リチャード、その愛。−腐女子注意報?−@MIND TRAVELLER
2007年1月21日 タカラヅカ 『MIND TRAVELLER』本編がまるまる「第1部 テオ、その愛。」だったことは、もう書いた。
そのあとの話、書いたっけ?
「第2部 リチャード、その愛。」のことは?
誰とナニを話し、どこでナニを書いたか、忘却の彼方。わたしの海馬は不良品ですから。
愛するマックス@まとぶの心から、カザン@星原先輩の記憶を消しさろうとしたテオ@さおた。
『MIND TRAVELLER』とは、テオの壮大な愛の物語だった。
で、そのあと。
舞台は数年後になる。
NPOじゃ食えないので、マックスはまた警備会社に就職していた。ボディガードやるくらいしか、使い道のない体育会系男ですから。
そんなマックスのもとに、仕事の依頼が。
某超一流会社の要人警護だ。
引き受けてみてびっくり、その要人とはリチャード@まっつだった。
『MIND TRAVELLER』事件の折、リチャードは起訴もされない、服役もしない。大学病院は追放されたにしろ、罪に問われることはなかった。
なにしろ彼の研究は金になる。今は未完成でも、人間の記憶を自由に出来る術を持つ天才を、周囲が放っておくハズがない。
彼の新しいパトロンが、事件の処理ごと金と権力で引き受けた。
で、リチャード教授はずーっと好きなだけ海馬の研究をしていたわけだ、この数年間。
なにしろ研究の内容がやばすぎるので。命を狙われている、らしい。
それでボディガードを必要とした、わけだ。
サラリーマン・マックスは仕事を選べない。ものごっつー不本意だが、リチャードのボディガードを勤めるのだった。
リチャードもまた、マックスに守られるのはものごっつー不本意なんだが、わがまま言ってる場合ではないので了承。
そして。
冷たい、ぎこちない空気をまとわりつかせながらも、男ふたりは四六時中共に過ごすことになるのだった。
……とゆーのが、第2部ですよ。
わたし、ここで書いたっけ?
この話を、某所でまっつメイトのモロさんとふたり、こっそりリレーもどきにやりとりしていたところ。
青年館で再会したドリーさんに、しみじみ言われました。
「なにかやってるらしいと思って、あとからキミらの『MIND TRAVELLER』会話読んだけど……バカだな、キミら」
やーん、バカって断言されちゃったー!!(笑)
でもねドリーさん。そのときはもうすでに、鍵を開けられる人なら誰でも読めるところから、互いのメールへと、リレーもどきは書く場所を移転していたのよ。
真におバカなことを書いていたのは、そのあとなのよ。
「第1部 テオ、その愛。」を語っていたのも、モロさんとのメールでだったし。
で、そのままテオ×リチャード語りしてたんだっけか。
マックスの記憶を「全部見た」ことのある男、リチャード。
そして、マックスの記憶を「書き換えた」ことのある男、リチャード。
マックスを誰よりも理解し、彼をもっとも傷つける「嘘の記憶」を上書きした男。
マックスのいちばんの理解者となりえるのは、この半分狂った元医者かもしれない……。
て、そーゆー話です、第2部。
ぶっちゃけ、どっちが攻かで頓挫したよーなもんなんですが。
マックスにしろリチャードにしろ、どっちも受じゃん? てことで、話が進まないんですね。受ふたりぢゃ百合になっちゃうよ……。
リチャードが攻になってくれりゃー、いちばんいいんですがね。マックスは総受基本だから。
リチャードはマックスより年上だよね?
いくつ上だろう……。
マックスはファザコンで、年の離れた男が好みだから、リチャードともある程度は離れてくれた方がナチュラルに恋愛できるよね(笑)。
7〜8歳差ぐらいかなぁ。
リチャードは絶対マックスの海馬に執着しているから、ふたりでヴァージンロード歩いてしあわせになっちゃえよ!!
油断しているウチに、『MIND TRAVELLER』のDVDが発売されているようですね。
購入するかどうか、悩むわ……。『タランテラ!』は発売日に鼻息荒く購入したけど、『MIND TRAVELLER』はなぁ……作品がなぁ……。
海馬の帝王@まっつは、ダイスキですが。
まっつまっつまっつ。
そのあとの話、書いたっけ?
「第2部 リチャード、その愛。」のことは?
誰とナニを話し、どこでナニを書いたか、忘却の彼方。わたしの海馬は不良品ですから。
愛するマックス@まとぶの心から、カザン@星原先輩の記憶を消しさろうとしたテオ@さおた。
『MIND TRAVELLER』とは、テオの壮大な愛の物語だった。
で、そのあと。
舞台は数年後になる。
NPOじゃ食えないので、マックスはまた警備会社に就職していた。ボディガードやるくらいしか、使い道のない体育会系男ですから。
そんなマックスのもとに、仕事の依頼が。
某超一流会社の要人警護だ。
引き受けてみてびっくり、その要人とはリチャード@まっつだった。
『MIND TRAVELLER』事件の折、リチャードは起訴もされない、服役もしない。大学病院は追放されたにしろ、罪に問われることはなかった。
なにしろ彼の研究は金になる。今は未完成でも、人間の記憶を自由に出来る術を持つ天才を、周囲が放っておくハズがない。
彼の新しいパトロンが、事件の処理ごと金と権力で引き受けた。
で、リチャード教授はずーっと好きなだけ海馬の研究をしていたわけだ、この数年間。
なにしろ研究の内容がやばすぎるので。命を狙われている、らしい。
それでボディガードを必要とした、わけだ。
サラリーマン・マックスは仕事を選べない。ものごっつー不本意だが、リチャードのボディガードを勤めるのだった。
リチャードもまた、マックスに守られるのはものごっつー不本意なんだが、わがまま言ってる場合ではないので了承。
そして。
冷たい、ぎこちない空気をまとわりつかせながらも、男ふたりは四六時中共に過ごすことになるのだった。
……とゆーのが、第2部ですよ。
わたし、ここで書いたっけ?
この話を、某所でまっつメイトのモロさんとふたり、こっそりリレーもどきにやりとりしていたところ。
青年館で再会したドリーさんに、しみじみ言われました。
「なにかやってるらしいと思って、あとからキミらの『MIND TRAVELLER』会話読んだけど……バカだな、キミら」
やーん、バカって断言されちゃったー!!(笑)
でもねドリーさん。そのときはもうすでに、鍵を開けられる人なら誰でも読めるところから、互いのメールへと、リレーもどきは書く場所を移転していたのよ。
真におバカなことを書いていたのは、そのあとなのよ。
「第1部 テオ、その愛。」を語っていたのも、モロさんとのメールでだったし。
で、そのままテオ×リチャード語りしてたんだっけか。
マックスの記憶を「全部見た」ことのある男、リチャード。
そして、マックスの記憶を「書き換えた」ことのある男、リチャード。
マックスを誰よりも理解し、彼をもっとも傷つける「嘘の記憶」を上書きした男。
マックスのいちばんの理解者となりえるのは、この半分狂った元医者かもしれない……。
て、そーゆー話です、第2部。
ぶっちゃけ、どっちが攻かで頓挫したよーなもんなんですが。
マックスにしろリチャードにしろ、どっちも受じゃん? てことで、話が進まないんですね。受ふたりぢゃ百合になっちゃうよ……。
リチャードが攻になってくれりゃー、いちばんいいんですがね。マックスは総受基本だから。
リチャードはマックスより年上だよね?
いくつ上だろう……。
マックスはファザコンで、年の離れた男が好みだから、リチャードともある程度は離れてくれた方がナチュラルに恋愛できるよね(笑)。
7〜8歳差ぐらいかなぁ。
リチャードは絶対マックスの海馬に執着しているから、ふたりでヴァージンロード歩いてしあわせになっちゃえよ!!
油断しているウチに、『MIND TRAVELLER』のDVDが発売されているようですね。
購入するかどうか、悩むわ……。『タランテラ!』は発売日に鼻息荒く購入したけど、『MIND TRAVELLER』はなぁ……作品がなぁ……。
海馬の帝王@まっつは、ダイスキですが。
まっつまっつまっつ。
花組大男たち。@MIND TRAVELLER
2007年1月20日 タカラヅカ なんかもー、すっげー今さらだが、『MIND TRAVELLER』の話。
『マイトラ』を観ていてさー、わたしはじめて、思ったの。
きよみって、かしちゃんに似てる?
ボブ@悪役をやっているときは、そんなことぜーんぜん思わない。
気弱な入院患者役をやっているときよ。
笑顔が、似てる。
きゅーーん……。
あああ、胸がきゅんきゅんしましたよ。
きよみの、人の善さそうな、ちと足りなさそうな、全開の笑顔を見るのが『マイトラ』のたのしみのひとつでした。
痩せてさえくれれば、きよみは最強かもしれない……。いや、あの厚みも彼の魅力と個性だとは思うけども……。
さて、あまりにリチャード@まっつのことばかり書いて、他の人をぜんぜん書いてなかったので、そのフォローです。
きよみ、ふみか、まぁくん、めぐむ。ここにめおちゃんが加わり、花男なのに、でかっ!! とゆー状態になっておりました、この公演。
小柄な男はまっつとさおたさんぐらいぢゃねーのか?
今回はその期待の大男たちについて(笑)。
刑事@ふみかは、ふつーにおっさんで素敵でした。
ねえねえ、この人新公学年なんだよー、みんな知ってたぁ?
心強いなあ、こーゆー子がいてくれると。ショタばかりじゃタカラヅカは破滅しますよ、おっさんキャラは貴重ですよ!
適度に黄昏れたおっさん刑事と、テンションの高い入院患者という、まーったくタイプのチガウ役を演じ分けちゃってるのも素敵。
あと、ストリートダンサーのアフロっぷりも(笑)。
テンションの高い入院患者@ふみかと、気弱な入院患者@きよみ。
このふたりって、萌えだよね?
強引攻と、流され受でヨロシク。きよみ受かよ、でけぇなヲイ!
『マイトラ』とは関係ない話になるが。
年末、某所でたまたま、はじめてナマのふみか氏をまったり眺めたんだが、彼がテンション高い入院患者まんまのキャラで現れたので、びっくりした。
舞台でいつもしぶい男を演じているくせに、オフはそっちのキャラなんですか?!!
や、そのときはあえてテンション高く作っていたんだと思うけど……でもわたし、ナマでふみか見るのはじめてだったから、登場するなり超ハイテンションでびっくりした。
そしてなによりおどろいたのは、ふみかの、眉毛だった……。
太い。
ものすげー、太い。豊か。
マジですかソレ。自前ですかソレ。
ファンキーにチリチリな髪型、超ハイテンション、そしてびっくり眉毛。
あまりに印象キツすぎて、ふみかに惚れそうになった。
他にもジェンヌがいろいろいたはずなんだが、ふみかのことしかおぼえてないよ……。
以来なんか、とてもふみかが気になってます。
貴重なおっさんキャラで、貴重な攻男だもん。彼の躍進を心から望む。
まぁくんとめぐむは、前に書いたよな。
ルーク@まぁくん争奪戦。
みんなのアイドル、キラキラ輝いてるルークを手に入れるのは誰か。
順当に行けば親友のエディ@だいもん、見栄えで行けば兄貴なピート@めぐむ。
だけどいっそ、刑事@ふみかに持っていって欲しい気がする(笑)。
ルーク、刑事さんのこと慕ってるじゃん。父親いない風だから、大人の男に弱そうだし、あのままやさしくされてたら、ふらりとオチそーぢゃないですか。がんばれエディ!(そこでエディかよ)
フィリップ@めおちゃん。
3バカトリオ(テオ@さおた、アンジェラ@としこ、フィリップ)のひとり。
とりあえず、彼の衣装をなんとかしてやってくれ、と、いつも思っていた。
ふつーにスーツでは何故いけなかったのだろう。
フィリップはジャケットとスラックスなの。ブレザー男なの。
なんつーかソレがね。イケてないぼんぼん風なの。
せっかくスタイルいいのに。群を抜いてきれいなのに。なんか、衣装との相性がイマイチだった気がするぞ。
ただでさえフィリップはアタマ悪そうな役だ。台詞でわざわざ「頭が切れる」てなことを繰り返し説明されているんだが、まったくそう見えないのがつらい。
フィリップがもう少し狡猾になってくれないと、「こんな、見るからに阿呆な男に騙されるカザン@星原先輩って、どこまでまぬけなんだ?」ってことになってしまう。
『マイトラ』は、登場人物全部アタマ悪そうだから、フィリップひとりに限らないんだけどねー。それにしても、もう少し知性が欲しいよなぁ。
悪い人を演じると「アタマ悪そう」になるなんて、愛しい持ち味だと思う。『BourbonStreet Blues』のときも、そうだったよね、めおちゃん。
もともとが、いい人なんだろうなあ。
フィリップを冷酷な持ち味の人が演じたら、またチガウ趣の話になっていただろうな、『MIND TRAVELLER』も。
てゆーか、フィリップに色気があれば、カザン、マックスとの関係も絶対ちがったものになったよな?
三角関係わくわくっ。
めおちゃんって、あんなにきれーなのにどーして壮絶に色気がないのだろう……(笑)。
フィリップって、色悪キャラだよね、いちおー? そんな風にぜんぜん見えないけど。
っていっても、フィリップはフィリップ、めおちゃんのままでいいのだ。
『MIND TRAVELLER』は、あのままで愛しいのだ。欠陥はありまくるにしろ、な(笑)。
『マイトラ』を観ていてさー、わたしはじめて、思ったの。
きよみって、かしちゃんに似てる?
ボブ@悪役をやっているときは、そんなことぜーんぜん思わない。
気弱な入院患者役をやっているときよ。
笑顔が、似てる。
きゅーーん……。
あああ、胸がきゅんきゅんしましたよ。
きよみの、人の善さそうな、ちと足りなさそうな、全開の笑顔を見るのが『マイトラ』のたのしみのひとつでした。
痩せてさえくれれば、きよみは最強かもしれない……。いや、あの厚みも彼の魅力と個性だとは思うけども……。
さて、あまりにリチャード@まっつのことばかり書いて、他の人をぜんぜん書いてなかったので、そのフォローです。
きよみ、ふみか、まぁくん、めぐむ。ここにめおちゃんが加わり、花男なのに、でかっ!! とゆー状態になっておりました、この公演。
小柄な男はまっつとさおたさんぐらいぢゃねーのか?
今回はその期待の大男たちについて(笑)。
刑事@ふみかは、ふつーにおっさんで素敵でした。
ねえねえ、この人新公学年なんだよー、みんな知ってたぁ?
心強いなあ、こーゆー子がいてくれると。ショタばかりじゃタカラヅカは破滅しますよ、おっさんキャラは貴重ですよ!
適度に黄昏れたおっさん刑事と、テンションの高い入院患者という、まーったくタイプのチガウ役を演じ分けちゃってるのも素敵。
あと、ストリートダンサーのアフロっぷりも(笑)。
テンションの高い入院患者@ふみかと、気弱な入院患者@きよみ。
このふたりって、萌えだよね?
強引攻と、流され受でヨロシク。きよみ受かよ、でけぇなヲイ!
『マイトラ』とは関係ない話になるが。
年末、某所でたまたま、はじめてナマのふみか氏をまったり眺めたんだが、彼がテンション高い入院患者まんまのキャラで現れたので、びっくりした。
舞台でいつもしぶい男を演じているくせに、オフはそっちのキャラなんですか?!!
や、そのときはあえてテンション高く作っていたんだと思うけど……でもわたし、ナマでふみか見るのはじめてだったから、登場するなり超ハイテンションでびっくりした。
そしてなによりおどろいたのは、ふみかの、眉毛だった……。
太い。
ものすげー、太い。豊か。
マジですかソレ。自前ですかソレ。
ファンキーにチリチリな髪型、超ハイテンション、そしてびっくり眉毛。
あまりに印象キツすぎて、ふみかに惚れそうになった。
他にもジェンヌがいろいろいたはずなんだが、ふみかのことしかおぼえてないよ……。
以来なんか、とてもふみかが気になってます。
貴重なおっさんキャラで、貴重な攻男だもん。彼の躍進を心から望む。
まぁくんとめぐむは、前に書いたよな。
ルーク@まぁくん争奪戦。
みんなのアイドル、キラキラ輝いてるルークを手に入れるのは誰か。
順当に行けば親友のエディ@だいもん、見栄えで行けば兄貴なピート@めぐむ。
だけどいっそ、刑事@ふみかに持っていって欲しい気がする(笑)。
ルーク、刑事さんのこと慕ってるじゃん。父親いない風だから、大人の男に弱そうだし、あのままやさしくされてたら、ふらりとオチそーぢゃないですか。がんばれエディ!(そこでエディかよ)
フィリップ@めおちゃん。
3バカトリオ(テオ@さおた、アンジェラ@としこ、フィリップ)のひとり。
とりあえず、彼の衣装をなんとかしてやってくれ、と、いつも思っていた。
ふつーにスーツでは何故いけなかったのだろう。
フィリップはジャケットとスラックスなの。ブレザー男なの。
なんつーかソレがね。イケてないぼんぼん風なの。
せっかくスタイルいいのに。群を抜いてきれいなのに。なんか、衣装との相性がイマイチだった気がするぞ。
ただでさえフィリップはアタマ悪そうな役だ。台詞でわざわざ「頭が切れる」てなことを繰り返し説明されているんだが、まったくそう見えないのがつらい。
フィリップがもう少し狡猾になってくれないと、「こんな、見るからに阿呆な男に騙されるカザン@星原先輩って、どこまでまぬけなんだ?」ってことになってしまう。
『マイトラ』は、登場人物全部アタマ悪そうだから、フィリップひとりに限らないんだけどねー。それにしても、もう少し知性が欲しいよなぁ。
悪い人を演じると「アタマ悪そう」になるなんて、愛しい持ち味だと思う。『BourbonStreet Blues』のときも、そうだったよね、めおちゃん。
もともとが、いい人なんだろうなあ。
フィリップを冷酷な持ち味の人が演じたら、またチガウ趣の話になっていただろうな、『MIND TRAVELLER』も。
てゆーか、フィリップに色気があれば、カザン、マックスとの関係も絶対ちがったものになったよな?
三角関係わくわくっ。
めおちゃんって、あんなにきれーなのにどーして壮絶に色気がないのだろう……(笑)。
フィリップって、色悪キャラだよね、いちおー? そんな風にぜんぜん見えないけど。
っていっても、フィリップはフィリップ、めおちゃんのままでいいのだ。
『MIND TRAVELLER』は、あのままで愛しいのだ。欠陥はありまくるにしろ、な(笑)。
ガイを救え。@Hallelujah GO!GO!
2007年1月19日 タカラヅカ 前日欄からの続き。
『Hallelujah GO!GO!』のとほほキャラ、ガイ@ゆかりについて。
ガイのキャラがブレてしまっているのは、彼が絡むキャラクタが、ブライアン@和とデニス@れおんに分散してしまっているせいだ。
何故ガイは、両方に絡むのか。
「仕事」をするための仲間探しなら、いくらでも同類をあたればいい。
なのにわざわざ、堅気のブライアンとデニスのところへやってくる。
ここですでに、彼の行動は破綻している。
理由がないんだ。何故ブライアンとデニスなのか。
高校時代に仲がよかったというならまだしも、そーゆーそぶりがない。
昔からガイはちんぴらで、真面目なブライアンはガイを嫌っているし、あまり真面目でもないデニスすらガイを嫌っている。
……嫌われてるのになんで、誘いに行くの?
昔不良仲間だった、つーならともかく。
デニス相手ですら、「昔は一緒にいろいろやったじゃないか」「俺はもう昔とは違うんだ、まともになったんだ」てなテンプレ会話もないから、デニスは目立つ少年だったにしろ犯罪を犯すほどの不良ではなかったわけでしょ? イキがってるツッパリ(70年代語)程度だったわけでしょ?
友だちでもなんでもない、嫌われている高校時代の同級生ってだけの相手に、わざわざ会いに行って「一緒に仕事しよう」と口説くガイ。
……友だち、いないんやな……。
現在の組織だとかなわばりだとか、そーゆーところでひとりも友だちがいないらしい。かなしい……。
ガイのツレといえば、いかにもアタマの悪そうなミック@如月蓮のみ。そしてガイは、ミックのことは好きではなさそうだ。他にいないから、とりあえずつるんでるんだろーか。かなしい……。
ガイに絡む女はよりによって、作品中で「バカ」と烙印を押されているルビー@まりい。のーみそ入ってない女の子が、色欲だけでまとわりついてきている、ってか。愛されているうちに入ってないよソレ。かなしい……。
実際、ほんとーに彼は誰からも大切にされていなかったことが、あとでわかる。彼が身を置いていた「組織」は、彼のことなんかなーんとも思っていなかったんだ。利用して捨てるためだけに彼を飼っていたんだ。かなしい……。
「友だちがいない」つーのは、人間としてひどいマイナス・ポイントなんだが。
すごーくなさけなく、格好悪いんだが。
人間として魅力や価値がない、と言われているよーなもんなんだが。
孤独な男が魅力的に見えるには、彼が心を閉ざしているとか、愛を向けられているのにソレを拒絶しているとか、そーゆー場合だろう。
世界すべてからゴミ程度にしか思われていない男は、ワルでもなんでもない、ただのみっともない男だ。
ガイがあまりに格好悪くて、びっくりした。
演じている人云々とは別に、設定が。
たしかに彼はただのテンプレキャラで、なんの深みもない。
だがソレにしたって、この造形は失敗だろう。
ガイがブライアンとデニス、ふたりに同じ誘いをかけているのもおかしい。彼に必要な仲間はあとひとりだ。
何故ふたり?
ブライアンは金に困っている。そこを突けば、言うことを聞くかもしれない。……という目論見があった?
そしてデニスのことは、ただたんに「ずっと好きだった」? 「友だちになりたかった」?
そのわりに、デニスには断られたあとはすっぱりあきらめ、ブライアンの前をちょろちょろするのみになった。
そっか、どっちでもよかったんだね。なにしろ友だちいないから。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、片っ端から「登録無料! 出会い系サイト!」とかメール出して、ひとりでもアクセスあればめっけもん!なキモチでいただけか。
「友だちがいない」だけでもひどいマイナスなのに。
「誰でもいい」なんて、さらにひどい。
どちらかにしておけばよかったのに。
ストーリー上、ブライアンが罪を犯さなければならないので、ガイの誘いに乗る必要があった。
それならガイが口説くのは、ブライアンのみにしぼるべきだった。
相手にされていないのに「ふたり」を口説くのは変だ。格好悪過ぎる。
だが、主人公がデニスであるため、デニスに絡ませるしかないと作者は考えたんだろう。
ブライアンとガイで「本当は寂しいんじゃないのか?」をやりたいなら、ガイにデニスを口説かせるべきじゃなかった。浮気はいかん。変な意味ではなく、テーマがブレるからだ。
誰でもイイから手当たり次第に口説いて振られて、唯一網にかかったのがブライアン……そんななさけない間柄で、「本当は寂しいんじゃないのか?」をやっても、盛り上がりに欠ける。
流れはすべてそのままに、ガイをみっともなくさせないためには、「誰からも相手にされない」「友だちもいない」「なにも考えていない」などのマイナス要因を取り除くことだ。
まず、「友だちがいない」これが最悪すぎる。最終的に組織に裏切られるわけだから、せめて友だちくらいいないとほんとーに彼は無価値な人間に成り下がる。そんなヤツに「本当は寂しいんじゃないのか?」ネタをやられてもサムいだけだ。
ガイの相棒、ミック。
この子がガイを好きでつるんでいるのだということを、表現する。
ブライアンに突っかかるミックを、ガイが止める。……てのは、本編であったよね。
そのときに、ひとこと言わせるんだ。「ガイがそう言うなら」……ガイを好きで、彼に従っていると態度で表せさせる。
ガイがミックを「どーでもいい」と思っていようがどうだろうが、それはかまわない。誰かひとりでもガイを好きな人間がいることがわかれば、それだけで価値が上がるんだ。
そして、口説く相手をひとりにする。
この場合は、デニスでいいだろう。
デニスは高校時代から兄貴タイプで目立つ存在だった。ナニかコトを起こすのに、彼の助力があれば心強い。そう思わせるハッタリ力のある存在だった。
つーことで、根暗の不良ガイくんはデニスにあこがれていた。高校時代はとても近寄れなかったけれど、卒業後無事にヤクザになり、「シマを任された」今、「今ならあこがれのデニスくんに告白できる!」てなもんで「お友だちからはじめて下さい」と言いにいった。お嬢様に恋をしたびんぼー青年が一念発起して起業し、地位と財産を手に入れてからプロポーズに行ったよーなもんですな。
でも、デニスには相手にされない。
ここでガイは浮気したりせずに、デニスだけを口説くんだ。
デニスにつきまとっていると、彼の親友で真面目なブライアンが「いい加減にしろ」と言ってくる。「ったく、あいつは昔からそうだ」と、ガイはブライアンの出来過ぎくんぶりを鬱陶しがる。そーゆーやりとりの中で「こんな儲け話があるんだ、デニス振り向いてくんねーかなー」てなことを漏らしてしまう。
最初は「どうせ犯罪絡みだろう、そんな話にデニスが乗るものか」てなふーに言っていたブライアン。妹の手術費用が早急に必要になってから、態度を変える。
「デニスじゃなく、俺じゃダメか? 金が必要なんだ」
つーことで、めでたく本筋と合流。
ガイにはミックという仲間がいる。
ガイはデニスひとりを、仲間にしたくて口説いていた。つきまとい、ダンスコンテストにも出場することにした。
こうすれば、ガイはみっともなくない。
好きな人間を追いかけている(ただし方法は間違っている)という、キャラクタも成立する。
ガイが興味を持っていたのはデニスのみだったので、ブライアンにはなんの興味もなかった。彼の両親の負債だとか、妹の病状なんぞ、もちろん知らん。
だけどいざ一緒に「仕事」をする段階になって、「金がいる理由」をブライアンから聞く。
そして、ただの出来過ぎくんだと思って侮っていたブライアンから、「本当は寂しいんじゃないのか?」と言われて動揺するのさ。
あとは本編通りでOK。
本編では、ブライアンとガイの関係をなにも描いていないくせに、いきなり「本当は寂しいんじゃないのか?」てなテンプレ展開を開始する。
テンプレやりたかったら、テンプレ伏線入れておけよ!
展開が唐突すぎるし、ガイのキャラクタが格好悪すぎるし、演技はアレだしで、「作者がいいシーンだと思って描いている」のはわかるけど、笑いツボ直撃しちまうんじゃないか!! 勘弁してくれよ!
つーことで、ガイくん救済方法でした。
『Hallelujah GO!GO!』のとほほキャラ、ガイ@ゆかりについて。
ガイのキャラがブレてしまっているのは、彼が絡むキャラクタが、ブライアン@和とデニス@れおんに分散してしまっているせいだ。
何故ガイは、両方に絡むのか。
「仕事」をするための仲間探しなら、いくらでも同類をあたればいい。
なのにわざわざ、堅気のブライアンとデニスのところへやってくる。
ここですでに、彼の行動は破綻している。
理由がないんだ。何故ブライアンとデニスなのか。
高校時代に仲がよかったというならまだしも、そーゆーそぶりがない。
昔からガイはちんぴらで、真面目なブライアンはガイを嫌っているし、あまり真面目でもないデニスすらガイを嫌っている。
……嫌われてるのになんで、誘いに行くの?
昔不良仲間だった、つーならともかく。
デニス相手ですら、「昔は一緒にいろいろやったじゃないか」「俺はもう昔とは違うんだ、まともになったんだ」てなテンプレ会話もないから、デニスは目立つ少年だったにしろ犯罪を犯すほどの不良ではなかったわけでしょ? イキがってるツッパリ(70年代語)程度だったわけでしょ?
友だちでもなんでもない、嫌われている高校時代の同級生ってだけの相手に、わざわざ会いに行って「一緒に仕事しよう」と口説くガイ。
……友だち、いないんやな……。
現在の組織だとかなわばりだとか、そーゆーところでひとりも友だちがいないらしい。かなしい……。
ガイのツレといえば、いかにもアタマの悪そうなミック@如月蓮のみ。そしてガイは、ミックのことは好きではなさそうだ。他にいないから、とりあえずつるんでるんだろーか。かなしい……。
ガイに絡む女はよりによって、作品中で「バカ」と烙印を押されているルビー@まりい。のーみそ入ってない女の子が、色欲だけでまとわりついてきている、ってか。愛されているうちに入ってないよソレ。かなしい……。
実際、ほんとーに彼は誰からも大切にされていなかったことが、あとでわかる。彼が身を置いていた「組織」は、彼のことなんかなーんとも思っていなかったんだ。利用して捨てるためだけに彼を飼っていたんだ。かなしい……。
「友だちがいない」つーのは、人間としてひどいマイナス・ポイントなんだが。
すごーくなさけなく、格好悪いんだが。
人間として魅力や価値がない、と言われているよーなもんなんだが。
孤独な男が魅力的に見えるには、彼が心を閉ざしているとか、愛を向けられているのにソレを拒絶しているとか、そーゆー場合だろう。
世界すべてからゴミ程度にしか思われていない男は、ワルでもなんでもない、ただのみっともない男だ。
ガイがあまりに格好悪くて、びっくりした。
演じている人云々とは別に、設定が。
たしかに彼はただのテンプレキャラで、なんの深みもない。
だがソレにしたって、この造形は失敗だろう。
ガイがブライアンとデニス、ふたりに同じ誘いをかけているのもおかしい。彼に必要な仲間はあとひとりだ。
何故ふたり?
ブライアンは金に困っている。そこを突けば、言うことを聞くかもしれない。……という目論見があった?
そしてデニスのことは、ただたんに「ずっと好きだった」? 「友だちになりたかった」?
そのわりに、デニスには断られたあとはすっぱりあきらめ、ブライアンの前をちょろちょろするのみになった。
そっか、どっちでもよかったんだね。なにしろ友だちいないから。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、片っ端から「登録無料! 出会い系サイト!」とかメール出して、ひとりでもアクセスあればめっけもん!なキモチでいただけか。
「友だちがいない」だけでもひどいマイナスなのに。
「誰でもいい」なんて、さらにひどい。
どちらかにしておけばよかったのに。
ストーリー上、ブライアンが罪を犯さなければならないので、ガイの誘いに乗る必要があった。
それならガイが口説くのは、ブライアンのみにしぼるべきだった。
相手にされていないのに「ふたり」を口説くのは変だ。格好悪過ぎる。
だが、主人公がデニスであるため、デニスに絡ませるしかないと作者は考えたんだろう。
ブライアンとガイで「本当は寂しいんじゃないのか?」をやりたいなら、ガイにデニスを口説かせるべきじゃなかった。浮気はいかん。変な意味ではなく、テーマがブレるからだ。
誰でもイイから手当たり次第に口説いて振られて、唯一網にかかったのがブライアン……そんななさけない間柄で、「本当は寂しいんじゃないのか?」をやっても、盛り上がりに欠ける。
流れはすべてそのままに、ガイをみっともなくさせないためには、「誰からも相手にされない」「友だちもいない」「なにも考えていない」などのマイナス要因を取り除くことだ。
まず、「友だちがいない」これが最悪すぎる。最終的に組織に裏切られるわけだから、せめて友だちくらいいないとほんとーに彼は無価値な人間に成り下がる。そんなヤツに「本当は寂しいんじゃないのか?」ネタをやられてもサムいだけだ。
ガイの相棒、ミック。
この子がガイを好きでつるんでいるのだということを、表現する。
ブライアンに突っかかるミックを、ガイが止める。……てのは、本編であったよね。
そのときに、ひとこと言わせるんだ。「ガイがそう言うなら」……ガイを好きで、彼に従っていると態度で表せさせる。
ガイがミックを「どーでもいい」と思っていようがどうだろうが、それはかまわない。誰かひとりでもガイを好きな人間がいることがわかれば、それだけで価値が上がるんだ。
そして、口説く相手をひとりにする。
この場合は、デニスでいいだろう。
デニスは高校時代から兄貴タイプで目立つ存在だった。ナニかコトを起こすのに、彼の助力があれば心強い。そう思わせるハッタリ力のある存在だった。
つーことで、根暗の不良ガイくんはデニスにあこがれていた。高校時代はとても近寄れなかったけれど、卒業後無事にヤクザになり、「シマを任された」今、「今ならあこがれのデニスくんに告白できる!」てなもんで「お友だちからはじめて下さい」と言いにいった。お嬢様に恋をしたびんぼー青年が一念発起して起業し、地位と財産を手に入れてからプロポーズに行ったよーなもんですな。
でも、デニスには相手にされない。
ここでガイは浮気したりせずに、デニスだけを口説くんだ。
デニスにつきまとっていると、彼の親友で真面目なブライアンが「いい加減にしろ」と言ってくる。「ったく、あいつは昔からそうだ」と、ガイはブライアンの出来過ぎくんぶりを鬱陶しがる。そーゆーやりとりの中で「こんな儲け話があるんだ、デニス振り向いてくんねーかなー」てなことを漏らしてしまう。
最初は「どうせ犯罪絡みだろう、そんな話にデニスが乗るものか」てなふーに言っていたブライアン。妹の手術費用が早急に必要になってから、態度を変える。
「デニスじゃなく、俺じゃダメか? 金が必要なんだ」
つーことで、めでたく本筋と合流。
ガイにはミックという仲間がいる。
ガイはデニスひとりを、仲間にしたくて口説いていた。つきまとい、ダンスコンテストにも出場することにした。
こうすれば、ガイはみっともなくない。
好きな人間を追いかけている(ただし方法は間違っている)という、キャラクタも成立する。
ガイが興味を持っていたのはデニスのみだったので、ブライアンにはなんの興味もなかった。彼の両親の負債だとか、妹の病状なんぞ、もちろん知らん。
だけどいざ一緒に「仕事」をする段階になって、「金がいる理由」をブライアンから聞く。
そして、ただの出来過ぎくんだと思って侮っていたブライアンから、「本当は寂しいんじゃないのか?」と言われて動揺するのさ。
あとは本編通りでOK。
本編では、ブライアンとガイの関係をなにも描いていないくせに、いきなり「本当は寂しいんじゃないのか?」てなテンプレ展開を開始する。
テンプレやりたかったら、テンプレ伏線入れておけよ!
展開が唐突すぎるし、ガイのキャラクタが格好悪すぎるし、演技はアレだしで、「作者がいいシーンだと思って描いている」のはわかるけど、笑いツボ直撃しちまうんじゃないか!! 勘弁してくれよ!
つーことで、ガイくん救済方法でした。
ガイ@ゆかりは、ナニをしたかったんだろう。
『Hallelujah GO!GO!』を観て、首をかしげた。
主人公デニス@れおんの親友ブライアン@和は病弱な妹の手術費用のために、不良青年ガイの誘いに乗って麻薬の運び屋の片棒を担ぐ。……てなテンプレ的話の運び。病弱な妹設定キターー!
さらにテンプレまんまなことに、どーしよーもない不良のガイくんを、やさしい良い子のブライアンくんは心配するのさ。
「(まともな世界に)戻って来いよ……!」
「オレはワルなんだぜ……今さら戻れるわけないじゃないかっ!!」
本当は寂しがりやの不良設定キターー!
で、あっさり仕事は失敗、みんなそろって警察に捕まって。
ワルなはずのガイは、土壇場でブライアンをかばうのな。「あいつは関係ない」って。「オレにまともになれって言うためにまとわりついていた。それで巻き込まれて一緒に逮捕されただけだ」って。
「あいつは関係ない」キターー!
テンプレにつぐテンプレ、お約束の嵐。
お約束は、悪いものじゃない。「先が見える」「ワンパターン」だといっても、ソレが何故テンプレ化されるほど使われてきたかといえば、ソレが心地よい展開だからだ。多くの人々の支持を集めるパターンだからこそ、使い古されもする。
みんなが大好きなことを、みんなが大好きな人たちで演じる。ソレだけで一定レベルはクリアしているよーなもんなんだが……えーと。
ソレだけでも、ダメなんだよな。
最初に観たとき、
「ガイとブライアンもさー、もう少しなんとかしてくれないと……あれじゃさー」
てなことをドリーさんに言ったんだが。
「あのふたりで萌えてるとか、そういう話?!」
と、予防線張られちゃいましたよ。
チガウチガウ、ちゃいますがな。
萌えられません、あいつらでは。
不良と優等生のテンプレ設定は大好物だが、ガイとブライアンはナイ。ありえない。
萌えるためには役者に、最低限の演技力が必要だ。
盛大にもつれているガイとブライアンを見ながら、わたしが考えていたのはアレだ。「この感じ……ナニかに似てる。デジャヴを感じる……なんだっけ……はっ、そうだ。『DAYTIME HUSTLER』のトニーとローレンスだ!」
作者も役者も、「感動シーン」だと思っている男同士の友情シーンで、涙ながらに演じられる彼らの熱意に置いてゆかれ、客席でドン引きしている、あの感じ。
とほほと引いているか、あるいは笑いツボにハマって爆笑するかのちがいで、根っこは同じ。
壮くんは最初ドン引きさせてくれたけど、最近では笑いの神様が癒やしという恵みをくださるところまで到達した。
しかしゆかりくんと和くんは、ふたりしてとほほ状態。
和くんも、うまくない。うまくないからアレなんだけど、ソレを輪にかけてえらいこっちゃになっているのは、相方がゆかりくんだということ。
ふたりで演じるテンプレ友情シーンの、破壊力ときたら!
初見ではとほほでどう表現していいかわからず、2回目で「そうか『DAYTIME HUSTLER』か!」と得心し、3回目は笑いツボ直撃吹き出しかけた。
『Hallelujah GO!GO!』において、わたしのいちばんの笑いツボは、ブライアンがガイに向かって言う台詞。
「本当は寂しいんじゃないのか?」
テンプレ台詞を、演技力が足りていない人が言うと、こんなにこんなにおもしろく響くのかと。
和くんは対ゆかりの場合のみスベりまくるので、ゆかりの演技に引きずられているんだと思う。あすかちゃんがタニちゃんとデュエットしたとき、タニちゃんの不思議音階に引きずられて歌がめちゃくちゃになってしまったよーに。
すげーツボったよ、ブライアン! そのわざとらしい台詞! そして、ソレを受けるガイ! そのわっかりやすい演技!
ゆかりくんを見ていると、壮くんを思い出す……彼の演技でいちばんものすごいことになっていた、あの『Romance de Paris』のディディエを。「がぁぁぁあああん……ッッ!!」と効果音が書き込まれでもしているかのよーな演技。はい、ここで一歩下がり、ここで机に両手を付く、てなふーに全部手順でやっているのが見える演技。
美しい外見と、先天的なのかと感心する独特の演技センス。タニ、壮、ゆかりって、なにかと共通項のある人たちだなぁ……。和くんにはぜひ踏ん張って、ソコには混ざらないようがんばってほしい(笑)。
いいシーンになるはずなのに、なんともおヘソのかゆくなる芝居を熱意を込めて演じてくれる美形ふたり……ツボるわ、そんなもの……。
萌えることはないが、愉快なのでOK。
もちろん、脚本も悪いんだ。
ガイに関しては「ただのテンプレ設定」以上がなにもない。
彼がどーゆー人でナニをしたいのか、さっぱりわからない。
……役者に力があれば補える程度のアレさだが、ソコはソレ、なにしろゆかり姐さんだからさ……ゲフンゲフン。
彼が物語に登場した……主人公たちの前に現れた理由は、「仕事」を一緒にやる仲間が必要だったため。
で、デニスを口説き、ブライアンを口説き、そのためにダンスコンテストにも出場するとか言うし……言動が散漫、成り行き任せ。
これがひどいんだよなあ。
ガイの設定って、あまりに格好悪いよ。
ガイは、「誰からも相手にされない」「友だちもいない」「なにも考えていない」んだもの。
なのに突然「本当は寂しいんじゃないのか?」だもの。
ゆかりくんの演技もそりゃまずいが、こんなてきとー過ぎるキャラクタじゃあ、たしかに分が悪いだろうて。
つーことで、続く。
『Hallelujah GO!GO!』を観て、首をかしげた。
主人公デニス@れおんの親友ブライアン@和は病弱な妹の手術費用のために、不良青年ガイの誘いに乗って麻薬の運び屋の片棒を担ぐ。……てなテンプレ的話の運び。病弱な妹設定キターー!
さらにテンプレまんまなことに、どーしよーもない不良のガイくんを、やさしい良い子のブライアンくんは心配するのさ。
「(まともな世界に)戻って来いよ……!」
「オレはワルなんだぜ……今さら戻れるわけないじゃないかっ!!」
本当は寂しがりやの不良設定キターー!
で、あっさり仕事は失敗、みんなそろって警察に捕まって。
ワルなはずのガイは、土壇場でブライアンをかばうのな。「あいつは関係ない」って。「オレにまともになれって言うためにまとわりついていた。それで巻き込まれて一緒に逮捕されただけだ」って。
「あいつは関係ない」キターー!
テンプレにつぐテンプレ、お約束の嵐。
お約束は、悪いものじゃない。「先が見える」「ワンパターン」だといっても、ソレが何故テンプレ化されるほど使われてきたかといえば、ソレが心地よい展開だからだ。多くの人々の支持を集めるパターンだからこそ、使い古されもする。
みんなが大好きなことを、みんなが大好きな人たちで演じる。ソレだけで一定レベルはクリアしているよーなもんなんだが……えーと。
ソレだけでも、ダメなんだよな。
最初に観たとき、
「ガイとブライアンもさー、もう少しなんとかしてくれないと……あれじゃさー」
てなことをドリーさんに言ったんだが。
「あのふたりで萌えてるとか、そういう話?!」
と、予防線張られちゃいましたよ。
チガウチガウ、ちゃいますがな。
萌えられません、あいつらでは。
不良と優等生のテンプレ設定は大好物だが、ガイとブライアンはナイ。ありえない。
萌えるためには役者に、最低限の演技力が必要だ。
盛大にもつれているガイとブライアンを見ながら、わたしが考えていたのはアレだ。「この感じ……ナニかに似てる。デジャヴを感じる……なんだっけ……はっ、そうだ。『DAYTIME HUSTLER』のトニーとローレンスだ!」
作者も役者も、「感動シーン」だと思っている男同士の友情シーンで、涙ながらに演じられる彼らの熱意に置いてゆかれ、客席でドン引きしている、あの感じ。
とほほと引いているか、あるいは笑いツボにハマって爆笑するかのちがいで、根っこは同じ。
壮くんは最初ドン引きさせてくれたけど、最近では笑いの神様が癒やしという恵みをくださるところまで到達した。
しかしゆかりくんと和くんは、ふたりしてとほほ状態。
和くんも、うまくない。うまくないからアレなんだけど、ソレを輪にかけてえらいこっちゃになっているのは、相方がゆかりくんだということ。
ふたりで演じるテンプレ友情シーンの、破壊力ときたら!
初見ではとほほでどう表現していいかわからず、2回目で「そうか『DAYTIME HUSTLER』か!」と得心し、3回目は笑いツボ直撃吹き出しかけた。
『Hallelujah GO!GO!』において、わたしのいちばんの笑いツボは、ブライアンがガイに向かって言う台詞。
「本当は寂しいんじゃないのか?」
テンプレ台詞を、演技力が足りていない人が言うと、こんなにこんなにおもしろく響くのかと。
和くんは対ゆかりの場合のみスベりまくるので、ゆかりの演技に引きずられているんだと思う。あすかちゃんがタニちゃんとデュエットしたとき、タニちゃんの不思議音階に引きずられて歌がめちゃくちゃになってしまったよーに。
すげーツボったよ、ブライアン! そのわざとらしい台詞! そして、ソレを受けるガイ! そのわっかりやすい演技!
ゆかりくんを見ていると、壮くんを思い出す……彼の演技でいちばんものすごいことになっていた、あの『Romance de Paris』のディディエを。「がぁぁぁあああん……ッッ!!」と効果音が書き込まれでもしているかのよーな演技。はい、ここで一歩下がり、ここで机に両手を付く、てなふーに全部手順でやっているのが見える演技。
美しい外見と、先天的なのかと感心する独特の演技センス。タニ、壮、ゆかりって、なにかと共通項のある人たちだなぁ……。和くんにはぜひ踏ん張って、ソコには混ざらないようがんばってほしい(笑)。
いいシーンになるはずなのに、なんともおヘソのかゆくなる芝居を熱意を込めて演じてくれる美形ふたり……ツボるわ、そんなもの……。
萌えることはないが、愉快なのでOK。
もちろん、脚本も悪いんだ。
ガイに関しては「ただのテンプレ設定」以上がなにもない。
彼がどーゆー人でナニをしたいのか、さっぱりわからない。
……役者に力があれば補える程度のアレさだが、ソコはソレ、なにしろゆかり姐さんだからさ……ゲフンゲフン。
彼が物語に登場した……主人公たちの前に現れた理由は、「仕事」を一緒にやる仲間が必要だったため。
で、デニスを口説き、ブライアンを口説き、そのためにダンスコンテストにも出場するとか言うし……言動が散漫、成り行き任せ。
これがひどいんだよなあ。
ガイの設定って、あまりに格好悪いよ。
ガイは、「誰からも相手にされない」「友だちもいない」「なにも考えていない」んだもの。
なのに突然「本当は寂しいんじゃないのか?」だもの。
ゆかりくんの演技もそりゃまずいが、こんなてきとー過ぎるキャラクタじゃあ、たしかに分が悪いだろうて。
つーことで、続く。
「物語」のない歴史探訪はただの教科書。@TAKARAZUKA 日本史探訪
2007年1月17日 タカラヅカ つくづく、微妙だなと思った『TAKARAZUKA 日本史探訪#2「天草四郎」』。
まっつが出演するっつーんで初回ランを予約して、わくわく見たのだけど。
えーと、タイトル微妙に変わっていても、今までもこの番組あったよね? ジェンヌがナビゲータの旅行番組。
わたしが過去に見たことがあるのは、ケロの『名作の旅』と、まっつといちかの『舞台夢紀行』のみ。あー、あとは『阪急沿線プチボヤージュ 』が地元のときが数回あったんで、そのときだけ見たか。そのかの『宮本武蔵』は見るつもり満々だったのに、HDDがいっぱいで録画できなかった……再放送待ち。
……まっつ&いちかの『舞台夢紀行』見たのって、まだまっつオチする前だわ……なんでまっつだけ見ていたんだろう。(オチてなくても、まっつスキーだったからです、たぶん)
まっつが天草四郎関係の史跡・名所を回る……というだけの1時間。
えーと。
まっつファン以外見ないよね、コレ?
しみじみ、つまらない番組でした。
なまじNHKで時を同じくして『その時歴史が動いた』で島原の乱を放映していたりするからさー。
「視点」の定まらない歴史探訪ほど中途半端でおもしろくないものもない……。『その時』はなんやかんやで毎週見ているけど(なにしろあたしゃ日本史ミーハー)、アレはテーマが決まっているからまだなんとかなっているんだと思うよ。
ただ漠然と「出来事」を解説したってなんの面白味もない。
歴史案内にしては散漫すぎるし、観光番組にしてはミーハー心に欠けているし、なにを見ろいうんだコレ。
強引にタカラヅカと絡めてはいるが、天草四郎を主役とした作品は古すぎて映像も残っていないという。「天草四郎」作品の解説番組なら、作品に絡めて作るべきだが、元の作品が残ってないなら意味ないし。
これまた無理矢理『アナジ』と絡めていたけれど、天草四郎脇役だし……物語の中心にかすってもないし。
タカラヅカならではの視点で番組を作るなら、作品を踏襲するくらいの気合いがないとなー。『アナジ』ぐらいの関連じゃ上滑りになるよなー。
たんに、ナビゲータとなる生徒を愛でればいい、史跡も芝居作品の解説というのもただの言い訳、というならば。
何故、まっつを映さない? 資料を説明する一般人の顔をえんえん映し、その話を聞いているまっつを映さない?
資料を映すのは仕方ないが、資料館館長とかをえんえん映すのはいったい……。
わっかんないなー。ナニがやりたいんだ。
半端に歴史解説、半端にジェンヌ出演。
これが『美の旅人たち』とかの一般地上波番組なら、その中途半端さもわかるの。歴史・史跡好きや、ご近所や知っているところが映ってうれしい人とかと、ヅカファン両方を広く浅く集客するためだと。
しかし、ヅカファンしか見ない専門チャンネルで、民放と同じだけ薄くしてどうするんだろう。
ケロのときも「おもしろくない番組」と唖然としたおぼえがあるが……。
ケロはまだ、『心中・恋の大和路』に出演していたのでその目線で語ることもできた。まっついちかのときも『あさきゆめみし』にふたりとも出演していたし、同じ花組の作品だっつーことでその目線で語ることもできた。でも今回は。
まっつ、『アナジ』に出てないやん。てか、組すらチガウやん。
外部のタレントがナビゲータやっても同じくらいの距離感なのでは……。
わたしがこの番組作るなら、「視点」を作るなー。
ナニをしたいのか、をまずいちばんに考える。
ここがタカラヅカ専門チャンネルであることを踏まえ、それを前提に構成する。
どうせナビゲータはあらかじめ渡されたシナリオを話しているだけでしょ? 史跡を見ての感想とか、シナリオがあるわけでしょ? 別取りのインタビュー以外はヤラセでしかないっしょ? テレビなんてそんなもんでしょ?
それなら最初から脚本を作る。誰が見ても「脚本」だとわかるやつを。
「天草四郎と島原の乱」なら、歴史を一人芝居調の台本にする。背景から出来事を、全部ひとりの「語り」に集約させる。
芝居にする必要はない。朗読劇のように感情を込めて、ときに台詞のやりとりをまじえながら、ナビゲータひとりが読み上げる。スタジオで録音するだけでいい。
それを、実際の史跡などをめぐる映像にかぶせて流す。要所要所で土地の人のコメントを短くはさみながら。基本は「史跡映像」と「それを見て回るナビゲータ」。そこに流れるナビゲータ自身の「物語ある解説」。
もとになる芝居作品があるなら、そのあらすじを台詞まじりでやればいいんだよ。『アナジ』なら、『アナジ』をやればいい。起承転結全部そのままに。それなら特別新作を書き下ろさなくてもすむから、脚本書くのも楽だろう。エピソードの背景になる史実やうんちくが必要なときだけソレを挿入して、基本あらすじ。
それなら、「作品」の背景解説番組としてタカラヅカチャンネルでやる意味があるし、若手・中堅を使っての朗読劇ってことでそれだけでひとつの「作品」になる。
とまあ、番組のあまりにあまりな作りにびっくらこいて、長々語ってしまいました。
ああ……こんなこと書いたらますます、まっつファン以外は見てくれなくなるのか……嘘でも「すっごい面白い番組! まっつファンでなくても見ないと損するよ! 話題に乗り遅れるよ!」とか書くべきだったのか。
やー、なにしろまっつが眺められてしあわせです。
レポしているときのまっつは微妙でも(えっ?)、ホテルでインタビュー受けているときのまっつは、とても美しいし。
だからまっつ、真正面からはアレなんだってば。斜め45度からがいちばんきれいだよね。
しかしジェンヌ相手の旅行番組は大変だな。『美の旅人たち』でも思ったけど。
料理が自慢の宿も、すばらしい料理を映しはしても、ソレを「食べている」ところは映せないんだものな。ジェンヌはフェアリーだから、テレビでモノ食っちゃいかんのよね。
露天風呂が自慢の宿も、すばらしい露天風呂を映しはしても、そこに入っている姿は映せないんだものな。ジェンヌはフェアリーだから、たとえ肩や腕だけでもテレビで肌をさらしちゃいかんのよね。
まっつがモノ食べてくれても、ぶっちゃけ風呂に入ってくれてもわたしはぜんぜんOKなんだが。
風呂は「どーせ下は水着だろ」とわかっていてもハァハァゆってガン見しますよ!!(変態発言はやめなさい)
天草四郎役は、演じてくれなくていいです。
いやその、役はいいんだけど、衣装がね……。あの衣装着てお笑いにならない人は、現代に存在しないのではないかと。『舞台夢紀行』のように扮装がなくてほっとした。
でも、まっつはたしかに、天草四郎のイメージがある。スカステの中の人は、まっつのイメージを正しく理解しているのだなあと感心。
……あー、でもやっぱ。
ピエロのようなキリシタン衣装を着て「16歳」を演じるまっつ、見てみたいかも……きっときっと、いたたまれないだろうな。想像するだけでわくわくするわ。
先月、今月とスカステでまっつに会える番組が続いていて、うれしいっす。
まっつまっつまっつ。
まっつが出演するっつーんで初回ランを予約して、わくわく見たのだけど。
えーと、タイトル微妙に変わっていても、今までもこの番組あったよね? ジェンヌがナビゲータの旅行番組。
わたしが過去に見たことがあるのは、ケロの『名作の旅』と、まっつといちかの『舞台夢紀行』のみ。あー、あとは『阪急沿線プチボヤージュ 』が地元のときが数回あったんで、そのときだけ見たか。そのかの『宮本武蔵』は見るつもり満々だったのに、HDDがいっぱいで録画できなかった……再放送待ち。
……まっつ&いちかの『舞台夢紀行』見たのって、まだまっつオチする前だわ……なんでまっつだけ見ていたんだろう。(オチてなくても、まっつスキーだったからです、たぶん)
まっつが天草四郎関係の史跡・名所を回る……というだけの1時間。
えーと。
まっつファン以外見ないよね、コレ?
しみじみ、つまらない番組でした。
なまじNHKで時を同じくして『その時歴史が動いた』で島原の乱を放映していたりするからさー。
「視点」の定まらない歴史探訪ほど中途半端でおもしろくないものもない……。『その時』はなんやかんやで毎週見ているけど(なにしろあたしゃ日本史ミーハー)、アレはテーマが決まっているからまだなんとかなっているんだと思うよ。
ただ漠然と「出来事」を解説したってなんの面白味もない。
歴史案内にしては散漫すぎるし、観光番組にしてはミーハー心に欠けているし、なにを見ろいうんだコレ。
強引にタカラヅカと絡めてはいるが、天草四郎を主役とした作品は古すぎて映像も残っていないという。「天草四郎」作品の解説番組なら、作品に絡めて作るべきだが、元の作品が残ってないなら意味ないし。
これまた無理矢理『アナジ』と絡めていたけれど、天草四郎脇役だし……物語の中心にかすってもないし。
タカラヅカならではの視点で番組を作るなら、作品を踏襲するくらいの気合いがないとなー。『アナジ』ぐらいの関連じゃ上滑りになるよなー。
たんに、ナビゲータとなる生徒を愛でればいい、史跡も芝居作品の解説というのもただの言い訳、というならば。
何故、まっつを映さない? 資料を説明する一般人の顔をえんえん映し、その話を聞いているまっつを映さない?
資料を映すのは仕方ないが、資料館館長とかをえんえん映すのはいったい……。
わっかんないなー。ナニがやりたいんだ。
半端に歴史解説、半端にジェンヌ出演。
これが『美の旅人たち』とかの一般地上波番組なら、その中途半端さもわかるの。歴史・史跡好きや、ご近所や知っているところが映ってうれしい人とかと、ヅカファン両方を広く浅く集客するためだと。
しかし、ヅカファンしか見ない専門チャンネルで、民放と同じだけ薄くしてどうするんだろう。
ケロのときも「おもしろくない番組」と唖然としたおぼえがあるが……。
ケロはまだ、『心中・恋の大和路』に出演していたのでその目線で語ることもできた。まっついちかのときも『あさきゆめみし』にふたりとも出演していたし、同じ花組の作品だっつーことでその目線で語ることもできた。でも今回は。
まっつ、『アナジ』に出てないやん。てか、組すらチガウやん。
外部のタレントがナビゲータやっても同じくらいの距離感なのでは……。
わたしがこの番組作るなら、「視点」を作るなー。
ナニをしたいのか、をまずいちばんに考える。
ここがタカラヅカ専門チャンネルであることを踏まえ、それを前提に構成する。
どうせナビゲータはあらかじめ渡されたシナリオを話しているだけでしょ? 史跡を見ての感想とか、シナリオがあるわけでしょ? 別取りのインタビュー以外はヤラセでしかないっしょ? テレビなんてそんなもんでしょ?
それなら最初から脚本を作る。誰が見ても「脚本」だとわかるやつを。
「天草四郎と島原の乱」なら、歴史を一人芝居調の台本にする。背景から出来事を、全部ひとりの「語り」に集約させる。
芝居にする必要はない。朗読劇のように感情を込めて、ときに台詞のやりとりをまじえながら、ナビゲータひとりが読み上げる。スタジオで録音するだけでいい。
それを、実際の史跡などをめぐる映像にかぶせて流す。要所要所で土地の人のコメントを短くはさみながら。基本は「史跡映像」と「それを見て回るナビゲータ」。そこに流れるナビゲータ自身の「物語ある解説」。
もとになる芝居作品があるなら、そのあらすじを台詞まじりでやればいいんだよ。『アナジ』なら、『アナジ』をやればいい。起承転結全部そのままに。それなら特別新作を書き下ろさなくてもすむから、脚本書くのも楽だろう。エピソードの背景になる史実やうんちくが必要なときだけソレを挿入して、基本あらすじ。
それなら、「作品」の背景解説番組としてタカラヅカチャンネルでやる意味があるし、若手・中堅を使っての朗読劇ってことでそれだけでひとつの「作品」になる。
とまあ、番組のあまりにあまりな作りにびっくらこいて、長々語ってしまいました。
ああ……こんなこと書いたらますます、まっつファン以外は見てくれなくなるのか……嘘でも「すっごい面白い番組! まっつファンでなくても見ないと損するよ! 話題に乗り遅れるよ!」とか書くべきだったのか。
やー、なにしろまっつが眺められてしあわせです。
レポしているときのまっつは微妙でも(えっ?)、ホテルでインタビュー受けているときのまっつは、とても美しいし。
だからまっつ、真正面からはアレなんだってば。斜め45度からがいちばんきれいだよね。
しかしジェンヌ相手の旅行番組は大変だな。『美の旅人たち』でも思ったけど。
料理が自慢の宿も、すばらしい料理を映しはしても、ソレを「食べている」ところは映せないんだものな。ジェンヌはフェアリーだから、テレビでモノ食っちゃいかんのよね。
露天風呂が自慢の宿も、すばらしい露天風呂を映しはしても、そこに入っている姿は映せないんだものな。ジェンヌはフェアリーだから、たとえ肩や腕だけでもテレビで肌をさらしちゃいかんのよね。
まっつがモノ食べてくれても、ぶっちゃけ風呂に入ってくれてもわたしはぜんぜんOKなんだが。
風呂は「どーせ下は水着だろ」とわかっていてもハァハァゆってガン見しますよ!!(変態発言はやめなさい)
天草四郎役は、演じてくれなくていいです。
いやその、役はいいんだけど、衣装がね……。あの衣装着てお笑いにならない人は、現代に存在しないのではないかと。『舞台夢紀行』のように扮装がなくてほっとした。
でも、まっつはたしかに、天草四郎のイメージがある。スカステの中の人は、まっつのイメージを正しく理解しているのだなあと感心。
……あー、でもやっぱ。
ピエロのようなキリシタン衣装を着て「16歳」を演じるまっつ、見てみたいかも……きっときっと、いたたまれないだろうな。想像するだけでわくわくするわ。
先月、今月とスカステでまっつに会える番組が続いていて、うれしいっす。
まっつまっつまっつ。
ショーの新人公演でもあったから。@『パリの空よりも高く』新人公演
2007年1月16日 タカラヅカ 正直、「物語を構築できない作家の逃げ場」として、無意味なショーを付けることは反対だ。
せっかく1時間半ある芝居枠なのに、3分の1を無意味に浪費するなら、はじめから1時間枠にして、その分ショーを長くすればいい。
植爺はもう、1時間半を埋めるだけの物語を作れないんだ。彼の近年の作品はすべて1時間以内の短編ばかり。もしくは、無意味にショーパートをつけて水増しされただけ。
原稿用紙を埋められない生徒が、字数稼ぎにどーでもいいことを羅列する「えと文」みたいなもんだな。
ジェンヌは作家ではないのだから、どれだけ中身のない、くだらない文章を書いたってかまわないが、作家が同じことをやったら、もう「作家」でいる意味はないだろう。
つーことで、幕開きからテンション下がりまくりだった『パリの空よりも高く』。
ショー部分のデキがいい悪いとは別次元で、「作品」主眼にしているわたしには、「無意味な水増し」はマイナスポイントでしかないんだよ。
物語に関連しているなら、どれだけ踊ってくれてもいいんだけどね。テレビドラマでも小説でもマンガでも、本編と関係ないイメージ映像(役者だけ・キャラクタだけ同じ人が出ている)を3分の1見せられたら怒るでしょ? タイトルの本編見せろって言うよね。
あ、3分の1、には、無意味な解説シーンも含めてある(笑)。あさこちゃんが出てくるまでは全部「無意味な水増し」認定。
さて、そーゆースタンスではあるのだが。
新人公演にてはじめて、「無意味なショーパート」の意義を見付けた。
ええ。
トップスターと同じショーを、新公の若造たちがやるわけですよ。
芝居の新公はいくらでもある。
でも、ショーの新公はあまりない。
最近はバウホールでワークショップをやって「ショーの真ん中に立つ」訓練をさせているけれど、バウと大劇場はまったくチガウ。
「大劇場の真ん中に立つ」ってのは、ほんとうに特殊なことだ。芝居でソレをやるのももちろん意味があるが、生徒がどんどん小粒になってきている現代、「ショーの真ん中に立つ」経験をさせる稀少な機会となったわけですよ。
なーんだ、あの「水増し」シーンにも、「逃げ場」シーンにも、意味があったんじゃーん。
たった1回の新人公演のために、残り全部の本公演は踏み台ですか?
ははは、さすが植爺。
ま、それはさておき。
いい経験になったと思う。
大劇場で、トップスターとしてショーの真ん中をつとめる。
あの生意気を絵に描いたような(私見。偏見とも言う)まさきが、ものごっつー緊張しているのがわかった。
うおー、まさきですら、こうなるのか。
ほんとうに、大劇場ってのはトクベツなところだよなあぁぁ。
まさき、マギー、みりおの並びを見ながら、将来のタカラヅカに思いを馳せる。
近い将来、こーゆー絵面を見る日がやってくるんだろうな。
すこやかに育って欲しいと、心から思う。
今回の新公でなにがすごかったって、ギスターブ@マギーに尽きる。
いいなぁ、この人。
うまい。華がある。
出てくるだけで空気を動かす力がある。
本役より場をさらっていたのは、マギーがきりやんよりうまいという意味ではなく、周囲とのかねあいの問題だな。
新公の舞台だと、ギスターブが主役になってしまう。きりやんだって、新公にギスターブとして出ていれば絶対主役に見える、そーゆー意味。
あの体格は、武器だと思う。
でかい図体して、気弱。それがすでにおかしい。笑いを誘う。
そしてなにより、嵐のシーン。
きりやんがバケツ片手に出て行くあのシーンで、マギーは同じようにバケツを手にし、そのまま風に飛ばされていく。
小さなきりやんが負けないでいられる風に、大きなマギーが吹っ飛ばされていく姿は、爆笑もの。
その飛ばされ方が、うまいんだ。
このまま向かっていくんだと思いきや、負けてひゅ〜っと飛ばされる。そして絶妙のタイミングで扉が閉まる。
あの「負けない→負けちゃった」の呼吸。うまいなー。
そして、ラストにパリッと正装して出てきたときの男前ぶりはすごい。ごめん、こればかりは小さなきりやんより、体格に恵まれたマギーの方が落差が大きくて見栄えがする。
大きなマギーは、あか抜けないギスターブのときは姿勢も悪くしてるからねー。背筋を伸ばしてシャキっと現れると、ほんとうに別人度が増して、感動につながる。
マギーの「慟哭すると彼が主役」つー持ち味、すごい武器だなーと思うよ。『エリザベート』のときも『JAZZYな妖精たち』のときも、それまでも十分うまくて派手であるにしろ、慟哭しはじめると、主役になるよね(笑)。
エルマーは最初からエンジン全開で「なにごとっ?!」って感じだったし(笑)、マクガバンは独白し出すなり主役になっていた。
ギスターブも、最後のハートフルでシリアスな語りで、見事に「主役!」に。
いやあ、彼の語りで幕が下りるんじゃないかと思ったよ。
ギスターブがあまりに主役だから、そのあとの詐欺師コンビの話が「蛇足」に見えて仕方がない。
アルマンド@まさきは、あさこの役を演じることがマイナスになっているよーな気がしてならない。
まさき自身の持ち味はあさこちゃんとはチガウものだと思うのに、コピーしてしまうのであさこよりさらに小さく軽くなってしまう。
まさきがあさこを好きなのはわかったから、真似はほどほどにしておけよー。他の人の役をやっていたときのように、本役より俺様の方が上!てな役作りで攻めてくれよー。その方がキミのキャラに合ってるって。
なによりも、あさこの持つ「芝居の軽さ」を真似るのはやめてほしい。アレはあさこならではの持ち味であって、真似ても自爆するだけだってば。
マギーがいつも、本役の役作りをスルーして独自の華を咲かせているように、まさきもその方がいいと思うんだがなー。
ミミ@ねねちゃんは、気の毒だった。
新人公演では、ミミがヒロインに見えない。
無理もないんだ、脚本も演出も、ミミをヒロインとして描き切れていないから。
出番も台詞も衣装も、エレノール@青葉みちる(てゆーか、タキさん)の方が上の扱いだから、よほどの熟練か華がないとヒロインとして成り立たない。
ミミとエレノールだと、ミミ、マイナス10mポイントからスタート、エレノール、プラス10mポイントからスタート、これで100m走しても、そりゃエレノールが先にゴールインするだろう、てなもん。
また青葉みちるちゃん、うまいしね。女役としての新公キャリアもあるしね。
あのタキさん相手に、あの役でそれでもヒロインとして向こうを張っているかなみちゃんのすごさを再確認する結果となったさ。
しかし、タキさんとかなみちゃんがWトップ娘役って……すごい組だよな、月組。宙組時代W2番手娘役だったのが、そのままパワーアップかー。
ジョルジュ@みりおくんは、かわいかった。……でも、この子は本公も新公もいつも同じよーな役ばっかやっているので、よくわかんない……。
持ち味まんまで出来る役ばかり、てのも気の毒だなー。
植爺作品は役が少なすぎて、下級生チェックができないっす。『暁のローマ』の方がまだマシだった……。
役名も、カタカナ名前でなく、職業にしてくれよ。その方が本公・新公ともに生徒の判別につながるのになー。や、大野先生みたいに、名前と役の設定まで書いてくれりゃ完璧だけどさ。
今まで知らなかった子で目にとまったのは、鼓英夏くんです、はい。演技そこそこ(つか、出番アレだけだし)で、なにより美形だった。
最後の挨拶で、まさきが真っ白になっていたのが、興味深い。
やっぱ新公主演ってのは、トクベツなんだなあ……。2番手をどれだけ余裕でこなしても、主演とはまったくチガウんだなぁ。雪のかなめくんとかも、2番手以下のとき余裕でいろいろやっていたのに、初主演はガタガタだったもんなぁ。
そして、初主演でまーったくふつーに平然としていたマギーは、大物だと、再度思いましたのことよ。
でも。
ギスターブの役作り、アレはチガウと思うの、マギー……。
「主役」になれる派手な作り方だったけど、ギス太はあーゆー人ぢゃないのよ。
マギーのギス太じゃ、ミミとのカップルで萌えられないわ……。
せっかく1時間半ある芝居枠なのに、3分の1を無意味に浪費するなら、はじめから1時間枠にして、その分ショーを長くすればいい。
植爺はもう、1時間半を埋めるだけの物語を作れないんだ。彼の近年の作品はすべて1時間以内の短編ばかり。もしくは、無意味にショーパートをつけて水増しされただけ。
原稿用紙を埋められない生徒が、字数稼ぎにどーでもいいことを羅列する「えと文」みたいなもんだな。
ジェンヌは作家ではないのだから、どれだけ中身のない、くだらない文章を書いたってかまわないが、作家が同じことをやったら、もう「作家」でいる意味はないだろう。
つーことで、幕開きからテンション下がりまくりだった『パリの空よりも高く』。
ショー部分のデキがいい悪いとは別次元で、「作品」主眼にしているわたしには、「無意味な水増し」はマイナスポイントでしかないんだよ。
物語に関連しているなら、どれだけ踊ってくれてもいいんだけどね。テレビドラマでも小説でもマンガでも、本編と関係ないイメージ映像(役者だけ・キャラクタだけ同じ人が出ている)を3分の1見せられたら怒るでしょ? タイトルの本編見せろって言うよね。
あ、3分の1、には、無意味な解説シーンも含めてある(笑)。あさこちゃんが出てくるまでは全部「無意味な水増し」認定。
さて、そーゆースタンスではあるのだが。
新人公演にてはじめて、「無意味なショーパート」の意義を見付けた。
ええ。
トップスターと同じショーを、新公の若造たちがやるわけですよ。
芝居の新公はいくらでもある。
でも、ショーの新公はあまりない。
最近はバウホールでワークショップをやって「ショーの真ん中に立つ」訓練をさせているけれど、バウと大劇場はまったくチガウ。
「大劇場の真ん中に立つ」ってのは、ほんとうに特殊なことだ。芝居でソレをやるのももちろん意味があるが、生徒がどんどん小粒になってきている現代、「ショーの真ん中に立つ」経験をさせる稀少な機会となったわけですよ。
なーんだ、あの「水増し」シーンにも、「逃げ場」シーンにも、意味があったんじゃーん。
たった1回の新人公演のために、残り全部の本公演は踏み台ですか?
ははは、さすが植爺。
ま、それはさておき。
いい経験になったと思う。
大劇場で、トップスターとしてショーの真ん中をつとめる。
あの生意気を絵に描いたような(私見。偏見とも言う)まさきが、ものごっつー緊張しているのがわかった。
うおー、まさきですら、こうなるのか。
ほんとうに、大劇場ってのはトクベツなところだよなあぁぁ。
まさき、マギー、みりおの並びを見ながら、将来のタカラヅカに思いを馳せる。
近い将来、こーゆー絵面を見る日がやってくるんだろうな。
すこやかに育って欲しいと、心から思う。
今回の新公でなにがすごかったって、ギスターブ@マギーに尽きる。
いいなぁ、この人。
うまい。華がある。
出てくるだけで空気を動かす力がある。
本役より場をさらっていたのは、マギーがきりやんよりうまいという意味ではなく、周囲とのかねあいの問題だな。
新公の舞台だと、ギスターブが主役になってしまう。きりやんだって、新公にギスターブとして出ていれば絶対主役に見える、そーゆー意味。
あの体格は、武器だと思う。
でかい図体して、気弱。それがすでにおかしい。笑いを誘う。
そしてなにより、嵐のシーン。
きりやんがバケツ片手に出て行くあのシーンで、マギーは同じようにバケツを手にし、そのまま風に飛ばされていく。
小さなきりやんが負けないでいられる風に、大きなマギーが吹っ飛ばされていく姿は、爆笑もの。
その飛ばされ方が、うまいんだ。
このまま向かっていくんだと思いきや、負けてひゅ〜っと飛ばされる。そして絶妙のタイミングで扉が閉まる。
あの「負けない→負けちゃった」の呼吸。うまいなー。
そして、ラストにパリッと正装して出てきたときの男前ぶりはすごい。ごめん、こればかりは小さなきりやんより、体格に恵まれたマギーの方が落差が大きくて見栄えがする。
大きなマギーは、あか抜けないギスターブのときは姿勢も悪くしてるからねー。背筋を伸ばしてシャキっと現れると、ほんとうに別人度が増して、感動につながる。
マギーの「慟哭すると彼が主役」つー持ち味、すごい武器だなーと思うよ。『エリザベート』のときも『JAZZYな妖精たち』のときも、それまでも十分うまくて派手であるにしろ、慟哭しはじめると、主役になるよね(笑)。
エルマーは最初からエンジン全開で「なにごとっ?!」って感じだったし(笑)、マクガバンは独白し出すなり主役になっていた。
ギスターブも、最後のハートフルでシリアスな語りで、見事に「主役!」に。
いやあ、彼の語りで幕が下りるんじゃないかと思ったよ。
ギスターブがあまりに主役だから、そのあとの詐欺師コンビの話が「蛇足」に見えて仕方がない。
アルマンド@まさきは、あさこの役を演じることがマイナスになっているよーな気がしてならない。
まさき自身の持ち味はあさこちゃんとはチガウものだと思うのに、コピーしてしまうのであさこよりさらに小さく軽くなってしまう。
まさきがあさこを好きなのはわかったから、真似はほどほどにしておけよー。他の人の役をやっていたときのように、本役より俺様の方が上!てな役作りで攻めてくれよー。その方がキミのキャラに合ってるって。
なによりも、あさこの持つ「芝居の軽さ」を真似るのはやめてほしい。アレはあさこならではの持ち味であって、真似ても自爆するだけだってば。
マギーがいつも、本役の役作りをスルーして独自の華を咲かせているように、まさきもその方がいいと思うんだがなー。
ミミ@ねねちゃんは、気の毒だった。
新人公演では、ミミがヒロインに見えない。
無理もないんだ、脚本も演出も、ミミをヒロインとして描き切れていないから。
出番も台詞も衣装も、エレノール@青葉みちる(てゆーか、タキさん)の方が上の扱いだから、よほどの熟練か華がないとヒロインとして成り立たない。
ミミとエレノールだと、ミミ、マイナス10mポイントからスタート、エレノール、プラス10mポイントからスタート、これで100m走しても、そりゃエレノールが先にゴールインするだろう、てなもん。
また青葉みちるちゃん、うまいしね。女役としての新公キャリアもあるしね。
あのタキさん相手に、あの役でそれでもヒロインとして向こうを張っているかなみちゃんのすごさを再確認する結果となったさ。
しかし、タキさんとかなみちゃんがWトップ娘役って……すごい組だよな、月組。宙組時代W2番手娘役だったのが、そのままパワーアップかー。
ジョルジュ@みりおくんは、かわいかった。……でも、この子は本公も新公もいつも同じよーな役ばっかやっているので、よくわかんない……。
持ち味まんまで出来る役ばかり、てのも気の毒だなー。
植爺作品は役が少なすぎて、下級生チェックができないっす。『暁のローマ』の方がまだマシだった……。
役名も、カタカナ名前でなく、職業にしてくれよ。その方が本公・新公ともに生徒の判別につながるのになー。や、大野先生みたいに、名前と役の設定まで書いてくれりゃ完璧だけどさ。
今まで知らなかった子で目にとまったのは、鼓英夏くんです、はい。演技そこそこ(つか、出番アレだけだし)で、なにより美形だった。
最後の挨拶で、まさきが真っ白になっていたのが、興味深い。
やっぱ新公主演ってのは、トクベツなんだなあ……。2番手をどれだけ余裕でこなしても、主演とはまったくチガウんだなぁ。雪のかなめくんとかも、2番手以下のとき余裕でいろいろやっていたのに、初主演はガタガタだったもんなぁ。
そして、初主演でまーったくふつーに平然としていたマギーは、大物だと、再度思いましたのことよ。
でも。
ギスターブの役作り、アレはチガウと思うの、マギー……。
「主役」になれる派手な作り方だったけど、ギス太はあーゆー人ぢゃないのよ。
マギーのギス太じゃ、ミミとのカップルで萌えられないわ……。
たしかに叫んでいる。@Hallelujah GO!GO!
2007年1月15日 タカラヅカ 『Hallelujah GO!GO!』千秋楽。
千雅てる子さんが、深々とお辞儀をした。
「稲葉先生、ありがとうございます」
涙声で、感謝の言葉を口にした。
稲葉先生は、まだ若いよね。千雅さんの息子……下手したら孫ってな世代の男の子だよね。
それでも彼は「先生」で、涙ながらに感謝をされる立場なんだ。
年齢とか立場とか。
生きる上ではどーしたってついて来るさね。
でもさ、そーゆーものと「心」はべつなところにあって。
どれだけ「エラい」大先生サマでも、「立場」的に尊敬して持ち上げなくてはならなくても、「心」とは別次元の話。
人生の先達で立派な経歴をどれほどお持ちの「先生」でも、尊敬できない人はいるだろーし、なんの実績も能力もない若造でも演出家なら「先生」と呼ぶしかなかったり、するだろうさ。
だけど今、長い年月を舞台に捧げてきたひとりの女性が、息子だの孫だのに近い年齢の若造に、心からの感謝の言葉を述べる。
雪『タランテラ!』楽の高ひづるさんでも思ったけれど、人生の大先輩たる人が、彼女たちから見ればひよっこでしかない若輩に感謝と尊敬の言葉を述べる姿に、純粋な感謝を見る気がする。
や、他の場合の人たちの感謝が不純だとかいう意味ではなくてな。
与えられるものを、「当然のことだ」と受け取ることは、いくらでもできると思うんだ。
年功序列社会において。
上下関係が死ぬまでつきまとうタカラヅカにおいて。
たとえ特別出演したって、組長は自分より上級生には「さん付け」、下級生は「呼び捨て」にして紹介するんだよ。そーゆー世界だよ。
その、理不尽なほど徹底された縦社会で。
それでも、ソレを超えて、感謝を告げる。
口先だけではなく、心から。
それを、美しいと思う。
『Hallelujah GO!GO!』において、千雅さんの扱いは、たしかにちと、みょーだった。
物語中のシスター・フィアナはべつにいい。フィナーレで、なんの脈絡もなくフラメンコ発表会がはじまるのが、ものすごーく変なんだわ。
何故突然フラメンコ?! 物語に関係ないし! しかも何故千雅さんがトップ娘役のようにセンターで踊るの?!!
わたしが最初に観たときなんか、千雅さん、出トチりするし(笑)。群舞の後ろを、長いスカートを持って千雅さんがゆっくりゆっくり登場、センターまでやってきて、なにもせずに、そのまま同じようにゆっくりゆっくり袖へ帰っていく。
なにしに来たのあの人?! と、ウケていたら、すぐにまた同じように出てきた。……あー、やっぱトチったんだー……。
退団と聞いて、あのフラメンコ発表会の意味がわかった。千雅さんへの餞だったんだね。
たしかにショーでセンター1場面つーのは破格の扱いで、それだけでどんなジェンヌでも感謝するだろうけれど。
それもたしかにあたたかい心遣いだと思うけれど。
それだけではないと、思うのね。
「物語」のなかで、舞台人・千雅てる子を、どう描いたか。どう表現し、彼女の存在を得難いモノとして、表現したか。
いなばっちが、千雅さんに涙ながらのお礼を言われるとしたら、取って付けたショーの1場面よりも、シスター・フィアナ役だと思うのよ。
フィナーレのセンターで踊ることなら他の人でもできるけれど、シスター・フィアナは千雅さんの役だから。
千雅さんが創りあげた役だから。
シスター・フィアナとして、タカラヅカの舞台で最後に生きることができた。
それを、すばらしいことだと思う。
『Hallelujah GO!GO!』は、やさしい舞台だった。やさしい物語だった。
きらきらしたものがいっぱい詰まった作品だった。
そのなかに、たしかにシスター・フィアナはいた。
感謝しているのは、わたしだ。
稲葉先生に、深々と礼をする千雅さん。
ひとりの人間がこれほど感謝するほどの舞台を、これだけの純粋な感謝が満ちる作品を、創ってくれて、ありがとう。
「心」は、つたわる。
好意とか感謝とかよろこびとか、あたたかいものはたしかに伝わるの。
舞台に立つ彼らが、たしかに愛と感謝を叫んでいる。
それが伝わる。
それが、うれしい。
きらきら輝くウメちゃんが、れおんが、他の出演者たちが、みんなみんな、なにかを放っている。
スキダ、とか、ウレシイ、とか、アリガトウ、とか、タノシイ、とか、そーゆープラスのオーラ。
それを客席で浴び、一緒になって返すんだ。
スキダ、ウレシイ、アリガトウ、タノシイ。
舞台と客席が、互いにきらきら反射しあっている。あたたかい、まぶしいものを放ち合っている。や、そりゃ舞台の輝きの方がすごいけど。
でも舞台の上の彼らも、感じてたんじゃないかなぁ。客席からナニか返ってきているって。
『ヤンブラ』楽でちょっと引くところがあったもんで、「客席と一緒に盛り上がる」が星組クオリティだとしても、TPO無視でコンサート会場みたいにされたら嫌だな、と思うところはあった。
でも今回はそーゆーノリにはならなかった。
客席は、あくまでも「ミュージカル観劇」の範疇で盛り上がっていた。
奇声を発したり立ち上がって踊ったりしなくても、ちゃんと「返せていた」と思うよ。
この「作品」に、この「物語」に相応しい愛と感謝を。
シスター・フィアナの若いころを、いなばっちにこっそり書いて欲しいんだよな。
こっそりでいいよ。
たとえば、『Appartement Cinema』のアンナ@彩音。生意気盛りにアイドルやって、落ちぶれて殺し屋と恋をして、男に去られたあともたくましく子どもを育てて、ついでに恋のひとつやふたつ花を咲かせて。
全部全部超えたあとで、つつましくシスターやってんの。
や、『アパシネ』とでは時代が合わないことはわかって言ってるよ。
ことさら「シスター・フィアナの若いころ」と宣伝しなくていい。20世紀はじめくらいのアメリカを舞台にした他の作品のなかで、こっそりフィアナを出して。わかる人だけわかる程度のヒントで。
千雅さん演じるフィアナが、若いころはアンナみたいだった、あれほどはちゃめちゃやってきました、なんて、考えるだけでたのしいもの。
千雅てる子さんが、深々とお辞儀をした。
「稲葉先生、ありがとうございます」
涙声で、感謝の言葉を口にした。
稲葉先生は、まだ若いよね。千雅さんの息子……下手したら孫ってな世代の男の子だよね。
それでも彼は「先生」で、涙ながらに感謝をされる立場なんだ。
年齢とか立場とか。
生きる上ではどーしたってついて来るさね。
でもさ、そーゆーものと「心」はべつなところにあって。
どれだけ「エラい」大先生サマでも、「立場」的に尊敬して持ち上げなくてはならなくても、「心」とは別次元の話。
人生の先達で立派な経歴をどれほどお持ちの「先生」でも、尊敬できない人はいるだろーし、なんの実績も能力もない若造でも演出家なら「先生」と呼ぶしかなかったり、するだろうさ。
だけど今、長い年月を舞台に捧げてきたひとりの女性が、息子だの孫だのに近い年齢の若造に、心からの感謝の言葉を述べる。
雪『タランテラ!』楽の高ひづるさんでも思ったけれど、人生の大先輩たる人が、彼女たちから見ればひよっこでしかない若輩に感謝と尊敬の言葉を述べる姿に、純粋な感謝を見る気がする。
や、他の場合の人たちの感謝が不純だとかいう意味ではなくてな。
与えられるものを、「当然のことだ」と受け取ることは、いくらでもできると思うんだ。
年功序列社会において。
上下関係が死ぬまでつきまとうタカラヅカにおいて。
たとえ特別出演したって、組長は自分より上級生には「さん付け」、下級生は「呼び捨て」にして紹介するんだよ。そーゆー世界だよ。
その、理不尽なほど徹底された縦社会で。
それでも、ソレを超えて、感謝を告げる。
口先だけではなく、心から。
それを、美しいと思う。
『Hallelujah GO!GO!』において、千雅さんの扱いは、たしかにちと、みょーだった。
物語中のシスター・フィアナはべつにいい。フィナーレで、なんの脈絡もなくフラメンコ発表会がはじまるのが、ものすごーく変なんだわ。
何故突然フラメンコ?! 物語に関係ないし! しかも何故千雅さんがトップ娘役のようにセンターで踊るの?!!
わたしが最初に観たときなんか、千雅さん、出トチりするし(笑)。群舞の後ろを、長いスカートを持って千雅さんがゆっくりゆっくり登場、センターまでやってきて、なにもせずに、そのまま同じようにゆっくりゆっくり袖へ帰っていく。
なにしに来たのあの人?! と、ウケていたら、すぐにまた同じように出てきた。……あー、やっぱトチったんだー……。
退団と聞いて、あのフラメンコ発表会の意味がわかった。千雅さんへの餞だったんだね。
たしかにショーでセンター1場面つーのは破格の扱いで、それだけでどんなジェンヌでも感謝するだろうけれど。
それもたしかにあたたかい心遣いだと思うけれど。
それだけではないと、思うのね。
「物語」のなかで、舞台人・千雅てる子を、どう描いたか。どう表現し、彼女の存在を得難いモノとして、表現したか。
いなばっちが、千雅さんに涙ながらのお礼を言われるとしたら、取って付けたショーの1場面よりも、シスター・フィアナ役だと思うのよ。
フィナーレのセンターで踊ることなら他の人でもできるけれど、シスター・フィアナは千雅さんの役だから。
千雅さんが創りあげた役だから。
シスター・フィアナとして、タカラヅカの舞台で最後に生きることができた。
それを、すばらしいことだと思う。
『Hallelujah GO!GO!』は、やさしい舞台だった。やさしい物語だった。
きらきらしたものがいっぱい詰まった作品だった。
そのなかに、たしかにシスター・フィアナはいた。
感謝しているのは、わたしだ。
稲葉先生に、深々と礼をする千雅さん。
ひとりの人間がこれほど感謝するほどの舞台を、これだけの純粋な感謝が満ちる作品を、創ってくれて、ありがとう。
「心」は、つたわる。
好意とか感謝とかよろこびとか、あたたかいものはたしかに伝わるの。
舞台に立つ彼らが、たしかに愛と感謝を叫んでいる。
それが伝わる。
それが、うれしい。
きらきら輝くウメちゃんが、れおんが、他の出演者たちが、みんなみんな、なにかを放っている。
スキダ、とか、ウレシイ、とか、アリガトウ、とか、タノシイ、とか、そーゆープラスのオーラ。
それを客席で浴び、一緒になって返すんだ。
スキダ、ウレシイ、アリガトウ、タノシイ。
舞台と客席が、互いにきらきら反射しあっている。あたたかい、まぶしいものを放ち合っている。や、そりゃ舞台の輝きの方がすごいけど。
でも舞台の上の彼らも、感じてたんじゃないかなぁ。客席からナニか返ってきているって。
『ヤンブラ』楽でちょっと引くところがあったもんで、「客席と一緒に盛り上がる」が星組クオリティだとしても、TPO無視でコンサート会場みたいにされたら嫌だな、と思うところはあった。
でも今回はそーゆーノリにはならなかった。
客席は、あくまでも「ミュージカル観劇」の範疇で盛り上がっていた。
奇声を発したり立ち上がって踊ったりしなくても、ちゃんと「返せていた」と思うよ。
この「作品」に、この「物語」に相応しい愛と感謝を。
シスター・フィアナの若いころを、いなばっちにこっそり書いて欲しいんだよな。
こっそりでいいよ。
たとえば、『Appartement Cinema』のアンナ@彩音。生意気盛りにアイドルやって、落ちぶれて殺し屋と恋をして、男に去られたあともたくましく子どもを育てて、ついでに恋のひとつやふたつ花を咲かせて。
全部全部超えたあとで、つつましくシスターやってんの。
や、『アパシネ』とでは時代が合わないことはわかって言ってるよ。
ことさら「シスター・フィアナの若いころ」と宣伝しなくていい。20世紀はじめくらいのアメリカを舞台にした他の作品のなかで、こっそりフィアナを出して。わかる人だけわかる程度のヒントで。
千雅さん演じるフィアナが、若いころはアンナみたいだった、あれほどはちゃめちゃやってきました、なんて、考えるだけでたのしいもの。
言葉の通じる人間でいたい。@バロン/Joyful! Joyful!
2007年1月14日 その他 人生2度目のOSK観劇してきました。
いつの間に名前変わってたんだシアターBRAVA!(わたしが前に足を踏み入れたときは四季劇場だった・笑)での、『バロン〜前よりもっと不思議な冒険奇譚〜』『Wonder Stage 〜Joyful! Joyful!〜』。
前回に引き続き、青木るえかさんにご招待いただきました、ありがとうありがとう。遠慮なくがっつり食いつき、がっつり観劇してきました。
いやー……。
高世麻央氏が、かっこいいっす。
どーしよーどーしよー。かっこいいよー。
人生初のOSK観劇だった去年の春、『春のおどり』ではじめて高世氏を見たときは、とくになんとも思わなかったの。変……いやその、個性的な顔やな、という印象のみ。あの顔は一度見たらおぼえるし、どこにいてなにをしていても目につくから、舞台人としては武器なんだろーな、と思った。そして、芝居はふつーにうまかったし、声も男役だったしで、ふつーにうまいからこそ、それ以上とくになにも思わなかった。
『春のおどり』で美貌と歌で存在感を放っていたのは桜花昇氏だったからなー。
相変わらず予備知識もなく、「無知すぎるから、せめて幕前にプログラムくらい読んでおこう」と思ったんだけど……今回のプログラムはビジュアル重視で文字情報はなにもなかったっす(笑)。どの場面に誰が出ているかとかもわからぬ。や、とてもきれいなプログラムなので、今さら顔と名前をチェックしなくてもいいファンの人にはうれしい作りなんだと思うよ。
とりあえず、そこではじめて桜花さんが今回出ていないことを知る。つーと2番手誰なのかな。高世氏? 番手や仕組みをわかっていないまま、観劇スタート。
ミュージカル『バロン』にて、最初に登場した高世氏に、まず、引いた。
なんかとてつもなくかわいい、少年演技だったの。衣装も話し方も。うわ、わたし大人が演じるわざとらしい子役がダメなのよ、苦手なのよ。しかも人間ぢゃなく、妖精かなんかですかこの人! 羽生えてます系? 苦手だ〜〜!
でもってこの話、そーゆー世界観なんですか? メルヘン? えええ?
てなはじまりでした、はい。
わがままバロンくん@大貴誠氏が親に強制された見合いが嫌で逃げ出し、不思議な国で不思議な人たちと出会い、自己中な自分を反省して自分の世界へ戻る、という他愛ない物語。
バロンくんの精神年齢の低さにもびっくりし、妖精らしき高世氏がミツバチだという事実にもびっくりする。バロンくんの見合い相手、プリンセスちゃん@朝香櫻子さんが結婚をいやがって侍女と入れ替わるのに、舞台があっさり別の不思議な国に移ってしまうことにもびっくりする。なんのために入れ替わったの? プリンセスちゃん、出て来ないじゃん……。
展開にいちいちおどろきつつ。
見ているうちに、違和感がなくなる。
問題なし。中学生みたいなバロンくんも、めるへんな不思議な国の人たちも。
とくに、ミツバチ・トミー@高世氏。
最初、引いたのに。うわ、逆ツボ来た!と思ったのに。
違和感ない。てか、十分かわいい。てか、かっこいい……?
えええ。大人が演じる子役なのに。すごいかわいこぶった演技してるのに。めるへんな存在なのに。な、なのにかっこいいってそんな。おろおろ。
プリンセスちゃんのことを人知れず想っていたらしいトミー。蜜を集めて世界中を旅する彼は、ひとつところに落ち着くことができない。つまり、人間と恋をして共に暮らすことはできない。だから、想いをひた隠し、バロンに「あの子を頼むぜ」的なことを言う。
な、なんかかっこいいんですけど。ミツバチ少年のくせに!
どんどんオトコマエに見えてしまうトミーくんにびびっていたっつーに。
2部のショー『Joyful! Joyful!』にて、どうしよう、ほんとにかっこいいってばよ、高世氏!
あの個性的な顔が、二枚目に見える……男前にしか見えない……。
とにかく、濃い。表情のひとつひとつが。客席へのアピールが。でもって、彼が歌うとほっとする。
これまでよくわかってなかったんだが、主演の大貴氏は歌はアレらしい……たまたまかもしれないが、けっこー大変なことになっていた。や、大貴氏は他がかっこいーから歌がアレでも問題はないんだが。
歌手好きなわたしは、耳にやさしい人へアンテナが動くきらいがあるんだわ。だから『春のおどり』のときは桜花氏に反応していたし。
高世氏のよく動く表情と、豊かな歌声を堪能。
『Joyful! Joyful!』は耳馴染みのある曲ばかりで構成された、ノリのいいショー。わくわく眺めているだけで、あっちゅー間に終わってしまった。
コンパクトな舞台でのショー作品はいいねえ。なんつーか、「届く」感じがする。派手なセットとかべつにいらないもん、ショースターが「こちら」に向かって放つオーラを浴びるだけでたのしい。
さて、『春のおどり』でわたしが「謎」として注目していた汝鳥伶サマこと、清盛様には、ここでもまたお会いできました。
やっぱり、謎です。
芝居では老け役というか、かなり大人の役。でもショーではバリバリに若い役。キュートだったりします。
そしてどこにいても目立つし、アゴも立派です。
いやあ、いい味出してるよなあ、清盛様。
さて、この公演。
トップスターの大貴誠さんが制作側にも回っているそうで。大貴さんって、脚本や演出をやりながら主演もつとめる舞台人なんだー。すげーや。
舞台制作のノウハウなど素人のわたしにはわかるはずもないけれど、なめらかに進むたのしい舞台だったよ。
芝居もショーも、大貴さんがなんか「かわいこちゃん」な感じで、幅の広い人なんだなと思った。大人の男一辺倒で攻めることもできるだろうに、やわらかいところをあえて突くというか。
てゆーか芝居のバロンくんとトミーのやりとりがなー、かわいいっつーか微笑ましいっつーか。
カーテンコールで大貴さんと高世さんがじゃれてるの見て、さらにかわいこちゃん度アップ(笑)。
バロンくんがたどりついた不思議の国では、「心を相手に向けないと、言葉が通じない」の。
自己中で世間知らずの男の子バロンくんは、最初もちろん、言葉が通じない。
だけどトミーに諭され、感謝の気持ちを相手に向けたときに、はじめて言葉が通じる。
不思議の国の人たちはみんな善良で、ある意味おバカなんだけど。
「言葉」が口先だけでのモノではなく、「心」と同義語であるってのは、こーゆーことなんだと思わせてくれる、やさしい明るさに満ちている。
彼らはケンカしたりしたら、言葉が通じなくなるのかな。
相手のことを思いやらなくなったら、言葉が通じなくなるのかな。
そしたら反省するよね。言葉が通じないなんて嫌だもの。相手のこともそうだし、自分のことも伝わらないなんて嫌だもの。
そーやって反省して、心を開く。そしたら、言葉もまたわかる。
それって、いいなあ。
泣けるくらい、じんとする。
相手をわかりたいと思う気持ち。相手にわかってほしいと思う気持ち。
それが「言葉」なんだ。
口先だけでなく。「伝えたい」と思う心がある。それが「カタチ」になった世界。
深読みすればいくらでもこわくなるテーマだけれど、それをとてもやさしい目線で描いてあるの。
恋愛と夫婦パートはちと端折りすぎというか、ご都合主義過ぎて突っ込んだけどな(笑)。
大貴さんって、やさしい物語を作る人なんだなぁ。目線のやさしさって、出るからさー。
しかし、OSKではオペラグラスは使わないものなのかな。
前回観劇時はまさかの最前列だったので自分も使ってなかったしで、わかんなかったけど。
目に入る限り、わたし以外誰もオペラグラス使ってないし。ところ変われば、なのに、ヅカファン丸出しな行動だったかしら……。
いつの間に名前変わってたんだシアターBRAVA!(わたしが前に足を踏み入れたときは四季劇場だった・笑)での、『バロン〜前よりもっと不思議な冒険奇譚〜』『Wonder Stage 〜Joyful! Joyful!〜』。
前回に引き続き、青木るえかさんにご招待いただきました、ありがとうありがとう。遠慮なくがっつり食いつき、がっつり観劇してきました。
いやー……。
高世麻央氏が、かっこいいっす。
どーしよーどーしよー。かっこいいよー。
人生初のOSK観劇だった去年の春、『春のおどり』ではじめて高世氏を見たときは、とくになんとも思わなかったの。変……いやその、個性的な顔やな、という印象のみ。あの顔は一度見たらおぼえるし、どこにいてなにをしていても目につくから、舞台人としては武器なんだろーな、と思った。そして、芝居はふつーにうまかったし、声も男役だったしで、ふつーにうまいからこそ、それ以上とくになにも思わなかった。
『春のおどり』で美貌と歌で存在感を放っていたのは桜花昇氏だったからなー。
相変わらず予備知識もなく、「無知すぎるから、せめて幕前にプログラムくらい読んでおこう」と思ったんだけど……今回のプログラムはビジュアル重視で文字情報はなにもなかったっす(笑)。どの場面に誰が出ているかとかもわからぬ。や、とてもきれいなプログラムなので、今さら顔と名前をチェックしなくてもいいファンの人にはうれしい作りなんだと思うよ。
とりあえず、そこではじめて桜花さんが今回出ていないことを知る。つーと2番手誰なのかな。高世氏? 番手や仕組みをわかっていないまま、観劇スタート。
ミュージカル『バロン』にて、最初に登場した高世氏に、まず、引いた。
なんかとてつもなくかわいい、少年演技だったの。衣装も話し方も。うわ、わたし大人が演じるわざとらしい子役がダメなのよ、苦手なのよ。しかも人間ぢゃなく、妖精かなんかですかこの人! 羽生えてます系? 苦手だ〜〜!
でもってこの話、そーゆー世界観なんですか? メルヘン? えええ?
てなはじまりでした、はい。
わがままバロンくん@大貴誠氏が親に強制された見合いが嫌で逃げ出し、不思議な国で不思議な人たちと出会い、自己中な自分を反省して自分の世界へ戻る、という他愛ない物語。
バロンくんの精神年齢の低さにもびっくりし、妖精らしき高世氏がミツバチだという事実にもびっくりする。バロンくんの見合い相手、プリンセスちゃん@朝香櫻子さんが結婚をいやがって侍女と入れ替わるのに、舞台があっさり別の不思議な国に移ってしまうことにもびっくりする。なんのために入れ替わったの? プリンセスちゃん、出て来ないじゃん……。
展開にいちいちおどろきつつ。
見ているうちに、違和感がなくなる。
問題なし。中学生みたいなバロンくんも、めるへんな不思議な国の人たちも。
とくに、ミツバチ・トミー@高世氏。
最初、引いたのに。うわ、逆ツボ来た!と思ったのに。
違和感ない。てか、十分かわいい。てか、かっこいい……?
えええ。大人が演じる子役なのに。すごいかわいこぶった演技してるのに。めるへんな存在なのに。な、なのにかっこいいってそんな。おろおろ。
プリンセスちゃんのことを人知れず想っていたらしいトミー。蜜を集めて世界中を旅する彼は、ひとつところに落ち着くことができない。つまり、人間と恋をして共に暮らすことはできない。だから、想いをひた隠し、バロンに「あの子を頼むぜ」的なことを言う。
な、なんかかっこいいんですけど。ミツバチ少年のくせに!
どんどんオトコマエに見えてしまうトミーくんにびびっていたっつーに。
2部のショー『Joyful! Joyful!』にて、どうしよう、ほんとにかっこいいってばよ、高世氏!
あの個性的な顔が、二枚目に見える……男前にしか見えない……。
とにかく、濃い。表情のひとつひとつが。客席へのアピールが。でもって、彼が歌うとほっとする。
これまでよくわかってなかったんだが、主演の大貴氏は歌はアレらしい……たまたまかもしれないが、けっこー大変なことになっていた。や、大貴氏は他がかっこいーから歌がアレでも問題はないんだが。
歌手好きなわたしは、耳にやさしい人へアンテナが動くきらいがあるんだわ。だから『春のおどり』のときは桜花氏に反応していたし。
高世氏のよく動く表情と、豊かな歌声を堪能。
『Joyful! Joyful!』は耳馴染みのある曲ばかりで構成された、ノリのいいショー。わくわく眺めているだけで、あっちゅー間に終わってしまった。
コンパクトな舞台でのショー作品はいいねえ。なんつーか、「届く」感じがする。派手なセットとかべつにいらないもん、ショースターが「こちら」に向かって放つオーラを浴びるだけでたのしい。
さて、『春のおどり』でわたしが「謎」として注目していた汝鳥伶サマこと、清盛様には、ここでもまたお会いできました。
やっぱり、謎です。
芝居では老け役というか、かなり大人の役。でもショーではバリバリに若い役。キュートだったりします。
そしてどこにいても目立つし、アゴも立派です。
いやあ、いい味出してるよなあ、清盛様。
さて、この公演。
トップスターの大貴誠さんが制作側にも回っているそうで。大貴さんって、脚本や演出をやりながら主演もつとめる舞台人なんだー。すげーや。
舞台制作のノウハウなど素人のわたしにはわかるはずもないけれど、なめらかに進むたのしい舞台だったよ。
芝居もショーも、大貴さんがなんか「かわいこちゃん」な感じで、幅の広い人なんだなと思った。大人の男一辺倒で攻めることもできるだろうに、やわらかいところをあえて突くというか。
てゆーか芝居のバロンくんとトミーのやりとりがなー、かわいいっつーか微笑ましいっつーか。
カーテンコールで大貴さんと高世さんがじゃれてるの見て、さらにかわいこちゃん度アップ(笑)。
バロンくんがたどりついた不思議の国では、「心を相手に向けないと、言葉が通じない」の。
自己中で世間知らずの男の子バロンくんは、最初もちろん、言葉が通じない。
だけどトミーに諭され、感謝の気持ちを相手に向けたときに、はじめて言葉が通じる。
不思議の国の人たちはみんな善良で、ある意味おバカなんだけど。
「言葉」が口先だけでのモノではなく、「心」と同義語であるってのは、こーゆーことなんだと思わせてくれる、やさしい明るさに満ちている。
彼らはケンカしたりしたら、言葉が通じなくなるのかな。
相手のことを思いやらなくなったら、言葉が通じなくなるのかな。
そしたら反省するよね。言葉が通じないなんて嫌だもの。相手のこともそうだし、自分のことも伝わらないなんて嫌だもの。
そーやって反省して、心を開く。そしたら、言葉もまたわかる。
それって、いいなあ。
泣けるくらい、じんとする。
相手をわかりたいと思う気持ち。相手にわかってほしいと思う気持ち。
それが「言葉」なんだ。
口先だけでなく。「伝えたい」と思う心がある。それが「カタチ」になった世界。
深読みすればいくらでもこわくなるテーマだけれど、それをとてもやさしい目線で描いてあるの。
恋愛と夫婦パートはちと端折りすぎというか、ご都合主義過ぎて突っ込んだけどな(笑)。
大貴さんって、やさしい物語を作る人なんだなぁ。目線のやさしさって、出るからさー。
しかし、OSKではオペラグラスは使わないものなのかな。
前回観劇時はまさかの最前列だったので自分も使ってなかったしで、わかんなかったけど。
目に入る限り、わたし以外誰もオペラグラス使ってないし。ところ変われば、なのに、ヅカファン丸出しな行動だったかしら……。
彼らは素敵な漫才師。
2007年1月13日 タカラヅカ 植爺の自称コメディ『パリの空よりも高く』を遠く眺めながら、心は別のことを考える。
ゆーひでコメディ、ゆーひでお笑いモノ、というと。
『血と砂』を思い出す。
物語のトンデモさはともかく、とにかくドシリアスで大悲劇だったあの『血と砂』。
主人公が死ぬのはとーぜん、主要キャラも皆殺し状態、生き残った者も生き地獄必至の究極悲劇作品なのにお笑いとゆーキーワードで思い出す。
ええ。
W主演のケロとゆーひが、日替わり漫才をやっていたから。
幕が下りたあとの挨拶で。
ケロゆひは毎日毎回、漫才やりーの一発ギャグやりーのと、飛ばしまくっていた。
カーテンコールの挨拶は主演者がつとめる。通常主演はひとりだから、漫才はできない。ふつーに挨拶するのみ。
だが、W主演ならふたりが挨拶することになる。ふたりで掛け合いができる。
そうか、W主演の場合は、日替わりで漫才をするものなんだわ!
そう、思い込んだよ。
主演がふたりだとオイシイなー、幕が下りたあともおたのしみがあるわけかー、わくわく。
おかげで、その後に観た他の人たちのW主演作品で漫才がなくて、ひどく落胆した。
ええっ、なんで漫才しないの?! 主演ふたりが「本日は」「ご観劇」「(声を合わせて)ありがとうございました!」で終わりなんて、そんなバカな!
芝居の台詞を使って寸劇したり、ポーズ決めたり、なにかしらネタを披露するのがW主演の挨拶なんじゃないのおおぉぉ?!!
……誤解でした。
「W主演は日替わりで漫才披露」って、そんなルールはなかったです。はい。
しょぼん。
アレはケロゆひだからだったんだ……。
カテコ挨拶で次はなにをやってくれるのか、それもたのしみにしてバウホールへ通ったわ。
その直後の大劇場公演『ガイズ&ドールズ』でも、ケロゆひは毎日アドリブでじゃれてたしなー。
「日替わりギャグ」を堪能するのがケロゆひクオリティ。
それまでもクールなイメージのあるゆーひくんだったが、当時はなんか吹っ切れたかのよーな、素敵な体当たりのコメディアンぶりだった……。
そして今。
『パリの空よりも高く』が笑えないのがつらい。
や、その、ファン的にな。……植爺め……。
ゆーひでコメディ、ゆーひでお笑いモノ、というと。
『血と砂』を思い出す。
物語のトンデモさはともかく、とにかくドシリアスで大悲劇だったあの『血と砂』。
主人公が死ぬのはとーぜん、主要キャラも皆殺し状態、生き残った者も生き地獄必至の究極悲劇作品なのにお笑いとゆーキーワードで思い出す。
ええ。
W主演のケロとゆーひが、日替わり漫才をやっていたから。
幕が下りたあとの挨拶で。
ケロゆひは毎日毎回、漫才やりーの一発ギャグやりーのと、飛ばしまくっていた。
カーテンコールの挨拶は主演者がつとめる。通常主演はひとりだから、漫才はできない。ふつーに挨拶するのみ。
だが、W主演ならふたりが挨拶することになる。ふたりで掛け合いができる。
そうか、W主演の場合は、日替わりで漫才をするものなんだわ!
そう、思い込んだよ。
主演がふたりだとオイシイなー、幕が下りたあともおたのしみがあるわけかー、わくわく。
おかげで、その後に観た他の人たちのW主演作品で漫才がなくて、ひどく落胆した。
ええっ、なんで漫才しないの?! 主演ふたりが「本日は」「ご観劇」「(声を合わせて)ありがとうございました!」で終わりなんて、そんなバカな!
芝居の台詞を使って寸劇したり、ポーズ決めたり、なにかしらネタを披露するのがW主演の挨拶なんじゃないのおおぉぉ?!!
……誤解でした。
「W主演は日替わりで漫才披露」って、そんなルールはなかったです。はい。
しょぼん。
アレはケロゆひだからだったんだ……。
カテコ挨拶で次はなにをやってくれるのか、それもたのしみにしてバウホールへ通ったわ。
その直後の大劇場公演『ガイズ&ドールズ』でも、ケロゆひは毎日アドリブでじゃれてたしなー。
「日替わりギャグ」を堪能するのがケロゆひクオリティ。
それまでもクールなイメージのあるゆーひくんだったが、当時はなんか吹っ切れたかのよーな、素敵な体当たりのコメディアンぶりだった……。
そして今。
『パリの空よりも高く』が笑えないのがつらい。
や、その、ファン的にな。……植爺め……。
凸凹推奨。@パリの空よりも高く
2007年1月12日 タカラヅカ ジョルジュ@ゆーひは、きれいである意味はなかったのだと思う。
『パリの空よりも高く』にて、アルマンド@あさこが優男である以上、相棒のヘタレ弟分は外見からしてみっともないダメ男であるべきだと思う。
ブサ男がかっこつけて街のアイドル・ミミ@かなみに迫るからもちろん相手にされない、弟ジャン@みりおにも邪魔をされる、と。
アルマンドとジョルジュの対比が少ないから、この笑えないコメディが、さらに笑えなくなっていると思う。や、そもそも作者のセンスがひどすぎて笑えないのだから、焼け石に水だとは思うけどね。
ブサ男でよかったんだけどなぁ、ゆーひ。
外見が不細工で中身も能なし、なのに、それでも「かわいい」と言ってアルマンドが許してしまう……その方が萌えだ(笑)。
もちろん、ここはタカラヅカなので、ほんとうに不細工にする必要はない。乞食だってカラフルなきれーな衣装を着る世界観だ、「記号として」不細工を演じればよかったのに。
まあ、肉布団着込んでデブなお笑いキャラにするべきナイスリー・ナイスリー役を、すらりとした美青年で通してしまった過去を持つゆーひくんだ、不細工キャラなんか絶対やらないだろーけどな。
美形以外演じないゆーひは、自分の売りをよく理解しているってことなのかな。タカラヅカである以上、たとえ三枚目でも美しくなくてはならないという確固たる信念の元か、あるいは外見を不細工にして、かつ魅力を出す技術が自分にはないと思っているのか。
ナイスリーは所詮脇のひとりだったので美形のままでもよかったけれど、主役の相棒が主役とキャラがまんまかぶるのはきついなぁ。
ヘタレゆーひは、見ていてなつかしかったけどねぇ。
かっこいいのか悪いのか、どっちつかずでさらに作品の質を下げていたよーな……ジョルジュよ。
もちろん、アルマンドも中途半端だったから、そっちの責任もあるんだが、ヅカは真ん中至上主義でいいと思っているので、アルマンドの役作りに相棒は合わせるべきだ。まずアルマンドありき。ジョルジュはソレに対比すること。
そもそも脚本が、ふたりの書き分けがろくにできてないからなー。それなら役者が自力でなんとかしなきゃ仕方がない。脚本に書かれたキャラが大同小異なら、せめて外見で差を付けるしかないだろう。同じ言動でも(大金を前に震えるとか、うまく逃げ出せなくてあたふたするとか)、片方が美形で片方がブサ男なら、それだけでキャラが立つじゃん。
凸凹がうまくいっていたら、コンビ物の芝居は自然とおもしろくなるもんなんだけどなー。
なんでジョルジュはあんなに外見が美しいのだろう。
……ん?
それとも、ジョルジュはちゃんとまぬけなブサ男になっているのか? 二枚目半のアルマンドとのキャラの差がはっきりと出ているのか?
わたしにとって、「おーぞらゆーひはナニをしていても美形にしか見えない」のが問題なのか?
可能性がないわけじゃない。
ゆーひはかっこいいし、かわいいし、ステキ。
や、わたし的に。
踊れなかろーと動きがもっさりしていよーと歌がアレであろーと、関係ないのよ。人の好みなんてそんなもん(笑)。
ジョルジュという役に相応しかろうとそうでなかろうと、んなこととは無関係に、おーぞらゆーひの美しさを愛でている。
そしてその美しさゆえに、ジョルジュとしてまちがっている気がしてならないんだが。
ジョルジュは外見からブサ男であり、格好悪くてまぬけで、されど憎めない三枚目である方が、主役アルマンドとのコンビが引き立つと思うんだがなぁ。
外見がどうあれ格好悪キャラに見せられるほどの演技力は持ち合わせてないんだから(言い切るか)ちゃんとブサ男に作ればいいのに。
なんでおーぞらゆーひは、あんなに美形なんだろう。
……って。
いやあ、とどのつまりはのろけ話なんですがね。
彼の役作りや技術に問題はあるにしろ、いや、あることを認め、あきらめたうえでなお、ゆーひくん素敵とのろけているだけっす。
ファンですから。
……おほほほ(照)。
『パリの空よりも高く』にて、アルマンド@あさこが優男である以上、相棒のヘタレ弟分は外見からしてみっともないダメ男であるべきだと思う。
ブサ男がかっこつけて街のアイドル・ミミ@かなみに迫るからもちろん相手にされない、弟ジャン@みりおにも邪魔をされる、と。
アルマンドとジョルジュの対比が少ないから、この笑えないコメディが、さらに笑えなくなっていると思う。や、そもそも作者のセンスがひどすぎて笑えないのだから、焼け石に水だとは思うけどね。
ブサ男でよかったんだけどなぁ、ゆーひ。
外見が不細工で中身も能なし、なのに、それでも「かわいい」と言ってアルマンドが許してしまう……その方が萌えだ(笑)。
もちろん、ここはタカラヅカなので、ほんとうに不細工にする必要はない。乞食だってカラフルなきれーな衣装を着る世界観だ、「記号として」不細工を演じればよかったのに。
まあ、肉布団着込んでデブなお笑いキャラにするべきナイスリー・ナイスリー役を、すらりとした美青年で通してしまった過去を持つゆーひくんだ、不細工キャラなんか絶対やらないだろーけどな。
美形以外演じないゆーひは、自分の売りをよく理解しているってことなのかな。タカラヅカである以上、たとえ三枚目でも美しくなくてはならないという確固たる信念の元か、あるいは外見を不細工にして、かつ魅力を出す技術が自分にはないと思っているのか。
ナイスリーは所詮脇のひとりだったので美形のままでもよかったけれど、主役の相棒が主役とキャラがまんまかぶるのはきついなぁ。
ヘタレゆーひは、見ていてなつかしかったけどねぇ。
かっこいいのか悪いのか、どっちつかずでさらに作品の質を下げていたよーな……ジョルジュよ。
もちろん、アルマンドも中途半端だったから、そっちの責任もあるんだが、ヅカは真ん中至上主義でいいと思っているので、アルマンドの役作りに相棒は合わせるべきだ。まずアルマンドありき。ジョルジュはソレに対比すること。
そもそも脚本が、ふたりの書き分けがろくにできてないからなー。それなら役者が自力でなんとかしなきゃ仕方がない。脚本に書かれたキャラが大同小異なら、せめて外見で差を付けるしかないだろう。同じ言動でも(大金を前に震えるとか、うまく逃げ出せなくてあたふたするとか)、片方が美形で片方がブサ男なら、それだけでキャラが立つじゃん。
凸凹がうまくいっていたら、コンビ物の芝居は自然とおもしろくなるもんなんだけどなー。
なんでジョルジュはあんなに外見が美しいのだろう。
……ん?
それとも、ジョルジュはちゃんとまぬけなブサ男になっているのか? 二枚目半のアルマンドとのキャラの差がはっきりと出ているのか?
わたしにとって、「おーぞらゆーひはナニをしていても美形にしか見えない」のが問題なのか?
可能性がないわけじゃない。
ゆーひはかっこいいし、かわいいし、ステキ。
や、わたし的に。
踊れなかろーと動きがもっさりしていよーと歌がアレであろーと、関係ないのよ。人の好みなんてそんなもん(笑)。
ジョルジュという役に相応しかろうとそうでなかろうと、んなこととは無関係に、おーぞらゆーひの美しさを愛でている。
そしてその美しさゆえに、ジョルジュとしてまちがっている気がしてならないんだが。
ジョルジュは外見からブサ男であり、格好悪くてまぬけで、されど憎めない三枚目である方が、主役アルマンドとのコンビが引き立つと思うんだがなぁ。
外見がどうあれ格好悪キャラに見せられるほどの演技力は持ち合わせてないんだから(言い切るか)ちゃんとブサ男に作ればいいのに。
なんでおーぞらゆーひは、あんなに美形なんだろう。
……って。
いやあ、とどのつまりはのろけ話なんですがね。
彼の役作りや技術に問題はあるにしろ、いや、あることを認め、あきらめたうえでなお、ゆーひくん素敵とのろけているだけっす。
ファンですから。
……おほほほ(照)。
花売り娘とは仮の姿。@パリの空よりも高く
2007年1月11日 タカラヅカ ミミがわからない……。
『パリの空よりも高く』のアイドル、花売り娘のミミ@かなみちゃん。
最初はかわいくて善良なただの花売り娘だと思った。
うおー、かなみちゃんかわいー。笑顔がきらきらしてるー。癒やされるー。
なにしろ街のアイドルなので、若い男たちがみんな彼女にのぼせあがっていても、不思議ではない。ギスターブ@きりやんが彼女に夢中なのも、彼女を一目見ただけでジョルジュ@ゆーひが惚れ込むのもよーっくわかる。
わからないのは、その後の展開だ。
なにもできないダメっ子のび太くんだったギスターブは、アイドル・ミミになにも言えずにいた。が、塔建設が絵空事ではなくなり、「先生」と呼ばれ尊敬されるよーになったのだから、告白できるさね。ミミも素直に祝福してくれている。ギスターブは彼女に恋を打ち明ける。ミミもまた、それに応える。ふたりで愛の歌を歌う……のに。
ミミはソレを「なかったこと」にする。
なにかとミミを口説きまくっていたジョルジュがマジに告白したときに、さも驚いてみせる。アレだけ口説かれまくっていたのに?!
そして、「誰にも愛されたことがない」と言う。ええっ、ギスターブは? 彼の愛に応え、一緒に愛の歌歌ってたやん!
さらに、「アルマンド@あさこが好き」と言う。ええっ、ギスターブは? 彼の愛に応え、一緒に愛の歌歌ってたやん!
なんておそろしい女だ。
ギスターブとラヴラヴの恋人で、ジョルジュには好きなだけ口説かせ続け、そのうえジョルジュの兄が欲しいと?!
「先生」と呼ばれ街の人々から尊敬される設計士をキープしつつ、軽めのイケメンをとりまきにして毎日ちやほやさせ、その兄で名も実もある男前を本命と言っておき、設計士と天秤に掛け、最終的にオイシイ方をいただこう……ってか。さんざん弄んだあとにイケメンを捨てたとしても、「あなたのお兄さんを愛しているの」と言えば、イケメンくんもそれ以上なにもできなくなるもんな。見事な封じ込めだ。
おそろしい……なんておそろしい女なの、ミミ!!(白目)
だけど笑顔は天使!! 芸風はぶりっこ(死語)!!
可哀想なギスターブはなにも知らず、ミミを自分だけの恋人と信じて貢いでいるんだろーな。
最終的にアルマンドとジョルジュは街を去り、「ミミはギスターブと結ばれるべきだ」てなことを言うんだが、アルマンドはミミの真の顔を知っていたってことかしら。
複数の男たちを手玉に取る、女詐欺師ミミ(トシは誤魔化し済)。
気のいい小悪党コンビが太刀打ちできる相手とは思えないんだが……。
ミミが悪党でなければ、白痴か多重人格ってことになるぞ。通常の知能と人格があれば、あの言動はあり得ない。
ま、とどのつまりは植爺だからってことになるんだけど。
それは置いておいて。
ミミに弄ばれるギスターブ萌え。
ギスターブ@きりやんがかわいい……ハァハァ。
あのダメダメっぷりがいとしい。
誠実さ以外なにも持たないのび太くんが、天使の笑顔の詐欺師に騙されているなんて、萌えだわ。
なかなかヤらせてもらえないギスターブ希望。
ミミの部屋でいいムードになり、さあ、今夜こそ男になるぜ!!と、どもりながらパンツ(とズボン)を脱ぐギス太(上半身はジャケットまできっちり着用、眼鏡もそのまま)。
ベッドに押し倒されたミミは、かわいらしく恥じらいながらもじらしまくる。
そこへタイミングを見計らって弟ジャン@みりお登場。
するりとギス太の下から抜け出すミミ、あわててパンツ(とズボン)に足を突っ込んでつんのめるギス太。
「ギスターブさん、どうかしたの?」と、無邪気さを装って声をかける腹黒ジャン!
「ギスターブさん、ボク、新しい靴が欲しいんだけど……」(上目遣い)
「ダメよジャン、なにを言うの」(かわいく困惑)
「だってギスターブさんはお兄さんになるんだろ? いいじゃんか」(無邪気)
「もももももちろんお兄さんになるんだから、おおおお弟が必要なものをかかか買ってあげるのはあたりまえのことだよ。そそそうだ、ミミにもプレゼントをあげるよ」(鼻息)
「そんな、悪いわ」(かわいく困惑)
「ありがとー、ギスターブ兄さん」(ニヤリ)
「……ありがとうございます」(ニヤリ)
「兄さん……」(じーん)
あああ、かわいいわ、ギス太! サイコーだわ、ギス太!
翌日、ギス太が必死の形相でプレゼントを選んでいるときに、ちゃっかりミミはアルマンドとデートしてたりしてなっ。
こちらはギス太とはちがい、「ミミのドレスの後ろボタンを留めてあげるアルマンドの図」に萌え。どっかの安ホテルの一室可(笑)。
アルマンドとは速攻デキあがり、ジョルジュもてきとーにつまみ食いしているにもかかわらず、ギス太にはヤらせないミミに萌え。
『パリの空よりも高く』のアイドル、花売り娘のミミ@かなみちゃん。
最初はかわいくて善良なただの花売り娘だと思った。
うおー、かなみちゃんかわいー。笑顔がきらきらしてるー。癒やされるー。
なにしろ街のアイドルなので、若い男たちがみんな彼女にのぼせあがっていても、不思議ではない。ギスターブ@きりやんが彼女に夢中なのも、彼女を一目見ただけでジョルジュ@ゆーひが惚れ込むのもよーっくわかる。
わからないのは、その後の展開だ。
なにもできないダメっ子のび太くんだったギスターブは、アイドル・ミミになにも言えずにいた。が、塔建設が絵空事ではなくなり、「先生」と呼ばれ尊敬されるよーになったのだから、告白できるさね。ミミも素直に祝福してくれている。ギスターブは彼女に恋を打ち明ける。ミミもまた、それに応える。ふたりで愛の歌を歌う……のに。
ミミはソレを「なかったこと」にする。
なにかとミミを口説きまくっていたジョルジュがマジに告白したときに、さも驚いてみせる。アレだけ口説かれまくっていたのに?!
そして、「誰にも愛されたことがない」と言う。ええっ、ギスターブは? 彼の愛に応え、一緒に愛の歌歌ってたやん!
さらに、「アルマンド@あさこが好き」と言う。ええっ、ギスターブは? 彼の愛に応え、一緒に愛の歌歌ってたやん!
なんておそろしい女だ。
ギスターブとラヴラヴの恋人で、ジョルジュには好きなだけ口説かせ続け、そのうえジョルジュの兄が欲しいと?!
「先生」と呼ばれ街の人々から尊敬される設計士をキープしつつ、軽めのイケメンをとりまきにして毎日ちやほやさせ、その兄で名も実もある男前を本命と言っておき、設計士と天秤に掛け、最終的にオイシイ方をいただこう……ってか。さんざん弄んだあとにイケメンを捨てたとしても、「あなたのお兄さんを愛しているの」と言えば、イケメンくんもそれ以上なにもできなくなるもんな。見事な封じ込めだ。
おそろしい……なんておそろしい女なの、ミミ!!(白目)
だけど笑顔は天使!! 芸風はぶりっこ(死語)!!
可哀想なギスターブはなにも知らず、ミミを自分だけの恋人と信じて貢いでいるんだろーな。
最終的にアルマンドとジョルジュは街を去り、「ミミはギスターブと結ばれるべきだ」てなことを言うんだが、アルマンドはミミの真の顔を知っていたってことかしら。
複数の男たちを手玉に取る、女詐欺師ミミ(トシは誤魔化し済)。
気のいい小悪党コンビが太刀打ちできる相手とは思えないんだが……。
ミミが悪党でなければ、白痴か多重人格ってことになるぞ。通常の知能と人格があれば、あの言動はあり得ない。
ま、とどのつまりは植爺だからってことになるんだけど。
それは置いておいて。
ミミに弄ばれるギスターブ萌え。
ギスターブ@きりやんがかわいい……ハァハァ。
あのダメダメっぷりがいとしい。
誠実さ以外なにも持たないのび太くんが、天使の笑顔の詐欺師に騙されているなんて、萌えだわ。
なかなかヤらせてもらえないギスターブ希望。
ミミの部屋でいいムードになり、さあ、今夜こそ男になるぜ!!と、どもりながらパンツ(とズボン)を脱ぐギス太(上半身はジャケットまできっちり着用、眼鏡もそのまま)。
ベッドに押し倒されたミミは、かわいらしく恥じらいながらもじらしまくる。
そこへタイミングを見計らって弟ジャン@みりお登場。
するりとギス太の下から抜け出すミミ、あわててパンツ(とズボン)に足を突っ込んでつんのめるギス太。
「ギスターブさん、どうかしたの?」と、無邪気さを装って声をかける腹黒ジャン!
「ギスターブさん、ボク、新しい靴が欲しいんだけど……」(上目遣い)
「ダメよジャン、なにを言うの」(かわいく困惑)
「だってギスターブさんはお兄さんになるんだろ? いいじゃんか」(無邪気)
「もももももちろんお兄さんになるんだから、おおおお弟が必要なものをかかか買ってあげるのはあたりまえのことだよ。そそそうだ、ミミにもプレゼントをあげるよ」(鼻息)
「そんな、悪いわ」(かわいく困惑)
「ありがとー、ギスターブ兄さん」(ニヤリ)
「……ありがとうございます」(ニヤリ)
「兄さん……」(じーん)
あああ、かわいいわ、ギス太! サイコーだわ、ギス太!
翌日、ギス太が必死の形相でプレゼントを選んでいるときに、ちゃっかりミミはアルマンドとデートしてたりしてなっ。
こちらはギス太とはちがい、「ミミのドレスの後ろボタンを留めてあげるアルマンドの図」に萌え。どっかの安ホテルの一室可(笑)。
アルマンドとは速攻デキあがり、ジョルジュもてきとーにつまみ食いしているにもかかわらず、ギス太にはヤらせないミミに萌え。
意味はチガウが、まあ、笑えるんぢゃ…?@パリの空よりも高く
2007年1月10日 タカラヅカ「……はじめから、みなさんを騙していました。金庫の金はいただいて行きます……」
オテルの女主人が置き手紙を読み上げると、場に集まっていた人々は、一瞬静まりかえった。
その次の瞬間、爆笑した。
「なにを言っているんだ? 騙す? なにを、どうやって?」
「いやあ、すばらしい冗談だ。塔の竣工式の日に、『塔建設は詐欺でした』って……じゃあ、完成しているあの塔はなんなんだ?」
「丸3年も一緒に塔を造ってきて、なにをどう騙したと?」
「完成した塔で儲けが出るのはこれからでしょう。金庫の中は空っぽのようなものなのに、なにを言っているのかしら」
女主人も集まった客たちも、両手を打ち鳴らし、身をふたつに折って笑った。
「ただ去るだけではつまらないから、こんな冗談を言って去っていったのね……奥ゆかしい人たち!」
笑い転げる人々の中、塔の設計者だけは、寂しげにしている。
「行ってしまったんだ……別れの言葉も交わさず……」
さて、ふたり組の詐欺師はというと。
「これっぽっちの金じゃあ、帰りの汽車賃にもならないじゃないか!」
金庫の中身が少なすぎることで仲間割れをしていた。
帰り……どこに帰るんだろう。3年もパリに住んでいたのに、どうやら家がどこかにあるらしい。まだ無事にあるのかねぇ。
「俺たちは、詐欺師だ。みんなを騙していたんだ」
あの置き手紙を見て、みんなは憤慨しているだろう。警察が出動しているころだろうか。でも、それでいいんだ。俺たちは詐欺師なのだから、こうすることが正しいんだ。
と、「詐欺師の美学」に酔ってオテルをあとにし、彼を慕う花売り娘をも振りきってパリを出た。
まさか、爆笑されているとも知らずに。
笑われていることも知らない、そもそも騙したことにもなっていない、ことすら気づかない、まぬけな男たちの愉快な物語でした。ちゃんちゃん。
☆
素敵に植爺クオリティ、『パリの空よりも高く』。
ストーリーはめちゃくちゃです。や、植爺ですから。
オチはありません。や、植爺ですから。
キャラの人格はありません。や、植爺ですから。
人間関係、希薄です。や、植爺ですから。
作劇まちがいまくってます。や、植爺ですから。
物語と無関係・無意味なシーンが冒頭から25分続きます。や、植爺ですから。
不自然な説明台詞が続きます。や、植爺ですから。
下級生に出番はありません。や、植爺ですから。
主役が魅力的に見えません。や、植爺ですから。
どこまでも、植爺クオリティ。
ああ、この作品でヅカ初めしなくてよかった、と胸をなで下ろした。
でもね、植爺作品なのにひとつだけいいところがあったの。
生理的嫌悪感がなかった。
おぞましさに鳥肌が立つ、ということがなかった。すごいわ植爺! やればできるじゃないの。
とりたててムカつかない。腹も立たない。
ただ、つまんないだけで。
そして、植爺が「ここがいちばんいい場面」「じーんと感動させる場面」だと思って描いているところで、気持ちよく爆笑させてもらえたので、まだよかった。
植爺的「いちばん感動」シーンって、嫌悪感や怒りで気分が悪くなるのがスタンダードだからなー。失笑できただけでも、めっけもの。
なんのアテもなくなんの考えもなく「オラ、都会さ行くだ!」と大都会パリへやってきた詐欺師コンビ。「エライ人の息子だっつーことにしてたら、信用してもらえるべ」と、わざわざ下準備をして。でも、コンビの片割れはほんとーにその「エライ人」の息子だから、別に詐欺ではないよーな? ま、いいか。
ふたりがたまたま出会った設計士は、世界一高い塔を造る計画を持っていたが、誰からも相手にされずにいた。詐欺のネタを見つけた詐欺師たちはパリの人々を扇動し、塔を造るために出資させ、巨額の資金を手元に集めることに成功した。
えーと。
ここで金を持ち逃げしていれば、たしかに詐欺師。絵空事を語り金を集め、それを盗んで逃げたならば。
ところが。
何故だか3年も経過。3年だよ3年。なんて気の長い話。真面目に塔建設に尽力しているらしい詐欺師たち。
塔が造られている段階で、もう詐欺ではないし、彼らは詐欺師ではない。
3年間も逃げられなかったはずがない。監禁されていたわけでもないんだし。
逃げずに一緒に塔を造ったのだから、詐欺師じゃない。
すでに本末転倒しているんだが、植爺も詐欺師たちも気づいていない。
で、いちばんいい場面。
完成まであとわずか!なころに、大嵐がやってきた! 塔が危ない!
詐欺師といつの間にか出会って、いつの間にかいい感じになっていた花売り娘が、大嵐の最中、詐欺師たちの宿泊するオテルへ飛び込んでくる。
「塔が危ないわ! お願い、守って!!」
何故オマエが言う、花売り娘よ。バーーンっと扉を開けて花売り娘が現れたところでまず吹き出す。花売り娘は塔建設とはまったくの無関係っす。
次に、彼女の言っていることのおかしさがツボに入る。
嵐で危ない塔、って!! そんなもん、建てるなよ!! 嵐ネタの最初から、笑えて仕方なかったんだが、花売り娘はとくにドシリアスにやるからいちばんおかしい。
そして、風が吹いたら倒れるような塔を、たかが人間の詐欺師にどーやって守れと? 巨大化して支えるのか??
神妙な顔をした詐欺師、弟分が止めるのもきかず、花売り娘と共に嵐の中へ飛び出していく!! ちょっと待て、一緒に行くのか! 花売り娘が危ないとか思わないのか! てゆーか花売り娘は無関係なんだってば、工事現場に無関係な女の子を緊急時に入れるなんてありえないっつーの!
詐欺師は身体を張って塔を守った。なんでも、血を流しながら、鉄骨を支えたらしい。
高さ300mの塔を、支える詐欺師!! 彼のおかげで塔は倒れずに済んだ!!
さあ、次から嵐の日には、みんなで鉄骨を支えるんだ、パリ市民たちよ!
後日、街の有権者が美談として語る内容に、声を殺して爆笑した。
鉄骨を支える詐欺師……。そんなことで、守れる塔かー、すげーなー。てゆーかたかが嵐で……。
有権者は、彼らが詐欺師であろーとなかろーと、その心意気は真実であると語るわけだ。
そう、詐欺師たちは塔が完成してからわざわざ詐欺師だと名乗って、小銭を盗んで逃げ出した。なんでそんなことをしたのかは、大丈夫、塔の設計者や街の有力者さんたちが、全部長い長い説明台詞で懇切丁寧に解説してくれているから問題ナシ。
問題があるのは、塔が完成した段階でソレをやっても、すでに詐欺じゃないってこことだけで。
てゆーか、人々がなんで怒るのかわからない。
「みんなでケーキを作りましょう」
と持ち寄ったお金で材料を買ってケーキを作って、「いただきます」をしようとしたときに、「ケーキを作ると言ったけど、最初から騙してたんだ、材料を買ったおつりを盗んで逃げるからね!」と言われても……意味がわからないのでは?
なに言ってんの? ケーキも出来てるし、これから食べるとこだし。おつりって、何円残ってた? 「わけわかんないねー」「いーじゃん、バカは放っておいて食べよーよ」で終わりだわな。
だが何故か人々は怒り出す。それが植爺クオリティ。そーしないと話がつながらないから、生理に反しても無理矢理そうする。
そして、無理矢理「美談」にする。騙されていたはずの設計士や有権者が、薄っぺらい情を語り、感動的ないい話にする。
いやあ、あまりのゆがんだ論理に、失笑して、完。
で、主役のハズの詐欺師たち。なんとも格好悪い、気持ち悪い仲間割れをしているが、たぶんこれは植爺的には「素敵な男の友情・洒落た会話」なんだろう。
無理矢理登場させた花売り娘との涙の別れで取り繕って終了。
てか、花売り娘謎。
生理的嫌悪感とか逆鱗とかはとくにないけど、壊れたモノやゆがんだものを観るのはつらい。とくに、何度も観ると嫌悪にまで発展しそうだから、わたしは遠慮した方がよさそうだ。
でも、1回観る分には笑えるからまだいいのではないかと。
植爺が「コメディ」「ギャグ」だと思って書いている・演出している、ところでは寒い空気が流れて大変だけど。
出演者はがんばってます。はい。てか、あさこちゃんやかなみちゃんたちががんばっているからこそ、まだなんとかなってる。
がんばれ月組!
オテルの女主人が置き手紙を読み上げると、場に集まっていた人々は、一瞬静まりかえった。
その次の瞬間、爆笑した。
「なにを言っているんだ? 騙す? なにを、どうやって?」
「いやあ、すばらしい冗談だ。塔の竣工式の日に、『塔建設は詐欺でした』って……じゃあ、完成しているあの塔はなんなんだ?」
「丸3年も一緒に塔を造ってきて、なにをどう騙したと?」
「完成した塔で儲けが出るのはこれからでしょう。金庫の中は空っぽのようなものなのに、なにを言っているのかしら」
女主人も集まった客たちも、両手を打ち鳴らし、身をふたつに折って笑った。
「ただ去るだけではつまらないから、こんな冗談を言って去っていったのね……奥ゆかしい人たち!」
笑い転げる人々の中、塔の設計者だけは、寂しげにしている。
「行ってしまったんだ……別れの言葉も交わさず……」
さて、ふたり組の詐欺師はというと。
「これっぽっちの金じゃあ、帰りの汽車賃にもならないじゃないか!」
金庫の中身が少なすぎることで仲間割れをしていた。
帰り……どこに帰るんだろう。3年もパリに住んでいたのに、どうやら家がどこかにあるらしい。まだ無事にあるのかねぇ。
「俺たちは、詐欺師だ。みんなを騙していたんだ」
あの置き手紙を見て、みんなは憤慨しているだろう。警察が出動しているころだろうか。でも、それでいいんだ。俺たちは詐欺師なのだから、こうすることが正しいんだ。
と、「詐欺師の美学」に酔ってオテルをあとにし、彼を慕う花売り娘をも振りきってパリを出た。
まさか、爆笑されているとも知らずに。
笑われていることも知らない、そもそも騙したことにもなっていない、ことすら気づかない、まぬけな男たちの愉快な物語でした。ちゃんちゃん。
☆
素敵に植爺クオリティ、『パリの空よりも高く』。
ストーリーはめちゃくちゃです。や、植爺ですから。
オチはありません。や、植爺ですから。
キャラの人格はありません。や、植爺ですから。
人間関係、希薄です。や、植爺ですから。
作劇まちがいまくってます。や、植爺ですから。
物語と無関係・無意味なシーンが冒頭から25分続きます。や、植爺ですから。
不自然な説明台詞が続きます。や、植爺ですから。
下級生に出番はありません。や、植爺ですから。
主役が魅力的に見えません。や、植爺ですから。
どこまでも、植爺クオリティ。
ああ、この作品でヅカ初めしなくてよかった、と胸をなで下ろした。
でもね、植爺作品なのにひとつだけいいところがあったの。
生理的嫌悪感がなかった。
おぞましさに鳥肌が立つ、ということがなかった。すごいわ植爺! やればできるじゃないの。
とりたててムカつかない。腹も立たない。
ただ、つまんないだけで。
そして、植爺が「ここがいちばんいい場面」「じーんと感動させる場面」だと思って描いているところで、気持ちよく爆笑させてもらえたので、まだよかった。
植爺的「いちばん感動」シーンって、嫌悪感や怒りで気分が悪くなるのがスタンダードだからなー。失笑できただけでも、めっけもの。
なんのアテもなくなんの考えもなく「オラ、都会さ行くだ!」と大都会パリへやってきた詐欺師コンビ。「エライ人の息子だっつーことにしてたら、信用してもらえるべ」と、わざわざ下準備をして。でも、コンビの片割れはほんとーにその「エライ人」の息子だから、別に詐欺ではないよーな? ま、いいか。
ふたりがたまたま出会った設計士は、世界一高い塔を造る計画を持っていたが、誰からも相手にされずにいた。詐欺のネタを見つけた詐欺師たちはパリの人々を扇動し、塔を造るために出資させ、巨額の資金を手元に集めることに成功した。
えーと。
ここで金を持ち逃げしていれば、たしかに詐欺師。絵空事を語り金を集め、それを盗んで逃げたならば。
ところが。
何故だか3年も経過。3年だよ3年。なんて気の長い話。真面目に塔建設に尽力しているらしい詐欺師たち。
塔が造られている段階で、もう詐欺ではないし、彼らは詐欺師ではない。
3年間も逃げられなかったはずがない。監禁されていたわけでもないんだし。
逃げずに一緒に塔を造ったのだから、詐欺師じゃない。
すでに本末転倒しているんだが、植爺も詐欺師たちも気づいていない。
で、いちばんいい場面。
完成まであとわずか!なころに、大嵐がやってきた! 塔が危ない!
詐欺師といつの間にか出会って、いつの間にかいい感じになっていた花売り娘が、大嵐の最中、詐欺師たちの宿泊するオテルへ飛び込んでくる。
「塔が危ないわ! お願い、守って!!」
何故オマエが言う、花売り娘よ。バーーンっと扉を開けて花売り娘が現れたところでまず吹き出す。花売り娘は塔建設とはまったくの無関係っす。
次に、彼女の言っていることのおかしさがツボに入る。
嵐で危ない塔、って!! そんなもん、建てるなよ!! 嵐ネタの最初から、笑えて仕方なかったんだが、花売り娘はとくにドシリアスにやるからいちばんおかしい。
そして、風が吹いたら倒れるような塔を、たかが人間の詐欺師にどーやって守れと? 巨大化して支えるのか??
神妙な顔をした詐欺師、弟分が止めるのもきかず、花売り娘と共に嵐の中へ飛び出していく!! ちょっと待て、一緒に行くのか! 花売り娘が危ないとか思わないのか! てゆーか花売り娘は無関係なんだってば、工事現場に無関係な女の子を緊急時に入れるなんてありえないっつーの!
詐欺師は身体を張って塔を守った。なんでも、血を流しながら、鉄骨を支えたらしい。
高さ300mの塔を、支える詐欺師!! 彼のおかげで塔は倒れずに済んだ!!
さあ、次から嵐の日には、みんなで鉄骨を支えるんだ、パリ市民たちよ!
後日、街の有権者が美談として語る内容に、声を殺して爆笑した。
鉄骨を支える詐欺師……。そんなことで、守れる塔かー、すげーなー。てゆーかたかが嵐で……。
有権者は、彼らが詐欺師であろーとなかろーと、その心意気は真実であると語るわけだ。
そう、詐欺師たちは塔が完成してからわざわざ詐欺師だと名乗って、小銭を盗んで逃げ出した。なんでそんなことをしたのかは、大丈夫、塔の設計者や街の有力者さんたちが、全部長い長い説明台詞で懇切丁寧に解説してくれているから問題ナシ。
問題があるのは、塔が完成した段階でソレをやっても、すでに詐欺じゃないってこことだけで。
てゆーか、人々がなんで怒るのかわからない。
「みんなでケーキを作りましょう」
と持ち寄ったお金で材料を買ってケーキを作って、「いただきます」をしようとしたときに、「ケーキを作ると言ったけど、最初から騙してたんだ、材料を買ったおつりを盗んで逃げるからね!」と言われても……意味がわからないのでは?
なに言ってんの? ケーキも出来てるし、これから食べるとこだし。おつりって、何円残ってた? 「わけわかんないねー」「いーじゃん、バカは放っておいて食べよーよ」で終わりだわな。
だが何故か人々は怒り出す。それが植爺クオリティ。そーしないと話がつながらないから、生理に反しても無理矢理そうする。
そして、無理矢理「美談」にする。騙されていたはずの設計士や有権者が、薄っぺらい情を語り、感動的ないい話にする。
いやあ、あまりのゆがんだ論理に、失笑して、完。
で、主役のハズの詐欺師たち。なんとも格好悪い、気持ち悪い仲間割れをしているが、たぶんこれは植爺的には「素敵な男の友情・洒落た会話」なんだろう。
無理矢理登場させた花売り娘との涙の別れで取り繕って終了。
てか、花売り娘謎。
生理的嫌悪感とか逆鱗とかはとくにないけど、壊れたモノやゆがんだものを観るのはつらい。とくに、何度も観ると嫌悪にまで発展しそうだから、わたしは遠慮した方がよさそうだ。
でも、1回観る分には笑えるからまだいいのではないかと。
植爺が「コメディ」「ギャグ」だと思って書いている・演出している、ところでは寒い空気が流れて大変だけど。
出演者はがんばってます。はい。てか、あさこちゃんやかなみちゃんたちががんばっているからこそ、まだなんとかなってる。
がんばれ月組!
そのかとゆーひ。@ファンシー・ダンス
2007年1月9日 タカラヅカ ショーのとき、本舞台にいるゆーひくんをぼーーっと眺めていたら。
銀橋のあさこちゃんに、指さされました。
びびびびっくりしたっ。
「どこ見てんだ、オレを見ろよ」ってことですかっ?!
びっくりしたびっくりしたびっくりした。
そのあとしばらくは、心臓がどきどきしっぱなしで、落ち着かなかったよー!!
ゆーひくんを眺めるのはすでに習慣のようなもので。銀橋に誰がいようと、センターで誰がスポットライトをあびていようと、隅っこいるゆーひくんを見るのがわたしのスタンダード。
そーやって何年も何年も過ごしてきた。みんなが真ん中を向いているなか、ひとりだけ別の方向観ていることなんて日常だったさ。それでも、銀橋をひとり渡りしているトップスター様に指さされたことなんかなかったよ。すげーなあさこ、ああやって一本釣りしてるんだー。ほえー。
とゆーことで、ようやく観てきました、月組公演『パリの空よりも高く』『ファンシー・ダンス』。席は1階4列目サブセンターなり。
ショーで目を引いたのは、なんといってもそのか。
びっくりしたよ、彼の扱い。
芝居の方は「なんのために月組に来たんだ?」ってくらい、出番も意味もないんだけど、ショーの扱いの良さはびっくりだ。
ひとつの場面をはじめるにあたって、そのかひとりが登場して踊りまくる、なんて、どこの大スター様ですか?
「アイ・ワナ・ダンス」という場面、劇場で手に入るあらすじチラシに名前出てるよ、そのか! その場面で名前が記載されているのは、ゆーひとそのかのみ。って、スター扱いぢゃん、まぎれもなく!
たとえば宙組『ザ・クラシック−I LOVE CHOPIN−』でいうなら、チラシに名前が出るのはほっくん(4番手男役)まで。雪組『タランテラ!』でいうならキム(4番手男役)まで。
あ、あれ? あひくん、チラシに載ってねー!!
『ファンシー・ダンス』はあさこ、かなみん、ゆーひ、きりやん、そのか、で終わりだ。すすすすげー。
そのかわり、芝居の方は名前載ってないんだけど(笑)。
組替えご祝儀だとは思うけど、破格の扱いもいいとこだ……ぶるぶる。
うれしくてふるえるわ……。
そしてまた、その、そのかが。
踊る踊る、踊りまくる!!
すげー。
なんかどの場面を見てもそのかがいるよーな? 出番やたら多くない? げ、元気だな。
ひさしぶりに見る、そのか。
ただ純粋に、会えてうれしい。
『MIND TRAVELLER』でも『うたかたの恋』でも、そのかがいなくて寂しかったもの。
ひさしぶりのそのかは、なんかやたらとかっこよかった……。
目がギラギラ(キラキラにあらず・笑)してるー。
舞台に対しての欲は取り立てて感じないのに、「踊ること」に関しては意識のベクトルは、太くて強い。
どこか不器用な、無骨な男の子。
にしても、得意分野があるってすごいなー。
組替えしてきて、彼をまったく知らない人たちに対し、「ダンサーです、これだけ踊れますヨロシク!」と、カラダで表現できるもんなぁ。
芝居はそりゃ、声が高くて歌がアレで、いろいろいろいろハラハラしたけど(笑)、ショーで自己表現できるから安心したよー。
あと、なんかひさしぶりにきりやんのダンスをすごいと思った。
わたしのようなダンスの善し悪しのわからないドシロウトにさえ、「えっ、この人すごくね?」と思わせてくれるってことは、本人の技術も振付も今回突出しているのかなと思ってみたり。
あひくんがなんか悪役ばっかやっていて、個人的にツボる(笑)。がんばれあひくん。せっかくの容姿を活かさないテはない。悪役がキマるよーになれば大きな力になる。
……ボスなあひくんより、脇で踊っているそのかの方が眼力すげえと思うのは、わたしがそのかスキーだからでしょうか……。
ゆーひくんは、ええっと。
いつものゆーひくん(笑)。
なにが得意という人でもないんで、存在自体を愛でる。
抜群のスタイルと美貌、冷たさとくしゃっと崩れる笑顔。かっこいーなー、きれーだなー、かわいーなー。
場面の中心、とかをやっているゆーひくんに、まだ慣れない(笑)。ずっとずっと、隅っこにいた人だから。真ん中にいる、ことにわたしが慣れていないんだよー。落ち着かない、くすぐったい。
ただ、ゆーひくんがそのかにダンスを教える(導く?)役っていうのは、なんの冗談かと(笑)。スターって大変だよなー。その昔ワタルくんもキムに歌を教えるシーンがあったよなー。皮肉っつーか、ギャグっつーか。
そのかがまた、子犬のよーな目でキラキラとゆーひを見つめるのだわ。うわー。
わたしはただ、そのかとゆーひが並んでいることだけで、いっぱいいっぱいです。
多くのケロファンは、同じ気持ちを味わっているのではないかと。
武蔵をやっていたときほどそのかはケロに似ていないけれど、それでもやっぱり、あちこちでハッとするくらいには、似ているから。
若いケロと、大人のゆうひが並んで踊っている。
それだけで、痛くてせつなくて、そして幸福な空間だ。
好きであること、が、続いていく。
まさきは相変わらず戦闘意欲旺盛で目線攻撃すごかったけど、今回わたし、マギーに攻撃してもらえなかったの! たんに立ち位置の問題で、マギーがそばに来てくれなかっただけなんだけど、もう何公演もずーっとマギーに「オトすぜ攻撃」されつづけていたから、ないと寂しいわ。
『ファンシー・ダンス』はふつーにたのしかった。とくにどこがよかった、ということもないけれど、とくにどこが悪かったというほどのこともない。
大活躍のそのかと、かっこいーゆうひくんを見るためだけでも、たのしめる。
これで芝居がなくて、半額でショーだけ観られるなら、また観に行くんだけどなぁ。
銀橋のあさこちゃんに、指さされました。
びびびびっくりしたっ。
「どこ見てんだ、オレを見ろよ」ってことですかっ?!
びっくりしたびっくりしたびっくりした。
そのあとしばらくは、心臓がどきどきしっぱなしで、落ち着かなかったよー!!
ゆーひくんを眺めるのはすでに習慣のようなもので。銀橋に誰がいようと、センターで誰がスポットライトをあびていようと、隅っこいるゆーひくんを見るのがわたしのスタンダード。
そーやって何年も何年も過ごしてきた。みんなが真ん中を向いているなか、ひとりだけ別の方向観ていることなんて日常だったさ。それでも、銀橋をひとり渡りしているトップスター様に指さされたことなんかなかったよ。すげーなあさこ、ああやって一本釣りしてるんだー。ほえー。
とゆーことで、ようやく観てきました、月組公演『パリの空よりも高く』『ファンシー・ダンス』。席は1階4列目サブセンターなり。
ショーで目を引いたのは、なんといってもそのか。
びっくりしたよ、彼の扱い。
芝居の方は「なんのために月組に来たんだ?」ってくらい、出番も意味もないんだけど、ショーの扱いの良さはびっくりだ。
ひとつの場面をはじめるにあたって、そのかひとりが登場して踊りまくる、なんて、どこの大スター様ですか?
「アイ・ワナ・ダンス」という場面、劇場で手に入るあらすじチラシに名前出てるよ、そのか! その場面で名前が記載されているのは、ゆーひとそのかのみ。って、スター扱いぢゃん、まぎれもなく!
たとえば宙組『ザ・クラシック−I LOVE CHOPIN−』でいうなら、チラシに名前が出るのはほっくん(4番手男役)まで。雪組『タランテラ!』でいうならキム(4番手男役)まで。
あ、あれ? あひくん、チラシに載ってねー!!
『ファンシー・ダンス』はあさこ、かなみん、ゆーひ、きりやん、そのか、で終わりだ。すすすすげー。
そのかわり、芝居の方は名前載ってないんだけど(笑)。
組替えご祝儀だとは思うけど、破格の扱いもいいとこだ……ぶるぶる。
うれしくてふるえるわ……。
そしてまた、その、そのかが。
踊る踊る、踊りまくる!!
すげー。
なんかどの場面を見てもそのかがいるよーな? 出番やたら多くない? げ、元気だな。
ひさしぶりに見る、そのか。
ただ純粋に、会えてうれしい。
『MIND TRAVELLER』でも『うたかたの恋』でも、そのかがいなくて寂しかったもの。
ひさしぶりのそのかは、なんかやたらとかっこよかった……。
目がギラギラ(キラキラにあらず・笑)してるー。
舞台に対しての欲は取り立てて感じないのに、「踊ること」に関しては意識のベクトルは、太くて強い。
どこか不器用な、無骨な男の子。
にしても、得意分野があるってすごいなー。
組替えしてきて、彼をまったく知らない人たちに対し、「ダンサーです、これだけ踊れますヨロシク!」と、カラダで表現できるもんなぁ。
芝居はそりゃ、声が高くて歌がアレで、いろいろいろいろハラハラしたけど(笑)、ショーで自己表現できるから安心したよー。
あと、なんかひさしぶりにきりやんのダンスをすごいと思った。
わたしのようなダンスの善し悪しのわからないドシロウトにさえ、「えっ、この人すごくね?」と思わせてくれるってことは、本人の技術も振付も今回突出しているのかなと思ってみたり。
あひくんがなんか悪役ばっかやっていて、個人的にツボる(笑)。がんばれあひくん。せっかくの容姿を活かさないテはない。悪役がキマるよーになれば大きな力になる。
……ボスなあひくんより、脇で踊っているそのかの方が眼力すげえと思うのは、わたしがそのかスキーだからでしょうか……。
ゆーひくんは、ええっと。
いつものゆーひくん(笑)。
なにが得意という人でもないんで、存在自体を愛でる。
抜群のスタイルと美貌、冷たさとくしゃっと崩れる笑顔。かっこいーなー、きれーだなー、かわいーなー。
場面の中心、とかをやっているゆーひくんに、まだ慣れない(笑)。ずっとずっと、隅っこにいた人だから。真ん中にいる、ことにわたしが慣れていないんだよー。落ち着かない、くすぐったい。
ただ、ゆーひくんがそのかにダンスを教える(導く?)役っていうのは、なんの冗談かと(笑)。スターって大変だよなー。その昔ワタルくんもキムに歌を教えるシーンがあったよなー。皮肉っつーか、ギャグっつーか。
そのかがまた、子犬のよーな目でキラキラとゆーひを見つめるのだわ。うわー。
わたしはただ、そのかとゆーひが並んでいることだけで、いっぱいいっぱいです。
多くのケロファンは、同じ気持ちを味わっているのではないかと。
武蔵をやっていたときほどそのかはケロに似ていないけれど、それでもやっぱり、あちこちでハッとするくらいには、似ているから。
若いケロと、大人のゆうひが並んで踊っている。
それだけで、痛くてせつなくて、そして幸福な空間だ。
好きであること、が、続いていく。
まさきは相変わらず戦闘意欲旺盛で目線攻撃すごかったけど、今回わたし、マギーに攻撃してもらえなかったの! たんに立ち位置の問題で、マギーがそばに来てくれなかっただけなんだけど、もう何公演もずーっとマギーに「オトすぜ攻撃」されつづけていたから、ないと寂しいわ。
『ファンシー・ダンス』はふつーにたのしかった。とくにどこがよかった、ということもないけれど、とくにどこが悪かったというほどのこともない。
大活躍のそのかと、かっこいーゆうひくんを見るためだけでも、たのしめる。
これで芝居がなくて、半額でショーだけ観られるなら、また観に行くんだけどなぁ。
←ドリーさんの沖縄土産。
左がガラスの置物、右が貝でできたストラップ。
さすが沖縄! 大阪・東京で売ってなかったヒポキャンパス・グッズがふつーに売ってるなんて!!
つーことでついに、ヒポキャンパスらしいヒポキャンパスのグッズを手に入れました。
辰シール(from nanaタン)のついた携帯にタツノオトシゴのストラップ(from ドリーさん)を付け、まっつ写真(素顔。from 藻朗さん)を待ち受け画像にし、まっつまっつな人生を機嫌良く送っております。いやあ、ひとさまからの厚意のおかげで、2007年も緑野は生きていますよ。ありがとうありがとう。
さて、普段は買わない「歌劇」を、久しぶりに購入しました。
目当てはもちろん、まっつの振袖です。
たった1枚の写真のため(どうせ記事なんか読まないし)に雑誌1冊買う気満々だったんですが、ドリーさんが「読みたいところは読んだから、100円引きで譲ろうか」と言ってくれたので、ありがたく譲ってもらいました、やーん、100円引きのまっつ!(何故かツボる)
新年早々、薄幸さが漂うのがいいですな、まっつ振袖ポート。
儚げというか、不幸そうというか。影が薄いというか。
大変好みです。
ポートの並びは学年順+組順なので、まっつの次のページはキムくんです。まっつの辛気くさいページ(ひど)をめくると、キムくんがキラキラ輝いてます。
このギャップが素敵。うわー、キムくんふつーに女の子アイドルみたいだー、かわいー。
でも、どれだけ地味でもまっつがいいのだ。うん。
てゆーか、まっつだって地味だけどかわいいよね? きれーな女の子だよね、ポート。
学年順+組順なので、まっつの前のページは、1期上で宙組のともち。
ただひとり屋外撮影のともちは、気の毒に陽のまぶしさゆえに目が細くなってしまっている(同時撮影のスカステ「新春メッセージ」はともちひとり目が開いてなくてものすげー気の毒だ……考えて撮影しろよ歌劇団)。……でも、かわいい。かわいいってばよ。
ともちとまっつの写真が並んでいるのを見るとつい、このふたりで、ふつーのツーショットが見てぇと思ってしまう。
大きなともちと、小さなまっつ!
見たいよソレ、激しく見たい!
ともちとまっつと言えば、去年の博多初日、当日券に並んでいたときに聞いた話を思い出す。わたしがまっつファンだと言ったら、並びで一緒だった見知らぬ人が話してくれたんだ。
昔、自転車で通勤するまっつの前を、たまたまともちがファンの人たちと一緒に歩いていたんだって。
まっつは彼らを追い越すわけにもいかず、ベルを鳴らすわけにもいかず、ノロノロ運転でずーっと後ろをついていった、らしい。
ともちのあとをついてくまっつ!!
自転車ノロノロで!!
「まっつが、すごくかわいかった」と教えてくれたこのエピソードに、わたしは内心もだえました(笑)。わたしがともちファンだと知って、こんなオイシイ話をしてくれたんですか?!
ともちとまっつって! わたしのためにあるよーなエピソードをありがとう、博多の人よ!
「歌劇」のともちとまっつポートは、縮尺を替えて並べてあるので、どっちが大きいとかはわからなくなっています。はい。
まっつの話題は今年も募集中です。全国5万人のまっつファンが、ブログとがかんがんやってくれたらいいのに、と他力本願に思っています。
花組発売日もいつもの三番街に並びに行ったんですがね、600人しか並んでないっつーのに、444番引いちゃいましたよ、ははは、運がないですね。
しかし444って、素敵な数字だなぁ。
まっつまっつまっつ。
左がガラスの置物、右が貝でできたストラップ。
さすが沖縄! 大阪・東京で売ってなかったヒポキャンパス・グッズがふつーに売ってるなんて!!
つーことでついに、ヒポキャンパスらしいヒポキャンパスのグッズを手に入れました。
辰シール(from nanaタン)のついた携帯にタツノオトシゴのストラップ(from ドリーさん)を付け、まっつ写真(素顔。from 藻朗さん)を待ち受け画像にし、まっつまっつな人生を機嫌良く送っております。いやあ、ひとさまからの厚意のおかげで、2007年も緑野は生きていますよ。ありがとうありがとう。
さて、普段は買わない「歌劇」を、久しぶりに購入しました。
目当てはもちろん、まっつの振袖です。
たった1枚の写真のため(どうせ記事なんか読まないし)に雑誌1冊買う気満々だったんですが、ドリーさんが「読みたいところは読んだから、100円引きで譲ろうか」と言ってくれたので、ありがたく譲ってもらいました、やーん、100円引きのまっつ!(何故かツボる)
新年早々、薄幸さが漂うのがいいですな、まっつ振袖ポート。
儚げというか、不幸そうというか。影が薄いというか。
大変好みです。
ポートの並びは学年順+組順なので、まっつの次のページはキムくんです。まっつの辛気くさいページ(ひど)をめくると、キムくんがキラキラ輝いてます。
このギャップが素敵。うわー、キムくんふつーに女の子アイドルみたいだー、かわいー。
でも、どれだけ地味でもまっつがいいのだ。うん。
てゆーか、まっつだって地味だけどかわいいよね? きれーな女の子だよね、ポート。
学年順+組順なので、まっつの前のページは、1期上で宙組のともち。
ただひとり屋外撮影のともちは、気の毒に陽のまぶしさゆえに目が細くなってしまっている(同時撮影のスカステ「新春メッセージ」はともちひとり目が開いてなくてものすげー気の毒だ……考えて撮影しろよ歌劇団)。……でも、かわいい。かわいいってばよ。
ともちとまっつの写真が並んでいるのを見るとつい、このふたりで、ふつーのツーショットが見てぇと思ってしまう。
大きなともちと、小さなまっつ!
見たいよソレ、激しく見たい!
ともちとまっつと言えば、去年の博多初日、当日券に並んでいたときに聞いた話を思い出す。わたしがまっつファンだと言ったら、並びで一緒だった見知らぬ人が話してくれたんだ。
昔、自転車で通勤するまっつの前を、たまたまともちがファンの人たちと一緒に歩いていたんだって。
まっつは彼らを追い越すわけにもいかず、ベルを鳴らすわけにもいかず、ノロノロ運転でずーっと後ろをついていった、らしい。
ともちのあとをついてくまっつ!!
自転車ノロノロで!!
「まっつが、すごくかわいかった」と教えてくれたこのエピソードに、わたしは内心もだえました(笑)。わたしがともちファンだと知って、こんなオイシイ話をしてくれたんですか?!
ともちとまっつって! わたしのためにあるよーなエピソードをありがとう、博多の人よ!
「歌劇」のともちとまっつポートは、縮尺を替えて並べてあるので、どっちが大きいとかはわからなくなっています。はい。
まっつの話題は今年も募集中です。全国5万人のまっつファンが、ブログとがかんがんやってくれたらいいのに、と他力本願に思っています。
花組発売日もいつもの三番街に並びに行ったんですがね、600人しか並んでないっつーのに、444番引いちゃいましたよ、ははは、運がないですね。
しかし444って、素敵な数字だなぁ。
まっつまっつまっつ。
とりあえず歌劇団を悪者にしてみる。@Hallelujah GO!GO!
2007年1月7日 タカラヅカ 『Hallelujah GO!GO!』が、お正月公演でよかった。新年明けてすぐの公演でよかった。
おかげでなんて幸福な1年のはじまり。
「タカラヅカがダイスキだ」
と、目をキラキラさせて宣言できるよーな、愛しい物語から、新しい年をはじめられてしあわせだ。
だけど。
作品の完成度からすれば、お正月公演でなければよかった。
とゆーのもだ。
デニス・ジュニア@れおん2役の存在って、いらんやろ?
デニス・ジュニアが語る「父の話」で幕を開け、ラストシーンはデニス・ジュニアの結婚式。
だけど物語自体は、デニスのもの。
それまでずーっとデニスとブレンダ@ウメに感情移入して観劇してきて、ラストで思い切り拍子抜け。
えっ?! 主人公、変わっちゃったの?!!
誰よアンタ、デニス・ジュニアの花嫁は彼の母親にそっくり、って、ウメちゃんがウェディングドレスで登場……って、んなバカな!!
祝福している友人たちは、同一人物? それともそれぞれのジュニアたち?
わたしが愛し、見守ってきた人々はどこ?!
……これは反則だろ。
デニスの物語であり、ブレンダとの恋を丹念に描いてきたのに、何故最後でソレを全部ぶちこわすんだ?
デニスもブレンダも、出てこないんだよ。知らない人=デニス・ジュニアとその嫁で終わるの。
口ぽかーん……。
主役変更にちゃんと計算があり、それゆえに感動を大きくすることができるなら、やってもいいさ。
でも、この作品のめちゃくちゃな主役変更の意図って、「2007年のお正月公演だから」ってだけでしょ?!!
電飾に「2007」って書きたかった。……ソレだけのために、2時間デニスの物語を見てきたにもかかわらず、ハッピーエンド、ハッピーウェディングはデニスではなく、デニス・ジュニア。
馬鹿げてる。
またコレが、ものすごーく無理矢理こじつけているのが、丸見えなのね。
うまく処理してくれりゃーいいのに、粗しかないときたもんだ。
やめときゃいいのに。
せっかくのお約束だけど気持ちのいいかわいい物語を、つまらないことで自分でぶちこわして。
「ヘイズ・コード」とか「シークレット・ハンター」とか、『ヘイズ・コード』の大野先生がやったのと同じ遊びをここでもやるんだけど、ものすごーく無理矢理だしな。
稲葉先生、内輪受けと仕事は区別しようよ。かっこわるいっす。
お正月公演でなければよかった。
そうすればコレ、デニス・ジュニアなんて存在しなかったんでしょう?
ちゃんとデニスの語りからはじまり、最後はデニスとブレンダの結婚式で終わりだよね?
1975年から、無意味に2007年へ舞台を飛ばさなくてはならなかったから、ただそれだけのためにデニス・ジュニアを作ったんだよね?
「作品」を愛したいから、そんなバカなことはしないでほしかった。
いくら同じ役者だからって、「知らない人」がいきなり出てきて終わりはひどいよ。それも、愛して見守ってきた主役はちゃんと生きているのに、会話に出てくるだけで出てこないの。
どーしても2007年にして、成功したデニス・ジュニアの話をしたいっていうなら、デニスとブレンダも出せよ。年を取ったふたりを出せ。だって彼らが主役なんだから。
最後までわたしは、期待していた。
年を取ったふたりが出てくることを。ふたりの愛があったからこそ、息子のデニス・ジュニアがこんなにも今幸福そうに輝いているのだと、それを見守るふたりが登場することを、最後の最後まで期待していた。
喧噪が遠ざかり、中年になったデニスとブレンダが現れる。パーティに盛り上がる若者たちの方向を眺めながら、男泣きするデニスをブレンダが抱きしめる。
顔は見せなくていい。白髪まじりのカツラと大人らしい服装だけでいい。
デニスとブレンダ、を見せてくれ。主役は彼らなんだから。
そーでないとおかしいから。
あまりに不誠実だから。顔さえ同じ、役者さえ同じなら、誰でもいいだろ、なんて作品に対しても観客に対しても、失礼過ぎる。
たかが「2007年」って電飾を使うためだけに、「ヘイズ・コード」ってお遊びを言うためだけに、知らない人の結婚式を見せられて終わり、なんてありえないって!
がっくり、と、肩を落とした。
いなばっち、けっこーバカ……?
遊ぶためだけに、作品の質を落とすって、ありえねー。
それともナニ、歌劇団のエライ人が無理難題をふっかけたの?
エライ人「2007年のお正月公演だ。2007年から物語がはじまるようにしなさい」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! どうやって30年以上もあとから話をはじめるんです?」
「そうか、できないのか。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。2007年からはじめます」
で、2007年デニス・ジュニア(ここだけ登場の脇役)が「父(=主役)の話をする」という形を無理矢理あとから付け加えた。
エライ人「はじまりだけじゃダメだな、終わりも2007年にしなさい。2007年のお正月公演なんだから」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! なんのために30年以上もあとの話にするんです?!」
「息子の話からはじまるんだろう、その息子に話を戻せばいいだけのことじゃないか」
「息子は主人公ではありません。ただのナレーターです。下級生にやらせる予定です。ラストシーンを下級生で締めさせることになりますよ」
「主役の柚希にやらせればいいじゃないか。主役とその息子が同じ顔でも問題ない」
「顔の問題はなくても、主役とその息子は別人です、別人格です。主役は主役として物語を締める義務があります。最後で主役が出なくなるなんて、ありえません」
「出なくなる? 柚希は息子役で出ているじゃないか」
「息子役は息子役であって、主役ではありません!」
「柚希さえ出ていればどうでもいいだろう、そんなこと」
「柚希がそれまで演じてきた主役の立場はどうなるんですか」
「柚希はちゃんと舞台の真ん中で、舞台を締めて終わる。キミがなにを言っているのかわからんね。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。息子を柚希の2役にして、息子のいる2007年で締めます」
てなことがあった結果、作品がぶっこわれた、と。
無惨な横槍が入ったために壊れた、としか思えないもん。あまりにひどい、無意味なコワレ方で。
お正月公演でさえなかったら、劇団のエライ人もこんなめちゃくちゃなこと言わなかっただろうに、大変だったね、いなばっち。
無理難題を押しつけられたための回避方法で仕方なくやったにしろ、やり方がまずかったねー。
2007年、中年になったデニスとブレンダが、「自分たちはもう人生引退だ、若い者たちに譲ろう」なんてしみじみやっているところに、昔のままの仲間たち登場、デニスとブレンダも白髪のカツラを投げ捨てて、若い姿になって歌い踊って完。とかでよかったのに。
「れおんが出てるんだから、デニスでもデニス・ジュニアでもどーでもいい」なんて、不誠実な壊れたことをしなくても、2007年のお正月公演らしい締め方ができたのになー。
や、作者が壊したラストシーンは、正直かなりあきれましたが、それでもソコをうやむやにして盛り上がれるくらいには、たのしくて大好きな物語ですよ、『Hallelujah GO!GO!』。
おかげでなんて幸福な1年のはじまり。
「タカラヅカがダイスキだ」
と、目をキラキラさせて宣言できるよーな、愛しい物語から、新しい年をはじめられてしあわせだ。
だけど。
作品の完成度からすれば、お正月公演でなければよかった。
とゆーのもだ。
デニス・ジュニア@れおん2役の存在って、いらんやろ?
デニス・ジュニアが語る「父の話」で幕を開け、ラストシーンはデニス・ジュニアの結婚式。
だけど物語自体は、デニスのもの。
それまでずーっとデニスとブレンダ@ウメに感情移入して観劇してきて、ラストで思い切り拍子抜け。
えっ?! 主人公、変わっちゃったの?!!
誰よアンタ、デニス・ジュニアの花嫁は彼の母親にそっくり、って、ウメちゃんがウェディングドレスで登場……って、んなバカな!!
祝福している友人たちは、同一人物? それともそれぞれのジュニアたち?
わたしが愛し、見守ってきた人々はどこ?!
……これは反則だろ。
デニスの物語であり、ブレンダとの恋を丹念に描いてきたのに、何故最後でソレを全部ぶちこわすんだ?
デニスもブレンダも、出てこないんだよ。知らない人=デニス・ジュニアとその嫁で終わるの。
口ぽかーん……。
主役変更にちゃんと計算があり、それゆえに感動を大きくすることができるなら、やってもいいさ。
でも、この作品のめちゃくちゃな主役変更の意図って、「2007年のお正月公演だから」ってだけでしょ?!!
電飾に「2007」って書きたかった。……ソレだけのために、2時間デニスの物語を見てきたにもかかわらず、ハッピーエンド、ハッピーウェディングはデニスではなく、デニス・ジュニア。
馬鹿げてる。
またコレが、ものすごーく無理矢理こじつけているのが、丸見えなのね。
うまく処理してくれりゃーいいのに、粗しかないときたもんだ。
やめときゃいいのに。
せっかくのお約束だけど気持ちのいいかわいい物語を、つまらないことで自分でぶちこわして。
「ヘイズ・コード」とか「シークレット・ハンター」とか、『ヘイズ・コード』の大野先生がやったのと同じ遊びをここでもやるんだけど、ものすごーく無理矢理だしな。
稲葉先生、内輪受けと仕事は区別しようよ。かっこわるいっす。
お正月公演でなければよかった。
そうすればコレ、デニス・ジュニアなんて存在しなかったんでしょう?
ちゃんとデニスの語りからはじまり、最後はデニスとブレンダの結婚式で終わりだよね?
1975年から、無意味に2007年へ舞台を飛ばさなくてはならなかったから、ただそれだけのためにデニス・ジュニアを作ったんだよね?
「作品」を愛したいから、そんなバカなことはしないでほしかった。
いくら同じ役者だからって、「知らない人」がいきなり出てきて終わりはひどいよ。それも、愛して見守ってきた主役はちゃんと生きているのに、会話に出てくるだけで出てこないの。
どーしても2007年にして、成功したデニス・ジュニアの話をしたいっていうなら、デニスとブレンダも出せよ。年を取ったふたりを出せ。だって彼らが主役なんだから。
最後までわたしは、期待していた。
年を取ったふたりが出てくることを。ふたりの愛があったからこそ、息子のデニス・ジュニアがこんなにも今幸福そうに輝いているのだと、それを見守るふたりが登場することを、最後の最後まで期待していた。
喧噪が遠ざかり、中年になったデニスとブレンダが現れる。パーティに盛り上がる若者たちの方向を眺めながら、男泣きするデニスをブレンダが抱きしめる。
顔は見せなくていい。白髪まじりのカツラと大人らしい服装だけでいい。
デニスとブレンダ、を見せてくれ。主役は彼らなんだから。
そーでないとおかしいから。
あまりに不誠実だから。顔さえ同じ、役者さえ同じなら、誰でもいいだろ、なんて作品に対しても観客に対しても、失礼過ぎる。
たかが「2007年」って電飾を使うためだけに、「ヘイズ・コード」ってお遊びを言うためだけに、知らない人の結婚式を見せられて終わり、なんてありえないって!
がっくり、と、肩を落とした。
いなばっち、けっこーバカ……?
遊ぶためだけに、作品の質を落とすって、ありえねー。
それともナニ、歌劇団のエライ人が無理難題をふっかけたの?
エライ人「2007年のお正月公演だ。2007年から物語がはじまるようにしなさい」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! どうやって30年以上もあとから話をはじめるんです?」
「そうか、できないのか。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。2007年からはじめます」
で、2007年デニス・ジュニア(ここだけ登場の脇役)が「父(=主役)の話をする」という形を無理矢理あとから付け加えた。
エライ人「はじまりだけじゃダメだな、終わりも2007年にしなさい。2007年のお正月公演なんだから」
いなばっち「無理ですよ! 物語の舞台は、1975年なんですよ?! なんのために30年以上もあとの話にするんです?!」
「息子の話からはじまるんだろう、その息子に話を戻せばいいだけのことじゃないか」
「息子は主人公ではありません。ただのナレーターです。下級生にやらせる予定です。ラストシーンを下級生で締めさせることになりますよ」
「主役の柚希にやらせればいいじゃないか。主役とその息子が同じ顔でも問題ない」
「顔の問題はなくても、主役とその息子は別人です、別人格です。主役は主役として物語を締める義務があります。最後で主役が出なくなるなんて、ありえません」
「出なくなる? 柚希は息子役で出ているじゃないか」
「息子役は息子役であって、主役ではありません!」
「柚希さえ出ていればどうでもいいだろう、そんなこと」
「柚希がそれまで演じてきた主役の立場はどうなるんですか」
「柚希はちゃんと舞台の真ん中で、舞台を締めて終わる。キミがなにを言っているのかわからんね。できないなら上演中止だ、キミは演出助手からやりなおしたまえ」
「……わかりました。息子を柚希の2役にして、息子のいる2007年で締めます」
てなことがあった結果、作品がぶっこわれた、と。
無惨な横槍が入ったために壊れた、としか思えないもん。あまりにひどい、無意味なコワレ方で。
お正月公演でさえなかったら、劇団のエライ人もこんなめちゃくちゃなこと言わなかっただろうに、大変だったね、いなばっち。
無理難題を押しつけられたための回避方法で仕方なくやったにしろ、やり方がまずかったねー。
2007年、中年になったデニスとブレンダが、「自分たちはもう人生引退だ、若い者たちに譲ろう」なんてしみじみやっているところに、昔のままの仲間たち登場、デニスとブレンダも白髪のカツラを投げ捨てて、若い姿になって歌い踊って完。とかでよかったのに。
「れおんが出てるんだから、デニスでもデニス・ジュニアでもどーでもいい」なんて、不誠実な壊れたことをしなくても、2007年のお正月公演らしい締め方ができたのになー。
や、作者が壊したラストシーンは、正直かなりあきれましたが、それでもソコをうやむやにして盛り上がれるくらいには、たのしくて大好きな物語ですよ、『Hallelujah GO!GO!』。
そのうち行こうと思いつつ、チケット持ってなかったからいつ行くか、まったく未定だった『Hallelujah GO!GO!』。
ドリーさんが「観ようよ」と誘ってくれたので、尻尾を振ってムラへ駆けつけた。……これでサバキ取れなかったら悲惨だったよ、ありがとありがと。
いつものことだが、出演者すら知りません。どーゆー話なのかも知りません。
素敵ポスターの、トラボルタみたいなれおんと、腰つき目つきがエライことになっているウメちゃん以外、なにもわからない。
ドリーさんはプログラムを買う人なんで、はじまる前にチラ見させてもらいました。わたしは予備知識いらぬ人なんで、出演者写真のみ眺める。あらすじも役名もチェックしない。
「星組って今、『ヘイズ・コード』やってるからねぇ」
「あっちがアレだけ濃いからなー、バウにはもう人残ってないんじゃ……?」
なんて言いながら、ページをめくって。
英真なおき
朝峰ひかり
美稀千種
百花沙里
の、並びにめまいを感じる。
「星組って、濃いね……」
「『ヘイズ・コード』があれだけ濃いのに、組をふたつに割ってなお、バウもこれだけ濃いのね……」
星組万歳。すげーよヲイ。
実際、濃かった……。
時は1975年、ディスコ全盛期のノリとやらを濃い〜〜星組っ子たちが、濃ゆ〜〜く踊りまくる。
とくに、みきちぐ。
「ねえ、どうしてここにジュンタンがいないの?」
「サトリちゃんもだよ! ちぐ担、見に来なきゃダメだろ!」
幕間からすでに、ちーくんの話題で盛り上がるってばよ。
レトロな設定の舞台の中でも、群を抜いてレトロな佇まい(笑)の、ルイス@みきちぐ。
突き抜けたファッション、ハートフルでまぬけなお笑いキャラ。とにかく、うまい。
安定した力、流れがちな空気を修正する力。……みきちぐ、かっけー!!
グロリア@きんさんの存在感、ちと嫌味で偏見のあるマダム、堅物ママ、だけどなんとも愛すべきやわらかさと情を持つ女性を、お約束を持って演じきっている。あああ、うまいなー。かわいいなー。
カルロスとDJ、2役の英真組長……愛すべきオヤジをやると、どーしてああもかわいいのかしら。頑固オヤジっぷりより、ラストのくだけっぷりがスキだし、それよりさらにさらにDJの違和感なさがイイ。
ほらわたし、『MIND TRAVELLER』でいろいろ微妙なDJを見たところだからさ……年齢は倍ほどチガウはずなのに、英真さんのDJの方が自然で若かったような……ゲフンゲフン。
ペネロペ@ももさりは、やはり啖呵切るために彼女がこの役なんですか……? かっこいーっす、踊っていても濃いぃっす。
アンソニー@天霧くんとジラ@ゆっち、ジェフ@七風くんとソフィ@梅園紗千のWカップルもかわいい。
天霧・七風のふたりは、いい感じで進化してるよなあ……どこまで行っちゃうんだろうこいつら(笑)。
男ふたりはバカっぽいけど、女の子たちはしっかりしてそうなのがまたツボ。ジラはコケティッシュで、ソフィはおねーさんっぽい?
歌いまくりのリンダ@花愛瑞穂ちゃん、声がかっこいい。エンカレで聴いたときよりずっとずっとよくなってるよね?
どこにいてもわたしの目を奪う大輝真琴(笑)、喋ってるよ、役ついてるよ! ……て、全員役ついてるんだけど、彼がちゃんと演技しているのが新鮮だー。
大輝くんはとにかく顔が目立つので、モブに向かない。デニス@れおんの弟くんなんだけど、モブとしてディスコの客をやっていたりするから、「真面目な弟くんがディスコに?!」と混乱しちゃうよぅ。
モニカ@蒼乃夕妃ちゃんは余裕の巧さ。
ただし、でかい。
縦にも横にも、大きいなあ……しみじみ。押し出しの良さは武器だよね。
相手役がれおんだとか和くんだとか、でかい男たちでよかったよね。
ブライアン@和くんは、地味でした(笑)。
この子、星組に来てから地味一直線だなぁ。もちろん今回は役のせいだけど。にしても、地味だよな……。ゲフンゲフン。
でも、不器用なやさしさがイイ。ああ、この子スキ、と思わせる温度を持っている。
ガイ@ゆかりは……大変だな。
ゆかりくんが、美貌以外なにも持たない人だということが、よーっくわかる(笑)。芸風自体はかなりりせ@花組風だと思うんだが……。
でもそれすら「味」になってるよな。
脚本が、ガイに関してはアレレな描き方になっているんで、そのあおりを食っているってのもあるんだが、それにしても大変だよなー。演じてるのがゆかりだもんなー。
いやはや、それでも愛しいぞ、ゆかりくん。持ち味で勝負できる役以外はなにもできないとしても(笑)、ダイスキだ。
歌がこれまたものすげーことになっていても、ダンスがかなりヤヴァめでも、そこにいてくれるだけで眼福眼福、美しいってばよー!!
一緒に観劇し、幕間ではまずみきちぐのこと、次にウメちゃん、終演後はウメちゃん絶賛で終始した、わたしとドリーさん。
もーもー、ほんとにブレンダ@ウメちゃんが素敵なの。
最初のダンシング・ファムファタール、「クィーン」ぶりも素敵だったけれど、次の登場、お堅いお嬢様として登場したときの素晴らしさ。
なんの前振りもなく、舞台の奥の方にコーラス隊として数人口で登場。あー、きんさんがいる、ブライアンの身体の弱い妹ってのがこの子かぁ、へー…………(間)…………あれ? あれって、ウメじゃねー?
わたしだけじゃないよ。
わたし、後方席で観劇してたんで、客席のオペラグラス使いがわりと目に入るのね。
わたしと同じタイミングで、みんなオペラあげるんだもん。
ウメが登場してすぐ、ではなく、コーラス隊が登場してしばらくは油断してぼーっと眺めていて、突然「え?」てな感じでオペラをのぞく。
ウメちゃんに気づいて、あわてて確認してるの。
別人ぶりに、感動。
クィーン姿が嘘くさいまでに派手で、そしてまたキュートに似合っていただけに、露出の極端に少ない地味なワンピースのお嬢様ぶりがもぉ。
すごいよウメちゃん。
心、がしっかりと感じられる演技。
繊細でありながら、華のある演技ができる女の子。ほんとにほんとに、成長したよね。自慢の娘だ。(何故わたしが自慢する?!)
そしてなにより、そのスタイル!!
なにを着ていても、美しさが栄えるのなんのって!
地味服だって、はじけたドレスだって、美しすぎ。動くフィギュアだよこの子! バービー人形だよ!!
「ウメかわい〜〜!!」
と叫ぶだけで、いくらでも喋れてしまうよ。
ウメの相手役として、れおんくんはほんと似合いの男の子だー。
デニス@れおん、等身大のふつーの男の子っぷりが素敵。
無神経だった彼が、気づき、傷つき、悩んで立ち上がるさまが、嫌味なくすすんでいく。れおんのあたたかい、洗練されていない持ち味(ほめてます)が、いい感じでまんま出ている。
ただ、いつものれおんなので、発見はナシ。あ、今回いつもよりさらに脚が長く見えたなー。
ミラーボールで電飾ギラギラ、腰振り股開きイェイイェイの世界観でも、イヤらしくも恥ずかしすぎることもないのがれおんなんだろーな。これをらんとむ氏が演じていたら、恥ずかしくて悶絶したと思う。
もっと突き抜けてくれてもいいくらいだー。
もっとアツく、もっとクドく、もっと星組らしく!!
ポスターのノリまんまを追求してヨシ!!
……もうこれで、れおんとウメの並びを、てゆーか星組のウメが見られなくなることが、さみしい。
宙に行ってももちろん応援するけれど、星娘のウメを今は精一杯見つめたい。
濃くて濃くて、ギトギトな星組よ。少人数でもギラギラな星組よ。
みんな誰ひとり、モブキャラがいないよー。みんなみんな個性強すぎだよー。
そのままそのまま、爆走してくれ。そのノリがダイスキだ。
ドリーさんが「観ようよ」と誘ってくれたので、尻尾を振ってムラへ駆けつけた。……これでサバキ取れなかったら悲惨だったよ、ありがとありがと。
いつものことだが、出演者すら知りません。どーゆー話なのかも知りません。
素敵ポスターの、トラボルタみたいなれおんと、腰つき目つきがエライことになっているウメちゃん以外、なにもわからない。
ドリーさんはプログラムを買う人なんで、はじまる前にチラ見させてもらいました。わたしは予備知識いらぬ人なんで、出演者写真のみ眺める。あらすじも役名もチェックしない。
「星組って今、『ヘイズ・コード』やってるからねぇ」
「あっちがアレだけ濃いからなー、バウにはもう人残ってないんじゃ……?」
なんて言いながら、ページをめくって。
英真なおき
朝峰ひかり
美稀千種
百花沙里
の、並びにめまいを感じる。
「星組って、濃いね……」
「『ヘイズ・コード』があれだけ濃いのに、組をふたつに割ってなお、バウもこれだけ濃いのね……」
星組万歳。すげーよヲイ。
実際、濃かった……。
時は1975年、ディスコ全盛期のノリとやらを濃い〜〜星組っ子たちが、濃ゆ〜〜く踊りまくる。
とくに、みきちぐ。
「ねえ、どうしてここにジュンタンがいないの?」
「サトリちゃんもだよ! ちぐ担、見に来なきゃダメだろ!」
幕間からすでに、ちーくんの話題で盛り上がるってばよ。
レトロな設定の舞台の中でも、群を抜いてレトロな佇まい(笑)の、ルイス@みきちぐ。
突き抜けたファッション、ハートフルでまぬけなお笑いキャラ。とにかく、うまい。
安定した力、流れがちな空気を修正する力。……みきちぐ、かっけー!!
グロリア@きんさんの存在感、ちと嫌味で偏見のあるマダム、堅物ママ、だけどなんとも愛すべきやわらかさと情を持つ女性を、お約束を持って演じきっている。あああ、うまいなー。かわいいなー。
カルロスとDJ、2役の英真組長……愛すべきオヤジをやると、どーしてああもかわいいのかしら。頑固オヤジっぷりより、ラストのくだけっぷりがスキだし、それよりさらにさらにDJの違和感なさがイイ。
ほらわたし、『MIND TRAVELLER』でいろいろ微妙なDJを見たところだからさ……年齢は倍ほどチガウはずなのに、英真さんのDJの方が自然で若かったような……ゲフンゲフン。
ペネロペ@ももさりは、やはり啖呵切るために彼女がこの役なんですか……? かっこいーっす、踊っていても濃いぃっす。
アンソニー@天霧くんとジラ@ゆっち、ジェフ@七風くんとソフィ@梅園紗千のWカップルもかわいい。
天霧・七風のふたりは、いい感じで進化してるよなあ……どこまで行っちゃうんだろうこいつら(笑)。
男ふたりはバカっぽいけど、女の子たちはしっかりしてそうなのがまたツボ。ジラはコケティッシュで、ソフィはおねーさんっぽい?
歌いまくりのリンダ@花愛瑞穂ちゃん、声がかっこいい。エンカレで聴いたときよりずっとずっとよくなってるよね?
どこにいてもわたしの目を奪う大輝真琴(笑)、喋ってるよ、役ついてるよ! ……て、全員役ついてるんだけど、彼がちゃんと演技しているのが新鮮だー。
大輝くんはとにかく顔が目立つので、モブに向かない。デニス@れおんの弟くんなんだけど、モブとしてディスコの客をやっていたりするから、「真面目な弟くんがディスコに?!」と混乱しちゃうよぅ。
モニカ@蒼乃夕妃ちゃんは余裕の巧さ。
ただし、でかい。
縦にも横にも、大きいなあ……しみじみ。押し出しの良さは武器だよね。
相手役がれおんだとか和くんだとか、でかい男たちでよかったよね。
ブライアン@和くんは、地味でした(笑)。
この子、星組に来てから地味一直線だなぁ。もちろん今回は役のせいだけど。にしても、地味だよな……。ゲフンゲフン。
でも、不器用なやさしさがイイ。ああ、この子スキ、と思わせる温度を持っている。
ガイ@ゆかりは……大変だな。
ゆかりくんが、美貌以外なにも持たない人だということが、よーっくわかる(笑)。芸風自体はかなりりせ@花組風だと思うんだが……。
でもそれすら「味」になってるよな。
脚本が、ガイに関してはアレレな描き方になっているんで、そのあおりを食っているってのもあるんだが、それにしても大変だよなー。演じてるのがゆかりだもんなー。
いやはや、それでも愛しいぞ、ゆかりくん。持ち味で勝負できる役以外はなにもできないとしても(笑)、ダイスキだ。
歌がこれまたものすげーことになっていても、ダンスがかなりヤヴァめでも、そこにいてくれるだけで眼福眼福、美しいってばよー!!
一緒に観劇し、幕間ではまずみきちぐのこと、次にウメちゃん、終演後はウメちゃん絶賛で終始した、わたしとドリーさん。
もーもー、ほんとにブレンダ@ウメちゃんが素敵なの。
最初のダンシング・ファムファタール、「クィーン」ぶりも素敵だったけれど、次の登場、お堅いお嬢様として登場したときの素晴らしさ。
なんの前振りもなく、舞台の奥の方にコーラス隊として数人口で登場。あー、きんさんがいる、ブライアンの身体の弱い妹ってのがこの子かぁ、へー…………(間)…………あれ? あれって、ウメじゃねー?
わたしだけじゃないよ。
わたし、後方席で観劇してたんで、客席のオペラグラス使いがわりと目に入るのね。
わたしと同じタイミングで、みんなオペラあげるんだもん。
ウメが登場してすぐ、ではなく、コーラス隊が登場してしばらくは油断してぼーっと眺めていて、突然「え?」てな感じでオペラをのぞく。
ウメちゃんに気づいて、あわてて確認してるの。
別人ぶりに、感動。
クィーン姿が嘘くさいまでに派手で、そしてまたキュートに似合っていただけに、露出の極端に少ない地味なワンピースのお嬢様ぶりがもぉ。
すごいよウメちゃん。
心、がしっかりと感じられる演技。
繊細でありながら、華のある演技ができる女の子。ほんとにほんとに、成長したよね。自慢の娘だ。(何故わたしが自慢する?!)
そしてなにより、そのスタイル!!
なにを着ていても、美しさが栄えるのなんのって!
地味服だって、はじけたドレスだって、美しすぎ。動くフィギュアだよこの子! バービー人形だよ!!
「ウメかわい〜〜!!」
と叫ぶだけで、いくらでも喋れてしまうよ。
ウメの相手役として、れおんくんはほんと似合いの男の子だー。
デニス@れおん、等身大のふつーの男の子っぷりが素敵。
無神経だった彼が、気づき、傷つき、悩んで立ち上がるさまが、嫌味なくすすんでいく。れおんのあたたかい、洗練されていない持ち味(ほめてます)が、いい感じでまんま出ている。
ただ、いつものれおんなので、発見はナシ。あ、今回いつもよりさらに脚が長く見えたなー。
ミラーボールで電飾ギラギラ、腰振り股開きイェイイェイの世界観でも、イヤらしくも恥ずかしすぎることもないのがれおんなんだろーな。これをらんとむ氏が演じていたら、恥ずかしくて悶絶したと思う。
もっと突き抜けてくれてもいいくらいだー。
もっとアツく、もっとクドく、もっと星組らしく!!
ポスターのノリまんまを追求してヨシ!!
……もうこれで、れおんとウメの並びを、てゆーか星組のウメが見られなくなることが、さみしい。
宙に行ってももちろん応援するけれど、星娘のウメを今は精一杯見つめたい。
濃くて濃くて、ギトギトな星組よ。少人数でもギラギラな星組よ。
みんな誰ひとり、モブキャラがいないよー。みんなみんな個性強すぎだよー。
そのままそのまま、爆走してくれ。そのノリがダイスキだ。
幸福な2007年。@Hallelujah GO!GO!
2007年1月5日 タカラヅカ
←ポスターと「満員御礼」シールの字体がみょーにマッチ。
なにかに似てる……なにかを思い出す……と考えて。
「そうか、デコトラだ!」
このノリ、このセンス、そしてトドメのこの字体。デコトラだ。
「デコトラ! たしかに!!」
「デコトラだよねー」
と、ポスター1枚、シール1枚で盛り上がる。なんて幸福な2007年ヅカ初め。
1年の計は元旦にあり、なにごとも最初が肝心、今年1年の幸福なヅカファン生活のためにも縁起を担ぎ、「植爺作品で2007年ヅカ初めは回避」しました。
つーことで、チケットもないのにムラへGO!
ナニ気にチケ難公演、いつもの場所も門の前も財布持って待っている人ばかり。
ドリーさんにサバキGETしてもらい、満員御礼のバウホールへ。
柚木礼音主演『Hallelujah GO!GO!』。
最高にしあわせな物語でした。
ドリーさんとふたり、幕間から「泣いた」「泣けるよねっ」と盛り上がる。
ええ。
わたしは、なんかすごーく、ダラダラと長期間泣き通しでした。
物語は単純。
高校を出たあとなにをするでもなく、ただ自分が気持ちいいことだけしてイキがっている自己中な青年が、ひとりの女の子と出会うことで夢とか将来とか、親とか友だちとか、「自分」以外の「他人」のことを考えられる人間に成長する。
て、ソレだけ。すっげーお約束。定番。シンプル。
でもソレがね。
ものすごーくやさしい目線で描かれているの。
自己中で、世界が自分だけで閉じている青年デニス@れおん。
でもべつに彼は特殊ではない。きっとどこにでもいる、ふつーの男の子。
だって彼には仲間がいる。
親友がいて、つきあっている女の子もいる。
ほんとうに自分勝手な人間なら、周りに人がいるはずもない。
デニスは人気者で、俺様で、強引なキャラを認められ愛されている。
たぶんそれは、彼の周囲の若者たちもまた彼と似たり寄ったりのパーソナリティだっつーこともあるんだろう。
今がたのしければいい。自己中基本で横柄で傲慢。言動がイタイのは若いから。自分のことに夢中で、他人なんか見ているヒマはない。だからひとりひとりがイタくても無問題。みんな自分のことで精一杯。
言動がイタイ、というのは、植爺のような「人としてありえないイタさ。やってはいけないイタさ」ではないよ。
なんの根拠もなく夢を叶えられると信じていたり、しあわせな未来が待っていると信じていたり、「ここでないどこかへ行けば、なにもかもうまくいく」と思っていたりすること。そーゆー「イタさ」。
「若い」という、そのもののイタさ。
そんな、未熟であるがゆえのイタさに満ちあふれたデニスくんは、ある日行きつけのディスコ「CODE」で謎の少女@ウメに出会う。
はじめて会うのに、ダンスの息がぴったり。ひとりで踊るだけでは知りようもなかった興奮。まさに運命の人。
名前も教えず消えてしまった彼女を追って、デニスは街中を探し回る。
デニスにとって、「世界」は閉じたモノだった。
自分のいる場所、いて気持ちいい場所はすでに決まっていて、そこで不満をこぼしながらもぬるま湯生活をしていればよかったんだ。「いつかこの町を出てBIGになってやる」と言いながら、結局はナニもしないでいる、「安全な、閉じた世界」。
なにも言わなくてもなぁなぁでつきあっていける仲間、そして恋人。自宅生活だから、金銭的にも切羽詰まっていない。
そんな彼が、「はじめて見た外の世界」が、謎の少女だった。
閉じた世界の内側で満足していたはずなのに、デニスは少女を追う。探す。
ウサギを追いかけた、不思議の国のアリスのように。
なぁなぁで生きてきた彼は、なにかをこんなに必死に求めたことなんかない。
そのために、なぁなぁでつきあってきた恋人モニカ@蒼乃夕妃ちゃんとも別れた。
ようやく見付けた運命の彼女は、教会のコーラスグループに母と一緒に参加しているよーな、お堅いお嬢様だった。名前はブレンダ。友だちに連れて行かれたディスコにハマって、こっそり変装して通っていたらしい。
もうディスコ通いはやめる、母を騙すようなこと、母を悲しませるようなことはしたくないとブレンダは言う。
「母を尊敬している。愛している」と、毅然と言う少女。伸びた背筋の美しさ。
親ひとり子ひとりなのは、デニスだって同じだ。
なのにデニスは父親のことをそんなふうに言ったことなんかない。バカにして、悪態ばかり付いていた。
デニスにとってのブレンダは、「はじめて知る異世界」だ。
知らない価値観、知らない強さ。
だから彼は、閉じていた目を開く。彼女に惹かれた、彼女に出会った、それゆえに。
同じころ、親友ブライアン@和が事件を起こした。金のために犯罪に手を出した。彼がそこまで追いつめられていることを、「親友」という美しい名前だけ持っていたデニスは、知りもしなかった。
「閉じていた世界」「自分だけが居心地のいい、都合のいい世界」……それに対して疑問を抱くようになったデニスは、新しい世界へと歩き出す。
愛、ゆえに。
ブレンダを想う心ゆえに。ブライアンを想う心ゆえに。自己中だった自分を「恥ずかしい」と想う、心ゆえに。
そんなデニスに、「世界」はやさしい。
泣けるほど。
彼自身は傷ついて悩んでいても、彼をとりまくすべて、つつむすべてがやさしい。
あたりまえに、仲間たちがいる。
デニスが一目惚れして探し回っていた、ブレンダ。彼女を一目見てみたい、とミーハー心丸出しで集まった仲間たち。
ブレンダがデニスのダンスパートナーになることを、彼女のお堅い母親が許したことを、自分のことのよーによろこぶ。
ここまでなら、物語的にもよくあることだけど。
このあと彼らは、当たり前にブレンダに挨拶をする。自己紹介とかじゃなく、「別れの挨拶」。
「またね、ブレンダ」みたいな感じで。
またねもなにも、アンタ誰よ? ブレンダとは初対面でしょ? ……まるで、10年来の友だちみたいに。
デニスの友だちは、彼らの友だちなんだ。なんの説明もなく、友だちであれるんだ。ブレンダのために一喜一憂できて、「またね!」と笑って手を振れるんだ。
その自然さに、涙が出る。
軽い、イタイ、幼い友情だけど。みんな基本自己中で人間できてないんだけど。
それでも、彼らはほんとーに大切なことはわかっている。デニスもわかっている。
だから、彼らの周りには彼らがいる。ひとりぼっちではなく、彼らはいつも大勢でわいわいやっていられるんだ。
友だちがいる、ということの素晴らしさ。
フィクションでは、主人公にちゃんとした友だちがろくにいないもんなんだよね。テレビドラマとか見てよ、ほんとにいないから。
会話の相方、合いの手を入れる人間が必要だから友だちキャラをひとり作りました、程度。ほんとに友情があるかどうか怪しい程度の描き方。主人公の恋愛描くだけで時間いっぱいだから、親友まで描写しているヒマないです、みたいな。
友情メインの物語でない限り、友だちってのはどーでもいい描かれ方をするもんだ。
それがわかっているだけに、ちゃんと「友だち」のいる主人公がうれしい。
友情もきちんと描く、稲葉先生の作風がうれしい。
デビュー作の『Appartement Cinema』も、友情を描いていたよね。
「友だち」のいる世界はやさしい。
主人公を……そして、彼を通して疑似体験をする、観客であるわたしたちをとりまく世界もまた、やさしいんだ。
イタイ子どもだったデニスが、自分で扉を開けて歩き出す物語。
見守る仲間たちも、大人たちも、みんなみんな、やさしさにあふれた物語。
デニスと仲間たちの幼いイタさ、その年代だけが持つ、いずれ失ってしまうキラキラしたものがまぶしくて、泣けて泣けて仕方なかった。
青さも愚かしさも、なにもかもが愛しい。
老人が青春期の日記のページを、見えない目でめくりながら微笑んでいるかのような、愛しさと切なさ。
ミラーボールが回り電飾が輝く、「ちょっと昔」の舞台が、「失われた青春」を回顧するかのように、賛美するかのように光り続けるんだ。
しあわせでしあわせで、出てくるキャラクタひとりひとりがいとしくて。
泣き続けた。
なんてHAPPYな物語。
なんてやさしい物語。
この作品で2007年を迎えられたなんて、わたしは幸福だ。
なにかに似てる……なにかを思い出す……と考えて。
「そうか、デコトラだ!」
このノリ、このセンス、そしてトドメのこの字体。デコトラだ。
「デコトラ! たしかに!!」
「デコトラだよねー」
と、ポスター1枚、シール1枚で盛り上がる。なんて幸福な2007年ヅカ初め。
1年の計は元旦にあり、なにごとも最初が肝心、今年1年の幸福なヅカファン生活のためにも縁起を担ぎ、「植爺作品で2007年ヅカ初めは回避」しました。
つーことで、チケットもないのにムラへGO!
ナニ気にチケ難公演、いつもの場所も門の前も財布持って待っている人ばかり。
ドリーさんにサバキGETしてもらい、満員御礼のバウホールへ。
柚木礼音主演『Hallelujah GO!GO!』。
最高にしあわせな物語でした。
ドリーさんとふたり、幕間から「泣いた」「泣けるよねっ」と盛り上がる。
ええ。
わたしは、なんかすごーく、ダラダラと長期間泣き通しでした。
物語は単純。
高校を出たあとなにをするでもなく、ただ自分が気持ちいいことだけしてイキがっている自己中な青年が、ひとりの女の子と出会うことで夢とか将来とか、親とか友だちとか、「自分」以外の「他人」のことを考えられる人間に成長する。
て、ソレだけ。すっげーお約束。定番。シンプル。
でもソレがね。
ものすごーくやさしい目線で描かれているの。
自己中で、世界が自分だけで閉じている青年デニス@れおん。
でもべつに彼は特殊ではない。きっとどこにでもいる、ふつーの男の子。
だって彼には仲間がいる。
親友がいて、つきあっている女の子もいる。
ほんとうに自分勝手な人間なら、周りに人がいるはずもない。
デニスは人気者で、俺様で、強引なキャラを認められ愛されている。
たぶんそれは、彼の周囲の若者たちもまた彼と似たり寄ったりのパーソナリティだっつーこともあるんだろう。
今がたのしければいい。自己中基本で横柄で傲慢。言動がイタイのは若いから。自分のことに夢中で、他人なんか見ているヒマはない。だからひとりひとりがイタくても無問題。みんな自分のことで精一杯。
言動がイタイ、というのは、植爺のような「人としてありえないイタさ。やってはいけないイタさ」ではないよ。
なんの根拠もなく夢を叶えられると信じていたり、しあわせな未来が待っていると信じていたり、「ここでないどこかへ行けば、なにもかもうまくいく」と思っていたりすること。そーゆー「イタさ」。
「若い」という、そのもののイタさ。
そんな、未熟であるがゆえのイタさに満ちあふれたデニスくんは、ある日行きつけのディスコ「CODE」で謎の少女@ウメに出会う。
はじめて会うのに、ダンスの息がぴったり。ひとりで踊るだけでは知りようもなかった興奮。まさに運命の人。
名前も教えず消えてしまった彼女を追って、デニスは街中を探し回る。
デニスにとって、「世界」は閉じたモノだった。
自分のいる場所、いて気持ちいい場所はすでに決まっていて、そこで不満をこぼしながらもぬるま湯生活をしていればよかったんだ。「いつかこの町を出てBIGになってやる」と言いながら、結局はナニもしないでいる、「安全な、閉じた世界」。
なにも言わなくてもなぁなぁでつきあっていける仲間、そして恋人。自宅生活だから、金銭的にも切羽詰まっていない。
そんな彼が、「はじめて見た外の世界」が、謎の少女だった。
閉じた世界の内側で満足していたはずなのに、デニスは少女を追う。探す。
ウサギを追いかけた、不思議の国のアリスのように。
なぁなぁで生きてきた彼は、なにかをこんなに必死に求めたことなんかない。
そのために、なぁなぁでつきあってきた恋人モニカ@蒼乃夕妃ちゃんとも別れた。
ようやく見付けた運命の彼女は、教会のコーラスグループに母と一緒に参加しているよーな、お堅いお嬢様だった。名前はブレンダ。友だちに連れて行かれたディスコにハマって、こっそり変装して通っていたらしい。
もうディスコ通いはやめる、母を騙すようなこと、母を悲しませるようなことはしたくないとブレンダは言う。
「母を尊敬している。愛している」と、毅然と言う少女。伸びた背筋の美しさ。
親ひとり子ひとりなのは、デニスだって同じだ。
なのにデニスは父親のことをそんなふうに言ったことなんかない。バカにして、悪態ばかり付いていた。
デニスにとってのブレンダは、「はじめて知る異世界」だ。
知らない価値観、知らない強さ。
だから彼は、閉じていた目を開く。彼女に惹かれた、彼女に出会った、それゆえに。
同じころ、親友ブライアン@和が事件を起こした。金のために犯罪に手を出した。彼がそこまで追いつめられていることを、「親友」という美しい名前だけ持っていたデニスは、知りもしなかった。
「閉じていた世界」「自分だけが居心地のいい、都合のいい世界」……それに対して疑問を抱くようになったデニスは、新しい世界へと歩き出す。
愛、ゆえに。
ブレンダを想う心ゆえに。ブライアンを想う心ゆえに。自己中だった自分を「恥ずかしい」と想う、心ゆえに。
そんなデニスに、「世界」はやさしい。
泣けるほど。
彼自身は傷ついて悩んでいても、彼をとりまくすべて、つつむすべてがやさしい。
あたりまえに、仲間たちがいる。
デニスが一目惚れして探し回っていた、ブレンダ。彼女を一目見てみたい、とミーハー心丸出しで集まった仲間たち。
ブレンダがデニスのダンスパートナーになることを、彼女のお堅い母親が許したことを、自分のことのよーによろこぶ。
ここまでなら、物語的にもよくあることだけど。
このあと彼らは、当たり前にブレンダに挨拶をする。自己紹介とかじゃなく、「別れの挨拶」。
「またね、ブレンダ」みたいな感じで。
またねもなにも、アンタ誰よ? ブレンダとは初対面でしょ? ……まるで、10年来の友だちみたいに。
デニスの友だちは、彼らの友だちなんだ。なんの説明もなく、友だちであれるんだ。ブレンダのために一喜一憂できて、「またね!」と笑って手を振れるんだ。
その自然さに、涙が出る。
軽い、イタイ、幼い友情だけど。みんな基本自己中で人間できてないんだけど。
それでも、彼らはほんとーに大切なことはわかっている。デニスもわかっている。
だから、彼らの周りには彼らがいる。ひとりぼっちではなく、彼らはいつも大勢でわいわいやっていられるんだ。
友だちがいる、ということの素晴らしさ。
フィクションでは、主人公にちゃんとした友だちがろくにいないもんなんだよね。テレビドラマとか見てよ、ほんとにいないから。
会話の相方、合いの手を入れる人間が必要だから友だちキャラをひとり作りました、程度。ほんとに友情があるかどうか怪しい程度の描き方。主人公の恋愛描くだけで時間いっぱいだから、親友まで描写しているヒマないです、みたいな。
友情メインの物語でない限り、友だちってのはどーでもいい描かれ方をするもんだ。
それがわかっているだけに、ちゃんと「友だち」のいる主人公がうれしい。
友情もきちんと描く、稲葉先生の作風がうれしい。
デビュー作の『Appartement Cinema』も、友情を描いていたよね。
「友だち」のいる世界はやさしい。
主人公を……そして、彼を通して疑似体験をする、観客であるわたしたちをとりまく世界もまた、やさしいんだ。
イタイ子どもだったデニスが、自分で扉を開けて歩き出す物語。
見守る仲間たちも、大人たちも、みんなみんな、やさしさにあふれた物語。
デニスと仲間たちの幼いイタさ、その年代だけが持つ、いずれ失ってしまうキラキラしたものがまぶしくて、泣けて泣けて仕方なかった。
青さも愚かしさも、なにもかもが愛しい。
老人が青春期の日記のページを、見えない目でめくりながら微笑んでいるかのような、愛しさと切なさ。
ミラーボールが回り電飾が輝く、「ちょっと昔」の舞台が、「失われた青春」を回顧するかのように、賛美するかのように光り続けるんだ。
しあわせでしあわせで、出てくるキャラクタひとりひとりがいとしくて。
泣き続けた。
なんてHAPPYな物語。
なんてやさしい物語。
この作品で2007年を迎えられたなんて、わたしは幸福だ。
キラキラ・アイドル。@『維新回天・竜馬伝!』新人公演
2007年1月4日 タカラヅカ お正月だから、『維新回天・竜馬伝!』新人公演の話をしよう。
なんでお正月で『維新回天・竜馬伝!』新公なのかって?
キラキラしたものには幸福感があるからですよ。
宙組公演『維新回天・竜馬伝!』は、正月公演、お披露目公演としては悪くない作品だ。新しい時代への期待感がある。竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
内容は「幕末ストーリーダイジェスト」なので、多くは求めない。有名人たちが次々出て来るので、地方から出てきた団体のお客さんが「おお、西郷隆盛か、知ってるぞ」とか「高杉晋作、知ってる知ってる」と、「知っている人たちがなにかしている=うちの子がホームビデオに出ている」と同じ感覚で楽しむことのできる作品だと位置づけている。
タカラヅカは大衆演劇なので、ソレもありだろうと思う。
ただ、かしちゃんの1作限りの大劇場公演が「うちの子がホームビデオに出ている」レベルの意義で作られた、団体さん向け(つまり、一般的ヅカファンが嫌い)な作品でなきゃならんのだ、という憤りがあるだけで。
ただのお披露目作品、これからはじまる新しい時代の先駆けとなる作品なら、コレでもぜんぜんよかったんだよ。
だから、未来のある若者たちが、夢と希望を胸に新人公演をやるのはOKさ。
お正月にふさわしいさ。
坂本竜馬@ちぎ。
この子が、ものごっつー、キラキラしていた。
ダイジェストでしかないこの物語において、竜馬のいちばんの役割、いちばん必要な資質は、「魅力」なんだ。
歴史とか人物とか出来事とか、めまぐるしくかわる状況の中、なにを見ればいいのか。ストーリーなんかあってなきがごとし、なにを見ればいいのか。
坂本竜馬だ。
竜馬が、魅力的である、ということ。
「よくわかんないけど、竜馬がキラキラしてた」「なにがどうしてそうなるのか、歴史とかちっともわかんないけど、要するに竜馬がすごいのよね?」と、観客に思わせること。
本役のかしげ竜馬がそうであるように。
ちぎは正しく成長している。
そのことに、目もくらむ思いだ。
続けてタニちゃんの役をやってきて、たかこの役、かしげの役を1回ずつやったわけだが。
タニの演じる役というのは、タニにしかならない。他の誰が演じても、タニと同じにはならないんだ。それが大和悠河というスターの持つ力。
なのにちぎだけは、タニのコピーでありえた。タニそのままではもちろんないが、タニと同じ方向性のキャラを演じることができた。
そして今、キラキラ輝いているかしげの役を、同じようにキラキラ輝きながら演じることができる。
前回の『NEVER SAY GOODBYE』新公のジョルジュだとか、『UNDERSTUDY』のコーネリアスだとか、おとなしめの役ではダメなんだな。アイドル系の役でないと、力を発揮できないんだ。
耐えるとか支えるとか忍ぶとかの、月系の役ではなく、発散する活動する愛する愛されるという、太陽系の役。それでこそ活き活きと輝くことのできる個性。
そういう理屈ではない輝きが、まぶしくてならない。
アイドル竜馬がそこにいた。相変わらず歌唱力はアレだし日本物の所作も着こなしも足りてなくても、その輝きだけで説得力になる。
そうか、幕末の志士たちは、権力者たちは、この輝きに惑乱されたんだな。浮き足だったんだな。そう思える。
タニの問答無用の華、そして宙組に来てからのかしちゃんのキラキラっぷりを、ちぎは踏襲して行くんだろう。彼らの役を新公で演じることによって、それらを身につけてゆくのだろう。
かしちゃんが、ちゃんとちぎのなかに生きていることが見えて、うれしい。
ちぎがかしちゃんを尊敬し、吸収しようと意欲満々に食いついているさまが見えて、うれしい。
かしちゃんがいたこと。
宙組トップスターだったこと。
たとえ、この1作きりで終わってしまうのだとしても、「なかったこと」にはならない。
竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
後進の中に、その意識は意義はその志は、伝えられていく。育っていく。
ちぎのなかにかしちゃんを感じ、泣けた。
似てる、とかそーゆーんじゃない。生きている、とゆー方が近い。
がんばれ、ちぎ。
かっしーの志を継いで、はばたいてくれ。
かっしーになれと言っているんじゃない。ちぎ自身の魅力と能力で、さらに先を目指してくれ。かっしーもそれをのぞんでいるはずだ。
……実力に関してはもー、なにも言うまい。てゆーか、よくわかんない。
彼のキラキラした笑顔に泣けて、それどころではなかったから。いやその、微妙なところはいろいろいろいろわかったけど……(笑)。
ヒロインお竜@たっちん。
お竜ってこんなに歌の少ない役だったんだ、と改めて思った。たっちんだからつい、歌を期待して構えて観てしまう。されど、待てども待てども歌がない。……そうか……。
とってもかわいかった。てゆーかほんとお竜ってかわいい役だよなー。ちょっとしたことが、女の子としてすごくかわいい。
そしてたっちん、なんて危なげのない初ヒロイン(笑)。堂々として、ふつうにいつもヒロインやっていそうだ。まあ彼女のキャリアを考えれば当然だけど。
歌がないので、芝居で勝負。いつも芝居より歌の方が表現が豊かに感じ、アンバランスさに首をかしげていたのだけど、今回はソレもナシ。うまいよね。
ただ、日本物は似合わないなぁ。髷のせいでやたら肩より上が大きい印象。
がんばれー。
慶喜@春風弥里は、堅いなー、という印象。役の堅さ、縛りにがんじがらめになってそれ以上を踏み出せなかったかな?
今回春風くんがなんでこんなに精彩を欠いているのかを考え、すぐに答えを見付ける。
女と絡んでなかったからだ!
『NEVER SAY GOODBYE』新公でなにがよかったって、女と絡んでるとこだったもんなー(笑)。みょーにエロくてステキだった。
てゆーか単に、慶喜は難しい役なんだと思う。若い子には荷が重いだろう。春風くんはよくやっているのではないかと。
主要キャラ以外は前に感想を書いたよーな気がするので、このへんで筆を置く。
新しい時代の息吹を感じさせる若者たち。
がんばってくれ。
新人公演は、それだけで希望の固まりだから。
なんでお正月で『維新回天・竜馬伝!』新公なのかって?
キラキラしたものには幸福感があるからですよ。
宙組公演『維新回天・竜馬伝!』は、正月公演、お披露目公演としては悪くない作品だ。新しい時代への期待感がある。竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
内容は「幕末ストーリーダイジェスト」なので、多くは求めない。有名人たちが次々出て来るので、地方から出てきた団体のお客さんが「おお、西郷隆盛か、知ってるぞ」とか「高杉晋作、知ってる知ってる」と、「知っている人たちがなにかしている=うちの子がホームビデオに出ている」と同じ感覚で楽しむことのできる作品だと位置づけている。
タカラヅカは大衆演劇なので、ソレもありだろうと思う。
ただ、かしちゃんの1作限りの大劇場公演が「うちの子がホームビデオに出ている」レベルの意義で作られた、団体さん向け(つまり、一般的ヅカファンが嫌い)な作品でなきゃならんのだ、という憤りがあるだけで。
ただのお披露目作品、これからはじまる新しい時代の先駆けとなる作品なら、コレでもぜんぜんよかったんだよ。
だから、未来のある若者たちが、夢と希望を胸に新人公演をやるのはOKさ。
お正月にふさわしいさ。
坂本竜馬@ちぎ。
この子が、ものごっつー、キラキラしていた。
ダイジェストでしかないこの物語において、竜馬のいちばんの役割、いちばん必要な資質は、「魅力」なんだ。
歴史とか人物とか出来事とか、めまぐるしくかわる状況の中、なにを見ればいいのか。ストーリーなんかあってなきがごとし、なにを見ればいいのか。
坂本竜馬だ。
竜馬が、魅力的である、ということ。
「よくわかんないけど、竜馬がキラキラしてた」「なにがどうしてそうなるのか、歴史とかちっともわかんないけど、要するに竜馬がすごいのよね?」と、観客に思わせること。
本役のかしげ竜馬がそうであるように。
ちぎは正しく成長している。
そのことに、目もくらむ思いだ。
続けてタニちゃんの役をやってきて、たかこの役、かしげの役を1回ずつやったわけだが。
タニの演じる役というのは、タニにしかならない。他の誰が演じても、タニと同じにはならないんだ。それが大和悠河というスターの持つ力。
なのにちぎだけは、タニのコピーでありえた。タニそのままではもちろんないが、タニと同じ方向性のキャラを演じることができた。
そして今、キラキラ輝いているかしげの役を、同じようにキラキラ輝きながら演じることができる。
前回の『NEVER SAY GOODBYE』新公のジョルジュだとか、『UNDERSTUDY』のコーネリアスだとか、おとなしめの役ではダメなんだな。アイドル系の役でないと、力を発揮できないんだ。
耐えるとか支えるとか忍ぶとかの、月系の役ではなく、発散する活動する愛する愛されるという、太陽系の役。それでこそ活き活きと輝くことのできる個性。
そういう理屈ではない輝きが、まぶしくてならない。
アイドル竜馬がそこにいた。相変わらず歌唱力はアレだし日本物の所作も着こなしも足りてなくても、その輝きだけで説得力になる。
そうか、幕末の志士たちは、権力者たちは、この輝きに惑乱されたんだな。浮き足だったんだな。そう思える。
タニの問答無用の華、そして宙組に来てからのかしちゃんのキラキラっぷりを、ちぎは踏襲して行くんだろう。彼らの役を新公で演じることによって、それらを身につけてゆくのだろう。
かしちゃんが、ちゃんとちぎのなかに生きていることが見えて、うれしい。
ちぎがかしちゃんを尊敬し、吸収しようと意欲満々に食いついているさまが見えて、うれしい。
かしちゃんがいたこと。
宙組トップスターだったこと。
たとえ、この1作きりで終わってしまうのだとしても、「なかったこと」にはならない。
竜馬は志半ばで倒れるけれど、それで彼の人生が無駄になるわけじゃない。彼はたしかに、新しい扉を開いてみせたのだから。
後進の中に、その意識は意義はその志は、伝えられていく。育っていく。
ちぎのなかにかしちゃんを感じ、泣けた。
似てる、とかそーゆーんじゃない。生きている、とゆー方が近い。
がんばれ、ちぎ。
かっしーの志を継いで、はばたいてくれ。
かっしーになれと言っているんじゃない。ちぎ自身の魅力と能力で、さらに先を目指してくれ。かっしーもそれをのぞんでいるはずだ。
……実力に関してはもー、なにも言うまい。てゆーか、よくわかんない。
彼のキラキラした笑顔に泣けて、それどころではなかったから。いやその、微妙なところはいろいろいろいろわかったけど……(笑)。
ヒロインお竜@たっちん。
お竜ってこんなに歌の少ない役だったんだ、と改めて思った。たっちんだからつい、歌を期待して構えて観てしまう。されど、待てども待てども歌がない。……そうか……。
とってもかわいかった。てゆーかほんとお竜ってかわいい役だよなー。ちょっとしたことが、女の子としてすごくかわいい。
そしてたっちん、なんて危なげのない初ヒロイン(笑)。堂々として、ふつうにいつもヒロインやっていそうだ。まあ彼女のキャリアを考えれば当然だけど。
歌がないので、芝居で勝負。いつも芝居より歌の方が表現が豊かに感じ、アンバランスさに首をかしげていたのだけど、今回はソレもナシ。うまいよね。
ただ、日本物は似合わないなぁ。髷のせいでやたら肩より上が大きい印象。
がんばれー。
慶喜@春風弥里は、堅いなー、という印象。役の堅さ、縛りにがんじがらめになってそれ以上を踏み出せなかったかな?
今回春風くんがなんでこんなに精彩を欠いているのかを考え、すぐに答えを見付ける。
女と絡んでなかったからだ!
『NEVER SAY GOODBYE』新公でなにがよかったって、女と絡んでるとこだったもんなー(笑)。みょーにエロくてステキだった。
てゆーか単に、慶喜は難しい役なんだと思う。若い子には荷が重いだろう。春風くんはよくやっているのではないかと。
主要キャラ以外は前に感想を書いたよーな気がするので、このへんで筆を置く。
新しい時代の息吹を感じさせる若者たち。
がんばってくれ。
新人公演は、それだけで希望の固まりだから。
脇キャラだけど、モブキャラではない。@ヘイズ・コード
2007年1月3日 タカラヅカ お正月だから、『ヘイズ・コード』の話をしよう。
なんでお正月で『ヘイズ・コード』かって?
観終わったあと、幸福感を味わえる作品だからよ。
愉快で、かわいくて、観ていてHAPPYになれる。
新しい年のはじめにおすすめな一本。
『ヘイズ・コード』の魅力のひとつは、キャラクタの多彩さにあると思う。
主役カップル以外は動く背景、ではなく、舞台にいる全員がナニかしら個性を持って生きている。ゴチャゴチャゴチャゴチャと画面のそこかしこで「らしい」人生を送っているんだ。
それが、たのしいのなんのって。
脇キャラだけど、モブ(背景)キャラではない。そのことの意義と、それゆえの誇りを持って、エンターティナー星組が全開で盛り上がっている。
星組のカラーだよね、エンターティナー。客席まで巻き込んで盛り上がることを常とする。どこよりも拍手・手拍子が多い組。いちばんうるさい組っていうか(笑)。
下級生までこのカラーで磨かれているのがイイ。
中堅学年なんて、脂のりまくってる。
さて、DC初日の幕間。
ロビーで集合したときにチェリさんは、キャストの確認に必死。プログラム買ってたんじゃなかったっけ? なのに、プログラムを開くよりも質問をする。
「あの女優誰ですか」
「ああ、アレはエレナ」
「いや、そうじゃなくて、ええっと、ひとりだけすごいメイクの……えっと、浮いている……」
「だから、エレナ」
「女優」と言えば、誰もが女優役。レヴューガールつっても映画の出演者なんだから女優括りでしょう。
たけどチェリさんが誰を指しているのか、なにを言いたいのか。「女優」だけでわかった。
大丈夫、説明不要。
1幕終わっただけでも、「アレ誰?」と言いたくなるって!(笑)
てくらい、すごいです、ルーシー・ミラー@星風エレナ。
これまでもエレナ嬢は若いのにアダルトな使われ方をしてきた。アダルトというか、ソコにまぜられちゃって違和感ないってどうなのよ的ポジションキャラ。
わかりやすいとこでいうと、『ソウル・オブ・シバ!!』で、組長やらにしきさんやらの年季の入ったオカマだとか、しのぶさんの年季の入った姐さんなどで構成されたシバの妻たちに、当時研9でエレナが入っており、まったく違和感がなかったこととかね。
そのキャラクタが、正しく花開いております、レヴュースター・ルーシー!!
ゴージャスにお馬鹿な、カンチガイ女優。
このテのコメディには必須キャラクタ。お約束をきちんとこなす、その力に拍手。
ベニーの美しさが上がってますな。
サトリちゃんが『ソウル・オブ・シバ!!』で勝手に命名(役名ね)、以来どりーず内ではベニーと呼ばれる、紅ゆずる。
『それ船』で美貌だけでみんなの話題をかっさらっていった彼、『シバ魂』の倉庫番で舞台度胸を見せつけ、『龍星』でコメディ上等!ぶりを発揮。
『愛短』新公で、「色物はできても、正統派の二枚目はまだキビシイ……?」と首をかしげさせた彼。
色物で二枚目をさせればOKなんだっ(笑)。
オリガ女史@柚長に飼われているペットぢゃなくて、ホストぢゃなくて、えっとなんだっけ、そうそう、秘書リチャード役。マダ〜ムには片膝付いてご挨拶。ただいるだけで美しく、またうさんくさい、ステキキャラ。
さすがアテ書きの大野せんせ。ベニー使いもまたサイコーですよ!
そーいや2回目に見たときに、クレア@にゃるちゃんのキャラが、変わってましたが。初日はふつーだったはずなのに。
おバカキャラになってました。
舌っ足らずに話す、罪のない小動物。笑い取ってますよ、いいのか成花まりん、ももさりコースを目指すつもりか?!
てゆーか、研4のにゃるちゃんまでもが正しく星娘として成長していることに震撼(笑)。
頼もしすぎるぞ星組。
リビィ@あすかの友だち3人娘、クレア@にゃるはおバカ系、アン@せあらはセクシー系、ソフィ@ゆうかがふつーで親友、つーポジでいいっすか? クレアがぶっ飛ばしだしてから、他ふたりの印象が……てゆーか、出番の多いソフィはともかくアンの印象が薄い……。
しかし、トリオ扱いされてなお、幕が開けてからも個性を模索する姿勢やヨシ。
ヴェルマ@羽桜しずくがこわくて美しくてステキです。曲線を強調したキャリアスーツ、とゆー矛盾した姿で色っぽくエディ@ゆーほに絡みます。てゆーか、寝転がったときの腰の曲線スキだー(笑)。
「小悪魔レッド」のルージュを使用しているのが納得の美女ぶり、そして正体がばれてからの居直り方がこわくていいっす。89期はどこでも濃いなぁ(笑)。
誰と話してたんだっけ、88期と89期って、77期と78期のイメージがある……。
89期期待の星、美貌のみやるりはホスト修行中(笑)。この子にナニができるできないというより、キッドというキャラが愉快。
ダイナーにいるときのふつーの男の子ぶりと、首をかしげながらもオリガのペット……ぢゃねえ、秘書をやるようになったときののへーっとした姿、そのくせ見る見るうちにリチャードとホスト勝負キザり勝負をするよーになる。
おお、人生流転だねキッド!!
にしきさんのうさんくさい神父ぶりや、ますちんがまさかのシブい男(てか悪役!)やってることや、ぎんがみくんのヘタレっぷりだとかもすばらしい。
「クラブ・ハレルヤ」でのタップ祭りだとか、顔ぶれの多彩さにわくわくする。
えーと、レイモンド@トウコの両脇にいるの、誰だ? ……ってことにならないか、このシーンだけテレビで見ちゃった他組ファンの人とか。
ウィル@しゅん、ジョニー@水輝涼の並びに新しい時代、新しい息吹を感じる。ふたりともガタイよくて歌がうまくて、そしてなんといっても丸い。
彼らが大人になり、ちゃんとフェイスラインが締まってくるころがたのしみだ。
ゆーほがどれだけすばらしいか、ゆーほファンはなにがなんでも劇場へ駆けつけろとか、みなみちゃん最高ダイスキわたしの女神!だとか、コトコトかわい過ぎ、ぎゅーってしたい、ぎゅーって!とか、ひかちゃん眼鏡っこ萌え〜〜萌え〜〜騙されやすい性質萌え〜〜だとか、脇の人たち語っても語りつきない。
しいちゃん、すずみんの星組双璧がすばらしいことは、言うまでもなく。
DVD出すなら主役アングル以外に脇アングルも入れてよ、絶対必要だから! てなノリ。
だってトウコファンはナマだとトウコしか見られないじゃん? でもトップファンかつ組を愛する人たちは、みんな脇だって見たいはずよ。
ナマでは見られなかったぶん、DVDで落ち着いて脇の子たちも見られたらステキなのに。
脇アングルが必要なくらい、みんなみんな輝いている舞台。愛情たっぷりの作品。
しあわせに笑いたかったら、『ヘイズ・コード』。
2007年の観劇はじめにおすすめな一本。
……あああ、青年館行きたかったよー……。
なんでお正月で『ヘイズ・コード』かって?
観終わったあと、幸福感を味わえる作品だからよ。
愉快で、かわいくて、観ていてHAPPYになれる。
新しい年のはじめにおすすめな一本。
『ヘイズ・コード』の魅力のひとつは、キャラクタの多彩さにあると思う。
主役カップル以外は動く背景、ではなく、舞台にいる全員がナニかしら個性を持って生きている。ゴチャゴチャゴチャゴチャと画面のそこかしこで「らしい」人生を送っているんだ。
それが、たのしいのなんのって。
脇キャラだけど、モブ(背景)キャラではない。そのことの意義と、それゆえの誇りを持って、エンターティナー星組が全開で盛り上がっている。
星組のカラーだよね、エンターティナー。客席まで巻き込んで盛り上がることを常とする。どこよりも拍手・手拍子が多い組。いちばんうるさい組っていうか(笑)。
下級生までこのカラーで磨かれているのがイイ。
中堅学年なんて、脂のりまくってる。
さて、DC初日の幕間。
ロビーで集合したときにチェリさんは、キャストの確認に必死。プログラム買ってたんじゃなかったっけ? なのに、プログラムを開くよりも質問をする。
「あの女優誰ですか」
「ああ、アレはエレナ」
「いや、そうじゃなくて、ええっと、ひとりだけすごいメイクの……えっと、浮いている……」
「だから、エレナ」
「女優」と言えば、誰もが女優役。レヴューガールつっても映画の出演者なんだから女優括りでしょう。
たけどチェリさんが誰を指しているのか、なにを言いたいのか。「女優」だけでわかった。
大丈夫、説明不要。
1幕終わっただけでも、「アレ誰?」と言いたくなるって!(笑)
てくらい、すごいです、ルーシー・ミラー@星風エレナ。
これまでもエレナ嬢は若いのにアダルトな使われ方をしてきた。アダルトというか、ソコにまぜられちゃって違和感ないってどうなのよ的ポジションキャラ。
わかりやすいとこでいうと、『ソウル・オブ・シバ!!』で、組長やらにしきさんやらの年季の入ったオカマだとか、しのぶさんの年季の入った姐さんなどで構成されたシバの妻たちに、当時研9でエレナが入っており、まったく違和感がなかったこととかね。
そのキャラクタが、正しく花開いております、レヴュースター・ルーシー!!
ゴージャスにお馬鹿な、カンチガイ女優。
このテのコメディには必須キャラクタ。お約束をきちんとこなす、その力に拍手。
ベニーの美しさが上がってますな。
サトリちゃんが『ソウル・オブ・シバ!!』で勝手に命名(役名ね)、以来どりーず内ではベニーと呼ばれる、紅ゆずる。
『それ船』で美貌だけでみんなの話題をかっさらっていった彼、『シバ魂』の倉庫番で舞台度胸を見せつけ、『龍星』でコメディ上等!ぶりを発揮。
『愛短』新公で、「色物はできても、正統派の二枚目はまだキビシイ……?」と首をかしげさせた彼。
色物で二枚目をさせればOKなんだっ(笑)。
オリガ女史@柚長に飼われているペットぢゃなくて、ホストぢゃなくて、えっとなんだっけ、そうそう、秘書リチャード役。マダ〜ムには片膝付いてご挨拶。ただいるだけで美しく、またうさんくさい、ステキキャラ。
さすがアテ書きの大野せんせ。ベニー使いもまたサイコーですよ!
そーいや2回目に見たときに、クレア@にゃるちゃんのキャラが、変わってましたが。初日はふつーだったはずなのに。
おバカキャラになってました。
舌っ足らずに話す、罪のない小動物。笑い取ってますよ、いいのか成花まりん、ももさりコースを目指すつもりか?!
てゆーか、研4のにゃるちゃんまでもが正しく星娘として成長していることに震撼(笑)。
頼もしすぎるぞ星組。
リビィ@あすかの友だち3人娘、クレア@にゃるはおバカ系、アン@せあらはセクシー系、ソフィ@ゆうかがふつーで親友、つーポジでいいっすか? クレアがぶっ飛ばしだしてから、他ふたりの印象が……てゆーか、出番の多いソフィはともかくアンの印象が薄い……。
しかし、トリオ扱いされてなお、幕が開けてからも個性を模索する姿勢やヨシ。
ヴェルマ@羽桜しずくがこわくて美しくてステキです。曲線を強調したキャリアスーツ、とゆー矛盾した姿で色っぽくエディ@ゆーほに絡みます。てゆーか、寝転がったときの腰の曲線スキだー(笑)。
「小悪魔レッド」のルージュを使用しているのが納得の美女ぶり、そして正体がばれてからの居直り方がこわくていいっす。89期はどこでも濃いなぁ(笑)。
誰と話してたんだっけ、88期と89期って、77期と78期のイメージがある……。
89期期待の星、美貌のみやるりはホスト修行中(笑)。この子にナニができるできないというより、キッドというキャラが愉快。
ダイナーにいるときのふつーの男の子ぶりと、首をかしげながらもオリガのペット……ぢゃねえ、秘書をやるようになったときののへーっとした姿、そのくせ見る見るうちにリチャードとホスト勝負キザり勝負をするよーになる。
おお、人生流転だねキッド!!
にしきさんのうさんくさい神父ぶりや、ますちんがまさかのシブい男(てか悪役!)やってることや、ぎんがみくんのヘタレっぷりだとかもすばらしい。
「クラブ・ハレルヤ」でのタップ祭りだとか、顔ぶれの多彩さにわくわくする。
えーと、レイモンド@トウコの両脇にいるの、誰だ? ……ってことにならないか、このシーンだけテレビで見ちゃった他組ファンの人とか。
ウィル@しゅん、ジョニー@水輝涼の並びに新しい時代、新しい息吹を感じる。ふたりともガタイよくて歌がうまくて、そしてなんといっても丸い。
彼らが大人になり、ちゃんとフェイスラインが締まってくるころがたのしみだ。
ゆーほがどれだけすばらしいか、ゆーほファンはなにがなんでも劇場へ駆けつけろとか、みなみちゃん最高ダイスキわたしの女神!だとか、コトコトかわい過ぎ、ぎゅーってしたい、ぎゅーって!とか、ひかちゃん眼鏡っこ萌え〜〜萌え〜〜騙されやすい性質萌え〜〜だとか、脇の人たち語っても語りつきない。
しいちゃん、すずみんの星組双璧がすばらしいことは、言うまでもなく。
DVD出すなら主役アングル以外に脇アングルも入れてよ、絶対必要だから! てなノリ。
だってトウコファンはナマだとトウコしか見られないじゃん? でもトップファンかつ組を愛する人たちは、みんな脇だって見たいはずよ。
ナマでは見られなかったぶん、DVDで落ち着いて脇の子たちも見られたらステキなのに。
脇アングルが必要なくらい、みんなみんな輝いている舞台。愛情たっぷりの作品。
しあわせに笑いたかったら、『ヘイズ・コード』。
2007年の観劇はじめにおすすめな一本。
……あああ、青年館行きたかったよー……。
いつから好き? いつからまっつまっつ? とりあえず去年はまっつまっつ。
2007年1月2日 タカラヅカ
2006年をちょっくら振り返って。
わたし、月中日とタニ青年館以外の全公演観てます。
中日『あかねさす紫の花』と、タニちゃん再演『THE LAST PARTY』。
どっちも再演で、どっちも関西以外公演だから行かなかった。や、ゆーひくんが出てたら行ってたけどな(同じ再演・遠い会場でもゆーひ『THE LAST PARTY』は行った・笑)。
関西でやってくれていたら、再演でもなんでも絶対観ていたよ。
ざーっと数えたら、36公演あったよ、去年。
DC→青年館→名古屋と3ヶ所回ったとしても、同じタイトル・出演者の場合は1公演と数える。ディナーショーは除く。
最近のタカラヅカは公演増やしすぎ、と思っていたが、ほんとに多いよな。1年36公演だから、1ヶ月に3つずつ、新しい公演がスタートしてる計算になるんだよ。しかもそれが、ムラ・大阪と東京などで巡演されるわけだから、いつもけっこうな数の公演がそこかしこで行われている。
でもってわたしは劇団に踊らされ、西に東に駆けずり回り、34公演も観てしまったということだな。いやはや。
どの組もたのしくミーハー丸出しで追いかけ、「萌え〜〜」と言うのがわたしのスタンス。全組に好きな人たちがいて、誰かしらにきゃーきゃー言っている。
そう、わたしは気が多く、さらに移り気なのだ。
いつも新たに、誰かにハマる。
それまで興味なかったのに、あるときから気になりだして、目が離せなくなったりする。
好きな人が増えるのはうれしいから、自分に枷ははめない。それまでがどうであろうと、「夜明けの陽が差せば 昨日を捨てにゆこう」てなもんで過去は棚上げして現在に酔う。
ただ、「捨てた昨日に復讐され」ないよう、自戒。萌えも文句も責任もって吐かなければ。
ええ、まったくもって「昨日」なんて捨ててしまっているから、ろくにおぼえていない。
まっつにハマるなんて、誰が思ったのよ?!
「昨日」……過去のわたしは、そんなこと夢にも思ってませんよ。
だからまっつのことなんて……ことなんて……。
・2002/10/25 顔だけでいうなら、ジュラ役のみすずくんがみょーに好みなんですが。
→トドファンだと宣言している頃。でも実際はケロファン認識でブログやっている。
・2003/06/06 ブラック・ジャックの影@まっつ! なんてプリチーなの。動作のひとつひとつがきれいで愉快。
→ケロファンだと高らかに宣言し、星担を名乗りつつ。
・2003/06/17 ところでわたし、まっつは顔が好きなのね。(中略)「あの鉄砲隊の子。好みの顔だわっ、あとでチェックしなきゃ!」と思ったのよ……プログラム見て笑ったわ。なんだ、まっつじゃん。鼻しかろくに見えなかったのに、それでも好みだと思ったのか、わたし(笑)。
→そのかにきゃーきゃー言いつつ。
・2003/10/11 まっつが、すごかったよー。アンタ、どこのスター様ですか!(中略)お化粧から立ち居振る舞いからキザり方から、オサ様のコピーみたいな彼は、これからどんな大人の男になるのでしょう。たのしみです。
→歌声にしびれているらしい。低音スキー。
・2004/01/20 ……ごめんね、まっつ。わたしはまっつファンだし、まっつの新公主役を手を叩いてよろこんだひとりだが。(中略)真ん中に立つと、匂い立つような「地味さ」が際立ってた……しょぼん。主役に見えない……。
→まっつファンだって言い切ってる?!! でも匂い立つような地味さって?!(白目)
・2004/01/23 まっつはあのまんまのまっつでした。舞台と同じ顔してるんだね……。好きな顔なので、間近で見られてうれしかったっす。
→とにかく顔のことしか語らないな……。
・2004/05/29 まっつまっつまっつ!! まっつファンのわたしは、客席で悶え狂ってました。まっつ、めちゃかわええ。
→えええっ、この時点でこのテンションで狂ってたの?!!
・2004/09/02 ああ、うまいっていいなあ。心のある演技、豊かに響く歌声。まっつ、大好き〜〜。でもな……でも……真ん中は……やっぱり、合ってない気がする……。(中略)そうか、わたしがまっつを好きなのは、真ん中が似合わないからなのか!
→名前を連呼しまくりながら、失礼なことをほざいてます。てゆーか、「大好き」とか言ってますよこの人!!
……過去の自分の文章を顧みて、敗北感にうちひしがれます。まさに、「捨てた昨日に復讐されている」状態。
なんなのこの人。
昔からバカみたいにまっつまっつ言ってきてんじゃん。
でも、そのときの「ダーリン」は別にちゃんといたわけで、まっつに対してはとても無責任に発言しているのよね。
「嫌い」「悪い」「下手」などのマイナス発言は、責任を持っていろいろ考えてからでないと書くことはできないけれど、「好き」「良い」「巧い」などのプラスの感情による発言は、臆面なく書くようにしている。
だから、「好き」と書くのはけっこー無邪気で無責任だったりする。瞬間風速に押されて書くわけだし。
ケロがいちばん好き、それが前提で、決して覆らない。自分的にソレがあったから、いくらでも他の人にミーハーしていられた。
ええ、ただのミーハー心よ。
でもたしかに、昔からずーっと好意を持ってはいたらしい……んな昔のことろくにおぼえてもいないが。
や、好きだったことはもちろんおぼえているけど、ブログにハートマーク飛ばすほどの勢いでファントーク書き散らかしていたことは、忘却の彼方だってばよ。
そうか……まっつのこと、ずーーっと好きだったんだ……しかもかなりイタイ好きっぷり……。
「好き」のポイントシールを長年貯めていて、2005年後半にたまたまカードがいっぱいになったって感じ?(どんな喩えだ)
2006年は、そりゃーもー、「まっつまっつまっつ」と言い続けた1年でした。
何度も何度もいろんな人に、
「みどりのさん……ほんとにまっつ好きなのね……」
と、あきれ顔で言われました。
・一例
「光モノすべてがハートに見える眼鏡(→冒頭の写真)」を初体験、興奮してひとこと。
「この眼鏡をかけてまっつを見たら、まっつがハートの中にいるわけねっ」
……で、眼鏡の持ち主ドリーさんが、先述のコトバを言いました。しみじみと。
万事この調子で生きてましたから。この1年。
これからも、できる限りたくさんの公演と、たくさんの人を観て、「好き」を書き散らかしていきたいと思う。
「好き」が多すぎるから、退団ラッシュに泣き尽くしたけれど、それでも「好き」でいたい。
ミーハー上等。
わたし、月中日とタニ青年館以外の全公演観てます。
中日『あかねさす紫の花』と、タニちゃん再演『THE LAST PARTY』。
どっちも再演で、どっちも関西以外公演だから行かなかった。や、ゆーひくんが出てたら行ってたけどな(同じ再演・遠い会場でもゆーひ『THE LAST PARTY』は行った・笑)。
関西でやってくれていたら、再演でもなんでも絶対観ていたよ。
ざーっと数えたら、36公演あったよ、去年。
DC→青年館→名古屋と3ヶ所回ったとしても、同じタイトル・出演者の場合は1公演と数える。ディナーショーは除く。
最近のタカラヅカは公演増やしすぎ、と思っていたが、ほんとに多いよな。1年36公演だから、1ヶ月に3つずつ、新しい公演がスタートしてる計算になるんだよ。しかもそれが、ムラ・大阪と東京などで巡演されるわけだから、いつもけっこうな数の公演がそこかしこで行われている。
でもってわたしは劇団に踊らされ、西に東に駆けずり回り、34公演も観てしまったということだな。いやはや。
どの組もたのしくミーハー丸出しで追いかけ、「萌え〜〜」と言うのがわたしのスタンス。全組に好きな人たちがいて、誰かしらにきゃーきゃー言っている。
そう、わたしは気が多く、さらに移り気なのだ。
いつも新たに、誰かにハマる。
それまで興味なかったのに、あるときから気になりだして、目が離せなくなったりする。
好きな人が増えるのはうれしいから、自分に枷ははめない。それまでがどうであろうと、「夜明けの陽が差せば 昨日を捨てにゆこう」てなもんで過去は棚上げして現在に酔う。
ただ、「捨てた昨日に復讐され」ないよう、自戒。萌えも文句も責任もって吐かなければ。
ええ、まったくもって「昨日」なんて捨ててしまっているから、ろくにおぼえていない。
まっつにハマるなんて、誰が思ったのよ?!
「昨日」……過去のわたしは、そんなこと夢にも思ってませんよ。
だからまっつのことなんて……ことなんて……。
・2002/10/25 顔だけでいうなら、ジュラ役のみすずくんがみょーに好みなんですが。
→トドファンだと宣言している頃。でも実際はケロファン認識でブログやっている。
・2003/06/06 ブラック・ジャックの影@まっつ! なんてプリチーなの。動作のひとつひとつがきれいで愉快。
→ケロファンだと高らかに宣言し、星担を名乗りつつ。
・2003/06/17 ところでわたし、まっつは顔が好きなのね。(中略)「あの鉄砲隊の子。好みの顔だわっ、あとでチェックしなきゃ!」と思ったのよ……プログラム見て笑ったわ。なんだ、まっつじゃん。鼻しかろくに見えなかったのに、それでも好みだと思ったのか、わたし(笑)。
→そのかにきゃーきゃー言いつつ。
・2003/10/11 まっつが、すごかったよー。アンタ、どこのスター様ですか!(中略)お化粧から立ち居振る舞いからキザり方から、オサ様のコピーみたいな彼は、これからどんな大人の男になるのでしょう。たのしみです。
→歌声にしびれているらしい。低音スキー。
・2004/01/20 ……ごめんね、まっつ。わたしはまっつファンだし、まっつの新公主役を手を叩いてよろこんだひとりだが。(中略)真ん中に立つと、匂い立つような「地味さ」が際立ってた……しょぼん。主役に見えない……。
→まっつファンだって言い切ってる?!! でも匂い立つような地味さって?!(白目)
・2004/01/23 まっつはあのまんまのまっつでした。舞台と同じ顔してるんだね……。好きな顔なので、間近で見られてうれしかったっす。
→とにかく顔のことしか語らないな……。
・2004/05/29 まっつまっつまっつ!! まっつファンのわたしは、客席で悶え狂ってました。まっつ、めちゃかわええ。
→えええっ、この時点でこのテンションで狂ってたの?!!
・2004/09/02 ああ、うまいっていいなあ。心のある演技、豊かに響く歌声。まっつ、大好き〜〜。でもな……でも……真ん中は……やっぱり、合ってない気がする……。(中略)そうか、わたしがまっつを好きなのは、真ん中が似合わないからなのか!
→名前を連呼しまくりながら、失礼なことをほざいてます。てゆーか、「大好き」とか言ってますよこの人!!
……過去の自分の文章を顧みて、敗北感にうちひしがれます。まさに、「捨てた昨日に復讐されている」状態。
なんなのこの人。
昔からバカみたいにまっつまっつ言ってきてんじゃん。
でも、そのときの「ダーリン」は別にちゃんといたわけで、まっつに対してはとても無責任に発言しているのよね。
「嫌い」「悪い」「下手」などのマイナス発言は、責任を持っていろいろ考えてからでないと書くことはできないけれど、「好き」「良い」「巧い」などのプラスの感情による発言は、臆面なく書くようにしている。
だから、「好き」と書くのはけっこー無邪気で無責任だったりする。瞬間風速に押されて書くわけだし。
ケロがいちばん好き、それが前提で、決して覆らない。自分的にソレがあったから、いくらでも他の人にミーハーしていられた。
ええ、ただのミーハー心よ。
でもたしかに、昔からずーっと好意を持ってはいたらしい……んな昔のことろくにおぼえてもいないが。
や、好きだったことはもちろんおぼえているけど、ブログにハートマーク飛ばすほどの勢いでファントーク書き散らかしていたことは、忘却の彼方だってばよ。
そうか……まっつのこと、ずーーっと好きだったんだ……しかもかなりイタイ好きっぷり……。
「好き」のポイントシールを長年貯めていて、2005年後半にたまたまカードがいっぱいになったって感じ?(どんな喩えだ)
2006年は、そりゃーもー、「まっつまっつまっつ」と言い続けた1年でした。
何度も何度もいろんな人に、
「みどりのさん……ほんとにまっつ好きなのね……」
と、あきれ顔で言われました。
・一例
「光モノすべてがハートに見える眼鏡(→冒頭の写真)」を初体験、興奮してひとこと。
「この眼鏡をかけてまっつを見たら、まっつがハートの中にいるわけねっ」
……で、眼鏡の持ち主ドリーさんが、先述のコトバを言いました。しみじみと。
万事この調子で生きてましたから。この1年。
これからも、できる限りたくさんの公演と、たくさんの人を観て、「好き」を書き散らかしていきたいと思う。
「好き」が多すぎるから、退団ラッシュに泣き尽くしたけれど、それでも「好き」でいたい。
ミーハー上等。