ。
こんなに大人っぽい演技する子、いたっけ? や、わたしもう星組には暗いので下級生ぜんぜんわかんないんだけど。
少年ジョイは横顔ばっかのイメージ。真正面からはあまり顔を見られない。だから新公でも、横顔しかおぼえてない。
厚めの唇と濃いぃ顔立ちしかわからず。
わたしには不良少年萌えとゆーのがあるので、このワルっぽい若者が、女の子をかばって彼女のために歌ったりするのは、ときめきです(笑)。
到底歌なんか歌うタイプに見えないところがまた、素敵。
このワイルド少年が大人になって、あのへなちょこな……失礼、あの真風ジョイになるのは、ちょい不思議な感じ。
演技というかキャラがつながっていないので、よくないことなのかな?
でもでも、大人ジョイより少年ジョイの方が魅力的に見えたよ、わたしには。
観劇後に、配役を確認した。
夏樹れいくんでした。ええ、あの顔の濃いぃ下級生。真風より下、まだ研2。
夏樹くんだったの?! ぜんっぜん、わかってなかった。
夏樹くんの役は、いちおー事前にチェックしていた。というか、本役が麻尋だったので、おぼえてたんだ。
本公演の感想でもいずれ書くつもりだが、またしてもまひろしゅんくんはグループ芝居で敗北してるっぽい。『スカーレット・ピンパーネル』のときと同じ。
「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーで、マーティン役って、キャラを付けにくいんだよな。谷間的というか、空気というか。
そのしゅんくんの役を、新公ではどうするのか……『スカピン』新公のスカピン団がダメダメだったんで、今回も新公には別に期待していなかったんだが。
マーティンは、めがねっこになっていた。
最初から、「舞台に岩井くん@『舞姫』がいる!」とウケてはいたんだ。
いかにもダメっこな丸眼鏡。
アレ誰だ、とオペラでよく見ると、たしかに夏樹くんっぽくて。そのあと台詞や立ち位置で、アレがまひろの役だと確認。
……あの美人な夏樹くんが、すべてを捨てて三枚目やってる?! と、その役作りの思い切りの良さに感心していた。
うまいかヘタかまではわかんないけど、小道具に頼ってのこととはいえ、キャラの差別化が出来ているのはえらいなと。
丸眼鏡のヘタレくん、のび太くんポジってのは、わかりやすくていいよー。眉を思い切りよく八の字にしてたり、にかっと笑っていたり、かわいいー。
マーティン役だけだと、ふつーに思い込んでいた。
2役だったのか! マーティンだけだと思い込んでいたから、少年ジョイの顔を見てもわかんなかったよ!
(2役じゃない人をそう思い込んで個別認識できなくなったり、2役の人をそうじゃないと思い込んで個別認識できなくなったり、なんか今回ダメダメ過ぎですよ、こあらった)
少年ジョイ役との差別化、同じ役者だとわからないようにする意味もあったんだな、あの眼鏡。
そして、少年ジョイという二枚目役があるから、本役では思い切り三枚目でいられた、つーのもあるのかもな。
なんにせよ、うれしい発見、拾いモノをした気分。
マーティン役ではちゃんとキャラ立ててきて、少年ジョイ役では「子役」にならず(男役スキルのない下級生は、子役ならできるのでそちらに流れやすい)、「男役」であったことがうれしい。
ここがわたしの還る場所。@My dear New Orleans
2009年2月23日 タカラヅカ 『My dear New Orleans』は、ジョイ@トウコの物語であるので。
彼が故郷、ニューオリンズに帰って来るところからはじまり、また旅立つところで終わるのは正しいと思っている。
設定だのジョイに対する台詞だのが、いちいち「安蘭けい」とリンクしているから、泣けてしょうがない。
音楽の神の申し子であることとか、今いる場所を出て、大きな世界にその音楽を響かせよう云々とか。
世界が、彼を必要としている。
安蘭けいは、「宝塚歌劇」という小さな世界だけでなく、もっと大きな舞台でその才能を発揮するべきときが来たのだ、と。
安蘭けいが宝塚歌劇を愛していることは言うまでもないが、決断のときが来たのだ、と。
あまりにわかりやすくリンクし過ぎていて、「な、泣いてなんかないんだからねっ、別にアンタの脚本がすごいわけぢゃなくて、トウコちゃんの歌がすごいだけなんだからっ!!」と、ツンデレ・プレイしたくなるくらい、「こんだけ『さあ泣け』とやられて泣くのはくやしいな(笑)」ってくらい、泣ける。
ええ、泣いてますよ、初日なんかもー泣きすぎて消耗しましたよ!!(笑)
回数を重ねると、わかりやすすぎる部分にはあまり泣かなくなったけれど、かわりにドラマ部分、ジョイとルル@あすかの恋愛部分でがーがー泣くよーになったし。
こんだけみっちり「恋愛」してくれるトウあす、見たかったんだよほんと!
もっとも、芝居が物理的に遠すぎて、大劇場の舞台最奥で会話劇をやるなと、心から思ってますがねー。基本が『HOLLYWOOD LOVER』の焼き直しなんで、バウと同じ手法で作られているため、芝居をしている場所が遠いのなんのって。
景子せんせー、大劇場は2500席あるっす。500席のバウホールと同じセットを使って芝居させるのやめて下さい。
キモになる場面が全部、普段なら使わないだろう奥のセットの上、だもんよ。『エリザベート』のミルクの場面だって、カフェの中は芝居には使わず、外に出てきて歌い踊ってるじゃん? いちばん大きなセリの中は芝居……特に会話劇をするには遠すぎるんだよ。
繊細な表情の変化や、台詞の行間を読む演出ならば、いっそ銀橋の上でやってもいいくらいだ。それが無理でも、ふつーに本舞台前面を使えばいいのに。景子たんは大劇場の広さを知らないのかもしれない。まあ、景子たんに限らず、ヅカの演出家ってそーゆーもんかもしれんが。
今回わたしはチケットまったく持ってないんで。えんえんB席と立見の交互、いちばん前でも27列目R番というものすごさ(笑)。や、平日でも立見が出ていてありがたいっすが。
いやあ、「芝居」が遠いですね。
公演内容によっては、立見でも当日Bでもそれほど「遠い」とは思わないんだ。「大劇場」用に演出された作品なら、全体を見回せてたのしいことだってある。しかし今回は……景子せんせ、絶対「大劇場」だってこと、忘れてる(笑)。
トウコとあすかがふたりして、すげー密度で「大劇場」という空間と戦っている。演出家がしなかった分、出演者が箱の大きさを理解して、濃密な空気で空間を埋めているよ。すげえ。
とまあ、「安蘭けい物語」で「メロドラマ」なのはいい。トウコ退団とリンクさせて泣かされるのも退団公演の醍醐味だと割り切って楽しむし、トウあすの「役者」同士の真剣勝負に酔いしれるのも楽しい。
そーやって楽しんでいるのに、ジョイとルルの別れからラストまでの間、テンションが上がり下がりするのが残念でならない。
おさまりが悪く感じられるのは、「付け足し」めいた後日談が何度も続くからだと思う。
まあそこが景子せんせクオリティ、「最後の余計な解説がなければ名作なのに!」と、作品ごとに言われ続けているよーに、自分の作品を自分で「解説」しちゃうんだよね、観客に委ねずに。
「**(主人公)の生き方はすばらしかった」とか「ふたりの愛はすばらしい」とか、わざわざ解説役の登場人物が出てきて語らないと納得できないのは、純粋に創作者として「なんで?」と思うよ。
仲間の死→ゴスペルの流れは中詰めだからそのあとに解説じみた話(なんでNY行きを決めたのか、語る語る)が続くのはまあいいとして。
ジョイとルルの濃密な芝居空間のあと、回想のラストとなる「Sweet Black Bird」完全版ソロで、まさに舞台は「最高潮!」な盛り上がりを見せる。ここで幕、でもおかしくないほどの。
が、その直後に、その盛り上がりを全部打ち消すよーに、水を差すよーに、アルバート@すずみんと空気読めないカップル@ペニーとせあらが解説しまくる。
景子せんせ作品お定まりの、付け足し解説。「ジョイは素晴らしい」「ふたりの愛は素晴らしい」と言葉によって完結させてしまうのは、いらんやろと、心から思う。
「Sweet Black Bird」独唱から、歌い終わるジョイの周囲にひとり、またひとりとなつかしい顔ぶれが集まりはじめ、ひとりずつと目線をかわしながら「My dear New Orleans」を歌い出し、最後は登場人物全員で合唱、よく見ると隅っこにラジオのマイクもあるし、スタッフらしい男たちもまざっている、と。
「My dear New Orleans」終了時に、コレが回想ではなく現在の物語で、ニューオリンズに来た目的であったチャリティーコンサートだったと、司会者@どいちゃんの喋りでわかる、でいいじゃん。
再会の挨拶は歌のあとで。ジョー@真風に「大きくなったな」とかはここでいいじゃん。ペニーたちの「主人公賞賛」もここのみに留めて。
無粋な「作者自身の解説」で、テンションを折らないで欲しいわん。
「Sweet Black Bird」から一気に盛り上げて、その興奮冷めやらぬうちに、レニー@れおん登場まで持っていってほしい。
まあ、中詰めのゴスペルと、テーマ曲であるはずの「My dear New Orleans」の曲調が似ていて、盛り上がりが相殺されていることは残念でならないが。なんでまったくチガウ曲にできなかったんだ?
初見時にルルが再登場しないことに(死んだにしろ、幻想で登場するのがヅカの定番なのに)おどろきもしたが、なまじ生身の演技を見せないことで彼女の最期を、その最高の笑顔を観客の想像に委ねたこと、それを想像できるほどにルルという女性をあすかが演じきっていることと、ジョイ@トウコのラストシーンの演技に懸けていることがわかるので、それもアリかと思った。
ルルの愛がジョイに伝わり、すべてが肯定されたときに、扉が開き、仲間たちがジョイを呼びに来る、このタイミング。
これこそが、この作品のテーマなんだなと。
「My dear New Orleans」という歌にある通り、愛も夢も友情もなにもかもここにあるんだなと。
ルルとのメロドラマだけがジョイの人生ではなく、それすら内包して、もっと大きなものがジョイにはある。それはルルを軽んじているのではなく、ルルがいたからこそ、手に入れられた「大きさ」で。豊かさで。
なにもかも受け止め、肯定し、大人の男の顔で……少年でも青二才でもなく……微笑むジョイの顔が、素敵で。幸福で。そして何故か、切なくて。
幸福な痛みを胸に残したまま、幕が下りる。
どーのこうの言ったところで、わたしは、この物語が好きだ。
ジョイが好きで、ルルが好き。
彼が故郷、ニューオリンズに帰って来るところからはじまり、また旅立つところで終わるのは正しいと思っている。
設定だのジョイに対する台詞だのが、いちいち「安蘭けい」とリンクしているから、泣けてしょうがない。
音楽の神の申し子であることとか、今いる場所を出て、大きな世界にその音楽を響かせよう云々とか。
世界が、彼を必要としている。
安蘭けいは、「宝塚歌劇」という小さな世界だけでなく、もっと大きな舞台でその才能を発揮するべきときが来たのだ、と。
安蘭けいが宝塚歌劇を愛していることは言うまでもないが、決断のときが来たのだ、と。
あまりにわかりやすくリンクし過ぎていて、「な、泣いてなんかないんだからねっ、別にアンタの脚本がすごいわけぢゃなくて、トウコちゃんの歌がすごいだけなんだからっ!!」と、ツンデレ・プレイしたくなるくらい、「こんだけ『さあ泣け』とやられて泣くのはくやしいな(笑)」ってくらい、泣ける。
ええ、泣いてますよ、初日なんかもー泣きすぎて消耗しましたよ!!(笑)
回数を重ねると、わかりやすすぎる部分にはあまり泣かなくなったけれど、かわりにドラマ部分、ジョイとルル@あすかの恋愛部分でがーがー泣くよーになったし。
こんだけみっちり「恋愛」してくれるトウあす、見たかったんだよほんと!
もっとも、芝居が物理的に遠すぎて、大劇場の舞台最奥で会話劇をやるなと、心から思ってますがねー。基本が『HOLLYWOOD LOVER』の焼き直しなんで、バウと同じ手法で作られているため、芝居をしている場所が遠いのなんのって。
景子せんせー、大劇場は2500席あるっす。500席のバウホールと同じセットを使って芝居させるのやめて下さい。
キモになる場面が全部、普段なら使わないだろう奥のセットの上、だもんよ。『エリザベート』のミルクの場面だって、カフェの中は芝居には使わず、外に出てきて歌い踊ってるじゃん? いちばん大きなセリの中は芝居……特に会話劇をするには遠すぎるんだよ。
繊細な表情の変化や、台詞の行間を読む演出ならば、いっそ銀橋の上でやってもいいくらいだ。それが無理でも、ふつーに本舞台前面を使えばいいのに。景子たんは大劇場の広さを知らないのかもしれない。まあ、景子たんに限らず、ヅカの演出家ってそーゆーもんかもしれんが。
今回わたしはチケットまったく持ってないんで。えんえんB席と立見の交互、いちばん前でも27列目R番というものすごさ(笑)。や、平日でも立見が出ていてありがたいっすが。
いやあ、「芝居」が遠いですね。
公演内容によっては、立見でも当日Bでもそれほど「遠い」とは思わないんだ。「大劇場」用に演出された作品なら、全体を見回せてたのしいことだってある。しかし今回は……景子せんせ、絶対「大劇場」だってこと、忘れてる(笑)。
トウコとあすかがふたりして、すげー密度で「大劇場」という空間と戦っている。演出家がしなかった分、出演者が箱の大きさを理解して、濃密な空気で空間を埋めているよ。すげえ。
とまあ、「安蘭けい物語」で「メロドラマ」なのはいい。トウコ退団とリンクさせて泣かされるのも退団公演の醍醐味だと割り切って楽しむし、トウあすの「役者」同士の真剣勝負に酔いしれるのも楽しい。
そーやって楽しんでいるのに、ジョイとルルの別れからラストまでの間、テンションが上がり下がりするのが残念でならない。
おさまりが悪く感じられるのは、「付け足し」めいた後日談が何度も続くからだと思う。
まあそこが景子せんせクオリティ、「最後の余計な解説がなければ名作なのに!」と、作品ごとに言われ続けているよーに、自分の作品を自分で「解説」しちゃうんだよね、観客に委ねずに。
「**(主人公)の生き方はすばらしかった」とか「ふたりの愛はすばらしい」とか、わざわざ解説役の登場人物が出てきて語らないと納得できないのは、純粋に創作者として「なんで?」と思うよ。
仲間の死→ゴスペルの流れは中詰めだからそのあとに解説じみた話(なんでNY行きを決めたのか、語る語る)が続くのはまあいいとして。
ジョイとルルの濃密な芝居空間のあと、回想のラストとなる「Sweet Black Bird」完全版ソロで、まさに舞台は「最高潮!」な盛り上がりを見せる。ここで幕、でもおかしくないほどの。
が、その直後に、その盛り上がりを全部打ち消すよーに、水を差すよーに、アルバート@すずみんと空気読めないカップル@ペニーとせあらが解説しまくる。
景子せんせ作品お定まりの、付け足し解説。「ジョイは素晴らしい」「ふたりの愛は素晴らしい」と言葉によって完結させてしまうのは、いらんやろと、心から思う。
「Sweet Black Bird」独唱から、歌い終わるジョイの周囲にひとり、またひとりとなつかしい顔ぶれが集まりはじめ、ひとりずつと目線をかわしながら「My dear New Orleans」を歌い出し、最後は登場人物全員で合唱、よく見ると隅っこにラジオのマイクもあるし、スタッフらしい男たちもまざっている、と。
「My dear New Orleans」終了時に、コレが回想ではなく現在の物語で、ニューオリンズに来た目的であったチャリティーコンサートだったと、司会者@どいちゃんの喋りでわかる、でいいじゃん。
再会の挨拶は歌のあとで。ジョー@真風に「大きくなったな」とかはここでいいじゃん。ペニーたちの「主人公賞賛」もここのみに留めて。
無粋な「作者自身の解説」で、テンションを折らないで欲しいわん。
「Sweet Black Bird」から一気に盛り上げて、その興奮冷めやらぬうちに、レニー@れおん登場まで持っていってほしい。
まあ、中詰めのゴスペルと、テーマ曲であるはずの「My dear New Orleans」の曲調が似ていて、盛り上がりが相殺されていることは残念でならないが。なんでまったくチガウ曲にできなかったんだ?
初見時にルルが再登場しないことに(死んだにしろ、幻想で登場するのがヅカの定番なのに)おどろきもしたが、なまじ生身の演技を見せないことで彼女の最期を、その最高の笑顔を観客の想像に委ねたこと、それを想像できるほどにルルという女性をあすかが演じきっていることと、ジョイ@トウコのラストシーンの演技に懸けていることがわかるので、それもアリかと思った。
ルルの愛がジョイに伝わり、すべてが肯定されたときに、扉が開き、仲間たちがジョイを呼びに来る、このタイミング。
これこそが、この作品のテーマなんだなと。
「My dear New Orleans」という歌にある通り、愛も夢も友情もなにもかもここにあるんだなと。
ルルとのメロドラマだけがジョイの人生ではなく、それすら内包して、もっと大きなものがジョイにはある。それはルルを軽んじているのではなく、ルルがいたからこそ、手に入れられた「大きさ」で。豊かさで。
なにもかも受け止め、肯定し、大人の男の顔で……少年でも青二才でもなく……微笑むジョイの顔が、素敵で。幸福で。そして何故か、切なくて。
幸福な痛みを胸に残したまま、幕が下りる。
どーのこうの言ったところで、わたしは、この物語が好きだ。
ジョイが好きで、ルルが好き。
彼女の最期の微笑みが、見えるようだ。@My dear New Orleans
2009年2月22日 タカラヅカ ほんとうのルルは、どこにいたのか。
本心を隠して生きるルル@あすかは、『My dear New Orleans』作中ではほとんど、真実の姿を見せていない、と思う。
台詞にあるように、ルル自身がもうほんとうの自分を見失っているのだとは思う。そうしなければ生きてこられなかったから。
ルルを愛する3人の男たち、ジョイ@トウコ、アンダーソン@しいちゃん、レニー@れおんは、実のところどこまでルルを見ていたんだろう?
「本当のルルを知っているのは俺だけだ」と、3人とも思っているらしいけどねー。
とりあえず、レニーは絶対わかってない(笑)。
ルルを通り過ぎてきた男たちと同じで、彼女の微笑みに「自分にとって都合のいいルル」を見ているに過ぎない。
それでも「実の姉弟である」という事実が彼の自信につながり、ルルの本心がどこにあるとしても深く考えず、安心していられた。
恋人も夫も別れればただの他人だけど、姉弟は他人には絶対にならないから。ルルは永久にレニーの「愛する人」でいられる。
その驕り、油断が、ジョイの出現で揺れ動き、本能的にやばいものを感じた彼は暴走して失敗する。
ジョイ登場でうろたえるってことは、自分が見ていたルルが「真実のルル」でないことを、無意識には感じていたんだろうな。
アンダーソンはひょっとしたら、「わかることができた」人かもしれない。
何故なら彼は、ルルが心を閉ざして生きていることを知っていた。気づいていた。
知っている、ということは、その奥の真実を知ることだって、できたかもしれないんだが……彼は、それを、しなかった。
ルルはおそらく、アンダーソンも幾多の男たちと同じただのパトロンだと思っていただろう。彼女が見せる表の顔を彼女のすべてだと思い、支配しているつもりだろうと。
だがアンダーソンはちがった。
ルル自身がもう見失っている、彼女の真実の存在に気づいていた。
だけど、それがアンダーソンの限界。
知りながら、それを得ようとはしなかった。
たぶん、アンダーソンはもう若くないんだ。年齢ではなく、魂が。
富や地位を得ている彼は、そこまでですでに若さを失っている。なりふり構わず愛のために奔走したり絶叫したりしない。もう、守りに入ってしまっている。
「欲しい」と思うのは、エネルギーだ。前へ出る分、打たれて傷つくかもしれない行為だ。
アンダーソンはもう、そーゆーことをする「青さ」を持っていなかった。
だから彼は最初から言うんだ。「そばにいろ、だが愛はいらない」。
現時点では。
この後彼がどう変わるかまではわからないが。
そして、ジョイは。
……ほんとーのところ、ジョイもルルの真実の顔を知ることが出来たのかは、怪しいと思っている。
こいつもレニーと同じで、「どんな男に抱かれたって、ルルの心は俺だけのモノだ」と思っているんぢゃないかと思う(笑)。
レニーだけでなく、これまでのルルの男たちの中にも、同じように思っていた男たちはいくらでもいたんじゃないかと思う。
だけどジョイが他の誰ともチガウのは、ほんとうに彼はルルの素の顔を知っていた、ということだ。……「10年前」に。
10年前、少女だったルルは白人の男に乱暴されかけ、ジョイに助けられた。恐慌とその中での一縷の救い、という本能剥き出しになっていただろう生の顔をジョイにさらしている。
見たことあったから知っていただけで、ソレなしで現在のルルと出会っていても、ジョイには真実のルルにたどり着かなかったと思うよ。だってジョイ、あまりに青臭い、ふつーにダメな男だもの。
ジョイはヒーローじゃない。
貧しさゆえに引き離されると泣いている子どもたちに、言葉と小銭をやることぐらいしかできない。殺された仲間のために歌うことしかできない。
無力な、ふつーの若い男。
そう、若さ。魂の、若さ。
アンダーソンが持たないモノを、ジョイは持っている。
愛の前に無防備に、傷つこうが失おうがお構いなしに突っ込んでいける。
だからルルは、彼を愛したんだと思う。
このままジョイと一緒にいれば、ルルは「失った自分」を取り戻せたのかもしれないね。
ジョイを愛する心ゆえに、彼女は戻りたかった自分に、戻れたのかもしれない。
だってジョイの瞳に映るルルは、ルルが汚れる前の純真なルルなんだから。
ほんとうのルルは、どこにいたのか。
別れの前、それを隠してジョイと戯れるルル。
「Sweet Black Bird」を歌ってとせがみ、あるはずのない未来に微笑む。
なにも知らないジョイは、恋人の睦言に相好を崩すばかりで。
愛と夢と、幸せな未来を疑いもせず「約束」をするジョイに、ルルが言う。
「あなたが好きよ、ジョイ」
それまでの「ニューオリンズ1美しいクレオール女」のルルではなく、ひとりの、少女の顔になる。
「愛している」ではなくて、「好きよ」。
10代の少女が口にする、告白の言葉のように。
ルルから、「真実」がこぼれ落ちる。あふれ出す。
その唐突さに、ジョイは一瞬ぽかんとして、すぐに微笑む。……ええいこのバカ男、わかってないだろナニも!
そしてルルはすぐに、身を翻すんだ。またいつものルルに戻って、とりつくろうんだ。
今、心が開いた。
ずっとずっと、閉ざしていた、隠していた心が。
ルル本人の意識とも別に、勝手にあふれ出した。
だからルルは、逃げるしかない。
ここにいたら、このままジョイといたら、ルルはもう仮面をつけることができなくなる。本当の自分に戻ってしまう。
別れの言葉なんか、言えるはずがない。
そんなことをしたら……!!
パニックを起こす少女のように、レニーに言付けだけ頼んで去っていく切なさ。
取り乱す姉を見て、呆然とするレニー。
そして。
るんるんしあわせいっぱいでニヤけているジョイ。
……レニーが思わず嘘をついてしまうのも、気持ちはわかる(笑)。
ルルの真実も、その苦悩も慟哭も知らず、このボケ男がっ。と、思い切り傷つけてヨシ。
ただし、ルルに捨てられたと放心しながらも、その愛が揺らぎないことを知ったならば、ルルの本心をちゃんと伝えるべきだったと思う。
それをしなかったのは、レニーの歪み。いや、そーゆーキャラクタだし。
ほんとのとこ、ジョイは「真実のルル」を理解なんかしてなかったと思う。
理解していたら、別れを隠して必死に笑うルルに気づいたろうし、突然少女の表情になって告白する姿に疑問を持ったろう。
それでも、ルルが愛したのはジョイなんだ。
彼女が心を開き、真実の姿に戻ることが出来るのは、ジョイの前でだけなんだ。
ジョイでなければ、ダメだった。
家族でもお金持ちのパトロンでも、神様でもダメだった。
ルルを救うことが出来たのは、ジョイだけだった。
ルルは幸福だったと思う。
「Sweet Black Bird」を聴きながら、生きてきて良かったと、心から魂から微笑んでいたのだと思う。
失ったはずの、真実の顔で。
本心を隠して生きるルル@あすかは、『My dear New Orleans』作中ではほとんど、真実の姿を見せていない、と思う。
台詞にあるように、ルル自身がもうほんとうの自分を見失っているのだとは思う。そうしなければ生きてこられなかったから。
ルルを愛する3人の男たち、ジョイ@トウコ、アンダーソン@しいちゃん、レニー@れおんは、実のところどこまでルルを見ていたんだろう?
「本当のルルを知っているのは俺だけだ」と、3人とも思っているらしいけどねー。
とりあえず、レニーは絶対わかってない(笑)。
ルルを通り過ぎてきた男たちと同じで、彼女の微笑みに「自分にとって都合のいいルル」を見ているに過ぎない。
それでも「実の姉弟である」という事実が彼の自信につながり、ルルの本心がどこにあるとしても深く考えず、安心していられた。
恋人も夫も別れればただの他人だけど、姉弟は他人には絶対にならないから。ルルは永久にレニーの「愛する人」でいられる。
その驕り、油断が、ジョイの出現で揺れ動き、本能的にやばいものを感じた彼は暴走して失敗する。
ジョイ登場でうろたえるってことは、自分が見ていたルルが「真実のルル」でないことを、無意識には感じていたんだろうな。
アンダーソンはひょっとしたら、「わかることができた」人かもしれない。
何故なら彼は、ルルが心を閉ざして生きていることを知っていた。気づいていた。
知っている、ということは、その奥の真実を知ることだって、できたかもしれないんだが……彼は、それを、しなかった。
ルルはおそらく、アンダーソンも幾多の男たちと同じただのパトロンだと思っていただろう。彼女が見せる表の顔を彼女のすべてだと思い、支配しているつもりだろうと。
だがアンダーソンはちがった。
ルル自身がもう見失っている、彼女の真実の存在に気づいていた。
だけど、それがアンダーソンの限界。
知りながら、それを得ようとはしなかった。
たぶん、アンダーソンはもう若くないんだ。年齢ではなく、魂が。
富や地位を得ている彼は、そこまでですでに若さを失っている。なりふり構わず愛のために奔走したり絶叫したりしない。もう、守りに入ってしまっている。
「欲しい」と思うのは、エネルギーだ。前へ出る分、打たれて傷つくかもしれない行為だ。
アンダーソンはもう、そーゆーことをする「青さ」を持っていなかった。
だから彼は最初から言うんだ。「そばにいろ、だが愛はいらない」。
現時点では。
この後彼がどう変わるかまではわからないが。
そして、ジョイは。
……ほんとーのところ、ジョイもルルの真実の顔を知ることが出来たのかは、怪しいと思っている。
こいつもレニーと同じで、「どんな男に抱かれたって、ルルの心は俺だけのモノだ」と思っているんぢゃないかと思う(笑)。
レニーだけでなく、これまでのルルの男たちの中にも、同じように思っていた男たちはいくらでもいたんじゃないかと思う。
だけどジョイが他の誰ともチガウのは、ほんとうに彼はルルの素の顔を知っていた、ということだ。……「10年前」に。
10年前、少女だったルルは白人の男に乱暴されかけ、ジョイに助けられた。恐慌とその中での一縷の救い、という本能剥き出しになっていただろう生の顔をジョイにさらしている。
見たことあったから知っていただけで、ソレなしで現在のルルと出会っていても、ジョイには真実のルルにたどり着かなかったと思うよ。だってジョイ、あまりに青臭い、ふつーにダメな男だもの。
ジョイはヒーローじゃない。
貧しさゆえに引き離されると泣いている子どもたちに、言葉と小銭をやることぐらいしかできない。殺された仲間のために歌うことしかできない。
無力な、ふつーの若い男。
そう、若さ。魂の、若さ。
アンダーソンが持たないモノを、ジョイは持っている。
愛の前に無防備に、傷つこうが失おうがお構いなしに突っ込んでいける。
だからルルは、彼を愛したんだと思う。
このままジョイと一緒にいれば、ルルは「失った自分」を取り戻せたのかもしれないね。
ジョイを愛する心ゆえに、彼女は戻りたかった自分に、戻れたのかもしれない。
だってジョイの瞳に映るルルは、ルルが汚れる前の純真なルルなんだから。
ほんとうのルルは、どこにいたのか。
別れの前、それを隠してジョイと戯れるルル。
「Sweet Black Bird」を歌ってとせがみ、あるはずのない未来に微笑む。
なにも知らないジョイは、恋人の睦言に相好を崩すばかりで。
愛と夢と、幸せな未来を疑いもせず「約束」をするジョイに、ルルが言う。
「あなたが好きよ、ジョイ」
それまでの「ニューオリンズ1美しいクレオール女」のルルではなく、ひとりの、少女の顔になる。
「愛している」ではなくて、「好きよ」。
10代の少女が口にする、告白の言葉のように。
ルルから、「真実」がこぼれ落ちる。あふれ出す。
その唐突さに、ジョイは一瞬ぽかんとして、すぐに微笑む。……ええいこのバカ男、わかってないだろナニも!
そしてルルはすぐに、身を翻すんだ。またいつものルルに戻って、とりつくろうんだ。
今、心が開いた。
ずっとずっと、閉ざしていた、隠していた心が。
ルル本人の意識とも別に、勝手にあふれ出した。
だからルルは、逃げるしかない。
ここにいたら、このままジョイといたら、ルルはもう仮面をつけることができなくなる。本当の自分に戻ってしまう。
別れの言葉なんか、言えるはずがない。
そんなことをしたら……!!
パニックを起こす少女のように、レニーに言付けだけ頼んで去っていく切なさ。
取り乱す姉を見て、呆然とするレニー。
そして。
るんるんしあわせいっぱいでニヤけているジョイ。
……レニーが思わず嘘をついてしまうのも、気持ちはわかる(笑)。
ルルの真実も、その苦悩も慟哭も知らず、このボケ男がっ。と、思い切り傷つけてヨシ。
ただし、ルルに捨てられたと放心しながらも、その愛が揺らぎないことを知ったならば、ルルの本心をちゃんと伝えるべきだったと思う。
それをしなかったのは、レニーの歪み。いや、そーゆーキャラクタだし。
ほんとのとこ、ジョイは「真実のルル」を理解なんかしてなかったと思う。
理解していたら、別れを隠して必死に笑うルルに気づいたろうし、突然少女の表情になって告白する姿に疑問を持ったろう。
それでも、ルルが愛したのはジョイなんだ。
彼女が心を開き、真実の姿に戻ることが出来るのは、ジョイの前でだけなんだ。
ジョイでなければ、ダメだった。
家族でもお金持ちのパトロンでも、神様でもダメだった。
ルルを救うことが出来たのは、ジョイだけだった。
ルルは幸福だったと思う。
「Sweet Black Bird」を聴きながら、生きてきて良かったと、心から魂から微笑んでいたのだと思う。
失ったはずの、真実の顔で。
彼に似ている彼。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月21日 タカラヅカ まっつのそっくりさんがいたんですが。
『第95期宝塚音楽学校文化祭』初日初回観劇。
毎晩暴れん坊猫と戦っているため慢性的に寝不足で、ボケたアタマと重い瞼に喝を入れつつ日舞、ヴォーカル・コンサートを乗り切り、正塚、役名表記なんとかしろ!とニガワラ半分で芝居を乗り切り、たどりついたダンス・コンサート。
まっつがいる? なんか若くてぴっちぴちのまつださんがいますよ?
いやその、最初から気になってはいたんだけど、歌ではあまり出番なかったし、芝居はそもそも出てないしで、「ふーん」ぐらいの気分でいたんだけど。
ダンスではセンター寄りか少人数口でがっつり出まくってますよ、あの顔で。あの顔ってそりゃまっつ顔って意味ですよ。
どどどどうしよう、ドキドキする!(笑)
若いまっつがいて、キラキラ笑顔で踊っている姿を見ると、なんかすごく混乱します。ときめきます。
なんで似てると思うんだろう?
輪郭? でもって顔のパーツの位置? 耳は確実に似ている(笑)。小柄で華奢な体格、スタイルは良い……というほどでもない。これからの補正に期待かな。でもきれーだと思うよ、うん。
これで、鼻が大きければ完璧なのに。
鼻は大きくないです、このそっくりさん。ふつー。わたし的にはソコが惜しいっ(笑)。
わたしの主観でしかないので、別の人から見たら「どこがまっつ? ぜんぜん似てないし!」てなもんかもしれんが、わたしには似て見えたのよ!!
ただでさえダンス場面は団体戦で誰が誰だかわからないのに、まっつガン見で終わってしまった。
いつもいつも、まずまっつが出ているかどうかを探してしまう。んで、見つけたら視点固定。オペラグラス不要超前方席にて、ひたすら彼だけを見つめる。
あああ、他に誰も見てない、見ている暇がなかったっ。
今までの文化祭で、いちばん誰が誰だかわかんないままで終わった文化祭かも。
でも、まっつな彼と出会えたので、なんの悔いもナシ。
あの子、芸名なんていうんだろう?(文化祭プログラムには本名しか載っていない)
口上いつだろう?(行く気かいっ?)
てゆーかなんで芝居、彼が出ていない回しかチケット持ってないのよー。
音校の文化祭は、日舞・歌・ダンスは全員出演するけれど、唯一芝居だけはグループ制で、12時開演チームと16時開演チームがあり、どちらかにしか出演しないの。
第1部の日舞と歌で興味を持った生徒さんの多くが、わたしの観た回の芝居には出演しなかった……。まっつ似の彼も、そのひとり。
あきらめきれなくて、サバキ待ちしたんですが、とーぜんだが文化祭チケットが手に入るはずもなく。
わーん、演技している、声を出している彼が見たかったよお。入団したって新人なんて役がつかない限り演技も見られない、声も聞けないんだからさー。んで、若くして辞める子だって多いんだから、下手したら舞台上で個別認識できないまま終わっちゃうかもしれないんだからさー。
唯一の確実な機会である文化祭で、芝居が観たかった……。
しょぼん。
いやあ、いつにないときめきですわ。
まっつに似てる、というのは単に「贔屓に似ている」というだけでなく、好みの顔であるということだから。
わたしがまっつを好きになったのは、まず、顔ありきだから。
好みの顔のかわいこちゃんが、すげー気持ちのいいキラキラ笑顔で、びしばし踊ってるんだよー。ときめくじゃないかあ。
ダンサーなんだ? あのポジションにいるってことは。バレリーナなのかな、特にバレエでよく踊っていたような。
わたしはダンスの巧いヘタはよくわかってないんだが、踊る姿にもまっつを重ねてしまったので、好みの動きをしてくれてるんだと思うよ。
なんかすげーおぼこいなーと思ったら、中卒ですよ、プロフィール。つーとまだ17歳、誕生日来てなかったら16歳ですがなヲイ。
まっつなのにそんなに若くていいの?!(ちがいます)
えー、他の文化祭感想はまたいずれ。
てゆーかやっぱ、2回とも観たいよね、文化祭って。今まで2回観られたことってないから、どの子の芝居を観ることが出来るかは、まったくの「運」でしかない。
芝居を観ることが出来た子には、けっこー肩入れしちゃうんだよなー、個別認識できるようになるから。
『第95期宝塚音楽学校文化祭』初日初回観劇。
毎晩暴れん坊猫と戦っているため慢性的に寝不足で、ボケたアタマと重い瞼に喝を入れつつ日舞、ヴォーカル・コンサートを乗り切り、正塚、役名表記なんとかしろ!とニガワラ半分で芝居を乗り切り、たどりついたダンス・コンサート。
まっつがいる? なんか若くてぴっちぴちのまつださんがいますよ?
いやその、最初から気になってはいたんだけど、歌ではあまり出番なかったし、芝居はそもそも出てないしで、「ふーん」ぐらいの気分でいたんだけど。
ダンスではセンター寄りか少人数口でがっつり出まくってますよ、あの顔で。あの顔ってそりゃまっつ顔って意味ですよ。
どどどどうしよう、ドキドキする!(笑)
若いまっつがいて、キラキラ笑顔で踊っている姿を見ると、なんかすごく混乱します。ときめきます。
なんで似てると思うんだろう?
輪郭? でもって顔のパーツの位置? 耳は確実に似ている(笑)。小柄で華奢な体格、スタイルは良い……というほどでもない。これからの補正に期待かな。でもきれーだと思うよ、うん。
これで、鼻が大きければ完璧なのに。
鼻は大きくないです、このそっくりさん。ふつー。わたし的にはソコが惜しいっ(笑)。
わたしの主観でしかないので、別の人から見たら「どこがまっつ? ぜんぜん似てないし!」てなもんかもしれんが、わたしには似て見えたのよ!!
ただでさえダンス場面は団体戦で誰が誰だかわからないのに、まっつガン見で終わってしまった。
いつもいつも、まずまっつが出ているかどうかを探してしまう。んで、見つけたら視点固定。オペラグラス不要超前方席にて、ひたすら彼だけを見つめる。
あああ、他に誰も見てない、見ている暇がなかったっ。
今までの文化祭で、いちばん誰が誰だかわかんないままで終わった文化祭かも。
でも、まっつな彼と出会えたので、なんの悔いもナシ。
あの子、芸名なんていうんだろう?(文化祭プログラムには本名しか載っていない)
口上いつだろう?(行く気かいっ?)
てゆーかなんで芝居、彼が出ていない回しかチケット持ってないのよー。
音校の文化祭は、日舞・歌・ダンスは全員出演するけれど、唯一芝居だけはグループ制で、12時開演チームと16時開演チームがあり、どちらかにしか出演しないの。
第1部の日舞と歌で興味を持った生徒さんの多くが、わたしの観た回の芝居には出演しなかった……。まっつ似の彼も、そのひとり。
あきらめきれなくて、サバキ待ちしたんですが、とーぜんだが文化祭チケットが手に入るはずもなく。
わーん、演技している、声を出している彼が見たかったよお。入団したって新人なんて役がつかない限り演技も見られない、声も聞けないんだからさー。んで、若くして辞める子だって多いんだから、下手したら舞台上で個別認識できないまま終わっちゃうかもしれないんだからさー。
唯一の確実な機会である文化祭で、芝居が観たかった……。
しょぼん。
いやあ、いつにないときめきですわ。
まっつに似てる、というのは単に「贔屓に似ている」というだけでなく、好みの顔であるということだから。
わたしがまっつを好きになったのは、まず、顔ありきだから。
好みの顔のかわいこちゃんが、すげー気持ちのいいキラキラ笑顔で、びしばし踊ってるんだよー。ときめくじゃないかあ。
ダンサーなんだ? あのポジションにいるってことは。バレリーナなのかな、特にバレエでよく踊っていたような。
わたしはダンスの巧いヘタはよくわかってないんだが、踊る姿にもまっつを重ねてしまったので、好みの動きをしてくれてるんだと思うよ。
なんかすげーおぼこいなーと思ったら、中卒ですよ、プロフィール。つーとまだ17歳、誕生日来てなかったら16歳ですがなヲイ。
まっつなのにそんなに若くていいの?!(ちがいます)
えー、他の文化祭感想はまたいずれ。
てゆーかやっぱ、2回とも観たいよね、文化祭って。今まで2回観られたことってないから、どの子の芝居を観ることが出来るかは、まったくの「運」でしかない。
芝居を観ることが出来た子には、けっこー肩入れしちゃうんだよなー、個別認識できるようになるから。
肯定する。@My dear New Orleans
2009年2月20日 タカラヅカ なにしろ、「運命」の恋なので。
初日から号泣している『My dear New Orleans』、散漫なところ、浅いところは脳内補完しております。
特に人種差別と「アイーダの信念」あたりは、いくらなんでもとってつけた感が強く、うすっぺらいので歌だけ聴いてスルーしています。
恋愛にかまけて仲間を見捨ててるっぽいジョイの男ぶりが下がるしさ、あのへんで。
大人の演じる幼児が苦手だという個人的都合もあり、すぐに孤児を出す景子タンの手法(ex.『堕天使の涙』)に引く部分もあるんだがまあ、少しでも役を多くしようという努力の表れなら仕方ないのかなあと思ってみたりなんだり。
てゆーかもー、メロドラマに終始してくれていいよ。
ジョイ@トウコの「青春の我が町を振り返る物語」として、一点集中して観ているから。
脳内では少年少女時代も、トウコとあすかだから(笑)。
子役のミッキーやキトリに含みがあるわけではなく。
ジョイとルル@あすかの「運命」の恋にだけオペラグラスを合わせて観ていると、十分ドラマティック。
ええ、ぶっちゃけ大劇場でやる話ぢゃないってだけなんですけどね。
少人数でバウでやるべき内容であり、演出なんですがね。
主人公とその恋人の、繊細な心の変化やすれ違い、会話によるやりとりを楽しみ、直接描かれていない行間を読むもので、2500人劇場で役者の顔も見えない状態で、一見さんや団体客相手にやるべき内容じゃない。
大劇場用にとってつけた部分がみんな、上滑りしている印象。
バウで少人数でやっているなら、アンダーソン@しいちゃんとレニー@れおんは、役をふたつに分ける必要はなく、リチャード@『HOLLYWOOD LOVER』ひとりで事が足りたんだ。
『ハリラバ』の焼き直しだから仕方ないっちゃ仕方ないんだが、料理の仕方をあちこちミスっているなと。
てなことは置くとして、とにかく、メロドラマ上等。
出会いのときからずっと心をつないで、10年後の再会に至るわけだから、その後の展開も納得なのよ。
ジョイがルルをストーカーするのも、変じゃないの。ルルだってわかってるの。パーティ会場で別れてハイおしまい、でないことは。
心を閉ざしているルルは、なにかにつれ壁を作るふりをするけれど、ふりでしかない。
ルルの部屋で「Sweet Black Bird」をジョイが歌ったその日から、ふたりは恋人同士としてつきあってるんだよね。あまりに演出不足でわかりにくいけど。
ルルの部屋からジョイが出勤していくとか、あたりまえにあるわけだよね。
レニーが嫉妬して邪魔をしてくるくらいには、ちゃんとつきあっていたんだよね。
少年時代の出会いが子役だから「運命」の恋を印象づけにくいわ、再会後の「恋人同士」としてのジョイとルルを描いてくれないわで、景子タン演出のままだとジョイが独り相撲の残念な人になってますよ、どうしましょう。
10年も前に一度会っただけ、ちょっと喋っただけの女の子がすげー美人になっていたからストーカーして家まで押しかけ、ラヴソング歌って口説いて、でもとくにナニもしていないうちからつきまとっていることが周囲にばれて、見せしめに職を閉ざされ仲間に迷惑を掛けている男、になってますがな。
しかも肝心の彼女には、衆人のもと「アンタなんか相手にするわけないじゃない」と切り捨てられて。なんかすげー恥ずかしい男に成り下がってますけど?!
そーぢゃなくて、ほんとにジョイとルルはつきあってたんだってば。エロエロもいちゃいちゃもしてたんだってば。
自然に息をするように、砂が水を吸い込むように、ふたりでいることが正しいことだったんだよ。
なんでその場面を描かないのかな。
心を閉ざしたままのルルがそれでもふと、ジョイに寄り添って真実の顔を見せそうになって、はっとして身を翻す、そんな関係であったとしても、たしかに「愛」によってふたりは共に過ごしていた。
ルルがありのままの心を開かないのは、彼女の半生にもあるし、アンダーソンの愛人である現在の立場もある。
そこが引っかかったまま、大人であるところのジョイとルルは愛を重ね、躰を重ね、ある意味ままごとのような時を過ごしていたのに。
自分の立場とジョイを守るために、ルルがわざとジョイを突き放す。
「カンチガイしないでよ」と嘯き、アンダーソンに口づけるルルと、それに傷つくジョイのせつなさが際立つんじゃないか。
ラヴラヴな部分を描かず、いきなり突き放されてもなー。ぶつぶつ。
恋人としてつきあっていたのに、いきなり拒絶されたもんだから、納得できないジョイは再度彼女に詰め寄り、今度こそ心を得る。
心のままに生きることなんかできない、生まれてきて良かったと思えない……そんな傷つききった彼女に、未来を、希望を見せる。
ふたりでやりなおすこと。
囲われ者のままつきあうのではなく、ふたりだけで生きる未来を。希望を。
と、持ち上げておいて、レニーのおイタによって全部おじゃん、弟の命と引き換えにルルはアンダーソンと共にサンフランシスコへ行くことになる。
ルルの家族の描き方も問題ありまくり、ツッコミありまくりなんだけど、まあそれも置いておいて。
重要なのはメロドラマだから。
ふたりで手に手を取って愛の逃避行! と盛り上がったところで、女は愛以外の足枷で泣く泣く別れなければならない、というのがポイントですから。ソコへ持っていくための筋立て道具立てが多少変でも強引でも気にしていては負けだ!
ジョイからしてみりゃ、
1・少年時代に出会った「運命」の恋
2・奇跡の再会
3・ラヴラヴ恋人時代
4・突然の拒絶!
5・拒絶したのは、彼女の心のキズゆえだった! 理由がわかって納得!
6・過去を乗り越えて、ふたりで愛の地平線! ←今ココ
5章と6章の間で、レニーがバカやってルルがさらに足枷つけられちゃったことなんて、知りようもないから。
将来を誓い合った恋人に、「さあ、一緒に行こう!」と未来予想図掲げてやってきて、まさか置き去りにされるとは、思ってないから。
ジョイは最初から最後まで、一貫している。気持ちはまったく途切れていない。
だから、出来事のひとつひとつに素直に揺れ動く。
つれなくするルルに追いすがり、かき口説きもするし、騙されて置いていかれて、呆然ともする。
ジョイの心の揺れ、そしてその恋を凝視する。
世界の命運も国の未来も関わらない、たかが市井のひとりの男の恋、でしかない、小さな小さな物語。
だけど。
そこには、多くのものが、凝縮されている。
人間の細胞の中に宇宙があるように、ありきたりなふつーの男の恋に、人生に、安蘭けいの、男役集大成がある。
繊細で、リアルな表現。
痛々しさ、切なさ、みじめさ。
こぼれる愛と、よろこび。ついでに、エロ(笑)。
見たかったトウコが、たしかにそこにある。
ジョイを見つめ、ルルを愛し、ジョイの愛を受け止めて。
彼の人生に、涙する。
「生まれてきて、良かった」……ルルの最後の言葉に、人生の答えを得て、よろこびの声を上げる。
なにひとつ、まちがってなんか、いなかった。
寄り道、回り道に思えたことも。
つまずきも、涙も、逡巡も。
全部全部、肯定して。
仲間たちのいる世界で、ジョイは微笑んで旅立っていくんだ。
ダイスキだよ、ジョイ。そして、ジョイを息づかせてくれる、トウコちゃんがトウコちゃんであることすべてを、ダイスキだと思う。
初日から号泣している『My dear New Orleans』、散漫なところ、浅いところは脳内補完しております。
特に人種差別と「アイーダの信念」あたりは、いくらなんでもとってつけた感が強く、うすっぺらいので歌だけ聴いてスルーしています。
恋愛にかまけて仲間を見捨ててるっぽいジョイの男ぶりが下がるしさ、あのへんで。
大人の演じる幼児が苦手だという個人的都合もあり、すぐに孤児を出す景子タンの手法(ex.『堕天使の涙』)に引く部分もあるんだがまあ、少しでも役を多くしようという努力の表れなら仕方ないのかなあと思ってみたりなんだり。
てゆーかもー、メロドラマに終始してくれていいよ。
ジョイ@トウコの「青春の我が町を振り返る物語」として、一点集中して観ているから。
脳内では少年少女時代も、トウコとあすかだから(笑)。
子役のミッキーやキトリに含みがあるわけではなく。
ジョイとルル@あすかの「運命」の恋にだけオペラグラスを合わせて観ていると、十分ドラマティック。
ええ、ぶっちゃけ大劇場でやる話ぢゃないってだけなんですけどね。
少人数でバウでやるべき内容であり、演出なんですがね。
主人公とその恋人の、繊細な心の変化やすれ違い、会話によるやりとりを楽しみ、直接描かれていない行間を読むもので、2500人劇場で役者の顔も見えない状態で、一見さんや団体客相手にやるべき内容じゃない。
大劇場用にとってつけた部分がみんな、上滑りしている印象。
バウで少人数でやっているなら、アンダーソン@しいちゃんとレニー@れおんは、役をふたつに分ける必要はなく、リチャード@『HOLLYWOOD LOVER』ひとりで事が足りたんだ。
『ハリラバ』の焼き直しだから仕方ないっちゃ仕方ないんだが、料理の仕方をあちこちミスっているなと。
てなことは置くとして、とにかく、メロドラマ上等。
出会いのときからずっと心をつないで、10年後の再会に至るわけだから、その後の展開も納得なのよ。
ジョイがルルをストーカーするのも、変じゃないの。ルルだってわかってるの。パーティ会場で別れてハイおしまい、でないことは。
心を閉ざしているルルは、なにかにつれ壁を作るふりをするけれど、ふりでしかない。
ルルの部屋で「Sweet Black Bird」をジョイが歌ったその日から、ふたりは恋人同士としてつきあってるんだよね。あまりに演出不足でわかりにくいけど。
ルルの部屋からジョイが出勤していくとか、あたりまえにあるわけだよね。
レニーが嫉妬して邪魔をしてくるくらいには、ちゃんとつきあっていたんだよね。
少年時代の出会いが子役だから「運命」の恋を印象づけにくいわ、再会後の「恋人同士」としてのジョイとルルを描いてくれないわで、景子タン演出のままだとジョイが独り相撲の残念な人になってますよ、どうしましょう。
10年も前に一度会っただけ、ちょっと喋っただけの女の子がすげー美人になっていたからストーカーして家まで押しかけ、ラヴソング歌って口説いて、でもとくにナニもしていないうちからつきまとっていることが周囲にばれて、見せしめに職を閉ざされ仲間に迷惑を掛けている男、になってますがな。
しかも肝心の彼女には、衆人のもと「アンタなんか相手にするわけないじゃない」と切り捨てられて。なんかすげー恥ずかしい男に成り下がってますけど?!
そーぢゃなくて、ほんとにジョイとルルはつきあってたんだってば。エロエロもいちゃいちゃもしてたんだってば。
自然に息をするように、砂が水を吸い込むように、ふたりでいることが正しいことだったんだよ。
なんでその場面を描かないのかな。
心を閉ざしたままのルルがそれでもふと、ジョイに寄り添って真実の顔を見せそうになって、はっとして身を翻す、そんな関係であったとしても、たしかに「愛」によってふたりは共に過ごしていた。
ルルがありのままの心を開かないのは、彼女の半生にもあるし、アンダーソンの愛人である現在の立場もある。
そこが引っかかったまま、大人であるところのジョイとルルは愛を重ね、躰を重ね、ある意味ままごとのような時を過ごしていたのに。
自分の立場とジョイを守るために、ルルがわざとジョイを突き放す。
「カンチガイしないでよ」と嘯き、アンダーソンに口づけるルルと、それに傷つくジョイのせつなさが際立つんじゃないか。
ラヴラヴな部分を描かず、いきなり突き放されてもなー。ぶつぶつ。
恋人としてつきあっていたのに、いきなり拒絶されたもんだから、納得できないジョイは再度彼女に詰め寄り、今度こそ心を得る。
心のままに生きることなんかできない、生まれてきて良かったと思えない……そんな傷つききった彼女に、未来を、希望を見せる。
ふたりでやりなおすこと。
囲われ者のままつきあうのではなく、ふたりだけで生きる未来を。希望を。
と、持ち上げておいて、レニーのおイタによって全部おじゃん、弟の命と引き換えにルルはアンダーソンと共にサンフランシスコへ行くことになる。
ルルの家族の描き方も問題ありまくり、ツッコミありまくりなんだけど、まあそれも置いておいて。
重要なのはメロドラマだから。
ふたりで手に手を取って愛の逃避行! と盛り上がったところで、女は愛以外の足枷で泣く泣く別れなければならない、というのがポイントですから。ソコへ持っていくための筋立て道具立てが多少変でも強引でも気にしていては負けだ!
ジョイからしてみりゃ、
1・少年時代に出会った「運命」の恋
2・奇跡の再会
3・ラヴラヴ恋人時代
4・突然の拒絶!
5・拒絶したのは、彼女の心のキズゆえだった! 理由がわかって納得!
6・過去を乗り越えて、ふたりで愛の地平線! ←今ココ
5章と6章の間で、レニーがバカやってルルがさらに足枷つけられちゃったことなんて、知りようもないから。
将来を誓い合った恋人に、「さあ、一緒に行こう!」と未来予想図掲げてやってきて、まさか置き去りにされるとは、思ってないから。
ジョイは最初から最後まで、一貫している。気持ちはまったく途切れていない。
だから、出来事のひとつひとつに素直に揺れ動く。
つれなくするルルに追いすがり、かき口説きもするし、騙されて置いていかれて、呆然ともする。
ジョイの心の揺れ、そしてその恋を凝視する。
世界の命運も国の未来も関わらない、たかが市井のひとりの男の恋、でしかない、小さな小さな物語。
だけど。
そこには、多くのものが、凝縮されている。
人間の細胞の中に宇宙があるように、ありきたりなふつーの男の恋に、人生に、安蘭けいの、男役集大成がある。
繊細で、リアルな表現。
痛々しさ、切なさ、みじめさ。
こぼれる愛と、よろこび。ついでに、エロ(笑)。
見たかったトウコが、たしかにそこにある。
ジョイを見つめ、ルルを愛し、ジョイの愛を受け止めて。
彼の人生に、涙する。
「生まれてきて、良かった」……ルルの最後の言葉に、人生の答えを得て、よろこびの声を上げる。
なにひとつ、まちがってなんか、いなかった。
寄り道、回り道に思えたことも。
つまずきも、涙も、逡巡も。
全部全部、肯定して。
仲間たちのいる世界で、ジョイは微笑んで旅立っていくんだ。
ダイスキだよ、ジョイ。そして、ジョイを息づかせてくれる、トウコちゃんがトウコちゃんであることすべてを、ダイスキだと思う。
それは、「運命」の恋。@My dear New Orleans
2009年2月19日 タカラヅカ 嘘だけで固められた世界に、真実があるとするならば。
闇に閉ざされた世界に、光があるとするならば。
真実は、あのひとだ。
光は、あのひとだ。
あのひとこそが、私が生きる意味。
『My dear New Orleans』にて描き出される「愛の物語」に号泣する。
主にジョイ@トウコ視点で描かれる物語ではあるが、そこにあるルル@あすかの想いもまた、短いながら確実な輝きを持っている。
景子せんせ作品の欠点である多重構造、喋りすぎの後日談、構成は無駄にややこしいのにストーリーが単調かつ散漫だったりして、いろいろアレレなことにはなってはいるが。
それはともかく、ジョイとルルの「運命」の恋を楽しむことができて、わたしは好きだ。
差別と貧しさゆえに父親に売られたルルにとって、世界は醜いものでしかない。絶望しかない。
助けてくれる者もないまま彼女は身を汚し、心を削って生きてきたのだろう。
世界に絶望したなら、死ねばいい。世界を否定すれぱいい。だけど彼女は心を閉ざしながらも生き続ける。彼女が養わなければならない家族があったとしても、それらすら投げ出す選択肢はあったはずだ。
それでも彼女が、生き続けたのは。
たったひとつだけ、救いがあったからだ。
この汚い世の中で、なんの見返りもなく、良心だけで、優しさだけで彼女を助けてくれた少年。
彼女を助けたことで罪に問われた少年。
この世界にただひとつ美しいものがあるとしたら、それはあのひとだ。
あのひとを想う、この気持ちだけだ。
少年のその後を知ることは物理的に可能だったろうけれど、心情的にはできなかった。彼女のせいで投獄された彼が、彼女をどう思うか、あのときは胸を張って行った正義でも、後悔しているかもしれない。
ルルを助けてくれた少年のまっすぐな瞳が生きる救いであったのに、もしも彼の心が曇っていたら、それを見せつけられたら、もうルルは生きていけない。
だから、あえて彼を探すことなくひとりで生き続ける。戦い続ける。
また、彼が人生と引き換えに守ってくれた身体も、生きるために売るしかなかった。そんな姿を見せられるはずもない。
闇の中で、絶望の中で、ルルはあの日の少年を想い続ける。
彼が真実。彼が光。彼だけが、生きる意味。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少年は、なんの曇りもない瞳で、もう少女ではないルルを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
少年ジョイにとっても。
ルルとの出会いは、心の正しさで生きていけると信じるまっすぐな少年に打ち込まれる、現実という名の杭だった。
混血児である彼は、おそらく理不尽な目にいろいろ遭ってきただろうが、人生最初で最大の悲劇だったんじゃないだろうか。暴行されている少女を助け、投獄されるなんてのは。
長く生きていればいろんなことがあるが、なにしろまだ少年だ。自分を取り巻く限られた社会しか知らない。ジョイの性格からして、彼の狭い世界の中では人気者のリーダータイプだったんだろう。才気煥発で顔立ち気だてが良く、大人からも子どもからも愛される、それゆえちょっと無謀なところもある男の子。
困っている人がいたら迷わず助けたり、悪漢から女の子を守ったりするのは、彼にとっては特別なことではなく、ふつーのこと。正しいことをするのに、躊躇なんてない。……世間を知っていたら、「正しい」だけで生きていけないことぐらいわかるだろうに、当時の彼にはそれがまだない。
正しいことをしたのに、彼は断罪された。
それは、どれほどの衝撃か。
それまでの彼の小さな世界を、生き方を、根こそぎ否定する出来事。
それでも彼は、「正しさ」にしがみつく。
俺はまちがっていない、と。
そう。
まちがっているのは、「世界」の方。
世界はこんなにも醜い。そして、「まちがっている」とわかってなお、ジョイにはそれを正す力はない。
それは、「まちがい」ではないのか?
「まちがってる」とわかっていて、なにも出来ない自分はもうすでに「まちがっている」存在だろう。
何百回も言われただろう、「バカなことをした」と。クレオールの少女を助けるためにクレオールのジョイが、白人に暴力をふるうなんて、自殺行為。言われるたびに「俺は正しい」と言いながら……迷った、はずだ。後悔、したはずだ。
あの少女を助けなければ、こんなことにはならなかったのに……。
そんな自分の心の弱さすら、否定して。頑なに、唱え続けるだろう。「俺は正しいことをしただけだ」
現実の苦さ、残酷さ。
すがりつく矜持と自我。
迷いの中で、混沌の中で、何度も反芻する。
泣き崩れた少女のこと。
絶望した、少女のこと。
世界は「まちがっている」。
あの女の子が白人に金で買われるのも、それを助けようとした自分が投獄されるのも、みんなみんなまちがっている。
だけどジョイはあきらめたくない。
世界を。
生きることを。
ジョイ……「喜び」という名を持つ彼は、前を向こうとする。
このまちがった世界で、それでもジョイは知っている。光があることを。
彼には家族がいて、仲間がいる。音楽がある。
だから彼は、絶望に染まることはない。
どれほど迷っても、傷ついても。
そして。
何度も何度も、反芻する。
あの少女のことを。
助けられなかった少女。泣いたままだった少女。
彼女は、絶望したままだろうか。傷ついたままだろうか。
生まれてきたことを、後悔したままだろうか。
ずっとずっと、心に刺さった棘。
「まちがっている」世界に、置き去りにしてしまった少女。ジョイに力がないばかりに、絶望のまま手を離してしまった少女。
救いたかったのに。
笑って、ほしかったのに。
ジョイは大人になり、少年のときのような無謀さは影を潜めた。できることとできないことを知り、「まちがっている」世界で波風立てず生きていくすべも覚えた。
心に棘を、残したまま。
あの日の少女を、歌を、胸の奥深くに残したまま。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少女は、誰よりも美しくされど空虚さを宿した瞳で、もう少年ではないジョイを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
それは、「運命」の恋だった。
10年間、ずっとずっと、魂に埋め込まれていた種が、芽吹いたんだ。
再会した、そのときに。
ルルの姿を見たジョイが、10年前の彼女のための曲を歌わずにいられないように。
ジョイをあの日の少年だと気づいたルルが、実力者の愛人の身でありながら、感謝のキスをせずにはいられないように。
結びついていた魂を再び離すことなんかできないと、彼らの運命が警鐘を鳴らしているんだ。
えーと。
『My dear New Orleans』の欠点はいろいろあると思うけどさ。
景子せんせの最大の失敗は、ふたりの出会いを子役にやらせたことだ。
10年前の出会いのときから、運命は回り出していた。
なのに、やたら「回想」にこだわる景子タンは『HOLLYWOOD LOVER』に引き続き、別の役者に少年少女時代を演じさせ、気持ちの断絶を作ってしまった。
チガウチガウ、絶対ソレちがう、大失敗。
少年ジョイも、少女ルルも、トウコとあすかに演じさせるべきだった。
そうすればふたりは、「一目惚れよ~~♪」「愛、愛、愛~~♪」と歌わなくても、それらしい台詞のひとつもなくても、まぎれもなく「運命のふたり」を演じてくれただろう。
そのときは互いの気持ちに気づくことはなくても、今の台詞のままなんの改稿もなくても、大人になって再会したときに気持ちがつながっていただろう。
年齢の問題?
んなもん、天下の安蘭けい様ならば、ティーンエイジャーぐらい朝飯前で演じてくれるさ。(ex.ロビンフッド様@『ヘイズ・コード』)
闇に閉ざされた世界に、光があるとするならば。
真実は、あのひとだ。
光は、あのひとだ。
あのひとこそが、私が生きる意味。
『My dear New Orleans』にて描き出される「愛の物語」に号泣する。
主にジョイ@トウコ視点で描かれる物語ではあるが、そこにあるルル@あすかの想いもまた、短いながら確実な輝きを持っている。
景子せんせ作品の欠点である多重構造、喋りすぎの後日談、構成は無駄にややこしいのにストーリーが単調かつ散漫だったりして、いろいろアレレなことにはなってはいるが。
それはともかく、ジョイとルルの「運命」の恋を楽しむことができて、わたしは好きだ。
差別と貧しさゆえに父親に売られたルルにとって、世界は醜いものでしかない。絶望しかない。
助けてくれる者もないまま彼女は身を汚し、心を削って生きてきたのだろう。
世界に絶望したなら、死ねばいい。世界を否定すれぱいい。だけど彼女は心を閉ざしながらも生き続ける。彼女が養わなければならない家族があったとしても、それらすら投げ出す選択肢はあったはずだ。
それでも彼女が、生き続けたのは。
たったひとつだけ、救いがあったからだ。
この汚い世の中で、なんの見返りもなく、良心だけで、優しさだけで彼女を助けてくれた少年。
彼女を助けたことで罪に問われた少年。
この世界にただひとつ美しいものがあるとしたら、それはあのひとだ。
あのひとを想う、この気持ちだけだ。
少年のその後を知ることは物理的に可能だったろうけれど、心情的にはできなかった。彼女のせいで投獄された彼が、彼女をどう思うか、あのときは胸を張って行った正義でも、後悔しているかもしれない。
ルルを助けてくれた少年のまっすぐな瞳が生きる救いであったのに、もしも彼の心が曇っていたら、それを見せつけられたら、もうルルは生きていけない。
だから、あえて彼を探すことなくひとりで生き続ける。戦い続ける。
また、彼が人生と引き換えに守ってくれた身体も、生きるために売るしかなかった。そんな姿を見せられるはずもない。
闇の中で、絶望の中で、ルルはあの日の少年を想い続ける。
彼が真実。彼が光。彼だけが、生きる意味。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少年は、なんの曇りもない瞳で、もう少女ではないルルを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
少年ジョイにとっても。
ルルとの出会いは、心の正しさで生きていけると信じるまっすぐな少年に打ち込まれる、現実という名の杭だった。
混血児である彼は、おそらく理不尽な目にいろいろ遭ってきただろうが、人生最初で最大の悲劇だったんじゃないだろうか。暴行されている少女を助け、投獄されるなんてのは。
長く生きていればいろんなことがあるが、なにしろまだ少年だ。自分を取り巻く限られた社会しか知らない。ジョイの性格からして、彼の狭い世界の中では人気者のリーダータイプだったんだろう。才気煥発で顔立ち気だてが良く、大人からも子どもからも愛される、それゆえちょっと無謀なところもある男の子。
困っている人がいたら迷わず助けたり、悪漢から女の子を守ったりするのは、彼にとっては特別なことではなく、ふつーのこと。正しいことをするのに、躊躇なんてない。……世間を知っていたら、「正しい」だけで生きていけないことぐらいわかるだろうに、当時の彼にはそれがまだない。
正しいことをしたのに、彼は断罪された。
それは、どれほどの衝撃か。
それまでの彼の小さな世界を、生き方を、根こそぎ否定する出来事。
それでも彼は、「正しさ」にしがみつく。
俺はまちがっていない、と。
そう。
まちがっているのは、「世界」の方。
世界はこんなにも醜い。そして、「まちがっている」とわかってなお、ジョイにはそれを正す力はない。
それは、「まちがい」ではないのか?
「まちがってる」とわかっていて、なにも出来ない自分はもうすでに「まちがっている」存在だろう。
何百回も言われただろう、「バカなことをした」と。クレオールの少女を助けるためにクレオールのジョイが、白人に暴力をふるうなんて、自殺行為。言われるたびに「俺は正しい」と言いながら……迷った、はずだ。後悔、したはずだ。
あの少女を助けなければ、こんなことにはならなかったのに……。
そんな自分の心の弱さすら、否定して。頑なに、唱え続けるだろう。「俺は正しいことをしただけだ」
現実の苦さ、残酷さ。
すがりつく矜持と自我。
迷いの中で、混沌の中で、何度も反芻する。
泣き崩れた少女のこと。
絶望した、少女のこと。
世界は「まちがっている」。
あの女の子が白人に金で買われるのも、それを助けようとした自分が投獄されるのも、みんなみんなまちがっている。
だけどジョイはあきらめたくない。
世界を。
生きることを。
ジョイ……「喜び」という名を持つ彼は、前を向こうとする。
このまちがった世界で、それでもジョイは知っている。光があることを。
彼には家族がいて、仲間がいる。音楽がある。
だから彼は、絶望に染まることはない。
どれほど迷っても、傷ついても。
そして。
何度も何度も、反芻する。
あの少女のことを。
助けられなかった少女。泣いたままだった少女。
彼女は、絶望したままだろうか。傷ついたままだろうか。
生まれてきたことを、後悔したままだろうか。
ずっとずっと、心に刺さった棘。
「まちがっている」世界に、置き去りにしてしまった少女。ジョイに力がないばかりに、絶望のまま手を離してしまった少女。
救いたかったのに。
笑って、ほしかったのに。
ジョイは大人になり、少年のときのような無謀さは影を潜めた。できることとできないことを知り、「まちがっている」世界で波風立てず生きていくすべも覚えた。
心に棘を、残したまま。
あの日の少女を、歌を、胸の奥深くに残したまま。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少女は、誰よりも美しくされど空虚さを宿した瞳で、もう少年ではないジョイを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
それは、「運命」の恋だった。
10年間、ずっとずっと、魂に埋め込まれていた種が、芽吹いたんだ。
再会した、そのときに。
ルルの姿を見たジョイが、10年前の彼女のための曲を歌わずにいられないように。
ジョイをあの日の少年だと気づいたルルが、実力者の愛人の身でありながら、感謝のキスをせずにはいられないように。
結びついていた魂を再び離すことなんかできないと、彼らの運命が警鐘を鳴らしているんだ。
えーと。
『My dear New Orleans』の欠点はいろいろあると思うけどさ。
景子せんせの最大の失敗は、ふたりの出会いを子役にやらせたことだ。
10年前の出会いのときから、運命は回り出していた。
なのに、やたら「回想」にこだわる景子タンは『HOLLYWOOD LOVER』に引き続き、別の役者に少年少女時代を演じさせ、気持ちの断絶を作ってしまった。
チガウチガウ、絶対ソレちがう、大失敗。
少年ジョイも、少女ルルも、トウコとあすかに演じさせるべきだった。
そうすればふたりは、「一目惚れよ~~♪」「愛、愛、愛~~♪」と歌わなくても、それらしい台詞のひとつもなくても、まぎれもなく「運命のふたり」を演じてくれただろう。
そのときは互いの気持ちに気づくことはなくても、今の台詞のままなんの改稿もなくても、大人になって再会したときに気持ちがつながっていただろう。
年齢の問題?
んなもん、天下の安蘭けい様ならば、ティーンエイジャーぐらい朝飯前で演じてくれるさ。(ex.ロビンフッド様@『ヘイズ・コード』)
誰だって、自分の闇は見たくない。知られたくない。@太王四神記
2009年2月18日 タカラヅカ 親を殺した犯人を、許せるかどうか。
『太王四神記』には、妊婦と出産がてんこ盛りだが、「殺される親」もてんこ盛りなんだよなー。妙な話だよまったく。
描かれ方に問題ありまくりだと思うし、イケコ脚本はわたしの理解の範疇にないのでスルーするとして、ポイントのみを考える。
主人公タムドク@まとぶんと、準主役ヨン・ホゲ@ゆーひ。
ふたりの男たちは共に、愛する人に、親を殺された。
ホゲの母は親友タムドクに殺され、タムドクの父は恋人キハ@彩音ちゃんに殺された。
真実はどうあれ、事実としてあるのはこの事柄。
その結果として、ホゲはタムドクを許すことが出来ず自滅し、タムドクはキハを許してハッピーエンドだ。
ほんとうのところキハはヤン王@星原先輩を殺してはいないんだけど、たとえ親殺しの犯人であったとしても、タムドクはキハを許している。
ほんとうのところタムドクはホゲ母@じゅりあを殺していない、彼女の罪を公にすることなく自殺させたことは、彼女と彼女の家族の地位と名誉を守る行為であったわけだし、そんなことはホゲだってわかっていそーなもんだが、ホゲはタムドクを許さない。
罪を許すか、どうか。
いい悪いではなく、同じ事柄に対する反応の差がふたりの男の性格の違いであり、魅力だと思う。
相手を愛しているがゆえに、その罪を不問にする。それほど愛していたのか。憎しみや恨みを超えるほどの大きな愛、寛大な性格。
相手を愛しているがゆえに、その罪を決して許さない。愛するがゆえに、憎しみや恨みは深くなり、心の闇は広がる。
どちらが優れているとか愛が深いとかいうことではなくて。
愛の大きさが同じであったとしても、性格の違いからまったく逆のベクトルに向かうことが、おもしろいなと。
傷ついたときに「都合のいい言葉」を与えてくれた美女キハに対して、依存的に恋をする、という展開まで、ふたりの男の立場は同じだ。
チガウのは、与えられた「都合のいい言葉」がタムドクに対してはキハ自身の言葉であり、ホゲに対してはプルキル@壮くんの策略でしかなかったということ。
ホゲが破滅に向かったのはプルキルという悪意の存在があったためで、それがなけりゃただのケンカや誤解で済んだんだろう。
いくらでも話し合う余地はあったのに、タムドクとホゲは互いの歩み寄りをしない。
タムドクは無知で鈍感な子どもなので「親友を失った」と自己完結して、「言い訳をしない」ことで責任逃れをしている。言い訳をしに行けよ、なじられても殴られても、ホゲを愛しているなら、彼の苦悩を和らげるために会いに行けよ、と思うがな。
言い訳をする(誤解を解く)、というのは自分のためだけではなく、相手のためにもなることだと、理解しない。自分ひとりが悪者になればいいと思っている。憎まれることで罰を得ているつもりかもしれないが、憎むことになる相手のことは考えない。憎むことだって、つらいのに。
タムタムのアホさは置くとして、親友を殴りに行けなかったホゲにも、歪みがあった。
タムドクに裏切られた、母を殺されたと思うホゲは、ストレートにタムドクに対して怒りを発散できなかった。
キハ(=プルキル)によって、「野心」を植え付けられてしまったから。
母を殺されたといっても、冷静に考えればそれは乗り越えられないことではなかった。
むしろ、タムドクのもとにひざまづき、母の罪の許しを請わなければならない立場だ。
それでもホゲは、そうしなかった。
「ホゲこそがチュシンの王」だと吹き込まれることで、自分にとって楽な方へ流れてしまった。
「心をさらけ出して話し合う」ことより、「なにも話さず憎む」方が楽なんだよね。
タムドクが親友のもとに駆けつけて許しを請うことをせず、「言い訳しない、親友を失った」と楽な方に自己完結したように。
「他者と理解し合う」ということは、ほんとうに大変なことなんだ。
そのためには「自分」をさらけ出さなければならない。
隠していた部分、知られたくない部分も明るみに出し、粉々になるまでやりあわなければならない。
「親殺し」という事柄を軸に、話し合うにはそこまでやらないと、未来はない。
自己を破壊し、再構築しなければならない。
子どもならともかく、すでに自我や羞恥心、矜持のある思春期以降にコレに耐えられるモノはそういないだろう。や、結局は乗り越えられるとは思うが、あえてやりたいとは思わないだろう。
でもね。やるしかなかったんだよ。
きっとひどい罵りあいになる。今まで隠していた劣等感やねたみそねみ、負の感情、闇の部分が全部明るみに出、羞恥ゆえに死にたくなるくらいの精神サンドバック、精神レイプ状態になるだろーけど、それでも、やるべきだったんだ。
相手を、愛しているなら。
これからも、親友でいたいと思うなら。
それを乗り越えれば、きっとこれまで以上に絆は固くなる。強くなる。
「君が王なら僕は将軍になる」……言葉通りに、賢王と知将の治世は繁栄をもたらしただろう。
だけど、できなかった。
タムドクもホゲも、そこまで自分が辛い思いをする気はなかった。
苦しんで愛を貫くより、楽に別れる方を選んだ。
タムドクはもともとのアホさゆえに、ホゲはプルキルがいなければ、直接タムドクへ怒りを向けただろうから、絆を深める結果になる可能性もあったが、プルキルの讒言に乗ってしまった。
結局ふたりとも楽な方に逃げただけ。
そこから芋蔓式に悲劇ははじまる。
因果は巡る、親友にした行いを、タムドクはそっくりそのまま恋人からされることになる。
つまり、親を殺され、それに対しての言い訳や説明なしでバックレられる、という。
真実をきちんと話してくれれば、タムドクの苦悩はなかったのに、キハはソレをしない。
殺人という出来事の真偽よりも、知りたいのは心であるはず。ホゲがそうであったように。だけど、ホゲのときのタムドクと同じように、キハもなにも語らない。
もしもここでタムドクのもとに、悪意で讒言するモノがいれば、タムドクの人生も歪んだだろう。
なにしろバカだし、タムタム。
しかし。
そーゆー悪者を近づけない徳が、タムドクにあるんだな。彼はアホの子だが、無知であるがゆえの寛大さを持つので、なにも知らない子どもに保護者が同伴するように、また子どもたちが集まってくるように、タムドクの周囲は悪者の入る余地がなくなっていた。
このへん、運とタイミングだよなー。しみじみ。
そしてタムドクはまたしても、自分を木っ端みじんにして真実と向き合うことはなく、ただキハを「許す」。
許すことで、「別れる」。
憎むことすらしない。
憎むのも根性のいることなんだが、それすらしないで、いちばん楽な「見なかったことにして許し、無関係になる」ことを選ぶ。
……成長してねえ! ホゲにしたのと同じことを、まだ繰り返すかこの男!(笑)
それでもタムドクは生まれたときから運に恵まれているので、どれだけ彼がアホでも無責任でも、周囲がいい方へ運び、結果オーライでハッピーエンドになる。
運が悪いホゲは自滅、死ぬことでしか救われないという悲惨な人生を送る。
どちらがいいとか悪いとかではなく。
単純に、おもしろいと思うの、ふたりの男の性格と、人生。
自分の心を守るために、許す男タムドク。
自分の心を守るために、憎む男ヨン・ホゲ。
許すという愛情の深さ、憎むという愛情の強さ。
自己愛の激しさと、愛ゆえの愚行。
まちがった人間、好きだから。
アホで無神経なタムドクも、歪んだホゲも、きちんと闇を見据えて描くのはたのしいと思う。魅力だと思う。
……イケコ脚本では、疑問符しかないけど(笑)。そこはスルーして。
『太王四神記』には、妊婦と出産がてんこ盛りだが、「殺される親」もてんこ盛りなんだよなー。妙な話だよまったく。
描かれ方に問題ありまくりだと思うし、イケコ脚本はわたしの理解の範疇にないのでスルーするとして、ポイントのみを考える。
主人公タムドク@まとぶんと、準主役ヨン・ホゲ@ゆーひ。
ふたりの男たちは共に、愛する人に、親を殺された。
ホゲの母は親友タムドクに殺され、タムドクの父は恋人キハ@彩音ちゃんに殺された。
真実はどうあれ、事実としてあるのはこの事柄。
その結果として、ホゲはタムドクを許すことが出来ず自滅し、タムドクはキハを許してハッピーエンドだ。
ほんとうのところキハはヤン王@星原先輩を殺してはいないんだけど、たとえ親殺しの犯人であったとしても、タムドクはキハを許している。
ほんとうのところタムドクはホゲ母@じゅりあを殺していない、彼女の罪を公にすることなく自殺させたことは、彼女と彼女の家族の地位と名誉を守る行為であったわけだし、そんなことはホゲだってわかっていそーなもんだが、ホゲはタムドクを許さない。
罪を許すか、どうか。
いい悪いではなく、同じ事柄に対する反応の差がふたりの男の性格の違いであり、魅力だと思う。
相手を愛しているがゆえに、その罪を不問にする。それほど愛していたのか。憎しみや恨みを超えるほどの大きな愛、寛大な性格。
相手を愛しているがゆえに、その罪を決して許さない。愛するがゆえに、憎しみや恨みは深くなり、心の闇は広がる。
どちらが優れているとか愛が深いとかいうことではなくて。
愛の大きさが同じであったとしても、性格の違いからまったく逆のベクトルに向かうことが、おもしろいなと。
傷ついたときに「都合のいい言葉」を与えてくれた美女キハに対して、依存的に恋をする、という展開まで、ふたりの男の立場は同じだ。
チガウのは、与えられた「都合のいい言葉」がタムドクに対してはキハ自身の言葉であり、ホゲに対してはプルキル@壮くんの策略でしかなかったということ。
ホゲが破滅に向かったのはプルキルという悪意の存在があったためで、それがなけりゃただのケンカや誤解で済んだんだろう。
いくらでも話し合う余地はあったのに、タムドクとホゲは互いの歩み寄りをしない。
タムドクは無知で鈍感な子どもなので「親友を失った」と自己完結して、「言い訳をしない」ことで責任逃れをしている。言い訳をしに行けよ、なじられても殴られても、ホゲを愛しているなら、彼の苦悩を和らげるために会いに行けよ、と思うがな。
言い訳をする(誤解を解く)、というのは自分のためだけではなく、相手のためにもなることだと、理解しない。自分ひとりが悪者になればいいと思っている。憎まれることで罰を得ているつもりかもしれないが、憎むことになる相手のことは考えない。憎むことだって、つらいのに。
タムタムのアホさは置くとして、親友を殴りに行けなかったホゲにも、歪みがあった。
タムドクに裏切られた、母を殺されたと思うホゲは、ストレートにタムドクに対して怒りを発散できなかった。
キハ(=プルキル)によって、「野心」を植え付けられてしまったから。
母を殺されたといっても、冷静に考えればそれは乗り越えられないことではなかった。
むしろ、タムドクのもとにひざまづき、母の罪の許しを請わなければならない立場だ。
それでもホゲは、そうしなかった。
「ホゲこそがチュシンの王」だと吹き込まれることで、自分にとって楽な方へ流れてしまった。
「心をさらけ出して話し合う」ことより、「なにも話さず憎む」方が楽なんだよね。
タムドクが親友のもとに駆けつけて許しを請うことをせず、「言い訳しない、親友を失った」と楽な方に自己完結したように。
「他者と理解し合う」ということは、ほんとうに大変なことなんだ。
そのためには「自分」をさらけ出さなければならない。
隠していた部分、知られたくない部分も明るみに出し、粉々になるまでやりあわなければならない。
「親殺し」という事柄を軸に、話し合うにはそこまでやらないと、未来はない。
自己を破壊し、再構築しなければならない。
子どもならともかく、すでに自我や羞恥心、矜持のある思春期以降にコレに耐えられるモノはそういないだろう。や、結局は乗り越えられるとは思うが、あえてやりたいとは思わないだろう。
でもね。やるしかなかったんだよ。
きっとひどい罵りあいになる。今まで隠していた劣等感やねたみそねみ、負の感情、闇の部分が全部明るみに出、羞恥ゆえに死にたくなるくらいの精神サンドバック、精神レイプ状態になるだろーけど、それでも、やるべきだったんだ。
相手を、愛しているなら。
これからも、親友でいたいと思うなら。
それを乗り越えれば、きっとこれまで以上に絆は固くなる。強くなる。
「君が王なら僕は将軍になる」……言葉通りに、賢王と知将の治世は繁栄をもたらしただろう。
だけど、できなかった。
タムドクもホゲも、そこまで自分が辛い思いをする気はなかった。
苦しんで愛を貫くより、楽に別れる方を選んだ。
タムドクはもともとのアホさゆえに、ホゲはプルキルがいなければ、直接タムドクへ怒りを向けただろうから、絆を深める結果になる可能性もあったが、プルキルの讒言に乗ってしまった。
結局ふたりとも楽な方に逃げただけ。
そこから芋蔓式に悲劇ははじまる。
因果は巡る、親友にした行いを、タムドクはそっくりそのまま恋人からされることになる。
つまり、親を殺され、それに対しての言い訳や説明なしでバックレられる、という。
真実をきちんと話してくれれば、タムドクの苦悩はなかったのに、キハはソレをしない。
殺人という出来事の真偽よりも、知りたいのは心であるはず。ホゲがそうであったように。だけど、ホゲのときのタムドクと同じように、キハもなにも語らない。
もしもここでタムドクのもとに、悪意で讒言するモノがいれば、タムドクの人生も歪んだだろう。
なにしろバカだし、タムタム。
しかし。
そーゆー悪者を近づけない徳が、タムドクにあるんだな。彼はアホの子だが、無知であるがゆえの寛大さを持つので、なにも知らない子どもに保護者が同伴するように、また子どもたちが集まってくるように、タムドクの周囲は悪者の入る余地がなくなっていた。
このへん、運とタイミングだよなー。しみじみ。
そしてタムドクはまたしても、自分を木っ端みじんにして真実と向き合うことはなく、ただキハを「許す」。
許すことで、「別れる」。
憎むことすらしない。
憎むのも根性のいることなんだが、それすらしないで、いちばん楽な「見なかったことにして許し、無関係になる」ことを選ぶ。
……成長してねえ! ホゲにしたのと同じことを、まだ繰り返すかこの男!(笑)
それでもタムドクは生まれたときから運に恵まれているので、どれだけ彼がアホでも無責任でも、周囲がいい方へ運び、結果オーライでハッピーエンドになる。
運が悪いホゲは自滅、死ぬことでしか救われないという悲惨な人生を送る。
どちらがいいとか悪いとかではなく。
単純に、おもしろいと思うの、ふたりの男の性格と、人生。
自分の心を守るために、許す男タムドク。
自分の心を守るために、憎む男ヨン・ホゲ。
許すという愛情の深さ、憎むという愛情の強さ。
自己愛の激しさと、愛ゆえの愚行。
まちがった人間、好きだから。
アホで無神経なタムドクも、歪んだホゲも、きちんと闇を見据えて描くのはたのしいと思う。魅力だと思う。
……イケコ脚本では、疑問符しかないけど(笑)。そこはスルーして。
ヒョンゴ先生耽美化計画。@太王四神記
2009年2月17日 タカラヅカ 『太王四神記』ヒョンゴ@まっつを見ていて、「なにかを思い出す……」と、初日から考えていた。
ポンファ通りでの服装は、思い出すまでもなく水戸黄門だけど、そーぢゃなくて、コムル村の正装の方。
白いずるずる衣装をたくしあげて、銀橋をあたふた走っていく姿に、強烈なデジャヴ。
知ってる。コレあたし知ってる……なんだろう?
答えはすぐに出た。
そうか。
ヘムレンさん@『ムーミン』に似ている。
ヘムレンさん。
ムーミン谷の住人。切手だとか蝶だとかの蒐集家として描かれる、おじーさん。長いワンピースのような衣装を着ている。
ムーミン属のイキモノにしては細長い顔に、目の下のシワ。走るときはもちろん、長いスカートをたくしあげる。
いつも穏やかな癒やし系、されど根っこは頑固な、愛すべきおじーちゃん。
い、いかん。『楽しいムーミン一家』を花組で妄想配役してしまう。
勇敢でお人好しで夢見がちであちこち抜けてる主人公ムーミン・トロール@まとぶはすげーハマると思う。そーすると、そのガールフレンドの女子度が高すぎていちいちウザい(笑)かわいこちゃんフローレン@あやね、ひょろりとのっぽでヘタレなスニフ@壮くんな(笑)。
んで順番的に、空飛ぶ船を発明することを夢見る発明ヲタクの眼鏡っこスノーク@みわさん……うわ、見たいソレ(笑)。
そしてなんつったって、小粒でぴりりと辛い超個性的少女ミィ@いちか!! 我が道を行く強さと、姿のかわいらしさ。
あ、もちろん、ハモニカを吹く美少年スナフキン@ゆーひくんで! クールでドライな台詞の数々を言って欲しい(はぁと)。
あくまでも、『楽しいムーミン一家』ですよ、『ムーミン』じゃなくて。
昭和に作られた『ムーミン』はセンスもテーマもかなりアレだし、キャラクタもひでーし。唯一スノークだけはいいキャラだと思ってるけど(笑)。
平成になってから制作された『楽しいムーミン一家』はセンスもキャラもすごく良かったの。とくにミィの造形が最高。昭和版ではただの「いじわるな女の子」だったけど、平成版では「個性的な女の子」として描いてあるのよ。スナフキンも少年キャラになってるしね、昭和版の小林旭ではなく。
……はっ。
『ムーミン』を語っている場合か。
わたしが語りたいのは、ヒョンゴ@まっつ。
ヒョンゴがじじいくさいとかコメディアンとかお師匠様過保護すぎとか、そーゆーことを言いたいわけではなくて。
ヒョンゴはもっと、美形であってもいいと思うのですよ。
原作なんか関係ありません。だってココはタカラヅカ。ビバ美形、ビバ美の垂れ流し。
三枚目に演じているからそうなっているだけで、別に彼の「役割」と実際の「見た目」は、十分美形キャラっぽいじゃないですか。乙女ゲーでも少女マンガでも、軍師様は美形が基本ですってば。そしてタカラヅカはそれらと陸続きの世界観でしょ?
つーことで。
ヒョンゴ先生耽美化計画。
……そこ、タイトルだけで笑わないように。引かないようにっ。
ヒョンゴが耽美キャラでも、誰にも迷惑は掛けないよな? を合い言葉に、耽美にすることを考えてみよう。
まず、外見。
演じている未涼亜希は美形であるとゆーのは前提なので、異論は認めません。
水戸黄門衣装はやめて、ロングジャケット着用。2幕で着ているあのテイストで。
そして、髪型。
サイドを後ろでまとめるOL風はやめて、自然のまま垂らす。
ときおり前髪が顔にかかる、のがポイント。
デコ全開だけではいけません。
時折前髪が垂れるのが、耽美度を上げるのです。
台詞は一言一句変えず、ひたすらクールに、アンニュイに。
表情は変わらず、まるで予言者のように。
頬にかかる一筋の髪を時折かき上げつつ、淡々と使命を果たす。
ポンファ通りの人々との合唱も、ひとりクールに。
インチキ占いも、どこぞの占いの館の教祖キャラクタのよーに仰々しく美形オーラゆんゆんに。
動作はゆっくりと、しかし個々のポーズだけはびしりと決めて。
テーマは美、目指すは耽美。
普段がクール一直線なだけに、クールに無表情に「武道大会~~♪」と美声で歌い、アクションをキメればまちがいなく変な人度が際立ちます。(え?)
クール過ぎて俗世から乖離してるっぽいくせに、大真面目に「腹が減っては戦が出来ぬ」とか言い出せば、まちがいなく変な人度が際立ちます。(え?)
そして、どんだけ低温で無表情でも、スジニ相手には、相好を崩すことも重要です。
スジニに関すること全部が全部ではなく、ほんとーに切羽詰まったとき、スジニのことでだけ、感情を顕わにする。
一本調子ではいけません。
一点集中、ココ、とゆーところでだけは「チガウ顔」を見せるのです。きょうび「クールな美形」だけではキャラは立ちません。
乙女ゲーでも、「意外な一面」のないキャラはいませんから! 設定時の基本です基本。
知的クールビューティが、一瞬だけ見せる「真実」に、ヲトメはときめくのです。
そこまで含めて「耽美」です。
熱血タムドクさんとは、一線を引いて、感情を表現。
タムタムが嘆き悲しんでるからと自分も一緒になって悲しまないで、クールな表情のまま視線を落とし、髪をはらりと顔に落とす。や、耽美っすから!
戦場でも杖を持ってあたふた走り回るのではなく、ひとり悠々と動く。斬りかかってくる者には、一瞥をくれるだけでヨシ。美形パワーで臆させるの! 美形はそれでイイの!(え?)
……なんかわたし、耽美キャラと変人キャラを混同している気が、しないでも、ナイですね。
少女マンガ的世界で、「変人」が許されるのは「美形サマ」だけだという認識は、まちがっていないと思う。ええ、ここはまちがってないはず。
だから是非、「変人」を極めて「耽美」に……!!(あきらかに、ここでまちがっている)
耽美なヒョンゴ先生が見たいわ。
水戸黄門衣装以外のとき、黙って立っていれば十分美形サマなんだから、そのまま耽美一直線可能でしょう。
耽美なまっつ。
耽美なまっつ。
……いかん、想像するだけで笑えるのは何故。うっとりすべきとこなのにっ。
変にキャラが立ちすぎると、物語の「語り部」である役割にマイナスになる?
えーと。
結論。
ヒョンゴ先生は、今のままでイイです。
ポンファ通りでの服装は、思い出すまでもなく水戸黄門だけど、そーぢゃなくて、コムル村の正装の方。
白いずるずる衣装をたくしあげて、銀橋をあたふた走っていく姿に、強烈なデジャヴ。
知ってる。コレあたし知ってる……なんだろう?
答えはすぐに出た。
そうか。
ヘムレンさん@『ムーミン』に似ている。
ヘムレンさん。
ムーミン谷の住人。切手だとか蝶だとかの蒐集家として描かれる、おじーさん。長いワンピースのような衣装を着ている。
ムーミン属のイキモノにしては細長い顔に、目の下のシワ。走るときはもちろん、長いスカートをたくしあげる。
いつも穏やかな癒やし系、されど根っこは頑固な、愛すべきおじーちゃん。
い、いかん。『楽しいムーミン一家』を花組で妄想配役してしまう。
勇敢でお人好しで夢見がちであちこち抜けてる主人公ムーミン・トロール@まとぶはすげーハマると思う。そーすると、そのガールフレンドの女子度が高すぎていちいちウザい(笑)かわいこちゃんフローレン@あやね、ひょろりとのっぽでヘタレなスニフ@壮くんな(笑)。
んで順番的に、空飛ぶ船を発明することを夢見る発明ヲタクの眼鏡っこスノーク@みわさん……うわ、見たいソレ(笑)。
そしてなんつったって、小粒でぴりりと辛い超個性的少女ミィ@いちか!! 我が道を行く強さと、姿のかわいらしさ。
あ、もちろん、ハモニカを吹く美少年スナフキン@ゆーひくんで! クールでドライな台詞の数々を言って欲しい(はぁと)。
あくまでも、『楽しいムーミン一家』ですよ、『ムーミン』じゃなくて。
昭和に作られた『ムーミン』はセンスもテーマもかなりアレだし、キャラクタもひでーし。唯一スノークだけはいいキャラだと思ってるけど(笑)。
平成になってから制作された『楽しいムーミン一家』はセンスもキャラもすごく良かったの。とくにミィの造形が最高。昭和版ではただの「いじわるな女の子」だったけど、平成版では「個性的な女の子」として描いてあるのよ。スナフキンも少年キャラになってるしね、昭和版の小林旭ではなく。
……はっ。
『ムーミン』を語っている場合か。
わたしが語りたいのは、ヒョンゴ@まっつ。
ヒョンゴがじじいくさいとかコメディアンとかお師匠様過保護すぎとか、そーゆーことを言いたいわけではなくて。
ヒョンゴはもっと、美形であってもいいと思うのですよ。
原作なんか関係ありません。だってココはタカラヅカ。ビバ美形、ビバ美の垂れ流し。
三枚目に演じているからそうなっているだけで、別に彼の「役割」と実際の「見た目」は、十分美形キャラっぽいじゃないですか。乙女ゲーでも少女マンガでも、軍師様は美形が基本ですってば。そしてタカラヅカはそれらと陸続きの世界観でしょ?
つーことで。
ヒョンゴ先生耽美化計画。
……そこ、タイトルだけで笑わないように。引かないようにっ。
ヒョンゴが耽美キャラでも、誰にも迷惑は掛けないよな? を合い言葉に、耽美にすることを考えてみよう。
まず、外見。
演じている未涼亜希は美形であるとゆーのは前提なので、異論は認めません。
水戸黄門衣装はやめて、ロングジャケット着用。2幕で着ているあのテイストで。
そして、髪型。
サイドを後ろでまとめるOL風はやめて、自然のまま垂らす。
ときおり前髪が顔にかかる、のがポイント。
デコ全開だけではいけません。
時折前髪が垂れるのが、耽美度を上げるのです。
台詞は一言一句変えず、ひたすらクールに、アンニュイに。
表情は変わらず、まるで予言者のように。
頬にかかる一筋の髪を時折かき上げつつ、淡々と使命を果たす。
ポンファ通りの人々との合唱も、ひとりクールに。
インチキ占いも、どこぞの占いの館の教祖キャラクタのよーに仰々しく美形オーラゆんゆんに。
動作はゆっくりと、しかし個々のポーズだけはびしりと決めて。
テーマは美、目指すは耽美。
普段がクール一直線なだけに、クールに無表情に「武道大会~~♪」と美声で歌い、アクションをキメればまちがいなく変な人度が際立ちます。(え?)
クール過ぎて俗世から乖離してるっぽいくせに、大真面目に「腹が減っては戦が出来ぬ」とか言い出せば、まちがいなく変な人度が際立ちます。(え?)
そして、どんだけ低温で無表情でも、スジニ相手には、相好を崩すことも重要です。
スジニに関すること全部が全部ではなく、ほんとーに切羽詰まったとき、スジニのことでだけ、感情を顕わにする。
一本調子ではいけません。
一点集中、ココ、とゆーところでだけは「チガウ顔」を見せるのです。きょうび「クールな美形」だけではキャラは立ちません。
乙女ゲーでも、「意外な一面」のないキャラはいませんから! 設定時の基本です基本。
知的クールビューティが、一瞬だけ見せる「真実」に、ヲトメはときめくのです。
そこまで含めて「耽美」です。
熱血タムドクさんとは、一線を引いて、感情を表現。
タムタムが嘆き悲しんでるからと自分も一緒になって悲しまないで、クールな表情のまま視線を落とし、髪をはらりと顔に落とす。や、耽美っすから!
戦場でも杖を持ってあたふた走り回るのではなく、ひとり悠々と動く。斬りかかってくる者には、一瞥をくれるだけでヨシ。美形パワーで臆させるの! 美形はそれでイイの!(え?)
……なんかわたし、耽美キャラと変人キャラを混同している気が、しないでも、ナイですね。
少女マンガ的世界で、「変人」が許されるのは「美形サマ」だけだという認識は、まちがっていないと思う。ええ、ここはまちがってないはず。
だから是非、「変人」を極めて「耽美」に……!!(あきらかに、ここでまちがっている)
耽美なヒョンゴ先生が見たいわ。
水戸黄門衣装以外のとき、黙って立っていれば十分美形サマなんだから、そのまま耽美一直線可能でしょう。
耽美なまっつ。
耽美なまっつ。
……いかん、想像するだけで笑えるのは何故。うっとりすべきとこなのにっ。
変にキャラが立ちすぎると、物語の「語り部」である役割にマイナスになる?
えーと。
結論。
ヒョンゴ先生は、今のままでイイです。
箇条書き・その9。@太王四神記
2009年2月16日 タカラヅカ あー、長くなった。
でもさー、箇条書きにでもしないと、やってらんない部分があってだね、この作品……。
とにかく『太王四神記』だらだら箇条書き感想、ラスト!
・突然クレーン登場、突然ハッピーエンド。で、幕。
・置いていかれました。それまで、タムドク@まとぶんたちと一緒にロールプレイングしていたのに、突然わたしひとり置き去りされました。ぽかーん。
・今、国はめちゃくちゃだよね? 王位継承を巡っていろんな人たちが対立していて、ホゲが死んだことでヨン家がどう出るかわかんないし、4部族はタムドクが息子たちを殺したと思ってるし、かろうじてホゲを次期王にってことでまとまってるけど、それがなくなりゃ崩壊するよね?
・で、神器がないと王様として認められないと詔下っちゃってる状態で「神器より、国より、愛する女が大事」とやっちゃったタムドクは王として認められず、内乱勃発?! 高句麗人同士で血で血を洗う戦争に?
・てな状況が透けて見えるだけに、クレーンの上でいちゃいちゃして幕、という終わり方に、口ぽかーん。
・話、めっちゃ途中やん?! タムドク、君、なにひとつまともなことしてないやん?!
・自分たちのせいで出来た死体がゴロゴロしている中、「涙がいぢわるして海人サマのお顔がよく見えませぬ♪」だっけか、ラヴラヴいちゃくらシーンでハッピーエンドになった『望郷は海を越えて』と似た絶句感。
・マジでこの男に国を任せちゃダメだから!! 誰がどんだけ不幸になるとか、まったくわかってないアホの子だから! 善良なのはたしかだけど、彼が持っているのは「子どもの正義」でしかないから! 「自分がシアワセなら、みんなもシアワセ」って思ってるだけだから!!
・めっちゃ途中、と言っても、「続編がある」という意味での途中だとは思っていない。これで終了、だとわかるさ。
・途中、と思うのは、このラストシーンまでにやるべきいろんなことが放置されまくっていることに対して。
・『JAZZYな妖精たち』のラストシーンに似た「終わってへんやん!!」ぶり。それまでやって来たこと、積み上げてきたこと全部放り出して、積み木ぶっこわして、踊って歌って終了!と。
・イケコ脚本にドン引きしつつも、そこは深く考えず、どっかーんぶりを楽しむ。
・「ええいっ、やっておしまい!」なプルキル@壮くんの悪代官ぶりとか。
・キハ@彩音ちゃんのロボットダンスとか。
・杖持って走り回ってるヒョンゴ@まっつの役立たずぶりとか。や、あの杖、剣を受けることもできる、強い杖なんだね!(笑顔)
・言動はめちゃくちゃなのに、それでも彼が言うとなんか納得してしまう、まとぶんのまっすぐ力とか。
・クレーンの上でいちゃつくタムタムとキハを見上げる人々。
・触発されてか、ラヴラヴなチュムチ@まぁくんとタルビ@ののすみがかわいい。
・このときヒョンミョン@だいもんは、どさくさにまぎれてスジニ@みわっちを口説いているらしい。それに対するスジニの反応を見るのも、楽しみのひとつ。
・だがさすがに、スジニがヒョンミョンを張り倒したときは、目が点になった(笑)。激しいな、スジニ。
・上手がそーやってたのしそうなのに、下手側の人たちはあまりしどころがないっちゅーか、微笑んで目線をかわすのみ。
・チョロ@めおくんといちゃついてくれてもいいのよ、ヒョンゴ先生?!
・クレーンは立見だと、いちばん高くなったときに首から上が見えない。
・まっすぐ遠いよ立見でも下方に遠いよ当日Bでも近いよ3列目SSでも全体も近くも見えてたぶんいちばんイイ席だよな10列ドセンターでも、とにかくいろーんなとこで何回も見たが。
・クレーンは揺れまくっていて、こわかった。
・アレ、ほんとにこの芝居に必要なの、イケコ……?
・イケコ1本モノフィナーレ、本編の幕が下りるなり観客の視線は下手セリに集中。
・だって『エリザベート』も『スカーレット・ピンパーネル』も、まーーったく同じだったもの。
・案の定、2番手ゆーひくんせり上がりで主題歌で銀橋、次がロケット、そのワンパタぶりに客席から失笑が漏れた初日(笑)。
・ゆーひくんの衣装がすごい。ひらひら王子様? でも甲冑風? すげーハンパ感漂う、不思議な衣装。
・それでも、着こなしてしまうゆーひさんがすごい。
・ロケットは花組名物のぷくぷくぶり。
・一定数ふくよかな子がいるだけで、全体的にぱつんぱつんロケットな印象になるのは、どうしてだろう……。
・舞台両端にセットの階段があるため、舞台一杯を使って踊れないのな。さみしい……。
・姫花ちゃんの美貌より、みちるタンの笑顔に釘付けになってしまうのは何故だろう。
・そして仙名さんの筋肉質ぶりを堪能するのだ。おお、あの背中の筋肉、仙名さんを「見た」って気分になるわ。
・ここまではいつもの小池なんだけど、こっからいきなりがらりと変わる。『蒼いくちづけ』の1幕と2幕って感じ。
・オラオラなまとぶさんと、若者たち。
・「ラッシャイラッシャイ」でビートがんがん、て、タカラヅカってすごいとこだよな(笑)。
・女の子たちがマジきれい。かっこいい。
・銀橋を渡るまとぶんが客席を釣りまくるのが好き~~。あのおっきな目が、すごくいたずらっぽく、「おいでよ(はぁと)」って言うのよ。
・ええ、聞こえましたとも、目の前通っていくとき! 「一緒においで、一緒に盛り上がろう、楽しもう」って。目が言ってるの!
・まとぶんのこーゆーとこ好きだー。「オトしてやる」ぢゃなくて「おいで」なんだもん。
・しかし彼はすぐにいなくなってしまうのだ。
・そっから先は若者フリーダム!
・りせ、みつる、めお、まぁのカルテットで1場面って、新しい時代だなあ、と思う。
・りせはこれで辞めちゃうけれど、それでもこの面子が「新しい時代」。彼らの力を素直に感じる。素直に楽しむ。
・そして、黒一色の男役群舞へ。
・ここはもー、あまりのかっこよさに、息が詰まった。
・まとぶんとゆーひ、力の拮抗したトップと2番手のいる贅沢さを堪能。
・てゆーか、ゆーひくんがかっこいー。かっこよすぎる。
・しかし、壮くんの眉毛チェックも忘れてはならないっ!
・プルキル二股眉毛のままかっこつけてますよこの人!!
・発散中のみわさんがまた、すげー勢いで客席釣ってます。
・みわさんの流し目もらわなきゃ、「花組観た」って気がしないよなっ。
・どの場面も、盛り上がるところで途中退場しなければならないまとぶさんが気の毒っす……まとぶセンターにばんっと場面が終わる、てのを作るべきだったと思う。
・フィナーレはマメに持っていかれること多々あり。なんであんなに激しいんだ、彼。ダンスも、そして表情も。
・マメとだいもんが同じフレームにいると、暑苦しさでツボるぞ。
・若者たちはいいなあ、青龍ラッシャイと玄武ファイターズどっちも出られて。
・みんなかっこよくて、目移りして大変だ。
・でもほんとのとこ、まっつ見てるだけで、すべて終わってしまう。
・微妙にアニマルな白いデュエットダンス。
・ほっとする端正さ。美しいカップルだよなー、まとあや。
・エトワールがハルちゃんでおどろいた。いやその、いろいろ。
・パレードはそれぞれ役の衣装に戻って。
・おおっ、仙名さんがWトリオに入ってるー。
・ヒゲ男@らいらいの目線絨毯爆撃がすごい件。
・お辞儀のとき、カクダン@りせの口が「ありがとうございました」と動くのを確認する日々。なんかね、じんとするの。
・真ん中降りの人々が増えている。うん、スターが多いのはいいことだ。
・組長と副組長が降りてくる姿に、ひそかにツボっている。
・華美にごてごてキラキラなはっち組長(衣装で横に広がってます)に、黒尽くめ質素なさおた副組長(すげースリムです)。このふたりのキャラの差がイイの。いやあ、キャラ立ちしてていいわー、花組。
・みわまつの並びが好き。ふたりで階段降りしてくれるの、すげーうれしい。かわいいかわいい。
・しかし、手にしているシャンシャンがボタンにしか見えない。
・よく見ると四神マークだとわかるが、2500人劇場で「よく見る」ことは不可能なんじゃないかと。モチーフにこだわるのはわかるが……。
・と思ってたら、さらに、トップスターまとぶさんの、愉快な羽っぷりにおどろく。
・目出度いカラーリングは、モチーフにこだわったためだとわかるが……わかるが……(笑)。
・最後の挨拶時、プルキルとヨン・ガリョに挟まれたヒョンゴ先生の図に、人知れずウケまくっている。
・派手派手ギラギラ原色に挟まれて、寂しい風情のまっつがツボ。かーわーいーいー。
と、最後はまっつで締めて、終わるっ。
でもさー、箇条書きにでもしないと、やってらんない部分があってだね、この作品……。
とにかく『太王四神記』だらだら箇条書き感想、ラスト!
・突然クレーン登場、突然ハッピーエンド。で、幕。
・置いていかれました。それまで、タムドク@まとぶんたちと一緒にロールプレイングしていたのに、突然わたしひとり置き去りされました。ぽかーん。
・今、国はめちゃくちゃだよね? 王位継承を巡っていろんな人たちが対立していて、ホゲが死んだことでヨン家がどう出るかわかんないし、4部族はタムドクが息子たちを殺したと思ってるし、かろうじてホゲを次期王にってことでまとまってるけど、それがなくなりゃ崩壊するよね?
・で、神器がないと王様として認められないと詔下っちゃってる状態で「神器より、国より、愛する女が大事」とやっちゃったタムドクは王として認められず、内乱勃発?! 高句麗人同士で血で血を洗う戦争に?
・てな状況が透けて見えるだけに、クレーンの上でいちゃいちゃして幕、という終わり方に、口ぽかーん。
・話、めっちゃ途中やん?! タムドク、君、なにひとつまともなことしてないやん?!
・自分たちのせいで出来た死体がゴロゴロしている中、「涙がいぢわるして海人サマのお顔がよく見えませぬ♪」だっけか、ラヴラヴいちゃくらシーンでハッピーエンドになった『望郷は海を越えて』と似た絶句感。
・マジでこの男に国を任せちゃダメだから!! 誰がどんだけ不幸になるとか、まったくわかってないアホの子だから! 善良なのはたしかだけど、彼が持っているのは「子どもの正義」でしかないから! 「自分がシアワセなら、みんなもシアワセ」って思ってるだけだから!!
・めっちゃ途中、と言っても、「続編がある」という意味での途中だとは思っていない。これで終了、だとわかるさ。
・途中、と思うのは、このラストシーンまでにやるべきいろんなことが放置されまくっていることに対して。
・『JAZZYな妖精たち』のラストシーンに似た「終わってへんやん!!」ぶり。それまでやって来たこと、積み上げてきたこと全部放り出して、積み木ぶっこわして、踊って歌って終了!と。
・イケコ脚本にドン引きしつつも、そこは深く考えず、どっかーんぶりを楽しむ。
・「ええいっ、やっておしまい!」なプルキル@壮くんの悪代官ぶりとか。
・キハ@彩音ちゃんのロボットダンスとか。
・杖持って走り回ってるヒョンゴ@まっつの役立たずぶりとか。や、あの杖、剣を受けることもできる、強い杖なんだね!(笑顔)
・言動はめちゃくちゃなのに、それでも彼が言うとなんか納得してしまう、まとぶんのまっすぐ力とか。
・クレーンの上でいちゃつくタムタムとキハを見上げる人々。
・触発されてか、ラヴラヴなチュムチ@まぁくんとタルビ@ののすみがかわいい。
・このときヒョンミョン@だいもんは、どさくさにまぎれてスジニ@みわっちを口説いているらしい。それに対するスジニの反応を見るのも、楽しみのひとつ。
・だがさすがに、スジニがヒョンミョンを張り倒したときは、目が点になった(笑)。激しいな、スジニ。
・上手がそーやってたのしそうなのに、下手側の人たちはあまりしどころがないっちゅーか、微笑んで目線をかわすのみ。
・チョロ@めおくんといちゃついてくれてもいいのよ、ヒョンゴ先生?!
・クレーンは立見だと、いちばん高くなったときに首から上が見えない。
・まっすぐ遠いよ立見でも下方に遠いよ当日Bでも近いよ3列目SSでも全体も近くも見えてたぶんいちばんイイ席だよな10列ドセンターでも、とにかくいろーんなとこで何回も見たが。
・クレーンは揺れまくっていて、こわかった。
・アレ、ほんとにこの芝居に必要なの、イケコ……?
・イケコ1本モノフィナーレ、本編の幕が下りるなり観客の視線は下手セリに集中。
・だって『エリザベート』も『スカーレット・ピンパーネル』も、まーーったく同じだったもの。
・案の定、2番手ゆーひくんせり上がりで主題歌で銀橋、次がロケット、そのワンパタぶりに客席から失笑が漏れた初日(笑)。
・ゆーひくんの衣装がすごい。ひらひら王子様? でも甲冑風? すげーハンパ感漂う、不思議な衣装。
・それでも、着こなしてしまうゆーひさんがすごい。
・ロケットは花組名物のぷくぷくぶり。
・一定数ふくよかな子がいるだけで、全体的にぱつんぱつんロケットな印象になるのは、どうしてだろう……。
・舞台両端にセットの階段があるため、舞台一杯を使って踊れないのな。さみしい……。
・姫花ちゃんの美貌より、みちるタンの笑顔に釘付けになってしまうのは何故だろう。
・そして仙名さんの筋肉質ぶりを堪能するのだ。おお、あの背中の筋肉、仙名さんを「見た」って気分になるわ。
・ここまではいつもの小池なんだけど、こっからいきなりがらりと変わる。『蒼いくちづけ』の1幕と2幕って感じ。
・オラオラなまとぶさんと、若者たち。
・「ラッシャイラッシャイ」でビートがんがん、て、タカラヅカってすごいとこだよな(笑)。
・女の子たちがマジきれい。かっこいい。
・銀橋を渡るまとぶんが客席を釣りまくるのが好き~~。あのおっきな目が、すごくいたずらっぽく、「おいでよ(はぁと)」って言うのよ。
・ええ、聞こえましたとも、目の前通っていくとき! 「一緒においで、一緒に盛り上がろう、楽しもう」って。目が言ってるの!
・まとぶんのこーゆーとこ好きだー。「オトしてやる」ぢゃなくて「おいで」なんだもん。
・しかし彼はすぐにいなくなってしまうのだ。
・そっから先は若者フリーダム!
・りせ、みつる、めお、まぁのカルテットで1場面って、新しい時代だなあ、と思う。
・りせはこれで辞めちゃうけれど、それでもこの面子が「新しい時代」。彼らの力を素直に感じる。素直に楽しむ。
・そして、黒一色の男役群舞へ。
・ここはもー、あまりのかっこよさに、息が詰まった。
・まとぶんとゆーひ、力の拮抗したトップと2番手のいる贅沢さを堪能。
・てゆーか、ゆーひくんがかっこいー。かっこよすぎる。
・しかし、壮くんの眉毛チェックも忘れてはならないっ!
・プルキル二股眉毛のままかっこつけてますよこの人!!
・発散中のみわさんがまた、すげー勢いで客席釣ってます。
・みわさんの流し目もらわなきゃ、「花組観た」って気がしないよなっ。
・どの場面も、盛り上がるところで途中退場しなければならないまとぶさんが気の毒っす……まとぶセンターにばんっと場面が終わる、てのを作るべきだったと思う。
・フィナーレはマメに持っていかれること多々あり。なんであんなに激しいんだ、彼。ダンスも、そして表情も。
・マメとだいもんが同じフレームにいると、暑苦しさでツボるぞ。
・若者たちはいいなあ、青龍ラッシャイと玄武ファイターズどっちも出られて。
・みんなかっこよくて、目移りして大変だ。
・でもほんとのとこ、まっつ見てるだけで、すべて終わってしまう。
・微妙にアニマルな白いデュエットダンス。
・ほっとする端正さ。美しいカップルだよなー、まとあや。
・エトワールがハルちゃんでおどろいた。いやその、いろいろ。
・パレードはそれぞれ役の衣装に戻って。
・おおっ、仙名さんがWトリオに入ってるー。
・ヒゲ男@らいらいの目線絨毯爆撃がすごい件。
・お辞儀のとき、カクダン@りせの口が「ありがとうございました」と動くのを確認する日々。なんかね、じんとするの。
・真ん中降りの人々が増えている。うん、スターが多いのはいいことだ。
・組長と副組長が降りてくる姿に、ひそかにツボっている。
・華美にごてごてキラキラなはっち組長(衣装で横に広がってます)に、黒尽くめ質素なさおた副組長(すげースリムです)。このふたりのキャラの差がイイの。いやあ、キャラ立ちしてていいわー、花組。
・みわまつの並びが好き。ふたりで階段降りしてくれるの、すげーうれしい。かわいいかわいい。
・しかし、手にしているシャンシャンがボタンにしか見えない。
・よく見ると四神マークだとわかるが、2500人劇場で「よく見る」ことは不可能なんじゃないかと。モチーフにこだわるのはわかるが……。
・と思ってたら、さらに、トップスターまとぶさんの、愉快な羽っぷりにおどろく。
・目出度いカラーリングは、モチーフにこだわったためだとわかるが……わかるが……(笑)。
・最後の挨拶時、プルキルとヨン・ガリョに挟まれたヒョンゴ先生の図に、人知れずウケまくっている。
・派手派手ギラギラ原色に挟まれて、寂しい風情のまっつがツボ。かーわーいーいー。
と、最後はまっつで締めて、終わるっ。
箇条書き・その8。@太王四神記
2009年2月15日 タカラヅカ 『太王四神記』感想だらだら書きの続き。
・盾群舞が好きだ。
・武道会と並び、本能的にざわざわする高揚感。舞台ってすげえ、生ってすげえ。
・そして、ヨン・ホゲ@ゆーひが、かっこよすぎる。
・ホゲと、ホゲ軍双璧チョク・ファン@しゅん様、イルス@マメ。この3人の並びが格好イイ。もー、わくわくする。
・そして、女子だけでこの力技なダンスをしているのだということにも、感動する。どんだけがんばってるんだ、みんな。
・作品中、もっとも「カッコイイ!!」と血が沸き立つ感覚をおぼえる場面が、すべてゆーひくん中心の場面であり、主役であるまとぶんがいないということに、演出家に物申したい気分になる。
・いちばんかっこいい場面は主役中心であるべきだろー? や、かっこいいゆーひくんが観られてウレシイけどさっ。
・白虎の神器発動→チュムチ@まぁくんが守り主だったんだ!という展開について、ツッコミはナシ。時間ないから仕方なかったんだな、としか思わない。つっこむべきは他にいくらでもあるからな(笑)。
・神器発動の折、いちいちヒョンゴ@まっつが真横を陣取っていることに、地味にウケている。
・ヒョンゴ先生は「神器鑑定家」? チュシンの王探ししてるときも杖をかざして検査(笑)してたし、なんか彼の扱いは微妙に愉快だ。
・白虎の神器発見→間髪入れず「神器をよこせえええ!!」ホゲ様こわいです。
・でも新公ではこの「見つけた!」「よこせええ!!」のくだりがギャグになっていたので、こわいくらいでいいんだよな。
・「もう俺は後戻りできないんだああっ」……ホゲ様胸きゅん台詞のひとつ。
・なまじオペラ使ってると、火天会が出てきたことが、わかりません。
・初見では、どっから矢が出てきたのかわかんなかった。舞台上の仕掛けのことではなくて、誰が射たのかってこと。弓兵いなかったじゃん?と。
・何回目かではじめて、花道に火天会の人々がいることを知った……。
・「やっと地獄に行けるぜ……」からが、長いです。言うべきことがいろいろあるからなー。朱雀の神器わたさなきゃだし、キハの腹の子のこと言わなきゃだし、プルキル@えりたんのこと言わなきゃだし、ヤン王殺しの真相言わなきゃだし……ええっと、なんか抜けてない? チェックリストは?
・「君が王なら、僕は将軍になる」
・現に今、タムドクが王様で、ホゲは将軍なのにね。どこで間違ったんだろうね……。涙。
・イルスの号泣が激しすぎて、チョク・ファンの棒立ちぶりまで気が回らないわたし。てゆーかここでしっかり苦悩モードに入っているヒョンゴ先生見ていると、他を見逃してしまう件。
・火天会の本拠地名、阿佛蘭寺が読めません! 四露死苦!
・つか、耳で聞くとカタカナ語でしかない。当て字文化に見える。四露死苦!
・自宅でくつろぎモード・ヘアなプルキルに注目。
・おさげぢゃないですよ、大長老様! ストレ~~トなロングヘア~~ですよ! でもドジョウヒゲはそのままですよ!
・あの三つ編みは「お出かけヘア」だったんですねえ。いちいち編んでたんですねえ。かわいいなあ、プルキル。
・赤い衣装の女の子たちゆらゆら、こわくていい感じ。
・「待て! 汚れた手で触るな!」声から登場するタムドクとその仲間たち。この展開はわくわくする。そう、声から登場するなら、これくらいのババーンな登場でないとスベるのよ。
・神器の守り主を含めたタムドク軍勢揃い、の、このメンバーがいい。いかにもゲーム的、アニメ的っていうか。
・美形ロン毛大柄な槍使い(ついでにナルシー)、男装した美少女戦士、モヒカンワイルドな元気男(背中に大刀)、杖を持った軍師、闊達なムードメーカーメタボオヤジ、知勇備えた美丈夫将軍、思慮深き老将軍、お調子者の情報屋……戦闘員ではないけど随行している凄腕鍛冶屋の気っぷのいい姐さん、きゃぴるんかわいこちゃんな食事係……そして、彼らを従える正義まっすぐキラリな王子様!! ずらりと並ぶと、それだけでドラマを感じる。
・このメンバーでアニメやってくれてヨシ、テレ東あたりの深夜枠で1クールでいいから! とか思っちゃうわ。
・わたしこの公演、ストーリーや脚本やいろんなことがどーしても好きになれないんだが、キャラクタは気に入ってるのよー。だからキャラだけ使って別物にしたくてしょーがない。
・てか、イケコ作品っていつもそうだ、わたし的に。
・設定だけ使って、別の話をイチから書き直したくなる。うずうず。
・せっかく勢揃いでわくわくな展開なのに、『SIREN』でゆーところの、屍人ノ巣に主要人物が勢揃いして、竹内が「遅かったか!」とか叫んじゃうあの昂揚感なのに(誰にも伝わらない比喩)、こっからの展開がよくわからない。
・せっかくのラスボス・プルキルとの対決もないし、集めた神器はどっかいっちゃうし、謎のクレーン登場だし、初見ではぽかーんだった。
・何回か見ると、プルキルがひとりで勝手に「うわー」とか言って女の子たちの後ろで変身してじじいになってることがわかった。
・でもじじいになってなにをするでもなし、ただ下手へはけていくだけ。
・それがキハの力らしいとは、何回か見れば想像はつくが、その無意味さ、演出のひどさに憤慨するばかり。
・ファヌンは黒朱雀となったセオを射殺した。ファヌンの生まれかわりのタムドクは、セオの生まれかわりのスジニを……あれ? 転生ネタがすげー無意味?
・ファヌンは黒朱雀となったセオを射殺した。ファヌンの生まれかわりのタムドクは、黒朱雀になりそーなキハを殺す変わりに神器を使って助けた。
・助けるまではいいけど。
・で、どーなったの?
あと1回だけ続く!
・盾群舞が好きだ。
・武道会と並び、本能的にざわざわする高揚感。舞台ってすげえ、生ってすげえ。
・そして、ヨン・ホゲ@ゆーひが、かっこよすぎる。
・ホゲと、ホゲ軍双璧チョク・ファン@しゅん様、イルス@マメ。この3人の並びが格好イイ。もー、わくわくする。
・そして、女子だけでこの力技なダンスをしているのだということにも、感動する。どんだけがんばってるんだ、みんな。
・作品中、もっとも「カッコイイ!!」と血が沸き立つ感覚をおぼえる場面が、すべてゆーひくん中心の場面であり、主役であるまとぶんがいないということに、演出家に物申したい気分になる。
・いちばんかっこいい場面は主役中心であるべきだろー? や、かっこいいゆーひくんが観られてウレシイけどさっ。
・白虎の神器発動→チュムチ@まぁくんが守り主だったんだ!という展開について、ツッコミはナシ。時間ないから仕方なかったんだな、としか思わない。つっこむべきは他にいくらでもあるからな(笑)。
・神器発動の折、いちいちヒョンゴ@まっつが真横を陣取っていることに、地味にウケている。
・ヒョンゴ先生は「神器鑑定家」? チュシンの王探ししてるときも杖をかざして検査(笑)してたし、なんか彼の扱いは微妙に愉快だ。
・白虎の神器発見→間髪入れず「神器をよこせえええ!!」ホゲ様こわいです。
・でも新公ではこの「見つけた!」「よこせええ!!」のくだりがギャグになっていたので、こわいくらいでいいんだよな。
・「もう俺は後戻りできないんだああっ」……ホゲ様胸きゅん台詞のひとつ。
・なまじオペラ使ってると、火天会が出てきたことが、わかりません。
・初見では、どっから矢が出てきたのかわかんなかった。舞台上の仕掛けのことではなくて、誰が射たのかってこと。弓兵いなかったじゃん?と。
・何回目かではじめて、花道に火天会の人々がいることを知った……。
・「やっと地獄に行けるぜ……」からが、長いです。言うべきことがいろいろあるからなー。朱雀の神器わたさなきゃだし、キハの腹の子のこと言わなきゃだし、プルキル@えりたんのこと言わなきゃだし、ヤン王殺しの真相言わなきゃだし……ええっと、なんか抜けてない? チェックリストは?
・「君が王なら、僕は将軍になる」
・現に今、タムドクが王様で、ホゲは将軍なのにね。どこで間違ったんだろうね……。涙。
・イルスの号泣が激しすぎて、チョク・ファンの棒立ちぶりまで気が回らないわたし。てゆーかここでしっかり苦悩モードに入っているヒョンゴ先生見ていると、他を見逃してしまう件。
・火天会の本拠地名、阿佛蘭寺が読めません! 四露死苦!
・つか、耳で聞くとカタカナ語でしかない。当て字文化に見える。四露死苦!
・自宅でくつろぎモード・ヘアなプルキルに注目。
・おさげぢゃないですよ、大長老様! ストレ~~トなロングヘア~~ですよ! でもドジョウヒゲはそのままですよ!
・あの三つ編みは「お出かけヘア」だったんですねえ。いちいち編んでたんですねえ。かわいいなあ、プルキル。
・赤い衣装の女の子たちゆらゆら、こわくていい感じ。
・「待て! 汚れた手で触るな!」声から登場するタムドクとその仲間たち。この展開はわくわくする。そう、声から登場するなら、これくらいのババーンな登場でないとスベるのよ。
・神器の守り主を含めたタムドク軍勢揃い、の、このメンバーがいい。いかにもゲーム的、アニメ的っていうか。
・美形ロン毛大柄な槍使い(ついでにナルシー)、男装した美少女戦士、モヒカンワイルドな元気男(背中に大刀)、杖を持った軍師、闊達なムードメーカーメタボオヤジ、知勇備えた美丈夫将軍、思慮深き老将軍、お調子者の情報屋……戦闘員ではないけど随行している凄腕鍛冶屋の気っぷのいい姐さん、きゃぴるんかわいこちゃんな食事係……そして、彼らを従える正義まっすぐキラリな王子様!! ずらりと並ぶと、それだけでドラマを感じる。
・このメンバーでアニメやってくれてヨシ、テレ東あたりの深夜枠で1クールでいいから! とか思っちゃうわ。
・わたしこの公演、ストーリーや脚本やいろんなことがどーしても好きになれないんだが、キャラクタは気に入ってるのよー。だからキャラだけ使って別物にしたくてしょーがない。
・てか、イケコ作品っていつもそうだ、わたし的に。
・設定だけ使って、別の話をイチから書き直したくなる。うずうず。
・せっかく勢揃いでわくわくな展開なのに、『SIREN』でゆーところの、屍人ノ巣に主要人物が勢揃いして、竹内が「遅かったか!」とか叫んじゃうあの昂揚感なのに(誰にも伝わらない比喩)、こっからの展開がよくわからない。
・せっかくのラスボス・プルキルとの対決もないし、集めた神器はどっかいっちゃうし、謎のクレーン登場だし、初見ではぽかーんだった。
・何回か見ると、プルキルがひとりで勝手に「うわー」とか言って女の子たちの後ろで変身してじじいになってることがわかった。
・でもじじいになってなにをするでもなし、ただ下手へはけていくだけ。
・それがキハの力らしいとは、何回か見れば想像はつくが、その無意味さ、演出のひどさに憤慨するばかり。
・ファヌンは黒朱雀となったセオを射殺した。ファヌンの生まれかわりのタムドクは、セオの生まれかわりのスジニを……あれ? 転生ネタがすげー無意味?
・ファヌンは黒朱雀となったセオを射殺した。ファヌンの生まれかわりのタムドクは、黒朱雀になりそーなキハを殺す変わりに神器を使って助けた。
・助けるまではいいけど。
・で、どーなったの?
あと1回だけ続く!
箇条書き・その7。@太王四神記
2009年2月14日 タカラヅカ だらだら『太王四神記』感想。
・ヨン家での凱旋+婚約パーティ、ここでのホゲ@ゆーひとキハ@彩音の歌が好き。
・互いに無表情で目線も合わせずかわす歌から、冷たいキスまでの流れは萌えだ。
・ゆーひさんのガン見ポイントのひとつですな。特にキスしているときの突き放した眼差しがたまりません。ハァハァ。
・突き放した……キハを、というよりも、自分自身や、他のいろんなものを。
・「欠けている」ときに壮絶な色香を放つのはおーぞらゆーひさんの特色ですから。
・パーティに紛れ込んでくるスジニ@みわっち。……ごめん、やっぱキハの妹には見えない……若い女の子ではあるんだが、キハとは別の方程式で作られている人だわ。
・てゆーか、簡単に行き来して、簡単に会える人たちなんだ?! 絶対に会ったり話したり出来ない設定なのかとも思ってた。じゃあなんでタムドク@まとぶんは、キハやホゲとちゃんと会わないの?? と、我に返ってしまう。
・さらに、ここでのふたりの会話がよくわからない。
・「ナントカ山で過ごした夜は愛してたんだろ?」→「ええ、私の肩の烙印を治してくれた」……肩の烙印を治してくれたから愛したの?? じゃ、他に治してくれる人がいたら、誰でもよかったの?
・「烙印?」→「私は東百済の姫君で悪の組織に捕まって云々かんぬん」烙印について質問したのに、何故か話は横滑りで生き別れの妹の話に。
・「生き別れのお姉さん!」「妹!!」……なんで会話が成立するのか不思議だ。
・てゆーか烙印の話はいらんだろ。あの夜は愛していた、でも今は火天会の人間だからどうすることもできない、と言えばいい。そのうえで、何故火天会に囚われたかを話すべきだ。そーすりゃ妹の話にもつながるのに。
・会話のつながりがおかしいのはイケコ・クオリティだが、あちこちほんとに冷水を浴びせられる。
・王様(仮)として王様の部屋にいるタムドク。
・下手袖の階段上に登場する瞬間のタムドクが、全編通していちばん好き。
・すごく痛々しい表情してるの。脚本上のタムドクはアレ過ぎて考えることをアタマが拒否しがちなんだが(笑)、まとぶんが演じていることで、こちら側へ踏みとどまっている。
・まとぶんのまっすぐさ、アツさ、誠実さで、人格破綻を起こしている脚本上のタムドクをつなぎ止めてるんだよね。トップスターの仕事ですよ、ええ、壊れたキャラクタを力技でまともに見せるのは!
・キハへの愛を歌いはじめるよりも、歌い出す前の表情が好きだ。
・そこへスジニの手引きで現れるキハ。
・てゆーか、簡単に行き来して、簡単に会える人たちなんだ?! 絶対に会ったり話したり出来ない設定なのかとも思ってた。じゃあなんでタムドク@まとぶんは(以下略)。
・神器を差し出すキハもよくわからん。タムドクに渡すってことは今あるものすべてへの裏切りで、プルキルかヨン家かに殺されることは覚悟の上だわな。子どもも、道連れで。
・子どもの命を守るために、ホゲの妻になるんじゃなかったの? 結局どーでもよかったってか。
・自分の命も子どもの命もどうでもいい、タムドクさえ王になるなら、てゆーなら、ややこしいことしないで天地神堂でも政治家たちの集合したときでも、公の場で「朱雀の神はタムドク様がチュシンの王だとゆーてます」と言えば済むことじゃん? こうしてスタンドプレイできるくらい、24時間365日操られ続けてるわけじゃないんでしょ?
・なんかすげー思いつきくさくて嫌だ。
・つーか神器渡す暇があるなら、全部話せばいいのに。
・なにも考えてないだろ、イケコ。……ぢゃなくて、キハ。
・とりあえず、黒いドレスのキハはきれいだ。
・ここの場面のわけのわからなさはすべて、まとぶさんのドMプレイを堪能するためだと思えばヨシ。
・キハに「ホゲ様とデキ婚するのよ」と告げられ、がーー…ん!と白目になるタムドクがイイです。わざわざ相手を傷つけることを選んで言うS女と、そんな彼女に未練たらたらなM男、という、まとあやの正しい愉しみ方その1です。(その2は言わずとしれた「お兄ちゃん♪」ですな)
・プルキル@壮くんなんかよりはるかに強大な魔術師ヤン王@星原先輩の呪いによって、キハは「タムドクに憎まれなくてはならない」と思い込んでいるから、本当のことを話さず、「裏切り女」として冷たい態度を取ってるのだろう。タムタムを傷つけるのだろう。
・だとしたらその直後の朱雀の神器を差し出すのがまたわけわかんない……と、ループするから終了。
・んで、ホゲのターン。いつものメンバーが、いつもの会話。(溜息)
・んで、タムドクのターン。いつものメンバーが、いつもの会話。ただしタムドクがいないので、どさくさにまぎれてヒョンゴ@まっつがセンターにいて、個人的にたのしい(笑)。
・んで、ホゲのターン。ホゲの部屋かな、銀ちゃん×ヤス再び……ぢゃねえ、サリャン@みつる登場。
・「プルキルは火天会の大長老、2000年生きてきた魔術師なのです!!」
・あれ、まだ知られてなかったの?! そのことに驚く。
・だって水晶玉出してアブラカタブラやってたじゃん? どっから見てもただの商人チガウやん。タムドクだってキハが火天会の回し者だって聞いてるんだから、キハにくっついてるプルキルのことぐらいわかってるだろう? もう周知の事実かと思ってた。
・サリャンの肩見せプレイ希望。
・プルキル登場で、肩を押さえて苦しむサリャン。いつぞやのキハと同じってことは、彼もまた同じよーな烙印を施されていると見た。
・ホゲが「恥ずかしがることはない」とサリャンの肩をはだけ、そこにプルキル印が押してあるのを見つけ、「ああっ、ホゲ様が触れると痛みが消える……」
・なんか萌えればいいのかキモチワルがればいいのか笑えばいいのか微妙な想像だなヲイ。
・でも銀ちゃんヤスだから、そんなことにはならない。銀ちゃんはもちろん、ヤスを足蹴にしてナンボだ。
・サリャン亡骸を転がすホゲ様に萌え。
・プルキルはいつもたのしそうでいいなあ。
・イルス@マメ登場時に、サリャン死体をプルキルがさりげなく(笑)隠すのがイイ。
・で、タムドクのターン。いつものメンバーが、いつものよーにわいわい。
・タルビ@ののすみ妊娠発覚。チュムチ@まぁくんが彼女を姫抱っこ。かわいいなあ。しかし何人目の妊婦だこの話。
・初見時にパソン@一花の兄がチュムチだったのかと混乱。だってあのクソ忙しいチュシンの夜の出来事で、パソン兄は「火天会に捕まった」ってヒョンゴ先生語ってたの、ちゃんと聞いたもん。「殺された」じゃなく「捕まった」ってことは生きているってことじゃないの? それがチュムチで、成長して再会したけどお互い気づいてないまま、パソンが兄から預かった神器が、正しく兄の元に渡ったから発動したのかと。
・原作を見た木ノ実さんに聞いたら「チガウと思う」って言われたんで、チガウらしい。
・しあわせカップルに「早くしろ」と槍を鳴らすチョロ@めおくんの表情の変化が楽しい。妊娠報告のときは「ぴよ?」って顔してたりする。
続く。
・ヨン家での凱旋+婚約パーティ、ここでのホゲ@ゆーひとキハ@彩音の歌が好き。
・互いに無表情で目線も合わせずかわす歌から、冷たいキスまでの流れは萌えだ。
・ゆーひさんのガン見ポイントのひとつですな。特にキスしているときの突き放した眼差しがたまりません。ハァハァ。
・突き放した……キハを、というよりも、自分自身や、他のいろんなものを。
・「欠けている」ときに壮絶な色香を放つのはおーぞらゆーひさんの特色ですから。
・パーティに紛れ込んでくるスジニ@みわっち。……ごめん、やっぱキハの妹には見えない……若い女の子ではあるんだが、キハとは別の方程式で作られている人だわ。
・てゆーか、簡単に行き来して、簡単に会える人たちなんだ?! 絶対に会ったり話したり出来ない設定なのかとも思ってた。じゃあなんでタムドク@まとぶんは、キハやホゲとちゃんと会わないの?? と、我に返ってしまう。
・さらに、ここでのふたりの会話がよくわからない。
・「ナントカ山で過ごした夜は愛してたんだろ?」→「ええ、私の肩の烙印を治してくれた」……肩の烙印を治してくれたから愛したの?? じゃ、他に治してくれる人がいたら、誰でもよかったの?
・「烙印?」→「私は東百済の姫君で悪の組織に捕まって云々かんぬん」烙印について質問したのに、何故か話は横滑りで生き別れの妹の話に。
・「生き別れのお姉さん!」「妹!!」……なんで会話が成立するのか不思議だ。
・てゆーか烙印の話はいらんだろ。あの夜は愛していた、でも今は火天会の人間だからどうすることもできない、と言えばいい。そのうえで、何故火天会に囚われたかを話すべきだ。そーすりゃ妹の話にもつながるのに。
・会話のつながりがおかしいのはイケコ・クオリティだが、あちこちほんとに冷水を浴びせられる。
・王様(仮)として王様の部屋にいるタムドク。
・下手袖の階段上に登場する瞬間のタムドクが、全編通していちばん好き。
・すごく痛々しい表情してるの。脚本上のタムドクはアレ過ぎて考えることをアタマが拒否しがちなんだが(笑)、まとぶんが演じていることで、こちら側へ踏みとどまっている。
・まとぶんのまっすぐさ、アツさ、誠実さで、人格破綻を起こしている脚本上のタムドクをつなぎ止めてるんだよね。トップスターの仕事ですよ、ええ、壊れたキャラクタを力技でまともに見せるのは!
・キハへの愛を歌いはじめるよりも、歌い出す前の表情が好きだ。
・そこへスジニの手引きで現れるキハ。
・てゆーか、簡単に行き来して、簡単に会える人たちなんだ?! 絶対に会ったり話したり出来ない設定なのかとも思ってた。じゃあなんでタムドク@まとぶんは(以下略)。
・神器を差し出すキハもよくわからん。タムドクに渡すってことは今あるものすべてへの裏切りで、プルキルかヨン家かに殺されることは覚悟の上だわな。子どもも、道連れで。
・子どもの命を守るために、ホゲの妻になるんじゃなかったの? 結局どーでもよかったってか。
・自分の命も子どもの命もどうでもいい、タムドクさえ王になるなら、てゆーなら、ややこしいことしないで天地神堂でも政治家たちの集合したときでも、公の場で「朱雀の神はタムドク様がチュシンの王だとゆーてます」と言えば済むことじゃん? こうしてスタンドプレイできるくらい、24時間365日操られ続けてるわけじゃないんでしょ?
・なんかすげー思いつきくさくて嫌だ。
・つーか神器渡す暇があるなら、全部話せばいいのに。
・なにも考えてないだろ、イケコ。……ぢゃなくて、キハ。
・とりあえず、黒いドレスのキハはきれいだ。
・ここの場面のわけのわからなさはすべて、まとぶさんのドMプレイを堪能するためだと思えばヨシ。
・キハに「ホゲ様とデキ婚するのよ」と告げられ、がーー…ん!と白目になるタムドクがイイです。わざわざ相手を傷つけることを選んで言うS女と、そんな彼女に未練たらたらなM男、という、まとあやの正しい愉しみ方その1です。(その2は言わずとしれた「お兄ちゃん♪」ですな)
・プルキル@壮くんなんかよりはるかに強大な魔術師ヤン王@星原先輩の呪いによって、キハは「タムドクに憎まれなくてはならない」と思い込んでいるから、本当のことを話さず、「裏切り女」として冷たい態度を取ってるのだろう。タムタムを傷つけるのだろう。
・だとしたらその直後の朱雀の神器を差し出すのがまたわけわかんない……と、ループするから終了。
・んで、ホゲのターン。いつものメンバーが、いつもの会話。(溜息)
・んで、タムドクのターン。いつものメンバーが、いつもの会話。ただしタムドクがいないので、どさくさにまぎれてヒョンゴ@まっつがセンターにいて、個人的にたのしい(笑)。
・んで、ホゲのターン。ホゲの部屋かな、銀ちゃん×ヤス再び……ぢゃねえ、サリャン@みつる登場。
・「プルキルは火天会の大長老、2000年生きてきた魔術師なのです!!」
・あれ、まだ知られてなかったの?! そのことに驚く。
・だって水晶玉出してアブラカタブラやってたじゃん? どっから見てもただの商人チガウやん。タムドクだってキハが火天会の回し者だって聞いてるんだから、キハにくっついてるプルキルのことぐらいわかってるだろう? もう周知の事実かと思ってた。
・サリャンの肩見せプレイ希望。
・プルキル登場で、肩を押さえて苦しむサリャン。いつぞやのキハと同じってことは、彼もまた同じよーな烙印を施されていると見た。
・ホゲが「恥ずかしがることはない」とサリャンの肩をはだけ、そこにプルキル印が押してあるのを見つけ、「ああっ、ホゲ様が触れると痛みが消える……」
・なんか萌えればいいのかキモチワルがればいいのか笑えばいいのか微妙な想像だなヲイ。
・でも銀ちゃんヤスだから、そんなことにはならない。銀ちゃんはもちろん、ヤスを足蹴にしてナンボだ。
・サリャン亡骸を転がすホゲ様に萌え。
・プルキルはいつもたのしそうでいいなあ。
・イルス@マメ登場時に、サリャン死体をプルキルがさりげなく(笑)隠すのがイイ。
・で、タムドクのターン。いつものメンバーが、いつものよーにわいわい。
・タルビ@ののすみ妊娠発覚。チュムチ@まぁくんが彼女を姫抱っこ。かわいいなあ。しかし何人目の妊婦だこの話。
・初見時にパソン@一花の兄がチュムチだったのかと混乱。だってあのクソ忙しいチュシンの夜の出来事で、パソン兄は「火天会に捕まった」ってヒョンゴ先生語ってたの、ちゃんと聞いたもん。「殺された」じゃなく「捕まった」ってことは生きているってことじゃないの? それがチュムチで、成長して再会したけどお互い気づいてないまま、パソンが兄から預かった神器が、正しく兄の元に渡ったから発動したのかと。
・原作を見た木ノ実さんに聞いたら「チガウと思う」って言われたんで、チガウらしい。
・しあわせカップルに「早くしろ」と槍を鳴らすチョロ@めおくんの表情の変化が楽しい。妊娠報告のときは「ぴよ?」って顔してたりする。
続く。
舞台の上で、誰よりも。@愛原実花次期雪組トップスター決定発表
2009年2月13日 タカラヅカ 人事へのとまどいは置くとして。
次期雪組娘役トップスター・愛原実花、について私感あれこれ。
みなこちゃんは文化祭から見ている。わたしの観た回が、彼女が挨拶をする回だった。
とにかく個性的な顔立ち(笑)で、センターでがしがし踊っていた印象。
どこにいても目立つ、印象に残る顔っていうのは、舞台人としては武器だと思う。が、「タカラヅカの路線娘役スター」としてはどうだろう、と思っていた。
いや、「美」の基準はひとそれぞれで、一概に言えるものではないけれど。
わたしの個人的感覚に過ぎないけど。
阪急電鉄は毎年お正月ポスターを作成し、そこに研1生を使う。そこには成績上位のかわいこちゃんが選ばれている。なにしろ歌劇団だけの話ではなく、一般人相手の広告だからやっぱビジュアルが考慮されているんだなという印象を持っていた。まあ、成績優秀入団者はビジュアルも兼ね備えている場合がほとんどだし。
男役と娘役が毎年交互なので、娘役の順番である90期では、首席入団で美人のくまくまちゃんがポスターに載るんだろうとか、成績がちょっとふるわなくても他の美人な子だろうと深く考えずに思っていた。
少なくとも、ビジュアル重視だろうから成績2番で演劇界的に超有名人の娘であっても、みなこちゃんではないだろうと。あいようこお姉様だって、そこまではしてないし、と。
や、そこでまず驚いた。新年ポスター、みなこですか。
新年会で集まった非ヅカファンの友人たちが、待ち合わせ場所の阪急梅田駅にどかどか貼ってあるみなこポスターを見て「ねえ、タカラヅカの人ってみんな美人なんじゃないの? それともなにか美人の基準がチガウの?」と無邪気に聞いてきて、答えに窮したなあ(笑)。
舞台での実力があるのはたしかだから、素顔でテレビタレント的使い方はしないでほしいと思っていた。
スカイフェアリーズはテレビでニュースを読むのが仕事だから、舞台での実力者ぢゃなく、顔だけで選んでくれと切望したさ。みなこちゃんが雪組スカフェに決まったとき。
ぶっちゃけわたし、彼女の顔が苦手でなあ。みなこちゃんがスカフェやってたときは、雪組キャスターのニュースは早送りして見てなかったんだわ……おかげで相棒のがおりくんの存在をまったく知らないままだった。
舞台での抜擢も続いていたが、ジェンヌは経験を積めばみな美しくなるのだから、えーとその、マデレーネとか絶世の美女役をやるならば、もう少しスキルを磨いて美しくなってから演じて欲しいもんだと思ったりもしていた……ゲフンゲフン。
そんなふーに、ずーーっと苦手だったみなこちゃんだが、やっぱ舞台人は舞台が勝負だよね。
舞台での姿がすばらしいので、苦手意識は払拭された。
顔が好き、ならそれだけで底上げされるもんだけど、苦手というマイナス地点からスタートして、それを超えていくんだから、なまじ好みの子よりすげーよ。
てゆーか、役者としてのみなこは好きだーっ。
好みの顔では、ごめん、今でもまったくないのだが、ぶっちゃけ個性的過ぎる顔だなと思っているが、舞台はテレビぢゃない、舞台上で絶世の美女に見せてくれれば問題ナシ。
だから水くんの相手役として、がっつり芝居してくれる、ゆみこやキムともがっつり芝居してくれると思うのは純粋に楽しみだ。
ただ。
トップスターになるってことは、退団へのカウントダウンがはじまるってことだ。今のご時世、いったい何作やれるのかわからない。
役の幅も狭くなり、たとえばこの間の静香@『忘れ雪』とか、通常はポニー@『凍てついた明日』みたいな役はできなくなるってことだ。下手すりゃ「美女」という設定しかないただそこにいるだけの人格ナシお飾り役しか来なくなる可能性だってある、ヅカの大劇場ヒロインなんて。
もったいない。
「役者」愛原実花にとって、もったいないことだと思うんだ。
トップになるのも選択肢のひとつだけど、みなこちゃんには別格スターとして、長く、いろんな役で活躍してほしかったかなあ。
演出家が「真ん中」としてみなこを輝かせる脚本を書いてくれることを、祈る。トップ娘役月影瞳にボニー・パーカー役をやらせたオギーみたいにね。
水夏希と共に、魅力ある世界を見せて欲しい。
また、ジェンヌはみんなキャリアを積むごとに美しくなるし、立場によってもさらに美しくなる。みなこちゃんはたしかに個性的、つーかまあ、アレな顔立ちだけど、ここからどれほど変わっていくのか楽しみでもある。
13日には新聞にみなこトップが記事として載ったため、コアでもないヅカ仲間たちから彼女の素顔についての危惧メールが相次いだが……大丈夫だよ、きっとこれから美女になるんだよ。前例もあるし。
いやその、雪組には昔、「花總まり」というトップスターがいてね。や、ほんとに大昔だけど。
その彼女が研4だかでトップスターになったときの素顔はもう……。
トップ就任前後あたりの頃だったと思うが、ヅカ施設だけでなく阪急の駅すべてに、彼女が素顔でにっこり笑う「ラガールカード」の巨大ポスターが貼られていてねぇ……当時流行っていたピンク系のアイメイクが瞼をさらに強調し、糸のような目をさらに細く見せていた、そりゃーもー語りぐさになるご尊顔でしたよ。
非ヅカファン友人たちにこぞって、「あのキモい人、ヅカの人なの?」と言われ、言葉に窮したというか途方に暮れたというか。
そんなところからスタートした花ちゃんだって、天下無敵の美女になった。舞台ではもともと絶世の美少女だったけど、それだけでなく、素顔だって美しい人になった。
ジェンヌってすげえよほんと。
みなこちゃんは若さとスタイルと華がある人だから、立場を得たからにはどんどん美しく花開いていくだろう。トップスターはみんなあか抜けていくもの。
女の子がきれいになっていくのを見るのはうれしい。
大野&さいとーによる演目もすげー楽しみだし、これからも雪組からは目が離せないな。
や、まずは次のとなみちゃんサヨナラ公演。愛すべき大輪の華を、そして現在の雪組を心残りなきように心に焼き付けなければ。
雪担のnanakoさんから「毎週観るよね?」と付加疑問文で確認されてますよ?(笑)
今わたし、トウコちゃんトウコちゃんで体力もお財布もギリギリなんですが……。退団公演続きすぎだ、劇団! うがーっ。
次期雪組娘役トップスター・愛原実花、について私感あれこれ。
みなこちゃんは文化祭から見ている。わたしの観た回が、彼女が挨拶をする回だった。
とにかく個性的な顔立ち(笑)で、センターでがしがし踊っていた印象。
どこにいても目立つ、印象に残る顔っていうのは、舞台人としては武器だと思う。が、「タカラヅカの路線娘役スター」としてはどうだろう、と思っていた。
いや、「美」の基準はひとそれぞれで、一概に言えるものではないけれど。
わたしの個人的感覚に過ぎないけど。
阪急電鉄は毎年お正月ポスターを作成し、そこに研1生を使う。そこには成績上位のかわいこちゃんが選ばれている。なにしろ歌劇団だけの話ではなく、一般人相手の広告だからやっぱビジュアルが考慮されているんだなという印象を持っていた。まあ、成績優秀入団者はビジュアルも兼ね備えている場合がほとんどだし。
男役と娘役が毎年交互なので、娘役の順番である90期では、首席入団で美人のくまくまちゃんがポスターに載るんだろうとか、成績がちょっとふるわなくても他の美人な子だろうと深く考えずに思っていた。
少なくとも、ビジュアル重視だろうから成績2番で演劇界的に超有名人の娘であっても、みなこちゃんではないだろうと。あいようこお姉様だって、そこまではしてないし、と。
や、そこでまず驚いた。新年ポスター、みなこですか。
新年会で集まった非ヅカファンの友人たちが、待ち合わせ場所の阪急梅田駅にどかどか貼ってあるみなこポスターを見て「ねえ、タカラヅカの人ってみんな美人なんじゃないの? それともなにか美人の基準がチガウの?」と無邪気に聞いてきて、答えに窮したなあ(笑)。
舞台での実力があるのはたしかだから、素顔でテレビタレント的使い方はしないでほしいと思っていた。
スカイフェアリーズはテレビでニュースを読むのが仕事だから、舞台での実力者ぢゃなく、顔だけで選んでくれと切望したさ。みなこちゃんが雪組スカフェに決まったとき。
ぶっちゃけわたし、彼女の顔が苦手でなあ。みなこちゃんがスカフェやってたときは、雪組キャスターのニュースは早送りして見てなかったんだわ……おかげで相棒のがおりくんの存在をまったく知らないままだった。
舞台での抜擢も続いていたが、ジェンヌは経験を積めばみな美しくなるのだから、えーとその、マデレーネとか絶世の美女役をやるならば、もう少しスキルを磨いて美しくなってから演じて欲しいもんだと思ったりもしていた……ゲフンゲフン。
そんなふーに、ずーーっと苦手だったみなこちゃんだが、やっぱ舞台人は舞台が勝負だよね。
舞台での姿がすばらしいので、苦手意識は払拭された。
顔が好き、ならそれだけで底上げされるもんだけど、苦手というマイナス地点からスタートして、それを超えていくんだから、なまじ好みの子よりすげーよ。
てゆーか、役者としてのみなこは好きだーっ。
好みの顔では、ごめん、今でもまったくないのだが、ぶっちゃけ個性的過ぎる顔だなと思っているが、舞台はテレビぢゃない、舞台上で絶世の美女に見せてくれれば問題ナシ。
だから水くんの相手役として、がっつり芝居してくれる、ゆみこやキムともがっつり芝居してくれると思うのは純粋に楽しみだ。
ただ。
トップスターになるってことは、退団へのカウントダウンがはじまるってことだ。今のご時世、いったい何作やれるのかわからない。
役の幅も狭くなり、たとえばこの間の静香@『忘れ雪』とか、通常はポニー@『凍てついた明日』みたいな役はできなくなるってことだ。下手すりゃ「美女」という設定しかないただそこにいるだけの人格ナシお飾り役しか来なくなる可能性だってある、ヅカの大劇場ヒロインなんて。
もったいない。
「役者」愛原実花にとって、もったいないことだと思うんだ。
トップになるのも選択肢のひとつだけど、みなこちゃんには別格スターとして、長く、いろんな役で活躍してほしかったかなあ。
演出家が「真ん中」としてみなこを輝かせる脚本を書いてくれることを、祈る。トップ娘役月影瞳にボニー・パーカー役をやらせたオギーみたいにね。
水夏希と共に、魅力ある世界を見せて欲しい。
また、ジェンヌはみんなキャリアを積むごとに美しくなるし、立場によってもさらに美しくなる。みなこちゃんはたしかに個性的、つーかまあ、アレな顔立ちだけど、ここからどれほど変わっていくのか楽しみでもある。
13日には新聞にみなこトップが記事として載ったため、コアでもないヅカ仲間たちから彼女の素顔についての危惧メールが相次いだが……大丈夫だよ、きっとこれから美女になるんだよ。前例もあるし。
いやその、雪組には昔、「花總まり」というトップスターがいてね。や、ほんとに大昔だけど。
その彼女が研4だかでトップスターになったときの素顔はもう……。
トップ就任前後あたりの頃だったと思うが、ヅカ施設だけでなく阪急の駅すべてに、彼女が素顔でにっこり笑う「ラガールカード」の巨大ポスターが貼られていてねぇ……当時流行っていたピンク系のアイメイクが瞼をさらに強調し、糸のような目をさらに細く見せていた、そりゃーもー語りぐさになるご尊顔でしたよ。
非ヅカファン友人たちにこぞって、「あのキモい人、ヅカの人なの?」と言われ、言葉に窮したというか途方に暮れたというか。
そんなところからスタートした花ちゃんだって、天下無敵の美女になった。舞台ではもともと絶世の美少女だったけど、それだけでなく、素顔だって美しい人になった。
ジェンヌってすげえよほんと。
みなこちゃんは若さとスタイルと華がある人だから、立場を得たからにはどんどん美しく花開いていくだろう。トップスターはみんなあか抜けていくもの。
女の子がきれいになっていくのを見るのはうれしい。
大野&さいとーによる演目もすげー楽しみだし、これからも雪組からは目が離せないな。
や、まずは次のとなみちゃんサヨナラ公演。愛すべき大輪の華を、そして現在の雪組を心残りなきように心に焼き付けなければ。
雪担のnanakoさんから「毎週観るよね?」と付加疑問文で確認されてますよ?(笑)
今わたし、トウコちゃんトウコちゃんで体力もお財布もギリギリなんですが……。退団公演続きすぎだ、劇団! うがーっ。
次期雪組娘役トップスター決定について、考える。
2009年2月12日 タカラヅカ な、なんかとんでもないことになってるな、宝塚歌劇団。
いや、とんでもってゆーか、えーとえーと、とりあえずナニを言えばいいのか。
えーと、そうだ、みなこちゃん、雪組娘役トップスターおめでとう。
月組の例があるから「娘役トップはなくなるんじゃないか」とか、月組の例があるから他組から「誰??」な下級生男役が娘役トップとして特別出演したりするかもしれないとか、いろいろ危惧していたけれど。
ちゃんと娘役トップの地位は健在で、そして組内からスター娘役の昇格だ。なーんにもトンデモなことぢゃないさ。そうだよな、順当なことだよな。
でも、なんかトンデモな印象があるのはどうしてだろう。
とゆーことを、まず考えてみたいと思う。
みなこちゃん個人がどうこうではなく、「組内からの昇格」なのに落ち着きが悪いのは何故か?
みなこが2番手を経験することなく、周囲の異動もなく、自組でトップになるから、だ。
他組からの異動なら、2番手経験なくトップ、てのは、娘役の場合はないわけじゃない。月組へ組替えトップ就任の檀ちゃんとか、花組へ組替えトップ就任のふーちゃんとか。月のえみくらもそうだな。
しかし彼女たちも、同組内では2番手経験なしではトップになれるはずがなかった。だって現時点で2番手ではない組でトップになるには、2番手以下自分の上にいる人たちをすべて追い抜くことになる。
当時雪組にいた檀ちゃんが貴咲美里、愛田芽久、紺野まひるという新公・バウヒロイン経験者たちを全員すっとばして雪組でトドロキの相手役になるはずがなかったように。
当時宙組にいたふーちゃんが、2番手の彩乃かなみを脇に追いやって宙組でトップスターになるはずがなかったように。
もしも檀ちゃんがあのまま雪組でトップになるなら、もしもふーちゃんが宙組でトップになるなら、上の番手の娘役すべてが他組へ異動になっていたはずだ。
タカラヅカは不思議なところで、冷徹に人事を行うわりに、一度番手らしきものがついた人たちは、下手に順位をいじったりしない。
同組内で順位の追い越しは、滅多なことではやらない。徐々にレールを逸らしていくことは同組内でもあるけど、いきなりポジションを上げたいときは組替えする。生徒の面子を潰すようなことはしない。(唯一月組は下級生抜擢、下克上、上級生2番手と、なんでもありーのの組、というイメージ)
現在3番手以下娘役がトップになるには、通常組替えが必須。
是非はともかく、タカラヅカは同組内であからさまな下克上をしない組織だから。本人が動くか、あるいは上の番手が他組へ異動になるか。
花組の現在の娘役トップ彩音ちゃんは、2番手なしで自組でトップ就任しているが、その場合2番手娘役だったあすかちゃんは専科に異動になっている。トップスター桜乃彩音の下で、脇役として遠野あすかが同じ舞台に立つことはなかった。
「2番手経験なし」で「周囲の異動なし」で「同組2番手を追い越して」トップ就任ってのは、かなり特異な事態だ。
てゆーか、わたしの記憶にない。
たかだか20年しかファンやってないんで昔のことはわかんないし、20年前は今ほど情報なかったし全組観ているわけじゃなかったから、記憶が確かなのはせいぜい10数年でしかないわけだけど。
「2番手経験無し」だけなら、娘役の場合、過去に例がないわけじゃない。だがその上「自組で下克上トップ」でさらに、「追い抜かれた人の異動なし」という、記憶にない事態が加わるので、せっかくの組内昇格なのに「えらいこっちゃ」な人事に思えてしまうようだ。
や、そーすると「雪組の2番手娘役って誰よ?」って話になるよな。
たしかに今の雪組には固定された2番手はいなかったと思う。公演ごとに娘役たちの比重は違っていた。
だが2番手を固定していないならなおさら、これまでにみなこを2番手にすることもできたわけだ。なのに、それもなかった。
おそらく次の公演でみなこが2番手役なんだろうけど、トップ内定を発表された現時点で番手外であったという事実の奇異さは覆らない。
また現時点で、過去公演で2番手を務め現在在籍している、いづるん、さゆちゃんという、固定ポジではなくても2番手格の人たちの異動も発表されていない。
いづるんは新公主演していない別格ポジの人だからまた別としても、新公ヒロイン、バウヒロイン、DCヒロイン、WSヒロインと短期間にヒロイン稼業を独占しきったさゆちゃんをそのままにして、下級生のみなこによる異動なし下克上ってのは、今までない出来事だ。
それゆえに、第一報を受けた感想は、とんでもないことになってるな、宝塚歌劇団。になるわけだ。
今後あわてて辻褄合わせするのかな。
組替えが発表になったり?
なんだかなあ。
2009/02/12
次期雪組主演娘役について
この度、次期雪組主演娘役に愛原 実花(雪組)が決定致しましたので、お知らせ致します。
主演娘役としての公演は、2009年7月31日に初日を迎える雪組宝塚大劇場公演『ロシアン・ブルー』-魔女への鉄槌-、『RIO DE BRAVO!!』からとなります。
いや、とんでもってゆーか、えーとえーと、とりあえずナニを言えばいいのか。
えーと、そうだ、みなこちゃん、雪組娘役トップスターおめでとう。
月組の例があるから「娘役トップはなくなるんじゃないか」とか、月組の例があるから他組から「誰??」な下級生男役が娘役トップとして特別出演したりするかもしれないとか、いろいろ危惧していたけれど。
ちゃんと娘役トップの地位は健在で、そして組内からスター娘役の昇格だ。なーんにもトンデモなことぢゃないさ。そうだよな、順当なことだよな。
でも、なんかトンデモな印象があるのはどうしてだろう。
とゆーことを、まず考えてみたいと思う。
みなこちゃん個人がどうこうではなく、「組内からの昇格」なのに落ち着きが悪いのは何故か?
みなこが2番手を経験することなく、周囲の異動もなく、自組でトップになるから、だ。
他組からの異動なら、2番手経験なくトップ、てのは、娘役の場合はないわけじゃない。月組へ組替えトップ就任の檀ちゃんとか、花組へ組替えトップ就任のふーちゃんとか。月のえみくらもそうだな。
しかし彼女たちも、同組内では2番手経験なしではトップになれるはずがなかった。だって現時点で2番手ではない組でトップになるには、2番手以下自分の上にいる人たちをすべて追い抜くことになる。
当時雪組にいた檀ちゃんが貴咲美里、愛田芽久、紺野まひるという新公・バウヒロイン経験者たちを全員すっとばして雪組でトドロキの相手役になるはずがなかったように。
当時宙組にいたふーちゃんが、2番手の彩乃かなみを脇に追いやって宙組でトップスターになるはずがなかったように。
もしも檀ちゃんがあのまま雪組でトップになるなら、もしもふーちゃんが宙組でトップになるなら、上の番手の娘役すべてが他組へ異動になっていたはずだ。
タカラヅカは不思議なところで、冷徹に人事を行うわりに、一度番手らしきものがついた人たちは、下手に順位をいじったりしない。
同組内で順位の追い越しは、滅多なことではやらない。徐々にレールを逸らしていくことは同組内でもあるけど、いきなりポジションを上げたいときは組替えする。生徒の面子を潰すようなことはしない。(唯一月組は下級生抜擢、下克上、上級生2番手と、なんでもありーのの組、というイメージ)
現在3番手以下娘役がトップになるには、通常組替えが必須。
是非はともかく、タカラヅカは同組内であからさまな下克上をしない組織だから。本人が動くか、あるいは上の番手が他組へ異動になるか。
花組の現在の娘役トップ彩音ちゃんは、2番手なしで自組でトップ就任しているが、その場合2番手娘役だったあすかちゃんは専科に異動になっている。トップスター桜乃彩音の下で、脇役として遠野あすかが同じ舞台に立つことはなかった。
「2番手経験なし」で「周囲の異動なし」で「同組2番手を追い越して」トップ就任ってのは、かなり特異な事態だ。
てゆーか、わたしの記憶にない。
たかだか20年しかファンやってないんで昔のことはわかんないし、20年前は今ほど情報なかったし全組観ているわけじゃなかったから、記憶が確かなのはせいぜい10数年でしかないわけだけど。
「2番手経験無し」だけなら、娘役の場合、過去に例がないわけじゃない。だがその上「自組で下克上トップ」でさらに、「追い抜かれた人の異動なし」という、記憶にない事態が加わるので、せっかくの組内昇格なのに「えらいこっちゃ」な人事に思えてしまうようだ。
や、そーすると「雪組の2番手娘役って誰よ?」って話になるよな。
たしかに今の雪組には固定された2番手はいなかったと思う。公演ごとに娘役たちの比重は違っていた。
だが2番手を固定していないならなおさら、これまでにみなこを2番手にすることもできたわけだ。なのに、それもなかった。
おそらく次の公演でみなこが2番手役なんだろうけど、トップ内定を発表された現時点で番手外であったという事実の奇異さは覆らない。
また現時点で、過去公演で2番手を務め現在在籍している、いづるん、さゆちゃんという、固定ポジではなくても2番手格の人たちの異動も発表されていない。
いづるんは新公主演していない別格ポジの人だからまた別としても、新公ヒロイン、バウヒロイン、DCヒロイン、WSヒロインと短期間にヒロイン稼業を独占しきったさゆちゃんをそのままにして、下級生のみなこによる異動なし下克上ってのは、今までない出来事だ。
それゆえに、第一報を受けた感想は、とんでもないことになってるな、宝塚歌劇団。になるわけだ。
今後あわてて辻褄合わせするのかな。
組替えが発表になったり?
なんだかなあ。
箇条書き・その6。@太王四神記
2009年2月11日 タカラヅカ 『太王四神記』過剰に感想だらだら書き。
・2幕になると構成がパターン化してるよーな。
・なにかひとつの事柄に対し、タムドク@まとぶと仲間たちわいわい→ホゲ@ゆーひとパパたち、またなにかあって、タムドクたちわいわい→ホゲわいわいの繰り返し、その合間にちょっとプルキル@えりたんネタ、とゆーか。
・あまりに同じことを繰り返すから、新公ではそのへんがばっさりカットしてあって笑った。たしかに、まとめられるよな、アレ。
・それでも、どんどんすさんでいくホゲ様はかっこいい。
・かわいい衣装皆無のタムドク軍において、タルビ@ののすみの浮きっぷりときたら(笑)。
・や、かわいいよ。かわいいけど、スジニ@みわっち、パソン@一花と衣装の世界観がまったくチガウ感じ。これだけ和を乱すわざとらしい衣装もありなら、なんでスジニもそっち系にしないんだ。
・ヒョンゴ@まっつはどんどん下世話になっている気がする……や、基本「村長さん」なんだけど、あちこちの反応が「陽気なおっさん」化しているというか。どうしたんだまっつ(笑)。
・テレながらタルビの話をするチュムチ@まぁくんに対する「こいつぅ」的な反応とか、登場したタルビに「可愛いじゃん!」と鼻の下を伸ばすヒョンミョン@だいもんに、スジニとふたりして足蹴り喰らわせるとか。ヒョンゴがどんどん愉快な人に……。
・人望のないコ将軍@めぐむ、部下のひとりも連れずにタムドク軍へ。
・裁判のときもただうろうろしているだけだったし、いいとこなしの見かけ倒し将軍だが、ここでちゃんと見せ場有り、後ろから襲いかかるチュムチを吹っ飛ばしてくれるのは、かっこいい。
・てゆーかココがないとやばかったよ、コ将軍の描き方(笑)。
・フッケ将軍@まりんは素敵にまりんだ。
・パソン姐さん特製鎧はかっこよくてうれしい。タムドクもよーやくかっこいい衣装になってくれてうれしい。
・旅立つタムドク軍の背中と、歩き方が、なんかおちゃめ。
・チョロ@めおちゃん、水煙草を吸いながら登場。
・素敵に時代劇。
・台詞にコブシ回ってます。
・「カンミ城もなめられたものよのう」素敵に悪代官。
・このやりすぎ感がたまらん。
・カグン将軍@さおたさんは、いくつなんだろう? 見た目は美老人だが、現役戦闘員。タムドク相手に立ち回りだもんな。
・きっと強い将軍なんだろうけど、見た目が細身の老人なので、彼に勝つタムドクがそれほど強く見えない件。
・杖を持ったヒョンゴはどーやって戦うんだろうと思ったら、戦わなかった。
・鎧着て剣を帯いて、戦場を……ただ、走り回ってた。
・戦闘になるかも、てなときに、女の子スジニの背中にかばわれてしまう働き盛り30代男ってのは、どーなんだろう。
・チュムチの剣を抜くアクションは大変そうで、いつもどきどきする(笑)。でも、あーゆー大仰さは好き。
・真ん中で槍を振り回して大暴れ、のチョロ、がんばれ。
・初日あたりは、チガウ意味でドキドキハラハラ(笑)。
・ここでチョロが強そうで格好良くないと、説得力がなくなるんだ、がんばれめおちゃん、機敏で流れるような動きを……!
・遠くからだと、仮面の男チョロの仮面がはずれたのかそーでないのか、わかりにくい。
・仮面もその下の醜い痣?のよーな皮膚も、色が似ているのでわかんないのな。仕掛けのために、その痣も顔から盛り上がっていて「上から付けている」のが丸わかりなので、仮面との区別がつきにくい。
・チョロとカグン将軍の関係は、萌えだ。
・チョロに仮面を与えたのはカグン将軍だよね? それって、なんて『ファントム』?
・顔のウロコが取れる場面は、いつ見てもドキドキ。ウロコがうまく落ちてくれないときやら、あまりにあからさまにチョロが仕掛けを脱ぎ捨てる様やら、舞台って大変だよなー、と。
・「案外いい男だねー」と「これが俺の顔か」の流れがイイ。
・めおちゃんのナルシーぶりが際立って素敵。(役名で言いましょう)
・「今日よりタムドク様を敬い、伏して従います」とゆー台詞が好きだ。
・タムドク→ホゲ交互だから、タムドクの次はホゲのターン。どこのシミュレーションRPGかと。
・イルス@マメのソロ。うわー、マメが歌ってるー。マメの歌声好き。てゆーかイルス好き。感情が豊かで単純な、愛すべき男。
・ゆーひくん、本領発揮。
・ゆーひの得意分野だよな、コレ。
・闇に堕ちた英雄ホゲの、破滅への暴走。
・チョク・ファン@しゅん様がまともでかっこいい。彼が堅実である分、ホゲの歪みが際立つ。
・下手からせり上がるプルキルの手が、猫みたいだ。
・猫飼ってる人ならわかるよね、手首を内側へ折りたたんで坐ってるアレ。香箱坐りって言うんだっけ。
・黙って猫みたいな手をしてせり上がってくるおさげドジョウヒゲの壮くんが、素敵すぎる。ツボ過ぎる。
・キハの台詞「あり得ないわ」が激しくデジャヴ。皇后様、がんばって。
・しかしプルキルもいいとこないよな。大見得切って水晶玉のぞいたのにキハ@彩音ちゃんを見失うわ、神器がどこにあるのかはっきりと探せないわ、「前世の記憶を取り戻せ」とやればそれは叶わず「あれ、子どもの頃の記憶が戻っちゃった、反省反省☆」……2000年生きてなお、なにひとつまともに出来てませんが、この男がラスボスでいいの、この話?
・はい、次はタムドクのターン。
・唐突なスジニ花嫁話。
・スジニがはじめてかわいい服を着せてもらう。ピンクがいいよね。明るい色がいいよね。
・しかし、スジニの比重が低すぎて、いきなり恋愛ネタ入れられても困る。
・ここに至るまで、スジニはヒョンゴ、ヒョンミョンと3個イチ扱いに過ぎない。原作知らなくても、設定だけでオイシイキャラクタだとわかるのに、ほっんとーに描き方を失敗してる。
・みわっちはかわいいし、よく演じているけれど……やっぱ役不足だわ。みわっちがもったいない。
・さらに、黒朱雀ネタを入れられても、半端すぎて困る。
・対するタムドクもなあ。すごく鈍感で無神経な男に見える台詞はなんとかしようよ。スジニのキモチをわかった上で、応えられないことを暗に言っているのだろうけど、日本語のつながりが変だから、空気読めない人になってる……。
・ああ、このへんもなんてイケコ・クオリティ。
・「最初は親友だと思っていた相手を好きになっていた」へ返す台詞が「私と同じだ」って、アンタ……。
・「私と同じ」がスジニの後半の台詞「好きになったのは、恋してはいけない相手」に係る言葉なんだろうが、そのあとに「だが」と続くので流れがおかしくなっている。スジニもすでに「恋してはいけない」と否定しているんだから、同意の文章に否定の接続詞を使うなっつーの。
・おかげで、同意しているのは「親友を愛した」って部分に聞こえる……。
続く。
・2幕になると構成がパターン化してるよーな。
・なにかひとつの事柄に対し、タムドク@まとぶと仲間たちわいわい→ホゲ@ゆーひとパパたち、またなにかあって、タムドクたちわいわい→ホゲわいわいの繰り返し、その合間にちょっとプルキル@えりたんネタ、とゆーか。
・あまりに同じことを繰り返すから、新公ではそのへんがばっさりカットしてあって笑った。たしかに、まとめられるよな、アレ。
・それでも、どんどんすさんでいくホゲ様はかっこいい。
・かわいい衣装皆無のタムドク軍において、タルビ@ののすみの浮きっぷりときたら(笑)。
・や、かわいいよ。かわいいけど、スジニ@みわっち、パソン@一花と衣装の世界観がまったくチガウ感じ。これだけ和を乱すわざとらしい衣装もありなら、なんでスジニもそっち系にしないんだ。
・ヒョンゴ@まっつはどんどん下世話になっている気がする……や、基本「村長さん」なんだけど、あちこちの反応が「陽気なおっさん」化しているというか。どうしたんだまっつ(笑)。
・テレながらタルビの話をするチュムチ@まぁくんに対する「こいつぅ」的な反応とか、登場したタルビに「可愛いじゃん!」と鼻の下を伸ばすヒョンミョン@だいもんに、スジニとふたりして足蹴り喰らわせるとか。ヒョンゴがどんどん愉快な人に……。
・人望のないコ将軍@めぐむ、部下のひとりも連れずにタムドク軍へ。
・裁判のときもただうろうろしているだけだったし、いいとこなしの見かけ倒し将軍だが、ここでちゃんと見せ場有り、後ろから襲いかかるチュムチを吹っ飛ばしてくれるのは、かっこいい。
・てゆーかココがないとやばかったよ、コ将軍の描き方(笑)。
・フッケ将軍@まりんは素敵にまりんだ。
・パソン姐さん特製鎧はかっこよくてうれしい。タムドクもよーやくかっこいい衣装になってくれてうれしい。
・旅立つタムドク軍の背中と、歩き方が、なんかおちゃめ。
・チョロ@めおちゃん、水煙草を吸いながら登場。
・素敵に時代劇。
・台詞にコブシ回ってます。
・「カンミ城もなめられたものよのう」素敵に悪代官。
・このやりすぎ感がたまらん。
・カグン将軍@さおたさんは、いくつなんだろう? 見た目は美老人だが、現役戦闘員。タムドク相手に立ち回りだもんな。
・きっと強い将軍なんだろうけど、見た目が細身の老人なので、彼に勝つタムドクがそれほど強く見えない件。
・杖を持ったヒョンゴはどーやって戦うんだろうと思ったら、戦わなかった。
・鎧着て剣を帯いて、戦場を……ただ、走り回ってた。
・戦闘になるかも、てなときに、女の子スジニの背中にかばわれてしまう働き盛り30代男ってのは、どーなんだろう。
・チュムチの剣を抜くアクションは大変そうで、いつもどきどきする(笑)。でも、あーゆー大仰さは好き。
・真ん中で槍を振り回して大暴れ、のチョロ、がんばれ。
・初日あたりは、チガウ意味でドキドキハラハラ(笑)。
・ここでチョロが強そうで格好良くないと、説得力がなくなるんだ、がんばれめおちゃん、機敏で流れるような動きを……!
・遠くからだと、仮面の男チョロの仮面がはずれたのかそーでないのか、わかりにくい。
・仮面もその下の醜い痣?のよーな皮膚も、色が似ているのでわかんないのな。仕掛けのために、その痣も顔から盛り上がっていて「上から付けている」のが丸わかりなので、仮面との区別がつきにくい。
・チョロとカグン将軍の関係は、萌えだ。
・チョロに仮面を与えたのはカグン将軍だよね? それって、なんて『ファントム』?
・顔のウロコが取れる場面は、いつ見てもドキドキ。ウロコがうまく落ちてくれないときやら、あまりにあからさまにチョロが仕掛けを脱ぎ捨てる様やら、舞台って大変だよなー、と。
・「案外いい男だねー」と「これが俺の顔か」の流れがイイ。
・めおちゃんのナルシーぶりが際立って素敵。(役名で言いましょう)
・「今日よりタムドク様を敬い、伏して従います」とゆー台詞が好きだ。
・タムドク→ホゲ交互だから、タムドクの次はホゲのターン。どこのシミュレーションRPGかと。
・イルス@マメのソロ。うわー、マメが歌ってるー。マメの歌声好き。てゆーかイルス好き。感情が豊かで単純な、愛すべき男。
・ゆーひくん、本領発揮。
・ゆーひの得意分野だよな、コレ。
・闇に堕ちた英雄ホゲの、破滅への暴走。
・チョク・ファン@しゅん様がまともでかっこいい。彼が堅実である分、ホゲの歪みが際立つ。
・下手からせり上がるプルキルの手が、猫みたいだ。
・猫飼ってる人ならわかるよね、手首を内側へ折りたたんで坐ってるアレ。香箱坐りって言うんだっけ。
・黙って猫みたいな手をしてせり上がってくるおさげドジョウヒゲの壮くんが、素敵すぎる。ツボ過ぎる。
・キハの台詞「あり得ないわ」が激しくデジャヴ。皇后様、がんばって。
・しかしプルキルもいいとこないよな。大見得切って水晶玉のぞいたのにキハ@彩音ちゃんを見失うわ、神器がどこにあるのかはっきりと探せないわ、「前世の記憶を取り戻せ」とやればそれは叶わず「あれ、子どもの頃の記憶が戻っちゃった、反省反省☆」……2000年生きてなお、なにひとつまともに出来てませんが、この男がラスボスでいいの、この話?
・はい、次はタムドクのターン。
・唐突なスジニ花嫁話。
・スジニがはじめてかわいい服を着せてもらう。ピンクがいいよね。明るい色がいいよね。
・しかし、スジニの比重が低すぎて、いきなり恋愛ネタ入れられても困る。
・ここに至るまで、スジニはヒョンゴ、ヒョンミョンと3個イチ扱いに過ぎない。原作知らなくても、設定だけでオイシイキャラクタだとわかるのに、ほっんとーに描き方を失敗してる。
・みわっちはかわいいし、よく演じているけれど……やっぱ役不足だわ。みわっちがもったいない。
・さらに、黒朱雀ネタを入れられても、半端すぎて困る。
・対するタムドクもなあ。すごく鈍感で無神経な男に見える台詞はなんとかしようよ。スジニのキモチをわかった上で、応えられないことを暗に言っているのだろうけど、日本語のつながりが変だから、空気読めない人になってる……。
・ああ、このへんもなんてイケコ・クオリティ。
・「最初は親友だと思っていた相手を好きになっていた」へ返す台詞が「私と同じだ」って、アンタ……。
・「私と同じ」がスジニの後半の台詞「好きになったのは、恋してはいけない相手」に係る言葉なんだろうが、そのあとに「だが」と続くので流れがおかしくなっている。スジニもすでに「恋してはいけない」と否定しているんだから、同意の文章に否定の接続詞を使うなっつーの。
・おかげで、同意しているのは「親友を愛した」って部分に聞こえる……。
続く。
箇条書き・その5。@太王四神記
2009年2月10日 タカラヅカ 箇条書きとゆーか、過剰にだらだら書き『太王四神記』感想、よーやく第2幕。
・またしても、幕開きがヒョンゴ@まっつ! またしても絶対遅刻できねえとプレッシャー(笑)。
・何故かヒョンゴ先生とコムル村の人々、ここだけヘアバンド付き。
・いつもまっつガン見していたもんだから、玄武マークが背景に映ってるの知らなかった。玄武が出てくるの、ここだけだよね?
・はい、玄武は消え、あっちゅー間に見慣れた朱雀マークに。
・「ヤン王様、何故自ら死を選んだのですか」……わたしも聞きたい。
・嘆きのキハ@彩音の背後に、ヤン王@星原先輩の亡霊が。
・いちばんの悪役っちゅーか「困ったちゃん」はヤン王なんじゃないの?
・プルキルよりタチ悪いよコイツ。
・話をかき回すためだけに存在しているとしか思えん。
・タムドク@まとぶん、ヨン・ホゲ@ゆーひ、キハの三重唱はいい感じ。
・3人とも、まったくチガウことで勝手に悩んでるあたり、人生模様ですな。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
「ウチはさあ、家族全員B型だから、食卓の会話とかすごいよー」
「どうすごいの?」
「みんなひとりひとり勝手に自分の話してて、誰の話も聞いてないの」
「ソレでいいの?」
「うん、みんな他人の話なんか聞かないから、そもそも自分の話を聞いてもらっていないことにも気づかないの。勝手に別の話して、でもみんなで一緒に『はっはっはっ』って笑ってるの。すごい平和」
と、にこやかに言っていたB型の友人の話を思い出す。(我が家は全員A型)
・この芝居の柩ふたつめ登場。
・妊婦も出産も多いが柩も多い作品。
・天地神堂にて被告人不在のまま裁判開催。
・すげー人口密度。舞台の上、人間だらけ。
・いちいち五色に別れた人々が素敵だ。派手な舞台は大歓迎。
・人数が足りなくて、よく見れば女の子たちも男装して混ざってるし、りせもちゃっかり混ざっている。
・てゆーか4部族長の息子たち殺害の件はどーなったんだ? いつの間にかヤン王殺人事件になってる。息子たちのことは「済んだこと」? ただの事実として流されてますよ。
・コ将軍@めぐむの人望無さ過ぎ。
・タムドク様、堂々と登場。……ヒョンゴって王国のおえらいさんたちにもの申せる立場の人間だったんだ。へー。
・仮にも裁判の場で、ヨン・ホゲ派の巫女が「陛下は自害した」と証言しているのに、なんの問題にもならないって……。
・ヤン王の亡霊(声)登場、さらに事態を引っかき回す。
・「父親殺しは誰か」という核心に迫る話の途中だっつーにキハ、ホゲからチュモ神剣を奪って、タムドクを刺す。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
・死から復活までがけっこう簡単すぎて、ときどき客席から笑いが起こる、まとぶんが気の毒な演出。
・キハを抱き留めるホゲ様かっこいー。
・でも、オロオロしているヒョンゴ先生をつい見てしまう。
・「父上の遺言、しかと受け取りました!」……えーと?
・ヤン王の遺言って、「チュシンの王になれ」?
・…………えええ、タムドクもう決意しちゃってるの? いつどこで? あ、ライトセイバー点灯したとき、なんか降りてきた?
・たしかにあの瞬間だけ、なんかいろいろ王様らしいこと歌ってた。
・でもタムタム、王として覚醒したあと口にしたことって、「どんな王になるか」「どんな国にするか」とか王様らしいビジョンはなにひとつなく、「キハの真意が知りたい」「彼女のハートが気になる」だけじゃん?
・マジで気づかなかった、タムタムが王として目覚めていたなんて。
・王位は譲る、ってさんざん言ってたのになー。
・で、王になるって決意も、神様絡みってゆーか、自分の意志とは別の運命とか宿命とかの部分で。
・タムドクとしては、ちゃんとモロモロにけじめ付けて王としての覚悟や決意をつけて……ての、なかったよなあ。
・神様が降りてきた瞬間だけ王様らしいこと歌って、もとのタムドクになると女のことしか言わないって、こんな色ボケ王様、やばいって……。
・とまあ、キハのことしか言わなかったチュシンの王・タムドク様。
・キハとの会話は途中でぶっちぎられ、なんの解決も見ていないのに、次の瞬間から「神器探しに行くぞー!!」
・ちょっと待て、キハの真意は? ヤン王殺害の真実は??
・ナニがしたいんだ、タムドク!
・気になるのは、タムドクとホゲとキハの会話だ。
・タムドクは仮の王、ホゲは仮の将軍、キハはホゲ派の神器の守り主として、みんな王宮(もしくは王都)にいるんだよね?
・あとになってスジニ@みわっちが簡単ぷーにヨン家に紛れ込んでキハと話しているように、お互い行き来は出来るし、会話しようと思えばできるんだよね?
・とっとと話し合えば済む事じゃないの? 3人ともそもそも誤解でしかないんだし。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
・この作品がキモチワルイのは、主人公たちがみんな、他人と話すことが出来ない人たちであることだ。
・もともと親友だったり恋人だったりするのに、そして当人同士すぐそばにいるのに、会話しない。
・最初にちゃんと話し合っていれば、なんの問題も起こらないのに、それをしない。
・別々の国にいるとか、会うことも出来ない、とかならわかるけど。親友だったら、恋人だったら、立場やしがらみいろんなものをなんとかやりくりつけて、話し合うべきだろ。自分のためだけでなく、相手の苦悩を和らげてやるためにも。
・ヨン夫人自殺後にタムドクとホゲがはじめて言葉を交わす武道会の場面にしろ、その後まとまった時間一緒にいただろうテジャ城往路にしろ、ヤン王殺害後にタムドクがキハとはじめて言葉を交わす天地神堂の場面にしろ、タムドクを選んだキハがまたホゲをヨイショする側に戻ってきたことに対してのホゲの心中も、とにかく肝心の場面が、心情が、なにも描かれない。
・観客の想像に委ねる、のではなく、たんに作者が無神経に見える。そこまで気が回っていないのがアリアリ。だって一ヶ所二ヶ所じゃなく、全部なんだもん。
・気にしてないんだな、最初から。この物語を、この人物たちを描く上で。
・自分のことしか考えられない、自分の話しかできない、他人の話を聞くことが出来ない人たちが、親友同士、恋人同士ですれ違い、敵同士になることで苦悩する物語を綴られても困る。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。頼むよ。
この作品のテーマかなあ。「人の話はちゃんと聞きましょう」「他人とコミュニケーションを取りましょう」。
……まあともかく、感想箇条書き、別欄へ続く。
・またしても、幕開きがヒョンゴ@まっつ! またしても絶対遅刻できねえとプレッシャー(笑)。
・何故かヒョンゴ先生とコムル村の人々、ここだけヘアバンド付き。
・いつもまっつガン見していたもんだから、玄武マークが背景に映ってるの知らなかった。玄武が出てくるの、ここだけだよね?
・はい、玄武は消え、あっちゅー間に見慣れた朱雀マークに。
・「ヤン王様、何故自ら死を選んだのですか」……わたしも聞きたい。
・嘆きのキハ@彩音の背後に、ヤン王@星原先輩の亡霊が。
・いちばんの悪役っちゅーか「困ったちゃん」はヤン王なんじゃないの?
・プルキルよりタチ悪いよコイツ。
・話をかき回すためだけに存在しているとしか思えん。
・タムドク@まとぶん、ヨン・ホゲ@ゆーひ、キハの三重唱はいい感じ。
・3人とも、まったくチガウことで勝手に悩んでるあたり、人生模様ですな。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
「ウチはさあ、家族全員B型だから、食卓の会話とかすごいよー」
「どうすごいの?」
「みんなひとりひとり勝手に自分の話してて、誰の話も聞いてないの」
「ソレでいいの?」
「うん、みんな他人の話なんか聞かないから、そもそも自分の話を聞いてもらっていないことにも気づかないの。勝手に別の話して、でもみんなで一緒に『はっはっはっ』って笑ってるの。すごい平和」
と、にこやかに言っていたB型の友人の話を思い出す。(我が家は全員A型)
・この芝居の柩ふたつめ登場。
・妊婦も出産も多いが柩も多い作品。
・天地神堂にて被告人不在のまま裁判開催。
・すげー人口密度。舞台の上、人間だらけ。
・いちいち五色に別れた人々が素敵だ。派手な舞台は大歓迎。
・人数が足りなくて、よく見れば女の子たちも男装して混ざってるし、りせもちゃっかり混ざっている。
・てゆーか4部族長の息子たち殺害の件はどーなったんだ? いつの間にかヤン王殺人事件になってる。息子たちのことは「済んだこと」? ただの事実として流されてますよ。
・コ将軍@めぐむの人望無さ過ぎ。
・タムドク様、堂々と登場。……ヒョンゴって王国のおえらいさんたちにもの申せる立場の人間だったんだ。へー。
・仮にも裁判の場で、ヨン・ホゲ派の巫女が「陛下は自害した」と証言しているのに、なんの問題にもならないって……。
・ヤン王の亡霊(声)登場、さらに事態を引っかき回す。
・「父親殺しは誰か」という核心に迫る話の途中だっつーにキハ、ホゲからチュモ神剣を奪って、タムドクを刺す。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
・死から復活までがけっこう簡単すぎて、ときどき客席から笑いが起こる、まとぶんが気の毒な演出。
・キハを抱き留めるホゲ様かっこいー。
・でも、オロオロしているヒョンゴ先生をつい見てしまう。
・「父上の遺言、しかと受け取りました!」……えーと?
・ヤン王の遺言って、「チュシンの王になれ」?
・…………えええ、タムドクもう決意しちゃってるの? いつどこで? あ、ライトセイバー点灯したとき、なんか降りてきた?
・たしかにあの瞬間だけ、なんかいろいろ王様らしいこと歌ってた。
・でもタムタム、王として覚醒したあと口にしたことって、「どんな王になるか」「どんな国にするか」とか王様らしいビジョンはなにひとつなく、「キハの真意が知りたい」「彼女のハートが気になる」だけじゃん?
・マジで気づかなかった、タムタムが王として目覚めていたなんて。
・王位は譲る、ってさんざん言ってたのになー。
・で、王になるって決意も、神様絡みってゆーか、自分の意志とは別の運命とか宿命とかの部分で。
・タムドクとしては、ちゃんとモロモロにけじめ付けて王としての覚悟や決意をつけて……ての、なかったよなあ。
・神様が降りてきた瞬間だけ王様らしいこと歌って、もとのタムドクになると女のことしか言わないって、こんな色ボケ王様、やばいって……。
・とまあ、キハのことしか言わなかったチュシンの王・タムドク様。
・キハとの会話は途中でぶっちぎられ、なんの解決も見ていないのに、次の瞬間から「神器探しに行くぞー!!」
・ちょっと待て、キハの真意は? ヤン王殺害の真実は??
・ナニがしたいんだ、タムドク!
・気になるのは、タムドクとホゲとキハの会話だ。
・タムドクは仮の王、ホゲは仮の将軍、キハはホゲ派の神器の守り主として、みんな王宮(もしくは王都)にいるんだよね?
・あとになってスジニ@みわっちが簡単ぷーにヨン家に紛れ込んでキハと話しているように、お互い行き来は出来るし、会話しようと思えばできるんだよね?
・とっとと話し合えば済む事じゃないの? 3人ともそもそも誤解でしかないんだし。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。
・この作品がキモチワルイのは、主人公たちがみんな、他人と話すことが出来ない人たちであることだ。
・もともと親友だったり恋人だったりするのに、そして当人同士すぐそばにいるのに、会話しない。
・最初にちゃんと話し合っていれば、なんの問題も起こらないのに、それをしない。
・別々の国にいるとか、会うことも出来ない、とかならわかるけど。親友だったら、恋人だったら、立場やしがらみいろんなものをなんとかやりくりつけて、話し合うべきだろ。自分のためだけでなく、相手の苦悩を和らげてやるためにも。
・ヨン夫人自殺後にタムドクとホゲがはじめて言葉を交わす武道会の場面にしろ、その後まとまった時間一緒にいただろうテジャ城往路にしろ、ヤン王殺害後にタムドクがキハとはじめて言葉を交わす天地神堂の場面にしろ、タムドクを選んだキハがまたホゲをヨイショする側に戻ってきたことに対してのホゲの心中も、とにかく肝心の場面が、心情が、なにも描かれない。
・観客の想像に委ねる、のではなく、たんに作者が無神経に見える。そこまで気が回っていないのがアリアリ。だって一ヶ所二ヶ所じゃなく、全部なんだもん。
・気にしてないんだな、最初から。この物語を、この人物たちを描く上で。
・自分のことしか考えられない、自分の話しかできない、他人の話を聞くことが出来ない人たちが、親友同士、恋人同士ですれ違い、敵同士になることで苦悩する物語を綴られても困る。
・てゆーかお前ら、会話しろよ、コミュニケーション取れよ。頼むよ。
この作品のテーマかなあ。「人の話はちゃんと聞きましょう」「他人とコミュニケーションを取りましょう」。
……まあともかく、感想箇条書き、別欄へ続く。